ZENSHIN 2001/12/17(No2034 p06)

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週刊『前進』(2034号1面1)

米帝ブッシュとイスラエルによるパレスチナ圧殺許すな
アフガン・中東侵略戦争の激化に全世界の労働者人民の総反撃を
 総力で長期獄中同志を奪還しよう

 イスラエルのパレスチナ圧殺を狙った軍事攻撃を許すな! 十二月三日夕方(日本時間同日深夜)、イスラエル軍はパレスチナ人民に対する激しい攻撃を開始した。米帝は、アフガニスタンへの侵略戦争に続いて、イスラエルを全面支持し、パレスチナ民族抹殺戦争にも踏み切った。米帝ブッシュはアフガニスタン・中東侵略戦争のエスカレーションと世界戦争に向け突き進んでいる。この中で日本帝国主義は、米艦船への洋上補給作戦を開始した。自衛隊が実際に参戦したのだ。今まさにプロレタリア革命の党の総決起が問われている。闘うパレスチナ・アラブ人民、闘うイスラム諸国人民と連帯し、帝国主義のアフガニスタン・中東侵略戦争を国際的内乱に転化する国際的反戦闘争の爆発をつくりだそう。十二・一五獄中同志奪還集会に総決起しよう。

 第1章 戦車、ミサイル、空爆攻撃でパレスチナ人民皆殺し狙う

 三日夕、イスラエル軍はパレスチナ人民の自爆決起への報復と称して激しい軍事攻撃を開始した。軍用ヘリでガザ市内のアラファト議長公邸付近をミサイル攻撃して議長ヘリ二機を破壊、パレスチナ人数十人を負傷させた。ガザ空港に侵攻した戦車、装甲車は空港を徹底的に破壊した。
 ヨルダン川西岸地区ではイスラエル軍の戦闘機二機がジェニンにある議長関連事務所とパレスチナ警察署を攻撃、ラマラの議長府には二百b近くまでイスラエル軍が迫り、ミサイルが内務省ビルを直撃した。この日の攻撃は西岸のトゥルカルム、カルキリヤ、ガザのハン・ユニス難民キャンプにも加えられた。ガザ市内の空爆では四日までに少なくとも十一歳の少年を含む三人が死亡、六十人の児童など約百二十人が負傷したと伝えられる。
 この凶暴な攻撃を開始したイスラエル政府は三日夜に緊急閣議を開き、アラファト議長の支持母体ファタハの軍事部門タンジームと議長親衛隊フォース17をハマス同様の「テロ組織」と指定、パレスチナ自治政府を「テロ支援団体」と公言した。首相シャロンは閣議前のテレビ演説で「米国が国際テロと戦争を行っているのと同様、われわれも戦う」「これは容易な戦争ではない。短い戦争でもない。だが、われわれは勝利する」「起きていることのすべての責任はアラファトにある」と言い放った。
 オサマ・ビンラディン氏とアルカイダを犯人とし、それを擁護するタリバンをテロ支援団体と決めつけてアフガニスタンへの侵略戦争を開始した米帝と同じやり方だ。だが、これこそパレスチナ人民抹殺の侵略戦争宣言にほかならない。
 シャロンが「報復」を主張する正当性などまったくない。この一年間でもイスラエル側の死者は二百人、パレスチナ側の死者は七百五十人だ。イスラエルによってパレスチナ人民が圧倒的に多く虐殺されてきたのだ。シャロンこそは八二年のレバノン侵攻の際、国防相として一万七千五百人のパレスチナゲリラを虐殺し、三千人ものパレスチナ難民を虐殺した張本人だ。
 アラファトと自治政府はイスラエルと米帝の攻撃に完全に屈服し、パレスチナ解放闘争を裏切っている。自治政府は今回の事態で異例の「非常事態宣言」を発令し、デモや政治活動を禁止すると同時に活動家の大量逮捕を開始した。このアラファトの屈服と裏切りをのりこえて闘うパレスチナ人民は米帝・イスラエルとの戦いに決起している。
 われわれはパレスチナ人民抹殺を狙うイスラエルとそれを支える米帝の軍事攻撃を絶対に許さない。命をかけて闘うパレスチナ人民と連帯して総決起することを固く誓う。

 民族解放闘争の軍事的抹殺

 新たに開始された米帝とイスラエルによる軍事攻撃は、帝国主義のアフガニスタン・中東侵略戦争の拡大そのものである。米帝ブッシュ政権とイスラエル・シャロン政権は、パレスチナ人民の民族解放闘争を軍事的に抹殺することに完全に踏み込んだのだ。
 第一に、攻撃開始直前の経過からそれは言える。
 十二月一日夜から二日昼にかけてエルサレムとイスラエル北部ハイファで起きた連続「自爆」ゲリラ直後、ニューヨークに滞在中のシャロン首相を電話で呼び出して首脳会談を二日正午に繰り上げさせたのは、ブッシュ大統領自身である。フライシャー米大統領報道官は三日、「イスラエルは自国を防衛する権利があり、大統領はこれを明確に理解している」と表明、前日のブッシュ・シャロン会談で軍事攻撃開始にブッシュ大統領がゴーサインを出したことを示唆した。
 第二に、一月のブッシュ政権発足と三月のシャロン政権発足以降、アメリカとイスラエルのパレスチナ政策が、イスラエルによるパレスチナ自治国家の暴力的破壊、パレスチナ解放闘争の軍事的抹殺を積極的に推進する方針へ大きく転換したことだ。
 クリントン政権時代の「和平」策動は、アラファト自治政府議長を恫喝と懐柔で屈服させることによって、パレスチナ人民にとって圧倒的に不利な「和平」合意を押しつけようとするものであった。それは、領土を徹底的に奪われ、分断包囲され、外交権も何もない、国家とはとうてい言えない小国家にパレスチナ人民を封じ込めようとするものであった。
 ところがそれすら容認しないシャロンは、昨年九月に数百人の護衛警官を引き連れてエルサレムのイスラム教聖地を強行訪問し、その挑発によってイスラエルとパレスチナ人の対立を激化させた。これに対し、パレスチナ人民の怒りは当然にも爆発し、第三次インティファーダとして発展していったのだ。
 こうした新たな闘いの中で、ブッシュ政権はこれまでの「和平」策動の破産を確認し、「和平」交渉の仲介をいったん停止する方針を打ち出した。しかしこの方針こそ、イスラエルのパレスチナ人民虐殺にフリーハンドを与えるためのものであった。シャロンは労働党を含む連立政権を形成して与党基盤を固めると(〇一年三月)、直ちにパレスチナ人民への武力弾圧作戦にうってでた。軍用ヘリやF16によるミサイル空爆、戦車など重火器による攻撃をくり返してきた。
 米帝は五月下旬になって新たな停戦合意と「和平」交渉を開始した。アラファト指導部の全面的屈服を引き出せると判断したからである。六月中旬にはファタハに「武装闘争終結宣言」を出させた。だが、イスラエルは再び自治区への軍事侵攻を開始し、ハマスやファタハ指導部の暗殺攻撃を激化させたのである。
 このような暴力的なパレスチナ政策の転換が背景にあり、それが九・一一反米ゲリラ戦争の根底にあったのだと言える。米帝は九・一一以降は闘うパレスチナ人民を「テロリスト」と規定し、シャロン政権の軍事政策を支持し、アラファト体制に激しい重圧をかけている。シャロンは九・一一と米帝の十・七アフガニスタン侵略戦争を決定的好機ととらえ、自治区の再占領―パレスチナ全土のイスラエル領土化実現のチャンスと見ていたのである。
 これに対して、闘うパレスチナ人民は自らの命をかけて決起した。われわれはこの闘いに今こそ死活的に学び連帯しなければならない。そしてその血叫びにこたえうる闘いに全力で決起しなければならない。

 第2章 帝国主義の側に完全移行し「テロ根絶」叫ぶ日本共産党

 日本共産党に代表される「テロ弾劾」「テロ根絶」の大合唱、帝国主義的腐敗、排外主義と徹底して闘い、徹底的に粉砕し、アフガニスタン・中東反戦闘争を爆発させなければならない。
 日共は今回のパレスチナ軍事攻撃に対して「過激派組織ハマスのテロは……テロ反対の国際世論に対する露骨な挑発であり、絶対に認めるわけにいきません」「パレスチナ過激派のテロとイスラエルの武力行使の悪循環を断つこと……(が)緊急課題となっています」(十二月五日付『赤旗』)と主張している。
 ここで日共はまず真っ先にハマスの自爆ゲリラは絶対に認められないと叫んでいる。続けて「イスラエルの武力行使は国家テロというべきものであり容認できない」とするが、あくまでも過激派の「テロ反対」が軸であり、絶対反対なのは「テロ」の方である。国連総会ですらパレスチナ人民の闘いを「テロ」とは規定できなかったものを、日共は米帝や日帝と一緒に「テロ」と呼び、根絶を叫んでいる。日共は、自らの死をもって告発・糾弾するパレスチナ人民の闘いに全面敵対しているのである。
 さらに「パレスチナ過激派のテロとイスラエルの武力行使の悪循環を断つ」という主張は、例えれば゛中国人民の抗日闘争と日本の中国侵略戦争の悪循環を断つ″と言っているに等しい。日共はこのような帝国主義の侵略戦争擁護の立場に転向したのだ。そもそも日共は九・一一とパレスチナ問題のリンケージ論はとらないと公言しており、七三年以来、イスラエルの「国家的な生存権」を認めてきた政党なのだ。
 このような日共の立場は、帝国主義の秩序を守るために、帝国主義の先兵となって「テロ根絶」の国連を中心とした武力行使に率先して賛成・協力するものである。こうして今や日共は、帝国主義の「テロ根絶」の大合唱に加わり、帝国主義の侵略戦争を翼賛しているのだ。
 われわれは、このような日共の反革命的宣伝と行動を打ち砕き、帝国主義の世界支配とその矛盾の爆発としてパレスチナの問題、アフガニスタン・中東侵略戦争の問題をすべての労働者学生人民の中に持ち込んで、反戦闘争を爆発させていかなければならない。

 第3章 イスラム諸国人民の糾弾と血叫びにこたえ闘いぬこう

 帝国主義のアフガニスタン・中東侵略戦争を阻止する国際反戦闘争を爆発させるために、九・一一反米ゲリラ戦争の糾弾を真っ向から受けとめ、闘うパレスチナ・アラブ人民、イスラム諸国人民との連帯を徹底的に深めなければならない。
 九・一一について、われわれはその戦闘を帝国主義諸国の労働者人民に対する徹底糾弾と決起のアピールとしてとらえた。そこに帝国主義への極限的怒りと民族解放のすさまじい必死の叫びがあることを受けとめずにはいられなかった。
 オサマ・ビンラディン氏が九六年に出した「対米宣戦布告書」はイスラム諸国人民の心を圧倒的にとらえたが、そこには世界の労働者人民が知るべきイスラム人民の血叫びがある。
 「ムスリムの血はパレスチナとイラクで流された。カナの虐殺(九六年レバノン)の恐るべき光景はいまだ記憶に新しい。……虐殺は、身体に悪寒を走らせ、良心を揺さぶる。これらすべてを世界は見て聞いていたが何もしなかった」
 「レバノンでお前らのシオニストの兄弟が行ったムスリムの殺害・追放・尊厳の侵害は、おおっぴらに彼らに武器と資金を提供したお前らの責任であるとわれわれはみなす。食物や薬の不足と、イラクに対する不当な攻撃のために、六十万人のイラクの子どもたちが死んだ。イラクの子どもたちはわれわれの子どもたちである。お前ら米国はサウジの体制とともに、これら無実の子どもたちの流した血に責任がある」
 また彼は、インタビューで次のように答えている。
 「テロは賞賛できる場合も非難できる場合もある。……世界のどの国も治安組織と治安部隊、警察、軍を持っている。これらはすべて、国家や市民を脅かそうと考える者を脅迫するためにつくられているものだ。われわれのテロは賞賛されるたぐいのものである。なぜならそれが向けられているのは、専制者・加害者・神の敵であり、自分の国・信仰・預言者・国民に対する裏切り者だからである。……われわれの富、資源、石油は奪われている。われわれの宗教は攻撃を受けている。われわれの兄弟は殺されている。われわれの名誉は脅かされ、われわれが不正に対する抗議の声を口にしようものなら、われわれはテロリストと呼ばれる。これは何重もの不正である」
 われわれは、これらの言葉の中からイスラム諸国人民の血叫びと糾弾を受けとめ、猛然と決起し、国際的な労働者階級人民の内乱的決起で帝国主義世界体制を打破する連帯の闘いを進めなければならない。

 かいらい政権づくりの策動

 アフガニスタン情勢は激しく動いている。米軍の空爆と海兵隊など特殊部隊による侵攻作戦はエスカレートし、帝国主義の許し難い横暴がまかりとおっている。タリバンの拠点・カンダハルで空港をめぐって激しい攻防が続いている。米英軍はオサマ・ビンラディン氏が潜んでいる可能性があると称して東部ジャララバード近郊トラボラ地区へ大爆撃を続け、米海兵隊など二千人を投入した。米国防長官ラムズフェルドは「作戦はこれから危険な領域に入る」と公言しており、本格的な地上作戦に入ることを示唆している。
 ドイツのボン郊外で行われていた「アフガニスタン代表者会議」は五日、参加した四派が「暫定政権」設立のためのプロセスを定めた協定書に調印し、「議長」や「閣僚」を決めたと発表されている。しかし、元国王派や米帝の空爆でカブールを支配するにいたった北部同盟などを使った米帝のかいらい政権づくりの策動など、アフガニスタン人民に受け入れられるはずがない。その破産と内戦激化は不可避である。
 こうした中で、日帝は二日、先に情報収集目的で出撃した海自補給艦「はまな」にアラビア海で米海軍の補給艦に洋上補給する作戦を実施させた。また四日からは在日米軍基地からグアム島方面への米兵の輸送が空自のC130輸送機で始まり、実際に参戦した。
 侵略戦争の拡大の中で、米帝はこれまで以上に米本土および全世界の軍事基地におけるゲリラ戦争の爆発に恐怖し、その「根絶」のためにますます無制限に攻撃対象を拡大するという状況に陥っている。それでなくとも世界史的没落の危機にある米帝は、戦争の継続・拡大によって危機の打開をはかるしかないところに追い込まれており、米帝ブッシュが二度と引き返すことはありえない。
 したがって、ついに第三次世界戦争に連なるような戦争と大恐慌の時代に突入したということ、そして戦争は恐るべき勢いで帝国主義体制の崩壊をもたらし、革命情勢を成熟させるのだという時代認識をしっかりと確立して猛然と闘っていくことが決定的である。

 当面する12月闘争の方針

 最後に、当面する十二月の闘争方針を確認したい。
 第一に、パレスチナへの軍事攻撃を徹底弾劾し、帝国主義のアフガニスタン・中東侵略戦争を阻止する国際反戦闘争をつくりだすこと、参戦した小泉政権打倒に総決起することである。何よりも革命的共産主義者として、日々の歴史的事態に対して敢然と立たなければならない。その瞬間に共産主義者として何を考え、どう行動するのか。闘う労働者・労働組合の団結を強め、排外主義と闘い、国際連帯を強化しよう。
 第二に、十二・一五獄中同志奪還集会に大結集することだ。二十一世紀革命の勝利をかけて戦時的治安弾圧体制をうち破ろう。星野同志を始め不屈の獄中同志にこたえる獄壁を超えた連帯の闘いを実現しよう。
 第三に、一月国鉄決戦の歴史的爆発へと闘うことだ。新井らチャレンジ一派の国労脱退・分裂策動が表面化した。闘う闘争団を先頭に決戦態勢をうち固め、臨大策動を許さず、闘う国労の再生をかちとろう。〇二春闘の高揚を切り開こう。帝国主義を打倒する労働運動の形成をめざして闘おう。JR総連を解体し、ファシスト・カクマルの完全打倒へ突き進め!
 第四に、年末一時金カンパ闘争に総決起し、党建設を推進することだ。二〇〇二年決戦の歴史的扉を押し開けようではないか。

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週刊『前進』(2034号2面1)

国労分裂策動をたたきつぶせ 新井前中執が脱退、新組合策す
 今井(秋田地本前書記長)らチャレンジが呼応
 1月臨大狙う本部も同罪だ

 国鉄闘争と国労をめぐる事態は風雲急を告げている。この十二月と来年初頭の過程は、まさに国労の生死を分かつ決戦となった。国労総体を屈服と転向の道に引き入れようと策動し続けてきたチャレンジ一派は、ついに公然たる分裂の暴挙に突き進んだ。十二月初め、前本部中執の新井修一は国労を脱退して「ジェイアール東日本ユニオン」なる分裂組織の結成を打ち出した。十一月十八日の秋田地本大会では、北奥羽支部の事務所売却問題を居直ったあげく、チャレンジ最右翼の書記長・今井伸を始め、革同の地本副委員長を除く全員が地本執行部を退いた。これも分裂に向けての準備である。チャレンジ一派は、東日本エリア内で相呼応して分裂行動を開始したのだ。国労本部−高嶋・寺内執行部は、この分裂策動に完全に手を貸している。本部執行部は、チャレンジの組織破壊行動には傍観を決め込む一方、闘う闘争団に対しては「国労を離れた組織」と悪罵(あくば)を投げつけ、その統制処分を策している。そして、来年一月にも臨時大会を強行し、「ゼロ解決」を丸のみしようとたくらんでいる。それは、チャレンジの公然たる分裂行動のただ中で、闘う国労の歴史に文字どおり幕を引くものとなろうとしている。チャレンジと本部による国労解体策動を断じて許すな。一握りの分裂主義者・チャレンジ一派をたたき出し、分裂分子と気脈を通じる本部執行部を打倒しよう。今こそ、国労の階級的再生をかちとろう。

 分裂主義者・裏切り者は丸裸で出ていけ!

 前中執・新井は、国労を脱退するとともに「ジェイアール東日本ユニオン結成趣意書」なる文書をまき散らし、長野地本の組合員を分裂組織に誘い込もうと反動的オルグを始めている。この暴挙を徹底弾劾し、みじめな破産に追い込んで、裏切り者・新井修一をただ一人、丸裸で国労からたたき出さなければならない。
 チャレンジ一派が権力・資本と通じた分裂主義者であることは、これによって完全に明らかになった。四党合意に反対を貫く闘争団を「分裂組織」となじり、「総団結」だの「機関への結集」だのという言葉で屈服を迫っていた彼らは、自らの反動的思惑が通らないと見るや、ためらう素振りも見せずに分裂に突っ走った。それこそがチャレンジのいつわりのない正体だ。彼らは、資本・権力の手先となって国労の組織破壊と闘争団・千四十七人の切り捨てに奔走してきた極悪の分裂主義者だったのだ。
 四党合意の正体もまた、明白となった。新井は、前執行部の中で最も積極的に四党合意を推進してきた人物だ。彼は、十月定期大会を前にして、「全国の仲間に訴える」と題した文書を出し、「国労が組織体として生き残れる道は一つしかない。それは四党合意に基づく解決案を不満があっても国労全体が一致団結して呑(の)むことである」「不満があろうとなかろうと、国労が四党合意に基づき示された解決内容を丸呑みするしか方法がない」「大会の場が最後の機会」などと唱えていた。
 この新井の主張自体、でたらめきわまりない代物であったが、それでも新井は、ついこの前までは゛どん詰まりの危機に陥った国労を救うために゜という装いをとってはいたのだ。その新井が、真っ先に国労を脱退し、分裂組織をデッチあげ、国労の組織破壊に躍起になるとはどういうことだ。この事実こそ、新井が本部執行部の中にあって、国労解体を策動し続けたことのまぎれもない証拠だ。新井らは、闘争団・家族の闘いに非人間的にも憎悪をむき出しにし、差別・選別され続けてきた国労組合員の存在を否定し、一目散に逃亡を企てている。
 四党合意とは、本部に巣食う敵権力との内通分子によって、国労の心臓部に打ち込まれたくさびなのだ。四党合意を破棄しなければ国労は国労たりえない。
 もはや新井には、国労解体のために強行された国鉄分割・民営化攻撃、その頂点としてあった採用差別に対する怒りのひとかけらもない。いや、新井にとっては、分割・民営化に抗して闘い抜かれた十五年に及ぶ国鉄闘争、闘争団・家族の闘いは憎悪を込めて解体する対象でしかない。
 新井は、「ジェイアール東日本ユニオン結成趣意書」で、「第六八回定期全国大会では、抜本的な路線刷新と自己改革を求められながら本部執行部は及び腰に終わりました」「もはや、国労内部の自己改革は絶望的」「労働組合としての国労運動は終焉(しゅうえん)した」「その最大の要因は硬直化した思想による『情勢認識』『方針』」などと、JR総連カクマルまがいの言葉を用いて闘争団を始めとした国労組合員の闘いを罵倒している。
 その帰結は、JR体制に完全に屈従し、資本とJR総連カクマルの手先として国労解体に全力を挙げるということでしかない。「自らの雇用の場が、過去の国鉄という公共企業体からJRという民間会社に経営形態が変更したということの事実を再認識して、新たな労働組合運動の路線を模索していかなければならない」などという新井の主張は、JR総連カクマルのしっぽにくっついて゛国労解体の突撃隊になります゜ということだ。

 東京地本・酒田らの責任重大

 こうした新井・今井らの分裂行動を引き起こしたのは、高嶋−寺内の本部執行部、久保革同、東京地本の酒田一派だ。
 高嶋−寺内らは、今日に至るも新井の分裂行動に手をこまねき、傍観を決め込んでいる。そもそも、十月の定期大会で秋田地本における分裂策動が問題とされ、調査委員会設置の動議が出されたにもかかわらず本部はそれを握りつぶして、チャレンジ今井らに分裂策動のフリーハンドを与えていた。それが、新井の国労脱退=公然たる分裂行動の引き金を引いたのだ。
 本来、本部執行部は、分裂行動に対して組合員の最先頭で闘うべき位置にある。修善寺大会直後の鉄産労の組織分裂に対して、当時の六本木執行部は、全組合員に分裂策動との全力対決を訴え、熾烈(しれつ)な組織攻防を貫いて国労組織を守り抜いた。ところが高嶋−寺内執行部は、分裂分子と相通じ、その蠢動(しゅんどう)を容認し、国労組織の崩壊を自ら促進しているのである。
 新井の脱退を受けて長野地本の古畑委員長が出した「組合員の皆さんに訴えます」という文書では、「地方本部内の一部組合員が国労を脱退して新たな組織を作る動きが表面化しました。これら組合員の心情は理解できます」などとして、脱退を容認・推奨しているありさまだ。地本書記長・吉田のカイライである古畑は、先の東日本エリア大会で、四党合意に反対を表明していた千葉地本の高橋委員長(前エリア本部副委員長)を引き下ろしてエリアの副委員長に納まった。分裂主義者と呼応して、国労解体を国労内部で推進するこれらチャレンジの機関役員のもとに、国労をみすみす崩壊させていいはずがない。
 東京地本委員長の酒田らも同罪だ。酒田ら東京地本五人組は、一・二七大会と十月定期大会に千人に近い機動隊を導入し、組合員を暴力的に組み伏せて四党合意の受諾を強行した張本人だ。この暴挙こそが国労の団結を根底から破壊し、分裂主義者の跳梁(ちょうりょう)を許したのである。酒田らには、分裂策動に対する重大な責任がある。久保革同もしかりである。酒田一派や久保革同は新井らの公然たる分裂行動にどういう態度をとるのか、はっきりさせよ。
 分裂に手を貸した裏切り者は名乗り出よ。お前たちに国労にとどまる余地はない。一握りの分裂主義者を国労からたたき出せ。

 闘争団への統制処分発動狙う本部許すな

 高嶋−寺内執行部は、チャレンジのあからさまな分裂行動を擁護する一方、四党合意に反対し、国労の路線を守って解雇撤回・地元JR復帰へ闘い抜く闘争団に対しては、「国労を離れた別の組織」と言いなし、統制処分を発動しようと画策している。
 十一月十六日、本部は高嶋委員長名の手紙を闘争団・家族に送りつけ、採用差別裁判への訴訟参加を申し立てた二百十二人の闘争団員に対して、「参加申立を取り下げる手続きについて、本部に『委任状』を提出すること」「『闘う闘争団』を直ちに解散し、国労闘争団員として、本部の下に結集すること」などと強要している。それに従わなければ統制処分にかけるという、卑劣きわまりない恫喝だ。
 さらに、十一月二十九日付の北海道新聞によれば、国労本部は二十八日の中央執行委員会で「十月の定期大会で採択した運動方針を一部修正し、国鉄分割・民営化に伴うJR不採用訴訟に取り組む姿勢を後退させることを決めた」という。同紙は、「国労は一月の定期大会で、裁判闘争の継続を決めたが、十月の定期大会ではその方針を『改める』とし、今回はさらに『撤回する』に変更した」と報じている。
 本部は、十月大会での「裁判取り下げは解決時」とした書記長集約をもほごにして裁判取り下げを強行しようとしている。そうすることによって、゛「ゼロ解決」でも何でもいいから「解決案」を出してくれ゜と権力に泣きついているのである。
 国労が今日まで全国単一体としての団結を維持してきたのは、闘争団・家族の苦難に満ちた、しかし不屈の闘いがあったからだ。その原点を投げ捨て、解体する本部の方針こそ、最悪の団結破壊にほかならない。
 本部は、新井・今井ら極悪チャレンジ分子の分裂策動をも恫喝材料に、これまで以上に「ジリ貧」論をあおりたて、゛千四十七人問題を「解決」しなければ国労組織はもうもたない゜などと言いなして、「ゼロ解決」を丸のみしようとしているのだ。そのために一月にも臨時大会を開催し、国労を死の淵(ふち)へと引き込もうとしているのだ。こんな卑劣なやり方を断じて許すな。
 本部は、国労の外に飛び出した分裂主義者と呼応して、闘争団を最後的に切り捨てることで国労を瓦解(がかい)の道に追い込もうとしているのだ。十二月−一月の攻防に国労の生死がかかっている。総力を挙げた闘いに立つべき時が再来した。

 分裂組織に展望なし 闘う国労の旗守ろう

 新井らの分裂行動は、チャレンジ一派のどうしようもない破産の結果だ。
 「ゼロ解決」丸のみを叫んだ新井の反動的突出をテコとして、本部は十月大会で闘争団の息の根を止めようと全力を挙げた。寺内書記長は、大会前に国土交通省鉄道局に呼ばれ、「分裂覚悟で採用差別裁判を取り下げる方針を決める」とまで明言していた。大会当日には、そのための「追加方針」を突如提案した。大会会場周辺は、一・二七大会に続いて警察権力の戒厳令下に再び置かれた。
 だが、こうした本部執行部の思惑は、闘争団を先頭とする闘う国労組合員の決起によって打ち破られた。十月定期大会で、四党合意に反対する国労組合員は、会場内外で呼応して闘いを貫いた。対案と対抗人事がたたきつけられ、採用差別裁判の取り下げを強行しようとした本部執行部の思惑は粉砕された。寺内は書記長集約で「裁判取り下げは解決時」と述べざるをえなかった。
 こうして、新井を最先兵とするチャレンジ一派の策動は根底において粉砕された。国労を内部から破壊することができない現実を突きつけられた新井は、その途端に、分裂という最悪の裏切りによって、今度は外側から国労を破壊しようとうごめき始めたのだ。新井は、「『四党合意』実現にむけた具体化作業の見通しは一層厳しくなっています」などと゛四党合意による解決゜の破産にいきり立ち、裏切りにおける高嶋−寺内らの不徹底性をもなじりながら、絶望的な反革命蜂起に打って出た。
 だが、はっきりしていることは、新井らの分裂組織には何の展望もないということだ。権力が新井らに与えた役割は、国労を丸ごと転向に導くことであった。それはみじめに失敗した。新井らには、権力・資本に使い捨てられる運命しか残されていない。
 国鉄分割・民営化以来十五年、あらゆる差別・あらゆる苦難に耐えてきた誇り高い国労組合員を、一人として新井らの汚辱にまみれた策謀に巻き込ませるわけにはいかない。多数の組合員を引き連れて分裂組織を旗揚げしようなどという新井・今井らの思惑を、全面的に粉砕しなければならない。裏切り者を、丸裸で国労からたたき出せ。
 十月大会を経て、闘う国労の再生を目指す潮流は力強く台頭しつつある。四党合意への幻想は、もはやかき消されようとしている。闘争団は、最後まで闘う意志を固めている。JR東日本の「ニューフロンティア21」を始め、JR各社の第二の分割・民営化攻撃に対して、JR本体の組合員は反撃に立つことを心の底から望んでいる。失業率が五・四%に跳ね上がり、小泉「構造改革」攻撃が本格化しようとしている中で、膨大な労働者は、国労こそが〇二春闘の最先頭に立つべきことを期待している。
 何よりも重要なことは、日帝がアフガニスタン・中東侵略戦争に突入しているただ中で、闘いか裏切りかの鋭い分岐が、国鉄闘争をめぐって起きているということだ。国労の階級的再生は、帝国主義の侵略戦争と一大資本攻勢への巨大な反撃の拠点を築くものとなるのである。
 国労組合員が有するあらゆる力を結集し、分裂主義者をたたき出そう。一月臨大策動を粉砕し、高嶋−寺内執行部を打倒しよう。

 新井の分裂組織結成趣意書(抜粋)

 (千四十七名問題は)昨今の諸情勢等から判断し「四党合意」に基づく内容で解決すること以外に選択肢はありませんでした。その認識を確認しなければならない第六八回定期全国大会では、抜本的な路線刷新と自己改革を求められながら本部執行部は及び腰に終わりました。外への表現変更と内なる路線維持では、社会的に信用を得るはずもなく、「四党合意」実現にむけた具体化作業の見通しは一層厳しくなっています。唯一残された解決の道を、国労自身の手によって失してしまったのです。その最大の要因は硬直化した思想による「情勢認識」「方針」に帰せられます。もはや、国労内部の自己改革は絶望的であり、この十五年の闘いの経過と国労の組織現状を直視すれば、労働組合としての国労運動は終焉したものと判断せざるを得ません。
 JR会社法改正法が成立したいま、JR東日本は名実共に民間会社として再出発することになりました。我々に求められていることは、あらためて自らの雇用の場が、過去の国鉄という公共企業体からJRという民間会社に経営形態が変更したということの事実を再認識して、新たな労働組合運動の路線を模索していかなければならないということであります。
 私たちは、展望をみいだせない国労運動と訣別し、ジェイアール東日本ユニオンを結成します。
 二〇〇一年十二月
 ジェイアール東日本ユニオン結成準備委員会

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週刊『前進』(2034号2面2)

失業率 男性最悪の5.8% ゼネコンの破たんも始まる
 「構造改革」と対決し02春闘へ

 十二月六日、準大手ゼネコンの青木建設が民事再生法の適用を申請し、ついに破たんした。ゼネコンの連鎖倒産が始まろうとしている。小泉「構造改革」による大失業攻撃を許すな。
 総務庁が十一月三十日に発表した十月の完全失業率(季節調整値)は五・四%と九月の過去最悪値五・三%からさらに〇・一ポイント悪化し、最悪記録を更新した。特に男性の失業率は、前月比で一気に〇・四ポイントも悪化し、五・八%ととんでもない数値を示している。同日、厚労省が発表した十月の有効求人倍率(季節調整値)は対前月比で〇・〇二ポイント悪化し、〇・五五倍となった。求職者二人に求人が一人分しかない事態だ。
 これらの数字を見て厚労相・坂口は「大変厳しい状況になった、(雇用対策だけで対応するのは)限界に近づきつつある」と打撃感を表明した。

 中堅男性への集中的な攻撃

 特に最大の問題は、男性の失業率がとめどなく悪化し続けていることだ。
 季節調整値で見ると、男性の就業者、雇用者とも電機での大リストラが本格化した八月以降、毎月二十万人の規模で減少し続けている。そして、完全失業者は十万人ずつ増え続けている。この二カ月間の雇用者等の減少と完全失業者の増加の差、それぞれ十万人、合計二十万人は、求職活動をあきらめたと推定される人数である。マスコミなどでも、五十歳以上の求人がまったくなくて一年以上職安に通い続けている悲壮な話が数多く報じられている。雇用情勢は数字に表れた以上に深刻なのだ。
 男性の五十五歳から六十四歳の失業率は前年同月比で一気に〇・八ポイントも悪化しなんと七・三%というすさまじい数字である。五百人以上の企業の従業者数は、前年同月比で五十四万人(四・二%)も減少した。これは六カ月連続の減少だ。世帯主の完全失業率も前年同月比で〇・七ポイントも悪化し、三・七%となった。これらは建設業の十一カ月連続減少に加え、電機など製造業の大企業でのリストラが本格化し、世帯に責任を負う層への攻撃が集中していることを示している。
 ついに労働者階級の基幹部分への攻撃が本格化してきた。「パンをよこせ」という失業者の大規模な反乱が求められ、プロレタリア革命の原点が問われる事態が切迫しているのだ。

 連合はワークシェアで屈服

 小泉は「厳しさが増してくるね。……(構造改革で失業率が)上がっていく」「戦時中やアフガンの状況と比べれば天国でしょう」などと、挑戦的に大失業攻撃を宣言した。連合の草野事務局長は「恐怖感を禁じ得ない」と震え上がり、賃下げ・首切り・不安定雇用化のワークシェアリング攻撃の先兵となっている。小泉発言を許さず、連合・全労連・JR総連カクマルの裏切りを粉砕し、〇二春闘に総決起しよう。

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週刊『前進』(2034号2面3)

“JR復帰へ闘いを” 闘争団共闘会議(準)が集会

 十二月三日、国労闘争団共闘会議準備会主催の「JRの不当労働行為は許さない! リストラに負けない! 公務員制度改革に反対! 自衛隊参戦ノー! 十二・三総決起集会」が東京・千代田公会堂で開かれ六百人が集まった。
 闘う闘争団から、@JRの責任を追及する最高裁闘争とあわせて、政府・国土交通省の責任を追及する新たな「鉄建公団訴訟」、AILO条約勧告適用専門家委員会への意見具申の申立組合の拡大、B支援戦線の拡大、CJR総行動や全国キャラバン行動などの大衆運動――などの行動提起を受けて、来春に向けての具体的な闘いの総決起態勢を確立した集会となった。
 闘う国労闘争団の内田泰博共同代表は、「四党合意の大会決定後、何も進展していない。次なる方針も明らかにしないで、本部は組織を混乱に陥れているばかりか、闘争団の人生をもてあそんでいる。もはや一部役員に私たちの人生をゆだねることはできない。全国三十六闘争団は、十五年の闘いを無駄にしたくないのであれば、要求をかちとるために具体的に闘いを実践するしかない。地元JR復帰をかちとるために頑張る」と決意を表明した。
 北川れん子衆院議員が、パキスタン調査訪問と米下院でただひとり「報復戦争」に反対したバーバラ・リー議員との会見の報告を行い、戦争反対を訴えた。
 また、NTT十一万人合理化反対闘争、非正規労働者の闘い、公務員現業職場の闘い、小泉「特殊法人改革」反対闘争についての報告が行われた。
 国労闘争団員と争議団が壇上に並んだ。動労千葉争議団は「千四十七名の一員として、四党合意に反対して職場復帰まで頑張っていきたい」、全動労争議団は「政府とJRの責任に基づいた解決を求める」と訴えた。約二十人の国労闘争団員がそれぞれ自己紹介し、盛んな拍手を浴びた。
 また、翌日の十二・四霞ケ関大行動のアピール、映画「国労冬物語 人らしく生きよう」の上映活動の報告などが行われた。
 闘う闘争団の原田亘共同代表が「皆さんの熱いまなざしを受けながら、大きなエネルギーを蓄えた。明日から全国に広げたい」と集会をまとめた。

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週刊『前進』(2034号2面4)

 資本攻勢&労働日誌 11月14日〜28日
 ●自動車と造船はベア要求
 ●いすゞワークシェア検討
 ●電機連合が一時帰休提案
 ワークシェア 政労使協議で導入狙う

●14日 国会で失業問題の悪化について質問を受けた小泉首相は、「戦時中と比べれば天国だ。アフガンの状況と比べれば天国でしょう」などと答えた。
◇帝国データバンクによると、10月の企業倒産は1911件でバブル期後最悪を記録した。
●15日 厚労省は、過労死の労災認定基準を大幅に緩和することを決めた。「発症前1週間」の就労状態を判断材料としていたものを「発症前6カ月間」にまで拡大。過労死弁護団全国連絡会の岡村代表幹事は評価しながらも、問題点として@持病などの基礎疾患が過重業務の中で「著しく」増悪することを必要としているA長時間労働の基準を月80〜100時間とし45時間以下は関連は薄いとしたため、実際の争点となる45〜80時間がグレーゾーンになるB本人基準を採用していない、などの点を批判。昨年7月の最高裁の二つの過労死判決と比べても問題は多い、この3点が今後の課題と語った。
●18日 日経新聞のまとめによると、上場企業が今年発表した国内の人員削減計画(一部自然減含む)が12万人強に達した。(リストラ企業一覧を別掲)
●20日 都労連は2年間の限定措置である「給与4%削減措置」継続を石原都知事に断念させた。
◇NTTグループの年末一時金交渉が決着した。NTT東西などは過去最低水準、ドコモは過去最高水準、データは前年並みで、グループ内の格差が広がった。
◇松下電器産業は2001年度中をめどに「地域限定社員制度」を本社所属の労働者にも導入する。今までは同制度の主な対象は地方工場に勤務する労働者だった。
●22日 確定拠出年金の導入を検討している企業の割合は、導入済みを含め18.4%にとどまっていることが日本労働研究機構がまとめた調査結果で明らかとなった。
●26日 いすゞ自動車はワークシェアリングの導入を検討していることを明らかにした。来年1月以降の導入を目指す。
◇遠山文科相が中央教育審議会に教育基本法の見直しを諮問した。日教組は「日本国憲法の『改正』手続きを事実上スタートさせることであり、重大な事態」としながらも、「慎重な議論」を求める書記長談話を発表した。
●27日 小泉首相が連合との会談でワークシェアリングについて政労使で話し合う場を近く発足させる考えを明らかにした。また政労トップ会談の開催で合意した。
◇自動車総連と造船重機労連は02春闘で1000円のベアを要求する方針を明らかにした。
●28日 電機連合は、一時帰休を1−2年に期間拡大することを経営側に提案する方針を明らかにした。電機連合はかねて「解雇ルール」の必要性を提唱しており、一時帰休の期間拡大はその柱。

国内労働者を2000人以上削減する企業

社  名
削減人数
 東 芝
17,000 
 日立製作所
11,100 
 松下電器産業
8,000 
 西日本旅客鉄道
6,000 
 富士通
5,500 
 NEC
5,000 
 クラリオン
4,600 
 三菱マテリアル
2,500 
 TDK
2,360 
 マツダ
2,210 
 沖電気工業
2,200 
 日立金属
2,200 
 コマツ
2,200 
 王子製紙
2,200 
 積水化学工業
2,100 
 大日本印刷
2,100 
 ケンウッド
2,000 
 シチズン時計
2,000 

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週刊『前進』(2034号3面1)

自衛隊のアフガン参戦 国会承認を弾劾 戦争翼賛国会と対決し

 十一月三十日、参院本会議で、テロ対策特措法にもとづく自衛隊派兵を事後承認する手続きが行われた。これは自衛隊がアフガニスタン侵略戦争に参戦し、アフガニスタン人民虐殺に加担していることに、国会が「国権の最高機関」の名で゛お墨付き″を与える絶対に許せない暴挙だ。「国民的な合意」が得られたと侵略派兵をエスカレートさせ、自衛隊員に戦死をも強要していくためのものだ。
 反戦共同行動委員会は断固、抗議・弾劾の闘いに立ち上がった。早朝から国会前でのビラまきと座り込みを行い、与野党なれあいの戦争翼賛国会を弾劾し、午前十時過ぎ、参院本会議での採決強行に対して、参院議員面会所前で怒りのシュプレヒコールをたたきつけた。二十五日に佐世保で実力闘争を闘った全学連が先頭で闘い抜いた。この日、社民、日共、カクマルその他勢力はまったく現れず、反戦共同行動委員会が唯一戦争絶対反対勢力として闘い抜いた。
 続いて午後一時開会の衆院本会議では、国連平和維持活動(PKO)協力法改悪案が採決され、与党三党と民主党などの賛成多数で可決された。反戦共同行動委は衆院前に場所を移して座り込み、衆院本会議での採決を弾劾して闘った。

 衆参審議10時間

 自衛隊派兵の承認案は与党三党と民主党などの賛成多数で可決された。民主党は、党の方針に反して七人が反対、または棄権した(衆院では二十一人)。
 これによって@インド洋などに展開する米軍への燃料補給、物資・人員輸送、A米兵らの捜索救助活動、Bアフガニスタン難民救助物資のパキスタンへの輸送、が承認された。
 なんと衆参両院を合わせ、わずか十時間の「審議」での採決強行である。「国会のチェック機能」や「文民統制」がまったくのまやかしであることを自己暴露するものだ。自衛隊の具体的な活動区域や活動内容などは、基本計画や実施要綱では明らかにされていない。国会審議でも、政府は「自衛隊の活動があらかじめ明らかになると、米軍の作戦行動にも支障をきたす」から話せないという対応に終始した。こんなデタラメが認められるか。
 すでに日帝は、十一月九日、二十五日に海自艦隊をインド洋に派兵した。二十九日には航空自衛隊のC130輸送機が、在日米軍の横田―嘉手納基地間で米軍物資の輸送を始めた。十二月三日、防衛庁はC130輸送機が在日米軍基地からグアム島の米空軍基地への物資輸送を開始したこと、補給艦「はまな」が二日からアラビア海に展開する米海軍に燃料補給活動を開始したことを発表した。防衛庁は、「情報収集」で派兵した海自艦隊の対米支援活動への任務切り替えを「長官命令ではなく、現場判断で行った」と説明し、それがいつの時点で行われたのかも明らかにしなかった。
 中谷元・防衛庁長官は国会承認後、「民主党を含め、国会の多数から承認を得たことは心強い」と記者会見し、さらに強気で侵略参戦の拡大を狙っている。中谷は今回派兵が見送られたイージス艦の派兵についても今後検討したい、と発言した(二十九日)。

 PKO法改悪案

 さらに七日の会期末までの成立が狙われているPKO協力法改悪案は、国連平和維持軍(PKF)本体業務の参加凍結を解除するとともに、管理下の他国要員や武器の防護のためと称して、自衛隊が武力行使できるようにするものである。小泉政権は東ティモール、アフガニスタンへの陸自出兵を狙っている。
 すでに防衛庁は「地雷処理の技術指導のため」陸自隊員をアフガニスタンに派兵することを検討している。中谷が十日に訪米し、日米防衛首脳会談でこの方針を表明する。
 日帝・自衛隊は侵略戦争の悪無限的な拡大、憲法九条の暴力的突破、そして帝国主義間戦争へと自己運動を開始した。いま日帝・自衛隊の侵略派兵と闘わずして、いつ闘うのか。佐世保闘争は派兵実力阻止闘争の決定的な意義と、侵略戦争粉砕の現実性を示した。さらなる実力闘争が求められている。アフガニスタン侵略戦争阻止、日帝・小泉政権打倒へ猛然と闘おう。

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週刊『前進』(2034号3面2)

アフガン反戦闘争の爆発へカンパ集中を

 すべての『前進』読者のみなさん。支持者のみなさん。 アメリカ帝国主義は、今なおじゅうたん爆撃や大量殺りく兵器によるアフガニスタン人民皆殺しの戦争を拡大し、イラクやフィリピンなどへの戦争まで公言しています。日本を含む国際帝国主義は、これに一斉に参戦し、「復興」をめぐってハイエナのようにアフガニスタンに群がっています。この帝国主義の侵略に、アフガニスタン人民はあくまで対決して闘っています。
 またパレスチナでは、イスラエルによる自治区侵攻と小中学生虐殺やハマス幹部のミサイルによる暗殺が続き、これに対して連続的な自爆攻撃という、命を投げうつ抵抗闘争が爆発しています。
 ロンドンでは十一月十八日、燃料気化爆弾の使用に抗議して過去十年で最大の十万人デモが行われています。
 アメリカでは戦争と帝国主義に反対する労働運動の新たな潮流が生まれ、アフリカ系を始めとするコミュニティーの抵抗闘争が内戦的に発展しつつあります(本紙前号)。世界中で反グローバリズムという名の反帝闘争が爆発し連帯を広げています。
 二〇〇一年九・一一と十・七をもって世界史は新たな段階に入りました。帝国主義の第三次世界大戦への後戻りできない突進と、新たな国際階級闘争の巨大な高揚とが全面激突する時代の始まりです。
 この情勢を前に、革共同は第六回大会を開催し、この情勢を的確に見通し、これに全面的にこたえる路線と方針を打ち立てることで、ただちに猛然と闘いを開始することができたのです。全学連は佐世保に逮捕を辞さぬ実力デモでその姿を登場させ、佐世保市民の怒りと合流しました。闘う労働者の新潮流は、唯一の闘う労働者の反戦集会として十一・一一日比谷集会を実現しました。
 日本共産党の「テロ根絶」の絶叫と「テロも戦争も反対」論が跋扈(ばっこ)する中で、いま本当のアフガン反戦闘争をつくれるのは革共同しかありません。
 また、ついに五・四%に達した失業率のもとで、極限的な生活を強いられている労働者の怒りを、帝国主義打倒の隊列に糾合するには、強大な革共同が絶対に必要です。
 強大な革共同をつくるためには、第一に闘うみなさんが今こそわが革共同に結集することです。第二には、より多くのみなさんの広大な財政的な支えが必要です。
 あらゆる財力と暴力をもって襲いかかる権力の革共同破壊攻撃を打ち砕く力は、みなさんの支援と財政援助の闘いです。またマスコミをつかったデタラメなキャンペーンを、人民の宣伝・扇動の物質力で打ち破らなくてはなりません。その勝利の力もまた、みなさんの気持ちのこもったカンパ以外にありません。
 巨大なアフガニスタン反戦闘争の爆発と二〇〇二年の勝利に向けて、世界史的使命を担うことのできる革命党として革共同を建設するために、絶大なカンパを寄せられることを心から訴えます。

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週刊『前進』(2034号3面3)

浜岡炉心冷却の配管爆発 原子炉に亀裂も 二重の大事故
 第2のチェルノブイリの危機

 高放射能漏れも発覚

 十一月七日午後五時ごろ、静岡県の中部電力浜岡原子力発電所一号機(五十四万`ワット、沸騰水型)で緊急炉心冷却装置(ECCS)の手動起動試験中に、余熱除去系の蒸気配管(厚さ一・一a、内径十五a)が爆発しズタズタに引きちぎられるという大事故が発生した。内部の放射能を帯びた水蒸気が一挙に放出され、その煙が原子炉建屋内に充満し十カ所の火災報知器が鳴り響いた。
 燃料棒を冷却する水がなくなるような場合に、水を外部から炉内に強制的に送り込むための安全上の゛最後の綱″といわれるECCSの一部が完全に破壊されたのである。
 その原因について、経済産業省原子力安全・保安院は、「運転中に冷却水が中性子を浴びて発生する水素ガスか、あるいは急激に熱せられた水蒸気によって爆発現象が起きた可能性が高い」と言っている。このような例は、世界の原発でも初めてという。想定することさえ不可能だった今回の配管爆裂は、原発全体の「安全設計」なるものの根幹を覆す事態であり、「原発=安全」の大うそを満天下に暴き出している。
 さらに決定的な事実が明らかになった。一号機が運転停止され原因の調査が進む中で、原子炉底部から高放射線量の冷却水が外部に放出されていたことが発見されたというのである(実際は七月から)。中部電力は、制御棒を動かす機器の支持管と原子炉圧力容器を溶接している個所に二〜四aの亀裂が入っていたことを認めた。
 放射能を閉じ込める゛最も重要な砦(とりで)″である原子炉に穴が開くという深刻な事態が起こっていたのだ。元原子炉設計者は、「この亀裂が一挙に進行する可能性もあり一番怖い部分だ」と警告した。
 これら配管爆発と原子炉亀裂は、いずれも原発事故で最悪とされる冷却水喪失→メルトダウン(炉心溶融)へと発展しかねない。炉心が空だきになり燃料棒が溶融し水素・水蒸気爆発を起こし格納容器を突き破って大量の死の灰が環境中にばらまかれる。そうした瀬戸際の危機が浜岡原発でついに起きたのだ。

 東京・大阪も死の街に

 浜岡原発は東海地震の想定震源域内のど真ん中に建てられている。これまで稼働してきた四基の原発のほかに、出力百三十八万`ワットの最大規模の五号機が建設中である。
 八百ガル以上の揺れを記録した阪神大震災は、新幹線や高速道路の橋げたをなぎ倒した。東海地震はそれを上回る激しいものになると推定されている。事故直後の十一月二十七日、小泉を会長とする中央防災会議は、東海地震の発生が近いことを確認し、同原発一帯の予想される震度が7、津波の高さが六bと発表した。
 このままでは浜岡原発が日本のチェルノブイリとなることを避けられない――今回の二重の事故と東海地震切迫は、このことをまざまざと示している。原発事故でまき散らされた大量の放射能は地元を直撃し、そのチリは雲となって風に運ばれ広範囲の地域に降り注ぐ。
 左の図は一九八六年のチェルノブイリ事故による放射能汚染地図に、予想される浜岡原発事故を重ねたものである。立ち退き対象とされた汚染がひどい十五キュリー以上の地域は、浜岡原発事故の場合では風向き次第で東京・関東圏、大阪・関西圏にまで及ぶ。静岡県住民を始め何百万、何千万人もの労働者人民の生命と生活、環境が壊滅的に破壊される。
 チェルノブイリ事故では、数十万の人びとが移住を強制され、被曝(ひばく)によってすでに多くの人びとが亡くなり、今後百万人単位のガンによる死亡が予想されている。

 ゲリラ口実に機密化

 大内さん・篠原さんを虐殺し六百人以上の住民を被曝させた九九年の東海村JCO臨界事故―そして今回の浜岡原発事故。さらに新潟県の巻や柏崎刈羽(かりわ)そして三重県の海山(みやま)の住民たちの相次ぐ原発拒否、東海大地震の刻一刻の接近……。
 だが、小泉政権は「原発推進は変わらない」(十一月十九日、福田官房長官)と言い放ち、原発政策の暴力的推進の継続を宣言した。これが、労働者人民に対する日帝国家権力の皆殺しテロ行為、階級戦争でなくて何であろうか。どこが「原子力の平和利用」か。
 原発・核燃施設は、被抑圧民族人民、労働者、周辺住民の被曝なしには成り立たない。さらに、労働者人民の子孫に巨大な放射性廃棄物を永久的に残し被曝の危険を押しつける。現在、日本全国で浜岡を含め五十二基の原発がある。今すぐにもすべての原発を運転中止させ、閉鎖し、廃炉にすることは、労働者階級人民の死活のかかった緊急の闘争課題である。
 新ガイドライン攻撃の中で始まった原発の核軍事基地化策動は、九・一一反米ゲリラ戦争を口実に一挙に強まっている。浜岡原発では沖合に海上保安庁の艦艇が停泊し、町中をパトカーがうろついている。全国の核・原発施設は、恒常的厳戒体制が敷かれている。
 今まで「安全だ、安全だ」と言ってゴリ押しに建設し運転してきたのに、それが一転して「危険な原発をゲリラから守れ」と叫ぶ。原発がいかに危険なものであり、核軍事施設そのものにほかならないかを自己暴露しているのだ。
 高速増殖炉の燃料、原爆の材料としてのプルトニウムを生産する原発は、核燃サイクル計画=核武装政策の要(かなめ)である。
 そして今やゲリラ対策と称して、日帝は核政策・全核施設の軍事機密化と反核・反原発闘争圧殺の攻撃に出てきている。米帝のアフガニスタン侵略戦争への参戦・自衛隊派兵と軌を一にして、日帝軍隊の核武装の衝動が激しく噴き出してきている。
 闘うイスラム諸国人民と連帯し、日帝のアフガニスタン侵略戦争を阻止する闘いと結合して、原発・核燃と闘う地元住民と連帯し、日帝の核・核武装政策を粉砕する闘いに決起しよう。
 (久木寛)

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週刊『前進』(2034号3面4)

学生戦線の今秋決戦報告(2)
24クラス決議上げストライキ 被爆地広島で戦争大学化阻む
 マル学同中核派 広島大学支部

 マルクス主義学生同盟中核派広島大学支部は、二〇〇一年前半における自治会結成という歴史的事業を引き継ぎ、九・一一を契機に開始された帝国主義のアフガニスタン・中東侵略戦争と対決し、全国学生の先頭で闘った。とりわけ、十一・二五佐世保闘争と、これと一体で闘い抜かれた十一・一六広大ストライキが、アフガニスタン反戦闘争の決定的地平を切り開いたことを確認したい。

 “テロ根絶”の合唱ぶち破る

 十一・一六ストの最大の意義は、「テロ根絶」キャンペーンへの既成勢力の総屈服を粉砕して、アフガニスタン反戦闘争の巨大な爆発をかちとっていく環をつかんだことである。
 二十四クラスでストライキ決議を上げることは、けっして平たんではなかった。平時に「戦争反対」ということは誰でもできる。しかし実際に戦争が始まり、自国帝国主義が参戦する中で「戦争反対」を叫ぶことは独特の「重さ」を伴う。戦争に反対することがイコールいかなる実践をするのかという問題となるという重さもさることながら、「テロ根絶」の大合唱の中で「戦争反対」を叫べば孤立するのではないかという一種の恐怖感的雰囲気が大衆の中にあった。
 これをぶち破ったカギは何か。
 第一にこの戦争に対する革命的共産主義者としての激しい怒りであった。広島原爆と同様の破壊力をもつ兵器が投入されているのだ。本当ならば広島で暴動が起こらなければならない事態なのだ。そしてその虐殺のうえに権益をむさぼる帝国主義どもがいる。この帝国主義に対する激しい怒りこそが「テロ根絶」という排外主義を打ち破る最大のエネルギーであった。
 第二に、「闘うアフガニスタン人民と連帯する」思想と闘いである。アフガニスタン人民、パレスチナ人民は帝国主義のジェノサイドに対して、不屈に、激しく闘い抜いている。九・一一を見よ! 帝国主義の中枢に大打撃を与えているではないか。九・一一に鼓舞激励され、全世界のイスラム諸国人民、被抑圧諸国人民が決起を開始しているではないか。この不屈の闘いとわれわれの闘いはひとつなのだ。ここにこそ帝国主義を打倒する力がある。
 問われているのはわれわれ帝国主義国の労働者・学生が彼らの闘いに本当にこたえる闘いを実現できるかどうかなのだ。このことがはっきりした時、われわれの闘う力は数倍、数十倍になった。多くのムスリムの留学生や教官から連帯のメッセージが寄せられた。それらは学生大衆を勇気づけ、その階級的使命を目覚めさせ、決起を促す決定的力となった。
 そして第三に、何よりも怒りと確信に燃えてわれわれが決起したということである。われわれがまず仁王立ちして、弾圧にひるむことなく決起した時、初めて多くの学生大衆が重圧から解放され、自己解放的に決起を開始したのである。党がどれだけ前衛として決起することができるかどうかなのだ。確信をもってぶっ立てば学生大衆は必ず決起するのである。ここに戦時下の反戦闘争の爆発のカギがあることを今秋決戦の中であらためてつかんだ。
 佐世保闘争の意義もここにある。既成勢力を合法主義と敗北主義が支配する中で、機動隊と激突し、実力闘争によって情勢を打開するという闘いを日本階級闘争に復権した。われわれの決起の度合いによってアフガニスタン反戦闘争の爆発がかちとられていくという決定的情勢を、端緒的につかんだ。この道を断固進もう。

 小泉に追随する当局に怒り

 ついに日本帝国主義が、自国の軍隊を戦時に、戦場に送り、侵略戦争に主体的に参戦するという恐るべき情勢が到来した。日本階級闘争は文字どおり戦時下の階級闘争に入った。あらゆる日本人民がこの戦争にどういう態度をとるのかが問われている。同様に、大学もまた、この戦争の中でどういう方向に進んで行くのかが問われている。
 広大当局は国立大学協会でさえ動揺した小泉の「大学の構造改革」(遠山プラン)に対して、積極的に賛成している。「米百俵の精神が重要だ」などと小泉とまったく同じことを言っている。小泉戦争内閣と運命をともにすることを決断した広大の行き着く先は、戦争遂行大学である。被爆地広島の大学が、アフガニスタン―中東、アジア人民虐殺の手先となろうとしているのだ。絶対に許すことはできない。
 同時にこの道は、大学が競争と分断、人間疎外の場となるということであり、学生を帝国主義の「役立つ商品」としていく大学への道である。前学長の原田は「厳しい成績評価で出口管理をする。大学はよい製品を企業に送り込まなければならない」と言い切った。
 この中で、民族差別・排外主義を扇動する落書き事件が発生したり、教授の女子学生に対する襲撃事件などが多発している。大学当局はこうした腐敗を「改善」するどころか、学生の怒りの声を抑えつけることに必死である。ここに帝国主義大学としての広大の姿がある。学生を「もの」扱いし、腐敗を居直る広大当局に対する学生大衆の怒りは爆発寸前である。
 六月学生大会での自治会結成は、帝国主義大学として腐敗と抑圧を強め、戦争推進大学への道を歩む広大への学生大衆の激しい危機感の発露であった。
 白熱的な大衆的議論を経て決定した「学生一人ひとりが主人公の大学に 学生の自由・権利・生活を守り、発展させよう」「あらゆる差別をなくし、お互いが仲間と認め合える団結・つながりを築こう」「ヒロシマに学ぶ学生として、再び戦争というあやまちを繰り返さない」という自治会の三つの理念は、帝国主義の戦争と暗黒の攻撃と対決し、学生が自己解放的に決起していく道すじである。
 学生の自己解放的な力を確信すること。帝国主義の支配と抑圧、分断と人間疎外の攻撃の中で苦悩し、苦闘する学生大衆の存在に肉薄すること。ここに五月テーゼ下の学生運動の今ひとつのカギがある。自治会建設に挑戦する中で、われわれはこのことをつかみとった。
 「五無人間」「電脳疎外」などといって学生大衆をさげすむカクマルや、大衆の決起を抑圧する日共スターリン主義に未来はない。カクマルと日共を打倒し、全国大学をわが全学連の拠点大学としよう!

 レーニン主義の党の建設を

 ついに戦時下の階級闘争に入った。「闘うイスラム諸国人民と連帯し、帝国主義の侵略戦争を国際的内乱に転化する」という路線を貫き、勝利していく核心は、レーニン主義の、ボルシェビキ的な党建設にある。「学生自治会運動と学生共産主義者づくり」―これこそが学生戦線の闘いの核心である。
 多くの学生大衆が、行き詰まった社会をぶち破る思想と路線を求めている。マルクスが「共産主義の妖怪物語」に対置して「共産党宣言」を発表した当時、レーニンが第二インターの崩壊と対決し、マルクスのマルクス主義を復権していった当時と同じ課題が今われわれに突きつけられている。スターリン主義の下でゆがめられた共産主義の思想を復権し、学生戦線の中に強大な反スターリン主義・革命的共産主義の党を建設しよう。
 マル学同広大支部は、全国学生の先頭で闘い抜く。ともに前進しよう。

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週刊『前進』(2034号3面5)

全学連の佐世保奮戦記 A 人民の決起生む力は全学連の実力闘争だ

■広島大・S

 私が佐世保現地に行って一番感じたのは、佐世保市民や労働者の全学連に寄せる期待の大きさでした。私たちが移動している時も、基地のゲートに突入している時も、デモの時も、港の集会に参加している時も、常に労働者人民の期待のこもった眼差しと声援に包まれていました。本当に戦争を阻止する勢力の登場が今ほど求められている時はないと肌で感じました。

■広島大・K

 僕は佐世保で、出港する自衛艦「さわぎり」を追いかけました。その時、「戦争」は圧倒的な存在感を持つものとして、まさに目の前にありました。僕はそのときに思った。「戦争」は実体のないものではない。あれこそが、とめるべき「戦争」なのだと。

■岡山大・T

 佐世保基地では、「さわぎり」の船上に自衛官がぎっしりと立ち並び、家族の人たちに手を振っているのが見えました。これが戦時だと思うと自分もつらい思いでした。自衛官と家族には「戦争に加担するな」という思いを精一杯訴えることができました。
 最も貧しいアフガニスタンに、富める国々がよってたかって「テロ根絶」や「難民支援」と称して戦争を強行しています。帝国主義国の学生として、この戦争にますます怒りを燃やして闘っていかなければならないと強く感じました。

■岡山大・K

 全学連は佐世保基地突入を敢行、どうせ突入まではしないだろうと少々油断していた機動隊をあと少しで突破できるところまでいきました。今後の活動こそわれわれの真価を問うものだと思います。投獄をも辞さない実力闘争の「本当の始まり」から戦争の終結、そして帝国主義打倒まで闘い抜くことを誓った日。十一・二五は僕の中ではそういう一日でした。

■東北大・O

 初めからジグザグデモで警察権力に何も言わせないほどの迫力で基地正面ゲートに迫っていきました。われわれはひるむことなく真正面から機動隊の壁、基地に突入する闘いを貫徹しました。外から見た労働者は、「機動隊に統制がなかった、不意を突いた感じだった」と言っていました。
 労働者人民の圧倒的な決起を生むのは、このような戦闘的な闘いだと思います。われわれが必死の覚悟で闘いを始めた今こそ反戦運動の爆発、世界革命運動の発展の展望はあります。

■東北大・T

 どんなことをしてでも止めなければならなかった、アフガニスタンまで追いかけても引きずり戻さなければならないと思います。
 しかし同時に、われわれが人生も命もかけると腹をくくって闘った時、日帝の侵略派兵をとめられるということです。海上保安庁が船をぶつけてくるという妨害をはね返し、何度も何度も自衛官一人ひとりに聞こえるところまで近づいて闘った。あの時、われわれにできる限りの闘いをやりきったと確信しています。
 さらに隊列を強化し、何度でも実力で闘って自衛隊の侵略戦争参戦を粉砕する決意です。

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週刊『前進』(2034号4面1)

4・18「暫定」開港粉砕せよ 成田空港のアフガン侵略基地化阻止
 農民圧殺の暴挙に怒り爆発させ 3・31−4・14大闘争へつき進め
 江波敏之

 日帝は残忍きわまるアフガニスタン侵略戦争参戦に踏み切った。国会は「テロ撲滅」で総翼賛化し、自衛隊海外出兵を史上初めて承認した。成田空港が兵站(へいたん)基地として使われている。九・一一反米ゲリラを奇貨として、航空をめぐる米帝の帝国主義間争闘戦が一線を越えて激化している。このさなかに成田暫定滑走路が完成し、来春四・一八開港へと動き出した。暫定滑走路の開港は平行滑走路の破産を意味する。「未完」ゆえの欠陥滑走路の開港は、延長を前提とする見切り開港である。三里塚闘争は開港をめぐる新たな段階へと発展した。農民追い出し攻撃を粉砕し、来春四・一八開港阻止へ、三・三一現地闘争―四・一四全国大闘争に総決起しよう。

 侵略参戦を阻む闘いと一体の三里塚闘争

 米帝バブル経済が崩壊し世界が同時不況に突入する中、米帝ブッシュは危機脱却の道を侵略戦争に求めている。無差別殺りく兵器によるアフガニスタン人民虐殺の根底にあるのは、タリバン後のアフガニスタンからカスピ海沿岸、中東地域の勢力圏拡大と世界支配の再編である。米帝ブッシュは九・一一反米ゲリラを奇貨としてアフガニスタン侵略と他帝国主義への争闘戦に踏み込んでいる。
 対米対抗的な独自の軍事大国化を狙ってきた日帝は、アフガニスタン侵略参戦を機に一気に侵略帝国主義として自己を打ち立てる道に突進した。
 佐世保を出港した海上自衛隊艦船は米艦船への洋上補給を開始した。航空自衛隊も十一月二十九日から輸送協力を開始し、自衛隊小牧基地を出発したC130輸送機が米軍横田基地から沖縄嘉手納基地に軍事物資を搬送した。
 国会は、わずか一週間、衆参合わせて約十時間の審議で軍事行動を事後承認した。PKF(国連平和維持軍)本体業務への参加凍結の解除と、武器使用基準の大幅緩和を柱とするPKO(国連平和維持活動)協力法改悪は、十二月七日の国会会期末までの成立強行が狙われている。
 戦時下の資本攻勢が激化している。沖縄を始め日本全土が血塗られた侵略戦争に組み込まれている。三里塚闘争は、航空産業をめぐる争闘戦とアジア勢力圏化、軍事空港建設(侵略出撃基地化)と闘い、帝国主義の国策に立ち向かう階級攻防の拠点として、参戦攻撃に直接的に対峙する(後述)。何よりも帝国主義による三里塚農民圧殺には、アフガニスタン人民虐殺と同質のものがある。三里塚闘争はアフガニスタン侵略参戦阻止の闘いと完全に一体である。

 平行滑走路の破産を刻印する見切り開港

 三里塚闘争は来春四・一八暫定滑走路開港をめぐる緊迫した決戦に突入した。
 国土交通省と空港公団は、十一月十四日、東峰地区の民家上空四十bで航空機を飛ばす進入検査飛行を開始した。上空四十b飛行直下の騒音レベルは九六〜一〇一デシベル(反対同盟調査)を記録した。テスト機はターボプロップのプロペラ機(YS11)だが、それでも電車のガード下の騒音レベルに匹敵する。
 六・一六東峰神社立ち木伐採に続く、゛飛ばして追い出す゜農民殺しの暴挙である。三里塚反対同盟は、十・一五現地緊急闘争を皮切りに、十・二九―一一・二一と開拓組合道路、東峰神社を拠点とする実力デモで反撃し、監視行動を続けている。
 三里塚反対同盟の不屈の決起は、萩原進反対同盟事務局次長を先頭とする東峰地区住民の決起を引き出した。十一月二十四日、地区住民は全戸総出で東峰神社に高さ四・三bのカシの木を植えて南側進入表面を蹂躙(じゅうりん)した。
 日帝権力、国交省、空港公団は、「未完」のままの開港と、不屈に立ち上がる農民の決起に驚き、追いつめられ敗北感に襲われている。八六年十月の平行滑走路着工から暫定滑走路の完成まで十五年。これほどの期間を要した滑走路は世界にも例がない。実際は七八年五月の四千b滑走路供用後ただちに平行滑走路の着工準備に入ったのであり、この期間を含めると平行滑走路一本を造るのに実に二十年を要したことになる。進捗は一年あたり百十b! しかもできたのは短縮・欠陥滑走路である。

 計画の破綻が招いた欠陥滑走路

 暫定滑走路の欠陥性は、工事終了によってさらに表面化してきた。
 進入から離陸に至るまで空港圏内に入った航空機の運航のすべてを視認すべき管制塔に゛死角゜があることが露見した。暫定滑走路が用地問題によって北側に八百bずれたことに起因するもので、既存のホテルと立ち木によって視界が遮られ滑走路と誘導路の一部が目視できないのである。
 また、すでに暴露されているように誘導路は一方通行。本来滑走路に平行であるべき誘導路が市東孝雄さんの耕作地と一坪共有地、現闘本部の建物によって「へ」の字に曲がり着陸帯を侵害する。「中間待機灯」と「停止線」で同時に航空機が危険エリアに進入しないようにするというが、離着陸機と誘導路上の航空機の接触事故の危険が絶えず存在する。
 空港に二百三十bにわたって食い込み、着陸帯を国際標準の半分(滑走路中心線から七十五b)に狭めた開拓組合道路は、その先端が滑走路のショルダーからわずか五十bの地点にまで迫っていることが、工事の終了とともにはっきりした。国際標準では本来植生を施して平坦であるべき保安部分に深さ四bの巨大な落とし穴が存在する。北方に位置する一坪共有地でも同様の状況を呈している。
 これらはいずれも安全確保で絶対性を要求される空港施設において、大事故が発生する確率が極度に高いという欠陥性を浮き彫りにするものである。
 アプローチエリアに民家があるという常軌を逸した滑走路は、環境影響調査と騒音コンターなどの行政手続き放棄を含めて、暫定が本来の滑走路たりえず、開港が無謀かつ強引な見切り発車であることを自己暴露するものである。
 しかも二千百八十bの短縮滑走路による空港機能の限界は深刻である。ジャンボ機が使用できないために、いまだ需要見通しが立たない状況だ。
 加えて九・一一反米ゲリラとアフガニスタンへの空爆開始、十一・一二アメリカン航空機墜落事故(ニューヨーク)で需要が激減。九月から十一月の国際線旅客数は前年同月比で三割以上も落ち込んだ。この結果、十月の成田空港の航空旅客数は対前年同月比で三二%減、日本人だけを対象とした集計で四一%減で、過去最高の減少率を記録した。

 滑走路延長阻止 廃港に追い込め

 暫定滑走路をめぐる攻防の核心点は明らかだ。「未完」の欠陥滑走路という現実が、国交省、空港公団にとっての隘路(あいろ)であり破綻(はたん)点である。農民を追い出し共有地を強奪して二千百八十bを延長し二千五百(三千三百)bに持ち込まないかぎり、滑走路は完結しない。
 十一月中旬に開かれた日本とEUの規制改革対話で暫定滑走路の発着枠の配分が問題にされた。EU側は「このままでは短中距離便の小さな航空機を使用する航空会社にのみ発着枠が与えられる」と指摘、「暫定滑走路が延長されて長距離便が運航可能になったらこの配分は不公平」として「現在四千b滑走路就航の短距離便を暫定滑走路に強制的に移行させ、そのあき部分を使用させろ」と日本に迫った。
 ヨーロッパの航空会社は暫定滑走路の延長が、すぐにでも実行可能な方針だと受け止めている。そこで、とりあえずスロット枠を確保し、しばらくは赤字覚悟で運航し、延長後の取り戻しを企図している。IATA(国際運送協会)に対するエントリー(暫定滑走路乗り入れの交渉権申し込み)で「六十四の航空会社が申請し、発着制限枠を三割超過」などという報道(十一月十日付朝日新聞夕刊)がなされたのはこうした理由による。
 だが延長は幻想だ。国交省は航空会社の゛成田離れ゜を防ごうと暫定滑走路延長の空手形を切っている。暫定滑走路開港は「延長を前提」にしてこそ、初めて成り立つ開港なのだ。
 こうして今や、国交省と空港公団は、農家の追い出しを至上命令としている。開港は供給不足によるものでも空港施設の完成を示すものでもない。用地交渉の破綻を力で押し切るための暴力発動なのだ。「空港容量の不足」「サッカーワールドカップ」などは、騒音を凶器とした追い出し攻撃を隠すための煙幕である。
 幻想で造られた「乗り入れ要求」を口実に、滑走路延長の世論づくりに乗り出すことも、火を見るより明らかである。日帝権力はこれによって敗北感を強制し、社会的に「空港反対運動の終えん」を演出し、世界に対して平行滑走路完成に向かうかの幻想をつくりだそうとしているのだ。
 この日帝の策動を完膚なきまでに粉砕しなければならない。すでに政府は平行滑走路を断念せざるを得ないこと、「未完」の欠陥滑走路が永遠に固定化すること――開港阻止決戦で、このことを人民の側から全世界に告知するのである。それが世界の航空会社の成田離れをさらに促進し、暫定滑走路の使用を一日十数便程度に落とし込め、゛使えない滑走路゜として破産を決定づけることになる。
 未完・欠陥の暫定滑走路で開港せざるを得ない状況に追い込んだことは、三里塚反対同盟と人民の勝利である。四・一四全国大闘争は、暫定滑走路の延長が絶対に不可能であることを全世界に示し、成田空港を廃港に追い込む闘いである。

 帝国主義間争闘戦での打撃を日帝に強制

 九・一一以後の情勢の中で、帝国主義間争闘戦と日帝の侵略戦争体制構築攻撃は激変し、三里塚闘争の階級的意義がますます鮮明になっている。九・一一を口実に米帝ブッシュはむき出しの帝国主義間争闘戦を開始した。その象徴ともいえるのが、世界の航空業界の帝国主義的再編である。
 すでに過剰資本・過剰生産力による市場争奪戦に突入した航空業界は、米帝メガキャリアを軸に四つのアライアンスへの統合再編が先行してきたが、これを超えて事態は進行している。
 世界の航空会社が、軒並み倒産の危機に直面している。スイス航空(スイスのフラッグキャリア)、サベナ・ベルギー航空(国営会社)、オーストラリア・アンセット航空(同国第二位)、カナダ3000(同国第二位)などが倒産した。ニュージーランド航空(国策会社)も事実上倒産したが、政府出資で株式を買い取り国有化することで倒産を免れているだけだ。
 日本では日本エアシステム(JAS)が事実上倒産し、単独では生き残ることができない日本航空(JAL)がJASと統合して国内線の競争力強化に踏み切った。
 このさなか米帝は、国家が民間資本を露骨に援助し競争力を強化して、争闘戦を激化・促進している。その額は直接援助と債務保証で計二百億j、その他を含め数百億jの巨額に上る。
帝国主義間争闘戦の勝敗を決める最後の力は資本力である。ダンピング(割引合戦)で他帝国主義資本を倒し、米帝メガキャリアによる市場制圧、寡占(かせん)支配へと版図を塗り替えるのである。ドル箱=太平洋路線の需要激減をしのぎつつ、余剰力をアジアに振り向け日帝既得権益のぶっつぶしに入った。
 こうした航空争闘戦の渦中で暫定滑走路が開港する。平行滑走路の破綻(暫定滑走路の固定化)は、ジャパンパッシング(日本通過)を招き、航空政策のさらなる混迷とアジア勢力圏化の敗北をもたらす。帝国主義的膨張を図る日帝にとって三里塚闘争はいよいよ大きな桎梏(しっこく)となる。そのために日帝権力、国土交通省と空港公団は、騒音による農民追い出しで用地を強奪し暫定滑走路を延長して基軸空港としての位置を死守しようと躍起になっているのである。
 他方、アフガニスタン侵略戦争の開始と参戦国化攻撃の中で、成田空港を侵略出撃基地とする攻撃が浮き彫りになった。九月二十九日、航空自衛隊・陸上自衛隊の先遣隊が成田空港からパキスタンに向けて出発した。十月六日には、C130輸送機六機が自衛隊小牧基地から那覇、フィリピン、インドを経由してイスラマバードに物資を輸送した。物資は成田空港近くの倉庫に恒常的に置かれており、事前に成田空港から小牧基地に空輸した。小泉政権は「野戦病院警備」「難民キャンプ警備」などの名目で自衛隊をパキスタンの前線近くに派兵しようとしているが、これも成田空港から出発する。
 戦場の周辺国にある空港の軍事的役割の重大性が、九一年湾岸戦争の時と同様に、アフガニスタン侵略戦争でも現れた。B52爆撃機、A10攻撃機の出撃基地の確保に米帝はあらゆる外交戦術を駆使した。極東、朝鮮・中国有事において成田空港は、兵站拠点であるとともに、空爆と戦闘機の出撃拠点である。
 暫定滑走路は北側に八百b移動したが、農家を追い出し共有地を暴力的に取り上げれば、三千三百b(南側舗装部分を加えれば最長三千七百b)の軍用滑走路に変貌(へんぼう)する。暫定滑走路の延長を許せば、成田は極東最大の軍事基地になる。

 戦争と圧制阻止する闘争の拠点

 以上のことから三里塚闘争の階級的意義は明らかである。三里塚闘争は日帝の帝国主義間争闘戦、アジア勢力圏化に対して決定的な打撃を強制する闘いである。実体的にも軍事空港建設を阻止する反戦闘争、階級決戦の先端に位置する。
 沖縄とともに帝国主義の圧制に立ち向かい、日帝の侵略戦争体制づくりと対決し、戦後闘いとった人民的権利を実力で守り続けている。秩父困民党の決起、加波山蜂起、足尾鉱毒・渡良瀬川流域の農民蜂起、北富士闘争、砂川闘争と日本人民の輝かしい闘いの系譜を今に引き継ぎ発展させる実力抵抗拠点である。
 さらに地域的視点に立てば、国策に苦しむ空港周辺(騒音下)住民の生活を守り続ける闘いでもある。
 暫定滑走路の開港が近づくに従って、とりわけ滑走路北側の飛行直下の騒音区域で矛盾が激発している。騒特法(騒音対策特別措置法)特別防止地区の地価下落、里山の荒廃、過疎化と廃村、産廃と不法投棄の激増、空港による雇用創出幻想の雲散霧消、そして公立中学校の移転問題である。
 「空港と地域の共生」論の破綻は誰にも明らかだ。国交省が打ち出した「成田・関西・名古屋国際三空港の統合」「上下分離・民営化」は倒産会社=関西空港救済であり、成田にとっては資金流失を意味し、結果するのは周辺対策費の削減であり、これまで以上に露骨な地域破壊である。
 地域では怒りが充満している。千葉県知事・堂本はこれらの矛盾にはおかまいなしに「平行滑走路の早期完成」を表明した。騒音直下の成田市・荒海や芝山町で騒音体験のパフォーマンスを演じ、地元野菜の直売構想といった利権誘導を打ち出すなどして闘争の破壊を画策している。許してはならない。
 空港絶対反対闘争は、空港の被害だけを強いられる騒音下住民と空港周辺住民を空港被害から守る、大切な意義を担っているのだ。

 騒音による生活破壊と追い出し攻撃粉砕

 三里塚闘争はアフガニスタン侵略参戦下で決戦的攻防を開始した。そして永続闘争として発展しようとしている。戦時下の資本攻勢と闘う労働者に労農連帯でこたえ、沖縄と連帯する闘いだ。三里塚闘争の方向は以下のスローガンに集約できる。

「暫定滑走路開港粉砕―延長阻止」
「騒音による生活破壊・たたき出し攻撃粉砕」
「成田空港のアフガニスタン侵略基地化を阻止せよ」

 この勝利のために以下の任務方針を推進しよう。
 第一に、農民追い出し攻撃粉砕、暫定滑走路開港阻止の現地緊急闘争に総決起することである。三里塚反対同盟は攻防の結節点で現地緊急闘争を決定し決起を呼びかけている。三里塚現地は恒常的な決戦態勢にあり、呼びかけに全力でこたえることである。
 第二に、騒音による生活破壊・追い出し攻撃とあらゆる手段で闘うことだ。実力闘争を軸に、法的手段をも駆使して生活破壊に立ち向かわなければならない。
 第三に、援農、現地調査など支援・激励行動を強化することである。
 第四に、革命的武装闘争のさらなる爆発を闘いとることである。
 暫定滑走路は反対同盟と敷地内農民、騒音下住民の憎しみの的である。暫定滑走路の周囲十`にセンサーを張り、百台の監視カメラを設置する厳重警備に、その反人民性は明らかである。千葉県知事・堂本暁子は農民殺しから手を引け。
 三・三一の三里塚現地闘争を闘い、四・一四全国大闘争に総決起しよう。

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週刊『前進』(2034号4面2)

2001年日誌 阻もう! 改憲=戦争への動き 11月27日〜12月4日
 自衛隊派兵を国会が初承認  那覇地裁 改悪特措法「合憲」の判決

●ゲリラ関連550人を拘束 アシュクロフト米司法長官が、九・一一ゲリラに関係して、米政府が五百五十人を超える容疑者を拘束していることを明らかにした。「テロ容疑者を閉じこめるために、あらゆる憲法上の手段を行使する」と述べ、大量の身柄拘束を続ける考えを示した。(27日)
●イラク派兵は新計画必要と加藤紘一 衆院テロ対策特別委員会の加藤紘一委員長が講演で、米国がイラクに攻撃目標を拡大した場合「ビンラディンがイラクに逃げ込んだことが実証されたら、まったく新しい事態だ。テロ対策特措法に基づく自衛隊派遣は別途、新しい基本計画を作り直し、新たに国会で承認を取り直すべきだ」「イージス艦も同行する万全の態勢で行かなければならない」などと述べた。(28日)
●豊原区、結論出ず 米軍普天間飛行場移設問題で、移転先地元の名護市豊原区の行政委員会が代替施設建設位置について初めての会合を開いたが結論は出ず、同区の意思決定機関の戸主会に諮るという。(28日)
●イージス艦を今後も検討と防衛長官 中谷元・防衛庁長官がイージス艦派兵について「今後の情勢についてもまだ流動的な部分もあるし、米軍支援も長期間に及ぶことも予想される。現在行っている活動の実績を見つつ引き続き検討したい」と述べた。(29日)
●米が自衛隊にNGO護衛を打診 米政府が日本政府に対し、アフガニスタンでの自衛隊の支援活動に期待を表明した上で、非政府組織(NGO)の護衛などができるかどうかを打診していたことが明らかになった。(29日)
●空自が米軍物資の輸送を開始 航空自衛隊が小牧基地(愛知県)所属のC130輸送機で、在日米軍基地の輸送協力を始めた。今後は海外の基地からの物資輸送にも協力する。(29日)
●PKO法改悪案衆院委で可決 国連平和維持軍(PKF)の本体業務への参加凍結を解除し、自衛隊員の武器使用基準を大幅緩和する国連平和維持活動(PKO)協力法改悪案が、衆院安全保障委員会で、与党三党と民主党などの賛成多数で可決された。(29日)
●大型ヘリを岩国基地に配備 ハワイの米海兵隊基地に所属するCH−53D大型輸送ヘリコプター八機が、岩国基地(山口県)に年内に配備される。防衛施設庁が、山口、広島両県と岩国市など二市七町に方針を説明した。配備期間は特定せず。五十五人を輸送でき、最大六d余りの物資をつり下げられる。(29日)
●自衛隊派兵を国会が承認
 テロ対策特措法に基づく自衛隊の派兵承認が、前日の参院外交防衛委員会での可決に続き、参院本会議で与党三党と民主党の賛成多数で可決、成立。自衛隊の出動を国会が承認するのは、五四年の自衛隊発足以来初めて。(30日)
●PKO法改悪案が衆院通過 PKO法改悪案が衆院本会議で、与党三党と民主党などの賛成多数で可決、参院に送られた。(30日)
●国の不法占拠を認定 一九九七年に改悪された米軍用地特措法は違憲だとして、反戦地主八人が国に対し、約一億一千万円余の損害賠償を求めた改悪特措法違憲訴訟の判決が那覇地裁であり、楚辺通信所(象のオリ)一部用地の三百八十九日間の占有について「国は何ら権限のないまま占有したというほかなく、国家賠償上の責任を負う」として、国の「不法占拠」を初めて認定し、地主の知花昌一さんに対して約四十七万円の支払いを命じた。改悪特措法については「いずれも違憲とはいえない」とした。(30日)
●海自が米艦船へ洋上補給
 海上自衛隊の補給艦「はまな」が、アラビア海で米海軍の補給艦に対し燃料を提供する洋上補給を実施した。自衛隊が海外で作戦行動中の米軍を支援するのは初めて。(2日)
●米がミサイル防衛の迎撃実験 米国防総省が、ブッシュ政権下で二回目のミサイル防衛(MD)の迎撃実験が成功したと発表した。実験は通算五回目で、三回目の成功。(3日)
●「自治政府はテロ支援体制」とイスラエル イスラエルが、一、二日と続いたパレスチナ人民の自爆ゲリラ戦闘に対してパレスチナ自治政府を「テロ支援体制」と認定し、これに先立って同自治区へ報復戦争を始めた。ヨルダン川西岸のラマラに戦車部隊が侵攻、空爆なども行っている。(4日)
●岸本市長がリーフ上案を表明 沖縄県名護市の岸本建男市長が尾身幸次沖縄・北方担当相と会談。岸本は「名護市としても地元の要望のとおり、リーフ上を中心としたい」と述べた。これにより今年度中に基本計画策定に向けた動きが加速する。(4日)
●初めて米兵を輸送 空自のC130輸送機が、空自小牧基地から在日米軍基地に向かい、米兵と物資を搭載し、グアム島の米空軍アンダーセン基地に空輸した。(4日)

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週刊『前進』(2034号5面1)

JR総連の分裂=脱落に続いて教労カクマルの分裂が始まった
「報復戦争に反対する会」はカクマルだ

 JR総連の脱落を直視できぬ中央派

 松崎・JR総連派と黒田・中央派へのカクマルの分裂以降、カクマルの危機はいよいよ激化している。
 松崎・JR総連派は限りなく日帝・資本のファシスト先兵と化して延命する道を突き進み、最大の組織実体から切り離された中央派は、わが革共同へのデマキャンペーンと反革命的敵対で生き残るためにのみあがき回っている。松崎・JR総連もろとも黒田と中央派を徹底的に追撃し、打倒しなければならない。
 カクマルの分裂そのものは、かねてからわれわれが指摘してきたとおり、黒田理論の破産を事実をもって示したものである。松崎・JR総連派は、黒田のエセ「哲学」や「組織論」の適用を誤ったから発生したのではない。エセ「革命」を掲げて組織を作り、革命党派を破壊して「革命党」を僭称(せんしょう)するという、反革命黒田理論を忠実に労働組合運動で実践してきたJR総連が、帝国主義の危機の激化と革命的情勢の切迫という事態にあって、実際にやっていけなくなったものである。革命の仮面を投げ捨てた露骨なファシスト労働組合運動として生きる以外になくなったのである。
 今日に至るも、カクマルはJR東労組を先頭としたJR総連丸ごとの分裂に一言も触れることができないほど大混乱している。黒田・カクマルの総破産、本来の戦線なるカクマル労働運動の総破産を直視できないでいる。必死でカクマル組織はこの問題の「総括を掘り下げている」が、カクマルにとって、この現実はけっして総括などできるものではない。それは破産そのものだからだ。
 JR総連の分裂は、残ったカクマル組織の全産別に拡大し、教労カクマルがついに明確な形で分裂した。カクマル教労キャップ・桐生(泉)満里子を先頭に、教労カクマルは中央派からゴッソリとJR総連派に移ったのだ。今、カクマル教労組織は中央派の「平和教育通信」グループと、JR総連派の「九条連」運動グループに完全に分裂した。それは関東だけではなく、北海道や大阪など全国的な分裂である。大阪・枚方では、中央派から離れたカクマルが執行部役員をやめてしまった。こうした動きに、中央派はこれを押しとどめようと各地の教研集会や九条連集会などにビラまきに押しかけるなど必死になっている。
 この教労産別の分裂は、JR総連組合員の連れ合いが多くいた教労カクマルで大々的に始まったものだが、カクマル全産別に波及していることは明らかである。カクマルの産別組織は、松崎・JR総連をひな型として、それを見習って作られてきたものであり、JR総連と行動をともにするというのはむしろ当然とも言えるからだ。
 さらに出版界では、黒田の直系であった「こぶし書房」の編集長をしていた黒田寛一の実妹・渡辺和子が、「現代思潮新社」に移ることで黒田を見限った。その結果がカクマル唯一の随伴文化人であった高知聡に資料を提供して黒田の反米愛国主義と転向分子特有の日本礼賛への先祖がえりを暴露する本を出版したことであった。黒田は必死で「こぶし書房」を自己の「文化人」的拠点にしようとしがみついている。

 帝国主義の先兵化を深めるJR総連

 カクマルの両派への分裂は、当然にも分裂したカクマルの双方にとって危機を際限なく促進している。かつてのカクマルとしての反革命的有機性と統一性を喪失してしまったからだ。
 労働組合の階級的闘いを否定し、労働者的団結を破壊してきたJR総連は、尾行、盗聴、盗撮に依拠し、それを資本との交渉力にしてきたが、今それを失った。白色軍事力を持たないJR総連カクマルは、露骨なファシスト労働運動として、連合の帝国主義労働運動の先兵となって生き延びるしかない。JR総連カクマルの原点はどこまでいっても国鉄の分割・民営化の先兵ということなのだ。しかし、国労など他労組を売り渡してJR総連カクマルだけが生き延びられた情勢とは今は違う状況にある。だからJR総連派カクマルは、ますます資本との癒着を深め、資本の意を「主体的」に実現する奴隷頭として、組合員の首を積極的に資本に売り渡すことで、自分たちだけ生き延びようとしている。
 一方で不屈に闘う闘争団を先頭とした戦闘的な国労組合員と動労千葉が存在している。JR総連派カクマルの行為に対して、JR組合員の怒りと憤激は極点に達している。それは必ず自己解放的決起となって、闘う国労、動労千葉と合流していくことは明らかだ。露骨なファシストとなったJR総連派カクマルは、こうして闘う労働者の手によって打倒される過程に完全に入ったのである。

 デマキャンペーンにすがり延命図る

 JR総連なき中央派の危機はさらに深刻で破産的である。カクマルは、黒田理論の学習とJR総連の存在にしがみつきながら、実は白色テロルとデマによる情報操作を基本的手段として組織を維持してきた。JR総連の存在は、カクマルにとって「労働者党」であることのシンボルであり、黒田理論の「正しさ」の証明であり、広告塔であり、組織的財源であり、カクマルが政治党派として存在する柱となってきた。
 このJR総連が、松崎を先頭にしてカクマル中央派を見捨てたのである。JR総連なきカクマル中央派は、暴力的党派ではあっても階級的基盤を持たない、これまでの半分以下の党派に転落してしまった。それは、政治的影響力を完全に失った組織となったことを意味している。JR総連を使った組合政治はできなくなり、その財力を駆使した「政治力」もゼロ化した。カクマルは戦闘的労働者の闘いを「ハミダシ」などと言って悪罵(あくば)を投げつけ、連合の帝国主義的労働運動に逆らうなと反革命的言辞を吐いてきたが、JR総連という連合内の組合が存在していた限りで、その反革命的正体を覆い隠すことができた。
 しかし今や黒田・中央派カクマルは、むき出しの反革命組織でしかない。しかも転向しきった黒田が最大の弱点である。黒田は今や破産した「哲学者」としての個人的利害と自分の余生にしか関心がなく、反米国粋主義と日本礼賛論に変質してしまっている人物なのである。この中でJR総連に続く産別カクマルの大分裂が教労カクマルを始め進行し、収拾がつかなくなっている。
 カクマル中央派は、そうした組織的危機をのりきるために、反革命的ペテン的な「ジハード自爆」万歳運動と、「報復戦争に反対」する写真撮りのアリバイ行動を利用主義的、のっかり主義的に全力で組織する一方、組織総体をあげて中核派ならびに東京反戦共同行動委代表・三角忠氏へのデマキャンペーンに熱中し、そのことで内部危機をのりきろうと必死で悪あがきをしている。

 革共同6回大会に打撃受け 破産露呈

 中央派カクマルは、九月以降、革共同に対するデマキャンペーンを始めた。これは何よりも革共同第六回全国大会の開催と、そこでのわが革共同の前進が、分裂カクマルに死の恐怖を現実的に突きつけたからである。われわれは六回大会で「黒田『哲学』は腐臭ふんぷんたる残骸(ざんがい)」であり、また「JR総連が分裂した後のカクマル組織は政治党派として本質的に死んだ」と宣言した。
 カクマルは、この指摘と批判に今に至るも一言も発せられないほど打撃を受け、しかしなんとか反革命党派としての存在をアピールすることを迫られたのである。政治党派としての綱領次元での破産が露呈してしまっているカクマルにとって、理論的、組織的、路線的、運動的領域に関してわれわれと真正面から論争するなどということはとてもできない。しかし革共同にせめてケチつけをしたいという衝動の発露が、公安調査庁の資料にすがりついた中核派と三角氏へのデマキャンペーンである。
 カクマルは、三角氏と小野田猛史とが写った写真をどこからか持ち出し、自作自演で「スパイ物語」をデッチあげて大騒ぎしている。しかしまったく打撃のない空騒ぎである。スパイなどではまったくない人に向かって「おまえはスパイだ」などと言ったところで何の効果も説得力もないのだ。それはわれわれが戦取した赤色テロルを「権力の謀略」だとした七四年の権力の謀略論の開始とそっくりの構造だ。これこそカクマル内部での「対中核派戦争」への結集と動員のために行われているものである。またそれをもって自らの組織的危機をのりきろうとしていることの自己暴露なのである。
 しかも重要なのは、カクマルの郵送や「ナーバス」行為が、アフガニスタン侵略戦争と日帝の参戦という情勢の中で行われていることである。権力が、革命党と戦闘的大衆運動つぶしに全力をあげることを予期し、それと一体となってカクマル組織をあげて破壊行動を展開しているのだ。
 またそれは、カクマルによるK=K連合再修復を願う権力への必死の訴えでもある。反革命軍事力を権力や資本(の一部)に対して用いたことで権力との軋轢(あつれき)を招いたカクマルが、ファシストの側からこれを総括し、露骨に公安当局の意図に沿って革共同や闘う人士を攻撃することをもって、関係の修復を願い出ているのだ。実に唾棄(だき)すべき反革命K=K連合集団である。
 闘う労働者人民の十一月労働者集会への大結集は、この権力とカクマルの狙いを完全に粉砕した。

 黒田カルト集団化めぐり混乱と動揺

 カクマル中央派は、これまでカクマルの名を隠してひっそりと行ってきた「連帯集会」という内部集会を運動化しようとして新たな策動を始めた。カクマルであることが公知の「連帯集会」の連絡先をそのまま使って「報復戦争に反対する会」なるものを大急ぎでデッチあげ、エセ大衆運動を組織しようとしている。
 しかしカクマル中央派にとって、大衆運動におけるJR総連派との「党派闘争」も激化している。JR総連派カクマルは、以前から職場闘争を闘わない組合として、当局との癒着を隠蔽(いんぺい)するために「九条連」なるエセ「改憲反対」を標榜する大衆運動を策動してきた。この「九条連」と「報復戦争に反対する会」が、分裂した双方にとっての知識人と産別組織員の自派への囲い込みの場となっている。一方が集会を開けば他方も同時に集会を開くという状態である。すでに述べたように教労カクマルが分裂し、JR総連派の「九条連」運動に合流した。カクマル産別総体の分裂は、こうしたせめぎ合いを深めながらさらなる組織分裂に向かって進んでいる。
 政治党派としてのカクマル中央派は黒田なしでは存在できないが、さりとて黒田崇拝運動のみでは政治党派として存立することはできない。カクマル中央派内には、黒田カルト集団で行こうとする者と、黒田を掲げながら棚上げして大衆運動の展開を軸としようとする者との間でたえざるジレンマと確執が生まれる構造がある。カクマル中央派にとって、今の危機が絶望的であるのは、黒田理論をもってしては危機を打開できないどころか混乱と破産をくりかえすだけだということだ。そこから、「対中核派への戦争行動」をもって事態をのりきろうという絶望的なファシスト動力による悪あがきとなっている。
 黒田カルト集団になるのならそれもよかろう。ファシストとしてさらに純化するならそれもよかろう。どちらにせよ、それはカクマルの死であり、われわれは労働者階級の決起で必ずカクマルを完全打倒する。
 カクマルが自己崩壊することはない。闘う人民と組織へのファシスト的軍事行動に対して、われわれは革命的武装自衛体制を打ち固め、カクマルを最後的に粉砕一掃するために総決起しよう! 二〇〇一年はこの過程の開始として歴史的な年となった。
 六回大会路線にのっとり、絶望的危機に規定されたカクマルの完全打倒に向け総決起しよう! 闘うイスラム諸国人民と連帯し、日帝の侵略戦争を阻止し、革命的祖国敗北主義を貫いて労働者階級人民の中に党を建設しよう! 今こそ分裂カクマルをあらゆる戦線で一掃しよう!
 〔篠原直樹〕

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週刊『前進』(2034号5面2)

星野救援 沖縄で全国集会開く 獄中27年 奪還に向け真剣な討論

 一九七一年十一・一四沖縄闘争から三十年、星野文昭同志が、日帝国家権力によって「警察官殺害」デッチあげ無期懲役刑を受け、獄中にとらわれて二十七年。十一月二十三、二十四日、沖縄・那覇のNTTでいごプラザに全国各地の星野救援会の代表が集まり総会と集会が開催された。
 二日間延べ百四十人が結集し、「星野さんを本当に家族や私たちのもとに取り戻すために何が必要なのか、何をしなければならないのか」と、真剣で熱気あふれる討論が行われた。
 一日目の全国再審連絡会議全国総会では、沖縄・取り戻す会の知花盛康会長があいさつ。「私たちは、基地撤去の闘いと星野さんを取り戻していく闘いは車の両輪という位置づけで、七年ほど前から運動をやってきたが、まだまだ力が足りないと実感している。せめて一県一つの救う会をつくっていこう。反戦平和を闘って二十七年も獄中にいる星野さんを黙ってそのまま見過ごしていいのかという大きなうねりを日本中につくろう」と熱烈に語った。
 その後、全国事務局からの現状報告と方針、獄中からの報告に続いて各地星野救援会からの活動報告と討論、質疑が行われた。
 最後に平良修牧師がまとめを行い、「運動を大きく広めるには、星野さんが無実であることを私たちが本当に確信して進めなければならない。本日あらためて暁子さんの思いの深さと努力の大きさを目の当たりにした。ふたりをともに救済しよう」と訴えた。
 二日目の全国交流集会では、主催者代表として島田善次牧師があいさつし、再審弁護団が再審闘争の現状を報告し、支援運動の強化を要請した。続いて知花昌一さんが講演した。
 知花さんは、「今、九・一一以後、沖縄基地は厳重警戒の中にある。修学旅行が中止になるなど基地による被害を体験している。基地との共存共栄などとんでもない。反戦平和と基地撤去こそ豊かに暮らせるスローガンであり、三十年前の星野さんたちと私たちの闘いをあらためて思い返している」と述べた。
 星野暁子さんが、獄中の文昭さんからのアピールを読み上げ、文昭さんへの思いをうたった自作の詩を朗読。「この集会で早期釈放に向けて話し合うことができ、心強く思っている。しかし私たちはまだ、文昭を取り戻す展望を開いたとは言えない。沖縄『返還』に反対して闘い、見せしめとされた文昭と沖縄の闘いとの分断を許してしまっているからだ。分断を超える闘いを実現した時に奪還の展望が開かれる。沖縄と星野の闘いをひとつのものとして闘っていきましょう」。暁子さんの真剣な訴えに、大きな拍手が起きた。
 さらに新たに救援会が結成された岡山からの報告があり、最後に関西の太田隆徳弁護士が、「主権者である私たち国民が、星野さんを取り戻すために一斉に立ち上がることが求められている」としめくくった。
 集会の後、全国から集まった星野救援会の人びとと地元沖縄の人びととの交流が、三線やカチャーシーでにぎやかに行われた。

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週刊『前進』(2034号5面3)

2002年星野カレンダー ひと足先に帰ってきた文昭の絵

 絵・星野文昭 詩・星野暁子
 B3判・8枚・カラー 頒価1500円
 獄中二十七年、無実の星野文昭同志(五十六歳・徳島刑務所在監)が獄中で描いた七点の水彩画と、ぴったりと寄り添った妻・暁子さんの七つの詩――「二〇〇二年星野カレンダー」が好評発売中です。
 星野同志の再審は二〇〇〇年二月に棄却、現在異議審中です。星野同志の再審無罪を実現し釈放をかちとるために多くの人に知らせよう。カレンダーの販売にご協力ください。
 (前進社でも取り扱います)

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週刊『前進』(2034号5面4)

 改憲阻止決戦シリーズ 今、問い直す侵略と戦争の歴史
 第2部 15年戦争の末路(13)
 中国残留日本人孤児 動員された「開拓団員」の末路

 私はどこの誰?

 今年も十一月に、「中国残留日本人孤児」が肉親探しのために来日した。一行の一人、魏さんは「日本には二度と戻れないと思ったが、やっと帰ることができた」と号泣し「私はいったいどこの誰なのか、それだけは知りたい」と訴えた。
 訪日調査は八一年以来、今回で三十二回目だ。ニュースなどで涙した人も多いであろう。残留孤児とされるのは(日中政府などの規定だが)、一九四五年八月の日帝敗戦時に中国大陸に残された十三歳未満の人びとで、これまでに認定された中国残留日本人孤児は二千八百人近くいる。だが身元が判明したのは半数以下だ。また十三歳以上の人は、任意で残留したものとして「中国残留婦人等」と呼ばれ、三千五百人余りが日本に帰国、現在もなお数百人が残留、帰国を希望している人もいる。
 残留孤児の中国における居住地は、黒竜江省、遼寧省、吉林省の東北三省が大半を占める。孤児のほとんどが「満州」(中国東北部、「満州」は日帝がデッチあげたかいらい国家)で生じた。
 「満州」は、第二次大戦末期から日帝敗戦後の過程で、国民党と中国共産党の内戦やソ連の参戦と侵攻で特に激しく悲惨な戦場となった。しかも厳寒や病気の流行といった悪条件も重なり、「満州」にいた日本人二百万人余の内、約二十五万人が死んだ。特に開拓団員の死者が際だって多く、約八万人が死んだ。当然、多くの孤児が生じ、残留孤児の約七割が開拓団員の子だろうと推定される。
 敗戦の時、「満州国」デッチあげの主役であった関東軍はいち早く逃げ、「満州国」の高級高官や将校の家族は護衛兵をつけて避難させた。関東軍は「満州」全土の四分の三を「作戦放棄地区」と決め、撤退を極秘に行い、情勢の緊迫を開拓団に知らせなかった。そればかりか、ソ連軍の追撃を恐れて橋などを破壊し、開拓団員の逃避を著しく困難なものとした。
 四五年八月九日、ソ連軍の一斉攻撃が始まると、開拓団員は、恐怖と飢えと疲労の中で、荒野を逃げ惑った。ソ連軍の攻撃で死ぬもの、とらわれるくらいならと自決するもの、足手まといだと殺される子どももいた。この中で同行の親を失って孤児になったケースが多い。また逃避行中、病気や栄養失調の子どもを「とても日本まで連れ帰れない。この子も死んでしまうかもしれない」と、最後の望みを託して中国人に預けるなどした例もある。
 ほかにも親に捨てられた、誘拐されて売られたなど、孤児が家族と離別した事情はさまざまだ。そして多くの幼い子どもたちが中国人民によって救出されたのだ。中国人民の懐深い心で育てられたということだ。中国人民への血債は、この面でも問われている。
 以上が「残留」の直接的な事情だ。しかし、これだけでは、なぜ残留孤児なのかの説明にはならない。

 大不況逃れ移住

 問題は、残留孤児とその両親や家族がなぜ日本から遠く離れた「満州」に移住したのかである。残留孤児の存在は、日本帝国主義の中国侵略戦争、とりわけ「満州国」デッチあげとその中に位置づけられた「満蒙開拓計画」と深く結びついている。
 昭和恐慌と二九年世界大恐慌で、日帝はどん底の大不況に陥った。米と繭(まゆ)価格の暴落で農村は困窮状態に陥る。こうした中で「満蒙は日本の生命線」との主張が高まり、軍部内からも「満蒙問題の武力解決」の要求が高まる。
 一九三一年九月、柳条湖事件での鉄道爆破をもって日本軍は中国侵略戦争を開始、翌三二年三月、「満州国」をデッチあげた。国防、治安維持を始め、統治の実権は関東軍が握るかいらい国家だった。「満州国」は、日帝の対ソ連スターリン主義の戦略基地となり、鉄鋼、石炭、農産物の供給地、投資市場・商品輸出市場となった。
 そして「満州」は、不況にあえぐ農村の過剰人口のはけ口となった。柳条湖事件以前の二十五年で「満州」に移住した人は二十三万人だったが、三一年から敗戦までの十五年間で二百万人以上が移住した。開拓団関係は約二十七万人だ。
 日本政府は、「満州」への農業移民を重要国策にあげ、三七年から二十年間で百万戸を送り出す計画を立てた。当時日本の農家戸数は約五百六十万戸、耕地五反以下の零細農家が二百万戸だった。計画はその半分を「満州」に送り出すものだった。実際は日中戦争が始まり、四三年ころで計画の一割にとどまった。地域別出身地は長野県と東北地方が多い。
 中国侵略戦争は聖戦とされ、「満州」移民は王道楽土の建設に従事するものと美化された。入植地の半分はソ連との国境地帯で、残りも抗日軍の活躍する場所であった。開拓団は農業に従事するだけでなく、武装集団として入植し軍事訓練も受けた。それだけにソ連参戦と関東軍の撤収で矢面に立たされた。
 しかも「開拓」とは名ばかり、中国人民の土地に入植し、既耕地を強制的にただ同然で取り上げた。その地で営農し生活していた中国人は、小作や苦力(クーリー)として開拓民のもとで働くことを強制された。
 当然、数多くの中国人民が、武器を手に抗日闘争に立った。これを日本軍は、「匪賊(ひぞく)」と呼んで、容赦のない皆殺しの攻撃を加えた。
 そして四五年八月、ソ連参戦と日帝敗戦で、開拓民は関東軍に取り残され、多くの犠牲者を出したのだ。

 侵略戦争の結末

 日帝の中国侵略の中で、日本の貧しい農民や労働者は、開拓民となって、中国人民の土地を奪い、抵抗する中国人民を「匪賊」と呼び殺した。しかし最後は、自らもまた日帝に棄てられ、悲惨な犠牲を強制されたのである。他民族抑圧に動員された帝国主義国の労働者人民もまた、帝国主義のもたらす惨禍から自由になることはけっしてない。
 日帝の侵略戦争と植民地支配がどのような末路をもたらしたか、という問題はけっして過去のことではない。恐慌と大失業の時代に、新たな侵略と戦争と対決する労働者人民の今日的な問題である。
 (片瀬涼)
 (第2部おわり。第3部は近く開始します)

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週刊『前進』(2034号6面1)

第6回大会報告・決定集 下巻刊行の意義
 黒田哲学全面批判でカクマルに壊滅打 マルクス主義の復権と再生の大事業へ

 九月に刊行した上巻に続いて『革命的共産主義者同盟第六回全国大会報告・決定集』下巻を全国の読者に送る。上下巻合わせて一千nを超える大きさそのものが、第六回大会の歴史的位置、その内容の広さと深さを物語っている。上巻刊行直後から全党で開始された『大会報告・決定集』の討議・学習の進展が、この間のアフガニスタン反戦闘争、十一月労働者集会やその他の闘いでの力強い前進を支えている。戦争と恐慌の時代の到来という大情勢の展開の中に革命の現実性をつかみとり、それを現実の革命に転化できる革命的労働者党として今こそ登場しよう。上巻の読了をかちとり、さらに下巻の討議・学習に精力的に取り組もう。(上巻の紹介は本紙二〇二三号6面)

 黒田哲学は死んだ 転落と破産を総批判

 下巻に収録した報告と採択・決定した事項は大きく三つに分けることができる。
 一つは、黒田哲学を全面的に批判した第五、第六報告である。
 第五報告 今こそ黒田「哲学」の総括・批判・打倒のたたかいに立ちあがろう
 第六報告 「黒田哲学」を全面的に批判する(仲山良介論文)
 二つは、第四報告(当面する任務・方針)に付随する六本の特別報告である。すなわち憲法闘争論、沖縄闘争論、反戦・反核闘争論、入管闘争論、部落解放闘争論、反弾圧闘争論である。
 三つは、「白井朗を革共同から除名し、その反革命的反党活動を徹底的に粉砕する決議」である。
 そして、「大会議事日程」を最後に収録した。
◎第五報告
 われわれは第六回大会において「黒田哲学はいまや完全に死んだ。残っているのは、まだ力があるとうぬぼれているだけの残骸(ざんがい)でしかない」(上巻七二n)と宣言した。
 黒田哲学批判は、第六回大会でかちとるべき重大な課題の一つであった。対カクマル戦は、反革命カクマルを黒田・中央派と松崎・JR総連派への大分裂に追い込み歴史的大勝利の局面を切り開いた。黒田哲学批判は、「カクマルを完全に一掃していくためにどうしても必要なイデオロギー闘争である」(四n)。それは同時に、五月テーゼ路線を推進する中でマルクス主義を奪還し主体化していく闘いと表裏一体をなすものとしてある。
 大会報告の全体でも、「第一報告 総括と党建設の基本的諸問題」において「三、対カクマル戦の勝利と黒田・カクマルの全面的危機の露呈」の「(4)黒田哲学の反革命的正体とその破産」(上巻七二n)で結論的な提起がなされ、第五報告(第六報告)でその内容を全面的に展開するという構造になっている。
 また第五報告は、本体の「今こそ黒田『哲学』の総括・批判・打倒のたたかいに立ちあがろう」と、「『ヘーゲルとマルクス』第三章第三節のノート&コメント」「『実践と場所』第一巻『実践の場所』について」という二つの付属文書で構成されている。
 第五報告では、黒田哲学批判の本論の最初に「A初期黒田における自己変革的格闘の拒否とスターリン主義把握の歪み」として、五六年前後から六二年三全総に至る過程の黒田の役割と問題性について明らかにし、三全総の直後に革共同から脱落・逃亡していった黒田の政治的・思想的根拠を暴いている(二四〜二八n)。
 続いて、「B『ヘーゲルとマルクス』における観念論的大破産」というテーマが全面展開されていく。「黒田哲学は第三次分裂の後、その問題性を急速にあらわにし、日和見主義化とファシスト化を強めていったが、最後にいきついたのは結局、『謀略論の哲学』であった」(上巻七三n)。そのことを「第一期の黒田について、黒田哲学の問題に絞りながら、『ヘーゲルとマルクス』を中心に検討」(二九n)していくことで明らかにしている。
 その際に、「黒田はこれまでになにひとつ労働論・実践論をそれとして展開していない」(六一n)ことに批判の軸を定めている。
 「労働とは、人間が自己を物質力として、外的な物質力をも自己の延長としつつ、物質力と物質力の交互作用として対象的自然(現実)を変革し、生産物を生産することである。このことを媒介するものが意識性であり技術なのである。この労働の全体像を技術的実践や意識的目的形成の問題に絶対にすりかえてしまってはならない」(同)のである。さらに「黒田においては狭義の労働をとっても、それが肉体労働と精神労働の統一としてあることが決定的に位置づいていない」のである。「ここに黒田哲学の、その思想の根底的な欠陥・弱点がある」(同)と言い切っている。
 さらにマルクス主義の奪還・獲得という観点からの積極的な展開として、「資本主義の転覆としての共産主義の実現として革命的実践論がうちたてられたとき、マルクスの弁証法は確立された」「労働論での主客の弁証法というのは、社会的・革命的実践での弁証法と一体化してはじめて実践的唯物論の中身となりえた」「労働論も社会的労働論としてはじめて現実的全体像が明らかになる」(六四n)ことを明らかにし、黒田においてこの点がすっぽり抜け落ちてしまっていたことを強調している。
 付属文書1は報告本体の黒田哲学批判の章の二倍の分量があり、こうした綿密な「ノート&コメント」の作業の蓄積の上にたって本体の内容が展開されているのである。
 付属文書2は、黒田が九〇年代においてほぼすべてのエネルギーを投入して執筆した『実践と場所』のうち第一巻を取り上げて壊滅的に批判したものである。そしてそれが「『ヘーゲルとマルクス』以来の黒田哲学の問題性をなにひとつ打開できていない。それどころか、黒田はマルクス主義への敵対者、マルクス主義の破壊者の立場をいっそう明確にしている」(一五〇n)ものであることを徹底批判している。
◎第六報告
 第六報告は、第五報告に関連する特別報告として仲山良介同志から提起された。前半の序章と第一章は第一報告の対カクマル戦の総括と一体のものとしてあり、その最後に「カクマル謀略論がどんなに深く黒田哲学と結びついているか」(二〇八n)と問題提起している。
 第二章で「黒田哲学をどのようなスタンスで問題にするべきか」を明らかにし、第三章で、フランスの哲学者ルフェーブルに対する黒田の論述を取り上げ、「マルクスがどのようにして自己を階級的立場にたたしめていったかを軸にして主体的にマルクス主義の形成をつかむことを、黒田は拒否する」(二三二n)と黒田の問題性の核心を突き出している。そして第四章で「マルクス主義そのものがもはや哲学としての哲学とはまったくちがう」(二三七n)として、「マルクスは、このように『哲学の実現』をあくまでも階級闘争との関係で、人間の実践的な活動そのものの問題におきかえていく」(二四一n)とマルクス主義の神髄を明らかにしている。
 続いて黒田の『ヘーゲルとマルクス』を取り上げて、第四章の後半から第五章にかけて黒田哲学批判を全面的に展開している。この中で『ヘーゲルとマルクス』の破産を開き直る黒田を鋭く批判し、「『ヘーゲルとマルクス』から『革命的マルクス主義とは何か?』、そして革共同第三次分裂過程と分裂後の実践論や『資本論』についての見解まで、黒田の根本的な誤りは貫かれている」(二九二n)と結論づけている。
 「黒田哲学はいまや完全に死んだ。いや腐りはて、腐臭を放つ存在そのものとなった。黒田哲学の徹底的粉砕―マルクス主義の真の革命的奪還と再生をわれわれの手で!」(一七七n)――これこそ第六回大会で提起した黒田哲学批判の実践的結論である。

 6本の特別報告 日本革命の任務提起

 下巻には、第四報告「当面する任務・方針について」に付随するものとして提起された六本の特別報告を収録した。いずれも従来の闘争論を深めたものであり、日本革命の諸任務をより一層明確にさせ、「第六回大会路線」を内容豊かなものにしている。
 第一の憲法闘争論は、今年の『前進』新年号アピールで新たに提起された「戦争国家化阻止=改憲粉砕・日帝打倒」の戦略的スローガンの意義と内容を全面的に明らかにし、改憲粉砕闘争論を深化している。
 その中で「四、現行憲法=戦争を想定していない法体系」として憲法論を提起し、その上に「五、改憲攻撃の基本方向」の全面的な暴露がなされていることが重要である。
 そして「現行憲法に手をかけることは、それを規定してきた対米帝関係、対アジア関係、日本―沖縄関係、国内階級関係を転覆するということであり、それは究極的には戦争的激突に行きつかざるをえないすさまじい日米矛盾の爆発と、戦後革命をこえる階級的激動の爆発を不可避とするのである。ここに改憲阻止闘争の巨大な展望がある」(三二〇n)と確信をもって言い切っている。
 第二の沖縄闘争論は、「革共同の沖縄闘争論=沖縄奪還論の内容的核心を整理・要約する」(三四六n)ものとして提起されている。それは、この五年間の沖縄人民の闘いとわれわれ自身の沖縄闘争への取り組みを総括し(一章)、七〇年闘争の中での確立から今日に至るまでの沖縄奪還論とその闘いを総括する(二章)という構成になっている。その中で日帝の七二年「返還」政策(五・一五体制)が歴史的に完全に破綻(はたん)し、沖縄闘争の戦略的位置と意義がこれから決定的なものになってくることを確信を持って言い切ったことがきわめて重要である。
 そして、沖縄闘争の今後の展望に関して、一つには「沖縄のたたかいの孤立と困難性にたいして、全国の力でこれを支援していく構造をおおいに強めてい〔く〕」(三七七n)こと、二つには「〔ソビエト形成を展望しつつ日帝との決戦をやりぬく〕決意と展望をもつことなしには、沖縄でのたたかいを一ミリも進めることができないような情勢にすでに入っているという認識をもっている。この立場から、われわれは革命的指導部の現実的形成について語っている」(三七七〜三七八n)ことが提起されている。
 第三の反戦・反核闘争論は、革命的な時代認識のもとでの「レーニンの三つの義務」論として路線的な展開がなされることによって、今日の九・一一―十・七情勢に全面対応しうる提起となっている。
 すなわち「戦争・破局が近づいたことを警鐘乱打し、労働者人民が団結し、その実力をもってたたかえばかならず勝利できることを鼓舞激励し、敵の総攻撃にうちかてる組織をつくりあげることに全精力を傾けるということである」(三八二n)。
 その中で反戦共同行動委員会の強化と、労働組合的決起を可能とする統一戦線戦術の確立という組織的課題を強調している。
 そして三章で、反核闘争の原則的な諸点が提起されている。
 第四の入管闘争論は、革共同中央入管闘争本部による提起である。
 ここでは七〇年七・七以来の入管闘争を総括し、在日アジア人民とアジア人労働者をめぐる今日的な攻防点(入管法・外登法、入管体制、国籍差別問題、日本軍軍隊慰安婦問題など)が全面的に明らかにされている。
 そして「在日人民との共同のたたかい、結合したたたかいをかちとり、鉄火の試練をくぐりながら在日人民の結集をかちとる組織的たたかいへと進まなければならない」(四一九n)とし、戦後革命期の闘いの経験を踏まえて、在日人民との連帯関係の形成の課題を国際主義的単一党の建設と一体のものとして組織論的に提起している。これが今回の提起の一つの重要なポイントである。
 第五の部落解放闘争論は、革共同中央部落解放組織委員会による提起である。
 冒頭に、部落解放同盟全国連第一〇回大会を画期として、その三大闘争路線が爆発的発展過程に突入したことを確認し、一九全総での討論と仁村和義論文を踏まえて、「部落解放闘争の綱領的諸問題にさらに検討を加え、部落解放闘争の戦略的課題を鮮明に」(四二六n)提起している。
 その中で共産主義者の党の役割が取り上げられ、「部落民労働者をもふくむ労働者階級は、プロレタリア革命党の指導のもとで自己解放闘争に立ちあがる。また他方では、部落大衆は部落解放闘争の大衆運動的発展のなかで、独自の水路をへながら帝国主義とのたたかいに決起する。この部落解放闘争と労働者階級のたたかいとが、プロレタリア革命党を媒介にしながら連帯していくというのが、本来のあるべきプロレタリア革命闘争の姿であり、これこそ党に媒介されたプロレタリア革命の実現ということである」(四三三〜四三四n)と提起されていることが重要である。
 第六の反弾圧闘争論が、第六回大会で特別報告として提起されたことは決定的である。
 これは「超長期獄中同志を奪還できていない現実を、七〇年七・七自己批判以来の激しさと厳しさで受けとめて全獄中同志奪還のために総決起する」(上巻三九二n)という第四報告さらには第一報告での提起(同一二四n)を受けて、各同志たちの具体的な闘いに即して反弾圧闘争論を全面展開したものである。
 まさに革命(国家権力の暴力的な打倒)を目指している労働者党にとって、弾圧との闘いは一ミリのあいまいさも許されないものであり、そこでの勝敗に運動と組織のすべての帰趨(きすう)をかけて闘わなければならないのである。
 十二・一五獄中同志奪還集会の成功として第六回大会路線の物質化をかちとろう。
◎白井朗除名決議
 下巻では、「白井朗を革共同から除名し、その反革命的反党活動を徹底的に粉砕する決議」を収録した。
 九三年に自ら書き記した自己批判書を投げ捨てて革共同から逃亡し、九八年の逮捕と自供をもって公然たる革共同破壊策動に転じた白井朗のこの間のすべての言動に対して徹底的な批判を加え、その転向と思想的腐敗と後退の恐るべき姿を暴き、「われわれは反階級的敵対者には厳格な階級的原則をもって対応する。白井夫婦は、われわれの怒りとこの峻厳(しゅんげん)な態度の重さをいやというほど味わうことになるであろう」(四六一n)ときっぱりと宣告している。

 「労働者の中へ」 革共同の一大前進を

 黒田とカクマルは、『大会報告・決定集』上巻の刊行以後、第六回大会について一言もふれることができない。黒田哲学批判をメインテーマにした下巻の刊行は、彼らをさらに締め上げ、押しつぶすものとなるに違いない。
 「革共同が『黒田哲学はすでに死んだ』としてイデオロギー活動を大展開していくことは、かならずや内外を震撼(しんかん)させ、闘う労働者人民の圧倒的なエネルギーのほとばしりへと結実していくに違いない。五七―六二年の反スターリン主義・革命的共産主義運動の創成期の(思想面での)感動が、数十年の黒田・カクマルの反革命的重圧と暗雲をふりはらってふたたび蘇(よみがえ)るのである。いまや労働戦線を主要な舞台として、革共同の一大前進のときを迎えたのだ」(上巻一一八n)。
 第六回大会路線での武装を推し進め、「労働者の中へ」の闘いにおけるあらゆる面での変革と飛躍をかちとり、〇二年の党建設と革命的大衆行動での画期的な前進をかちとろう。闘う労働者・学生・市民は革共同に結集しともに闘おう。
(第六回全国大会報告・決定集刊行委員会)

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週刊『前進』(2034号6面2)

 『前進』ホームページ メールから

 昨今の情勢は日ましに帝国主義の本性がむきだしになってきています。アフガニスタンの新政権づくりなど、帝国主義の利害がからんで進んでいます。しかしこれは平和的には進まないのではないでしょうか。
 カンボジア和平と同様に国連が動いているかのようにこらしてはいますが、実態は帝国主義の軍隊です。このような利害のからんだ戦争の世紀が、いつまで続いていくのでしょうか。帝国主義の死滅まで続くのでしょうか。
 憤りにわたしは耐えられません。帝国主義の城内平和のもとで、経済危機とはいえ、ぬくぬくと日々暮らしている帝国主義国の学生とアフガニスタンの学生の乖離(かいり)に言葉もありません。個人的には中核派シンパであるものの闘いには踏み込めず苦悶(くもん)しています。複雑極まりないのですが、だんだんとわたしのような意見の人は増えてくるのではないでしょうか? 日々深刻化する世界恐慌と世界大戦の気配を察知して、こう感じるこの頃です。(男性・20歳代)

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