ZENSHIN 2008/02/04(No2329 p08)

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週刊『前進』(2329号1面1)(2008/02/04 )

 3・16イラク反戦大闘争へ

 職場の団結固めて08春闘を闘いストとデモに立ち戦争とめよう

 マル青労同は全労働者に訴える

 労働運動の力で革命をやろう! いまこそ労働者の怒りをひとつにして、イラク反戦5周年3・16全世界一斉デモ(実行委員会呼びかけ)に総決起しよう! 08年のイラク反戦闘争はこれまでとはまったく違う情勢で闘われる。私たちの怒りは、これまで以上に激しい。ストライキで闘って当然! 実力闘争で戦争を止めて当然だ! 3・16闘争は、全世界で始まっている労働者の決起を具体的に革命に向かったひとつの団結として組織していく闘いだ。職場で08春闘を闘い、一切を3・16イラク反戦大闘争の爆発に向かって組織しよう!

 絶対に許せない!イラク侵略戦争と国内での階級戦争

 ブッシュは1月28日の一般教書演説で、「イラクに対する駐留米軍の増派は、1年前には誰も予想できなかった成果を上げた」と強調し、イランへの侵略戦争拡大にまで言及した。ふざけるんじゃない! 何よりも3・16闘争はイラク・イランへの侵略戦争を実力でぶっとめる闘いだ。
 いったい石油利権のためにどれだけのイラク労働者を虐殺したのか! 3万人の増派が強行された昨07年は空爆回数が1447回と言われ、06年(229回)の実に6倍に増えている。03年の開戦以来、イラクでの死者数は7万人とも10万人とも言われ、「テロとの戦い」の名のもとに女性や子どもたちが無差別空爆で日々虐殺されている。イラクに派兵された米兵も、発表されているだけで3900人以上が死亡している。そのほとんどが貧困層の青年たちだ。開戦から5年を経て、イラク侵略戦争が完全に帝国主義の破綻(はたん)点となっているのだ。
 このイラクへの侵略戦争は、米国内での民営化・規制緩和、労組破壊と一体で進められてきた。激しい資本攻勢の中で、イラク戦争で死んでいった米兵の数倍もの労働者が国内で殺されている。この戦争は労働者のためではなく、徹頭徹尾、戦争でもうけようとする資本家の利益のためのものだ。
 イラク侵略戦争の5年間でアメリカではいったい何が進行したか。徹底した格差と貧困の拡大だ。所得の最上位5分の1世帯が全体の所得の50・5%を占め、最下位5分の1世帯は全体のわずか3・4%に過ぎない。個人資産上位20人の所得合計は、日本の国家予算の約半分にあたる38兆7800億円にも及ぶ。イラク派兵から無事帰ってこれたとしても職がなく、ホームレスの4分の1は帰還兵だ。医療保険に加入できない無保険者は4700万人にまで増加し、貧しい患者は病院から連れ出され路上に捨てられている。
 それだけではない。イラク侵略戦争と民営化が、社会全体を荒廃させている。「すべての金がイラク戦争に注ぎ込まれ、子どもたちは打ち捨てられている。校庭が下水であふれ、ねずみだらけになっている」――オークランドの教育労働者は、こうした現状に怒りを爆発させ、港での軍事物資輸送阻止の実力闘争に立ち上がっているのだ。

 労働者の団結した行動にこそ社会を変える力がある!

 イラク侵略戦争と民営化が生み出す現実を絶対に許すわけにはいかない!イラク反戦5周年闘争を、全世界で革命を真っ向から掲げる労働者の怒りの決起として闘いとろう! 社会を変える力は、労働者の団結した行動にこそある。08年イラク反戦5周年闘争は、階級的労働運動を全世界的に復権させる闘いと完全に一体となっている。
 昨年の11・4労働者集会で切り開かれた日米韓の国際連帯の闘いの中に、その展望は明々と示されている。
 ILWU(国際港湾倉庫労働組合)ローカル10のジャック・ヘイマン氏は「戦争を終わらせる行動とは、民主党への投票ではない! 生産点で労働者を組織し、ストライキでアメリカの経済を停止させ、戦争を止めさせよう」と呼びかけている。ILWUは、西海岸のすべての港湾を押さえ、アメリカ経済の生命線を握っている労働組合だ。ブッシュは、ILWUのストライキに対し海軍の投入も辞さず弾圧を加えてきた。”国をぶっ止めて支配階級を打倒し、戦争を阻止しよう”というILWU労働者の宣言には、彼らの並々ならぬ決意が込められている。現場の怒りを押さえつけ、イラク反戦を「民主党への支持」にすりかえるILWU本部執行部を打倒する闘いとイラク反戦闘争の爆発は一体なのだ。
 米英日を軸とした帝国主義のイラク戦争への突入の中で、私たち日本の労働者も、体制内指導部の制動をぶち破って決起を開始した。
 動労千葉はイラク戦争開戦時の03春闘で、イラク戦争に反対して4日間のストライキを闘い、数百本の列車を運休に追い込んだ。03年以降の「日の丸・君が代」強制に反対し、都立高校の教育労働者を中心に、不起立闘争という”40秒間のストライキ”が処分も辞さず全国で闘われ続けている。昨年の9・29沖縄県民大会への12万決起の中心は教育労働者の組合だ。このすべてが、体制内労働運動との激しいやりあいの中で闘いとられてきた。

 体制内労働運動を打倒し、闘う労働運動を復権しよう

 そこには、私たち日本の労働者の置かれてきた状況に対する激しい怒りがある。私たちの怒りも、世界の労働者とひとつなのだ。
 イラク侵略戦争への突入と一体となった小泉―奥田、安倍―御手洗の民営化・規制緩和の徹底した推進の中で、私たち青年労働者は安定した職も、住むところさえも奪われてきた。トヨタの奥田やキヤノンの御手洗、グッドウィル折口といった資本家どもは、2000万人といわれる私たち青年労働者を非正規雇用、労働強化にたたき込み、事故や過労死で命さえ奪ってなお「国際競争力の強化と生産性の向上」を叫んでいる。これと一体で福田は、1月の施政方針演説で「徹底した行財政改革の断行」を打ち出した。民営化推進で公務員労働者の首切り・リストラを徹底してやると宣言したのだ。
 福田政権もブッシュと同じ、資本家のための政権だ。対テロ給油新法の強行成立と海上自衛隊の再派兵は許せない。資本家の投機のためにガソリン・灯油が高騰し多くの労働者が生活に困っている。その一方で、給油新法で米軍に膨大な燃料を無料提供している。労働者が生きるために石油が使われず、労働者を殺すために石油が使われているのだ。しかも福田は企業には徹底して減税しながら、ガソリン価格がこれほど高騰しても高率のガソリン税暫定税率を継続し、労働者からは1円でも多くむしり取ろうとしている。
 もうがまんならないという労働者の怒りが福田も御手洗も徹底的に追いつめている。日本経団連の御手洗は08年版経営労働政策委員会報告で、国際競争力強化と生産性向上を貫徹するために「企業は労使の運命共同体」と言い、生産性向上を妨げているのが労働者の団結と闘いだと叫んで、労組解体と徹底した労働者の団結破壊を攻撃の核心に据えているのだ。
 これに対し、本来なら闘いに立ち上がるべき連合中央はなんと言っているか。「生産性の上昇・国際競争力の強化は連合としても共有認識として持ちうる」「企業は労使の運命共同体、連合もこうした認識を否定するつもりはない」と完全に屈服しているのだ。
 08春闘について日本経団連は「賃金交渉はバラつく」「単純に上げろと言われても困る」(草刈隆郎副会長、経営労働政策委員長)と、賃上げ全面拒否に向かっている。連合幹部も「交渉は厳しい」と賃上げ要求を崩し屈服を深めている。本当にがまんならない!ストで経営者に思い知らせてやろう!これが労働者の思いだ。3・16闘争を嵐のようなストライキ闘争の大高揚の中でかちとろう!

 マル青労同に加盟し、職場に団結と闘いを作り出そう

 3・16闘争は、職場で階級的労働運動を実践し、体制内執行部を打倒し、「動労千葉派」が組合権力を取りにいく闘いと一体だ。国鉄・教労・全逓・自治体の4大産別でこそ組合権力奪取に挑戦し、主流派として登場しよう!
 それは必ずできる! 福田も御手洗も、もはや連合や全労連の執行部が現場労働者の怒りを押さえつけることに期待するしかない。しかし、そんなものはもう破産しているのだ。20年余りの激闘を経て国鉄分割・民営化攻撃に勝利した動労千葉は健在であり、動労千葉のように職場で闘おうとしている仲間が全国に無数に存在している。
 体制内指導部が闘えないのは、合理化と闘えず、「資本家がいなければ自分たちは生きていけない」と思っているからだ。動労千葉は、反合・運転保安闘争を徹底的に闘い、「職場はおれたちのものだ」という誇りと団結をつくり出して勝利してきた。この動労千葉のように職場で闘おう!
 「自分も闘いたいが、職場で一歩が踏み出せない」と思っている青年労働者のみなさん! ぜひマルクス主義青年労働者同盟に加盟しともに闘おう。
 これまで私たち青年労働者は、「自分には力がない」「能力がない」と思わされ続けてきた。しかし、労働者一人ひとりが本来持っている力は、資本と闘う団結の中でこそ真に位置付けられ、生き生きと発揮されるのだ。資本家どもが言うような「使えない労働者」など一人もいない。そして、労働組合の指導部にとって大事なことは「当局との交渉がうまい」とか「あらかじめ政治的能力がある」とかいうことではない。そんなものは一切関係ない。職場の労働者を信頼し、仲間が持っている力を引き出し、団結をどれだけつくり出せるかが重要なのだ。これがマル青労同の組織観、人間観だ。
 マル青労同は、腐った体制内執行部を打倒し、職場に団結をつくり出す先頭で闘う青年労働者の組織だ。マル青労同の同志たちは、どんなに厳しい状況におかれても、たった一人でも職場で闘い抜いている。それは仲間との団結があるからだ。自分の勝利は仲間との共同の勝利であり、仲間の勝利が自分の勝利だ。ファシスト・カクマルや日本共産党は、一部の幹部が政治的に支配・利用する対象としてしか労働者も労働組合も位置づけてこなかった。私たちマル青労同は違う。「団結の強化・拡大こそ勝利」なのだ。
 動労千葉は、常にこうした団結の拡大を総括軸にして闘い勝利してきた。
 腐った組合幹部に代わって、われわれ自身が労働運動の指導部になるべき時が来た。全国の職場に1000人のマル青労同を建設し、日本の労働運動を根本からつくりかえよう。職場の団結を固めて08春闘を闘い、仲間と一緒に3・16イラク反戦闘争に集まろう!

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週刊『前進』(2329号1面2)(2008/02/04 )

 1・27泉佐野 関空を軍事空港にするな

 08年の闘いの開始を宣言

「関空を軍事空港にするな」「国際貨物ハブ空港化反対」の横断幕を掲げ、寒風をついて泉佐野市内をデモ(1月27日 大阪府泉佐野市)

 1月27日、大阪・泉佐野市内のりんくう公園で関西新空港反対集会が行われた。この日の闘いで08年の関空闘争の開始を宣言し、朝鮮侵略戦争計画「5055」に位置づけられている関空の軍事空港化を絶対に許さない決意を示した。
地元泉州住民、大阪湾岸住民を先頭に関西各地から結集した170人は昨年より50人多い参加者だ。会場の真ん前に見える関西新空港に向かって怒りのシュプレヒコールを上げ、集会を始めた。
集会は、安藤眞一淡路町反対同盟事務局長の司会で始まった。主催者あいさつを入江史郎関西反戦共同行動委代表が行い「昨年は、9・29沖縄県民大会に12万人、11・4労働者集会に5700人が集まり勝利した。関空二期が強行されても軍事空港化を許さない闘いがしっかり闘われている。08年、勝利する情勢を迎えた。ともに闘おう」と呼びかけた。これを受け連帯あいさつを小西弘泰高槻市議(反戦福祉議員ネット)が行った。
基調報告は国賀祥司泉州住民の会事務局長(泉佐野市議)だ。この日の大阪府知事選を批判したうえで、「関空連絡橋の国有化決定は軍事空港化のため。いつでも閉鎖し軍事使用する状態にある」と暴露した。さらに「昨年、朝鮮侵略戦争計画『5055』の現地調査が終わっているが、『防衛秘密』に指定して軍事機密にしている。労働者、住民に隠して進めることは断じて許さない」と批判、「地元の労働者、住民は関空の犠牲にされてきた。関空病院として建設した市立病院は財政破綻し、医師が辞め、市民の命が犠牲にされている。労働者、市民の我慢も限界に来ている。ともに闘おう」と訴えた。
次に三里塚反対同盟、動労千葉からのメッセージが紹介された。決意表明を関西労組交流センター、泉州住民の会、東灘区住民の会、部落解放同盟全国連、婦民全国協、全学連が行った。
泉州住民の会役員は「連絡橋を国が買い取るのは軍事空港にするためだと分かった。空港ができて良くなったことは何ひとつない。空港反対で最後までがんばる」と断固たる決意を表した。部落解放同盟全国連西郡支部は「私は八尾市から住宅を明け渡せと言われているが立ち退かない。西郡の住宅闘争は、応能応益家賃制度を廃止・撤廃させる闘いであり、国家権力や行政による差別・分断支配と闘う部落解放運動のとりでです」と闘う決意を述べ、共闘を呼びかけた。
最後に永井満淡路町反対同盟代表(三里塚決戦勝利全関西実行委員会代表)がまとめを行い、「烈々たる決意表明に感激を覚えている。40年前から軍事空港反対を掲げて闘ってきた。二期滑走路は軍事空港以外の何ものでもない。主義主張の違いを超えて関空反対・軍事空港反対の一点に絞ってともに闘おう」と呼びかけた。参加者は圧倒的な拍手でこたえた。
さあ、デモだ。みぞれが降る中、泉佐野駅前に向けて出発。沿道には応援する住民が出てきている。「軍事使用反対、国際貨物ハブ空港化反対、対テロ特措法採決弾劾」のシュプレヒコールを上げながらデモ行進した。
次は3・16イラク反戦デモ―3・30三里塚現地闘争に決起しよう!

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週刊『前進』(2329号1面3)(2008/02/04 )

 神奈川県武山基地 “PAC3配備許さぬ”

 地対空誘導弾パトリオット(PAC3)の発射装置などが1月30日未明、航空自衛隊武山基地(神奈川県横須賀市)に運び込まれた。武山基地は米海軍横須賀基地から数`に位置する。今年8月に配備予定の原子力空母の防衛が目的だ。首都圏では入間(埼玉)、習志野(千葉)に続くもの。搬入時の午前3時過ぎ、基地ゲート前に約100人の地元労組員や市民団体メンバーが集まり、警察権力、右翼による妨害・敵対を粉砕して抗議行動を闘い抜いた。神奈川労組交流センターや百万人署名運動も合流し、「配備絶対反対!」と拳を上げた。

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週刊『前進』(2329号2面1)(2008/02/04 )

 階級的団結うち固め第2次国鉄決戦へ

 1047名闘争の解体狙う「全動労訴訟判決」弾劾する

 解雇撤回を貫き勝利開こう

 国鉄1047名闘争は、その存亡をかけた重大な分岐点に立っている。1月23日、東京地裁民事第11部が下した全動労訴訟の判決は、1047名闘争の分断・解体を狙う超反動的な政治判決だ。国家権力は、1047名闘争を解体し、ひいては全労働者の階級的団結を根底的に破壊しようと策している。それは、国鉄分割・民営化以来の新自由主義攻撃が破産し、労働者階級の壮大な反撃が始まりつつあることへの、日帝権力の恐怖に駆られた反動だ。この反動と真っ向から対決し、1047名の解雇撤回を貫きとおした時に、国鉄闘争は全労働者階級とともに勝利を手にすることができるのだ。

 「JR不採用」を全面容認し団結権保障の解体に道開く

 中曽根以来の新自由主義攻撃の先駆けをなした国鉄分割・民営化は、今や決定的な破産をさらけ出している。JR東日本がJR総連カクマルとの結託体制の清算に動く中で、東労組は分裂と崩壊の一途をたどっている。尼崎事故に見られるように、安全はどこまでも解体され、極限的な合理化による要員問題の矛盾も激しく噴出し始めた。
 動労千葉は、00年以来の「第2の分割・民営化」と言われる激しい合理化・外注化の攻撃に反合・運転保安闘争路線で立ち向かい、ついに昨秋の定期大会で「分割・民営化以来の20年の攻防に勝利した」と宣言する地平に到達した。
 時あたかも世界経済は金融大恐慌へと突入し、帝国主義は深まる一方の体制的危機にあえいでいる。今や帝国主義は最後の延命の道を絶たれようとしているのだ。
 こうした中で帝国主義には、より徹底した新自由主義政策を押し貫く以外にいかなる方策も残されていない。日本経団連が08年版経労委報告で打ち出した「労使は運命共同体」論は、そのことをあからさまに押し出した。だが、今や全世界で労働者階級は、80年代以来の新自由主義攻撃を打ち砕く反撃の火の手を上げている。それは、プロレタリア世界革命に向けて歴史が大きく動き始めたことを示している。
 こうした情勢下で、国鉄1047名闘争は、全労働者階級の命運を握っている。1047名闘争には本来、労働者に渦巻く怒りを束ね、労働者の階級的団結をつくりだす力が秘められている。ところが、動労千葉を排除し、解雇撤回を投げ捨てた4者・4団体路線のもとで、1047名闘争は敗北の道を自ら歩む重大な危機に陥っている。

 動労千葉への敵意あらわに

 今回の全動労判決は、こうした主体の危機を突いて振り下ろされた。
 この判決で国家権力は、国鉄分割・民営化による首切りを徹底的に居直った。判決は、原告が求めた賃金、退職金などの損害賠償を、国鉄改革法を盾に全面的に否定して、「精神的損害」に対する慰謝料500万円と弁護士費用50万円の支払いを鉄道運輸機構(旧国鉄清算事業団)に命じたに過ぎない。
 判決は次のように言う。「国鉄の分割・民営化計画は、そもそもが、多数の国鉄職員に転職を迫ることを想定した枠組みのものであったことを勘案すると、国鉄職員は承継法人、すなわち、JR北海道等によって採用させることそれ自体につき、何らかの権利や直接の法的利益を有していたということはできない」。そこでは、「不当労働行為からの救済は原状回復」という原則は全面否定されている。こうした形で権力は、団結権保障も労組法も戦後労働法制も根底から解体するという反動的意志をあらわにしたのだ。
 そもそも、解雇され、路頭に放り出された1047名の受けた苦難は、単なる「精神的損害」などでは断じてなく、わずか550万円で償えるものではあり得ない。
 今回の判決は露骨にも、「北海道地区における国鉄職員で承継法人に採用されなかった者が4700名も存在したことをも勘案すると、本件不選定がなければ、原告等がJR北海道等に確実に採用されていたという関係を認めるには足り(ない)」とまで言っている。“北海道ではそもそも採用予定者数が少なかったのだから、原告らがJR不採用とされたのは仕方がないことだ”と強弁しているのだ。
 わずか550万円の慰謝料支払いも、こうした反動的理屈を前提に認められたに過ぎない。判決は、動労などと比べて全動労の採用率が極端に低かったことを取り上げて、国鉄に「中立保持義務違反」があったと言う。そう言いながら判決は、原告らがJRに採用されなかったこと自体が不当だとはけっして言わない。問題にされているのは、国鉄の作成した採用候補者名簿に原告らが登載されなかったことだけだ。ここでも「国鉄とJRは別法人」という虚構に基づく国鉄改革法23条は絶対化されている。
 しかもこの「中立保持義務違反」なるものは、全動労訴訟の原告が国鉄時代に処分を受けていなかったことを大前提にして認定されたものだ。“処分されていない者が不公平に扱われたから問題だ”という判決の論理は、裏を返せば“処分された者は不採用にされて当然”という理屈をはらむ。05年9月15日の鉄建公団訴訟判決は、国鉄時代に処分を受けた5人の原告を救済の対象から排除した。これと同様、今回の判決でも国家権力は、分割・民営化反対のストライキを闘って処分された動労千葉への敵意をむき出しにしたのだ。

 反動判決賛美する共産党は国鉄闘争解体策動の最先兵

 そもそも国鉄分割・民営化は、中曽根が公言しているように、国鉄労働運動の解体を目的に行われたものだ。そのために権力は、安全破壊をいとわず、鉄道事業にとって必要な人員を割り込むほどの大量首切りを強行した。1047名は、この国家的不当労働行為によって首を切られたのだ。だから1047名闘争とは、分割・民営化絶対反対を貫く闘いであり、解雇を撤回させることによって分割・民営化そのものを打ち砕く闘いだ。
 全動労判決は、こうした闘いを押しつぶすために振り下ろされた。分割・民営化が破産しているからこそ、権力は大量首切りを居直り、闘う労働者のJRからの排除を“絶対に正しかった”と挑戦的に宣言したのだ。この攻撃に屈服すれば、わずかばかりの慰謝料を施してやってもいい、というのが判決の意味だ。権力は居丈高にも、札束で顔をたたいて“これで20年の闘いを売り渡せ”と迫っている。
 こんな屈辱的な判決を認めることなど断じてできない。ところが、全動労争議団や建交労、全労連らが連名で出した声明は、判決を「不当労働行為の事実を認定した」とし、「採用候補者名簿作成の過程で国鉄が不当労働行為を行った事実とその法的責任は争う余地のないものになった」と全面賛美している。
 1月26日に開かれた国労中央委員会では、高橋伸二委員長が「国鉄の不当労働行為の存在と責任を認め……これを定着させるものとして積極的に評価することができる」と叫び立てた。
 4者・4団体は、この反動判決を手放しで称賛することをとおして、一切を「政治解決」に流し込もうとしている。彼らは、1047名闘争の解体を策する反動判決の意図に完全に乗ったのだ。
 そもそも今回の反動判決を引き出したのは、4者・4団体が動労千葉を排除し、解雇撤回を投げ捨てたからだ。その最先兵となっているのが日本共産党だ。彼らは1047名闘争を解体するという国家権力の意志を体現して、『赤旗』で反動判決を「勝利」と言いくるめる大合唱を開始した。それは、解雇撤回など求めず、不当労働行為を容認し、550万円ですべての闘いを終わらせろというすさまじい攻撃だ。
 そもそも全動労訴訟は、被解雇者当該の意向を押しつぶす日本共産党と全労連中央の反動的介入により、「解雇撤回」を求めない訴訟として始められた。その結果、裁判は不当労働行為を弾劾する場ではなく、原告が「いかに優秀な職員であったか」、つまり「いかに闘わなかったか」を立証する場へと限りなく変質させられてきた。もはやそれは、団結を自ら解体し、資本に忠誠を誓うものでしかない。
 この間、動労千葉の排除を執拗(しつよう)に画策してきたのも日本共産党だ。彼らが、今回の反動判決を機に、スターリン主義反革命としての姿をむき出しにして、1047名闘争の解体へとのめり込んでくることは明らかだ。
 鉄建公団訴訟原告団を始めとする1047名闘争当該に求められているのは、こうした策動と徹底対決し、解雇撤回の原則を貫いて、動労千葉とともに1047名の団結を守りぬくことだ。JR資本と立ち向かうJR本体の闘いと結合し、分割・民営化体制打破へ闘うことだ。その原則を踏み外して、「政治解決」や「和解」の幻想に迷い込んではならない。解雇撤回を貫き、不当労働行為を徹底弾劾する闘いのみが、1047名闘争の勝利をもたらすのだ。

 2・17労働者集会に総結集し階級的労働運動の大発展を

 動労千葉が呼びかける2・17労働者集会(要項別掲)は、決定的な闘いになった。権力と資本は、東京地裁反動判決をテコに国鉄闘争を解体するとともに、全労働者階級の団結と闘いを押しつぶそうと策している。この攻撃に抗し、1047名の解雇撤回をあくまで貫く闘いが2・17労働者集会だ。1047名闘争が勝利の路線を確立すれば、それは必ず全労働者の闘いの結集軸となる。
 国鉄1047名闘争をめぐる激しい路線闘争は、階級的労働運動か体制内労働運動かをかけた分岐と激突の最先端に位置している。国鉄、教労、全逓、自治体の4大産別を始め、あらゆる職場・産別で体制内指導部をぶち破る青年労働者を先頭とした決起が始まった。その時に、国鉄1047名闘争の主導権を、不当労働行為を容認し敵階級の手先となった裏切り者たちに明け渡すことなど断じてできない。
 こうしたやからが行き着いた先は、組合幹部が組合員を公安警察に売り渡した5・27臨大闘争弾圧だった。国鉄闘争の正義を貫く5・27臨大闘争弾圧被告の闘いは、JR資本と国家権力を追いつめ、JR総連の崩壊をさらに促進させている。この闘いをすべての国鉄労働者のものとし、1047名闘争と国労の階級的再生をかちとろう。
 動労千葉は今、JR総連解体・組織拡大をかけた08春闘の決戦に突入した。動労千葉と連帯し08春闘を闘おう。3・16イラク反戦全世界一斉デモに立とう。労働者階級の命運をかけて、第2次国鉄決戦に総決起しよう。

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週刊『前進』(2329号3面1)(2008/02/04 )

 教労が08年決戦の先陣開け

 労働者の自己解放闘争として不起立闘争の爆発かちとろう

 革共同教育労働者委員会

  07年、革共同教育労働者委員会は、革共同破壊集団に転落した塩川一派打倒、7月テーゼ反対の解党主義との闘いを最前線で闘う中から、マルクス主義の党、労働者階級の党へと自らを生まれ変わらせてきた。階級的労働運動路線と7月テーゼの実践的貫徹として、教育労働者の自己解放闘争として、不起立闘争のまったく新たな爆発を切り開こう。08年こそ、11月教育労働者一千人結集を実現し、青年教育労働者の中に強大なマル青労同を建設しよう。
 (写真 昨年の11・4全国労働者集会で青年教育労働者が「不起立は自己解放の闘いだ」と熱烈に訴え)

 職場・生産点から戦争と改憲の攻撃に反撃しよう

 労働者階級の総反乱の時代が始まった。貧困と格差への青年労働者の「生きさせろ!」の怒り、「労働運動の力で革命をやろう」の闘いが、安倍改憲政権をぶっ飛ばした。改憲・戦争攻撃への怒りは、9・29沖縄県民大会12万の決起となって福田政権の出ばなを直撃した。海自のインド洋からの一時撤退、教科書の沖縄戦記述の復活と、労働者階級の怒りが、戦争政治に風穴をあけ始めている。今こそ、階級的攻勢にうって出る時だ。
 福田や御手洗は、少しは反省しているのか? まったく否だ。御手洗は、「弊害重視」などといって「格差是正」を拒否し、「ワーク・ライフ・バランス」の名の下にさらなる非正規雇用化を進めようとしている。福田は、小沢民主党の「対案」を絶好の餌食(えじき)に派兵恒久法制定を狙い、政界再編−大連立で9条改憲の機をうかがっている。「国際競争に勝つまでは」と、労働者を生産性向上に駆り立て、侵略戦争に駆り出す日帝の唯一の延命策にあくまでしがみついているのだ。
 世界金融恐慌がついに現実化し、イラク・アフガニスタン侵略戦争はいよいよ泥沼的に激化している。労働者を食わせていけない資本主義、戦争をやめられない帝国主義は、もう命脈が尽き果てている。全世界の労働者の団結で最末期帝国主義を打倒する世界革命の時代が始まっているのだ。
 04年以来の不起立闘争は、教基法改悪反対の国会闘争の高揚を切り開き、安倍を倒す原動力になった。海を渡り、アメリカの軍募兵官たたき出し闘争と結びつき、日米の戦争体制を揺るがす力となって発展している。9・29沖縄12万決起を切り開いたのも、沖縄高教組3千の闘いだ。
 労働者階級こそ、社会の主人公だ。教育労働者は今こそ自らの持つ力を自覚し、「私って、すごいかも!」(アーリーン・イノウエさん)の精神で闘おう。
 職場生産点の〈攻めの改憲阻止闘争〉として、08年不起立闘争に突入しよう。3・16ワーカーズアクションに総結集して、卒業式闘争をうちぬこう。

 “改悪教基法絶対反対!”の階級的団結をつくろう

 安倍が強行した教育基本法−教育4法改悪との闘いは、国会前から職場へと戦場を移して激突が始まっている。
 改悪教基法−学校教育法の掲げる「愛国心」「規範意識」などの教育目標が、改訂学習指導要領として押しつけられようとしている。学力テスト・学校評価・教員評価で教育労働者をがんじがらめにし、愛国心・格差教育を強制しようとしている。
 ふざけるな! 教育労働者は機械じゃない。「教師は指導の結果責任も問われている」というが、ゆとり教育の「結果責任」を文科省はとったのか? 選択教科、総合学習を減らす授業時数増など、朝令暮改もいいところだ。
 多忙化と過密労働に輪をかける攻撃をうち出す一方、「定数改善」は主幹配置だけ、過労死ラインの超勤実態は放置し、賃金も主幹以外は賃下げだ。「免許更新制」で教員は10年の有期雇用、それどころか「指導改善研修−分限免職」制度で1年後に首になるかもしれない身分とされるのだ。
 誰もが、”いいかげんにしろ!”と思っている。教育労働者がいつまでも言いなりになっていると思ったら大間違いだ。いまこそ、教育労働者の誇りと団結を取り戻そう。職場から反乱を起こそう。
 「日の丸・君が代」闘争こそ、教労戦線の〈反合・運転保安闘争〉だ。不起立は、教育労働者の戦争協力拒否宣言であり、職場の団結と抵抗の呼びかけだ。
 なぜ「日の丸・君が代」が教育現場に必要なのか、教育委員会も管理職も教育労働者を誰一人納得させられない。だから、問答無用の専決と処分の脅しで押しつけるしかない。
 改悪教基法と教育労働者の関係は非和解だ。だからこそ、絶対反対の階級的団結をつくり出すことが勝利なのだ。 不起立から始めよう、不起立を広げよう。

 根津さんらを敵に売り渡す連合・日教組本部打倒を

 不起立の意思表示をしようものなら、職場にすっ飛んできてつぶしにかかるのが体制内労働運動=連合日教組だ。
 「企業は労使の運命共同体」という経団連に「生産性の向上、国際競争力の強化は連合としても共有認識」と応じ、対テロ新法の成立にあたっては「国際貢献は与野党を超えて議論し、国の基本問題は政治の駆け引きにするな」と挙国一致の戦争体制を説く。日帝の未曽有の危機の中で、体制の支柱として登場しているのが連合だ。
 4大産別の中で「生産性運動を推進する」と基本理念に掲げるJP労組はその最先端をいくが、自治労・公務労協の「質の高い公共サービス運動」も同じだ。日教組本部も、教労版「生産性向上運動」=愛国心教育推進の道を突き進んでいる。学習指導要領改訂の中教審答申に対する書記長談話では、改悪の最大の柱である「伝統・文化教育」に何の批判もしていない。
 そのことを端的に突き出したのが、日教組教文局が根津さんら被処分者を全国教研から排除したことだ。日教組本部は、「君が代」不起立解雇に反対する署名運動を拒否したばかりか、東京教組から全国教研に出された根津さんのレポート(家庭科)、解雇させない闘いのレポート(平和教育)に不当な言いがかりをつけ、これを取り下げさせる暴挙に走った。事実上の組合員資格の剥奪(はくだつ)攻撃であり、まさに都教委の解雇攻撃の前に差し出す行為だ。「日の丸・君が代」闘争や改悪教基法反対の闘いを一掃し、教研運動を改悪教基法下の「生産性向上運動」へと変質させようとしているのだ。
 森越よ、恥を知れ! NEA(全米教育協会)最大単組のUTLA(ロサンゼルス統一教組)は、根津さんと388名の被処分者を断固支持する決議をあげ、全米に支援を呼びかけている。「教え子を再び戦場に送るな」のスローガンが、それを貫く不起立闘争とともに紹介され全米の教育労働者に広がっている。首をかけて闘う組合員を守るどころか、敵に売り渡す日教組本部の所業は、日本だけでなく全世界の教育労働者の徹底弾劾にさらされるだろう。
 不起立闘争の爆発で日教組本部を打倒しよう。闘う日教組を現場組合員の手に奪還しよう。

 不起立闘争のただ中から新しい指導部の建設へ

 停職6カ月の処分を受けている根津さん、停職3カ月の処分を受けている河原井さんは、まさに首をかけて今春の卒業式に臨もうとしている。2人は、あくまでも不起立を貫くことを決意し、全都全国の教育労働者に懸命に不起立を呼びかけている。
 根津さん・河原井さんの闘いは、石原・都教委の処分恫喝を最後的にうち砕き、「日の丸・君が代」攻撃の改憲攻撃としての正体を満天下に暴きだしている。一人の首切りも許さない労働運動の原点を問いかけ、教育労働者の階級的団結を訴えている。なんとしてもこたえなければならない。
 動労千葉は、国鉄分割・民営化に全組合員が首をかけてストライキに立ち上がり、闘う団結を守りぬいた。そして、第2の分割・民営化攻撃もうち破り、JR資本とカクマルとの結託体制の崩壊の中で、本格的組織拡大に突入している。動労千葉の闘いが実証してきたのは、団結のためには首をもかけて立ち上がる労働者階級の偉大さだ。そして、それを徹底的に信頼し依拠して闘う階級的労働運動路線の勝利性だ。
 根津さん・河原井さんの闘いにこたえ、陸続と決起をつくり出そう。この闘いの中でつくり出される本物の階級的団結こそ、日教組権力を奪取する力だ。
 とりわけ、青年教育労働者の不起立決起をかちとろう。青年教育労働者は、研修漬けで、長時間労働、土日出勤を強いられ、管理職によるパワハラにさらされている。改悪教基法下の新たな管理支配のターゲットとされ、まさにワーキングプアか過労死かの選択以外にない状態に置かれようしている。青年教育労働者こそ、階級的団結なしに生きられない存在なのだ。
 彼ら彼女らの怒りと苦悩を共有し、不起立を呼びかけよう。不起立闘争の中から新しい階級的教育労働運動の指導部をつくり出そう。

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週刊『前進』(2329号4面1)(2008/02/04 )

 塩川一派の革共同破壊策動に断下し「全国単一の労働者党」を建設しよう

 革共同24全総と関西党員総会かちとる

 反マルクス主義の塩川派打倒し関西地方委員会を革命的に再建

(T)  

  革命的共産主義者同盟は、昨07年秋、第24回拡大全国委員会総会を開催した。塩川一派が階級的労働運動路線反対を掲げて関西での分裂「党員総会」を強行するという公然たる党破壊行動に踏み出したことに対し、関西の労働者同志の怒りの決起と全党への呼びかけにこたえ、全国の同志の総決起で塩川一派の党分裂・破壊策動を真っ向から粉砕する闘いに立ち上がった。
 続いて昨年12月には、関西党員総会を開催し、塩川一派によって簒奪(さんだつ)され踏みにじられ続けてきた関西地方委員会の革命的再確立をかちとった。
 この場に結集した関西の全党員、とりわけ4大産別を先頭とする労働者同志と、マルクス主義青年労働者同盟、マルクス主義学生同盟の同志は、06年に始まる「党の革命」を全党の最先頭で切り開いてきた誇りと確信と、塩川一派打倒のあふれるような闘志と喜びに燃えて決起した。そして再建された新生関西地方委員会のもと、全党の同志と名実ともに完全に一体となって、階級的労働運動路線の白熱的実践へまっしぐらに突き進むことを宣言した。
 拡大24全総と関西党員総会による塩川一派打倒の勝利は、連合党的なあり方を最終的に粉砕し、革共同を真に「全国単一の党」として打ち立てるものとなった。それは同時に、革共同を本物の労働者党、マルクス主義の党として圧倒的に確立していく巨大な出発点を築き上げるものとなったのである。
 1950〜60年代の党創立から半世紀にわたる血と汗の格闘を経て、いま革共同は、21世紀のプロレタリア世界革命を本当にやりぬける党へと生まれ変わるところに到達した。それは、スターリン主義との決別に始まる半世紀の闘いの歴史を引き継ぎながらも、党と階級が真に一体となった、まったく新たな党の創設にも等しい根本的な飛躍である。全党の同志がこのことを心の底から実感し、みなぎる躍動感のもと、一層の前進を決意して猛然と08年の実践に突入しつつある。 

(U)

 24全総と関西党員総会は、関西地方委員会の「指導部」を名乗ってきた塩川一派の反マルクス主義への転落と分派主義・解党主義を徹底弾劾し、打倒し、党の中から最終的に一掃した。
 そして同時に、今日の革命的情勢の急接近の中で、昨年11・4集会と直後の訪韓闘争が切り開いた国際連帯闘争の世界史的意義を明確にし、階級的労働運動路線の全面的本格的実践こそが帝国主義打倒、プロレタリア世界革命への扉を開く唯一無二の道であることを確認した。
 さらに、マルクス主義・レーニン主義にもとづく国際的階級的団結論としてある7・7思想の、07年7月テーゼによる革命的再確立の重大な意義を確認した。とりわけ、部落解放闘争を始めとする諸戦線の指導において、7・7思想の血債主義・糾弾主義への歪曲がもたらした歴史的歪みを断固として克服し、地区党のもとでの諸戦線の闘いの綱領的路線的再確立と新たな発展を闘いとることを誓い合った。
 07年にかちとられたこの階級的労働運動路線の大前進と7月テーゼへの敵対こそ、まさに塩川一派が公然たる党分裂・破壊の行動に走った最大の動機である。階級的労働運動路線に反対してきた塩川一派は、06年「党の革命」以来の約1年半にわたる党内論争においてすでに完全に粉砕されていた。そして最終的に、権力の弾圧への屈服・投降を引き金として、動労千葉労働運動と11月集会への真っ向からの敵対と、7月テーゼの全面否定を掲げて党破壊に突っ走ったのだ。
 その本質は、最末期帝国主義の危機爆発と巨大な革命的情勢がついに始まったことへの恐怖であり、この革命的情勢を現実のプロレタリア革命に転化するための党の根本的飛躍をかちとることからの卑劣な脱落・逃亡にある。だからこそ塩川一派の行動は、日帝権力やあらゆる反革命分子、「党の革命」に敵対して革共同から脱落・逃亡した連中などの密集した反動を一斉に呼び起こしている。24全総と関西党員総会は、塩川一派の打倒をとおしてこれら一切の党破壊策動を完全に粉砕しつくし、逆に党の団結の画歴史的強化をかちとり、その大発展への道を切り開いた。 

(V)

  拡大24全総は、すでに23全総で革共同政治局員と関西地方委議長の地位を解任されていた塩川と、関西地方委書記長であった椿の除名を決定した。さらに塩川・椿とともに関西の党組織に分断と破壊を持ち込んできた毛利ら一部指導部を徹底弾劾し、打倒して、新たに労働者同志を中心とする関西地方委の暫定執行体制を選出した。そして関西の全党員総会を速やかに開催し、新生関西地方委員会の正式発足を闘いとることを決定した。
 24全総では同時に、「広島差別事件」なるもののデッチあげにとびついて、革共同と部落解放同盟全国連の間に分断を持ち込もうとする塩川一派や革共同脱落分子の策動を断じて許さず、階級的労働運動路線のもとでの革命的部落解放闘争の再確立へ全力を挙げて闘うことを確認した。その第一歩として、血債主義・糾弾主義の克服のために、党の部落解放闘争の指導論文であった95年の仁村(与田)論文、革共同第6回大会特別報告「部落解放闘争の綱領的諸問題」、22全総特別報告「革命的部落解放闘争の諸問題」を撤回し破棄することを決定した。
 12月関西党員総会は、24全総を受けて、「総会にいたる経過報告」と題する第1報告を始め三つの報告を熱烈な討論をとおして確認し、塩川一派の完全打倒を宣言した。そして結集した関西の全党員の団結と総意をもって、新たな関西地方委員会を正式に発足させた。
 さらに、党員及び闘う労働者の拠金によって建設された前進社関西支社と労働者解放センターの塩川一派による強奪・占拠を許さず、党と労働者階級の手に奪還する決議を始めとして、計7本の特別決議を採択した。その中には、これまで塩川一派によってネグレクトされてきたマル青労同・マル学同建設に全力を挙げる決議や、機関紙活動・財政活動の改革に関する決議、権力の弾圧に対して完黙・非転向を貫く党の建設をかちとる決議が含まれている。  

(W)  

 今日、塩川一派は、24全総と12月関西党員総会が切り開いた地平に大打撃を受けて意気消沈し、ますます露骨な反革命的変質と転向への道を転げ落ちている。『前進』に対抗して『革共同通信』なるものを発行したが、そこでは塩川らが03年段階から中央打倒闘争を決意し推進してきたこと、労働者同志の革命的蜂起としてあった「党の革命」もそのために利用してきたことが露骨に述べられている。さらに「清水式革命論の破産」などとうそぶき、清水議長と3全総・3回大会以来の革共同の闘いの全否定に移行し始めている。
 追いつめられた塩川一派のあがきを最後の最後まで徹底的に粉砕し、革共同を21世紀のプロレタリア革命に勝利する党として建設しよう。マル青労同1000人・マル学同1000人建設を軸に、革命的共産主義運動の大発展の時代を押し開こう。

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週刊『前進』(2329号4面2)(2008/02/04 )

 塩川一派の革共同破壊策動に断下し「全国単一の労働者党」を建設しよう

 プロレタリア世界革命の実現へ新たな労働者決起の出発点築け

 関西党員総会第1報告 総会にいたる経過報告

  昨年12月に開催された関西党員総会において提起された基調報告「第1報告 総会にいたる経過報告」「第2報告 11・4総括と情勢」「第3報告 08年決戦方針」のうち、第1報告を掲載します。なお紙面の都合により、編集局の責任で見出し等の一部に手を加えました。(編集局)

 本報告の主な目的

 第24回拡大全国委員会総会は全国・関西から圧倒的な結集をかちとり、歴史的な成功をおさめました。塩川・椿ら当時の一部指導部による11月エセ「党員総会」強行というとんでもない党分裂策動、11・4集会破壊を徹底弾劾し、この首謀者である塩川・椿両名の除名を決定しました。さらに政治局による関西地方委員会の執行権停止決定を受けて、暫定執行部(暫定地方委員会)を総会で選出・承認しました。
 本日の関西党員総会に結集した関西の全党員の団結と総意をもって、正式な関西地方委員会を発足します。
 新生関西地方委員会は、革命的共産主義者同盟全国委員会の旗のもとに結集し、中央と直結した地方委員会であり、全国の同志と固く結びついた地方委員会です。さらに5月テーゼ(1991年)―6回大会(01年)路線にのっとり、労働者階級と結びついた本格的な革命的労働者党として出発します。これこそが06年3月「党の革命」の本来の目的なのです。
 塩川一派との党内闘争はもはや党派闘争の段階に入りました。革共同の破壊に突進する塩川一派との党内闘争・党派闘争に勝利し、不抜の地方委員会を建設しよう。本日の関西党員総会を、プロレタリア世界革命に直結する新たな労働者決起の歴史的出発点としよう!
 階級的労働運動をトコトン実践し、マル青労同1000人・マル学同1000人建設を実現しよう。11・4集会の地平を断固として前進させ、プロレタリア世界革命に向かって突き進もう!
 本報告の目的は、@細かい事実経過の再確認ではなく、関西で起こったことの本質的問題についての路線的性格を明確にすること。Aわれわれがめざす関西地方委員会の全体像と方向性を明らかにするために、主に大阪府委員会の総括とそれをめぐる論争として提起する。

 反動的本音・本性を露わにした椿(塩川)文書

 分裂総会基調の椿(塩川)文書は彼らの本音と本性が全面的に明らかにされたものであり、行き着くところまでいったとんでもない代物です。与田と結託した平田派、永瀬・川添らと共闘を呼びかけてこれと一体化し、労働者党建設に猛反発し、完黙・非転向の思想を投げ捨てて、ひたすら革共同破壊のために奔走する塩川一派を粉砕せよ!
 塩川・毛利らは、本来「党の革命」で打倒されるべき対象でした。党からたたき出して本当によかった。彼らは「党の革命」でわれわれ労働者党員を利用しただけなのです。

 分派の出発点は22全総への反対

 22全総では「党の革命」の全面総括を行いました。中央指導部の自己批判と6回大会路線の路線的深化として路線・組織的総括を全党的に討議し一致・確認しました。それは突然出されたものではなく、夏季特別号―榊原提起として議論を経て出されたものです。
 われわれは22全総を受け、「今こそ『党の革命』の第2段階を進める時だ。11月集会を始めとした階級的労働運動路線を貫こう」ととらえました。6回大会路線と新指導路線に対する与田・遠山の敵対・妨害をぶち破って、ようやく本来の目的を貫く時が来た、と感じたのです。
 しかし、逆に塩川一派は「『党の革命』について中央は自己批判をしていない。中央の変革はこれからだ」と、中央打倒闘争の第2段階として位置づけたのです。
 しかもそのやり方は非組織的・解党的で、なおかつ陰謀的手口を使って行われました。22全総後に、その報告を受けた党員が反対意見を言うことはそれ自身間違いではありません。しかし塩川・毛利・椿は当日もその後も提起に反対であるにもかかわらず、その意見表明をせずにきました。表では黙認を装い、裏では猛然と反対意見を組織するという面従腹背の態度だったのです。しかも塩川は当時は政治局員で、全国委員会総会を組織するほどの責任ある立場にありました。その彼らが、他党派批判でもやるような敵対的な態度で、関西の党の中に猛然と中央との分断と分裂を組織したことの犯罪性は許されません。塩川一派の中央打倒闘争は22全総直後から始まったのです。こうした事実経過を見るならば、「中央は自由な討議を封殺し少数意見を圧殺しようとしている」なる彼らの言辞は、デマゴギー以外の何ものでもないことは明らかです。

 中央からの自立めざす解党主義

 論議はまず、関西地方委員会の正式な発足のための06年秋の関西党員総会に向けた基調報告をめぐって始まりました。関西地方委員会の場で、塩川から「『党の革命』総括の論点整理として路線問題的側面と組織問題的側面」が出され、そこで「『党の革命』の最大の核心は自立した共産主義者論にある」と提起され、塩川はそれを総会基調の軸にすると突然宣言してきました。党が上位下達で硬直化し細胞性が奪われてきた現実の中で党員が意識性・細胞性を取り戻し、「たった一人からでも革命をやる」という自立した共産主義者論は間違いではありません。しかしここで出された「自立」とは、党からの自立であり中央からの自立として、きわめて解党主義的に出されています。さらに22全総の「党の革命」総括を全面的に否定するために、きわめて対抗的に出されているのです。けっして22全総提起に対して「これも重要だ」と補強的に出されたものではありません。
 事実、「自立した共産主義者論は新指導路線をこえる(に代わる)路線」として路線化して出されました。ここには5月テーゼ―6回大会路線をめぐる路線問題として総括した「党の革命」総括を全面的に否定し、さらには新指導路線をも否定する意図があります。
 私たちの主張は単純明快でした。「22全総―中央総括に沿って関西としての総括を提起すべきだ。22全総以後に関西独自の総括を対抗させるのは関西党をつくることになる」と反対しました。しかし、椿はこれに猛反発したのです。

 この対立の本質は何か

 (1)まず、「党の革命」とは何なのかをめぐる対立です。
 「党の革命」とは腐敗問題か路線問題か。まず確認したいのは、財政的腐敗やスパイ問題は路線以前の問題であり、組織問題です。特に○○細胞などの財政的腐敗に対する怒りは尊重する必要があります。しかし、あらゆる組織問題は路線問題に根幹があります。さらに与田・遠山と大阪府委員会の対立は明確に路線問題としてありました。組織問題と路線問題は本来、対立的にあるものではありません。その上で大阪府委員会では、腐敗問題も含めて路線問題として総括しました。
 その核心は、5月テーゼと6回大会路線の貫徹をめぐる党指導部内での対立にあります。言い換えれば、プロレタリア革命は労働者階級自身の事業であり、プロレタリア自己解放としての革命を組織するのは労働者党であるということです。これは6回大会で革共同がうち立てた思想です。だが現実はインテリの党のままでした。その思想の物質化は、労働者階級と結びついた労働者党員が党に責任を取ることによって初めて可能になるのです。今こそ革命情勢に応じた労働者党の建設と階級的労働運動の全面的発展を闘いとらなければなりません。
 塩川一派の「『党の革命』は路線問題ではない」という総括は、「党の革命」総括をねじ曲げるものです。彼らが「路線問題ではない」と純化した理由は、彼らがもともと与田や平田派を始め川添・永瀬らと同一の路線的共通性を持っていたからにほかなりません。これは07年『前進』新年号以降、全面化します。椿文書で平田派や川添・永瀬らに共闘を呼びかけたのは当然の帰結です。
 私たちが「『党の革命』をやったのは労働者党員であり、労働者党員の蜂起が勝利に導いた」と明確に言い切ったことに対して、彼らの主張はあくまで「常任と労働者」です。言い換えれば、労働者を利用した常任軍団ということです。
 さらに彼らは「『党の革命』をやったのは自分たちだ」といつまでもここで止まっている。しかし「党の革命」が切り開いたもの、その核心とは何か。「党の革命」で切り開かれた関西の労働者党員の決起とは、大量の労働者指導部が登場したことを意味しています。これが全国の労働者党員のあり方をも根本から変え、党の根幹からあらゆる組織を変革した。ここに党の未来があります。ここでの対立なのです。彼らはもはや歴史の遺物でしかありません。22全総をもって彼らは最終的に追いつめられ、中央打倒闘争を決断し、ここからすべて問題を立ててきたのです。彼らが最も反発したのが22全総の中の「党は階級そのものである」というテーゼだったことは、そのことをはっきり示しています。
 (2)より本質的には、5月テーゼをめぐる理解の根本的対立があります。
 5月テーゼとは、60年決戦、70年決戦、二重の内戦、80年代の闘い(核心的には国鉄分割・民営化決戦、三里塚2期決戦)を勝利として全面的に総括し、いよいよ階級の組織化、階級の党へと飛躍する宣言でした。
 しかしながら塩川一派は、「党が疲弊し息継ぎのための5月テーゼ」とし、「力を蓄積したら元の路線にもどる」=「第3、第4の11月決戦」を呼号しました。その節穴から、「階級的労働運動路線は本来の5月テーゼからの右ぶれであり、逸脱である」とし、党中央の偏向(のちに07年7月テーゼを経て「変質」となる)であり、その根源は中央労働者組織委員会にあるとしました。対極で無内容な「政治決戦」を対置して、11月集会や動労千葉労働運動、マル青労同建設を否定する策謀を繰り返しました。
 彼らは5月テーゼとして革共同がついに到達した地平を理解できず、革命的共産主義運動の巨大な前進と新たな挑戦を理解できず、逆に敵対者へ転げ落ちていったのです。その本質は労働者階級への絶望、プロレタリア革命の否定です。彼らが「革命の空叫び」や「動労千葉特化論反対」を叫ぶ根拠もここにあります。5月テーゼは、日本労働者階級への絶大な信頼の上に、「隣の労働者とともに革命をやる」という革共同が建党以来持ち続けてきた根本精神・根本思想の再確立だったとも言えますが、塩川一派は結局何ひとつ振り返ることなく「暗黒の時代」観で自滅していったとも言えます。
 (3)実は彼らは03年の新指導路線そのものに反対だったということです。
 彼らが「安田同志打倒」にすべてを絞り上げた理由は、03年の新指導路線・中央労働者組織委員会建設方針にそもそも反対であるからです。与田が新指導路線に反対した理由とまったく同じです。03年に塩川・毛利らは与田の新指導路線反対を支持し、ともに動いてきた事実があるのです。

 06年秋の大阪府委員会再建総会をめぐる対立

 大阪府委員会は、遠山によって組織的解体状況を余儀なくされ、06年秋に再建されました。それは従来の常任を中心とした組織体制を完全に解体し、労働者党員を軸にしたものとしてつくり変えるものでした。そこでの課題は、細胞性の復活と団結の再確立でした。同時に、この構想自体が塩川一派との根本的・組織論的対立をはらむものだったのです。
 大阪府委員会議案の骨格は以下のものでした。
 T 中央と細胞が基本だということ
 U 地区党建設論として鮮明にすること
 V 階級的労働運動路線(当時は新指導路線)の実践
 総じて大阪府委員会の労働者党への本質的転換をかちとることです。それは5月テーゼ―6回大会路線の圧倒的前進を実現することであり、それが労働者党員の渇望的欲求そのものでした。つまり当然ではありますが、大阪府委員会結成議案の骨格は、もともと22全総議案と同じ問題意識と構想を持っていたのです。
 (1)中央と細胞が党の基本組織であるとは、同質性=同格性ということです。
 われわれが中央と細胞を基本とする立場を原点的に復活させたのは、新指導路線と産別委員会建設の教訓からです。従来の産別委員会は、常任主催の会議に呼ばれて方針を提起されるものでした。それを労働者党員が産別委員会の責任を取るあり方へ転換させていったのです。それも個人的責任の取り方ではなく、全国委員の労働者党員全体が共通の責任を取るあり方への転換でした。全国委員自身が中央指導部であり、同時に細胞です。中央方針は職場・細胞に密着し、そこに責任を取るものとして形成されなければいけませんし、中央指導の問題(解決)は細胞の責任だということです。そういう意味で中央と細胞は対等・同格・同質なのです。
 われわれはこの関係を、党員の細胞性の復活と中央指導部建設論として再確立してきました。
 だが彼らは、中央と細胞が基本だという概念を、ただその関係の対等・同格論のみに切り縮めたのです。「中央は文句を言うな、口出しするな」と言いつつ、そのくせけっして同質論は言わず、「違う意見があっても認めろ」と言う。その行き着く先は、中央は責任を取るところ、細胞は批判するところとなってしまうしかありません。これこそ、はなはだしい解党主義です。踏み込んで言えば、われわれが中央と細胞論を中央指導部建設論として理解したのに対して、彼らは中央指導部打倒論として展開していったのです。
 さらにこの規定は、地方委員会や地区委員会は、中央と細胞を結びつける中間機関であるということとして鮮明です。しかしこの間の彼らのやったことは、中央と細胞の関係をウソとデマで遮断・分断し、第2中央として関西地方委員会を組織して党を分裂させようとしてきたわけです。このことの解党主義と組織破壊性は絶対に許されません!
 政治局員・塩川、中央執行委員・椿、全国委員・毛利は、自らが中央の立場でありながら、けっして中央としての責任を負わず、あろうことか党の分裂を組織したのです!
 (2)階級的労働運動の実践と地区党建設の問題です。
 大阪府委員会は地区党建設論を重視しました。しかし当初、彼らは「地区党は今まで与田・遠山指導のもとで労働者細胞を抑圧する機関であった」などと、地区党建設基軸論に反対してきました。最終的には党分裂のために地区党を利用したのですから、二重三重に許せませんが。
 中央と細胞を党の基本組織とするということは、党は細胞の連合組織ということではありません。62年の革共同3全総で「戦闘的労働運動の推進(防衛)と地区党建設」が提起されました。これは労働者自らが地区党建設をとおして党そのものをつくっていくということです。つまり、労働者が産別的・職業的狭さや正規・非正規などの違いをこえて、地域におけるあらゆる階層の人びとを階級としてそこに一つの階級的団結を築きあげ、革命に向けて組織していくのが地区党です。
 そして実際に府委員会として11月労働者集会に総力をあげて挑戦し、5・3憲法改悪阻止労働者集会や9・24労働者大行動を成功させてきました。体制内労働運動と対決する職場闘争への取り組みに組織を挙げて取り組んできました。こうした闘いの中で青年労働者を先頭に労働学校への取り組みを開始し、マル青労同1000人建設を全力で担ってきました。これこそ階級的労働運動の実践そのものです。この実践こそが塩川一派の反労働者性をあぶり出し、彼らを追い詰めていった最深の根拠です。
 (3)「2007年7月テーゼ」は、階級的労働運動と地区党建設の実践から生まれました。
 全国連西郡支部を先頭に決戦局面に入った住宅闘争をめぐり、大阪府委員会は村の大衆の生きんがための切実な要求にこたえることができるのかという試練に直面しました。「地区は労働運動、戦線は戦線任せ」という旧来のありようと決定的に決別し、なんとしても階級人民のあらゆる課題を担い闘う地区党へ飛躍することを大阪府委員会建設に込めたのです。
 そもそも階級的労働運動とは、労働者階級の特殊的解放をとおして階級支配をなくして共産主義社会を実現すること、この中にすべての人間の人間的解放を実現するということです。だから、どういう立場で労働運動を闘うのかが決定的です。労働者は、職場生産点で団結して資本と真っ向から闘いに立ち上がった時、隣の労働者への差別が階級への分断攻撃そのものであることを見抜くのです。労働者は支配階級・資本によるさまざまな差別・排外主義による階級の分断攻撃と、これに屈服した体制内指導部と闘わなければけっして団結できません。
 われわれが部落解放闘争を闘う基本的立場は、被差別部落の労働者と団結してあらゆる資本(国家権力)の攻撃と闘うことです。階級を廃絶してこそあらゆる差別をなくすことができるのであり、プロレタリア革命と共産主義を実現するために階級として団結してともに闘うことです。
 人間的温かさと共産主義の思想的高さは一つです。「人の世に熱あれ、人間に光あれ」とうたった水平社宣言は、プロレタリア世界革命の要求です。荒本支部の闘いの理念は、全人民的・普遍的利害を部落解放闘争の基軸に据えることでした。
 われわれは、八尾市議選の勝利と東大阪市議選の中で多くを学びました。一つは、地区党として現場の闘いに第一義的に責任を取ること。二つは、労働組合を土台にして全労働者・住民の運動と組織を一つの階級的団結にまとめていくこと。三つは、どんなに小さくても11月潮流として、動労千葉労働運動の潮流として登場することです。
 こうして、体制内労働運動と決別し、階級的労働運動の課題と教訓を部落解放運動の中にも豊富化していく闘いが開始されました。地区党建設における労働者の闘いによって、プロレタリア自己解放の主導性・牽引(けんいん)性・刻印性・強制性が進んでいくのです。労働運動・市民運動・住民運動・解放運動の連合ではなく、労働者の闘いを基軸にすべての課題を統一していく観点が、地区党建設をとおして単一党建設として具体的に現れていきました。
 また革命論としての4大産別決戦の観点は、プロレタリア革命の労働者の主導性の承認です。4大産別決戦方針をめぐる路線討議もまた、労働者主人公論に豊かな内容を与えるものでした。
 こうして言えることは、7月テーゼとはまさに大阪府委員会における共産主義の地区党建設、単一党建設、部落解放闘争の実践的帰結でもあるということです。
 (4)総じて大阪府委員会の労働者党への大転換が実現されていきました。
 従来の常任中心の地区運営のあり方が、すべての地区の三役を労働者が担い、その上で大阪府委員会も労働者が中心になって担う体制に変わっていきました。これこそ労働者党建設の豊かな実践的教訓そのものです。

 塩川一派との対立は綱領的・路線的対立だ

 以上のように、塩川一派との対立はちょっとした意見の違いではなく、党の綱領・路線における根本的な対立です。「党の革命」以降、党の中央指導部、地方委員会、地区委員会、そして基本細胞での激しい攻防を闘い抜いて党の再組織化が行われてきました。実は関西でこそ同じ問題が起こっていたのです。塩川・椿らは、22全総に全面的反対のフラクションを、党の組織的討議ではなくきわめて陰謀的・分派的やり方で組織し、中央打倒闘争を始めた。3全総をめぐって黒田・カクマルが分裂・脱落したのと同じことです。
 そして塩川一派はこの論争を封殺するために、「常任の規律問題」を使った陰謀的手段に訴えてきました。われわれは、この論争をあいまいにするつもりも引くつもりもありませんでした。しかし、まず何よりも労働者党員だけの三役体制で大阪府委員会を立て直す必要がありました。
 昨年秋の再建関西党員総会は、このように実質的には分裂的事態で進んだのですが、われわれは同志会を迎えた初めての統一総会の成功を優先したのです。
 塩川一派は、「安田同志独裁」論や「中央のやり方が悪い」論を盛んにキャンペーンしていますが、本党員総会にいたる過程を主導したのはわれわれであることをはっきりさせたい。
(写真 07年11・4全国労働者総決起集会の後に行われたデモ。労働者の自己解放闘争のエネルギーに満ちあふれ、銀座の街を解放区にした

 06年総括と新年号をめぐる議論

 塩川・椿らは07年1・1政治局アピールでうち出された階級的労働運動路線に一貫して反対してきました。22全総への反対運動を06年11月集会への非難をもって開始し、教基法決戦や改憲決戦を口実に使い始めました。そして06年末から陰謀的に準備し、07年年頭より以下に列挙するような反動的文書を1〜5月過程で次々と出し始めたのです。卑劣にも、そこには塩川や椿の署名のものは一つもありません。
★早瀬―07年1・1政治局アピールの全面撤回を求める「意見書」。とりわけ、第1章3節のプロレタリア自己解放に対して激しく反発・敵対。
★戦線常任会議―『共産主義者』152号木崎論文の撤回・謝罪を求める「決議」。「観念的主観主義」「排外主義」と非難。
★神山―「革命の空叫び」「5月テーゼは右ブレ」「第3の11月決戦」「動労千葉防衛運動ナンセンス」などの「意見書」。
★神山―党の革命1周年天田論文への批判、特に「党の革命が何よりも路線問題であったこと」を猛烈に非難し否定。
★毛利―「論点整理」と称して、一連の反動文書を紹介・称揚し、階級的労働運動路線を「サンジカリズム」と非難。神山同様、「路線問題ではない」論を叫ぶ。
 これらに対して全国の労働者同志が怒りの断を下したのが、07年春の全国労働者組織委員会でした。私たちは相当丁寧な議論をしてきましたが、彼らは綱領的に反対であるということを隠してきました。なかなか話がかみ合わない。なぜか。路線的に率直に疑問があったのではなく、塩川・椿・毛利らが中央打倒闘争として意識的に対立的に組織してきたからです。
 その上で、彼らがその立場を純化していく過程がありました。彼らは「労働運動の力で革命をやろう」という青年労働者が階級的労働運動の実践の中から生み出したスローガンに反対し、最初は「革命とは労働運動よりもっと激しい闘いが必要」「武装闘争や非合法の闘いが必要」と反発しました。その後、「今は革命情勢ではない」「ストライキも必要だがそれも今はできない。今は団結を守る段階だ」となり、最後は「それに向けて要求を組織する段階」などと、革命と労働運動を永遠に切断するところに行き着きます。
 彼らは口先では新指導路線に「賛成」と言っていますが、「労働運動と革命運動は違う」などと労働運動と革命運動を切り離したところで労働運動に取り組んだならば、革命に敵対する立場に純化してしまうということです。これこそ体制内労働運動そのものです。
 その根底にあるのは、革命的情勢の到来を全面的に否定するという、時代認識における完全な不一致です。彼らは帝国主義の断末魔の危機を否定し、「暗黒の時代」を強調します。そこにあるのは労働者階級への根底的不信です。彼らは労働者の革命への決起をけっして信用することができない。彼らが組織するのは”絶望”でしかありません。これに対して私たちが組織するのは”展望”です。これこそ最も根本的な分岐点なのです。
 労働者党員を絶望の淵(ふち)に追い込こもうという塩川らの罪状は断じて許せません。

 弾圧問題契機に投降主義へ転落

 07年6月、7月の「産廃問題」を口実とした逮捕攻撃の本質は全国連弾圧であり、病院弾圧であり、革共同壊滅攻撃でした。この時、関西地方委員会、特に一部指導部は完全黙秘・非転向の闘いを投げ捨て、被弾圧者当該に国家権力への屈服を迫る「略式起訴受け入れ」方針をとりました。労働者階級への裏切り行為であり、関西地方委員会として全面的に自己批判します。本日組織される新生関西地方委員会はあらためて完全黙秘・非転向の闘いの先頭に立つことを決意します。
 同時に、今日、「略式命令に応じることは完黙・非転向を破ることではない」「権力との妥協・取引は一切行うべきでないなどと主張する者は本当の革命家ではない」「略式命令を地方委員会指導部が押しつけたとか引き込んだという事実はない」「当該同志・主体の意向」(分裂総会「椿(塩川)基調」)、「完黙非転向を絶対的なものとしてきたあり方から大衆の状態に応じて転換すべき」(毛利「自己批判」文書)などと新たな転向イデオロギーを振りまく塩川一派の蠢動(しゅんどう)は絶対に放置できません。
 国労5・27臨大闘争弾圧、法政大弾圧、11・4デモ弾圧を見るまでもなく、完全黙秘・非転向の闘いこそが、人民を守り運動を守り組織を守ることは、現実の階級闘争に裏打ちされた真実です。とりわけ、検察による「略式起訴」攻撃が常套手段とされてきている今日の国家権力との攻防において、「ケース・バイ・ケース」論で闘えるわけがありません。完全黙秘・非転向は労働者階級の闘いが生みだした対権力の圧倒的な武器であり、団結の生命線であり、それゆえ「革命家」を語って人民から完黙・非転向を奪うことなど断じて許せません。
 新生地方委員会は、完全な投降主義に転落した塩川一派を打倒し、国家権力との闘いに勝利する階級の団結を防衛する先頭に立ちます。

 中央労働者組織委員会と産別委建設について

 党組織が常任主導の組織であったことが、5月テーゼがなかなか前進しない一つの理由でした(本質的には政治局内に反対派がいたことですが)。その転換をかけ、現場の労働者党員が責任を取りきることで、労働現場に密着し指導できる路線と方針が全面的に進んだのです。これを据えきったのが03年の新指導路線でした。
 もともと中央労働者組織委員会とは、中央政治局直結の全国性を持った組織です。ここでの路線討議が階級的労働運動路線の総括と方針を主導するのです。関西労働者組織委員会もそのようなものとして中央労働者組織委員会のもとで組織されます。その性格は路線討議と一致の場であり、そのもとで各職場の具体的な方針を形成します。けっして「職場交流会」などではありません。
 今後、関西労働者組織委員会の階級的労働運動をめぐる路線討議は関西地方委員会そのものを牽引するものとなり、関西地方委員会は全責任をもってそれを執行する関係になります。このように関西地方委員会と関西労働者組織委員会は性格の違いを持ちながら、党として一体のものです。
 椿の言う「関西労働者組織委員会=関西地方委員会の小委員会」論は、中央と細胞を切断する関西党=関西分派をつくる解党主義そのものです。
 新指導路線以降、産別委員会とマル青労同が既存の古いインテリの党をエネルギッシュな労働者党へ変革していく契機になってきました。だから与田・遠山はこれに真正面から反対したのです。塩川一派も同じです。椿(塩川)文書では「古参の労働者党員を、若者の応援団のように扱うことは党を決定的に腐らせる。また常任を召使のように見なしている。職業的革命家として鍛えなければならない彼らを、労働組合の書記以下の存在としか扱わない。党を腐らせている張本人が安田同志である」と言っています。「安田同志打倒」を言い出した彼らの本音は、新指導路線にそもそも反対だったということです。
 今まで産別委員会とマル青労同は労働者党への転換を牽引してきました。「党の革命」を経たわれわれは、それを真ん中に据えた組織体制に移行します。マル青労同・マル学同と産別委員会(労働者組織委員会)建設を基軸に据えて新生関西地方委員会は出発する、これが関西地方委員会の実践的結論です。

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週刊『前進』(2329号5面1)(2008/02/04 )

 塩川一派の革共同破壊策動に断下し「全国単一の労働者党」を建設しよう

 革命に勝利するための団結を 関西総会発言より

 お前らは沼地に行け マルクス主義学生同盟中核派 K 

 塩川一派が口汚くののしる動労千葉労働運動とは一体どういうものか。新自由主義に勝利した唯一の労働運動です。
 戦後支配が行き詰まり破綻(はたん)した。革命を予防するための終身雇用制や国民皆保険なども維持できなくなり、明日の生活も保障しない状況をつくったのが新自由主義です。動労千葉はこれに対して真っ向から闘って勝利した。
 なぜ勝てたのか。反合理化・運転保安闘争路線の確立が決定的です。合理化とは資本の止まることのない運動です。これを否定することは、資本主義そのものを否定することです。労働組合が、組合員の切実な要求に沿いながら、だけど資本主義を根底から吹っ飛ばす路線を選択した。それをもって動労千葉は分割・民営化に勝ったんです。
 これによって1047名闘争が始まった。総評が解散し連合が結成されても、1047名闘争を支える労働者が残った。20年間、自治労・日教組・全逓も、戦後憲法も解体できなかった。帝国主義の延命策の核心部分を、動労千葉とともにわれわれが粉砕したんです。だから日帝は「最弱の環」なんだ。帝国主義間争闘戦に負けただけではない。労働者階級が団結を守り抜いて、「最弱の環」であることを強制した。この動労千葉運動を位置づけないということは結局、階級闘争におけるわが革共同の位置をおとしめるものです。
 だから塩川一派は「70年安保闘争が最高だ」と、昔のことしか語れない。革共同の存在の大きさは70年代だけにあるわけではない。70年代をぶち抜いて、満を持して新自由主義と闘って勝利したのが革共同なんです。
 しかも動労千葉労働運動を否定することは、開始された世界革命への敵対です。動労千葉労働運動への特化とは、譲歩を捨てた帝国主義と正面から激突して革命を完遂するということです。
 レーニンの『なにをなすべきか』の、「沼地の住人へ」というところを読んでやりたい。
 塩川一派のみなさん、あなたたちには沼地であろうとどこであろうと、好きなところに行く自由がある。われわれは、ほかならぬ沼地こそ君たちの本当の居場所だと考えてさえいる。ただ、それならわれわれの手を離してくれたまえ。われわれにつかまらないでくれたまえ。そして自由という偉大な言葉を汚すのはやめてくれたまえ。なぜといって、われわれにもまた同じように、自分の好きなところへ行く自由、沼地と闘う、体制内と闘うだけでなく、体制内の方に向きを変えてわれわれを引きこもうとする諸君らと闘う自由があろうというものではないか!
 学生戦線は法大決戦をもって、革命の現実性を証明しました。法大生はブルジョア的権利などすべて奪われている。だけど奪われたって闘いは生まれる。いやむしろ、全部奪われたところからの決起の方がすごい。椿は「革命を訴えたら引かれる」と言うが、全然違うことが証明されている。革命を真っ向から掲げ、法大決戦、動労千葉連帯を正面課題とする学生権力を必ず樹立します。ストライキをやります。
 3・16反戦闘争に立ち上がり、支配階級の最大の破綻点である帝国主義侵略戦争に断固として断を下そう。

 打倒してよかった! マルクス主義青年労働者同盟 N 

 07年1年間、関西におけるマル青労同の前進は、塩川や椿との闘いなくしてありませんでした。椿がマル青労同の会議に来て発言したのは「4大産別決戦なんて全然わからない。ずっと反対だと言っている」、これだけです。しかし椿にマル青労同の団結をいっさい破壊させずに、本日の総会に到達しました。
 塩川一派の『関西党員総会報告・決定集』を読んで、「塩川・椿らを打倒して本当によかったな」と思いました。
 塩川は「労働者の組織化には、百の職種があればそれに応じた百の方法が必要とされる。どの産別にもあるいはどの職種にも通用するような組織化の特効薬などない」と言う。「百の職種があれば百の方法が必要」。当たり前です。しかし動労千葉労働運動の実践とは組織化の技術論ではない。労働者の階級性や革命性に徹底的に依拠して闘うということです。
 また「優秀な労組活動家や労組のリーダーは、日共系や新社会党系など大抵は他党派であるが、……彼らの党への獲得なしに労働者階級の多数の支持を獲得することはできない」と述べている。職場で階級的労働運動を実践してきた僕らに言わせれば、現場で闘っていないからこんなことを言えるんです。彼らは、体制内労働運動と日々対決しながら階級的団結をつくるために苦闘してきた現場労働者党員とまったく無縁なんです。
 関西ではこれまでよく「動労千葉はすごいけれども、各職場における戦術の精密化が必要なんだ」と対置されてきました。これが「百の職種で百の方法」論です。しかし、「自分の職場は違う」「条件によって戦術は違う」と言って動労千葉労働運動の実践に例外をつくることを、今日をもってやめよう。労働者の根底的な怒りとつながって階級の指導部を形成するとは、まず自分がぶっ立つということです。僕たちはマル青労同第4回大会で「労働者の決起に百パーセントの信頼を持てない自分とは今日をもって決別しよう」と確認しました。今日あらためて、そういう革共同にしようと訴えたい。
 塩川文書は「明日にでも革命を起こすかのような経済決定論的な帝国主義の自動崩壊論的な世界認識では、情勢に立ち向かえない」と言うが、誰も「自動崩壊」などと思っていない。「労働者が立ち上がっていることが革命情勢だ」と言っているんです。
 労働者階級への絶望をまき散らす塩川一派を打倒し、革命に勝利できる革共同を確立しよう。マル青労同1000人建設へ最先頭で闘います。

 強大な地区党つくる 教育労働者 S 

 僕の地区では、06年3月の「党の革命」と今回の塩川一派の脱落をとおして、若干名の同志が脱落しました。このいずれの時にも、本当にわが身を切られる思いでした。
 しかし今日、はっきり思いました。誰を同志とするのか。本当にプロレタリア革命を実現するための同志と僕は団結する、そのためにこの同志が結集しているんだということに、一点のくもりもない確信を持つことができました。
 なんと関西の同志はおおらかで豊かで、元気で楽しい人たちか。僕自身もこの間、悩むことや、自分自身でしっかり判断しようと必死になるがゆえにたじろぐこと、躊躇(ちゅうちょ)することがいっぱりありました。しかし、この人たちとならば生涯かけて革命運動を闘っていける。はっきりと今日、確信を持つことができました。
 11・4労働者集会には僕の地元から、「日の丸・君が代」を断固として闘い、「根津さんに続く。生涯、教育労働者であるかぎり、首を切られたって自分は『君が代』で起立することはありえない」と管理職に宣言して闘い抜いた労働者が決起しました。その労働者が「11・4は集会もデモの中身も、そこで提起されていること、根津さんの闘い方、すべて圧倒的に正しい」と述べて、「自分は職場に戻って、全職場に決起を呼びかけて春の卒業式を闘う」と宣言しています。党にいた同志が脱落していくならば、このように本当に階級的に闘う普通の労働者を同志として獲得しようではありませんか。
 今日をもって本当に自分自身を一からつくり変えていく。本当は「マル青労同に入れてください」と言いたいんですけれども(爆笑)、階級的労働運動はマル青労同の特権ではありません。おっさんであろうがおばちゃんであろうが、負けずにともに闘いたい。今日をもって自分自身がまず先頭に立つことで、これまでを2倍、3倍する地区党をつくっていくことを決意しています。

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週刊『前進』(2329号7面1)(2008/02/04 )

 圧巻!労働者ら17人が決意

 革共同中四国政治集会開く

 階級的労働運動実践へ血債主義・糾弾主義に断

  「明るくなった」「若い人が増えた」「労働者党らしくなった」「元気になった」――集会参加者が口々に述べている感想である。1月27日、広島ワークピアホールで革共同中四国政治集会が昨年を超える130人の結集でかちとられた。中四国政治集会は、08年冒頭において、塩川一派と血債主義・糾弾主義に決定的な断を下し、革共同が全国単一の革命的労働者の党として、意気軒高と登場したことを党内外に宣言するものとなった。
 司会のマル青労同の同志が開会を宣言、中四国地方委員長の労働者同志があいさつに立った。「革命的情勢の激しさに対応する党の革命を徹底して推進し、スッキリしている。新たな同志が続々入党している。今日も新しい人がいるが、必ず党に結集してほしい」「党と階級の強固な団結を形成し、青年労働者を先頭に08年をプロレタリア革命を開く年に」と訴えた。
 基調報告は中四国地方委員会書記長が行った。「革命的情勢を革命に転化するのは、マルクス主義を職場生産点で貫く階級的労働運動の実践。これを日和見主義的に拒否したのが塩川一派と血債主義者・糾弾主義者だ」「『労働運動の力で革命をやろう』という青年労働者や学生同志たちが党全体を獲得し、彼らを抑圧しようとした古い常任指導部が打倒された。だから全党にものすごい解放感、高揚感をもたらしている」。さらに「帝国主義は末期的危機の中で労働者階級の団結を破壊することによってしか延命できない。だからこそ職場に階級的団結をつくることで勝負する。動労千葉はそれで勝ってきた」と提起した。最後に、ブルジョア的転向と思想的腐敗を深める血債主義・糾弾主義を徹底弾劾し、マルクス主義的な階級的団結論を核心とする差別・分断の打破と革命的部落解放闘争の推進を訴えた。
 続いて革共同中央の坂本千秋同志が「7月テーゼと7・7思想の前進」と題して講演を行った。7月テーゼの第1の核心点として、「労働者階級の階級的解放が同時に全人間の解放である」というマルクス主義の核心を鮮明にし、差別・抑圧問題を「超階級的に」とらえることの誤りを指摘。プロレタリア革命が一挙的な意識変革をかちとる過程であり、労働者の自己変革は資本との闘いのなかでこそ始まること、そこから逃げて被抑圧・被差別人民との連帯はありえないことを明確にした。第2の核心点として、レーニン主義世界革命論の復権を11月集会の国境を越えた団結の回復として、具体的に実践してきたことを明らかにした。最後に、血債主義・糾弾主義との徹底した闘争を断固やり抜き、プロレタリアートの階級的国際的団結を闘いとっていくことを訴えて締めくくり、全参加者は圧倒的拍手で坂本同志の提起をわがものとした。
 集会後半は4大産別を先頭とする労働者同志とマル青労同、マル学同の同志の決意表明。総勢17人の発言は圧巻だった。最初に教労委員会の同志たち。血債主義を粉砕した教労の同志たちは自己解放の主体として晴れ晴れとした表情で登壇。今春不起立闘争を「階級的団結を固め、職場の仲間の決起をかちとるものとして闘う」と鮮明な決意を表明。国鉄委員会の同志は、「分割・民営化体制は崩壊した。革命をめざす労働者が職場を支配することだ」と述べ、平成採獲得と1047名闘争の勝利へ第2次国鉄決戦を闘う決意を述べた。
 マル青労同の5人の同志が「不起立は革命をめざす宣言だ」「職場の仲間と組合をつくる」「動労千葉の反合・運転保安闘争を手本に医療労働者は闘う」「自分が職場で闘うことから革命が始まる」「新しい同志を獲得してここに来た」と次々に発言。マル学同広大支部から2名の同志が「塩川一派、血債主義・糾弾主義との闘いは労働者の階級的団結をめぐる闘い」「自治会再建を労働者解放・人間解放の闘いとしてかちとる」と決意を表明。岡山大支部の新たな同志が「僕は革命やりたい」とストレートな思いを語った。
 最後に司会の青年労働者が、3・16を頂点とする2〜3月決戦への総決起を訴え、団結ガンバローとインターナショナル合唱で締めくくった。
 集会では反戦被爆者の会の大槻泰生さん(メッセージ)、被爆者青年同盟の中島健委員長、動労西日本から連帯あいさつを受け、徳島と広島の星野文昭さんを救う会から星野同志奪還の熱烈なアピールが発せられた。会場カンパはこれまでで最大の額が寄せられた。中四国革共同集会は、階級的労働運動路線と7月テーゼでの強固な一致の下、党と階級の団結を圧倒的にうち固める場となり、大成功した。
(写真 坂本同志の「労働者の自己変革は資本との闘いの中でこそ始まる」の訴えに職場闘争の決意を固めた【1月27日 広島】)

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