ZENSHIN 2005/05/02(No2196 p10)

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週刊『前進』(2196号7面1)(2005/05/02)

 「つくる会」教科書絶対阻止へ

 長谷川英憲氏、必勝への訴え

 ファシスト石原と闘うため私は東京都議会に乗り込む

 都議会議員選挙(6月24日告示、7月3日投票)まであと2カ月。各党とも今次都議選を国政選挙並みの重大な闘いと位置づけ、総力戦に突入している。選挙戦は日々、激化している。全国の党と労働者人民の力を結集し、長谷川英憲氏(都政を革新する会代表)の当選をかちとろう。長谷川氏の決意と訴えを紹介します。(編集局)

 中国人民と連帯、小泉=奥田と闘う

 今年の都議選はかつてない重大な情勢のもとで闘われます。何よりも今、中国人民が日本の帝国主義的な侵略を激しく弾劾して立ち上がっています。これに日本の労働者人民は何をもってこたえるのか。「つくる会」教科書採択絶対阻止、ファシスト石原打倒の闘いの爆発をもってこたえること――このことが今度の都議会議員選挙で真っ向から問われています。
 中国人民は何に怒り、何を訴えているのでしょうか。まず重大なことは、小泉政権がアメリカ・ブッシュ政権と一体となって北朝鮮・中国との軍事対決を強め、体制転覆の侵略戦争の準備に踏み出したことです。中国人民はそれをひしひしと感じて、危機感と怒りを爆発させているのです。
 この間のブッシュ政権や日本政府の強硬な対応の背景には、明らかに戦争への踏み切りがあります。いや、もう侵略戦争は開始されていると言って過言ではありません。
 それと同時に、日本の企業は中国スターリン主義政権の反人民的な「改革・開放」政策のもとで、どんどん中国に進出し生産拠点をつくっています。その企業が日本人の賃金の20分の1から30分の1という超低賃金で中国の労働者を働かせているのです。しかも仕事中はトイレにも行かせない、私語は禁止、違反者は賃金カット、仕事が終わっても寮から出さない、労働争議は暴力で鎮圧するという労働監獄の中で、日本の進出企業はばく大な利益を上げているのです。
 中国で労働者を植民地主義的に搾取・収奪している日帝資本は、日本の労働者に対しても「発展途上国並みの賃金にする」と叫び、徹底的なリストラ・賃下げ・首切りを行っています。日中の労働者を徹底的に搾取し、互いに敵対させ、無限の賃下げ競争をさせてぼろもうけしているのが、日本経団連・奥田ら日本の帝国主義資本です。
 この奥田ら日本の支配階級こそ、日中労働者の共通の敵です。中国の日系企業の労働者は、ついに怒りのストライキに立ち上がりました。日本の労働者は、今こそ中国の労働者とともに日帝奥田・小泉打倒に立ち上がる時です。
 デモ隊のプラカードには、「打倒・日本帝国主義」が掲げられています。中国の青年・労働者は、日本政府と日本企業の植民地主義的な振る舞いを見て、「日本は何も変わっていない。帝国主義そのものではないか」と厳しく弾劾しているのです。
 本当に1930年代に立ち戻ったような状況です。中国人民の抗日闘争の高まりに直面して日本政府・小泉首相は、日本大使館や日系店舗がデモで損害を受けたからと謝罪や賠償を要求しています。そして「いつまで過去にこだわるのか。未来志向でいくべきだ」などと恥知らずな居直りに終始しています。
 かつて30年代に日本は、侵略に反対する中国人民の闘いに対して、「中国をこらしめる」「日本の権益を守る」などと言って軍隊を増派し侵略戦争を拡大していったのです。今の小泉政権は、本質的に同じような対応をしているのではないでしょうか。
 他方、日本共産党もまた、「どんな事情であれ、暴力はよくない」とか「中国人民は、過去と現在を区別すべきだ。日本の侵略は過去のこと。今は違う」などと言っています。日本の対応が批判されているのに、「中国の側に問題がある」と言っているのです。こんな対応はまったく間違っています。「労働者階級の党」の立場を完全に投げ捨てています。
 中国人民が歴史認識を問題にしているのは、けっして過去のこととして問題にしているのではありません。日本政府が中国人民に対して謝罪も賠償も反省もしない、いやそれどころか、首相が先頭に立って靖国神社を参拝し「英霊」に頭を下げる、「つくる会」教科書を検定合格させるという動きが、新たな中国侵略戦争の動きと一体だからです。そのことを中国の人民は問題にしているのです。
 かつて日本は、朝鮮・台湾を植民地支配し、中国・アジア侵略戦争を15年以上にわたって繰り広げました。悲惨・残虐な侵略戦争への反省から、1945年の敗戦直後に日本は、戦争への歯止めをいろいろとつくりました。一切の戦力を持たない、思想・言論の自由を保障すると誓った憲法、労働者の権利を定めた労働組合法と労働基準法、平和と個人の尊厳を教育の基本理念とし国家は教育内容に介入してはならないと定めた教育基本法などです。地方自治法も戦争への歯止めでした。
 ところが、小泉政権はそうした歯止めを次々と取り払い、大日本帝国憲法のもとで人民が抑圧された明治から戦前の日本国家を称賛して再び戦争への道を突き進んでいます。それは、国家・天皇のために一切の人権が否定され、人民の命が紙のように軽く扱われる時代への逆戻りです。
 私は体を張ってこの戦争への流れをくいとめなければならないと思い、都議選への立候補を決意しました。皆さん、ともに闘おうではありませんか。

 教え子を再び戦場に送る「教科書」

 また重大なことは、東京都の石原知事が、国の戦争政治の先頭を走って、中国や北朝鮮との戦争をあおり、仕掛けていることです。つい先日も石原知事は週刊誌で「尖閣列島で中国と戦争せよ」と叫びました。中国人民の抗日闘争の爆発の中で、石原知事の中国敵視発言はますますエスカレートするばかりです。
 1200万都民の生活、社会福祉に最大の責任を持ち、年間10兆円もの予算の執行権を握っている都知事が、「中国と戦争をやれ」「中国を6分割せよ」「北朝鮮政権を崩壊させよ」と叫んでいるのです。なんというおそるべきことでしょうか。ナチス・ヒトラーが都知事の座に座っているようなものです。絶対に許すことはできません。都議選の勝利をもって、このファシスト石原知事に大打撃を与えましょう。そして都知事の座から引きずり下ろしましょう。それが、今度の都議選の重大な決戦課題であります。
 この石原知事と同じ、ファシスト的な戦争賛美、戦争推進のイデオロギーでつくられたのが「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書です。
 「つくる会」教科書は、怒りなしには読めない内容です。戦争に行き着いた大日本帝国憲法と教育勅語を賛美し、15年間の侵略戦争を「自存自衛の戦争」「アジアの解放戦争」と全面的に賛美しているのです。平和の尊さを教えるのではなくて、「国家が生き延びるためには戦争も必要」「国家と天皇のために命を捧げることは尊いこと」と、支配階級に都合のよいイデオロギーを振りまくものです。「社会には差別があって当然」と弱肉強食、生存競争をあおっています。一言でいえば「教え子を再び戦場に送る教科書」なのです。こんな教科書で子どもたちを教育するなんて、到底認められません。
 杉並区の山田宏区長は、石原知事と同様のファシストです。かつての15年侵略戦争を「大東亜戦争」と呼び、「特攻隊に感謝せよ」と杉並区の成人式で叫ぶような人物です。この山田区長と杉並区教育委は、極右の衛星テレビ局「桜」を後援して「つくる会」の運動を支えているのです。そして7月に開く区教育委員会で、「つくる会」歴史教科書を採択して、杉並区の中学校で使わせようとしています。絶対に許してはなりません。
 4年前の採択の時は、多くの区民が立ち上がり、「つくる会」教科書の採択を阻みました。杉並の闘いは全国の運動の大きな力となり、韓国・中国にも伝えられました。
 しかし、今年の状況は前回4年前よりもはるかに厳しくなっています。それは日本が多国籍軍派兵でイラク侵略戦争に参戦し、さらに対北朝鮮、対中国の戦争に動き出しているからです。「つくる会」教科書を使って、労働者人民を戦争に動員していくことがどうしても必要になっている。だから政府・文科省、財界が一丸となって「つくる会」教科書を応援し、いわば「国定教科書」として全国に拡大しようとしているのです。
 ですから今年の教科書採択は決戦です。とりわけ杉並区は、「つくる会」の側も絶対に勝たなければならない拠点地区として狙いを定めており、ファシストとの決戦場です。全国的攻防の焦点です。杉並区民と全国の総力を結集して採択を阻止しましょう。

 介護と福祉の切り捨てを許さない

 さらに私は「介護と福祉を要求する杉並住民の会」の皆さんとともに闘ってきました。お年寄りが直面している状況は本当に深刻です。国と都・区は高齢者の生活と生命の保障の責任をすべて投げ出そうとしている。どんどん手を引き、突き放しているのが現実です。
 介護保険制度は5年目の見直しで、多くの人びとから生活援助介護を奪い、自己負担分を増やすなど、一層改悪されようとしています。高い保険料を年金から天引きされながら、給付はさらに狭められるのです。「自助努力」「自己責任」論とは、福祉の切り捨て以外の何ものでもありません。金のない人間は早く死ねというやり方です。怒りに堪えません。
 小泉政権は、「少子高齢化で社会保障財源が底をつく」「このままでは国家財政がパンクする」、だから年金保険料の値上げだ、給付の削減だ、医療費は自己負担増だ、介護保険制度も改悪すると言っています。消費税をなんと18%にせよと財界は提言しています。そのくせ、年金保険料の企業負担(2分の1)はやめるというのです。
 だが、ちょっと待ってください。「財政危機」と言いながら、防衛予算はどうでしょうか。自衛隊のイラク派兵に1日1億円、在日米軍のために1日6億円、違憲の自衛隊に1日164億円も使っているのです。その一方で高齢者や「障害者」、労働者の最低限の生活保障を次々と取り払っている。労働者階級から搾り取った税金をトヨタとか三菱とか大銀行など、ほんの一握りの大企業の利益と軍隊・戦争のために注ぎ込んでいる。これが今の日本国家、小泉政権とファシスト石原都政の現実ではないですか。
 93歳のYさんは、6年前から来ているヘルパーさんに「今度法律が変わると来れなくなる」と言われて大変不安がっています。少しずつ福祉が切り捨てられていく現実に直面して、Yさんは「関東大震災にあって、戦災にあって、年をとったら早く死ねということなのね」と政治への怒りを語っています。お年寄りを大切にしない政治のあり方は、本当にひっくり返さなくてはなりません。
 国が戦争に向かう時、労働者の生活と権利、命はどんどん踏みにじられていきます。「天皇のため、お国のために」と我慢を強いられ、犠牲を強いられた戦前の戦争政治、国家主義教育の行き着いた先は何だったでしょうか。2千万アジア人民の虐殺であり、310万の日本人民の死でした。東京大空襲であり、沖縄戦、ヒロシマ・ナガサキでした。
 今、日本の政治の流れは、明らかにかつてと同じ方向を向いています。アメリカも日本もそうですが、行き詰まった帝国主義の体制が、戦争を不可避なものとしているのです。
 小泉と日本経団連・奥田体制のもとで日教組、全逓、自治労、国鉄など戦後の階級的労働運動を牽引してきた公務員系の労働組合を、ここ2〜3年で一掃するという恐るべき攻撃が強まっています。これも戦争体制づくりの重大な攻撃です。こうした攻撃を全力ではね返さなければ、21世紀の未来は展望できません。
 戦争の時代を二度と繰り返さないために、労組破壊の攻撃を労働者の団結で跳ね返し、逆に労働者階級が主人公となる政治と経済・社会のあり方に根本から変えていかなければならないと思います。石原都政と闘い、今度の都議選をその大きな一歩としましょう。
 私たち都政を革新する会は、国や区、都に対して必要な介護保障を要求して粘り強く闘ってきた「杉並住民の会」の皆さんと力を合わせ、今後とも介護・福祉要求の実現に向けて全力で闘ってゆく決意です。

 都議会の中に労働者の闘う拠点を 

 「東京から日本を変える」と石原知事は息巻いています。憲法を破り、教育基本法を踏みにじり、日本を戦争国家につくり変える先頭に立つという意味です。
 都立大学をつぶして4月に首都大学東京が創立されました。石原知事は「自衛隊・警察に体験入隊すれば、その1年間を大学の授業に出たことにする」などと2月の記者会見で語りました。これはもう、「学徒動員」「徴兵制」ではないですか。本当に許せません。
 でもファシストは、心底では労働者階級の団結した闘いをもっとも恐れているものです。労働者が団結して対決した時、ファシストが弱さをさらけ出し、うち倒すことは必ずできるのです。
 石原知事の足下から反乱は始まっています。処分をも辞さず「日の丸・君が代」強制に反対して闘う教育労働者が、この春も卒・入学式で60人以上が不起立を貫きました。被処分者の陣形が昨年よりもっと拡大したのです。この闘いを守り、連帯し、広げていきましょう。
 国会も同じですが、今の都議会に労働者階級の党が一つも存在しない。日本共産党は、「日の丸・君が代」強制反対闘争への対応でも明らかなとおり、天皇制とファシスト石原に完全に屈服しています。絶対に、闘う労働者の味方ではありません。「日の丸・君が代」強制反対で教育労働者が職をかけ、人生をかけて不起立を闘っている時に、地元の学校の卒業式に参列していながら、連帯して不起立を貫いた議員が一人もいないのです。だから私は心から、労働者とともに闘う議員でありたいと思っているのです。
 私は1938年に長野県軽井沢で生まれました。敗戦の時は7歳でした。戦争を二度と再び繰り返してはならないというのが、私の痛切な思いであります。そのために私は、会計検査院に勤めていた時に労働組合にかかわって以来40年あまり、反戦平和の運動を続けて来ました。今、その私自身にとっても正念場が訪れたと思っています。
 日本の帝国主義が再び朝鮮・中国・アジアに侵略戦争をおこし、国家によって人権がじゅうりんされる時代を許すのか、それとも労働者人民の運動を前進させ、労働者が主人公の社会をつくり出すのか。今度の都議選は、この歴史選択をかけた重大な決戦です。何としても勝利しなければなりません。
 労働者の反転攻勢は力強く始まっています。動労千葉の春闘ストライキ、全金本山労組の34年間の闘いの勝利は、労働者が原則的にねばり強く闘えば、必ず勝利できる展望を示しています。
 戦争政治をくいとめ、社会を変えていく最大の力は、労働者階級の団結した闘いです。都議選に勝利し、都議会に労働者の闘う拠点をつくろう。その力で、闘う労働運動を力強く前進させましょう。
 私は杉並区議18年、都議4年の経験をフルに生かして、また労働運動から多くを学んできた経験を生かして、議会でファシスト石原と闘い、その打倒のために全力を尽くします。議会と労働運動、労働組合が結びついて闘っていくことをめざします。その力で首都の、そして全国の労働運動の力関係を変えようではありませんか。とりわけ青年労働者の皆さん、ともに闘いましょう。

 □ 長谷川英憲氏のプロフィール □

 1938年、長野県軽井沢に生まれる。18歳の時、会計検査院に就職。働きながら早稲田大学第二政経学部に学び、労働組合の青年部副部長、書記長として職場闘争、60年安保闘争を闘う。労働運動出身の議員として1967年以来、杉並区議18年。1989年、都議に初当選。1期4年を務める。現在、都政を革新する会代表。(写真は3月30日、介護全国ネットの厚生労働省交渉で)

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週刊『前進』(2196号8面1)(2005/05/02)

 侵略戦争と明治国家を賛美し「お国のために死ね」と教える

 「つくる会」教科書全面批判

 坂本千秋

 4月5日、文部科学省は2006年度から使用する中学校用教科書の検定で、扶桑社の「歴史」教科書と「公民」教科書を合格させた。この二つの教科書は、ファシスト集団「新しい歴史教科書をつくる会」が日帝の侵略と戦争の歴史を徹底して美化し、子どもたちを再び戦争に駆り立てるために作成したものだ。この「つくる会」教科書を始めとして、日帝が今日、憲法9条をも公然と破棄し、新たな侵略戦争・世界戦争にのりだしていることに、朝鮮・中国・アジア人民の激しい怒りと「打倒日本帝国主義」の叫びが上がっている。日本の労働者階級人民は、彼らの怒りの決起に連帯し、侵略戦争を帝国主義打倒の内乱に転化するために、今こそ全力で立ち上がる時だ。東京・杉並は「つくる会」教科書採択攻撃の最大の焦点となっている。戦争賛美の教科書採択を絶対阻止し、日帝・小泉=奥田路線の最先兵であるファシスト石原都政打倒・都議選勝利の決戦に立ち上がろう。

 第1章 戦後的な価値観と体制の解体に全力を挙げる日帝

 「つくる会」の教科書が意味するものは、単に過去の侵略と戦争の歴史を美化するにとどまるものではない。それは何よりも、今日の日帝がすでに開始しているイラクへの侵略戦争や、北朝鮮・中国への新たな侵略戦争・世界戦争を真っ向から正当化するものだ。日本の労働者階級人民を今始まったこの戦争に動員するために、「侵略も戦争も正しい」「帝国主義の行うことはすべて正義だ」と子どもたちに教え込むための教科書なのである。
 今日、中国で、韓国で、激しく燃え上がっている闘いは、日本帝国主義の再侵略と日帝資本の過酷な搾取・抑圧に対する怒りの爆発である。日本政府やマスコミは言うに及ばず、日本共産党までが「過去と現在を一緒にするな。日本が今、中国に侵略しているわけではない」と言って中国人民非難の大合唱に加わっているが、とんでもないことだ。日中両国の人民にとって現在の情勢は、15年にわたる日帝の中国侵略戦争の引き金となった1931年の柳条湖事件(いわゆる「満州事変」)の前夜にも匹敵する、実に恐るべき情勢である。
 これに対して中国の労働者と農民は、スターリン主義の制動を突き破って、反帝国主義・民族解放の新たな歴史的決起をついに開始した。日本の労働者階級はなんとしてもこれと連帯し、国際的な単一の軍勢として、日帝の侵略戦争を帝国主義打倒の内乱に転化する闘いに全力で立ち上がらなければならない。第2次大戦に至る破滅の道を二度と繰り返してはならないのだ。その突破口が、小泉政権と日本経団連・奥田による戦争と民営化攻撃を絶対に阻止する闘いであり、とりわけ現在の最大の焦点となっている、この「つくる会」教科書をめぐる決戦だ。
 日本の帝国主義ブルジョアジーは今、本気で世界戦争の道に踏み出している。アメリカ帝国主義・ブッシュ政権と組んでイラク侵略戦争を強行し、その中東全域への拡大を狙うとともに、続いて北朝鮮・中国侵略戦争への突入を狙っている。そのために日米安保の大改定と米軍の世界的再編(トランスフォーメーション)を推進し、朝鮮半島有事と台湾有事を口実にした軍事介入の機会をうかがっている。朝鮮固有の領土・独島(=「竹島」)や中国領・釣魚台(=「尖閣諸島」)の略奪にも示されるように、領土拡張への野望をもむきだしにしている。国連安保理常任理事国入りを宣言し、アジアの覇権を握る帝国主義として登場しようと全力を挙げている。
 さらに、有事法制の制定に続いてこの05〜07年にかけ、教育基本法の改悪と、憲法9条の撤廃を中心とする改憲攻撃をついに日程に上せてきた。大民営化攻撃と社会保障制度や労働法制の解体、共謀罪導入など治安弾圧体制の再編強化を軸に、労働者階級のあらゆる抵抗を圧殺して、第2次大戦以前のような国家と社会を復活させようとする攻撃を激化させている。
 その一切は、今日の資本主義・帝国主義の世界史的な危機の深まりの中で、大恐慌の爆発におびえ、米欧帝国主義による世界経済のブロック化の進展に追いつめられた日帝が、アジア諸国を再び日帝の排他的な勢力圏として、植民地・従属国として確保しようと狙って猛然と動き出したことによるものである。米帝ブッシュのイラク戦争突入というきわめて激しい世界戦争政策の展開は、それに決定的な拍車をかけた。日本経団連が本年1月に出した提言は、戦争国家への大転換を早急になしとげ、海外派兵を展開し、軍事力で他国をねじふせられる力を一刻も早く持たなければ、今の世界で日本は生き残れないと叫んでいる。
 だが、労働者階級がこんなことを許せるわけがない。外への侵略戦争は内への階級戦争であり、国内の労働者人民をも極限的な搾取と暗黒支配にたたき込むものだ。すでに、既成の野党や組合指導部の屈服と妨害を突き破って、一人ひとりの労働者の全人格をかけた戦争協力拒否の決起が続々と始まっている。「日の丸・君が代」の強制を拒否する教育労働者の不屈の闘いや、動労千葉の春闘ストライキはその最先端だ。
 この中で、日帝はその焦りをいよいよつのらせ、労働者階級の抵抗の基盤そのものを完全にたたきつぶし、「侵略や戦争はよくない」としてきた戦後的価値観を根こそぎ解体・一掃することなしにはもはや一歩も進めないという危機感にかられている。そのために、4大産別への攻撃をしかけて労働組合と労働運動の全面的な破壊・解体に突き進むとともに、石原都知事を先頭としたファシスト勢力を前面におしたて、一切の戦後的な諸制度と価値観の暴力的な破壊にのりだしてきているのだ。その最大の攻撃が教育であり、「つくる会」教科書なのである。
 そこでは、大人たちが依拠してきた第2次大戦後の「平和と民主主義」の価値観を真っ向から否定し攻撃して、侵略も戦争も当然だ、逆に戦前の天皇制国家のような国と社会こそが理想的なんだというとんでもない思想を子どもたちに吹き込むことが狙われている。そして、教育の場がこのようなファシスト的イデオロギーによっていったん支配されることを許すならば、次には全社会がそれによって支配されていくことになるのだ。まさしくこの教科書攻撃を許しておいて、戦争反対も改憲阻止もありえない。「つくる会」教科書粉砕の決戦こそ、教基法・改憲決戦そのものだ。
 以下、今回の「つくる会」教科書の全面的な暴露と批判を行い、闘いの一助としていきたい。ここで対象にしたのは検定通過前の申請段階のものである。新聞報道によれば「歴史」で124件、「公民」で75件の検定意見がついて一定の修正がなされたと言われているが、基本的内容にほとんど変わりのないことは、前回(2001年)の検定時の例をみても明らかである。
 その上で今回の教科書は、2001年版と比べても一層悪質で、今進行している侵略戦争と改憲攻撃に百パーセント沿った内容となっている。その意味でも、絶対に粉砕しなくてはならないものだ。「つくる会」が最大の突破口と狙う東京・杉並での採択を絶対阻止し、この闘いと都議選決戦とを結合し、これを逆に「つくる会」とファシスト石原打倒の一大決戦に転化して闘おう。全国で「つくる会」教科書への怒りを爆発させ、教育労働者を先頭に、全労働者階級の総力決起で必ず勝利を切り開こう。

 第2章 「大東亜戦争」を全面美化するウソと歪曲の「歴史」

 最初に「つくる会」の「歴史」教科書から見ていこう。具体的な中身に入る前に、まず「歴史を学ぶとは」と題して、この教科書全体を貫く考え方が書かれていることが重大である。
 そこでは、歴史を学ぶ目的は過去に何が起きたかを知ることではなく、「過去におこったことの中で、過去の人がどう考え、どう悩み、問題をどう乗り越えてきたのか、つまり過去の人はどんな風に生きていたのかを学ぶことだ」と言っている。しかもこの「歴史」とは自分自身と「血のつながった先祖の歴史」だとされている。これは、階級社会としての日本の歴史を世界史の中で科学的・総合的・立体的にとらえるのではなく、徹底した自国中心史観に立ち、その立場から逆に世界を見よ――とするものだ。日帝の侵略と戦争で何が起きたかなど知る必要はない、当時の日本人がそれをどう考えたのかが重要だ、と言っているのだ。この観点で日本の歴史の一切を観念的に肯定・美化し、ねつ造して描き出しているのがこの教科書なのである。

 明治国家の領土拡張を礼賛 帝国主義列強参入を誇る

 「つくる会」歴史教科書の核心問題は第一に、明治期から第2次大戦にいたる日帝の侵略と戦争の全歴史を、資本主義の帝国主義段階という弱肉強食の世界の中で、日本が生き残るためには絶対に必要なことだったのだと言い切っていることだ。後発帝国主義としての日帝が、朝鮮半島と中国への侵略を踏み台にして列強の一員にまでのし上がったことを誇らしげに押し出し、日本の近代史を帝国主義列強を軸にした国家間・民族間の一種の生存競争の歴史として社会ダーウィニズム的に描き出し、その中で日本はよく頑張った、これは偉大なことだったとしているのだ。まさに帝国主義の強盗の論理を前面に押し立て、ウルトラな帝国主義的民族主義と国家主義、愛国主義をあおっている。
 さらには、米英帝国主義とアジア・太平洋の支配権をめぐって真っ向から激突して争い、第2次大戦を仕掛けていったことをも“偉大な挑戦”として美化し、そのようなことができる国家にもう一度していかなければならない、このままでは日本は滅びると、激しいアジテーションを展開しているのだ。
 その前提として語られているのが、明治維新と明治国家に対する度はずれたデマと礼賛である。「明治維新とは何か」というコラムの中で、「中国・朝鮮と日本の分かれ目」と題して、日本は明治維新でいち早く近代化を達成して欧米列強の植民地化から逃れたが、中国(清)や朝鮮はそれができなかった、日本は優れた国なのだという主張をとうとうと展開している。そして「明治維新によって身分制度は廃止され、四民平等の社会が実現した」と書き、あたかも特権階級は消えてなくなり、自由・平等の民主主義的社会が生まれたかのように言いなすのだ。しかも「こうした変化は、ヨーロッパのどの国と比較しても、いちばん徹底したものだった」などと、とんでもないデマを恥ずかしげもなく述べている。
 さらに、1889年制定の大日本帝国憲法が、当時の世界で最も近代的で民主主義的な憲法であったかのような、これも開いた口がふさがらないような大ウソを平然と書いている。これは「公民」教科書の記述とも共通している。「天皇は神聖にして侵すべからず」(大日本帝国憲法第3条)とされ、政治・軍事の絶対的な独裁権を掌握し、労働者人民はその前にひたすらはいつくばる存在とされていたのが戦前の天皇制国家ではないか。その明治憲法を「聞きしにまさる良憲法」として、国内はもとより西欧諸国からも称賛されたなどとしているのだ。
 この明治憲法と明治国家の賛美は、朝鮮・中国への蔑視(べっし)と一体であり、日本がアジアを侵略して帝国主義列強の一員にのし上がっていったことを、当然であり必要なことだったと描き出すためのものだ。日本は「強い国」「優れた国」であり、だからこそ生き残れたのだ、その日本がアジアの「弱い国」「遅れた国」を服従させて支配していくのは当然だとする、資本主義・帝国主義の弱肉強食の論理と他民族抑圧の論理を公然と押し出していくのである。
 そして朝鮮・台湾への出兵も、日清・日露戦争も、その観点からすべて合理化し正当化する。「朝鮮半島全体が日本に敵対的な大国の支配下に入れば、日本の独立はあやうくなる」、とりわけ「ロシアの支配下に入れば、日本を攻撃する格好の基地となり」などと言い、朝鮮侵略を開き直る。日清戦争は清国の日本への敵対が原因だ、日露戦争は「日本の生き残りをかけた戦争」だったとし、バルチック艦隊との日本海海戦を「有色人種の国日本」が「白人帝国ロシア」に勝利した世界史的壮挙として描き出す。さらに、韓国併合は「日本の安全と満州の権益を防衛するため」に必要だったと強弁し、中国東北部への侵略と「満州国」デッチあげは「日本の安全と権益がおびやかされていた」からだとしていくのだ。
 これは、単に過去の歴史のことを語っているのでは断じてない。今現在、日帝が米帝と組んで開始している新たな侵略戦争・世界戦争を、まさにそうした同じ論理で真正面から正当化していくためのものである。とりわけ北朝鮮・中国侵略戦争への突進を、「日本にとって必要な戦争」「国としての生き残りをかけた戦争」としてとことんあおり、すさまじい排外主義と好戦主義を子どもたちにたたき込んでいくことこそが狙いなのである。必要ならどんな侵略戦争も、世界戦争でも何でもやるべきだという思想を全力でたたき込もうとしているのだ。

 「排日運動」に責任押しつけ侵略の歴史をすべて居直る

 だが、明治以来のそうした日本の近代史が、最後に行きついた先は何であったか。1945年の無残な敗戦であり、国全体が焦土と化した現実である。それはアメリカ帝国主義への敗北であっただけではない。日帝が限りなく見下してきた朝鮮・中国・アジア人民、とりわけ中国人民の反帝国主義・民族解放闘争への歴史的大敗北としてあった。それは日本の帝国主義が帝国主義であるからこそ、自ら必然的に招いた破産、破滅であったのだ。そのことは今日の日帝をも、依然として強く縛りつけている。
 この呪縛を解き放ち、第2次大戦以前の日本国家を再び「誇るべきもの」として子どもたちの前に押し出すためには、歴史の真実、とりわけ侵略と戦争の真実を徹底して押し隠す以外ない。歴史を最初からねつ造する以外ないのだ。これがこの教科書の第二の核心問題である。
 その第一は、日帝による朝鮮・中国・アジア人民に対する侵略と侵略戦争の歴史の全面的な改ざんと、百パーセントの居直りである。
 一つには、「欧米列強の領土拡大政策」は「帝国主義」でありアジアを「植民地化」するものだったと言いながら、日本が朝鮮・台湾に対してやったことはそれとはまったく異なる正当なものであるかのように描き出していることだ。そもそも日帝の朝鮮・台湾支配を「植民地」とは絶対に言わず、認めない。それどころか「近代化を助けた」ものだなどと、卑劣にも強弁している。
 「日本は、朝鮮の開国後、その近代化を援助した」「韓国併合のあと置かれた朝鮮総督府は、鉄道・灌漑(かんがい)の施設を整えるなどの開発を行い、土地調査を開始し、近代化に努めた」と。日帝が土地調査事業によって朝鮮農民の土地を奪い、米を奪い、銃剣で支配し、民族の言語や文化や名前さえも奪った残虐きわまりない植民地支配をすべて“朝鮮のためを思ってやったことだ”として正当化している。また台湾総督府の日本人が「台湾の開発に力をつくし」、現地住民からいたく感謝されたなどというデッチあげ話を得々として書いている。日本が朝鮮や中国・台湾を支配する側に立つのは当然だと言いたいのだ。
 二つめには、中国侵略戦争への突入とその泥沼化の原因はすべて中国の「排日運動」にあるとして、一切の責任を中国人民の側になすりつけたことである。
 その手口も実に卑劣である。まず、1915年に日帝が中国に突きつけた「21カ条の要求」に典型的に示されるような、中国の領土・資源を略奪し中国を日本の属国にしようとする策動を何の問題もないかのように平然と居直る。そして「中国側は、列強の介入を期待して極秘の交渉内容を内外にもらし……正式な要求事項でないものをふくめて『二十一か条要求』と名づけたので、中国国内の反日世論は高まった」と、日帝の不当無法な要求に中国人民が怒りを爆発させたことを逆に非難さえしている。
 そして1919年の五・四運動後の民族解放闘争の発展について、「中国に権益をもつ外国勢力を排撃する動きが高まった」「それは、列強の支配に対する中国人の民族的反発だったが、暴力によって革命を実現したソ連の共産主義思想の影響も受けており、過激な性格を帯びるようになった」、とりわけ「日本人を襲撃する排日運動が活発になった」と、敵意と憎悪を込めて描き出す。ここで外国の「権益」はなんら批判の対象ではなく、当然の権利のように書かれている。
 その上で、1931年の柳条湖事件と中国東北部への侵略について、関東軍が満鉄の線路を爆破し、それを中国側のしわざとデッチあげて戦争に突入していったことを認めながら、その背景にはこの「排日運動」の爆発があったとしていくのだ。「列車妨害や日本人学童への迫害などが頻発した」と言い、「邦人二名暴民に奪はる」と排外主義を扇動する当時の新聞や、「満鉄沿線で発生した事件の件数」のグラフ入りの地図までのせ、日本こそ被害者であるかのように、あべこべに描き上げるのだ。黒を白と言いくるめるとはこのことだ。
 そもそも日帝の言う「権益」とは、日帝が中国に侵略し、中国人民から武力で強奪したものにほかならない。他国にのりこんで好き勝手な強盗行為を働いておきながら、強盗に襲われた側が必死の抵抗に立ち上がったことに対して、これに「懲罰を加える」と言って侵略戦争を仕掛けていったのが当時の日帝だ。この「対支膺懲(ようちょう=こらしめる)」というスローガンを全面的に正当化し、中国に対しては何をやってもかまわないと開き直っているのが、今回の「つくる会」教科書なのである。
 三つめは、南京大虐殺や軍隊慰安婦問題、強制連行、731部隊による人体実験や細菌作戦など、15年戦争下での日帝による朝鮮・中国・アジア人民に対する残虐きわまりない加害の事実を、ことごとく否定し抹殺し尽くしたことだ。
 日本軍軍隊慰安婦に関する記述は今回、ついに全教科書から抹殺された。「つくる会」はこれを「成果」と賛美している。アジア各地に展開した日本軍が占領した地域に「慰安所」を設置し、朝鮮女性20万人を始めとする数知れない女性たちを強制的に連行し、極限的な性暴力の犠牲としていった事実は、第一級の戦争犯罪としてどんな申し開きもできないものだ。だからこそ「つくる会」のファシストや日本の帝国主義者は、この事実自体を歴史から完全抹殺することに全力を挙げてきたのである。
 「つくる会」教科書はその上に、南京大虐殺についても「この事件の実態については資料の上で疑問点も出され、さまざまな見解があり、今日でも論争が続いている」と、大虐殺の事実そのものが限りなく不確かであやしいもののように思わせようとしている。「殺し尽くし、奪い尽くし、焼き尽くす」という「三光作戦」を展開し、その頂点として凶行されたのが、犠牲者30万人とも40万人とも言われる南京大虐殺だ。こうした日帝による戦争犯罪をすべて抹殺することで「天皇の軍隊」を虐殺や虐待とは無縁であったかのように描き出し、美化して子どもたちに教え込もうとしているのだ。
 四つめには、日帝自身の植民地支配と中国侵略戦争をそうした形で居直りながら、他方で太平洋戦争についてはこれを「大東亜戦争」と呼んで、欧米の植民地支配からアジアを解放するための戦争だったかのように歪曲し、デッチあげ、全面美化して描いていることだ。
 「(真珠湾攻撃に始まる)日本の緒戦の勝利は、東南アジアやインドの人々に独立への夢と希望を育んだ。東南アジアにおける日本軍の破竹の進撃は、現地の人々の協力があってこそ可能だった」などと言い、「アジアの人々を奮い立たせた日本の行動」「日本を解放軍としてむかえたインドネシアの人々」と、歯の浮くような自画自賛の言葉を並べている。日帝が軍事占領した地域から一部の親日分子のみをかき集めて開催した「大東亜会議」を持ち出して、「大東亜共栄圏の建設」という日帝のスローガンをあたかも全アジアの総意のように描くのだ。
 このことは、日帝の最大の狙いが武力による東南アジアの石油の略奪にあったことを隠すものだ。すなわち、太平洋戦争が、米英と日本の帝国主義強盗同士がアジア・太平洋の植民地の再分割をめぐって真っ向から激突した帝国主義戦争であったことを押し隠し、ファシスト的に転倒させて描き出すものである。

 ヒロシマも沖縄戦も教えず殺りくと破壊の歴史を消す

 こうした侵略の歴史の徹底した否定・改ざんと並んで、いまひとつの重要な特徴は、戦争でアジア人民が受けた膨大な犠牲について何ひとつ語らないだけでなく、ヒロシマ・ナガサキ、沖縄戦、東京大空襲など日本人民の受けた被害についてもほとんど何も教えようとしていないことである。帝国主義戦争がどんな殺戮(さつりく)と破壊の地獄をつくりだしてきたかを、歴史の事実としてもとことん抹殺している。
 日帝が中国大陸と全アジアで繰り広げた侵略戦争・帝国主義戦争は、その結果として、侵略戦争に動員された日本の労働者人民にも多大の犠牲をもたらした。アジア人民2000万人を虐殺した戦争により、日本人民の死者も310万人にのぼった。そのうち戦場で死んだ者は240万人、しかもその6割が戦闘による死ではなく、飢えに苦しんだ末の無残な野垂れ死にを強いられた。その上にさらに、東京大空襲を始め全国各地の空襲があり、沖縄戦があり、そしてヒロシマ・ナガサキがあった。
 日本の労働者階級人民は、この深刻な体験を経ることによって初めて、15年戦争の全体を階級的にとらえ返すことが可能となり、それが徹頭徹尾不正義の帝国主義侵略戦争であったことをも、戦後の階級闘争の中であらためて自覚するに至ったのだ。そしてこんな戦争をもはや二度と繰り返してはならないと固く誓って戦後の60年を歩んできた。だが「つくる会」教科書は、戦争へのこの反省を丸ごと投げ捨てることを、すべての教育労働者と人民に迫るものである。逆に、戦争とはそんなに悪いものではない、むしろ戦争で国のために死ぬことは美しいことでもあるのだと、子どもたちに教えよと強制しているのだ。
 実際に、ヒロシマ・ナガサキについては、アメリカが「広島と長崎に原爆を投下した」との記述が一言あるだけで、許せないことに死者の数すら書いていない。広島で14万人、長崎で7万人が一瞬のうちに灰となった地獄のような光景も、その後の半世紀にわたる被爆者の苦しみについても何ひとつ触れようとしない。東京大空襲もわずか1行だけである。助けを求めながら火に包まれて焼け死んでいった人びとの、その具体的な惨状の記述は一切ない。
 沖縄戦についても、「米軍は沖縄本島に上陸し、日本軍の死者約9万4千人、一般住民の死者も約9万4千人を出す戦闘の末、2か月半のちに沖縄を占領した」という2行半の記述があるだけだ。しかもこの数字はまったくのウソであり、一般住民の死者の方がはるかに多く、当時の全住民の3分の1、15万人にも達したという事実をねじまげる悪質なデマを流すものだ。日本軍が少年少女までをも「ひめゆり部隊」や「鉄血勤皇隊」として戦闘の最前線に駆り立てた事実、“軍が生き残るため”と称して住民の食糧を奪い、壕(ごう)から追い出し、住民をスパイ視して虐殺し、果ては「集団自決」という名の肉親同士の凄惨(せいさん)な殺し合いさえ強要した事実は、すべて抹殺されている。

 「滅私奉公」の強要を美化し弾圧や言論統制には触れず

 第三に、戦時中の国家総動員体制についても、それが労働者階級人民への極限的な抑圧の上に成り立っていた実態を徹底的に隠蔽(いんぺい)し、とことん美化するものとなっている。弾圧や強制など一切なかったように、すべて人民の側からの自発的な戦争協力として行われたかのように思わせようとしているのだ。そして、それと結合して、「天皇のため、国のために死ぬ」ことを最高とする価値観を、「国=公共の利益」と言い換えて強力に押し出し、再び子どもたちの心に植えつけようとしている。
 15年戦争は日本の労働者階級人民を、さらには全社会をどんな恐るべき状態にたたき込んだか。思想・表現の自由や言論の自由はもちろんのこと、学問の自由もすべて完全に圧殺された。特高警察という名の思想警察・秘密警察が人民の生活をすべて監視し、戦争に反対する者は片端から逮捕・投獄され、横浜事件が示すような残虐な拷問によって屈服と思想転向を強いられた。
 それだけではない。「大本営発表」による情報操作と徹底した言論統制のもとで、戦争の真実を何も知らされないまま戦場へ、軍需工場へと動員され、昼も夜もなく一身を犠牲にして天皇のために命を捧げよ、身を粉にして働けと強要された。一切の労働争議は禁圧され、労働組合は解体されて「産業報国会」となり、どんな過酷な労働条件を強制されても抗議の声を上げることさえできなかった。少しでも不満をこぼしただけで「非国民」として容赦なく弾圧されたのだ。
 だが「つくる会」教科書は、これらの事実について一切語らず黙殺しておいて、逆にただ一言、次のように言う。「(戦争による生活物資の不足という)このような困難の中、多くの国民はよく働き、よく戦った。それは戦争の勝利を願っての行動であった」と。すなわち、日本の人民はどんな困難のもとでも心をひとつにして戦争に協力したという話をデッチあげ、これは素晴らしいことだとし、そういう精神を今こそ復活させなければならないとしているのだ。
 そして、この教科書の全体をとおして最も強調しているのは、国のために身を犠牲にして働き、必要なら命も喜んでささげるという滅私奉公の思想である。これが明治以前の昔から日本の歴史にずっと貫かれてきた独自の価値観であり、日本の伝統と文化の最大の核心であるなどとうそぶいている。そのキーワードが「公共の利益」と「武士道」だ。
 「公共の利益」とは、政府・自民党や日本経団連が今日、改憲攻撃のキーワードとして押し出しているのとまったく同じ言葉である。「公共」とは帝国主義国家のことであり、天皇のことだ。「公共の利益」とは日帝支配階級、帝国主義ブルジョアジーの利益のことであり、労働者階級の利益とは根本的に対立するもの、絶対に相入れないものだ。だが日帝は、この「公共の利益」を「日本と日本人全体の利益」として、超階級的なものと見せかけると同時に帝国主義的民族主義そのものとして押し出し、新たな帝国主義戦争への労働者人民の精神的総動員のテコにしようとしているのだ。「つくる会」教科書はそれを全面的に後押しすることに全力を挙げている。
 例えば教育勅語について、今回の「歴史」教科書は現代語に訳して載せている
が、「いったん緩急あれば義勇公に奉じもって天壌無窮の皇運を扶翼すべし」の原文を、「国家や社会に危急のことがおこったときは、進んで公共のためにつくさなければならない」と言い換えている。「天皇のために一身を投げ打て」と命じているのを、「公共のために」とわざわざ書き換えたのである。
 さらに、「武士道と忠義の観念」というページを設けて、「忠義=公共の利益のために働くこと」だという新たな定義づけさえ行っている。「武士道とは死ぬことと見つけたり」という『葉隠』の言葉を引用し、この言葉は「死ぬ覚悟をもって主君によく仕え職務をまっとうして生きることを求めている」と言う。その上で、「忠義」とは「主君への忠誠をこえて藩や家の存続のために最善をつくすこと」を意味していたと言い、明治維新が成功したのも「武士道の中に公共の利益のために働くことに価値を置く忠義の観念があったことと深い関係がある」などと説明しているのだ。
 この「武士道と忠義の観念」を、「日本の歴史・伝統・文化」の中でも最大の価値ある精神文化として大々的に押し出し、明治の日本もこの精神があったからこそ発展した、とするのである。そして今、それがなくなっているのは大問題だと叫んでいる。

 「日本は天皇の国」押し出す 身分制度は必要だと強弁

 第四の核心点は、天皇が大昔から現代まで一貫して国の中心であり、天皇制を抜きに日本の国家と社会は成り立たないのだという主張をゴリゴリと押し出していることである。そのために考えつく限りのあらゆるデマを駆使している。
 神武天皇の東征神話に始まり、「天皇の地位は、皇室の血すじにもとづいて、代々受けつがれた」「政治の実力者は時代によってかわったが、天皇にとってかわった者はいなかった。日本では、革命や王朝交代は起こらなかった」と、「万世一系」の神話をいかにも真実であるかのように語る。だがその根拠は何もない。きわめつけは、鎌倉幕府の成立以降の封建制度のもとでも皇室の権威が揺らいだことは一度もなかったかのような、歴史の偽造を平然とやっていることだ。
 「幕府がどんなに政治的な力をほこっていても、朝廷の権威が失われてしまうことはなかった。武家政治は明治維新まで続いたが、その間、朝廷と幕府の関係はだいたい安定していた」「全国の武士は、究極的には天皇に仕える立場だった」と。これがいかに卑劣な偽造であるかは、ほかならぬ2001年版の「つくる会」教科書に、足利義満が「天皇の権威への挑戦を試みた」代表的人物として登場することからも明白である。
 必要ならば以前に自ら書いていた内容をもコロリと変えて、まったく逆の作り話さえデッチあげる。子どもたちをだまして帝国主義戦争の担い手に仕立て上げるためならば、どんな卑劣なことでもやる。これが「つくる会」のファシストとしての正体だ。こんなものがどうして「教科書」と言えるのか!
 このことは、日本を再び「世界に類例のない神の国」として押し出していくための布石なのである。そしてこの「天皇の国」を守るためには何でもやる、この国が領土を拡大し、世界を支配するのは国家としての使命だとする、恐るべき帝国主義的侵略のイデオロギーをまきちらしていくこととなるのである。天皇制の前面化を許すことは、必ずやそこまで行きつくのだ。
 ここで今ひとつ重要なのは、天皇制イデオロギーを美化するために、その補完物として、封建社会の身分制度を美化するデマを意図的に流していることだ。江戸時代の社会を「平和で安定した社会」と賛美して、その原因は「武士と百姓・町人を区別する身分制度」を定めたことにあると言う。この制度は「必ずしも厳格で固定されたものではなかった」などと言い、単に社会における役割が違うだけで、支配・被支配の関係とはまったく無縁なもののように百八十度歪曲して描き出している。
 そこにあるのは、人がそれぞれの立場や役割に応じて社会的に分けられるのは当然で、それは差別ではないとしていく、最も悪質な差別分断支配の考え方だ。部落差別や女性差別などのあらゆる社会的差別をすべて容認し、逆に各人が自分のあらかじめ与えられた役割を忠実にまっとうすることで社会秩序が成り立つのだ、としていくのだ。ここに、天皇制イデオロギーのひとつの核心があることを確認しておきたい。

 階級対立と階級闘争を否定 労働者階級への襲撃を扇動

 第五に、階級対立の否定と階級闘争の完全な抹殺である。古代・中世から近現代にいたる全歴史を、そこに支配するものと支配されるものとの矛盾や対立など何も存在しないものとして描き出す。そもそも、歴史の中に労働者や農民、民衆というものがほとんどまったく登場しない。これが、ある意味ではこの教科書を貫く最大の核心問題だと言ってもいい。
 これはけっして偶然ではない。「つくる会」は、歴史が階級闘争の歴史であることを帝国主義支配階級の側に立ってはっきりと自覚し、そのことを意識的に覆い隠すためにこそ、この「歴史」教科書を作ったのだ。
 前節で紹介した江戸時代について言えば、それはいったいどういう時代であり社会だったのか。大中小の農民一揆や都市での打ち壊しが全国でひんぴんと発生し、幕府や諸藩がこれへの弾圧を繰り返していた、すさまじい階級激突の時代ではないか。幕藩体制の末期には、ほとんど内乱的情勢に突入していたではないか。そのことにまったく言及せず、農民一揆は例外的現象のように言い、逆に「江戸時代を通じて武士は尊敬され、町人が武士をたおすというようなことはおこらなかった」と述べている。これは無知によるものでは断じてない。すべてを知りながら、あえてこのように歴史をねつ造しているのだ。
 最も異様なのは、第2次大戦後の戦後革命期に関する記述である。労働者階級が続々とストライキやデモに決起し、1947年2・1ゼネストへ向かって攻め上っていった、日本の近現代史の中でも第一級の階級的激動を、ただの一言も語らず完全抹殺してしまっている。
 このことは、天皇制との関係で、日本には革命や人民の大反乱など起こらないのだ、日本はそういう特別な国なのだと主張していることと結びついている。さらに言えば、今日の資本主義・帝国主義のもとで、資本家階級と労働者階級とは非和解的関係にあるという階級対立の存在そのものを否定し、労働者階級のあらゆる組織と闘いを圧殺しようとする衝動と完全に結びついているのである。
 したがって、プロレタリア革命と共産主義への憎悪をむきだしにしている。これがこの教科書の最後の結論だ。近現代史の総括として、「20世紀の戦争と全体主義の犠牲者」という項をおき、そこで共産主義とファシズムを「二つの全体主義」として同列に扱う。スターリン主義による粛清をナチスのユダヤ人虐殺と並列して、「ファシズムと共産主義の犠牲者は、その数において、20世紀におこった二つの世界大戦の死者をはるかに上回ることを忘れてはならない」などとデタラメを言っている。
 ここには、共産主義こそが絶対悪で、それに比べれば帝国主義者がやっている虐殺や破壊などたいした問題ではないという主張が含まれている。プロレタリア世界革命を裏切り労働者国家を変質させたスターリン主義による歴史的犯罪を、あたかも共産主義の本質であるかのようにすりかえて、その「撲滅」を叫んで労働者階級への反革命襲撃を組織するものだ。さらには、「共産主義」をやっつけるための戦争は正義として、北朝鮮・中国侵略戦争への突進を猛然とあおるものである。

 第3章 戦前のような国に戻せと改憲を叫ぶ「公民」教科書

 領土略奪と戦争、9条撤廃と「国防の義務」導入を扇動

 次に、「つくる会」の「公民」教科書について見ていこう。
 ここでの最大の特徴はまず第一に、領土問題と北朝鮮脅威論がけたたましくあおられていることだ。グラビアに北方4島と朝鮮の領土・独島(「竹島」)、中国領・釣魚台(「尖閣諸島」)の写真を載せ、「わが国固有の領土」だと、領土の略奪を主張している。その横には「テポドン」「不審船」「拉致問題」の写真を載せて、北朝鮮への排外主義をここぞとばかりあおっている。
 本文でも、「世界には独裁政治を行ったり、全体主義の体制をしき、国民に対して人権を抑圧している国家も見られる」とし、これに対して「経済制裁など具体的な圧力をどうかけるかが課題となっている」と、北朝鮮を実質的に名指しして、経済制裁は当然、さらにそれ以上の行動(=戦争)にも出るべきだと言わんばかりの書き方をしている。2001年に自衛隊と海上保安庁が北朝鮮の船舶に公海上で砲撃を加えて撃沈し、乗組員全員を虐殺した事件を取り上げて、停戦命令に従わなかったから当然だという主張をも行っている。全体として、侵略戦争を激しくけしかける内容だ。
 第二に、現在の憲法を徹底的に攻撃し、改憲をあからさまに主張し、あおる教科書として作られていることである。
 現代政治の章に「憲法改正」を一テーマとして設け、他国の憲法はみな必要に応じて何度も改正されているのに、日本だけが制定以来一度も改正されないのはおかしいと記述。「世界最古の憲法」だなどとからかい、露骨に辱めている。改憲が必要だと思わせることを意識的に狙って教科書全体の内容を形成している。
 特に憲法9条について、「国民の多くは今日、『自衛隊は自国の防衛のために不可欠な存在である』ととらえている」と言い、その撤廃は議論の余地のない問題であるかのような書き方をしている。自衛権は「国の主権の一部」「国際法に認められた権利」であり、集団的自衛権についても行使できるようにすべきだという「主張もある」と、軍隊を持ち戦争をするのは国家として当然とする考え方を注入しようとしているのだ。
 また「領土・領海・領空への侵犯は国家主権への侵害となる」と、領土問題をテコに使い、韓国や中国から「侵略」を受けているのは日本の側であるかのように事実をまったく転倒させて描き出し、これを排除するのに軍事力を持つのは当然と思わせるように仕向けている。さらに自衛隊の海外派兵を「わが国にも相応の軍事的な貢献が求められるようになった」と言い、グラビア写真も掲載してその積極推進を叫んでいる。
 決定的なのは、「国防の義務」の導入を公然と掲げていることだ。「憲法で国民に国を守る義務を課している国は多い」と述べて、ドイツ、中国、スイスの例を挙げ、「これらの国の憲法では国民の崇高な義務として国防の義務が定められている」などと書いている。“9条を撤廃し、海外派兵をどんどんやり、戦争のできる国にしよう、国防はみんなの義務にすべきだ、そういう国をつくろう、そのために憲法を変えよう”と、中学生に向かってガンガン扇動しているのだ。
 「日の丸・君が代」も、「社会の一体感や共同防衛意識を守り育てるため、これまでにも増して明確な国家意識を必要とする」と、戦争をやるために不可欠だということをはっきり言っている。

 大日本帝国憲法を全面賛美 人権の制限求め差別を肯定

 第三に、この「公民」教科書の最も許せない点は、「歴史」教科書とも共通するが、戦前の天皇制国家の専制支配の道具であった大日本帝国憲法を、「近代的な憲法」だと百八十度歪曲し、優れた憲法として無条件に礼賛していることだ。それとの対比で戦後の憲法をとことん見下し、否定していく書き方をしている。そもそも憲法について説明する時に、現在の憲法ではなく明治憲法から話を始めるのだ。そしてこのように言う。
 「この憲法は、わが国がおかれた当時のきびしい国際情勢を反映して政府の権限が強いものであった。しかし、できるだけ国民の権利や自由をもりこみ、同時に日本の伝統文化を反映させようとする努力が注がれた憲法でもあった」
「大日本帝国憲法の下で、近代的な民主的国家づくりは進められていった」
 「国の元首は天皇であり、統治権の総攬(そうらん)者とされたものの、大臣の助言や議会の承認に基づき、憲法の規定に従って統治権を行使するものと定められていた。国民には法律の範囲内で権利や自由が認められた」
 「しかし昭和をむかえるころから、憲法の不備をついた軍部が政治への介入を強めていった結果、天皇のもとで国民が暮らしやすい社会をつくるという憲法の理想は、大きくそこなわれていくことになった」
 これは、戦前の天皇制国家とその圧制をとことん美化し、歪曲し、あたかも人民にとって理想的な国と社会であったかのように描き出すとんでもないデマゴギーだ。天皇が神聖にして不可侵とされ、「天皇の命令は絶対」とする専制的権力がうちたてられていたのは、「当時の国際情勢」すなわち帝国主義列強の一員にのしあがる上で不可欠だったと、全面的に肯定している。別のところでは、「明治時代になると、強い力で国をたばねていく必要から、天皇には大きな政治権限があたえられていた」とも書いている。天皇が「神の子孫」として政治・軍事の全権限を握り、強大な国家権力によって人民を暴力的に支配していた社会を、何も知らない子どもたちの前で、現在よりも「良い社会」のように描き上げてみせるのだ。
 これは、現在の社会を右側から反革命的に転覆して、戦前のような国家と社会に変えろというむきだしの宣伝・扇動だ。今の憲法を破棄して60年前に戻せと言っているのだ。その思想を子どもたちに一個の「確信」としてたたき込むためのものなのだ。
 しかも許せないことは、全権限を天皇が独裁的に握っていても、それはあくまで「大臣の助言や議会の承認」のもとで行使されていたのだと強弁していることである。「軍部の政治介入」さえなければなんの問題もなかったかのように書いている。これは、天皇の戦争責任を免罪するためだ。同時に、戦前の国家も基本的には「民主国家」だったのだとしていく完全なデマ宣伝である。
 さらには、戦前にも今と同じ基本的人権がほとんどすべて保障されていたかのように書いている。これも断じて許すことのできない実に悪質なデマだ。すべての労働者階級人民は、このことに激しく怒らなければならない。
 明治憲法下の「権利や自由」とはいったい何か。すべて「臣民の権利」として、国家権力の許す範囲内でごくわずかに「恩恵」として与えられていた代物ではないのか。新聞や雑誌は検閲され、天皇制への批判や共産主義・社会主義の思想はその思想を持つこと自体が「犯罪」とされていた。婚姻の自由もなく、女性は政治への参加も禁止され、財産権も高等教育を受ける権利も持たなかった。天皇と華族が途方もない特権を持つ一方で、「新平民」とされた部落大衆は江戸時代と変わらぬ差別を徹底して受け続けていたのではないか。これらのどこに、「自由」や「権利」や「平等」があったと言うのだ!
 とりわけ労働者階級は、労働組合を組織する権利すら与えられず、資本家に対して団結して立ち向かうこと自体が犯罪視され、ストライキは軍隊と警察によって徹底的に弾圧された。わずかな賃金要求を掲げただけでも問答無用に首を切られ、「女工哀史」に示されるような恐るべき搾取と強労働の地獄の中で、賃金奴隷としての生活を強いられていたのだ。戦前の社会を美化しそこに戻せということは、日本経団連が叫んでいる「工場法以前の社会に戻せ」ということと完全に一体だ。労働者階級から一切の闘う手段を奪い、無権利状態にたたき込んで資本の専制支配を貫くということだ。この教科書はその推進を主張するものだ。
 第四に、こうした戦前の美化とともに、主権在民の原則を実質的に否定し、天皇を再び国家の中心に置こうとしている。「国民主権」の項で、「主権とは外国からの干渉を受けず、その国のあり方を最終的に決定する力のこと」と言い、「この場合の国民とは、私たち一人ひとりのことではなく、国民全体をさすものとされている」と説明している。これは「人民の、人民による、人民のための政治」という意味での主権の説明とはまったく異なる。労働者人民の一人ひとりが国家に対して主権者であるとするのではなく、逆にそれを完全に否定しているのだ。
 そしてそのすぐ横に、「国民統合の象徴としての天皇」という見出しを立て、皇室は千数百年前から常に国家の中心にいたと強調し、「天皇の権威は、各時代の権力者に対する政治上の歯止めとなり、また国家が危機をむかえた時には、国民の気持ちをまとめ上げる大きなよりどころともなってきた」と、天皇制こそが重要なのだという大宣伝をしている。天皇を事実上の「国家元首」として押し出し、主権も本来は天皇にあるのだという考えを吹き込むものである。
 第五に、基本的人権の説明の項では、「基本的な人権と、その国や民族独自の価値を両立させることが大切」と言い、ここでも天皇制・天皇制イデオロギーを一切に優先するものとして押し出している。そして「憲法で保障されているからと、自由とか権利とかどんどん主張する人がいるけれど、際限なく許されることなのか」と、「人権の見直し」を主張し、その制限を要求している。
 中でも露骨なのは「法の下の平等」を見直せという主張である。「平等権は社会を秩序づけている役割分担や、個人の立場までなくそうとしているのではない」「行き過ぎた平等意識はかえって社会を混乱させ、個性をうばってしまう結果になることもある」などと書き、“社会には差別があって当然だ。その方が社会秩序が保てるのだ”という考え方を積極的に植えつけようとしている。
 ここでまず攻撃のやり玉に挙げられているのが男女平等だ。「男らしさ・女らしさという日本の伝統的な価値観」を否定してはならないと言い、男女共学への反対運動まで紹介している。家族の中の「役割分担」をも強調し、個人が家族より優先されるような社会にしてはならないと叫んでいる。これは女性への攻撃にとどまらず、今日の階級社会と差別分断支配のすべてをよしとして正当化し、その一層の強化へ道を開くものである。

 第4章 東京・杉並での採択阻止し小泉=奥田と石原の打倒を

 このように、「つくる会」の教科書は「歴史」も「公民」もともに、戦争への反省と民主主義に代表される戦後的価値観と戦後憲法体制を徹底的に攻撃し、その完全な破壊と解体を狙うものである。1945年以前の天皇制国家を限りなく美化し、第2次大戦以前の国と社会に戻せと主張するものだ。再びかつてのような侵略戦争・世界戦争をやりぬき、日本帝国主義による朝鮮・中国・アジアの征服を実現すべきだという露骨な侵略のイデオロギーを掲げ、子どもたちをその方向に向かって激しくあおり、駆り立てるものとなっている。
 しかもこれは、今や単に「つくる会」の一部ファシストの主張にとどまるものでは断じてなく、日帝・小泉政権そのものの路線であり、日本経団連の奥田に代表される日本の帝国主義ブルジョアジー自身の体内から激しく噴き出している主張だということだ。日帝・文科省がこの教科書を検定合格させたことは、独島の略奪などとも軌を一にしたきわめて意識的行為である。
 4月18日、訪中した町村外相は、侵略を美化する教科書が検定を通ったことへの中国側の抗議に、「すべての教科書は過去の戦争の反省に立ち、平和な日本を作っていくというものばかりだ」というペテン的言辞をもって居直った。それは「つくる会」のような教科書が現在の日帝にとってぜひとも必要となっているからだ。日帝が今開始した新たな侵略戦争は、戦後的価値観を完全に破壊し解体して、戦前のような戦争賛美の価値観に全社会を塗り替えていくことなしには絶対に遂行できないからである。
 とりわけ労働者階級を戦争に動員するには、ここでの階級戦争を徹底してやりぬき、労働者階級の階級性をその最後の一片まで解体し尽くすことが不可欠だ。だからこそ教育が最大の決戦場となっているのだ。子どもたちをまず帝国主義の側にからめとり、洗脳し、それを突破口に全労働者階級を総屈服に追い込んでいくことが狙われているのである。
 日帝の次の攻撃は、この「つくる会」教科書を学校現場に大量に持ち込むことだ。都知事・石原はその最大の推進役を買って出た。東京・杉並の山田区長を最先兵にし、杉並区教委を「つくる会」で牛耳って、ここでまずその突破口を開こうとしている。「日の丸・君が代」でやったのと同様に、東京から全国を変えていこうとしているのだ。
 今や、東京・杉並が、「つくる会」教科書の採択をめぐる全国で最大の激突の場となった。しかもそれは都議選とも完全に重なっている。全都・全国の闘う労働者の総力を挙げて、ここでの決戦に断固として勝ちぬき、「つくる会」教科書の採択を絶対に阻止し、都議選決戦に勝利しよう。ファシストに教育を牛耳らせてたまるか! ファシストののさばりを許すな! 今ここで打ち倒そう!
 今春の「日の丸・君が代」闘争で上がった反転攻勢へののろしを引き継ぎ、杉並での決戦で今こそ石原を打倒しよう。教科書採択阻止と長谷川英憲氏の都議選勝利をかちとって、その勢いをもって小泉政権の打倒と日帝の戦争・民営化攻撃粉砕へ攻めのぼろう。
 朝鮮・中国人民の決起と固く連帯し、アジアにおける侵略と戦争と圧制の最大の元凶である日本帝国主義を打倒する、「侵略を内乱へ」の闘いに踏み出そう。これは、日本の労働者階級が権力と資本のくびきから自らを解放するための闘いだ。帝国主義に屈服し、プロレタリア世界革命に敵対して腐り果てた姿をさらすスターリン主義を帝国主義ともども打倒し、のりこえて、労働者階級の国際連帯と資本制社会の転覆による、戦争なき世界の真の実現に向かって突き進もう。

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週刊『前進』(2196号A面1)(2005/05/02)

 東アジア経済圏に命運かける日帝

 EPA締結で再植民地化狙う 要の日韓交渉で破産の危機も

 反日帝闘争と連帯し侵略を内乱へ

 島崎光晴

 03年1月の奥田ビジョン(「活力と魅力あふれる日本をめざして」)は、「東アジア自由経済圏」構想を打ち出した。以来、日本帝国主義(日帝)は、この構想を必死になって具体化しようとしている。日帝の命運がかかっているからだ。「東アジア経済圏」形成は、アジア諸国に対する再植民地化であるとともに、日本の労働者・農民に一層の犠牲を強いるものだ。しかし、肝心かなめの韓国とのFTA(自由貿易協定)交渉が行き詰まり、何よりも中国の抗日運動を始めとしてアジア人民の日帝に対する闘いが沸き起こっている。だが日帝は独自の勢力圏形成が困難になればなるほど、絶望的に凶暴化して侵略戦争にのめりこんでいこうとしている。日本とアジアの労働者の連帯で、これを粉砕しなければならない。

 関税撤廃するFTAを柱にEPAで侵略的投資も拡大

 日帝は現在、東アジア各国との個別交渉と、ASEAN(東南アジア諸国連合)全体との交渉を並行して進めている。物品の関税撤廃などは個別国との協定で決め、ASEAN全体とは貿易・投資に関する共通規則を決めようとしている。
 また、貿易面で相互の関税を撤廃するFTAを柱にしつつも、投資面での優遇などを含んだEPA(経済連携協定)の締結を狙っている。日本経団連が04年3月に出した「経済連携の強化に向けた緊急提言」では、「投資許可段階での内国民待遇・最恵国待遇の原則付与、現地人の雇用義務をはじめとする諸要求の原則禁止等の実現」としている。内国民待遇とは、外国企業に対する税や事業活動などを、自国企業並みに扱うというもの。最恵国待遇とは、相手国企業に対する待遇を、第三国の企業に対する待遇より不利にならないようにするもの。いずれも、外国資本への規制を取り払う制度だ。

 ASEAN全体とも交渉に入る

 具体的にそれぞれの交渉をみていこう。
 @まず、韓国とは03年12月に政府間交渉が始まった。日帝は韓国市場の一層の開放を狙うとともに、韓国とのEPAを「東アジア自由経済圏」の核にしようと狙っている。日韓貿易は韓国の恒常的な大幅赤字である。EPA締結は赤字をさらに膨張させることになる。にもかかわらず、韓国は日本との交渉に乗らざるをえなかった。
 それは、韓国経済が「日本などから輸入した装置と原材料・部品で生産して輸出するという構造」(『現代帝国主義論U』146n)になっているためだ。だから、“日本からの輸入で関税が撤廃されれば生産コストが低下し、韓国の完成品の国際競争力が強まる”との思惑がある。さらには、“日本からの輸入に依存している基幹部品・素材について生産が日本から韓国へシフトすれば、日本はより高付加価値の生産に特化し、そのすきまで韓国経済としても一定の国際的位置を占められる”との期待もある。日帝は、日本からの輸入に依存する韓国経済の足元をみて、日韓EPA締結に持ちこもうとしている。
 AフィリピンとのEPA交渉は、昨年11月に合意し、06年発効の見通しだ。日本からの投資を有利にする最恵国待遇の保証や、建設・運輸市場の自由化も盛りこまれた。最大焦点だったフィリピンの看護師・介護士の日本受け入れも決まったが、日本側は年間100人程度にとどめる見込みである。
 Bタイとの交渉では、砂糖・でんぷんなどの協議を先送りしたうえ、コメを自由化の例外とすることで大筋合意する見通し。
 Cインドネシアとは5月に交渉を始める予定だ。インドネシアは、日本の輸入額で中国・米国・韓国に次いで第4位を占める。
 D日帝は、4月半ばにASEAN全体(10カ国)ともEPA交渉に入った。最大焦点は、国際的に取引される物品の「国籍」を判定する原産地規制。日本を含む協定加盟国からの部品調達率が40%以上の製品であれば、「日・ASEAN域内産」と扱って相互に輸入関税を引き下げる、という案が想定されている。こういう形で域外からの輸入を排除しようとするものだ。
 EオーストラリアとのFTA交渉については4月半ば、日本政府が交渉を当面見送る方針を固めた。日本はオーストラリアから牛肉などの農産物を大量輸入している。日本の牛肉輸入総額の49%がオーストラリア産だ(03年)。しかし、FTA締結による輸入自由化は、日本の農家を直撃する。日帝は農業・農民の切り捨て策に踏み切ってはいるものの、実際の強行となるとためらい、いったんは交渉の見送りとなった。
 FASEAN10カ国に日中韓を加えた13カ国による「東アジア共同体」の第1回首脳会議が、年末にマレーシアで開かれる。しかし、米国務省が「米国を排除する懸念」を表明している。また、5月に日本が議長国となってASEM(アジア欧州会議)が京都で開かれる。ASEMにはEU、ASEAN、日中韓が加わっている。この二つの国際会議をも舞台としながら、日米欧入り乱れた激しい争闘戦が進んでいる。

 韓国労働運動の抑圧を要求 中国の日系工場で徹底搾取

 このように日帝は、「東アジア自由経済圏」の形成に突進している。その背景には、日本経済がアジアを“生命線”としているにもかかわらず勢力圏として囲いこめていない、という絶望的な危機がある。
 今の日本経済は、アジアに展開した日本資本の工場を抜きに成り立たなくなっている(別掲)。日帝は80年代半ば以降、国内市場では過剰資本状態に陥り、米国市場では日本製品を締め出されてきた。日帝にとって唯一の延命策は、アジアを生産拠点にすることだった。その結果、“表から見れば日本経済、裏から見ればアジア経済”というほどに表裏一体化した。アジアの工場を取り除くと、日本経済は即、崩壊するほどになった。
 ところが、それほどの“生命線”であるにもかかわらず、日帝はアジアを独自の勢力圏として囲いこめていない。日帝は90年代にアジアを勢力圏にしようとしたが、米帝の対日争闘戦によってつぶされてしまった(同81n〜)。その一方で、米帝はNAFTA(北米自由貿易協定)を94年に発効させ、南米を含む米州自由貿易地域(FTAA)の形成に着手した。EUも、93年に単一市場をスタートさせ、99年には単一通貨ユーロを導入した。
 米欧が経済ブロックを固めはじめたのに対し、焦った日帝はいったんはWTOの新ラウンド(多角的貿易自由化交渉)に望みを託した。独自の勢力圏形成ではなく、“国際的なルール”に頼ろうとしたのだ。ところが、その新ラウンドは99年のシアトル閣僚会議の決裂で挫折し、日帝の期待はものの見事に吹き飛んだ。

 ASEANと中国が関税削減

 さらに、97年からの日本経済の恐慌突入、00年からの米経済のバブル崩壊をもって、世界大恐慌の過程が始まった。大恐慌下では、勢力圏を持たない帝国主義は滅びてしまう。しかも、02年からは米帝がアジア諸国との自由貿易協定の締結に乗り出した。日帝は02年にシンガポールとのFTA締結に合意したが、翌年には米帝もシンガポールとFTAを結び、即座に日帝の権益をそぎ取った。
 さらに02年には、中国が日帝に先んじてASEANとのFTAに合意した。アジアに対する日本企業の直接投資残高は、ほかならぬASEANがトップだ。そのASEANですら、日帝が排除されかねない事態に至ったのだ。それは、日帝にとって死を意味する。だから、日帝の命運をかけて「東アジア自由経済圏」形成に突進しているのだ。
 なお、ASEANと中国は昨年11月、貿易自由化文書に調印し、05年から関税削減を始める。この関税削減によって、中国に進出している米欧企業の製品がASEAN市場に入りやすくなる。日本企業はASEAN市場を先行的に確保してきたが、在中国の米欧資本によって再分割攻勢を受ける。昨秋、東南アジアを訪問した奥田は、「もたもたしていると、中国にアジア経済との連携を先取りされる」と危機感を表明した。
 日帝の「東アジア自由経済圏」の策動に対し、日本の労働者人民は、闘うアジア人民と連帯して、小泉=奥田路線と闘い、日帝のアジア侵略を内乱に転化しなければならない。

 ブロック化促進し世界戦争招く

 なぜなら第一に、「東アジア自由経済圏」とは、日帝による独自の勢力圏形成にほかならず、世界経済のブロック化を促進し、世界戦争を引き起こすものでしかないからである。帝国主義による世界市場の再分割闘争は、今やFTAの締結合戦の局面に入っている。日帝がアジアで勢力圏を追求することは、この再分割闘争を激化させ、世界戦争を招くことになるのだ。
 第二に、「東アジア自由経済圏」とはアジア諸国に対する日帝の再植民地化であり、アジア人民の搾取・収奪・抑圧をますます強めるものだ。最も端的なのは、日韓FTA交渉で日本企業が韓国の労資関係について露骨な要求をしていることである(表参照)。こういうのを再植民地化と言うのだ。韓国の労資関係の変更まで強要する日帝に対し、日韓労働者は連帯して闘わなければならない。
 現在の中国の抗日運動は何よりも「つくる会」教科書などに対する激しい怒りの爆発であるが、底流には中国で日系企業がやっている搾取・抑圧への憤激がある。今や「日系企業の社員の待遇は劣悪」との評判が中国全土に広がり、日系企業は労働者を十分に集められなくなっている(エコノミスト3・14臨時増刊号)。ある出稼ぎ労働者は、「父親が広東省に出稼ぎに行った。その20年後、自分も同じ広東省に出てみたら、給料は父親と同じだった」と言う(同)。日系企業に働いていた若い女性は、「1日10時間も働かされ、トイレに行くにも許可が必要。食事もまずい。もう疲れた」と、帰郷することにした(日経新聞2・7付)。
 昨秋、広東省の東莞市の日系機械部品企業で、社員食堂の食事が劣悪になったことをきっかけに、社員の暴動が起きた。怒った200人が市内をデモ行進し、公安当局と激突、中心メンバーなど約50人が連行され、工場の操業は止まった。広州市に提訴された労働争議は、昨年1〜6月だけで1万6000件にも上る。10月6日には深せん市でも3000人規模のストライキが起こった。

 外国人労働者の「大量移住」政策

 第三に、「東アジア経済圏」形成は、日本の労働者人民に一層の犠牲を強いるものである。日本の資本家階級は、アジアの労働者を大量に日本に移住させて、日本の労働市場をさらに激変させ、賃金水準を大幅に引き下げようと狙っている。昨年の「骨太方針W」は、外国人労働者受け入れ拡充を明記している。今年1月には、日本経団連と日本商工会議所が、外国人の単純労働者受け入れ促進の結論を早く出すよう、政府に意見書を提出した。
 一方で日帝は、治安的観点から滞日・在日外国人労働者への入管体制をますます強めている。日本の労働者人民は、外国人労働者への搾取と民族抑圧を許さず、日帝による排外主義と分断を粉砕し、労働者階級として単一の軍勢となって日帝打倒に立ち上がらなければならない。
 また、昨年11月に農水省は、コメを除いて農産物関税を幅広く撤廃・削減する方針を出した。農水省は従来、「農業自由化はWTO交渉で」としていたが、FTA推進に転換した。また、地理的に近いアジアからの農産物輸入は「食糧安全保障上のメリットがある」と、「アジア食糧安保」に踏み切った。農民・農業を切り捨てて、アジアからの食糧略奪で延命しようというのだ。

 米欧帝のアジア市場再分割と独自の「勢力圏」の絶望性

 日帝はこのような「東アジア経済圏」形成に突進している。しかし、日帝にとってそれは実に破産的なものでしかない。
 まず第一に、最大の柱である韓国とのFTA交渉が停滞し、時間がたてばたつほど締結が困難になりつつある。日帝は05年内合意を想定してきたが、ほぼ破産的になった。
 もともと、工業品の関税撤廃については、日本製品の一層の流入につながるため反対が根強い。しかも、韓国側が農水分野で品目の約90%の関税撤廃を打ち出したのに対し、日本は50%程度にとどまっている。昨年12月、韓国は日本のノリ輸入数量制限制度をWTOに提訴した。3月にはWTOが、この問題を扱う紛争処理委員会(パネル)の設置を決めており、WTOでの審査に入る。韓国側の提訴で日韓FTA交渉は中断したままになっている。
 しかも韓国政府は1月に、07年までに30〜35カ国とFTA交渉を進め、15カ国と発効を目指す方針を発表した。実際に2月から米国とのFTA交渉に乗り出した。韓国側は日本とのFTA交渉を相対的に後景化させつつある。実際、韓国政府内で対日交渉に当たってきた担当者を、ASEANなど日本以外との交渉に回している。
 さらに、ノムヒョン政権は、日帝の独島領有権の主張と国連常任理事国入りの動きに対し反対を表明した。そうした日韓の外交関係が、経済交渉をますます停滞させている。その背後には、韓国の労働者人民の強固な反対がある。日韓労働者が連帯して闘えば、必ず日韓FTAを粉砕することができる。

 米韓FTA実現すると日帝敗退

 第二に、米帝とEUがアジア諸国とのFTA締結に踏みこんできており、日帝独自の勢力圏形成はますます不可能になっている。
 米帝は昨年末、韓国とのFTAの本格交渉開始を宣言した。米帝が東アジアの国・地域とのFTAへ動きだすのは初めてのこと。日韓FTA交渉が中断するなか、すかさず米帝が割って入ったのだ。全米製造業者協会がFTA締結を要望する相手として第一にあげているのは、ほかならぬ韓国である。このままいけば、韓国とのFTAのない日帝、韓国とFTAを結んだ米帝となり、日帝が締め出されるのだ。これは、アジア市場をめぐる日米争闘戦での日帝の致命的な敗退となる。
 さらに、EUも猛烈にアジア市場再分割に乗り出している。中国の最大の貿易相手国は、03年まで11年連続で日本だった。しかし04年にはEUが首位、米国が2位となり、日本は3位に転落した。昨秋には、シラク仏大統領、シュレーダー独首相、チャンピ伊大統領が相次いで訪中した。ASEANとのFTA締結についても、EUは従来は消極的だったが、昨年に積極推進に転換した。
 第三に、アジア諸国の対米輸出依存度の高さ、域内通貨としての円の弱さなど、そもそも日帝にとってアジアの勢力圏化は容易ではない(『現代帝国主義論U』124n)。

 中国で日本製品ボイコット運動

 第四に何よりも、朝鮮・中国人民の抗日運動を初めとして、日本製品のボイコットと日系工場でのストライキなど、日帝の侵略・侵略戦争に対するアジア人民の歴史的な闘いが噴出している。
 中国流通業界の最有力団体である「中国チェーンストア協会」は、全国の小売り企業に対し日本製品のボイコットを呼びかけている。一部の大手スーパーでは日本製品の撤去の動きが始まっている。さらに、広東省東莞市の日本の電子部品メーカー「太陽誘電」では、4月16日にストライキが起こった。従業員7000人のうち2000人が作業を中止して集会を開いた。20歳代の女性労働者は「歴史を改ざんし、過去を反省しない日本は許せない」と叫んだ。今後、日本製品ボイコットも日系工場ストも必ず拡大する。

 さらに凶暴化し侵略戦争に突進

 このように、日帝の「東アジア自由経済圏」形成は絶望的なものでしかない。日帝こそ、〈帝国主義の最弱の環〉にほかならない。かといって、日帝は東アジアの勢力圏化を放棄することはできない。それ以外に帝国主義として生き残る道はないからだ。だから、日帝はさらに凶暴化して侵略と侵略戦争にのめりこんでいくしかない。軍事面で日米枢軸を強化しながら、北朝鮮・中国侵略戦争に踏みこんでいこうとしている。
 それは、アジアを舞台にした世界戦争を引き起こすものとなる。米帝は、北朝鮮・中国への侵略戦争をやるために、米軍の再編(トランスフォーメーション)を実施している。日帝は日米枢軸でこれに参戦しようとしている。一方、EUは対中武器輸出を解禁しようとしている。EU指導部は、「アメリカ一極支配に対抗するためには、中国を取りこむのが最も効果的」と公言している。
 とくに昨秋に訪中したシラクは、「仏中両国が全面的な戦略パートナー関係を構築することに全面賛成する」と表明した。フランス帝国主義は中国との戦略的な提携を志向しつつあるのだ。3月の台湾総統選の前には、フランスと中国は初の海軍合同軍事演習を実施した。イラク戦争での米欧分裂は今や、イランおよび中国をめぐる米欧対立にまで進展しつつある。こうした帝国主義間争闘戦の行き着く先は世界戦争だ。
 このように、日帝の「東アジア経済圏」形成への絶望的突進は、北朝鮮・中国侵略戦争をますます切迫させ、世界戦争を引き寄せるものとなる。だから、日本の労働者階級はなんとしても、中国の抗日運動に連帯して立ち上がらなければならない。闘うアジア人民と連帯し、小泉=奥田と闘おう。日帝のアジア侵略を内乱に転化しよう。何よりも6月都議選に勝利するために総力で決起しよう。

 アジアを生命線化する日本経済 中国が最大の貿易相手国に 対米欧迂回輸出が基本構図

グラフ 対中国商品別輸出入04年 日本経済にとって、アジアは“生命線”をなしている。日本は80年代後半以降、アジアへの直接投資を激増させてきた。アジアに資本輸出をすることでアジアへの商品輸出も増やし、過剰資本状態をしのぐ、という構図だ。すでに90年代半ば以降、日本経済は〈アジアの日系工場を抜きに成り立たない構造〉に変化している。これらの点は『現代帝国主義論U』の第T部第5章第1節を参照してもらうこととして、ここでは最近の動向を見ておこう。
 日本の最大の貿易相手国は昨年、米国から中国(香港含む)に代わった。対中輸出総額に占める機械類の割合は6割を超している。対中輸出の構成をみると、プラスチックなどの化学製品12・4%、鉄鋼金属9・7%、電子部品9・4%、音響映像部品3・4%と、素材・部品が目立つ。とくに電気・電子機器の対中輸出では、部品の割合が8割以上にもなる。
 「中国に資本財・部品を輸出し、中国で生産して最終的に米欧に売るという構図だ。迂回(うかい)輸出そのものである」(『現代帝国主義論U』107n)。「日本企業による中国経由の対米迂回輸出は相当規模にのぼる。03年度の日本企業からの中国向け輸出と現地生産のうち、最終的に中国国内での販売に回ったのは44%にすぎない。残りの5割強のほとんどが米国など他の国への輸出だ。とくに電気機械・精密機械では国内販売の比率は約3割にすぎず、基本は迂回輸出となっている」(同120n)。また、中国で生産したものを日本にも輸入する。これは「逆輸入」と言われる。

 自動車はタイの生産拠点を拡大

 日本企業はASEANとの関係も再拡大している。日本の自動車企業は、ますますタイを生産拠点にしつつある。トヨタはタイに新工場を建設中で、タイで3番目の工場となる。日本では生産・販売しない車種を生産し欧州に輸出する、という新戦略をとっている。新工場稼働後のトヨタのASEAN域内の生産台数は年100万台に達する見通し。トヨタ・ホンダ・日産の中国年産能力は06年に100万台を突破する見通しだが、タイではトヨタ1社で同規模となる。

 輸出減ると生産と設備投資も減

 

この間の日本の若干の景気浮揚も、輸出増加に支えられている。輸出が減るとたちまち工業生産が下降してしまう。昨年7−9月期の輸出は前期比2・4%減と、1年半ぶりのマイナスとなった。このため同期の鉱工業生産は前期比0・7%低下し、5四半期ぶりにマイナスをつけた。この鉱工業生産の低下によって、同期の民間設備投資も0・2%減と、4四半期ぶりにマイナスに転じた。対アジア輸出の減少→工業生産のマイナス→設備投資のマイナス、という構図だ。
 対中輸出は2月には前年比で減少した。今後、抗日運動の拡大、中国バブルの崩壊は避けられない。それは日本の経済恐慌を再激化させる。

 日韓FTA交渉−労使関係分野での日本企業の要求

@労使協定・慣行の是正
 不合理な各種手当やベースアップは問題
 過度に労働者に有利な労使協定・慣行の是正
 労働紛争が横行しないよう政府等が徹底して指導する
A有給休暇制度の適正化
B一律に法律で規定している退職金制度の廃止
C日韓社会保障協定の早期実施
 事業者による保険料支払いの二重負担の解消
D休暇や退職金などパートの労働条件にかんする法律の廃止
E派遣後2年経過時に雇用義務が企業に生じる制度の廃止
F労組専従者の削減、賃金支払い禁止措置の厳守
G労組の違法労働行為に対する厳正かつ迅速な法の適用
H請負契約の運転手付きレンタカーに派遣勤労者保護法を適用するのをやめる
I労使協議会の構成は労働者が過半以上にならないようにする
(11)会社経営悪化の時にも労働条件の下方修正が困難な現状を変える
(12)60日前の事前通知など正規職解雇の条件の緩和
(04年8月10日、ソウルジャパンクラブの「事業環境の改善に向けた建議事項」)

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季刊 共産主義者144号