ZENSHIN 2009/09/07(No2406 p08)

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週刊『前進』(2406号1面1)(2009/09/07 )

 首切り・賃下げ・消費大増税・戦争推進の「民主党・連合政権」と対決を

 国鉄1047名解雇撤回・三里塚農地死守

 11月集会1万人大結集へ

 9・10〜12全学連大会の成功を

 労働者の怒りの爆発がついに自民党を打倒した。8・30総選挙で自民党は改選前の300議席から119議席へ歴史的大崩壊を遂げた。公明党も小選挙区で全敗し、自公連立政権は粉々に砕け散った。一方、民主党は絶対安定多数をはるかに上回る308議席を獲得した。しかし、民主党への1票が民主党への期待などでは一切なく、新自由主義へのマグマのような階級的怒りであることに民主党自身が震え上がっている。資本主義の救済か革命か、一切は労働組合をめぐる攻防にかかった。職場生産点で労働組合を闘う武器へよみがえらせ、動労千葉労働運動を実践し、11月1万人決起へ突撃しよう。
(写真 仙台で「法大弾圧許さない!8学生を取り戻そう」の集会後、コールを響かせ街中をデモ行進【8月30日】=関連記事7面)

 新自由主義攻撃に根底的な怒り爆発

 8・30総選挙で、日本の労働者は、積もりに積もり、耐えに耐えてきた怒りを根底的に爆発させ、日帝ブルジョアジーと自民党を収拾のつかない没落と分裂へたたき込んだ。国鉄分割・民営化以来、小泉構造改革以来、「市場原理に任せればすべてうまくいく」という新自由主義によって、一体どれほど多くの労働者人民が職を奪われ、生活を破壊され、団結を解体され、殺されてきたのか! しかも大恐慌がこれまでをはるかに超える大失業攻撃となって労働者に襲いかかっている。
 この現実に対し、6千万労働者の怒り、とりわけ2千万の青年労働者の怒り、「派遣切り」などを強行されたすべての失業者の怒り、弾圧と闘う法大生と全国学生の怒り、農民・漁民を始めすべての階級・階層の怒りが大爆発した。ブルジョアジーよ! このすさまじい現実に震え上がるがよい!
 この怒りは総選挙で大勝した民主党へも鋭く向かっている。民主党代表・鳩山は「仕事が見つからず帰省していた息子が自殺した。こういう政治、何とかならないか」という青森での母親の訴えに「言葉を失った」という。だがこれなどは、ほんの一端だ。この壮絶な現実への怒りが自民党を倒し、民主党をも痛撃している。このことに鳩山ら民主党自身も戦慄(せんりつ)し、震え上がっている。
 民主党や連合は、新自由主義攻撃をむしろ率先して推進してきた。本質的に労働者の敵である。「民主党・連合政権」と対決し、労働者の資本主義、新自由主義への怒りをプロレタリア革命の勝利へと一気に解き放つこと、これこそ革共同の歴史的使命だ。
 日本共産党は、オバマ賛美に明け暮れ、実質的に日米帝国主義の侵略戦争に労働者人民を屈服させ動員するために、選挙をやった。歴史的激動期に革命を圧殺するスターリン主義反革命であり、実に許し難いことだ。
 8・30総選挙がわれわれに突きつけたものは、労働者の階級的怒りと欲求に真に結合する革命党の根底的飛躍である。だれもが経験したことのない、この政治・経済・社会の危機と大動乱こそ、革命情勢そのものだ。ここではすべての勢力がふるいにかけられる。革命と反革命の分岐と激突が拡大する。だがまさに革共同は、この日のためにこそ闘ってきた。一切の階級的怒りと力を解き放ち、この歴史的な大激動情勢に〈11月1万人決起〉の大方針をもって切り込んでいこう。

 解雇撤回闘争こそ全労働者の結集軸

 今こそ〈国鉄1047名解雇撤回!〉を基軸に高々と掲げ、労働者階級の怒りと欲求に固く結びつき、組織、組織、また組織して、11月労働者集会1万人決起を何がなんでも実現すること。これが一切の実践的結論だ。
 大恐慌は大失業と戦争の攻撃を決定的に激化させる。政府は6月に「景気底打ち」宣言をしたにもかかわらず8月28日、総務省は7月の完全失業率が過去最悪の5・7%を記録したと発表した。企業の解雇攻撃が非正規から正規へ、製造業から非製造業へ、中小から大企業へとどんどん広がっている。とりわけ青年労働者の失業率は24歳までで9・9%、25〜34歳で7・1%だ。しかも「企業内失業者」が607万人。大失業攻撃への労働者階級の根底的な闘いをつくりだす時が来た。
 国鉄1047名解雇撤回闘争を、今こそ全労働者の闘う結集軸として発展させよう。社保庁で1000人首切り攻撃が始まっている。JPEXは第二の郵政民営化=大量首切りの攻撃だ。教育労働者への免許更新制も、団結破壊と首切りの大攻撃である。これらは道州制・民営化攻撃そのものであり、全労働者階級にかけられた攻撃でもある。
 しかし、道州制攻撃の最大の柱=360万人の公務員労働者の全員解雇・選別再雇用など、1047名闘争の解体なしにできるはずがない。4者4団体路線を粉砕し、国労5・27臨大闘争弾圧粉砕の勝利をもって1047名闘争を階級の大地に復権し、この闘いを先端に4大産別決戦を革命戦略として爆発させていくなら、日帝の唯一の延命策となった道州制・民営化は必ず粉砕できる。新自由主義の牙城・JR体制と激突し、組織拡大で前進する動労千葉、動労水戸の決起に続こう。
 さらに国鉄・三里塚決戦の爆発こそ勝利の道だ。22年にわたる解雇撤回闘争と43年にわたる軍事空港絶対反対の闘いこそ、日帝・国家権力との最も激しい激突点であり、最も有利な戦場である。これほど新自由主義に怒り、闘おうとする労働者・学生・人民を引きつける闘いは他にない。国際連帯闘争がこのことを完全に証明している。
 10・11三里塚現地闘争への総決起をかちとり、11・1労働者集会1万決起へ驀進(ばくしん)しよう!

 労働組合をめぐる攻防に勝利しよう

 労働組合をめぐる激突と勝利に一切がかかっている。11月1万人決起は職場生産点からの怒りの決起だ。それは体制内勢力との激烈な党派闘争に勝ち抜いてこそ実現される。
 自民党は選挙戦の終盤で労働組合批判に全力をあげた。日教組、自治労批判をくり返し、「労働組合が日本を侵略する日」などと大キャンペーンを張った。体制内の連合であろうが、労働組合が政権を握ることなど絶対容認できないということだ。逆に労働組合の力、可能性をこれほど示しているものはない。
 民主党政権は、連合=体制内労働運動との結託体制である。それは大恐慌情勢下で、連合の体制内指導部を先兵としながら、道州制・民営化と首切り・賃下げ・消費大増税・戦争などの攻撃を推進していく政権である。
 すでにJP労組大会、自治労大会は、政労使一体で賃下げも、首切りも、戦争協力も労働組合が率先してやるという産業報国会宣言を発した。これは労働者階級にとって恐るべき現実だ。
 しかし「民主党・連合政権」の登場は連合の危機と崩壊の開始である。体制内指導部が大幅賃下げと道州制・民営化攻撃の先兵となるとき、連合は労働者支配の決定的破綻点に転化する。職場の怒り・要求と結合して、動労千葉労働運動を原則的かつ柔軟に実践することで、連合支配を打倒し、拠点職場をつくる絶好のチャンスである。
 そのためには、拠点職場と職場細胞の建設を目的意識的にかちとっていく地区党の団結と飛躍が決定的だ。階級的労働運動路線のもとでの絶対反対論と階級的団結論のマルクス主義的実践が、青年労働者を先頭に地区党建設を求めて、革共同への結集運動を強力に生み出している。マル青労同1千人建設と地区党建設を一体的に強化し、革命的労働者党建設の闘いを爆発的に推進しよう。
 一切の活動を11月1万人決起の組織化の一点に集中しよう。直ちに街頭宣伝戦へ猛然と打って出よう。職場の仲間とともに街頭で青年・学生を組織しよう。同時に各職場で、11月集会賛同決議をランク&ファイルでかちとろう。職場の組織者をオルグし、決定的な一人の獲得と同時に、職場全体を獲得する闘いに挑戦しよう。機関紙拡大で勝負しよう。
 11月集会実行委事務局が提起している、@チケット1万枚販売、A賛同署名1万筆、B『7月サンフランシスコ国際会議報告集』1万部販売を全力で実践しよう。
 法大弾圧粉砕・8学生奪還の全国署名は組合オルグ、青年・学生獲得の決定的武器だ。9・10〜12全学連大会の成功をかちとり、全学連運動が時代の最先端に躍り出よう。
 時代認識と路線で団結して闘えば不可能なことは何もない。11月1万人決起への2カ月間の組織戦へ全力で突入しよう。

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週刊『前進』(2406号1面3)(2009/09/07 )

 10・11三里塚全国集会へ

 反対同盟が招請状 “市東さんの農地守ろう”

 三里塚芝山連合空港反対同盟が、勝利への確信も固く10・11三里塚全国総決起集会への招請状を全国に発した。10・11闘争の爆発は、11・1労働者集会1万人決起と完全に一体だ。この呼びかけにこたえ、全力で結集しよう。(編集局)

 招請状

 三里塚芝山連合空港反対同盟
全国の労働者、農民、闘う仲間のみなさん。戦後長く続いた自民党による政治支配が、人民の激しい怒りによってついに倒壊しました。恐慌がもたらす底知れぬ危機の中、どんな既成政党もこれにとって代わることはできません。労働者、農民、人民の力のみが新たな時代を切り開く激動情勢――これはまた三里塚闘争の勝利を開く決定的情勢の到来です。「空港絶対反対」「農地死守」の43年間不屈の闘いが、いよいよその真価を発揮する時がきました。わが反対同盟は敢然と決戦を挑む決意です。10・11全国総決起集会への大結集を訴えます。
労働者を襲う首切り、賃下げ、雇い止めといった資本の攻撃と同じ攻撃が、全国の農民に対してもはげしく向けられています。
6月17日、改悪農地法が成立しました。これは戦後闘いとった農地改革の成果を根底から覆す攻撃です。農民から農地を奪い企業(資本)に引き渡す制度の開始であり、資本による農業からの徹底収奪です。300万農家を40万戸に激減させるこの攻撃は、道州制による360万自治体労働者解雇攻撃と同根です。
恐慌は保護主義をもたらし、保護主義はアジア勢力圏化と戦争に向かいます。WTO(世界貿易機関)の決裂とFTA/EPA(自由貿易協定/経済連携協定)の推進は、破綻にあえぐ成田空港の立て直しと一体不可分です。北延伸10月供用前倒し、「へ」の字誘導路の緩和計画と飛行回数1・5倍化、24時間空港化。そして北朝鮮排外主義のなかでの成田空港の軍事化攻撃。民営化・労組破壊と一体のもと、国策と闘い続ける三里塚闘争を解体する攻撃の激化は不可避です。
7月29日、政府権力は「4者協議会」(国交省、成田空港会社、千葉県、地元自治体)で、市東さんの家屋・出荷場など建物と畑を空港内に取り込む、断じて許せぬ誘導路計画(「第3の誘導路」)を打ちだしました。天神峰現闘本部裁判(千葉地裁民事5部・仲戸川裁判長)では、年内にも仮執行宣言付き判決で、最高裁判決確定の前に本部建物を証拠もろとも破壊する策動を強めています。これらせっぱ詰まった攻撃は不屈に闘う三里塚への恐怖の現れです。
 三里塚闘争は戦前戦後の農民運動を引きつぎ、絶対不屈、農地死守・実力闘争で闘ってきました。親子3代90年の農地を、農地法で事実上「収用」する攻撃は、全国の農民・労働者の怒りを根底からかき立てずにおきません。三里塚闘争は必ず勝利します。わが反対同盟は圧倒的な自信と確信を深めています。
勝利への道は、「空港絶対反対・一切の話し合い拒否」「農地死守・実力闘争」「二期阻止・空港廃港」の闘争原則と動労千葉とともに闘いとった労農連帯です。沖縄や関西住民を始めとする反戦・反核・反権力、反差別の広範な市民運動・住民運動との連帯です。反対同盟はいかなる闘争破壊も許さない。改憲と戦争への道を阻止するために、韓国やアメリカをはじめとする全世界の労働者と連帯して闘おう。
いまこそ、権力と資本による分断をうち破り、労働者と農民は連帯して闘わなければなりません。10・11全国集会に総結集されることを心から訴えます。
2009年9月1日
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暫定滑走路北延伸10月供用粉砕 市東さんの農地強奪阻止 農地法改悪・改憲攻撃粉砕 成田を軍事基地にするな
10・11全国総決起集会
10月11日(日)正午
成田市東峰 反対同盟員所有地
主催/三里塚芝山連合空港反対同盟

(写真 「市東さんの農地を守ろう!」ののぼり旗を立て街頭宣伝【2日 成田駅】)

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週刊『前進』(2406号2面1)(2009/09/07 )

 自治体労働者の怒りを11月へ

 自治労熊本大会決戦 本部の大転向暴き決起訴え

 民主支持・民営化推進粉砕を

 大恐慌下における自民党崩壊―総選挙情勢の真っただ中で開かれた自治労第81回定期大会(8月25〜28日 熊本)と前段の青年部総会(23〜24日)、女性部総会(同)、現業評議会総会(24日)は、労組交流センター自治体労働者部会に結集する闘う自治体労働者を先頭に革命を訴える6日間の歴史的な決戦として闘われた。闘う自治体労働者は、国鉄1047名解雇撤回、道州制・民営化絶対反対、自治労本部打倒=体制内労働組合運動指導部打倒の闘いを進め、4大産別決戦でプロレタリア革命を実現しようと訴え、多くの自治労組合員と結びつき、11・1労働者集会1万人結集実現への突破口を切り開いた。さらに8・30総選挙で自民党支配を打倒した労働者の怒りを民主党・連合政権との対決へと解き放ち、組織しよう。
(写真 自治労熊本大会決戦【8月25日】)

 組合員の怒り解き放つ

 自治労本部は熊本大会で、自治労が労働組合であることをやめて「民主党・連合政権」を支える最大の産別組織となり、危機にあえぐ日帝国家・資本の救済と延命のために道州制・民営化、戦争協力、産業報国会化へと踏み出すことを決めようとした。これに対して革命派は、職場生産点の労働者の根底的な怒りを爆発させて改憲・戦争・道州制・民営化絶対反対、自治労本部打倒の路線のもとに団結し、11・1労働者集会1万人結集への突破口を切り開くことを訴えた。大会は転向か革命かという歴史選択をかけた重大な決戦として闘われたのだ。
 そして実際に全国の組合員の怒りに火がつき、自治労本部打倒、11月1万人結集への決定的な前進が切り開かれた。
 自治労本部は、「政権交代」実現のために組合員を総選挙に全力動員し、そのどさくさに紛れて大転向・大裏切り方針案を提起し通してしまおうとした。しかし、青年を先頭とする労組交流センターのビラとアジテーションは、本部の歴史的な転向・裏切り策動を鋭く暴き、その反動的な思惑を打ち砕いた。道州制・民営化絶対反対、自治労本部打倒の鮮烈な訴えは、組合員の心をとらえた。大会議事が進むにつれ、組合員の怒りが噴出していった。代議員から追及・弾劾された本部は「対応する」「受け止める」「取り組む」など、”踏みにじる”ことしか意味しないごまかし答弁で逃げ回った。
 本部を批判・弾劾する代議員の意見は、現場の労働者の怒りと要求を多かれ少なかれ反映せざるをえなかった。それが連合路線のもとで圧殺されてしまうのか、それとも真に階級的に解き放って革命派の路線にまとめ、体制内労組幹部=自治労本部の打倒、自治労の階級的再生へと発展させるのかが、問われた。今、後者の道が開かれつつある。
 「大恐慌と自民党崩壊をプロレタリア革命へ」「道州制とは何か」「労働組合とは何か」――わが闘う自治体労働者の根本的な訴えは、資本・当局の激しい攻撃と対決し闘うことを求める現場の労働者の意識にフィットした。多くの大会参加者が真剣に耳を傾け、ビラを読んだ。11月労働者集会への賛同署名、法大暴処法弾圧8学生釈放全国声明への賛同署名は数十筆に上り、『前進』が十数部売れた。体制内に収まらない組合員の怒りを11月へ組織しよう。

 “組合運動やめる”方針

 岡部謙治委員長は大会冒頭の本部あいさつで「日本社会の根本的な再建」を掲げて「官僚制を基礎とする明治維新からの強固な中央集権体制からの脱却」が必要であり、「中央省庁が全国一律の基準で地域自治体を拘束するシステムではもはや無理」「分権改革においては……地域主権を確立することが必要」と主張した。
 これは「究極の構造改革」として道州制導入を唱える御手洗冨士夫日本経団連会長や江口克彦PHP研究所社長・政府道州制懇談会座長、橋下徹大阪府知事らの道州制論とまったく同じ表現だ。岡部委員長は、資本家階級の主導する日帝の唯一の起死回生策だが破綻必至の道州制を労働組合の側から訴え、全面推進する意思を示したのだ。歴史的な「階級移行」だ。
 岡部委員長はさらに、「政・労・使は社会を支えるパートナーである」論を提起し、自治労は「地域において公共サービスを担う労働組合である」と「自治労の存在意義」を強調した。”自治労は労働組合であることをやめる”と言っているのだ。
 議案では「財政再建」と「公共サービス再生」のために「組合員利益の維持・向上を追求するこれまでの労働運動からの質的転換をはかる」こと、北朝鮮に対する排外主義を扇動することを方針として打ち出した。
 だが、労働者(階級)と資本(家階級)・資本主義国家の利害は非和解的に対立している。労働者は資本の支配のもとで賃金奴隷にされている。しかし労働者は団結して資本と闘争する。そのための組織=武器が労働組合だ。労働組合は、労働者階級の基礎的大衆的団結形態として、資本とその利益を保障するために組織された暴力である国家・当局と闘って労働者階級の生存と利益を守るための組織である。それだけではなく、究極的には賃金制度=賃金奴隷制を廃止し、労働者階級の自己解放をかちとるために闘う組織でもある。
 これに対して岡部委員長は、労働組合の階級的な立場=原点を完全に投げ捨て、資本と国家・当局にそのパートナーとして全面協力し、労働者の賃金・労働条件を向上させ生活と権利を守る闘いを放棄することを公然と表明したのだ。現場労働者の闘いを圧殺し戦争に協力する産業報国会になるということだ。熊本大会を資本・国家のために身も心もささげる「滅私奉公」組織への「転換のとき」(大会のメインスローガン)とすることを宣言したのだ。ブルジョア政党である民主党の政権を支えることは、日本帝国主義の救済・防衛、帝国主義戦争への協力・動員しか意味しない。

 2割賃下げ提案で民主政権支持

 当然にも代議員の中から激しい怒りがたたきつけられた。「本部運動方針は誰に向けたメッセージなのか。本部は労働者の気持ちがあるのか」「社会的セーフティネットや公正ワークルールなどの政策を述べることは自治労の役割ではない」「『転換のとき』とは何から何への転換なのか」「委員長あいさつの『政労使パートナー』発言は現場の組合の感覚とかけ離れている」「職場の厳しい状況をもたらしたのは政府であり、使用者・資本だ。そうした『政府や使用者とパートナーの組合』に転換するのか」
 階級対立を限りなくあいまいにする本部に弾劾がたたきつけられた。
 「標準的給与」(解説)を提案した本部への追及も日増しに激化した。
 「公務員攻撃に反撃を」「公務員人件費2割削減の民主党マニフェストを支持するのか」「月例給・一時金ともマイナスを最低目標に置く本部方針は疑問だ。独自賃金カットがなされている。これ以上の賃金カットは死活問題だ」「『最低限の標準的給与』として現行額を約20%も削減する『地方公務員の標準的給与のあり方』は絶対に認められない。人勧体制すら強制できなかった大幅賃下げを自治労自ら提案し、合意し、受け入れるのか」
 2割下げの「標準的給与」では、臨時・非常勤職員、現業職員はおろか正規職員さえも食っていけなくなる。標準的給与は、公務員のみならず全労働者への大幅賃下げ・大量首切り・非正規化攻撃を促進する。
 総務省は「自治体の現業賃金は民間より5割〜3割も高い」と言って現業賃金の大幅引き下げ、非正規化、大量解雇圧力を強めている。
 民主党はマニフェストに「無駄遣い一掃」「国家公務員の総人件費2割削減」を大きく掲げて圧勝した。この民主党政権を支えるために自ら賃下げを提案する――これが労働組合のやることか。組合員の怒りと革命派の訴えは完全に一致した。

 道州制反対の意見続出

 自治労本部は、岡部委員長のあいさつにもあるように今大会で完全に道州制推進の立場に踏み切った。議案には「道州制の議論に参加する」とある。道州制は公務員360万人いったん全員解雇・選別再雇用による自治労・日教組破壊、国・自治体丸ごと民営化、改憲・戦争国家化の大攻撃である。この暴露に呼応して多くの代議員が疑問と反対の声を上げた。
 「道州制についての本部のスタンスはあいまいだ。都道府県職員の雇用問題に直結する課題」「道州制については本部方針は弱い。反対のスタンスで取り組むべき」「道州制は国の仕組みを根本から変える。自治体労働者・公務員労働者のいったん全員解雇・選別再雇用が行われる。国鉄・社会保険庁職場で行われたことが全体化される。自治労解体が目的。絶対反対で闘うべきだ」
「日本年金機構基本計画は社会保険庁の責任をすべて現場に押し付けるもので、正義に反し、容認できない。一人の仲間も路頭に迷わせない。当局の責任を追及し、分限免職を阻止する」
 道州制絶対反対の意見には圧倒的な賛成の拍手が沸き起こった。本部は道州制についても政労使パートナー路線についても一言も答弁できなかった。言及した瞬間、闘う自治体労働者の追撃を受け、とどめを刺されかねないと恐れたのだ。
 道州制は国鉄分割・民営化の10倍、20倍の規模の労働組合運動つぶし攻撃である。それはすでに公立病院民営化・廃止・大量分限免職、社保庁解体・1000人分限免職の攻撃など、自治労破壊攻撃として襲いかかっている。しかし、国鉄分割・民営化絶対反対を貫き階級的団結を固めて二十数年闘い続け、JR体制を食い破っている動労千葉、5・27弾圧被告団、1047名闘争の存在は道州制粉砕決戦の勝利の道筋を示している。
(写真 自治労本部の道州制・民営化推進の転向方針に組合員の怒りが噴出【大会2日目の8月26日】)

 人事評価制度と任用替えを承認

  また「4原則2要件を備えた新たな人事評価制度の確立」を方針化した本部に怒りが集中した。
「人事評価制度について、すでに実施されたなかに良い事例は一つもない。方針としてまず反対の姿勢をとるべきだ」
一切の抵抗をやめた本部を弾劾する意見だ。
「4原則2要件」が確保されていようが、人事評価は本質的に、労働者=人間を評価し、差別し、分断し、競争させ、階級意識を解体し、団結を破壊し、闘いを阻害・圧殺する資本・当局の攻撃なのである。絶対反対・断固拒否を方針に掲げて闘うべきなのだ。
民営化について、現業評議会総会で現場労働者が切実な訴えを行った。
「本部の公立病院ガイドラインでは闘えない。民営化は労組つぶし。民営化された53病院のうち自治労の旗が残ったのは三つだけ。指定管理者制度の廃止を」
大会でも同様に「指定管理者制度は見直し・改善ではなく廃止の立場で闘うべきだ」などの意見がいくつも出された。
特に民営化された新病院への組合役員の不採用、労組結成阻止という、あからさまな不当労働行為、組合つぶしが行われている現実への激しい怒りが表明された。民営化絶対反対を掲げて職場を組織し原則的に闘う以外に勝利の道はない。
現業職場の切り捨て・民営化や人員削減・合理化、非正規職への置き換え、賃下げ、労働強化の攻撃を前に、本部はますます後退し屈服を深めている。本部の方針は「直営堅持」「現業活性化」「職の確立」による「質の高い公共サービスの確立」だ。これは「働こう運動」で「市民」に「より質の高い公共サービス」を提供せよ、「市民」のために犠牲を払え、という攻撃だ。滅私奉公であって階級闘争ではない。そして今回、本部は「組合員利益の追求は社会的に共感を得られない」として公務員バッシングに降参した。
現業職員の任用替え(解説)に対しても、本部は「よりよい任用替え」を求める条件交渉路線で任用替えを認めた。
要するに「公共サービスを担う労働組合」として「公共サービスを再生し豊かな地域社会をつくろう」という熊本大会スローガンは、政労使で道州制・民営化を推進しようという意味なのだ。
「闘えば団結が深まり前進する。闘わなければ団結が弱まりばらばらになる」。労働組合として組合員の怒りと決起を引き出し、絶対反対を貫き、階級的団結を固めることを総括軸に闘うことが勝利を切り開く。道州制・民営化絶対反対、自治労本部打倒、11月集会1万人結集の路線と方針は、自治労組合員の中に大きなくさびとして打ち込まれた。
4大産別を先頭に職場生産点からランク&ファイルの闘いを巻き起こし、労働組合をよみがえらせよう。世界大恐慌下、民主党・連合政権と対決し、大失業と戦争を革命に転化しよう。国鉄・三里塚決戦を最先端攻防として闘い、動労千葉を軸とする国際連帯の力で11・1集会1万人結集を実現しよう。
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解説

標準的給与 自治労労働局が今年5月19日に県本部担当者会議で提案した。この場では多数の反対で先送りとなった。いったん自治労のホームページに掲載されたが、すぐ削除された。労働局長の江崎孝は来年参院選の民主党公認自治労組織内協力候補。
@「2012年に人事院・人事委員会勧告制度が廃止され、団体交渉を基本に地方公務員給与が決定される」ことを前提にAこれまでの公務員の全国一律賃金体系を解体しB各自治体ごとの個別の賃金交渉で組合側が提案する「最低限の給料表」。現状より2割削減(初任給11万2400円)の行政職給料表である。「都道府県間の水準差を認める」として自治労側から公務員一律賃金制と統一賃金闘争を解体するもの。
民主党マニフェストは「無駄遣いをなくすための政策」として「地方分権推進(道州制!)に伴う地方移管、各種手当・退職金等の水準や定員の見直し、労使交渉を通じた給与改定(公務員制度改革後)」などで「国家公務員の総人件費2割削減する」とした。
任用替え 公務員労働者の採用に関し、ある採用区分でいったん採用された後、別の採用区分の合格者として採用されること。採用・転職・昇格・降格を任用という。
任用替えの多くは、現業職員の一般行政職員への配置替え。大半は現業職員の削減が目的。自治体の中で最も戦闘的な現業労働運動をつぶし、自治体労働運動全体をつぶすことが狙い。現業労働者は行政職にない団体交渉権(協約締結権)を持っている。
自治体当局は、委託や民営化、新規採用ゼロなどで団結を破壊しようとしている。任用替えしたくない現業職員や任用試験に合格しない現業職員が生まれる。職の廃止による分限免職も問題になる。任用試験に合格し任用替えしても、慣れない仕事や人間関係、現業差別で自殺や退職に追い込まれることも多い。

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週刊『前進』(2406号3面1)(2009/09/07 )

 大恐慌と自民党支配の打倒をプロレタリア日本革命勝利へ

 労働者は11月集会へ驀進しよう

 戦後革命期以来の「大動乱期」に突入

 今や日本の歴史は、戦後革命期以来最大の政治的な大激動期、大動乱期に突入した。日々激化し深まる世界大恐慌のもとで、一方では支配階級の政治支配体制の危機と崩壊、他方では被抑圧階級の不満と憤激の爆発とが一体的に進行し、レーニンの言う革命的情勢へと、ついに日本の政治情勢・階級情勢も現実的に突入したのである。
 8・30投開票の総選挙の結果は、労働者階級人民の壮大な怒りの爆発が自民党支配を決定的に打倒し、戦後一貫して長期の独裁支配を続けてきた自民党が政権から転落したということであった。ほぼ事前の世論調査などの予想どおり、民主党が「絶対安定多数」をはるかに上回る308議席を獲得し、他方で自民党は119議席と、前回の3分の1の議席にまで転落した。これは戦後かつてない政治的、体制的な大激変情勢である。
 またその他の政党の獲得議席は、公明党21、日本共産党9、社民党7、国民新党3、みんなの党5などなどの結果であり、投票率は前回を上回る69・29%であった。まさに都市と農村を問わず、労働者階級人民の抑え難い自民党支配への巨大な憤激が全国津々浦々で激しく大規模な雪崩と地滑りを引き起こし、自民党を吹き飛ばし、政権からたたき落としたのだ。
 革共同と労働者階級はこの生み出された大激動、大激変の情勢に胸を躍らせ、職場生産点で、街頭で、キャンパスで、真っ向から向き合い、切り結んで闘い抜こう。
 今こそ「大恐慌を世界革命へ」「自民党支配の崩壊をプロレタリア日本革命へ」の闘いに、全力で突入していく時だ。何よりも11月労働者集会への1万人決起の実現のために闘い抜くことこそ、この大動乱情勢に対する唯一最大の回答であり、革命勝利を切り開く現実的な最良、最先端の道筋である。

 “一票革命”を行使労働者が自民倒す

 商業新聞の世論調査によれば、民主党圧勝・自民党惨敗の理由として、「政権交代を望んだから」が81%であるのに対し、民主党の「政策を支持した」は38%である。これは何を意味しているか。鉄砲や武器の代わりに「一票革命」を行使した労働者階級の今回の政治行動の主体的動機が、民主党への期待や幻想ではなく、自民党への耐え難い怒りであり、自民党を政権からたたき落としたいという欲求であったということである。
 この労働者階級人民の怒り、憤激は、何よりも小泉構造改革で頂点に達した新自由主義攻撃への怒り、憤激である。安倍を打倒し、福田を粉砕してきた階級の怒りが、さらに激しく拡大し、ついに自民党支配を最終的に打倒したということである。
 「郵政民営化」を最大のスローガンに振りかざした小泉政権は、「自民党をぶっ壊す」と叫ぶことで自民党の最後の延命を演出したが、これは実際には自民党支配の「終わりの始まり」だった。そして都議選の惨敗に続く今回の総選挙の歴史的大敗で、自民党は「終わった」のだ。
 まさに、金融独占ブルジョアジーの利益と延命のための小泉構造改革が、新自由主義攻撃として労働者階級に強制したむきだしの資本主義の弱肉強食の政策、搾取・収奪の極限的強化と、貧困・格差の耐え難いまでの拡大、総じて〈戦争・改憲と民営化・労組破壊>の攻撃に対する、もはや抑えることのできない怒り、憤激が、まさに噴火山のように爆発したのが今回の総選挙だった。
 しかもこの新自由主義攻撃は、労働者階級のみならず、農民、漁民を始めとするあらゆる階級・階層にも襲いかかり、自民党と生命力の尽きた資本主義体制そのものへの怒りを蓄積し、戦後的な自民党支配の基盤を掘り崩し、ついに打倒にまでいたったのだ。
 そして、これらすべての労働者階級人民の最先端で、暴処法弾圧に屈せず監獄大学解放へ闘う法大生の怒り、4大産別の職場生産点で闘う青年労働者を先頭とした労働者の怒り、「派遣切り」攻撃が襲いかかった非正規労働者、失業労働者の怒り――それらが総選挙を水路に全面的に爆発したのである。このかつてない巨大な流動、分岐、決起と激突の中から、今や世界大恐慌の激化にあえぐ資本主義・帝国主義の崩壊への弔鐘が鳴り響き、革命的情勢が全世界で、日本で、本格的に成熟してきているのだ。
 このように8・30総選挙は、ついに自民党を政権からたたき落とし、もはや後戻りのない崩壊と分裂の淵(ふち)へと突き落とした。自民党によるブルジョア独裁支配は、10年間もの自民党・公明党によるインチキで反労働者的・反人民的な政治支配とともに、無残に吹き飛んだ。

 民主党・連合政権との全面的対決に

 今後、民主党政権がたちどころに破綻し崩壊したとしても、従来のままの自民党の再復活などもうありえない。自民党支配を補完してきた公明党も、労働者階級の怒りをたたきつけられて大きく没落した(太田代表、北側幹事長、冬柴前幹事長らが落選)。
 しかし他方で、大勝した民主党は、総選挙でのあまりにもドラスチックで激しい労働者階級の怒りの爆発という結果に、本質的に自民党と変わらぬブルジョア政党として、むしろ恐怖し、おじ気づき、腰が引けている状態だ。資本主義の崩壊と革命の現実性の前に、本質的に打ち震えているのである。
 さらに日本共産党は、選挙戦で、米帝オバマへの限りない賛美と「建設的野党」の宣伝にうつつをぬかし、スターリン主義としての反革命的本質をいよいよ純化させた。そのことで一層の破産と没落を開始している。
 民主党政権は、実質的に連合=体制内労働運動の最大実体との結託体制、すなわち「民主党・連合政権」である。しかもその民主党のマニフェストの最大スローガンは、「無駄遣いの一掃」である。
 これは要するに4大産別の労働者に対する徹底的な首切り(大量解雇)、賃下げ(これはすでに「総額人件費削減」が本格化した97年あたりからものすごい勢いで進行している)、そして非正規雇用化を一層推進するということである。しかも自治労や日教組の体制内指導部の屈服を前提とし、先兵として、道州制・民営化攻撃と一体のものとしてそれをやるのだ。
 選挙過程で、断末魔の自民党は、「知ってビックリ民主党/これが実態だ! 労働組合が日本を侵略する日/民主党にだまされるな!」という、これが政権政党かと驚くような常軌を逸した全戸パンフをばらまいた。社保庁を始め4大産別の公務員労働者・労働組合に対する敵意むき出しの攻撃に、最後の「望み」を託したのだ。だが通用しなかった。しかしこれは民主党と連合による、4大産別への体制内的な転向・圧殺の攻撃を加速する右からの攻撃として重大である。
 連合を労働者への攻撃の先兵としてくるところに民主党政権の労働者階級にとっての恐るべき現実がある。
 しかしこれは、4大産別を先頭に職場生産点を土台にして闘うことにより、逆に敵の決定的な破綻点になる。「民主党・連合政権」との対決は、階級的・戦闘的・原則的に闘う労働者にとっては、まさに勝利へ前進するチャンスでもあるのだ。

 最大の結論は11月1万人決起実現だ

 8・30総選挙情勢は、戦後これまで誰もが経験したことのないような大激動と、革命的情勢への突入である。戦後革命期以来の政治、経済、社会全般の危機と大混乱、一方での労働運動・階級闘争の高揚と激突は不可避である。「民主党・連合政権」のもとでそれはいよいよ促進される。
 総選挙の過程で、民主党も自民党も、世界大恐慌のことにはまったく触れなかった。いや触れられなかったのだ。だが今、日帝は帝国主義の「最弱の環」として大恐慌に直撃されているのだ。ここに日帝の最大の破綻と危機の根拠があるのだ。
 この情勢において労働者階級に今求められているものは何か。
 第一に、資本主義の救済ではなく革命だ。破綻した資本主義・帝国主義には何の未来もない。「大恐慌を世界革命へ」「自民党支配の崩壊をプロレタリア日本革命へ」と闘うことこそが、労働者の歴史選択である。
 第二に、「民主党・連合政権」が体制内労働運動を先兵としてかけてくる道州制・民営化と解雇、賃下げ、非正規雇用化の大攻撃に、4大産別を先頭とした職場生産点と街頭で全面的に対決し闘うことだ。国鉄1047名闘争こそ、その最大の軸である。
 第三に、大恐慌と革命的情勢の成熟のもとで、労働組合・労働運動をめぐる激突と攻防がいよいよ決定的となる。権力・資本、体制内指導部、さらには極右ファシスト的勢力との激突や党派闘争に、動労千葉労働運動と〈絶対反対論>〈階級的団結論>〈党建設論>をもって断固として闘い、勝ち抜こう。
 第四に、一切の結論は11月労働者集会への1万人大結集だ。国鉄1047名解雇撤回、三里塚農地死守、道州制粉砕、国際連帯を真っ向から掲げて、11月へ驀進(ばくしん)しよう。
 今秋、国鉄・三里塚決戦を爆発させ、それを原動力にして10・11三里塚と11・1日比谷野音へと、うなりを上げて突き進もう!

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週刊『前進』(2406号4面1)(2009/09/07 )

 空港絶対反対・農地死守の原則貫き労農学団結で三里塚闘争勝利を

 10・11三里塚-11・1日比谷へ

 三里塚芝山連合空港反対同盟から10・11三里塚現地全国総決起集会の招請状が発せられた(1面掲載)。今年の10・11闘争は例年にも増して重大な闘いとなった。大恐慌と自民党崩壊という歴史的情勢下で三里塚の位置は決定的に大きい。その成功のために特集を組んだ。(編集局)
(写真 09年3・29三里塚闘争に全国から1580人が結集し農地強奪阻止を決意)

 革命的激動の三里塚闘争 日帝支配揺るがす「革命の砦」

 開始された巨大な反乱を革命へ

 労働者・農民の積もり積もった怒りのマグマが爆発し、ついに自民党政権が音を立てて崩壊した。小泉政権の新自由主義攻撃に対する怒り、さらに戦後の自民党独裁体制全体に対する怒りが爆発したのだ。世界大恐慌のもとで、既存の政治支配体制が崩壊する、まさに革命的な情勢の到来だ。
 何千万の労働者人民が投票行動という形態であろうと、一斉に自民党政権打倒に動いたことの中に革命の現実性が示されている。
 労働者人民は、開始されたこの巨大な反乱を、その大本である資本主義そのものを終わらせる革命に向かってさらに前に進めなければならない。
 労働者の中に民主党への幻想が仮にあったとしても、それは一瞬にして吹き飛ぶようなものでしかない。何よりも、自民党の崩壊をもたらした経済的基礎、日本資本主義の危機は何一つ変わらないのだから。これから大恐慌の2番底、3番底と言うべき破局が押し寄せてくる。この中で民主党政権は、直ちに暗礁に乗り上げ、帝国主義ブルジョアジーの救済のための政権であるという馬脚を現す。
 民主党のマニフェストに言う「無駄遣いの根絶」とは、公務員労働者に対する首切り・賃下げであり、これを連合ダラ幹と結託して進めるのが民主党・連合政権だ。労働組合の名をもって労働者を圧殺する政権なのだ。
 一方では、この情勢に危機感を募らせる右翼ファシスト勢力が一斉にうごめき出すことも明白だ。あらゆる意味で、革命的情勢がついに到来したことを、激しい闘志をもって確認しよう。

 国鉄と三里塚で革命の扉開こう

 この情勢の中で、われわれが国鉄闘争と三里塚農地死守の闘いをもって対決する路線を鮮明にしたことは、日帝打倒に向かって有利な地平である。国鉄−4大産別決戦と三里塚でわれわれは革命の扉を開くことができる。
 23年間にわたって闘われてきた国鉄1047名闘争は、大失業・首切り攻撃のもとで続々と決起する労働者階級の進むべき道を照らしている。「解雇撤回」を投げ捨て、政府・自民党にお願いする4者4団体路線は見るも無残に破産した。動労千葉や国労共闘が掲げ続けてきた原則的な路線が、全労働者の先頭に立っているのである。
 そして同時に、43年間の不屈の三里塚闘争は、この大恐慌下、そして民主党政権下の三里塚闘争として、一段と重要な位置に押し上げられた。
 三里塚闘争は、日本帝国主義を打倒する革命の根拠地である。閣議決定以来43年、2期着工からでも23年にもわたって、空港の完成を実力で阻み続けている。韓国民主労総の労働者が、三里塚を訪れて強い共感と共闘の意志を示しているように、国際的にも三里塚は労働者・農民の砦(とりで)だ。
 民主党は「国策」を掲げて成田空港の「完全空港化」をめざして襲いかかってくるだろう。それをもって自らの「統治能力」をブルジョアジーに訴えるだろう。
 だが、来るなら来い。三里塚43年間の闘いを甘く見るな。佐藤内閣から麻生内閣まで、歴代の自民党内閣と真っ向から渡り合って、一歩も引かず闘い抜いてきた地平は、揺るぎないものがある。三里塚闘争は、闘う人民の結集の砦として、全人民の反戦闘争の拠点として、そびえ立っている。三里塚闘争は、労働者階級・農民・全人民が、帝国主義を打倒することができることを、日々指し示しているのだ。

 国策と対決して非妥協的に闘う

 三里塚闘争は一言で言えば、帝国主義の国策に対して、農民が労働者・学生と団結して、真っ向から非妥協的に闘いぬいてきた歴史である。それは、出発点から国家権力に対する巨大な「ノー」の闘いだった。
 「開拓農家の貧乏百姓は金を積めばたたき出せる」と見くびった、人を人とも思わぬ扱いに対する怒り、体を張って阻止しようとする農民に問答無用で襲いかかる機動隊の暴力に対する怒り、闘う労働者・学生に対する共感と連帯。これらが原点になって形成された闘いである。最初から対権力対決性、非和解性を明確にもっていた。
 それは70年安保・沖縄闘争に大衆的・戦闘的に決起した全学連と反戦青年委員会の青年労働者の闘いと一体の闘いだった。
 同時に、闘いは敵の懐柔、買収、取り込みの攻撃との闘い、内部からの脱落、逃亡、裏切り、分裂との闘いだった。反対同盟の戸村一作委員長は、「三里塚闘争は階級闘争だ」と明確に規定し、権力を打倒してやまない戦闘精神を反対同盟に植え付けた。
 分裂や脱落は、敵権力の切り崩し攻撃だったが、その最たるものが1983年の3・8分裂だった。それは本質的には、78年開港阻止決戦にまで上り詰めた三里塚闘争を永続的に発展させるか(それは革命の拠点としてということを意味する)、それとも権力に屈服し、2期着工阻止闘争をやらない道を選ぶかという対立だった。
 脱落派の攻撃は、天神峰、東峰などの敷地内農民に対する襲撃だった。この分裂攻撃と闘い抜いて、反対同盟は「絶対反対同盟」として確立された。「空港絶対反対・一切の話し合い拒否」「農地死守・実力闘争」「二期阻止・空港廃港」の3本柱が座った。

 空港ののど元に刺さる闘う農地

 今日、敷地内・天神峰の市東孝雄さんに対する攻撃は、ついに、第3の誘導路を市東さんの家屋、畑を取り囲む形でつくるという計画まで出てきた。これは、従来の「への字」誘導路の問題を解消するものでも何でもない。要するに、市東さんを天神峰から追い出すだけの目的でつくられる究極の農民殺し、農業圧殺の攻撃だ。
 だが、それは一方では、日帝権力が市東さんを始め反対同盟の不屈非妥協の闘いに、打つ手がないところに追い詰められていることを示している。三里塚農民の不屈の闘いが空港ののど元に突き刺さり、完全空港化を押しとどめている。闘えば勝てることを能弁に示しているのだ。
 最末期帝国主義の唯一の延命策だった新自由主義が破産する中で、それ以外にないものとして「道州制」攻撃が日程に上ってきている。公務員360万人いったん解雇という超ど級の攻撃は、同時に農民に対する一層激しい攻撃である。道州制と同じことが農民に対して襲いかかっている。
 ブルジョアジー=日本経団連は、農業を市場原理に委ね、農民を切り捨てようとしている。日帝は農地法を改悪し、企業が農地を持てるようにし、「農地は耕作者のもの」という原則を破壊している。
 しかし、すでに改悪前の農地法をもって農地を取り上げる攻撃が、市東孝雄さんに加えられてきているのだ。「耕作者を守る」法律であるはずの農地法で、ほかならぬ市東さんの耕作地が奪われる。これに対して闘っている三里塚闘争は、全国の農地法改悪に対する闘いの最先頭の闘いである。
 今日の日帝の農業破壊攻撃との最先端の闘いが三里塚闘争であり、市東さんの農地強奪粉砕の闘いである。全国の農民は、三里塚とともに闘ってこそ、勝利することができる。
 農業・農民問題の解決は、帝国主義を打倒し、社会主義を実現するプロレタリア革命の中にのみある。また、労働者階級の側から言っても、勝利のためには農民の援軍が必要である。農民・漁民の合流なしには革命は勝利することができない。
 同時に、三里塚は「軍事空港粉砕」を掲げ、日帝の戦争と改憲の攻撃と対決してきた反戦闘争の巨大な拠点である。70年安保・沖縄闘争以来の三里塚闘争の地平は偉大だ。日帝は、三里塚の圧殺なしに改憲と戦争に踏み込むことはできない。だからこそ、三里塚は一層決定的な日帝との対決の戦場になっているのだ。
 国鉄労働者を先頭に4大産別とすべての労働者は三里塚に総結集しよう。「国鉄・三里塚・国際連帯」を軸に11月集会をかちとろう。
 10・11三里塚全国総決起集会への大結集と11月労働者集会1万人結集の中に勝利の道がある。すべての労働者・学生は、三里塚現地に総結集し、反対同盟とともに闘おう。
(写真 成田空港暫定滑走路の鳥瞰図。市東さんの畑が誘導路をへの字に曲げ開拓組合道路が奥深く突き刺さり、東峰神社が滑走路に立ちはだかる)

 労農連帯はいかに築かれたか 動労千葉ジェット闘争の教訓

 国家権力の暴虐に対し、徹底非妥協の実力闘争を貫く三里塚闘争は、まさに日本階級闘争に比類のない決定的な位置を占めている。農民が逮捕や流血を顧みず、機動隊の暴力と真っ向から対決する姿は、全国の闘う労働者人民の圧倒的共感を呼び、勝利の道筋を指し示してきた。そして43年という闘いの継続を通じて、成田空港建設という巨大な「国策」を一大挫折に追い込み、日本帝国主義に大打撃を強制している。
 この農民の闘いに限りない信頼を寄せ、労農連帯をとことん貫いてきたのが動労千葉だ。反対同盟と動労千葉が築き上げてきたこの労農連帯こそ、現下の革命的情勢の到来においてプロレタリア革命へと歩を進める労働者階級のかけがえのない武器であり、全世界の労働者・農民の連帯を築く拠点である。以下、ジェット燃料貨車輸送阻止闘争を中心に、闘いの歴史を振り返ってみよう。
(写真 成田支部を拠点に第2波ジェットスト【79年11月1日】)

 ハンドルを握り拒否から阻止へ

 1966年に反対同盟が結成されて、当初支援に参加したのは社会党と共産党だった。だが、67年11月3日、動労千葉地本を始めとする千葉県反戦青年委員会(中野洋議長)らの主催で「三里塚空港粉砕・ベトナム反戦青年集会」が三里塚第2公園で開かれた。10・8羽田闘争を闘った全学連、反戦青年委員会など1200人がついに現地に登場した。日本共産党は彼らを「暴力学生」「トロツキスト」と非難攻撃したばかりか、彼らを心底歓迎した反対同盟にもデマと中傷を投げかけた。反対同盟は怒りをこめて共産党と絶縁した。運動の創成期において、反対同盟が闘争破壊者の正体を的確に見抜いたことは決定的であった。戸村委員長を始め反対同盟は、この闘争を体制内的な条件闘争にするのか、それとも権力と対決して全学連のように闘うのかを考え抜いて「党派選択」をしたのだ。これが三里塚の原点になった。
 71年の強制代執行での激しい実力闘争の爆発は三里塚農民の根源的怒りの表れだった。社会党、総評、県労連などがこれにたじろぎ現地から撤退する中で、動労千葉は青年部を中心に共闘を堅持した。
 そしてジェット燃料輸送問題が動労千葉を闘いの中心に押し上げた。空港公団が当初計画していた千葉港からのパイプライン輸送計画は、沿線住民の強い反対にあって難渋した。そこで出されてきたのが、国鉄貨車での輸送計画だった。
 動労千葉はただちに「労農連帯」と「運転保安確立」を真っ向から掲げ、闘争態勢を整えた。77年1月、福田赳夫首相は年頭あいさつで「労使安定化」と「成田空港年内開港」の2大スローガンを打ち出した。労働運動から階級性を奪って体制内に取り込む、そして不屈の三里塚をたたきつぶすという攻撃が同時に襲いかかってきたことに対し、真正面から立ち向かうこと以外に選択肢はあり得ない。
 動労千葉は77年12月から78年3月の「100日間闘争」に決起した。第1波闘争は12月3日から5日まで強力順法闘争。総武緩行線だけで300本を超える運休を出し、終日「無ダイヤ状態」を強制した。「ジェット燃料輸送阻止!」と大書されたスローガン列車が、総武線を威風堂々と走った。
 反対同盟は全力で連日各支部を激励訪問し、沿線各駅では支援の労働者・学生がビラまき情宣に立った。
 さらに第2波は1月10日、佐倉、成田両支部を拠点に12時間スト。2月14日から助役機関士が投入され、線見訓練が強行された。第3波闘争はこれを阻止する連日の決起となった。そして3月1日の備蓄輸送開始の日には一番列車をストップする佐倉、成田両支部のストが決行された。
 4月6日の動労千葉地本臨時大会で、「輸送拒否から輸送阻止へ」という方針転換が打ち出された。職場を明け渡さず、ハンドルを握り続けることで闘争を続けていく。これは現場の機関士にとっては燃料を自ら運ぶ苦渋を伴う。だがスト、減産闘争、安全運転行動などの戦術を駆使し燃料輸送を寸断し、備蓄燃料をゼロにするために必要不可欠のぎりぎりの選択であった。激論の末この方針転換は全組合員のものとなった。反対同盟・戸村一作委員長の「農民は土地を武器に、動労は鉄路を武器に闘う」という激励、反対同盟の断固たる支持がこれを支えた。

 動労カクマルと闘って分離独立

 動労千葉にとってジェット燃料輸送阻止闘争は、動労中央を牛耳り「左翼」の装いで闘争を破壊するカクマル松崎一派との激烈な闘いでもあった。
 78年3月、開港を目前にした成田空港の管制塔を占拠・破壊する闘いが爆発し、5月出直し開港へ向けてもゲリラ戦が次々と炸裂(さくれつ)した。
 7月の岡山県津山市での動労全国大会でカクマルは、こうしたゲリラなどを口実に「三里塚闘争と一線を画す」なる絶縁宣言を発した。これに対決し、千葉地本を先頭とする反対派は「三里塚連帯」の修正案を提出し、代議員の4割の支持を得た。カクマルは動労千葉の代議員・傍聴者に対し、会場から宿泊場所まで執拗(しつよう)に陰湿・凶悪な暴力を振るい続けた。
 後に国鉄分割・民営化の先兵となるカクマルは、すでにこの時点で日帝の意を受けた極悪の反革命としての正体をむき出しにして、三里塚と動労千葉に襲いかかってきたのである。
 「統制処分」の脅しに屈服することなく、千葉地本は組合員全員の団結を固め、ついに79年3月30日、国鉄千葉動力車労働組合(動労千葉)として動労中央からの分離独立を果たした。カクマル松崎一派の暴力と抑圧に耐えに耐えてきた組合員にとって、血を流してかちとった解放であり、からだを張って貫いた労農連帯であった。
 今日、塩川派が「動労千葉は分離独立すべきではなかった」などと、原点を否定する暴言を吐いているが、それは階級的労働運動に対する敵対であり、何よりも三里塚闘争に対する敵対である。動労千葉は労農連帯をかけて分離独立をかちとったのである。
 日帝国家権力は、78年「開港」の既成事実を突きつけることで、三里塚農民を切り崩そうとした。あらゆる方策で「話し合い」を追求し、条件派への変質を画策しうごめいたのだ。だが、反対同盟は話し合い=条件交渉に応じた一部幹部を厳しく処断し、「農地死守・実力闘争」の原則をあらためて確立した。その原動力となったのが、動労千葉との労農連帯であり、全国全人民の限りない支援と激励であった。
 独立後初めてのストライキが、79年10・22成田運転区支部の12時間の貨物列車ストだった。支部組合員の大部分が地元成田の出身であり、彼らの生活が空港問題と深くかかわっていた。
 この過程は同時に、動労本部カクマルによる「オルグ」と称しての動労千葉拠点事務所に対する度重なる集団的武装襲撃を、組合員が実力で撃退する大激突の連続であった。
 12月27日、国鉄当局は2波のストに対する処分を下した。中野洋書記長への解雇を始め、停職3人、減給11人など106人への大量処分であった。

 条件派化と闘う反対同盟と連帯

 ジェット闘争の最大の決戦は81年3月だった。日帝はそれまで「81年3月」としてきたジェット燃料暫定貨車輸送の期限を「83年末」に延長する攻撃に出てきた。これに対し動労千葉は3月を「延長阻止」の大ストライキで迎え撃った。3月2日の燃料列車指名ストから始まり、スト最終日の6日には全乗務員による全線ストが一糸乱れず打ちぬかれ、1390本の列車が完全にストップした。
 ジェット闘争を闘う現場組合員の合言葉は「ゼニカネの問題じゃない」「おてんとうさまの下を胸を張って歩きたいから闘う」だった。ここに階級的連帯の本質が言い表されている。動労千葉は三里塚闘争の大義を守り、カクマルの暴力と闘い、多くの処分者を出しながらジェットストを闘い、分離独立をかちとった。そこで培われた力で、国鉄分割・民営化=組織破壊攻撃にも立ち向かっていった。
 ジェット闘争の過程は、三里塚における日帝権力の総条件派化攻撃の過程と重なっていた。動労本部カクマルと激突しつつ、後に脱落派に行った青年行動隊と論争し、反対同盟と動労千葉への分断攻撃を打ち破った。
 まさにジェット闘争―分離独立―83年3・8分裂の過程は「車の両輪」として反対同盟と動労千葉が一丸となってなしとげた過程だった。
 反対同盟は日共、カクマル、脱落派らの闘争破壊策動を粉砕し、「農地死守」の原則をとことん貫いてきた。それは動労千葉が新自由主義、労組破壊攻撃と徹底対決し、階級性と団結を守りぬいてきた闘いとまさに相呼応するものであった。
 資本主義が音を立てて崩れようとしている今、この不抜の労農連帯にこそ勝利の確信と展望がある。

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週刊『前進』(2406号5面1)(2009/09/07 )

 空港絶対反対・農地死守の原則貫き労農学団結で三里塚闘争勝利を

 三里塚とともに −闘いのアピール−

 10・11三里塚集会にむかって、闘いの先頭に立つ動労千葉と全学連から三里塚闘争への思いと決意をうかがった。星野文昭同志の文章は08年3・30三里塚集会へのメッセージから抜粋した。(編集局)

 43年間、原則曲げずに 動労千葉委員長 田中康宏さん

 国家権力が総力あげて襲いかかる中で、43年間、原則を曲げずに三里塚の闘いが持続していることそのものが決定的な位置をもっています。
 世界を見渡してもこんな闘争はありません。
 日本の階級闘争全体から見ても決定的な地平を切り開いている。大恐慌情勢が始まる中で日本帝国主義を打倒することを考えた時に、三里塚闘争ぬきには語れません。
 動労千葉が動労千葉として存在するのも三里塚闘争と連帯してきたからです。三里塚は脱落派に対して毅然と対決し、階級性を守り抜くことに必死になって闘ってきた。動労千葉も、三里塚闘争をめぐって動労本部と対決し、分離・独立の決断をした。そういう闘いのもつ厳しさをともにする中で、三里塚闘争が成り立ってきました。
 それがまた、新たな展望を作り出している。動労千葉の場合は、国鉄分割・民営化攻撃に対して立ち向かう団結と路線を生み出した。それによって23年間も国鉄1047名解雇撤回闘争が続いている。三里塚闘争の場合は、新自由主義攻撃によって徹底的に農民が犠牲になる中、三里塚が不屈に立ち労働者の闘いと連帯する土台をつくっています。階級的な原則とそれを守り抜くことが、次々と展望を生み出しているところに三里塚闘争の核心があります。
 だから、今の情勢の中であらためてこの闘いに光を当て、全国の労働者人民を結集させたい。
 この決定的局面で、新しい展望を開くために、今年の10・11三里塚現地集会は、43年間のあまたある現地闘争の中でも決定的な位置をもっている。動労千葉は11・1労働者集会への1万人結集をもって、三里塚闘争にも応えていきたいと思います。

 市東さんの毎日が闘い 全学連委員長代行 坂野陽平さん

 10・11三里塚闘争へ全国学生は総結集しよう!
 現在三里塚闘争は歴史的な決戦局面を迎えている。その緊張感をもって援農に行った。市東さんの畑にある「監視台」に登って衝撃を受けた。フェンス一枚を隔てただけで空港だ。いつ飛行機が突っ込むか分からない。騒音もすさまじい。市東さんの毎日が闘いだ。今政府・NAAは三里塚闘争をつぶすために、市東さんの農地を強奪し、新誘導路を建設しようとしている。許せない。
 しかし、市東さんがどんなに非人間的な攻撃を受けようとも黙々と誇り高く作業をする姿を見て、市東さんの営農こそ空港ののど下に刃を突きつけていることをひしひしと感じた。日々の営農こそが勝利の証しである。その勝利の地平を全国に拡大する時だ。
 三里塚闘争の中にこそ正義がある。金とむきだしの暴力を使った国家あげての攻撃とは生半可なことでは闘えない。しかし、農民・労働者・学生の全存在をかけた闘いで勝利を切り開いてきた。激しい分岐を生み、多くの血を流しながらも、三里塚闘争は国家権力と絶対非和解の闘いを43年間も貫いている。その闘いを自分の職場、キャンパスで実践することだ。
 全学連の歴史は三里塚闘争の歴史だ。権力に対して不屈・非妥協で闘うことを三里塚闘争から学んできた。この3年半に及ぶ法大闘争も三里塚闘争の精神で闘われてきた。今こそ、反対同盟との43年間の血盟をかけ決起しよう。
 帝国主義の危機の中で労農学連帯の闘いこそ未来を切り開く。労働者人民は自民党を倒した。革命の拠点・三里塚から道州制攻撃を粉砕し、民主党・連合政権を倒そう!
私はその先頭で闘います。

 人間解放の未来かけて 星野文昭さん

 今日、農地の買収には耕作者の同意が不可欠という法さえ踏みにじった市東さんの農地取り上げ攻撃を粉砕することに、空港絶対反対と労農連帯の地平を守り発展させ、すべての労農人民の解放をかちとっていく帰すうがかかっています。
 深まる危機の中で、資本・権力が争闘戦に生き延びるために、激しい新たな競争・差別・分断の下、労働者に生きていけない犠牲、農民・人民に激しい犠牲を強い、戦争犠牲まで強いようとしている。市東さんへの攻撃は、その集中だ。
 しかし、このような攻撃が強まれば強まるほど、労働者・人民がその攻撃を覆し生きよう、人間らしく生きようという思いは強くなる。それは、どれほど分断されようと同じだ。そして、その解放の未来は一つだ。
 自らとすべての労働者人民が生き、人間らしく生きられる未来をかけて闘えば、必ず労働者人民全体の魂を揺さぶり、決起をかちとれるという確信をもって闘えるか、それが問われている。
 それを体現した闘いが三里塚であり、動労千葉であり、沖縄の決起であり、そして星野の闘いだ。労働者の自己解放とすべての抑圧・差別からの解放を全一体でかちとることをめざし、職場・生産点で立ち上がり、労働者階級の団結した総決起をかちとり、勝利しよう。
 無期懲役は、70年のみならず今日の闘いを圧殺しようとするものだ。今日の闘いの成否をかけたものとして星野無期を覆すために闘おう。
(1971年11・14沖縄返還協定批准阻止・渋谷暴動闘争戦士。デッチあげ殺人罪で無期懲役。第2次再審請求準備中。徳島刑務所在監)
(写真 71年三里塚闘争で)

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週刊『前進』(2406号5面2)(2009/09/07 )

 三里塚闘争略年表

1966年7・4 佐藤内閣、三里塚空港(成田空港)設置を閣議決定
8・22 三里塚芝山連合空港反対同盟を結成。委員長に戸村一作
67年10・10 空港用地外郭測量。反対同盟1200人が実力阻止闘争
12・15 反対同盟総会を開き、日本共産党との絶縁を決定
68年2・26 反対同盟、全学連とともに成田市役所・公団分室にデモ、機動隊と激突、戸村委員長重傷
3・10 成田市営グラウンドで5000人の集会。デモで機動隊と激突
70年2・19 土地収用法に基づく第1次強制測量始まる
9・30 第3次強制測量阻止闘争。反対同盟、糞尿弾で闘う
71年2・22 駒井野6地点で第1次強制代執行始まる
9・16 第2次代執行始まる。機動隊と激突。東峰十字路で機動隊3人死亡

(写真 砦を築き第1次強制執行を迎え撃つ【71年3月 駒井野】)

9・20 公団、大木よね宅をだまし討ちで強制代執行
12・8 9・16事件のデッチあげ弾圧始まる。青年行動隊9人逮捕
72年3・12 A滑走路南端に岩山大鉄塔の建設開始(高さ62b)
77年4・17 鉄塔決戦集会に2万3000人
5・6 岩山大鉄塔を闇討ち撤去
5・8 反対同盟の抗議行動。ガス銃水平射ちで支援の東山薫虐殺される
12・2 国鉄、ジェット燃料の貨車輸送計画を発表。動労千葉、翌3日より順法闘争突入
78年3・1 動労千葉、ジェット燃料輸送阻止の24時間スト
3・25 反対同盟、横堀要塞に再び鉄塔を建て、北原事務局長を先頭に死守戦
3・26 開港阻止2万人集会。管制塔占拠闘争で開港予定を粉砕
5・13 政府、成田治安法を公布
5・20 A滑走路1本で暫定開港。東京航空管制部がゲリラで機能停止
79年3・30 動労千葉が「三里塚闘争と一線を画す」として敵対した動労本部と決別し分離独立
81年3・2 動労千葉、燃料輸送阻止のストに突入。6日には全線スト
83年3・8 熱田行動隊長ら脱落派が反対同盟から分裂。反対同盟は「空港絶対反対」の基本路線を再確認

(写真 成田用水阻止闘争で逮捕された市東東市さん【84年9月27日】)

84年9・25 成田用水菱田地区(第1工区)の工事開始。反対同盟は着工阻止の実力闘争。5日間で32人逮捕
85年10・20 三里第1公園で全国集会。労働者学生が三里塚十字路で機動隊と激突。逮捕者241人
11・28 動労千葉、国鉄分割・民営化阻止のスト(〜29日)
86年10・27 政府・公団、空港2期工事着工を強行
88年9・21 千葉県収用委の小川彰会長に中核派革命軍が鉄槌
10・23 千葉県収用委の委員全員辞任
89年9・19 運輸省、天神峰現闘本部など現地の団結小屋9カ所に成田治安法に基づく「使用禁止命令」を通告
92年12・6 B滑走路の第2旅客ターミナルビルが滑走路なしで開業。2期工事は完全ストップ状態に
01年6・16 公団が東峰神社の立ち木伐採
02年4・18 暫定滑走路の開港強行
04年4・1 空港公団が民営化しNAA(成田空港会社)発足
05年8・4 国交省、暫定滑走路の北延伸を決定

(写真 市東孝雄さん【写真中央】先頭にデモ【09年3月29日】)

06年7・3 NAA、市東さんの畑の耕作権解約を成田市農業委員会に申請。「農地法」を乱用して農地を取り上げる攻撃
08年10・29 NAAが市東さんの農地明け渡しを提訴
09年7・30 東側誘導路を前倒し供用開始

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週刊『前進』(2406号5面3)(2009/09/07 )

 脱落派の道つき進む塩川派

 動労千葉への敵意をあおり労働者と農民の分断を狙う

 革共同から脱落・逃亡した塩川一派は、今日ますます反革命的純化を遂げている。中でも三里塚闘争に対する態度はまったく許せない。そもそも「党派」として三里塚闘争の全体に責任をとるという姿勢もなしに、人の足を引っ張ることに専念する者のことを、闘争破壊者と言うのだ。
 彼らの三里塚闘争に関する主張の底に流れる思想は、83年3・8分裂の時の脱落派とまったく同じものに転落している。三里塚闘争から階級性を抜き去ることによって条件派化する。それは三里塚闘争が43年間、断固として対決し拒絶してきた敗北路線である。

 原則を否定する「農地守れ」とは

 第一に、「農地死守・実力闘争、一切の話し合い拒否」の原則の重大さを強調していることに真っ向から敵対していることである。これは、83年の脱落派の連中が「原則より営農」「反対のための反対」と、反対同盟を攻撃してきたこととまったく同じだ。
 「三里塚闘争の目的は、国家権力の農地強奪に対して、農民が自らの農地を守ることである。ここに絶対にゆるがせにできない正義がある。『空港絶対反対』などの原則や労農連帯も、国家権力による農地強奪を許さないという大義の上に成り立つ原則であり地平なのだ」(塩川通信「未来」39号)
 「農地を守る」ことを「『空港絶対反対、農地死守・実力闘争、一切の話し合い拒否』の原則と、労農同盟の地平」に対置して押し出しているところに、まやかしがある。要するに塩川派は、革共同が「『原則』や『地平』を守ることが第一で、現に市東さんの営農している農地を守ることは『二の次』と考えている」(同)とねじ曲げたいために、こんなことを言っているのだ。しかし、「原則」に対置して「農地を守る」と強調することは、「原則より大事なものがある」ということである。原則を一切値引きせず貫徹することが問われている時に、”原則原則と言うけど農地が取られてもいいのか”と「反論」すること自体がまやかしで、すでに条件闘争の一歩なのだ。「農地を守る」と言っても、代替地でもいいということではないのだ。それは国家権力との真っ向からの死闘としての「農地死守」なのであり、原則の貫徹としてのみあるのだ。
 敵が「150年分の耕作料」だと言って「1億8000万円」を提示してきたのに対して、市東さんは真っ向から拒否して闘っているのだ。国家意志を拒否して、非和解的に闘っているのだ。それを貫くことが原則の貫徹ではないか。反対同盟が勝利し続けてきたのは、まさに原則を原則として貫いてきたからだ。「原則を守ることが第一ではない」というのは、反対同盟の不屈の闘いに対する敵対である。
 かつて戸村委員長は、「あくなき農民の不屈な不服従性と、その土性骨の強靱(きょうじん)性を完璧(かんぺき)に引き出し、どこまでも階級的に物質化することが、三里塚闘争の不可欠な目的使命である。そして、この目的意識性に生きるか生きないかによって、三里塚闘争の勝敗は決着する」(破防法研究17号)と明らかにしている。塩川派の言う「目的」は、戸村委員長と反対同盟の目的とは百八十度違うものである。塩川派は、革命の思想を喪失しているから「原則」をこのように踏みにじるのだ。
 第二に、反対同盟と動労千葉との間に対立と分断のくさびを打ち込もうとする薄汚い策動である。3・8分裂に向かう過程で、一部青年行動隊が、動労千葉のジェット闘争にケチ付けをしていたことと本質的に同じことがやられているのである。
 彼らは、マルクス主義を否定し、労働者階級に対する不信をあおり、労働者と農民・漁民の間にくさびを打ち込み、対立を持ち込もうとしている。

 マルクス主義を完全に放棄した

 塩川派は、動労千葉の中野前委員長を敵視し、攻撃している。
 「労働者が社会の主人公であることに誇りを持つことだ。つまり、労働者がこの世の中をすべて動かしている」(新版『甦る労働組合』)と、ごく真っ当にマルクス主義のイロハを説いているのに対して、こともあろうに「農民、漁民の姿が眼中にない」などと言いがかりをつけている。
 では、中野さんの文章の何が「初歩的な間違い」だと塩川派は言うのか。
 「彼ら(農民や漁民)の存在なくして労働者は、一日たりとも生きていくことはできない。だから、『労働者はこの世の中をすべて動かしている』などというのは、思い上がりもいいところだ。農民も漁民も、労働者とならんで社会の主人公であり、労働者とならんで社会を動かしている。
 ところが、中野氏には農民や漁民の姿はその眼中にはない。彼らが労働者に食物を提供するのは『当たり前』のことだと思っているようだ。
 ここに浮かび上がるのは農村や漁村の苦境の上にあぐらをかく尊大な都市住民の姿ではなかろうか。とんだ『マルクス主義者』もいたものである」
 「労働者が社会の主人公」ということに対して、「農民も漁民も主人公だ」と対立的に持ち出して非難するのは、文字どおりマルクス主義とプロレタリア革命に敵意を持ったものに初めて言いうることである。それでは聞くが、マルクス主義や「プロレタリア独裁」というのは、「思い上がり」「尊大な都市住民」の「偏狭な階級的立場」なのか。「プロ独」の概念そのものに反対でなくて、労働者と農民・漁民を対立させるような、これほどひどい議論が出てくるはずはない。
 「農村や漁村の苦境の上にあぐらをかく尊大な都市住民」などと言うが、「農村や漁村の苦境」は、ブルジョアジーとその国家によってもたらされているのだ。その階級的本質を見ないで怒りの矛先を労働者に向けようとする塩川派は、小ブルジョア的反革命であり、完全に資本の差別分断攻撃の手先である。彼らはブルジョア的な「生産者と消費者」の対立にすり替え、階級的視点を消し去るのだ。
 プロレタリア革命は、労働者階級が権力を握ることによって階級社会を終わらせる目的で実現される。それ以外に一階級が他の階級を搾取し抑圧する関係を終わらせることはできない。その革命にとって、農民の決起とその合流が死活的に重要なことは言うまでもない。だから「労農民主独裁」ではなく「プロレタリア独裁とその階級的基礎としての労農同盟」としてかちとっていくのである。
 塩川派が「農民や漁民」を労働者に対立的に押し出すのは帝国主義打倒の闘いへの敵対である。プロレタリア革命の原則に立って初めて諸階級・諸階層の解放は実現できるのだ。
 動労千葉が成田空港へのジェット燃料貨車輸送阻止闘争を、首をかけ組織をかけて闘ったことこそが、労農連帯の原型であり、動労千葉こそ労農同盟を最先端で切り開いているのだ。
 塩川派にあるのは、労働者階級の階級的力に対する憎悪と敵意である。かつて脱落派諸党派がすべてマルクス主義を放棄していったように、今また塩川派はその後を追っているのだ。

 「自己批判」で投降路線に転落

 第三に、塩川派は脱落派・第4インターに対する「自己批判」という形で、すでに転向を表明していることである(1月20日付塩川通信25号「1984年の第四インターに対する軍事的せん滅戦にかんする自己批判」)。塩川派は、83年3・8分裂の最も悪質な扇動者であった第4インターに頭を下げることで、自ら権力に対して屈服の意思表示をしたのだ。
 われわれはただ少しだけ意見が違ったから、第4インターに対する制裁の行動に訴えたのではない。完全にバリケードの向こう側に転落し、権力と一体となって三里塚闘争と反対同盟に襲いかかってきた反革命に対して、実力で反撃するのはあまりにも当然ではないか。ところが、塩川派は、あたかも革命の側に問題があった、相手は反革命ではないなどと言うのだ。これは、もはや三里塚闘争と反対同盟の側に立つものの言葉ではない。三里塚闘争と反対同盟を否定する言動である。
 脱落派の「一坪再共有化」運動は、敷地内を裏切るものだった。そのために北原事務局長の解任を叫び、分裂を強行した。「敷地内はいなくてもよい」と襲いかかってきたのが脱落派と第4インターだ。これと反対同盟が非妥協的に闘いぬいてきたからこそ今日の反対同盟はある。これに屈していたら、三里塚闘争は終わっていたのだ。
 第4インターに対する闘いは、中核派の「私闘」ではない。三里塚闘争を守り抜くための正義の戦争だった。それは反対同盟の農民の意志そのものだった。塩川派に勝手に否定されてたまるか。「反対同盟を始めすべての人々に謝罪する」だと。ふざけるな。これほど反対同盟をないがしろにした話があるか。当時の文字どおり生きるか死ぬかの正念場での三里塚闘争の不可欠の闘いとして第4インターに対するやむにやまれぬ戦闘があったのであり、そのことを記憶しているすべての人は、塩川派の言動を絶対に許せない。
 そもそも、78年のA滑走路暫定開港以後、83年3・8に至る過程で、国家を挙げた反対同盟総条件派化の攻撃が進行した。その先兵となって同盟を分裂させたのが第4インターだ。「一坪再共有化」を真っ先に触れ回ったのも第4インターだ。
 転向し、破産し、崩壊してしまっている第4インターに向かって、どうして今ごろ「自己批判」して頭を下げるのか。自分たちも第4インターに続いて、反革命の側に身を預けますと権力に誓約したことを意味する。
 したがって、この態度表明は、塩川派とは何であるのかということを一瞬にして誰にも分かるようにした決定的なメルクマールである。この問題をあいまいにしてはならない。すでに塩川派には、この一点で三里塚闘争に関する一切の発言権はないことがはっきりしたのだ。

 階級闘争を拒否する日和見主義

 結局、塩川派は、帝国主義権力と絶対非和解、帝国主義を打倒しないかぎり労働者は生きていけないということを否定したいのだ。07年の全国連・中田書記長の「略式起訴受け入れ=司法取引」という対権力屈服方針を指導した塩川派幹部は、「完黙・非転向はケース・バイ・ケース」(権力に屈服することもあるという意味)と開き直り、党の革命で打倒された旧与田派残党がデッチあげた「広島差別事件」に唱和し、すべてを革共同中央に対する敵意と憎悪に転化して、反革命的に純化してきたのだ。
 塩川派には、一路反革命的転落の道しかないことは自明である。だから実際に「政治闘争」と称してやっていることは、ずぶずぶの市民主義である。「広範な統一戦線」の美名の実態は、民主党・社民党べったり路線である。
 小ブル反革命に転落し、革命への敵対を唯一の存在意義とするに至った塩川一派を今こそ打倒し追放しよう。

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週刊『前進』(2406号6面1)(2009/09/07 )

 裁判員制度やめろ!秋の闘いへ

 憲法と人権の日弁連をめざす会代表 高山俊吉弁護士に聞く

 制度廃止は改憲阻止に直結 10・2全国集会に集まろう

(写真 8月3日、第1号裁判の初日に「大運動」が450人で東京地裁へ抗議デモ)

 8月から裁判員裁判が始まった。東京地裁とさいたま地裁で行われた二つの裁判だけでも、さまざまな問題点が浮き彫りになった。秋から各地で続々と裁判員裁判が始まり、闘いは重要な段階を迎える。どのように闘うべきか? 「裁判員制度はいらない!大運動」の呼びかけ人の一人であり、「憲法と人権の日弁連をめざす会」代表の高山俊吉弁護士にお話をうかがった。(編集局)
(写真 高山俊吉さん【東京弁護士会所属】)

 ワイドショー化した裁判

 ――8月3日から東京地裁で、10日からさいたま地裁で最初の裁判員裁判が行われました。どのような問題が明らかになったのでしょうか。
 高山 東京地裁の裁判は、近所の中年の女性を独居老人がナイフで刺し殺したという事件でした。この国の司法の歴史の中で初めて「民衆が民衆を裁く」裁判が登場しました。
 求刑16年で判決は15年。私たちの「相場感覚」で言うと、16年の求刑も重いし、15年の実刑判決も非常に重い。
 情状の認定は、ほぼ完全に検察官の主張どおりでした。「被害者に『やれるもんならやってみろ』と言われた」と被告は主張しましたが、裁判所はその言い分をまったく受け入れなかった。また被告は、「自分は追いかけてはいない」と言いましたが、裁判所は検察の主張どおり、「ナイフをもって追いかけた」と認定しました。
 ことさらに「市民参加」が演出されました。裁判長が裁判員に質問してくれと求めた様子がありありとうかがわれました。そして裁判員の質問のほとんどは被告を厳しく糾問するものでした。
 殺人事件の裁判がわずか4日で判決、実際の審理は2日半、超粗雑な判決でした。論点は、ナイフの刺し方とか、追いかけたかどうかとか、なぜ助けなかったのかというような皮相的なことばかり。どうして殺すことになったのかとか、被告が負うべき責任はいかなる内容かというような、丁寧な検討はほとんど行われませんでした。
 被告は、被害者から「生活保護を受けているんだろう」とさげすむ言葉を吐かれ、「お前だって受けていたじゃないか」と言い返したという。貧困と差別、孤独と疎外――。この事件には、厳しい社会情勢の中での不毛な向かい合いという側面があった。でも、そんな議論は全部シャットアウト。
 「分かりやすさ」がマスコミから高く評価されました。しかし、真実って、案外分かりにくいものですよ。「分かりやすい」というのは、時には怖いものです。
 現出したのは、審理の内容を単純化しビジュアルにする、一種のプレゼンテーション合戦でした。刑事裁判がワイドショーになったのですね。
 検察はスタッフもいれば予算もあるが、弁護人にはスタッフも予算もない。弁護人にあったのはただひとつ、時間という武器です。その武器を奪ってしまえば、もう優劣の差は誰の目にも明らかです。 
 公判前整理手続きですべてがお膳立てされ、決められた時間割りにしたがって審理を進め、3〜4日で終わらせるために徹底的に論点を絞り込んだ。「多数の証人を調べてくれ」など、とても言えない空気をつくった。重要な証人が調べられていないと感じましたし、弁護人の反対尋問もおそらく厳しく時間制限されたのではないか。評議室の中で何が話されたかも一切秘密のままです。
 でも破綻の兆しは早くも現れています。初日の3日には大量の反対ビラが地裁前でまかれ、裁判所を包囲するデモが450人で闘われました。裁判員候補者も100人のうち47人しか出頭しなかった。裁判の途中で来なくなってしまった裁判員もいました。
 全国初の裁判員裁判は被告人の控訴で終わりました。被告人は「話を聞いてくれないのは納得できない」と言ったという。裁判員裁判の否定、拒絶です。これほど裁判員裁判の本質と危機を示す事実はありません。

 「市民参加」とは名ばかり

 ――さいたま地裁の裁判員裁判はどうだったでしょうか。
 高山 これは殺人未遂事件で、被告人が自首した事件でした。実刑か執行猶予かを争う事件になりました。3日間の裁判で、実際の審理時間はたった6時間20分だった。調べた証人は被害者1人だけ。
 この裁判もプレゼン合戦でした。検察官も弁護人も、職業裁判官が作った過去の量刑の分布図をみて、この分布図によるべきだとか、あの分布図によるべきだとか言い合ったという。いったい、このどこに「市民参加」があるのか。
 この裁判でも途中で長い休憩をとり、その後、みんなが被告人に厳しい質問を浴びせた。「凶行を思いとどまれなかったか」「なぜ助けなかったか」などと。思いとどまれなかったから凶行に走ったのです。また、人を殺した人はふつう被害者を助けませんよ。
 「自首で減軽を期待したのか」という質問もありましたね。「自首した場合、刑を減軽できる」という刑法の原則の適用にあたっては、過去のいろいろなケースをふまえないと判断はとても難しい。それこそプロの仕事です。結局、減軽ルールは適用しませんでしたね。
 裁判員の感想。「考える間もなかった」「非常に重くて苦しい制度」「苦労を強いられる」「夜も眠れないぐらい考えた」「精神的にきつい」「もう1日いたら倒れていたかも」「疲れた、もういい」「今後秘密を抱えて生きていくのは大変」「守れる自信はない」――このどこに市民参加を寿(ことほ)ぐ感動があったでしょうか。
 けれども、つらくてつらくて嫌だなあと思いながら、いざ尋ねる側になると、そういう人たちも被告人に厳しい姿勢をとり、「糾問官」になる。
 作家の嵐山光三郎さんが、「自分は一日警察署長をやらせてもらった経験があるが、そのとき思ったことを正直に言うと、せっかくだから誰かを逮捕してみたいということだった。少し張り切ると人は怖いことを考える生き物だ」と書いている(講談社+α文庫『裁判員制度はいらない』138n)。人の心には〈権力の思想〉が忍び込むきっかけがある。裁判員制度はそれを期待している。
 裁判が終わって、さいたま地裁所長が裁判員一人ひとりに手渡した感謝状には次のように書かれていました。「皆さまが示された姿勢、意見が裁判を支え、ひいては日本の社会を支えていくと思います」。裁判員制度の性格を実に的確に表現していますね。

 〈同意と強制〉で戦争動員

 ――あらためて裁判員制度の本質と狙いについてお話しください。
 高山 二つの裁判の中に、裁判員制度の本質と狙いがはっきりと示されていると思います。「体感治安」の不安と言いますが、世の中なんとなく落ち着かないという不安感を背景に、「現代の赤紙」で市民を動員し、「公」のために市民に市民を監視させ取り締まらせる。「豆を煮るにまめがらをたく」という言葉がありますが、兄弟同士がお互いに傷つけ合う。「現代の隣組」であり、相互監視制度です。心の中に権力が踏み込んで、最基底部から「国を守る気概」をつくりだす。そのための権力的司法の公民教育なのです。「苦しみつつ権力化する市民」がそこから生まれる。
 「簡易・迅速・重罰」は戦争に臨む司法の最大の特徴です。”兵隊さんが前線で闘っているときに、銃後で人権だの民主主義だのと言っているわけにはいかない。彼も闘いなら我も闘い。兵隊さんに前線で心おきなく闘ってもらおう”ということです。
 ナチス・ヒトラーも「市民の司法参加」を言いました。ロバート・ジェラテリーが書いた『ヒトラーを支持したドイツ国民』によると、ナチスはユダヤ人差別を断行するために、「ユダヤ人とドイツ人が一緒に暮らしていたらゲシュタポや警察に申告してくれ」と言った。それが「市民の司法参加」の第一歩とされたのです。「これこそ国民主権。この国を守るのは自分たちだ」とみんなが「参加」した。
 このようにヒトラーの政策はけっして強制だけで進んだのではない。市民の「同意」と市民に対する「強制」が絡み合いながら進められた。本質は国民動員なのだが、だからこそ「市民の司法参加」という装いをつくろった。裁判員制度もそれとまったく同じです。
 戦前の日本でも、弁護士会が関東軍に感謝状を贈り、戦闘機まで贈呈しました。最大の人権侵害である戦争政策に命をかけても抵抗すべき弁護士が、人を殺す道具・大量殺戮(さつりく)の武器を軍隊に提供するところまで落ち込んでいった。それこそ究極の「同意」です。労働組合が戦争政策の担い手になったことも忘れてはいけません。
 でも、当時と今とで決定的に違うことがあります。ナチス・ドイツも、戦前の日本も、徹底的な国家統制のもとで反対勢力の存在が許されなかったというところです。今は違う。闘う労働運動があり、闘う弁護士の力もある。国会が全政党一致で裁判員制度を成立させても、国民の85%が背を向けている。それがすでに闘いです。

 反発・批判は一層広がる

 ――秋の闘いが極めて重要だと思います。展望と具体的方針についてお話し下さい。
 高山 いったん制度が始まると、往々にして反対運動は退潮します。消費税や自衛艦のインド洋派遣など、反対運動があってもいったん制度・政策が動き出せば、やめさせるのはなかなか難しいことになる。しかし、裁判員制度はそのような運命をたどらない。ここが私たちの勝機です。制度発足後、反発・批判は、いよいよ強く、いよいよ高く、いよいよ広範になった。5月の制度開始後の世論調査で80%を超える国民が制度に背を向けている。宗教界でも、日本カトリック司教協議会(※)は「聖職者は、たとえ過料を払っても出頭すべきでない」と発表しました。(※司教ら聖職者7600人、信徒約45万人)
 この運動の決定的特徴は、一人ひとりが反対することが大きな力になるということです。裁判員が法廷に行かなければ制度が破綻する。どこまで行ってもこの制度は危機をはらんだままです。
 彼らだって本当はそんなに進んでやりたくはなかった。でも、国民一人ひとりを裁判所に動員して「人格改造」しないとこの国が持たない、革命になってしまうぞという危機意識と焦燥感を背景に、最後のカードを切ってしまったのですね。つまり、彼らも危ない橋を渡っているわけだ。
 われわれにとっては、制度が始まっても何もひるむことはない。”ようし、やってやろう!”と言える闘いです。
 「法廷に市民の清風が吹く」なんて冗談じゃない。「市民の司法参加」なるものがどれほど悲惨なものか、これからいよいよ明らかになります。
 最高裁は「心のケア」を発表しました。目をそむけたくなる死体写真、心ならずも他人の生死や自由剥奪(はくだつ)にかかわらされた苦しみ、自分の判断はあれでよかったのかという悩み……。心が深く傷つくことを最高裁はよく承知している。だから「24時間体制でケアをします」と言う。「ケアをするからどうぞ傷ついてください」と言う。だが、「救急車を用意したから、がけから飛び降りてください」と言われて、「はい、分かりました」と応える人がどれだけいるでしょう。狼狽(ろうばい)する権力はいろいろと考えるけれど、奈落に落ちていくしかない。
 翼賛勢力も動揺しています。共産党や国民救援会などにも動揺と混乱が広がっている。マスコミのあいだでも、これでいいのかという声が出ています。

 「絶対反対」を貫けば勝てる

 これから闘っていく上で最も重要なことは、「裁判員制度絶対反対」の立場を一歩も引かないことです。
 裁判員法には、問題は直していくということが書かれています。私たちが批判すれば、彼らは「分かっています。修正方針の中で考えましょう」と言います。そういう受け皿が用意されているのです。
 私たちは、「修正ではない。〈やめろ!〉だ」というところから一歩も下がらない。なぜなら、裁判員制度は本質的に改憲であり、一人ひとりの国民を戦争政策の担い手にする制度だからです。戦争政策に手直しはない。”重火器をやめてピストルで殺そう”という反戦運動はないでしょう。
 反裁判員闘争の勝利は、改憲阻止闘争の勝利に直結しています。国民がこの戦時国策を粉砕すれば、改憲をめぐってしのぎを削る白兵戦で全面的に前進する。反裁判員闘争ほど仲間の多い闘いはありません。
 9月以降、各地裁で裁判員裁判が一斉に始まります。1年間で2000件以上、1カ月に150件以上もやります。11月からは、無罪を争う裁判や死刑求刑を争う超重大裁判が始まります。比較的「軽い」事件の裁判でもこれだけ悲鳴が上がっているのです。11月になったら途方もない状況が始まります。制度のもっともっと深刻な問題性が突き出され、「裁判員は嫌だ」の思いが厚く積み重なっていく。
 一層仲間が増えるときです。だから、「全国民規模の反撃態勢を整えよ」です。10月2日には東京・四谷区民ホールで全国規模の決起集会が開かれます。何としてもここに集まりましょう。この間、裁判員制度闘争を闘ってきた皆さんが一堂に会して、これからの闘いの方針と展望を共通のものにしたいと思いますね。これを大きなステップにして、11月の全国労働者集会に向かっていきたいと思います。

 自民党崩壊は権力の危機

 ――さて、総選挙では自民党が歴史的大敗を喫しました。これをどのようにご覧になりますか。
 高山 自民の壊滅の始まりであり、この国の支配層の画歴史的な敗北です。「09年体制時代に突入」とか「2大政党制の幕開け」などとはやすマスコミ論調がありますが、それはウソです。「民主党政権になってもそんなに変わらない」と冷めた目で見る人もいる。それも違うと思います。
 自民党が力を蓄えて戻ってくることはあり得ない。「行きつ戻りつ」を期待する人たちを中心に、今回の事態をできるだけ平静を装ってみようとしている勢力があります。それほどに彼らにとってこの危機が深刻なのであり、私たちにとってはまさに革命的な前進の契機なのです。
 自民党が大半の国民から絶縁状を突きつけられている状況と、裁判員制度が嫌だという人が八十数%いる状況は、けっして無関係ではありません。雪崩を打つような基底部からの情勢変化がここに見えます。
 民主党政権に期待を示すのはとんでもない話ですが、「どうせあまり変わらないよ」と冷めた目で評論するのも間違いですね。「一億総評論家」からは変革の力は生まれません。自民党を中心とする保守政権がついに崩壊したこの時を、私たち一人ひとりが主体的に立ち上がる歴史的なきっかけにしたい。
 裁判員制度ほど権力の危機をリアルに示すものはありません。反裁判員闘争は、貧困、格差、”生きさせろ”の時代の反道州制闘争、国鉄1047名闘争、法大闘争など、この社会を変えていこうとするあらゆる闘いと深く結びついている。このことをしっかり確認し、9条改憲阻止闘争の柱にしていきたい。
 憲法をめぐるわれわれの闘いは、すべて戦争に向かう勢力との根底的な闘いです。困難な課題ももちろんありますが、最も基本的なところで「情勢われに利あり」です。私たちの闘いは確実に勝利の展望を持っている。
 私もがんばります。皆さん方には、それこそ闘いの最前線の担い手となっていただき、ともに闘っていきたいと思います。がんばりましょう!

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週刊『前進』(2406号6面2)(2009/09/07 )

 裁判員制度はやっぱりいらない!

10・2全国集会

10月2日(金)午後6時開場 6時半開会
四谷区民ホール(地下鉄丸ノ内線「新宿御苑前」下車)
基調 高山俊吉さん/ビデオ上映/呼びかけ人アピール/各地の行動報告
主催 裁判員制度はいらない!大運動

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週刊『前進』(2406号6面3)(2009/09/07 )

 裁判員裁判抗議行動

9月7日(月)神戸地裁
 午前8時〜10時
9月8日(火)大阪地裁
 午前8時〜10時
※百万人署名運動大阪府連絡会が呼びかけ

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週刊『前進』(2406号8面1)(2009/09/07 )

 百万人署名運動  〈道州制・改憲・戦争〉と闘う

 画期的な全国活動者会議

 民主党・連合政権と対決し11月へ

 8月22日に都内で開かれた「とめよう戦争への道!百万人署名運動」の「全国連絡会・活動者会議」に参加しました。世界大恐慌下、大失業と戦争と革命の時代が現実化する中で、百万人署名運動はどのように闘っていくべきかが真っ向から提起され、真剣に討論されました。(東京 H・S)
(写真 オバマ・麻生・田母神を迎え撃って闘われた8・6ヒロシマ大行動のデモ。全国から百万人署名運動が大挙して参加した)

 歴史的に総括

 世界大恐慌と自民党崩壊は“戦争の時代”であり“社会的変革の時代”です。こうした時代は労働者人民の巨大な怒りを生み出すとともに、体制内勢力の日和見主義や排外主義が一気に噴き出し、労働者人民を戦争翼賛体制に引きずり込もうとします。こういうものときっぱり対決するとともに、私たちが屹立(きつりつ)して闘うことが問われます。百万人署名運動が力を発揮すべき時です。
 今回の会議の意義は、どういう点にあるでしょうか。
 第一。百万人署名運動の歴史的総括からつかんだことは、戦争・改憲を阻止する力は労働者階級にあり、その力は何よりも労働運動の前進によって発揮されるということの確認です。
 百万人署名運動は1997年9月、日米新安保ガイドライン協定が締結された時、そんなものは絶対に認めない、新ガイドライン関連法=有事立法は絶対に許さない、という絶対反対運動として始まりました。そして同時に、総評解散=連合結成から10年になろうとする中で、沖縄闘争や国鉄1047名解雇撤回闘争と結びつきながら、労働組合の中に「新ガイドライン・有事立法絶対反対」の署名を広げることを推し進めました。このガイドライン闘争は、労組的取り組みと広範な市民的決起が結びついて85万の署名を集め、陸海空港湾労組20団体という、いわば労働運動の本隊の一角を巻き込んで発展しました。
 他方、国鉄1047名闘争は、総評解散後の労働運動の事実上の中軸となって、国鉄分割・民営化攻撃、改憲攻撃の狙いを根底的なところで打ち破ってきました。1047名闘争は国労本部の屈服・裏切りとの闘いの歴史であり、00年の「4党合意」以降、機動隊導入の国労大会をめぐる闘争はさらに激烈化していきました。その中で、闘争団の切り捨てを決めようとした02年5・27国労臨時大会をめぐって暴処法弾圧が仕掛けられました。
 この02年は有事法制阻止闘争のピークの時でした。5・24明治公園に4万人、6・16代々木公園に6万人が集まりました。5・27臨大闘争はその真っただ中で闘われました。有事法制阻止闘争の高揚と1047名闘争の激動的展開はまさに一体でした。
 この一体性は、連合本部や日本共産党の20労組陣形への反動的対応として表れました。連合は02年5月に「有事法制に関する連合見解」を出し、20労組陣形の集会に参加しようとする連合系の労組に制動をかけました。日共も集会動員の抑制を拡大し、ついには20労組集会に参加する全労連系の労組に対して「反代々木派だ」と言うようになりました。1047名闘争の高揚が20労組集会に参加する労組と労働者に波及することに恐怖したためです。
 今、「4者4団体」路線は完全に破産しています。しかし、国鉄分割・民営化攻撃と23年間も闘い続けている1047名闘争は、世界的にも画期的な存在です。1047名闘争の新たな前進に、戦争・改憲阻止の展望もかかっています。

 絶対反対貫く

 第二。裁判員制度反対闘争の中でつかんだ教訓は、絶対反対を貫くことの重要性です。そして絶対反対を貫くためには、日共や体制内労組指導部などの敵対と闘うことが不可欠だということです。
 昨秋に「裁判員制度は改憲・戦争国家化攻撃そのもの」「全国各地で反対運動に取り組む」ことを確認した百万人署名運動は、「裁判員制度はいらない!大運動」と一緒になって闘いぬきました。
 そもそもこの制度は、04年の国会で与野党全部が賛成して決まったものです。しかし司法改革に反対してきた弁護士の皆さんが、動労千葉が国鉄分割・民営化絶対反対を貫いて今日まで闘い抜いていることから学び、裁判員制度絶対反対の全国運動を開始しました。この絶対反対の正義性と戦闘性が労働者人民の怒りと結びつき、闘いの高揚と広がりをつくりだし、裁判員制度を破綻の淵(ふち)に追い込んできました。
 こうした中で日共の敵対がますます明白になりました。裁判員候補者に対して「裁判員を拒否して一緒に闘おう」と訴える私たちと対照的に、「裁判員の皆さん、がんばって、冤罪をなくして下さい」と言いながらビラを配るのが日共です。裁判員制度粉砕は改憲・戦争絶対反対の闘いです。あらゆる意味で今後ますます重大です。
 もう一つ、今年のヒロシマ・ナガサキ闘争が切り開いた地平の重要性です。「8・6ヒロシマ大行動」は1999年、日本の侵略戦争を許さない反戦反核運動として、原水禁・原水協に代わる結集軸として始まり、百万人署名運動が全国的に取り組んできたものです。
 今年の「8・6宣言」で広島の秋葉市長は、「私たちには、オバマ大統領を支持し……活動する責任があります」とまで言いました。一方で「日本も核武装すべき」「北朝鮮の出撃基地を先制攻撃せよ」という声が噴き出し、「ヒロシマの平和を疑う!」と題する田母神・広島講演会が行われる中で、今年の8・6はオバマ賛美との歴史的な闘いとなりました。
 私たちは学習や討論を行い、一致団結して全国から結集しました。広島では労組回りや街頭宣伝が大々的に行われました。その際に、連合や原水禁が推進する「核兵器廃絶1000万署名」の反動性を訴え、労働者の国際的団結で核と戦争をなくそうと訴えていきました。
 さらに、東京・杉並の「つくる会」教科書採択阻止の教訓も重要です。「つくる会」教科書を推進する山田区長が職員に「拉致被害者救済運動」のブルーリボン着用を強要したことに対して、区職労がこれと闘わず受け入れていたことを黙って見過ごせず、弾劾して訴え続けたことが報告されました。こういう現実と闘うことが戦争絶対反対を貫くことであり、改憲阻止の闘いです。

 新たな躍進を

 第三。「提案」の全体をとおして、動労千葉など3労組が呼びかける11・1労働者集会への1万人結集運動をともに全力で闘うことが提起されました。
 「11月労働者集会」とは、法大で暴処法弾圧と闘う学生も、市民も、農民も漁民も、弁護士や学者も、労働者階級の一員・仲間として団結して、支配階級に立ち向かうための総決起集会です。その意味で最大の結集軸です。
 戦争を止める力は労働者階級の国際連帯にあります。この国際連帯は、闘う労働組合の国際連帯を土台にしてこそ発展します。7月の「サンフランシスコゼネスト75周年・国際労働者会議」では「次は11月、日本で会おう」と決議されました。今年の11月集会は国際的結集がさらに拡大しようとしています。みんなの力で1万人結集を実現しましょう。
 第四。道州制絶対反対の闘いを全国的に開始すること。裁判員制度粉砕の闘争を圧倒的に継続すること。憲法審査会設置に絶対反対し、民主党政権と対決して改憲・戦争絶対反対の署名運動を推し進めることを方針として確認しました。
 道州制とは「国のかたちを変える」ことです。これは最大級の改憲・戦争国家化攻撃です。地方自治破壊―外交・安保の政府への集中は、米軍艦船の寄港や基地建設などに一切文句を言わせない国家体制になります。この攻撃の狙いは自治労と日教組の解体です。
 道州制は、民営化で人びとの生活を徹底的に破壊します。道州制絶対反対の闘いは労働者人民が生きるための闘いです。
 第五。署名運動の意義があらためて提起されました。私たちの署名運動は、国会議員にお願いする声を集める運動ではありません。労働者人民の団結力を権力に突きつける闘いです。その意味で署名数は、人民的団結のバロメーターでもあります。署名活動は、地域・街頭・職場での政治的力関係を変えていく闘いです。とりわけ民主党政権下での労組への署名の持ち込みは決定的です。
 第六。組織問題の討論も白熱的に行われたことは重要でした。西川重則事務局長のもとで一致団結して活動する決意があらためて表明されました。また、8・6ヒロシマ大行動に敵対した関西など一部連絡会(事務局)のあり方はもはや許されない、一緒に運動することはできないと確認されました。
 世界大恐慌情勢のもとで民主党・連合政権に絶対反対で闘う、百万人署名運動の新たな躍動が開始されました。

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