ZENSHIN 2005/05/02(No2196
p10)
|
週刊『前進』(2196号1面1)(2005/05/02)
全世界の労働者と連帯を
日帝・小泉=奥田体制を打倒する 闘うメーデーをよみがえらせよう
すべての青年労働者に訴えます
戦時下において国家主義・排外主義にまみれ、日本帝国主義の国家と資本に屈服し戦争に協力する既成労組幹部をぶっ飛ばし、労働組合運動を階級的に再生しよう。そして労働者の団結の力で小泉=奥田体制を打倒しよう。労働者が主人公となる社会をめざし、闘うメーデーをよみがえらせよう。第76回メーデーにあたり、すべての労働者、とりわけ青年労働者の皆さんにこのことを心から訴えます。
第1章 改憲と戦争国家づくりへ労組解体狙う小泉=奥田
メーデーは労働者の団結の日であり、闘いの日です。全世界の労働者が一斉に立ち上がり、労働者階級こそ社会の主人公であることを宣言する日です。1886年5月1日、アメリカの労働者は8時間労働制を要求してゼネラル・ストライキに立ちました。これに対して血の弾圧が襲いかかりました。この日を歴史に刻もうとメーデーが開始されたのです。メーデーは、幾度も労働者の怒りの爆発の日として世界史に刻まれてきました。
世界と日本は今、世界戦争とファシズムの情勢に向かって急坂を転げ落ちるように進んでいます。私たち労働者がどういう時代認識を持ち、どういう行動に踏み出すかによって、歴史の流れが大きく変わります。
今こそ闘うメーデーをよみがえらせる時がやってきたのです。
05年冒頭、歴史的没落の危機にあえぐアメリカ帝国主義のブッシュ大統領は、2期目の大統領就任演説で「自由と民主主義の拡大」「世界の圧制に終止符を打つ」として世界戦争の遂行を宣言し、これを「神からの召命」とまで言っています。そのために米軍を大再編し、全世界に侵略戦争を拡大する態勢をつくり始めました。
日本帝国主義・小泉政権もまた、日米枢軸を形成して米帝とともに世界中で侵略戦争を担うことで帝国主義間の相互のつぶしあいに生き残るという国家戦略を決断しました。日帝は、米帝とともに世界戦争の道を進み、危機を乗り切ろうとしているのです。
自衛隊のイラク派兵の継続、昨年12月の新防衛計画大綱と2・19日米安保協(2プラス2)での「共通戦略目標」設定と「日米軍事一体化」宣言に表されているように、対北朝鮮、対中国の侵略戦争態勢が公然と構築されつつあります。
その中で日帝はなんとしても戦争放棄と軍隊不保持の憲法9条の制約を打破しようとしています。1月18日に日本経団連は二つの提言(改憲と教育に関する提言)を出し、財界自らが改憲と教育基本法改悪を呼号したことは重大事態です。
日帝・小泉は、国連の安保理常任理事国入りの策動や拉致問題に対する北朝鮮経済制裁、朝鮮領・独島、中国領・釣魚台の略奪の動きを強めています。こうした中で、侵略と戦争の歴史を肯定し美化する「つくる会」教科書の検定合格など、すさまじい勢いで国家主義・排外主義をあおり立てています。そして石原都知事を先頭とするファシストどもが一斉に突出した行動を開始しているのです。
他方で、戦後の歴史でかつてないほど小泉首相と奥田・日本経団連会長(トヨタ会長)の政財界が一体となった体制のもとで、私たち労働者にすさまじい攻撃をかけています。首切り、賃金破壊、終身雇用制解体、成果主義賃金導入から労働者の総不安定雇用化の攻撃ときて、ついには8時間労働制の解体、労働法制の解体に手がかけられています。社会保障制度の解体も激しく進行しています。
今や日本は帝国主義諸国の中でも所得格差が大きい国のひとつとなり、労働者が貧困化しています。自殺者も急増しています。労働者の生活はおろか生存すら脅かされる事態が引き起こされているのです。
そして労働組合の完全な変質・解体、一掃が狙われています。とりわけ日教組、全逓(JPU)、自治労、そして国鉄という、旧総評以来の闘う労働運動の流れを現場レベルではまだ残している官公労系の労働組合の徹底的な解体が策されています。
連合は、こうした小泉=奥田の攻撃に屈して、その先兵に成り果ててしまっています。すでに笹森会長は昨年来、「憲法9条2項改正」を公言し、それと軌を一にして自治労本部は1月の中央委員会で「論点整理」という形で9条改憲を打ち出し、日教組本部も今年3月の中央委員会で「護憲から論憲へ」と言い始めました。ついに労働組合として改憲推進の道に踏み込むところまできています。
連合は、今年のメーデーのスローガンに「平和・人権・労働・環境・共生」を掲げて「地球市民」として活動すると言っています。しかし、「平和・人権」を掲げる連合の幹部は実際には、資本や国家と「手をにぎり、共に活動を行」い、労働者への攻撃を率先して受け入れ、9条改憲を方針とし戦争協力の道を歩んでいます。これでは多くの労働者が労働組合そのものに絶望するのは当然です。
小泉=奥田は、戦後60年にわたって形成されてきた国家・社会のあり方をひっくり返し、労働者自身を戦争の担い手とするところまで国家を改造しようと突っ込んできています。とりわけ労働組合をその先兵にしようとしているのです。
中国労働者の抗日デモ爆発
日本帝国主義が再び侵略と戦争の道に踏み出したことに対して、中国や韓国で連日、デモやストライキが爆発しています。北京で始まった抗日デモは中国全土に拡大し、総計数十万人がデモに立ち上がっています。韓国や台湾、香港でも数万規模でデモが行われています。立ち上がっているのは主として青年労働者や学生です。抗日デモの爆発は、何よりも日帝が再び朝鮮・中国・アジアに侵略と侵略戦争を開始したことへの根底からの怒りの闘いです。
中国・広東省の日系企業の電子部品工場では、10代後半の女性労働者を中心に数千人がストライキに立ち上がっています。中国労働者の怒りの根底には、90年代以降十数年間に渡って続いてきた日本企業のあくどい経済侵略があります。日本の25分の1といわれる低賃金でこき使い、「女工哀史」「人を生きながら焼く」と言われるほど工場で働かせ、強搾取・収奪・抑圧を続けてきた日帝資本に対する積もりに積もった労働者の怒りの爆発です。
このように再侵略を強める日帝こそ、今私たちに首切り・賃下げ、強労働の攻撃をかけ、戦争動員をもくろんでいる当の連中であり、中国労働者人民と連帯して打倒すべき共通の敵なのです。
ところが、日本政府だけでなく朝日新聞や民主党、日本共産党までもが、こうした闘いに対して「暴徒」と非難しています。本来、国境を越えたインターナショナリズムの精神に立つべき労働者階級、労働組合の立場とは無縁です。
日本の労働者、労働組合が果たすべき任務は、彼らと連帯し、共通の敵である日本帝国主義・小泉=奥田体制をぶっ倒すことです。なんとしても日本の地で労働者、労働組合のデモ、ストライキの巨大な大衆行動を爆発させましょう。
第2章 階級的労働運動の先頭に立つ動労千葉と全金本山
敵の攻撃はかつてなく激しくなっています。しかしはっきりさせたいのは、敵の側は矛盾に満ち満ちているということです。何ひとつ成算がないのです。
資本主義というシステムそのものが根本的に破産しようとしています。資本主義は、労働者階級の存在ぬきには成り立たないにもかかわらず、労働者を食わせていくこともできなくなっています。世界中で貧富の差や失業、飢餓や環境破壊などの諸問題を激化・拡大させ、いよいよ世界大恐慌と3度目の世界戦争に向かって矛盾を爆発させようとしています。その中で全世界の労働者階級と被抑圧民族の反乱を次々と呼び起こしています。
資本主義社会は、資本と賃労働の非和解性、資本家階級と労働者階級の2大階級の非和解的対立が貫かれた社会です。したがって、資本主義−帝国主義を倒さなければ労働者階級の究極的解放はかちとれません。求められているのは、こうした階級的立場に立ち、資本との闘いを貫く労働運動をよみがえらせることです。それのみが労働者の未来を切り開きます。
労働者の反転攻勢が始まっています。
今年の都立高校の卒業式・入学式における教育労働者の「日の丸・君が代」強制に反対する闘いは、石原都知事と都教委、警察の弾圧体制をはね返して闘い抜かれました。これは、戦争教育に一変させようというファシスト石原の狙いを打ち砕く、戦争協力拒否の闘いそのものでした。
何よりも動労千葉や全金本山労組のような原則的な労働運動が、私たち労働者の進むべき道筋を照らし出しています。
国鉄分割・民営化に反対して85〜86年に2波のストライキを敢行し、40人が解雇されながらも労働者の団結を守り抜いてきた動労千葉は、今年も72時間の春闘ストライキに立ち上がりました。3月17〜19日のストライキは、教育労働者の不起立闘争との連帯を掲げて闘われました。
極限的な人員削減、保線業務の外注化、検査周期の延伸や列車のスピードアップなどJR会社の安全無視を原因とする相次ぐレール破断を弾劾し、安全対策を要求した今回のストライキは、大きな支持・共感をもって迎えられました。
また全金本山労組の「一人の首切りも許さない」を掲げて闘い抜かれた34年の闘いは、2人の解雇を撤回させ、定年年齢を過ぎた人も含めて希望者全員を職場に復帰させる歴史的な大勝利となりました。この長期争議の完全勝利は、「労働者は団結して闘えば、勝利できる」という確信を全国の労働者に与えています。すさまじい資本の組合つぶしの攻撃に対し、組合員一人ひとりが対決し、自らの闘いで団結をつくり出し、最高裁確定判決をも実力ではね返してかちとった偉大な勝利です。
ここには、労働者の団結をあくまで基礎にすえた労働運動、労働者のもつ階級性・力を全面的に信頼し、それに依拠して闘う労働運動の姿があります。一部の労組幹部の出世のための労働組合でも、政党・選挙のための労働組合でもありません。資本と闘い、労働者の階級的利害、労働者の生活と権利を守ることをとおして階級的団結をつくりだす労働運動が必要なのです。連合結成以来16年の労働運動の停滞期を突き破って、階級的労働運動がよみがえる時代がやってきたのです。
昨年11月7日、動労千葉、全日建連帯労組関西地区生コン支部、全国金属機械港合同の3労組が呼びかけて行われた「たたかう労働組合の全国ネットワークをつくろう! 大失業と戦争にたち向かう労働者の国際的団結を! 11・7労働者集会」には3600人が結集し、全金本山労組など全国の闘う労働組合に加え、アメリカのILWU(国際港湾倉庫労働組合)や韓国の民主労総など、戦争と民営化と闘う世界の労働組合が参加しました。資本の手先となった既成の労働運動を覆す闘う新潮流を作り出すランク&ファイル(現場組合員)運動を日米韓の労働者で誓いました。
階級的労働運動が持つ国際性が世界の闘う労働者・労働組合との国際的な結合を生み出したのです。
心あるすべての労組活動家、青年労働者はナショナルセンターの違いや過去のいきさつを超えて団結しましょう。資本の手先=労働貴族から労働者自身の手に労働組合を奪い返し、ストライキや巨万の大衆行動で闘う労働組合の勇姿をよみがえらせるために行動を開始しましょう。
資本主義−帝国主義の命脈はもう尽きています。世界大恐慌と世界戦争が迫っていることはその証明です。労働者階級が権力を取る絶好のチャンスがやってきたのです。労働者階級がこのような確信をもって闘えば、必ず勝利することができるのです。
第3章 「つくる会」教科書阻止、郵政民営化を粉砕しよう
当面の最大の焦点は、1〜3月「日の丸・君が代」強制反対闘争の地平を拡大して、8月「つくる会」教科書の採択を許さない闘いを爆発させることです。
「つくる会」教科書のイデオロギーは、日帝が戦後60年にわたって奥底でたぎらせてきた本性そのものです。日本経団連の経労委報告や奥田ビジョン、1・18提言が絶叫する「東アジア経済圏」=新たな「大東亜共栄圏」構築の野望、そして天皇制の強権的国家体制復活の宿願を「つくる会」教科書が表現し、生徒たちに注入しようとしていることは明白です。
革共同は以下のように、具体的な闘いへの決起を訴えます。
4大産別の労働者を先頭に、「つくる会」教科書採択を阻止し、ファシスト石原打倒、小泉=奥田体制打倒の突破口を切り開こう。
同時に、小泉=奥田の攻撃の最大の環である郵政民営化攻撃を全労働者の総決起で打ち砕こう。JPU中央が全郵政とともに行う有明コロシアムでのアリバイ的な5・15郵政民営化「反対」集会を、闘う全逓労働者を先頭に怒りの総決起で「郵政民営化絶対反対」の集会に塗り替え、大民営化攻撃粉砕の烽火(のろし)をあげよう。
「国鉄分割・民営化総決算」攻撃と対決し、国鉄1047名闘争の新たな発展をかちとろう。
5・7教育基本法改悪反対全国集会に日教組、全教の闘う教育労働者を先頭に、全国からナショナルセンターを超えて大結集し、情勢を変えよう。
5・15沖縄闘争を沖縄−本土を貫く青年労働者の団結した力を先頭に名護・辺野古新基地建設を阻止する闘いとして高揚させよう。
関西生コン弾圧を反弾圧闘争の大衆的爆発に転化し、労働組合弾圧法である共謀罪を粉砕しよう。
自治労、日教組を始めとする公務員労働者の政治活動、改憲反対闘争を禁圧して、改憲を狙う国民投票法案を粉砕しよう。
石原打倒へ都議選勝利を
そして最後に、6月都議会議員選挙闘争こそ、日本帝国主義の侵略戦争の最先兵であるファシスト石原都知事打倒をかけた国政選挙級の一大政治決戦です。とりわけ石原一派の山田区長を擁する杉並区こそ、「つくる会」教科書採択阻止をかけた全国最大の主戦場です。帝国主義、ファシスト石原と真っ向から闘う唯一の労働者の代表=長谷川英憲氏を都議会に送り出しましょう。
私たち革共同は、以上の闘いへの決起を訴え、すべての労働者の皆さんとともに、自らを労働者階級の党へと飛躍させながら最先頭で闘う決意です。闘うメーデーをよみがえらせ、小泉=奥田体制を打倒しましょう。
革共同とともに闘おうではありませんか。
---------------------------------------------------
週刊『前進』(2196号2面1)(2005/05/02)
抗日闘争と連帯し戦争・民営化と闘おう
デモの主体は日系企業の労働者
彼らは日帝の再侵略と過酷な搾取・抑圧に怒り決起している
日系企業で2千人がスト
4月9、10日の北京や広州に続いて、16、17日には上海を始め全中国の十数都市で抗日デモ(反日帝闘争)が闘われた。中国の労働者人民の抗日闘争は、終息どころか5月1日のメーデーや「五・四運動」86周年の5月4日に向け、一層激化・拡大している。
16日には中国最大の経済都市であり日系企業4500社が進出(=侵略)している上海で、当局のデモ禁止を打ち破って数万人の抗日デモが爆発し、日本総領事館に押し寄せた。この日は同時に杭州、天津などでもそれぞれ数千人のデモが闘われた。さらに広東省東莞市の日系電子部品メーカーの現地工場で、7千人の労働者のうち2千人が賃金など待遇改善を求めてストに決起し、日本製品不買を呼びかけた。
翌17日には香港(1万2千人)や東北部の瀋陽(2千人)にもデモは拡大し、中国全土の10都市で抗日闘争が繰り広げられた。深せんでは3週連続で1万人以上が決起し、アモイでは6千人がデモに参加した。
「改革・開放」政策下の反乱
新たに歴史的に開始されている抗日闘争の主体は青年労働者(と学生)である。今後デモの計画がある都市を含めて、成都や重慶は国営企業の中心地であり、上海、広州、深せんなどは沿岸部の「改革・開放」政策の典型的な工業都市だ。ここで決起している青年労働者は多くが内陸部からの出稼ぎであり、中国に進出している日帝資本(欧米帝国主義資本)の極度の低賃金と強搾取・強収奪を受けている人びとだ。
だから元凶は日帝であり、闘っている真の相手は小泉=奥田路線である。同時に彼らは残存スターリン主義体制のもとで差別と抑圧にあえいでもいるのだ。
すでにこの間、中国の残存スターリン主義体制の根本矛盾が、「改革・開放」政策と帝国主義資本の直接投資の野放図な展開のもとで爆発的に激化し、中国全土で労働者と農民のストや暴動が巻き起こっている。すでに中国の労働者人民のやむにやまれぬ決起が、全土で1千万人の規模で爆発している。こうした闘いがベースにあり、今日の抗日デモが闘われているのだ。
この闘いの決定的契機となっているものが日帝の再侵略であり、米日枢軸のもとでの北朝鮮・中国侵略戦争の切迫だ。日帝の国連安保理常任理事国入りの野望、釣魚台略奪、「つくる」会教科書の検定合格と採択への策動、小泉の靖国神社参拝。これはかつての侵略戦争と植民地支配の歴史を反省も謝罪もしないばかりか、それを居直って、新たな侵略戦争と植民地主義的な階級戦争を開始しつつある日帝の凶暴な攻撃そのものである(それは日本の労働者への戦争・民営化攻撃と一体だ)。これに対する根底からの怒りが噴き出し、日本製品不買運動として爆発しているのだ。
だからこの闘いは、かつての「五・四運動」がそうであったように、反日帝闘争であると同時に、「改革・開放」政策を推進し中国の労働者人民を帝国主義資本の抑圧と強搾取・強収奪にさらしている中国残存スターリン主義体制への怒りと反乱だ。それに転化する要素を圧倒的にはらんでいる。実際に中国政府が最も恐れていることは、89年天安門事件の再来である。
排外主義に屈服する日共
日帝・小泉とブルジョアマスコミは、中国人民の決起に対する敵意と排外主義キャンペーンに躍起となっている。日帝がかつての侵略戦争・植民地支配の責任を回避し、今また再侵略をしていることを棚に上げて、「反日デモ」を非難し、「謝罪と補償」を居丈高に要求している。極右・反動勢力は中国大使公邸や総領事館、日中学院などへの脅迫や銃撃を凶行するにいたっている。
さらに自民・公明、民主はもとより日本共産党や社民党も、許し難いことに日帝の国益・排外主義の嵐に唱和している。特に日共は「どんな主義・主張も暴力に訴えるべきではない」「中国は過去と現在の問題を一緒にすべきではない」「いま日本が中国に侵略したりしているわけではありません」(市田書記局長)などと、中国人民の怒りの決起を非難し、排外主義に屈服している。
しかし過去と現在の問題は連続しており、完全に一体である。中国人民が「つくる会」教科書など歴史歪曲の問題を一番重視しているのは、日帝が過去の歴史を居直り、侵略戦争と植民地支配を正当化しているからだ。そうした国に「資格」はないと、日本の国連安保理常任理事国入りに反対しているのだ。デモを「暴力」と非難しているが、そもそも帝国主義の戦争(侵略戦争)こそ、最大最悪の暴力ではないか。
現在は「侵略していない」と言うが、すでに日米安保とガイドライン、周辺事態法があり、日米枢軸のもと中国や北朝鮮を攻撃対象として名指しし、米軍再編(トランスフォーメーション)を推進している。これは巨大な戦争重圧ではないのか。ましてや米帝ブッシュはすでに世界戦争路線を振りかざし、イラク侵略戦争を強行し、日帝がそれと一体となって多国籍軍に参戦している。改憲で戦争国家化しようとしている。それに中国領・釣魚台や朝鮮領・独島の帝国主義的略奪は侵略ではないのか。これらの事実は米日帝の北朝鮮・中国侵略戦争の切迫を完全に示しているのだ。
また何よりも、中国の残存スターリン主義体制のもとで「改革・開放」路線が推進され、今や3万1千社もの日本企業が中国に進出し、膨大な直接・間接の投資を行い、中国を超低賃金の生産基地・輸出基地にしている。中国の残存スターリン主義体制と結託して、中国の労働者を抑圧し、極限的に搾取・収奪している。日本経団連の奥田は「東アジア経済圏」を声高に叫んでいる。これが帝国主義の新たな侵略ではないとでも言うのか。
小泉=奥田は共通の敵だ!
日帝のこの今現在の侵略に怒り、抑圧と強搾取・強収奪に怒って、中国人民は決起しているのだ。今日の抗日デモの主力は日系企業の青年労働者たちである。
日本の労働者階級人民の課題は何か。中国人民の歴史的な反日帝闘争への決起を断固支持し、連帯し、国際的な単一の階級的軍勢として闘うことだ。吹き荒れる排外主義キャンペーンを粉砕し、日帝のアジア再侵略、北朝鮮・中国侵略戦争に反対して闘うことだ。同時に日帝・小泉=奥田路線の一大資本攻勢、戦争と民営化(労組破壊)と社会保障制度解体の攻撃に全力で反撃することだ。日帝・小泉=奥田は日中労働者階級の共通の敵である。
労働運動の階級的再生をかちとり、闘う朝鮮・中国・アジア人民と連帯し、「侵略を内乱へ」の闘いに総決起しよう。日帝を打倒しよう。日帝・小泉=奥田のファシスト的先兵である石原打倒、「つくる会」教科書採択阻止、6月都議選勝利に向け総蜂起しよう。
---------------------------------------------------
週刊『前進』(2196号2面2)(2005/05/02)
韓国 「独島」「教科書」に怒り 民主労総など決意大会
中国の労働者人民の抗日(反日帝)闘争と一体の闘いとして、日帝の独島(竹島)強奪と「つくる会」教科書攻撃に対する韓国の労働者人民の怒りと闘いが爆発している。
3月10日に島根県議会・総務委員会で朝鮮領・独島の強奪を意味する「2月22日を竹島の日にする」という条例案が可決され、16日の本会議での可決が確実だと伝えられるや、韓国国内で労働者階級人民の怒りと危機感が一気に高まり闘いが爆発した。
本会議前日の15日には、韓国全土で激しい反日デモが行われた。特に、ソウルの日本大使館前では、一日中、日本政府を糾弾する市民団体などによる抗議集会が相次ぎ、これを阻止しようとする警官隊と幾度も激突を繰り返した。
本会議当日の16日午前には、日本大使館前で日本軍軍隊慰安婦とされた女性たちが日本の独島領有権主張と「つくる会」教科書に抗議する集会を開いた。
4月5日の「つくる会」教科書の文部科学省検定合格が切迫する中で闘いが大きく盛り上がっていった。韓国歴史研究会会員らが、合格発表の5日にソウルの日本大使館前で日本の歴史歪曲教科書検定合格に抗議する集会を開いた。
4月6日、民主労総傘下の全国教職員労働組合は、「つくる会」教科書検定合格に抗議して声明(前号に紹介)を発表、「今後日本が軍国主義の旗印を鮮明にさせてゆくことを表明するもの」と、「つくる会」の教科書攻撃が日帝の今日の侵略戦争の攻撃そのものであることを鋭く暴露・糾弾している。
4月9日にはソウルの光化門で民主労総・韓国労総・全教組などの主催で日本の軍国主義復活を糾弾する決意大会が開かれ多くの労働者・学生・市民が参加し、日本大使館前までデモを行った。
さらに民主労総は4月1日にノムヒョン(盧武鉉)政権が4月国会で成立をもくろむ非正規職関連法改悪攻撃への先制的な警告ゼネストをたたきつけ、4〜5月の賃団闘(賃金団体交渉、日本の春闘に相当)に突き進んでいる。
3〜4月における韓国の労働者階級人民の闘いが中国で大きく報道されたことが、中国の労働者階級人民を鼓舞激励し、今回の一連の抗日闘争の高揚に結びついたと言われている。
このことが示しているのは、有事立法とトランスフォーメーション(米軍大再編)による日米枢軸体制強化の中で、朝鮮・中国侵略戦争策動にのめり込む日帝へのアジアの労働者人民の歴史的な怒りの爆発がついに始まったということだ。そしてそれは、日帝・小泉=奥田によるアジア人民、朝鮮・中国人民へのすさまじい企業進出というかたちをとった新たな侵略・植民地化攻撃に対する激しい怒りの爆発でもある。
日・朝・中の労働者階級人民の国際主義的連帯が今こそ問われている。日本帝国主義こそ、戦争と民営化・労組弾圧の一切の元凶であり、アジアの労働者人民の共通の敵だ。日帝打倒の闘いに連帯して立ちあがることが求められている。ともに闘おう。
---------------------------------------------------
週刊『前進』(2196号2面3)(2005/05/02)
“報道弾圧やめろ” 被処分者が都教委に抗議
「日の丸・君が代」不当処分撤回を求める被処分者の会は4月18日、東京都教育委員会に対して、抗議申し入れを行った。
NHK(日本放送協会)が3月28日に「クローズアップ現代」で放送した「国旗国歌/卒業式で何が起きているのか」に対して、都教委は4月6日、NHKに申し入れを行った。横山洋吉教育長自身がインタビューに応じて出演した番組であるにもかかわらず、「『なぜ、適正化を図らなければならなかったか』まで踏み込んだ内容になっていない」「『強制』をめぐっての都教委と学校現場の教員との対立という印象を与える番組とした」ことについて「極めて遺憾」とした、まったく不当な申し入れである。
その前日の5日には、都議会自民党幹事長・比留間敏夫が同番組に関して「NHKの今回の報道内容は公正公平を基本とすべき公共放送の報道姿勢として大変遺憾なことであり、今後こうしたことのないよう強く要請する」というコメントを発表した。都議会自民党と都教委が一体となって報道弾圧に乗りだしたことは、重大問題である。
同番組に登場した横山教育長は、「国旗・国歌法」制定時の「学校現場での強制はしない」という政府答弁と、都教委の行っていることの矛盾をキャスターに問われて、「学習指導要領をふまえて国旗・国歌の指導を行うことは、教育公務員の責務」とくり返すことしかできなかった。都教委の「日の丸・君が代」強制の不正義性を自ら暴露したようなものであった。それが放映されると、NHKに抗議し報道内容に介入するとは、女性国際戦犯法廷をめぐるNHK番組に対する事前検閲と同根の報道統制だ。
被処分者の会は、「NHK報道に対する行政による報道弾圧に抗議する」とし、同文書の撤回とホームページへの掲載中止を求めた。申し入れ行動には、都政を革新する会の長谷川英憲さんらも参加した。
---------------------------------------------------
週刊『前進』(2196号3面1)(2005/05/02)
郵政民営化法案粉砕・小泉打倒
JPU本部は民営化推進だ 物ダメ・ストライキで闘おう
「絶対反対」掲げ6月全国大会へ
革共同全逓労働者委員会
日帝・小泉内閣は、この連休前にも、今国会に郵政民営化関連法案を提出しようとしている。だが今や、小泉内閣は発足以来最大の政治危機に陥っている。労働者の反撃が現場からたたきつけられるなら、法案もろとも小泉を打倒できる絶好のチャンスが到来している。われわれは、昨年9月の「基本方針」閣議決定に対して、郵政分割・民営化絶対反対の路線と、JPU(全逓)中央本部打倒、物ダメ・ストライキで闘うという方針を確立した。2月の第120回中央委員会に対して、闘う全逓労働者のデモをたたきつけた。中央本部の「民営化対応」が組合員をだますペテンであることを暴き、郵政民営化絶対反対の闘いの意思を示したのだ。法案を葬り去り、民営化攻撃を阻止する決戦の時が来た。闘う全逓労働運動を再生し、総決起しよう。6月全国大会(奈良)に向かって闘おう。
郵政民営化との闘いは労組破壊・改憲阻止の階級決戦
郵政民営化の最大の狙いは、経営形態の変更による公務員資格のはく奪にあり、活動家パージと大量首切り、労働組合破壊である。国家公務員の身分を奪った上に「守秘義務」や「配達義務」のしばりをつけてスト権を永遠にはく奪し、民営化後の新会社に人事権を全面的にゆだねることにある。これによって新会社に解雇権を与え、大量首切りの自由を得て労働組合を破壊することにある。
この攻撃に対して中央本部は、07年までに徹底した人減らしを行い「事業基盤さえ確立できれば民営化は怖くない」という郵政公社総裁・生田の言辞に従って組合員に対する大裏切りに走っているのだ。そのことは3月16日に正式に発表された、1万人削減を打ち出した「アクションプラン・フェーズ2」に対して、@アクションプラン・フェーズ2について基本的考えで一致しているA6月全国大会で全面的受け入れを決定する――と言っているのを見れば明らかだ。
実際、本部の「民営化対応」の中身は「郵便局ファンの会」運動と「法案上程後は民主党との協議」としており、本気で反対する気などさらさらない。唯一の「闘い」と言えるのが、5月15日に東京・有明コロシアムで開かれる、全郵政、全国特定郵便局長会との3者共闘による1万人規模の集会である。しかしそれすら、すでに「公社幹部を来賓に招くのでは」と組合員にささやかれ、中央本部の民営化推進の正体は見ぬかれているのだ。こうした中央本部を打ち破り、現場労働者の激しい怒りをたたきつけ、5・15を民営化絶対反対の闘いへと塗り替えなければならない。
郵政民営化攻撃は、単に郵政労働者にかけられた攻撃ではない。郵政民営化を突破口に全公務員労働者を非公務員化することで、戦後労働運動を担ってきた公務員労働者、とりわけ全逓、自治労、日教組を解体する攻撃である。
日帝・小泉政権は中国・北朝鮮侵略戦争、世界戦争の切迫に規定されて、日米枢軸のもと、自衛隊のイラク駐留延長と米軍再編(トランスフォーメーション)による日米安保の世界大的拡大を進めている。そのためにも、憲法9条の改悪と集団的自衛権の法制化に躍起となっている。そこで、戦後一貫して戦争に反対してきた官公労系労働組合を解体し、自治労、日教組を改憲勢力に変質させようとしているのだ。
民営化阻止こそ労働者の立場だ
郵政民営化反対闘争の階級決戦としての性格がまさに鮮明になっている。05年〜07年の民営化をめぐる攻防は、改憲決戦と一体となって、絶対負けられない闘いなのだ。この攻撃に、日共・郵産労は「国民の郵便事業を守れ」と弱々しくつぶやくのみである。カクマルに至っては深夜勤裁判をアリバイ的にやるだけで、「目を民営化問題のみに釘付けにしてはならない」(全逓カクマルビラ)と早々と逃亡している。
わが革共同全逓委員会は、産別委員会を再確立・強化し、革共同第6回大会、新指導路線と労働組合論の革命論的確立の観点から、郵政民営化絶対反対の路線と方針を革命的に確立してきた。
その中身は郵政民営化反対論の労働者的立場の主体化にある。わかりやすく言えば、「労働者の立場での郵政民営化反対」である。多くの潮流が民営化絶対反対を掲げられないのは、民営化問題を国会での小泉対「抵抗勢力」か民主党の枠内でしか措定していないからだ。つまり労働者という主語が欠落しているのだ。職場・生産点からの闘いで大量首切りを阻止するという立場がないのだ。問題はこの一点にある。これでは民営化と闘えるはずがないのである。
労働組合論の革命論的確立は、11月労働者集会と動労千葉の3月ストライキ、国際連帯反戦闘争の経験の精華であり、プロレタリア革命への唯一の道である。その真価を実践で示し、何がなんでも郵政民営化・改憲阻止決戦に勝利しよう。
レーニンは「ストライキには革命のヒドラ(怪物)がひそんでいる」と言っている。敵が階級決戦を仕掛けてきたことに対して、労働者階級の側が階級的に闘わなければ勝利することはできない。逆に言えば、階級的に闘えば勝てるということだ。そのことは、国鉄分割・民営化に反対して唯一ストライキで闘った動労千葉と、そうではなかった国労との違いに明白に現れている。
全逓本部は、国鉄分割・民営化攻撃に震え上がって「国労のようになるな」とひたすら屈服の道を歩んできた。この腐りきった奴隷根性を粉砕し、郵政分割・民営化に対し物ダメ・ストライキで闘うことで階級性を取り戻すことによってこそ、「権利の全逓」と言われた全逓労働者魂を呼び戻せるのだ。そうしてこそ、初めて社会の主人公としての労働者になれるのである。
本山闘争勝利に続き78越年闘争を引き継ぐ闘い今こそ
78越年反マル生闘争は、全逓労働者の怒りの物ダメ闘争で空前の郵便物の滞貨を実現した。すべての全逓労働者の参加で闘われたこの闘争に震え上がり、日帝・当局は58人の懲戒免職を含む8000人を超える処分者を出した。
中央本部は91年、4・28反処分闘争の終結を、4・28被免職者の組合員権のはく奪をもって強行した。われわれはこの暴挙に対して、2カ月間で7000人を超える反対署名を集めて第99回臨時中央委員会闘争に臨み、あと20票で本部案を否決するところまで追い込んだ。この闘いから14年目にして、ついに昨年6月、1審の反動判決を打ち破って、高裁逆転勝利判決をかちとったのだ。
これに対して郵政公社は最高裁への上告をもってこたえた。われわれはこの闘いを、被免職者の職場復帰と現場からの全逓改革の方針を鮮明にして闘わなければならない。
全金本山労働組合は2人の解雇を撤回させ、3月16日に組合員の就労をかちとり完全勝利した。この本山闘争の勝利に続き、これと固く結合して、4・28反処分闘争は闘われなければならない。それは、この闘いが本山闘争と同じく「一人の首切りも許さない」闘いであり、単なる個人の処分撤回闘争を超えて、労働者の階級的団結を打ち固め、労働者階級の未来を切り開く闘いであるからだ。連合結成以来の既成労働運動指導部による裏切りと屈服、そして制動を突破して、労働運動の戦闘的階級的再生を切り開く闘いである。
反マル生闘争を引き継ぐということは、組合員にとことん依拠し、信頼して闘うことである。団結こそ労働者の最大の武器であることをはっきりさせよう。郵政民営化を阻止するために、4・28陣形をさらに一層打ち固め、4・28闘争の勝利をかちとろう。階級的団結をかちとる最良の手段である物ダメ・ストライキを今こそ復権しよう。自ら全逓解体に走り名前までJPUと変えて、破産した本部を打倒しよう。郵政分割・民営化絶対阻止へ物ダメ・ストライキで闘おう。
アクションプラン2粉砕しよう
2月14日、公社・生田は公社経営委員会で「アクションプラン・フェーズ2」を提示した。郵便内務を外注化し、「余剰人員」となる内務労働者の退職を目的にした集配外務への強制配転や、大量の非常勤への置き換えによって、07年までの2年間で1万人を削減するというものだ。
公社・生田は、アクションプラン1の成功の上にアクションプラン2をスタートさせるかのように言っているが、けっしてそうではない。アクションプラン1によって1万7千人の計画を上回る1万9千人の人員削減は強行したが、最大の課題に据えた現場組合員の「意識改革」はいまだに成功していない。ゆうパックのシェアは20%拡大したが、過度の負担で小包業者が軒並み撤退して、全国でパンク状態に陥っている。
第120回中央委員会では多くの地区からアクションプランへの不満が噴出し、見直しの要求が相次いだ。にもかかわらず、本部は6月全国大会でアクションプラン2を全面的に受け入れると開き直っている。
現場では、アクションプラン1によって、いろいろな問題が発生している。
物件費削減によって日本郵便逓送(日逓)の労働者の賃金が年収で100万円もダウンした。その上、この4月からの新賃金制度によって、さらなる大幅な賃下げとなっている。さらにフェーズ2では10%の物件費削減が提案されている。
そもそも民間会社である日逓などの輸送部門で起きていることは、郵政民営化攻撃の先取りであり、民営化によって日帝が何をやろうとしているのかを示している。競争入札の導入によって極限的なコストダウンを強制し、そのことが相次ぐ労働者の削減と非正規雇用化、そして賃下げの一方で超勤の連続とサービス残業の強制となっている。
こうした現実に対して組合員の怒りが爆発している。東京地本委員選挙に立候補した東京日逓支部の三役全員が大差で不信任された。九州では偽装倒産による大量首切りに対する闘いが起きている。
集配職場では、「1通でも集めに行きます」という「コスト」をまったく無視した集荷サービスによって、毎日集荷に追いまくられ、残業が常態化し、サービス残業が強制されている。2月に不払い残業に対して32億円の残業代が支払われたが、これは氷山の一角に過ぎないのだ。
深夜勤導入によって現職死亡が30人を超え、東京中郵ではまたも58歳の労働者が犠牲になった。深夜勤と闘わない支部執行部は、彼がなぜ死亡したのか一言も語らない「追悼文」を書いている。言えないのは自分が共犯者だからだ。そんなやつの追悼文など絶対に許してはならない。
東北・福島のいわき支部では、支部執行部が全員不信任され、新執行部が選出された。これに対し、地本が新執行部を不承認して混乱を引き起こしたあげく、組合員の怒りの前に地本委員長が謝罪するなど、現場の組合員の怒りと不満は沸騰点に達している。
全国でわき上がる現場組合員の怒りと結びついて、6月全逓大会でアクションプラン2を不承認し、中央本部を打倒しよう。
戦争と民営化攻撃に対決し4大産別決戦・都議選勝利へ
東京の教育労働者は、昨春の300人に及ぶ不起立決起に続き、今春も60人の不起立決起を闘いぬき、ファシスト石原に大打撃を与えた。都教委は3月30日に卒業式の不起立者に対する懲戒処分を決定した。これは石原の事実上の敗北宣言である。「2年目の不起立闘争を封じる」という石原のもくろみは完全に打ち破られたのだ。不当処分決定に抗議して、被処分者の会を先頭にした闘いが開始されている。この闘う教育労働者の処分を恐れない不起立闘争を、全逓労働者はわがものとしよう。
文科省は4月5日、「つくる会」教科書を検定合格させた。韓国や中国では連日、歴史の歪曲や領土強奪などに反対して反日デモや抗議行動が展開されている。「つくる会」教科書の検定合格こそ、日本帝国主義のアジア侵略戦争を謝罪することなく、逆に「大東亜戦争」と称して居直り正当化する行為である。
アジアの人びとが怒りを持つのは当然だ。日米枢軸化を推し進め、またも侵略戦争にのめりこんでいく日本帝国主義に対する危機感の現れである。われわれは、このことを真剣に受け止めなくてはならない。
「つくる会」の教科書採択を阻止する闘いが決定的である。とりわけその最大の焦点が東京・杉並だ。石原都政の先兵、山田区政との闘いは一歩も引くことができない闘いである。
6月都議選がその最大の決戦場になっている。日帝・小泉の先兵、ファシスト石原を打倒するために長谷川英憲氏の当選を何がなんでもかちとらなくてはならない。これこそ、アジア人民の闘いにこたえる道だ。郵政民営化を絶対阻止することも、これと同じなのだ。〈戦争と民営化(労組破壊)〉の攻撃を打ち破り、4大産別決戦に絶対に勝利しよう。
5・15を「民営化絶対反対集会」に
このような情勢に真っ向から立ち向かえる陣形こそ、昨年の11・7労働者集会の切り開いた地平の中にある。この1〜3月、日本経団連の1・18改憲提言と教育提言などの小泉=奥田による大反動が吹き荒れた。その核心である国家主義・愛国主義の扇動、そしてファシスト石原の台頭は、「国際主義」と労働組合の新たな団結を呼びかけた11・7集会の地平の破壊・絶滅攻撃でもある。
今春「日の丸・君が代」闘争は、これと対決する渾身(こんしん)の反撃だった。全日建運輸連帯労組関西地区生コン支部に対する弾圧への反撃と本山闘争の勝利は、05春闘の中で反転攻勢を示す意義を持った。6000人が結集した3・20集会の成功と陸・海・空・港湾労組20団体陣形の堅持は限りない展望を示した。これは3月決戦勝利のメルクマールである。これによって4〜6月決戦への展望を切り開いた。
この階級的政治的情勢のカギを握っているのが、全階級的課題をかけた郵政民営化をめぐる攻防を軸とする4大産別決戦と都議選決戦である。郵政民営化法案策定・国会提出の時期にあわせて動労千葉が呼びかけた「戦争と民営化に反対する4・29労働者集会」は決定的に重要である。連合メーデーの腐りきったあり方を蹴飛ばし、4・29集会を「郵政民営化絶対反対集会」としてかちとろう。4・28反処分集会の成功をかちとり、連続闘争として全国の全逓労働者は総結集しよう。中央本部の裏切りを突き破る現場組合員の怒りで、5・15を「民営化絶対反対集会」に塗り替えよう。4〜6月都議選決戦を闘いぬき、長谷川英憲氏の当選をかちとって、ファシスト石原を打倒しよう。
この力で、今年の11月労働者集会を1万人規模で大成功させる進撃を開始しよう。わが全逓委員会は、昨年11・7集会を倍する全逓労働者の結集へ向けて、郵政分割・民営化阻止へ物ダメ・ストライキで闘い、絶対に勝利することを誓う。
---------------------------------------------------
週刊『前進』(2196号3面2)(2005/05/02)
辺野古 本格的決戦へ
ボーリング阻止貫いた1年
計画撤回まで闘うと集会
名護市辺野古の海上新基地建設のために昨年4月19日以来、防衛施設庁はボーリング調査の強行に踏み込んできたが、オジー、オバーによる座り込みの継続・発展と9月以降の海上攻防戦によって1年間、くい1本打たせなかった。4月6日の工事期限切れを前に、沖縄県は調査の1年間延長を承認、新たな攻防に入った。追い詰められた那覇防衛施設局は、4月21日にリーフ外でのボーリング掘削用のスパット台船を反対派を排除してでも強行設置すると宣言した。泥沼化するイラク侵略戦争と米軍の世界再編のもとで、沖縄基地はその役割を一層高めている。戦後60年の5・15闘争を前に新基地建設阻止の闘いは、日米帝の戦争政策を阻む本格的な決戦に突入しようとしている。
4月17日、沖縄県名護市辺野古でボーリング調査を阻止する座り込み1周年の集会が基地の県内移設に反対する県民会議とヘリ基地反対協議会の主催で開かれ、450人が結集した。
那覇防衛施設局は、4月21日にもスパット台船の設置を強行しようとしている。1年間阻止し続けてきた勝利の地平の上に、暴力的調査強行を絶対に阻止しようと意気高い総決起集会となった。
県民会議の山内徳信共同代表は、那覇防衛施設局への波状的抗議や座り込みなどの闘いを紹介し、「民衆が力を合わせ、時代錯誤の基地建設を押し返している」「新基地建設計画は間違っていましたと政府に認めさせるまで気を緩めずに闘いぬこう」と訴えた。
ヘリ基地反対協の安次富浩共同代表は「この1年間、多くの人たち、若者たちが単管に上り闘った。カンパも4000万ほど集まり、海人(ウミンチュ=漁師)も立ち上がった。座り込み参加者は3万人を超えた。21日にはスパット台船を追い返す闘いをやる」と決意を語った。
平和運動センターの山城博治事務局長は「政府は虎視たんたんと県内移設を強行しようとしているが、辺野古での基地建設をぶっつぶすことが重要だ。頑張ろう!」と力強くアピール。政党代表が次々とあいさつし、糸数慶子参院議員は「辺野古に基地は造らせない。その勝利は目前だ。ともに頑張ろう」と訴えた。
普天間基地爆音訴訟団の島田善次さんは「沖縄戦の日である4月1日にイラクから米兵が戻ってきた。中国をまねろというわけではないが、もっと激しくやろう!」。辺野古の弁護団は「憲法で環境権を盛ろうなどと改憲を主張し、実は環境を破壊している連中にそんなことが言えるか」と弾劾し、アメリカでのジュゴン裁判などの報告をした。
地元代表として東恩納琢磨さんが「21日、辺野古へ来て目を光らせ、歴史の生き証人になってください。仕事を休んで来てください」と決起を訴えた。
海人代表として山城善勝さんが「石川での発電所建設で生活できなくなり、国頭に来た。戦後私たちは海に助けられて生きてきた。この海に飛行場は造らせない。仕事を投げて毎日、海に来ている。応援してください」と訴えた。
海上行動隊を代表して阿部和子さんが発言。「23歳の施設局職員に聞きました。『あなたは宮森小学校の事件、コザ暴動、少女暴行事件を知ってますか?』と。知りませんでした。沖縄の痛みを分からない。東京行動、大阪行動、全国的な支援がある。絶対に止めます」。こうした熱気あふれるスピーチが続き、最後に団結ガンバローを行い、参加者は21日に辺野古に再結集することを誓った。
---------------------------------------------------
週刊『前進』(2196号4面1)(2005/05/02)
中国人民の抗日運動に敵対する日本共産党
「戦前と現在は違う」と侵略免罪
「中国側の責任指摘に道理」と日帝・小泉政権を支持
「暴力反対」叫び排外主義に屈服
中国人民の日本帝国主義に対する怒りの決起は、さらに全国に広がっている。これは、日帝の新たな侵略と侵略戦争の攻撃に、中国人民がいかに大きな危機感と怒りとをもっているかを突きつけるものである。われわれはこの中国人民、朝鮮人民の決起を断固支持し、これと連帯して日帝の侵略と対決して闘わなければならない。ところが、この時に日本共産党は、「暴力はよくない」「戦前と現在を区別せよ」と中国人民に向かって説教をたれ、その闘いに真っ向から敵対し、日帝の攻撃を擁護しているのである。
帝国主義の戦争こそが最大の暴力
この間の問題については、市田書記局長が4月11日に、志位委員長が13日に日共としての見解を表明している(志位発言は別掲)。そこではそれぞれ、大きく3点を述べている。
第一は、「どんな主義・主張も暴力に訴えるべきではない」ということ、第二には、「侵略戦争の反省こそ戦後の原点」であり、靖国神社参拝や「つくる会」教科書の検定合格のような態度を改める必要があるということ、第三には、「中国側は過去と現在の問題を一緒にすべきではない」ということである。
これはそれぞれとんでもない主張である。そもそも日共は、中国人民が何に怒り、何を弾劾して闘っているのかについて、徹底的にあいまい化している。
中国人民は、@日本の国連安保理常任理事国入り、A「つくる会」歴史教科書、B中国領・釣魚台(「尖閣諸島」)略奪攻撃、C小泉の靖国神社参拝、D憲法改悪策動と有事法制、E日米安保協での中国の仮想敵国扱い、などに対して、全人民的な怒りを爆発させているのである。
そして同時に、F残存スターリン主義中国の「改革開放」路線、日帝資本(米欧帝資本)の抑圧と搾取・収奪に対して、そこで働いている青年労働者を中心に決起している。
われわれはこの全体を真っ向から受けとめ、連帯して立ち上がるべきである。ところが日共は、これらのことを意識的に避けて通ろうとしているのだ。
ここでは、4点にわたって日本共産党の態度を弾劾する。
第一に、「どんな主義・主張も暴力に訴えるべきではない」という言説の超反動性である。
それは、中国人民の闘いが、どれほど大きな怒りを表しているかを無視抹殺するものである。人民の側にではなく、国家権力の立場に立ったものの言い方なのである。
そして、何よりも、中国人民の「暴力」に比べて、日本帝国主義が米帝とともに行っている暴力がその何千倍も何万倍も巨大な国家暴力であることを覆い隠していることだ。日米安保のもとに、沖縄を始め巨大な在日米軍基地を置き、新ガイドラインを締結し、周辺事態法、有事法制と戦争体制を強める日帝。この日米枢軸の戦争体制は、イラク侵略戦争を継続・激化させ、北朝鮮、ひいては中国の体制を転覆する侵略戦争のための攻撃なのだ。
2月19日にワシントンで行われた日米安保協議委員会(2プラス2)では、「日米の共通戦略目標」を掲げ、台湾問題に言及し、中国を名指しして、米軍再編を行うことを確認した。これ自体が戦争行為だ。巨大な暴力であり、脅迫だ。
戦争ほど大きな暴力はない。第2次世界大戦では日帝によってアジア人民2000万人が殺された。中国では3500万人が殺傷されたと言われている。
これに比べたら、中国人民の抗議行動は、圧倒的に正義である。何が暴力か。この闘いに対して、権力とブルジョアマスコミと唱和して「反暴力」を叫ぶのは完全に帝国主義の側に立った、許せない行為である。
もう一つ、中国人民の闘いがスターリン主義政府の制動を突き破り、スターリン主義を打倒する第2革命に発展することに対して、日本共産党は心底から恐怖しているのである。歴史の舞台に中国人民の巨大な大衆闘争が登場することの素晴らしさに感動するのではなく、逆に恐怖し憎悪しているのだ。そこに日共の反革命性が示されている。
中国人民は現在の侵略に怒っている
第二に、日共は日本政府に対して「歴史認識を正す」ように迫っているかにみえるが、ここにも大きなペテンがある。何よりも、彼らは、「つくる会」教科書や、小泉の靖国神社参拝が、日本を再び侵略戦争に引きずり込むために行われているのだという核心問題を覆い隠し、それに言及しないのだ。それらは過去の問題ではなく、今日と未来の問題なのだ。
日共は、小泉政権が過去の侵略戦争を本当に反省して平和の道をとることがあるかのように描き出そうとしている。だが、小泉政権はすでにイラク参戦をもって戦時に突入し、帝国主義としてこの道を進むほかないのだ。このことをあいまいにした「歴史認識」などありえないのだ。
第三に、決定的に重要なことは、日本共産党が盛んに「区別してとらえる」ことを強調していることである。市田は「また日本の一部の人物の言動と日本国民全体を区別することも中国側にもとめたい」と言い、さらに「同時に中国側にも過去の侵略戦争と現在の問題とを一緒にしないことをもとめたい」と言い、「いま日本が、中国に侵略したりしているわけではありません。過去の侵略戦争と現在とを区別してとらえることが大事でしょう」と言っている。
前者については、自分たちが政府と声を合わせて「暴力はよくない」と非難していながら、どうして「区別しろ」などと言えるのか。中国人民の決起には道理があり、当然だ、自分たちも日本の労働者階級としてともに闘うという意思表示と行動があって初めて「一部の言動と人民を区別する」ことが可能になるのだ。日共はまず自分自身を正すところからものを言わなければならない。
もう一つの「区別」はもっとひどい。市田は、今は中国に侵略しているわけではない、と言って、今日の日本政府と企業による中国侵略を「侵略ではない」と弁護しているのだ。
これは今日の中国スターリン主義が「改革・開放」政策で外国資本をどしどし導入し、経済成長を図っていることを擁護・美化する立場から、そこでの日帝資本の低賃金での搾取と収奪の全体を擁護する態度をあからさまにするものだ。
今日、日共は「資本主義の枠内での民主的改革」を綱領路線とし、資本主義をあくまで守りますと誓約しているが、同時に中国のスターリン主義体制について、これを「市場経済をつうじての社会主義への道」として擁護する態度をとっている。だから、そこでの中国経済の破局的危機についても知らん顔をし、それにつけ込んだ日帝資本の搾取と強収奪についてもすべて黙認し、「素晴らしい発展」と賛美しているのだ。
中国人民の今日の激しい怒りが、現実の日系企業・資本の悪らつさに対して向けられていること、それがあるからこそ闘いが爆発するのだという自明のことを覆い隠し、「区別しろ」と叫ぶことで、日系企業で働く労働者の階級的怒りを封殺するのである。
「区別」論に関して志位は次のように言う。
「日中両国政府が、今回の事態の根本にある歴史問題――日本の過去の侵略戦争と植民地支配にたいして、これを肯定・美化する動きが日本の一部支配層のなかにおこっているという問題と、大使館や在留邦人・企業などの安全を確保するという問題とを、区別して対応することが大切だ」と。
これも要するに、過去の侵略戦争の問題はそれとして横に置いて、今現在の「大使館や在留邦人・企業などの安全を確保する」ために日中両国政府は努力せよ、と言っているのである。歴史問題は完全に付け足しであって、「大使館や在留邦人・企業などの安全を確保する」こと、つまり人民の闘いから日本企業を守れと要求しているのだ。日帝の立場、国益論、排外主義に立って、人民の闘いを押しつぶせ、弾圧して取り締まれと要求しているのだ。
そうした立場から、志位は中国政府に対して「安全確保の問題では、現に、日本大使館に被害がおこったわけだから、中国側は、国際的ルールにしたがって、責任ある対応をすべきだ」と要求し、「一方、日本側の対応についていえば、安全確保についての中国側の責任を指摘することには道理がある」と、町村外相の「謝罪と賠償要求」を支持している始末である。
日帝の国益擁護の扇動と闘わぬ日共
第四に、今日の政府とマスコミの反中国の排外主義キャンペーンに対して、これを戦争への道を掃き清めるものとして真っ向から弾劾すべきであるにもかかわらず、日共は警鐘を鳴らすどころか、完全にこれに屈服し、唱和してさえいることである。
今日、日共は、中国スターリン主義の「市場経済をつうじての社会主義への道」に、彼らの社会主義論の唯一の道を見出しており、したがって、中国経済の危機、中国社会の矛盾の深まりにも目を閉ざし、それを避けて通ることで、中国政府・中国共産党との関係を形成している。したがって、今日のような中国人民の巨大な決起が、必ず中国のスターリン主義体制そのものと衝突することを本能的にも知っており、それを恐怖しているのである。
日共は闘う朝鮮・中国・アジア人民と連帯して日帝の侵略と侵略戦争を内乱に転化するという唯一の階級的・革命的立場には絶対に立たないから、この戦争に向かっての大濁流に抗するすべがないのである。
したがって、今日の事態は、日本共産党の危機と破産を浮き彫りにしていると言えるのである。中国人民の闘いに敵対する日共を弾劾し打倒しのりこえる時だ。日本の労働者階級は小泉=奥田の先兵、ファシスト石原打倒、「つくる会」教科書採択阻止、6月都議選勝利へ闘いぬこう。 〔高田隆志〕
資料 「反日デモ」に関する志位発言
一、日中両国政府が、今回の事態の根本にある歴史問題――日本の過去の侵略戦争と植民地支配にたいして、これを肯定・美化する動きが日本の一部支配層のなかにおこっているという問題と、大使館や在留邦人・企業などの安全を確保するという問題とを、区別して対応することが大切だ。
一、安全確保の問題では、現に、日本大使館に被害がおこったわけだから、中国側は、国際的ルールにしたがって、責任ある対応をすべきだ。
一、一方、日本側の対応についていえば、安全確保についての中国側の責任を指摘することには道理があるが、同時に、今回の事態の根本に、自らもかかわって進めてきた、靖国神社参拝や、歴史の事実をゆがめた教科書問題など、侵略戦争を肯定・美化する動きがあることを直視することが必要だ。これをあらためる立場にたたないと、問題を根本から解決することにならないことを、指摘したい。(4月14日付『赤旗』)
---------------------------------------------------
週刊『前進』(2196号7面1)(2005/05/02)
「つくる会」教科書絶対阻止へ
長谷川英憲氏、必勝への訴え
ファシスト石原と闘うため私は東京都議会に乗り込む
都議会議員選挙(6月24日告示、7月3日投票)まであと2カ月。各党とも今次都議選を国政選挙並みの重大な闘いと位置づけ、総力戦に突入している。選挙戦は日々、激化している。全国の党と労働者人民の力を結集し、長谷川英憲氏(都政を革新する会代表)の当選をかちとろう。長谷川氏の決意と訴えを紹介します。(編集局)
中国人民と連帯、小泉=奥田と闘う
今年の都議選はかつてない重大な情勢のもとで闘われます。何よりも今、中国人民が日本の帝国主義的な侵略を激しく弾劾して立ち上がっています。これに日本の労働者人民は何をもってこたえるのか。「つくる会」教科書採択絶対阻止、ファシスト石原打倒の闘いの爆発をもってこたえること――このことが今度の都議会議員選挙で真っ向から問われています。
中国人民は何に怒り、何を訴えているのでしょうか。まず重大なことは、小泉政権がアメリカ・ブッシュ政権と一体となって北朝鮮・中国との軍事対決を強め、体制転覆の侵略戦争の準備に踏み出したことです。中国人民はそれをひしひしと感じて、危機感と怒りを爆発させているのです。
この間のブッシュ政権や日本政府の強硬な対応の背景には、明らかに戦争への踏み切りがあります。いや、もう侵略戦争は開始されていると言って過言ではありません。
それと同時に、日本の企業は中国スターリン主義政権の反人民的な「改革・開放」政策のもとで、どんどん中国に進出し生産拠点をつくっています。その企業が日本人の賃金の20分の1から30分の1という超低賃金で中国の労働者を働かせているのです。しかも仕事中はトイレにも行かせない、私語は禁止、違反者は賃金カット、仕事が終わっても寮から出さない、労働争議は暴力で鎮圧するという労働監獄の中で、日本の進出企業はばく大な利益を上げているのです。
中国で労働者を植民地主義的に搾取・収奪している日帝資本は、日本の労働者に対しても「発展途上国並みの賃金にする」と叫び、徹底的なリストラ・賃下げ・首切りを行っています。日中の労働者を徹底的に搾取し、互いに敵対させ、無限の賃下げ競争をさせてぼろもうけしているのが、日本経団連・奥田ら日本の帝国主義資本です。
この奥田ら日本の支配階級こそ、日中労働者の共通の敵です。中国の日系企業の労働者は、ついに怒りのストライキに立ち上がりました。日本の労働者は、今こそ中国の労働者とともに日帝奥田・小泉打倒に立ち上がる時です。
デモ隊のプラカードには、「打倒・日本帝国主義」が掲げられています。中国の青年・労働者は、日本政府と日本企業の植民地主義的な振る舞いを見て、「日本は何も変わっていない。帝国主義そのものではないか」と厳しく弾劾しているのです。
本当に1930年代に立ち戻ったような状況です。中国人民の抗日闘争の高まりに直面して日本政府・小泉首相は、日本大使館や日系店舗がデモで損害を受けたからと謝罪や賠償を要求しています。そして「いつまで過去にこだわるのか。未来志向でいくべきだ」などと恥知らずな居直りに終始しています。
かつて30年代に日本は、侵略に反対する中国人民の闘いに対して、「中国をこらしめる」「日本の権益を守る」などと言って軍隊を増派し侵略戦争を拡大していったのです。今の小泉政権は、本質的に同じような対応をしているのではないでしょうか。
他方、日本共産党もまた、「どんな事情であれ、暴力はよくない」とか「中国人民は、過去と現在を区別すべきだ。日本の侵略は過去のこと。今は違う」などと言っています。日本の対応が批判されているのに、「中国の側に問題がある」と言っているのです。こんな対応はまったく間違っています。「労働者階級の党」の立場を完全に投げ捨てています。
中国人民が歴史認識を問題にしているのは、けっして過去のこととして問題にしているのではありません。日本政府が中国人民に対して謝罪も賠償も反省もしない、いやそれどころか、首相が先頭に立って靖国神社を参拝し「英霊」に頭を下げる、「つくる会」教科書を検定合格させるという動きが、新たな中国侵略戦争の動きと一体だからです。そのことを中国の人民は問題にしているのです。
かつて日本は、朝鮮・台湾を植民地支配し、中国・アジア侵略戦争を15年以上にわたって繰り広げました。悲惨・残虐な侵略戦争への反省から、1945年の敗戦直後に日本は、戦争への歯止めをいろいろとつくりました。一切の戦力を持たない、思想・言論の自由を保障すると誓った憲法、労働者の権利を定めた労働組合法と労働基準法、平和と個人の尊厳を教育の基本理念とし国家は教育内容に介入してはならないと定めた教育基本法などです。地方自治法も戦争への歯止めでした。
ところが、小泉政権はそうした歯止めを次々と取り払い、大日本帝国憲法のもとで人民が抑圧された明治から戦前の日本国家を称賛して再び戦争への道を突き進んでいます。それは、国家・天皇のために一切の人権が否定され、人民の命が紙のように軽く扱われる時代への逆戻りです。
私は体を張ってこの戦争への流れをくいとめなければならないと思い、都議選への立候補を決意しました。皆さん、ともに闘おうではありませんか。
教え子を再び戦場に送る「教科書」
また重大なことは、東京都の石原知事が、国の戦争政治の先頭を走って、中国や北朝鮮との戦争をあおり、仕掛けていることです。つい先日も石原知事は週刊誌で「尖閣列島で中国と戦争せよ」と叫びました。中国人民の抗日闘争の爆発の中で、石原知事の中国敵視発言はますますエスカレートするばかりです。
1200万都民の生活、社会福祉に最大の責任を持ち、年間10兆円もの予算の執行権を握っている都知事が、「中国と戦争をやれ」「中国を6分割せよ」「北朝鮮政権を崩壊させよ」と叫んでいるのです。なんというおそるべきことでしょうか。ナチス・ヒトラーが都知事の座に座っているようなものです。絶対に許すことはできません。都議選の勝利をもって、このファシスト石原知事に大打撃を与えましょう。そして都知事の座から引きずり下ろしましょう。それが、今度の都議選の重大な決戦課題であります。
この石原知事と同じ、ファシスト的な戦争賛美、戦争推進のイデオロギーでつくられたのが「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書です。
「つくる会」教科書は、怒りなしには読めない内容です。戦争に行き着いた大日本帝国憲法と教育勅語を賛美し、15年間の侵略戦争を「自存自衛の戦争」「アジアの解放戦争」と全面的に賛美しているのです。平和の尊さを教えるのではなくて、「国家が生き延びるためには戦争も必要」「国家と天皇のために命を捧げることは尊いこと」と、支配階級に都合のよいイデオロギーを振りまくものです。「社会には差別があって当然」と弱肉強食、生存競争をあおっています。一言でいえば「教え子を再び戦場に送る教科書」なのです。こんな教科書で子どもたちを教育するなんて、到底認められません。
杉並区の山田宏区長は、石原知事と同様のファシストです。かつての15年侵略戦争を「大東亜戦争」と呼び、「特攻隊に感謝せよ」と杉並区の成人式で叫ぶような人物です。この山田区長と杉並区教育委は、極右の衛星テレビ局「桜」を後援して「つくる会」の運動を支えているのです。そして7月に開く区教育委員会で、「つくる会」歴史教科書を採択して、杉並区の中学校で使わせようとしています。絶対に許してはなりません。
4年前の採択の時は、多くの区民が立ち上がり、「つくる会」教科書の採択を阻みました。杉並の闘いは全国の運動の大きな力となり、韓国・中国にも伝えられました。
しかし、今年の状況は前回4年前よりもはるかに厳しくなっています。それは日本が多国籍軍派兵でイラク侵略戦争に参戦し、さらに対北朝鮮、対中国の戦争に動き出しているからです。「つくる会」教科書を使って、労働者人民を戦争に動員していくことがどうしても必要になっている。だから政府・文科省、財界が一丸となって「つくる会」教科書を応援し、いわば「国定教科書」として全国に拡大しようとしているのです。
ですから今年の教科書採択は決戦です。とりわけ杉並区は、「つくる会」の側も絶対に勝たなければならない拠点地区として狙いを定めており、ファシストとの決戦場です。全国的攻防の焦点です。杉並区民と全国の総力を結集して採択を阻止しましょう。
介護と福祉の切り捨てを許さない
さらに私は「介護と福祉を要求する杉並住民の会」の皆さんとともに闘ってきました。お年寄りが直面している状況は本当に深刻です。国と都・区は高齢者の生活と生命の保障の責任をすべて投げ出そうとしている。どんどん手を引き、突き放しているのが現実です。
介護保険制度は5年目の見直しで、多くの人びとから生活援助介護を奪い、自己負担分を増やすなど、一層改悪されようとしています。高い保険料を年金から天引きされながら、給付はさらに狭められるのです。「自助努力」「自己責任」論とは、福祉の切り捨て以外の何ものでもありません。金のない人間は早く死ねというやり方です。怒りに堪えません。
小泉政権は、「少子高齢化で社会保障財源が底をつく」「このままでは国家財政がパンクする」、だから年金保険料の値上げだ、給付の削減だ、医療費は自己負担増だ、介護保険制度も改悪すると言っています。消費税をなんと18%にせよと財界は提言しています。そのくせ、年金保険料の企業負担(2分の1)はやめるというのです。
だが、ちょっと待ってください。「財政危機」と言いながら、防衛予算はどうでしょうか。自衛隊のイラク派兵に1日1億円、在日米軍のために1日6億円、違憲の自衛隊に1日164億円も使っているのです。その一方で高齢者や「障害者」、労働者の最低限の生活保障を次々と取り払っている。労働者階級から搾り取った税金をトヨタとか三菱とか大銀行など、ほんの一握りの大企業の利益と軍隊・戦争のために注ぎ込んでいる。これが今の日本国家、小泉政権とファシスト石原都政の現実ではないですか。
93歳のYさんは、6年前から来ているヘルパーさんに「今度法律が変わると来れなくなる」と言われて大変不安がっています。少しずつ福祉が切り捨てられていく現実に直面して、Yさんは「関東大震災にあって、戦災にあって、年をとったら早く死ねということなのね」と政治への怒りを語っています。お年寄りを大切にしない政治のあり方は、本当にひっくり返さなくてはなりません。
国が戦争に向かう時、労働者の生活と権利、命はどんどん踏みにじられていきます。「天皇のため、お国のために」と我慢を強いられ、犠牲を強いられた戦前の戦争政治、国家主義教育の行き着いた先は何だったでしょうか。2千万アジア人民の虐殺であり、310万の日本人民の死でした。東京大空襲であり、沖縄戦、ヒロシマ・ナガサキでした。
今、日本の政治の流れは、明らかにかつてと同じ方向を向いています。アメリカも日本もそうですが、行き詰まった帝国主義の体制が、戦争を不可避なものとしているのです。
小泉と日本経団連・奥田体制のもとで日教組、全逓、自治労、国鉄など戦後の階級的労働運動を牽引してきた公務員系の労働組合を、ここ2〜3年で一掃するという恐るべき攻撃が強まっています。これも戦争体制づくりの重大な攻撃です。こうした攻撃を全力ではね返さなければ、21世紀の未来は展望できません。
戦争の時代を二度と繰り返さないために、労組破壊の攻撃を労働者の団結で跳ね返し、逆に労働者階級が主人公となる政治と経済・社会のあり方に根本から変えていかなければならないと思います。石原都政と闘い、今度の都議選をその大きな一歩としましょう。
私たち都政を革新する会は、国や区、都に対して必要な介護保障を要求して粘り強く闘ってきた「杉並住民の会」の皆さんと力を合わせ、今後とも介護・福祉要求の実現に向けて全力で闘ってゆく決意です。
都議会の中に労働者の闘う拠点を
「東京から日本を変える」と石原知事は息巻いています。憲法を破り、教育基本法を踏みにじり、日本を戦争国家につくり変える先頭に立つという意味です。
都立大学をつぶして4月に首都大学東京が創立されました。石原知事は「自衛隊・警察に体験入隊すれば、その1年間を大学の授業に出たことにする」などと2月の記者会見で語りました。これはもう、「学徒動員」「徴兵制」ではないですか。本当に許せません。
でもファシストは、心底では労働者階級の団結した闘いをもっとも恐れているものです。労働者が団結して対決した時、ファシストが弱さをさらけ出し、うち倒すことは必ずできるのです。
石原知事の足下から反乱は始まっています。処分をも辞さず「日の丸・君が代」強制に反対して闘う教育労働者が、この春も卒・入学式で60人以上が不起立を貫きました。被処分者の陣形が昨年よりもっと拡大したのです。この闘いを守り、連帯し、広げていきましょう。
国会も同じですが、今の都議会に労働者階級の党が一つも存在しない。日本共産党は、「日の丸・君が代」強制反対闘争への対応でも明らかなとおり、天皇制とファシスト石原に完全に屈服しています。絶対に、闘う労働者の味方ではありません。「日の丸・君が代」強制反対で教育労働者が職をかけ、人生をかけて不起立を闘っている時に、地元の学校の卒業式に参列していながら、連帯して不起立を貫いた議員が一人もいないのです。だから私は心から、労働者とともに闘う議員でありたいと思っているのです。
私は1938年に長野県軽井沢で生まれました。敗戦の時は7歳でした。戦争を二度と再び繰り返してはならないというのが、私の痛切な思いであります。そのために私は、会計検査院に勤めていた時に労働組合にかかわって以来40年あまり、反戦平和の運動を続けて来ました。今、その私自身にとっても正念場が訪れたと思っています。
日本の帝国主義が再び朝鮮・中国・アジアに侵略戦争をおこし、国家によって人権がじゅうりんされる時代を許すのか、それとも労働者人民の運動を前進させ、労働者が主人公の社会をつくり出すのか。今度の都議選は、この歴史選択をかけた重大な決戦です。何としても勝利しなければなりません。
労働者の反転攻勢は力強く始まっています。動労千葉の春闘ストライキ、全金本山労組の34年間の闘いの勝利は、労働者が原則的にねばり強く闘えば、必ず勝利できる展望を示しています。
戦争政治をくいとめ、社会を変えていく最大の力は、労働者階級の団結した闘いです。都議選に勝利し、都議会に労働者の闘う拠点をつくろう。その力で、闘う労働運動を力強く前進させましょう。
私は杉並区議18年、都議4年の経験をフルに生かして、また労働運動から多くを学んできた経験を生かして、議会でファシスト石原と闘い、その打倒のために全力を尽くします。議会と労働運動、労働組合が結びついて闘っていくことをめざします。その力で首都の、そして全国の労働運動の力関係を変えようではありませんか。とりわけ青年労働者の皆さん、ともに闘いましょう。
□ 長谷川英憲氏のプロフィール □
1938年、長野県軽井沢に生まれる。18歳の時、会計検査院に就職。働きながら早稲田大学第二政経学部に学び、労働組合の青年部副部長、書記長として職場闘争、60年安保闘争を闘う。労働運動出身の議員として1967年以来、杉並区議18年。1989年、都議に初当選。1期4年を務める。現在、都政を革新する会代表。(写真は3月30日、介護全国ネットの厚生労働省交渉で)
---------------------------------------------------
週刊『前進』(2196号8面1)(2005/05/02)
「つくる会」教科書全面批判
侵略戦争と明治国家を賛美し「お国のために死ね」と教える
坂本千秋
4月5日、文部科学省は2006年度から使用する中学校用教科書の検定で、扶桑社の「歴史」教科書と「公民」教科書を合格させた。この二つの教科書は、ファシスト集団「新しい歴史教科書をつくる会」が日帝の侵略と戦争の歴史を徹底して美化し、子どもたちを再び戦争に駆り立てるために作成したものだ。この「つくる会」教科書を始めとして、日帝が今日、憲法9条をも公然と破棄し、新たな侵略戦争・世界戦争にのりだしていることに、朝鮮・中国・アジア人民の激しい怒りと「打倒日本帝国主義」の叫びが上がっている。日本の労働者階級人民は、彼らの怒りの決起に連帯し、侵略戦争を帝国主義打倒の内乱に転化するために、今こそ全力で立ち上がる時だ。東京・杉並は「つくる会」教科書採択攻撃の最大の焦点となっている。戦争賛美の教科書採択を絶対阻止し、日帝・小泉=奥田路線の最先兵であるファシスト石原都政打倒・都議選勝利の決戦に立ち上がろう。
第1章 戦後的な価値観と体制の解体に全力を挙げる日帝
「つくる会」の教科書が意味するものは、単に過去の侵略と戦争の歴史を美化するにとどまるものではない。それは何よりも、今日の日帝がすでに開始しているイラクへの侵略戦争や、北朝鮮・中国への新たな侵略戦争・世界戦争を真っ向から正当化するものだ。日本の労働者階級人民を今始まったこの戦争に動員するために、「侵略も戦争も正しい」「帝国主義の行うことはすべて正義だ」と子どもたちに教え込むための教科書なのである。
今日、中国で、韓国で、激しく燃え上がっている闘いは、日本帝国主義の再侵略と日帝資本の過酷な搾取・抑圧に対する怒りの爆発である。日本政府やマスコミは言うに及ばず、日本共産党までが「過去と現在を一緒にするな。日本が今、中国に侵略しているわけではない」と言って中国人民非難の大合唱に加わっているが、とんでもないことだ。日中両国の人民にとって現在の情勢は、15年にわたる日帝の中国侵略戦争の引き金となった1931年の柳条湖事件(いわゆる「満州事変」)の前夜にも匹敵する、実に恐るべき情勢である。
これに対して中国の労働者と農民は、スターリン主義の制動を突き破って、反帝国主義・民族解放の新たな歴史的決起をついに開始した。日本の労働者階級はなんとしてもこれと連帯し、国際的な単一の軍勢として、日帝の侵略戦争を帝国主義打倒の内乱に転化する闘いに全力で立ち上がらなければならない。第2次大戦に至る破滅の道を二度と繰り返してはならないのだ。その突破口が、小泉政権と日本経団連・奥田による戦争と民営化攻撃を絶対に阻止する闘いであり、とりわけ現在の最大の焦点となっている、この「つくる会」教科書をめぐる決戦だ。
日本の帝国主義ブルジョアジーは今、本気で世界戦争の道に踏み出している。アメリカ帝国主義・ブッシュ政権と組んでイラク侵略戦争を強行し、その中東全域への拡大を狙うとともに、続いて北朝鮮・中国侵略戦争への突入を狙っている。そのために日米安保の大改定と米軍の世界的再編(トランスフォーメーション)を推進し、朝鮮半島有事と台湾有事を口実にした軍事介入の機会をうかがっている。朝鮮固有の領土・独島(=「竹島」)や中国領・釣魚台(=「尖閣諸島」)の略奪にも示されるように、領土拡張への野望をもむきだしにしている。国連安保理常任理事国入りを宣言し、アジアの覇権を握る帝国主義として登場しようと全力を挙げている。
さらに、有事法制の制定に続いてこの05〜07年にかけ、教育基本法の改悪と、憲法9条の撤廃を中心とする改憲攻撃をついに日程に上せてきた。大民営化攻撃と社会保障制度や労働法制の解体、共謀罪導入など治安弾圧体制の再編強化を軸に、労働者階級のあらゆる抵抗を圧殺して、第2次大戦以前のような国家と社会を復活させようとする攻撃を激化させている。
その一切は、今日の資本主義・帝国主義の世界史的な危機の深まりの中で、大恐慌の爆発におびえ、米欧帝国主義による世界経済のブロック化の進展に追いつめられた日帝が、アジア諸国を再び日帝の排他的な勢力圏として、植民地・従属国として確保しようと狙って猛然と動き出したことによるものである。米帝ブッシュのイラク戦争突入というきわめて激しい世界戦争政策の展開は、それに決定的な拍車をかけた。日本経団連が本年1月に出した提言は、戦争国家への大転換を早急になしとげ、海外派兵を展開し、軍事力で他国をねじふせられる力を一刻も早く持たなければ、今の世界で日本は生き残れないと叫んでいる。
だが、労働者階級がこんなことを許せるわけがない。外への侵略戦争は内への階級戦争であり、国内の労働者人民をも極限的な搾取と暗黒支配にたたき込むものだ。すでに、既成の野党や組合指導部の屈服と妨害を突き破って、一人ひとりの労働者の全人格をかけた戦争協力拒否の決起が続々と始まっている。「日の丸・君が代」の強制を拒否する教育労働者の不屈の闘いや、動労千葉の春闘ストライキはその最先端だ。
この中で、日帝はその焦りをいよいよつのらせ、労働者階級の抵抗の基盤そのものを完全にたたきつぶし、「侵略や戦争はよくない」としてきた戦後的価値観を根こそぎ解体・一掃することなしにはもはや一歩も進めないという危機感にかられている。そのために、4大産別への攻撃をしかけて労働組合と労働運動の全面的な破壊・解体に突き進むとともに、石原都知事を先頭としたファシスト勢力を前面におしたて、一切の戦後的な諸制度と価値観の暴力的な破壊にのりだしてきているのだ。その最大の攻撃が教育であり、「つくる会」教科書なのである。
そこでは、大人たちが依拠してきた第2次大戦後の「平和と民主主義」の価値観を真っ向から否定し攻撃して、侵略も戦争も当然だ、逆に戦前の天皇制国家のような国と社会こそが理想的なんだというとんでもない思想を子どもたちに吹き込むことが狙われている。そして、教育の場がこのようなファシスト的イデオロギーによっていったん支配されることを許すならば、次には全社会がそれによって支配されていくことになるのだ。まさしくこの教科書攻撃を許しておいて、戦争反対も改憲阻止もありえない。「つくる会」教科書粉砕の決戦こそ、教基法・改憲決戦そのものだ。
以下、今回の「つくる会」教科書の全面的な暴露と批判を行い、闘いの一助としていきたい。ここで対象にしたのは検定通過前の申請段階のものである。新聞報道によれば「歴史」で124件、「公民」で75件の検定意見がついて一定の修正がなされたと言われているが、基本的内容にほとんど変わりのないことは、前回(2001年)の検定時の例をみても明らかである。
その上で今回の教科書は、2001年版と比べても一層悪質で、今進行している侵略戦争と改憲攻撃に百パーセント沿った内容となっている。その意味でも、絶対に粉砕しなくてはならないものだ。「つくる会」が最大の突破口と狙う東京・杉並での採択を絶対阻止し、この闘いと都議選決戦とを結合し、これを逆に「つくる会」とファシスト石原打倒の一大決戦に転化して闘おう。全国で「つくる会」教科書への怒りを爆発させ、教育労働者を先頭に、全労働者階級の総力決起で必ず勝利を切り開こう。
第2章 「大東亜戦争」を全面美化するウソと歪曲の「歴史」
最初に「つくる会」の「歴史」教科書から見ていこう。具体的な中身に入る前に、まず「歴史を学ぶとは」と題して、この教科書全体を貫く考え方が書かれていることが重大である。
そこでは、歴史を学ぶ目的は過去に何が起きたかを知ることではなく、「過去におこったことの中で、過去の人がどう考え、どう悩み、問題をどう乗り越えてきたのか、つまり過去の人はどんな風に生きていたのかを学ぶことだ」と言っている。しかもこの「歴史」とは自分自身と「血のつながった先祖の歴史」だとされている。これは、階級社会としての日本の歴史を世界史の中で科学的・総合的・立体的にとらえるのではなく、徹底した自国中心史観に立ち、その立場から逆に世界を見よ――とするものだ。日帝の侵略と戦争で何が起きたかなど知る必要はない、当時の日本人がそれをどう考えたのかが重要だ、と言っているのだ。この観点で日本の歴史の一切を観念的に肯定・美化し、ねつ造して描き出しているのがこの教科書なのである。
明治国家の領土拡張を礼賛 帝国主義列強参入を誇る
「つくる会」歴史教科書の核心問題は第一に、明治期から第2次大戦にいたる日帝の侵略と戦争の全歴史を、資本主義の帝国主義段階という弱肉強食の世界の中で、日本が生き残るためには絶対に必要なことだったのだと言い切っていることだ。後発帝国主義としての日帝が、朝鮮半島と中国への侵略を踏み台にして列強の一員にまでのし上がったことを誇らしげに押し出し、日本の近代史を帝国主義列強を軸にした国家間・民族間の一種の生存競争の歴史として社会ダーウィニズム的に描き出し、その中で日本はよく頑張った、これは偉大なことだったとしているのだ。まさに帝国主義の強盗の論理を前面に押し立て、ウルトラな帝国主義的民族主義と国家主義、愛国主義をあおっている。
さらには、米英帝国主義とアジア・太平洋の支配権をめぐって真っ向から激突して争い、第2次大戦を仕掛けていったことをも“偉大な挑戦”として美化し、そのようなことができる国家にもう一度していかなければならない、このままでは日本は滅びると、激しいアジテーションを展開しているのだ。
その前提として語られているのが、明治維新と明治国家に対する度はずれたデマと礼賛である。「明治維新とは何か」というコラムの中で、「中国・朝鮮と日本の分かれ目」と題して、日本は明治維新でいち早く近代化を達成して欧米列強の植民地化から逃れたが、中国(清)や朝鮮はそれができなかった、日本は優れた国なのだという主張をとうとうと展開している。そして「明治維新によって身分制度は廃止され、四民平等の社会が実現した」と書き、あたかも特権階級は消えてなくなり、自由・平等の民主主義的社会が生まれたかのように言いなすのだ。しかも「こうした変化は、ヨーロッパのどの国と比較しても、いちばん徹底したものだった」などと、とんでもないデマを恥ずかしげもなく述べている。
さらに、1889年制定の大日本帝国憲法が、当時の世界で最も近代的で民主主義的な憲法であったかのような、これも開いた口がふさがらないような大ウソを平然と書いている。これは「公民」教科書の記述とも共通している。「天皇は神聖にして侵すべからず」(大日本帝国憲法第3条)とされ、政治・軍事の絶対的な独裁権を掌握し、労働者人民はその前にひたすらはいつくばる存在とされていたのが戦前の天皇制国家ではないか。その明治憲法を「聞きしにまさる良憲法」として、国内はもとより西欧諸国からも称賛されたなどとしているのだ。
この明治憲法と明治国家の賛美は、朝鮮・中国への蔑視(べっし)と一体であり、日本がアジアを侵略して帝国主義列強の一員にのし上がっていったことを、当然であり必要なことだったと描き出すためのものだ。日本は「強い国」「優れた国」であり、だからこそ生き残れたのだ、その日本がアジアの「弱い国」「遅れた国」を服従させて支配していくのは当然だとする、資本主義・帝国主義の弱肉強食の論理と他民族抑圧の論理を公然と押し出していくのである。
そして朝鮮・台湾への出兵も、日清・日露戦争も、その観点からすべて合理化し正当化する。「朝鮮半島全体が日本に敵対的な大国の支配下に入れば、日本の独立はあやうくなる」、とりわけ「ロシアの支配下に入れば、日本を攻撃する格好の基地となり」などと言い、朝鮮侵略を開き直る。日清戦争は清国の日本への敵対が原因だ、日露戦争は「日本の生き残りをかけた戦争」だったとし、バルチック艦隊との日本海海戦を「有色人種の国日本」が「白人帝国ロシア」に勝利した世界史的壮挙として描き出す。さらに、韓国併合は「日本の安全と満州の権益を防衛するため」に必要だったと強弁し、中国東北部への侵略と「満州国」デッチあげは「日本の安全と権益がおびやかされていた」からだとしていくのだ。
これは、単に過去の歴史のことを語っているのでは断じてない。今現在、日帝が米帝と組んで開始している新たな侵略戦争・世界戦争を、まさにそうした同じ論理で真正面から正当化していくためのものである。とりわけ北朝鮮・中国侵略戦争への突進を、「日本にとって必要な戦争」「国としての生き残りをかけた戦争」としてとことんあおり、すさまじい排外主義と好戦主義を子どもたちにたたき込んでいくことこそが狙いなのである。必要ならどんな侵略戦争も、世界戦争でも何でもやるべきだという思想を全力でたたき込もうとしているのだ。
「排日運動」に責任押しつけ侵略の歴史をすべて居直る
だが、明治以来のそうした日本の近代史が、最後に行きついた先は何であったか。1945年の無残な敗戦であり、国全体が焦土と化した現実である。それはアメリカ帝国主義への敗北であっただけではない。日帝が限りなく見下してきた朝鮮・中国・アジア人民、とりわけ中国人民の反帝国主義・民族解放闘争への歴史的大敗北としてあった。それは日本の帝国主義が帝国主義であるからこそ、自ら必然的に招いた破産、破滅であったのだ。そのことは今日の日帝をも、依然として強く縛りつけている。
この呪縛を解き放ち、第2次大戦以前の日本国家を再び「誇るべきもの」として子どもたちの前に押し出すためには、歴史の真実、とりわけ侵略と戦争の真実を徹底して押し隠す以外ない。歴史を最初からねつ造する以外ないのだ。これがこの教科書の第二の核心問題である。
その第一は、日帝による朝鮮・中国・アジア人民に対する侵略と侵略戦争の歴史の全面的な改ざんと、百パーセントの居直りである。
一つには、「欧米列強の領土拡大政策」は「帝国主義」でありアジアを「植民地化」するものだったと言いながら、日本が朝鮮・台湾に対してやったことはそれとはまったく異なる正当なものであるかのように描き出していることだ。そもそも日帝の朝鮮・台湾支配を「植民地」とは絶対に言わず、認めない。それどころか「近代化を助けた」ものだなどと、卑劣にも強弁している。
「日本は、朝鮮の開国後、その近代化を援助した」「韓国併合のあと置かれた朝鮮総督府は、鉄道・灌漑(かんがい)の施設を整えるなどの開発を行い、土地調査を開始し、近代化に努めた」と。日帝が土地調査事業によって朝鮮農民の土地を奪い、米を奪い、銃剣で支配し、民族の言語や文化や名前さえも奪った残虐きわまりない植民地支配をすべて“朝鮮のためを思ってやったことだ”として正当化している。また台湾総督府の日本人が「台湾の開発に力をつくし」、現地住民からいたく感謝されたなどというデッチあげ話を得々として書いている。日本が朝鮮や中国・台湾を支配する側に立つのは当然だと言いたいのだ。
二つめには、中国侵略戦争への突入とその泥沼化の原因はすべて中国の「排日運動」にあるとして、一切の責任を中国人民の側になすりつけたことである。
その手口も実に卑劣である。まず、1915年に日帝が中国に突きつけた「21カ条の要求」に典型的に示されるような、中国の領土・資源を略奪し中国を日本の属国にしようとする策動を何の問題もないかのように平然と居直る。そして「中国側は、列強の介入を期待して極秘の交渉内容を内外にもらし……正式な要求事項でないものをふくめて『二十一か条要求』と名づけたので、中国国内の反日世論は高まった」と、日帝の不当無法な要求に中国人民が怒りを爆発させたことを逆に非難さえしている。
そして1919年の五・四運動後の民族解放闘争の発展について、「中国に権益をもつ外国勢力を排撃する動きが高まった」「それは、列強の支配に対する中国人の民族的反発だったが、暴力によって革命を実現したソ連の共産主義思想の影響も受けており、過激な性格を帯びるようになった」、とりわけ「日本人を襲撃する排日運動が活発になった」と、敵意と憎悪を込めて描き出す。ここで外国の「権益」はなんら批判の対象ではなく、当然の権利のように書かれている。
その上で、1931年の柳条湖事件と中国東北部への侵略について、関東軍が満鉄の線路を爆破し、それを中国側のしわざとデッチあげて戦争に突入していったことを認めながら、その背景にはこの「排日運動」の爆発があったとしていくのだ。「列車妨害や日本人学童への迫害などが頻発した」と言い、「邦人二名暴民に奪はる」と排外主義を扇動する当時の新聞や、「満鉄沿線で発生した事件の件数」のグラフ入りの地図までのせ、日本こそ被害者であるかのように、あべこべに描き上げるのだ。黒を白と言いくるめるとはこのことだ。
そもそも日帝の言う「権益」とは、日帝が中国に侵略し、中国人民から武力で強奪したものにほかならない。他国にのりこんで好き勝手な強盗行為を働いておきながら、強盗に襲われた側が必死の抵抗に立ち上がったことに対して、これに「懲罰を加える」と言って侵略戦争を仕掛けていったのが当時の日帝だ。この「対支膺懲(ようちょう=こらしめる)」というスローガンを全面的に正当化し、中国に対しては何をやってもかまわないと開き直っているのが、今回の「つくる会」教科書なのである。
三つめは、南京大虐殺や軍隊慰安婦問題、強制連行、731部隊による人体実験や細菌作戦など、15年戦争下での日帝による朝鮮・中国・アジア人民に対する残虐きわまりない加害の事実を、ことごとく否定し抹殺し尽くしたことだ。
日本軍軍隊慰安婦に関する記述は今回、ついに全教科書から抹殺された。「つくる会」はこれを「成果」と賛美している。アジア各地に展開した日本軍が占領した地域に「慰安所」を設置し、朝鮮女性20万人を始めとする数知れない女性たちを強制的に連行し、極限的な性暴力の犠牲としていった事実は、第一級の戦争犯罪としてどんな申し開きもできないものだ。だからこそ「つくる会」のファシストや日本の帝国主義者は、この事実自体を歴史から完全抹殺することに全力を挙げてきたのである。
「つくる会」教科書はその上に、南京大虐殺についても「この事件の実態については資料の上で疑問点も出され、さまざまな見解があり、今日でも論争が続いている」と、大虐殺の事実そのものが限りなく不確かであやしいもののように思わせようとしている。「殺し尽くし、奪い尽くし、焼き尽くす」という「三光作戦」を展開し、その頂点として凶行されたのが、犠牲者30万人とも40万人とも言われる南京大虐殺だ。こうした日帝による戦争犯罪をすべて抹殺することで「天皇の軍隊」を虐殺や虐待とは無縁であったかのように描き出し、美化して子どもたちに教え込もうとしているのだ。
四つめには、日帝自身の植民地支配と中国侵略戦争をそうした形で居直りながら、他方で太平洋戦争についてはこれを「大東亜戦争」と呼んで、欧米の植民地支配からアジアを解放するための戦争だったかのように歪曲し、デッチあげ、全面美化して描いていることだ。
「(真珠湾攻撃に始まる)日本の緒戦の勝利は、東南アジアやインドの人々に独立への夢と希望を育んだ。東南アジアにおける日本軍の破竹の進撃は、現地の人々の協力があってこそ可能だった」などと言い、「アジアの人々を奮い立たせた日本の行動」「日本を解放軍としてむかえたインドネシアの人々」と、歯の浮くような自画自賛の言葉を並べている。日帝が軍事占領した地域から一部の親日分子のみをかき集めて開催した「大東亜会議」を持ち出して、「大東亜共栄圏の建設」という日帝のスローガンをあたかも全アジアの総意のように描くのだ。
このことは、日帝の最大の狙いが武力による東南アジアの石油の略奪にあったことを隠すものだ。すなわち、太平洋戦争が、米英と日本の帝国主義強盗同士がアジア・太平洋の植民地の再分割をめぐって真っ向から激突した帝国主義戦争であったことを押し隠し、ファシスト的に転倒させて描き出すものである。
ヒロシマも沖縄戦も教えず殺りくと破壊の歴史を消す
こうした侵略の歴史の徹底した否定・改ざんと並んで、いまひとつの重要な特徴は、戦争でアジア人民が受けた膨大な犠牲について何ひとつ語らないだけでなく、ヒロシマ・ナガサキ、沖縄戦、東京大空襲など日本人民の受けた被害についてもほとんど何も教えようとしていないことである。帝国主義戦争がどんな殺戮(さつりく)と破壊の地獄をつくりだしてきたかを、歴史の事実としてもとことん抹殺している。
日帝が中国大陸と全アジアで繰り広げた侵略戦争・帝国主義戦争は、その結果として、侵略戦争に動員された日本の労働者人民にも多大の犠牲をもたらした。アジア人民2000万人を虐殺した戦争により、日本人民の死者も310万人にのぼった。そのうち戦場で死んだ者は240万人、しかもその6割が戦闘による死ではなく、飢えに苦しんだ末の無残な野垂れ死にを強いられた。その上にさらに、東京大空襲を始め全国各地の空襲があり、沖縄戦があり、そしてヒロシマ・ナガサキがあった。
日本の労働者階級人民は、この深刻な体験を経ることによって初めて、15年戦争の全体を階級的にとらえ返すことが可能となり、それが徹頭徹尾不正義の帝国主義侵略戦争であったことをも、戦後の階級闘争の中であらためて自覚するに至ったのだ。そしてこんな戦争をもはや二度と繰り返してはならないと固く誓って戦後の60年を歩んできた。だが「つくる会」教科書は、戦争へのこの反省を丸ごと投げ捨てることを、すべての教育労働者と人民に迫るものである。逆に、戦争とはそんなに悪いものではない、むしろ戦争で国のために死ぬことは美しいことでもあるのだと、子どもたちに教えよと強制しているのだ。
実際に、ヒロシマ・ナガサキについては、アメリカが「広島と長崎に原爆を投下した」との記述が一言あるだけで、許せないことに死者の数すら書いていない。広島で14万人、長崎で7万人が一瞬のうちに灰となった地獄のような光景も、その後の半世紀にわたる被爆者の苦しみについても何ひとつ触れようとしない。東京大空襲もわずか1行だけである。助けを求めながら火に包まれて焼け死んでいった人びとの、その具体的な惨状の記述は一切ない。
沖縄戦についても、「米軍は沖縄本島に上陸し、日本軍の死者約9万4千人、一般住民の死者も約9万4千人を出す戦闘の末、2か月半のちに沖縄を占領した」という2行半の記述があるだけだ。しかもこの数字はまったくのウソであり、一般住民の死者の方がはるかに多く、当時の全住民の3分の1、15万人にも達したという事実をねじまげる悪質なデマを流すものだ。日本軍が少年少女までをも「ひめゆり部隊」や「鉄血勤皇隊」として戦闘の最前線に駆り立てた事実、“軍が生き残るため”と称して住民の食糧を奪い、壕(ごう)から追い出し、住民をスパイ視して虐殺し、果ては「集団自決」という名の肉親同士の凄惨(せいさん)な殺し合いさえ強要した事実は、すべて抹殺されている。
「滅私奉公」の強要を美化し弾圧や言論統制には触れず
第三に、戦時中の国家総動員体制についても、それが労働者階級人民への極限的な抑圧の上に成り立っていた実態を徹底的に隠蔽(いんぺい)し、とことん美化するものとなっている。弾圧や強制など一切なかったように、すべて人民の側からの自発的な戦争協力として行われたかのように思わせようとしているのだ。そして、それと結合して、「天皇のため、国のために死ぬ」ことを最高とする価値観を、「国=公共の利益」と言い換えて強力に押し出し、再び子どもたちの心に植えつけようとしている。
15年戦争は日本の労働者階級人民を、さらには全社会をどんな恐るべき状態にたたき込んだか。思想・表現の自由や言論の自由はもちろんのこと、学問の自由もすべて完全に圧殺された。特高警察という名の思想警察・秘密警察が人民の生活をすべて監視し、戦争に反対する者は片端から逮捕・投獄され、横浜事件が示すような残虐な拷問によって屈服と思想転向を強いられた。
それだけではない。「大本営発表」による情報操作と徹底した言論統制のもとで、戦争の真実を何も知らされないまま戦場へ、軍需工場へと動員され、昼も夜もなく一身を犠牲にして天皇のために命を捧げよ、身を粉にして働けと強要された。一切の労働争議は禁圧され、労働組合は解体されて「産業報国会」となり、どんな過酷な労働条件を強制されても抗議の声を上げることさえできなかった。少しでも不満をこぼしただけで「非国民」として容赦なく弾圧されたのだ。
だが「つくる会」教科書は、これらの事実について一切語らず黙殺しておいて、逆にただ一言、次のように言う。「(戦争による生活物資の不足という)このような困難の中、多くの国民はよく働き、よく戦った。それは戦争の勝利を願っての行動であった」と。すなわち、日本の人民はどんな困難のもとでも心をひとつにして戦争に協力したという話をデッチあげ、これは素晴らしいことだとし、そういう精神を今こそ復活させなければならないとしているのだ。
そして、この教科書の全体をとおして最も強調しているのは、国のために身を犠牲にして働き、必要なら命も喜んでささげるという滅私奉公の思想である。これが明治以前の昔から日本の歴史にずっと貫かれてきた独自の価値観であり、日本の伝統と文化の最大の核心であるなどとうそぶいている。そのキーワードが「公共の利益」と「武士道」だ。
「公共の利益」とは、政府・自民党や日本経団連が今日、改憲攻撃のキーワードとして押し出しているのとまったく同じ言葉である。「公共」とは帝国主義国家のことであり、天皇のことだ。「公共の利益」とは日帝支配階級、帝国主義ブルジョアジーの利益のことであり、労働者階級の利益とは根本的に対立するもの、絶対に相入れないものだ。だが日帝は、この「公共の利益」を「日本と日本人全体の利益」として、超階級的なものと見せかけると同時に帝国主義的民族主義そのものとして押し出し、新たな帝国主義戦争への労働者人民の精神的総動員のテコにしようとしているのだ。「つくる会」教科書はそれを全面的に後押しすることに全力を挙げている。
例えば教育勅語について、今回の「歴史」教科書は現代語に訳して載せている
が、「いったん緩急あれば義勇公に奉じもって天壌無窮の皇運を扶翼すべし」の原文を、「国家や社会に危急のことがおこったときは、進んで公共のためにつくさなければならない」と言い換えている。「天皇のために一身を投げ打て」と命じているのを、「公共のために」とわざわざ書き換えたのである。
さらに、「武士道と忠義の観念」というページを設けて、「忠義=公共の利益のために働くこと」だという新たな定義づけさえ行っている。「武士道とは死ぬことと見つけたり」という『葉隠』の言葉を引用し、この言葉は「死ぬ覚悟をもって主君によく仕え職務をまっとうして生きることを求めている」と言う。その上で、「忠義」とは「主君への忠誠をこえて藩や家の存続のために最善をつくすこと」を意味していたと言い、明治維新が成功したのも「武士道の中に公共の利益のために働くことに価値を置く忠義の観念があったことと深い関係がある」などと説明しているのだ。
この「武士道と忠義の観念」を、「日本の歴史・伝統・文化」の中でも最大の価値ある精神文化として大々的に押し出し、明治の日本もこの精神があったからこそ発展した、とするのである。そして今、それがなくなっているのは大問題だと叫んでいる。
「日本は天皇の国」押し出す 身分制度は必要だと強弁
第四の核心点は、天皇が大昔から現代まで一貫して国の中心であり、天皇制を抜きに日本の国家と社会は成り立たないのだという主張をゴリゴリと押し出していることである。そのために考えつく限りのあらゆるデマを駆使している。
神武天皇の東征神話に始まり、「天皇の地位は、皇室の血すじにもとづいて、代々受けつがれた」「政治の実力者は時代によってかわったが、天皇にとってかわった者はいなかった。日本では、革命や王朝交代は起こらなかった」と、「万世一系」の神話をいかにも真実であるかのように語る。だがその根拠は何もない。きわめつけは、鎌倉幕府の成立以降の封建制度のもとでも皇室の権威が揺らいだことは一度もなかったかのような、歴史の偽造を平然とやっていることだ。
「幕府がどんなに政治的な力をほこっていても、朝廷の権威が失われてしまうことはなかった。武家政治は明治維新まで続いたが、その間、朝廷と幕府の関係はだいたい安定していた」「全国の武士は、究極的には天皇に仕える立場だった」と。これがいかに卑劣な偽造であるかは、ほかならぬ2001年版の「つくる会」教科書に、足利義満が「天皇の権威への挑戦を試みた」代表的人物として登場することからも明白である。
必要ならば以前に自ら書いていた内容をもコロリと変えて、まったく逆の作り話さえデッチあげる。子どもたちをだまして帝国主義戦争の担い手に仕立て上げるためならば、どんな卑劣なことでもやる。これが「つくる会」のファシストとしての正体だ。こんなものがどうして「教科書」と言えるのか!
このことは、日本を再び「世界に類例のない神の国」として押し出していくための布石なのである。そしてこの「天皇の国」を守るためには何でもやる、この国が領土を拡大し、世界を支配するのは国家としての使命だとする、恐るべき帝国主義的侵略のイデオロギーをまきちらしていくこととなるのである。天皇制の前面化を許すことは、必ずやそこまで行きつくのだ。
ここで今ひとつ重要なのは、天皇制イデオロギーを美化するために、その補完物として、封建社会の身分制度を美化するデマを意図的に流していることだ。江戸時代の社会を「平和で安定した社会」と賛美して、その原因は「武士と百姓・町人を区別する身分制度」を定めたことにあると言う。この制度は「必ずしも厳格で固定されたものではなかった」などと言い、単に社会における役割が違うだけで、支配・被支配の関係とはまったく無縁なもののように百八十度歪曲して描き出している。
そこにあるのは、人がそれぞれの立場や役割に応じて社会的に分けられるのは当然で、それは差別ではないとしていく、最も悪質な差別分断支配の考え方だ。部落差別や女性差別などのあらゆる社会的差別をすべて容認し、逆に各人が自分のあらかじめ与えられた役割を忠実にまっとうすることで社会秩序が成り立つのだ、としていくのだ。ここに、天皇制イデオロギーのひとつの核心があることを確認しておきたい。
階級対立と階級闘争を否定 労働者階級への襲撃を扇動
第五に、階級対立の否定と階級闘争の完全な抹殺である。古代・中世から近現代にいたる全歴史を、そこに支配するものと支配されるものとの矛盾や対立など何も存在しないものとして描き出す。そもそも、歴史の中に労働者や農民、民衆というものがほとんどまったく登場しない。これが、ある意味ではこの教科書を貫く最大の核心問題だと言ってもいい。
これはけっして偶然ではない。「つくる会」は、歴史が階級闘争の歴史であることを帝国主義支配階級の側に立ってはっきりと自覚し、そのことを意識的に覆い隠すためにこそ、この「歴史」教科書を作ったのだ。
前節で紹介した江戸時代について言えば、それはいったいどういう時代であり社会だったのか。大中小の農民一揆や都市での打ち壊しが全国でひんぴんと発生し、幕府や諸藩がこれへの弾圧を繰り返していた、すさまじい階級激突の時代ではないか。幕藩体制の末期には、ほとんど内乱的情勢に突入していたではないか。そのことにまったく言及せず、農民一揆は例外的現象のように言い、逆に「江戸時代を通じて武士は尊敬され、町人が武士をたおすというようなことはおこらなかった」と述べている。これは無知によるものでは断じてない。すべてを知りながら、あえてこのように歴史をねつ造しているのだ。
最も異様なのは、第2次大戦後の戦後革命期に関する記述である。労働者階級が続々とストライキやデモに決起し、1947年2・1ゼネストへ向かって攻め上っていった、日本の近現代史の中でも第一級の階級的激動を、ただの一言も語らず完全抹殺してしまっている。
このことは、天皇制との関係で、日本には革命や人民の大反乱など起こらないのだ、日本はそういう特別な国なのだと主張していることと結びついている。さらに言えば、今日の資本主義・帝国主義のもとで、資本家階級と労働者階級とは非和解的関係にあるという階級対立の存在そのものを否定し、労働者階級のあらゆる組織と闘いを圧殺しようとする衝動と完全に結びついているのである。
したがって、プロレタリア革命と共産主義への憎悪をむきだしにしている。これがこの教科書の最後の結論だ。近現代史の総括として、「20世紀の戦争と全体主義の犠牲者」という項をおき、そこで共産主義とファシズムを「二つの全体主義」として同列に扱う。スターリン主義による粛清をナチスのユダヤ人虐殺と並列して、「ファシズムと共産主義の犠牲者は、その数において、20世紀におこった二つの世界大戦の死者をはるかに上回ることを忘れてはならない」などとデタラメを言っている。
ここには、共産主義こそが絶対悪で、それに比べれば帝国主義者がやっている虐殺や破壊などたいした問題ではないという主張が含まれている。プロレタリア世界革命を裏切り労働者国家を変質させたスターリン主義による歴史的犯罪を、あたかも共産主義の本質であるかのようにすりかえて、その「撲滅」を叫んで労働者階級への反革命襲撃を組織するものだ。さらには、「共産主義」をやっつけるための戦争は正義として、北朝鮮・中国侵略戦争への突進を猛然とあおるものである。
第3章 戦前のような国に戻せと改憲を叫ぶ「公民」教科書
領土略奪と戦争、9条撤廃と「国防の義務」導入を扇動
次に、「つくる会」の「公民」教科書について見ていこう。
ここでの最大の特徴はまず第一に、領土問題と北朝鮮脅威論がけたたましくあおられていることだ。グラビアに北方4島と朝鮮の領土・独島(「竹島」)、中国領・釣魚台(「尖閣諸島」)の写真を載せ、「わが国固有の領土」だと、領土の略奪を主張している。その横には「テポドン」「不審船」「拉致問題」の写真を載せて、北朝鮮への排外主義をここぞとばかりあおっている。
本文でも、「世界には独裁政治を行ったり、全体主義の体制をしき、国民に対して人権を抑圧している国家も見られる」とし、これに対して「経済制裁など具体的な圧力をどうかけるかが課題となっている」と、北朝鮮を実質的に名指しして、経済制裁は当然、さらにそれ以上の行動(=戦争)にも出るべきだと言わんばかりの書き方をしている。2001年に自衛隊と海上保安庁が北朝鮮の船舶に公海上で砲撃を加えて撃沈し、乗組員全員を虐殺した事件を取り上げて、停船命令に従わなかったから当然だという主張をも行っている。全体として、侵略戦争を激しくけしかける内容だ。
第二に、現在の憲法を徹底的に攻撃し、改憲をあからさまに主張し、あおる教科書として作られていることである。
現代政治の章に「憲法改正」を一テーマとして設け、他国の憲法はみな必要に応じて何度も改正されているのに、日本だけが制定以来一度も改正されないのはおかしいと記述。「世界最古の憲法」だなどとからかい、露骨に辱めている。改憲が必要だと思わせることを意識的に狙って教科書全体の内容を形成している。
特に憲法9条について、「国民の多くは今日、『自衛隊は自国の防衛のために不可欠な存在である』ととらえている」と言い、その撤廃は議論の余地のない問題であるかのような書き方をしている。自衛権は「国の主権の一部」「国際法に認められた権利」であり、集団的自衛権についても行使できるようにすべきだという「主張もある」と、軍隊を持ち戦争をするのは国家として当然とする考え方を注入しようとしているのだ。
また「領土・領海・領空への侵犯は国家主権への侵害となる」と、領土問題をテコに使い、韓国や中国から「侵略」を受けているのは日本の側であるかのように事実をまったく転倒させて描き出し、これを排除するのに軍事力を持つのは当然と思わせるように仕向けている。さらに自衛隊の海外派兵を「わが国にも相応の軍事的な貢献が求められるようになった」と言い、グラビア写真も掲載してその積極推進を叫んでいる。
決定的なのは、「国防の義務」の導入を公然と掲げていることだ。「憲法で国民に国を守る義務を課している国は多い」と述べて、ドイツ、中国、スイスの例を挙げ、「これらの国の憲法では国民の崇高な義務として国防の義務が定められている」などと書いている。“9条を撤廃し、海外派兵をどんどんやり、戦争のできる国にしよう、国防はみんなの義務にすべきだ、そういう国をつくろう、そのために憲法を変えよう”と、中学生に向かってガンガン扇動しているのだ。
「日の丸・君が代」も、「社会の一体感や共同防衛意識を守り育てるため、これまでにも増して明確な国家意識を必要とする」と、戦争をやるために不可欠だということをはっきり言っている。
大日本帝国憲法を全面賛美人権の制限求め差別を肯定
第三に、この「公民」教科書の最も許せない点は、「歴史」教科書とも共通するが、戦前の天皇制国家の専制支配の道具であった大日本帝国憲法を、「近代的な憲法」だと百八十度歪曲し、優れた憲法として無条件に礼賛していることだ。それとの対比で戦後の憲法をとことん見下し、否定していく書き方をしている。そもそも憲法について説明する時に、現在の憲法ではなく明治憲法から話を始めるのだ。そしてこのように言う。
「この憲法は、わが国がおかれた当時のきびしい国際情勢を反映して政府の権限が強いものであった。しかし、できるだけ国民の権利や自由をもりこみ、同時に日本の伝統文化を反映させようとする努力が注がれた憲法でもあった」
「大日本帝国憲法の下で、近代的な民主的国家づくりは進められていった」
「国の元首は天皇であり、統治権の総攬(そうらん)者とされたものの、大臣の助言や議会の承認に基づき、憲法の規定に従って統治権を行使するものと定められていた。国民には法律の範囲内で権利や自由が認められた」
「しかし昭和をむかえるころから、憲法の不備をついた軍部が政治への介入を強めていった結果、天皇のもとで国民が暮らしやすい社会をつくるという憲法の理想は、大きくそこなわれていくことになった」
これは、戦前の天皇制国家とその圧制をとことん美化し、歪曲し、あたかも人民にとって理想的な国と社会であったかのように描き出すとんでもないデマゴギーだ。天皇が神聖にして不可侵とされ、「天皇の命令は絶対」とする専制的権力がうちたてられていたのは、「当時の国際情勢」すなわち帝国主義列強の一員にのしあがる上で不可欠だったと、全面的に肯定している。別のところでは、「明治時代になると、強い力で国をたばねていく必要から、天皇には大きな政治権限があたえられていた」とも書いている。天皇が「神の子孫」として政治・軍事の全権限を握り、強大な国家権力によって人民を暴力的に支配していた社会を、何も知らない子どもたちの前で、現在よりも「良い社会」のように描き上げてみせるのだ。
これは、現在の社会を右側から反革命的に転覆して、戦前のような国家と社会に変えろというむきだしの宣伝・扇動だ。今の憲法を破棄して60年前に戻せと言っているのだ。その思想を子どもたちに一個の「確信」としてたたき込むためのものなのだ。
しかも許せないことは、全権限を天皇が独裁的に握っていても、それはあくまで「大臣の助言や議会の承認」のもとで行使されていたのだと強弁していることである。「軍部の政治介入」さえなければなんの問題もなかったかのように書いている。これは、天皇の戦争責任を免罪するためだ。同時に、戦前の国家も基本的には「民主国家」だったのだとしていく完全なデマ宣伝である。
さらには、戦前にも今と同じ基本的人権がほとんどすべて保障されていたかのように書いている。これも断じて許すことのできない実に悪質なデマだ。すべての労働者階級人民は、このことに激しく怒らなければならない。
明治憲法下の「権利や自由」とはいったい何か。すべて「臣民の権利」として、国家権力の許す範囲内でごくわずかに「恩恵」として与えられていた代物ではないのか。新聞や雑誌は検閲され、天皇制への批判や共産主義・社会主義の思想はその思想を持つこと自体が「犯罪」とされていた。婚姻の自由もなく、女性は政治への参加も禁止され、財産権も高等教育を受ける権利も持たなかった。天皇と華族が途方もない特権を持つ一方で、「新平民」とされた部落大衆は江戸時代と変わらぬ差別を徹底して受け続けていたのではないか。これらのどこに、「自由」や「権利」や「平等」があったと言うのだ!
とりわけ労働者階級は、労働組合を組織する権利すら与えられず、資本家に対して団結して立ち向かうこと自体が犯罪視され、ストライキは軍隊と警察によって徹底的に弾圧された。わずかな賃金要求を掲げただけでも問答無用に首を切られ、「女工哀史」に示されるような恐るべき搾取と強労働の地獄の中で、賃金奴隷としての生活を強いられていたのだ。戦前の社会を美化しそこに戻せということは、日本経団連が叫んでいる「工場法以前の社会に戻せ」ということと完全に一体だ。労働者階級から一切の闘う手段を奪い、無権利状態にたたき込んで資本の専制支配を貫くということだ。この教科書はその推進を主張するものだ。
第四に、こうした戦前の美化とともに、主権在民の原則を実質的に否定し、天皇を再び国家の中心に置こうとしている。「国民主権」の項で、「主権とは外国からの干渉を受けず、その国のあり方を最終的に決定する力のこと」と言い、「この場合の国民とは、私たち一人ひとりのことではなく、国民全体をさすものとされている」と説明している。これは「人民の、人民による、人民のための政治」という意味での主権の説明とはまったく異なる。労働者人民の一人ひとりが国家に対して主権者であるとするのではなく、逆にそれを完全に否定しているのだ。
そしてそのすぐ横に、「国民統合の象徴としての天皇」という見出しを立て、皇室は千数百年前から常に国家の中心にいたと強調し、「天皇の権威は、各時代の権力者に対する政治上の歯止めとなり、また国家が危機をむかえた時には、国民の気持ちをまとめ上げる大きなよりどころともなってきた」と、天皇制こそが重要なのだという大宣伝をしている。天皇を事実上の「国家元首」として押し出し、主権も本来は天皇にあるのだという考えを吹き込むものである。
第五に、基本的人権の説明の項では、「基本的な人権と、その国や民族独自の価値を両立させることが大切」と言い、ここでも天皇制・天皇制イデオロギーを一切に優先するものとして押し出している。そして「憲法で保障されているからと、自由とか権利とかどんどん主張する人がいるけれど、際限なく許されることなのか」と、「人権の見直し」を主張し、その制限を要求している。
中でも露骨なのは「法の下の平等」を見直せという主張である。「平等権は社会を秩序づけている役割分担や、個人の立場までなくそうとしているのではない」「行き過ぎた平等意識はかえって社会を混乱させ、個性をうばってしまう結果になることもある」などと書き、“社会には差別があって当然だ。その方が社会秩序が保てるのだ”という考え方を積極的に植えつけようとしている。
ここでまず攻撃のやり玉に挙げられているのが男女平等だ。「男らしさ・女らしさという日本の伝統的な価値観」を否定してはならないと言い、男女共学への反対運動まで紹介している。家族の中の「役割分担」をも強調し、個人が家族より優先されるような社会にしてはならないと叫んでいる。これは女性への攻撃にとどまらず、今日の階級社会と差別分断支配のすべてをよしとして正当化し、その一層の強化へ道を開くものである。
第4章 東京・杉並での採択阻止し小泉=奥田と石原の打倒を
このように、「つくる会」の教科書は「歴史」も「公民」もともに、戦争への反省と民主主義に代表される戦後的価値観と戦後憲法体制を徹底的に攻撃し、その完全な破壊と解体を狙うものである。1945年以前の天皇制国家を限りなく美化し、第2次大戦以前の国と社会に戻せと主張するものだ。再びかつてのような侵略戦争・世界戦争をやりぬき、日本帝国主義による朝鮮・中国・アジアの征服を実現すべきだという露骨な侵略のイデオロギーを掲げ、子どもたちをその方向に向かって激しくあおり、駆り立てるものとなっている。
しかもこれは、今や単に「つくる会」の一部ファシストの主張にとどまるものでは断じてなく、日帝・小泉政権そのものの路線であり、日本経団連の奥田に代表される日本の帝国主義ブルジョアジー自身の体内から激しく噴き出している主張だということだ。日帝・文科省がこの教科書を検定合格させたことは、独島の略奪などとも軌を一にしたきわめて意識的行為である。
4月18日、訪中した町村外相は、侵略を美化する教科書が検定を通ったことへの中国側の抗議に、「すべての教科書は過去の戦争の反省に立ち、平和な日本を作っていくというものばかりだ」というペテン的言辞をもって居直った。それは「つくる会」のような教科書が現在の日帝にとってぜひとも必要となっているからだ。日帝が今開始した新たな侵略戦争は、戦後的価値観を完全に破壊し解体して、戦前のような戦争賛美の価値観に全社会を塗り替えていくことなしには絶対に遂行できないからである。
とりわけ労働者階級を戦争に動員するには、ここでの階級戦争を徹底してやりぬき、労働者階級の階級性をその最後の一片まで解体し尽くすことが不可欠だ。だからこそ教育が最大の決戦場となっているのだ。子どもたちをまず帝国主義の側にからめとり、洗脳し、それを突破口に全労働者階級を総屈服に追い込んでいくことが狙われているのである。
日帝の次の攻撃は、この「つくる会」教科書を学校現場に大量に持ち込むことだ。都知事・石原はその最大の推進役を買って出た。東京・杉並の山田区長を最先兵にし、杉並区教委を「つくる会」で牛耳って、ここでまずその突破口を開こうとしている。「日の丸・君が代」でやったのと同様に、東京から全国を変えていこうとしているのだ。
今や、東京・杉並が、「つくる会」教科書の採択をめぐる全国で最大の激突の場となった。しかもそれは都議選とも完全に重なっている。全都・全国の闘う労働者の総力を挙げて、ここでの決戦に断固として勝ちぬき、「つくる会」教科書の採択を絶対に阻止し、都議選決戦に勝利しよう。ファシストに教育を牛耳らせてたまるか! ファシストののさばりを許すな! 今ここで打ち倒そう!
今春の「日の丸・君が代」闘争で上がった反転攻勢へののろしを引き継ぎ、杉並での決戦で今こそ石原を打倒しよう。教科書採択阻止と長谷川英憲氏の都議選勝利をかちとって、その勢いをもって小泉政権の打倒と日帝の戦争・民営化攻撃粉砕へ攻めのぼろう。
朝鮮・中国人民の決起と固く連帯し、アジアにおける侵略と戦争と圧制の最大の元凶である日本帝国主義を打倒する、「侵略を内乱へ」の闘いに踏み出そう。これは、日本の労働者階級が権力と資本のくびきから自らを解放するための闘いだ。帝国主義に屈服し、プロレタリア世界革命に敵対して腐り果てた姿をさらすスターリン主義を帝国主義ともども打倒し、のりこえて、労働者階級の国際連帯と資本制社会の転覆による、戦争なき世界の真の実現に向かって突き進もう。
---------------------------------------------------