ZENSHIN 2005/05/23(No2198
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週刊『前進』(2198号1面1)(2005/05/23)
中国への戦争叫ぶ石原打倒を
長谷川英憲氏の都議選勝利で「つくる会」教科書阻止しよう
全国の闘う労働者の力を杉並へ
「新しい歴史教科書をつくる会」の中学校「歴史」「公民」教科書の採択を阻止する闘いは、戦時下に突入した日本の階級闘争の行方を左右する決定的な闘いとなった。全労働者階級人民の最も緊要な課題となったのである。すでに日帝が自衛隊のイラク派兵という形で侵略戦争に参戦し、さらに日米枢軸のもとに北朝鮮・中国侵略戦争に向かって米軍再編を行い、沖縄基地を強化し、憲法改悪、教育基本法改悪を具体的な日程に上せている。この中で、子どもたちを再び戦場に送るための教育に転換させるために、日帝支配階級が教育内容に対する本格的な攻撃を加えてきているのだ。とりわけ、東京・杉並での採択を狙って、ファシスト都知事・石原、杉並区長・山田が画策している。これと真っ向から激突して粉砕しよう。全国のすべての闘う力を杉並に総結集して必ず勝利しよう。
第1章 イラク戦争に規定された内外の情勢
内外情勢は帝国主義の基本矛盾の爆発と、革命的情勢の急接近過程の激しい進行を示している。
石油資源の強奪と中東での勢力圏再確立を狙うアメリカ帝国主義によるイラクへの侵略戦争が続行されている。そしてその中で「イラク民主化」なるものを名目として、カイライ政権をデッチあげようとするプロセスが進行している。マスコミは今のイラクの戦争状態についてまともに報道していない。しかし、特に4月28日の「移行政府」の組閣を契機に、イラク侵略戦争とそれへのイラク・ムスリム人民の激しい民族解放戦争が連日、ますます激しく展開されているのだ。
一方、北朝鮮をめぐる情勢も緊迫している。北朝鮮政府の「核兵器製造のため実験炉停止」「使用済み燃料棒取り出し」の発表、米政府による「北が核実験をする兆候あり」の発表など、情勢は日々緊迫の度を強めている。北朝鮮をめぐる6カ国協議がストップしている中で、ブッシュは金正日を「独裁者」と呼び、すぐにも攻撃できる準備をしている。北朝鮮・金正日スターリン主義の反人民的な核武装路線・瀬戸際政策を口実に、これを餌食として、米日帝の侵略戦争が狙われているのである。
そして、対北朝鮮、対中国の侵略戦争のための米軍トランスフォーメーション(世界的大再編)が日米帝国主義の間で詰められている。神奈川県座間基地を米陸軍第1軍団司令部に、全土の基地を再編しようとしている。そして、その中で、「沖縄基地の価値がますます高くなっている」と米帝の側から意思表示が繰り返されている。
こうした動きに真っ向から対決して辺野古の新基地建設阻止の実力闘争が闘われていることは、決定的な意味を持っている。日米枢軸による北朝鮮・中国侵略戦争の攻撃に対する最前線での激突であり、ますます緊迫化することは避けられないのである。
日帝は小泉=奥田路線のもと、帝国主義間の争闘戦での生き残りのために、戦争と民営化、労組破壊と安全破壊をどしどし推し進めている。日本経団連・奥田(日帝ブルジョアジーの頭目だ)が先頭に立ってそれを提唱しているのである。それは、今日の帝国主義の危機のもとでは、憲法改悪、教育基本法改悪なしにはにっちもさっちもいかないことを真正面から叫び、暴力的に打開しようとする攻撃である。
JR尼崎事故は、国鉄分割・民営化こそが最大の元凶であり、「闘いなくして安全なし」ということを悲惨な現実をもって教えている。このJRにおける安全破壊は、「小泉改革」=民営化(労組破壊)の攻撃とは何であるのかをも示している。全逓労働者の公務員資格を奪い、団結を破壊する郵政民営化法案を今こそ粉砕し、4大産別決戦を一層強化しよう。
中国人民の反日帝闘争と連帯し、戦争と民営化で労働者の命を奪う小泉=奥田と石原に、労働者階級の腹の底からの怒りを断固たたきつけよう。
第2章 子どもたちを再び戦場に送る大攻撃
こうした内外情勢のすさまじい激動と緊迫の中で、その階級的激突の最大の焦点になっているのが、「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史・公民教科書をめぐる闘いである。
「つくる会」教科書には、この間暴露してきているように、恐るべき内容が詰め込まれている。その歴史教科書では、そもそも「歴史は科学ではない」というイデオロギーのもとに、マルクス主義、唯物史観への全面的な対抗を図っている。そこには奴隷制や封建制、資本主義という規定も完全に追放されている。万世一系の天皇中心史観が前面化され、支配階級の思想と行動の正当化をもって「歴史を学ぶ」ことだとしている。
弱肉強食・優勝劣敗の社会ダーウィニズム的な戦争肯定思想が臆面(おくめん)もなく提起され、日本帝国主義の侵略戦争と植民地支配が朝鮮・中国・アジア人民に何をもたらしたか、それによって日本人民にどんな悲惨な結末がもたらされたかは、すべてばっさりと切り捨てられている。
さらに「公民」教科書は、より露骨である。全編をとおして、マルクス主義への批判を核心に据え、改憲の必要や「国防の義務」をうたい、明治国家と明治憲法(大日本帝国憲法)を徹底的に賛美し、人権制限、差別を肯定し、「お国のために命をささげる」ことを要求するとんでもない反動的教科書である。
歴史と公民をセットにして、戦時下に突入した中で子どもたちを再び戦場に送るための教科書であると言える。戦後的価値観を根こそぎ解体・一掃する、そして階級的なものの見方や団結の思想を抹殺することを狙っているのだ。
要するに「つくる会」教科書とは、日帝がすでに新しい侵略戦争、新しい15年戦争、新しい世界戦争のプロセスに突入している中で、日帝にとって戦争教育への全面的突入の攻撃が、今や必須不可欠なものとなったことを表している。まさにこれは「戦争のできる国家」「戦争のできる国民」をつくるための大攻撃なのだ。
それは一部の右翼の突出などというものではない。すでに、日本経団連が1月18日に改憲と教育基本法改悪を叫ぶ二つの提言を出していることが示すように、日帝ブルジョアジーの要求になっているのだ。
靖国神社参拝を繰り返して平然としている首相・小泉。中国のデモを非難して逆に「謝罪と賠償」を要求するという盗人たけだけしい外相・町村。「つくる会」教科書を「バランスがとれている」と称揚する文科相・中山。彼らは中国人民、朝鮮人民からどれだけ弾劾されても、歴史認識の歪曲を改めるどころか、「内政干渉」と言わんばかりに開き直っている。これが小泉内閣である。
これに加えて首都東京の知事は、「今こそ尖閣諸島に自衛隊を派兵せよ」「アメリカを日本の対中国戦略に巻きこ」んで中国に戦争を仕掛けよ、と叫ぶファシスト石原である。杉並区長の山田は、「特攻隊に感謝しなさい」と成人式で訓示し、「大東亜戦争は自衛戦争」と公言する超反動だ。これが今日ただいまの日本の現実だ。
南北朝鮮、中国、アジアの人民から見た時、かつて15年戦争でアジアをじゅうりんし、虐殺を繰り返した日本、戦後はそれを反省して「平和憲法」のもとで二度と戦争をしないことを誓ったはずの日本が、今やこんなとんでもないことになっているのだ。このことを戦慄(せんりつ)をもって直視しなければならない。
こうした日帝の戦争に向かっての動きを集大成したものが「つくる会」教科書採択の動きなのだ。「つくる会」は前回は全人民的な反対運動で、全国でわずか0・03%しか採択されなかった。それから4年、彼らは「リベンジ」を叫び、教科書をよりカラフルに、「受け入れやすい」ように手を加え、採択率10%をめざして大運動を展開してきている。その最大のターゲットとして東京・杉並を選んできているのだ。ここで突破されたら本当に戦争へと堤防が決壊するのだ。
杉並区は、石原の先兵としての山田区長が率先して「つくる会」教科書を推進しており、教育委員も「つくる会」派が多数を占めている。さらに、石原・都教委の指示にもとづいて現場教員や区民の意見を重視する従来の区の教科書採択要綱も改悪した。このままでは7月に「つくる会」教科書が採択されてしまう情勢だ。強力な大衆運動が巻き起こらなければ、このすう勢は覆らないのである。
敵の側が杉並を決戦場としてきている以上、これに対して全労働者階級の側からこれを阻止する大決戦に打って出なければならない。そして総力を杉並に投入し、教育労働者、保護者を始め、全区の労働者住民の決起を呼び起こすならば、この情勢を覆すことはまったく可能だ。この1〜3月の「日の丸・君が代」強制阻止のわれわれの全力の決起――それが教育労働者の偉大な不起立決起の勝利の原動力の一部を形成したことは明白だ――をさらに数倍するような決起を杉並に集中しよう。
第3章 石原に挑戦し闘うのは長谷川氏だけ
この杉並における「つくる会」教科書採択阻止の闘いは、時間的にも空間的にも、完全に杉並の都議会議員選挙戦と重なっている。
「つくる会」勢力である自民党・石原一派は言うまでもなく、これを支え協力している公明党、民主党を労働者の階級的怒りで吹っ飛ばそう。
民主党もまた、石原翼賛勢力だ。板橋区選出の民主党都議・土屋の言動(板橋高校の卒業式で「日の丸・君が代」強制のために騒ぎ回り、反対した藤田さんを権力に突き出す)、また民主党衆議院議員で石原の盟友・西村真悟の言動(教育基本法改正は、「お国のために命を投げ出しても構わない日本人を生み出す」ためと公言)を見れば、民主党もまた、石原とグルであることは明白だ。このことを暴いて闘うならば、民主党支持者の中に大きな分岐と流動をつくり出すことは可能だ。
また、日本共産党は、もともと「石原都政には是々非々で」と称して、ファシスト石原と真っ向から対決することに反対し、石原との「一致点」を盛んに強調してきた。今日、石原批判勢力であるかのように振る舞っているが、「つくる会」教科書を問題にしようとしていない。9条改憲、消費税、「日の丸・君が代」などに対して「絶対反対」とは言わない。
日本共産党以外の労組票などを集めてきた福士敬子(よしこ)都議も「私は別に反石原という立場ではありません」「面白いところもある石原都政」と「勝手連」のビラで公言している。「つくる会」教科書は争点にもしていない。戦争と民営化(労組破壊)の攻撃に対する闘う労働者の苦闘とともにある人ではない。要するに、日共も福士都議も生活ネットも、石原ファシストの攻撃に屈服しているのだ。
こうした中で唯一、「石原都知事に挑戦状」「介護の長谷川」を旗印にして闘う長谷川英憲元都議の存在は決定的である。長谷川氏は、何よりも日帝・小泉=奥田路線の先兵である石原都政を真っ向から弾劾し、労働者階級人民の団結の力でこれを打倒することを呼びかけている。そしてその対決の最大の争点として「つくる会」教科書採択阻止を据え、同時に介護保険法改悪阻止を訴え、石原の社会保障制度解体攻撃との闘いを訴えている。今日の日本で、最も労働者階級の闘いの側に立ち、その先頭に立つ候補である。
われわれのスローガンは、「ファシスト石原打倒」「石原・山田の『つくる会』教科書採択絶対阻止」「戦争ではなく社会保障を」である。このスローガンのもとにこの5〜6月、労働者と区民が主人公の大衆闘争の爆発をかちとり、その力で都議選勝利をかちとるのだ。
「つくる会」教科書採択阻止の巨大な大衆運動をつくり出し、その力で長谷川英憲氏の勝利をかちとろう。全国の闘う労働者の力を東京・杉並に今こそ総結集しよう。
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週刊『前進』(2198号1面2)(2005/05/23)
(2)弱肉強食の論理
●侵略と植民地支配を居直り
「近代化」「解放」と正当化
「自存自衛」論
「歴史は科学ではない」とする「つくる会」の歴史教科書に貫かれているのは、万世一系の天皇中心史観と、もう一つは、社会ダーウィニズム的なあからさまな弱肉強食の論理である。人間の社会も自然界と同じく生存競争をその原理としており、いつの時代も弱い者を犠牲にすることによってしか生き残れない優勝劣敗の世界なのだと描き出す。それで帝国主義の戦争を「必要なこと」として平然と肯定していくのだ。
とりわけ日本の近現代史について、「つくる会」教科書はその立場から日帝によるアジアへの侵略と戦争の一切を正当化している。韓国併合も、中国への侵略戦争も、太平洋戦争への突進もすべて、国家間・民族間の生存競争に勝ちぬくためには不可欠だった、ロシアと戦争しなければ「手遅れになる」ところだった、「日本の南方進出はもともと自存自衛のためだった」と全面的に正当化するのだ。むしろ当時の国家指導者がいかに偉大であったかを学ぶべきだ、などと叫んでいる。
これは帝国主義者がその侵略政策、対外膨張政策を合理化するために持ち出す典型的な主張だ。「国家の生存がかかっている」などと言うが、その「国家」の正体は何か。現実の社会は階級的に非和解的に分裂しており、彼らが言う日本国家とは支配階級の国家である。その「生存」とは実際には、日本の帝国主義ブルジョアジーが世界の分割と再分割をめぐる他帝国主義との強盗的な争闘戦にいかにして勝ちぬき、生き残るかということでしかない。
この本質を隠すために「つくる会」は、「国家=民族」とし、国家を階級を超越した「共同体」として、あたかも有機的な一個の生命体のように描く虚偽のイデオロギーをまき散らすのだ。そして一切はこの国家=民族の「生存のための闘争」だったのだと言い、日帝が行った侵略戦争とそこでの人民大虐殺を居直っている。
「日本は解放軍」
例えば日清・日露戦争について、「朝鮮半島が、東方に勢力を拡大しつつあるロシアの支配下に入れば、日本を攻撃する格好の基地とな」る、「日露戦争は、日本の生き残りをかけた戦争だった。日本はこれに勝利して、自国の安全保障を確立した」と言う。韓国併合についても「日本政府は、日本の安全と満州の権益を防衛するために、韓国の併合が必要であると考えた」と言う。
手前勝手な地政学的口実をつくって、日本を防衛するためには朝鮮を日本の支配下に組み入れるしかなかった、だから朝鮮を侵略し植民地化したのは正しかったと強弁しているのだ。
そこには、歴史を検証する時に本来求められる、侵略された側に身をおいてその立場から歴史を見直し反省もするという態度は、当然ながら何ひとつない。逆に、日本が生き残るためだったら朝鮮人民や中国人民の意思など頭から踏みにじってよしとされている。
しかも他国への侵略をこのように居直る一方で、日帝が朝鮮や中国に対してやったことは欧米列強による侵略や植民地支配とは違って、アジアにすばらしく良いことをしたかのように描いているのだ。
例えば、朝鮮・台湾への日帝の過酷な植民地支配を「近代化を助けた」などと美化するばかりか、日本がロシアとの帝国主義戦争で「大勝利」し、その結果として朝鮮を植民地化し、中国に侵略していったことが、逆になんと「世界を変えた」「植民地にされていた民族に、独立への希望をあたえた」と正反対に描かれ、最大限に礼賛されている。中国侵略戦争と「満州国」デッチあげについても、「満州国は、五族協和、王道楽土建設のスローガンのもと、日本の重工業の進出などにより急激な経済成長をとげた」と、まるで理想の国を建設したかのような大ウソを公然と流している。
その極め付きは、太平洋戦争を「大東亜戦争」と呼んで、「アジアの人々を奮い立たせた日本の行動」「日本を解放軍として迎えたインドネシアの人々」などと、日帝の侵略戦争がアジアを「解放」したというとんでもない主張をやっていることだ。そして、日帝が米英と同じ、否それ以上に凶暴な帝国主義として、アジア人民を徹底的にじゅうりんし、支配し、虐殺したこと、それが日本の労働者人民にも悲惨きわまる犠牲を強制したことを押し隠し、美化しているのである。
他民族抹殺政策
「つくる会」教科書を貫くもう一つの史観としての社会ダーウィニズム的な考え方、それが最後に行きつく先は何か。そのことを具体的に示すものが、1930年代から第2次大戦過程でのナチス・ドイツや日本の天皇制国家の姿だった。
そこでは、資本主義・帝国主義の弱肉強食の論理に「民族の血」を重視する血のイデオロギーと優生思想とが結合され、被抑圧民族への排外主義と差別・抑圧がグロテスクなまでに拡大された。単に強い者のみが生き残ることがよしとされただけではない。ヒトラーが「戦争は文明の父」と言い放ったように、他民族の征服と民族的抹殺、社会からの「弱者の除去」こそが国家発展の原動力とされたのである。その結果が、ナチスによるユダヤ人や「障害者」の大量虐殺であり、日帝による朝鮮人民への民族抹殺政策そのものと言うべき強制連行や日本軍軍隊慰安婦政策であった。
「つくる会」教科書はまさにそうした恐るべきファシスト的価値観に子どもたちを導くものである。こんな教科書を、絶対に許してはならない。
(検定合格した05年版「つくる会」歴史教科書より)
▼「日露戦争は、日本の生き残りをかけた戦争だった」「日露戦争後、日本は東アジアにおけるおしもおされもしない大国となった」
▼「日本政府は、日本の安全と満州の権益を防衛するために、韓国の併合が必要であると考えた」
▼「大東亜戦争」「アジアの人々を奮い立たせた日本の行動」「日本を解放軍として迎えた人々」
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週刊『前進』(2198号2面1)(2005/05/23)
「戦争は社会の原理」と石原
「つくる会」教科書導入の最先兵
“中国分裂させろ”と対中国戦争を叫ぶファシスト石原打倒へ
日本帝国主義・小泉政権は、絶望的な体制危機の中で日米軍事同盟を強化し、北朝鮮・中国侵略戦争に突き進んでいる。その先兵となって「中国や北朝鮮への侵略戦争にうって出よ」と絶叫しているのが都知事・ファシスト石原だ。石原は帝国主義の危機と腐敗を一身に体現し、差別的でおぞましいファシストの正体をむき出しにして「北朝鮮を転覆せよ」「中国を分裂させよ」と叫び回っている。「つくる会」の「歴史」「公民」教科書はこの石原と同一のファシスト思想で全国の中学生を教育しようとするものだ。杉並を先頭に全国で「つくる会」教科書採択を阻止しよう。都議選決戦に勝利し、ファシスト石原打倒、山田杉並区長打倒へ突き進もう。
“北京五輪をボイコットせよ”
許し難いことにファシスト石原は、自らの公式ホームページを「宣戦布告」と名付け、露骨に戦争をあおっている。石原は前号既報のとおり『週刊文春』5月5・12日特大号で「今こそ尖閣諸島に自衛隊を常駐させよ」「アメリカを日本の対中国戦略に巻き込み中国と戦争しろ」と叫んでいる。同じ趣旨のことを『文芸春秋』6月号でも「北京五輪を断固ボイコットせよ」などというセンセーショナルな大見出しをつけて繰り返している。
あらためて『週刊文春』での次の発言は重大だ。
「あと10年もすれば中国は分裂国家になるでしょう。そうなれば少なくとも覇権主義はなくなるし、経済的にも効率がよくなるはずです。……われわれはその歩みを早める努力をするべきです」「そして、分裂した各地域に狙いを定めて先進国が進出し、彼らとともに経済効率を上げつつ自らの利益も上げるという形になっていく」
これこそ帝国主義の侵略戦争の論理だ。全世界的な帝国主義間争闘戦の激化の中で、日帝が米帝とともに策動している中国・北朝鮮の残存スターリン主義政権の転覆−侵略戦争の狙いをあけすけに述べている。
反日帝闘争は「幼稚で愚か」
さらに石原は、中国人民に対して「民度が低い」「幼稚で愚かな反日暴動」「金への信仰。これは中国人の歴史的DNAだ」と、口汚い言葉でののしり、中国人民を排外主義的に「日本人よりも劣った民族」として描きあげて中国侵略戦争を正当化しようとしている。
あろうことか都知事という強大な権力を持つ者が、かつての日帝の中国侵略戦争に対する謝罪も反省もなく中国人民を侮蔑し、再び「中国を分裂させよ」などと公言しているのだ。こんなことをどうして放置し許しておけようか。
しかも、これは今やひとり石原だけの突出した右翼的主張ではない。日帝支配階級全体が、帝国主義間争闘戦の激化で危機を深め、石原的な帝国主義的イデオロギーで侵略戦争に突き進む以外になくなっているのだ。
さらに同誌で石原は、「チープレイバー」などという侮蔑的な言い方で中国労働者の現状に言及し、「非人間的な過酷な労働条件で働かされている」「労働組合や労働基準法がない環境で働かされている」などと言って、ファシストよろしくこれを反共・反中国の宣伝材料にしている。
だが、中国スターリン主義と結託して、「改革・開放」路線のもとで、中国の労働者を「非人間的な過酷な労働条件で働か」せ、「労働組合や労働基準法」もつくらせないで、日本人賃金の25分の1という超低賃金で搾取しているのは誰か。日帝資本ではないか! だからこそ、深せんを始めとして中国労働者が日帝資本に対してストライキ、反日帝闘争に立ち上がっているのだ。
日帝資本をまったく免罪し、日帝資本による植民地主義的な過酷な労働条件を反中国の宣伝材料に使うなど、まさに強盗の居直り、極悪のデマゴーグぶりだ。
石原は理屈が立たなければ居直る。米帝のイラク侵略戦争に何の正義性もないことが暴かれると、「戦争というのは昔から大義があるような、ないようなものでしょう」(『諸君』04年6月号)と開き直る。これがファシストの手口だ。
「つくる会」と同一の歴史観
石原は都立養護学校や、今春開校した都立中高一貫校で「つくる会」教科書を採択した。そしてこの夏には杉並区で、ファシスト山田区長を手先にして採択を狙っている。
「つくる会」教科書は、日本が帝国主義として延命していくためには、侵略戦争と植民地支配も必要である、弱肉強食・優勝劣敗は社会の原理だというファシスト的な社会ダーウィニズム的な考え、価値観、歴史観を中学生に教え込もうとしている。
この「つくる会」教科書と石原のイデオロギーはまったく同一だ。石原は自著『「父」なくして国立たず』でこう書いている。
「戦争こそは社会の原理」「太平洋戦争までの二百年、つまりヨーロッパ近代主義の後半の二百年を支配した民主主義の政治原理というのは……食うか食われるかの、あからさまな弱肉強食の覇権主義、帝国主義でした。つまり植民地を持つか、植民地にされるかのどちらかで、他の選択肢はまったくありはしなかった」「あの日清、日露の戦争もそうですが、これに勝たなかったら日本は相手の植民地になっていたのですから」
この論理は「つくる会」教科書のイデオロギーそのものである。まさにむき出しの帝国主義侵略戦争の全面賛美のイデオロギーである。この社会ダーウィニズム的な反革命思想を、労働者階級は、労働者国際連帯、「帝国主義戦争を内乱へ」、プロレタリア世界革命の思想と戦略で全面的に対決し粉砕しなければならない。
都議選に勝利し採択阻止へ
1929年の世界大恐慌後、帝国主義各国は破局的な経済危機、体制危機を深め、世界経済の分裂化・ブロック化を深めていった。「持たざる帝国主義」=日帝はドイツ帝国主義とともに、最も凶暴に植民地争奪の侵略戦争に突き進み、そして帝国主義同士の激突=第2次世界大戦へと突き進んでいった。今それと同じ帝国主義の争闘戦と戦争の論理が働いている。
帝国主義戦争で犠牲になるのは、つねに労働者階級だ。「国家のために命を捧げよ」「公に奉仕する心を持て」とは、帝国主義支配階級の利益のために労働者はとことん犠牲になれということでしかない。
帝国主義戦争の反人民性、残虐さ、悲惨さを覆い隠し、「スポーツより高揚感を味わえるのは戦争だ」「特攻隊は美しい」などと戦争をあおる石原と「つくる会」教科書を許してはならない。杉並を先頭に全国で「つくる会」教科書の採択を絶対に阻止し、ファシスト石原を打倒しよう。6月都議選に勝利しよう。
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週刊『前進』(2198号2面2)(2005/05/23)
都議選情勢 「石原知事に挑戦状」と長谷川氏が鮮烈に登場
かつてない激戦の杉並
都議会議員選挙の告示まであと1カ月あまりとなった。杉並はかつてない激戦区となっている。6議席を12人の候補者で争う。安泰の候補は誰もおらず、これからの選挙戦に一切の勝敗がかかっている。
自民党は、大泉時男(63)と早坂義弘(36)の2人の新人を公認した。都議候補を公募制にしたがギリギリまで決まらず、不満がくすぶっていると言われ、元区議の千葉昇(62)は、無所属で立候補する。
公明党の松葉多美子(42)は森田安孝の後継として組織固めをしている。
民主党は、現職の田中良(44)と新人の門脇文良(50)の2人を公認した。その一方で民主党杉並総支部幹事長だった木梨盛祥(55)が無所属で立候補する。
日本共産党は現職の吉田信夫(55)を立てる。生活者ネットは藤田愛子の後継として新人の堀之内敏恵(32)が立候補。福士敬子(66)は現職である。急きょ出馬を表明した渡嘉敷奈緒美(42)は「つくる会」教科書派で、石原、山田の先兵だ。
この中で石原打倒と「つくる会」教科書を最大の選挙戦の争点にし真っ向から訴えて闘う候補は「石原知事に挑戦状」を掲げる長谷川英憲・都政を革新する会代表以外に存在しない。他の候補は与党も野党もこの争点を隠そうと意図的に完全に逃げているのだ。
今、日帝・小泉政権が自衛隊をイラクに派兵し侵略戦争に突入している中で有事体制の完成を狙い、「日の丸・君が代」の強制、「つくる会」教科書の拡大で戦争国家体制をつくろうとしている。自民党はまさにその戦争と民営化攻撃の中心勢力である。
公明党は、その自民党支配を支える極悪の役割を果たしている。改憲、教育基本法改悪、福祉破壊など戦争と民営化の攻撃を自民党と一体で進めている。
民主党も自民党と一緒になって改憲攻撃、戦争と民営化攻撃を進めている。許しがたいのは、労働組合のナショナルセンターである連合が、改憲勢力への転向と一体になって民主党を全面的に支持し、労働者を戦争に動員する攻撃を進めていることである。
さらに重大なのは、日本共産党を始めとした「野党」の全面的裏切りと屈服である。
「市民派」を名乗る福士敬子は「私は別に反石原という立場ではありません」「面白いところもある石原都政」と言い、石原とまったく対決しようとしていない。それなのに「日の丸・君が代」や「つくる会」教科書に反対する労働者人民の票だけは集めようとしている。
福士は石原の「日の丸・君が代」強制攻撃にも完全に屈服しており、卒業式や入学式に来賓として出席しても不起立で闘おうとしない。処分などない来賓でありながら起立するなど絶対に許せない。しかも「つくる会」教科書について政策で言及さえしていないのである。
この点では日共・吉田信夫も同罪だ。「つくる会」教科書とまったく闘おうとしていない。日共は口先で改憲反対を言っているが「つくる会」教科書に屈服して改憲阻止の道がどこにあるというのか。しかも日共の区議団は、卒・入学式に来賓として出席して「日の丸・君が代」に起立して屈服しているのだ。
都議選決戦は総蜂起戦の段階に突入した。「激戦」は勝利のチャンスが訪れているということでもある。党と労働者人民、住民が全力で決起すれば勝利をもぎ取ることが可能な情勢なのである。長谷川氏の当選へ全力で決起しよう。
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週刊『前進』(2198号2面3)(2005/05/23)
杉並住民の会総会&記念講演 “介護保健改悪許さぬ”
長谷川氏の勝利を誓う
5月5日、介護と福祉を要求する杉並住民の会の第6回総会&記念集会が杉並区西荻窪の勤労福祉会館で開かれた。介護が必要な高齢者からさらに介護を奪う介護保険法改悪案への怒りに燃えて高齢者を中心に210人が集まり、都議選で住民の会事務局長の長谷川英憲氏の勝利へ全力で闘うことを誓った。
開会前にはビデオが上映され、プロの講談師による解説で介護保険制度改悪の内容をわかりやすく説き、厚労省交渉など住民の会の1年間の活動、長谷川さんの活躍が映し出された。
1時半から始まった総会では、八木ケ谷妙子代表が「一人ひとり誰もが命いっぱいに生きている。そういう命に対して戦争をやるんだなんて言ってたくさんの人を殺しました。広島・長崎でたくさんの人が丸焦げに殺されました。なんでそれをまたやるというのでしょう」「わたしたちは生きているんだぞ。確かに生きているんだぞ。生きているということはなんてすばらしいことなんでしょう」と参加者を勇気づけた。
続いて司会から杉並区高齢者施策課長や鹿児島大学教授の伊藤周平さんなどからのメッセージが紹介された。
連帯のあいさつではまず、都政を革新する会のけしば誠一区議、新城せつ子区議、北島邦彦事務局長が登壇し、代表してけしばさんがJR尼崎事故で運転士に責任を転嫁しようとする攻撃を怒りを込めて批判し、すべての責任が分割・民営化にあることを弾劾した。そして「二度とこのような事態を許さないために6月24日告示の都議会議員選挙に私たちの代表・長谷川英憲を押し立てて労働者が職場の安全を取り戻す政治をつくりたい。介護・福祉を私たちの手に取り戻すために長谷川を勝たせていただきたい」と訴えた。
佐野雄介くんと地域で共に生きる道を切り開く会の佐野さよ子さんから連帯のあいさつを受けた。
活動報告では、副代表がこの1年間で2度の厚生労働省交渉や2度の杉並区交渉を行ったこと、4月20日の区交渉ではヘルパーの団体がともに担い抜き、ヘルパーとの連帯の新しい地平が開かれたことを報告した。そして「必要な介護を切り捨てる介護保険制度改悪が、自民・公明・民主の3党の賛成によって衆議院の委員会で可決され、5月10日に衆議院本会議を通り参議院に送られようとしている」と情勢の重大性を提起し、「われわれは主権者であることを認識して闘わなければならない」と訴えた。最後に「7月には東京都議会選挙が行われます。この都議選で、極悪知事の石原に反対してわれわれの仲間である長谷川英憲を候補として決戦を挑みます。一人ひとりが周りに声をかけ、小さな川を大河にしてぜひ長谷川えいけんを勝たしめて下さい」と訴えた。報告の途中に神奈川から駆けつけた「介護保険に異議あり、全国ネットワーク」の仲間を紹介した。
地域からの報告では、会員が各地域の懇談会の様子を報告し、「一人ひとりはみんなさみしかったり不安があったり、だから心を寄せ合うのが住民の会」「懇談会に多くの人に参加していただきたい」と訴えた。
介護保険制度改悪絶対反対と都議選での長谷川英憲勝利へ全力で闘うことを訴えた集会宣言、山田区長の「つくる会」教科書採択を許さない特別決議が読み上げられ、参加者の圧倒的な拍手で採択した。
長谷川英憲氏が特別報告
第2部記念集会では、長谷川英憲さんが特別報告を行った。まずJR西日本尼崎事故について「運転士に責任を押しかぶせようとしているが絶対に許せない。JRは『安全はもうからない』と人を減らし、外注化し、予算を削った。運転士には遅れたら取り戻せと言明していた。分割・民営化がこの大量殺人を引き起こしたのです」と事故問題の本質を明らかにした。そして「運転士の資質が問題」と責任転嫁する石原知事こそ運輸大臣として分割・民営化を推進した当事者であり、107人の命を奪った責任者だと弾劾した。
介護保険制度の大改悪について、「介護保険は介護を守るものではない。介護を民間企業に投げ出すものだ」と強調し、「絶対反対で闘わなければならない」と訴えた。さらに「石原知事は『中国と戦争をやれ。戦争をやらなかったので若者がだめになった』と叫んでいる。こんな石原都知事が都議会でなんの弾劾も受けない。本当に腐りきっている。絶対に変えなければいけない。福祉が切り捨てられ戦争への道が始まっている。こういう石原を倒す闘いが絶対に必要です。私はその代表として都議選を闘い、皆さんと一緒に勝利したい」と力強く訴えた。
会員による新舞踊が会場を魅了し、ギター演奏では最後に会場全員で「四季の歌」を合唱した。和太鼓の演奏が参加者を激励し、団結がんばろうで闘う決意をうち固めた。
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週刊『前進』(2198号4面4)(2005/05/23)
女性差別の石原許さない
男尊女卑の暴言重ね家父長制復活を要求
〈投稿〉 高原奈津美
戦争と民営化攻撃が進む中で、差別と排外主義の動きがかつてないほど強まっています。日帝は今、小泉政権と奥田を会長とする日本経団連のもとで、再び侵略戦争・世界戦争の道を突き進み、労働者階級の階級性を解体して戦争に動員する攻撃を強めています。
その最悪の先兵となっている東京都知事・ファシスト石原は、極悪の排外主義をむきだしにして、北朝鮮や中国に戦争を仕掛けろと叫び、憲法をも公然と破ると宣言しています。石原打倒は、労働者階級の当面する最も重要な闘争課題です。
レイプや暴力をそそのかす
そのためにも、私はとくに、石原のファシスト的な女性差別発言、女性差別思想と全力で闘うことを強く訴えたい。何よりもまず、石原が何を言っているのかを、すべての女性、労働者に知らせなくてはなりません。長くなりますが、あえて引用します。
「“文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババァ”なんだそうだ。女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪ですってね」「女は閉経してしまったら子供を生む能力はない。そんな人間が、きんさん、ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害」(『週刊女性』2001年11月6日号)
「年をとったそのおばあさんを、その部落の貧困のゆえに、あえて生きている人間を捨てに行くという、これは年とった女の人が、他の動物の生存の仕方に比べれば、かなり横暴な存在であるという表現の、実は逆説的な一つの証左でありまして……」(01年12月11日都議会での発言)
「男の浮気性がなかったら男は発想力が出てこなくて、いい仕事ができないんだってね。男のくせに一夫一妻で、女房のけつにしかれっぱなしの人間てのはね、政治家としては最低」「伊藤博文が日本の近代化に成功したのは、あの人はほんとに浮気性でね。芸者の水揚げ好きでね。また奥さんが平気でそれを許してね、……結局それが人間の発想力だけじゃなくて文明・文化をすすめていく、活力の源泉なんじゃないのかな」(ビデオメッセージ「男と女について」、石原のホームページに掲載)
まだまだある。石原のホームページや著書は民族差別とともに、女性差別の発言のオンパレードだ。
「我が家の個性、性格を決めるものは父親である、おやじである。おやじでなくてはならぬと、わたくしは信ずる。なんといっても父親は家族の支柱であり、その家の主宰者である」「日本はかつてそういう(家父長の権威を重んじる)国家・民族であったのです。そういう美徳といおうか、優れた特性を私たちはまず自分自身のために取り戻す時期にきているのではないだろうか」(石原のホームページから)
本当に怒りなしには聞けない発言ばかりです。石原は「家族も国家も男が中心で、女は黙って男に従うべき」「子どもを産まない(産めない)女は生きている価値がない」と本気で考えている根っからの差別主義者です。
ここにあるのは、戦前の天皇制国家を支えた家父長的家族制度とまったく同じ考え方です。戦後の男女平等を真っ向から否定し、家長である男性が絶対的な権力を握って他の家族全員を支配していた時代を賛美して、その復活を公然と要求するものです。また、人間とその社会を生物学的な「種の繁殖」の観点からのみとらえ、弱者の除去や女性へのレイプを「種の発展に必要」として正当化したナチス、ヒトラーの考え方とも変わるところがありません。この女性差別が石原の国家観の根底にあり、民族差別と結びついて、侵略と排外主義をあおるものになっています。
これを「1人の傲慢(ごうまん)な男のたわごと」としてあしらうわけにはいきません。石原は首都・東京の知事という大きな権力を最大限使って、こうした差別を「言って当然」「やって当然」のこととして意識的に全社会に持ち込み、差別と分断をあおっています。女性への差別賃金や出産解雇や、介護・福祉の切り捨てを正当化し、さらにはセクハラやレイプを公然とあおり、男性が職場でのストレスを妻や恋人への暴力に向けるようにそそのかしているのです。
現に石原「ババア」発言のあと、自民党の国会議員が、大学生らによる女子大生集団強姦事件について、「集団レイプするのは元気があるからいい」などと堂々と発言することまで起きています(03年6月、太田誠一・元総務庁長官)。こんなことを許して労働者階級の団結はありません。
憲法24条破壊の攻撃と一体
石原発言は今や、小泉政権と日本経団連・奥田による現実の攻撃と一体となって、女性と女性労働者の労働と生活に襲いかかってきています。
自民党はその改憲案で、憲法9条の撤廃とともに、両性の平等を規定した憲法24条を「日本の文化・伝統に合わない」として削除を狙い、教育基本法でも、男女共学の条項を削除しようとしています。さらに、文部科学省は、歴史をゆがめ侵略戦争を賛美する「つくる会」教科書を検定合格させました。そこでは、中国・朝鮮への排外主義と弱肉強食のイデオロギーが公然とあおられるとともに、「男らしさ・女らしさ」が「日本の伝統」と強調され、社会には差別があって当然とされているのです。
また、労働法制を解体して「工場法以前に戻せ」と叫ぶ奥田・経団連と小泉政権による大民営化攻撃のもとで、労働者のあらゆる権利が奪われ、社会保障が解体され、その矛盾と犠牲の一切が女性労働者と労働者家族にしわ寄せされようとしています。「女性の能力の活用」の名のもとに女性労働者を徹底的な低賃金・不安定雇用労働に動員していく一方で、保育所民営化による公的保育の解体が進められ、「少子化対策基本法」制定など、「少子化」を国家の危機とあおって、個々の家庭と女性に子を産み育てる責任を押しつける攻撃が始まっています。介護保険制度改悪は、高齢者から介護をますます奪い、家族とりわけ女性にその全矛盾を転嫁するものです。
石原都政こそ、その最先兵です。石原のもとで、都の教育委員会は04年、「日の丸・君が代」強制と並んで「ジェンダー・フリー」教育の排除と男女混合名簿の廃止をうちだしました。そして侵略戦争と差別を当然と教える「つくる会」教科書を、杉並区を突破口に全都で採用させようとしています。この石原をこのままにしておいては、女性の権利も解放も、子どもたちの未来もありません。
女性議員も石原に総屈服
これに対して、日本共産党を始めとする野党も、女性議員も、都議会で抗議の声ひとつ上げず、闘いを放棄しています。この総屈服こそが石原の差別暴言とファシスト的横暴を許し、背後で支えているのです。杉並選出の福士敬子都議などは、「私は別に反石原という立場ではありません」と言ってファシスト石原との対決を拒否するばかりか、「面白いところもある石原都政」などと、逆に石原を持ち上げさえしています。こんな人に、およそ「女性の代表」を名乗る資格などまったくありません。
すべての女性は、こうした既成野党や名ばかりの「女性議員」の石原への屈服を厳しく批判し、のりこえて、労働者階級の団結の力を基礎に、今こそ石原打倒の先頭に立つべきです。
石原の差別暴言は、石原がどんなに女性の階級的決起を恐れ、労働者階級の団結を恐れているかの裏返しの表現です。何より女性労働者には、子育ての重圧と低賃金・不安定雇用のもとであらゆる矛盾が集中しています。石原の主張がまかりとおる中では、生きていくことができません。職場で、地域で、怒りが充満し、すでに多くの女性労働者が真っ先に怒りの決起を開始しています。
この決起し始めた女性労働者と団結し、差別者・石原を打倒しよう! 中国・韓国の労働者・学生の闘いと連帯し、杉並での「つくる会」教科書採択を絶対に阻止しよう! 石原の女性差別を暴き切り、女性と全労働者階級の未来をかけて、長谷川英憲さんの都議選当選をかちとろう!
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週刊『前進』(2198号5面1)(2005/05/23)
尼崎事故 107人は民営化によって殺された
事故は小泉=奥田路線の帰結だ 闘わなければ安全は守れない
JR体制と腐敗労組幹部打倒へ
JR西日本の尼崎事故は107人の命を奪う大惨事となった。本紙前号の弾劾声明に続き、この事故を引き起こした国鉄分割・民営化体制=JR体制を徹底弾劾する関西の闘う国労組合員からの投稿が寄せられた。(編集局)
JRの強権的・非人間的な労務支配が大惨事を生んだ
JR福知山線(宝塚線)上りの塚口−尼崎間で、国鉄分割・民営化以来の最大の脱線・転覆事故が発生した。
高見隆二郎運転士(23歳)と一瞬にして命を奪われた乗客・その家族の怒りと悲しみ・悔しさを思う時、われわれは分割・民営化=JR体制の打倒、JR資本とJR連合・西労組、JR総連・西労の結託体制の打倒をあらためて誓う。
この事故をどうとらえるのか。JR西日本のように「運転士の個人責任」論や「置き石」説を唱え、責任を他に転嫁する醜態をさらすのか。ブルジョア・マスコミや御用学者のように、真の原因が分割・民営化による闘う労働組合の破壊と利潤追求にあることを隠ぺいしようとたくらむのか。
JR西労組やJR西労のように、国鉄分割・民営化に賛成し、労働強化・安全無視の合理化に率先協力してきたことには口をぬぐい、「会社の危機」の救済者づらをして資本の手先として立ち振る舞うのか。
国労の革同上村一派のように「JRに法的責任なし」として分割・民営化反対の旗を降ろし、事故責任の追及をも放棄して恥じないやからに転落するのか。
労働者としての階級的立場が鋭く問われている。
107人はJR西日本によって、国鉄分割・民営化によって、戦争と民営化に突き進む小泉=奥田によって、そして労働者を裏切ったJR西労組やJR西労などの腐敗した労組幹部によって殺されたのだ。
国家的不当労働行為の限りを尽くした分割・民営化以来、積もりに積もった矛盾が、小泉=奥田体制のもとで激化する戦争と民営化の攻撃のただ中で、絶対にあってはならない大事故として噴出したのである。
小泉政権はこの事故の直後に郵政民営化法案を閣議決定し、あくまでも民営化路線に突き進もうとしている。日本経団連は9割の労働者を無権利状態にたたき込むとした95年「プロジェクト報告」の本格的な貫徹に乗り出している。それが労働者にもたらすものが何であるかは、今回の事故がはっきりと示した。
労働者は闘わなかったら殺される。2度とこのような大事故を起こさせないために、すべての労働者は団結して闘うべきだ。全職場から安全問題を点検・摘発し、改善を要求し、会社が放置するならそれを暴露し、闘いを組織しよう。民営化を阻む闘いに立とう。
05春闘で動労千葉は、運転保安確立へ72時間ストを貫徹した。動労千葉とともに、JR体制=分割・民営化体制と対決し、反合・運転保安闘争に立とう。
責任を棚に上げ締め付けを強化
今、JR西日本の職場では緘口(かんこう)令がしかれ、社員を休日出勤に駆り立てて沿線警備・踏切警備を行わせている。JR西日本は、自らの責任を棚に上げ、「職場の外で食事をするな」「お客様に聞こえるような笑い声を立てるな」などと、ひたすら労働者への締め付けを強めている。
またマスコミは、事故直後にJR西日本の社員がボウリングをしていたとか宴会をしていたと書き立て、「JRは国鉄時代の体質をいまだに引きずっている」などとして事故の原因が分割・民営化にあることを必死に押し隠している。分割・民営化前の「ヤミ・カラ」キャンペーンと同様の風潮がつくり出されようとしているのだ。
だが、そうであればこそ、分割・民営化が一切の元凶であることを明確にさせなければならない。国鉄時代は、事故に際し全職員が職務を超えて救助活動に当たるのは当然のことだった。分割・民営化による競争原理の蔓延(まんえん)と安全基準の規制緩和こそが、労働者を分断し、人の命や安全よりも管理職の顔色をうかがうことを優先させるような職場をつくり出してしまったのだ。
卑劣な責任逃れ図るJR西日本
JR西日本は事故直後、「置き石」があったとして責任逃れを図った。事故発生から2時間後の記者会見では、「自動車との衝突」と発表した。その発表に従って救助活動に向かったJR社員は、事故現場ではない踏切に行かされた。JR西日本社長の垣内らが自己保身のために流したウソの情報で、1分1秒を争う救助活動が妨害されたのだ。
またJR西日本は、記者会見でのっけから高見運転士の事故歴をあげつらい、この日も伊丹駅でオーバーランし1分30秒の遅れを出していたことなどを発表し、「運転士の技量不足・未熟」として事故責任を高見運転士に全面転嫁しようと躍起になった。
JR西日本は、事故が起きるといつもウソの事故情報を流し、醜い責任逃れをやってきた。99年新幹線トンネル崩落事故の時も「架線事故」と発表した。42人を虐殺した91年信楽高原鉄道事故では、遺族に対して事故原因の解明を拒んだ。
大量の労働者を虐殺しておきながら、卑劣な責任逃れを図るJR西日本に対し、徹底的な責任追及を突きつけ、JR体制打倒の闘いに総決起しなければならない。
事故発生までに何が起きたのか
伊丹駅到着から事故発生までの4分間に何が起きたのか。
宝塚9時03分発、207系快速電車に乗り込んだ高見運転士の脳裏を「今日も1秒も遅らせてはならない。ストップウオッチを持った調査員が尼崎駅で待ち受けている」という不安がよぎった。乗降客がスムーズに乗り降りしてくれなければ5〜10秒の遅れは出てしまう。伊丹駅に近づいたころ、すでに数十秒遅れている。勢い加速した。「やってしまった。40〜50bのオーバーランだ」
去年6月、片町線下狛駅で100bオーバーランし、13日間の「日勤教育」と訓告処分、「今度ミスしたら、乗務を降ろされても構いません」という「決意書」を強制的に書かされたことがよみがえった。彼の全身を恐怖が襲った。「オーバーランはなかったことにしてくれ」と高見運転士は車掌に電話口で叫ばずにいられなかった。昨日と早朝からの乗務の疲労がピークに達した。運転席で倒れそうになるのをこらえ、必死の思いで所定の停車位置にバックした。1分30秒の遅れだ。
ノッチを勢い強く握りひたすらスピードを上げていく。「いつも、どの運転士もやっていることだ。この直線区間を制限速度120`で走り、遅れを取り戻すのだ」。8年前の東西線開通によって作られた「魔のR=300カーブ」にさしかかる。「速度を落とさなければ……」、車体が大きく左に浮き上がった。次の瞬間、車両は左に浮き上がったまま、線路をまたぐように空中を飛んだ。車体角が電柱にぶつかる。白いマンションが魔物のように迫ってくる。激突だ。……高見運転士の遺体は、下半身を運転席と運転台にはさまれ、ブレーキをしっかり握ったままだったという。
日勤教育と処分による恐怖支配
JR西日本の中期経営計画「チャレンジ2008」には「列車の遅れはお客様の信頼を裏切るものです」とあり、列車を1秒でも遅らせれば運転士を制裁する体制がとられている。それが乗務を降ろしての「日勤教育」だ。JR西日本は「ミス」を犯した運転士、オーバーランや「遅れ」を出した運転士を「日勤教育」と称してさらし者にし、駅の先頭車両付近で「私はミスをしました」と他の運転士に頭を下げさせ屈辱を味わわせていた。
これは「ミス」の再発防止のための教育でも何でもない。運転士の人格をとことん破壊し、資本の奴隷となることを強制する一種の「拷問」だ。
その発端は、国鉄分割・民営化時、国労役員・活動家1万5千人を本来の職場から隔離し、来る日も来る日も「草刈り・文鎮作り」の苦役を強制し、国労脱退攻撃を加えた「人材活用センター」にある。それが今日まで続いているのだ。
JR西日本は、オーバーランした距離により「厳重注意」−「訓告処分」−「戒告処分」とランク分けしている。高見運転士の所属する京橋電車区では、20b以上は「訓告」処分だ。
また、「執務態度の厳正」と称して、日常的にJR当局は乗客に紛れ込んで運転席の背面から乗務員を監視し、「(信号の)指差換呼をしていなかった」「駅で他の乗務員と立ち話をしていた」「ジュースを買っていた」など、ささいなことで処分している。まさに、背面監視に戦々恐々とする「監獄のような職場」になっている。
さらにJR西日本が08年4月に導入しようとしている新賃金制度は、今の必罰制度をさらに徹底化し、資本への絶対服従を迫る能力主義賃金制度だ。それは労働者間の競争を激化させ、他人を蹴落として自分だけ生き延びようとする人間を大量に生み出すことになる。今回の事故だけでなく、会社全体における事故隠し・虚偽報告の多さを知り、最も驚いているのがJR西日本当局ではないか。分割・民営化体制がそのような、間違っていることを間違っていると正々堂々と言えない現実をつくり出してきたのだ。
超過密ダイヤとスピードアップ
競合する関西の5つの私鉄との激烈な乗客争奪戦の結果が、スピードアップと列車の増発による過密ダイヤだ。JR西日本の「経営理念」には、「同業他社をしのぐ強い体質づくり」のために「持てる全ての力を発揮します」とあり、それを毎朝点呼で全社員に唱和させている。
JR西日本は、営利第一主義のもと、並行して走る競争相手の阪急電車から乗客を争奪するため、東西線開通に伴い今回の事故現場となった「魔のカーブ」と言われる線路構造をつくり出した。
一方、今年3月のダイヤ改正で福知山線の伊丹〜尼崎間は1分間短縮された。これにより平均時速は約57`から約67`へのアップが必要となった。最高速度120`からカーブの手前で一挙に70`に急減速しなければならないような走行を全運転士に強制してきたのだ。
また、スピードを優先するため、強度が弱いステンレス車両を導入し、そこに満員の乗客を詰め込んで、安全を無視して列車を運行させてきたのだ。
急加速・急減速を繰り返さなければ定時運転を確保できない無謀なダイヤを組みながら、線路の構造も車両の構造もそれに耐えられるものではなかったのだ。
今回の事故で車両はマンションに激突して大破、アルミ缶のように押しつぶされた。それが大量死につながった。
列車自動停止装置=ATS−P型が設置されていなかったことも、利益第一主義から生まれた。スピード制限を加えたら超過密ダイヤは維持できないから、JR西日本はその導入を拒否してきた。
安全をないがしろにしてスピード競争に駆り立てる分割・民営化体制が、この事故を引き起こしたのだ。
徹底した要員の削減が背景に
JR西日本は徹底した要員合理化を強行してきた。発足当初5万1千人いた要員は3万2千人に減っている。人員構成表を見れば明らかなように、やがては45歳から55歳までのベテラン労働者が大量に退職する時代に入る。合理化、人員削減と労働強化は一層激しく労働者を襲うことになる。
しかも82年、国鉄再建監理委員会から出された「新規採用停止」により、8年間も「採用ゼロ」が行われた。これに追い討ちをかけたのが、国労組合員の運転職場からの排除と解雇・配属差別だ。技術の間断なき継承によって維持される鉄道輸送業務の破壊がこの時から始まっていたのだ。
また92年には乗務員に対し「待ち合わせ時間の廃止」が強行された。まさに「乾いたタオルから、水を搾り出す」(当時の社長・井手正敬の言)ような生理的限界ぎりぎりの強労働が強いられてきた。
分割・民営化を推進した裏切り者に事故責任がある
労働組合の存在意義が厳しく問われている。労働組合は資本と闘う団結体である。資本と癒着し、人減らし合理化、安全無視の強労働・過密ダイヤに賛成し、労働者を抑圧しているようでは、労働組合ではない。
権利を主張し、安全確保を要求して闘う労働組合が運転職場から一掃され、JR当局の人を人とも思わない強権的労務支配がまかりとおり、それと一体となって労働者を強労働に駆り立てるJR西労組、JR西労が職場を支配するようになっていた。誰も高見運転士を守ってくれないことが、彼に強烈なプレッシャーを与えていたのだ。労働組合が労働者を守らなかったら誰が守ってくれるのだ。
JR総連カクマルこそ、分割・民営化を率先推進し、資本と結託してJRの強権的労務支配を築いてきた張本人だ。彼らは自らの延命のために、「必要な合理化は積極的に推進する」「争議権の行使を自粛する」とした「労使共同宣言」を締結し、スト絶滅を誓って安全闘争を解体してきたのだ。その「労使共同宣言」を修善寺大会で拒否した国労を、資本と一体となって解雇・追放してきた連中なのだ。
JR総連・西労は、そのことに口をぬぐい、「やられています」「ひどいです」と言うだけだ。彼らは「分割・民営化に賛成し、合理化と国労つぶしに協力してきた私たちにエサをくれないのはひどい」と泣き言をたれているのだ。
しかもJR総連は、「安全を軽視するJR西日本の企業体質」には問題があるが、東日本は「安全哲学を築いてきた」などと、でたらめきわまることをほざいている。東労組カクマルが率先推進したメンテナンス外注化で、レール破断が続発しているのは、ほかならぬ東日本管内ではないか。
JR連合・西労組は、JR総連カクマルによってつくられた分割・民営化体制に乗っかり、カクマル以上にストレートな資本の手先として労働者を抑圧してきた。107人の命を奪った「利益優先」「安全無視」を支えてきたのは、JR西労組とJR西労だ。
JRの救済者と化した上村革同
他方、国労西日本エリア本部はこのJR西労組、JR西労と一緒になって共同申し入れ書をJR西日本に提出した。
国労西日本本部が出した事故についての見解は、JR資本を擁護するとんでもない裏切り文書だ。
そこには、「たとえ一人の労働者によるミスであっても、そのミスが原因で重大事故に至ってはなりません」と書かれている。さらに、マスコミがこぞって批判する「日勤教育」についても、「『日勤教育』について国労は否定しません」と言うのである。
“運転士がミスを犯した”ことは前提にされ、JRによって殺された運転士と乗客の怒りを体現して資本と闘う姿勢はまったくない。労働者を守るどころか、労働者をいけにえに差し出しているのだ。過密ダイヤをやめろという要求もまったくない。
全組合参加の「労使安全会議」で「安全第一」の体制をつくると言うが、“労資一体の安全”などというものはあり得ない。
革同上村一派は、分割・民営化反対の旗を降ろし、1047名闘争も裏切って闘争団員の統制処分に手を染め、組合員を警察権力に売り渡すことさえやってきた。ついにはイラク侵略戦争に協力し、「闘争団員をイラクの復興支援に出す」とまで言い出している。
だからこそ彼らは、事故の責任追及を投げ出し、JR西日本の救済者に成り下がったのだ。
殺された107人の怒りと悔しさを真に体現する者こそ国労の指導部になるべきなのだ。国鉄分割・民営化絶対反対・JR体制打倒=国労再生へ闘おう。
動労千葉の反合・運転保安闘争に学び労働者は闘おう
尼崎事故に、労働者はどうこたえるのか。その回答は動労千葉の闘いの中にある。
動労千葉は、05春闘を反合・運転保安闘争として闘った。安全運転闘争(順法闘争)を闘い、72時間ストライキを打ち抜いた。
JR東管内で続発するレール破断を始め、国鉄時代には考えられなかった異常な事態が続発している。
こんな現実をもたらした最大の要因は東労組カクマルと結託した労務政策だ。
組合つぶしにばかり身をやつし、鉄道会社としての使命すら忘れ、18年が経過し、その行き着いた先が今のJR東日本の現実だ。鉄道輸送の根幹をなす線路や保安装置、電車の保守・メンテナンス業務を全面的に外注化し、検査周期を延伸した。東労組は、会社との結託体制を守るためにこれを丸のみし続けた。
この現実に真っ向から対決し、動労千葉は国鉄分割・民営化絶対反対を貫き、反合・運転保安闘争を闘いぬいている。
85−86年の2度にわたる分割・民営化反対のストライキを打ちぬき、28人の公労法解雇・12人のJR不採用を受けながら、団結を維持して闘いぬいた。そして今日に至るまで、JR体制打倒の闘いを職場実力闘争・ストライキ闘争として貫いている。
03春闘では、ストライキを闘いぬいて電車区検修部門の外注化を阻止した。04春闘ストでは、運転業務から外され不当配属を受けてきた組合員を、本務に戻す一歩が切り開かれた。それ以降も続々と組合員の不当配属からの原職復帰をかちとっている。
高見運転士と107名の怒りを思う時、われわれ労働者・労働組合こそ「闘いなくして安全なし」の原点に立った闘いを巻き起こさなければならない。
職場から反合・運転保安闘争を闘わない労働組合はすべてインチキであり、安全輸送を語る資格はない。
労働者と乗客の命を守り、鉄道労働者としての誇りをかけて、動労千葉とともに運転保安闘争・安全闘争に決起しよう。
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