ZENSHIN 2001/12/24(No2035
p06)
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週刊『前進』(2035号1面1)
米帝・イスラエルのパレスチナ進攻許すな 闘うイスラム諸国人民と連帯を
国労分裂=脱退策動 粉砕せよ
12月財政決戦をやりぬき党建設の闘い推進しよう
かつてない大激動と転換の年となった二〇〇一年。わが革共同はこの十一―十二月、十一・一一全国労働者集会の歴史的高揚、日帝・海自艦隊のアフガニスタン出兵阻止をかけた十一・二五佐世保闘争(佐世保・呉・横須賀)の戦闘的爆発、十二・一五獄中同志奪還大集会の成功を始め重要な闘いを全力でかちとった。さらに、米帝(国際帝国主義)のアフガニスタン侵略戦争、イスラエルのパレスチナ軍事侵攻と決死で闘うアフガニスタン人民・ムスリム義勇兵、パレスチナ人民と固く連帯し、年末年始を越えて反戦闘争を闘いぬこう。この中で革命的精神と階級的確信にあふれ、転向と大裏切りの日本共産党や社民党に代わる革命党の建設に全力をあげよう。
第1章 9・11が突きつけた糾弾と決起への檄
〇一年秋以降の情勢と階級闘争の一切を規定しているものは、九・一一反米ゲリラ戦争である。九・一一は米帝の経済と軍事の最中枢を痛撃し、米帝に歴史上かつてなかった大打撃を与えた。世界の歴史も階級情勢も文字どおり激変した。戦後の帝国主義の新植民地主義体制は帝国主義の植民地支配の戦後的貫徹形態であったが、それはパレスチナ、アラブ、イスラム諸国を始めとする被抑圧民族人民に過酷な支配、抑圧、搾取を強制しつづけてきた。それに対する根底的な怒りのさく裂、民族解放闘争の極限的な爆発、それが九・一一であったのだ。
九・一一はまた、帝国主義国の労働者人民、とりわけ共産主義者と革命党への徹底的な糾弾であり、告発であった。同時に帝国主義国の労働者人民の階級的決起への強烈な支援・激励・援助でありアピールでもあった。われわれは九・一一を痛烈な階級的自己批判をもって受け止め、帝国主義との闘いに死活的に決起することが求められた。
革共同は、九・一一への恐怖と憎悪に満ちた米帝(国際帝国主義)の「報復戦争」という形で開始されたアフガニスタン・中東侵略戦争、世界戦争への攻撃に対し、反帝・反スターリン主義世界革命を帝国主義国の労働者人民と被抑圧民族人民との団結=連帯の力で実現するのだと固く決意して反撃に立った。闘うイスラム諸国人民と連帯し、アフガン・中東侵略戦争を国際的内乱に転化せよのスローガンを掲げ、猛然と決起してきたのだ。
米帝を先頭に国際帝国主義は「テロ撲滅」の大合唱を組織し、タリバン政権の転覆・一掃、オサマ・ビンラディン氏―アルカイダの絶滅を叫んで、民族皆殺しの大空爆と侵略戦争を拡大している。日帝・小泉は戦後体制の暴力的転換を強行し、それに全面的に参戦している。日本共産党スターリン主義は「テロ根絶」に唱和し「国連の軍事行動」を容認して、帝国主義者の陣営に完全に移行した。
だが九・一一には十三億イスラム諸国人民の血の叫び、米帝弾劾の決死の決起が極限的に体現されているのだ。ビンラディン氏の九六年の「対米宣戦布告文書」で先鋭に表現されているイスラム人民の叫びは、帝国主義とそのもとにある労働者人民への徹底的な糾弾としてあるのである。
それは第一に、米帝やイスラエルがパレスチナ、イラクを始めとする中東・イスラム諸国で繰り返してきた人民虐殺への怒りの告発であり、それを「世界は見て聞いていたが何もしなかった」という糾弾である。「カナの虐殺」(九六年四月、レバノン)や六十万人のイラクの子どもたちの死への弾劾は、帝国主義とそのもとの労働者人民を根底から痛撃するものだ。第二は、米帝がイラク・中東侵略戦争の後、イスラムの二つの聖地があるサウジアラビアに軍隊を駐留させ占領していることへの弾劾、第三に、それを容認するサウジなどの反動政府への「正当性を失った」という糾弾である。第四に、「諸悪の根源」は米帝にあり、米帝への「聖戦」はムスリムの義務であるという決起の呼びかけ。そして第五は、米帝が無差別のテロ攻撃と虐殺を行っている以上、われわれも「同じ手段で反撃する」という反米ゲリラへの強烈な戦闘宣言である。
われわれはこれらの訴えの中にイスラム諸国人民の血叫びが先鋭な形で表現されていることをつかみ、激しい階級的自己批判をもって、闘うイスラム諸国人民との連帯闘争に決起していかなければならないのだ。
米帝のアフガニスタン・中東侵略戦争は一層凶暴化しエスカレートしている。アフガニスタンでは、東部山岳地帯トラボラへの戦術核に匹敵する大型の燃料気化爆弾を使った大空爆によるアルカイダの皆殺し、ビンラディン氏殺害の作戦が凶行され、他方で英帝主導の多国籍軍が英仏独伊とトルコなどにより組織されてアフガンの分割と軍事占領がたくらまれている。さらに、米帝と国連主導による暫定政権構想、米帝支配のカイライ政権づくりが策動されている。
パレスチナでは、米帝とイスラエル・シャロン政権によってアラファト暗殺と自治政府の転覆すら狙った軍事侵攻が凶行され、人民虐殺と民族解放闘争圧殺の侵略戦争の激化が、ブッシュの「テロ撲滅」と同じ論理のもとに許しがたい局面を迎えている。それはアフガン・中東侵略戦争のエスカレートそのものである。
米帝は今や二九年型世界大恐慌が不可避となり、また九・一一で米帝打倒の現実性を突きつけられて、凶暴化し、争闘戦を激化させ、二度と引き返せない帝国主義的侵略戦争、世界戦争の過程へとのめり込み始めたのだ。このことを見据えきって、アフガン・中東反戦闘争の爆発と反帝・反スターリン主義世界革命へ死活的に決起していかなければならない。
第2章 「復興」に名借りた強盗会議の粉砕へ
こうした中で日帝・小泉政権は、没落帝国主義=日帝の現実を突きつけられ、絶望的に凶暴化し、危機を深めている。日帝・小泉は今秋臨時国会でアフガン侵略戦争への参戦三法の強行とPKO法改悪をもって、ついに海自艦隊のインド洋―アフガンへの出兵に踏み切った。そして戦闘中の米軍への補給や輸送を開始した。集団的自衛権の発動であり、戦後史を画する侵略戦争突入である。
小泉はさらに来年通常国会に「特定の国」と「国際テロ集団」の攻撃を「有事」と認定する有事立法を提出し、成立を狙うと同時に、教育基本法改悪と改憲(九条改憲)にも突き進もうとしている。しかも一月下旬に東京でアフガン復興支援会議なるものを開催し、日米主導でアフガン侵略=暴力的支配と新植民地主義的収奪に決定的に乗り出そうとしている。この「復興」に名を借りた帝国主義の強盗会議を粉砕しなければならない。
小泉はまた「聖域なき構造改革」と称して一大資本攻勢、賃下げと大失業の攻撃を激化させ、労働運動を解体することに日帝の延命と戦争国家化、参戦体制構築の成否をかけている。その最大の攻防こそが国鉄決戦であり、NTT大合理化、特殊法人改革、郵政民営化を粉砕する闘いである。〇二年国鉄・春闘決戦は当面する最大の階級攻防となった。
さらに日帝・小泉はアフガン・中東侵略戦争の激化の中で、沖縄の侵略最前線基地としての強化、名護巨大基地建設と那覇軍港浦添移転の攻撃と、成田暫定滑走路の来春四月開港攻撃に全力をあげ、また排外主義と戦時型治安弾圧、入管法・入管体制の攻撃を一挙に激化させてきている。
だがこの小泉の凶悪な反革命は、必ず矛盾にぶつかり、破産し、危機を爆発させ、人民の怒りの決起を引き起こす。戦争と恐慌と大失業の攻撃、日帝の戦争と破滅への道は、絶対に労働者人民と非和解的に激突し、革命的大衆行動が爆発する条件を生み出すのだ。今こそ小泉政権打倒へ総決起するときである。
第3章 アフガン反戦闘争の爆発つくりだせ
十二月から〇二年決戦へ闘いの課題を確認しよう。
第一は、九・一一のすさまじい糾弾と決起への励ましを真っ向から受け止め、アフガニスタン・中東反戦闘争の巨大な創造へ、党と人民の死活をかけて闘うことである。ここに二十一世紀革命―世界革命の展望を切り開く突破口があるのだ。その一環として、一月下旬の東京でのアフガン復興支援会議粉砕を闘おう。
第二は、通常国会での有事立法粉砕、PKO法再改悪粉砕に総決起すること、教育基本法改悪粉砕、改憲阻止・小泉政権打倒の闘いを爆発させることだ。
第三は、直ちに国労中央委(あるいは臨時大会)をめぐる決戦に総決起することである。前中執・新井や秋田地本前書記長・今井らの国労脱退・分裂策動は決定的段階を迎えた。本部もそれと気脈を通じて「ゼロ回答」丸のみ、闘う闘争団の統制処分に全力をあげてきている。国労再生か国労解体か。決定的決戦のときだ。分裂主義者と裏切り者を丸裸で国労からたたき出し、高嶋―寺内執行部を打倒せよ。国労の戦闘的再生をかちとろう。すべての労働者人民は二月冒頭の国労決戦に決起しよう。
〇二春闘を国鉄・春闘決戦として爆発させよう。
第四に、名護巨大基地建設阻止を軸に新たな決戦情勢を迎えた沖縄闘争と、成田暫定滑走路四月開港阻止の三里塚闘争に決起することである。この闘いは闘うイスラム諸国人民、闘うアジア人民と連帯した国際反戦闘争としての重要性をいよいよ高めている。
第五に、小泉反革命のもとで激化する排外主義と戦時型治安弾圧、入管法・入管体制の攻撃を粉砕するために闘うことである。また十二・一五集会を引き継ぎ、長期獄中同志防衛・奪還の闘いを強化しよう。
第六に、この十二月の最大の課題が党建設と年末一時金カンパ闘争である。革命的大衆行動を爆発させ、帝国主義を打倒し革命に勝利できるレーニン主義の党の建設は、今や死活的である。機関紙活動を軸に党勢倍増の闘いに決起しよう。党の死活をかけて財政決戦をやりぬき、党活動の三原則貫徹に全力をあげよう。
新たに発刊された『六回大会報告・決定集』(上、下巻)と『九・一一反米ゲリラとアフガニスタン侵略戦争』を広め、討議・学習し、党的武装をかちとれ。
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週刊『前進』(2035号1面2)
開港阻止へ戦闘態勢 三里塚第4波の現地闘争
十二月八日、三里塚芝山連合空港反対同盟の呼びかけで「テスト飛行阻止、暫定滑走路開港実力阻止」の連続第四波の現地闘争が打ち抜かれた。敷地内の市東孝雄さん、萩原進さんを先頭に、暫定滑走路粉砕へ不動の闘争態勢を示す自信に満ちた闘争だった。
市東さん宅南側の開拓組合道路に百人が集まった。デモに先立ち、司会の伊藤信晴さんが「アフガニスタンで行われていることは何か。帝国主義に逆らうものは虐殺するということだ。暴虐きわまりない政治を打倒する」とあいさつした。
続いて事務局長の北原鉱治さんが「反対同盟は九九年十二月の工事着工から臨戦態勢で闘ってきた。廃港まで闘う」と決意を示し、六十年前の十二月八日の日米開戦を喚起、「あの戦争で日本は二千万人のアジアの人びとを虐殺した。現在アフガニスタンでは毎日、何百という人たちが殺されている」と弾劾、戦争の道を断とうと呼びかけた。
全学連の松尾純一副委員長が決意表明し、自衛隊艦隊出航阻止の佐世保現地の実力闘争を報告した。
デモに出発した。東峰部落内を周回し、東峰神社に向かった。東峰神社では全員が、カシの木がしっかりと植えられているのを確認した。デモはさらに東峰十字路の北の開拓道路に進んだ。
ここで本部役員の鈴木幸司さんがあいさつし、「三里塚闘争三十六年の総決算の闘いだ。日本に侵略戦争をさせない闘いだ。来年はかつてない闘いをやる」と闘志あふれる訴え。
都政を革新する会の新城節子杉並区議も駆けつけ、「農家の頭上四十bでジェット機を飛ばすやり方は、沖縄の基地と同様に゛共生″には値しない」と語った。
来春四・一八暫定滑走路開港粉砕へ、全国の総力決起をつくりだそう。
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週刊『前進』(2035号1面3)
反戦共同 PKO法改悪に怒り 国会・アメ大に連続行動
十二月七日、反戦共同行動委員会はPKO法改悪阻止の参議院での国会闘争に立った。日帝は今回の改悪をもって陸上自衛隊を多国籍軍・占領軍としてアフガニスタンに出兵させ、侵略参戦を決定的にエスカレートしようとしている。これをどうして許せるか。反戦共同行動委は怒りに燃えて午前九時に国会前に結集した。全学連(大山尚行委員長)を先頭に「自衛隊の占領軍参加=PKO法改悪を許すな」と翼賛国会を弾劾しぬいた。
午前十一時過ぎ、PKO法改悪案はわずか十数分の審議で採決され、与党三党と民主党などの賛成多数で可決、成立した。反戦共同行動委は参院議員面会所前でこの暴挙を弾劾した。権力の弾圧・排除攻撃をものともせず徹底的に怒りのこぶしを突きあげた。
この後、反戦共同行動委はアメリカ大使館、イスラエル大使館への抗議行動を行った。
米帝の「テロ根絶」を振りかざしたアフガニスタン・中東侵略戦争が、イスラエルのパレスチナ人民虐殺戦争のすさまじいエスカレートをもたらしている。このような不正義、民族虐殺は絶対に許せない。
ところが日帝・国家権力は、何の法的根拠もなく両大使館への道をふさぎ、抗議・申し入れを行う反戦共同行動委の部隊を拘束した。部隊は「テロ対策」と称してどのような不法な弾圧をも行う日帝・権力に怒りを爆発させて異常な警備体制を弾劾して闘い、両大使館への抗議行動を貫徹した。
九・一一と十・七をもって日帝とわれわれとの関係は一変した。もはや体を張って反戦を貫く以外にない。一月に東京で行われるアフガニスタンの植民地化を狙う復興閣僚級会議を粉砕しよう。有事立法・改憲についに踏み込む通常国会に対して、十一・二五佐世保を超える実力闘争をたたきつけよう。
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週刊『前進』(2035号1面4)
年末一時金のカンパを重ねて熱烈に訴えます
すべての支持者、『前進』読者のみなさん。年末一時金の支給にあたり訴えます。
九・一一反米ゲリラに対するアメリカの「報復」の名による凶暴な侵略戦争に、巨大なアフガニスタン反戦闘争を実現しましょう。
国際階級闘争の情勢は一変しています。ローマ十万人、ワシントン二万五千人、サンフランシスコ一万人、アテネ一万人、ベルリン五万人、パリ六千人、ロンドン五万人、パキスタン数十万人、エジプト二万人……と、世界中でまき起こっているアフガニスタン反戦闘争と固く連帯して国際反戦闘争を爆発させましょう。
世界最大の帝国主義国家アメリカが、世界で最も貧しい国の一つであるアフガニスタンを軍事力でぶっつぶし、自分に都合のいい国家をデッチあげ、それをとおしてカスピ海・中央アジア、中東とその石油・天然ガス資源を支配しようとするこの強盗戦争を許しておいていいのか。日本、イギリスをはじめ帝国主義諸国も、利権を求め先を争ってアフガニスタン侵略戦争に突入する中で、ブッシュ政権はさらにイラク、ソマリア、スーダン、イエメン、フィリピンにも戦争を拡大し、危機に立つ自己の世界支配を再確立しようとしています。
二十一世紀冒頭に、アフガニスタン侵略戦争をもって世界は本格的な再分割戦に突入し、第三次世界大戦へのプロセスが開始されたのです。
この九・一一情勢に突入する直前に、革共同は歴史的な第六回大会を開催し、身構えてきました。今こそ、「闘うイスラム諸国人民と連帯して、帝国主義の侵略戦争を国際的な内乱へ!」の闘いを猛爆発させていきましょう。
こうした情勢のもとで日帝の戦争、首切り・賃下げと対決する労働者階級の戦闘的闘いを前進させましょう。労働者の団結こそが、あらゆる反動を打ち砕く根源的な力なのです。
労働者と労働組合が反戦闘争の先頭に立つとともに、来春闘で賃下げ・リストラ攻撃と対決し、福祉切り捨てを許さない労働運動の巨大な爆発を実現していきましょう。そのために、闘う国鉄千四十七人闘争を守り抜くことを心棒として労働運動の巨大な反転攻勢へ進撃しましょう。
十一月の労働者集会は、労働者の階級意識を解体する「テロ弾劾」論と対決し、カクマルの集会破壊攻撃を打ち破って大結集を実現しました。帝国主義への怒り、反動と反革命への怒りを階級的団結の核心とする労働運動の新潮流を、来春の闘いでさらに分厚く拡大しましょう。
すべての支持者、『前進』読者のみなさん。 階級情勢は一変しました。いまこそ闘う労働者党・革命党の存在と闘いが決定的に重要になっています。
問題はこの巨大な闘争を支える資金の量にかかっています。かつてない巨大なカンパを集中してください。そして今こそ革共同に結集し、ともに闘いましょう。
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週刊『前進』(2035号2面1)
分裂を擁護し闘争団へ統制処分狙う国労本部打倒せよ
査問委設置の暴挙粉砕しよう
国労の再生をかけた決戦が始まった。国労は今、八十六年の修善寺大会直後に匹敵する、激烈な分岐の中に投げ込まれている。チャレンジの前本部中執・新井修一が分裂組織の結成を公然と呼びかけたのに続き(前号既報)、秋田地本前書記長・今井伸らも、十二月十六日に秋田で分裂組織の結成大会を強行しようとうごめいている。こうした分裂策動を裏から支えているのが国労本部・高嶋−寺内執行部だ。本部は、十一月二十八日の中央執行委員会で、闘う闘争団を統制処分にかけるため「直近の中央委員会・全国大会で査問委員会の設置を求める」などという許しがたい方針を決定した。本部は、チャレンジ一派の分裂行動を擁護する一方、国労の闘う路線を守り抜こうと奮闘する闘争団を暴力的に圧殺しようとしているのである。最悪の団結破壊者としての姿をむき出しにした一握りのチャレンジ一派をたたき出せ。分裂主義者と内通し、国労を解体に導く本部執行部を打倒しよう。闘争団を守り抜き、JR資本の大合理化・組織破壊攻撃=第二の分割・民営化攻撃を打ち破る闘う路線と方針を打ち立てよう。国労の再生へ、全力の決起を開始しよう。
査問されるべきは新井らと本部執行部だ
国労本部は十二月六日、新井らの分裂行動を受けて「『政治の場での解決』を目指して、総団結しよう!」と題した文書を出した。その中身は、新井らを非難するそぶりを見せながら、その実、分裂の責任を闘争団に転嫁し、闘争団を口をきわめてののしり、闘争団切り捨てを合理化する、断じて許せない内容だ。本部はそこで、次のように言い放っている。
「闘いの困難さを理由に国労からの脱退・新組織結成の呼びかけが、一部の地方で行われている」「『呼びかけ』が指摘するまでもなく、国鉄闘争を巡る情勢は厳しい。我々は、度重なる大会破壊や『一票投票の結論無視』等の、一部組合員による組合民主主義破壊行為によって、『四党合意受諾決定』までに多くの時間を費やす事態に追い込まれた。しかも、大会決定がなされたにもかかわらず、『闘う闘争団』と称する一部闘争団員は、『最高裁への参加申し立て』『鉄建公団相手の訴訟準備』等、全国大会方針を真っ向から否定する行動に出ている」「『呼びかけ』もまた、『闘う闘争団』による解決妨害行為を非難している。その非難は全面的に正しく、彼らの行動が最悪の情勢を招きかねないことは事実である」
なんということか! 本部は、分裂と闘うどころか、非難の矛先を闘争団に向け、新井や今井の側に立って闘争団をあからさまに罵倒(ばとう)しているのだ。分裂行動に走った一握りの極悪チャレンジを擁護し、その策動をも恫喝材料に、闘争団に統制処分を発動しようとしているのだ。
そもそも、公然たる分裂に突き進んだやからに、闘争団を一言でも非難する資格があるのか。国鉄闘争からの卑劣な逃亡を決め込んだ新井や今井らが、国労の方針や組織のあり方に注文を付けること自体、お門違いもはなはだしい。ところが本部は、分裂主義者に同調し、彼らの言辞をそのまま用いて、闘争団に攻撃を加えているのだ。それは、分裂に加担し、国労を内側から崩壊させる最悪の背任行為である。
こうした分裂攻撃のただ中で、あろうことか本部は闘争団への統制処分の発動をついに公式の方針とした。十二月六日付の本部電送62は、「一部闘争団員の新たな訴訟等に対する対応について」として、次のように叫び立てている。
「@訴訟が起こされた場合、原告等については規約に基づき処分の対象とし、直近の中央委員会・全国大会で査問委員会の設置を求める、Aその間、中央執行委員会の権限(緊急措置を含む)について対応をはかる」
これこそ、分裂主義者と呼応した国労本部による国労解体策動だ。分裂行動を開始した一握りのチャレンジ分子には「闘う闘争団に対する非難は全面的に正しい」と声援を送り、闘争団に対しては査問にかけると恫喝しているのだ。いったいこれは何なのか! 労働組合の組織統制とは、資本や権力と闘うために、階級的団結を維持するために発動されるべきものだ。査問されるべきは敵権力の手先と化した新井ら分裂主義者どもである。本部は、闘争団を査問にかけるなどという転倒した方針を叫びたてることによって、自らが分裂主義者と内通した権力・資本への投降分子であることを自己暴露したのだ。
新井や今井らの脱退・分裂は、国労を内側から解体しようと画策してきた彼らの策動が、みじめに破産したことからくる絶望的なあがきにほかならない。これこそ、「ジリ貧」論を唱え、゛国労には権力・資本に全面投降する道しか残っていない゜と叫んできた連中の行き着く先だったのだ。十月定期大会で闘争団を最後的に切り捨てようとした彼らの思惑は、組合員の決起で打破された。新井や今井は、自らの破産を突きつけられたからこそ、脱退・分裂という絶望的手段に訴えるほかになくなったのだ。
こんなぶざまでちゃちな分裂行動と呼応して、国労内部で国労解体を策す残存チャレンジの策動も、自らの墓穴を掘るものでしかない。本部執行部を簒奪(さんだつ)した高嶋−寺内らが、その権力を振りかざして闘争団への統制処分を強行できると思ったら、大間違いだ。国鉄分割・民営化以来の苦難の闘いを貫いてきた国労組合員が、国労を死に突き落とすに等しいそのような暴挙を認めることなど断じてない。闘争団を先頭とする一人ひとりの国労組合員は、人生をかけて闘いを貫いてきた。資本と権力の手先と化した唾棄(だき)すべきチャレンジや反動革同、東京地本・酒田一派によって人生を否定されることなど、誇り高い国労組合員は絶対に容認しない。
高嶋−寺内、反動革同、東京地本・酒田一派こそ、最悪の団結破壊者として査問されるべき罪状を負っている。査問委員会設置の策動を、逆に、ここ数年チャレンジ一派と反動革同によって占拠されてきた本部執行部を全面的に刷新し、国労を底の底から階級的に再生させる壮大な闘いの号砲としなければならない。残存チャレンジと反動革同、酒田一派に、国労組合員の怒りの深さを思い知らさなければならないのだ。
訴訟取り下げと2月臨大策動を許すな
さらに本部電送62は、「一月二十七日の第六七回定期(続開)大会で決定した追加方針の『最高裁での判断を公正に行わせる』については撤回する」と言い切った。「裁判取り下げは解決時」とした十月定期大会での書記長集約をも踏みにじり、裁判取り下げを今すぐにでも強行する意志をむき出しにしたのだ。
本部は、裁判取り下げと統制処分発動で闘争団を切り捨てることを権力・資本に誓約し、「ゼロ回答」の早期提示を哀願し始めた。それは、本部が二月冒頭とも言われる臨時大会開催に完全に踏み切ったということだ。本部は、新井や今井の分裂行動をも恫喝材料に、「このままでは大量脱退が発生する」「脱退の責任は闘う闘争団にある」とするでたらめなキャンペーンを強め、「ゼロ解決」受諾を強行しようとしているのだ。それは、九八年の定期大会に宮坂書記長(当時)が突如提起した「補強五項目」を、その内実において最も徹底的に貫徹するものとなる。本部は、国労をもはや国労とは呼べないものへと決定的に変質させ、資本やJR総連カクマルに国労組合員を差し出そうと策しているのだ。
こんなことを絶対に許すな。臨大開催策動を粉砕し、国労の分裂を内側から推し進める本部執行部を引き下ろせ。ここに、国労の階級的再生の道がある。
02春闘に立ち第二の分割・民営化に反撃を
闘う国労の再生は、闘争団だけでなく、JR本体組合員にとっても心の底からの叫びである。
JR東日本は「メンテナンス再構築」による一万人削減を呼号し、国労本部・東日本エリア本部の屈服を突いて各支社で出向の発令を強行しつつある。東日本エリアに巣くう残存チャレンジは、「総合労働協約」の締結によって労使共同宣言体制の一角に加わることを資本に哀願し始めた。
JR西日本は九千人削減を柱とする「中期経営目標」を打ち出し、労働者への徹底的な犠牲転嫁で純利益を六〇%も増加させると叫んでいる。JR貨物は、徹底した賃金格差を労働者に強制した上、「新フレイト21」に続く極限的合理化計画としての「ニューチャレンジ21」の策定に着手した。これらの根幹には、国労・動労千葉解体の徹底した組織破壊の意図が貫かれている。
小泉「構造改革」のもとで、資本の攻撃は労働者を生きていくこともできない現実にたたき込んでいる。JRも例外ではない。この時に、国労本部は一切の抵抗を抑圧し、国労組合員を資本とJR総連カクマルのもとに差し出そうとしているのだ。開始された決戦の中で現国労本部を引き下ろし、国労を階級的に再生させて〇二春闘を闘おう。
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週刊『前進』(2035号2面2)
NTT10万人首切り攻撃を労働者の団結固め打ち破れ
50歳定年、15−30%賃下げの大暴挙 NTT労組の受諾強行弾劾
NTT労組は十一月八日の第五回臨時中央委員会で、NTTの「新三カ年計画」に基づく十万人削減の受け入れを決定した。現場組合員の圧倒的な反対を押し切って強行したのだ。この攻撃は、NTT東西地域会社と子会社のNTT−ME(エムイー)グループなどの十四万人のうち、七割以上の十万人もの労働者を新設する地域別子会社に移すという、かつて例のない大攻撃である。その柱は、五十一歳以上の労働者をいったん退職させ、子会社に再雇用して一五〜三〇%も賃金をカットするというものだ。来年一月にも退職―再雇用を個々の労働者の「選択」という形で強制し、五月に子会社への移行を強行しようとしている。NTT労働者一人ひとりの人生をかけた闘いが問われる時が来た。さらにこの攻撃は、大恐慌・大失業と戦争の時代、小泉構造改革のもとでの最先端の資本攻勢である。国鉄分割・民営化を上回る規模と質をもった大攻撃であり、NTT型として全産業に拡大するものだ。自らと全労働者階級の未来をかけて、団結を固めて大合理化を粉砕するために立ち上がろう。そしてNTT労組執行部を打倒しよう。
51歳以上を退職に追い込み子会社に移す卑劣なやり方
まず、「新三カ年計画」による大合理化攻撃のすさまじい中身を暴露・弾劾したい。
この攻撃は、NTT東西地域会社と子会社のNTT―ME(エムイー)グループなどの十四万人のうち十万人を、新設する地域別子会社(OS〔アウトソーシング〕会社)に業務丸ごと移行させるというものである(図1参照)。NTT東西の本体に残るのは企画・管理、法人営業部門などの約四万人で、注文受付、設備保守などの部門の約六万人をOS会社に移す。故障修理などの部門はすでに子会社のMEグループ(沖縄はDO=ドゥ)などに業務委託されており、NTT東西からの出向労働者が働いているが、その約四万人もOS会社に移す。OS会社は、東西の三十三支店に営業系、設備系で一社ずつ、計六十六社が設立される。
何より許せないのは、労働者をOS会社に移行させる手法の悪らつさである。
五十一歳以上の五万五千人はNTT東西を退職後、OS会社へ再雇用されるが、賃金は一五〜三〇%カットになる(図2参照)。地場賃金に合わせると称して、東京で一五%カット、大阪、神奈川で二〇%カット、関東や近畿、愛知、広島が二五%カット、その他の地方は三〇%カットになると言われている。
五十歳以下の四万五千人は、いったんOS会社への出向となり、五十一歳で退職・再雇用となる。
本体に残る労働者は年齢を問わず勤務地の限定がなく、全国の事業所への配転やグループ会社への出向が強制される。
五十一歳以上については、「六十歳満了型」「繰り延べ型」「一時金型」の三つの雇用形態がある。
@「六十歳満了型」とは、勤務地の限定がないことを条件に、現行の賃金(諸手当はカット)で六十歳までNTT東西で雇用される。雇用延長はない。
A「繰り延べ型」とは、NTT東西を退職して退職金を受け取り、一五―三〇%賃金カットでOS会社に再雇用となり六十歳まで雇用される。退職後は最長六十五歳まで契約社員として再々雇用される。カットされた生涯賃金分(年収カット分×六十歳までの年数)の五二〜六〇%が、OS会社の退職金と六十歳以降の契約社員の賃金への加算分で補填(ほてん)される。
B「一時金型」とは、Aとほとんど同じだが、カットされた生涯賃金分の四二〜五〇%がNTT東西退職時の一時金とOS会社の退職金で補填される。
なお賃金カットの補填=「激変緩和措置」はAで五年間、Bは四年間に限られる。〇三年度以降は補填率が逓減され、Bの一時金は〇五年度末で廃止となる。
この三つの雇用形態を労働者に選択させるという形をとることで、ABの退職―再雇用の場合でも、あくまでも労働者の「本人同意」による自主的な退職だと強弁しようというのだ。だが、実態は首切り=強制解雇そのものである。@の「六十歳満了型」は一般の労働者はほとんど選択することができない。実際、組合のオルグや会社の説明では、@を選べば「どんな仕事に就くか分からない。全国どこにでも飛ばす。それでもいいのか」などと脅しているのだ。
しかも、会社は来年一月にも「雇用選択通知書」を提出させようとしているが、そこでAまたはBを選択すれば、その通知書を「辞職願」として扱い、会社が二月に「辞職承認通知書」を交付し、さらに四月になってOS会社への「採用通知書」を交付するという手順になっている。この通知書の選択欄に「○」を付けないか提出しない場合には@を選択したものと見なされ、どこに飛ばされるか分からない。
要するに、現在の職場で働き続けたければ、「辞職願」を提出しなければならないということなのだ。こんな理不尽なことがあるか。「お前が退職を願い出たのだから、解雇ではない」「賃金カットもお前が選択したのだから、一方的な不利益変更ではない」ということなのだ。労働者の雇用不安を逆手にとって労働者の誇りを奪う、こんな卑劣極まりない攻撃は断じて許せない。
さらに、OS会社に再雇用されても、そこでの雇用が六十歳まで保証されるのか。OS会社への業務委託費が縮減され、新たな首切りは不可避となる。そうなっても、もはやNTTに籍はないのだから、NTTは何の責任もとる必要はないということだ。
すでに多くの労働者がこうした攻撃に対する不安からNTTに見切りをつけ、泣く泣く職場を去っている。東西で八千二百人の「希望退職」募集に対して二倍の一万六千四百人もが「応募」した。この十二月末をもって一万人近くが退職する。これも事実上の首切りにほかならない。
国鉄分割・民営化をも超える恐慌情勢下の一大資本攻勢
このNTTのやり方は、実に卑劣な違法・脱法行為の極致である。
一つは、事実上の五十歳定年制の導入であり、六十歳以上の定年を義務化した高年齢者雇用安定法に違反している。これを「本人希望による自主退職」としてすり抜けようとしている。
二つは、会社分割における労働契約承継法では、業務の移管にあたって労働条件を低下させてはならないと定められているが、会社分割制度を適用しないとして免れようとしている。
三つは、判例で確立している労働条件の一方的不利益変更の禁止に違反している。また、NTTの転籍に関する労働協約においては、受け皿会社を新設する場合の転籍では労働条件の変更はしないと規定しているが、これも完全に無視している。「いったん退職しての再雇用であり『転籍』にならない」と言うのだ。
国鉄分割・民営化の際には、国鉄改革法による選別再雇用という手法がとられ、採用差別の不当労働行為責任がJRに及ばないとする仕組みがつくられたが、これと同様のあくどいやり方なのだ。国鉄からJRへの移行の際には賃金体系や水準は基本的に維持されたのに比べ、三割もの賃金カットを強制するという点ではより悪らつだ。
NTT資本は、このような違法・脱法行為を強行することで、今日の大恐慌・大失業情勢下の資本攻勢としての新たな攻撃の先鞭(せんべん)を付けているのだ。NTTという巨大企業がこのような攻撃に踏み込んだ意味は大きい。
情報通信産業めぐる争闘戦
ここで攻撃の背景とその性格について確認したい。
第一に、日帝の帝国主義間争闘戦での生き残りをかけた一大資本攻勢である。現在、国家戦略をかけた情報通信産業をめぐる激烈な争闘戦が展開されている。米帝の要求は、NTTを解体することである。日帝はこれに対して、米帝の要求に沿いながら、NTT資本の完全分割=NTT再々編を狙いつつ、NTTの国際競争力を強化することを国家戦略としている。
だが米帝のIT(情報通信技術)バブルの崩壊に始まるIT不況下で過剰設備(光ファイバーの海底ケーブルなど)の問題が露呈し、加えて市内通信の値下げ競争などで東西地域会社の業績が悪化した。さらにNTTコム(長距離・国際会社)が買収した米インターネット接続大手ベリオ社、ドコモが出資しているオランダの携帯電話会社KPNモバイルの特別損失の計上などで、九月中間期決算は二千六百億円の赤字となった。これらの業績悪化の責任は労働者にはまったくないにもかかわらず、すべて労働者に犠牲転嫁しているのだ。
電機大手と同様に、短期間にリストラ計画を拡大し、有無を言わさず強行しようとしているのだ。
第二に、すでに述べたように国鉄分割・民営化攻撃をも上回る歴史的大攻撃であり、「多様な雇用形態」と称して大半の労働者の不安定雇用化と賃下げを狙う日経連路線の全面的貫徹である。
特に、本体を企画・管理部門のみにし、設備の保守部門などを切り離して労働者を「転籍」させ、労働条件を一挙に切り下げるやり方は、現在始まっているJR東日本の保守部門の全面外注化攻撃などでも採用されていくだろう。
第三に、社会保障制度解体と一体となった攻撃でもある。年金支給年齢の引き上げに付け入り、六十歳以降の再雇用と引き換えに事実上の五十歳定年制を導入したのだ。この点でもJR東日本の「シニア制度」などの攻撃と連動している。
第四に、小泉「聖域なき構造改革」攻撃の最先端に位置する攻撃であり、NTT型攻撃として、今後の資本攻勢の典型となっていくものである。さらに旧公社での攻撃という点では、郵政民営化や公務員制度改革―公務員大リストラにも波及する攻撃である。
裏切りの津田執行部打倒し電通労働運動再生へ闘おう
このようなすさまじい攻撃は、NTT労組指導部の裏切り抜きには絶対になし得ない。この点では、国鉄分割・民営化攻撃と現在のJRの第二の分割・民営化攻撃が、動労―JR総連・松崎カクマルの裏切り抜きに成り立たなかったのと同じ構造である。
NTT資本の違法・脱法行為が、NTT労組との「労資合意」という形を取ることによって、それが「合法」としてまかり通ろうとしているのだ。資本と結託したNTT労組・津田執行部が、労働者に首切りをのませる役割を果たしているのだ。その裏切りは、NTT労働者だけでなく全労働者に対する裏切りだと断罪しなければならない。
十一月八日の中央委員会で、津田委員長は「組合員の期待にこたえられなかったと認識する」「組合員一人ひとりの生活条件が大きく変化することは痛恨の極み」などとは言う。だが「これで決着を図らなければ雇用確保も労働条件もさらなる危機に追い込まれる」と組合員を恫喝し、「現状におけるより良い選択」と言いなして受け入れを強制したのだ。
だが津田よ。八月末の定期大会では、「激変緩和措置一〇〇%」を求めて「白紙撤回も辞さず」交渉することを条件に受け入れを決めたのではなかったのか。それを五〇%程度で合意してしまったのだ。中央委員の討論でもこの点に批判が集中した。中央委員の一票投票では反対票と白票を合わせて二割にとどまったが、組合員の圧倒的多数が絶対反対である。組合員の不信は極点に達している。
この間組合員は、二年連続ベアゼロ、成果・業績賃金の導入、年度末手当廃止などの特別手当(一時金)見直しなどを、゛これらを受け入れれば未来が開ける゜と言われて耐えてきたのだ。もはや我慢の限界である。
今や津田執行部に不信任をたたきつけ、打倒してやまない怒りが沸騰している。こんな理不尽、不正義には必ずや労働者の怒りの鉄槌(てっつい)が下されるのだ。国鉄分割・民営化による首切りに抗して闘い続ける千四十七人の国鉄労働者は、JR総連・松崎カクマルを追いつめて前進している。このように、あくまでも労働者の権利と誇りを譲らず、職場の団結を固め、全労働者の団結、闘う労働運動の新潮流の発展をめざして闘い抜くことこそ勝利の道である。
来春のOS会社への移行過程で、あくまでも絶対反対を貫き、NTT労組中央打倒―電通労働運動の階級的再生に向けて全力で闘おう。〇二春闘決戦の先頭で闘おう。
〔マル青労同電通委員会〕
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週刊『前進』(2035号3面1)
賃下げ・首切り・不安定雇用を容認した連合を打倒しよう
ワークシェアのペテンに加担
危機にあえぐ日帝は総額人件費削減、とりわけ大幅賃下げ攻撃に踏み切った。その背後には、コスト削減をしなければ争闘戦での敗勢的現実を突破できない日帝の断末魔の危機がある。連合は全面屈服してベア要求を放棄し、日経連との「雇用に関する社会合意」推進宣言で賃下げ協力に走った。政労使はワークシェアリングでいっさいが解決するかのように描き上げている。だがワークシェアリング論は賃下げ、さらには首切りさえのませるためのペテンだ。賃下げ協力に走る連合を打倒し、〇二春闘の爆発をかちとろう。
日帝の恐慌情勢突入と賃下げ攻撃の激化
九・一一反米ゲリラをも契機として、日帝経済の恐慌情勢が加速している。七―九月期の国内総生産(GDP)は実質、名目ともに二期連続のマイナスとなり九月の中間決算は、電機の赤字転落を筆頭に、全体の経常利益は前年同期比三四・八%減とバブル崩壊後最大の減益率となった。十月の失業率は五・四%と最悪を更新し続け、ついにゼネコンの倒産が始まった。
危機の日帝は労働者階級に犠牲を転嫁して生き延びようと賃下げ攻撃を本格化している。NTTの十万人首切り、三〇%賃下げを皮切りに、電機や鉄鋼、中小私鉄などで露骨な賃下げ攻撃が始まっている。
賃金を一気に数十%もカットするというあからさまな賃下げ攻撃は、労働者階級の生活水準の一挙的切り下げをもたらすものであり、資本にとっても労働者階級の総反乱を覚悟しなければ簡単にできるものではない。今日、その危険をもかけて資本が命がけで賃下げ攻撃に踏み込んできた背景には、「国際競争力」問題がある。
日帝と各国帝国主義による中国や新植民地主義体制諸国への侵略の進行の中で、中国産などの工業製品の国際競争力の問題が日帝にとって死活問題となってきている。あくどい民族差別・抑圧によるそれらの国の労働者階級人民への低い生活水準と低賃金の強要の結果生み出されたことだが、他帝国主義の侵略企業製品の競争力への日帝の敗北と、日帝の侵略激化による国内製造業の空洞化の危機が生じている。これらのことに日帝の製造業は大打撃を受けているのだ。
そこで、日帝は国内製造業の「高コスト」を声高に叫び、企業危機、国家危機の絶叫によって、日本の家賃(地代)や消費者物価の高さと無関係に賃金のみを国際比較して、一方で国内工場閉鎖による大失業攻撃と、他方で雇用危機の恫喝で低賃金を強制するというきわめてイデオロギッシュな攻撃をかけてきている。
それは、ITバブルが崩壊し、危機にひんした電機産別で特に激しく進行している。
〇一春闘において電機連合のある組合は、労使交渉で「賃金決定メカニズムとなっていた『物価上昇分』『生活向上分』は交渉材料にしない」「市場性を考慮する」とした。戦後の賃金闘争は、敗戦直後の飢餓状態の中で「食える賃金をよこせ」という要求から出発し、電産型賃金とも呼ばれる「生活給」思想を確立してきた。この組合方針は、こうした戦後賃金闘争の基本原理を労組自ら放棄する暴論だ。
これを受けて資本の側はわが意を得たりと、「『苦しい生活の改善のための賃上げを』『経営状況が厳しく賃上げは困難』と主張しあう時代は終わった」と応じた。しかも「市場性」について「オペレータ(技能職)については海外および派遣労働者の賃金水準と比較する」と言い出した。これは資本が生き延びるためには、本工の賃金をアジアの労働者や派遣労働者なみの低賃金にたたき落とすことを意味する。連合のこの裏切りを断じて許すな。
日経連が言う「総額人件費削減」とは、国際競争力の回復のため賃金だけでなく、福利厚生費まで削減しようという全面的攻撃であり、小泉構造改革の社会福祉切り捨てもその一環である。日帝・資本は、労働法制改悪と労組弾圧で労働者の団結を破壊し、終身雇用制を解体して労働者階級全体を不安定雇用化と賃下げにたたき込み、九五年日経連「新時代の『日本的経営』」路線を全面的に貫徹しようというのだ。
日経連に屈服し「社会合意推進」を宣言
日帝の大幅賃下げ攻撃を始めとした一大資本攻勢に対して、連合や全労連は屈服して容認し、なんとか労働者階級にそれをのませるために必死の策動をしている。そのためのペテンがこの秋以降、政労使一体で大々的に宣伝しているワークシェアリング論だ。
そこでは、「オランダの奇跡」というふれこみで、七〇年代は「オランダ病」と言われるほど高失業と経済悪化で悩んでいたオランダがワークシェアリングによって失業率は下がり、経済も立ち直って財政赤字まで解消したなどと言われている。それを日本にも導入すれば何か魔法のように一切が解決すると言うのだ。
連合は〇二春闘方針で雇用を守るためと称してワークシェアリング論を展開、「政労使の社会的合意にもとづく、所定労働時間の短縮とそれに伴う支援措置、多様な就労形態にかかる均等待遇原則の確立」と述べた。さらに会長笹森は「時短に相当する部分の賃下げは容認する」と発言した。この賃下げ協力を日経連に誓ったものこそ十月十八日に発表した「雇用に関する社会合意」推進宣言だ(本紙二〇三〇号3面参照)。だが、連合の言う「多様な雇用形態」とは不安定雇用化であり、小泉構造改革そのものではないのか。
NTT労組委員長・津田は、十万人首切りと三〇%賃下げを「日本的なワークシェアリング」と言い放った。これこそ日帝が狙う「ワークシェアリング」そのものなのだ。
賃下げ・首切り・不安定雇用化をもたらす小泉構造改革の先兵、連合を打倒しよう。恐慌情勢だからこそ原則的な賃金闘争を再確立し、一律大幅賃上げ・賃金差別撤廃、首切り・戦争反対を掲げて、〇二春闘をストライキで闘おう。
◇ ◇
オランダモデルとは
オランダのワークシェアリングは一九八二年に政労使の三者で結ばれたワッセナー合意が出発点だと言われている。それは、@労働組合は、賃上げ要求を自粛し、インフレ率に合わせた賃上げ制度の廃止と、最低賃金制の一時凍結に合意する、A使用者は、労働時間を五%短縮し、週四十時間制を三十八時間制にし、その分の賃金カットを行う、B政府は、年金給付水準の引下げ(賃金の八〇%から七〇%へ)による財政支出削減と、所得税減税による賃金カットの一部補てん、などからなるが、危機への労組の屈服と、賃金闘争放棄こそが核心点だ。
ワッセナー合意の労働者側の立て役者であるオランダ労働党の党首、オランダ最大の労働組合連合FNVの委員長・ウィム・コックは九四年以降首相に就任している。コックは首相として、アメリカ帝国主義を先頭にしたアフガニスタン・中東侵略戦争に率先して加担し、十二月上旬には海軍や空軍八百人余をアラビア半島に派兵した。資本の危機の救済者は侵略戦争の下手人になるしかないのだ。
さらにオランダモデルの問題点として、@社会保障等の暴力的削減、A雇用の伸びのうち四分の三がパートタイム雇用、B早期退職者などを加えた広義の失業率は二七%にもなるという「隠された失業問題」、C長期失業者の存在、D賃金抑制に対する労働者の憤激の高まりなどがあると言われている。
「パートタイム雇用の促進こそオランダモデルの核心」と言われている。だが本工の賃下げの結果としての女性などのパートタイム労働増加による「雇用の増加」には、オランダ以外のヨーロッパ各国の労働組合は反対している。
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週刊『前進』(2035号3面2)
部落解放同盟全国連 20年の激闘に勝ち抜き長野県連を結成 青年部が先頭に立ち
部落解放同盟全国連合会長野県連合会結成大会が十二月二日、長野市で開催され、二百十人の結集で大成功をかちとった。
長野県連は、九二年の県連準備会結成から苦節十年、解同本部派との反処分闘争から二十年の闘いにつぐ闘いを経て、ついに輝かしい歴史的快挙として、県連創立を果たしたのだ。大会は、開始された帝国主義の戦争と部落差別の激しい強まり、大失業、生活破壊の大攻撃に真正面から立ち向かう新たな解放運動の時代を開く大会となった。
会場の県社会福祉総合センター講堂には、開会を待ち望む部落大衆が早くから続々とつめかけた。特に十代、二十代の青年の姿が目立ち、会場が若いパワーで圧倒された。演壇ステージに青年部の面々の顔を描いた絵が飾られ、大会を盛り上げた。
さっそくオープニングステージ、青年部のパラパラダンスの開幕だ。十年前解放子ども会だった子どもたちが、こんなに大きく成長した。狭山闘争、差別糾弾闘争の中心を担い、今年全青交の地元開催を成功させた力がここにみなぎっている。権力はこの青年の決起をつぶそうと、前日、高校生一人をデッチあげで不当にも連行した。結成大会の破壊を策した権力は、卑劣な弾圧をかけてきたが、青年部の団結した抗議闘争で高校生を取り戻した。パラパラダンスは、その勝利の上でのステージだった。
さらに長野では、県連結成を前にして十一月に二睦、豊野、篠ノ井の三つの支部を旗揚げした。三つの支部は、解同本部派との党派闘争で、最も激突してきたところである。支部の誕生は、反処分闘争から二十年の歴史の重みがあり、解同本部派との力関係の転換なしにありえなかった。三つの支部の結成は、そこに挑戦し、見事に勝ち抜いた。支部長は解同本部派を見限って全国連に加盟した年輩の人がすわった。
豊野支部長の開会宣言に続き、木藤シズ子さんが主催者あいさつに立った。木藤さんは三支部結成と県連結成に万感の思いをこめて喜びを語った。
来賓あいさつとして、全国連から中央本部・楠木吉秀事務局長、中央青対・北浦裕樹久部長、茨城県連・高橋昭一書記長。共闘団体からは三里塚芝山連合空港反対同盟の伊藤信晴さん、北富士忍草母の会の天野美恵事務局長、動労千葉の川崎昌浩執行委員、東日本解放共闘の山川博康事務局長、長野労組交流センターの代表が祝辞と闘う決意を述べた。
議長団が祝電、メッセージを紹介した後、議案提起に入った。活動報告を小林あや子事務局長が行った。小林さんは、八〇年代から始まった解同本部派との反処分闘争を勝ち抜いて九二年全国連創立までに至った闘いの総括と、準備会結成から十年間の闘いの教訓に満ちた勝利的地平を報告した。特に狭山、差別糾弾闘争の中軸を担った青年部の大衆的発展と組織的確立、運動の拠点をなす県連事務所の建設、婦人部の献身的闘い、三支部の結成、「県連を支える会」の立ち上げ、指導部建設、機関紙闘争など、十年間の苦闘が、八五年浅草橋戦闘戦士の高見沢、城下両同志の英雄的決起によって支えられ、県連結成に結実したことを高らかに語った。
続いて、小森勝重委員長が運動方針を提案した。小森さんは冒頭、権力の青年部に対する不当弾圧と、解同本部派県連による連合長野への「大会参加禁止」通告を、怒りをこめて弾劾した。さらに今日の部落解放運動をめぐる情勢が、米帝のアフガニスタン侵略戦争の開始と日帝・小泉政権の参戦という、まさに戦時下にあることを明らかにし、三〇年代の全国水平社の負の歴史を総括し、のりこえ、今こそ反戦闘争に決起し、小泉政権を打倒しよう、と訴えた。また部落差別の大洪水、同和対策事業の全廃、解同本部派の転向=融和団体への変質という中で、狭山、差別糾弾闘争を軸とした三大闘争の全面的実践こそが、部落民自主解放の道であり、全国連の組織拡大の環であることを、確信に満ちて強調した。最後に、三支部結成から青年部、婦人部の結成、全県下七地区での全国連支部の旗揚げの展望を、決意をみなぎらせて宣言した。参加者は、新たな闘いに断固挑戦する決意をこめて、大きな拍手でこたえた。
長野からの決意表明は、支部の結成を見事に果たした二睦、篠ノ井、豊野の各支部長が登壇した。解同を脱退し、全国連に移行した支部長の決意は、感動を呼ばずにはおかなかった。全員登壇した青年部から、青年部長が「全国連の闘いの中で青年部はつくられてきた。そして多くの仲間が集まり、ひとつの集団から青年部という組織として生まれ変わっていく。これからの長野県連は青年部が闘いの中心を担っていく」ときっぱりと決意を語った。婦人部の荒井糸枝さん、解放子ども会が決意を表明し、長野の運動の組織的強さと大衆的発展の展望が鮮明に示された。
これを受けて、都革新の結柴誠一さん、婦人民主クラブ全国協議会の西村綾子さん(相模原市議)、東京杉並支部を始め関東のきょうだいの温かい励ましと連帯の決意が表明された。
すべての議案が採択され、狭山、反戦、組織建設の三つの決議、六本のスローガンが満場一致で可決された。最後に、小森執行委員長を先頭とする十七人の新執行部体制を確立し、差別裁判うち砕こう、団結ガンバロー三唱で大会は閉会した。
大会会場の受付に張り出されたパノラマ十年を見ると、「しょうり」の機関紙がメモリアルに歴史を刻印している。長野の解放運動、ひいては全国連の基幹を担った長野の運動は、この日をスタートにして激動の時代を乗りきり、組織と運動の発展を必ずやつくり出すだろう。当日のマスコミの注目度はそれを物語っていた。大会当日の夕方、ラジオニュースで報道され、十二月三日の信濃毎日新聞と毎日新聞に大会記事が掲載され、テレビでも全県下に報道された。
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週刊『前進』(2035号3面3)
“「主任制度」改悪反対” 東京4教組が総決起集会
十二月四日、東京・日比谷野外音楽堂において、「主任制度」改悪反対十二・四総決起集会が開催された。日教組傘下の東京四単組(東京教組、都障労組、都校職組、都高教組)が主催し、日教組が共催した。
03年度「主幹」職設置を狙う石原
東京都教育委員会が今年六月に設置した「主任制度に関する検討委員会」は十月二十五日、中間まとめを発表し、教頭を補佐し一般教員を指導・監督する「主幹」(仮称)職を二〇〇三年度から設置することを求めた。同検討委員会は十二月にも最終報告をまとめ、教育委員会規定を改悪し、来年度「主幹」職の選考試験実施へと突き進もうとしている。新たな主任制攻撃であり、絶対に導入を阻まなければならない。
中間報告は「今後の学校運営の改善の視点」として、学校現場の現状を「横並び意識」「鍋蓋(なべぶた)型組織」と罵倒(ばとう)している。「ベテランも、新規採用教員も対等という平等意識」「管理職である校長・教頭以外は、主任も含め、職位に差がない教員が大多数を占めている」と、教職員の平等な協働による学校運営のあり方を攻撃の対象としているのである。
さらに同報告は、七五年以来、主任制に抗して全国の教育労働者が徹底的に闘い、形骸(けいがい)化をかちとってきたことへのいらだちを露骨に表明している。現行主任制に対して「文部省の見解が『中間管理職』から『指導職』に変更されるなど、職責などの面において不十分」「監督権限を持たない」「主任が『職』として設置されていない」「主任の職責に見合った教育職員給料表の級が置かれていない」ことが「制度上の限界」と言うのだ。
そして「新たな職である指導・監督層の設置を検討する必要がある」と結論づけ、「主幹」(仮称)職の設置を求め、学校運営のあるべき姿として「経営層」(=校長・教頭)、「指導・監督層」(=「主幹」)、「実践層」(教諭)という上意下達の管理体制を描いている。
さらに「主幹」職受験者を確保するために、「主幹の処遇」について「手当ではなく給料として支給する。給料表に新しい『職務の級(特二級)』を設け」るとした。
日教組は主任制導入に対して、二波の全国統一ストを出発点に、各県・市町村段階の九年間に及ぶ規則化阻止・凍結闘争と職場抵抗闘争を闘い、今日まで形骸化をかちとってきた。主任制闘争は勤評闘争と並んで日教組運動の原点だ。
「主幹」制導入とは、教育労働者の職場支配権を解体し、上意下達の管理体制のもとに組み敷く攻撃である。今日の日帝の教育基本法改悪―「教育改革」攻撃の核心をなす攻撃なのだ。まさに日教組の存亡をかけた不退転の闘いになんとしても立ち上がらなければならない時だ。
現場組合員の危機感に押され
「東京で開始された新たな主任制攻撃は、全国に波及することは必至だ」「全国連帯の力で東京の闘いを支えねば」、こうした現場組合員の怒りと危機感に押され、日教組も共催してこの集会が設定され、全国から組合員が結集した。
主催団体代表あいさつに立った東京教組の北村委員長は「東京では二〇〇〇年四月から人事考課制度が導入され、上意下達の学校へと変えられようとしている。四単組で『主幹』制導入阻止へ闘う」と表明。都高教の甲谷委員長は「都教委は民間企業同様の能力主義を学校現場に持ち込もうとしている。全面的な組織破壊攻撃であり、主幹制に対して組織の総力をあげて闘い抜く」と発言した。
共催団体あいさつに立った日教組の榊原委員長は「主幹は中間管理職そのもの。全国への波及を阻むためにも四単組と連帯して闘う」と述べたが、「全国統一闘争」という言葉は聞くことができなかった。
基調・取り組み報告を都高教の若林書記次長が行い、「都教委は人事考課制度導入と一体で、主任の辞令交付式や主任研修など主任制の実働化を狙ってきたが、職場闘争を闘い、実質的に従来どおりの運営を貫いてきた。そして今日も、管理職の妨害をはねのけて四単組集会を開催した。団結の力を見せつけ、十二月最終報告阻止へ総力をあげて闘う」と表明した。
都校職組の田子委員長と都障労組の小林委員長が決意を表明した後、連帯のあいさつに立った神奈川県高教組の馬鳥書記長が「主幹制導入は私たち自身にかけられた攻撃だ。東京で始まることは必ず全国に波及する。全国連帯で私たち自身の闘いとして闘う」と述べた。最後に「東京における『主任制度』改悪に反対する決議」を採択し、団結ガンバローを三唱した。
集会は全国各県からも多くの教育労働者が結集して闘いとられた。この集会を起点に、闘う日教組を現場から再生し、ストライキ闘争・全国統一闘争を復権させよう!
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週刊『前進』(2035号3面4)
ビデオ紹介 闘争団の闘いを先頭に輝く労働者の姿を描く 「国労再生」の力強い歩みを確信
長編ドキュメンタリー「人らしく生きよう/国労冬物語」の劇場上映を最終日に見に行きました。作品は、昨年六月に発売されたビデオを再編集し、七・一国労臨時大会の模様を四十分付加した劇場公開版。もともとの充実した内容に、七・一での藤崎美年子さん(音威子府闘争団家族会)の演壇からの訴えという華が加わり、作品全体が労働者の闘いの息吹で躍動している印象を受けました。苦しい闘いの場面では涙を流してしまいました。
「駄目になった日本にも輝く労働者がいる」(劇場あいさつ)との一念で不屈に闘う国労組合員の姿を追い続けてきた製作者(『JRに人権を』、『背面監視』、一連の国労大会ドキュメントを作成)が、「十四年以上の取材を踏まえた決定版」と言うにふさわしい堂々たるものに仕上がっています。
作品は八七年の分割・民営化当時から現在まで国労の闘いを、貴重なフィルムと四人の主人公の生きざまをドキュメントとインタビューで織りなしています。主人公は解雇された千四十七人中で最年長者の佐久間忠夫さん、新宿保線区から売店を経て保線の隔離職場(通称PC、コンクリート枕木再生の穴開けだけが仕事)へと差別扱いのタライ回しを受けている山田則夫さん、北海道留萌(るもい)闘争団員でホタテなどの物資販売で活躍する大谷秀貴さん、それに七・一の立役者の藤保美年子さんが加わりました。脇役陣は闘争団家族会やJRの組合員ががっちり固めています。
逆に怒りと哀れみをかうのが、国労本部役員たち。ゆがんだ顔で言い逃れや逃亡する姿が映し出されています。胸を張ってお天道様の下を歩く労働者と、権力・資本に屈服した惨めで卑屈な役員がリアルに描かれています。「百聞は一見にしかず」、是非見てください。
作品も見事ですが、若者が多く集まり総入場者が千八百人を超え、闘う闘争団へのカンパが五十万円を超えたということは、他人事と思えない喜びです。製作者も主人公も闘う闘争団も決死の覚悟で上映に踏み切ったとのことです。最低で七人というどん底もあったが、しり上がりに集まり、最後は超満員になったとのことです。
主催者が行ったアンケートでは「他人事ではない」「涙が流れた」といった感動の声が寄せられ、『ぴあ』が行った満足度調査でも高得点で、再上映を求める声が圧倒的だったとのことです。
闘う闘争団が全国100カ所で上映方針決定
十二月三日の「国労闘争団共闘会議準備会」主催の集会では全国百カ所上映運動が決定されました。主人公の佐久間さんが上映後にこうも言いました――「この映画で国労は地域・市民を獲得しよう。それがJRに最も打撃を与える」。この自信と活力に満ちた発言に、「国労再生」が力強く進みだしたことを確信しました。私もやろうと思います。 (大橋恒)
〔劇場公開版ビデオが発売されています。百分/六千円/注文先・ビデオプレス TEL〇三―三五三〇―八五八八 FAX〇三―三五三〇―八五七八〕
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週刊『前進』(2035号4面1)
介護保険に異議あり! 全国ネットを結成 高齢者の生きる権利を宣言
十二月九日、クレオ大阪北大ホールで「介護保険に異議あり! 全国ネットワーク」結成総会が開かれました。高齢者五百人が会場を埋め、あふれる感動の中、介護保険制度廃止に向けた全国的な高齢者の運動がついに始まったのです。
開会宣言の後、呼びかけの三団体の代表があいさつしました。介護と福祉を要求する杉並住民の会の代表は「介護保険が出てきて何事だと思った。介護の費用を払えと。バチ当たりです。そんな政治の中枢にいる不届き者を許さない」と発言しました。
大阪・高槻の健診介護要求者組合の代表は「ようやくここまで来た」と全国ネットワーク結成の感慨を述べ「戦争の時代を生き抜いてきた人たちをどうして虐げなければならないのか」と訴えました。東大阪国保と健康を守る会介護要求部会の代表は「全国から集まって国を動かそうということが肝心」と結成の意義を説明しました。
経過と基調では、「低所得の高齢者の生命と生活が奪われようとしていることに対して、健康な生活を保障することは国の責任であり、私たちの権利であるということが根本原理であることを確認したい」と提起した。そして「権利は黙っていて保障されるものではない。闘いによって守っていくもの」と訴えました。
記念講演は、京都で長年地域医療に携わってきた医師が行いました。壇上狭しと歩き回りユーモアあふれるお話でした。「住民のみなさん一人ひとりが自分の問題として取り組まなければなりません。本当に全国の運動になるように取り組んで下さい」と期待を込めた。また戦争反対の思いがあふれる講演でした。特に印象深かったのは、九月十一日の米国でのゲリラとそれに対するアフガニスタンへの侵略戦争について、飢饉(ききん)の時の厳しい年貢の取り立てに「思わずくわやかまを握った。それを一揆は法度であるとみんな打ち首にした」とたとえて米帝のアフガニスタン侵略戦争を弾劾しました。
講演の後半でお連れ合いが登壇し、反戦歌「一本のえんぴつ」を美空ひばりの歌にあわせてみんなで一緒に手話で歌いました。
カンパアピール、会則、役員提案と続き、結成宣言が読み上げられました。各団体の会員が交代で読み上げ、高齢者の生きる権利の宣言が発せられました。
「私たちは、たとえ病気になっても働けなくなっても、人間として生きる権利がある。その権利を保障するのが福祉制度ではないのか」「私たちは、国によって犠牲を強いられてきた人生をうち捨て、人間として堂々と生きるための宣言を、全国の仲間に発する。労働者をはじめ、すべての人々に発する。ともに、人間らしく生きよう! ともに、たたかおう!と」
荒本地区介護と福祉を要求する会の代表が行動方針を提起し、続いて命のメッセージとして各地の団体の会員が一言ずつ発言した。杉並、高槻、東大阪、荒本地区、八尾北医療センター患者会介護要求部会、広島高陽第一診療所命と健康を守る会、「障害者」運動の代表、一人ひとりの発言がとても貴重なものでした。
特に胸を打たれたのは、東大阪の会員が「軍隊で八百人いた中で十人だけが帰って、全部南方で戦死した。それを思い出すと涙が出てきてつらいのです」と体験を語ったことです。また「障害者」運動の代表は六十五歳をこえた「障害者」が介護保険の適用を拒否している現状を報告、「障害者」の地域自立生活を奪う介護保険の廃止へ闘う決意を表明しました。
まとめで「この総会は後の人に人間の尊さを教える総会として歴史に残るでしょう」と高らかに提起し、団結ガンバローを行いました。
(投稿 G・S)
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週刊『前進』(2035号4面2)
“しなやかに誠実にはばたこう” 有事立法と改憲に反対 新百万署名へ
十二月一日に百万人署名運動の全国集会が、東京都中央区にある労働スクエアで行われ、四百二十人ほどが結集しました。
映画監督の土本典昭さんに、一九八〇年代にアフガニスタンの内戦を記録映画「よみがえれカレーズ」にした経験から、アフガニスタンの歴史をわかりやすく講演していただきました。
軍事侵攻する前のソ連が「援助」していたころは、社会資本と民衆のために資金が使われていたことは、初めて聞く話でした。
また「家族」が基調になっているアフガニスタン社会の将来をめぐって、パキスタンでの会合が八〇年代以降行われているが、アフガニスタン民衆が主体になっての議論がない限り、矛盾が拡大していくだろうと結ばれました。
続いて、パレスチナで医療活動を行っている青年からは、イスラエルの爆撃がルールなどなく、日常的に行われていて、ご自身の知人もその中で命を落とされたことが話されました。パレスチナでは停戦になると「こんな静かなガザは初めて」と言われるほどの戦争状態で、ある時はイスラエルの神経ガスで民衆が狙われたことなどが話されました。
沖縄出身のミュージシャンのミニコンサートで盛り上がった後、西川重則事務局長が基調報告を行い、新たに「有事立法と憲法改悪に反対する全国署名」を全国で展開していこうと熱烈に訴えました。靖国神社と天皇制を底流とする勢力と小泉首相が、来年にも有事立法を制定しようとしていることに対して、本当に民衆の中に入り運動をつくろう、という基調報告が、全体の拍手で確認されました。
「来年夏までに百万人」を目標にした新しい署名運動の提起に、気持ちを新たにしました。
最後に全国の連絡会が壇上に上がり、各地での取り組みを紹介。なかでも学生や青年が戦争反対の運動を仲間とともに立ち上げていることに新しい時代の広がりを感じさせました。
老若男女の「断絶」をなくし、しなやかに、そして誠実にふんばること、これが百万人署名運動のよさです。新署名運動の成功に向けてともにがんばろう!〈投稿T・W〉
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週刊『前進』(2035号4面3)
読者からの手紙 “女性高齢者は死ね”と石原 東京 S・N
アフガニスタンの地でパレスチナの地で、毎日のように殺りく行為がなされています。戦場からの映像、米政権高官どもの「効果的な殺人」といった言動を受けて、日本のマスコミ報道でも日々、人権意識を踏みにじっています。民族排外主義や差別主義言辞が急増しています。その先頭に立っているのが小泉であり、ファシスト石原です。
『週刊女性』の十一月六日号で「石原慎太郎都知事吠(ほ)える」というインタビュー記事が六ページにわたって特集されています。その中で石原は、十月に開かれた「少子社会と東京の福祉」施策立案会議の話題に触れて次のような暴言を吐いています。
「文明がもたらした最も悪しき有害なものはババアなのだそうだ。女性が生殖能力を失っても生きているのは無駄で罪です」「人類は滅亡に向かって進みつつある。アフリカ、インド、中共(ママ)と、(人口が)爆発的に増えている」「そんなのが日本に不法入国してる。戸籍がないから帰れない。だから日本で犯罪をするしかない」
都知事の座にある石原の差別発言は、権力をもって政策に反映される言辞です。しかも今回の発言は福祉切り捨てのための意図的な差別発言です。絶対に許せません。
石原は、生存を否定していい存在があると公言しているのです。それが中国などの急増する人口であり、女性高齢者だと言うのです。大量殺人=戦争を合理化する論理です。民族排外主義をあおり、高齢者・「障害者」・女性への差別意識をあおっています。
「労働者は、働けなくなったら死ね」「女性は、子どもを産めなくなったら死ね」と言っているのです。
ファシスト石原を徹底糾弾し打倒するまで死ねないと「ババア」のひとりとして決意しています。
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週刊『前進』(2035号4面4)
11・11労働者集会を闘って
生きる道は団結の中 広島 青年労働者 北村未来
私は、今回初めて十一月労働者集会に参加した。まず、現地に着いたとたんのビラの多さに驚いた。蛇行し歩きながら次々に渡されるビラを見て、全国からこれだけ多くの団体、仲間が結集した集会なのだとあらためて感じた。
九・一一ゲリラ後、米ブッシュ政権の「報復」と称した侵略戦争や小泉政権の参戦に向けた動きに対して、知人や職場の中で議論しようとしたが、無関心であったり、初めは「テロ糾弾」から抜けきれない人が私の周りには多かった。再び同じ道を……という不安と怒りが私の胸の中にあった。また、日本経済が破綻(はたん)の一途をたどっている中、何の打開策も講じることなく、国民に犠牲を強いる小泉政権のやり方に対して、今こそ労働者の団結・連帯で社会を変革していく時が来たのだ!という思いで今回の集会に参加した。
沖縄からの連帯のあいさつで「ブッシュ政権の空爆や小泉政権の参戦に向けた動きに対して市民運動の方が活発に活動している。しかし、労働組合こそが動かなければ、戦争阻止はできない。今こそ立ちあがろう」という提起があった。そのとおりだと思った。組合運動が連合路線になり、その指導部が労働運動を押しつぶそうとしている状況だからこそ、小泉の参戦に対しても何も行動しようとしないのだ。しかし国民は、失業、リストラ、増税、年金・医療制度改悪など生活や将来に対する不安の中で、怒りの頂点に達しているのだ。この怒りを総結集するためには、小泉政権と全面対決する労働組合の全国ネットワークが必要だ。このことを掲げた労働者の集会はほかにはない。
十一月二十五日、地元呉からも補給艦「とわだ」がインド洋に向けて出航した。これは、アフガニスタン人民虐殺に協力し、日本も侵略戦争に参戦するということだ。絶対に許してはならない。全世界の労働者と連帯し、今こそ反戦闘争の大爆発を闘いとらなければならない。そのためには、この全国労働者総決起集会のさらなる拡大が必要不可欠だ。この労働者の隊列を巨万にふくらませれば、必ず戦争は阻止できると確信した。
全国の労働運動を牽引(けんいん)していけるナショナルセンターをつくるために、私たち青年労働者は先頭で闘う決意だ。「生きる道は唯一団結の中にある」という言葉どおり、生きていくために団結をかちとり、勝利しよう。
労組として戦争反対 関西 医療労働者 村瀬 薫
九・一一反米ゲリラへの「報復」を口実に米帝がアフガニスタン侵略戦争に突入し、日帝が参戦する中で「労働者階級こそ戦争を阻止することができる」と訴え、全世界の人民と連帯して反戦闘争を爆発させることが求められていると思いました。
私たちは組合を結成して一年、この闘いにこたえようと、「労働組合として今何をなすべきか」を正面から提起する闘いとして十・二一―十一・一一の組織化に初めて挑戦しました。
米帝の空爆が開始され、連日爆弾が雨あられのように落とされ、アフガニスタン人民が殺されていくのを見て、「空爆は許せない」「自分も何かしなければ」という反戦の思いが職場の中に生まれてきました。「私たちは労働組合としてこの戦争に反対する」という決議を上げるべきではないかと、私は執行部に提案しました。
「組合は自分たちの利益を守るためにつくった。政治を持ち込むのは困る」「そういうことをすると過激派のレッテルを張られて理解されない」という意見をきっかけに議論が始まりました。「戦争は全社会を覆うもの。反対しなければそういう利益も守れない」という意見が出され、在宅訪問看護に出ている仲間は「Sさんは『だんなは戦死した。アメリカの爆弾投下を見ていたたまれない、戦争は二度とイヤだ』と言っている。みんなそういう思いだ」と必死に訴え、「乳飲み子に乳を飲ませている時、B25の爆撃機で母親が撃たれて死んだという悲惨な戦争体験を聞いている」という意見などが次々に出る中で、組合の闘いを経済主義の枠のみに押しとどめず、「医療労働者として戦争反対」の決議を上げました。
十一・一一集会への賛同を組合決定し、住民を含めて二けたに上る仲間が参加しました。全国の労働者の前に初めて真新しい組合旗を押し立てて、都心をデモしました。
教訓は、大衆討議を組織する点でまだまだ力量不足だということです。例えば、九・一一を飛ばしてアメリカの侵略戦争について反対だけ言ってしまい、イスラム人民の闘いを論議することが弱い。何よりも、相手の意見を引き出しながら、戦争が第三次世界大戦に向かう根拠を明らかにしたり、「本当にそうだ」と確信に導くような討論をする力をつけていくことが課題だと思いました。
日帝は特措法の期限切れ=同和対策の全面打ち切り、同和地区診療所の民営化・廃止攻撃をかけてきています。民営化前提のコンサルタント導入に反対し、患者会・地域の人びととともに団結して診療所を守る闘いに立ち上がっています。既成解同の裏切りをのりこえ、新たな組織と指導部をつくる苦闘を始めました。部落大衆と団結して闘えば解放医療を守ることができると確信しています。狭山闘争の勝利と部落解放の旗を打ち立てよう。
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週刊『前進』(2035号4面5)
2001年日誌 阻もう! 改憲=戦争への動き 12月4日〜11日
来年の通常国会に有事立法 PKO法の再改悪をも狙う
●アフガン以外攻撃の可能性を強調 ブッシュ米大統領が「まずアフガニスタンでの仕事を片づけるつもりだ」とした上で「ほかでも兵力の投入が必要かもしれない」と述べ、アフガニスタン以外での軍事攻撃の選択肢を排除していないことを強調した。ブッシュがアフガニスタン以外での軍事攻撃の可能性について明言したのは初めて。(4日)
●年内に建設位置決定と岸本が表明 尾身幸次沖縄担当相と岸本建男名護市長が会談。岸本は米軍普天間飛行場代替施設の移設先三区の地域振興のために「国際情報通信・金融特区」の実現を求め、代替施設の具体的な場所や規模について地元の意見集約を図り「今月末の代替施設協議会で最終的な方向性を決めたい」と述べた。(4日)
●稲嶺も「年内」表明 尾身沖縄担当相と会談した稲嶺恵一沖縄県知事が「県としても年内に具体的につめたい」と語った。(5日)
●有事法制「来年の国会」と山崎 自民党の山崎拓幹事長が中谷元・防衛庁長官と会談し、有事立法について、来年の通常国会で着手するよう求めた。有事立法は@自衛隊の行動にかかわる法制、A米軍の行動にかかわる法制、B自衛隊や米軍の行動には直接かかわらないが、国民の生命・財産の保護のための法制――の三種類があり、@は防衛庁所管の法令(第一分類)、他省庁所管の法令(第二分類)が公表されている。山崎は第一、第二分類をセットで立法化するべきだとの考えを示した。(5日)
●陸自が警護出動訓練 陸上自衛隊が神奈川県の在日米軍司令部のあるキャンプ座間と相模総合補給廠で警護出動訓練を開始した。十四日まで九日間。(6日)
●自衛隊には地雷の広範囲除去技術なし アフガニスタン国内に埋められている地雷を除去するとして、自衛隊を派兵する動きが強まる中、防衛庁内部の検討では、地雷の広範囲の除去はきわめて困難であることが分かった。自衛隊の地雷除去の目的は、部隊が地雷原を突破するためで、民間人の安全のための広範囲に除去する技術はない。陸自幹部は「地雷除去能力は、世界に展開している民間の方が上ではないか」と話している。(6日)
●憲法調査会2年 衆院憲法調査会が委員同士の自由討議を行った。中曽根康弘元首相は「新しい体制を確立する時代に来ている」と改憲の必要性を主張。具体的な点として、前文や戦争放棄の九条に加え、首相公選制や憲法裁判所設置の関係条文をあげた。中山太郎会長は「論点は出尽くしており、今後は各論に入るべきだ」として分科会設置と通常国会に中間報告提出の意向を示した。(6日)
●有事法制「通常国会」と官房長官 福田康夫官房長官が有事立法について「有事法制は放置できない課題である。来年、なるべく早く、この問題を国会で議論していただく必要はあると思っている」と述べ、来年の通常国会での法案提出に意欲を示した。(6日)
●有事立法はテロ対応も対象に 有事立法について政府は、NBC(核・生物・化学兵器)テロなどを想定した対テロ戦にも対象を広げる方向で検討に入った。九・一一ゲリラを踏まえ、従来の沿岸部からの侵攻などを想定して、自衛隊による陣地構築に伴う土地使用や部隊行動を容易にするといった法制とともに、「国民の生命・財産等の保護にかかわる法制」の゛整備゛を急ぐ必要があるとの見方が強まっている。(7日)
●改悪PKO法が成立 国連平和維持軍(PKF)本体業務への参加を可能にし、武器使用基準を大幅に緩和する改悪国連平和維持活動(PKO)協力法が、参院本会議で与党三党や民主党などの賛成多数で可決、成立した。これを受け政府はアフガニスタンでのPKO展開を念頭に、地雷除去などPKF本体業務の参加を目指す構え。防衛庁は、今回見送られた停戦合意など参加五原則の見直しや、他国の部隊を防護する「警護任務」を、早ければ来年の通常国会で盛り込みたいとしている。(7日)
●「国際テロも対象に」
中谷防衛庁長官は有事立法について「テロに対して国家がどう対応するか整備したものがないといけない。特定の国だけではなくて、国際テロ集団の攻撃を有事と認定してどう対処するかだ」と述べた。(9日)
●米軍支援の条件 中谷防衛庁長官がワシントン郊外の国防総省でラムズフェルド米国防長官と会談した。中谷は軍事攻撃をイラクなどに拡大した場合を念頭に、日本が米軍支援を継続する条件として@九・一一反米ゲリラとの因果関係がある、A諸外国の軍隊の活動がテロ脅威の除去に努めている、B国連憲章の目的達成に寄与する――の三点をあげた。ラムズフェルドは「日本の立場は理解できる」と応じた。中谷は「有事立法は予算成立をめどに国会に提出し成立させたい」と三月下旬に提出する考えを示した。(10日)
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週刊『前進』(2035号5面1)
「公妨」デッチあげ、暴行・逮捕 京都府警に怒り爆発
寮生先頭に連日の抗議 ついに奪還かちとる 京大学生運動の破壊許さぬ
十二月十二日、京都大学熊野寮で十一月二十八日に不当弾圧を受け、逮捕されたA君の釈放をかちとった。不当逮捕への抗議の声の広がりと、何よりもA君の完全黙秘・非転向の毅然(きぜん)とした闘いが、警察・検察を完全に追いつめ、起訴を断念させてかちとった勝利である。
この日、京都府警川端署の前には彼を出迎える京大生が多数集まった。A君は学生の拍手の中で迎えられた。川端署前は感動的な合流の場となった。
A君は十一月二十八日、京都大学熊野寮で行われた捜索において不当逮捕された。午前十時三十分ごろ、京都府警は突然、熊野寮玄関に押し寄せた。寮生が抗議する中で、警察は捜索令状もほとんど見せずに、機動隊員の力で寮生を押しのけて寮内に突入した。
この中で多くの寮生が暴行を受けた。寮内に入った機動隊・公安警察は、掲示物や寮生の顔などをカメラやビデオカメラで撮影した。さらに捜索場所以外の寮内も広範囲にわたって機動隊が完全に制圧した。
寮生が玄関に集まり、弾劾行動を行った。これに対して、現場の機動隊の指揮官は、指揮棒で寮生であるA君の頭を何度も繰り返したたくという暴行におよんだ。さらに寮生のメガホンを盾でこづきあげるなどの暴行を加えた。
この暴力に寮生が抗議したところ、機動隊は一斉に盾を振り上げてA君に襲いかかった。彼の衣服を破り上半身を裸にし、地面に組み伏せた上、頑丈な安全靴で背中などを何度も踏みつけ、許しがたい暴行を加えたのである。そしてA君を「公務執行妨害」デッチあげで逮捕・連行した。
A君はただちに完全黙秘の闘いに入り、京都府警・川端署の中から警察を弾劾した。連日、A君に対する激励と警察への弾劾の闘いが展開された。これに対して検察・裁判所は勾留を決定し、起訴を狙って彼を拘束し続けた。
十二月六日、京都地方裁判所でA君の勾留理由開示公判が行われた。「住所不定」「罪証隠滅のおそれ」「逃亡のおそれ」を理由にあげて、京都地裁はA君の勾留を許可し続けた。
この日も京都地裁は大法廷が空いているにもかかわらず、一番小さい法廷を割り当て、傍聴そのものを封じ込めようとした。
午後一時、法廷前に多くの傍聴者が集まっていた。ここで前代未聞の暴挙が行われた。突然機動隊が裁判所内に乱入し、開廷を待っていた人びとに暴力をふるい始めたのである。
機動隊は法廷のドアの前に立ちふさがり、小窓を閉めて傍聴を阻み、さらにビデオ撮影を行った。法廷内外は怒りで騒然とした。
法廷に現れたA君は、裁判官の正面に毅然として立った。そして堂々と完全黙秘の闘いを貫いた。傍聴席から裁判官に弾劾の声が次々とあがった。法廷の外では、機動隊と裁判所職員への断固とした抗議が繰り広げられた。
警察と検察が総力となって繰り広げた弾圧を、A君と京大生は打ち破った。寮生と学生の抗議の広がり、不当逮捕への弾劾の取り組みが、この暴挙をひっくり返した。何よりもA君自身の完全黙秘・非転向の断固とした闘いが、日帝のアフガニスタン侵略戦争参戦体制下での京大学生運動破壊策動を粉砕したのである。
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週刊『前進』(2035号5面2)
反戦大行動に立つ 東北大 16クラスで決議
十二月六日、私たちは東北大反戦大行動を打ち抜きました。十月開講以来、「アフガニスタン侵略戦争阻止! 自衛隊の参戦許すな!」と全学生に訴えてきました。十一月に入ってからは、クラス決議運動を行いました。ただの反戦決議ではなく、行動まで迫る決議を学生に提起しました。初めは「戦争は反対だけど行動までは」という声が多く、なかなか決議があがりませんでした。しかし、「今なぜ行動しなければならないのか」を、アフガニスタン民衆の立場に立ちきり、帝国主義に対する怒りを体現して訴えることで、決議が上がっていくようになりました。最終的には十六クラスで決議を上げました。
そして十二月六日当日は、雪まじりの雨が降る中、六十名の結集でもって学内集会と仙台市内デモに立ち上がりました。集会では、歌やギターのパフォーマンスがあったり、全金本山労働組合の労働者からのアピールがあったり、佐世保闘争を闘った学生からの報告もあり、学生の注目を圧倒的に集めました。飛び入りで集会・デモに参加する学生もあり、街頭では労働者・市民が手を振ってこたえてくれました。
この闘いではっきりしたことは、労働者・学生は圧倒的に「侵略戦争反対! 参戦反対!」だということです。そして、われわれが日共や連合の「テロ根絶」という戦争協力、排外主義攻撃を打ち破り、「闘うイスラム諸国人民と連帯し、アフガニスタン侵略を内乱へ」という闘いを爆発させた時、必ず労働者階級は決起するということです。
佐世保での闘いをさらに押し広げ、帝国主義を打倒する国際反戦闘争を爆発させていきましょう! 東北大の学生は十二・六で切り開いた地平をもってさらなる闘いへ、その先頭で闘っていく決意です。
(東北大・K)
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週刊『前進』(2035号5面3)
那覇地裁 米軍用地特措法「合憲」と反動判決
知花昌一さんらの訴え却下
那覇地裁は十一月三十日、反戦地主八人が訴えた改悪特措法違憲訴訟の判決で、改悪特措法の憲法上の争点は「いずれも違憲とは言えない」と事実上合憲との判断を示し、請求を却下した。
同時に、楚辺通信所(通称・象のオリ)にある知花昌一さんの土地を、三百八十九日間にわたって占有したことについては、これを国による「不法占拠」と認定し、国に賃料損害金四十七万九千六百七十一円の支払いを命じた。
「沖縄差別だ」と怒りの声
反戦地主会と違憲共闘会議は、二十九日の判決前夜集会に続き、那覇地裁の向かい側で事前集会を開催した。反戦地主会を先頭に沖縄全県から闘う労働者・市民約七十人が集まった。色とりどりの旗やのぼりが林立、伊江島の黄色い旗もある。沖縄労組交流センターも赤旗をもって駆けつけ、支援闘争に合流した。
原告団が決意を表明。知花昌一さんは「法的根拠もないのに『直ちに違法ではない』と主張し、占拠し続けた国のやり方を糾弾する判決だと確信している」と力強く語った。午後一時からの判決公判に原告団・傍聴団を送り出し、結果を待った。
判決後、地裁前で報告集会をもち、続いて原告・弁護団は記者会見に臨んだ。弁護団は「一部勝訴の意義は大きいが、他を棄却した判決は不当で許されるものではない」と断じた。
原告代表で違憲共闘会議議長の有銘政夫さんは「知花さんへの賠償は当たり前。(土地暫定使用を合憲とした)安保優先の判決はけしからん」と強く抗議し、「沖縄県民の財産権、人権の差別は続いている。納得できない。県民的な怒りとして広げ、運動を継続していく」と決意を語った。
知花昌一さんも「一部勝訴は常識的な判断、喜べる状態ではない。特措法は沖縄だけに適用される差別立法だ。私以外に該当しない法律。政府としてなすべき行為ではない」と怒りを表明、「憲法が安保に負けたのであり、日米安保がすべてに優先することが露骨に見えてきた。この判決は今の日本そのものだ」とコメントした。
原告の一人、嘉手納基地とキャンプ・シールズ内に土地を持つ島袋善祐さんは、一〇三条の日本国憲法が、たった一〇条の日米安保条約に優先されたことを「百が十に負けた」と表現。「控訴審、最高裁へ続けていくことが大きなエネルギーになる」と訴えた。
改悪特措法違憲訴訟は、九六年に知花さんが「象のオリ」の所有地の明け渡しを求めた訴訟(損害賠償請求訴訟に変更)と、九八年に有銘政夫さんら七人の反戦地主が起こした訴訟が併合されたものだ。
「象のオリ」の不法占拠認定
綿引穣裁判長は、象のオリの知花さん所有地の不法占拠について「国が何の権原もなく、個人の土地を占有できない」ことを指摘し、「いわばゲームの途中でルールを変えるに等しい手段により本件第一土地は返還されないこととなったのであって、原告知花がいわゆる反戦地主であり、反戦について強固な信念を有していると推測されることに思いをいたすと、原告知花の怒り、口惜しさは、理解できないではない」と言いながら、「しかし、知花さんの『怒り、口惜しさ』は土地の無権原占有により通常予想される損害以上のものではない、と法の保護からはずされてしまった」(古川純専修大教授)。
さらに、裁判の主要な争点は以下の三点であった。@収用委員会が使用申請を却下しても暫定使用することができるとされた改悪特措法は、私有財産を強制使用する際の手続きが憲法第三一条が定める適正手続きに違反する。A過去の事件、事象に新しく制定された法を適用してはいけないとする「近代法の不遡及(ふそきゅう)原則」に違反する。B沖縄の反戦地主と土地を狙い撃ちに改悪された改悪特措法は、個別具体的な立法を禁止する「法の一般性、抽象性の原則」に違反する。
これに対して判決は、「いずれも違憲とは言えない」と断じて、切り捨てた。綿引裁判長は、@について、暫定使用制度は「安保条約の実施上、重大な支障を回避するのが目的で、私有財産を公共のために用いるもの」と定義、「制限される権利の内容や暫定使用時の公共性、緊急性を勘案すれば、事前の告知・弁解の機会を与えなかったとしても違憲ではない」。Aの法の不遡及原則についても「改悪特措法一五条は法の遡及を認めたものではない」と断言。さらにBについては、法の一般性、抽象性の主張にも「同法は基地内の土地のみが目的であり、適用対象が限定されるのは当然」と、日米安保体制=構造的沖縄差別・国家的国策的沖縄差別政策を居直った。
徹頭徹尾反動的な代物だ。まさに「安保が憲法に優先する」という日本の国家意志が貫かれた極反動判決として徹底弾劾しなければならない。日帝がついにアフガニスタン侵略戦争への参戦に踏み込んだ今、あらためて沖縄闘争はますます重大になっている。名護新基地建設阻止、浦添軍港建設阻止へ不屈に闘う沖縄人民とともに、SACO粉砕、基地撤去を闘おう。
●不法占拠389日
「象のオリ」にある知花昌一さんの土地は、契約を拒否して使用期限が切れたにもかかわらず、九六年四月一日から改悪特措法施行(九七年四月二十五日)の前日までの三百八十九日間にわたって不法占拠された。その後も改悪特措法によって強制的に占拠され続けている。
その間、九七年二月から沖縄県収用委員会の公開審理が続けられており、同年五月一五日に期限切れとなる嘉手納基地、普天間基地などの三千人の反戦地主、一坪反戦地主の土地の強制使用裁決までにとうてい間にあわず、不法占拠が拡大することが必至となる中で、政府は「試合中にルールを変える」という特措法改悪を強行したのである。
今年六月二十八日、沖縄県収用委員会は新たに知花さんなど二人の反戦地主の土地の強制使用裁決を行った。
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週刊『前進』(2035号5面5)
改憲阻止決戦シリーズ 今、問い直す侵略と戦争の歴史 番外編 証言
モンゴルに抑留された鈴木幸司さんに聞く
寒さと飢えに耐えた3年 “天皇のために死ねるか”
◆北支派遣軍で参戦
一九四四年に十九歳で徴兵検査だった。その年の十二月九日に出征し、黄河を渡って河南省に入り、そこで三カ月の新兵教育を受けて中国北部に入った。北支派遣軍の歩兵部隊だった。
八月十五日の天皇放送は部隊移動中の列車の中だった。その後「新京」(長春)からかなり歩いた泥家屯でソ連軍戦車に包囲され、銃口を向けられて武装解除になった。
その後、俺(おれ)らはまだ負けないと部隊を離れ十五、六人でサトウキビ畑に逃げ込んだ。手りゅう弾は何かあったら皆で自決しようと穴を掘って隠してあった。一週間分の食糧も尽きて、のどが渇く。日中に井戸の位置を確かめて、夜そおっと行く。すると、逃げている日本兵が必ず水をくみにくると、農民が棒とかで武装して待ち構えていた。そして一カ月、飛行機が九月何日までに公主嶺に結集しなければ皆殺しだというビラをまいた。とても逃げ切れないと投降した。
列車で輸送され、着いたのが今のモンゴル、当時はモンゴル人民共和国。ソ連とモンゴルが捕虜の配分を決めていて、シベリアへ五十万、モンゴルには二万五千が割り当てられたってことかな。俺はモンゴルで三年間抑留され、四八年十一月に帰ってきた。
◆極寒と食糧不足で
その三年間、まず寒さと食糧不足だ。おそらく五千や六千は死んでいる。とにかく日本の土を一歩でも踏むまでは絶対死なない、俺は死なないってことだけしか考えていなかったな。
俺が一番きつかったのは、山奥での伐採作業だった。三百五十人が山に入って、生きぬいたのが五十三人。一カ月ばかりの間に皆死んじゃった。凍死、栄養失調、朝起きて隣の人に「朝だぞ」って声をかけたら死んでるんだ。
仕事は全部ノルマ制だった。木を伐(き)って、四bに切る。一bの高さに積み上げる。それを二山、二bが五人で一日のノルマだった。年いった人は四十五歳の人もいた。俺ら二十歳の者とは親子ほども違う。
モンゴルでの作業はほかはいかだ流し、農場、レンガ作り。レンガ作りは、レンガを焼く土を五人で四b立方掘る。幅四b×四bの深さ四b、これが五人の一日分のノルマ。寒いから上の約三十aから五十aは凍っている、最初は。火を燃やして溶かし溶かし、穴を掘る。半分の二bぐらいまでは掘れるんだけども、それからが機械もないし大変だった。
作業は三八度以上の熱がないと休めない。腹痛とかは該当しない。だから盲腸で死んだとか、結構いた。
共産主義の思想教育は、シベリアではあったということだが、モンゴルではなかった。モンゴルでは兵隊の階級もそのままで、帰りのナホトカであわてて階級をとった。だから三年間、初年兵のままだった。
◆毎晩、夢を見た
抑留中、食糧は、ほとんど飯ごうのふたで水分が七分、底に小豆とか大豆がぱらぱらと並んでいた。昼はパンだったが二`の丸パンが五人分で一人四百c。
あの三年間、毎晩夢を見た。家に帰った時の夢と、ごちそうがいっぱいあって、それを食おうとする時の夢だよ。食べる直前で目覚める。これが現実であったならと眠れなかった。
抑留されて一年目ぐらいは、なんで日本が負けたんだろうか、そればかり。天皇教育だったからな。それが苦しみぬいて、一年すぎたあたりから、天皇を憎んだ。天皇は終戦と同時に銃殺か自決だと考えていた。
シベリアに抑留された兵隊五十万人が帰ってきてから抑留裁判があった。その中で秘密文書として、天皇が当時、北朝鮮や中国東北部にいた日本兵は全部賠償として使って下さいと言った話が出てきた。軍人勅諭には「朕は汝(なんじ)ら軍人の大元帥なるぞ」とある。天皇は戦争の一番の責任者には違いないんだ。
その天皇が生きていた。今の天皇だって、天皇制がある限り、また戦争になれば同じことを繰り返す。小泉は国のために命を捨てる覚悟がなくちゃしょうがないなんて言っている。
◆「靖国神社で会おう」
出征の時に部落の神社に集まった。俺はちゃんと、「皆さん銃後も戦線です。私もこれから戦争に行って、こんど会う時には白木の箱で靖国神社で会いましょう」と本心で言った。
おふくろは「どんなことをしても戻って来いよ」と言ったが、親父は言わなかった。明治以来つくられてきた天皇制の結果だ。天皇制ほど恐ろしい教育はない。人間を変えてしまう。
戦地では昼は將介石の軍隊、夜はもっぱら八路軍の夜襲。中国人を人とも思わなかった。兵舎の周りをうろついていればスパイだと引っ張ってきて殺す。その命令を出すのは中隊長とか分隊長だ。俺も下士官になりたかったんだ。
俺は中学に行きたくってな。今の高校だけどさ。中学に行くのは最低でも自作農の階級だった。旧制中学校を出れば、入隊して三年たつと将校になれる道がある。軍隊も学歴で決まる。
俺らみたいに中学校に行けなかったやつは下士官志願ってのがある。下士官になると分隊長になれる。俺も四五年六月に陸軍一等兵に、八月十五日付で上等兵になった。それが名誉だと本気で思っていた。
◆40`になって帰国
抑留三年になって、いかだ流しの作業中、突然、収容所に引き返せと言われ、そのまま列車で着いた所が海っぷちのナホトカだった。三千人ぐらい集まっていた。ここで人民裁判。日本から共産党員が来ていた。中隊長や部隊長をつるし上げて土下座させたり。
ここで忘れもしない「赤旗のうた」と「インターナショナル」、これが歌えなければ船に乗せないというわけで一生懸命覚えた。
俺らの船は函館に着いた。そこで家に電報を打ち、三百円を受け取った。すごい大金だと思ったが、腹が減って買ったりんごが一個十円。無料切符で乗った普通列車の中で、おばあさんからお握りをもらった。ありがたかったな。
結構丈夫そうだとみんな喜んだ。顔はむくんじゃって丸々だったが、目方を測ったら四十`しかなかった。それから半年ぐらい何を食っても消化できない。米俵が凍傷になった指では痛くて持ち上げられなかった。これが抑留の土産だ。
抑留中にあんなに天皇を恨んだけれど、帰ってきてこの運動がなければ、金をもうけようとか、権力には逆らえないとか、右翼になっていたかもしれない。その隙(すき)を与えなかったのが三里塚闘争だ。
俺の中では抑留イコール反対運動。別個の問題としては考えられないんだよ。飲まず食わずの中でも俺は生きてきた。闘うという思想の土台というか、天皇のために殺されてたまるかっていう思想がよみがえってきたじゃないかな。
あのつらかった抑留が、実は天皇の軍隊として侵略戦争に加担した結果であったと自覚したのも三里塚闘争の中でだった。この地に生まれて、反対同盟として闘ってきて、本当によかったと自信をもって言える。
◎すずきこうじさん
三里塚芝山連合空港反対同盟本部役員。山武郡芝山町菱田の中郷部落で一九二六年、農家の次男として誕生。一九六六年六月の三里塚空港決定に対して六月三十日芝山反対同盟結成、家族ぐるみで反対運動に参加。芝山切り崩しを狙った成田用水攻撃と先頭で闘い、八四年不当逮捕。芝山町議二期。
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週刊『前進』(2035号5面6)
誕生「賀詞」への参列者
十二月一日、皇太子妃雅子が女児を出産し、「奉祝」を強要する大キャンペーンが展開されている。日帝のアフガニスタン侵略戦争参戦情勢のもとで、天皇・皇室を賛美し、愛国主義と差別主義をまき散らし、人民を侵略戦争翼賛運動に組織する大攻撃である。
この時、日共スターリン主義は、アフガニスタン侵略戦争の推進者に大転落するとともに、「奉祝」キャンペーンに率先して加担するという犯罪行為に手を染めた。衆参両院における「賀詞」決議に賛成票を投じたのだ(衆院本会議は三日、参院本会議は四日)。
日共書記局長・市田は三日の記者会見で、「憲法上に根拠をもつ象徴の家族のお祝い事であり、国会が儀礼的に賀詞をすることはありうる。党としてはそれには賛成する態度をとることにした」と表明した。゛私たちは天皇制に反対しません″と懸命にアピールして帝国主義にすり寄り、人民を愛国主義で扇動する先兵に成り果てたのだ。
衆院の「天皇陛下に差し上げる賀詞」は、「このたび皇孫殿下のめでたく御誕生あそばされましたことは、国民ひとしく喜びにたえないところであります。……謹んで慶祝の誠を表し、あわせて皇室の御繁栄をお祈り申し上げます」と、おぞましいばかりの天皇賛美の言葉に満ちている。全人民に「祝賀」を強制し、「国民」をあげて「皇室の御繁栄をお祈り」することを強いているのだ。この言葉すべてに日共は賛成したのだ。
出産当日、委員長志位は「新しい生命の誕生は、ひとしく喜ばしいことです」とコメントした。今、国際帝国主義は、アフガニスタンやパレスチナの子どもたちに何をしているのか! 無差別虐殺の爆弾を雨あられと降らせているのだ。天皇の孫の誕生は「喜ばし」く、アフガニスタンやパレスチナで生き抜く子どもたちの命は虫けらのように軽んじられていい、と言うのか! 日共の一段の階級的裏切りを許してはならない。(F)
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週刊『前進』(2035号5面7)
『前進』ホームページメールから
九・一一についていろいろな人びとの文章や言葉を目にしましたが、革共同の声明ほど共感した言葉はありませんでした。
労働者をやる中で、みなが忘れがちな言葉を呼びさまし、アメリカや日本の人民こそが貧しき抑圧された人びとと連帯し、抑圧や貧しさを生み出すシステムと闘わなければならないという言葉、一労働者としてしっかり受けとめさせていただきました。
この視点こそが、われわれ市井の市民に欠落した事だと思います。
今後も、がんばってください。 (男性・30歳代)
◇ ◇
ニューヨークでの事件直後より心配していたことが起きました。ムスリムやアラブ人への迫害です。これは早晩世界中、もちろん日本にも飛び火することは明らかです。
秋葉原では出稼ぎ労働者たちが、警戒心に満ちた目でにらまれている光景に出くわしました。また彼らと結婚してイスラムに改宗した日本人女性や、その子ども達が迫害を受けることは間違いないと思います。
世界観は違えど、日本人による排外主義攻撃の矛先を向けられるに違いない彼らに対する人権擁護運動が必要なように思います。 (男性・20歳代)
◇ ◇
メール紹介を楽しみにして読んでいます。毎号固定欄になりませんか。イスラム関係の本が紹介されましたが、本の書評もお願いします。 (男性・50歳代)
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週刊『前進』(2035号6面1)
新刊『9・11反米ゲリラとアフガニスタン侵略戦争』
世界革命論を綱領的に深化 闘う被抑圧民族との連帯論
本書武器に反戦闘争発展を
民族解放闘争論と「連帯戦略」の飛躍
九・一一反米ゲリラ戦は二十一世紀冒頭情勢を一変させた。本書はこれに革共同として真っ向からこたえ刊行したものである。
紹介するにあたってあらかじめ本書刊行の問題意識を述べておきたい。
まず、九・一一を七・七自己批判の立場から真っ向から受け止めて、「闘うイスラム諸国人民と連帯し、帝国主義のアフガニスタン侵略戦争を国際的内乱へ」という新たな戦略スローガンを決定したことである。この点を本書は次のように要約して提起している。
「@今開始された情勢が、まさに帝国主義世界戦争か反帝国主義・反スターリン主義世界革命かをストレートに問いかける情勢だということ、これからますますそのような情勢が深化・発展していくことは確実であること、Aそのなかで、中東地域を中心とするイスラム諸国人民の存在とたたかいが決定的であるような情勢が大きく進展することが確実であること、B今現在の情勢は、『イスラム諸国人民=テロリスト』であるかのようなとんでもない排外主義的デマをともなうテロ根絶の大合唱との対決なしにどんなたたかいも成立しない情勢であること」(六八n、藤村論文)
九・一一は、ソ連スターリン主義崩壊後の米帝の世界支配の破産、中東新植民地主義支配の破産の帰結であった。そのことは二十一世紀冒頭の現在が二十世紀初頭の帝国主義の時代への原点的回帰であることを意味している。したがって世界革命の達成以外にこの危機の突破はないのである。
このため、二十一世紀冒頭情勢における民族解放闘争論の深化が求められる。二十世紀全体における帝国主義とイスラムの関係、イスラム諸国人民の闘いをレーニン主義民族綱領の視野のもとに二十一世紀の具体的現実のなかでとらえ返すことである。それはわれわれに、イスラム諸国を構成する被抑圧民族人民に対する血債を問うものであり、「闘うアジア人民との連帯」戦略の新たな飛躍を迫っている。
したがって、その物質化のためには日米帝を現実的に打倒する新たな革命的実践が必要である。本年前半の小泉構造改革下での反戦闘争の総括を踏まえ、「テロ弾劾=報復」という排外主義の洪水を粉砕し、開始された侵略出兵を現実に阻止しなければならない。
本書はおおよそ以上の視点で編集されている。
これらの点に関して、本年前半に開催された革共同第六回大会「第二報告」「第四報告(特別報告W・入管闘争)」を始め全報告がその基礎をなしていることを強調したい。九・一一情勢のもとで大会の成果を意識的に活用しての展開といえる。そのことから本書は大会報告と一体である。
「テロ弾劾」の排外主義との徹底対決
以上の問題意識をもとに目的別に四部にわたって編別されている。
各部についてそれぞれ簡単に要点を紹介したい。
T部「九・一一と一〇・七にたいする革共同の見解」は、反米ゲリラ発生直後および一カ月後の米軍による空爆開始にあたって発した革共同政治局の二つの声明、ならびに情勢に対する基本認識の「核心」を提起した三論文で構成されている。「九・一一声明」は、事件直後、間髪入れず階級的立場を鮮明に打ち出すことによって、「テロ弾劾」の排外主義的あらしにいち早く原則的に対応した。
いずれの声明も、果たした政治的意義は計り知れなく大きい。あらためて読み返すことによって、事態の進行にともなって情勢の全体像と問題の本質が前面化してくる過程が跡づけられ、今秋の政治過程の動と反動、大衆的大流動に対する格闘性を余すところなくとらえ返すことができるであろう。歴史的な文書といえよう。
U部「闘うイスラム諸国人民と連帯し、帝国主義のアフガニスタン侵略戦争を阻止しよう」は、本書の中心部分であり、「闘うイスラム諸国人民との連帯」論を綱領的次元で確立することを目指した藤村論文と中東・パレスチナ問題の背景を詳細に解明した丹沢論文の二つの書き下ろし論文で構成されている。
藤村論文は、先述した革命的スローガン決定の問題意識を直接に反映した画期的論文である。九・一一によって戦略的総路線の発展と物質化の時が到来したことを訴え、その内容を全面的に展開している。
その問題意識の一つは、九・一一の歴史的必然性に関して、米帝の世界支配の破綻(はたん)、新植民地主義支配の崩壊を九一年一・一七イラク・中東侵略戦争(湾岸戦争)とソ連崩壊以後の九〇年代の進行において、さらに米帝的戦後世界体制の崩壊が始まった七五年ベトナムにおける米帝の敗北からソ連崩壊を経た四半世紀の展開の中から、という両面から迫っていることである。米帝の中東支配の破綻とその絶望的のりきり策動が段階的かつ画次元的に進行するさまを歴史的に検証している。
前者は、湾岸戦争とソ連崩壊後の世界情勢の転換の中でカスピ海−中央アジアの石油資源・勢力圏分割が歴史的に浮上したことを指摘している。
後者は、米帝による対スターリン主義対決の形をとった帝国主義間争闘戦政策の中で、湾岸戦争とソ連崩壊情勢を引き寄せたことを明らかにしている。
問題意識のいま一つは、闘うイスラム諸国人民と連帯する立場についてである。
九・一一を全世界に衝撃を与えたイスラム諸国人民の怒りの決起だったと見る時、帝国主義国人民とイスラム諸国の被抑圧民族人民との戦後的今日的関係を七〇年七・七自己批判の立場から総括する作業がわれわれに課せられてくる。
そこには「連帯し侵略を内乱へ」という総路線の新たな発展が確実にあり、世界革命論に決定的な一ページを書き加えるものとなるだろうということである。十二億ムスリムとの階級的結合が課題になることによって世界革命が決定的な現実性を獲得できることを意味するからである。
さらに現実政治におけるイスラム政治運動・復興運動(「原理主義」)に対する党派的見解・態度について。
政治的実践における緊要の課題であると同時に、国際主義的連帯と言った場合この領域が実践的内容をなす。革命的共産主義運動とイスラム政治運動との関係性という綱領的次元の核心問題そのものでもある。
ここでは階級闘争の具体的分析をとおして考察する立場から問題への接近の端緒を述べるにとどめているが、基本姿勢は、マルクス主義の正しさにおいて必ずやムスリムを獲得できるという信念に基づき、ムスリムの主体性を尊重しつつ、帝国主義を打倒する共通の目的をもって結合するという立場を貫いている。
その点からレーニンのロシア革命時のイスラム系諸民族との連帯の歴史的経験から徹底的に学ぶことの重要性を提起している。一九二〇年前後のロシアの革命的プロレタリアートとムスリムの革命的連帯の歴史的事実は、それ自体で「西欧文明とイスラムの対立・相剋(そうこく)」なる帝国主義の反動的イデオロギーを一瞬にして粉砕するであろう。
レーニンはこの課題に全面的に勝利したとはいえない。しかしレーニンの闘いの歴史的意義は、その苦闘が前人未到の歴史的挑戦と試練そのものだったということにある。問題は、九・一一が突きつけた帝国主義とスターリン主義の分割支配体制の枠が完全に崩壊した現在の情勢は、われわれをレーニンが苦闘した二十世紀的原点に立たせているということである。その意味においてレーニンの直面した課題をわが手で成就してみせるという決意がここには込められているのだ。
丹沢論文は、アフガニスタンとパレスチナの現情勢についての分析と歴史的問題の解明である。これらの連動性・一体性のうちに中東危機は新たな段階に入ったと結論づけている。
米帝のアフガニスタン侵略の真の意図を世界戦略の中でとらえ、帝国主義的利害をむき出しにした典型的な侵略戦争であることを明らかにした。
パレスチナ問題に関しては、九・一一の背景をなす昨年九月からのイスラエルによるパレスチナ圧殺の実状を詳細に暴露し、それが米帝の「和平」政策の破綻であること、そのプロセスが九・一一に至る極限的爆発を不可避としていたことを解説している。その上で二十世紀の中東史を全般的にたどりながら、パレスチナ問題、イスラエル建国の歴史的意味と重大性を解明した。問題の根底的解決であるイスラエル国家の解体、帝国主義の中東支配の打倒−世界革命の課題と現実性をあらためて俎上(そじょう)にのせ、その核心にあるパレスチナ解放闘争の歴史的意義を突きだすものになっている。
米帝支配の危機と9・11の必然性論証
V部「米帝の崩壊の始まりと第三次世界大戦への突進」では、米帝の体制的危機の分析をもとに戦争の不可避性を論証した。内田論文で政治的・軍事体制問題を分析、島崎論文で経済情勢からそれに迫っている。
序では、現に九・一一以後の状況はそれらを証明するものであることを明らかにしている。
内田論文では、クリントンからブッシュへの交代とその下での世界戦略の転換の歴史的意味を対象化し、今日繰り広げられている戦争が米帝自身の体制的危機に基づく世界戦略の実行であることを暴いている。
米国防関係報告を具体的に引用し、対日争闘戦に貫かれた中国・朝鮮侵略戦争発動を狙う新たな世界戦争戦略の恐るべき全貌(ぜんぼう)を暴露している。本論文では、革共同第六回大会第二報告の意義を詳しく論じ、九・一一を本質的にとらえる上での時代認識をがっちり裏付けている。
米経済の恐慌突入、世界大恐慌の本格的爆発の中で九・一一をとらえることが重要である。島崎論文は、九・一一直前の米経済の景気後退の絶望的様相を具体的にリポートしている。株暴落−金融危機、ドル危機へと米バブルが崩壊過程に突入し、今秋がその画期となること指摘していた。この面からも米帝にとっての戦争の不可避性を論証するものとなっている。
W部「九・一一情勢と自衛隊の参戦」(大谷論文)は、九・一一が意味するもの、もたらしたものを階級闘争論的に総括した。小泉政権によってついに始まった侵略戦争への出兵という事態の分析と批判である。二点だけ強調したい。
大谷論文は、グローバル化と呼ばれる資本主義の最高に進展した段階で起きている象徴的事態としてのアフガニスタンの「飢饉(ききん)」と「殺戮(さつりく)」をとらえ、その同根性を指摘し、九・一一の最も奥深いところに横たわっている現代帝国主義の根底的腐朽性を弾劾している。さらに、現出している戦争を米帝の中東支配、世界支配崩壊の決定的新段階であると断じ、究極のところ九〇年代の米帝一極支配の崩壊の始まりの姿であると鋭く結論づけている。
もう一点は、事件直後から「テロ対策法」の成立−出兵までの二カ月間を振り返って分析し、そこでの小泉政権の反動的展開のロッジックを的確に暴露している。対米関係・対米公約を盾に強行された新法の改憲・有事立法をはらんだ反動性の全面的暴露をつうじて日本階級闘争の危機の構造を浮き彫りにしている。
本書の結論にふさわしく鋭い階級的批判と歴史観を背景に労働者階級の実践的針路を指し示している。
本書は、戦略的価値絶大であると確信する。自ら読み、学び、労働者人民に広めよう。
(二八八n 二千円)
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週刊『前進』(2035号6面2)
「司法制度改革」絶対粉砕を 戦争と治安強化のために 戦時司法への転換を狙う
戦時司法への転換を狙う司法制度改革推進法が十二月一日に施行されたのにともない、小泉首相を本部長に全閣僚がメンバーとなる政府の司法制度改革推進本部が同日発足した。今回、内閣に設置された司法制度改革推進本部は、十一月九日に社民党を除く全政党の賛成で参議院を通過・成立した司法制度改革推進法に基づいたものである。刑事訴訟法の大改悪など関連法案二十本以上を、設置期間の三年の間に国会に提出し、成立を目指すという大攻撃が本格的に始まったのだ。
人権が侵害される時、それは戦争の始まりである。戦前における天皇制ボナパルティズム支配体制下の暗黒司法の再現を絶対に許してはならない。全力で反撃し、絶対に粉砕しよう。
日帝・小泉政権の目指す司法改革の基本的方向性は、六月十二日付の司法制度改革審議会意見書に全面的に沿ったものである。それは、戦争と大失業の時代に対応する国家体制のための司法制度であり、改憲を前提としている。すなわち、現憲法の掲げる国民主権・基本的人権・平和主義などの原理的理念を根底的に変更・転覆するものである。
まずなによりも、刑事裁判を暗黒裁判に一変させる刑事司法の全面改悪である。
司法審意見書の「刑事司法制度の改革」では、刑事司法の目的として次の三点を提起している。すなわち、@刑事司法の目的は、……迅速な刑罰権の実現により……社会の秩序を維持し、国民の安全な生活を確保すること、A自由かつ公正な社会を支えるため、ルール違反に対する的確なチェック、効果的制裁を科す、B刑事手続きに一般の健全な社会常識を直截に反映させうる具体的仕組みを導入する――の三点である。現憲法の「基本的人権の保障」という原理的理念を否定し、治安維持を前面化させたものだ。
具体的には、刑事裁判の連日開廷の強行である。司法審の井上委員は、「否認事件でも五〜十日で処理すべき」と主張している。現行の刑事裁判では、月に一〜二日の公判ペースが限度である。これ以上早いペースでは裁判で無実・無罪を争うことはできない。基本的人権や適正手続きを保障した現行の刑事司法から、治安優先で迅速に刑罰を科す刑事司法制度に根本から転換する攻撃である。
しかも、治安維持のために検察官や裁判官はもとより、弁護士までをも協力させようとしている。そのためには、闘う人民と一体となって人権を擁護することを使命としてきた弁護士(像)を変質・翼賛化させることが不可欠となる。
弁護士(会)の翼賛化攻撃として、弁護士自治の剥奪(はくだつ)、弁護士の大幅増員、刑事弁護ガイドラインの策定(刑事弁護の国家管理)攻撃がある。これらは、「国民の司法参加」(=反動的世論)をも組織しながら、闘う弁護士を懲戒処分にする攻撃である。
ロースクール(法科大学院)設立も、人権擁護を理念とする法曹(弁護士)の養成から、国家や資本家階級の利益を守る法曹養成へ転換することが目的である。
司法に、「一般の健全な社会常識を直截に反映」させるということは、戦争協力で扇動された世論が、戦争に反対する人びとを「非国民」としてストレートに裁くことにだ。裁判員制度の導入目的もここにある。
「国民の司法参加」というキャッチフレーズで導入しようとする裁判員制度は、陪審制や参審制の理念ともまったく異なるものである。
さらに、民事司法改悪の柱の一つが、労働者階級の団結権を破壊し資本家階級を救済する労働司法改悪だ。大企業などの自由な経済活動を支え、その利益を効率的・迅速に回収するのための司法制度づくりが狙いである。労働法制の改悪と一体となって労働委員会制度を否定した上で、さらに労働者の司法的救済の道すら奪うものである。
裁判の迅速化や弁護士報酬の敗訴者負担制度の創設は、資力のある者をさらに有利にし、資力の弱い労働者が裁判で争う道を閉ざすものである。
そもそも、基本的人権は労働者人民が血を流してかちとってきたものである。憲法や刑事訴訟法で制度として保証されているから基本的人権が存在しているのではない。完黙・非転向で闘う被疑者・被告人と、彼らと一体となって闘う弁護士や人民の不屈の裁判闘争によるものである。
デッチあげ弾圧に対して、被告・弁護人が五〜十年にわたる長期裁判を辞さず、検察立証の破綻を徹底的に明らかにする裁判闘争を闘いぬいてきた。わずか五〜十日間の迅速な裁判は、そうした被告・弁護人の闘いを圧殺することに狙いがあるのだ。
七〇年安保・沖縄闘争でデッチあげ殺人罪攻撃を受け無期懲役と闘う星野文昭同志、迎賓館・横田爆取デッチあげ裁判を闘う須賀武敏、十亀弘史、板垣宏、福嶋昌男の四同志の奪還は、司法改革粉砕の展望を切り開く闘いである。八八年千葉県収用委員会会長せん滅戦闘デッチあげ弾圧と闘う水嶋秀樹同志と、四・一八三里塚ゲリラ戦闘に対する報復弾圧として私文書偽造罪をデッチあげられて闘うM同志の裁判闘争は司法改革攻撃との闘いそのものである。絶対に無罪・奪還をかちとろう。
「テロ弾劾論」をもって、日帝の侵略戦争推進勢力に転落した日本共産党は、その日帝擁護の立場から司法制度改革推進法にも賛成している。このことを徹底的に弾劾しなければならない。
人権擁護を使命とする弁護士や学者などの、日共スターリン主義からの離反とわれわれの闘いへの合流をかちとろう。
日帝の中東・アジア侵略のための司法改革攻撃を、アフガニスタン・中東反戦闘争の爆発で葬り去ろう。司法制度改革を、推進本部長の日帝・小泉もろとも大衆的反撃で粉砕しよう。
(村上進一)
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週刊『前進』(2035号6面3)
井上清さんの逝去を悼む
「人民の歴史学」を確立し労働者人民の闘いを支援
革命的共産主義者同盟
日本の近現代史研究を「人民の歴史学」として確立する闘いをリードしてきた井上清さんが、十一月二十三日に亡くなられました。享年八十七歳でした。
日本帝国主義の侵略戦争と闘うことを訴え続けた井上さんが、アフガニスタン侵略戦争への自衛隊艦隊派遣を目前にして亡くなられたのです。あの泥沼のような中国侵略戦争―十五年戦争に突き進んでいった日本帝国主義の歴史が、再び「テロ根絶」という新しい装いで開始され、世界史がまちがいなく第三次世界大戦に向かってうねりを始めました。この時こそ、井上さんの火を吐くようなアジテーションをお願いしたいと考えていた矢先に訃報(ふほう)に接し、言葉を失う思いでした。
周知のように井上さんは、『日本近代史』『日本の軍国主義』『天皇・天皇制の歴史』『部落の歴史と解放理論』など多くの著作で、日本帝国主義の侵略戦争と闘った労働者人民の歴史に学べと一貫して提唱し続けてきました。われわれも、井上さんのこうした歴史のとらえ方から多くのものを学んできました。
それだけではありません。井上さんは、日本近現代史の研究からつかんだ日本労働者人民の闘いの弱点を実践的に突破しようと、部落解放同盟の運動の創成に深くかかわり、日本共産党の敵対と鋭く対決して、運動の発展を支えられました。井上さんなしには、戦後の部落解放運動の発展はありえなかったと言って過言ではありません。歴史に学んだものを実践に生かそうとされてきた偉大な足跡にあらためて敬意を表します。
革共同は、井上さんに、「破防法裁判闘争を支える会」「爆取に反対する会」を始め、革共同にかけられた弾圧に抗議し、裁判闘争を支える運動の呼びかけをお願いし、快く引き受けていただいただけでなく、多大なご支援をしていただきました。また、三里塚闘争、動労千葉を支援する闘争、天皇闘争、関西新空港反対闘争、選挙闘争においても、ご支援をいただいてきました。革共同の今日は、井上さんの存在とご支援抜きにありえません。心から感謝します。
井上さんは、『日本帝国主義の形成』の中で、日本共産党スターリン主義がついぞとらえきれなかった日本帝国主義の権力構造の核心に迫るいくつかの示唆を与えてくれています。井上さんの学者としての出発点であった明治維新史研究を、日本帝国主義の形成との関係で緻密(ちみつ)に跡づけて、「天皇制絶対主義の下で育成された日本資本主義が、帝国主義として本格的な確立を遂げようとした時期に、日本の労働者人民が米騒動を闘ったことの偉大さを学べ」と説いています。
井上さんは、日本の労働者人民が帝国主義の侵略戦争を許さず、自らの解放を成し遂げる闘いに勝利することを確信し続けたのです。わが革共同は、井上さんの遺志を必ず実現します。反スターリン主義・革命的共産主義の思想だけが、人民の闘いの歴史を今に生かすことができます。
井上清さん。第三次世界大戦に向かう新しい侵略戦争と闘う革共同を見守ってください。
二十一世紀の早い時期に、帝国主義を打倒し、過渡期を止揚して、真に人間解放を実現することを誓って、追悼の辞とします。
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