ZENSHIN 2006/08/14(No2258 p10)

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週刊『前進』(2258号7面1)(2006/08/14)

 11月1万人総決起へ

 戦争・改憲と民営化の攻撃に6千万労働者の怒りの反乱を

 革共同政治局の特別アピール

国会闘争の大衆的高揚が教基法改悪と共謀罪を阻止した(5月26日)

 はじめに

 06年前半の全世界での巨大な闘いの高揚は、21世紀プロレタリア革命の胎動を告げ知らせている。帝国主義は体制的に破産し、腐り果て、その基本的延命を極限的な搾取・抑圧と世界戦争に求めようとしている。この帝国主義を打倒すること、ここに唯一、人類史の未来がある。そう自覚し、決意する労働者階級、被抑圧人民の自己解放的決起と反乱が全世界に巻き起こっている。帝国主義が帝国主義であるかぎり、この労働者階級人民の決起をおしとどめることはできない。20世紀には達成しえなかったプロレタリア世界革命を現実に完遂していく革命的情勢が今、急速に成熟し、広がっている。
 この帝国主義との〈決戦〉の帰趨(きすう)を握るのは、帝国主義本国のプロレタリアートの組織された革命的行動であり、団結である。日本における06年の11月1万人決起は、世界と日本の労働者階級人民の地鳴りのような怒りを結集させ、あらゆる搾取・収奪、弾圧を打ち破り、希望と解放の道を組織し、指し示す闘いである。
 この11月1万人決起を、革共同は、労働者階級とともに闘いぬく。すべてをかけて11月へ、11月へ! 労働者自己解放の思想と実践を貫徹し、自己変革と自己飛躍のかぎりをつくし、そのもてる情熱、英知を注ぎ込もうではないか。とりわけ青年労働者・学生の爆発的総決起のために、渾身(こんしん)の闘いをやりぬこう。

 第1章 改憲阻止決戦への歴史的突入

 06年前半の闘いの総括の核心は、改憲阻止決戦への革命的突入をかちとったということである。とりわけ1〜3月の4大産別決戦の死闘をかちぬくことで、改憲阻止闘争を労働者階級の階級決戦としておしあげ、4大産別決戦と改憲阻止決戦が完全に生きた結合をかちとったということである。
 この戦略的な力が、5〜6月の国会攻防で、共謀罪、国民投票法案、教育基本法改悪案などを継続審議に追い込んだ。もとより継続審議になったことは、より厳しく激しい激突を不可避とする。だが、なおかつ階級的力関係のひとつの変動をもたらしたことは、やはり大きなことである。小泉が昨年衆院選で議席の3分の2を独占し、そのことをテコにブルジョア独裁と強権のかぎりを尽くそうとしたにもかかわらず、それが思いどおりとはならない状況をつくりだしたのである。
 これはまさしく、レーニンの言う革命的情勢の徴候の一端を示す重大な事態である。レーニンは『第二インタナショナルの崩壊』(レーニン全集第21巻)において、「革命的情勢の徴候」として次の3点を挙げている。
 @「支配階級にとっては、いままでどおりの形で、その支配を維持することが不可能なこと。『上層』のあれこれの危機、支配階級の政策の危機が、割れ目をつくりだし、そこから、被抑圧階級の不満と激昂(げっこう)がやぶれ出ること。革命が到来するには、通常、『下層』がこれまでどおりに生活することを『のぞまない』だけではたりない。さらに、『上層』が、これまでどおりに生活していくことが『できない』ことが必要である」
 A「被抑圧階級の欠乏と困窮が普通以上に激化すること」
 B「右の諸原因によって、大衆の活動性がいちじるしくたかまること。大衆は、『平和』の時代にはおとなしく略奪されるままになっているが、あらしの時代には、危機の環境全体によっても、また『上層』そのものによっても、自主的な歴史的行動に引きいれられる」
 このレーニンの叙述から、06年前半の闘いの総括をつかむことができる。

 労働者の窮乏が激化

 第一に、05年から06年への過程で時代と階級の深部に何が起きているかということだ。それは6000万労働者階級の貧困と窮乏が「普通以上に激化」し、その積もりに積もった怒りが広く深く蓄積され、それが今やせきを切ってあふれ出ようとしていることである。日帝・小泉の「構造改革」などの諸攻撃によって生活と生存が根底的に脅かされた労働者階級の耐えがたい怒りが、マグマのように渦巻いている。それは、日本労働者階級に襲いかかってきた資本攻勢の歴史的な蓄積に対する根源的な怒りである。
 重大なのは、この「不満」と怒りがついにやむにやまれぬ決起、反乱になっていることである。労働者階級の貧困と窮乏が激化し、これまでどおりやっていけなくなり、それが決定的な行動に向かっているのである。
 さらにそこには、日帝支配階級の9条改憲攻撃への踏み切りや、米軍再編による沖縄基地強化と日米安保体制強化などの恐るべき戦争攻撃への、6000万全体からわきあがる激しい危機感の噴出がある。今始まっていることは、帝国主義の戦争攻撃と資本攻勢という二つの攻撃への大反撃の開始である。そして決定的なのは、その中軸に青年労働者が存在していることだ。青年労働者にとって、この戦争攻撃と生活・生存への攻撃は、より緊密であり、より一体であり、その怒りはより激しいと言わなければならない。
 この地殻変動的変化は、全世界においても激しく進行している。決定的なのは01年9・11以来のムスリム・被抑圧人民の決起に始まる国際階級闘争の高揚が、イラク反戦闘争の広がりを経て、戦後帝国主義体制へのほかならぬ帝国主義国プロレタリアートの決起・反乱となっていることである。フランスは雇用、イギリスは年金、アメリカは移民法、そして日本においては憲法が焦点だ。そこには戦争と民営化、労組破壊への総反撃という普遍的で共通の課題が貫かれている。しかも決起の主体は青年労働者と学生である。
 ここで特筆すべきは、韓国の民主労総の闘いである。それは帝国主義国プロレタリアートへの限りない連帯とともに、「非正規雇用」問題を焦点にしつつ、今日の資本攻勢との対決、戦争と民営化・労組破壊攻撃との対決においてきわめて戦闘的・階級的で創造的な闘いを貫いている。

 4大産別決戦の前進

 第二に、4大産別決戦が、国際階級闘争の発展に呼応し、6000万労働者階級の怒りの先頭に立って前進していることである。言い換えれば、6000万の地の底からの決起として4大産別決戦が闘われていることである。
 ここには、戦後革命期以来、50年代から60年代、70年代と、戦後労働運動を営々と闘い、継承してきた日本労働者階級の戦闘的苦闘の一切をかけた根底的な怒りの決起がある。特に80年代の国鉄分割・民営化以降、95年日経連報告から小泉・奥田路線に行きつく過程で、支配階級は全階級への攻撃の焦点に4大産別をすえて、激しい攻撃を加えてきている。4大産別に今なお戦後労働運動の階級性が脈打ち、かつ国家機構内の労働組合として現存していることは、日帝にとって絶対に許せないことなのだ。4大産別の労働者はこれに断じて屈服することなく、不屈の歴史的総反撃に打って出ている。
 動労千葉(国鉄千葉動力車労働組合)の闘いは、この動と反動の激突の中で、その団結の力をもって、この歴史的総反撃の拠点になっている。動労千葉は、戦後労働運動の絶滅を狙う国鉄分割・民営化に対して2波のストライキをもって唯一、反撃を行った。さらにこれを期に90年代以降、激化の一途をたどった資本攻勢に真っ向からストライキ闘争を対置し、4大産別の闘いの炎を懸命に燃え続けさせ、戦後労働運動の戦闘的流れを継承・発展させてきたのである。
 その闘いには、戦後労働運動の歴史の全蓄積と、それをさらにのりこえるものがはらまれている。また今日的には、6000万労働者階級全体の怒りをその最先端で体現するものとなっている。
 とくに職場生産点における反合・運転保安闘争こそその象徴である。それは安全問題という、利潤追求を至上とする帝国主義の最大の破綻(はたん)点・矛盾点を、職場を拠点に団結をもって暴き、その弱点を徹底的に攻めぬき、ついには帝国主義・資本主義の土台を揺るがし、労働者の怒りを勝利に大きく転じていく決定的闘いである。またこの職場生産点における闘いの勝利性は、安全闘争を反合理化闘争という攻勢に転ずることによって可能となっていることに重大な意義がある。
 06年前半の「日の丸・君が代」決戦もまた、職場生産点において不起立闘争を貫く闘いとして不屈の継続・発展をかちとった。「日の丸・君が代」闘争の絶滅と日教組解体を狙う歴史的大攻撃に対して、逆にこれを敵の破綻点に転化して闘いぬいている。そして都教委の03年10・23通達に始まる日帝国家権力の総力をあげた大攻撃を完全に無力化させたのである。それは動労千葉の闘いが示した勝利性をさらに確信させ、拡大するものであり、その根源的力をもって、教基法改悪阻止・9条改憲阻止闘争を階級決戦として決定的に押し上げていくものとなった。
 この二つの闘いを先端中の先端にして、4大産別全体の闘いが大きく発展していった。

 既成指導部のりこえ

 第三に、このような4大産別の闘いの前進は、6000万労働者の前に立ちはだかり、その怒りを抑えこみ続けてきた連合・全労連などの既成労働組合指導部の壁を、ついに根底から打ち破ってかちとられている。
 最も決定的なのは、1〜2月における自治労、日教組、JPU(全逓)の各臨時大会・中央委で、連合の改憲勢力化の策動を阻んだことである。
 1・19連合中執決定は、連合の「9条改憲支持」への転換が逆に連合内の総反乱となることへの恐怖から、「国民投票法案賛成」という形で改憲勢力化を進めようとする許しがたい策動である。同時にこの策動と一体で、小泉の公務員制度改革を受け入れ、戦争・改憲・規制緩和・民営化と労組破壊の大攻撃に、連合700万を差し出そうとする大裏切りである。
 しかし、このプロセスそのものが連合そのものの歴史的危機と破綻をさらすものだ。今や連合こそ日帝の労働者支配の弱点、破綻点を形成している。
 もともと連合は、国鉄分割・民営化による国労絶滅攻撃をとおした総評解体をもって結成された。89年連合結成こそ、日帝の労働者支配の結節環をなすものであった。だが国鉄分割・民営化は、1047名闘争という歴史的な解雇撤回闘争を逆に生み出した。その結果、連合の結成と同時にその破産をあらかじめ決定的に刻印するものとなった。このような連合の矛盾・破綻を強制したものこそ、まさに動労千葉の分割・民営化反対闘争である。この闘いこそが、本来であれば解体された4大産別を存続させ、今なお改憲勢力化を阻んでいる原動力である。
 そして4大産別の先頭の国鉄戦線において、1047名闘争が不屈に闘いぬかれていること、その先端に動労千葉が存在していることによって、連合を先兵とした日帝の労働者支配はすでに完全に破綻しているのだ。
 だがこの連合支配の崩壊は、多くの労働者が巨大な怒りをもちながら、「労働者の党喪失、組合喪失」にあえぎ、出口を求めていることをも意味する。この情勢は、革命的共産主義運動が、労働者階級にとことん根ざした真の労働者党に生まれ変わり、真の階級的労働組合の指導部へと自己を変革していく以外に打開できない。
 今こそ、わが革共同が4大産別を始めとする6000万労働者階級の中に深く入り、すべての闘う労働者とともに、あらゆる職場に階級的労働運動を徹底的に組織し、団結をつくり、獲得していくことが、命がけの闘いとなっているのだ。動労千葉を中軸として、労働運動の新たな巨大な潮流の本格的で待ったなしの形成をかちとる11月1万人決起こそ、まさにその歴史的回答となるのである。

 通常国会闘争の爆発

 第四に、今や日本階級闘争の正面に完全に押し上がった改憲阻止決戦は、通常国会をめぐる決戦として爆発した。通常国会で小泉は、行革推進法、市場化テスト法の成立を絶対的課題にしつつ、改憲への外堀を埋める諸法案の強行に打って出た。だが06年前半の4大産別決戦を先頭とする労働者階級の力は、共謀罪、教育基本法改悪、国民投票法案などの強行を押し返し、継続審議に追い込んだのである。
 ここで決定的なのは共謀罪をめぐる攻防である。共謀罪は現代の「治安維持法」である。日帝は現在、迎賓館・横田爆取デッチあげ弾圧裁判控訴審での一審無罪破棄=差し戻しの反動判決に示されるように、戦後の法体系をも解体する治安政策の反動的大転換に打って出ている。共謀罪攻撃は、まさに改憲攻撃そのものだ。同時に労働運動への「団結禁止法」である。
 共謀罪反対の数年間の先進的運動の蓄積の上に闘われた今国会闘争は、全日建運輸連帯労組関西生コン支部、全国金属機械港合同、動労千葉という最も戦闘的な労働組合の決起と合流によって、共謀罪阻止を労働運動の課題に押し上げた。さらにこの労働組合の決起は、教育基本法改悪をめぐる国会攻防に波及し、日教組を始め4大産別の労働者の現場からの決起の契機ともなった。
 帝国主義の戦時下の治安弾圧への踏み込みは、労働者支配の徹底的な貫徹をとおして成り立つ。共謀罪がどんなにすさまじい弾圧法であっても、それが労働者階級の団結と決起を引き起こすならば無力となるのだ。そればかりではない。日本階級闘争において、戦後的階級関係の根本的な転覆をしないままに労働者階級との決戦という革命的激動に突入することは、日帝の政治支配全体の重大な危機に転化する。これに日帝・小泉は根底的に恐怖したのである。
 さらに、今国会決戦の帰趨を決する上できわめて重要な位置を占めていたのは、米軍再編とそのもとでの沖縄基地強化に始まる日米安保の恐るべき質的転換に対する闘いの爆発である。とりわけ3・5、5・15を頂点に、辺野古V字形滑走路の新基地建設を許さない沖縄人民の闘いが高まる中で、新たな安保・沖縄闘争が労働者階級の闘いとして高揚していることである。この沖縄現地を先頭に、座間・横須賀、岩国など全国各地で米軍再編反対の闘いが発展し、三里塚闘争、北富士闘争が不屈に闘いぬかれている。そこにはやはり革命のヒドラが宿り、これが日帝を大きく追いつめたのである。
 この国会攻防の中で、民主党・小沢の登場は重大である。小沢は、小泉及び小泉後継政権下の自民党への「対決戦略」をもって登場しているが、その階級的本質は、戦争・改憲に向かう帝国主義の激しい危機がもたらす支配階級の分裂としてある。まさに、革命的情勢における「上層」の危機がもたらす支配階級の亀裂なのである。それは労働者階級の自主的な歴史的行動への決起を決定的に促すものだ。今秋臨時国会決戦に総決起しよう。
 5〜6月攻防において、関西の5月泉佐野選挙で国賀祥司氏の上位当選をかちとり、革命的議会主義の新たな地平をかちとった。今日、新指導路線の前進の中で労働組合運動を革命論的に位置づけ、その実践をかちとっているが、これと一体で革命的議会主義の変革的取り組みが求められている。労働者細胞の建設において革命的議員の果たす役割は決定的である。07年の統一地方選挙を改憲決戦の決定的一環として、大政治決戦として闘いぬこう。

 最前線に青年と学生

 第五に、06年前半の決戦を切り開いた最深の力は、ついに日本階級闘争の最前線に躍り出た青年労働者・学生の闘いである。
 今日、全世界・日本において、青年労働者の決起が澎湃(ほうはい)とわきあがっている。マルクス主義青年労働者同盟は、昨年の第2回大会をかちとった地平を踏まえ、動労千葉労働運動とマルクス主義の実践をかけて職場闘争の苦闘をかちぬいている。戦争・改憲・民営化・労組破壊に敢然として立ち向かい、連合支配を完全に打ち破るのは青年労働者の決起である。
 改憲阻止決戦の火蓋(ひぶた)を切った06年前半情勢において、特筆すべきは、青年労働者とともに、全国学生運動の60年、70年をこえる台頭が始まったことである。
 改憲攻撃の先端に位置する学生運動圧殺、侵略大学への変質攻撃に対し、法大キャンパスを先頭にして歴史的大反撃が始まった。日帝権力と法大当局一体となった3度にわたる大弾圧とのべ37人の逮捕、さらには「退学処分」「停学処分」の強行のことごとくを全学的決起に転じた。法大キャンパスは今現在、3万学生の嵐のような実力反撃・ストライキへと発展しようとしている。6・15の1千人決起が示したように、怒りのマグマは、日本学生運動の歴史的拠点である法政大学を、改憲阻止・日帝打倒の砦(とりで)に変えようとしている。
 法大決戦でのあいつぐ逮捕攻撃を完黙・非転向の闘いで粉砕した全国の学生は、大学自治会権力の大衆的樹立を次々と戦取している。
 法大決戦の革命的息吹が全国の拠点大学に波及し、300万学生をとらえようとしている。
 そして、こうした大学キャンパスでの自己解放的、躍動的闘いが、21世紀のマルクス主義学生同盟建設の新しい転換と飛躍をかちとり、マル学同が一挙に拡大していく激動的発展過程に突入した。動労千葉労働運動が6000万プロレタリアートをとらえつつあることと時を同じくして、法大決戦が300万学生の心をとらえ、改憲・戦争への根源的怒りとマルクス主義で大学を革命の砦としてうち固めるためのイデオロギー的・実践的基盤をつくりだしている。全世界の学生・青年の嵐のような帝国主義打倒の決起の先頭に、300万学生の改憲阻止ゼネストがうちたてられようとしているのだ。
 06年前半期は、このような青年労働者・学生の素晴らしい決起を先頭にして、党と階級の陣形が、06年〜07年決戦を勝ちぬいてプロレタリア革命へと一直線に進撃していく重大な戦略的拠点を構築することができた、とはっきり確信することができるのである。

 第2章 帝国主義の危機と戦争・民営化

 (1)レバノンへの侵略戦争拡大と世界戦争の危機

 帝国主義の基本矛盾が新たな帝国主義世界戦争として爆発するプロセスが始まっている。米帝ブッシュのイラク侵略戦争突入から3年以上が経過した。米帝のイラク軍事占領は今や完全に破綻し、泥沼化し、逆に米軍がイラクからたたき出されかねない情勢さえ迎えている。
 米帝はこの危機打開のために、今日、イスラエルを先兵にして、パレスチナのハマス政権破壊やレバノンのヒズボラ壊滅を狙った中東での侵略戦争の一挙的拡大に踏み切った。さらに、イランへの侵略戦争発動をも明白に狙って動き出している。
 米帝は他方で、北朝鮮のミサイル発射実験を絶好の口実として、日帝とともに北朝鮮への侵略戦争発動を狙った策動を開始した。それは北朝鮮スターリン主義政権の転覆にとどまらず、朝鮮半島全域の帝国主義による軍事占領と再支配を狙う新たな朝鮮侵略戦争策動であり、さらには対中国の戦争をも狙うものである。
 だがそれは、米帝の思惑どおりにはいかない。米帝の世界支配の一層の破綻は不可避である。そしてそれは米帝自身の国内危機の大爆発、ドル暴落と世界恐慌、世界経済の分裂化・ブロック化に一挙に拍車をかけるものとならずにはおかない。そうであればあるほど米帝は、帝国主義としての延命をかけて一層の侵略戦争・世界戦争政策にのめり込み、そこに全世界をひきずり込んでいく。これを阻止するには、もはや労働者階級による帝国主義の打倒以外ない。そうした時代が今や完全に始まった。
 この米帝の世界戦争への突進を支えている最大のものが日米同盟である。日帝は今日、米帝との間に日米枢軸を深々と形成し、米帝と一体となって海外への侵略出兵にのりだすことをテコに、9条改憲と戦争国家化への扉を力ずくでこじあけようとしている。米帝はこの日帝を米帝・米軍のもとに全面的に動員し、とりわけ沖縄を始めとする在日米軍基地を、米軍再編のもとでこれまで以上にアジアや中東に展開する米軍の最重要の戦略的出撃拠点とすることで、その世界戦争政策を貫こうとしているのだ。
 6月29日の日米首脳会談と、そこでの「新世紀の日米同盟」と題する共同文書の発表は、この日米枢軸を全世界に宣言するものであった。ここで日帝・小泉は、この数年間の日米同盟の規定である「同じ価値観の共有」に、さらに「共通の利益」という規定を加えて日米安保を大エスカレーションさせた。「反テロや人権」を「共通の利益」として掲げ、日米軍事同盟のもとでイラク軍事占領やレバノン、イランへの侵略戦争を遂行し、とくに北朝鮮・中国侵略戦争の発動に突き進むことがここで宣言されたのだ。実に恐るべきことである。
 この新日米同盟は、これ自体が北朝鮮への激しい戦争挑発であり、事実上の宣戦布告にも等しいものだ。このことが、すさまじい戦争重圧を北朝鮮に加えるものとなったのだ。
 このことは、日帝による改憲攻撃への歴史的踏み切りと一体である。しかも単に、9条改憲が達成されてから戦争に向かうというのではない。まさに現実の戦争に突入していく中で、そのことをもテコにして改憲を暴力的に強行していく状況をつくりだそうとするものだ。改憲は戦争の道であるが、現実の戦争攻撃が9条改憲を可能にするのだ。
 実際に、国連安保理での北朝鮮非難決議の採択に際して、米帝以上に突出し、率先して制裁=戦争発動を策動したのは日帝である。小泉政権の中からは、小泉の後継者を狙う安倍官房長官を筆頭に、「敵の基地を攻撃する能力をもつべきだ」という声が一斉に上がっている。これは、ミサイルが飛んでくる前に北朝鮮の基地に先制攻撃をしかけろというものだ。9条の完全な破棄を求める恐るべき発言だ。
 こうした侵略戦争へのむきだしの扇動が、愛国主義・排外主義・国家主義・差別主義の大洪水と一体となって襲いかかっている中に、9条改憲への日帝の非常な焦りが示されている。わが革共同の「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」の総路線の実践が、今や待ったなしに問われていると言わなくてはならない。

 (2)「骨太方針Y」は小泉の構造改革路線の“集大成”

 小泉政権が7月7日に閣議決定した「骨太方針Y」の核心は、それが最大の改憲攻撃だということにある。日帝の改憲攻撃とは、帝国主義の最弱の環からの突破をかけた攻撃だ。小泉構造改革とは、破局的な財政危機と世界戦争への無準備にあえぐ日帝が、9条改憲=戦争国家化への突進と同時に、一切の矛盾を労働者階級の極限的な犠牲に転嫁して延命するための国家と社会の大改造攻撃である。今回の「骨太方針Y」は、まさにその集大成だ。
 そこでは「歳入・歳出一体改革」を掲げ、歳入増・歳出減合わせて16・5兆円の「改革」をめざしている。日帝自らが招いた恐るべき財政危機を、このような規模をもって労働者階級に犠牲転嫁し、生活と生存を破壊しようとするものである。同時に規制緩和・民営化攻撃を全面的に進め、これらに対する抵抗を鎮圧するために労働組合破壊を推し進めるものだ。
 まず第一に、「新たな挑戦の10年」をうたい、@「新たな成長の芽」のチャンスをつかむこと、A「わが国固有の困難」の克服、B新たな不均衡の克服を「三つの挑戦」として打ち出している。この「挑戦」こそ、まさに侵略帝国主義への転換でなくてなんであろうか。
 「新たな成長の芽」とは、東アジア経済圏構想の推進だ。いまひとつはリストラ、首切り、不安定雇用化政策のさらに徹底的で大々的な推進である。すなわち「外への侵略戦争と内への階級戦争」を推し進めることを、侵略帝国主義への飛躍の「チャンス」として呼号しているのだ。「固有の困難」とは、財政赤字の累乗化の重圧(1000兆円)や帝国主義間争闘戦の激化に対する危機感と、その突破を叫ぶものである。「新たな不均衡の克服」とは、資本攻勢がもたらす「格差社会」などの階級矛盾、階級対立の激化の現実の突破を強弁している。
 さらに、この三つの「挑戦」を行うために、それぞれに対応した〈三つの優先課題〉として、@「成長力・競争力の強化」A「財政健全化」B「安全・安心で柔軟かつ多様な社会の実現」をあげている。とくに「歳入・歳出一体改革」で「2010年代初頭における基礎的財政収支の黒字化を達成する」としている。
 重大なのは、「国際競争力の強化」をまず掲げていることだ。ここでは、アジア侵略すなわち「東アジア経済圏の構築」を死活的なものとしてすえて、そのための国内階級支配の要として「人財立国」の実現を掲げ、教基法改悪攻撃を推進することが強調されている。いまひとつは、「成長力(競争力)の強化と財政健全化は車の両輪」と言っていることである。すなわち国際競争力強化と、「歳入・歳出一体改革」は完全に一体であること。これを「骨太方針Y」の基調として打ち出しているのだ。
 この「財政健全化」とは、「聖域なき歳出削減」で、郵政民営化攻撃を先端にして、社会保障支出の削減、失業給付の国庫負担廃止、生活保護削減、介護保険制度の改悪など生活レベルの切り捨て的削減をどしどし強行するものである。また地方公務員の定員削減5・7%、三位一体改革とくに地方交付税交付金の削減、公務員人件費の大幅削減、教員給与削減などを強行しつつ、行政改革推進法、市場化テスト法による民営化攻撃を推し進め、労働組合解体を図ろうとしている。
 決定的なのは、「歳入改革」として消費税増税など大増税を明白に策動していることだ。さらに、「安全・安心の確保と柔軟で多様な社会の実現」とは、すさまじい階級攻撃を意味する。まず「持続可能な社会保障制度の構築」を強調し、医療制度改悪や年金改悪を進めようとしている。また「多様な社会の仕組みの構築」「働き方の複線化」と称して労働契約法制導入による労働法制改悪の全面推進を叫び、「格差社会」を一層推進しようとしている。
 さらに「治安対策」「テロ対策」を打ち出し、有事体制の発動と「国民保護計画」の推進をうたっている。
 「骨太方針Y」はこのように、そのすべてが戦争国家への大改造の攻撃そのものである。そこには同時に労働組合破壊が徹底して貫かれている。したがってこの大攻撃は、労働者階級の団結と決起、抵抗と反乱があるならば必ず破産する。
 こうした中で高木・連合は小沢・民主党との一体化の動きを強めている。来年7月参院選の「政権交代」に一切を注ぎ込むことで、高まる労働者の怒りをそらし、抑え込もうとしているのだ。自治労本部や日教組本部の民主党候補支持一本化は、自治労、日教組の改憲勢力化、反動的変質を一挙に進行させる策動である。
 今日の改憲・戦争と労働者階級の生活・生存の破壊が一体となった大攻撃をうちやぶるものは、11月1万人結集の労働者階級の団結力以外にない。職場闘争を闘い、帝国主義打倒をよびかけ、愛国主義・国家主義・排外主義粉砕を訴えることだ。労働者階級の怒りの広さと深さに無限の確信をもち、この怒りを行動に転化するために、今こそ全力をつくして闘おう。

 第3章 新指導路線実践し11月決起へ

 (1)動労千葉の労働運動の歴史と闘いから学ぼう

 帝国主義による世界戦争を労働者階級による世界革命に転化していく疾風怒濤(どとう)の時代が到来している。人類史におびただしい抑圧、搾取、災厄、犠牲をもたらした帝国主義・資本主義を打倒するため、労働者階級の飛躍的台頭が今こそ、どんな困難をもこえて求められている。
 11月1万人決起へ、さらには06〜07年階級決戦を、新指導路線の徹底的な実践・貫徹として闘いぬこう。この新指導路線の実践とは抽象的なものではなく、何よりも動労千葉の闘いとその歴史に、労働運動的実践における労働者の獲得と組織化の生きた指針と回答を見出して闘うことである。端的に言えば、動労千葉が、闘うことによって実証している労働運動の戦闘性、原則性、階級性、そして団結の意義を実践的に徹底的に学ぶことである。
 第一に、何よりも動労千葉は、その存在と闘い、その思想と路線、団結によって日本プロレタリアートの勝利性を実証し、切り開いている。
 動労千葉は、70年闘争の激動の中で誕生し、三里塚農民との連帯と、反合・運転保安闘争を軸とする職場闘争により、その階級性を確立・強化し、また動労カクマルとの熾烈(しれつ)な党派闘争と組織攻防戦にかちぬき分離・独立をかちとった。さらにその階級性・戦闘性の一切をかけて、戦後最大の階級的大攻撃である国鉄分割・民営化攻撃に対して、2波のストライキなどの壮絶な闘いを貫徹した。またこの死闘から生き残るだけではなく、今なおストライキ闘争に決起し、改憲・戦争攻撃、規制緩和・民営化攻撃と闘い、1047名闘争を根底において守りぬいてきた。
 この動労千葉の労働運動は、社会民主主義やスターリン主義、カクマルなどの、労働者階級への蔑視(べっし)と絶望の思想と路線の破産を突きつけ、労働者自己解放への無限の確信が切り開く真のマルクス主義の思想と路線の勝利性を歴史的に実証した。それは、ソ連スターリン主義崩壊後の現代世界において、マルクス主義の歴史的復権、再生を実践的に果たす意義をもっているのだ。この動労千葉の闘いは、国際労働運動に強い影響と大きな感銘をもたらしている。
 この動労千葉による労働者自己解放の思想と路線の勝利性こそ、新指導路線を成立させた根拠と確信である。この路線をどこまでも貫くことがプロレタリア革命勝利への道である。
 第二に、動労千葉労働運動における職場闘争の実践の全階級的な決定的意義である。この点で中野洋著『俺たちは鉄路に生きる2』の中に生き生きと語られている運動組織論を徹底的に学ばなければならない。
 職場闘争とは、プロレタリア自己解放の闘いそのものである。労働者階級は自己の労働力を労働力商品として販売し、「賃労働と資本」の関係の中で資本の賃金奴隷として働く以外に生きられない階級として世界史的に生み出された階級である。職場生産点は賃労働と資本の関係の日常的な再生産の場であり、それゆえにプロレタリア自己解放の発揚の日常的な出発点をなす。そこからプロレタリア的団結が培われ、ひいては労働組合運動をとおしてプロレタリア独裁の思想と実践の錬磨と訓練の場となっていくのである。
 動労千葉の職場闘争は、その日々の闘いによって、プロレタリア自己解放の思想と実践を、日常的に育まれた組合員の「信頼と団結」として体現している。その信頼と団結は一個の規範にまで高まっている。
 また動労千葉の職場闘争は、職場支配権をめぐる闘いであり、激しい党派闘争である。そこには「資本に対する怒り、組合ダラ幹に対する怒りと、組合権力を獲得する目的意識性」が貫かれている。動労千葉にとって、JR資本やそれと結託したJR総連カクマルや、闘いを裏切る国労本部などへの日常的な怒りと激しい党派闘争、職場権力の獲得は、プロレタリア自己解放闘争という党派性、路線性の体現なのである。
 動労千葉の闘いの軌跡は、闘いの多くは一人の闘いから始まるが、失敗を恐れず不屈に闘いぬくならば、それは必ず団結をつくり、その団結で多数を獲得することができることを示している。このようにして職場闘争がつくりだす組合の階級的団結の拡大は、必然的にその先頭に立つ献身的・意識的な活動家集団を生み出す。こうして職場闘争は政治経済闘争の砦となる。同時に職場闘争の発展は、職場細胞建設のプロセスそのものとなるのである。
 第三に、新指導路線の実践としての動労千葉労働運動を見たとき、職場闘争における経済闘争の位置は決定的である。
 その場合、まず前提的には、職場闘争とは、政治闘争・経済闘争・理論闘争を一体的に展開していく闘いだということである。その上で、労働運動が労働組合を軸点に展開される以上、経済闘争を圧倒的に重視しなければ成り立たないということである。
 マルクスの『賃金・価格・利潤』では、労働者階級が賃上げ闘争を闘い抜きつつ、同時に究極的には賃金奴隷制の鉄鎖を断ち切っていくという革命的立場から、経済闘争をプロレタリアートの団結論として総括していくことを提起している。その意味では、経済闘争そのものがプロレタリア自己解放闘争なのである。
 そもそも今日の資本攻勢のもとで職場闘争・経済闘争を闘うことは、24時間・365日の死闘であり、激しい党派闘争であり、なまやさしいことではない。動労千葉の反合・運転保安闘争は経済闘争だが、それ自体が資本との死活をかけた決戦であり、労働組合の日々の存続がかかっている大変な闘いである。闘えば闘うほどそうした労働者・労働組合の圧殺に死活をかけてのりだしてくる敵との闘い、本質的には侵略戦争を内乱へ転化する労働者党の基本細胞が生産点に根づくことを許さない攻撃との激突となる。この攻防に動労千葉は、まさに日常的に勝ちぬいているのである。
 このように、経済闘争そのものを死力を尽くして闘うとともに、それ自身が改憲阻止の闘いと直結していることを自覚しつつ、同時に改憲闘争そのものも徹底的に闘いぬくのだ。労働者階級は本来、直接的に政治闘争に決起する階級的本質と能力をもっている存在である。動労千葉こそ、この労働者階級の力を全面的に発揮し、4大産別決戦と改憲決戦を結合して闘うことのできる内実を日々獲得して、今日の階級決戦の先頭に立っているのである。
 第四に、こうした闘いを貫いているからこそ、動労千葉は、今日の国際階級闘争の新たな世界史的高揚の中で、帝国主義打倒・プロレタリア世界革命へ向けた労働者階級の国際的な団結をかちとる中心軸となろうとしているのだ。一昨年、昨年の11月労働者集会に示された日米韓労働者の国際連帯の力強い前進と高揚、さらに韓国・民主労総の闘いと動労千葉との合流は、そのことをはっきりと示している。今秋11月を、動労千葉とともに国際連帯の一層の発展を闘いとる場としよう。

 3労組共闘の意義

 ここで、動労千葉の階級的意義を確認する時、動労千葉とともに闘う労働組合の新たな潮流をつくりだそうとする関西地区生コン支部と港合同の実践からも徹底的に学ばなければならない。この2組合が、国鉄闘争をともに闘う立場から動労千葉と共闘し、11月集会をともに主催してきたこと、さらに今日、3労組共闘が新たな発展をとげようとしていることに、革共同は心底から敬意を払うものである。
 関西地区生コン支部は、産業政策闘争という独特の団結形態でゼネコン大資本に立ち向かい、同時に「シャブコン」という利潤第一・安全無視と対決し、安全闘争についても独自の領域を切り開いている。その団結の中から反戦闘争・政治闘争を闘いぬいてきた。この闘いの前進に恐怖した日帝権力による武委員長を始めとした執行部への大弾圧を打ち破って、共謀罪闘争に決起し、その戦闘性と階級性をいかんなく発揮しているのである。
 港合同の比類なき戦闘的職場闘争は、倒産攻撃に団結権をもって対決・対峙し、打ち破り、自主生産をもって団結権を維持・防衛している。さらには労働基本権・団結権の死守を掲げ、「企業の塀をこえて」地域における非正規労働者の組織化を営々と闘いぬいている。合同労組運動において、特に膨大な非正規雇用労働者との関係をどのように闘争論化し、また労働組合を自らつくりだしていくかという点で、港合同の経験は重要である。
 さらに、「一人の首切りも許さない」を掲げて34年に及ぶ闘いを貫き、完全勝利をかちとった全金本山の闘いも、労働組合の原点を照らし出す闘いだ。これらの闘いに学び、大いに実践することが求められている。

 (2)9条改憲阻止へ労働者階級こそが決起しよう

 11月1万人決起は、何よりも改憲阻止への日本労働者階級の総力を挙げた決起である。
 憲法闘争は、9条改憲阻止を中心スローガンとして闘われる。このスローガンには、日本労働者階級人民の「二度と日本帝国主義の侵略戦争を許さない」という圧倒的な大衆性と根源的な階級性が込められている。
 日帝ブルジョアジーは、当面、9条改憲の突破にすべてをかけている。日帝は今、戦争放棄と戦力不保持・交戦権否認を宣言した憲法9条を解体して、敗戦帝国主義から侵略帝国主義へと国家の統治形態を原理的に転換し、帝国主義侵略戦争・世界戦争の道に突進しようとしている。
 自民党新憲法草案は「改憲」ではなく「新憲法」を打ち出している。それは「戦争をする国」へと国と社会の基本的あり方を根底から覆す攻撃だ。そこでは現行憲法の「戦争放棄」を「安全保障」に変え、9条2項の「戦力不保持と交戦権否認」を撤廃し、「自衛軍の保持」を規定している。
 そもそも帝国主義戦争はすべて「自衛」の名で行われてきた。9条2項の撤廃は、パリ不戦条約で「自衛のための戦争」を禁止対象から外したように、「国家の自衛権」が大手をふってまかりとおった第2次世界大戦への道に再び日帝が踏み出すことだ。安倍、石原などは、日帝がかつてアジア人民2000万人を虐殺し、日本人民310万人を犠牲にした戦争を今なお、「自衛戦争」であり「必要な戦争」だったとのたまっている。イラク侵略戦争も、イスラエルを先兵としたパレスチナ・レバノン侵略戦争も、米日帝が新たに策動している朝鮮・中国侵略戦争もすべて、「自衛権」の名で強行し、またしようとしているのだ。
 現憲法9条が軍事力の保持とその行使を全面的に否認していることの中には、「もう絶対に戦争を起こしてはならない」という労働者階級の深く固い誓いと絶対的決意が込められている。9条には、労働者階級が命をかけても守り抜こうという血と汗の結晶がある。この闘いは戦後革命以来、営々と築きあげられ、継承されている。
 日帝のアジア・太平洋戦争での徹底的な惨敗は、国家の完全な崩壊であり、労働者階級による革命以外にもはやどんな解決もなかったのだ。事実、日本労働者階級は戦後革命に決起し、労働組合はすさまじい勢いで結成され、生産管理闘争が革命的に闘われた。1946年4〜5月の政治危機(1カ月の政治空白)の過程と、47年2・1ゼネストへと向かう高揚過程の二つの決定的山場を経て、労働者権力の樹立にあと一歩のところまで突き進んだ。
 だがこの労働者権力に依拠せず、米軍を「解放軍」と規定した日本共産党の屈服と裏切りによって2・1ゼネストは挫折し、戦後革命は敗北にいたった。だが他方で、この労働者階級の巨大な高揚と決起に直面した米占領軍と日帝支配階級は、よほど徹底した譲歩をしない限り、革命を抑圧し、延命することはできないところに立たされていた。その所産が現行憲法の第9条であり、天皇制の象徴天皇制への形を変えた延命と、議会制民主主義への統治形態の転換である。
 また戦後革命は敗北したが、同時に戦後革命の高揚は、9条とともに基本的人権の諸条項となって実現されている。25条の生存権、28条の労働三権の保障はそれを代表するものだ。
 戦後革命を圧殺し、かろうじて延命した日帝は、戦後憲法と日米安保と高度成長によってブルジョア的発展の過程をたどった。同時にこの過程で労働者は、戦後労働運動をとおして戦後革命期の獲得物を必死に守り、日帝の改憲策動と必死に闘いぬいた。50年代の闘い、60年、70年の闘いも、改憲と戦争への道を阻む労働者人民の闘いと意志の爆発だ。日帝の戦後発展が終焉(しゅうえん)した80年代半ば、日帝・中曽根政権は「戦後政治の総決算」を掲げて国鉄分割・民営化攻撃を強行した。それは総評解体と連合結成をもって戦後労働運動を解体していく全面的な改憲攻撃の始まりであった。だがそれでも国鉄労働運動は、1047名闘争として不屈に生き残った。
 さらに95年には、日経連プロジェクト報告の終身雇用・年功賃金解体の攻撃が、戦後労働運動の獲得物を一掃する大攻撃として襲いかかった。1047名闘争の壊滅を狙う98年5・28反動判決は、労働委員会制度の解体をとおして戦後労働法制の解体に踏み出した。03年奥田ビジョンは、こうした戦後体制の根底的一掃を、規制緩和・民営化=労組破壊の路線として打ち出した。これらにはすべて改憲攻撃が強烈に貫かれている。
 そしてこの集約点が、05年日本経団連の「改憲提言」である。まさに戦後労働運動と資本攻勢の歴史的攻防点には、改憲攻撃との死闘が一貫してあったのだ。重要なことは、この歴史の節目において、動労千葉の存在と闘いが、80年代分割・民営化時の2波のストライキを始めとして、小なりといえども巨大な役割を果たしてきたことである。4大産別を先頭とした、動労千葉労働運動の実践による11月労働者総決起こそ、今日の改憲攻撃に対する最大の反撃の砦を築くのだ。
 さらに改憲決戦は、特に9条改憲攻撃の歴史的根底性において、「二度と戦争は許さない」という闘いに6000万労働者全体を大きく引き込んでいくものとなる。新たな戦争への労働者階級の根源的な怒りと危機感が、資本の極限的な搾取・収奪への怒りと結びついて大爆発する時、改憲阻止決戦勝利の巨大な展望が切り開かれる。それは同時に、帝国主義打倒のプロレタリア革命をたぐり寄せる闘いだ。
 闘う労働組合が中心に立ち、全労働者、全人民に訴えて、9条改憲阻止の一点で今こそ巨大な全人民的大運動を巻き起こそう。11月1万人決起をその跳躍台と位置づけて闘おう。

 (3)今秋の臨時国会攻防は巨大な階級決戦になる

 11月決起へ向けて、9月末からの臨時国会攻防を、まさに一個の階級決戦として爆発させよう。
 共謀罪、教育基本法改悪、国民投票法案、防衛庁の「省」昇格法案粉砕の闘いは、いずれも改憲決戦そのものである。これらを貫く核心は、労働組合の解体である。臨時国会決戦は、4大産別の労働者を先頭に、労働組合の改憲勢力化阻止の闘いとして勝ちぬかなければならない。
 とりわけ共謀罪の絶対阻止を、5〜6月を上回る労働者階級の闘いとして爆発させ、臨時国会決戦の突破口をこじあけよう。国民投票法案は、改憲派が国家財政を使って改憲を翼賛的に大宣伝し、自治体労働者や教育労働者、さらに全逓労働者の改憲反対運動の弾圧と組合破壊を狙うものである。さらに教基法改悪阻止決戦の死活性について、徹底的に確認したい。
 教基法改悪とは、戦後憲法体制を解体し、国家・社会のあり方を戦時体制に根本的に転換させる攻撃だ。もともと教基法には憲法9条と同様、「二度と侵略戦争を行わない」という労働者階級の意志と決意が実質的に込められている。戦後の日教組運動は、教基法のもとでなりたってきた。「教え子を再び戦場に送るな」のスローガンも、勤評闘争や学テ闘争も、二度と戦争教育の担い手にならないという教育労働者の魂の叫びが闘いをつくりだしたのだ。教基法改悪とは、そうした戦後体制の根底的転覆であり、価値観の転覆、教育労働者の戦争動員である。その核心には日教組解体がある。
 教基法改悪案は実際に、教基法を戦争教育強制の武器へと180度転換させるものだ。そこでは教育の目標は、戦争を行う愛国心の育成となる。愛国心の強制は戦争をやるためだ。さらに現行法10条の解体によって、国家の教育介入がまかりとおる。国家が教育に介入するのは戦争教育のためである。だからこそ教基法改悪阻止は教育労働者だけでなく、全労働者階級、全人民の生死のかかった課題なのだ。
 重大なのは、日本経団連が今日、9条改憲とともに教基法の改悪を先頭に立って叫んでいることである。「骨太方針Y」の国内階級支配の要として、教基法改悪が位置づけられている。逆に言えば、教基法改悪攻撃には日帝の存亡がかかっている、ということである。そこには、日帝支配の戦略的弱点がはらまれている。
 この弱点とは何か。現場教育労働者の決起そのものである。ひとつは、教育現場をめぐる決起が、4大産別を始め全労働者・人民に圧倒的に拡大する可能性があることだ。「日の丸・君が代」決戦の爆発がその可能性を完全に示した。いまひとつは、教基法改悪攻撃に対する現場労働者の決起が逆に、日教組再生の闘いに転化していくことである。日帝はこれを真に恐怖している。そのために教基法改悪と一体で、教員免許更新制の導入によってこの攻撃を補完しようと必死になっている。
 教基法での民主党対案は、政府案以上にはっきり愛国心教育を打ち出した反動的なものである。実はここにも日帝支配の破綻点がある。民主党支持を打ち出す日教組指導部と現場組合員との間に激しい亀裂が走り、それが逆に日教組再生の突破口になり、連合支配は破綻を深めるからだ。教基法改悪阻止決戦を日教組再生の闘いとして貫くならば、教基法決戦は、圧倒的な勝利の展望に満ちているのだ。

 国労再生への闘いを

 臨時国会における教基法改悪・改憲阻止決戦を教育労働者を先頭に勝ちぬくことをとおして、4大産別決戦に勝ちぬき、11月1万人決起へ進撃しなければならない。4大産別全体に今求められているのは、動労千葉労働運動を本格的に職場生産点で実践することである。それは改憲情勢のもとで、すべての職場で例外なく、激しい資本・当局との闘いとなる。同時に、職場権力をめぐる熾烈な党派闘争となる。
 今こそ、新指導路線の発展をかけて4大産別の総決起をかちとろう。
 国鉄戦線は、一貫して戦後労働運動の中軸にあり、今日の4大産別をめぐる攻防の中心環である。この国鉄決戦が、11月に向かって、最基軸の決戦に急速にせりあがっている。
 改憲情勢のもとで、日帝はいよいよ国鉄労働運動解体、動労千葉解体、1047名闘争解体に全面的にのりだした。7・27〜28国労大会で国労本部は、12月に臨時大会あるいは中央委員会を開催し、1047名闘争から動労千葉を排除し、民主党を窓口にした「政治解決」路線にのめりこみ、1047名闘争の幕引きを策動している。「政治解決」の階級的本質は国労の改憲勢力化だ。国労は、反対派も含めて「政治解決」の糸口を改憲政党の民主党に求めている。
 この国鉄決戦最大の危機に対して、今こそJR職場の力関係を転換させる闘いが求められている。動労千葉の反合・運転保安闘争を国鉄戦線全体の闘いに拡大しよう。最も決定的な闘いは、国労本部を打倒し、国労再生をかちとることである。5・27臨大闘争弾圧粉砕は、国労再生への最も鋭い闘いだ。それは同時に、日本労働運動再生の闘いへと発展するものだ。
 自治体戦線は、今日の戦争・改憲・民営化・労組破壊の大攻撃と最も直接的に激突している。日帝は、これら大攻撃の突破の一切を、4大産別特に連合自治労の改憲勢力化による自治体労働運動の絶滅にかけている。自治労大会は、この決着をかけた激突となる。
 郵政民営化攻撃は、決定的な破綻点・矛盾点をさらしている。耐えがたい極限的な人減らしと集配拠点の再編合理化プランには、激しい現場の怒りが噴出している。職場闘争の実践を不屈に前進させる中に、物ダメ闘争を掲げた民営化阻止の展望が大きく切り開かれる。郵政民営化は、国鉄分割・民営化がそうであるようにまさに改憲攻撃だ。民営化との決戦はこれからである。

 (4)米軍再編粉砕・北朝鮮侵略戦争阻止へ闘おう

 日米帝国主義の朝鮮侵略戦争策動の激化に対する労働者階級の闘いは、愛国主義、国家主義、排外主義の嵐をついて不屈の前進を開始している。
 ここでは4大産別を先頭にした戦争協力拒否闘争が決定的である。かつての50年朝鮮戦争において、いったんはレッドパージで徹底的に壊滅の淵(ふち)に沈んだ日本労働運動が、当時の全学連の決起や港湾労働者のストライキ決起をテコに、戦争協力拒否闘争が拡大する中でよみがえった。闘う労働者の体をはった実力決起が、その血と汗で憲法9条と日本労働運動に息を吹き込み、戦後革命の敗北にもかかわらず戦後労働運動の戦闘的流れを不抜に形成したのである。
 今、このような闘いが決定的に求められている。しかも重要なのは今日、韓国民主労総の17万ゼネストが、北朝鮮ミサイル情勢のただなかで爆発していることである。11月決起は、朝鮮侵略戦争情勢のもとで、まさに国際連帯闘争として闘われる。帝国主義戦争に対して、労働者階級が国境を越えて団結し、侵略帝国主義を打倒していく闘いのリアルな展望を示すものである。
 こうした労働者の職場生産点における闘いと一体で、米軍再編粉砕・朝鮮侵略戦争阻止、沖縄奪還・安保粉砕、改憲阻止の闘い、三里塚暫定滑走路北延伸阻止の闘いなどの決定的爆発が求められている。
 すでに米軍再編によって時々刻々、沖縄を先頭に、座間、横須賀、相模原、岩国などの全国の基地が恐るべき変貌(へんぼう)をとげている。とりわけ沖縄・辺野古崎への新基地建設などを先端とする沖縄米軍基地再編は、21世紀の「琉球処分」であり、本土―沖縄を結ぶ労働者人民の決起で絶対に阻止しなければならない。
 沖縄闘争は、9月沖縄地方選、11月沖縄知事選へ向かって急速に動きだしている。米軍再編攻撃を粉砕する闘いの一環として、辺野古現地の闘いと一体で闘おう。この情勢の中で、基地労働者を先頭にして、沖縄のランク・アンド・ファイル(現場組合員)の決起をかちとり、連合路線を打ち破る沖縄労働運動の新たな発展をかちとろう。
 40年を迎えた三里塚闘争は、朝鮮侵略戦争情勢の中で再び風雲急を告げている。北延伸攻撃とともに、成田市農業委員会は、市東孝雄さんの天神峰農地を暫定滑走路の誘導路の用地に転用することを「相当」とする判断を示した。農地法をもって「強制収用」するという、まさに戦後的なものをひっくり返す改憲そのものと言ってよい攻撃である。不屈に闘う反対同盟農民と連帯し、農地強奪絶対阻止、北延伸阻止に立とう。
 米軍再編下での全国基地闘争の爆発とともに、三里塚、北富士、関西新空港闘争の新たな発展をつくりだそう。
 9条改憲と米軍再編攻撃のもとで、反軍闘争の位置は重大化している。自衛隊の本格的な帝国主義侵略軍隊への転換と闘い、隊内兵士の決起をつくりだすために闘おう。
 さらに、侵略戦争突入情勢下で洪水のように襲いかかる排外主義・差別主義の攻撃と全力で闘い、粉砕することがますます決定的となっている。それはまた、激化する天皇制攻撃、靖国攻撃との闘いの最前線でもある。入管闘争、部落解放闘争、「障害者」解放闘争、在本土沖縄戦線の闘い、女性解放闘争や被爆者解放闘争などを始め、新指導路線下での諸戦線の闘いの新たな発展をつくりだそう。当面する8・15靖国闘争を、日帝への怒りを爆発させる闘いとして勝ちぬこう。

 (5)青年労働者と学生こそが未来を切り開く

 戦後労働運動は、戦後革命期の闘いも含めて、青年労働者によって切り開かれた。今日の階級的激動において、日本労働運動の再生を切り開くのはやはり青年労働者の闘いである。連合を打倒する力は青年労働者の中にこそある。このことをはっきりと確認し、青年労働者と学生があらゆる闘いの先頭に立つ時代を再びつくりだそう。
 06年前半の闘いにおいて、4大産別を始め各産別で青年労働者が先頭に立って動労千葉労働運動を学び、職場闘争を実践していることは、決定的な経験と教訓を生み出している。重要なことは、職場闘争への取り組みは、組合権力をめぐる攻防を焦点として職場支配権を争う闘いとなる。そこではすさまじい党派闘争が不可避であり、この党派闘争に勝ちぬくことなしに労働運動の前進を闘いとることはできない。そのための武器は、マルクス主義の思想とそれに裏打ちされた時代認識であり、階級的労働運動の思想と路線である。ここでの青年労働者の獲得こそが11月1万人決起を可能にするのだ。
 第一に、4大産別決戦と改憲決戦を先頭で闘う中で、各産別で職場拠点をつくりだし、打ち固める闘いに挑戦しよう。第二に、マルクス主義青年労働者同盟を行動する青年同盟として意識的にかちとり、職場と地域で団結をかちとろう。第三に、その全体に動労千葉労働運動から学んだ思想と路線を貫いて闘おう。
 反スターリン主義・革命的共産主義運動は、大学における拠点細胞建設を基礎にして日本階級闘争に登場した。今秋、新指導路線のもとに11月1万人結集をもって日本階級闘争の大飛躍をかちとろうとする時、学生戦線こそが前半戦の勝利を引き継ぎ、法大を先頭にした拠点大学ストライキで階級情勢の一大高揚を押し開く歴史的使命を負っている。マルクス主義で武装した学生共産主義者の革命的威力をいかんなく発揮して、一人ひとりが300万学生のリーダーとなり、若き学生の大隊列を11月に登場させよう。

 第4章 「党の革命」を徹底推進しよう

 革共同は、21世紀の早いうちにプロレタリア革命を達成する歴史的事業のために、「党の革命」を徹底的に推進する決意だ。労働者階級の闘いに対する絶望、労働運動の実践に価値観を見いださない思想との決別は、「党の革命」の熾烈な最重要の課題である。
 革共同は、62年の3全総から66年の3回大会、70年安保・沖縄決戦、さらにファシスト・カクマルとの内戦を闘った70年代から80年代の20年間を経て、その勝利の地平の上に91年5月テーゼの転換をかちとり、2001年の6回大会と、その実践方針としての03年新指導路線を闘いとった。
 この党の歴史は、ひとつには、3全総以来のプロレタリア革命論の確立とその実践の闘い、とりわけ動労千葉労働運動に体現されるような階級的労働運動の起伏と苦難に満ちた実践の歴史であった。いまひとつは、特に20年の内戦過程で権力、反革命と壮絶に闘い、党をその絶滅から守りぬくことをとおして、権力や反革命による「労働者階級への絶望」の思想の組織化と暴力的制圧から、労働者階級を守りぬいてきた意義をもっている。
 「党の革命」とはまさに、労働者階級への絶望の思想とあらためて徹底的に闘いぬくことをとおして、労働者階級が階級的団結を再確立していく過程である。

 新指導路線とは何か

 新指導路線とは、共産主義運動を労働者自己解放闘争として徹底的にとらえきり、労働者階級の決起と団結を無限に信頼し、そこに依拠してプロレタリア革命への道を切り開こうというものである。労働者階級に根ざし、労働者細胞を土台にした労働者党建設をかちとろうということである。
 それは、より主体的、党建設的に言えば、労働者同志・細胞こそが党の真の主人公であり、労働者階級とそこに根ざした労働者同志への信頼を土台にして、工場・経営・生産点・職場での労働運動づくり、労働者細胞づくりを、現場の労働者同志とその細胞自身の自己解放的主体的決起として実現していこうというものである。
 このような新指導路線とは、第一に、労働者細胞を生産点に確立することを基軸に、労働組合運動を決定的に位置づけ、そこでの闘いの前進を総括軸にすえて、その時々の階級情勢下で必須不可欠となる政治闘争をもその中に正しく位置づけて闘うものである。
 第二に、労働組合の革命論的意義を明確化し、党とソビエトのみで革命を論ずるのではなく、〈党・組合・ソビエト〉として革命における労働組合の決定的意義をすえなおすことが求められる。さらに『賃金・価格・利潤』をすぐれて労働組合論として読み、そこから経済闘争についての意義を変革的に確認しなければならない。
 第三に、ここでしっかり確認したいのは、新指導路線とは革命的実践そのものだということである。新指導路線を単に理論的・路線的に確認するにとどまっていては、官僚的疎外から無縁ではなくなる。現実の階級のど真ん中に飛び込み、そこで悪戦苦闘し、労働運動づくりと細胞づくりのために闘う時に、初めて新指導路線の物質化に着手したと言えるのである。
 革共同は、今日の革命的情勢への急速な突入のもとで待ったなしに厳しく突きつけられている「党の革命」の絶対的基準に、新指導路線の革命的実践をすえて闘う。
 レーニンは、革命的情勢の革命への転化には、客観的な変化に加えた「主体的な変化」、すなわち労働者階級の階級的能力の革命的変化が必要であるとしている。そして労働者階級がその能力を主体的に獲得し、発揮していくために、党が党としてなすべき任務があると言っている。革命の主体が労働者階級であることをすえ、「党そのものが労働者階級である」という立場で、党の任務を「三つの義務」として打ち出しているのだ。
 この点で、党の基本である「中央委員会と労働者基本細胞」の確立は、労働者細胞を労働者階級に根ざしてつくりだすことであり、またそれが三つの義務を果たしていく土台をなしているということである。
 特に「第一の義務」である宣伝・扇動の闘いについて、これを現在の党の革命の中心にすえて、機関紙改革と宣伝・扇動体制の確立をかちとる闘いを圧倒的に推し進めたい。現代世界をマルクス主義で全面的に分析し、労働者階級の闘いの具体的な実践方針を提起する機関紙こそ、全党の、そして労働者階級の階級としての団結を日々強化し、拡大・発展させていくものだ。それはマルクス主義の思想を全労働者階級の中に貫くものである。

 党建設の核心的課題

 党の革命にとって、またレーニンのいう「三つの義務」を果たしていく上で、中央委員会と労働者細胞の建設の闘いの再確立は核心課題である。
 第一に、中央委員会・細胞は、労働者細胞建設を土台に成立している。この労働者細胞は、階級に根ざすことをとおして、その細胞としての生命力を中央委員会に伝え、中央委員会は、その生命力をさらに活性化させて労働者細胞に還流し、階級の獲得をかちとっていく。それは、プロレタリア自己解放思想を媒介にして中央委員会が労働者細胞に獲得され、中央委員会が階級移行をしていく過程でもある。
 共産主義運動は労働者自己解放運動であり、革命的労働者党はそれを担う共産主義者の意識的結集体である。その意味で、中央委員会と細胞は、労働者自己解放闘争に絶えず媒介されながら、共産主義者としての対等性、同格性、同質性をもたなければならないのだ。この両者は民主主義的中央集権制にもとづき、労働者民主主義が生き生きと展開されることによって、より一体的に結合していくのである。
 その場合、やはり中央委員会(全国委員会)建設が党建設の中心課題である。今日の「党の革命」の推進は、革共同の中央委員会(全国委員会)の、中央指導部としての絶えざる自己批判的変革ぬきにはありえない。党は、労働者階級と生き生きと結合するためにも、中央委員会・細胞としての指導体系と中央委員会の指導責任を徹底的に強化しなければならないのだ。
 第二に、中央委員会・細胞の確立は同時に、全国単一の労働者党建設の闘いである。また逆に全国単一の党建設をとおして、中央委員会・細胞は確立される。このことをとおして、全国単一の労働者階級の大地にどっしりと根を張った党建設がかちとられる。
 この全国単一党における地方委員会(地区委員会)の任務はどうか。
 @地方(地区)委員会は、その地方(地区)の政治=経済闘争を闘う階級的指導部として建設される。それは主要には、当該地方(地区)でのプロレタリア世界革命の宣伝・扇動を全力で闘うことである。この実践において、地方(地区)委員会は、共産主義的全体性を体現していくのである。
 A労働組合の拠点建設と労働者細胞の建設こそ、地方(地区)委員会の最大の課題である。労働者階級に深々と根づき、労働組合運動を駆使できる地方(地区)委員会細胞をつくりだすことである。
 B地方委員会は、中央委員会(全国委員会)と労働者細胞との透明性と一体化、思想的同質性をかちとる中間的指導機関である。
 第三に、党内民主主義の確立を、プロレタリア民主主義を基礎にしてかちとらなければならない。
 党は、今こそ労働運動・大衆運動の中で建設される労働者細胞(基本細胞)を原点とし土台として、そこでの闘いを総括軸にして、党の民主主義的中央集権制が生き生きと働くあり方を本格的に形成していかなければならない。特に党内民主主義の確立について、きわめて意識的な努力の傾注が必要である。そこには党における共産主義者としての対等性を踏まえて、これまでの組織指導や活動のあり方の大きな変革が求められる。この相互批判・自己批判と絶えざる自己変革により、労働者党の建設が展開され、結実すればするほど、党細胞の堅固さと正しい階級的な対応力は、どんどん増していくのである。
 そうした労働者民主主義=党内民主主義の確立は、スターリン主義と決別し、党を感受性豊かな党として建設していくことである。党の感受性とは、先進的労働者(労働者細胞)と結合することで保障される。そこには、新指導路線の実践によってかちとられる「民主主義一般をこえた」「同志的信頼」(レーニン)が生まれるのだ。
 それは、昨日の勝利をもたらした組織体制が、その停滞と硬直化のために今日からは実践=闘争の妨げになるようなあり方を根本的に止揚していくことである。生きた現実の階級闘争、その激突と閉塞(へいそく)、前進と後退の一切に対して、柔軟性・転換性・順応性をもった労働者細胞を建設することが労働者民主主義をかちとる第一歩である。
 こうした「党の革命」を徹底的に貫き、そのもとで革共同の党勢拡大、機関紙拡大、財政闘争の絶対勝利を意識的計画的に闘いとろう。とりわけ青年労働者・学生の新たな結集、倍増を圧倒的に闘いとっていこう。

 結語

 06年〜07年階級決戦において、日本労働者階級は、ついにプロレタリア革命実現への歴史的な出発点を迎えている。その帰趨は今秋11月1万人決起の成否にかかっている。改憲決戦の勝利もそこにかかっている。11月1万人決起をかちとるために、党の革命を断固として推進しよう。
 11月決起へ、党の革命の一環として、全党がプロレタリア日本革命の未来をかけて、青年労働者・学生のうなりをあげた組織化へ突き進もうではないか。ここに全労働者階級の生死も、革共同の存亡もかかっている。
 11月決起の大爆発の力をもって、獄中31年の星野文昭同志を必ず奪還するために闘おう。11・25集会を成功させ、星野奪還大運動をつくりだそう。
 すべての闘う青年労働者・学生の皆さんに、今こそわが革共同に結集し、ともに団結して革命勝利へ前進することを訴えます。

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週刊『前進』(2258号7面2)(2006/08/14)

 21世紀革命勝利への道切り開く渾身のカンパを

 猛暑の中を奮闘している同志、『前進』読者、支持者のみなさん、この間寄せられた夏期一時金カンパを心から感謝いたします。その上で重ねて、さらなるカンパを訴えます。
 ミサイル発射を口実に北朝鮮侵略戦争策動が本格化し、「発射基地への先制攻撃」を閣僚があおり、野党やマスコミも一体となって排外主義宣伝を繰り広げています。これに対して革共同は「経済制裁反対。戦争をしようとしているのは日米帝の側だ。戦争のための9条改憲を許さない」の声をあげ、連日街頭・職場・学園で闘っています。
 9月国会での教育基本法、共謀罪、国民投票法案、防衛省昇格法案等の攻防は本格的改憲攻撃との激突です。国会を包囲する大運動が待ったなしに求められています。
 小泉政権「骨太方針Y」は、1千兆円を超す国と地方の財政赤字を公務員労働者の首切り・賃下げ、社会保障関係費の大幅削減、地方行政の締め付けや解体、労働者階級への大増税でのりきり、「格差社会」を押し広げる攻撃です。 
 全世界で労働者階級、被抑圧階級人民の広範な闘いが始まっています。アメリカでは200万移民労働者のデモがメーデーの復権としてかちとられ、イラク反戦・米軍撤退要求デモがブッシュの足元を揺さぶり、イギリス、フランスではイスラエルのレバノン侵攻への大抗議運動が起きています。フランスの青年学生は、300万のデモとストライキで初期雇用契約法を打ち破り撤回させ、EU各国でも首切り反対や年金ストが爆発しています。韓国では民主労総が17万ゼネストに立ち上がり、非正規職撤廃、労働弾圧粉砕の実力闘争が闘われています。何よりもイラク、パレスチナ人民の不屈の抵抗が米帝を追い込んでいます。
 世界で起こっていることは必ず日本でも起こります。「格差社会」への怒りは深く広く、階級的反撃が始まっています。法政大学での学生1000人の決起、教育現場では「日の丸・君が代」強制拒否の不屈の闘いが貫かれ、動労千葉の反合・運転保安闘争は広範な労働者や市民、国際的な労働者の支持を得ました。革共同は開始された「党の革命」を推進し、改憲阻止の大運動をつくりだし、11月労働者1万人決起の実現に突進します。
 革共同は新指導路線の実践・貫徹をとおして労働者階級と深く広く結合し、帝国主義打倒・労働者自己解放の闘いの先頭に立ちます。革共同は「21世紀のできるだけ早い段階でプロレタリア革命を実現する」と宣言しました。労働者階級の壮大な事業の勝利に向かって、革共同への信頼と期待を、夏期一時金の圧倒的な拠出でお寄せください。一緒に革共同をつくっていきましょう。

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週刊『前進』(2258号9面1)(2006/08/14)

 コミューン 9月号

 民主党改憲論批判

 民主党は昨年10月、憲法提言を発表した。直前に出た自民党の新憲法草案は、9条改憲を真正面から打ち出したが、民主党は、国連を前面に立てて9条改憲を遂行しようとしている。それは、連合とそのもとにある4大産別を改憲勢力に取り込む明確な意図をもっているからだ。
 第1章は、小泉政権発足後から急激に進行した民主党、連合、自治労、日教組の改憲動向を追っている。
 第2章は、民主党憲法提言批判。提言の特徴は、憲法の前に国連憲章と国連集団安全保障体制を置き、そうすることで個別的自衛権も集団的自衛権も認め、さらに国連の名がつけばPKO・PKFはもとより国連軍も多国籍軍参加もOKとしようとしている。そのペテン性を徹底的に弾劾している。
 第3章は、いま日教組が組合員討議を進めている平和基本法制定方針の批判。「憲法9条1項も2項も守る」と言いながら1項も2項も全面的に破壊する平和基本法方針を弾劾している。資料として民主党憲法提言(抄)と小沢・横路の安全保障合意を載せた。
 翻訳資料は、フランス・レンヌ大学学生の反CPEゼネストのルポ。大学を占拠し、数千規模の学生集会を開き、街頭デモ、道路封鎖などの決起を自主的創造的に展開する闘い。

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週刊『前進』(2258号10面1)(2006/08/14)

 今、なぜ靖国問題なのか。帝国主義と戦争の危機

 9条改憲と戦争に反対する戦略的闘いに今こそ立とう

 東山 整一

 今、なぜ靖国神社問題なのか。それは日本帝国主義にとって、日本労働者人民にとって、戦争の危機がかつてなく生々しい現実として目前に迫りつつあるからだ。「戦死」にどう向き合うのかという形で、半世紀をこえてあいまいにしてきた敗戦帝国主義としての日帝の国是・国家イデオロギーが、待ったなしに、根底から問いただされるに至ったからである。小泉は首相就任以来5年続けて靖国参拝を続けている。もちろんこれは小泉の「心」の問題などではない。01年9・11以降の世界情勢を背景とするアフガニスタン・イラク侵略戦争への自衛隊参戦、そして有事関連諸法制の制定から米軍再編の名で進行する米帝新世界戦争戦略への自衛隊の限りない融合と一体のものとしてある。だが重要なのは、ここにこそ実は日帝の軍事政策の最大の破綻(はたん)点もまたあるということだ。敗戦帝国主義から侵略帝国主義への命がけの飛躍は、ここにおいて没落帝国主義としての最も深刻かつ無残、解決不能な墓穴へと転化しつつある。こうして日帝ブルジョア支配階級の内部には、靖国をめぐる亀裂が走り、分裂が深まり、動揺と右往左往が拡大している。61年目の8・15を前に、7月20日付日本経済新聞のスクープ=「昭和天皇、A級戦犯合祀に不快感」うんぬんの記事は、この靖国と天皇制と日本帝国主義をめぐる危機を恥ずかしげもなく自己暴露したものだ。同時にそれはすべての日本の労働者人民に、今こそ改憲と戦争に反対する戦略的闘いに総力で立ち上がるべきことを教えている。
(写真 国際連帯のもとに闘われた昨年の8・15靖国弾劾闘争)

 靖国めぐる混迷から日帝は逃れられない

 日経新聞という日帝ブルジョアジーの意向を最も忠実に代弁してきた機関紙による報道は、昨年6月の読売新聞社説、「国立追悼施設建設を急げ」の主張と並んで、日帝ブルジョアジーの内部において、小泉というブルジョアジーの政治的番頭が毎年続ける靖国参拝をめぐってきわめて深刻な混迷が深まっていることを示している。
 もちろんこれは、日本共産党あたりが恥ずかしげもなく片思いしているような財界の平和勢力化を意味するものではない。世界経済は、WTO交渉の決裂、保護主義の台頭、中東危機と並行して進む原油高等々の要因によって破局的危機をさらに深めている。日帝ブルジョアジーはここでの生き残りを米帝経済への一層の依存とそれとの一定の緊張をはらんだいわゆる「東アジア共同体」構想への道に求めている。日本の対中貿易が対米貿易を超えたのは04年である。今や「世界の工場」として急成長を続ける(その内的矛盾を爆発的に膨張させながら)中国、さらにはASEANからインドに至る何十億アジア民衆の搾取と収奪の上に今日の日本資本主義は成り立っている(消費量の9割を占めるペルシャ湾石油の確保を絶対的生命線にしてだが)。
 こうして日本ブルジョアジーは自己の存立のかかった死活的要求として、日米軍事枢軸の形成を、日米安保の「世界の中の日米同盟」への飛躍を、そして何よりも9条改憲による集団的自衛権の全面解禁を声高に叫んできたのである。一言でいえば、敗戦帝国主義としての殻を最後的に打ち破り、一人前の帝国主義としての世界大的な規模を持った軍事政策を奪還することの必要性を絶叫し続けてきたのである。
 だがここで最も困難なのが「国のために生命をささげる若者」の育成である。課題は二つある。ひとつは教育だ。だから「日の丸・君が代」強制であり、「つくる会」教科書であり、教育基本法改悪による「愛国心」注入である。いまひとつが宗教、ないしは「戦死者」を国がいかに扱うかの問題である。だがあのアジア・太平洋戦争における自己の壊滅的敗北(それは明治維新以来の近代日本の総破産であった)を何ひとつ総括せず、ただ「冷戦」下の米帝世界政策に寄りかかることで一切を頬(ほお)かむりし、狡猾(こうかつ)にやり過ごしてきた日本帝国主義は、前者では「平成の教育勅語」を持ち出すことしかできず、後者でも靖国神社以外に回答を持ち合わせていないのだ。
 だが靖国神社とは、その付属軍事博物館=遊就館のおぞましい展示内容を挙げるまでもなく、明治以来連綿と続く「大日本帝国」の朝鮮・中国・アジア侵略戦争と対米戦争を全面的に居直り、賛美するものである。いわゆるA級戦犯合祀は、このような靖国神社のあり方の逸脱としてではなく、その本質の顕現としてあるのだ。だがここへの毎年の首相参拝は、それが日本における新たな軍国主義台頭の最も鋭い、あくどい一環であるがゆえに、特に南北朝鮮、台湾、中国等の民衆の激しい怒りを呼び起こしてきたのである。
 これに対して日帝ブルジョアジーは、一方では明治以来の番犬帝国主義としてのアジア蔑視(べっし)的悪臭を振りまきながら対中国・対韓国の排外主義をあおりにあおってきた。そこでは北朝鮮・金正日政権の反人民性や軍事冒険主義がとことん餌食(えじき)にされた。だが他方で彼らは、小泉の靖国参拝が生み出す、とりわけ中国との間の「政冷経熱」をこえた「政冷経涼」的関係をもはや受け入れられなくなった。それは東アジア経済における日本帝国主義の陥没・失陥の危機を突きつけてきた。こうして日帝ブルジョアジーは、自らつくり出した危機にのたうち回りつつ、靖国の政治的・国際的焦点化をなんとか回避しようとあがき始めた。だがそこにはどんな回答も解決も用意されていない。日帝が日帝である限り、日帝が戦争への道を突き進もうとする限り、日本のブルジョアジーは、靖国問題という呪(のろ)われた軛(くびき)から解き放たれることはけっしてないのだ。

 戦争責任の追及恐れ戦犯合祀に「不快感」

 報道によれば、靖国神社は78年に当時の宮司松平某の独断でA級戦犯を合祀、これに不快感をもった天皇裕仁が以降参拝しなくなったとされている。だがその後の報道でも明らかにされているように、戦後における靖国合祀も、戦前の陸海軍省(靖国神社の管轄者)の業務を継承する厚生省(国)が地方自治体に協力させて、全面的に主導してきた。当時の宮司が合祀さえしなければ、今日の靖国問題はなかった(マスコミ報道はこのトーンに終始している)などというほど、ことは簡単ではない。
 A級戦犯とは、今からちょうど60年前の46年5月に始まる東京裁判において「平和に対する罪」で有罪判決を受けた戦争犯罪人を指している。東京裁判は、「非軍事化」と「民主化」を指針とするGHQの対日占領政策における、公職追放(約20万人におよぶ戦中期指導者の追放、いわゆるホワイトパージ)と並ぶ、最も重要な権力行為、権力発動としてあった。
 だがマッカーサーの対日占領政策は、もちろん日本軍国主義を再び米帝に牙をむくことができなくなるまで解体すると同時に、それ以上に日本の敗戦が日本の革命に転化することを防止するという目的意識性に貫かれたものであった。こうして東京裁判は、28年から45年までの天皇の軍隊の戦争犯罪の共謀の罪で何人かの軍人などを訴追しながら、その共謀に首尾一貫してかかわってきた唯一の人、大元帥・裕仁はあらかじめ免訴するという茶番、日米合作の政治裁判として開かれる。
 48年11月の判決は、東条英機以下7名に死刑、これを含む25名に有罪の結論を出した(2名は判決前に獄死)。そして52年4月発効のサンフランシスコ講和条約11条で(当時はまだ終身刑などのA級戦犯が獄中にいたが)、日本国は東京裁判を「受諾」し、そこで確定した刑を執行することを約束した。つまり、戦後日本は独立を回復するにあたって、(天皇の免罪と引き換えに)A級戦犯の処罰の「受諾」を国際公約として表明したのだ。
 だがこれは表向きだけ、日帝得意の二枚舌だった。独立回復とともに日帝は待っていましたとばかり、52年から55年にかけて衆参両院で4回にわたり戦争犯罪人の釈放・赦免の決議をほぼ全会一致で採択し、50年代前半からA級戦犯を次々と出獄させ、重光葵や賀屋興宣などの戦犯が直後から政界に復帰したことはよく知られている。ここで最も注目すべきは岸信介である。岸は一度はA級戦犯に指定され、逮捕されながら、裁判の長期化、「冷戦」の激化、占領政策の転換の中で、東条処刑の翌日(48年12月)には不起訴のまま釈放され、周知のように57年には首相になり、60年安保改定の立役者になった。そしてこれらA級戦犯の戦後的軌跡は、(公職追放の解除とともに)反ソ・反共の日米安保政策のもとでの米帝の強力な後押しを受けて生まれたのである。
 岸のように東条内閣の商工大臣として日米戦争の先頭に立った人物が、戦後は日米同盟強化の旗振り役を演ずるところに、日本帝国主義における戦前と戦後の断絶と継承の関係が象徴されている。そしてこのことは、実はA級戦犯うんぬんの次元に限ったことではなく、天皇制そのものについても言える。かつては統治権の総覧者であり、軍事大権から教育大権、非常大権までを一手に集中してきた絶対的天皇制が戦後象徴天皇制に変わることによって、それが大きく政治の表舞台から後景化したことは事実である。だがそのことを指摘するだけでは不十分である。一番肝心なことは、戦後の象徴天皇制は第2次世界大戦に勝利した米帝国主義の戦後世界支配体制の決定的一環として延命し、再生してきたということである。
 戦後天皇制はけっしてマッカーサー占領政策の方便としてたまたま延命したのではない。最近の研究では早くも42年半ばごろ(真珠湾攻撃の半年後)から、米帝中枢において、〈日本の敗戦が日本の革命に転化することを防ぐ〉という至上命題のために、天皇制を利用することが議論され始めている。これに対して天皇裕仁はおのれの戦争責任の帳消しとそれを通じての日本革命の防止のため、日本側において最も重要な役割を果たす反革命的主体として立ち現れる。47年9月の沖縄売り渡しの天皇メッセージから、50〜52年日米安保制定前夜の天皇外交がそれを示している。ここに明らかなことは戦後象徴天皇制と戦後日帝の基本政策としての日米安保政策は深く通底しているということである。
 A級に続いてBC級戦犯も58年までには全員赦免・釈放され、70年にはBC級の刑死者約千名が靖国に合祀される(BC級戦犯とは捕虜虐待など通例の戦争犯罪を犯したもの)。78年のA級戦犯の「昭和殉難者」としての合祀もこの流れの帰結と言える。そして今、小泉の参拝が毎年続いている。だがこのような「逆コース」以来の歴史はけっして平坦に進んできたのではない。ひとつは国内の階級的抵抗、特に60年安保闘争と70年安保・沖縄闘争である。前者は反安保の闘いであると同時に反岸の闘いであった。国外では「冷戦」で遅れるが特に中国からの反撃の結果として、82年教科書問題の爆発(「近隣条項」導入はこの時)、85年の中曽根参拝の挫折(ざせつ)等があげられる。
 78年合祀と裕仁の反応に戻れば、そもそも自分こそA級戦犯の筆頭として処刑されるべき戦争犯罪に手を染めてきた人物が、その「忠良なる臣下」の合祀に「不快感」を示すなどということはただ破廉恥・醜悪の極みと言うほかない。だが同時に裕仁はけっして「暗愚の帝王」だったのではなく、極めて反革命的嗅覚(きゅうかく)の鋭い政治家だった。その「不快感」の底には、A級戦犯合祀が靖国の危機だけではなく、戦後象徴天皇制のすでに見てきたようなあり方の危機を招きかねないことへの恐怖が横たわっていたに違いないのだ。
 78年段階もすでにベトナム失陥後で米帝の戦後世界支配体制は大きく揺らいでいたが、今日では91年ソ連崩壊をはさんで、とりわけ中東危機の激烈な進展(イラン革命→湾岸戦争→9・11)を導火線に、それは音を立てて崩壊しつつある。そして戦後象徴天皇制もまたその存立の大前提、すなわち米帝による戦後世界支配の安定とそのもとでの日帝の安定的繁栄の崩壊とともに政治的激浪にのみこまれ、一方では天皇制本来の凶暴性をあらゆる場で衝動的に突出させ、他方ではそれが呼び起こす階級的反撃と国際的孤立におびえつつ、没落帝国主義・日帝の最大の政治的・軍事的弱点を形成しているのだ。

 形式強制する暴力が天皇制と靖国の本質

 靖国問題に長年取り組んできた大島孝一氏は、ある時、靖国神社の「本音」を聞いたとして次の言葉を紹介している。
 「あなたがたクリスチャンが、神社を参拝なさるのを私たちは歓迎しますよ。心の中で、キリスト様にお祈りなさっても結構です。ただし、形だけでも神社に拝礼だけはしていただきます」
 まさに本音、靖国と国家神道の核心、ひいては天皇制・天皇制イデオロギーの本質が語られている。内心ではなく形式、この形式を守らせるための暴力と強権、これが天皇制のすべてである。戦前の帝国憲法をつくった伊藤博文は、欧米諸国にあるキリスト教に代わるものが日本にもなくてはならないとして、天皇を現人神、上御一人とする一神教に似せた国家神道というエセ宗教をデッチあげた。だが似て非なり、であった。
 ここでは宗教一般についての批判は捨象するが、まずキリスト教には教祖がいて、教典がある(仏教やイスラム教も同じだが)。そこには「教え」があり、内心が問題にされ、「内心の救済」を求める個人の宗教がある。もちろんキリスト教の歴史はさまざまな権力と結びついて民衆を支配してきたイデオロギーの歴史である。最近では帝国主義の植民地侵略・支配の先兵の役割を果たしてきた。だがにもかかわらずそれは、個人、内心にかかわる宗教であるがゆえに、たとえばベトナムには、フランス帝国主義が撤退した後にもキリスト教徒は残った。
 これに対し国家神道はどうか。それは古代神道に起源を持つ、教祖も、教典もない自然宗教を基にしている。「教え」も「内心の救済」も関係ない、形式、儀式こそすべての集団の宗教である。そこでは徹底的に個人が否定されるが、それは古代社会においては共同体からの逸脱は死を意味したことにさかのぼる。これを近代国家イデオロギーの基軸に祭り上げるためには何より暴力と強権がすべてだった。だから天皇制日本は、朝鮮神宮を始め、植民地各地に数々の神社をつくり、現地の人びとを強制参拝させるが、8・15以降どこの旧植民地にも国家神道の信者など一人も残らなかったのだ。
 日本帝国主義は最も遅れて世界史に登場した帝国主義である。近代日本国家の設計図をつくるために、大久保利通、木戸孝允、伊藤らを含む岩倉使節団が欧米に旅立ったのは明治4年だが、それは1871年のパリコミューンの年そのものであった。彼ら明治の元勲たちは、こうして日本の資本主義化、ブルジョア的近代化をスタートさせるはるか以前から、自由とか、人権とか、民主主義とかを許せばやがて社会主義がやってくるという強烈な反革命的恐怖心で針ねずみのように満身を武装して、明治国家の建設に取り掛かるのである。
 もともと近代ブルジョア憲法のタテマエは、個人の尊厳(封建的秩序・しがらみからの個人の解放)を核とした権力の分立と人権の保障からなる。しかし自由民権運動の圧殺・取り込みの上に成立する帝国憲法体制は、家族制度を国家支配の末端に組み入れながら、封建社会的限界(忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず)を「忠孝一本」的思想で突破し、全人民を天皇と国家のもとに暴力的に組み敷いていった。そしてこの秩序を乱すものは「非国民」として社会的に抹殺されていった。
 先に国家神道には教典がないと言ったが、強いて挙げれば帝国憲法の翌年に発せられた教育勅語がそれにあたる。「滅私奉公」、私=個人の否定としての公への翼賛がすべてである。ちなみに「公」を広辞苑で引けば「@天皇、A朝廷」とある。そしてこの勅語の核心は言うまでもなく、さまざまな儒教的徳目に続く「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ」にある。そしてこれは軍人勅諭の「義ハ山嶽ヨリモ重ク死ハ鴻毛ヨリモ軽シト覚悟セヨ」から、戦陣訓における「生キテ虜囚ノ辱メヲ受ケズ死シテ罪禍ノ汚名ヲ残スコト勿レ」へと一直線に連なる。こうして滅私奉公の思想は、究極的には生の否定としての死(=天皇のための忠死)の顕彰・賛美、すなわち靖国の思想に行き着くのである。
 内心ではなく形式だけなどと攻撃を侮ってはならない。じわじわと締め付け、一歩一歩と後退を強いられ、気がついた時はもう身動きがとれず、最期には「玉砕」と「特攻」と「集団自決」に追い込まれ、そしてその恐怖から、自らをアジア何億民衆に最も憎まれた「日本鬼子(リーベンクイズ)」に改造していった日本の民衆、労働者農民兵士たちの歴史を忘れてはならない。日本帝国主義が再び戦争を始める時、日米同盟のもとであれ何であれ、「自由」や「人権」のために若者を戦場に駆り立てられるはずがない。結局かつてのやり方以外に何もないのだ。教育の場でそれはすでに先行している。

 天皇制を突き崩す質獲得した不起立闘争

 東京都教育委員会の03年10・23通達下で今、東京都の教育現場で進行している事態は何なのか。要するに石原と都教委の直接の目的は、卒・入学式を厳粛な「儀式」として成功させること、これに尽きる。だがこうして現場からの戦後教育の暴力的解体と皇民化教育の復活が始まっているのだ。実際、少なくない教育労働者が、内心ではこのような権力の教育への介入に強い抵抗感を持ち怒りを抱きながら、その後の処分と報復を恐れて、起立と斉唱と伴奏を強いられている現実を軽視することはできない。
 しかしまた他方では、たとえ少数ではあっても、勇気ある教育労働者の決起、不起立の貫徹、40秒間のストライキが各地で、形を取り繕うことだけに汲々(きゅうきゅう)とした、空疎な儀式を粉々に粉砕し、10・23通達の無力性を完膚なきまでに暴き出しているのである。これは天皇制・天皇制イデオロギーをその核心において突き崩す闘いである。戦後60年、われわれが先達たちの闘いを引き継いで、血と汗で切り開いてきた階級闘争の地平は、敵がかつてと同じ手法で(彼らにはそれ以外にないのだが)戦争を準備しようとしても、それを許さないだけの質を獲得していることを、このような闘いがわれわれに教え、勇気づけているのである。
 靖国と教育は日帝の新たな戦争に日本の若者を総動員するためのイデオロギー的両輪である。9条改憲のイデオロギー的支柱である。「日の丸・君が代」強制と「愛国心の法制化」の行き着く先が「戦死者の英霊化」である。靖国神社とは、天皇の名のもとに、国家が戦死者を管理・顕彰し、それをとおして生者を新たな戦場・戦死に駆り立てるための死の祭壇である。人倫の根源を踏みにじる死のイデオロギー装置である。だが靖国神社はその本質からして天皇の参拝がなければ成り立たない宗教施設なのである。ところが今回は、なぜ天皇が参拝してこなかったかのぶざまな内幕までさらけ出してしまったのだ。分祀? 無宗教化? 千鳥ケ淵? すべて問題をさらにこんがらがせるだけだ。日本のブルジョア支配階級はただうろたえ、途方に暮れている。
 日本帝国主義は、1945年8・15によっていったん折れた、つぶされた帝国主義である。そして直ちに起こる戦後革命の嵐を米軍の力に依拠してかろうじてのりきる。その中で生まれたのが現行憲法であり、教育基本法である。戦後革命敗北の副産物である。それから60年余り、日本のブルジョアジーは長年の悲願であった改憲に着手している。日本階級闘争は今日、完全に改憲をめぐる攻防のステージに突入した。ポスト小泉政権のもとで事態は一層明らかになるだろう。
 だが改憲といっても、自民党も民主党も改憲派だから、スムーズにいくだろうなどと思ったら大間違いである。そもそも61年前の8・15そのものをまともに対象化も、総括もしてこなかった日帝ブルジョアジーが、8・15以降の「屈辱の歴史」(ブルジョアジーにとっての)を清算するといっても、具体的論点に踏み込んだとたんに混乱・迷走・分裂の渦に飲み込まれることは目に見えている。靖国問題で今現出しているブルジョアジーの右往左往は、改憲本番をめぐって起こることの前触れに違いない。
 今こそ改憲阻止闘争への渾身(こんしん)の力を込めた決起が求められている。だが改憲闘争といっても、それは今現在あらゆる分野で闘われている闘いと別のところにあるのではない。労働運動を軸に、学生運動、市民運動、農民運動のすべてを包含した全人民的闘い、そして政治闘争と経済闘争の全領域における闘いを、全力で、かつ「改憲阻止・日帝打倒」の質的高さをもって闘い抜き、その中で憲法闘争としての憲法闘争を06年秋をとおして離陸させることが、まさに今待ったなしの課題になっているのである。

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