ZENSHIN 2001/04/23(No2002 p06)

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週刊『前進』(2002号1面1)

教育改革粉砕=都議選決戦を
「つくる会」教科書の採択阻止へ 東京・杉並先頭に大運動起こせ
 自民党打倒、けしば候補必勝を

 全国の労働者人民の皆さん! 同志の皆さん! 都議選決戦がいよいよ重大な局面にきた。絶対に勝たなければならない。右翼・ファシスト団体「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史と公民の教科書を、政府・文部科学省は四月三日、多くのアジア人民、日本人民の反対の声を踏みにじって検定合格させた。歴史偽造と戦争・天皇制賛美の「つくる会」教科書の検定合格は、日帝の新たなアジア再侵略宣言そのものだ。朝鮮・中国を始めアジア各地と日本国内で激しい怒りの声があがり、抗議行動が広がっている。自民党政権と石原慎太郎は、この教科書と「教育改革」をもって学校と教員のあり方を一変し、憲法を改悪して子どもたちを戦場に送ろうとしている。断じて許してはならない。闘うアジア人民と連帯して、「つくる会」教科書採択阻止の運動を爆発させよう。この攻撃の最大の決戦場が杉並である。六月都議選決戦を教育決戦として闘い、けしば誠一候補(都政を革新する会)の当選をかちとろう。

 第1章 再び天皇と国家のために銃を持つのか

 南朝鮮・韓国の人民は、「世界の平和に逆行する第二の侵略行為」(日本歴史教科書改悪阻止運動本部)と怒りの声を上げ、抗議集会やデモ、日本大使館前座り込み、日本製品不買運動や、歴史歪曲に関する公開授業などを行っている。抗議運動は北朝鮮、中国、台湾、ベトナムを始めアジア各国に広がっている。
 検定意見を受けた修正によっても、「つくる会」の歴史・公民教科書の恐るべき歴史偽造、戦争・天皇制賛美の本質は何も変わっていない。(4面参照)
 (1)朝鮮について、原文の「日本に絶えず突きつけられている凶器」という表現こそ削られたものの、「日本に向けて大陸から一本の腕が突き出ている。それが朝鮮半島だ。……日本を攻撃する格好の基地となり、後背地をもたない島国の日本は、自国の防衛が困難となると考えられていた」と記述している。
 明治政府が十九世紀から朝鮮侵略をくわだててきた事実は覆い隠され、一九一〇年韓国併合が、朝鮮に対する侵略と植民地支配であったことには一切触れていない。それどころか、「日本は植民地にした朝鮮で鉄道・潅漑(かんがい)の施設を整えるなどの開発を行い、土地調査を開始した」と、まるで韓国併合が朝鮮人民に利益をもたらしたかのように美化している。
 (2)日本軍は中国に侵略し中国人民を「焼き尽くし、殺し尽くし、奪い尽くす」という残虐な「三光作戦」を展開した。「七三一部隊」は中国人民を捕らえて「生体解剖」をしたり、細菌戦の人体実験を行うなど、残虐な手口で多くの中国人民を虐殺した。このような戦争犯罪の事実に一切触れていない。三十万人に及ぶ中国人民を大虐殺した一九三七年の「南京大虐殺」を「実態については資料の上で疑問点も出され」と、大虐殺の事実そのものを否定している。
 (3)この教科書が最も力を入れているのは、「大東亜戦争」なるものの記述である。見出しに「大東亜戦争」と掲げたその部分は、第二次世界大戦、アジア・太平洋戦争での戦死を「玉砕」と美化し、「大戦果」「快進撃」と記述し、真珠湾攻撃で「日本国民の気分は一気に高ま」ったなどとまったくのうそを書きたて、残虐な侵略戦争を真正面から賛美している。
 そして戦争を美化するために、あろうことか日帝の侵略戦争がアジアの「多くの人々に独立への夢と勇気を育(はぐく)んだ」などと、とんでもない歴史偽造のデマゴギーを振りまいている。
 (4)また、十五万人以上の沖縄人民が殺された沖縄戦について、日本軍による住民虐殺と集団自決には一切触れず、少年や少女まで戦争に動員し虐殺したことを「勇敢に戦って」などと美談にすり替えている。
 さらには「神風特攻隊」を美化してさえいる。
 (5)「神武天皇の東征」神話を歴史の事実であるかのように地図入りで載せて゛日本は万世一系の天皇中心の神の国である″という皇国史観のデマゴギーを復活させている。そして、明治以降日本人民を戦争に駆り立てた「教育勅語」を全文掲載し「近代日本人の人格の背骨をなすものとなった」と称賛しているのだ。こんな侵略戦争賛美と歴史歪曲の教科書を、文科省は、わずかばかりの修正で検定合格させたのである。

 戦争と破滅の歴史への反省

 この戦争賛美と天皇制賛美の本を、日帝・文科省、とりわけファシスト石原が「教科書」として教室に持ち込み、子どもたちに強制しようとしている。再び天皇と国家のために銃を持つ若者をつくり出そうとしているのだ。
 そもそも教育がめざすべきものは何か。文科省と石原が憲法や教育基本法を否定して言うところの「日本人としての誇り」「愛国心」なのか。否だ。
 二十世紀、世界の帝国主義は、幾度もの植民地侵略戦争と二度にわたる帝国主義間戦争|世界戦争を引き起こし、第二次大戦では六千万人もの労働者人民が虐殺された。日帝はアジアにおける唯一の帝国主義として朝鮮・台湾および中国東北部の植民地支配と中国・アジア侵略戦争、対米戦争に突入し、二千万人ものアジア人民を虐殺した。筆舌に尽くしがたい苦しみ、悲惨をアジア人民に強制した。今も強制している。
 日本人民は階級闘争の敗北の結果、侵略戦争に、対米戦争に動員され、自らもまた戦死させられ、沖縄戦や広島・長崎への原爆投下や大空襲など言語に絶する苦しみを受けた。この残虐、悲惨、苦しみこそが帝国主義戦争の正体だ。
 この歴史への痛切な反省を、けっして忘れることのないように子どもたちに伝え、残虐極まる戦争を二度と繰り返してはならないこと、それを人類普遍の原理にしていくことが教育の大目的である。それは、はかり知れない犠牲をアジア人民に強いた日本が、教育において国際的に負うべき当然の責務でもある。
 だから日本の教育労働者は戦後、一貫して「教え子を再び戦場に送るな」を合言葉にして闘い、教壇に立ってきたのだ。そして、日本軍軍隊慰安婦とされた人びとを先頭とするアジア人民の日帝に対する怒り、糾弾の闘いに学ぶ中から戦後教育の限界や問題性をつかみつつ、歴史教育の内容も前進させてきた。
 現場教員や教科書執筆・製作者は懸命に努力して、日帝・文部省や自民党などの干渉と対決しつつ、不十分ながらも戦争の暗黒と悲惨を説き、アジア人民への侵略・植民地支配の事実を教え、その反省を踏まえて、アジアの人びととともに生き、侵略と戦争をけっして繰り返さないことを、子どもたちが自主的・主体的に考えていくように努めてきたのである。
 石原が率先して強権的に採用させようとしている「つくる会」教科書は、こうした戦後教育そのものを真正面から破壊し一掃しつくす大反動攻撃だ。「歴史に善悪をあてはめるな」と言って、〈戦争〉を国家が存続するために不可欠のものとして肯定し、天皇制と愛国心を美化している。そして、日帝がアジアで行った侵略と残虐の事実を覆い隠し、朝鮮・中国・アジアを侮蔑し、゛武力と戦争こそが国家存立の基礎である″と、価値的に大転換させようとしているのだ。
 「つくる会」と一心同体の産経新聞は「出来上がってみれば『普通の教科書』」とか「従来の歴史教科書がとても普通ではない」(中西輝政、四月四日付)などと言っている。とんでもないことである。

 第2章 採択阻止する闘いは東京と杉並が天王山

 しかも、政府・文科省はこんな教科書で子どもを教えることに抵抗する教員を「指導力不足」「不適格」のレッテルを張って、教室・学校から追放しようとしているのだ。
 今回、他の七社の教科書も、アジア諸国に対する侵略と加害の記述は大幅に後退した。「つくる会」教科書の採択運動は、ひとにぎりのファシスト団体の動きではない。政府・文科省、自民党が全面的にこれをバックアップし、石原が先頭に立って進めている。
 実際に、町村信孝文科相は、三日の記者会見で「合格した本を見れば、中国、韓国などの懸念も解消される」と開き直った。
 「つくる会」と文科省、自民党は一体となって各都道府県や市町村に圧力をかけ、教員主導の教科書採択のあり方を反動的に転覆しようとしている。その最大の攻防点が、ファシスト石原都知事と山田宏杉並区長のもとでの杉並区なのだ。(3面参照)
 杉並での「つくる会教科書を採択させるな」の街頭宣伝に、右翼・ファシストが介入し妨害に出てきている。杉並が全国攻防の焦点になり、左右の激突が強まっている。街頭で警察やファシストと対決し、彼らの不当な妨害を暴露・弾劾して、嵐(あらし)のような宣伝戦を展開し、区民の総決起をかちとっていかなければならない。
 「つくる会」は、「当面一〇%(十五万冊)の採択率をめざす」ことを狙っている。こんな教科書は一冊たりとも採択させるな! 使わせてはならない!
 「つくる会」教科書採択阻止の運動は、教育改革攻撃粉砕の柱であり、改憲攻撃を粉砕し、日本の戦争の道を阻む決定的な闘いだ。東京・杉並を全国の拠点にして大運動を巻き起こそう。街頭宣伝、集会、デモ、署名運動などあらゆる大衆的闘いを巻き起こそう! この闘いで政治情勢を一変させるのだ。

 自民党を全員たたき落とせ

 都議選決戦=教育決戦に総決起し、けしば誠一候補の当選を絶対にかちとらなければならない。
 日帝は、未曽有(みぞう)の政治危機にあえぎつつ、今国会で教育改革攻撃を推し進め、これをテコに一挙に改憲の道に突き進もうとしている。求められていることは、いま白熱化している教科書・教育改革攻撃との決戦を、都議選決戦の基軸的路線にがっちりと据えきって闘うことだ。教育改革粉砕決戦を闘うということは、まず都議選決戦の戦場で大衆運動を爆発させ、教育改革攻撃と闘い、都議選そのもので絶対に勝利することである。
 今次都議選決戦は、自滅的な動揺と混迷の極にある日帝権力と真正面から対決するかつてない巨大な政治決戦である。けしば誠一候補が「自民党政治を終わらせよう」「自民党を全員落とそう」と断言し闘っている闘いこそが、真に求められているのだ。
 自民党・森政権が退陣を正式に表明し、総裁選が二十四日に行われる。だが、誰が自民党総裁|首相になろうとも、KSD汚職や機密費疑惑でさらけ出された超反動的で腐りきった政治の中身は変わらない。
 世界大恐慌過程への本格的突入と日米争闘戦の激化の中で、日帝はますます危機と反動、腐敗を深めていく。民主党や日本共産党など野党も同類であり、自民党政治を変革する力をもっていない。
 日帝・自民党政府は、経済危機突破のために、「不良債権処理」と称して、倒産と労働者の大量首切りをさらに進めようとしている。民間研究機関の試算では、銀行が不良債権と延滞債権を処理した場合、新たに百三十万人の失業者が生まれ、失業率は一・九%も上昇、完全失業者が四百五十万人に達するという(四月七日付毎日新聞)。
 日帝や資本家どもは、「経済再建のために苦しみを分かち合え」とか「改革には痛みが伴う」などといって労働者に犠牲を押しつけようとしている。石原は都の労働者四千人のリストラ・首切りを強行しようとしている。冗談ではない! われわれ労働者階級はとことん抑圧され、搾取され、収奪され続けてきたのだ。これ以上、資本主義・帝国主義のために犠牲になることなどまっぴらである。
 しかも、どんなに日帝があがこうとも、絶対に景気はよくならない。帝国主義の基本矛盾が爆発し、世界は一九三〇年代以来の世界大恐慌情勢にどんどん進んでいっている。まさに、とっくに歴史的命脈の尽きている帝国主義にとって、戦争に突き進むのか、革命によって打倒されるかの二つにひとつしかないのだ。
 このような時代は、労働者民衆自身が自ら集会やデモやストに立ち上がって闘わなければ、生活と生命を守ることはできない。国家や既成の政党・政治家をあてにしていたら、首切り・賃下げ、福祉切り捨て・生活破壊の揚げ句に、戦争に動員され、命までもが奪われてしまうのだ。
 自民党の政治家やファシスト石原は、口を開けば「国を守る気概が必要だ」「国家あっての個人だ」などと言うが、国がいったいこれまで何をしてくれたというのか!

 政府うち倒すデモやストを

 戦争と大失業の政治を推し進める腐敗した日帝・自民党政府に対して、われわれは団結して闘い、自らを守るしかない。今こそ腐りきった自民党政治を打倒せよ! 自民党を全員たたき落とせ! この社会の変革をかちとる力は、既存の政治勢力ではなく、労働者民衆自身が集会やデモやストに立ち上がることにこそある。だからこそ今、こうした革命的大衆行動の政治理念をはっきりと掲げるけしば候補の都議当選をかちとることが、労働者人民の闘いの前進にとって決定的に重要なのだ。
 動労千葉は、百二十時間の春闘ストライキを貫徹し、八百本の列車をぶっとめ、労働者の権利と団結を守りぬいた。杉並の高齢者は自ら立ち上がって介護保険の悪政に立ち向かい、低所得者に対する一定の利用料助成制度を杉並区からかちとっている。こうした労働者人民自身の大衆的な立ち上がりこそが悪政を変える力である。
 そして、都議選決戦は、そうした労働者人民の自己解放的な闘いを大きく前進させる絶好のチャンスだ。日帝・自民党と、そのファシスト先兵=石原打倒をめざして、労働者人民の怒りの総決起をかちとろう。そして、日帝と石原に屈服する民主党・日本共産党・生活者ネットなどの全野党をぶっ飛ばし、けしば候補の当選を絶対にかちとろう。
 この四、五月、全国から杉並に駆けつけ、教育改革攻撃粉砕を最大の柱に、新たな政治変革の嵐を巻き起こそう。

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週刊『前進』(2002号1面2)

「ヒトラーになりたい」と公言する石原を打倒せよ

 都知事・ファシスト石原は月刊誌『論座』五月号で「ヒトラーになりたいね、なれたら」と、断じて許すことのできない発言を行った。石川好(作家)との対談で次のように述べた。
 石川 石原さんは……いま人によっては「独裁者だ、ヒトラーだ」とかね……。
 石原 ヒトラー?
 石川 うん。
 石原 ヒトラーになりたいね、なれたら。
 これはただのジョークでは断じてない。そのことは、石川が「(石原は)日本国民の劣等感とか優越感とかその時代の雰囲気を非常にいいタイミングでくすぐったり、鼓舞したり、怒らせたりしているところがある」と言ったのに対して、石原が「僕は社会心理学というのを大学で専攻してね、これは非常にいい方法論を手がけたなと思っている」と答えているところにも明らかだ。
 石原は、ユダヤ人大虐殺を強行しドイツ労働者人民の闘いを圧殺して破滅的な第二次世界大戦の泥沼に引きずり込んだナチス・ヒトラーの、デマとペテンと暴力による「大衆操作」のやり方を賛美し、共鳴している。そして、それをまねて、日帝支配階級のファシスト的先兵として、日本人民を民族排外主義と差別主義で階級的に腐敗させ、朝鮮・中国|アジア侵略戦争と日米戦争に引き込もうとしているのだ。
 石原は最近出した対談集『この日本をどうする』(文芸春秋社刊)でも、「外交はうそと恫喝から始まる」という西村真悟の発言に相づちを打ち、さらに「民主主義を成り立たせる必要条件の一つはテロリズムだ」という三島由紀夫の発言を肯定している。
 『論座』における石原暴言は、これだけではない。「景気回復には戦争が一番いいんだから。そういう原理というのはアメリカ人は心得ている」と、ここでも戦争肯定=賛美の発言を行っている。また、「年寄りが社会的な弱者なのかね。可処分所得と可処分時間はいちばん持っているんだから」などと、まったく許すことのできないデマと高齢者切り捨て、福祉破壊の暴言を吐いている。
 石原は「政府と対決」するポーズをとり、「現状変革」のペテンで大衆獲得を行おうとしているが、石原の本質は大資本の利害を貫き、差別・排外主義をあおり、日本を戦争国家体制につくり変えようと狙う゛現代のヒトラー″なのだ。
 大新聞・マスコミは、こんなファシストに言いたい放題を言わせ、迎合している。民主党・日本共産党・生活者ネットなども都議会で石原に迎合し、「石原与党」ぶりを競っている。
 腐敗と反動の自民党政府、そのファシスト先兵石原と真っ向勝負するけしば誠一氏の都議選勝利を、絶対にかちとろう!

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週刊『前進』(2002号1面3)

「三国人」暴言の石原やめろ! 新宿をキャンドル大行進
 4・9 都庁1500人が囲む

 四月九日、「『三国人』発言から一周年 石原都政にNO! 都庁を囲む行動」が千五百人の参加で実現された。
 石原やめろネットワーク主催の「キャンドル大行進」は総勢三百人のにぎやかなパレードとなった。新宿・柏木公園での出発前の集会では、共同代表の佐高信さんが「先の総選挙、石原都知事は誰の応援に行ったのか。徳洲会の徳田虎雄、これは石原の金づる。もう一人が例の『強かん発言』の西村真悟だ。石原が誰のお友だちなのか、わかりやすい」と石原を弾劾した。
 「石原は謝罪し、ただちに辞任せよ!」の横断幕が先頭を進み、農楽隊がチャンゴや太鼓を打ち鳴らして続いた。ピンクの花やペンライトが揺れながら輝く。パレードの光と音が、新宿の繁華街の人びとと共鳴していると実感した。
 八日に石原は、陸上自衛隊練馬駐屯地で行われた記念式典で「一部の卑劣なメディアが曲解を導くような報道」と強弁し、「不法に入国した多くの外国人が非常に卑劣な犯罪を繰り返し東京の治安そのものが危機にひんしている」と(またしても!)デマと排外主義襲撃の暴言を吐いた。
 さらに石原は、昨年の九・三自衛隊三軍の治安出動にふれて、「あのとき都民が味わった印象は、やはり軍隊だ、軍だ。私たちが期待し、育ててきた力が発揮されてこそ災害も最小限にくいとめられる」と治安危機を強調し、自衛隊=軍としての登場を扇動した。こんなことが許せるか!
 パレードと同時進行で都庁の第一本庁舎を取り囲む「石原都政にNO! 四・九都庁を囲もう」が実行委員会主催で展開された。
 パレード参加者も合流、千五百人の都民・労働者が都庁を取り囲んだ。けしば誠一区議も杉並の闘う労働者や住民とともにこの行動に参加した。
 午後七時、東西に配置された宣伝カーからカウントダウンを行い、一斉に「石原都政にノー!」「多文化共生社会にイエス!」を叫んで、石原に迫った。
 共同代表の辛淑玉(シンスゴ)さんが開会を宣言し、三月に国連人種差別撤廃委員会が日本政府の姿勢を批判したことを紹介し、「石原都知事の言動は国際社会では許されない。きっちりとけりをつけたい」と発言した。
 続いて共同代表の宮崎学さんが、「昨日、石原は治安出動問題に具体的に言及した。ここに日本をどこに誘導しようとしているか、はっきり現れている」と指摘し、「六月都議選において石原都知事にノーを言える政治勢力をともに都議会に送り込む必要が、私たちの責任においてある」と訴えた。そうだ! けしばさんを杉並から都議会に押し出すことは、今絶対に必要だとの思いで胸が熱くなった。
 平和遺族会全国連絡会、日の出の森トラスト運動、移住労働者、「障害者」問題に取り組む人びとなど、石原都政と対決して闘う都民・住民団体が次々に連帯のアピールを行った。
 都職労を始め、東京全労協、東京労連など労働者も集い、弁護士の海渡雄一さんとの問答をとおして、石原都政との闘いの先頭に労働運動が立つことを明らかにした。
 保坂展人、川田悦子両衆院議員、福嶋瑞穂参院議員も駆けつけた。石原と真っ向から対決する闘いの陣形が都庁を取り囲んで、石原に戦闘宣言を発するという画期的な闘いだった。
 この四・九行動の輪をさらに大きく広げ、「つくる会」教科書採択阻止の教育決戦を爆発させ、ファシスト石原打倒まで闘いたい。
(投稿 金子さゆり)

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週刊『前進』(2002号2面1)

闘争団への「統制処分」と訴訟取り下げ策す国労本部許すな
 闘う闘争団守りぬく陣形強化を

 国鉄闘争は全面激突局面に突入

 国労本部は、採用差別事件の訴訟取り下げと闘争団の切り捨てを狙って、ついに一線を越えた反革命的踏み込みを開始した。国鉄闘争は、この策動との全面的な激突局面に突入した。
 チャレンジの佐藤勝雄東エリア本部書記長らは闘争団への統制処分を絶叫し、寺内寿夫本部書記長は「国鉄清算事業団=鉄建公団への新たな訴訟に切り換える」というペテンで、採用差別事件の訴訟取り下げを露骨に策動しつつある。
 本部は、四月十二日の全国エリア委員長・書記長会議と全国代表者会議で、闘争団への統制処分と訴訟取り下げを決定に持ち込もうとたくらんでいた。だが、それは怒りの弾劾と暴露の中で破綻(はたん)した。
 われわれは、国労本部が策動したこの恥知らずな暴挙を徹底的に弾劾する。だが、この策動は危機と破綻に満ちており、必死の反撃で必ず勝利を切り開くことができるのだ。今こそ、全労働者階級の力で闘う闘争団を守りぬかなければならない。
 チャレンジと革同一派は、闘争団の切り捨てとJR連合への合流をいよいよ実行の段階に移そうと、暴走を始めている。かつて、「訴訟はやめろ」などという露骨な手法で千四十七人に敵対した組合は、JR総連だけである。本部は、もはや労組指導部としての資格を完全に失った。
 彼らは今なお、統制処分の恫喝で闘争団を抑え込み、四党合意に反対し続ける関東三地本の行動にも縛りをかけることを狙っている。そして、一切の反対を封殺して訴訟の取り下げを強行し、自民党による「解決案」=ゼロ回答を丸のみしようと策しているのだ。

 チャレンジ・革同・酒田を弾劾する

 こうした本部の動きと呼応して、チャレンジや革同は、彼らが握るエリア・地本などの名をかたって、反動的「意見書」を一斉に本部に送り付けている。
 彼らはそこで、「『一部闘争団有志の会』等の行動について、中止と組織の解散を求める断固とした指導を要請する」(九州本部)、「国労方針を逸脱し反組織行動を取る、一部闘争団及び闘争団員に対しては、毅然(きぜん)とした態度で臨むこと」(盛岡地本)、「『解決を妨害する組織の結成並びに様々な反対行動は認めない』との本部見解を組織内外に明らかにすること」(秋田地本)、「『別組織』の結成や行動に対して、中央執行委員会として中止と組織の解散を求める断固とした指導を行っていただくこと」(近畿地本)などとわめいている。
 チャレンジと革同は、今や闘争団への憎悪と敵意をむき出しにして、その圧殺・切り捨てを要求するおぞましい一大反革命運動に乗り出した。もはや彼らは、階級的魂の最後の一片まで喪失し、敵権力の恥ずべき走狗(そうく)に成り下がった。
 しかも彼らは、闘争団の行動を「政治の場での解決を妨害する利敵行為」と決めつけ、「国労本部に集中してこそ、より高い解決水準を勝ち取れる」などと言いなして、ウソをウソで塗り固めている。闘争団にゼロ回答を押し付けることをたくらみながら、「ゼロ回答しか取れなかったのは闘争団の『分裂行動』のせいだ」などという転倒した非難を闘争団に浴びせかけようと策動しているのだ。なんと卑劣な連中か!
 さらに、これらの策動を主導しているのが、東京地本の酒田委員長ら一部幹部であることを徹底的に弾劾しなければならない。
 酒田らは、闘う闘争団が支援を集めて開催した三月一日、三月三十日の集会の参加者、発言内容などを本部に垂れ込み、「分裂行動・分裂組織を許すな」と反動的に突き上げた。一・二七臨大への機動隊導入を最先頭で推進した酒田は、ついに闘争団圧殺者としての姿をむき出しにした。
 チャレンジや革同、酒田ら裏切り者が、機関役員にとどまり続けることなど、今や一刻も許されない。
 だが、こうした策動は初めから破綻をさらけ出している。日帝の絶望的政治危機の深まりと、他方での闘争団を始めとする闘いの前進は、「政治解決」のもくろみを根底から打ち砕くものとなっている。本部は、その中で迷走しつつ、権力への屈服をさらに強めているのである。

 国労の階級的再生かけた決戦へ

 一・二七臨大後、闘う闘争団は「四党合意反対を掲げてあくまで闘う」と宣言し、「解雇撤回・地元JR復帰を闘う闘争団」を結成して不退転の闘いに決起した。闘争団は、ILO本部に独自の派遣団を送って第二次勧告を覆すための取り組みを開始し、闘争団支援陣形の強化と、最高裁・政府・JRに対する大衆行動を呼びかけている。
 三・三〇集会で、闘争団の代表は「本部は敵を見失い、矛先を闘う闘争団に向けている。きょう以降、それは露骨に現れてくるだろうが、毅然と解決要求を掲げて闘う」と決意を表明した。まさにそのとおりだ。政府・JRの不当労働行為を追及し、解雇撤回を実現することは、闘争団にとって絶対に譲れない原点だ。
 また、貨物を始めJR本体の組合員の中には、春闘ストを放棄した本部への怒りが煮えたぎっている。スト基金も徴収し、スト権投票も行いながら、本部はスト通告さえ怠ったのだ。
 他方で、動労千葉のストライキは、国労組合員の闘いへの意欲を燃え上がらせ、裏切りに走る本部への怒りが一層強まっている。
 支援の中にも、闘争団を支えて闘う気運は横溢(おういつ)している。国労本部が持ち込む「ILO勧告に基づく解決を求める百万署名」は、「不当労働行為の責任追及がない」「四党合意賛成の踏み絵を踏ませるのか」と支援から次々に拒否されている。
 さらに、四党合意撤回の地労委闘争は、寺内書記長が「こういうことをする人がいるのは残念だ」と叫ばざるをえないところに、国労本部を追い詰めている。
 チャレンジ・革同・酒田らを引き降ろし、闘争団を支えぬこう。国労の階級的再生をかちとろう。松崎・JR総連を打倒し、国鉄決戦の勝利を開け!

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週刊『前進』(2002号2面2)

「郵便新生ビジョン」粉砕へ
「数万人」の首切り推進する連合全逓中央を打倒しよう
   ―――――マル青労同全逓委員会

 本年一月六日、郵政省は総務省内局の郵政企画管理局と外局の郵政事業庁に再編され、二〇〇三年「郵政公社」化に向けた攻撃が本格的に開始された。郵政事業庁は三月末、「郵便事業新生ビジョン(案)」を提示した。それは一万人以上―数万人の大量首切りを狙う大合理化計画である。わが全逓委員会は昨年、「公社」化=民営化攻撃粉砕の「三年間決戦」に突入した。その最大の決戦期が訪れたのだ。「郵便新生ビジョン」を全面賛美し、労働者の生活と権利を売り渡す連合全逓中央を六月全逓全国大会で打倒しよう。「郵便新生ビジョン」に総反撃を開始しよう。二十二年目の四・二八反処分闘争を、その決戦態勢を打ち固める場として大成功させよう。

 「郵便新生」は民営化攻撃そのものだ

 「郵便新生ビジョン」は、郵政事業始まって以来の大リストラであり、「郵政公社」化に向けて実質上の民営化攻撃を貫徹するための大合理化攻撃である。
 「新生ビジョン」は、三月二十八日に足立郵政事業庁長官の「郵政事業の明日を担う皆さんへ―第三の創業期に当り、公社化に向かって、一丸となった取組みを―」と題する全職員向けの「メッセージ」とともに出されている。それは「本ビジョンの中には、各種の合理化・効率化施策も含まれています。これらの中には、大変厳しいものもあると思います。しかし、先送りはできません」という反労働者的なものだ。
 連合全逓中央は、これに合意を与えただけでなく、「労使共同作業で創り上げた」と全面賛美している。「効率化を含む各種施策について……一定の割り切りをおこなうのはやむを得ないと判断」したという。だが、「ビジョン」に盛られた施策のほとんどが人員削減と労働条件の改悪であり、全逓中央はこれを丸のみしたのだ。
 足立長官は四月十日の記者会見で、「相当突っ込んだことをやらなければならない」と、大幅な人員削減を強行することを挑戦的に明言した。
 現場組合員にはひた隠しにされている「具体的実施策(案)」では、二〇〇一―〇五年の間に一万二千七百四十三人(〇一年度は千八百四十八人)の定員削減が打ち出されている。これでも現在約十四万人の郵便本務労働者の一〇%近くの削減だ。しかも、〇二年度以降の削減数は秋までに労働組合との交渉で数値を詰めるとされ、「数万人規模の人員削減のほか、徹底した経費節減や職員の意識改革も必要」(日経新聞三月三十日夕刊)と言われている。日帝政府が行革攻撃全体の目標とする二五%削減、郵便事業十四万人のうち三―四万人、郵政三事業全体で七―八万人削減の本格的な始まりなのだ。
 具体的には、〇一年度の施策(三月末提示)として、@ビジネス地域(大都市)での通常郵便物の午前中配達を、本務者を短時間職員と非常勤に置き換えて実施する、A混合配達も短時間職員と非常勤に置き換える、B大型郵便物の機械処理の促進、C新郵便処理システムによる削減をさらに進める、などである。
 また、〇二年度以降の施策としては、@従来の地域区分局に加えて集配局内務事務の本務者も非常勤に置き換える、A無集配特定局の要員配置の見直し、B窓口を非常勤職員に置き換える、C輸送ネットワークの再構築により、大規模郵便局(地域区分局)を整理統合する(全国で約八十局の二―三割削減)、などだ。
 さらに、労働条件に関しては、@能力・実績主義の給与体系の構築、諸手当の廃止、見直し、A始終業時刻の範囲の拡大(六時―二十二時を五時―二十三時に見直す)、新夜勤回数制限の撤廃、などが打ち出されている。
 なお、「ビジョン」は、「官庁型の定員管理から総人件費管理へと重点を移行する」としている。要するに、総人件費削減を一切の基準にして、可能な限り本務者を削減し、低賃金の短時間職員、非常勤職員に置き換えるということだ。そして、残る本務者にも徹底した賃下げ、労働強化、総マル生分子化を強いるものなのだ。
 これらによって〇二年度に郵便事業を五期ぶりに黒字転換することをめざすとしている。「早期に業績を立て直し民営化議論を封じ込めたいとの思惑がある」(日経)との評価もあるが、これらは明らかに、公社移行を前に実質的な民営化体制への移行をなし遂げようというものだ。
 数万人首切りと民営化を狙う「郵便新生ビジョン」に、今こそ総反撃をたたきつけなければならない。

 労働者の生活・権利売り渡す全逓中央

 二月十五、十六日に開催された第一一四回全逓中央委員会は、全逓中央がこの「郵便新生ビジョン」を容認しているだけでなく、積極的に求めてきたことを示している。
 石川委員長のあいさつでは「『公社の制度設計議論』と『郵便事業の新生議論』を、事業の構造改革への両輪と位置付けて確固たる将来ビジョンを確立すべく、対応に全力を傾注する」と発言している。
 そして全逓中央は、基本スタンスとして、@事業の将来展望と雇用を最優先する、A公社移行のあるなしにかかわらず、経営は健全でなければならない、B「郵便新生」議論は先送りできない課題である、C競争に耐えうる体力をつくる、Dその際、すべてのタブーを排して全体が痛みを分かち合い、数値に基づき経営の視点で議論する――を打ち出した。
 「制度設計」とは、公社移行後の実質上の民営化推進であるが、「郵便新生」とは、このスタンスにも明らかなように、公社移行前に実質上の民営化を完成させようとするものだ。この点で、全逓中央は許すことのできない決定的な裏切りに踏み込んだ。
 討論では、「全員が公社に行けるのか、また、行ったとしても労働条件が低下するのではないか」「痛みを共有するというが具体的にはその痛みとはどんなものか」など、現場労働者の不安や怒りの声が、中央委員の発言をとおして出された。「本部への期待」を述べつつも、現場の声を封殺することはできないのだ。
 これに対して、本部は、「情報管理が徹底されなければ最後の詰めを誤ることも想定しなければならない。本部を信頼していただきたい」(金子企画部長)などと答弁した。
 組合員には徹底的に秘密にしながら、数万人に及ぶ人員削減=首切り攻撃を本部がのむことを「信頼しろ」と言うのだ。さらに、「郵政労使間の思いがそのまま公社の制度設計として実現される保障はない」などと、さらなる大合理化が迫られていることを自認している。「痛みは労働組合員だけが受けるものではなく……」などという言辞は、組合員が痛みを受けることは大前提として確認しているということだ。
 だが重要なことは、逆にこの攻撃の本質を徹底的に暴露し総反撃をするなら、必ず打ち破ることができるということだ。郵政官僚も全逓中央も、労働者の怒りの反撃を最も恐れている。
 さらに、昨年十一月に行われた石川委員長の講演で次のように言っている。
 「与党の中の国会の先生から、公社化法案を通すためには『公社に移行した際には、何万人の定員削減という付帯条件を付けるしかないだろう』という恫喝を受けている」
 「松井郵務局長(現・郵政企画管理局長)は郵便の再生を期したいということで、大変な条項を持ってきた。私どもも受けて立とうと申した。これを一年でやったら組織は丸つぶれとなるから、一番先にするのは何なのか。二番目は何なのかということである」
 「何万人の定員削減という付帯条件」なるものは、自民党の恫喝ではなく、「郵便新生ビジョン」の軸であり、郵政官僚と連合全逓中央(および全郵政中央)との共同作業の結果である。石川委員長の講演からも、すでに彼らが昨年十一月時点で、「郵便新生ビジョン」に、しかも「何万人削減」に合意を与えていたことは明らかである。
 全逓中央が「二十一世紀の郵政事業への提言」だとか「総合生活支援ネットワーク事業」として打ち出してきたことは、まさに民営化推進路線だ。「人事交流」=強制配転の積極的推進の上で、さらに郵便事業切り捨て=全逓労働者の売り渡しを約束したのだ。
 全逓中央は、六月二十―二十二日の定期全国大会(長崎)では「組織が混乱する可能性のある議論は避けたい」などとして、今秋に臨時中央委員会を開催すると言っている。これに対して、六月全国大会に向けて「郵便新生ビジョン」を徹底的に暴露・弾劾し、現場の怒りを組織し、全逓中央をまさに「混乱」にたたき込み、打倒しなければならない。全逓中央こそが、「郵便新生ビジョン」の最弱の環なのだ。

 行革と公務員制度改革に総反撃せよ

 「郵便新生」―郵政民営化攻撃との闘いは、今日の日帝の一大資本攻勢との大激突である。さらに、その一環としての公務員制度改革―公務員首切り攻撃との最先端の闘いである。
 「郵便新生ビジョン」と軌を一にして、三月二十七日、政府は「公務員制度改革の大枠」を発表した。能力・職責・業績反映の給与制度や、降格・免職などの分限処分の手続きを明確化し、厳正な処分を的確に講じることなどを打ち出している。
 公務員のスト権問題は、「労働基本権のあり方との関係も十分検討する」との表現にとどまっている。だが、野中自民党行革推進本部長は「民間企業と同じ労働法規を適用する代わりに民間並みのリストラもあり得る」と言い放っている。この当面の最大のターゲットは郵政である。
 野中は、民営化論者の小泉らに対抗して「郵政民営化はない」論を展開しているが、それは、参院選対策で言っているに過ぎない。野中は実際には、日帝の国家戦略としての行革リストラ―公務員労働運動解体、とりわけ全逓労働運動解体攻撃の急先鋒(せんぽう)なのだ。
 重大なことは、中央省庁等改革基本法三三条での「国家公務員の身分を特別に付与する」との規定は、何の意味も持たないということだ。さしあたり「国営の公社」で国家公務員身分であろうと、民間並みのリストラが襲いかかるのだ。
 公社化とは、労働者にとっては本質的に国鉄分割・民営化型の全員解雇・選別再雇用の攻撃である。しかも「郵便新生ビジョン」と公務員制度改革とが相まって、全逓労働者に対して国鉄分割・民営化と現在のJRの第二の分割・民営化、NTTの大合理化の攻撃を合わせたような攻撃が一挙に始まったのである。
 この攻撃の激しさの背景には、日米争闘戦の激化、世界経済の二九年型大恐慌の本格化と、空前の国家資金投入による恐慌対策にもかかわらず日帝経済の恐慌が再激化していること、この中で六百六十兆円にも及ぶ国・地方の長期債務問題や不良債権問題が爆発していることがある。恐慌対策と財政構造改革という相反する課題で七転八倒しているのが、今日の日帝ブルジョアジーである。森辞任後の自民党総裁選で、橋本が行革断行を主張し、小泉は郵政民営化を公約として掲げた。自由党・小沢らも郵政民営化を主張している。
 さらに、公務員制度改革攻撃は、公務員労働運動解体による戦争動員、戦争国家化の攻撃である。
 日帝の危機を労働者に犠牲転嫁する一大資本攻勢、日経連路線の最先端の攻撃に対して、全逓労働者は自らの生活と権利を守るとともに、全労働者の命運をかけて闘おうではないか。

 4・28反処分闘争を強化し全逓大会へ

 すでに現場では「人事交流」=強制配転などの諸施策によって団結破壊が強行され、多数の自殺者を出している。これに対する怒りは満ち満ちている。
 各郵政局は、人事交流について、年齢五十五歳以上、経験五年未満でも、通勤時間が一時間三十分未満であれば(「始発電車でも、出勤時間に間に合わない」は通用しない)、また、不定期に三回の「対話」を行えば強行できるという通達を出し、さらに無慈悲に強制配転を強行しようとしている。
 これに加えて「郵便新生ビジョン」が具体的に実施に移されるなら、さらに職場の怒りは高まる。
 問われているのは、この怒りを団結の力に転化し、火を付けることである。怒りや不安だけでは、攻撃を阻止することはできない。労働者の怒りや苦悩、悔しさを共有し、職場の団結を打ち固め、総反撃を開始することだ。その決起の先頭に立つ職場細胞をつくろう。
 すべての全逓労働者の皆さん! 「事業危機」を絶叫し、労働者に「痛み」=犠牲を強要することなど断じて許してはならない。民営化後の生き残りと利権確保に全力を挙げる自民党・野中ら郵政族、総務省、連合全逓中央など、腐敗にまみれた連中にこそ痛みを強制しなければならない。
 事業危機の責任は断じて労働者にはない! そもそも、今日の資本主義の危機は労働者に責任があるのか。労働者から搾り取った税金を湯水のように大企業・資本家の救済に注ぎ込んでも、いっこうに景気は回復しないではないか。だから郵便事業が赤字になったからといって、それは労働者には何の責任もない。
 資本主義体制は万策尽きたのだ。資本主義が延命するためには労働者は死ねと言っている。そうでなければ侵略戦争の先兵となれと。このような資本主義・帝国主義にノーを突きつけて、労働者こそが社会の主人公として立ち上がるべき時だ。労働者の団結を打ち固め、ストライキや街頭デモンストレーションなどに立ち上がり、政府や資本家どもを打倒すべきなのだ。
 動労千葉の春闘百二十時間ストライキを見よ! 国鉄分割・民営化攻撃に対して闘って団結を守りぬき、今また、第二の分割・民営化=JR大リストラにストで反撃に立った。動労千葉は全労働者に、このように闘おうと熱いメッセージを送ってくれたのだ。
 そして、闘う国労闘争団は、国労本部の「四党合意」受け入れ強行にもかかわらず、国労再生へ不屈に闘いぬいている。
 今、このように最も原則的に闘うことこそが、勝利の展望を切り開くのだ。「郵政民営化絶対反対、連合全逓中央打倒、全逓改革」の旗を高々と掲げて総反撃に転じよう。
 黒田・カクマルと松崎・JR総連の大分裂で危機に陥った全逓カクマルを打倒・一掃せよ!
 わが全逓戦線においては四・二八被免職者が、不屈の反処分闘争を貫いている。被免職者を守り、支え、闘う陣形を拡大しよう。四月二十七日に行われる不当処分二十二カ年糾弾! 四・二八反処分総決起集会(全逓四・二八連絡会主催/午後六時半、東京・南部労政会館)に総結集しよう。六月全逓全国大会に向けて、全逓労働者の総反乱を組織しよう。
 そして、教育改革粉砕=改憲阻止決戦の爆発、都議選でのけしば誠一候補の当選のために全力で闘おう。職場からの闘いと階級決戦の爆発が一体となった時、労働者は勝利できるのだ。

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週刊『前進』(2002号2面3)

資本攻勢&労働日誌 3月17日〜4月2日
 公務員制度改革へ大枠提示
 ●富士通が日本型成果主義
 ●アイワが労働者を半減へ
 ●有効求人倍率が連続悪化

●3月17日 最高裁の調べによると、全国の地裁に起こされた労働関係の民事訴訟は2063件と過去最高を記録。10年前の約3.2倍。
●19日 ドイツで5つの労組が合併、単組としては世界最大の300万人弱の労働組合が結成された。参加したのは、DGB(ドイツ労働組合同盟)傘下の四労組(公務公共・運輸・交通労組=OTV、商業・銀行・保険労組=HBV、郵便労組、メディア産業労組)とDGBに非加盟のドイツ職員労働組合(DAG)。名称ヴェルディ(Ver.di)は合同サービス産業労働組合を意味するドイツ語。
◇政府の司法制度改革審議会は、裁判を起こす前に労使双方が入った調停委員のもとでの話し合い解決を目指す「労使調停」制度新設で大筋合意。労働側は、裁判官が労使の専門家と一緒に判断する「労働参審制」を提案したが、今後の審議にゆだねられることに。
◇富士通は4月から成果主義賃金を見直し、プロセス(過程)重視の「日本型成果主義」なるものに改めていくことになった。(朝日)
●21日 北海道教職員組合(北教組)は、始業時から29分間のストを行った。北教組と北海道教育委員会が1971年に結んだ「46協定」について、道教委が20日、一部破棄を通告したことへの抗議スト。
●26日 業績不振のアイワは3つの主力工場を1カ所に集約、1万人いる労働者を1年以内に半減させる経営再建策を明らかに。
●27日 行政改革推進本部が開催され、「公務員制度改革の大枠」が示された。(要旨別掲)
●28日 厚労省発表の2000年賃金構造基本統計調査(速報)では、男性の賃金は20−24歳を除き前年を下回っていることが明らかに。
◇総務省・郵政事業庁は、今後5年で大規模郵便局を2−3割、人員を1万人以上削減する「郵便新生ビジョン」を策定。
●29日 厚労省発表の2000年版女性労働白書では、全雇用者に占める女性の割合は40.0%となり、初めて4割台を記録。
◇日産の主力工場である村山工場が自動車生産を打ち切った。
●30日 総務省発表の2月の完全失業率は過去最悪だった前月から0.2ポイント低下し4.7%。厚労省発表の2月の有効求人倍率は前月比0.01ポイント減の0.64倍で2カ月連続悪化。
◇人事院の「能力、実績等の評価・活用に関する研究会」(事務総長の私的研究会)は、公務員の人事管理に能力・実績主義を導入するとした最終報告をまとめた。評価結果を賃金に反映させることも提言したが、同時に評価者の研修や苦情相談の体制整備にも言及している。
●4月2日 厚労省発表の毎月勤労統計調査によると、昨年末の一時金平均額は一昨年末に比べ1.3%減の47万1809円となり、4年連続で減少した。

 「公務員制度改革の大枠」の要旨

 (1)公務員制度改革の意義
 改革の最大の問題は、何よりも行政を支える公務員自身の意識・行動様式を変えることにある。
 (2)公務員制度改革の基本的方向
 ◇信賞必罰の人事制度の確立
 ・能力・業績等が的確に反映される新たな給与体系の構築
 ・勤務成績が良くない公務員に対する分限処分については、実行性のある制度を確立する。
 ◇戦略的な政策立案機能の向上
 ・内閣総理大臣を支えるスタッフとして「国家戦略スタッフ群(仮称)を創設する。
 (3)公務員制度改革への今後の取り組み
 ・労働基本権(スト権など)の製薬のあり方との関係も十分検討。

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週刊『前進』(2002号3面1)

「つくる会」教科書の採択を狙う石原知事と山田杉並区長の策動粉砕を
 再び“天皇のために死ね”の攻撃 都議選勝利で反撃せよ

 「新しい歴史教科書をつくる会」(以下「つくる会」)の中学歴史と公民の教科書は、歴史を歪曲して日帝のアジア侵略の歴史を居直り、国家・天皇制への忠誠を植え付けようとしている。その狙いは、日帝の新たなアジア侵略戦争を担う子どもたちをつくるということである。アジア諸国への再侵略を宣言するに等しい内容である。その「つくる会」教科書を、政府・文部科学省と東京都知事・石原、民間右翼ファシスト勢力が一体となって学校現場に強制しようとしている。日帝は東京・杉並を教育改革攻撃の突破口に据えてきたのだ。「つくる会」教科書の検定合格を徹底弾劾し、東京・杉並区で、この採択策動を労働者・保護者・住民の一体となった闘いで絶対に粉砕しよう。

 都教委の「通知」 「国への愛情」強制

 ファシスト石原都知事が「つくる会」の教科書を採択させるための策動を強めている。第一に、東京都教育委員会が二月八日に各区市町村教育委員会に「教科書採択事務の改善について」という通知を出した。翌九日に石原は定例記者会見で「現実には教職員の投票などによって左右される事例が多々みられた」「国の歴史に愛着を持てないみたいな、相対的な印象しか残さない教科書だと問題がある」などと主張した。現行の教科書を否定し、「つくる会」教科書を採択させる意図をあらわにした。
 都教委の「通知」は、単に採択事務のあり方だけでなく、教科書の内容についても言及し、「わが国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を育てる」教科書を選定するように指示している。だが、「教育の条件を整備」する機関としての教育委員会が、選定すべき教科書の内容について介入すること自身が教育基本法や戦後的な教育のあり方を踏みにじるものなのだ。それは侵略教育への大転換を狙うものだ。
 では「修正」された後の「つくる会」教科書とはどんな内容なのか。
 (1)朝鮮、中国を始め二千万人のアジア人民を虐殺した日帝のアジア侵略戦争を「アジア解放戦争」と居直っている。武力によって朝鮮を植民地化した韓国併合を、「一部に併合を受け入れる声もあった」「鉄道・灌漑(かんがい)の施設を整えるなどの開発を行い」と、命も食料も家も土地も名前さえも奪った略奪を居直って正当化しようと図っている。日帝の中国侵略戦争への突入を「中国人の排日運動もはげしくなり、列車妨害などが頻発した」からなどと、原因が中国人民にあるかのように歴史を百八十度逆転させている。
 (2)日本軍が朝鮮を始めアジア各国やオランダの女性を強制的に軍隊慰安婦とした歴史や朝鮮人、中国人を強制連行した歴史を抹消している。日本軍の南京大虐殺については「この事件の実態については資料上で疑問点も出され、さまざまな見解があり、今日でも論争が続いている」と南京大虐殺がなかったかのようなデマ宣伝を行っている。
 (3)こうした侵略の歴史の居直りと偽造は、暗黒の天皇制支配と人民虐殺の歴史の歪曲と居直り、美化と一体である。日帝の戦争に反対する人びとを天皇制テロルによって虐殺し、人間の尊厳を徹底的にじゅうりんし、暴力的に屈従させた。そうした中で国家総力戦として人民を戦争に動員し、何百万もの人民が殺されたのである。この歴史を再び繰り返そうとするのが「つくる会」教科書である。
 (4)「つくる会」の公民の教科書では、「国家はその意味では現在から未来にかけてのすべての国民からなる共同体である。私たちはこの共同体を維持する努力を怠ってはならない」と、自由や権利を否定して国家主義を前面に押し出している。これは再び「お国のため=天皇のために死ぬ」という価値観を植え付けるものであり、歴史教科書における「特攻隊」の賛美や「困難の中、多くの国民はよく働き、よく戦った」などの記述と一体のものである。日帝が再びアジア侵略戦争に突入し、アジア人民を虐殺し、日本の労働者人民にも犠牲を強制するものだ。
 (5)そしてこの「つくる会」教科書の強制は、これによって憲法改悪=戦争へと突き進もうとするものである。「つくる会」教科書は憲法改悪の主張を繰り返している。まさに、日帝の教育改革をとおした改憲攻撃を凶暴に進めるものだ。
 同時に、「つくる会」の教科書作成と結合して、従来の教科書に対する政府・自民党の政治的圧力が加えられてきた。現行七社の日帝のアジア侵略に関する記述も全面的と言っていいほど後退している。
 特に日本軍軍隊慰安婦の記述ではこれまで七社とも「従軍慰安婦」制度について記述してきたが、四社が用語と説明を削除した。他の二社は、国家と軍による強制であったことをあいまいにする表現に変えたり、注での補償問題の記述で触れるにとどめる形に変えられている。軍隊慰安婦問題の記述を増やしたのは日本書籍一社のみである。
 このように、「つくる会」教科書を採択させようとする日帝・文部科学省とファシスト石原の攻撃は、戦後教育を侵略と戦争の担い手となることを強制する侵略教育に根本的に転換しようとする攻撃なのだ。

 国定教科書への道 現場の意向を排除

 「つくる会」教科書をめぐる日帝・文科省と石原の攻撃は第二に、これまでの教科書の選定のあり方、システムを根本的に変えて、ひいては国定教科書へと転換させていくことを狙っている。教科書検定と教科書会社への支配などによって、すでに日帝は教科書の内容そのものを支配しようとしてきた。だが、それをも超えて教育を全面的に国家統制する攻撃に出てきているのである。
 都教委の通知は、採択のあり方について、「『教職員の投票によって採択教科書が決定される等、採択権者の責任が不明確になる』おそれのある規定があるときは、速やかにその規定を改正し」とか「いわゆる『絞り込み』の規定があるときは、速やかに改正し」と、現場の意向ではなく、各採択区教育委員会の決定で採択するように指示している。「採択手続きの適正化」と称し、学校票方式(採択地区内の学校に推薦を依頼し、学校の投票を行い、投票が一番多い教科書を採択する)を止めよ、教育委員会の下部機関(専門委員会や選定委員会)が行う「絞り込み」を止めよと要求しているのだ。
 また石原は記者会見で、「手順を踏む」ということを繰り返し、「今まで限られた人たちの恣意(しい)的な判断で教科書が採択されたことは否めない。それを正当に戻そうということ」と主張している。
 だが、どの教科書を使うかは現場の教員の判断をもとに決定されるべきものである。実際に現場で教科書を使う教員の、どの教科書を使いたいか、教えやすいかという意向が重視されるべきなのである。
 そもそも法律的にも、教育委員会がどの教科書を採択するかを決めるという規定はない。九七年の政府の閣議決定自身が、「将来的には学校単位の採択の実現に向けて検討していく必要があるとの観点に立ち、当面の措置として、教科書採択の調査研究により多くの教員の意向が反映されるよう現行の採択地区の小規模化や採択方法の工夫改善について都道府県の取組みを促す」としていたのだ。
 石原は、こうしたあり方を根本的にひっくり返して、現場の意向を完全に排除して教育委員会が教科書を採択するように変えようとしているのである。それは「つくる会」の現行教科書に対する攻撃と一体となって、教育システム全体を日帝が支配していこうとする攻撃である。
 「つくる会」は、その創設にあたっての声明で「自国の正史を回復すべく努力する必要を各界に強く訴えたい」としている。「つくる会」教科書が採択されることは、天皇を中心として歴史を描きあげた皇国史観が「正史」とされ、それ以外の教科書は排斥されるということにもつながるのである。まさに国定教科書の復活となるのである。石原は、教科書内容と教科書採択を支配することをとおして、戦後教育システム全体を破壊する攻撃を突出的にかけてきているのだ。

 杉並が攻防の焦点 教委の交代を画策

 すでに「つくる会」教科書採択をめぐって重大な攻防に入っている。今後、各都道府県教育委員会が各採択地区内の市町村教育委員会に目録を送付し、「指導・助言」を与えて、採択地区ごとの協議会―選定委員会―調査員などの審議を進め、その結果に基づいて採択する教科書を教育委員会が決定する。この四〜六月が重大な決戦だ。中学の社会科教科書については、五月下旬から見本の展示が予定されている。
 この中で東京・杉並区が攻防の焦点となっている。
 杉並区は昨年の三月三十一日に「教科用図書採択要項」とその「細目」を変更し、翌日施行した。審議会や調査部会を諮問機関化して教育委員会の権限を強化した。そして、各学校で行う教科用図書研究について、「調査研究報告書は、特定の教科書を採択すべき教科用図書として表記したり、他の教科用図書との比較をする表記をしたりしてはならない。また、順位を付してはならない」と、学校票方式を廃止し、「絞り込み」も禁止している。教育委員会の一存で教科書選定を行うというのだ。
 さらに昨年十一月三十日、教育委員五人のうち二人を勝共連合に連なるような反動的人物に代えた。杉並区は当初は法を無視して五人のうち三人を一挙に代えようとしたが、教育労働者や保護者の激しい弾劾とけしば区議らの闘いによって、一人は下ろさざるをえなかったのだ。
 明白に「つくる会」教科書の採択のために教育委員会の構成を変えたのだ。さらに山田区長は、次の区議会でもう一人の教育委員も反動的な人物に代えようと策動している。山田区政は、日帝・森政権、ファシスト石原の先兵なのだ。
 「つくる会」教科書の採択をめぐって、けしば候補を推し立てた都議選決戦が決戦場となった。侵略と天皇制賛美の教科書に反対するけしば区議や住民の街頭宣伝などに対して民間ファシスト右翼が妨害を激化させてきている。このファシスト勢力の策動を断固として粉砕し、「つくる会」教科書の採択を阻止する大運動を巻き起こしていかなければならない。朝鮮、中国を始めとしてアジア各国で沸き上がる労働者人民の徹底糾弾の闘いと連帯し、「つくる会」教科書採択を絶対に粉砕しなければならない。
 教育決戦を都議選決戦として闘い、都議選決戦を教育決戦として闘おう。この闘いの大爆発の中でけしば候補の当選を勝ちとろう。

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週刊『前進』(2002号3面2)

“危ない教科書”に怒り アジアで抗議行動が激発

 四月十一日、日本の国会前に韓国の国会議員が「日本は反省しろ!」と書かれたプラカードを持って座り込んだ。日本抗議訪問団韓国代表の金泳鎮(キムヨンジン)議員である。彼は韓国キリスト議員連盟の会長であり、十日に同連盟の三議員とともに外務省を訪れ、「歴史教科書歪曲に関する抗議文」を渡した上、この日午前十時から無期限断食座り込みに入った。
 四月三日、「つくる会」教科書が文部科学省の検定に合格したという報は全アジアを震撼(しんかん)させ、激しい怒りが巻き起こった。韓国挺身隊問題対策協議会など五十九の団体で構成される「日本歴史教科書改悪阻止運動本部」は、「太平洋戦争を『大東亜戦争』と規定し、大東亜共栄圏を構築してアジア諸国独立のきっかけをつくったと記述したところは、アジア侵略と植民地支配を正当化している代表的な部分」と断罪し、声明を発した。
 「韓国の市民・社会団体は、『あぶない教科書』に対する検印証承認取消を要求する。また、日本でこのような改悪教科書が採択されないよう、全国民的な運動を日本の市民団体と連帯して展開していく。二度とこの地に反歴史的で反人権的な教科書があらわれることのないように、アジア民衆が連合して闘争していく所存である」と。
 韓国教員団体総連合会(教総)、民主労総傘下の全国教職員労働組合(全教組)なども一斉に全国の小・中・高での特別授業の実施に踏み切った。
 日本歴史教科書の史実歪曲を糾弾する一千万人署名運動が広がる中で、日本商品不買運動が繰り広げられている。
 こうした朝鮮人民の怒りの激しさに圧倒された金大中大統領は、十日に駐日大使を一時帰国させ、翌十一日に初めて教科書問題に言及した。しかし「きわめて不十分」「円満に解決を」との金大中の発言は、逆に朝鮮人民の怒りの火に油を注ぐものである。
 さらに中国、台湾、ベトナム、フィリピン、インドネシアなどアジア全域に抗議の闘いが拡大している。このアジア−世界からの抗議行動こそ、日本の労働者人民に対する熱烈な連帯の呼びかけである。
 民主労総と韓国労総、そして北朝鮮の朝鮮職業総同盟中央委員会は三月十一日、「南北労働者の共同声明」の中で、全世界の労組と労働者に、「日本軍国主義者の歴史歪曲策動」との国際主義的共同闘争を呼びかけている。
 国際主義的連帯の呼びかけにこたえ、日本の労働者人民は激烈な闘いで「つくる会」教科書の採択を阻止しなければならない。

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週刊『前進』(2002号3面3)

いつまで基地と軍隊の犠牲になれと言うのか 沖縄労組交流センターが抗議

 三月二十六日沖縄労働組合交流センターが行った、自衛隊幹部による女子中学生乱暴事件(三月十二日発生)に対する航空自衛隊那覇基地への緊急抗議行動に参加した。
 午後二時、那覇基地第二ゲート前に到着した交流センター抗議団は、基地司令への抗議文をたずさえ旗と幟(のぼり)を翻して基地の中へと進んでいった。
 基地司令は不在ということで、渉外室長・境二等空佐が対応に出てきた。抗議行動に対して自衛隊側は当初面会所・室内で対応しようと言った。マスコミや隊内の自衛官、出入り業者の目から隠れた所で対応しようという態度を見てとった私たちは、面会所前で徹底的に抗議・弾劾を行った。
 「今回の事件に対してあなたは怒りを覚えないのか!」「絶対に許すことはできない」。被害にあった子を知っているという労働者は、怒りに声を震わせ顔を真っ赤にして徹底的に弾劾した。これに対し、境は「私も怒りに堪えない」としながらも、軍隊=自衛隊という本質がこのような事件を起こす根本的な問題であるという怒りの追及と弾劾の前にまったく答えることができなくなった。
 「いったい女性は沖縄のどこを歩けばいいんだ! 沖縄戦は終わってはいない! いつまで沖縄は基地と軍隊の犠牲になれというんだ!」。北中城村議の宮城盛光氏がさらなる弾劾、追及をたたきつけ、ついには境は下を向き一言も発することができなくなってしまった。
 抗議行動の迫力の前に基地に出入りする労働者や自衛隊員も注目していた。面会所隣で、基地への立ち入り受付業務を行う若い隊員も緊張した面持ちで体が固まっていた。
 沖縄労組交流センターの代表運営委員が抗議文を読み上げ、境に対して必ず抗議文を基地司令に手渡すことを約束させた。また、自衛隊として今回の事件に対してどう考え、対応していくかをしっかりと回答せよとつきつけ、抗議内容に対する回答を約束させた。
 最後に参加者は、ゲート前で「自衛隊による少女乱暴事件糾弾! すべての基地を撤去するぞ!」と怒りのシュプレヒコールをたたきつけた。
 繰り返され、頻発する事件・事故に沖縄の怒りは爆発寸前である。沖縄に基地がある限り、事件・事故はなくならない。基地を撤去することこそが、何よりも沖縄を沖縄の手に取り戻すことであることははっきりしている。米軍も自衛隊も沖縄から出て行け! 基地によって奪われた沖縄のすべてを沖縄の手に取り戻す闘いを新たな潮流が先頭に立ってつくりださなくてはならない。
(投稿 沖縄・上原恵文)

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週刊『前進』(2002号3面4)

連載・社会保障解体を許すな 奪われる介護・医療・年金 (9)
 崩壊する企業年金 詐欺同然の退職金削減 大リストラと賃金削減に利用

 前号で述べたように、今年四月から厚生年金の定額部分の支給開始年齢の引き上げが始まった。
 年金削減攻撃は、六十歳から六十五歳までの生活をどう成り立たせるのかという深刻な問題を労働者に突き付けている。そのため、昨春闘以来、定年延長問題が労資交渉の重大なテーマになった。

 動労千葉ストに続き反撃を

 資本は、この年金改悪を大リストラと賃金削減のテコとして徹底的に利用している。「雇用延長」の名のもとに、定年後の労働者を低賃金・不安定雇用労働者としてどこまでも搾取しようというのである。
 例えば三菱電機では、六十三歳まで「雇用延長」される労働者は、五十八歳でいったん退職し、賃金を切り下げられた上で再雇用される。富士電機は、定年を六十五歳に引き上げる代わりに、五十六歳で賃金ダウン、六十歳でさらにダウンするという制度を作った。
 いずれにせよ、六十歳以降の賃金支給分は六十歳以前の賃金から差し引かれる。生涯賃金の総額は以前と変わらないのに、六十歳を超えてなお働き続けなければならないのだから、六十歳以上はただ働きということになる。本来、六十歳まで働けば退職後の生活も十分成り立つはずなのだ。
 こうした攻撃の中でも、最も悪らつなものがJR東日本の「シニア制度」である。JRは雇用に責任を負わず、関連会社への再雇用の「あっせん」をするだけだ。関連会社の賃金はきわめて低い。しかも、再雇用にあたっては試験が課される。試験を口実に、退職に際しても組合差別を行おうというのである。さらにそれは、JRの業務の全面外注化を軸とする「ニューフロンティア21」=第二の分割・民営化攻撃ともセットになっている。国労・動労千葉の解体を再度強行しようとしているのだ。
 JR総連・東労組が率先推進した「シニア制度」に対し、動労千葉は百二十時間のストライキに立ち上がった。連合支配のもと、大手労組がおしなべて「雇用延長」の名による労働条件改悪に屈している中で、動労千葉は実力でそれを打ち破る闘いに決起したのである。このストライキは、全国の労働者に限りない勇気を与えている。この闘いに続くことが、労働者の未来を切り開くのだ。

 積み立て不足露呈し居直る

 厚生年金基金や税制適格年金などの企業年金の解体攻撃も激しく進んでいる。
 本来、公的年金も企業年金も、年金は賃金の後払いだ。企業や国家がそれを勝手に削減することなど許されない。とりわけ企業年金は、退職金を企業が長期にわたり積み立てていくための制度であり、その給付は現実的にも退職金=後払いの賃金そのものだ。
 だが資本は、「企業が存立しえなくなる」という恫喝で、企業年金=退職金の削減をどしどしと進めている。九七年に新日鉄が給付削減を強行したことに始まり、九八年から九九年にかけて日立、東京電力、日産、富士通、松下電器、トヨタ、シャープなどが次々と給付削減に踏み切った。
 企業の倒産や積み立て不足などで解散に至った厚生年金基金は、今日までに九十二基金に上る。適格税制年金については、九九年度だけで四千五百以上が解散した。許しがたいことに、倒産した企業では当然のように退職金が削減されている。だが、削減された退職金は、本来労働者が全額確保すべき労働債権である。
 ある試算によれば、東証一部上場企業全体で退職金の積み立て不足は八十兆九千億円もあるという。資本は、労働者に将来引き渡すべき資金を積み立てず、食いつぶしてきたのである。
 二〇〇一年三月期決算から導入された会計基準の変更で、こうした企業の実態はますます隠すことができなくなった。だが、資本はそれをもテコにして退職金の削減攻撃を強めている。
 退職を迎えた時に、支払われる約束だった退職金が払われないのでは、詐欺そのものではないか。
 さらに政府は、二月二十日、「確定給付年金法案」を国会提出した。これは、昨年国会提出され継続審議となっていた「確定拠出年金法案」(日本版401k法案)とあわせて、退職金の削減・解体に大きく道を開くものである。

 退職金も「自己責任で確保」!?

 日本版401k法案は、終身雇用制の解体・不安定雇用の拡大と一体のものだ。給付額も大幅に削減される。
 これまでの確定給付型の年金は、退職後に払われる金額が最初に決められ、それに見合う積み立てを企業の責任で準備しなければならない制度だった。これに対して、確定拠出型は企業が月々拠出する額がまず決められる。それを労働者が「自己責任」で運用し、その結果が退職金になる。二九年型世界大恐慌が本格化し、株価は暴落、資本救済のための超低金利政策が続く中で、まともな運用などできるはずがない。だが、運用結果がどうなろうと企業は責任をとらない。
 他方、「確定給付年金法案」は、これまでの確定給付型の企業年金も残すとはしたものの、労働者の受給権をなんら保障するものではない。
 この法案の最大の狙いは、厚生年金基金による厚生年金(公的年金)の代行部分を国に返上できるとしたことにある。企業は、厚生年金の一部を代行することで国への保険料支払いを部分的に免除されている。バブル期にはそれを運用することで膨大な利益を上げたが、現在は企業にとって重荷になった。代行部分の返上は、労働者を犠牲にした新たな資本救済策だ。
 労働者の退職金を奪う企業年金二法案は、絶対に阻まなければならない。
 また、資本による一方的な退職金の切り下げを許さず、職場の団結を基礎に闘うことである。年金給付額の変更には労資の協議が必要だ。労組が合意しなければ切り下げはできない。
 だが、連合は資本の攻撃に屈し、「労使合意」を盾にして労働者に退職金削減を強制する最悪の役割を果たしている。しかし、資本に屈した労組幹部が合意しても、個々の労働者の同意がなければ労働条件の不利益変更はできないのだ。
 動労千葉のスト決起に続き、今こそ連合支配を覆そう。都議選勝利で、年金解体攻撃に反撃しよう。
〔長沢典久〕

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週刊『前進』(2002号4面1)

「つくる会」公民教科書弾劾する
 戦争と天皇制圧政くり返すな 自由・権利を否定し国家を優先

 日帝・文科省は四月三日、「新しい歴史教科書をつくる会」編集の中学校歴史・公民教科書を検定通過・合格させた。歴史教科書百三十七カ所、公民教科書九十九カ所の「修正」によっても、「つくる会」教科書の内容は何一つ変わっていない。こんな教科書を一冊たりとも使わせるわけにはいかない。全国で「つくる会」教科書の採択を阻もう。何よりも最大の焦点である東京・杉並で「つくる会」教科書の採択を阻む大運動を巻き起こし、その闘いの中から、六月都議選勝利=けしば誠一氏の当選を実現しよう。以下、採択阻止に向け、「つくる会」歴史教科書と一体の公民教科書の内容を批判する。

 一冊も使わすな 「戦争を担う青年」をつくる教育に大転換

 「つくる会」教科書を単なる「時代錯誤」ととらえるのはまったく間違いである。それはまさに今、日帝中枢から噴き出す「帝国主義戦争をやる国家」への突進という衝動に規定されてつくり出されたものであり、そして日本の労働者階級人民の戦後的価値観と、六〇年闘争、七〇年闘争以来の階級闘争の地平を徹底的にたたきつぶすために登場したものなのである。
 「つくる会」教科書の核心は、本紙一九九八号5面論文で暴露したとおり「戦争を担う青年づくりが狙い」だ。採択を許し、この教科書を使って子どもたちに学ばせるということは、まさに「戦争を担う青年」をつくり出すことを許すことを意味するのだ。
 このことは、歴史教科書に続いて公民教科書の内容を検討すれば、ますます明らかである。公民教科書は、歴史教科書に勝るとも劣らない内容であり、両方とも徹底的に批判しつくさなければならない。

 憲法改悪を扇動 「改正必要」と公言し「国防の義務」うたう

 今、採択作業が進められている教科書は、来年四月から学校現場で使われるものである。多くの中学では二年生で歴史の授業があり、続けて三年生で公民の授業が行われる。「つくる会」教科書は、二年生の歴史授業で徹底した侵略戦争・天皇制賛美とアジア人民蔑視(べっし)の歴史をたたき込んだ上で、三年生の公民授業で何を教えようとしているのか。
 まず第一に、憲法改悪の徹底的な扇動である。子どもたちに改憲の必要性をたたき込み、さらには「改憲後」の価値観をもたたき込もうとしているのだ。
 これまでの公民教科書が、まがりなりにも“日本国憲法の精神を尊重し、憲法の理念を守ろう゜ということを教えるものであったのと比べて、百八十度逆のものとなっている。
 改憲の具体的な中身に言及している個所は、すべて第九条に関してである。日帝の憲法改悪の衝動の核心中の核心は第九条の解体であり、公然と帝国主義軍隊を保持して戦争に参戦していく国家になることだ。そのことをそのまま体現したのがこの教科書である。
 確かに改憲に直接に論及している個所に関しては、文科省の検定意見によって表現が若干変えられたところが多い。しかしその内容は「改憲が必要だ」という主張の本筋はほとんど変えず、ただ一言「議論が続いている」などの言葉を付け加えたものに過ぎない。
 全編をとおして、子どもたちに“現行憲法はアメリカに押しつけられた憲法であり、しかも国際情勢に対応していない。そもそも国民の最大の義務は「国防の義務」だ゜ということを徹底してたたき込むことを狙っているのである。

 石原らの釣魚台上陸の写真掲載

 こうした改憲の扇動が、排外主義の徹底した扇動と一体で展開される。
 まず、巻頭のグラビアにカラーで掲載されている写真を弾劾しなければならない。「国境と周辺有事」と題したページの中にはなんと、「尖閣列島に代議士が上陸」と題した写真が掲載されている。
 これは九七年九月、自由党の西村真悟衆院議員(当時新進党))が中国領土・釣魚台に強行上陸し、「日の丸」の旗を立ててその略奪を扇動した時の写真である。この時、現都知事の石原慎太郎は、船に自動小銃二丁、銃弾千八百発、砲弾三十発を積んで西村に同行した。
 西村真悟は九九年十月、小渕・自自公政権のもとで防衛政務次官に就任し、直後に核武装の推進と女性差別に満ちた暴言を吐いて、人民の怒りで辞任に追い込まれた人物だ。こんな人物と都知事・石原が、中国領土の略奪の扇動の先頭に立っていること自身、絶対に許せないことだ。
 しかしより問題なのは、このことが教科書で教えられるということである。この行為を百パーセント正しいと礼賛し、子どもたちに“領土を守れ!゜とあおるということだ。
 町村文科相は三日の記者者会見で、この写真の掲載について、「尖閣諸島はわが国の領土。まかり間違っても中国の領土ではない。国際的係争があるのは事実だが、わが国の領土にわが国のだれがいようと自由だ」「日本の領土に日本の国会議員が行って何が悪いんだということだ」と暴言を吐いて一蹴した。
 さらに西村自身も検定合格を受けて、「領土という国家の基本的要素を教えるのは公民教科書として当然であり、私の視察に関する大臣の認識も当たり前のことを言ったにすぎない」と言い放った。「つくる会」教科書の合格をもテコに、政府中枢から、朝鮮・中国|アジアへの排外主義が噴き出しているのだ。
 さらにこの教科書は、「日本人拉致問題」「核ミサイル開発疑惑」を記して「北朝鮮脅威論」をあおり、「わが国も現実的な対応が求められている」と、日帝の核武装までも求めている。アジア人民への排外主義と領土略奪をあおり、日帝の核武装と侵略戦争を扇動する教科書を、絶対に許してはならない。

 天皇の全面賛美 「天皇は国民の中心」「国を愛する心」掲げ

 第二は、徹底した天皇制賛美である。
 これまでの公民教科書は、戦前・戦後の憲法については「天皇主権から国民主権への転換」として、戦後憲法の意義を明らかにしてきた。しかしこの教科書はまったく逆だ。大日本帝国憲法を全面賛美した上で、「第二次世界大戦後、憲法が変わっても天皇のあり方には大きな変化はなかった」と記し、全編をとおしてくり返し天皇賛美の言辞をちりばめている。
 さらに際だっているのが「日の丸・君が代」の賛美である。この点については、文科省は一カ所も検定意見をつけていない。
 他方、今回の検定で文科省は、小学校社会科教科書の「日の丸・君が代」に関する記述に決定的に介入した。その結果、「それぞれの国の国旗は、その国の人々の願いや気持ちがこめられた大切なものです」という記述に「おたがいに尊重し、大切にしていかなくてはなりません」が追加され、「国旗は、その国を示す印として、どの国でも大切にあつかわれています」の記述が「国旗は、その国を示す印です。どの国の国旗も、大切にあつかわれなければなりません」に変えられた。さらにある出版社が「国旗・国歌法」について「この法律は、思想・良心の自由に反するという意見もある」と記述していたのが、全面削除された。
 歴史教科書における日本軍軍隊慰安婦や南京大虐殺の記述の大幅削減と事実の歪曲と同じく、「つくる会」教科書を突破口にすべての教科書の内容が大幅に変更させられたのである。

 基本的人権否定 憲法を否定し「公共の福祉と国益」強調

 第三に、「基本的人権の尊重」の理念を徹底的に攻撃し解体しようとしている。この点も、第一、第二の点とならんで、決定的な意味をもっている。
 憲法に記された平等権や自由権(表現の自由、信教の自由、通信の秘密、集会・結社の自由、労働基本権など)の一つひとつについて、すべて「濫用してはならない。国益を侵してはいけない。公共の福祉に反してはいけない」などと、ことごとくクレームをつけて攻撃しているのである。
 これこそ、新たな朝鮮・中国−アジア侵略戦争に向かって、権利や自由を否定し、「国益」や「公共の福祉」を率先して守る子どもたちをつくろうとする攻撃にほかならない。
 これはかなり重要な問題である。つまり、これまで見てきたような改憲や排外主義の扇動、天皇賛美だけでは、実際に戦争を担う青年たちをつくり出すことはできないということを「つくる会」自身が強烈に意識しているのだ。
 戦後五十余年、圧倒的多くの人民の中に「基本的人権の尊重」という価値観が根付いている。労働者階級人民はさまざまな権利や自由を守るために闘いぬいてきたし、「侵されてはならない。絶対に守りぬく」という広範な意識と闘いが存在している。日帝は、これらを全面的に解体することなくして、子どもたちを「戦争に進んで突っ込み、国家と天皇のために死ぬ人間」にすることなどできないのだ。まさに「外に向かっての侵略戦争、内に向かっての階級戦争」の攻撃なのである。
 「つくる会」教科書の内容を徹底的に暴露することによって、広範な人民の闘いを巻き起こすことは絶対に可能だ。東京・杉並で、全国で、「つくる会」教科書採択阻止、教育改革粉砕の大運動をつくり出せ! その闘いのただ中で、都議選決戦におけるけしば誠一氏の当選をかちとろう。

 「つくる会」公民教科書・原文
検定意見と修正文
憲法改悪の扇動 
●憲法と自衛隊の実態とが整合しておらず、憲法の改正が強く主張されている。
●コラム「日本国憲法第9条」。放棄されるべきものとして憲法が謳っている「国際紛争を解決する手段としての戦争」とは、侵略戦争のことであり、禁止されるべきものとしての戦力保持および交戦権も、侵略戦争に関するものだ、と解釈するのが適切である。このように、日本国憲法は自衛の戦争をする権利や自衛の戦争をする戦力までを否認したのではない。
 憲法の解釈によれば、わが国は集団的自衛権を行使できないという意見があり、それが国際協力の障害にもなっている。そのため、日本国憲法第9条の表現そのものを改正する必要が強く唱えられている。
●近年では、自衛隊の国連平和維持軍や多国籍軍自体への参加が諸外国から期待されているが、ここでも日本国憲法がその障害になっている。
憲法の規定と自衛隊の実態との整合性については議論が続いている。
(検定意見「9条の条文解釈に深入りしており扱いが不適切。一面的な見解」)
    →表現修正


(下線部に検定意見「誤解するおそれのある表現」)
    →表現修正

(検定意見「誤解するおそれのある表現」)  →表現修正
民族排外主義の扇動 
●巻頭グラビア「国境と周辺有事」に「尖閣諸島に代議士が上陸」の解説で写真掲載。
●国後、択捉、色丹、歯舞諸島の北方領土、日本海海上の竹島、東シナ海海上の尖閣諸島については、それぞれロシア、韓国、中国がその領有を主張し、一部を支配しているが、歴史的に見てわが国の固有の領土である。
●わが国周辺でも北朝鮮の核ミサイル開発の疑惑が高まり、わが国に向けて核兵器搭載を予定した実験用ミサイルが発射されている。また台湾の独立問題やスプラトリー諸島(南沙諸島)の帰属問題、核ミサイル配備をめぐる中国と周辺諸国の軍事的緊張も高まっている。核兵器の廃絶は人類共通の願いではあるが、このような国際情勢の中で、わが国としても現実的な対応が求められている。
(検定意見つかず)


(検定意見つかず)



(下線部に検定意見「未確定な問題について、断定的に記述している」)
    →表現修正
(下線部を修正)各国の防衛のあり方が議論をよんでいる。
天皇賛美と「日の丸・君が代」強制 
●わが国の歴史には、天皇を精神的な中心として国民が一致団結して、国家的な危機を乗りこえた時期が何度もあった。明治維新や第二次世界大戦で焦土と化した状態からの復興は、その代表例である。
●国を愛することは国旗・国歌を尊重する態度につながる。……私たちにはまず何より、自国の国旗・国歌を尊重する態度が必要である。
●「国旗・国歌に対する意識と態度」(ラモス瑠偉の言葉)日の丸−。最高だ。……日の丸をつけて、君が代を聞く。最高だ。武者震いがするもの。……日の丸をつけるって、国を代表することだよ。国を代表して戦うって、スゴイことなんだよ。
(検定意見つかず)



(検定意見つかず)


(検定意見つかず)


基本的人権の否定
●権利の主張、自由の追求が……国家や社会の秩序を混乱させたり破壊するものとならないように戒めている。憲法に保障された権利と自由は……濫用してはならず、つねに公共の福祉のために利用する責任があるとしている。
●憲法は、……私たちに好き勝手なことをすることを許したものではない。……社会全体や国家の利益を侵してまで権利や自由を行使することは許されていない。また国家の秩序を壊したり混乱に陥れることは許されない。……このように、憲法に保障された権利や自由は、無制限に保障されたものではない。……憲法はこれを「公共の福祉」という言葉を用いて表現している。
(下線部に検定意見「誤解するおそれのある表現」)
    →表現修正
(下線部を修正)社会全体の秩序や利益を侵す場合には権利や自由の行使が制限されることもある。

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週刊『前進』(2002号4面2)

2001年卒入学式 「日の丸・君が代」闘争

 二〇〇一年の卒・入学式闘争が、「処分」と「不適格教員」排除の恫喝をはねのけて闘われた。全国から寄せられた報告を紹介し、この感動的な決起を共有したい。今こそ杉並で、全国で、教育改革・改憲攻撃と闘おう。「つくる会」教科書を採択させない大運動を巻き起こし、都議選に勝利しよう。(編集局)

 辰野教育長の恫喝を粉砕し数百人が着席  広島 教育労働者 瀬戸 環

 広島では、高校、小・中学校、幼稚園で合計数百人の教職員が「着席」闘争に決起した。
 三月一日の高校卒業式は公表百三十四人、実際は約三百人の着席で幕が開けた。「たった一人の勇気ある闘い」から「一致団結、全員着席」の闘いまでいろいろだ。退場した者、リボン、ゼッケンをつけた者もいる。生徒たちはもちろん起立せず、歌わない。大崎海星高校では、全校生徒による抗議の「足踏み」が「伝統」となった。今年三十年ぶりに「君が代」が実施された新市町の四つの小学校では、教職員のほぼ全員、約六十人が断固着席、その他の小・中学校では、昨年を倍する決起がかちとられた。
 「日の丸・君が代」に反対する者を「不適格」教職員として職場から排除しようとする辰野教育長の「処分恫喝」をうち破ったのだ。闘う教育労働者は「自らの意志に基づき、階級としての歴史的行動を起こし始めた」のである。辰野は「職務命令を出していなかったところもあり、『着席』についての処分は考えていない」と大動揺してしまった。「着席」した教職員の一部を狙い撃ちして異動させたが、昨年の広域人事に比べれば明らかな後退である。
 この一斉決起の原動力となったのは「戦術ではなく階級的立場の表明として『着席』闘争を闘う」ことを明確にした二・二〇広教組臨時大会の成功である。「日の丸・君が代」反対の意見広告と反戦共同行動委員会の大情宣は、階級的分岐を促し、現場の決起を大いに助けた。
 敵・味方の力関係の大逆転が始まっている。昨年の広域人事異動で、遠距離異動させられたAさんは、転勤早々の入学式でひとり着席し、周囲を驚かせたが、今年の卒業式では、卒業生たちと保護者、多くの仲間と一緒に着席した。分会会議では「帝国主義打倒」の論議で盛り上がった。
 同僚数人で着席したCさんの職場では、辰野教育長になって既得権がどんどん奪われ労働強化がはなはだしく、日ごろから仲間同士で不満をぶちまけていた。校長の横暴にたまりかね、ついに反撃に立ち上がった。校長の権威は一気に後退した。職場支配権確立の闘いが進んでいる。
 追い込まれた校長たちは、パニックに陥っている。福山誠之館高校の愛国主義校長は、ビラまきの学生を車に拉致監禁、逮捕させた。生徒たちは怒り、式では、卒業生一人が抗議の退場をした。広島皆実高校では、校長が着席した教員に辞任を迫る事件が起き、社会的な批判にさらされている。職員会議で追い詰められた校長たちは「指導要領は法律だ」「『内心の自由』は犯すもの」「『着席』は不敬罪だ」「『不適格』法ができた」と暴言を吐き、ますます孤立している。定年を数年残しての退職者が続出し、残った者は、過労や飲み過ぎで病気になったり、ケガをしたりしている。
 安浦町では、超反動町長が「『国旗・国歌』反対の教員を一般職にする」という攻撃に出たが、議会では十対二で否決され、教育長も辞任した。右翼市議・県議たちは、KSD汚職の村上・小山らのように葬り去られることを恐れ、鳴りを潜めている。
 他方、社民党協会派は支部長の肩書を使って、深夜組合員の自宅に押しかけ「起立しろ」と迫り、「起立し歌う」方針の日本共産党・全教は「正面張り付け」の「日の丸」のアイロンかけに精を出したのだ。カクマルともども、この反革命を絶対に打倒せよ!
 われわれは、動労千葉・国鉄労働者とともに、広教組・広高教組の旗を二十一世紀革命の先頭に押し立てて進む決意だ。
(追記)
 辰野教育長は、人事も終わり、年度末ギリギリの三月三十日になって、百九十四人を対象として、県立校の全員に「文書訓告」を出し、市町村に「処分」を指示した。この不当処分を粉砕し、さらに「入学式」闘争の爆発をかちとりたい。

 職場の団結を基礎に階級と結びつき決起 大阪 教育労働者(小学校) 西山 恵

 卒業式当日は、抜けるような青空だった。早朝から最後の校長交渉が始まる。だが、教職員の総意を踏みにじり「校長権限」の一点張りで屋上に「日の丸」掲揚を強行した。仲間と子どもたちの抗議の中、市教委は現認写真をとり、監視のために式場の保護者席に潜り込んだ。
 式場でも、自分の身を挺(てい)しても「教え子を戦場に送らない」という教育労働者の抗議がたたきつけられた。子どもたちは、手作りの原爆ドームを背景に、色とりどりの花に包まれて、六年間で学びとった戦争と差別を許さない思いを込め「人の世に熱あれ、人間に光あれ」とアピールした。練習の時よりうんと気合いが入っていた。
 激励の拍手がこだまのようになり響き、あえて混乱を持ち込もうとした市教委と学校長を打ちのめした。
 今年も「君が代」には手を付けさせず、完全実施を打ち砕いた。だが、まるで占領地のように「日の丸」を掲げた学校長に、抑えても抑えても怒りがこみ上げてくる。
 式の後、学校長は感情的に「処分」をわめき、見せしめに嘱託はずし、担任はずしを画策した。
 私の職場では、分会の団結を基礎に、組合や職種の違いをのりこえた職場会を形成して闘ってきた。それが四十日余りの「日の丸・君が代」決戦でうち鍛えられ、バリケードのこっちと向こうが峻別(しゅんべつ)されていった。報復攻撃を一つひとつ団結してはね返せたのはこの力だ。
 入学式では、「子どもたちに見えない時間」という決定に反し、早朝から屋上に旗を揚げた学校長にみんなの怒りが爆発。これをいったん引きずり降ろさせる大勝利を実現した。
 ふり返ってみると、ストーブを囲みながら「処分」問題が自然と話題になり、それが暗い話題にならず、仲間を守るためなら自分が処分を受けようという気風さえ生み出した。
 「教え子を再び戦場に送るな」のスロ−ガンには、自らの手で教え子を戦場に送った血の滴りが込められている。だが「日の丸・君が代」の狙いを連合執行部は見すえられない。
 戦争の時代を教育労働者は敏感に感じとっている。ある仲間が「学校の中に問題を閉じこめたらあかん。社会に広く知らせんと」と語った。地域、階級全体とのつながりをもっともっと深めなければならないと思う。執行部が言う「子ども、保護者を巻き込まない」論は、すでに敵の側から踏み破られているのだ。
 部落解放同盟全国連合会の申し入れ行動は、大きな激励だった。私たちも、積極的に地域へビラをまき、PTAとも話し合った。このビラから「処分」の脅しが始まったが、ここに敵の最大の弱点がある。
 教科書問題を始めとする教育闘争は、私たちが在日朝鮮人、中国人の子どもたちも含めた階級全体とつながれるかどうかで勝負が決まると思う。 

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週刊『前進』(2002号4面3)

2001年日誌 阻もう! 改憲=戦争への動き 4月4日〜10日
 陸自式典で石原がまた暴言 千葉県知事 堂本が「成田整備」を要請

●わき水から基準値10倍のベンゼン 沖縄県北谷町のキャンプ・フォスター内のわき水から有害物質ベンゼンが検出され、在沖米海兵隊は昨年十一月から異臭を認知しながら発生源確認に手間取り、日本側への通報が五カ月近くも遅れていたことが、海兵隊報道部の発表で明らかになった。三月中旬に連絡を受けた那覇防衛施設局や県も、基準値の十倍にのぼる有害物質の検出にもかかわらず、地元住民に事実を明らかにしていなかった。(4日)
●参院で憲法調査会 参院憲法調査会が渡部昇一上智大名誉教授(英文学)と江橋崇法政大教授(憲法)を参考人に、「国民主権と国の機構」について意見交換した。(4日)
●米軍機訓練「空域制限なし」と施設局長 米海兵隊岩国基地所属の戦闘機が今年二月から三月にかけ、提供訓練空域外の沖縄県名護市街地上空を訓練飛行した問題で、那覇防衛施設局の山崎信之郎局長が「一般の航空訓練は地域の限定がない」と明言、民間空域も含めた日本国内の空域すべてで米軍機が飛行可能との認識を示した。「ヘリ基地が造られれば、いくら約束してもこうなる」(ヘリ基地反対協)など、地元では強い怒り。(5日)
●窃盗米兵を憲兵隊が拘束
 盗難車に乗っていた海兵隊三等軍曹を、米憲兵隊が三月末に窃盗容疑などで身柄拘束していたことが明らかになった。(6日)
●米軍の飛行再開を市長が拒否 米空軍第35戦闘航空団(青森県三沢基地)が、三沢対地射爆場沖にF16戦闘機が墜落した事故後中止していた飛行を再開したいと三沢市に申し入れた。しかし、鈴木重令市長が「訓練のことばかり考え、すぐに飛行再開とは何事か。ノーと言わせていただく」と再開を拒否。(6日)
●施設庁幹部が謝罪 那覇防衛施設局長が米軍機の飛行訓練に空域制限がないと発言した問題で、防衛施設庁の河尻融施設部長が「誤解を招いたことは申し訳ない」などと謝罪したが、一方で「逆に『飛行訓練は提供空域以外ではできない』と言ってしまえば政府解釈と違ってくる」と開き直った。(6日)
●FA18米本国から派遣
名護市上空で米海兵隊の戦闘攻撃機FA18ホーネットが飛行訓練した問題で、同機は米本国から六カ月ローテーションで派遣され、嘉手納基地を拠点に訓練を重ねていることが、在沖海兵隊機関紙「マリーン」の報道で明らかになった。中国軍機と接触事故を起こした電子偵察機EP3も米本国から派遣され、嘉手納基地に常駐、在沖米軍基地の前線化があらためて浮き彫りになった。(6日)
●米兵がひき逃げ 沖縄県金武町の国道329号で、在沖米海兵隊伍長が運転する乗用車が対向車線にはみ出し、タクシーに衝突した。伍長は徒歩で逃亡したが、米軍キャンプ・ハンセンで米軍に身柄を拘束された。(7日)
●ゲリラ対処で平時出動も想定 防衛庁はこれまで「ゲリラ・コマンドウ対処は防衛出動時が前提」としてきたが、一九九七年度策定の「秘密」指定文書「陸上自衛隊長期防衛見積もり」の中で、法定根拠すらない平時の出動も想定していることが分かった。東京新聞が報じた。(8日)
●石原がまたも暴言 東京都練馬区の陸上自衛隊練馬駐屯地で行われた記念式典で、石原慎太郎東京都知事があいさつし、「不法に入国した多くの外国人が非常に卑劣な犯罪をこのごろ繰り返し、東京の治安そのものが非常に危機にひんしている」と述べ、昨年の九月の治安出動訓練についても「あのとき都民が味わった印象は、やはり軍隊だ、やはり軍だ。私たちが期待し、育ててきた力が発揮されて初めて災害も最小限に食い止められる」などと語った。(8日)
●米に攻撃なら集団的自衛権と亀井 自民党の亀井静香政調会長が記者会見で、総裁選の政策のうちの集団的自衛権について「同盟国が攻撃された場合、(米軍と)同一行動をとるのは現憲法下で禁止されていない。世界各国の紛争について同盟国が武力行使する場合、(同一行動は)容認されていないという判断だ」と述べた。また、米本土だけでなく、各国にある米軍基地や米軍の艦船が攻撃された場合でも集団的自衛権の行使がありうるとの考えを示した。(10日)
●堂本知事が2500b滑走路へ協力を要請 堂本暁子千葉県知事は、森喜朗首相、扇千景国土交通相と会談し、成田空港を「首都圏の国際空港の拠点」として、二千五百b平行滑走路の「整備」や都心とのアクセスの充実に努めるよう求めた。(9日)
●次回代替協で建設場所
橋本龍太郎沖縄担当相が、普天間飛行場の代替施設協議会の次回会合で各工法に伴う建設場所についての政府の考え方を提示すると示唆した。開催時期については五月下旬以降にずれ込む見通しを示した。(10日)

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週刊『前進』(2002号5面1)

堂本新知事の闘争破壊許さず暫定滑走路来春「開港」阻止を
 土地収用法改悪阻止の国会闘争へ
 赤坂 潤

 はじめに

 三里塚闘争は暫定滑走路の今秋完成|年内テスト飛行|来春「開港」(供用開始)をめぐり、三十五年間の闘いの成否を最終的に問う決戦過程に突入した。軍事空港の完成という第一級の国策を阻止し続け、反戦・反権力闘争の砦(とりで)、全国住民闘争の砦、労働者人民の階級的実力闘争の砦として一切の妥協を排して闘い、勝利してきた三里塚闘争の歴史的意義、その理論と実践のすべての成否が問われているのだ。
 都議選決戦を当面する最大の白熱的攻防点とする労働者階級人民の闘いは、この二〇〇一年において教育改革攻撃、有事法制・改憲攻撃との文字どおりの階級決戦に突入する。三里塚闘争がこの階級決戦の煮詰まりの中で激突過程に入ったことは偶然ではない。日帝権力は九〇年決戦以来の三里塚闘争破壊に再び乗り出してきたのだ。
 三里塚闘争の革命的資質とその勝利の地平を今こそ発揮して闘おう。都議選決戦の必勝へ総決起し、四|五月三里塚国会闘争(土地収用法改悪阻止)を闘い抜き、反対同盟を先頭に巨大な人民的武装陣形を整え、暫定滑走路「開港」阻止決戦へ進撃しよう!

 工事で追い出しを図る公団 東峰神社立ち木伐採許すな

(1) 軒先工事の実態
 暫定滑走路建設工事の進展とともに、天神峰・東峰の二期工区内は尋常ではない営農・生活環境破壊にさらされている。農家や畑、農道などはすべて高い鉄板フェンスで囲われ、広大だった視界は完全に遮られてしまった。各農家は陸の孤島になってしまっている。二十四時間機動隊の監視下で、覆面・サングラス姿の私服刑事の乗った警察車両が四六時中徘徊(はいかい)し、農民や家族に日常的な尾行や不当検問を強制している。
 敷地内にある反対同盟所有の一坪共有地などが無断で封鎖され「立入禁止」にされるという不法、デタラメな措置も強行された。暫定滑走路が完成すると、村を覆うフェンス群は高さ十三bものジェットブラスト遮音壁となる。今日の都市空間では法的にも到底認められないレベルの生活権・営農権の侵害である。
 天神峰の市東孝雄さんはこうした連日の事態に「はらわたが煮えくり返る思いだ」(三・二五集会)と怒りを訴えている。
 暫定滑走路計画は、反対農家が生活する農村の中に滑走路を無理やり押し込む暴力的な計画だ。一昨年五月、「二〇〇〇年度完成」をうたっていた平行滑走路計画(二千五百b)が用地買収の破綻(はたん)で最後的に挫折したため、滑走路全体を二千百八十bに切り縮めて北側にずらすという無謀な計画に変更、同年
十二月に運輸省(当時)は有無を言わせず一方的に着工した。「平行滑走路の着工は地権者の同意が前提」とした円卓会議最終報告(九四年十月)のペテンを早くも開き直ったのである。
 公団は「暫定滑走路が完成すれば農家の上空四十bをジェット機が飛ぶ」(中村総裁)と反対農家をくり返し脅迫している。同用地部は「完成すれば、どうせ生活できなくなるから反対派は出て行く以外にない」とごう慢にも公言、悪質な情報操作や地元の悪質ブローカーを介入させるなど“伝統的゜な地権者工作に精を出している。こうした農民殺しが「民主的な話し合い」の名のもとにまかり通っているのだ。国や公団の農民無視は、実は三十年前と何ひとつ変わっていない。「三里塚には民主主義のかけらもない」(北原鉱治事務局長)のだ。
(2) 農民追い出しだけが目的の「無用の長物」
 こうした強引な手法で「今秋完成」を目指す暫定滑走路は、実質千七百四十bの超欠陥滑走路だ。計画認可(九九年十二月)時点では隠されていたが、滑走路南端約六十b地点の東峰神社の立ち木(東峰部落の総有)が航空機の進入表面(勾配=六十分の一)を七〜八bも突き破っていた。これで滑走路の運用長が四百四十bほどさらに短縮される。千七百四十bとは、「離島空港」なみの滑走路だ。これでは国際線の就航は、アジア近距離便の例外的な中型機以下を除いて不可能である。
 暫定滑走路は公称「年間六万五千回」の離発着能力となっている。しかし二千百八十b(南側実質千七百四十b)ではまったく話が違う。現実的な需要予測ではせいぜい年一万回(五千便)が限度。一日わずか十四便(!)だ。事実、数カ月後にテスト飛行という現段階でなお、航空会社の契約は国際・国内あわせて「一日十四便」にもほど遠い状態だ。現行A滑走路(四千b)で中型機を運航する航空会社も、暫定滑走路への移動を拒んでいる。機種変更などの柔軟な運航ができなくなるからだ。
 暫定滑走路計画を立ち上げる「口実」にされたサッカー・ワールドカップの「日韓シャトル便構想」も、大型機は就航不可。アクセスの悪さなど成田の悪条件を理由に羽田空港使用で最終決着しつつある。
 この事態にあわてた国土交通省・空港公団は、急きょ暫定滑走路の「国内線充実対策検討会」(座長・山内弘隆一橋大教授)をデッチあげ、存在しない国内線需要(現在年間五千回=一日約七便)を「年間二万回」に水増しするための「検討」を始めた。しかし各航空会社は成田の国内線増便にはっきり否定的態度をとっている。すでに暫定滑走路は経営的にも大赤字が必至という状態なのだ。
 これほど無残な滑走路を造る根拠は、ブルジョア的経済合理性からは説明できない。アメリカ帝国主義のオープンスカイ政策(路線、運賃の全面自由化)に対応するための首都圏空港容量の拡大という面でも、ブルジョアジーと国土交通省自身がすでに「羽田国際化」と「羽田再拡張」以外では対応できないとの結論を出している。使い物にならない暫定計画で成田に新滑走路を造っても意味がなく、むしろ赤字拡大要因を増やすだけだ。
 結局、日帝・国土交通省と空港公団が暫定滑走路を造る理由は「農家の上空四十b」を飛ばすことそのものなのだ。「生活できない」(用地部の脅し文句=前出)レベルのジェット騒音と農村環境破壊で農家の生活を不可能に追い込む、まさにそのために膨大な予算を投入、村の中に滑走路を割り込ませる軒先工事を強行し、さらに「国内線充実対策」と称し需要をねつ造してでも飛ばそうというのだ。三里塚闘争破壊のための、国家ぐるみの暴力的“地上げ゜攻撃である。
(3) 強権発動の再開=東峰神社立ち木伐採攻撃を粉砕せよ
 公団は、この目的を貫くために、暫定滑走路南側に立ちはだかる東峰神社の立ち木を「何としても伐採したい」としている。超法規的手段による伐採強行だ。
 公団が考える「航空法による仮処分」はデタラメである。反対同盟弁護団が指摘するとおり、航空法に違反しているのは神社の立ち木ではない。立ち木を無視して「認可」した暫定滑走路計画そのものが違法なのだ。したがって、伐採を強行すれば、公団は自らの行為の法的デタラメさを天下にさらすことになる。
 また権力による強制手段を行使すること自体が、「今後一切の強制手段を放棄する」とした公開シンポや円卓会議の社会的確約違反だ。ウソやペテンは朝飯前の政府・公団だが、この「社会的確約」を早々とほごにすることは、三里塚闘争との全面激突に自ら火を付けることを意味する。
 その代償の大きさを自覚しなおかつ伐採を強行するなら、わが革共同はこれを絶対に許さない。断固としてこの反動的挑戦を受けて立ち、敵の弱点に対し、あらゆる革命的手段による反撃をたたきつけることを宣言する。この戦争の反動的放火者は、国土交通省・公団にほかならない。
(4) 「完成」「テスト飛行」「開港」攻撃に対する革共同の立場
 無残といえる状態の暫定滑走路「来春開港」を反動的に盛り立てるために、国土交通省・公団は工事計画を前倒しし、「来年五月連休前の供用開始」を全力で追求している。連休需要の臨時便を当て込んだ反動的デモンストレーションで「開港」し、反対農家への騒音被害による打撃感を目いっぱい拡大することが目的だ。こうして反対農家を揺さぶり、一方で札束を積み上げ、一気に屈服を強要することが公団の戦略だ。
 今秋滑走路「完成」|年内テスト飛行強行という過程は、この「開港」攻防をめぐる白熱的な激突の過程である。巨大な滑走路が姿を現し、十三bのジェットブラスト防音壁が農村を包囲し押しつぶそうとする現実は、それ自体が耐え難い農民殺しであり、絶対的な反撃が必要である。ここでの反撃の度合いが、開港攻防とその後の三里塚闘争の一切を決定することを明確にしなければならない。

 「市民派」が聞いてあきれる堂本知事の反人民的な経歴

 暫定滑走路阻止決戦の渦中で千葉県知事となった元さきがけ参議院議員の堂本暁子は、三里塚闘争と反対同盟への積極的敵対・破壊の態度を鮮明にした。
 就任後の記者会見で「反対農民との話し合い」(三月二十六日)を語りつつ「成田空港の完全空港化」(四月五日)を明言。さらに自らが「問題解決に全力をあげる」(四月七日)と、反対農民切り崩しの「意欲」を公言した。「市民派、環境派、無党派」と称して人民を欺き、三里塚闘争の破壊に手をかけることなど絶対に許せない。
 堂本新知事がくり返し言葉にする「話し合い」とは国土交通省や公団の切り崩しと同じだ。堂本は選挙中に「現場(工事区域)を見に行った」というが、それでなおかつ暫定滑走路工事の非人間的現実に一言の「批判」もない。それどころか、四月九日には森、扇千景(国土交通相)と会談し、「成田の整備」を協力要請しているのだ。
 堂本は「最初に住民の了解をとらなかったのであれだけの闘争になり、犠牲が出た」などと「犠牲」を過去のことのように言うが、ここに大きなウソがある。工事は今まさに「住民の了解」などそっちのけで強行され、一方的に被害を出し続けているのだ。
 この「現場を見た」堂本が、工事を批判するのではなく、反対派への屈服要求だけを強調したのだ。
 堂本は、自社さ連立政権にさきがけ議員団長として参画してきた保守政治家だ。「市民派」「環境派」の看板は大ウソである。
 第二次橋本内閣の最大の「実績」は、自治体の代理署名権をはく奪し、国の代行裁決にした沖縄米軍用地特措法の改悪だ。この時、さきがけは沖縄県民の訴えをしり目に、参議院本会議で自民、平成会、民主党・新緑風会、太陽党とともに法案を強行成立させた。抗議する大勢の沖縄傍聴団を逮捕させた責任もある。堂本は、この時さきがけの議員団長だったのだ。
 さらに、堂本が国会時代に政権与党の一員として活動したのは、細川政権(九三〜九四年)から羽田政権(九四年)、村山政権(九四〜九五年)、橋本政権までの五年間にわたる。この過程で一貫して政権与党の立場で反動政治の一翼を担ってきた張本人だ。
 ちなみに、堂本は、参議院議員初当選の八九年、社会党から出馬した。この時代の社会党は右翼転換し、安保・自衛隊合憲論に行き着いたが、堂本は、その右翼転換にも飽き足らず、九四年に保守政党・さきがけに転身した人物だ。
 この過程での特筆すべき反動政治としては小選挙区制の導入(細川政権)、消費税増税(村山政権)などが挙げられる。自民党単独ではできなかった戦後最悪の部類の反動攻撃である。さらに周辺事態法(安保ガイドライン法)、住民基本台帳法(国民総背番号制)なども橋本政権時代に法案が作成され、さきがけを含む政権与党の合意で国会提出された法案だ。まさに、堂本は「市民派」が聞いてあきれる経歴なのだ。
 成田問題では、「自社さ」政権の首相・村山が、現成田市長・小川国彦とともに元天神峰在住の反対同盟員・小川嘉吉らを直接「説得」し、切り崩した経緯(九四〜九五年)を忘れてはならない。堂本はこの決定的な犯罪について、政権与党の当事者として責任を負うべき立場だ。
 この堂本が「市民派知事」をかたり「反対派農民との話し合い」に乗り出すことなど絶対に許されないのである。
 百歩譲って「真摯(しんし)な話し合い」(堂本記者会見)だというなら、その前に暫定滑走路計画それ自身を千葉県知事の責任で撤回させよ! 知事として、空港公団に暫定滑走路の軒先工事を直ちに中止させよ! それが絶対の前提である。
 それをせず「完全空港化」の立場で「話し合い」を言うこと自身が、軒先工事の圧力で屈服強要をはかる公団用地部とまったく同じ犯罪行為なのだ。反対同盟と人民は、堂本新知事の策動を絶対に許さない。

 一坪共有運動の破壊と有事法制のための収用法改悪

 三里塚闘争のもう一つの決戦的課題は、今国会に提出された土地収用法改悪攻撃との闘いである。
 土地収用法改悪は、反基地闘争、ダムや道路建設反対など、三里塚闘争を始めとする土地収用に反対する住民闘争から抵抗手段を奪う攻撃だが、軍用地の収用という有事法制の核心部を先取りする攻撃としても決定的な意味を持っている。
 したがって、土地収用法改悪阻止は、有事法制・改憲阻止闘争の人民的発展を先導する闘いとして取り組まなければならない。
 土地収用法の改悪が、有事体制=戦時体制確立のかなめであることは、一九六三年の三矢作戦研究の時から指摘されていた。
 三矢作戦研究は、有事体制の分野を、@国家総動員の領域、すなわち人・物の動員(徴用・徴発)と土地収用、A自衛隊の行動上の制約の撤廃、B政府機関の臨戦化、の三つの分野に分け、@とAの中心的課題となる土地収用問題の死活性を強調して、「土地収用法の改正」をはっきりと要求していた。
 土地収用法改悪攻撃の終着点は軍用地収用の明文化にある。現在、防衛庁などが準備している有事法制も、自衛隊法一〇三条(防衛出動時の土地・家屋・物資等の収用)に実効性を持たせよと要求をしており、土地収用問題を最重要のテーマにしている。
 自衛隊法一〇三条は、具体的運用の手続きを定める政令(土地収用法の準用規定)が戦後、今日まで五十年以上も制定できず、死文化している状態なのだ。敗戦国としての制約を象徴する事態である。
 この自衛隊法一〇三条の運用規定に土地収用法を準用するという有事法制の課題は、戦後憲法体系に根本的に抵触する。土地収用法では自衛隊を含む軍事目的の事業は収用適格事業には入っていない。「戦力不保持」をうたった憲法九条との関係で、軍事目的の強制収用はできないのだ。土地収用法が準用されている米軍用地特措法は、その意味で明らかに“超憲法的゜法律である。
 日帝・自衛隊にとって、この矛盾の解決は積年の悲願だ。軍用地の収用は侵略戦争参戦体制づくりのかなめであり、次期通常国会に提出予定の一連の有事法制の中に、土地収用法の再改悪が含まれる可能性はきわめて高い。
 いずれにせよ、収用委制度の形骸(けいがい)化、一坪共有運動の禁止という今次土地収用法改悪の終着点が、戦前型の土地収用制度の確立にあることは明白なのだ。
 わが革共同は、反対同盟とともに土地収用法改悪阻止の四|五月国会闘争を断固として闘いぬく決意である。この闘いを教育改革攻撃粉砕、有事法制・改憲阻止決戦の広範な統一戦線の一翼に合流させ、「連帯し、侵略を内乱へ」の今日的貫徹として創造的に闘いぬこう。

 都議選勝利、教育改革粉砕決戦へ

 三里塚闘争が、暫定滑走路「開港」阻止決戦として激突局面に入ったことは、階級闘争全体が教育改革・有事法制・改憲攻撃をめぐる空前の階級決戦の過程に突入したことと完全に連動している。革命的内乱の拠点を真っ先にたたきつぶそうという意思を、日帝権力はむき出しにしている。だから三里塚決戦の勝利は、階級決戦を担う労働者人民の死活的利益なのである。
 自民党を中心とする戦後の階級支配は、いま急速に全面的な崩壊過程に入りつつある。日帝支配階級は政治、経済、軍事、その他あらゆる分野で戦争体制への急激な転換を迫られ、橋本「自社さ」連立政権|小渕「自自公」政権の過程を画期として、戦後体制を右から覆すほどの膨大な反動法案を矢継ぎ早に成立させてきた。しかし戦争国家体制への本格的移行という日帝の死活問題は、憲法改悪を頂点とする上からの階級決戦を暴力的に貫くことなしに成立しない。ここに日帝支配階級の決定的ともいえる危機がある。
 八〇年代の国鉄分割・民営化、三里塚二期攻撃以来の大反動攻勢は未貫徹であり、労働者階級人民との階級決戦は未決着なのだ。そして支配階級自身が、バブル経済以来の腐り切った権力構造を打破できず、危機に対応できないまま行きづまっているのである。石原都知事を始めとする極右・ファシスト勢力の台頭は、階級支配の危機が決定的な段階に入ったことを示している。
 こうした中で、決戦を迎えた三里塚闘争の階級的意義は明白である。わが革共同は、暴力的本性をむき出しにしてきた国土交通省・公団の心臓部に決定的な戦略的反撃をたたきつける決意である。「二〇〇二年春開港」の農民殺しの暴力性を凌駕(りょうが)する大衆的・武装的反撃こそが求められているのだ。
 暫定滑走路来春「開港」を実力で阻止せよ! 土地収用法改悪阻止の四|五月国会闘争を貫徹しよう! 都議選決戦勝利! 「つくる会」教科書採択阻止、教育改革粉砕、有事法制・改憲阻止の歴史的階級決戦に断固として進撃しよう。

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週刊『前進』(2002号5面2)

 改憲阻止決戦シリーズ 今、問い直す侵略と戦争の歴史
 第1部 第二次世界大戦 (1) 戦争の全体像をつかむ
 世界分割かけ帝国主義が激突

 欧州とアジアで

 日本帝国主義と侵略戦争の歴史についてみていく場合に、まず初めに、第二次世界大戦とは何だったのかの全体像をつかむことが必要である。その中で初めて日本帝国主義が世界史的にどのような存在だったのか、その侵略戦争、帝国主義戦争はどのようなものであったのかも、はっきりしてくるからである。
 この戦争を日独伊のファシズムに対する米英ソの民主主義の戦いとする歴史総括が一般的に流布されているが、それは正しくない。
 第二次大戦は、第一次大戦のヨーロッパにおける戦後処理体制であるベルサイユ=ロカルノ体制(*)の打破を掲げたドイツ帝国主義の挑戦と、アジアにおける戦後体制であるワシントン体制を打破しようとする日本帝国主義の突出、さらにアメリカ帝国主義の基軸帝国主義への飛躍をかけた世界支配への歴史的踏み込みを主要な内容としている。どちらの側からも強盗的な史上未曽有(みぞう)の帝国主義間戦争=世界戦争であった。そこに、一七年ロシア革命を歪曲して世界革命を放棄し一国社会主義の防衛を外交=世界政策の軸に据えたソ連スターリン主義をも巻き込んで戦われた世界戦争である。

*ベルサイユ体制とは、一九一九年、パリのベルサイユ宮殿で調印された第一次大戦の戦後処理の条約に基づいてつくられた戦後体制。敗戦国ドイツは、この条約で植民地など一切の国外権益を没収され、ポーランドなどの領土の一部を割譲、本国も戦前の面積、人口の一割を失い、その上多額の賠償など、きわめて厳しい足かせを課された。ロカルノ体制は、スイスで一九二五年に調印されたライン非武装と相互不可侵を約束した条約に基づく。
 ワシントン体制とは、一九二一年〜二二年に、ワシントン会議で主要国間の海軍軍縮条約、九カ国条約、四カ国条約を締結し、日本に主力艦保有制限や、中国の主権・独立の尊重などを約束させたもので、アメリカ主導で日本を抑える目的だった。
 つまり、後発帝国主義であったドイツは、第一次大戦で大敗し、多額の賠償など帝国主義として過酷な条件のもとにおかれた。これに対して、ヒトラー率いるナチスが「ベルサイユ条約の破棄」を掲げて政権を奪取し、再びイギリス、フランスなどの帝国主義と激突したのである。
 また、一方アジアでは、後発帝国主義であった日本が、台湾、朝鮮を植民地支配し、アジアの勢力圏をめぐってアメリカ、イギリスを始めとした他帝国主義と争闘戦をくりひろげて、凶暴な中国侵略戦争を進め、さらに東南アジア、太平洋へと侵略戦争を拡大していった。一九三一年から始まった中国侵略戦争が、三三年の日本の国際連盟脱退へと発展し、四一年から対米英戦争として戦われ、日本の敗北で終わった。

 帝国主義間衝突

 結論的に言って、この戦争の基本的性格は、帝国主義の二つの陣営の勢力圏の再分割をかけた正面激突であり、帝国主義世界戦争である。その戦争にスターリン主義ソ連が、その反人民的本質のゆえに巻き込まれ、かつ積極的に参戦し、戦火を決定的に広げるものとなったのである。
 一九二九年の世界大恐慌は、一方で、帝国主義による市場・資源・勢力圏の再分割闘争としての世界経済のブロック化を引き起こした。他方では、帝国主義諸国の経済危機の深刻化とそれに基づく階級闘争の空前の激化をもたらした。それは危機の革命的解決か、革命の敗北による戦争への転落かを問うものだった。
 しかし、国際共産主義運動のスターリン主義的歪曲のもとで三〇年代階級闘争は敗北させられた。打倒されなかった帝国主義の基本矛盾は、第二次帝国主義世界戦争として爆発した。

 史上最大の惨害

 第二次大戦は、アメリカ、イギリス、ソ連などの連合国とドイツ、イタリア、日本などの同盟国(枢軸国)が世界を二つに割って激烈に戦われた。ヨーロッパとアジア・太平洋を主戦場とし、世界の大半の国を巻き込んだ史上最大の戦争だった。
 ナチス・ドイツは、一九三八年、オーストリアを併合し、続いてチェコスロバキアを解体した後、ポーランドを侵略し、第二次大戦に突入した。さらにルーマニア、デンマーク、ノルウェー、ベルギー、オランダなどを次々に侵略し、フランスに攻め込んで占領し、バルカン半島も侵略、ヨーロッパの大半を支配した。そして、ソ連に侵攻し、独ソ戦が開始された。この間、イタリアもドイツの側に立って参戦、エジプトやギリシャに侵攻した。
 アジア・太平洋では日本帝国主義がハワイ・パールハーバーなどを奇襲攻撃し太平洋戦争に突入した。同時にアジア全域に侵略戦争を拡大した。戦争は、アジア・太平洋を奪い合う日米帝国主義間の激突となった。
 第二次大戦は、総計で連合国五十カ国と同盟国七カ国が戦った。地球上の大部分に及んだこの戦争は、世界戦争としては、実質的には三一年、三三年(柳条湖事件、ヒトラー政権成立、日本の国際連盟脱退、世界恐慌のどん底化など)を起点として、三九年九月一日のドイツ軍のポーランド侵略、それに対するイギリス、フランスの宣戦布告をもって本格的に始まり、一九四五年の広島、長崎への原爆投下をもって決着づけられる十五年間あるいは六年間に及ぶ長期の戦争である。
 その犠牲者数を見ても、その規模のとてつもない大きさが分かる。ドイツ軍に攻め込まれたソ連では二千万人以上が死に、ドイツ、ポーランドではそれぞれ六百万人以上が死んでいる。日本軍は侵略した中国・アジアの各地で合計二千万人もの人民を虐殺した。そして、日本人自身は軍民あわせて三百十万人が死んでいる。自国内が戦場とならなかったアメリカは、兵士だけだが五十万人が戦死した。全世界の死者は五千五百万人から六千万人といわれている。かつて人類が経験したことがない最悪の惨害だった。
(高田隆志)

 第2次世界大戦年表
1939.9
 ドイツのポーランド侵攻、第2次大戦始まる
1940.6
 イタリア、ドイツ側に立って参戦
6
 フランスがドイツに降伏、国土の3分の1占領
9
 日独伊三国軍事同盟締結
1941.6
 ドイツ軍、ソ連に侵攻
12
 日本軍が真珠湾攻撃、太平洋戦争始まる
1943.11
 カイロ宣言
11
 テヘラン会談(米英ソ首脳会談)
1944.6
 連合国軍、ノルマンディー上陸作戦
6
 ソ連軍、大攻勢開始、ドイツ軍を撃破
8
 レジスタンスが蜂起しパリ解放
1945.2
 ヤルタ会談(米英ソ首脳会談)
5
 ドイツ軍が無条件降伏
7
 アメリカで最初の原爆実験成功
7
 日本に早期降伏を勧告するポツダム宣言発表
8
 米軍が広島、長崎に原爆を投下
8
 ソ連が対日参戦
8
 日本がポツダム宣言を受諾
 

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週刊『前進』(2002号6面1)

連載・治安国家化との対決を (2)
 先行する刑事司法の転換 迎賓館・横田爆取裁判が典型

 二〇〇二年をめどとする治安弾圧体制強化の攻撃と一体で、刑事司法の現場では、それを先取りするような攻撃が次々と進行している。そこでは、従来から行われてきた法の拡大解釈による弾圧のエスカレーションにとどまらない、これまでの法体系の枠を完全に突き破る攻撃が始まっている。戦後憲法下の司法のあり方を根本から変えてしまうような、恐るべき攻撃が吹き荒れているのだ。

 射殺要求

 その核心は、憲法に明記された基本的人権の否定である。国家権力が「反社会的」とみなした個人や集団に対しては、基本的人権の存在そのものを最初から認めず、完全に奪ってしまう攻撃だ。
 四月五日、前橋市で、警察学校の入校式に出席した群馬県議会の議長が、とんでもない暴言を吐く事件が発生した。犯人逮捕に臨む警察官の心得として、必要なら容疑者を「けん銃で射殺することも恐れないでほしい。悪いやつらに対して容赦なく戦ってもらいたい。悪党に基本的人権はない」と発言したのである。
 そこにあるのは、犯罪を起こすのは一般市民とは異なる特別な人間や集団であり、そうした「悪党」を社会から排除し抹殺しさえすれば「健全」な社会を守れるという考え方だ。治安の悪化が日帝の政治・経済・社会の全面的な危機と矛盾と腐敗の爆発の中でこそ起きていることを否定し、その全責任を人民大衆に転嫁して、階級支配の危機をのりきろうとするものである。
 帝国主義の危機の時代には、このような社会防衛論が必ず台頭する。それはまた、排外主義・差別主義の大洪水とも一体だ。すなわち、在日朝鮮人・中国人やアジア人労働者、部落大衆、「精神障害者」や失業者・路上生活者などの存在そのものを敵視し、「犯罪の温床」として攻撃し、最後は虐殺してもかまわないとする主張である。さらに帝国主義打倒の革命を公然と掲げて闘う共産主義者や社会主義者も、「社会の敵」として真っ先に抹殺の対象とされてくる。
 「悪党に人権なし」とはまさにそうした思想の表現である。こんな考え方が司法の世界を完全に支配したらどうなるか。それこそ、一九三〇年代のナチスや戦前天皇制下の暗黒司法の再現ではないか。

 暗黒裁判

 これを具体的に示すものが、刑事裁判の現場ですでに実際に起きている。迎賓館・横田爆取デッチあげ裁判はその典型例だ。
 逮捕され起訴されても、裁判で検事が有罪を立証できなければその人は釈放されなければならない。「疑わしきは罰せず」と言って有罪を立証するに足る証拠がなければ、単に「疑わしい」という推測だけで人を処罰することはできないのだ。これは憲法はもとより近代刑法の大原則である。
 ところがこの迎賓館・横田裁判では、裁判官が自ら「証拠がないのは被告人が隠しているからだ」などと言い放ち、検事の有罪立証の破産がこともあろうに被告人の責任にすりかえられてしまっているのである。そのため、公判開始以来十数年が経つのにいまだに検察立証が終わらない。実に異様な裁判となっている。
 そこでは、憲法はすでに完全に踏みにじられ、「疑わしきは罰せず」とはまったく逆に、「疑わしきは罰せよ」が裁判の原則とされてしまっている。警察・検察に疑いをかけられた本人が自ら無実を立証できなければ、自動的に有罪とみなされてしまう構造だ。
 これは「過激派に人権なし」を地でいくものだが、アジア人労働者に対しては一層悪質な攻撃がしかけられている。
 昨年四月、東電OL殺人事件の裁判で、東京地裁がネパール人の青年に無罪の判決を出した。だがこの青年は釈放を拒否され、入管当局と示し合わせた東京高裁によって不当にも勾留を継続された。そしてわずか四カ月のスピード裁判で逆転有罪の高裁判決が下された。一審判決が「被告人を有罪とするには矛盾がありすぎる」として無罪としたのを、高裁は「矛盾はあっても有罪認定は可能」と強弁し、同じ証拠で百八十度逆の判決を下したのだ。
 こんなことがまかり通るなら、まさに戦前の暗黒裁判の復活だ。

 人質司法

 これと一体で今日、「人質司法」といわれる攻撃がますます激しくかけられている。すなわち、被告人が無実・無罪を争えば保釈しないという攻撃である。
 昨年三月二十二日付の毎日新聞報道によれば、一九五一年には起訴された者のうち一審判決までに保釈された被告は五八・二%だったが、九七年には一六・七%に減ったという。検事が「有罪を認めれば出られるぞ」とささやき、保釈の許可を得たいために、無実なのにその誘惑にのってしまうケースもあるという。
 しかも近年、労働争議への刑事弾圧などの場合に、「共同被告間の交通禁止」という、被告の防御権を露骨に侵害する保釈条件を付ける例さえも増えている。
 ここでは、裁判所による未決勾留が、被告人の検察官への屈服を引き出す手段として、文字どおりの見せしめとして使われている。そして長期勾留の許すことのできない最も極端な例が、迎賓館・横田裁判の四同志に対する十四年、八年という長期未決勾留だ。病気になっても保釈せず、獄外での医療すら認めない。これはもはや国家権力によるテロルと言うべきだ。
 だが、四同志の非転向と不屈の獄中闘争・裁判闘争は、巨大な司法権力をぐらぐらに揺さぶり、決定的に追いつめるものとなっている。革命党が自らにかけられた弾圧と徹底的に闘うことこそが、全人民の権利を守る道にもつながるのだ。
 「人質司法」の粉砕をかけて四同志の保釈奪還をもぎとろう。 (鮎川道子)

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週刊『前進』(2002号6面2)

連載・白井朗の反革命的転向 (4)
 権力・カクマルと結び堕落極める
 レーニン主義とスターリン主義の連続性主張する変節

 白井朗の権力への屈服による思想的節操のなさと思想的腐敗のおぞましさの第二は、革共同に敵対するために反スターリン主義の立場を放棄し、スターリン主義の発生をレーニンの思想的問題性に求める、あらゆる反革命への転落者と寸分違わぬ伝統的方法を引き継いでいることである。そしてその転向の合理化に本多書記長を利用する、実に卑劣な態度をとっている。

 一国社会主義の問題も蒸発

 その一つ目は、白井がスターリン主義の本質規定を「大粛清と大虐殺の恐怖政治」であるとし、それを根拠に現在の革共同はスターリン主義になった(『中核派民主派宣言』=以下『民主派』本と略=一七―二一n)、「故本多延嘉書記長と私などにあっては、もっと明快な反スターリン主義の意識があった」(同二〇七―二〇八n)と言っていることである。
 スターリン主義の〈大粛清と大虐殺の恐怖政治〉は、スターリン主義の本質規定である〈一国社会主義論〉の一帰結である。ところが白井は、前者を後者と対立させ、前者こそスターリン主義の本質規定だとすることで、右派スターリニスト構造改革派に綱領的に屈服し、本多書記長を自らの道連れにしようとする。本多書記長へのこれほどの侮辱はない。
 二つ目は、白井がプロレタリアート独裁の思想に反対し、スターリン主義を「民主主義の否定」と規定し、革命的共産主義を放棄していることである。
 そのために白井は革共同の「社会主義論」なるものをデッチあげる。白井はなんと革共同が、「(プロレタリア独裁の)もっとも重要なたたかいは、農民・知識人・被抑圧民族等々のプチ・ブルジョアジーを正しく指導すること、判(わか)りやすくいえばせん滅することによってのみ社会主義社会を建設できる」「ソ連・スターリン主義の農業の強制集団化、被抑圧民族にたいするマルクス・レーニン主義文化の普及による民族文化のせん滅、さらにプチ・ブル知識人の粛清によるせん滅は、すべて偉大な社会主義建設の前進なのである」などと言っているというのだ(同一八八―一八九n)。反共主義まがいの反動的デマゴギーだ。
 しかも、白井は本多書記長は自分と同じ考えだったかのごとく言う。
 だが、本多書記長は「帝国主義者やその小ブル自由主義的な追従者たちは、あたかも独裁が民主主義に対立する概念であるかのようにあつかう」(「レーニン主義の継承か、レーニン主義の解体か」=以下「継承か解体か」と略=本多延嘉著作選第一巻九六n)と言っている。白井のプロレタリアート独裁論の否定、民主主義論の俗物性は、本多書記長によってすでに容赦なく暴かれ、粉砕されているのだ。自己合理化のために平気で本多書記長をもってくる白井の恥知らずさは、驚くばかりである。

 レーニン帝国主義論を否定

 三つ目は、帝国主義と民族=植民地問題、農民=農業問題という領域において、白井がトロツキーを絶賛し、トロツキーに依拠してレーニンを繰り返し否定していることである。
 例えば、トロツキーの『結果と展望』について白井は、「これこそ……二〇世紀の社会主義革命論・世界革命論である。レーニンを含む誰もがロシア革命がブルジョア民主主義革命だと唱えているとき、独りトロツキーは社会主義革命を唱えた。それはこんにちでも理解されていない深遠な意義をもつ」(同五二n)と言う。あるいは「トロツキーの『複合的発展の法則』は後年レーニン『帝国主義論』が、……レーニンよりも一〇年も早く先駆的に真理を明確にしたのである。これによって半封建制か否かを革命綱領の最大の争点として農業問題において争うという次元とレベルを超えて、綱領論争が発展する基礎を獲得した」と言う(同五二―五三n)。
 だが、これも、すでに革命的共産主義運動の創成の過程で決着をつけてきている問題である。とりわけ反革命カクマルとの分裂の過程で黒田批判をとおして明確にさせてきている周知の問題である。ところが白井は、こうした地平を平然と踏みにじり、レーニンの『帝国主義論』の意義を低め、否定する。
 白井がもし革共同の歴史を再びひっくり返したいのであれば、レーニンの優位性を確認した本多書記長の「継承か解体か」を問題にしなければならない。そうしないとしたら不誠実であり、ペテンである。
 「継承か解体か」は、一九〇五年のトロツキーの革命論に基づくレーニン批判や、トロツキーがすでにこの段階で帝国主義段階論的認識を先駆的に出していたかのごとき見解について、「農民=農業問題におけるレーニンの実践的立場、階級論構築にかんするレーニン的方法の優位性を完全に見うしなっている」(同四八n)と批判している。
 「もともとレーニンが帝国主義段階論を確立する過程にあってレーニンがマルクスのいわゆる農業分解論の視点をロシア社会の戦略的解明に適用し、そのことによって生ずる理論と現実の矛盾を原理論と段階論の分離として逆転的に解決したことは、レーニンの限界を意味するものではなく、レーニンの方法論の卓越した位置を示すものである」
 「このような批判の方法によっては、トロツキーではなく、レーニンにおいてはじめて帝国主義段階論が確立されたことの理論的、実践的根拠を正しくつかみとることは不可能だからである」
 「重要な点は、帝国主義段階におけるプロレタリア革命が農民=農業問題を重大な戦略的課題としてかかえこむことについてトロツキーが……確固とした認識をもちえなかったのにたいし、レーニンが当初から首尾一貫して農民=農業問題のプロレタリア的解決にかんし実践的対決の態度を確固としてもちつづけたことである」(同四八―五一n)
 以上のような本多書記長の見解を白井はどうとらえるのか。白井の見解は本多書記長を明らかに裏切っているではないか。

 レーニンの党組織論を憎悪

 四つ目は、白井がレーニン主義的党組織論の公然たる否定とそれへのブルジョア的憎悪を全面的に表明していることである。
 白井は、革共同をスターリン主義組織論へと転落したと批判し、「中核派がこうしたスターリン主義組織論に転落した内在的要因として、レーニン主義組織論にたいする批判的検討を一貫して欠如し、レーニン主義とスターリン主義との連続性を無視しつづけたことを指摘しないわけにはいかない」と言う(『民主派』本七七n)。
 白井のこの見解は、ただただ革共同への反革命的敵対をのみ動機としているがゆえに理論の体すらなしていないが、あえて白井の特徴的な見解を拾ってみる。
 ひとつは、白井が「一九〇二年『なにをなすべきか』のいわゆる外部注入論は、ほかならぬ一九〇五年革命の労働者自身によるソヴェトの創成と一〇月革命のソヴェトの革命的役割によって否定されている。レーニンもこの事実を十分自覚し理論の改善と拡充に努めた」(『二〇世紀の民族と革命』一四n)と言い、『なにをなすべきか?』をスターリン主義組織論の根拠であるかのごとく描いていることである。
 また、いまひとつは、非合法・非公然の闘いの否定と解体の主張をもってレーニン党組織論を否定していることである。白井は、非合法・非公然体制にある革共同を「異常なもの」に描き、清水同志の「三〇年間の非合法生活」をののしっている(『民主派』本二〇〇n)。これは、白井の反革命的意図とは逆に、清水同志への礼賛と白井自身のコンプレックスの吐露しか意味しない。
 ただ断じて許せないことは、白井が「非合法生活」による「知的鎖国が精神の枯渇の最大の原因である」などとデマゴギーを展開していることである。白井は、自己が非合法・非公然の生活を行っている時は、自分だけが「知的存在」であるかのごとく威張り、公然面で活動する同志たちを「非知性のかたまり」だとして嘆いていた。ところが権力への合法主義的屈服に陥るや否や、今度は非合法・非公然の生活が「精神を枯渇」させると言い出す。でたらめなのだ。
 しかし、ここでの基本的問題は、「革共同はレーニン主義とスターリン主義との連続性を無視しつづけた」という白井の革共同批判の反革命性であり、それをレーニン党組織論に求める論点であり、それと白井の「継承か解体か」賛美とがいったいどう関係するのかということである。
 白井は、レーニン党組織論の結果として「レーニンは自分を神格化してしまい」(『民主派』本二三n)とまで言っている。だが、白井が賛美する「継承か解体か」は「ソ連共産党のスターリン主義化は、レーニン主義的党組織論そのものの社会的発展として生じたものではなく、レーニン主義的党組織論の基礎をなす世界革命論の一国社会主義論的な歪曲を条件として形成されたものなのである」(本多著作選第一巻一三一n)と述べている。
 白井のレーニン党組織論の否定、革命党の規律の否定は、白井におけるプロレタリア自己解放の思想の消滅とプロレタリア革命論の蒸発、プロレタリアート独裁論の否定、反帝国主義・反スターリン主義綱領の拒否と一体のものなのだ。
 白井の『民主派』本には反革命的レトリックと理論外的な中核派憎しの感情、邪悪な魂胆しかない。理論的装いを取り払った底にはカクマルと同じくレーニン主義の小ブル自由主義的な解体だけが残る。

 「七・七」問題で弱点を露呈

 白井の転向による思想的な節操のなさと思想的腐敗のおぞましさの第三は、民族問題を論じる中で七〇年七・七自己批判を利用してレーニンやボルシェビキ批判を行いながら、自分自身は徹頭徹尾、七・七自己批判と入管闘争の実践から身を避け、七〇年「七・七」問題がまったく分かっていないことを露呈し、それを恥とも感じないまで堕落しているということである。
 民族理論に関する思想的腐敗、理論的水準の低さ、破廉恥なばかりの没理論的デマゴギー性については、本紙一九四四号西山論文と一九八五―一九八七号島村論文、一九九二号西山論文ですでに徹底断罪した。
 しかし、白井が「七・七」問題に関して道徳的な腐敗を極め、革命的共産主義とはもはや縁もゆかりもない存在となっていることは、何度でも怒りをもって確認しなければならない。
 (おわり)

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週刊『前進』(2002号6面3)

高裁へ緊急申し入れ 4人の保釈と獄外医療を

 須賀武敏さん、十亀弘史さん、板垣宏さんの保釈申請から五カ月が経った四月六日、「不当な長期勾留をやめさせるために! 十万人保釈署名運動」による裁判所への緊急の申し入れと記者会見が行われ、私も参加した。
 十四年、八年にわたる不当な長期勾留が四人の健康を日々破壊し続けている。
 実際、三月に須賀さんの医療鑑定が実施され、全身にわたる諸症状の最大の原因が、長期拘禁生活の強制による自律神経失調にあることがはっきりした。さらに狭心症の疑いが指摘され、その確定診断には心臓カテーテル検査が必要であり、一週間の検査入院が必要との鑑定がなされた。
 この鑑定結果を受け、須賀さんのみならず四人の即時保釈と、獄外医療の実施を求めて、呼びかけ人、賛同人、家族そして友人十五人が申し入れに臨んだ。
 東京地裁刑事一一部書記官室におもむくと、すでに訟廷管理官が待機し、書記官はインターホンで「部としての対応はできない」と名前さえ名乗らず、姿も現さないという許し難い無責任な対応だった。
 二時間以上にわたる申し入れは、この許し難い対応の弾劾から始まった。「やっていることがあまりにも非人間的だから私たちから身を隠さざるをえなくなっている」と次々と裁判所への批判の声があがった。
 この激しい追及に、訟廷管理官は「裁判官、書記官が直接申し入れをうけることは裁判の中立、公正を維持する上で適当ではない」などと言う一方、自分たちは「裁判所としての窓口」などと言い逃れを試みた。
 これを許さず、さらに追及し、最後には「刑事一一部の代理として」対応していると認めさせ、書類を裁判官ではなく書記官に渡してきたのは慣例に過ぎないことも明らかにさせた。
 さらに千四百六筆の「保釈要望」署名を提出した。三月十六日の七千百十九筆に引き続いてのものだ。これを書記官ではなく木口裁判長に直接渡す努力をすることを訟廷管理官に約束させて申し入れは終了した。
 司法記者クラブでの記者会見には、十社ものマスコミが集まった。保釈署名運動の事務局から未決勾留十四年という人権侵害が行われ、いまだに検察立証が終わらないという異例の裁判が続いていることが明らかにされ、医療鑑定の実施とその結果を報告、即時保釈と獄外医療を要求していることも訴えられた。
 また、四人の逮捕当時に「実行犯逮捕」と報道したマスコミには、十四年の歳月を経て、現在このような事態になっていることをちゃんと見据え、事実を事実として報道する責任があるのではないかとの提起が行われた。
 なんとしてでも四人の保釈をかちとりたいと決意した日だった。
 (投稿 N・S)

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週刊『前進』(2002号6面4)

“堂本知事、一歩も入れぬ” 小見川県道封鎖に怒りの緊急デモ

 三里塚現地で四月八日、三里塚芝山連合空港反対同盟の呼びかけにより、小見川県道う回道路開通粉砕・生活道路廃止阻止の緊急現地デモが闘われた。
 四月二日、政府・空港公団は小見川県道を封鎖し、う回道路開通という暴挙に及んだ。これは萩原進さん所有の耕作地への生活道路を廃止し、市東孝雄さん宅へのさらなる騒音激化をもたらすものであり、東峰・天神峰を人の住めない環境にする最悪の軒先工事の大攻撃である。
 この攻撃に対し、反対同盟は緊急の現地デモに決起。百人の労働者や学生が三里塚現地に結集した。
 デモの出発地である市東孝雄さん宅で、まず北原鉱治事務局長があいさつ。小見川県道封鎖とう回道路の開通を弾劾するとともに、軒先工事を推進しながら「真摯(し)な話し合い」などという堂本暁子千葉県新知事の悪質な攻撃を弾劾し、反対同盟の三十五年間の闘いの真価をかけて闘うと宣言した。
 全学連の決意表明の後、現地デモに出発した。う回路の開通で、現地は三月集会の時よりも一層ズタズタにされている。東峰神社に通ずる道は機動隊が阻止線を張り、通行を妨害。なんという傍若無人ぶり!
 ゛絶対に許さない″゛いかなる手段を使ってでも粉砕するぞ″。デモ参加者の胸中には、激しい怒りと闘いの強い決意があらためてこみ上げてきた。

 三里塚公園で団結花見の会

 怒りのデモを貫徹した後、桜が満開の三里塚第一公園に場所を移し、反対同盟主催の「団結花見の会」が開かれた。
 鈴木幸司さんの音頭で乾杯、花見の宴が始まった。三里塚名物のジンギスカン鍋を囲み、歌や踊りも交えながら、動労千葉、西村綾子婦人民主クラブ全国協代表、都政を革新する会などが次々とあいさつ。革共同を代表して小野正春同志が立った。市東さん、三浦五郎さんらも歌やあいさつ。途中から三里塚教会の戸村義弘さんも駆けつけた。
 最後に萩原進事務局次長が「堂本知事は、小川国彦成田市長と同類。話し合いなんてとんでもない。現地に一歩も入れさせない」と力強く宣言。゛一切の話し合い拒否、農地死守・実力闘争″の大原則を再確認した。暫定滑走路粉砕へ新たな鋭気を養い、勝利を誓う花見となった。

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