ZENSHIN 2001/12/24(No2035 p06)

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週刊『前進』(2035号6面1)

 新刊『9・11反米ゲリラとアフガニスタン侵略戦争』

 世界革命論を綱領的に深化 闘う被抑圧民族との連帯論
 本書武器に反戦闘争発展を

 民族解放闘争論と「連帯戦略」の飛躍

 九・一一反米ゲリラ戦は二十一世紀冒頭情勢を一変させた。本書はこれに革共同として真っ向からこたえ刊行したものである。
 紹介するにあたってあらかじめ本書刊行の問題意識を述べておきたい。
 まず、九・一一を七・七自己批判の立場から真っ向から受け止めて、「闘うイスラム諸国人民と連帯し、帝国主義のアフガニスタン侵略戦争を国際的内乱へ」という新たな戦略スローガンを決定したことである。この点を本書は次のように要約して提起している。
 「@今開始された情勢が、まさに帝国主義世界戦争か反帝国主義・反スターリン主義世界革命かをストレートに問いかける情勢だということ、これからますますそのような情勢が深化・発展していくことは確実であること、Aそのなかで、中東地域を中心とするイスラム諸国人民の存在とたたかいが決定的であるような情勢が大きく進展することが確実であること、B今現在の情勢は、『イスラム諸国人民=テロリスト』であるかのようなとんでもない排外主義的デマをともなうテロ根絶の大合唱との対決なしにどんなたたかいも成立しない情勢であること」(六八n、藤村論文)
 九・一一は、ソ連スターリン主義崩壊後の米帝の世界支配の破産、中東新植民地主義支配の破産の帰結であった。そのことは二十一世紀冒頭の現在が二十世紀初頭の帝国主義の時代への原点的回帰であることを意味している。したがって世界革命の達成以外にこの危機の突破はないのである。
 このため、二十一世紀冒頭情勢における民族解放闘争論の深化が求められる。二十世紀全体における帝国主義とイスラムの関係、イスラム諸国人民の闘いをレーニン主義民族綱領の視野のもとに二十一世紀の具体的現実のなかでとらえ返すことである。それはわれわれに、イスラム諸国を構成する被抑圧民族人民に対する血債を問うものであり、「闘うアジア人民との連帯」戦略の新たな飛躍を迫っている。
 したがって、その物質化のためには日米帝を現実的に打倒する新たな革命的実践が必要である。本年前半の小泉構造改革下での反戦闘争の総括を踏まえ、「テロ弾劾=報復」という排外主義の洪水を粉砕し、開始された侵略出兵を現実に阻止しなければならない。
 本書はおおよそ以上の視点で編集されている。
 これらの点に関して、本年前半に開催された革共同第六回大会「第二報告」「第四報告(特別報告W・入管闘争)」を始め全報告がその基礎をなしていることを強調したい。九・一一情勢のもとで大会の成果を意識的に活用しての展開といえる。そのことから本書は大会報告と一体である。

 「テロ弾劾」の排外主義との徹底対決

 以上の問題意識をもとに目的別に四部にわたって編別されている。
 各部についてそれぞれ簡単に要点を紹介したい。
 T部「九・一一と一〇・七にたいする革共同の見解」は、反米ゲリラ発生直後および一カ月後の米軍による空爆開始にあたって発した革共同政治局の二つの声明、ならびに情勢に対する基本認識の「核心」を提起した三論文で構成されている。「九・一一声明」は、事件直後、間髪入れず階級的立場を鮮明に打ち出すことによって、「テロ弾劾」の排外主義的あらしにいち早く原則的に対応した。
 いずれの声明も、果たした政治的意義は計り知れなく大きい。あらためて読み返すことによって、事態の進行にともなって情勢の全体像と問題の本質が前面化してくる過程が跡づけられ、今秋の政治過程の動と反動、大衆的大流動に対する格闘性を余すところなくとらえ返すことができるであろう。歴史的な文書といえよう。
 U部「闘うイスラム諸国人民と連帯し、帝国主義のアフガニスタン侵略戦争を阻止しよう」は、本書の中心部分であり、「闘うイスラム諸国人民との連帯」論を綱領的次元で確立することを目指した藤村論文と中東・パレスチナ問題の背景を詳細に解明した丹沢論文の二つの書き下ろし論文で構成されている。
 藤村論文は、先述した革命的スローガン決定の問題意識を直接に反映した画期的論文である。九・一一によって戦略的総路線の発展と物質化の時が到来したことを訴え、その内容を全面的に展開している。
 その問題意識の一つは、九・一一の歴史的必然性に関して、米帝の世界支配の破綻(はたん)、新植民地主義支配の崩壊を九一年一・一七イラク・中東侵略戦争(湾岸戦争)とソ連崩壊以後の九〇年代の進行において、さらに米帝的戦後世界体制の崩壊が始まった七五年ベトナムにおける米帝の敗北からソ連崩壊を経た四半世紀の展開の中から、という両面から迫っていることである。米帝の中東支配の破綻とその絶望的のりきり策動が段階的かつ画次元的に進行するさまを歴史的に検証している。
 前者は、湾岸戦争とソ連崩壊後の世界情勢の転換の中でカスピ海−中央アジアの石油資源・勢力圏分割が歴史的に浮上したことを指摘している。
 後者は、米帝による対スターリン主義対決の形をとった帝国主義間争闘戦政策の中で、湾岸戦争とソ連崩壊情勢を引き寄せたことを明らかにしている。
 問題意識のいま一つは、闘うイスラム諸国人民と連帯する立場についてである。
 九・一一を全世界に衝撃を与えたイスラム諸国人民の怒りの決起だったと見る時、帝国主義国人民とイスラム諸国の被抑圧民族人民との戦後的今日的関係を七〇年七・七自己批判の立場から総括する作業がわれわれに課せられてくる。
 そこには「連帯し侵略を内乱へ」という総路線の新たな発展が確実にあり、世界革命論に決定的な一ページを書き加えるものとなるだろうということである。十二億ムスリムとの階級的結合が課題になることによって世界革命が決定的な現実性を獲得できることを意味するからである。
 さらに現実政治におけるイスラム政治運動・復興運動(「原理主義」)に対する党派的見解・態度について。
 政治的実践における緊要の課題であると同時に、国際主義的連帯と言った場合この領域が実践的内容をなす。革命的共産主義運動とイスラム政治運動との関係性という綱領的次元の核心問題そのものでもある。
 ここでは階級闘争の具体的分析をとおして考察する立場から問題への接近の端緒を述べるにとどめているが、基本姿勢は、マルクス主義の正しさにおいて必ずやムスリムを獲得できるという信念に基づき、ムスリムの主体性を尊重しつつ、帝国主義を打倒する共通の目的をもって結合するという立場を貫いている。
 その点からレーニンのロシア革命時のイスラム系諸民族との連帯の歴史的経験から徹底的に学ぶことの重要性を提起している。一九二〇年前後のロシアの革命的プロレタリアートとムスリムの革命的連帯の歴史的事実は、それ自体で「西欧文明とイスラムの対立・相剋(そうこく)」なる帝国主義の反動的イデオロギーを一瞬にして粉砕するであろう。
 レーニンはこの課題に全面的に勝利したとはいえない。しかしレーニンの闘いの歴史的意義は、その苦闘が前人未到の歴史的挑戦と試練そのものだったということにある。問題は、九・一一が突きつけた帝国主義とスターリン主義の分割支配体制の枠が完全に崩壊した現在の情勢は、われわれをレーニンが苦闘した二十世紀的原点に立たせているということである。その意味においてレーニンの直面した課題をわが手で成就してみせるという決意がここには込められているのだ。
 丹沢論文は、アフガニスタンとパレスチナの現情勢についての分析と歴史的問題の解明である。これらの連動性・一体性のうちに中東危機は新たな段階に入ったと結論づけている。
 米帝のアフガニスタン侵略の真の意図を世界戦略の中でとらえ、帝国主義的利害をむき出しにした典型的な侵略戦争であることを明らかにした。
 パレスチナ問題に関しては、九・一一の背景をなす昨年九月からのイスラエルによるパレスチナ圧殺の実状を詳細に暴露し、それが米帝の「和平」政策の破綻であること、そのプロセスが九・一一に至る極限的爆発を不可避としていたことを解説している。その上で二十世紀の中東史を全般的にたどりながら、パレスチナ問題、イスラエル建国の歴史的意味と重大性を解明した。問題の根底的解決であるイスラエル国家の解体、帝国主義の中東支配の打倒−世界革命の課題と現実性をあらためて俎上(そじょう)にのせ、その核心にあるパレスチナ解放闘争の歴史的意義を突きだすものになっている。

 米帝支配の危機と9・11の必然性論証

 V部「米帝の崩壊の始まりと第三次世界大戦への突進」では、米帝の体制的危機の分析をもとに戦争の不可避性を論証した。内田論文で政治的・軍事体制問題を分析、島崎論文で経済情勢からそれに迫っている。
 序では、現に九・一一以後の状況はそれらを証明するものであることを明らかにしている。
 内田論文では、クリントンからブッシュへの交代とその下での世界戦略の転換の歴史的意味を対象化し、今日繰り広げられている戦争が米帝自身の体制的危機に基づく世界戦略の実行であることを暴いている。
 米国防関係報告を具体的に引用し、対日争闘戦に貫かれた中国・朝鮮侵略戦争発動を狙う新たな世界戦争戦略の恐るべき全貌(ぜんぼう)を暴露している。本論文では、革共同第六回大会第二報告の意義を詳しく論じ、九・一一を本質的にとらえる上での時代認識をがっちり裏付けている。
 米経済の恐慌突入、世界大恐慌の本格的爆発の中で九・一一をとらえることが重要である。島崎論文は、九・一一直前の米経済の景気後退の絶望的様相を具体的にリポートしている。株暴落−金融危機、ドル危機へと米バブルが崩壊過程に突入し、今秋がその画期となること指摘していた。この面からも米帝にとっての戦争の不可避性を論証するものとなっている。
 W部「九・一一情勢と自衛隊の参戦」(大谷論文)は、九・一一が意味するもの、もたらしたものを階級闘争論的に総括した。小泉政権によってついに始まった侵略戦争への出兵という事態の分析と批判である。二点だけ強調したい。
 大谷論文は、グローバル化と呼ばれる資本主義の最高に進展した段階で起きている象徴的事態としてのアフガニスタンの「飢饉(ききん)」と「殺戮(さつりく)」をとらえ、その同根性を指摘し、九・一一の最も奥深いところに横たわっている現代帝国主義の根底的腐朽性を弾劾している。さらに、現出している戦争を米帝の中東支配、世界支配崩壊の決定的新段階であると断じ、究極のところ九〇年代の米帝一極支配の崩壊の始まりの姿であると鋭く結論づけている。
 もう一点は、事件直後から「テロ対策法」の成立−出兵までの二カ月間を振り返って分析し、そこでの小泉政権の反動的展開のロッジックを的確に暴露している。対米関係・対米公約を盾に強行された新法の改憲・有事立法をはらんだ反動性の全面的暴露をつうじて日本階級闘争の危機の構造を浮き彫りにしている。
 本書の結論にふさわしく鋭い階級的批判と歴史観を背景に労働者階級の実践的針路を指し示している。
 本書は、戦略的価値絶大であると確信する。自ら読み、学び、労働者人民に広めよう。
 (二八八n 二千円)

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