ZENSHIN 2001/10/29(No2027
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週刊『前進』(2027号1面1)
全世界の労働者階級、被抑圧民族と連帯し 11・11全国労働者集会へ
参戦法案の衆院採決強行弾劾 日共・連合の戦争翼賛許すな
恐慌・戦争・大失業の小泉打倒せよ
十八日の日帝・小泉政権による参戦三法案(テロ対策特措法案、自衛隊法改悪案、海上保安庁法改悪案)の衆院採決強行を徹底的に弾劾する。日帝はさらに二十九日までに参院での成立を狙っている。二十三日から国会闘争に総決起し、参戦三法案成立を絶対に阻止しよう。日帝は、参戦法案の成立をもって自衛隊の本格的な中東侵略出兵を強行し、アフガニスタン人民大虐殺の侵略戦争に参戦しようとしているのだ。それは、新たな「十五年侵略戦争」の道であり、日帝自身が第三次世界大戦の道を推し進めるものだ。絶対に許すな。全国で「米英は空爆を直ちにやめよ。自衛隊は侵略出兵をやめよ」「闘うイスラム諸国人民と連帯しよう」の大衆行動を巻き起こそう。十・二一国際反戦デー闘争の高揚を引き継ぎ、十一・一一労働者総決起集会の大結集へ全力で闘おう。
第1章 アフガン空爆と自衛隊派兵絶対阻止せよ
アフガニスタンで今、何が行われているのか。米軍は昼夜を問わずアフガニスタンへの空爆とミサイル攻撃を強行している。米英両軍が投下した爆弾・ミサイルは十日間で二千発を超えた。米軍司令部は、「移動中の部隊を見つけた場合には、随時攻撃して構わない」との指令を出し、動くものすべてを攻撃し皆殺しにする作戦を強行している。カンダハル郊外では十七日、トラック二台が空爆を受けて、乗っていた避難民七人が死亡、チャノイ地区でも家屋が空爆され住民十二人が死んだ。バゲプル地区では数戸の家が破壊され十三人が死んだ。東部のジャララバード近郊の村は爆弾か巡航ミサイルの攻撃で村民約百人が死亡、村は壊滅したという。首都カブールの一般住民地区にも爆弾が投下された。
報道されているだけでもすでに六百〜九百人以上が殺された。犠牲者の多くは子ども、女性、高齢者だ。「軍事施設だけを対象に攻撃している」というのは真っ赤なウソだ。病院、発電所、水道施設やラジオ局、地雷撤去に携わるNGO(非政府組織)や赤十字の食糧倉庫までもが攻撃された。米帝ブッシュのこの無差別人民虐殺を絶対に許すな。
米軍は、数百個の小弾頭が拡散して連鎖的に爆発し広範囲を一撃で破壊するクラスター(集束)爆弾を使って人民を無差別に虐殺している。また小型戦術核に匹敵する破壊力で地下施設破壊用のバンカーバスター爆弾まで使用している。同じ目的の戦術核爆弾が開発されており、これが使用される可能性が決定的に強まっているのだ。
ブッシュは多くのアフガニスタン人民を虐殺し、家族を引き裂き、住居を破壊し、飢餓を強制しておきながら、「米国はアフガン国民の友人だ」などと傲慢(ごうまん)にうそぶいているのだ。絶対に許すな!
日帝・自衛隊の参戦策動に、アフガニスタン人民は怒りの声を上げている。「日本は広島と長崎で原爆の悲劇を経験した。その日本が同様の攻撃をアフガニスタンで行っている米軍を支援すると聞き、悲しい」「米軍は食料の空中投下をしている。昼間に食事を与え、夜には爆撃で殺すわけだ。日本は同じことをやろうとしている。米軍の殺人を手伝いながら難民を助けても無意味だ」と厳しい弾劾の声を上げている(共同通信、十七日付)。
このアフガニスタン人民の声は、日本労働者階級への糾弾と決起の呼びかけである。闘うイスラム諸国人民と連帯し、全力で帝国主義のアフガニスタン侵略戦争を阻止しよう。とりわけ日帝・自衛隊の参戦阻止、日本の出撃基地化粉砕の闘いに総決起しよう。自衛隊兵士に出兵拒否を呼びかけ、一人たりともアフガニスタン侵略戦争に出兵させるな。米空母キティーホークの横須賀からの出撃や、米陸軍や海兵隊の沖縄からの出撃など、日本が米軍の最大の出撃基地として機能している現実を絶対に粉砕しなければならない。
第2章 「ミサイル発射は戦闘行為ではない」と強弁
衆院では野党、とりわけ日本共産党スターリン主義の許し難い屈服と協力により、委員会審議はわずか五日間三十三時間で、戦後史を画する参戦三法案を押し通した。しかもその審議で小泉の口から、これまでの改憲攻撃を何段階も一気に飛び越えるような反動発言が次々と飛び出した。日帝は法制度的にも実態的にも、憲法停止−侵略戦争突入・拡大の一線を踏み越えようというのだ。
(1)活動地域
小泉は「自衛隊の活動範囲は無限定」と言明した。
実際、参戦法案は自衛隊の活動地域を具体的に指定していない。周辺事態法の中にあった「後方地域」という言葉すら消し去り、新たに「外国の領域」を加えた。これで、法的には世界中どこへでも侵略出兵できる道を開いた。
しかも法案で自衛隊の活動範囲を「戦闘行為が行われていない地域」と規定しながら、小泉は「散発的なテロ行為は戦闘行為に含まれない」とか、「日本だけが一切の犠牲が出ない前提で取り組むことはできない」とか言って、自衛隊員にも犠牲者が出るような戦場に自衛隊を送り込もうとしているのだ。
参戦法案が通れば自衛隊はアフガニスタン国境近くで野戦病院や難民支援、米軍への輸送・補給などを行う。これらは米軍の武力行使と完全に一体だ。
さらに中谷元・防衛庁長官と津野内閣法制局長官が許しがたい答弁を繰り返した。「トマホークを発射している米艦船は戦闘地域ではないのか」の問に、「その場で人を殺傷し物を破壊する行為は行われていないからミサイル発射は戦闘行為ではない」などと答弁したのである。
絶対に許せない発言だ。いったい、トマホークがどれだけ多くのアフガニスタン人民の命を奪っているのだ! その後、中谷らはこの発言の撤回に追い込まれたが、それでも、「自衛隊活動中にミサイル発射が行われていなければ米艦船への補給・給油や整備活動は可能」と開き直っている。
日帝は、現行憲法体系を全面的に踏みにじって、参戦のための参戦、自衛隊出兵のための出兵をひたすら強行する路線に完全に転換したということだ。
(2)武器使用
小泉は自衛隊の武器使用について、「そこは常識でやりましょう。ある程度、現場の指揮官に判断できるのではないか」と言い放った。これは武器使用制限を取り払うということだ。
さらに中谷防衛庁長官は「急迫不正の侵害があると認められる場合は、自己の身体に具体的被害が発生する以前でも、人に危害を与えることを含め、必要と判断される限度で武器使用できる」と、先制攻撃をも公言した。
実際、参戦法案では武器使用の範囲・条件が大幅に広げられている。九二年のPKO法では「隊員本人と、ともに職務を行う隊員を守る」場合だけだった。それが九九年の周辺事態法では「自衛隊の武器を守る」場合にまで拡大された。参戦法案では、これに「管理下に入った者」を加えた。こうしてどんどん武器使用の範囲を拡大している。
自衛隊が戦場(近く)に行って米軍の軍事作戦の一環である後方支援を担い、自衛隊や米軍が攻撃されたという口実で戦闘行動に突入する意図は明白だ。かつて柳条湖事件や盧溝橋事件などで日帝が中国侵略戦争を拡大していった手法そのものだ。
(3)防衛秘密
今ひとつ重大なことは、自衛隊法改悪案に「防衛秘密」という規定を新たに盛り込み、厳罰化した上、罰則適用を民間人にまで広げていることだ。これは八五年に廃案になった「国家秘密法案」そのものだ。
マスコミなどが情報を入手して公表することも「秘密漏えいの教唆罪」とされる恐れがある。自衛隊参戦の実態を暴露し反戦を呼びかけることをも弾圧しようというのだ。
自治体、港湾、運輸、軍事産業など、あらゆる産業の労働者が戦争動員される。戦争動員の実態を組合ビラで暴露したりするだけでも弾圧の対象にするということだ。絶対に粉砕せよ。
第3章 帝国主義侵略戦争と対決し 国際的内乱を
アフガニスタン侵略戦争の階級的性格をはっきりさせて、帝国主義と真っ向から対決する国際反戦闘争の大衆的爆発を闘いとらなくてはならない。
この戦争は、帝国主義の百パーセント不正義の侵略戦争である。
第一に、この戦争は米帝のすさまじい危機を突破するための一大侵略戦争だ。それは、帝国主義の存亡をかけた勢力圏再分割戦であり、帝国主義間のつぶし合いをかけた侵略戦争である。中東・カスピ海、中央アジアの石油・天然ガス、鉱物資源の争奪をめぐる、スターリン主義をも巻き込んだ帝国主義の強盗戦争から世界戦争へと転化するものだ。
第二に、この戦争はパレスチナを始めとするイスラム諸国人民の民族解放の願いと闘いを踏みにじり、民族自決を暴力的に否定し去るための侵略戦争である。戦後の新植民地主義体制の崩壊、とりわけ中東支配の破綻(はたん)を、被抑圧民族の一切の民族自決を抹殺することで突破しようとする皆殺し戦争なのだ。
米帝ブッシュは、イスラエル・シャロン政権が今パレスチナ人民に対して強行している残虐なせん滅戦争と同じ人民皆殺し戦争を「国際テロ・ネットワークをせん滅する」などと呼号してイスラム世界全体に拡大しようとしている。
帝国主義国の労働者人民はこのような攻撃を断じて許さず、パレスチナ人民を先頭とする被抑圧民族の生死をかけた民族自決の要求と闘いを断固として支持し、連帯して闘おう。この立場から、帝国主義のアフガニスタン侵略戦争を絶対に阻止しよう。
第三に、世界大恐慌過程へと不可逆的に転落した帝国主義が、戦争突入で一切の犠牲を労働者階級に押しつけて、その犠牲のもとに生き延びようとする〈内への階級戦争〉なのだ。
だからこそ、帝国主義国の労働者階級は、被抑圧民族人民と連帯して帝国主義およびスターリン主義打倒を闘いとること、この中にこそ唯一、戦争と搾取、首切りと大失業、あらゆる差別と抑圧をなくす道があるのだ。
そして、そのためには労働運動を強くすることである。闘う労働者の団結を強め、闘う労働組合の圧倒的な強化・拡大を闘いとることである。
こうした闘いに真正面から敵対しているのが、日本共産党スターリン主義だ。日共は帝国主義者と一緒になって九・一一反米ゲリラに対して「卑劣なテロ糾弾」と声高に叫び、参戦三法案のうち、船体射撃を可能とする海上保安庁法改悪案に賛成したのである。日共は侵略戦争の積極的加担者、被抑圧民族の民族自決の闘いへの暴力的敵対者だ。スターリン主義を労働戦線で打倒せよ。
連合指導部を打倒し、カクマルJR総連派を解体し、日本労働運動の階級的再生をさらに力強く推し進めよう。
今こそ、帝国主義のアフガニスタン侵略戦争と日帝・小泉の参戦攻撃と断固対決し、十一・一一全国労働者総決起集会に、全国の労働者、労働組合は総結集しよう。
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週刊『前進』(2027号1面2)
国労大会 「裁判取り下げ」強行阻む 国労再生へ出発点築く
十月十三、十四日、東京・社会文化会館で開催された国労第六八回定期全国大会は、国労解体の密集した反動を打ち破り、闘う国労の再生に向けた第一歩を踏み出す歴史的大会としてかちとられた。国労中央の「裁判取り下げ」方針を事実上粉砕し、「四党合意」破棄、高嶋―寺内執行部打倒、闘う執行部の樹立に向けた新たな闘いの出発点となった。(2面に大会ドキュメント、関連記事)
今大会は、一・二七大会に続く機動隊の厳戒態勢下の大会だった。帝国主義によるアフガニスタン侵略戦争のただ中での「戦時下の大会」であり、国家権力は国労解体の意志をむき出しにしてきた。これを打ち破り、日本労働者階級が〈戦争と大失業〉に立ち向かうことができるか否かが問われた大会でもあった。
昨年来の「四党合意」をめぐる四回の大会の決着をかけた攻防が、まさに日本の労働者階級の生死を決する階級決戦にせり上がったのである。
今大会で高嶋―寺内執行部、チャレンジ一派、革同久保一派は、「四党合意」による国労解体方針を押し貫き、国家権力・JR資本に全面降伏することを決定しようとした。その最大の焦点が「裁判取り下げ」と闘争団切り捨て(統制処分)問題だった。
運動方針案の提案の際に寺内書記長が突如、「運動方針(案)の追加について」という裁判取り下げ方針を提案した。九八年八月の大会に出された宮坂「補強五項目」と同様に、大会当日に中央執行委員会の一致がないまま出すというクーデター的暴挙である。
それは「一月二十七日の定期大会(続開大会)で追加方針を議論し決定した、東京高裁の不当判決に対する取り組みの『最高裁での判断を公正に行わせる』の方針をあらため、『JRに法的に責任がないことを認める』を含む、四党間で合意した『JR不採用問題の打開について』を再確認」するというものだ。
一・二七大会では「四党合意」受諾とともに「最高裁で公正な判断を求める」などの方針をペテン的に盛り込んだが、直ちに自民党などから「四党合意」との矛盾を突かれた。大会直前に国土交通省鉄道局が寺内書記長を呼びつけ、「裁判を取り下げなければ解決案を出さない」と迫り、寺内は「分裂覚悟で裁判の取り下げを決める」と誓約したと言われている。
そのために出されたのが、「最高裁での判断を公正に行わせる」の方針の撤回と、「訴訟の速やかな取り下げ」を明記している「四党合意」の再確認なのである。しかもこれは、最高裁に訴訟参加した闘争団員を始めとする闘う闘争団に対する「統制処分」の意志をも示すものだ。
これに対して、闘争団とJR本体の組合員、そして支援共闘の労働者は怒りを爆発させ、「闘う国労の旗を守れ!」と固く団結し、会場内外で激しい激突を貫いた。とりわけ「四党合意」反対派の代議員は、破綻(はたん)した「四党合意」の破棄を要求し、運動方針案の主要部分の差し替えを求める修正動議を提出し、強権的議事運営を打ち破って徹底抗戦を貫いた。さらに三役を始め執行部選挙に対立候補を立てて闘った。「学校」=党派を超えて、闘う国労を再生させる勢力として旗を揚げたのである。国労運動史上でも画期的事態である。
「裁判取り下げ」方針をめぐっては、「四党合意」賛成派の中にも動揺が広がった。賛成派革同の代議員からも「裁判取り下げは解決時に」という意見が出されるなど、チャレンジと革同の賛成派が空中分解しかねない危機に陥った。
こうした中で寺内書記長は、集約答弁で「裁判の取り下げは和解成立時である」と言わざるを得なかったのだ。
「追加方針」を含む運動方針は可決され、現執行部は再任されたが、チャレンジも革同久保一派もグラグラである。
この全国大会決戦の勝利的地平を全国に押し広げ、各エリア、地方大会を全力で闘おう。十一・一一全国労働者総決起集会に国労組合員を始め、国鉄闘争支援陣形の労組・労働者の総結集をかちとろう。
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週刊『前進』(2027号2面1)
国労68回定期大会
闘争団切り捨ての「追加方針」と対決
反対派、反動打ち破る奮闘 「四党合意」破棄へ修正動議
十月十三、十四日、国労第六八回定期全国大会の決戦は、再び機動隊が社会文化会館と三宅坂一帯を制圧する中で闘われた。会場入り口は機動隊と鉄柵のバリケードで封鎖された。代議員と東京地本の警備の組合員は前泊のホテルからバスで会場に乗り付け、傍聴者は永田町小学校前から機動隊の検問を受けながらの入場を強制された。マスコミや来賓の傍聴も制限された。これが労働組合の大会なのか! 大会参加者も支援に駆けつけた労働者も、怒りに燃えて二日間の激闘を闘い抜いた。会場内外の闘いをリポートする。
強権的議事運営に反撃
大会一日目。冒頭から会場内は賛成派と反対派の激突で騒然となっていた。田中副委員長が開会のあいさつを終えるやテレビカメラなどの退場を指示。議事運営委員会の久保中執が強権的に議事を進めようとすると、代議員・傍聴者が演壇に詰め寄った。
高嶋委員長のあいさつは激しい野次に包まれ、ボリュームを上げても聞き取れないほどだった。その内容も「国労史上最低」(ある闘争団員)だった。九・一一反米ゲリラに対して「凶悪さは史上類例のない最悪の事件」と、背景にある被抑圧民族の米帝に対する怒りに触れることもなく非難を絶叫した。国鉄闘争については「大会で『JRに法的責任がない』事を決めても一部ではあるが、『法的責任がある』という運動を進めている事など不統一・不団結の状況を残念ながら指摘され進展しなかった」などと、「四党合意」による「解決」が破綻(はたん)していることの責任を闘う闘争団に転嫁する、断じて許せぬものだ。
また、労働委員会命令を覆した反動判決に屈服しておきながら、「制度改正を求める」などと、労働委員会制度解体に手を貸すことまで表明した。高崎の代議員が撤回を求めたが、「気違いじみた」という差別語を平気で使うなど委員長にあるまじき感性である。
来賓のあいさつでは、連帯する会の山下事務局長が「大会の招請案内を受けて来たが、入場を拒絶された。本部から再度来るように電話があり、あらためて駆けつけた」ことを怒りを込めて暴露した。ほかにも佐藤昭夫早大名誉教授や中央共闘の二瓶事務局長、東京清掃労組、都職労などが入場を拒否された。この暴挙に出たのは東京地本・酒田委員長、芝崎組織部長だ。特に警備の前面に立った芝崎組織部長は、山下事務局長のあいさつに対して「非常識だ」と言い放ったのを始め、支援者らに暴言を繰り返したのだ。
田中副委員長による経過報告、大会延期承認に対して、高崎の代議員が延期の理由をただした。寺内書記長は「解決水準を議論できる大会にしたいと日程を調整した」と答弁し、一・二七大会から九カ月たっても「解決案」すら示されないことを居直った。
寺内書記長は、運動方針(案)の提案の冒頭に、「『最高裁での判断を公正に行わせる』の方針をあらため、『JRに法的責任がないことを認める』を含む、四党間で合意した『JR不採用問題の打開について』を再確認」するという「追加方針」を提起した。「二次草案の方針の性格や内容といささかも変わることではない」などと言いながら、闘う闘争団への敵意をむき出しにした。この事実上の「裁判取り下げ」方針に対して怒りが爆発した。
そして方針案の「『闘う国労闘争団』という別組織を結成し……すでに国労からはなれた別組織」という部分を寺内書記長が読み上げると、闘争団の怒りは一層高まった。なんと賛成派はこの部分にひときわ大きな拍手をしたのだ。
秋田の脱退策動を追及
組織検討委員会の報告に対しても、仙台、水戸の代議員から質問がたたきつけられた。仙台の代議員は、秋田地本北奥羽支部の事務所が売却されたこと、秋田で役員が国労脱退・新組合加入を呼びかけていることを暴露した。議長は途中でマイクを切るという暴挙に出た。
秋田地本をめぐる組織問題は、今大会のもうひとつの焦点だった。「国労ジリ貧」論を叫ぶチャレンジ一派こそ組合資産を私物化し、脱退工作を進めているからだ。その張本人の北奥羽支部の畠山委員長と土崎工場支部の三浦委員長が代議員となっているのだ。こうした組織破壊者に代議員の資格があるのか。
経過をめぐる討論では、反対派が「解決案が出ないのは一部闘争団のせいと、組織内部に責任転嫁するとは何ごとか」(高崎)、「首を切られた仲間を守れないで、なんで職場の合理化と闘うことができるのか」(北海道・旭川)と訴えた。
東京・新橋の代議員は、大会で配布された方針案では二次草案にあった「JR東日本会社等の異常な労務政策の改善に全力をあげる」という文言と「安全」に関する部分が削除されていることを暴露した。本部はJRの弱点をなす部分をわざわざ削除し、資本への屈服ぶりを示したのだ。また、秋田からの地域間異動の組合員から「全国大会が混乱したら秋田地本は国労を抜けるという話を聞いている。帰って国労がなくなったら、どうしたらいいか」との相談があることを暴露し、本部を追及した。
寺内書記長がこれらにまともに答えないまま、議長が経過についての「拍手承認」を強行した。
運動方針案の討論に移った。近畿の賛成派革同の代議員は、「解決案が出た時には全国大会で決定する。裁判の取り下げは、全国大会の決定を受けて行う」ことを求めると発言した。チャレンジ一派が狙う「解決案の丸のみ」と「裁判取り下げ」方針が、賛成派内部にも亀裂を生み出していることを示した。
東京・横浜の代議員は「解決金が一人八十万円、JR採用は七十五人であることが明らかになった。もうだまされるのはやめよう。今こそ本来の国労に戻るチャンスだ」と訴えた。
政府・JR攻めの対案を提起
大会二日目。冒頭に動議の趣旨説明が行われた。
まず「秋田地本における組合事務所売却と組織問題に関する調査委員会の設置を求める動議」を東京・中央の代議員が提案した。
続いて、運動方針についての二本の修正動議を北海道・旭川と長野の代議員が提案した。採用差別事件を始めとする本部方針についての全面的な削除と修正を求めるものであり、「千四十七名の解雇撤回・JR復帰」の原則に立ち返り、「四党合意」を破棄し、政府・JRを攻める新たな方針を提起するものだ。
これらが「学校」の枠を超えて、闘う闘争団を中心とする反対派が結束し、共同の方針案として提案されたこと自体、国労の歴史にない画期的な事態である。
運動方針案の討論が再開されると、盛岡のチャレンジの代議員は、「昨日、本会議場で暴力事件が発生した」と発言した。これを契機に賛成派の代議員のほとんどが「暴力」に触れた発言を行った。ありもしない暴力事件をデッチあげて、反対派の闘いの意志をくじこうというのだ。こうした中で、賛成派の名古屋の代議員は「組織の方針に反対するなら、組織にいる必要はない」と、反対派は国労から出ていけという許しがたい発言を行った。
これに対して反対派は、「本部は、解決水準を引き上げるどころか相手の言いなりだ」(東京・横浜)、「四党合意は全面解決要求や闘争団要求とはまったく異質だ。国家権力の暴力装置を導入した本部の責任は重大だ」(仙台)、「国労の伝統を守るために闘いの再構築を訴える」(米子)、「追加方針は裁判取り下げに通じる。四党合意はもう死に体だ。毒を飲んで毒殺されてはならない」(千葉)などと訴えた。
「取り下げは解決時」 書記長集約
千葉の代議員は、議案の「スト権確立を求める事項」から「全面解決要求に関すること」が削られていることを暴露した。
寺内書記長は中間答弁で「全面解決要求は四党合意で解決を図ることから削除した」と居直った。だが、その後にもう一度質問が出されると、「全面解決要求を入れる」と答弁した。答弁がころころと変わる寺内書記長には賛成派もあきれた様子だった。
代表討論の三人は、九州・田口書記長、近畿地本・葭岡(よしおか)書記長、東京地本・阿部書記長とすべて賛成派で占められた。阿部書記長は、一・二七大会で「闘争団を最後まで守る」などの東京地本の六項目要求を本部が認めたことで「四党合意」賛成に回ったが、闘争団切り捨て方針そのものの本部方針に賛成するとはどういうことなのか。断じて許すことはできない。
寺内書記長は、集約答弁で、「秋田地本の財産問題は、十一月の秋田地本の大会で整理される。組織問題については、国労で団結することに全力を挙げると秋田地本が回答した」などと言って本部としての見解を一切明らかにしなかった。
そして、採用差別事件について「解決水準を押し上げる闘いは……厳しさも認め合いながら最大限の努力を行い、到達点まで解決内容を押し上げ、出された解決水準も、許される一定期間、職場討議を行い、最終的に全国大会で判断する。裁判の取り下げについては和解成立時であることも、再度、全体で確認しておきたい」と述べた。
ついに裁判取り下げを強行することはできなかったのだ。「裁判を取り下げよ」「一発回答だ」と言われているにもかかわらず、このような集約を行ったことで、一層「四党合意」の破綻が浮き彫りになった。だが国家権力の手の内で右往左往する寺内書記長らは、国労を解体するためにどんな卑劣な手段も使ってくるだろう。こうした裏切り者を一刻も早く国労からたたき出さなければならない。
なお、修正動議はすべて少数否決で、本部原案が可決された。また、役員選挙の結果、三役を始め中執全員が再任となった。反対派が立てた三役候補は落選したが、反対派の執行委員を落とすことを狙ったチャレンジの策動は阻止された。
国家権力の暴力、数の暴力に対して、「四党合意」の不正義を徹底的に暴き、分岐を恐れず闘った成果である。国労の解体をぎりぎりのところで阻んだのだ。反対派は、勝利感をもって次なる闘いを構えている。
大会後、音威子府闘争団家族の藤保美年子さんは「代議員の発言に勇気づけられた。JR職場の皆さんと一緒にいい方向に行けるよう、夫を支えて頑張る」と話していた。闘争団と、メンテナンス合理化攻撃と闘うJR本体の組合員が一体となって、国労再生への出発点を闘い取ったのだ。
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週刊『前進』(2027号2面2)
“闘う国労の旗守れ” 機動隊と対峙、必死の訴え
一・二七に続き、社会文化会館に至る公道は再び機動隊によって封鎖された。゛権力に守られた大会で闘争団の切り捨てが強行されようとしている。こんな形で国労と国鉄闘争を終結させてなるものか!″そうした思いを抱いて、闘争団を先頭とした国労組合員や支援の労働者が続々と結集した。その数は六百人に上り、社文北側の道路上では、大会両日にわたって機動隊と対峙しての抗議集会が闘い抜かれた。
十三日早朝、闘争団員は大会代議員が宿泊する各ホテル前に登場し、ビラまきを貫徹した。池袋サンシャインホテル前では、秋田の闘争団員が国労からの集団脱退を策謀する秋田地本の代議員を徹底的に弾劾した。「裏切り者! 代議員の資格があるのか」という追及に、彼らは何も答えられず、顔を背けてそそくさとバスの中に逃げ込んだ。
傍聴者の集合場所となった旧永田町小学校前では、闘争団員が警備責任者の芝崎東京地本組織部長を追及した。芝崎組織部長は、居直りの揚げ句、「闘争団は組合費も払っていないくせに」と暴言を吐いた。
十時すぎ、連帯する会の山下事務局長や佐藤昭夫早大名誉教授、中央共闘の二瓶事務局長らが抗議集会に現れた。各氏が入場を拒まれた事実を述べると、強い怒りが全体を覆った。
両日の抗議集会では闘争団員が次々とマイクを握った。闘う闘争団九州代表の原田亘さんは、「国労の歴史と伝統がこんな形で汚されることに憤りを持つ。人生をかけた十四年の闘いを無駄にしてはならない」と訴えた。各地の闘争団員の発言がさらに続いた。「私は分割・民営化前に、松崎を頂点とする反労働者的な動労から国労に復帰した。それがよかったと思える闘いをしたい。私自身の闘いの原点をこんな大会で決められてたまるか」「国家的不当労働行為の事実は消えない。本部が闘いをやめてもわれわれが闘う。執行部を打倒し、闘う者が執行部になって闘い続けよう」「解雇は最悪の仕打ちだが、組合が解雇と闘わなくなることほど悲しいことはない。生き方を曲げず、信念を敵に売ることなく闘う」「秋田地本の役員は公然と脱退工作を始めた。その役員が、私に闘争団を名乗ることさえ許さないとはどういうことか。私には恐れるものは何もない。国労の旗を取り戻すために生涯をかける」
全国から結集したJR組合員も、これにこたえて発言した。「四党合意もメンテナンス合理化も国労つぶしが目的だ。絶対に負けるわけにいかない」「国鉄闘争は一人ひとりの尊厳をかけた闘いだ。国労を再生し、労働運動を再生させる」などの訴えが続いた。
支援の労組が闘争団を激励した。動労千葉の田中委員長は「動労千葉は千四十七人の一員として闘争団とともに最後まで闘う」と連帯と決意を表明。全金本山労組や関西合同労組などが民間労働運動の立場から国労本部の裏切りを弾劾し、闘争団を支えると述べた。
二日目の夕、本部方針が採決されたと報告されると、ただちに大会会場に向けてシュプレヒコールが行われた。引き揚げてきた反対派の代議員が、「一・二七を上回る暴挙の中での大会だった。必ず四党合意を破棄する。明日の国労を見据えて頑張る」と会場内の闘いを報告した。
闘う闘争団北海道代表の内田泰博さんは、「闘争団は着実に強くなった。あらしは木を強くする。JR本体とわれわれの闘いをしっかりと結んでいく。国家権力相手の闘いだ。解雇撤回は絶対に譲れない」と今後の闘いの決意を述べた。
二日間の闘いをとおして国労内外の闘う勢力は一層の結束を強めた。労働運動再生への新たなうねりがここから開始されたのだ。
前夜決起集会で決戦へ決意
国労大会を翌日に控えた十月十二日、「全面解決要求の実現をめざす全国交流会」は労働スクエア東京で「国鉄闘争勝利十・一二総決起集会」を開催した。
集会では、仙台の闘争団員が本部方針を批判し、「闘う闘争団を国労から離れた組織と言い、われわれを除名しようとしている。だが、除名されるべきは彼らだ。明日を新たな闘いのスタートとして闘いぬく」と決意を述べた。熊本の闘争団員は、「関西で九月二十八日、闘う闘争団支援の集会が開かれた。闘えば支援は広がる」と発言。闘う闘争団北海道の内田泰博代表が今後の方針を提案し、「明日の大会には対置案も出される。国労運動の継承・再生のために闘う方針の確立を」と訴えた。
特殊法人労連の柳沢淳議長が、特殊法人行革と立ち向かう立場から国鉄闘争の勝利を訴え、国労本部を批判した。
二人の大会代議員が決意を述べた。参加者は翌日の決戦への決意を固めた。
JR、国交省、最高裁へ行動
闘う闘争団は、十二日、朝からJR東日本本社前での宣伝行動に始まり、国土交通省や最高裁への行動を展開した。
昼には、JR本体の組合員、支援の労働者らを含め百五十人が国土交通省前に集まった。闘争団の代表がJR各社との紛争解決に関する請願、JR各社の労働委員会命令不履行是正に関する請願、ILOへの事実誤認の情報提供に関する請願を、国土交通省と厚生労働省に提出した。
その後、最高裁へ移動し、「公正な判決を求める署名」を提出した。JR東日本本社前では、「政府・JRの責任を追及するぞ」とシュプレヒコールをたたきつけた。
闘争団は、こうした行動をもって新たな闘いの道筋を示し、大会に臨んだ。
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週刊『前進』(2027号2面3)
労働現場から 組合でテロ弾劾論と対決し反戦演説
自治体労働者 小池 栄
九・一一同時多発ゲリラの翌日は職場全体が仕事が手につかない状態でした。労働者にとって今までの価値観がひっくり返る事態が起きたことと、これを口実に排外主義が必ず扇動されることを察知して、私はその日から「米帝はやられて当然だ。もしこれがおぞましい凶行だと言うなら、マスコミはなぜ九八年の米帝のアフガニスタン攻撃の時はまともな報道をしなかったのか」と口から泡を飛ばしていました。最初は周囲の反感を買うのではないかと思いましたが、小泉が米帝のしり馬に乗って、何のためらいもなく参戦する意志を固めたことから、何かおかしいという気運が労働者の中に広がりました。
単組の大会が近づいていることから、大会で「自衛隊の海外派兵に反対する決議」を上げようと思い、職場の組合員全員の連名で原案を執行部に提出しました。しかし対応は非常に冷たいものでした。侵略戦争が始まろうとしている時に組合で意志表示をしよう、という私たちの主張に執行部は理屈では何も反論できないものですから、「あなたはテロに賛成なのか」とか「組合を利用しようとしている」などの低水準な話に終始しました。
自分は絶対に安全な場所にいる人間が「後方支援はやむを得ない」とひとごとのように言ってのけたり、「邦人の犠牲者を何とも思わないのか」という愛国的な感情を「善意で」表現する少なからぬ労働者の姿を見て、日ごろの労働者教育がいかに大事かを痛感するとともに、正直言って泣きたい気持ちになりました。
その数日後、県本部の機関会議がありました。そこで県本部の指導部は「テロを許さない国際的な取り組みが必要」「米国の軍事政策も一定程度理解できる」などの驚くべき発言をしました。私は猛烈に反対意見を述べました。「あのゲリラは米帝の中東侵略戦争の結果起きていることであり、理由があるのだ。自治労は自治体の戦争協力を許さないことを方針化しているが、今の発言はそれと逆のことを言っている。戦争が始まれば現業を中心に軍事動員され、学校給食などでも食べ物が来なくなり、安全でおいしい給食は不可能になる。今の発言は現場の闘いとまるで逆のことを言っている」と。
わずかながら拍手が起こり、私の発言を擁護する発言も続きました。連合自治労がついに侵略戦争の水先案内人になっている今、体を張って反戦演説をして一ミリでもいいから侵略の道をくい止めることが必要だと思います。
もうひとつ足りないものがあります。それはこの時、県本部への「弾劾」発言に終始してしまい、「みんな立ち上がろう」と言えるほど、仲間をつくれていない現実です。もしたくさんの仲間がいれば、国労大会のようなことも可能になるはずです。大胆に展望をもって仲間を増やしていきたいと思います。
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週刊『前進』(2027号3面1)
参戦法案の委員会採決に怒り 反戦共同行動委 衆院議面前で徹底弾劾
「テロ対策特措法の強行採決を許さないぞ! 自衛隊の参戦を許さないぞ! アフガニスタン人民の無差別虐殺を許さないぞ!」
十月十六日、テロ対策特措法案と自衛隊法改悪案、海上保安庁法改悪案が衆議院特別委員会で採決強行された瞬間、渾身(こんしん)の怒りのシュプレヒコールが衆議院議面前にとどろいた。五時過ぎ、反戦共同行動委の隊列は機動隊の制止を突き破って衆議院議面前に詰め寄せた。日帝のアフガニスタン侵略戦争への参戦に対する強い危機感と怒りに燃えて、機動隊と激しくもみ合いながら弾劾をたたきつけた。採決強行とともに国会内で拍手が起こると、さらに激しい力の限りの抗議が続いた。
テロ対策特措法など三法案の委員会採決がこの日にも強行されるかという緊迫した情勢下、反戦共同行動委は終日、国会前座り込みを貫いた。闘う「障害者」の隊列が中央に陣取り、労働者・市民が次々と駆けつけた。小泉の戦争政策に危機感を抱く市民団体や宗教者、労働組合も合流し国会を包囲した。
座り込みでは参加者が次々とマイクを握って訴えた。都政を革新する会代表の結柴誠一さんは、「イスラエルの戦車に石を投げたパレスチナの少年はその後射殺された。これはテロではないのか。アメリカは湾岸戦争で二十万人のイラク人民を虐殺した。石油支配のために再び侵略戦争を行っている」と米帝の戦争の本質を暴いた。
全学連の大山尚行委員長は、「アメリカはピンポイント爆撃と言っているが、まったくウソだ。アフガニスタン民衆を大虐殺している。小泉首相はこのアメリカを『強く支持する』と言った。絶対に許すことはできない。自衛隊派兵は参戦でなくて何か」と法案絶対阻止を呼びかけた。関東「障害者」解放委員会のメンバーは、日帝が憲法の制約を踏み破って侵略戦争に出ようとしていることを弾劾し、「今こそ行動に立ち上がろう」と訴えた。婦人民主クラブ全国協は、原宿街宣で署名した高校生の率直な意見を紹介し、「運動の輪を広げよう」と呼びかけた。
委員会審議が大詰めを迎えた午後四時過ぎからは、さらに弾劾の声に力がこもった。五時過ぎには、国会入口に押し寄せてシュプレヒコールをたたきつけた。
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週刊『前進』(2027号3面2)
狭山闘争 “裁判長追いつめた” 全国連の青年ら連日行動
部落解放同盟全国連合会と部落解放共闘は十月三〜五日の三日間、東京高裁を正面ににらむ日比谷公園で「狭山異議審棄却阻止! 事実調べ・再審貫徹―座り込み連続要請行動」を闘い抜いた。三日間で合計二百五十人の部落大衆、労働者人民が全国から参加、全国連の部落青年、部落解放研究会の学生が座り込みの主軸を担った。
座り込みは交差点角の「カモメの広場」にテントを張って打ち抜かれた。荊冠旗がひるがえり、「高橋裁判長は事実調べ・再審をおこなえ」の横断幕が注目を集めた。日比谷公園や霞が関、有楽町で街頭宣伝を行い、毎日二千枚のビラをまいた。多くの都民が再審要求の署名と支援カンパを寄せた。また公園の中で、狭山紙芝居「わたしは無実!」を上演し、都民にアピールした。
高裁要請行動は初日は関東、二日目は関西、三日目は中四国・九州の全国連と解放共闘が中心になった。寺尾確定判決(七四年)と第二次再審棄却決定(高木決定、九九年)が、一切の真実を踏みにじった極悪の差別裁判であることが数々の新証拠で明白になっている。にもかかわらず、高橋裁判長は事実調べ要求を無視し、異議申し立て棄却を策動しているのだ。この東京高裁・高橋裁判長に、座り込み団を先頭に鋭い説得力と激しい怒りをこめた糾弾がたたきつけられた。
石川一雄さんの八・九アピールを体現し、人間としての純粋な憤りがほとばしる各支部の要請の前に、訟廷管理官らは前回の高圧的な態度を一変し、神妙な対応に終始した。
こうして三日間、狭山闘争の怒りの嵐が霞が関の官庁街を席巻した。狭山差別裁判が極悪の部落差別犯罪であること、これによって石川さんを始めとする部落民への差別と迫害が扇動され激化していることを強くアピールし、再審を求める闘いを強力に貫徹した。
また全国連と解放共闘は米・日帝のアフガニスタン侵略戦争に反対し、五日午前には、テロ対策特措法の閣議決定を弾劾し、国会への抗議行動を闘った。
最終日午後の総括集会で六人の座り込み団の青年が感想と決意を述べた。「闘いの正義を確信した」「われわれの闘いが高橋裁判長を追いつめていることを実感した」「たくさんの仲間と出会えた。これから青年がどんどん盛り上がって東京高裁をぶっ飛ばす」「全国の大学・職場に部落解放研究会をつくる」と、気合いの入った発言が続いた。
中田潔・全国連書記長が総括の発言を行った。「三日間、圧倒的に闘いをうちぬいた。闘いの中で若い部落解放戦士がたくましく誕生した。これをステップに力強い運動を全国でつくり出そう。棄却を阻止し、事実調べ―再審をかちとろう」と締めくくった。
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週刊『前進』(2027号3面3)
生存権奪う「医療制度改革」 健保は本人負担3割に
厚生労働省は九月二十五日、二〇〇二年度実施に向け「医療制度改革試案」を発表した。政府は年末までに最終案を決め、来年の通常国会に法案を提出し、十月施行をめざしている。
「医療制度改革」とは労働者人民から医療=生存権を奪う大改悪だ。社会保障制度の全面的解体攻撃は、戦争国家化・改憲、大資本攻勢と並んで小泉「構造改革」の基軸をなしている。その社会保障解体の最大の柱が「医療制度改革」だ。労働者人民が生存権をかけて立ち上がる時が来た。
高齢者医療は75歳以上に限定
厚生省の試案の内容は以下のとおりだ。
@被用者健康保険に加入する本人とその家族の患者窓口負担を現行の二割から三割(一・五倍)に引き上げる。国保・健保、外来・入院を問わず、患者の自己負担は三割となる。
A被用者の保険料徴収を現行の月収ベースから年収ベースに切り替え、中小企業に働く労働者が加入する政府管掌保険については、保険料率を引き上げる。
B高齢者医療制度の対象年齢を現行七十歳以上から七十五歳以上に段階的に引き上げ、患者窓口負担は完全一律一割とする。現行では一回八百円で月五回目以降は無料となる診療所の定額払い制度や、現行では外来で月三千円または五千円となっている負担上限制度を撤廃する。
C七十歳〜七十四歳の患者窓口負担を現行の一割から二割(二倍)に引き上げる。(財務省は、二割でも不十分として三割を主張している)
D高額療養費制度による患者負担の限度額を、月収五十六万円未満の場合は現行の六万三千六百円を七万二千円に、月収五十六万円以上は十二万千八百円を十四万円に引き上げる。
E難病患者や結核患者などの長期入院以外で六カ月以上入院している患者については「社会的入院」と規定し、ベッド代、食事療養費、看護料などについて医療保険からの給付をやめ、患者自己負担とする。
F医療費に占める割合が高い高齢者医療費の総額抑制のため、伸び率管理制度を導入する。
G医療費抑制のため、診療報酬と薬価を引き下げ、包括払い(病名に応じた定額払い)を拡大し、医療保険制度による給付の対象範囲を縮小する。
「医療制度改革」は、医療における国庫負担を削減し、医療を社会保障給付から金で買うサービス(商品)に転換する攻撃だ。それが労働者人民にもたらすものは、すさまじい生活破壊である。過酷な負担から必要な医療が受けられなくなる人が続出する。
病気を治し、老後も健やかに生をまっとうすることは、誰もが平等にもっている権利である。その保障は、労働者人民に養われている国と企業(資本家)の義務なのだ。社会的生産の担い手として、社会のすべてを支えてきたのは労働者人民だ。国が労働者人民の病気や生命の面倒を見ないと言うならば、一握りの資本家のためのそんな国家など打倒して、労働者人民が取って代わる以外にない。
労働者本隊の力で制度改悪阻め
「これ以上、医療(社会保障)に金をかければ国の財政がもたない」と言って国の責任を放棄し、「自立自助」「痛みを分かちあえ」と労働者人民に責任を転嫁する攻撃を絶対に許すな。「膨張する医療費が国を滅ぼす」などと言われるが、実際には現状でも医療はまったく不十分だ。欧米諸国に比べても、日本の社会保障給付の水準ははるかに低い。給付の全面的増額こそ必要なのだ。百兆円もの公的資金を銀行救済のために注ぎ込みながら、その何百分の一に過ぎない医療費について「伸びを二千八百億円削ること」を予算の至上命題にするとはどういうことか!
この「医療制度改革」の理不尽さ、デタラメ性! 労働者人民のいのちと暮らしを奪う一線を超えた攻撃こそ、小泉「構造改革」の破綻(はたん)点であり、人民の資本主義への怒りの発火点となるものだ。
「医療を守れ。生存権死守」の声を上げ、団結して立ち上がれば必ず勝てる。高齢者の決起で燃え上がった介護保険闘争を見よ。今こそ労働者の底力を示そう。労働者本隊の決起で医療制度改悪を阻もう。
十一・一一労働者集会に総結集し、小泉「構造改革」粉砕に立ち上がろう。
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週刊『前進』(2027号3面4)
小泉改革と闘う新潮流を 11月労働者集会成功のために 7
社会保障の全面解体 労働者に犠牲を転嫁
年金・医療・介護の抜本改悪 労働運動こそ反撃の軸に
米帝のアフガニスタン侵略戦争への突入で世界情勢は第三次世界大戦への道に突入した。世界恐慌が一層深まる中で、一切の犠牲を労働者人民に転嫁しようとする攻撃もいよいよ激しさを増している。労働者人民はまさに闘わなければ生きられない時代に突入した。
今回は、小泉「構造改革」の重大な柱の一つである、日帝の社会保障制度全面解体の攻撃について見ていく。
資本救済策の確定拠出年金
この十月一日から日本版401kと呼ばれる確定拠出年金制度がスタートした。日本版401kは、バブル崩壊後、資本の年金や退職金への積み立て不足が深刻化し、新会計基準の導入で資本の危機が一層深刻化する中で、資本救済策の一環として導入された。
確定給付型年金の積立金の運用責任は企業にあったが、確定拠出年金では加入者が個人ごとに積立金を管理することになっている。
労働者の退職金や年金がなくなる危険性をはらんだ年金改悪が今一歩進められたのだ。
日本版401kのもう一つの特徴は、転職先が確定拠出年金を導入している場合には積立金をそのまま移管できる仕組みになっていることだ。政府はポータビリティ(携帯性)があると宣伝するが、その狙いは労働者の出向・転籍を始めとしたリストラ・首切りを容易にすることにある。資本は、一切の犠牲を労働者に転嫁して生き残ろうとしているのだ。
さらに積立金運用において運営管理機関が系列会社を選択せざるをえず、自社株での運用が実質的な強制になった場合には、資本にとっては労働者の賃金で自社株を買い支えるという利点がある。一方、労働者は企業倒産の際に年金の一部を失うことになる。また運営管理機関の失敗も労働者の犠牲に転嫁される。
すでに日立、トヨタなどいくつかの資本が日本版401k導入を表明しているが、日立については自社株を運用商品に含めることを決めており、さらに三越は確定拠出型に全面的に移行することを決めている。大手資本で導入を検討している企業は、半数程度に上っていると見られる。
国民年金=基礎年金(厚生年金などの定額部分)の支給開始年齢の段階的引き上げが、すでに今年四月からスタートしている。二〇一三年には支給開始が六十五歳からとなる。
報酬比例部分についても二〇一三年から支給開始の段階的引き上げが始まる。
医療の剥奪へ厚労省が試案
日帝の社会保障制度解体攻撃のもう一つの重大な柱が、医療制度改悪だ。
厚生労働省は九月二十五日、「医療制度改革試案」を発表した。
その内容は、健康保険の患者の本人負担を二割から三割に引き上げる、保険料を月給だけでなく一時金にもかける、高齢者医療制度の対象年齢を七十歳から七十五歳に引き上げる、医療費抑制のために診療報酬と薬価を引き下げ、包括払いを拡大し、医療保険の給付対象を縮小するなど、実にすさまじいものだ。(別掲記事参照)
さらに来年度予算では医療費の国庫支出を三千億円減らそうとしており、これは実際の医療費ベースでは一兆二千億円の削減だ。この分が労働者とその家族の負担としてずっしりとのしかかってくるのである。
こうした攻撃は一方で、医療機関が営利企業と化し、リストラ、外注化などの攻撃が吹き荒れ、医療労働者のパート化、低賃金、労働強化を一層強めるものとなる。それが医療の荒廃、医療事故の増加につながることは避けられない。
介護保険が攻撃の突破口
医療制度改悪を柱とする社会保障制度解体の突破口として強行されたのが介護保険制度の導入であった。介護保険実施から一年半、そのすさまじい矛盾は労働者人民の生活に激しく襲いかかっている。
介護保険強行によって生み出された現実はいかなるものか。
特徴的なことは第一に、お金のない高齢者から介護が奪われたことだ。それまでの自治体による介護の場合、応能負担によって低所得者は無料で介護を受けられた。だが、介護保険になってからは、要介護認定を受けても利用者の自己負担があり、低所得者は必要な介護を削らざるをえず、介護を受けられなくなってしまった。
介護保険の家事援助を利用しつつ実際の介護は家族が担うことでやりくりしようとしても、介護企業は複合型や身体介護でなければ仕事を引き受けようとしない。家族の誰かが仕事を辞めて介護せざるをえない状況も生まれている。
また、介護が必要でも利用料の自己負担のために家事援助しか頼めないケースは、社会福祉協議会などの非営利的機関が受けざるをえない。それは、結局は労働者に極限的な強労働を強いるものとなる。
利用料負担に耐えられないために特養ホームなどの施設に入ろうとしても、施設の絶対的不足で二年待ち三年待ちというのがほとんどだ。待機者はますます増えていく一方だ。介護の負担は、家族に一層重くのしかかっている。
第二に、介護保険料それ自体が、わずかな年金で生活している高齢者に対して生活破壊の重圧として襲いかかっている。
政府は「高齢者は金持ちだ。応分の負担を」と言って介護保険料と利用者の自己負担を導入した。しかし多くの高齢者は月十万円以下の年金しか受け取っていない。女性の場合は平均でも五万円を割っている。そこから電気、水道などの経費、医者代などを引けば、一日の食費が数百円しか残らない。そこに十月一日から介護保険料満額徴収がのしかかってきたのである。まさに高齢者に死ねと言わんばかりの攻撃だ。こうした中で、実際にも心中などの悲惨な事件や事故が相次いで起こっている。
第三に、介護保険によって国、自治体の費用負担が削減された結果、施設や訪問介護においても労働強化がもたらされ、介護事故が増加している。
全国老人保健施設協会の調べでは、保険金支払いの対象となる事故が転倒や転落を中心に多発していることが明らかになっている。事故は九九年十月からの一年間で前年同期の一・七倍に急増した。廊下などでの転倒が二百十七件と最多。ベッドなどからの転落が四十二件で、転倒、転落が全体の六割強を占めた。死者は二十七人で、それ以前の五年間の総死者数を上回る急増ぶりだ。
事故の原因は、労働者の削減で注意が行き届かなくなっていることにあるのは明白だ。政府・厚労省は「背景に身体拘束の禁止がある」としているが、実際には夜間などは身体拘束をしなければ対応できない実態が存在するのだ。
第四に、ごく一部の高額所得者にとっては、これまで全額自己負担だった介護に保険からの支出がなされ、保険料も比較的軽いことによって、負担は大きく軽減された。
こうしたごく一部の層を対象に、介護保険利用料のほかに、個室付きで部屋代が月十万円を超える施設をつくる動きも出つつある。施設入所の待機者がますます増える一方、月十万円以上の部屋代を自己負担できる層はいつでも施設に入れるという、あからさまな格差が生み出されようとしているのだ。
このように、多くの高齢者から取り上げた介護保険料で、ごく一部の高額所得者が介護を受けているというのが介護保険の実態だ。
介護保険を導入した日帝の狙いは、社会保障への国の財政負担を大幅に減らす一方で、この分野を資本の利潤追求の場に提供することにあった。医療制度改悪の狙いもまたしかりだ。
攻撃の先兵となった連合
今回出された医療制度改悪が強行されれば、労働者人民は高額医療費の負担を強いられる。金がなければ病院にも行けなくなる。
連合は介護保険導入の先兵となり、医療制度改革についても「国民医療費は増加の一途をたどっており、抜本改革が必要」と社会保障解体のお先棒を担いでいる。連合支配を打ち倒し、闘う労働運動の新たな潮流の登場が求められている。十一・一一労働者集会の大成功をかちとろう。
アフガニスタン侵略戦争参戦へと突き進む小泉政権打倒の反戦闘争、小泉「構造改革」による労働者の首切り・リストラ、賃下げ、倒産攻撃などの一大資本攻勢に対する闘いと結合して、社会保障制度解体攻撃を打ち破ることを労働運動の戦略的課題に据えて闘い抜こう。
〔柿坂信二〕
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週刊『前進』(2027号3面5)
動労千葉冬期物販に決起を 国鉄闘争勝利を訴えよう
動労千葉は九月三十日−十月一日、第三〇回定期大会を開催した。今大会で中野委員長、布施副委員長が勇退し、田中委員長−中村書記長体制を確立した。
動労千葉は、「全組合員の力を結集して『大失業と戦争の時代』にたち向かい、二十一世紀に通用する新世代の動労千葉を創りあげよう」のメインスローガンのもと、新執行部を先頭に決起している。
当面する最大の闘いは物販闘争だ。動労千葉は今、新執行部を先頭に全国各地で物販オルグを展開している。
物販闘争こそ、新執行部を先頭とした「新世代の動労千葉」を支援する最大の闘いだ。国鉄闘争−日本労働運動における動労千葉の位置をあらためて明確にして、総決起しよう。
物販闘争のポイントの第一は、千四十七人の解雇撤回−国鉄闘争勝利を全力で訴えることである。
動労千葉は「『四党合意』による国鉄闘争解体攻撃をはね返し、一〇四七名の解雇撤回・原職復帰をかちとろう」のスローガンを掲げて闘い抜いている。
国鉄闘争は、小泉の「聖域なき構造改革」と最前線で対決する、全労働者の利害をかけた闘いだ。小泉政権は郵政民営化、特殊法人の廃止・民営化、NTTの十一万人首切り、「公務員制度改革」と、国鉄分割・民営化型の攻撃をかけている。すべての民間企業で、倒産・首切り・賃下げの国家的大リストラと言うべき攻撃が吹き荒れている。
小泉「構造改革」は、その最大の「障害物」である国鉄闘争を解体せずには貫徹しえない。一・二七国労大会に続いて、十・一三−一四の国労大会にも国家権力・機動隊が導入された。これは、国鉄闘争を暴力的に解体するという敵の意図を示している。
しかし、そうした攻撃への不屈の反撃が始まっている。動労千葉は百二十時間の春闘ストライキを打ち抜いた。四党合意に反対する国労闘争団を先頭に、五月三十日、日比谷公会堂に三千人が結集した。十月国労大会では、四党合意を強行する国労本部のデマとペテンが暴かれ、その不正義が明らかになり、国労闘争団を先頭に四党合意絶対反対を掲げて闘う陣形が大きく形成された。
こうした中でこそ、物販闘争に全力で決起し、国鉄闘争支援運動を新たにつくり出さなければならない。
第二は、「動労千葉から学ぼう。動労千葉のように闘おう」と、動労千葉の闘いを真正面からトータルに訴えることである。
動労千葉は「資本主義にノーと言える労働運動」を掲げ、階級的団結の強化・拡大を総括軸にして闘い抜いている労働組合だ。そして、「資本家階級と労働者階級の利害は非和解だ」という階級的視点を闘いの指針に据えている。
今、労働組合に求められているのは、こうした労働者階級の立場−階級的考え方だ。世界大恐慌と第三次世界大戦が急迫する時代において、労働者が階級性と団結を取り戻すことが切実に求められている。そうしなければ生きていけない時代に入っている。
動労千葉は、団結することが労働者の生き方そのものであることを、具体的闘いをとおして実践している労働組合だ。労働者の誇りを取り戻そう。団結こそ、労働者の命である。
第三は、国鉄闘争勝利、国家的大リストラ粉砕、戦争反対を掲げて、闘う労働運動の新しい潮流をつくりあげることだ。十一・一一全国労働者総決起集会への総結集と結合して、物販闘争に立ち上がろう。
今、労働者には時代への危機感と怒りが満ちている。動労千葉のような闘いを心から求めている。歴史的転換期の中で、労働者は激しく流動している。それに応じる新たな決意で、新世代の動労千葉を支える物販闘争に立ち上がろう。
〔販売品目〕
1 とっとこハム太郎 1,200
2 防犯窓ロック 1,480
3 丹波の黒豆 500
4 天津甘栗 500
5 函館こがね 1,000
6 食べるしいたけ 500
7 焼カシューナッツ 600
8 メイトーのど飴 700
9 ドリップオンコーヒー 600
10 韓国海苔 800
11 純米焼酎 2,000
12 丸大ハム詰合せ 3,000
13 落花生 2,000
14 白菜キムチ 600
15 静岡茶 600
16 モカブレンド 1,200
17 松前漬 750
18 カマンベール
チーズケーキ 1,000
19 こんぶ飴 1,000
20 ゆでスパゲティ 1,000
21 ポケットチーズ 700
22 ソフト貝柱 850
23 種ぬきプルーン 1,000
24 アソート
チョコレート 1,300
25 スモークチーズ 900
26 いわしみりん干 1,200
27 即席みそ汁 1,200
28 喜多方ラーメン 1,000
29 博多ラーメン 1,000
30 札幌ラーメン 1,200
31 讃岐うどん 1,350
32 北信濃手折りそば 1,600
33 根昆布しょうゆ 600
34 ひじき 600
35 潮わかめ 1,000
36 日高昆布 1,000
37 だしパック 1,200
38 焼のり5帖 1,700
39 紀州梅干 2,200
40 ビーフカレー20食 3,000
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週刊『前進』(2027号3面6)
訂正
前号3面の九・二八集会の記事で、「高英雄関西生コン支部副委員長」とあるのは「高英男関西生コン支部副委員長」の誤りでした。おわびし、訂正します。
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週刊『前進』(2027号4面1)
三里塚の力で参戦粉砕を
「暫定」4月開港阻止6カ月決戦に立とう 闘う敷地内農民守りぬけ
不屈の反対同盟が総力決戦宣言
アメリカ、イギリス帝国主義は十月七日、ついにアフガニスタン侵略戦争を開始した。これは第三次世界大戦の危機をもはらむ世界史的激動の始まりである。「ビンラディンとタリバンへの軍事報復」という形で、実は、中東―アラブ―中央アジアの天然資源、勢力圏をめぐる米欧日帝国主義の争闘戦が火を噴いているのである。
それは、ロシア、中国などを巻き込みつつ旧スターリン主義国、残存スターリン主義国の転覆・取り込み・市場の争奪という要素をもはらんで、アジアにおける戦争的危機を激化させている。
小泉政権は、以上の帝国主義間争闘戦に直面し、日帝を延命させるための゛歴史的決断″をした。戦後五十年間、日帝支配階級の課題となりながら、一貫して「克服」できなかった「敗戦帝国主義からの脱却」というテーマを、アフガニスタン侵略戦争への参戦国化という形で一気になしとげようとの踏み込みを行ってきたのである。
軍事力をむきだしにした新たなアジア勢力圏の構築に向けて、戦争攻撃を一気に強め、帝国主義間争闘戦に本格的に参戦しようとしているのである。これは新たな「十五年戦争」過程の始まりであり、戦時下の階級闘争ともいうべき激戦の開始である。
以上のような政治・軍事的踏み切りをもって小泉政権は、テロ対策特措法制定、自衛隊法改悪の強行へ、全体重をかけて乗り出してきたのだ。
こうした戦争国家化攻撃に真っ向から対決して三里塚反対同盟は十月七日、「暫定滑走路四・一八開港阻止全国集会」を開催し、「来年四月までの六カ月間を総力決戦として闘う」闘争体制を打ち固めた。「今こそ反戦・反権力の砦(とりで)=三里塚闘争が決起すべき時である」との宣言をもって、小泉戦争攻撃との闘いの最先頭に立つ決意を打ち固めたのである。
暫定滑走路開港攻撃は、反戦闘争としての三里塚闘争の破壊を狙いとして強行されようとしている。空港政策としての合理性など一片もない。航空需要が激減した中で、成田空港の過密状態が解消して同滑走路の建設理由はなくなった。にもかかわらず、日帝・小泉政権は、来年四月開港をしゃにむに推し進めようとしているのだ。これらの事実が、暫定滑走路開港攻撃の狙いを示している。
そして、アフガニスタン侵略戦争にともなって、成田空港が軍事空港としての本質を完全に露呈し始めたことも警鐘乱打しなければならない。航空自衛隊や陸上自衛隊が成田から出撃しようとしている。米本土からの地上軍派兵の戦略的空輸基地として、成田が軍事転用されようとしている。成田空港の侵略出撃基地化を全人民の力で阻止せよ。
反対同盟の闘いに連帯して、暫定滑走路開港阻止六カ月間決戦に立とう。三里塚を先頭に日帝のアフガニスタン侵略戦争参戦国化を阻止しよう。
航空需要激減し 必要ない「暫定」
九・一一反米ゲリラによって航空需要が世界的規模で落ち込み、「過密」を理由としてきた成田の暫定滑走路は建設の必要はなくなった。
世界の航空需要は、九・一一反米ゲリラによって激減している。
アメリカでは需要減のため、業界全体で運航便を二割以上も減便し、十二万人から十四万人の人員を削減することを発表した。
トップ十の航空会社のうちコンチネンタル航空(五位)、USエアウェイズ(六位)、アメリカウエスト航空(七位)の三社が倒産確実と言われている。世界最大の航空機メーカーであるボーイング社も、民間機部門の人員二割を削減し、むこう三年間の製造計画を二割以上下方修正すると発表した。
また、すでに経営危機にあったスイス航空やベルギーのサベナ航空は、〈九・一一〉による航空需要下落でとどめを刺され事実上倒産した。
これらの「航空危機」はアジアのゲートウェイ成田空港をも直撃している。成田発着の米国路線は、乗客が三割から四割落ち込み、軒並み減便している。
アジア路線も同様である。「フィリピンのセブ島に向けて離陸したフィリピン航空便は、満席で二百八十人が乗れるのに搭乗した客は三十八人、空気を運んでいるようなものだ」(十月十四日付朝日新聞)と報道されている。
これで「成田の過密」は完全に解消された。四千b滑走路の発着枠はガラ空きとなり、暫定滑走路に回す予定だった路線もすべて現在の四千b滑走路で処理できる事態となった。
暫定滑走路の発着需要は多く見積もっても年間一万回だが、A滑走路の需要(年間十三万回)が三割落ち込んだ結果三万九千回分の余裕ができ、すべてA滑走路でまかなえる状態となった。(注)
国土交通省は、「現状ではテロへの報復がどの程度続くか不透明で、暫定滑走路の需要を予測することさえ困難を極める」と悲鳴を上げている。
これは数カ月で終わる話ではない。戦争自体が長期化することは必至である上、戦争が終わった後も、世界経済の恐慌突入によって、「航空需要はむこう三年は回復しない」というのが、業界関係者の認識だ。
暫定滑走路などあらゆる点から見て必要ないのだ。
ところが、日帝・小泉政権は、あくまで暫定滑走路攻撃を強行しようとしている。その目的は、反戦の砦としての三里塚闘争を破壊することである。
日帝国家権力が最も恐れていることは、三里塚闘争が広範な労働者階級の闘いと合流すること、この一点である。
三里塚闘争は、実力闘争・武装闘争的質の高さ、国家権力に対する徹底非妥協性において、日帝権力と最も鋭く対決している。
この三里塚の闘いが、日帝の参戦国化攻撃に怒り、「聖域なき構造改革」なる大失業攻撃と対決して決起する労働者階級の闘いと結合した時、それは、帝国主義の支配を揺るがす革命的激動に転化する。
戦前、共産主義運動はもちろん一切の労働組合、農民組合が弾圧され、最後は俳句などの文化運動までが、「挙国一致体制」の名のもとに根絶された歴史を想起しなければならない。
内乱の砦として、日帝権力の戦争政策と最も鋭く闘うがゆえに、小泉政権は三里塚闘争破壊に重点を置き、問答無用の治安政策として暫定滑走路開港攻撃を強行しているのだ。
八月二十四日、国家公安委員長の村井仁が五年ぶりに三里塚現地を視察し、「成田問題は治安政策の歴史そのものだ」との異例のコメントを行った。日帝警察は、治安政策の焦点に三里塚弾圧をすえて攻撃してきている。
反対同盟の宣言した「六カ月決戦」は、日帝・小泉政権の戦争攻撃と対決する戦闘宣言である。
(注)公団は当初「六万五 千回」の需要が見込めるなどとウソを振りまいていたが、公団がホームページに発表した資料によって、多くても年間一万回の需要しかないことが判明した。
成田の中東侵略出撃基地化阻め
アフガニスタン侵略戦争の開始と小泉政権による参戦国化攻撃の中で、成田空港を侵略出撃基地として使う攻撃が全面化している。
九月二十九日、空自・陸自の先遣隊が、成田空港から出発した。さらに十月六日、C130輸送機六機が、愛知県小牧基地から那覇、フィリピン、インドを経由してパキスタンのイスラマバード空港に飛んだ。
このC130輸送機は、もともと成田空港から出発する予定だったが、十・七三里塚全国闘争と重なり、警備上の理由から成田出発を断念した。物資は、成田空港近くの倉庫から空輸で小牧基地に送られた。
しかし、成田空港が空自C130の出撃基地に位置付けられているのは、今年二月のインド地震への派遣を見ても明らかだ。
小泉政権はさらに、成田空港を陸上自衛隊の出撃基地にする攻撃も準備している。小泉政権は米軍支援法の制定を強行し、「野戦病院警備」「難民キャンプ警備」などの名目で陸上自衛隊や航空自衛隊をパキスタンの前線近くに派兵しようとしているが、これらも成田空港から出発する。
部隊の派兵には、三日も四日もかかる空自輸送機ではなく、わずか十一時間で飛べる民間機が使われ、それらが成田空港から出発するのである。
反対同盟は「有事の際に成田は軍事基地になる」と一貫して弾劾してきたが、成田空港が自衛隊の部隊であふれかえる事態が現実化しようとしている。
それだけではない。成田空港は、朝鮮侵略戦争計画5027の転用として、米地上軍派兵の戦略的空輸基地にすら利用されようとしている。アフガニスタン侵略戦争では、地上戦突入後、タリバンの転覆・武装解除のために、二十万人規模の陸軍、海兵隊が必要といわれている。
これらは米本土からパキスタンに派兵されるが、この際の空輸手段は湾岸戦争でフル回転したCRAF(民間予備空輸隊)の民間チャーター便となる。「朝鮮有事」の際に来援米軍の空輸基地に位置付けられていたのと同様、成田空港は、今度はアフガニスタン侵略のための二十万規模米軍の戦略的空輸基地として使用される可能性がきわめて高い。
そして、暫定滑走路自身が、三千七百bへの延長を前提とした軍用滑走路である。北にずらした八百b分に、もともと平行滑走路として計画されていた二千五百b分を足し、さらにすでに誘導路の名目で滑走路延長用に舗装してある四百b分を加えると、全部で三千七百bになる。
三千七百bの滑走路とは、米軍横田基地(三千三百五十b)以上の長さで、事実上二本目の四千b級滑走路の整備となる。B52戦略爆撃機やC5ギャラクシークラスの離発着に対応できる軍用滑走路の役割を十分に担えるのだ。
成田空港は今や文字どおりの軍事空港に変貌(へんぼう)しようとしている。「成田空港をアフガニスタン侵略戦争の出撃基地にするな」という反対同盟の呼びかけにこたえ闘おう。暫定滑走路の四月開港を実力で阻止しよう。
農民圧殺許すな 反対同盟守ろう
以上のような三里塚闘争破壊のための暫定滑走路攻撃が、三十六年間の成田空港建設の中でも最悪の農民殺しの攻撃として強行されようとしているのだ。
まず何よりも同滑走路が空港反対農家の頭上四十bにジェット機を飛ばし、家の前五十bにジェット機を自走させることで農民を追い出す、暴力団以上の地上げ攻撃として強行されようとしている。もちろん航空法三九条違反であり、シカゴ条約違反でもある。
「法も人権もおかまいなし」という国家権力の本質をむきだしにして、三里塚農民に襲いかかっているのだ。この暴虐を絶対に粉砕しなければならない。
しかも滑走路としての有用性などまるでない。短縮滑走路のため、成田空港利用の九割を占めるジャンボ機が離発着に使えず、使えるのは、せいぜいB767などの中型機だけとなった。その中型機ですら路線を敷けるのは、韓国、中国、ベトナムなどのアジア近距離便だけだ。
このため当初「六万五千回」などと宣伝されていた乗り入れ需要は、前述したように、多くても一万回という事態に追い込まれた。そして現在の航空需要激減で、暫定滑走路の必要性が根本から否定されている。
また、着陸航空機に滑走路の位置を知らせる進入灯火や高度を知らせるローカライザーなど付帯設備群は、天神峰や東峰部落の農家・生活道路から手の届く位置にあり、きわめて不安定であって、航空機の安全すら無視している。
こうしたデタラメのすべてにほおかむりをし、「飛ばして追い出す」ことで、すべての矛盾を隠蔽(いんぺい)しようとしているのである。
これに対して、反対同盟は十・七集会で、「開港阻止六カ月間決戦」を断固として宣言し、あくまで農地を守りぬいて闘う決意を明らかにした。したがって、暫定滑走路の開港自体が、これまで隠されてきた一切の矛盾を満天下にさらすことになり、末期的危機に転化することは必至である。不屈に闘いぬく反対同盟と連帯して、暫定滑走路を粉砕しよう。
暫定滑走路開港阻止に向けた六カ月間決戦に猛然と決起しよう。
任務・方針の第一は、飛行テスト、慣熟飛行など日々強まる開港攻撃圧力に対して的確に反撃し、現地実力闘争を闘いぬくことである。そして反対同盟の緊急闘争の呼びかけに断固としてこたえぬこう。
第二は、援農や現地調査など反対同盟を激励する現地行動を組織し、ともに闘いぬくことである。十・七闘争に参加した京都大学や大阪市立大学の学生は約一週間の援農闘争、激励闘争を闘った。関西実行委員会の労働者も援農に入った。こうした現地闘争に全国からかけつけよう。
第三は、革命軍による革命的武装闘争の断固たる爆発である。十・二千葉県幹部・生田昌司宅爆破戦闘に続き、嵐(あらし)のようなゲリラ戦をたたきつけよう。
第四は、来春三・三一現地闘争、四・一四全国闘争にかつてない大結集をかちとることである。暫定滑走路阻止決戦を日帝・小泉政権によるアフガニスタン侵略戦争参戦国化阻止の闘いとして爆発させよう。
〔斉田 猛〕
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週刊『前進』(2027号4面2)
試験飛行に反撃 10・15反対同盟が緊急闘争
国土交通省は十月十五日から暫定滑走路の航空保安無線施設の飛行検査を開始した。暫定滑走路がまだ完成していないにもかかわらず、来年四・一八開港を既成事実化し、その圧力で農民をたたき出すためにのみ飛行テストを開始したのである。十月二十九日から民家の上空でのテスト飛行を強行しようとしている。
三里塚反対同盟と現地支援連は、この日午前、市東孝雄さん宅南側の東峰部落開拓道路に百人が集まって怒りの緊急抗議闘争を闘った。
「飛行テストを絶対に許さない。六カ月間決戦の第一歩として本日を闘いぬく」。反対同盟の伊藤信晴さんの声が響いた。
北原鉱治事務局長が「勝利の展望が見えている。テスト飛行をやったところで完全なものはできない」と飛行テストの破産を宣告した。「北総住民の間に生活や環境問題などの不安が広がっている。これは三十六年前と同じ状況だ」
全学連の大山尚行委員長が発言に立った。「アフガニスタン侵略戦争のただ中で強行されることを強く弾劾する。闘うイスラム諸国人民、闘うアジア人民と固く連帯した国際反戦闘争として闘おう」
敷地内デモに出発。先頭には反対同盟旗を掲げた鈴木謙太郎さん、市東孝雄さんが立った。小見川県道から東峰部落を周回し東峰十字路へ、フェンスで封鎖された東峰十字路を左にう回して開拓道路に進んだ。
途中で東峰神社に立ち寄った。六月の強行伐採で杉の大木も竹林も無残に切り倒されたが、すでに竹はスクスクと成長している。
萩原進事務局次長が「時間はかかるだろうが東峰神社を元の姿に戻す」と決意を語った。
北側の開拓道路は暫定滑走路に突き出た槍(やり)だ。周囲は高く盛り土され道路は堀の底のようだ。
本部役員の鈴木幸司さんが「なぜこんな滑走路を造るのか。戦争が迫っているからだ。三里塚闘争は絶対に譲れない闘いだ。命をかけて闘う」と断言した。
都政を革新する会代表の結柴誠一氏と婦人民主クラブ全国協議会が連帯のあいさつ。最後に北原事務局長が「闘う市東さん、萩原さんがいる。勝利は間近だ」と宣言した。
再び東峰から天神峰へデモ行進。午後から、JR成田駅前と空港北側地域で宣伝活動を行った。
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週刊『前進』(2027号4面3)
日本原 兵士に反戦訴え “侵略の銃を握るな”
九月三十日、岡山県にある陸上自衛隊日本原駐屯地で「自衛隊創立記念式典」が行われ、中四国反戦共同行動委員会の労働者・学生は弾劾闘争に決起した。
駐屯地正門前で「アメリカの報復戦争反対! 自衛隊の戦争参加許すな!」と書いた横断幕を掲げ、参加者への宣伝を展開した(写真)。防弾チョッキ、迷彩服の自衛官が警備に立っている。
その後、式典会場のグラウンドが一望できる位置に移動。金網フェンスには青いビニールシートがかけられ、背の高いトラックが並べられ、外から会場が見えないようにしてある。駐屯地司令のあいさつを直撃するように、「アジア・中東人民に銃口を向けるな! 侵略出兵を進める翼賛式典弾劾」とシュプレヒコールをたたきつけた。
戦車、装甲車、ホーク対空ミサイルなどの観閲行進が行われた。上空からは兵員輸送ヘリのアパッチ戦闘ヘリが飛来する。戦闘模擬訓練だ。横断幕を高々と掲げ、怒りのシュプレヒコールを続けた。
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週刊『前進』(2027号4面4)
高見不当免職から10年 芦屋局に怒りの弾劾
九月十四日、一九九一年の兵庫県芦屋郵便局による「精神病者」差別の高見免職十年弾劾芦屋局門前闘争を二十人の結集で闘った。
全逓、民間の労組、「精神病者」、「障害者」などがわがこととして結集した。当該の高見元博さん、全逓の労組交流センターの仲間が発言した。「精神病者」をその障害ゆえに「能率が悪い」として行われた十年前の首切りがいかに不当で差別的であったのかが暴露された。
いよいよ本格化する公社化、民営化攻撃で「障害者」「能率の悪い者」への不当解雇が大規模に進められようとしている中で、十年間、原則を曲げず闘ってきた闘争の真価が発揮されようとしている、郵政公社化、民営化攻撃は、労働者の支持を得ておらず、全逓組合員が団結して闘えば必ず阻止できると訴えられた。
「精神病者」集団・虹の会の音頭によるシュプレヒコール(写真)を挟みながら発言が続いた。関西合同労組の中で闘う「精神病者」、関西合同労組本部、倒産攻撃と闘う関西合同労組A分会、全逓B分会、関西「障害者」解放委員会が発言した。
闘争は終始戦闘的雰囲気で闘われた。芦屋分会組合員は積極的にビラを受け取り、高見さんに話をしてくる労働者もいる。当局は六人の管理職を動員して監視体制をとったが、芦屋分会現場組合員の怒りの前に無力だった。
この日の闘争で、「精神病者」の首切りを当該者だけの問題とせず、民間労組が郵政の問題を闘い、全逓組合員が「精神病者」の解放を闘い、「精神病者」が労働者の解放を闘う、すばらしい構造がつくられた。
処分から十年もたつと多くの闘争は息切れし、闘争自体がしぼむことが多い。そうした中、当初よりも多い人数で闘われたことの意義はきわめて大きい。これからいよいよ郵政公社化、民営化攻撃によって、今までになかった多数の現場組合員が闘争の中に身を投じようとしているこの情勢の中で、高見闘争が闘争開始時以上の陣形をもってこれらの全逓組合員と結びつこうとしている。
各職場から、郵政公社化、民営化攻撃を打ち破る決起を実現し、それと高見闘争を結び付けて解雇撤回闘争の新時代を切り開こう。その突破口は完全に切り開かれた。
(投稿・全逓労働者A)
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週刊『前進』(2027号4面5)
2001年日誌 阻もう!改憲=戦争への動き 10月9日〜16日
小泉訪韓に激しい抗議闘争 日共が海保法改悪案に賛成
●ブッシュ、攻撃の無期限化表明 ブッシュ米大統領が議会に、アフガニスタンへの軍事攻撃に踏み切ったことを正式に報告。その中で「戦闘行動がどのくらい続くか、また、テロの脅威に対抗するために必要とされる軍隊の範囲と配備期間がどのくらいになるかは、現時点では分からない」などと述べた。(9日)
●活動地域拡大も 小泉純一郎首相が参院予算委員会で、米帝がアフガニスタン以外に武力攻撃を拡大した場合、「日本が主体的に考える。日本として、その時点で、もし協力が必要なら、できるだけの協力をする」と述べた。(10日)
●米軍司令部に自衛官を派遣 日本政府が自衛隊の参戦を速やかに開始するため、アフガニスタン攻撃を担当している米中央軍司令部や米太平洋軍司令部に自衛隊の連絡士官を派遣するなどの米との調整を急ぐ方針を固めた。(9日)
●「突発テロは非戦闘行為」と小泉 衆院本会議で小泉首相は「突発的なテロ行為などは戦闘行為にあたらない」と述べ、自衛隊が活動を休止し避難する必要はないとの認識を示した。(10日)
●米軍が特殊爆弾を使用
米軍がアフガニスタンへの空爆で「バンカーバスター」(GBU28)や「クラスター(集束)爆弾」などの特殊爆弾を使用した。バンカーバスターは、地中の防空ごうの破壊が目的で、小型戦術核に匹敵する破壊力を持つ。クラスター爆弾は、空中でさく裂して広がった小弾頭が連鎖的な爆発を起こし、あたり一面は焼夷(しょうい)弾で爆撃されたような高温に達する。(10日)
●沖縄のホテル組合が国に補償要求 戦争勃発で沖縄への観光客が激減する中、沖縄県ホテル旅館生活衛生同業組合が、キャンセル続発は「基地集中から派生した災害」として、国の補償を求めた。(10日)
●衆院特別委で審議始まる
テロ対策特措法など参戦三法案の審議が衆院テロ対策特別委員会で始まった。小泉首相は武器・弾薬の輸送について「各国と協力して物資輸送する際に、日本だけが武器・弾薬があるかどうか、いちいち確かめることができるのか」と述べ、法案から輸送を除外することを拒否した。中谷元・防衛庁長官は自衛隊の武器使用基準について「具体的な被害が発生する以前でも、やむを得ない限度で武器により危害を与えることも許容される」と述べ、先制的な武器使用も可能との見方を示した。(11日)
●駐米大使が自衛隊艦隊の早期派兵を要請 柳井俊二駐米大使が田中真紀子外相にあて、自衛隊艦隊の早期派兵などを求める意見具申をしていたことが明らかになった。(11日)
●武器使用は「指揮官の常識で」と小泉 衆院特別委で小泉首相は自衛隊の武器使用基準について「近くの仲間が危機にひんしていれば常識で助けることができるんじゃないか。そこは常識でやりましょうと。ある程度、現場の指揮官に判断できるのではないか」と述べた。(11日)
●自衛隊派兵前に現地へ調査団 小泉首相は衆院特別委で「政治家として、自衛隊を派遣していい状況かどうか判断しなければならない」と述べ、与党などの現地調査団を派遣する意向を示した。(11日)
●米軍ヘリが不時着 沖縄県の国頭村安田の沖縄県乳用牛育成センター敷地内に在韓米陸軍所属のヘリMH47が不時着した。(11日)
●空爆第1段階達成とブッシュ ブッシュ大統領が演説で、七日以来のアフガニスタン爆撃について「戦闘の第一段階の目標は達成された」と述べた。(13日)
●ヘリ基地「リーフ外厳しい」と名護市 沖縄県名護市が辺野古区に「リーフ外はかなり厳しい」と意向を伝えた。政府が三工法八案を示して以降、移設予定位置に関して名護市側の具体的な考え方が明らかになったのは初めて。(14日)
●日韓首脳会談 小泉首相が韓国を訪れ金大中大統領と会談した。韓国では小泉の訪韓への抗議行動が強まり、韓国国会議長との会談は中止になった。(15日)
●沖縄県議会で日の丸掲揚
沖縄県議会で、議長判断で議場の議長席横に日の丸が本土復帰後初めて掲揚された。野党は議長不信任の動議を提出したが、賛成少数で否決された。(15日)
●「管理下の防護は自然権的権利」と政府見解 政府は、テロ対策特措法で自衛隊が武器使用できる防護対象に「自己の管理のもとに入った者」を加えた根拠について、「全体として自己保存のための自然権的権利というべきもの」として「武力行使にはあたらない」とする見解をまとめた。(15日)
●参戦法案衆院委で可決 参戦三法案が衆院特別委で、自民、公明、保守の与党三党提出の共同修正後、与党などの賛成多数で可決された。日本共産党は、海上保安官による船体射撃を可能とする海上保安庁法改悪案に賛成した。(16日)
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週刊『前進』(2027号5面1)
「9・11」論で大破産深めるカクマル
帝国主義打倒の階級的立場に敵対する「反米ジハード」論
反米国粋主義むき出しに 工藤俊夫
九・一一反米ゲリラ戦が起こって以来、カクマルはその衝撃にぐらぐらになり、動揺し右往左往し、あらぬことを叫んで回っている。たてまえ上も〈反帝・反スターリン主義プロレタリア世界革命〉が消え去り、「二十一世紀の革命」の路線や方向性を語る気力も喪失してしまっているファシスト・カクマルは、ただただ軽薄に「イスラムのジハードが米帝を打ち砕いた」と賛嘆の叫びを上げているのだ。それは党派としての破産の自認であり、JR総連松崎にも逃げられたカクマルの組織的崩壊の
開始の合図である。彼らの「九・一一」論の破産性と反動性を全面的に暴きだしていこう。
絶対言わない「自国政府打倒」
九・一一以後、カクマルはけたたましくこの「イスラムのジハード」をたたえる文章を乱造している。カクマルは基本的に九・一一を手放しで賛美している。帝国主義に対する革命的武装闘争やゲリラ戦に反対し被抑圧民族人民との連帯には悪罵(あくば)を投げつけてきたカクマルのこれまでの立場から言えば、まったくつじつまが合わない。
彼らは「一切の元凶はアメリカ」「アメリカ帝国主義こそが世界最大の凶悪なならず者国家」などと叫んでいる。
しかし、それは左翼として階級的立場から九・一一を受けとめているのでもなく、帝国主義を階級的に批判弾劾しているものでもない。ましてや被抑圧民族人民との階級的連帯の立場に立っているものでもない。
カクマルは、イスラム諸国が戦後帝国主義支配体制の中で決定的位置を占める新植民地主義体制諸国であり、イスラム十二億人民は被抑圧民族であることについて、まったく認めようとしない。この肝心なことをあいまいにして、「イスラム」を論じているのだ。
カクマルは「われわれはテロリズムを原則的に否定する」と言い、「にもかかわらず、(九・一一は)アメリカ帝国主義の世界『一超支配』の暴虐を打ち砕くための゛挑戦゜」であり、「画歴史的行為」だと言って賛美する。
この「原則的には反対だが今度だけは大賛成」というのがそもそも大問題なのだ。マルクス主義者としては、原則的には、階級闘争の革命的推進の一環としてのゲリラ・パルチザン戦争は肯定しなければならない。帝国主義国の人民の対権力ゲリラ戦は一切否定するが、「イスラムのジハード」だから大賛成、というのはおかしい。カクマルはこれまで「イスラムのジハード」は基本的に支持してきたのか? 今回だけ支持するのはなぜか? 対岸の火事をながめて美しいと感嘆しているのがカクマルである。
そもそも七〇年安保・沖縄闘争での中核派のごく初歩的な武装闘争の着手にすら「武装蜂起妄想主義」とか「革命主義」とか叫んで、それに対する権力の破防法弾圧に呼応して襲いかかってきたのがカクマル反革命の原点である。
よく見てみると、カクマルの九・一一についての「感動」は、反米民族主義的なものであることがわかる。
「そもそも、今回の〈ジハード〉は、何よりも、かつて第二次大戦時に〈パールハーバー〉を仕掛けた日本帝国主義さえもできなかったアメリカ本土そのものへの攻撃、それも経済と軍事の中枢・心臓部への攻撃にほかならない」(『解放』九月二十四日号)
これは、右翼そのものの反米的心情だ。かつての日本軍よりもすごいことをやってくれた、というレベルでの絶賛なのである。
「『無差別殺戮(さつりく)』と言う非難は、『パールハーバー』にたいして原爆投下で゛報復゜した者にこそ……浴びせられるべきではないか」(同十月一日号「万華鏡」)。「傲(おご)れるヤンキー久しからず」(同)。
ここにあるのは、階級的な立場からの帝国主義批判ではない。カクマルは、今春、えひめ丸の米原潜による衝突・沈没事件に対して「日本民衆も『リメンバー・パールハーバー』!」というスローガンを掲げたが、この日本帝国主義の立場に立った「ヤンキー」(繰り返し指摘するが、これはアメリカ人総体に対する排外主義的蔑称であって、アメリカ労働者階級との国際主義的連帯とは対極のものだ)に対する民族排外主義的な反発が、カクマルの地なのである。
このカクマルの反米民族主義は、黒田の『実践と場所』に示されたあられもない日本礼賛主義と一体のものである。
カクマルは、米帝に対しては「口を極めて」(しかし、あくまでも帝国主義批判ではなく、民族主義的反発として)のろいの言葉を吐くが、日帝がこの事態に対して全力で対応して侵略戦争に参戦しようとしていることに対しては、まったく闘おうとしていない。
九・一一ゲリラとそれに対する米帝の報復の名による侵略戦争という事態に対して、最も深刻な危機にたたき込まれ、したがって最も凶暴にのりきりを図っているのが日帝・小泉政権である。「九一年湾岸戦争の二の舞いを繰り返すな」(金は出したが、国際帝国主義のイラク・中東侵略戦争から脱落し、帝国主義間争闘戦で決定的な敗北を喫した)と、何がなんでも自衛隊を派兵するために必死になっている。
この日帝危機の深刻さをつかむことができないカクマルは、長文の「第一声明」(『解放』九月二十四日号)でも、日帝の参戦はほとんど論じない。「小泉政権の火事場泥棒そのものの参戦策動」(同十月一日号)などと言うが、日帝の参戦はそんな生易しいものではない。
だが、九・一一が国際労働者階級に求めていることは、「闘うイスラム諸国人民と連帯し、帝国主義のアフガニスタン侵略戦争を国際的内乱に転化せよ」ということである。帝国主義国労働者階級は、何よりも自国帝国主義の打倒を掲げ、「連帯し、侵略を内乱へ」を実践しなければならない。
明らかに「戦争か革命か」「第三次世界大戦かプロレタリア世界革命か」が問われているのだ。しかしカクマルは、米帝に対して大言壮語するくせに、この肝心の「日帝打倒」とは絶対に言わないのだ。いや、それどころか、カクマルには「日本帝国主義」という規定そのものがないのだ。ここにカクマルの九・一一論の反革命性が集中的に表れている。
革命的祖国敗北主義を否定し、自国政府の打倒を掲げず、反米民族主義を満展開しながら叫んでいる「ジハード礼賛」は、闘うイスラム諸国人民と連帯して帝国主義を打倒することとはまったく無縁であり、むしろ敵対するものである。
プーチン黒幕説はどうした
カクマルは、九・一一を無責任にたたえる一方で、この背後にはロシアのプーチンないし旧ソ連邦のKGB(国家保安委員会)がいると「推論」してきた。「直接の実行者はイスラム復興主義のゲリラ・グループ」(『解放』九月二十四日号)だが、背後にはKGBがいると言っているのだ。その根拠は、「的確無比の高水準の技術」「軍隊関係者の援助なしには習得できない」(同)というものだ。
カクマルという反革命党派は、とことん権力万能論者なのだ。CIAやKGBが暗躍することで世界が動いている、という観念から逃れられないのだ。九一年のソ連スターリン主義権力の歴史的崩壊を見れば、KGBの万能視が漫画であることは誰にも明白だ。また、CIAが九・一一ゲリラの前に無力であったことも世界中にさらけだされたではないか。この期に及んでCIAだKGBだと唱えているカクマルの世界観は、実に反労働者的、反革命的なものだ。
もっとも、カクマルは『解放』十月八日号になると、このKGB黒幕説を後景化させ、逆のことを言いだした。すなわち、「ロシアのプーチン政権は、チェチェンのイスラム復興主義ゲリラの支援者たるタリバンを叩くのみならず、自らが支援する『北部同盟』を政権の座につけ失地アフガンを奪回する、……などの政治的思惑を貫徹しようとしている」と。もはや最初の「黒幕はプーチン」説との整合性などまったくない。
さらに十月十五日号になると、「許しがたいことに、ロシアのプーチン政権は、ドイツ、フランスなどと歩調をあわせて真っ先に『空爆支持』を表明した」「ロシアの加担を弾劾せよ」などとわめいている。
ところが、同じ号の別の所では「プーチン黒幕」説を繰り返す。「〈9・11ジハード〉そのものが、実は中東に根を張った旧KGB要員をプーチン政権が暗躍させつつイスラム復興主義のゲリラ勢力にテコ入れし訓練をほどこしてしくんだものに違いない」と。
もう支離滅裂である。これでは「イスラム復興主義ゲリラ勢力」の背後にも、北部同盟の背後にもプーチンがいることになり、その両者が相争っていることになってしまうではないか。
このインチキな「謀略」論を、カクマルは、彼らの「新東西冷戦論」すなわち中国とロシアが米帝を脅かしているとする現代世界認識と結びつけようとした。
だが、すでに本紙二〇二四号で指摘したように、九・一一の直前に米国務省が「在日米軍基地と在韓米軍基地にテロの脅威が差し迫っている」と警告を発したことをもって、『解放』九月十七日号は、「カクマルに対する米CIAのフレームアップ攻撃の前兆だ」として「警戒せよ」と叫んでいたのである。しかも九・一一反米ゲリラ戦の直後に発行された号にこの「警報」が載るという漫画的でぶざまな事態を引き起こしたのだ。
カクマルよ、九・一一について手放しで賛美する前に、まず、この「CIAのフレームアップ」がどうなったのか、から釈明したらどうなのだ。
CIAの謀略論やプーチンの謀略論とともに、カクマル新東西冷戦論もすっかり吹き飛んでしまった。カクマルはむしろ、新東西冷戦論の破産をごまかすために九・一一礼賛論をやっているとも言える。
階級闘争への絶望を組織化
カクマルの「ジハード賛美」は、帝国主義国の階級闘争に対する絶望の裏返しである。JR総連と分裂し投げ捨てられたカクマルは階級闘争に対する完全にデスペレートな心情に陥っているのだ。それは次のような文章に表れている。
「労働者階級の政党すら壊滅させられ、労働組合が民主党支持の利益団体と化しているアメリカ。西ヨーロッパや日本でも、祖国防衛主義を立党理念とする社民党と社民化したスターリニストのもとで、階級闘争は歪曲され変質・瓦解し去った」(『解放』十月八日号)
「だからこそ、われわれは、今回の〈ジハード〉を帝国主義諸国における階級闘争の腐敗にたいする告発として、したがってまた堕落した既成指導部をのりこえる階級的な力をなお創造していないことにたいする屈辱感と悔しさをもって受けとめなければならない」(同)
ところで、ここでカクマルが言う「告発」とは、帝国主義の新植民地主義体制や侵略、民族抑圧を許していることに対する「告発」ではない。つまり、帝国主義国の労働者階級として、被抑圧民族の告発に向き合うものではないのだ。「帝国主義諸国の階級闘争の腐敗・堕落に対する告発」だと言う。要するに帝国主義国の労働者階級はまったくダメだということを確認せよ、と言いたいのである。
まさに世界戦争と大恐慌が現実化し、帝国主義国における階級的大激動がまさにこれからという時に、カクマルは労働者はダメだ、階級闘争は「瓦解し去った」(!)と宣言しているのである。
それではカクマルはどうするのかと言えば、まったく情勢を切り開く路線も方針もない。「『地上の太陽』たらんとしているわがカクマル派を強化・拡大しよう」というのが、唯一の方針なのだ。
「宗教的疎外の止揚」の反動性
彼らは言う。「〈9・11ジハード〉をいかに受けとめるのか。それはあたかも、かの一九五六年のハンガリー動乱を『帝国主義による挑発』ととらえるか『ハンガリー革命』ととらえるかが試金石となったように、左翼諸勢力にとって重大な分水嶺(ぶんすいれい)なのである。……ハンガリー動乱を『革命』とうけとめ反スターリン主義の革命実践に踏み出した同志・黒田の思想的営為と闘いを追体験しようではないか」(『解放』十月八日号)
これは、ハンガリー革命に匹敵するものとして九・一一をとらえよ、と言っているのだ。だが、そこには何をもって九・一一を受けとめるのかという自らの思想的立脚点はゼロである。新しい運動に乗り移るというものでしかないのだ。
では新しい運動とは何か。イスラム復興主義勢力である。つまり、これからはイスラム勢力こそが世界革命の主役ということを確認しようとカクマルはわめいているのだ。
ハンガリー革命は、日本の反スターリン主義・革命的共産主義運動の出発点をなす衝撃を与えるものであったが、それは、ハンガリー労働者階級のスターリン主義権力打倒の決起に対する階級的共感、これに対するソ連軍の弾圧に対する怒りをバネに、マルクス主義の立場からスターリン主義を打倒対象として明確に措定し、反帝・反スターリン主義世界革命の路線を獲得していくものとしてあった。それでは今日、カクマルはどのように九・一一を世界革命の中に位置付けるのか。まったくゼロなのである。単なる乗り移りなのだ。
イスラムへのある種の美化論は、一九九七年のイラン革命の時の黒田の『二十世紀文明の超克』のトーンを基本にしているが、その後の二十年間の展開があって、黒田は完全に宗教的なものや民族的なものに対するマルクス主義的な主体的対峙のスタンスを失っている。転向した人間としての宗教的・民族的なものの肯定が前面に出ている。それが黒田の『実践と場所』全三巻である。
カクマルは、「彼ら(イスラム・ゲリラ)の宗教的疎外の止揚=プロレタリア的変革の方向をも明示しつつ」(『解放』十月一日号黒伏)などと高みに立ったような言い方をするだけで、反帝・反スターリン主義世界革命に向かって連帯・結合を形成していくというようには絶対に言わない。しかし、そのことを抜きにした「宗教的疎外の止揚」とは、゛イスラム教を捨てよ゜という帝国主義的な傲慢(ごうまん)な説教でしかない。イスラム的な表現をとりつつ帝国主義と闘う被抑圧民族人民と、帝国主義国の人民が同志として連帯・結合し、ともに帝国主義と闘うということはあるのだ。それによってこそ、イスラム人民がイスラム教を克服していくことも可能となる。
ところが、カクマルは帝国主義(とスターリン主義)の世界体制の破産と崩壊をどのように革命的・実践的に止揚していくかとしてではなく、「イデオロギーの相克」というレベルでしかつかんでいないのである。
したがってカクマルの九・一一に対する「批判」はまったくインチキである。「『ジハード』的反逆の限界をものりこえてたたかうべきことを呼びかけつつ」(『解放』十月一日号)などと言うが、何が限界かという内容はまったくない。基本的に、帝国主義国のプロレタリアートとして「被抑圧民族人民と連帯して自国帝国主義と闘う」という立場からの受けとめではないのだ。したがって共産主義者としての階級的革命的な批判でもないのだ。
われわれは、「革共同の見解」(本紙二〇二二号)で示したように、九・一一反米ゲリラは「被抑圧民族のやむにやまれぬ決死の」闘いであり、「帝国主義諸国の労働者人民への絶望的不信」の突きつけであるものとして、しっかりと受けとめる立場に立つ。同時に、「九・一一によってはけっして真の解放の道は切り開くことはできない」こと、「九・一一には……米帝打倒の革命主体であり、世界革命の担い手であり、被抑圧民族の友であるべきアメリカ労働者階級の存在と闘いが措定されていない」ことを、正しく指摘したのである。
この立場は、革共同の「七・七自己批判」の闘い、「血債」論、一九全総第五報告でのその深化ということがあって初めて可能だったといえる。「テロ非難」の合唱を批判し、突きつけられていることを正しく受けとめ、なおかつ世界革命に向かって真の連帯の形成のために主張しなければならないことを主張したのである。
ところがこのような闘いを正しく位置付けることができず、われわれの七・七自己批判の闘いを「被抑圧民族迎合主義」などとののしって敵対してきたカクマルは、九・一一を受けとめるプロレタリア的主体性を持っていなかったのである。カクマルは、ただただ興奮して賛美的にわめくか、逆に、アメリカ人民に向かって「胸に手を当てて考えてみろ」と書くことしかできない。カクマルによれば、反省しなければならないのはアメリカ人民だけなのだ。カクマルは、日本人は「中洋イスラム人民の味方」というつもりなのだ。自己の反米民族主義を心情的に爆発させているだけだ。
カクマルの九・一一以後の状態は、彼らがいかに階級的立場からはるか遠くまで離れてしまっているかの証明でもある。彼らは九・一一を革命的共産主義者として、あるいは革命的マルクス主義者として受けとめることがまったくできない。そうしてグラグラになり、右往左往し、あらぬことを叫んでいるのである。
そして、これはカクマル内部で「これでいいのか」という疑問を沸騰させることは間違いない。黒田・中央派と松崎・JR総連派との分裂にあえいでいるカクマルが、再度の分裂にまで突き進む大揺れの事態に直面するのは確実である。
わが革共同による黒田批判で大打撃を受け、革共同第六回大会開催に打ちのめされ、決定的危機を深めるカクマルは、日帝権力と一体となって十一月労働者集会と、戦闘的労働者、労働組合への許すことのできない敵対と襲撃の策動を強めている。今こそ、階級的怒りを爆発させ、ファシスト・カクマル完全打倒へ攻めのぼろう。
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週刊『前進』(2027号5面2)
改憲阻止決戦シリーズ 今、問い直す侵略と戦争の歴史
第2部 15年戦争の末路 (9) 広島・長崎に原爆投下B
核は帝国主義の非人間性の極
軍都広島と被爆
広島は軍都として形成・発展した都市であった。
一八八六年に広島鎮台に代わり第五師団が置かれた。一八八九年には宇品港が完成する。宇品港は、日清戦争以降、大陸侵略のために兵士を送り出す主要港となった。
一八九四年に日清戦争が勃発した七月、宇品港より第五師団が朝鮮半島侵略の先陣を切って出兵した。八月には広島駅と宇品港を結ぶ軍用道路が半月の突貫工事で完成した。続く九月、広島に大本営を置き、明治天皇は、ここで戦争指揮をとった。それとともに陸軍検疫所、糧秣支廠(りょうまつししょう)、砲兵支廠、補給運輸部、被服廠が次々と置かれた。軍港呉との間には鉄道が敷かれた。
一九〇四年に始まった日露戦争、一九三一年の柳条湖事件、翌年の上海事変、そして三七年の中国との全面戦争突入。広島はますます出撃基地・兵站(へいたん)基地としての軍事基地の機能を高めていった。
四一年に太平洋戦争に突入すると、広島では、警防団、婦人会活動、防空演習、防諜上の取り締まりなどが強化された。四四年十一月からは本格的な米軍による本土空襲が始まった。広島市では、焼夷(しょうい)弾による火災延焼防止のため、大々的な人員・建物疎開を実施した。疎開作業に動員された多くの学童が、後に原爆に晒(さら)されることになった。
四五年四月、大本営は本土決戦に備えて、全国を二分し、広島に西日本を管轄する第二総軍司令部が置かれた(第一は東京)。広島市は出撃・兵站基地であり西日本の本土防衛の一大拠点となった。
米帝は原爆投下の場所を@日本人の抗戦意思をくじく、A軍事的性格を持ち、あまり空襲の被害を受けていない都市、B原爆の威力を正確に判定できる場所を基準とした。最終的には広島、小倉、新潟の順で攻撃目標が設定され、後に長崎が追加された。
長崎は三菱長崎兵器製作所を擁し、戦争のたびに要塞化を強めた都市であった。八月九日の第一の投下目標は小倉造兵工廠のあった小倉(現北九州市)だったが、天候が悪く、第二目標の長崎に投下された。
帝国主義戦争の持つ総力戦の性格は、ついに住民の皆殺し兵器としての原爆の使用に到達したのである。帝国主義が生み出した原爆の攻撃目標が軍都となったのは、帝国主義同士の戦争において敵にどれほど大きな軍事的・人的ダメージを与えられるかが基準になるからである。そして米帝にとっては、原爆を実戦に使用してその威力を示すことが戦後世界体制の主導権を握る上で絶対に必要であった。その威力とは何十万人の人民の命を一瞬にして奪う力ということであり、帝国主義の非人間性を凝縮して示すものであるのだ。したがって第二次世界大戦の終結は、民主主義(米英ソなど連合国)のファシズム(日独伊同盟国)に対する勝利などではなく、米英帝国主義(とそれに加担したソ連スターリン主義)の日独伊帝国主義に対する勝利としてあったのであり、新たな核戦争の時代の幕開けとしてあったのだ。
日帝と被爆者
一九四五年九月六日、GHQ(連合国総司令部)は「原爆で死ぬべき者は死んだ。原爆で苦しむ者はいない」と発表した。その直後の九月十九日、プレスコード指令で原子爆弾災害に関する研究や報道は一切禁止となった。十月、政府は医療の一番必要であった時期にもかかわらず、早くも戦後災害保護法施行規則で救護所を閉鎖した。
四六年、ABCC(原爆障害調査委員会)設置が指令される。原爆投下の効果の調査や残留放射能の確認が目的だった。「調査すれど治療せず」。被爆者をモルモット扱いし被爆者の激しい怒りの対象となった。
六三年、原水禁運動はソ連の核実験問題で「いかなる国の核実験にも反対すべきか」論争で原水協と原水禁に分裂した。日本共産党(原水協)は、ソ連の核は「社会主義の核で正義」だと主張し、被爆者の核絶対反対の思いに敵対した。 ソ連スターリン主義が(後に中国スターリン主義も)帝国主義の核に対抗的に核開発を進めたことが、双方の側に途方もない規模の核兵器を保持させることになった。日共はこの中ソの核軍拡を擁護したことをなんら反省も謝罪もしない。
天皇ヒロヒトは七五年、「(被爆は)戦争中のことでもあり、やむを得なかった」と語り、「国体護持=天皇制護持」を優先したために戦争終結を遅らせ、二発の原爆を受けて初めて終戦へ腰を上げたことを謝罪するどころか、戦争責任、被爆責任の追及に傲然(ごうぜん)と開き直った。
広島・長崎の教訓
五〇年の朝鮮戦争の時、日本では八・六ヒロシマ平和祭が禁止され、官憲によって市内に厳戒体制が敷かれた。その中で、「朝鮮人民の頭上に原爆を落とすな!」と広島市内の福屋デパートの屋上から反戦ビラがまかれるなど在日朝鮮人被爆者を先頭に非合法闘争が闘い抜かれた。原爆詩人峠三吉はこの時の情景を『一九五〇年の八月六日』という詩に書いている。
米帝は、五〇年朝鮮戦争でも、ベトナム侵略戦争でも核兵器を使用しようとした。今、アフガニスタン侵略戦争でもブッシュは「核使用を排除しない」姿勢を示している。
帝国主義(とスターリン主義)の戦争の非人間性、非人道性の極限を示す核兵器の恐怖は、戦後五十六年を経て減っていないどころか、核軍拡競争を通じて何万倍もの破壊力をもつ核兵器が開発され、貯蔵され、自国の体制を護持するために使用可能な状態になっているのである。日本帝国主義の原発政策は、核武装を目的としたものである。
広島・長崎の教訓は、帝国主義の戦争は必ず核戦争に行き着くということであり、核と人類は共存しえないということである。
日帝の戦争責任、被爆責任を徹底追及し、「ヒロシマ・ナガサキ、アジア侵略をくり返すな」の闘いを発展させることは、帝国主義の新しい戦争、第三次世界大戦(核戦争)を阻止するために、決定的に重要になっている。 (吉島幸夫)
(この項おわり)
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週刊『前進』(2027号6面1)
「沖縄戦繰り返すな」が原点 空爆開始下で反戦の決意
全国沖青委が第10回総会
十月八日午後、全国沖縄青年委員会が第一〇回総会を川崎市で開き、七十人が集まって大成功した。この日未明、米英軍のアフガニスタン空爆が始まった中で、「この時代に沖縄の人間としてどう行動するか」を自らに問いつつ、十回目の節目の総会をきわめて戦闘的にかちとった。
新城峯子委員長の開会あいさつに続いて、来賓のあいさつに立った沖縄民権の会の座覇光子さんは、九・一一ゲリラに「戦後ずっと沖縄に基地を置いてきた米軍に対する沖縄の積年のうらみ」を重ね、自らの思いを語り、報復と称して侵略戦争に踏み出したブッシュ政権を弾劾した。また、「本土にいて色々な差別があるが、お互いに手を取り合って不正なことには声を出して許せないと言って頑張ろう」と訴えた。
新城節子杉並区議は九・一一ゲリラによる犠牲を利用して戦争に踏み出したブッシュ政権を弾劾し、「それを支持し参戦する小泉政権に声を大にして反対しなければならない」と訴えた。杉並区議会での「テロ弾劾決議」に対してただ一人反対して闘ったことを報告、「゛沖縄戦を繰り返すな゛を合言葉に闘うことが沖青委の原点である」と強調した。また、今夏の杉並での教科書闘争で沖縄戦を美化する教科書の採択を阻んだことを報告した。最後に失業が広がっている中で、在本土の沖縄出身者の生活防衛を、沖青委とともに取り組むと誓った。
基調報告は新城委員長が行った。まず、沖青委結成十年の歴史を振り返り、総括した。九二年にPKO協力法が成立し、自衛隊のカンボジア派兵が焦点化する中で結成された全国沖青委は、沖縄闘争を先頭に立って闘いぬいてきた。知花裁判闘争、「植樹祭」天皇訪沖阻止闘争、一坪反戦地主運動、そして九五年少女暴行事件以来の基地撤去闘争、軍用地強制使用阻止闘争・米軍用地特措法改悪阻止闘争、名護新基地建設阻止闘争などを全力を挙げて闘ってきたことを勝利的に総括した。
その中で、九五年と九九年の杉並区議選で新城節子さんを区議に押し出す闘いなど、沖縄闘争の発展のための選挙闘争を闘ってきたことを確認した。そして今年の都議選・参院選闘争、教科書闘争の奮闘を振り返った。
十年間の闘いの総括をとおして、本土で沖縄闘争を広げるとともに、在本土沖縄出身者の生活と権利を守る闘いを進めることの重要性を確認した。
情勢の項では、九・一一ゲリラによって世界情勢は一変したこと、新たな侵略戦争の開始と小泉政権の参戦への突進、その中での沖縄闘争圧殺攻撃の強まりを確認した。
方針としては、@米日のアフガニスタン侵略戦争阻止・国際反戦闘争の最先頭に立とう、A沖縄米軍基地撤去・名護新基地建設阻止をかちとろう、B不況と失業に抗する在本土沖縄出身者の運動をつくろう、の三点を強く確認した。
新城委員長の鮮明な提起を全員が確信をもって受けとめた。
討論では、関西から「関西民権講座」への取り組みが報告された。神奈川、首都圏、東京、学生から発言があった。沖青委こそが侵略戦争反対の先頭に立とうという意志があふれた。
沖縄現地行動隊の学生は九・一一以来、沖縄が完全に戦時下に入り、中部は朝から晩まで爆音に包まれ、基地労働者にも攻撃が強まっている、などの現実を生々しく報告した。「沖縄戦を生きぬいてきたおばあたちは、戦争を繰り返させない、基地をつくらせないという気持ちをはっきり持っている」と、名護住民の声を紹介した。
「闘うイスラム諸国人民と連帯し、米日政府のアフガニスタン侵略戦争に反対する決議」を拍手で採択した。仲宗根朝寿副委員長がまとめの提起を行い、アフガニスタン空爆を弾劾し全世界の反戦闘争の先頭に立って、新たな沖縄闘争を起こすことを訴えた。また、十一月労働者集会の大成功をかちとろうと呼びかけた。全員が侵略戦争反対の闘いへの決意を新たにした。
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週刊『前進』(2027号6面2)
橋本裁判が完全勝利 検察を上告断念に追い込む
8年間の激闘でデッチあげ粉砕
無実の橋本利昭同志に対して、大阪高裁第二刑事部は九月二十八日に検察官の控訴を棄却する判決を出した。これに対して、上告期限の十月十二日、検察官は上告断念に追い込まれ、橋本同志の無罪判決が確定した。
日帝・警察権力が、九○年天皇決戦の大爆発に対する反革命的巻き返しとして企てた橋本同志に対する前代未聞のデッチあげ弾圧を、八年に及ぶ闘いにより完全粉砕し、勝利を実現したのである。
この勝利の意義は、第一に、日帝国家権力中枢の直接的指示のもとで、京都府警警備部が総力を挙げて行ったデッチあげ弾圧に対して、橋本同志を先頭に全党が真っ向から闘い抜き、完全無罪判決をかちとったことにある。
初めから無実が明らかな橋本同志をデッチあげで八年間も被告の座に座らせ続けたことを、われわれは満身の怒りをもって弾劾する。日帝権力を絶対に許さない。
第二に、九・一一反米ゲリラ戦争の爆発を転機とする日帝・国家権力による戦時型治安体制構築攻撃との激突戦として、偉大な勝利を実現したことである。革共同第六回大会路線に基づく党建設の闘いにとって、貴重な勝利と前進を切り開いたのである。
「臭気選別」粉砕し 無罪かちとる
第三に、藤井裁判での「目撃証言」ねつ造粉砕による勝利以降、革命運動を始め労働者人民の闘いを破壊するためのデッチあげ弾圧の手段として日帝権力に唯一残されていた、「犬の臭気選別」を全面的に粉砕する展望を切り開いたことである。
検察官は、控訴趣意書で主張した「『犬の臭気選別』だけで有罪とすべき」との主張を維持するのであれば、当然にも上告するべきである。にもかかわらず、検察官は上告を放棄した。上告すれば、「犬の臭気選別」を刑事裁判の証拠方法として使用できるとした八七年三月の最高裁決定の見直し問題に発展せざるを得ないことに恐怖して、検察庁が、上告断念を決定したのである。
このことに示される日帝・検察庁および警察庁の「犬の臭気選別」護持の階級意志を見据えて、「犬の臭気選別」の刑事裁判からの追放のために、全力を挙げて闘い抜かなければならない。
八七年三月の最高裁決定を粉みじんに粉砕することが、今やわが革共同の闘いとして展開されなければならない。最高裁決定を社会的・法律的に撤回させる闘いを、この勝利の地平に立って展開しよう。政治的デッチあげと、冤罪のもととなる「犬の臭気選別」を永久に葬り去れ!
第四に、本裁判の勝利を、権力のデッチあげ弾圧に対して真っ向から闘えば必ずその破綻(はたん)点を暴き出し、打ち破ることができる実例として定着させなければならない。
このような権力との闘いにおける勝利の経験は、日本階級闘争においてはあまりにも少ない。しかも日本共産党スターリン主義の指導のもとで、労働者階級人民の勝利の経験として蓄積されないままできた。
それゆえに、なお一層この勝利の意義は大きく貴重である。
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週刊『前進』(2027号6面3)
木村靖二同志を追悼する
おおらかで鮮明な革命精神持つ労働者革命家
革共同関西地方委員会
(一)
関西の労働運動を担い、かつ革命軍の中心的な指導者として二十年の内戦を戦い抜いてきた革共同大阪東部地区委員会の元委員長の木村靖二同志が九月二十九日、逝去した。私たちは、悲しみに言葉を失うほどである。
木村同志は、九七年に発見された肝臓がんを治療するために、大阪泉州地区委員会に所属しながら闘病を続けてきた。驚くほどの意志の力を発揮して一時は回復するかに見えたが、九月二十九日午後三時三十六分、同志である最愛のつれあいと友人たちに見守られながら、ついに帰らぬ人となった。享年五十五歳。あまりにも悔しく、残念な死であった。
(二)
私たちは今、悲しみと悔しさの中で、彼の生き方に学び決起している。木村同志は、関西地方委員会の誇るべき最高の労働者革命家だった。革共同第六回全国大会を闘いとったわが党と、その路線の物質化のためには、絶対に必要な人であった。
病気を克服し再び戦列に復帰したいという彼の願いと、なんとしても生きて闘ってほしいという党の願いから、党の最高の医師団と看護の体制が組織された。そして、それと一体となって同志たちの必死の激励が行われてきた。しかし、その願いはついにかなえられなかった。
彼は最期の瞬間まで革命家としての誇りを貫きとおした。不治の病であることを宣告されながら、病気と向かい合い、革命運動の中で生命の火を燃やし続け、闘い抜いた。炎天下の泉佐野現地闘争にも革共同集会にも病をおして闘う彼の姿が必ずあった。生きることがそのまま闘いであろうとする彼の生き方は、最後まで輝いていた。
九・一一反米ゲリラ戦の衝撃的ニュースを病床で知り、全世界の反戦闘争の高揚に胸躍らせ、「戦争と革命の時代がきた」「ついに革共同の時代だ」「今こそ中核派として登場しなければ」と面会に訪れる同志たちに語り続けた。闘い半ばで逝ったことは、どれほどか悔しかったことだろう。
(三)
木村同志は、革命的共産主義運動が生みだしたすぐれた指導者だった。何よりも労働者であることに誇りをもち、労働者こそ党に結集し、党の建設とプロレタリア自己解放の事業の担い手にならなければならないという思想を、生涯の革命運動の中に貫いた。
彼は、一九六五年に高校を卒業後、大阪市城東区の中北製作所に入社し、すぐさま労働運動の世界にとび込んだ。六七年に中北製作所労働組合の青年部長となり、翌年には書記次長に就任。十・八羽田闘争の衝撃の中で「激動の七カ月」を闘い抜き、六九年にマルクス主義青年労働者同盟に加盟した。さらに、七一年の安保・沖縄闘争への決起を前に中北製作所を解雇されると革共同に加盟。ただちに東部地区委員会の常任として十一月暴動闘争に決起し、七三年には東部地区委員長に就任して地区党建設の最先頭に立った。
屈託のない人柄、労働者としてのしなやかな感性、明朗で大らかな人間性が多くの労働者の心をとらえ、彼に対する信頼と尊敬がつくられていった。断固とした組織性と組織原則に対する態度は、次々に最強の反戦派労働者を生みだし、「大東部」と呼ばれる最強の地区党、七〇年安保・沖縄闘争を闘う最大の拠点をつくり出した。
七一年十二・四反革命で辻敏明同志、正田三郎同志が虐殺されたことを知るや、すさまじい形相で怒りの報復戦に決起した。大産大カクマルせん滅戦闘で不当逮捕されながら、裁判闘争の過程で発生した七五年三・一四反革命(本多延嘉書記長虐殺)との戦いの中で革命軍に参加し、三・一四復讐戦貫徹・反革命カクマル完全打倒の怒りの化身となって決起した。
先制的内戦戦略の第一段階(PT)の対カクマル戦の過程では、彼はすべての戦闘に立ち上がり、鬼神もおののくすさまじい怒りの形相でカクマルを追いつめて闘った。
そしてPU段階の闘いの中でも、彼の戦闘性は発揮された。一九八六年の岩手爆取弾圧をもって日帝の革命軍解体攻撃が決定的に強められ、革命軍にはそれまで以上に、党の政治的軍隊としての組織性と思想性の高さが求められた。彼は、党の路線と方針を真正面から受けとめ貫徹する思想を非妥協的に貫いた。国家権力とのぎりぎりの攻防の厳しさの中で、彼の労働者的資質が革命軍の全体を変革し獲得していった。彼は革命軍の中心的指導者であり、歴史的な九〇年蜂起戦を闘いとった革命軍の柱であった。彼の革命家としての人生は、大衆運動でも、革命軍にあっても、党の指導部として常に闘いを牽引(けんいん)したものだった。
(四)
野辺の送りを終え、木村同志に別れを告げたわれわれは、あらためて戦意を横溢(おういつ)させ、彼が果たせなかった反帝・反スターリン主義世界革命の道筋をまっすぐに突き進む決意を新たにしている。
彼は一九九一年五月テーゼ路線への転換を、最も感動的に受けとめた人であった。内戦勝利の地平の上で帰るべき母なる大地は、かつて青年労働者として彼が決起した階級闘争の戦場であり、「労働者の中へ」の実践であった。その中に強大なボルシェビキ党を建設することであった。
彼は、革共同がついに今春に第六回全国大会を闘いとったことを心から喜んでいた。その報告を感動と確信で迎え、その決定に誰よりも心弾ませていた。彼にとって、二十年間の内戦を最先頭で闘いぬいたがゆえに、五月テーゼ・六回大会路線は勝利に向かっての当然の進路であったのだ。病床にあって、彼の脳裏を駆けめぐっていたものは、まき起こる労働者階級の革命的決起であった。「今こそ中核派として登場しろ」。これが、彼が私たちに残した遺言である。
木村同志、私たちはあなたが果たせなかった革命の事業を必ずや引き継ぎ、この階級闘争の大地に大輪の花を咲かせることを誓います。私たちの悲しみ、痛みは限りなく大きい。でもあなたを送るのに、悲しんだり嘆いたりすることはふさわしくない。あなたは、「革命とは同志の屍(しかばね)をこえて進むものだ」と、きっと私たちに向かって言うだろう。
どうか死してなおわれわれとともにあり、真紅の中核旗の化身となって反帝・反スターリン主義プロレタリア世界革命の勝利の先導者となって下さい。
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週刊『前進』(2027号6面4)
保安処分新法許さぬ 東京 阻止共が学習討論会
九月十五日午後、「処遇困難者専門病棟」新設阻止共闘会議の主催で「保安処分を許さない学習討論会」が、東京・千駄ケ谷区民館で七十五人が参加して開かれた。参加者は各地から結集し、政府が次期通常国会で狙う「重大犯罪精神障害者処遇法案」(仮称)を阻止しようと活発な討論を交わした。
まず主催者から、この間の厚労省・法務省による「触法精神障害者」対策と銘うった六回の合同検討会への抗議行動の報告が行われた。続いて医療労働者が「精神障害者にまつわる刑事手続きとその関連問題」と題して講演した。
講師は、昨今のマスコミなどが吹聴している「『犯罪を犯した精神障害者』が医者の起訴前鑑定を経たことで不起訴や起訴猶予、無罪になるのはけしからん。刑事処分をしっかりと行うために裁判官が決定に関与し左右すべき」なる保安処分制定のための改悪論を批判した。「起訴前鑑定では、逆に検察と裁判官こそが、検察の出世主義に不利と見る公判をいち早く不起訴・起訴猶予にして回避してきたものだ」と批判し、「医者の責任」論の反動的キャンペーンを断罪した。
しかも、現状では単なる不起訴ではなく、措置入院への移送と一体であり「司法・検察による治安対策優先だ」と批判した。
また保安処分推進派の「障害者にも裁判を受ける権利がある」という論は、「実際の裁判では『障害者』の権利がまったく保障されていないので、ためにする空論」と指弾した。さらに現在でも獄中や公判中の「精神障害者」が非常に多くいて、劣悪な環境に置かれている事実を暴露し、「司法判断の強化ではなく、医療的支援こそ今最も必要だ」とまとめた。
続いて東京の「病者」が保安処分攻撃の実態を報道資料を使って紹介した。
討論に入って、八王子の「病者」は長年、保安処分を阻止し続けてきた歴史を再確認して新法制定阻止を闘おうと檄(げき)を飛ばした。兵庫の参加者は、報復戦争反対の立場から保安処分反対を呼びかけようと訴えた。東京の医療労働者は、池田小事件などを契機に巻き起こる保安処分推進キャンペーンを弾劾し、それらを地域住民や労働者から解きほぐして闘おうと発言した。神奈川の参加者は現行精神医療自体が持つ治安的管理のたくらみを弾劾し、同時に「病者」の翼賛的取り込み・分断攻撃に警鐘を鳴らした。さらに「人格障害」や「精神病質」なる概念を使った労働者人民弾圧について言及し、元松沢病院医師も保安処分反対運動の強化を訴えた。
合同検討会に抗議行動 9・11
九月十一日法務省で第六回合同検討会が行われ、阻止共は台風の中、ビラまきと抗議行動を貫徹した。
検討会は東京地検検事と嘱託医を招いて開かれ、「触法精神障害者」の起訴率を高め保安処分を制定するためには、現行刑法の責任主義が大きな壁となっていること、この責任主義の解体のため、さし当たっては新法で刑法改悪にも匹敵する攻撃を狙っている事実をのぞかせた。
今日行われようとしている保安処分新設とは、現行刑事手続きに変更を加えながら、「精神障害者」総体への懲罰と制裁を加えようとしているのだ! 保安処分新法の制定に断固反対しよう。
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週刊『前進』(2027号6面5)
戦争反対決議へクラス討論 (投稿) 法大 M
法大では先月末から「アメリカのアフガニスタン侵略戦争と小泉政権の自衛隊派兵―米軍支援新法制定に反対する決議」運動を展開しています。学友のさまざまな意見・疑問と切り結び、連日奮闘しています。
「君はあの空爆を許せるか」の問いかけに、「でもあのテロは許せないでしょう」とか「タリバンは人殺しをしてきたではないか」「テロは根絶すべきだ」「テロに対して話し合いで解決するのか」との意見が出てきます。
でも重要なことは、そのような意見にもひるまず、事態の階級的本質を明らかにしきれば、戦争反対のクラス決議は必ずあがるということです。九・一一反米ゲリラという衝撃的な形で突き出された、パレスチナ・アラブ人民を始めとした被抑圧民族人民の怒りを真剣に受け止め、連帯すべき相手は誰であり、闘うべき敵は誰であるかをはっきりとさせた時、「テロ弾劾」の反動的イデオロギーを打ち破って、報復戦争反対の立場を共有できるのだと思います。
闘う法大生は、全クラスから戦争反対の決議をあげ、十・二一国際反戦デー闘争に多くの法大生の決起をかちとる決意です。
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週刊『前進』(2027号6面6)
訂正
前号6面「革共同の緊急アピール」3章中の「世界の推定戦死者数」を「十六世紀に百六十万人、十七世紀に六百十万人、十八世紀に七百万人、十九世紀に千九百四十万人、二十世紀には一億七百八十万人に一挙に増大した」に訂正します。
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