ZENSHIN 2001/01/29(No1990 p06)

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週刊『前進』(1990号1面1)

四党合意撤回・執行部打倒へ 機動隊導入許さず1・27国労大会に大結集せよ
 松崎と黒田の分裂促進を
 改憲・有事立法・教育改革粉砕へ KSD汚職の森政権を打ち倒せ

 本紙新年号の政治局アピールが提起したとおり、二十一世紀が二十世紀の歴史を引き継ぐ戦争と革命の大激動の時代、プロレタリア世界革命の完遂の時代であることがいよいよ明らかになってきた。アメリカ経済がついにバブル崩壊過程に突入し、二九年型世界大恐慌の本格的全面的爆発が現実のものになりつつある。日帝の危機が一段と深まり、森政権は改憲=戦争国家化攻撃と一大資本攻勢に総力を挙げて突き進んでいる。帝国主義と全労働者人民との生死をかけた階級的激突が、至るところで始まった。一・二七国労続開大会をめぐる決戦に絶対に勝利し、今こそ労働者階級の総反撃への巨大な突破口を切り開こう。「四党合意」を完全に粉砕して闘う国労の再生をかちとり、分裂カクマル打倒・JR総連解体の大攻勢に立とう。その勝利をもって都議選決戦の必勝へ突き進もう。

 第1章 米帝バブル崩壊と世界大恐慌の切迫

 世界経済の危機、大恐慌の切迫が、全世界を揺るがし始めている。一月三日、四日と連日行われた米の緊急利下げは、アメリカ経済のバブルが最終的な崩壊局面に入りつつあることを示した。この利下げにもかかわらず、米の株式市場は低迷し、昨年十二月からの実体経済の急速な冷え込みが一段と激化している。株価の下落が投資と消費の下落につながる「逆資産効果」が拡大し、企業の破産や赤字転落が続出、リストラの加速により、労働者の解雇が急増し、その数は過去最高水準に達している。
 「IT革命」のもとでどこまでも成長が続くかのように言われた米経済の神話が、当のハイテク企業・ネット企業の破綻(はたん)を引き金として、ついに崩壊し始めた。米の株式市場に流れ込んでいた資金の欧州などへの逆流がすでに始まり、株の暴落からドルの暴落、金融市場の崩壊、世界大恐慌へと発展する情勢が急速に深まっている。
 米帝経済のバブル崩壊の直撃を最も激しく受けているのが日帝経済である。日帝の対米輸出、対アジア諸国への輸出はこの数カ月間に激減し始めた。他方で国家破産の危機の中で、赤字放漫財政による金融資本・大資本救済策ももはや限界に達している。日経平均株価は三月末までに、バブル後の最安値であった一万二八七九円を割り込むと予測されており、不良債権問題の新たな爆発、金融危機の再燃は避けられない。
 九七−九八年に爆発した日帝金融・経済恐慌の、一層の大爆発をかろうじて押し止めてきた諸要因がすべて吹き飛んでしまおうとしているのだ。
 この中で各国帝国主義の生き残りをかけた争闘戦が激化し、世界市場の再分割をめぐる真っ向からの激突、帝国主義国家間のつぶし合いが始まっている。帝国主義はその基本矛盾を結局は侵略戦争−世界戦争として爆発させていくしかないのである。
 一月二十日の米ブッシュ政権の発足は、明白にその幕を開けた。米新政権はすでにその対日・対アジア政策において、クリントン政権をも上回るむきだしの対日争闘戦と、中国・北朝鮮スターリン主義に対する侵略戦争強行と体制転覆の方向を打ち出している。
 ラムズフェルド次期国防長官は一月十一日、米上院で「古い核抑止戦略だけでは新たな脅威に対抗できない」「国防政策を包括的に洗い直す」と言い切り、NMD(米本土ミサイル防衛網)とTMD(戦域ミサイル防衛網)の推進を宣言した。北朝鮮・中国やイラン・イラクを「新たな脅威」と名指しし、大軍拡とアジア・中東での戦争放火政策に拍車をかけ、そこに日帝を引き込んで日帝による独自のアジア勢力圏化を阻止し、アジア支配・世界支配を貫こうというのだ。
 そのために日帝に、「集団的自衛権の行使」(=米軍指揮下での自衛隊の公然たる参戦)に道を開くことを強引に要求している。

 「日本新生改革国会」との対決

 この米帝の激しい対日争闘戦と、日帝の経済危機・政治危機の果てしない深まりは、帝国主義としての歴史的没落に日帝ブルジョアジーをたたき込んでいる。彼らにとって唯一の出口は、戦争国家化=改憲と労働者階級圧殺の一大資本攻勢に支配階級としての総力を挙げて突き進む道でしかない。一切の戦後的諸制度の暴力的転覆、労働者人民の戦後民主主義的諸権利の全面剥奪(はくだつ)の上に、あらゆる抵抗をたたきつぶして再び凶暴な朝鮮・中国侵略戦争−世界戦争・核戦争の道に突進するということだ。
 新年冒頭からの森政権や中曽根、ファシスト石原などの激しい動きは、彼らのすべてがこの一点で結束して動き出したことを示している。日帝支配階級の分裂と危機が深まれば深まるほど、労働者人民への攻撃はますます絶望的に凶暴化する。それはしかし、膨大な労働者人民を生きるためには命がけで闘うしかないところに次々と立たせていくものだ。すでにその歴史的決起は始まっている。
 一月六日にスタートした中央省庁の再編と、三十一日から始まる通常国会はその突破口だ。日帝・森政権はこの国会を「日本新生改革国会」と呼び、教育改革、公務員制度改革などの行財政改革、社会保障制度改革、有事立法攻撃およびその一環としての土地収用法改悪、沖縄名護新基地建設攻撃、さらに国籍法改定(簡易帰化制度導入)をテコとした在日朝鮮人・中国人への抹殺攻撃など、全面的な攻撃に一斉に打って出ようとしている。
 その核心は、第一に朝鮮・中国侵略戦争遂行のために戦争国家化=改憲攻撃にあらゆる水路から本格的に着手することであり、第二に行革・リストラ攻撃の国家的大展開と労働運動・労働組合運動の全面圧殺・解体にある。この両者が不可分一体であり、本質的に連動していることをはっきりさせなければならない。
 特に日帝が、全攻撃の突破口として狙っているのが「JR完全民営化法」の成立と、「不適格教員」の排除を最大の柱とする教育改革関連法攻撃の強行である。その本質は、国鉄労働運動と教育労働者運動の完全解体攻撃だ。
 闘う全労働者の総力決起で絶対に粉砕しよう。KSD(ケーエスデー中小企業経営者福祉事業団)をめぐる汚職にまみれた超反動森政権打倒へ闘おう。

 第2章 労働運動の再生がかかった国鉄決戦

 一月二十七日の国労続開大会をめぐる決戦は、二〇〇一年の階級決戦全体の帰すうを決する闘いである。日帝権力・資本を始めあらゆる反動、反革命が一体となった暴力的な国労解体攻撃をここで絶対にはね返し、「四党合意」粉砕・闘う国労の新執行部確立へ、とびらをこじ開けなくてはならない。
 会場の東京・社会文化会館を包囲する一万人の大結集をかちとり、追い詰められた宮坂・チャレンジ、上村革同、さらにその最悪の先兵となって「四党合意」の受け入れ強行を図る酒田東京地本委員長などの悪らつな策動を絶対に許さず粉砕しよう。不屈に闘う闘争団・千四十七人の心底からの階級的人間的怒りの爆発にこたえ、決起した全労働者がその怒りをわがものとして闘うならば、昨年を上回る勝利を切り開くことは必ずできる。「四党合意」粉砕の一点で全員が火の玉となって結束し、何ものも恐れず闘いぬくことだ。
 宮坂・上村や、新井、酒田は昨年来の闘いの爆発に恐怖し、卑劣にも警察・機動隊を全面導入して大会会場を暴力的に制圧し、闘争団や一般組合員を傍聴席から排除し、報道陣さえもシャットアウトすることを策動、その完全な密室の中で「四党合意」を強行し、あくまで執行部に居すわろうともくろんでいる。「昨年の混乱」はすべて「外部の妨害勢力」によるものというデマで、警察・機動隊導入を策動しているのだ。
 不当解雇された当事者である闘争団を排除し、機動隊に守られて開かれる大会! 組合員の傍聴を拒否し密室で強行される大会! そんな「労働組合」の大会がどこにあるのか。この策動の中に、国労中央本部や酒田らの不正義性と、「四党合意」の階級的本質は隠しようもなく明らかだ。これを許すこと自体が組合としての国労の死だ。
 宮坂らのこのあまりにも犯罪的な策動の背後にあるのは、日帝・森政権とJR資本による「第二の分割・民営化」の大攻撃だ。日帝は、一月末に始まる通常国会でのJR法改定=「JR完全民営化」法制定に、公務員制度改革を始めとする全行革・リストラ攻撃の成否をかけている。さらには民間を含めた全産業にわたる戦後かつてない大資本攻勢の貫徹のためにも、ここに全体重をかけて襲いかかっているのである。
 一月十二日に出された日経連の労働問題研究委員会報告は、春闘解体を公然と宣言し、賃上げ要求すら認めず賃金闘争そのものの全面解体に踏み込んだ。さらに日帝が中央省庁再編に続く次の課題として打ち出した公務員制度改革の最大の柱は、公務員の身分保障の撤廃と大量首切りへの踏み切りである。特殊法人の全廃攻撃、郵政民営化=全逓労働運動圧殺の攻撃もせきを切って始まっている。
 JRの完全民営化、およびこれと一体のものとして打ち出されているJR東日本の大合理化計画「ニューフロンティア21」こそ、それら一切の突破口だ。だからこそ日帝は、通常国会開会前に、「四党合意」を何がなんでも国労に飲ませることで国労を解体し、千四十七人闘争を解体しようと必死になっているのだ。
6面につづく〜1面からつづく
 逆に言えば、国労闘争団を始めとする千四十七人闘争が、この大反動を突き破って一層不屈に闘いぬかれるならば、全資本攻勢を打ち破る新たな闘いの結集軸が、全労働者階級の内部に不動に打ち立てられるのは間違いない。それに対する恐怖こそが、日帝を駆り立て、現在の凶暴な攻撃に突っ走らせているのだ。

 カクマル分裂は勝利の好機

 国鉄決戦は今日、労働者側からの総反撃開始の決定的なチャンスを迎えている。それは言うまでもなく、カクマルとJR総連の大分裂と、JR総連のファシスト支配の歴史的崩壊の始まりだ。
 黒田・カクマルと松崎・JR総連の分裂と対立は、一方における白色テロルと他方における権力への告訴という形をとって、非和解的に進行している。この分裂と対立はJR連合などが言うような「自作自演のパフォーマンス」などでは断じてない。起きているのは反革命ファシスト党派としてのカクマルの総破産、カクマル黒田哲学とその「組織現実論」の最大の物質化としてあったJR総連運動の総破産なのだ。
 松崎は十二月九日のJR東労組全支部委員長会議で、最近までカクマルに所属していたが今は手を切ったと公式に認めた。そして「カクマルの攻撃から会社と家族を守る」と、資本とこれまで以上に一体化して第二の分割・民営化攻撃の最先兵となることを宣言した。そのためには「カクマルの党派的利益を守れ」「ケルンをつくれ」などと全面破産したJR総連指導をあくまでもデタラメに強要する黒田・カクマルからの最終的な離反が不可欠であり、これが分裂の引き金であることを自認した。
 これは、松崎が黒田との結託のもとにつくり上げたJR総連とそのファシスト労働運動を、闘う国鉄労働者がここで一気に解体・打倒し、組織戦に打って出る好機到来だ。
 すでに動労千葉は、この決定的情勢をとらえて全力で闘いに突入し、同時に新たな大合理化攻撃に対してストライキによる反撃に断固として立つことを決定した。動労千葉に続き、今こそ青年労働者を中心に数百、数千、否、数万人という規模での労働者のJR総連からの決定的な離反と、積極的・変革的獲得に向かって、圧倒的に打って出なければならない。
 一・二七大会決戦の勝利と国労の戦闘的再生を、そのためにもなんとしてもかちとらなくてはならない。死力を尽くして総決起し、絶対に勝利をもぎとろう。

 第3章 闘う労働者党建設へ都議選の必勝を

 第二次森改造内閣と新省庁体制発足のもとで、日帝の政治危機はますます深まっている。財団法人KSDとその関連団体にかかわる汚職事件は、グラグラの森政権をいよいよ激しく揺さぶっている。だが今日の日帝にとって、どんなに破産的であろうと現政権に代わりうる政治支配の体制などどこにもない。労働者人民の怒りの爆発と内閣支持率の絶望的低下の中で、一層の反動政治に突き進むしかないのが日帝である。
 こうした中で、六月都議選と七月参院選がいやおうなしに最大の政治焦点となってきた。このままでは政権を維持できないという危機感にかられた自民党は、衆院選での中選挙区制復活に言及し始めるなど、党利党略むきだしのあがきを強めている。全政党が、都議選・参院選の結果によっては衆院解散・総選挙と大規模な政界再編が不可避であるとして、全力を挙げた選挙戦に走り出している。
 だが労働者階級人民にとって重大問題は、この巨大な政治危機と党派的大流動の真っただ中で、労働者階級の階級的利害を真に体現して闘う政党がどこにもないことだ。民主党は第二保守党であり、最大問題は日本共産党の大転向である。
 森政権やファシスト石原都政の全反動攻撃と真っ向から対決して進む首都の労働者人民の新たな大衆的闘いの大爆発を巻き起こすことによって、この現状を根底的に突破することが求められている。その闘いの中から、従来のあらゆる既成政党をのりこえて、労働者階級の日々の闘いと深く結合し、その最先頭で闘う革命的労働者党の歴史的登場をかちとることである。
 六月都議選決戦を今年前半の最大の決戦として、すべてを挙げて総決起しよう。介護保険闘争を始め、いのちと暮らしを守るための労働者人民の階級的決起を大きく発展させ、森・石原と対決する巨万の住民決起と革命的大衆行動をつくりだそう。その先頭に立つけしば誠一氏を必ず都議会に送り出そう。

 沖縄人民の怒りが爆発へ

 沖縄では、橋本沖縄担当相(元首相)の陣頭指揮のもとで、名護新基地建設攻撃に拍車がかかっている。他方で米兵による女子高校生への新たな襲撃事件を引き金に、沖縄人民の怒りは激しく高まっている。改憲阻止闘争の発展と一体のものとして沖縄闘争のさらなる爆発をかちとろう。
 三里塚反対同盟は、戦時土地徴発の先取りを狙う土地収用法改悪攻撃との対決を真っ向から宣言し、二〇〇一年の決戦の先頭に立っている。三里塚闘争、北富士闘争の勝利をめざしてともに前進しよう。
 とりわけ日帝の「教育改革」攻撃粉砕の決戦は、改憲阻止闘争そのものであり、日教組運動の最後的解体を許すか否かの決戦だ。「不適格教員」排除の攻撃は職場での激突としてすでに火を噴いている。国鉄決戦に続く労働運動上の大決戦として位置づけて闘おう。今春「日の丸・君が代」闘争の全人民的大爆発を切り開こう。
 法大学費闘争のさらなる爆発をかちとり、昨秋東北大ストの地平を引き継いで、全国大学闘争の新たな発展をつくりだそう。
 闘う労働組合の団結を強めるものとして二〇〇一年の春闘を闘い、新潮流運動の飛躍に向かって恒常的に闘いぬこう。
 迎賓館・横田爆取デッチあげ裁判を闘いぬく四同志への超長期勾留と拷問的な獄中弾圧を粉砕し、保釈奪還のための十万人署名運動を推し進めよう。不屈に闘うすべての獄中同志と連帯し、革共同の大躍進を実現しよう。
 財政決戦、機関紙拡大闘争を党的な最重要の闘いとして意識的計画的に推進しよう。

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週刊『前進』(1990号1面2)

杉並新春のつどいが盛況 ”けしばさんを都議会へ” 石原都政ノーの熱気 

 一月十四日杉並区内で都政を革新する会と後援会の共催による新春のつどいが盛大に開かれた。会場からあふれる百八十人が駆けつけ、けしば誠一区議の都議選決戦を五カ月後に控えて、参加者全員の力でなんとしても勝利しようという熱気に満ちた。
 午後二時、まず司会者が「きょう集まった皆さんの熱意はすごいものがある。都革新はその期待を担っている」と都議選勝利の責任の重大さを強調した。
 最初に都革新後援会の実方会長が、「都政を革新する会は昨年長谷川さんを押し立て初めて国政に挑戦した。結果は残念だったけど国政への挑戦に前進するためにも今年の都議選でけしばさんに当選してもらわなければならない。そのためにも後援会を中心に草の根の運動を拡げていく」と区民の奮闘を呼びかけた。
 次に都革新代表の長谷川英憲さんが年頭のあいさつに立った。「リストラや賃下げの攻撃に対して労働者の運動や住民の運動が起こり始めている。二十一世紀を戦争のない働く者や住民が社会の主人公となる時代にしたい」「介護と福祉を要求する住民の会の運動、教育をめぐる新しい運動、そしてリストラ、賃下げの嵐(あらし)と闘う労働者の闘いが国労を始め反転攻勢に転じている。こうした運動の成否をかけてけしば区議を押し立てた都議選になんとしても勝利したい」と熱い決意を語った。
 続いてけしば区議が都議選出馬にあたってのあいさつを行い、まず「戦後日本を支配してきた自民党の時代は終わった。既成政党に代わって都政を革新する会が政党として一大飛躍することが求められている」と訴えた。そして「介護と福祉を要求する杉並住民の会の人たちに学び、住民の中に身を置いて、高齢者のいのちの叫びの先頭に立つ」と誓った。
 次に、昨年末の杉並区の教育委員人事問題について、統一協会に連なる人物の採用をいち早く宣伝し、佐藤欣子を下ろさせ、大倉雄之助についても議員の半数以下しか賛成を得られないところに追い込んだ意義を強調した。また「学校給食調理の民間委託で保護者と調理師、栄養士らの二十万人署名運動が広がっている」ことを明らかにした。
 さらに「石原都政と真っ向勝負」のスローガンを打ち出したことが労働者、住民をとらえており、街宣でカンパが寄せられ、「けしばさん頑張って」と声をかけて通る人が増えていることが報告された。「介護保険闘争の本格的な爆発をかちとり、高齢者が安心して生きていける信頼のネットワークを広げていく」と語り、「新しい大衆運動について確信し、皆さんを信頼して進みます」と参加者の支援を訴えた。けしば区議の熱烈な訴えに支持者から花束が贈られた。
 二部に移った。司会を新城せつ子区議が担当、まず鏡開きが行われ、引き続いて区内成田在住の支持者の音頭で「完勝(乾杯)」が行われた。
 後援会会員で声楽家の上野美佳子さんと小学生のお子さんがミニコンサートを行い、「翼を下さい」など三曲のフルート演奏と歌を披露した。すばらしい歌と演奏に大きな拍手がおくられた。さらに、けしば区議を始め会場の参加者も前面に並んで全員で「銀色の道」、都革新のテーマソングである「Together」を合唱した。
 続いて新春のつどいに駆けつけた三里塚反対同盟の敷地内の市東孝雄さん、木内秀次さん、鈴木謙太郎さん、さらに作家の宮崎学さん、革共同の天田三紀夫書記長が紹介された。
 区内の住民からの言葉としてまず介護と福祉を要求する杉並住民の会の代表が「おごった者の支配に屈することなく私たちが主人だと自信を持って行動しましょう。けしばさん、私たちを見守るのがあなたの仕事です」と訴えた。長年老人福祉に携わってきた医師は「介護保険によって老人は殺されようとしている。年をとっても生きられる権利を保障するために介護保険をつぶそう。みんなが生きる権利を保障された社会をつくろう」と呼びかけた。
 商工業者の人は、「多くの商工業者が大手によって倒産、廃業に追い込まれている」という状況の中で、商工業者の団結をつくり出そうとしていることを語った。ひめゆり部隊生存者の元教師は、「いま世の中が非常に危ない。教育基本法が変えられようとしている。東京都ではいま平和とつくのは全部だめというようになっている。けしばさんを都政に送って子どもたちのために頑張ってほしい」と訴えた。
 最後に後援会の副会長とけしば区議がお礼の言葉を述べた。副会長は、「私たち杉並区民が推薦する候補としてけしばさんを押し出したい。選挙の結果はゴールではない。それから闘いが始まる。その舞台に上げていただくようお願いします」と訴え、都議選勝利へ奮闘を誓い合った。

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週刊『前進』(1990号1面3)

沖縄米兵犯罪を弾劾する

 三学期初日の一月九日、沖縄島北部で女子高校生に対する米兵の性暴力事件が起きた。キャンプ・ハンセン所属の海兵隊伍長(21)が、夕方、住宅街の路上で女子高校生に対してスカートをめくり、写真を撮るなどの暴行を働き、目撃した男子高校生らに追い詰められ、強制わいせつ容疑で逮捕されたのである。
 「またか!」「綱紀粛正・再発防止は名ばかりだ」−−今や沖縄人民の怒りは、現場で米兵を取り押さえた高校生の行動に見られるように、コザ暴動(七〇年の反米軍民衆暴動)前夜情勢と言ってもよいほどに沸騰(ふっとう)し、臨界点に達している。
 九五年九月の少女暴行事件後、キャンプ・ハンセンに着任し「良き隣人政策」を打ち出した元司令官が、今回の事件についてワシントン・ポスト紙で「米軍に反対する政治家が事件を宣伝している」と発言した。ここには沖縄失陥の危機とも言える状況に直面している米軍の本音がむきだしになっている。これが米軍と稲嶺県政、岸本名護市政が推進する「良き隣人」政策の現実なのだ。ふざけるんじゃない! この発言は県民大衆の怒りの火に油を注いだ。
 続く十四日、今度は国頭村辺土名の飲食店で、米兵が女性経営者を殴ってけがを負わせるなどの傷害、器物損壊事件が発生した。
 十二日、沖縄平和運動センターと中部地区労が緊急抗議集会を開き、金武町、名護市、宜野座村などの市町村が全会一致で抗議決議を上げ、県議会は十九日に米海兵隊削減を初めて盛り込んだ抗議決議を全会一致で上げた。
 他方、「基地ある限り米兵の事件・事故はなくならない。基地をなくせ」と倍加する怒りに戦々恐々としつつ、日帝と稲嶺は名護新基地建設のレールを敷こうと必死だ。十六日には第五回の普天間代替施設協が東京で開かれ工法の検討に入った。これが許せるか。
 米兵犯罪・事故への充満した怒りを解き放ち、“米軍基地実力撤去! 名護新基地建設阻止!゜へ、闘う沖縄人民と結合し、全国的な闘いを繰り広げよう。

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週刊『前進』(1990号2面1)

権力導入策動粉砕し四党合意を葬れ 1・27国労続会大会に1万人結集を
 闘争団と傍聴者の排除狙う本部と東京地本の策動許すな

 一・二七国労続開大会は、国労と日本労働運動の生死を分かつ一大階級決戦である。二〇〇一年の最初の階級的激突であり、国鉄分割・民営化以来の、国鉄労働運動史上で最大の決戦と言っても過言ではない。「四党合意」をめぐる最後的決着をつけるべき時が来たのである。「四党合意」を粉砕し、現執行部の居座りを許さず総退陣させ、闘う執行部の樹立をかちとろう。ここに国労の階級的再生の唯一の道がある。国労闘争団は、解雇撤回・JR復帰を始めとした「解決要求」を掲げ、一月二十二日から上京行動に決起し、続開大会に攻め上ろうとしている。闘争団の十四年間の闘いと人生のすべてをかけた渾身(こんしん)の決起を国労組合員一人ひとりがわがものとし、国鉄分割・民営化以来の国家的不当労働行為の数々、JR資本とJR総連の結託による差別・選別の攻撃、そして第二の分割・民営化=大合理化攻撃への怒りを、一点、一・二七「四党合意」絶対阻止の闘いとして爆発させようではないか。

 暴力的な大会強行は労働組合の死である

 一・二七続開大会で「四党合意」受け入れを四たび阻止し、完全に葬り去ることが、国労の階級的団結をよみがえらせ、闘争団・千四十七人闘争を強化し、国鉄闘争勝利の圧倒的な展望を切り開く。分裂カクマルとJR総連のファシスト労働運動を打倒し、国鉄労働運動の戦闘的再編と新たな発展の時代を切り開く。ひいては日本労働運動全体の戦闘的・階級的再生に結びつくのだ。このことに圧倒的な確信をもって一・二七決戦に立ち上がろう。
 この勝利の展望は、昨年の三度の大会の闘いが、いかに敵国家権力に打撃を与え、国労組合員の戦闘的・階級的力を引き出したか、そして日本労働運動を二分するほどの巨大なインパクトを与えたかを振り返ってみれば明らかだ。
 「JRに法的責任がないことを国労が臨時大会で決定せよ」という「四党合意」は、あらためて国家的不当労働行為に対する根底的な怒りを呼び覚ました。そして、これを受諾し、闘争団切り捨てを狙う国労中央、宮坂・チャレンジ一派と革同上村一派に対する怒りが爆発した。
 「四党合意」に至る「改革法承認」などの国労中央の「和解」=屈服路線を突き破り、闘争団とそれを支えるJR本体組合員によって国鉄闘争の原則的な再構築を図る展望を示した。そして、「学校政治」や機関権力によって組合員の決起を抑えつけてきた従来の国労のあり方を突き破り、闘争団を先頭にして現執行部の責任を徹底追及し、「総辞職表明」を行わせるところまで追いつめた。今や、闘う新たな執行部が待ったなしに求められる段階に上りつめた。
 さらには支援共闘の労組・労働者の決起を引き出し、連合、全労連傘下を問わず、国鉄闘争支援陣形の労働者の新たな決起を引き出した。今日の一大資本攻勢のもとで苦闘する労働者階級に、このように闘おうという道筋を示した。
 この二〇〇〇年国鉄闘争の巨大な地平を守り発展させ、密集する反動を打ち破って四たび「四党合意」を阻止することに全労働者の勝利の展望があるのだ。
 国労中央、宮坂・チャレンジ一派と革同上村一派は、昨年の闘いに完全に追いつめられグラグラになっている。彼らは国家権力・機動隊の力を頼みに続開大会を強行し、「四党合意」受け入れの方針案の採決を強行し、闘争団の切り捨て=「整理」をしようとしている。マスコミさえも会場に入れず、代議員以外の闘争団の傍聴は認めないという、とんでもない大会運営を強行しようとしている。だがこれ自体、労働組合の死を意味する。九九年三・一八の「改革法承認」の臨大、昨年の三度の大会をはるかに上回る暴力的な、組合民主主義破壊の暴挙に打って出ようとしているのだ。そのために、大会準備地本である東京地本の酒田委員長らの大裏切りに一切をかけてきている。
 十二月十四日に東京地本が打ち出した「続開大会にむけた見解」は、続開大会で「四党合意」受け入れ方針を強行すること以外の何ものでもない。「ILO勧告に基づく解決を求める方針」とは、ILO第二次勧告の「四党合意をすべての関係者が受け入れることを促す」ということを認めるということだ。
 酒田らは「続開大会成功のため、妨害勢力に対して毅然(きぜん)たる態度をとり万全を期す」ことなどを国労中央執行委員会に要請し、中執がこれを受け入れたとして、その先頭に立つことを表明している。酒田らは「大会破壊を意識的に策する外部からの動員者によって暴力行為が繰り返され」などと外部勢力によって大会が破壊されたと言いなして、国家権力・機動隊の導入を狙い、闘争団を始めとする組合員の闘いを圧殺し、国家権力に売り渡すことさえ策しているのだ。七・一で決起した闘争団を「暴力集団」呼ばわりしたチャレンジや上村革同と同じ、まったく許しがたい言動である。
 国労中央や東京地本・酒田らには、闘争団の理解を得ようとする姿勢も論理も何もない。組合員の団結を強化するという労働組合の指導部として当たり前のことすらなし得ない。このような指導部を打倒し、国労の階級的団結をつくり出さなければならない。

 今こそJR総連解体と闘争勝利の好機だ

 国労中央―東京地本の暴力的大会強行の策動の背後には、日帝国家権力の国労解体攻撃がある。国家権力とJR資本は、この一・二七続開大会で「四党合意」受け入れを決定させ、国鉄闘争の息の根を止めることに全力を挙げている。一・二七は、国家権力にとってもギリギリのタイムリミットとして設定されている。
 敵は、一月三十一日から始まる通常国会でJR会社法改定=「完全民営化法」を成立させ、「国鉄改革の完遂」を実現するために、その前に国労と国鉄闘争の解体のメドをつけようとしているのだ。
 そもそも「四党合意」が出てきたのはなぜか。日帝がJR完全民営化を実現するためには、国鉄分割・民営化=JR体制の破綻(はたん)を押し隠し、何がなんでも分割・民営化は成功したと強弁しなければならないからだ。
 日米争闘戦での敗勢と大恐慌の危機にあえぐ日帝資本は、省庁再編を突破口とする公務員の首切り攻撃、全産業にわたる国鉄分割・民営化型の大リストラ攻撃を貫徹しようとしている。さらに日経連・奥田は、「労働条件を横並びで決める時代は、二十世紀で終わった」(一月十二日、労問研報告を承認した日経連臨時総会)とうそぶき、春闘解体・労働組合解体の攻撃に一層踏み込んでいる。
 この時に、いまだ国鉄分割・民営化を弾劾し、解雇撤回を闘う戦後最大の争議が不屈に闘われていては、いつ労働者階級の総反乱に転化するか分からない。日帝は、これを放置することはできないのだ。
 さらに日帝・JR資本にとって、JR三島・貨物会社の赤字問題や安全問題、そして国鉄労働運動の解体という問題が、今なお未解決であるばかりか、ますます深刻な問題となっている。とりわけマスコミなどで「労組問題」と言われる千四十七人問題とJR東のカクマルとの癒着・結託問題は、完全民営化を前になんとしても解決しなければならない問題である。
 だから昨年五月に、国労の全面降伏を迫る「四党合意」を打ち出した。その狙いは、国労を首切りや不当労働行為と闘わない、労働組合ならざる労働組合にすることにある。
 他方では、JR東の大塚新体制の発足で、JR総連内のカクマルに対して黒田・カクマルと手を切ることを要求した。とりわけJR東労組に対して、JR東の「シニア協定」や保守部門の全面外注化などの合理化攻撃をのんだだけでは許さず、ファシスト的な労資結託体制を再編し、文字どおりの資本の先兵になることを要求したのである。
 この完全民営化に向けた新たな攻撃に対して、全面屈服し、「カクマルと手を切る」ことでJR資本との労資結託体制を維持しようとしているのが、今日の松崎を先頭としたJR総連カクマルである。
 「四党合意」とJR総連問題は完全に一体である。完全民営化を狙う敵の攻撃の中で起こっている。そして、それは国鉄分割・民営化、国労・総評解体の手先として松崎=動労カクマルを使って以来の国鉄分割・民営化政策の矛盾と破綻の現れでもある。
 すなわち、カクマルとの結託体制によって国労と国鉄労働運動を解体することができなくて、一方で「四党合意」という暴力的な国労解体攻撃に訴え、他方でカクマルとの結託体制の再編にのりだしたのだ。
 だが、黒田・カクマル中央から決別・離反した松崎・JR総連は、これまで同様に結託体制を維持することができるのか。逆に、JR資本の側は、JR総連が黒田・カクマルと手を切ったことで「解決」と言えるのか。断じて否である。
 カクマルにとって松崎・JR総連を失うことは、党派としての死を意味する以上、ここで引き下がるわけにはいかない。JR総連にとっては「カクマルとの決別」の証(あかし)を立てるために、カクマルと対決し続けなければならない。カクマルとJR総連の対立・抗争は、より泥沼化せざるをえない。JR資本は、新たにカクマルとJR総連の泥仕合という問題を抱え込んだのだ。
 さらに、この対立・抗争をとおして、これまでの資本・カクマル結託体制による悪行の数々が暴かれ、JR総連組合員の不満と怒りはいよいよ高まる。すでにカクマル支配から離反しつつある青年労働者が、総反乱を開始するのは不可避である。いよいよJR総連の大崩壊が始まるのだ。
 ここで問われているのは、国労の闘いなのだ。国労が真に闘う労働組合として再生し、JR総連を解体し、国鉄・JR労働運動の首座に躍り出るのか。それともJR総連の後を追って、国鉄分割・民営化攻撃に全面屈服し、連合化して自滅の道を歩むのか。
 JR総連は、「『一〇四七名問題』はILOの『国労・全動労が雇用されなかったのは広域異動を拒否したからだ』との報告と、一一月八日の東京高裁判決で勝負が決しました」(JR東労組委員長・角岸、『緑の風』一月一日付)などと、ILO勧告と東京高裁判決に小躍りし、国労が「四党合意」を受け入れることに、国労解体攻撃の成否をかけている。
 だからこそ、国労が「四党合意」を敢然と拒否することが、JR総連の延命の道を断ち切り、JR総連解体、国労の再生と組織拡大の圧倒的な展望を切り開くのである。

 敗北主義を打ち破り闘争団防衛へ闘おう

 今や、国鉄分割・民営化以降最大の勝利のチャンスが訪れている。
 だが、国労中央、宮坂・チャレンジ一派と革同上村一派は、そのように見ようとはしない。彼らは、このままでは国労は「ジリ貧」となるから、ここで「四党合意」をのんで闘争団を切り捨てれば「正常な労使関係」がつくられ、国労解体攻撃が収まると考えている。そしてJR連合に合流すれば、JR総連にとって代わる「受け皿」になれると思いこんでいる。
 だが、今日のJR総連をめぐる情勢は、それが彼らのはかない願望であり、幻想に過ぎないことを示している。権力・資本にとって御用組合は二つも必要はない。国労が全面屈服するなら、より一層の資本の攻撃にさらされ、JR総連にじゅうりんされるだけだ。
 たしかに、国労の現状は厳しい。その原因は、国労中央が一切の闘いを放棄してきたからだ。この数年、東日本のメンテナンス合理化との闘い、西日本の新賃金制度との闘い、さらに貨物合理化との闘いを投げ捨て、春闘ストを放棄してきた。千四十七人問題の「政治解決」を口実にして、闘いが抑圧されてきた。これでは組合員の闘う意欲やエネルギーを引き出すことはできず、組合の団結が破壊されるだけだ。
 東京地本・酒田らは、「大会で方針が決まらないから、闘えない」などと言っているが、では、千四十七人問題を「解決」したら、JR資本と闘うというのか。「四党合意」をのんで、どうして闘う方針が出てくるというのか。
 ここには、権力・資本と闘っても絶対に勝てないという根底的な敗北主義がある。彼らは、十四年間も不屈に闘ってきた闘争団を先頭とした組合員の力をなぜ信頼しようとしないのか。なぜ、七・一以来の組合員の決起の力を見ないのか。根底的な労働者魂を見ないのか。ここに依拠して闘おうとしないのか。
 問題は、労働者の団結の力を信じ、階級的原則を守りぬいて闘うことなのである。そうすれば、カクマルとJR総連の大分裂の中で、権力・資本との力関係を変え、勝利の展望を切り開くことができるのだ。
 一・二七続開大会に向けて、闘争団はすでに「『四党合意』の強行決定を繰り返す続開大会の中止を求めます」(北見闘争団)、「続開大会では、本部原案(運動方針案)及び『四党合意』の採決を行わないこと。続開大会では、新執行部の選出を前段に行うこと。新執行部による、新たな『運動方針案』提起を行うこと」(留萌闘争団)などの意見書を次々と国労中央に突きつけている。
 この闘争団絶対防衛の決意を打ち固め、反対派の猛然たる決起で、「四党合意」を阻止しよう。そして、JR東の「ニューフロンティア21」を始めとする第二の分割・民営化攻撃と闘い、JR総連解体・組織拡大の方針を確立しよう。
 昨秋以来全国で闘われている、「四党合意」を不当労働行為として申し立てた地労委闘争は、決定的な闘いの武器になる。支援陣形を拡大して闘おう。
 そして今こそ、JR総連を打倒し、千四十七人闘争として、国労、動労千葉、全動労が合流し、新たな団結をつくり出して闘うことである。とりわけ、JR東労組からの組織拡大をかちとり、今春、大ストライキ闘争に立とうとしている動労千葉とともに闘おう。
 一・二七社会文化会館を一万人の組合員、支援共闘の労働者で包囲し、「四党合意」受諾を阻止すること。ここに闘争団の十四年間の怒りと悔しさのすべて、そして日本労働運動の命運をかけて決起しよう。

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週刊『前進』(1990号2面2)

黒田・カクマルから手を切り「会社を守る」と誓う松崎明

 JR東労組会長の松崎明が、十二月八〜九日に行われたJR東労組の全支部委員長会議で講演し、ついに公然とカクマルからの最後的な対立と離反を宣言した。(要旨別掲)
 松崎は、これまではカクマルであったことを自認しつつ、今は完全に「手を切った」、自分は「カクマル組織の裏切り者である」、今や「カクマルであったことを恥じている」などと、権力と資本に向かって恥ずかしげもなく宣誓している。
 このことによって、昨年の九州労集団脱退を始め、JR総連がカクマルに背いてやっているすべてのことが、松崎の責任であり指示によるものであることが明らかになった。黒田カクマル対松崎(JR総連組合権力集団)の分裂・抗争に突入したのである。
 これは、党派としてのカクマルからJR総連カクマルが丸ごと集団離脱・脱党したということである。完全に「自作自演」のレベルを超えていることは明らかだ。修復も不可能だ。

 なぜ松崎に言及できないのか?

 しかし、JR総連執行部を「階級敵」と規定し「打倒する」と宣言しているカクマルが、『解放』紙上で松崎について何も言えないのはどういうことか。坂入やJR総連執行部の背後に松崎がいることが明らかになれば、いよいよカクマルの党的崩壊を加速するからである。
 なぜなら、黒田カクマルにとって、松崎とJR総連は、カクマルがつくり出した最大の「成果」であり、黒田にとって、松崎こそが黒田の理論と路線を体現する存在であり、松崎なしには黒田はありえないからだ。松崎の決別は、カクマルの党派としての本質的な死を意味するのだ。
 他方、松崎とJR総連は、よりストレートな権力・資本の手先として生き残ろうとしている。だが、それは絶対に不可能である。なぜなら、カクマルの白色テロをバックにしていることが松崎の「力」の源泉だったのであって、権力・資本との癒着も実はこのことによって成立していた。カクマルの白色テロを失った松崎の「権威」は急速に失われるのだ。
 国鉄分割・民営化、国鉄労働運動解体、総評解体においてカクマル=松崎が果たした役割とその責任問題は、今こそ全面的に追及されなければならない。JR総連の「国労解体」などという反革命方針を完全に粉砕しなければならない。
 黒田と一体で松崎は国鉄分割・民営化の最先兵となって生き残るために、「カクマルはもうやめた」「社会主義と決別」「スト絶滅が私の使命」などと公言し、「国労をつぶし、総評を解体する」と叫んで大反革命を働いてきた。この反階級的大罪は絶対に消えない。
 今こそ、JR総連を打倒し、すべての組合員を松崎の支配から解放し、積極的・変革的に獲得しよう。

 最近まで資金を提供していた!

 松崎講演で重大なことは、これまで、しかもつい最近まで、松崎自身カクマルに属し、カクマルの利害の観点からJR総連を運営してきたことを完全に認めていることだ。
 松崎は、カクマルは「組織と手を切ることを認めない」で「十分な資金の提供を(これまでどおりに)続けろと強要している」が、どんなに脅されてもそうした関係を復活しない、と言っている。ということは、つい最近まで「手を切っていなかった」のであり、それどころかカクマルに「十分な資金」を提供してきた事実を白状しているのだ。
 今度こそカクマルと手を切りました、と言えば言うほど、これまで松崎がカクマルとしてカクマル組織の先兵として、どんなに極悪の役割を果たしてきたのかが浮かび上がる。
 同時に、カクマル組織が松崎の指示で、盗聴、窃盗や列車妨害などの白色テロを凶行してきた、その全悪行を明らかにしなければならない。例えば、カクマルが最も激しくJR総連防衛のための反革命軍事作戦をやっていた九六年に松崎は何を言っていたのか。
 カクマルは松崎を批判した『JRの妖怪』の著者・小林峻一氏宅に九六年二月に侵入し、取材メモやフロッピーなどを盗み出し、その情報をもとに、取材に協力した人たちを脅した。これを松崎は「なんか小林某というフィクション作家の資料をカクマルが盗んだと言うんで、最近のうちにカクマルに五億ぐらいやって資料をもらおうかと思っている」(九六年七月、JR東労組東京地本大会)と、公式の場でカクマルの犯行であると認め、資金提供を自認していた。
 また、九六年四月以降にカクマルによる列車妨害事件が頻発したが、この時、松崎は、「事件は権力の謀略部隊が引き起こしたとカクマルが書いている。誰も信じない謀略説を繰り返している。私は謀略説を採る」(九六年六月、JR総連大会)と、カクマルの「謀略論」と同じ立場であることを強調していた。
 さらに、これに先立って、「『松崎にいろんなところで牛耳られてなんだ。松崎なんていうのは過激派じゃないか、あいつは。あんな過激派と仲良くやって、経営権の放棄ではないか』とこういうことを言わんばかりのことをさんざん宣伝しているわけですね。あの人とあの人と。ほら、いるでしょう。我が社にもいるぜ。……あまり邪(よこしま)なことをいろいろとなさると神様はお許しにならないんですよ」(九六年三月、第七〇回記念政経フォーラム)と、反カクマルの会社幹部を脅すために、列車妨害をやらせるとさえ予告していたのだ。
 松崎よ、こうしたカクマルとしての悪行にどう責任をとるつもりなのだ。

 「完全民営化」の先兵化を許すな

 では松崎は、何のためにこの期に及んで最後的に「カクマルと手を切った」のか。JRの完全民営化完遂の先兵となるためである。「日本の鉄道の中枢・JR東日本を守る」「会社と家族を守る」ためである。これは実際は会社=資本の利益を守るという意味でしかない。それは、完全民営化にともなう大合理化計画(ニューフロンティア21)への全面協力を誓い、その先兵となるという宣言である。
 松崎は、権力と資本から、これまではファシスト・カクマルの組織利害と権力・資本の利害は一致していたが、これからはそうはいかない、カクマルと最後的に手を切って会社=資本の一層の先兵となれ、と突きつけられ、ついに全面的に会社=資本・支配階級のためにやりますと態度表明したのである。
 今や、JR完全民営化=第二の分割・民営化の先兵となった松崎・JR総連を解体し、国鉄労働運動の大発展を実現すべき絶好機が来たのである。

 〈資料〉「カクマルと手を切った」松崎明東労組会長の講演

●JR東労組会長・松崎明の講演要旨(2000年12月8〜9日、JR東労組全支部委員長会議)
 先の臨時国会(11月)の参議院(交通情報通信委員会)において、質問に立った議員が、「JR東労組を牛耳っているのは、カクマル派の会長をはじめとする一部組合の幹部である」「会社は、私たちに一言も言えない異常な会社である」などと発言している。
 また、われわれの闘いに真っ向から反対し、会社の社宅に『進撃』という機関紙を配っている「カクマル派」は、私のことを「ブルジョアに完全に染まった組織の裏切り者」と言っている。そこで、皆さんにはハッキリと話しておきますが、「私は、かつてカクマルの活動をやっていたことがありますが、今は、完全に手を切っている」「今の日本にあって、革命など起こせるわけがない」
 彼らカクマル派は、いまだに革命を夢見ている組織であります。そんな組織に一時期であってもかかわりを持ったことを恥と思っています。彼らは、一度でも組織に入った者は逃がさないという連中ですから、私が手を切ったことを認めたくないのでしょう。
 それより、私を組織に止めておけば、資金の提供も十分にしてもらえると思い、われわれに対抗するような新聞などを投げ込んで、私を苦しめて楽しんでいるんだと思う。しかし、私は彼らの考えているようなことは絶対にしないつもりです。
 私は、皆さんが仕事をしている「会社と家族」を守っていくために、会社側と「どう闘っていったらよいか」を毎日考えている。そんな私が、彼らカクマル派と手を切るのは当たり前である。万が一にも、私が彼らの軍門に下るようなことがあれば、私は皆さんの前から消えます。そうでなければ、皆さんの家族の幸せなど守れない。
 カクマル派は、私のことをうらやましく思っている。それは、一時的にせよ「行動を共にした仲間」が、一流企業の組合の会長として生きている現実に対してであり、当然のことながら、私が彼らと手を切っていなければ、会社や組合は私をこの場に置いておかないと思う。
 皆さんには、カクマルからの嫌がらせが数多くあると思うが、自分がカクマルから会社と家族を守っていくんだという気構えで行動して欲しい。そうすれば、彼らだって自分たちの考えを否定する組合が存在することを知ると思うし、二度と皆さんに手を出してこないと思う。彼らカクマルは、脅かしに負けるような弱い組織に潜り込むのが大変うまい組織である。それに対して、皆さんが一丸となって闘っている姿を見せてもらって本当にうれしく思っている。
 これからも、カクマルの攻撃から会社を守っていこうではありませんか。JR東日本は、日本中の鉄道の中枢を担っている会社である。それを、カクマルにいいようにされないためにも頑張る必要がある。
 皆さんには、会社の内部はもとより外部からも、いろいろと攻撃があると思うが、それだって、もう少しの辛抱だと思う。弱小組合が民主化を叫んだところで、何ら状況が変わることはない。
 わが社の社員でない者が、私のことを「組合を牛耳っている」から民主化するんだ、ということのようですが、私が独裁者に見えますか。そう見えるならハッキリ言って下さい。私だって血の通った人間ですから皆さんの意見に従う心構えはできています。本当ですよ。皆さんが黙っていたら私だってこれで良いと思いますから。

●JR東労組・角岸幸三委員長のあいさつ要旨(同)
 カクマル派は坂入さんを拉致・監禁するなど、組織破壊攻撃を強めている。これを放置するわけにはいかない。東労組は労働組合主義に基づき、組合員と家族の利益を守る。いかなる党派からの介入も許してはならない。社会に対してカクマル派の悪質さを明らかにしていこう。

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週刊『前進』(1990号3面1)

春闘解体を公然と宣言 団結否定し賃下げ強要する労問研報告に怒りの反撃を

 一月十二日、日経連は臨時総会を開き、二〇〇一年版労働問題研究委員会報告を打ち出した。総会であいさつした奥田碩日経連会長は、「賃金など労働条件一般を横並びで決める時代は二十世紀で終わった」「春闘は賃上げを論議する場ではない」と言い放った。日帝資本は、連合幹部の屈服を見透かして、「成果主義賃金の徹底」を叫びつつ、賃金闘争としての春闘解体を真正面から宣言したのである。だが、今や労働者階級の中には、リストラ・首切り、大失業を強制する資本と、闘う路線も姿勢も失った連合への怒りが煮えたぎっている。「国際競争力強化のために労働者は犠牲になれ」という資本と連合の国家主義・企業防衛主義を打ち破り、「資本主義にノー」の立場に立ちきって、今こそ原則的な賃金闘争を復権しよう。一・二七国労大会決戦に勝利し、今春闘の高揚を切り開こう。

 賃金交渉圧殺へと歴史的な踏み込み

 今年の労問研報告は、春闘解体という形で、賃金交渉そのものの解体へと歴史的に踏み込んだ。
 報告は、「各企業労使がいわば横並びの対応で賃金などの労働条件を決めれば済む時代ではない。成果主義が志向される人事・賃金制度の下で、従来のような一律賃上げの水準を交渉することは意味がない」と挑発的に断言する。これは、労働者が団結して資本と交渉し、賃金を始めとした労働条件を決定することそのものを認めないという、春闘解体=賃金闘争解体、労組否定の重大な攻撃だ。
 従来の労問研報告は、春闘の存在を一応は認めた上で、労働者の賃上げ要求をいかに抑え込むかという資本の側の春闘方針を示すものであった。だが、昨春闘で資本は「総額人件費の引き下げ」をあからさまに唱え、春闘を賃下げ強要の場に転換するというすさまじい攻撃に乗り出した。これに屈した連合の裏切りにより、昨春闘は賃上げ率が大手でも二%を割り、定昇分を下回る実質賃下げという惨澹(さんたん)たる結果に終わった。これに勢いづいた資本は、ついに今年は賃金問題を労資交渉の対象とすること自体を否定する攻撃へと歩を進めたのだ。
 日経連は、「成果主義賃金・人事制度の徹底を」と叫び、「企業の人件費コスト負担の適正化と従業員個々人の生産性に見合った処遇が徹底されなければならない」と主張する。毎月の賃金、一時金、退職金、昇給のすべてにわたって、個々人の業績・成果を反映させ、「働きに応じた成果の評価によって、年収が大幅に増減する仕組み」をつくれというのである。
 ここにあるのは、゛賃金は個人の業績・成果で決める。労使交渉の対象ではない″という春闘解体・団交否定の論理である。
 言うまでもなく、この攻撃はさらなる賃下げ強要と一体だ。労問研報告は「総額人件費管理の徹底」をあらためて強調し、「国際競争力を維持する観点からはこれ以上の賃金水準の引き上げは困難」と明言する。さらに、昨春闘以来、「定昇制度を見直し、引き下げを行うべき」とする企業が増加していることに触れ、それを「合理的な賃金決定・昇給管理を行おうとする企業の姿勢」と全面的に賛美した。資本は昨年以上の激しい賃下げを労働者に強いようとしているのだ。
 報告は、その表題に「多様な選択肢をもった経済社会の実現を」なるスローガンを掲げた。これは徹底した首切り・リストラ、不安定雇用化を強行し、成果主義賃金の全面導入によって賃金闘争を根底から破壊することを意味している。
 そして、「多様な雇用形態(派遣、パート、アルバイト、契約社員など)、あるいは就労形態(職種・勤務地の限定、プロジェクトの限定など)を組み合わせることによって、勤労者の働き方の選択肢を増やすと同時に、経営効率の向上と雇用コストの削減を実現していかなければならない」と言う。「働く人の多様なニーズに応えうる選択肢を提供する」と言いながら、その主眼はあくまでも「雇用コストの削減」にある。
 すでに、日本の労働者の四分の一以上が不安定雇用を強いられている。だが、日経連はこの現実をさらに徹底的に拡大するために、「雇用期間の定めは正社員と同様にないが、毎日午前中だけとか、週三日だけ働く」だの、「在宅勤務で自由な時間に働き、仕事の指示や進行管理はネットワークで行う」だのという、実に得手勝手な勤務形態の具体案まで提案する。そしてこれらを、「雇用維持のためのワークシェアリングという発想を超え、さらなる多様化をもう一歩踏み込んで具体化した」ものなどと位置づけて、全面的に推進しようとしているのだ。
 「多様な選択肢」の名のもとで資本が強行しようとしていることは、労働者一人ひとりの雇用形態や賃金形態をバラバラにし、成果主義の名のもとに徹底的な分断を持ち込んで低賃金を強い、集団的、組合的な賃金交渉などおよそ成り立たない状態へと労働者をたたき込むことにある。
 そのもとで、「多様な雇用形態の従業員がそれぞれ企業への貢献度を高めていくことが望まれる」「従業員は自らのエンプロイヤビリティ(雇用され得る能力)の向上に不断の努力を払う」べき、などと居丈高な恫喝を加えているのだ。

 大失業攻撃の貫徹に向けた国家再編

 資本をこうした攻撃に駆り立てているものは、二九年型世界恐慌へと引きずり込まれつつある帝国主義の絶望的な危機である。とりわけ日帝は、米帝との争闘戦に敗退し、没落帝国主義としての現実を否応なしに突きつけられている。
 労問研報告は、「内外情勢が大きく変わったこの十年間、日本経済はバブル崩壊の後遺症の処理に追われ、世界的な変化の潮流を把握しきれずにきた。金融システムが動揺する中で、不良債権の処理を迫られ、政治、経済、社会体制における構造的な諸課題の改革に後れをとった」と九〇年代を総括する。
 そして、「公的規制の改革、リストラによる企業体質の改善」を「さらに加速させ、果断に構造改革を実行し、民間主導の経済体制を確立する」ことによってのみ、「閉塞(へいそく)状況から抜け出ることができる」と叫び立てている。
 これは、国鉄分割・民営化型攻撃を全面化させ、行財政改革の名で公務員労働者の首を切り、それをテコに全労働者階級を無権利状態にたたき込むという宣言だ。全資本家階級に対して徹底的なリストラ・首切りを強行せよと号令し、戦争と大失業攻撃を全面的に貫徹できる国家・社会体制をつくりだせ、と叫んでいるのである。

 企業と国家のための「教育改革」

 また今次労問研報告は、「教育改革の推進」と「社会保障改革、税制改革」と題する章を特に設けた。
 報告は「教育改革」について、「二十一世紀に、揺るぎない国家・企業を形成していくためには、人材の育成が重要である」などと言う。さらには、「人間形成と心の教育」と称して、「家庭においては親が範を示し、責任をもって子どもに社会人としての基礎的訓練、しつけを行うことが大事である」と、家庭のあり方にまで口をはさむ。
 これらは、教育改革国民会議が打ち出した教育基本法改悪の攻撃と軌を一にしている。報告は、「教育改革国民会議が提言するような、一定期間の奉仕活動も意義がある」「高等教育機関に競争原理を導入し」「教員の意欲や努力が報われる仕組みや教員としての資格・適性をチェックする仕組みも導入すべき」とあからさまに提唱する。
 さらに、「若者が……就労観・勤労観を育むことが不可欠」だとして、大学生を企業のもとでただ働きさせるインターンシップ制度の導入をも叫んでいる。
 日経連は、「教育改革」攻撃の全面発動のために、教育労働運動の解体を正面から打ち出したのである。

 社会保障制度の全面解体を要求

 「社会保障改革、税制改革」の章では、「国民一人ひとりが……安易に公助に依存するのではなく、国民自らがあらかじめ老後や病気などに備えるという自助の徹底が重要である」と、社会保障制度の解体を声高に唱えている。
 特に、「高齢者も応分の医療負担を」と叫んで、老人医療の改悪を突破口とする医療制度の抜本的な改悪を提唱し、介護保険については「安易な減免措置・一般会計による補填(ほてん)は避けなければならない」と保険料の無慈悲な取り立てを強調する。消費税率の大幅アップも、これまでになく明確にした。
 さらに許しがたいのは、「社会保障、税制、教育などについては、その改革の方向を労使が話し合い、社会的合意を形成して、政治や行政に対処を迫るべき」として、連合労組をこの攻撃の先兵に仕立て上げようとしていることである。

 連合支配うち破り春闘勝利を開こう

 日経連は、春闘解体攻撃を激しく推し進めながら、「年に一度、自社の労働条件、経営の実状、さらに企業を取り巻く経済環境の変化などについて、労使が真剣に論議することは望ましい」とうそぶいている。
 これは、「労使は社会の安定帯」と唱えつつ、連合支配のもとに労働者を抑え込みたいという資本の願望の表現である。今や日経連は、春闘を一大資本攻勢への連合の屈服と協力を取り付けるための共同謀議の場へと、最後的に変質させようと企んでいるのだ。
 十二日に連合が出した「日経連『労働問題研究委員会報告』に対する見解」は、「『人間の顔をした市場経済』の理念については、われわれとしても基本的に賛成である」と、日経連への全面降伏を表明した。その中で連合は、「日経連自身の持論である『生産性基準原理』は……『賃金決定に関するマクロレベルの基本理念』だったはずのものが『ミクロレベルの単なる賃上げ抑制論』に後退してしまった」と泣き言をたれている。連合の主張は、なんと゛本来の生産性基準原理に立ち返れ″というものでしかないのだ。
 これは、「ベア一%以上」という連合の春闘要求とあいまって、゛大幅賃下げを受け入れます″という表明だ。NTT労組にいたっては、ベアを要求しないことを早々と決めた。
 だが、資本が根本において見失っているのは、こうした連合に対して、労働者階級の抑え切れぬ怒りが噴出しようとしているということである。
 ベアゼロ・賃下げが続出した昨春闘に慌てふためいた鷲尾悦也連合会長は、昨年夏「こうした傾向が続くと、今の労組リーダーに批判が集中し、変わった運動が出てくる」と日経連に泣きついた。賃下げ強要へと踏み込んだ資本の攻撃は、連合の存立基盤をも掘り崩しつつある。この情勢は、昨年来の四党合意をめぐる国鉄決戦の高揚の中で、さらに促進されている。
 今次労問研報告の最大の弱点は、その居丈高で絶望的な攻撃の一切が、連合支配は永遠に続くという虫のいい前提の上に成り立っているということだ。日帝資本には、労働者階級の奥底から開始された巨大な流動を制圧するための戦略など基本的には何もない。
 日帝権力・資本は、労働運動の最大の火点であった国鉄闘争を解体するために、四党合意を強行し、JR「完全民営化」とJR東日本の「ニューフロンティア21」を切っ先とする「第二の分割・民営化」を押し貫こうと策している。
 だが、その矢先にJR体制の反革命的支柱であったカクマル=JR総連は大分裂へと突入した。国鉄分割・民営化の先兵となって今日の一大資本攻勢に道を開き、資本に先駆けて「ワークシェアリング」を提唱してきたカクマルの大破産こそ、こうしたファシストに依拠しなければ延命できない日帝危機の絶望性を示して余りある。
 一・二七国労続開大会決戦への総決起、その勝利を突破口に、団結権死守、「大幅一律賃上げ」を掲げて今春闘を闘いぬこう。

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週刊『前進』(1990号3面2)

公務員制度改革の狙いは改憲・戦争国家体制確立だ
 新たな行革攻撃うち砕こう

 身分保障廃止し国家に忠誠強要

 一月六日の中央省庁再編によって、行革攻撃は公務員制度改革の本格化という新段階に突入した。
 橋本元首相が行革担当大臣に、野中広務前幹事長が自民党行革推進本部長に着任し、一九四八年以来の戦後公務員制度を解体する攻撃が始まった。政府・自民党は公務員制度改革の基本法案を六月までにまとめ、地方公務員法と国家公務員法を一体化して新公務員法を制定し、二〇〇二年に通常国会に提出する方針だ。
 政府は、周辺事態法に続く船舶検査法の成立で日米新ガイドライン対応の法整備を進め、いよいよ国内有事法整備に着手した。国内有事体制とは、侵略戦争のできる国家体制のことである。首相権限の一元的集中に始まり、内閣府による内閣官房機能の強化、総務省による膨大な内務機能の一括化など、中央省庁再編とは戦争体制づくりそのものだ。
 しかし、この体制が機能するかどうかは、「新体制に魂を入れる作業」(福田官房長官)、すなわち公務員制度改革に一切がかかっている。
 憲法第九条で規定された戦争放棄と平和主義、憲法第九二条で規定された戦後自治制度は、戦後国家体制の骨格を形成するものであった。橋本行革担当相の「連合軍総司令部(GHQ)が口をはさんだ公務員制度を再設計し、包括的な改革をめざす」という趣旨説明は、公務員制度改革が戦争国家体制づくりと改憲攻撃の核心部に位置することをはっきりと示した。
 公務員制度改革の狙いの第一は、公務員の解雇と職の異動(転籍・出向など)を自由にすることにある。
 政府・自民党のいう「身分保障廃止、労働基本権回復」とは、労働三権の保障が目的ではなく、いつでも自由に公務員を解雇することに主眼がある。「労働基本権回復」と言いながら、その労働三権それ自身を解体する攻撃へと、政府・自民党自身が踏み込もうとしているではないか。公務員の身分保障廃止は、国鉄分割・民営化型の行革攻撃を全面的に強行し、そこを突破口に全労働者の権利を奪いつくす攻撃だ。
 第二に、新公務員法では「国、地方共通の公務員法の制定」が狙われている。
 すでに公務員制度調査会が中間報告で提案しているように、人事院制度による給与制度、総務庁による定数管理、労働委員会制度、教育委員会制度などは解体・廃止される。特に地公法、国公法の一本化は、団結権・団交権を獲得している現業職と、それさえ奪われた行政職との垣根を一掃し、郵政や林野などの民営化に伴う現業職員の首切りを一層安易なものにする。
 第三は、能力・実績主義の全面的導入を軸とした人事・賃金体系の大改革だ。
 改革案は、「成績不良」の下位二〇%の公務員の無条件での降格・降給を明文化するとしている。さらに、企画管理部門での年俸制、行政職の厳格な職務給、現業職の時間給などは、かつての吏雇傭(よう)員制度の復活である。「年功序列的な人事制度・給与体系を廃止し、実績に応じた信賞必罰の制度への転換」というが、つまりは「国家への忠誠」を強制するということだ。
 第四に、「自治体数千を目標とする市町村合併の推進」などが打ち出された。
 すでに東京都は、首都機能移転阻止の上に、石原知事の指示により道州制度の検討に公式に入った。市町村合併、中核都市の形成、道州制の導入は、小沢が『日本改造計画』で言っているように、民生部門のそぎおとしによる中央集権国家の形成に目的がある。

 公務員をめぐる階級決戦の開始

 森は新年早々「日本新生改革国会」をうちあげた。教育改革を突破口に、国と地方の国家支配の骨格をつくり直そうとしている。
 すでに本年度中に「特殊法人整理合理化計画」を策定し、廃止、民営化、独立法人化を進める。やがては整理解雇を導入して現業部門の首切り、民営化を進め、能力・実績主義賃金をテコに公務員労働者を再び「赤紙を配る官吏」「戦場に教え子を送りだす教師」に変えていく。そのためにこそ、職場での団結の破壊と労働組合の解体を押し貫こうとしているのだ。
 こうした攻撃に対し、公務員連絡会は早々と能力主義・実績主義の推進へと路線転換を開始した。連合も全労連も人事院の賃下げ勧告に反撃もできない状況だ。敵の攻撃を直視できず、闘う路線を打ち立てられないのだ。
 しかし、公務員制度改革攻撃は必ず公務員労働者の反撃を呼び起こす。公務員三百三十万人を主戦場とする壮大な階級決戦は間違いなく始まる。勝利の核心は国鉄分割・民営化攻撃を階級的に総括し、反撃の戦略的陣地を形成することにある。国鉄決戦勝利の中から、公務員攻防に勝ち抜く血路を切り開こう。

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週刊『前進』(1990号3面3)

法政大学 学費値上げは許さぬ 100人が結集し当局を追及

 一月十二日、法政大学学費値上げ阻止全学実行委員会の主催で、学費値上げ反対の全学集会が百人を超える結集で行われた。
 集会では、ゲストの宮崎学さんからあいさつを受け、学内諸団体や他大学の学友から、学費値上げに対する怒り、説明すらしない卑劣な当局のやり方に対して怒りが訴えられた。
 集会後、参加者は学生五団体呼びかけの「学費値上げ白紙撤回と総長団交を要求する署名」への回答戦取行動へとなだれ込んだ。
 柳沼学生部長は、三千二百筆もの署名に対して、あろうことか「学費値上げは撤回しない。総長会見は行わない」という許しがたい回答を行った。
 この署名は、昨年末わずか一週間で集まった。それだけ学費値上げへの反対の声、怒りの声が全学生に広がっているということだ。
 この学生の切実な声をいとも簡単に切り捨てた法大当局に対して、「なんで学費値上げなんだ。理由を示せ」「団交拒否の理由を示せ」「こんなふざけきった値上げは許せない」と、学生の怒りの声がたたきつけられた。
 ごうごうたる学生の糾弾に対して、学生部長・柳沼は追いつめられ、黙り込んでしまうありさまで、学費値上げの正義性など一片もないことがますます明白となった。学生五団体は、「今回の回答はとうてい受け入れることはできない」と宣言し、参加した学友からは「もう柳沼ではらちがあかない」「清成総長は直ちに学生の前に出てこい」という声があがった。
 もはや、総長・清成のところに直接押しかけ、学費値上げ白紙撤回をかちとるしかない。闘う法大生は学費値上げを絶対に許さない。ともに闘おう。
(投稿/法政大学 T・M)

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週刊『前進』(1990号3面4)

不当な長期勾留やめよ 3同志の保釈求め申し入れ

 一月十一日、「不当な長期勾留をやめさせるために! 十万人保釈署名運動」の呼びかけ人・賛同人と被告家族による、東京地裁刑事一一部への申し入れ行動が行われた。
 東京地裁・刑事三部は昨年末、福嶋昌男同志に対し問答無用の保釈却下決定を下した。刑事一一部がこれに続き須賀武敏同志、十亀弘史同志、板垣宏同志への保釈却下攻撃に踏み切ることを断じて許してはならない。その危機感と切迫した思いが高まる中、在京の人士を中心にこの日の緊急行動が闘われた。
 昨年秋の申し入れ行動の際には刑事一一部の主任書記官が直接出てきて応対したが、今回は「主任はいません」と言って姿も見せない。「前回、書記官が同席したのは裁判所の決まりにないことで、窓口は訟廷管理官だ」と言い張る。この卑劣な逃げ口上に参加者は怒りを倍加させて申し入れに臨んだ。
 署名運動の呼びかけ人を代表して森山つとむさんが申入書を読み上げ、「昨年末の公判を傍聴してあらためて痛感したことは被告たちの顔の白さだ。十四年もの勾留はあまりに残酷だ。あなた方は人間としてどう思うのか。直ちに保釈すべきです」と訴えた。
 大島孝一さんは、「無罪を訴えているからという理由で保釈しないというのであれば、裁判所は後世に恥をさらすことになる。憲法を守るために行動するのが裁判所の義務です。反体制的な党派に属する者には何をしてもいい、というやり方は絶対に許せない」と弾劾した。
 御崎勝江さんは、「有罪が立証できないなら無罪を出すべきだ」と、司法権力への怒りと不信をつきつけた。さらに多くの参加者が「これはいのちの問題だ」「勾留による人権侵害の実態を裁判所は直視せよ」という声をたたきつけた。
 家族からは、「何度も申し入れを重ねているのに状況に何の変化もない。四人は裁判所の決定によって全面的に自由を奪われ続けている。そのひどさと、年月の重さを自覚してほしい」と切々とした訴えが行われた。「東拘当局や検事は、病気でもまだ勾留に耐えられるから保釈の必要はないと言うが、それは『まだ生きている』と言っているのと同じだ。保釈されれば直ちに病院に入院して治療を受ける用意が整えられているのに、このままでは人殺しだ。万一の場合裁判所はどう責任をとるのか」。
 この訴えに、応対の職員はひたすら低姿勢でその場を逃れようとするのみだ。
 この日の申し入れでは、内容を口頭で刑事一一部に報告するだけでなく報告書にして提出することを訟廷管理官に約束させた。発言をテープに録音して記録に残すことについても、「前例がない」の言い訳を粉砕し、「検討します」と言わせるところに追い込んだ。
 今こそ保釈署名運動を拡大し、全人民の力で四同志の奪還へ突き進もう。

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週刊『前進』(1990号4面1)

JR総連指導の破産総括できず 卑劣・無責任の黒田を打倒せよ
 『日本労働運動に炎を』の反革命性

 黒田・カクマルとJR総連(のカクマル)の分裂・対立は、非和解的に激化、泥沼化している。JR総連の総失陥は、カクマルの総路線の全面破産を意味する。追いつめられたカクマルは、JR総連幹部・坂入充(南雲)を拉致・監禁するなど、内部テロ、白色テロにのめり込む以外に延命の手段がなくなっている。昨年十二月一日付で発刊された『日本労働運動に炎を』なるカクマルの新刊本は、絶望的危機の中でのカクマルの新たな反革命宣言である。黒田・カクマルはこの本で、自らの指導責任を全面的に開き直り、JR総連総失陥という大破産の責任を下部になすりつけるとともに、「労働運動の冬の時代」論を満展開し、日帝への全面的屈服とファシスト反革命の路線を打ち出している。それは、歴史的に一度も指導責任をとったことのない黒田の卑劣な自己保身と御都合主義の典型である。全国鉄労働者と全国のプロレタリアート人民は今こそ奮い立ち、日本階級闘争の革命的・戦闘的発展のためにカクマル完全打倒、JR総連解体、国鉄闘争の勝利のために総決起しよう。一・二七国労大会決戦に総決起しよう。本稿はその勝利のための一助として、カクマル新刊本の、とりわけ巻頭の黒田論文「わが革命運動の飛躍のために」を俎上(そじょう)に載せ、全面的に暴露・批判する。

 “冬の時代だ、闘うな。柔軟であれ。ケルン作りをやれ”

 巻頭論文は十月十九日付の無署名論文であるが、内容的にもまた文章の特徴(きわめて乱暴な行論の仕方や同一論点のくり返しやテーマ上の「脱線」の激しさなど)からも、黒田自身の論文(黒田テープの起こし)であることは明らかである。
 また、この本の巻末には、反革命通信『解放』に掲載された黒田の「トラジコメディー 脱退劇」なる反革命的な戯れ(ざれ)歌四十七首が再録されている。このことは今日のカクマルが、無責任的人格としての黒田になお決定的に依存し、黒田なしには一切が回らない党的現実にあることを示している。
 この論文で黒田が言おうとしていることは、「冬の時代」論の極端なまでの強調であり、「この時代における労働運動の推進は難しい」ということの強調である。現実的には「ねばり強く柔軟であれ」の度外れの押し出しである。
 その一方、日帝権力、JR資本の「第二の分割・民営化」とも言うべき大リストラ攻撃がJR総連そのものをも危機にたたき込んでいる中で、JR総連は労働組合としてどう対応すべきかというレベルの問題に、黒田は一切こたえようとしていない。ただ「『労使協力』と『労使一体化』を区別しろ」とか、「徹底的に柔軟であれ」と言うのみである。そして逆に、「当面する闘争課題をどう実現するかなどに明け暮れるのでなく、革命的フラクションをつくり党的ケルンをつくれ」とわめきちらすのみである。つまり依然として「組織現実論」とか「のりこえの論理」とかを、いわば「原則主義的」に振り回すことしかできないのだ。
 だが、その「組織現実論」とか「のりこえの論理」とかは、すでに決定的に破産が刻印されているものである。黒田・カクマルが「革命的暴力論」という名の白色テロ論や謀略論、そして八二年に「日本型ネオ・ファシズム体制確立論」「冬の時代」論を押し出し、国鉄分割・民営化攻撃の先兵になる道をとった時に完全に破産したものなのである。
 この時から黒田・カクマルは、国鉄(JR)内における自己の組織力を温存するために、他の闘う労働組合の組合員の首切りを資本と協力して平然と強行し、「強靭(きょうじん)な労使協力体制でJRを世界一の鉄道会社にせよ」とか「国労、動労千葉の『会社倒産運動』を粉砕せよ」などと言って、JR資本のリストラ・労働強化に全面協力することをJR総連の方針として賞揚してきたのだ。
 その黒田・カクマルが今になってJR総連の総失陥という危機にあわてふためき、「イデ闘が不足している」とか「革命的フラク・ケルンづくりがなっていない」などと言っても、それはまったく自己保身的で卑劣な責任逃れでしかない。
 要するに黒田は、JR総連路線のこの根本問題について、自己の指導責任として「総括」する立場にまるで立っていないのである。そこから卑劣に逃げ回っているのだ。
 JR総連路線の本質が、カクマルの階級移行によるセクト的延命にあるというこの根本的な反革命性が、一方で、権力・資本の第二の分割・民営化攻撃の前に右往左往する今日のJR総連(のカクマル)の現実をつくり出した。また、他方では国鉄決戦の爆発が、八〇年代の国鉄分割・民営化攻撃とそれへのカクマル(動労カクマル)の屈服・先兵化の裏切りをあらためて大問題化させ、JR総連の立脚点を根底から揺るがす事態を生み出したのである。

 坂入拉致-白色テロにのめり込むカクマル

 結局、黒田のこの論文の主張は、現実的には「超柔軟であれ」ということだけであり、JR総連は第二の分割・民営化攻撃に全面的に屈服・協力しろ、その中で「党」としてイデ闘、フラク、ケルン活動を強めよということでしかない。
 つまり、JR総連指導部(のカクマル)は、黒田から「今やカクマルの延命のためにはJR総連組合員もどんどん切り捨てよ、地方はもとより東労組でも切り捨てよ、それをカクマル=党の立場で平然とやりぬけ、そして東労組などで最大限カクマル勢力の延命をはかれ」と言われたわけである。まさに他の労働組合の犠牲で自分たちだけが延命するという、これまでJR総連がとってきた反労働者的路線が、今度は自己の組合員もどんどん切り捨てよという方針として、JR総連指導部(のカクマル)につきつけられたのである。
 だが、それはそれでJR総連カクマルのファシスト的組合支配の危機を一層拡大するものでしかない。要するに、今日進展しているカクマルの未曽有の危機は、黒田・カクマルのJR総連路線の反革命的ペテンが今や二進も三進も行かなくなり、黒田カクマルとJR総連カクマル(またはJR総連そのもの)との対立・矛盾として爆発し、JR総連カクマルが「労働組合」をテコとして一定の自己運動を始めたということである。
 昨年一年間をとおして進行したことは、この〈カクマル対JR総連〉という形式で進行した対立、矛盾がカクマルの党内論議の枠に収まりきらないほどに進展したということであり、そしてカクマルは結局、外部からの白色テロ的圧力を行使する以外になくなったということである。昨年一月のJR総連および東労組「旗開き」への押し掛けや、外部からのビラまき、九条連集会への押し掛け、反革命通信『解放』での再三の強圧的な論文(「ダラ幹ども」うんぬん)が一年間をとおしてエスカレートしていったが、こうした政治的・言論的レベルの「テロル」ではJR総連(のカクマル)の動きを制しきれなくなってしまった。これが九州労のJR総連からの大量脱退として爆発したのである。
 ここまで矛盾・対立が激化する中で、黒田・カクマルにはもはや、JR総連指導部に対する白色テロでJR総連内のカクマル勢力の維持をはかるしか手段がなくなったということである。黒田カクマルによるJR総連の南雲(坂入充)の拉致、長期監禁・拷問・「自己批判」強要という事態は、カクマルの分裂・対立の決定的段階への突入、黒田カクマルの白色テロへの一層ののめり込みを示すメルクマールである。カクマルは白色テロでJR総連路線の破産を抑えつけ、反革命的組合支配の維持をはかろうとしている。
 巻末の反革命的な戯れ歌では、この白色テロ路線を全面的に鼓吹している。この戯れ歌は、黒田の実践方針の提起である。いわく「突きおとせ、黒洞洞の闇へ」「奈落におとせ」「はひいでしも地獄に落せ」などと。これらは、ストレートに南雲拉致の反革命的バネであり、白色テロ行使へのカクマル党員向けアピールである。カクマルは、まったく絶望的なあがきを深めているのだ。

 著しい理論的思想的退廃で<日本民族主義>に行きつく

 以下、具体的に黒田の論文を批判していく。この論文は「A、難局に直面して」「B、日本労働運動の変質と前衛党」「C、わが運動の段階的発展」「D、わが運動の新地平を拓(ひら)け」の四章からなっている。黒田はここで驚くべき反革命的主張を臆面(おくめん)もなく展開している。

 「帝とスタの支配は今後百年以上続く」

 まずA章で黒田はJR総連問題の爆発の背景として、内外情勢について超反革命的な長広舌を延々とやっている。黒田の言いたいことの核心は、゛二十一世紀は暗黒の時代であり、超「冬の時代」である″ということである。
「一九九一年のアメリカ連合軍のイラク空爆という戦争は、今後百年間の全世界の帰趨(きすう)を決定する象徴的な事件にほかならない」(九ページ)
「〈国連〉は、いまや完全にアングロ・アメリカン帝国主義の世界支配の道具に転落してしまった」(同)
 黒田はこの間、実にでたらめな、抑制のきかない主張をくり返しているが、この「今後百年間の全世界の帰趨を決定する」とはなんということか! 「象徴的な事件」というぼかした言い方をしていても、「全世界の帰趨を決定する」と言っていることの内容をごまかすことはできない。なんと黒田によれば、これから百年間はアメリカ帝国主義の世界支配が続く、ということになる! 二十一世紀はまるまるそうした時代になると!
 大体二十世紀の百年間の歴史の流れを見てみよ。革命と反革命の、動と反動のすさまじい激突の百年間ではなかったか。二十一世紀は、これをもはるかに超える激動の時代、世界史の転回の時代であり、革命と反革命との激突をプロレタリア世界革命の勝利に転化すべき世紀である。ところが、黒田はプロレタリアートへの絶対的不信に陥り、およそそうしたことなど考えられもしないのだ。プロレタリアートの自己解放闘争への絶対的不信という反マルクス主義の立場に立つ者でなければ、「今後百年間の……」などという言い方は絶対にできないのだ!
 ところで、本紙新年号の政治局アピール第九章でも暴露・断罪したが、黒田は『実践と場所』でも、「市場社会主義」の中国(今日の中国スターリン主義のこと)はあと百年ないし百五十年以上も続くとか、中国の援助で「破産国ロシア」もテコ入れされてあと百年は続くなどと言っている。前述の黒田の「百年間」発言と、この反革命言辞とを重ねあわせてみると、黒田に言わせればなんと二十一世紀はまるまる帝国主義とスターリン主義(残存スタおよび破産したスターリン主義)の支配が続くということになる!
 これは百パーセントも二百パーセントも反革命的で反プロレタリア的な「世界観」でしかない。なんというプロレタリアートへの絶対的不信の表明か!

 「宗教対立が根源」と階級的立場を全否定

 九一年のイラク空爆で米帝の世界支配は百年も続くといった調子の反米主義的な言辞をぶちあげた黒田は、その舌の根も乾かぬうちに、今度は一気に再び「新東西対立」論の世界に舞い戻る。「中国脅威論」的文脈への乗り移りである。
「江沢民中国と亡国ロシアは、インドおよび中洋の反米諸国を、そしてさらにイギリスをのぞくEU諸国を゛同盟国″にひきこもうとする政策をとっている」(一一ページ)
「二十一世紀初頭の世界は、……アングロ・アメリカン帝国主義ブロックと、『市場社会主義』中国およびこれにつきしたがうマフィア経済の支配的な亡国ロシアからなるブロックとの、新たな対立をますます前面化するであろう」(一二ページ)
「まさにこのゆえに日本帝国主義政府は、アングロ・アメリカン帝国主義諸国との軍事同盟を強化しつつ、中国・ロシアブロックに対抗しようとしている」(一一ページ)
 ここでは結局、帝国主義は中ロへの対抗で軍事同盟を結ぶ、戦争(準備)をするものとされ、帝国主義自身が戦争の原因であることが完全に否定され、免罪されるのである。カクマルの破産しつくした古い歌(「東西対立論」)の、実にくだらない替え歌である。
 前述の「残存スターリン主義・中国はあと百〜百五十年続く、亡国ロシアもあと百年続く」という言辞と重ねると、黒田・カクマルはこの「新東西冷戦」論をこれからさらに百〜百五十年も続けるつもりなのだ!
 ところが、黒田は帝国主義の世界支配との闘いを問題とすべき時には「新東西冷戦論」をもちだすが、このテーゼに体重をかける気力はない。「九一・八(ソ連スターリン主義の崩壊)」的現実のもとでグラグラなのだ。次の引用を見てほしい。
「現代世界の基本構図は『新東西冷戦』という形で単純にわりきるわけにはいかない。ブルジョアイデオロギーの崩壊と脱イデオロギーという現状においては、もろもろの潜在的および顕在的な階級対立と民族間抗争は、その背後にもろもろの宗教的対立があるということが見おとされてはならないのである」(一三ページ)
 この主張は二重にも三重にも反マルクス主義そのものである。まず「階級対立と民族間抗争」という言い方がおかしい。民族間抗争とは何か。「帝国主義と民族・植民地問題」というレーニン的段階論とそこでの世界革命論の視点は、ここでは完全に吹っ飛んでしまっている。
 さらに重大なことは、宗教対立を新たに大々的に押し出していることだ。大体「ブルジョアイデオロギーの崩壊と脱イデオロギーの現状」ではどうして宗教対立が階級対立を規定することになるのか? 宗教の階級的基礎を徹底的に究明したマルクス主義は一体、どこへ飛んでいってしまったのか! 反帝・反スターリン主義のプロレタリア世界革命論のマルクス=レーニン的見地が、今日の黒田においては百パーセント蒸発してしまっているのだ。黒田・カクマルはいまや米帝の反動イデオローグ、ハンチントン流の「文明の衝突論」に完全にとり込まれてしまっているのだ。
 現実の階級闘争において宗教対立をリアルに見るということは、宗教対立を階級的基礎においてとらえ、かつ帝国主義段階の民族・植民地問題を真に解決する世界革命論の中でとらえ返すということなのである。それを黒田は、あたかも複眼的に見るかのようにして実はきわめて非階級的な現代世界論として宗教対立論にすりかえているのである。

 ファシスト石原と同根の反米民族主義

 結局のところ黒田の行き着くところは、いまや本質的には〈日本民族主義〉以外の何ものでもない。黒田がこの論文、いやこの間のすべての駄文で乱用している言葉に注目する必要がある。「アングロ・アメリカン帝国主義諸国」「ヤンキー帝国主義」「ヤンキー民主主義」「ヤンキー語」……
 言葉は大切である。その思想や思考法は、使用する言葉と深く結びついている。黒田がこのように「ヤンキー」を連発するのはどういうことか。しかもはっきりさせるべきことは、黒田は日本という帝国主義国の人間だということだ。その黒田が「ヤンキー」とか「ヤンキー帝国主義」とか言うことは、帝国主義的排外主義、帝国主義的民族主義以外の何ものでもない。「アングロ・アメリカン帝国主義」と言う時もゲルマンとかラテンとか日本とかの対比で言っているのであり、レーニン的な意味での帝国主義という基本的階級的な概念規定を放棄し、自国帝国主義との対決をさておいて、他の帝国主義を非難してものを言うスタンスに立つことを意味している。
 われわれにおいては、米英帝対ドイツ帝の戦争という時、帝国主義対帝国主義の戦争として、階級的本質において帝国主義戦争をとらえる意味をもつ。しかし黒田のように、「アングロ・アメリカン帝国主義対ゲルマン帝国主義」という規定をすることは、一種の民族間対立として問題をとらえるということにほかならない。こういうのはレーニンが徹底的に否定し、闘った視点そのものにほかならないのだ。
 黒田の日本民族主義、ひいては民族主義というものは、われわれの推測をもはるかに超えた、度はずれたものであることをしっかりと確認する必要がある。次の引用を見てほしい。
「座長の天才願望の偏頗(へんぱ)な合理主義とキリストの恩寵(おんちょう)に包まれたような『教育改革案』なるものは、森首相のいう『神の国』には全く似つかわしくない代物でしかない」(二七ページ)
「日本人としての思考法の骨を失わせる結果をうみだす」(同)……
 日帝の「教育改革」攻撃を批判する時、階級的(=人間的)見地からみて内容的にどうなのかということこそが問題とされるべきだ。ところが黒田は、その内容の反動性、反階級性をそれとして暴露・批判するのではなく、キリスト教的であるから「神の国」=日本〔的日本〕には似つかわしくないなどと批判している。こんな批判は、ファシスト石原の論理とまったく同じものでしかない。
 「日本人としての思考法」とは何か? たしかに人間は、さまざまな民族性をもつ言語で思考することは事実だろう。しかし、それはさまざまな特殊性を帯びるかもしれないが、同時に他の諸民族の人々の思考することとも通底する普遍的な思考でなければならないし、実際にそうなっているではないか。「日本人としての思考法」という言葉は、日本人特有の思考法とか、他の民族人民とは違う思考法というように、〈民族〉の強調をしか意味しない。これも石原らの論理と百パーセント同じものである。今や黒田の世界観は、ヤンキー的なものか、日本民族的なものか||といった内容で描かれるものになってしまっているのだ。
 また、黒田は北方四島問題に言及して、「亡国ロシアの大統領プーチンに、日本政府は屈服した」とか「ロシアによる永久占領」とか「日本政府はロシア政府にたいする対抗手段をなんらもちえていない」などと、日本民族主義的なアジテーションを延々とやっている(一〇〜一二ぺージ)。こういう主張をする時、黒田は「日帝政府」とはけっして言わず、すべて「日本政府」と書いている。黒田にとっては、日本政府は〈わが政府〉であって日帝政府ではないということだ。
 黒田にとっては、日本帝国主義とその政府が、ヤルタ体制の戦後的な世界地図を塗り替えるための有効な手段をもつということが、今日の世界危機と帝国主義間争闘戦の激化の中でどのような深刻な意味をもつのか、という問題意識は全然ない。破産したスターリン主義として反革命的な資本主義化過程にあるロシアと日帝との領土をめぐる争いが、帝国主義戦争の問題をはらんでいることなど、頭の中からすっかり消え果てているのだ。

 「マッカーサー憲法」へのむき出しの反感

 さて、以上のようにデタラメな世界観を振り回して、結局、日本民族主義にのめり込んでしまった黒田だが、JR総連問題とのからみでは何としても「日本型ネオ・ファシズム体制」の強化=「暴虐の嵐(あらし)」といった話にもっていかなくてはならない。そこで以下のような言動をなすのであるが、ここでも中身は支離滅裂である。
「他方、アメリカ帝国主義と軍事同盟を結んでいる日本帝国主義は、日本型ネオ・ファシズム体制に行政的基盤を与えアジア支配のための巨歩をふみだそうとしている」(一〇ページ)
「こうした内外情勢のもとでわが支配階級は、大統領府にも似た巨大な行政府をつくり、日本型ネオ・ファシズム体制を確固たるものたらしめつつある。組織犯罪対策法や国旗・国歌法を成立させたわが支配階級は、マッカーサー仕立ての日本国憲法の改悪に公然とのりだしている」(一五ページ)
「それにもかかわらず、政治的にもイデオロギー的にも戦前とおなじ道を歩みだしていることについての危機感が、労働者人民にはあまりにも希薄ではないか」(一六ページ)
「おおよそ右のような情勢のなかで、日本労働運動の戦闘性を体現し、今なお反戦の旗をかかげ戦闘的労働運動の炎を燃やしつづけているJR総連傘下の諸組合組織を最後的に解体するための総攻撃がしかけられた。典型的にはJR総連傘下の単組=九州労の、JR連合への完全屈服という悲惨な事態としてあらわれた」(一七ページ)
 黒田が「アジア支配のための巨歩をふみだそうとしている」などと言うから、日帝のアジア侵略の問題にまともに対応しようとしているのかと思えば、実はその中味はほとんどなく、「日本政府はだらしない」のオンパレードだ。「プーチンに屈服している」とか「朝鮮半島の゛平和ムード″の流れに抗して、台湾海峡の危機を叫びたてている」とか、行政改革も「簡素化なき省庁統合」で「肥大化した大統領府的行政機構をつくりだす茶番でしかない」などとまくしたてるのみなのである。
 さらに決定的なことは、「第三次世界大戦の火薬庫は今なお依然としてバルカン半島にあり……中洋にある」(一二ページ)と言っていることだ。「第三次世界大戦の火薬庫」などと言いながら、なんとそこには朝鮮半島や中国・台湾情勢は入っていないのである。
 結局、黒田・カクマルにとっては、あれこれのことをいかにもの体で語りながら、「日本型ネオ・ファシズム体制」ががっちり固められてしまったことを浮かび上がらせれば、それでいいのである。日帝のアジア侵略や世界大戦の危機と全力で対決し、それを革命的内乱に転化していくというようなことは、爪(つめ)の先ほども考えていないのである。
 改憲の問題もさもさもらしく述べたててみせるが、その内容はなんと「マッカーサー仕立ての憲法の改悪のたくらみ」などという代物である。黒田式の日本民族主義からすれば、「マッカーサー仕立ての現憲法」はまったく問題にならないと言っているに等しい。だから「日本人的思考」でつくり直すのは当然となってしまうのである。改憲攻撃を日帝のアジア侵略戦争の現実性との関連から問題にし、革命的祖国敗北主義の立場から本気で闘うという立場は微塵(みじん)もない。つまるところ、これも「ネオ・ファシズム体制の強固確立論」の飾りつけでしかない。

 「分割・民営化攻撃の先兵」の原罪から逃れられない!

 B章は、一言で言えば「日本型ネオ・ファシズム体制論」の全面的強調である。まず黒田は、「日本労働者階級は……日本型ネオ・ファシズム体制に完全にあみこまれ」(一九ページ)たという反革命的な規定をもって、日本の労働者人民はファシズムの支配下に百パーセント組み敷かれてしまって身動きがとれなくなったと強調する。
 さらに、このため「日本労働運動の帝国主義的変質のもとで組合運動を原則的かつ柔軟におしすすめることはきわめて困難である」「動力車労働組合が……おしすすめてきた動労型労働運動は、日本型ネオ・ファシズム体制のもとで屈服させられた」(二一ページ)と言って、客観情勢にこと寄せて動労カクマルの大転向、大裏切りを合理化している。
 この点について、A章でも黒田は以下のように言っている。
 「動労・国労の労働者たち」は「たたかったにもかかわらず、一敗地にまみれ、『国鉄改革』に協力させられることになった」(一七ページ)
 このような「屈服させられた」とか「協力させられることになった」などというものの言い方は、聞いてあきれる。これほど破廉恥な言い方はない。黒田・カクマルは、「ネオ・ファシズムの嵐だ」とか騒いで、「これに対する一切の抵抗は自殺行為だ」とデタラメを言い、自分たちだけがセクト的に生き延びるために日帝・中曽根の手先となり、国鉄分割・民営化攻撃の先兵となる道を自ら選択したのだ。そして国鉄労働者二十万人の首を切り、二百人を超える労働者を自殺に追い込む攻撃の先頭に立ったのだ。国労・動労千葉破壊、総評解体攻撃の反革命先兵となったのだ。
 そんな反革命的な大罪をいくつも重ねておきながら、「一敗地にまみれ」などと、あたかも「闘って負けた」かのように言い、あるいは「屈服させられた」「協力させられることになった」などと、まるで他人ごとのようにさらっと言い抜けて逃げるペテンが、いったいどこで通用すると思っているのか!
 カクマルが国鉄分割・民営化の先兵、日帝・中曽根の手先となったことは、永遠に消し去ることのできない反革命の悪行なのだ。黒田・松崎・カクマルはこの原罪の重さから永遠に逃れることはできないのだ。
 黒田・カクマルは、「国鉄改革への協力を『労使協調ではなく労使協力』を旗じるしにして、自覚的・主体的に行ってきたのだから革命的」などと自他を欺瞞(ぎまん)してきたのであるが、そんなものは階級的にはまったく通用しない。その中身がまったく反階級的、反革命的なものだからこそ、今まさにカクマルとJR総連の矛盾と危機の大爆発、完全な路線的破産が突き出されているのだ。
 ところが、このように主体的に総括できない黒田・カクマルは、あくまでも「労働運動の冬の時代」論のオクターブをいまひとけた上げることで、問題を客観情勢のせいにして逃げ回ろうとしている。「わが支配階級の…アジアへの雄飛の体制づくりは、必然的に同時に日本労働運動の死滅をも決定的なものたらしめるにちがいない」(二一ページ)と。そして九州労問題はこの現れだと言っているのだ。
 さらに黒田は、JR総連カクマルが「イデ闘」「フラク」「ケルン」を軽視したからこそ、九州労のようなことが起きたのだと言って、そのお説教を延々と続けている。そして実践的には、「今や闘いは困難だ」、だから「闘いを……執拗に・ねばり強くおこなうのでなければならない」「今後もねばり強く柔軟にたたかうべきである」(一八、二九nなど)というのみなのである。
 黒田・カクマルは、自己の反革命的な運動=組織路線の破産の結果として今日のJR総連総失陥の現実があることを見据えようとせず、「客観情勢の厳しさ(冬の時代論)」とJR総連のカクマルたちの「左右の組合主義」にすべての原因があったかのように言って、自分の指導責任をすり抜けようとしているのだ。
 5面につづく〜4面からつづく

 労働者階級への侮蔑・不信とカルト集団まがいの宣伝

 綱領的内容の論争で黒田が完敗を宣言

 C章で黒田は、革共同の清水丈夫選集第一巻の「党史」や第四巻の「党史」的展開を大いに意識して、自己絶対化のための弁明を述べたてている。破産しつくした組織現実論を依然として「正しい」と言い張りつつ、カクマルの党史を「党内理論=思想闘争」の歴史として描き、問題の一切の核心は左右の大衆運動主義、日和見主義の問題であると言っている。そして、この「党内理論=思想闘争」を「さまざまなかたちにおいて……妨害する挙にでた」(三八ページ)者がいると言って、かの拉致・監禁した南雲(坂入)を六〇年代にさかのぼって批判している。この南雲に「面従腹背分子」というレッテルを張りつけ、「腐敗しきっている」と憎悪をぶちまけている。
 このC章の最後も「日本労働戦線の今日の情勢はきわめて困難に満ちあふれている」から「自己形成と学習に励むこと」という主張で終わっている。
 さらにD章で黒田は、再び世界情勢分析のようなことをやっている。これはA章での分析のあまりの貧弱さに黒田が自分で消耗し、あわてて補強的に論じたものだが、内容はさらにボロボロである。
「世界同時不況の到来が前面に浮かびあがっている」
「帝国主義的資本制経済が存続するかぎり、この経済の根本矛盾は何らかのかたちで爆発するに違いない」
「現代国家独占資本主義のもとでの資本の過剰は恐慌として爆発する必然性にある」
「現代帝国主義世界は、死の苦悶にあえいでいる」(以上、四二ページ)
 黒田は、どういうつもりでこれを書いているのか? われわれとの長い論争史を考えると、黒田が必死になって主張してきたことが百パーセント否定され、われわれの正しさが圧倒的に確認されている現実を前にして、いったい黒田は「理論家」としてどのツラ下げてこのようなことが言えるのか!
 綱領的論争におけるわが革共同の圧勝、黒田・カクマルの完敗宣言と言えよう。だが、もちろん黒田は、われわれの一貫した理論展開と現実のリアリズムに圧倒され、こうでも言わなければはじき飛ばされてしまうから、このように言ってみせているにすぎない。「帝国主義の……根本矛盾」などと言って、われわれの「基本矛盾の爆発」規定との差をつけているが、差は言葉だけではない。黒田・カクマルの場合、基本矛盾の爆発がブロック化と世界戦争に発展するということは、まるでとらえられていない。また、帝国主義段階の恐慌も二九年型大恐慌としてとらえられていない。破産を取り繕うために、ペテン的にこのように言って見せているだけなのである。
 さらに、次のように言っている。
「では、ゴルバチョフのソ連邦の自己解体的自己崩壊と、これに先行し連動した中部ヨーロッパの自称『社会主義』諸国のドミノ的崩壊は、どうであるか」
「市場経済に憧れ自国経済を市場経済化することによってもたらされたものは、貧富の驚くべき較差の露出であり、社会的無気力であり道義的頽廃(たいはい)であり、スターリン主義崩壊の後に頭をもたげたスラブ民族主義である」(四二〜四三ページ)
 まったく度しがたい低水準だ。スターリン主義の歴史的破産を一国社会主義の問題として解明できていない。ゴルバチョフとエリツィンの区別、つまり「九一・八反革命」の意味がまるで分かっていない。ゴルバチョフが市場経済にあこがれたのが、スターリン主義崩壊の原因だったのか! 黒田・カクマルは、一九一七年のプロレタリア革命の反革命的スターリン主義的変質||そのスターリン主義国家の転覆の上に行われる資本主義化政策||その反動性と危機性||ということがまるで分かっていないのだ。そして、このスターリン主義論における破産の問題を隠すために、黒田はソ連スターリン主義とその後のロシアのもとでの地球環境の破壊について、エコロジストになりきって騒ぎまくっている。

 失業とはファシストになることなのか!

 重要なことは、黒田はこうしたことを「二十世紀の悲惨」と総括し、これに続く二十一世紀を“暗黒の百年゜として黒々と塗りたくる方向にもっていっていることである。
 しかも、実に許せないことに、黒田はこの「二十世紀末のおおよそこのような悲惨な事態」の原因なるものを、労働者階級の腐敗、主体性喪失、ボロボロの空洞化といったところにもっていくのだ。以下の引用を見てほしい。
a「失業者の大群……アメリカ式民主主義と“テレビ常゜にひたってきたブルジョア的市民の会社への非就職=フリーターの二〇〇万人にのぼる輩出」(四一ページ)
b「次々に日々創りだされている失業者の大群や自己の擬似主体性のもとにフリーターになっている者たち、さらに『公』の名においてボランティア活動にいそしんでいる者ども。||彼らは、いま強固なものとしてうち固められつつある日本型ネオ・ファシズムの尖兵となり、またその予備軍となるものでしかないのである」(同)
c「日々疎外された労働を強制され精神的自己疎外に陥っていることのゆえに、完全に空洞化した一般的な市民的労働者たちは、もしも戦前のような軍国主義のイデオロギーの洪水にみまわれるならば、たちまち現存支配体制にあみこまれるであろうことは火を見るよりも明らかである」(同)
 さらに、A章からの次の引用もみておくべきであろう。
d「この(IT革命の)設備投資が一巡した暁には、電脳的に疎外された・ヤコブ病をおこす蛋白質プリオンに冒されたようなスカスカ頭の人間が呆然たる顔をして居並ぶという奇妙な現象があらわれるであろう」(一五ページ)
 ここの叙述は文脈的にみて、明らかに人民一般を含んだものとして言われている。
 これらの黒田の言辞をわれわれは怒りなしに読むことはできない。aでの「失業者の大群」とは何か。プロレタリアートの大量失業のことではないか。なぜこれがストレートに「ネオ・ファシズムの先兵やその予備軍」と規定されるのか。失業することはファシストになることなのか! 黒田・カクマルの思想はここまで腐り果て、反プロレタリア化したことを確認しなければならない。
 bでのプロレタリア観もまったくでたらめで反階級的だ。「疎外された労働者」は労働者である限り、必ずあらゆる疎外をつき破って立ち上がらざるをえない||プロレタリアートは本質的にそういうものとして存在している。このようにとらえるのがマルクス主義ではないのか。共産主義は本質的に労働者階級の自己解放闘争であるという原理は、いったいどうなっているのだ。また、社・共既成政党の問題、スターリン主義の問題を抜きにしてこのようにストレートに現実の労働者階級を「主体性がなく、空洞化していて、すぐファシズムにからめとられる」などとすることが、どれほど反プロレタリア的なことか−−こんなことも分からないのか! 黒田・カクマルは、こんなでたらめな、超反革命的なプロレタリア観を平然とまくしたてているのだ!
 このような労働者階級への不信と蔑視(べっし)の主張をとうとうとまくし立てた上で、黒田はこの駄文の最後で、なんとカクマルを「地上の太陽である」などと自画自賛している。現実の苦闘する労働者階級を「空洞化している」だの「主体性がない」だの「ブルジョア化している」だのとなじりながら、自分たちだけが「地上の太陽」であり、“カクマルイズムに改宗すれば救われる゜式のカルト集団まがいの宣伝をしているのだ。こんな反プロレタリア的な長広舌をわれわれは断じて許すことはできない。

 黒田・カクマル打倒、JR総連解体へ!

 以上、黒田の「わが革命運動の飛躍のために」なる駄文の反革命性、反プロレタリア性を徹底的に暴露・批判してきた。このような反プロレタリア的な立場に立った黒田イズムに指導されたからこそ、JR総連は分割・民営化への全面屈服・先兵化の大反革命路線の泥沼の中で破産し、カクマルとJR総連の大分裂と抗争が不可逆的に進展しているのだ。
 絶望的危機の中で、JR総連を白色テロで制圧しようとする黒田・カクマルの反革命策動を粉砕せよ。今こそ黒田・カクマル打倒、JR総連解体の闘いをさらに強力に推し進めよう。JR総連傘下の組合員労働者のカクマルからの根底的決別を促し、彼らを積極的・変革的に獲得するために闘おう。国鉄決戦の爆発をかけて、一・二七国労大会決戦に総決起し勝利しよう。

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週刊『前進』(1990号5面1)

関空2期事業は中止を 1・28現地闘争に結集しよう
 止まらぬ地盤沈下と累積赤字 2期阻止へ湾岸に広がる闘い

 関西新空港は実質的に破綻(はたん)している関空会社の経営は大赤字が続き、地盤沈下が止まらず空港機能は危機に陥っている。さらに地元・泉佐野市は空港関連事業で借金し過ぎたために来年度末にも赤字再建団体に転落する瀬戸際にある。われわれが最初から言ってきたとおりになってきたのである。関西新空港反対闘争三十数年、ついに関西新空港を粉砕する局面を切り開いている。当面の最大の攻防となっている二期事業阻止と、関西新空港の軍事使用反対を掲げ、一・二八泉佐野現地闘争(要項1面)に立ち上がろう。

 関空闘争勝利かけ最大の決戦に突入

 昨年十二月二十四日、政府は二〇〇一年度予算案を発表した。関西空港二期予算は、今年八月までに経営体制の見直しを条件に、一割削減の千七十二億円とした。また着陸料引き下げ分二十億円は認めなかった。
 日帝は、関空二期事業が破産していることを認めた上で条件をつけて二期予算を計上したのだ。日帝には二期事業を中止する選択肢はない。成田空港暫定滑走路の破産に加え、関空二期まで破産すれば、日帝の航空政策、戦争政策が総破綻し、劣勢にある日米争闘戦で完全に敗北してしまいかねない。しかしこのままでは関空会社は必ず経営破綻する。
 そこで条件をつけた。条件の「経営体制見直し」とは、毎年膨大な赤字を重ね実質的に破綻している関空会社を立て直すため、地元自治体と企業から資金を出させて借金を減らそうとするもくろみである。その原資は何か。労働者人民からの搾取・収奪を強めるしかないのである。
 しかしこのもくろみは失敗する。財政状況が全国一悪い大阪府やどん底の不況にある関西企業に資金を出せる余力はないし、労働者人民からこれ以上収奪すれば大反乱になる。
 いずれにしても日帝は、どんなに破産的であろうとも人民によって倒されるまで関空二期事業を強行してくる以外にない。関空二期決戦は、いよいよ最大の決戦期を迎えた。今年が勝負である。第一波闘争を一月二十八日泉佐野現地で行う。全力で決起することを訴える。

 市民を犠牲にする泉佐野市政も破産

●経営破綻
 関空は九四年開港以来、毎年二百億〜三百億円もの赤字を出し、累積赤字が千五百七十二億円にも上っている。今年度赤字も二百億円を超す。
 われわれは最初から関空会社は経営が必ず破綻すると批判してきた。
 関空会社は国、自治体、民間が出資した特殊法人である。第一種空港であるにもかかわらず、会社方式にしたのは中曽根だ。中曽根が首相だった一九八四年、「民間活力導入」第一号として設立し華々しく宣伝した。以後、第三セクターと呼ばれるこの方式が全国に広がりバブル経済を拡大したが、バブルの崩壊とともに全部破綻し地方財政悪化の要因になった。
 「民間活力導入」方式は、国鉄分割・民営化と並んで中曽根行革攻撃の中心に位置づけられていた。それが国鉄労働者を先頭に住民・労働者人民の長い闘いによって両方とも、見事に破綻している。
 関空会社の破綻は最初から明らかであった。関西新空港の建設費は一兆五千億円、うち借金が一兆円もある。そのため支払い利息は年間約四百五十億円、減価償却費が年間約三百五十億円にもなった。黒字にするためには営業収入を千四百億円以上にしなければならないが、そのためには着陸料を成田以上の世界最高額にしなければならない。
 しかしそんなことをすればどこの航空会社も来ない。やむをえず成田より低くしたが、これでは赤字経営は免れない。そこでテナント料、施設使用料を高くした。それで結局、ジャンボ機一機当たりの飛行場使用料は世界一高くなってしまった。
 その結果、九七年から便数が減り始めた。九九年度は離着陸回数は十一万七千回台にとどまっている(羽田は二十四万回)。第七次空港整備計画では二〇〇〇年には十五万回となっているのを見れば、どれだけ少ないかがわかるであろう。空港収入の中心は着陸料である。便数が伸びない限り赤字経営は不可避である。
 このように、特殊法人としたことから赤字経営が決定づけられていたのである(中曽根には利権をばらまくのに好都合であった)。
 しかし、日帝は帝国主義である限りやめるわけにはいかない。ここに最大の矛盾があり、労働者、住民との激突が不可避となる根拠がある。

●地盤沈下
 次に、止まらない地盤沈下の深刻さである。われわれは最初から地盤沈下を指摘してきた。軟弱な地盤の上に巨大な埋め立て地を載せれば沈むのは当然である。
 空港島の地盤沈下は、昨年開港六年目で平均十二メートル(五階建てビルの高さ)も沈み、すでに五十年後の最終予測値に達している。このままでは空港島は水没してしまう大危機にある。
 昨年七月からマスコミ各社が関空の地盤沈下について相次いで報道し始めた。「旅客ターミナルビルの地下室が破損の恐れ」「給油タンク消防法違反」「ウイングなど傾く」などの衝撃的な記事が続いた。
 その後も同様の報道が続いている。誘導路が四十センチも沈下し「うねる関空」と報道され、労働者や住民に衝撃を与えた。また、いたる所で不等沈下によって段差が生じ、建物や滑走路に亀裂が入っているとの報道も相次ぎ、関空が危険であるという認識が一般に定着してきている。
 さらに関空埋め立てに関わってきた学者たちが「今後さらに二メートルは沈む」と警告している。二メートルも沈めば関空のターミナルビル地下室は壊れ、滑走路などにも障害が出ることは確実で、完全に機能停止に陥る。関空会社はいまだに「沈下は予測の範囲内」と強弁するが信じるものはいない。
 関空会社は、かなり前から地盤沈下の深刻さを知っていた。国賀祥司・泉佐野市議の議会質問に対し、泉佐野消防署は九八年七月の時点で関空の給油タンク地区は消防法違反になっていた(消防法ではタンク底から地下水位まで二メートル以上保たなければならない)と答えている。関空会社と運輸省は、もっと以前から知っていたが隠し続けてきたのだ。
 事故が起これば大惨事である。関空には約二万人の労働者が働いている。関空会社は労働者を犠牲にしてでも空港を維持しようとしているのだ。

●地元破綻 
 地元の泉佐野市も「共存共栄」どころか、今や倒産=再建団体寸前である。
 空港関連事業への多額の投資で借金が約十年間で千四百三十四億円にも達し、借金返済に年間五十数億円も支出しなければならなくなったためである。
 空港関連事業は八七年から始まった。総額は約千三百二十五億円、市の投資全体の半分を占める。空港が来なければ必要のなかった事業が多い。例えば、りんくうタウンの埋め立てで元の沿岸部が浸水する危険が生じ、雨水下水道に数百億円もかけている。空港連絡道路を国が建設したため、市道や農道の付け替え、農業用パイプラインなどにも多額を要している。コスモポリスや病院もそうだ。
 本来、国と府がやるべき事業を泉佐野市に肩代わりさせ「将来空港税収が入るから」と、補助金をつけてどんどん事業をやらせたのだ。空港税収はあるが、ほとんど借金返済に回っている。
 その結果、泉佐野市は巨額の借金返済に追われ、来年度には赤字再建団体に転落することが確実視されている。再建団体に転落すれば、国の管理下に置かれ、市職員の賃金は下げられ、公共料金は値上げされ、福祉・教育は削られることになる。結局、市民が犠牲にされるのである。われわれが最初から批判してきたとおりである。
 泉佐野市は、空港に従属した市政をやめ、国や府が本来行うべきだった事業の借金は全部返し、労働者、市民が中心の市政に根本的に改めるべきである。それしか助かる道はない。
 このように関西新空港は、どこから見ても実質的に破産している。日帝の延命策に対して、今こそ労働者、住民の怒りをたたきつける時である。

 関空闘争は日帝の戦争政策と闘う砦

 日帝は、帝国主義としての延命をかけて、関空二期と成田暫定滑走路攻撃に出てきている。来年度二期予算を千七十二億円もつけ、工事を本格化しようとしている。いよいよ決戦の時を迎えた。
 二期事業とは、現空港の沖にもう一本滑走路を埋め立てて建設する計画である。総事業費は一兆五千六百億円としている。
 だが、二期事業は一期以上に破産することは確実である。一期をはるかに超える大赤字になることは確実である。一期でも便数が少なく赤字の会社が、一期以上の投資をして経営が成り立つはずがない。政府は地元負担の増額で借金を減らして乗り切ろうとしているが、そんな小手先で解決する水準をはるかに超えてしまっている。
 また地盤沈下は一期以上に激しくなることは確実だ。関空会社でさえ一期の十二メートルに対して「二期は十八メートル」と予測している。前述の学者は「予測より三メートル以上沈下するだろう」「同じ工法では支障を来す」と断言している。埋め立て工事を強行しても使い物にならない。しかし日帝はやめられない。一期空港がいつ使い物にならなくなるかもしれない爆弾を抱えているからだ。労働者人民の闘いで止めるしかないのだ。
 地元の泉州住民の会は、昨秋から「二期事業反対署名」運動を始め、短期間に約二千人分を集めている。運輸省、関空会社、大蔵省、大阪府に抗議の申し入れ行動を何回も行った。地元住民、労働者の圧倒的な支持と信頼をかちとり、闘い続けている。大阪湾岸住民団体は、闘う強固な陣形のもとで現地闘争、全国闘争を闘い、牽引している。
 われわれは、泉州住民の会と大阪湾岸住民団体を支援し、さらに連帯を強め、関西新空港二期決戦に決起する。関西新空港闘争は、三里塚闘争とともに、日帝と最先端で対決している。
 関空二期と成田暫定滑走路は日帝の戦争政策、航空政策にとって不可欠であり、対米争闘戦に勝つためには日帝が完成しなければならない政策である。また労働者人民の反戦の砦(とりで)を破壊しない限り、アジア侵略戦争は不可能である。われわれは日帝の戦争攻撃の実体をめぐる闘いとして関西新空港闘争を位置づけ、二期決戦の先頭で闘う決意だ。
 他方、日本共産党は二期賛成派に転落して久しく、今や反対運動もしない。府議会などでは「二期事業は国の責任でやるべき」と完全に二期推進論の論陣を張っている。自衛隊と安保を認めた日共にとっては当然の帰結である。日共の大転向を徹底的に批判し、労働者人民とともに二期を阻止する決戦に勝利しよう。
 一・二八現地闘争への総結集を訴える。

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週刊『前進』(1990号5面2)

2001年日誌 阻もう!改憲=戦争への動き 1月1日〜16日
 衆参合同で憲法調査を検討 沖縄で米兵犯罪続発に怒り

●衆参合同で憲法調査 産経新聞の対談で、中山・村上の衆参両憲法調査会会長が、両院合同の調査や協議機関を創設する方向で検討していることを明らかにした。(3日)
●プルサーマル住民投票条例を否決 新潟県刈羽村議会が昨年末に可決した東京電力柏崎刈羽原発(柏崎市、刈羽村)でのプルサーマル計画実施の是非を問う住民投票条例を、品田宏夫村長が村議会に差し戻し再議に付した。議長も参加して採決した結果、賛成九反対九で否決、廃案に。プルサーマル計画をめぐる全国初の住民投票は実現されないことになった。(5日)
●中央省庁再編 中央省庁再編で一府二十二省庁から一府十二省庁に。総理府、経済企画庁、沖縄開発庁に代わって内閣府が置かれ、他省庁の上に立ち、強い権限が与えられる。総務省、国土交通省、厚生労働省、文部科学省が新たに設置され、大蔵省は財務省に、通産省は経済産業省に名称が変更された。(6日)
●政府、有事立法検討作業に着手 政府は、有事立法に向け、検討作業の準備に着手した。防衛庁の米田健三政務官を有事法制担当とし、伊吹文明国家公安委員長兼防災・危機管理担当相にも法制化への準備に入るよう指示した。(6日)
●「近距離への建設反対」と決議 米軍普天間飛行場の代替施設建設について、名護市辺野古区、豊原区の行政委員会が、代替施設を集落から近い距離には建設しないよう求める決議案を可決した。(8日)
●森が「大東亜戦争、支那事変」と発言 南アフリカ共和国を訪問中の森喜朗首相が懇談会でのあいさつで「私は一九三七年生まれで大東亜戦争の前、支那事変が起こった時だ」などと述べた。(9日)
●米兵が強制わいせつで逮捕 沖縄本島で、米海兵隊伍長が、路上を歩いていた女子高校生のスカートをめくり、写真を撮るなどして、沖縄県警に強制わいせつ容疑で逮捕された。「基地をなくさない限り、起こり続ける」など強い怒りが広がっている。(9日)
●那覇軍港へ自衛艦寄港できるように 離任あいさつで翁長雄志那覇市長を訪ねた海上自衛隊第五航空群の半田鎌次郎司令が「自衛艦が那覇港湾に寄港できるよう、将来的に那覇市にお願いしたい」と要請。現在、米軍那覇軍港の共同使用に向け、日米合同委員会に諮るよう働きかけていると説明した。(10日)
●「北朝鮮・中国が最大の懸念」と米国防総省 米国防総省が、核、生物・化学兵器や弾道ミサイル開発の報告書を発表し、「北東アジアでは朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と中国が最大の懸念だ」などと指摘し、米本土ミサイル防衛(NMD)の必要性を強調している。(10日)
●次期米国防長官、ミサイル防衛を積極推進 ラムズフェルド次期米国防長官が上院軍事委員会公聴会で、「米本土と、海外駐留の米軍、同盟国をミサイル攻撃から守るために、最先端技術を駆使した効果的なミサイル防衛網をつくらなければならない」と述べ、米本土ミサイル防衛(NMD)、戦域ミサイル防衛(TMD)の開発と配備に強い意欲を示した。(11日)
●在日米軍基地、緊急車両を通行可能に 日米政府の外交・防衛当局者による日米合同委員会で、救急車や消防車、ヘリや航空機が緊急の際に在日米軍の基地内を通行できるようにすることで合意した。(11日)
●武装ゲリラ対策で自衛隊法改悪へ 防衛庁が、武装ゲリラなどの日本への侵入時に対応するとして、自衛隊法改悪の方針を固めた。武装ゲリラを対象に自衛隊に治安出動が発令された場合の同法の武器使用基準を緩和するもの。(12日)
●「米兵事件は米軍批判の宣伝」と元司令官 米海兵隊の強制わいせつ事件について、キャンプ・ハンセンの元司令官が米「ワシントン・ポスト」紙で沖縄の海兵隊員の犯罪率は特に高くないとした上で、「米軍のプレゼンスに反対する政治家が事件を宣伝している」と居直った。(11日)
●米・タイ演習にオブザーバー参加 防衛庁は五月にタイで実施される米・タイ合同軍事演習「コブラ・ゴールド」にオブザーバー参加する方針を固めた。同演習は東南アジアで最大規模の軍事演習。(13日)
●米兵、傷害容疑で逮捕
沖縄県国頭村の飲食店で、店の女性経営者を殴ってけがをさせた米海軍二等兵が逮捕された。(14日)
●安保賢人会議新設の方針
 森首相が「安全保障賢人会議」(仮称)を新設する方針を固めた。アーミテージ元国防次官補らが昨年十月にまとめた対日政策提言や、有事立法などを議論するという。(16日)
●3工法を提示 米軍普天間飛行場代替施設の基本計画について政府や地元が話し合う代替施設協議会が開かれた。防衛庁が@杭式桟橋Aポンツーン(海上浮体施設)B埋め立ての三工法について説明。(16日)

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週刊『前進』(1990号5面3)

相模原 西村市議囲み新春のつどい

 一月十三日、さがみはら革新市政をひらく会の新春のつどいが開かれ、多くの市民が西村あやこ市議を囲み二十一世紀の新たな出発を誓った。ひらく会と西村あやことともにすすむ会の代表のあいさつで始まり、西村議員が新春のあいさつに立った。西村議員は「二十一世紀を戦争のない、差別のない、だれもが生き生きと生きられる社会にしよう」と年頭の決意を明らかにした。(写真)
 市民が持ち寄った手作りの料理がならび、アトラクションやゲームをまじえ、参加者みんなでカチャーシーを踊るなど、楽しい集まりとなった。神奈川労組交流センターと婦民全国協のあいさつをうけ、六月都議選へ向け闘う都革新のメッセージも紹介された。

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週刊『前進』(1990号6面1)

ユーゴスラビア情勢をどう見るか 10月大衆蜂起以後
 コシュトニツァ政権を越えて前進を
 反帝・反スターリン主義の革命党が必要

 セルビア議会選挙の意味

 ユーゴスラビア―セルビアの労働者階級人民は昨年十月六日、大衆蜂起によって残存スターリン主義のミロシェビッチ独裁体制を打倒した。プロレタリアート人民は、ミロシェビッチが憲法を変えて実施したユーゴスラビア連邦大統領選挙を、ミロシェビッチ打倒の実力闘争に転化し、見事に勝利をもぎ取った。歴史的な革命的大衆行動だった。
 しかし、連邦大統領を民主野党連合が握り、連邦議会の過半数をミロシェビッチ派が握るというねじれが生じた。
 モンテネグロ共和国のジュカノビッチ政権・与党連合が選挙をボイコットしたため、モンテネグロに当てられた議席をミロシェビッチ派が独占した結果、新連邦議会の過半数をミロシェビッチ派が占めたのだ。
 また連邦大統領がセルビア出身であるため、連邦首相はモンテネグロから出された。しかも独立志向のモンテネグロの政権・与党が連邦政権への参加を拒んだために、連邦首相はモンテネグロの野党(ミロシェビッチ派)から出された。
 そこで、コシュトニツァ政権と民主野党連合が連邦権力を掌握するためには、セルビア共和国の議会選挙で勝つことが戦略的に重要となった。もともとユーゴスラビアの権力の実体は連邦よりも各共和国にある。セルビア共和国は約一千万人(うち約二百万人がコソボ自治州のアルバニア系住民)の人口を擁し、人口約六十五万人のモンテネグロを圧倒している。
 十二月二十四日に実施されたセルビア共和国議会選挙で、民主野党連合は定数二百五十議席の三分の二以上にあたる百七十七議席(得票率六五%)を獲得した。これは憲法改正も可能な議席数だ。ミロシェビッチが党首のセルビア社会党は三十八議席(同一四%)を得ただけで敗北した。ただし単独政党としては最大である。またミロシェビッチ体制を陰に陽に支える第二党だった民族主義政党、セルビア再生運動(ドラシュコビッチ党首)は議席を失った(同五%以下)。
 投票率は五十八・七%にとどまった(全有権者数は約六百五十万人)。スターリン主義も民族排外主義もこりごりであり、欧米的ブルジョア民主主義、親欧米帝国主義、資本主義化もいやだ、という層がかなりの比率を占めたのだ。
 セルビア共和国議会選挙における民主野党連合の勝利の結果、セルビア共和国の首相には、民主党党首で民主野党連合の最大の実力者、ジンジッチが就任することになっている。ジンジッチは、セルビア首相としてコシュトニツァ以上の政治的経済的実権を握ることになった。
 コシュトニツァもジンジッチも大セルビア民族主義者であり、ともにコソボ自治州の分離独立に絶対反対の立場だ。ミロシェビッチの国際戦犯法廷への引き渡しには両者とも反対だが、その他の面では対立することが多い。コシュトニツァはモンテネグロの独立に反対だが、ジンジッチはモンテネグロの独立に賛成だ。ジンジッチはコシュトニツァが法律的手続きを重視してミロシェビッチを延命させていることに批判的だ。
 コシュトニツァは反欧米派であり、ジンジッチは親欧米派である。ユーゴスラビア空爆の際、コシュトニツァはベオグラードにとどまってNATOを非難したが、ジンジッチは安全圏のモンテネグロに逃れていた。コシュトニツァは依然として米帝に批判的な立場を保っており、いまだ米大統領との首脳会談を行う意思を表明していない。
 こうした両者の対立からもし民主野党連合の内紛が爆発すれば、そのすきを突いてミロシェビッチが復権する余地が生じてくる。

 ミロシェビッチの打倒を

 ミロシェビッチ体制とは何だったのか。ミロシェビッチは、ユーゴスラビアにおける民族解放・革命戦争のチトー的な形態(「自主管理」「非同盟」「民族の平等・連邦制」)と一国社会主義建設の歴史的破産の中で、セルビア共和国においていんちきな「反官僚革命」とコソボの自治権剥奪(はくだつ)という大セルビア主義、民族排外主義の扇動をもって台頭した。しかしそれは、旧ユーゴスラビアの連邦解体と内戦、諸民族が互いに他民族を排除し虐殺しあう「民族浄化」の惨劇を招いた。
 旧ユーゴスラビアでは一九九一年以来、内戦が戦われ、国連平和維持軍やNATO(北大西洋条約機構)軍が侵略介入してきた。その頂点が一九九九年三月からのNATOのユーゴスラビア空爆であり、同年六月からのNATO主導のKFOR(コソボ平和維持軍)によるコソボ軍事占領だ。
 現在、NATO軍の使用した劣化ウラン弾の放射能で環境汚染が進み、兵士と一般市民の健康被害が発生している。NATO軍は数万発の劣化ウラン弾を使用した。その反人民性は明白である。
 ミロシェビッチは、八年間もの戦争と経済制裁を招いてユーゴスラビア経済を崩壊させた。労働者を大量に失業させ、貧窮に陥れ、ユーゴスラビアをヨーロッパ最貧国に転落させた。ミロシェビッチ体制のもとで汚職と腐敗、縁故主義(クローニズム)が蔓延(まんえん)し、権力とカネ、政治と経済の重要ポストをミロシェビッチとその妻マルコビッチやその仲間だけが分かち合った。このような体制が十年も続いていた。
 このミロシェビッチ体制がNATO空爆後の「戦後革命」的な高揚の中で打倒されたのは必然だった。しかし、コシュトニツァの妥協によってミロシェビッチはまだ命脈を保っている。ミロシェビッチとその一派を完全に打倒しなければ、ユーゴスラビアのプロレタリア革命への道は切り開かれない。

 帝国主義への幻想を断て

 経済復興はコシュトニツァ政権の当面する最優先課題で、最も困難な課題だ。
 もともと長期の戦争と帝国主義による経済制裁の結果、ユーゴスラビアの経済は疲弊し、崩壊していた。そのうえにNATOによる空爆が行われた。空爆の被害は、工場や道路、発電所の破壊など直接の被害だけでも四十億ドルに相当する。外国の援助がなければ一九八九年水準への復興に四十年かかると試算されている。
 ユーゴスラビアの一人当たり平均所得はわずかに一カ月約八十マルク(約四千円)だ。失業率は五〇%。四百万人もが人道援助組織による炊き出しと食糧配給に頼っている。ベオグラードでは人びとが自分の帽子や靴、電気スタンドを道端に並べて売っている。肉や果物は滅多に食べられない。毎日パンかパスタだ。それでもまだましな方だ。
 冬のエネルギー危機もすさまじい。各地で電力供給が毎日数時間ストップし、寒さに苦しんでいる。
 旧ユーゴスラビアから引き継ぐ対外債務は約百六十億jと推計されている。返済計画は立っていない。
 世界大恐慌の危機にある帝国主義は、それをのりきるためにも、苦境にあえぐユーゴスラビアにつけ込んで資源を略奪し、市場、勢力圏を拡大しようと競い合っている。コシュトニツァ政権の成立後、空爆でユーゴスラビアを破壊した張本人らが手のひらを返したように復興援助を申し出ている。米帝もEUも基本的に経済制裁を解除した。南東欧州安定化協定にも最大の対象国として組み入れられた。
 EUは昨年十月、ユーゴスラビアに五年間で二十三億ユーロの援助を実施すると決めた。米帝も、それに匹敵する額の援助を計画している。そのほかに各国が数億jの緊急援助を実施しつつある。帝国主義諸国の企業責任者団体がユーゴスラビアを訪問している。
 帝国主義は経済援助をとおしてインフラストラクチャーを整備し、産業企業への投資を進め、金融的に従属させていく。だが、地下経済、マフィア経済、官僚主義的腐敗構造がはびこっている中で援助、投資が経済を拡大するかどうかさえ疑わしい。腐敗構造を変えられず、国内産業が育たない可能性もある。援助漬け国家になる場合もある。友好国のロシア、隣のボスニア・ヘルツェゴビナがその典型だ。
 スターリン主義の破産の問題を帝国主義の援助で解決することはできない。第二プロレタリア社会主義革命と帝国主義打倒の世界革命しか、ユーゴスラビアの経済危機を突破し解決する方法はないのである。

 未解決の連邦=民族問題

 もうひとつの難題は連邦=民族問題だ。主としてモンテネグロ問題とコソボ問題が焦点である。
 ユーゴスラビア連邦はセルビアとモンテネグロの両共和国で構成される。
 モンテネグロには独立を志向する親欧米政権が成立し、ミロシェビッチ独裁体制との対立・緊張を激化させてきた。だが今回、連邦とセルビアに「民主的」な政権が成立したため、モンテネグロの独立路線に微妙な変化も見られる。
 モンテネグロのジュカノビッチ政権は、外交・軍事を含め対等な国家主権をもつモンテネグロとセルビアとが国家連合を形成することを提案し、今年中に独立をめぐる国民投票を行おうとしている。
 コシュトニツァは連邦大統領としての立場からも、大セルビア主義の立場からも、モンテネグロの独立に反対だ。彼はモンテネグロが国民投票をやっても独立支持が多数にはならないだろうと高をくくっている。
 しかし、セルビア共和国首相(予定)のジンジッチは、モンテネグロの独立に賛成である。もともと連邦軍を除けば、セルビア共和国の権力を握る首相の自分の方が連邦大統領よりも大きな実権を握っている。そのうえでモンテネグロが完全独立すれば、連邦とともにコシュトニツァの連邦大統領権力も消滅する。国家連合になっても、連邦権力が弱まり共和国権力が強化される。ジンジッチにとってどちらの場合もOKだ。
 コシュトニツァの連邦政策は今や足元から揺るがされている。強硬策をとってモンテネグロとセルビアの戦争が勃発(ぼっぱつ)したりすれば、米欧帝国主義が再び侵略的に介入してくることは必至の情勢だ。

 民族対立続くコソボ自治州

 ユーゴスラビア・コシュトニツァ政権は、ユーゴスラビア連邦―セルビア共和国のコソボ自治州に対する主権、コソボを含むユーゴスラビアの現在の領土的一体性を堅持する立場だ。伝統的な大セルビア主義だ。コソボに「高度な自治」を組織することを認めるが、けっして独立を認めない。
 だが、このことは、NATO空爆の終結にあたって採択された一九九九年六月の国連安保理決議一二四四にも規定されている。空爆前、ユーゴスラビア―セルビア、コソボの両当事者、米欧ロを含めた国際会議で締結されたランブイエ協定にも規定されている。ユーゴスラビア側の主張はこれらを根拠にしている。
 しかし、コソボのアルバニア系住民の指導者の主要な二人は、ともに独立を声高に主張している。長くセルビア人によって抑圧・差別されてきたコソボ自治州のアルバニア系住民が民族解放をかけて分離・独立を要求するのは正当だといえる。しかし現在の彼らの主張と行動は、米欧帝国主義に依拠した報復的排外主義的な民族主義となっている。
 昨年十月二十八日にUNMIK(国連コソボ暫定統治機構)の管理下、コソボ自治州で地方議会選挙が行われた。この選挙で第一党となったコソボ民主同盟党首のルゴバは、一九九九年までは「独立」という言葉の使用に慎重だったが、今は違う。ルゴバは「国連とKFORが駐留する今こそ国際社会にコソボの正式な地位を認めてもらいたい」と訴えている。民族解放闘争の論理とは逆の、帝国主義の力に全面的に頼った反革命的反人民的な「コソボ独立」路線である。
 十月の選挙で第二党になったコソボ民主党党首のサチは、もともとKLA(コソボ解放軍)の政治局長で、一貫して独立を主張してきた。KLAは、NATO空爆下ではNATOの先兵となった。空爆後は、セルビア人への報復襲撃の先頭に立った。UNMIK管理下で武装解除されたが、コソボ北部を中心にセルビア人襲撃を続けている。
 昨年十一月から、コソボとセルビアの境界(セルビアの内側)に設けられた五キロ幅の非武装地帯にKLAを引き継ぐ新たなアルバニア系武装組織が侵入し、セルビア警察や連邦軍を狙い、銃撃し、両者の衝突に至っている。
 挑発行動によってセルビア側の本格的攻撃を引き出し、セルビア非難とコソボ独立容認の国際世論をつくり出そうとしているのだ。KLAが武装闘争でNATO空爆を引き出した時と同じやり方だ。
 UNMIKの国連事務総長特別代表は、一月半ば、一年半の任期を終えたクシュネルからハエラカップに交代した。二人は今春あるいは早期にコソボ自治政府樹立のための総選挙を実施したいと表明している。十月の地方議会選挙に続く総選挙がコソボの高度な自治から完全独立へのステップとなる可能性もある。
 民族間の厳しい対立と緊張は依然として続いている。コソボでは極少数派となったセルビア系住民は、アルバニア系住民による襲撃の脅威に日夜さらされており、KFOR部隊が二十四時間警護しなければ生活することができない。かつて抑圧されていた側が今や抑圧する側に回っている。いわば「逆民族浄化」だ。
 UNMIKのクシュネル前特別代表は任期満了にあたって「UNMIKとKFORは、少数派となったセルビア人を守り、諸民族の共存を実現することができていない。コソボを逃れた二十万人の非アルバニア系住民の帰還にはまだまだ時間がかかる」と、コソボにおける「民族共存」政策の破産的な現状を認めている。

 大衆蜂起から第二革命へ!

 コシュトニツァ政権も帝国主義も、スターリン主義の歴史的破産としてのユーゴスラビアの破局を救うことはできない。それはユーゴスラビアにおける反スターリン主義・第二プロレタリア革命と帝国主義諸国における革命的内乱の結合による世界革命によってしかできないのだ。
 ユーゴスラビアの階級闘争をさらに進めるためには、帝国主義への幻想を打ち破り、コシュトニツァ政権のブルジョア民主主義的限界と制動をのりこえなければならない。
 ミロシェビッチ打倒の大衆蜂起は、プロレタリアート人民大衆の自己解放的決起、革命的大衆行動の威力、暴力革命の意義を明らかにした。そして第二革命の現実性・可能性を示した。
 今、職場でミロシェビッチ派の腐敗幹部を追放する労働者の闘いが進んでいる。官僚主義に陥った「自主管理」を排し、生産手段のプロレタリア的国有化を事実としてかちとり、労働者自身が生産を管理・組織することは、ユーゴスラビアにおいてはきわめて現実的な課題だ。プロレタリア独裁は大いに可能なのだ。
 この闘いを進めるためには反帝国主義・反スターリン主義の革命的前衛党の建設が不可欠だ。
 日本の労働者人民は、反帝国主義・反スターリン主義綱領と「連帯し侵略を内乱へ」の総路線のもと、ユーゴスラビア人民の闘いに国際主義的に連帯し、日帝打倒=日本革命のために闘い、世界革命の大道を切り開かなくてはならない。
〔藤沢明彦〕

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週刊『前進』(1990号6面2)

高島喜久男さんを偲ぶ
 労働者とともに歩む生きざまを終生貫く
 岸田信雄

 高島喜久男先生が昨年十一月十五日に亡くなられた。享年九十一歳、十年に近い闘病生活の後の逝去だった。
 一カ月近くたって調布市柴崎のお宅に伺うと、部屋の隅に、花に囲まれて、遺骨を納めた箱がひっそり置かれていた。線香もロウソクも、もちろん仏壇もなかった。葬式も、故人の遺志によって行わなかったという。おつれあいが「神も仏もなく、ただ自分のやりたいことをやって生きてきた人ですから」と言われた。「納骨のときは、高島が大事にしてきた赤旗を入れてやろうと思います」とも言われた。手を合わせながら、いかにも高島さんらしい最期だと思い、なぜか清々(すがすが)しい気持ちになった。
 戦後労働運動の歴史の中に、高野時代と呼ばれる強い光芒(こうぼう)を放つ数年間がある。高島さんはこの時代(一九五〇年代前半)、総評二代目事務局長・高野実の側近として最も多忙な日々を送られた。私が初めてお会いしたのは、七七〜七八年に動労千葉が三里塚・ジェット燃料貨車輸送反対闘争を闘っていたときだから、その二十数年後、先生はもう七十歳前後だったはずだ。
 しかし高島さんから昔話を聞いた記憶はあまりない。いつも関心は「いま」だった。三里塚がどうなっているかを聞かれ、動労千葉の行方を案じておられた。動労千葉が「オレたちは内灘を闘った北陸鉄道の労働者の伝統を引き継ぐ」と宣言したとき、北鉄労組の指導者だった方を紹介してもらったこともあった。労働運動といっても国鉄労働運動とはかなり遠いところにいた高島さんが、動労千葉に強い関心をもったのは、「労農連帯」を掲げた闘いのためだったろう。カクマルとの対立が最も厳しい時期だった。
 高野時代について評価は分かれる、というよりも定まっていないというべきだろう。その直後のハンガリー事件の衝撃の中から、日本の革命的左翼は生まれる。これと高野時代との関係は、思想的・路線的には継承よりも断絶の面が強かったと思う。だがより重要な時代の精神(ガイスト)という面では、革命的左翼の誕生は、目に見えないほど細い、しかし無数の源流を高野時代に発していたのではないかという気がする。
 戦後革命が敗れ、朝鮮戦争を背景に逆コースの嵐(あらし)が吹き荒れ、しかも社会党は分裂し、日本共産党は壊滅状態にある中で、日本の労働者人民大衆が、ただ自分たちの力だけに依拠して数々の果敢な、血みどろの闘いを挑んだ時代だった。その主要な戦場は、復活しつつある民間巨大独占資本の職場だった。個々的にいえばそのほとんどが無残な敗北に終わった。それを踏みつぶして、その後の日本は高度成長と経済大国の道を驀進(ばくしん)していった。
 高島さんはこれ以降も評論・研究活動などを中心に労働運動にかかわり続けた。しかしそれはもう運動の主流におけるそれではなく、高度成長に乗ったその後の労働運動のあり方に対する厳しい批判的立場からのかかわりだった。それは終生変わらなかった。
 時代は大きく回った。日本経済の危機は誰の目にも明らかになり、その中で総評の時代が終わって久しく、いまや連合労働運動も大きく行きづまっている。そしてまだ小さな響きでしかないが、新しい闘う労働運動の足音が確かに近づいてきている。
 いつまでも少年のような好奇心を持ちつづけた高島先生なら、この時代にどんな感想をもたれたか。一度お聞きしたかったがもうできなくなった。それが残念である。
(写真は、八五年五月の三里塚現地総決起集会で発言する高島喜久男さん)

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