ZENSHIN 2001/04/02(No1999 p06)

ホームページへ週刊『前進』月刊『コミューン』季刊『共産主義者』週刊『三里塚』出版物案内販売書店案内連絡先English

週刊『前進』(1999号1面1)

革命的情勢の急速な接近に対応し腐敗と反動の自民党政治倒せ
森・石原と真っ向から勝負する行動の人・けしば氏を都議会に
 動労千葉スト軸に国鉄決戦へ

 革命的情勢が急接近してきている。米帝経済のバブルの崩壊から、帝国主義世界経済はいよいよ一九二九年型世界大恐慌の爆発過程に突入しつつある。日帝は帝国主義の最弱の環として、底なしの危機と腐敗をあらゆる面で露呈し、統治能力を失ってのたうち回っている。そして唯一の脱出口を、労働者階級への極限的な犠牲転嫁と戦争国家化=憲法改悪への道に求めている。他方で労働者人民の怒りは沸騰し、もうがまんできないという叫びが至るところで上がっている。都議選決戦は、この階級激突の成否を決する決定的な戦場だ。けしば誠一氏を先頭に、労働者人民自身の大衆的決起をもって、森・自民党とファシスト石原を打倒し、杉並から首都と全国の政治を塗り替えていく闘いの突破口を切り開こう。今こそ介護保険廃止の大運動に立とう。動労千葉の三・二八〜四・一、二スト決起を軸に春闘と国鉄決戦に勝利しよう。獄中同志奪還へさらに闘おう。三〜四月決戦の総決起で都議選勝利への関門をこじ開けよ。

 第1章 世界大恐慌の爆発へのめり込む帝国主義

 米経済のバブル崩壊はますます進行している。三月二十日、米FRB(連邦準備制度理事会)が一、二月に続いて今年三度目の利下げを決定したにもかかわらず、ダウ工業平均株価は三月二十二日、九三〇〇ドルを割った。ナスダックも一九〇〇ポイントを大幅に割っている。
 米の株価急落に伴い、日経平均株価も一時一万二〇〇〇円を割り、欧州、アジアと株安が連鎖的に広がっている。米FRBは「米経済にとって最大の危機」と事実上の非常事態宣言を発した。今や、米帝バブルの崩壊が帝国主義世界経済全体を揺さぶり、一九三〇年代をも超える世界大恐慌とブロック化に果てしなく引きずり込んでいく情勢だ。
 三月十九日に行われた森とブッシュの日米首脳会談は、この世界経済の破局を前にして、日米の帝国主義者が互いにその責任をなすりつけ合い、延命のために激しい争闘戦を繰り広げる場となった。ブッシュは会談で日本の金融機関の不良債権処理を強く要求。同時に、日帝が、円安をテコとした対米・対アジア輸出の一層の拡大に突っ走ることは認めないとした。
 日米共同声明には、日本政府が不良債権処理や規制緩和に全力を挙げることが対米公約として盛り込まれた。森は、それらを「半年で結論」と約束した。
 他方で米帝は、その世界支配維持のために「必要な地域に米国のプレゼンスを維持し続ける」とあらためて宣言し、対北朝鮮の強硬路線のもとに日本と韓国をそうした地域として名指しした。相次ぐ米軍犯罪に怒る沖縄人民の米海兵隊撤退要求に対し、在日米軍の削減も撤退もしないと真っ向から開き直ったのだ。
 これに対して森は、日帝独自の戦争体制確立のためにも、日米安保の強化と沖縄闘争圧殺、さらには有事立法の制定に突き進む意志を公然と表明した。
 起きていることの核心は第二次大戦後の資本主義・帝国主義が完全に行きづまり、その巨大な過剰資本・過剰生産力の矛盾をどうにも解決できず、世界大恐慌と新たな世界戦争を不可避とするプロセスに突入したということだ。全世界の労働者階級と被抑圧民族人民にとって、もはやこの帝国主義を打倒し、反帝・反スターリン主義世界革命を実現しない限り生きられない時代が来ているのだ。

 失業・インフレ・戦争経済の道

 一方で三月十九日、日銀は「金融の量的緩和」に踏み切るというかつてない重大な決定を行った。従来の金利操作による市場介入に代えて、日銀がこれまで以上に野放図に資金を市場に供給し、その結果として短期金利が実質ゼロになるようにする政策である。そのために金融機関が日銀に預けている当座預金の残高を現在の四兆円から五兆円に増やし、日銀による国債の買い切りオペを増額する。
 他の帝国主義国にもないこの異常な金融政策は、実際には国債の日銀引き受けへの踏み切りであり、インフレ政策への転換である。すなわち、大量にお札をばらまいて通貨価値を引き下げ、銀行や企業や国家の抱えた巨額の債務を目減りさせることで、当面する危機をのりきろうとするものだ。そのために、ゼロ以下には引き下げることのできない金利に代えて、資金供給量を誘導目標とし、通貨発行量をいくらでも増やすことを可能にした。
 これは、現在の失業、賃下げ、福祉切り捨ての攻撃に加えて、インフレによって労働者の生活を決定的に破壊する恐るべき攻撃への踏み込みだ。年金やわずかな預貯金に頼る高齢者から生きる手段を根こそぎ奪う攻撃だ。世界恐慌の前に震え上がった日帝ブルジョアジーが、一切の犠牲を労働者人民に転嫁して生き延びようとすることを、断じて許してはならない。
 だが、このような非常手段をとっても、経済の破局を回避することはけっしてできない。そもそも九九年二月から昨年八月まで続いた異常なゼロ金利政策や、九七年以来の赤字放漫財政による巨額の国家資金投入によって、国家財政は破産し、今日すでに市場には大量の資金があふれている。にもかかわらず銀行の貸し渋りと企業資金需要低迷が構造化し、景気はまったく上向かない。日帝が直面する過剰資本・過剰生産力の巨大な重圧、不良債権の重圧は、もはやどんな政策的解決も不可能なのである。
 日帝に残されているのは唯一、国債の全面的な日銀引き受け=戦時財政への道であり、インフレによる極限的な大衆収奪と増税によって、すべての人民を地獄の苦しみにたたき込む道だ。それは改憲−侵略戦争への突進と一体である。
 今や日本帝国主義の体制は恐るべき破局に向かっている。戦後の日帝があらゆる意味で行きづまり、その危機と矛盾を全面的にさらけ出す中で、支配階級自身が統治能力を失っている。だからこそ森政権や自民党の中から、すさまじいまでの腐敗と反動が次々と噴き出してきているのだ。
 この破綻(はたん)しきった帝国主義の政治と社会を、今こそ根本から転覆する闘いが必要だ。革命的情勢が急速に接近してきている。労働者人民が自ら団結して総決起し、森政権を打倒し、戦後の自民党支配を根底から打倒して、労働者人民による人民のための政治を打ち立てなくてはダメだ。腐り切った既成政治家や高級官僚、その背後にいる大資本の支配を実力で打倒し、労働者階級が権力を奪取し主人公となる新しい社会、働く人民が本当に幸せになれる社会の仕組みをつくり出すべきだ。
 求められているのはまさに体制打倒=プロレタリア革命の思想と実践である。

 第2章 自民党よりも危険なファシスト石原都政

 こうした現在の日本の危機と閉塞(へいそく)状況をぶち破り、政治を人民の手に取り戻していく最大の突破口こそ、今次都議選決戦である。ここでけしば誠一氏の当選と都政を革新する会の行動する政党、政治勢力としての鮮烈な登場をかちとり、ここで始まった労働者人民の新たな政治的決起のうねりを、全国に波及させていくことだ。
 ここにおいて最大の柱となるのが、ファシスト石原との対決である。石原は今日、都知事の権力をフルに使い、日帝の戦争と大失業攻撃の最先端に躍り出ている。森・自民党を倒すと同時に、自民党以上に危険で反人民的な石原を絶対に打倒しなければならない。
 三月十二日付の米紙ロサンゼルス・タイムズは、日本が中国や北朝鮮に対抗する「独自のミサイル防衛」システムを開発し、軍需による経済の活性化を図るべきだと提唱する、石原のとんでもない発言を掲載した(別掲記事参照)。中国・北朝鮮への敵意と排外主義をむき出しにし、日帝が生き延びるためには大軍拡−戦争経済と侵略戦争への突進しかないと露骨にあおっているのが石原である。
 石原は三月九日には、自民党の亀井政調会長と組んで「首都圏再生への十兆円緊急プロジェクト」を国への提言として打ち出した。羽田空港の再拡張などに七兆円、超高速情報通信網の整備に一兆一千億円など、計約十兆円もの資金を国や地方財政から新たに投入して、大型公共事業を起こそうと狙っている。
 石原のこの政治は、これまで自民党がさんざんやってきたこととまったく同じだ。金融資本やゼネコン救済のために、人民の血税を使って「公共」の名による乱開発を推進する。福祉の無慈悲な切り捨てや公務員労働者の大量首切りによってしぼり出した金をそこに注ぎ、その過程で政治家が業者と結託して巨大な利権を手中にする。口先では国や自民党をも批判する政治家のように装いながら、実態は中曽根・森など自民党の最も反動的で腐敗した部分と結託し、大型公共事業の反人民的政策を一層野放図にかつ強権的に推進する。これが石原の正体だ。
 石原はまた、森政権が掲げる「教育改革」と改憲の最先頭に立ち、民間の右翼ファシスト勢力を総動員して教科書攻撃や「日の丸・君が代」攻撃を大々的にしかけている張本人である。
6面につづく〜1面からつづく
 「新しい歴史教科書をつくる会」の中学校歴史・公民の教科書は、歴史を歪曲し侵略戦争を公然と賛美し、再び天皇と国のために命を投げ出すことを「最高の価値」としてすべての子どもに教え込むことを目的としたものだ。これはまさに新たな侵略戦争の担い手をつくり出す攻撃だ。
 これに対して、朝鮮・中国・アジア人民の激しい怒りが高まっている。三月十一日、南北朝鮮の労働三団体(北朝鮮の朝鮮職業総同盟、南朝鮮の韓国労総と民主労総)は共同声明を発した。また、韓国の日本歴史教科書改悪阻止運動本部は、三月十四日、日本政府に対して「侵略の事実を歪曲する歴史教科書改悪を即刻中断せよ」「侵略の事実を謙虚に反省し正しい歴史教育を実施せよ」「侵略戦争に対する徹底した真相究明により被害者の名誉を回復せよ」という三項目の要求を突きつけた。
 だが石原は「国家の責任で検定する事案に外国は口をはさむな」と、アジア人民・在日アジア人民への敵意をむき出しにし、検定が通れば直ちに「つくる会」教科書を全国に率先して都の中学校で採用する構えでいる。他方では国立の「日の丸・君が代」闘争つぶしに全力を挙げ、闘う教育労働者に全体重をかけて襲いかかっている。
 教育改革六法案粉砕の闘いとともに、この石原の攻撃を絶対阻止しなければならない。闘うアジア人民との連帯をかけて、歴史歪曲の教科書を粉砕し、使わせない闘いをやり抜こう。
 在日朝鮮人・中国人や外国人労働者への排外主義テロルを公然と扇動してまわる石原。自衛隊の治安出動訓練を強行し、軍隊を再び国家の中心に据えよと主張する石原。これは正真正銘のファシストである。
 この石原をすべての野党もマスコミもまったく批判しないばかりか、「力ある政治家」などと持ち上げてさえいることは、森をいまだ首相の座から引きずりおろせないでいることと並んで、最も恥ずべき事態である。とりわけ日本共産党が石原に対して「是々非々主義でのぞむ」などと公言し、ファシスト都政打倒の闘いに真っ向から敵対していることは犯罪的だ。

 自民党を一人残らず落とせ

 今や、「自民党を一人残らず落とそう!」「自民党よりも危険な石原都政と真っ向勝負!」と訴え立ち上がっているけしば誠一氏を先頭に、森・自民党打倒、石原打倒の労働者人民の大闘争をまき起こしていく時だ。政党のカードを組み替えるだけでは何一つ変わりはしない。働く人民自身が行動に立ち、野党も含めたこれまでの政治の仕組みの一切を革命的に打ち壊し、労働者人民自身の権力の樹立をとおしてまったく新たな仕組み、新たな社会をつくり出す闘いを、今直ちに開始することだ。
 杉並ではすでに、そうした人民の自己解放的決起が始まっている。福祉解体と高齢者殺し以外の何ものでもない介護保険制度の廃止を訴え、介護の全額公費負担と必要な人に必要な介護を要求して闘っている、杉並住民の会の存在と闘いの力強い前進。石原と組んだ山田区長による学校給食の民間委託に反対する区職員労働者と地域住民の一体となった闘い。そして「つくる会」教科書の採択を絶対に許さない闘い。
 これらの闘いに学び、そのさらなる発展と勝利のためにともに決起し、猛奮闘し、杉並から首都を変え、日本を変える一大闘争をまき起こそう。四月一日、介護と福祉を要求する杉並住民の会の呼びかけにこたえて杉並公会堂に総結集し、介護保険廃止の声を全国にとどろかせていこう。この闘いの中から六月都議選決戦の勝利を切り開くのだ。

 第3章 国労をめぐる最大の決戦と春闘の勝利へ

 重要なことは、闘う労働者階級が、この闘いの中心にすわって、組織された労働者の階級的団結の力を今こそよみがえらせて闘いぬくことだ。
 ここにおいて、動労千葉が二波のストライキに断固として立ち上がろうとしていることは決定的だ。このストライキは、千四十七人の解雇撤回・原職復帰の要求と、JR完全民営化攻撃の先頭でJR東日本が強行しようとしている一大リストラ計画の粉砕を真っ向から掲げて闘われる。それはシニア制度導入と鉄道業務の全面外注化という第二の分割・民営化の大攻撃を、労働組合の総力をあげた反撃によって打ち破り、JR総連解体・組織拡大へ向かって、巨大な反転攻勢に打って出る闘いである。
 今日、JRの職場では過労死寸前の労働強化が強要され、組合つぶしのための不当労働行為が吹き荒れている。カクマルとJR総連が大分裂と解体の危機に突入し、労働戦線の大流動化の中で千四十七人闘争勝利への決定的情勢が成熟し始めている。にもかかわらず国労執行部が「四党合意」で大裏切りの道に走り、一切の闘いを放棄していることは許しがたいことだ。
 日帝権力が機動隊を導入してまで国労本部に「四党合意」をのませたその反動的意図は、ここへ来て完全に明らかとなった。三月十五日、自民・公明・保守・社民党の四党が国労三役と会見し、国労本部が闘争団を屈服させれば四月に解決案を出すと迫った。その内容は、「百二十人の再雇用と三十億円(一人につき三百万円)の解決金」という「人道的解決案」をちらつかせ、引き替えにすべての裁判を取り下げ、臨時全国大会を開いて鉄産労と統一せよというものである。
 闘争団の血のにじむような闘いを圧殺し、国鉄闘争を終わらせ国労を自己解体しろと迫るこの露骨な攻撃を、断じて許すことはできない。闘争団を防衛し、逆に闘争団を先頭にJRの大合理化攻撃と対決する全国鉄労働者の一大決起をつくり出し、裏切り国労執行部を打倒する闘いに総力決起しよう。動労千葉のストを支援・防衛し、それにつづいて春闘の後半戦の闘いを断固爆発させるとともに国鉄決戦勝利へともに闘おう。
 さらに、国鉄に続いて、日帝権力との激突が火を噴いているのが教育労働者の戦線だ。ここでの攻防に絶対勝利し、日教組の革命的再生と巨大な階級的決起をかちとる闘いをつくり出そう。二〇〇一年春闘を断固貫徹して闘おう。

 松崎と黒田の分裂一層拡大

 ますます深まるJR総連カクマル・松崎と黒田・カクマルの対立は、カクマルとJR総連総体の重大な危機をつくり出している。カクマルとの絶縁を宣言した十二・九松崎講演は決定的である。松崎が依然としてカクマルの側にいるかのようなペテンはもはや通用しない。松崎を非難できないカクマル・黒田の破産は覆い隠すことはできない。
 さらに、「臆面もない日本礼讃」という高知聰の黒田批判に対する黒田の激甚な反応は、黒田の絶対化・神格化が進めば進むほど、カクマルの内部で黒田支配の崩壊が一層進行するという絶望的な事態が始まったことを示している。今こそ分裂カクマル打倒へ徹底的に攻めまくろう。
 闘いの前進におびえる日帝権力の弾圧や、新たな攻撃への踏み込みを一歩も許さず闘おう。一坪共有地をフェンスで囲むという暴挙によって三里塚農民のたたき出しを狙う権力の卑劣な攻撃のエスカレーションに全人民の怒りをたたきつけよう。三・二五闘争の大高揚から暫定滑走路建設阻止の半年間の決戦に突入しよう。
 幹部自衛官による女子中学生暴行事件は、沖縄人民に対するかつての日帝軍隊の暴虐な攻撃を想起させるものである。徹底的に弾劾し、沖縄闘争のさらなる不屈の前進をかちとろう。
 迎賓館・横田爆取デッチあげ裁判の四同志を奪還する闘いは、この三〜四月、最大の山場を迎えている。十万人保釈署名運動の呼びかけにこたえ、全国から東京地裁を包囲する即時保釈の圧倒的な声を集中しよう。獄中同志の奪還は革命党の魂にかかわる闘いだ。必ず勝利をもぎとろう。
 都議選必勝の資金カンパを集めきり、激戦激闘のただ中で党勢倍増、機関紙拡大への闘いをやり抜こう。

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週刊『前進』(1999号1面2)

石原都知事「独自のミサイル」発言弾劾

 「日本経済の活性化のため」

 都知事石原はまたも許すことのできない軍拡と戦争挑発の発言を行った。米紙ロサンゼルス・タイムズ三月十二日付のインタビューで、中国と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に対する排外主義宣伝を行った上で、「日本は独自のミサイル防衛を開発すべきだ。そうすれば日本経済は活性化する」と述べたのである。
 ここで石原は、「北朝鮮のミサイルが日本に当たれば、長い目で見て良いことだろうと思った」とか「とくに北朝鮮のミサイルが核、生物弾頭を搭載するとなれば、日本がいかに無防備か(を日本は)理解するだろう」などと、聞くに堪えない「北朝鮮脅威論」と排外主義の宣伝を行った。
 そして、この「脅威に対抗」するための「独自のミサイル防衛システムの開発」を提唱した。これは、日帝の軍拡、中国・北朝鮮に対する侵略戦争体制の全面的な強化、戦争経済化、さらに戦争突入ということである。断じて許すことのできない暴言である。
 ファシスト石原は、これまでも排外主義のデマ宣伝と戦争挑発発言、戦争のための都政を次々と行ってきた。「三国人が騒擾(そうじょう)事件を引き起こす」として昨年九・三自衛隊首都治安出動演習を強行し、さらに「都の施設で一旦緩急の際には防衛に必要なものは全部使ってくれと国に言うよ」とか、「ガイドライン発動の際には国に全面協力する。羽田でも何でも使わせる」と公言してきたのだ。
 石原はまた九日の記者会見で、政府の緊急経済対策とのからみで、五年間で総額十兆円の「緊急プロジェクト」なるものを国に提言したことを明らかにした。
 その中身は、@羽田空港の再拡張と首都圏全域での電線地中化(七兆円)A超高速情報通信網の整備など首都圏の電子(IT)化(一兆一千億円)――などである。石原は独占資本を救済するために、自民党顔負けの膨大な資金を投じて公共事業を行い、同時に羽田空港の出撃基地化、首都圏全域の軍事都市化を飛躍的に進めようとしているのだ。
 このように自民党ですら言えない戦争挑発と「経済危機突破のために戦争を」と叫ぶ政治家が登場してきたことは、帝国主義の危機が戦争=破滅に向かってもう一つ進んだという重大な意味を持つ。
 石原は、日米争闘戦で敗勢にたたき込まれている支配階級の危機感を鋭く体現し、戦後体制を右側から破壊し、福祉切り捨て、教育改革・改憲攻撃の先頭に立って侵略戦争の道を突き進もうとしているのだ。
 その道は戦前、日本帝国主義が昭和恐慌に直面し、あらゆる資本救済政策の展開とその失敗の果てに、結局中国・アジア侵略戦争の拡大―日米戦争にのめり込んでいったのと同様の、戦争と破滅の道である。

 石原発言を弾劾しない日共

 重大なことは、石原が東京都知事という、国政にも大きな影響力を持つ権力を使って、中曽根や森と結託し、このように戦争をあおり立て、戦争政策を進めていることである。
 ところが、あらゆる政党やマスコミが石原に屈服しこの石原発言を批判しないでいる。「有事の自衛隊活用」論に転落した日本共産党は、今やこの石原と同じ立場に立っている。だから『赤旗』も、石原発言の記事を掲載しながら、批判は一切していない。不破の言う「是々非々主義」が、ファシスト石原に対する全面屈服路線でしかないことが、ここにも明らかだ。
 労働者階級に対する重大な攻撃であるこのような排外主義と戦争挑発の発言に、怒りの声も上げずに沈黙し屈服していくことが、ファシストの跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)を許し、戦争への道を許すことになるのだ。
 全力で石原を打倒しなくてはならない。六月都議選で森やファシスト石原と真っ向勝負を訴えて闘うけしば誠一候補を当選させ、石原打倒へ攻め上ろう。

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週刊『前進』(1999号1面3)

三里塚 萩原事務局次長先頭に抗議 “一坪囲い込みは許さぬ”

 日帝・公団は三月八、九日にかけて天神峰の団結街道脇にある北原鉱治事務局長、野平聡一さん、小林一夫さんの一坪共有地を一方的に鉄板フェンスで封鎖するという暴挙に出た。三月十五日、三里塚反対同盟はこれに抗議する緊急弾劾集会を開いた。
 団結街道沿いの市東孝雄さんの作業場には、反対同盟を先頭に三里塚現地支援連絡会議、全学連、婦人民主クラブ全国協議会、労組交流センターなど七十人が集まった。
 春を迎え、北総台地には名物の赤っ風が吹き荒れている。それを突いて午後一時、鈴木謙太郎さんの司会で集会が始まり、北原事務局長があいさつに立った。
 「三・二五全国集会を間近に控え、二年間の臨戦体制宣言の一環としてきょうの緊急集会がある。成田空港建設の過程の中で三十五年間、何もやり方は変わってはいない。改編された国土交通省のもとで、すべての手続きを省略して土地収用法改悪を強行しようとしている。公共の名において土地が奪われていくという状況が現実の問題となっている。かつての第二次大戦と同じように、戦争への道へと進む兵站(へいたん)の基地が全国に造られていくであろうと分析できる。
封鎖した一坪共有地、フェンスをただちに解除しろとデモ行進に入るが、堂々と闘いぬいてもらいたい」
 続いて鈴木幸司さんが、「反対同盟は当初から軍事空港を造らせないと闘ってきた。われわれにはこの地で生きる権利がある。三・二五を前にして、あらためて新たな怒りをもってきょうのデモをやりたい。われわれの生きる権利を大いに主張し闘っていこうではありませんか」と訴えた。
 シュプレヒコールが響く。「一坪共有地囲い込み弾劾! 生活道路破壊を許さないぞ! 天神峰・東峰部落を守り抜くぞ!」
 反対同盟旗を先頭に団結街道をデモで進んだ。市東さん宅から現闘本部へまっすぐに伸びていた団結街道が今はフェンスで囲まれ、ジグザグに迂回させられている。これが日帝・公団の生活道路破壊の実態だ。この暴挙を許さないぞ!
 一坪共有地を封鎖したフェンスにはドアが設けられ、「天神峰奥之台15−3の共有地への立ち入りについては、下記に連絡下さい」と公団用地部が掲示。関係人の許可なしに鉄板で封鎖・囲い込んでおいてなんという言いぐさか!
 その前で萩原進事務局次長がマイクを握り、「成田市に対して二時にここに来るよう通告してある。それまでここに待機する」と怒りに震えて呼びかけた。
 「団結街道沿いにあった一坪共有地が、関係人をないがしろにして一切の通告なしに囲い込まれた。これは犯罪だ。囲い込みの鉄板を撤去しろと、再三成田市に言ってきた。それでも鉄板をはがさないんだったら、もう自分たちではがすしかないでしょ!」
 「一坪共有地が工事区域にかかることがわかっていて暫定滑走路の計画を認可した。そのデタラメ性は明らかだ。それを今になってこういう暴挙を行ってくるのは許されない。この強権的で焦りに満ちたやり方を許すわけにいかない」
 参加者全員がこの激しい怒りを共有した。絶対に粉砕あるのみだ!
 機動隊の指揮官車が「すみやかに解散しなさい」と警告を発する。北原事務局長が「警察は弾圧はやめなさい!」とすかさず一喝。「これが空港建設の三十五年間のやり方だ。生活道路を破壊し鉄板で囲むという、まさに戦時中の捕虜収容所のような状況下において軍事空港建設を進めてくる。かつての肥沃(ひよく)な土地が破壊され、鉄板で囲まれ、しかも電流が流れる有刺鉄線が張られている。このような暴挙は許されない」
 「公団はただちにフェンスを撤去しなさい!」−−この北原さんの訴えに呼応した萩原さんが、畑のトラクターに飛び乗り、一気にフェンス寸前まで進んだ。ほとばしる反対同盟の怒り、その正義性が機動隊、私服どもを圧倒した。
 「指揮官車前へ、車両前へ! 部隊前へ!」−−がなり立てる機動隊を尻目に、高くかざしたトラクターのバケットの上に飛び乗った萩原さんは、上から囲い込まれたフェンス内の一坪共有地を確認した。
 反対同盟の燃えるような怒りとしっかりと結合し、三・二五全国から三里塚現地へ! 森政権の戦争政策と対決する三里塚闘争を今こそ爆発させよう。

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週刊『前進』(1999号2面1)

ゼロ解決受諾の臨大策動粉砕を
訴訟取り下げと白紙委任迫る四党協議を弾劾せよ
 国労自己解体=連合化を阻め

 日帝国家権力は、一・二七定期大会(続開大会)で国労が「四党合意」受諾を決定したのを受けて、千四十七人闘争の最後的解体=国労解体の攻撃を強めている。三月十五日、与党三党と社民党の四党協議会は、国労中央本部執行部に対して訴訟の取り下げを露骨に要求し、国労執行部は事実上、訴訟取り下げを約束した。国家権力は、四月にも「解決案」=ゼロ回答を提示し、国労に臨大での受諾決定を強制しようとしている。この三月から四、五月にかけて、国鉄決戦は確実に最大最高の決戦を迎える。ゼロ解決策動を打ち破り、闘う闘争団を守りぬき、解雇撤回・地元JR復帰へ不屈の反転攻勢に立とう。

 「矛盾解消する」と本部が四党に約束

 国鉄闘争をめぐり、三月に起きている事態は以下のようなものである。
 @一・二七国労大会を受けて三月六日に開かれた第一回四党協議会(座長・甘利明自民党副幹事長、元労相)で、四党の担当者から、国労本部が闘争団を抑えられるか、最高裁闘争と「四党合意」の整合性について、懸念が表明された。
 A続いて、十五日の第二回四党協議会に国労本部三役を呼び、四党による意見聴取が行われた。冒頭、甘利座長が、最高裁での裁判闘争に「全力を挙げる」との、国労大会で同時に決めた追加方針に関して「四党合意とはなはだ矛盾する」と指摘し、国労への批判が相次いだ。これに対し、国労三役はなんと「矛盾については整理してわかってもらえると思う。責任をもって矛盾を解消していく」と応じ、事実上、訴訟取り下げの約束をしたのだ。
 「四党合意」には、「社民党から国労に対し、少なくともJR発足時における国鉄改革関連の訴訟について、速やかに取り下げるよう求める」との項目が入っている。この「四党合意」受け入れ方針と訴訟継続の追加方針は明らかに矛盾する。四党は当然にも、この矛盾を突いてきたのだ。
 その後の記者会見では、「矛盾が解消するまで解決案が出ないということか」という記者の質問に、甘利は「解決案をちびりちびり出すのはそぐわない。中身がセットされて一発でピシャッと終わりだ。『中身がけしからんからやめたい』ということはあってはならない。中身をちびりちびり出したり、国労が解決案の内容を見てから決めるなどということはありえないことだ」と言い放った。要するに、自民党など四党が国労に迫ったのは゛解決してほしければ、まず訴訟を取り下げよ。そして、どんな解決案=ゼロ回答でものむハラを固めよ。四党に白紙委任せよ″ということだ。さらに、゛闘争団が独自に裁判闘争をやることも一切許さない。反対する闘争団は切り捨てろ″ということなのだ。
 Bこれと関連して、社民党や国労OB、チャレンジ一派らの間で言われているのは、゛国土交通省・鉄道局との話で、JR採用百二十人と解決金三十億円(一人三百万円)の可能性があるとの感触を得た″゛三月中に国労内の不協和音を解消し、国労内部がまとまるとなれば、四月にも解決案を出す。国労は直ちに臨時大会を開いて解決案をのむことを決定し、その後、国労は鉄産労と統一する″というものである。
 「百二十人、三十億円」など闘争団には絶対に受け入れられない。闘争団の「解雇撤回」「名誉回復」の要求を完全に拒否したものだからだ。それでも、なにがしかのものが出るという幻想をあおり、゛蹴れば何も出ないぞ″と恫喝し、限りなくゼロに近い「解決」を狙っているのだ。
 以上のような動向から、国労本部は四月冒頭にも訴訟取り下げを行い、五月にもゼロ解決受諾のための臨大を強行し、闘争団を切り捨て、直ちに全労協脱退、国労の名称変更、JR連合―連合への合流に向かおうとしていると断じざるを得ない。これこそ、宮坂「補強五項目」の国労自己解体の道であり、日帝国家権力の国労解体攻撃の狙いだ。「四党合意」によるゼロ解決受諾の臨大策動を断じて許してはならない。

 第二の分割・民営化攻撃粉砕の決戦へ

 こうした国鉄闘争・国労解体攻撃の激しさには、一・二七国労大会で「四党合意」受け入れ決定を強行させた日帝国家権力の階級意志が表れている。
 一・二七の階級的激突の核心は、国労という日本労働運動の中心に位置する労働組合の大会に、国家権力である千三百人の機動隊が導入されたことにある。機動隊を要請した国労本部のチャレンジ一派、革同上村一派、東京地本一部幹部らの意図をもはるかに超えて暴力的な国労解体攻撃として強行された。これこそが「四党合意」の本質だ。国鉄決戦情勢はこれをもって根底的に転換している。昨年七・一臨大以来の単純な延長線上にはない、より激しい激突が始まったのだ。
 米帝経済のバブル崩壊から世界経済の一九二九年型恐慌寸前の情勢、日帝経済の破局的危機、そして森政権の末期的危機という情勢下で、自民党などがあえてこの時期に決着を迫ってきたことにもそれは明らかだ。日帝は、危機ゆえに改憲と教育改革、有事立法などの戦争に向けた攻撃をしかけ、春闘解体、大リストラ、労働組合破壊の資本攻勢を激化させている。「四党合意」と一・二七機動隊導入はその最も激しい攻撃である。
 今日、日帝がJR完全民営化攻撃(JR会社法改定)に打って出てきたのも、最大の狙いはこの機に国鉄労働運動を解体し尽くすことにある。そもそも国鉄分割・民営化は、国労と総評・社会党解体という目的をもって強行された。だが、なおも闘争団を先頭とする国労が存在し、動労千葉が不屈に闘い続けている。敵権力は完全に追いつめられているのだ。
 JR東の「ニューフロンティア21」などの大合理化攻撃、その突破口をなすシニア制度や鉄道業務の全面外注化攻撃も、単なる効率化ではなく、国労・動労千葉解体の目的をもって強行されている。
 八七年分割・民営化時に匹敵する、文字どおりの「第二の分割・民営化」攻撃との大決戦に突入したという認識をはっきりさせ、決戦態勢を打ち固めなければならない。「四党合意」を葬り去る闘いは、まさに第二の分割・民営化攻撃粉砕の決戦なのだ。

 闘争団の不屈の決起始まる

 確かに攻撃は激しい。だが、一・二七とその後の闘いの中で、確実に反転攻勢が始まり、国鉄闘争の新たな発展の道が切り開かれている。十四年間の闘いの中で培われた闘争団・千四十七人の闘いの怒り、魂、生活、それに連帯・支援する労働者は、断じてこれに屈していない。「四党合意」に絶対反対し、解雇撤回・地元JR復帰へ闘う国労闘争団とそれを支援する闘いが強固に生み出された。
 各地本大会では、機動隊導入に対する弾劾の声、「四党合意」は絶対に認めないという声が次々と上がっている。公然と機動隊導入を賛美する日共・革同上村一派やチャレンジ一派らとの分岐と激突はより激しくなっている。
 寺内書記長が、二月十三日の闘争団全国連絡会議幹事会、二月二十四、二十五日の北海道本部大会で「全面解決要求を下ろす」と発言したことで、「四党合意」の意味が一層鮮明になり、怒りが高まった。寺内は、三月四日の東京地本大会で「全面解決要求を堅持する。四党合意の枠内で生かす」とペテン的に述べたが、組合員にウソをついて取り繕おうとする執行部に対する不信が増大した。
 こうした中で、国労本部は、闘争団へのオルグを九州(三月九〜十一日)、北海道(十六〜十八日)、本州(二十日)で行った。各地で闘争団の怒りがたたきつけられた。北海道、本州のオルグでは、高嶋委員長らが、四党協議会について「訴訟取り下げ問題の新聞報道は誤りだ」などとデタラメを言って、ますます怒りをかきたてた。国労本部がいかに「総団結」を訴えようが、闘争団の闘いを抑えつけることはできない。
 この中で闘う闘争団の代表が、ILO第二次勧告の是正を求めて、三月七、八日、ジュネーブのILO本部を訪れた。そして結社の自由委員会事務局に追加情報を提出し、受理されるという成果をかちとった。
 闘争団が、文字どおり争議当事者として前面に立つ闘いを開始したのである。

 「ニューフロンティア21」に一大反撃を

 さらに、分割・民営化攻撃に何ひとつ決着が付かないまま、第二の分割・民営化攻撃との激突がJR本体の国労組合員の死活をかけた闘いとして開始されつつある。闘争団とともに闘う主体、当事者として、JR本体の国労組合員が怒りを爆発させて立ち上がる時が来たのだ。
 JR東日本の設備メンテナンス合理化は、保守部門を全面的に外注化し、本体の三千人を削減し、二千人を出向、八百〜千人を「余力」とする。「ニューフロンティア21」の一万人削減の突破口であり、国労解体を狙った攻撃だ。JR東労組が率先協力・妥結を策す中で、四月にも強行されようとしている。
 この間、一月二十六日の新大久保駅での乗客三人の触車死亡事故、三月十七日の鶴見駅の貨物列車脱線事故など、重大事故が続発している。相次ぐ合理化が安全を破壊し、鉄道輸送業務の根幹を揺るがしている。新大久保駅事故は、ホーム要員が一人もいない中で起きている。鶴見駅の脱線事故は、保線作業を請け負った関連会社の作業ミスと、それをJR東日本会社が何のチェックも行っていない中で起こった。まさにメンテナンス合理化がもたらす現実を先取り的に示した重大事故である。
 JR東日本は、「ニューフロンティア21」において、鉄道事業の位置付けを事業戦略の三番目に転落させている。営利優先が第一義となり、鉄道は駅に人を運ぶ手段に過ぎないとされている。この中でさらに労働条件の改悪と安全破壊が強行されようとしている。これに対する怒りの高まりは、闘争団の決起と連動し一体化する。闘う国労を再生する巨大なエネルギーとなって噴出するのだ。
 この情勢の中で、動労千葉が二波のストライキに決起する。大幅賃上げと貨物超低額回答打破、シニア制度―業務の全面外注化阻止などを掲げ、本線運転士を含めた全組合員の総決起で闘いぬこうとしている。この闘いは、第二の分割・民営化攻撃に反撃する決定的な闘いである。千四十七人闘争の当事者としての動労千葉が、JR体制と真正面から激突する闘いである。さらに、JR総連解体―組織拡大の闘いを結合して闘われる。
 それは必ずや全国鉄労働者と全労働者のリストラ・首切り、賃下げへの怒りの総反撃ののろしとなるだろう。
 この闘いと連帯し、「四党合意」受け入れを撤回し、あくまでも政府・JRの責任を徹底追及し、解雇撤回・地元JR復帰、不当労働行為根絶をかちとるために闘おう。そのための闘う新たな執行部の樹立をかちとらなければならない。
 四、五月のゼロ解決受諾―臨大策動粉砕へ、直ちに非常決戦態勢を打ち固めて決起しよう。

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週刊『前進』(1999号2面2)

3・28(24時間)、4・1〜2(48時間) 動労千葉、2波のスト配置

 動労千葉は、二月二十四日の第四四回定期委員会の決定に基づき、いつでもストライキに突入できる準備体制をとって二〇〇一春闘に決起している。三月十三日の支部代表者会議で、二波のストライキを配置して闘う方針を決定した。
 『日刊動労千葉』三月十五日付によると、スト方針は以下のとおりである。
 第一波ストは、三月二十八日で二十四時間、全地上勤務者を対象とする。スト総決起集会を午後二時から千葉市民会館で開催する。
 第二波ストは、四月一〜二日の四十八時間、全組合員を対象とする。スト総決起集会を二日午後一時から千葉県労働者福祉センターで開催する。
 動労千葉は、春闘ストの獲得目標を次のように提起している。
(1)二〇〇一春闘はJR貨物の二年連続ベアゼロ攻撃を打破し、三万八千円の大幅賃上げと生活改善一時金の獲得をめざす闘いであり、
(2)開始された第二の分割・民営化攻撃―検修・構内業務の全面外注化攻撃に対する組織をあげた反撃の第一波闘争である。
 @業務の全面外注化攻撃は、保守三部門―働く場をそっくり切り離そうとするものであり、「ニューフロンティア21」等の提起等を見れば、近い将来には「転籍」等も想定した攻撃であることを見すえなければならない。
 AJR東日本は、鉄道部門の標準数五万四千人を四万八千人に削減しようとしている。「五年間で一万人削減」の大合理化を許すな。
 B鉄道事業を「事業戦略」の第三に転落させてしまうようなあり方そのものに断固反対する。
 CJR貨物でも、新フレイト21は完全に破たんし、経営形態の再編を始めとした新たな大再編合理化が開始されようとしている。反撃の闘いを開始しよう。
 Dあまりにも異常な事故がたてつづいている。またこの攻撃は新たな労働運動破壊攻撃でもある。運転保安を確立しよう。組織破壊攻撃をはね返そう。不当労働行為を根絶しよう。
(3)さらに、年金改悪を徹底して悪用し、企業の社会的責任を放棄して、高齢者に卑劣な攻撃をしかける「シニア制度」粉砕に向け千葉地方労働委員会の決定(要望)の履行をJRに求める闘いである。地労委闘争の起(た)ちあがった三名の仲間たちを守ろう。
(4)またこの闘いは、重大な局面にたつ千四十七名闘争の勝利に向けた新たな反撃への一歩でもある。
(5)そして何よりも二〇〇一春闘と結合して、JR総連解体・組織拡大の闘いを前進させよう。それが一切の攻撃をはね返す道だ。
 さらに、動労千葉は、「経済危機・政治腐敗は極まり、一切が労働者の犠牲の下に進んでいる。社会のあり方そのものが間違っている! 労働者の権利と団結をとり戻そう」と訴え、ストライキ闘争への支援を呼びかけている。これにこたえ、闘おう。

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週刊『前進』(1999号2面3)

教育改革6法案粉砕のために
教育基本法改悪を先取りし「教育新生プラン」を具体化

 昨年十二月二十二日、首相の私的諮問機関である教育改革国民会議(以下、国民会議)は最終報告を提出し、「新しい時代にふさわしい教育基本法を」を始め「教育を変える十七の提言」を打ち出した。文部科学省は、一月二十五日に「二十一世紀教育新生プラン」を発表し、国民会議報告の内容をすべて公式の政策として採用し、その実施のタイムテーブルを打ち出した。この「教育新生プラン」の中から、奉仕活動の導入、「問題児童・生徒」の出席停止措置、高校学区制廃止、習熟度別学習、「不適格教員」免職制度などを導入するために、学校教育法、社会教育法、地方教育行政法などを改悪するのが、通常国会に提出された教育改革関連六法案である。六法案粉砕へ、その内容と狙いを以下四点に整理し、批判したい。

 奉仕活動の強制と道徳の教科化 学校教育/社会教育法

 第一に、まず学校内外での奉仕活動の推進である。
 国民会議の最終報告では「義務化」という表現は避け、学校教育法の改悪案では「奉仕体験活動、自然体験活動の充実に努める」となっているが、教育課程での一律実施は強制=義務化以外の何ものでもない。奉仕活動の強制は、憲法一八条(苦役からの自由)がかつての総力戦遂行のための動員と後方活動の強制への歴史的反省から制定されたことを踏みにじるものである。「国家への奉仕の観念の形成」を目的とする奉仕活動は、教育基本法の教育目標にも反する。
 文部科学省は、国民会議が打ち出した十八歳の青年の奉仕活動についても中央教育審議会で検討するとしている。町村文科相は、「大学入試を九月にし、高卒後の三−四カ月を奉仕期間とする」「三カ月自衛隊に体験入隊すればしゃきっとする。昔は軍隊が大人への通過儀礼だった」と奉仕活動義務化の狙いが徴兵制にむけた予備的軍事訓練であることを隠していない。
 さらに、国民会議の報告では、道徳を教科とし専門の教師や社会人が教えることを提案している。道徳授業から組合員をはずし、評価をテコに検定教科書で「愛国心」を植えつけようとするものである。
 こうした施策の背後には、「子どもはひ弱で欲望を抑えられない」「大人は利己的な価値観に陥り苦しみに耐える力がない」(国民会議最終報告)という人民蔑視(べっし)思想がある。「教育も奉仕も強制」(町村)、「本来の学校は人間をしごいて飼いならす機能を持っていた」(国民会議委員・山折哲雄)など戦前の教化や錬成とまったく同一の発想である。

 競争原理徹底し子どもの選別化 義務標準法/高校標準法

 第二に、高校学区制の廃止、大学入学年齢制限の撤廃、習熟度別学習の推進など、能力主義選別の飛躍的強化である。
 学区制の廃止は、高校の序列化をさらに拡大し、大学入学年齢制限の撤廃は競争のさらなる激化をもたらす。次は、小中学校での飛び級や原級留置、小学校入学年齢の撤廃が狙われており、通学区域の弾力化や中高一貫校拡大とあいまって小中学校の序列化と競争の低年齢化は必至である。
 「定数改善」(義務標準法、高校標準法改悪)は、教育労働者と保護者の三十人学級の切実な要求には背を向け、加配をテコに能力別授業へと誘導するものだ。また、定数を活用した非常勤講師の採用を奨励し、正規教員の不安定雇用への置き換えを進めるものだ。総じて、義務制段階から教育制度・教育課程の複線化・多様化を進め、学校間、子ども間に競争原理を徹底させようとしている。
 国民会議最終報告は、「戦後教育の平等主義が、新しい価値を生み出し社会を牽引(けんいん)するエリートの輩出を妨げてきた」と攻撃し、「創造性に富んだリーダーを育てる教育システム」を主張している。大学・大学院改革の主眼は「国際競争力の更なる強化方策」(文部科学省の中教審諮問事項)である。「人間は生まれた瞬間から平等ではない」(第一分科会報告)という先天的能力論に基づき、子どもたちを早期にえり分け、争闘戦を担う一握りのエリートと大量の不安定雇用労働力を安上がりに養成することが狙いである。
 競争の激化と低年齢化は「お受験」・塾通いを一層過熱化し、親の資力と学歴による教育の実質的不平等をますます拡大させる。国民会議の言う「国家戦略としての教育」とは、「権利としての教育」を解体し、教育を再び「国家有為の人材育成」のための道具に変えるものである。

 出席停止措置で「問題児」を隔離 学校教育法

 第三に、「問題行動を起こす児童・生徒」の「出席停止措置」を学校教育法に規定し、隔離・排除を法律で強制しようとしている。差別選別体制に順応できず競争から脱落した子どもたちを「問題児」として切り捨てるものだ。
 増大する不登校や中途退学、新たな荒れ、学級崩壊・授業困難の最大の原因は、国連子どもの権利委員会も指摘する「高度に競争的な教育制度によるストレス」にある。さらに意欲・関心・態度という「心」を評価対象にしたことも子どものストレスを加重してきた。いわゆる「キレる子ども」も、一般的には親や周辺の期待にこたえようとする規範意識が強く、自らの人間的要求とのギャップに耐えられなくなって爆発すると言われている。
 ところが町村は、「自由のはき違えや子どもの権利の行き過ぎが不登校を生んでいる」と、子どもや親の不安と苦しみ、それをつくりだした文部行政の責任を省みようともしないで、子どもをさらなる競争にたたき込み、上から奉仕活動や道徳を強制しようとしている。子どもを管理し強制し排除する対象としか見ないこうした施策は、もはや教育と呼べるものではない。

 「指導力不足」で恣意的に免職 地方教育行政法

 第四に、「指導力不足教員」免職制度(地方教育行政法改悪)である。これこそ闘う教育労働者への大攻撃だ。「児童・生徒に対する指導が不適切」「研修等の措置を講じてもなお指導を適切に行えない」という要件で教員を免職できるという内容だ。教員の事務的職種への強制配転は過去にも例があるが、その場合は引き続き教育職給料表の適用を受けていた。今回の法改悪は、「不適格教員の配転制度」と報道されているが、ポイントはあくまで免職にあり、他職種への再雇用も能力・適性が条件とされている。従来の地方公務員法の分限基準を超えて「指導が不適切」というあいまいな理由による分限免職を可能とし、当局に無際限の裁量権を与えるのだ。
 法案では、「指導力不足教員」の認定手続きは、都道府県教育委員会規則で定めるとし、文科省は、認定基準・方法のガイドラインを通知で示すとしている。本年度から調査委託研究を全都道府県と政令市に拡大することで、全国的な制度化を狙っている。
 東京都の「指導力不足等教員」要綱は、業績評価に基づき校長が申請(義務制は校長が内申し、市教委が申請)し、都教委の判定会が一方的に認定するシステムである。
 「不適格教員」「指導力不足教員」キャンペーンは教育困難の責任を個々の教職員に転嫁し、職場の協力と協働による問題の解決の道を閉ざし、保護者と教職員に分断と不信を持ち込む。何よりも、この制度の矛先は、平和教育・解放教育に取り組む教師や組合活動家に向けられており、文科省の教育政策に忠実な教員づくりを狙うものだ。
 現に、東京では沖縄米軍基地の問題を授業で取り上げた社会科教師が二度の減給処分の上、都立研修所に送られた。「日の丸・君が代」で処分を受け人事委員会で不服申立を行った国立の教師に対して「処分を受け入れず反省していない」と「取り出し研修」と称して「指導力不足等教員」要綱を適用しようとしている。さらに、懲戒処分者全員に現場復帰前に研修を義務づけることも検討されている。地公法の不服申立の権利も奪う暴挙である。
 千葉では、「日の丸・君が代」反対を闘う教師が研修所に送られ、産経新聞が反戦闘争に取り組む組合活動家への個人攻撃を繰り返している。朝鮮戦争前夜の教員レッドパージも「校長の教育方針に協力しない」「指導力が低い」といった名目で強行されたことを想起しなければならない。

 評価制度や免許更新制導入狙う

 文科省は、優秀な教員への表彰制度と特別昇給との連動については、来年度をめどに実施、教員免許更新制についても中教審に諮問し、来年度中に結論を得るとしている。教員評価制度については、すでに東京で教員用人事考課制度が導入されており、「指導力不足等教員」制度と結びつけられ、特別昇給さらには勤勉手当など賃金とのリンクが進められようとしている。
 文科省は、究極的には、教員評価制度と免許更新制をリンクさせることを狙っているのである。今回の地公法改悪では、校長の人事権強化が盛り込まれていることも重大である。
 こうした動向は、教員への恣意(しい)的人事による教育行政の不当な支配に対して、教員の身分の尊重を規定した教育基本法六条、一〇条や研修の自発性を規定した教育公務員特例法の趣旨を完全に解体するものだ。
 と同時に、こうした攻撃は公務員制度改革の一環であり、その先取りとして進行している。人事院は、国家公務員に目標管理を軸とした評価システムを導入し、目標達成度の低い職員を降格・免職する制度を来年度から実施するとしている。この最大のターゲットは郵政であり、二〇〇三年郵政公社移行時の全逓活動家への首切り攻撃であるが、国家公務員・地方公務員を一本化した新公務員法のもとで、地方公務員にもこの攻撃が波及することは必至である。
 教育基本法改悪とそれを先取りする教育改革関連法案は、明らかに日帝の絶望的延命路線である改憲攻撃の最大の突破口である。森政権もろとも教育改革攻撃を粉砕しよう。
 この法案の危険な正体を他労組、保護者、地域住民に知らせ、広範な反対運動を! 杉並から石原「心の東京革命」に反対する教育闘争をつくりだし、都議選決戦に勝利しよう。

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週刊『前進』(1999号3面1)

「住民の会」結成周年 4・1杉並大集会へ
高齢者の怒りの声共有し介護保険廃止の大運動を
 公的介護の完全実施かちとれ

 介護保険実施強行から一年、この一年の間にどれだけ多くの悲惨な事件が起こったか数知れない。多くの高齢者が介護保険によって直接、間接に死に追いやられていったのだ。高齢者が生きるために、労働者人民が生きるために介護保険を直ちに廃止させ、公的介護の完全実施を実現しなければならない。介護を必要としている高齢者とその家族、介護労働者を先頭に介護保険廃止の大衆的闘いを巻き起こしていこう。介護と福祉を要求する杉並住民の会の四・一総会と結成一周年集会に総結集しよう。

 高齢者切り捨てる国家的な殺人制度

 介護保険廃止の大衆運動の爆発をかちとるために、はっきりとさせなければならないことは、介護を必要としている高齢者とその家族、介護労働者が主体となった運動を作り出さなければならないということである。そのために当事者の怒りの声を聞きだし、形にしてすべての人々に伝えていくことが重要である。
 介護保険によって、それ以前の貧弱であった介護すらも切り捨てられた人々がたくさんいる。利用料を払う金がないために介護を受けることをあきらめた人、身体介護を頼みたいのに、お金がないために家事援助しか頼めない人、あるいは一カ月の利用金額が少ないために民間事業者から「他の業者に」といって契約を断られた人、こうした人が膨大に存在している。
 二月二十一日名古屋市千種区の公団住宅で七十九歳の男性と六十九歳の女性の夫婦が寝室で死亡しているのが発見された。二人は一月中旬に餓死したとみられ、男性が持病のある妻の介護をしていたことから、男性が死亡した後、残された妻も間もなく死亡したとみられる。室内に食料や現金が残っておらず、二人ともやせ細っていた。これが介護保険制度の現実だ。
 利用料が払えないために介護が受けられず、食料もなくてひっそりと死を迎えざるをえなかった悲しみ、怒りは計り知れない。介護保険に対する怨嗟(えんさ)怒り、悲痛な叫びが地底に充満している。この恨みや怒りの声を労働者階級の一人ひとりがわがものとして、介護保険廃止の闘いに立ち上がらなければならない。
 だが、介護を受ける高齢者が、その怒りの声を、悲痛な叫びを大声で上げられない状況がある。単に、介護がなければ外に出られないというような問題ではない。「福祉に金がかかる」「高齢化社会だ」「若い世代の負担が増える」という政府の宣伝によって、世代間の対立があおられ、高齢者の介護が社会の負担になっているかのような言い方で高齢者が追いつめられ、怒りの声が上げられない社会的状況がつくられているからだ。
 この現実を打ち破って、高齢者が怒りの声を上げ、その叫びがすべての人民に伝わったときに、介護保険制度がいかに非人間的な、高齢者を切り捨てる制度、国家的な殺人制度であるのかということを実感として確信を持ってつかむことができる。高齢者の悲痛な叫びをもっともっと引き出し、すべての人に伝えていかなければならない。それが実現できたときに、介護保険廃止の運動が本当に大衆的な、全人民的広がりをもった闘いとなっていくのである。
 介護と福祉を要求する杉並住民の会を始めとして全国で進められている「一言メッセージ」運動を広範に広げ、高齢者の怒りの声を中心とした介護保険廃止・公的介護の完全実施要求の運動の高揚を切り開こう。

 介護は当然の権利福祉は政府の義務

 高齢者が怒りの声をストレートに発することができるようになるためには、同時に、公的介護の完全実施の要求がまったく当然の要求であり、労働者人民の権利であることをはっきりとさせなければならない。介護は高齢者の当然の権利であり、介護・福祉を保障することは政府の義務なのである。この点をはっきりさせ、高齢者が若い世代に負担をかけているかのような日帝の宣伝を打ち破った時に、高齢者が彼らの怒りの声を全面的に上げていくことができるようになる。
 労働者人民一人ひとりに生きる権利がある。これを認めるということは、高齢者や被抑圧・被差別人民がともに生きる社会、ともに生きられる社会、差別や抑圧のない社会をつくるということなのである。高齢者や「障害者」の介護を社会が支えることによって初めて、すべての人の生きる権利が保障されたことになるのだ。
 これを否定したとき、必然的に人民抹殺の反動攻撃に敗北していくことになる。「新しい歴史教科書をつくる会」の「公民」の教科書では、生命について「言語によって精神的な価値にかかわる目的を実現していくための手段、それが生命だから」「そうした価値の実現のために、生命を犠牲にしなければならない場合もある」と主張している。要するに「天皇制と日帝国家の利益のためには人民は犠牲になれ」ということなのだ。人間の生命を手段と見なすこうした考え方・体制が社会を支配するようになったときに、天皇制にとって「役に立たない」人間については「価値なき命」として抹殺されていくことになる。
 政府は、介護保険制度の強行によって、憲法で規定された社会福祉、社会保障の義務を完全に放棄し、福祉を切り捨て、介護を金で買うものに変えたのである。それはまさに高齢者の切り捨てそのものにほかならない。資本の利益のために高齢者は犠牲になれということなのだ。
 こうした攻撃を許さないためにも介護を奪われた高齢者の血叫びを全人民のものとし、公的介護の完全実施の要求を掲げた全人民的な運動を巻き起こさなければならない。
 また、公的介護の完全実施の要求は、介護を必要とする高齢者やその家族の置かれた状況がそれぞれ異なり、その要求も具体的に異なる中で、それを本当に解決していくためにも絶対に必要である。政府が社会福祉の義務を放棄している中で、すべての人の介護の要求を実現するためには、公的介護の完全実施が絶対に必要だからである。
 そして、公的介護の完全実施を一致した要求とすることで、それぞれの要求が一つに結ばれ、全国の闘いが一つになって政府・厚生労働省を追いつめていくことができるのである。「全額公費で、介護の保障を」「必要な人に必要な介護を」「憲法違反の介護保険をなくせ」||このスローガンを高々と掲げて、介護保険廃止の全国的なネットワークを作り出そう。

 「介護の社会化」のウソ許さず闘おう

 介護保険一年の現実は、政府や推進派が「介護の社会化」「介護を社会で支える」と言ってきたことがまったくのウソであったことが完全に明らかになっている。介護は金で買うものとされたために、全国で数知れない悲惨な事態が発生している。何よりも、在宅で要介護認定を受けたけれども金がないためにケアプランを作成しなかった人が二割近くもいる。
 大手の介護企業は、「介護の市場化」を狙って介護ビジネスの拡大を図ったが、採算がとれないということで事業所を閉鎖し、多くの高齢者が投げ出されてしまった。また介護企業の大手を始めとして採算のとれるだけの利用料(九万円程度)を払えない利用者については、他の事業者に移管するということが広範に行われている。厚生省や推進派が当初言っていたように「利用者が自由に選択する」のではなくて、高額の利用料が払えない利用者は、事業者を次々と回されて、事業者の言うことに従わざるをえない状況が強制されている。利用者は言いたいことも言えない状況に置かれているのだ。
 介護保険に対する怨嗟の声はさらに高まっている。介護保険は絶対に廃止できる。介護保険廃止の広範な全国ネットワークを形成し、高齢者の「一言メッセージ」を軸に大衆的な運動を巻き起こそう。
 介護と福祉を要求する杉並住民の会は四月一日、杉並公会堂で総会と結成一周年記念集会を開催する。この集会に総結集し、介護保険廃止の大衆的闘いの高揚を切り開こう。
 介護保険廃止のためにも六月の東京都議会議員選挙でけしば誠一氏の当選を何としてもかちとろう。

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週刊『前進』(1999号3面2)

一言メッセージに寄せられた声(介護と福祉を要求する杉並住民の会「かいらんばん」より)

 名古屋で、老夫婦が餓死したというニュースが聞かれました。スーパーで、お年寄りが百八十円の夕食のおかずを万引きしたというニュースもあります。何ということでしょうか。いまの世の中は、絶対にまちがっていると思います。いったい、いつから、お年寄りが餓死したり、生きるためにたった百八十円のおかずを万引きしないといけない世の中になったのか。これが、介護保険の実施が生みだしたまぎれもない現実です。
 わたしの夫は、戦争のとき、特攻隊で死にました。いまのお年寄りは、みんな戦争のときに国のために命や青春をささげた人々です。そして、戦後は戦後で、汗水たらして働いて、日本の社会をつくってきた人々なのです。年をとって一人では生きられなくなったときに、その面倒をみるのは国の最低の義務ではないでしょうか。(久我山・七十代)

 政府は年寄りをお金もちと思っているのでしょうか。そういう人ばかりではありません。もっと、最低生活者のことをしっかりと見て欲しいものです。(久我山・七十一歳)

 地下鉄大江戸線をつくる位なら、福祉予算を削るなと言いたい。人間が年をとって医療費や介護が必要になったら、国や行政が責任を持つべき。福祉は国の根本ではないのか。
 年金から介護保険料を強制的にとるのはやめるべきだ。(成田西・七十五歳)

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週刊『前進』(1999号3面3)

「日の丸・君が代」押しつけ許さぬ 国立で集会とデモ
 強制異動・組合弾圧に怒り

 三月十日、国立福祉会館大ホールで、多摩教組、アイム89、東京学校事務労組などが主催する「『日の丸・君が代』の押しつけを許さない! 三・一〇国立集会」が開かれました。百六十五人の労働者、市民が参加しました。
 国立に対してはこの一年、都知事・ファシスト石原が「国立の教育はグロテスク」と言って攻撃の先頭に立っていますが、三月を迎えて、卒業式直前の緊迫した状況を迎えている中で開かれた集会でした。
 中でも強烈だったのが、多摩教組委員長の見城赳樹さん、そして被処分者を支える会(二小支える会、五小支える会)が報告した国立の教育現場の現状です。
 多摩教組の見城委員長は不当処分との闘いを報告するとともに、国立の「教育正常化」攻撃を報告・弾劾しました。とりわけ各校で校長が多摩教組組合員に対して、職権で異動カードを出すなど、次々と強制異動攻撃をかけてきていることを弾劾し、強制異動の対象とされた組合員が異動の執行停止措置を求めて裁判所に訴えたことを報告しました。そして「今、息長く続けていける運動体を結成しようと考えています。第一に処分撤回、第二に国立の学校教育をよりよいものにしていく、第三に全国の闘う仲間と連帯、交流し、保護者、市民、教職員組合のつながりをより強くしていきたい。教育基本法改悪や『指導力不足教員』排除の攻撃にも抗していく必要があります。厳しさに負けずに闘っている全国の仲間たちと連帯して闘っていきたい」と訴えました。
 五小支える会の教育労働者は「今年度一年間、国立はもう嵐(あらし)のような毎日でした」と語り、五小の状況を報告しました。
 「昨年十二月に二人の教頭要員が加配で五小にきました。二人の加配を『おかしい』と言った教員が、二学期末の緊急の保護者会で攻撃されて病気休職に追い込まれ、その代わりに一人の加配が担任になりました。
 続いて一月一日に校長が『職員会議細則』を出してなんでも勝手に決めてしまうようになり、残りの一人の加配をTT(ティーム・ティーチング)で教室に張りつけました。そしてPTA会長以下特定の保護者が授業参観と称して組合員の授業を監視して攻撃し、その人の代わりにTTだった加配がクラス担任になりました。
 二月には市教委から校長に届いた保護者の声として、『服装が教員らしくない』、ジェンダーフリー教育で実践してきた『○○さん』という名前の呼び方を『おかしい』などと言ってきています。『こういう授業をやったでしょう。そういう授業はだめです』など、個々の教員に攻撃をかけてきています。被処分者に異動を強制し、また組合員に対して本人に秘密で校長が異動カードを提出しようとしていました。
 卒業式についても職員会議で話す前から校長が『国旗・国歌をやります』というプリントを出し、PTA役員会に『今年はやります』と言い、もう滅茶苦茶です。校長は先日の職員会議でもピースリボンを『妨害行為だ』と言いました。
 とにかく毎日毎日、誰かに何かが起こるひどい状況です。私たちがどこまで闘っていけるのか、個人個人が問われています。国立の状況を知り、支援していただきたいと思います。よろしくお願いします」
 切々たる訴えに会場全体で熱い拍手を送り、ともに闘う決意を強くしました。
 このほか、国立の教育労働者と主催三組合、国立市民、都高教、千葉高教組など多くの発言がありました。また三月中・下旬の国立の市立中・小学校の卒業式には、「日の丸・君が代」の押しつけを許さないための取り組みをすることを確認しあいました。
 集会後、国立駅に向かってデモを行い、とりわけ石井教育長の家のそばでは大きな声でシュプレヒコールを上げました。重圧を打ち破る元気な声で、市民にともに闘うことを呼びかけました。(投稿・渡部亜紀)

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週刊『前進』(1999号3面4)

三一闘争 支援大集会に350人
 “労働者こそ主人公”青木雄二さんが講演

 三月九日に千代田区公会堂で、三一書房争議支援共闘会議主催、三一書房労組を支える会後援の「三一書房争議の勝利をめざす三・九大集会」が開かれ、参加しました。会場には春闘のさなかに出版関係をはじめ、印刷やマスコミ関係など広範な支援の労働者三百五十人あまりが結集し、会場は熱気に包まれました。
 この日の集会のメーン企画は、元漫画家で思想家の青木雄二さんによる「歴史を動かす原動力はやっぱ労働者ヤ」という非常にユニークな講演でした。
 青木さんは「ナニワ金融道」などの漫画で知られた人ですが、「あること」と「思うこと」の対比というかたちで唯物論と観念論について楽しく全面的に展開されたのを非常に興味深く聞きました。
 さらに、原始共産制の時代から説き起こして、奴隷制、封建制、資本主義への歴史を述べ、資本主義社会において働かなければ生きていけない労働者階級こそが社会の主人公にならなければいけないこと、考え方を百八十度変えなければいけないことを、本当に分かりやすく説明されました。
 この日の講演をもとにした『ナニワ唯物論』という本が、三一書房労組自主出版第三弾として六月中旬にも出るそうです。
 講演の後、三一書房労組の組合員全員と支援共闘会議・支える会の呼びかけ人、弁護団などが壇上にずらりと勢ぞろいしました。闘争報告を三一書房労組委員長の三角忠さんが行い、「二年前の朝霞倉庫襲撃、本社での臨時株主総会開催策動を当該と支援の大きな団結で阻止したあの闘いで得た教訓をけっして忘れず、経営間の裁判の決着がどうあろうと、組合自身の団結に依拠した闘いで、この攻撃を跳ね返したい」と述べ、三月二十八日午前十時東京地裁六二六号法廷で行われる建物明渡裁判への結集を訴えました。支える会の代表からも会員拡大の決意が語られました。
 私も、三一書房労組を引き続き支援していきたいとあらためて決意を固めました。
 (投稿 東京・A S)

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週刊『前進』(1999号3面5)

連載 社会保障解体を許すな 奪われる介護・医療・年金 7
 授産施設の法制化 「障害者」のより所奪う
 「生きる場」解体し、資本が参入

 地域自立生活を奪う法改悪

 昨年の社会福祉事業法改悪では、利用契約制度の導入とともに「障害者」の小規模作業所が「小規模通所授産施設」として法定事業に認定された。また社会福祉法人の資格も民間企業やNPO(民間非営利組織)などが参入しやすいように要件が緩和された。
 これは、現在の小規模作業所のあり方をそのまま認めて保障するのではなく、あくまで授産施設という枠内に取り込む方針である。そうなれば作業のできる「障害者」はとことん働かされ、「重度障害者」は切り捨てられてしまう。
 小規模作業所は、これまで「障害者」が地域で生きていくための「生きる場」づくりとして「障害者」や家族の自主的運動によってつくられてきた。
 収容施設や精神病院への隔離を基本としてきた日帝の「障害者」政策のもとで地域には学校卒業後または精神病院退院後「障害者」の行き場がない。また行政が上からつくった授産施設や作業所は「障害者」をただ働き同然で働かせる地域内隔離施設のような存在だったり、「重度障害者」はそこからさえ排除されてきた。そうした中で、作業(労働)を義務づけず「重度障害者」を含め誰もがより所にできる「生きる場」「たまり場」という生活拠点として運営されてきた小規模作業所も少なくない。当初は親を中心とした運動だったが、「障害者」自身の運動としても発展してきた。現在、「障害者」の小規模作業所は全国で五千カ所あると言われており、年々増え続けている。
 こうした小規模作業所が国や地方自治体のわずかな援助で苦しい運営を強いられている中で、「身体障害者」だけでなく「知的障害者」や「精神障害者」とその家族からも保障の強化を求める声が強くあがっていた。今回の社会福祉事業法改悪は、その声にこたえるかのようなポーズを取りながら、「障害者」が必死に闘いとってきた地域自立生活の地平を奪うものだ。

 福祉予算削減する石原都政

 厚生労働省はペテン的に授産施設として法定化しない小規模作業所は「地方公共団体の自主的独自事業として支援すべき」と言っているが、地方自治体は「財政危機」を理由にどこも福祉予算の削減に走っているのが現状だ。すでに石原都政は、「介護保険制度導入に伴う現金給付事業の見直し施策」として重度心身障害者手当などに続いて「精神障害者」作業所への助成金の削減をあげている。
 なによりも政府自身が「障害者」福祉になんら積極予算を組んでいない。二〇〇一年度予算の補助個所数が全部で百二十カ所(「身体障害者」四十五カ所、「精神障害者」四十六カ所、「知的障害者」二十九カ所)で、補助額は年間一カ所千百万円でしかない。それでも社会福祉法人は公益法人のため、たとえ事業の採算がとれなくても撤退の自由はない。
 措置制度のもとでは福祉施設のほとんどが厚生大臣の認可する社会福祉法人によって運営されてきた。「福祉」を市場化するにあたって、この社会福祉法人の独占領域にいかに民間資本が参入できるようにするかが問題になってきた。日帝は、採算の見込める入所施設などは民間企業の利潤追求の場として明け渡す一方、撤退できない不採算部門は「障害者」の地域生活の担い手を反動的に取り込もうとしている。しかも今後利用契約制度になれば、小規模作業所を利用する「障害者」から利用料が徴収されることになる。
 二〇〇三年利用契約制度導入は、今でさえ貧困な「障害者」福祉制度を解体してしまうものになる。全力で阻止しよう。

 「障害者」抹殺攻撃と闘おう

 戦後社会保障制度、とりわけ「障害者」福祉の解体は、「脳死」や尊厳死・安楽死、出生前診断など、重症患者や高齢者、特に「障害者」に対する抹殺攻撃の本格的な激化につながる。
 今の通常国会に提出が予定されている臓器移植法の改悪には「脳死」を移植と関わりなく「人の死」とするという内容を盛り込むことが検討されている。臓器移植法を事実上の「脳死法」に変えてしまおうとするものだ。「脳死」と判定されれば、それが死の宣告となり、すべての治療がうち切られる。すでに医療現場ではそうした実態が少なからず先行している。日帝は医療費削減のために、死の定義を変えることによって重症患者の生命を切り捨てようとしているのだ。
 また昨年、オランダで安楽死が完全に合法化され、日本でも医療保険の負担増や介護保険が導入される中で日本尊厳死協会の会員が急増している。七〇年代に日本でも安楽死を普及させようと発足した協会だが、なかなか増えなかった会員がここに来て九万五千人にのびたといわれている。
 さらに受精卵の着床前遺伝子診断が承認され、体外受精の受精卵に病気や「障害」が発見されれば卵を母体に戻さず捨ててしまうという形で「障害者」抹殺にゴーサインが出されようとしている。こうした先端医療技術の「進歩」が日帝の優生政策に新たな武器を与えている。母体保護法への胎児条項の新設を主張している日本人類遺伝学会の代表である松田一郎は、「(胎児診断による妊娠中絶が)強制的になったらナチズムだろう。自己決定権ということでお母さんに選択権を与えればナチズムにいくという考え方に反論できる」と述べている。
 こうした中で「障害者」への介護保険全面導入は、「障害者」に対する差別主義を一層強めるものになるだろう。すでに高齢者に対して、その存在が若い現役世代の重荷であるかのようなキャンペーンが展開され世代間の分断攻撃がかけられている。日帝は、「障害者」への介護保険適用の中で保険料のアップをテコに「障害者」の存在が労働者の家計を圧迫しているかのように宣伝し、「価値なき命」は抹殺すべきだという三〇年代のナチス・ドイツのような「障害者」に対する差別主義をあおろうとしている。「『障害者』に人格はあるのか」「安楽死につながる」と発言した石原都知事こそその最先兵だ。都議選決戦でけしば誠一氏の当選をかちとり、ファシスト石原を打倒しよう。
 介護保険への移行を拒否しこれまでの「障害者」施策の継続をかちとっている「障害者」がいる。憲法違反の介護保険制度を廃止しよう。
〔湯浅 緑〕

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週刊『前進』(1999号4面1)

米バブル崩壊で不良債権の危機噴出 再激化し始めた日本の恐慌
 世界大恐慌へ歯止めが外れた金融の量的緩和策は破滅の道
 島崎光晴

 三月半ばの世界同時株安で、日米の株価は歴史的な低水準にまで暴落した。しかも、この同時株安は日米の金融危機の連鎖によって起きた。国際的な危機の連鎖こそ、世界金融恐慌の決定的な促進剤をなす。その意味で二九年型世界大恐慌の本格化へ、今ひとつ新しい局面に入った。米バブル経済崩壊の破壊力はますます強まりつつある。その直撃を受けて日本経済では、景気が悪化し、株価が下落し、不良債権問題も再燃している。ところが、空前の恐慌対策ですでに国家財政はパンクしており、政策面で完全に手詰まり状態にある。その中で、金融の量的緩和という゛最後の切り札″を切った。今や日本の恐慌の再激化は必至だ。日米争闘戦での敗勢と恐慌の再激化で、日帝の没落が一段と進むのはまちがいない。プロレタリア革命の勝利をかけて、都議選決戦に絶対に勝たなければならない。

 日米連鎖で世界同時株安に 日経平均は85年水準に暴落

 三月十二日、新興株やハイテク株の多い米ナスダック指数は二〇〇〇ポイントを割り、九八年末の水準にまで落ちた。翌三月十三日、日経平均株価は一万二〇〇〇円を割った。二日連続でバブル崩壊後の安値を更新し、実に八五年初め以来の水準にまで下がった。
 これを受けて翌日のニューヨーク市場では、ダウ三十種平均株価が一万ドルを割りこんだ。一万ドル割れは昨年十月以来のこと。株価急落はアジア諸国と欧州諸国にも広がり、世界同時の連鎖的な株安となった。その後も世界的な株安が続いている。
 この世界同時株安は、何よりも米経済の急降下が最大要因である。本紙新年号や一九九四号(二月二十六日付)の島崎論文で指摘したように、米経済は昨年四月の株暴落をもってバブルの本格的な崩壊に突入している。すでに昨年末から景気は急降下し、企業収益も悪化、大量解雇が相次いでいる。さらに過剰資本・過剰債務・不良債権が表面化し、信用収縮も始まっている。一−三月時点ですでに恐慌に入っている可能性もある。三月に金利をさらに引き下げたが、それほど効果はない。
 三月半ばの株価急落では、IT(情報技術)株とハイテク株全体が下げ続けているだけでなく、それ以外の業種の株も急落している。株安の逆資産効果から消費が減退し、業績悪化が他の業種にも拡大しつつあるからだ。一−三月の主要五百社の収益は前年同期比で減少する見通しである。減益は九八年七−九月期以来のこと。つまり、昨年四月からのネットバブル崩壊、昨秋以降のハイテクバブル崩壊に続いて、今や消費バブルの崩壊も始まったのだ。だからナスダックだけでなくダウも急落に転じているわけである。
 ナスダック指数は一年前の最高値から六〇%以上も暴落し、時価総額にして四百兆円が吹き飛んだ。S&P五百種の株価も最高値からの下落率が、「弱気相場」入りとされる二〇%を超えた。
 ただダウはなお十数%の下落にとどまっており、今後一段の暴落は避けられない。すでに株式市場から資金が流出し始めている。ひとまずは、より安全と見られる債券などに流入している。いわゆる「質への逃避」だ。しかし、金融不安が台頭してくるなら国外からの資金引き揚げも起き、金融恐慌の危機に突っ込んでいくにちがいない。
 同時株安のもう一つの震源は、日本経済が恐慌の再激化に向かい始めたことにある。米バブル経済の崩壊の影響を受けて、日本経済は景気の再悪化、株価の下落、不良債権問題の再燃、政策面での手詰まりなど、九七−九八年以上の危機を迎えている。(後述)

 国際金融不安招く不良債権

 さらに、今回の同時株安で重大なのは、日米の経済危機が連鎖して悪循環になり始めたことである。
 十四日のダウ一万ドル割れのきっかけは、英米系の格付け会社が日本の大手銀行十九行の財務格付けの下げを検討中と発表されたことだ。゛不良債権で財務内容が悪くなっている″との判断である。これが米市場で、゛日本の不良債権が国際金融不安を引き起こす″との不安をかきたてた。このため米金融株が軒並み急落した。〈日本の不良債権は世界大恐慌を引き起こすほどの性格を持っている〉と繰り返し指摘してきたが、それがこういう形で現れ始めたのである。
 米バブル経済の本格的崩壊が日本の恐慌を再激化させ、日本の金融危機が米バブルの一層の崩壊を引き起こす、という事態だ。完全に日米が連鎖している。新年号で「米株価の暴落と世界の株価暴落との悪循環、米経済の不況化と世界経済の不況化との悪循環が、必ずどこかで起きる」と指摘したが、それが現実になっている。
 しかも、三月十九日の日米首脳会談では日本の不良債権処理が最大テーマとなった。日米争闘戦の激化と日米の危機連鎖とが相乗し始めたのだ。その意味で、世界大恐慌の本格化へ、今ひとつ新しい局面に入ったと見るべきである。

 対米輸出減少で生産が低下 過剰資本は98年よりも深刻

 日本経済の現状を、さらに詳しく見ていこう。
 日本経済は九七年秋に典型的な金融恐慌に突入し、九八年には戦後最悪の恐慌に陥った。日帝は、金融機関の国有化や公的資金の投入、国債大量増発による景気のテコ入れという空前の恐慌対策を発動した。それによって九九年春には、金融恐慌の深化はひとまず食い止められた。しかし、恐慌自体は緩慢に継続してきたと言える。
 実際、名目GDPは九八年度、九九年度とマイナス続きである。物価が下落しているので、実質GDPの伸び率(実質成長率)で計算するとプラスになるだけのことだ。物価下落過程では名目成長率の方が経済実態を示す。二年以上にわたって経済規模が縮小し続けるのは、戦後帝国主義で前例がない。
 もっとも、九九年春以降、景気は若干浮揚した。しかし、それは米バブルの引き延ばしに依存したものでしかない。九九年四月を底にした景気の浮揚は、半導体などの部品や半導体製造装置などの輸出によるものである。九九年四月以降一年間の成長率一・六%のうち、輸出の寄与分が一・三%にもなる。対米輸出が増えただけでなく、米への輸出で危機をしのいでいるアジアへの輸出も増えた。つまり、米バブル経済がなお引き延ばされたため、対米輸出と対アジア輸出が伸びていたのだ。これこそ、日本の恐慌の激化を緩和してきた最大要因をなす。
 ところが昨年四月の米株価の暴落によって、この輸出が一変した。輸出数量の伸びは六月を境に鈍化し、秋以降に減少に転じた。このため七−九月期の名目成長率は四・八%ものマイナスとなった。米バブルの本格的崩壊が始まると、たちまちにして若干の景気浮揚も崩れた。わずか一年そこそこの景気浮揚でしかなかったわけだ。
 さらに昨年末から今年初めにかけて、輸出の急減で生産が急下降している。一月の輸出数量は、前年同月比五・一%もの大幅な減少となった。米の実体経済が年末から急降下し始めたからだ。このため、一月の鉱工業生産指数は前月比四・二%のマイナスとなり、現行基準で統計を取り始めた九三年以降では最大の下げ幅となった。日帝ブルジョアジーは、「米国と日本の産業界がどれだけ密接に結びついているかを再認識した」(出井ソニー会長)などと、今さらながらに震え上がっている。
 生産の急下降によって、政府発表の失業率は一月に四・九%に上昇、過去最悪となった。有効求人倍率も〇・六五倍で、九九年春以来の水準に悪化した。

 米バブル依存の無残な結果

 確かに、いったん恐慌に突入し過剰資本状態が露呈したにもかかわらず、米バブルに依存して生産を回復させることができた。しかし今や、米バブル崩壊によって生産が再び低下しているのである。そうなると、過剰資本状態がまたもやむき出しにならざるをえない。そもそも過剰設備は、恐慌下でも基本的にそのまま持ち越されている。
 それどころか、半導体では二〇〇〇年度に過去最高の設備投資が行われた。しかし、実際に稼働し始めるのは今年夏以降だ。米バブル引き延ばしに乗っかって設備能力を増やし、その設備が稼働する時にはすでに米バブルが無残に崩壊している、という事態だ。戦後最悪の恐慌を引き起こした過剰設備はまったく整理されていないのに、そこに新たな過剰設備が加わることになる。日帝は「IT革命」などと幻想を振りまいて、IT関連投資をあおってきた。その結果、一層深刻な過剰資本状態を招くことになったのである。
 従来の過剰資本ですら、九七−九八年のあれほどの恐慌を引き起こした。そこに新たな過剰設備が加わるのだから、それ以上の恐慌として噴出するのは必至である。

 米株価に連動し日本も急落 大手10行が配当不能の危機

 金融面でも危機が再燃しつつある。
 金融恐慌が小康状態に入っていたのは、九九年三月に銀行に公的資金が注入されるとともに、二月からゼロ金利政策がとられたことによる。いわば゛銀行のカネ回りをよくした″わけだ。この政策によって信用収縮の懸念がいったん後退し、五月には早くも株価が金融恐慌前の水準にまで戻した。この小康状態の中で、大手銀行の統合・合併が相次いだ。
 しかし肝心の不良債権は増え続けた。昨年九月末時点での問題債権は約六十四兆円で、三月末より増加している。゛不良債権は依然として百二十兆円″との試算もある。そもそも不良債権の処理というのが、貸倒引当金を積み増す方法が基本だった。破綻(はたん)的な企業にも追い貸ししたため、新規の不良債権が次々発生した。また、地価が下がり続けているため、担保不動産の評価を洗いなおすたびに不良債権が増えてしまう。さらに、ゼネコンなどに対して債権放棄が行われたが、それによってゼネコンの経営はまったく改善されなかった。結局、不良債権の抜本的処理などできなかったのだ。
 金融恐慌が小康状態を迎えて一年後の昨年四月、ついに米バブル経済の本格的崩壊が始まった。これに直撃されたのは、まず株価だった。二月に二万円台を回復していた株価は四月から急落した。米株価の第二波暴落が始まった九月から下げが加速し、十月には一万五〇〇〇円を割った。銀行に公的資金が投入されたころの水準に戻ってしまったのだ。さらに今年になって、バブル崩壊後の最安値を更新している。
 日本の株安の最大要因はナスダックの暴落にある。これは二つのルートを取っている。一つは、先述したように、日本は米IT関連企業に半導体などを供給してきたため、米企業の業績悪化が即、日本企業の業績悪化につながる。だから米株価が下がると日本の株価も連動して下がる。もう一つのルートは、米株価下落で損失を抱えた米欧の投資家が、損失を穴埋めするために日本株を売っている。九九年には外国人投資家が日本株を九兆円も買い越していたが、米株価の暴落で昨年四月から売り越しに転じた。二〇〇〇年の外国人投資家の売り越し額は二兆円を上回り、九〇年以来の大幅な売り越しとなった。
 また、銀行と企業が株を持ち合う構造だったが、それが売られ続けてきた。
 さらに、米バブル経済の崩壊によって、不良債権問題も再燃し始めた。

 株安で16行の含み損5兆円

 米バブル崩壊で日本の景気が昨夏から鈍化し、もともと破綻的だった企業の経営が一層危機的になった。このため、正常債権だった貸し出しが続々と不良債権になり始めた。さらに、株安によって不良債権が処理できなくなった。これまでの不良債権処理は、保有株を売って得た利益を貸倒引当金に充てるという方法だった。しかし、株安で株の含み益はなくなり、一万二六〇〇円程度では逆に含み損が大手十六行で五兆円にもなる。
 しかも銀行を取り巻く環境は九七−九八年時点よりも悪くなっている。すでに空前の恐慌対策を発動した結果、国家財政が破綻しており、銀行救済のための再度の公的資金投入が難しくなっている。これまでの巨額の財政赤字、国債の大量発行が、大変な重圧となっているのだ。
 二〇〇一年度の国債発行残高は三百八十九兆円に達する見込みである。年間税収の七・七年分に当たる膨大な額だ。恐慌対策がとられた九八年度以降の四年間だけで、約百三十兆円も増加した。このため、二〇〇一年度末の国と地方の長期債務残高は六百六十六兆円に膨らむ。それほど国家財政が解体的危機に陥ったところに、米バブル崩壊が襲いかかっているのだ。
 また、銀行が統合・合併でより巨大化しており、それが経営危機に陥るなら九七−九八年以上の危機が噴出する。さらにこの間、生保も経営危機に陥っており、銀行が破綻すると生保の持つ銀行株が大損害を受け、生保危機も爆発してしまう。しかも銀行が国債を大量保有しており、銀行の経営危機から国債が暴落するなら、日帝の財政・金融の総体が全面崩壊する。
 そして、「会計ビッグバン」の一環として〇二年度からは本格的に時価会計制度が導入される(「会計ビッグバン」については別途詳述)。保有株に含み損が出ると、その分を自己資本から差し引かざるをえず、自己資本が枯渇しかねない。もし、公的資金を注入されている銀行が自己資本の減少で株主に配当できなくなる場合、国による直接管理銀行に移行する取り決めになっている。ある試算では大手十六行のうち十行が配当不能になる。
 「三月危機」を乗り切っても、より深刻な「九月危機」が待ち受けている。いや、九月に向けて自己資本を強化するために、春時点から貸出資金の回収に出る恐れもある。そうなると再び信用収縮が深まり、企業倒産の続出となる。

 財政破綻で政策手詰まりに 日帝の没落はますます加速

 しかし日帝ブルジョアジーにとって、もはや打つ手は限られている。すでに空前の恐慌対策を発動してしまったからだ。財政支出をさらに拡大するのは相当に無理がある。そこで日帝は、金融を一層緩和して危機をしのごうとしている。
 三月十六日に政府は「緩やかなデフレにある」と認定した。その際、デフレの規定を従来の「物価の下落を伴った景気の低迷」から、単に「持続的な物価下落」に変更した。確かに消費者物価は九九年、二〇〇〇年と連続して計一%ほど下落している。しかし、デフレの定義を変えてまで「デフレ」宣言したのは、日銀に対して゛デフレだから金融を緩和せよ″と圧力をかけることが狙いだった。
 日銀は、昨年八月にゼロ金利政策を解除していたが、三月十九日には金融の量的緩和策を決めた。これは、金融機関から国債などを買い取って、金融機関に大量の資金を供給するやり方だ。そのために、金融機関が日銀に持つ当座預金残高を増やす。実質的なゼロ金利政策の復活となる。しかも、この政策を消費者物価上昇率がゼロになるまで続けるとした。金融機関からの国債買い取り(国債買い切りオペ)は、実質上の日銀引き受けを意味する。日帝は金融面で゛最後の切り札″を切ったのだ。
 ゼロ金利も量的緩和も帝国主義国でほとんど前例がない。最後は戦争に突っ込むしかないような破滅的道に入ったのだ。
 しかし、このような政策もそれほど効果を持たないだろう。すでに資金は十分に供給されている状態である。ところが、いくら金融機関の資金が潤沢になっても、金融機関が不良債権の処理に追われているため貸し出しが増えない。むしろこのような゛最後の切り札″を切って効果がないことが明らかになれば、政策コントロールを外れて危機が噴出してしまう。また、消費者物価上昇率をゼロにまで回復させるとしているが、かりにそうなれば物価上昇懸念から国債価格が暴落することになる。さらにゼロ金利によって円安を誘導しようともしているが、円安加速は日本の金融機関の国際的信用を低下させて、ジャパン・プレミアムを復活させかねない。
 こうした日帝にとって絶望的とも言える状況の中で、不良債権を抜本的に処理する案も浮上している。これまでのような引当金を積む方法ではなく、不良化している貸し出しを貸借対照表から外してしまう方法である。直接償却と呼ばれる。これは、破綻的な貸出先を切り捨てることを意味する。こうした論がせっぱ詰まってブルジョアジー内から出ている。しかし、そうした荒療治をやれば、倒産と失業が激増する。かといって不良債権をこのまま放置することもできない。
 このため、゛銀行の不良債権の本格的処理を重視するのか、それともとにかく当面の金融危機を乗り切るのか″をめぐって日帝ブルジョアジー内で分岐、反目が起きている。米バブル崩壊に直撃されて政策が手詰まりになる中で、日帝ブルジョアジーは七転八倒しているのだ。
 しかし日帝がどうあがいても、恐慌の再激化は必至である。米バブル経済の崩壊の持つ破壊力は、二九年恐慌をはるかに上回る。それが日本経済を直撃している。そして日本の恐慌の再激化は、世界大恐慌を本格化させていくものとなる。
 恐慌の再激化に加えた日米争闘戦での敗勢で、日帝の没落は一段と加速していく。改憲攻撃や資本攻勢もますます激化する。革命的情勢の接近はさらに速まるに違いない。没落し体制的危機に陥る日帝を打倒する絶好期が到来しつつある。
 世界大恐慌が本格化しつつある今、連帯戦略とプロレタリア革命の勝利への試金石をなすのが都議選決戦である。なんとしてもけしば候補の勝利をかちとろう。

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週刊『前進』(1999号4面2)

2001年日誌 阻もう!改憲=戦争への動き 3月13日〜20日
 沖縄で自衛官が少女を暴行 日米会談で有事立法を公約

●常任理拒否権制限を日本が提案 国連安全保障理事会の改革問題を話し合っている作業部会で、日本の佐藤行雄大使が、@加盟国の平等の原則からみて、圧倒的多数の国が常任理事国の拒否権はその使用を制限されるべきだと考えている、A常任、非常任理事国の拡大に伴って、新しく常任理事国になった国にも拒否権で差別があってはならないなどを提案した。(13日)
●都教委が給与返還を要求
 東京都教育委員会が「正規の手続きを経ずに勤務時間内に組合活動をした」などとして、都内小中学校の教職員三千人余に対し、計一億三千二百二万円の給与を返還するよう請求したことを発表した。(14日)
●ヘリ事故で宜野湾市議会が抗議決議 米軍普天間飛行場の上空で二月、同飛行場所属のCH53大型ヘリ同士が接触事故を起こした件で、沖縄県宜野湾市議会が本会議で、原因究明公表と住民地域上空での飛行訓練の即時中止などを求める意見書と抗議決議を全会一致で可決した。(14日)
●参院で憲法調査会 参院憲法調査会で、中村睦男・北大教授と成田憲彦・駿河台大教授を参考人に「国民主権と国の機構」をテーマに意見交換。(14日)
●訓練移設の検討を開始
沖縄県が在沖米海兵隊の一部訓練を国外に移転する可能性を政府に打診していた問題で、米国側が外務省をとおして「訓練の移設検討を始めている」と公式に沖縄側に伝えた。(14日)
●制限時間超え訓練 米軍普天間基地のヘリ事故に対し宜野湾市議会が抗議した際、普天間基地のジョン・メタリー司令官が普天間飛行場所属のヘリコプター部隊が平日の午後十一時まで訓練を実施していることを明言した。普天間飛行場、嘉手納基地の航空機の飛行や地上での活動は日米合同委員会の航空機騒音規制措置で、「午後十時から午前六時までは米国の運用上の所要のために必要と考えられるものに制限される」と明記されている。(14日)
●98年知事選で稲嶺陣営の出所不明金7千万 九八年十一月の沖縄県知事選に関連して、稲嶺恵一知事の選挙母体「沖縄・未来をひらく県民の会」が自民党本部から受けた寄付金について、双方の収支報告書で七千万円の食い違いがあることが分かった。(15日)
●自衛隊訓練を下地島に誘致へ 沖縄県伊良部町の浜川健町長が町議会答弁で、同町内にある国内唯一の民間ジェット機訓練飛行場「下地島空港」に自衛隊の飛行訓練を誘致する考えを明らかにした。(15日)
●稲嶺知事が米軍兵力削減を要請 稲嶺知事が首相官邸に福田康夫内閣官房長官を訪ね、「基地の提供責任者である日本政府において、日米両政府間で海兵隊を含む在沖兵力の削減について協議してほしい」などと要請した。(16日)
●自衛官が暴行事件 沖縄県警が、女子中学生を暴行したとして航空自衛隊の恩納分屯基地(恩納村)所属の二等空尉を婦女暴行容疑で逮捕した。事件は十二日に起こり、女子中学生が告発した。(16日)
●普天間中学校で県民大会
 「海兵隊の撤退と基地の県内移設に反対する県民集会」(主催・基地の県内移設に反対する県民会議)が宜野湾市の普天間中学校で開かれた。米軍の早期撤退などのほか、自衛官による暴行事件への抗議も急きょ盛り込んだ決議を採択した。集会には約千人が参加した。(17日)
●防衛庁副長官が謝罪 石破茂防衛庁副長官らが沖縄県庁を訪れ、稲嶺知事らに自衛官の暴行事件を「謝罪」した。(17日)
●「有事法制化視野に検討」 森喜朗首相が防衛大学校卒業式の訓示で有事立法について「法制化を視野に入れた所要の検討を鋭意進めていく」と述べた。(18日)
●自民国防部会が安全保障基本法制定提言へ 自民党国防部会が集団的自衛権について三月末までにまとめる政策提言の原案が明らかに。政府解釈変更のために国家安全保障基本法(仮称)を制定し、「集団的自衛権の行使、国連の集団的安全保障への参加などの範囲を明確に規定する方向での検討を進める」ことなどを提言する。(18日)
●恩納村議会で抗議決議 
航空自衛隊恩納分屯基地所属の自衛官による暴行事件で、恩納村議会が本会議で自衛隊に綱紀粛正と再発防止を求める抗議決議と意見書を採択した。(19日)
●日米首脳会談 森首相とブッシュ米大統領が、ホワイトハウスで会談した。米軍普天間飛行場の代替施設に関し、沖縄県などが十五年の使用期限の設定を求めていることについてブッシュは「困難な問題だ。国際情勢に照らして考えないといけない。(米軍の)プレゼンスは重要だ」と述べた。森は不良債権処理などを公約すると同時に、ブッシュ政権のミサイル防衛計画を積極的に支持することを表明し、有事立法を進めることも約束した。(19日)

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週刊『前進』(1999号5面1)

カクマル随伴文化人の「遺書」
高知聡の『評伝』が暴いた黒田寛一の恥ずべき実像
 「臆面もない日本礼讃」と非難 カクマル衝撃を受け七転八倒

 カクマル・黒田とJR総連・松崎との分裂・対立の激化と連動して、カクマル随伴文化人・高知聰の「遺書」となった黒田の伝記が黒田・カクマルの新たな危機を激成している。高知聰著『孤独な探究者の歩み【評伝】若き黒田寛一』(現代思潮新社刊、二月二十五日発行)がそれである。カクマルはこの本の黒田非難に大衝撃を受けて七転八倒している。これはカクマルとJR総連の分裂というカクマルの断末魔の危機がさらに深まり、黒田を取り巻く中枢のレベルでも、党としての一体性が崩壊していることの現れである。これはカクマル完全打倒へのわれわれの歴史的闘いの前進と結びついて起きている。カクマルとの闘いに決着をつける時が到来したのだ。

 カクマル陣営内から黒田の“破産証明書”

 高知聰というカクマル随伴文化人が二月十五日、肺ガンのために六十六歳で死んだ。そしてそれと前後して高知の前記の最後の著書が発行された。発行元の現代思潮新社とは、一九九〇年代初めに経営危機に陥った現代思潮社をカクマルが買収した、カクマル系の出版社である。ところがこの本は、黒田をたたえるふりをしながら俗人黒田の実像を暴き、「日本礼讃」と黒田を非難し、「黒田の権威」を失墜させるために書かれたとしか言いようのないシロモノなのである。
 その点に入る前に最初に、この高知の死に対してカクマルがどういう態度をとったかを確認しておこう。反革命通信『解放』二月二十六日付に「追悼 高知聰」というタイトルで追悼文がカクマル派の署名で発表された。メンバーの死亡に際しても出さない追悼文の発表はそれ自体が異例である。日付は二月十六日、高知の死の直後となっている。それは、高知が最後まで、この黒田の本の出版も含めてカクマルのために尽力したことへの感謝の言葉を記している。
 ところが、『解放』の次の号(三月五日付)には、当の高知の本に対する黒田寛一署名の「抗議文」が発表された。日付は二月二十三日になっている。黒田が実名で文章を発表したのは最近では九六年の議長辞任声明の時くらいである。それは、高知聰への感謝どころか、自分にツバを吐きかけた高知と高知を手助けした者を許さないという激烈な内容である。
 これは、高知が書いた本が、黒田を辱める内容になっていることに、黒田が大打撃を受けてしまったことを示している。しかも、それが黒田のごく近い者の黒田に対する意識的な反乱として発行されたという意味を持っていることに、黒田はいたく打撃を受け、ほとんど錯乱的状態に陥り、「共同責任」を追及しているのだ。黒田の反革命的生涯の中でも最大級の打撃といえる事態なのである。

 カクマル支持してきた高知

 高知は、一貫してカクマルの随伴者であり続けてきたくせに、卑劣なことに、黒田・カクマルと一定の距離を置いてきたかのように振る舞っている。
 しかし、はっきりしていることは、高知がカクマルの革共同への白色テロを支持したという事実である。七五年三・一四本多書記長虐殺の大反革命を弾劾することなく事実上支持した。カクマルの「謀略論」デマ運動に対しても、それがデタラメであることを百も知っていながら、沈黙によってそれを支持した。
 カクマルは、追悼文の中で、高知が七〇年に「全学連(カクマルのこと)を支援するために起ちあがった。この勇気に深く感謝する」と言っている。また、七五年の「革共同両派への提言」の際に、「高知聰は背後で協力してくれた」とたたえている。そして、これらのことは、「命の糧を断たれることをも賭して」行われたと言っている。
 その高知が死ぬ間際に黒田の実生活=実像を暴く本を書いたのだから事態は単純ではない。

 革共同の批判裏付ける資料

 高知が書いた「構想八年、渾身の書き下ろし千枚」の黒田の評伝は、一九五七年くらいまでの若き日の黒田の歩みを、黒田側から提供された資料を使ってまとめたものである。
 高知は調べれば調べるほど、黒田の問題性に直面し、今日に至っても黒田がその問題性を拡大再生産していることを思い知らされ、そのことを明らかにしておかなければならないところに追い詰められたのである。晩年の高知が(少なくとも九〇年代に入って)黒田とカクマルに追随してきた自らの生涯に自己嫌悪の感情を持っていたのは間違いない。黒田の手先、先兵であった者が、最後に黒田にツバを吐きかけて死んでいく姿は、哀れを催すことではある。
 しかし、この本は、そうした「カクマルの身内だった」高知による内部暴露のような本だから、そこに一定の「リアリティー」もあり、資料的な真実性もあるというものである。高知がこの本の中で展開している黒田の実像の暴露は、それ自身として黒田の問題点を突き出しており、黒田とカクマルに痛烈な打撃を与えるものとなっている。
 われわれはこの間、『共産主義者』一二七号の仲山良介論文「『黒田哲学』を全面的に批判する」において、黒田の最後の砦(とりで)に攻め込み、壊滅的な批判を加えた。カクマルは今日に至るまで二カ月間もまったくこれに言及することすらできない。われわれはこの批判の中で、黒田哲学と黒田の全生涯を「総括」し、「黒田哲学は死んだ」「カクマルは死んだ」と宣告した。
 高知の本は、われわれが突き付けた全面批判をカクマル陣営内部から裏付ける「破産証明書」の意味を持つものである。だから、カクマルは二重三重に追い詰められているのである。

 自分のメンツだけにこだわり怒る俗物

 高知の本に対する「抗議声明」において、黒田は何に怒っているのか。
 「私のノートの断片」などを「私に無断で利用したことは、けっして許されはしない。あとがきに『承諾』とあるのには驚いた」
 「私が十九歳から二十四歳にかけて書き記した心情吐露のようなメモを、無断で公表したことは私に恥をかかせる以外のなにものでもない。私はほそぼそとではあるけれども、まだ生きているのだ」
 「『私の手紙』ならびに諸資料を管理している者もまた、そして『評伝』の編集者は高知による無断利用についての共同責任を負うべきである」
 これらは、「私に恥をかかせた」身内に向かっても言われている。高知の本が、黒田の予想に反して、黒田を辱めるものになったことについて、それを阻止できなかった、あるいは意識的に推進した、内部の人間に対して黒田は激怒しているのだ。「共同責任を負うべき」というのは、一定の白色テロル的制裁を宣言するものと言える。
 だが、高知の本が黒田の知らないところで書かれたというのは真っ赤なうそである。黒田の側から全資料が提供され、家族関係者からの聞き取りなども行われており、カクマルが全面協力して高知に書かせたことは明白だ。黒田自身が「若き黒田」を礼賛させるために資料を出したのだ。
 二番目に黒田は、『ヘーゲルとマルクス』の原稿校正を石井恭二(前の現代思潮社社長)がやったというのはうそで、理論社社長の小宮山量平が行ったのだと「反論」している。
 しかし、そんなことはどうでもいいことだ。問題は、高知がこの本の出版の経緯をバクロ的に詳しく書いていることに打撃を受けているということだ。要するに黒田の父親が、挫折した息子のために金を出して事実上自費出版の形で出されたものであることが暴かれたことに怒っているのである。父親の庇護(ひご)のもとで、その尽力で出版されたものであったということは隠しておかなければならなかったのだ。なぜこんなことが黒田にとって致命的な暴露になるのかということは、次の第三番目の問題を見れば分かる。
 三番目に黒田は、「事実無根のこと」と言って、特に「黒田家の歴史」を書いていることにダメージを受けている。黒田は家族関係について自分は高知に語ったことはないと言い、ごていねいに「家族関係などについての関心は、私にはまったくない」とまで言っている。
 しかし、高知が克明に暴いていることが事実かどうかが問題なのだ。ところが黒田はそのことから逃げ回っている。どういう環境の中で黒田は生まれてきたか、どういう社会的存在だったのか、ということはどうでもいいことではない。
 地主やブルジョアの子弟で立派な革命家になった人は古今東西にたくさんいる。だから、黒田が大きな屋敷と庭園を持つ金持ちの医者で地域のボスである父親のもとで生まれ育ったこと自体は、非難すべきことではない。たとえ学校の先生を黒田家の家庭教師のように扱って平然としていたという事実などがあったとしても、それは少年期のことである。
 問題は、その自分の育った環境について、後の黒田がどのようにとらえ返して、革命の立場に階級移行したのかということである。ところが、黒田は一度もこのような反省を行ったことがない。それどころか「家族関係など関心がない」と断言して、このことからひたすら逃げようとしているのである。黒田は病気による「人生航路の挫折」とそこからくる「実存的苦悩」と言って我が身の不幸を嘆くことがあっても、結局は自らの社会的存在(出自)を階級的にとらえ返すようなことは金輪際やったことがないのだ。
 それは、十七歳で敗戦を迎えた黒田が、敗戦直後の社会的現実にまったく関心を示さなかったことと無関係ではない。黒田は「自然現象のように敗戦を迎えた」と言っている。それは高知が遠慮がちに暴いているように、エリートコースからはじかれてしまった黒田が、敗戦という現実に反応することもできないほどの精神的虚脱に陥っていたということなのだ。そのことを今日、「皇国史観に侵されていなかった」から黒田には敗戦に伴う価値観の混乱などなかった、と逆立ちして自分を美化しているのである。
 だが現実はまったく逆なのだ。黒田はただ自己一身の挫折にしか関心がなかった。同世代の青年たちが持ったような最低の社会的関心すらも持ち得なかったのだ。だからこそ、その少し後にこの挫折から立ち直り始めるや否や「日本民族の道義の荒廃」などと、右翼民族主義者のようなことを言い始めたのだ。

 「破廉恥漢に仕立てられた」

 黒田は、「私とは無関係なところで制作された高知の本は、故意に私を辱めるものとなっている。それにもかかわらずこの本は、あとがきにみえる『承諾』の二文字によって、あたかも私が生前の高知に指示したかのごとき様相を醸しだしているものとなっている。この観点からするならば、高知によって私は破廉恥漢にまで仕立てあげられているわけなのである。まことに無念、残念」と地団太踏んでいる。
 だが、高知自身の黒田批判の中身については、まともに対応していない。反論することができないのだ。
 黒田は、「私に恥をかかせた」「高知によって私は破廉恥漢にまで仕立てあげられている」と言い、小ブル的自己保身、個人的なメンツの立場からのみ高知を非難している。黒田の関心事はただ自分のメンツだけなのだ。

 反米愛国主義・民族主義に転落した黒田

 高知は、「あとがき」(昨年十二月十四日の日付)の冒頭で、黒田の『実践と場所』第一巻に触れ、次のように言っている。
 「ここでは、第一巻のうち、『随想ふう』に回想されている生い立ちに関わる事柄とあまりに突飛に思われる日本礼讃について、簡単に触れる……そこには、信じられないほどの幼児返りと先祖返りとして現れた黒田の無残な老化現象がある」(四七五ページ)
 その中身として黒田の「日本文化」論について、「一言でいえば、黒田式限定を受けた日本の四季と自然を通じての《日本礼讃》というほかはない」と批判している。
 たしかに、黒田の文章は、「『もののあはれ』を情感することのできるような情緒……日本人らしさ」とか、「稲作文化ないし『水の文化』は、『木の文化』を介して『かみがみ』につながり『祈の文化』をうみだしてきたわけなのである」など、すさまじい日本主義を満展開している。
 高知はこれを「臆面もない日本礼讃」と言い、「天皇制讃美につらなる」ものとして非難している。
 「日本の自然風土の讃美は、そのなかの歴史を貫く天皇制の讃美につらなることは、和辻哲郎その人が示している。……その点では黒田も無防備ではありえない」(四八八ページ)
 稲作と天皇制を結びつけて礼賛する黒田に対して、高知は「高校日本史の知識があれば、ここに述べられていることがいかに支離滅裂であるかは一読瞭然であろう」としている。
 黒田の『実践と場所』には、「大東亜戦争」という言葉や、「支那」「ヤンキー」という差別語が乱発され、ファシスト石原慎太郎とまったく同じ反米・反中国の排外主義が恥ずかしげもなく全開している。それと並んで、日本の風土に対する愛着が繰り返し臆面もなく語られている。それはまさに今日の黒田が、反米愛国主義、日本民族主義に完全に転落していることを示しているのである。

 「恥さらしの出版」と黒田非難

 まとめとして、高知は次のように言う。
 「黒田の意識の幼稚化はすでにいってきたが、戦時中の感情に戻ってしまって、そこから現実に戻る道を失ってしまったのだ」
 これが「若き黒田」を研究した末に、今日の黒田の言説に直面した高知が感じざるをえなかった結論なのである。
 「こういう数々の間違いが、原稿の段階でも校正の段階でも正されることがなく、恥さらし以外の何ものでもない出版にまでゆきついてしまうのは、黒田の執筆活動を補佐する人たちや編集者がまったくの無知無能か、忠告助言が聞き入れられないことを知って諦めきっているか、または不思議な絶対権威化の結果である」(四九二ページ)
 黒田から持ちかけられた仕事であったにもかかわらず、死を前にしてこれだけは言っておかなければならないと思ったのかどうか、ともかく高知が「あとがき」で展開していることは黒田の全面否定である。これが図らずも高知の「遺書」になったのである。

 黒田取り巻く中枢から反乱

 しかし、もっと問題なのは、黒田が絶対に容認できない、このような評伝という名の黒田非難本が、『実践と場所』に対する高知の言葉を借りれば、「原稿の段階でも校正の段階でも正されることがなく、恥さらし以外の何ものでもない出版にまでゆきついてしま」ったのはどうしてなのかということである。
 現代思潮新社は、カクマル系とされる出版社である。そして、この本自体が、カクマルの黒田周辺の協力と動員によって作られたこともはっきりしている。それなのになぜ、こんな本が出来上がってくるのか。そこに今日のカクマルのすさまじい危機が示されているといえる。
 黒田とカクマルは、この打撃感を和らげるために、毎号『解放』で、高知聰に対するののしりの言葉を並べ立てているが、そうすればするほど、黒田の実像が浮かび上がり、そのカクマル内での「権威」は失墜する。まさにカクマルは死んだ。今こそ、組織としてのカクマルにとどめを刺す闘いの時だ。
 黒田の意識の幼稚化はすでにいってきたが、戦時中の感情に戻ってしまって、そこから現実に戻る道を失ってしまったのだ。
 こういう数々の間違いが、原稿の段階でも校正の段階でも正されることがなく、恥さらし以外の何ものでもない出版にまでゆきついてしまうのは、黒田の執筆活動を補佐する人たちや編集者がまったくの無知無能か、忠告助言が聞き入れられないことを知って諦めきっているか、または不思議な絶対権威化の結果である。(高知『評伝』あとがき)

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週刊『前進』(1999号5面2)

2001年卒入学式 「日の丸・君が代」闘争
 「100%実施」は仮象 式当日の決起貫く
 関東B県 教育労働者(高校) 滝沢真

 関東のB県でも、この三月の卒業式における「日の丸・君が代」の強制は、昨年度以上にすさまじいものがあった。文科省の指導を背景に県教委は陰に陽に校長を恫喝し、三点セットと称する「日の丸・君が代」完全実施を迫ってきた。すなわち、@国旗は壇上正面に掲揚し、A国歌斉唱を式次第に明示して起立・斉唱を発声し、B教職員への職務分担を明確にせよ、というものである。職員会議の補助機関化を口実に、民主的な討議や運営を封殺する。服務規律の名のもとで、「日の丸・君が代」天皇制国家主義教育の実践を職務専念義務として強要する。実施報告・処分恫喝をちらつかせるなど、一切の抵抗も許さぬといった強権的な攻撃であった。
 このような厳しい情勢にもかかわらず、B県の高校現場では最大限の抵抗闘争がしたたかに展開された。大多数の職場では、職員会議を前哨戦と位置づけ、校長の「日の丸・君が代」強行裁定を採決でもって否決。前日にいたるまで、ねばり強い校長交渉が続けられた。多くの校長は、「自分は教育者ではない。小役人のロボットさ」と嘆きつつも公然と居直る始末。全分会の組合員の机上には、「強制反対」などを記した三角柱が林立。
 このような状況に危機感をつのらせた県教委と校長会は、ついに四校に対して職務命令を発動。これはB県では初めての暴挙である。長年の労使関係を破棄し、教育に対する行政権力の全面的介入と支配を公然と宣告したに等しい超反動的な攻撃である。
 結果として、式場に旗と歌は百パーセント導入されたとはいえ、三分の一は三脚方式、三分の二は管理職業務、起立・斉唱の完全実施は数校に過ぎなかった。
 感動的な闘いがいくつか報告されている。ある職場では職員会議で三度にわたって反対決議がかちとられ、連日にわたって討議用資料が全職員に配布され、毎朝、校長への要請が続けられた。三点セットのうち、歌は式次第に入ったものの、起立・斉唱は全面的に排除。卒業式の当日、管理職の手で「君が代」のテープが流れるや、一人の教師が敢然として立ち上がり抗議の声をあげる。誰一人として歌う者がいない中、陰鬱(いんうつ)な雰囲気に風穴をあけるかのように大きな拍手がわきおこり、式場の「君が代」はかき消された。在校生から、「もう口パクパクして自分をごまかし続けるのはやめます。強制されても立ちません、歌いません」とのレポート。保護者からは、「厳しい中で先生方が頑張っていることに感銘しています」との激励の手紙。
 B県ではそのほかにも、生徒による強制反対の意見表明が何校かで行われた。また保護者・地域住民による教委や校長に対する申し入れ行動も各地で取り組まれている。
 したたかに闘い続けるためにも、この不条理きわまりない攻撃に、怒りの炎を燃やし続けたい。職場の団結を基礎として、生徒・保護者・地域との連帯の輪を広げ、確固たる教育闘争を築き上げねばならない。
 B県には反撃へのエネルギーが脈打っている。既成の指導部が明確な闘いの方針を出し得ぬまま、求心力を弱めつつある中で、現場の闘いはこれをのりこえようと模索している。この怒りと不満とエネルギーを組織化せずして、教労運動の明日はない。

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週刊『前進』(1999号5面3)

資本の超低額回答打破へ春闘後半戦を闘いぬこう
 連合の裏切り妥結を弾劾する

 今春闘は、三月十四日の金属労協(IMF・JC)傘下の自動車、電機、鉄鋼、造船重機での一斉回答を皮切りに、大手組合への資本の賃上げ回答が出そろった。十六日現在の連合集計では、平均方式で賃上げ率は二・〇七%、昨年実績をわずかに上回るものの、超低額回答であることに変わりはない。連合指導部は、一切の闘いを放棄してこの回答を受け入れた。
 「総額人件費の削減」を叫ぶ資本の攻勢の前に、今春闘でもベアゼロが続出した。NTT労組は要求提出すら放棄し、春闘からの戦線離脱を決め込んだ。電力九社でも、資本はベアゼロを押し通した。自動車では三菱自工、日野自動車、いすゞ自動車が、私鉄では東急がベアゼロに終わった。
 さらに「会社再建」の名によって賃金削減を強いられた労組もある。ダイエーは組合員の基本給五%カットを受け入れ、マイカルは定昇の凍結で合意した。
 連合は三月十六日、「金属部門をはじめ先行組合で昨年実績を上回る結果を出したことは評価したい」などという声明を出して、自らの裏切りを糊塗(こと)している。だが、賃下げが続出した昨春闘を比較の基準とすること自体が、資本への限りない屈服だ。
 実際、連合が評価する「結果」とは、労働者の切実な要求とはおよそかけ離れたものでしかない。電機では、ベアは昨年と同一のわずか五百円、しかもコロムビアが横並び妥結から離脱した。昨春闘でのベアゼロを押し返したとする造船重機でも、ベアはわずか六百円にすぎない。
 強引なリストラを推し進めた日産は、一昨年のベアゼロ、昨年のベア五百円から今年はベア千円となった。それでも日産の二〇〇一年度の総額人件費は二〇〇〇年度を下回るという。
 こうして資本は、「各社の支払能力に応じた総額人件費管理の徹底」を、今春闘においてもきわめて露骨な形で貫いたのである。
 日経連は、今年版「労問研報告」で春闘解体・賃金交渉の破壊を真っ向から宣言した。そして今また、低率横並びとなった今回の大手回答もまだ生ぬるいとして、「毎年、一律に賃上げが行われるという考え方を改める必要がある」「賃上げも個別企業が各自の経営実績や見込みで判断すべきで、本来格差を付けて良いはずだ」(奥田日経連会長)と叫んでいる。
 こうした資本の攻勢を引き出したのは、連合の全面屈服だ。連合は「われわれの賃金引き上げ要求は、企業業績回復に比して抑制した内容となっている」などと言う。だが、「企業業績の回復」とは、資本の徹底したリストラ・首切りによるものだ。連合はそれを容認し、賛美しているのだ。資本が、いよいよ本格的な段階に突入した世界大恐慌情勢に身構え、一切の犠牲を労働者に転嫁して生き延びようとしている時、こんな姿勢で労働者階級の生活と生存に必要な賃上げを実現できるはずがない。
 労働者は闘ってこそ、賃上げをかちとることができるし、闘いを貫くことによってのみ、団結を打ち固めることができるのだ。

 動労千葉のストライキにつづき

 春闘は、中小でのより激しい攻防に移っている。私鉄では、バス部門の分社化・賃下げ攻撃に対し相模鉄道労組がストライキで反撃する構えを示している。
 こうした中で、動労千葉は三万八千円の大幅賃上げ−JR貨物の超低額回答打破、千四十七人の解雇撤回・原職復帰、シニア制度−鉄道業務の外注化阻止、JR総連解体−組織拡大実現などを掲げてストライキに突入しようとしている。この闘いが、労働者階級に闘いの方向性を指し示し、限りない勇気を与えるものとなることは明らかだ。
 動労千葉のスト決起に続き、連合の裏切りを打ち破って今春闘を闘いぬこう。

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週刊『前進』(1999号6面1)

迎賓館・横田裁判 デッチあげが明白に 152回公判
 幅田の証言拒否を弾劾 反対尋問封殺策動許さず 

 迎賓館・横田爆取デッチあげ裁判は、十三年間の不屈の闘いを経て、現在、最大最高の決戦段階に突入している。
 三月十六日、東京地裁刑事第一一部(木口信之裁判長)で行われた第一五二回公判には、検察側が「最重要証人」としてきた転向分子・幅田(はばた)敏昭が証人として出廷した。
 幅田は一九八六年十月岩手借家で、須賀武敏同志、十亀弘史同志、板垣宏同志らと一緒に逮捕された。しかし、取り調べで権力の脅しに恐怖して屈服し、恥ずべきデッチあげ「供述」を行った裏切り者である。
 この日の裁判所は、幅田を守るために多数の警視庁の公安刑事が徘徊し、異様な雰囲気だった。しかし、われわれの前に現れた幅田は、獄中三同志と、傍聴席を埋めた家族、支援者、同志らの怒りの前に、首をうなだれ無様な姿だった。不当な国家権力の弾圧に屈せず、共産主義者として堂々と闘う獄中三同志の対極で、同志を国家権力に売り渡し、今なお権力に守られて法廷にノコノコと出てくる幅田を、われわれは絶対に許さない。
 幅田は証人席に座るや、終始下を向き、何を聴かれても、か細い声で「言いたくありません」とつぶやくばかりだった。
 検事は、幅田に「証言拒否」させて、デッチあげ「供述調書」が証拠採用されればいいと考えていたのだ。幅田に証言させようという気持ちなど最初からさらさらない。裁判所も同様である。
 そもそも幅田は、逮捕当時三同志と一緒に岩手の借家にいたというだけだ。岩手借家が借りられたのは八六年の八月である。その数カ月前に発生した迎賓館戦闘(同年五月四日)や横田戦闘(四月十五日)について語れるはずがない。まして両戦闘と三同志を結びつけるような証言など何ひとつできるわけがないのだ。
 獄中三同志と弁護団は徹底的に弾劾した。
 「証言できないのは、取調室という密室でつくられた『供述調書』がウソだからだ。当時、私は、朝から夜中の十二時まで一瞬の休みもなく、代用監獄で取り調べをされた。体を動かすことも許されず、ただただ転向しろと強迫され、転向しなければ全部のゲリラ事件をお前におしつける、獄死したいのか、家族は職を失うぞ、と脅された。幅田はそれに屈服した。しかも私たち仲間まで権力に売り渡す虚偽の自白を強制されたのだ。断じて許せない。幅田よ、自己批判して真実を証言しろ」
 「検事も裁判長も、幅田の証言拒否をあらかじめ知っている。もっと、幅田に証言するように促すべきだ。幅田に証言拒否する権利も理由もない。このままでは、私たちが反対尋問することもできないではないか。当事者主義が否定され、裁判そのものがじゅうりんされているのだから、裁判長はもっと毅然と怒るべきだ。こんな茶番で有罪にされたのでは、たまったものではない」 
 獄中同志と弁護団の、激しく真剣な怒りは、幅田と検察官と裁判長に鋭くつきささった。傍聴席の怒りも爆発した。
 当初、検察官と裁判長はアリバイ的に幅田を出廷させ、一回だけで終了させてしまおうとしていた。被告・弁護側の闘いはこの卑劣な思惑を完璧に粉砕し、裁判長は最後に「証人はもう一度出廷してください」と言わざるをえなかった。

 須賀同志「獄外治療を認めろ」

 幅田証人尋問に先立ち、冒頭、三同志の意見陳述が行われた。そこで、須賀同志は医療鑑定で判明した重大な事実を述べた。
 「十四日に、大腸内視鏡検査が行われた結果、S状結腸に五_のポリープと、周辺三aの隆起状態のあることがわかった。これが血便の原因である。昨年九月から血便が続いているにもかかわらず、東拘ではその原因を究明することもせず『内痔核からの出血』だとふざけたことを言っていたのだ。病理検査の結果次第では、東拘所長と、東拘医師と、検察官の責任を断固として追及する決意だ。また、鑑定医は、私の左足を見て、筋力の異常な低下に驚いていた。この一年六カ月の間に、私が野外で歩行訓練を実施できたのはたったの十六回である。筋力低下も筋委縮もなるべくしてなっているのだ。長期勾留が一切の原因だ。私に獄外での治療を直ちに認めろ」と激しく弾劾した。
 十亀同志は「十四年の勾留期間に、多くの政治家や官僚や大会社の役員らが、人民の財産を私利私欲のために使ったり、贈収賄事件を起こしたりという、重大事件で入ってきたが、皆保釈が許可になった。無実のわれわれがどうして十四年も勾留されなければならないのか、これが裁判所の公平であり、正義なのか」と、長期勾留を弾劾した。
 板垣同志は「検事の立証は総破綻している。幅田の『供述』内容も岩手借家以前に関することは何もない。どこまでいっても、岩手借家でわれわれが『圧力鍋爆弾の製造に関与』したようだから、迎賓館と米軍横田基地へのロケット弾でもそうに違いないという憶測だけなのだ。検事は幅田の後、どうするのだ。今後の立証計画を明確にしろ。検事の終着点の見えぬ違法立証に私たちはつきあわされているだけでなく、その間、私たちは勾留されているということだ。こんな人権侵害があるか」と、直ちに裁判を中止し、釈放せよと求めた。
 幅田の証言拒否は今や、本裁判のデッチあげ性と三同志の無実を一層明らかにするものとなった。東京地裁木口裁判長は、無実の三同志を今すぐ保釈せよ。次回四月十九日の裁判は、幅田への反対尋問が闘われる。決戦段階に突入した裁判闘争に大結集し、獄中同志とともに闘おう。

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週刊『前進』(1999号6面2)

 保釈署名7千筆を提出

 同日、三同志の闘いに呼応し、獄中同志の家族と「不当な長期勾留をやめさせるために! 十万人署名運動」の呼びかけ人は、全国から集まってきた保釈を求める署名七千百十九筆(累計一万五千八百四十三筆)を、東京地裁刑事第一一部に提出した。
 ところが、刑事一一部の前には、すでに三人の私服警官が待ち構えていた。さらに、書記官室のドアはロックされていて開かない。インターホンで、保釈要望署名を提出するから受け取るように言うと、出てきたのは担当の書記官ではなく、地裁全体の訟廷管理官である。こうした地裁全体のふざけきった対応は、労働者人民の声を恐怖している証拠である。
 徹底弾劾し、まず私服をその場から追い払い、最後は一一刑事部書記官の立ち会いのもとで、訟廷管理官に署名を受け取らせた。
 裁判所の正門前では、横断幕を広げ、即時釈放を訴えるアジテーションを響き渡らせ、ビラを圧倒的にまいて闘った。

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週刊『前進』(1999号6面3)

連載 白井朗の反革命的転向 権力・カクマルと結び堕落極める(2)
 自己批判書への5行の言及が反革命的転落の正体示す

 「偽装転向」は実質的な転向

 白井朗は、自らの転向と権力の手先化、反革命への転落の事実を「自己批判書」(一九九三年二月)への『中核派民主派宣言』(以下『民主派』本と略)での言及によって正直に告白している。
 白井は、革共同による白井の膨大な「自己批判書」の公表と革共同政治局の白井批判(二〇〇〇年二月一日発行の『共産主義者』一二三号に掲載)に対して、「私の自己批判文についてここで一言しておく」として、たった五行の言及で済ませている(『民主派』本九四n)が、白井の不誠実さ、いかがわしさ、腐敗・堕落は明白である。実はこの五行で白井は決定的なことを言っているのだ。
 白井は、「私は九三年当時まだ清水一派にたいする分派闘争の決意をしていなかったため、ああいう文書を書いた。妥協して党組織内に残ろうとして、屈服した。……しかし妥協で解決できる問題ではない、清水一派は正真正銘のスターリン主義だということが判(わか)ってきたため、分派闘争にたちあがることを決意したのである」(同九四n)と書いている。これは重大な言及である。
 第一に決定的なことは、白井が自分のことを゛屈服など平気でやり、そのためならうそを書くという思想をもっている人物だ″と言っていることである。
 つまり、本紙などで以前にも厳しく批判したが、この文章の思想は゛偽装転向″の思想なのである。しかし、偽装転向は転向と同じだというのは階級闘争の真実である。白井が偽装転向的に自己批判を書いたと明言したということは、権力にどんなに屈服してもなんの恥じらいもないと表明したことなのだ。

 脱落・転向後に「分派闘争」

 第二に決定的なことは、白井が革共同在籍中は分派闘争を決意していなかったと明言していることである。単に分派闘争の意思がなかっただけではなく、内容的に゛そのときは「中核派=スターリン主義」だとは思っていなかったから″とまで言っている。
 @つまり、まずひとつは、この本のほとんど十分の一の量を費やして書いている゛中核派は分派闘争の自由がない組織だ″という批判がまったくでたらめだということだ。
 分派闘争とは、党内にいる時に遂行するものだ。ところが白井は、在籍中は分派闘争を決意していなかったと言いながら、離脱後に゛中核派には分派闘争をやる権利がない、だからスターリン主義だ″などとわめいている。
 革共同は、絶えざる党内闘争を遂行している党である。党内闘争が分派闘争に発展することはありうる。われわれは党の存亡をかけた決戦を何度もくぐりぬけてきた。激しい党内闘争を経ることなしに今日はなかった。したがって「分派闘争禁止決定」など一度もしていない。
 白井は実は、分派闘争を決意できず、やらなかったのみならず、党内闘争すらやりえなかったと告白しているのだ。確かに分派闘争は、党内闘争とひとつ違った段階への突入である。また分派闘争は、単純に踏み切るべきことでもないし、簡単にできることでもない。だが、革命家としての絶対的確信があり、党的組織原則に基づく党内闘争を不断に厳格に遂行できるならば、同時に正しく分派闘争を遂行する能力をも持てるはずだ。
 だが白井は、実はそれ以前的に駄目な人間で、分派闘争どころか、党内闘争すら正しくできなかった人物なのだ。毎回毎回、激しい討議の場である最高の会議に出席していて、ほとんど沈黙して討議を回避し、場合によっては居眠りして避けてきた人間には、分派闘争どころか党内闘争などできようはずがないのだ。その自己の破産を革共同のせいにして、゛革共同はスターリン主義だ″などとわめいているのだ。
 A次に、自分は脱落して以降、中核派がスターリン主義だと気がついたと言って、あろうことか゛革共同は、本多書記長以来一貫してスターリン主義であった″などと言っていることである。そして白井は、本多書記長は「少数意見の保留の権利」や「(少数意見を)機関紙上に発表する権利」を認めなかった(同二二n)とか、「分派闘争の自由を肯定することがなかった」(同二二n)と非難している。
 だが革共同は、例えば「共学同」問題(注)の総括において、分派闘争をしたことそのものを否定するような総括をしたことがあるだろうか。また、革共同第三次分裂は、文字どおり激しい分派闘争を経て遂行されたが、分派闘争を否定するような総括は行ってはいない。当時われわれは、黒田の党内闘争の非組織性については厳しく弾劾したが、必要不可欠な段階に至って断固フラクションを結成し、組織的に正しく分派闘争を遂行して勝利してきた。
 さらに、本多書記長は白井への厳しい批判を繰り返し、文字どおり党内闘争、思想闘争を行っていた。
 何よりも、二重対峙・対カクマル戦争突入過程の本多書記長の行った党内闘争は苛烈(かれつ)だった。決断した闘いの意義が党内に浸透していない段階では、実際には党中央の見解が「少数派」の見解であるため(予想を超える段階への突入にあってはいつでもそのようなものだ)、激しい党内闘争の形態をとらざるをえないのである。本多書記長は、絶えずそういう「少数派」的自覚で党内闘争を遂行していたのであり、少数意見を禁止していたら、そもそも党は成り立たないのだ。
 白井は、厳しい党内闘争に耐えきれず、逃げ回り、沈黙でそれを回避してきたが、本多書記長にはそれすら許さない厳しさがあった。それを恨んで、革共同は創立以来「スターリン主義組織論を前提として生きてきた」(同二二n)と歴史を偽造するのだ。むしろ白井は、党内闘争を行いえない自らの脆弱(ぜいじゃく)な精神と卑屈さ、卑劣さ、ねじ曲がった根性を恥じるべきなのだ。
 悪質なのは、ここで「自己批判の強制=スターリン主義」という項目を入れたことだ。批判とは、変革を求めて自己批判を要求するものだが、自己批判の否定とは、裏返せば批判の否定をしか意味しない。では、他人には官僚主義的に恫喝的批判だけを行って、他人の自己批判書を保管するのが好きだった白井は、最悪のスターリン主義者だったということなのか?
 つまり、゛革共同は創立以来、スターリン主義組織論に立ってきた″という白井の非難の裏側にあるものは、本多書記長の党内闘争の厳しさへの恨みだけなのである。変革(批判)と自己変革(自己批判)がない党が、どうやって思想闘争や党内闘争、分派闘争を遂行できるというのか。曲がりなりにも分派闘争を主張するのならば、党的組織原則を守った党内闘争を行う力とともに、変革(批判)と自己変革(自己批判)の能力を蓄積してから言ってほしいものだ。白井は、その最も基本的なところで党員以下的だったのだ。

 「分派闘争」の名で敵対行動

 第三に決定的なことは、白井にとって分派闘争とは、白井がいま行っているような革共同への敵対行動のことであり、転向したがゆえに決意できるようなものだった、ということだ。
 白井はこうした意識で、「分派闘争の自由の否認」はスターリン主義組織論によるものだと言っている(同二二n)が、白井が現にやっているような公然たる反階級的敵対行動や党破壊行動の権利など、革命党員にあろうはずがないではないか。
 白井は自己合理化のために、自らの権力への卑屈な屈服を隠蔽(いんぺい)し、ごまかし、転向と非転向の区別を自覚的にあいまいにしている。だから、分派闘争と敵対活動をいっしょくたにして、そういう地平で『二〇世紀の民族と革命』(以下『二〇世紀』本と略)や『民主派』本などを書きちらしているのだ。とりわけ『民主派』本の出版は、白井が言う「分派闘争」すなわち権力への卑屈な屈服と転向の上での反革命的敵対行動にほかならない。白井の「分派闘争論」「スターリン主義組織論」の核心はここにある。

 デッチあげた「事実」に文句

 第四に決定的なことは、白井は反革命的変質の後の反階級的敵対行動を「分派闘争」や「党内闘争」と称しているが、では、『民主派』本で書き並べている「事実」がもし本当に事実ならば、なぜ、白井はそういう組織に長年、平気で一緒にいたのか、ということである。白井は、このことをまったく説明できない。
 つまり、ここで書かれた「事実」が事実ではないか、あるいは白井という人物が無責任なまったく信用できない人物であるか、どちらかだということだ。
 要するに、ここで書かれた「事実」は、白井が革命家であった時の事実ではなく、後からのデッチあげなのだ。白井が自らデッチあげた「事実」=虚構に向かってどんなに文句を言っても何の説得力もない。それはただただ革共同に敵対するための行為でしかない。
 第五に決定的なことは、゛脱落以降、革共同がスターリン主義だということが判(わか)ってきたため、分派闘争にたちあがることを決意した″という文言の意味である。これは、脱落して反革命的敵対行動を決意したから革共同をスターリン主義呼ばわりすることにした、ということを意味しているのだ。
 白井は、脱落を契機に革共同の革命的なスターリン主義規定をほうり出し、スターリン主義論を革共同の理論とはまったく別のものに仕立て上げていく「理論活動」を開始した。その産物が『二〇世紀』本と『民主派』本にほかならない。したがってこれらの本は、必然的に没理論的でデマゴギッシュなものにしかならないのである。(つづく)
(注)共学同問題 六〇年安保闘争後の共産主義者同盟(ブンド)の解体とその革命的諸潮流の革共同への大量結集の結果、一九六一年には革共同が全学連のヘゲモニーを握るに至った。だが、巨大な学生戦線を指導するには政治的に未成熟なことが明らかになる中でこれを、マル学同の解体、社学同系の部分との「共産主義学生同盟」の結成によってのりきろうとする動きが発生した。これを共学同問題という。革共同指導部は、この動きを解党主義であると批判し、労働者党のための闘争の決定的意義に関する無自覚をその思想的根源とし、スターリン主義運動の戦術左翼的延長上に自己を位置づけるブンド主義への揺り戻しであると徹底的に批判し、粉砕した。

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週刊『前進』(1999号6面4)

読者からの手紙 違法な撮影をやめさせよう 杉並 M・A 

 三月十一日、杉並公会堂で行われた革共同政治集会に参加しました。
 まず驚いたのは、会場入り口付近で、サングラス、白マスク、眼深帽子姿の異様な風体の公安刑事がすし詰め状態で待ちかまえていたことです。彼らは、集会参加者を無差別に写真撮影、ビデオ撮影するという違法行為をわがもの顔で行っていました。私は友人たちと一緒にマイクロバスで裏口から入場したのですが、三十人位の私服が殺到し、車を降りる一人ひとりを特定するために写真、ビデオ撮影を行っていました。
 こうしたことは、革共同集会では毎度のことと聞きますが、このような明白な憲法違反行為を、何ゆえそのままにさせているのでしょうか? 集会主催者として断固として抗議し、即時に公安刑事の集会妨害と写真撮影をやめさせる行動をとるべきだと思います。
 言うまでもなく、これら公安警察の行為は、集会の妨害行為の点で、憲法二十一条「集会・結社・表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密」に明白に違反しています。多くの一般市民が革共同に合流することを阻止するために、意図的に集会妨害を行っていることは明白です。また、集会参加者を無断で写真、ビデオ撮影する行為は、憲法十三条「個人の尊重と公共の福祉」に明白に違反しています。警察の無断写真撮影に関しては、「何人も、その承諾なしに、みだりにその容貌、姿態を撮影されない自由を有しており、正当な理由が無い写真撮影は憲法十三条に違反する」という判決が一九六九年十二月二十四日に最高裁で出されているのです。
 すぐにでも警察庁長官、警察庁公安局長、警視総監、警視庁公安部長を相手取り、このような憲法違反行為を告訴・告発してほしいと思います。そのことによって、ますます横暴・凶悪化してきている公安・警備警察の動きに一定の歯止めがかかれば、そのこと自体が、革共同の闘いの成果となり、警察権力の監視・弾圧に不安を感じている一般大衆の期待に応えることになるのではないでしょうか。

【憲法二十一条】集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
A検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
【憲法十三条】すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

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