ZENSHIN 2006/05/08(No2245 p10)

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週刊『前進』(2245号1面1)(2006/05/08)

 メーデーアピール

 労働者の力で小泉倒せ フランスの闘いに続こう

 「改革」ではなく革命だ 青年労働者が最先頭に

  労働運動弾圧の共謀罪廃案へ

 メーデーを、労働者の実力闘争を呼び覚ます日としよう。120年前の1886年5月1日、全米の労働者が「8時間は労働を、8時間は眠りを、そしてあとの8時間はわれわれの自由に」というスローガンで「8時間労働制」を要求しストライキに立ち上がりました。メーデーは本来、労働者が国家権力・資本家階級と対決し、人間らしく生きる権利を求めて闘う日です。今こそ私たち労働者の真の力を呼び起こそう!

 反合・運転保安闘争貫く動労千葉の決起に連帯し

 小泉政権そして経団連・奥田ら資本家階級のもとで一体どれほど人間的生活が奪われてきたか。彼らは8時間労働制すら解体して搾取を強め、労働強化の中で睡眠時間やものを考える時間を奪い、労働者としての誇りすら奪おうとしています。こんな社会はおかしい!
(写真 国鉄労働者1047名の解雇撤回をめざす4・4全国集会が4600人の結集で開かれた:。最先頭で闘う動労干葉の労働者【東京・日比谷野音】)

 社会を動かしているのは私たち労働者なのです。フランスを始め、全世界の労働者が闘いに立ち上がっています。今こそ全世界の労働者と連帯して、資本家階級に奪われてきたものを私たちの手に奪い返し、私たち労働者階級こそが社会の主人公となる世の中をつくろう。「改革」ではなく労働者による革命をやろう。06メーデーをその出発の日としよう。青年労働者が先頭に立とう。
 世の中を変える力は労働者の闘いにあります。日本の労働運動を、小泉=奥田を打ち倒す、力ある労働運動としてよみがえらせる。そのことが待ったなしに問われています。
 徹底した民営化・規制緩和の中で、私たち労働者の生活や命までも犠牲にさせられています。この現実には、もはや我慢の限界です。
 4月24日にはJR山手線全線がストップするという事態が起こりました。線路が隆起しており、異常な揺れで電車をストップさせたというのです。運転士の判断が間違えば尼崎事故のような大惨事が引き起こされたかもしれない深刻な事態です。JR尼崎事故から1年たった今でもJRでは事故が繰り返されています。「一体どういうことなのか、どうしてこんなことが相次いで起こるのか」――JRに対して怒りが殺到しています。
 けっして運転士やJRで働く労働者の責任ではありません。一切はJR資本の問題です。
 他社と競争し、会社の利益をあげるためには、何の利益も生み出さない安全部門を徹底して切り捨てていく。JR千葉支社は尼崎事故が起こってもなお「1分間の時間短縮は1億円の宣伝効果」だと言って列車のスピードアップを繰り返してきました。こうしたJR資本のあり方が労働者の命を日々脅かしているのです。そして既成労働組合の指導部がこれと闘わず、「労使協調」だと言って労働者の怒りを抑えつけてきたことが最大の元凶です。
 こんなあり方は絶対に変えなければならない! 国鉄千葉動力車労働組合(動労千葉)は、「二度と尼崎事故を繰り返すな」とJR資本の責任を追及して闘ってきました。自分たち労働者と乗客の命を守るために無理なスピードアップをしないこと、危険だと感じたら止まること――これは鉄道で働く労働者、労働組合として当然の闘いであり、社会的正義の闘いです。
 にもかかわらず、こうした安全運転行動に対して、JRは動労千葉組合員に不当処分を発令しました。「安全運転行動が会社の運行管理権を奪う違法な争議行為」だと言うのです。安全を守るために闘う労働者を処分するとは何ごとか! 利益をあげるためには尼崎事故を繰り返しても構わないということです。こうした会社のあり方を弾劾して闘っている労働組合をたたきつぶそうとしているのです。そうすれば事故が起こっても一切は運転士や労働者の責任にすれば良いということです。だとすれば、これは労働者とは根本的に非和解です。「労働者が資本と闘うことなしに安全は守れない」という動労千葉の闘いは、まさに鉄道の運行管理権を横暴な資本から社会の主人公である労働者に奪い返す闘いです。
 みなさん、あらゆる職場でこういう闘いをやろう。今やこうした問題はJR以外でも噴出しています。相次ぐ航空機のトラブル、耐震偽装、違法建築、アスベスト問題……。これらは、資本主義そのものが労働者の生活と相いれなくなっているという現実です。
 「会社の発展が労働者の生活を良くする」などまったくウソです。食うや食わずの状態が労働者の生活実態であるのに対して、資本家はどうしているのか。激しい首切り、人件費の削減、安全の切り捨てで、史上空前の利益をあげています。これが「官から民」への正体です。結局一握りの資本家連中が生き残るために、労働者の生活はどうなってもかまわない、労働者から無制限に搾取する構造をつくるためのものでしかないということです。
 もう行動するしかない! 「小泉はやめろ!」という労働者の怒りが高まっています。千葉7区の衆院の補欠選挙を始め、岩国と沖縄の市長選でも小泉・自民党に対する怒りがたたきつけられています。徹底した民営化、合理化、規制緩和で労働者の生きる権利を奪い去り、労働者が生きるための最低限の安全さえ犠牲にしなければ成り立たない社会であるなら、そんな社会はもはや終わりです。
 そうしなければ小泉や奥田が生きていけないというのなら、そんな資本や権力はいらない。私たち労働者が彼らにとってかわろう、ということです。動労千葉のように闘う労働組合を私たちの力でよみがえらせた時、労働者自身の力で世の中を変えることは絶対にできます。

 教基法改悪・改憲阻止の国会包囲闘争に立とう!

 労働者の怒りの高まりに対し、敵は改憲で労働者をさらに支配しようとしています。改憲とは「平和と民主主義」に表された価値観や社会のあり方を根底から転覆する攻撃です。こんなもくろみは小泉もろともぶっ飛ばさなくてはなりません。労働者、労働組合の総力を集め、改憲阻止・小泉打倒に立ち上がろう。
 改憲に向かうのは、日本帝国主義・小泉政権がどうしようもない危機だからです。世界的な大恐慌の引き金につながるアメリカのドル暴落の危機があり、日本も公的負債が1000兆円を超える国家破産状態です。第2次世界大戦の時のように、帝国主義のこの破滅的危機が、生き残りをかけた戦争へと帝国主義を駆り立てています。小泉は、アメリカ帝国主義とともに石油の権益をかけてイラク侵略戦争の泥沼にますますのめりこむ以外になく、米軍再編で中国・北朝鮮侵略戦争を始め世界規模の戦争へ突き進む以外にありません。これまでのあり方ではどうしようもなくなっているのです。
 だから改憲が支配階級の側から問題になっているのです。憲法そのものを変えてしまうことによって天皇、資本家、国家権力が労働者の権利を踏みにじり、生活を犠牲にし、戦争に駆り出すということです。核心は9条改憲です。
 改憲・戦争への道は、郵政や自治体など4大産別を始め、私たちの職場で進められています。にもかかわらず、本来改憲に反対して最先頭で闘うべき労働組合の指導部がおかしな方向を向いていることが許せない。労働者の怒りを集めれば改憲を阻止し、小泉を打ち倒せる決定的チャンスが訪れているにもかかわらず、組合幹部はどっちを向いているのか! 小泉や資本家の方向です。
 今年の1〜3月過程で自治労、日教組、JPUと臨時全国大会が開催されました。この組合の指導部が先頭になって改憲をやろうとしているのです。1月19日に連合の中央執行委員会は国民投票法案を小沢・民主党と一緒になって進めていくという立場を表明しました。国民投票法案は改憲反対の運動をすべて禁止する内容です。こんな重大なことを許しておいて反戦平和などと言っています。こんなペテンがあるでしょうか。
 こんな腐りきった労組指導部を現場の闘いでぶっ飛ばそう。教育の現場では「日の丸・君が代」の強制に反対して、処分の恫喝をはねのけ教育労働者の不起立闘争が巻き起こりました。この教育労働者の戦争協力拒否の闘いが、陸・海・空・港湾労働者、国鉄労働者との共闘をつくっています。そして全逓も自治労も現場労働者の闘いはつぶされていません。民間、未組織の労働者も闘っています。この力が戦争への道をとめる力になっています。
 職場は違っても労働者は自分と仲間の利害をかけてひとつにつながることができます。この力が最大の武器です。職場、産別を越えて労働者は団結し、改憲阻止闘争を全力で闘おう。その中で教育基本法改悪を絶対に阻止しよう。労働者の闘いを弾圧する共謀罪は阻止する以外にありません。小泉政権打倒の国会包囲闘争に立ち上がろう。

 辺野古新基地建設阻止へ5月沖縄闘争に総結集を

 改憲阻止闘争と一体で5月安保・沖縄闘争を闘うことが決定的です。日本政府はこれまで憲法の上に日米安保条約を位置付け、沖縄に基地を押し付けることで帝国主義として生き延びてきました。小泉は、米軍再編のもとで基地を永久に固定化し、沖縄を戦場にし、新たな安保体制を築き、改憲を強行して中国・北朝鮮侵略戦争に突入しようとしています。
 その沖縄から島ぐるみの反乱が起こっています。これが小泉を揺さぶっています。沖縄では3月5日に3万5千人の県民大会が開催され、「基地撤去」の叫びが発せられました。また、岩国市の住民投票に見られるように、すべての基地はいらないという声が、本土−沖縄から上がっています。小泉と真っ向から激突しています。
 危機に駆られた小泉は、名護市長を屈服させ、稲嶺県知事を屈服させることで米軍再編に反対する声をつぶそうとしています。4月7日に名護市・島袋市長は、防衛庁で額賀長官と「V字形沿岸案」を合意しました。
 しかし、こんな合意案に沖縄の労働者人民は納得していません。そこが小泉の最大の危機です。沖縄県民大会では自治労、教労、全駐労を先頭に労働組合が闘いをけん引しました。今回の米軍再編では1000人単位でクビを切られようとしている基地労働者が、基地撤去の闘いに立ち上がっています。こうした労働者の中から「全島ゼネストを真剣に論議しよう」という声も出てきています。
 そして名護市辺野古のオジーやオバーは700日を超える基地建設反対の座り込みをやりながら、「今やらずしていつやるのだ。あなたたちがやらずして誰がやるのか」と本土の労働者に訴えています。沖縄と本土を貫いて労働者が立ち上がった時、沖縄を人民の手に取り戻し基地撤去を実現することができます。労働組合が実力で闘った時、初めて情勢を揺り動かすことができます。本土の青年労働者は、5月沖縄に全力で駆けつけ、沖縄の闘いをわがものとして闘おう。
 5月改憲阻止・沖縄闘争を闘うということは、労働者を犠牲にし、戦争をする以外になくなった資本主義社会の根本を問う闘いであり、革命をやろうということそのものです。既成労組指導部の抑圧をはねのけて、間違っていることは間違っていると声に出そう。青年労働者の手で闘う労働組合、労働運動をつくり出していこう。
 フランスでは若者を先頭に数百万人の労働者が決起し、若年労働者を自由に解雇できる法律を撤回させたではありませんか。労働時間の延長に反対するドイツの闘い、年金制度改悪に反対するイギリスの闘い、法外移民の労働者を犯罪者扱いする法案に反対するアメリカの闘いなど、主要な帝国主義国の労働者がそれぞれ数百万人の規模で闘いに立ち上がっています。労働者を抑圧し、戦争を拡大する帝国主義を打倒しようとする労働者階級の闘いが全世界で大高揚を開始しています。この闘いに続こう。
 革命は自分たちを抑圧している資本家や国家権力と闘い、自己を解放する闘いです。だから最も明るく楽しい事業です。労働者がいなければ社会は成り立ちません。労働者こそが新しい世の中をつくる力をもっているのです。万国の労働者団結せよ! この先頭に青年労働者は立ち、全エネルギーを解き放とう。
(写真 フランス南部のマルセイユで首切り自由の初期雇用契約【CPE】の撤回を掲げて25万人の労働者と学生がデモ【3月28日】)

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週刊『前進』(2245号3面1)(2006/05/08)

 教育基本法改悪阻止へ巨万の国会包囲デモを

 社会のあり方を戦時体制に転換

  革共同教育労働者委員会

 日帝・小泉政権が教育基本法の改悪へ突き進んでいる。4月28日に「我が国と郷土を愛する態度を養う」とうたった改悪案を閣議決定して国会に提出、今国会でなんとしても教育基本法改悪を押し通そうとしているのだ。こんな暴挙は絶対に許してはならない。教育労働者を先頭にすべての労働者・学生・人民は、翼賛国会を包囲し、改憲の一大突破口=教基法改悪を絶対に阻止しよう。

 戦後憲法体制を解体して改憲の強行狙う

 まず何よりも、教育基本法の改悪がいよいよ国会に提出されるという現実に、根底から危機感を燃やそう。教育基本法の改悪は憲法改悪に直結するものであり、戦後憲法体制を解体し、社会のあり方を戦時体制へと根本から大転換させるものである。
 教育基本法とは、労働基本法、地方自治法と並んで、戦後憲法体制を支えてきた法律である。労働組合法は戦後間もない1945年12月に制定され、教育基本法、労働基準法、地方自治法は、いずれも日本国憲法が施行された1947年に制定された。それ以来59年、さまざまな反動政治が繰り返されながらも、大きくは、戦後的な〈平和と民主主義〉という価値観にもとづいて社会のすべての仕組みがつくられてきたのである。
 まず教育は、教育基本法のもとで、国のために命を捨てることを強制する教育から、「個人の尊厳を重んじ、個人の価値を尊ぶ」教育へと大転換した。憲法・労組法・労働基準法により労働者の団結権、団体交渉権、ストライキ権が保障された。地方自治法により、地方自治体は国の下部機関ではなく、国と同格の存在へと転換した。これらはいずれも、侵略戦争を再び行わないための仕組みであったと言える。
 戦後の日教組運動もまた、教育基本法体制のもとで成り立ってきたものである。勤評闘争や学テ闘争など、戦後労働運動において決定的な位置を占めてきた日教組の闘いも、戦時中の教育との決別を強く打ち出した教育基本法の存在を前提として闘われてきた。「教え子を再び戦場に送るな」が日教組運動にとって絶対に欠かせないスローガンとして存在してきたのも、戦争教育の担い手にはけっしてならないという強い決意ゆえであり、教育基本法の存在と一体であったと言っていい。
 今開始されているのは、こうした戦後体制をすべて根底からひっくり返し、上から解体して、社会全体を〈戦時体制〉へとつくり変える大攻撃である。
 教育を変えるということは、けっして教育現場が変わるだけのものではない。60年前に大破産してけっして繰り返されてはならないものとされた〈国のために生き、天皇のために死ぬ〉人間となることが、社会全体に至上の価値として押しつけられていくのだ。それは〈戦後の終わり〉であり、〈戦時の始まり〉である。
 教基法改悪反対闘争は、03年の「教育基本法の改悪をとめよう! 12・23全国集会」を起点にして、「日の丸・君が代」強制に反対する教育現場からの不起立闘争と相まって大きな高揚をつくり出してきた。その力が、今日まで教育基本法改悪を阻止してきたのである。にもかかわらず改悪法案が提出されようとしているのは、帝国主義間争闘戦下の日帝の危機の深まりが、今や改憲そのものを火急の課題としているからだ。教基法改悪=日教組解体こそ、改憲強行のための正面突破攻撃なのだ。教育労働者を先頭に、すべての労働者が激しい危機感を燃やして立ち上がろうではないか。

 教育の目標が愛国心育成に

 日帝・小泉政権の教育基本法改悪案は、教基法を日教組解体と戦争教育強制の武器へと180度転換させる、本当に許すことのできない内容である。
 まず、前文に「公共の精神」「伝統の継承」を盛り込んだ。「公共の精神」とは国家のために命を投げ出す「忠君愛国」精神のことであり、「伝統の継承」とは天皇制支配を永遠のものとして継承せよ、ということだ。現行教基法前文にある「真理と平和を希求する人間の育成を期する」教育から、国のため、天皇のために命を投げ出す人間をつくるための戦争教育へと大転換させようとしているのだ。
 さらに第2条として、現行教育基本法には存在しない〈教育の目標〉を新たに定めようとしている。そこで掲げたのは、「豊かな情操と道徳心」「公共の精神」「社会の発展に寄与する態度」など、いずれも国家・公に奉仕する人間を育成する教育へと大転換させるものである。自公協議の焦点であった〈愛国心〉は、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」とされた。「真理と平和を希求する人間の育成」ではなく、〈愛国心に燃え、国際平和のために戦う日本人〉づくりへと、教育の目標が大転換するのである。

 10条を解体し戦争教育徹底

 最大の問題は現行法10条の解体である。10条は、教育行政の任務を「条件整備」に限定して教育内容に介入してはならないと制限を加えた。これは、国家権力の直轄支配のもとで青少年を戦場に送り出していった戦時中の教育との決別を打ち出したものであり、教育基本法の中でも核心的な条文である。これを改悪案は、「教育は……国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」という言葉を削除し、それに代えて「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」とした。さらに教育行政の任務を「条件整備」に限定した10条2項を削除し、「国は……教育に関する施策を総合的に策定し、実施しなければならない」と明記した。教育振興基本計画の規定を設け、閣議決定だけで政府の意のままに教育政策を推進していく仕組みをつくろうとしている。教育活動が法律の執行行為となり、「命令による教育」が横行するということだ。
 これらによって、教育労働者には、改悪教基法とそれに連動して改悪される下位法令の順守が義務づけられることになる。教育基本法が改悪されれば、それが学校教育法改悪→学習指導要領改悪→教科書検定基準の改悪へと連動し、教育内容を愛国主義・国家主義で染め上げていくものとなることは間違いない。さらに特別活動の儀式的行事も〈愛国心涵養(かんよう)のための儀式〉と位置づけられ、「日の丸・君が代」に対する起立・敬礼・斉唱指導が義務づけられることになるのだ。
 また、〈愛国心に燃え、国際平和のために戦う日本人の育成〉が教員の「崇高な使命」とされれば、「君が代」を歌わない教員、生徒に歌わせられない教員は、職務命令の有無にかかわりなく「不適格教員」として分限免職、教員免許更新制でクビとされることになりかねない。
 軍国主義教育との決別をうたった10条が、まったく逆に、教育労働者に国家の方針どおりの教育を強制する条項に大転換させられようとしているのだ。教育労働者は「教え子を再び戦場に送るな」の決意にかけて、渾身(こんしん)の力を振り絞って改悪阻止に総決起しよう。

 労働者の子を戦場に送るな

 教基法改悪は、〈格差社会〉に対応した差別・選別教育を徹底するものでもある。そして小泉「構造改革」が階級対立をますます激化させている現実に対応して、「天皇中心の伝統・文化」なる虚偽のイデオロギーによって国民統合をはかる攻撃である。その意味で、共謀罪を始めとした戦時型治安弾圧強化とも表裏一体の関係にある。
 大都市ではクラスの半分の児童生徒が就学援助を受け、生活保護世帯は100万を超え、若年層の半分は非正規雇用、平均年収133万円となっている。愛国心教育と差別・選別教育の徹底によって戦場に送り込まれようとしているのは、労働者階級の子どもたちである。
 自民党の武部幹事長は、「フリーター、ニートはイラクに行け」と言い放ち、安倍官房長官は、「ライブドア事件の原因は教育が悪いからだ」「自分の損得を超えた気持ちをしっかり教えていくことがホリエモンを生み出さないことにつながる」「(教基法には)『国を愛する心を涵養する教育』をしっかり書き込みたい」と強弁した。「お国のために命を投げ出しても構わない日本人を生み出す」と本音を吐いた西村真悟は、私腹をこやし所得隠しを開き直っている。こんな腐敗した連中に、子どもたちの未来を委ねることなど断じてできない。

 4大産別の労働者は改悪阻止の先頭に

 すでに述べたとおり、教育基本法改悪とは改憲に直結する大攻撃である。
 世論調査では、依然として過半数が9条改憲に反対している。沖縄と全国の米軍再編反対運動の高揚は、戦後的平和意識の強さをあらためて示している。日帝・小泉政権は、戦後的平和意識を一掃することなしに改憲の勝負にうって出ることもできないし、下手に国民投票にも踏み切れないという事態に追い込まれている。だからこそ、公務員や教育者の改憲反対運動を全面的に禁じる国民投票法が必要なのだ。国民投票法制定も教育基本法改悪も、労働者階級の戦後的な〈平和と民主主義〉意識をも暴力的に解体しようとする、上からのクーデターと言うべき大攻撃である。
 教育基本法と憲法の改悪を阻止するために、核心をなすのは労働組合の闘いである。教育・全逓・自治体・国鉄の4大産別の労働者を先頭に、すべての労働者と労働組合が立ち上がった時に、教育基本法改悪も憲法改悪もけっして強行できないのである。
 それゆえ、日帝・支配階級は、憲法改悪を貫徹するために、日教組と自治労を解体しようと総力を挙げている。そのことは、日教組・自治労・全逓(現JPU)の絶滅を公言した『文芸春秋』05年12月号の森前首相発言などにも明らかだ。連合を丸ごと改憲勢力化させようとする支配階級の思惑は、「国の基本政策に関する連合見解」の先送りに示されるように、うまくいっているわけではない。しかし、日教組・自治労の指導部は、「平和基本法制定」方針を推進して、あくまでも単産を丸ごと改憲推進方針に大転換させていこうとしている。
 日教組委員長の森越は昨年春、雑誌『論座』6月号で新右翼「一水会」の鈴木邦男と対談して、「君が代は非常に平和な歌」「憲法は不磨の大典ではない」などと公言した。さらに昨年7月の全国大会では「国旗・国歌の意義を教える」という驚くべき方針を打ち出した(現場からの怒りがたたきつけられてこの方針は修正された)。教基法改悪に対する日教組本部の方針は、阻止はおろか反対ですらなく、翼賛国会への「調査会設置」を要求する署名運動である。教育基本法改悪によって日教組の存在そのものが絶滅されようとしている時に、この日教組本部の大裏切りは絶対に許せない!
 国鉄分割・民営化を強行した時の首相・中曽根康弘は、当時から「国鉄分割・民営化により国鉄労働運動をつぶし、総評・社会党をつぶす」「行革でお座敷をきれいにして立派な憲法を安置する」と公言してきた。「お座敷をきれいにする」とは、核心的には、労働運動を絶滅するということだ。これに対して動労千葉は2波のストライキを頂点にして分割・民営化反対闘争を闘いぬき、40人の首切りをものりこえてJR体制下で国鉄分割・民営化反対闘争を継続している。さらに現在まで1047名の国鉄労働者の解雇撤回闘争が継続し、いよいよ3争議団の団結によって大きく発展しようとしている。労働運動の絶滅攻撃と激突して、階級的労働運動を守り発展させてきたこの動労千葉を先頭とする闘いこそ、改憲を阻んできた闘いだ。
 4大産別決戦こそ教育基本法改悪・憲法改悪と激突する最大の闘いである。4大産別の労働者とはもともと、戦時中に国家権力の先兵とされ、侵略戦争に全面協力する役割を担わされた労働者だ。4大産別の数百万人の労働者を今再び全面的に戦争動員することなくして、日本帝国主義の戦時体制は成り立たないのである。それゆえ、逆にこの4大産別の労働者が組合的団結を堅持し、教育基本法改悪・憲法改悪阻止の闘いの先頭に立った時、勝利の展望は切り開かれるのだ。
 すべての労働者は、自らの職場において、ただちに教育基本法改悪と憲法改悪をめぐる大論議を巻き起こし、職場・組合丸ごとの反対運動への総決起を実現しよう。

 不起立闘争に続き戦争協力絶対拒否を

 教基法改悪は、教育労働者を戦争教育の担い手へとつくり変えようとするものであり、愛国心教育を踏み絵とする教員レッドパージ攻撃である。この重大攻撃に体を張って立ち向かってきたものこそ、東京を先頭に全国で闘いぬいてきた「日の丸・君が代」不起立闘争である。
 03年「10・23都教委通達」以来3年、東京の教育労働者が不屈に闘いぬいてきた「日の丸・君が代」不起立闘争は、「国に先駆けて教基法を改正した」と豪語して石原・都教委が打ち出した「10・23通達」を破綻(はたん)させてきた。「自らの生きざまをかけて、戦争につながるものには絶対反対する」という戦争協力拒否闘争が、闘う日教組運動の魂をよみがえらせ、教基法改悪阻止闘争の高揚をつくり出してきた。「教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会」には、東京の被処分者を先頭に、都高教や北教組を始めとする県教組の結集が始まっている。
 さらに不起立闘争は、職場からの戦争協力拒否闘争として他産別の労働者にも大きなインパクトを与えている。「正直、すごいと思います。すばらしい先生ですね。『子どもたちに真実を伝えようとする先生でいたい』ということに共感をおぼえています。私たちは、戦争のための物資は運ばないと、『運び屋』の気概をもって闘っています。お互い、自分の持ち場で闘いましょう」(全国港湾・玉田雅也事務局次長、『百万人署名運動全国通信』101号)。被処分者の闘いは、国労闘争団をも揺さぶり、「日の丸・君が代」闘争―教基法闘争と国鉄闘争の合流も始まっている。
 〈侵略戦争の先兵にはけっしてならない〉という教育労働者の自己解放的決起の力を徹底的に信頼しよう。教科書、学テ、戦災訓練など〈戦争と差別の教育〉、新勤評、新職=新級など〈教育の権力支配〉をめぐって、「いかなる弾圧、処分にも屈しない」不退転の抵抗闘争を巻き起こそう。勤評闘争が60年安保闘争を切り開いたように、教育労働者が先頭に立って全人民の改憲阻止決戦を切り開こう。
 フランスで、イギリスで、アメリカで巨万のデモ・ストライキが巻き起こり、労働者階級が歴史の主人公として登場している。国会で決まった法律を街頭でひっくり返したフランスの闘いに続こう。日教組本部の「調査会設置」要求運動を弾劾し、巨万のデモで翼賛国会を包囲しよう。教育労働者を先頭に、教基法改悪阻止決戦の大爆発で改憲阻止決戦の火蓋(ひぶた)を切ろうではないか。

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週刊『前進』(2245号4面1)(2006/05/08)

 泉佐野市議選 国賀祥司氏の必勝を

 “07年関空2期供用阻止”

  5〜6月改憲阻止闘争開こう

 泉佐野市議選は、5月14日投開票まであと2週間になった。国賀祥司議員の6期目当選をかけた闘いは、かつてない激しい選挙戦となっている。定数が2人減らされて21人になり、立候補予定が32人になろうとしている。前回をこえる多数激戦である。もてる一切の力を投入し絶対に勝利をもぎ取ろう。

 国賀票つぶし狙う反動との大激戦に

 この選挙戦を激しいものにしているのは、国賀祥司氏の「ごみ有料化の撤回を住民投票で実現しよう」という呼びかけである。ごみ有料化が4月に実施され住民の怒りが噴出している。この中で、国賀祥司氏が住民投票を訴えたことが、泉佐野市民の気持ちをとらえ、大きな渦になろうとしている。これに反動勢力が焦りと危機感を募らせ、選挙戦をかつてない激しいものにしている。ごみ有料化が選挙戦の最大の争点になった。
 国賀祥司氏の躍進に、保守反動はもとより共産党までも反動策動に出ており、激しい国賀票つぶしを画策している。文字通り1対31の闘いだ。さらに国家権力・大阪府警は、住民投票をめざす運動が、泉佐野の情勢に地殻変動をもたらしていくことを恐れ、これを破壊しようと策動し始めた。われわれはこうした大反動をすべてぶっ飛ばして、国賀祥司氏の6選を絶対にかちとる決意である。
 この勝利をもって、5〜6月改憲阻止決戦の大発展を切り開いていく。関西新空港反対の闘いを地元からさらに強力に発展させ、07年2期供用を阻止する。軍事空港化を粉砕しよう。三里塚にならぶ闘争としていくのだ。沖縄・岩国・神奈川・全国で爆発している米軍再編粉砕の闘いにしていくつもりである。
 そしてなにより新指導路線下の革命的議会主義の真髄を発揮し、4大産別決戦を軸にした労働者階級の組織化のために、さらに徹底的に闘っていく。こうした展望の一切が、残り2週間の決戦にかかったのだ。すべての同志諸君、労働者人民のみなさん、勝利のために必要なすべてを泉佐野現地に投入することを訴える。現地はその最先頭で闘うことを決意している。共に闘い勝利しよう! 
(写真 事務所開きに110人の支持者らが詰めかけ国賀祥司氏の訴えに聞き入り、5月14日投票へ必勝を誓った【4月16日 泉佐野】)

 ごみ有料化実施に住民の怒りが沸騰

 4月1日からのごみ有料化攻撃に、泉佐野市内では、かつてない事態が起こっている。市役所には毎日抗議の電話が殺到している。1枚50円もする指定ごみ袋以外で出す抵抗の闘いが市内各所で起こっている。市役所がこれに対して「違反袋です。警告」というシールを貼って回収を拒否したこと、有料ごみ袋以外に出させないために、監視カメラを設置すると市長が言い始めたことは、さらに怒りの火に油を注いでいる。そしてほとんどの市民が口々に怒っているのは、「ごみ減量化」と称して、分別を強制しながら、同じ回収車にごみを放り込んで焼却していることだ。「これでは一体なんのための分別なのだ」という怒りの声に、市長は「分別の練習だ」と開き直っている。まさに住民は怒り心頭だ。
 94年関西新空港開港から12年、泉佐野市は、空港優先市政で、空港の借金の犠牲をことごとく市民に押しつけてきた。市の財政は破綻(はたん)し、その赤字を市民にことごとく転嫁するため175項目にもわたる「財政健全化計画」が実施されてきた。福祉はすべて切り捨て、公共料金は府下最悪、学校施設はボロボロ、保育所は民営に、公共施設は週休2日に、など泉佐野市民が、「できるなら出ていきたい」と心底思うような事態が強制されてきたのだ。
(写真 市役所前でビラをまく国賀祥司さん【4月25日】)

 新田谷市政を打倒する闘い

 こうした暴挙を市は、反動議会と地域ボス支配、共産党の全面屈服で強制してきたのだ。06年4月ごみ有料化実施への怒りの噴出は、こうした新田谷市政をうち倒し、関空2期と小泉三位一体攻撃を吹っ飛ばす展望をもった歴史的闘いである。そして住民投票運動は「民意」を何一つ反映しない反動議会ではなく、泉佐野市民こそが、自分たちのことを決定するのだという運動である。奪われた福祉や権利を自らの力で取り戻す闘いだ。この闘いと結びついて、発展させていくことこそ泉佐野市議選の闘いなのである。

 住民投票・直接請求に支援の輪広がる

 4月強行実施前の3月17日から開始された「住民投票でごみ有料化の是非を問う条例の直接請求運動」は、住民の怒りに火をつけ、泉佐野市議選と一体になって発展している。市民は、住民投票に賛成し、「選挙で市議会議員が回ってきても、ごみ有料化に賛成したやつには帰ってくれと言っている」「平等とうたいながら堂々と貧困住民に支払い負担を押しつける市のやり方はまるで詐欺師。振り込み詐欺とかわらん!」と憤っている。
 国賀陣営が発行した住民投票を呼びかける1枚のビラは、住民に圧倒的に支持され、大きな反響を呼び起こしている。市民の気持ちをつかみ、決起を促進している。いたるところで、「受任者になる」「署名に協力する」という声が挙がっている。駅頭ビラは、8〜9割が受け取られている。若い主婦を中心にした市民が直接請求・住民投票の運動に参加し始めている。まさに宣伝の革命だ。
 この事態に、共産党は、「泉佐野民報」というビラに「ごみ有料化の5月実施を前にして」(すでに始まっているのに!)と書いて全戸に配布し、市民の怒りをかい、墓穴を掘った。共産党にとって、ごみ問題のビラを出さざるをえなくなったこと自体が、破産的なのだ。一度たりとも真剣に反対してこなかったから実施されていることすら気付いていないのだ。保守・公明の賛成議員は口をつぐみながらも、「決まったことだから反対してもムダ」と押しとおそうとしている。新人は票欲しさに「ごみ有料化反対」を叫んでいる。
 大阪府警は、直接請求運動に「選挙前には署名はできない」と言いがかりをつけ、デッチあげ弾圧を狙ってきている。ふざけるな! 選挙期間中でも受任者・協力者を募ることはできるのだ。大阪府警のうすぎたない策動を粉砕しよう。
 ごみ問題は市議選の重要争点となった。住民投票要求をさらに発展させ、国賀当選をもぎ取ろう。この力で住民投票を実現しよう。

 地区党建設の選挙として全力決起を

 泉佐野市議選の方針の要点は、5期20年の国賀議員と地区委員会の労働者細胞に、選挙を勝ちぬく土台があることを明確にすることだった。5期20年は、議員と地区委員会が文字どおり、「細胞」として革命的議会主義を貫いてきた歴史である。支持者との生きた交流を形成してきただけではなく、議員と地区の労働者細胞の団結で、労働者階級の組織化を、押し進めてきたのだ。選挙戦のさなかでも、「日の丸・君が代」強制拒否の決戦、自治労への行革・民営化攻撃との闘いを貫いてきた。関西合同労組の春闘も闘ってきたのである。
 だからこそ、この泉佐野市議選を地区党建設の選挙として貫いていくことは勝利のためにも必然だったのである。選挙戦の方針形成の主体としての地区委員会であることを徹底的にはっきりさせて闘ってきたのである。そうすることによって、泉佐野選挙の激しい攻防をやりぬいてこれたのだ。選挙にかかわる一切の方針を地区委員会で議論し、決定していくあり方の貫徹こそ、本当の地区党建設の選挙である。
 06年泉佐野選挙はかくして闘われてきた。このあり方を徹底的につらぬき、地区委員会のもぎり取った勝利として、必ず国賀祥司氏当選をかちとる決意である。同志諸君、労働者人民のみなさん、最後の2週間の全力疾走で、必ず勝利をかちとろう!
 〔革共同泉州地区委員会〕

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週刊『前進』(2245号5面3)(2006/05/08)

 法政大 法学部でも処分阻止 独裁者=平林総長打倒を

 法政大学では、3・14弾圧で不当逮捕された法大生への処分攻撃を押し返す決定的勝利を切り開いている。4月24日の法学部教授会でも、前週の文学部と同様に処分決定はできず、平林総長らが描いた「4月退学処分決定」のシナリオは崩壊した。
 「4月退学処分」策動を押し返したことで処分反対署名はさらに集まっている。昼の1時間で45筆の署名が集まり、ある1年生のクラスでは呼びかけにこたえてほぼ全員が処分反対署名をした。総数も800筆を突破した。「自分も何かやりたい」という学生も出てきている。ビラを意識的に受け取る学生の数も飛躍的に増えている。「5人への処分を許したら『自由な法政』は失われる」という危機感と怒りが急速に広がり行動に結びついている。
 こうした中、法大当局は3・14以降棚上げとなっていた「ビラ・立て看板規制」を5月1日から発動しようとしている。その内容は次のようなものだ。
 @「学内学生団体」しか立て看板を出させず、ビラ掲示・ビラまきも認めない(個人名もダメ)。A立て看板、ビラの掲示・配布は団体名と連絡先を明記。ビラ掲示期限は3週間。B立て看板は学生部長の許可が必要。設置可能場所はピロティ+αのみ。ベニヤ2枚分まで。期間は2週間。C教室内でのビラ配布、置きビラは禁止。D以上に違反003した者には撤去・回収にかかった費用を請求し、立て看板設置、ビラ掲示・配布のすべてを禁止する。
 これは改憲攻撃の実質的な先取りだ。絶対に発動を許してはならない。
 処分決定が下せなかったことに打撃を受けた安東学生部長らは、日増しに弾圧をエスカレートさせている。法大救援会の朝ビラに対しては、連日十数人の教職員を動員して、警察権力と一体の妨害を続けている。門には「ビラまきはご遠慮ください」なる掲示物まで張りだした。
 学生ホールにいた被弾圧者には「小看板をどけろ」と難癖をつけ、隣にいた法大生に対しては10人以上の教職員を動員して「自宅謹慎者と一緒にいる者は学外者の疑いがある。学生証を見せろ」と恫喝した。
 4・28法大包囲デモを呼びかける立て看板には「自宅謹慎者には施設の占有を認めない。撤去しろ」との「通告書」が張られた。学生部教職員らは許しがたいことに「これが『今日の弾圧』だ」(浅見学生部事務次長)などと言い放っているのだ。
 しかし、なりふり構わぬ弾圧は、敵の追いつめられた姿だ。卑劣な弾圧に手を染めれば染めるほど、学生や教職員の怒りに火をつけるばかりだ。ある学生は「毎朝警察と闘いながらビラまいてますよね」と言って署名を寄せ、学生ホールで十数人の教職員が学生を取り囲む弾圧の現場では「中核がんばれ」と学生が声を上げた。これらはほんのエピソードに過ぎない。平林総長らの独裁体制を打倒する時が来たのだ。平林が打ち出した総長選挙廃止にも教職員の反対の声が高まっている。校則強化に反対して座り込みを闘った法政一高の生徒の息吹はキャンパスに波及している。
 4月の勝利を踏まえ、5月教授会での処分決定を完全に阻もう。「一切の処分をしない」決定を勝ち取り、自宅謹慎命令を撤回させよう。法大・平林総長を引きずり出し、打倒しよう! 「立て看板・ビラまき規制」を粉砕しよう! 処分策動粉砕! 憲法改悪を阻止しよう!

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週刊『前進』(2245号5面4)(2006/05/08)

 有朋寮裁判 高裁が明け渡し不当判決

  第2次強制執行阻もう

 4月25日、仙台高裁・小野貞夫裁判長は有朋寮「明け渡し」控訴審で、仙台地裁判決を踏襲し有朋寮「明け渡し」を求める不当判決を下した。しかも「仮執行」宣言付きであり、機動隊導入・暴力的たたき出しを狙うものだ。われわれは屈従を断固拒否し、強制執行と徹底対決することを宣言する。この決戦を、改憲阻止全国学生ゼネストの革命的突破口として闘う。何よりも、立て看板・ビラ禁止攻撃と闘う法大決戦と連帯して闘う。そして全世界を席巻する学生の帝国主義打倒の革命的反乱とともに日本学生運動の爆発にむけて闘う。

 高裁に警察を100人動員

 仙台高裁は、判決後われわれを排除するために、実に100人(!)もの警察官を導入した。ここに東北大・吉本執行部の腐りきった本質が現れている。そしてこれは、すべてを力で押し通す小泉政権の本質そのものだ。仙台高裁の判決は暴力でしか維持できない、もろい「ガラス細工」でしかない。ここに、団結と行動をたたきつけた時に粉々に打ち砕ける展望がある。
 傍聴には学生・労働者・市民40人が結集した。原告である東北大学当局は、弁護士を含め誰一人として法廷に現れなかった。裁判長は原告がいないことを気にする様子もなく主文を読み始めた。そして、判決理由も読み上げずにそそくさと逃げていった。
 ふざけるな! われわれが抗議のシュプレヒコールをたたきつけるや否や、そこになんと警官100人が法廷の奥から押し寄せ、われわれを敷地外に締め出したのだ(写真)。警察導入は“退去しないので仕方なく”というものではまったくない。あらかじめ裁判所と警察との間で決めていたのだ。仙台高裁には、もはや「憲法の番人」としての建前さえない。東北大・吉本執行部が出席せず、警察を動員しなければ下せない判決などに正当性はみじんもない。こんな卑劣なやつらに有朋寮をつぶす権利などどこにもない。

 小泉改憲攻撃との激突点

 われわれ有朋寮生は、強制執行に一歩もひくつもりはない。それは、有朋寮の闘いが小泉の戦争と改憲の攻撃との激突点だからだ。戦時下の寮つぶし・団結破壊を阻止するため、逮捕・流血辞さず人生かけた大決戦をあらためて決意する。
 吉本執行部は裁判で「有朋寮が住めないほどに老朽化しているのかどうか」という証明すらできず、一貫して「大学当局がつぶすと決めたのだから有朋寮をつぶしてよい」と主張してきた。廃寮に反対した古郡への「無期停学」処分を3年以上も続け、そして今回の警察動員である。有朋寮はこのあり方とずっと闘ってきた。吉本執行部による廃寮攻撃は、小泉政権が行っている、暴力で従わせて団結を破壊し、改憲と戦争に突き進んでいることと完全に一体だ。

 有朋寮へ全国の力の結集を

 敵は国家暴力による強制執行を狙っており、一刻の猶予もない。万難を排して有朋寮へはせ参じてほしい。激励、カンパ、あらゆる形で闘いを支えてほしい。
 団結して闘えば勝てる。それは昨年9月21日に示されている。昨年9月、強制執行を絶対に許さないという有朋寮生・全国学生の闘いが多くの労働者市民の心を揺り動かし、裁判所を追い詰め、ついに9月21日に強制執行停止決定をかちとったのだ。3・14法大弾圧で29人の不起訴・早期奪還をかちとったのも、やはり団結があったからだ。
 全国の学友は有朋寮へ!廃寮阻止・「無期停学」粉砕! 改憲阻止! ともに闘おう!
(東北大・F)
【東北大学有朋寮】
メール uforyou@hotmail.com
HP http://uforyou.exblog.jp/
振替口座 郵便振替「02210−2−61153東北大学有朋寮」

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週刊『前進』(2245号6面2)(2006/05/08)

 共謀罪阻止へ全力決起

 国会前でハンスト “4・28衆院採決阻止せよ”

 現代の治安維持法=共謀罪に労働者人民の怒りと闘いが爆発している。共謀罪は、「犯罪」の実行行為がなくても、話し合っただけで処罰するという治安弾圧立法だ。4月21日に衆院法務委で審議入りし、その1週間後に採決を狙うという暴挙に対して、国会前ハンストを始め連日の闘いが繰り広げられた。

 怒った市民が続々と合流 25日 国会前集会

 共謀罪の衆議院法務委員会での審議入り強行という緊急事態の中、共謀罪新設反対・国際共同署名運動は4月25日から27日まで断固たるハンスト闘争に立ち上がった。
 衆議院第2議員会館前に陣取ったハンスト団と支援の仲間は、25日正午から130人でハンスト突入集会をかちとった。集会開始とともに襲った雷雨をものともせず、参加者の危機感と怒り、決意があふれる発言が続いた。ニュースを見て駆けつけ、飛び入りでハンストに決起した人もいる。
 破防法・組対法に反対する共同行動事務局からの緊迫する国会情勢報告に続いて、ジャーナリストの安田浩一さん、学生、共同行動の各参加団体、憲法と人権の日弁連をめざす会の遠藤憲一弁護士、救援連絡センター、ミュージシャンら幅広い人たちからの発言が続いた。遠藤弁護士は「『話し合っただけで処罰』と言われているが、暴力団の事件では話し合いすらなくても共謀を認定している。28日の採決強行など絶対に許せない」と共謀罪をあらためて弾劾した。ハンスト団は「共謀罪を永久に葬り去るまで闘おう!」と呼びかけた。
 ハンスト団は、夜は日比谷公園郷土の森に移動してテントで野営し、翌早朝から連日のビラまき、衆院第2議員会館前での座り込みをやりぬいて国会闘争を最先頭で切り開いた。
 25日の衆院法務委員会では、自民・公明の与党が野党退席のまま審議を強行した。しかし、21日の審議強行を節目に、国会前を通る人たちの関心も画然と高まっている。インターネットやメールで事態を知り、国会前に駆けつけて合流する人も次々と現れている。共謀罪を3度めの廃案にたたき込む手ごたえを、すべての参加者が確信する闘いになった。
(写真 国会前に陣取ったハンスト団。共謀罪阻止へ全国から支援が結集【4月25日 衆院第2議員会館前】)

 銀座をデモし熱くアピール 23日 審議入り弾劾

 共謀罪の成立を絶対に阻もうと、「破防法・組対法に反対する共同行動」の主催で4月23日午後、東京で集会とデモが闘われた。
 午後2時から港区西新橋の南桜公園で決起集会が開かれた。与党が21日に反対の声を押し切って強引に審議を再開したことへの怒りと危機感に燃えて、130人が結集した。
 共同行動の代表が基調報告を行った。「21日の審議入りは絶対に許せない。労働組合は話し合ってものごとを決めるが、共謀罪はその話し合い自体を犯罪と見なす労組弾圧法だ。これは、改憲と戦争国家づくりに抵抗する者を弾圧し排除するための攻撃だ」と核心的に批判し、「絶対に廃案にしよう」と訴えた。
 「憲法と人権の日弁連をめざす会」の武内更一事務局長は連帯のあいさつで、「フランスではデモで悪法を葬った。素晴らしい闘いだ。民衆には抵抗権がある。ともに生きる社会を守り抜くために、共謀罪を葬り去ろう」と呼びかけた。
 さらに、入管法改悪と闘う仲間、共謀罪に反対する表現者の会、全逓労働者、日本山妙法寺の僧侶が、思想・表現を弾圧する共謀罪を徹底弾劾し、闘いの決意を表明した。闘うミュージシャンがギターと歌でアピールした。
 集会後、3時から新橋駅前、銀座・数寄屋橋交差点を通ってデモ行進した。沿道の人びとの関心は高く、デモに共感が集まった。
 共謀罪反対の総署名数は二十数万、そのうち国際共同署名は2万7千筆が集まった。全国の9割の弁護士会が共謀罪反対の声明を出している。
 共謀罪反対の声は、日増しに全国で高まっている。この声を踏みにじって成立を強行するなど絶対に許されない。デモをやり抜いた参加者は、あらためて絶対阻止の決意を固め、決戦に突入することを誓い合った。
(写真 「共謀罪」廃案を訴えて銀座をデモ【4月23日】)

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週刊『前進』(2245号7面1)(2006/05/08)

 戦争協力に突き進む連合路線と対決し 改憲阻止へ大運動を

 9条破棄と基本的人権解体のクーデター狙う日帝との決戦

  坂本千秋

 小泉政権による戦争と民営化(労組破壊)の攻撃は、憲法9条の撤廃を柱とする全面的な改憲攻撃として展開されている。イラク侵略戦争参戦と米軍再編・基地強化の攻撃、公務員労働者の大量首切りや社会保障制度の全面解体、労働者人民の生活の極限的破壊、治安弾圧激化などの攻撃は、そのすべてが現憲法の実質的な破壊・解体の攻撃として襲いかかっている。そして今や、教育基本法の改悪を突破口に、直接の改憲攻撃がついに開始された。それは日本帝国主義が60年前に行った戦争を再び一層残虐に繰り返すものとなる。絶対に許してはならない。逆に一切の侵略と戦争と搾取と抑圧の根源である帝国主義を、労働者階級の団結の力で今度こそ打ち倒すべき時代が来ているのだ。改憲粉砕=戦争国家化阻止・日本帝国主義打倒へ! 教労・自治体・全逓・国鉄の4大産別を先頭に闘おう。9条改憲阻止の大統一戦線を形成しよう。この巨大な闘いの扉を押し開くために、すべての労働者階級人民、とりわけ青年労働者と学生の総決起を訴える。

 第1章 改憲阻止決戦は現実的に戦争か革命かを問う闘い

 憲法は、国の基本法である。それは単に、法律の最高位にあるものという意味にとどまるものではない。国家権力と人民との基本的関係を定め、国と社会のあり方の根幹を決めているものだ。この憲法を根本から変えることは、体制の大変革を意味する。いわば一個の「革命」ないしクーデターである。
 今日の改憲攻撃はまさに、日本の支配階級(政財界)の側からの、そうした根底的な体制転覆の要求としてかけられている。その先頭に立っているのは日本経団連に代表される日本の金融資本・巨大独占資本だ。戦後憲法の平和主義・民主主義的制約とそのもとでの階級的諸関係を全面的に破壊し解体して、彼ら帝国主義ブルジョアジーが労働者階級を無制限に搾取することができ、新たな侵略戦争・世界戦争に動員できる国と社会の体制をつくり出そうとするものである。
 現憲法の制定以降、この半世紀間に、憲法改悪への動きは何度か浮上した。戦争放棄を規定した憲法9条と自衛隊や日米安保条約との矛盾をめぐり、「憲法の方を現実に合わせるべきだ」といった主張が歴代の自民党政権下で繰り返し展開されてきた。だが現在の攻撃は、その単純なむしかえしではない。昨年秋に出された自民党新憲法草案が示すものは、もはや憲法の一部を変えるといった話ではない。現在の憲法を完全に破棄して、それとはまったく異なる「新憲法」をつくろうとする攻撃だ。
 その背景には、資本主義・帝国主義の体制があらゆる面で破綻(はたん)し、その根本的な矛盾と危機を全世界的な規模で爆発させているという問題がある。とりわけ日本帝国主義の危機の絶望的なまでの深さがある。これが小泉政権と財界を改憲へと突き動かしている原動力だ。彼らは自ら生み出した危機と矛盾の一切を、労働者階級と被抑圧民族人民に極限的な犠牲を押しつけてのりきり、さらに新たな世界戦争の道に突き進むことで必死に生き延びようとしているのだ。
 改憲攻撃の持つこの大きさ、激しさとその階級的な性格を、まず徹底的にはっきりさせたい。

 (1)世界大恐慌の全面爆発と国家破産の危機に恐怖する日帝

 第一に、日帝の危機はすでに国家破産を突きつけられる状況に達している。
 今日、国と地方の公的債務残高は05年度で1059兆円に達し、GDP(国内総生産)の約2倍というとんでもない額に膨れ上がっている。政府予算の歳入の40%近くが新たな国債の発行によってまかなわれ、しかもその新規国債の3分の2は過去の国債費の償還に充てられている。借金を返すためにさらに借金を重ねるサラ金地獄のような状態に、国全体が陥ってしまっている。
 この途方もない財政破綻の責任はどこにあるのか。その最大の原因は、日帝が恐慌対策として空前の規模で繰り広げてきた帝国主義ブルジョアジー救済の政策にある。銀行や大企業の救済に、国家財政を十数年にわたって湯水のように注ぎ込んできた当然の結果だ。08年には、1997年の金融恐慌時に大手銀行に大量の資金をつぎ込むために発行した国債が償還期を迎え、その返済だけで134兆円もの国債を新たに発行しなければならないと言われている。
 日帝の金融資本・大資本はこの間、バブル崩壊後の長期不況にあえぐ中で、国家の総力を挙げたこうした財政投入と、やはり空前のゼロ金利政策の展開に支えられて生き延びてきた。さらに、労働市場の一大変動をもたらす規制緩和・民営化政策のもとで労働者への徹底したリストラを行い、極度の低賃金化と非正規雇用化を暴力的に推進してきた。
 その結果、今や労働者の4人に1人が年収150万円以下の生活を強いられ、貯蓄ゼロの世帯が全世帯の4分の1だ。超長時間労働が常態化し、過労死や自殺者が続出し、病気になっても医者にもかかれない人が増えている。政財界の上層や高級官僚が民営化で発生する新たな利権などに群がって蓄財を進める一方で、労働者階級全体の貧困化が急激な勢いで進み、「格差社会」と呼ばれる現実がますます拡大してきている。
 しかしながら、それによっても日本経済が長期低迷から脱することは結局できていない。昨今の「景気回復」も、こうした極度のリストラと搾取強化による企業利潤の拡大と、アメリカや中国経済のバブル的膨張にのっかった資本輸出などの拡大によるもので、本質的にはきわめてもろいものでしかない。
 そもそも世界経済全体が、その中心であるアメリカ帝国主義を筆頭に、新たな世界大恐慌の断崖(だんがい)絶壁の上に立ち、その全面爆発をかろうじて押しとどめているにすぎない。米国の経常収支は8千億jを超える大赤字、財政赤字も4千億j、対外純債務は04年末でなんと3兆jを超えると言われる。本来ならとっくに破産が宣告される状態だ。それでもドルが大暴落せずにいるのは、借金を重ねながら消費を拡大しているこの米経済に他の全世界が依拠し、その維持のために各国が米国に資金を供給し続けるという仕組みが続いてきたからだ。
 だがこんな綱渡り的なあり方がいつまでも続くはずがない。現にこの間の原油価格の高騰が、インフレと新たな金融危機の爆発を引き起こす懸念が高まっている。第2次大戦後の半世紀を超えて積み重ねられてきた帝国主義の諸矛盾がもはや解決不能の限界に達して、いつどこからでも世界経済全体の崩壊を引き起こしかねない情勢にある。それは何よりも日帝を直撃する。これへの恐怖が日帝支配階級を追いつめている。
 今や、彼らにとって選択肢はただ一つしかない。それは、資本家階級が自ら生み出してきた今日の国家的な危機と破産の一切を、ひたすら労働者階級に犠牲を押しつけてのりきることだ。公務員労働者の大量首切りを始めとして、全労働者に一層極限的なリストラと文字どおりの飢餓賃金を強制し、社会保障制度を全面解体して最低限の生存権さえ奪い、さらに大増税を押しつけることだ。最後は労働者の人格そのものも否定し、帝国主義の完全な「奴隷」として再び天皇の名のもとに侵略戦争に総動員することだ。これが今、小泉構造改革として現に吹き荒れてきている攻撃の正体だ。
 しかしそれは、これまでの国家体制の反革命的でファシスト的な転覆を伴うことなしには、全面的に貫くことはやはり不可能である。現在の憲法が掲げるブルジョア民主主義の理念や形式それ自体をも否定し解体して、日帝の大独占ブルジョアジーが完全に独裁的で絶対的な権力を手中にする、極反動的な国家支配体制をつくり出すことを必要とするのだ。だからこそ改憲なのである。

 (2)イラク侵略戦争は帝国主義による新たな世界再分割戦の開始

 第二に重要なことは、米ブッシュ政権によるイラク侵略戦争突入が、帝国主義の危機が新たな世界戦争に転化していくその引き金をすでに引いていることである。このプロセスに自らも強大な帝国主義的軍事力を縦横に駆使して参戦していくことができなければ、今始まった世界の強国による資源・市場と領土・勢力圏のむきだしの略奪戦、再分割戦からはじきとばされる。この危機感が、日帝ブルジョアジーを改憲=憲法9条撤廃に駆り立てている最大の要因だ。
 米帝ブッシュはなぜイラク侵略戦争を開始したのか。直接の目的は、イラクの石油の略奪と、それをテコとしたアメリカ帝国主義による中東石油の独占的な支配体制の再確立にある。だが最大の本質は、米帝の歴史的な没落の急速な深まりと帝国主義間争闘戦での敗勢を前にして、米帝が戦争に訴え世界の再分割戦に公然とのりだしたということだ。
 本年1月31日のブッシュの一般教書演説と2月に発表されたQDR(4年ごとの戦力見直し)などで打ち出されていることは、米帝がイラクで始めた戦争をどんなに行き詰まろうとも長期にわたって続けるという宣言である。イラク戦争の泥沼化の中で次にはイランに攻撃を拡大し、必要なら核先制攻撃も辞さないとしている。さらに、「対テロ長期戦争」「圧政の終焉(しゅうえん)」を掲げ、北朝鮮やシリアなど5カ国を名指しして、政権の転覆を露骨に狙った侵略戦争を次々としかけることを策動し、対中国の戦争、世界戦争の準備にも公然と踏み込むにいたっている。
 自動車やハイテク製品など米国が世界に誇ってきたはずの産業が世界市場で軒並み敗退し赤字に転落する中で、米帝にとってもはや軍事力だけが世界を支配するために残された唯一の力だ。米帝はこの力を武器に侵略戦争に次々とのりだし、武力で世界を制圧することで、失われ始めたドルの威信を必死に回復しようとしているのだ。
 米帝がイラクで開始した戦争は、そうした意味でまさに帝国主義による新たな植民地・勢力圏獲得のための古典的な侵略戦争だ。それは強国が小国を武力で抑えつけ、滅ぼし、その資源や土地をほしいままに略奪する正真正銘の強盗戦争だ。被抑圧民族人民を大量に虐殺し、かいらい政権のもとで徹底的に抑圧し収奪して、アメリカの石油資本や軍需産業や、その他の大資本がそこから法外な利益を得ていくための戦争だ。
 「対テロ」「大量破壊兵器」などはその口実にすぎない。必要ならブッシュが今回やったように、いくらでもデッチあげるものである。
 帝国主義世界体制の盟主、基軸国である米帝が、自ら率先してこの軍事力による世界の再分割戦に突入したことが、世界を一変させている。それは、EU(欧州連合)や米・日のそれぞれによる世界経済のブロック化への動きに一層拍車をかけている。さらに、日米英独仏などの帝国主義にロシアや中国をも加えた世界の強国・大国を、それぞれの利害をかけた力ずくの勢力圏争奪戦に一斉に駆り立てるものとなっている。
 これは、第1次大戦、第2次大戦を不可避とした歴史の流れを再び繰り返すものだ。すでに米帝は、イラク侵略戦争が泥沼化する中で逆に自らの危機を一層深め、それを突破するためにも戦争の新たな拡大を狙っている。次にはイランを標的にし、さらに対北朝鮮など東アジアでの侵略戦争をも開始する準備を強めている。それは結局は中東全域、中国大陸を含むアジア全域、そして全世界へと拡大していく以外ない。最後は帝国主義同士が世界支配をめぐって真っ向から激突する第3次世界大戦を不可避とする。
 この情勢は、日本帝国主義を、国際帝国主義の中で最弱の存在に一挙にたたき落とすものである。憲法9条の戦争放棄条項を一日も早く撤廃して、この侵略戦争・世界戦争過程に介入し参戦していくことができなかったら、日本の資本家階級は従来の権益を保持し続けることもできないのだ。昨年1月18日発表された日本経団連の改憲提言は、まさにそうした焦りと危機感に満ち満ちている。
 そもそも、今日に至る日本の「経済大国」としての発展は、実際には朝鮮戦争やベトナム戦争、パレスチナや中東での戦争を始めとする、米帝を先頭とした国際帝国主義の被抑圧民族への絶えざる侵略戦争と政治的軍事的支配を前提にして成り立ってきたものだ。日帝の戦後の「繁栄」なるものは、実はアジアや中東の人民の生き血を吸って得られたものなのだ。日帝はその一部を国内の帝国主義的労働運動指導部への買収費として使うことで、労働者階級の反乱をも体制内に押し込めてきたのである。
 だがこうしたあり方はもはや通用しない。日帝の改憲攻撃とはこの全体をかなぐり捨てることであり、日帝自身が再び最も凶暴な帝国主義として、アジアと世界の人民の前に登場することを意味する。それ自身が世界の人民と日本の労働者階級に対する反革命的挑戦だ。絶対に許すことはできない。

 (3)労働者階級の団結と決起こそ戦争を阻み歴史を変える力だ

 第三に、ぜひとも確認したいことは、このことは日本の労働者階級に何をつきつけているのかということだ。
 日帝の改憲と戦争への必死のあがきは結局は、第2次大戦での敗戦をはるかに上回る破局に行き着くしかないものだ。しかもそれは、今日の現実からすれば、間違いなく核戦争による破局となる。人類史上に例のない、恐るべき殺りくと破壊の地獄に行き着くことになる。
 労働者階級と世界の人民は、生きるためにはもはやこの帝国主義の体制を実力で打ち倒す以外にないのだ。帝国主義の完全な打倒、プロレタリア世界革命が、この21世紀初頭における労働者階級の現実の、火急の課題となったのだ。
 かつて、第1次大戦時にロシアの労働者階級は帝国主義戦争を内乱に転化し、1917年のロシア革命の勝利を実現した。第2次大戦では、ロシア革命を変質させたスターリン主義の大裏切りによって帝国主義国の戦後革命は流産させられたが、アジアと世界の被抑圧民族人民は中国革命を頂点に、植民地支配のくびきをはねのける民族解放闘争に続々と決起していった。そして今日、戦後60年にして、世界はついに新たな革命的激動期に入った。今こそ「万国のプロレタリア、団結せよ!」の旗のもと、全世界の労働者階級の国際的な団結をつくり出し、闘う被抑圧民族人民との連帯のもとに、世界革命の勝利に向けて断固とした闘いを開始する時だ。
 すでにその火ぶたはいたるところで切られている。何よりもイラク人民の不屈の武装解放闘争の継続と発展は、米帝・米軍を底なしの泥沼に追いつめている。開戦から3年を経ても、首都バグダッドの制圧すらできず、かいらい政権の樹立もままならない。逆に米国の若者が大量に戦場に駆り出される中でブッシュへの怒りと不信が爆発し、米帝自身の巨大な体制的危機を生み出している。
 さらに、パレスチナを始め各地で帝国主義の世界支配に対する反乱が続々と始まっている。韓国では民主労総が、非正規職撤廃を掲げてノムヒョン政権との非和解の激突を繰り広げている。
 そしてついに、帝国主義の本拠地、その心臓部から労働者階級の新たな世界史的な決起が始まった。アメリカでの移民労働者を先頭とした350万人の大デモ。資本に無制限の解雇の自由を与える法案を全国ゼネストの力で撤回させたフランスの学生と青年労働者の大決起。イギリスでの1926年以来といわれるゼネストの爆発。ドイツでの公務員労働者の無期限スト。
 革共同が本年1・1アピールで「世界の労働者が帝国主義に対して真っ向から立ち上がらざるをえない情勢にある」と指摘したことが急速に現実となっているのだ。日本の労働者階級は今こそ4大産別決戦を突破口に、改憲阻止・日帝打倒の闘いに総決起しよう。労働者階級の団結した力こそが歴史を変えるのだ。何よりもこの5〜6月を、教労・自治労を先頭にその大決戦の扉を押し開くために闘おう。

 第2章 「自衛軍」保持と海外派兵を求める自民新憲法草案

 (1)9条2項の廃止は戦争放棄の精神とその保障を破壊する

 昨年秋に自民党が結成50周年の大会で採択した新憲法草案には、日帝の改憲攻撃の最も核心的な狙いが貫かれている。それは大きく分けて二つある。ひとつは言うまでもなく憲法9条の撤廃だ。いまひとつは、基本的人権の全面解体と天皇制攻撃の前面化を柱とする憲法原理の反動的大転換である。
 この二つは次の一点で完全に表裏一体だ。すなわち、日本を再び戦争のできる国にすること。それも世界大戦級の大戦争を、1945年以前をも上回るようなすさまじい国家総力戦として闘いぬける国に根本から変えてしまうことである。
 まず憲法9条の問題からみていこう。
 現在の憲法は第2章に「戦争の放棄」の章を設けている。この章は第9条ただ1条からなる。その1項は、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」を永久に放棄すると宣言している。さらに2項では、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と明記している。
 ここではあらゆる軍事力の保有とあらゆる種類の戦争参加がすべて否定されている。歴代の日本政府は実にインチキな解釈によってごまかしてきたが、自衛隊の存在自体が憲法違反なのだ。
 自民党の新憲法草案は、まず第2章の表題を「戦争の放棄」から「安全保障」に変えている。そして9条の1項はそのまま残すが2項は完全に廃止した。そして新たに「第9条の二」として「自衛軍」に関する次の規定を新設した。
 第9条の二(自衛軍) 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮権者とする自衛軍を保持する。
 2 自衛軍は、前項の規定による任務を遂行するための活動を行うにつき、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
 3 自衛軍は、第一項の規定による任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
 4 前二項に定めるもののほか、自衛軍の組織及び統制に関する事項は、法律で定める。
 小泉ら自民党は、戦争放棄をうたった現行の9条1項はそのまま残すから現憲法の平和主義を変えるものではないと言うが、まったくのペテンだ。第9条の核心は2項の〈戦力不保持・交戦権否認〉にある。これと切り離された1項は、ただの飾り文句になってしまう。
 戦争放棄を抽象的に宣言するだけならば、1928年のいわゆるパリ不戦条約にも同様の文言がある。だがこの不戦条約は「自衛のための戦争」を例外とすることで、逆に各国が1930年代の侵略戦争に次々と突入していく決定的な引き金を引くものとなったのだ。ナチス・ドイツの東方侵略も日本の中国侵略戦争も、すべて「自衛戦争」の名で強行された。「つくる会」の教科書は、日本がかつて行った戦争をまさに「帝国の自存自衛」の戦争だったとして正当化し美化しているではないか。
 そもそも「自衛」と言い「国の安全」と言うが、この「国」とは帝国主義国家である現在の日本国家を指している。一握りの帝国主義ブルジョアジーが全権力を手中にし、労働者階級や他のすべての人民をその前にねじふせ、全世界に巨大な網の目のような利権を抱えて支配している国家なのだ。この国家の「自衛」=「国益を守る」とは、彼ら支配階級が自らの階級の利益を力ずくで守ることしか意味しない。そしてそれは、この日本社会に生活する圧倒的多数の労働者階級人民の利害とは絶対に相入れない、非和解的に対立するものだ。
 現在の9条2項を破棄して「自衛軍」と「自衛戦争」を認めることは、自衛隊を正真正銘の侵略の軍隊に変え、侵略戦争をやるぞと公然と宣言することだ。それこそ現憲法の戦争放棄の精神の完全な破壊だ。9条の全面撤廃だ。
 憲法9条の本質とは何か。ここであらためてはっきりさせておきたい。
 〈戦力不保持・交戦権否認〉という9条2項の規定は、帝国主義国の憲法としては本来ありえないものだ。帝国主義としての自己否定にも等しい条項が日本の憲法になぜ書き込まれたのか。
 その理由を改憲派は、現憲法が米占領軍=GHQによって日本に「押しつけられた」結果だと言う。確かに当時の天皇と日帝支配階級にとっては、憲法9条はまさしくその意に反して無理やり強制されたものだ。だがそれを強制したのは何よりも、日本の労働者階級の戦後革命への爆発的な決起の開始であり、日帝の侵略犯罪・戦争犯罪に対する朝鮮・中国―全アジア人民の火のような告発と糾弾の決起である。GHQはこの闘いが日帝打倒のプロレタリア革命へと発展することに恐怖して、それを未然に阻止して天皇と日帝を逆に救い出すためにこそ、9条を柱とする戦後憲法の制定を絶対に必要としたのである。
 日帝が引き起こした侵略戦争は、アジア人民2000万人を虐殺し、日本の人民310万人を犠牲にした。それは「殺しつくし、奪いつくし、焼きつくす」という三光作戦や南京大虐殺、朝鮮・中国人民への強制連行や軍隊慰安婦政策などが示すように、その残虐さと犯罪性において際立っていた。それらは、ナチスのアウシュビッツとも並ぶ他民族絶滅の許すことのできない戦争犯罪であったと言っていい。日本の労働者人民もまた、天皇制テロルの支配下で根こそぎ戦争に動員され、沖縄戦やヒロシマ・ナガサキや東京大空襲の惨禍を強制された。憲法9条を日帝に強制したものは、これへの怒りの激しさだ。
 すなわち、憲法9条を掲げること(それはまた、沖縄の分離・軍事支配を担保としてのみ可能だったが)なしには、日本帝国主義の戦後の延命は対外的にも対内的にも不可能であった。言い換えるならば、「二度と戦争はしない、軍隊も持たない」という誓約は、日本とアジアの人民が戦後革命の敗北と引き換えに、日帝支配階級に科した万力のような締め付けとしてあったのだ。
 したがって9条2項の破棄とは、日帝がこの制約を公然とはねのけ、かつての侵略責任・戦争責任をも真っ向から開き直ることを意味している。過去の戦争への反省をすべて投げ捨て、逆に日帝が生き残るためには必要で正当な「自衛の戦争」だったとし、新たな侵略と戦争に猛然と突き進んでいくことになるのだ。それはかつての戦争犯罪をより大規模に繰り返すものだ。「つくる会」教科書による歴史の歪曲と戦争賛美の攻撃は、まさにそのためにある。単に過去の歴史の歪曲にとどまるものではない。

 (2)米軍再編・基地強化の攻撃と一体で集団的自衛権を解禁

 日帝がすでにイラクの戦場に自衛隊を送り込んでいる中で、憲法9条に手をつけることは直ちに重大な事態を引き起こす。それは、日米安保の本格的な帝国主義軍事同盟への質的転換、世界戦争へ向けた日米反動枢軸の強化を決定的に促進する。直接にも米帝のイランや北朝鮮・中国への侵略戦争拡大への動きに火をつけ、各国の大軍拡や核武装化への動きに拍車をかけるものとなる。
 現在進行している米軍再編は、米帝がその世界戦争戦略と先制攻撃計画に基づいてより実戦的・攻撃的な戦争体制をつくり出そうとするものだ。その中心は東アジアでの在日米軍と在韓米軍の再編であり、沖縄のこれまで以上に巨大な、恒久的な軍事要塞(ようさい)化だ。そこでは「長期の対テロ戦争(=中東など世界各地への侵略戦争)」と、とりわけ中国や北朝鮮への侵略戦争発動を実際に想定した上で、日米が「共同して戦う」こと、すなわち自衛隊の役割拡大と日米共同作戦の遂行が大前提になっている。
 9条2項の破棄と「自衛軍」の保有を明記した自民党の新憲法草案が、米軍再編の中間報告公表とほとんど同時に発表されたのは偶然ではない。その核心は、集団的自衛権の全面的解禁にある。軍事同盟関係にある帝国主義国の一方が第三国との戦争に突入した場合、他方もそれを「自国の戦争」とみなしてともに戦うというのが「集団的自衛権」である。
 実際に日米の再編協議では、米軍と自衛隊の「融合・一体化」が掲げられ、それに基づく両者の役割分担の見直しや基地の共同使用が打ち出されている。米軍と自衛隊が「一緒に訓練し、一緒に出兵し、一緒に生活する」ことが必要だと米帝は叫んでいる(元米太平洋軍海兵隊司令官の発言)。それは、これまでのように日本が米軍への基地提供や後方支援を行うにとどまるものではない。自衛隊が米軍と完全に一体となって出撃し、戦場での殺し殺される戦闘行動に突入するということだ。
 自民党新憲法草案の「第9条の二」はその3項で、「自衛軍」の任務として、自国防衛のほかに「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動」と、「緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動」の2種類を挙げている。前者はまさにこの集団的自衛権の発動を実質的に明記したものだ。日帝が米帝と組んで、「国際平和を守る」と称してイラク型の侵略戦争、帝国主義の強盗戦争をどしどし仕掛けていくことがここでは想定されている。後者はそのものずばり、軍隊による治安出動の規定である。反戦闘争の爆発を戒厳令を敷いて鎮圧するためだ。
 ここでいまひとつ重要なことは、軍の治安出動という場合、その最大の対象として想定されているのは沖縄だということである。
 日米帝の戦争計画は、沖縄基地の恒久化なしには成立しない。日米両政府は沖縄を今後も米軍の最重要の戦略的要衝として確保し続けることで合意し、辺野古崎への新基地建設を始めとした攻撃を、どんな抵抗も排除して強行すると居丈高に宣言している。それは日帝による新たな「琉球処分」であり、沖縄を文字どおりの戦場の島に変え、「第2の沖縄戦」を沖縄人民に強要しようとするものだ。これへの島ぐるみの怒りの爆発、基地労働者を先頭とする米軍基地実力解体への巨大な決起は不可避である。
 これに対して自衛隊を「基地防衛」の主力として差し向けることが狙われているのだ。すでに日米の役割分担で、「在日米軍施設の警護」を自衛隊の任務とすることがはっきり確認されている。
 自民党草案はさらに、「自衛軍」の活動の具体的な内容やその組織と統制に関する事項は「法律で定める」と規定している(「第9条の二」の2項・4項)。そこでは驚くべきことに、国会の承認すら実は必要としていない。2項で「国会の承認その他の統制に服する」となっているが、「その他」とわざわざ入れていることは、国会の承認は絶対必要とはされていないのだ。シビリアン・コントロールは完全に否定されている。これもとんでもないことだ。
 このように、憲法9条2項の破棄=9条の全面撤廃は、日本が強大な帝国主義的軍事力をもつ軍事大国となり、日米安保同盟をもテコに、むきだしの武力を使ったアジア支配に再び乗り出すことを意味している。それは、日帝の大財閥と軍部が天皇制のもとで軍事独裁体制を敷き、1930年代の中国侵略戦争から第2次大戦へと突入していった暗黒の歴史を、形を変えて繰り返すものだ。
 現にこの4月、朝鮮固有の領土である独島(トクト、「竹島」)の略奪を狙って、海上保安庁が「海洋調査」を名目に韓国への露骨な挑発を仕掛ける事件が発生した。これは砲艦外交そのものだ。次には軍隊の出動に必ず発展する。
 さらに、ここでは詳述しないが、現在の日米枢軸体制のもとで、むしろこれから日米帝国主義間の本質的な対立と矛盾がますます激化していくことは避けられない。この点もきわめて重大である。その一切が、侵略戦争の一層の凶暴化、世界戦争への拡大の要因となっていくのである。

 第3章 「公の秩序」の名で基本的人権も主権在民も圧殺

 憲法9条の解体と並ぶ改憲攻撃のもう一つの核心は憲法の原理的転換である。
 フランス革命を始めとしたブルジョア市民革命によって打ち立てられた近代立憲主義の原理は、一言で言えば、国家権力と人民との基本的関係を、国家は人民がその意思によってつくるものと規定するものであった。そして人民の基本的人権を守るために、国家権力の行使に縛りをかけるのが憲法の役割であるとしてきたのだ。だが今日の攻撃は、この関係を根底からひっくり返し、憲法を逆に国家権力ではなく人民の側を縛るものに変えてしまおうと狙っている。
 そのキーワードが、「公益及び公の秩序」という言葉だ。現憲法第12条は基本的人権について、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」とした上で、「常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」という言葉を濫用(らんよう)へのいましめとして置いている。自民党草案はこの後半を、次のように言い換えている。
 「国民は、これを濫用してはならないのであって、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、常に公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する責務を負う」
 この自民党案は、現在の第12条の内容とその思想を正面から破壊し転覆するものだ。現憲法の「公共の福祉」も、日帝権力によってしばしばねじ曲げられて人民の権利の制約に利用されてきたことは事実である。だがその本来的意味は、基本的人権の行使は他人の基本的人権を侵すものではないという、人権の内部に自然に内在する制約を表現したものだ。しかし自民党案ではこれが「公益及び公の秩序」に変えられ、「責任」が「責務」に変えられている。第12条の性格が、人民の権利を保障するものから「国民の義務」「責務」を定めるものにすり替わっている。
 そもそも「公(おおやけ)」という言葉は「公共」とは意味がまったく違う。「公共」という言葉は「社会一般」を指す。だが「公」を広辞苑で引けば、第一の意味は「天皇」である。次が「朝廷」「政府」でありそして「国家」だ。「公の秩序に反しないように」とは国家の秩序に歯向かうな、治安を乱すなということだ。国家権力があらかじめ認める範囲内でしか基本的人権の行使は許されないものとしていくのだ。
 これは、国家を限りなく人民の上に置き、人民あっての国家ではなく、国家あっての人民であるとしていくものだ。本質的には主権在民とブルジョア民主主義そのものの否定と解体なのである。現在の憲法が保障する思想・言論の自由や集会・結社の自由、権力による無差別逮捕や拷問を防ぐための人身の自由、法のもとの平等といった基本的人権は、ここではその思想ともども、完全に掃いて捨てられる。
 そして基本的人権のいまひとつの核心には、憲法28条の労働基本権や25条の生存権といった労働者階級の社会的諸権利がある。これが根本的に解体されていくのだ。例えば国鉄1047名の解雇撤回闘争も国鉄分割・民営化という「公益」の名において憲法的次元で否定される。動労千葉のストライキや安全運転闘争は「公の秩序を乱すもの」として国家権力によって禁圧される。まさに戦時下の暗黒の体制がつくり出される以外ない。

 激化する天皇制攻撃

 重要なのは、この攻撃が天皇制攻撃や靖国神社参拝攻撃、「日の丸・君が代」強制攻撃などの画歴史的な激化と結びついていることだ。そしてこれらの攻撃が、朝鮮人民や中国人民への帝国主義的民族排外主義の一大キャンペーンと結合して、極右勢力によって激しくあおり立てられていることだ。
 そこでは、「このままでは日本の国が滅びる」といったファシスト的な危機感が、「人権や平等や個人主義の行き過ぎ」といったデマゴギーとともに扇動され、戦後民主主義とそれを支える憲法が諸悪の根源だとして、その全面的な解体が叫ばれている。個人の権利の尊重や男女平等などの価値観を掲げること自体が彼らの攻撃の対象となり、これに替わるものとして、「日本は万世一系の天皇の国、神の国」というとっくに破産した天皇制イデオロギーが再び前面に押し出されているのである。
 この間の改憲攻撃は、日帝の9条撤廃への衝動とともに、こうした動きに激しく突き動かされてきた。@憲法の前文を書き換え、そこに天皇を中心とする「日本の歴史・文化・伝統」を盛り込もうとする策動。A天皇の国家元首化の策動。B婚姻と家族生活における両性の平等を規定した憲法第24条の改悪策動。C法のもとの平等を規定した憲法第14条から「門地」という言葉を削除し、家柄や血統による差別の禁止を取り払おうとする策動。――こういったきわめて露骨な天皇制・天皇制イデオロギー強化の攻撃が、自民党の新憲法草案起草の過程で実際には続出していたのだ。
 昨秋決定された草案では、これらの項目はまだ直接盛り込まれてはいない。しかしこの自民党草案も、憲法の前文を丸ごと書き換えてそこに「象徴天皇制は、これを維持する」という決定的な一文を置いている。たった1行とはいえ、これは実に重大な攻撃だ。
 戦前の天皇制が象徴天皇制に姿を変えて生き残ったことは、日本の労働者階級が戦後革命に敗北し、憲法9条の制定と引き換えに天皇の戦争責任の免罪を許した結果である。その意味で憲法がその第1章に天皇に関する規定を掲げていることは、現憲法の最大の問題点だ。だがそこでは、天皇の地位は「主権の存する日本国民の総意に基づく」となっている。これは国民の意思によっては廃絶もありうることを含む書き方だ。だが今回の草案は憲法の前文で、この憲法の原理原則を示すその冒頭に天皇制を掲げ、これを「維持する」と言い切った。
 これは天皇制をあらためて日本国家の不可侵の中心にすえるものだ。天皇制をまさに日本の「国柄」として位置づけるものだ。「象徴」の2文字はあっても、これまでの象徴天皇制とは似て非なるものと言うべきだ。この間の皇室典範改定=女性天皇容認をめぐる様々な動きも、結局はここに直結する。統治形態の大転換にもつながっていく可能性を持つものとして、断じて許してはならない。
 草案はさらに、書き換えた前文に「日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し……」という文言を入れた。愛国心を盛り込み、「国防の義務」をこのような形で明記したのだ。
 ここで言われている「帰属する国や社会」とは、〈万世一系の天皇を中心とする歴史・文化・伝統の上に成り立つ国と社会〉を意味するものだ。そこでは独立した個人の存在と価値は最初から否定され、人は生まれながらに国家に属するものとみなされる。しかもその国家は遠い過去から連綿と続くほとんど無限の存在であり、諸個人の生き方をもその根幹で規定している存在だとされている。恐るべき全体主義のイデオロギーだ。
 このような国家を「自ら支え守る」とは、この国のために喜んで命を差し出すことを最上の美徳とする価値観を再び強制するものにほかならない。そしてこれこそ天皇制イデオロギーの核心だ。
 小泉の靖国神社参拝も、戦死者を「国に命をささげた英霊」として美化し、新たな戦争に全人民を動員するためだ。自民党草案はここでも、憲法第20条3項の政教分離の規定を解体し、靖国公式参拝の合法化、ひいては国家神道の復活に道を開くものとなっている。

 教基法改悪が突破口

 日帝はまた、憲法に先立って教育基本法を改悪し、そこに「愛国心」を盛り込もうと躍起になっている。公明党との合意で作成された法案は、第1条(教育の目的)から「個人の価値」という言葉を消し去り、新設した第2条(教育の目標)に「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできたわが国と郷土を愛する」との文言を入れている。それは自民党新憲法草案の文面とも合致する内容だ。教基法改悪は改憲攻撃そのものであり、教育労働者に再び教え子を戦場に送れと強制するものだ。絶対に粉砕しつくそう。
 この章の最後に、憲法第96条の改正手続きの緩和の持つ意味について確認しておきたい。自民党草案はこれを、「総議員の3分の2以上の賛成」から「過半数の賛成」に変えた。改憲案の発議も国会議員なら誰でもできるとした。これは、この新憲法草案をいったん通してしまえば、その後はいくらでも新たな改憲のエスカレーションを可能にすることを狙ったものだ。その意味でも現憲法の完全な解体に道を開くものである。

 第4章 連合の改憲勢力化粉砕へ4大産別先頭に総決起を

 (1)改憲反対の声と運動の圧殺を狙う国民投票法案提出を許すな

 日帝の改憲攻撃とはこのように、日本の労働者階級人民に対するまさに一個の反革命クーデターとしてしかけられようとしている。だが日帝は、このクーデターがほとんど抵抗らしい抵抗も受けずに成功するなどとは思っていない。逆である。たとえ改憲派が国会の圧倒的多数を制圧して完全な翼賛議会を実現したとしても、攻撃の本質が明らかになれば、労働者階級の怒りの炎は爆発的に燃え上がることを知っているからだ。
 その闘いは、日帝の支配を実力で打ち倒すものへと必ず発展する。なぜならそれは日本の労働者人民を、戦後革命期の原点に一挙に立ち返らせるものとなるからだ。このことに、支配階級はいま心底から恐怖している。
 これに対して政府・自民党と日本経団連などが画策している悪らつな策動は、基本的には次の二つだ。ひとつは、国民投票法や共謀罪の制定をテコに、改憲阻止の闘いを事前の治安弾圧によって封じ込めることだ。いまひとつは、日教組や自治労など4大産別の労働運動をたたきつぶし、連合を丸ごと改憲勢力化して、闘いの主力である労働者階級の組織的決起を未然に抑え込むことだ。この攻防は今や一大決戦に突入している。
 自民・公明の与党は現在、04年12月に作成した国民投票法の法案骨子を一部修正し、今通常国会への提出とその成立をあくまで狙っている。またそれに先立ち、共謀罪を何がなんでも今国会で押し通そうと全力で動き出している。
 この国民投票法案は、改憲阻止闘争禁止法案とも呼ぶべきものである。憲法96条は憲法を変える手続きとして、衆参各院の総議員の3分の2以上の賛成で国会が改憲案を発議し、国民に提案してその承認を得ることが必要と定めている。国民投票法はそのための単なる手続き法だというのが、政府・自民党の理屈だ。だがそれは口実だ。改憲反対の声と運動をあらゆる手段で抑え込むための運動規制と言論規制こそが狙いなのだ。
 その柱は@公務員・教員の運動を「地位利用」の口実を設けて弾圧すること、A外国人の運動の禁止、B報道・言論機関への統制と弾圧、C「国民投票の自由妨害罪」などの罪を設けてささいなことで片端から逮捕・投獄できるようにすることだ。違反者は重罰を科される。他方で政府による改憲宣伝は自由勝手に行い、投票率がどんなに低くても有効投票数の過半数の賛成で承認とする。20歳に満たない青年には投票権も認めない。
 「虚偽報道の禁止」などのメディア規制についてはさすがに批判が集中したため、メディア側の「自主規制」を求める内容に変えたが、それを法をもって強制すること自身が圧力だ。与党案の本質は修正後もなんら変わってはいない。
 だが、どんな厳重な規制や弾圧も、それが効力をもつのは労働者人民がその脅しに屈する時だけだ。逆に弾圧をはねのけて闘いが爆発すれば、そんなものは一瞬にして無力化する。むしろこんなとんでもない規制や弾圧なしには通せない改憲案=新憲法案とはいったい何かということだ。それこそ改憲攻撃の反人民的で極反動的な正体を示すものとして満天下に暴き、広範な人民の怒りを徹底的に組織することが重要だ。
 改憲反対の立て看板撤去の攻撃に端を発した法政大学での闘う学生と当局との激突は、まさにこの国民投票法案をめぐって不可避化する全社会的な激突の始まりだ。学生と青年労働者を先頭に総決起し、国民投票法案の国会提出そのものを阻止しよう。共謀罪を実力で廃案に追い込もう。

 (2)7・14連合見解―1・19中執決定は戦争協力推進の宣言だ

 連合の改憲勢力化に向けた動きは、昨年から一気に激化した。連合は昨年7月14日、「国の基本政策に関する連合の見解(案)」を中央執行委員会の名で発表した。それは憲法の改悪、それもずばり9条改憲を正面から容認する内容であった。容認しただけでなく、連合中央自身が率先してこれを推進する側に身を置くと宣言したのだ。そしてこの7・14見解を昨年10月の連合大会で正式に採択することが策動された。
 だが日教組大会や自治労大会で、これに対する組合員の怒りと危機感が噴出する中で、10月連合大会はこの改憲方針を決定できなかった。さらに極右改憲派の高木剛(UIゼンセン同盟会長)の連合新会長への選出に、3分の1もの反対票が投じられた。
 高木は9条改憲と海外派兵、徴兵制を主張する完全な日帝の手先だ。それが連合のトップの座に就いたことは重大事態である。連合中央はこの高木新体制のもとで、ひとまず先送りにされたとはいえ連合を組織丸ごと改憲勢力化することに全力を挙げてきた。本年1月19日には新たな中執決定を出し、7・14見解をめぐる議論の集約は(抵抗が強いので)当面やらないとする一方、現実に進行する改憲攻撃への具体的対応はすべて三役会か中執で決めると宣言した。
 この1・19決定について、連合中央があたかも7・14見解をいったん「撤回」したものであるかのようなデマが、日本共産党の『赤旗』やカクマルなどから流されている。これは連合・高木体制への許されない悪質な美化だ。1・19決定の核心は、改憲問題についての連合としての態度決定の一切を執行部に一任せよと宣言したことにある。高木らのフリーハンドを認めよということだ。そして事実、国民投票法案については制定賛成の民主党と「協議して対応する」と、賛成に回る方針を決定しているのだ。
 7・14見解の重大性は、「日本の領土・領空・領海において攻撃が行われた場合、日本は自衛権を発動する」と真っ向から打ち出したことにある。日本の自衛隊が「自衛」の名で戦争に突入することを労働組合として公然と支持し、戦争に協力すると宣言したのだ。しかもその際「日米安保条約に基づき、米軍とともに行動する」としている。さらに、「国連による集団安全保障活動への参画」は憲法が禁止する「国権の発動たる戦争」には当たらないとし、PKF(国連平和維持軍)への参加や国連決議のもとでの多国籍軍参加も認めた。この一つひとつが戦争推進への恐るべき踏み切りだ。自民党の新憲法草案の内容ともほとんど百パーセント合致するものだ。
 連合中央のこの転換を受けて、民主党はすでに独自の改憲案作成に動き、自民党とその内容を競い合うところに行っている。前原の登場、続く小沢一郎の登場はそれを一層促進している。民主党はもともと、小沢自身に代表されるように自民党を右側から分裂させて新たな保守党結成へと向かう流れの中で生み出されてきた党だ。その内部には、自民党以上にファシスト的な勢力が一定の力を持ってうごめいている。旧社会党系グループがそれに屈服し容認していく許しがたい役割を果たすことで、連合と民主党の改憲推進派への変質がどんどん進むという構図になっている。
 だがこうした流れがそのまま進むものでは断じてない。昨年の闘いはこのことを決定的に突き出した。
 そもそも連合中央の動きの根底にあるのは階級対立の非和解化が急激な勢いで進行し始めていることへの恐怖なのだ。帝国主義の危機の爆発、社会的諸矛盾の噴出、資本家階級の腐敗と労働者階級の貧困化、既成秩序の崩壊と治安弾圧の激化の中で、労働者階級の怒りは今や沸騰点に達しようとしている。その大爆発と階級闘争の実力闘争的、内乱的発展は不可避だ。しかもそれは教育労働者の「日の丸・君が代」不起立闘争を先頭とする職場からの決起として、すでに続々と始まっている。これが自治労本部などを含む連合幹部の労働貴族としての地位を揺るがし、脅かすものとなっている。ここから彼らは、バリケードの向こう側に完全に移行することを決断したのである。
 それは、労働組合の中央権力をテコにして、労働者階級を戦争に動員する立場にはっきり移行することだ。そしてそのことは、資本に対する労働組合としてのあらゆる闘いをも同時に投げ捨てることだ。小泉の民営化攻撃、構造改革攻撃にもろ手を挙げて賛成に回ることだ。
 実際に1・19連合中執決定は、戦争協力路線の推進と同時に公務員制度改革=行革推進法案の受け入れをも事実上決定した。公務員労働者の大量首切りとともに、憲法28条の労働基本権の一層の剥奪(はくだつ)に応じるものであり、断じて許されるものではない。
 今や、日教組本部は教基法改悪案の国会提出という重大事にもかかわらず、闘争放棄を決め込んでいる。自治労本部は行革攻撃に「新たな質の高い公共サービス」論を対置して、自治体労働者の階級意識を解体する攻撃に率先してさおさしている有り様だ。JPU中央は、郵政民営化に全面屈服・転向して労働者への大量首切り推進の手先となった。国鉄戦線では動労千葉の反合・運転保安闘争の爆発や国鉄1047名闘争の大前進が闘いとられる一方で、JR総連の腐敗が限りなく進行し、国労本部もJR資本への屈服と危機を深めている。
 この情勢はしかし、闘う労働者が職場からの不退転の決起によって腐敗した幹部を打倒し、自ら組合の実権を握って、労働組合と労働運動を階級的に再生していく決定的なチャンスが訪れていることを示している。4大産別をめぐる決戦は今や、日帝による戦争と民営化・労組破壊の攻撃を真っ向から打ち破る決戦であると同時に、連合中央打倒の決戦だ。改憲阻止決戦そのものだ。この闘いに断固として勝ちぬき、それをテコに全労働者階級の改憲阻止への巨大な決起をかちとろう。

 (3)日本共産党中央の妨害許さず9条改憲阻止の大統一戦線を

 この重要な情勢下で、日本共産党中央は、国民投票法案阻止・改憲阻止の闘いを党として本気で取り組み、大爆発させようとはしていない。逆に9条改憲阻止の一点で巨大な全人民的な統一戦線をつくり出して闘うことに、およそ理由にならないきわめてセクト的な理由で敵対し、妨害と分裂への策動を深めている。この態度は実に許しがたい。
 日本共産党は国民投票法案について、形式的には反対を掲げるが、制定を絶対阻止する方針はとっていない。むしろ「国民投票で勝つ」ことこそが重要で、そこに闘いの焦点を絞るべきだと言っている。これは、改憲阻止の壮大な闘いの担い手である労働者人民の実践を単なる投票行動に切り縮めるものだ。しかも敵の攻撃の狙いを見ればとんでもない敗北主義でしかない。改憲反対の運動や宣伝の手段が根こそぎ奪われようとしている時に、これに全力で反撃し粉砕することなしに、どうして国民投票で「勝てる」のだ。この一事に、最後は必ず闘いを裏切る日本共産党中央のスターリン主義の本質が表れている。
 さらに、動労千葉などの闘う労働組合を「過激派」と呼んで、その排除を叫んでいることを絶対に許すわけにはいかない。彼らが動労千葉を敵視するのは、動労千葉が資本や権力と徹底的に対決し、労働組合としての階級的なあり方を最も原則的に貫き通しているからだ。その闘いの発展が、帝国主義との闘いをとっくに放棄し裏切って体制内野党として生き延びることだけを考えてきた、彼らスターリン主義官僚の基盤を掘り崩すものとなるからだ。その危機感は、連合の労働貴族とほとんど同じものなのだ。
 こうした敵対と卑劣な妨害を粉砕し、改憲への怒りと危機感を持つあらゆる人びとの知恵と力を今こそ下から大胆に結集して、9条改憲を実際に阻止する力ある統一戦線をつくり出そう。その中心に何よりも、4大産別を先頭にした闘う労働者と労働組合が立とう。
 また同時に、沖縄を始めとして、米軍再編・基地強化の攻撃と闘う全国の人民がこの闘いの推進軸となって立ち上がろう。全国300万学生はゼネストに決起し、大学を改憲阻止の最大の砦(とりで)に変えて闘おう。あらゆる戦線での闘いを結合し、この5月の憲法闘争を突破口に改憲阻止の大運動を作り出そう。
 この闘いは、日本人民だけの闘いではない。全世界の労働者階級人民、とりわけ朝鮮・中国・アジア人民との共同の闘いだ。06〜07年改憲阻止闘争の大爆発をとおして日帝打倒・プロレタリア世界革命への大道を切り開こう。

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週刊『前進』(2245号7面2)(2006/05/08)

 教基法改悪案 国会提出弾劾

 政府は4月28日、教育基本法改悪案の閣議決定―国会提出を強行した。小泉は特別委員会を設置し、今国会で成立させようとしている。教基法改悪は「わが国と郷土を愛する態度を養う」を教育の目的とし、戦争に向かって社会のあり方を根本的に転換させようとするものであり、絶対成立させてはならない。改憲攻撃そのものであるこの大反動と総力で対決し、5〜6月大決戦に立とう。国会包囲の大闘争を爆発させ絶対に廃案に追い込もう。

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週刊『前進』(2245号9面1)(2006/05/08)

 青年労働者・学生は5・15沖縄闘争へ

 名護新基地建設を絶対阻止しよう

 日帝の沖縄圧殺政策に総反撃を

  片瀬 涼

  米軍普天間飛行場の代替基地建設をめぐり、重大情勢を迎えている。現地住民と労働者・学生の闘いを恐怖する帝国主義権力は、うそとペテンと懐柔と恫喝で事態をのりきろうとしている。これを打ち破るため、全国の青年労働者・学生は5・15沖縄闘争に立とう。

図 辺野古新基地建設をめぐる動き

 ペテンと恫喝のV字沿岸案

 滑走路2本

 沖縄県の米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設をめぐり、防衛庁長官と名護市の島袋市長は4月7日、同市にある米軍キャンプ・シュワブ沿岸部にV字形に滑走路を2本建設する修正案(V字沿岸案)に合意した。日米政府は昨年10月、在日米軍再編の中間報告で普天間をシュワブ沿岸部に移設する案を住民の頭越しに合意。シュワブの兵舎地区を取り壊し、制限水域を埋め立てL字形とする基本的な形は修正案も同じだが面積はさらに拡大する。
◎島ぐるみ闘争
 1995年、3人の米兵による少女暴行事件が発生した。これをきっかけに沖縄で在沖米軍に対する大規模な反対運動が起きた。72年の「本土復帰」後も繰り返される殺人・強盗・婦女暴行などの米兵犯罪や事故に対する沖縄県民の怒りは頂点に達していた。同年10月21日に行われた県民大会に結集した県民の数は8万5千人(写真下)。「もうこれ以上我慢できない」という怒りの強さを示していた。「島ぐるみ闘争」が始まった。反戦地主は米軍用地の契約を拒否し、大田知事が強制使用の代理署名を拒否した。
 追いつめられた日米政府は、その年に設置された沖縄に関する日米特別行動委員会(SACO)で普天間基地の全面返還を発表した。しかし、この全面返還は、代替施設として沖縄東海岸の海上に1300bの滑走路を備えたヘリポートを建設することが条件だった。
 ここから、新基地建設を阻む闘いが始まった。97年の名護市民投票では投票率が8割を超え、反対が過半数を超えた。
 その後、岸本市長や稲嶺知事の受け入れ表明、沖縄サミットなどを経て、04年4月19日、ついに防衛施設局が辺野古沖でボーリング調査を開始した。急を知って駆けつけた住民によって調査は阻止された。以後、500日を超える阻止闘争が始まった。高齢者や若者が海に身を投げ出し、体を張って作業船に立ち向かった。座り込みから502日目の昨年9月2日、ついに防衛施設局は、海上に建設したボーリング調査用のヤグラ4基を解体し、撤去した。海上案は人民の実力闘争で粉砕された。
◎無制約の飛行
 「建前と本音を使い分ける時代は過ぎた。当然、振興策の継続と新たな振興策をお願いしていく」(宮城・東村長)――日本政府は今回、沖縄同士を分断する巧妙なやり方で名護市に基地建設を強要した。振興策や新たな基地交付金と引き換えに周辺町村の同意を先に固め、名護市が受け入れざるをえない状況にした。そして今度は名護市長も含めて、知事を落とす、という手法である。
 そもそも島袋市長は、選挙公約で「沿岸案反対」を主張した。それが「海上案のバリエーション」へ変わり、辺野古、豊原、安部の上空の飛行ルートの回避、と巧妙に変わった。約千人の住民で「沿岸案反対の村民大会」を開催した宜野座村長は、3日後には一転して沿岸案を受け入れた。
 日本政府は、地元の声に耳を傾けると言いながら、はなから話し合いを拒否、「政府案が基本」という姿勢を固持。名護市長や周辺町村長を呼び出して譲歩を迫る形で進められた。
 今回の新沿岸案には、いかなる意味でも負担軽減という要素はない。騒音や危険は不可避だ。2本の滑走路で基地面積は拡大し、使用期限もご破算になった。住宅地が基地に近接し、航空機事故の危険はさらに高まった。米軍の基地使用にはなんら縛りはなく、永久に固定化される。
 政府は、離陸用と着陸用に使い分けると説明している。しかし、普天間基地のある宜野湾市の伊波市長は「普天間基地では日常的にタッチアンドゴー訓練(着陸、離陸を続けて実施する訓練)を行っている。その機能を考えるとV字滑走路は実態に即していない。着陸と離陸の別々の滑走路から行うというのはナンセンス」と指摘する。額賀防衛庁長官は周辺事態など有事の際には例外措置が適用されると言っている。
 新沿岸案は「基地のない島に」という沖縄県民の願いに完全に逆行する。SACO最終報告で明記された「撤去可能な海上基地」や99年の閣議決定でうたわれた「軍民共用」「15年使用期限」は今度は、見向きもされない。無条件、無制約で、2本の1800b滑走路を備え、空母も接岸できる軍港も併設する、恒久的な巨大基地の建設を狙っているのである。

 恒久的な巨大基地建設狙う

 米軍再編

◎75%が沖縄に
 沖縄の面積は、日本全体の0・6%で人口は1%ほどである。その沖縄に、今なお全国の米軍専用施設の75%があり、沖縄本島の約19%を米軍基地が占めている。沖縄を中心にして2千`の円を描くと、仙台、ピョンヤン、北京、香港、マニラなどが圏域内に位置する。このために戦後、米帝は、アジア軍事支配の「太平洋の要石(キーストーン)」と呼び、沖縄を分離して軍事支配下に置き、広大な軍事基地を建設したのだ。
 在沖米軍の75%は海兵隊である。海兵隊は敵前上陸作戦で橋頭保を築くのが主任務で、いわゆる「なぐり込み部隊」だ。03年のイラク開戦時に海兵隊はバグダッド攻略戦を行い、陥落後はイラクから撤収した(その後、兵力不足のために再投入された)。
 米軍は、三つの海兵遠征軍をいつでも編成できる体制を持っている。そのうち米本土以外では唯一沖縄だけに、第3海兵遠征軍の主力と司令部が配備されている。中心となる3個連隊のうち、沖縄には2個連隊が配備されている。海兵遠征軍の司令部はうるま市のキャンプ・コートニーに置かれ、海兵隊の作戦を支える各種支援部隊が沖縄の各所に配備されている。北部演習場やキャンプ・ハンセンは、ジャングル戦や対ゲリラ戦、ヘリコプター訓練などを行う演習場だ。
 海兵隊は基本的に歩兵部隊であるため支援火力が必要だ。その主力が海兵航空部隊で、ヘリコプター部隊や戦闘攻撃機で構成される。その性格上、海兵隊航空部隊は地上部隊の近くにいなければならない。特にヘリコプター部隊は、185`以内が必須条件とされる。だから普天間の県外・海外移設は認めないのだ。
 普天間飛行場は、沖縄県宜野湾市の中心にあり、市面積の4分の1を占有する海兵隊基地である。2800bの滑走路を持ち、攻撃ヘリなど70機以上が配備され、日常的に離着陸訓練を行っている。騒音問題だけでなく何度も航空機事故が起こっている。
 今回、新たな移設先とされたキャンプ・シュワブには第4海兵連隊が駐留し、近くには海兵隊用の辺野古弾薬庫もある。1997年9月に国防総省がまとめた新基地の運用構想では、滑走路だけでなく戦闘機装弾場が記されている。飛行機に銃弾や爆弾を積み込む施設で、人が所在するどの建物からも約380bは離れていなければならないとされる。現在は嘉手納基地にしかないのでヘリコプターは普天間から嘉手納に飛んで弾を積んでいる。
 米軍が欲しいのは滑走路だけではなく、この装弾場と軍港の3点セットだ。米軍再編の中間報告で合意された沿岸案には「燃料補給用の桟橋及び関連施設」とあるが、それはまさしく軍港であり、水深20bを超える大浦湾には原子力空母が接岸できる。
 結局、日米帝国主義は、広大ではあるが老朽化が著しい在沖米軍基地を、基地の整理統合縮小を名目に、よりコンパクトなハイテク最新鋭基地につくり変えようとしているのだ。
◎軍事要塞化
 米軍トランスフォーメーション(変革・再編・再配置)の狙いは、日本を中国・北朝鮮侵略戦争の作戦指揮の一大拠点とすることだ。今回の在日米軍再編は、対中国・北朝鮮の戦争態勢構築のために米軍戦力を再確立し、指揮系統を強化することが目的だ。
 神奈川県のキャンプ座間には米陸軍第1軍団司令部を移転し、前方展開司令部として直接作戦を指揮する。米空軍は、ハワイに「戦闘司令部」と言われる新しいタイプの司令部を置き、グアムのアンダーセン基地には戦闘機48機、最新鋭無人偵察機3機など約70機を常駐させる。これによって朝鮮半島や台湾海峡への緊急派遣も可能となる。米海軍は、横須賀の空母キティホーク(後継は原子力空母)に加え、もう1隻をハワイかグアムに配備する。そのために佐世保の空母母港化を狙っている。
 この中で、沖縄では、辺野古への新基地建設を柱に、浦添市の牧港補給基地など中南部の諸米軍施設を北部地域に再編・集中しようとしている。これは北部地域を軍事要塞(ようさい)化するものだ。8千人の海兵隊削減も司令部要員とその家族だけであり、実戦部隊は沖縄に居座る。司令部機能を撤退させるのは北朝鮮・中国への侵略戦争を現実に想定しているからだ。まさに沖縄を戦場化することになるのだ。
 また、嘉手納基地を自衛隊が共同使用しようとしていることも重大だ。
 「対テロ戦争」という名の帝国主義侵略戦争を世界中に拡大し、朝鮮半島や台湾海峡で米軍と自衛隊が一緒に戦争するための臨戦態勢をつくろうとしている。

 差別と犠牲押しつけの歴史

 日本と沖縄

 沖縄への差別的な基地押し付けはどういう歴史的経緯で成り立っているのか。日本帝国主義と沖縄の関係を少し振り返りたい。
◎琉球処分
 近世以降、琉球(沖縄)は、薩摩の支配下にあったが、清(中国)とも朝貢・柵封関係が続き、独自の文化や経済を持つ独立した王国だった。1868年に成立した明治政府は、琉球王国を廃して「沖縄県」を新設しようとしたが、琉球の抵抗と宗主権を主張する清の抗議で容易に意図を実現できなかった。
 明治政府は1874年、宮古の年貢運搬船が台湾に漂着した際に乗組員が殺害された事件を理由に台湾に出兵した。その結果、日本は、清に50万両の賠償金を支払わせ、琉球が日本領土であることを認めさせた。翌年、明治政府は、300人の兵士、160人余の警官を率いて「琉球処分」を断行、沖縄県を設置した。 強権的な琉球王朝の廃止に続く「旧慣存置」の政策によって沖縄社会はその発展を抑制された。
 15年戦争の進行とともに皇民化教育が強まり、「標準語」や教育勅語、「日の丸・君が代」を通じた皇国臣民意識が強要された。
◎沖縄戦
 沖縄は第2次大戦末期、日本で唯一、地上戦の戦場となった。昭和天皇の指揮のもとに「国体(天皇制)護持」の時間かせぎとして沖縄戦を構えたこと自体が許されない差別的大罪だ。
 米軍は沖縄戦に約54万人の大部隊を動員した。日本軍は約9万6千人。戦力差は歴然で勝敗は戦う前に決まっていた。
 しかし、大本営は、沖縄戦を「捨て石作戦」と位置づけ、米軍戦力の消耗と時間かせぎを自己目的化した。そのため首里の司令部を撤退した後も日本軍は降伏せず、住民を巻き込んで戦闘を長びかせた。日本軍の組織的抵抗が終了した後も、牛島司令官は「一般住民も最後の一人まで戦え」と命令して自殺した。
 沖縄県外出身の6万5千人の兵士と沖縄県出身者約2万8千人、民間人約9万4千人が犠牲に。住民の犠牲者の方が多かった。強制連行された朝鮮人も約1万人が犠牲になった。日本軍による住民追い出し、スパイ容疑などでの住民虐殺や「集団死(集団自決)」の強要も起きた。県民の4人に1人が犠牲になった。
◎沖縄売り渡し
 1945年8月に日本がポツダム宣言を受諾し、連合国軍の占領下に入った後も、沖縄では米軍による単独占領が続いた。日本の非武装化が進められたが、それは沖縄の分離軍事支配と米軍の戦略拠点化と不可分だった。マッカーサーは、沖縄を米軍が支配し、空軍の要塞化すれば、日本が非武装国家になっても軍事的真空地帯になることはないという考えを持っていた。昭和天皇が「アメリカが、日本に主権を残し、租借する形式で、25年ないし50年、あるいはそれ以上、沖縄を支配することは、アメリカの利益になるのみならず日本の利益になる」というメッセージを送り、自らの延命のために沖縄を売り渡したことが決定的だった。
 その後も米帝の対沖縄政策は一貫して、沖縄の軍事戦略上の価値をいかに維持するかにあった。
 中国革命(50年)の勝利が決定的となるころ、沖縄の米軍基地の建設は本格化し、朝鮮戦争(50〜53年)中に締結されたサンフランシスコ対日平和条約(52年4・28発効)によって法的にも沖縄は日本から分離された。沖縄の米軍は、武装兵を出動させ、農民の抵抗を排除して、「銃剣とブルドーザー」による軍用地の強制収用を強行、恒久的な基地建設を推し進めた。沖縄の軍事支配と米軍基地の存在を要(かなめ)として、米軍の戦後アジア・太平洋支配が行われた。
◎「本土復帰」
 65年、アメリカ帝国主義は北爆(北ベトナム爆撃)に踏み切った。沖縄はベトナム戦争の前線基地になった。沖縄の主要な道路は、軍需物資や兵隊を満載して港に向かう軍用トラックや戦車でいっぱいになった。B52戦略爆撃機が渡洋爆撃し、ベトナム人民を大量虐殺した。
 沖縄人民は、基地の「即時・無条件・全面返還」を掲げ、「核も基地もない平和な沖縄」を望んだ。そして、教公2法(教育労働者の政治行為の制限、争議行為の禁止など)阻止闘争や基地労働者の労働組合である全軍労の24時間ストライキなどの闘いが高揚した。
 68年11月のB52の墜落炎上事故に対してゼネストが決定されたが、日本政府の圧力や総評などの働きかけで、ゼネストは挫折。その後、70年12月の反米軍のコザ暴動、71年5月19日の沖縄返還協定粉砕ゼネストなどが闘われた。
 本土では学生・青年労働者が「沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」を掲げ70年安保・沖縄闘争を闘った。
 日本政府は、沖縄人民の「米軍支配のもとにいるのはイヤだ」という本土復帰の願いを逆手にとって基地を永久に固定化する「施政権返還」を日米で合意、72年5月15日にペテン的「沖縄返還」が行われた。しかし、米軍基地はそのまま存続し、一部には自衛隊も使用することとなった。
 「返還」後34年の現実は基地がなくなるどころかさらに新設されようとしているのである。

 労働者の闘いが基地を阻む

 5・15の課題

◎600日間の闘い
 今年の5・15沖縄闘争は、重大な歴史の岐路の中で迎えている。
 基地建設に反対する住民らが海上基地建設阻止の座り込みを始めて、4月19日で丸2年を迎えた。日本帝国主義は、名護市長と住民に圧力を集中し、甘言、うそ、脅迫、金、暴力とあらゆる手段を使って屈服させようとしている。在沖米軍の再編を沖縄に飲ませ、全国的な米軍再編を貫こうとしているのだ。
 600日に及ぶ座り込み闘争で辺野古沖への新基地建設を実力で阻んだ闘いを踏まえ、辺野古・命を守る会、二見以北10区の会を全国の学生・労働者の闘いで防衛し、新基地建設と米軍再編を粉砕しよう。世論調査でも沖縄県民の7割以上がV字沿岸案に反対だ。3万5千人が集まった3・5県民大会に続き、今度こそ10万、20万人規模の県民大会をともに実現しよう。
 確かに小泉政権の攻撃はこれまでの次元をもはるかに超えている。小泉は「一歩も妥協するな」「地元の合意がなくても強行する」「1千億円の振興策がなくなってもいいのか」と露骨に脅迫している。あらためて新沿岸案阻止をめぐり、闘いの強化と発展、本土・全国の学生・労働者の決起が求められている。
 敵の暴虐に対し、今こそ労働者の体を張った闘い、巨万の労働者階級の階級的な決起が必要だ。労働者階級を中軸とした島ぐるみ決起が歴史的要請となっている。本土の労働者の態度が問われている。沖縄人民と本当の意味で連帯し、沖縄闘争を内在化した本土の労働者階級の闘いが必要だ。現地に駆けつけて闘うことも必要だ。
(写真 防衛施設局が夜間に金網を張った。事態を知った反対派はヤグラを奪い返した【05年4月26日 辺野古沖】)
◎全軍労の闘い
 労働者が立ち上がる時、いかなる力を発揮するのか。そもそも労働者はいかなる力を持っているのか。
 1960年代、米軍の北ベトナム爆撃の開始とB52戦略爆撃機の墜落事故が起きた。当時の沖縄の基地労働者には、団交権も争議権もなかった。一方的な解雇通告や組合指導者に対する米軍の監視、有無を言わせぬ労働条件の切り下げなど、労働者としての権利が著しく制約されていた。その中で、全軍労は1968年、歴史的な「10割年休闘争(事実上の24時間ストライキ)」を組織し、沖縄全島60数カ所の基地ゲートに赤旗を立てた。このストで陸軍司令部や那覇軍港のコンピューターは機能を停止し、戦場への補給物資が途絶えて、日米両政府に大きな衝撃を与えた。
 この闘いは基地労働者に自信を与えた。基地労働者のストライキこそ、米軍基地の機能をストップさせ、米軍の沖縄支配を根底から揺るがす最大の武器であることを示した。「米軍はいまベトナムで苦戦している。沖縄からの補給が途絶すれば、その間、彼らは解放戦線の包囲に裸でさらされる。沖縄ではストの効果は目に見えないかもしれないが実際の影響はベトナムで現れる」と言われた。
 基地労働者は、沖縄人民の置かれた現実の象徴的な存在だった。沖縄人民は戦後、米軍の収容所に送り込まれ、その間に、土地を奪われ、基地依存の経済と生活を強制されてきた。生きるために基地で働くことを余儀なくされたのだ。
 しかし、沖縄人民の上に重くのしかかる基地は、労働者が決起した時、帝国主義の「太平洋の要石」であった沖縄が逆に最大の弱点に転化したのだ。自らの手で巨大な基地機能をストップさせた経験は、労働者階級の階級的な力を自覚させた。社会の真の主人公は労働者であり、労働者が決起した時、社会を変えることができる。
 基地労働者(本質的には沖縄全体もそうだが)は、自己の生存の糧を得る職場が最も非人間的な軍職場というジレンマの中にある。基地撤去は自己の生活基盤の否定でもある。しかし、基地労働者は「死すべきは基地、労働者は死ぬべきではない」「首を切るなら基地も返せ」と闘った。それは帝国主義の軍事要塞である沖縄の現実を内側から食い破る闘いだった。
 労働者階級が立ち上がった時、帝国主義の沖縄支配を大きく揺るがすことができる。労働者階級は自らの力によって、この社会を変革できる力を持った存在だ。基地も含めて、すみずみに至るまで社会を実際に動かしているのは労働者である。労働者階級が団結し、基地労働や戦争協力を拒否し、沖縄人民の自己決定として、帝国主義の沖縄支配を打ち砕き、基地のない沖縄を実現できるのだ。
 基地労働者を始め、自治体労働者、教育労働者などが立ち上がり、10万人の県民大会、ゼネストへ発展する展望は確実に存在する。沖縄の怒りのマグマはまさに噴き出そうとしている。
 岩国、座間、横須賀を始め、米軍再編と対決する闘いが始まっている。学生・青年労働者は新たな安保・沖縄闘争、改憲阻止の闘いに決起しよう。

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共産主義者148号