ZENSHIN 2001/12/10(No2033 p08)

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週刊『前進』(2033号2面1)

 全学連、基地正門に突撃 佐世保

 320人がデモ、佐世保に反戦の声

 十一月二十五日、反戦共同行動委員会の学生と労働者は全国から佐世保市に三百二十人が結集し、基地突入デモ−海上デモの現地実力闘争を貫徹した。
 午前十時、佐世保駅の北西にあるアーケードを抜けた先の浜田公園で反戦共同行動委員会主催の現地集会が行われた。日帝が参戦出兵するという重大な事態を前に、参加者は秘めたる決意を胸に緊張した表情だ。
 反戦共同・福岡代表の石崎昭哲さんのあいさつで集会が始まった。続いて地元から国労佐世保闘争団の高田末博さんが発言。「(一九六八年一月の)エンプラ闘争以来、佐世保は闘う人民を歓迎する街だ。大半の佐世保市民が出兵に反対している」。婦人民主クラブ全国協福岡支部は「女たちが牢(ろう)に満ちても命がけで反戦を闘う」と訴えた。
 部落解放同盟全国連(福岡)の甘木支部の青年がズラリと前に並んだ。実は、この日は、甘木支部青年部の結成大会の予定だった。「闘うことこそ真の姿だと思い今日の闘争に決起した。この集会発言をもって青年部を結成します」。惜しみない拍手が続いた。
 東京反戦共同行動委員会事務局長の結柴誠一さんが基調報告を行い、国労小倉地区闘争団の松崎博巳さんと関西合同労組の青年労働者が決意表明した。
 続いて九州大学自治会の学生が決意表明。「労働者がゼネストで、自衛官が命令を拒否し、基地労働者が基地機能をストップさせれば戦争は止められる。全学連はなぜ白ヘルをかぶるのか。機動隊をぶち破って基地に突入する闘いをやるためだ」。歓声があがる。最後に全学連の大山尚行委員長が行動提起。「派兵阻止、基地突入の実力デモをやる。基地の前を黙って通ることはありえない」
 いよいよデモに出発だ。全学連のデモ訓練は怠りない。もちろん全学連が第一梯団(ていだん)。最初からジグザグデモ。警察権力は手が付けられない。デモ隊は佐世保基地に向かってズンズン進んでいった。
 基地に近づいた。二十bほど手前でデモ隊の速度が一瞬落ちる。「行くぞ」。ゲート前の機動隊の壁に向かって全学連のデモ隊が駆けだした。「全学連が基地に突入する!」。動転する機動隊と私服刑事。スローモーションのように、全学連と機動隊が衝突する。一瞬の静寂の後、ゲート前は騒然たる状況に。デモ隊の左右からも機動隊が襲いかかる。しかしデモ隊は崩れない。基地前の交通は完全に寸断され、全学連と機動隊の衝突が続く。全学連旗や自治会旗が乱舞する。
 何分経過したのか。全学連は隊列を崩さず一人の逮捕者も出さずに、第二梯団と再び合流し、ジグザグデモを続けた。「アフガニスタン人民の血叫びにこたえる闘いを自らの体で示した」。全員の顔が勝利感に満ちている。デモ終了後、直ちに海上デモの船に乗り込んだ。

 前日の集会とデモ

 二十四日午後、全学連は自衛艦出兵阻止の集会を木場田公園で行い、佐世保市内デモを行った。大山委員長が「イスラム諸国人民の血叫びにこたえ、佐世保市民と心をひとつに基地に突入して闘おう。アフガニスタン出兵阻止の一点にかけて闘おう」と提起した。

 11・17長崎県民集会

 十一月十七日、佐世保の鯨瀬ふ頭のさせぼシーサイドパークで海自艦隊の出兵に反対する長崎県民集会が開催された。長崎県下の労組や西日本規模で動員した全港湾など約千人が結集した。全学連と反戦共同・福岡と長崎の労働者・学生も参加し、参戦阻止の反戦闘争や小泉政権打倒を呼びかけ、ビラを配布した。

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週刊『前進』(2033号2面2)

 巡視船と海戦、さわぎり直撃

 海上行動隊は二隊に分かれて抗議船に乗り込んだ。「闘うイスラム人民と連帯し、反戦闘争の爆発を」「自衛隊兵士は侵略派兵を拒否しよう」と日本語と英語で書かれた横断幕。巨大な中核旗が翻える。各団体の旗もにぎやかだ。
 抗議船はまず佐世保地区労の呼びかけで集まった労働者と反戦共同行動委の部隊がいる前畑ふ頭に立ち寄り、シュプレヒコールでエール交換。なんとしても侵略出兵を止めたい、という思いがひとつになった。
 佐世保基地に向かった。軍港には出航を待つ護衛艦さわぎりと、これを見送るイージス艦こんごうなどが並び、甲板に海自隊員が整列している。波止場には見送りの家族が不安げに並んでいる。海上デモ隊は侵略出兵の式典をかき消すように出兵拒否を呼びかけた。
 午後二時五十分、さわぎりがゆっくりと出港した。自衛官の表情が見えるほど肉薄して、自衛官一人ひとりに呼びかけた。抗議船は海上保安庁の巡視艇をかわしてさわぎりの船首をかすめ、進路をふさいだ。巡視艇はあわてふためき、強引に割り込み船体をぶつけてきた。巡視艇の「日の丸」がへし折れた。抗議船と保安庁との゛海戦゜だ。この攻防は佐世保湾を出て高後崎のかなたの外洋まで続いた。海上行動隊はずぶぬれになりながら、声を張り上げ叫び続けた。抗議船は最後にさわぎりの周りを一周して佐世保港に帰還した。
 この攻防は、甲板から注目していた多くの自衛官の目に、耳に焼き付いたはずだ。さわぎりの隊員は、この一年半で四人の隊員が自殺や自殺未遂などに追い込まれている。自衛官を死に追いやった陰湿ないじめの実態が隠されたままの今回の派兵だ。帝国主義軍隊の非人間的な処遇に苦しみ、侵略派兵に追い立てられた自衛隊員にともに闘おうという力強いメッセージを送った。闘いはこれからだ。実力闘争をさらに発展させ、自衛隊の隊内反乱をつくりだそう。
 闘争妨害を画策したカクマルは、海上保安庁の指示どおりに護衛艦を遠くから見送り、すぐに退散。前畑ふ頭でも闘う労働者から闘争破壊の意図を見抜かれ排除された。カクマルの闘争破壊策動は完全破産した。

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週刊『前進』(2033号2面3)

 横須賀 “戦場へ行くな”訴え

 掃海母艦うらがを痛撃

 十一月二十五日、海上自衛隊の掃海母艦うらがが横付けされた横須賀基地の対岸・長浦ふ頭には、早朝から神奈川労組交流センター、婦人民主クラブ全国協議会を先頭に反戦共同行動委に結集する労働者・市民がかけつけ、横須賀の市民グループや労組と合流、約百人が出港阻止を闘った。
 海上には神奈川平和運動センターの「平和船団」二隻が展開し、中谷防衛庁長官が来たことが報告された。直ちにシュプレヒコールで弾劾行動を行った。「自衛隊は報復戦争に加担するな! 戦場に行くな! 自衛官こそ反戦を! うらがの出港を許さないぞ!」
 反戦自衛官の小多基実夫さんがマイクを握って、自衛官に呼びかけた。
 「もう一度、この戦争に行ってもいいものかどうか考えて下さい。この不況の中で辞めるに辞められない状況で、小泉は入隊時の宣誓を持ち出して『自衛官は命がけで危険な所に行け、死んでこい』と言った。今怒りをはっきりと口に出す時です。小泉は、自分の子どもは芸能界に送り込んでおいて、ひとの子どもは戦争に行って死んでこいと言っている。もう我慢している時ではありません」
 「アフガニスタンやパキスタンの人びとは、戦争に来る軍艦を一隻でも減らしてほしいと願っています。今、本当の勇気は、戦争はいやだ、死ぬのはいやだ、人殺しはいやだと堂々と言うことです。しっかり考えてみて下さい」
 平和船団も、うらがに接近し、マイクで自衛官に出兵拒否を訴え続けた。
 八時二十五分すぎ、うらがが動き始めた。怒りのシュプレヒコールが繰り返された。
 中谷は「皆さんが国際社会とともにテロ根絶のために任務を遂行することを期待する」と訓示。自衛官や家族の声すら封殺して、出港を強行したのだ。
 抗議行動後の総括集会では、西村綾子相模原市議がアフガニスタンの子どもたちに思いをはせて反戦を訴え、神奈川労組交流センターは労働者こそが反戦闘争を担う決意を表明した。
 見送りに現れた反革命カクマルは、うらがが動き出すやいなや横断幕を片付け駆け足で逃げ去り、労働者人民の怒りを買った。

 横須賀地区労など緊急集会

 同日夕、神奈川平和運動センターと横須賀地区労が主催した「十一・二五報復戦争協力の自衛隊海外派兵反対横須賀緊急集会」が、ヴェルニー公園(旧臨海公園)で開かれ、大挙して駆けつけた三浦半島地区教職員組合を始め十五団体九百八十人が集まった。
 神奈川労組交流センターと反戦共同行動委は、公園に集まってくる労働者・市民に反戦闘争を呼びかけたビラをまいた。
 集会では「自衛艦の出撃は、戦争支援という超法規的な行為であり憲法に禁ずる『集団的自衛権の行使』そのものだ」と弾劾する決議を上げ、デモに出発。
 米軍横須賀基地前では「米軍のアフガニスタン攻撃を許さないぞ! 米軍はアジアから出ていけ!」とシュプレヒコールをたたきつけた。怒りは充満している。国際反戦闘争の爆発へ、闘いは正念場だ。

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週刊『前進』(2033号2面4)

 呉 とわだ肉薄の海上デモ “ヒロシマは参戦許さぬ”

 十一月二十五日、呉基地からの補給艦とわだ出兵に対して、広島を始め中四国各地の反戦共同行動委員会は全力で阻止闘争に立った。とわだは、海自艦隊の一翼としてインド洋に出兵し、アフガニスタンへの空爆や地上作戦を繰り返す米軍に補給や輸送を行うのである。アフガニスタン人民虐殺に加担することを、どうして許すことができるだろうか。
 早朝五時五十分、労働者や学生が、とわだが停泊するFバースの直近にあるアレイからすこじま公園に結集した。大音量のシュプレヒコールやアジテーションが翼賛出陣式を直撃した。「アフガニスタン人民虐殺を許さないぞ」「自衛隊員は出兵命令を拒否せよ」と怒りを込めて訴える。
 全国被爆者青年同盟の友野幽委員長を先頭に抗議船が、岸壁から海上デモに出発した。「呉を侵略出撃基地にするな! ヒロシマは日本の参戦を許さない!」と大書された横断幕が掲げられている。
 午前七時五十分、とわだが黒煙をはき、出港していく。
 岸壁の数百の労働者や学生が身を乗り出して、怒りのシュプレヒコール。弾劾集会には百万人署名運動広島県連絡会の下田礼子さんが駆けつけ、「昨日、この場所で座り込みを行った。私には、軍艦が出て行く姿が戦前と重なって見える。ヒロシマから軍隊が出て行くことは、被爆者として絶対に許せない」と激しく弾劾した。
 海上デモ隊がとわだに肉薄し、実力阻止闘争をたたきつけた。呉海上保安庁は、漁民や遊漁船の貸し主、漁業組合にまで「抗議船を出すな」と弾圧を加えた。しかし、こうした弾圧を打ち破り、漁民の決起の中で二隻の抗議船が組織されたのだ。
 抗議船の船首には全国被青同の旗が翻る。労組交流センターや婦人民主クラブ全国協議会の仲間が、目の前にいるとわだに向かって、「出兵を拒否せよ。強盗戦争、侵略戦争のための出兵を許さない」と大音量でアピールする。とわだの甲板で作業する自衛官の姿も見え、その自衛官に向かって直接呼びかけた。
 途中、右翼の船が「国のために働く自衛隊を妨害する国賊め」と泣き言をわめいたが、怒りのシュプレヒコールに圧倒され、すごすごと引き下がった。二隻の抗議船は江田島の北西にある切串湾近くまでとわだに迫り、弾劾闘争をやり抜いた。
 海上デモ隊がアレイからすこじま公園に到着した。エールを交わして、陸上の抗議団と合流した。
 被青同の友野委員長は海上デモの報告で「アフガニスタン人民は、なぜヒロシマ・ナガサキを経験した日本が参戦するのかと糾弾している。核兵器クラスの爆弾がアフガニスタンに落とされている。この戦争に自衛隊が参戦し、被爆地広島・長崎から出兵することは絶対に許せない。満腔(まんこう)の怒りで弾劾し、とわだに肉薄し、命がけで実力阻止の闘いをたたきつけた」と報告した。
 海上自衛隊呉地方総監部に向けデモに出発。自衛隊の官舎の前で、自衛隊員や家族に向かって、隊内からの反戦決起や、家族の決起を呼びかける熱烈なアジテーションを行った。
 午後一時から平和運動センター中国ブロック主催の集会が呉市中央公園で開かれ約二千人の労働者市民が集まった。反戦共同行動委員会も合流した。
 他方、ファシスト・カクマルは、闘争破壊のためにのみ船を出し、総監部前にコソコソを現れて記念撮影しただけ。誰からも相手にされず、惨めな姿をさらした。

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週刊『前進』(2033号2面5)

 全学連の佐世保奮戦記 @

 基地に突入するため 次は数倍の隊列を!

■法政大・T
 全学連が本気で機動隊とぶつかり、海上で真剣に自衛官に訴えかけるシュプレヒコールをやったことは、すごく重要な闘いだったと思う。本音を言えば、もっと基地に突入するような闘いをやりたかった。全学連の大隊列をつくりあげたいと本当に思った。
■法政大・S
 わが抗議船は、護衛艦「さわぎり」にまさに手が届かんとするぐらい接近し、断固として怒りのシュプレヒコールをたたきつけた。このことは非常に決定的であったと思う。「アフガニスタン人民虐殺に加担するな」という声は確実に自衛官に届いたはず。
 この闘いを法政へと持ち帰り、さらなる闘いの前進へと役立てていきたい。
■九州大・F
 初めてこういう集会に参加しましたが佐世保市内では機動隊と衝突する場面もありびっくりしました。
 護衛艦さわぎりの出航時間に合わせて海上デモを行いました。さわぎりが出航し始めると巡視艇はあわただしく私たちの船を取り囲み進路妨害を執拗(しつよう)に繰り返してきました。残念ながら止めることができませんでしたが、こういう行動が広まっていけばもっと大きな力で今の日本、世界を変えていけると思いました。
■九州大・U
 これ以上のアフガニスタン人民虐殺を阻止するため基地突入闘争を敢行した。機動隊暴力が基地正面前に立ちはだかったが、デモ隊はその機動隊をも蹴散らして米軍基地に肉薄した。アフガニスタン人民虐殺を日々強行する米軍の基地を防衛し、戦争阻止の闘いに立ち上がる学生、労働者を襲撃する機動隊。こんなものに負けてたまるか! 体を張った闘いに圧倒的な注目と共感が寄せられた。
 残念ながらさわぎりの出撃を阻止することができなかった。本当に悔しい。しかし、今回の闘争は始まりにすぎない。労働者階級の巨大な怒りを真に解き放つのは、われわれの実力闘争をおいてほかにはない。私は今回の佐世保闘争を数倍、数十倍する隊列を必ず登場させるために先頭で闘う。
■富山大1年・A
 機動隊を突破することはできなかったものの機動隊とぶつかり、集まった人数はけっして十分とは思えなかったが、その中でやりとげたデモ。私たちの思いを多くの人の心に強く強く訴えることができたと思う。さわぎり出港の時、私は船の上で闘った。自衛官やその家族に向けて声を張り上げて訴えた。その声は確実に彼らの耳に届いたはず。
 私はこの闘いでとても大きな自信を得た。絶対に止められる! 反戦に向けての大きな第一歩となった。この闘いを出発点に大きく前進していけると思う。
■富山大1年・M
 帝国主義の侵略の中で日々闘っている人びとに、本当に連帯できる行動は何か? それが基地に突撃する体を張った行動、さわぎりまで肉薄する海上デモだと思う。同時に「いかにして戦争を止めるのか」ということを、全国の学生・労働者に示せたと思う。機動隊と激しくぶつかり、身をもって真っ向から闘った。労働者・学生は必ず反戦闘争に立ち上がる! 僕は、体を張ってその最先頭で闘いたい。

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