ZENSHIN 2001/02/26(No1994 p06)

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週刊『前進』(1994号1面1)

3・11革共同政治集会に結集を けしば候補先頭に森政権打倒・都議選勝利へ
米原潜による水産高実習船への衝突=沈没事件を徹底弾劾する
 KSD汚職・機密費疑惑追及せよ

 年初来、日帝・森政権の反動的で腐りきった姿が暴かれつつある。KSD汚職や機密費疑惑、米原潜事件への労働者人民の怒りはかつてなく激しい。だが日帝は、帝国主義体制の全面的な行きづまりと没落にあえぎ、のたうちまわりながら、超反動的な攻撃を労働者人民に向けてきている。教育改革、有事立法・改憲攻撃と「二〇〇一年版労問研報告」の一大資本攻勢がそれである。日帝は帝国主義の全矛盾を労働者人民に転嫁し、戦争に向かうことで危機をのりきろうとしている。今こそ労働者階級人民は、森政権打倒、教育改革粉砕・改憲阻止に向かって突き進むときだ。その当面する最大の決戦はこの二、三月を正念場とする都議選である。森・石原と真っ向から対決するけしば誠一氏を絶対に当選させよう。三・一一革共同集会に総結集し、森政権打倒・都議選決戦勝利へ突き進もう。

 第1章 日米安保と基地こそ戦争と命奪う元凶だ

 何よりも、森政権打倒・都議選決戦勝利へ闘いを急速に強めていこう。
 二月十日(日本時間)、ハワイ・オアフ島の南西十八`沖で、緊急浮上してきた米原子力潜水艦「グリーンビル」が愛媛県立宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」に衝突し、沈没させ、高校生・教員・船員ら九人が行方不明になるという痛ましい事件が起きた。
 大惨事の原因の一切は日常的に戦争訓練をくり返し、事故の時は招待した民間人に操舵(そうだ)させていた米軍にある。軍隊、基地、日米安保とガイドラインは労働者人民の命をおびやかし、奪うものであることがあらためて突き出された。沖縄では年初以来、米軍犯罪の激増と米兵の放火事件、元在沖米軍司令官と四軍調整官の沖縄人民に対する憎悪と敵対の発言などが繰り返され、世界中で「基地被害」を引き起こす米軍に抑えがたい怒りが沸き上がっている。
 他方、森首相は、事件の一報を受けた後も神奈川県内でゴルフを続けていた。国会答弁でも自分の対応は間違っていなかったと開き直り、謝罪すら行わなかった。高校生たちの命よりもゴルフが大事だという森の態度は絶対に許せない。即刻、打倒されなければならない。
 しかしこれは単に森個人の資質の問題ではない。政府・自民党にとって最優先されるのは日米関係であり、日米安保の維持・強化とそのもとでの戦争政策なのだ。だから「米軍の潜水艦が日本の民間船に衝突した」という報告が入った時、森や政府首脳は核心問題のあいまい化と事態の政治的のりきりしか考えなかったのだ。
 この事態に対して、民主党・鳩山ら野党はこぞって「危機管理の強化」を主張しているが、この主張はきわめて反動的である。これは戦争国家化を促進するものであって、米軍事故をなくすものではない。全世界の人民とともに軍隊と基地、日米安保とガイドラインをなくす闘いこそが今最も求められているのだ。

 スパイと野党買収の機密費

 政府機密費疑惑とKSD汚職は、日帝・森政権と戦後自民党の政治支配体制の腐敗と危機を突き出す大問題である。
 機密費は現在、公的には「報償費」と呼ばれている。八九年に内閣官房が作成した報償費の内部資料によれば、「報償費は、国が国の仕事を円滑に実施するため、その状況に応じ、最も適当と考えられる方法により機動的に使用される経費」としている。会計検査院の検査を受けているから戦前の機密費とは違うとしているが、現実には領収書も資料も提出されない形式だけのもので、文字どおりの機密費扱いである。
 同資料は、「官房長官が取り扱う報償費は、予算上、内閣官房と外務省に計上されており、形式的には外務省計上分を内閣官房に寄付する形を取っている」と記している。つまり、多額の機密費の一部を官邸に回しているのだ。二〇〇〇年度予算の機密費は外務省分が五十五億七千万円、内閣官房用が約十六億円であり、前者から後者に二十億円も「寄付」されている。これだけ巨額の血税が、政治家と官僚の自由な金として使われてきたのだ。
 どのようなことに使われてきたのか。同じ資料に、「昭和六十三年(一九八八年)度分には五億円が増額されているが、これは税制改正のための特別の扱いである」と書かれてある。八九年には竹下内閣のもとで消費税が導入されたが、新税制の導入になぜ機密費が必要だったのか。その五億円は、消費税をめぐる野党買収などの政官界工作に使われたのである。
 機密費の使途について、外務省や官邸は「国家的な機密であり、公表するわけにはいかない」と言い逃れする。しかしそれは外務省元室長・松尾が着任したのが九三年であり、そこから野放図な支出が巨額化していったことに示されるように、九一年のイラク・中東侵略戦争とソ連崩壊の大情勢の中で機密費が巨額化した。九〇年代の日帝の対外政策の無力性が露呈し、国内政治支配における政界大再編の中で、内外の国家的スパイ政策、外交工作、国内での野党買収工作に国家資金がどんどん投入されていったのだ。
 しかも、実際には国会議員の海外旅行のせん別や飲み食いなどにも使い放題だった。「国会議員が外遊に行くときに官邸に行って、官房長官に『行きますよ』と言うと、百万円入っている封筒をくれるんです」「超党派の議員での視察団というのがあるんです。そのときは五百万円もらいに行くんです」(二月二十四日付週刊現代)と言われている。外務省の機密費も、幹部たちの飲み食いや海外での大量の土産物代、ゴルフ代など私利私欲に使われている。戦後政治の腐敗した基本構造がそこにある。
 機密費は、防衛庁(二億一千万円)や皇室(二億円)、警察庁(一億三千万円)、総務省(八千万円)、法務省(二千四百万円)などにも分配されている。さらに、公安調査庁が朝鮮総連や日中友好協会内に情報提供者を置き、協力料として機密費から月額十万〜五十万円を支払っていたことが明るみに出た。国家総がらみの腐敗構造を根底から覆す必要がある。

 第2章 自民党全体の構造的腐敗示すKSD汚職

 政府機密費疑惑が国家総がらみの構造腐敗なら、KSD汚職もまた自民党の構造腐敗を示すものである。
 小山孝雄前議員の一度目の逮捕(KSDの要望に沿った質問をした見返りに二千万円を受け取った受託収賄容疑)と、二度目の逮捕(KSDに有利な政策を図った見返りに秘書給与の肩代わりをしてもらう形で千百六十八万円を受け取った受託収賄容疑)で、KSD汚職の解明が進んだかのような宣伝がなされているが、実はそうではない。
 第一に、KSD汚職の中心は村上正邦・前自民党参院議員会長である。村上は元中曽根派会長であり、自民党労働族の大ボスとして君臨してきた人物だ。小山を長年秘書に従え、分身として扱ってきた。主役は村上で、その背後に中曽根元首相が存在している。
 第二に、金で国会議員を作るという大犯罪を徹底弾劾しなければならない。
 小山は九五年に参院選比例区で自民党のリスト十二位で出馬し当選、村上は九八年参院選比例区では自民党のリスト第二位で出馬している。これらの立候補に際して小山は十二万人、村上は十九万人の架空党員をKSDに作ってもらったことが暴かれているが、これ自体が大犯罪である。
 この両年とも自民党は、比例区で立候補しようとする者に対して、最低二万人以上の党員(二年以上の在籍者であること)の獲得を義務づけた。そして、リストの順位は集めた党員数に応じてランク付けされたのである。その党員集めをKSDが担ったのだ。
 KSDがやったことは、KSD豊明会の名簿を使って本人の了解なしに勝手に自民党に入党させ、その党費を肩代わりすることだった。そして架空党員をもとに、自分の息のかかった候補者を比例区リストの上位に押し込んで議員身分をとらせるということだった。その財源は中小零細事業主から吸い上げた金である。
 これ自体が恐るべき詐欺行為である。そして前代未聞の組織的な「有印私文書偽造事件」である。
 自民党入党申込書は五枚つづりになっており、紹介者と本人の署名押印をそれぞれ四カ所ずつ、本人のみの分をさらに一カ所、全部で九カ所にしなければならない。これを小山ので十二万人分、村上ので十九万人分偽造したということだ。
 署名押印だけでは入党は完了しない。一年分の党費四千円を払い込まなければならない。しかも二年間党員として在籍していることが比例区リスト作りの条件であるから、選挙の二年前から偽造を開始し、毎年その党費を全額払ったことにする。その金額が、小山の場合四億八千万円、村上の場合五億二千六百万円だ。
 これほどの大規模な偽造工作は、少なくとも自民党幹部の内的な了解なしには成り立たない。政治支配基盤の崩壊にあえぐ自民党が、新たな集金システムを作り上げたのだ。
 村上は、自民党トップファイブの地位にいた人物だ。小渕前首相急死後、密室で森後継を決めた上層幹部五人の会談にも加わっており、森にしようと発言して座をまとめたと言われている。自民党はてっぺんからKSD汚職にまみれ、腐っているのである。
 第三に、アジアを始めとする外国人労働者を食い物にしてきたことを絶対に許すわけにはいかない。
 外国人労働者を「研修生として合法的に」受け入れるための「アイム・ジャパン」を設立・運営することは、KSDが金で議員を作る最大の目的であった。KSD・アイムと自民党は、外国人労働者を超低賃金と無権利で働かせて日帝の危機の噴出を抑えるという仕組みを作り上げたのだ。
 九〇年六月に改悪入管法が施行され、「留学」の一形態だった「研修」が新たに独立した在留資格となった。その翌年、村上らの手助けによってアイムが設立された。その後KSDの党費肩代わり策が進められ、九二年には研修生の受け入れ条件が大幅に緩和された。九三年には「技能実習制度」が設けられ、九七年には研修と技能実習を合わせた滞在期間が二年から三年に延長された。これで事実上の労働者として外国人を三年間雇用できるようになった。技能実習制度創設以来、累計約三十万人の外国人労働者が入国した。
6面につづく〜1面からつづく
 事実上の労働者でありながら、入管法上の在留資格は「就労」ではなく、実習生の場合でも「特定活動」に該当する。こうした奇妙な「資格」を導入させ、外国人労働者の基本的権利を侵して超低賃金労働を強いてきたのだ。
 アイムは手取り給料の最低保障を実習一年目が九万円、二年目は十万円としているが、事実上企業側はこれを最高保障と想定しており、手取り九万円そこそこで働かされている。また、研修生は労働者ではないのだから残業はさせられないはずだが、実際には時給四百円程度の低賃金で残業が行われているという。
 さらにアイムは、研修手当から月額二万円を強制的に貯金させたり、「逃亡防止」のためにパスポートを本人に渡さないという措置をとっていた。まさに現代版の強制連行である。戦前も今も変わらない、こうした日帝のあり方に対して労働者人民は怒り、立ち上がらなければならない。
 第四に、「ものつくり大学」設立をバックアップする国際技能工芸大学推進議連が九六年六月、国会議員百余人で旗揚げされ、顧問に中曽根、竹下両元首相、世話人には小渕前首相、森首相、小里前自民党総務会長らが名を連ね、議連メンバーには野中前自民党幹事長がいることだ。KSDと自民党の癒着しきった腐敗構造が明らかである。
 第五に、村上と「同志関係」にある都知事・石原はKSD汚職と政府機密費疑惑について同罪だということである。KSDと機密費問題について石原がいまだに沈黙を続け、批判できないのはその証拠である。
 都議選と二〇〇一年前半の闘いで森と石原を打倒しなければならない。

 第3章 森と石原の教育改革は改憲=戦争への道

 没落し危機にのたうつ日帝は、その全矛盾を労働者人民に転嫁する超反動攻撃をかけてきている。その中心にあるのが教育改革攻撃であり、有事立法・改憲攻撃である。さらに日経連の「二〇〇一年版労問研報告」で打ち出された春闘解体、賃下げ・リストラ・首切り、社会保障制度解体の大資本攻勢である。
 教育改革攻撃粉砕、教育基本法改悪絶対阻止を当面する最大の政治闘争課題として、改憲阻止闘争そのものとして猛然と闘おう。
 文部科学省は二月上旬、教育改革関連六法案の国会提出を開始した。そのうち、奉仕活動の「基金」を集め交付するための「独立行政法人国立オリンピックセンター記念青少年総合センター法」改悪案と、少人数学級制導入および学級編制に関する教育委員会の権限を強化する「義務教育定数標準法」改悪案はすでに二月九日に提出された。これに続いて、奉仕活動義務化や「問題児」の出席停止要件を明確にする「学校教育法」および「社会教育法」の改悪案、「不適格教員」の他職種への配置換えを定める「地方教育行政法」改悪案、各国立大学自身で講座や学科を決めるようにする「国立学校設置法」改悪案が三月中に出されようとしている。
 さらに文部科学省は、この春にも中教審に対して教育基本法の見直し、満十八歳後の青年の奉仕活動の仕組み、教員免許更新制度の三点について諮問して検討を進める構えである。
 一月二十五日、町村文部科学相は同省の教育改革推進本部の会合で、教育改革の進め方について「国民運動にしていきたい」と述べた。さらに都道府県、市町村ごとに産業界、PTA関係者など教育関係者以外が加わった議論の場を設けることを示唆した。教育改革翼賛運動の組織化である。
 だが、闘いの勝利の展望は大いにある。昨年末からこの二・一一過程で、各地で様々な団体による「日の丸・君が代」強制反対・教育基本法の改悪反対・改憲阻止の集会やデモが波状的に闘われている。さらに今後も多くの取り組みが進められる。どの集会も予想を超える結集があり、権力や右翼の妨害をはねのけて成功がかちとられている。大小さまざまの取り組みをさらに推し進めて、闘う教育労働者、労働者・学生、部落大衆、市民が一体となった闘いを発展させよう。
 二〜三月の「日の丸・君が代」強制を許さない闘いを、教育労働者を防衛・支援し、生徒たちの決起を守り抜くものとして全国で展開しよう。
 沖縄では度重なる米軍犯罪に対する怒りが爆発し、海兵隊撤退の声が激しく高まっている。闘う沖縄人民と連帯し、特措法適用の軍用地取り上げに反対する公開審理闘争を闘い、名護新基地建設と那覇軍港の浦添移設を許さず闘おう。
 石原と森自民党に真っ向から立ち向かうけしば誠一候補を東京都議会に必ず送り出すために全力で闘う時である。
 今回の都議選は、直後の参院選を決定づけるような位置を持つ大きな決戦である。杉並でもすでに乱戦と化し、激しい闘いが日々繰り広げられている。ここで勝ち抜き、労働者人民の真の代表を都議会に送り出すことは、その後の階級情勢を決定的に活性化させるものとなる。なんとしても、どんな努力をしてでもけしば候補を当選させよう。
 山田区長の区職員千人リストラ攻撃との闘い、学校給食民託化反対の闘い、右翼教育委員任命反対の闘い、「日の丸・君が代」強制を許さない闘い、そして介護保険制度廃止を求める闘いが粘り強く力強く闘われている。労働者人民・区民の正義の要求を実現しよう。全国から闘いの息吹を杉並に集めよう。
 教科書改悪攻撃が強まっている。石原都知事は二月九日の会見で、@都教委は区市町村に対して、教科書採択は各教育委員会の権限で行えという通達を出した、A学校評議員制度を導入する、B主任制度を強化するなどの方針を打ち出した。これは、「新しい歴史教科書をつくる会」が作成した戦争・天皇制全面賛美のおぞましい教科書を学校に押しつける道を開くためである。この教科書(歴史と公民)は三月中に検定を受け、二〇〇二年四月から学校で使われる対象になる。それに向けた大攻撃であり、日帝・森政権の教育改革攻撃の先を行く大反動だ。教科書を改悪し、教え子を再び戦場に送る石原の攻撃を許さない闘いを大爆発させよう。
 同時に、日経連の「二〇〇一年版労問研報告」と徹底対決することである。

 国鉄決戦勝利=春闘爆発へ

 その実践的核心は、国労闘争団を守りぬいて千四十七人闘争を貫き、闘う国労の再生へ前進することである。さらに、労働者の団結を打ち固め、春闘を戦闘的に闘い抜くことである。
 「二〇〇一年版労問研報告」に示される日帝の資本攻勢は、春闘の全面解体と労組破壊に核心がすえられている。二九年型世界大恐慌の本格化と帝間争闘戦の激化、没落帝国主義化にあえぐ日帝の腐敗と絶望的危機の中で、労働者をばらばらにして抵抗力を根絶し、労働者人民に犠牲を転嫁する以外に日帝が延命できないからである。そうであるならば、労働者人民は今こそ徹底的に団結を強化し、森政権を打倒し日帝を打倒して、労働者の政治権力を打ち立てる道を一歩一歩突き進むのみである。

 カクマルの大分裂促進を

 動労千葉の闘いを先頭に、シニア制度|メンテナンス合理化を突破口とするJR東日本の「ニューフロンティア21」=第二の分割・民営化を粉砕しよう。裏切りの正体をあらわにした日共を断罪し、闘争団を「団結阻害者」とののしる国労本部を徹底弾劾して国鉄闘争の発展を切り開こう。大分裂の黒田・カクマルと松崎・JR総連をもろともに打倒せよ。そして今春闘の爆発をかちとろう。
 迎賓館・横田爆取デッチあげ裁判の十万人保釈署名運動を進め、無実の四同志の早期奪還をなんとしてもかちとろう。
 三里塚反対同盟が呼びかける二・二八土地収用法改悪阻止シンポ、三・二五現地闘争に結集しよう。三・四|五部落解放同盟全国連第一〇回全国大会の成功へともに闘おう。
 三・一一革共同政治集会に総結集せよ!

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週刊『前進』(1994号1面2)

須賀・十亀・板垣・福嶋爆取4同志奪還へ総決起を
 獄外医療と保釈実現へ署名運動まき起こそう

 迎賓館・横田爆取デッチあげ裁判を闘う四同志への不当な超長期勾留を打ち破る闘いは、この二―三月、きわめて緊迫した局面を迎えている。
 須賀武敏同志、十亀弘史同志、板垣宏同志への未決勾留は、一九八七年の逮捕・起訴以来、実に十四年目を迎えた。九三年に逮捕された福嶋昌男同志も八年である。こんな長期勾留は前代未聞だ。実質的な「刑の先取り」以外の何ものでもない。しかも四同志は長期の独房生活により体をこわしながら、東京拘置所の卑劣な獄中弾圧にも屈せず、非転向を貫いて闘いつづけている。
 無実の四同志に対する日帝権力の無法で暴虐きわまる仕打ちをこれ以上続けさせることは断じてできない。今こそ、「無実の四人を直ちに保釈せよ」「未決勾留十四年は人権侵害だ」「東京地裁は獄外医療を認めよ」の声をたたきつけ、闘う人民の力で四同志を必ず奪還しよう。全党の同志はその最先頭に立ち、四同志のいのちをかけた闘いに連帯し、四同志を守りぬく闘いに立ち上がろう。

 須賀同志の医療鑑定をかちとる

 一月二十五日、東京地裁刑事一一部は、須賀同志が要求し続けていた医療鑑定の実施を決定した。これによって、保釈闘争をめぐる情勢は一挙に重大局面に突入した。
 須賀同志は、三年前に腰椎間板ヘルニアになって以来、東京拘置所当局の治療放棄・拒否のために歩行困難な状態がずっと続いている。それに加えて、胸の痛みや息切れ、めまい、しびれ、発熱、血便、下腹部の痛み、吐き気などの全身症状に長い間苦しんできた。
 だが東拘当局は、須賀同志の要求する精密検査を拒否したままで、その原因は解明されていない。診察に当たっている東拘の医師は「初期の腫瘍(しゅよう)の可能性もある」などと口にしながら、「東拘所長の許可がなければできない」として、病舎に移すことさえしないできた。
 今回の医療鑑定実施の決定は、これまで見て見ぬふりをしてきた裁判所が、ついにその恥知らずな姿勢を続けられなくなったことを示すものだ。須賀同志の法廷での必死の訴えと保釈署名運動など獄外の闘いの前進が、司法権力をぐらぐらに揺さぶり、追いつめていることは明白である。
 しかし事態は依然として予断を許さない。鑑定結果の提出期限は三月十五日とされている。すでに東京地裁・刑事三部は昨年末、福嶋同志の保釈請求を問答無用に却下してきた。残る三同志に対し、刑事一一部が同様に保釈却下の攻撃を狙い、その口実を探していることは疑う余地がない。
 一年前には、須賀同志のヘルニアの診断のために、整形外科の専門医による医療鑑定が実施された。だがそこで裁判所は、適切な治療が施されれば手術なしでも治るという鑑定結果を逆手にとって、「勾留の継続には耐えられる」というとんでもない結論を出し、保釈を却下したのだ。その一方で、鑑定書に記載された「必要な治療」は今日に至るも実施されていない。
 裁判所の狙いはあくまで「病気であっても勾留の継続は可能」という結論を引き出すことにある。すなわち、同志の病状が本当に生死の境をさまようような重態とならない限りは、どこまでも勾留し続けるということだ! この恐るべき人権侵害、獄中同志への拷問にも等しい攻撃を断じて許してはならない。
 今やこの二、三月が最大の決戦となった。刑事一一部による須賀同志ら三同志への三月末保釈却下の策動を絶対に阻止しよう。医療鑑定の完全実施をかちとり、四同志の保釈奪還をなんとしてもかちとろう。

 未決勾留14年はテロルそのもの

 不当な超長期勾留によって健康を破壊されているのは須賀同志だけではない。十亀同志は胃・十二指腸潰瘍(かいよう)や両眼結膜結石を、板垣同志は腸のヘルニアや白内障をわずらっている。福嶋同志は前立腺肥大や血糖値の上昇に悩まされている。
 日帝法務省・東拘当局、検察、そして裁判所は、この事実を認めながら一貫して保釈を拒否し、獄外医療の要求さえも拒否し続けている。これは、獄中非転向を貫く革命家への、国家権力によるむきだしのテロル以外の何ものでもない。
 戦前・戦中の日帝は、治安維持法のもとで政治犯への拷問や半永久的な予防拘禁による弾圧をほしいままにし、人民のあらゆる抵抗闘争を圧殺し尽くす手段とした。それと同じ質の攻撃が、わが革共同の不屈の戦士である四同志に対して今まさに襲いかかっているのである。
 そもそも四同志は無実なのだ。一九八六年五月四日の迎賓館戦闘と同年四月十五日の横田戦闘(当時の米帝・レーガンと日帝・中曽根政権による戦争政治を粉砕するため、中核派革命軍が東京サミットの会場だった迎賓館と米軍横田基地にロケット弾を撃ち込んだ)には、まったく関与していない。検事も公判で、同志たちと両戦闘を結びつける直接証拠は何ひとつないことを公然と認めている。
 にもかかわらず日帝権力はデッチあげ裁判を延々と続け、今や公判開始以来十数年たっても一審の検察立証が終わらないという、裁判史上類例のない事態が生み出されている。しかも裁判が続く間保釈を絶対に認めず、東拘の独房の中、鉄格子の中に一切の自由を奪って監禁し続けている。事実上の禁固刑であり、無期刑にも等しい攻撃だ。

 「人質司法」攻撃は戦争への道だ

 今日、KSDなど政府・自民党による汚職・腐敗が再び大問題化しているが、逮捕されても彼らの場合は早ければわずか数カ月で釈放される。福岡では検事が裁判官に妻の犯罪の捜査情報を伝え、証拠の隠ぺいを促すという事件が露見した。警察官の犯罪はまともな捜査さえしない。その一方で、失業と貧困にあえぐ労働者人民に対しては、無実を争えば保釈しないという「人質司法」の攻撃がまかり通っている。
 日帝・森政権が今日推進する「司法改革」攻撃は、この現実を変えるどころか一層悪質にするものだ。戦後憲法下の司法を解体し、侵略戦争の遂行を全面的に支える司法体制を作ろうとするものだ。
 迎賓館・横田爆取デッチあげ裁判の四同志の保釈奪還をかちとる闘いは、この日帝の攻撃を正面から打ち破る闘いの最前線である。
 すでに、四同志への獄中弾圧を明日のわが身ととらえる立場から、弁護士や学者、宗教者を先頭に「不当な長期勾留をやめさせるために! 十万人保釈署名運動」が取り組まれ、署名数は一万をこえた。勾留の停止を求める自由人権協会の意見書も出されている。
 この声を今こそ全人民の中に圧倒的に拡大しよう。街頭に出てどしどし訴え、署名の山を積み上げよう。東京地裁を包囲する決定的闘いへ攻め上ろう。公判闘争に総結集して闘おう。

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週刊『前進』(1994号2面1)

今春「日の丸・君が代」闘争爆発へ 教育関連6法改悪阻止を
 森政権打倒・教育改革粉砕し闘う日教組運動を再生しよう
 マル青労同教育労働者委員会

 昨年十二月の教育改革国民会議最終報告を受け、文部科学省は一月二十五日、「二十一世紀教育新生プラン」を打ち出した。首相の私的諮問機関にすぎない国民会議の「教育を変える十七の提言」を政府の公式の政策として採用し、スケジュールつきで具体化したのである。文科省は、通常国会で改悪法案を六本に大くくりして提出するとし、予算関連についてはすでに国会に提出した。改憲・教育基本法改悪を先取りする教育反動立法を断じて許すな。森政権打倒・教育改革攻撃粉砕の決戦へ総決起を訴える。

 奉仕活動導入狙う「教育新生プラン」

 「二十一世紀教育新生プラン」の狙いは、第一に、学校内外での奉仕活動の推進である(学校教育法・社会教育法改悪など)。十八歳奉仕活動義務化についても中教審で検討するとし、町村文科相は「大学入試を九月にし、高卒後の三−四カ月を奉仕期間とする」「自衛隊への体験入隊でしゃきっとする」と導入に執念を燃やしている。
 奉仕活動導入は徴兵制の布石であり、憲法一八条に違反し、教育基本法の「個人の尊厳」「人格の完成」を踏みにじるものである。
 第二に、高校学区制廃止、大学入学年齢制限撤廃、習熟度別学習推進などエリート養成のための能力主義の強化である。「問題を起こす児童・生徒」の出席停止措置など、差別選別体制に順応できず反抗する子どもの切り捨てである。「教育を受ける権利」を解体し、公教育を「国家有為の人材育成」のための制度に変えるものである。
 「定数改善」(義務標準法・高校標準法改悪)は、「少人数学級」ならぬ習熟度別指導の誘導策であり、正規教員を非常勤講師に置き換える不安定雇用化政策である。
 第三に、「不適格教員」免職・転職制度(地方教育行政法改悪)である。闘う教育労働者に「不適格教員」「指導力不足」のらく印を押して研修所に送り、「改善の余地なし」として退職勧告・分限免職する教労版「人活センター」「清算事業団」送りである。
 すでに「指導力不足等教員」制度が導入されている東京都では、平和教育に取り組んできた教師が研修所に送られ、「日の丸・君が代」被処分者にも発動されようとしている。教員の身分保障をはく奪し、教育行政による「不当な支配」の武器となるものである。
 教育基本法改悪をめぐっては、一月六日、教育関係審議会を統合した新・中教審が発足、教基法改悪を審議する教育制度分科会が新設された。会長に就任した鳥居泰彦慶応義塾大学長は、「教育基本法改正は憲法問題」「あらゆるものを改革しないと日本の将来はない。教育はその一環」と表明した。委員には今井、梶田、森ら国民会議で教基法見直しの急先鋒(せんぽう)だった面々が横滑りし、横山日教組前委員長、高木ゼンセン同盟会長らも名を連ねた。文科省は、六月にも法案要綱の形で教育基本法見直しを中教審に諮問し、来年の通常国会での改悪を狙っている。

 石原は教基法改悪の最先兵

 ファシスト石原は、一月に都の教育目標を五年ぶりに大改訂し、「わが国の歴史や文化を尊重し国際社会に生きる日本人の育成」を打ち出した。従来の基本方針から「憲法・教育基本法の精神に基づき」の文言を削除し、人権教育を奉仕活動に差し替えた。道徳教育公開講座、奉仕活動の教育課程への導入、高校学区制廃止や「公設民営高校」設立、人事考課制度と「指導力不足等教員」制度、主任制の抜本的強化による管理体制強化と組合つぶしなど、教基法改悪と教育改革攻撃をすべてにおいて率先実施しようとしている。
 石原は「周りから恐れられる国になる。……その地位を得るためにはどういう人間が必要か。その設定さえはっきりすれば、他の子どもは脱落しても構わないからすごいエリートを育てるという形でやればいい」(産経新聞一月一日付)と語ってはばからない。
 その石原が「日本の教育改革の突破口」として位置づけているのが、「日の丸・君が代」のない卒入学式を続けてきた国立の教育への攻撃である。
 十七人の教職員が処分された国立では、都教委の是正指導を受け、市教委が各学校長に「管理運営規程」「職員会議細則」を策定させた。その内容は、職員会議は校長の管理運営方針や法令・通知の周知徹底の場だとし、指導主事や行政機関の出席、司会の校長選任、会議録の校長による検閲と加除訂正まで規定したものである。校長会で国旗・国歌実施の職務命令が出され、職員会議に指導主事が出席して教職員の発言を逐一チェックしている。
 被処分者や組合活動家への異動強要、強制異動、学校現場から引きはがして研修所に送るなどの組織破壊攻撃も強まっている。
 人事考課制度・「指導力不足等教員」制度のもとで「日の丸・君が代」強制は教育労働者の思想的選別・パージの踏み絵として使われている。それは教育改革攻撃、日教組解体攻撃の凶暴な切っ先なのである。

 侵略戦争賛美する教科書採択許すな

 教科書攻撃も重大な局面を迎えた。この間、「新しい歴史教科書をつくる会」など右翼反動勢力は、地方議会での請願・意見書採択運動を繰り広げ、産経新聞のキャンペーンをもテコに「つくる会」教科書の検定合格工作を展開し、歴史担当の検定審議委員が解任される事態となっている。
 「つくる会」の歴史教科書は、教育勅語や神風特攻隊を賛美、侵略戦争を「大東亜戦争」と呼び「アジア解放戦争」として美化する代物であり、公民教科書も「核兵器廃絶は絶対の正義か」「生命尊重は最高の価値か」(コラムの表題)などという内容だ。文科省は、この教科書を検定合格させる方針を固めたという。
 八二年の教科書検定にアジア人民の怒りが爆発した際、文部省は近現代史記述につき、いわゆる「近隣諸国条項」を検定基準に盛り込んで収拾を図った。だが、今や日帝は、朝鮮・中国−アジア人民の抗議を逆手にとって排外主義・愛国主義をあおっている。
 検定合格が出されれば、八月まで「つくる会」教科書の採択運動が各自治体でさらに大々的に展開されるだろう。石原・都教委は二月八日、学習指導要領の「我が国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を育てる」という目標を区市町村教委に採択観点として指示、学校票制度や教育委員会の下部機関による絞り込みを禁止する通知を出した。杉並区では、昨年十一月に山田区長が任命強行した右翼支配の教育委員会が、「つくる会」教科書の採択を狙っている。

 戦前型教育への回帰を策す

 教育の理念と目標は明示に転換され、制度、課程、方法すべてが戦前型へと回帰しようとしている。
 戦前、中国侵略戦争への突入とともに教員への思想統制が強化され、「日本精神に立つ教育」が提唱され、三五年「国体明徴」運動、三七年「国体の本義」発行をメルクマールに日本的教学理念が確立された。高度国防国家の建設と総力戦を担う人材づくりに向けて、三七年には戦前最大規模の教育審議会が設置され、小学校の国民学校への改編、青年学校義務化、教科再編などの一大教育改革が次々と打ち出された。
 これに先立って、日本共産党、全協、学生運動への治安維持法弾圧が吹き荒れ、中国侵略戦争に教壇実践で抵抗した教育労働者組合には、三一年から三三年にかけて「教員赤化事件」弾圧が猛威を振るった。
 以降、学校教育にはすべて「皇国ノ道ニ則リ」という目的規定が掲げられ、教育方法は儀式行事や訓練活動を軸とする「錬成」が重視された。国民学校令施行規則は、「教育勅語ノ趣旨ヲ奉体シテ教育ノ全般ニ亘(わた)リ皇国ノ道ヲ修練セシメ特ニ国体ニ関スル信念ヲ深カラシメルベシ」「我ガ国文化ノ特質ヲ明ナラシムト共ニ東亜及世界ノ大勢ニ付テ知ラシメ皇国ノ地位ト使命トノ自覚ニ基ヅキ大国民タルノ資質ヲ啓培スルニ力(つと)ムベシ」と端的にその狙いを述べている。
 国民会議最終報告は、「人格の完成」「平和と真理を希求する人間の育成」に代えて「日本人の育成」を「新時代の教育基本法」の教育目標に掲げようとしている。そして「個人の力を超えたものに対する畏敬の念を持ち(=天皇制を崇拝し)、伝統文化と社会規範を尊重し、郷土や国を愛する心に態度を持」つ「日本人像」を打ち出し、教育を愛国主義、排外主義に染めあげようとしている。
 国旗・国歌法制定と「君が代」政府見解は現代の「国体明徴決議」であり、国民会議の「日本人の育成」論は、新たな日本的教学理念である。儀式的行事での敬礼・起立・斉唱の強制、道徳教科化、奉仕活動は、学校を再び「国民道徳の錬成場」と化すものだ。「日本人の育成」を掲げた「国家戦略としての教育」とは、争闘戦に勝ちぬく人材づくり、アジア勢力圏と侵略戦争の担い手づくり以外の何ものでもない。

 改憲阻止の壮大な決戦へ突破口開け

 二〇〇一年は、森政権打倒・教育改革粉砕の階級決戦、教労決戦の年となった。教育が戦争国家化・改憲をめぐる階級攻防の焦点に押し上げられ、日教組運動の存在そのものがその最大の激突点となっている。
 教育労働運動の展望は、何よりも第一に、教育基本法−改憲をめぐる壮大な階級決戦を最先頭で切り開くことの中にある。
 今や文科省は、敬礼、起立、斉唱を「儀式規程」として強制し、新たな臣民づくりの舞台装置とし、道徳教育、奉仕活動など、学校教育全体を「天皇を崇拝する日本人」「国家に奉仕する日本人」づくりの場と化そうとしている。
 他方、帝国主義間争闘戦を担うエリートの選抜養成を軸に教育制度を再編し、荒れる子どもや不登校児童・生徒を切り捨てようとしている。町村は「不登校は自由のはき違えが原因」と言い、東京都は学級編成基準から不登校者を除外、広島では授業料滞納による出席停止が始まっている。
 教育行政を牛耳り、私物化し、平和教育を攻撃し、皇国史観の教科書を押しつけようとしているのは、金権腐敗にまみれた極右政治家どもである。再び「お国のために」子どもを差し出せという攻撃に、労働者人民の怒りは、すでに至る所から火を噴き始めている。
 通常国会の教育反動立法を阻止し、あらゆる水路から教育基本法改悪阻止闘争を切り開こう。都議選決戦を森・石原打倒、教育改革粉砕の闘いとして闘おう。
 第二に、日教組運動の階級的再生に向けて新しい潮流運動の大発展をかちとることである。
 三重県教組は、二月四日の臨時大会で賃金返還請求を拒否し、県教委と対決する方針を決定した。広島両教組の徹底対決の闘いに続き、三重県教組一万五千の怒りの決起が始まった。教育労働者の権利意識と団結を解体し、侵略教育の先兵とする攻撃に対して、教育労働者の自己解放をかけた決起は必ず爆発する。
 人事考課制度=「不適格教員」攻撃、時間内組合活動の権利はく奪と賃金返還請求などの教労解体攻撃は、戦争国家化攻撃の切っ先であると同時に企業再編リストラ、公務員制度改悪などの国家的リストラ攻撃の一環でもある。
 国鉄決戦は、国労続開大会の攻防を経て、四党合意との非和解的激突の中から階級的労働運動の新しい潮流を生み出そうとしている。この闘いと結合し、階級的潮流の力で闘う日教組運動の再生をかちとろう。
 第三に、「日の丸・君が代」攻撃を不退転の構えで迎え撃ち、卒入学式闘争を大爆発させることである。
 処分や職務命令による強制に対して、職場の団結を防衛強化しつつ、あらゆる創意工夫をこらした抵抗と意思表示を貫こう。拠点地域と拠点校を防衛するとともに、すべての地域・学校で抵抗線を再構築し、一歩でも押し戻す闘いを展開しよう。「日の丸・君が代」闘争を新たな教育闘争の戦略的展望のもとに位置づけ、保護者・子どもと一体となった闘い、地域の労組、市民団体、在日アジア人民、部落大衆との共同闘争として闘おう。
 二〇〇一年卒入学式闘争こそ、教育をめぐる階級決戦−教育基本法改悪阻止闘争を切り開く導火線である。攻撃が強まれば強まるほど、抵抗と不服従が拡大する構造をつくりだし、「日の丸・君が代」闘争の永続的発展を切り開こう。

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週刊『前進』(1994号2面2)

機動隊導入した国労大会を「団結の方向示した」と賛美
 日共『赤旗』〈解説〉弾劾する

 四党合意認め警察労働運動への転換図る

 国家権力・機動隊の制圧下で「四党合意」受諾を強行した一・二七国労定期大会(続開大会)に対して、「日本労働運動と国労の歴史に汚点を残した最悪の大会だ」との怒りの声が一層高まっている。
 その中で、日本共産党が二月二日付『赤旗』に「JR採用差別問題と国労大会〈解説〉」(「N」署名)を掲載した。この〈解説〉は、「今回採択した運動方針は……採用差別問題をはじめ切実な要求の実現をめざして、団結の方向を示したもの」と明言しており、日本共産党が「四党合意」受諾を完全に承認したことを示す態度表明である。
 何よりも重大なことは、一・二七国労大会に千三百人もの機動隊が導入された事実にさえ触れていないことだ。マスコミでさえ機動隊導入の異常性を指摘し、報道規制にこぞって抗議しているのに、一月二十八日付の報道記事でも一言の言及もない。これは、日共が機動隊導入に全面的に賛成したということである。
 しかも〈解説〉は、昨年十二月十四日に出された東京地本の「続開大会成功にむけた見解」を「団結を回復しようとする模索」などと持ち上げ、それによって「団結を回復する具体的な方向が生まれ」たなどと強弁している。
 だが、この東京地本「見解」こそ、「続開大会成功のため、妨害勢力に対して毅然(きぜん)たる態度をとり万全を期す」などとして、「四党合意」に反対して闘いぬく闘争団を「妨害勢力」と言いなし、機動隊の力を借りて暴力的に排除することを宣言したものだったのだ。他方、国家権力は、国労中央と東京地本の要請を盾に露骨な介入を図った。
 日共は、この東京地本執行部の大裏切りを全面的に容認し、国労を゛警察労働運動″へ転換させる極悪の役割を果たすに至ったのである。
 そもそも国労内の日共・革同上村一派は、昨年七・一臨大以後、闘争団を「暴徒」呼ばわりし、暴力的に敵対してきた。日共スターリン主義は、労働者人民の闘いが国家権力と対決して戦闘的に発展する時、背後から襲いかかる反革命の正体をむき出しにする。そうした日共にとって、機動隊の導入など当然だというわけなのだ。
 二・二『赤旗』の〈解説〉は、日共が、「四党合意」推進の先兵となるばかりか、国家権力と平然と手を組み、日本労働運動における最悪の反革命として登場したことを示した、歴史的反革命文書である。徹底的に弾劾されなければならない。

 「団結」の名で闘争団の切り捨てを主張

 しかし、日共は今回も例によって〈解説〉などという客観主義的な出し方で、日共の党としての責任をごまかす逃げを打っている。
 昨年八・二六続開臨大の直前の八月十九、二十日付『赤旗』に、「一〇四七人の採用差別と国労の続開大会について」(「N・S」署名)という゛解説″を出した。これは、「四党合意」について「具体的な中身が何もないまま、『法的責任なし』の承認を押しつけている」などとペテン的に言って、あたかも道理のある態度をとっているかのように装うものだった。
 日共は、自らの指導下の革同が事実上分裂し、全労連傘下でも「四党合意」反対の声が高まっていることに追いつめられ、その指導の破産をペテン的反革命的にのりきろうとしたのだ。
 今回の〈解説〉においても、昨年八月の゛解説″を「『四党合意』の承認を問題解決の前提として国労に押しつけることは、労働者と国民の利益を守る立場に立つ政党として黙過できなかった」「『四党合意』のもつ危険な道を明らかにした」などと言っている。
 では今回は、その「危険」で「黙過できない」という「四党合意」の本質が変わったとでも言うのか。
 〈解説〉は、一・二七続開大会に至る経過として、「昨年九月の全組合員による『一票投票』で多数の組合員が……『四党合意』はやむをえないとした」ことを挙げる。革同上村一派らが「数千万円の解決金が出る」などのデマで組織したにもかかわらず賛成が五五%に過ぎなかったことを、「多数の組合員」が賛成したと言いなしている。
 だが、「多数の組合員」などと言いながら、当事者の闘争団について一切触れていない。昨年八月の゛解説″では、「闘争団や家族」の「不満や怒り」に触れてはいたが、今度の〈解説〉ではまったく無視されている。「団結の方向を示した」のだから、それに逆らう者は団結を破壊する者だと言っているのだ。
 高嶋―寺内の極悪チャレンジ執行部は就任後ただちに「第六七回国労全国大会(続開)決定に対する一部闘争団の阻害行為に対する対応について」という本部電送で闘争団切り捨てを宣言した。日共は、このチャレンジとまったく同じ立場に立っただけでなく、党として真っ先に闘争団切り捨てを主張しているのだ。

 国労単一体の解体−連合化策す上村革同

 日共の〈解説〉は、一・二七大会決定を賛美する理由としてさらに、「(方針が)ILO勧告に沿って、早期解決をはかるよう申し入れる、東京高裁の採用差別不当判決は最高裁で判断を公正に行わせるとしている」ことを挙げている。
 だが、ILO第二次勧告は、国労組合員らが「広域異動に応じなかった」「勤務成績が不良だった」から採用されなかったという日本政府の追加情報に基づいて、「採用差別はなかった」と断定した超反動勧告である。これで、どうして「公正な補償」をかちとることができるのか。
 さらに、採用差別裁判は、ただちに取り下げを求められているものだ。そもそも「JRに法的責任なし」とは、東京地裁、東京高裁の判決にひれ伏すということではないか。「最高裁で判断を公正に行わせる」などというのはペテンもはなはだしい。
 また、日共の〈解説〉のペテン性は、「二十七日の続開大会は『四党合意を横へ置いて』『団結を回復し、解決水準を高めるたたかいを本格的に強める』などの意見が相次いだ」としていることである。
 実際には、革同上村一派の代議員は、反対派の発言を封殺して、「四党合意は闘いの到達点だ」などと「四党合意」を全面賛美する発言をしていたのだ。
 さらに革同上村一派は、JR各社で賃上げがバラバラだから一律三万五千円の要求を見直すべきと主張した。これは一律大幅賃上げ要求の放棄にとどまらない。実際、「全国単一体の国労組織のあり方を真剣に議論すべき時期に来ている」(東日本エリア革同幹事長・山根)などと、国労の単一体の解体からJR連合合流を画策している。革同上村一派は、闘争団切り捨て、国労解体―連合化の最悪の先兵となったのだ。
 このような日共・革同上村一派を断じて許してはならない。何が「労働者の利益を守る政党」だ!
 日共は、「日本国民の党」の名のもとに、資本家階級の立場に立ち、労働者の利益を裏切る政党へと完全に変質したのだ。今回の〈解説〉は、「有事の自衛隊活用」路線とともに、日共の歴史的裏切りを如実に示す反革命文書となった。
 これは、日共にとって命取りとなるであろう。労働運動に対する反革命的敵対者として日共を断罪し、その打倒をかちとろう。
 すでに日共内、全労連傘下からも怒りの声が噴出している。日共の内外から、「いったい、どちらが『暴力集団』なのか。どちらが『ニセ左翼』なのか」という声も上がっている。
 チャレンジ一派とともに日共・革同上村一派を打倒し、国労の階級的再生をかちとろう。闘争団を守り、「四党合意」を粉砕しよう。JR東の「ニューフロンティア21」などの大合理化攻撃を粉砕し、松崎・JR総連解体に決起しよう。

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週刊『前進』(1994号2面3)

資本攻勢&労働日誌 1月20日〜2月4日
 三重県教組「給与返還請求」を拒否
 ●JAM傘下で解雇を撤回
 ●厚労省が個別紛争案諮問
 ●昨年失業率4.7%で最悪

●1月20日 東京商工リサーチの発表では、昨年中に倒産した企業の負債総額は23兆8850億円、前年比75.3%増で、戦後最悪を記録。
●23日 経団連と日経連は統合に向けた共同宣言を発表。「労働問題と経済問題を切り離して取り扱うことは次第に困難……社会保障制度改革、雇用・労働問題の解決、教育改革等は経済界にとって重要……統一した見解と取り組み」を、と一大資本攻勢を宣言。
◇社会経済生産性本部の発表では、年俸制導入企業は25.2%で5年前の9.8%から大幅拡大。
●24日 全労連は25日まで評議員会を開き、春闘方針を決定。大幅賃上げ否定方針に、建交労が「大幅賃上げが切実なのはハッキリしている」と採決保留。JMIUも「大幅賃上げが必要」と述べた。
●25日 自治労は26日まで中央委員会を開き、春闘方針と選挙方針を決めた。全国統一行動として3月9日に久しぶりに29分間の時間内食い込み集会を配置する。
◇電機連合は26日まで中央委員会を開いた。鈴木委員長は「NTT労組のベア見送りは当然」と述べた。2002年導入をめざしてきた隔年春闘を2004年以降に延期することを明らかにした。
◇工場閉鎖・解雇の撤回を求め闘争中のJAM・ミツミユニオンは、「鶴岡工場の事業転換と雇用継続をはかる」との回答を得、事実上の解雇撤回をかちとった。
●27日 国労は、機動隊を導入して続開大会を開き、「四党合意」の採決を強行した。
●29日 厚生労働省は「個別労働関係紛争の解決等に関する法律案要綱」を労働政策審議会に諮問した。地方労働局に調停機能をもたせることなどが内容。
●30日 総務省発表の2000年平均完全失業率は4.7%、完全失業者は320万人と過去最悪を記録。12
月の完全失業率は前月と同じ4.8
%。厚生労働省発表の2000年平均有効求人倍率は、前年比0.11ポイント上昇して0.59倍。12月の有効求人倍率は前月比0.01ポイント上昇し0.66倍。
◇ダイムラークライスラー社は、全従業員の約20%に相当する約2万6000人を削減すると発表。
●2月1日 JR連合は中央委員会を開き、葛野会長は国労の「四党合意」について「政治決断をした以上……早期解決をはかり、民間企業にふさわしい労使関係を」と述べ、国労の路線転換を要求。
●2日 私鉄総連は中央委員会で賃上げ要求を「一人平均で2.2%(定昇相当分)プラス2900円(ベア分)」と決定。(討論内容別掲)
●3日 内閣府発表の「外国人労働者問題に関する世論調査」では外国人の「不法就労」を「よくない」と感じている人の割合は10年前の32.1%から49.2%へ大幅増。
●4日 三重県教組は臨時大会を開き、時間内組合活動をめぐる「給与返還」問題で「県教委による不当な給与返還請求には応じない」との方針を全会一致で決定。

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週刊『前進』(1994号3面1)

石原「東京構想2000」にノーを
労働者犠牲に大資本を救済 東京を軍事都市に造り替え
 けしば候補先頭に石原打倒へ

 ファシスト石原は昨年十二月、「東京構想2000|千客万来の世界都市をめざして」および「都政改革アクションプラン」を発表した。これは、石原が九九年十一月に発表した「危機突破戦略プラン」を引き継ぎ、具体化したものであり、本紙前号で暴露・批判した新年度都予算案を貫く基本的考え方である。その狙いは、改憲=戦争と大資本救済のために都民をとことん犠牲にするものだ。断固粉砕しよう。

 “ガイドライン発動のときは国に協力” 排外主義と戦争の挑発

 (1)ファシスト石原都知事は最近も「日本が精神的に自立するため、国家として復権するためにも、その一つの引き金として、北朝鮮のちゃちなミサイルが落ちるしかないな」とか、「中国は分裂させたほうがいい」(『勝つ日本』)などという、北朝鮮・中国に対する戦争挑発と排外主義の言動を繰り返している。
 さらに「ガイドラインが発効するとき、僕は百パーセント国に協力します。羽田でも何でも使わせます」(『選択』昨年二月号)との発言や、昨年九月三日の自衛隊首都治安出動演習は石原ファシスト都政のきわめて危険で反人民的な方向を示すものだ。そして、こうしたものこそが「東京構想2000」にも貫かれる石原の基本思想だ。
 石原は、日帝・森政権を支え、森自民党がやろうとしてできないでいることをより反動的かつ先取り的に実行していくファシストである。石原知事にこのまま都政を任せておいてはいけない。森政権とくし刺しにし、労働者人民の力で打ち倒すことが絶対に必要だ。
 (2)石原の「東京構想」は十六の政策目標と三十五の戦略を掲げ、構想期間を〇一年度から一五年度までとしている。その中身は、道路・鉄道・空港・港湾などの大型事業計画、産業・企業支援策、環境対策、福祉・医療・教育改革、都庁改革など多岐にわたる。その全体を貫いている石原の考えは、「都民のための都政」というあり方を根本から解体するものである。一言で言えば「強者」すなわち支配階級の立場からの「弱者切り捨て」の論理、日本帝国主義の戦争と大資本救済の論理である。

 「東京の危機」?

 (3)石原は前書きで、「企業活力の低下や環境問題の深刻化をはじめ、混迷する日本」と言い、「東京の危機は日本の危機」などと言っている。
 「東京の危機」という言葉は石原のキーワードだが、石原が言っている「危機」とはどのような「危機」なのか。それは「東京の国際競争力の低下」(第一章)という言葉に示されるように、米帝による対日争闘戦の激化に追いつめられた日本帝国主義の存亡の危機のことである。そこから「立ちはだかる危機をなんとしても克服して、力強い東京を、そして日本を再生していかなければならない」というのである。
 そこでは「日本国家」が一切であり、都民・労働者人民の存在、その現在の最大の関心事である賃下げ、リストラ・大失業などによる生活の危機についての言及がほとんどない。
 「三国人が凶悪な犯罪を繰り返している」と叫び、「障害者」を前にして「ああいう人たちには人格があるのか」などと平然と差別発言をする石原は、働く者や、社会的に弱い立場の人たちに心を配るということは、絶対にないのだ。
 石原の言う「東京の危機」とは、千二百万都民の生活を心配しているのではない。米帝との争闘戦における日帝の敗北の危機ということなのだ。

 メガロポリス構想はゼネコン救済策 海も陸も侵略拠点に

 (4)そのことを最もよく示すものが、「東京の魅力を高め、世界に冠たる国際都市東京となる」とか「東京圏メガロポリスの潜在力を引き出し、二十一世紀の日本を牽引(けんいん)する」という政策目標である。
 「日本を牽引し、アジア、世界を先導する東京圏をめざす」「七都県市の連携により、東京圏全体を視野に入れた圏域づくりを展開」するという「東京圏メガロポリス構想」とは何か。それは、労働者人民から搾りとった税金をゼネコンなどの大資本救済のために、湯水のように注ぎ込むものである。都職員の賃金をカットし、福祉の予算を大幅に削っておきながら、その金を資本家どもの利益のために提供しようというのが石原のやっていることなのだ。
 来年度予算案でも、「東京再生のため」として大型道路や鉄道新線建設に巨額の資金を注ぎ込もうとしている。
 しかもその「東京圏メガロポリス構想」には、かつての「大東亜共栄圏」の帝都の復活を狙う意図が露骨だ。石原は、臨海部開発で「海」を、成田空港と羽田国際化と首都圏第三空港で「空」を、圏央道や外環道などで「陸」を押さえ、ゼネコンに公的資金を注ぎ込むとともに、この全域(七都県市)をアジア侵略戦争に突き進む日帝の拠点としてうち固めようとしている。圏央道や外環道の周辺にはいくつもの米軍基地、自衛隊基地がある。それらを軍用道路で結び、首都防衛=軍事都市化、治安都市化を狙っている。このゼネコン救済と軍事都市化のために、外環道建設に反対する住民の土地の強制収用すら狙っている。
 メガロポリス構想を推進するために、石原は市町村合併を積極的に支援し、「道州制」をも視野に入れるとしている。これは戦後民主主義・戦後憲法の理念としての地方自治体の解体攻撃そのものである。それはまた自治体労働者に対する大リストラ攻撃であり、自治体労働運動解体の大攻撃である。ファシスト石原はこの面でも日帝の改憲と戦争攻撃の手先である。

 「自立・自助が基本」と福祉を切り捨て 都財政赤字のツケ回し

 (5)同時に「東京構想」は大資本救済と一体のものとして、福祉の全面的切り捨てを強行する攻撃である。
 そもそも十六項目の「政策目標」のうち、福祉にかかわるものはわずかひとつだけであり、それも「地域のケア能力を高め、可能な限り自立して生活できる社会を実現する」という福祉破壊の内容である。
 具体的には「個人の自助努力を基本とする」「支援が必要なときには、適正な負担により適切なサービスを利用し」「サービスの提供は民間事業者が中心となり」などというものでしかなく、これはだれがみても「福祉の全面的切り捨て」宣言にほかならない。
 すでに石原は、二〇〇〇年度からシルバーパスの有料化、老人福祉手当や老人医療費助成の段階的廃止、「障害者」手当や「障害者」医療費助成の所得制限の強化などを強行している。また、福祉施設の民間委託化を進めている。
 新年度予算案では「都市整備」などの公共事業に一四・〇%を支出するのに、「福祉と保健関連」は全体の一一・四%に過ぎない。
 石原のやっていることは美濃部都政以来の福祉政策を解体し、全面的に切り捨てるものである。東京都は福祉政策をやめて、福祉事業を有料事業化して資本の救済のために引き渡す、利潤追求のなすがままにするということなのだ。「自助」とか「自立」とかいうのは、自分で勝手にやれということであって、福祉政策でもなんでもない。
 そもそも地方自治体の財政の役割は何なのか。それはまずもって住民福祉のためにあるとさえ言えるのだ。福祉は、労働者人民が闘いとってきた歴史的な権利である。だから住民の生活と要求に密着した福祉予算を、財政危機だからと言って簡単に削ることなど許されない。「福祉予算が財政を破綻(はたん)させた」などというのは、考え方・認識それ自体がまったく転倒している。石原は、巨大資本にさんざんもうけさせた都財政の巨額の赤字のつけを、社会的に最も弱い立場にある人びとに押しつけようというのだ。

 環境破壊の元凶

 (6)また、石原は「都市における環境を改善し、都民の健康を守る」という政策目標を掲げている。この間、石原はディーゼル車規制などでまるで環境を守る旗手であるかのように登場しているが、それはまったくのペテンであり、ファシスト特有のパフォーマンスでしかない。
 石原都政は、実際には大型道路建設や鉄道計画をどんどん立ててゼネコン・銀行・大企業と結託した一大利権政治を展開しているのだ。さらに高層ビル・マンション建設のための日影規制の緩和など、石原のもとで東京の公害・環境破壊は一層深刻なものとなる。石原こそ環境破壊の元凶だ。
 (7)「東京構想」は、以上のほかにも「教育改革」「心の東京革命」や「都庁改革」などで、日帝政府の攻撃を先取りした内容を打ち出し、実施に移している。改憲に向けた大攻撃であり、学校や公務職場の労働者の階級性を解体し、組合的団結の破壊を狙う大攻撃である。(この批判は機会を改めて行いたい)

 石原は森の先兵

 「東京構想2000」にも示される石原の都政路線は、あらゆる意味で反人民的である。石原は腐りきった森自民党政権のファシスト的先兵だ。森政権打倒=石原知事打倒を一体のものとしてかちとろう。
 この石原に対して、自民など与党はもとより、「野党」の民主党から日本共産党までが、石原を真正面から批判できず、それどころか石原にすり寄っている。今や都議会は「石原翼賛議会」の様相すら呈している。六月都議選に絶対勝利し、ファシスト石原と真っ向から闘うけしば誠一候補を都議会に送ろう。

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週刊『前進』(1994号3面2)

労組交流センター 全国総会で方針を決定 国鉄・教労決戦へ 

 全国労組交流センターの第八回定期全国総会が二月三、四日、静岡県熱海市で開催された。
 今年の総会は、昨年の国鉄決戦、沖縄サミット決戦、十一月労働者集会に全力で決起し、階級的労働運動の再生の展望を切り開いた勝利的地平と、各職場における組織化の闘いを踏まえて活発で有意義な討論が行われた。改憲攻撃の本格化を見据え、国鉄決戦とともに教労決戦に打って出ること、そのただ中で会員二倍化を達成することを確認した重要な大会であった。
 開会のあいさつの後、佐藤芳夫代表のメッセージによるあいさつがあった。
 都政を革新する会のけしば誠一杉並区議が来賓あいさつに立ち、学校給食の民間委託阻止で石原都政・山田杉並区政と対決して、六月都議選に勝利する決意を語り、支援を訴えた。
 辻川慎一事務局長らが、「二〇〇一年を交流センターの本格的な組織拡大の元年としよう」などの運動方針案を提起した。
 続いて、一・二七国労続開大会を闘い抜いた国労共闘の代表が特別報告を行い、機動隊を導入し、支援まで排除した大会のあり方こそ、「四党合意」の本質を示していると鋭く弾劾した。そして、裏切り者との非和解的対決に入っていくことを決意表明し、参加者から拍手を浴びた。
 二日間にわたって白熱した質疑討論が行われ、代議員ら三十六人が発言した。特に、民間での合同労組組織化でめざましい前進を遂げている各地方、日帝の教育改革・改憲攻撃と対決する教労部会の各地の発言が注目を集めた。
 最後に中野洋代表が討論のまとめを提起した。
 中野代表は、「二〇〇〇年は国鉄決戦で推移したと言っても過言ではない。くめども尽くせぬ教訓に満ちている。四党合意を通すために一月二十七日の続開大会に機動隊を導入した。これをどう見るかが一番重要だ。四党合意の本質をこれほどあらわにしたことはない。闘う側に敗北感がない。反対派は一貫して三分の一は存在している。国労三万の組合員が機動隊導入を容認するとは思わない。必ず闘争団を先頭にした反撃が起きる」と、国鉄決戦の方向性を提起した。
 そして、「ことしは、やはり教労決戦だ。現場の闘う労働者へのパージが『不適格教員排除』という形で始まっている。国立、広島を見よ。公安、産経新聞、教育委員会、右翼が一体となって活動家を特定した転向攻撃を始めている。これにどう打ち勝つか。大変な決戦だ」と提起した。
 さらに、杉並での公務員二千五百人削減攻撃粉砕の闘いに都議選勝利をかけて決起すること、組織拡大・会員二倍化をやり切ることを熱烈に訴えた。最後に、沖縄のバャリース闘争支援を全国の力で行うことを提起した。
 その後、交流センターの二十一世紀にふさわしい新体制を固めるために、三角忠東京、入江史郎関西の両代表が新設の副代表に就任することを中心にした新人事が決定された。

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週刊『前進』(1994号3面3)

連載 社会保障解体を許すな 奪われる介護・医療・年金 2
 介護保険強行から1年 施設利用に追いやられ在宅介護ができなくなった!

 自己負担が一挙に数千円

 「介護地獄の解消」とか「在宅介護の充実」をうたい文句に介護保険が導入された。しかし、実施後一年近くたって引き起こされている事態はまったく逆のものになっている。在宅介護の実態は、ますます深刻な状況になっている。
 ホームヘルパーの利用は、厚生省が在宅介護の柱に位置づけているにもかかわらず、制度上の問題点が噴き出している。介護ビジネスの利潤追求の思惑からは介護報酬が低いため、コムスン社長の折口などは「低すぎて話にならない」と嘆いている。しかし、介護報酬の一割を自己負担する利用者にとってみれば、介護報酬単価は高すぎる。身体介護(時間単価四千二十円)より家事援助(同千五百三十円)を、よくて折衷型(同二千七百八十円)しか利用できない。
 介護保険実施前には、八三%を超える利用者が無料でヘルパーを利用していたが、一挙に数千円の自己負担を強制されたのである。経過措置として、従来からの継続利用者はこの三月までは三%の自己負担となっているが、四月からは六%、そして、来年の四月からは規定どおりの一〇%となり、ますますヘルパーの利用はできなくなる。
 しかも在宅介護では不可欠であったショートステイが、介護保険ではほとんど使えなくなってしまった。
 ショートステイはもともと重度の利用者の介護家族の休息のために不可欠だった。この現実を無視して、「法事や旅行」などの時の利用に切り縮めたため、利用料負担との関係で利用できなくなったのだ。不満の声が噴出して厚生省は最近その限度枠を緩和したが、利用は減少したままだ。
 さらに、訪問看護は、在宅介護の中で費用面で一番大きな変化が生じた。自己負担は、従来ならば二時間までで二百五十円の単価負担であったものが、千百九十八円もの負担になり、四倍以上もの負担増になり、大幅に看護時間も減らさざるをえないのである。

 現場労働者に矛盾が集中

 このように、ますます在宅介護が困難になり、勢い施設に利用者を追いやってしまっているのだ。
 例えば、枚方市では介護保険実施前には二十四時間ホームヘルパーなどの在宅介護福祉を行ってきたが、実施前は市内九カ所の特別養護老人ホーム(特養)の待機者はたった八人であったのが、介護保険実施半年後には六百七十三人にふくれあがってしまった。
 特養や老人保健施設(老健)が、満杯のままになっているのは、重度になればなるほど、施設入所の負担の方が在宅の自己負担よりも安いからである。利用者にとっては、施設に入所する、あるいは入所を継続する選択をせざるをえなくされているのである。これで何が利用者の「選択」か! 施設=業者の側が利用者を選別するという逆の事態が生まれているのだ。
 こうした結果、厚生省の思惑とかけ離れて施設の利用が七〇%を超えてしまい、必死に予算の枠内におさえようとしているが、逆に初年度から大幅な赤字になるといわれている。
 制度の矛盾は現場労働者にも重くのしかかっている。ホームヘルパーの労働条件は極限的に切り下げられ、文字どおり飢餓賃金を強いられる。移動時間を勤務時間に含めず、さらには移動の費用は自己負担ということまで行われている。
 また、入所施設の介護現場も入所者の介護度が重度化しており、ますます介護職員の労働強化が強いられている。とりわけ特養などの社会福祉法人では、破産の危機を理由に、人員削減や年間数十万円の賃下げを労働者に強制している。

 破壊される高齢者の生活

 介護保険の強行で、介護を必要とする高齢者が在宅で生活を続けるためには、これまでの何倍もの自己負担をしなければならず、それができない場合は、家族の誰かが働きに出るのをやめて介護を担わなくてはならなくなってしまった。施設に入ろうとしても以前より長くベッドが空くのを待たなければならなくなった。介護保険は、家族介護の強制・拡大で要介護者を抱える労働者家庭の生活を崩壊させているのだ。
 一番深刻なのは、老々世帯、独居世帯で、この介護保険利用料、保険料、その上この一月から高齢者の医療費の自己負担が定率の一割負担となっており、この一年で、一挙に重い負担がのしかかることになった。そこにこの十月から、六十五歳以上の第一号被保険者の介護保険料の全額強制徴収が始まる。
 実際、高齢者の生活は非常に厳しい。グラフ1にあるように、年金の所得状況を見てみると、男性の厚生年金の平均受給額は二十万円、国民年金の平均受給額は五万二千円、女性の厚生年金平均受給額は十万八千円、国民年金平均受給額は四万二千円である(しかも女性の八割近くは国民年金)。老々世帯の場合でいうと十万円を切る世帯が少なくないのだ。とりわけ独居の場合は、老齢年金が加算されていても大半がせいぜい数万円という生活実態である。生きる上で、ギリギリの収入なのである。
 いったいどうすれば、ここから介護保険の利用料や医療費の一割負担が払えるというのか。グラフ2にあるように、八三年から比べると十六倍もの自己負担になっている。これでは、「利用料や医者代を払うために、一日一食に減らして」(厚生省交渉)生きるという過酷な現実にたたき込まれるのである。
 やはり介護保険は廃止以外にない。「必要な人に必要な介護を」「全額公費で介護の保障を」を掲げ、高齢者を主人公とした全国的運動を巻き起こそう。
〔梨原智之〕

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週刊『前進』(1994号4面1)

米経済バブルが崩壊に突入昨年末から恐慌的落ち込み
 世界大恐慌の本格化へ急転回
 島崎光晴

 本紙新年号島崎論文で、米経済について「(昨年の)四月暴落をもってバブルの本格的崩壊が始まっている可能性が非常に濃厚になりつつある」と指摘した。その後、一月に政策金利が引き下げられたが、株価は動揺しつづけている。しかも景気は急降下し、企業収益も急悪化し、大量解雇の嵐(あらし)が吹き荒れている。何よりも過剰資本・過剰債務・不良債権が表面化しており、信用収縮も始まっている。今や、〈バブルの本格的崩壊が始まり恐慌に向かいつつある〉と見てほぼまちがいない。ついに二九年型世界大恐慌の本格的爆発の入り口にさしかかったのだ。以下、米経済の現状を厳密に見ていこう(『共産主義者』一二七号、秋月丈志論文「崩壊を始めたアメリカ・バブル」参照)。

 利下げ後も株価下落第3波の暴落は必至

 一月二日、ハイテク株や新興企業株の多いナスダック総合指数は七%以上も下げ、昨年の最安値を下回った。ナスダック指数は昨年三月に五〇〇〇ポイントの大台を突破したが、四月暴落以降崩れ、十二月には半値にまで下がっていた。それが新年の取引開始日に二二〇〇ポイント台まで落ち込んだのだ。
 新年早々の株価急落に米帝はあわてた。翌三日、中央銀行に当たるFRB(連邦準備制度理事会)は、緊急の利下げを実施した。短期金利であるFF(フェデラルファンド)金利の誘導目標を〇・五%下げて年六・〇%にした。また公定歩合を三日と四日に連続して下げ、五・五%とした。利下げは、ヘッジファンドの経営危機で米金融市場がパニックとなった九八年十一月以来のことだ。
 この利下げを受けて三日の株価は急騰した。しかし翌日からたちまち下落し、三日間の下げで、緊急利下げによる上昇分が帳消しとなった。一月にはヤフーの株価は最高値の一割近く、インテル株も三分の一以下に暴落した。
 一月三十一日、FRBは再び利下げした。FF金利を〇・五%引き下げて五・五%に、公定歩合も同幅引き下げて五・〇%とした。一カ月の間に計一%も下げるのは異例だ。
 翌日、株価は急騰した。しかしその後ズルズルと崩れ、二月九日には二四〇〇ポイント台まで下げている。これは昨年末とほぼ同水準だ。一月の二度の利下げがなんの効果もなかったことを示す。本紙新年号で「金利引き下げに転じて株価が反応しなかった時こそ、株価は大幅で持続的な暴落に向かうだろう」と指摘したが、一月をもってそうした過程に入ったと見てまちがいない。

 日本のバブル崩壊時に酷似

 ちなみに日本のバブル崩壊は、八九年末の株価四万円弱から九二年八月の一万四〇〇〇円強まで三波に及ぶ暴落をたどった。第一波は九〇年一月から四月初めまでで、最高値から約三〇%下げた。第二波は九〇年七月半ばから十月初めまでで、最高値から五〇%近い下げとなった。第三波は九一年後半から九二年八月までで、最高値の三分の一に暴落した。
 この第三波の過程の九一年十−十二月期に、民間設備投資がマイナスに転じた。九二年四−六月期にはついに実質成長率がマイナスとなった。つまり、九一年秋から九二年にかけて実体経済が急下降したわけだ。さらに、九一年から「証券スキャンダル」が広がり、九二年には銀行株の売りで株価全体が急落していった。この間、公定歩合が九一年七月から一年半の間に六回も引き下げられ、バブル期の史上最低水準にまで下げられた。しかし株価は反応しなかった。
 ここからいくつかのことがわかる。@何年にもわたって暴落と小康を繰り返しながら、株価水準がどんどん下がっていった。A株価は二年八カ月を経て、結局はバブル期初期の水準にまで落ちた。Bしかも、実体経済が下降し始める中では、いくら金利を引き下げても効かなかった。Cさらに、金融システム不安が広まって銀行株が投げ売りされたのは第三波暴落の時であり、バブル崩壊が始まってかなりの時間を経た後のことである。
 もちろんこうした日本の例が、そのまま米経済に当てはまるわけではない。とはいえ、〈金融投機とその崩壊〉という点では本質的に同じであり、今後の米経済を見通す上で重要な視点となる。
 米経済では、昨年四月のネットバブル崩壊による大暴落、昨秋のハイテクバブル崩壊による暴落と、すでに二波の株暴落が起きている。しかし、ナスダックは最高値の半値ほどになおとどまっており、三十種のダウ平均株価は依然として一万j以上の水準にある。
 これまで何度も指摘したように、九四年に米国債が暴落し、ドル不安が高まり、株暴落が切迫しつつあったにもかかわらず、九五年のドル高転換によって国外から資金を流入させて株価とドルを無理やり維持したこと、そこからバブルは本格化した。そのころのダウ平均は約五〇〇〇ドル、ナスダックは約一〇〇〇ポイントである。米帝がどうあがいても、その水準にまで暴落していくだろう。第三波の暴落は時間の問題だ。

 投資が急角度の減少収益悪化で大量解雇

 株価が年初から下げている最大の要因は、景気の急降下と企業収益の悪化にある。鉱工業生産指数を見ると、昨年十−十二月期に一・一%(年率換算)の下落となった。四半期でのマイナスは、前回の不況の九一年一−三月期以来のこと。
 実質成長率は十−十二月期には一・四%(前期比年率)の伸びにとどまった。四−六月期の五・六%増、七−九月期の二・二%増からさらに減速した。特に民間設備投資が十−十二月期に一・五%減のマイナスに転じた。九年ぶりの落ち込み幅だ。設備投資は、昨年四−六月期は一四・六%もの増加だったが、十−十二月期の一・五%減と比較すると、わずか半年間で一六ポイントも下げている。実に急角度の投資減少だ。
 また、個人消費も十−十二月期に二・九%増と、前期の四・五%から大きく鈍化した。昨年の二波の株暴落が個人の金融資産価値を目減りさせ、消費減退を引き起こしている。逆資産効果だ。そもそも、株高を見込んで借金をして消費するという無理が続くはずがない。昨年の貯蓄率はマイナス〇・一%で、三三年のマイナス一・五%以来の低水準となった。もし、株暴落に不安を感じた人々が貯蓄を増やし始めるなら、消費はさらに落ち込む。
 一−三月期は実質成長率がマイナスに転じる可能性が高い。実際、消費者や経営者の心理を表す指数(消費者信頼感指数、製造業景況感指数)を見ると、十−十二月に大幅に下がった。九〇−九一年不況の時と同じか、さらに大きい下落になっている。景気減速の初期段階でこれほどの心理の悪化は過去に例がない、とも言われる。これらの指数は通常、二〜三カ月経て実体経済に反映する。
 一−三月期がマイナス成長と仮定すると、四月暴落から半年で設備投資がマイナスに転じ、一年たたずにマイナス成長に陥る、ということだ。日本のバブル崩壊過程では、株の暴落開始から設備投資の減少までが一年半以上、マイナス成長までが二年以上だった。現在の米経済の落ち込みは、日本のバブル崩壊過程より速度が非常に速い。九七年末から九八年にかけての日本経済のように、急角度の下降になりつつある。その意味で、すでに経済恐慌に入っている可能性もある。

 ハイテク企業も一転減益に

 景気の急降下を受けて、企業収益も急激に悪化している。主要五百社の収益は、七−九月期の二ケタ伸びから十−十二月期は一ケタ伸びに落ち込む見通しだ。特にハイテク企業は前期の四二%増益から一転して減益になったもよう。
 一−三月期には消費財関連企業も減益となる見通しで、収益全体がマイナスになる可能性が高い。収益マイナスとなると、株価はさらに下落せざるをえない。
 このような景気の急降下と収益悪化の中で、米企業の大々的な人員削減が始まっている。十二月に発表された解雇者数は十三万四千人、一月は十四万二千二百人と、九三年の調査開始以来の最高を更新しつづけている。一カ月分だけで失業率を〇・一ポイントも押し上げるほどの人員削減だ。このため、一月の失業率は四・二%に上昇した。
 人員削減が特に激しいのは、ゼネラル・モーターズ(GM)やダイムラークライスラーなどの自動車、シアーズやJCペニーなどの大手流通業、ルーセント・テクノロジーズやワールドコムなどの通信関連企業、それにネット企業である。バブル下で最も投機的に膨張した消費部門とハイテク部門で、解雇の嵐が吹き荒れているのだ。

 過剰設備と過剰債務不良債権の打撃深刻

 こうした景気急降下のもとで、早くも過剰資本状態が露呈しつつある。
 まず、需要が激減しているため在庫が急増している。十一月の在庫額は一兆二千二百十四億ドルで、史上最高を更新した。すでに〈生産物の過剰状態〉に陥っているのだ。
 その背景には〈生産能力の過剰状態〉がある。九五〜九九年に米企業の設備投資は約六五%も増えており、増加分の実に四分の三までもがハイテク分野だった。しかし、それはバブルに支えられたものでしかなかった。日本がそうだったように、バブル期には需要が゛先食い″されるため、バブルが崩壊すると需要が何年にもわたって急減し、設備は膨大な規模で過剰とならざるをえない。それこそが恐慌を引き起こす最大要因だ。
 特にパソコン需要が完全な頭打ちになっている。昨年は、デスクトップ型パソコンの個人向け販売台数が初めて前年比マイナスとなった。また、自動車販売は九九年に過去最高になっていたが、需要の急減で今年は生産能力が二百万台も過剰になると予測されている。日米の自動車戦争が再び激化するのは必至だ。
 企業の債務も、IT関連などで問題になり始めた。IT関連企業は、社債発行、新規株式公開、ベンチャーキャピタルからの出資によって資金を集め、ストックオプション(自社株購入権)で賃金や報酬を支払う、というあり方を基本にしていた。しかし、株安に転じると、資金は集まらなくなり、社債という借金の重圧が強まる。また、保有するストックオプションも権利行使できなくなる。すでにストックオプションの半分以上が無価値になっている企業は、ハイテク企業の八割以上に上る。
 特に通信会社の負債が深刻だ。九〇年代後半の設備投資に伴って、米通信会社の有利子負債額は千二百億ドルまで膨らんだ。これは八〇年代末の米不動産バブルの際の不動産業界の負債額に匹敵する。膨大な借金を重ねて設備投資を拡大してきたのが、今や過剰設備と過剰債務に転じつつある。

 貸し出し抑制で信用が収縮

 さらに銀行の不良債権も急増中だ。米銀上位七行の昨年末の不良債権総額は、前年比二六%増の三百億ドル弱に達した。貸出先の企業の倒産や業績悪化などが原因だ。預金量で最大のバンク・オブ・アメリカは不良債権が七割増え、預金量第四位のバンク・ワン、第五位のファースト・ユニオンも五割増えた。
 現在は企業向け貸し出しの不良化が目立っているが、今後は個人向け貸し出しで不良債権化せざるをえない。個人の債務は十一月に七兆五千億ドル(約八百七十兆円)と過去最高を更新した。昨年の個人破産は推計で約百三十万件に上っており、今年はさらに激増する。
 しかも米銀はこの間、証券、保険、消費者向け金融などあらゆる分野を統合した金融機関に変化している。二九年恐慌の後に銀行業務と証券業務が分離されたが、それが今や二九年恐慌の前以上に総合的な金融機関に戻ってしまった。いったん不良債権問題が噴出するなら、それが金融全体に及ぼす打撃は二九年恐慌の比ではない。
 不良債権が増大する中で、銀行の貸し出し抑制が強まりつつある。一月の調査では、中堅・大企業向けの貸し出し基準を厳格にした米銀は、全体の約六割にも達した。前回調査の十一月に比べて約一四ポイントもの上昇。六割近くになるのは、米銀危機などで「クレジット・クランチ(信用収縮)」に陥った九〇年以来のことで、その時より割合が大きい。日本で言う貸し渋りそのものだ。すでに信用収縮の第一段階が始まっている。

 規制緩和が危機招く「強いドル」も崩壊へ

 このような景気急降下、収益悪化、大量解雇、過剰資本・過剰債務・不良債権の表面化、信用収縮という事態の中で、重大なのは、従来の規制緩和・撤廃が米経済にマイナスに働き始めていることである。それを象徴的に示すのがカリフォルニア電力危機だ。
 カリフォルニア州は九〇年代に電力の規制を緩和して自由化した。同州の電力会社は発電所を売、配電業者になった。電力卸売取引所が新設され、発電会社がそこに電力を販売、電力会社はそこから電力を買って小売りする、というシステムに変わった。狙いは、発電と送配電を分離して新規参入を促し、競争によって料金を引き下げることにあった。
 ところが、発電所の建設には巨額資金が必要で、しかも競争の激化と収益の低下が予想されたことから、発電事業への新規参入は増えなかった。一方、シリコンバレーなどで電力需要は膨張しつづけた。その結果、一月には計画的な大停電を余儀なくされるに至った。また、電力の卸値は投機的に高騰したにもかかわらず、小売価格は凍結の取り決めで低く抑えられた。このため、配電の電力会社二社の資金繰りが悪化し、経営破綻(はたん)寸前となった。州政府が全面介入してなんとかしのいでいるが、電力供給という点でも電力会社の経営危機という点でもなんの解決にもなっていない。
 これは氷山の一角と見るべきだ。米経済が逆回転しはじめた今、規制緩和によるダメージを引き金にして、金融面でも産業面でも予想を超えた危機が噴出しかねない。
 さらにもう一つ。バブルの外的条件だった国外からの資金流入にも動揺の兆しが出始めた。

 国外投資回収で日本株下落

 昨年の経常赤字は四千億jと過去最高になる見込みだ。それほどの赤字でも米経済が維持されているのは、米帝が「強いドル」政策によって国外からの資金流入を確保しつづけてきたからだ。しかし、第二波の株暴落が始まった昨年九月以降、国外からの対米証券投資は減少傾向になっている。その資金流入の減少を補うために、国外からの資金回収に乗り出している。九月に米国が外国の株式を売って回収した資金は百億j以上と、過去最高になった。これが日本の株安を招いている。
 こうした米株価の暴落、米への資金流入の減少、米による国外からの資金回収、日本株の下落という一連の連鎖が今後さらに進まざるをえない。すでに株価一万三〇〇〇円で日本の大手銀行のほとんどが含み損になっているが、それが一段と深刻化する。その場合、日本の大銀行は破産を免れるために、せっぱつまって米からの資金回収に出る以外になくなるだろう。そうなればドル暴落に進展しかねない。米帝が米株価をテコ入れするために一段の利下げをすれば、ドル不信はさらに増長していく。
 米帝・ブッシュ政権は、十年間で一兆六千億jもの減税を、今年一月に前倒しして実施する方針である。しかし、その景気刺激効果が出始めるのは今秋以降である。減税分が消費に向かうとはかぎらない。いったん恐慌に入れば、減税分を貯蓄に回すこともありうる。いや、そもそも減税案は過大な税収見積もりの上に成り立っており、恐慌に陥れば減税計画が総崩壊する。どのような政策をもっても恐慌への突入は防げないだろう。
 結論として、ついに米経済はバブルの本格的崩壊と恐慌に向かい始めた。今や世界大恐慌の本格化の入り口にさしかかっているのだ。日本の金融恐慌の再激化と恐慌の本格的爆発も避けられない。死の苦悶にあえぐ帝国主義を打倒する情勢が、二十一世紀冒頭から始まっている。二〇〇一年の勝利へ、何よりも都議選の勝利へ決起しよう。

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週刊『前進』(1994号4面2)

連載 学校現場で何が起きているか 教育労働者インタビュー (3)
 市が「教育改革」を率先 組合員の力に依拠し闘う
 福岡 竹河明志さん (小学校)

 市独自の「教育改革プログラム」

 −−福岡市が教育改革プログラムを出しましたが。
 昨年七月、福岡市教育委員会が「福岡市教育改革プログラム」を発表しました。僕らは、この「プログラム」の後に、教育改革国民会議の中間報告を見たわけですが、内容は驚くほど一致しています。
 総論と各論に分かれていて、総論では「郷土愛を育てる」ことをものすごく強調しながら、改革の視点として「心の教育の充実」「二十一世紀の福岡らしい教育」「地域と連帯し、開かれた学校づくり」「学校の自主性、主体性の確立」の四つをあげています。
 各論では、五十一項目もの子細に及ぶ「取り組み項目」を掲げています。「教師の指導力の客観的評価基準の設定」など人事考課につながる中身や、中高一貫教育の推進、通学区域の弾力化、学校サポーター制という名の評議員制、道徳教育の充実、奉仕活動についても共同生活・体験学習というかたちで出ています。
 このプログラムは二〇〇一年度スタートで、「計画期間はおおむね十年間程度」となっていて、国の教育改革の進展を見ながら改訂するとしています。
 発表されてすぐにパンフレットが作られ、僕ら教職員に「懇談会などで保護者にパンフを配りなさい」と言ってきた。そのパンフには「指導力不足教員排除」の項目が入っているんです。多くの教職員が「自分たちの首が切られる内容のものを、なんで親に配れるか」と怒って押し返しました。今もほとんどが配布を拒んだままですね。
 批判点は山ほどありますが、ひとつあげると「国際理解教育の充実」という問題です。実はそこで必ず出てくるのが「国旗・国歌」なんです。
 フィリピンの方や、韓国の小学生と交流したりすると、その方たちは敬意をもって自国の国旗や国歌を紹介します。すると管理職は「こちらも国旗を掲げ、国歌を歌って出迎えよう」と強制します。帝国主義から独立をかちとった国の国旗・国歌と、「日の丸・君が代」とはまったく違う意味をもつにもかかわらず、
「国際理解はまず日の丸・君が代から。自国のアイデンティティーを持つところから」という論理で、必ず国家意識につなげようとしてくるんですよね。

 組合員に秘密で協力する執行部

 −−組合の対応は?
 問題はそこです。組合執行部を追及していってわかったんですが、市教委は、プログラムの策定過程で福岡県教組福岡支部にヒアリングを三回行っていて、支部からも意見書を提出していたんです。そのことを僕ら組合員に隠していて、組合員は、最終内容が発表されて初めてプログラムの存在を知らされたんですよ。
 福岡支部執行部に対して「なぜ明らかにしなかったのか。なぜ反対しないのか」と追及すると、「教育改革プログラムの中にもいい内容もある。だからいい内容には賛成し、悪い内容には反対して、教育改革プログラムを実施させる」と言うんです。
 僕らはすぐに全面的に反対しました。支部全体で二回の学習会を行わせ、機関会議などの討論を経て、ようやく現時点では「教育改革プログラムには基本的には反対だ」というところまでは言わせました。とりわけ「人事考課につながるものは導入させない」ことをはっきりさせました。
 学習会についても、今後も続けることを要求して、引き続いて開催することを決めさせました。
 こうした執行部の屈服は今回のことだけではなくて、「日の丸・君が代」闘争を含めて一貫しています。福岡では国体が開催された一九九〇年にかけて一気に「日の丸・君が代」が強制されてきました。それに対して僕らは「立たない・歌わない・演奏しない」という「3ない運動」を続けて、結局数年間にわたって「日の丸・君が代」強制を許しませんでした。
 それに対して執行部は「闘争を続けると、これまで教組がかちとった権利が一気に攻撃されてしまうから、起立しろ」と「指導」した。「着席までするのは組合規律違反だ」なんてことまで言いました。
 それでも、みんな闘いをやめなかったし、今でもみんな元気に座っています。 今では「君が代」斉唱の時に座っていると、校長と教頭が近づいてきて、校長が本人に「立ちなさい」と言い、校長が教頭に「私は『立ちなさい』と言いましたよね」。教頭が「はい」と答えて、その写真を撮影する、ということが続いています。処分を狙っているということですよ。
 −−やはり連合への移行が大きかったですか。
 そうですね。連合に移行してから福岡県教組は、情勢やいろんな情報を組合員にまったく下ろさなくなりました。教育委員会との関係でも、ほとんど話が決着する段階になってから組合員に伝えてきます。
 連合に移行する前は、教育委員会との交渉には必ず大衆動員をかけて、交渉を組合員が包囲していました。教育委員会の建物を上から下までびっしり組合員が埋めたりしていたんです。でも今は大衆動員をまったくかけません。組合員のエネルギーを執行部の側が恐れていますよね。

 県教組の集会に5000人結集

 先月十三日に福教組主催の集会がありました。「福教組結成五十周年/組織拡大/参院選勝利」の三つを掲げ「五千人集会」と銘打った集会で、どれくらい集まるかなと思っていたら、見事に五千人集まりました。でも、集会の結論はすべて「参院選へ」なんです。ひどいものです。
 五千人も集まるのは、組合員の中に闘う意識が脈々と息づいているからなんですよ。組合員はエネルギーを持っています。この現場組合員の力に依拠して闘うことこそ、今本当に大事だと思っています。
 またよく「若い世代は無関心」とか言われますが、そんなことは全然ない。若い人たちも闘いを求めています。しかし今の執行部には、若い人を組合に入れる力がない。運動をしないのでは、組合の存在意義が感じられませんからね。
 現場では、子どもが教室から飛び出してしまい、担任ひとりで引きとめようとすると教室が大変になっちゃう、なんてことは、どこでもある。その時に連合執行部は「みんなで助け合って頑張りましょう」と言うだけで何も解決しない。
 僕らはそういう話を聞いたら、すぐに校長交渉で「なんとかしなさい」と要求する。そういう中で、若い世代からも確実に信頼を得ている。展望は明るいと思っています。

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週刊『前進』(1994号4面3)

“教育改革と対決を”日教組研修会で情宣

 日教組の第五〇次教育研究全国集会(日教組教研集会)が一月二十七日の東京江東区・有明コロシアムでの全体集会を皮切りに三十日まで開かれ、全国から四千人の教育労働者が結集した。
 今回の教研集会は、日帝による教育基本法改悪が切迫している中で開かれた。ファシスト石原都知事の先兵として登場した東京都の横山教育長に激しい弾劾の声があがった。榊原日教組委員長はあいさつで教育基本法改悪反対の姿勢を示したが、依然として文部省とのパートナー路線にしがみつき屈服している。各分科会では「日の丸・君が代」、組合破壊、教育基本法改悪、教育反動国会との対決をめぐって日教組の取り組みを訴える意見が数多く出された。
 二十七日朝、闘う労働者・学生は大宣伝活動を展開。「闘う日教組運動を取り戻そう!」「教育基本法改悪阻止!」「通常国会での教育反動立法粉砕!」「『奉仕活動』『道徳教科化』は戦争への道」「不適格教員』排除制度を許すな!」「組合活動の自由と権利を守り抜こう!」と訴えるビラを教育労働者に手渡した。
 「日の丸・君が代」に賛成し、日帝の教育基本法改悪攻撃の先兵としてコソコソと登場したカクマルを粉砕して、宣伝活動は貫徹された。

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週刊『前進』(1994号5面1)

「天皇裕仁は有罪」と判決
アジア人民の戦争責任追及・戦後補償要求にこたえ闘おう
 女性国際戦犯法廷が突きつけた課題

 軍隊慰安婦とされた女性らの闘いの勝利

 「天皇裕仁は有罪」「日本政府は国家責任を負う」−−張り詰めていた空気がその瞬間、弾けた! 歓声があがり、拍手がまき起こった。みんなが総立ちとなり、うねるように拍手が続く中、歴史の証言者である日本軍軍隊慰安婦とされた被害女性たちが壇上に並んだ。笑みが交わされ、喜びに涙する姿も見られた。
 二十世紀最後の十二月に「日本軍性奴隷制を裁く『二〇〇〇年女性国際戦犯法廷』」が東京で開かれた。法廷は六十四人もの被害女性が一堂に会する場となり、ビデオ証言も含む二十余人の女性たちが証言した。統一検事団を構成して参加した南北朝鮮、中国、台湾、フィリピン、インドネシア、マレーシア、東チモール、オランダの九カ国・地域の検事団が各国起訴状を作成し、二人の首席検事(旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷法律顧問のパトリシア・ビサー・セラーズさん、国際法学者のウスティニア・ドルゴポルさん)が共通起訴状を提出した。
 三日間の審理を経た十二月十二日、ガブリエル・マクドナルド裁判長(旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷前所長)が、「天皇裕仁は、人道に対する罪の訴因である強かんと性奴隷制についての責任で有罪と認定する。さらに裁判官は、日本政府が、『慰安所』制度の設置と運営について、国家責任を負うと判定する」との判決の結論を述べ、日本政府と元連合国、さらに国連に対する九項目の勧告を行った。(別掲)
 女性国際法廷の第一の意義は、日本軍軍隊慰安婦とされた女性たちの勇気ある闘いがかちとった勝利だということである。被害女性たちの闘いを中核に日帝の戦争責任・日本軍軍隊慰安婦問題を追及する歴史的な闘いは、世紀を超えて二十一世紀に引き継がれた。
 残虐な性暴力を受け生き残った者として死んでいった女性たちの分も声をあげているおばあさんたち。虐げられた体験を歴史の事実として記憶にとどめ、その被害をもう二度と繰り返してはならないと叫んで、名誉の回復と正義の実現を要求してきた被害女性たち。その闘いがついに「天皇有罪、日本政府に責任あり」の判決に結実したのだ。

 「天皇に戦争責任あり」明確に認定

 女性戦犯法廷の第二の意義は、歴史的に初めて天皇の戦争責任を明確に認定したことである。
 発表された判決=「認定の概要」は以下のように天皇裕仁を断罪した。(点線部分が抜粋。バウネット・ジャパン訳、段落は引用者)
24.…裁判官は天皇裕仁を人道に対する罪について刑事責任があると認定する。そもそも天皇裕仁は陸海軍の大元帥であり、自身の配下にある者が国際法に従って性暴力をはたらくことをやめさせる責任と権力を持っていた。天皇裕仁は単なる傀儡(かいらい)ではなく、むしろ戦争の拡大に伴い、最終的に意思決定する権限を行使した。
 さらに裁判官の認定では、天皇裕仁は自分の軍隊が『南京大強かん』中に強かんなどの性暴力を含む残虐行為を犯していることを認識していた。この行為が、国際的悪評を招き、また征服された人々を鎮圧するという彼の目的を妨げるものとなっていたからである。強かんを防ぐため必要な、実質的な制裁、捜査や処罰などあらゆる手段をとるのではなく、むしろ『慰安所』制度の継続的拡大を通じて強かんと性奴隷制を永続させ隠匿する膨大な努力を、故意に承認し、または少なくとも不注意に許可したのだ。
 さらに我々の認定するところでは、天皇は、これほどの規模の制度は自然に生じるものではないと知っていた、または知るべきであったのである。
 「天皇に戦争責任あり」の判決||われわれは、日本人民が半世紀にわたり実現できずにきたものであるという厳しい反省とともに、この判決を受けとめなければならない。
 さらに、九項目にわたった勧告は八項目に元連合国に対して、「東京極東裁判で昭和天皇が訴追されなかった理由を述べ、全ての文書を公開すること」を要求した。
 第二次大戦後に日本軍慰安婦制度が裁かれたのは唯一、オランダが開いたバタビア(インドネシア)軍事裁判で、オランダ人女性三十五人が受けた慰安婦被害が裁かれ、死刑および二年から十五年の刑が宣告されただけである。しかし、二十万人もの朝鮮女性を始めとするアジア女性の被害は訴追されず、黙殺された。

 強かんと性奴隷制で日本の国家責任認定

 女性戦犯法廷の第三の、最大の意義は、日本国家の戦争責任、法的責任をはっきりと認定したことだ。
4.…しかしながら、最大の責任は、五十五年以上にわたって訴追も謝罪も行わず、補償などの有効な救済措置をなんら講じてこなかった日本政府にある。こうした政府の怠慢は、被害者たちが一九九〇年以来繰り返してきた要求にもかかわらず、そして二人の国連特別報告者による細心な調査〔クマラスワミ報告とマクドゥーガル報告〕、さらには国際社会の正式な勧告を無視して、いまだに続いているのである。
 そもそもこの法廷が準備された出発点は、日帝が国家責任を認めようとしなかったことにある。九一年十二月に金学順(キムハクスン)さんなど三人の日本軍軍隊慰安婦とされた女性が日本政府を相手に提訴して以来、九二年には関釜裁判が始まり、九三年四月にはフィリピン人「慰安婦」裁判と在日「慰安婦」裁判が始まった。さらにオランダ、中国、台湾から提訴は続き、日本軍軍隊慰安婦被害関連で現在までに九件の裁判が闘われてきた。また日本政府と日本企業の戦争責任を追及して闘うアジア人民の戦後補償要求裁判は、九〇年以降を見ても五十八件にのぼっている。
 しかし、日帝はこの戦後補償要求、特に慰安婦制度の国家責任を問う裁判に対しては、二国間協定や時効・除責期間を盾にことごとく国家責任を認めないという姿勢を貫いてきた。
 この女性戦犯法廷の直前の十一月三十日、東京高裁は在日朝鮮人元「慰安婦」国家賠償請求裁判において宋神道(ソンシンド)さんに控訴棄却判決を、続く十二月六日にはフィリピン「従軍慰安婦」補償請求裁判でも控訴棄却判決を強行したのである。
 女性戦犯法廷の判決では、日本政府の反論を考慮し、「筆舌に尽くし難いこの暴力が一九四五年当時までの法では犯罪とみなされていなかったとする日本政府の主張を細心に検討した」、その結果、「我々の認定では、人道に対する罪−−侵害行為の中でも最もすさまじいものの一つ||は戦後の各法廷で訴追されるべきであったものであり、また、現在適切に訴追されるべきであった」と断定。さらに次のように続けられている。
23.…さらに我々の認定では、強かんと性奴隷制は、広範囲、組織的、または大規模に行われた際には、人道に対する罪を構成する。一九四五年までに、強かんと奴隷化の両方ともが国際法のもとで極悪な犯罪として長く認められていた。性奴隷制は新しく犯罪とされたものではなく、むしろ奴隷化の特に残虐極まる、侵略的で破壊的な形態である。
 奴隷化とは「人に対して所有権に伴う権能の一部または全部を行使する」ことと定義されている。奴隷化には、強制的または詐欺による移送、強制労働その他の人間を所有物として扱うことが含まれる。「慰安婦」たちを軍需「物資」の一部として徴発したことは、今日の世界でもあまりにも広く見られる女性差別・人種差別的態度に根ざす性奴隷制が、主としてアジア太平洋地域の貧しい非・日本人の女性に向けられつつ前例のない規模で制度化されたことを示している。
 ここでは、日本軍軍隊慰安婦制度が、組織的国家的に実行された戦争犯罪としての強かんと性奴隷制であり、一九四五年までに人道に対する罪として国際法のもとで認められていた極悪な犯罪であったという、明確な認定が行われたのだ。
 天皇有罪、日本政府有罪の判決をかちとった女性戦犯法廷に心からの敬意を表したい。これは勇気ある告発を続けるアジア人女性とその支援者たち、法廷を準備した国際実行委員会とスタッフ、連日傍聴にかけつけたすべての人びとの総力でかちとった成果である。

 責任回避が今も性暴力続く理由

 女性戦犯法廷の一環として十二月十一日には「現代の紛争下の女性に対する犯罪」国際公聴会が開かれ、ベトナム、ビルマ(ミャンマー)、グアテマラ、ブルンジ、東チモール、沖縄、コロンビア、アルジェリア、メキシコ・チアパス州、バングラデシュ、アフガニスタン、コソボ、シエラレオネ、パレスチナからの証言があった。
 ソマリアから来日していた、国連平和維持部隊兵士による強かん殺人の目撃証人は、直前に脅迫電話などがあったため証言を取り止めたと、主催者のコメントがあった。「人々は平和維持部隊が秩序を回復してくれるものと期待していた。しかし、まさにその平和維持部隊によって、人々は虐待され、殺された」のだ。
 この公聴会では、「五十年前の犯罪が罪に問われることがないままで来たことが、似たような犯罪が今も続いている理由の一部である」こと、そして繰り返される性暴力がどれほど残酷な犯罪であることかが、突き出された。
 首席検事を務めたセラーズさんはこの犯罪の残虐性を次のように語っている。(『世界』昨年十二月号)
 「レイプされると死んでいくという感覚にとらわれるといいます。この死の感覚は最も残酷な拷問だと思います。あるルワンダの女性が話していました。強かんされたとき、自分はもう死んだと感じた。男が自分を部屋から引きずり出したとき、死体になった自分が引きずられている感じだったと。『慰安婦』は毎日毎日何度も何度も死んだという感じがしたでしょう。社会的な死という苦しみを受けたのです」
 「この『慰安婦』制度の真相を明らかにすることがどんなに大事かということです。とにかく『慰安所』の事実だけで十分過ぎるほど恐ろしいのです。誇張する必要など全くないぐらい恐ろしい」

 日帝の植民地支配と侵略戦争断罪の闘い

 その出発の時からアジア侵略を開始した日帝は、台湾・朝鮮侵略と植民地支配、中国侵略戦争とニセ「満州国」デッチあげ、さらにアジア太平洋地域への軍事侵攻と軍事占領、そしてそのもとで繰り広げられた“天皇の軍隊゜の残虐な戦争犯罪を歴史に刻んできた。この日帝の侵略戦争と植民地支配を断罪し、責任追及・戦後賠償の闘いに立ち上がったアジア人民は世紀を超え、世代を継いで日帝に迫っている。
 女性戦犯法廷の共通起訴状で起訴された被告人は天皇裕仁と次の九人だ。松井石根(三七年十二月当時の中支那方面軍司令官兼上海派遣軍司令官・大将)、畑俊六(三八年二月当時の中支那派遣軍司令官・大将のち陸軍大臣、支那派遣総司令官)、寺内寿一(三八年六月当時北支那方面軍司令官・大将)、板垣征四郎(三八年六月当時陸軍大臣・中将のち支那派遣軍総参謀長のち大将、朝鮮軍司令官のち第七方面軍司令官)、東條英機(四一年十月〜四四年七月当時首相・陸軍大臣・大将)、梅津美治郎(三九年九月〜四四年七月当時関東軍司令官・中将のち大将)、小林躋造(三六年九月〜四〇年十一月当時台湾総督・海軍大将)、安藤利吉(三九年十一月当時第二一軍司令官・中将のち台湾軍司令官)、山下奉文(四四年十一月当時第一四方面軍司令官・大将)。各国起訴状で起訴された日本軍人らは二十五人に及ぶ。
 これらの被告人が何をしたのか、まさに「教えられなかった歴史」の事実をわれわれのものにしなければならない。知らないではすまない事実が突きつけられたのである。
 日本軍軍隊慰安婦とされたアジア人民が人生をかけた告発を行い、二度と日帝のアジア侵略を許さないと立ちはだかっている。“日帝よ、滅びよ”と叫ぶ被害者たち。彼女らは死んでいった被害者たちのすべての思いを背負い、さらに次の世代が自分と同じようなめに遭わないように、人生をかけて立ち上がっている。
 この人間的豊かさにあふれた告発・援助にこたえることは、戦後、社・共のもとで歪められてきた階級的あり方をのりこえ、真の階級的労働運動を再生させていく闘いそのものだ。日帝の戦争責任・軍隊慰安婦問題を労働者階級の正面課題にすえて取り組むことが求められているのだ。
 しかし彼女たちに残された時間は多くはない。彼女たちが生きているうちに間に合わせなければならない。日本の労働者人民が厳しく貫くべき階級的責任、つまり血債として、日帝の戦争責任を追及する運動を大きくつくりだそう。
 今や世界に知れ渡った日本軍軍隊慰安婦犯罪で、犠牲者は二十万人を超え、アジア太平洋全域に及んだ慰安所の設置が確認されている。そして軍事占領下で、前線で繰り広げられた強かんと殺りく。これらはまさに日帝による他民族抹殺政策=性奴隷制度そのものであった。その後の半世紀、被害者たちは「恥と恐れ」の中に放置され、沈黙し、孤独の中に生きることを強制されたきたのである。
 九一年に金学順さんが名乗り出た時、彼女を突き動かしたものこそ、日帝のPKO派兵への動きであり、「慰安婦は民間業者が軍とともに連れ歩いた」という日本政府の虚言に対する怒りであった。その抑圧の中から怒りを解き放った被害者たちの要求は、もはや押しとどめられるものではなく、その要求の根底性は日帝の一切のごまかしを通用させるものではない。
 この決起に恐れをなした日帝と司法権力は、以来、法的責任を認めず、「道義的責任」を掲げた二百万円の涙金=「国民基金」でごまかそうとしてみたものの、大破産を遂げた。
 そして反動キャンペーンを展開する産経新聞など極右マスコミや、「自由主義史観」をあおるエセ学者・文化人、そしてその先兵としてうごめく右翼ファシストどもが、日帝を再び戦争国家へと押し上げようと歩調を合わせている。
 十二日の判決後、デモに対して、右翼の宣伝カーは「天皇に有罪判決を出すためにデッチあげられた女性戦犯法廷は偽物です」と憎悪をむき出しのデマ宣伝を繰り返していた。
 ファシスト石原が都知事として居座り、「南京大虐殺はまぼろし」と歴史をねつ造するやからが公然と論陣を張る。この反動に労働者階級の怒りの決起で対決すべき時である。街頭で職場で学園で猛然と反撃を巻き起こそう。

 森政権を打倒し改憲阻止決戦へ

 森喜朗首相は一月三十一日の施政方針演説で、「躊躇(ちゅうちょ)せず」「この国の改革に臨んでいく決意」を述べ、「自由で、民主的で、安定し、繁栄する、強靱(きょうじん)なアジア太平洋圏の創出を目指さなければならない」と表明した。絶望的な危機と没落にあえぐ日帝の、このアジア侵略宣言を絶対に許すわけにはいかない。
 過去の戦争犯罪を居直るばかりか、今や日帝は再びアジアに牙(きば)をむこうとしている。戦争責任追及、戦後賠償要求の闘いを階級の課題としてがっちり位置づけ、日本労働者階級の大衆的な運動を爆発させることが待ったなしに求められている。この闘いこそ日帝の戦争国家化を阻止し、改憲粉砕に至る闘いの決定的な一環であり、アジア人民との連帯を直接にも実現する闘いなのである。
 今こそ、「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」を実現すべき時だ。日帝・森政権の改憲攻撃と対決し、日帝の朝鮮・中国−アジア侵略戦争阻止へ、労働者人民の課題として戦争責任追及・戦後賠償要求の実現に全力を尽くそう。
 高裁不当判決後の宋神道さんの第一声は、「日本の国が中国や他の国でやってきたことを若い方々がみんな忘れないで頭に入れないと、これからまた戦争になる。絶対に戦争にひっぱられないようにするのが一番だ」であった。この声になんとしてもこたえたい。
 女性戦犯法廷の最終判決をてこに、世界の声とともに日本政府に勧告の実現を迫ろう。そして教育改革と改憲に突き進む森政権を打倒し、朝鮮・中国・アジア侵略戦争阻止へ闘おう。
〔室田順子〕

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週刊『前進』(1994号5面2)

日出生台 実弾演習に抗議 基地縮小求め1万人集会

 一月二十八日、大分県玖珠町で、米海兵隊の実弾砲撃演習に抗議する「米軍基地の整理・縮小を求める日出生台一万人集会」が開催された。
 地元大分県連合の呼びかけで連合九州ブロック連絡会が主催し、九州各県から一万六百人の労働者が参加した。反戦共同行動・福岡の労働者・学生は、会場入り口で結集する労働者にビラを手渡した。瞬く間に準備したビラがなくなった。
 沖縄県道104号越え実弾砲撃演習の本土への分散・移転に伴う日出生台での演習は、今回で三回目になる。演習は二月八日から二十日まで行われる。訓練実施部隊は、第一二海兵連隊第三大隊の二百十人で、一月三十一日と二月二日に現地入りする。
 日出生台の演習は沖縄人民の負担を何一つ軽くするものではない。沖縄の米軍基地はますます強化されている。その最大のものが普天間飛行場移転|名護新基地建設攻撃だ。また、米軍犯罪はますます増えて悪質化している。基地の島、戦争の島=沖縄という現実はまったく変わっていないのである。
 実弾砲撃演習の本土移転とは、米軍の前方展開戦略の強化であり、日本全土を出撃基地化するものだ。
 米共和党・ブッシュ政権は、軍事力を使った「力の外交」=戦争政策を押し出し、中国、北朝鮮の転覆をも公言している。日出生台演習は、まさに中国、朝鮮侵略戦争体制の構築のためのものであり、断じて認めることはできない。
 日帝は、米帝の争闘戦によって没落の道を転げ落ちながら、戦争のできる国家への転換=改憲の道を突進している。そして、独自の軍事大国化の道をこじあけるために米軍演習を積極的に支援しているのだ。
 労働者が「今の連合指導部ではダメだ。労働者は闘いを求めている。あなたたちの闘いに期待している。あなたたちの主張を聞きたい」と言って『前進』を買いに来た。
 その対極で、闘いの妨害と敵対のために登場しようとした分裂カクマルは、主催者からも「出ていけ」とコールを浴びせられ、労働者の敵=ファシストの姿を満天下にさらした。

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週刊『前進』(1994号5面3)

一坪反戦地主会総会 土地「接収」に反撃 韓国の闘いと交流

 一月二十八日、沖縄・那覇市教育福祉会館で一坪反戦地主会の第一九回定期総会が開かれ、昨年度の総括、二〇〇一年方針、新役員体制などを決定した。
 平良修さんの主催者代表あいさつや違憲共闘議長・有銘政夫さん、「那覇軍港の浦添移設に反対する市民の会」などからの連帯のあいさつが行われた。また、韓国から「東アジア平和のための韓国・沖縄キリスト者青年キャンプ」の一行約十五人が参加した。
 総会は活発な討論の後、沖縄サミット攻撃を「七・二〇嘉手納基地包囲行動」などで打ち返した昨年度の闘いを積極的に総括し、反戦地主との連帯強化、新たな米軍用地強制使用との闘い、憲法改悪・有事立法などに反対する闘い、韓国、プエルトリコなどの反米軍基地・国際連帯の闘い、など八つの方針と総会アピールを採択した。
 総会の後、「沖縄・韓国民衆の連帯を求めて」と題する新崎盛暉沖縄大学教授の講演が、通訳を交えて行われた。
 新崎教授は、「今韓国で急速に高まっている反米軍基地の闘い、梅香里(メヒャンリ)の闘いなどは、沖縄の五〇年代土地闘争と同じ」ときり出し、「復帰、米軍政からの解放は、『沖縄の闘い』のみで実現したのではない。ベトナム戦争に反対する国際的な闘いの中で実現した」「『反米軍基地、東アジアの平和』という共通の闘いでの連帯の中でこそ、日本、韓国・朝鮮の過去の清算はなる」と、今後の沖縄、韓国の連帯の重要性を提起した。
 その後に開かれた交流会は、韓国からやってきた仲間たちを歓迎し、交流する会となった。まよなかしんやさんや海勢頭豊さんが反戦歌を、韓国の青年たちが反基地闘争の現場で歌われている歌などを披露し、酒も酌み交わして、熱い血のかよった交流が行われた。
 JR総連との分裂問題で意気消沈するカクマルは、四人で受付まで来たが、会場に入れずに逃げ帰り、参加者から嘲笑を浴びた。
 改悪米軍特措法による読谷村の「象のオリ」、キャンプ・キンザー(米軍牧港補給基地)の強制使用手続き・公開審理の開始や土地収用法の改悪=一坪反戦地主の土地の強制「接収」の策動など戦争国家化の攻撃が急速に強まる中、一坪反戦地主会総会は、これらに対する反撃の橋頭保としての位置をしっかり築いた。

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週刊『前進』(1994号5面4)

2001年日誌 阻もう!改憲=戦争への動き 2月6日〜13日
 米原潜が衝突し実習船沈没
 「集団的自衛権可能」と野中

●4軍調整官処分なし キグリー米国防総省副報道官が記者会見で、在沖米軍のヘイルストン四軍調整官が稲嶺恵一知事らを「弱虫」などと電子メールで批判した問題について「自ら遺憾の意を表してわびた。彼の熱心な仕事ぶりには幅広い支持がある」「交代する理由がないし、その動きもない」などと述べ、米側としては問題は解決したとの認識を示した。(6日)
●都議選6月24日投開票 東京都選挙管理委員会が、七月二十七日に任期満了となる都議会議員選挙を六月十五日告示、同二十四日投開票で実施することを決めた。(7日)
●沖縄市議会が更迭決議
沖縄県の沖縄市議会が在日米軍の四軍調整官の電子メール問題で、同司令官の県民に対する直接謝罪と更迭要求を盛り込んだ「アール・ヘイルストン四軍調整官に関する抗議決議」を全会一致で可決した。同問題での更迭決議は沖縄県内の自治体では初めて。決議は「県民感情を逆なでし、占領意識丸出し」などとしている。(7日)
●「有事立法推進したい」と防衛庁長官 斉藤斗志二防衛庁長官が衆院予算委員会で有事立法について、森首相が施政方針演説で検討開始を表明したことを受け「一歩踏み込んでいただいた。国民の生命、財産を守る観点でぜひとも推進したい」と述べた。防衛庁の「省昇格」については「世界のほとんどが庁ではなく省だ。一日も早く省への昇格をお願いしたい」と語った。また、集団的自衛権について、自民党の亀井静香政調会長が「同盟国の米国が武力攻撃された場合には現憲法下でも行使できるし、すべきだ」と主張した。(8日)
●4軍調整官が謝罪 稲嶺沖縄県知事を「弱虫」などと電子メールで批判した問題で、アール・ヘイルストン在日米軍四軍調整官が沖縄県庁に稲嶺知事を訪ね、「弁解の余地はない。不適切な表現を深くお詫びしたい」などと「謝罪」した。(8日)
●米兵が民間地で銃を携行
 沖縄県那覇市古島の国道330号の歩道で、浦添市のキャンプ・キンザー所属の米海兵隊員二人がライフル銃を肩に駆け回っているのをドライバーが発見し、那覇署に通報した。米兵は「仲間の車を見失い道に迷った。連絡のため公衆電話を探していた」と話している。(8日)
●衆院で憲法調査会 衆院憲法調査会が西沢潤一・岩手県立大学長と高橋進・東大教授を参考人に招き、「二十一世紀の日本のあるべき姿」について意見交換した。(8日)
●米原潜と衝突し日本船が沈没 米ハワイ・オワフ島沖で、愛媛県立宇和島水産高の実習生ら三十五人が乗った同県の漁業実習船えひめ丸(四九九d)が、米海軍のロサンゼルス級攻撃型原子力潜水艦グリーンビル(水中排水量六、九二七d)に衝突され、沈没した。実習生ら九人が行方不明となっている。米太平洋艦隊司令部は、原潜が緊急浮上訓練中に衝突したことを明らかにした。さらに原潜は体験航海のため乗船していた民間人が操舵していたこと、浮上前の安全確認の際に、自分から超音波を発信して周囲を探る「アクティブソナー」を使わずに、エンジン音などを聴き取る「パッシブソナー」だけを使用していたことが明らかになっている。同原潜は沖縄県勝連町のホワイトビーチにも入港したことがある。(9日)
●見学者に砲弾 大分県の日出生台演習場で八日から実弾砲撃演習を行っていた在沖米海兵隊が、自治体関係者向けの公開演習で、参加者に一五五_りゅう弾砲の発射操作をさせていたことがわかった。(10日)
●「集団的自衛権の行使可能」と野中 自民党の野中広務前幹事長が講演で、集団的自衛権の行使に関して「同盟国たる米国が攻撃を受けたときに、我が国の集団的自衛権は発動される」と述べた。周辺事態については「周辺事態で米国が他国の地域紛争に入ったからといって、日本も自衛隊を兵力として(海外)派遣するようなことに手を貸してはならない」と語った。(10日)
●浦添市長に軍港移設容認派 沖縄県の那覇軍港の浦添移設問題を最大の争点にした浦添市長選が投開票され、那覇軍港の浦添移設を積極推進する姿勢を示す新人の儀間光男・元県議会議長(自民・保守推薦、公明支持)が一九七三九票を獲得し、当選した。新人の比嘉実・元法政大学沖縄文化研究所所長(無所属)は一八五五三票。宮城健一・前市長(社民・社大・共産推薦)は一五七六二票で及ばなかった。(11日)
●放火容疑で米兵に逮捕状 沖縄県北谷町で一月、二軒の飲食店が焼ける火事があり、沖縄署が米海兵隊所属の兵長に対し、非現住建造物等放火の疑いで逮捕状を取った。米軍側は身柄の引き渡しを拒否し、「起訴時に速やかに身柄を移管する」としている。(13日)

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週刊『前進』(1994号6面1)

国公立大学の独立行政法人化大学と学生の戦争動員許すな
 3月対文部科学省行動の爆発を
 「大学自治」と学生運動の圧殺狙う独法化粉砕せよ
 マル学同中核派東北大学支部

 二〇〇一年は「国公立大学の独立行政法人化」(以下独法化と略)をめぐって重大な決戦のときとなっている。二月八日、都知事・ファシスト石原が都立四大学を独法化すると表明した。これは、文部科学省が国立大学協会を取り込んで調査検討会議を発足させながら、いっこうに論議が進展しない中で、石原が躍り出て独法化攻撃に先鞭(せんべん)をつけるものだ。調査検討会議もこれに追随する形で四月中にも最終報告に向けた「骨子」をまとめるとしている。すでに独法化阻止決戦は激しい攻防に突入しているのだ。独法化攻撃とは、二九年型大恐慌の本格化が始まり、帝国主義間争闘戦が全面的に激化する現在、改憲攻撃の重要環をなす教育改革攻撃を大学において貫徹し、戦争体制に組み込む攻撃である。それは、「大学自治」を一掃し、大学を国家権力が掌握・統制し、学生運動を始めとする学生の自主的・主体的な闘いを壊滅することでもある。日帝の戦争国家化=改憲攻撃、教育改革攻撃を粉砕する闘いそのものとして、二〇〇一年の独法化阻止決戦の大衆的爆発をかちとろう。三月対文部科学省行動への大結集をかちとろう。

 11月統一行動で大学への国家統制と対決

 独法化阻止決戦の方針を、以下四点にわたって提起したい。
 第一に、昨年十一月の東北大ストライキ闘争を先頭とする全国学生統一行動の画期的勝利の地平を打ち固め、全国三百万学生の根底的怒りを組織し、総決起を実現していこう。
 十一月行動の勝利の地平は、「大学自治」を一掃し、国家権力が大学を掌握・統制するという独法化攻撃の核心的な狙いと真っ向から対決してこの行動が闘い抜かれたことである。
 昨年五月に出された自民党文教部会提言は、「行政改革」として始まった独法化を「大学改革」に適用することで生じた動揺に反動的決着をつけ、独法化によって戦争大学化を進めるという日帝の階級意思を鮮明にさせた。
 提言は一つに「教育も科学技術も、国家発展の基盤であり、原動力」「高等教育と学術研究の双方を担う大学の役割と責任は、極めて重大」と、国家・国益主義の立場から、日帝にとっての大学政策の死活性をあらためて確認している。
 二つに、「国際競争力強化」や「個性化・多様化」の名で、国公私立大学を問わずすべての大学に徹底した競争原理を持ち込むとしている。
 三つに、大学の自主性・自立性の尊重などの論議を払拭(ふっしょく)するかのように「国費で運営される国立大学については、国が、その運営や組織編成の在り方について相当のかかわりを持つことは当然」と言い切っている。
 四つに、以上が貫徹されるならば公的資金を大幅に拡充するべきであるとしている。
 そして結論として、独立行政法人制度こそ、大学を競争的環境におき、しかもその中で「国の意思を法人運営に反映させうる制度」であると評価し、これを大学に適用することは適切だと言い切っているのだ。
 ここに貫かれているものは、単純な競争原理や効率主義の導入ではない。国家権力が大学の研究・教育内容の根本を掌握・統制し、帝国主義として重視する研究・教育と切り捨てるべきものとを取捨選択し、それを予算や改廃措置による容赦のない生き残り競争的なやり方で大学に貫徹させるということだ。
 五月の自民党提言を画期として、中曽根弘文文相(当時)が「独法化見送りはありえない」と強力な意思を表明するなど、政府は独法化攻撃を一挙にエスカレートさせた。
 十一月行動は、こうした独法化攻撃の凶暴な展開と真正面から激突して闘い抜かれたのだ。その画期性は、ついに学生が自己決定の主体として決定的に躍り出たことである。
 ソ連スターリン主義の崩壊後の九〇年代、帝国主義間争闘戦が激化する中で、日帝は「大学改革」攻撃を激しく推し進め、とりわけ大学内を強権支配のもとにおき、学生にその矛盾を集中してきた。学生は、ことごとく主体性を押しつぶされ、競争させられ、団結が阻害されてきた。
 そして今、大学においてどのようなことが起こっているのか。東北大学当局は、独法化攻撃と闘う学生の闘いを「雷同」と罵倒(ばとう)し、広島大学当局は学生を「製品」と称し、法政大学当局は“金のない人間は大学に来る必要がない゜とまで言っている。
 独法化攻撃はこのような現実を極限的に激化させる。そして学生の主体性を完全否定し、どこまでも国家のために生きかつ死ぬことすら強いるのだ。
 しかし、このような現実を全国学生はもはや容認しない。十一月行動をとおして、「私たちは国家の歯車ではない。人間なのだ」という叫びが発せられた。独法化攻撃と対決し、全国三百万学生は自らの生き方と自己決定権を貫いて決起する。十一月行動はこのことを鮮明にさせたのだ。

 独法化は戦争国家・改憲攻撃そのもの

 第二に、独法化攻撃が戦争国家化=改憲攻撃そのものであり、大学を日米争闘戦と朝鮮・中国侵略戦争に動員する攻撃だということをはっきりさせて闘い抜こう。
 一月の中央省庁再編によって新たに内閣府が設置され、そのもとに首相を議長とする総合科学技術会議がおかれた。これまでの科学技術会議が下部組織の政策への追認機関にとどまっていたのに比べ、総合科学技術会議は、人文・社会科学系も包括し、科学技術基本計画などの政策の策定、予算や人材の配分、評価などを行う能動的機関となる。独法化によって行われる大学への評価と予算配分や勧告に、総合科学技術会議の意思が強く反映されることになる。総合科学技術会議と独法化は、日帝の国家政策を大学に貫徹させるための車の両輪をなすものだ。
 すでに、米帝が政治・経済・技術・軍事にわたる全国家機構、全教育研究機関(大学を含む)をあげて他帝国主義との争闘戦を展開しているのに対し、「(日本には)世界的視野に立った大黒柱のような国家戦略性はなく、それは今日も脆弱(ぜいじゃく)」「日本の大学には国際政治学上の戦略を専門に教育研究する大学や学部が皆無」(中曽根康弘元首相、二〇〇〇年九月)と、日帝はすさまじい危機感を抱いている。
 科学技術政策そのものについても同じだ。第一次科学技術基本計画(一九九六|二〇〇〇年度)は、この面での日米争闘戦での敗勢を「基礎研究の水準は、欧米に比しても立ち後れかつその格差がさらに拡大している分野も少なくない」と認識し、バブル経済の崩壊によって研究開発投資が減少し続けていることを「わが国が近年経験したことのない厳しい状況」(同)ととらえ、日帝が帝国主義として存立の危機にあることを表明している。
 総合科学技術会議の設置や科学技術基本計画の策定は、日帝のこうした危機感に対応したものだ。
 この総合科学技術会議と対をなす国公立大学の独法化は、日米争闘戦の敗勢と日帝経済危機の中で、文字どおり国家をあげた戦争体制構築のための攻撃であり、大学を日米争闘戦と朝鮮・中国|アジア侵略戦争にとことん動員しようとする大攻撃なのだ。

 「国際競争力強化」は争闘戦への動員の攻撃

 独法化を推し進めるために「国際競争力強化」という主張が公然と学園に持ち込まれている。これに批判をたたきつけていくことが決定的だ。
 「国際競争力強化」とは日帝が激化する帝国主義間争闘戦に全社会を動員するためのイデオロギー攻撃だ。実際、その中で何が起こっているのか。労働者の賃下げ・首切りであり、人民の福祉や権利の剥奪(はくだつ)であり、独法化ではないか。さらに帝国主義の争闘戦は戦争にまで行き着く。「国際競争力強化」とは戦争と労働者人民への犠牲の集中であり、現代版「お国のために」なのだ。
 他方で独法化は、「大学自治」の名であいまいにさせられてきた大学と学問の階級性を鮮明にさせる。誰のための、何のための大学と学問なのかが鋭くつきつけられる。独法化阻止決戦とは〈争闘戦と戦争のための大学と学問〉なのか、〈労働者階級人民のための大学と学問〉なのかを再び全学生・全教職員に鋭く問う決戦なのだ。

 大学の「独立性」奪い戦後の教育理念一掃

 第三に、独法化攻撃が現在、改憲攻撃の環となっている教育改革攻撃を大学において貫徹する攻撃だということをはっきりさせて闘い抜こう。
 日帝の教育改革攻撃の最大の核心は、没落帝国主義・日帝が絶望的な延命の道として戦争国家化・改憲に突き進むために、その前に立ちはだかる「教え子を再び戦場に送るな!」の理念とそれを体現してきた教育労働運動を壊滅することである。
 同時に教育改革攻撃とは教育の理念、制度の戦時型再編の攻撃である。
 一つに、教育基本法改悪に表される戦後教育の理念の反動的転覆である。憲法|教育基本法に規定されている「教育を受ける権利」「教育の機会均等」すなわち「権利としての教育」の理念を、「国家の教育権」すなわち「義務としての教育」の理念へと根本的に転換し、国家への忠誠心をはぐくむ教育を行おうとしている。
 二つに、単線型教育制度から複線型教育制度への転換である。戦前型の細分化された教育制度を復活させ、国家にとって有用な人材とそうでない者への振り分けや社会の階層分化を徹底しようとしている。
 こうした教育改革攻撃を大学において貫徹していくのが独法化攻撃だ。
 独法化は、「大学自治」を支えてきた学生運動や学生自治活動、さらに教授会までも壊滅することを狙っている。戦争国家化に向けて、戦前の大学が侵略戦争に協力していった痛烈な反省から侵略戦争とそれへの加担を繰り返さないために学生・教職員が闘いの中でかちとってきたあり方をすべて解体しようとしているのだ。
 独法化は、憲法|教育基本法に貫かれる戦後教育の理念を大学においても完全に空洞化する攻撃だ。
 「大学自治」は、「学問の自由」と「教育の機会均等」、さらに「権利としての教育」という理念によって根拠づけられてはいるが、そうした法制的根拠や理念よりむしろ国家権力に対する実際の抵抗と闘いによって支えられてきた。
 独法化は、こうした闘いを粉砕することをとおして「大学自治」もろとも大学から戦後教育の理念を一掃しようとする攻撃なのだ。
 また独法化は、教育制度の戦時型再編の一環として大学を再編することを狙いとしている。形式上にしろ国家に対する独立性を維持するものから、生き残りをかけて国家政策を積極的に実践するものへと、大学のあり方を原理的に転換させるのだ。大学が国家の必要にこたえて自らを積極的に作り変えていくのだ。
 実際、先の自民党提言は「研究重点大学、教育重点大学、教養型大学、実践的な職業人の養成大学など多様なタイプの大学があってよい」としている。それだけではない。教育改革国民会議最終報告では、大学入学年齢の弾力化や成績評価制度の導入とそれに達しない学生の落第・退学も主張されている。
 これらは、帝国大学を頂点に専門学校、師範学校などに細分化された戦前の高等教育体系の復活にほかならない。さらにその中で国家による徹底した選別教育を行うことによって、個人にとって開かれた教育ではなく、国家にとって有用な人材の配置を上から徹底しようとしているのだ。

 奉仕活動の義務化は徴兵制復活への水路

 ここで重要なことは、教育改革国民会議が奉仕活動の導入を明記したことである。町村文部科学相は二月二日、大学への入学を九月に一般化すべきだと述べ、高校卒業後の半年の中で「三、四カ月奉仕活動をするのもいい」と述べた。さらに奉仕活動の例として自衛隊への入隊をあげた。奉仕活動の義務化が、徴兵制=兵役義務制の復活をにらんだ攻撃であることは明白だ。教育改革攻撃とは、改憲と戦争国家化の戦略的突破口であり、学生の侵略戦争への動員のための攻撃なのだ。
 そもそも日帝の戦後教育制度は、なぜ憲法が「学問の自由」を明記し、教育基本法が「教育への国家の不介入」を基本理念とするところから始まったのか。
 日帝国家にとっては「富国強兵」のための国家事業であり、人民にとっては納税・兵役とならぶ「国民の義務」として強制されるものであった戦前の教育が、人民を「忠君愛国の臣民」に仕立て上げ、日帝がアジア侵略戦争に人民を動員していく決定的武器となったことへの反省からである。さらに、戦後革命の高揚の中で学生・教育労働者が、再び侵略戦争を繰り返さないために教育への国家権力の介入を排除しようと実力で闘ったからだ。
 日帝が再び戦争国家化に動き出した今こそ、教育労働者の闘いと一体となって、教育改革|改憲・戦争国家化攻撃を粉砕する闘いとして独法化阻止決戦の爆発をかちとろう。

 独法化決戦の爆発で学生運動の統一へ!

 第四に、独法化阻止決戦の爆発をかちとり、学生運動の革命的統一を今こそ大胆に推し進めよう。
 日帝の戦争国家化=改憲攻撃は、戦後革命の敗北の副産物としてある「戦後民主主義」体制を、日帝の側から反動的に転覆しようとするものだ。戦後的階級関係を日帝に強制してきたものこそ、日共スターリン主義や社民の裏切り的指導にありながら戦闘的に闘い抜いてきた労働者人民の闘いである。
 学生運動においても、戦後ただちに学生自治を要求する闘いや戦犯教官を追放する闘いが開始された。一九四八年六月には、「学問の自由と学生自治への干渉弾圧反対」などを掲げたストライキに全国百四十校、約二十万人の学生が決起する。そして、この闘いを引き継ぎ、四八年九月には全学連の結成へと至る。そこからレッドパージを粉砕し、大学を拠点に六〇年安保闘争、七〇年安保・沖縄闘争へと上りつめていったのだ。
 日帝の戦争国家化=改憲攻撃はこれらの地平の一掃を狙うものだ。しかも、日帝が絶望的延命路線として戦争国家化=改憲攻撃に踏み出した今日、もはや戦後的な枠内での決着は一切ありえない。日帝のアジア侵略戦争の道か、戦争国家化阻止=改憲粉砕・日帝打倒|プロレタリア社会主義革命の道かが鋭く問われる。
 ここにおいて、戦後革命期に全学連の結成をかちとり、六〇年、七〇年の階級闘争の内乱的発展を学生戦線が先頭で切り開いてきたように、独法化阻止決戦の爆発の中で学生運動の革命的統一を大胆に推し進めよう。都議選決戦に勝利し、改憲阻止決戦の内乱的爆発を切り開こうではないか。何よりも分裂カクマルを学生戦線から打倒・一掃し、全国大学にマル学同中核派の旗を打ち立てよう。三月対文部科学省行動の成功をかちとろう。

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週刊『前進』(1994号6面2)

東北大 “森政権を許さない”改憲阻止へ第一波闘争

二月一日、東北大学川内北キャンパスで、改憲阻止の第一波闘争として「不正! 腐敗! 民衆切り捨ての森政権を許さないぞ! 『国への奉仕』と戦争押しつける通常国会弾劾!」集会を打ち抜いた。
 少年や学生の主体性を踏みにじり、さらなる競争や差別をあおり立て、侵略戦争と学徒動員への道を掃き清める「教育改革」をわれわれは絶対に拒否する! 烈々たる決意に燃えて五十人の学友が集会に結集した。
 基調報告は「反動国会を徹底的に弾劾しよう!」と提起した。東北大学学生自治会、日就寮などが闘う決意を表明、一年生も「戦争国会を許さない!」と発言した。
 集会後、キャンパスを一周し道路まで席巻するジグザグデモを、元気よく貫徹した。今春国会闘争に向けての力強い号砲となった第一波闘争だった。(写真)
 前日の一月三十一日、「日本新生改革国会」と名付けられた通常国会が始まり、森首相が施政方針演説で土地収用法改悪案などの超反動諸法案を成立させ、有事法制の検討を開始すると述べた。何よりも重要なのは、森が今国会を「教育改革国会」と位置づけ、教育改革国民会議最終報告に基づいて多数の教育関連法案を提出しようとしていることだ。
 「奉仕活動」の義務化、「不適格教員」の排除、そして教育基本法の改悪||これこそ戦後教育、「戦後民主主義」を根底から覆し、改憲と戦争、学徒動員への道を掃き清めるものだ。日帝は、一切の照準を「教育改革」|教育基本法改悪に合わせ、改憲と戦争へ突き進もうとしている。
 国公立大学の独立行政法人化は、この「教育改革」とまったく一体のものだ。
 われわれ東北大生は、「改憲阻止! 教育基本法改悪阻止! 森政権打倒!」の大運動をつくり上げ、今国会に攻め上ることを決意している。すべての闘う仲間の皆さん、ともに闘おう。
 (投稿 東北大学 U)

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