ZENSHIN 2002/02/11(No2040
p08)
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週刊『前進』(2040号1面1)
革共同の2月アピール
戦犯ブッシュ訪日阻止せよ
極反動小泉を今こそ打倒し 有事立法・改憲阻止決戦へ
国際的内乱を闘う強固な党の建設を
闘うイスラム諸国人民・闘うアジア人民との連帯をかけて2・17ブッシュ訪日阻止・日米首脳会談粉砕闘争へ総決起しよう。2月中旬の自衛隊艦隊第3次出兵阻止闘争を全国で闘おう。田中外相更迭問題でかつてない危機を深める超反動・小泉を今こそ打倒し、有事立法・改憲阻止決戦と02春闘に全力で決起する時だ。さらに1・24狭山異議審棄却攻撃に対し、1・25、1・28の怒りの決起を引き継ぎ、3月3、4日の部落解放同盟全国連第11回大会へ総結集しよう! 星野文昭同志、爆取デッチあげ4同志ら超長期獄中同志奪還へ闘おう。10万人署名の実現を訴える。
第1章 パレスチナ解放闘争に血債かけて連帯を
米帝とイスラエルによるパレスチナ人民抹殺攻撃の激化の中で、パレスチナ解放闘争は、現在、実に重大な段階に突入した。アラファト議長の「武装闘争の禁止宣言」の制動が全面的に打ち破られ、不退転の戦闘にパレスチナ解放闘争が突入した。この局面の重大性を日本プロレタリアート人民は、しっかりと自覚し、ともに決起しなければならない。
パレスチナでは、一昨年9月のシャロンの聖地訪問という行為に対し、インティファーダ(民衆蜂起)が巻き起こった。そして昨年3月に発足したイスラエルのシャロン政権の下でイスラエルと米帝のオスロ合意さえ踏みにじる凶暴な軍事作戦が強行されてきた。
イスラエル・シャロン政権は昨年12月4日の閣議で、アラファト自治政府を「テロ支援体制」と宣言し、パレスチナ自治政府への対テロ戦争宣言を行った。パウエル米国務長官は、「シャロン首相は彼の国民を守るため、正しいと思っていることをやっている」と「報復攻撃」と称する虐殺行為を公然と支持した。
イスラエル軍は、12月13日のパレスチナ放送のテレビ・ラジオセンターへの砲撃・破壊、15日のアラファト議長府への空爆などの白色テロ、破壊と虐殺を連日繰り広げている。
そして米帝は、ジニ特別顧問を派遣しアラファト議長にイスラエルのリストに基づく最重要な30人の指導者の逮捕を含む19項目のテロ対策要求を突きつけ、一方的圧力を加えた。そして14日、国連安保理でチュニジアが提出した暴力停止要求決議に米帝は拒否権を発動し、決議を否決させた。
こうした中で、アラファト議長は16日、屈服的な「イスラエルに対する武装闘争の禁止宣言」を行った。パレスチナの武装闘争は完全禁止、そしてアラファト・自治政府による武装闘争グループへの武力襲撃と逮捕のもとで、イスラエルによる虐殺と破壊はフリーハンドというあり方は最初から破産していた。
そういう経過を経て、自爆テロの封印はついに解かれたのだ。アラファト議長に12月20日自爆テロ停止声明を出していたパレスチナ武装組織ハマスも、1月9日イスラエル陣地への戦闘に突入し、これに呼応してイスラム聖戦の武装部門も1月10日に「武装闘争停止」の破棄を発表し、全面戦争に突入した。
1月17日、イスラエル北部のハデラで起こったパーティー会場での銃乱射は、アラファト議長が率いるファタハの武装部門の戦闘である。14日、ファタハの武装部門タンジームの指導者ライド・カミル氏をイスラエル軍が暗殺した。これに対して、タンジームは「もやは停戦指令に従う義務はない」と停戦破棄の声明を出し、戦闘に突入したのだ。
数万人の人びとが1月23日、パレスチナ自治区ナブルスの中心街を埋めた。前日、イスラエル軍に虐殺されたハマスの活動家ユーセフ・アッサルカジー氏ら4人の葬儀に集まったのである。緑の布を頭に巻き付けた少年が目立つ。ハマスの旗だ。8歳だというアフマド君が言う。「おれもシャヒード(殉教者)になるんだ」
1月25日イスラエル最大の都市テルアビブの中心街で自爆テロが敢行された。そして1月27日、西エルサレム中心部で起きた自爆テロは、パレスチナ赤新月社職員のワファ・イドリスさんである。女性による初めての自爆闘争への決起だ。この事態は、先の少年の決意とともに、対イスラエル武装闘争の深く広い全人民的な発展を示している。
また、1月15日、自治政府による、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)のアフマド・サアダト議長の逮捕に対して、自治区ガザやラマラでPFLP支持者数百人の抗議デモが巻き起こった。デモ―それはパレスチナでは掛け値なしの決死の決起である。日本の労働者階級人民は、少年の決起、女性の自爆テロ決起、広範な大衆の決死の蜂起に示されるパレスチナの全人民的蜂起に血債をかけて断固として連帯しなければならない。
チェイニー米副大統領は27日、アラファト議長にテロ根絶への「100%の対応」を要求し、応じなければ関係を断絶すると脅しをかけている。
しかしイスラエル・シャロン政権と米帝に未来はない。イスラエル軍の予備役の士官クラス50人が25日、イスラエルの新聞で、軍務を拒否する手紙を発表した。「われわれはパレスチナ人全体に対する圧迫、追放、破壊、封鎖、暗殺、侮辱行為などを遂行するために西岸とガザでの戦闘にかかわることをやめる」と宣言した。パレスチナの占領や抑圧を求める軍務は「国家の安全保障とは関係ない」と宣明しているのである。イスラエルの階級矛盾が激化している。
今こそ闘うイスラム諸国人民と連帯し、アフガン・中東侵略戦争を国際的内乱に転化するために闘おう!
第2章 有事法攻撃の激化と小泉打倒情勢の到来
こうした世界危機の世界戦争への転化の情勢の中で、日米争闘戦が非和解的に激化している。とりわけアジアをめぐる日米争闘戦の激化が重大である。その背後にある、米帝経済の危機の爆発、日帝経済危機の爆発が深刻である。米帝バブルが大崩壊し、米帝経済危機の全面的爆発のもとで、世界経済全体が29年型世界大恐慌の過程に突入した。
米帝ブッシュは1月29日、一般教書演説で「対テロ戦争は始まったばかり」と北朝鮮、イラク、イランを名指しし、全世界への戦争の拡大・激化を宣言し、他方、「経済安全保障」と争闘戦の激化政策を宣言した。米国防予算を15%増加し、それさえブッシュは「手付け金にすぎない」と言っている。
2月日米首脳会談は、アフガニスタン情勢、東アジアの安全保障、日本経済問題が議題になる。アーミテージ米国務副長官の「もう一つの『旗』を見せよ」の発言は、日本に対する構造改革・不良債権処理の要求の激しさを示している。それは29年型世界大恐慌の過程の深まりの中で、日米争闘戦が非和解化しているということである。
こうした背景のもと、日帝は有事立法・改憲攻撃の全面的突進を決断した。
有事立法は、戦争への国家総動員体制への道であり、改憲攻撃そのものだ。
有事立法攻撃の核心的本質は非常事態(宣言)法ということにあり、緊急時の憲法の停止である。超憲法的行為、行動の権利を行政権力や軍隊に与えるということである。それは治安維持法や軍機保護法と一体のものとなる。
そして有事立法攻撃とは、実質的な戦争準備体制、国家総動員体制の構築のための大攻撃であり、しかもそれは一般的な準備ではなく、対アフガニスタン・中東侵略戦争、対中国(北朝鮮)・アジア侵略戦争のための具体的な戦争体制づくりそのものである。
日帝の有事法制攻撃への踏み切りは、日本階級闘争の重大な歴史的決戦への突入を告げ知らせている。
今通常国会で、日帝・小泉政権は、有事立法攻撃の決定的突破をはかろうと決断している。戦争国家化、有事立法・改憲攻撃のあまりの凶暴さが、田中外相の更迭をもたらした。
小泉の「改革」「抵抗勢力と闘う」なる掛け声の虚飾がはげ落ち、戦争と有事立法・改憲、大失業と賃下げの一大資本攻勢という、その反労働者的、反人民的正体が暴かれ始めている。
だが田中更迭問題の本質は、アフガン復興会議そのものが、米帝の大虐殺戦争を正当化し、アフガンにかいらい政権を立て植民地支配を行おうとする帝国主義主導の強盗会議だというところにある。日帝・小泉が主催国となって、この帝国主義間争闘戦にのりだしていること、それをテコに有事立法・改憲攻撃に突進していることである。日帝・小泉政権とその「構造改革」路線に生じた今回の亀裂を積極的に突きまくり、日帝・小泉超反動政権打倒の階級的攻勢を一挙に強めよう。小泉への怒りを戦争国家づくりに対する怒りとして大爆発させよう。
小泉首相は2月1日の施政方針演説で、有事法制に関する基本姿勢を打ちだし、一挙に推進しようとしている。「基本法」と第1・第2分類一括提案の方向で、3月下旬にも国会に関連法案を提出しようと急ピッチで準備を進めている。
政府の有事法制についての基本方針として自民党国防関係部会で報告された「有事法制の整備について」は、有事の対象を「防衛出動の前段階」にまで広げており、「安全保障をめぐる環境の変化を踏まえ」と称して、「大規模テロなど」「新たな事態への対応を図ることが重要」と打ち出しているのである。
小泉首相は、「有事は戦争だけじゃない。テロもある。不審船もある。らち問題もある。そのための態勢をどうしていくかということだ」と有事の概念を無限に拡大し、「治にいて乱を忘れず」「備えあれば憂いなし」と称して真っ向から挑戦してきている。
昨年12月22日、米軍・自衛隊の連携のもと、海上保安庁が小型外国船を撃沈し15人を虐殺したことは超重大事態である。公海上で、銃撃し、撃沈し、虐殺することは、宣戦布告なき戦争行為である。自ら強引に対中国・対北朝鮮の侵略戦争に突入し、有事をつくり出し、「反テロ」大合唱と扇動に全政党党派が屈服していることに乗じて、一挙に有事立法攻撃を正面突破しようとしているのだ。
沖縄・三里塚勝利を
沖縄情勢は、9・11―10・7をもって一変した。沖縄闘争は、国際的内乱の最前線である。沖縄の新基地建設阻止闘争の爆発は、米帝ブッシュ、日帝・小泉との最大の闘いである。沖縄闘争は、アフガン・パレスチナ反戦闘争の最大の攻防点であり、有事法制との対決の最先端の闘いである。沖縄闘争は、名護市長選に宮城やすひろ氏が立候補したことにより、沖縄人民の怒りのマグマが出口を見いだし、昨年までの一種のこう着状況を突き破り、歴史的大激動へと突入した。
三里塚闘争は、反戦闘争、有事立法闘争のもう一つの柱である。反対同盟は年頭にあたって、「暴虐きわまる追い出し攻撃を粉砕し滑走路延長を絶対阻止する。戦争反対への思いのすべてを注ぎ、本格的に動き出した有事法制・改憲攻撃と闘う決意である」と宣言した。反戦の砦(とりで)、三里塚をめぐる攻防は、日帝の有事立法攻撃との闘いの最大の実体である。日帝も三里塚闘争の破壊に決戦的に挑んできている。
2月中旬、全国で自衛隊第3次出兵阻止闘争を闘い、2・17ブッシュ訪日阻止・日米首脳会談粉砕に総決起しよう。
02春闘の爆発へ
動労千葉は、02春闘「3カ月間決戦」の闘争体制を確立した。02春闘を第二の分割・民営化攻撃粉砕、労働運動の再生への重大な闘いとして位置づけ、闘いの課題を鮮明にして決戦に突入した。動労千葉と連帯し、国労中央委員会決戦から、02春闘へまっしぐらに突き進もう。
国鉄決戦は、2・3国労拡大中央委員会をめぐる激烈な攻防の中で、一層の激突情勢に突入している。
中央委員会を目前に控えた1月28日、闘う国労闘争団員・遺族283人が、東京地裁に鉄建公団(旧国鉄・清算事業団を継承)を相手にした新たな訴訟を起こした。国労本部の統制処分や生活援助金の打ち切りというあらゆる卑劣な恫喝にも屈せず、闘争団の正義を貫く闘いである。一人の首切りも許さないという労働組合の原点を守り抜く闘いである。
今こそ、闘争団とJR本体の国労組合員が一体となり、国労解体攻撃をはね返し、4党合意破棄、高嶋―寺内執行部打倒、闘う執行部の樹立、闘う国労の再生へ、激突情勢を断固として勝ち抜こう。
ここでの勝利が、02春闘決戦の爆発をこじ開け、連合の帝国主義的労働運動、日共スターリン主義と全労連、JR総連カクマルのファシスト労働運動を打ち砕き、帝国主義を打倒する労働運動の旗を打ち立てる革命的突破口となる。
02春闘における資本攻勢は激烈である。今年の日経連労問研報告は、9・11情勢、世界恐慌突入情勢の中で「賃金引き上げは論外」「ベア見送りにとどまらず、定昇の凍結・見直し」「緊急避難的なワークシェアリングも含め、これまでにない施策に思いきって踏み込む」「治安維持が重要」「警察官の増員」「教育改革」等々、労働者階級に徹底した賃下げと首切り、奴隷の道をさらに強制して行く露骨な宣言である。実際に労働者階級を襲っている現実は、12月の完全失業率が5・6%と史上最悪を記録し、しかも2001年年間をとおして給与総額が1・2%減った(厚生労働省、31日発表)という深刻な事態なのである。
その先兵になっている連合の帝国主義的労働運動、JR総連のファシスト労働運動を打倒し、階級的、原則的に闘う中にこそ労働者の生きる道がある。
第3章 階級の勝利のかぎは強固な革命党建設だ
わが革共同が第6回全国大会で明確にした戦争と革命の21世紀としての現実が一挙に引き寄せられている。現在のわれわれの活動の一切を規定しているものは、革命的情勢の急速な接近である。9・11反米ゲリラ戦争によって切り開かれた国際的内乱の情勢に、決意も新たに革共同の革命的な自己変革をかちとっていかなければならない。何よりも、革命的な宣伝・扇動を展開し、革命的大衆行動を組織し、革命を遂行しうる真の革命党組織を建設することが急務である。
第一は、党活動の3原則を原則的にたゆみなく貫き実現することが成功の秘訣(ひけつ)をなすということだ。
「われわれの党は、権力のための闘争を前衛的に指導できるような革命的自覚に燃え、『鉄の規律』と『党生活の三原則』で武装された『革命家の組織』として建設されねばならない。苛烈(かれつ)な権力闘争と広大な党の階級的・実体的基礎という矛盾は、厳格な革命的中央集権制の樹立によってしか解決できない」(『清水丈夫選集』第3巻、499n)のである。歴史的決戦の到来は、党に飛躍と再確立を求める。だから党建設の闘いは、解党主義的傾向との非妥協的闘争を必要とする。
ここで絶対的前提として確認すべきことは、非公然体制抜きには、革命は遂行できないということである。
第二は、財政闘争に絶対に勝利することである。02年が要請する党の一大飛躍は、財政闘争での飛躍として核心的に問われる。党組織と党員の革命的資質は、財政問題、機関紙財政問題として現れる。革命的情勢の急速な接近という重大な情勢を前にして、われわれは、機関紙財政危機、党財政危機に真っ向から取り組み、格闘している。その抜本的改善をかちとらなければならない。
ここで重要なことは、党の非合法・非公然体制を建設・防衛し、『前進』発行を行うことが党建設の出発点だということだ。そのために、党はその第一歩において、全党の力を集中して財政と人を投入して、党の非合法・非公然体制を構築し、機関紙を発行するのである。
ここで、『前進』の発行は結党以来、分担制度によって党員が必要な資金を持ち寄って実現してきたことをあらためて確認しておきたい。コミンテルン第3回大会のテーゼでも「共産主義新聞は、たえず大きな物質的および財政的な犠牲を払うことによってのみ、これを維持することができるであろう。新聞を充実し、内部的に改善するための資金は、たえず党員から提供されなければならないが、……やがては新聞はきわめて広く普及し、組織的に確立されて、それ自体、共産主義運動の物質的支柱に変わりはじめるであろう」と述べられている。
機関紙・誌は、組織の資金で発行するのであり、必要な資金は党員が分担しなければならない。これは革命党の基本的あり方である。それをつくり出す必死の闘いが党を確立していくのである。ここで頑張り抜いて、「物質的支柱」にまで発展させるために不退転に闘おう。02年の偉大な決戦は、この課題と果敢に挑戦し抜くことをとおして開かれるのだ。
第三に、あらゆる闘いを『前進』拡大、党勢倍増に集約していく活動のあり方を基本に据えることである。党実体の一定の量的拡大、党勢2倍化は革命の勝利にとって絶対必要だ。方針が正しければ革命に勝利するということにはならない。労働者階級大衆にそれを提起する、伝える能力なしには革命に勝利できない。胸躍る革命の時代に対応する最大の回答は、まさに強大な党の建設である。
それを、学習会活動の意欲的、積極的な取り組みをもって、闘争と結合してやり抜くことである。全党と全支持者が第一線、第一級の活動家になる闘いを遂行することである。現在の重層的な決戦の連続に断固勝利して、巨大な階級的責任を全うするためには、闘争と党建設の完全な一体的推進以外にないのである。
レーニンは、ロシア革命運動の「分散と動揺の時期」に『なにをなすべきか?』を著し、1905年のモスクワ蜂起をへて、1917年のロシア革命の勝利を実現した。全国的政治新聞の発行、ここに蜂起―革命の勝利の一切をかけて、非合法のロシアで、『イスクラ』発行を出発点に革命を構想しやり遂げた。
わが革共同は、すでに全国的政治新聞である『前進』を定期的に発行しているのである。この全面的活用を軸とした党活動の確立こそ革命勝利への道であり、今日の実際の闘いの中に断固として貫かなければならない。
革共同の第6回大会路線と政治局1・1アピール−革共同の9・11論でしっかりと討議・武装し、反帝国主義・反スターリン主義の綱領・理論・思想の革命性、優位性への限りない確信をもって02年決戦に決起しよう。
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週刊『前進』(2040号1面2)
狭山異議審棄却を徹底弾劾し 石川さんの再審無罪戦取へ闘う
革命的共産主義者同盟
(1)1月24日、東京高裁第5刑事部・高橋省吾裁判長は、第2次狭山再審・異議申し立てを棄却する決定を強行した。この暴挙を断じて許すことはできない。革共同は、直ちに東京高裁実力糾弾に決起した部落解放同盟全国連合会、部落解放共闘会議とともに、東京高裁に満身の怒りの抗議をたたきつけた。
石川一雄さんは晴天白日無実である。1・24棄却決定には一片の真実も正義もない。
わが革共同は40年にわたる石川一雄さんの無実の血叫びを踏みにじった暗黒の棄却決定を煮えたぎる怒りをこめて徹底弾劾し、1・24棄却決定に猛然と反撃し、石川さんとの血盟にかけて、必ずや再審開始・再審無罪をかちとることを、断固宣言する。
石川さんは、棄却決定直後に、「強い憤りを感じる。真実はひとつであり、あくまで自分の信念を貫き、身の潔白が明らかになるまで闘い抜く」と、棄却決定を怒りをこめて糾弾し、勝利まで闘い抜くという戦闘宣言を発した。
そして1月29日、石川さんは特別抗告の申し立てを最高裁に行った。狭山再審闘争は第2次再審請求・特別抗告審闘争に突入した。
わが革共同は、石川さんの戦闘宣言にこたえ、石川さんの不屈の闘魂と不動の信念をわがものとし、石川さんに固く連帯し、総力をあげて特別抗告審闘争の勝利のために闘うことを、厳粛に誓うものである。
(2)東京高裁第5刑事部・高橋裁判長は、寺尾確定判決と高木棄却決定を護持するためにのみ密室審理を行い、事実調べを拒否し、石川さん無実の新証拠を、でたらめな理由でことごとく切り捨て、異議申し立てを棄却した。
1・24棄却決定は石川さんと300万被差別部落民に対する敵意と悪意に満ち、部落解放運動つぶしの政治的意図に貫かれ、裁判所が部落差別を扇動する反動的差別決定であり、無実であっても被差別部落民には再審も認めないという極悪の差別決定である。
高橋裁判長と陪席裁判官の罪は万死に値する。われわれは絶対に許さない。石川さんの無念を思い、何としても特別抗告審闘争に勝利しなければならない。
(3)1・24棄却決定の不正義性、不当性は、何よりも高橋裁判長が事実調べを一度も行わなかったことに示されている。
1・24棄却決定は、「事実調べの必要性は裁判所の合理的な裁量によって決すべき」として、高木裁判長が事実調べを行わなかったことを合理化し、自らも「これは異議審だから」と言って、事実調べを拒否したことを正当化している。
しかし、死刑再審事件である免田事件第6次再審請求・即時抗告審や弘前大教授夫人殺し事件の第1次再審請求・異議審が事実調べを行い、再審開始を決定している事実をみても、「裁判所の合理的裁量」をたてにした高木裁判長や高橋裁判長の事実調べ拒否に、何らの正当性もないことは明らかである。これまでに再審が開始された重大再審事件のすべてにおいて事実調べが行われている事実は、再審請求審における事実調べの必要性を示し、事実調べを行わない裁判所が、予め再審請求を棄却する立場に立っていることを暴露している。
狭山第1次、第2次再審において各裁判所が「裁判所の合理的裁量」をふりかざして事実調べを拒否し、再審請求を棄却してきたのは、事実調べを行えば石川さんの無実を認めざるを得なくなり、棄却決定が不可能になるからであった。
1・24棄却決定の不正義は、この一点だけからでも明らかである。
われわれは、1・24棄却決定を全面的に批判し、高木棄却決定もろとも粉々に粉砕するであろう。
(4)アフガニスタン侵略戦争に参戦し、有事立法―改憲を軸に戦争国家づくりを進める日帝・小泉内閣は、1・24棄却決定を強行し、3月には同和対策事業に関する法を打ち切り、これをテコに部落差別を扇動し、人民分断支配を強化し狭山闘争と部落解放運動を解体・根絶する攻撃を一気に強めようとしている。解同本部派の屈服・転向による既成解放運動の帝国主義的融和運動への変質のもとで、部落解放運動は重大な危機に直面している。
労働者人民は、アフガニスタン侵略戦争阻止、有事立法制定阻止の闘いと結合して、部落差別との闘いを自らの闘いとして決定的に強めなければならない。
狭山闘争を柱とする差別糾弾闘争を基軸にした解同全国連の3大闘争路線、5万人組織建設路線こそ、今日の部落解放運動の危機を突破し、部落解放運動が300万部落大衆の自己解放の闘いとして勝利する路線であり、部落差別の廃絶、部落完全解放の道である。
全国連は、狭山闘争の勝利と5万人組織建設の実現をかけて、昨秋から今年1月にかけて全国各地で開催した県連や支部大会の成功を土台に、3月全国大会で部落民自己解放に依拠した団結の創造に、真っ向から挑戦しようとしている。
わが革共同は、全国連との団結を一層強め、全国連の勝利の路線をともに担い、日帝・小泉内閣の部落差別攻撃を粉砕し、特別抗告審闘争に勝利するために全力で闘いぬく。
3月3、4日の全国連第11回全国大会は、1・24棄却決定への300万部落大衆と、闘う労働者人民の怒りを結集し、特別抗告審闘争勝利への決意をうち固める大会である。闘う労働者人民は全力で結集し、全国連の部落大衆とともに、大会の成功をかちとろう。
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週刊『前進』(2040号7面1)
「9・11テロ弾劾」叫ぶJR総連を批判せず称賛する黒田・カクマル
「解放」02年新年号批判 「ジハード万歳」路線の大破産
城戸通隆
のっかり主義と利用主義で路線的な解体的混乱
カクマル『解放』02年新年号は、近来にない惨状を呈している。
メーンの大見出しは「戦乱突き破り革命の新世紀へ」であるが、まったくこけおどしの〈空無〉であり、反帝・反スターリン主義世界革命もその一環としての日本革命=日帝打倒もない。およそ実践的な路線や政治方針がないのだ。ただただ冗長なファシスト的な駄文の最後に、02年を「わが反スターリン主義運動の二十一世紀的な原始創造の年たらしめよう」とか、「地上の太陽」となれといった、黒田カルト集団まがいの抽象的確認がなされているだけなのだ。
その上で、今年の『解放』新年号の最大の特徴は、昨年の9・11反米ゲリラ戦争に対する評価を大きく転換したことである。9・11以降カクマルは一種異様な形で「ジハード自爆万歳」論を唱え、56年ハンガリー革命に匹敵する「画歴史的事態」であるなどと騒ぎ立ててきた。確かにその本質は、度し難い乗っかり主義、利用主義、御都合主義でしかなく、最悪の帝国主義的排外主義に過ぎないものだった。しかし、70年7・7自己批判、闘うアジア人民との連帯論に「被抑圧民族迎合主義」なる悪罵(あくば)の限りを尽くしてきたカクマルがイスラムの「ジハード万歳」と叫ぶことは、彼らの路線とイデオロギーに解体的混乱をもたらす性格のものであったのだ。
実際に、分裂したカクマルの松崎・JR総連派は、「テロ反対」の大合唱に加わり、黒田・中央派の中でも「若い仲間たちの一部」に「テロ弾劾」を叫ぶものが生まれ、深刻な「思想問題」「組織問題」となったのである。このためカクマルは昨年10月下旬以降、「ジハード万歳」論を大きくトーンダウンさせてきたが、ついに新年号で転換するにいたったのだ。9・11は今やカクマルにとって単なる「徒花(あだばな)」「事件」となり、「テロは否定」「労働者階級とは無縁」となってしまったのだ。こんなレベルだから、アフガン情勢についても「アメリカ帝国主義の凱歌(がいか)」「タリバン政権はわずか二ヵ月で壊滅」などと帝国主義的な抑圧民族然とした言辞を弄(ろう)して平然としている始末なのである。
9・11を「告発」として「主体的に受けとめ」という言葉だけは残骸として書かれている。しかし、それはもともと「告発」の対象にはカクマル自身のイデオロギーや党組織は含まれていないもので、実にインチキで帝国主義的腐敗にまみれたものでしかなかったのだ。
『解放』新年号の今ひとつの重大な特徴と犯罪性は、松崎・JR総連の「テロ反対」論を何ひとつ批判しないこと、それどころかJR総連が「軍事的報復にも反対」と言っているからと公然と擁護・賛美し、JR総連にすり寄って組織の「再生」「再建」を叫びだしたことである。「軍事的報復にも反対」だけを引用するとは実にペテンだが、その前段の文句は「テロ反対」なのである。実は松崎もJR総連も9・11反米ゲリラ戦を「言語道断」などと非難してきたのだ。
ところがカクマルは、日共に対しては「テロ根絶」キャンペーンに唱和しているなどと力ない批判を展開するくせに、「テロ反対」論を叫ぶJR総連はまったく批判しないし、できないのだ。それどころか公然と賛美し始めた。だが「テロ反対」と「軍事的報復反対」は断じて両立しない。スローガンにこの両者を並べることは、本質的にテロ反対論でしかなく、帝国主義と対決した真の反戦闘争など闘えるわけがないのだ。
ここにカクマル9・11論と『解放』02新年号の最大の犯罪性、ウソと欺瞞(ぎまん)があることを、怒りを込めて批判、粉砕していかなければならない。
9・11を「徒花」と罵倒する帝国主義的排外主義
カクマルは、ペテン的に「かの〈9・11反米ジハード自爆〉事件は、ソ連崩壊後のアメリカ一超支配の終焉(しゅうえん)の始まりを告知した画歴史的事態」などと言いつつ、次のような手口で9・11への評価を根本的に転換している。
a「労働者階級の闘いの弱さのゆえの徒花」「先進国における階級闘争の腐敗・堕落とソ連邦の崩壊を機にスターリン主義とともにマルクスのマルクス主義もが多くの自称左翼によって投げ捨てられたことの帰結であり、その徒花というべきもの」
b「労働者階級の階級的組織化をめざしているわが革命的左翼は、〈アナーキスト的なテロリズム〉も〈ムスリムによるジハード的なテロリズム〉も否定する」
c「われわれは、テロリズムを労働者階級の階級的組織化と無縁であるととらえる」(ただし革命の特定の段階でのソビエトを基礎とした暴力は肯定する)
まずaの「徒花」(実を結ばない花)という言辞は、9・11への最大の侮辱であり否定である。闘うイスラム諸国人民の帝国主義に対する根底的怒りから発した特殊的極限的な形態での民族解放闘争として、また同時に帝国主義国の労働者人民とりわけ革命党と共産主義者へのすさまじい糾弾として9・11を受けとめるという立場への全面敵対である。カクマルの「ジハード万歳」論が、いかにペテン的で、乗っかり主義的、利用主義的なものでしかなかったかということだ。
しかも「労働者階級の闘いの弱さ」とか「先進国における階級闘争の腐敗・堕落」と言っても、カクマルにとってそれは既成指導部の問題でしかなく、自分は含まれていないのだ。せいぜい黒田イズムやカクマルの影響力が及んでいないことへの「屈辱感」や「悔しさ」をもって受けとめるという傲慢(ごうまん)極まるものでしかない。ほかならぬカクマルこそが帝国主義的排外主義、抑圧民族的腐敗にまみれた、その権化のような存在としてある。根底的な自己否定と階級的自己批判、血債論的立場が要求されているのだ。しかし、「被抑圧民族迎合主義反対」と悪罵しそれに全面敵対しているのがカクマルなのだ。
bとcはテロリズムへの全面否定である。だがマルクス主義・レーニン主義とプロレタリア階級闘争がテロリズム一般を否定することなどあり得ない。レーニンも明言しているように、そのテロリズムが階級闘争の大義に照らして肯定されるか否か、階級闘争の前進のためになるものか否かで、その是非は判断されるのだ。カクマルの白色テロルは悪だが、革命派の赤色テロルは正義なのである。
帝国主義者が大合唱する「テロ根絶」のテロとは民族解放闘争の現実形態である。帝国主義の侵略と民族抑圧に対する闘いで、ゲリラ・パルチザン戦争は正義で不可欠の闘争形態だ。しかもゲリラ・パルチザン戦争はテロリズムと区別することなどできない。いや系統的で組織的なテロリズムの集合体がゲリラ・パルチザン戦争であるとも言えるのだ。
民族的抑圧と圧殺の核心問題が欠落している
ところが、このように9・11を「徒花」と悪罵しテロリズムを全面否定したカクマルが、その舌の根も乾かぬうちにペテン的に「9・11事件の画歴史的な意義を確認する」などと言うのである。ではその「理由」なるものは何か。
α「それが国際階級闘争の死滅的状況のなかで〈反米・反権力〉の固い意志をもって敢行されアメリカ国家の中枢に的確に風穴をあけたのだから」
β「それによって、アメリカ一超支配体制の終わりの始まりを画したのだから」
γ「この〈ジハード自爆〉事件をば、アメリカ帝国主義の暴虐を許してきた先進国の労働者階級の反戦闘争の死滅状況を、したがってわが反スターリン主義運動の脆弱(ぜいじゃく)性を告発するものとして主体的に受けとめたから」
そもそも9・11およびテロリズムの全面否定と、乗っかり主義的、利用主義的な「画歴史的意義を確認」との間には、解決しがたい矛盾がある。その上で、まずαの「〈反米・反権力〉の固い意志をもって」という文言の問題性だ。これと関連してカクマルは「アメリカ帝国主義の一超支配への反発」、「過酷な搾取と収奪」「貧富の差の拡大」への怒りなどとも言っている。しかしここには9・11反米ゲリラ戦争の根底にある帝国主義の植民地的支配、民族的抑圧と圧殺という核心的問題が完全に抜け落ちている。単なる「反米・反権力」や搾取・収奪の問題ではないのだ。民族が抑圧、圧殺され、その文化・文物そして宗教(イスラム)も徹底的に抑圧され、侮辱され、じゅうりんされてきたことへの怒りが、9・11で爆発したのではないのか。
〈イスラム〉を武器とした民族解放闘争を否定
さらにカクマルは9・11―10・7以後の情勢を「新たな宗教戦争」などと描くと同時に、イスラム諸国人民の闘いが「イスラム復興=原理主義」をイデオロギー的武器としているのは問題で、「止揚」されなければならないかのように言っている。しかしこんな論議はイスラム諸国人民の闘いへの侮辱であり、帝国主義イデオロギーへの屈服である。
そもそも、帝国主義の植民地主義的な民族圧殺攻撃とその決定的一環として宗教的圧殺の攻撃もあるのだ。その中で9・11戦士やパレスチナ・中東・ムスリム人民が、その民族解放闘争への決起に対して繰り返し帝国主義による侵略、大弾圧・大虐殺の攻撃を加えられ、じゅうりんされてきたこと、スターリン主義(それがマルクス主義と信じられてきた)に裏切られ、それに絶望してきたこと、さらに革命的マルクス主義的勢力も弾圧されてきたこと、また中東・アラブ諸国の帝国主義に従属した支配層の腐敗・堕落を見せつけられてきたこと――ここから彼らはイスラム(復興運動・政治運動)に自己のアイデンティティーを見出し、確保して、闘いに決起してきたのだ。カクマルはこのことを完全に見失い、否定している。いや、もともと彼らはイスラム諸国人民が〈イスラム〉を武器として反帝闘争、民族解放闘争に決起することそのものを否定しているのだ。
αの後段の「アメリカ国家の中枢に的確に風穴」や、「経済のグローバル化」と「国境のボーダレス化」と「サイバー物神」という「現代資本主義の矛盾を的確について」といった文言にも問題がある。実に軽薄で戦闘技術主義的なとらえ方でしかないのだ。9・11が帝国主義の矛盾や弱点をつき、矛盾が矛盾となり、弱点が弱点となったのは、9・11戦士の命がけの決起、自爆を辞さぬ決起があったからこそだ。われわれはこれに〈正対〉しなければならない。そこには武装闘争に立つ者の普遍的な精神の問題、それをも「のりこえざるを得ない」極限的な怒りとゲリラ戦争の問題がある。カクマルはこうした9・11の核心にあるものをすべて抜き去っているのだ。
βの「アメリカ一超支配体制の終わりの始まり」も問題だ。「終わり」が始まったのは「一超支配」といった近代政治学的レベルのことではなく、帝国主義の世界支配とその時代なのだ。カクマルには帝国主義論、帝国主義戦争論、帝国主義の民族抑圧=侵略戦争論、あるいは世界革命とそこにおける民族解放闘争論の位置づけが欠落しているため、米帝(諸帝国主義)の没落と危機と矛盾が、なんら帝国主義論的、争闘戦論的に解明できないのだ。だから米帝の「一超支配」が終わって「多極化」すればいいかのごとく、「ヤンキー帝国主義」=「アングロ帝国主義」反対の立場で喜んでいるに過ぎないのである。
γの「告発」を「主体的に受けとめ」という文言も、すでに述べたようにカクマル自身の自己否定的自己批判と血債論的立場を拒絶した、カクマル特有の大ペテンである。
帝国主義論なき「新東西冷戦」論への舞い戻り
『解放』新年号の重要な特徴のひとつは、またぞろ「新東西冷戦」論に舞い戻っていることだ。そのために「ロシアに支えられた北部同盟」「アフガニスタンの大部分を制圧している北部同盟」などと言って、米英帝の大空爆と特殊部隊的地上軍の投入が北部同盟の「進撃」を可能にしたのだという厳然たる事実をねじ曲げている。また「その技術的水準の高さからして旧KGB要員が関与していた可能性が高い」などと、かの9・11=KGB黒幕説を復活させてもいるのだ。
さらに、「現代版『十字軍』の形成と〈新東西冷戦〉の激化」「このような〈新たな東西冷戦〉を根底として激動する現代世界」といった言辞や、「米・露の対立」「米・露の角逐」が強まっているとか「中・露による『反覇=反米』の国際的包囲網」「反米包囲網の形成」といった文言が随所にちりばめられている。また目立つのは中国が「世界の工場」となっている、ブッシュは「破産大国ロシア以上に、『超大国』化に突進している残存スタ国家・中国を警戒している」という類の「中国脅威論」である。
今ひとつ4〜5面の堀場論文だ。その結論部分で、「アメリカ帝国主義……を起動力とし、米(欧・日)―中・露の新冷戦的角逐を根源とした世界大的戦争が……勃発する可能性はますます高まっている」と言い、「宗教的対立」や「資源ナショナリズム」がそれと結びついているとのたまっている。要するに、帝国主義論も争闘戦論もないカクマルは、戦争の「根源」は帝国主義にあるのではなく、かつての「米ソ角逐論」や「ソ連脅威論」と同類の「新東西冷戦」や「中・露の反米包囲網」にあるのだと言っているである。(だが1・14付1701号の中央学生組織委論文には「新東西冷戦」論がない。カクマル学生は9・11によって「新東西冷戦」論が吹き飛ばされたことに完全に消耗しているのだ)
これと関連して問題なのは、カクマルが「不況打開」のための「軍需生産」「戦時経済体制への突入」論を強調していることである。8〜9面の立風論文でも「不況の軍事的のりきり」論で一貫している。カクマルは「世界的不況」と言うのみで、29年型世界大恐慌という認識も帝国主義の過剰資本・過剰生産力論も分裂化・ブロック化論もない。せいぜい「テロ不況」という認識でしかない。しかもその不況も「軍需生産」や「戦時経済体制」という政策的選択で「のりきれる」ものであり、帝国主義戦争ですら政策的選択の一つでしかないというカウツキー主義そのものなのだ。
さらにカクマルは「テロ根絶のための非対称型戦争」「テロ根絶を掲げた米英主導の現代版十字軍」なるものを騒ぎ立てている。カクマルはソ連崩壊以降の帝国主義の基本矛盾の全面的爆発、世界危機の世界戦争への転化の過程の始まり、9・11―10・7をもってする二度と引き返せぬ帝国主義の世界侵略戦争―世界戦争の過程への突入という問題を、帝国主義論的に解明できず、帝国主義ブルジョアジーの宣伝文句でしかない「非対称型戦争」とか「現代版十字軍」による「宗教戦争」として描き上げようとしているのだ。これは完全に帝国主義イデオロギーへの屈服であり、帝国主義の戦争政策の免罪でしかない。
JR総連にすり寄り「再組織化」を叫び始めた!
「テロ反対」を叫ぶJR総連の賛美――これが『解放』新年号のもう一つの大問題だ。゛第2新年号゜とも言うべき1701号のインチキ「連合批判」の笠置論文は次のように言っている。「すなわち、『連合』大会において『軍事的報復にも反対』と発言したJR総連や日教組、そればかりではなく自治労や全逓、そしてもろもろの民間労組において、戦闘的労働者たちは『連合』大会での『テロ根絶』の大合唱を暴きだし弾劾し……奮闘したのであった」と。
JR総連が「軍事的報復にも反対」と発言したことがペテン的に賛美されている。しかし実はその前段の「テロ反対」は引用されていない。JR総連も「テロ弾劾」の大合唱に加わっている事実に触れたくないからだ。日共や連合の「テロ弾劾」は批判して見せるのに、なぜJR総連を賛美はするが批判しないのだ。これ一つとってもカクマルの「9・11ジハード」論は全部、ウソとペテンである。JR総連は何と言っているか。
「(9・11は)言語道断」「怒りを禁じ得ない」「絶対に許すことができない行為」。これがJR総連の9・19付見解である。JR東労組も「非人間的な犯罪行為」「言語道断」「満腔(まんこう)の怒りをもって抗議する」(9・20付見解)と明言している。またJR総連の頭目・松崎自身が、テロは「絶対悪」「テロを礼賛するなどというのは……世間はもちろん、仲間内でさえも見放される」(毎日新聞社『鬼の咆哮』)と公言しているのだ。
なぜカクマルはこのJR総連や松崎を批判しないのだ。「軍事力による報復でなく」ということなら「テロ根絶」を叫ぶ日共でも言っていることだ。しかし「テロにも軍事的報復にも反対」で真剣に反戦闘争が闘えるはずがない。本質は「テロ反対」ということであり、帝国主義の翼賛でしかない。カクマルの日共批判、連合批判はすべてペテンである。黒田・中央派と松崎・JR総連派の分裂と対立は、やはり今日のカクマルの最大問題なのである。つまりカクマルは松崎とJR総連を批判できないのだ。
松崎・JR総連の犯罪性は「テロ反対」だけではない。国鉄労働運動の中においては、「一段と質の高い労使関係の構築」をうたった第4次労使共同宣言をJR当局と結び、ファシスト労働運動の根幹である労使協力路線を推進している。第2の分割・民営化攻撃としてのJR東日本のニューフロンティア21(メンテナンス合理化・外注化攻撃)の極悪先兵となっている。また今年の「労問研報告」で日経連と連合が本格的に導入しようとしているワークシェアリング(「仕事の分かち合い」の名による賃下げと首切り)を真っ先に叫び始めたのは松崎とJR総連ではないか。今日の日帝の一大資本攻勢とそれへの連合の全面屈服の先導役を、彼らが果たしたのだ。これをカクマルはまったく批判しない。
それだけではない。一度は「階級敵」と規定して「打倒」対象にしたJR総連に一転してすり寄り融和路線をとり始めたのである。新年号の北海道、関西、九州などの各地方委員会の「決意」で、JR総連を「再生する」「思想闘争をくりひろげ、変革し再組織化する」などと表明しているのだ。松崎・JR総連との分裂に耐え切れずに、「打倒」や「戦闘的対決」は清算してすり寄り、あわよくば「再組織化」しようというわけだ。
カクマル黒田・中央派のこうした反革命的あがきを許さず、徹底的に批判・追撃し、日帝ブルジョアジーのファシスト先兵として純化する松崎・JR総連もろとも、打倒し尽くさなければならない。
日帝・小泉と闘わず
『解放』新年号批判の最後に、日帝との闘い、小泉との闘い、日本階級闘争における任務が限りなくゼロである点を断罪したい。なんと日帝動向の分析は情勢論としてもほんの付け足し、日帝危機の問題など何も論じられていない。日帝は「悲願の本格的参戦をはたした」などと称賛まがいの言辞を吐き、自衛隊派兵攻撃も小泉の単なる「パフォーマンス」としてしか位置づかない。日帝の本格的派兵=参戦攻撃、有事立法・改憲攻撃の帝国主義論的、争闘戦論的な必然性、戦争的凶暴性の解明などゼロである。ましてや29年型世界大恐慌情勢のもとでの一大資本攻勢、リストラ・大失業、賃下げ攻撃との階級決戦的な対決というトーンなど薬にしたくてもない。
こういう状態では日共を「侵略補強勢力」とか「今日版の祖国防衛主義に転落」とかと「批判」しても批判にならない。カクマルこそ帝国主義と闘う理論も思想も路線も欠落した、ファシスト的、帝国主義的排外主義的な勢力でしかないからだ。防衛戦争=革命的自衛戦争を強化し、02年決戦の戦闘的爆発の中にカクマルを引き込んで、粉砕・打倒しよう。
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