ZENSHIN 2001/07/09(No2012 p08)

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週刊『前進』(2012号1面1)

参院選・大田氏勝利へ全力を
都議選の地平から決意新たに小泉反革命打倒へ突き進もう
 戦争賛美教科書の採択阻止せよ

 革共同は、今次都議選決戦を二〇〇一年前半の最大最高の決戦として、党のすべてをかけて総蜂起した。東京・杉並区で結柴誠一候補を推し立て、多くの杉並区民、闘う労働者住民とともに最後の最後まで全力を尽くして奮闘した。日帝の絶望的危機の中から登場した小泉政権とそのすさまじい反革命の嵐(あらし)に全国で唯一、正面から立ち向かい、小泉反革命およびそれと一体化したファシスト石原都政の打倒を真っ向から掲げて、既成の大政党と全面激突する選挙戦をやりぬいたのである。しかし結果は、無念にも、九四五〇票(第九位)という厳しい現実で敗北した。六月都議選でのこの敗北を、革共同政治局は厳しく自己批判し、党と労働者階級人民に対する重大な責任にかけて、この結果を徹底的に総括しなければならないと考える。そして、敗北の克服を成し遂げるために、小泉反革命粉砕の闘いに、ともに猛然と突き進むことを心から訴える。
 われわれは、この敗北に立ちすくみ、立ち止まるものでは断じてない。なぜなら、大恐慌と戦争の時代の到来の中で、危機に立つ日帝・小泉政権による新しい型の「国家改造計画」(極右的ファシスト的国家改造計画)と対決する労働者階級人民の歴史を画する一大政治決戦を開始したのだからである。日本階級闘争の一九三〇年代をも上回る激動に次ぐ激動の過程が始まったのだ。戦争と大失業の小泉政権打倒・小泉反革命粉砕のために総決起しよう。この闘いの一環として、直ちに七月参議院選挙闘争に突撃しよう。参院比例区での大田昌秀氏(前沖縄県知事)、東京地方区での新垣重雄氏(沖縄社会大衆党書記長)の出馬を断固支持し、その勝利のために総決起しよう。
 革共同は、今次都議選で結柴候補の必勝に一切をかけてともに立ち上がった杉並区住民の渾身(こんしん)の決起に深く学び、何よりも投じられた九四五〇票のかけがえのない、重い決断に深く深く感謝するものです。その切実な〈いのちとくらしと平和〉の要求を党として真っ向から受け止め、今こそ小泉反革命・石原反革命を打倒し全人民の未来を開くために、ともに全力で奮闘する決意をあらためて表明したい。革共同の力ある労働者党としての建設を真に本格的に闘いとり、二十一世紀の革命に勝利する党への巨大な飛躍を必ずや実現しようではないか。

 第1章 全党全人民が総蜂起して闘い抜いた最高の選挙戦

 われわれは今回の都議選を、日本階級闘争と革共同の成否をかけた決戦として、必勝の決意と態勢で臨んだ。そして全党の総蜂起を実現し、過去の幾多の選挙戦の地平をもはるかに超える、これまでの最高の選挙戦を闘った。
 まず何よりも、全党の同志の革命的議会主義についての理論的=実践的一致をもって今回の選挙戦に突入したことである。森政権の危機として示された日帝の政治支配、階級支配の末期的危機、それにとって代わった小泉政権の登場のもとで、日本の階級闘争はこれまでとは一変した新たな激動的な局面に入った。六月都議選−七月参院選は、昨年の衆院選にも増して、それ自身が全階級情勢を左右する最大の政治決戦に押し上げられた。ここにおいて、革共同が小泉反革命台頭の情勢に断固として躍り込むこと、都議選決戦になんとしても勝利することは、全党の同志の一致した決意であった。
 とりわけ、闘う労働者党の建設にとって、都議会議員(ひいては国会議員)をもつことがいかに大事か、いかに死活的な要求かということである。
 しかもわれわれは、結柴誠一候補という、区議十年の実績をもち、その行動力と大衆性、戦闘性において比類なき候補、反スターリン主義・革命的共産主義運動が生み出した最高の候補を擁していた。また、戦争と大失業に突き進む日帝・自公保政権と都知事石原による福祉切り捨てや教科書問題をめぐる大攻撃に対して、都政を革新する会を先頭に、杉並の地域住民自身の自主的な、新たな、危機感と怒りに満ちた闘いが発展してきていた。この住民運動の発展と、真に闘う都議の登場とが結合すれば、首都の政治に風穴を開ける決定的情勢が開かれる局面を迎えていた。
 こうした中で革共同は、六月都議選を党の一切をかけた政治的蜂起戦として闘った。それは、革共同の生死をかけて闘うということであった。すなわち、ありとあらゆる党の力、組織力、諸個人の潜在的力を極限的に発揮し、あるいは闘いの中で短時日のうちにつくり出し、党の決意の力、集中力を二倍、三倍、いや十倍にも増して闘うということであった。
 われわれは、没落帝国主義と化した日帝の全存在と真っ向から対決する戦略的総路線の一切をかけて、かつまた一人ひとりの革命家人生のすべてをかけて、全情熱を傾けてこの都議選決戦を闘った。文字どおり持てる一切の力を出し尽くし、一人の例外もなく闘い抜いた。このこと自身が革共同を前衛党として建設する上で実に決定的な意義をもつ、巨大な歴史的経験であったと言えるのだ。
 こうした党の決意と総蜂起のもとで、今次都議選闘争は実際に、今までにない地平を獲得するものとして闘われた。その核心は、革共同と、都政を革新する会を始めとした杉並の闘う区民、地域住民が、結柴候補の当選をかちとるという一点で固く一致して闘ったことである。
 選挙戦が終盤に向かうにしたがって、住民自身が実に感動的な、自主的で自己解放的な決起を雪崩のような勢いでつくり出していった。選挙戦の中で、地域における労働者人民の階級的団結の形成とその圧倒的な前進が続々とかちとられていった。
 われわれは、この選挙戦を、@宣伝・扇動戦、A大衆闘争の爆発、B集票活動という三大選挙闘争方針をもって闘った。当初は非常に厳しい闘いを強いられたが、この三つの方針を統一して闘い抜く中で、最終局面における蜂起戦として闘うことに完全に成功した。
 第一に、宣伝・扇動戦において、候補の街頭演説を始めとする全面的な展開をとおして、告示直前の段階で知名度第一位を獲得する情勢を切り開いたことだ。
 また、ここで特筆大書すべきは、全学連の学生の全国的総決起である。新しい時代を担う若い力の登場と、その勢いは街頭を制した。街宣隊、練り歩き、その他で驚嘆すべき力を発揮した。
 さらに、終盤での女性同志の総決起を含む闘う女性たちの街頭への進出は、他候補との激しい競り合いの中で決定的な力をもつものとなった。二十代、三十代、四十代の女性の獲得の展望がここで一挙に開かれた。
 第二に、学校給食闘争と介護保険闘争と教科書闘争の大衆運動的発展である。学校給食の民間委託問題や「つくる会」教科書問題をめぐって、あるいは介護保険で奪われた介護と福祉を取り戻す闘いをめぐって、特に議員の活動と大衆運動との生きた結合が実際にかちとられていったことの意義は大きい。
 学校給食闘争は、民間委託による現実の首切り攻撃に対する労働者の階級的怒りが広がり、教育の場での子どもたちのいのちとくらしと未来にかかわる切実な保護者の要求の運動がつくり出されるものとなった。介護保険闘争では、介護保険制度の廃止と保険料の十月二倍化阻止を掲げて、高齢者が自ら立ち上がり、その怒りを根底的に解き放っていく闘いが実現された。
 教育・教科書をめぐる闘いで、きわめて創造的な闘いが切り開かれていった。とりわけ「つくる会」教科書の七月採択を絶対阻止する闘いは、既成政党の全面屈服と日本共産党などの闘争放棄のもとで、小泉・石原反革命との全面対決なしには貫けない闘いとなった。それらの中で、大衆自身が自らの推し立てる候補として結柴氏を選び、選挙戦に続々と決起していったのである。
 さらに、小泉・石原との対決が鮮明な結柴氏に対し、沖縄陣形や弁護士戦線を先頭にかつてない全国的な推薦陣形が構築された。沖縄闘争、消費者運動の中からも新たな決起がかちとられた。
 第三に、昨年の衆院選決戦を引き継いで、労組選対の闘いとして、労働運動との結合が具体的、本格的に開始されたことである。昨年七月以来の国鉄決戦の前進、都労連や教労をめぐる闘いの前進を受けて、現場労働者の都議選への総決起が素晴らしい勢いで実現された。全国労組交流センターの闘う労働者による労組オルグや駅頭ビラまき闘争は、今次都議選を牽引(けんいん)した。
 第四に、これらと一体となった選対本部オルグ団の営々とした努力と奮闘である。革共同の最強最良の活動家集団として、地をはうような闘いを半年間の長期にわたって貫徹し抜いたことは、まさに中核派魂の極限的な発露としてあった。
 第五に、全党の総決起である。東京西部地区委員会|都委員会の渾身の決起を先頭とする全国の同志の文字どおり献身的な全力決起、そして本社同志の総決起こそ、基礎中の基礎として都議選闘争を力強く推進した。
 最後に、この選挙戦総体の最大の牽引力こそ結柴氏その人であった。結柴氏は、小泉反革命およびその先兵であるファシスト石原との真っ向からの対決を戦闘的・大衆的な運動として率先して実現し、決戦的決起と日常活動をとおして、革命的自己変革をやり抜き、闘う議員像を創造して闘った。
 以上のことを確信をもってはっきりと確認したい。にもかかわらず、しかし結果は無念の敗北であった。

 第2章 小泉反革命との徹底対決こそが階級闘争の中心軸

 では、今次都議選の敗北の原因はどこにあるのか。
 それは、戦後史を画する小泉新政権の登場とその上からの反革命攻撃を真っ向から打ち破る闘いを都議選決戦として実現することにおいて、政治局の指導性・指導力がきわめて不十分であったということであると考える。都議選決戦の現場で、小泉反革命との対決をとことん訴えて宣伝・扇動戦を闘い抜く指導、この点における不十分性こそ、敗北の最大の要因として総括しなければならない。
 もちろんわれわれは、小泉の登場と同時に、そのデマゴギッシュな扇動政治と「聖域なき構造改革」なるものの反革命的階級的本質を直ちに見破り、それへの煮えたぎるような怒りを爆発させて闘いに決起していった。
 小泉政権とは、今日の世界危機・日帝危機の絶望的な深まりの中で、日帝のブルジョアジー(金融独占資本)の激しい危機感と焦りを受けて登場した政権である。今日の日帝危機の本質は、帝国主義(資本主義制度)そのものの根本的な矛盾の爆発にある。帝国主義は今や未曽有(みぞう)の世界大恐慌(本質的には一九二九年型の大恐慌、またはそれ以上の史上空前の大恐慌と大不況)に突き進んでいる。このことは、帝国主義国家間の争闘戦の激化、その戦争への転化の動きの激化となって現れている。
 何よりもまず、米帝経済の巨大なバブルの崩壊とその恐慌的大爆発、ドル暴落による世界的大恐慌の現実化と長期にわたる果てしない大不況の到来が、今はっきりと現実化しつつある。
 米帝はこれに対して激しく身構え、米帝の世界支配の再確立のためにブロック化と争闘戦を強化しつつ、軍事的・戦争的手段にどしどし訴え、他帝国主義をたたきつぶして生き残ろうとする方向をむき出しにしている。この情勢に追いつめられた日帝は、今や本当に改憲と戦争国家化をやり抜き、国内の階級闘争を絶滅して、朝鮮・中国・アジアへの新たな侵略戦争に凶暴に突っ込んでいくことなしには帝国主義として生き残れないという瀬戸際に立たされた。そして小泉政権の登場をもって、一気に極右的ファシスト的な新たな型の「国家改造計画」の攻撃に突っ走ろうとしているのだ。
 小泉政権の成立とは、本紙二〇一〇号4、5面の無署名論文で暴露したように、ファシスト石原とほとんど同じ主張の人物が、東京都どころか日帝の国家権力そのものを握ったということである。そして改憲や有事立法が必要だ、自衛隊を尊敬せよ、集団的自衛権は行使すべきだと言い、国のために死ぬことは素晴らしいことだ、靖国神社に公式参拝してどこが悪いとあおっているのである。
 その反面では、連鎖倒産・大失業などかまわない、社会保障の打ち切りは当然、金融独占資本が生き残るためには労働者人民はもっと徹底して痛みに耐えよ、とごう然と言い放っているのだ。しかもそれを、「構造改革」とか「維新」という言い方で、あたかも世直し運動であるかのようにカムフラージュして襲いかかってきているのだ。
 したがって小泉反革命との対決は、革共同にとって、日本の階級闘争にとって、真に死活の問題である。今日、われわれ以外のすべての勢力が小泉人気と小泉のむき出しの階級的・イデオロギー的攻勢にたじろいでいる。この中で、われわれが断固として「小泉内閣打倒」「小泉反革命粉砕」を主張して闘い、小泉反革命の暴露を真に階級的にやりきることに、党の命運がかかっている。ここに今次都議選の最大の核心があった。
 われわれは、当初、石原都政打倒の闘いを今次都議選の宣伝・扇動の最大の柱にすえ、介護保険や「つくる会」教科書をめぐる攻防に重点をおいて闘った。だが、小泉政権登場の巨大な反革命に直面して何よりもまず決定的に、絶対的に必要なことは、小泉をたたきつぶすことに全力を集中することだった。小泉批判を石原批判と同列化するようなやり方ではなく、小泉そのものを全体重をかけて粉砕すること。小泉の支持率八〇%などにびくともせず、真っ向から小泉そのものを弾劾し、批判し尽くすことだった。
 しかもこれを、一般的な情勢分析や解説的批判ではなく、大衆に向かってストレートに訴え、人びとの魂をつかむ革命的扇動として貫くことが問われていた。街頭で十万人もの聴衆を集めるという小泉のとてつもない反革命の扇動政治と百パーセント激突し、「小泉断固粉砕! そうしないと日本はとんでもないことになる。戦争と大失業だ。自民党を全部たたき落とせ」とすさまじい形相で言い切ることを核心に、一切の宣伝・扇動が組み立てられなくてはならなかった。
 とりわけ、小泉が改憲と戦争国家化を唱え、日本の労働者人民を再び戦争へと駆り立てようとしていることを、小泉の実際に言った言葉を取り上げて真っ向からたたきまくる必要が絶対にあった。石原批判、介護保険問題、教科書問題も、この小泉批判の圧倒的展開と結合されて行われた時にこそ、決定的に有効なものに転化するのである。
 われわれは、「小泉反革命と真っ向から対決せよ」と本紙二〇一〇号論文において提起した。しかしこれを都議選の現場で、とりわけ宣伝・扇動戦の基軸として闘いとる指導という点では、きわめて不十分で中途半端であった。小泉の反革命的扇動と大衆の面前で命をかけて対決し、実際に打ち破ることができるような迫力ある革命的扇動が求められていた。政治指導能力の巨大な飛躍が待ったなしであった。この宣伝・扇動戦で小泉反革命と真っ向から闘って勝利をものにする闘いを指導できなかったことに敗北の第一の、最大の原因がある。
 これはもとより、現場で闘った同志たちの問題ではない。否、結柴候補を先頭に、選挙戦の現場で奮闘した同志たちは、小泉反革命の嵐と必死に立ち向かい、自己の持つ最高の力を出し尽くして闘い抜いたと、はっきり言える。一切は、政治局の、小泉反革命と対決する闘いをつくり出す指導の問題性として自己批判しなくてはならないものである。問われているのは、二十一世紀の日本革命の勝利をたぐり寄せる指導能力、政治能力の断固たる飛躍なのであると考える。
 第二に、革共同が力ある労働者党として登場するためには、労働者細胞の建設を核心とする党の基礎的な力と影響力を徹底的に拡大していくことが不可欠である。われわれは、とりわけ「労組票」の位置の大きさと、労働組合権力をめぐる攻防に勝ち抜くことこそが絶対不可欠であることを、厳しく突きつけられた。
 選挙闘争が政治闘争である以上、その根幹は労働運動の路線と労働組合の権力をめぐる攻防で勝利することにある。五月テーゼで掲げた「労働者の中へ」のもっと思い切った前進が決定的に求められている。労組交流センター運動のさらなる確立・拡大、それをテコとした新潮流運動の前進、何よりも国鉄決戦を基軸とした四大産別決戦の戦闘的前進は待ったなしである。ここでぶち抜かなければ、選挙戦において政党間党派闘争に真に勝利することもできないのだ。
 第三に、東京都委員会建設、地区党建設のさらなる前進である。介護保険闘争、教科書闘争、学校給食闘争を始めとして、杉並で始まった小泉や石原の政治と対決する労働者住民自身の自主的な闘いに学び、この闘いをともに発展させ、その勝利に全責任をとることのできる党として、東京都委員会と地区党建設の飛躍をかちとることだ。結柴都議の実現へ、開始した挑戦を断固やりきろう。
 そのためにも議員団を先頭とする日常活動の不撓(ふとう)不屈の展開に向かって驀進(ばくしん)していこう。

 都議選決戦の地平をうち固め進撃しよう

 六月都議選での自民党圧勝をもって小泉は、引き続き七月参院選での大勝を狙い、かつまた小泉・ブッシュの日米首脳会談の戦争政治をテコにして、その勢いをもって一気に、労働者階級人民に対する反革命の大攻勢を強めている。
 小泉反革命の嵐の中で既成野党の屈服と腐敗は絶望的なまでに深まった。日本共産党スターリン主義は、都議会第二党の座からたたき落とされる惨敗を喫し、社民党は、都議会での最後の一議席をも失った。民主党は、小泉に露骨にすり寄ることで日本共産党の失った議席を簒奪(さんだつ)したものの、ブルジョア政党としての本質をさらけ出し、無力化の一途をたどっている。
 われわれは、無念の敗北を喫したとはいえ、全政治勢力の中で唯一、小泉反革命との対決を宣言して必死に闘い、反革命の嵐の真っただ中で本当に貴重な九四五〇票と合流することができ、このかけがえのない地平から新たな進撃を決意している。もしわれわれが今回の都議選を党の存亡をかけた一大政治決戦として蜂起戦的に闘わなかったら、この激動の中で党そのものが絞め殺されていたのだ。
 われわれは、日帝・国家権力の露骨な選挙戦破壊の大弾圧と闘い、打ち破った。さらに反革命カクマルに一指も触れさせない完璧(かんぺき)な勝利を実現した。そして、誰が労働者階級人民の真の味方であるかをこの選挙戦の中で鮮明に示すことで、日共スターリン主義との大衆的分岐を鋭くつくり出した。
 要するに、ガイドライン闘争、沖縄サミット決戦、国鉄決戦を基軸とする階級的労働運動の前進や、入管闘争や部落解放闘争が切り開いている地平を革命的議会主義の領域においても闘いとり、さらにこれらの戦略的闘いが国政レベルの議員の誕生を得て大発展していく構造を、現実につくり出す展望をつかんだのだ。
 この地平に立って、今回の敗北をしっかりとみすえ、その雪辱をかけて、小泉反革命粉砕の闘いを強力に展開しよう。その一環として七月参院選・大田選挙闘争を闘い、今夏秋決戦へ進撃していこう。敢然と開始した小泉反革命打倒の闘いに断固として勝利しよう。

 第3章 帝国主義の危機と争闘戦が戦争へと転化し始めた

 今やあらゆる面で帝国主義の危機が侵略と戦争の方向へ転化する過程が音を立てて進行している。このことを一切のあいまいさなく、きっぱりと言い切らなくてはならない。
 この点で、この間の米帝ブッシュ政権の動きは重大である。米帝は明白にブロック化政策を中心にすえて、EUを抑え、日帝を抑えてその世界政策を進めようとしている。その核心は、対日争闘戦にあり、アジアの再分割・再支配のための新たな侵略戦争政策の大展開にある。
 六月一日に行われたアーミテージ米国務副長官と与党三党幹事長との会談で、アーミテージは「一夜明けたら大戦争が勃発(ぼっぱつ)している可能性は、欧州ではきわめて小さいが、アジアでは依然としてありうる。例えば朝鮮半島、中台、インドネシア、インド、パキスタンだ」「中国はアジアの安保問題の最大の問題だ」と公然と言い切った。
 要するに、バブル経済の崩壊にあえぎ、大恐慌の重圧に直面する米帝は今やアジアにおける戦争の問題を大戦略の中心にすえ、その体制づくりのために本格的に動き出したのだ。
 二正面戦略の全面見直しに正式に踏み切り、対中国侵略戦争、対北朝鮮侵略戦争の準備に向かって全力を挙げているのである。そのために沖縄基地を米軍のアジア展開の最大の拠点として確保し、強化しようと決断している。そしてこの米帝戦略のもとに日帝・自衛隊を全面的に動員し、日帝独自のアジア勢力圏化への動きを封じ込めようとしてきている。
 小泉反革命はまさにこの米帝の動きに対応しつつ、小泉=石原的な連携をもって、日帝の戦争国家への大転換を成し遂げようと必死になっているのだ。六・三〇日米首脳会談は、その重大な反動的転機である。米帝の世界戦略に日帝がいかに積極的にかかわっていくのか(日米同盟強化の形をとりつつ、日帝の独自の戦略をどう展開していくのか)――ここに一切の問題がある。小泉の「集団的自衛権」論、「尊敬すべき自衛隊」論、「改憲」論はこの米帝戦略に日帝がくらいついていくものとして論じられている。
 われわれは、小泉との対決を何よりもこの「戦争の現実性」の問題として鋭くつかんで暴露し、小泉政権打倒を全力で訴えて立ち上がらなければならない。
 ここから出てくる結論は、ひとつは今日の日帝の政治支配の危機、イデオロギーの危機、社会の危機を、帝国主義的民族主義、国家主義、愛国主義、排外主義の一大扇動によって突破しようとするすさまじい攻撃である。いまひとつは、日帝の金融資本、独占資本は、恐慌からの脱出策として、結局は軍需産業にのめり込む以外にないということである。そしていまひとつ決定的なことは、世界大恐慌の切迫情勢の中で、帝国主義間争闘戦の激化とブロック化、その軍事化が激しく進んでいることだ。
 ひるがえって、小泉の「構造改革」「維新」とは、第一に、経済政策的には倒産と大失業、賃下げ、権利剥奪(はくだつ)、増税、社会福祉のカットであり、労働者人民への極限的な痛みの強制である。第二にしかし、小泉のこの「改革」は逆に大恐慌の爆発を引き寄せ、日帝の経済・財政の危機をいよいよ深刻化させる。第三に、したがって小泉反革命の本質は、まさにこうした帝国主義の危機を戦争に転化する方向で全力で動き出したというところにある。
 小泉は、六月二十三日の沖縄「慰霊の日」に訪沖し、沖縄戦戦没者追悼式典に出席した。八・一五に靖国神社公式参拝を強行すると繰り返し表明してきた小泉が、沖縄を訪問し、靖国神社参拝の道を開こうとしたのだ。沖縄では、この攻撃は沖縄戦の死者を「英霊」化しようとするものであり、再び沖縄戦の道にひきずり込もうとするものだと怒りが沸騰した。小泉は沖縄に新基地建設を強行し、朝鮮・中国侵略戦争の前線基地にしようとしている張本人なのだ。
 改憲と戦争国家化とは、実は、実際の戦争準備として、いま米帝がやっていることと一体の問題なのである。小泉は、日本を再びアジアへの侵略戦争に引きずり込もうとしている。それが「政治の構造改革だ」などと言っている! とんでもないことだ。小泉の「構造改革」の暴露も、まずこの点から始めなければならない。改憲と戦争国家化の問題で小泉「改革」の行き着く先を徹底的に政治的に暴き断罪し、それが国内においては二百万、三百万人という巨大な失業者を新たにつくり出そうとしていることだと暴露しなければならないのだ。

 参院選−夏秋決戦へ

 小泉反革命粉砕の本格的闘いへ、六月都議選決戦の地平から決意も新たに総進撃しよう。小泉反革命との対決を貫き、その一環として七月参院選決戦へ、直ちに猛然と突撃しよう。参院選での大田氏、新垣氏の勝利をもぎとることは、小泉政権をぐらぐらに揺さぶる突破口を切り開く。それゆえにこそ、日帝の側も圧殺のために全体重をかけて臨んでくることは必至である。闘う沖縄人民との連帯をかけて絶対に打ち破り、勝ち抜こう。
 七月「つくる会」教科書の採択を絶対阻止する闘いに全力で立とう。七・八狭山中央闘争に決起しよう。七・一五三里塚現地闘争に総結集し、東峰神社立ち木伐採の抜き打ち襲撃と土地収用法改悪の暴挙に怒りをたたきつけよ。教育六法改悪強行を弾劾し、八・六広島―八・九長崎反戦反核闘争−小泉の式典出席粉砕闘争の爆発をかちとり、さらに八・一五小泉の靖国神社公式参拝を阻止する闘いに立ち上がろう。小泉の暴挙を、アジア人民の怒りと固く連帯して、断固粉砕せよ。八月国労大会へ進撃しよう。九・一自衛隊治安出動演習粉砕闘争を爆発させよう。超長期獄中同志の奪還運動の本格的再構築をかちとろう。
 これら一切の基礎として、当面する夏期一時金カンパ決戦、財政決戦に全同志が総力を挙げて突入しよう。財政の再建と拡充なしに、今後の闘いの発展はない。すべての闘う人民に小泉反革命との対決の超重大性、死活性を訴え、全党の総蜂起をもって、必要な巨額の闘争資金をなんとしてもつくり出そう。
 七・二九東西革共同政治集会に結集しよう。党勢倍増へ今こそ必死で闘おう。
 現在の情勢は、われわれ自身が本当に必死に格闘しぬかなかったら小泉反革命によって党そのものが絞殺され、階級全体が圧殺される危機にある。このことを直視し、七月参院選闘争、夏秋決戦の力強い展開で、大反撃の扉を押し開こう。

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週刊『前進』(2012号2面1)

小泉反革命と真っ向から対決し渾身の決起を貫いた都議選決戦

選挙戦最終日 “戦争への流れ止める一票を” けしば候補、必勝の気迫
 浜田山駅前で熱気の大情宣

 けしば誠一候補は、都議選を全力で闘い抜き、九千四百五十票という杉並区民の勇気ある熱烈な支持を獲得した。当選にはいたらなかったとはいえ、小泉「改革」のペテンを暴き、介護保険廃止、戦争賛美の「つくる会」教科書採択阻止などを訴えて超反動小泉政権と真っ向から対決した。日帝の危機が爆発する中で労働者階級人民の進むべき道を示した。戦争と大失業の小泉反革命打倒へ、大きな地平を切り開いた選挙戦であった。
 都議選最終日の六月二十三日は、けしば候補を先頭に全員が最後の最後まで死力を尽くして奮闘し抜いた。最終日とあってどの党派も全力をあげたが、とりわけ、けしば陣営は猛烈な追い上げを勝利に結びつけたいと、総力を振り絞って闘い抜いた。

 地元での声援

 最後の街宣は、けしば候補の地元・浜田山駅前で行った。地元での最後の訴えとあって、近所の住民が大勢詰めかけ、けしば候補の訴えに最後まで聞き入った。介護保険をどうしても廃止してほしいと願う住民、戦争を正しいと教える「つくる会」教科書を絶対に使わせてはならないと決起した住民の、けしば候補をなんとしても勝たせたいという思いがあふれた。
 「あと一票、あと一押しです」「勝たなくてはなりません。都議会に入って、みなさんと一緒に政治を変えます」と熱烈に訴えた。
 「区議の任期途中でけしば誠一が都議会に立候補しましたのは、今、日本の政治、日本の社会、平和の問題が実に重大な危機にさらされているからです」「小泉内閣のもとで憲法改悪を打ち出して、九条をやめようと言っています。また集団的自衛権の行使、あるいは歴代の首相の中で初めて靖国神社という宗教施設に、憲法で禁止されている公式参拝をしようとしている」「これは日本だけのことではありません。アメリカの国防長官が、中国や朝鮮半島を想定した戦争計画を発表した。今、アメリカは戦後最大の危機に陥っています。一九二九年型世界恐慌寸前と言っても言いすぎではありません。ブッシュ政権は経済危機を回避するために戦争への道を選択しました」
 けしば候補は激しい危機感を燃やして、戦争への流れを止めるためには自分が都議選に勝利し、都議会に入ることが必要であることを必死に訴えた。
 「子どもたちの未来のために、私たち自身の未来のために、憲法を否定する小泉内閣に、はっきりと批判の声を上げていきたい」「選挙公報の中に平和の課題を掲げているのは私ただひとりです」。けしば候補の渾身の訴えに、戦争を賛美する教科書を使わせてはならないと危機感を燃やす住民が大きな拍手を送った。
 けしば候補はまた、小泉内閣の「経済財政・構造改革の基本方針」を取り上げ、厳しく批判した。特にその中でわずかな年金で生活している人からも税金を取ろうとしていること、パートの女性からも、これまで非課税であった年収百三万円以下の人からも税金を取り、わずかな収入しかない人からもさらに税金を取り立てようとしていることを具体的に暴露した。
 「女性の自立のためと言っている。いま、パートさえ就職がない時代に、二十万、三十万とれるような職に就けますか。この不況の時代に、月五万とか月十万のパートの女性にも課税して、これが女性の進出のためだなどという小泉内閣の経済財政構造改革基本方針を絶対に許すことはできない」「小泉首相が痛みを伴うと言ったのは、高齢者の痛みだったのです。女性の痛みだったのです。働くみなさんの大失業の痛みです」「働くみなさんに犠牲を強いる小泉内閣の経済財政構造改革にけしば誠一は反対します」

 女性達が訴え

 浜田山駅前での街宣に先立って、けしば候補は西荻窪駅北口で街頭宣伝を行った。
 西荻窪北口では自由党の小沢が来るという呼び込みが続けられていた。それに負けじと、南口ではけしば候補を応援する女性たちのけしば支持への必死の呼びかけが続けられた。買い物途中の主婦や駅をおりた労働者が女性たちの訴えを聞き、真剣な討論によってけしば候補への投票を約束した。わずか五分で小沢が去ったあと、その反動を打ち破るように、けしば候補の宣伝戦が力いっぱいに展開された。
 西荻窪でも最後の訴えを聞こうと大勢の住民が駆けつけた。西荻窪がけしば候補の地元となっていることをはっきりと示した。街宣には付近の若者グループが最後まで聞き入って手を振ってけしば候補を応援し、次々と握手を交わした。深刻な経済危機のもとで戦争へと向かう自民党政治に、若者たちが激しい危機感を抱いていることを示す出来事であった。
 西荻窪での街宣を終えたけしば候補は、浜田山に向かい、まず浜田山商店街を練り歩いて支持を訴えた。練り歩きには浜田山の住民も加わって熱気あふれるものとなった。商店の中から手を振って応援する人。勤め帰りであいさつをしていく人、地元浜田山住民のけしば候補への熱い期待を感じさせた。
 浜田山での最後の街頭演説を終えた後もけしば候補は全力で支持を訴えた。荻窪駅北口へと移動し、夜八時を過ぎてマイクの使用が禁止されている中で、肉声で勤め帰りの労働者に支持を訴えた。「あと一歩です。もう一回りの支持が必要です」「あなたの一票が必要です」、必死の呼びかけが続いた。だんだんと声がかすれる中で腹の底から力を振り絞って呼びかけ続けるけしば候補。
 ビラを受け取って手でそっと丸を作って支持を伝える女性、駆け寄って握手を求める夫婦、支持者の熱い思いが次から次と伝わってくる。支持者の声に一層元気づけられてさらに力を振り絞って訴えかけた。
 後方でやっている民主党の田中良がアルバイトの運動員だけに大声を出させて自分は立ったままでいるのとは、まさに対照的だ。けしば候補の熱意が次々と労働者の支持を獲得していった。最後の訴えは選挙戦の期限の二十四時まで熱気にあふれて貫かれた。
 けしば候補の選挙戦には全国から多くの闘う人びとが応援に駆けつけた。六月二十日には沖縄高退協会長の宜保幸男さんが駆けつけてけしば候補への支持を訴えた。またけしば候補の連れ合いの典子さんが終始街頭宣伝の先頭に立った。都政を革新する会の長谷川英憲代表、新城せつ子杉並区議、さらに西村綾子相模原市議、国賀祥司泉佐野市議も連日街宣の先頭に立って全力で訴え抜いた。
 そうした訴えの一つひとつが一体となって、小泉反革命による逆流を突き破っていった。

 支持のメール

 選挙戦をとおしてけしば候補への支持は確実に拡大していった。けしば事務所には次々とファックスやメール、手紙など激励が寄せられた。共産党を支持してきたが介護のことで何もしないので「介護保険反対」をはっきりと打ち出しているけしばさんを支持するという声。あるいは共産党が「つくる会」教科書反対の取り組みをしないので失望した、けしばさんに投票するという声。さらには選挙公報を見ると外郭環状道路に反対しているのはけしばさんだけだったので、けしばさんに不在者投票をしてきましたというはがきも届いた。
 全党の総力を挙げて闘い抜かれた都議選決戦は、九千四百五十票という区民の熱い支持を獲得したが、残念ながら当選することはできなかった。しかし、けしば候補が唯一、小泉超反動政権との対決を訴えて闘い抜いたことの意義は限りなく大きい。
 帝国主義が世界大恐慌の危機に転落し、戦争への道を突進する中で、今こそ革共同の登場が求められている。国鉄決戦の勝利、「つくる会」教科書・教育改革をめぐる決戦を闘い抜き、首都圏、全国の労働運動地図を塗り替え、革命派が登場することが求められている。そうした展望を大きくこじ開けた都議選決戦であった。

 都議選(杉並区)の確定得票

 けしば 誠一 革新  9、450
当 野田 和男 自現 37、458
当 田中 良  民現 27、836
当 森田 安孝 公現 23、329
当 吉田 信夫 共現 21、803
当 福祉 敬子 無現 20、620
当 藤田 愛子 ネ現 19、951
  千葉 昇  自新 18、047
  西村 正美 由新 12、688
  早坂 義弘 無新  8、611

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週刊『前進』(2012号2面2)

寄せられた熱い支持にこたえ小泉政権との闘いを貫きます けしば 誠一

 けしば誠一候補は、都議選に初挑戦し、労働者住民の熱い期待を背負って渾身(こんしん)の決起を貫き、大きな地平を切り開いた。けしば氏に、都議選の総括と今後の闘いへの決意を語ってもらった。(編集局)

 区民の勇気ある行動に感謝

 この選挙戦でみなさんの必死の闘いにこたえきれなかったことをおわび申し上げます。地域の中で、勝利に向かって力をふりしぼってくれたたくさんの人たち、九千四百五十票の熱いご支持に心から感謝するとともに、これになんとしてもこたえたいとあらためて決意しています。
 選挙戦をとおして百パーセントやりきったことへのすがすがしさをもって総括することができます。半年前に私は、今度の都議選で石原ファシスト都政との対決を唯一掲げた候補でした。そして選挙戦の一カ月前のぎりぎりのところで小泉政権が登場し、参議院選も含めて超反動政権と闘う労働者住民の唯一の候補として名乗りを上げました。既成政党が、特にこの杉並で国政選挙並みの構えで臨んだのも、その根拠は実はここにあったと思います。
 石原伸晃は野田に最後までぴったりとついて応援した。また自由党もこの杉並に最初から終わりまで党首の小沢が登場して自由党の候補を通そうと必死になった。共産党もそうです。それぞれの党派が、生き死にをかけて総力をもって臨んだ杉並の選挙戦でした。この選挙戦の結果に日本階級闘争の帰すうがかかっているということで全党派が構えきってこの杉並に来た。
 そうしたまれにみる激戦の中で闘ってきました。そして、革命党である限り、真実を言わなければならない責任がありました。それによって小泉反革命の逆風を打ち破ろうと、言わなければならないことを言いきって闘ってきた。その課題を担って全力で闘い、しかも勝利を本当に目指した選挙戦でした。
 基礎票は既成政党に及ばない中で、それを九千四百五十人まで拡大することができた。杉並の住民の勇気ある行動によってこうした力がかちとられた。本当に勝利のために動いてくれた住民の人たちに、感謝の念をささげなければならないという思いです。

 地域に旗を立てた選挙戦

 住民の闘いとして本当にいろいろな闘いが闘われた。地域でかつての会長とか、副会長という人が私を連れて自分の友人、知人を全部紹介してくれるということもありました。また老人会が老人会として今度はけしばを推薦しようという動きもありました。特に介護と福祉を要求する杉並住民の会の会員が、自分が今まで働きかけなかった地域に私を連れ回った。そういう意味では地域にけしば派あるいは都革新として旗を立てたという大変な選挙でした。
 ここにかちとられた九千四百五十という票は、本当に素晴らしい民衆の階級的な力、魂として輝いていると感じます。こういう人たちになんとしてもこたえなければならない。旗を立てた以上逃げられない。しかも敗北ということで当面いろいろな風当たりも出てくるでしょう。そうした反動から闘いを守りきって、次の勝利でこたえなければいけない。
 こうした住民の決起をつくり出したのは革命党の団結力でしたし、これほどまでに党が一致団結して闘い抜けた選挙戦はかつてなかったという点も含めて、本当に心から熱い思いでいます。この切り開いた力を勝利に向かって結実させていかなければならない。敗北に打ちひしがれている時ではない。この力にこたえるために直ちに再スタートを切りたい。この悔しさをバネにみなさんと一緒に頑張ります。
 多くの区民がけしばの名前を知らないというところから、わずか半年間の準備で既成政党の候補と並んで闘うところまで持っていくことは、率直に言って大変なことでした。半年間でよく他の候補者にも引けを取らないところまできたと感じています。
 私は、歩いていて実感したのですが、支持者で頑張る人は本当に頑張ってくれた。そういう意味でこの九千四百五十票という大きさを感じます。私たちはこの旗を立ててくれた人たちにこたえなければいけない。「つくる会」教科書に反対する住民が最終日に浜田山で最後まで立ちつくしてくれた。本当にこれにこたえなければならない。
 直ちに「つくる会」教科書七月採択阻止に向かって全力で闘いに立ち上がろうとあらためて呼びかけたい。教科書七月採択阻止の闘いの全責任をとって、なんとしても「つくる会」教科書を粉砕したい。これが第一点です。この闘いは、熱い期待をもって選挙戦にエールを送ってくれた在日の人びととの国際連帯をかけた闘いです。また、教育労働運動の前進をかちとるための死活的闘いです。
 二つ目に学校給食の民間委託九月実施阻止です。民間委託の実施校三校が発表されました。これは卑劣にも選挙運動期間中は実施校が決まっていても発表しないということで、最終日にPTA協会の人を集めて実施校を発表した。ですから本当に選挙を考えて全政治が動いた。この学校給食九月実施阻止も全力をあげて闘い抜かなければいけない。
 何よりも介護保険料十月二倍化阻止ということについて、私たちはこれだけ訴えたわけですから、それをまさに全国闘争として担い抜かなければいけない。
 それから、商工業者の中で旗を立てた人たちや、中小業者の人たちに責任をとらなければいけない。具体的な地域課題も私たちはいろいろこの選挙戦の中で言いました。こういうことを本当に実現しなければいけないと思います。

 参院選―小泉打倒へ全力で

 そして何よりも、小泉反革命との闘いです。新聞やテレビで報道されている自衛隊の誤爆事件、これは誤爆じゃない。小泉が自衛隊に対してハッパをかけているわけです。「命をかけて闘っている自衛隊に対して憲法違反だというのはふざけるな」と言っている。
 こういう中で自衛隊がいま闊歩(かっぽ)し始めている。住民が自衛隊が迷彩服を着て街の中を我が物顔に歩いていると言っているではないですか。こういう自衛隊の思い上がりの中で起こっている事件なんです。直ちにこれに対する弾劾行動に立ち上がろうと思います。
 こういう民衆の怒りのまさに先頭に立って、来るべき参院選で、選挙戦の中で掲げたとおり、私たち自身が沖縄の思いと連帯して、大田昌秀さん、新垣重雄さんの勝利に向かって闘い抜かなければならない。小泉反革命との闘いとして、参院選の大田さん、新垣さんの勝利をもってこたえようということです。
 みなさん本当に頑張りましょう。

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週刊『前進』(2012号3面1)

終盤戦を全力で闘い抜く
駅頭で、商店街で、必至の訴え かつてない熱い期待と声援

 東京都議会議員選挙は、最後まで必勝を期した蜂起戦として闘い抜かれた。
 最終日を残すのみとなった二十二日の街頭宣伝は、終盤戦でのけしば候補の急速な追い上げをなんとしても勝利に結びつけるための、全力をあげた闘いが貫徹された。
 この日は、昼過ぎの久我山商店街の練り歩きから久我山駅前での街宣、荻窪南北の商店街の練り歩きから夕方の荻窪駅南口、さらに西荻窪駅南口の街頭宣伝へと全力で展開した。
 けしば候補は、自民党があたかも小泉「改革」で経済危機から抜け出せるかのように労働者人民をだまして都議選と参院選で票をかすめとり、侵略と戦争への道を突き進もうとしていることに全力で反撃した。労働者人民が生活できない状況にたたき込まれる中で、小泉「改革」に幻想を寄せている現実に対し、実際に小泉がやろうとしていることは首切りであり、福祉の切り捨てであり、大増税であることを訴え抜いた。
 「今、小泉政権のもとで大変なことになろうとしている。小泉政権は憲法を変えて、日本が再び戦争のできる国になろうとする道に大きく動き出した。このことをけしば誠一は本当に危惧(きぐ)し、福祉や私たちのくらしが大変なことになると思い、都議会に挑戦することにいたしました」「昨日、小泉内閣の経済財政・構造改革基本方針が発表された。私がこれまで小泉改革は大失業攻撃であり、福祉切り捨てであり、くらしを破壊するとんでもないことになると訴えてきたことが、この経済財政基本方針の中ではっきりと表現されています」「小泉政権は年金生活のお年寄りにも税金をかけるということを新たな方針として打ち出している」と激しい怒りをたたきつけた。
 さらに小泉政権が、“高齢者を一律に社会的弱者とするのではなく、能力のある人には負担を求める゜“お金のある人はお年寄りといえども負担していただく゜と言っていることを厳しく批判した。「お金のあるお年寄りがどれだけの数いるというのか。高齢者は年金や退職金を持っていてお金持ちだからこれに税金をかける、保険料をもっと上げる、こんなことを言っている小泉内閣に私たちのくらしや福祉をゆだねておくことはできない」。さらに、小泉内閣の戦争国家への攻撃と介護・福祉の切り捨てが一体のものであることを鋭く暴き、「けしば誠一は、小泉内閣の経済財政構造改革と全力で対決する」と渾身(こんしん)の力を込めて訴えた。
 けしば候補はさらに介護保険廃止を真っ向から訴えた。「私、けしば誠一は介護保険反対の唯一の候補です。一年前、私が介護保険反対を打ち出した時には、けしばさん介護保険に反対するの、と言われました。しかし介護保険が実施されて一年、介護が奪われ、福祉が切り捨てられ、実施されて良かったという人はもう誰もいません」と。

 住民の会がマイク握り

 けしば候補の訴えにこたえて、介護と福祉を要求する杉並住民の会の代表が応援のマイクを握った。「高齢者が多い時代になって、高齢者の問題を重視しなければならない。高齢者はどういう存在なのか。高齢者は長い人生の経験者で、宝なのです。精神的な財産なんです。このことをしっかり自覚して、世の中にはばかることなく、役に立っていこうじゃありませんか。そうすれば精神的にどんなに豊かな社会になるでしょう。その一方、私たちには体の衰弱があります。みなさんの手を借りなければならない。行政はこの点に十分心を使ってもらいたい。けしばさんはその私たちの思いをしっかりと行政に持っていこうと決意しています。けしばさんを通して下さい」。住民の会代表の訴えが区民の心に響いた。
 また、決戦の三里塚から駆けつけた鈴木幸司さんは「今回の都議選は、日本がまたあの恐ろしい侵略戦争に入るのではないか、その一歩手前に来ている重大な時期にある。しかもあの戦争が侵略戦争ではなかったということを書いた教科書を新しい教科書として採用しようとしている。とんでもないことです。二度と戦争はやってはならない。私も戦後三年という年月を抑留生活で暮らした。天皇の命令で抑留生活を強いられた。介護の問題も、教育法改悪の問題も自分たちの問題として考えなければならない。なんとしてもけしば誠一さんを都議会に当選させて下さい」と訴えた。
 また月刊小新聞『野火』編集発行人の桜井善作さんは、「自民党では選挙をやれない」と言っていた議員たちが、「小泉人気」の中で小泉とのツーショットの写真を掲げていることに対して「どうして政治家というのは節操がないのか」と弾劾し、特に石原都知事については、「ヒトラーになりたいと自分から言った男、無慈悲な男、福祉をばっさり切る、教育をばっさり切る、そして差別意識に凝り固まっている政治家だ」と石原の反動性を暴き、「石原都政と真っ向勝負」を掲げているけしば候補への支持を訴えた。
 さらにけしば候補は、「つくる会」教科書は使わせない、反対に立ち上がった住民とともに闘うと表明した。けしば候補のもとに送りつけられてきた「つくる会」教科書を示しながら、この教科書が匿名でいろいろな人たちに送られている事実を暴露し、膨大な金を使いながら子どもたちを戦争に引き込もうとしていることを弾劾した。
 こうしたけしば候補の訴えに手を振って激励を寄せる人、駆け寄って握手する人が相次いだ。「頑張って」の激励のかけ声も。区民の熱い反応がけしば候補を勇気づけた。「けしば誠一を都議会へ、あと一回りのご支援を」と必死の訴えが続いた。
 さらに西荻窪駅南口でも全力の訴えを行った。「小泉改革ではさらに二、三百万人もの失業者が出ると言われています。それほどの失業者が出てどうして景気が回復するでしょうか。小泉改革をこのけしば誠一、絶対に許すことはできません」。声をからしての訴えに、区民が次々と手を振って激励した。
 前日の二十一日、けしば候補は、地元である浜田山の駅前商店街を練り歩き、夕方の街頭宣伝を行った。街頭宣伝ではいつものように肩にたすきを掛けた介護と福祉を要求する杉並住民の会の高齢者が、けしば候補と並び、道を行く区民に支持を訴えた。また、遠く関西・東大阪から部落解放同盟全国連合会の中田潔書記長が駆けつけ、応援の演説を行った。
 中田さんは、「なんとしてもけしばさんに都議会議員になってもらいたくて応援に来ました。けしばさんが訴えている平和のこと、福祉のこと、子どもの教育のこと、どれ一つをとってもかけがえのない大切な問題です。戦争を賛美するだけではなしに、子どもたちにウソの歴史が教えられる。今こそ平和を守る運動が必要です。今こそ福祉と人権を守る取り組みが必要です。ぜひともけしばさんの当選を」と訴えた。
 けしば候補は、「戦争を正しいと教える教科書が使われることはどうしても認めることができない」と強く訴え、就任以来憲法を変えると主張し、集団的自衛権行使を主張して戦争の道へと突き進もうとする小泉政権と、真っ向から対決して闘うことを訴えた。
 この日はさらに、地下鉄南阿佐ケ谷駅前で街頭宣伝を行い、次いで阿佐ケ谷駅北口でも宣伝を行った。駆けつけた熱心な支持者や勤め帰りの労働者が、けしば候補の演説が終わるまで聞き入った。訴えを終えたけしば候補と次々と握手を交わして激励した。
 街宣は小泉反革命打倒への全力決起の闘いそのものだった。

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週刊『前進』(2012号3面2)

大田氏、新垣氏の必勝へ
小泉反革命の打倒をかけ参院選決戦を闘いぬこう

 沖縄の怒りと連帯し闘おう

 革共同は今年前半の最大の政治決戦として都議選|参院選決戦を位置づけ、全力で闘いぬいてきた。小泉超反動政権の「改革」の装いをとった改憲・戦争と大失業攻撃の激化のもとで、この決戦はますます革共同と労働者階級の生死のかかった決戦となった。
 この政治決戦の前半戦としての都議選決戦で、都政を革新する会のけしば誠一候補は九千四百五十票を獲得したが、残念ながら当選することはできなかった。敗北である。だが、小泉政権が「改革断行」「新世紀維新」の名のもとに戦後体制を右側から破壊し、労働者人民を戦争と大失業に引きずり込もうとしていることに対して、けしば候補が唯一、真正面から対決して闘いぬいたことの意義は限りなく大きいのである。
 われわれを除く一切の政治勢力が小泉政権の「改革」のペテンに屈服し、「小泉人気」におもねり、超反動的な階級圧殺と戦争国家化の協力勢力に取り込まれようとしている。この階級闘争の重大な危機を直視し、まなじりを決して、小泉反革命粉砕のために総決起しなくてはならない。
 革共同は、七月参院選(十二日公示、二十九日投票)において比例区で前沖縄県知事の大田昌秀氏の当選のために、東京選挙区で沖縄社会大衆党の新垣(あらかき)重雄氏の勝利のために闘うことを決断している。都政を革新する会と反戦共同行動委の推薦決定(五・二七集会で公表)を断固として支持し、大田氏、新垣氏の当選のために、すべての同志、支持者の皆さんが全国で総力決起することを心から訴える。
 この闘いは六−七月政治決戦の後半戦であり、全国政治的にはまさに決戦本番なのである。

 小泉「改革」は戦争への道だ

 日帝・小泉政権は、都議選での自民党の「勝利」をてこに七月参院選に臨み、それに勝利することをもって、日帝の戦争国家化、リストラ・大失業、福祉切り捨て、大増税の攻撃をさらに加速しようとしている。こんなことを絶対に許してはならない。
 小泉「改革」の本質は、全世界が二九年型世界大恐慌過程に突入し、日米争闘戦が非和解的に激化するという重大情勢のもとで、労働者階級人民に一切の犠牲を転嫁し、金融独占資本(大銀行と大企業)の利益、延命を追求するものである。そのために日帝の独自利害をかけて日米安保体制を強化し、集団的自衛権の行使、有事立法推進など、独自の戦争国家化の道に突き進むとんでもない攻撃である。
 小泉政権の「経済財政基本方針(骨太の方針)」でいう二〜三年の「集中調整期間」とは何を意味するのか。それは、恐慌激化と二、三百万人の大失業、労働運動、労働者の権利の圧殺、社会保障解体、大増税の攻撃なのである。そして「弱肉強食」の競争原理の強制、排外主義、差別主義で労働者階級を腐敗させ、階級的団結の思想を解体し、労働者階級を帝国主義間争闘戦と侵略戦争の担い手として動員しようという攻撃である。
 だから「聖域なき構造改革」「二、三年の集中調整期」とは、まさに労働者階級が生きるか死ぬかのかかった階級決戦そのものだ。
 日本の労働者階級人民は第二次世界大戦後、ファシズムや天皇制ボナパルティズムと階級的に対決しえずに侵略戦争、帝国主義戦争|世界戦争に突き進んでいった痛苦な歴史をけっして繰り返さないと誓ったはずだ。その階級的な誓いはまさに今、小泉超反動政権と全存在をかけて、全人生をかけて対決する闘いの中に真に問われているのだ。
 小泉反革命との対決を怒りをもって訴え、なんとしても大田氏、新垣氏の当選をかちとろう。

 大田氏「日本の情況は危険」 

 大田氏は社会民主党の比例代表候補であり、新垣氏は新社会党と協定を結んでいる。だが両氏とも社民党や新社会党という枠組みではとらえられない。今次の参院選では、両氏は沖縄基地問題を真っ向から掲げているからこそ、小泉政権と最も鋭く対決せざるをえない候補者なのである。
 大田氏は、「昨今の日本の情況はきわめて危険」という厳しく深刻な認識をもって、今回の参院選への出馬を決意された。都政を革新する会に寄せられた手紙の中で大田氏は次のように語っている。
 「昨今の日本の情況は、きわめて異常で危険と私も認識しています。十代のころ、銃をとって戦場に出て、二十歳にも満たず虫けらのように死んでいった多くの学友たち、恩師のことを思うと現在の危険な潮流を腕をこまねいて傍観するわけにいかず、参院選への出馬を決意しました。
 沖縄の基地問題にしても、沖縄だけで解決するのは不可能と思い知らされたことも、出馬の理由のひとつです。戦争を知らない世代が増大したことに伴い、集団的自衛権の行使や有事立法化の恐さを知らず甘くみている潮流に、強い危機感を抱いています。広く同志を糾合して右傾化に対決していきたいと考えています」
 大田氏はこのように、自らの沖縄戦の体験から、小泉・自公保政権に重大な危機感を表明し、「右傾化との対決」のために「全国の同志」に共闘を呼びかけているのである。この呼びかけは、大田氏の勝利が社民党的な枠を超えた人民の決起を促す性格を持っていることを示している。
 また、新垣氏の改憲阻止・安保反対の立場も鮮明であり、大田氏と同様に、沖縄基地問題を中央でぶつけて闘うという立場で出馬を決意している。
 大田氏、新垣氏の決意、沖縄の怒りと日本(本土)人民への決起の呼びかけにこたえ、両氏の勝利のために参院選に総決起しよう。
 そして、労働運動の階級的戦闘的発展をかけて、沖縄と連帯する労働運動の前進を切り開こう。

 沖縄基地撤去闘争の勝利を

 小泉は六月二十九日から訪米し、日米首脳会談で日米安保体制の一層の強化、集団的自衛権行使、有事立法の早期実現を約束する。これに先立つ日米外相会談、日米防衛首脳会談でも、日米同盟の重要性とミサイル防衛計画の推進があらためて確認された。そして、米・日帝国主義は沖縄を朝鮮・中国侵略戦争の出撃拠点として、「基地の島」として一層強化していくことを確認したのだ。
 だが、米・日帝の中国・朝鮮侵略戦争情勢の切迫と米軍事故・犯罪の激発の中で、沖縄人民の怒りはますます高まっている。稲嶺沖縄県知事や岸本名護市長が「十五年問題」の棚上げなどで日帝への屈服を深めれば深めるほど、名護新基地建設=普天間基地をめぐる新たな怒りの爆発は確実である。
 日米外相会談でパウエル国務長官が田中真紀子外相に向かって「沖縄問題は頭が痛い」と言ったことは、沖縄人民の闘いが米帝・日帝を揺さぶる火薬庫であることをはっきりと示しているのだ。小泉反革命と対決するにあたっての沖縄の位置は決定的なのである。
 折しも日米外相会談の直前、米の海外領土プエルトリコ・ビエケス島での米軍演習が二年後に中止されることが決まった。劣化ウラン弾や化学兵器なども使った演習、二年前に地元警備員を虐殺した演習に対して住民の怒りが爆発、今年四月にも百三十六人が逮捕される基地突入・包囲の実力闘争が闘いぬかれた。こうしたプエルトリコ人民の闘いがついに米軍演習場を閉鎖に追い込んだのだ。
 日帝の沖縄政策が「復帰三十年」を前に完全破産する中で、沖縄の闘いは、韓国の梅香里(メヒャンニ)、ビエケス、フィリピンなどの基地撤去闘争との連帯を強めつつ、「ビエケスのように、基地を実力でたたき出せ」という方向を強めようとしている。
 こうした展望の中で、大田氏、新垣氏の当選をかちとることは日本の階級闘争全体にとって決定的な意義をもつのだ。小泉反革命打倒をかけて、さらに参院選決戦に総決起しよう。

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週刊『前進』(2012号4面1)

小泉「構造改革」は何をもたらすか
 恐慌激化させ最高300万の大失業強制
 首切り法制と消費増税を狙う
 社会保障解体し地方切り捨て
  島崎 光晴

 「基本方針」への全面批判を 弱肉強食の競争原理導入で大銀行・大企業の延命はかる

 六月二十一日、政府の経済財政諮問会議の「今後の経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針」(いわゆる「骨太の方針」。以下「基本方針」と表記)が出された。これが小泉の「聖域なき構造改革」の基本骨格である。しかもこれは時期的に言って、都議選・参院選の事実上の公約だ。小泉は選挙で自民党勝利に持ち込み、゛公約は支持された″と強弁し、政策の具体化に突っ込もうとしている。
 それは、戦後史でも例のない、労働者人民に対する巨大な反革命である。不良債権処理によって恐慌を激化させ、数十万件の企業倒産と百万人以上の失業者を生み出すものだ。また、労働者の首切り法制、公務員労働運動への破壊攻撃、消費税増税にも本格的に踏み込もうとしている。さらには、大資本のために中小零細企業の切り捨てを決断し、社会保障でも高齢者を「弱者」扱いしないと言って負担加重・給付削減を押しつけ、地方交付税の削減で地方を切り捨て、都知事の石原と結託して東京圏での大規模公共事業に乗り出そうとしている。
 「基本方針」の中心人物である竹中経済財政担当相は、「日本の産業は八〇年代以降、著しく競争力が落ちた。競争力を高める唯一の方法は競争することだ」と言っている。その競争原理を、労働者間だけでなく、大企業と中小企業との間にも、社会保障受給者の間にも、さらには大都市圏とそれ以外の地方との間にも拡大しようというのが、「基本方針」の核心だ。倒産と失業のあらしだけでなく、全社会にわたる〈弱肉強食地獄〉、〈優勝劣敗の監獄〉を引き起こそうとしているのだ。
 言い換えると、狭義の労資関係だけでなく、大企業と中小企業という資本の配置のあり方、社会保障という人民の生活全般にかかわる問題、さらには国と地方との関係という国家の基本的なあり方、これらすべてにおいて戦後的な階級関係を転覆し、徹底した搾取と収奪の社会に大転換し、戦争国家化への道を突っ走ろうというのだ。これは狭義の資本攻勢にとどまらない。日本社会のすみずみにまで及ぶ階級戦争だ。大銀行・大企業のための国家改造だ。小泉「構造改革」とは、改憲と戦争に向けて日本を失業地獄と弱肉強食地獄に引きずり込む国家改造攻撃なのである。
 日帝・小泉政権がこのような「構造改革」に踏み切った背景には、日帝の恐るべき危機がある。日帝は、九〇年代に長期の不況と日米争闘戦での敗勢に直面し、一方では九五年の日経連プロジェクト報告「新時代における日本的経営」をもって、アメリカ型の資本攻勢に打って出た。他方では、九七年の橋本「六大改革」で戦争に向けた国家改造攻撃を強めた。しかし、国鉄闘争を中心にした労働者階級の戦闘的決起と、九七年以降の日本経済の恐慌への突入によって、これらはスムーズには貫徹できなかった。
 そして九九年初め、今回の「基本方針」の原案とも言うべき「経済戦略会議報告(樋口レポート)」が出された。しかし、恐慌がいったん小康状態に入ったこともあって、それは部分的にしか実行されなかった。半面、空前の恐慌対策をとった結果、日帝の財政は解体的危機に陥り、不良債権問題はますます深刻になった。
 事態が急変したのは、昨年末から今春にかけてのことだ。米バブル経済の本格的崩壊で日本の恐慌が再激化し始め、日米の恐慌が相互促進する状態に陥った。しかも、米帝・ブッシュ政権が成立し、軍事戦略におけるアジア重視などに見られるように、日帝に対する争闘戦を質的にエスカレートさせ始めた。ことここに至って日帝は、もはや土壇場に立たされたのだ。不良債権と国家財政に手をつけなければ帝国主義国として滅びかねない、いや、もっと積極的に戦争国家化に向かって転換するしかない、という飛躍的な課題が突きつけられたのである。
 そこから小泉「構造改革」が登場してきたのだ。大銀行・大企業のために労働者人民を搾取し収奪して大失業を引き起こし、中小企業・高齢者・地方という「弱者」を切り捨て、そうやって恐慌下で大銀行・大企業と国家の延命を図り、もって米帝との争闘戦での敗勢をなんとか突破し、戦争国家化に突き進もうという狙いだ。だから、そこにはなんの成算もない。没落帝国主義として切羽つまって、とにかく正面突破に出たということである。
 このように、小泉「構造改革」は大銀行・大企業の利害を体現したものだ。実際にも「基本方針」の内容のほとんどが、従来の経団連や日経連の報告・提言を下敷きにしている。ところが小泉は、゛旧来の自民党とは違う別のことをやろうとしている″かのような「改革」の幻想をまき散らしている。民主党が「構造改革の本家はわれわれ」などと言い、この幻想を促進している。しかし、小泉「構造改革」のどこをとっても、すべて大銀行・大企業の利益が貫かれているのだ。
 以下、「基本方針」を具体的に徹底批判する。

 不良債権処理は恐慌を加速 「便乗解雇で社会全体メルトダウン」と日経連会長が公言

 「基本方針」は冒頭に、「経済再生の第一歩としての不良債権問題の抜本的解決」をあげている。具体的には四月の緊急経済対策と同じである。それは、゛破綻(はたん)懸念先と破綻先の不良債権について、既存のものは二年で、新規のものは三年で最終処理する″という内容だ。
 しかし、不良債権問題は何も解決しない。なぜなら、今回の対象は、大手銀行の破綻懸念先と破綻先の不良債権に限られているからだ。これは大手十六行で十一・七兆円(今年三月期決算)にすぎない。問題債権は総額で百五十兆円もあり、それが次々と不良債権に転じている。今回の不良債権処理策には、大手ゼネコンや大手流通など゛本丸″の不良債権は入っていない。
 ところが、この十一・七兆円の不良債権処理に踏み込むだけでも、今の恐慌を激烈に爆発させることになる。小泉は゛二、三年がまんすれば景気が良くなる″かのように言っているが、大うそだ。すでに今年一―三月から、恐慌が実体経済面でも金融面でも再激化し始めている。米バブル経済の本格的崩壊によって、日本の対米輸出が激減し、株式市場が急落しているからだ。そうした真っただ中で不良債権処理を強行すれば、国内的要因からも恐慌が激烈化するのは必至だ。
 「基本方針」は「短期的には低い経済成長を甘受しなければならない」と言っているが、そんな甘いものではないのだ。たとえ日銀が量的緩和を促進しても、恐慌悪化は食い止められない。

 倒産ラッシュの発生は必至

 だから、企業倒産と失業も従来の比ではなくなる。竹中は、「つぶれるべき企業や銀行はしっかりつぶすという決断」であると言い切っている。金融庁が四月に、大手行に対して最終処理の対象となる企業がどうなるかを調査したところ、「八割の企業は二年以内に法的整理になる」と答えている。民事再生法や会社更生法の適用、さらには会社清算という実質倒産が大半を占めるということだ。すでに五月から、大手行が中小の建設会社に対して、貸出金利の引き上げや追加担保を要請するケースが増えている。「ついに銀行の企業切り捨てが始まった」(『エコノミスト』六月二十六日号)のだ。
 これが本格化すれば、失業はどれほど増えるか。
 「不良債権の最終処理二十二・二兆円で百三十万人」(ニッセイ基礎研究所)
 「不良債権処理が銀行総融資額の三%だと百三十万人」(山家悠紀夫神戸大大学院教授)
 「不良債権の最終処理十二・七兆円〜三十一・八兆円で五十八・五万人〜百四十六・七万人」(第一生命経済研究所)
 「連鎖倒産やリストラを含めると二百万〜三百万人」(『週刊ポスト』六月二十二日号)
 いずれの試算も膨大な数に上る。すでに今、完全失業者に、求職をあきらめた潜在的失業者を加えると七百万人を超え、失業率も一〇%を超えている。そこにまた数百万の実質失業者が加わることになるのだ。
 さらに、不良債権処理に伴って連鎖倒産も続出する。現在すでに「倒産予備軍は百万社ある」(民間調査会社の帝国データバンク)のだから、二十万社や三十万社の倒産にまで進まざるをえない。
 小泉は六月の国会で次のように言った。「痛みがどのぐらい出るということは、今この時点で言えない。しかし出た場合には、その痛みを和らげるような、また痛みにくじけないような、新しい仕事に立ち向かっていけるような措置をしていかなければならない」
 「新しい仕事」など、どこにあるというのか。「基本方針」は、「サービス分野で五年間で五百三十万人の雇用機会の創出が期待される」としている。しかし、これは「潜在的な労働需要がどこにあるかという可能性」(竹中)にすぎない。なんの根拠もないのだ。政府の雇用対策はこの四年間で計四回、合計二百万人の雇用を目標としたが、実際は失業者が増えただけではないか。仮にサービス分野での雇用が増えるとしても、低賃金で不安定な雇用でしかない。
 日経連会長の奥田はもっと露骨だ。奥田は五月の日経連総会で、「ここ二、三年で不良債権の処理を進めようとすると、残念ながら新規雇用の創出は間に合わないと考えざるをえない」と断定した。そして、警察官、看護婦、税務署職員など公的な雇用を増やす施策に言及した。もし、そうした「セーフティ・ネット」が破綻し、「無関係な企業も便乗して解雇を行うようなことになると、社会全体が便乗解雇のためにメルトダウン(炉心溶融)しかねないと懸念している」と危機感をあらわにしている。
 ところが、小泉政権はこの奥田の提言に消極的である。ということは、奥田の言う「解雇による社会全体のメルトダウン」、失業地獄が現実のものになるということだ。むしろ小泉は、大失業地獄にひきずり込んで、その中で改憲と戦争国家化への国家改造を強行しようとたくらんでいる、とみるべきだ。

 公務員の政治活動も規制へ

 小泉は「痛みを和らげる」とも言う。しかし、実際にやっているのは逆のことだ。「基本方針」でも「労働市場の改革」と言って、資本の意のままに労働者の首切りができる制度に転換させようとしている。
 五月に小泉は、「二、三年の期限付き雇用の対象拡大」と「解雇ルールの明確化」を厚生労働省に指示した。九八年の労基法改悪では、高度の専門職と高齢者に限って労働契約期間が三年に延長された。小泉の政策は、この対象を拡大して、正規雇用労働者を不安定な有期労働者に置き換えようとするものだ。さらに「解雇ルール」について、現在は解雇を一般的に規制する法律がなく、「判例)」が企業の恣意(しい)的な解雇の歯止めになっている。「解雇ルールの明確化」とは、資本のやりたい放題の解雇を認める法制を作るということだ。
 また五月には、政府の産業構造改革・雇用対策本部で平沼経済産業相が「新市場・雇用創出に向けた重点プラン(平沼プラン)」を出した。そこでは、「終身雇用を前提とする制度を見直し、多様な雇用形態を整備する」として、「有期雇用契約、裁量労働制、派遣制度の見直し」が明記された。また「労働移動の円滑化」として、「職業紹介にかかわる規制の緩和」や「雇用の流動化に対応した労働契約法制の検討」があげられている。長期雇用はほんの一部にして、ほとんどの労働者を不安定な有期雇用にする政策だ。九五年の日経連報告が打ち出したことを、政策としてより具体化しようとしているのだ。
 さらに小泉は、「規制改革」を掲げて郵政民営化、特殊法人民営化、国立大学の民営化、株式会社方式による医療機関の認可などを打ち出している。それは、資本の新たなもうけ先を生み出し、自民党内で利権を再編成しようとするものである。そして、何よりも公務員労働運動に対する破壊攻撃としてある。
 六月十九日に小泉は、「日教組や自治労、全逓にしてもなぜ政治活動しているのか」と批判し、公務員の政治活動に関する規制の徹底を石原行政改革担当相などに指示した。六月末に政府の公務員制度改革の基本設計案がまとまるが、そこで「信賞必罰の人事制度」が出されようとしている。賞罰を厳格に行う人事制度に変えるということだ。
 こうして失業地獄を生み出すだけでなく、小泉政権は消費税増税をもたくらんでいる。「基本方針」は、税制全般について「できるだけ広い課税ベースの確保」の必要性を明記した。塩川財務相も「消費税が大きい財源になってくる」と明言している。竹中は「〇三年から段階的に消費税を上げ、最低でも一四%にしなければならない」と言っている(『竹中教授のみんなの経済学』)。消費税は現在、年間十三兆円だから、これを一四%に上げると三十六兆円、実に二十三兆円もの大増税だ。

 全社会が優勝劣敗の地獄に 中小企業の切り捨てを断行 石原と組んで大型公共投資

 さらに「基本方針」は、戦後日本の経済・社会・国家のあり方を根元から転換させる大反革命でもある。
 まず、大銀行・大資本の延命のために中小企業の切り捨て政策に踏み切っている。「基本方針」は、「効率性の低い部門から効率性や社会的ニーズの高い成長部門へヒトと資本を移動することにより、経済成長を生み出す」と言う。しかし、IT(情報通信)バブルが崩壊した今では、「成長部門」について具体的な提案は希薄だ。結局は「効率性の低い部門」のスクラップ化の話だけである。
 それは、ほかならぬ中小企業の切り捨てを意味する。実際に、不良債権のうち中小企業向けが六五%を占めており、今回の最終処理対象だけをとればもっと比率が高い。仮に経営が健全な企業でも、取引先企業が倒産したりすると、そのしわ寄せを受ける。不良債権の最終処理という強硬手段は、中小企業の切り捨てという決断を抜きにはありえない。
 しかも「基本方針」は、「法人事業税の外形標準課税」について、一定の条件をつけながらも「導入を図る」とした。外形標準課税は、赤字の中小零細企業からも税をむしり取る制度だ。現在、法人の中小企業は七―八割が赤字と言われる。この税が導入されれば、大企業による中小企業の絞殺、中小企業の淘汰(とうた)、大資本のもとへの吸収・合併が起きる。まさに企業間での優勝劣敗の促進にほかならない。

 老人医療費が最大の攻防に

 さらに社会保障政策でも大転換がたくらまれている。「基本方針」は、「今後は、『給付は厚く、負担は軽く』というわけにはいかない」として、給付の減額と負担の増額を公言している。そして、「社会保障の三本柱である年金、医療、介護は『自助と自律』の精神を基本とする」としたうえで、理念での二つの転換を打ち出している。
 一つは、「社会保障個人会計」の構想である。これは、年金、医療、介護でいくら保険料を払い、いくら年金をもらえるか、どれだけ医療や介護サービスを受けたかを、個々人レベルで一つの勘定にするという案だ。そのために各人に「社会保障番号」をつける。要するに、健康で文化的な生活が保障される権利という基本理念を全面解体するものである。
 もう一つは、税制や社会保障制度での女性政策の転換である。「基本方針」は、「世帯単位が中心となっている現行制度を個人単位の制度とする方向」を出している。これを「(専業主婦と比較して)女性の就業が不利にならない制度」にするためであると言う。「女性は基本的に働き、専業主婦は例外」(諮問会議議員の牛尾)とまで言う。しかし現実には出産・育児のため、やむなく「専業主婦」になっている女性は「例外」ではない。女性や高齢者を超低賃金で流動的な労働力として動員するとともに、個人単位の制度とすることで、賃金での家族手当や税制上の世帯控除を削り、「専業主婦」などからも保険料などをむしり取ろうとしているのだ。
 「基本方針」は、こうした理念での転換のうえで、医療制度と年金制度での大改悪を唱えている。医療費については「経済の動向と大きく乖離(かいり)しないよう」、伸び率の目標値を設定するとしている。例えば国内総生産(GDP)の伸び率内に抑えるとすると、老人医療費の伸び率は従来の半分以下となり、その分、自己負担の増額となる。「基本方針」は、高齢者について「年齢で一律に社会的弱者とみなすのではなく」などと言って、露骨に負担増・給付減を叫んでいる。介護保険制度のうえに、老人医療費を切り口にして社会保障全体を解体する攻撃を、いよいよ本格化させているのだ。
 この方針を受けて六月二十一日、経済産業省が社会保障制度の改悪案を出した。医療保険では、公的年金以外に所得のある七十歳以上には現役世代と同じ割合の保険料や自己負担を求めること、年金では、賃金収入のある六十五歳以上の年金受給者の給付額を減額すること、公的年金の給付額に課税すること、などがあげられている。

 地方は失業率10%も不可避

 国と地方との関係でも、戦後的あり方の一変、地方の切り捨て策が全面的に出されている。「基本方針」は、「国が地方に対して、広範な関与をすると同時に、その財源も手当てし、画一的な行政サービスを確保する時代」をやめる、としている。゛地方は財源も行政サービスもそれぞれ勝手にやれ″というのだ。「基本方針」の当初案では、地方の「均衡ある発展」から「地域間の競争」に「基本理念の転換」を図ると明記されていた。最終案では「個性ある地域の発展」とごまかしたが、真意は地方自治体も弱肉強食の競争にたたき込むということだ。
 財源としては、地方交付税の交付を削減し、廃止しようとしている。交付税制度は、自治体間の格差を埋める性格を一定持っていた。しかし近年は、地方自治体が地方債を発行して公共事業を拡大し、国の交付金・補助金で地方債の元利償還を行う構造が強まった。その結果、国家財政と地方財政の両方が膨大な債務残高を抱えてパンクしてしまい、もはや続けられなくなった。そこで、交付金の削減を決断し、゛地方独自の財源を確保せよ″と迫っているのだ。「基本方針」では、国から地方への「税源移譲」も検討課題とされたが、仮に税源が移譲されても、東京都など一部以外はすべて税収減となる。
 「四十人学級」、学校教員の定数など、地方に対する国からの義務づけも緩和、縮小される。カネのない自治体は、「行政サービス」を低下させざるをえない。まさに地方同士での勝ち負けが起きるのだ。そこに地方公共事業の削減が追い打ちをかける。その結果、「地方では三割の会社が倒産し、失業率が一〇%台に上昇する」(自民党議員の野呂田)との予測すらある。
 さらには地方税の増税、地方レベルの福祉・教育・医療の削減、公務員の定数大幅減と給与減となる。地方自治体レベルでの労働者人民に対する大攻撃である。そうした大リストラのうえで、現在三千二百ほどの市町村を再編成し、今後三〜四年で三百に集約しようとしている。
 このような地方切り捨ての一方で小泉政権が狙っているのは、東京圏などでの大規模公共事業である。これが、「基本方針」などで言う「都市の再生」の正体だ。具体的には、「環状道路、都市鉄道、首都圏の国際拠点空港、国際港湾の整備」「大規模未利用地を活用した都市拠点開発」(四月の緊急経済対策)など。都知事の石原は、三つの環状道路だけでも二十五兆円を投入する計画を出している。東京圏での大規模公共投資は、ゼネコン救済であり、銀行の担保不動産の価格つり上げという点では銀行救済でもある。
 もともとこの「都市の再生」案は、経団連が九八年に出した「新東京圏の創造」、九九年に出した「都市再生への提言」を基にしている。これを受けて石原が今年三月、自民党に「五年間で十兆円規模」の「都市再生プロジェクト」を提案した。石原の働きかけで、小泉政権は「都市再生本部」を設置し、六月十四日には第一次プロジェクトを決定した。要するに、ブルジョアジーの要望に石原がこたえ、石原を先兵にして小泉政権が具体化している、ということだ。
 では、これに必要な巨額資金はどうするのか。それが道路特定財源の一般財源化だ。石原はすでにそういう要求を出しており、塩川財務相も「都市開発に使える」と明言している。道路特定財源は〇一年度見通しで約五・八兆円の巨額に上る。従来は主に地方の道路などに支出されていた道路特定財源を、一般財源としたうえで、東京圏などの大型公共投資に使うのだ。道路特定財源問題について、あたかも゛小泉は自民党内の利権構造を崩そうとしている″かのように宣伝されているが、まったく違う。石原と小泉が結託して、利権の再配分をやろうとしているのだ。

 戦争国家化への歴史的攻撃 階級性を解体し排外主義に引き込む小泉反革命打倒へ

 小泉「構造改革」は何をもたらすか。八〇年代のレーガン反革命以来、弱肉強食地獄にたたき込まれた米国をみればいい。
 米社会をつぶさに体験し、自らも突然の解雇にさらされた小林至氏は、近著『僕はアメリカに幻滅した』の中で次のように書いている。「私は共産主義者ではありませんが、米国の社会をみていると、『資本主義を追求すると、最終的には、資本家が富を独占し、労働者はそのもとで搾取されるだけになる』というカール・マルクスの説は、正しいのではないかとすら思います」と。
 小泉はそれほどの搾取に日本をたたき込もうというのだ。労働者階級の力で小泉「構造改革」を絶対に粉砕しなければならない。
 小泉は、口を開けば「痛みをがまんする精神」と言う。労働者階級は本来、資本家階級に痛めつけられれば、「痛い」と言って資本家階級に立ち向かわなければならない。それが階級性だ。「痛みをがまん」するとどうなるか。打倒すべき資本家階級の利益のために、果てしなく「痛みをがまん」することが強いられる。それは階級性の解体に直結する。あげくのはてには排外主義・差別主義に引きずり込まれてしまいかねない。その結末はまたもや侵略戦争への動員だ。
 小泉反革命には、そうした改憲と戦争国家化へ向けた階級性の解体、戦後的階級関係の転覆という狙いが明白にあるのだ。帝国主義は、失業地獄と弱肉強食地獄のるつぼの中で、労働者を排外主義・差別主義にからめとろうとする。われわれは、これを一九三〇年代などの歴史として知っている。それが今の日本で現実になっているのだ。小泉「構造改革」で日本の労働者階級が問われているのは、そういうことなのだ。
 小泉はファシスト石原と結合して、あえて大失業になることも辞さず、その中で階級意識を解体し、労働者人民を民族主義・愛国主義・排外主義に引きずり込むことを基本戦略としたのである。その意味で、小泉「構造改革」との闘いは改憲阻止決戦の性格も持っている。
 だから、どんなことがあっても、この小泉反革命を粉砕しなければならない。ここでの勝敗が日本のプロレタリアート人民の今後のすべてを決するのだ。都議選での敗北の悔しさをバネに、同時に都議選で生み出した地平に自信をもって、小泉反革命粉砕へ、直ちに参院選決戦に決起しよう。

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週刊『前進』(2012号5面1)

黒田『実践と場所』を批判する 
 日本礼賛=右翼国粋主義の極致
 「つくる会」教科書と同類の思想
  工藤俊夫

 『共産主義者』一二七号の仲山良介論文「『黒田哲学』を全面批判する」が出てから五カ月、われわれの死の宣告に対して、カクマルはまったく答えることができない。また、本紙上でも春季特別号(二〇〇四号)で仲山同志が「完全破産した黒田哲学」を発表したが、これにもカクマルはまったく対応することができない。二つの論文は超特大の打撃をカクマルに与えているのだ。われわれはさらに追撃に次ぐ追撃を加えていく。その一環として、カクマルが今日かついで回っている黒田の『実践と場所』全三巻が、とんでもない右翼国粋主義の本であることを全面的に暴く闘いを開始する。この本は、九〇年代の十年間における黒田の集大成的な著作であり、全三巻で合計四百字詰め原稿用紙四千五百枚という「大著」である(一巻八千円!)。しかし、その内容は、「革命的共産主義」とか「革命的マルクス主義」とは縁もゆかりもない、日本礼賛、天皇制美化の言辞で覆い尽くされている。端的に言えば、「新しい歴史教科書をつくる会」とまったく同様の思想が満展開されている本なのである。太平洋戦争を「大東亜戦争」と称し、中国を「支那」と、アメリカ人を「ヤンキー」とののしる、正真正銘の右翼国粋主義の立場で書かれているのである。この本の中身を以下に暴露していこう。できるだけたくさんの引用文を示したい。カクマルは、この本が黒田哲学の神髄を示す素晴らしいものであるかのように言っているが、日本主義礼賛こそがその核心であるという事実を必死で押し隠そうとしている。したがって、原文を突き付けることこそが真実の暴露であり、最大の批判となるのである。ページ数は第一巻のもの。引用中( )内は原文あるいは原文のルビ、〔 〕内は引用者による。

 「もののあはれ」「日本人の情緒」を手放しで礼賛

 黒田『実践と場所』は、一九九五年から九七年にかけて書かれ、昨年から今年にかけて発行されたものである。その中心は、黒田によるファシスト的な「日本論」といえるものである。「脳死・臓器移植」問題や「障害者」差別、部落差別の問題で差別主義と排外主義を満展開している。差別語を頻繁に使用しながら、「『差別用語』なるものは実在しない」と開き直っている(第二巻六〇一n)。
 本の内容は、以下に見るように、日本の伝統的文化なるものに至上の価値を見いだす、「日本主義」ともいうべき反動思想である。そもそも日本について論ずる場合に、「明治」以来の日帝のアジア侵略と侵略戦争の歴史の総括が押さえられなければならないことは明白であるのに、黒田はまったくその課題と向き合おうとしないのだ。
 黒田が執筆した九五年という年は、戦後五十年の総括の問題が政府や国会のレベルでも、全社会的にも大問題になっていた年である。朝鮮人を始め日本軍軍隊慰安婦とされた人びとから、日本政府に対して、謝罪と国家賠償と責任者処罰が要求され、それに対して、国の責任をあいまいにしてごまかす「民間基金」の策動が進められていた。ところが、黒田は、こういう問題をまったくすりぬけようとしているのだ。
 日本帝国主義とは何か。日帝とアジアの関係はどういうものか。植民地支配と侵略戦争の歴史とは何であったのか。天皇制と天皇制イデオロギーはどういう役割を果たしてきたのか。日本の階級闘争をどう総括するのか。戦前の日本共産党の転向と屈服と敗北の歴史をどう総括するのか。およそこういう問題を回避したところで、日本論、日本文化論が成立するはずがないではないか。しかし、黒田はこの「大著」の中で、こうした問題意識を提示することはまったくないのである。
 いや、それどころか、黒田は、太平洋戦争を「大東亜戦争」と言って平然としているのである。また、中国を「支那」と表記して平気なのである。近年、「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史歪曲をめぐる論議の中で、「大東亜戦争」という言い方が、日帝の戦争を美化し擁護するものであることは誰にも明らかになってきた。また、都知事・ファシスト石原慎太郎が排外主義的に「支那」と言って、弾劾されてきたことも周知のことである。
 こうしたことを百も承知で黒田は、これらの言葉を使っているのである。黒田は無頓着なのではない。この言葉にこだわり、アジア諸国人民から抗議されたから改めるということではいけないと、開き直って確信犯的に使っているのである。石原以上に犯罪的である。
 これらのことを前提的に確認した上で、この本の中で黒田が言っていることを見ていくことにしよう。
 一言で言えば、黒田の思想は、“美しい日本の風土゜への愛着であり、それが失われつつあることへの慨嘆である。それがむき出しで、これでもかと繰り返されている。
 萬物〔ばんぶつ〕の生成流転はヤポネシア人の無常感というメンタリティを培ってきた。この情緒は、伝来した仏教思想(「輪廻〔りんね〕転生」・「諸行無常」)や儒教思想(「仁・義・礼・智・信」)や道教思想(「転生輪廻」)や密教よりも前に、既に遥〔はる〕かなる昔から形成されていたといえる。「もののあはれ」や「ものさびし」などの情感が語られはじめる遥か以前から、生成流転する自然への対応的順応と共同体的協働およびこれを介しての環境的自然のつくりかえをつうじて、ヤポネシア人のメンタリティは培われてきた。こうした《生産的生活世界》の、物質的=精神的生産の世界の歴史的発展に、日本列島に固有な風土性がうつしだされているのである。(三〇二n)
 ここでは、仏教思想の伝来などよりはるかな昔から日本人は「無常感というメンタリティを培ってきた」と言っている。「日本列島に固有の風土性」だと。これは歴史的事実としてもでたらめ極まりないものである。
 なお「皇紀」が西暦紀元よりも六百六十年も長くなったのは、奈良時代に暦をつくったさいの人為的偽造にもとづくのである。たとえば「皇紀二六五五年」は「えと」では「乙亥」であり、西暦では一九九五年である、というわけなのである。(三〇六n)
 「皇紀」を使って平然としている! 三六〇nでも、五六八nでも繰り返されている。それでいて批判も何もないのだ。驚くべき感覚だ!
 一九三五年からの約十年間の自己の体験的事実を拠にして、「常識人」の観点から、しかも生産場面に即して日本文化と思われるものを、次の五点にしぼって素描することが、ここでのテーマである。||水の文化、食の文化、木の文化を中心にし、縁〔えん〕や祈の文化にも説きおよぶ。(四三七n)
 黒田の七歳から十七歳までの体験をもとにして、と言うが、これは十五年戦争、中国侵略戦争と太平洋戦争の真っただ中なのだ。しかし、黒田はそのようには問題を立てない。それと無関係に、平和的に「日本文化」があったかのように書き連ねている。その一事をとっても、黒田のいた「場所」の本質が分かるというものだ。
 この列島のすべての地方において、……「水田」がひろがっていることは、さまざまな「水の文化」をうみだすとともに、水田にかんする、したがって「稲作」と収穫される「米」にかんする文化がうみだされることになる。(四四五n)
 「稲作文化」を強調し、これが「とよあしはらのみずほの国」の賛美につながる。

 「みずほの国」のシンボルとして天皇を全面美化

 日本列島に住む人々にとっての稲作と米は、生産=生活様式の中枢をなしてきた。このことのゆえに、「米の種子」としての籾〔もみ〕を支配する者が列島の住民を支配する者となる。それと同時に、この支配する者は「籾または米」を「とよあしはらのみずほの国」にもたらした至高の存在としてみずからを押しだすことになり、「至高の存在=天から降臨した皇帝(天皇)」は「稲・米」の体現者ともみなされるようになる。……それぞれの時代のそれぞれの時期に支配層が、みずからの地位と利害を確保するために、「稲・米」の化身でもある天皇を「あらひと神」として奉り、「瑞穂〔みずほ〕の国」のシンボルたらしめてきたといえる。(四四六n)
 「籾を支配する者」として、天皇を「至高の存在」と手放しで賛美している! これはもはや天皇主義者の言葉となんら変わらない。別の個所では、次のように「稲の人格化」として天皇制を美化している。
 稲作が普及するにつれて、支配者は寺社をつうじての「水田支配」(中世における荘園・公領)をおこなってきた。そのさいに、国々を統べるものとして「天皇=長(おさ・朝)」が稲の人格化とみなされた。このことが公式に体系化されたのは、明治維新以降の国家神道においてである。(五二四n) 
 どのような地帯の、どのような気候・風土のもとにおいてであれ、列島にすむヤポネシア人は約一万数千年も前の「縄紋・蛇紋」期から日本人らしい生産的生活を営み、暮らし方(生活様式)と物の作り方(生産様式)を、そのために不可欠なコトバ(身振りから音声表現にいたるまで)をつくりだし、これにみあった文化とエスニシティをつくりだしてきた。義理がたく人情に厚く、黙々と励み我慢強く、しかも「もののあはれ」を情感することのできるような情緒をもつ、というような日本人らしさと呼ばれるものが形成されてきたといえる。(四六三〜四六四n)
 なんと一万数千年前から「日本人らしい」暮らしをしていたという歴史をねつ造して、「日本人の日本人性(=民族性・エスニシティ)と文化は特殊なものとして創りだされてきた」(四六四n)というのだ。日本人の民族性を「特殊なもの」=特別に素晴らしいものとして描きあげているのである。
 古きよき日本の食べ物、日本式の礼儀作法や「しきたり」を礼賛し、そしてそれが失われていることを慨嘆している。
 ここで黒田は、「暮らし方(生活様式)」と「物の作り方(生産様式)」を、階級関係から切断して、前者を軸にしつつ、「自然風土↓精神風土↓日本人らしさの形成」へと直結させている。このような「方法」そのものがマルクス主義を完全に解体し、否定・破壊するものである。
  稲作文化ないし「水の文化」は、「木の文化」を介して「かみがみ」につながり「祈の文化」をうみだしてきたわけなのである。(五二三n)
 日本列島の風土的特殊性のもとで永きにわたって形成されてきた生活=生産様式と、これにもとづいてつくりだされてきた伝統的文化||「水・木・食の文化および芸術」||これは、二十世紀末の帝国主義現代にある社会においては、失われ破壊されてゆく運命にさらされていると言わなければならない。(五二七n)
 伝統的文化が破壊されているといって嘆いている。だがこれは自然風土によって培われてきた日本人の日本人らしさが失われるという意味でしかない。
 人種的にはモンゴロイドにぞくする日本人には、蒙古人(ツングース語を喋〔しゃべ〕る人びと||彼らの「かみ」は鷲〔わし〕である)と同様のシャーマニズムも流れこんでいる(このことは、天皇家の儀礼において端的にしめされている)。このシャーマニズム(聖霊と怨霊〔おんりょう〕をよびおろし、これらと“交信゜することができるとされる巫〔みこ〕を中心にした儀礼)にも、日本人の自然崇拝はむすびついている。(五三四n)
 「天皇家の儀礼」と「日本人の自然崇拝」が結びついていると言って、天皇制を美化しているのだ。
 「おおやけ(=天皇)」の思想の蒸発は、「公徳心」の欠損・利己主義的個立主義の蔓延〔まんえん〕をうみだし、このことと並行して、晩期資本主義の経済的腐朽が、政治的構造汚職が、そして社会的アパシーと思想的カオスが、今日の日本社会の全体をおおいつくしている。賃労働者としての日本人も、日本人らしさのようなものを喪失して無表情になり、日本人の精神的風土とはおよそ無縁な存在になりさがり、彼らの感情も情緒も情動も干からびたものになっている。(五七二n)
 古代からの日本人の常識、道徳がすたれたと言って嘆く。さらに、「おおやけ(=天皇)」の思想の蒸発によって公徳心が欠け利己主義が蔓延し、日本人らしさが喪失しているとも。天皇を敬う心がなくなって、日本人の感情も情緒も情動も干からびたものになったというのだ。恐るべき天皇主義!
  日本人のメンタリティといわれてきたものの殆〔ほとん〕ど大部分は影をひそめてしまっているともいえる。奥ゆかしさ・慎み深さ・情け・慈〔いつく〕しみなどの人間相互間の関係についての言葉は死語にさえなっている。
 他者たちにたいして日本人がとる「しぐさ」ないし身体的動作もまた、いわゆる日本人らしさが失われたものになっているかのようである。……「恥じらい」の表情も、物腰柔らかでしとやかな立ち居ふるまいも、既に失われている。襖〔ふすま〕・障子を膝〔ひざ〕をついて開ける風習も、敷居を踏んではならないという作法も、風呂敷の包み方から扉の開け方にいたるまで「左前ではいけない」という風習も、「なくて七癖……」をなおすべきだという「しきたり」も、もはや過去のものになっている。(五七三n)
  「日本人らしさが失われた」と、「しつけ」や「しきたり」がないがしろにされていることをあげつらっている。襖は膝をついて開けろ? 敷居は踏んではならない? それが過去のものになったらどうだというのだ。
 本当に怒りなしに語ることはできないが、戦前にあったという「奥ゆかしさ・慎み深さ・情け・慈しみ」の一方で、そういう日本人が朝鮮・中国・アジアの人民に対してどういう振る舞いをしてきたのかを考えたことがあるのか。他民族を侵略しじゅうりんした上に、反日帝の民族解放闘争の高揚に対して居直り強盗的に「奪い尽くし、焼き尽くし、殺し尽くす」三光作戦をやったのは、「礼儀やしきたり」を重んじる日本人だったのだ。この覆い隠せない歴史にほおかむりして、「日本人らしさ」などと言っていることが、どれほど恥知らずであることか。

 「ヤンキー」と憎悪を込めて反米民族主義を展開

  外からの帝国主義的圧力に抗するために捏造〔ねつぞう〕された国家神道と皇国史観にのっとった天皇制国家日本の「近代化」……大東亜戦争への無謀な突入とその必然的な敗北。アメリカ占領軍の支配のもとでのヤンキー民主主義のあらゆる領域での受容、……(五九八n)
 「外からの帝国主義的圧力に抗する」ためということで、日帝を免罪する。「無謀な突入」「敗北」「ヤンキー民主主義の受容」ということが並列されている。他民族虐殺の侵略戦争ということが問題にされず、「無謀かどうか」を問題にしている。侵略戦争の総括を真っ向から拒否した議論である。
  一九六〇年以降からアジア各地でみられた経済の高度成長について考えるさいには、次のようなことが考察されなければならないであろう。
 まず、長きにわたって帝国主義列強の植民地主義的支配のもとにおかれてきたことのゆえに、アジアの人びとは、それぞれの地域における文化的伝統となってきた大家族主義に照らして、西ヨーロッパ出自の個人主義を根幹にしたブルジョア的イデオロギーや文化を選好的に受容する、という性向をもっている、ということである。……
  また、黄色人種にぞくするアジア各国の人びとは、タイ・マレーシア・インドネシア・中国にみられるように、白人種よりも手先が器用であり技能の体得が速いのである。……
 さらに、日本の植民地であった朝鮮半島や台湾においては、日本軍国主義イデオロギーにのっとった教育がおこなわれ、「読み・書き・ソロバン」の普通一般教育が実施されたことは、否定的なもののなかの或る種の積極的なものであった、と言えないことはないであろう。このことは、日本帝国主義の植民地支配を毫〔ごう〕も弁護するものではない。(六〇八n)
 この一連の文章は、日帝の「明治」以来のアジア侵略、植民地支配、侵略戦争の歴史を完全に擁護するものだ。台湾・朝鮮植民地支配の積極的意義を押し出していることは見過ごすことはできない。これは完全に「新しい歴史教科書をつくる会」の思想と同じ考え方だ。
 黒田は日本の「伝統的文化」「伝統的生活様式(靴をぬいで部屋に上がることや、箸〔はし〕・茶碗〔ちゃわん〕・椀〔わん〕による食事、そして風呂によく入るという習慣に典型的に示されているもの)や、社会的慣習(「おじぎ」をはじめとする作法)、さらに日本人的メンタリティ(四季のうつろいに敏感な情緒・情感)など」(六六六n)を守ると宣言している。
 次に重要な特徴は、反米民族主義のあからさまな絶叫である。アメリカ人を「ヤンキー」と呼んで恥じないのは、アメリカ・プロレタリアートに対する敵意と憎悪の現れであり、それはアメリカ帝国主義批判でも何でもないのだ。黒田の現代アメリカの「風土論的イメージ」は、「荒野を疾駆するカウボーイ|自動車|ジャズ」または「高速道路|差別・銃社会|他国にたいするプラグマティスト的バッシング」(五〇九〜五一〇n)という実に貧困・浅薄なものである。
  アメリカン・デモクラシーにのっとった戦後教育が、いわゆる五無人間を大量に生産し、そしてこの五無人間が親になることによって、モラトリアム人間の拡大再生産はいよいよ深刻になってる。(五五三n)
 黒田は「アメリカ型の戦後教育が日本人をダメにした」と繰り返し言う。しかし、アメリカ型戦後教育やアメリカン・デモクラシーの正面からの批判はまったくしていないのだ。あらかじめ日本的でないものとして排撃しているのである。
  没落をあらわにした帝国主義国アメリカは、核超大国としての威信にもとづいて「世界の憲兵」として君臨し、……「三つ子の赤字」をますます累積させながらも、アメリカ現代文明を絶対視するヤンキー精神を発揮し、ブルジョア民主主義の普遍妥当性の神話を、後進諸国の伝統的文化を考慮することなく強制し、「市場経済」の普遍妥当性を「経済的民主主義」の名において御都合主義的に貫徹しようと躍起になっている||これが末期のアメリカ権力者の現実の姿なのである。このような言動は、いまや鼻もちならぬものとなっている。とりわけ日本およびアジア諸国との「貿易摩擦」なるものの打開策として彼らがもちだしている「客観的基準・数値目標」には、プラグマティスト的発想と自己主張の絶対化が如実にしめされている。(五九九n)
 この文章は、日本帝国主義の立場でアメリカを非難しているものだ。米帝批判ではなく、アメリカに対する民族排外主義的憎悪そのものだ。

 「五無人間」非難で労働者階級の自己解放を否定

 黒田がこの本の中で、いちばん繰り返し強調していることは、今日の若者がいかに「電脳」(コンピューターのこと)と「彩電」(テレビのこと)に冒され、ダメになっているかということである。「五無人間」(無関心・無気力・無責任・無感動・不作法)という罵倒(ばとう)語が、全三巻を通じて呪文(じゅもん)のように繰り返される。それは、今日の労働者階級には、革命をやる力、階級的自己解放をかちとる力はないという侮蔑(ぶべつ)と絶望を表現しているのである。逆に、それを批判する黒田はものすごい高みに立っていると内部的に確認する、ということでもある。
  無思想・無感動・無関心の子供をつくらないために「関心をもつ」ような動機づけをあたえ、無気力・無責任な子供をつくらないために「意志を強固にする」ことを教え、総じて積極的な「態度をとる」ことを促すべきである、というように文部省の教育指針が変更されたとしても、教える者も教えられる者も、おしなべて「五無人間」であるという事態は、一朝一夕に打開されるわけではない。(二三七〜二三八n)
 文部省は正しくも「五無人間」をつくらないように教育指針を変えたが、教える方も教えられる方もダメだからどうにもならないと嘆いている。文部省の立場に立って嘆いているのだ。
  既に定められているものに「もののあはれ」を感じ、生生世世流転を「無常」と感じたのは、第二次世界大戦敗北以前の日本人に共通な感受性であった。けれども、経済高度成長期以降の日本人は、おしなべて「ゆとり・豊かさ」幻想にとりつかれてしまったことのゆえに、無常感は底ぬけの楽天主義にとってかえられた。現世〔げんせ〕を厭〔いと〕い呪〔のろ〕うことは思いもよらず、ただただ擬似現実のただなかを彷徨〔ほうこう〕しているのが関の山となっているほどなのである。……これこそは、国家独占資本主義的腐朽性の如実なあらわれでなくして、なんであろう。(二四八〜二四九n)
 戦争前は「もののあはれ」を感じる日本人だったが、今やそれが失われてしまったと嘆いているのだ。
  国際競争力をつけることにあくせくし、利潤追求を自己目的化したり投機にうつつをぬかしている徒輩も、労働力商品としての自己存在についての自覚をもってはいない賃金労働者も、階級の違いをこえて、日本人らしさを喪失しているのではないか。一九六〇年以降に顕著になった「五無人間」としての若者の大量の拡大再生産は、思想的混沌〔こんとん〕との相乗作用をひきおこしつつ、暗黒の二十一世紀を開くものとなっているではないか。(五五四n)
 ブルジョアジーもプロレタリアートも「階級の違いをこえて、日本人らしさを喪失している」! 二十一世紀は暗黒だと。これは階級的批判ではなく、民族主義的憤懣(ふんまん)である。
  ブルジョア議会選挙のさいには、ただの「一票」としてあつかわれ、職場においては職能評価の対象として量的にあつかわれる雇用労働者=賃金労働者たちは、いまや、資本制商品としてのコンピュータにこき使われることに喜悦するロボット人にまで貶〔おとし〕められてしまっている。こうした悲劇的な事態が、近代技術文明の資本主義的発展がもたらした歴史的結果なのである。(六一八n)
 なんと労働者は、「コンピュータにこき使われることに喜悦するロボット」だとののしっている!
 技術革新のゆきづまり、基礎科学研究の弱さ、輩出している電脳ロボット人間の消極性・非創造性についての焦躁〔しょうそう〕感と危機感||これらを率直に吐露しているのは、ほかでもなく独占ブルジョアなのである。二十一世紀をまえにして、彼らと彼らの政治委員会が戦後にうみおとしたみずからの黒い影に、今おびえはじめている。(六九二n)
 独占ブルジョアと危機感をともにするカクマル・黒田!
 今日の日本労働人口の基幹部分は、アメリカ式の民主主義および教育法のもとで育てられ、戦後の悲惨も物不足も体験していない戦後世代からなる。すでに一九六〇年代からいわれはじめた“五無人間゜が親になり、こうした性向の親が自己の雛型〔ひながた〕を日々拡大再生産している。このことのゆえに、いわゆる社会人(資本主義的自己疎外についての意識をもつと否とにかかわりなく、今日の日本社会のなかに編みこまれている即自存在)のかなり多くの部分が、程度の差こそあれ、無表情で無口で無気力で無作法であるという性向を示している。このように断定しうるような、責任感も決断力も実行力もないマニュアル人間が、数多〔あまた〕存在しているということである。(六九五n)
 「責任感・決断力・実行力」を、階級性と無関係に論ずるのは、結局ブルジョアジーの論理である。
 共働きのゆえに親は子に情愛を注ぎ愛撫〔あいぶ〕する時間的余裕もなく、しかも子は「学歴社会」の重圧を背負わされ、「偏差値教育」に従属させられて、自主性と自律性を奪われてしまう。……社会的慣習も市民的礼儀作法も知らないデジタル人間・ロボット人間に堕してしまう。「物」(電話・電脳などの機器)を介してのみ他者に接することしかできなくなる。(六九六n)
 共働き自体をネガティブなものとして論ずる。ともかく「社会的慣習と市民的礼儀作法」が、最も大事なことで、それがなくなってしまっていることをひたすら嘆いている。
 社会的場所のこのような歴史的独自性のゆえに、形式上あたえられたブルジョア的諸権利を享受しながら、過去を次々に忘却の淵〔ふち〕に投げすて明日に期待をよせて日常性に埋没し、日々を惰性的に生きるブルジョア的な市民的人間が拡大再生産され、搾取され収奪されていることに無自覚な賃金奴隷として、生命体としての死をむかえるにすぎない人びとがつくりだされている。(七〇五n)
 労働者の階級的自己解放に対する確信を最後的に投げ捨てた言葉である。黒田は、日本人らしさを守ること(取り戻すこと)を一切の基準にしているのだ。
 カクマルは、帝国主義の「千年王国」支配を前提にし(それは本紙新年号アピールでこの黒田の本から引用して確認した)、日本の伝統的文化を守って、黒田のもとでの「カルト集団」的延命を図っていこうとしている。しかし、その内実は、驚くべき日本主義、天皇制イデオロギー、国粋主義であり、反革命的、ファシスト的な反動思想である。
 これが黒田哲学の行き着いた先である。本当にカクマルの息の根を止めなければならない。


 〔一五三〕一九六〇年以降からアジア地域でみられた経済の高度成長について考えるさいには、次のようなことが考察されなければならないであろう。
 まず、長きにわたって帝国主義列強の植民地主義的支配のもとにおかれてきたことのゆえに、アジアの人びとは、それぞれの地域における文化的伝統となってきた大家族主義に照らして、西ヨーロッパ出自の個人主義を根幹にしたブルジョア的イデオロギーや文化を選好的に受容する、という性向をもっている、ということである。西ヨーロッパ技術文明のなかから自分たちの日々の日常生活にみあったものはとり入れるのだとしても、旧宗主国にたいする民族的怨念は簡単に拭い去れるものではない。反日や反仏・反蘭・反米の感情は、底深く沈みこんでいるのである。
 また、黄色人種にぞくするアジア各国の人びとは、タイ・マレーシア・インドネシア・中国にみられるように、白色人種よりも手先が器用であり技能の体得が速いのである。もちろん、このことは、それぞれの国の人びとのエスニシティの相違にも関係している。まめまめしいかどうかということ・のんびりしているか否かということ・忍耐強いか否かということ、順応性が高いか低いかということ・柔軟性があるかないかということ、その他。とりわけ従来の地域的な社会的慣習からの脱皮が急速に可能になるか否か、ということも関係するであろう。
 さらに、日本の植民地であった朝鮮半島や台湾においては、日本軍国主義イデオロギーにのっとった教育がおこなわれ、「読み・書き・ソロバン」の普通一般教育が実施されたことは、否定的なもののなかの或る種の積極的なものであった、と言えないことはないであろう。このことは、日本帝国主義の植民地支配を豪も弁護するものではない。

(注 日帝の植民地支配の「積極的」意義を強調し、帝国主義的な視点からアジアを論ずる黒田(『実践と場所』第1巻608ページ))


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週刊『前進』(2012号6面1)

国鉄闘争解体攻撃を打ち破れ 闘争団・反対派の排除狙うチャレンジ一派を打倒せよ
 国労大会代議員選に勝利を

 国鉄決戦は、今夏の国労第六八回定期全国大会に向けて最大の決戦過程に突入した。チャレンジ一派と革同の闘争団切り捨て賛成派は、代議員選挙において大多数(三分の二以上)を制圧することを狙っている。「人道上の解決」の名によるゼロ解決=闘争団切り捨てを強行することを決断した彼らは、なりふり構わず反対派つぶし、闘う闘争団排除に打って出ている。このチャレンジ一派らの策動を打ち破り、小泉「構造改革」―戦争・大失業攻撃のもとで一層強まる国鉄闘争解体攻撃と真っ向から対決し、高嶋―寺内執行部打倒、闘う国労の再生に向けて代議員選から全国大会への大決戦を闘いぬこう。

 運動方針も示さず賛成派で制圧画策

 国労定期全国大会に向かってきわめて異常な事態が進行している。六月二十五日に全国大会の代議員選挙が告示されたが、いまだに大会日程は決まっていない。しかも、「二〇〇一年度運動方針(第一次草案)」には、ほとんど方針らしきものが出されていない。スローガンも闘いの基調、闘いの目標も、「政治の場で政府の責任で解決を迫り゛解決要求″の前進をめざす闘い」の総括と方針も、重要なところはすべて「未稿」のままなのだ。
 本部方針に対する賛否をめぐって組合員の判断を仰ぐのが代議員選挙であるにもかかわらず、本部方針を示さないまま代議員選挙を行うというのだ。これ自体、組合民主主義を無視した許しがたい暴挙である。
 国労本部とチャレンジ一派、革同一派は、下からの組合員の討論を組織し、民主的討論で方針を決定しようというような気はさらさらない。一・二七続開大会で機動隊を導入して強行した四党合意による「解決」=闘争団切り捨てをごり押しする意図をむき出しにしているのだ。
 高嶋―寺内執行部は、就任以来行ってきた闘争団に対する露骨な敵対、「解決の阻害者」「反組織的行動」なるレッテル張りを一層強めている。とりわけチャレンジ一派は、「本部方針に従えないのであれば、国労にいること自体が問題だ」といった罵詈(ばり)雑言を浴びせて、反対派つぶしを策している。闘争団を切り捨て、国鉄闘争の幕を引くために分裂も辞さない覚悟なのだ。
 しかもチャレンジ一派は機関を私物化し、新幹線支部が稚内闘争団に対して常駐オルグ受け入れの中止を通告するなどという暴挙にまで出ている。断じて許すことはできない。
 だが、五・三〇集会を大成功させて不抜の拠点を築いた闘う闘争団とJR本体組合員、支援共闘は、四党合意による国労解体攻撃を粉砕し、「解雇撤回・地元JR復帰」まで闘いぬく不屈の意志を固めている。この闘いは誰にも押しとどめることはできない。
 闘う闘争団は、「解雇撤回・地元JR復帰」という要求を貫いて、「JRに法的責任あり」を主張し続け、四党合意による超低水準の「解決」に反対し、「反組合的差別行為はなかった」「採用率が低いのは、無断欠勤など勤務記録に問題があったから、広域異動に非協力的だったから」というILO第二次勧告をただすために闘っている。この闘いこそが正義であり、国鉄分割・民営化以来の国労の十四年間の闘いの原則を貫くものにほかならない。
 この闘う闘争団を非難する資格が誰にあるというのか。平然とそういうことができるのは、一刻も早く国労の旗を投げ捨て、国労組織を国家権力と資本に売り渡し、JR連合と一緒になりたいと思っている連中だけである。
 今や、あくまでも闘う闘争団とともに闘う国労の原則を守りぬいて闘うのか(これこそ真っ当な労働組合の進むべき道だ)、それとも解雇された組合員である闘争団を切り捨てて、労資協調の御用組合に転落するのか、この二つの道以外の中間の道はない。
 このことが一切のあいまいさなく突き出されるのが、今度の国労全国大会なのだ。この対決構造を鮮明にし、高嶋―寺内執行部打倒、四党合意粉砕、闘う執行部の樹立をめざして断固として闘わなければならない。

 小泉「構造改革」と対決する国鉄闘争

 極右小泉政権の登場によって、国鉄闘争解体攻撃が強まっている。国鉄闘争は、小泉反革命と真っ向から対決する闘いだ。解雇撤回を不屈に貫く国鉄闘争の意義は、ますます重大なものとなっているのだ。
 「聖域なき構造改革」を叫ぶ小泉政権は、戦後体制を右から破壊し、改憲と戦争国家化に向け、労働者人民に二〜三百万人の大失業を強制する極反動政権である。「構造改革を米百俵の精神で断行する」と称して、大銀行と大企業の延命のために、すべての犠牲を労働者人民に転嫁し、資本攻勢を容赦なく進めようとする政権である。
 特に小泉政権が打ち出した「経済財政・構造改革の基本方針」は、「創造的破壊としての構造改革はその過程で痛みを伴う」と称して、郵政民営化や特殊法人見直しを始めとして、全産業での数百万人の大失業と賃下げ、社会保障解体、大増税という、「痛み」どころか生活と生存の破壊を強制する攻撃である。
 小泉のバックには、国鉄分割・民営化を強行した中曽根がおり、経済財政相の竹中は、国鉄再建監理委員会委員長代理だった加藤寛(現・千葉商科大学長)を師と仰いでいる。小泉や竹中が狙う「構造改革」とはまさに国鉄分割・民営化型攻撃の全産業での貫徹である。小泉政権は、「五百三十万人の雇用創出」などと言っているが、逆に言えば五百三十万人の首を切って、低賃金・不安定雇用化するということなのだ。首を切られるのは、その労働者が雇用される能力がないからだ、だからおとなしく首を切られて、新しい職を探せということだ。
 国鉄分割・民営化においては、分割・民営化以前に二十万人に近い労働者が職場を追われ、JR不採用になった七千六百人が清算事業団に送られた。ここで行われた「雇用対策」とは、超低賃金のアルバイトのような職を、新聞の求人広告を切り抜いてきたりするものばかりだった。仕事を与えず、嫌がらせを繰り返すことで自ら辞めることを狙ったのだ。これを拒否して清算事業団から解雇されたのが千四十七人である。
 今、小泉政権がやろうとしていることは、この国鉄分割・民営化の攻撃を数百倍するような攻撃である。これに抗して闘う国鉄闘争が闘い続けるのを容認することはできない。ここで一気にたたきつぶそうとしているのだ。
 だからこそ、国鉄闘争は、絶対に負けられない、日本労働者階級の未来のかかった闘いなのである。
 この小泉政権の登場と軌を一にして、「JR会社法一部改正」=JR本州三社の完全民営化法が成立した。この国会審議の中で、扇国土交通相や安富鉄道局長らは、千四十七人問題について、JRの法的責任だけでなく政府の不当労働行為責任をも居直り、ILO第二次勧告をふりかざして四党合意による決着を図る意志をむき出しにした。
 「JR会社法改正案に対する付帯決議」では、「いわゆるJR不採用問題については、現在、人道的見地から関係者間で努力が続けられているところであるが、政党間協議等の今後の対応を見守りつつ適切に対処すること」という文言が盛り込まれたが、あくまでも「人道的見地」ということが強調されている。
 五月十四日に行われた第三回四党協議で、自民党・甘利は、「@不採用問題を条件闘争に持ち込むな、A四党合意はあくまで『人道的解決』だ、B最高裁判決までがタイムリミットだ」「国労側がこうしたことを理解しなければ具体的交渉は進まない」「今国会で完全民営化法案が通れば、JRが交渉の舞台に上がるのは困難だろう」と社民党に迫った。甘利は、国労執行部に対して゛早く闘う闘争団を切れ。解決案は一発回答であり、解決交渉はない。これがダメなら終わりだ″と恫喝している。
 高嶋―寺内執行部は、「解決案を出させる」というようなことを言っているが、すでに甘利の言う「一発回答」に事実上承諾を与え、どんな「解決案」でものむつもりなのだ。

 不当労働行為追及を貫こう

 だが逆に、四党合意を拒否して闘いぬくならば、千四十七人問題に決着がつかないままに「JR完全民営化」をせざるを得ず、「国鉄分割・民営化は成功した」としたい日帝権力・JR資本を追いつめていくことになるのだ。
 日帝権力が、あくまでも「人道的」にこだわるのは、JRと政府に対する不当労働行為責任の追及から逃れたいためである。だから不当労働行為責任を徹底追及して闘うことこそが、敵に打撃を与えるのだ。
 五・三〇闘う国労闘争団共闘会議(準)結成集会は、「人間の尊厳を取り戻す闘い」として、この不当労働行為を絶対に許さない闘いを貫くことを宣言した。敵の「お情け」にすがるのではなく、あくまでも「人間の尊厳」を回復する、すなわち不当労働行為の責任をとらせるまで闘うということだ。
 チャレンジ一派は、「差別と不当労働行為を主要な闘いとか目標とすることには限界がある」「(不当労働行為との闘いは)JR内の反合理化闘争が中心とされないばかりでなく、主戦場はJRの職場であるにもかかわらず、職場からしだいに遠ざかっていく」(『社会主義』五月号)などと言って、反合理化闘争と不当労働行為との闘いを対立させ、不当労働行為との闘いを否定するという暴論を持ち出している。
 不当労働行為を許すのか否か、ここが国鉄闘争の攻防の重大な焦点となっている。それはまた、日帝資本の労働組合解体攻撃との対決の焦点でもある。
 チャレンジ一派を打倒し、不当労働行為との闘いを断固として貫こう。

 松崎の会長辞任で危機進むJR総連

 六月十七―十九日に開かれたJR東労組第一七回定期大会で、松崎明の「会長辞任、顧問就任」が決定した。松崎の「会長辞任」は、JR完全民営化法案の国会審議で「JR総連・東労組=カクマル」ということが大々的に取り上げられる中で、昨年十二・九全支部委員長会議講演での「カクマルとの決別」宣言だけではダメだと権力・資本から突き上げられたことへの危機的対応である。
 大会には、JR東社長・大塚が初めて出席し、「完全民営化に道は開けたものの、今後の経営はけっして楽観できない。『ニューフロンティア21』という新たな目標に向け、労使の協力体制をもって努力していこう」とあいさつした。
 これに対して、JR東労組は「ニューフロンティア21」に呼応する組合側のプランとして「組織*労働生活ビジョン21」を打ち出した。大会前の十三日には、「設備部門のメンテナンス体制の再構築」=全面外注化を裏切り妥結した。松崎を先頭とするJR東労組カクマルは、「ニューフロンティア21」を自らの方針として「労使協力」で推進すると大塚に誓ったのだ。
 これは、国労に対する四党合意による攻撃と一体の事態である。松崎の「会長辞任」まで行き着いたということは、千四十七人問題を始めとする分割・民営化問題のすべての問題の決着に向けて、日帝権力が動いているということだ。
 この攻撃の激しさをしっかりと見すえなければならない。同時に、松崎・JR総連と黒田カクマルの分裂は泥沼化し、JR総連・東労組の危機は一層深まる。だからJR総連を解体する絶好のチャンス到来ととらえて闘う時でもある。
 そのためにも、今ここで国労を闘う労働組合として再生させることが絶対に必要なのだ。
 今や、きたる八月国労定期全国大会は、国鉄闘争と日本労働運動全体の命運をかけた決戦となった。まなじりを決して決戦態勢に突入しよう。

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週刊『前進』(2012号6面2)

カクマルは「つくる会」の先兵
 ”教科書問題をめぐる中国・韓国の非難に他力本願的に唱和するな”

 検定合格から2ヵ月沈黙してやっと言及

 ファシスト・カクマルは、「新しい歴史教科書をつくる会」の中学校歴史・公民教科書が文部科学省の検定に合格するという重大な事態に、死の沈黙を続けてきた。だが教科書闘争が高揚する中で、「左翼」の仮面をかぶって運動を破壊することを使命とする彼らの反革命的本性から言って都合が悪いことになり、実に検定通過から二カ月もたって反革命通信『解放』六月四日付(一六七一号)に、おずおずとこの問題に言及する論文を発表した。
 だが、それは、日帝・小泉などと同じ立場で「つくる会」教科書に対する「中国や韓国の非難に唱和するな」と言う、許すことのできない排外主義宣伝を行うしろものである。「つくる会」教科書に対して彼らカクマルには何の階級的怒りも断罪もないのである。教育闘争の敵対者、小泉反革命の先兵=カクマルを粉砕せよ。
 だいたい、今ごろになって初めて「つくる会」教科書について言及すること自体が、政治党派としての失格を意味する。
 この問題は、二月に「つくる会」が文部科学省の「修正意見」を全部受け入れるということで検定合格の情勢であることが報じられ、大問題になっていた。国際的にも日本の教科書が侵略戦争を賛美し、植民地支配を居直っていることが弾劾の対象となっている中で、これにどういう態度をとるかということが日本の労働者階級人民の一大テーマとなってきたのである。
 ところが、カクマルは、二、三月段階はおろか、四月三日の「検定合格」という歴史的重大事態に際しても、まったく反応しなかった。それは、カクマルが党派として、この「検定合格」を容認する立場に立っていたことを示している。
 もともと、カクマルの政治闘争方針なるものは、絶えず「左翼」のふりをするためのアリバイである。ガイドライン関連法阻止闘争でも、組織的犯罪対策法粉砕闘争でも、闘いの爆発に恐れおののき、追いつめられて介入を図ってくるのがカクマルの常なのである。
 今回の「つくる会」教科書問題に対する対応もそうである。カクマル自身は教科書問題が大闘争化することはないだろうと願望していたのだ。しかし、ここにきて、沈黙を続けることは党派生命にかかわることだとようやく気が付いたのである。
 『解放』一六七一号の1面トップに「教育のネオ・ファシズム的再編粉砕/戦争賛美と皇国史観で彩られた『つくる会』教科書の『検定合格』を許すな」というもっともらしい見出しを付けてだらだらと駄文を書きなぐっている。その内容は、要するに「つくる会」教科書の中身を紹介しているだけなのだ。
 重要なことは、カクマルが「検定合格を許すな」とやっと言い出したが、「検定合格を取り消せ」とか「採択を阻止せよ」など、具体的にこの「つくる会」教科書との闘いの方針を何ひとつ持っていないということだ。それどころか、次のようなインチキな「野党批判」をもって方針に代えているのだ。その内容は実に反動的なものだ。
 「だが、民主党をはじめとする既成野党ならびに日教組などの既成労組指導部は、小泉政権による戦争準備とりわけ教育のネオ・ファシズム的再編にまったく反対することなく、いやむしろ、――教科書問題をめぐる中国・韓国などの非難に他力本願的に唱和する以外は――下から呼応しているほどなのだ」
 カクマルは、ここで民主党や日教組を「中国・韓国などの非難に唱和している」と言って攻撃しているのである。これは決定的な反革命的言辞である。
 その少し前で、カクマルは、「文部科学省は、……『新しい歴史教科書をつくる会』がつくった民族排外主義・国家至上主義丸出しの『歴史教科書』および『公民教科書』を、中国・韓国などからの囂々(ごうごう)たる非難に挑戦するかのように『検定合格』にした」と言っている。

 黒田の思想は「つくる会」と同じ排外主義

 「中国・韓国などからの非難」と言うが、「非難」とは何という言いぐさか。「不当な批判」ということではないか。批判の中身は何なのか。カクマルはそれにどう向き合い、どう答えるのか。それは一言も語られない。しかし、それは語らないで済むことなのか。
 中国、南北朝鮮を始めとしてアジアの人民から大きな怒り、抗議、糾弾の声が巻き起こっている。その大衆的な怒りの沸騰の中で、三月十一日には南朝鮮・韓国、北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国の三労働団体から「つくる会」教科書に対する抗議の共同声明が発せられた。さらに、韓国政府が三十五カ所の再修正要求、中国政府が八カ所の再修正要求を日本政府に正式に突き付けた(北朝鮮は六月十九日までに二十項目の修正を要求)。われわれはこの要求を人民の怒りの決起に押された、韓国と中国の政府の最低限の要求として断固支持し、事実上の白紙撤回の要求として受けとめ、日本の人民の責任において「つくる会」教科書そのものを粉砕するために闘わなければならないのだ。
 朝鮮・中国人民は、侵略され、虐殺され、支配された当事者であり、歴史の偽造と歪曲に対して日本政府に抗議し、たださせる当然の権利がある。それを小泉のように「他国にあれこれ言われる問題ではない」と開き直り、拒否することは、再び朝鮮・中国・アジア人民をじゅうりんするに等しい暴挙なのである。
 ところが、カクマルにあっては、ベクトルはまったく逆に向いている。朝鮮・中国人民との連帯など考えていないのだ。それどころか、民主党や日教組が「中国・韓国などの非難に唱和している」と言って攻撃しているのである。しかし民主党や日教組が、どこで「唱和」したと言うのか。三十五カ所、八カ所の修正要求を支持したのか。三労働団体の声明に連帯する態度表明を行ったのか。そんな事実はまったくない。それにもかかわらず「唱和している」というのは、「中国・韓国の非難」を小泉政権批判の材料に使うのはけしからんとカクマルが言っているということなのだ。
 要するに、カクマルは「中国や韓国から非難されようと、そんなものに呼応するな、無視せよ」と言って、小泉を激励しているのだ。そうでないというなら言ってみよ。「つくる会」が小泉に対して言っている「外圧に屈するな」「内政干渉だ」というのと、カクマルは完全に同じ姿勢なのだということは、もはや覆い隠すことはできない。
 かつて、カクマルは革共同の連帯戦略に対して、「被抑圧民族迎合主義だ」と敵対して、自らの帝国主義的民族排外主義をさらけだした。まさに「つくる会」教科書に対する朝鮮・中国・アジア人民の抗議と告発を支持することは、カクマルには「被抑圧民族迎合主義」として、あってはならないことと考えられているのである。
 そもそもカクマル頭目・黒田寛一の『実践と場所』全三巻は「つくる会」とまったく同様の日本礼賛と排外主義を満展開している。太平洋戦争を「大東亜戦争」と呼び、「支那」「ヤンキー」と排外主義的言辞を繰り返し、朝鮮・台湾植民地支配を絶賛するというとんでもない本なのだ。゛党首″のこんな本をありがたがっているカクマルは、「つくる会」教科書と心情的に一体化してしまっているのだ。
 われわれは、黒田思想の行き着く先が「日本民衆も『リメンバー・パールハーバー!』」を掲げた反米愛国主義、右翼国粋主義であることを暴露・弾劾してきたが、「つくる会」教科書問題では、アジア人民の抗議の声を排斥する最悪の民族排外主義なのである。

 「産経」の歪曲報道と連携し日教組を攻撃

 さらに重大な問題は、六月半ば以降、カクマルが「日教組教文部長・藤川発言弾劾」とけたたましく叫び始めたことである。
 全国各地で日教組傘下の各教組や多くの労働者人民が「つくる会」教科書採択に反対して立ち上がっていることに突き上げられ、日教組本部は、中学の歴史・公民教科書の内容を比較した「教科書白書2001」を発行し、六月十一日に記者会見を行った。この記者会見における藤川伸治教育文化部長の発言を意図的に
歪曲して、産経新聞が翌十二日、「扶桑社『いい教科書』/日教組部長/不採択運動は否定」の見出しで大きく報じた。十三日の「産経抄」は「日教組にだってわかる人はいる」と持ち上げた。
 産経新聞とは、言うまでもなく「つくる会」や扶桑社と一体となって教科書を攻撃してきた張本人である。産経新聞の報道は、採択反対運動の攪乱(かくらん)と破壊を狙った攻撃にほかならない。
 それに対してカクマルは、産経新聞を弾劾するのではなく、まったく逆に、産経新聞に依拠し、これと一体になって「藤川発言弾劾」と叫び立てているのだ。まさにカクマルは「つくる会」の先兵であり、教科書闘争の破壊者である。
 もちろん、「つくる会」教科書に対して「不採択運動は行わない」とする日教組本部の屈服性は明らかである。カクマルの教科書闘争破壊を許さず、日教組本部の屈服を打ち破って、教育闘争を階級決戦として闘うことが求められている。
 朝鮮・中国・アジア人民との連帯をかけて、教育労働者と保護者・住民との共同闘争で、「つくる会」教科書の七月採択を絶対に阻止しよう。

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週刊『前進』(2012号6面3)

2001年日誌 阻もう! 改憲=戦争への動き 6月20日〜26日
 防衛庁長官「ミサイル防衛主体的に」
 空自戦闘機が機関砲を乱射

●21の学会が「つくる会」教科書の誤りを指摘 歴史学研究会、歴史教育者協議会など二十一の学会が「つくる会」歴史教科書の記述について、五十六カ所の誤りを指摘する文書を全国の市区町村教育委員会に送ったことを明らかにした。(20日)
●米国務長官「通常兵力削減を議題に」 パウエル国務長官は上院外交委員会で、北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国・の通常兵力削減について「究極的にはこの問題を抜きに北朝鮮との関係を前進させることは困難だ」と述べ、米朝協議の主要議題として欠かせないと強調した。他方、北朝鮮の朝鮮労働党機関紙・労働新聞は「米国はまず南朝鮮占領の米軍を撤収するべきだ」と主張した。(20日)
●米韓の軍事態勢強化 ラムズフェルド米国防長官は金東信韓国国防相と会談し北朝鮮に国際原子力機関(IAEA)の査察を早期に受け入れるよう求めていくことで一致、北朝鮮への米韓の軍事態勢を強化することで合意した。(21日)
●「2正面戦略」転換を公式声明 ラムズフェルド米国防長官は上院軍事委員会で「二正面戦略」を見直す方針を公式に明らかにした。また前方展開戦力の強化、各軍を統合した緊急展開部隊の創設、次世代ハイテク兵器の開発などが必要だと述べた。(21日)
●国連副総長に「5原則見直し」表明 中谷元・防衛庁長官は国連本部でフレシェット副事務総長と会談し、凍結中の国連平和維持軍(PKF)本体業務への参加と武器使用基準拡大などの国連平和維持活動(PKO)参加五原則見直しの考えを述べ、東ティモールPKOに自衛隊を派兵する意向を表明した。(21日)
●ミサイル防衛「主体的に運用」 中谷防衛庁長官は日米防衛首脳会談で、「日本が仮にミサイル防衛システムを保有することになれば、国土防衛のため主体的な運用を行うシステムを考えている」と述べた。また中谷長官は日米同盟の強化へ日米防衛当局による審議官級協議の設置を提案しラムズフェルド国防長官の理解を得たほか、海賊対策、自然災害救難、大量難民対策などの多国間協力を日米中心で推進することで合意した。(22日)
●15年使用期限問題を先送り 岸本建男名護市長は普天間代替基地の受け入れ条件に掲げる十五年使用期限など七項目について、これまで「基本計画決定時」に解決すべきとしてきたが、「実施設計に着手する前の段階で」と問題を先送りした。(22日)
●沖縄「慰霊の日」 「慰霊の日」を迎えた沖縄で、一坪反戦地主会などの実行委員会が主催した国際反戦集会が糸満市米須で開かれるなど反戦闘争が取り組まれた。他方、糸満市摩文仁の平和祈念公園で行われた県主催の沖縄全戦没者追悼式では小泉純一郎首相があいさつ。八月十五日の靖国神社参拝と名護新基地建設への姿勢に批判が起こった。同式典にはハンセン病元患者らが初めて団体として参加した。(23日)
●都議選で自民が゛復調″
 小泉政権の誕生でどん底から浮揚した自民党が、都議選で議席を五十三に増やした。公明党二十三、民主党二十、共産党十五、生活者ネット六議席など。社民党は議席を失い、日共は惨敗。小泉政権、石原都政に真っ向から対決を挑み杉並から立候補した都革新・けしば誠一氏は残念ながら当選できなかった。(24日)
●沖縄市で米兵が器物破損
 米海軍キャンプ・シールズ所属の一等水兵が沖縄市知花の路上でタクシーの車内で暴れた上、後部窓ガラスを破壊したとして現行犯逮捕された。(24日)
●空自戦闘機が誤射 北海道島松射撃場で訓練中の航空自衛隊那覇基地所属F4戦闘機が二十_機関砲から模擬弾百八十八発を誤射し、北海道北広島市のリハビリセンターなどが被弾した。たまたま負傷者はなかったが、一歩間違えば大惨事になっていただけに同市住民らは恐怖と空自への怒りに震えた。自民党の山崎拓幹事長は、事件後の記者会見で「それほど重大な事件ではない」と述べて批判され、再度おわびの記者会見を行った。(25日)
●首相が国立墓地を検討
小泉首相は衆院決算委員会で「戦没者を慰霊する」国立墓地の建設を検討する考えを示した。また靖国神社参拝について「公式か非公式か言う必要はない。総理大臣小泉純一郎が参拝する、それだけだ。とやかく言われる筋合いはない」と暴言を吐いた。(25日)
●防衛庁の省昇格を要請
中谷防衛庁長官は山崎自民党幹事長に日米防衛首脳会談の内容を報告するとともに防衛庁の省昇格の実現を要請した。(25日)
●ゴランPKO延長を閣議決定 福田康夫官房長官は閣議で、中東・ゴラン高原での国連兵力引き離し監視軍(UNDOF)に参加している自衛隊の派兵期間を来年二月からさらに二年間延長する準備に入ると報告し、了承された。(26日)

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週刊『前進』(2012号7面1)

小泉「慰霊の日」訪沖と対決 6・23沖縄
 靖国参拝攻撃許さぬ
 第18回国際反戦集会開く

 六・二三闘争は、小泉政権による「聖域なき構造改革」という名の戦争国家化の大攻撃の中で闘われた。とりわけ小泉が八月十五日の靖国神社公式参拝と一体の攻撃として、戦争賛美と「英霊」化のために六・二三「慰霊の日」に沖縄を訪問したことに対して、沖縄人民は終日闘いぬいた。
 「小泉さん! 戦争責任を曖昧(あいまい)のままにしてきた天皇や国家のために、今なおこの島でムラや家族が引き裂かれている現実をご存じですか。アジアの人々の怒りと屈辱をご存じですか。私たちは、あなたが沖縄にきたその足で、靖国神社にいくことをゆるすわけにはいきません」「摩文仁・沖縄のすべての地に眠る、死者たち。私たちは、今なおあなたたちに、安らぎの言葉を捧げることができずにいます。私たちは自らの非力さに深く頭を垂れつつも、平和への努力を心に誓っています。今なお身近に感じられる累々たる骨塚の前で、私たちは非武装平和への誓いをあらたにします」(第一八回国際反戦沖縄集会実行委員会「非武装平和への誓いをあらたに(六月二三日の訴え)」)
 二日前に梅雨の明けた強い日差しの中、平良修牧師のあいさつを受けてただちにひめゆりの塔前の駐車場から魂魄(こんぱく)の塔までの平和行進が開始された。魂魄の塔に到着した参加者は集会のアピールを全体で確認し、集会を開始した。
 集会は海勢頭豊さんの歌で始まり、主催者代表あいさつを中村文子さんが行い、「女性国際戦犯法廷」と「米国本土教会とのネットワーク」の報告が行われた。伊佐順子さんは「戦争体験を語る」と題し、「戦争は私たちが考えていた以上にひどいものでした」と母親の死を涙ながらに語り、「戦争は人間が人間でなくなる。皇民化教育の時代を繰り返してはいけない」と、「つくる会」教科書による沖縄戦と戦争の賛美への怒りを強く訴えた。
 毎年恒例の「紙芝居」、那覇軍港の浦添移設に反対する市民の会、名護ヘリ基地反対協からの現地報告に続いて、広島から駆けつけた反戦被爆者の会の下田礼子さんが発言に立った。下田さんは「小泉はアジア諸国に謝罪もしない。『つくる会』教科書は天皇のために死ねという教育を行うもの。このようなことは絶対に繰り返してはいけない」と訴え、「日の丸・君が代」攻撃に「二度と教え子を戦場に送らない」と闘う広島の教育労働者を紹介し、八・六ヒロシマ大行動への参加を呼びかけた。
 さらに県立与勝高校の高校生が歌とダンスによる「平和の舞台」を披露した。同校の川満美幸さんは、「ハワイ沖で宇和島水産高校の練習船と衝突した原潜は、九八年に高校のすぐ近くのホワイトビーチに寄港している。他人事とは思えなかった」と宇和島水産高校へ送った手紙を読み上げ、同校生徒会長からの返事の手紙を紹介した。そして亡くなった生徒たちや学童疎開船「対馬丸」の犠牲者に思いをはせた創作ダンスと、平和への決意を込めた歌を披露した。高校生の「二度と沖縄戦を繰り返さない」という決意は、小泉と「つくる会」教科書のもくろみを打ち砕くものであった。集会参加者から大きな拍手がわき起こった。
 ブッシュ政権の対中国戦争挑発と小泉反革命による「第二の沖縄戦前夜情勢」の中で、「基地の島」の二十世紀から「平和の島」「国際連帯の島」の二十一世紀を現実のものとするために、今こそ闘いの原点に立って闘うことが求められている。九五年十・二一の原点だった沖縄戦の絶対否定と少女の決起に絶対にこたえるということを参加者が今一度確認した。
 また今年の六・二三闘争は、「つくる会」教科書や「沖縄イニシアチブ」論など、「沖縄戦の絶対否定」を踏みにじり、むしろそれをたたえる攻撃との激突であった。沖縄でも「つくる会」教科書への怒りが全島でわき起こっている。
 県主催の「沖縄全戦没者追悼式」に先だって平和の礎(いしじ)に立ち寄った小泉は、南朝鮮・韓国からの慰霊団の呼びかけに対し一言も発することもなく背を向けた。この小泉の態度に慰霊団は抗議・糾弾し、県主催の追悼式を初めて欠席した。六・二三当日の沖縄で日帝対アジア人民・日帝対沖縄人民の非和解的な激突が具体的に闘われたのである。
 連合は、五・一五闘争に続き、例年の六・二三の取り組みを圧倒的に縮小した上で二十二日に集会の設定をずらし、六・二三当日は県主催の追悼式に参加するように指示を出した。小泉・稲嶺らと同席した連合を打倒する新たな闘いが、労働者階級と青年を先頭に確実に開始されている。
 労働運動の新しい潮流の力強い登場を今こそ実現しよう! 八・六|八・九|八・一五をアジア人民との国際主義的連帯闘争として闘いぬこう! 沖縄戦をたたえる「つくる会」教科書の採択を粉砕しよう! 沖縄闘争の新たな発展を、名護新基地建設阻止の闘いを先頭に、労働者と青年がつくり出そう! 

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週刊『前進』(2012号7面2)

“教育関連3法案廃案に” 全国から教育労働者先頭に
 参院委へ終日抗議

 六月二十六日、教育改革関連三法案(地方教育行政法、学校教育法、社会教育法改悪案)の参院文教科学委員会での審議が大詰めを迎える中、国会前で教育改革関連法の廃案を求める抗議闘争が終日行われた。
 全学連と反戦共同行動委員会は、小泉反革命と対決して教育改革三法案の採決を阻止するのだと闘志を燃やして午前九時から約三十人が結集して闘いぬいた。大山尚行全学連委員長を先頭に、全国から駆けつけた学生が交代でアジテーションした。
 「教育改革法案は戦争に反対する教育労働者を職場から排除し、子どもたちに愛国主義をたたき込んで、再び侵略の銃を持たせようとするものだ。広島などにかけられた『日の丸・君が代 』処分や『つくる会』教科書の攻撃がそれを示している」「小泉改革は『痛みを我慢しろ』と労働者人民に犠牲を強いて銀行や大資本を救済し、労働者人民を戦争に駆り立てようとする攻撃だ。この小泉反革命との対決が問われている」との訴えが国会周辺に響いた。
 委員会審議が始まった十時過ぎから全国の教育労働者が集まり始め、全体で約百五十人がずらっと座り込んだ。国会前で教育労働者の交流集会が行われ、北海道教組、石川県教組、石川高教組、広島県教組、岡山県教組などが発言した。民主党が法案の改悪でしかない修正案と付帯決議で賛成に回ったことに対し、このまま教育改革三法案がむざむざと成立することは許せないとの現場の思いが、広島の闘いと結びついてこの日の闘いとなって爆発したのだ。
 午後三時からは多摩教組、東京教育労働者組合・アイム89、東京都学校ユニオン、教育基本法と教育関連六法案に反対する署名実行委員会が呼びかけた国会前抗議行動に約四十人が集まり、集会を行った。
 「教育改革攻撃の後に教育基本法改悪や憲法改悪がくるというような生やさしいものではない。東京の教育現場は人事考課、授業観察、主任の中間管理職化など基本法も憲法もないような恐るべき状況だ」
 「生徒に沖縄や広島の真実を伝えるビデオを見せ、研修所に送られた。そして本人には何の説明もなく『あと一年』『もうあと一年』と研修所から出してもらえない。校長や教育委員会に絶対服従を誓わない限り『研修の成果がない』とされてしまう。小泉人気は戦前の近衛人気に似ている。これと対決して闘う」
 「組合の書記長が傷害事件をデッチあげられ、懲戒解雇攻撃を受けた。かつて全逓や国労にかけられたような攻撃が教育現場で始まっているが、絶対に負けない。全国の闘う組合員と連帯し闘う」
 どの発言も、教育改革攻撃とのすさまじい攻防を伝え、この法案が通ればどのようなデタラメが教育現場を襲うかを示して余りあるものであった。
 広教組書記長の山根さんは「この三カ月で今日までに六万七千七百三十四筆の署名が集まった。今はこの署名が生きるような行動を最後まで闘い抜こう。そして署名をとおして全国で運動の広がりをつくり出そう」とアピールした。
 広島の教育署名事務局は、「この三年間、攻撃に次ぐ攻撃が広島の教育に襲いかかった。こうした攻撃に対して教組や部落解放同盟、市民団体などが力をあわせて闘ってきた。四月一日からの三カ月間で全国から六百五十人の団体・個人の賛同が寄せられた。多くの手紙が同時に寄せられた。ある年輩の方からの手紙には『一九三〇年代の歴史が自分の人生で二度もくり返されることを許してはならない、何かできないものかと悩んでいたところ、広島署名を知った』と書かれてあった。全国の仲間とともにこれからも頑張りたい」と報告した。
 また多摩教組は「厳しい情勢だが、ここで終わりではない。これを新たな第一歩にして、教育基本法改悪阻止・改憲阻止の闘いなどに取り組もう」と訴えた。
 参院議面では午後五時過ぎに日教組の報告集会が行われたが、民主党議員が「対決法案として攻撃するだけでは数で負けるので、今後に生かせる答弁を引き出したい」などと発言して多くの参加者のヤジを浴びた。「廃案にすべきではないのか」との質問に「そういうことを言うのならこの場を退席する」など言い放ち、参加者の怒りを倍加させた。
 カクマルを打倒して、全国の闘う教育労働者とともに、教育改革攻撃粉砕・改憲阻止、小泉政権打倒へさらに闘い抜こう。

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週刊『前進』(2012号7面3)

在韓被爆者への「援護法」適用を拒否 国側の控訴を弾劾する
 反戦被爆者の会 全国被爆者青年同盟

 在韓被爆者への被爆者「援護法」適用を拒否する国側の控訴を弾劾するアピールが、反戦被爆者の会、全国被爆者青年同盟から寄せられたので紹介します。(編集局)
 在韓被爆者の郭貴勲(カクキフン)さん(76)が、日本滞在中は支給された被爆者「援護法」に基づく健康管理手当が韓国に帰国したことを理由に打ち切られたのは違法とし、国と大阪府に処分取り消しを求めた訴訟で、五月一日、「援護法」を海外居住に適用しないのは「法の下の平等」に違憲のおそれがある(大阪地裁・三浦潤裁判長)と、原告側勝訴の判決が出た。
 許せないことに国側は、@援護法立法時の健康管理手当を年金の形で支給することを求めた修正案の否決(九四年十二月)、A広島判決で「援護法」適用を認めず(九九年三月)、B「援護法」は福祉が目的で手当だけを支給することは想定していない|などを理由として、六月十五日控訴した。
 われわれ被爆者、被爆二世は、戦争責任、強制連行・徴用責任、被爆責任を居直った日帝・小泉の「控訴」という暴挙を断じて許さない。満腔の怒りで徹底弾劾するものである。
 第一に、そもそも被爆者「援護法」(九四年)は、森山真弓法相が自己暴露しているように「福祉が目的」であって、国の戦争責任・被爆責任を放棄したものであった。“カネじゃない。国に亡くなった被爆者に線香の一本もあげて一言謝罪して欲しい゜との被爆者の怒りは、日本人だけでなくすべての被爆者の気持ちであり、「援護法」自体ペテンであり、被爆者の怒りの対象であるのだ。この「援護法」をもって在韓被爆者を抹殺するなど断じて許せない。あくまで戦争責任・被爆責任に基づく国家補償としての援護法が求められているのだ。
 控訴理由弾劾の第二は、侵略の歴史事実を隠蔽し、差別主義・排外主義に基づく国籍条項による日本政府の入管体制攻撃(居住地によって被爆者を差別する)であるということだ。小泉政権の「手当欲しくば、帰化しろ」との恫喝だ。
 「援護法」には在外被爆者を区別する規定はない。にもかかわらず、七四年厚生省局長通達=「(旧原爆二法の)適用を日本居住者に限定」を根拠にして、今回の大阪府の手当打ち切りがあったということだ。
 第三に、控訴理由が「特別手当」「健康管理手当」と「医療手当」とを切断し、前者を切り捨てるというあくどい手法をとっていることである。旧「原爆医療法」(五七年)、「原爆特別措置法」(六八年)を一体化させた現行被爆者「援護法」をすら、在外被爆者にあっては無視しようとしているのだ。国側の控訴理由はいずれも違憲である。
 七八年三月孫振斗最高裁判決は、「原子爆弾の被爆による健康上の障害はかつて例をみない特異かつ深刻なものである」とし、「このような特殊の戦争被害について(原爆医療法には)戦争遂行主体であった国が自らの責任によりその救済をはかるという一面をも有するもの」と、国家補償を指摘した。この「実質的に国家補償的配慮が制度の根底にある」とした最高裁判決に照らしても、「福祉」云々なる控訴理由がいかに反動的でまったく不当なものであるかは明らかだ。
 小泉・森山法相は「ハンセン病とは違う」と強弁するが、朝鮮人被爆者とは、日帝の植民地支配によって虐げられ、日帝のアジア侵略戦争の戦争遂行の人的資源として犠牲を強いられ、また、アジア支配をめぐる日米の帝国主義強盗戦争の帰結としての原爆被災という、三重、四重の被害の体現者なのである。
 原告の郭貴勲さんは、徴兵で旧日本軍の広島の部隊に配属され、爆心地から約二`メートルで被爆した。日本政府は、郭さんを始め在韓被爆者を五十六年間放置し、苦しめてきた。その挙げ句に、「控訴」という仕打ちである。これが「お国のために再び死ね、犠牲になれ」と叫ぶ小泉の「聖域なき改革」の正体だ。
 「在韓被爆者はみな死に絶えるのを待とうというのか。まったく非人道的、非人間的だ。法律で奪われ続けている権利を取り戻すまで、私は闘い抜く決意だ。しかし、われわれには時間がない」(郭さん談)。彼らをここまで追い込んできたのは日本政府である。そして、そんな日本政府を許してきたわれわれ日本の労働者人民の責務は大きい。
 今こそ、心底から郭貴勲さんの訴えを受け止め、闘いに学び、連帯し、小泉政権の控訴徹底弾劾して、戦争責任・被爆責任徹底追及、国家補償としての被爆者援護法をかちとろう! 被爆者・被爆二世は英霊となることを拒否する。
 「くり返すな! アジア侵略、ヒロシマ・ナガサキ|オキナワ」の旗をかかげ、闘うアジア人民と連帯し、六・二三沖縄|八・六広島|八・九長崎|八・一五靖国首相公式参拝と続く小泉の英霊化攻撃を断固粉砕しよう!
 二〇〇一年六月十七日

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週刊『前進』(2012号7面4)

広島大 朱碩(チュソク)さん招き連帯集会 “侵略の真実は消せない”

 五月二十二日、広島大学において在日朝鮮人被爆者の朱碩(チュソク)さんを迎えて「歴史から消せない侵略の真実」と題した連帯集会(主催/教育署名広大実行委員会)が行われ、五十人が参加しました(写真)。この集会に向けて、朱さんも呼びかけ人に名を連ねている広島発の教育署名を取り組み、七百筆以上の署名が集まりました。
 朱さんは現在闘病中ですが、病をおして平和公園での「ヒロシマ語り」を続けています。八月六日の原爆投下当日、勤労動員に行くのを嫌がる弟さんを無理やり行かせて原爆で失ってしまったことを悔やみ、「弟への供養として、二度と繰り返さないために、自らの被爆体験を命ある限り語る」と決意を述べました。すでにこれまで修学旅行生ら八万五千人に語っていて、「死ぬまでに十万人に語りたい」と話しました。
 また自らの経験した日帝の朝鮮植民地支配の実態を語りました。朱さんは日帝の朝鮮植民地支配を「十奪」と表現しています。言葉を奪う、名前を奪う、土地を奪う、主権を奪う、尊厳を奪う……。子どもが朝鮮語を話していたら先生に呼ばれて鼻血が出るまで殴られた話。強制連行で日本に連れてこられ、強制労働で働かされた話。特に広島の県北の高暮ダムの建設工事では突貫工事のために働いていた朝鮮の人がコンクリートの流し込みをよけきれず、数百人が今もダムの中に生き埋めにされています。参加者は、そうした歴史を美化する「つくる会」教科書はなお許せないと怒りを新たにしました。
 平和公園の「韓国人慰霊碑」が不当に差別され、平和公園の外にあったこと。広島市の対応も「平和公園の美観が損なわれるから」という許しがたい対応であったこと。さらに碑にささげられた折り鶴に放火されたり、平和公園の中に碑が移ってもそれに赤いペンキを塗りつけられたりしたことを朱さんは「死者を冒涜(ぼうとく)する行為だ」と厳しく弾劾しました。
 続いて学生が、広大内で発生した民族差別・排外主義落書きについて報告と訴えを行いました。この落書きはコンピューター演習室に「打倒! 鬼畜中共・南北朝鮮」と一bの大きさで書かれていたもので、「つくる会」教科書検定通過に怒り闘う朝鮮・中国人民に対する排外主義的な憎悪に満ちた、襲撃とも言える落書きです。参加者全体でこうした落書きを二度と起こさせないこと、大学当局にもきちんと取り組ませていくことを確認しました。
 その後、新入生が「戦争突入内閣は歴史的にも異常に支持率が高い。小泉政権は脅威だ。しかし、沖縄に行って闘う人びとを見て、この力があれば社会を変えられると確信した。学生こそが行動を起こそう」と鮮烈にアピールしました。
 参加した学生の感想も「被爆地広島の大学がこんな差別落書きを許していてはいけない」と、朱さんの提起を真剣に受け止めるものでした。アジア人民と連帯して「つくる会」教科書採択を絶対阻止する決意です。(投稿/広大生・T)

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週刊『前進』(2012号7面5)

資本攻勢&労働日誌 6月7日〜22日
 ●政労使雇用対策会議開く
 ●企業倒産件数今年最高に
 ●日本型401k法が可決成立
 平沼プランを国策に 経済財政諮問会議

●7日 川崎製鉄は業績連動型一時金導入を労資合意。2002年度から導入。NKKは「当面考えず」
●8日 銀行134行の労働者数が35万1623人で、前年同期比、人数で2万5248人、率で6.7%減少していることが帝国データバンク調べで明らかに。ピークの94年から22.6%、10万2700人減少。
●9日 派遣労働ネットワークは9日、10日「派遣トラブルホットライン」を実施、時給大幅ダウンや「雇用契約の短期化」などの切実な声が寄せられた。
●11日 連合の鷲尾悦也会長は記者会見し、今期限りで会長を引退することを正式に表明した。
◇「国際ジャーナリスト連盟」(IFJ、45万人)は11日から5日間、韓国で大会を開き、日本の「つくる会」などの中学歴史教科書は「政府による軍事侵攻を正当化」していると批判する決議を採択した。IFJには100カ国以上の労組が参加し、日放労、民放労連、新聞労連も加盟。
●12日 政府、経済界、労働界の代表による「政労使雇用対策会議」が約1年半ぶりに開かれた。
◇ILO総会で、日本政府が労組と交渉や協議を行わずに公務員改革の「大枠」を決めたことに関して、ILOは日本政府に対し労働組合との対話促進を奨励するとの議長声明を出した。
◇「つくる会」教科書反対で訪日した韓国代表が世界同時行動で文科省前と国会前で抗議行動。
◇経済産業省「男女共同参画に関する研究会」が、第3号被保険者制度廃止や保育充実などを提言。
●14日 5月の企業倒産件数が前年同月比12.8%増の1724件に達し、今年最高を記録した。
◇私鉄総連中央委員会で、4産別による「連合加盟単位一本化」方針に対して、「春闘や反戦平和など私鉄の貴重な財産をないがしろにしかねない……合同には反対だ」という反対意見が出た。
◇東京都教育委員会は、都内の公立学校に主任の職務権限を拡大する東京独自の人事システムを導入する方針を決めた。
◇最高裁は管理職労組の団交権を認める判決を出し、確定した。
●17日 JR東労組は19日までの定期大会で松崎明が会長を退任し、顧問に就くことを承認した。
●19日 連合は中央委員会を開催し、春闘の中間総括と、「2001〜2003年度政策・制度要求と提言」などを決定した。(要旨別掲)
●20日 政府の男女共同参画会議は保育所「待機児童」のゼロ化などを柱とする「仕事と子育ての両立支援策」を決定した。
●21日 政府の経済財政諮問会議は経済・財政運営の基本方針を最終決定した。平沼プラン(前回日誌参照)を方針に盛り込んだ。
●22日 参院で確定拠出年金法(日本型401k)が可決、成立した。10月から施行される。

 連合「2001〜2003年度 政策・制度 要求と提言」要旨
●小泉構造改革への屈服
「その構造改革の内容はいくつかの検討項目を示すのみ、…対策を先送り」
●リストラ解雇を容認
「企業にだけ頼って雇用を守ることにも限界がある」「労働組合の立場から、ワークシェアリングも検討」「失業なき労働移動を支援する」
●政府関係法人解体攻撃に屈服
「郵政公社は、…市場経済と調和のとれた…改革を推進」「特殊法人等は、……雇用を確保しつつ改革を行う」
●公務員改革に賛成
「公正、中立、透明かつ機動的な公務員制度に改革する」
●日帝のアジア侵略翼賛
「アジア通貨基金の設立などアジア通貨制度の強化をはかる」

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週刊『前進』(2012号8面1)

絶大な夏期一時金カンパを
都議選決戦の激闘ひきつぎ小泉打倒へ全力で闘います
 革命的共産主義者同盟

 すべての同志の皆さん。『前進』読者、支持者の皆さん。
 人民の未来のかかった激しい都議選を全力で闘いぬいた私たちは、引き続き参院選決戦、七月「つくる会」教科書採択阻止、八月ヒロシマ・ナガサキ、八・一五靖国をめぐる攻防、国鉄決戦、三里塚闘争など、小泉超反動政権と対決し闘いぬく暑い激しい夏を迎えようとしています。
 残念ながら力及ばず、結果は厳しくも敗北でした。しかし、ともに闘いに立ち上がった全国の同志、支持者の皆さんとともに、革共同は、都議選決戦の地平から決意も新たに、小泉反革命を全労働者人民の怒りの先頭に立って打ち破り、時代を革命的に突破する激しい闘いに立ち上がる決意です。
 参院選を始めとする二〇〇一年後半戦の勝利は、夏期カンパで表わされる皆さんの熱い思いにかかっています。厳しい経済状況のただ中ですが、今までを上回る力強いカンパを寄せられるよう心から訴えます。
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 第一に、戦争国家化への国家改造を狙う小泉超反動政権打倒の闘いにおいて、当面の焦点である参院選に勝利するために圧倒的なカンパをお願いしたいということです。
 私たちは、「けしば氏を都議会へ!」の闘いを、「大田昌秀氏(前沖縄県知事)と新垣重雄氏(沖縄社会大衆党)を参議院へ送り込み、小泉超反動政権との対決を」という展望と結びつけて闘ってきました。
 小泉は今次都議選の結果、「痛みを伴う構造改革」が東京都民によって圧倒的に信認されたとして勢いづいて参院選に向かい、景気後退を逆に開き直りながら、いよいよ本格的に「国家改造計画」を実行に移そうとしています。
 こうした状況に対し、日本共産党を含めたすべての既成政党は、すでに都議選の前から「小泉人気」に恐れをなして迎合し、あるいは口を閉ざし、屈服しています。まさに、ヒトラー登場前夜と言ってもいいような状況です。
 こうした中で大田氏が時代を突き破るために参院選立候補を決意されたことを、私たちは心から支持するものです。アジアを戦略的重点とし、沖縄を前線基地として位置づける米ブッシュ政権のミサイル防衛構想に「主体的参加」を表明し、沖縄に新しい侵略基地建設を押しつける小泉政権に対し、沖縄県民を始めとする労働者人民の怒りを体現する大田氏と新垣氏こそ、「小泉人気」に鋭い一撃を加える候補です。
 私たちは、都議選の闘いを参院選にひきついで、大田氏、新垣氏の当選を絶対かちとろうと決意しています。参院選勝利、小泉反革命打倒の闘いを絶大なカンパで支援して下さい。
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 第二に、「つくる会」教科書の採択阻止、ヒロシマ・ナガサキの闘い、靖国神社参拝粉砕の闘いにおいて、小泉政権の戦争国家化計画と真っ向から対決し、これを粉砕する闘いに、強力なカンパで参加されるようお願いしたいのです。
 小泉政権とは、戦後日本政治史に例を見ない超反動的デマゴギー的な扇動政治を行う政権です。労働者人民の現状変革の激しい思いをペテン的に取り込むふりをして、「構造改革」「新世紀維新」を掲げ、実は大銀行と大企業、つまり金融独占資本の生き残りのために労働者人民に一切の犠牲を押しつけ、戦争のできる国家へむけて全社会を改造していこうとしています。
 小泉を許しておいたら、私たち労働者人民は、生活を破壊されるだけでなく、戦場に動員され、虐殺の先兵にされてしまいます。「日本経済再生のためには痛みをがまんせよ」「国のために命をささげた人びとを祀(まつ)っている靖国神社に参拝して何が悪い」という小泉の言葉は、それを露骨に示しています。
 すでに小泉政権は、この間、教育改革三法案や土地収用法改悪の強行、東峰神社立ち木伐採という三里塚農民への強盗的襲撃、「つくる会」教科書に対するアジア人民の抗議への開き直り、有事立法や集団的自衛権の正当化策動などの攻撃をかけてきています。
 こうした小泉の戦争政策・アジア侵略政策と対決する七|八月の闘いは、「つくる会」教科書を弾劾する韓国を先頭とする全世界の闘いに、国際主義的に連帯する決定的な闘いです。アジア人民と連帯し、小泉の戦争国家化を粉砕する今夏の闘いを、力強いカンパで成功させて下さい。
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 第三に、小泉反革命の核心をなす「痛みをともなう構造改革」を、労働者人民、住民大衆の反撃で粉砕し、労働者人民の生活と権利を守り小泉打倒の闘う陣形をつくる闘いへの絶大なカンパをお願いします。
 六月二十一日、都議選の最中、小泉は「経済・財政運営の基本方針」を経済財政諮問会議の最終案として発表しました。「今後二〜三年の集中調整期間は平均してゼロないし一%程度の低成長」と経済停滞を開き直り、経済が危機なのだから、「痛みをがまんせよ」と強圧的に脅しています。
 「円滑な労働移動」「転職をすることが求められる雇用者」などと称して大失業を強制し、「老人医療費の伸びの抑制」「医療サービスの効率化」と言って福祉を切り捨て、「競争力を付けるには競争をするしかない」(竹中経済財政担当相)という弱肉強食のごり押しによって「中小企業の連鎖倒産」を促進するということです。
 この「日本[経済]が危機なのだからがまんせよ」という論理は、〈国益〉のためには戦争と戦争動員は必要、〈非常時〉には国家に命を捧げることは当然、という論理に完全に通じるものです。
 小泉反革命の「痛みをともなう構造改革」を吹き飛ばす労働者人民、住民大衆の広大な戦線をかちとっていく闘いに圧倒的なカンパをお願いします。
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 第四に、革共同を本格的な労働者党、強大な党としてつくり上げていく闘いのためにカンパをぜひお願いします。
 小泉とは、「国民」を直接デマゴギー的に扇動し、その圧力で自民党そのものを含めて既成政党やブルジョアジーを引っ張っていこうという、戦後日本の政治においてはまったく新しい型の政治家です。小泉の唱える首相公選制とは、まさにこのような首相の命令一下、戦争へ国民を総動員できるような体制への大転換を狙うものです。
 すべての既成勢力は、小泉反革命との対決から逃げています。だが一方で、小泉反革命は、日本帝国主義=資本主義の、展望のない危機の産物であり、政治的破産の絶望的表現です。
 革共同こそが、小泉を反革命と断じきり、この超反動政権と真正面から対決することを決意し、小泉の「強さ」「強引さ」の裏側にある焦りともろさを見抜いて闘っている唯一の党です。この革共同を、本格的な労働者党としてつくり上げていく闘いを、カンパでご支援下さい。
 革共同は、カンパの量に比例して、労働者人民に対するアピールをより多く、広く、深く発していくことができるのです。党建設、革命的宣伝・扇動をどうかカンパで支えて下さい。
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 第五に、反革命カクマルとの闘いに歴史的決着をつけるための武器としてのカンパをお願いしたいということです。
 日帝の危機の深まり、国鉄労働者を先頭とする階級闘争の前進、そしてわが革共同の対カクマル戦争の勝利的展開、九一年五月テーゼ下の「労働者の中へ」の闘いの前進の中で、カクマルは黒田と松崎の対立=中枢分裂によって、反革命党派としての絶望的危機にたたき込まれています。ファシスト労働組合=JR総連は、カクマルから分裂し、ますます資本への屈服と一体化を深めています。
 労働者人民の敵=反革命カクマルを、日本階級闘争から最終的に放逐し、戦闘的労働者の巨大な隊列と革共同の大合流をかちとるべく、革共同は反革命との内戦に歴史的勝利を確定するところまで来ています。この闘いを完遂するために、ぜひ強力なカンパをお願いします。
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 第六に、そして最後の点は、小泉反革命を倒すのは、労働者人民、住民大衆の戦闘的な自主的決起だということ、人民的決起こそが歴史を動かす原動力だということ、そしてその力が革命党としての革共同と結びつくことによって、労働者人民の最終的勝利=解放がかちとられるのだということです。
 カンパはこの革命的合流、参加の重要な形態としてあります。賃下げ、リストラなど厳しい生活状況の中で闘っておられる労働者人民、住民の皆さんからの血の出るような貴重なカンパこそが、私たちの活動を支えてくれる命綱です。革命的カンパそれ自体が、労働者人民の皆さんの決意と連帯を込めた決起であると私たちは考えています。
 闘いは、これからです。日本と世界の重大な歴史的転換点にあたって、小泉反革命打倒のために、参院選を始めとする今夏のさまざまな闘いの勝利のために、今までを超える圧倒的なカンパを訴えます。

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週刊『前進』(2012号8面2)

水嶋同志は当時四国にいた  アリバイは明白、直ちに釈放せよ
 吉野の「写真特定」ねつ造粉砕を

 捜査官が「写真を特定」と偽証

 水嶋秀樹同志は、百パーセント無実である。八八年九・二一千葉県収用委員会会長せん滅戦闘に一切関与していない。
 水嶋同志は六月二十八日の勾留理由開示公判で意見陳述し、「私は無実だ。八八年九月には四国にいた。これを証明できる人もいるし、物証もある」「私はマサイという人をまったく知らない。今日にいたるも会ったこともない。マサイを私の前に連れてきてくれ。そうすれば直ちに私が別人であることが判明するはずだ」「デッチあげ逮捕、勾留を決定した検事、裁判官を絶対に許さない。私は完黙非転向で、このデッチあげ攻撃を粉砕する」と訴えた。
 この水嶋同志の凛(りん)とした無実の訴えに、裁判に立ち会った公安検事瀧澤佳男と吉野通洋は、公安刑事根塚英樹とともにデッチあげをたくらんできた事実を真っ向から暴き出され、顔を青ざめてうつむくばかりであった。
 九・二一戦闘について、水嶋同志はニュースで初めて知ったのである。水嶋同志が「A」でないことは明白なのだ。四国の水嶋同志が、千葉県にどうしていられるというのだ。
 八九年十一月、別件逮捕された正井利明は、国家権力の恫喝に屈服し、九・二一戦闘についてデタラメきわまりない「自供」を行った。しかし、正井の「供述調書」では、「共犯者」は記号で示され、結局氏名や写真の特定まではしなかったのだ。
 ところが、正井の取調官である警視庁公安一課(当時)の警察官根塚英樹と検察官高田憲一(現在は徳島で弁護士)は、密室での取り調べをいいことに、「正井が水嶋同志の写真を『A』であると特定した」というありもしない事実をねつ造したのだ。まさに警察と検察による暗黒のデッチあげである。
 実際は、九・二一戦闘への報復のために、権力が水嶋同志を「指揮者」に、神藤猛雄同志を「実行犯」に勝手に決めつけたのだ。当然にも根拠など何もない。こんなことが許せるか。
 日帝・国家権力は、九〇年「即位の礼」「大嘗祭」を前にして、革共同に対する組織破防法の適用を策動していた。警察庁長官は「九〇年四月までに三里塚をきれいにする」と豪語し、凶暴な治安弾圧を繰り返していた。まさに三里塚・天皇決戦を事前に破壊する目的をもって、三月八日、二同志のデッチあげ指名手配に走ったのだ。
 正井利明を水嶋同志の前に連れてくれば、水嶋同志が「A」でないことは百パーセント判明する。
 ところが、公安検事吉野通洋は、連日夜間に水嶋同志を「取り調べ」、さらにデッチあげの上塗りをしようとしている。そして「正井の写真特定の調書はある」などととんでもないデタラメを言い始めた。あるなら出してみろ。根塚や高田が「調書はどうしてもとれませんでした」と裁判で証言したのはどういうことなのだ。根塚や高田が偽証したとでも言うのか。
 また、吉野は、高齢で記憶力が弱くなっている水嶋同志の母親が一人でいるところを待ち伏せし、四十年も前のことを問い詰めた。吉野検事はきわめて自覚的にデッチあげを強行しようとしているのだ。

 前歯の特徴に触れない正井

 正井は供述の中で指揮者「A」の特徴を供述している。表を見れば明らかなように、正井が言う「A」と水嶋同志はまったく別人であることは一目瞭然(りょうぜん)だ。
 水嶋同志は、高校三年の時に前歯が二本折れてしまった。そのまま高校を卒業して郵便局職員になった水嶋同志は、全逓の仲間から「はっかけさん」と呼ばれるほど、前歯のないことが目立った特徴だった。
 現在水嶋同志の前歯は二本しかない。当時から年月の経過とともに歯が悪くなって今の状態になっているのだ。
 取調官根塚によると、正井は水嶋同志の写真を指して「これがAさんです。私の言っていた身体特徴そのままでしょう。唇の薄いところ、ほおの出てるところ」と言ったとされている。これ自身、根塚のデッチあげである。だが、それはさておくとして、水嶋同志の写真を見ながら、「唇が薄い」と口元についてきわめて具体的に供述しているのに、「前歯が欠損して、ひどい状態だった」とは一言も触れていない。
 「A」は水嶋同志ではないから、水嶋同志の最大の特徴に触れることができなかったのである。

 身長の違いが別人の証明だ

 もし正井が水嶋同志と会っていれば、身長一六五aの水嶋同志を一七〇aくらいということはあり得ないのだ。
 身長問題でも「A」と水嶋同志が別人であることが、はっきり証明されているのである。水嶋同志は、髪、体形、身長、歯のすべてが正井供述とすら一致していないのだ。
 わが革共同は、心底からの怒りをもって無実の水嶋同志を奪還することを決意している。
 無実が百パーセント明らかな水嶋同志をこれ以上拘束することは、たとえ一日たりとも許されない。
 無実の水嶋同志を直ちに釈放せよ!

 

水嶋同志と正井供述の「A」とはこんなに違う
特徴
水嶋同志
「A」
身 長 165cm 70〜168cm
体 型 やせている 筋肉隆々のガッチリ型、骨太
頭 髪 頭頂部は薄くない 頭頂部が薄い
メガネ かけていない(「近視ではない」) かけたり、かけなかったり(「近視」)
前歯 欠損していて、顔の一番の特徴 供述なし
野球経験 中学は野球部。全逓時代にも野球経験あり 野球経験がないようなバッティング

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週刊『前進』(2012号8面3)

コミューン 8月号 小泉反革命政権論
 特集は小泉の新型「国家改造計画」批判。

 第一章は小泉政権論。第一節では小泉政権の成立過程を分析し、@日帝ブルジョアジーが戦後自民党支配の解体的危機を突破するために、自民党総裁選で予備選を行い、クーデター的手段をもって自民党の極右的再編に踏み切ったこと、A小泉の選出が日帝ブルジョアジーの総力を投じた作戦によって実現されたことについて明らかにした。
 第二節では郵政三事業民営化論などの小泉の反革命的諸政策について概観した。章末には小泉の経歴と発言録を掲載した。
 第二章では経済財政諮問会議の「骨太の方針」素案を取り上げて、小泉「構造改革」論を全面的に批判した。特に不良債権の最終処理問題を詳しく述べているが、それが恐慌を激化させ、数百万人の大失業をもたらす恐るべき事態を引き起こすことを明確にした。
 さらに特殊法人の民営化問題、地方交付税削減、地方自治体の整理・再編などの地方の切り捨てと都市再生重視など戦争国家化への国家改造攻撃を弾劾した。
 資料として奥田・日経連会長の発言を載せた。
 国際情勢は、「アメリカ階級支配の破綻が生み出したブッシュ政権」。世界恐慌情勢下で国家の求心力たるべき大統領が不正選挙を弾劾され続けていることの危機性を鮮明に示した。
 またボーイングの大ストなど新たな闘い、警察による虐殺・監獄国家化への黒人の怒りの反撃を論じた。

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