ZENSHIN 2001/08/13(No2017
p10)
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週刊『前進』(2017号7面1)
レーニン主義の党の建設へ
小泉反革命と全面対決し 階級的総反撃の道きり開け
党勢二倍化へ「労働者の中へ」実践を
革命的共産主義者同盟政治局
T 都議選決戦の敗北をみすえ、そそぎ、のりこえる闘いを――二〇〇一年前半期決戦の総括
(1)6月都議選闘争の厳しい結果は党に何を突きつけているか
六月東京都議選闘争で小泉反革命、石原ファシスト都政に対決し、けしば誠一氏を支持して断固として立ち上がった九四五〇人の都民と固く連帯して、どこまでも闘いぬこう!
強烈な革命的反発力で〈六・二四の敗北をみすえ、そそぎ、のりこえて〉前進しよう!
今次都議選において、革共同は多くの人びとと連帯して、けしば候補を押し立て全力をあげて勝利をめざして闘った。しかし結果は、貴重なきわめて重い九四五〇票を獲得したが、当選にはさらに一万票以上が必要という〔定数六の中で第九位〕きわめて厳しい敗北を喫した。
小泉反革命が吹き荒れ、石原ファシスト都政が依然として高支持を受けている現実、日帝の体制的危機がついに歴史的に現実化し大失業と戦争の時代へ突入しつつあるという現実の中で、真に労働者人民大衆の立場に立つ革命的都議会議員(さらには国会議員)の登場が今ほど要請されている時はない。この意味で、今回の結果は痛恨の極みであり、革共同として大きな党的責任をひしひしと感ずるものである。
党の姿勢が問われた小泉反革命との対決
革共同は厳格な自己批判的・自己切開的総括をなしとげ、そのことをとおして次の闘いへの展望を明らかにしていかなければならない。
第一に、二〇〇一年前半期の最大の決戦と位置づけた都議選において、小泉反革命攻撃に敗北したという現実についてはっきりと自己批判する。このことを思想的・綱領的・路線的に、徹底的に深めていかなければならないと考える。
小泉反革命攻撃の急展開に対して、革共同は、ある意味では都議選にとってプラスかマイナスかということを超えた次元で党の命運をかけて対決し、困難を突破して勝利への道を切り開かなければならなかった。党および革命的左翼全体と階級の命運をかけて小泉反革命攻撃と対決することが突きつけられたという、厳しい確認をしたのである。
小泉反革命と真っ向から対決するというこの政治局および全党の討議・確認を都議選に適用する時に、中央指導部自体が小泉反革命の壁の厚さの前にたじろぎ、当選至上主義に流れ、闘いの原則を逸脱し、日和見主義、敗北主義に陥ったのである。小泉反革命攻撃と真っ向から対決することを前口上化させてしまったのである。政治局は、このことを思想問題としてとらえ返し徹底的に自己批判しなければならない。
小泉反革命とは、帝国主義の危機の爆発の中で体制内的疑似体制変革者として立ち現われ、新しい型の「国家改造計画」を振りかざし、帝国主義の危機と腐敗を帝国主義イデオロギーで開き直って労働者人民に「痛みに耐えよ」と真っ向から襲いかかってきているところに核心がある。民主主義を破壊し、国家主義をあおり、労働運動を解体し、治安弾圧を激化させ、侵略戦争、帝国主義戦争へ引きずり込もうとする大攻撃である。
小泉による改憲、集団的自衛権、有事法制、靖国神社公式参拝、教科書・教育改革等々の攻撃は、アジアを始めとした世界の被抑圧諸国・諸民族に対して米帝と一緒になって侵略戦争に突入し、帝国主義のもとに排他的勢力圏として分割・再分割し、略奪し抑圧する宣言である。同時にそれは、米帝の対日争闘戦激化に対応して、戦後体制を右から現状破壊的に打ちこわし、再び帝国主義戦争をやりぬける国家に改造しようとするものであって、激しい対米対抗性に貫かれたものである。だからこそむき出しの国家主義、民族主義、排外主義の攻撃を一挙に前面化させてきているのだ。
この情勢に対して、革共同の反帝国主義・反スターリン主義世界革命戦略とその一環としての日本革命の戦略的総路線の実現として、都議選闘争を闘っていたのかということである。日本革命の戦略的総路線とは、「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ!」「米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒!」「戦争国家化阻止=改憲粉砕・日帝打倒!」である。
もちろん、このことを選挙闘争の現場でどう実現していくのかという内容形成、政策形成の問題はある。しかし、選挙闘争の核心にこのことが真っ向からすえられなければならなかった。小泉政権の戦争国家づくりと帝国主義的民族主義・愛国主義・排外主義・国粋主義の攻撃と必死で自覚的に格闘し、日帝の歴史的犯罪を直視し、「七・七自己批判」の精神を鮮明にして、党が自己の思想をかけて小泉反革命とぎりぎりと闘っていたかどうかが総括されなければならない。
小泉の登場が示す新しい型のファシスト的・極右的国家改造攻撃、その帝国主義的民族主義・排外主義と闘いぬけず、自国帝国主義打倒とプロレタリア革命の実践と立場を貫けないで起こることは何か。それと表裏一体の関係にあるのは、恐るべき日和見主義への転落である。労働者人民の革命的意識、階級形成、階級的団結は、帝国主義戦争の現実性と死活をかけて対決し、国家主義、排外主義と根底的に闘う中でこそかちとられる。このことをなしえない労働者党は、革命党ではなくなってしまうのだ。
帝国主義が侵略戦争に突入する宣言をした時に、こんな国家は打ち倒せと宣言し、侵略戦争の過程を内乱に転化して闘うという革命的祖国敗北主義のプロレタリア世界革命戦略を対置し、その闘いを実践的に貫徹することが求められていた。ここでたじろいだということは、第二インターの崩壊に比すべき思想的転向の一歩手前まで行ったものとしてとらえ返さなければならない。この中央指導部の現実をのりこえることを総括の一切の出発点にしなければならない。
われわれは、ここに、〈六・二四の敗北をみすえ、そそぎ、のりこえる〉ことを強く決意し、自己批判・自己切開を深めつつ、新たに総決起することを断固として宣言したい。
真の革命的議会主義
第二は、革命的議会主義の貫徹にかかわる問題である。小泉反革命は、日本を侵略戦争の道に引きずり込もうとしている。革命的議会主義の貫徹の立場からこれとどう闘うか、戦争問題に対する態度として、階級的立場が正面から問われたのである。ところが、この小泉反革命の登場として現れた「帝国主義戦争の現実性」を前にして、党が命がけで小泉反革命と激突することを、当選至上主義をもって避けてしまったのである。
革命的議会主義の闘いとは、平時における最も厳しい政治闘争である。議会選挙をめぐる闘いは大衆的政治闘争の一形態である。当選至上主義に陥ることは、この政治闘争の論理で闘うことをあいまいにし、国家権力との闘いからの回避という問題も生み出してしまうのである。
選挙闘争それ自身の中で革命的祖国敗北主義の闘いが貫徹できないで、どうして議会の演壇でそれを実現できるのか。侵略政策反対、戦争国家化攻撃粉砕をとことん掲げて当選をかちとることに革命的議会主義の真骨頂がある。レーニンは『社会主義と戦争』で帝国主義戦争に対する労働者議員団の態度について、それがどんなにすさまじい闘いであってもその闘いをやりぬくこと、そのことが労働者党にとって絶対的な生命線的課題であることを鮮明に提起している。
選挙闘争は、全労働者人民に向かって党の政策・綱領を具体的に提起し獲得する闘いである。それを選挙闘争の現実の中で貫徹することの中に、党の前進と階級の前進があるのだ。またこの立場で当選をかちとることで初めて、命をかけて議会の壇上から帝国主義戦争反対の闘いができるのである。この革命的議会主義の原点的立場の再確立を、必死でかちとらなければならない。
党の自己解放的決起
第三は、革命党の自己解放的決起と労働者住民の自己解放的決起をどう実現していくかという問題である。
われわれは共産主義社会への解放の主体として労働者階級を措定し、その組織的団結、階級的団結のために必死で闘ってきた。しかし、労働者階級人民の真に巨大な自己解放的決起を実現するためには、党それ自身のマルクス主義的な自己解放的決起(レーニン主義の党としての自己実現)が絶対的な前提なのである。
要するに、現存の帝国主義体制へのいたたまれない根底からの怒り、階級的解放と民族的解放の統一への揺るぎない確信、国際プロレタリアートとの連帯、帝国主義の差別・排外主義攻撃との不退転の闘い、これらのことが党員一人ひとりの闘いの根源にあり結合され、内発的根本的な決起がかちとられていることが核心なのである。またその中でこそ、労働者階級の決起への限りない確信と信頼も生み出されるのだ。この党自身の決起がつくり出せないで大衆的決起のみを追い求めることは、党活動と党性の解体へとつながってしまうのだ。
党のボルシェビキ的強化が実現されなければ真の大衆的決起も実現されないという、この党と人民の関係の真のプロセスの解決を厳格に再確認し、「レーニン主義の党」の建設へばく進しなければならない。
党内思想闘争の意義
第四に、党内思想闘争の価値創造性をしっかり確認しなければならない。
小泉反革命へのたじろぎと敗北は、中央指導部の党内思想闘争の不徹底によって生み出された。言い換えれば、小泉反革命との対決という一大政治決戦において、党内思想闘争による白熱的討議での一致こそが、これに勝ちぬく真の活性化とエネルギーを生み出していく源泉である。まさに選挙闘争という蜂起戦の鉄火の中でこそ、徹底した党内闘争をとおした一致が求められていたのである。
また、日帝の新たな侵略戦争突入宣言の中で「連帯し侵略を内乱へ」の闘いを実践することは、広範な労働者人民の党への組織参加を実現することと一体である。とくに全党の同志が党内思想闘争を正しく展開することは、中央指導と中央指導部建設に参加することと一体なのである。
とくに今回、敗北を敗北としてしっかり総括することは、最初は惨めな姿をさらけ出すこととなる。しかし、指導部を先頭に全党はその現実から逃げ出すわけにはいかない。歯を食いしばり、その突破をかけて闘うことは、真の指導部を建設する闘いであり、本物の労働者党を建設する闘いである。
政治局を先頭とする中央指導部の変革を始めとして、党全体の変革をかちとるために、党内思想闘争を全党が全力で闘いとり、この現実を突破しよう!
「三本柱」の方針をめぐる実践的総括
第五は、大衆的基礎をもつ基盤的得票勢力の創造と獲得の問題である。
革共同は、二〇〇〇年衆議院選挙闘争の教訓をふまえつつ、いわゆる三本柱の方針を形成して今次都議選を闘った。すなわち@街頭宣伝・扇動戦、A住民大衆の大衆運動の組織化と結合した大衆闘争的自己運動性をもつ都議選闘争の展開、B名簿闘争の展開である。
この問題では、九一年五月テーゼ路線の貫徹とその物質化の途上性が厳しい形で突きつけられた。何が達成できており、何が達成できていないのかが強烈に突きつけられたのである。いまだ達成できていない部分を明確にえぐり出さなければならない。
まず、街宣活動に関する総括から切り込んでいきたい。
帝国主義の危機が大失業と戦争の時代へと転化する流れが、この四月、小泉反革命という形で一挙に具体化して襲いかかってきた。帝国主義の危機は、自民党支配の崩壊寸前の危機、森政権の絶望的状況、日帝の戦後体制のあらゆる面での行きづまり、閉塞(へいそく)感の強まり……となって現れていた。小泉はこの情勢の土壇場で、いわば体制内的疑似体制変革者として立ち現れた。野党の無力性に失望をくり返す中で、小泉のこの疑似変革性に一定の民衆(八〇%以上の支持ということは労働者階級の一定の部分を含んでいる)が引き込まれ、引きずられるという情勢さえ生み出された。階級情勢の劇的な転換が始まったと言えるのだ。
この情勢の急展開に対して反政府党、とりわけ革命的左翼党派が原則的かつ現実的に対応するのはけっして容易なことではない。
小泉反革命の核心は、帝国主義がこのままでは大破綻(はたん)するという危機感を真正面からふりかざし、「日本が再生するためには」という言葉で日帝が帝国主義として延命するためには大失業と戦争への道しかないと内容的に言い切り、他に方法があるというなら示してみよ、将来を期して今の痛みに耐えよと言いぬくことにある。一定の痛みもがまんすれば将来は明るくなるという幻想を一時的にせよつくり出したということだ。
こうした小泉反革命による、戦後の平和と民主主義の破壊として進行する攻撃と根底的に対決するためには、帝国主義論、帝国主義打倒論、レーニンが『社会主義と戦争』で提起した革命的祖国敗北主義の立場が階級的原色的レベルで貫徹されないと闘えないのである。この急展開に対して革共同は、ある意味で、都議選をどうするかをも超えて党の命運をかけて対決し、勝利的な闘いを切り開かなければならない。これは、革共同以外の党には真にやりぬくことは絶対にできない、革共同の党としての前衛性のかかった闘いである。今次の都議選でも闘いの魂の問題としてこのことは貫徹されなければならなかった。
しかし、この闘いは実はきわめて困難な闘いなのだ。ボルシェビキの例でも七転八倒の連続だったことがそれを示している(「祖国の敗北」を主張して労働者から袋だたきにあったボルシェビキについて、レーニンやトロツキーが言及している)。しかも実際には、この内容(原色的)を今日の日本の現状、人民の意識状況にあわせて過渡的・現実的なロジックを伴って打ち出し、共鳴をかちとっていかなくてはならない。この闘いにおいてあらかじめ解答が出ているということはない。
われわれが都議選でこのテーマを街宣の場で解決し、小泉反革命批判で駅前で歩く人の足を止め、さらには一種の聴衆のかたまりに転化し大集会化をつくり出すというのは、観念的にはともかく現実にはとてつもなく難しいのである。
一般的に言えば、街頭以外のところでも大衆運動の中でゴリゴリに鍛えられ勝利してきた経験や、土根性、情熱、迫力といったものが体現されていなくては、街宣での勝利は難しいのだ。この力をつけるには、何度も何度も挑戦し、失敗しても失敗してもそれをのりこえて自己を鍛えあげていくしかない。また何よりもこの行為が党的な組織的討論に基づいて、方針形成―実行―総括―新方針―実行……といったプロセスとして実現されることが絶対必要となるのだ。
革共同の今回の街宣は、この限りでこの困難なテーマに向かって真っ向から挑戦していったことは明白である。革共同の小泉反革命批判、真っ向からの小泉=石原批判の闘いは、それがまだどんなに未熟で粗っぽさや拙劣さにみちていようと、小泉=石原的ムードに対して杉並ほど本格的な革命的な挑戦がたたきつけられたところはないと確信する。革共同のこうした闘いが一定の形で、かなりの大きさで九四五〇票の形成に貢献したことは間違いない。
しかし他方で、こうした厳しさを選挙闘争の結果が示しているとリアルに見ておくことである。街宣の勝利は選挙全体の空気を支配し全戦線の方向を照らすという意味でも、その重要性を徹底的に確認しておく必要がある。しかしこの分野で実際に大きな票をつくり出す力というのは、闘いの中で、党全体のさらなる前進の中で創造されていくものであり、今日の革共同としてはここでの得票能力についてはリアルに腰をすえて見ていく。ここではやはり、中央を先頭に歯を食いしばっての一種の「みすえ、そそぎ、のりこえる」精神が絶対に必要なのだ。
第一の柱についてこのように肯定的かつ戦闘的リアリズム的に総括する時、第二の柱の重要性があらためて明確になる。一般的にいえば、選挙闘争においてはやはり大衆的基礎をもつ基盤的な得票勢力の創造、獲得、形成、恒常的掌握といったことが決定的である。
これは広く言えば、@その地域に根を張った党の力そのもの、A議員とその後援会的組織の力と展開、Bとりわけ決定的な労働組合の支持・推薦の獲得、C生活協同組合的運動・組織、Dさまざまな大衆闘争的諸運動の発展とそれとの有機的結合の強化(今回の都議選では、教育・教科書問題の闘い、介護問題の闘いなどがこのDに当たる)、Eその他、各種のサークル活動、F地域に根を張った医療施設、等々がある。
革命的左翼政党の場合、地域(工場と居住区)に根を張った党細胞の有力な存在や、労働組合的な支持・推薦の獲得でのブレークスルーがある意味で最も重要かつ有効な基盤となりうる。この点での決定的な不十分性こそ、今回の都議選における革共同の弱さの核心にあること、この打開・こじあけが結局は決定的であることは、総括の核心のひとつとして銘記しなければならない。
このように見てきて、再度三本柱方針に返って見る時、今次都議選において教育=教科書問題(および学校給食闘争)と介護問題の闘いが、真に大衆的な内容と形式をもって展開されたことの意義は決定的であったと総括できる。
革共同としては、第一の柱をまず戦略的にぶっ立てることにエネルギーを使った。それは党としての存在理由にかかわることであったが、あくまでも貪欲(どんよく)でリアルなものであるべき都議選の勝利戦略から見ると、この第二の柱の戦略的位置づけをより明確に与えて闘うべきだった。この分野にひそむ爆発的な発展力にもっと体重をのせることが必要だった。
しかしこの点でも、革共同としてはまだ始めたばかりで未熟であり、こうすれば当選できたというような言い方は安易にすべきではない。しっかりした恒常的な基盤をもった大運動に育てあげるには時間や歴史を必要とするからである。
第三の柱が名簿闘争であるが、あえて言えば、これが「第三の柱」という形でくくられたことを突破しなければならない。やはり名簿闘争こそが選挙闘争の最大の中心、重心、総括軸であるということを断固として確認すべきである。なぜなら、われわれの選挙運動のすべての成果は結局、名簿というところに総括されるし、それをめぐるオルグ活動の推進と総括をとおして、獲得票の増減運動の分析と評価を厳格に中心にすえていくことが重要だということだ。
「三本柱」の三つにして一つの立体的構造ということと、名簿闘争に総括軸をどっしりとすえつつ、第一・第二の柱の動向を常に掌握し、選挙情勢や他党派動向の的確な把握に基づき選挙闘争全体を指導するということが、三者の一体性だと言える。
このような都議選の敗北と教訓を総括する中で、しかしこの都議選を蜂起戦として、全党の力の限りの総決起を実現したことはかけがえのない闘いであり、前進であった。とりわけ、今回の都議選をとおして、労働運動と革命的議会主義の有機的結合と一体的前進、レーニン主義的労働者党建設の本格的闘いが、道半ばながら大きく前進したことをしっかりと確認しておきたい。
革共同は、この総括をバネに再度四年後の都議選に挑戦する。選挙という平時には最も厳しい政治闘争から逃げてしまっては、テストされた党はできない。今回の小泉反革命との対決の困難性と重要性は、都議選を闘ったからこそはっきりしたとも言えるのである。党中央を先頭にした弱さがえぐり出された。党的力量をしっかりとつかみ、選挙情勢をしっかりつかみ、党建設としての党建設の指導を実現する。歯をくいしばって、敗北をみすえ、そそぎ、のりこえていく。
実践的には四年後に再度の決戦を構え、今回の血を吐く総括を真に実現して必ず当選をかちとるために、一切をかけて闘って闘いぬくことをあらためて確認し、都議選闘争の総括としたい。
(2)革共同第6回全国大会開催の歴史的意義について
革共同は、二〇〇一年前半期に革共同第六回全国大会を戦取した。七〇年安保・沖縄決戦以来の三十年間、八〇年代初めに第五回大会を開催して以降は開催が困難だった党大会を、二十一世紀へ突入する中でついにかちとったのだ。この勝利を全党・全人民に報告したい。(別掲特別声明参照)
第六回大会での報告と討論は、『革命的共産主義者同盟第六回全国大会報告・決定集』として速やかに全党と労働者人民に明らかにすることを計画しているが、いくつかの点を強調しておきたい。
第一は、本六回大会で、革共同創成以来の四十有余年の総括を徹底的に行ったことである。そして、カクマル黒田の革共同からの分裂と逃亡と敵対、白色テロル集団としての純化とファシスト労働運動の全歴史を徹底的に総括し、その反革命性、ファシスト性を徹底的に暴露・断罪し、ついに黒田哲学が国粋主義哲学に純化し労働者人民に根本的に敵対していることを暴いて、革共同の反帝・反スターリン主義プロレタリア世界革命戦略の勝利を宣言したことである。
第二は、二十世紀の総括と二十一世紀革命の展望に関する革共同の基本的見解を、帝国主義論、レーニン主義革命論、スターリン主義論、反帝・反スターリン主義世界革命論として明らかにしたことである。第三次世界大戦への道か、反帝・反スターリン主義プロレタリア世界革命への道かと問題を明確にし、「万国の労働者と被抑圧民族は反帝・反スターリン主義世界革命の旗のもとに団結せよ」と宣言したのである。第六回大会は、世界革命への革共同の本格的綱領を確立する闘いに向かって実に重大な第一歩を踏み出すことに成功した。
第三に、大会は、非合法・非公然体制のもとで圧倒的な労働者代議員の参加を得てかちとられた。大会は、全国委員を選出し、直後に第二一回全国委員会総会を開催して政治局員を選出、また二〇全総で確認された清水丈夫議長・天田三紀夫書記長体制を確認した。さらに、特別決議、規約改正など大会にふさわしい多岐にわたる重大決定を闘いとり、二十一世紀の早期にプロレタリア世界革命の勝利を誓い合ったのである。
これからの革共同の闘いは、この六回大会路線に基づいた闘争と党勢拡大の全面的爆発的な発展でなければならない。全国の同志諸君! 六回大会路線の大学習・討議運動を展開し、革共同の爆発的発展期をつくり出そう!
(3)動労千葉120時間ストの爆発と 解同全国連10回大会の成功
二〇〇一年前半期の決戦を総括する場合、さらに積極的に確認したいことは、三〜四月の動労千葉の百二十時間ストライキ闘争と、部落解放同盟全国連第一〇回大会の歴史的成功である。
二九年型世界大恐慌過程への突入と日帝の没落帝国主義への転落は、帝国主義が、資本攻勢のもとで労働者階級の団結形態を破壊し、労働運動を解体して侵略戦争へ動員する攻撃を激化させる。それは他方で、排外主義と差別主義の大洪水のもとで、民族差別と部落差別を始めとするあらゆる社会的差別を極限化させる攻撃となって襲いかかってくる。
動労千葉の三〜四月決起は、国労大会への警察権力導入と「四党合意」の強行に対する、実力による大反撃としてあった。千四十七人、闘争団の不屈の闘いと根底から連帯するものであり、日本労働運動の戦闘的再編をかけた偉大な決起である。また今日の大資本攻勢の最先端をなすJR東日本の「ニューフロンティア21」を始めとした第二の分割・民営化攻撃に対する総反撃の闘いであった。
全国連一〇回大会は、帝国主義の身分的差別攻撃と根底的に闘うことをあらためて宣言した。部落差別こそ、部落民を政治的・経済的・社会的・精神的に抑圧する帝国主義の迫害であり、また帝国主義の攻撃に屈服した一般労働者人民による部落差別攻撃としてある。日帝の部落差別攻撃と根底的に闘う最大の戦略的課題として、狭山闘争の歴史的勝利を切り開く闘いを位置づけた。
狭山闘争は、差別糾弾闘争を戦闘的に発展させると同時に、労働者人民との階級的共同闘争の全人民的広がりの中で初めて勝利できる。革共同は、全国連の三大闘争方針を断固として支持し、この闘いの先頭に立つことを宣言する。
さらに、今年前半期は、学生戦線を先頭に小泉反革命打倒を掲げて闘った反戦共同行動委員会の五・二七全国総結集闘争、三・二五三里塚闘争、一・二七国労大会を頂点とする国鉄決戦を先頭にした全産別での資本攻勢との死闘、さらに四〜五月入管闘争の展開、教育改革攻撃との闘いと教科書闘争の爆発、獄中同志奪還の闘いなど、二十一世紀冒頭を飾るきわめて重大な闘いを展開してきたことを確認したい。
とりわけ七月下旬、杉並と国立、栃木で「つくる会」教科書の採択をついに阻止したことは決定的である。小泉反革命に対する労働者人民の巨大な反撃が始まった。またこの闘いは、「七・七自己批判」の実践であり、国際連帯の闘いとして闘いぬかれることによって勝利した。
二〇〇一年前半の政治決戦の総括は、以上のように重大な党的飛躍を突きつけている。中央指導部の根底的変革をかけて、組織的団結をさらに強化し後半決戦への前進をかちとろう!
U 大恐慌・ブロック化・戦争と革命的情勢の世界史的接近
(1)米帝ブッシュの新世界戦略と
帝国主義間争闘戦の全面的激化
ジェノバ・サミットが示したものは何か。帝国主義の危機が末期に近づいていることである。世界経済の統一性は崩壊し、G8は帝国主義間のむき出しの利害の対立の場、とりわけ米帝利害のごり押しとそれとの激突の場となった。それは帝国主義が保護主義化・ブロック化への道へますますのめり込み、帝間争闘戦が戦争へと転化していく姿を示した。
米帝ブッシュは、地球温暖化防止の京都議定書は経済成長に悪影響をもたらす非現実的な取り決めであるとして離脱を表明した。さらに七二年米ソが締結した弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約の破棄要求、九六年の包括的核実験禁止条約(CTBT)の死文化・批准拒否宣言をも行い、ミサイル防衛構想を実践に移し、帝国主義戦争、侵略戦争の道に向かって突き進んでいる。
こうした帝国主義戦争屋どものジェノバ・サミットに対し、ヨーロッパ各地から集まった二十万人の実力デモ(二十三歳の青年が銃殺された)が闘われた。スターリン主義崩壊後の混迷状況を突き破って本格的な反帝闘争が爆発し、帝国主義サミットを事実上粉砕したのである。「反グローバル化」という表現の中に多くの混濁したものがあるが、しかしそこに明確に、九九年のシアトルWTO(世界貿易機関)をめぐる闘い、さらに昨年の沖縄サミットの闘いを発展させているものがあることも見なければならない。
革共同は、反帝国主義・反スターリン主義世界革命戦略のもとで、プロレタリア国際主義とマルクス主義の旗をますます高々と掲げて闘うことが決定的に重要であることを確認する。何よりも、現実の日帝・小泉政権ととことん激突していかなければならない。今や、革共同の国際階級闘争への登場が待ったなしに求められている。
日米同盟重視の政策
米帝ブッシュ政権は、二九年型世界大恐慌と大不況への突入を不可避とする認識をふまえた新たな世界戦略を打ち立てようとしている。アメリカ経済のバブルが吹っ飛ぶ中で、今やブロック化の構築と対日争闘戦=日帝金融市場の開放=強奪、軍需産業をテコとする経済政策へと明白に突き進み始めている。
米帝の新戦略の特徴は第一に、日米同盟を米英同盟と並ぶ世界戦略上の要(かなめ)として打ちだし、それを強力に推進していることである。
九〇年代の存亡をかけた対日争闘戦の結果、日帝を没落帝国主義にたたき込んできた米帝は、今日、日本発世界恐慌の爆発や米バブル崩壊の二九年型世界大恐慌への発展に恐怖しつつ、新たな対日政策を打ち出している。それは、米帝がかつての世界帝国であったイギリス帝国主義を組み伏せて今日の米英同盟に至ったのと似たような、米世界戦略のもとにその先兵として日帝を組み伏せるという形をとった日米同盟関係の再構築である。日米争闘戦は新たな段階に入った。
没落帝国主義として未曽有(みぞう)の危機にのたうつ日帝は、米世界戦略に必死に沿う形で、世界大恐慌・大不況と戦争の時代に生き残るための凶暴な帝国主義へと転換しつつある。
第二に、国防戦略の見直しに着手し、「二大戦域同時対応」戦略を放棄してアジア重視を鮮明にしたことである。
米帝は一方で、市場争奪戦の最大の戦場としての中国を措定し、それをめぐる日米激突を前提にした日米同盟重視政策を打ち出している。他方では、経済危機の軍事的突破のための対中国侵略戦争を措定し、その観点からも日米同盟重視政策を打ち出しているのだ。つまり、米帝の世界戦略の要は対中国=対日帝政策を軸にして樹立されつつある。北朝鮮政策もその一環として見直されたのである。また、アジアにおける前方展開戦略の要として沖縄基地の戦略的位置が再確認された。
第三に、ミサイル防衛構想を大胆に推し進めることが強力に打ち出された。
ミサイル防衛構想とは、@宇宙空間からレーザーガンで敵のミサイルを打ち落とすSDI(戦略防衛構想)と、A海外の米軍基地、同盟国に対する中・短距離の戦域ミサイルを迎撃対象とするTMD(戦域ミサイル防衛)、B米本土を直接攻撃する長距離ミサイルを迎撃対象とするNMD(国家ミサイル防衛)の全部を包括して実戦化するものである。これは、米帝が新兵器・宇宙兵器の開発によって宇宙空間を独占し、他帝国主義を屈服させる侵略戦争・核戦争政策である。
この米帝世界戦略の転換がもたらすものを一言で言えば、米帝は、二九年型世界大恐慌と大不況下における米帝の危機を、対中国=対日帝政策を軸にして、直接の戦争によって打開する戦略に踏み切ったということである。米帝は、世界大恐慌と大不況の到来の中で、明らかに世界大的戦争への突入をめざして動き始めたのである。
これは恐るべき情勢の始まりである。世界大恐慌・大不況の時代への突入、世界経済の統一性の崩壊とブロック化の進行に対して、米帝が本気になって戦争の準備に突入したということである。そしてこの米帝の新戦略の推進は、日米関係を米英同盟のような関係に押し上げられるか、すなわち政治的軍事的にも米帝の完全な先兵となっている英国の位置に日本をもっていけるか否かの緊張をはらんでおり、その点も含めて東アジア情勢は非常に「不透明」なのだ。まさに米日帝による中国・朝鮮侵略戦争切迫下の緊張した情勢への突入である。
しかも、日米帝国主義にとっては、この東アジア戦略・世界戦略をめぐる激しい動きの根底に、沖縄基地の動揺と危機という問題がある。米帝の新戦略は完全に対沖縄戦略の決定と一体であり、沖縄基地の圧倒的強化方針の確定として、徹底的に暴露し弾劾しなければならない。まさに戦争切迫下の非常に緊張をはらんだ情勢の中で、沖縄基地問題のマグマがいつ噴出するとも知れない危機を抱えて横たわっている。「米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」の戦略的総路線の闘いが、ますます決定的になっているのである。
(2)米帝経済のバブル崩壊と世界大恐慌過程の急速な深まり
二九年型世界恐慌過程が、その第一段階ともいうべきITバブルの崩壊から、本格的な米バブル経済の全面崩壊へと突き進みつつある。現在、アメリカ経済=世界経済を唯一支えているのがアメリカの内需であるが、しかし消費財輸出で依然としてこれに支えられている中国を除けば、日欧帝国主義およびアジア各国の米帝市場に支えられた経済がすべて危機に陥りつつある。この情勢のアメリカ経済に与える逆影響や、アメリカの失業者の増大・個人破産者の膨大な続出など、内需の後退に転ずる兆しが始まっている。もはや本格的なバブル崩壊は時間の問題である。
米帝は日帝の構造改革(市場の強引な開放)を頼みにし、日帝を始め全世界はアメリカの内需の拡大的維持頼みという状態である。アメリカの内需の先行きが真っ暗な中で、米帝が日帝の構造改革の最基軸に不良債権処理をあげ、時間の問題だとわめくのは、不良債権の処理をしたら日本経済が自立的に景気浮揚になるからではなく、日本の金融市場の強引な開放とそこへの欧米資本のなぐり込みにかけているからだ。
アメリカ経済は昨年四月の株価大暴落をもってバブルの崩壊過程に突入し、昨年末から実体経済も下降してきた。これに対しFRB(米連邦準備制度理事会)は今年になってすでに六回(累計で二・七五%)も金利を引き下げて対応してきた。六月の利下げで、すでに実質金利はゼロに近づいている。しかし、それによって恐慌・不況を回避できるわけではないことが明白になってきている。
何よりも、鉱工業生産は六月まで九カ月連続で下落しており、設備稼働率は七七%と実に八三年以来の低水準に落ち込んでいる。企業収益も四−六月期には、九一年以来の二ケタ減益となった。雇用削減は、製造業から非製造業にも広がり始めている。
とくに重大なのは、銀行の貸し渋りが強まり、破綻する企業が続出し始めていることだ。経営不振の新興通信会社十社だけで百七十億j(約二・一兆円)の負債を抱えているが、この額は全米の銀行の四半期利益の合計額に匹敵する。十社が倒産の危機に陥ると、赤字決算の銀行が続出するのは必至である。今や、通信業界を始めとして過剰資本、過剰債務が急速に露呈しており、それが銀行の不良債権問題を噴出させつつある。その行き着くところは金融恐慌への突入だ。すでにナスダックは二〇〇〇ポイント割れをくり返している。
とはいえ、アメリカ経済がなお全面的な恐慌・不況に陥っていないのは、個人消費の拡大が続いていることによる。依然として借金をして消費しているのだ。一方で個人破産が過去最高に迫っているにもかかわらず、他方で個人債務残高が過去最高を更新し続けている。本当に末期の末期という状態である。今後、株安の逆資産効果に加えた失業率の一層の上昇によって、消費が激減するのは避けられない。アメリカ経済の恐慌・不況への突入、世界大恐慌の本格的爆発が刻々と迫りつつある。
日帝の恐慌の再激化
日本経済は、今年に入って実体経済面でも金融面でも恐慌が再激化している。一−三月の名目GDPは〇・六%増と微増にとどまっており、恐慌が激しく進んでいた九八年七−九月期の水準に舞い戻っている。しかも年初から対米輸出の激減によってIT関連の生産が急減してきたが、生産の減少は今や生産財全体へ、さらには消費財へと広がりつつある。つまり実体経済は九八年以上の落ち込みを見せ始めているのである。今年上半期に倒産した企業の負債総額は七兆円強で、戦後二番目となった。うち恐慌による本業不振が原因の「不況型倒産」の割合が初めて七割を超えた。
こうした恐慌の再激化という状況に対して、日帝は「緊急経済対策」と日銀の量的緩和策という第二次恐慌対策を講じてきた。しかし七月三十日には、日経平均株価が一万一五七九円とバブル崩壊後の安値を更新した。二十三日の最安値が一週間で更新されるという異常事態だ。中でも銀行株は、九八年秋の金融システム不安時の株価を下回り、バブル後の最安値をつけている。日帝・小泉政権が、まだ不良債権の本格的処理に手をつけていない段階であるにもかかわらずだ。
この株安によって大手銀行の多くが保有株の含み損に陥り、九月中間決算時に自己資本が枯渇しかねない危機的状況を迎えている。これだけでも金融危機が噴出せざるをえない。今後、小泉政権が不良債権の最終処理=直接償却という政策に本格的に突っ込むなら、金融恐慌が再爆発し、恐慌は全面的に激化せざるをえない情勢へ突入しているのである。
(3)アジア危機の進展と
米日帝による中国・朝鮮侵略戦争の切迫
こうした帝国主義の危機と帝国主義間争闘戦の全面爆発の中で、世界危機、アジア危機がいよいよ深まり、今や一九三〇年代をも超える世界史的な革命的情勢が急速に接近してきている。
米帝の世界戦略は根本的には、中国スターリン主義の体制的転覆をその根底にすえている。中国スターリン主義に対して徹底した重圧を加え、中国市場争奪戦での経済的優位を狙っている。重要なことは、米帝がこの対中国政策の決定的な土台に、日帝のアジア勢力圏化阻止をすえていることである。
ラムズフェルド国防長官が最近まで理事長を務めていたランド研究所が五月に出した報告書は、「アジアでのいかなる潜在的覇権国の登場も米国のアジアにおける役割を浸食する」として覇権国阻止宣言をしているが、ここで言う「潜在的覇権国」とは日帝と中国を指している。要するに、朝鮮有事即応体制は維持するが、中国・台湾有事体制に移行すべきだと論じているのである。
帝国主義のアジア新植民地主義支配体制は、中国・北朝鮮などの残存スターリン主義の体制崩壊的危機の切迫と、世界大恐慌情勢の進展の中で、九七〜九八年をも超える危機の爆発が不可避となっている。米日(欧)帝国主義はこの情勢をにらみつつ、勢力圏の分割・再分割をかけた争闘戦を激しく展開している。
中国スターリン主義は、スターリン主義の反人民的な強権的政治支配を一層強化しつつ、経済における「資本主義化政策」の一層強烈な展開によって体制的延命を図ろうとしている。WTO加盟で帝国主義資本の無制限の導入に道を開こうとしているが、それは中国社会と人民を空前の大失業と農業・農村破壊の地獄に引きずり込むものだ。民族問題、民主化問題での矛盾も激発している。それらは結局、台湾問題をめぐる危機の爆発へと収斂(しゅうれん)していくことは不可避である。
北朝鮮・金正日体制は、米帝ブッシュによる軍事的圧力の増大と経済危機の重圧にあえぎつつ、この危機を韓国・金大中政権との関係形成や対ロシア・中国関係の再形成で打開しようと必死になっている。だがそれは、激しい階級激突情勢に突入している南朝鮮・韓国の危機の進展とともに、朝鮮半島情勢を一層の泥沼に引き込んでいくものでしかない。
さらに、インドネシア情勢の内乱・内戦的激動の深まりを始めとして、アジア全体が巨大な激動に入ろうとしている。この中で、米日帝による政治的軍事的介入策動がますます激化しているのだ。日帝はすでに東ティモールへの自衛隊派遣を表明し、日帝独自の勢力圏確保への焦りと野望をむき出しにしている。
ロシアの動向と危機
ロシアと米帝との関係は、九八年夏のロシア金融危機、九九年三月のNATOによるユーゴスラビア空爆を契機に冷却化した。プーチンは、国家の指導性と中央集権化を強め、チェチェン侵略戦争を激化させる一方、欧州や残存スターリン主義諸国、イラン、イラクなどとの関係を再強化することによって米帝の思惑からはずれた方向にロシアを導いてきた。
これに対して米帝ブッシュは、ミサイル防衛構想とABM制限条約破棄要求という核軍拡政策に一方的に踏み切り、NATO東方拡大政策を引き続き推進し、ロシアへの軍事的政治的圧迫を強めている。そこでロシアは、核軍拡競争への再突入の危機を語って米帝や世界を脅す一方、欧州共同ミサイル防衛構想を提案して米欧の分断を図り、中国、インドなどとの戦略的関係を強化して、必死に米帝を牽制(けんせい)し対抗しようとする政策をとっている。
ロシア・プーチン体制は、旧ソ連の遺産をも引き継ぎつつ資本主義化政策を強行し、対米対抗的で帝国主義的な軍事外交政策を展開する反人民的反プロレタリア的な政権である。こうしたプーチン体制に対して、チェチェン人民を始めとする被抑圧諸民族の反乱の一層の爆発、それに連帯するロシア内外の労働者階級の決起は不可避である。
改憲へ突き進む日帝
日帝は、米帝のミサイル防衛構想を最初から支持してきた。一九八七年にSDI研究に関する協定に調印。九八年にはTMDの共同研究開始の決定を行った。そして現在、四分野の共同技術研究を進めている。さらに、イージス艦装備のレーダーシステム、武器管制システムの共同研究が打診されている。
このことは日本帝国主義に何をもたらすか。ブッシュのミサイル防衛構想を支持しそこに参加することは、日帝にとっては集団的自衛権の行使そのもの、改憲そのものが一挙に問題になる。米帝と一体となって中国・朝鮮−アジア侵略戦争へ突っ込んでいくことになるのだ。
小泉反革命とは、そのために戦後的価値観をたたきつぶし、国家が生きるためには労働者人民は犠牲になれ、国家のために死ぬことができる人間になれとしていく攻撃である。この攻撃は今日、八・一五小泉の靖国神社公式参拝、「つくる会」教科書の採択、憲法九条改悪、集団的自衛権の行使、PKF(国連平和維持軍)本体業務参加の凍結解除、有事立法制定、沖縄名護新基地建設などの攻撃として恐るべき勢いで展開されている。
とりわけ八・一五靖国神社公式参拝をめぐる激突はぎりぎりと煮つまっている。絶対に阻止しなければならない。
(4)反帝・反スターリン主義世界革命と
日本革命の戦略的総路線
今や時代は、スターリン主義の歴史的破産と帝国主義の新たな世界分割戦争のすう勢が強まる二十一世紀へ突入した。現代世界は、反帝・反スターリン主義世界革命か、第三次世界大戦かの歴史選択を鋭く突きつけている。
この現代世界の現実に対して、われわれが高々と掲げるべきものは、反帝・反スターリン主義世界革命の旗でなければならない。
現代世界は単に帝国主義の時代であるだけではない。それはいったんは一九一七年ロシア革命というプロレタリア革命によって帝国主義支配の鎖の一環が断ち切られ、世界革命への過渡期へ突入した世界である。かつ、それがスターリン主義の大反動によって帝国主義とスターリン主義の世界体制へと変質させられた世界なのである。
いやそれだけではない。このスターリン主義が二十世紀の末についに歴史的破産を遂げ、今やこの崩壊したスターリン主義体制や残存スターリン主義体制をいかに再び帝国主義の勢力圏へと取り込むのかを決定的な突破口として、帝国主義間の争闘戦、各帝国主義による全世界の再分割戦が激しく展開されようとしている世界なのである。
この意味で、現代のプロレタリア世界革命の戦略は、反帝・反スターリン主義世界革命戦略をおいてほかにはない。
第一に、ロシアを始め崩壊したスターリン主義圏のプロレタリアートの真の解放は、エリツィン=プーチン的な資本主義化政策との対決のみならず、破産したスターリン主義の歴史的総括を戦略化することによってのみ、一九一七年革命を再生させる新しいプロレタリア革命に向かって前進することができる。第二に、中国を始め残存スターリン主義圏の労働者人民は、ストレートにスターリニスト権力との死闘に打ち勝たなければ一切の革命的前進はありえない。
第三に、帝国主義諸国を含む全世界の労働者人民は、そのめざすものは民族解放・革命戦争を含めて本質的に世界革命であり、世界革命の一環としてのみ各国的勝利が可能であることからしても、現代革命の戦略は反帝・反スターリン主義世界革命戦略以外にないのである。
まさに〈反帝・反スターリン主義世界革命戦略の旗のもと、万国の労働者と被抑圧民族は団結せよ!〉ということだ。
日本の労働者人民が進むべき道は、したがって、第三次世界大戦への道を許さず、反帝・反スターリン主義世界革命の勝利をかちとれということである。さらに具体化すれば、それは世界革命の一環として、
●日本帝国主義打倒のプロレタリア革命であり、
●「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ!」「米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒!」であり、
●「戦争国家化阻止=改憲粉砕・日帝打倒!」
でなければならない。
この戦略的スローガンのもと、労働者階級人民の内部に強固な労働者党を建設していくこと。そして、到来する革命的情勢の成熟の中で、プロレタリア革命の勝利をかちとっていくこと。これこそがわが革共同の二十一世紀革命に向かっての基本的綱領的路線でなければならない。
(5)小泉「構造改革」がもたらす一大資本攻勢と
労働運動の現状
小泉反革命は、改憲と戦争への突進と同時に、労働者階級への一大資本攻勢として襲いかかっている。小泉政権の「構造改革基本方針」を徹底的に弾劾する。
第一に、この基本方針の背景にある日帝・小泉の危機意識は、二〇〇〇年と二〇〇一年の日経連労問研報告のそれをさらに激しくエスカレートさせたものである。そこには小泉のもとでの絶望的な暴力的踏み込みがある。
「基本方針」はその序文で〈日本経済再生のシナリオ〉として、「過去十年間の日本経済のパフォーマンスは、日本の経済社会が本来持っている実力を下回るものだった」と述べ、この突破のために「市場の障害物や成長を抑制するものを取り除く」と宣言している。日帝はここで、帝国主義間争闘戦における敗北的・敗勢的現実=「失われた十年」への危機感をむき出しにしつつ、「本来持っている実力」を奪い返すためには「障害となるものを取り除く」という凶暴な「現状破壊」のプロセスが不可欠だと真っ向から宣言しているのだ。
小泉「構造改革」とはまさに、「創造的破壊」と称して、帝国主義としての本性をむき出しにして労働者人民の雇用と生活、生命を徹底的に「破壊」し、その上に戦争国家への国家大改造を果たそうとするものなのである。
第二に、不良債権最終処理(プラス財政プライマリーバランス)によるすさまじい規模の大失業攻撃を、「労働市場の構造改革」をもって強行しようとしていることである。不良債権の処理や国債発行を「三十兆円以下にする」ことの本質は、大銀行・大資本の延命のために労働者人民に極限的な大失業、生活苦、倒産、増税を強制するものだ。
また基本方針は、失業増の受け皿として、「サービス分野で五年間に五百三十万人の雇用を創出する」などという計画をねつ造している。ここで言われる雇用創出の人数とは、実はそれだけの失業者が出るということだ。実際に小泉=竹中は五百三十万人の失業者を想定している。それを「サービス部門への労働移動」で吸収するなどと言うが、それはこの五百三十万人を徹底した低賃金と無権利の地獄に投げ込もうということだ。
第三に、具体的課題として「七つのプログラム」を打ち出し、その一つに「民営化・規制改革プログラム」を位置づけ、郵政民営化と特殊法人合理化を強行しようとしていることである。
現在すでに「郵便新生ビジョン」による郵便一万五千人を始め郵政三事業で二万人以上の削減を突破口とする二〇〇三年公社化攻撃が吹き荒れているが、民営化への踏み込みをとおして郵政大リストラ・大人員削減を強行し、さらに特殊法人の合理化・スクラップ化、人員削減にのり出し、全逓労働運動などの解体を強行しようということである。
しかもこの郵政民営化と特殊法人合理化を「徹底した行政改革」の突破口として、「公務員制度改革」による戦後公務員制度の解体、全公務員労働者への大合理化攻撃がもくろまれている。
「基本方針」ではこの「民営化・規制改革」とともに「地方自立プログラム」がセットになって打ち出されている。これは「公務員制度改革」が地方自治制度の解体と一体であり、小泉による戦争国家への改造の大攻撃であることを意味している。ここで言う「地方自立」とは、「市町村合併」「地方財政にかかる制度の抜本的改革」による地方自治体への補助金の打ち切りや、地方交付税の大幅削減をテコに、地方自治の解体と地方公務員への合理化攻撃、民託化攻撃を推し進めようとするものだ。
さらに小泉は、日米会談で「公的部門の改革」を対米公約化し、「公務員制度改革基本設計」を「構造改革基本方針」とほぼ同時に打ち出した。そこでは公務員への成績主義賃金の導入とともに、人事院制度の見直し(解体)に触れている。「公務員制度改革」とは何よりも戦後公務員労働運動の全面的解体の攻撃であり、それなくして「構造改革」はありえないということなのである。
第四に、医療・介護・年金などの戦後社会保障制度について、「ムダがあるから効率性を」「今後は、『給付は厚く、負担は軽く』というわけにはいかない」「自助、自律の精神」などと言いなし、その全面的な改悪・解体を強行しようとしているのだ。
「七つのプログラム」中の「保険機能強化プログラム」では、「社会保障個人会計の創設」による戦後社会保障の制度と理念の解体が叫ばれている。とくに、「確定給付型年金の改悪」「確定拠出型年金の強行」による企業年金の解体=企業の年金負担の軽減や、退職金の打ち切りなどの攻撃が、次々と労働者に襲いかかろうとしている。
また、社会保障制度の解体に伴う「効率化」「民営化」や労働者への高負担と収奪を、許せないことに「女性、高齢者の社会参画の拡大、就労形態の多様化への対応」などというペテン的名目で強行しようとしている。労働法制の一層の大改悪により、「女性、高齢者」を低賃金労働にかりたてようとしている。
第五に、これらの「規制改革」「制度改革」「労働市場の改革」を貫くものとして、「司法改革」をこの面からも徹底的に推進しようとしていることである。
第六に、総じて小泉「構造改革」の反動的核心は、労働運動と労働組合の解体、すなわち団結破壊攻撃の激化であるということだ。「司法改革」の一環として大規模な労働法制改悪を行い、労働組合の団結の徹底的な解体に向かってくるということである。
重要なのは、「国民や企業の経済活動にかかわる民事・刑事の基本法について抜本的に見直す」としていることである。まさに労働組合運動の刑事・民事免責を取り払い、労働者の団結権を抹殺して、労働組合や労働運動全体を治安弾圧の対象にしようということである。
さらに小泉が、今国会で教育改革関連法とともに「個別紛争処理法」を強行したことは重大だ。大規模な首切り攻撃に対して労働者が労働組合という団結形態をもって立ち向かうことを封殺し、個人の苦情処理としてしまおうというのである。労働委員会も、もはや団結権を問題とするのではなく、個別紛争処理の機関にしてしまおうということだ。小泉反革命との対決において、この労働組合破壊攻撃との対決を最大の対決点にすえなければならない。
小泉による戦争国家への改造攻撃、朝鮮・中国―アジアへの侵略戦争攻撃は、たんなる首切り・リストラの延長ではなく、労働組合を解体し、労働者の階級的団結を解体することで労働者を排外主義と国家主義、愛国主義の洪水におぼれさせ、戦争動員体制を構築することによって可能となるのである。小泉反革命の正体を暴き、打倒し尽くそう。
(6)治安弾圧攻撃粉砕へ
六月十二日に発表された司法制度改革審議会の最終答申は、日帝の行政改革、財政改革、教育改革の一連の改革攻撃の要をなす攻撃である。それは、むき出しの国家の論理、資本の論理をもって、国家と社会を予防反革命的、治安主義的に再編し統制しようとする攻撃である。小泉による国家大改造攻撃の観点から、現憲法下の基本的人権を始めとした戦後的価値観を根底から否定し、解体しようとするものだ。
この「司法改革」攻撃を、日帝の治安攻撃として、この間、新ガイドライン体制下で繰り広げられてきた組対法三法、国民総背番号制導入、団体規制法、警察法改悪、少年法改悪、保安処分新設攻撃という一連の大攻撃の中にしっかりと位置づけなければならない。とくにこの治安攻撃の核心が、革命党、革共同へ向けられていること、さらに戦闘的労働運動の解体と侵略戦争への労働者の動員に向けられていることは重大である。
9・1治安演習許すな
さらに、ファシスト石原都政下で昨年に続いて強行されようとしている九・一自衛隊の治安出動訓練は、日帝の治安弾圧攻撃の最先端に位置するものだ。民族的弾圧、治安弾圧、内乱鎮圧攻撃の集大成として九・一が強行されることを、断じて許さず、粉砕しなければならない。反軍戦線を先頭に闘いを強めよう。
V 小泉政権打倒、改憲決戦へ党の大変革かけて闘いぬけ――二〇〇一年後半期決戦の方針
革共同は、帝国主義の第三次世界大戦への道に対して、反帝・反スターリン主義世界革命の勝利のために、全世界の労働者人民と被抑圧民族が団結して闘う、その先頭に立つことを宣言する。日本の労働者人民の進むべき道は、世界革命とその一環としての日本帝国主義打倒のプロレタリア革命である。そのために「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」「米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒!」「戦争国家化阻止=改憲粉砕・日帝打倒!」の三つの戦略的総路線の旗を高々と掲げて闘うことである。
都議選決戦は、このような階級闘争の時代への転換の結節環であったが、そこでの党の指導と実践には決定的に問題と限界があった。今こそ、レーニン主義に徹底的に立脚し、帝国主義論をもって階級的暴露と扇動を行い、階級に広く深く浸透し階級を獲得する党への変革を推進しなければならない。
(1)戦争国家化攻撃打ち破れ
当面する二〇〇一年後半期決戦の課題は何か。第一は、小泉政権打倒、改憲阻止決戦の推進である。
日帝(日米帝、帝国主義そのもの)の戦争遂行体制への移行とその諸攻撃、改憲を頂点とする諸攻撃との闘いを、階級的覚醒・階級的自覚のための闘いと結合して全力で組織することである。とりわけ日帝は攻撃の核心に、排外主義・愛国主義・国家主義への労働者人民の吸引と組織化を置いている。この攻防は現在の最大の白熱的激突的課題である。
とりわけ小泉の八・一五靖国神社公式参拝は決定的な位置をもっている。靖国公式参拝攻撃は、小泉が「国のために戦って死んだ戦没者に敬意と哀悼の念をささげるのは当たり前」と繰り返し発言しているように、労働者人民は天皇の国のために再び命を落とせと絶叫し扇動するものだ。靖国参拝をとおして、戦争のために命をかける人間をどうやってつくり出すかに一切の核心がある。今までの延長の攻撃ではないのだ。
八・一五靖国闘争は、小泉政権との大激突の戦場である。小泉はこの靖国参拝が、日帝の戦争国家化と侵略戦争突入にとっての重大な転換点となる攻撃であることを自覚しており、何がなんでも強行すると宣言してきている。この大攻撃に体を張って闘おう。一大統一戦線をもって闘い、全人民的爆発をかちとろう。
「つくる会」教科書の採択阻止へ、杉並、国立、栃木での勝利に続き、全国での闘いを爆発させよう。教科書闘争の永続的発展をかちとろう。
日帝・小泉はさらに、ガイドライン体制下での日帝・自衛隊の侵略戦争参戦を実際に可能にするために、集団的自衛権の行使に道を開こうとしている。有事立法・改憲への最大の攻撃であり、かつ沖縄基地強化の攻撃と一体だ。PKO五原則撤廃とPKF参加凍結解除、ミサイル防衛構想推進、三里塚や北富士への攻撃などは、すべてこれと連動している。日帝の戦争突入体制と本格的に激突する大決戦として、今秋臨時国会を焦点にあらゆる闘いを繰り広げよう。
重要な特徴は、日帝の没落帝国主義の危機打開としての小泉政権の登場は、ブッシュ政権のミサイル防衛構想にも対応しており、安保・防衛問題、沖縄問題が不可避的かつラセン的に決定的な位置をもってきていることである。
沖縄圧殺攻撃粉砕を
六・二九の北谷町での女性暴行事件など、沖縄の米兵犯罪に対する怒りの爆発と日米地位協定見直し要求の激しい高まりに対して、小泉は「地位協定の運用改善」をもって見直し拒否を打ち出している。小泉政権こそ沖縄圧殺政権であり、沖縄人民の怒りの決起は不可避である。
この情勢のもとで、治安弾圧攻撃がますます激化している。九・一自衛隊治安出動訓練に絶対反対し、全力で闘わなければならない。反軍闘争の戦略的、大衆的な強化をともにかちとろう。
以上をスローガンにすれば、
●米日帝国主義の中国・朝鮮―アジア侵略戦争絶対反対!
●PKF凍結解除反対=自衛隊のアジア侵略戦争への派兵を阻止せよ!
●中国・朝鮮侵略戦争の最前線基地化のための沖縄基地強化を許すな。名護新基地建設絶対反対!
●米帝のミサイル防衛構想を支持し推進する小泉政権打倒!
●有事立法制定策動を粉砕せよ!
●司法改革攻撃を許すな!
●戦争国家化阻止=改憲粉砕・日帝打倒!
八・六ヒロシマ―八・九ナガサキ闘争から八・一五靖国闘争の爆発へ!
九・一闘争を今秋決戦の第一弾として闘い、有事立法・改憲阻止闘争の巨大な爆発へ向かって前進を開始しよう。
(2)国鉄決戦に勝利し 11月労働者集会へ
第二は、小泉反革命と対決し、階級的労働運動の生死をかけて国鉄決戦の勝利から十一月労働者集会へ総進撃することである。
国鉄決戦は、小泉反革命との激突の最前線にせりあがった。一・二七をもって新たな段階を迎えた国鉄決戦の階級決戦的位置が、小泉反革命との対決をもって一層、死活的戦略的に高まっている。
国鉄分割・民営化型資本攻勢の激化のもとで、「四党合意」・千四十七人をめぐる攻防と、ニューフロンティア21を先端とする第二の分割・民営化攻撃との対決は、小泉「構造改革」との大激突となる。なぜなら小泉「構造改革」こそが、労働組合の徹底的な破壊をめざし、国鉄闘争解体、国労・動労千葉破壊を至上命令としているからである。
この小泉反革命をバックに、日帝・JR東資本は、ニューフロンティア21のもとで、六・一三設備メンテナンス合理化=外注化の妥結をJR東労組・松崎カクマルを先兵として強行した。そして今秋十・一からの実施によって国労職場を解体し、たたきつぶそうとしている。
この国労解体攻撃に全面屈服し先兵となっているのが国労本部、チャレンジ、久保革同の反動グループである。「四党合意」をもって国労と闘争団の最終的な売り渡しと内側からの解体を、今国労大会で果たそうとしているのだ。六・二九の渕上・甘利会談で暴かれたものは「雇用は七十五人」「解決金は八十万」で年金なしというまったくの「ゼロ解決」であり、「四党合意」はこの「ゼロ解決」による国労の解体と闘争団切り捨てのためのもの以外の何ものでもない。
国労大会は、今や国労の存亡をめぐる最大最高の分岐と激突の場となった。一・二七以来、昨年七・一以来、さらに分割・民営化以来の決着をかけた、国労と労働者階級の存亡を決する一大階級決戦である。「四党合意」を徹底的に粉砕し、チャレンジ、反動革同などを国労からたたき出し、現執行部を打倒して、闘う執行部をどんなことがあっても樹立することである。
「四党合意」を不当労働行為として弾劾し、労働委員会闘争の強化・発展をかちとろう。国労大会の勝利から十一月労働者集会への血路を切り開こう。
▼全逓
全逓戦線は、小泉の構造改革の柱である郵政民営化攻撃と真っ向から対決する大決戦に突入している。すでに日帝権力は、二〇〇三年郵政公社化を民営化攻撃そのものとして貫こうとしている。「郵便新生ビジョン」こそ、郵便十四万人の一割以上の削減攻撃をもって、郵政三十万労働者への大合理化・人員半減にいたる小泉民営化攻撃の一大突破口である。
この攻撃は、連合全逓を先兵にすることなくしてありえず、われわれは全逓三年間決戦を小泉反革命粉砕・連合全逓中央打倒として闘い、路線的勝利を組織的勝利へと転化して、死活的に勝ちぬかなくてはならない。
▼自治体
自治体戦線では、郵政民営化と一体となった小泉による「公務員制度改革」=公務員労働運動の破壊攻撃との一大決戦となっている。今秋の都労連攻防を、公務員制度改革粉砕 小泉反革命打倒とともに、石原ファシストとの激突としても勝ちぬかなければならない。
▼教労
教労決戦は、「日の丸・君が代」決戦から、教育基本法改悪・教育改革関連法制定をめぐる国会決戦、さらに「つくる会」教科書採択阻止の一大決戦を闘いぬいている。小泉反革命のもとで、教育改革攻撃、教科書攻撃は、日教組解体・教育労働運動破壊の攻撃として、ますます激しく現場教育労働者に襲いかかっている。八・六ヒロシマ大結集を頂点に、小泉反革命と激突する教労戦線の一大運動としてかちとろう。
▼電通(NTT)
NTT(電通)には、NTT十万人削減として、郵政民営化攻撃と一体的に呼応しつつ現在の資本攻勢の最も激しく鋭い大攻撃が吹き荒れている。
この攻撃は、NTT労組指導部が連合の裏切りと転向の最先端を突っ走っていることで可能となっており、逆にこのことは連合―NTT労組指導部の瓦解を早めているのだ。現場の怒りは充満している。連合指導部打倒の火柱を、全逓戦線とともにNTTから爆発させよう。
▼民間
金属、医療、鉄鋼、電機、中小民間産別などには、今日の小泉構造改革が「不良債権処理」による倒産、首切り、リストラとして全面的に襲いかかっている。求められているのは、職場、産別、地域に広がる本格的な階級的団結である。
大失業の嵐(あらし)と対決し阪神被災地の労働運動を不屈に闘おう。
11月5千人大結集を
十一月労働者集会の最大の課題は、国鉄決戦を最前線に、四大産別を先頭に全産別、全戦線で小泉反革命の大失業と戦争攻撃に全面的に対決することである。小泉による労働組合の破壊、労働者の団結解体の攻撃は、全産別、民間中小の決起を必ず引き起こす。小泉反革命は、連合の存在をも許さない攻撃となり、連合内からの怒りの決起を、連合指導部打倒のうねりとともに激烈に引き起こすことは不可避である。
まさに小泉反革命の登場は、巨万の労働者を根底から揺さぶり、労働運動と労働組合を死活的攻防へと突入させている。十一月労働者集会をこの小泉反革命との最大の激突・対決として闘いとり、五千人結集を絶対に実現するのだ。
動労千葉、全国金属機械港合同、全日建運輸連帯関西生コン支部の三組合統一戦線の団結の強化と拡大をかちとり、国鉄決戦を先端に、階級的労働運動の防衛と再生、新潮流運動の一大発展を切り開かなければならない。
今こそ、五月テーゼ路線の革命的貫徹をかけて総決起しよう! 小泉反革命への総反撃の火柱を、今秋最大の決戦である十一月労働者集会の五千人結集をもって打ち立てよう。
(3)三里塚決戦に立ち上がれ
第三は、暫定滑走路十一月完成阻止へ三里塚決戦に猛然と決起することだ。
三里塚闘争は、現在の階級攻防の戦略的展開軸となっている。今日、暫定滑走路工事が最終段階に入り、開港圧力による敷地内農民圧殺攻撃との緊迫した決戦に突入している。三里塚闘争は、常に歴史的な階級闘争の最前線で闘いぬかれてきたが、今や軍事空港建設阻止、土地収用法−有事立法攻撃と対決する闘いの最大の拠点となっている。
暫定滑走路完成−開港攻撃をめぐる三里塚闘争の攻防は、二十一世紀冒頭の十年間を決する大決戦である。十・七三里塚全国闘争へ総決起しよう!
演習場返還へ、入会権を掲げて闘う北富士闘争と連帯しよう!
軍事空港と闘う関西新空港闘争をさらに発展させよう。
(4)全学連運動の本格的発展かちとれ
第四は、全学連運動の本格的発展を切り開くことである。
政治闘争は、戦略的打開力をもつ学生運動の爆発の中で発展する。小泉反革命と闘う政治闘争の爆発こそ全学連運動の最大の正面課題である。この闘いの前進の中で、自治会権力獲得の全国的前進を押し開き、全国学生運動の壮大な爆発を切り開こう。
全国の大学からファシスト・カクマルを打倒一掃し、八・三〇―三一の全学連第六一回大会を大成功させよう。高校生運動の断固たる前進を切り開こう。
(5)排外主義・差別主義との激突に勝ちぬこう
第五は、排外主義・差別主義と対決して情勢を切り開くことである。
帝国主義は、排外主義の大攻撃のもとで侵略戦争へ突入する。排外主義・差別主義との対決は、革命的共産主義運動の生命線の闘いである。
入管戦線は、小泉反革命との最も鋭い対決を貫く闘いである。だからこそ闘うアジア人民との「連帯戦略」の実践が死活的である。入管体制粉砕、外登法粉砕の闘いは、その具体的実践である。これとともに、七・七路線をすべての戦線に貫かなければならない。国際主義の旗を掲げ、南朝鮮・韓国の闘う労働者階級との連帯をとことん強化しよう。
狭山闘争は、高橋裁判長の異議審却下策動との文字どおりの決戦局面に突入している。部落差別の大攻撃と闘う道は、石川一雄さんの差別糾弾の闘いを、全労働者階級人民の共同綱領として闘うことである。二十一世紀を部落差別撤廃と輝かしい人間解放の世紀にするために、差別徹底糾弾闘争の荒々しい復権と部落解放闘争の死活的前進をかちとろう。
「障害者」解放闘争、被爆者解放闘争、在本土沖縄出身者の闘いの発展をかちとろう。女性解放闘争、婦人民主クラブ全国協の闘いを大きく前進させよう。
(6)獄中同志奪還の大運動を
第六は、獄中同志奪還の闘いの大運動化である。
七〇年決戦以来の革共同の闘いは、日帝権力・反革命との相互絶滅戦的死闘として闘われてきた。党と権力との絶対非和解の関係は何よりも、長期獄中同志の存在と闘いの中に集中的に体現されている。獄中二十七年の星野文昭同志の闘い、超長期未決勾留と闘う爆取弾圧四同志の闘いは、まさに革共同の革命性の証(あかし)である。党はそれによって根底から支えられている。
われわれは、このことを片時も忘れたことはない。しかしながら、長期獄中同志を奪還するために、党が本当に必死になって全力を挙げ、あらゆる形で問題を提起し、やりぬいてきたとは言い切れない現実がある。この現実を絶対に自己批判し、再決起しなければならない。
こうした現実の中で、長期獄中同志に対して今、獄死攻撃にも等しい攻撃が襲いかかっている。この攻撃は獄中同志の肉体を破壊し、生きることのすべてを奪い、政治生活・社会生活のすべてを奪う攻撃である。われわれはこのことを真っ向から見すえ、全力でこの事実を暴露し政治問題化、社会問題化して闘わなければならない。一個の政治闘争として闘いぬくということである。
そのために確認したいことは、獄中同志本人と家族の抱える困難を獄外で闘う全同志が無条件で共有するところから闘いが始まるということであり、獄中同志と家族の命がけの闘いを全面的に受け止めることから闘いを始めなければならないということである。
七〇年決戦への報復として無期のデッチあげ弾圧を受けている星野同志の存在と闘い、八〇年代の革共同の対権力戦への報復として未決で十五年という拘禁を強要されている四同志の存在と闘いを、階級闘争の根源的発展の中に積極的に位置づけなければならない。長期・極刑攻撃と闘いぬいている獄中同志の奪還を死活の課題としないことは、必ず革命運動の後退と腐敗を生み出すのだ。まず党中央がそのことを自己批判的に確認し、今秋闘争で獄中同志奪還の大運動をつくり出すことを宣言する。獄中同志奪還十二月大集会をかちとろう。
また、水嶋秀樹同志とM同志への新たなデッチあげ大弾圧を粉砕し、富山保信同志の再審開始を絶対にかちとらなければならない。政治警察との闘い、治安国家化攻撃との闘いは、革命運動、労働運動の死活的課題である。革共同は党的責任をかけて、その勝利を絶対にかちとることを誓うものである。
橋本裁判闘争の必勝をかちとろう。神藤裁判の上告審闘争に勝利しよう。
W 危機にのたうつカクマルを断固追撃し打倒しよう
カクマルの「黒田哲学」は今や完全に死んだ。残っているのは、まだ力があるとうぬぼれているだけの残骸(ざんがい)でしかない。わが革共同による黒田哲学への根底的な勝利宣言に対して、カクマルはまったく死の沈黙を決め込んでいる。
完全破産した黒田哲学の末路こそ、右翼国粋主義への転落である。実際、黒田は『実践と場所』において日本礼賛、天皇制美化の言辞をまき散らし、「新しい歴史教科書をつくる会」と同様の思想を満展開している。「もののあわれ」「日本人の情感」を手放しで礼賛し、「みずほの国」のシンボルとして天皇を全面美化しているのである。また、太平洋戦争を「大東亜戦争」、中国を「支那」と平然と言いなし、アメリカ人を「ヤンキー」と呼んで反米民族主義をあからさまに絶叫している。
黒田の思想は今や、小泉や石原とまったく同じだ。黒田は実践的には、小泉政権を批判できないどころかその積極的な推進者に転落したのである。
この核心は、黒田哲学の破産によるマルクス主義の自己解体が、マルクス主義やプロレタリア自己解放に対する憎悪・敵対にまで行き着いたところにある。沈黙を決め込む黒田・カクマルを追撃し打倒せよ!
資本の先兵化深めるJR総連カクマル
黒田・カクマルと松崎・カクマルJR総連派の分裂と瓦解の危機はさらに激しく進行している。
六月JR東労組大会での松崎の会長辞任の本質は、第二の分割・民営化攻撃への新たな「労使共同宣言」であり、権力・資本のさらなる先兵=国労解体の宣言をさらにはっきりさせたものである。松崎・JR総連カクマルは、黒田・カクマルからの決別と対立をいよいよ激化させるものとして松崎が顧問になるという明示な形をとった。このことは、カクマルが松崎にすがりつきながらJR総連への介入を狙う手がかりが、最後的に粉砕されたことを意味する。また、JR総連カクマルは自己の安全を権力・資本に守ってもらうことを一層はっきりさせたのだ。
黒田・カクマルも松崎・カクマルJR総連派も、分裂と危機を深めれば深めるほど、それぞれがファシスト反革命として純化し、労働者人民への敵対を激化させているのだ。松崎の行き着くところは「ニューフロンティア21」の率先推進者として、資本の先兵として、国労・動労千葉解体攻撃をさらに激化させることとなる。
実際に、東労組=松崎・カクマルJR総連派は、東労組大会に先立ちメンテナンス合理化=外注化を妥結し、分割・民営化以上の裏切りを強行した。大会ではJR東日本社長・大塚の檄にこたえて「ニューフロンティア21に呼応する『組織*労働生活ビジョン21』」を発表した。そこでは「ニアリーイコール論の豊富化によって、労使関係を強化する」とのたまっている。
闘争団、千四十七人を先頭に国鉄決戦の攻防に勝利して、JR総連カクマルと徹底的に闘い、日本階級闘争の新しい地平を切り開かなければならない。
X 反帝・反スターリン主義世界革命に勝利する党の建設を
本格的な大恐慌と戦争の時代が到来し、反帝・反スターリン主義世界革命が現実の実践的課題となった中で、われわれは今こそ、レーニン主義の党の本格的建設に勝利しなければならない。
「いま問題となっているのは、すべての社会主義者のもっとも議論の余地のない、もっとも基本的な義務、すなわち革命的情勢が現存することを大衆に明らかにし、この情勢の広さと深さを説明し、プロレタリアートの革命的自覚と革命的決意を呼びさまし、プロレタリアートをたすけて革命的行動にうつらせ、こういう方向に向かって活動するために革命的情勢に応ずる組織をつくり出すという義務である」(レーニン『第二インターの崩壊』)。このような、「革命的情勢に応ずる組織をつくり出す」ための死闘に突入しなければならないのである。
その最大の核心は、政治警察と闘う党の建設である。日帝・国家権力は、戦闘的労働運動や反戦運動への治安弾圧を強化すると同時に、その先頭に立つ革共同に対し、獄中同志への肉体的抹殺を狙い、さらなるデッチあげ弾圧、日常的監視、組織破壊の攻撃を強めている。
無期攻撃の星野同志を始めとして、超長期の獄中弾圧と闘う全同志の不屈の闘いと心をひとつにした党、獄中同志を絶対にわが手で奪還する党の建設をなしとげなければならない。そのことを軸として、あらゆる組織破壊攻撃を根底から打ち破っていくことだ。
さらに、現代のナチス・カクマルを始めとしたファシスト勢力、「つくる会」的極右勢力との全面的対決が一層激化している。反動、弾圧、テロルに対して断じてひるまない共産主義者・革命家の組織をつくりあげることである。その核心として非合法・非公然の党の建設を目的意識的に断固として推進するのだ。
革命党建設の核心
レーニン主義の党とは、最高の階級意識をもった共産主義者の政治的結集体である。その党は出身階層を問わず単一の労働者階級の党である。共産主義の思想、プロレタリア独裁の綱領と思想を実現する党である。この政治目的を実現するためには、スターリン主義と社会民主主義を根本においてのりこえた、真の階級的前衛党を建設することが基本であり原点である。
この革命党を建設していく環中の環は機関紙である。『前進』は党を代表し、党そのものであり、党建設の最大のテコであり、党の組織者である。
そして同時に、労働者階級に身を置いた労働者の新聞である。『前進』が内外情勢の激動と四つに組んで闘い、現代世界をマルクス主義・レーニン主義で解析し、階級的政治暴露の先頭に立つこと、そのための中央指導部全体の変革をなしとげることである。
党が一個の生命体、組織体として維持され発展していくためには何が必要か。党を日帝国家権力の攻撃から防衛し組織活動を維持すること、先進的な労働者人民を党員に組織し党を拡大すること、党のカードル(幹部)を養成し各級機関の指導の質を高めることである。この党建設の独自性を実現することを決定的に重視しなければならない。
そのためには「党生活の三原則」が目的意識的に闘いとられなければならない。党生活の三原則とは、@党の会議(地区委員会、細胞会議、支部会議)の定期的開催とそれへの参加、A機関紙誌を購読しかつ拡大すること、B党費を納めることの三つの原則である。この三原則の実践は基礎的第一次的行為であり、この実践によって初めて党(員)は党(員)であることを実証するのである。したがって、この三原則の実践を繰り返すことは不断に党性を培うものとなり、党的人間を形成していく力をもつこととなるのである。
この党建設と党生活の独自性は根本的に再確認され、第一義的に重視されなくてはならない。
いまひとつ強調したいことは、今日苦闘する財政問題である。財政問題に戦闘的に立ち向かうことは党建設そのものであるという確認が重要である。現在の財政状況を正確に把握し、党性と党派性を確立する闘いの前進の度合いで財政闘争の突破はかちとられる。
戦争と大失業の時代に勝利するために、党と人民の潜在的力は財政問題を突破する力をもっていることも確認しなければならない。組織的に言えば、現在の財政問題は現在の組織力で解決されなければならないのである。組織力の一般的前進によって財政問題が解決されるというような日和見主義に陥ってはならないのだ。
党中央を先頭に、全党は全力で財政闘争へ総決起しよう!
党勢二倍化へ突撃を
革命的情勢が急接近する中で、わが革共同が闘う労働者人民の多数派を形成することなくして革命の未来はない。革共同の主体的力量と現情勢から要請される任務の大きさとの乖離(かいり)を真正面から見すえ、新たな党建設の闘いにばく進することが問われている。
革共同は第六回党大会において、全世界の労働者階級と被抑圧民族は反帝・反スターリン主義主義世界革命の旗のもとに団結して総決起せよという呼びかけを発した。階級的解放をめざす闘いを基軸にして、民族抑圧と排外主義の嵐と闘い、連帯戦略と内乱戦略をもって現代世界を現実の世界革命に転化する本格的闘いに突入することを宣言したのである。
この第六回大会の歴史的戦取とそこで打ち出された党の綱領・路線を全党のものにし、党を学習会の体系として本格的に建設し、これを基礎にして党の圧倒的な質的量的拡大、量的質的拡大をなしとげなければならない。
その最大の実践的結論は、党勢の二倍化である。党建設とは同志を募ることであり、「第二の自分」を無限につくり出すことである。新たな党員が束になってさらに同志を獲得していくことである。労働者階級・人民大衆の中に無数の革共同の細胞を建設し、圧倒的な労働者人民が反スターリン主義・革命的共産主義の理論とイデオロギーで武装し、党に加盟するべき時代が来ているのだ。
労働者階級人民の中には、革命を担うべき活動家、同志は無限にいる。この現実に確信をもち、『前進』拡大を武器に、党勢二倍化に向かって目的意識的・計画的に突進しよう! 「労働者の中へ」の五月テーゼの実践を、マルクス主義青年労働者同盟の強大な建設へと発展させよう。
革共同第六回大会の歴史的戦取を全党が大学習・大討議し、全人民のものにしよう! 二十一世紀、プロレタリア革命の勝利へともに前進しよう。
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週刊『前進』(2017号10面1)
黒田『実践と場所』礼賛運動で
集団思想転向深めるカクマル
天皇制と「大東亜戦争」を賛美
ファシスト・カクマルは今日、思想的・路線的混迷を深め、わが革共同の壊滅的批判にまったく答えられず沈黙し続けている。カクマル頭目・黒田寛一に決定的な一撃を加えた仲山良介同志の「『黒田哲学』を全面的に批判する」(『共産主義者』一二七号)、および本紙二〇〇四号・春季特別号仲山論文に対して反革命通信『解放』は、今日にいたるも一言半句も言及することができない。その重圧に打ちひしがれて、他の問題でわれわれにケチをつけることもできないありさまだ。ここでは本紙二〇一二号での黒田『実践と場所』批判に続いて、主としてその第二巻の内容および『解放』紙上での黒田礼賛運動を暴く。(引用文中〔 〕内は引用者注、( )内は原文のもの)
工藤 俊夫
「靖国」「教科書」問題からの逃亡と祖国防衛主義の開花
今年のカクマル「八月国際反戦集会」なるもののアピールが『解放』紙上に二回掲載されている。驚くことは、そこに「小泉の八・一五靖国神社参拝阻止」も、「『つくる会』教科書採択阻止」も一言も触れられていないことである。
いずれも、過去の問題をどう考えるかにとどまらない、今日現在の反戦闘争の最大最中心のテーマである。また、小泉が唱える「集団的自衛権の発動」や「憲法九条改悪」と一体である。戦争国家化攻撃として靖国・教科書問題があることは明白である。ここに小泉反革命の中心攻撃がある。これと闘わない「反戦闘争」などまったくインチキだ。
この靖国問題、教科書問題からの逃亡は、今日のカクマルの政治路線の反動性の核心をなすものである。そしてそれは、カクマルの今日の政治路線の危機と破産の集中的現れである。カクマルは、「反安保なき改憲阻止や戦争反対はナンセンス」などと言って、一切を自国帝国主義との対決を抜き去った反米民族主義に絞り上げようとしている。
帝国主義が空前の世界大恐慌に向かって突き進んでいること、アメリカ経済の巨大なバブル崩壊とその恐慌的爆発が現実化しつつあること、その中で米帝ブッシュの戦争政策が画次元的な転換を遂げていること、そしてこれに対して、没落帝国主義としての危機を深める日帝の政治委員会として小泉政権が登場し、戦争のできる国家への改造の道を突進していること、この小泉反革命の決定的な意味をカクマルはまったくとらえることができない。
カクマルは、世界情勢を「中露の対米包囲に対して米帝が必死に対応している」というように「新東西冷戦」論の枠内に収めようとしているが、そんなことはまったく無理なのだ。
カクマルが、靖国参拝問題や教科書問題でこのような態度をとるのは、彼らが祖国防衛主義、反米愛国主義に転落しているからである。カクマルの「反安保」なるものは、「日本民衆も『リメンバー・パールハーバー』!」というような、帝国主義支配階級におもねったおぞましい民族主義的扇動でしかない。
その動かぬ証拠がカクマル頭目・黒田寛一の『実践と場所』全三巻である。われわれは、本紙七月九日付二〇一二号において、「日本礼賛=右翼国粋主義の極致」と題して黒田の本性を全面暴露・断罪した。われわれは日本礼賛とマルクス主義がどうして両立するのか、と厳しく批判した。「新しい歴史教科書をつくる会」と同一の思想だと断罪した。カクマルは、この批判にまったく答えることができない。黒田思想の行き着いた果てが右翼国粋主義であったと、われわれは究極的な批判をしているのだ。このことに答えられなかったら、カクマルは党派として死ぬのである。このことを次にさらに踏み込んでみていこう。
京都学派の「大東亜戦争」論を無批判的に肯定する黒田
黒田の『実践と場所』が日本礼賛、天皇制美化の書であることは、第二、第三巻も基本的に同じである。
日本人の「メンタリティ」の美化、礼儀作法の賛美、アメリカ人を「ヤンキー」として罵倒(ばとう)し「アメリカ民主主義」をのろうことなどは、すべて第二巻においても満展開されている。
「大東亜戦争」や「支那」という言葉も同様に出てくる。「大東亜戦争」という用語が「つくる会」教科書にあって、大問題になっていることをカクマルは知らないはずはない。
「大東亜戦争」とはただ言葉だけの問題ではなく、思想的にあの戦争を肯定する立場を表明する言葉である。少年時にすり込まれた用語が抜けないというだけの問題ではない。
次の一文を見よ。
『歴史的現実』という一九三九年の田辺元の講演の骨子は、次のようなものである。−−特殊において個を普遍に媒介すると称して、社会的場所の特殊性をあらわす〈種〉をば日本民族の「民族」や「人種」をあらわす「種」にひきよせて解釈しながら、「人類」の未来を体現する〈類〉として天皇を位置づける。そして直接的には、日本民族という〈種〉が「八紘一宇」の普遍的精神〔「人類社会」の軍国主義的疎外形態−原文注〕を体現し、これを全世界におよぼすために、「天皇の赤子」としての日本民族の個々人は、〈類〉を体現する「天皇」のために死を賭〔と〕して滅私奉公しなければならない、それだけではなく彼らは、このことによって〈種〉を直接に普遍化する媒介にならなければならない、と。(第二巻一三〇n)
いいかえれば、日本人個々人は「萬世一系の天皇」を「人類」の体現者として仰ぐことによってのみ、他の〈種〉とは異なる特別な日本民族の一員たりうるのであり、また日本人個々人は日本民族であるという誇りをもって〈類〉としての天皇をあがめたてまつるのである。このことは、天皇が日本人個々人を媒介にして、特別な〈種〉としての日本民族の体現者となり、日本民族であることを介して個々の日本人は「天皇の赤子」となることを意味する。(同一三〇n)
なんと黒田は、右翼哲学者として太平洋戦争を翼賛した田辺元の「講演骨子」を、そのまま無批判に引用しているのである。要するに、黒田はこのことに反対するものを何も持っていないのだ。そのことは、カクマルが経営する出版社「こぶし書房」の出版物がよく示している。
最近、「こぶし文庫29」として高山岩男(こうやまいわお)著『世界史の哲学』が発行された。カクマルは、これを「戦時中、『西欧中心主義』批判を通じて、『大東亜戦争』を哲学的に意義づけた問題作」(同書広告)として売り出している。
高山は、西田幾多郎門下の京都学派四天王と呼ばれた哲学者で、この本の論文は一九四〇〜四二年に発表されたものである。戦争中、高山は海軍省嘱託、大日本言論報国会理事、大東亜省嘱託などを務めた戦争犯罪人であり、戦後一時公職追放された学者である。
まさにそのように戦争遂行勢力だった学者として、高山はこの『世界史の哲学』で、「大東亜戦争」を「世界史を形成する道義的生命力の現れ」として「哲学的基礎づけ」を行い、戦時下で青年・学生を戦争に動員していく反動的役割を果たした。「西欧近代主義の打破と世界史の多元性」を唱え、「日本の世界史的使命」を訴えることで、太平洋戦争への動員を扇動したのである。学者として帝国主義に加担し、他民族虐殺の戦争に学生を送り出すという、最も罪深い役割を果たしたのである。
その高山の著書の中でも最も直接的に戦争翼賛の書である『世界史の哲学』をよりによってカクマルが今日、出版するとはどういうことか。明らかに、黒田が高山の哲学に共鳴していることを示しているのだ。
黒田の『実践と場所』が右翼国粋主義、天皇礼賛に転落したものであること、西欧近代主義の弊害を説き、日本の伝統と文化を謳歌(おうか)していることとこの高山の旧著の出版をあえて今行ったこととは、完全に軌を一にしている。
「日本式経営」人間的と絶賛
第二巻では、黒田の日本礼賛がいよいよあからさまに展開されている。
夜空にきらめく無数の星よりも大きく見える月の満ち欠けの周期的循環と四季の周期的繰りかえしに「もののあはれ」を感じてきたヤポネシア人は、すでに定まっていること(既定性)を「もの」としてとらえ、環界的自然の定まったこととしての「もの」に順応し諦観〔ていかん〕する術を、いにしえより心得ていた。……あらゆる事象がみずからのうちに「いのち」を宿していると観念してきた日本人のメンタリティは、いまもなお陰に陽に生きつづけている。こうした自然観が現代日本の技術およびその開発にも色濃く映しだされている。生産的実践の風土的特殊性ともいうべきものが、これである。(同二六n)
他方、「自由・人権・公正・民主主義」の守護神を自称しているにもかかわらず、人種差別・民族差別や麻薬・銃犯罪がはびこっている国アメリカに進出した日本企業は、生産性向上のためにもちこんだ日本型集団主義・家族主義の経営方針をとることによって、「はじめて人間扱いされた」というように黒人労働者たちから感謝されてもいる。個人主義的能力主義の弊害の是正に日本式経営方式の一つが役だっているというわけなのである。また、「整理・整頓・清掃・清潔・躾〔しつけ〕」の「5S」という行動基準を生産現場に導入しただけでも、東南アジアやフランスやイギリスなどにおける諸企業の労働生産性が上昇したとも伝えられている。(同三五五n)
なんと、日本企業が「人間的」であると絶賛されているのである!
労働者を「ロボット」と侮蔑 帝国主義の“永遠性”に拝跪
また、階級闘争に対する絶望と民衆蔑視(べっし)も、第二巻でさらにエスカレートしている。
世界の各地で次々に勃発〔ぼっぱつ〕している局地戦や爆弾テロルにもかかわらず、先進諸国においては労働運動と階級闘争の火も消え日常生活の平穏が保たれ、ただ突発的におこる地震や火山噴火や風水害や事故に恐怖をいだいているにすぎない人びとは、人口爆発や食糧・水・エネルギーなどの不足を明日のことと観念し、日々を惰性的に生きているにすぎない。これこそは、帝国主義的平和のうえに胡坐〔あぐら〕をかいて、その日々をケセラセラときめこんで電脳〔コンピューター〕ロボット人として生きているにすぎないことを意味する。(同三六二n)
次々に変る彩電映像〔テレビ〕を虚ろなまなこで見やり、絶えず電子情報に操られていることのゆえに、不安も退屈も感じることのない無表情・無気力・無作法な孤立的かつ個立的で面相の類似した新人類の輩出。「真・善・美・勇気・節制」などの伝統的価値を求めてやまない精神的働きなどというのは、遠い過去の戯言〔ざれごと〕でしかないとして通用しないのが、現代文明社会なのである。(同三七二n)
日々強制されてきた資本主義的疎外労働に無自覚のままに「働き蜂」として生きてきた五無人間は、自己の内なる空洞のゆえに、不意に襲ってきた病や事故や死に直面したり失業に見舞われたりしたようなときに、あらためて茫然〔ぼうぜん〕自失におちいったり生き甲斐を見失ったりするのが常である。(同三八二n)
黒田の大衆観、労働者観のゆがみと誤りは明白である。これはただ、黒田が労働者人民を「衆愚」あるいは「愚民」として見下していることをさらけだしたものでしかないのだ。
また、これは帝国主義支配階級が、労働者人民を完全に無力化し、コントロールし、ロボットを扱うように支配する万能の力を持っていると言っているに等しい。帝国主義の永遠性、万能性の神話にひれ伏しているのだ。
黒田には、労働者人民を信頼し、その苦闘に学び、ともに闘って進むというような契機はまったくないのである。
「闇に輝く太陽」「至福感」と
黒田への宗教的帰依に純化
『実践と場所』に対するわれわれの批判に、カクマルは大きな打撃を受けている。また、カクマル随伴文化人であった高知聰が、黒田の評伝のあとがきで「臆面もない日本礼賛」と批判したことにも打撃を受けている。黒田が死んだ高知に対して漫画的な「抗議声明」を出さなければならなかったのは、高知の本の出版を企画し、資料を提供し、編集した責任者が、ほかならぬ黒田の実妹である現代思潮新社編集長の渡辺和子だったからだけではない。やはり、核心問題である「日本主義礼賛」を突かれたことにうろたえているのである。
しかし、そうであればあるほど、カクマルは反論は何一つできないまま、動揺しつつ、懸命に黒田にしがみつくしかない。黒田思想抜きにカクマルはありえず、どんなに無理があっても、黒田が正しいと信じ込まなければならない。それは宗教的信仰にとことん行き着くほかないのである。しかもその核心は、日本主義礼賛の形をとった完全な集団的思想転向であることが突き出されてくる。
今や『解放』では、『実践と場所』に対する礼賛の作文運動が展開されている。「何か胸の奥からこみ上げてくるものが」(五月二十八日付)、「“場所の哲学生誕の地゜にふれる喜び」(六月四日付)などなど、その見出しを見るだけでも、黒田に対する宗教的帰依を競っているとしか見えない作文が続いている。
「漆黒〔しっこく〕の闇〔やみ〕に輝く太陽をわれも燃やさん暗黒の地上(ち)に」などと題する「曽根赤人」の七月二十三日付の駄文がある。黒田が「視覚障害者」であることを、カクマルは神秘化して「漆黒の闇に輝く太陽」などとあがめ奉っているのである。そこには、黒田の前書きの一言一言に感動したといって、黒田の文章に恍惚(こうこつ)となっているカクマル分子の姿がある。本人たちが大真面目でも、端から見れば笑止千万、こっけいこの上ない。長くなるが、引用を示した方が分かりやすいだろう。
黒田が前書きの最後に載せている歌、「願はくば残夢の果〔はて〕の金木犀〔きんもくせい〕」を引用して、この筆者「曽根」は言う。
最初私はとまどい、しばらく思いあぐねた。「残夢の果」−−はて、見残した夢がいままさにさめんとするときに……。いや、これでは、おのれに鞭〔むち〕打っている黒田さんが、一瞬金木犀の芳香、癒(いや)しを求めるとなってしまうではないか。「果に」ではなく、「果の」だ。「残夢の果の金木犀」−−それにしてもずいぶんとかすかな、奥ゆかしい芳香ではないか。そして、黒田さんは、誰に、あるいは何に願いを託しているのだろうか。こう考えた時、そうなのか、と思う。黒田さんは、この『実践と場所』がわれわれ読者にとってかすかではあっても気持ちのよい薫香であってくれんことを、と願かけているのではないか、と。その時、ある思いが私の中を走った。こんなにつつしみ深い人だったとは……。私にとって黒田さんとは、どんなことにもへこたれない強じんな意志力を持った超人的な革命家であって、そのラディカルさこそが黒田さんの真髄であると思ってきた。いや、そこに自覚的に目を向け、そうありたいと願ってきた、というべきか。しかし、それは一面的で皮相な黒田さん像ではないかと思うのだ。例えばヤンキーの傲岸〔ごうがん〕さを、それこそののしらんばかりに批判する黒田さんの根底には、つつしみ深い彼のメンタリティが息づいているというべきではないか。本書第一巻の本文においても、黒田さんは日本人のメンタリティ、「らしさ」の生きとし生けるものとして、「奥ゆかしさ・慎み深さ・情け・慈しみ」を称揚しているではないか。……そう考え至ると、とてつもなくふところの深い、人間・黒田さんが私の身近に迫ってくるようだ。
ここでは「ラディカルな革命」ではなく、「日本人のつつしみ深いメンタリティ」こそが人間の根底にあるとされている。「奥ゆかしい芳香」「気持ちのよい薫香」を「黒田さんは与えてくれているんだ」「癒しを求めてもいいんだ」と、そこに身を委ねようとしているのだ。そこにカクマルどもは、思想転向の心地のよい逃げ場を求めているのである。
そのことと、黒田の日本主義礼賛に同化していくこととは表裏一体である。「つつしみ深いメンタリティ」は、黒田のものであると同時に日本人のものである、と言っているのだ。「日本人のメンタリティ」として、「奥ゆかしさ・慎しみ深さ・情け・慈しみ」があり、それを黒田が体現していると言っているのだ。
「ヤンキーをののしる根底にはつつしみ深いメンタリティが息づいている」だと! 要するに、黒田は愛国主義者であるがゆえに排外主義者であるということを、この筆者はたたえているのだ。「ヤンキー」とはアメリカ人に対する排外主義的罵倒語だ。カクマルは「ヤンキーは生意気だ」とののしることが、日本人としての「つつしみ深さ」であり、日本人「らしさ」だと言うのだ。
いったい、日本はアジアに対してどういう存在かを考えたら、こんなことは絶対言えない。台湾、朝鮮の植民地支配に始まって、十五年戦争で中国・アジア侵略と虐殺と略奪を繰り返したのは誰なのだ。そして、いまだにそのことについて謝罪も補償もせず、歴史を偽造し塗り隠そうとし、居直りを続けているのは誰なのだ。日帝の植民地支配と侵略戦争を阻止できなかったばかりか、自らそれに屈服して侵略の担い手となった日本プロレタリアート人民は、アジア人民に対して階級的血債を負っているのである。
ところが、そういう想像力を持たないカクマルは、恥ずかしげもなく「日本人のつつしみ深さ」などと言うのだ。破廉恥の極みである。「つくる会」教科書が朝鮮・中国・アジア人民の弾劾の的になり、小泉が首相として靖国神社に参拝すると繰り返し公言し、その小泉が八〇%の圧倒的支持を受けていることに、アジア人民は「日本は再び軍国主義になって襲いかかってくる」とものすごい危機感をもって反対の声を上げている時、カクマルは「黒田=日本人のつつしみ深さ」をたたえているのだ。この一事に、カクマルが「つくる会」や小泉とまったく同じ側の人間であることが自己暴露されている。
黒田の「日本人としてのつつしみ深さ」とは、なんということか。三・一四反革命=本多書記長虐殺という最大の悪行を指令した張本人が、また松崎とともに国鉄分割・民営化の先兵になることを決定し国鉄労働運動を破壊した下手人が、「つつしみ深い」だと。冗談ではない。
この「曽根」は、『実践と場所』を読みながら、「心が洗われるとでもいおうか、えもいわれぬ心地よさに包まれどおしであった。……本から目を離し、宙を見つめながらこの清々〔すがすが〕しい至福感にひたることしばしばであった」などと言う。
「自然=人間への黒田さんの慈愛に満ちたまなざし」「虐げられしもの、働くものたちへの黒田さんの深い慈しみの情−−これを、この私が感じ、それにつつまれたのだと思う」と、その「至福感」を説明している。
「虐げられしもの、働くもの」は、黒田の「深い慈しみ」の対象であって、自ら立ち上がって帝国主義を打倒し権力を打ち立てる自己解放闘争の主体ではないのだ。「慈しみ」という表現自体が、天空から見下ろしている太陽のような存在として黒田を描きだすものである。
黒田の絶対権威化、神格化と崇拝はここに極まった。カクマル分子が、現実世界から昇天して、黒田の戯れ歌を念仏のように唱えながら、宙を見つめて桃源郷に浸っているだけなら、階級闘争にとって無縁のことであり、無害なことであるとも言える。ところが、カクマルは、自らは限りなくカルト集団化し、神がかりになりながら、一方では「左翼」の仮面を被って、さもさもの言辞を振りまいて、階級闘争の爆発を抑える役割を果たす白色テロ集団なのである。絶対に許すことはできないし、必ず打倒しなければならない。
カクマルは今や、黒田礼賛作文運動を満展開することで、黒田の「日本礼賛=右翼国粋主義」を全体化し、カクマル丸ごと正真正銘の愛国主義の右翼ファシスト集団として純化しつつある。カクマルは、この本質的な右翼国粋主義と「左翼」の仮面との整合性を取り繕えなくなっており、股裂きになって行く。
黒田・カクマルと松崎・JR総連との大分裂を促進し、カクマルを今こそ、打倒一掃せよ!
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週刊『前進』(2017号10面2)
新刊紹介 コミューン9月号 参拝阻止のために
特集は「靖国神社は戦争動員の梃子」で、八・一五小泉の靖国神社公式参拝阻止のためにつくられた。
「はじめに」では、侵略兵士の出陣儀式の場であり、侵略戦争で勝利したときの祝勝と感謝の祭儀の場であり、新たな戦死者を「英霊」として合祀する靖国神社の侵略戦争性を明確にしている。
第一章では、日帝の日清、日露戦争に始まる、朝鮮、中国、アジア侵略戦争、対米戦争を遂行する上で、靖国神社が果たした犯罪的役割を徹底的に暴露し断罪している。
第二章では、靖国神社参拝を拒否したために弾圧された上智大学事件をとりあげ、信教の自由などはまったく否定されたこと、靖国神社が天皇制白色テロと一体であったこと、それが戦死者を「英霊」に祭り上げるペテンをやったことを突き出している。
第三章は、靖国神社が米軍占領下で民間宗教団体として生き残り、一貫して国営化、公式参拝攻撃をくりかえしてきた歴史を総括した。そして靖国神社参拝にかける小泉反革命の恐るべき狙いを暴露し、徹底的弾劾を呼びかけている。
翻訳資料は、ブッシュ政権の米帝新軍事戦略を示す@ラムズフェルド国防長官の上院軍事委員会の証言、Aランド研究所が五月に出した報告書、Bチャールズ・クラウトハマーの論説の三資料。米帝が他帝国主義国を抑えて世界帝国として延命していくための戦略が露骨に表明されている。
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