ZENSHIN 2000/11/13(No1981 p08)

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週刊『前進』(1981号1面1)

革共同の11月アピール
国労大会 四党合意を三度阻む
階級的団結と国際主義的連帯で闘う労働者党の建設推進しよう
 森政権打倒、臨検法案阻止を

 十月二十八〜二十九日に開かれた第六七回国労大会において、不屈の国労闘争団・家族を先頭とする組合員と労働者人民の歴史的決起がかちとられ、三たび「四党合意」の採決を阻止する偉大な勝利の地平が切り開かれた。これは七・一臨時大会―八・二六続開大会における「四党合意」阻止の闘いを引き継ぐものであるだけでなく、七・一―八・二六の地平をも超えて、国鉄闘争を新たな段階へと押し上げていくものとなった。八・二六以降の「一票投票」と代議員選挙などの過程で闘争団・家族に加えられたすさまじい圧力や攻撃、闘争団と国労の階級的魂を打ち砕こうとする密集する大反動をぎりぎりのところから跳ね返し、「四党合意」の大会決定にやみくもに突っ走るチャレンジや革同上村一派のあまりの不正義に対する怒りが、腹の底から噴出したのである。この感動的な勝利と十一・五労働者集会の地平を引き継ぎ、さらに国鉄決戦勝利、亀裂と崩壊的危機に突入したカクマル=JR総連打倒に決起しよう。そして腐敗と政権存亡の危機にあえぐ超反動=日帝・森と対決し、改憲阻止・臨検法案粉砕、名護新基地建設阻止へ闘いぬこう。

 第1章 カクマル=JR総連の危機と対極の勝利

 十・二八|二九「四党合意」阻止の勝利は、会場内外一体となった闘いによって実現された。闘争団と国労共闘を始めとする戦闘的国労組合員、さらに労組交流センターを先頭とした支援の労働者人民が渾身(こんしん)の力をふりしぼり、一体となって闘い取ったものなのだ。国鉄決戦を軸に生み出された階級的連帯の力が、密集する反動の中で強化され、敵の大反動をぶち破ったのである。
 「四党合意」の大会決定強行の策動、いやそもそも「四党合意」の攻撃のもつ反階級性からして、大会での全面激突は、七・一―八・二六を見れば分かるように不可避なものだった。これに恐怖した宮坂・上村らは大会決定強行のためにあらゆる圧殺攻撃を試みて、闘争団と戦闘的国労組合員、ひいては全労働者を絶望の淵(ふち)にたたき込もうとした。だがそれは逆に、非和解的に激突して大会決定を阻止する力、支援をふくめた「四党合意」粉砕の強力な階級的隊列をつくり出したのである。
 しかもこの「四党合意」阻止の闘いは、カクマル=JR総連の空前の組織的危機の爆発という情勢の対極において、鮮やかな階級的闘いの勝利としてかちとられたのである。国鉄分割・民営化以来の闘争団を始めとする千四十七人の不屈の闘いは、大情勢の危機と重なり合って勝利し、他方、カクマル=JR総連のファシスト労働運動は、松崎=黒田の路線的大破産となって爆発し始めたのだ。
 「四党合意」の強行を阻止した意義は実に大きい。日帝・資本によるリストラ・大失業、賃下げ、配転などの一大資本攻勢の嵐(あらし)の中で苦悶(くもん)し苦闘する労働者階級全体にとって、゛闘わなくては生きていけない゜゛闘い続ける中に階級の未来がある゜ということを鮮明に示したのである。どんなに絶望的に見えても、敵が強大であっても、反動が密集して押し寄せても、団結し連帯して闘いぬけば、それを跳ね返し、勝利の展望をつかむことは可能だということが示されたのである。労働者階級がその自己解放性を発揮して立ち上がった時、「資本主義にノー」という階級的闘いが、労働者階級の巨大な決起の力となることをつかんだのだ。革命的大衆行動のもつすさまじい威力が、現実を覆す力となって永続的発展を開始した。
 わが革共同は必ずその先頭でともに闘うことを誓い、国鉄決戦勝利へ、なお一層の闘いへの決起を訴える。

 第2章 世界史は激動期へと大きく転回し始めた

 日本階級闘争における国鉄決戦と沖縄闘争を軸とした大激動、大高揚の始まりは、世界史が激動期に向かって大きく動き出したことを示す一端であり、同時にその最先端をなすものである。
 二〇〇〇年もあと二カ月、時代は新たな幕開けを告げようとしている。戦争か革命かの新たな時代の入り口、革命的情勢への急速な接近過程に、今われわれは生きている。労働者階級と、闘う人民が主人公となる時代が到来しようとしているのだ。もちろんここでの勝利は生やさしいことではなく、すさまじい鉄火の試練をくぐり抜けることなしにかちとることはできない。
 世界史的大激動の到来を規定しているのは、帝国主義とその世界体制の危機、帝国主義の基本矛盾が全面的に爆発を開始していることである。その第一にして基底にあるものこそ世界経済情勢だ。
 二十一世紀を迎えようとしているこの時、世界経済はあたかも二九年型世界大恐慌の前夜のような切迫した危機的展開の渦中にある。世界的規模での過剰資本・過剰生産力の重圧という問題はいかんともしがたくのしかかっている。

 米帝バブルが崩壊へ

 この間、世界経済をかろうじて支え危機の大爆発をのりきってきた米帝バブル経済も、ついに二〇〇〇年に入って破綻(はたん)と陰りが本格化し、後半過程でそれが大きく露呈し出している。
 労働需給のひっ迫情勢はインフレ圧力としていよいよ強まりつつあり、企業収益の減退や原油高がさらにのしかかっている。原油先物取引市場には投機を求めた百億jと言われるマネーが流れ込んで、株式投機から商品投機へとバブルが最末期に向かって動き出していることを示している。したがって、原油生産拡大などで簡単に価格が下がるはずもなく、世界経済全体、米帝、欧州帝、日帝を締め上げているのである。さらにユーロ安も歯止めがかからない。
 この情勢と対決する労働者階級の熱い闘いが開始されている。八月から十月にかけてロサンゼルスのバス・地下鉄・自治体労働者がストライキに決起(九万人の職員の半数が参加)した。ニューヨーク州では教育労働者三千七百人がストライキに立ち、大手防衛産業やイリノイ州のバス運転手組合、サンフランシスコの看護婦組合などもストライキを闘いぬいた。まさに「近年にない頻度でのスト」が闘われているのである。
 この賃上げ圧力は当然にも巨大で、原油高と相まって資本の企業収益をいよいよ圧迫するものとなっているのだ。
 東証株価は九月下旬に一万六千円を割り込み、十月下旬には一万五千円を割ってしまった。ニューヨーク市場の急落に連動して、この間の外国人投資家の売り越しが続いてのことである。損益分岐点が一万五千円とされ、一万四千円を割ればその下をいく事態に突入する。
 そごうやゼネコン、千代田生命や協和生命の倒産は日帝の恐慌の深刻さを示している。国と地方を合わせた借金が今年度末には六百四十五兆円になるなど、日帝は国家的破産の状態に陥っている。九八年以来の国家財政のカンフル的投入、恐慌対策的財政支出によってかろうじて支えてきた結果がこれなのだ。あとは大増税と福祉切り捨て、国債の日銀引き受け、インフレ政策、軍需生産と戦時経済への転落しかない。
 ここから日帝の資本攻勢がますます激化している。九月の完全失業率は四・七%(季節調整値)となり、三カ月ぶりの悪化、完全失業者数も三百二十万人となり、五カ月ぶりの増加を示した。完全失業者のうちリストラなど非自発的離職者は九十九万人(前年同月比一万人増)にも達する。
 こういう状況だからこそ、国鉄闘争とりわけ千四十七人闘争防衛の闘いは、日帝の資本攻勢、国家的不当労働行為との闘いの中心として、いよいよ重要になっているのだ。
 他方で、こうした日帝の体制的危機が、日帝・資本とJR総連=カクマルの軋轢(あつれき)と激しい摩擦を生み出した。そして国鉄決戦の勝利的前進が、カクマル=JR総連の反革命的裏切りの不正義性を暴き出した。この中で、第二の分割・民営化攻撃とも言うべきメンテナンス部門の全面外注化やシニア協定の強行への屈服、この大合理化にJR総連=カクマルの身内そのものをも差し出せという事態となるに至って、JR総連からの大量脱退が始まったのだ。国鉄決戦は、JR総連=カクマルの解体・打倒と一体のものである。
 アジアの金融・株式市場は九七年的情勢へ再び向かっている。ASEAN諸国も含めてアジア市場は年初来最安値を更新し続けている。とりわけ台湾と南朝鮮・韓国は深刻である。今やIMFの支配下にある韓国は、九七年危機に乗じた欧米資本の草刈り場と化し、その債務残高は再び九七年末に近づいている。韓国は「経済回復」と言われているが、その実態は、民族系資本の欧米資本による整理・再編であり、大合理化の嵐である。
 ソウルで開かれたASEM(アジア欧州会議)に抗議し、民主労総を先頭とした労働者二万人が決起した。それは生きるための階級的決起である。金大中政権はこうした国内危機の突破もかけて南北首脳会談に向かったのだ。
 インドネシアでは石油の一二%値上げ(かつてスハルト打倒の直接の原因となった!)を決め、フィルピンは大統領汚職問題もあってペソが暴落を続けている。アジア経済危機の再びの爆発は、確実に世界大恐慌への要因となっていく。

 体制危機と人民決起

 二十一世紀に向けた世界史的激動期の到来を規定している第二のものは、米帝の唯一圧倒的な軍事力を軸にした戦後の世界支配体制の崩壊的危機である。
 それは、ユーゴスラビアにおける労働者階級のゼネストと蜂起によるミロシェビッチ政権打倒とパレスチナ・アラブ人民による反米帝・反イスラエルの民衆蜂起(インティファーダ)、さらにインドネシア、フィリピン情勢、北東アジア―中国・朝鮮情勢に明らかである。バルカン半島にせよ、中東・パレスチナにせよ、朝鮮、台湾(中国)にせよ、これらは米帝体制としての戦後体制成立の要(かなめ)的位置にある。これらの地域を制圧することに全力をあげてきた米帝と帝国主義世界体制にとって、その封印が解かれたように爆発を開始したのである。
 それは帝国主義世界経済の完全な行き詰まりをその最深の源とする世界体制の崩壊局面への突入だ。すなわち戦争と恐慌が重なり合って進む時代の展開であり、反帝・反スターリン主義プロレタリア世界革命をもって突破すべき時代の到来なのである。
 ユーゴスラビア情勢は、八九―九一年のソ連スターリン主義崩壊以来の情勢のいまひとつの深刻化であり、独・仏・英などの欧州帝と米帝の争闘戦にロシアがからんで軍事的介入を画策している。これと対決するユーゴスラビア労働者人民の決起は、帝国主義打倒、スターリン主義打倒の闘いへと推し進められなければならない。コソボ情勢もからんで今後さらに情勢は激動化し大流動化する。バルカン半島はヨーロッパの火薬庫であり、西欧・東欧だけでなく、ギリシャ、トルコへの波及も必至だ。
 中東・パレスチナ情勢の危機は米帝にとって真に巨大である。それは石油支配の崩壊をもたらすものでもあるからだ。ここでのパレスチナ人民・アラブ人民の闘いは、アラファトやムバラクなどの思惑や制動を超えて爆発しており、全アラブ人民の民族解放闘争の歴史的決起の情勢となりつつある。われわれは、ユーゴ労働者階級の決起とパレスチナ人民・アラブ人民の決起に心から感動し、支持し連帯する立場であり、米帝の軍事介入や日帝の国連その他を口実にした介入を阻止するために断固闘う。
 インドネシア情勢はスハルト打倒後、すさまじい展開となっている。独立運動がアチェやイリアンジャヤ、マルク州などに拡大し、ティモール情勢以上に爆発している。ジャワ島を中心に、とりわけ首都ジャカルタでは、スハルト時代に禁止されていた労働組合が結成され、ストライキなどが広がっている。フィリピンの労働組合のストライキと並んで労働者の階級的登場と闘いが力強く開始され、民族解放闘争の先頭に立ち始めたのだ。
 南北朝鮮情勢は、南北会談以後、北朝鮮スターリン主義が積極外交で新展開を見せていると言われているが、北朝鮮スターリン主義・金正日の特使・趙明録(チョミョンロク)訪米、オルブライト訪朝、クリントンの訪朝決定という十月に展開された一連の事態の中で、米帝の主導性がはっきりと突き出された。
 また金正日は、先の南北会談での在韓米軍基地容認発言に見られるように、米帝のもとでの延命の道を軸に据えている。金正日は、南朝鮮人民のあらゆる闘い、全朝鮮人民の自己解放闘争に対する敵対、破壊の一方の元凶なのだ。米帝は中国スターリン主義をにらんだ対北朝鮮スターリン主義―対朝鮮政策をとっている。それはアジア―世界支配をめぐる激しい対日争闘戦だということである。
 日帝はこうした朝鮮情勢の急転回に完全に立ち遅れ、食料支援をテコに日朝交渉に臨んでいる。日帝のアジア勢力圏化にとっての重大な情勢であり、ここから日帝は拉致(らち)問題や赤軍派帰還問題などで激しく独自の外交を展開しようとしているのである。

 第3章 21世紀の決戦勝利へ11〜12月の闘争方針

 二〇〇〇年の三大決戦を勝利的に闘いぬいてきたわれわれは、今や二十一世紀に向けた巨大な階級流動、階級闘争の活性化情勢の中にあり、二十一世紀の大決戦へと突入しつつある。
 二十世紀最後の闘いの当面の方針についてしっかりと確認していきたい。
 当面する方針の第一は、戦闘的労働運動の防衛と発展のために闘うことである。労働委員会闘争を軸に国労内の闘う戦列を強化し、国労続開大会で執行部打倒、「四党合意」完全粉砕を戦取しよう。それと一体のものとしてカクマル=JR総連打倒の政治的・階級的な戦争と闘争を全力で闘いぬくことである。
 また、全逓のニューユニオン化粉砕・人事交流攻撃粉砕の闘いや教労戦線における「ヤミカラ」攻撃、省庁再編・自治体リストラ攻撃、NTT大合理化、医療、電機、金属などの民間における一大資本攻勢との闘いである。
 深刻な恐慌と不況にあえぐ日帝の資本攻勢はこれからさらに激しく労働者人民に襲いかかってくる。これに日本共産党や連合などは全面屈服し、ワークシェアリングの導入や会社分割法などによるリストラ・解雇、賃下げの翼賛組合となって、ファシスト・カクマルの後を追っているのだ。その攻撃はむしろこれから本格化する。日帝の資本攻勢との激突は当面する第一の課題であるばかりでなく、これからの五年、十年を貫く闘いであり、階級闘争の中心軸をなすものだ。
 われわれは全産別で開始した労働現場をめぐる階級攻防をさらに力強く推し進めていかなければならない。そこで苦闘する労働者から学び、労働者階級の戦闘的決起に圧倒的確信を持って、ともに全力で闘いぬこう。
 当面する方針の第二は、七月サミットを勝ち抜いて新たな地平から戦闘的決起を開始した沖縄闘争―沖縄・安保闘争を、本土―沖縄を貫く闘いとして発展させることである。とりわけ名護新基地建設阻止の闘いに連帯し、ともにこれを推し進めると同時に、沖縄での労働運動の推進をかちとっていくことである。
 当面する方針の第三は、日帝の改憲攻撃との全面的対決を軸に、あらゆる形態で開始されている改憲に向けた攻撃との具体的な闘いに決起することである。
 @憲法調査会粉砕の闘い。これほどあけすけに改憲が堂々と議論されている機関はない。徹底的に暴露して闘おう。鳩山などの改憲論を粉砕しよう。十一月三十日、ファシスト石原の参考人としての登場を粉砕せよ!
 A船舶検査法案=臨検法案粉砕の闘い。危機にあえぐ日帝・森は、野党の屈服をとりつけ、きわめて暴力的に、周辺事態法=新ガイドライン法以上に総翼賛的に、この法案を成立させようとしている。全力で阻止せよ!
 B十一月上旬から日本全土で展開される日米共同統合軍事演習を阻止する闘い。改憲攻撃の中軸であり、新安保ガイドラインの実施でもあるこの軍事演習を許してはならない。沖縄での闘いを先頭に、王城寺原、築城(ついき)、佐世保、岩国、饗庭野(あいばの)で闘い、さらに軍事演習、実弾演習と対決する十一・一二北富士現地闘争に決起しよう。
 Cさらに三里塚暫定滑走路粉砕の一年間決戦を、有事立法攻撃粉砕と一体のものとして闘おう。
 D今臨時国会に提出されている反動諸法案を全面暴露し、その粉砕の闘いを幅広く呼びかけ、闘いに決起しよう。
 まず、十月三十一日に衆院通過が強行された少年法改悪阻止の闘いである。保岡法相はこれを教育基本法改悪、改憲のために不可欠などと言っている。絶対に許せない。次に医療法、健保法の改悪との闘いである。介護保険や年金法改悪に続いてかけられているこの攻撃は、社会福祉事業法改悪などの、この間の「措置から契約へ」という基本的人権と福祉のはく奪攻撃である。
 さらに外国人地方参政権法案である。これは自民党内での論争や連立問題などで今国会成立は先送りされると言われている。しかし、その過程で行われている議論は排外主義、差別主義の大洪水そのものだ。組織的危機に立ち往生する朝鮮総連などは正しく闘えず、これにくみしようとしている。在日するアジア人民にとって参政権を始めとするすべての基本的人権は当然の権利であるが、日帝の参政権法案は断じて認められない。差別・排外主義攻撃と対決し闘おう。
 E教育基本法改悪―教育改革攻撃との闘い。日帝・森は奉仕義務化、「不適格」教員排除、差別選別教育を柱とする改革を次の通常国会に提出し、あわよくば教育基本法改悪にまで踏み込もうとしている。来年にかけて「日の丸・君が代」闘争、教労攻撃との闘いと一体のものとして断固闘おう。さらに国公立大学の独立行政法人化阻止に立ち上がろう。
 F司法改革攻撃を粉砕しよう。とりわけ、無実を争っている限り保釈は許可しないという予防拘禁攻撃を跳ね返し、超長期獄中闘争を闘いぬく四同志、須賀、十亀、板垣、福嶋同志を奪還しよう。星野同志の再審勝利をかちとろう。
 総じて、改憲攻撃は同時に階級圧殺攻撃であり、戦後革命期の獲得物(敗北の産物でもある)への反動的転覆の攻撃として資本攻勢と表裏をなすものである。さらに日帝の戦争国家化への反革命的飛躍の次元を画する攻撃である。数年にわたる大闘争をつくり出す戦略でこれらの具体的闘いに勝ち抜こう。
 当面する方針の第四は、十月一日から六十五歳以上の一号被保険者からの保険料徴収が開始された介護保険廃止の闘争を、党の全力をあげて全国大衆闘争として発展させることだ。福祉切り捨て攻撃との対決は、すぐれて労働者の階級的闘いの課題だ。また「障害者」への戦時的抹殺攻撃を粉砕する性格も持つものだ。そして都議選決戦に総決起していこう。
 当面する方針の第五は、差別主義・排外主義の嵐のような攻撃への労働者人民の決起である。部落差別攻撃、民族差別攻撃、「障害者」差別攻撃、女性差別攻撃などは帝国主義の危機が深まるほどに激しくなってきており、改憲攻撃によってその質は転換的に苛烈(かれつ)なものとなっている。資本攻勢と闘う労働者階級にとってその階級性の鮮明化のためにもここでの闘いは決定的内容をもつのだ。とりわけファシスト石原打倒の闘いが決定的に重要である。

 機関紙・財政決戦へ

 当面する方針の第六は、上記五つの方針を貫徹し成し遂げ、勝利する党建設である。革共同の反帝国主義・反スターリン主義、プロレタリア世界革命の党としての建設である。今日の情勢の激動的展開からして、これはけっして空語ではない。われわれは現状の力量をしっかりと見据え、しかし三大決戦を闘いぬいてきたわれわれの路線と底力にさらに確信も固く、革命党、労働者階級の党へと急速に飛躍することが求められている。
 この十一−十二月、機関紙拡大闘争と、巨大な決戦を勝ち抜く党の財政を確保するための冬期財政闘争に総決起し、目標を貫徹するために闘おう。二十一世紀を迎え撃つ党の態勢はここから生まれるのであり、今や党勢拡大の機は圧倒的に熟している。
 いざ、勝利の二十一世紀へ。二十世紀を締めくくる大闘争をやりぬこう。

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週刊『前進』(1981号1面2)

全学連が国会闘争 10・27正門前

 全学連は十月二十七日、船舶検査法案=臨検法案を弾劾する国会闘争に決起した。この日、臨検法案が閣議決定され、国会に提出されたことを徹底的に弾劾する。
 全学連の学生は国会正門前に集結し、横断幕を広げ、「船舶検査法案の国会提出阻止!」「改憲攻撃を粉砕するぞ!」と怒りのシュプレヒコールを上げた(写真)。警察・機動隊は、学生が抗議行動を始めるやあわてて「敷地から出ろ」と不当な規制を加えてきた。闘う学生は、弾圧をはねのけ、国会前行動を貫徹した。
 臨検法案は、他国への侵略行為=武力行使を合法化する戦争法案であり、日帝の朝鮮・中国への侵略戦争参戦を合法化する有事立法そのものだ。日帝・森政権は、野党の総翼賛化の中、国会審議なしで成立させ、戦争国家化、改憲攻撃の突破口にしようとしている。
 国鉄決戦で始まった労働者人民の決起と結びつき、全学連を先頭に有事立法・改憲阻止の大決戦を大衆運動として大爆発させよう。

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週刊『前進』(1981号2面1)

国労第67回定期大会 大会ドキュメント
闘争団・代議員・傍聴者が渾身の決起 運動方針案採択許さず「休会」に

闘争団先頭に演壇に殺到 「経過」の責任を徹底追及
 本部痛撃した不正議への怒り

 十月二十八、二十九日の二日間、東京・社会文化会館で国労第六七回定期全国大会が行われた。闘争団・代議員・傍聴者の怒りの決起で、「四党合意」承認の運動方針案の採決を阻止する大勝利をかちとった。討論は「経過報告」をめぐる激突となり、反対派代議員が本部を徹底追及した。「経過報告」の「採決」が強行されたものの、議場は激しい怒りに包まれ、討論続行が不可能となった。議場内外での闘争団を先頭とした実力決起が本部執行部を追いつめた。また、大挙結集した支援の労働者が一体となって闘い、国労組合員の決起を支えた。こうして二日目の午後五時半、ついに「休会」に追い込んだ。七・一臨時大会、八・二六続開臨大に続いて三度、「四党合意」の強行を阻止し、闘争団切り捨てを粉砕したのである。だが、闘いの決着はついていない。あらためて「総辞職」を表明した執行部は、「四党合意」を撤回し、直ちに総辞職すべきだ。続開大会で「四党合意」承認の方針を提起することなど断じて許されない。今こそチャレンジ一派や革同上村一派を打倒し、和解・屈服路線を打ち破り、新たな闘う執行部と闘う路線を打ち立てよう。国労の戦闘的階級的再生をかちとろう。今大会は、その道筋と闘う力を明確に示した。

 合意反対の意見が続出

 七・一−八・二六と二回にわたって阻まれた「四党合意」の大会承認を許すのか。国労第六七回定期大会は、ピンと張りつめた空気の中で二十八日午前十時に開会された。
 大会は冒頭から激突の連続であった。議事運営委員長の鈴木中執が議事日程を提案。ただちに高崎の代議員が「総辞職を表明した執行部が運動方針を提案することはできない。経過について責任ある答弁と見解を示すべきだ。(経過と方針の)一括提案はできない」と議事の変更を求めた。
 高橋委員長のあいさつは「『JRに法的責任ないことを認める、としただけの大会は開催できない』としたのも中央執行委員会の確認」「『JRに法的責任がない』ことを国労に求めることは、話し合いの土俵に登る前に、国労に譲歩と屈服を迫り、九八年の五・二八東京地裁反動判決に無条件で従え、というに等しい」と、四党合意への危惧(きぐ)を表明するものだった。それは四党合意承認を前提化しており、無責任なものだ。しかし経過報告や運動方針案とは明らかに矛盾するものでもある。同時に「二回の大会の混乱の責任をとって、中央執行委員会は総辞職する」「人心を一新」と表明した。
 来賓あいさつでは、四党合意に対する批判や疑問の発言が相次いだ。一株株主会の山口孝代表は「高橋委員長の発言を聞いていて、『なぜ四党合意をのんだのか』と思わざるを得なかった」と発言。国労顧問の村上寛治氏は「七月の臨大の後に顧問の辞任を申し入れた。国労が組織として闘争団を切るようなことは絶対にあってはならない」と執行部を強く批判した。
 本部批判の発言が相次ぐ中、宮里邦雄弁護士は「今の議論はJRの法的責任の問題のみに集中しすぎている。目的はJRに法的責任を認めさせることではなく、要求の実現だ」と四党合意を擁護し、いたるところからやじが飛んだ。
 午後に入り、経過報告の討論について「本数制限はしない」と議長に確認させ、議事は進行した。
 経過報告を上村副委員長が行い、続いて、議事日程変更の要求を無視して、運動方針案の提起を宮坂書記長が行った。闘争団を先頭にやじがわき起こり、発言は度々かき消された。
 いよいよ、経過報告に関する討論が始まった。
 北海道の闘争団員は「私たちの納得のいく解決のため、闘争団員・家族一丸となって闘う」と宣言、「臨大前に本部は『具体的解決案なき大会は開催しない』と言っていたではないか。私たちの人間としての尊厳を踏みにじる四党合意には反対だ」と熱烈に訴えた。
 四党合意に反対する発言が次々たたきつけられた。「『組織がジリ貧だから』という意見があるが、今まさに闘う姿勢こそ問われている」(高崎)、「四党合意を承認した次の場面には阿鼻叫喚の地獄絵が待っている」(東京)、「『JRに法的責任なし』を認めることは闘いの武器をどぶに捨てるもの」(千葉)、「まやかしの四党合意はもう通用しない。現執行部の再任は認められない」(東京)。東京の代議員を始め十人の連署で、四党合意の内容と経過をめぐる「質問趣意書」も提出された。
 四党合意推進派の代議員は「これ以上の闘いに現在の組織は耐えられない」(盛岡)、「政治的解決はこの時期をなくせば二度とない」(四国)と「ジリ貧」論、「ラストチャンス」論を振りまいた。盛岡の発言は「臨大における一部闘争団員の演壇占拠は、国労運動史に汚点を残す暴力的な破壊行為だ」と闘争団の人生をかけた決起を罵倒(ばとう)し、ごうごうたるやじがまき起こった。
 この日の十本の発言のうち、四党合意反対の発言が七本を占めた。
 上村副委員長、宮坂書記長が中間答弁に立った。宮坂書記長は、「臨大までに解決交渉が進まなかったのは本部の責任」「本部の判断の甘さがあった」とは言うものの、執行部の再任については「総辞職して新たな執行部を選出する」と言うのみで、再任しないとはけっして言わず、この期に及んでもあくまで執行部に居座る意図をあらわにした。また代議員の一つひとつの質問にはなんら回答せずに開き直り続けた。

 宮坂答弁にやじと怒号

 二日目の冒頭、突如議運が「運動方針案についての修正動議の趣旨説明を行い、その後に経過報告と運動方針を一括して討論する」と提案。ただちに代議員が「経過についての討論を継続せよ」と迫った。
 騒然とした中、代議員が一斉に演壇下に殺到する。傍聴者も闘争団を先頭に会場の後方から突進し、それを阻もうとする代議員との激突が起こる。議運は代議員の発言用のマイクの電源も切って、一切の発言を封じる。やじと怒号が会場をおおい、いたるところで激突が続き、三十分間近く議事が止まった。ついに議長も議事進行が不可能だと判断、休憩に入った。
 十一時前になってようやく再開し、議運が「午前中いっぱい、経過報告の討論を続行する」と表明し、討論が再開された。
 午前中の発言は、八人のうち実に七人が、四党合意に反対した。「『人心一新』とは、現執行部が再立候補しないこと」(水戸)、「経過報告の承認を重要案件と扱うべき」(仙台)、「『JRに法的責任なしを決めるだけの臨大は開催しない』と約束しながら、なぜ臨大を強行したのか」(岡山)、「闘争団が生活できない内容は解決とは言えない」(東京)、「仲間の痛みが分からない執行部は国労にはいらない。会場外にいる闘争団員の傍聴を認めよ」(東京)、「闘争団を暴力集団呼ばわりした七・三本部見解を訂正せよ」(東京)。本部の不正義に怒りがたたきつけられた。
 ただ一人経過に賛成した九州地本代議員は「『闘いの主人公は闘争団だ』という主張は、組合民主主義を否定する危険な動きだ」と闘争団の闘いに憎悪をあらわにし、やじに包まれた。
 再び中間答弁に立った宮坂書記長は「今の力関係から言ってわれわれの要求が百パーセント通るとは言えない」「解決内容については知らない」と開き直りを続け、他方、再出馬については「全員総辞職をして、新執行部を選出する」との回答を繰り返し、発言は怒りの声でかき消された。
 午後の議事は、予定よりも一時間近く遅れ午後一時二十分過ぎに再開された。代議員は、午前中の宮坂書記長の中間答弁をさらに追及しようと臨んでいた。
 そこで突如、議運が「経過報告の承認については代議員の無記名一票投票とする」と発言した。続いて議長が議場閉鎖を宣言した。
 強行採決だ! こんな暴挙は絶対に認められない。代議員が演壇下に殺到する。会場後方では傍聴者が前に向かって殺到、通路を封じる者、それを乗り越えて前に突き進む闘争団員。会場全体がやじと怒号で騒然たる状況だ。
 代議員・傍聴者の怒りに押され、議長が代議員の発言を認めた。代議員が「重要案件として扱うとは、承認は三分の二以上か」と確認すると、議運は「過半数です」と回答、さらに怒りが燃え上がる。
 二十分間あまり会場全体で大激突が続き、議事進行が不可能な状況にたたき込まれ、休憩になった。

 「採決は無効だ」と反撃

 連絡もないままに時間がたつ。午後三時過ぎ、闘争団員が「座して死を待つよりは、立って歌おうじゃないか」と呼びかけた。会場後方に陣取った闘争団を中心に傍聴者が数十人、立ち上がってスクラムを組んだ。国鉄労働組合歌、ガンバロー、インターナショナルと三曲続けて熱唱した。「われわれの闘いはまさにインターナショナルな闘いだ! 勝利まで闘おう」
 闘争団員が前方の代議員席に向かって「十四年間の闘いをかけて、四党合意は認められない」「国労が死んでしまうことになる」と切々と訴え、ともに闘うことを呼びかけた。もう一回組合歌を合唱、最後に何度もシュプレヒコールをたたきつけ、気合いをみなぎらせて議事再開に身構えた。
 午後三時三十五分、一時間四十五分もの休憩をはさみ議事が再開された。
 議運が演壇に立つ。会場全体に緊張が走る。「経過報告の承認について、過半数をもって成立とすると確認した」。一斉にやじが飛ぶ。会場前方では三度、代議員が演壇に殺到、傍聴者も一斉に突進する。
 やじと怒号の中で、議長が「代議員は代議員証を持って挙手してください」と発言。左右の通路でともに激突が続く。「強行採決を許さないぞ」。闘争団の必死の叫び声の中、議長が「代議員数は八十五人」と告げ、投票が強行された。
 投票に向かう代議員、阻もうとする代議員、議長と議運に抗議する代議員が入り乱れて、演壇の前は大混乱状態だ。
 「こんなやり方で決めるな」「賛成した代議員には責任を取らせるぞ」。傍聴席からシュプレヒコールがわき起こる。「強行採決許すな」「四党合意粉砕」「闘争団の切り捨てを許さないぞ」。代議員も唱和して手を挙げている。
 これが労働組合の大会と言えるのか。闘争の当事者と多くの組合員のやじと怒号とシュプレヒコールの中で行われた強行採決。「自民党と合意を結んだら、強行採決まで自民党にならうのか」と絶叫する声。
 議運が「有効投票数百九票、○が七十四票、×が三十一票、保留三票、白票一票」と報告した。「ふざけるな!」の声が飛ぶ。「こんな採決は無効だ」「中間答弁しかしてないじゃないか」「八十五人で、どうして百九票になるんだ」
 議長は「修正動議の趣旨説明をやってもらう」と、議事を進めようとする。しかし修正動議の提案者は演壇に立ったものの、「この状態では発言できない」と立ちつくしている。
 議長が「静かにしてください」と繰り返すが、まったく静まらない。ついに午後四時二十分、議長団が休憩を宣言した。
 午後五時半に議事は再開された。議運が発言に立ち、「中央執行委員会で、これ以上の討論は不可能であり、休会することを確認した」と宣言した。代議員、傍聴者の怒りはまったくおさまらない。「総辞職はどうなったんだ」「強行採決は無効だぞ」「四党合意を撤回しろ」。怒りの声がたたきつけられる中、大会は幕を閉じた。

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週刊『前進』(1981号2面2)

JR総連打倒、国労再生へ 闘う新執行部の樹立を

 反動を破った闘争団の怒り

 国労定期大会決戦の感動的な勝利は、七・一―八・二六の地平をひっくり返そうとする大反動を打ち破ってかちとられた。
 七・一の偉大な決起は、「四党合意」をもって国労を解体しようと狙った自民党や運輸省、JR資本に大打撃を与えた。そして、全労協や全労連はもとより連合傘下の労組をも揺さぶり、労働運動の大流動情勢をつくり出した。「四党合意」と七・一の闘いをめぐって激しい論争が巻き起こり、そこから新たな階級的労働運動の潮流が台頭する情勢を生み出した。
 それは、二九年型世界大恐慌の危機から激化する一大資本攻勢、改憲・有事立法攻撃などの戦後最大級の反動攻撃をめぐる二〇〇〇年階級決戦の激しさの中で起こっている。さらにはユーゴスラビアや中東、南朝鮮など全世界で労働者階級の自己解放闘争が歴史的に高揚する中で起こっている。二〇〇〇年から二十一世紀に向けて、労働者階級の荒々しい決起の時代を押し開く突破口となったのが七・一なのだ。
 だからこそ、敵の密集した大反動が襲いかかった。
 こうした中で、八・二六で「総辞職表明」に追い込まれた国労本部執行部は、九月末に強行した「全組合員の一票投票」で五五%の賛成票を得たことをもって、「四党合意」承認の方針を提案してきた。
 一票投票と代議員選挙の結果は、「数」の重圧となって襲いかかった。闘争団は「団結署名」を開始したが、九州と北海道のエリア本部が「反組織的」と非難し、闘争団の意志表明すら押しつぶそうとした。闘争団の「四党合意」絶対反対の意志、本部執行部に対する怒りは強く揺るぎないものだが、こうした重圧が覆ったことは否めない。
 だが、゛本部に人生を決めさせるわけにはいかない゜という闘争団の根底的な怒りは、押しつぶせなかった。闘争団は、「四党合意」という敵権力の大攻撃に対して、七・一で開始した非妥協的闘いを貫いて、大反動を打ち破ったのだ。
 さらに、闘争団を包む国労本隊の代議員、傍聴者の闘いが、七・一―八・二六を上回る規模で起こった。

 不退転の決意を実力で貫く

 「四党合意」をごり押ししてくる本部執行部の不正義は、あまりにも明らかだ。その不正義の核心は、闘争団という被解雇者を労働組合の名をもって切り捨てることである。それは労働組合としての国労の死だ。差別・選別に耐えてきたJRの組合員にとっても絶対に許せない。
 本部に対して総退陣を求める声が圧倒的に高まった。「総退陣」を表明しながら執行部に居座ろうとする宮坂・チャレンジ一派や革同上村一派に対しては、非和解的に対決する以外にないのだ。
 この点で、討論において「経過」を絶対に認めないと対決したことが重要であった。「四党合意」受け入れの経過、その後の「並行交渉」とか「臨大までに具体案が出る」などというウソとペテンで国労に埋めがたい亀裂をつくり出してきた、その全責任をとって総辞職すべき、運動方針案の採決は絶対に許さず、新執行部が新たな方針を提起すべきと迫っていった。
 これに一切まともに答えようとせず、居直りの答弁に終始する宮坂書記長や上村副委員長。彼らにとって、大会の討論や組合民主主義などは関係ない。自民党や運輸省、JR資本、JR連合との約束の方が大事なのだ。
 このような非和解性は、実力的対決による以外に決着がつかないところまで行き着いた。宮坂らの凶暴さを上回る不退転の決意と気迫で一歩も引かず対決することが求められた。そしてそれを行動によって貫徹したのである。
 七・一の意義も、「演壇占拠」にまで上りつめた実力決起にあった。これがなければ、国労消滅の道を突き進んでいたことは間違いない。逆に、この決起に多くの労働者人民が魂を揺さぶられ、その労働者階級自己解放の革命的エネルギーを感じとり、闘争団絶対防衛の闘いが広がったのだ。
 今大会においても、やはり最後には実力的攻防が大会続行を断念させ、「四党合意」を阻止する力となったことをはっきりと確認しなければならない。

 「解決の時期は過ぎた」と野中

 この勝利を受けて、当面の続開大会をめぐる攻防に直ちに突入しよう。
 今大会の結果に、敵は大打撃を受けている。野中自民党幹事長は、「推移を見守るしかないが、すでに決着をつけるべき時期は過ぎている」と、「四党合意」が事実上、破産したことを宣告した(十月三十日付朝日新聞)。野中は、「かつての(国鉄)分割・民営化が正しかったということを国労が認めないと前進しない。その前提条件を認めないなら、推移を見守る以外仕方ない」とも述べている(同日付日経新聞)。これは、分割・民営化が正しかったと認めることが前提条件だと、「四党合意」の国労解体の意図をむき出しにしたコメントだ。
 あらためて、「四党合意」が国家権力の政治的支配介入であり、国労をたたきつぶすための国家的不当労働行為の総仕上げとも言うべき攻撃であることをはっきりさせ、「四党合意」撤回の大運動を職場からまき起こそう。
 十一月八日の本州採用差別事件、十四日の北海道・九州採用差別事件の高裁判決闘争を闘おう。反動判決であれば、それを徹底的に弾劾し、新たな大衆闘争をつくり出そう。ILO最終勧告の情勢を生かし、政府・JRを攻め抜こう。「四党合意」を不当労働行為だとして全国で申し立てた地労委闘争を発展させよう。
 そのために、なんとしても現執行部を一人の居座りも許さず総退陣させ、闘う新たな執行部をつくり出さなければならない。

 カクマル危機いよいよ深刻

 同時に今、カクマル=JR総連を打倒する絶好の情勢が訪れている。
 JR九州労で起きている大量の脱退は、丸ごとのJR総連からの離反である。それがJR総連の最大実体であるJR東労組に波及する事態であることがますます明らかになっている。すでにJR貨物労組からの脱退も相次いでいる。
 カクマルの反革命通信『解放』は毎号、この事態について、恥も外聞もなく叫び立てている。
 カクマルは、JR九州労の脱退の先頭に立った「ダラ幹」らが「九州労組への加入戦術」だと言って組合員を脱退させたとして弾劾している。だが、これはカクマルがカクマルとして生き残ろうとするものではない。まさにカクマル支配のJR総連から分裂し、JR連合傘下のJR九州労組の懐に逃げ込もうとしているということに核心がある。
 このことは、゛JR東労組防衛絶対主義゜で他のエリアのJR総連を「犠牲」にしてでもJR東の結託体制を維持しようと、大合理化を容認してきたカクマル松崎路線の全面的な破産を示すものである。
 しかも、JR東労組東京地本の「ダラ幹」やJR総連の山下書記長らが『解放』紙上で公然と批判されているように、実は、JR総連中央とJR東労組の最大実体の東京地本で亀裂が始まっていたということなのだ。これがJR九州労のような事態になることに恐怖し、カクマルは、内部テロの恫喝で抑え込もうと躍起になっているのだ。
 『解放』一六四二号(十月三十日付)のカクマル交運労働者委員会の論文によると、「退職したJR総連OBメンバー(南雲)」なるカクマルが、JR総連傘下の各単組内において「『会長(松崎明)は過去の人だ』とか、『山本勝彦(黒田寛一)は変質した』とかいう言辞をふりまいている」のだという。JR総連内のカクマル組織の対立と崩壊は抜き差しならないレベルに達しているのだ。
 こうしたカクマル=JR総連の危機をつくり出してきたのは、闘争団の不屈の決起を先頭とする国鉄労働者の闘いである。
 JR総連とJR資本の結託体制こそが、国鉄分割・民営化―JR体制の支柱だった。これが崩壊を始めたのである。
 千四十七人の解雇撤回を始めとする国鉄闘争の前進にとって最大のチャンスが到来した。チャレンジ一派のふりまく「ジリ貧」論や「ラストチャンス」論などは、国労がJR総連=カクマルとの組織戦に決起し組織拡大を実現するなら、絶対に打ち破ることができる。今、労働者は闘う労働組合を求めているのだ。その時に、どうして国労の自滅に導くような「四党合意」をのもうというのか。
 今こそ、JR総連打倒、国労の階級的再生へ一大反転攻勢に立ち上がろう。現執行部総退陣、闘う執行部の確立をかちとろう。

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週刊『前進』(1981号3面1)

きょう一日で人生決まる 会場前で決起 議場へシュプレヒコール

 傍聴を要求し警備突き崩す

 国労定期全国大会の会場の社会文化会館前では、会場内の闘いに呼応し、それを支える闘いが戦闘的に闘われた。闘争団とJR本体の国労組合員、そして大結集した支援の労働者らが一体となって闘いぬいた。
 闘争団は約百人が上京した。一日目の朝、千人を超える人びとが取り巻く中、上京闘争団の代表が「四党合意を絶対に決定させない強い意志をもって集まった」と訴え、次々とアピールを行った。
 二日目、国労本部はあくまでも「四党合意」承認を強行するために、前日とは違い正面入り口を閉鎖し、通用口から代議員・傍聴者を入れるという警備態勢をとった。不当にも傍聴制限で入れなかった闘争団員らが全員を傍聴させろと要求し、「きょう一日でおれたちの人生が決まる。必死の思いで金を作って来ているんだ」と激しく迫った。
 午後一時半ごろ、経過の討議が打ち切られたとの報告が入ると、再び闘争団が通用口に向かい、警備を徹底的に追及した。警備に動員された組合員も、多くは「四党合意」反対である。次々と警備は崩れた。
 午後三時半ごろ、上京闘争団の代表が「休憩になっている間、中で闘争団が歌を歌い、シュプレヒコールを上げている。会場の外でも気持ちを一つにしたい」と呼びかけ、闘争団、組合員、支援者の全員がスクラムを組んで「ガンバロー」「組合歌」を斉唱し、会場に向けて「採決を阻止するぞ」とシュプレヒコールを上げた。
 「『経過報告』の採決が強行されようとしており、会場が騒然としている」との報告が入ると、再び闘争団は通用口に向かった。阻止線が突破される寸前まで追いつめた。まさに命をかけた決起だ。
 午後四時半ごろ、傍聴していた闘争団が、「経過報告」の採決が強行されたことを報告し、「私たちの自信と確信は揺らいでいない」と訴えた。
 大会が「休会」となり、出てきた闘争団は、「『四党合意』を採決させなかったことは一応の成果だ」と宣言するとともに、なおも本部への怒りをあらわにした。「闘争団を守りぬくぞ」という支援のシュプレヒコールがとどろく中で、一層の奮闘を誓い合った。
 闘争団は、大会に先立って、二十五日から運輸省前行動を始め、二十七日には運輸省前で座り込みを行い、「四党合意」を強制している張本人である運輸省を徹底弾劾した。

 大会前に本部を徹底追及!

 午後からは、闘争団の代表十五人が国労本部を訪れ、居合わせた上村副委員長に対して、大会で「四党合意」の承認を行わないことを申し入れた。また、JR西日本の南谷社長が二十日の記者会見で「失業対策的な雇用をする考えはあるが、解決金などの支払いには応じられない」と述べた(二十一日付西日本新聞)ことについて追及した。上村副委員長は「これから交渉することだ」などと言うのみで、JRへの抗議の意志すら示そうとはしないのだ。
 闘争団はさらに、本部の近くで開かれていた全国代表者会議の終了後、宮坂書記長に交渉を申し入れたが、宮坂書記長は振り返ることもなく、新橋駅まで逃げた。
 闘争団は、こうした本部を絶対に許さない決意を固め、大会に臨んだ。

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週刊『前進』(1981号3面2)

闘争団の訴え
 ”絶対に認めぬ気迫で” 正義の闘いに確信あふれ

 国労定期全国大会の当日、会場の社会文化会館前で「四党合意」の採決阻止を訴えた闘争団と家族の発言の一部を紹介します。(編集局)

●稚内闘争団
 「四党合意」はこれまで培ってきた国労運動の伝統を消し去り、私たち闘争団の十四年間の闘いを葬り去るものだ。闘争団は、採用差別を受け、三年間、清算事業団という収容所で権利も仕事も奪われて、一日も早く辞めて出て行けという攻撃を受けた。自殺した仲間もいる。悩み苦しみ闘い続けた十四年間を取り戻し、納得のいく解決をかちとるために闘いたい。

●鹿児島闘争団
 「四党合意」阻止のために上京してきた。JR西日本の社長は、国労が「四党合意」をのんでも「失業対策的な雇用しかしない。その雇用先はJRの関連企業。解決金はない」と言っている。きょうの大会で阻止するために頑張っていきたい。

●仙台闘争団
 何がなんでも「四党合意」を阻止し、ウソをつかない、裏切らない新執行部を選ぶために熱意をもって集まってきた。組合員から信頼されない執行部は「四党合意」とともに清算しなければならない。今のリストラ・合理化、権利侵害は国鉄分割・民営化がモデルとなっている。多くの労働者はこれでいいのかと問いかけている。そのよりどころとして国鉄闘争が注目されている。その時にみすみす自殺行為をさせてはならない。本部のウソ、デタラメ、奇弁、おごりを指摘し、反省を求め糾弾していきたい。声を上げる時に上げなければならない。自分の人生がかかっている。日本労働運動を再生させるためにも頑張ろう。

●静岡闘争団
 二十闘争団と有志は反対の取り組みをやってきた。JR連合の明石事務局長は、政府・JRの意を受けて「国労の名前を変えろ」と言っている。明石は国鉄の職員局にいて採用差別をした人だ。闘争団の決意は明らかだ。私たちを切り捨てるかどうかの重要な大会だ。「四党合意」を完全に葬り去るために闘う。

●鳥栖地区闘争団
 私たちの闘いはJR復帰だ。正義の闘いだ。しかし国労本部が政府に屈し、闘いの旗を降ろそうとしている。七月一日、絶対に決めさせてはならないと集まり、予測しない行動が展開できた。あの闘いがなかったら、闘争団はなくなっていた。八月二十六日も採決できなかった。一票投票で「○」をつけた人は、政府にお願いして一人でも復帰できればJRが法的責任を認めたことになる、「×」ならいつ解決するか分からない、と言う。これではJRの仲間の未来もない。

●帯広闘争団
 許せることと許せないことがある。不当労働行為は許せないと闘ってきた。「四党合意」には団員全員が反対を表明している。六月に鈴木中執が「具体案なければ臨大を開催する愚はしない」と約束したのがほごにされた。組合員にウソをつく役員は必要ない。共闘の輪をもっと広げて、自活体制を築きながら、JRに戻すという約束がない限り闘い続ける。

●熊本闘争団
 私たちと家族の十四年を思う時、賛成の五五%に私たちの運命をゆだねるわけにはいかない。政府は一人も路頭に迷わせない、組合間差別はしないと約束した。しかし、労働委の救済命令もILO勧告も守らない。私たちは人間であり、労働者だ。黙って引き下がるわけにはいかない。職場に戻って戦争反対の声も上げなければならない。

●名寄闘争団
 家族を含めて何度も議論し、混乱を招く一票投票に反対し、全員が「×」をつけた。国鉄に入社し、国労に加入して、闘うことの素晴らしさを学んできた。「四党合意」は、すべてを無にする。委員長あいさつにあるように、「JRに法的責任なし」を認めれば、雇用も金銭的補償の義務も相手側は負う必要がなくなる。あらゆる力を結集して「四党合意」をはね返す。

●博多闘争団
 「四党合意」を認めれば、今よりも生活が良くなると言う闘争団員もいる。もうチャンスはないと言う人もいる。「四党合意」で一致しているのは「早期解決」だけで、あとは何も中身はない。これを認める大会を開くこと自体おかしい。国家的不当労働行為は絶対に認めない。ILO勧告をかちとり、不当労働行為の責任を追及して闘い続ければ、解決の道は見えてくる。修善寺大会で本部案を蹴って闘い続けた。ここまで闘い続けたのは、私たちの闘いに正義があったからだ。

●筑豊闘争団
 暑い夏から冬に向かっていこうとしている。国労もこのまま冬に向かってしまうのか。国労本部が頼りにするJR西日本の社長は「JR本体の採用はない」と言っている。これが相手の本音だ。賛成でオルグしている幹部は責任がとれるのか。こんなはずではなかったと言っても遅い。苦しいから、役員を信じたいという思いは分かる。しかし、自分の人生なんだ。家族のためにも真実を見てほしい。なんでこんな執行部に人生を任せなければならないのか。なんとしても「四党合意」を葬り去らなければならない。闘う国労を再生させるために頑張りたい。

●音威子府闘争団家族
 私たちの人生は「○×」で決められるものではない。夫たちの解雇撤回なしに解決はない。「○」が多かったから受け入れるというんじゃなくて、受け入れられない組合員が半分もいることを受け止めて、執行部の責任のとり方を追及し「四党合意」を撤回してほしい。

●旭川闘争団
 私たちの人生は私たちで決めるしかない。本部が「四党合意」を受諾した結果が、こういう混乱になっている。代議員が数で決めようとしているが、決めたら代議員に責任をとってもらわなければならない。「闘争団との合意形成」の約束を守ることなく大会が開かれている。「ジリ貧」と言われているが、「ジリ貧」になるからわれわれを切るのなら、修善寺大会は何だったのか。十四年間の闘いは何だったのか。三十六闘争団が昨年決めた統一した要求を掲げ、基本原則を守り、闘って展望を開きたい。

●佐世保闘争団
 「四党合意」は絶対に認められない。十三年間の闘いは、人間の尊厳を守る闘いだ。賛成する代議員は「四党合意」は「闘いの到達点」だと言う。そうではない。あくまでも敵の攻撃だ。絶対に認めない気迫で闘う。賛成派は、高裁で負ければ支援も離れ、組合員もつぶされると言う。しかし、力関係をどうひっくり返すかを考え、JR、政府、鉄建公団、すべてを相手に闘えば必ず勝てる。JR九州労の分裂も国労が闘ってきたからだ。JR総連は九〇年三月に清算事業団の首切りを要求して集会をやった。それから西で大分裂した。今度も闘争団の闘いがあるからだ。多数派になることは絶対に可能だ。

●大分闘争団
 経過の採決が強行され、心が痛む状況だ。「統一と団結」と言いながら、これだけの混乱を招いても本部は闘争団の首切りを強行しようとしている。傍聴者と代議員が怒りの涙を流して抗議しているのが届かないのか。しかし、私たちの自信と確信はみじんも揺らいでいない。

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週刊『前進』(1981号3面3)

闘争団先頭に大集会 10・27 決戦前夜、必勝の熱気

 十月二十七日、「JRに法的責任あり! 『四党合意』に反対する全国連絡会」は、「国鉄闘争勝利!闘争団家族を激励する全国集会」を中野ZERO大ホールで開催した。全国から結集した闘争団・家族が、会場を埋めた支援とともに翌日の国労定期大会決戦を闘う決意を固めた。
 拍手を浴びて、約百人の闘争団と家族が登壇した。北海道の闘争団員が「やむにやまれぬ気持ちで東京に結集した。賛成派は何でもいいから解決すると言うが、そんな闘いではない。四党合意の方針採決をさせないために頑張る」と決意を述べ、九州の闘争団員は「JRの仲間が事故の責任を負わされて抗議の焼身自殺をした。JRに殺された。その責任追及のためには四党合意反対しかないとJRの組合員とも意思統一した」と訴えた。
 闘争団の家族は、「十四年の闘いは○や×で決められるようなものではなかった。夫がJRに戻らなければ私たちの名誉は回復されない」と発言した。
 シンポジウムが行われ、労働法学者の佐藤昭夫さんが「国労は労働運動の名門ブランドだったが、今のままでは裏切りの代名詞になりかねない。そうならないように原点を守って闘ってほしい」と述べ、ジャーナリストの立山学さんが「火をつければ燃え上がるような労働者の怒りが充満している情勢だ。その時に、輝かしい国労の財産を捨てていいのか」と問いかけた。
 東京清掃労組の代表は、「国労の闘い方、闘争団の生活と闘いを支援してきた。国労がおかしくなれば口を出すのも支援の責任だ」と発言した。
 集会のまとめをした国労組合員は、「本部は総辞職を口にした。自ら言ったとおりやめていただく。四党合意反対の方針を確立する大会としたい」と結んだ。

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週刊『前進』(1981号3面4)

“初心を貫き闘う” 動労千葉、闘争団にエール

 十月二十六日、労働スクエア東京で「4党合意NO! 働くものの人権は譲らない行動ネットワーク」が、「国労闘争団を応援する緊急集会」を開いた。上京闘争団を始め二百七十人以上の労働者が結集した。
 主催者としてあいさつした作家の宮崎学さんは「闘う者と闘わざる者との差違を示す行動が必要だ。闘争団に闘う意志がある以上、道は開ける」と訴えた。
 労働法学者の佐藤昭夫さんが一票投票の中止を求める仮処分について報告し、「不当労働行為を追及するという大会決定に違反しているのは本部の側だ」と国労本部を弾劾した。
 支援として東京清掃労組の代表が「本部の一部の人に左右されるのではなく、本来の労働者の人間性を核にした方針を」と訴えた。
 動労千葉の被解雇者を代表して田中康宏書記長が発言し、「千四十七人のうちの九人が動労千葉。JRを徹底追及して解雇撤回させる気持ちは国労闘争団と変わらない。四党合意は国労だけでなく千四十七人全体への不当な干渉だ」と述べ、「推進派は『ラストチャンス』と言うが、JR総連は最後の崩壊過程に入っている。九州労で起きたことは東労組でも起きる。動労千葉や国労がこれに介入すればJRの労働運動は大きく変わる。新しい労働運動の流れをつくりたい。十一・五労働者集会への結集を」と呼びかけた。
 四人の闘争団員が壇上に並んだ。「四党合意の採決は屈服であって解決ではない」「JRに責任がないとすれば千四十七人はなんで解雇されたのか。私たちの尊厳を踏みにじる四党合意に反対する」「JR組合員とも一体となって四党合意に反対している」「敵よりも一日長く、敵に脅威を与えて闘うと確認してきた。十四年の闘いは私たちの生きざまそのもの。初心を忘れず闘う決意だ」
 最後に主催者が、翌日の中野ZEROでの集会と国労大会当日の社会文化会館前への結集を訴えた。

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週刊『前進』(1981号3面5)

反失業総行動に立つ 阪神被災地の労働者 しごと開発事業延長求め

 十月二十日、被災地・神戸において、雨の降る中、第十回被災地反失業総行動が被災地で闘う団体・個人・支援百五十人の結集で終日、対行政闘争として闘われました。
 午前中は、@神戸職安、兵庫労働局への抗議闘争と要求書提出、A県庁での「しごと開発就労者組合」の座り込みと事業延長要求を、被災地の労働者・失業者が生きる権利、働く権利をかけて闘いぬきました。
 職安、労働局では、「現在の失業者の状況について行政がなんら有効な対策を行わないのであればただちに失業対策事業を再開し、増大している失業者の自殺をこれ以上拡大させるな」との怒りを込めた追及が行われました。
 県庁では、「しごと開発事業」の二〇〇一年度末打ち切りを見据えて゛事業打ち切り反対、五年間延長″を掲げて十月十日に結成された「しごと開発就労者組合」が、組合員三十人の参加で対行政闘争に取り組みました。
 この事業が打ち切られたら、千六百人の中高年齢就労者が現在の厳しい雇用情勢の中で、最高一カ月五万円というわずかな収入をも失い、生活の糧をなくして、仮設住宅から復興住宅に移っても生活のできない状態に追い込まれてしまいます。就労者組合は県行政に対して「事業を延長しろ」「できないのなら全就労者に職をあっせんしろ」「失業対策事業を再開しろ」との要求を掲げ、声を上げました。
 午後は県庁前で集会が行われ、各団体から発言を受けました。とりわけ注目されたのが番町地区住民の発言でした。「きちっと供託で家賃を払ってきたのに出て行けとは何事だ」「立ちのきの時、家賃は値上げしないと言ったはずだ。どうしても出て行けというなら、元の家に戻せ」。全国に先駆けて神戸で行政が起こした同和住宅追い出し裁判への反撃の闘いを、全力で支援し、絶対に勝利しようと全員が決意しました。
 集会後デモに移り、しごと開発就労者組合を先頭に県庁から市役所まで「仕事をよこせ」「失業対策を再開しろ」のシュプレヒコールで席巻しました。途中、関西合同労組の仲間を解雇した資本に抗議の弾劾闘争をたたきつけました。
 デモ解散地の市役所前での総括集会では、被災地雇用と生活要求者組合の長谷川正夫代表が「震災直後活動していた多くの団体も今は何もやっていない。今この被災地で唯一闘っているわれわれこそが本物だ。胸を張って堂々と闘おう」と総括提起を行い、関西労組交流センターの入江史郎代表、高槻医療福祉労組の森田充二委員長などの支援労組から「粘り強く闘う被災地の闘い」への敬意の表明と連帯の発言があり、総行動は成功しました。
 いよいよ、しごと開発事業延長を求める闘いの正念場の年末決戦です。失業対策事業再開を要求する行政闘争の中心になって頑張らなければなりません。
 (投稿/神戸 T・S)

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週刊『前進』(1981号3面6)

連載 資本攻勢&労働日誌 10月16日〜29日
 連合春闘基本構想 定昇相当分を明示せず
●全労連、春闘方針でも亀裂
●NTTが転籍・賃下げ攻撃
●社会保障抜本改悪の報告

●16日 帝国データバンクの発表によると、4−9月期の企業倒産での負債総額は10兆9137億円と半期として戦後最悪。(グラフ参照)
●17日 経団連は、2002年度から消費税の税率を最低でも10%、最高で25.5%に引き上げ、厚生年金の保険料率も見直す必要があるとの試算結果を発表した。
●18日 NTT東日本とNTT西日本は、同じ地域で就労できる代わりに別会社に転籍、賃金の水準を従来の6−7割に削減するリストラ策を明らかにした。昨年11月に策定した中期経営合理化計画では約2万人の「余剰人員」を成長部門へ異動させるとしていたが、配転を望まない労働者が相当数に上ることが分かったため、新制度を導入するとした。
◇全労連は18−19日、評議員会を開き、「2001年春闘構想(第一次案)」を提起した。来春闘も引き続き「全労働者の賃金底上げ」を軸とし、「大幅賃上げ要求」は各単組、地方組織に任せる方針。建交労が「この原案では反対だ」と発言、神奈川も賛成しなかった。
◇日経連がまとめた年末一時金妥結状況によると、昨年実績比は金額で3422円減、伸び率でマイナス0.45%であることが明らかに。
◇派遣労働ネットワークが労働省に派遣労働者の権利改善にむけた要請を行った。昨年12月の新派遣法施行で「派遣労働者の使い捨て」の動きが一層強まっている。
●19日 連合は中央執行委員会で2001春季生活闘争・基本構想を確認。賃上げ要求は純ベア率で設定し、従来のように引き上げ額や定昇は明示しない方針。定昇などを明示しないことについて鷲尾会長は「昨年のように2%を出しても実態とのかい離がある」と述べ、定昇相当分を2%とする考え方を否定した。定昇制度がないところも多く、定昇相当分の算定マニュアルを作成するとしているが、笹森事務局長も「純ベア率だと未組織への波及を考えた時に問題も」と自認した。11月17日の中央委員会で闘争方針として決定する。
●20日 労働省は、介護サービス大手のコムスンに対し労基法に基づき立ち入り調査し、労働者への労働条件の明示、残業時間に関する労使協定の労基署への届け出などがなされていないとして是正指導をしたことを明らかにした。
●24日 首相の私的諮問機関である「社会保障構造の在り方について考える有識者会議」は、高齢者にも負担を求めることを柱とする報告書をまとめた。社会保障の財源については現行の社会保険方式を維持することを明記。昨年、基礎年金の税方式化を打ち出した経済戦略会議の提言は取り入れられなかった。
●26日 倒産したそごうが再生計画案を発表し、8店舗の年内閉鎖と3100人の労働者を削減する方針を明らかにした。
●28−29日 国労が定期大会。闘争団を先頭にした反対派の決起で四党合意受諾の方針案採決は阻まれ、経過報告のみ採決して休会。

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週刊『前進』(1981号4面1)

日共22回大会議案を断罪する
 「有事の自衛隊活用」改憲翼賛 階級性なくし「日本国民の党」に
 高田 隆志

 スターリン主義反革命として日本労働者階級人民の闘いに敵対してきた日本共産党が、十一月二十日から第二二回大会を開催しようとしている。九月に開かれた第七回中央委員会総会(七中総)で、大会に提出される決議案と党規約全面改定案の二つの議案が採択された。「有事の自衛隊活用」の宣言と、「日本国民の党」規定による階級性の解体と国民政党化で、危機を深める日本帝国主義の「最後の番兵」として延命する路線を打ち出したものである。改憲・有事立法の攻撃の本格化の中で、改憲派に大転向した日共の大会議案を徹底的に弾劾する。これは「暫定政権では安保を凍結する」という安保容認路線に続く、それと一体の決定的な変質と大転向だ。日共スターリン主義を労働者人民の怒りで打倒せよ!

 総選挙の敗北から一層の転向路線へ

 今回の大会は、新ガイドライン協定が締結されたのと時を同じくして一九九七年九月に開かれた第二一回大会以来、三年ぶりに開かれる。前回大会では、日共は「資本主義の枠内での民主的改革」路線を前面化し、資本主義=帝国主義を打倒しないことを、日帝ブルジョアジーに誓った。
 そして、九八年七月の参議院選挙で日共が「躍進」した後の九月の三中総で、「暫定政権では安保を凍結する」つまり日共の「安保廃棄」方針をおろして安保を容認する方針を打ち出した。九八〜九九年の階級闘争の激動化のただ中で、日共は、日帝のガイドライン攻撃、ガイドライン関連法制定の攻撃に対する屈服と協力を宣言したのだった。
 また、天皇制についてもすべて認める(大臣任命の認証式に出席する、国会開会式の天皇来場時の従来の欠席戦術についても再考する、など)ことを鮮明にした。「日の丸・君が代」に対しては「法的根拠がないことが問題」として法制化を提唱、「日の丸・君が代」の「国旗・国歌」法制化に率先して協力した。自衛隊の存続を容認し、九九年三月の「不審船」を口実にした日帝・自衛隊の初の「海上警備行動」発令を事実上承認した。
 彼らはそのようにして日本帝国主義の危機を救済する立場に立つこと、そして労働者人民の闘いに敵対することを売り込み、「野党連合政権」に入ろうとしてきた。そして今年六月の総選挙には「大躍進」するつもりで臨んだのである。
 ところが、現実は大敗北だった。日共の議席は二十六から二十に減り、議案提出権も失った。民主党は、選挙期間中から「綱領を変えなければ」と言って、日共との連立の可能性を否定してきた。連合の相手もいない、選挙でも後退するということで、日共が掲げてきた「野党連合政権」「暫定政権」「よりまし政権」などの政権構想はひとまず挫折したのである。
 選挙後に行われた六中総では、志位書記局長が報告し、選挙の敗因を「反共謀略攻撃」に勝てなかったからだとして、これに打ち勝つ党員の武装を強調した。また「日本共産党の歴史と綱領を学ぶ」と題する不破委員長の講演が行われ、スターリン主義的にハードに武装することが提起された。これは重要である。

 前文を削除し規約全面改定

 日本共産党は今回の総選挙敗北について、志位が「路線は正しかったが、『謀略ビラ』に負けた」と総括し、路線的には三中総以来の転向を一層進めようとしている。それが、七中総で決定された第二二回大会議案に示されている。
 党規約の全面改定は、五八年第七回大会で決定された後、初めてのことである。部分的な手直しは何度も行われてきたが、今回は全面にわたっている。
 最も大きな変更は、前文をなくしたことと、従来「労働者階級の党」としてきたのを「日本の労働者階級の党であると同時に、日本国民の党」と、党の性格規定を変えたことである。
 削除された前文の中には、「前衛政党」「共産主義者」「社会主義革命」「共産主義社会」「マルクス、エンゲルス、レーニン」「万国の労働者、被抑圧民族団結せよ」「世界の革命運動」「階級闘争」「日本革命」「かがやかしい社会主義と共産主義の実現」などの言葉がある。
 これらは、もともとマルクス主義の概念をスターリン主義的に歪曲して日共が使ってきたのであるが、そうした仮面、ペテンさえも邪魔なものになったということである。
 そして規約改定案の第二条で、「日本共産党は、日本の労働者階級の党であると同時に、日本国民の党であり、民主主義、独立、平和、国民生活の向上、そして日本の進歩的未来のために努力しようとするすべての人びとにその門戸を開いている」と、日共の性格を規定している。
 これまでは前文で「日本共産党は、日本の労働者階級の前衛政党であり、はたらく人びと、人民のいろいろな組織のなかでもっとも先進的な組織である」となっていた。
 問題は二つある。
 一つは、階級政党ではなく国民政党になると宣言していることである。「労働者階級の前衛政党」とは、もともとのマルクス主義的概念では、プロレタリア革命の先頭に立って牽引(けんいん)する党、という意味だった。だが、日共は一度としてプロレタリア革命をかちとる立場に立ったことがないから、彼らが言う「労働者階級の前衛政党」とは、別の意味をもっていた。それは、スターリン主義として、日共以外の労働者階級の前衛政党は許さないとして、労働者階級を日共が抱え込むための規定であったのである。
 今回、「日本の労働者階級の党であると同時に、日本国民の党」としたのは、労働者階級といっても日本国民としての労働者階級だという意味である。「国民とは支配者も含めてすべての国民」という意味だと第二〇回大会での綱領改定の際に不破が説明している。つまり資本家階級にも「門戸を開いた」、資本家階級と対立しない、日本国民としての共通の利害に従って行動するという枠をはめられた、労働者階級ということである。労働者階級の階級的利害に立った党ではなく日本の国益つまりブルジョアジーの階級利害に従う党であると、最後的に宣言するものとなったのだ。

 排外主義・差別主義の極致に

 もう一つは、「日本の労働者階級の党」「日本国民の党」と、二度も「日本の」が強調されていることである。これは日本国民以外は排除するという排外主義規定なのである。闘う在日朝鮮人・中国人、アジア人民の存在は日帝と非和解的に対立している。だからこそ日共は、意識的に彼らの存在を排除することを規定しているのである。これは規約改定案第四条の「十八歳以上の日本国民で、党の綱領と規約を認めるものは党員となることができる」という、党員資格の「国籍条項」と対応するものである。
 これは、日帝の入管法・外登法による在日に対する差別・抑圧、分断・同化・追放の攻撃にくみするものである。また、国籍条項をもって、就職差別を始めさまざまな差別が行われていることと同一の差別主義、排外主義である。「地方参政権」問題にかかわって展開されている「参政権がほしかったら帰化しろ」という反動的キャンペーンとまさに同じものである。
 階級性を捨て去り、革命を完全に排除するとともに、差別主義、排外主義を前面化させたことが、規約改定の核心問題である。不破は、この規約改定での「突破」を切り口に綱領の改定をも「宿題」とすると公言している。
 日共指導部の狙いは、資本主義の枠内で活動する「普通の政党」であることを押し出すこと、ブルジョアジーにとって脅威になる政党ではない、けっして革命などは考えていないということを訴えることにある。総選挙の過程で他党派から突きつけられた「綱領を捨てろ」「党名を変えよ」という攻撃に、日共として最大限こたえるものとしたいということだ。
 同時に、規約を「わかりやすく」することで、門戸を広く開けて党員を増やしたいということである。だが、その中身は先にみたように、帝国主義の攻撃に屈服し、一層差別主義、排外主義を強めようというものであり、労働者階級人民の闘いに敵対し、その階級性をとことん解体しようとするものである。

 帝国主義国家の自衛権承認し屈服

 それでは次に第二二回大会決議案は、どのようなものであろうか。
 問題点は多岐にわたるが、第一の最大の問題は、「有事の自衛隊活用」論であり、そこに集中的に現れた日共の改憲勢力への転向という問題である。
 決議案は、「日本共産党は、……憲法の進歩的条項はもとより、その全条項をもっとも厳格に守る」とか、「(憲法の五つの進歩的原則は)将来にわたってこれを守り、その全面実施をもとめていく」といい、あたかも自分たちが護憲勢力側に位置しているかのようにふるまっている。
 しかし、憲法改悪攻撃の最大焦点である第九条問題、自衛隊問題になってくると、その本質がさらけだされる。
 憲法九条と自衛隊問題について、決議案は、まず「憲法九条は、国家の自衛権を否定していないが……一切の常備軍をもつことを禁止している」と「自衛権がある」ことを強調する。そして戦力の放棄を「一切の常備軍の禁止」という言葉にすり替えている。
 しかし、自衛権という場合、それは帝国主義国日本の自衛権ということであり、帝国主義国家としての日本国家の「防衛」を容認することは、帝国主義的侵略戦争を容認する論理とイコールなのである。また、自衛権を認めると、それを守るための戦力は当然必要、ということになるのである。そこで日共は、この自衛権を守るための「戦力」は「常備軍でなければよい」という論理を持ち込もうとする。
 決議案は、「自衛隊が憲法違反の存在であることは、明らかである」といいながら、「憲法九条と自衛隊の現実との矛盾をどう解決するか」などと問題を設定する。そして「この矛盾を解消することは、一足飛びにはできない」「国民の合意を尊重しながら、段階的にすすめることが必要」というのだ。
 「段階的」とは次の三段階のことである。
 @第一段階。「日米安保条約廃棄前の段階。戦争法の発動や海外派兵の拡大など、九条のこれ以上の蹂躙(じゅうりん)を許さない」
 A第二段階。「日米安保条約が廃棄され、日本が日米軍事同盟からぬけだした段階。安保廃棄についての国民的合意が達成されることと、自衛隊解消の国民的合意とはおのずから別個の問題」といい、この段階では「自衛隊の民主的改革」が問題になる。
 B第三段階。「国民の合意で、憲法九条の完全実施――自衛隊解消にとりくむ段階」
 この「段階的解消」論によると、自衛隊は安保廃棄の民主連合政権の実現のさらに後の段階で「国民の合意」が得られれば解消される、というはるか先の話になっている。ここでは、「国民の合意」が何回も強調されるが、その意味は、ブルジョアジーが反対しなければ、ということである。゛違憲だが、解消の国民的合意が得られるまで存在を認める″というのは、ブルジョアジーの意志を憲法の上に置くということである。
 そして諸外国と友好関係が結べるなら、「わが国が常備軍によらず安全を確保することが、二十一世紀には可能になるというのが、わが党の展望」だという。違憲ではあるが、自衛隊が二十一世紀中になくなるかどうかはわからない先の話だというのである。これは日共が半永久的に自衛隊の存在を認めたということを意味している。
 しかもこの項の最後に、次のような決定的な文章がついているのである。
 「自衛隊問題の段階的解決というこの方針は、憲法九条の完全実施への接近の過程では、自衛隊が憲法違反の存在であるという認識に変わりないが、これが一定期間存在することはさけられないという立場にたつということである。その時期に、必要にせまられた場合には、存在している自衛隊を、国民の安全のために活用することは当然である」
 「一定期間」とは、前述のとおり二十一世紀のかなり先までという意味である。その時期まで「必要にせまられた場合には、存在している自衛隊を、国民の安全のために活用する」と宣言したのである。「必要にせまられた」ということは日帝の立場から言っているのだ。これは自分たち自身が政権に入った時に「有事には活用する」という意味である。活用とは、出動、出兵、派兵ということであり、治安出動や海外派兵で人民、他民族人民を虐殺するということである。
 これは第三段階での、いわば自分たちの「決意表明」として自衛隊活用を宣言しているものだが、第三段階でもまだ自衛隊の活用が必要とされるのなら、第一段階でも、第二段階でも、帝国主義権力が自衛隊を「必要に迫られて活用」するのはそれこそ「当然である」ということになる。
 「段階的解消」の名において、日共はついに自衛隊の存在はもちろん、その出動も完全に承認するとしたのである。そして、「活用するのは当然」とした以上、最も効果的に活用できるようにしなければならない、として有事立法の必要性という論理に道を譲ることになる。
 また自衛隊の活用という立場に立つならば、「憲法と自衛隊の現実の矛盾」は、現実にあわせて憲法を変えることで解決しようという論理につながる。そうでなければ「憲法違反はかまわない」ということになってしまうからだ。
 自民党や自由党は「憲法と自衛隊の現実の矛盾」を言いたてることで、だからこそ改憲が必要という攻撃を強めてきているのである。日共はついに、「有事の自衛隊活用」論を打ち出すことで、この改憲の流れにさおさすことを宣言するにいたったのである。

 恐慌-大失業攻撃に協力する「改革案」

 日本帝国主義経済の恐慌・大不況と大失業攻撃に対して、日共は「日本経済の異常なゆがみ」「ルールなき資本主義」をただすということを対置する。
 彼らは、今日の経済危機が、過剰資本・過剰生産力の矛盾の爆発としてあること、日米争闘戦によって生み出されていること、などまったく見ることなく、「まともな発展」の道があるかのように主張している。決議案に盛られた「日本経済の三つの民主的改革を提唱」なるものは、「@経済活動に民主的なルールをつくる、A財政・税制・社会保障の民主的改革、B対等・平等の日米経済関係への転換」である。
 これはいずれも今日の日本経済の危機が何か解決可能であるかのような幻想を振りまき、帝国主義を打倒する革命的行動を圧殺する、きわめて反動的な主張である。
 例えば、「雇用問題では、サービス残業根絶を軸とした労働時間短縮による雇用の創出」などといっているが、その空論性、反動性は甚だしいものがある。「サービス残業」=ただ働きの問題は、それを許している労働組合の問題でもあり、また、残業分の賃金を払わせる闘いとして日共も取り組まなければならない問題である。「サービス残業」を強いて、賃金不払いを決めこんでいる資本が、その残業分を新たな雇用創出に回すことなどありえないではないか。
 「労働時間短縮による雇用創出」というのは、悪名高い「ワークシェアリング」であり、賃下げである。労働時間短縮とは、労働者にとっては賃上げ闘争としてかちとられなかったら、自分の生活を破壊するものとなってしまうのだ。
 また、日共は「新しい財政再建の提案」で、「@公共事業半減で歳出削減、A不公平税制是正、B計画的・段階的な目標」の三原則などといっている。だが、今日の国と地方をあわせて六百四十五兆円という債務残高をそんなことで解決できるものではない。それこそ「資本主義の枠内」では解決が絶対にできないことをはっきりさせなければならないのだ。日共はブルジョアジーと同じ土俵で、あれこれと「再建策」を提案するが、ブルジョアジーの側の「公的資金を投入しなければ日本経済は破滅する」「景気対策をなりふり構わずやるのだ」といって繰り広げる攻撃の前に歯が立たないのだ。
 それは日共が総選挙の過程で、消費税減税要求を下ろし、消費税を承認したことに現れている。最初は消費税撤廃要求、次は三%への引き下げ要求、そして五%容認、と、日共は一歩一歩譲歩を重ねているのだ。「消費税減税が最も緊急で確かな景気対策」などといっていたのが、「財政が悪化した」ことを理由に引き下ろしてしまったのだ。しかし、五%を容認するくらいで解決するような財政状態か、ということである。財政再建が大事だという攻撃を認めてしまったら、消費税を一〇%にも二〇%にもすることを認めなければならなくなるのだ。
 日共の経済改革案の三つめは、要するに米帝の対日争闘戦に打ち勝って、日帝の権益を守らなければならないということであり、対米対抗をあおるものである。反米愛国主義と祖国防衛主義の露骨な鼓吹だ。

 危機の日帝救済へ革命的行動を抑圧

 日共の大会決議案の批判点は、まだまだいろいろあるが、どうしても触れておかなければならないことは、日帝の未曽有(みぞう)の危機の中で、戦争と大失業の攻撃に対する労働者人民の闘いを呼びかけるのではなく、これに全面敵対していることである。
 新ガイドライン協定と関連法(戦争法)の制定、改憲と有事立法の攻撃、沖縄基地の再編・強化・新設の攻撃などの大攻撃に対して、九五年十・二一の沖縄県民大会を皮切りに、第三次安保・沖縄闘争が巨大な規模でかちとられてきた。
 日共はこの闘いに一定のっかるようなこともしながら、実はこのような大衆闘争の革命的戦闘的発展を心から恐れており、これを議会主義的に取り込むこと、その枠内に抑え込むことに必死になっている。
 名護新基地建設攻撃に対する名護市民の闘いへの敵対、沖縄サミット攻撃に対する翼賛、そして、国鉄闘争破壊の「四党合意」策動に対する日共=革同上村派の裏切りなど、大衆闘争の巻き起こっているところでことごとく日共の反労働者的本性が暴かれてきた。「資本主義の枠内」路線、「野党連合政権」路線とはそのように労働者大衆の自己解放性、革命性に徹底的に敵対するものなのだ。
 その意味で、日共はどんなに自民党や民主党に接近しても、単なる社民化、日和見主義ではない。マルクスもレーニンも「知って」いて、なおかつ、革命的激動を抑え込むことにスターリン主義としての党派的延命をかけ、労働者階級人民の革命的決起に敵対してくる反革命なのである。
 ソ連スターリン主義崩壊後、帝国主義国における残存スターリン主義として、帝国主義の「最後の番兵」になって生き残ろうとしている日共スターリン主義を労働者人民の怒りを込めて打倒しなければならない。第二二回大会の超反動性を暴き弾劾し、日共打倒に総決起しよう。

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週刊『前進』(1981号4面2)

独法化反対へののろし 10・20 東北大
 スト決議運動展開へ 学長に反対表明迫る

 「国立大学の独立行政法人化に反対する東北大生の会」が十月二十日、独法化反対の集会を行いました。
 独法化攻撃は、大学を国家のもとに統制し、日帝の争闘戦と戦争への協力を大学に担わせていく攻撃です。研究内容・評価・予算・人事に至るすべてを国家が掌握・統制していくものです。それは大学自治、学生自治の破壊であり、学生・教職員の自由と権利、生活そのものを奪うものです。
 反対する会は、クラスで独法化反対と討論を呼びかけてきました。文部省は、来年度中にも独法化を決定し、二〇〇三年度には導入しようとしているにもかかわらず、一切学生には知らされていません。
 独法化を図示した模造紙を黒板に張って説明するなど工夫し、「独法化で、学生の生活や権利が破壊され、国家や企業の利益のために生きることが強制される」と訴えました。一言カードで意見を集め、それをビラなどで全キャンパスで紹介していくという風に議論を広げていきました。
 クラスの半分以上が反対で、賛成はわずかです。「学問の自由、大学自治の破壊につながる」「大学が企業の予備校になる」「授業料が上がる」「国のために研究するわけではない」「戦前のようになる」などの反対意見がどんどん出されています。
 集会には、八十五人が参加しました(写真)。「自民党・文教部会が『国の意思を大学運営に反映させうる制度』だと述べているように、独法化は、大学・学生から政府へと主体が大転換するもの」と全員で確認しました。寮生やサークル員からは学生自治・サークル自治破壊や授業料値上げは許さないとの訴えが行われ、゛学問や大学生活の自由を破壊する独法化許さない″という替え歌も披露されました。
 最後に、独法化を進める阿部学長に対して、ストライキ決議をあげて反対表明を迫っていくことを確認し、夕方には阿部学長に「学生・教職員の立場に立って独法化に反対せよ」と迫る要求書をたたきつけました。
 反対する会は現在、スト決議運動に突入しています。「独法化反対! 阿部学長は反対を表明せよ」のスト決議がクラスから次々とあがっています。
 独法化攻撃を絶対阻止しよう。 (東北大 A・M)

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週刊『前進』(1981号4面3)

連載 2000年日誌 阻もう! 戦争への動き 10月25日〜31日
 自由党が独自改憲案に着手 自衛隊が負傷米兵輸送訓練

●衆院憲法調査会 「二十一世紀の日本のあるべき姿」をテーマに衆院憲法調査会が開かれた。参考人の市村真一・国際東アジア研究センター所長は、二十一世紀後半にエネルギー資源や新技術をめぐる状況が激変する可能性があるとして、゛地域紛争や核戦争の脅威に備えるためにも憲法九条を全面的に改定すべきだ″と主張した。(26日)
●非拘束名簿式が成立 参院選比例区を非拘束名簿式とし、参院定数を十削減する改悪公職選挙法が衆院本会議で、自民、公明、保守の与党三党などの賛成多数で原案どおり可決、成立した。衆参両院の実質審議はわずか七日間。(26日)
●ジュゴン保護を要請 沖縄県名護市辺野古沿岸域に生息するジュゴンの保全対策などを盛り込んだ意見書を全会一致で採択した名護市議会の要請団が、沖縄開発庁に、ジュゴンの予備的調査にあたって有識者などとの意見交換や情報公開などを求めた。中川秀直長官は、調査結果を代替施設協議会へ報告、公表する考えを示したという。(26日)
●臨検法案を閣議決定 政府は、安全保障会議と閣議で「周辺事態に際して実施する船舶検査活動に関する法律案」(船舶検査法案=臨検法案)を決定、直ちに国会に提出した。(27日)
●米軍機が北朝鮮領空侵犯
 在韓米軍司令部が、米韓合同軍事演習「フォール・イーグル」に参加していた米戦闘機二機が二十六日に北朝鮮領空を一時侵犯したと発表した。(27日)
●CH53ヘリ飛行再開 米海兵隊が、墜落事故を起こし八月から飛行を停止していた大型ヘリCH53の飛行を再開した。沖縄県の普天間飛行場に配備されている同型二十六機も飛行を開始している。(27日)
●民主党が改憲作業部会を設置 民主党が党憲法調査会で「総論」「統治制度」「人権」「地方自治」「国際・安全保障」の五つの分野別作業部会を設置することを決めた。(27日)
●反戦地主が収用委へ意見書 米軍楚辺通信所(沖縄県読谷村)と牧港補給地区(同浦添市)の強制使用手続き問題で、来年三月以降の提供契約を拒否している反戦地主二人が「使用認定は適法性、合理性を著しく欠き、『明白かつ重大な瑕疵(かし)』が存在する」との意見書を沖縄県収用委員会に提出した。収用委は、早ければ年内にも公開審理を開く考え。(27日)
●特措法施行後初の原発防災訓練 今年六月に施行された原子力災害対策特別措置法に基づき国が中心になって実施する全国初の原子力防災訓練が、中国電力島根原発で事故が発生したという想定で、東京の首相官邸と現地の島根県が連携して実施された。(28日)
●東京で教育改革国民会議公聴会 森首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」の公聴会が福岡、大阪に続き東京の千代田区公会堂で行われた。(28日)
●自由党が改憲試案に着手
 小沢一郎の自由党が、独自の改憲試案作りに着手した。試案策定に向け、まず年内に「国のあり方」「天皇制」「安全保障」「教育」「憲法改正手続き」など十二項目からなる「新しい憲法を作る基本方針」をまとめる方針。(29日)
●民主党が緊急事態法制の中間報告 民主党の緊急事態法制検討プロジェクトチームが中間報告をまとめた。報告は緊急事態法制を、@有事に至るまでの法制、A有事法制、B自然災害時における法制、に分類し、@に「領域警備」を自衛隊の任務に加えることなどを盛り込んだ。(29日)
●米軍NLPの8割が本土で 米海軍の空母キティホークの艦載機による夜間発着訓練(NLP)が、今年に入り三沢(青森県)、横田(東京)、厚木(神奈川県)、岩国(山口県)の本州四基地で約八割実施されていることが新聞社の調べでわかった。これまで在日米軍は「硫黄島でNLPの九割を実施している」と強調してきた。(30日)
●横田基地で負傷兵輸送訓練 日米共同統合演習の一環として、自衛隊が十一月九日、米軍横田基地で「災害訓練」を名目に、米軍の負傷者の医療を支援する訓練を初めて行う。統合幕僚会議によると、訓練は横田基地で爆発火災が起きて米軍人に負傷者が出たと想定。海上自衛隊のヘリが負傷者を自衛隊横須賀病院(神奈川県)に輸送する。災害派遣は自治体の要請で行うのが原則。米軍横田基地が「通常の訓練」と、地元の福生市に演習を通告した。(30日)
●基地建設、陸上部分含むと示唆 代替施設協の第三回会合が開かれた。政府は、九七年に防衛施設庁が実施した地形・生物分布調査の報告の中で、「キャンプ・シュワブ水域名護市辺野古沿岸域」としてきた「建設地点」について、キャンプ・シュワブ水域内と、辺野古区を中心とした前海面とそれに連なる一部陸域も含まれることを初めて明記。代替施設の建設位置が陸上部分も含んでいることを示唆した。(31日)

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週刊『前進』(1981号5面1)

星野異議審勝利へ
 獄中26年の不屈の闘いに応え星野同志の奪還をかちとれ
 全国に救援運動広げよう

 一九七一年沖縄奪還闘争戦士・星野文昭同志は、一九七五年八月の不当逮捕以来、実に二十六年目の獄中闘争を完黙・非転向で貫徹している。二十六年! 一体全体こんなことが許されるのか! 星野同志の決起は正義であり、しかも、無実なのだ。革命党の矜持(きょうじ)にかけて絶対に星野同志を奪還しなければならない。すべての労働者人民の皆さんが、今こそ星野奪還に全力で決起することを訴える。

 星野同志は無実だ必ず再審の実現を

 星野同志は、星野弁護団とともに、一九九六年に再審を請求した。
 星野同志の裁判は、徹頭徹尾デタラメである。そもそも星野同志を有罪とする証拠は何ひとつないどころか、ねつ造されたものである。七一年十一・一四当日のデモ参加者のうち、星野同志の出身大学の学生たちを狙い打ちに事後逮捕し、その多くが未成年であったことにつけこみ、親を動員して「殺人罪」恫喝で転向、屈服を強要して、うその目撃供述を強いたのだ。
 裁判は、十五年をかけて争われたが(星野同志の裁判としては七六年から)、その内容は実質破防法であり、組織責任論である。検察側は、「共謀共同正犯」論を言いながら、共謀の中身について何ひとつ立証できなかった。そして、何がなんでも星野同志を極刑にすることを目的に、強引に「星野実行行為」なる共犯者供述をデッチあげて、「殺人罪」を適用したのだ。絶対に許せない階級的犯罪だが、ここに敵の弱点もまた明らかである。
 すなわち、「実行行為=警察官殴打、火炎ビン投擲(とうてき)の指示」を強引に「立証」するために「目撃供述」をデッチあげたため、当然にも供述は矛盾だらけの代物であるということである。
 二審では、六人の供述証人を弁護側証人として、また取調警察官、検察官を尋問した。この中で、一審でも供述の撤回がなされていたが、よりその供述のデッチあげが明白になっていったのである。そして、いよいよ供述証人の中でも焦点のO証人を取り調べた警察官の尋問直前で、草場(後に最高裁長官となった)が突然裁判を打ち切ったのだ。これはブルジョア裁判の建て前をもかなぐりすてたテロである。
 九六年の再審請求では、デッチあげ供述がどのようになされたのかに関して、明快に立論し、事実調べの開始、特にO証人の尋問(一、二審とも証言拒否)の不可欠性を迫った。これに対して東京高裁第一一刑事部は、弁護団との折衝さえまともに行わず、事実調べも、星野同志の無実の訴えすらも無視して、本年二月二十二日に棄却を決定した。弁護団は直ちに異議を申し立て、現在、東京高裁第一二刑事部で異議審を闘っている。また、九月二十六日には補充書1(本年中に2を提出予定)を提出した。
 再審請求以来、星野再審運動では、再審要求署名提出と申し入れ行動を、家族を先頭に七次にわたって闘ってきた。再審署名への取り組みは、すでに五万筆を超えた。
 異議審は、緊迫した状況に突入している。補充書、証拠開示要求、新証拠提出を積み重ね、せめぎあいに勝利しなければならない。星野同志の無罪は必ずかちとれる。何よりも星野同志は無実なのだ。敵の側は何の自信もないのだ。゛「党派」だから、「過激派」だからちゃんとした証拠などなくとも有罪にできる゛、あるいは、゛国家治安のためには有罪は当然゛として、極悪のデッチあげを貫いているのだ。しかし、星野同志が無実であること、これは絶対的な真実だ。
 星野同志有罪の「証拠」=六人の供述はうそである。彼らは星野さんの殴打行為などまったく見ていない。裁判所は、この事実を直視せよ。供述調書のうそは、彼らの公判証言や、再審請求書、星野陳述書、新証拠、意見書、異議審補充書で明白である。直ちに、事実調べを行え。すべての証拠を開示せよ。
 星野同志は無実である。

 沖縄返還協定批准阻止闘争の意義

 星野同志は一九七一年十一月十四日、沖縄返還協定批准阻止闘争=渋谷暴動闘争に決起した。この闘いは、日本階級闘争においても、わが革命的共産主義運動においても、重大な意義を有した闘いであった。
 清水丈夫選集第三巻序文で清水議長は、「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」「五・一五体制粉砕=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」の戦略的総路線を確立した決定的意義をもつものとして、七〇年決戦を位置づけている。そして、「アジアの勢力圏をめぐる帝国主義間争闘戦がだれも否定できないかたちで本格的に全面化してきたのは九〇年代に入ってからであるが、その歴史的転換点=出発点として七〇年代がある」とし、その闘いの意義、つかみとった路線は、「これからますます光りかがやくものになっていこうとしている」と述べている(五七n)。
 六〇年闘争の過程でスターリン主義と決別したわれわれは、七〇年代の闘いにおいて、アジア人民、沖縄人民、被差別人民が苦闘している現実の変革を、日帝を打倒する自らの階級闘争の課題としてとらえることができたのであり、その闘いは今日に受け継がれている。端的に言えば、星野同志を先頭に、生身で突破して獲得した思想であり、路線、実践であったのだ。
 そうであるがゆえに、敵権力は星野同志に対し反革命報復をしかけてきた。同時に、わが隊列に対し破防法弾圧をかけ、それと一体となって反革命カクマルが白色テロで襲いかかってきたのである。
 星野同志に対して、「殺人罪」デッチあげ一審死刑求刑という戦後大衆運動では初めての死刑攻撃をしかけ、さらに、一審判決懲役二十年を不服として異例の検察官控訴を行い、強権的訴訟指揮で二審公判を途中で打ち切って、無期懲役刑をかけてきたのである。
 星野同志は、わが隊列が二重の反革命との攻防に苦闘している中で、獄壁に隔てられながらも、革命家魂、人間性を極限まで発揮して熾烈な獄中闘争を闘いぬいた。われわれは、今あらためてこの星野同志の二十六年間をわが身に引き据えて、七〇年代闘争、反革命との内戦に勝ち抜いた意義の内実を自らのものとしなければならない。
 星野同志は、七八年に拘禁症を発症し、刑務所当局の自殺房監禁、食事・給水制限、度重なる懲罰と日々闘い、八四年に自力で拘禁症を克服した。まさに、「死から生への転換」をかちとったのである。マルクス主義を指針とし、自己と人民に対する根底的な信頼が星野同志を死の淵から生還させた。

 星野さんを取り戻そうと広がる闘い

 こうした星野同志の不屈の闘いは、七九年死刑阻止十二万人署名提出という大衆的決起を呼び起こした。この過程で、故榎本志づ子さんが病身をおして熱烈な救援活動に決起し、星野同志の熾烈な獄中闘争を支えて下さったことを銘記しなければならない。また、八六年の暁子(あきこ)さんとの獄中結婚は、星野同志の獄中闘争を最深部で支えるものとなった。
 星野同志の闘いの階級性、正義性、人間性は、星野闘争開始以来しっかりと人民の心をとらえ、多くの人びとが星野救援運動に結集している。とりわけ、九六年の再審請求以来、全国八地区で星野救援会が発足したことは大きく展望を切り開くものであった。
 札幌では、高齢の母・美智恵さん、兄・治男さんを始め、親戚やキリスト者、友人が救援会事務局を形成し集会や署名集めの日常活動を展開している。特に署名では、高齢の会員が毎日の日課として集め、「北海道方式」の署名集めの方法として全国に範を示している。山形では、会員が農業の傍ら、暁子さんの家族を守り、星野救援に取り組んでいる。
 星野同志の出身大学・高崎経済大学のある群馬では、死刑廃止運動を担う会員を中心に、元共同被告・奥深山幸男さんの裁判からの自由を求める免訴運動と連携して運動が進んでいる。埼玉では、一九七一年十一・一〇沖縄ゼネスト闘争で警察官殺害をデッチあげられながら、無罪をかちとった松永優さんを中心に、教育問題に取り組む人士など、広範なネットワークが形成されている。
 東京では、暁子さん、弟・修三さんら家族の闘いを守る形で、杉並を中心に幅広い運動が展開されている。
 星野同志が服役する徳島では、弁護団や家族面会の支援を軸に、八七年徳島移監以来の救援活動が取り組まれている。関西では、キリスト者を軸に、西日本での星野救援運動の拠点として、諸活動が取り組まれている。
 沖縄では、平良修牧師、島田善次牧師、知花昌一さん、知花盛康さん、長嶺勇さんら、沖縄闘争を闘う人士を中心に、家族ぐるみで活動を展開している。
 このような地域救援会を軸に、今日、より広範な層へと拡大するために、大衆的に多様な闘いが取り組まれている。多くの人びとが、「これは党派の問題ではない。星野さんは取り戻さなければならない」と運動を支えており、飛躍的な広がりが生まれつつある。
 弟・修三さんを中心にしたパフォーマンス全国公演、杉並や徳島の会員による星野同志の歌の制作、演奏、さらには、本、ビデオディスクなども準備されている。
 また、二〇〇一年星野カレンダーは、星野同志が描いた絵七点と暁子さんの詩で構成されている。星野同志の長年にわたる闘いで獄中で絵を描く権利をかちとり、宅下げをかちとったのである。獄中闘争を支えるものとして、多くの人びとにぜひ購入を呼びかける。

 家族の闘いに応え星野同志守り抜け

 七一年の機動隊一名せん滅という事態の中で、敵権力は、何がなんでも星野同志を死刑にしようとした。しかし、これは、十二万人署名という大衆的決起で阻止した。次には、無期判決という獄死攻撃を狙ってきたのである。これに対し、星野同志の熾烈な闘いを先頭に、今日まで闘いぬいてきている。
 この敵権力の攻撃を絶対に粉砕しなければならない。星野同志の生命、肉体、思想、信念、感性のすべてを、奪還するまで絶対に防衛し続けなければならない。それ自体すさまじい闘いである。そしてまた、高齢の母・美智恵さんを始め、苦難を強いられている家族を防衛しなければならない。獄中処遇をめぐる攻防という戦線での新たな闘い方を切り開き、勝利しなければならない。
 この領域での闘いとしてわれわれは、暁子さんの獄中結婚以来十四年にわたる苦闘をわがものとして、その闘いに学ばなければならない。暁子さんは、獄中への「毎日便」、毎月の面会をかかさず担いぬいてきた。そして、星野救援運動においても、常に先頭に立ち全国を東奔西走して、その基盤をつくったのである。獄中の星野同志を防衛する闘いにおいて、敵との日常的攻防戦に勝利しなければならない。こうした闘いこそ、完黙・非転向の獄中闘争の内実を深く豊かに創造するものである。
 また、新たな運動として、今年七月十五日に結成された「獄中者とその家族が子どもを生み育てる権利を求める会」がある。暁子さんを軸に、獄中人権、夫婦面会の権利を獲得する運動として立ちあげ、広範な人びとが注目している。
 星野集会に結集した救援活動家は、「非転向の星野さんだからこそ、人権を踏みにじっている日本の監獄を変えることができる」「文昭さん、暁子さんの勇気ある闘いに敬意を表する」と発言し、星野同志の原点に立った闘いに共感がまきおこっている。 
 すべての同志、闘う人民は、異議審勝利・星野同志奪還に決起しよう!

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週刊『前進』(1981号5面2)

改憲阻止、都議選必勝へ冬期大カンパのお願い
 共に21世紀の勝利開こう
 革命的共産主義者同盟

 すべての同志諸君。支持者、『前進』読者の皆さん。革共同は、冬期一時金カンパ決戦への突入と、カンパへの協力を熱烈に訴えます。
 今回の冬期一時金カンパ決戦に際して、心から訴えたいことは、以下の三点です。

 国労大会決戦が大きな勝利 

 第一は、革共同が提起し闘ってきた二〇〇〇年決戦は確実に勝利し、二十一世紀の大いなる展望を指し示したということ、さらに二十一世紀の偉大な前進を、ともに闘いとりたいということです。
 十月二十八日、二十九日の国労定期大会での四党合意の強行阻止と十一・五労働者集会への総決起は、二〇〇〇年の勝利を確定しました。革共同は、年頭から二〇〇〇年の三大決戦を全力をあげて闘いぬき、勝利の地平を労働者階級とともに闘いとることができたと確信しています。
 この一年をとおして、米帝バブルの崩壊と二九年型世界大恐慌の本格的切迫の現実性がいよいよ明らかとなり、帝国主義の歴史的生命力がついえつつあることは、もはや疑いありません。日本帝国主義もまた戦後最大の恐慌と長期大不況、国家財政破綻(はたん)の泥沼にあえぎ、戦争と大失業と社会保障解体の攻撃を強めつつあります。
 こうした中で、政治支配の危機が爆発し、石原的なファシスト政治が、ついに帝国主義に必然的なものとして登場してきました。何よりも森・中曽根・石原らは今秋、反動枢軸を形成し、一挙に改憲・有事立法と教育基本法改悪を軸とした歴史的な大攻撃に打って出てきました。
 われわれは、こうした情勢に対決し、三大決戦の勝利をかちとってきたのです。
 長谷川英憲氏を押し立てた衆院選への挑戦は、日帝の体制的大破綻が明らかになる中で、戦後最大の政治決戦となりました。革共同は真の革命的労働者党への脱皮をかけ、闘いぬきました。残念至極にも当選を果たせなかったとはいえ、十分な手応えと国政への再挑戦権を手にしたと絶対に確信しています。
 そして七月沖縄サミット決戦は、沖縄闘争を絶滅しようとする日帝の狙いを、世界を揺るがす大デモンストレーションの爆発で見事に粉砕し、名護新基地建設を阻止する闘いを先頭に、新たな沖縄闘争の展望を切り開きました。
 さらに国鉄決戦が、七・一―八・二六と、四党合意絶対阻止をかけて、戦後の戦闘的労働運動の絶滅を狙った国家的不当労働行為との階級と階級の一大激突として闘われ、階級情勢を大きく塗り替える地平を開きました。
 今や、戦闘的労働運動の新たな潮流の登場が、労働者階級の進路を明々と照らし出しています。革命的情勢の急速な接近に対し、革命的大衆行動の組織化と九一年五月テーゼの物質化の闘いが、大きく結実しつつあるのです。

 世界の大激動と人民の決起

 第二は、まさに今、世界史が大きな曲がり角にさしかかっているということです。
 来るべき世紀は、二十世紀に残された課題、すなわち反帝・反スターリン主義のプロレタリア世界革命の完遂に向けて、現実的勝利を切り開く世紀になろうとしています。それは、戦争と革命、スターリン主義の登場と崩壊の世紀であった二十世紀に、プロレタリア世界革命の勝利で終止符を打つということです。
 二十一世紀冒頭に迎えようとしている情勢は、すでに二十世紀最後の十年間の大激動に、くっきりと予兆されています。ソ連崩壊をメルクマールとするスターリン主義の歴史的破産が、帝国主義世界体制の危機の中に内在化することで、帝国主義の基本矛盾が全面的に爆発し、世界戦争へと転化していく、恐るべき情勢が訪れているのです。
 しかし他方で、これに対して、帝国主義とスターリン主義への怒りに燃えた全世界人民の闘いが、新たな高揚を開始しています。ユーゴスラビアで、中東・パレスチナで、南朝鮮・韓国で、インドネシアで、そして全世界で、労働者人民の闘いが巻き起こっています。ここに勝利の現実性が脈打っているのです。
 二十一世紀は帝国主義とスターリン主義を最後的に打倒し、革命的大衆行動、武装蜂起と権力奪取、プロレタリア独裁を現実的に闘いとる歴史的な階級決戦の時です。絶対にそうしなければなりません。問われているのは、反帝・反スターリン主義世界革命であり、その党です。
 日本の労働者人民は、今こそ戦後革命の敗北をのりこえて、荒々しく登場し、新時代を開かなければなりません。 革共同は「連帯し侵略を内乱へ」の旗を高く掲げ、二十一世紀を、労働者人民が自らの力に目覚め、社会の主人公として立ち上がる時とするために全力で闘う決意です。
 第三は、今や階級情勢が、現実に疑いなく革命と反革命の激突へと急速に進展しているということです。
 日本共産党は、日帝・森の改憲攻撃の激化の中で、ついにそのスターリン主義反革命としての本質をむきだしにして、一層の裏切りと大転向を深めています。
 現代のナチス=カクマルは、今日、黒田・松崎路線の大破産で、深刻な中枢的矛盾・対立に突入し、JR総連の亀裂・崩壊という絶望的な危機を迎えています。ついに、カクマル=JR総連打倒の絶好機が到来しました。
 断固たる行動の党、革命的大衆行動を組織できる党が、全情勢を決定づけ、勝利を切り開くのです。革共同は労働者人民の先頭に立ち、その勝利に責任をもつという階級的使命を果たす決意です。革共同は、その試練に耐えうる唯一の前衛党として、これまで自らをみじんのあいまいさもなく鍛え上げてきたことに、誇りをもっています。
 それは、反帝・反スターリン主義プロレタリア世界革命の綱領をもった革命的前衛として、四十余年の死闘をくぐり抜けてきたことに示されています。七〇年安保・沖縄決戦を跳躍台に革命的左翼の首座として登場して以来、現代のナチス=カクマルとの三十年に及ぶ反ファシスト解放戦争を勝利的に闘い、破防法弾圧を打ち破り、超長期獄中弾圧を跳ね返して、勝利を開いてきました。そして三里塚空港建設という国策に、今も事実上の破産を強制しています。そして「社・共にかわる労働者党」としての登場をかけ必死に前進しています。
 階級的解放と民族的解放を階級的解放を軸として革命的統一的にかちとっていく路線を確立し、真にマルクスの『共産党宣言』の思想を適用したものが五月テーゼ・一九全総・二〇全総路線なのです。この思想と路線を原則的に実践してきたことこそ革共同を二十一世紀を導く唯一の前衛党としているのです。
 プロレタリア人民の未来は革共同の成長・飛躍と強化、これと離れてはありません。このことは何ら誇張ではないと確信します。

 財政こそ飛躍と勝利の土台

 革共同が、さらに飛躍し勝利を開くためには、党の活動と闘いの基礎となる財政が絶対的な土台です。財政闘争こそは、意識的計画的に闘いぬかれ、勝利しなければならない決戦です。端的に言って、財政力の強弱で次の闘争の規模が決せられるといっても過言ではありません。
 二十一世紀をともに闘い、プロレタリア世界革命の勝利の時とするために、是非とも私たち革共同に絶大な支援を寄せて下さい。
 二〇〇〇年三大決戦の勝利の地平を引き継いで、二〇〇一年の改憲阻止決戦の爆発、ファシスト石原打倒と都議選必勝、国鉄決戦勝利―戦闘的労働運動の防衛と発展、カクマル=JR総連の解体・打倒に向けて、革共同への絶大な冬期一時金カンパを心からお願いする次第です。
 ともに闘いましょう!

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週刊『前進』(1981号6面1)

名護新基地建設絶対阻止へ
沖縄圧殺・SACO貫徹攻撃打ち破る新たな闘いの爆発を
 城間 正

 日帝は、沖縄サミット以後、名護新基地建設の強行にがむしゃらに突進してきている。名護新基地建設は日帝の安保・沖縄政策、アジア侵略戦争政策のかなめである。名護新基地建設阻止決戦は、安保・沖縄闘争の帰すうを決するものとして、いよいよ重大な段階に入った。沖縄の闘う労働者人民は、一年三カ月に及んだ沖縄サミットとの決戦を勝ち抜いた地平の上に、名護新基地建設阻止・SACO路線(米軍基地の県内移設・統合=強化)粉砕に追い込むために猛然と決起している。そして、その勝利のためにこそ、社・共に代わる真の労働者党の登場を心から待ち望んでいる。今こそ国鉄決戦の進撃と十一・五労働者集会の成功を跳躍台に、名護新基地建設絶対阻止・SACO路線粉砕へ、闘いの大爆発をかちとろう。〈闘う労働運動の新しい潮流〉の旗を高々と掲げ、二十一世紀の安保・沖縄闘争を切り開こう!(写真は、十月二十一日の沖縄県民大会で、会場の与儀公園からデモに出発するヘリ基地反対協など)

 朝鮮・アジア人民の決起と日米争闘戦の激化の情勢

 自民党幹事長・野中は、サミットが終わるや否や、八月に名護入りし、小渕と梶山の「遺影」を振りかざして、岸本以下の金権亡者連中に向かって「分かっているな」と恫喝した。名護の地元出身で森派の衆議院議員・嘉数知賢は、「まず、移設ありきだ」「十五年使用期限とか言うな」と、日帝・森政権の本音をむき出しにしている。
 さらに日帝は、政府・県・名護市の三者による米軍普天間飛行場の「代替施設協議会」や、この間中断されていた日米間の「普天間実施委員会」を相次いで開催するなど、基地建設強行突破に向けた攻撃を決定的に強めているのである。
 日帝と米帝を名護新基地建設攻撃=沖縄の「基地の島」としての強化へ一層駆り立てているものは何か。それは、帝国主義のアジア新植民地主義支配体制の危機の激化であり、中国・北朝鮮などアジアにおける残存スターリン主義の崩壊的危機の深まりである。
 二〇〇〇年、朝鮮、台湾、インドネシアなどアジア情勢は、帝国主義と残存スターリン主義による人民抑圧・民族圧殺体制の崩壊が現実のものになっていることを示している。
 アジアの戦後支配体制を地殻変動的大激動にたたき込んでいるのは、二九年型世界大恐慌が現実に切迫し、IMF・米帝や日帝によるアジア勢力圏化の争闘戦が激化しているからである。その最大の焦点は日米争闘戦の非和解的激化である。このような日米帝に対してアジアの民族解放・革命戦争が歴史的な爆発を開始しているのである。
 南北首脳会談以後の南朝鮮・韓国情勢は、朝鮮人民の南北分断打破=革命的統一への民族的=階級的闘いが歴史的大爆発過程に入ったことを示している。南朝鮮人民は、「米軍駐留と国家保安法を残したままでの南北統一はあり得ない」と金大中政権の「南北和解」政策のペテン性を弾劾し、在韓米軍撤退、不平等な韓米行政協定(SOFA)改正、国家保安法撤廃を掲げて、梅香里(メヒャンニ)の米軍射撃場を全面閉鎖に追い込む闘いなどを戦闘的に闘い抜いている。
 九五年以来の沖縄の新たな反基地闘争の高揚は、韓国や台湾、フィリピン、プエルトリコなどの米軍基地反対闘争と結合することで、かつてない情勢を生み出しつつある。
 米帝は、在韓米軍基地の「四〇%を撤去する」とか、韓米行政協定を「日米地位協定並みに改定する」と発表した。在韓米軍の「不動の特権」が、南朝鮮人民の血を吐くような闘いによって一つひとつはぎ取られつつあるのだ。アジアから米軍をたたき出す闘いが、歴史を画する高揚期を迎えているのである。 

 アジア戦略の再構築を狙う米帝

 名護新基地建設攻撃の強まりの背景には、日米争闘戦のすさまじい激化があり、とりわけ米帝のアジア軍事戦略の強化がある。
 来年、米帝は新政権のもとで四年ごとの兵力見直し(QDR)を迎える。米国防総省などの諸報告は、米軍のアジア前方展開が危機的であること、米帝の世界的覇権そのものが危うくなることを警告し、二十一世紀のアジア戦略の再構築に必死になっている。
 九月に米国防長官コーエンがアジアを歴訪した。コーエンは、「米軍のアジア十万人体制を維持する」と語り、さらに「人道援助・PKO(国連平和維持活動)」を口実にした米軍主導の「アジア多国間演習」をとおして、アジアにおける米帝的軍事体制の再構築を提唱した。
 これは、米帝の側からのアジアをめぐる日米争闘戦のエスカレーションである。アジア諸国を政治的・軍事的にも米帝の支配下に置こうとするものである。コーエンは、それと対をなすものとして、対中国「関与政策」を明言し、「多国間演習への中国軍参加」を呼び掛けた。さらに、朝鮮半島統一後も在韓米軍を堅持することを表明した。だからこそ、名護新基地の「十五年使用期限」をあらためて拒否したのである。
 他方、アーミテージ元国防次官補やナイ元国防次官補らは、十月、「米国と日本−成熟したパートナーシップに向けた前進」という文書を発表した。そこでは、「日米同盟は米世界戦略の中心」「日本の集団的自衛権解禁」というように日米同盟基軸論をエスカレートさせ、@新ガイドラインの完全履行、APKF(国連平和維持軍)参加凍結解除、B「在沖海兵隊の展開・訓練を他の地域に拡散」、C軍事技術やミサイル防衛での日米協力――などを打ち出した。
 アーミテージらは、日本政府の安保・沖縄政策が現状のままでは米軍の沖縄基地使用は不可能となる、新ガイドラインも発動できない、だから沖縄圧殺の貫徹と集団的自衛権の解禁に踏み切れ、と要求したのである。その背景には、米軍のアジア前方展開戦略の危機がある。
 アーミテージらの提言は、日帝の改憲と、独自の軍事大国化の衝動をも見据えたものである。つまり、とことん非和解的に激化する以外にない日米争闘戦の中で、日米安保体制の枠組みをギリギリまで活用して、米帝に有利なアジア軍事体制を構築しようということである。だから、アーミテージらが言う「日本の集団的自衛権の解禁」とは、あくまでも日米安保の枠内(=米軍の補完的戦力)での「解禁」なのである。
 現在行われている日米統合大演習は、このような米帝の対日・対アジア戦略を試すものである。日米争闘戦の非和解的激化が、日米帝の朝鮮・中国―アジア侵略戦争を歴史的に切迫させているのである。

 日帝の体制的危機の深化と改憲・有事立法攻撃の強まり

 他方、日帝は、米帝以上に日米安保の枠組みをギリギリまで使って、沖縄圧殺・SACO路線貫徹=新安保ガイドライン体制構築路線を進めようとしたが、それは肝心の沖縄で行き詰まっている。その反動的打開を狙って森・石原・中曽根反動枢軸が登場し、安保・沖縄と憲法体系の矛盾を反革命的に突破するために、改憲攻撃をもってこれを突破しようとしている。それをとおして独自の軍事大国化・侵略戦争国家として再登場することを狙っているのである
 だがそれは、対米関係、対アジア関係、沖縄を始めとした日本労働者階級人民との関係のいずれにおいても、日帝にすさまじく困難なハードルを課すものである。
 だから日帝は、沖縄圧殺=新安保ガイドライン体制の構築を基軸とした既定の路線をギリギリまで突き進むであろうが、そのためにも改憲攻撃を強力に押し出しつつある。衆参両院の憲法調査会では、「改憲は当然だ」「早く改憲の草案づくりを」などという議論が公然と行われ、また民主党・鳩山は「集団的自衛権を明記した改憲を」などとあおり立てている。
 こうした日帝の独自の軍事大国化・侵略戦争国家化の具体的突破口を切り開こうとしたのが、ファシスト石原都知事による九・三首都軍事大演習であった。また、教育改革国民会議による教育基本法改悪の攻撃や、今秋臨時国会における船舶検査(臨検)法案の制定策動、来年の通常国会への自衛隊有事法の提出攻撃などが矢継ぎ早にかけられている。
 このような形で改憲攻撃は全面的に開始されたのである。戦後日本の最大の階級決戦情勢がついに到来した。安保・沖縄闘争も日米帝による侵略戦争発動を阻止する闘いへと突入した。それは同時に改憲阻止決戦そのものである。新安保ガイドラインの発動として、憲法前文・九条(交戦権と戦力の放棄)が公然と破棄され、葬り去られようとしている。安保・沖縄闘争=改憲阻止決戦に総決起しよう。

 軍用地強制使用阻止闘争爆発へ

 沖縄圧殺攻撃の今ひとつの焦点は、米軍用地強制使用攻撃である。米軍楚辺通信所(象のオリ)の反戦地主・知花昌一さんと牧港補給基地の反戦地主・古波蔵豊さんの土地への改悪米軍用地特措法(注)の適用は、米軍有事法の先取りである。また、希代の沖縄差別法の適用攻撃である。
 日帝は、この攻撃によって反戦地主会・一坪反戦地主会の運動と組織の解体を狙っているのである。「法的抵抗手段」を根こそぎにすることで、敗北主義とあきらめを蔓延(まんえん)させ、闘いを内部から解体しようとしているのだ。断じて許してはならない。
 改悪米軍用地特措法との闘いは、有事立法粉砕・改憲阻止決戦を切り開く闘いであり、その前哨戦である。この米軍用地強制使用攻撃と真っ向から対決する闘いは、改悪特措法下の反戦地主運動・一坪反戦地主運動を新たに生み出す闘いとなることは確実である。
 その闘いのために、「戦争のための土地提供絶対拒否」「法律で土地は奪えても、反戦地主の心に楔(くさび)は打てない」という反戦地主運動の原点をしっかり据え直すことが決定的に重要である。知花さん、古波蔵さんとともに、公開審理闘争を始め強制使用阻止の闘いを断固闘い抜こう。さらに次の期限切れ(普天間=二〇〇二年五月、嘉手納=二〇〇三年九月)を九六年〜九七年を超える決戦にしよう。

 21世紀の安保・沖縄闘争を名護の闘いから切り開こう

 以上の諸情勢を踏まえ、名護新基地建設を絶対阻止し、二十一世紀の安保・沖縄闘争の大高揚を切り開くために、全力で闘おう。
 第一に、日帝対沖縄人民の非和解的対決をとことん推し進めることである。
 日帝や稲嶺・岸本らは、「名護新基地ができなければ、普天間返還はない」という居直り強盗のペテンと恫喝をもって名護新基地建設を推進しようとしている。彼らにはこれ以外の「論理」はないのだ。「普天間基地は居座り続ける」というならやって見ろ! 「世界一危険な空港」と言っているのは、いったい誰なのだ。普天間基地の居座りは、全基地撤去の闘いへと転化するだけである。
 また、日帝と稲嶺・岸本らは、「振興策」をえさに基地を押しつけるやり方を徹底的に強化してくるだろう。それは利権と直結している。それによって名護市東海岸住民や名護市民、さらに沖縄全県民を分断し、「二分」するような攻撃をかけてくるだろう。だが、これを断じて恐れないことだ。絶対反対を貫いた時、市民ぐるみ、県民ぐるみの闘いが必ず現実化する。そして、市民・県民を「二分」させるこのような日帝の沖縄差別政策に渾身(こんしん)の怒りをたたきつけることである。
 一切のかぎは、名護新基地建設絶対反対の陣形を名護・沖縄―全国につくり出すことである。「命を守る会」「二見以北十区の会」と名護ヘリ基地反対協を全国の労働者人民が支えきること、それと連帯する闘いに全国で決起することだ。
 「名護新基地建設絶対阻止! 米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」の〈二つの連帯戦略と一つの打倒戦略〉のもと、二十一世紀の安保・沖縄闘争の爆発をかちとろう。
 第二に、日帝の国家的国策的な沖縄差別政策を粉砕し、沖縄人民の自決・自己決定権の行使を断固貫くことである。
 日帝による改憲攻撃への踏み切りは、沖縄をこれまで以上の゛軍事監獄゛=反憲法状況にたたき込むことになる。日帝の国家的国策的沖縄差別政策がむき出しになる。だがそれは、沖縄人民の反基地闘争を本格的な実力闘争へと発展させるだろう。米軍政下での沖縄人民の闘いは、あらゆる面で非合法下の闘いとして始まり、米軍から自治権・自決権を一つひとつ拡大し、ついには「復帰は神話」という米軍政を破綻(はたん)させた。改憲=沖縄圧殺攻撃は、九五年以来の新たな沖縄闘争が内包している自決・自己決定権行使の闘いを前面化させ、本格化させるものとなるだろう。
 それは、「琉球処分」以来の日本―沖縄関係の全矛盾を極限化させ、日本国のあり方そのものを根底から転覆する内乱―プロレタリア革命を現実化させる。すでに、日帝による米軍用地強制使用問題は、反戦地主―沖縄県民から一切の「合法的抵抗手段」を奪ったことで、軍用地実力奪還=基地実力撤去の闘いへと本質的に発展している。南朝鮮・韓国やフィリピン、プエルトリコなどの反米・米軍基地撤去闘争と沖縄闘争の連帯・結合は、その意味でも重要である。
 第三に、したがって第三次安保・沖縄闘争の次の段階とは、改憲阻止決戦として安保・沖縄闘争を発展させていくことである。また先に述べたように、改憲阻止決戦から安保・沖縄問題をとらえ返した場合、改憲阻止決戦と安保・沖縄闘争は一体のものである。改憲阻止決戦の中で安保・沖縄問題の占める位置の大きさを確認することである。
 第四に、今こそ、沖縄から反革命カクマルを一掃するために総決起することである。
 改憲阻止決戦=安保・沖縄闘争の発展をかちとるためには、日帝の沖縄五・一五体制の反革命支柱=カクマルの完全打倒が絶対に必要である。また、「安保廃棄の凍結」「自衛隊活用」に大転向した日共スターリン主義との党派闘争を爆発させることである。
 その絶好の情勢が到来した。全駐労の沖駐労化、連合や平和運動センターなどの既成指導部の凋落(ちょうらく)、日共の大転向、JR総連=カクマルの大崩壊など、沖縄階級闘争の政治地図を根本から塗り替える情勢が到来しているのだ。JR九州労の大量脱退に見られるように、沖縄カクマルで起こったことが、いまJR総連=カクマル全体で起こっているのだ。
 沖縄のすべての労働者人民、とりわけ九〇年代の新たな沖縄闘争を牽引(けんいん)してきた戦闘的潮流のすべての皆さんに、今こそカクマル―沖縄カクマル完全打倒・一掃の闘いに総決起することを訴えたい。同時に、沖縄闘争破壊集団として登場した日共スターリン主義を、沖縄のあらゆる戦線から一掃するために立ち上がることを訴える。

 沖縄労働運動の新潮流つくろう

 第五に、以上の戦略的課題を実現していくために、沖縄でこそ闘う労働運動の新しい潮流を建設することが求められている。
 沖縄労組交流センターに結集する闘う労働者たちは、二〇〇〇年沖縄サミット決戦を一身に担いきることをとおして、このことを実感した。また、国鉄闘争の中にその勝利性を確信した。
 今日、日帝・森政権は、名護新基地建設の強行=沖縄圧殺の戦略的環として、沖縄労働運動の解体攻撃に踏み出している。NTT沖縄の大合理化=首切りや、基地内業務の民間委託、省庁再編・自治体リストラ攻撃などが襲いかかっている。既成党派・既成潮流は、日帝の先兵として登場している。
 全駐労沖縄地本は、十月の定期大会で、社民党支持の「連帯ユニオン」と中部地区労からの脱退を決定した。近づく基地業務の民間委託化攻撃を前に、闘わずしての屈服による「組織延命」が眼目である。実際、地本は「SACO関係職場の組合員への技能訓練」を本年度運動方針に組み込んだ。配転・転職のための「職業技能訓練」を労働組合が行うというのである。SACOを容認し、「基地問題の現実的解決」を唱える裏切り者・上原康助の路線である。断じて許すことはできない。
 こうした中で、十月二十二日の「国労闘争団支援沖縄集会」(実行委員会主催)は、沖縄労働運動の主体的飛躍をかけて開催された。サミット決戦をとおして鮮明になった既成党派の歴史的終焉(しゅうえん)、反革命カクマルの組織大崩壊の開始という地殻変動的な情勢の到来に対し、国鉄闘争と沖縄労働者階級の闘いが結合することで、戦闘的階級的な結集軸をうち立てる第一歩が記されたのである。
 沖縄サミット粉砕決戦の勝利の地平に立って、沖縄闘争の質的飛躍の最大の環は、国鉄闘争と沖縄労働運動の結合にこそある。国鉄決戦を基軸に、NTT沖縄の大合理化攻撃との闘いを先頭に、リストラ・倒産―賃下げ・配転・首切りの資本攻勢への総反撃に打って出ていこう。
 こうした沖縄闘争の決戦的展開の中で、那覇市長選が十一月五日告示、十二日投票で闘われている。那覇市長選は、沖縄の反基地闘争の今後の展開をも左右する決戦である。自民党・稲嶺陣営は、反動的な自公協力体制のもとに七二年「返還」後ずっと続いてきた那覇革新市政の転覆をたくらんでいる。これを断固粉砕しなければならない。沖縄の闘う勢力は、県民の新基地建設反対、反戦・基地撤去の意思を体現して立候補している堀川美智子氏勝利のために全力で決起している。全国の闘う労働者人民の支援・協力で、那覇市長選の勝利をかちとろう。

 闘う沖縄人民は革共同に結集を

 労働者階級人民は、全世界で帝国主義と残存スターリン主義の支配をうち破る闘いに決起している。゛迫り来る世界大恐慌−戦争と大失業の時代をプロレタリア世界革命の二十一世紀へ゛゛革命的情勢の接近に対応して革命的大衆行動に立て!゛という革共同の闘いの路線が、現実のものとなりつつあるのだ。
 十一・五労働者集会の成功を新たな出発点に、二〇〇一年改憲阻止決戦に総力を挙げて決起しよう! 名護新基地建設を絶対阻止し、第三次安保・沖縄闘争=改憲阻止決戦を切り開こう! ファシスト・カクマル、転向日共スターリン主義を今こそ打倒し、反スターリン主義・革命的共産主義の党を建設しよう!
(注)改悪米軍用地特措法
 九七年四月に改悪、九九年七月に再改悪された同法は、第一に、軍事収用の禁止と収用手続きの民主化を基本とする戦後土地収用法体系の根本的転換としてある。同法では、「使用認定」(「認定者」は総理大臣)された土地は、収用委員会の裁決のいかんにかかわらず強制使用される仕組みとなっている。「認定者」である総理大臣が「裁決」できるからだ。起訴した検事が判決を下すのと同じ制度である。
 第二に、新規使用・収用を想定した「緊急裁決」制度(改悪特措法第九条以下)を新たに設定した。これまでの特措法は、「有事」の緊急使用や新たに必要となる土地・施設の「使用」「収用」を想定していなかった。
 第三に、現行憲法体系を真っ向から否定するこの悪法を、日帝と与野党は、「安保国益」論と「沖縄だけに限定適用」ということで国会の九割の賛成で制定した。沖縄差別を意識的・計画的に使って軍事・外交政策を帝国主義的にエスカレートさせていく日帝の国家的国策的沖縄差別政策の典型なのである。

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週刊『前進』(1981号6面2)

新刊紹介 コミューン 12月号 生活保障の総破壊

 この号は、年金制度改悪を特集している。
 第一章では、まず年金制度の全体的仕組みを解説。そのうえで、厚生省などが発表した具体的資料にもとづいて、今年三月二十八日に成立した年金制度改革関連法による年金支給開始年齢の引き上げ、支給額削減、保険料負担引き上げなどの改悪のすさまじい実態を明らかにする。
 また、「準公的年金」である厚生年金基金などの規制緩和によって労働者の老後の生活が、巨大な金融資産の運用をめぐる争奪戦・日米争闘戦の嵐(あらし)の中に投げ込まれ、恐るべき不安定化を強いられることを示している。
 第二章では、昨年二月の経済戦略会議最終答申「日本経済再生への戦略」を軸に検討する。その中で、日帝が今回の年金制度改革関連法による改悪にとどまらず、「生活保障」という考え方そのものを悪とする価値観の原理的転換を狙っていることを示す。
 答申で提起された基礎年金の税方式化=消費税大増税、厚生年金制度の民営化は、労働者人民の生活を、消費税の大増税、「市場原理」、ギャンブル的投機と弱肉強食の世界に投げ込むと同時に、これまでの年金制度・退職金制度と不可分一体で形成されてきた終身雇用制と労働組合のあり方を破壊する。
 本号の特集には、年金問題についての詳細な用語解説がつけられ、さらに年金問題への取り組みを深めていく際に大いに役立つ。

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週刊『前進』(1981号7面1)

10月米朝協議の意味するもの
対日争闘戦と対北朝鮮政策のヘゲモニー再確立を狙う米帝

 アメリカ帝国主義と北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は、十月六日「国際テロに反対する米朝共同声明」を発表した。さらに、十月八日には、趙明録(チョミョンロク)・北朝鮮国防委員会第一副委員長が訪米し、クリントン米大統領と会談、十二日に米朝両国が「朝鮮戦争以来続いた敵対関係を終わらせる共同コミュニケ」を発表した。これを受けて二十三日、オルブライト米国務長官が訪朝、金正日(キムジョンイル)総書記と会談し、二十四日には「米国務長官のプレス声明」を発表した。この一連の過程をとおして、「米朝は国交正常化に近づいた」「朝鮮半島で唯一残る冷戦構造は解消される」との宣伝がかまびすしくなされた。はたしてそうであろうか。答えは断じて否である。米帝の政策には対日争闘戦と、北朝鮮スターリン主義への取り込み、コントロール、体制転覆の路線が貫かれている。この中で、日本帝国主義は新安保ガイドライン体制を軸にして軍事大国化、侵略国家体制づくりに突進している。それは米・日帝国主義の朝鮮侵略戦争の歴史的切迫情勢をいよいよ不可避とせざるをえない。米朝協議の進展が「新しい平和の局面をもたらす」という帝国主義の宣伝を打ち破り、「米日帝の朝鮮侵略戦争阻止」「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」「米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」の旗を掲げて総決起しよう。

 米帝の対北朝鮮政策の戦争的本質は不変

 この十月に進展した一連の米朝協議の過程は、何を示しているのであろうか。
 第一に、「米朝関係の正常化」によって「アジアにおける冷戦構造が解消し、朝鮮半島に平和が訪れ」、新しい局面が到来するという帝国主義の宣伝とはまったく逆に、二十一世紀のアジアが帝国主義の侵略と侵略戦争と、これに対する労働者階級と被抑圧民族人民の帝国主義打倒と民族解放をかけた決起とが激突する世界史的激動期への突入を告げ知らせているということである。
 米帝による戦後世界支配体制は全面的な崩壊を開始している。帝国主義世界経済は二九年型世界大恐慌過程に突入し、生き残りをかけた帝国主義は争闘戦を展開し、激しい抗争を開始している。
 こうした中で、ヨーロッパでは中欧、東欧、南欧での帝国主義による勢力圏化のための争闘戦が、米帝とヨーロッパ帝国主義のユーゴスラビア侵略戦争の強行として現出した。その帝国主義によるユーゴスラビア侵略戦争に対する労働者人民の怒りが、セルビアにおける労働者人民の解放闘争の歴史的高揚をもたらしているのである。
 また、中東では、パレスチナ人民の民族解放の闘いが、米帝による中東支配のための中東和平策動を完全に破産に追い込み、イスラエル=米帝との非和解的対決へと発展している。
 朝鮮半島においても、六月の南北朝鮮首脳会談を契機に、朝鮮人民による南北分断体制打破・革命的統一の闘いが、南朝鮮人民の在韓米軍基地撤去の闘いと一体のものとして発展し始めている。
 ついに全世界で、帝国主義の支配、侵略と侵略戦争を打ち破り、反帝国主義・反スターリン主義世界革命によってしか決着のつかない激突が開始されたのである。世界史は死の苦悶(くもん)にのたちうちまわる帝国主義を打倒する労働者階級と被抑圧民族人民の反帝・反スターリン主義世界革命の時代を迎えたのだ。
 こうした時代の到来に対応して、米帝は世界支配の覇権の再確立、とりわけ朝鮮半島における帝国主義的支配をかけて、米朝協議に乗り出したのである。
 米帝の対北朝鮮政策は、北朝鮮に軍事的戦争的重圧と経済的政治的制裁を加え続ける中で、北朝鮮の「核・ミサイル開発」を徹底的に抑えこむことに核心が据えられている。
 そうした点で、十月に行われた一連の米朝協議には「米朝関係の新しい局面」などと呼べるものは何ひとつない。それどころか、それは「米帝が、対日、対中情勢を見て対北朝鮮の関係を再整理し、〈核開発・ミサイル開発の凍結・阻止と米朝関係の正常化〉なるものの方程式をどんな形で解いていこうとしても、いずれは破局点に行き着くしかない」(本紙一九三七号6面)ものなのである。

 対中国スタにらんだ米帝の主導性の強調

 第二に、米帝は「米朝関係の劇的進展」なるものを演出し、朝鮮半島支配の主導性を日帝に対して、中国スターリン主義に対して、またロシアに対して、そして全世界に押し出そうとしているということである。
 分断国家化された小規模な残存スターリン主義としての北朝鮮は、絶望的危機にのたうち回っている。そこからの脱出をかけて、北朝鮮スターリン主義は、中国スターリン主義の支持を取り付け(金正日総書記の訪中−江沢民主席との会談=中朝関係の再形成)、六月には南北朝鮮首脳会談を行い、七月にはプーチン・ロシア大統領の訪朝と金正日総書記との会談(朝ロ関係の再形成)などに踏み込んだ。またASEAN地域フォーラム(ARF)に初参加し、白南淳(ペクナムスン)外相を出席させた。
 さらに日朝国交正常化交渉をも進めた。そして十月のASEM(アジア欧州会議)では、イギリス、ドイツ、スペインが北朝鮮との国交樹立を表明した。
 こうした動きを受けて、米帝は朝鮮半島の帝国主義的支配の主導権を再確立するためにも、北朝鮮に対して対米政策の基軸性を認めさせ、北朝鮮の延命と生き残りのためには「米朝関係の正常化が不可欠」であることを突きつけたのである。北朝鮮に対して、米帝と日帝(の新安保ガイドライン体制)による戦争的重圧と体制的転覆の重圧を強烈に突きつけることによって、北朝鮮に「米朝関係の主導性」を認めさせようとしたのである。
 だが、十月十二日の「米朝共同コミュニケ」でも、二十四日の「オルブライト国務長官のプレス声明」でも、〈北朝鮮の核開発・ミサイル開発の凍結・阻止と米朝関係の正常化〉なるものの方程式の解答は何ひとつとしてないのである。
 「米朝共同コミュニケ」では、「北朝鮮は、ミサイル問題に関する協議が継続している間はすべての長距離ミサイルを発射しないことを米国に通報」した、あるいは「休戦協定を強固な平和保障体系に変え、朝鮮戦争を公式に終結させる上で四者会談(米、中、南北朝鮮)などの様々な方途があることで見解が一致」した、などが盛り込まれているだけである。これは、昨年の米朝協議ですでに確認されたものであって、「新たな米朝関係の樹立」などではない。ただ「米大統領の訪朝を準備するため、オルブライト国務長官が近く訪朝することで合意」したことだけが「新しい」合意項目である。
 また二十四日の「国務長官のプレス声明」では「わたしは総書記に、過去の敵対から解き放たれ、この地域の安定と平和に貢献、南北朝鮮の和解のプロセスを支援する両国の関係に関する米国の理想像について説明した」と、朝鮮半島に対する米帝の支配を受け入れろと迫った。
 そして「わたしはホスト役の北朝鮮側に対し、地球的規模の課題と国際規範の順守、テロ、人権、行方不明者に関し最大限可能な説明をする必要性、人道問題、そして朝鮮半島の緊張緩和へ向けた具体的措置の必要性といった幅広い懸案事項を提起した」と、核・ミサイル開発・輸出をやめよ、すでに米朝で合意したはずの「国際テロ放棄」を実行せよと要求した。
 さらに「やらなければならない多くの仕事も残っている。ミサイル問題専門家が来週協議する」と、米朝間では依然として〈核・ミサイル開発問題〉は未決着であり、すべてはこれからだと「声明」し、北朝鮮への一層の屈服を迫ったのである。
 ここで米帝は、九四年十・二一米朝合意枠組み路線とその継続・拡充としてあった「ペリー報告書」路線をそのまま踏襲しているのである。そもそもオルブライトは、北朝鮮に「核・ミサイル開発」の放棄を迫り、「国際テロ」の放棄を要求し、北朝鮮がそれに屈服しない限り、軍事的戦争的重圧と経済的政治的制裁を加え続けると恫喝しているのだ。
 米帝は対北朝鮮政策での自らの主導性再確立と、北朝鮮スターリン主義の対米政策基軸での延命と生き残りの追求とが、米朝関係の「新展開」なるものを生み出したのである。

 核・ミサイル問題の核心点は対日争闘戦

 第三に、米帝の対北朝鮮政策は対日争闘戦として激しく展開されているということである。北朝鮮スターリン主義もこの日米争闘戦を意識し、対米政策、対日政策を展開している。
 米帝にとって、北朝鮮のミサイル開発問題とは、長距離ミサイル開発自体の脅威ということや中東へのミサイル輸出の阻止という問題はあるにしても、それにとどまるものではない。それは、むしろ対日帝の問題として存在している。
 日帝は、北朝鮮の核開発やミサイル開発を口実としテコとして、日帝自身の核・ミサイル開発や軍事大国化、新安保ガイドライン体制を軸とした侵略戦争国家体制づくりの政策を一挙に進めようとしているのである。米帝にとっては、北朝鮮の核・ミサイル開発問題や朝鮮半島情勢を口実としテコとして日帝がアジアの軍事大国になっていくことは絶対に許せないことなのだ。
 米帝は、北朝鮮を米帝のヘゲモニーのもとに取り込み、最大限コントロールすることで、対日争闘戦的に最もよい構図を作ろうとしているのである。つまり、朝鮮半島の支配をめぐって、さらに中国−アジアの支配をめぐって、米帝と日帝が水面下で陣取り合戦を始めているということだ。
 だからこそ、米帝は、残存スターリン主義として絶望的危機にのたうち回り、そこからなんとか脱出しようとあがく北朝鮮スターリン主義につけこみ、朝鮮半島情勢に介入しようとする日帝との争闘戦を前面に押し出し、勝ち抜こうとしているのである。
 これに対して、日帝は日朝国交正常化交渉を進めて対抗しようとしている。日帝は北朝鮮の体制的危機からの脱出という点でも、南朝鮮・金大中大統領の「太陽政策」の進展という点でも、「結局は、日本からのカネで決まる」(外務省幹部)と言い放っている。だが金正日総書記は「自尊心を曲げてまで日本との修交(国交正常化)はしない」と語っている。それはなぜか。北朝鮮スターリン主義にとっても、日帝の植民地支配責任の追及と米日帝の朝鮮侵略戦争策動との朝鮮人民の闘いは、自らの存在基盤としてあるからだ。
 日朝国交正常化交渉と称し、植民地支配責任と侵略戦争責任を無視し、開き直る日帝を絶対に許してはならない。闘う朝鮮人民と連帯して、この日帝を打倒することは、日本の労働者階級の階級的責務である。

 闘う朝鮮人民と連帯、朝鮮侵略戦争阻止へ

 第四に、米日帝の朝鮮侵略戦争策動との闘いこそ、米帝的戦後支配体制を転覆し、反帝・反スターリン主義世界革命の突破口を開く闘いだということである。
 帝国主義とスターリン主義の戦後支配体制の全面的崩壊の中で、日帝は新安保ガイドライン体制の確立をテコに有事立法・改憲攻撃に打って出てきている。そうすることで日帝はアジアにおける軍事大国として登場し、再び朝鮮・中国−アジアへの侵略と侵略戦争を繰り返そうとしている。
 そのために、日帝はSACO路線を貫徹して沖縄人民の闘いを圧殺し、新ガイドライン体制を確立しようと攻撃をしかけている。対北朝鮮政策でも、対米対抗性をむき出しにして、これまでのあり方から一層侵略的反動的に転換しようとしている。
 南北朝鮮首脳会談を契機にして開始された朝鮮人民の南北分断体制打破・革命的統一の闘いはますます高揚している。その中で、南朝鮮人民の在韓米軍基地撤去闘争は決定的な位置をもっている。在韓米軍基地こそ南北分断体制を支える柱だからだ。金正日総書記の「統一後も在韓米軍の存在を認める」との発言は、南朝鮮人民の在韓米軍基地撤去闘争を圧殺しようとするものである。だが、南朝鮮人民はスターリン主義をのりこえて、在韓米軍基地撤去=南北分断体制打破・革命的統一の闘いへと進んでいる。
 また、南朝鮮の労働者階級は、九七年経済危機につけこんだ帝国主義の南朝鮮への侵略と労働者階級への犠牲転嫁に対して、「IMF体制を打ち破れ」と怒りの決起を開始している。十月二十日にはASEM開催に対して、「グローバル化による労働者への犠牲転嫁反対」を掲げて、二万人の集会とデモがたたきつけられた。
 南朝鮮人民は、民族的な矛盾と階級的な矛盾の激化に対して、北朝鮮スターリン主義をのりこえて、解放の闘いを開始している。南朝鮮人民の決起と連帯した日本労働者階級人民の決起こそが求められている。
 没落過程に突入した日帝は、生き残りのために、労働者階級に一大資本攻勢をしかけると同時に侵略と侵略戦争の攻撃を強めている。米日帝の朝鮮侵略戦争策動と対決し、日帝の新安保ガイドライン体制確立=有事立法・改憲攻撃との闘いに総決起しよう。
 〔稲垣太介〕

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週刊『前進』(1981号7面2)

急迫するパレスチナ情勢
中東和平政策の破産にあえぐ米帝・イスラエルの暴虐弾劾を

 インティファーダの高揚で新段階を画すパレスチナ解放闘争

 パレスチナ人民とイスラエル治安部隊との衝突が五週間以上続いている。少年を含めて死者は毎日のように絶えない。十一月一日まででパレスチナ人の犠牲者は百五十一人を数えた。
 この衝突はパレスチナ民衆にとって「アルアクサ・インティファーダ」そのものである。九月二十八日にイスラエルの元国防相で右翼のリクード党首シャロンがアルアクサ・モスクのある「ハラム・アッシャリーフ」に警官隊を連れて訪問を強行したことに対する抗議闘争がこのインティファーダの始まりだった。
 イスラエルは、この新たなインティファーダの鎮圧のために当初から戦車や武装ヘリコプターを出動させ、催涙弾やゴム弾のほか、実弾を撃ち、ロケット砲攻撃やミサイル攻撃をしかけてきた。犠牲者の多くは頭など上半身に銃弾を受けている。イスラエル治安部隊・軍は攻撃対象をパレスチナの自治政府、警察、放送施設などに拡大し、本格的全面的な武力攻撃に向かっている。
 今回のインティファーダについてイスラエルは、一九八七年十二月から約五年間続いたインティファーダ=抵抗闘争とは性格が違うとし、パレスチナ警察やパレスチナ人武装組織がイスラエル治安部隊・軍に銃撃で対抗していることを取り上げ、戦車、武装ヘリの出動、実弾射撃・砲撃、ミサイル攻撃を正当化している。だが、イスラエル側が攻撃対象にしているのは、主としてパレスチナ自治区の非武装の住民であり、イスラエルの武力の発動が侵略行為であり、「過剰警備」を超えた武力行使=戦争であることは明らかだ。
 イスラエルは、武力での優位性を見せつけ、力ずくでインティファーダを圧殺しようとしている。こうしてイスラエルは、自ら一九九三年のパレスチナ暫定自治合意を空洞化させ、和平交渉再開への道を閉ざしているのだ。
 イスラエル軍は、十月十二日にパレスチナ警察本部やパレスチナ自治政府議長事務所などに陸海空からミサイル攻撃を加え、パレスチナ自治区の全都市を完全封鎖した。パレスチナ側は、これを「宣戦布告」ととらえ、「非常事態」を宣言した。
 イスラエル軍は、前日のパレスチナ民衆によるイスラエル人兵士リンチ殺害事件が受容の限度を超えているとして、これに対する報復・警告の意味でラマラの警察署を爆撃したと発表した。イスラエル側は、二人は予備役兵で、エルサレム方面から基地へ向かう途中で自治区に迷い込んだと強弁しているが、パレスチナ当局の言うように、彼らが自治区に迷い込むことなどあり得ず、イスラエル特殊部隊員として潜入活動していたことは疑いない。
 そもそもイスラエルは、九月末からの二週間で子どもたちを含む百人以上のパレスチナ人民を虐殺してきた。これに対するパレスチナ民衆の怒りの炎がイスラエル兵二人を焼き殺したのだ。非難され、責任を負うべきは、怒りの充満する自治区に兵士を送り込んだイスラエル当局の方なのだ。
 パレスチナ自治政府アラファト議長は、十二日のイスラエルによる自治政府攻撃に対抗して、和平プロセスの一環としてゲリラ活動を理由に逮捕していたハマス(イスラム抵抗運動)の幹部を多数釈放した。またアラファト議長直系のPLO主流派ファタハの武装組織「タンジーム」の公然登場を許した。パレスチナ警察のほかファタハ、ハマスなどの武装組織が、投石に決起した民衆を支援するためにイスラエル治安部隊・軍の銃撃・砲撃に銃撃で対抗するようになっている。
 またイラク、リビアなど反米諸国のみならず、クウェート、エジプト、サウジアラビア、ヨルダンなど親米諸国も含めて、周辺アラブ諸国で連日、数千人、数万人の反イスラエル・反米デモが闘われた。
 アルアクサ・インティファーダは、イスラエルと米帝を追いつめ、パレスチナ解放闘争の新たな発展を切り開きつつある。

 緊急中東首脳会談での合意の空洞化とアラブ首脳会議の意味

 インティファーダの鎮圧を狙ったイスラエルの本格的武力攻撃によって、中東和平プロセスは破産の危機に瀕(ひん)している。
 米大統領クリントンは、十月十六―十七日にエジプトのシャルムエルシェイクで緊急中東首脳会談を開いた。会談は、「暴力の停止」「衝突の終結」「調査委員会の設置」で一応合意するに至った。イスラエルは軍の撤収とガザ地区の封鎖解除を行い、パレスチナ警察は暴動の沈静化を図ることになった。しかし、このシャルムエルシェイク合意が有名無実であることは当初から明らかだった。
 自治区や道路を封鎖し、パレスチナ人民に銃口を向けるイスラエル治安部隊・軍、入植地に居座るイスラエル民兵らに対するパレスチナ人民大衆の怒りとインティファーダを止めることはだれにもできない。会談が終わった十七日、インティファーダへの弾圧でパレスチナ側に数百人の負傷者と数人の死者が出た。
 アラファト議長らパレスチナ指導部は、パレスチナ人民大衆の抵抗闘争をイスラエルとの和平交渉のカードとして利用しようとしている。ファタハの再武装やハマス幹部の釈放などもカードとなる。こうしたアラファト議長らの態度のいかんにかかわらず、米帝―イスラエルの侵略・占領・武力攻撃への抵抗闘争を貫く以外にパレスチナ人民の解放の道はない。
 イスラエルの武力攻撃は、緊急中東首脳会談、アラブ首脳会議を経てますますエスカレートしている。緊急中東首脳会談のシャルムエルシェイク合意は、イスラエル側自身の手で完全にほごにされた。パレスチナ人民もインティファーダを「暴力」として非難するこの合意に同意するわけにはいかない。
 国連人権委員会は十月十九日、特別会合でイスラエル非難決議を採択した。二十日にはパレスチナ問題に関する国連特別総会が開かれ、イスラエル軍によるパレスチナ人への過剰な武力行使を非難する決議が賛成多数で採択された。
 国際的な非難が強まるなか、バラクは、アラブ首脳会議の間もパレスチナ側の「暴力行為」が続くなら、和平プロセス見直しのために交渉を無期限に中断すると、アラブ諸国を脅した。
 二十一―二十二日にカイロで開かれたアラブ首脳会議では、アラブ諸国からのイスラエル非難が続出した。二十二日に採択された共同声明は、イスラエルの「侵略行為」を強く非難し、制裁措置をとる用意があると「警告」、イスラエルとの新たな関係樹立を停止するとしたが、和平推進への支持も明記した。パレスチナ支援のために総額十億ドル規模の基金を創設することでも合意した。
 しかし共同声明には、イスラエルとの既存の主要な外交関係の断絶やアラブ・ボイコットの復活などの経済制裁措置は盛り込まれなかった。対イスラエル和平路線が七年間続き、イスラエルとの政治的経済的関係が実体的に作られてきたために、アラブ諸国はイスラエルとの決定的な対立を恐れ回避しようとしたのだ。
 アラファト議長は、四年ぶりに開かれたアラブ首脳会議でイスラエルへの怒りが表明されたうえに、和平路線も支持され、パレスチナへの支援が約束されたことに満足を表明した。
 これに対してバラクは、パレスチナ自治政府との和平交渉を凍結することを正式に確認し、右派のリクードを含む非常事態挙国一致内閣樹立案を提起した。パレスチナへの威嚇だ。
 アラブ首脳会議が閉幕した二十二日夜から二十三日にかけて、イスラエル軍はベツレヘム近郊のパレスチナ自治区ベイトジャラを完全に包囲し、民家や工場にヘリコプターや戦車で徹底的なロケット砲攻撃を加えた。イスラエル軍は攻撃の理由を、タンジームがベイトジャラをイスラエル人入植地ギロへの銃撃拠点にするのを防ぐためだとした。イスラエル軍は、今後より強力な軍事力の行使で臨む決意を示したのだ。
 もはや和平交渉路線の破産は明らかだ。

 PLO拠点へのミサイル攻撃で全面戦争に進むイスラエル軍

 イスラエル軍は十月三十日夜、パレスチナ自治区にあるPLO主流派ファタハの拠点を武装ヘリコプターからミサイルで攻撃した。西岸の自治区ナブルス、ラマラにあるファタハの事務所とガザ地区南部ハンユニスにあるアラファト議長警護組織「フォース14」の建物などの数カ所が標的だ。
 イスラエル軍は、タンジームがイスラエル部隊やユダヤ人入植地への銃撃などインティファーダの主要な役割を担っていると断定し、攻撃したのである。
 前日の二十九日、バラクはファタハ武装組織への先制攻撃を承認していた。イスラエル軍のモファズ参謀総長も「これまでのような受け身の対応だけでなく、積極的な攻勢も考える」と新方針を表明していた。
 イスラエル軍は、インティファーダへの「防衛的受動的な」対応の第一段階、治安・弾圧政策から「攻撃的積極的な」第二段階、本格的な武力攻撃、侵略戦争の段階に入ったのだ。
 バラク政権は現在、百二十議席中三十議席の少数与党に転落しており、最大野党のリクードを含む大連立内閣(挙国一致緊急事態内閣)を樹立させようとしている。バラクが政権を維持するためには、労働党の和平推進派を押さえ、パレスチナへの武力攻撃を強める以外にない。それは和平プロセス凍結、パレスチナ自治区再占領、全面戦争への道を意味する。
 現にイスラエル軍は、これまでのような部分的な武力攻撃にとどまらず、パレスチナ自治区を再占領する秘密作戦を準備しているといわれる(十一月一日付『ニューズウィーク』)。自治区再占領の目的は、将来、西岸やガザの入植地やイスラエル軍の駐留、エルサレムの主権をめぐる交渉で再占領の既成事実を「取引材料」に使うこと、アメリカ帝国主義が中東に直接軍事介入せざるを得なくなる状況を作り出すことにあるとされる。イスラエルは米帝の軍事介入を最良の選択肢と考えている(フランス外交筋)のだ。
 イスラエル軍は、パレスチナの独立国家宣言を阻止することを年内の目標としつつ、対パレスチナ全面戦争、米帝による軍事介入、中東侵略戦争発動という事態をも見通し、越年に備えているのだ。イスラエルの軍事的エスカレーションを許してはならない。
 アラファト議長は十月三十日、イスラエル軍の武力攻撃のエスカレーションに直面して、戦いを継続する姿勢を明らかにした。パレスチナ人民のインティファーダとそれを支持する国際世論に依拠してイスラエルと対決する姿勢を示しているが、和平交渉再開への道をも探っている。
 たとえ和平交渉が再開され、和平合意が成立したとしても、それが「占領地」からのイスラエルの部分撤退にすぎないならば、イスラエルとパレスチナ国家との平和共存はありえない。「占領地」からの撤退は、パレスチナ人民の譲れない最低限の要求だ。
 しかし、イスラエルの考える和平政策は、「占領地」、入植地を残し、ミニ・パレスチナ国家ないしパレスチナ自治国家を駐留したイスラエル軍で包囲・分断し、経済的に干上がらせ、屈服を迫ることだ。シオニズムである。パレスチナ圧殺を狙う和平政策は、パレスチナ人民にとって到底受け入れられないはずだが、アラファト議長ら現パレスチナ指導部は和平交渉路線をとっている。
 これに対してPFLP(パレスチナ解放人民戦線)、DFLP(パレスチナ解放民主戦線)、ハマスらは、イスラエル打倒・米帝打倒、パレスチナ独立国家建設をめざして闘っている。パレスチナ人民大衆のインティファーダもこの流れの中にある。
 イスラエルは、米帝の中東新植民地主義支配体制=中東石油支配体制のためのくさびとして打ち込まれた分割軍事基地国家だ。イスラエルを先兵とする米帝の中東戦略を打ち砕くことなしに中東諸国人民の民族解放はあり得ない。
 米帝とイスラエルが最も恐れているのは不死鳥のようによみがえるパレスチナ人民大衆のインティファーダであり、イスラエル国内のアラブ系住民(パレスチナ人)の抵抗闘争である。
 闘うパレスチナ人民と連帯し、帝国主義の中東侵略戦争と闘おう。沖縄米軍基地は米帝のアジア・中東侵略戦争の出撃基地だ。沖縄人民とともに臨検法案粉砕、名護新基地建設阻止、米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒の闘いに決起しよう。
〔岡山正紘〕

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週刊『前進』(1981号8面1)

10・29狭山闘争 権力の差別犯罪に怒り
異議審勝利へ370人が決起 解同全国連 「紙芝居」で全国に旋風

 十月二十九日午後、部落解放同盟全国連合会の主催で「寺尾判決二十六カ年糾弾/狭山異議審闘争勝利/中央総決起集会」が、東京・港区の芝青年会館で開催された。全国から駆けつけた部落大衆、共闘の労働者ら三百七十人が参加し、集会後、日比谷公園まで戦闘的なデモをかちとった。
 冒頭、主催者を代表してあいさつに立った中央本部の中田潔書記長は、「二十六年前の寺尾判決以降、本部派は『権力の差別犯罪だと言ってはならない』『過激な運動はやめろ』と言って、狭山闘争の原則をゆがめ、運動を後退させていった。全国連は狭山闘争に必ず勝利するためにつくられた」と語り、「差別徹底糾弾の闘いでしか、石川さんの無実はかちとれない。狭山闘争の再生をかけて闘おう」と呼びかけた。
 続いて、全国連が制作した狭山紙芝居「わたしは無実!」が、広島の婦人・青年の語りによって上演された。紙芝居の一枚ずつの絵が拡大されて、スクリーンに映し出された。権力の憎むべき差別犯罪とこれに対する石川さんの不屈の闘い、苦難の歩みを描いた紙芝居は、各地の上演運動で大きな反響をつくり出している。八月の全国連婦人部大会で初上演されたときも婦人たちから「胸がいっぱいになった」という感動が語られた。この集会でも、約三十分間の上演に、会場の一、二階を埋めた参加者は熱心にスクリーンに見入り、権力の差別犯罪への怒りを新たにした。
 集会の熱気が高まった中で中央本部の楠木吉秀事務局長が基調報告を行った。
 楠木さんは冒頭、狭山紙芝居が大きな旋風を巻き起こしていることを報告し、「紙芝居は石川さんの化身だ。狭山百万人署名運動とともにあらゆる所に持ち込んで運動を広げよう」と呼びかけた。
 さらに楠木さんは、「狭山事件は、無実の部落民を殺人犯に仕立て上げ、わずか半年の裁判で死刑にしようとした前代未聞の権力犯罪だ。戦前の高松差別裁判糾弾闘争を教訓化し、法務省など中央権力へ向かった対権力徹底糾弾闘争として三百万部落民の怒りを爆発させよう」と、新たな狭山闘争の構築への展望と方針を鮮明に提起した。
 そして、当面の方針として、東京高裁・高橋省吾裁判長の異議審棄却攻撃を絶対阻止するために高裁要請行動、紙芝居と百万人署名運動を武器に全力で闘おうと呼びかけた。
 楠木さんの基調報告は、解同本部派による差別糾弾の立場を投げ捨てた公正裁判要求の路線、石川さんの闘いをないがしろにし、権力への怒りを圧殺する本部派のやり方では絶対に勝てないことを突き出し、それを突き破る狭山闘争の大展望と、全国連の燃えるような情熱を鮮明に突き出した。全参加者が確信と新たな決意を込めて、大きな拍手でこたえた。
 集会の熱気が最高潮に達する中、村上久義中執のカンパ・アピールの後、共闘団体と全国連各支部の報告・決意表明が行われた。
 国賀祥司泉佐野市議は差別主義集団・日本共産党による「部落差別撤廃条例」の廃止策動を、部落大衆とともにビラまき・議会活動などで完ぺきに粉砕したことを報告した。
 東日本部落解放共闘会議の山川博康事務局長は、この日午前中、解放共闘が数寄屋橋で狭山署名と紙芝居の街頭上演を行ったことを報告した。さらに、この狭山集会と同時に日本労働運動の死活をかけて国労大会決戦が闘われていること、この決戦に勝利し十一・五労働者集会の成功をかちとることは、狭山闘争への巨万の労働者の決起と階級的共同闘争の発展を切り開く点でも重要であることを強調した。

 青年先頭に各地で闘い進む

 最後に、長野、兵庫、奈良、そして大阪の荒本、寝屋川、野崎の各支部から、闘いの報告と決意表明が行われた。どこの地域でも、紙芝居上演と狭山百万人署名が大旋風を巻き起こしていること、紙芝居で感動した部落大衆が自ら署名運動の担い手となって立ち上がっていること、奈良では保育園で上演し保母も参加したことなどが、生き生きと報告された。
 中でも荒本支部からは七人の青年・高校生が登壇し、紙芝居で゛燃え上がって″、近くの駅前署名で二十分間に七十人の狭山署名を集めたことを、勝利感にあふれて報告した。
 井橋昌夫中央委員がまとめと行動提起を行い、最後に高橋昭一中執(茨城県連書記長)の音頭で゛団結がんばろう″の声をあげ、熱気のうちに総決起集会をかちとった。
 参加者は、直ちに都心デモにうって出た。デモ隊は、多くの市民の共感と注目の中を、新橋駅前から虎ノ門交差点を通り、東京高裁に怒りの声を上げて日比谷公園まで戦闘的にデモした。「狭山差別裁判徹底糾弾! 東京高裁は直ちに再審を開始せよ」「石川さんと連帯して闘うぞ」の怒りと闘いの声が、小雨降る都心の空にこだました。

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週刊『前進』(1981号8面2)

“事実調べを行え” 全国連が高裁要請行動 7874人の署名を提出

 二十九日の集会・デモに続き、部落解放同盟全国連合会と解放共闘は三十日、東京高裁糾弾要請行動に決起した。朝の霞が関ビラまき、午前中の決起集会と昼休みデモ、午後の高裁要請行動と、終日戦闘的に闘い抜いた。
 決起集会で基調報告に立った楠木吉秀事務局長は、「異議審は重要段階に入っている。異議申し立てから十五カ月以上経過して高橋裁判長が棄却決定に出てくる恐れがある。この間集めた署名を武器に、高裁に事実調べを強く迫ろう」と提起し、全員が火の玉となって差別裁判所を徹底糾弾することを呼びかけた。
 全国連の各支部と共闘団体が決意を表明した。山口の青年は、自らに加えられた就職差別を怒りをもって弾劾し、不屈に闘う決意を表明した。
 一時からの要請行動では東京高裁当局が、この日も警察と連携しながら多数の警備員・職員を配置し、弾圧体制を敷いた。
 各団体が事実調べ・再審開始を強く求める要請文を提出し、また、この間各地で集めた差別裁判取り消し要求署名七千八百七十四人分を提出した。
 その後、要請団は要請行動に対する当局の不当な対応に抗議し改善を要求したところ、裁判所当局はまったく不当にも一方的に要請行動を打ち切り、途中で退席するという暴挙に出た。要請団は、これを徹底的に弾劾し、一層の闘いの強化を誓い合った。

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週刊『前進』(1981号8面3)

暫定滑走路粉砕 一年間決戦勝利へ
三里塚反対同盟の訴えに応え裁判闘争特別カンパの推進を

 三里塚反対同盟は十・八全国集会で、来年十一月の暫定滑走路工事終了までの一年間を闘争の成否をかけた決戦とすることを宣言した。同時に「暫定滑走路粉砕のための裁判闘争特別カンパ」を全国に訴えた。暫定滑走路をめぐる攻防は、日帝・国家権力による農家追い出し攻撃との闘いとして激烈に闘われている。この攻撃をうち破るために、裁判闘争を始め権利を守り抜く取り組みとして開始された特別カンパの訴えである。この呼びかけにこたえ、全国の職場、学園、地域で特別カンパの大運動を巻き起こそう。

 認可処分の違法突く裁判闘争

 特別カンパの「訴え」において、反対同盟は次の二点を呼びかけている。
 第一に、暫定滑走路のための「工事実施計画変更の認可処分取消訴訟」と「二期工事差止請求訴訟」を始めとする裁判闘争への支援である。
 暫定滑走路は運輸省が至上命令とした「二〇〇〇年平行滑走路完成」の破産ののりきりをかけて打ち出された。用地問題の全面的破産をのりきるために未買収地を徹底して避けた計画である。このため滑走路の長さを当初計画(二千五百b平行滑走路)から三百二十b短縮して二千百八十bとし、北へ八百bずらした。
 だが航空法によれば、着陸帯幅は三百bを確保することが義務づけられているが、暫定計画では半分の百五十bに縮小している。平行誘導路が滑走路に対して平行ではなく着陸帯に食い込むかたちで「へ」の字型に曲げられた。また、進入灯の用地が確保できず基準を満たさない設計となっている。これらはすべて反対同盟農家の宅地や耕作地、現闘本部や神社、墓地、開拓組合道路、一坪共有地の存在によるのである。
 さらに、東峰神社の立木そのほかが航空法の定める進入表面から飛び出している。暫定滑走路は種々の制限の中でも最長の長さを確保するために北側にずらしたが、それも高速道路の存在という限界にぶちあたっている。その条件の中でなお二千百八十bをとるためには、立木が進入表面から突きだしていることを承知で認可せざるを得なかったのである。
 「認可処分取消訴訟」と「二期工事差止請求訴訟」は、これら権力自ら取り決めた法規範を踏み破る明白な違法行為を追及し、闘いの正義を明らかにする裁判闘争である。総力で支援しよう。

 営農と生活破壊攻撃許さぬ闘い

 第二に、農家追い出しのための営農・生活破壊攻撃をうち破る闘いへの支援である。
 暫定滑走路建設は、農民の営農と生活を破壊し、権利の一切を剥奪(はくだつ)して農家をたたき出す攻撃である。
 その第一が団結街道破壊策動であり、第二が東峰神社の立木の伐採、第三が不断に続く軒先工事の暴力的強行である。
 団結街道は反対同盟の市東孝雄氏にとっては死活のかかった農道であり生活道路である。日帝・公団は成田市道でもあるこの道を廃止することで、営農を妨害して屈服させようとしている。そうすることで曲がった誘導路を修復し、平行滑走路に道を開こうとしているのだ。
 成田市は公団と共謀してこの市道の廃止を策動したが、反対同盟と顧問弁護団は、公開質問によるねばり強い追及でこれを阻止した。だが、市道廃止はなおも策動されている。
 また、東峰神社の立木伐採策動が緊迫している。空港公団が神社の土地の名義人(闘争初期の条件移転者)に土地の売り渡しを要請した事実が判明した。神社の立木は東峰地区住民の了解がない限り伐採することができない。追い詰められた公団は、違法に土地を取得して名義を書き換え、これをテコに一気に立木の伐採を強行しようと策動している。
 さらに権力・公団は十・八全国集会が終わるのを待って、この十月中旬から東峰の生活区域で大規模な軒先工事を開始した。一部の計画変更と称して、工事区域をさらに民家に接近させ、畑をもつぶそうとしている。
 暫定滑走路をめぐる一年間の決戦とは、こうした公団の農民殺しとの闘いなのである。三里塚反対同盟はこの攻撃に対して真っ向から立ち向かい、創意をこらした闘いで農家と農地を守り権利を防衛するために必死の闘いを続けている。
 特別カンパはこの闘いに連帯し共闘する大運動だ。

 侵略の出撃・兵站拠点化を阻もう

 新安保ガイドラインのもとで、成田空港が本土最大の兵站(へいたん)出撃拠点に位置づけられている。暫定滑走路は、敷地内農家をたたき出し、闘争を解体して土地を強奪すれば、北側移動部分を加えて最終的に三千七百b軍用滑走路に変貌(へんぼう)する。
 三里塚反対同盟は、沖縄の米軍基地撤去闘争とともに、朝鮮・中国―アジア侵略のための参戦体制づくりを粉砕する闘いの最先頭に立っている。三里塚闘争は実力抵抗闘争の砦(とりで)であり、反戦・反核闘争の拠点だ。この闘いを決する一年間の決戦の成否が、この特別カンパ運動にかかっている。
 三里塚闘争勝利へ「裁判闘争特別カンパ」に、全国の労働者、学生は総力をあげて決起しよう。

「暫定滑走路粉砕のための裁判闘争特別カンパ」要項
 一口二千円以上でお願いします
【送金方法】
・郵便振替
(口座番号)00130−0−562987番
(口座名称)三里塚芝山連合空港反対同盟
※振替用紙に住所・氏名・電話番号をご記入の上、お近くの郵便局からお振り込みください
・現金書留
成田市三里塚一一五 北原鉱治
(いずれの場合も住所、氏名、電話番号を明記してください。反対同盟から領収書を発行します)

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週刊『前進』(1981号8面4)

教育改革国民会議 公聴会を弾劾 訴えに注目と共感の声

 十月二十八日、反戦共同行動委員会の学生や労働者三十人は、福岡、大阪に続いて東京・九段の千代田公会堂で行われた「教育改革国民会議」公聴会弾劾の闘いに立った。
 同日行われていた国労大会の現場から駆けつけた労働者や学生もいる。「四党合意粉砕、闘う新執行部樹立」の闘争団を先頭とした闘いと固く連帯して闘い抜いた。
 この公聴会は「奉仕活動の義務化」や教育基本法改悪を強行するための「国民的議論」の仮象づくりでしかない。絶対粉砕あるのみだ。反戦共同行動委員会の「学徒動員と勤労奉仕の歴史を二度と繰り返させない」という真剣な訴えは、公聴会参加者や通行人の注目と大きな共感を集め、二千五百枚を超えるビラが手渡された。
 「奉仕活動の義務化はおかしい」と声をかけてくる人や、「戦前の勤労奉仕・徴兵制に道をひらく『奉仕の義務化』絶対反対」と書いた横断幕を見た高校生が「戦争には行きたくない」と、周りの友人にビラを読むよう勧める場面なども見られた。
 ファシスト・カクマルは、森の尻押しのために登場したものの、労働者人民の弾劾におじけづき、ぶざまな姿をさらした。

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