ZENSHIN 2005/03/28(No2191 p06)

ホームページへ週刊『前進』月刊『コミューン』季刊『共産主義者』週刊『三里塚』出版物案内販売書店案内連絡先English

週刊『前進』(2191号1面1)(2005/03/28)

3・20国際共同行動 日比谷野音に6000人 イラク撤兵・改憲阻止とどろく
 動労千葉スト・教労決戦が合流 20労組を軸に大統一行動
 開戦2年目の国際連帯熱く

ブッシュと小泉に反撃
「(すべての外国軍隊はイラクから)出ていけー!」「(自衛隊のイラク派遣をただちに)やめろー!」の叫びがとどろいた(3月20日 日比谷野外音楽堂)

 陸・海・空・港湾労組20団体などの呼びかけで「いまこそ平和を守るとき国際共同行動3・20集会」が3月20日、東京・日比谷野外音楽堂で行われた。イラク侵略戦争の開戦から2年目のこの日、世界中の反戦集会やデモと連帯して、日比谷野音を立錐(りっすい)の余地がないほど埋めつくし、組合旗が林立した。動労千葉の3日間にわたる春闘スト、「日の丸・君が代」強制拒否の3月卒業式闘争の激しい攻防を引き継ぐ大きな闘いとなった。
 会場となった日比谷野外音楽堂は6千人の参加者が埋めつくした。あまりの数に会場に入れない人や通路で立つ人も多かった。拍手ひとつも迫力が違う。ステージから向かって右側には航空連や全港湾など20労組ののぼりが林立し、左側には、17〜19日までの3日間、大幅賃上げや運転保安確立を要求して春闘ストに決起した動労千葉が存在感を示した。
 航空安全推進連絡会議の中川香副議長が司会、まず平和をつくりだす宗教者ネットの木津博充さんが開会あいさつに立った。99年5月の周辺事態法反対の5万人集会以来続いてきた「共同行動の輪を一層発展させ広げよう」と訴えた。
 20労組の航空安全会議の大野則行議長、全労連の熊谷金道議長、日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)の美浦克教議長が闘いの決意表明を行った。
 大野議長は改憲をめぐり「国防の責務」と称する戦争動員の動きを批判し、「陸・海・空・港湾労組20団体は職場で平和、安全、安心で働けるよう要求する。そのために労組の幅広い連帯が必要」と訴えた。美浦議長は「すでに情報統制は始まっている。私たちは戦争協力の報道を拒否する。戦争を止めるためにペンやマイクをとる」と力強い決意を示した。
 国会からは、日本共産党の志位和夫委員長、社会民主党・福島瑞穂代表の代理で保坂展人氏が発言。各界からの発言では、前レバノン大使の天木直人さん、映画人9条の会の神山征二郎さん、イラクから派兵差し止め訴訟原告のハッサン・アリー・ハッサン・アボットさんが登壇した。
 天木さんは2年前、イラク戦争を支持する日本は間違っていると小泉首相に直談判した経緯を説明。「外務省を去ることになったが、悔いはありません。失って余りある大きな支援を得た」と語り、ひときわ大きな拍手を受けた。
 ハッサンさんは、劣化ウラン弾の影響で7人兄弟のうち4人がガンで死んだり、検問所に気づかず通過して米兵に射殺された近所の19歳の青年の話など、イラク侵略戦争の実相を生々しく報告した。
 連帯あいさつや職場・地域からの発言に続いて集会アピールが提案された。「私たちは、このような有事法制の完成と発動、さらには憲法の改悪に断固として反対します」「アメリカのイラク占領に反対し、自衛隊の即時撤退を求めましょう」「有事法制の発動を許さず、引き続き廃止に向け奮闘しましょう」。満場の拍手で採択された。
 全日本海員組合教宣副部長の宮川栄治さんの音頭でシュプレヒコール。こぶしを高く挙げて怒りの叫びをとどろかせた。直ちにデモに出発した。20労組を先頭に長蛇の隊列が続いた。最後尾が出発したのは1時間近く後だった。動労千葉が加わる隊列からは宣伝カーがストライキの報告をし、ひときわ注目を集めた。

 4〜6月闘争へ前進しよう

 3・20集会の大高揚と動労千葉の春闘スト決起の地平をさらに押し広げ、4〜6月の闘いへ進もう。
 第一に、「日の丸・君が代」強制拒否の卒・入学式闘争をさらに闘い、「つくる会」教科書採択粉砕、教育基本法改悪・国民投票法案の国会提出阻止、改憲阻止を闘おう。共謀罪新設法案を廃案に追い込もう。
 第二に、動労千葉の05春闘ストに続き、全国の職場・産別で春闘を爆発させよう。郵政民営化阻止を始め、国鉄・教労・全逓・自治体の4大産別決戦の前進を実現しよう。
 第三に、戦争への「教育改革」・大学支配、社会保障制度解体、労組破壊に対して、全国・全産別・全大学で反撃しよう。都議選に勝利してファシスト石原打倒の突破口を切り開こう。
 第四に、米軍再編(トランスフォーメーション)と闘い、辺野古・座間・横須賀・横田闘争に立とう。3・27三里塚に結集しよう。
 第五に、一切の出発点であり帰結点は、イラク占領軍撤退闘争だ。自衛隊撤兵闘争を闘おう。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『前進』(2191号1面2)(2005/03/28)

動労千葉 ストと安全運転貫く 3・17〜19、運休は270本に

線路が危ない!
スト突入後、JR千葉支社への抗議行動に向けて「安全対策を行え」「ベア実施しろ」とシュプレヒコールを上げる動労千葉組合員(3月17日 千葉駅前)

 国鉄千葉動力車労働組合(動労千葉)は3月17〜19日、旅客の全組合員を対象とした72時間の春闘ストライキを貫徹した。17日正午から地上勤務者がストに突入し、本線運転士は同日の泊まり勤務から突入し、19日まで打ち抜いた。3日間で昨年の春闘ストを上回る270本の運休を出した。また15〜19日には、全本線運転士を対象とした安全運転闘争に決起し、レール破断の続発に対する安全対策の実施を求めて闘い抜いた。総武快速線と特急列車の120本以上で1分から4分の遅れを出した。ストと安全運転闘争の参加者は延べ約550人に上る。
 動労千葉の05春闘は、帝国主義による戦争と民営化(労組破壊)の攻撃に対する日本労働運動の最先端の闘いだ。また、教育労働者の「日の丸・君が代」強制拒否の闘いと連帯し、3・20国際反戦共同行動へと合流した戦争協力拒否の闘いでもある。
 16日には金属大手を始めとする集中回答が行われ、軒並みベアゼロだった。連合の大手労組はベア要求すら行わず、率先してベアゼロを受け入れた。JR西日本、東海もベアゼロ回答で、西日本は来年度から定期昇給を廃止する。JR東日本とJR貨物の回答は週明けに持ち越された。東日本は、人員を削減し史上空前の利益を上げているが、ゼロ回答を狙っている。貨物は賃金制度の改悪をたくらんでいる。
 動労千葉の春闘ストは、こうした現実に抗して、何よりも大幅賃上げ、賃金制度改悪阻止を掲げて闘われたのである。

 3・17集会からJR抗議行動

 スト突入後、17日午後2時から千葉市文化センターで「05春闘勝利! 安全運転闘争―スト貫徹! 動労千葉総決起集会」が開かれ、JR東日本千葉支社への抗議行動、千葉駅前での街頭宣伝が行われた。これらの一連の行動には支援の労働者を含めて250人が参加した。
 田中康宏委員長は、集会で「素晴らしい闘いに突入した組合員に感謝する。こういう団結こそ社会を変える力だ。労働組合が労働組合としての本当の姿を失っている現状でいいのか。動労千葉は一糸乱れることなく闘いに入ることのできる労働組合であることを示した。本日を期して闘いを貫徹し、JR体制を打倒する決意をあらためて確認したい」と意気高く宣言。
 「労働者の置かれている現実は、生活保護世帯100万世帯、143万人で100人に1人が生計を立てられない。大民営化攻撃がかけられ、一方で自衛隊がイラクに派兵され、憲法改悪や教育基本法改悪が狙われている。労働組合と教育、報道がつぶされたら戦争の道だ。国家を維持するためには戦争をしてもいいという考え方と、労働者の団結した力が社会を動かすという考え方が衝突している」と情勢の特徴を明らかにした。そして「動労千葉は国鉄分割・民営化に対して2波のストライキを闘って20周年になる。国鉄改革の次は教育改革と言われたが、ここまで教基法改悪―改憲を遅らせてきた。この闘いがなければ1047名闘争もなかった。いよいよ国鉄分割・民営化20年に向かって勝負の時だ」と今春闘の意義を鮮明にした。
 三里塚芝山連合空港反対同盟の北原鉱治事務局長が「労働者と農民の連帯、国際連帯で戦争を許さず闘う。三里塚は反戦の砦(とりで)として未来を開く」とあいさつ。また、全金本山労組の青柳充書記長が、「34年間闘い続けて2名の解雇撤回、年齢を問わず就労を希望する者の就労を果たした」と報告、「受けた支援にこたえて闘い続ける」と決意を表明した。
 長田敏之書記長による基調報告などで安全運転闘争を始めとする闘争の課題を明確にし、組合員一丸となって闘い抜いた。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『前進』(2191号2面1)(2005/03/28)

都立高校卒業式 さらに卒・入学式闘争へ
石原・都教委の圧殺を破り 堂々「君が代」不起立貫く

 「10・23都教委通達」から2年目の東京都立高の卒業式において、教育労働者が「日の丸・君が代」強制を断固拒否して不起立闘争に立ち上がった。これに連帯し門前ビラまきが行われた。“2度目は減給処分”や強制異動、嘱託解雇の恫喝、のべ千人もの警察の弾圧体制など、あらゆる重圧で教育労働者に屈服を強制しようとした石原と都教委のもくろみは、完全に破産に追い込まれている。この偉大な決起に続き、3月下旬の卒業式から4月入学式へ、さらに東京で・全国で、「日の丸・君が代」不起立闘争を大きく広げよう。

 不屈に不起立闘った労働者

 石原・都教委・警視庁の不起立闘争圧殺体制、そして都高教本部の制動など、あらゆる重圧を突き破って、今卒業式でも東京の教育労働者は堂々と不起立闘争に立ち上がった。
 A高校では、門前でビラまきをしていた労働者のところに出てきた教育労働者が、「私は今日、立ちません。ビラまきをしているからうれしくなって出てきました。座る人はもう1人います」と声をかけてきた。
 B高校では十数人がビラをまき、弁護士も2人かけつける中、教育労働者が「2度目の不起立をやります!」と宣言し、拍手に送られて学校に入った。「君が代」斉唱時は教育労働者とともに数十人の生徒が着席し、都教委あいさつの時に座った生徒も多い。
 C高校でも、ビラをまく労働者に教育労働者が「今年も生徒と討論をしています。私ももちろん座ります」と声をかけて、校内に入った。
 D高校では、「本当は都高教が闘う方針を出すべきなのに、おかしい」という声がうずまいていた。とりわけビラまき弾圧には「こんなことが起きたら高校じゃなくなる」と怒りが広がり、分会で「警察を呼ぶな」と校長交渉を行った。分会で討論を積み重ね、今年も不起立者を出した。
 E高校では、昨年の被処分者が引き続き不起立を貫いた。式では、校長の祝辞と都教委のあいさつの時、在校生のほぼ全員が「起立」の号令に従わずに不起立して抵抗の意思を示したという。門前ではビラまきとともに、弁護士が生徒や保護者に「歌わない自由、立たない自由があります」と呼びかけ、「座るつもりで来ました」とこたえて学校に入る保護者もいた。
 今回は会場外に出た教育労働者にも「来年は3年の担任。来年の卒業式では座ります」などの声が多い。「10・23通達をまかりとおらせるわけにはいかない」「なんとか反対を貫かなければ」「ここで屈するわけにはいかない」という思いがうずまいているのだ。
 断固とした不起立決起は、闘う方針を求める都高教組合員を大きく揺さぶり、大きな共感を集めている。その中で、3月8日の都高教本部委員会において、本部提案の春闘方針案が3分の1の賛成票しか得られずに否決されるという事態が起きた。“「日の丸・君が代」卒業式闘争に一言も触れない春闘方針とは一体なんだ!”という組合員の怒りがたたきつけられたのである。

 全校ビラまき暗雲切り裂く

 闘う教育労働者に連帯して、あらゆる産別の労働者や市民団体が1〜3月、連日の門前ビラまきに立ち上がったことが、学校現場の暴力的な制圧をうち破る決定的な力となった。
 さらに地域の労組や保護者、地域住民、卒業生などの校長申し入れも数十校で取り組まれた。式前日のリハーサルでも卒業生にビラがまかれた。
 こうして迎えた卒業式当日、都立高のほぼ全校でビラまきが行われ、その参加者はのべ千数百人に及んだ。全国労組交流センター、全学連はほぼ全校に登場。ほかにも都教委包囲ネット、百万人署名運動や各労組、市民団体・住民団体など、何種類ものビラが教育労働者と生徒・保護者に手渡された。弁護士も人権侵害と警察の弾圧を監視する行動に立ち上がった。
 この闘いに震え上がった都教委と警視庁は3月4日に都立野津田高校で2人、8日に都立農産高校で1人を不当逮捕した。しかし「建造物侵入」のデッチあげもできず、野津田高校の2人は翌々日、農産高校の1人も翌日に釈放された。
 この事態は弾圧が百パーセント不正義であることを暴き、教育労働者を大きく激励した。ただちに多くの分会が「校長は警察に通報するな」「警察を招き入れるな」と校長交渉に立ち上がり、校長が警察に通報することを断念した高校も多い。それでも式当日に警察官がやってくると、分会員が駆けつけて警察官に「あなたたちは誰に頼まれてここに来ているんだ」と抗議したり、「帰れ」と追い返したりした。
 警視庁の総力をあげた不当弾圧をうち破ったことが、現場を覆う暗雲を切り裂き、教育労働者の自己解放的な決起をいたるところでつくり出したのである。

 卒業生も抗議の声を上げる

 教育労働者の抵抗闘争とともに、生徒たちも自主的に行動を起こした。
 F高校では式の中で、卒業証書を授与された生徒がマイクを握り、「校長先生と都教委にお願いします。これ以上、先生方をいじめないでいただきたい」と訴え、会場の拍手が鳴りやまなかった。答辞を述べた卒業生も「国旗・国歌」強制と思想統制への危機感を訴え、「『茶色の朝』を迎えないために」と結んだ。
 G高校でも卒業生が声を上げた。同校の校長は、都教委から送り込まれて「都立高校改革」をごり押ししてきた人物。答辞を述べた卒業生は、「進学指導重点校」として「難関大学現役合格者数の向上」ばかりに傾注する現校長が来てから学校の自由な雰囲気が壊されてしまったと全面的に批判し、感動を呼んだ。
 卒業生自身が「立たない・歌わない」行動をまわりに呼びかけ、みなで話し合ってともに不起立した高校も複数にのぼる。

 保護者・地域住民も行動に

 地域住民や保護者も、さまざまな行動に立った。
 H高校では地域住民が数度のビラまきを行い、校長が警察を呼んだことに対して抗議行動を展開した。式当日は20人を超える人が正門前でビラまきやさまざまな訴えを行った。「あの高校の校長はひどい!」と地域でも大きな話題になる中で、式場では生徒も保護者も「君が代」をまったく歌わず押し黙り、校長と都教委職員の声だけが響くというぶざまな姿をさらした。
 I高校では正門でビラをまく人たちに保護者2人がが「こういうビラまきをもっとやるべきよ。私にも配らせて」と一緒にビラをまき、その後、「クラスに行ってまきます」と百数十枚のビラを持って会場に入った。複数の高校で保護者が校内でもビラを配った。
 東京の教育労働者は昨年に引き続いて堂々と不起立闘争に立ち上がり、多くの労働者・市民の共同闘争をつくり出し、「日の丸・君が代」闘争を文字どおり階級闘争の一大焦点に押し上げたのである。
 3月下旬の卒業式、そして4月入学式へ、さらに「日の丸・君が代」不起立闘争を大きく広げよう。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『前進』(2191号2面2)(2005/03/28)

大阪 290人が「不起立宣言」 創意工夫こらし抵抗続く

 卒業式を前に、今春の取り組みをどうするかを、ともに闘ってきた被処分者(「日の丸・君が代」処分と闘う大阪教育労働者の会)の仲間や職場の同僚と話し合いました。
 @東京の闘い、「被処分者の会」「被解雇者の会」「予防訴訟をすすめる会」とどう連帯するか、A大阪で取り組まれているさまざまな抵抗、各職場での取り組みをどのように団結した闘いにしていくか、Bこれから出てくるであろう大阪版「10・23通達」とどう対決するか、などを何度も討論しました。その中から「不起立宣言」をしよう、「私のひと言」を集めようという方針がつくられました。
 討論に時間がかかり、2月5日に予定していた「不起立宣言」集会まで2週間しか残されていませんでした。私たちはこれまでつながりのあるあらゆる人にお願いし声をかけました。その結果、2・5集会は154人の参加で成功し、286人の「不起立宣言・私のひと言」が寄せられました。この「不起立宣言」を持って翌日の東京の2・6集会に参加しました。
 「不起立宣言・私のひと言」には、教育労働者・保護者・生徒らさまざまな人の生の声が集まりました。
 「知花さんの〈日の丸焼き捨て>本当に感動的でした。そして、君が代演奏を拒否して、トランペットをひざの上に置いていた中学生の姿を忘れることはできません。05年春の不起立から闘いは始まります」
 「『君が代』は賀の歌でなく、本歌は『万葉集』の挽歌にあります(藤田友治編『君が代の起源』明石書店より)。葬儀に歌われた歌を卒業式・入学式の『祝』に強制するのは思想・良心の自由を侵害しています」
 こうしたものや、「窮鼠(きゅうそ)ネコをかむぞー」と思わず笑ってしまうものまであります。これを職場で配布しました。「面白かったね」という感想があり、雰囲気が変わりました。もっと多くの人に伝えたいと思います。
     *
 2月24日から府立高校の卒業式が始まりました。「反戦福祉議員ネット」や市民団体から校長に申し入れが行われ、式当日はビラがまかれました(写真)。ある学校では、三つの組合のビラがまかれ市民団体のビラも2種類まかれました。
 教育労働者が式場の様子を支援のビラまきの人に話してくれます。「生徒の多くが着席だった」「『君が代』のテープがうまく流れなかった」「保護者が生き生きと着席していた」「来賓の府議会議員(自民党)が無断欠席した」などなど。あるいは「多くの生徒が起立していた」と悔しそうに話す人もいました。校長が「ビラまきはやめて欲しい」と言ってきたところも多かったようです。
     *
 今年は「不起立宣言」とビラまき・申し入れ行動でずいぶん多くの職場の様子が分かりました。創意工夫をこらして執拗(しつよう)に創造的に抵抗が続いています。これからの課題は、各学校での取り組みを連絡しあい励ましあい、連帯していくことです。もちろん大阪だけでなく全国から連帯する動きをつくり出していく必要があります。
 私は「こんなことをしているのは自分の職場だけではないのだろうか?」と不安に思うことがありました。しかしこの数年間闘い続け、東京(他府県)の不起立決起があり、今年はまだまだ限られた数ですが各職場の様子が分かって、不安はなくなりました。
 全国で「たったひとりで」抵抗を続けている教育労働者に、「絶対ひとりではないよ」「『日の丸・君が代』闘争は教育労働者が闘わざるを得ない闘争だ。だからこんなにたくさんの人たちが処分を受けても闘い続けているんだ」と“生の声”と“現実の闘い”で伝えたいと思います。
 最後に、これは本来労働組合のすることではないでしょうか? 「日の丸・君が代」闘争の進展の過程で、闘う日教組の再生が現実の要請になっていると思います。
  (教育労働者 K)

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『前進』(2191号2面3)(2005/03/28)

山田杉並区長 「支那の発砲で始まった」 中国侵略戦争を居直り

 ファシスト石原の先兵=山田杉並区長が、日帝の侵略戦争を居直り正当化する暴論をまた吐いた。山田は今年の成人式で「特攻隊」を賛美する発言を行い、それを区議会で結柴議員から追及されると「大東亜戦争は自衛戦争」と公言、「つくる会」教科書と同じファシスト的歴史観で第2次世界大戦と、アジア・太平洋戦争を正当化した。

 極右衛星テレビ

 そして今度は3月7日の区議会で、「大東亜戦争の記録と精神を後世に伝える」ことなどを目的とする極右衛星テレビ「チャンネル桜」を杉並区と教育委員会が後援していることを追及され、「支那事変と蘆溝橋事件は支那側からの発砲で始まった」とうそぶいたのである。これを結柴議員、新城議員に再三追及されたが、発言を頑として撤回せず、逆にそれが山田のファシスト的持論であることをますます居直った。
 だが、そもそも「支那事変」という言い方自身が国際的にまったく通用しない。日帝の中国への民族差別と排外主義の許しがたい呼称である。その上で日帝の全面的な中国侵略戦争=日中全面戦争の原因を中国側の「発砲」に求めるのは、歴史を180度ねじ曲げる暴論だ。居直り強盗の論理よりももっとひどい。

 夜間演習と銃声

 そもそも1894年の日清戦争以来の日帝の中国侵略史を直視して見よ。
 @まず日帝は日清戦争で中国から台湾を奪い取り植民地化した。A1900年の義和団の乱の鎮圧に際しては帝国主義8カ国連合軍の一角で1万2千人の最大部隊を派兵し、以後、北京や天津およびその周辺に軍隊を駐屯させ続けた。B日露戦争をへて1910年には、大軍でソウルを制圧し朝鮮を併合した(植民地化)。Cそして第1次大戦に参戦すると同時に1915年に、中国を半植民地化するに等しい「21カ条の要求」を突きつけた。
 D1927〜28年には中国革命に干渉するため「居留民保護」を口実にして3次にわたる山東出兵を強行。Eそして1931年、関東軍が「柳条湖事件」を仕組み中国東北部への宣戦布告なき侵略戦争を開始した(いわゆる満州事変)。Fこうして日清戦争以来、帝国主義の争闘戦激化の中で連綿と継続・拡大された日帝の侵略と植民地化攻撃の上に、必然的に起きたのが1937年7月7日の「蘆溝橋事件」だった。
 この事件ぼっ発に先立って日帝は華北一帯の駐屯軍を3倍に増強している。こうした中で北京郊外、蘆溝橋付近に駐屯する日本軍が7月7日、夜間演習を強行した。この過程でまず「3発」、続いて「10数発」の銃声がとどろいた。日帝はこれを口実に、日本軍が中国側から攻撃されたと言い掛かりをつけ、中国への侵略戦争を仕掛けた。

 全面侵略戦争へ

 これが「蘆溝橋事件」であり、まさに日中全面戦争の発端であった。
 日帝は当初「不拡大方針」を決定した。だが「暴支膺懲(ようちょう)」を叫んで侵略戦争はどんどん拡大し、全面的な戦争に発展した。そしてついには1941年12月8日の対米開戦、米英帝とのアジア・太平洋をめぐる帝国主義的大戦争に転化していった。日帝は日中戦争を長く「支那事変」と呼び、ついで「大東亜戦争」と呼称を変えて、1945年8・15の敗戦まで破滅の道をひたすら突っ走ったのである。
 山田や「つくる会」教科書はこれを「大東亜戦争」「自衛戦争」と美化し、「支那事変は支那側の発砲から始まった」と強弁して、中国侵略戦争をごう然と居直り、正当化しているのだ。その目的は過去の侵略戦争を賛美しつつ、すでに始まっている「新たな15年戦争」を推進していくためだ。青年を再び「特攻隊」へと動員するためだ。これこそファシスト石原と山田の「教育改革」の狙いであり、正体であることを暴露して闘いぬこう。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『前進』(2191号2面4)(2005/03/28)

「つくる会」教科書採択阻め

 山田は石原と同様に「教育」を最大のターゲットにしている。一連の暴言はすべて教育を戦争教育に変えるためのものであり、「つくる会」教科書採択への正面突破の攻撃である。
 山田は何よりも教育労働者を憎悪し、攻撃を集中しようとしている。山田は「チャンネル桜」集会や区議会で「教師は聖職だ。教育労働者などと称し、権利ばかりを主張しているような教師に教育は任せられない」と発言している。
 3月15日の区議会で「つくる会」系の極右反動議員が「学校の敷地内に組合の事務所があるのはおかしい」と質問すると、山田は「それは許されない」と答弁した。これは教育労働者と教職員組合に対する襲撃宣言だ。
 杉並区の幹部職員や区教育委員会も山田支持者で固められ、急速にファシスト的変質を遂げてきている。ファシストによる「杉並区乗っ取り」ともいうべき事態が進行しているのだ。
 区と区教委が「チャンネル桜」を公然と後援していることは、戦慄(せんりつ)すべき事態だ。「チャンネル桜」とは「特攻隊のように日本人は今こそ『桜』にならなければならない」(チャンネル桜通信第2号)という主張のもと設立された極右ファシスト団体だ。創設メンバーは「つくる会」につながる極右反動分子がずらりと名を連ねる。放送の中では「天皇のために死ぬということでなければ自衛隊員は命をかけて戦えない」(「防人の道」なる番組での西村真悟の政策秘書の発言)などと憶面もなく語られている。山田と幹部職員、区教委はこのような極右ファシスト集団と一体化しているのだ。
 杉並をファシストの手に明け渡すな! 6月都議選決戦をファシスト石原=山田打倒の階級決戦として闘い、必ず勝利しよう。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『前進』(2191号2面5)(2005/03/28)

都教委に抗議デモ 全国学生 教育労働者に連帯

 3月10日、法政大学法・文・経営・二教自治会の呼びかけで、「『日の丸・君が代』強制をやめろ! ファシスト石原打倒! 3・10都教委抗議デモ」が闘われた。都立高で「日の丸・君が代」強制粉砕の卒業式決戦が激しく闘われる中で、全国の学生が東京に結集し、ファシスト石原・都教委打倒を真っ向から掲げてデモに決起したことは決定的に重要だ。高校生も参加し、ともにデモを闘いぬいた。
 午後3時、全国の学生と高校生100人が新宿・柏木公園に結集した。この日、全国の学生は、労組交流センターや地域の労働者とともに、早朝から都立高卒業式へのビラまきに決起した。さらに卒業式前日にリハーサルが行われる高校にも登場し、高校生へのビラまきを行ってきた。その行動をやりきって結集した学生たちは、ビラまき時の教育労働者からの激励や、高校生の反応などを早速、お互いに報告しあっていた。
 デモに先立つ集会で、法政大学4学部自治会の代表が基調報告を提起した。3月「日の丸・君が代」決戦を、日帝の世界戦争参戦を阻止する戦時下の階級決戦として大爆発させ、闘う教育労働者と連帯して昨年を超える不起立闘争の拡大をかちとり、ファシスト石原を打倒しようという熱烈な訴えが発せられた。
 続いて東北大、富山大、京都大、広島大の4人の学生が決意表明し、ただちに都庁に向けたデモ行進に出発した。
 「石原知事による『日の丸・君が代』強制反対!」と大書されたのぼり旗と全国の自治会旗を先頭に、デモ隊は新宿西口の大通りへ。沿道の労働者・学生・高校生が圧倒的に注目し、ビラを受け取った。ビルの窓を開けて手を振る労働者の姿もあった。歩道橋にも若者が鈴なりになり、デモに注目した。
 石原都知事のいる都庁第1庁舎前で、デモ隊はひときわ大きく「『日の丸・君が代』強制をやめろ!」「ファシスト石原打倒!」のシュプレヒコールをたたきつけた。さらに隣の第2庁舎内の都教委に対しても、「教育労働者への不当処分をやめろ!」と怒りのシュプレヒコールをあげた。
 右翼の街宣車が対抗的に軍歌を大音量で流しながらやって来た。これこそ石原と都教委の進める「日の丸・君が代」強制の正体だ。デモ隊は右翼の敵対を粉砕してデモを最後まで貫徹した。
 石原は、労働者と学生が団結し決起することを最も恐れている。そして、労働者人民は、ファシストと真っ向から闘う学生運動・労働運動の登場を求めている。3・10都教委抗議デモは、そのことを鮮明に示している。
 全国学生は、ファシスト石原打倒、小泉=奥田打倒を真っ向から掲げ、3月決戦を引き継いで4月新歓闘争の大勝利をかちとろう。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『前進』(2191号2面6)(2005/03/28)

前進社、都革新への不当捜索を弾劾する

 警視庁は3月15日朝、東京都江戸川区の前進社本社を、翌16日午後に杉並区の都政を革新する会事務所を、不当な口実をデッチあげて家宅捜索した。徹底的に弾劾する。
 捜索の口実は、2〜3年前の神奈川県内のマンション賃貸借契約での「氏名不詳」者による「有印私文書偽造・同行使、詐欺」容疑である。しかし、これは、前進社および都革新とはまったく無関係なことである。ただただ革共同および都政を革新する会の政治活動を妨害し弾圧するための口実にほかならない。
 捜索に来た刑事は、「氏名不詳者の事件で、どうして前進社を捜索するのか」という当然の追及に、何ひとつ答えることもできなかったのだ。
 警視庁の理不尽きわまる暴挙は、原則的な闘いによって完全に粉砕された。
 権力の狙いは、「日の丸・君が代」強制拒否−卒業式闘争への政治弾圧であり、同時に3・20イラク反戦、3・27三里塚闘争への予防反革命である。
 捜索が行われた15日朝、警視庁のリークを受けた反共右翼の産経新聞が「都立高に国旗・国歌反対ビラ――中核派 強制捜査へ」というでたらめ記事を掲載した。教育改革攻撃の先兵・産経が、警察の狙いを露骨に表明したのだ。
 不当弾圧に対する革命党と労働者人民の回答は、一層の闘いの爆発だ。さらに入学式闘争の爆発をかちとろう。3・27三里塚闘争に決起しよう。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『前進』(2191号3面1)(2005/03/28)

カクマル打倒へ誓い新た
3・14反革命30年、新指導路線下で本多同志をしのぶ会開く

 革共同の偉大な指導者、本多延嘉前書記長が憎むべき反革命カクマルによって虐殺されてからちょうど30年目の3月14日夜、「本多延嘉同志をしのぶ会」が都内で開かれた。会には、三里塚芝山連合空港反対同盟から北原鉱治事務局長、北富士から天野美恵忍草母の会事務局長、動労千葉から滝口誠特別執行委員が参加し、党内外から60人が集まった。新指導路線のもと、カクマルへの復讐の誓いを新たにし、ともに闘う決意を固めた。

 6回大会の勝利宣言を再確認

 会場には本多同志の遺影と花が飾られた。本多同志とともに破防法被告として裁判闘争を闘った藤原慶久同志が司会を務めた。
 最初に天田三紀夫書記長が革共同からのあいさつを行った。(要旨別掲)
 天田書記長は、3・14反革命を見すえ、そそぎ、のりこえる闘いを貫徹して、今やカクマルとの力関係を完全に逆転し、革共同第6回大会でカクマルに対する勝利宣言を行うところまで到達したことを力強く宣言、本多同志の提起した革命の現実性、労働者階級の自己解放闘争論が、今再びよみがえっていることを強調した。
 59年革共同全国委員会結成以来四十数年、今日われわれは清水丈夫議長のもとに営々たる継承性をもって闘いぬいており、だから必ず勝利できることを宣言した。そして、階級情勢のあまりの激しさ、「日の丸・君が代」強制阻止の連日の闘い、翌日からの動労千葉の順法闘争・春闘ストライキ、3・20国際連帯闘争、3・27三里塚闘争などの連続の中で、今年からこのような形で行うことになったことを説明した。
 そして、今やすべての政治勢力が戦時下の階級闘争において屈服している中で、革共同が唯一無二の革命勢力として存在していることを自覚し、闘うことを呼びかけ、自ら本多同志の遺志を引き継いで先頭に立って闘う決意を表明した。
 カクマルに対するけっして薄れることのない憎悪と敵意、そしてそのファシスト的反動を打ち破ってきた勝利感をもって05年決戦勝利を宣言する烈々たる発言が集いの基調を決定した。

 三里塚、北富士、動労千葉が参加

 破防法弁護団長として、被告団長の本多同志とともに破防法裁判闘争を闘った葉山岳夫弁護士が献杯の音頭をとった。
 葉山さんは、本多さんが逮捕された69年の4月27日に前進社に行ったところから破防法裁判闘争が始まったこと、第1回公判で本多さんが「われわれは裁かれに来たのではない。日本帝国主義・国家権力を裁くためにこの場に来たのだ」と堂々と陳述したことをあらためて想起し、紹介した。カクマルによる本多さんの虐殺を「生涯これほど悔しい思いをしたことがなかった」と振り返り、国鉄分割・民営化をとおしてこの悔しさは全労働者人民のものとなったと語って、革共同とともに闘う決意を明らかにした。参加者全員がカクマルへの復讐の念を新たにしつつ、本多さんをしのびグラスを高くかざした。
 三里塚、北富士、動労千葉から来賓のあいさつを受けた。三里塚の北原さんは、反対同盟と革共同との40年に近い共闘関係について述べ、その中で本多さんとの出会いもあったことを明らかにした。本多さんが北原さんの自宅を訪れ、話をして肝胆相照らす仲になったと回想した。「本多さんの闘いはここにいるみなさんの中にある」と語り、革共同が不屈に前進をとげてきたことをたたえ、これからも革共同と連帯して三里塚に勝つまで闘いぬくことを力を込めて約束した。
 北富士の天野さんは、亡き天野重知組合長が見込んで中核派とのつきあいが始まったと語り、「本当にあなた方と一緒にやってきてよかった」と語った。60年安保闘争の時に国会闘争に行って母の会を結成したこと、それ以来「日の丸」を村から一掃し「闘魂」の旗に代えて闘ってきたこと、「富士を返せ」と自衛隊と米軍に対するゲリラを革共同とともに闘ってきたことを確信をもって語り、最後に杉並都議選での長谷川さんの勝利こそが本多さんにこたえることだと訴えた。
 北原さんと天野さんの、高齢を感じさせない迫力ある連帯の言葉は、参加者全員に強い励ましとなった。
 春闘ストに向かって全力で闘いぬく最中の動労千葉からは、滝口さんがあいさつした。「明日からの順法闘争とそれに続くストライキを、歴史的転換点におけるストとして貫徹したい」と前置きし、彼自身が東京東部の国鉄労働者として本多さんと出会い、その指導を受けたことを懐かしく語った。労働運動を身をていして指導した本多さんの人柄がしのばれた。

 同志、友人らが人柄をしのぶ

 会場から、多くの参加者が発言した。
 『前進』編集長の城戸通隆同志が、「本多さんは早稲田大学新聞の編集長の経歴を持ち、新聞に関する見識を持っていた。新聞とは何かということを含めて多くの教えを受けた」と語り、「情理を兼ね備えた指導者」であった本多同志の遺志を継いで3・14復讐戦を貫徹し、日本革命勝利へ闘う決意を表明した。
 労働者の古参同志として、元全逓労働者の神子高人さんが発言した。神子さんは、「人間は年をとって老いるのではない。夢を失った時に老いるのだ」と述べ、階級的激動期に突入し、まさに夢が開くかどうかというところに来ていると述べた。当局の首切り処分と組合中央の統制処分の二重の処分と闘いぬいた全逓羽田の闘い以来の闘いを踏まえた発言だった。
 獄中17年の迎賓館・横田爆取デッチあげ弾圧の3人の被告(須賀武敏、十亀弘史、板垣宏の3同志)が参加し、代表して須賀同志が発言した。「われわれが困難な時、常に本多さんの言葉に励まされてきた」として、本多同志の論文「70年安保闘争と革命的左翼の任務」(本多著作選第4巻所収)の一節を朗読し、「激動期の行動原理」を貫いて闘うことを表明した。
 早稲田大学で本多さんの後輩として革共同に結集して闘ってきた小野正春さんが、60年安保闘争からカクマルとの分裂過程の思い出を語り、カクマルにとって統一戦線とは相手をつぶすためのものであって、本多さんはそれと真っ向から闘ったことを強調した。
 革共同創成期以来、本多同志とともに闘ってきた宗像啓介さん(部落解放理論センター)が、本多さんは理論と実践が一致した人だったと語った。
 60年安保闘争以来闘いをともにしてきた女性同志が、「マル青労同書記局にあって、労働者同志に信頼されることが重要だと本多さんが教えてくれた。労働者階級の自己解放性への信頼が革共同の神髄だ」と述べた。
 元都議会議員の長谷川英憲氏が、「本多さんが虐殺されたあの朝のことは永遠に忘れない」と述べてカクマルを打倒する決意を表明し、都議選に勝利し石原を打倒する闘いの意義を語った。「石原を過小評価することは30年代ドイツの二の舞いであり、逆に石原を倒せば、日帝打倒の道が開かれる」
 元全学連委員長の金山克巳同志は、「本多さんは『悪いことを報告しろ、組織はそのためにある』と指導してくれた」と思い出を語るとともに、同じ75年に逮捕されて獄中30年を強いられている星野文昭同志をなんとしても奪還することを訴えた。
 さらに多くの発言が続いた後、革命軍から寄せられたメッセージが代読された(別掲)。「(30年たって)カクマルに対する報復戦貫徹・完全打倒の戦闘気概は30倍化している」として、新指導路線のもとに闘いぬくとともに、「必ずや黒田を地獄の底から引きずり出して歴史的大罪の責任をとらせる」と決意が記されていた。それは参加者全員の決意であった。
 カクマルに対する復讐の決意と05年決戦勝利の意志を込めて、全員でインターナショナルを斉唱した。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『前進』(2191号3面6)(2005/03/28)

動労千葉 鉄建公団訴訟始まる 不当解雇の撤回を訴え

 動労千葉の清算事業団被解雇者9人が鉄建公団(現鉄道建設・運輸施設整備支援機構=旧国鉄清算事業団)を相手に雇用関係存在確認などを請求して提訴した訴訟の第1回口頭弁論が、3月11日、東京地裁民事第11部(三代川三千代裁判長)で開かれた。
 この訴訟は、3月7日に結審した国労闘争団の鉄建公団訴訟に続いて昨年12月24日に提訴された。同27日に提訴した全動労争議団を含めて、1047名の三つの闘争団・争議団が団結する重要な闘いである。
 国労闘争団の原告団も多数が傍聴に駆けつけ、「一緒に頑張りましょう」とエールを送った。
 口頭弁論では、代理人を代表して葉山岳夫弁護士が原告側意見陳述の趣旨を提起し、まず浅野史生弁護士が訴状の概要を説明した。この事案は、87年の国鉄分割・民営化の際に動労千葉に所属するがゆえに採用差別され、清算事業団でもまともな就職あっせんをされず、90年に解雇されたものだ。「その原状を回復し、原告らの名誉回復を求める」と述べた。
 佐藤昭夫弁護士は、国鉄再建監理委員会委員長の亀井正夫が「国労、動労を解体しなければならない」と発言したこと、同委員の住田正二(初代のJR東日本社長)が「房総の動労千葉の首を切ってくれ」と国鉄副総裁に言っていたことを暴露した。そして「国家的不当労働行為の存在を明らかにし、人権侵害の救済を図る、憲法の団結権に従った判決を」と訴えた。
 原告の高石正博さんが意見陳述に立った。動労千葉組合員は、原告の9人を含む12人が新会社への採用を拒否された。その後、千葉地労委の審問で85年11月と86年1月のストの際の停職6カ月または2度の停職が理由であることが明らかになった。ストに対して解雇28人を始めとする処分が強行されたが、一審で13人が解雇無効となり、高裁では28人全員の解雇撤回で和解した。停職処分も不当だったことを物語っている。応募が募集人数に達しなかったにもかかわらず採用を拒否したことは不当である。
 高石さんは、「清算事業団の3年間、再就職先について管理者からは説明を受けず、朝夕の点呼だけで、『90年3月まで再就職しないで置いておくだけの職員だと確認できれば、片付いている』と、最初から解雇を目的にしていた。解雇はさかのぼって撤回されるべきだ」と訴えた。
 次回の口頭弁論は、5月25日、東京地裁710号法廷で開かれる。

 中労委に命令交付求め宣伝

 動労千葉組合員は、この後、春闘総行動の一環として中央労働委員会に対する宣伝を行った(写真上)。動労千葉に対する不当労働行為事件で中労委に係属している事件のうち6件がすでに結審している。運転士登用差別事件は10年以上も命令待ちである。これらに対して直ちに救済命令を交付するよう求めた。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『前進』(2191号6面1)(2005/03/28)

百万人署名運動 3・20の前段集会を開く

不起立の教育労働者に熱い拍手 田中動労千葉委員長がスト報告

 全世界のイラク反戦と連帯

 3・20国際共同行動の本集会に先立ち、正午から日比谷公会堂横のにれの木広場で、「とめよう戦争への道!百万人署名運動」の独自アピールが行われた。各地の百万人署名運動連絡会、労働組合、女性団体、三里塚芝山連合空港反対同盟を始めとする住民団体、全学連など1500人を超える労働者人民が大結集した。とりわけ05春闘に安全運転闘争、72時間ストライキで決起した動労千葉の大隊列が参加者を奮い立たせた。広場には組合旗やのぼり旗が林立し戦闘的熱気に包まれた。
 冒頭、司会者が、「今日の闘いは米・英・イタリアなど全世界のイラク反戦デモと連帯して闘われている」と強調し、「自衛隊の即時撤兵、戦争への道を断ち切るために全力で闘おう」と呼びかけた。
 兵庫連絡会の代表は、「イラク開戦から2年、10万人以上の人びとが侵略戦争と占領によって殺された。私たちは今春予定されている伊丹の中部方面隊第3師団のイラク派兵に反対して闘っていく。今日を皮切りに闘いを強めよう」と呼びかけた。

 「日の丸・君が代」強制に怒り

 多くの発言の中で特に、ファシスト石原・都教委の「日の丸・君が代」強制に抗して今春卒業式を不起立で闘った都立高校の教育労働者の発言に、満場の圧倒的拍手が送られた。「卒業式では警察が学校の中まで入り、教員・生徒・保護者を監視している。それでも多くの人たちがビラまきに立ち上がる中で、私たちは孤立していない。現在まで50人を超える教育労働者が不起立した。処分を恐れず闘う教職員がこれだけいるということです。この闘いこそ教育基本法改悪、改憲を阻止し、イラクから自衛隊を撤退させる闘いです。子どもたちを戦場に送らないために、労働者は戦争への協力命令を拒否してともに闘いましょう」
 ストライキを打ち抜いて大結集した動労千葉の田中康宏委員長の発言に大きな拍手が寄せられた。田中委員長は、「戦争と民営化の嵐が吹き荒れ、労働者の権利が虫けらのように踏みにじられている。民営化でJR職場では労働者が犠牲にされ、レールが折れるという現実だ。それなのに動労千葉以外に闘う労働組合がいない。これでいいのかという思いで、私たちはストライキに立ち上がった」と語った。そして、「労働者が団結して立ち上がった時、戦争を止められる。世界を変えられる。ともに団結して闘おう」と呼びかけた。
 部落解放同盟全国連合会の金平通雄共闘部長は、最高裁の3・16狭山第2次再審請求棄却決定を怒りを込めて弾劾した。そして戦時下の部落解放運動破壊と対決してイラク反戦を闘い、「5・22〜23狭山中央闘争・人権擁護法案粉砕闘争に総決起を」と呼びかけた。解同全国連と部落解放共闘は、この日の朝10時から日比谷小公園で棄却決定徹底糾弾の集会を開いた。

 元自衛官、闘う弁護士が発言

 「とめよう戦争!隊員家族と元自衛官連絡会」の三尾雅信さん(元自衛官)は、「自衛官は私たち労働者の仲間、ともに反戦を闘うべき仲間です。皆さんの呼びかけが彼らに勇気を与え決起を導きます。ともに声を上げてください」と訴えた。
 神奈川県湘北連絡会の西村綾子相模原市議は、3000人で座間基地を包囲した2・19闘争の成功を報告し、米陸軍第1軍団司令部の座間移転を、沖縄の闘いと連帯して絶対に阻止しようと訴えた。
 改憲に立ち向かう弁護士戦線から「憲法と人権の日弁連をめざす会」代表の高山俊吉弁護士が発言した。高山さんは「改憲の凶暴な動きに対して、全国の弁護士が立ち上がっている。不起立闘争に、そして改憲に向けた国民投票法案に対して、全国津々浦々で弁護士が闘っている」と述べ、「人の心の内側まで入り込んで問題にする共謀罪は権力者の瓦解(がかい)の危機の表れです。私たちの闘いが大きく進んでいるあかしです。『改憲と司法改革に反対する4・27大集会』に結集して下さい。弁護士会館大講堂クレオを、憲法を守る人民の闘いの砦(とりで)にしよう」と熱烈に呼びかけた。
 「日の丸・君が代」強制反対を闘ってきた高校生も力強く発言し、抱負を語った。「反戦を闘う高校生の組織をつくりたい。この黄色い旗のもとに高校生はぜひ集まってください。一緒に戦争協力拒否の運動を広げていきましょう」
 結びを百万人署名運動呼びかけ人の佐藤昭夫弁護士が提起した。佐藤さんは、「自民党や政府は『日本の伝統や文化』と言うが、それは侵略戦争の伝統、侵略戦争の文化ではないか」と述べ、「言葉にだまされず、現実を見よう」「イラク反戦を闘い、今日の集会を大きな一歩として憲法改悪反対運動を強めていこう」と締めくくった。
 この熱気をもって百万人署名運動は日比谷野音の本集会に大隊列で合流し、デモを戦闘的に牽引(けんいん)した。

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『前進』(2191号6面2)(2005/03/28)

全世界で一斉行動

 3月19日、ロンドンではイギリス反戦連合主催の集会に15万人が結集した。イギリスで巨大な反戦闘争の高揚が再び始まったのだ。同日、グラスゴーでも反戦連合の集会があった。
 アメリカでは、全国各地で集会が行われた。ニューヨークでは2万人がデモをして、百万人労働者行進運動(MWM)やANSWERなどが呼びかけた「トゥループス・アウト・ナウ(即時撤兵)」の集会に結集した。
 サンフランシスコでは、ILWUローカル10(国際港湾倉庫労働組合第10支部)が、早朝から湾岸の全港湾の荷役作業を全面ストップして、湾岸地域の労組とANSWER主催の集会に参加した。同市のデモは1万人以上になった。
 韓国では、19〜20日にソウルを始め7都市で国際反戦闘争が行われた。
 イラクの隣国、トルコのイスタンブールでは1万5000人のデモが行われた。
 (詳報次号)

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『前進』(2191号6面3)(2005/03/28)

レール破断への対策求め動労千葉が安全運転闘争
 スト突入と一体 大衆的な支持と共感

 動労千葉の春闘ストライキと安全運転闘争は、労働者人民の圧倒的な支持を受けて闘われた。特に、相次ぐレール破断などの原因究明と抜本的な安全対策を求めたことが共感を集めた。動労千葉には「スト支持」の電話やメールなどが数多く寄せられた。また、16日に幕張支部と動労千葉を支援する会が行った津田沼駅頭宣伝などでは、かつてなくビラの受け取りがよく、「1週間でも1カ月でもストをやってほしい」という激励の声もあった。動労千葉の掲げた課題は全労働者の要求なのだ。

 重大事故発生の危機を訴え

 JR東日本千葉支社管内では、2月以降1カ月足らずの間に、5件ものレール破断などが起きている(写真参照)。まず2月13日に総武快速線の津田沼〜稲毛間でレールが折れた。27日には鹿島線の鹿島神宮〜鹿島スタジアム間でレールが折れた。3月3日に成田線滑河駅でレールのつなぎ板のボルトが折損した。5日には総武快速線の市川〜船橋間でレールが折れた。さらに10日には総武快速線下りの幕張電車区のすぐ脇で、線路と枕木を締結する金具とボルトが抜け落ちているのが発見された。その周辺のボルトもゆるんでいた。昨年も同時期にレール破断などが相次いで発見され、動労千葉が抜本的な対策を求めたが、またも同様の事態が繰り返されているのだ。保線業務の外注化、検査周期の延伸、列車のスピードアップなどが原因であることは明らかなのだ。まさに国鉄分割・民営化―JR体制の破綻(はたん)である。
 イギリスでも国鉄が分割・民営化された結果、重大事故が相次いでいる。99年にラドブローク・グローブで起きた列車の脱線・転覆事故では死者32人を出した。00年のハットフィールドの事故では死者4人だ。いずれもレールが折れたことが原因だ。最近、ハットフィールド事故の裁判があり、イギリスの『メトロ』紙は、「線路は砕け300の破片と化した」「事故の原因となった線路のヒビは事故の1年9カ月前に発見されていた」「しかし補修は行われておらず、交換用のレールは用意されたが、6カ月間、ただ当該個所の横に置かれたままだった」と報じている。JRでも同様の重大事故が起きる危険があるのだ。
 これに対して、動労千葉はついに安全運転闘争(減速運転)に踏み切った。国鉄時代で言えば「順法闘争」である。反合・運転保安確立を求める闘いであり、鉄道労働者としての誇りをかけた闘いである。
 この闘争はレール破断などが起きた線区を対象にした。総武快速線(東京〜千葉間)は成田エクスプレスなどの特急列車は最高速度130`、快速列車は同120`を100`に制限。鹿島線(香取〜鹿島スタジアム間)は70`に制限。成田線滑河駅構内は10`ダウンする戦術だ。
 この安全運転闘争に対して、JR当局は管理者2人が運転士を背面監視するという許しがたい対応をとり、不当処分をも狙ったが、動労千葉は断固として闘争を貫徹した。
 動労千葉の要求は、@総力を結集して徹底した原因究明を行うこと、Aベテランの保線労働者による管内全線区の徹底した総点検を行い、その結果を明らかにすること、Bシェリング傷(貝殻模様の傷)やきしみ割れの認められる全個所についてレール交換を行うこと、C前記の対策が終了するまでの間、列車の最高速度を制限すること、D線路検査周期を延伸前に戻すこと、E保線・電力・信通などの業務について直営を中心とした執行体制に戻すこと――である。
 動労千葉は、安全運転闘争に突入し、ストを配置してJR千葉支社との団体交渉を繰り返したが、千葉支社は「原因は分からない」「安全には問題ない」などと、レール破断の隠ぺいと責任逃れに終始した。これを許さず、敢然とストに突入したのだ。

 原職復帰・運転士登用を要求

 賃上げと反合・運転保安確立の要求のほかに、動労千葉は諸要求を掲げた。
 まず、強制配転者の原職復帰だ。04春闘以来、12人が幕張電車区に復帰する成果をかちとったが、さらに運転士資格を持ちながら登用されていない組合員の運転士登用を求めた。
 国鉄分割・民営化20年に向けた「国鉄改革の総決算」情勢の中で、国労の配属差別事件について和解し、昇進差別事件についても和解しようとしている。これは国労を全面屈服させる攻撃であるが、他方ではJRが差別していたことを認めることでもある。動労千葉は、この機をとらえてJR資本とJR総連カクマルの結託体制を打倒する攻勢に打って出る構えだ。
 次に、シニア制度の撤廃だ。60歳定年で退職後に関連会社への再就職を「紹介」する制度だが、業務の外注化に反対する動労千葉組合員を排除する許しがたいものだ。動労千葉は、外注化を阻止し、シニア制度を拒否してきた。高年齢者等雇用安定法改正により、06年度から65歳までの雇用確保措置の導入が事業主の義務となる中で、JRも06年度からは動労千葉を排除することはできない。
 さらに、1047名闘争勝利に向けて、鉄建公団訴訟に立ち、JR資本と闘うことで解雇撤回・JR復帰をめざす闘いである。
 こうした中で組織拡大の実現へ全力を挙げた。
 また、昨年11・7労働者集会の地平を発展させる国際連帯闘争として、そして弾圧と闘う全日建運輸連帯労組関西地区生コン支部に連帯して闘われた。この春闘ストを実現した動労千葉とともに、階級的労働運動の再生へ闘おう。

 続発するレール破断

▼2月13日、総武快速線の津田沼〜稲毛間でレールが折れた(開口30_)▼2月27日、鹿島線の鹿島神宮〜スタジアム間でレールが折れた(開口40_)▼3月3日、成田線滑河駅でレールのつなぎ板のボルトが折損(レールの遊間32_)▼3月5日、総武快速線の市川〜船橋間でレールが折れた(開口16_)=写真上▼3月10日、総武快速線の幕張電車区の脇でレールと枕木を結ぶ金具とボルトが抜け落ちた=写真下

------------------------TOPへ---------------------------

週刊『前進』(2191号6面4)(2005/03/28)

狭山棄却に緊急行動 解同全国連が最高裁糾弾 石川さんと怒りを共有

 最高裁第1小法廷(島田仁郎裁判長)が狭山事件の第2次再審請求棄却に対する特別抗告を3月16日付で棄却してきた。18日、部落解放同盟全国連合会と解放共闘に結集する全国の部落大衆、労働者、学生ら50人は怒りの緊急抗議闘争に決起した。事実調べをせず、またも差別決定を出してきたことに激しく怒り、生涯かけて闘うと宣言した石川一雄さん(17日、記者会見)と固く連帯して最高裁を徹底的に糾弾した。
 午前、永田町の星陵会館で集会を開いた後、機動隊と私服の妨害をはねのけ、抗議の街頭宣伝をやりぬいた。昼休みの1時間、最高裁前を席巻、棄却決定糾弾と大書した横断幕を掲げ、怒りのシュプレヒコールとアジテーション、ビラ配りを行い、注目された。
 午後、再び最高裁前に登場し、解同全国連中央本部を始め10団体が棄却決定を激しく糾弾する文書を島田仁郎裁判長に提出した。最後に最高裁糾弾のシュプレヒコールをたたきつけた。
 午前の集会では、全国連中央の楠木吉秀事務局長が「3月24日に弁護団の文書提出を受けると約束しておきながら、このような抜き打ち決定を強行するとは許し難い。石川さんの激しい怒りと結びついて狭山闘争の爆発の機運が生まれている。これへの反動的な挑戦だ。狭山闘争を本格的糾弾闘争として発展させ、勝利の道を開こう」と訴えた。
 次に茨城県連の井橋昌夫事務局長が「決定は『(石川さんが)自らの意思、感情を的確に表現する文書を作成し得るだけの能力は身につけていた』と認定している。当時の石川さんは差別を受け、そのような能力を持っていなかった。島田は最初から石川さんを犯人と決めつけている。裁判に値しない」と糾弾した。

 勝つまで一生闘う 石川一雄さん怒りの会見

 新証拠を調べる前に裁判所から封書が届いたので悪い知らせだと直感した。中を見て棄却だと分かり、憤りをもって読んだ。これほどの怒りをもったことはない。新証拠を裁判所はきちんと見ていない。一方的な決定だ。新証拠の鑑定人への質問をしていない。裁判官を許すことができない。とりわけ怒りをもったのは私が「脅迫状を書けた」というところ。冤罪が晴れるまで一生闘いぬく。何年かかるか分からないが、勝つまで最後までやる。

------------------------TOPへ---------------------------