ZENSHIN 2000/12/18(No1986 p06)

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週刊『前進』(1986号1面1)

戦争国家化・改憲、行革・大リストラの森第2次改造極反動内閣打倒せよ
拉致・監禁・白色テロ開き直る黒田=カクマルの完全打倒へ
 日共のりこえ闘う労働者党建設を

 アメリカと日本で政治危機が激しく進行している。米大統領選の混乱は米帝の基軸国としての地位低下を不可避とし、帝国主義間争闘戦の激烈化をもたらす。日帝の政治危機は第二次森改造内閣によっても促進されるだけだ。根底に没落帝国主義=日帝という厳しい現実がある。アジア・太平洋の勢力圏をめぐる日米抗争が非和解的に激化する中で、日帝はアジア侵略のための戦争国家化に乗り出し、さらに改憲攻撃に踏み込んでいる。改憲阻止闘争を二十一世紀初頭の数年間を決する歴史的階級的大決戦にしなければならない。さらに日本の階級闘争はカクマルの「JR総連失陥」の歴史的事態を生みだした。これは日本階級闘争の様相を一変させる。この事態を徹底的に促進しなければならない。これは国鉄決戦のさらなる勝利の展望を開くものである。一月国労続開大会へ断固進撃しよう。来年一−三月、「教育国会」と対決し、「日の丸・君が代」闘争の全国的爆発をかちとろう。十二月最大の決戦として党建設の闘いを成功させよう。

 第1章 争闘戦敗勢で絶望的凶暴化する日帝

 米大統領選は、どちらの候補が大統領になっても、次期政権下では党派的激突になり政策遂行は修正を迫られる。それは直ちに政権の求心力に対する信認の低下となり、金融・株式市場などで影響がでてくることは不可避である。
 また、これは米帝ブルジョアジーが大分裂していることを示している。米帝が世界を牽引(けんいん)する基軸帝国主義としての力を急速に失いつつあることの反映である。大統領選をめぐる混乱がバブル経済崩壊の引き金をひきかねない事態だ。これらのことは、帝国主義間争闘戦をさらに激化させ、他方で排外主義をあおり、経済安保戦略をさらに発動することになる。こうした中でアメリカ階級闘争が激化している。
 そして日帝の政治危機、経済危機はきわめて深刻だ。十二月一日に第一五〇臨時国会が閉会した。この国会ではたいした論議もなく次々と反動法案が成立した。野党が反対らしい反対もしないという屈服がきわだつ総翼賛国会になった。
 @臨検法=船舶検査法。武力行使法であり、戦争法であり、新ガイドライン法の一環である。日帝・自衛隊が「船舶検査」と称して他国船舶を武力で威嚇し臨検し、それを拒否した場合には武力行使発動を合法化する戦争法である。
 A少年法改悪では刑事罰の対象を現行の十六歳から十四歳に引き下げるなどの戦前型の厳罰化が全面的に盛り込まれた。
 B医療保険制度改悪関連法。七十歳以上については現在の外来一日五百三十円の定額制が、かかった費用の一割を負担する定率制になった。介護保険と同じで、高齢者に負担増を強制するもので、高齢者に医者に来るなというものだ。
 C原子力発電施設等立地地域振興特別措置法。原発関連施設の周辺地域での幅広い事業に補助金をばらまくことで原発を促進するものだ。
 その他、Dゼネコンへのばらまきのための二〇〇〇年度一般会計補正予算案、E米帝に追いつき、追い越せという掛け声で提案されたIT基本法(ITの基盤を形成し、リストラと大合理化を推進するというもの)、F来年七月参院選で自民党が勝つための非拘束名簿式を導入した公職選挙法改悪、Gヒトクローン技術規制法などの反動法が成立した。徹底的に弾劾しなければならない。
 いずれの法律も帝国主義間争闘戦の激化の中で、戦争国家化を進め、リストラ・福祉切り捨てなど労働者人民へ矛盾をしわよせし、犠牲を集中するものである。
 十二月五日、第二次森改造内閣が発足した。新内閣は、首相経験者三人、自民党総裁経験者四人を入閣させた絶望的で凶暴な内閣である。「実行と責任の内閣」「総力戦内閣」として、対米・対アジアで身構えた内閣であり、労働者人民に対して、戦争国家化への改憲路線、行革と大リストラを行う超反動内閣である。
 その根底には日帝が没落しつつある帝国主義であること、帝国主義間争闘戦における敗北の重い現実がある。
 残存スターリン主義との対峙・対決から、その解体・制圧を重要な契機として、アジア・太平洋における日米帝国主義間争闘戦は勢力圏をめぐる抗争として激化している。中国が日米抗争の戦略的環としてあるが、それは南北朝鮮をめぐるヘゲモニー争いとなって進展している。日帝はこれらの勢力圏抗争における対米争闘戦で、政治的にも、外交的にも、経済的にもまったく太刀打ちできない。そこで、必死に戦争国家化策動と改憲攻撃を激化させている。
 さらにこの十年、米帝は世界経済の基軸国としての立場をフルに使って国際金融を支配し、バブル経済の下で好景気を持続した。日帝経済は九〇年代初頭のバブル崩壊後の大不況と九七−九八年には恐慌に陥り、二〇〇〇年にも恐慌状態を深め、まったく出口のない状態を続けている。これこそ対米争闘戦における敗北の結果である。日帝は、対米争闘戦に勝ち抜くことなくしては、この恐慌状態から脱出することができない。日帝は今や完全な手詰まり状態、閉塞(へいそく)状態に陥っている。
 すなわち、日帝は米帝との帝国主義間争闘戦に打ち勝つ以外に帝国主義として延命できないところに追い詰められているのである。アジアにおける日帝の権益を拡大し、武力=戦争に訴えても確保し、さらには米帝との政治的・軍事的争闘戦にも勝ち抜く国家に改造していくということが日帝の内的衝動として噴き上げてきている。
 そのために日帝は、当面は日米安保を強化し、新ガイドラインを締結し、戦争国家化を進め、日帝に課せられた戦後憲法的制約を取り払おうと、改憲攻撃を本格化してきているのだ。
 その攻撃の現れが、名護新基地建設攻撃だ。

 第2章 改憲阻止は反戦、安保・沖縄決戦だ

 日帝の改憲攻撃の最大最高の核心は、憲法九条の破棄にある。再び侵略戦争の道を歩み、日帝の帝国主義的軍隊を確立し合法化することにある。
 侵略戦争国家化するということは、天皇制ボナパルティズム化、軍国主義化、帝国主義的ナショナリズムと排外主義・愛国心の鼓吹、戦後教育制度の反革命的解体、戦後労働法制の反革命的解体などを不可避にもたらす。
 改憲阻止闘争は「革命的情勢の急速な接近」という現実の中で闘われる。没落しつつある帝国主義=日帝の絶望的延命路線としての改憲=戦争国家化攻撃を粉砕するものとして闘いぬかなければならない。
 改憲阻止闘争を巨大な反戦・反安保闘争として位置づけ闘い抜き、ガイドライン闘争で切り開いた地平をさらに発展させていこう。また沖縄闘争、安保・沖縄決戦と結合して闘い抜こう。
 国鉄を先頭とする労働者階級の一大資本攻勢と対決し、階級的労働運動の再生・防衛をかちとる闘いは、反戦闘争の最大の主体を階級的に防衛する闘いである。反戦闘争が改憲阻止闘争のメダルの表であるなら、一大資本攻勢との闘いはメダルの裏にある関係である。したがって一大資本攻勢との対決は改憲阻止闘争と一体のものである。

 改憲と悪税の石原の打倒へ

 こうした中で石原などのファシスト勢力が突出を開始している。反米民族主義を掲げ、対米争闘戦に勝つことだけが日帝の唯一の延命の道であることを叫んでいる。そして中国敵視を強め、中国解体論などをわめきたてている。再度のアジア侵略戦争と対米戦争を反革命的に扇動している。
 そして石原は、十一月三十日の憲法調査会に出席し、「九条は逆さに読んでも自衛隊は憲法違反だ。自衛の戦力を認める条項を追加すればいい」と九条改悪論を中心に改憲論をまくしたてた。改憲の推進機関である憲法調査会粉砕闘争をさらに闘いぬこう。
 また十一月三十日、石原が設置した東京都税制調査会は最終答申を出した。今年四月に実施した銀行税に続き、環境対策を口実にした「大型ディーゼル車の首都高速道路利用税」「産業廃棄物税」「パチンコ台税」と大衆課税である「ホテル税」の四つの新税導入を答申した。
 石原が増税の口実にしている「環境対策」なるものは、日の出町の第二処分場強制代執行の強行に見られるように、ゴミ最終処分場反対の住民運動への敵対を基本とするものである。排気ガスや公害に苦しむ住民の気持ちにこたえるものではない。石原の大増税攻撃を粉砕しよう。
 来年の都議選は二〇〇一年前半の最大の決戦である。石原と石原都政との徹底した闘いになる。結柴誠一候補を推し立て、必勝しなければならない。革共同の強大化以外に現在の階級闘争の危機を突破することはできない。それを具体的に突破するものこそ都議選での勝利である。
 @ファシスト石原との闘い、Aくらし・いのち・環境を守る闘い、B介護保険闘争、C山田区政の行革、石原都政と闘う労働運動、D日本共産党との党派闘争の五大方針をもって闘う。特に日本共産党にせり勝つことが求められている。
 今度の都議選には革共同が革命党として二十一世紀に勝負する党派的生死がかかっている。「革命的情勢の急速な接近」を引き寄せるためには都議選で勝利することである。この中で介護保険闘争など杉並住民の自己解放的決起をかちとっていかなければならない。

 第3章 マルクス主義否定の黒田思想が元凶

 カクマルの「JR総連失陥」という歴史的事態が不可逆的に進行している。これまでJR総連に巣くい、JR総連を牛耳っていたJR総連内カクマルは、黒田指導に反旗を翻しカクマルから大挙して離反した。
 黒田にとって革共同からの脱落・逃亡以来四十年の最大の成果は、JR総連という七万を超える組合員をもつ労働組合の権力を確保し維持してきたことにあった。その「JR総連失陥」という、カクマルにとって危急存亡の危機に追い込まれた。
 カクマル交運労働者委員会発行『進撃』第四号は、JR九州労の大量脱退を指して、「起こるはずのない異常な事態がひき起こされた」「JR総連運動の終わりの始めを告げ知らせるものであるといえる」「この事態そのものが『JR総連=革マル派』というスローガンが神話でしかないことを示したといえるであろう」と打撃感をあらわにしている。
 九州の事態はJR総連全体のカクマルからの離反であった。JR総連委員長・小田、同書記長・山下、JR九州労委員長・北、JR労研の南雲ら七人が仕組んだものであり、カクマル中央をそっちのけに秘密裏に全事態を進行させたのだ。
 暴かれた事態は、「JR総連運動の終わりの始め」どころか、カクマルが展開してきたファシスト的なJR総連運動の「終わり」ということである。「JR総連=カクマル」という「神話」が崩壊したのではなく、JR総連に対するカクマルのファシスト支配の現実が崩壊したのだ。カクマルにとって「絶対あってはならないこと」が起きたのだ。
 JR総連失陥の現実に衝撃を受け、ぼうぜん自失に陥ったカクマルは彼らの本質である白色テロによる巻き返しに出た。南雲こと坂入を拉致し、監禁し、テロ・リンチを加えている。
 『進撃』第四号は、その内実をファシストの醜悪な言葉で吐き出している。
 ファシストどもは坂入に「九州労大量脱退劇は、悪名高き葛西のJR総連つぶしの策略にまんまとはめこまれたものである」と自白させ、次のコメントを加えている。「この病(=カクマル離反)をアルコール中毒とともに治癒するためには、なおかなりの時間と、わが革命的マルクス主義の゛薬゛が必要と思われる」
 JR総連内のカクマル離反者全員を白色テロで恫喝しているわけだ。しかしこんなことで事態を逆転させることは絶対できない。生起している事態はカクマル=黒田路線の破産なのだ。マルクス主義を否定した黒田思想、黒田の「組織現実論」が一切の元凶であることが露呈したのである。
 カクマルの「JR総連失陥」は労働者階級人民にとって喜ばしい歴史的事態である。この事態を徹底的に促進せよ。JR総連に対するカクマルのファシスト支配を完全に終わらせることはJR総連労働者にとっても待ち望まれていることだ。そして何よりも国労の労働者はカクマルの国鉄分割・民営化攻撃への屈服・協力によって首を切られ、配転させられ、労働強化を強制され、組合差別を集中されてきた。カクマルのJR総連失陥は国鉄労働運動を覆ってきたファシスト支配の暗雲を取り払うことになる。国鉄労働運動の本格的な発展を生みだす条件になるのだ。
 国鉄決戦の勝利にとってもきわめて重大な情勢である。千四十七人闘争の正しさが百パーセント明白になったのだ。国労執行部の「ジリ貧論」「敗北主義」の誤りが証明されたのだ。カクマルのJR総連失陥という事態こそ、国鉄千四十七人闘争を闘い抜いてきた闘争団・家族と国労の仲間、動労千葉の仲間の不屈の闘いが生みだしたものである。
 国鉄決戦の意義をあらためて確信し、「四党合意」絶対粉砕へ一月続開大会にむかって闘おう。

 総力あげ年末カンパ決戦を

 十二月闘争の最大の闘いは党建設に勝利することである。二〇〇〇年、革共同は衆院選決戦、国鉄決戦、沖縄サミット決戦の三大決戦を闘い抜いて日本階級闘争の激動の最先端で闘い抜いてきた。多くの労働者人民を結集し、さらに労組や住民団体やその他の闘う諸団体との結合を深めてきた。そうした階級闘争の前進を革共同の党建設へと思い切って集約する時が今である。
 一時金カンパ闘争、機関紙拡大闘争、党員の倍増をかちとろう。党勢の拡大こそが二十一世紀階級闘争の激動情勢を根本から決める。一切が革共同の質の高さ、量的広がりをかちとることにかかっている。一個の政党として全人民の前に鮮烈に登場できるかどうかにかかっている。
 党のあり方として、対権力の防衛戦争を強化し、非公然活動防衛能力を高めることが決定的である。
 また獄中同志の奪還は切迫する全党の任務である。特に爆取デッチあげの四人の被告を、無実・無罪を争うがゆえに十四年も未決勾留し続けることは、凶悪な権力犯罪であり、絶対許されることではない。
 カクマルを打倒し、日本共産党をのりこえる闘う労働者党建設へ奮闘しよう。

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週刊『前進』(1986号1面2)

11・30国会ドキュメント
 憲法調査会 石原出席に弾劾の嵐
 臨検法成立に抗議 参院

 十一月三十日、衆院憲法調査会に参考人としてファシスト石原都知事が出席した。石原は「国会で憲法を否定したらいい」などと゛憲法破棄″を扇動したが、これに対し闘う労働者・学生三百人が国会前に登場、激しい弾劾をたたきつけた。改憲阻止の大衆運動の発展を予感させる力強い闘いの一日となった。また同日、参院外交防衛委と本会議で臨検法案の採決が強行され成立したことに対する抗議闘争を闘った。以下はこの日の国会攻防のドキュメントである。
◇8時30分 衆院議員会館前に、さまざまな団体、人士とともに反戦共同行動委、全学連など三百人近くが座り込み。「石原帰れ」「改憲許さない」などの横断幕や幟(のぼり)が林立する。右前方の衆院分館四階が憲法調査会の会場だ。
◇9時15分 衆院議員面会所を埋めつくして集会。国会議員もかけつけた。川田悦子議員は「戦争へつながる動きに、声をあげていかなければならない」と訴えた。石原やめろネット共同代表の宮崎学さんも「石原の憲法調査会での言動を厳しくチェックし、機敏に対応していく」と述べた。
◇10時00分 憲法調査会が始まり、参考人の石原が意見表明を行った。
 石原は「もし日本が強大な軍事産業国家として世界史に登場してこなかったならば、白人の植民地支配が続いている」とファシスト的歴史観を展開し、「アメリカは日本の力を恐れ、その力を抑制するために日本国憲法を作った。そこには日本人の意志、自主性はほとんど反映されていない」として、「国会が日本国憲法には歴史的正統性がないとしてこれを『否決』する決議をし、その上で、新たな憲法を作る仕事に着手すべき」と、゛憲法破棄″を繰り返し叫んだ。
 質疑では、在日外国人の参政権問題に関して「新宿区には独特の街がある。そういったものが東京全体の治安を攪乱(かくらん)する可能性だってある時に、区長選挙にそこに住みついている外国人の意思が反映されて、彼らの利益が他の区民の意思や利益を逆転させる判定になりかねない」と、またしても排外主義的暴言を吐いた。
 座り込みの現場にスピーカーが設置され、憲法調査会の議事がリアルタイムで中継された。石原の一言一言に弾劾の声が飛んだ。

 臨検法採決弾劾

◇12時すぎ 参院外交防衛委員会で臨検(船舶検査)法案の採決が強行された。審議すらまともに行われない。全学連を先頭に反戦共同行動委員会が参院前で怒りのシュプレヒコール(写真下)。沖縄のたたかいに連帯する東京会議の狩野正幸さんが「国会でやっていることは民衆に信認されていない」と弾劾した。
◇12時30分 衆院第一議員会館で集会。百四十人の怒りと熱気に包まれた。国会議員も多数参加した。辛淑玉さんは、自殺した新井将敬(当時衆院議員)に対する石原のむき出しの排外主義攻撃を暴露し、「憲法調査会で石原は『参政権が欲しければ帰化したらいい』と言いました。その帰化した人にあなたは何をしましたか。帰化した人を殺したのは、石原慎太郎です」と鋭く断罪した。
◇14時30分 全学連が中央区の水谷橋公園から日比谷公園に向けてデモ(写真上)。「二十一世紀冒頭の巨大な改憲阻止決戦の爆発をかちとろう」。全国から集まった学生の戦闘的なデモが貫徹された。
◇15時すぎ 参院本会議で臨検法案の採決強行、可決・成立した。反戦共同行動委員会を先頭に弾劾のシュプレヒコール。
 分裂・大崩壊の危機に立つファシスト・カクマルは三十人で姿を現したが、なんとビラさえ用意していない。カクマルの闘争破壊策動は完全に粉砕された。

 大阪難波で街宣  関西反戦共同行動委

 関西反戦共同行動委員会は同日夕、大阪難波の高島屋前で緊急街宣に立った。二十人あまりが集まり「戦争法案=船舶検査法の成立弾劾!」を訴えた。

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週刊『前進』(1986号1面3)

反帝・反スタの党建設に熱い年末カンパ集中を

 すべての同志の皆さん。支持者、読者の皆さん。革共同は年末一時金カンパへのご協力を心から訴えます。
 帝国主義の基本矛盾の爆発が、世界戦争に転化していく過程が始まりました。世界恐慌が切迫し、日米帝国主義は帝国主義としての存亡をかけて激突せざるをえない時代、侵略戦争、世界戦争が不可避になっています。かつて日本の労働者人民は、侵略戦争に動員され、アジア人民を殺りくし、自らも死を強制されました。今また同じ道をたどるのかどうかが問われています。
 帝国主義のために侵略の銃を持つのか、それとも死すべきは帝国主義であると闘いを挑み帝国主義を打倒するのか。戦争か革命かの時代が到来しました。
 二十一世紀は労働者階級が主人公となり、帝国主義を打倒する革命の世紀として切り開かれなければなりません。
 日帝による大資本攻勢の中で、労働者階級は資本と闘い、帝国主義打倒の闘いに決起する以外に生きる道はありません。
 アジアで、全世界で労働者人民の決起が開始されています。今こそわが日本の労働者階級が、労働者自己解放の闘いに立ち上がる時がきました。
 ロシア革命では「平和、土地、パン」という労働者人民のスローガンのもと、ボルシェビキの指導で、帝国主義戦争を内乱に転化し、プロレタリア革命を実現しました。
 人民のあらゆる要求を帝国主義に対する闘いとして、革命的大衆行動を組織し、牽引(けんいん)する労働者の党が絶対に必要です。どんな革命的情勢も革命党の存在と闘いなくして勝利することはできません。革命党の建設は、革命の主人公たる労働者階級自身の歴史的な事業です。
 日本共産党は大転向を深め、カクマル=JR総連の崩壊が現実のものとなっています。今やファシスト・カクマルを完全打倒する時が到来しました。社・共に代わる労働者党−革命党の建設、反帝・反スターリン主義の党の登場が求められています。
 革共同は結成以来四十余年、一貫して労働者階級の闘いの先頭に立ち、「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」の旗を掲げて闘ってきました。革共同はどんなに困難があろうとも階級の要請にこたえ、革命をなし遂げる労働者党として本格的な建設をなし遂げます。
 そのためには財政の確保が絶対的な基礎です。ぜひとも革共同に絶大な支援をお願いします。
 二〇〇一年は、二〇〇〇年をこえる激動の年になります。改憲・有事立法阻止決戦の爆発、都議選決戦の必勝、国鉄決戦勝利を絶対に実現しなければなりません。財政の規模が闘いを規定します。皆さんの血のにじむようなカンパが勝利を確実なものにします。
 二十一世紀を革命の勝利の世紀にするために、革共同は労働者の党として飛躍し闘います。革共同への年末一時金カンパを心からお願いします。

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週刊『前進』(1986号2面1)

黒田の指令で白色テロ繰り返すカクマル 坂入監禁を開き直り抹殺狙う
 JR総連へのファシスト支配を粉砕する総反乱を

 JR総連カクマルの黒田=カクマル中央からの離反・分裂・抗争は、もはや後戻りのできない不可逆的な事態となって進展している。JR九州労の大量脱退事件から「南雲」こと坂入拉致・監禁事件に至る一連の事態は、カクマルによるJR総連に対するファシスト支配の完全崩壊の始まりを示している。カクマル自らが「JR総連運動の終わりの始めを告げ知らせるもの」と打撃感もあらわに認めているのだ。カクマルによるJR総連支配の崩壊は、そのファシスト的重しによって抑えつけられてきたJRの労働者の怒りを解き放ち、国鉄労働運動の新たな発展の時代の幕開けとなる。JRの労働者は、今こそ黒田=ファシスト・カクマルを打倒しよう。

 「JR総連の終わり」は黒田路線の破産だ

 十月六日のJR九州労の大量脱退事件以来、カクマル中央は総力を挙げてこの事態に対応し、JR九州労本部事務所に押し入ったり、JR総連OBの坂入充を拉致・監禁して脱退劇の「真相」を吐かせたり、あらゆる手段を行使してきた。カクマルがそうして暴露した事態は、坂入や船戸、田岡といった、松崎に続くような位置にいるJR総連カクマルの古参メンバーが、JR九州労の北委員長やJR総連の小田委員長、山下書記長と意志統一してJR九州労の大量脱退を推進したということだった。しかも、それをJR総連と他の単組の執行部もすべて容認していたということだったのだ。
 カクマルにとって、まさに「起こるはずのない異常な事態」だったのである。カクマル交運労働者委員会の『進撃』第四号(十一月二十七日付)では、これを「JR総連運動の終わりの始めを告げ知らせるもの」だと言い、さらに「この事態そのものが『JR総連=革マル派』というスローガンが神話でしかないことを示したといえるであろう」などと言っている。
 「JR総連=カクマル」あるいは「カクマル=JR総連」とわれわれが規定し弾劾してきたのは、JR総連および各単組の執行部をカクマルが握り、松崎を先頭にしたJR総連カクマルがそのファシスト労働運動路線と白色暴力によって七万余の労働者を支配してきたということである。
 カクマルはこれに対して、この二月の植田議長声明では「たとえ、JR総連というひとつの労働組合の内部で数千名のわが同盟員が活動していたとしても、この労働組合組織がただちに革命党組織であるとはいいえない」、労働組合と党は別だ、だから「JR総連=革マル派」というのは「神話」なのだと強弁していた。
 ところが、この「神話」そのものが崩壊したと言うのだ。JR総連の中で活動しているカクマル同盟員のほとんどがカクマル中央から離反・分裂していることを、カクマル中央が完全に自認したということだ。そしてカクマル中央からの離反を推進した「南雲」=坂入らの行動になすすべなく敗北したと泣き言をたれ、次のように言うのだ。
 「わが交通運輸労働者委員会にたいして面従腹背の行為をとった一部の反組織的分子(坂入ら)の暗躍に、われわれは当面の敗北を喫したことを認めないわけにはいかない」
 「九州労脱退劇はわが党がつくりだしてきた戦後日本における戦闘的労働運動に一大汚点を印すものにほかならない」「同時にJR労働運動をその終焉(しゅうえん)に導くほどのマイナスの力をもっている」
 確かに、カクマルの「労働運動」にとって「一大汚点」であり、「終焉」なのであろう。カクマルにとっては、動労の権力を握ったこと、そしてJR総連という一時は十数万の組合員を擁した労働組合の権力を握ったことは最大の「成果」であった。しかし、それが丸ごとカクマルの手から離れ、公然と「カクマルを許すな」と叫んでいるのだ。
 これはカクマル黒田=松崎路線の全面破産であるばかりか、カクマルの「党」そのものの崩壊・解体に行き着く事態なのである。

 告発した小田委員長を「打倒する」と脅迫

 こうした中でカクマルは、JR総連カクマルの離反を白色テロによってくい止める以外に手だてがなくなった。
 『解放』一六四一号(十月二十三日付)に、九州労脱退の「裏切り者」を「地獄に落せ」などと白色テロを指令する黒田の「短歌」を掲載し、「JR総連組織破壊者を破壊することこそが、わが党に課せられている任務」、「陰謀・策略分子」をうち砕け、「密通分子」を摘発せよ、と絶叫した。この間暴露してきたように、カクマル中央の西条武夫(木下宏)らが黒田の指令を受けて「南雲」=坂入拉致・監禁を実行した。
 カクマルは今、坂入を拉致・監禁し、九州労の脱退の「真相」を聞き出したことを自白しただけでなく、それを完全に居直った。
 カクマルは、九州労脱退問題やこの春以来のカクマルとJR総連の対立に関して『解放』や『進撃』『主張』に掲載された論文や「短歌」などを集めた『日本労働運動に炎を』という本を出版した。わざわざ帯に「黒田寛一推薦」と記し、黒田の「お墨付き」を得たものとして押し出している。これはこの間の坂入拉致・監禁がまさに黒田の指示で行われたことを自白したも同然である。
 『進撃』第四号には、「南雲の『病状』について」と題して、南雲=坂入のJR総連・小田委員長あての手紙を暴露するコラムを掲載し、坂入拉致・監禁・白色テロを公然と開き直っている。そこで坂入は「私はいま、仲間達との議論と規則正しい生活を送っています」と言っているという。さも、坂入が自分の意志でカクマルとの討論に応じているかのようだが、「かの九州労大量脱退劇は、悪名高き葛西のJR総連つぶしの策略にまんまとはめられたものである。……そこが見抜けないほどにスカスカ頭になっていたことを自覚させられました」と書かれていることから、これが坂入本人が書いたものだとしても、カクマルによって「内部思想闘争」と称する激しい追及を受けていることが分かる。
 しかも、このコラムでカクマルは、「かんじんなのは、南雲じしんの゛精神の病″の深刻さ」だとして、「この病をアルコール中毒とともに治癒するためには、なおかなりの時間と、わが革命的マルクス主義の゛薬″が必要と思われる」などと言っている。カクマルは、こういう暴露を行うことで、実は権力にすがり、権力の放置のもとで、なおも監禁し続けようとしているのだ。
 沖縄教労カクマルの高橋利雄が九二年に職場から姿を消して、一カ月後に大阪の病院にカクマルによって運ばれ、絶命状態で発見されたということがあった。この時もカクマルは、『解放』紙上に「自らの過失によって死亡した」と発表し、権力に見逃してもらった。このように権力の容認のもとで坂入を抹殺することを狙っているのだ。
 さらに、このコラムは、ファシスト特有の差別主義があふれている。カクマルに従わない者は゛精神の病″なのだと。仮にも「同志」であった者に対して投げつける言葉なのか。高橋事件も、今回の坂入拉致事件も、カクマルに従わない者は抹殺されて当然なのだということだ。カクマルとはそうしたファシストだ。
 これに対してJR総連は十一月十六日に小田裕司委員長名で埼玉県警に告発状を提出した。カクマルは、これに対して弾劾声明を『解放』一六四六号(十一月二十七日付)に掲載し、『進撃』では「JR総連小田委員長は労働者階級の敵である」とまで言うに至った。そして、JR総連の小田委員長は、カクマルから「告発を取り下げろ」という内容の手紙が届いたとして、十一月二十七日、脅迫容疑で告訴した。
 カクマルは『解放』一六四八号(十二月十一日付)に「小田裕司君へ」という「海道錨」署名の手紙を掲載した。小田が脅迫されたと言っている手紙である。そこには「最後の勇気をふりしぼって権力に助けを求めている己を打倒することだ。それをしないなら、我々が君を打倒する」と書いてある。小田はこれに対して「身体・生命・自由などに危害を加えると脅迫しています」と告訴状に書いているという。カクマルは、「この『打倒する』ということは『変革する』ことの組織建設における独特の用語であって、こんなことも分からないで肉体的打倒と曲解するのはお前の頭が俗人的に堕落しているからだ」などと言っている。だが、このカクマルにしか分からない用語で実際にやっていることは、坂入拉致・監禁であり、高橋死亡事件のように「肉体的打倒」まで行き着く白色テロそのものではないか。
 これこそ、カクマル頭目・黒田の「組織現実論」による「革命的暴力」=白色テロの論理なのだ。
 カクマルとは、本当に許しがたい、おぞましいファシスト党派だ。カクマルがそういう党派だということを、小田は内部で身にしみて知っているのであり、だからこそ、恐怖もあらわに告発、告訴に及んだのだ。

 九州労の北委員長拉致未遂

 実際、カクマルが坂入に続いてJR総連幹部を狙っていることは明らかだ。
 『JR総連通信』十一月二十七日付によると、十一月二十四日に開催されたJR九州労福岡地本主催のOB会の会場周辺で、三人のカクマルが九州労の北委員長を拉致しようとした。「ところが、本当にどうしようもなく間抜けなテロ集団『革マル派』は、北委員長と大先輩OBとを間違え」「『人違いでした。すみません』と謝り、そそくさと逃げ去った」という。
 JR総連は、「労働者の゛前衛党″を語る、労働者の敵・寄生虫=テロ集団『革マル派』」「『侵入』『暴力』『窃盗』『拉致』『監禁』『盗聴』『盗撮』『尾行』『張り込み』等を繰り返すテロ集団」と弾劾している。
 黒田を頭目とするカクマルとJR総連はまさに゛全面戦争″とも言うべき関係に入ったのだ。

 JR東1万人削減の大合理化攻撃粉砕へ

 このような黒田=カクマルとJR総連の分裂・対立は、カクマルが国鉄分割・民営化の先兵となって以来の悪行に最後的に断を下し、彼らを打倒すべき時が来たことを告げ知らせている。
 国鉄労働者の闘いを抑圧し、さらに日本労働運動と大衆闘争の妨害物となってきた、その体制の根幹が崩壊を始めたのだ。これは分割・民営化との闘いにとっても、この十数年の中でも最も重大な、歴史的な事態なのである。
 カクマルは九一〜九二年の西でのJR総連の分裂以降、列車妨害を繰り返し、JR資本の反カクマルの経営幹部やJR連合幹部、国労幹部、さらにジャーナリストらに対する家宅侵入、窃盗、盗聴、盗撮などを重ねてきた。それで得た材料をもとにしてデマ宣伝をし、脅迫を繰り返してきた。JR総連の支配は、そうした白色テロを背景にして維持してきたJR資本との結託体制によるファシスト支配だった。
 その白色テロを、今度はつい先日まで「同志」であったJR総連カクマルの幹部に向けるところまで黒田=カクマルは追いつめられているのだ。
 さらに、カクマルは資本の合理化に協力して、国労や動労千葉の組合員を差別・選別する不当労働行為をやらせ、自分たちだけは資本の先兵として生き延びるということを路線化してきた。これを労使協調ならぬ「労使協力」=「ニアリーイコール」と路線化したのが松崎だ。その行き着いた先が、今日の「シニア協定」と設備、構内・検修の全面外注化の攻撃である。カクマルは、これをテコに国労・動労千葉を解体することを資本にけしかけたのだ。だが、そうしたファシスト的結託体制も、JR東日本の大塚新体制の発足によってついに瓦解(がかい)が始まった。
 今、JR資本は、まさに第二の分割・民営化ともいうべき攻撃に打って出ている。JR東日本は十一月二十九日、JR東日本グループ全体の中期経営構想である「ニューフロンティア21」を発表した。JR東日本本体の社員数を二〇〇五年度までに一万人削減し、六万五千人体制とする。このうち鉄道事業は省力化や外注化により六千人削減し、四万七千人程度とするというものだ。グループ全体の「連結決算」が問われることから、本体の労働者を大幅に削減し、駅業務や運転部門を含めて鉄道業務の全面外注化で徹底した人件費の削減を図ろうとしているのだ。これをもって「完全民営化」をなし遂げようとしている。
 この攻撃は、国労や動労千葉の組合員はもとより、JR東労組の組合員にも及ぶものである。
 JR九州労は、資本の攻撃で犠牲になることを恐れ、JR連合の懐に飛び込む道を選んだ。ここにも未来はないことは明らかだ。
 問われているのは、JR総連組合員が自らカクマルのファシスト支配を完全に粉砕し、資本と闘う当たり前の労働運動を取り戻すことだ。そして今こそ動労千葉・動労総連合や闘う国労組合員と合流して闘おう。

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週刊『前進』(1986号2面2)

日放労労働者のアピール〈下〉
日経連に屈した日放労の連合路線を打破し闘おう

 退職金、年金でも制度改悪を提案

 日放労は「構想」の中で退職金と年金についても「抜本的変革」に踏み込むと提起している。日放労中央にとっては、労働者の生活より「企業の信用度」とか「視聴者の反応」という名の攻撃から企業を守ることが一番大切なのだ。
 そもそも、退職金も年金も賃金と同じく就職した時からの労使の約束事だ。退職金、年金は賃金の後払いなのであり、約束どおりに支払わなければ、それは賃金不払いである。企業が退職金、年金を支払えなくなるなら、それは企業が後払い賃金を使い込んだからである。大量採用したその時から、その分の退職金の手当をするのは使用者の第一の義務だ。
 一万七千人から一万二千人まで合理化で減員したことで、年金支払いが困難になってしまったとしても、そんなことは初めから分かっている。合理化した企業の責任であって、労働者が負うべき責任は一切ない。
 退職金を預金制度に変えたり、個人に運用リスクを負わせたりすることより、経営が約束したことを守らせるために闘うのが労組の役割ではないか。
 五十歳からの早期退職制度も提案されている。五十歳退職の場合は、あと十年働いた場合に受け取るはずの賃金の九〇%(例では六千四百八十万円)を、退職金に加算する案である。これには毒が隠されているのではないか。経営にしてみれば、このような加算をする根拠はない。ほんの少しだけ加算を認めて、現状の六十歳退職制度を五十歳退職制度に変えてしまう、ありがたい提案と見られるだけではないのか。

 裁量労働見直しで一層の強労働

 「裁量労働制と三六協定の思い切った見直し」も提案されている。
 「裁量労働制」は、業績給とあいまって、寝る暇もない過酷な労働を強いるものであることはすでに実証ずみである。
 また、現状の三六協定のもとで「サービス労働」が後を絶たないことを理由にして、協定の枠を緩めるとしている。三六協定は、本来禁止されている残業を限度内で許すためのものである。サービス労働があること自体が異常であり、経営が十分な数の労働者を雇用せず、また一日八時間労働では賃金が十分でないことに原因がある。この異常な状態を改善する闘い、すなわち合理化反対と一律大幅賃上げが労組としての当然の課題である。方針ではこれが全然ない。
 日放労の「働くときは働く、休むときは休む」というフレーズこそ間違いのもとなのだ。労働者が歴史的にかちとった一日八時間労働の権利は、「毎日働き毎日休む」ことが人間にとって必要だからである。一日八時間労働すれば、自己と社会が必要とするに十分な価値を生みだしている。それで企業や社会が進まないとすれば、それは社会制度がおかしいのである。
 総討議要領では、「職場のあり様要求」の項目で、雪印乳業、三菱自動車ほかの問題がとりあげられている。ここで本来討議するべきは、労組のあり方そのものである。経営への要求以前に討論されるべきこの問題を、要求問題だけにすり替えてはいけない。
 連合労組がリストラに協力し、低賃金、能力給・業績給を認め、自らの団結を破壊してきた結果がJCOであり、雪印や三菱に現れたのだ。労働者にとって労組が信頼するに足りない存在であれば、現場を知り尽くしている労働者は労組へ企業の問題を持ち込まない。だが、その結果発生した倒産や経営不振の責任は労働者に押し付けられ、首を切られてしまう。

 労組のあり方が問われている

 連合がこのような労組を作り出してきたのであり、それは日経連の「新時代の日本的経営」に協力し、周辺事態法に賛成、憲法改正に賛成する連合の路線の問題である。責任は連合にある。またその執行部に席を置く日放労中央の責任にほかならない。
 最近の一例をあげれば、官邸記者クラブの記者による森首相の「神の国会見指南」問題での日放労の経営に対する対応は、組合申し入れに対する疑惑だらけの「回答」をよしとし、雪印や三菱の労組と同じような対応をしている(『NIPPORO』bP545)。
 新潟県警さえ交通課の不祥事は監査室が調査している。週刊誌などの記事が仮に事実に反しているのであれば、NHKの信頼を著しく損なったわけで、訂正記事の掲載を求め、応じない場合には裁判に訴えるのが普通の対応である。しかし当局は、抗議を申し入れただけで「事態を静観する」としている。それは、やるべきことは分かっているができない理由があるからではないか。日放労がそれ以上追及しないのは、雪印や三菱の労組と同じ対応をしているということだ。
 そして、「新時代の日本的経営」をNHKも導入せよと逆提案する。こうしたあり方が労組を滅ぼすのである。それはJCOによる二人の死亡と数十万人の被ばく、雪印乳業による一万人を超す中毒などにとどまらない。近づく三〇年代的世界恐慌、また周辺事態法成立のもと日本は戦争をやる国に変わった今、「教育改革」「非常事態法」さらに憲法改正へ、そして侵略戦争へ突き進んでいる。
 日放労の新方針は労働者階級の生活と権利と平和を守るための放送をNHKから一掃してしまうだろう。すでに今でもほとんど排除されている。これは、再び「大本営放送」が日本とアジアの数十億の労働者人民を戦争の地獄へ引き込む道にほかならない。
 日放労が今、「社会的趨勢(すうせい)」と対決できないなら、日本が侵略戦争に突入する時に反対して闘うことは絶対できないだろうし、社会的趨勢だからと戦争賛成を言うに違いない。レーニンは日和見主義者に対して「君たちが沼地に行くなら労働者階級を道づれにしないで君たちだけで行け」と批判した。これはまさに今、日放労中央に当てはまるのではないか。
 日放労の中央も分会も一人ひとりの組合員も、資本主義社会とはどんな社会か、労組はいかにして団結をつくりだすべきなのかを原点に戻って学び考えることが必要なのではないか。たとえば全組合員が一致できる要求は、全員に同一額の賃上げ要求にまさるものはない。一人ひとりの組合員が力を出し合って闘えば、要求がかちとれなくても次の闘いを目指して団結が崩れることはないし、それで執行部が非難されることもありえない。なぜ真っ当な道を進めないのか。
 すべてのNHK労働者は、日放労中央の資本に屈した「二十一世紀のあるべき職員制度構想」を拒否し、労働者階級の一員として、闘い勝利する道を進もう。
 国労闘争団の断固とした闘いを支援し、ここから日本の労働運動の再生をかちとろう。
 (投稿/東京 K・T)

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週刊『前進』(1986号2面3)

読者からの手紙
11・5集会と厚生省交渉に参加 心に期するものあり
 関西 元全逓労働者 T

 「明日は雨」の天気予報にやきもきしていたが、翌朝見上げた空は十一・五労働者集会を祝福するかのような絶好の秋日和に、喜び勇んで会場に向かう。会場はすでに、全国各地からはせ参じた、たくましい労働者で埋め尽くされていた。
 国労の四党合意撤回闘争の経過報告に聞き入っていると、敗戦直後の二十二歳の時から全逓労組に所属し、国労とともに全官公庁労働組合協議会や産別会議内で戦後の労働運動の推進的役割を担って闘った数々の出来事が浮かび上がる。
 ふと、舞台正面の近くにはためく全逓の旗を見つけて、後を引き継いでくれる若い仲間たちがいてくれると目頭の熱くなるものを強く感じた。
 戦後のインフレ続きに対応した賃上げ闘争や、職場の民主化闘争を皮切りに、国労の若い仲間たちとスクラムを組んで「シグナルの灯は消えず」と叫び、「我ら全逓信だ」と大声を張り上げて、デモの先頭に数多くの組合旗を集めて旗を巻き上げ、やりのように構えて警官に立ち向かい帽子を跳ね飛ばしたり、振り回して警官たちを追い散らしたりしたことも、今でも懐かしい思い出の一こまだ。
 国家公務員定員法反対闘争に上京し、官庁街で初めて渦巻きデモを繰り返し、警備していた警官をデモの隊列に引きずり込んで踏んだり蹴ったりした行動を、今の人にはとうてい信じてもらえないだろう。
 解散後、肩を抱き合って歌声喫茶で蛮声を思い切り張り上げて労働歌を合唱した仲間たちの笑顔を次々と思い浮かべていると、突然両隣の若い方に両腕を組まれて、はっと気づいてインターナショナルの歌声に胸をときめかせ、団結ガンバローを大声で唱和し、後を引き継いでくれる活力に満ちあふれた若者たちの姿に感動しつつ、明日の介護保険反対・厚生省交渉の打ち合わせ会場に向かった。

 厚生省を追及し

 昨日の打ち合わせどおりに、百三十人を超える参加者の中から適時に交代することで、交渉定員四十人の最初の代表に加わって厚生省への団体交渉に臨んだ。
 代表者が読み上げた四項目の要望書を手渡して、厚生省の回答に聞き入った。
 高齢者の生存権を一切無視した不誠実な回答に、たちまち交渉団全員から怒りに満ちた発言が相次いだ。「一万五千円の年金受給者のふところに手を突っ込んで介護保険料をひったくるような悪らつなことをするな」の抗議に、熊木課長補佐は「一万五千円で生活ができるわけがない。子どもか身内の人から援助を受けているから生活が成り立っているので、保険料は当然払ってもらう」と、平然とした態度を維持しながらの答弁。
 「子どもや身内のない老人はどうするのか」「それでも赤い血が流れた人間か」と、体を震わせての憤怒の抗議に、「そうだ、そうだ」の声で場内は騒然となった。「介護保険を廃止せよ」と多数の声が期せずして響き、たまりかねた高齢者の方から「こんな若造では問題にならん。大臣を呼べ」の声も飛び出した。
 代表者の方が、「きょうの交渉をとおして、介護保険は年寄りに早く死ねという制度であることがよく分かった」と力強く述べた。
 敗戦後、国民の力で営々と築き上げてきた社会保障制度を根本から解体しようとしていることを教えられた団体交渉だった。
 たとえこの身は高齢者であっても、老骨にむち打って頑張り抜かねばと心に期するものを得たと、生きる喜びをかみ締めながら、「闘ってこそ生きる道はおのずから開かれる」の言葉を確信して帰路についた。

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週刊『前進』(1986号3面1)

NTT「中期事業計画」と「新賃金制度」を粉砕せよ
 労組指導部の裏切り許すな

 NTT資本は昨年十月、「中期事業計画」を発表し、二万一千人削減の大合理化を強行している。この攻撃は、情報通信産業をめぐる帝国主義間争闘戦を背景に、日帝・森政権の「IT(情報技術)革命」のもとで一層激化している。NTT労組は今年八月の第三回大会でこれらの積極的推進を決定し、攻撃が実施に移されている。現場の怒りが噴出する中で、大会では反対意見が続出するかつてない事態となっている。これから強制配転―首切りや賃下げなどの攻撃が具体的に強行されるにしたがって、さらに怒りの爆発は不可避である。労資一体で大合理化を推進するNTT労組指導部を弾劾して闘おう。

 拠点廃止―強制配転で大量首切り狙う

 「中期事業計画」の攻撃の内容を具体的に見よう。その柱は二万一千人もの大量人員削減攻撃である。
 NTT資本は電電公社の民営化以降、ほぼ四割まで人員削減を進めてきた(別表参照)。その上で九九年七月に持ち株会社と東西地域会社および長距離・国際会社(コミュニケーションズ)に分割された。今回の「中期事業計画」による大合理化攻撃は、二〇〇〇年度から三年計画で、東西地域会社の十二万三千人(九九年度末)のうち二万一千人(東日本一万人、西日本一万一千人)、約一七%を削減するものだ。ほぼ十万人体制となる。NTTはこれをもって「グローバル情報流通企業グループ」への転換を図ると言う。
 NTT(持ち株会社)の宮津社長は「NTTをメチャメチャにしたと言われる合理化をする」「電話屋はいらない」と公言してはばからない。この発言は、電話の技術者集団として形成されてきた労働者、とりわけ中高年の労働者を「お前らはもういらない」とたたき出すという宣言なのだ。
 NTT労組は「中期事業計画」について、九九年の第二回大会で「グループ経営の中期展望を明示させる」ことを決定し、これを受けて出されたのが「中期事業計画」だと言って完全に容認している。
 「NTT事業全体が構造的な転換を迫られている」「コスト構造が焦点になる」と、完全に資本と認識を一致させ、「電話中心からデータ通信化などに伴う、組合員の地域・仕事・企業間でのミスマッチが生ずることになり、これに具体的にどう対処し、雇用の場を確立するか」と問題を立て、「『雇用はグループトータルで確保する』視点を徹底していく決意」などとしていた。そして、今年九月に「中期事業計画」についての「最終決着」を図った。「労使協議」と称して次々と資本の攻撃をのんできたことは明らかだ。

 「代理店」化は雇用ではない

 その実態は、大リストラ・大量首切り攻撃そのものである。
 二万一千人の削減数のうち四千三百人はドコモなどのグループ企業に「再配置」し、残りは新規採用凍結・退職者不補充で削減する。さらに六千五百人の希望退職を募集することが追加された。また、「人員流動」と称して、国鉄分割・民営化に先立つ「広域異動」と同様に地方から首都圏や京阪神への配転が、都市部での営業強化を名目にして強行されている。
 さらに、全国で六百四十三の拠点を三分の一に削減しようとしている。営業窓口と販売業務の統合、料金、116(電話受付)、113(故障受付)の一支店一拠点、一県一拠点への集約で配転が強行される。北海道や沖縄の離島などでは、数百`に及ぶ遠距離配転が強制される。配転に応じられない労働者は辞めろという攻撃なのである。
 NTT労組は許せぬことに、そうした労働者を「流動困難な組合員」と呼び、「地域における雇用の場」を要求するとしてきた。
 だが、そこで打ち出されたのが、NTTを退職し、「代理店」になれというものである。こんなものは「雇用」でも何でもない。首切りそのものなのだ。
 まず、「法人代理店」はNTTテレマーケティングなどのグループ会社に再就職し、NTT商品の販売やコンサルティング活動を行うというものだ。さらにグループ会社との委託契約を結ぶ「個人代理店」だ。賃金は固定給が現行賃金水準の三割程度であり、あとは営業成績に応じて歩合給をプラスするが、大幅な賃下げは不可避である。「年間千七百万円分売って、やっと現在の六―七割の収入になる」と言われている。しかも、売れなければ次の年に再契約できるかどうかも分からないのだ。これを「雇用の確保」と言うのか。NTT資本と労組指導部のペテンと卑劣さを断じて許すわけにはいかない。

 日帝の「IT革命」とは大リストラだ

 これらの攻撃は、東西地域会社の財務体質が悪化する、新規通信事業者にシェアを奪われる、競争力をつけなければ生き残れない、などのかけ声で強行されている。NTT労働者が犠牲になるのは当然であるかのように言われているのだ。だが、これは日帝が帝国主義間争闘戦に勝ち抜くための「国策」として強行されていることを見抜き、対決しなければならない。
 今や情報通信産業部門は、帝国主義間争闘戦、なかでも日米争闘戦の帰すうを決すると言って過言ではない、最大の決戦場となっている。この領域で、アメリカ帝国主義の優位を許してしまっている日本帝国主義は、森政権の「IT革命」のもとで、「五年間でアメリカを追い越す」と呼号し、取り戻しに全力を挙げているのだ。
 NTT資本は、この国家の情報通信政策に沿って、「電話からマルチメディア(インターネット型)と国際戦略へ」という大転換をかけた攻撃を進めてきた。米帝との激烈な競争に勝ち抜くためには、高度な先端技術部門における優位性の確保と豊富な資金力が絶対に不可欠である。日帝は、これを基本的にはNTTの技術力と豊富な資金力を総動員してやり抜こうとしている。
 日帝にとっての情報通信政策という場合、NTTをどうするかということを抜きには一切考えられないくらいに大きな位置をもっている。NTTの大合理化攻撃は、単に一企業の経営をめぐる合理化のレベルを超えた、日帝の生き残りをかけた「国策」である。日帝の全体重をかけた攻撃であることを直視して闘わなければならない。
 この七月、沖縄サミットを前にして、NTTの接続料問題で日米帝間が激突したように(他の通信事業者がNTTの地域回線を使用する料金を当面三年間で二二・五%引き下げで「決着」)、NTTをめぐって激しい争闘戦が展開されているのである。
 米帝はこの間、一貫してNTTの弱体化を狙ってきた。日帝・NTT資本が海外に進出するためには国内の独占の排除が必要だと突きつけ、日帝はこの間、長距離通信から市内通信への新規事業者の参入を進めてきた。TTNetなどが都市部の市内通信のシェアをNTTから奪っているが、実はシェアをあらかじめ六〇%も明け渡すことを決めているのだ。NTTはそうした新規事業者が参入しない地方や離島、音声電話だけしか使わない個人ユーザーを対象にするということだ。労働者に対して「シェアを奪われるな」と営業の強化に駆り立てているが、これはとんでもないインチキなのだ。
 また、市内通話料金が三分十円から三分九円、さらに三分八・八円へと値下げ競争が始まっている。このような中でNTTの地域会社が赤字になるのは不可避なのだ。こうした中で、宮津社長は、「中期事業計画」を見直し、「来年春には新たな三カ年計画を策定したい」と言い放った。
 さらに、電気通信審議会(郵政省の諮問機関)のIT(情報技術)特別部会の第一次答申案が十一月十六日に公表された。その内容は、持ち株会社のNTTコミュニケーションズ、ドコモへの出資比率を下げ、グループの各社間の競争を促進するというものだ。さしあたってNTTの再々編は見送られたといわれている。だが、その直後から一斉にNTT再々編の要求が噴出している。「NTT再々編」はむしろこれから本格化すると見なければならない。
 森政権が設置したIT戦略会議の議長を務めたソニーの出井会長は、NTTの経営形態について「持ち株会社、東西などの仕組みをもう一度見直して(経営の)自由度を持たせないといけない」と述べた。
 さらに第二次NTT改革与党プロジェクトチームは二十九日、NTT東西地域会社の過剰雇用を早急に解消するよう求める報告案をまとめた。
 こうしたNTTの大合理化攻撃は、日帝が「IT革命」によって全産業で大リストラ・首切りを推進するテコでもあるのだ。
 NTT労組が、このような「IT革命」を労働組合として容認し、それを方針化したことは、全労働者に対する敵対である。NTT労働者は、自らの未来と全労働者の未来をかけて、労組指導部の裏切りを許さず闘わなければならない。

 成果主義賃金要求する本部に怒り

 今春闘ではNTTグループ全体が、ベアゼロ、来年度から年度末手当(業績手当)廃止で決着した。NTTのベアゼロは今春闘全体の水準を引き下げ、日経連の総額人件費引き下げ攻撃を労働者階級に押しつける反動的役割を果たした。同時に、日帝の労働者支配政策が、連合傘下の御用労組の存在さえ許さないような激しいものに転換していることを示した。
 NTT労組は、これを「苦渋の選択」などと言って、なんらの抵抗もなく受け入れた。八月二、三日に行われたNTT労組第三回定期大会で、津田委員長は「今春闘について組合員の期待にこたえられなかったことを、中央執行委員会として率直におわびする」と言いながら、「IT革命の進展を妨げているのは、NTTの通信料金と事業者間接続料の高さにあるとの内外の圧力が急速に高まる中、世の中の期待にこたえていく努力のあかしとして、身を切る覚悟でないと、この難局をのりこえられないとする経営側の強固な姿勢に、最終的には雇用問題を惹起(じゃっき)させないことを主眼に決断せざるを得なかった」と居直った。だが首切りを認めているのはいったい誰なのだ。
 さらに、「現在の賃金体系の大枠は、固定電話を市内外ともに独占し右肩上がりの経営を基盤としたもの。これが競争激化のIT時代に必要な、組合員一人ひとりの個性を引き出し、やる気を引き起こさせる制度であるのか」などと、成果・業績主義賃金を要求することを明らかにした。
 具体的には、現行の「年齢賃金」における定期昇給制度を見直し、「職能賃金」における定期昇給制度は廃止し、年功的要素の縮小を図り、業績重視を強め、評価結果による「反映・基本給」「反映・基準外賃金」を創設するというものである。
 五十歳以上は昇給ストップで、四十歳以上もほとんど上がらない。「若年層の早期立ち上げ」などと言うが、四十歳くらいの組合役員が、「入社時から毎年A、Bに評価されないと現在の自分の賃金にならない」と説明しているという。若年労働者にとっても圧倒的に賃下げなのだ。しかも、資本の「評価」にゆだね、労働者を分断するものだ。こんなものを組合の側から要求したら、団結破壊を狙う資本の思うつぼだ。NTT労働者は、「去るも地獄、残るも地獄」というべき状況にたたき込まれるのだ。
 これに対して大会で怒りの声が次々と上がった。
 「どういう状況になればストライキを打つのか」(ファシリティーズ)
 「職場組合員との認識のギャップの大きさを痛感している」(東日本)
 「前年を下回る結果になったことは非常に残念だ。最終局面まで何が焦点なのか、よく見えてこなかった」「成果・業績の反映を労組が求めるのは疑問」(コムウェア)
 「妥結時と異なる決算結果となった経営側の責任を追及すべきだ。ストライキについては、どのような局面になればストを配置し、闘いぬくのか。労働組合の求心力を高め、組合員との距離を縮めるための取り組みを求めたい」(西日本)
 「中高年層の年収や生涯賃金は下がることが確実だ。これでは、中高年層の活力が見いだせない。組合員の理解と納得が得られる組織的な合意形成を図るべきだ」(TE九州)
 さらに、これに対する居直りの本部答弁にも激しいやじが飛んだ。ほとんどシャンシャン大会しかなかった全電通―NTT労組の大会で初めての歴史的な大会となった。
 NTT労組の前身である全電通は、初代連合会長となった山岸のもとで連合路線を最先頭で推進してきた労組であるが、九八年末のNTT労組への転換によって一層の反労働者的転換を遂げたのだ。単なる名称変更ではなく、綱領も破棄し、「協約の全電通」と言われた労働協約もすべて投げ捨てたのだ。現場においては労組役員と管理職が一体化し、ほとんど職場に労働組合がないような状況がつくられてきた。
 そのような中で苦闘してきた現場の労働者が、今春のベアゼロによって危機感をつのらせ、ついに怒りを爆発させ始めた。地殻変動が始まったのだ。さらに来春からの本格的な賃下げ攻撃に対して、やむにやまれぬ反乱は不可避である。
 この闘いは、国鉄労働者千四十七人の解雇撤回闘争、第二の分割・民営化攻撃との闘い、さらに全逓の郵政民営化阻止の闘いなどと並ぶ大決戦である。連合傘下で、連合路線を打ち破り、資本攻勢の最先端の攻撃と闘い、階級的労働運動を再生させる最先頭で電通・NTT労働者は闘おう。
 〔マル青労同 電通委員会〕

 NTTグループの合理化(実績と計画)
◆社員数の推移
 1979年度 32万8700人(電電公社時代、ピーク)
 85年度 31万3600人 →90年度 25万7000人
 95年度 18万5500人 →98年度 13万8200人(民営化時の半分以下)
◆業務の集約などにより組織・拠点を統廃合(最初の数値はピーク時)
・支店数(旧電報電話局) 84年度 1700 → 85年度 1600 →98年度 47
・交換機の有人拠点数 83年度 1400 → 85年度 1300 →98年度 10
・電話案内業務拠点数 59年度 570 → 85年度 500 →98年度 0
 *98年度にNTT番号情報(株)に全面委託完了
・電報業務拠点数 70年度 510 → 85年度 190 →98年度 20
◆99年10月に2000年度から3ヵ年の「中期業務計画」発表
・東西地域会社で人員を12万3000人から約2万1000人削減する。
 うち4300人はドコモなどグループ企業へ再配置する。
 6500人の希望退職などを追加。拠点の統廃合で大量首切り狙う。

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週刊『前進』(1986号3面2)

“暫定滑走路阻止するぞ” 反対同盟先頭に敷地内デモ

 暫定滑走路建設工事の着工強行からちょうど一年目にあたる十二月三日午後、三里塚芝山連合空港反対同盟が呼びかけた「暫定滑走路建設実力阻止! 三里塚現地闘争」に反対同盟農民を始め労働者、学生、市民百八十人が結集した。
 昨年十二月三日、反対同盟は、暫定滑走路建設工事着工の暴挙に対して「二年間決戦への突入」を宣言した。以来、反対同盟は臨戦態勢を築き、一年間にわたって不屈の闘いを展開してきた。
 その結果、暫定滑走路はたとえ完成してもまったく使いものにならない代物でしかないことが暴き出された。そして暫定計画は、軒先工事を強行して敷地内農家の営農と生活を破壊し、敷地内からたたき出すことを目的とした、農地強奪=農民殺しそのものであることが全社会的に明らかになった。それを突き出したものこそ、天神峰団結街道の廃止攻撃であり、東峰神社の立ち木伐採攻撃だった。
 この一年間の闘いに勝利した地平に立って反対同盟は、運輸省・空港公団の「暫定滑走路二〇〇一年十一月完成計画」を粉砕する一年間決戦への決起を宣言するものとして、この日の現地闘争を呼びかけたのである。
 闘争参加者は、警察権力の不当検問を打ち破り、続々と敷地内・天神峰の市東孝雄さん宅に集まった。
 集会の冒頭、北原鉱治反対同盟事務局長は、「九九年十二月三日着工以来、反対同盟は臨戦態勢のもと闘いぬき、平行滑走路建設を阻止しぬいて健在です。本日の闘いから二〇〇一年の勝利へ前進しよう」と呼びかけた。
 続いて、動労千葉の繁沢敬一副委員長が「動労千葉は、政府・公団の軒先工事の強行に心からの怒りを感じる。これは公団のあせりだ。反対同盟との三十五年間の連帯をさらに強め、闘う」と、力強く闘う決意を表明した。
 さらに、関西の地から駆けつけた東灘区住民の会の山本善偉代表が「暫定滑走路工事強行着工から一年。三里塚現地は大変な状況になっている。関西から次から次に三里塚現地に駆けつける大運動を起こす。来年の十二月三日には、暫定滑走路がいかに無駄なものであったかを確認できる闘いをやりぬこう」とアピールした。
 最後に、反対同盟顧問弁護団を代表して、葉山岳夫弁護士が「暫定滑走路計画は違法のかたまり。この攻撃は船舶検査法制定などの戦争への動きと密接に連動したものだ。現地の大衆的な闘いと一体のものとして裁判闘争を闘い、勝利しよう」と提起した。
 集会参加者は、ただちに敷地内デモに出発した。敷地内・天神峰の市東孝雄さん宅を出発し、東峰部落を周回し、小見川県道を制圧して、滑走路の横っ腹に突き刺さっている開拓道路までのデモを戦闘的に展開した。開拓道路では、「暫定滑走路建設を実力で阻止するぞ! 軒先工事を粉砕するぞ!」と意気軒高とシュプレヒコールをあげ、勝利への決意を固めた。
た。

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週刊『前進』(1986号3面3)

京大11月祭
改憲・独法化ぶっとばせ 講演会が立ち見の盛況

 十一月二十三日、京都大学の十一月祭(学園祭)で「教育改革・改憲論議はどこへ行く 石原知事に任せられない!」講演集会を百七十人の参加でかちとりました。立ち見があふれ、入りきれない人が続出する盛況でした。マスコミも取材に駆け付け、十一月祭の中でもすごい注目を集めました。
 この集会は「とめよう戦争への道! 百万人署名運動京大連絡会」と「独立行政法人化に反対する十一月統一行動・京大実行委員会」の共催です。講師に元日教組書記長の中小路清雄さんと作家の宮崎学さんを招き、改憲と石原を批判する集会として、同時に独法化に反対する全国統一行動として取り組みました。
 中小路さんは「教師は聖職ではなく労働者だ。この立場を今こそはっきりさせるべき」「教育改革は戦争する国への転換。憲法改悪の開始だ」と提起。
 続いて宮崎さんが「『加藤の乱』をどうみるか」として自民党政治が行き詰まり、情勢が激動していること、石原を倒すため「マルクス主義者や過激な思想を排除しない」新たな運動をつくることを呼びかけました。
 さらに京大実行委の学生が独法化反対の取り組みと東北大ストの報告を行い、再び学生運動の爆発が始まったことをアピール。これにはものすごい拍手がおこりました。
 活発な討論の後、京大連絡会が「戦争しないと延命できない国家など死ぬべき。この立場で石原を倒す」と基調を提起。これにも満場の喝采(かっさい)が寄せられました。
 何より今回の集会は、森・石原の改憲攻撃をぶっとばす闘いとしてやりぬけたと思います。私が感動したのは、一、二回生の参加者の多さです。四月以来、石原辞任署名、サミット闘争、教育改革・改憲阻止を訴えてきた成果です。また石原を許さないことで一致して京都全域をみんなで駆け回り、大きな反応を生み出したことも画期的です。
 「日本の危機」に対して立場を鮮明にさせて闘う時、巨万の学生・労働者が動き出す。そういう時代の熱気を、集会後の参加者のすがすがしい表情を見て痛感しました。私も゛この社会を根本からつくりかえる決戦として憲法闘争をやりぬくぞ″と決意しました。
 私たちはこれをステップに、十一・三〇闘争から改憲阻止・石原打倒の運動をつくり、独法化を阻む運動をさらに大きく広げていきます。皆さん、ともに頑張りましょう!
(投稿/京大 山野 睦)

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週刊『前進』(1986号3面4)

”一人ひとりの学生”が声をあげていこう
富山大で独法化反対

 東北大ストライキに続き、富山大学では十一月二十四日に「国立大の独立行政法人化に反対する富大集会」を行いました。集会には新樹寮の寮生を始め約六十五人が参加し、大高揚の中でかちとられました。
 集会では、まず学生自治会から基調の提起と独法化反対のクラス決議の報告が行われました。続いて新樹寮生からの発言があり、「『おかしいことはおかしい』と一人ひとりの学生が声をあげていこう!」と、キャンパスの全学生に熱烈に訴えかけました。
 集会後にはメインストリートをデモ行進し、時澤学長の代理・能登谷副学長に対して独法化反対の態度表明を迫る行動に出ました。
 しかし、私たちの追及に対する能登谷副学長の態度は、「大学として独法化に反対しない。学生への情報公開も必要ない。会議などの結果が知りたければ大学のホームページを見ればよい」「君たちは卒業して、ちゃんと企業に就職してくれればそれでいい」というまったく許し難いものでした。
 また、学生生活委員会の渡辺という教官に至っては、「学生はユーザーだ」「卒業すれば君たちには関係のないこと」などという暴言を吐いています。この当局のあまりにも学生を無視したふざけた態度に対して、「君たちには関係ないとは何ごとだ!」という学生の弾劾の声がたたきつけられました。
 この間、計五クラスで独法化反対のクラス決議が上がり、また、「独法化による学費の値上げは嫌だ」「大学は独法化に関する紳士的な情報公開を」など、さまざまな意見も出ています。こういう学生の切実な声を無視・抹殺し、「学生は余計なことを考えるな。企業や国の役に立つ研究をしていればいいんだ」という富大当局の態度を見て、これこそが独法化の正体だと思いました。
 現在、富大の全合格者への学生団体のパンフレット郵送に関して、大学当局は「ワーキンググループ」を設置し、これまでの全合格者への郵送に規制をかけ、学生団体の非公認化への攻撃をかけてきています。
 また新樹寮に対しては、「そもそも入寮選考権は当局にあるもの」として、これまで寮生が獲得してきた入寮選考権を奪おうという自治寮破壊の攻撃に踏み込んできています。「入寮希望者は寮生が決定し、受け入れる」という、寮自治の根幹を奪い去る廃寮化への第一歩ともいえる重大な攻撃です。
 これらの攻撃は、独法化に向け大学から学生自治や寮自治を破壊し一掃する攻撃です。独法化との闘いは、これらの攻撃との闘いを軸に予断を許さない状況です。
 十一・二四集会成功の地平を引き継ぎ、全国の独法化反対の闘いと連帯して、全富大生の力でパンフ郵送規制攻撃や自治寮廃寮化攻撃を粉砕し、独法化阻止の更なる大運動をつくりだしていきたいと思います。
(投稿/富山大 瀬奈悠希)

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週刊『前進』(1986号4面1)

革共同への反革命的敵対行動を売り物にする白井朗を粉砕せよ
 白井『二〇世紀の民族と革命』の反革命的本質 (中)
 島村 伸二

 第3章 レーニン主義世界革命論に対する憎悪込めた否定

 (2) レーニン民族理論における帝国主義論確立の意義(承前)

 a レーニンの階級的立場の否定

 そのひとつは、「レーニンが被抑圧民族を民族自決をかちとる主体として措定していない」論のインチキ性と反革命性である。
 これは、「階級唯一論」(一〇〇nほか)などというおぞましい用語での否定と一体のものである。別のところでは、「しばしば共産主義者が信じている思想」「まったく誤った自惚(うぬぼ)れ」(一〇三n)という表現で共産主義非難と一緒に出されている。これは、レーニンが階級的立場(共産主義)に徹底的に立脚していることを非難したいがためのデッチあげだ。レーニンがプロレタリアートの立場でものを言っているから、被抑圧民族を民族自決権をかちとる主体として措定しているはずがないというのだ。もっと言えば、「階級唯一論」つまりプロレタリアートの立場(共産主義)を離れなければ、被抑圧民族を闘いの主体として措定できないと言っているのだ。
 しかし、帝国主義論確立後に「労農同盟論」に改められるが、それ以前の「労農独裁論」のように、レーニンはプロレタリアートと並ぶくらいに農民を゛主体として措定゜している。そうした規定がなぜ出てくるのか。これは、白井のいう「階級唯一論」非難とどう関係するのか。もし白井が、レーニンは農民を主体として措定したが、被抑圧民族はそうでなかったというならば、それは「階級唯一論」が原因ではないことになる。
 被抑圧民族を主体として措定できなかったという時に持ち出すこの「階級唯一論」なる呪(のろ)いを込めたような用語はいったい何なのだ。これは、プロレタリアートの立場(階級的立場)の徹頭徹尾の拒否・拒絶である。
 白井はレーニンをまったく分かっていない。白井はわが党にいた時代、実践家としては優秀な一党員よりもはるかに劣る水準でしかなかったがゆえに、レーニンの優れた実践性(組織論の重視)こそが、偉大な理論の創造に貢献していることが理解できなかった。そのことまでは、まだ容認してもいい。しかし、「階級唯一論」なる反動的用語を持ち出して、「被抑圧民族を民族自決をかちとる主体として措定していない」と言うに至っては、断じて許せない。
 白井は、党建設論の創成期のレーニンが、党の意識性・計画性を強調し、単一の党、職業革命家の党をゴリゴリと強調したことが、激動する階級情勢への柔軟な対応のためであったことがまったく理解できていない。白井は、ソビエトの創成というプロレタリアートの自主的決起を前にして、なぜレーニンが断固それを支持できたかが分からず、ソビエト支持を打ち出したときにレーニンの「問題ある組織論」は否定されたのだと解釈してしまうような低水準なのだ。
 しかし、レーニンほど大衆の主体的決起から学び、理解し、認識し、措定し、それと結合しようとした人はいない。レーニンは『なにをなすべきか?』の段階から、労働者階級のみならず、あらゆる階級・階層の決起を措定し、それとの結合を前提にしているのだ。このことは『なにをなすべきか?』を読めば歴然としている。だからこそ自然成長性への拝跪(はいき)と闘ったのだ。だからこそ、労働者の経済主義的意識から決別した目的意識性を問題にしたのだ。だからこそ「単一の党」にこだわったのだ。
 レーニンが、マルクス主義を原則的に踏まえる厳格さとともに、その優れた実践性ゆえにロシア的現実に徹底的に立脚していること、特に、帝国主義論の確立で後に止揚することになるが、現実には帝国主義段階への突入がもたらす膨大な農民や民族、諸階層の存在とその闘いの革命性にどれだけこだわってきたことか。このことをレーニンから学ばなければ、いったい何を学ぶというのか。
 そもそもトロツキーが及ばなかったレーニンのすごさは、プロレタリア革命の立場に徹頭徹尾立ちながら、ロシアの特殊的階級関係と階級闘争の現実にとことん立脚することをとおして、農民や被抑圧民族を闘いの主体として措定したところにあった。「二段階革命論」なども、後のスターリン主義と同じだなどと安易に論じてはならない内実をもっている。それをつかむことなしに、帝国主義論の確立を論じることはできない。まして白井のように、一九〇五年革命のトロツキーの永続革命論的プロレタリア革命論を、黒田=カクマルと同じ一知半解で゛トロツキーにはすでに帝国主義論があった゜などと述べるようでは、レーニン帝国主義論の内容と意義がまったく分かっていないと言わなければならない。
 なお、この「レーニンが被抑圧民族を民族自決をかちとる主体として措定していない」論のインチキ性は、実は、マルクスとエンゲルスがアイルランドのことを論じている時、(イギリスの)プロレタリアートの立場から言っていることを「誤読」してみせたのとまったく同じ論理構造である。だが、ここでは、単なる「誤読」ではない。ボルシェビキも含むロシア・プロレタリアートに対して、被抑圧民族から連帯を込めた大ロシア主義弾劾がものすごい規模で行われているのに対して、白井は、抑圧民族のプロレタリアートの立場から自己を外し、被抑圧民族の立場に乗り移っているのだ。これは、七〇年「七・七」の時のML派とまったく同じである。彼らが乗り移ったこの立場から、被抑圧民族と一緒になってわが党を弾劾したのと同じように、白井はレーニンを批判しているのだ。
 白井は、被抑圧民族人民の、抑圧民族のプロレタリアートへの正当な弾劾を真正面から受けとめ、プロレタリア革命の立場から〈血債の思想〉をもって連帯し、帝国主義打倒に向かって闘うということを拒否しているのである。そして、被抑圧民族の立場に乗り移って、抑圧民族のプロレタリアートへの絶望に安易に同調し、゛現代革命は、帝国主義国からではなくアジア革命から起こる(白井のそれは主要に西アジアつまりイスラム民族という意味になっていることも問題だ)゜という主張に同調する。そして、゛プロレタリアートの立場に固執することは「階級唯一論」である゜とか、゛帝国主義国の革命を重視するのは被抑圧民族の民族自決の闘いを主体として措定していないことだ゜などと非難するのである。
 しかもこの場合、白井には゛帝国主義国におけるプロレタリアートだけではもはや勝てないが、被抑圧民族の民族自決(帝国主義からの分離)が帝国主義の経済的基礎を崩すから帝国主義国の革命も可能になる゜というような理解があり、あたかも被抑圧民族の民族自決が実現したら帝国主義が自動的に死滅する(せいぜい民主主義で勝てる)かのごときイメージすらもっているのだ。
 被抑圧民族の民族自決の闘いを措定するという時、プロレタリア世界革命の主体として措定することが重要なのだ。それは、抑圧民族のプロレタリアートが、プロレタリア世界革命思想の発露としての〈血債の思想〉をもった国際主義的連帯として、被抑圧民族の帝国主義からの分離独立(民族自決)を断固支持する時、被抑圧民族人民が帝国主義からの分離にとどまらず、帝国主義打倒へと主体的に飛躍することを容易にするという点にある。被抑圧民族の分離独立を正当な主張として支持するだけでなく、彼らからの厳しい弾劾を、連帯を求めた革命的援助として受けとめるということである。逆に抑圧民族のプロレタリアートがこの立場に立てなかったら、階級性を喪失して、帝国主義打倒の主体たりえないだけでなく、被抑圧民族の民族解放闘争がプロレタリア世界革命の一環として発展することを妨害することになるのだ。
 白井の「措定」論のインチキ性は、プロレタリア世界革命の主体としての措定ではないところにある。したがって、せいぜい帝国主義国のプロレタリア革命と、被抑圧民族の民族解放の二つの実体の機械的合流論のようなものであり、革命後も民族性は大事にせよという主張のみがゴリゴリとなされる。プロレタリア世界革命の内実がないのだ。それはプロレタリア世界革命というより、民族解放至上主義と言ってよい。その立場からプロレタリアートの立場を否定するのだ。

 b レーニン否定の非理論的デマ性

 いまひとつ、白井の狙いが帝国主義論に基づくレーニン民族理論の否定のための否定でしかないことを示す決定的言辞は、「グルジアのスターリン批判」の「賛美」の時に吐いた次の引用である。
 白井はここで、レーニンの一九二二年の「遺書」である「少数民族の問題または『自治共和国化』の問題によせて(つづき)」を引用して、「ついにレーニン民族理論の最高の到達地平たるプロレタリア国際主義の具体的な内容……が述べられた」と言っている。しかしその上でなんと「レーニンは冒頭での文言を著作のなかで今までにすでに述べてきたと言うが、断じてそうではない」と、わざわざレーニンの文言を力を込めて否定し、「このレーニンの『民族主義一般を抽象的に論じるな。抑圧民族の民族主義と被抑圧民族の民族主義を区別せよ。大民族の民族主義と小民族の民族主義を区別せよ』という文言は数多いレーニンの民族問題関連の論文、発言のなかでまったく初めての文言なのである。これこそレーニン民族理論の最後の到達地平である」(一七六n)と、これがまったく初めてなのだというインチキを強調するのだ。
 しかし、この思想の存在はすでに白井自身が八九nから一〇七nでレーニンを賛美した引用の中に十分に出てくる思想なのだ。あるいは一九一七年の革命ロシアの「宣言」の中に満ちあふれている思想である。なぜ、これが一九二二年に至って「初めての文言」なのだ!?
 確かに、直接的にはここでスターリンとの決別という点で、より鮮明にさせた地平がある(激しさがある)と言ってもよい。しかし、ここで「初めてだ」と大騒ぎするのは、それまでのレーニンの思想を否定したいため以外の何ものでもない。でたらめそのものである。
 確かに「償い」の思想について、より踏み込んだ書き方をしており、異民族の最大限の信頼獲得のための、過去の態度への償いとして道徳的姿勢にまで及んでいる。しかしレーニンはここでもあくまで「粗暴な大ロシア人的態度が、プロレタリア的階級連帯の利益をそこなう」と言って、プロレタリア的連帯の利益の立場を強調していることを忘れてはならない。
 レーニンは、すでに帝国主義段階論の確立に基づく民族解放闘争の位置づけの決定的転換の中で、なおかつ一方で社会主義の条件の成熟が先進国にあることを繰り返し述べている。これは、被抑圧民族の分離・独立の承認が、それだけに終わらず先進国のプロレタリア革命の達成と植民地主義国家への償いによる、社会主義の条件の主体的・客体的形成と一体のものとして論じられていること、つまりプロレタリア世界革命の具体的実現に最大限接近する思想の中で論じられていることを読み取らなければならない。
 この世界革命の世界史的成熟と各国的な社会主義の条件の成熟度合いの違いというリアリズムに立った問題が、ローイやスルタンガリエフなどとの論争のベースにある問題なのだ。この土台に、レーニン帝国主義論に基づく民族理論が貫かれていることを理解していないとしたら、「七・七問題」はML派的な「乗り移り」か、せいぜい倫理的次元に終わらざるをえない。まして、先進資本主義国にしか社会主義が成熟していないという意味を、「進んだ西欧、遅れたアジア」などという脈絡でしか問題にしないとしたら、あまりにも当時のプロレタリア世界革命のリアリズムを喪失したものである。同じように白井は、一九四九年の中国革命の問題も、日本プロレタリア革命の問題と無関係に、ただただスターリン主義問題だけに帰してしまうのだ。
 この白井の「初めて」論は、「グルジアのスターリン批判」のすごさを強調したいがためについ口が滑った、単なるレトリックに過ぎないものだろうか。けっしてそうではない。
 その証拠に、直後にある引用の仕方の卑劣さをみよ。白井はここで、「グルジアのスターリン批判」までのレーニンがいかに問題があったかの証拠としてレーニン全集二〇巻から引用している。二〇巻まで(一九一四年八月まで)と二一巻以降の決定的違いは、あまりにも明白であるにもかかわらずである。
 白井は、なぜ帝国主義論確立後からの引用ではなく、帝国主義論確立直前の引用をもって「グルジアのスターリン批判」までは問題があったとして証拠だてようとするのか。その理由は、帝国主義論確立以降のレーニン民族理論の飛躍こそが「グルジアのスターリン批判」を可能にした決定的地平だからであり、けっしてここで「初めて」ではないからだ。このレーニン批判のやり方のこそくさ、意図的反革命性は、最悪である。この部分は、『民族本』が理論的文書ではなく、デマゴギーに基づく反動的扇動であることを最も鋭く示す個所である。

 c レーニンを「大国家主義者」に仕立てるペテン

 以上の二点以外の、白井によるレーニン「賛美」の否定を二、三触れておかなければならない。
 ひとつは、九六〜九八nで「マルクス主義の戯画と『帝国主義的経済主義』とについて」(全集二三巻)に言及している部分である。ここで白井は、レーニンが「抑圧民族と被抑圧民族の区別」を明言していることを決定的地平として確認したあと、直ちに「しかしレーニンはそこ(民族自決権の徹底的・全面的承認)に到達するまでなお距離がある」と書いている。そして、その証拠として、「小国家への人類の細分状態と諸民族のあらゆる分立とをなくし、諸民族の接近をはかるばかりかさらには融合させることである」(全集二二巻『社会主義革命と民族自決権』)というレーニンの論点をあげて、「レーニンは大国家主義者」と非難しているのである。
 これを「大国家主義への融合」と解釈するのは、白井の悪意ある読み方以外ではない。レーニンが「小国家への細分状態」と言っているのは、人類という角度からみた場合(白井のいう大国家も含めて)、「小国家に細分されているような人類の状態」を問題にしていることは明白である。しかし重要なことは、白井はこのようにレーニンを大国家主義者に仕立てあげて、実はレーニンの「諸民族の接近をはかるばかりか、さらには諸民族を融合させる」思想そのものに反対し、レーニンが゛そのためにこそ民族自決権と分離の自由を明確な政治綱領にするべきだ゜と言っていることを、大国主義に基づく排外主義としてしまうのだ。
 しかしレーニンは、白井が引用した部分の直後に「人類は、被抑圧階級の独裁の行われる過渡期を通じてはじめて階級の廃絶に到達できるのであるが、それと同じように、人類は、すべての被抑圧民族の完全な解放、すなわち、それらの民族の分離の自由の行われる過渡期を通じてはじめて、諸民族の不可避的な融合に到達できるのである」(全集二三巻一六九n)と言い、むしろ完全な民族解放が先決問題だと強調しているのである。
 なおここでレーニンは「自決権と連邦制との関係」を論じている。その後、レーニンの「最後の闘争」で、スターリンに対して、連邦制の内実として〈民族解放=分離の自由のもとでの連邦制〉ということをいうのだが、その思想はここで百パーセント同じ形で展開されているのである。
 さらに、一〇七nのものすごい「賛美」の後の、一〇八nのその否定のくだりは、露骨に「プロレタリアートの階級闘争の利益」を相対化し、階級的利益=階級性を判断基準にすることを否定している。ここには、「階級的利益」についての白井の理解の貧困さ、とりわけ『宣言』に書かれているようにプロレタリア自己解放の世界史的実現の論理を基準にすることの決定的意義を、白井がまったくとらえていないことが如実に示されている。
 同じことは、ロシア革命以降の論述部分でも繰り返される。たとえば一二八〜一三〇nで、革命ロシアの「ロシア諸民族の権利の宣言」を引用している。これ自体は実に偉大な思想を表現している。白井も「この宣言は真に偉大である」と言っている。
 だが、白井がもし本当に偉大だと思うならば、このような宣言がなぜできたのかを、白井は興奮をもって明らかにするべきなのだ。ところが、白井は、すぐに「しかし……複雑かつ屈折したものとならざるをえなかった」と続けて、その否定へ進んでしまうのである。

 (3) レーニンを「民族爆砕」論者と非難し憎悪を扇動

 第二に、白井のレーニン否定のための驚くべきデッチあげ的すり替えとペテンの中でも、最も悪質なのは、レーニンを「民族爆砕論」者(一〇九n)に仕立てたことである。
 ここは、白井が帝国主義段階のレーニンの民族理論の問題性・限界なる形で批判を続けてきた最後に、わざわざ一節を設けて、「まとめ」の前に書かれたものである。つまり、白井が単なる「問題性」や「歴史的限界」論をこえて、レーニン主義を否定し断罪に転ずる決定的位置をもたせる意図をもって書かれたところであり、この本の最も核心的なところである。
 ここで白井は「これらの先進国(イギリス、フランス、ドイツその他)では、民族問題はずっとまえに解決ずみであり、民族的共同体はずっとまえにその命数がつき、『全民族的な任務』は客観的には存在しない。だから、いま民族的共同体を『爆破』し、階級的共同体を建設することができるのは、これらの国だけである」(全集二三巻五八n。強調はレーニン)を引用して、許すことができないペンテ的な偽造を行うのである。
 白井は、この引用の「民族的共同体の『爆破』」をまず「民族爆破」にすり替える。そして「民族爆破とは、一体どうやってやるのか?」などとふざけた書き方をして「そんなことは不可能だと誰でも判るはずである」と言い、勝手にデッチあげたこの「民族爆破」という、まったく異なる概念に向かって延々と批判を展開するのである。いわく「レーニンの民族爆破の思想」は、「言語共同体の爆破」であり、「同化主義」「母語の抹殺、民族文化の抹殺、抵抗するその民族の指導的集団の大規模な虐殺」「大民族の世界制覇」を意味し、「それ以外に考えられない」などと。そして、「レーニンの心の底には」こういう「発想があったのだと思う」と。
 このようなレーニンに関するワラ人形をデッチあげて、さらにレーニン批判を展開し、「これは西欧キリスト教文明だ」とか、「イスラム教、ユダヤ教そのものを知り、それらの民族の歴史を研究する必要が否定されてしまう」とか、「民族を徹底的に軽視する思想」であるとか、「レーニンがたびたび強調した民族の融合」とはこういうことだったのだとか、わずか二ページの間に聞くに堪えない罵倒(ばとう)を繰り返すのだ。
 ところが、この白井のペテン性とデマゴギー性は、「民族爆破」概念へのすり替えだけではない。
 そもそも白井は、この文言を、論文「マルクス主義の戯画と『帝国主義的経済主義』とについて」における、ペ・キエフスキーへの批判の展開から完全に切り離している。実は、ペ・キエフスキーこそが、レーニンたちの主張する「民族自決権」に反対して、「われわれは、この過程(社会的変革)をブルジョア(!!)国家の国境を破壊し、国境標をとりのぞき、民族的共同体を爆破し(!!)、階級的共同体を建設するあらゆる(!!)国のプロレタリアの統一行動として考えるものである」(全集二三巻五七n)と主張しているのである。これはペ・キエフスキーの主張であり、(!!)はレーニン自身による書き込みである。
 これに対してレーニンは、帝国主義的抑圧民族=先進国=帝国主義国と被抑圧民族(国家)を区別して、帝国主義国家での「祖国」(括弧はレーニン)や民族運動はすでにその歴史的役割を果たしてしまった、「これらの国で歴史の日程にのぼっているものは……政治的に自由な文化的祖国へうつることではなく、命数のつきた、資本主義的に爛熟(らんじゅく)した『祖国』から社会主義へうつることである」(三四n)と言っているのだ。
 そして、こうした帝国主義国の人間が「現在の戦争における祖国擁護を口にするのは、うそを言うことになる。というのは、彼らが実際に擁護しているのは、母語ではなく、自分の民族的発展の自由でもなく、奴隷所有者としての自国の権利であり、自国の植民地であり、他国における自国の金融資本の『勢力範囲』その他だからである」(三四〜三五n)と言っているのである。
 つまり白井が引用したレーニンの「先進国の民族共同体」とは、明白に帝国主義国のことであり、「民族共同体」とは「祖国」概念のことを指しているのである。レーニンのここでの文脈は、被抑圧民族では帝国主義時代でも自決のために闘うのだということであり、逆に帝国主義国の「祖国」(民族共同体)は今や肯定的に押し出されるものではなく、反動的だ、そういう国々では「祖国」ではなく「階級的共同体」(社会主義)へ移るのだと言っているのである。
 実際問題として、帝国主義国では民族の名で国家を形成していくなどということは、プロレタリアートにとってありえない。社会主義に向かって進むのみなのだ。その場合、あえて言えば、民族問題は帝国主義的排外主義との不屈の闘争(民族的腐敗からの自己脱却)というネガティブな契機としてあると言える。しかし、民族的なものがストレートに絶滅されるわけでもなく、できるわけでもない。しかし、それは社会主義建設のキーワードには絶対にならないということなのだ。なるとすればそれは、排外主義の歴史への償いと排外主義イデオロギーの克服の闘いとしてである。
 ここの「爆破」は、ぺ・キエフスキーの表現であり、レーニンが自らの思想をポジティブに主張するために用いている概念ではない。だからレーニンは「爆破(!!)」と(!!)を付けたり、括弧を付けているのだ。白井は、このことを知っていながら、それを隠蔽(いんぺい)し、あたかもレーニンによる積極的概念であるかのようにすり替えるという、およそ信じられない、卑劣なことを平然と行っている。まったく破廉恥と言うしかない。
 「レーニン民族理論」などと麗々しく打ち出して、レーニンを「民族爆砕」論者に仕立てて憎悪をすらあおり立てているこの本の核心の部分が、実は原文と照合すればすぐにばれるデマゴギーでしかないということである。
 しかし、逆にレーニンは、被抑圧国では民族共同体はこれから獲得するのだ、それを否定するのは反対なのだと必死で言い続けているのである。民族の問題は、分離の自由の完全な保障のもとでの、社会主義のもとでの諸民族の接近と融合という方向で考えられており、レーニンはそれを言い続けているのである。白井は、それを超デマゴギッシュに書き換えて、レーニンを「民族爆砕」論者に、さらには被抑圧民族爆砕論者にまで仕立てあげ、大民族の植民地民族への「同化主義」や「民族文化の抹殺」「世界制覇」にまですり替えてレーニン思想にしてしまい、゛レーニンの「民族融合」の思想の正体を発見した!゜などとと叫んでみせるのだ。すり替えやデマゴギーの低劣さはもちろん、白井の本質が丸見えではないか。
 『民族本』の反革命的意図は、この一〇九〜一一二nに、理論的低水準、下劣さを伴って凝縮している。ここで、それまでの帝国主義論の確立の「賛美」や、レーニン民族理論の飛躍への「賛美」が百パーセント転覆されるのだ。むしろ白井はその数ページ前で「賛美」させられた分のうっぷんを払うかのように、このようなデマゴギー的手法をもって、レーニンについて最も言いたかったことを思う存分吐き出したと言ってよい。ここは白井のレーニンへの憎悪の情念の噴出である。しかし、この最も言いたいことをデッチあげや見え透いたすり替えでしかできないで、「理論」などというのだから、あきれ返ってものも言えないというものだ。        (つづく)

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週刊『前進』(1986号5面1)

労働者人民の未来をかけて21世紀冒頭の沖縄闘争勝利を
 那覇市長選挙戦の総括
 革共同沖縄県委員会

 I

 十一月十二日投・開票の那覇市長選挙戦において、われわれは、自・公と稲嶺県政が推す翁長と対決して立候補した堀川美智子候補の当選のために全力をあげて闘ったが、残念ながら当選をかちとることはできなかった。
 自民党・翁長が当選したことによって、「基地の県内移設の流れが強まる」などと評されているが、どんな意味でも、これで沖縄の人民が基地の県内移設を容認したのだなどとは言えない。那覇市長選の結果が示しているものは、人民の怒りを正しくくみ取り組織することのできない既成指導部の無力性ということである。闘う主体の問題が問われているのである。
 堀川候補という「勝てる候補」を擁しながら下からの労働者人民、市民の決起を創り出すことができなかった既成指導部の低迷ぶりはきわまるところまできた。しかし、二十一世紀にも巨大な基地を押しつけられなければならないのか、という人民の怒り・意識はますます強まっている。基地強化・県内移設強行がやすやすと進む展望などどこにもない。沖縄サミットで基地建設の押しつけを強行しえなかったという現実は決定的な意味を持っているのだ。むしろこれから、沖縄をめぐって、沖縄において、従来型の対決構造を超えた本当の大対決が始まろうとしているのである。
 稲嶺県政と岸本名護市長による名護への基地建設受け入れから一年、名護のあの市民投票から三年、そして、九五年の十・二一十万人大集会から五年を迎えたこの時にあたって、われわれは、勝利に責任をとらなければならない存在としての自覚を持ち、これから始まる二十一世紀冒頭の大対決を渾身(こんしん)の力をこめて闘い抜くことをあらためて決意しなければならない。

 II

 那覇市長選挙の結果は、堀川六六、三六二票
翁長七三、五七八票
 その差七、二一六票(投票率六三・五%)であった。
 事前の不在者投票が約一万票あったが、これの大半が自民党陣営による上からの強制的な動員による票であった。これに対する危機感と怒りが広範に存在したにもかかわらず、選挙戦の指導部はこれを投票日前日まで放置した。少なくとも的確に反撃しえなかったし、それを真剣に考えようともしなかった。
 これは、ひとつの戦術問題ではあるが、この中に、本当に勝利のために闘い抜く真剣さがあるのかどうかという問題が秘められている。人民はそれをすぐに見抜くのである。
 これに対して、権力と自民党・公明党の反動勢力は、文字どおり死活をかけてやってきた。
 かりに那覇市長選で敗北を喫するならば、それは事実上、稲嶺への不信任に近い意味を持つ。基地の県内移設路線は完全に破綻(はたん)的となり、名護新基地問題はデッドロックに直面し、稲嶺県政そのものが立ち往生してしまう。それどころか、日帝・森政権は年越しもできないところに追いつめられることが確実であったのである。
 この那覇市長選挙で敗北することは、かろうじて抑え込んでいる大田知事の屈服・敗北以降の沖縄における階級的力関係の激変への決定的契機になりうること、それがただちに全国に波及すること、日帝支配階級はこのことに心底恐怖していたのだ。
 そうした危機感のもと翁長側は、一市長選のスケールを超えて、前回県知事選挙の体制と方法をそのまま展開した。自民党・亀井が沖縄に乗り込み、あからさまに「政府にたてつくものには金は出さない」とふき回った。「翁長選挙を一生懸命やらない企業には仕事をまわさない」という政府、稲嶺体制の企業に対する恫喝と締め付け。そして金に糸目を付けぬやり方とあらゆる物量の投入。公職選挙法違反のオンパレード。「選挙は候補者の人柄でもなければ政策でもない。力だ」と公言し「不在者投票」に名を借りた企業による白昼堂々の強制投票は、まさにその最たるものだった。

 III 

 これに対し堀川陣営の方は、集票や宣伝などのいわゆるオーソドックスな選挙運動においては、はるかに開きのある運動しか展開できなかった。既成政党の力のなさ、無力性が突き出された。しかも彼らは「自らの党利害」のために、その方向でしか動かなかったのである。
 とりわけ同時に行われた那覇市議会補欠選挙にも立候補した日本共産党、社民党のセクト的動きはまさに反人民的なものである。こうした政党レベルでの(自民党・公明党との)力関係の差は終始歴然としていた。しかし今回の那覇市長選挙の勝敗の問題は、そこに一面化しては総括できない。
 事前のマスコミの世論調査が示しているように、自公政権、自公体制や稲嶺県政への人民の拒否反応は顕著であり、いわゆる無党派層といわれる大多数の市民の中では堀川支持は六割にも達し、堀川勝利の現実的条件と可能性は多いに存在していたのである。選挙戦としての力の差、運動量の差から考えれば、翁長七三、五七八票対堀川六六、三六二票、その差七、二一六票というのは、ある意味においては堀川の大善戦と言える。
 不在者投票約一万票の割合は全有権者の四・四%で異常な数字である。それは翁長が猛然と展開した違法「不在者投票作戦」によって起きた現象であり、その大部分が翁長の票である。つまりこの違法「不在者投票作戦」で翁長がかすめ取った票の分だけで、翁長は当選したといえるのだ。
 問題ははっきりしている。
 @今回の結果はけっして自公体制が市民から支持されたなどとは断じて言えないし、翁長が圧倒的に支持されたと言えるようなものでもない。
 A市民全体では堀川支持が多かった。にもかかわらず多くが投票には行かなかった(投票率が七〇%に近づけば堀川が勝っていたというのはそのとおり)。
 B堀川の実体的運動体である(既成)政党と労組(連合)に関して、政党問題よりも重要なのは、連合に関しても、自治労、高教組、沖教組などいくつかの労組のがんばり以外には、「組織推薦」の名とはほど遠い状態であったことである。むしろ、同じ連合傘下の電力労組などが企業ぐるみ、労使一体で翁長支持の運動を満展開していることに「遠慮」している様は、そもそも連合なるものは沖縄の労働者人民の死活のかかった闘いにおいて、むしろその阻害物以外の何ものでもないことをまざまざと示した。
 C選挙戦略の観点でいえば、「圧倒的に堀川支持でしかも大多数である『無党派市民』を投票行動に決起させること」が、まったくかなわなかった。そのための統一的司令部を、市民、労働者人民は持てなかった。既成政党や連合は、その責任をとる者たりえないことがはっきりした。
 労働者人民・市民は、一方では自公体制や稲嶺・翁長の反労働者性や非人間性、ウサン臭さに反発しつつも、他方では既成政党や連合のもとで、堀川支持の意思を表明して行動することもできないという状態におかれたのである。

 IV 

 われわれは今回の那覇市長選挙の結果を見据え、正しく総括し、ただちに闘う態勢をとっていかなければならない。
 第一に、那覇市政が三十二年ぶりに保守反動に奪還されたことの意味は小さくないことを真っ向から見据える必要がある。
 翁長は、那覇軍港の浦添移設を推し進めると公言している。那覇市政の保守化によって起きてくる問題で、直接的に重要なのは軍用地問題である。那覇市はこれまで、市の所有地につてもまた反戦地主の所有地に関する手続きについても一切拒否してきた。この「砦(とりで)」がなくなったのである。反戦地主への攻撃が強まる。
 さらに翁長は、「市役所職員の意識改革をやる」として那覇市職労に襲いかかろうとしている。稲嶺県政と那覇市政を軸にして沖縄闘争の戦闘的な伝統をことごとく解体する攻撃がしかけられてくるのである。これに対して、下からの強力な反撃を対置していかなければならない。
 第二に、既成政党、連合は労働者人民、沖縄県民の未来を託せる存在ではないということがイヤというほど明らかになっている現実に対し、日帝・自公政権や稲嶺体制と対決しこれを打倒できる指導部と運動体を新たに作り上げる闘いに決起することである。
 それは一九九五年九・四事件とその後の五年間の経過が教える総括でもある。
 一九九五年九・四事件と十・二一決起は、一九七二年「返還」以来の反動的な閉塞(へいそく)状況を一挙に突き破るという形で沖縄問題の階級的な本質を衝撃的に突き出した。一九九五年の決起は既成指導部の存在と反動的指導にもかかわらず起こった。それが意味するのは、彼らにはもはや労働者人民の指導部を名のる資格も権利もないということである。
 十年も前に完全転向した社民党は言うまでもない。今、人民の眼前で改憲勢力の一員に転落しつつある日本共産党は、スターリン主義反革命として徹底的に弾劾されなければならない。
 これらの勢力は確かに単純に一掃できるものではない。だがしかし、これをのりこえる新たな闘う指導部と運動体を作ることができなければ、いかに沖縄人民の歴史的怒りが膨大に存在しようと、いかに敵がグラグラになろうと、勝つことはできないのである。
 第三に、当面、名護十二月攻防と年明けの那覇軍港浦添移設をめぐる政治決戦としての浦添市長選挙に死力をつくして決起することである。
 那覇軍港の浦添移設と普天間基地の辺野古移設は「現代の琉球処分」・SACOの基本柱であり、二十一世紀の日帝の存立そのものがかかっている攻撃である。これをめぐる本格的な攻防がいよいよ改憲決戦と一体となって始まるのだ。
 全労働者人民が本当に主体的に、自己解放的に決起するならばわれわれは勝てる。その究極的なカギは既成左翼をのりこえた真の労働者党を建設することにある。われわれはその党たらんとするものである。全人民は革共同に結集しよう。

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週刊『前進』(1986号5面2)

自由人権協会が意見書 “速やかに釈放決定を”
 須賀・十亀・板垣・福嶋 4同志への長期勾留を批判

 十一月二十四日、自由人権協会は、須賀武敏、十亀弘史、板垣宏、福嶋昌男四同志の長期勾留を批判し、即時釈放を要求する「東京地裁による不当な長期勾留についての意見書」を出した。この日、協会代表理事のひとりである内田剛弘弁護士と事務局長の飯田正剛弁護士が東京地裁刑事一一部と三部に直接赴き、意見書を提出するとともに、引き続いて司法記者クラブで記者会見を行った。
 意見書は、次のように不当な長期勾留を批判し、即時釈放を要求している。 
 「検察官は起訴の段階において必要な証拠を収集しているはずで、そうであれば、七年ないし十三年以上の歳月を費やし、多数回におよぶ公判での立証活動を行っても、なお検察官において被告人らと事件との結びつきに関する立証のめどがつけられないというのであれば、もともと証拠が極めて希薄であったからに他ならないとも考えられます。憲法および国際人権規約は、このような場合に、被告人らに長期の拘禁の負担を課すことを容認するものではありません。本件では、一般の目から見れば、被告人らの勾留が『不当に長くなったとき』に該当し、保釈を許すべき場合であることは明らかです」「よって、弁護人らから勾留の取消または保釈の請求があった場合には速やかに身柄を釈放する旨の決定をされるよう意見を述べます」。
 自由人権協会は、一九四七年十一月に設立された社団法人で、人権問題に関して様々な意見を表明し、社会的に大きな権威をもっている団体である。
 この意見表明は十月五日の「不当な長期勾留をやめさせるために! 十万人保釈署名運動」の自由人権協会に対する申し入れによって実現した。また、十一月六日には須賀、十亀、板垣三同志の保釈請求が行われ(福嶋同志については十一月二十九日に請求)、九日には「十万人保釈署名運動」が裁判所に対し申し入れ行動を行っている。こうした一連の四同志保釈・奪還にむけた闘いのうねりの中での自由人権協会による意見書発表となった。
 須賀、十亀、板垣、福嶋四同志の超長期不当勾留問題が、いよいよ社会問題として取り上げられ、「直ちに保釈し、人権侵害に終止符を」という大きな世論が形成される突破口が切り開かれたのである。
 裁判所が追いつめられていることは間違いない。この意見書を闘いの武器とし、十万人保釈署名運動のさらなる大衆的うねりをつくりだそう。そして、なんとしても四同志の保釈・奪還をかちとろう。

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週刊『前進』(1986号5面3)

12・19使用済み核燃料搬入阻止へ
核武装のための六ヶ所再処理工場建設許すな

 日本原燃は、十二月十九日から全国の原発の使用済み核燃料を青森県六ケ所村に本格的に搬入すると発表した。年度末までに福島第二原発の三十三dを始め女川・東海第二・浜岡・伊方・川内(せんだい)などの原発から計九十七d、二〇〇五年の再処理工場操業までに全国の原発から千六百dもの大量の使用済み核燃料を六ケ所村に運び込むというのだ。この暴挙を断じて許してはならない。
 世界大恐慌の切迫、日米争闘戦の激烈な展開の中で、日帝は朝鮮・中国―アジア侵略戦争にますますのめり込みつつある。新ガイドライン体制のもとで臨検法を強行成立させ、改憲―有事立法・教育基本法改悪攻撃を全面的に激化させながら、同時に独自の核武装化攻撃を一挙にエスカレートさせている。従来の電源三法交付金に加え、補助金バラマキをえさに原発・核施設の推進を狙う原発立地振興特措法の成立の強行。そして新原子力利用長期計画での「もんじゅ」の早期再開宣言。東海村再処理工場の運転再開。二人の労働者を虐殺し、多数の住民を被曝させたJCO臨界事故を完全に居直り、核燃サイクルをどこまでも続行しようというのだ。
 米・英・仏の帝国主義、旧ソ連、中国スターリン主義などの再処理工場は、核兵器原料のプルトニウムを抽出するために開発され、稼働されてきた。年八百dの使用済み核燃料を再処理する六ケ所大型再処理工場も、「平和利用」の仮面をかぶっているが、核武装を目的とする核軍事工場であることは明白である。
 核事故の中で最も恐れられているのが、再処理工場の事故だ。死の灰がぎっしり詰まった使用済み核燃料の輸送・搬入・貯蔵・再処理・抽出・核廃棄物貯蔵などの全工程は、重大事故の危険に満ち満ちている。
 使用済み核燃料輸送容器の定期検査遅延・でたらめな管理の発覚、使用済み核燃料貯蔵プール用冷却ポンプの全面停止、再処理工場建設現場での火事発生、三沢米軍基地のF16戦闘機の衝突・墜落(十一月の北海道沖での日米共同統合演習)など、壊滅的核事故をほうふつとさせる事態がすでに連続的に起きている。
 再処理工場はプルトニウム抽出を目的に膨大な放射能を扱う危険極まりない化学工場である。ヨーロッパ中央部で冷却関連の再処理事故が起きた場合、数千万人もの死者が出ると言われている(旧西独のIRS-290報告)。六ケ所再処理工場の場合も例外ではない。青森県はもとより日本全土が大量の強烈な放射能禍に襲われ、想像を絶する多数の犠牲者が出る。労働者の現在と未来が徹底的に破壊され、修復不可能な状態が現出する。それのみかアジア・世界の人民の上にも死の灰を降らせ、深刻な事態を引き起こすのだ。
 六ケ所村では、これまでの再処理工場、ウラン濃縮工場、高・低レベル核廃棄物貯蔵施設の核燃四点セットのみならず、破産したむつ小川原開発の膨大な土地利用としてMOX燃料加工工場や炉内廃棄物埋設施設、核融合施設などの核関連施設の立地や液化天然ガス(LPG)火力発電所の進出、液晶関連産業誘致などの計画も持ち上がっている。
 とくに看過できないのは、四千b級滑走路二本を持つ二十四時間離発着可能な国際貨物空港構想さえ浮上してきていることだ。新ガイドライン体制のもと、三沢基地を軸とした一連の軍事基地群と六ケ所核燃施設群の中で、この巨大空港の軍事的・核軍事的意味は明白である。六ケ所村を日帝のアジア侵略と侵略戦争(核戦争)の一大出撃拠点にするこの攻撃を徹底的に粉砕しなければならない。
 日帝の核武装化を阻止するため、地元六ケ所住民と青森の労働者人民は、使用済み核燃料搬入に向けた安全協定締結阻止闘争を闘い抜き、十九日の使用済み核燃料搬入阻止の闘いへの決起を全国の人民に熱烈に呼びかけている。日本帝国主義打倒! 反戦・反核の旗を真っ向から掲げ、再処理工場建設阻止・使用済み核燃料搬入阻止の闘いにともに立ち上がろう。

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週刊『前進』(1986号5面4)

2000年日誌 阻もう! 戦争への動き 11月29日〜12月5日
 臨検法、原発措置法が成立 防衛庁と警察の連携で協定

●代替協、沖合建設を報告
沖縄の米軍普天間飛行場の代替基地について話し合う代替施設協議会で、政府は、移設先の周辺地域に騒音被害が及ばないためには、代替基地を少なくとも一・一`以上沖合に出す必要がある、などとした予測調査の結果を報告した。騒音予測では、米海兵隊が配備を予定しているMV22オスプレイは設定していない。(29日)
●PKO武器使用の緩和をと鳩山 民主党の鳩山由紀夫代表が「平和執行型の強制力が強いPKO(国連平和維持活動)に対しても、日本は道を開いていくべき」「国連では任務の遂行を邪魔された時はそれを排除するための武器使用が許されている。平和回復のためのPKOとなると、日本の武器使用の考え方も国連の解釈のようにすべきではないか」「平和執行型のために柔軟な武器使用があるべしとなれば、憲法改正の議論が必要ではないか」などと述べた。(29日)
●来年夏までに普天間代替基本計画と政府 政府は普天間飛行場の代替施設の建設位置と工法などの基本計画を来年夏までに策定する方針を固めた。(29日)
●民主党が緊急事態法を提唱 民主党の緊急事態法制検討プロジェクトチームが「国家緊急事態基本法」(仮称)制定などを盛り込んだ中間報告をまとめ、ネクストキャビネットに報告した。緊急事態には首相が「非常事態」を宣言して国民や自治体の権利を制限することや陸上自衛隊による重要施設警備などの「領域警備」の新設、有事法制の整備などを提唱。(30日)
●臨検法が成立強行 参院外交防衛委員会、本会議で臨検(=船舶検査)法案の採決が強行され、与党三党と民主党などの賛成多数で可決、成立した。(30.日)
●衆院憲法調査会に石原が出席 衆院憲法調査会が石原慎太郎都知事とジャーナリストの桜井よしこを参考人に開かれた。石原は「国会で憲法を否定したらいい」などと発言。(30.日)
●国民会議最終報告が教育基本法見直し明記へ 森首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」が、十二月二十二日に提出する最終報告で、教育基本法の見直しを求める方針。(30.日)
●原発振興特措法が成立
「原子力発電施設等立地地域の振興に関する特別措置法」が衆院本会議で自民、公明、保守、自由の各党などの賛成多数で可決、成立した。(1日)
●臨時国会が閉会 第一五〇臨時国会が、永住外国人地方選挙権付与法案などを継続審議にすることを決めて閉会した。(1日)
●自由党が改憲指針 自由党が改憲の指針「新しい憲法を創る基本方針」をまとめた。九条について「自衛隊の権限と機能、首相の指揮権を憲法に明記」「国連を中心としたあらゆる活動に参加。国連警察機構(国連常備軍)創設を積極的に提唱する」としている。(2日)
●「PKO、治安目的なら武器使用も」と菅 民主党の菅直人幹事長はPKOへの参加について「自衛隊が戦闘目的ではなく、治安目的なら参加五原則とは違う原則の中で出て行ってもいいのではないか」と述べ、「武器使用をある程度認めることがあってもよい」との考えを示した。(2日)
●防衛庁と国家公安委員会が新治安協定を締結 防衛庁と国家公安委員会は、治安出動の際の自衛隊と警察との連携についての「治安の維持に関する協定」を四十六年ぶりに全面改定した。自衛隊は後方で警備を担うとされていたのを、新協定では場合により警察と協力して「治安を侵害する勢力を鎮圧する」とし、治安出動発令前の協力も盛り込まれ、自衛隊がより前面に出る内容。(4日)
●「部隊行動基準」作成を指示 防衛庁は、統合幕僚会議と陸海空の各幕僚監部に対し、日本有事の際の部隊の行動の限度を示す「部隊行動基準」の作成を指示した。行動基準は米軍などのROE(交戦規則)に相当するもので、全自衛隊で作るのは初めて。(4日)
●防衛施設庁がサンゴ・藻場を補足調査 防衛施設庁は、名護市辺野古沿岸海域でサンゴ・藻場の補足調査を今月中旬から三カ月間実施すると発表した。調査範囲は米軍キャンプ・シュワブに隣接する大浦湾から宜野座村松田の潟原周辺までの約三千五百f。(4日)●第2次森改造内閣が発足
 森喜朗首相は一月からの中央省庁再編に備えた内閣改造を行い、公明、保守の両党との連立による第二次森改造内閣を発足させた。(5日)
●「改憲ありうる」と高村法相 高村正彦法相は、就任会見で、改憲について「時代に合わなくなっているものがあれば、改正は十分にありうる」と述べた。(5日)
●町村文相が教育基本法の全面改悪の意向示す 町村信孝文相は、教育基本法について「字句の修正より、新しい法律に書き換えるとの心構えでやった方がいい」と述べた。(5日)

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週刊『前進』(1986号6面1)

新刊紹介 高田隆志著『日本共産党―改憲派への転向』 スターリン主義反革命の末路
 歴史的転向の全貌暴く 本書武器に日共打倒へ  

 高田隆志同志著『日本共産党―改憲派への転向』が刊行された。二十世紀最後の年を勝利的に総括し、革命の二十一世紀への跳躍を誓うにふさわしい攻勢的なイデオロギー闘争の書であり、日共スターリン主義打倒への総進撃宣言である。
 革共同は、九一年の五月テーゼ以来、一九全総−二〇全総路線のもと、スターリン主義反革命との対決を階級闘争の正面課題にすえ、日本共産党批判を本格的に強化してきた。九三年の高田同志著『日本共産党の総破産』、九九年の川武信夫同志著『安保・戦争を容認した日本共産党』の理論的成果と実践的蓄積を引き継いだ本書は、日共批判の内容的深化をもう一段推し進めるものだ。
 しかも今回の本書は、歴史的な大転向を表明した十一月の日本共産党第二二回党大会をもろに直撃する形で刊行され、その大転向の中身にいち早く痛烈なパンチを加えたきわめてタイムリーな企画となっている。
 本書の刊行と相前後して、二二回大会最終日に新指導部人事が発表され、不破哲三委員長が議長に、志位和夫書記局長が委員長に移行し、新書記局長には市田忠義書記局次長がなった。さらに、三年以内の党綱領改定が打ち出された。しかし、そうした新事態を基本的にすべて織り込みずみのものとして、本書の内容展開はなされている。

 日共の破産と転向の総体を批判・断罪

 本書をもって直ちに広範に労働者人民の中に分け入り、大胆に率直に本書の購読を訴えよう。労組オルグの武器、党派闘争の武器として実践的に活用しよう。
 本書は、次の諸点で迫力ある徹底した日共批判・スターリン主義批判となっている。
 まず第一に、日本共産党の現時点の最新の動向を的確にとらえ、その今日的な腐敗・裏切り・転向の本質と根拠を階級的怒りを込めて突き出している。二二回大会での「有事の自衛隊活用」「日本国民の党」規定を始め、それに先立つ「暫定政権」論、「資本主義の枠内での改革」論、「安保凍結=容認」論、天皇制・「日の丸・君が代」承認論、「日本改革」論、「独自のアジア外交」論など、この間の一連の転向ぶりを示す彼らの主張やキーワードを一つひとつ丹念に批判しきっている。そして相次ぐ転向路線の打ち出しが、すべて「よりによってこの決定的な時点で」と言うべき重大な階級攻防の結節点での意識的な反革命としてなされていることを鋭く暴き出している。
 第二に、それにとどまらず、日本共産党の歴史的・総体的な全面批判となっていることだ。何よりも、日本共産党を〈破産したスターリン主義〉ととらえ、〈帝国主義の最後の番兵〉として労働者人民の革命的決起に敵対するスターリン主義反革命として見すえ徹底的に打倒すべきだという視点が全編に貫かれている点に重みがある。
 第三に、本書全体が、日本共産党との対比において革共同自身の基本路線と戦略的総路線、時代認識と情勢認識の積極的内容展開となっており、また新潮流運動促進論・革命的大衆闘争組織論と党建設論、総じて革命的な二十世紀総括・二十一世紀論としての意義を併せ持っている。したがって、これは同時に強烈なカクマル批判論でもある。

 22回大会議案へのタイムリーな批判

 本書は序章と第一章から第六章までの七章構成。それに「はじめに」と「あとがき」が加わる。きっちりとした構成と平明な文章、全体が二百四十ページという手ごろな分量であることも含めて、読みやすくわかりやすい。
 以下、各章の概要と特徴を挙げよう。
 序章は、短いながら日本共産党二二回大会議案そのものの批判である。本書の執筆・製作中の九月半ばに日共七中総(第七回中央委員会総会)が開かれ、二二回大会の議案が発表された。本書は急きょそれを序章に反映させている。本書の表題が『日本共産党――改憲派への転向』とされたことにも明らかなように、これによって本書全体がよりホットでタイムリーな企画となっただけでなく、日本共産党の歴史的大転向の意味が一層鋭く明確に突き出されることになった。
 改憲・有事立法攻撃が国会内外で吹き荒れている真っただ中での「有事の自衛隊活用」(大会決議では「急迫不正の主権侵害の場合」と手直し)の提唱という決定的事態をとらえ、これを日本共産党の憲法九条解体=改憲翼賛派への転向宣言と断じきったこと、従来の党規約前文の削除と「労働者階級の前衛政党」規定の「日本国民の党」規定への転換という規約全面改定の超反動性を本書の冒頭で突き出したこと――これらが何よりも本書の理論的・実践的鋭さを表している。「彼らは、議席が『躍進』したと言ってはより『現実的』な右翼路線に転落し、選挙で惨敗したと言ってはより『責任政党に』と右翼路線を強める」という序章の指摘は、危機を深める帝国主義の救済者として延命を図る日共スターリン主義の行動原理を見事に言い表すものだ。
 第一章以下は、「唯一の護憲派」を自称してきた日本共産党の改憲派への転向を導いたその歴史的経緯と根拠を、主要ないくつかの論点、彼らの具体的言動に即して詳しく暴露し断罪する内容展開となっている。
 第一章「連合政権構想の破産」は、六月衆院選の敗北が意味するものとその後の日本共産党の反革命的取り戻しのあがきに焦点を当て、いわば二二回大会に至る必然的根拠・背景要因の分析を行っている。第二章とともに本書全体の総論部分と言ってもいい。
 第二章「安保容認―改憲容認の転向路線」は、九八年秋の三中総=「安保凍結」路線が九九年五月の新安保ガイドライン関連法成立への直接的橋渡しを意味する意識的準備であったことをえぐりだす。ガイドライン協力派への転落(第一節)や沖縄サミットの翼賛(第二節)など、この一年間の反動的踏み込みを断罪する。さらに、従来の「安保廃棄」論そのもののインチキ性を暴く(第六節)。
 第三章「体制擁護の『資本主義の枠内』路線」は、九四年の二〇回大会以来路線化された「資本主義の枠内での改革」論がその後どのような展開を遂げたかを探り、具体的に突っ込んで批判している。特に政策提言の「財政再建」論(第二節)や「解雇規制法」制定要求論(第三節)、また介護保険推進論などの反動性・空論性・反階級性を暴き、彼らの狙いが労働者階級の階級的闘いの抑止(スターリン主義的予防反革命)にあることを実証的に明らかにしている。
 第四章「国鉄決戦への裏切りと敵対」は、正念場にある国鉄決戦への日共・革同上村派の裏切りと敵対を満身の怒りを込めて断罪した章である。「階級政党」から「国民政党」への転換を図ったこの党の労働者階級への不信と敵対の姿が浮かび上がってくる。

 革共同の労働者党としての登場宣言

 第五章「日帝のアジア侵略への協力」は、第六章とともに独特の政治的・理論的重要さをもった章である。
 日共の韓国・金大中政権支持と北朝鮮非難、中国・江沢民政権との関係修復、不破らのアジア歴訪(九九年九月)をとりあげ、その「独自のアジア外交」の主張と行動が完全に日帝のアジア勢力圏化攻撃の反米愛国主義的な代弁・代行(「新大東亜共栄圏」論の提唱)であり、帝国主義的排外主義そのものであることを明らかにする。同時に、残存スターリン主義の中国・ベトナムの美化をもってソ連崩壊以後の自己のスターリン主義としての破産をとりつくろおうとする反動的あがきであることをも突き出す。
 第五章で特に重要なのは「永住外国人の地方参政権」問題との関連で排外主義の扇動者・入管体制の補完者としての日共スターリン主義の本質を弾劾していること(第六節)だ。彼らの憲法論における「国民主権=国家主権」論が在日朝鮮・中国−アジア人民に対する徹頭徹尾排外主義的な論理であることを明らかにした点でも決定的である。
 第六章「プロレタリア革命の破壊」は、以上の諸章の総括として、綱領次元での日共の転向をあらためて歴史的に総ざらいする。
 彼らの党的根幹にある六一年綱領とは何であり、九四年の綱領改定は何であったか。それらの考察をとおして今二二回大会決議案での踏み込みと九四年綱領再改定の必然性について明らかにする。帝国主義の最後の番兵となって必死に延命しようとあがく最悪のスターリン主義反革命=日共――それを象徴的に示す不破によるレーニン国家論・革命論の解体作業を第四節でとりあげ、彼らの基軸的な主張である「議会の多数をえての革命」論を完膚なきまでに粉砕している。
 このように本書は、日本共産党の全面的批判をとおして、プロレタリア革命の立場に立った二十世紀総括と二十一世紀展望の積極的提示という内容を持った画期的な著作である。日本共産党をあらゆる戦線から放逐し、革共同こそが労働者人民の党として登場する時であることを宣言する本として、一刻も早くあらゆる職場・学園・地域に持ち込み、日本共産党打倒の論議を大胆に展開しよう。

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週刊『前進』(1986号6面2)

「沖縄イニシアチブ」批判〈下〉
新たな沖縄戦への道を積極的に肯定する提言
 前田 智

 「3『沖縄イニシアチブ』の発揮」

 この章で、執筆者たちは、日米安保の役割の評価を表明し、「国連を介するぎりぎりの選択としての軍事力の行使は必要」であるとして、米軍基地問題は、「その効果的運用と住民生活の安定をいかに矛盾なく調整できるか」が課題だとしている。
 そして、沖縄は「『新しい日本』に帰属しつつ自己責任を果たす覚悟が必要」とし、「『沖縄イニシアチブ』という概念は、アジア太平洋地域が内包する様々な『歴史問題』を、沖縄というソフトパワーを足がかりにして、その解決方法を模索する我々の自覚および責任のことである」としている。
 まず第一に、いったいいつから、沖縄の基地問題は「歴史問題」になったというのか。現に今この瞬間にも、沖縄の米軍基地は侵略戦争の演習を連日行い、いや実際に戦場に赴きアジア人民に対する殺りくを繰り返している。沖縄人民の生活を日々破壊し、命を脅かしている「基地問題」は「歴史問題」であって、現在に生きる沖縄人民とアジアの人民にとってはまったく何の問題も存在しないというのか。
 また、この「基地の島」の現実に対する沖縄人民の怒りを「地域感情」というのは何を意味するのか。そもそも現実の関係が存在するからこそ、いわゆる「地域感情」が発生するのであって、問われていることは「基地の島」の現実を変革することである。しかし、執筆者たちは、これを帝国主義の立場から見下し、これを粉砕すべきもの、「普遍化」すべきものと主張しているのである。
 そしてそれを「アジア太平洋地域や世界のために」普遍化するということは、帝国主義のアジア支配―世界支配を承認し、そのための沖縄基地をすべて容認することを意味するのだ。
 第二に、したがって執筆者たちは、帝国主義による世界支配―アジア支配、日米安保同盟によるアジア支配を全面的に承認し、これを美化するためにこそ「基地問題」に言及する。
 日本帝国主義の「安全保障」のためには、日米安保と沖縄米軍基地の存在は積極的意味を持つだけでなく日帝自身が「国連を介する軍事力の行使」を断固として行うことが必要である、との主張である。
 これはまさに、今日、九九年ガイドライン法制定を始めとする攻撃で、日帝が戦後的諸制約を次々と突破していることを積極的に肯定し、賛美する「理論」である。そしてそこから、沖縄は「安全保障に大きく貢献する地域」であると主張するのである。
 さらに第三に、執筆者たちは沖縄人民に対して、「新たに構築されるべき日本の国家像」に「帰属しつつ自己責任を果たす覚悟」を要求するが、これは日本帝国主義の新たなアジア侵略戦争を担う覚悟を決めるべきだという主張である。すなわち、「歴史問題」にもとづく「地域感情」を「普遍化した」沖縄こそ、日帝のアジア侵略と侵略戦争の最先兵たりうる、という主張である。
 「沖縄イニシアチブ」とは、「沖縄が先頭に立てばもっとうまく日帝のアジア侵略と侵略戦争は可能である」と日帝に対して提言し、沖縄人民にこの道を進むことを要求することなのである。
 しかしこれは、沖縄人民への新たな皇民化攻撃であり、「琉球処分」以降の戦前の沖縄が歩んできた道の再来であり、その行き着く先は第二の沖縄戦でしかありえない。

 侵略の先兵宣言

 この「沖縄イニシアチブ」の持つ位置・意味を今日の世界情勢とその中での沖縄闘争の切り開きつつある地平との関係でとらえ返すならば、その意味は一層明らかになってくる。
 ソ連スターリン主義の崩壊を契機とした九〇年代の内外情勢のもとで、日米矛盾の激化がさしあたって日米安保同盟の強化、日本帝国主義の軍事大国化=自衛隊強化として進行し、その一切の矛盾が沖縄基地強化として沖縄人民の上にのしかかってきた。
 その一方で、九〇年大田革新県政の誕生以降、七二年五・一五ペテン的「返還」から二十数年を経てもなんら変わらない基地の島として、五・一五体制に対する幻想は百パーセント吹き飛んでいた。
 九五年九・四事件から十・二一の十万人決起をもって開始された「新たな人民反乱」とは、「基地の島」の現実と五・一五体制への根底的な変革を要求する闘いの開始であるが、それは同時に、帝国主義の基本矛盾が第三次世界大戦として爆発していく過程が開始されようとしていることに対する沖縄人民の反乱なのである。
 本来七二年五・一五ペテン的「返還」をもって解決したはずだった沖縄問題が、現実には解決不可能であることを突きつける事態が九五年から始まったのである。
 それは沖縄人民にとっても、「祖国復帰闘争」と日帝のペテン的な七二年「返還」の中で、「祖国」の実態とは何であるのかがきわめて鮮明になったということなのだ。つまり、「安保と基地の犠牲を押しつける『祖国』とは何か」「沖縄が日本であり続ける必然性があるのか」ということがあらためて現実的な問題となったのである。
 執筆者たちは、要するに「沖縄の帰属問題は七二年返還で決着がついており、その枠内で物事を考えるべきだ」と主張しているのである。しかし現実はまさにこの「帰属問題」こそが問題となっているのだ。
 「沖縄イニシアチブ」とは、第一には、日帝が独自の朝鮮・中国−アジアヘの侵略戦争へと突き進んでいく以外に延命の道はないことを積極的に肯定し、完全に日帝の先兵となるという自覚に立って打ち出されてきたものである。したがってこれは沖縄の歴史と沖縄人民の生活と闘いの経験の中から出てきたものではなく、むしろこれを徹底的に歪曲し、否定するために出されたものなのである。
 第二には、軍事基地を沖縄側から「沖縄の歴史を踏まえて」積極的に肯定する論理としてもちだされたこの提言は、帝国主義に屈服しなければ生きられないという意味でも、帝国主義に寄生して繁栄しようという意味においても、これまでの基地賛成論と本質は同じであると言える。

 自覚的な反動

 第三に、沖縄が帝国主義にとってどんなに重要かを認識して、沖縄側から主体的に対応していこうというのがこの提言の実践的結論となる。
 その場合、沖縄人民が「日帝の先兵=アジア人民への敵対」の側に立つことを自覚的に宣言していることが決定的な意味を持つ。
 このような提言が沖縄から出されるという現実は、日帝の体制的危機の恐るべき進行とアジア侵略戦争への激しい衝動であり、一方で九五年十・二一以来の「新たな人民反乱」をいまだ制圧できないという日帝の沖縄政策の最後的破産の危機を示している。
 主体的にとらえるならば、沖縄闘争の前進(非和解的対決の深まり)がこのような提言を生み出したのであり、この提言に対する大衆的批判の噴出がその破産を事実上刻印している。
 そしてこの提言の核心問題が「沖縄の帰属問題」であり、それは日帝と沖縄との関係の根底的変革として問題が提起されている以上、この提言に真に階級的な批判を行い、これを粉砕していく綱領的立場こそ沖縄奪還綱領なのである。
 日帝の沖縄差別政策の先兵として、新たな沖縄戦への道を積極的に肯定する「沖縄イニシアチブ」を徹底批判し、粉砕しなければならない。今こそ、「米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」の勝利の道を突き進まなければならない。    (おわり)

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