ZENSHIN 2001/08/13(No2017
p10)
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週刊『前進』(2017号1面1)
特別声明 全党・全人民へ−革共同第六回全国大会開催の報告
革命的共産主義者同盟政治局
革命的共産主義者同盟全国委員会は、第六回全国大会を二〇〇一年前半に開催し、権力の弾圧態勢から大会を完全に防衛し成立させた。このことを革共同、マルクス主義青年労働者同盟、マルクス主義学生同盟のすべての同志と労働者階級人民の皆さんに報告する。
革共同の全国大会は実に二十年ぶりの開催であり、大会開催の公表は六六年の第三回大会以来、三五年ぶりのことである。言うまでもなく、全国大会は党(同盟)の最高議決機関であり、同時に全国大会は全国委員を選出する責任を負う(革命的共産主義者同盟規約)。
本第六回大会の開催は、それ自体が革共同の闘い、とりわけ七一年の二重対峙・対カクマル戦突入以来の闘いの飛躍的前進を示す歴史的意義をもつものとなった。
大会では革共同の結成以来の闘いの歴史を総括した。とりわけ七〇年代−八〇年代の先制的内戦戦略フェーズT・フェーズU(第一段階・第二段階)の歴史的総括と九一年五月テーゼ以来の実践的総括を行った。その地平に立ち、ソ連スターリン主義崩壊以後、現代帝国主義が二九年型世界大恐慌過程に入り、世界戦争的激動情勢に突入している中で、二十一世紀の早い段階での反帝国主義・反スターリン主義世界革命−日本革命の達成が急務であることを確認した。
ここに本大会の重要な議事を全同志ならびに労働者人民の皆さんに報告する。近く『革命的共産主義者同盟第六回全国大会報告・決定集』を刊行する予定である。
一、第六回全国大会開催の経過
まず、第六回全国大会の開催にいたる経過と手続きについて報告する。
第一は、長期にわたり大会を開催できなかった理由である。
革共同は六六年の第三回大会以来、大会とそれに準じる全国委員会総会の開催を公表してこなかった(九五年一九全総以降公表)。その理由は、六七年十・八羽田闘争以来の国家権力との全面対決、とりわけ六九年四・二七破防法適用下の革命党絶滅攻撃の激化である。
党の指導体制の絶対的防衛が革命党の死活的な課題であった。破防法発動情勢のもとでは、党指導部を本質的に非公然のものとして建設できなければ、それ自体が致命的敗北である。それは公然主義への転落であり、権力による党指導体制の捕捉、逮捕・拘束を許す敗北主義である。
そうした確固たる立場から、われわれは、党中央指導部の非公然体制を築きつつ、なおかつ公然部門と非公然部門との有機的一体性を保持する闘いに全力をあげてきた。この闘い自身が権力と反革命カクマルとの死活的攻防点であった。
そのため本来の規模での大会と全国委員会総会の開催は困難をきわめ、回数と規模の縮小を余儀なくされてきた。また、大会での全国委員の選出と全国委員会総会での政治局員の選出に関しても、戦争体制下の制約のもとでのぎりぎりの党内民主主義のあり方を追求することを余儀なくされた。大会開催の公表それ自体を制限してきた理由も同様である。
そうした苦闘の歴史をふまえて、今大会を第六回全国大会として本来の大会級の規模をもって開催した。
第二に、革共同の全国大会の歴史的経過を整理しておきたい。
革共同は五七年に創設され、第一次分裂−第二次分裂を経て、革共同全国委員会は五九年に結成をかちとった。そして、六一年に第一回全国大会を行い、六三年のカクマルとの第三次分裂後、六五年に第二回大会を開催し、六六年には歴史的な第三回大会を実現した。そして、六七年の第四回大会をもって同年十・八羽田闘争以後の激動を切り開き、七〇年安保・沖縄決戦の発展と爆発をかちとった。
この七〇年決戦を前後し、大会の開催は大きな制約を受けることになった。日帝・国家権力の六九年四・二七破防法攻撃とカクマルの七一年十二・四反革命という二重の反動に対する絶対的な勝利が、党存立の前提条件として突きつけられたからである。以後革共同は、七五年三・一四反革命を頂点とする二重対峙・対カクマル戦の熾烈(しれつ)きわまる戦局下で、非公然指導部と公然指導部が一堂に会する全国委員会総会を非公然的に開催することで大会機能を代替し、七〇年代の先制的内戦戦略フェーズT下における戦争と闘争および党建設の指導を保証してきた。
そして、ようやく第五回大会の開催にこぎつけたのは、フェーズUに突入した八一年から八二年にかけてであった。数回に分散した形態での開催となったこの第五回大会での報告−討論−決定が、八〇年代の国鉄決戦と三里塚闘争の基本政策および指導方針になった。
ただし、この大会は完全に非公然的に開催されたものであり、組織的にも対外的にも公表しなかった。開催の事実は、今回の第六回大会において初めて正式に報告され、確認された。
第五回大会においては、八〇年代中ごろに第六回大会の開催を計画すること、そしてその後の大会の定期的開催方針も確認したが、八六年五・七宣言体制下の国家権力の激烈な弾圧攻撃の中で、この計画は断念を余儀なくされた。極限的な弾圧体制下で、縮小した形態での全国委員会総会の開催をもって大会を代行する以外になかったのである。
われわれは、九〇年決戦の勝利と九一年五月テーゼ路線への飛躍のもと、九五年に一九全総、九七年に二〇全総を非公然的に準大会級の規模でかちとった。そして、二〇全総で清水丈夫議長−天田三紀夫書記長を始めとする指導体制を選出し、このもとに四、五年計画で第六回大会を本来の大会級の規模でかちとることを確認した。
その後の政治闘争や労働運動の発展と非公然部門支持活動の強化により二〇〇一年前半、ついに今第六回大会を非公然的にかちとることに成功したのである。
第三に、本第六回大会開催の手続きについて報告する。
本来の全国大会は、全同盟員による代議員選出選挙を行うことが基本であるが、非公然的開催ゆえの困難な条件下で、政治局の責任において、以下の基準での代議員選出を可能なかぎり民主的に行い大会を開催した。
@党員数〇〇人に一人の割合での代議員を、各地区・地方委員会、諸組織の責任者の推薦を受け、政治局が指名した。これによる「選出代議員」は〇〇人である。A選出単位をもたない中央指導部メンバーおよび党の機能の全体性を確保するための代議員、さらに各産別の中心的労働者党員が最大限参加するための代議員を政治局の責任で指名した。この「指名代議員」は〇〇人である。指名代議員は、五月テーゼ路線の全面的発展のため、労働運動、理論戦線、統一戦線などにかかわる任務についている党員を選出基準として重視した。
二、第六回大会の意義と責務
時代認識の確立と革命党の義務
革共同第六回大会の意義とその責務は実に大きい。
第一は、ソ連スターリン主義が崩壊し、帝国主義の基本矛盾が全面的爆発過程に突入した時代における、革命党および革命党員の義務を明確にするという問題である。
時代は、帝国主義間争闘戦の爆発的拡大とブロック化、市場再分割戦と侵略戦争が激発する段階にはっきりと突入した。七〇年代中ごろから表面化した世界的な過剰資本・過剰生産力は、八〇年代には日本経済の高度成長を終焉(しゅうえん)させ、欧州経済を停滞させ、二〇〇〇年においてついに基軸国アメリカ帝国主義の「不況なき経済成長」をも崩壊させた。世界経済は疑いもなく二九年型世界大恐慌過程に突入している。基本的に第三次世界大戦的激動が避けられない情勢への突入である。
具体的には、米帝ブッシュ政権の対日争闘戦激化政策(市場再分割と軍事的動員の要求)は一線を越え始めた。中国スターリン主義および北朝鮮への軍事圧力を露骨なまでに強めていることが決定的な特徴である。米帝はアジアでの侵略戦争を実際に発動・遂行することでアジアでの帝国主義的支配を強めることを世界政策の第一にすえた。それをもって欧州、中東、ロシア、東欧での権益をも護持するという戦略である。帝国主義の深刻な没落の危機を、残存スターリン主義の転覆ととりこみの侵略戦争を突破口として、暴力的にのりきろうという姿勢がむきだしになっている。
この米帝の軍事戦略を基軸とするアジア政策、対日争闘戦激化政策に対する日帝の対応も一線を越えつつある。米戦略への協力(日米安保堅持−新ガイドライン体制強化)という形式をとりつつ、明らかに日帝独自の侵略戦争政策を採用し、敗戦帝国主義としての戦後の清算と戦争国家への転換をもって米帝の対日争闘戦に打ち勝とうとしている。日帝支配階級の未曽有(みぞう)の危機が生み出した小泉反革命政権の「改革」路線は、労働者人民の抵抗を粉砕し、本格的な戦争国家への暴力的転換を指向するものである。
支配階級の延命のために、果てしない戦争と大失業を労働者人民に強制する時代への回帰。まさに第三次世界大戦の不可避性が浮かび上がってきているのであり、革命的情勢の急速な接近である。革命党が「三大義務」の遂行を待ったなしに要請される「戦争と革命の時代」の現実化である。
わが革共同は、この二十一世紀の早い段階で反帝・反スターリン主義世界革命−日本革命の課題を達成することを宣言し、まさに命がけの飛躍をかちとる決意を固めている。
革共同第六回大会はそうした課題を正面からすえて闘いとられた。総括、「二十世紀の総括と二十一世紀革命の展望にかんする革共同の基本的見解」、情勢、任務・方針、各課題のすべての報告は、二十一世紀における現代革命達成の観点から打ち出された、綱領的意義をもつ革共同の新たな戦闘宣言である。
対カクマル戦勝利の決定的地平
第二には、対カクマル戦の決定的な勝利の地平を全党のものにすることである。六二年第三回全国委員会総会(三全総)を契機とする第三次分裂から四十年に及ぶ二重対峙・対カクマル戦の勝利の地平はとてつもなく大きい。革共同は本大会において、階級闘争への反革命カクマルの制動を解き放ち、日本革命の全課題を本格的に発展させる時代が到来したことを宣言した。
カクマルの本格的な白色テロル襲撃の継続的開始は七一年十二・四反革命だが、その根拠は、黒田・カクマルとの組織的・路線的な全面的決別としてかちとられた三全総にまでさかのぼる。三全総で革共同が打ち出した地区党建設方針は、初期段階からの本格的な革命党建設方針だった。
黒田は、革命党がブルジョア議会選挙へ参加する革命的議会主義に反対したが、核心的な問題は地区党建設の根本的否定であった。黒田は、党建設のためには産別委員会の強化で十分として、地区党建設の本質的意義を否定した。これは、黒田組織論が労働者階級解放の革命戦略的任務は「場所的現在においては党づくりである」としてしまう日和見主義に陥っていることを示す。つまり黒田組織論は、全政治的課題、共産主義的課題、革命運動の諸課題を今日的に労働者階級に提起していく中で階級形成をかちとり、党を建設していくというレーニン主義的党建設論に敵対するものであった。
歴史的・具体的に見れば、このことは八〇年代の国鉄分割・民営化攻撃で「国労解体・総評解散」をめざす中曽根反革命の階級決戦攻撃に対して、全労働者階級の階級的利益に立ってひとつの階級決戦を闘いぬくというあり方を真っ向から裏切り、支配階級と手を組んでも、当時の動力車労組のカクマル支配の延命を追い求めていった黒田=松崎の組織論として、その正体をさらけ出したのである。
黒田の三全総からの敵対・逃亡は、小ブルジョア的著述家としての黒田自身が革命的実践への自己批判的参加という課題から全面的に退却するものであった。
われわれは本多延嘉書記長を先頭に断固としてこの黒田・カクマルと闘い、第三回大会とその革命的実践であった七〇年安保・沖縄決戦の大高揚をかちとった。そして、先制的内戦戦略フェーズT・フェーズUの二十年に及ぶ二重対峙・対カクマル戦をやりぬき、今日の革共同を築きあげてきた。
本多書記長が虐殺された七五年三・一四反革命で、革共同はひとたび死んだ。われわれはこのように断固として総括した。そして、灰燼(かいじん)の中から決起する革命家精神を爆発させていった。反戦青年委員会世話人であり、マルクス主義青年労働者同盟議長でもあった橋本秀次郎同志の虐殺(七六年二月二十六日)、全逓中郵の労働運動の若き指導者であった高橋範行同志の虐殺(七四年九月十日)など幾多の同志が殺される大反革命に直面した。その中でわれわれは血みどろになって闘いぬき、今日ついに黒田・カクマルと松崎・カクマルJR総連派との分裂という決定的な地平を闘いとり、黒田哲学に対する全面的な批判・弾劾を完遂し、「黒田哲学の死」を宣言するにいたった。これは階級闘争からカクマルとカクマルJR総連派を全面的に追放する闘いの地平、カクマル完全打倒の闘いを階級闘争の全面的発展として闘いとる地平への到達である。
その地平の全党的確認を第六回大会は実現した。
小泉反革命との全面対決の方針
第三は、小泉反革命政権の登場という恐るべき情勢の到来に対して、小泉政権との全面対決の方針を明確にしたことである。
小泉政権は「八〇%以上の支持率」を背景に、日帝の戦後体制を右側から破壊し、戦争国家への国家改造を一気になしとげようとする反革命政権である。小泉政権は、日帝の危機と窮状を積極的に扇動し、その打開運動に国民を動員し、愛国主義と排外主義、国家主義への反動的決起をうながし、極右的・ファシスト的な国家改造計画(「聖域なき改革」)をやりとげようとする政権である。
階級的激動(戦争か革命か)を引き起こす戦争の道を恐れず、そこにしか日帝の延命の道はないという決断なのだ。
第三次安保・沖縄闘争の本格的発展、憲法改悪阻止闘争の大衆的爆発は、この小泉政権との全面的・階級的対決としてしかありえない。それは侵略戦争への動員・屈服の道か革命的内乱かの革命的分岐を労働者人民に決定的なかたちで突きつける。「平和」な時代に「戦争反対」はだれでも(社会民主主義者でも)言える。だが、支配階級の危機が戦争以外に突破できない時代の反戦闘争は、体制の打倒を含む内乱の決意と体制がなければ貫徹できない。戦前、大政翼賛会政治に最終的に全政党が屈服し、「挙国一致」の戦時体制に労働者人民が動員された歴史の教訓が、今まさに小泉政権の登場の中で問われているのである。
改憲阻止決戦、教育改革攻撃粉砕決戦、国鉄決戦を闘いぬくわが革共同と労働者人民の階級性と勝利への不退転の決意が問われているのだ。第六回大会はこのことを全体の一致をもって確認した。
党勢二倍化の大方針が実践的結論
第四に、革共同の主体力量と現情勢から要請される任務の大きさとの現在的ギャップを真正面から見すえ、新たな党建設の闘いに邁進(まいしん)することである。
革命的情勢が急接近する中で、わが革共同が闘う労働者人民の多数派を形成することなくして革命の未来はない。われわれは断固そこにふみこむ決意を固めた。二〇〇一年『前進』新年号政治局論文で打ち出した党勢二倍化の方針は、この第六回大会の最大の実践的結論でもある。
革命の戦線は無限に広がっている。「人がいない。しかし人はいる」。労働者人民の中に革命を担うべき同志は無尽蔵に存在する。本大会は、この現実に確信をもち、『前進』拡大を武器に、党勢二倍化に向かって目的意識的・計画的に突進していく時であることを確認した。
三、第六回大会と第二一回全国委員会総会の経過報告
第六回大会に提出された報告、および採択・承認事項は以下のとおりである。
第一報告 総括と党建設の基本問題−−対カクマル戦の勝利と革共同が切り開いた地平
T 総括−−歴史的到達点と展望
U 党建設の基本問題−−大会の獲得すべき課題
第二報告 二十世紀の総括と二十一世紀革命の展望にかんする革共同の基本的見解
第三報告 情勢分析
T 基軸国米帝の超バブル経済の全面的崩壊の開始の重大な歴史的意義
U 日本経済の基本動向
V 今日の資本攻勢の歴史的重大性と階級情勢−−いまこそ五月テーゼの革命的貫徹を
その他
第四報告 当面する任務・方針について
第五報告 いまこそ黒田「哲学」の総括・批判・打倒の闘いに立ちあがろう−−全面的危機にあえぐカクマルの黒田「哲学」への逃亡を許すな
第六報告 「黒田哲学」を全面的に批判する−仲山良介
第七報告 世界大恐慌と革命の時代の到来−島崎光晴
さらに改憲闘争、沖縄闘争、入管闘争、部落解放闘争、反核闘争などの報告が行われた。
(このうち第六報告と第七報告および入管闘争、部落解放闘争にかんする報告は、すでに革共同政治機関誌『共産主義者』第一二七号と第一二八号に掲載されている)
白井朗弾劾の報告がなされ、大会の名において除名を決定した。
同盟規約と規約前文の改定が提案され、承認された。
第六回大会出席の全代議員の選挙により全国委員が選出された。
大会後、直ちに第二一回全国委員会総会を開催した。二一全総では政治局員の選出を行い、二〇全総で選出した清水議長−天田書記長体制の継続を確認した。
四、全党・全人民は第六回大会路線で武装し前進しよう
第六回全国大会後、最初の決戦であった都議選においてわれわれは敗北した。きわめて貴重な九四五〇票を獲得しつつも、当選にはいたらず、定数六の第九位であった。
小泉反革命が吹き荒れる中での闘いであった。小泉「改革」が戦争に向けた国家改造攻撃であり、日本が侵略戦争の道に本格的にふみ出したことを労働者人民に暴露し、これと真っ向から闘いぬくべき選挙戦であった。しかし、この闘いを選挙戦の中で貫徹・適用することに中央指導部がたじろぎ、敗北した。
今回の都議選において、小泉反革命の登場という巨大な情勢転換を全面的にとらえ対決しきるという点で、党としての闘いの組織化は不十分であった。「八〇%を超える支持」という情勢下で、小泉反革命によって決定的な犠牲を強いられる労働者人民の中で革命的暴露を的確に組織し、小泉政権との階級的対決の死活性を全面的に宣伝・扇動し、反撃の闘いを組織することにおいて日和見主義・敗北主義に陥り、敗北したのである。
このことを徹底的に自己批判し、この総括をふまえ、革共同は二〇〇一年後半戦において、小泉反革命との対決を基軸的政治闘争として明確にし、労働運動においてもこれと真っ向から闘いぬくこと、さらに四年後の都議選決戦に向かって断固たる革命的飛躍を闘いとることを宣言するものである。
革命的議会主義は、反スターリン主義・革命的共産主義運動にとって、理論闘争、政治闘争、経済闘争のすべてにかかわる重要な闘争課題であり、政治闘争の死活的な一部分をなしている。革共同はこの革命的議会主義、選挙闘争を決定的に重視し、次なる勝利に向かって全力で闘いぬく決意である。
大会報告と決定の基本的内容は『革命的共産主義者同盟第六回全国大会報告・決定集』として公表される。この『大会報告・決定集』を全同盟員が学習し、十分な討議を組織することを要請する。
第六回全国大会には労働者党員が代議員として数多く参加した。革共同の方針形成に労働者党員が常任活動家とともに一丸となって参加した。この『大会報告・決定集』を、「連合」のもと、また全労連のもとで階級的労働運動を守りぬこうとしている労働者、全労協や国労の中で闘いぬいている労働者、そして差別・抑圧と闘う人びとに広めていかなければならない。
また、革命的共産主義運動の若き担い手である学生戦線の諸君の中に広め、ぜひ読んでもらいたい。
第六回大会の路線で党と労働者階級・人民大衆全体が武装しきった時、日本の階級情勢は激変し、政治闘争や労働運動は大いに発展すると確信する。
第六回大会をもって革共同は、二十世紀最後の凶悪な反革命であるカクマルに対し、理論的にも(「黒田哲学」を含む)、政治的にも革命的決着をつけ二十一世紀に躍り出た。
時代は戦争と大恐慌の時代であり、国内にはファシズム的装いをもった小泉政権が登場し、侵略戦争への本格的露払いを始めている。革共同は、この第三次世界大戦の危機とそのもとでの小泉政権と全面的に対決し、六〇年安保闘争、七〇年安保・沖縄闘争を超える第三次安保・沖縄決戦、改憲阻止決戦、国際連帯闘争の巨大な爆発へ進撃する決意である。
(二〇〇一年七月二十九日)
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週刊『前進』(2017号1面2)
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週刊『前進』(2017号2面1)
東西で革共同集会かちとる 都議選の総括を全面提起
七月二十九日、東西で革共同政治集会が力強くかちとられた。今回の集会は、都議選の敗北を゛みすえ、そそぎ、のりこえ″て、小泉反革命との全面的な対決を貫き階級的総反撃の道を真に切り開きうる革命党への再生をかちとるための歴史的な集会となった。革共同は、都議選敗北を厳しく自己切開的に総括するとともに、二〇〇一年後半期決戦を一丸となって闘い抜く大方針を打ち出した。
東京 六回大会の開催を報告 レーニン主義の党建設へ
千代田公会堂で開催された東京の革共同政治集会には、九百人が結集した。
基調報告を山田芳雄同志が行った。山田同志はまず、「都議選で結柴候補に九四五〇票の貴重な票が寄せられたが、厳しい敗北を喫した」と述べ、革共同政治局の自己批判を明らかにした上で、総括の核心点を五点にわたって鋭くえぐり出した。
第一は、小泉反革命に対する中央の指導が思想的・綱領的・路線的な次元で敗北し、革命党としての死活をかけた反撃として指導できず選挙闘争の核心に据えられなかったことである。
第二は、小泉反革命という形で現われた「戦争の現実性」を前に、これと命がけで激突することが問われていたこと、それは革共同にとって「革命的祖国敗北主義」「第二インターの崩壊」の問題が初めて実践レベルで本格的に突きつけられたものであったこと、にもかかわらず「票が逃げる」ことを恐れてのたじろぎがあったことである。山田同志は、「選挙戦の過程で体を張って戦争と対決できずに、どうして議会の演壇で闘えるのか」と述べ、これが革命的議会主義の貫徹にかかわる重大な問題であることを明白にした。
第三は、革命党の自己解放的決起と労働者住民の自己解放的決起を実現していくためには、党自身のマルクス主義的な自己解放的決起が絶対的な前提となることだ。山田同志は、「党自身の決起がつくり出せないで大衆的決起を追い求めることは、党活動と党性の解体につながる」と述べ、党のレーニン主義的・ボルシェビキ的強化を確認した。
第四に、小泉反革命に対するたじろぎが、党内思想闘争の不貫徹によって生み出された現実をえぐり出して、党内思想闘争を不断に貫き、白熱的討議による真の一致を闘いとることの重要性を提起した。
第五に、大衆的基礎をもつ基盤的得票勢力の創造と獲得の問題を多面的に提起し、特に街頭をめぐる闘いに勝利することが死活的であることを強調した。
山田同志の身を切るような総括提起に、参加者は真剣に聞き入り、党の再生をかけての総決起を誓った。
続いて山田同志は、二〇〇〇一年前半に革共同が第六回全国大会を開催し、革共同創成以来の四十数年を徹底的に総括して、「二十世紀の総括と二十一世紀革命の展望に関する革共同の基本見解」を明らかにしたと宣言した。二十一世紀の早期にプロレタリア世界革命の勝利を実現する決意のもと、革共同が本格的な綱領の確立に向けて重大な一歩を切り開いたことを、参加者は歓呼の声で迎えた。
さらに、動労千葉の百二十時間ストと部落解放同盟全国連の第一〇回大会の成功を今年前半戦の勝利の地平として確認すべきこと、「つくる会」教科書採択を阻止した杉並・国立・栃木での闘いは、小泉反革命に対する巨大な反撃の開始であることを訴えた。
また、米帝ブッシュ政権は対中国侵略戦争を明確に措定しており、帝国主義間争闘戦が全面的に激化していることを強調し、革共同の時代認識で再武装すべきことを訴えた。
さらに、二〇〇一年後半期決戦の方針として、@小泉政権打倒・改憲決戦の推進、A十一月労働者集会への総進撃、B三里塚決戦への決起、C全学連運動の本格的発展、D差別・抑圧との闘い、E獄中同志奪還の大運動を打ち出した。
また、反革命カクマルを打倒し、二十一世紀革命に勝利する革共同をレーニン主義の党として建設し、党勢二倍化をなんとしても実現しようと呼びかけた。
三里塚、北富士から檄
今年前半の闘いのビデオが上映された後、決戦の三里塚から駆けつけた北原鉱治事務局長、小林なつ婦人行動隊長、敷地内の市東孝雄さん、三浦五郎本部役員、郡司一治本部役員、伊藤信晴事務局員の六人の反対同盟員が登壇した。
北原さんは、「反対同盟は暫定滑走路粉砕へ体を張った闘いを展開してきた。三里塚の現地に立ってみてください。やりたい放題の道路工事が進んでいる。権力は暴力で東峰神社の立ち木を伐採した」と現段階の攻防を訴え、「われわれには理と正義がある。だから勝てる。三里塚が勝てば日本は大きく変る。権力に屈せず闘わなければ、未来はない」と呼びかけた。小林さんは、「国家暴力に踏まれても私たちはここまでやってきた。堂本知事が収用委員を立てるために市町村を回っているが、絶対に許さない。小泉は、国民の権利を奪う内閣だ。国民に痛いことをする内閣はいらない。私たちは空港反対の道をまっすぐに歩む」と、きっぱりと述べた。
続いて、北富士忍草母の会の天野美恵事務局長が登壇し、「権力と闘い、ゲリラをやるのが入会闘争だ。選挙も同じ。結柴さんが負けても、もう一度やるぞという気持ちにならなければいけない。私たちは、負けても負けても五十年、雑草のように闘ってきた。こつこつと運動して区民の信頼を得てほしい」と、厳しく暖かく熱を込めて訴えた。
部落解放同盟全国連合会の代表は、「小泉反革命の中で腐敗した帝国主義の内部から差別が吹き荒れている。小泉との対決を糾弾闘争として闘う」と発言し、狭山異議審情勢がきわめて緊迫していることを訴え、八・九狭山全国統一行動への総決起を呼びかけた。
さらに、沖縄民権の会の座覇光子さんが、参院選での大田昌秀氏の当選に向けた闘いを報告し、そこにかけた思いを熱く語った。
獄中同志奪還の訴え
鎌田同志が出獄あいさつ
学生戦線の女性同志によるカンパアピールの後、十五年の獄中闘争を経て出獄をかちとった元全学連委員長の鎌田雅志同志が、あいさつに立った。
鎌田同志は、「この十五年で獲得したものは、ここに存在している党である」と述べ、「十六年前の八月の革共同集会で、十・二〇成田空港突入の号令を発したことを思い出す。この決断で全員が一丸となって闘った。それがあったから現在のわれわれがある」「この十五年、一人ひとりが修羅場をくぐりぬけてきた。これからもこの党がある限り、新しい勝利を手にすることができる」と訴えた。会場からは鳴りやまない拍手が響いた。
革共同救対部の同志が、迎賓館・横田爆取デッチあげ弾圧と闘う四同志への東京地裁・東京高裁の保釈却下を徹底的に弾劾し、獄中同志の奪還へ全党員が総決起することを訴えた。保釈要求署名の全国的展開、獄中同志への面会行動、獄中同志奪還の十二月大集会の方針が提起された。
星野文昭同志の家族の暁子さんは、始めに「自分が無期刑を受けたら、自分の家族が無期刑を受けたら、自分が星野だったらどうするかを真剣に考えてほしい」と問いかけ、「党が初めて直面した無期という攻撃にどう向き合うのか。絶対に取り戻すという決意が問われている。党と人民の共同の闘いとすることで必ず勝利はこじ開けられる。再審・無条件奪還の闘いを自らのものとしてほしい」と訴えて、星野文昭同志のメッセージを読み上げた。
不屈の闘志を燃やして闘う獄中同志と連帯し、必ずや奪還をかちとる決意を参加者は固めた。
決戦の四大産別から
資本攻勢との攻防を貫く国鉄、全逓、教育、自治体の各労働者が発言した。
国鉄労働者は、十月国労大会で裏切り執行部を打倒し、四党合意にとどめを刺して、労働者の団結で小泉を打倒する決意を語った。
全逓労働者は、「われわれは小泉登場以前から郵政民営化と対決する方針をつくりあげてきた。現場の労働者はたじろいではいない。全逓労働者は小泉反革命との対決の最前線に立つ」ときっぱりと発言。
教育労働者は、「侵略を許すのかどうかの分岐点にある。『教え子を戦場に送るな』は単なるスローガンなのか。日教組がだめなら下から新しい運動をつくる」と述べ、教育基本法改悪を弾劾し、教科書闘争の永続化を宣言して、「教室を飛び出して地域に打って出る」と決意を表明した。
自治体労働者は、「既成勢力はすべて資本主義のもとで生きろと言っている。その中で小泉が戦争政策を進めている。われわれの力で小泉を打倒しなければならない」と訴え、公務員制度改革攻撃と首をかけても闘う決意を明らかにした。
決意表明では、まず関東「障害者」解放委員会の代表が発言し、「アジア人民と連帯し、侵略を内乱に転化することが問われている。七・七自己批判の精神をあらゆる戦線で押し広げよう」と提起し、「精神障害者」抹殺の保安処分攻撃を打ち破り、「障害者」と労働者が分断をのりこえて闘うべきだと訴えた。
続いて、民間産別の青年労働者が、小泉「構造改革」による首切り・生活破壊と闘わなければ戦争国家化にのみ込まれてしまうと述べ、若い世代に組織を広げ、マル青労同を再建しようと力強く訴えた。
8・15靖国参拝絶対阻止へ
最後に大山尚行全学連委員長が、小泉が朝鮮・中国−アジア人民の抗議を踏みにじって靖国神社参拝を強行しようとしていることを弾劾し、「全学連は八・一五靖国参拝絶対阻止の先頭に立つ。八・六広島−八・九長崎から八・一五の大闘争へ」と大号令を発した。
こうして、第六回大会で武装した革共同の新たな飛躍の闘いが本政治集会をもって始まったのだ。
都議選決戦を全力で闘った結柴誠一前杉並区議が、区民とともに登壇し、再起を期しての決意を語った。
「力の限り闘った選挙戦だった。小泉改革は戦争と大失業の道だと訴えてきた。勝たなければならなかった。公然と支持を訴えた区民、猛暑の中を投票に向かった人びと。これらのかけがえのない方々に、勝利できなかったことをおわびしたい。敗北をのりこえることを心に誓っている。小泉の登場に対して闘わず逃げることは、それに手を貸すことになる。九千四百五十の人びとを裏切ることはできない。二倍、三倍の力をつけて次は勝利する」
結柴前区議はさらに、「重大な勝利の報告ができる」として、杉並区で「つくる会」教科書の採択を阻止したことを報告し、「昨年の区教育委員の任命と四月三日の検定合格以来、百十六日の闘いがかちとった勝利だ。山田区長のもくろみを打ち破った。この中に逆流を打ち破る無限の力がある」と総括した。
最後に、「革命党が選挙を闘うのは、革命の勝利ために欠かすことのできない闘いだからだ。戦争に対して、革命的議員はどんなに孤立しても、体を張って反対しなければならない。どんなに孤立しようとも、言うべきことは言わなければならない。その立場を確立して選挙戦を闘う」と述べ、革命的議会主義の原則を再確認した。
都政を革新する会後援会の会長は、「四年後の都議選はなんとしても当選をかちとりたい。そのためにも、次の区議選は絶対に勝利したい」と訴えた。
選挙戦を先頭で闘いぬいた区民は、「誇り高い誠実な皆さん」と呼びかけ、「私たち一人ひとりは何者も侵せない生命の保持者だ。私たちは、支配される命ではない。それをわきまえている皆さんは、私にとって最も親しい人びとです」と語り、革共同への熱い期待を表明した。
会場は大きな拍手に包まれ、区議選−次期都議選必勝への決意を固めた。
関西 党勢倍増へ熱意あふれ 2001年後半戦へ総決起誓う
七月二十九日、大阪市大淀コミュニティセンターにおいて関西革共同政治集会が開催され、四百三十人が参加し、成功をおさめた。
開会に先立ち、「激闘の記録二〇〇一年四月〜七月」のビデオが上映され、重層的闘いを振り返った。
女性同志の司会で集会が始まり、闘う戦線からの連帯と決意が述べられた。関西「障害者」解放委員会は、「新たな保安処分攻撃を許さない」と宣言した。女性解放を闘う戦線から若い女性同志が登壇し、「プロレタリア女性を党に獲得しよう」と訴えた。全国沖縄青年委員会の仲宗根朝寿副委員長は、「参院選オータ必勝で情勢の革命的転換を切り開こう」と訴えた。青年アジア研究会は、「『つくる会』教科書の採択をアジア人民とともに阻止しよう」とアピールした。
連帯のあいさつとして、部落解放同盟全国連合会荒本支部書記長の阪口克己さん、泉佐野市議会議員の国賀祥司さん、全国被爆者青年同盟委員長の友野幽さんが発言に立った。
阪口さんは、重大局面を迎えた狭山闘争、大阪・大東市の悪質な部落差別落書き事件など吹き荒れる部落差別攻撃との対決を始め「全国連の三大方針の実現へ闘う」と決意表明し、ともに闘おうと呼びかけた。
国賀議員は、「破綻(はたん)しても関西新空港、神戸空港を進めるのは経済の軍事化の現れ。関西新空港廃港を訴えることは革命を訴えることと同義」と訴えた。友野さんは、「小泉による被爆者の英霊化攻撃を許すな。八・六祈念式典糾弾の早朝デモに総結集しよう」と呼びかけた。
集会には三里塚芝山連合空港反対同盟、北富士忍草母の会、三里塚決戦勝利全関西実行委員会代表の永井満さんからメッセージが寄せられた。また、デッチあげ起訴・再逮捕されているM同志からのメッセージが紹介された。
特別報告として、都政を革新する会代表の長谷川英憲さんが、都議選の敗北について「小泉反革命の登場の前にたじろいだ。生まれ変わる決意で闘い抜く。革命的議会主義の核心として革命的祖国敗北主義を貫く」と烈々と発言。その上で大衆闘争など新たに切り開かれた地平を報告した。
特別アピールとして、革共同沖縄県委員会の同志が発言に立った。「沖縄人民の闘いは米軍基地撤去、安保粉砕・日帝打倒に行き着くしかない。九五年以降の島ぐるみの闘いが、日帝国家権力の総力を挙げた攻撃でいったんは封じ込められる情勢に至った。しかしそれを打ち破る闘いが始まりつつある。革共同が、沖縄人民から『頑張れ、ともに日帝を打倒しよう』と呼びかけられている」と述べ、沖縄での米兵犯罪への怒りが爆発していることが、勝利への奥深い確信をもって語られた。
いよいよ労働戦線からの報告と決意だ。まず、国鉄労働者が「JR完全民営化法のもと、第二の分割・民営化攻撃がかけられている。国労大会の勝利から十一月労働者集会へ、地労委闘争の勝利へ、JR総連カクマルを打倒して闘う」と訴えた。全逓からは、今春の人事交流で強制配転させられた労働者が「現場労働者の怒りが代議員を突き動かす情勢が来ている。郵政民営化攻撃、小泉反革命と全力で闘う。若い党員を増やそう」と訴えた。
教育労働者は、「日の丸・君が代」闘争、処分攻撃との闘い、「つくる会」教科書粉砕の闘いなどを報告し、「教労の闘いが日本とアジアの命運のかかった戦場になった」と述べた。自治体労働者は、自らが都議選を全力で闘ったことを報告し、小泉政権の公務員制度改革攻撃、自治体現業部門のリストラ・民営化攻撃と闘う決意を表明した。
最後に民間の女性労働者が「小泉は構造改革の先に光があるかのように言うが大うそだ。労働者には生きる権利がある。生存権としての団結権を守り抜こう」と熱烈に訴えた。
女性同志がカンパアピールを行い、十六万円を超えるカンパが集まった。
いよいよ高原洋三同志が基調報告に立った。高原同志は都議選決戦について「小泉反革命に対し革命的祖国敗北主義を貫きプロレタリア世界革命戦略を対置して闘うことへのたじろぎという思想的屈服があった」と率直な自己批判と総括を提起した。また革共同第六回全国大会が戦取されたことを力強く報告した。
そして「第三次世界大戦への道に対し、反帝・反スターリン主義世界革命の勝利のために、党の変革をかちとり、闘おう。小泉反革命と対決し、有事立法・改憲、戦争国家化阻止の闘いを進めよう。階級的労働運動の生死をかけて国鉄決戦の勝利から十一月労働者集会を五千人の結集で成功させよう」と二〇〇一年後半戦の重層的な闘いの方針を提起した。革共同政治局からの率直な提起を参加者は真剣に聞き入った。終了時にはひときわ高い拍手がわき起こった。
決意表明が部落青年戦闘同志会と労働戦線の同志から行われ、全学連の西本吉伸副委員長が「小泉反革命を打倒するのは全学連」と、政治闘争の先頭に立つことを決意表明した。
会場は最後まで集中した空気がみなぎり、夏から秋への決戦の中で、党勢を拡大することが全参加者の決意となった。
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週刊『前進』(2017号2面3)
いま一度、圧倒的な夏期カンパを訴えます
参院選での自民党の大勝で強まる小泉反革命への怒り、改憲と戦争と大失業への危機感をぜひカンパとして集中してください。革共同は皆さんの期待にこたえ、必ずやプロレタリア革命への道を切り開きます。
いまや帝国主義の世界戦争による人類の破滅か、反帝国主義・反スターリン主義世界革命の勝利かの歴史的な大激動が始まっています。
とりわけ米帝ブッシュ政権は、むき出しの争闘戦政策、戦争政策にカジを切りました。何よりも対日争闘戦を核心とする中国・朝鮮侵略戦争を行おうとしています。
日帝・小泉政権は、この米帝戦略に対応し、改憲と戦争国家化を絶対的な課題として登場した政権です。小泉改革とは、伝統的な自民党政治が越えることのできなかった戦後的制約―新ガイドラインの「戦闘地域とは一線を画する」という文言に象徴されるような「最後の一線」を突破しようとする反革命です。小泉は「聖域なき構造改革」をもって戦後の階級関係を転覆し、大失業と改憲と戦争の攻撃を進め、実際に血を流す戦争をやろうとしているのです。
だからこそ小泉は、八月十五日に靖国神社に参拝するという強硬な態度をとっているのです。
小泉は「戦没者に首相として哀悼の誠をささげるのは当たり前。なぜ批判されるのか分からない」と居直っています。絶対に許せません。日帝の侵略戦争で虐殺された二千万人のアジア人民の悲しみと怒りが分からないと言うなら、実力で分からせなくてはならない。天皇制と独占ブルジョアジーの延命のために、三百万人もの労働者人民の命を消耗品として使い捨てたことを「尊いこと」と美化する小泉の心情を、実力で打ちのめさなくてはならないのです。
革共同は、小泉の原爆祈念式典への出席を粉砕し、八月十五日の靖国神社公式参拝を実力で阻止するために闘います。これは日本人民の反戦意識・階級意識を守り、発展させるために絶対に負けられない闘いです。
この闘いの地平の上で、十一月労働者集会の五千人結集を必ずかちとります。秋の臨時国会決戦を中国・朝鮮侵略戦争阻止をかけて闘い、改憲決戦の爆発を切り開きます。参院選での大田氏当選を引き継ぎ、沖縄米軍基地撤去、安保粉砕まで闘いぬきます。
都議選での敗北は、帝国主義の絶望的な危機が生みだす排外主義・愛国主義の激流に抗して勝利することは、きわめて厳しい闘いであることを革共同に突きつけました。しかし、私たちはレーニン主義の党と運動をつくり出し、革命的祖国敗北主義を貫き通すことで、必ず勝利できると確信しています。
革共同は、都議選での敗北を厳格に総括し、革命に勝利する党へと飛躍します。そのためのカンパを今一度、心からお願いします。
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週刊『前進』(2017号3面1)
改憲・戦争国家化と大失業−小泉反革命と徹底対決せよ(5)
増税も不可避で生活直撃 社会保障の全面解体狙う
一定枠以上の医療は自費に 年金給付削減、保険料値上げ
小泉「構造改革」は、倒産と大失業を「不可避だ」として労働者人民に「痛み」を強制する攻撃である。それはまず第一に、前回すでに述べた独占体制構築での中小企業切り捨てによる倒産・吸収合併とそれによる労働者の大失業と賃下げ、不安定雇用化(労働力流動化)であり、第二に、今回取り上げる戦争国家化への行政の大再編による福祉切り捨て、社会保障の全面的解体、さらに地方(農業)の切り捨て、公共部門の切り捨て・民営化による労働者の大量首切りである。
小泉「構造改革」による労働者民衆の生活破壊の第一は、社会保障の全面解体の攻撃である。
「経済財政・構造改革の基本方針」は、「社会保障制度改革」の項目で一度も「福祉」という言葉を使っていない。それは、社会保障制度の「再構築」「調整」「見直し」が、結局福祉解体以外の何ものでもないことを示している。
しかもその基本的考え方として、「自助と自律」「持続可能」ということが言われている。介護も医療も自分の金でまかなえ、国は義務を放棄し、必要な負担をしないということだ。人びとが老後食べていけない、医療が受けられない、介護が受けられないとしても国は知らないということなのだ。
「基本方針」は、社会保障制度改革の重大な柱として医療制度改革を挙げている。昨年四月の介護保険制度実施を突破口として、社会保障制度の根幹をなす医療保険制度、とりわけ高齢者医療を抜本的に再編しようとしているのである。「基本方針」は、「年齢で一律に社会的弱者と見なすのではなく経済的な負担能力に応じた応分の負担を求める」と言っている。
これは、きわめて悪らつなウソとペテンである。介護保険料は、負担能力のない人から厳しく取り立て、高額収入者にはきわめて軽い負担となる体系になっている。介護利用料一割が自己負担させられるために、お金のない高齢者は介護が受けられなくなっている。
また今年一月からは高齢者の医療費の一割負担が強行されたことによって、お金のない高齢者は医者にもかかれなくなっている。
介護保険制度の導入や高齢者医療の改悪は、「経済的な負担能力に応じた応分の負担」などでは絶対にない。
では、重大な柱としての医療分野で小泉改革は何をやろうとしているのか。それは政府の総合規制改革会議が六月二十四日に出した中間報告に示されている。診療報酬を医療行為の「点数」に応じて支払うのではなく、病名に応じた定額払い制にするということである。診療報酬で医療行為の質・量があらかじめ決められ、それ以上の医療を受けたければ自費で負担せよというものである。すでに昨年四月の診療報酬改定で慢性期医療の診療報酬に包括定額制が導入され、三カ月以上の入院をできなくさせようとする攻撃がかけられているが、これを医療のあらゆる面に適用しようということである。
「基本方針」はさらに「重複給付の是正や機能分担の見直しを進め」と、これまで福祉制度が不十分だったために医療と介護の組み合わせ、介護と「障害者」福祉の組み合わせでやってきていたものを「重複」と称してカットする方針を打ち出している。実際に、各自治体は介護保険制度では対応できない高齢者の介護の要求に対して、障害者福祉施策を適用して対応するなどしてきた。それをやめさせようということである。それは同時にさまざまな施策の適用で地域自立生活を維持してきていた「障害者」から地域自立生活を奪う攻撃である。
「社会保障個人会計」とは何か
「基本方針」で今ひとつ決定的なことは、「社会保障個人会計」システムの構築を打ち出したことだ。実際にこの制度が実施できるかどうかは別問題として、基本的な考え方として日帝は、医療、介護、年金を個人勘定的に税金を払った額に応じてサービスを受けられるようにするという考えに立っているということである。この攻撃は、「社会保障番号制導入」と一体で打ち出されていることに示されているように、納付者番号制と住民背番号制の一環であり、特に医療、介護、年金のすべてにわたって国が保険料をもれなく強制徴収するための制度である。日帝は徹底的に労働者民衆から搾り取ろうとしているのである。要はどれかひとつでも保険料の滞納があればすべての面でペナルティを科すというきわめて強権的な制度にするということである。
年金については「基本方針」は、昨年の給付費総額二割削減に続いてさらに給付の削減を行う方針を打ち出している。また年金に対する所得税課税の増額が打ち出されており、年金保険料引き上げ凍結の早期解除もうたわれている。
日帝は、金融独占資本の救済や軍事に財政を振り向けるために、社会保障・福祉を全面的に切り捨てようとしているのだ。
地方交付税削減で財政破綻 地方の本格的な切り捨てへ
小泉改革による労働者民衆の生活破壊の第二は、地方(農業)の切り捨てであり、戦争国家化攻撃の一環としての戦後的な地方自治の解体・再編である。
「基本方針」は、全体をつうじて「経済再生」とか「活性化」「安心と安定」などと労働者人民を死の淵(ふち)にたたき込む政策を、あたかも積極的でバラ色であるかのようにペテンをろうしている。そして、ここでも「地方の潜在力の発揮」だとか「個性と創造性を発揮」「自助と自律の精神」などと地方にとって積極的なものであるかのように描こうとしている。しかし、実際に小泉改革で行おうとしていることは地方の切り捨てなのだ。
そのための手段は、地方交付税交付金の削減である。「基本方針」は、「自らの判断と財源による魅力ある地域づくり」などと言いつつ、「今後は国の関与の廃止・縮小に対応して、できるだけ客観的かつ単純な基準で交付額を決定する簡素な仕組みにすべき」と地方交付税の大幅削減を打ち出している。いわば財源を止めて自分で勝手に政策を実行しろということだ。
地方交付税は、今年度予算では十六兆八千億円(地方特例交付金を含む)であり、地方財政の一六%を占めている。これを縮小・廃止することは、地方財政の破綻(はたん)を意味する。「基本方針」は、「税源移譲」とか「税源配分を根本から見直す」としているが、基本的な税源は国が握ったままであることは明白である。現在、地方交付税は、国税三税(所得税・法人税・酒税)の収入額の三二%と消費税収入の二四%、たばこ税収入の二五%が当てられることになっており、「移譲」と言っても基本的な税収が移譲されるわけではない。結局は、新税を地方が取り立てるということであり、労働者住民に大増税を強制する役割を地方に担わせるということである。
すでに地方単独事業は、計画でも九七、九八年段階から縮小に向かっており、実績では九三年をピークに九四年から落ち込みが止まらない状態になっている。「国の関与する事業の限定」は、国と地方の共同の事業だけでなく、地方単独の事業もほとんど不可能にしていくものである。
地方交付税の削減で地方財政は総破綻する。戦前において地方財政が破綻し、教員への給与の支払いが何カ月も停止し、教員が強盗をするという事態まで起こった。そうした地方財政の総破綻状況が再現されようとしているのだ。
それでも小泉政権が、地方交付税を強行に削減しようとしている狙いは、財政赤字の削減と同時に、軍事予算・戦争のために基本税収を確保しようとすることにある。軍事予算や金融独占救済以外の歳出費目を削り、基本税収をそれらのために確保できる体制を築こうとしているのだ。この面からも小泉「構造改革」は侵略と戦争の道であることは明白である。
公共サービスも大幅に削り 大量首切りと労働運動破壊
小泉改革による労働者民衆の生活破壊の第三は、公共部門を大幅に削減し、切り捨てる攻撃である。
「基本方針」は、「公共サービスの提供について、『民間でできることは、できるだけ民間にゆだねる』という原則の下、サービスの属性に応じて民営化、民間委託、PFI(社会資本整備への民間資金の導入)の活用、独立行政法人化等の方策の活用」の検討を進めるとしている。郵政民営化を始め、特殊法人の削減、民営化、民間委託などあらゆる面で公共サービス部門を切り捨てようとしている。財政や軍事にかかわる基本的な機能以外は、一切切り捨てようとする攻撃である。それは「効率的で質の高い行政サービスの提供」という言葉とは裏腹に、金のない人はサービスを受けられない関係をあらゆる面で強制するものである。憲法で規定された「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障する義務を完全に投げ捨てるものである。
それは同時に、そうした職場で働く労働者への大リストラ・首切り攻撃であり、権利を剥奪(はくだつ)する攻撃である。小泉の登場によってNTTの十万人削減や郵政民営化に向けた大リストラが一気に加速している。公務員制度改革による公務員労働者に対する首切り・賃下げ攻撃が激化しようとしている。国鉄分割・民営化に続いて戦後労働運動の中軸を担ってきた官公労労働運動を全面的に解体しようとしているのである。
「消費税率は14%に」と竹中 大増税を画策している政府
小泉改革による労働者民衆の生活破壊の第四は、大増税、とりわけ消費税の大増税である。
「基本方針」は、財政再建の問題として「プライマリーバランスを黒字にする」ということを強調している。だが、「基本方針」は、財政収支の均衡を達成する方策を何も示していないどころか、不良債権の処理などを進めれば、恐慌の一層の激化は不可避であり、財政赤字の一層の巨額化は避けられない。
しかも不良債権の処理は、銀行の財務内容を一層悪化させ、金融危機を爆発させかねない。そのために整理回収機構(RCC)を使った処理で公的資金を投入する枠組みを作り、さらに「銀行保有株式取得機構」の設立を打ち出して公的資金を投入しようとしている。だが、そうした公的資金の投入は、労働者民衆への大増税となって跳ね返ってくるのだ。
竹中経済財政担当相は、その著書の中で「最低でも消費税率は一四%に引き上げる必要があります」(『竹中教授のみんなの経済学』)と大増税を主張している。だが「基本方針」はそれを一言も出さずに隠しているのだ。
改憲・戦争国家化と大失業、社会保障解体、消費大増税の小泉反革命と全面対決し、打倒しよう。
(島田隆二)
(シリーズおわり)
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週刊『前進』(2017号3面2)
大田昌秀氏が比例区で当選
自民大勝への怒り燃え立たせ小泉政権打倒へ総決起しよう
(一)
小泉自民党の大勝という参院選の結果に怒りを燃やし、革共同と労働者人民の共同の決意として、ますますおごりたかぶる小泉反革命粉砕の闘いへ猛然と総決起しようではないか。
六月都議選と参院選の結果は、日帝の危機を背景にした小泉の「聖域なき構造改革」と戦争のできる国家への「国家改造」攻撃の前に、日本の階級闘争は断崖(だんがい)絶壁の局面に立たされたと言わなければならない。日帝政治委員会を担う自民党のどん詰まりの危機の中から、参院選(都議選)をいかにのりきるのかを直接の動機にして成立したのが小泉政権であった。その小泉政権・小泉自民党が逆転的に大勝した以上、「小泉改革が国民から信任された」と称して、小泉反革命が今から本格的に発動されてくるのだ。
そのことは、労働者人民の闘争が全面的に圧殺され窒息しかねない危機ということであるが、しかし、この危機は従来の図式を超えた新たな階級的な激突の始まりを告げ知らせるものでもある。ここで、本当に革命的危機感を爆発させ、革共同が軸となってこの危機感を結集し闘っていくなら必ず新たな闘いの発展の主体的陣形、階級的総反撃の突破口を切り開くことができるのだ。
(二)
自民党は、単独で六十五議席、与党三党では七十九議席を占めた。自民党の議席は四十前後にまで縮小されるという前森政権の末期の見通しからいえば、文字どおりの圧勝である。
民主党は、改選議席をやや上回る二十六議席をかろうじて維持した。しかし、比例区において顕著なように、その大半は、連合候補または旧社会党系候補(の組織票)である。「民主党的改革路線が支持された」という鳩山や菅の総括はまやかしでしかない。
社民党は比例区で三人(選挙区ではゼロ)、日本共産党は比例区で四人、選挙区で一人の計五人にとどまった。議会主義政党としての危機に追い込まれた。
前回の衆院選では、土井社民党が「頑固に平和」を主張して一定の成功を収めた。これに対して共産党は右翼的な連合政権路線を掲げて議席を伸ばそうとしたがうまくいかなかった。今回も土井社民党は、基本的に「頑固に平和」を掲げた。しかし、「変える男に守る女」というキャッチフレーズを打ち出したことに見られるように、小泉の上からの階級戦争ともいえる大改革攻撃の激しさに対して全面的に対決していけるようなものを持ち合わせていないことをさらけ出した。
日本共産党は、小泉との対決を押し出し、「小泉自民党と共産党の対決が軸」などと言い始めた。しかし、共産党は「国民のための改革」と言っているのみで、実質的には、日帝の危機の深さも小泉の反革命性も隠ぺいし、「構造改革ではなく景気をよくすることが大事」と主張しているにすぎなかった。
したがって、労働者階級人民は小泉政権のうさん臭さを強烈に感じていたが、このような無力な社民党や共産党への投票に動くということもなかったのである。しかし、社・共の敗北はそのまま労働者人民が熱烈に小泉自民党を支持したということを意味しない。
今回の選挙の大きな特徴は、投票率の低さであった。事前に六〇%を超えると予想されていた投票率は約五六%にとどまった。これは、いわゆる小泉ブームなるものの本質的な意味での底の浅さを示した。世論調査で小泉人気を支えている人民の相当大多数が、投票所に行かないというかたちで小泉改革への不信感を示したことは明白なのだ。
(三)
日帝の経済危機は激しく進行している。選挙後も株価は最安値を更新し続けており、円安、国債価格の低落というトリプル安となって、日本経済は八−九月危機説が取りざたされるような状態にある。景気の悪化は不可避であり、恐慌過程は決定的に深まっていく。
小泉はその中で、改革断行・不良債権の処理を推し進めていくというアクロバットを余儀なくされている。来年度の予算編成作業は八月から始まる。小泉は、「正義の小泉改革対抵抗勢力」などという図式をキャンペーンして、体制内的な疑似体制変革者として振る舞いつつ、衆議院解散の恫喝をも振りかざしながら、ますます激しく労働者人民への犠牲集中の攻撃を仕掛けてくる。
小泉は大銀行・大企業救済と国鉄分割・民営化的な首切り・大合理化の攻撃を全面的に全国家的に仕掛けているのであるが、それは排外主義・愛国主義・国家主義をあおり立てながらの本格的全面的な国家改造攻撃と直結している。
八・一五靖国神社公式参拝の強行を突破口に、秋の臨時国会において仕掛けられるPKO法改悪など反動諸法案との対決は、小泉反革命への階級的総反撃にとって決定的である。杉並・国立・栃木での勝利をテコに、「教科書」をめぐる攻防を徹底的に闘い抜かなければならない。石原が東京都で仕掛けた、養護学校で「つくる会」教科書採択を強行しようとする攻撃に対して怒りを爆発させなければならない。
また、これと一体となった沖縄への名護新基地建設―SACO貫徹の攻撃の激化を粉砕しなければならない。有事立法・集団的自衛権問題が、教育改革・改憲攻撃と一体でどしどしと具体化されようとしていることへの怒りの爆発をつくり出さなければならない。国鉄決戦を軸に階級的労働運動再生の闘いを十一月労働者集会に向けてさらに力強く推し進めていくことだ。
今こそ総力を挙げて小泉反革命粉砕・小泉政権打倒の闘いを爆発させることを強く決意しよう。
(四)
革共同は、参院選において比例区で前沖縄県知事の大田昌秀氏を支持し、また東京選挙区では沖縄の思いにこたえるという一点において社大党の新垣重雄氏を支持して、その当選のために全力で闘った。都議選決戦敗北の重圧をはねのけて、東京・沖縄を始め全国でわれわれは奮闘した。大田氏は個人得票約四十万票を獲得し社民党比例区二位で堂々当選した(新垣氏は十二位で落選)。
社民党の方針によって大田氏の東京・首都圏での選挙運動が全面的には展開されなかったという制約の中で、沖縄十五万余票を始めとする四十万の票をとったことは大きな勝利である。今回の非拘束名簿方式という制度の中では四十万の個人得票はかなり高位での当選といえる。
選挙戦の中で全国から寄せられた大田氏への期待はきわめて高かった。また大田氏はその中で、小泉との対決を貫いていくことをますます鮮明にした。
また、大田氏が名護新基地の建設について実質上白紙撤回を要求する立場で当選したということは現在の情勢において決定的なことである。沖縄選挙区において、県内移設(名護基地建設)促進を掲げる自民党・西銘が当選(照屋寛徳氏は僅差で敗北)したが、大田氏の比例区での当選はこれとの全面的対決の政治構図が形成されたことを意味するのである。
復帰三十年の来年に向かって沖縄をめぐる、そして沖縄における階級的対決は、日米争闘戦の危機的な展開と絡んで日帝・小泉政権を揺さぶるものとして発展していくであろう。われわれは、この先頭に立ち断固として闘う決意である。
われわれは、現在の階級闘争の危機的情勢のもとで、独自の候補を持たないという中で、参院選方針を独特の統一戦線戦術の展開として具体化した。これは、実現された結果からみても圧倒的に正しいものであったと総括できる。
すべての同志、読者の皆さん。参院選の結果をもっていよいよ居丈高に激化する小泉反革命との全面対決を強め、八・一五靖国参拝阻止から秋の階級的攻防へ力強い前進をかちとろう。
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週刊『前進』(2017号3面3)
解同全国連 奈良で婦人部大会
“婦人の手で部落の総団結を” 小泉改革と全面対決へ
「同和事業打ち切り・小泉構造改革と闘う部落の総団結を、婦人の手でかちとろう!」をメインスローガンに、部落解放同盟全国連合会の第一〇回婦人部大会が七月二十一〜二十二日、二百五十人が参加して奈良市で開催され大成功した。創立以来一〇回目、「二十一世紀を部落差別撤廃と人間解放の世紀に」と誓った新世紀最初の婦人部大会にふさわしく、小泉政権との対決を鮮明に掲げ、戦争・大失業と闘う部落の婦人運動の新たな時代を開く大会となった。
会場の奈良商工会議所ホールには、早くから婦人たちが続々とつめかけた。とくに若い世代の参加が目立った。地元奈良からも多数が参加した。
荒井糸枝副部長の開会あいさつに続き、中田潔中央本部書記長が主催者あいさつに立った。中田書記長は、「狭山闘争と部落解放運動の正念場が来ている。同和対策事業打ち切りは、部落大衆の生活を困難にするだけでなく、激しい部落差別の逆流を生み出している。部落の生活を根底で支える婦人こそ全国連五万人建設の力だ。討議と交流をつうじて闘いの力をつくり出していただきたい」と大会の成功を呼びかけた。
続いて北浦寿恵子婦人部長が、狭山異議審、介護保険を始めとする婦人部運動の重要課題を提起し、「今立ち上がらなくては、一生悔いる。ともに闘おう」と呼びかけた。
小林なつさん(三里塚反対同盟)、天野美恵さん(北富士忍草母の会)、西村綾子さん(婦民全国協)、新城節子さん(都政を革新する会)があいさつし、ともに闘う決意を述べた。
続いて差別糾弾闘争の取り組みが報告され、全参加者が憎むべき部落差別への怒りと、徹底糾弾の決意をともにした。
地元奈良の大橋昌広中執が「奈良の部落解放運動」をテーマに約三十分間の記念講演を行った。奈良時代までさかのぼるという西之阪部落の歴史や、差別と闘って強く生きてきた奈良の部落大衆の暮らしや仕事のこと、全国連結成への歩みをユーモラスに語り、会場は笑いと熱気に包まれた。
いよいよ大会議案の提起が行われた。婦人部事務局の岩崎喜子さんが活動報告を行った。岩崎さんは、この一年、婦人部が全国連の先頭で闘い、とりわけ狭山異議審闘争で若い婦人たちが石川さんの分身となって紙芝居運動に立ち上がり、狭山闘争の大衆的広がりをつくり出してきたことを、大きな成果として総括した。さらに婦人部が重点的に取り組んできた介護保険闘争の切り開いた地平と、直面している困難・課題の中間的総括を提起し、お年寄りとその家族を主人公とする闘いを発展させ、十月保険料値上げ阻止へ闘うことを呼びかけた。
続いて小林あや子事務局長が運動方針を提案した。小林さんは、今日の部落の婦人の置かれた状態をトータルにつかむことが運動の前進に不可欠であるとしてこの間各地で集約してきたレポート活動の内容を紹介した。「仕事が月に半分か十日しかない」「家の収入が十万円しかない月もあった。借金が返せるだけの仕事が回ってこない」(奈良)とか、「つれあいの収入が不安定で毎日、夜遅くまで内職している。住宅ローンの返済が滞り、先々のことを考えると夜も眠れない」(茨城)というような、婦人たちが直面している切実な現状が浮かび上がった。また、息子や娘の就職・結婚、介護・医療や、教育のことなどで部落差別ゆえの困難に直面し、せっぱ詰まった要求の叫びが上がっていることが報告された。
小林さんは、解同本部派の転向が解放運動をゆがめ、部落大衆の団結を破壊していることが差別激化の要因となっていることを指摘し、全国連一〇回大会路線(差別糾弾闘争を基軸にした三大闘争の全面展開)のもとに、〈大衆主人公の新たな団結〉をつくり出そうと呼びかけた。そして狭山再審闘争や、各地の差別糾弾闘争、要求闘争を闘い抜くことで、部落大衆の団結をつくり出し、全国連五万人建設を前進させていくことこそが、戦争と大失業時代の解放運動の勝利の道であることを、確信に満ちて訴えた。
参加者は、新たな闘いに断固挑戦する決意を込めて大きな拍手でこたえた。
二日目には、二つの分散会で、狭山・差別糾弾闘争と、生活要求・介護・住宅家賃の問題などが活発に討論された。婦人が生活の場から、切実な要求の声、差別への怒りの声を上げていくことが、解放運動全体にとって決定的に重要であること、また今こそ全国連が、屈服する解同本部派にとって代わって全部落大衆の団結のとりでに飛躍することが待ったなしに求められていることが、圧倒的に確認された。
最後に、北浦婦人部長(再選)を先頭とする闘う新執行部体制を確立して閉会した。大会の高揚を引き継ぎ、異議審棄却攻撃と対決して、八・九狭山再審闘争に決起しよう。
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週刊『前進』(2017号4面1)
8・15小泉靖国公式参拝を絶対阻止せよ
「天皇=お国のため」に再び銃を取るのか
靖国神社は戦争動員の軍事施設
小泉首相の八・一五靖国神社の公式参拝は、小泉の反革命攻撃の中でも最大級の位置をもつ。それは、二千万人を超えるアジア人民を虐殺した日帝の植民地支配と侵略戦争の歴史、その中で日本人民もまた戦争に加担させられ死を強制された歴史のすべてを真っ正面から全面賛美する攻撃だ。それは、日帝が再びアジア侵略戦争に向かおうとしている今日、青年、子どもたちに「天皇のため、国のために命を捧げる」靖国思想、殉国思想、特攻隊の゛魂″を吹き込み、実際に戦争を担う人間をつくり出そうとする攻撃である。そのために労働者人民の「再び戦争をくり返すな!」という戦後的反戦意識を完全に解体・一掃し、再びアジア侵略戦争を行うことを宣言するものだ。日帝・小泉の改憲=戦争国家化攻撃の核心の粉砕をかけた歴史的な大決戦として、八・一五公式参拝を実力阻止せよ! 革命的祖国敗北主義、血債の思想を人民の中で強力に物質化し、闘うアジア人民と連帯して、総力で闘おう。
第1章 戦死したら靖国神社に祭るから国に命捧げよ−−これが靖国のイデオロギーだ
天皇のための戦死者のみを「英霊」化
靖国神社とは何か。明治維新の時の内戦や日本帝国主義の明治以来のアジア侵略戦争−日米戦争の戦死者を「英霊」として祭っている神社だ。「天皇のため」「国のために」戦死した者を、神として祭り、慰霊し、その「功績」を顕彰することを目的としている。
そのことによって、死後は靖国神社に祭るから進んで「天皇のために命を捧げよ」と強制する機能を持った神社なのだ。
招魂祭で天皇の軍隊を形成
一八六九年(明治二年)に明治政府によって創立された東京招魂社が、靖国神社の原形である。招魂とは死者の霊を天から招き降ろして鎮魂するという意味である。もとは道教に由来し、その起源は古代にまでさかのぼる。戦国時代には、仏教などの影響もあって、死ねば敵も味方もないという立場から、敵味方両方の死者を弔う習俗として発展していった。
ところが、幕末に登場した「招魂」は、こういう伝統とはまったく異質のものだった。幕府の宗教である仏教や儒教に対抗して倒幕派がつくりだした「招魂の思想」は、天皇の側(勤王派)の犠牲者のみを「国事殉難者」として讃えることで、生死をかけて奔走する自派の活動家たちを激励・奮起させることを狙った。
明治維新の時の戊辰(ぼしん)戦争で明治政府軍は、官軍として錦の御旗を押し立て、天皇の命令によって賊軍を征討するという大義名分を掲げていたが、実体は諸藩の兵士の寄せ集めで、天皇の軍隊という自覚は乏しかった。招魂祭は、天皇への忠誠心を強め、戊辰戦争に勝利するのに大きな効果を発揮した。
東京招魂社には、戊辰戦争に勝利し、強大な天皇の軍隊の創設を急ぐ明治政府の大きな期待が込められていた。
七五年に政府は、「嘉永六年以来の国事殉難者」を東京招魂社に合祀(ごうし)することを決める。この合祀によって、幕末の勤王派の死者(例えば坂本竜馬)と官軍、陸・海軍の戦死者が、天皇に忠誠を尽くして死んだという一点で直結され、日帝の軍隊は天皇の軍隊という基本的性格を固めていくことになる。
したがって幕府側の戦死者などは賊徒・朝敵としてあくまで追及される対象となっており、靖国神社には祭られていない。西南戦争の西郷軍の戦死者なども祭られていない。靖国神社は、死んだ後も敵と味方の区別を徹底する。天皇ために死んだ者を称賛して神として祭る一方で、天皇の敵はあくまで逆賊として未来永劫追及するのである。
一八七九年に東京招魂社は、靖国神社と改称し、別格官弊社になる。別格官幣社とは、「臣民」を祭神とする神社のために創案された社格だった。靖国神社は、別格官幣社の中でも特別の扱いを受け、天皇の皇祖神を祭る伊勢神宮と並ぶ存在となった。そして日清戦争、日露戦争をつうじて、靖国神社の思想と役割は、その軍事的侵略的役割を一挙に強めていった。
「靖国合祀」で厭戦気分払う
日帝にとって本格的なアジア侵略戦争となった日清戦争で日本軍の戦死者・戦病死者は一万四千人に及んだ。明治天皇は、戦死者を合祀する臨時大祭に、二度にわたって参拝した。この後、合祀の臨時大祭には、大元帥(だいげんすい)の軍装に身を固めた天皇が靖国神社に行き、社殿に昇って祭神に一礼する「親拝」が通例となった。
続く日露戦争は世界初の帝国主義間戦争だった。この戦争で日本軍は九万人近い戦死者・戦病死者が続出した。社会主義者の幸徳秋水やキリスト者の内村鑑三らは非戦論を展開し、人民の間にも厭戦(えんせん)気分が広がった。政府は、戦意を高め、遺族の不満を抑え込むために、靖国神社で盛大な合祀の臨時大祭を行った。
日帝は、アジア侵略戦争を、現人神(あらひとがみ)である天皇が行う「聖戦」だと大宣伝し、侵略戦争の犠牲となったアジア人民は、天皇の「聖戦」に逆らう「内外の荒振寇等(あらぶるあらども)」つまり賊徒とした。逆に皇軍兵士は、天皇のために死んだという一点で神と崇(あが)められる存在とされた。
靖国神社の祭神を「英霊」と呼ぶことも、この頃から一般化した。「英霊」は天皇に忠誠を尽くして死んだ霊の美称となった。日本人民は、天皇に忠義を尽くし、靖国神社に神として祭られることこそが「臣民」の名誉であると教え込まれていった。
こうして靖国神社は、日帝の軍国化とアジア侵略の拡大とともに、天皇崇拝と帝国主義的民族主義・排外主義・国家主義を普及させる上で、絶大な役割を発揮していったのである。
一九三一年に日帝が十五年戦争に突入すると靖国神社と全国の神社は、労働者人民を総動員するために一層重んじられていった。各道府県にあった招魂社は護国神社と改められ、市町村レベルでは忠魂碑・忠魂塔が建立された。そして忠魂祭、慰霊祭がさかんに行われ、忠君愛国教育として、子どもたちの参拝が行われた。
このように靖国神社−護国神社−忠魂碑・忠魂塔という「靖国」のネットワークが全国にくまなく張り巡らされた。それが戦死者の慰霊だけではなく、兵士の壮行、戦勝と兵士の武運長久の祈願、日本軍の勝利の祝勝行事などの儀式の場となり、労働者人民を戦争に駆り立てていったのだ。
学校では、死んでもラッパを放さなかったという木口小平のラッパ美談や「水平の母」(老いたる母の願いはひとつ。軍に行かば、体をいとえ。弾丸に死すとも、病に死すな)、肉弾三勇士などの軍国美談が鼓舞された。靖国神社についても修身の教科書で子どもたちに徹底的に教えられた。
最後には「生きて虜囚の辱めを受けず」という「戦陣訓」が兵士にたたき込まれ、「死んで靖国神社で会おう」と、天皇と国のために死ぬことこそが天皇の軍隊の兵士の名誉だとされ、「玉砕」や「特攻隊」が強要されていったのだ。
敗戦後も生き残り公然たる復活狙う
一九四五年八月、靖国神社は、大半の戦死者を未合祀のまま、敗戦を迎える。GHQ(連合国総司令部)は靖国神社をミリタリー・シュライン(軍国的神社)と呼び、靖国神社の存続も定かではなかった。
こうした中で靖国神社は四五年十一月、急きょ臨時大招魂祭を行う。天皇が参拝し、非常の措置として、祭神の一括招魂、一括合祀という異例の方法ですべての戦死者を祭神に加えた。
しかし靖国神社は、GHQの「神道指令」によって国から切り離され、宗教法人令で別格官幣社の社格を失った。GHQの中には焼却処分などの意見もあったが結局、宗教法人として延命した。そして戦前の靖国神社の性格を継承することをうたった「宗教法人『靖国神社』規則」と「靖国神社社憲」を定めた。
「靖国神社」規則は以下のようになっている。
「本法人は、明治天皇の宣らせ給うた『安国』の聖旨に基づき殉ぜられた人々を奉斎し、神道の祭祀を行ひ、その神徳をひろめ、本神社を信奉する祭神の遺族その他の崇敬者を教化育成し、社会の福祉に寄与しその他本神社の目的を達成するための業務及び事業を行うことを目的とする」
かつての役割を公然と復活することを宣言している。目的や思想は何ひとつ変わっていないのだ。
「国家護持」と公式参拝攻撃
一九五二年のサンフランシスコ講和条約のころから国家神道の復活が叫ばれるようになり、日本遺族会や自民党による靖国神社国営化運動が推進された。六九年、自民党が「靖国神社法案」を国会に提出する。同法案は、靖国神社を非宗教化して、内閣総理大臣が管轄する特殊法人として国営化することを骨子としていた。これには大きな反対運動が起こり、自民党は五回にわたり同法案を国会に提出するが、七四年に最終的に廃案となった。
靖国神社国営化が挫折すると、天皇、首相の公式参拝の実現運動が大々的に組織されていった。七六年になると日本遺族会などを中心に「英霊にこたえる会」が結成された。「こたえる会」は、首相の公式参拝を要求し、地方議会に働きかけて決議をあげた。
七五年に三木武夫首相が私人と称して参拝。福田赳夫首相は「内閣総理大臣」の肩書きを記帳した。八〇年には鈴木善幸首相が閣議で申し合わせ、十八人の閣僚を引き連れて参拝した。八一年には自民党議員が「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」をつくり集団参拝をした。
さらにこの靖国神社公式参拝の大攻撃の中で、靖国神社は一九七八年十月、東条英機らA級戦犯十四人を、遺族に事前に通告することなく、「昭和殉難者」として合祀する。(A級戦犯の合祀については後述)
しかし一方で、高まる批判の声に押され八〇年には公式参拝を違憲とする政府の統一見解が発表された。
こうした中で首相になった中曽根康弘は官房長官の私的諮問機関として「閣僚の靖国神社参拝に関する懇談会」を設置し、八五年に公式参拝の実現を求める「報告」を出させる。そして靖国神社の公式参拝は合憲であるとの談話を発表し、中曽根と十八人の閣僚が初めて公式参拝した。
これに対して内外から強力な批判と抗議の声があがった。そのため以後十六年間にわたって、八月十五日の首相の公式参拝は行われていない。(九六年に、遺族会の会長でもあった橋本龍太郎が首相として八月十五日をはずして公式参拝している)
第2章 特攻隊を全面的に美化
A級戦犯を「神」と祭る−−今も変わらぬ靖国神社の本質
A級戦犯合祀は靖国の核心
靖国神社には末期から十五年戦争までの戦死者・戦病死者二百四十六万六千余人が「英霊」として祭られている。
合祀されているのは軍人だけではなく、日赤救護看護婦や沖縄のひめゆり学徒、沖縄から鹿児島への学童疎開中に撃沈された「対馬丸」の児童なども合祀している。また厚生労働省の調査によると、台湾・朝鮮人の軍人・軍属が約五万人合祀されている。
さらに東京裁判でA級戦犯として処刑された東条英機(日米戦争時の首相)や板垣征四郎(「満州国」デッチあげの首謀者)、松井石根(南京大虐殺の最高司令官)ら十四人が「昭和殉難者」として合祀されている。
この戦犯の合祀こそは、靖国神社の゛魂″に関わる重大な問題なのである。靖国神社社務所が発行した『やすくに大百科』は、以下のように記している。
「戦後、日本と戦った連合軍の、形ばかりの裁判によって一方的に゛戦争犯罪人″という、ぬれぎぬを着せられ、むざんにも生命をたたれた千六十八人の方々……靖国神社ではこれらの方々を『昭和殉難者』とお呼びしていますが、すべて神さまとしてお祀りされています」
靖国神社にとって、戦犯とは゛もっとも献身的に天皇のために戦ったにも関わらず、ぬれぎぬを着せられた最大の被害者″なのだ。戦犯の合祀は、日帝のアジア侵略戦争を肯定・美化するために絶対に必要なのだ。米帝など戦勝国に裁かれた東京裁判そのものをひっくり返すことが目的なのである。そしてこの極悪の戦争犯罪人たちを「神」として崇め、神の生き方に学べ、と日本人民にたたき込むのが、靖国の思想の核心なのだ。
特攻隊戦死者の遺書を展示
靖国神社は、東京千代田区に東京ドームの二倍の広さ(面積九万九千平方b)を持つ。境内には「日本陸軍の父」と言われた大村益次郎の像や巨大な菊の紋章の門や軍人勅諭(ちょくゆ)の碑などがある。社頭の掲示板には月替わりで特攻隊員などの遺書が掲示される。例えば今年七月の掲示は以下のような悲惨極まるものだ。
「御父さん、お母さん、愈々(いよいよ)隆茂は明日は敵艦目がけて玉砕します。(中略)明日会ふ敵は戦艦か? 空母か? それとも巡洋艦か?……。きつと一機一艦の腕前を見せてやります。明日は戦友が待つて居る靖国神社へ行く事が出来るのです。日本男児と生れし本懐此れに過ぐるなし。御父さん、お母さん、隆茂は本当に幸福です。では又靖国でお会ひしませう。待つて居ります」
靖国神社内の軍事博物館である「遊就館」の前庭には、特攻勇士の像や泰緬(たいめん)鉄道(日本軍がタイとビルマ間に建設した軍用鉄道。捕虜一万三千人、労務者三万三千人が死亡)を走ったという蒸気機関車、実際に使われた兵器などが展示されている。
小泉の靖国神社公式参拝攻撃は、「過去の戦争を賛美し、侵略兵士を英霊化する」だけのものではない。
日帝は今日、アジア侵略戦争ができる国家への大転換を決断し動きだしている。その核心のひとつが何よりも今に生きる青年、子どもたちに靖国思想・殉国思想をたたき込み、侵略戦争を担う人間、天皇と国家のために命を投げ出す人間をつくり出すことなのだ。それが靖国神社の公式参拝(靖国神社の復活)と「つくる会」教科書(戦前の修身と国史の復活)の攻撃なのだ。
靖国の思想を教える遊就館
軍事博物館「遊就館」は、まさに靖国思想・殉国思想を徹底的にたたき込むことを目的としている。
一八八二年に設立された遊就館は、四五年の敗戦時に閉館させられたにも関わらず、八六年(中曽根の公式参拝の翌年)に再び開館された。首相の公式参拝に対する内外からの強い反対の声と闘いによって公式参拝が粉砕される中で、今一度、゛靖国思想″を復活させるための「教化活動」に乗り出したのだ。
そして現在、総額九十八億円の「靖国神社御創立百三十周年記念事業」の一環で遊就館の全面改装工事と新館増設を行い、来年七月に開館しようとしている。
中に入ると、明治以来一九四五年まで八十年余の日帝の戦争の歴史を多くの収蔵品を展示しながら記し、そのすべてが「いかに正しい戦争だったか」と誇る。
遊就館には、「人間爆弾」と呼ばれたロケット特攻機「桜花」や人間魚雷「回天」が展示されている。そして特攻隊で死んだ兵士や沖縄戦で「玉砕」した兵士らの顔写真、プロフィール、手記、家族への手紙、遺書などを何十人分も延々と並べ立て、゛いかに純粋に国を愛していたのか″゛いかに清々しい気持ちで死んでいったのか″と描き出している。
その空間そのものが、子どもたちを「お国のために戦ってくれてありがとう」「こんな立派な死に方があるのか」「今の自分が恥ずかしい。もっと立派な生き方をしなければ」などと、靖国思想・殉国思想で徹底的に染める仕組みになっている。
日帝のアジア侵略戦争に対して労働者人民が持っている反省と反戦平和の意識をたたき壊して、再び侵略戦争をやろうとする日帝が子どもたちにたたき込もうとしている価値観、死生観の究極が、靖国神社そのものの中にあるのだ。
問われているのは過去のとらえ方だけではない。今の生き方が問われているのだ。日帝の再びの侵略戦争を絶対に阻むために、靖国神社公式参拝攻撃を絶対に粉砕しなければならない。
第3章 「特攻隊兵士の気持ちになれ」と青年たちを扇動−−小泉の狙いは殉国思想の復活
侵略戦争での死に「敬意と感謝の誠」
「八月十五日に総理大臣小泉純一郎として参拝する。日本国民、総理として当然の行為だ」−−小泉は中国・韓国政府からの抗議も、アジアに広がる抗議の闘いも一切無視して、八月十五日、靖国神社公式参拝を強行しようとしている。小泉のこの間の暴言を絶対に許してはならない。
小泉は「今日の日本の平和と発展は、自らの命を犠牲にして尽くされた戦没者の方々の尊い犠牲の上に成り立っている。戦没者に対して心を込めて敬意と感謝の誠を捧げたい」(五月九日、衆院本会議)と言う。
第一に、小泉が「敬意と感謝の誠を捧げたい」と言う相手は誰なのか。靖国神社が祭っているのは、戦争で死んだ者一般ではない。日帝のアジア侵略戦争の中で侵略の銃を握り戦死した者、つまり侵略者を祭っているのだ。それを「八紘(はっこう)一宇」のイデオロギーのもとで全世界を天皇の支配下に帰一させる「聖戦」を担い、「お国のため、天皇陛下のために命を捧げた」と称して、「御祭神」として祭っているのだ。その頂点にいるのが、十四人のA級戦犯である。
小泉は「尊い命を犠牲にされた戦没者の方々」などと言うが、小泉にとっては「国家と天皇のために命を捧げた者」のみが「犠牲者」であり、日帝の侵略戦争によって殺されたアジア人民は「犠牲者」にあたらない。それどころかアジア人民を、天皇および日本国家に服従しなかった「敵」と見なしているのだ。
その一方で、靖国には植民地支配下で徴兵され死んだ約五万人の朝鮮人や台湾人の軍人・軍属も祭られている。また沖縄戦で死んだひめゆり学徒や鉄血勤王隊までも、「聖戦」を担い天皇のために死んだ「英霊」として祭られているのだ。
靖国に参拝して「敬意と感謝の誠を捧げる」とは、“天皇のもとに全世界を帰一する聖戦を担い、立派に死んだ゜こと、二千万人を超えるアジア人民を虐殺したことを「敬意と感謝」をもって讃える行為なのだ。日帝が行った明治以来の戦争、十五年戦争、第二次大戦のすべてを「まったく正しい戦争だった」とすべて肯定する行為そのものだ。
しかも「国を守るため」と言うが、実際は日本のプロレタリアート人民を守るためのものでもなく、「国体」=天皇制とブルジョアジーの支配体制を守るためのものだった。日本プロレタリアート人民は、自らの階級的利害とはまったく相反する戦争に狩り出され、自らもまた殺されたのだ。
それは、死ななくてもいい死であり、生きるべきを暴力的に断ち切られた死であり、まさしく犬死にであったのだ。人間は、断じてそのような犬死にを強いられるべきではないのだ。それを「美しい死」「立派な死」と讃えることほど許しがたい、非人間的な帝国主義戦争の美化はない。
小泉は「心ならずも戦争に行って亡くなった方々」と言う。何が「心ならずも」だ、ふざけるな! 一体誰が数百万人の農民や労働者を戦場に送ったというのか! 日本の人民を戦争に総動員して死を強いた帝国主義ブルジョアジーを絶対に許してはならない。
第二に、小泉は「こういう犠牲の上に今日の平和と繁栄がある」と言う。ではその「今日の平和と繁栄」とは何なのか。
一九四五年八月十五日の日帝の敗戦の時、日本のプロレタリアート人民に問われていたのは、帝国主義戦争を必然とした日本帝国主義を打倒することだった。そして現実に広範な労働者人民が決起した。しかし日共スターリン主義の屈服と裏切り的指導によって戦後革命は敗北させられ、戦後の日帝は出発した。
決定的なのは、日帝は自らの植民地支配や侵略戦争の責任を一切とっていないということだ。六五年に締結した日韓条約では、「経済協力金」と称して十年間で三億jを無償供与することと引き替えに賠償請求権を放棄させ、それをテコに南朝鮮−アジア再侵略に突入していった。こうした戦争責任放棄の頂点に、沖縄を米軍政下に売り渡して戦争責任をまぬがれた天皇ヒロヒトの延命があった。
また日帝の戦後史とは、日米安保と沖縄米軍基地、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争などに象徴されるように、けっして「平和」なものではなかった。まさに戦後五十年余の日帝そのものが、アジア人民に血の犠牲を強制し続けることによって成り立ってきたのだ。小泉はこのことを完全に転倒させて、“天皇のために命を投げ出した皇軍兵士の尊い犠牲の上に今日の平和と繁栄がある゜とデマゴギッシュな扇動に使っているのだ。
この点で、小泉が七月三十日の記者会見で、「かつての戦争の責任は誰にあると考えているか」という質問に「戦争責任がどうかという問題以上に、尊い戦没者の犠牲のもとに今日があることを忘れてはならない」と答えたことは重要だ。小泉にとって大切なのは「尊い戦没者の犠牲」であり、戦争責任問題などはまったくとるに足らないと公言したのだ。
改憲=戦争国家化に“魂”吹き込む攻撃
第三に、小泉が繰り返し語る「二度と戦争をしてはならないという気持ちを込めて靖国神社に参拝する」というペテンを徹底的に暴かなくてはならない。
まず、もし「二度と戦争をしてはならない」と言うならば、靖国参拝などに行くわけがない。いや、侵略兵士を「英霊」として祭り、侵略戦争を「聖戦」として賛美する靖国神社そのものが、絶対に粉砕されるべきなのだ。
そしてまた、「二度と戦争をしてはならない」と言うのならば、その大前提は、アジアへの植民地支配責任、戦争責任を取ることである。
日帝と天皇の戦争責任を追及するアジア人民の闘いを完全に無視し敵対し、まったく逆に「戦争責任問題以上に、尊い戦没者の犠牲」と公言する小泉の言葉自身が、「二度と戦争をしてはならない」という言葉のうそを示している。
小泉は「いろいろ反省の点については御意見があると思いますが、国際社会から孤立したことがあの戦前、戦争へ行ってしまったんじゃないか、だから戦後は二度と国際社会から孤立してはいけない、国際協調の道を探りながら日本の役割を見出し、世界から信頼される国になることによってこの平和と発展があるんじゃないか」(五月十一日、参院本会議)と言う。
小泉は、「国際協調の道を探りながら日本の役割を見出し、世界から信頼される国になる」ためとして、何をやろうとしているのか? 現実の動きが本音を語っている。小泉は就任以来、「戦争をする国」への飛躍をかけて、九条改憲と「集団的自衛権」の行使、有事立法制定、PKO五原則の見直し−PKF本体業務への参加凍結解除などの戦争国家化攻撃に突進しているではないか。
結局、小泉にとって唯一の「反省の点」は、“今度こそ勝たなければ゜というものであり、そのために改憲=戦争国家化攻撃に突き進むことなのだ。
そして日帝の改憲=戦争国家化攻撃の核心として、実際にその戦争を担う人間に靖国思想、殉国思想、特攻隊の“魂゜を吹き込もうとするのが、靖国参拝攻撃なのである。
「靖国で会おう」と再び戦死を奨励へ
第四に、小泉は七月二十六日のTBSテレビの党首討論で、「なぜ靖国か」との質問に答えて、「多くの方々が『死んだら靖国で会おう』といって祭られている」と答えた。靖国神社の原理である国家神道のイデオロギーを平然と押しだしているのだ。
これはけっして過去の問題としてではない。今、「死んだら靖国で神となって会おう」と言って戦地に飛び立っていく青年たちをつくり出すこと、国家神道の復活とそれによる戦争国家づくり、ここに小泉の靖国参拝攻撃の最大の核心があるのだ。
「いまだに私は、嫌なことがあると、あの特攻隊員の気持ちになってみろと自分に言い聞かしてみます。……いろいろな嫌なことがあると、あの『ああ同期の桜』の本を思い起こしたときの感動を忘れずに、その嫌なことに立ち向かってきた経験がございます」(五月二十一日、参院予算委)
こうして小泉が全面賛美する特攻隊とは、いったい何だったのか。
いったん乗り込めば出てくることのできない仕掛けで、ただただ「体当たり」する以外に使い道のない人間魚雷、人間ロケット、特攻機に乗り、燃料は片道分だけ、戻ってくることは絶対に不可能な状況にたたき込まれ、次の瞬間には必ず死ぬことを覚悟して飛び立った特攻隊員。靖国神社で祭られる「神」になれることほど至高の価値はないとたたき込まれて死んでいった彼ら。その死者約四千四百人の大半が二十歳前後の若者だった。
日帝は、最後は特攻作戦まで編み出して帝国主義戦争を継続し、文字どおり日帝と天皇制の一日一日の延命のために、労働者人民の生命を消耗品として使い捨てたのだ。そして天皇ヒロヒトは特攻機の出撃を聞いて「そのようにまでせねばならなかったか。しかし、よくやった」と言った。帝国主義戦争が行き着いた非人間性の極致の作戦だ。
なぜ小泉は、このような絶対に許されてはならない暴挙を全面賛美するのか? それは、特攻隊の惨劇を再び繰り返そうとしているからにほかならない。小泉が「特攻隊員の気持ちになってみろ」と言っている相手は、今に生きる青年たち、子どもたちなのだ。
靖国神社には前述のとおり、「今月の遺書」の大きな掲示板がある。毎月違う遺書を張りだし、プリントを配布している。その内容は恐るべきものだ。「今御国のため、大君のため死し行けることを考えますと、実に御礼の申しようもありません」「自分の希望に向って進めたことは何よりの喜びです」「皇国に生を受け皇国の為に陛下の御馬前に死するを得るは男子の本懐これに過ぐるものなし」
靖国には生きるための思想は存在しない。死ぬこと、それも天皇のもとに全世界を支配するために命を投げ出すこと、そのことを「何よりの喜び」であり「本懐」であるとすること、それだけが唯一無二の価値観、死生観だ。「死んだら靖国で会おう」という靖国思想、殉国思想、国家神道イデオロギーを青年や子どもたちにたたき込むための小泉の靖国参拝を絶対に許してはならない。
第4章 朝鮮人遺族ら合祀名簿からの削除要求し提訴−−噴出するアジア人民の怒り
六月二十九日、日帝の植民地支配のもとで徴用・徴兵された韓国人被害者・遺族二百五十二人が、日本政府を相手に東京地裁に総額二十四億円(約二百五十億ウォン)の損害賠償請求を提訴した。原告団には、靖国神社に合祀されている人たちの遺族五十五人や、BC級戦犯、シベリア抑留被害者などが参加し、遺骨返還、未払い賃金支給、軍事郵便貯金返還なども要求している。
靖国神社には、朝鮮人二万一千余人と中国人二万八千余人が合祀されている。七八年には台湾の遺族が、合祀リストから外してほしいと靖国神社に要求した。韓国人遺族が合祀中止要求訴訟を出したのは今回が初めてだ。
BC級戦犯遺族の羅鉄雄(ナチョルウン)氏は「日帝によって連合軍俘虜(ふりょ)監視員として強制動員され、BC級戦犯の濡れ衣を着せられた。補償すべきだ」と訴えた。親族が合祀されている高明煥(コミョンファン)氏は、「靖国神社が韓国人犠牲者を勝手に合祀した後、『日本のために命を捧げた霊魂』と主張するのは、日帝時に強制された神社参拝と同じく、韓国人被害者の霊魂を冒涜(ぼうとく)することだ」と怒りを表明した。
朝鮮で徴兵制を実施することが閣議決定された一九四二年五月、日帝・陸軍省は、台湾人・朝鮮人を軍属として連合国捕虜の監視に当たらせるために「俘虜処理要領」を決定。タイ・マレー・ジャワ俘虜収容所に配属された朝鮮人監視員が、戦後、BC級戦犯として裁かれ、百二十九人が有罪、うち十四人が処刑された。罪状は食料や医薬品を与えなかったことや強制労働をさせたことなどで、末端の朝鮮人監視員が負うべき罪状ではなかった。
靖国神社側は「犠牲者らが死亡した時点ではみな日本人であったため、合祀リストから除外できない」と主張、死んでからも「日本軍兵士」としてじゅうりんし続けようとしているのだ。これが許せるか!
次いで七月十六日、太平洋戦争被害者補償推進協議会所属の遺族らが、金大中大統領と小泉首相に、靖国神社に合祀されている父母の位牌返還を求める嘆願書を提出した。
嘆願書では「日本の歴史教科書歪曲と小泉首相の神社参拝公言に憤りを禁じえない」とし、「父母の魂が戦犯らと一緒に追悼されることは、強制的に徴用された戦争犠牲者の子どもとして到底容認できない」と訴えている。
これを受けて韓国政府は十七日に日本政府に公式要請。それを「靖国神社には個別位牌ではなく、戦没者名簿に名前と死亡日時が記載されているので、これを削除するように要請した」、同時に「戦没者名簿に記録された韓国人の数の把握も日本政府に要請した」と明らかにした。
靖国神社の正確な合祀名簿は公表されたことがなく、これまで日本人遺族らの削除要求、さらに訴訟に対しても削除していない。
小泉は、靖国神社公式参拝に対する中国や韓国からの激しい抗議に対し、「関係ない。惑わされる方がおかしい」(四月十七日)、「よそから批判されて、なぜ中止しなきゃならないのか」(五月十四日)などと発言し続けてきた。
そして七月二十一日には「『熟慮してほしい』と言うから『熟慮する』と答えた。『熟慮断行』という言葉もある」と居直った。
アジア人民にとって小泉の靖国神社公式参拝とは、教科書攻撃、改憲=戦争国家化攻撃と一体の攻撃であり、日帝のアジア再侵略戦争宣言にほかならない。
闘うアジア人民と断固連帯し、日本の労働者・学生・人民の血債をかけた闘いとして八・一五靖国闘争を爆発させよう!
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週刊『前進』(2017号4面2)
2001年日誌 阻もう!改憲=戦争への動き 7月25日〜31日
東ティモールPKO派兵へ 米がイラクに軍事力行使も
●米駐日大使が地位協定改定を否定 ベーカー駐日大使が記者会見で日米地位協定について「現段階では改定の必要性は認めない」と発言した。(25日)
●米国防長官が「中国には軍事的に強い立場で」 ラムズフェルド米国防長官はワシントン・タイムズとの会見で、中国の軍備増強を強調し、中国に対して軍事的に強い立場で臨むと述べた。(25日)
●東ティモールPKO参加を明言 田中外相はASEAN地域フォーラム(ARF)閣僚会議で国連暫定統治下の東ティモールが来年独立した後に編成されるPKO(国連平和維持活動)に日本が要員を派遣する方針を明言した。(25日)
●韓国外相が再考要請 韓国の韓昇洙外相は小泉首相の靖国神社参拝について「被害者の立場を考慮し、周辺諸国に配慮して賢明で慎重な対応を願いたい」と再考を要請。歴史教科書問題についても再修正をあらためて要求した。(25日)
●「つくる会」教科書を不採択 東京・杉並区で「つくる会」教科書の採択が阻まれた。大蔵雄之助、宮坂公夫両委員が扶桑社教科書を支持したが、他の二人の委員が反対した。歴史は帝国書院、公民は東京書籍の教科書に。七月十一日に公立校で初めて「つくる会」歴史教科書の採択を決めた栃木県下都賀地区教科書採択協議会も東京書籍に決定を改めた。(25日)
●首相が「靖国参拝は当たり前」と 中国、韓国との外相会談での中止要求にもかかわらず小泉首相は「無念の思いで命を落とした戦没者に心から哀悼の誠を捧げるのは当たり前だと思って、私は参拝するつもりだ」「なぜ批判されるのか、私は分からない」などと熊本市内での街頭演説で述べた。(26日)
●小泉首相が「こじき」と差別発言 小泉首相は大分市での街頭演説で「(日本では)こじきでも字を読める。新聞読んでいる。ホームレスでも」と差別発言を行った。(26日)
●「軽水炉計画停止も」
米国務省のプリチャード朝鮮半島和平交渉担当特使は、下院外交委アジア太平洋小委員会で証言し、軽水炉建設の遅れについて「新たな工事に着工するには、北朝鮮が核拡散防止条約上の義務を全面的に実施しなければならない。そうでなければ軽水炉計画も停止する」と発言。(26日)
●米兵事件報道めぐり救済申し立て 沖縄県北谷町で起きた米兵による女性暴行事件の週刊誌報道をめぐり被害にあった女性が「落ち度を指摘するような取材と報道で人権を侵害された」と、沖縄弁護士会人権擁護委員会に救済を申し立てた。(27日)
●信号でミサイル誘導認める ブッシュ米政権が成功と発表したミサイル防衛構想の迎撃実験で、標的とした大陸間弾道ミサイルから電子信号を発信し、迎撃ミサイルを一定範囲まで誘導していたことを米国防総省が認めた。(27日)
●軍事偵察衛星の性能アップ狙う 内閣衛星情報センターは五十a離れた地上のものを見分けられる情報収集衛星の研究に来年度着手すると表明。(27日)
●米国務長官が中国首脳と会談 パウエル米国務長官は中国首脳と会談し、中国の世界貿易機関(WTO)加盟を支持、人権対話や大量兵器拡散などでも対話を回復することを確認した。(28日)
●参院選で自民が圧勝 第一九回参議院選挙で自民党が改選六十一を上回る六十四議席を得、与党三党で七十八議席を確保した。民主党は二十六議席。自由党は六議席で倍増。共産党は五議席で惨敗。社民党も三議席に落ち込んだ。(29日)
●大田氏が参院初当選 参院選比例区で社民党から出馬した大田昌秀氏が個人投票で十五番目に多い三九万六〇七七票を獲得し、初当選した。東京選挙区の新垣重雄氏は二万八二三二票で当選には及ばなかった。(29日)
●ビエケス島「米軍即時撤退を」が七割 米自治領プエルトリコ・ビエケス島で住民投票が行われ、米軍の即時撤退と土地の島民への返還を支持する投票が七割を占めた。(29日)
●イラクに軍事力行使も
ライス米大統領補佐官は、CNNテレビなどに出演し、イラクに「断固とした軍事力行使を検討中」であることを明らかにし、イラクの政権転覆などを視野に入れた強硬策に出ることを示唆した。(29日)
●小泉「基本方針として参拝する」 小泉首相は記者会見で、靖国神社参拝への質問に対して「与党三党の方々の意見をうかがって、熟慮して判断したい」「基本方針として参拝する意向を持っている」などと発言した。(30日)
●都立養護学校の一部で採択か 東京都教育委員会が「つくる会」教科書を、来春から都立養護学校の一部で使用する方針を決めた。八月上旬に正式決定する。労組などから強い批判と抗議の声が噴出している。(31日)
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週刊『前進』(2017号5面1)
平和遺族会全国連絡会事務局長 西川重則さんに聞く
靖国神社は「天皇の神社」 平和を創り出すため闘う
「二十一世紀最初の八・一五」を前に、靖国神社問題とは何かを、平和遺族会全国連絡会の西川重則事務局長(とめよう戦争への道! 百万人署名運動事務局長)に語っていただいた。(編集局)
靖国神社法案
靖国神社問題の本質とは何か、どういう問題があるのかを学び始めたのは六〇年代後半でした。
六九年六月三十日、私が「戦後最大の悪法」と呼んでいる靖国神社法案が、国会に提出されました。背景には、翌年が七〇年安保という政治状況があった。
信教の自由、政教分離に違反する同法案は、反対が強く七四年六月三日に最終的に廃案になった。しかし、ここから本格的に靖国神社問題を位置づけざるを得ない状況に入りました。
その後の大きな節目が、八五年八月十五日の中曽根首相の集団公式参拝です。中曽根首相が「戦後政治の総決算」と位置づけたのはことごとく軍事国家に向けた総決算です。その不可欠の要件として靖国神社問題が押し出されました。
「英霊」という言葉があります。彼の言葉で言うと「英霊の国家護持化」。靖国神社じゃない、英霊そのものを国家が護持するという考え方にならない限りだめなんだと言う。英霊を賛美し評価し、侵略戦争であったことを否定する。まさに国のために戦い、天皇のために戦って死んだ人が英霊と呼ばれ、そして、国が英霊として戦死した人をどう考えるのかという問題。そこまで彼は初期の段階で言い切った。
この中曽根氏と同じ考え方に立っている人物が、二十一世紀最初の八・一五を直前にした小泉首相です。
小泉首相は短い時間で断定型、断行型の発言をする。日本人はこれが大好きで、国会でも「必ず靖国参拝します」、万雷の拍手。驚くべき話だがそれが国会です。これに支えられて、韓国や中国から批判されても、それは全部内政干渉だと言って居直るのです。
小泉首相は「聖域なき構造改革」などと、ことさら「聖域」という言葉を使います。靖国神社で首相が参拝する一番奥まった場所が「神域」です。聖域という所が現実にある。「聖域なき」と言っている小泉首相を、私は「神域をますます神域にする構造改悪ではないですか」と批判した。
九九年の第一四五通常国会、この国会を延長して成立させた悪法のすべてが今の状況を設定しています。その前提は、九六年四月十七日の日米共同宣言です。
一つの延長線上
この延長線上に九九年国会があって新ガイドライン法が成立し、その時に国旗・国歌法、盗聴法とか憲法調査会設置法も悪法が全部通った。そして去年十一月に船舶検査活動法などが一挙に通った。小泉首相が靖国神社参拝とか、あるいは国会の中で集団的自衛権の問題を検討せよとか言っているが、これは全部一つの延長線上にある。
靖国神社問題を理解するために、私はいつも四つの柱を話しているんです。
一番目に憲法改正、改憲をしないと、思想統制ができない。二番目に教育改革です。六月二十九日に教育三法が通ってしまった。次に来るのは教育基本法の見直しです。そして三番目が靖国神社問題。そして四番目が自衛隊海外派兵問題。つまり防衛問題、軍事化路線です。
改憲−教育改革−海外派兵、そして戦死者は靖国神社に祭る。ここまで来ないと戦争の仕組みはできない。これが結論です。
つまり戦争というのは思想統制、それもいやいや統制されているという人間ではだめだ。そうじゃなくて心から本当にそうだと、日本の国を守るためには、やっぱり戦わなければいけないんだという教育が絶対に必要なんですよ。
私は平和ガイドをしていますが、例えば東京駅から皇居へと一直線に続く通りが「行幸通り」です。こんな名前が残っている。
こういう日常の天皇制文化と直結しているのが靖国思想です。天皇のために命を捧げて靖国神社に祭られて、永久に戦死した人びとをほめ讃える、顕彰するというのが靖国神社です。
靖国神社の機能
『天皇の神社「靖国」』(梨の木舎)は八八年に私が出した本です。今回七月二十日に、小泉内閣の問題点を直視しながらまえがきを加え、増補版第二刷を緊急出版しました。ぜひ読んでいただきたい。
靖国神社は今は憲法上、法律上はキリスト教と同じ、東京都が認証する宗教法人という立場です。
憲法四条と七条には天皇の国事行為とか、憲法の象徴天皇の枠組みも書かれている。では、靖国神社から見ると天皇はどうなるか。靖国神社にとって、天皇は靖国神社の最も高い位置にある最高の祭り主です。
靖国神社がもつ機能とは何か。靖国神社は今年で創建以来、百三十二年です。戦前・戦中までは国家が管理し、文字どおり公式参拝が当たり前だった。
問題は特に戦争中です。あの施設を取り囲む境内の中にさまざまな仕掛けがしてあります。境内の左右に、「輝かしい功績」をレリーフで施した灯籠(とうろう)などが配置されている。右には、海軍の東郷平八郎。左には大山巌陸軍大将。その真ん中を侵略戦争に送られていく海軍、陸軍の兵士が集団参拝をする。拝殿があり本殿があって、ここで戦没者に、つまり神にさせられた人物に深々と頭(こうべ)を垂れて戦場に行く。
靖国神社には二百四十万以上の人たちが合祀(ごうし)されている。その中には五万人近くの旧植民地出身者が勝手に祭られている。そういう問題は無視した形で、英霊尊崇の立場で、例大祭やさまざまな祭りを一年中やっている。
遺族を含めて多くの日本人が慣習的に参拝を繰り返し、日常的に教育的影響を受けている。さらに多くの人たちが靖国神社に来るような仕掛けをやる。それがお祭りであれ、相撲であれ、茶道の会であれ、日常性の中で靖国神社に対する思いを深めるような環境をつくっています。
新たな戦死者が
九九年八月六日に野中発言があった。つまりA級戦犯合祀を分祀せよ、それから靖国神社を特殊法人にせよ、これは国家護持のことです。それを国の側から強く求める時代になった。これが大きな変化なんです。
新ガイドラインで日本はアメリカと一緒になって後方支援をする。その後方支援を、けじめもなしに船舶検査活動法案に盛り込んで、法律をつくった。自衛隊員はもちろん、予備自衛官、自衛隊OBも駆けつけるような仕組みができ、戦死者、戦没者、あるいは戦病死ということがあり得る時代に入ったのです。
記憶の継承を
去年の五月十五日に森首相(当時)が「神の国」発言をしたのは、神道政治連盟国会議員懇談会の結成三十周年祝賀会だった。この神道政治連盟は靖国法案と同じ六九年に結成され、翌年に国会議員懇談会ができた。小泉首相は当初からの有力メンバーです。
小泉首相は五十九歳、敗戦時は三歳だった。彼はこの神道政治連盟国会議員懇談会で教育を受け、新しい戦争をしてもいいと思うようになったのです。
若い人たちに、二十世紀に何があったのか、つまり平和でなかった侵略の日本の歴史、正しい歴史の事実をきちっと学んでほしい。私は記憶の教育、そして同時に記憶の継承が必要だと考えています。一番大事なのは、歴史の事実に基づいて歴史認識を共有することです。
アジアの人たちの痛みはけっして消えていません。侵略戦争の事実を学び続け記憶を継承し、侵略戦争責任を反省することです。
私はクリスチャンです。聖書を徹底学習し、その思想で闘っています。保守的とも言われますが、保守には本来、守るべきものは守る、普遍的な価値を守るという意味があります。
平和主義に徹しながら、世界の平和を創(つく)り出すために、ひとりで闘う力をつける。しかしひとりで闘うことは非常に難しいから、ともに闘う。
今年の八・一五はたいへん重要です。反対の声をあげるために、人びとが主体的に、良心の自由に基づいて行動することが求められています。
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週刊『前進』(2017号6面1)
自治労第71回大会へのアピール
小泉「公務員制度改革」と対決し
自治労新綱領の転向路線粉砕を
自治労第七一回定期大会が八月二十八日から北海道旭川市の大雪アリーナで開催される。七月二十九日の参議院選挙での自民党大勝で日帝・小泉政権は「信任を得た」として「日本再生プログラム」の実行に拍車をかけようとしている。小泉政権は危機突破の反革命内閣だ。この反革命と正面激突して勝利することなくして、自治体労働運動の展望はない。自治労大会はまさに、小泉反革命との戦闘宣言の場でなければならない。ところが自治労中央は、社会主義の実現を基調としてきたこれまでの自治労綱領を投げ捨て、本大会に帝国主義に綱領的に屈服する自治労新綱領を提案する。自治労中央が小泉構造改革の前に屈服して、延命しようとさしだした階級的裏切りである。自治労大会に結集し、小泉構造改革に棹さす自治労中央と対決し、公務員制度改悪反対の一大反撃をつくりだそう。
戦争体制構築と労働者圧殺攻撃
大会の最大の課題は、小泉公務員制度改革との正面対決を明確にすることだ。
経済財政諮問会議は「聖域なき構造改革」と称して、国の戦後的あり方まで大きく変えようという「日本経済の再生シナリオ」を打ち出した。その核心に国と地方制度の大改編、公務員制度改革が据えられた。これは日米首脳会談で対米公約にまで高められた。
小泉の言う具体的突破の方法とは何か。税源を委譲するから地方は地方でやれ(地方交付税の見直し)、破綻(はたん)する自治体は広域行政に従え(市町村の合併)、あとは切り捨てる。一方で地域間競争を促進し、淘汰(とうた)し、民間金融機関を自治体の運営に参加させて資本の食い物にしていく手法である。
逆に、東京では過大な公共事業を促進する。そのために政府に「都市再生本部」を設置し、道路特定財源の一般財源への転用までする。大規模公共投資で担保不動産の地価をつり上げ、ゼネコンや銀行を救済しようとするものだ。
中曽根の臨調行革以来、国鉄、電電、専売の民営化に始まり、自治体経営論、民間とのコスト比較論、ラスパイレス指数、人勧凍結など行政改革がさまざまに計画され、挫折をくり返してきた。この過程は連合結成、社会党解党、連立内閣の成立と重なる。この到達点が、日米新ガイドラインと同時に成立した地方分権一括法であり、昨年十二月の「行政改革大綱」の閣議決定であり、本年一月からの中央省庁再編であった。
そこでは、戦争体制確立にむけた首相権限や官房機能の強化、総務省肥大化と内閣府の企画院化という中央統治機構の再編と、他方で独立行政法人化や現業の民営化といった制度的切り捨てが盛り込まれた。
しかし、組織・機構改革だけでは危機を突破できないという問題がつきだされ、森政権下で橋本行革担当相、野中自民党行革推進本部長を再登場させ、本格的に開始したのが今日の公務員制度改革攻撃である。
その目標は一点「制度に魂をいれる入魂作業」(福田官房長官)、すなわち公務員の意識改革にある。
野中は、そのために公務員への労働基本権付与、地方・国家公務員共通の新公務員法の立法化を打ち出した。ここに公務員制度改革は政治主導へと転換していったのである。直ちに行革推進本部事務局(四室)が設置され、三月二十七日に公務員制度改革推進室が「公務員制度改革の大枠」を決定、六月二十九日に「公務員制度改革の基本設計」を打ち出した。今年十二月に「公務員制度改革大綱」を策定し、二○○五年までの集中改革期間のスケジュールを明確化、国家公務員法などの改定作業に着手するとしている。
行革大綱構想(「大枠」↓「基本設計」)で打ち出した政策を、日帝・小泉政権は構造改革として貫徹しようとしているのだ。
一つは、給与制度である。職務給・号俸による年功序列的な賃金・人事制度を廃止し、能力給・職責給・業績給を組み合わせた給与体系、「信賞必罰」の人事賃金制度へ転換する。
二つは、人事制度である。「勤務実績不良者」の分限基準を明確化し、現行の勤務評定制度に代えて能力評価と業績評価の二本立て人事評価システムを導入する。
三つは、国家戦略スタッフの創設である。
四つは、人事院による賃金・人事管理を改廃して、大臣権限による賃下げ・首切り自由の制度に大改悪しようとしている。
五つは、労働基本権については「検討する」と言うにとどめている。
要するに、労働者からストで闘う権利を奪い続け、一方的に賃下げ・首切りを強行しようとしている。
小泉政権は、公務員労働者の高まる怒りと反撃の前に動揺し、法案化のスケジュールを若干遅らせるなどしているが、五百万公務員労働者をめぐる壮大な階級決戦が開始されたのだ。
「反対しない」と屈服深める中央
こうした中で自治労中央は、大会に向けて運動方針を提案した。「公務員制度の民主的抜本的改革と労働基本権の確立」「分権型地方公務員制度の確立と有効な政府の樹立」「公正な社会の実現とセーフティネットの確立」など五大中心課題として、完全に小泉改革の流れに屈服する内容だ。
新たな能力・業績評価の人事制度については、四原則(公平・公正性、透明性、客観性、納得性)と二要件(苦情解決制度の整備、労働組合の関与)を提示し、(当局と一体になって)組合員の能力開発支援を重視して取り組む、としている。
市町村合併については都道府県に市町村合併支援本部を設置し、「あくまでも自主的合併を求めていく」としている。
労働基本権は民間並みにILOのグローバルスタンダードでいく、「労働基本権はください、人事院制度は残しなさいということにはならない」「今日の情勢の急激な変化に踏まえて(分限免職を前提として)、解雇四条件の法制化をめざす」と言っている。
その一つひとつが、実に聞くに堪えない内容である。いったいどっちを向いてものを言っているのか!
「公務員労働者犠牲の改革案であるが、だからと言って公務員改革に反対する態度はとりません。大きな荷を負うこととなるが、新しい時代をつくっていくんだという使命感をもって改革の道を進む」(大原書記長)。これが自治労中央の考えである。
自治労中央は完全に階級移行した。資本の側から組合員に説教し、もっぱら小泉反革命の露払いとしての役割を買って出ている。まさに戦争か革命かが問われる情勢で、最悪の役割を果たそうとしている。断じて認めるわけには行かない。
階級闘争放棄の自治労新綱領
小泉政権への屈服を深める自治労中央は、まがりなりにも社会主義を標榜(ひょうぼう)してきた七六年改定の自治労綱領を今大会で最後的に投げ捨てようとしている。
九二年福岡大会で自治労中央は、安保防衛政策の転換、自衛隊容認、集団的安保論の形成へ「新政治方針」を決定し、九三年札幌大会で、「同一価値労働・同一賃金」「公務員=公共サービス労働」などという、階級的な賃金論を解体する「自治労・賃金政策論」を決定した。九七年金沢大会では、行革推進の「自治労・自治体改革」を決定した。その自治労中央が、ついに今年の旭川大会で、自治労綱領そのものを放擲(ほうてき)するに至ったのだ。
新綱領は、自治労の歴史的転向文書であり、階級的立場の最後的放棄である。われわれは、この新綱領をあらゆる角度から批判し、阻止しなければならない。一年間の綱領論争を挑む。そこには自治労運動の生死がかかっているからだ。
参院選では、中央の推す民主党・朝日俊弘と、反主流派十二県本部の推す社民党・又市征治の完全な分裂選挙となった。自治労大会では総括をめぐって混乱必至である。自治労をめぐる危機は深刻であり、情勢は厳しいが、反動への転換は必ず戦闘的で革命的な翼を生みだす。人事院はゼロ勧告を決定し、公務員労働者は四年続きの大幅賃金カットとなる。現業を軸に民間委託に始まる解雇攻撃が吹き荒れている。自治労大会でも必ず、中央の転向方針が批判される。
小泉改革との全面対決を大会に持ち込み、拠点職場から反撃を開始しよう。今こそ戦闘的労働運動を力強く発展させよう。多くの労働者がそれを求めている。
都労連は再び決戦に突入する。国鉄決戦を先頭に、公務員制度改革と対決し、労働基本権を実力で奪還し、小泉構造改革を粉砕しよう。
〔マル青労同 自治体労働者委員会〕
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週刊『前進』(2017号6面2)
連載 治安国家との対決を(7)
司法改革は戦時司法の道−−支配に奉仕する裁判へ転換
弁護士と日弁連の御用化狙う
日帝は、深刻な危機の中で、戦争国家化攻撃を激化させている。改憲攻撃を根幹にすえ、有事立法、教育改革・教育基本法改悪、司法改革攻撃などを一斉にしかけてきている。内閣に設置された司法制度改革審議会が策動する司法改革は、基本的人権を根底的に否定し、弁護士と日弁連を御用化し、戦前の天皇制ボナパルティズム支配を支えた司法の再確立を狙う攻撃だ。
侵略司法
六月十二日に司法制度改革審議会は、最終意見書「二十一世紀の日本を支える司法制度」を発表した。
意見書は実に反人民的内容である。
第一は、「(司法改革は)一連の諸改革(政治改革、行政改革、規制緩和など)の『最後のかなめ』」と、司法改革を日帝の絶望的な危機を突破するためと位置付けていることだ。
第二は、天皇制国家の美化である。
天皇制明治国家を賛美する司馬遼太郎の「この国のかたち」という言葉を多用し、アジア侵略の歴史を「苦闘に充ちたわが国の歴史」などと言いなして、反日帝・民族解放闘争に決起したアジア人民、戦争に反対した日本の労働者人民に凶暴な弾圧を加えた戦前型司法をめざしているのだ。
第三は、国家主義の前面化である。
「司法機能は公共的価値の実現という側面を有する」と言って、人権に対立する形で「公共性」という概念を前面に押し出し、基本的人権の解体と国家主義の鼓吹を狙っている。
第四は、「司法の独立」の否定である。
意見書で、「政治部門が心臓と動脈に当たるとすれば、司法部門は静脈」と言い切り、司法の役割を国家権力の意志を貫徹するものとして位置付けている。
第五は、被疑者・被告人の基本的人権の抹殺だ。
「(司法は)違法行為の是正や被害を受けた者の権利救済を行い」「適正かつ迅速に刑罰権を実現して、ルール違反に対して的確に対処する役割」と効率的処罰を前面に掲げ、被疑者・被告人の権利を「弁護人の援助を受ける権利」のみに切り縮めている。意見書には「黙秘権」の言葉すらない。刑事手続きの目的から被疑者・被告人の権利擁護を抹殺しているのだ。
翼賛弁護
意見書は、法曹(裁判官、検察官、弁護士)の役割を、「国民の社会生活上の医師」としている。これは、弁護士を侵略の先兵へと屈服・変質させるイデオロギーである。
弁護士は、弁護士法に「基本的人権の擁護」を使命とすることが明記されている。そして、国家権力と実力で闘う革命的大衆闘争の発展は、不屈の被告団と一体となって国家権力の不当弾圧や政治弾圧と非妥協で闘いぬく多くの弁護士を生みだした。
そのような闘う弁護士や弁護士会の存在を抹殺するために、意見書は弁護士と弁護士会をまるごと翼賛化することを狙っている。
まず、第一に弁護士自治の解体である。
国家権力から独立した戦後の弁護士自治の解体と、国家にとって都合の悪い弁護士の迅速な処分を狙って、弁護士会の懲戒委員への評決権のある民間人の参加などをもくろんでいる。
また、法律事務所の法人化とは、法務省が監督し、解散命令権を持つ「弁護士会社」である。
昨年の十一月一日の日弁連臨時総会における野次・怒号を口実に、四人の弁護士が懲戒請求されている。司法改革攻撃と一体で、闘う弁護士の屈服を狙う攻撃である。断じて許せない。
第二に、弁護士の大幅増員である。
行政、資本家などに奉仕する弁護士を大量増員し、弁護士会をその内部から変質させることが狙いだ。
ロースクール(法科大学院)構想は、現行の法曹一体の養成制度を解体し、国家と利潤のために働く弁護士の養成が狙いである。
拙速裁判
意見書は、裁判員制度の導入を口実に、「裁判の迅速化」を主張している。その主要な狙いは、無実を訴えて裁判で争うこと自体を禁圧し、裁判を国家の刑罰権発動のためだけの手段にしてしまうことだ。
そのための攻撃が、第一に集中審理の強行である。
現行では、充分な弁護権・防御権の行使には月一回の公判ペースが限度と言われている。それを連日開廷を強行し、一審を長くても二年以内に終了させようというのだ。被告人の防御権の侵害しか意味しない。
意見書では、そのために「@常勤の弁護士等が刑事事件を専門に取り扱うことができるような体制を整備し、A私選弁護についても、法律事務所の法人化等により、弁護士の業務態勢の組織化、専門化を進めていく 」としている。これは、刑事弁護ガイドライン策定の策動と相まって、刑事弁護の国家管理を狙う攻撃である。また、刑事弁護に従事する弁護士は経済的に自立できない構造を前提化するものである。
第二に、当事者主義から、裁判所が主導的に争点を整理していく戦前型の職権主義への転換攻撃だ。
一般に、裁判に必要な資料や証拠は、行政や資本の管理下にあることが多く、「裁判の迅速化」は、ますます労働者に不利な゛裁判所の判断″を促進させる。
さらに重大な問題は、「弁護士報酬の敗訴者負担制度」の導入である。
労働者人民にとって、裁判に訴えること自体が大変な財政的負担であるのに、敗訴した場合には勝訴した者の弁護士報酬を支払わなければならなくなる。これは、財政負担で労働争議や住民訴訟およびアジア人民の戦後補償訴訟などの闘いを圧殺する攻撃である。
結局、労働者人民の裁判で争う権利の否定と、侵略戦争推進司法の再構築が司法改革の狙いである。司法改革=改憲阻止へ闘おう。
(村上進一)
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週刊『前進』(2017号6面3)
「つくる会」教科書の採択阻止したぞ!
アジアの怒りに連帯 栃木 須藤敏男
「下都賀地区で『つくる会』採択決定」が明らかになった七月十二日以降は、栃木県も連日三十度を超える猛暑でした。私たちは下都賀地区内の各市・町の教育事務所に申入書や抗議文を持って回りました。汗が滝のように出る毎日でした。各教育事務所のファックスは、全国からの抗議や要請で機能停止を引き起こすほどでした。
十六日以降の地区内十市町の教委開催日には、それぞれの教委に、私たちや地元の母親たち、在日の人たち、国内・国外の記者たちが押し寄せました。
この二週間に出された申入書や抗議などが、手元にあるだけでも厚さ一センチを超えました。中には手書きのビラもあります。
こうして七月二十五日、下都賀地区協議会は「つくる会」採択を撤回せざるをえませんでした。この日も暑い一日でした。百人を超える市民と韓国からの記者ら報道陣が延々八時間、教育事務所役員などと応酬を繰り返していました。
午後四時過ぎ、不採択決定が発表されました。拍手と歓声、握手、抱き合う人びと、みんな笑顔でした。そして汗で顔が光っていました。翌日の商業新聞には「喜びにわく市民」と見出しがついていました。
私たちにはこの闘いで得た多くのものがあります。
ひとつは、小泉戦争政治のおそるべき実態と、同時にその弱点です。
今回、下都賀地区採択協議会で「採択決定」を強行した中心は大平町などに巣くう右翼であり、「小泉直系」を自負する国会議員です。しかし、多少でも現場経験がある各市町の教育委員会で、協議会決定は次々と覆されました。
「教育正常化県」などと言われてきた栃木県にあって、各教育委員は文部省などの言いなりにやってきた教員上がりの人びとが大多数です。この人たち一人ひとりに、「天皇を神とあがめ」「戦争は良いことだ」「核兵器も必要だ」という思想に染まりきることが強要されたのです。
これこそ小泉政権が、今「国民的」に強要しようとしている実におそるべき攻撃の実態なのだということを肌身で感じました。と同時に、この攻撃に人びとはけっして簡単に屈するものではないということです。ここに弱点も見たのです。
もうひとつは、国際連帯の重要性です。
韓国では学生たちを中心に激しい抗議デモが日本大使館などにたたきつけられていました。こうした闘いと私たちは一体であろうとしました。私たちは彼らとともに生き、闘うために、手を取り合って進むために、今やれるすべてをやりぬくと決意していました。
自分たちの闘いがアジアの人びとの思いと通じていると感じた時、私たちは国際連帯の闘いの゛醍醐味″を知りました。これは何にもかえがたい経験でした。
こうして私たちは、今一度決意し始めています。今度は小泉政権そのものを倒してみせると。それが朝鮮・中国−アジア人民の思いであるならば、帝国主義国に生きる私たちはそのことを命にかえてもやりぬくのだと。次の闘いが始まっています。
右翼の策動粉砕して 東京・国立 沼田義和
七月二十四日正午過ぎ、国立市役所前の公園にはすでに二十〜三十人ほどの人たちが集まっていた。今日の国立市教育委員会が決戦だ。どの人にも「『つくる会』教科書は絶対採択させないぞ!」という気迫がみなぎっている。
右翼が教科書展示会場のアンケートを組織動員で行っているのに気づいたのは、教科書採択決定の十日ほど前だった。結果的には百八のアンケートのうち七五%が「つくる会」教科書を推していた。「国立があぶない!」、直ちに署名運動が保護者・市民・教職員の中に持ちこまれ、瞬く間に広がっていった。二十二日の国立駅前では、右翼と激突して署名活動を行った。十日間でなんと九千筆を超す署名が集まった。
午後一時、いよいよ<人間の鎖>が始まった。集まった二百人もの保護者・市民・教育労働者たちが、思い思いに作ってきた横断幕を掲げて手をつないだ。輪は市役所を覆い尽くした。
右翼が二十数人、またしても押しかけてきた。しばし市役所入り口でもみ合いになる。
いよいよ教育委員会の傍聴だ。私が入ったころには、すでに百席用意されたいすは満席で、その後ろを立ち見の人が取り囲み、総勢百二十人ほどの熱気でむせかえっていた。さらに入りきれない人が室外にあふれている。なんと権力が介入し、先に入れた右翼が最前列に陣取っている。
いよいよ教育委員会の審議が始まった。中学・歴史の審議に入ると、I委員が「つくる会」教科書を賛美した。「学習指導要領に最ものっとっている」「歴史が肯定的に描かれている。子どもには否定的なことばかりでは正しい判断ができない」「健全なナショナリズムの育成が必要」などと怒りに堪えない言辞だ。しかし、他の委員は別の教科書を推し、「つくる会」教科書は不採択となった。
ついに、不採択をかちとった。しかし、薄氷を踏む思いの勝利だった。保護者・市民・教職員組合の運動の蓄積が、取り組みの立ち遅れをばん回してかちとった勝利だ。子どもたちを再び戦場に駆り立てようとする小泉に、痛打を浴びせたのだ。さらに「つくる会」教科書の息の根を止めるまで闘い抜こう。
(写真は7月24日、「つくる会」教科書採択に反対して杉並区役所を包囲した人間の鎖)
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