ZENSHIN 2000/11/06(No1980 p06)

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週刊『前進』(1980号1面1)

「4党合意」粉砕!国鉄1047名闘争を守れ!11・5全国から日比谷野音へ
カクマル=JR総連打倒し国鉄決戦勝利へ今こそ総決起を
 臨検法案・日米共同演習粉砕せよ

 関西生コン、港合同、動労千葉の三組合が呼びかける十一・五労働者集会は、あと数日後に迫った。情勢の大激動と日本帝国主義の改憲攻撃、一大資本攻勢に対決する労働者人民の怒りの中央総結集の日、とりわけ国鉄決戦勝利の大会として、この集会の大成功のために最後まで奮闘しよう。JR総連=カクマルの空前の亀裂と崩壊の始まりは、国鉄分割・民営化以来のカクマルの反革命との決着、いや二重対峙・対カクマル戦の三十年の闘いに革命的決着をつける時期がやってきたことを示している。今こそ、カクマルを攻めに攻めよ。それをバネに国鉄決戦に勝利し、その一切を今秋最大の決戦、十一・五集会の大結集に結実させよう。

 第1章 松崎路線の破産とJR九州労の分裂

 前号でも報じたとおり、JR九州労の約八割が脱退した事件は、ファシスト・カクマル組織を危機と大混乱にたたき込んでいる。
 反革命通信『解放』十月二十三日付一六四一号は、前号に続いて、「怒りをこめて弾劾する」なる中央労対署名の声明、九州地方委員会声明などで、けたたましく大騒ぎしている。
 カクマルによるJR総連への所有意識、支配意識、私物化意識が、なりふり構わず絶叫され、「JR総連=カクマル」を隠すことなく前面化している。党と労働組合の関係などまったくおかまいなく、組合員を罵倒(ばとう)し、脅迫しているのである。
 また『解放』は、ファシストの頭目・黒田寛一の「脱退劇」なるタイトルのへたくそな「歌」を五十首近くも麗々しく掲載している。黒田はそこで、このような事態になるまで「摘発」できなかったカクマル中枢に対して「怒髪天を衝(つ)く」と恫喝しつつ、「身売りせしも売らぬと居直るダラ幹を突きおとせ、黒洞洞の闇(やみ)へ」「奈落におとせ」「地獄に落せ」などと内部白色テロ宣言を行っている。そして、この黒田の指示を受けて上記の声明などが出されているのである。実際に各所で内部抗争が始まっている。
 この亀裂と崩壊の広がりは、カクマル松崎の足元のJR東労組にも波及しているのである。
 重要なことは、このJR総連=カクマルの危機は、中曽根行革と国鉄分割・民営化に全面協力した黒田・松崎路線の行き着いた先だということである。自分たちさえ生き残ればよい、そのためには資本の先兵となって、国労や動労千葉や他の労働者の首を切り、労資結託体制を強化するとして進めてきたことの必然的結果として、今日の危機が生み出されているのだ。
 「動労型労働運動の伝統の灯を消すな」などとカクマルは叫んでいるが、分割・民営化に協力して「動労の歴史的使命は終わった」として動労を解体したのは誰なのか。「過去の違法ストを国民の皆さんにおわびする」「国労をつぶし、総評を解体する」などと言って階級的労働運動と名実ともに決別することを誓ったのは松崎とカクマルそのものではないか。
 カクマル松崎は、またもJR東労組を守ることを一切に優先させ、そのために他組合を犠牲にし、JR総連傘下の組合でさえも切り捨てて生き残ろうとしているのである。今回の事態はその当然の帰結である。しかし今や、JR東労組といえども生き残れるかどうかわからない。東労組内部でも犠牲の転嫁がどしどし行われることは必至である。
 直接的には、「シニア協定」と「保守・検修部門の全面外注化」「設備メンテナンスの再構築」という日帝・JR資本の大合理化攻撃である。これは、首切りの対象を国労だけでなく東労組組合員にも広げてくるものである。松崎とカクマルは、自分たちが生き残るためには、東労組組合員にも犠牲を押しつける方針に踏み切ったのだ。
 だからこそカクマルは、JR総連の幹部であるカクマル分子に対しても攻撃を加えている。ここに階級的労働運動を裏切り資本の先兵になってきた者の末路が示されている。
 だが、ファシストが自然に自壊することはない。その断末魔の反革命的凶暴性を軽視しては断じてならない。今こそ、積年の怒りと憎悪を燃え上がらせて、JR総連=カクマル完全打倒の好機を勝利に転化するために闘おうではないか。
 JR総連=カクマルの亀裂と崩壊は、国鉄闘争の勝利の地平を示している。いや、何よりも動労千葉と国労の闘いがつくりだしてきた歴史的地平なのである。
 今こそ勝利の確信に燃え立ち、「四党合意」を絶対に粉砕し、国労闘争団を始め千四十七人の闘いを守り抜いて闘う時だ。国労の闘う新執行部を樹立し、どんなことがあっても国労を戦闘的に再生しよう。十一・五労働者集会を、国鉄決戦勝利の総決起大会としてかちとろうではないか。

 第2章 中央総結集の力で資本攻勢うち破れ

 十一・五労働者集会は、労働者人民の巨大な中央政治闘争である。全国から政府権力中枢のある首都東京に総結集し、都心の日比谷で集会とデモを大々的に展開することは、今日の大資本攻勢、改憲・有事立法の攻撃に対する階級的反撃の闘いとして最も有効で最も意義のあるものである。
 ユーゴスラビア人民の闘いは、労働者階級人民の階級的団結の力がゼネストと蜂起として発揮される時、独裁政権を打ち倒すことができることを劇的に示した。労働者階級が団結して立ち上がれば巨大な力を発揮し、そこに革命の現実性があることは、誰にもはっきりと実感できる。
 このユーゴスラビア労働者人民の闘いに続き、闘うパレスチナ人民、アラブ人民、チェチェン人民、インドネシア人民、そして誰よりも南朝鮮労働者人民に連帯して闘いに立ち上がる時である。全世界で陸続と闘いに立ち上がっている労働者人民との国際主義的連帯の力強さを今こそ、日本の地で、首都東京で思う存分発揮しようではないか。
 賃金が切り下げられ、リストラが進み、失業が増大し、労働者の誰もが、闘わなくては生きていけないと感じている。「資本主義にノー」と言える労働運動をつくりだすことが最大問題だ。連合や全労連のように資本攻勢に屈服し協力して労働者に犠牲を押しつけて生き残る道を許さず、全労働者の団結で倒産、首切り、賃下げ攻撃を打ち砕く階級的労働運動の新しい潮流をなんとしても大きく登場させようではないか。
 森政権が中心政策として掲げている「IT(情報技術)革命」は、膨大なリストラ・首切りを不可避とする。国家の政策としてITリストラを進めると宣言するに等しいものだ。すでにIT化を九〇年代初めから進めている新日鉄では、九〇年代の十年間で社員数が五万八千五百人から二万七千六百八十九人と半分以下に激減した。
 森のもとで今や八十万人のITリストラと言われる大首切りが進んでいるのである。八十万人という数字は、通産省の機械情報産業局電子政策課のレポートで、情報化で八十万人が削減されると予測しているものであり、それを含む「二百七十一万人の過剰雇用が削減される可能性がある」というのだ。IT化とは、雇用創出どころか、大首切りを意味しているのだ。
 IT産業の中心に位置するNTTは、二〇〇二年までに二万千人を削減するという計画を、今年十月から六千五百人削減を前倒しして実施すると発表した。
 JR東日本では、シニア協定と設備と検修・構内関係の全面外注化の大攻撃が襲いかかっている。全逓では、首都圏の中心的活動家への人事交流という名の強制配転、職場破壊の攻撃が進んでいる。省庁再編による国家公務員の大合理化が行われようとしている。特殊法人を全廃する計画も進んでいる。あらゆるところで攻撃が強まっている。
 こうした攻撃は連合の全面屈服と協力によって可能となっているのである。
 まさにすべての産別で闘わなければ生きていけない情勢になっている。十一・五労働者集会はこの情勢をひっくり返す闘いだ。
 あと二カ月となった二十世紀を何をもって総括するのか。一九一七年ロシア革命によって切り開かれた世界革命の時代は、スターリン主義による世界革命の裏切りと一国社会主義論によって変質させられた。
6面につづく〜1面からつづく
 帝国主義とスターリン主義を打ち倒そうとする何千万、何億の人民の闘いがいまだ勝利することなく渦巻いている。この未完の世界革命をなんとしても二十一世紀冒頭にこそ達成するために、勝利の一歩を切り開かなければならない。
 十一・五集会は二十世紀最後の最大の闘いにして、新しい幕開けの闘いだ。十一・五労働者集会の大結集をもって二十世紀を総括し、二十一世紀に勇躍突き進んでいこう。

 第3章 世界危機爆発下で階級闘争が大高揚

 世界情勢は危機と大激動のまっただ中にある。
 米帝と北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国との共同コミュニケの発表に続くオルブライト国務長官の訪朝は、六月南北朝鮮首脳会談で新たな局面に突入した朝鮮情勢に対して、米帝が露骨に主導権を取り戻そうとする動きである。その根底には対日争闘戦と、残存スターリン主義への取り込み、コントロール、体制転覆の野望が貫かれている。朝鮮・中国侵略戦争の攻撃が消滅したのでは断じてない。根本は九四年十・二一米朝合意が情勢を規定しているのである。
 現実に、米帝は東南アジア情勢から北東アジア情勢に対応する「多国間軍事演習構想」を進めている。直接的にはインドネシア情勢に対応するものであるが、同時に中国スターリン主義への重圧、朝鮮情勢に対する対応でもあるのだ。
 また「周辺事態」を想定した十一月二日から十八日までの日米共同統合演習は、新ガイドライン体制の発動として行われる。
 そこでは自衛隊と米軍双方がそれぞれ一万人以上の兵員を動員する。また同時に、陸自と米陸軍と海兵隊の実動演習が饗庭野(あいばの)演習場(滋賀県)、今津駐屯地(同)で、王城寺原演習場(宮城県)と大和駐屯地(同)で、北富士演習場では米海兵隊の実弾砲撃演習が行われる。これらの攻撃に全国的に反撃しなければならない。
 一方で米帝は、中東支配政策の破綻(はたん)を劇的に突きつけられている。米帝とイスラエルの占領・武力攻撃・人民虐殺とパレスチナ解放闘争圧殺攻撃に対して、パレスチナ人民、アラブ人民の怒りの決起は、アラファトなどの屈服をのりこえて、もはや押しとどめようもなく燃え上がっている。
 ユーゴスラビアにおける労働者人民の決起に対しては、他方で米・EUの介入と侵略、帝国主義間争闘戦が激化している。
 こうした全世界的な激動の根底には帝国主義世界経済の危機が横たわっている。米バブル経済の崩壊が本格的に始まった。二〇〇〇年はその崩壊の始まりをしるす年となった。ダウの下げ幅の史上ワーストテンのうち五回が二〇〇〇年に起こっているのだ。
 十月十八日には米株価は一万ドルを割り、九六五四ドルに落ち込んだ。東証平均株価も一万五千円の大台を割り、一四八七二円となった。この間の米株価急落は、インテルやモトローラ、そしてIBMなどのIT関連企業の業績不振やネット企業のバブル崩壊が最大の要因になっている。九〇年代の米帝経済を支えてきたIT産業の危機が現実化している。
 そして原油価格の高騰、米、日、欧の同時株安が進行し、ユーロ安も止まらない。今や世界経済は二九年型大恐慌の本格的切迫にあえいでいる。この現実は、米帝の絶望的な延命策動として米欧、米日の帝国主義間争闘戦をさらに激化させるものであり、また日帝の戦後史の転覆をかけた階級決戦攻撃を激化させる。

 大失業と改憲の森政権倒せ

 そごうの倒産に続く千代田生命、協栄生命の破綻、ゼネコンの破綻も相次いで起ころうとしている。これは九七年、九八年の拓銀、山一、長銀、日債銀の破綻に対して公的資金七十兆円の投入とゼロ金利政策でのりきりを図ってきたことが行き詰まり、不良債権処理問題、過剰債務問題が解決するどころか再び火を噴くことが必至であることを示している。
 これに対して生き残りを図る日帝と資本は、相次ぐ超大型の合併・再編や、リストラ・大合理化をもって延命しようとしている。
 こうした中で日帝・森政権は、改憲・有事立法の攻撃を強めている。ついに十月二十七日、臨検法案が閣議決定され国会に提出された。十一月日米共同統合演習が計画され、沖縄では、名護新基地建設のための攻撃が強まっている。これに対し十・二一県民大会では名護市民を先頭にした反撃がかちとられた。
 教育改革攻撃が強まり、教育基本法の改悪が憲法改悪攻撃そのものとして進められている。九月二十二日に発表された教育改革国民会議の中間答申は「奉仕活動の義務化」を打ち出し、徴兵制と勤労奉仕、学徒出陣への回帰の道を掃き清めようとしている。
 石原の「心の東京革命」と称するファシスト運動は、教育勅語の現代版をつくろうとするものだ。石原の主催した十一・一八「都民集会」に対して反戦共同行動委の会場前の弾劾の街宣が直撃し、石原は大打撃を受けたことを集会冒頭に吐露せざるをえなかった。また、少年法改悪の攻撃もいよいよ切迫している。
 しかも、日帝の改憲攻撃に呼応して、民主党の鳩山は「九条はまず『陸海空軍その他の戦力は保持する』と一番目の項目に明記すべき」「集団的自衛権も明記を」と発言し、九条改憲を真っ向から掲げている。
 こうした改憲・有事立法、臨検法案、教育基本法改悪、名護新基地建設、三里塚暫定滑走路建設などの攻撃と同時に、日帝の一大資本攻勢が、雇用破壊、賃金破壊、組合破壊の攻撃として激しく襲いかかってきているのである。それを規定しているのは、前述した日帝の危機の深さなのだ。
 こうした日帝の体制的危機、恐慌・大不況の情勢と大失業攻撃・資本攻勢が、すべての既成勢力の総転向・総屈服を促進している。その典型が日本共産党スターリン主義だ。日共は「資本主義の枠内での民主的改革」路線を前面化し、この日帝経済の未曽有の危機の中で、その打倒ではなく救済を宣言し、資本主義を守るために労働者人民の階級的反撃に敵対する勢力に転落した。十一月二十日から開く二二回大会では「自衛隊の有事活用」「日本国民の党」を宣言し、改憲勢力にくみする立場を明らかにしようとしている。
 そして、JR総連=カクマルの未曽有の危機も、また国労本部の裏切りと転向も、こうした大情勢の中で起こっているのだ。
 国鉄決戦勝利と、資本攻勢との対決の全国総決起大会として十一・五労働者集会を大成功させ、労働者人民の二十一世紀に向けた一大反転攻勢を開始しよう。

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週刊『前進』(1980号1面2)

名護に新基地いらぬ 沖縄県民大会に2千人

 十月二十一日、「普天間基地代替施設協糾弾! 名護市へのあらたな基地建設に反対する県民総決起大会」が那覇市与儀公園で開かれた。ジリジリと照りつける太陽のもと、二千人を超える労働者・市民が結集した。沖縄労組交流センターと全学連の部隊は、「辺野古新基地建設阻止/『四党合意』NO! 国鉄闘争勝利」の大横断幕を広げ、のぼり旗を林立させて参加し、闘う沖縄人民と連帯、結合して闘いぬいた。
 集会決議では、「七月二十日、沖縄県民は、人間の鎖による嘉手納基地包囲行動で、世界に『沖縄に基地はいらない』とアピールした。それにもかかわらず、政府はサミット後、普天間基地代替施設協を設置し、具体的な作業に入った。沖縄県民を無視し続け、あらたな基地建設を強行しようとする政府を、私たちは許すことができない。ましてや知事や名護市長が、政府に追随し、あらたな基地建設を受け入れることを断じて認めることができない」と宣言。「政府はSACO(日米特別行動委員会)合意を撤廃し、名護市への新基地押しつけをやめ、県民の望む基地の整理・縮小・撤去を実現すること」など四項目の要求を首相、沖縄県知事、名護市長あてに発した。
 平和市民連絡会の新崎盛暉代表世話人が、「SACO合意の『整理・縮小』とは、二割だけ基地面積を減らして、老朽化した基地を最新鋭基地に造り替えるということ。私たちは整理・縮小・撤去として明確にさせよう」と訴えた。
 政党からの決意表明に続き、十一月十二日投票の那覇市長選の予定候補・堀川美智子さんが「普天間基地の移設は県民の願いに逆行するもの。県都那覇から基地のいらない街づくりを推進したい。一緒に行動しましょう」と呼びかけた。
 「ジュゴンを守れ」と海勢頭豊さんが歌ったあと、新基地問題の渦中にある名護市民、宜野湾市民、浦添市民からの訴えが行われた。演壇前中央には、鮮やかなのぼり旗を林立させた辺野古の命を守る会、二見以北十区の会を始めとする住民団体が陣取っている。
 ヘリ基地反対協の安次富浩代表委員が「政府、県、名護市は一千億円という振興策で市民をだまし、沖縄に一層の基地負担を加重させようとしている。名護市民はこの動きをぶっとめていく。十二月二十一日、市民投票三周年を迎える。名護の地で大きな闘いをつくる。名護にはせ参じてほしい」と力強く発言。
 基地はいらない宜野湾市民の会の中村信嗣共同代表は、「サミット後むしろ基地は強化され、夜の十時、十二時に民家の上をヘリが飛んでいる。戦争の準備を着々とやっている。そんな基地は宜野湾にも辺野古にもけっしていらない」ときっぱりと宣言した。
 軍港反対浦添市民の会の当山全弘共同代表は、稲嶺知事が県内移設第一号として画策した那覇軍港の浦添移設に対して、受け入れ容認に転換した浦添市長が、今一度撤回すると表明した経過を報告。那覇軍港移転問題のカギを握る那覇市長選挙で「堀川さんを当選させよう」と訴えた。
 決議文、スローガン採択を満場の拍手で行い、「私たちの運動量に比例して基地闘争は進展する。展望をもって頑張ろう」と、佐久川政一共同代表が団結ガンバローの音頭をとった。「沖縄を返せ」を合唱し、閉会あいさつに立った中村文子共同代表は、基地は整理・縮小するだけでなく、無条件全面返還だと訴え、「きょう集まった一人びとりが十人力を発揮して、政府を揺さぶり、知事を揺さぶり、名護市長を揺さぶれば、私たちの前途に明かりをともすことができる」と結んだ。
 集会後、デモに出発。国際通りではバスから身を乗り出して手を振る人、拍手で迎える若者など沿道の市民の大歓迎を受けながらのデモは県庁前まで続いた。
 「基地撤去・安保粉砕の『島ぐるみ』闘争を!」と呼びかけた革共同沖縄県委員会のビラが全参加者に手渡された。「ついにJR総連・九州労=カクマルが大瓦解(がかい)!」と大書されたビラに労働者人民の圧倒的な注目が集まった。
 カクマルは、革命的進攻精神をみなぎらせた参加者に「なんでそんなに明るいんだ」と泣き言をたれることしかできず、デモにも出遅れ、逃げるように与儀公園から去った。

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週刊『前進』(1980号1面3)

改憲阻止へ戦闘宣言 10・21東京始め全国で集会

 反戦共同行動委員会は、東京、大阪、岩国・呉、福岡、仙台で、臨検法案阻止、名護新基地建設粉砕、日米共同演習粉砕、改憲阻止などを掲げて十・二一国際反戦デー全国統一闘争に決起した。沖縄の闘いと連帯し、改憲阻止決戦への総決起を宣言した。(関連記事5面
 東京では十月二十一日、渋谷・宮下公園で「有事立法・憲法改悪、名護新基地建設を許さない十・二一国際反戦デー中央総決起闘争」を開催、百七十五人が参加し、渋谷の繁華街をデモした。(写真)
 冒頭、東京反戦共同行動委事務局長で杉並区議のけしば誠一さんが主催者あいさつに立ち、「改憲・有事立法と対決する歴史的闘争を、沖縄県民大会と連帯して闘おう」と訴えた。
 全学連の沖縄現地闘争報告に続き、反戦地主の知花昌一さん、牧師の島田善次さん、名護市議の宮城康博さんのメッセージを新城節子杉並区議が読み上げた。
 国会傍聴報告を、平和遺族会全国連絡会事務局長の西川重則さんが行い、「衆院憲法調査会は九月二十八日、東京大学大学院教授の田中明彦を参考人に呼んだ。田中の主張はただ一つ『第九条第二項を削除せよ』ということ。野党も含め自衛隊の存在を認めるに至った今、もはや一項はそのままで問題ないが、二項の『交戦権はこれを認めない』だけは削除するということだ。今こそ国境を越えて連帯して闘おう」と檄(げき)。
 在日台湾人元日本兵の林歳徳さんは「今や共産党も大政翼賛会に入った。闘う日本人のみなさん、大政翼賛会に絶対反対し、ともに闘いましょう」と訴えた。
 特別報告を反戦自衛官の小多基実夫さん、国労の闘う労働者、自治体労働者が行った。小多さんは「十一月の日米共同統合演習は、朝鮮侵略戦争演習そのものだ。反戦運動を自衛隊の中で広げるために闘う」と発言した。国労の労働者は「定期大会で四党合意を阻み、執行部を総辞職に追い込む。労働委員会闘争を全国に広げよう。内部分裂を始めたJR総連の打倒へさらに闘おう」と訴えた。自治体労働者は「新人事評価システム導入を率先推進する連合自治労を許さず十一・五に自治体労働者の総決起をかちとる」と表明。
 全学連の大山尚行委員長が基調報告を行い、「改憲攻撃と全面対決して、今から二十一世紀へ歴史的大決戦を爆発させよう」と訴え、闘うユーゴスラビア、パレスチナ、アジア人民との連帯、憲法調査会粉砕・改憲阻止の闘い、教育基本法改悪阻止の闘い、十一月日米共同統合演習粉砕と臨検法案制定阻止の闘い、国鉄決戦と十一・五労働者集会への決起を呼びかけた。
 動労千葉の田中康宏書記長、部落解放同盟全国連合会、青年アジア研究会、東京労組交流センター、全学連が闘う決意を表明した。
 東京労組交流センターの三角忠さんの行動提起を受け、渋谷の繁華街のデモに立ち、労働者人民に「憲法改悪を阻もう」と訴えた。

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週刊『前進』(1980号2面1)

亀裂を拡大するJR総連打倒せよ
松崎明の「東労組延命」路線と大合理化攻撃への協力が原因
 「裏切り者」に白色テロ叫ぶ黒田

 JR総連・JR九州労のカクマル組織を先頭としたほぼ丸ごとの脱退という事態は、JR総連のカクマル組織だけでなく、カクマル総体を大恐慌にたたき込んでいる。この事態がJR九州労にとどまらず、JR総連の大崩壊の始まりであり、カクマルの最大の実体であるJR東労組に波及していくことは間違いないからである。カクマル中央は驚愕(きょうがく)し、激しい危機感をつのらせ、頭目・黒田寛一を先頭に、JR九州労の「四人組」ら「裏切り者」に対する白色テロを指令している。そして、JR総連の他の地方組織における「密通分子を摘発せよ」と絶叫している。だが、それが逆にJR総連のカクマル組織の亀裂を一層深め、非カクマル勢力の離反と反乱を拡大し、JR総連の大崩壊を促進することは不可避である。ついにJR総連=カクマルを打倒する絶好の情勢が訪れたのだ。今、国鉄労働者を始めとする闘う労働者の間に歓呼の声がわき上がっている。JR総連という国鉄分割・民営化−JR結託体制の一角が崩れ始めたことは、千四十七人の解雇撤回闘争を軸とする国鉄闘争にとって決定的なチャンスの到来でもある。いよいよ「四党合意」を粉砕し、国労の戦闘的階級的再生をかちとり、一大反転攻勢に打って出る時なのだ。そしてJR総連=カクマルのファシスト労働運動を打倒し、連合の帝国主義的労働運動を打ち破り、日本労働者階級の戦闘的革命的な怒濤(どとう)の進撃をかちとろう。国労定期大会の決戦に続く十一・五労働者集会を、その跳躍台として大成功させよう。

 JR総連への私物化意識むき出す『解放』

 JR九州労のカクマル幹部どもがJR連合・JR九州労組に持ち込んだ加入届は全部で七百三十七人、JR九州労組織の約八割に達している。(前号既報)。十月五日の「脱退声明」に名を連ねたのは九州労福岡地本委員長の小椿ら四人だったが、十七日に第二陣の八十六人分の加入届を出したのは、各地本代表者からなる六人に増えている。九州労の壊滅と言って間違いない事態である。
 カクマルの反革命通信『解放』は、一六四〇号の「政治組織局」声明に続き一六四一号(十月二十三日付)に、中央労働者組織委員会・交通運輸労働者委員会の論文(a)と九州地方委員会・九州地方労働者組織委員会の論文(b)と、「脱退劇」と題する黒田寛一(中田一署名)の「短歌」集、およびJR東労組の「声明」を掲載した。
 それらは、九州労脱退の先頭に立った「四人組」ら「裏切り者」に対する内部テロ宣言である。とりわけ黒田の「短歌」は、内部テロの「指令」そのものだ。

 「地獄に落せ」と黒田の短歌

 黒田はこう絶叫する。
 「身売りせしも売らぬと居直るダラ幹を突きおとせ、黒洞洞の闇へ」
 「宵闇に裏切者の四人組はひいでしも地獄に落せ」
 さらに、この策動を事前に摘発できなかったことを「怒髪天を衝く」と、カクマル組織に対する怒りをもむき出しにしている。
 この黒田の「指令」を受けたカクマルは、「この四人組を先頭とするJR総連組織破壊者を今こそ破壊することこそが、わが党に課せられている任務である」(b)と叫び、さらに「九州労・JR総連組織を再建することを支援する闘いを、他産別の労働者たちは、柔軟に多角的におこなっていくであろう」(a)と、カクマル組織を総動員して内部テロをやるぞと宣言している。
 JR九州労の「組織部報」(十月十日付)によると、すでに十月九日、三人のカクマルが本部事務所に乱入し、「狩生、北〔*〕はどこだ」「JR九州労組織破壊を行っているのはお前らだ」などと繰り返し怒声をあびせ、杉山書記長に暴力をふるい、組織の重要書類を盗み出すという事件が発生している。〔*北は委員長で、今回の集団脱退の首謀者だとカクマルから断罪されている。狩生は副委員長で、やはり脱退にからんでいると見られる。いずれもゴリのカクマルで、行方不明といわれている〕
 九州労に残った幹部は「JR総連・JR九州労への組織介入・破壊に手を貸してきたのは奴らではなかったのか。『盗っ人たけだけしい』とはこのことだ。……こうした『革マル派』による蛮行・介入を断じて許すことはできない」とカクマルを非難している。
 九州労脱退の先頭に立ったカクマル、九州労本部に残ったカクマルのいずれもが「カクマルの介入」を弾劾し、それに対してカクマル中央の意を受けたカクマルが内部テロで恫喝するという事態になっている。カクマル組織が分裂し、三つどもえとなって激突するという惨状なのだ。
 論文(a)は、今回の事態が九州労にとどまらず、JR総連全体に波及するものであることを、ストレートに明らかにしている。
 「今回の事態が明るみに出された十月四〜五日から十月十日にいたるまで、JR総連中央本部は『目下調査中』と称して、現地へのオルグ団も派遣せずに拱手(きょうしゅ)傍観して事態を見守っていたのだ。……JR総連本部ならびにその傘下の各単組本部に巣くっている、このような現場から浮き上がったダラ幹たちの存在こそが、今回の九州労事件のような悲劇を生みだした組織的根拠であるといってよい」
 JR総連本部はその後、山下書記長を九州に派遣したのだが、何ら「対処策」をとらなかったという。
 そして「JR総連内の党員諸君は……裏切り者四人組とこれに連なるすべての陰謀・策略分子をうち砕くために不退転の決意をもってたたかえ!」と、JR総連への私物化意識をむき出しにしてJR総連内のカクマルに反革命的「檄」を飛ばしている。今やカクマル中央にとって、JR総連の幹部はほとんど「ダラ幹」化し、JR総連内で「陰謀・策略分子」がうごめいているという事態なのだ。
 さらに、九州の事態が「他の地方におけるJR総連内養殖〔*〕密通分子どもによる総連組織破壊活動の狼煙(のろし)となりつつある」〔*「養殖」とはJR連合のこと〕と激しい危機感を吐露し、「JR東労組会長を『独善的な組織運営での職場の引き回し』となじった裏切り者四人組の二の舞いを演じるような密通分子を摘発し、JR総連組合組織を強化する闘いの先頭に立たなければならない」と叫んでいる。
 カクマルはJR連合と通じた者によるJR総連破壊策動と言っているが、事態の本質はJR九州労カクマル組織の丸ごとの分裂である。それがJR総連のすべての組織においてカクマルの亀裂を生み出すまでに広がっているのだ。
 「JR総連=カクマル」規定の重圧にあえぎ、亀裂を深めてきたカクマルは、今や見境もなく、JR総連はカクマルが牛耳っているのだと天下に公言し、「裏切り者」や「密通分子」と闘えと絶叫し、一層の危機を引き寄せているのだ。

 東労組カクマル以外は切り捨てられる!

 これらの事態が意味することは、国鉄分割・民営化の先兵になって以来のカクマル松崎路線が完全に破綻(はたん)し、松崎の反革命的「権威」も失墜したということである。
 JR総連とは、旧動労カクマルが国鉄分割・民営化において日帝・中曽根と国鉄当局の二十万人首切り、国労解体攻撃の先兵となったことによって、権力の座を与えられた労組である。
 現JR東労組会長の松崎明らカクマルは、資本の合理化攻撃に率先協力し、カクマル組織の温存を図ることを「労使協力」=「労使はニアリーイコール」と称して路線化してきた。JR東日本の労資結託体制を維持することがその一切の基準である。九一−九二年の旧鉄労系の脱退で少数組合に追い込まれた「箱根以西」では、資本から攻撃されているにもかかわらず、闘う路線もなく、東の結託体制を守るための「圧力」としてのみ「スト」をやらされたり、「対決型労使関係」を強制されてきたのだ。
 JR九州労のカクマルが脱退声明で言う「独善的組織運営での職場の引き回し」とは、こうしたカクマル松崎路線の“東労組防衛絶対主義″のことなのだ。
 その松崎路線が完全に破綻した要因は何か。
 第一に、二九年型世界大恐慌の危機と資本攻勢が激化する中で、JR総連=カクマルが第二の分割・民営化と言うべきJR資本の大合理化攻撃に完全屈服したことである。とりわけJR東の「シニア雇用に関する協定」をJR東労組が率先して締結し、それとセットで鉄道業務(設備部門と検修・構内作業)の全面外注化を受け入れたことだ。
 これは、すさまじい合理化・首切り攻撃だ。年金制度改悪を逆手にとり、定年後は関連会社などの再就職先を紹介するが、それも試験による選別を行い、フルタイムで月十三〜十四万円の超低賃金で、外注化する業務に就かせる。JR資本は本体の要員を大幅に削減し、関連会社も超低賃金で熟練労働者を雇える。グループ全体で総額人件費を大幅に削減する。他産業の「雇用延長」などと比べても最悪の制度だ。
 だがJR東労組カクマルは、労働者を裏切ったファシスト反革命として、この資本の攻撃をすべてのんだのだ。しかもカクマルは、この大裏切りを平然とやるJR総連・東労組を「戦闘的労組」と呼び、これを守れ、とわめいているのだ。
 問題は、これが国労や動労千葉だけを差別・選別して犠牲を強いればうまくいくわけではないということである。地方では再就職先の確保は不可能だ。また業務の外注化は、車掌や運転も含めてさらに全面化が狙われている。JR東労組組合員だけが合理化の対象から免れることなど不可能だ。この中で地方は切り捨て、東労組のカクマルだけは生き残ろうというのだ。
 しかもこうした大合理化が他のJRにも広がろうとしている。JR九州ではJR東と同様に外注化の拡大が検討されている。そうなればカクマルが差別・選別の対象になるのだ。
 要するに、JR総連カクマルは、JRの大合理化攻撃に屈服して、JR東以外のJR総連は切り捨て、JR東労組のカクマル組織だけを延命させるという、実に反革命的な決断を行ったのだ。分割・民営化での大裏切りに続くこんな反労働者的なあがきは、労働組合の方針としては絶対に成り立たない。傘下の組合員の反乱は不可避だ。このことは、東労組そのものにも及んでいる。この間、カクマルは東労組東京地本執行部のカクマルをも「ダラ幹」と規定してきたのだ。
 この中で、「ダラ幹」と化したカクマルどもが「おれはおれ」(黒田の「短歌」)と、自己保身のために、カクマル中央からの離反に走っているのだ。

 闘争団の決起が追いつめた

 第二に、この事態が国労闘争団を先頭とする国鉄闘争の高揚の中で起こっているということだ。
 国鉄分割・民営化から十三年を経てなお、その最大の狙いである国労・動労千葉解体が貫徹できず、千四十七人の不屈の存在が日帝とJR資本を追いつめてきた。日帝は、カクマルを使った労務政策では国労も動労千葉も解体できないどころか、逆にこれへの怒りをバネに戦闘的階級的な国鉄労働運動が拡大しかねないことに恐怖した。だから、JR東の大塚新体制をもってJR東の労務政策を転換し、同時に「四党合意」をもって国鉄闘争と国労を解体する攻撃に出てきた。
 それに対して、七・一国労臨大における闘争団を先頭とする闘いが爆発した。これは国鉄労働運動史だけでなく、日本の階級闘争史上でも画期的な闘いである。日本共産党が反革命的に大動揺し、革同の分岐が深まったように、あらゆる勢力を揺さぶるものであった。国労の全面屈服を願望していたJR総連=カクマルは、だれよりも打撃を受けたのだ。
 九一−九二年のJR総連の分裂も、国鉄闘争が契機だった。JR総連が、九〇年三月末の清算事業団の雇用期限切れにあたって一人もJRに採用するなと要求し、各単組から「スト権委譲」をとりつけようとした。資本とは絶対に闘わないことを誓約して反革命連合を組んだ旧動労カクマルと鉄労系の野合は、カクマルが労働者の首切りを求める反革命「スト」を打ち出すことで矛盾が爆発した。そして千四十七人が決起したことが「箱根以西」での旧鉄労系の脱退という事態を生み出したのだ。
 千四十七人の国家的不当労働行為弾劾の不屈の闘いは常に分割・民営化の不正義を暴き続けてきた。それがついに、七・一を頂点とする闘いによってJR総連カクマルの分裂的事態まで生み出したのだ。

 綱領的路線的破産とカクマルの内部対立

 第三に、カクマルの綱領的路線的破産である。
 日帝が日米新安保ガイドライン関連法による戦争体制づくり、さらに改憲攻撃へ踏み込む中で、JR総連は昨年八月、連合政治方針見直しに対するJR総連の「対案」で「独立国家の自衛権承認」に踏み込み、改憲勢力へと決定的に転落していった。これはカクマルそのものの路線である。
 JR総連=カクマルは、ガイドライン反対闘争、組対法反対闘争の高揚に必死に介入を図ったが、完全にはじき飛ばされた。JR総連組合員が大動揺する中で、この総括をめぐってJR総連の役員の更迭までやった。そして帝国主義、国家権力と対決するような闘いは絶対にやらず、軍事輸送にも協力するという一層の大転向を遂げたのだ。
 また、「神戸謀略論」デマなどの自作自演の「謀略論」も完全に破綻した。“謀略の嵐(あらし)が吹き荒れる暗黒の時代だから闘ってはならない″とするカクマルの反革命路線の破産が一層明らかになった。
 マルクス主義、帝国主義論、スターリン主義論が欠落したがゆえのこうした綱領的路線的大破産と、黒田を先頭とした一層のファシスト化、反米愛国主義化が、今やカクマルとJR総連にドラスティックな組織的対立と亀裂と崩壊を引き起こしているのである。
 しかもこのような中で、JR総連が中心となって組織している「9条連」(憲法9条−−世界へ未来へ連絡会)に対して、カクマルが学生や他産別のカクマルを動員して介入を図る事態が起きている。九月の「9条連」の集会に押しかけたカクマルをJR総連の山下書記長らが排除し、また十月六〜七日に開かれた「9条連」の全国総会では、山下書記長が総会アピール案に「革マル派の介入」を非難する文言を入れたのだ。
 カクマルは論文(a)で、この事態を「九州労の自滅と一対の事態であり、他のもろもろのJR総連組織の自己崩壊の予兆となるであろうことを、わが党は憂えている」と非難している。
 ここでカクマルにやり玉に挙げられている山下書記長は、JR総連のカクマル主義的強化のために、今年六月のJR総連大会で書記長に就任したばかりで、『解放』紙上でも、この新人事を「評価」していた。その山下が早くもこの「ザマ」なのだ。彼らが「革マル派の破壊・介入を許さない」などと叫んでいる事態は、まさにJR総連の「自己崩壊の予兆」なのだ。
 今こそ、カクマル松崎路線の破産で組織的亀裂と崩壊に突入したJR総連=カクマルを、国鉄労働者を先頭に労働者人民の総決起で打倒しよう。この情勢は、国鉄闘争勝利の展望を指し示す決定的な情勢である。分割・民営化以来の最大のチャンスなのだ。
 この情勢を前に敵に屈することなど断じて許されない。JR総連を解体し、闘う国労の組織拡大を実現するチャンスなのだ。チャレンジ一派や上村革同がふりまく「ジリ貧論」「ラストチャンス論」を粉砕し、彼らを打倒し、国労の戦闘的階級的再生をかちとろう。

JR総連をめぐる動向 略年表

87年2月 動労、鉄労などが鉄道労連結成。
  4月 国鉄分割・民営化強行、JR発足。
89年6月 鉄道労連が略称をJR総連に変更。
90年4月 国鉄清算事業団1047人を解雇。
91年2月 JR西労組がJR総連との断絶表明(7月脱退)。以降、JR東海労組(10月)、JR九州労組(11月)が脱退。旧動労系はJR西労(5月)、JR東海労(8月)、JR九州労(12月)を結成。
92年3月 JR四国労組がそっくりJR総連脱退。
  5月 JR総連からの脱退組(旧鉄労系)などがJR連合を結成。
93年6月 東海道新幹線列車妨害事件。
95年6月 松崎が仙台で講演し「ワークシェアリング」「ナチス経済」を提唱。水戸でも(7月)。
  12月 新潟でJR東労組から旧鉄労系、社員労系が脱退し、JRグリーンユニオン結成。
96年3月 JR東労組中執で、旧鉄労・社員労出身の執行委員を統制処分。
  4〜6月 列車妨害事件が多発。
98年1月 カクマルの豊玉アジトが摘発され、国労、JR連合幹部への盗聴テープなど押収される。
99年5〜6月 JR総連がガイドライン反対集会、組対法反対集会などで参加者から弾劾される。このころからJR東労組が、JR連合の行事などに参加した組合員を「組織破壊分子」と追及。
  8月 連合の「新政治方針」に対してJR総連が改憲と自衛隊の軍事行動に賛成の「対案」。
2000年1〜2月 カクマルがJR東労組の旗開きやJR総連中央委員会に押しかける。松崎講演を転載した『主張』を社宅などに配布。一方、JR総連が「組織混乱を意図した一連の組織介入」を弾劾。
  2月 『解放』にカクマル議長・植田の「『労組への介入』ではない!」という声明。
  3月 JR東労組が「シニア協定」締結。
  4月 JR東の大塚社長らの新人事内定。列車妨害事件が多発。
  10月 JR九州労の8割の組合員がカクマルを先頭に脱退、JR連合・JR九州労組に加入届提出。

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週刊『前進』(1980号2面2)

パレスチナ人民虐殺弾劾 米・イスラエル大使館へ抗議
 パレスチナ人民に連帯し 東京 全学連 

 十月十八日、全学連は、米帝・イスラエルのパレスチナ人民虐殺を弾劾し、アメリカ大使館とイスラエル大使館に対する抗議行動に決起した。
 全学連の学生は、まずアメリカ大使館前に結集し、「アメリカ帝国主義・イスラエルによるパレスチナ人民虐殺徹底糾弾!」の横断幕を広げ、怒りのシュプレヒコールをたたきつけた(写真上)。抗議行動を開始するやいなや、機動隊が「ヘルメットをとれ、ゼッケンをはずせ」などと不当な規制・妨害を加えてきたが、それを断固としてはねのけ、抗議文を読み上げ、大使館職員に手渡した。
 続いて、イスラエルに対する抗議行動に向かった。イスラエル大使館前では最初から機動隊が阻止線を張って構え、「イスラエル大使館は申し入れを受け付けていない」と言ってきた。しかもイスラエル大使館の側は、抗議の申し入れにまったく対応しようとせず、パレスチナ人民虐殺を完全に居直っているではないか。「駐日イスラエル大使は出てこい! パレスチナ人民虐殺を許さないぞ!」。周辺の住民が見守る中、全学連は、イスラエル大使館の傲慢(ごうまん)な居直りにさらなる怒りを爆発させ、弾劾のシュプレヒコールをあげた。
 パレスチナ人民・中東人民は「イスラエル打倒! アメリカ打倒!」を掲げ、米帝・イスラエルのパレスチナ解放闘争圧殺の攻撃に対し、命がけの民族解放闘争に決起している。闘うパレスチナ人民と連帯し、米日帝の朝鮮・中国−アジア侵略戦争阻止へ闘おう。臨検法制定を阻止し、教育基本法改悪と改憲を許さない大衆闘争を爆発させよう。

 ただちに虐殺を中止せよ 関西反戦共同 

 十月十八日午前十時、関西反戦共同行動委員会の労働者学生市民二十人は、イスラエルによるパレスチナ自治政府に対する空爆とパレスチナ人民虐殺、米帝の中東・パレスチナ侵略戦争を弾劾する米総領事館抗議行動に決起した。(写真下)
 抗議団はまず、総領事館の正面に陣取り、横断幕を広げ、怒りのシュプレヒコールをたたきつけた。「米帝・イスラエルは、パレスチナ・中東人民虐殺を即時中止せよ!」
 関西反戦共同行動委員会の仲宗根朝寿事務局次長が申し入れ書を読み上げた。「イスラエル軍は戦車や武装ヘリコプターで攻撃し、パレスチナ人民百人以上を虐殺した」「イスラエルによるパレスチナ自治政府空爆弾劾! 米帝は中東『和平』なる反革命的介入をただちにやめよ。パレスチナ人民虐殺糾弾! 闘うパレスチナ・中東・アラブ人民を断固支持する」
 続いて、全学連宮城啓書記次長が申し入れ書を読み上げた。「起きていることは、米帝の九三年以来の中東『和平』交渉の破綻(はたん)だ。米帝の戦後支配体制は最後的崩壊の危機にある。われわれは、闘うパレスチナ・中東・アラブ人民、朝鮮・中国・アジア人民と連帯し、沖縄米軍基地を撤去し、日帝の侵略戦争を絶対に阻止する」
 関西反戦共同行動委は十・二一国際反戦デー闘争に決起する決意を固め、警察権力の弾圧策動をはね返し、抗議行動を貫徹した。

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週刊『前進』(1980号3面1)

介護保険制度廃止を−現場からの報告
必要な医療と介護が奪われ高額保険料にも苦悩と怒り

 入所・通所で重介護者が増加現場労働者にも大きな負担

 介護保険の強行実施で予想を超えた、あるいは予想もできなかったことが起きている。この点のいくつかを報告したい。

 車いす状態の人が約半数に

 ある老人保健施設では、介護保険実施以後入所者の重介護化が進行した。三年間にわたる同時期(八月)における入所者の状況の変化は、図1のようなものである。入所者の状態を移動状態だけで判断しているが、特に注目したいのは、「独歩」が九九年から二〇〇〇年にかけて大きく減り、それに対比して「つえ、歩行器」の使用者、「車いす」の使用者が増えていることである。
 これは、入所者の重介護化が進行していることを示している。これに伴って、施設現場における介護労働も加重化が進んでいる。特に、全体の三分の一以下程度であった車いす状態の人が約半数になって、介護の手間が急激に増えている。
 なぜ、このようなことになっていくのだろうか?
 まず、介護保険の実施によって、施設が重介護者を選択する傾向をもっていることである。これまでは、介護状態とは関係なしに、老人保健施設では医療保険から定額の報酬が支払われ、特別養護老人ホームでは措置費と行政からの補助が定額で支払われていたが、介護保険では施設に支払われる介護報酬が介護度のランクによって違うために、一般的には、要介護3以上の利用者を入所させないと採算割れを起こすためである。軽介護といわれている要介護1や2の人では、施設を維持する収入(介護報酬)にはならないということである。
 さらには、施設側が良心的にこのような選択を行わない場合でも、同様の状況が起きている。これは、介護度の重い人には在宅のケアプランを立てることが困難になり、退所計画が立たないためである。特養の場合は「終の棲家(ついのすみか)」としての位置づけをもっているが、老人保健施設は、在宅のためのリハビリなどを行う通過施設であるにもかかわらず、一種の特養化が進行してしまっている。
 在宅ケアプランが困難になっている最大の根拠は、重介護者の在宅での介護費用の少なさである。これまでは、行政の措置制度によって、非課税世帯にはほとんど無料でヘルパー派遣やデイサービスなどが行われてきた。しかし、介護保険では、一割の利用料自己負担の発生が重くのしかかってくる。
 その上、介護保険では最高の要介護5でも約三十七万円分のサービスしか提供されないため、それ以上の分は全額自己負担しなくてはならない。一般の労働者家庭にとって、一割負担以外に毎月数万円もの自己負担に耐えられるはずがない。要介護3以上の人にとっては、在宅での限度額いっぱいの介護保険使用時の一割負担よりも施設での支払額の方が少なくなる構造も起きている。
 要介護4のAさんの従来の在宅介護の状態=図2の1と介護保険でのサービス提供提示例=図2の2を比較して見ると、介護を切り詰めざるをえない状況がはっきりとわかる。
 介護保険では、図2の1のような在宅介護計画は絶対にできない。金額的にいっても、要介護4の限度額約三十万円を超える二十五万円以上を毎月自己負担しなくてはならないのである。これでは、在宅での介護は、足りない分を家族が担うか、二十五万円以上を支払うかということになってしまう。このように、結局は施設依存にならざるをえない。
 退所できない人が増加することによって施設の絶対的不足がさらに進行し、入所希望者をすぐには受け入れられない状態がますます強まり、結局は家族介護をさらに拡大しているのだ。

 「障害者」福祉から切り捨て

 通所系においても、同様の変化が起きている。ここでも、介護度によって施設側に払われる報酬額が違うために、重介護者が増えてくることになった。
 それ以外にも、今までは高齢「障害者」として「障害者」福祉で介護されていた人びとが、介護保険によって介護施設の通所に移されてきた。高齢者が「障害者」福祉から切り捨てられたのである。特に、「身体・精神障害」の重度の人がそれぞれの専門的施設から排除され、介護保険にくくられることで、通所現場でも同じように介護労働が過重になっている。

 ショートステイ利用できぬ

 ショートステイは、介護保険が始まる前から問題にされていた。どの介護度でも利用期間が少ないのである。そのため厚生省は、急きょ半年間の通所サービス分をショートステイに切り替え、規定以上のショートステイを利用できるようにした。しかしこれでは何も解決されない。
 事実、ショートステイの専門につくられた入所施設は、ほとんど利用者が現れない状態である。
 これはショートステイの需要が少ないからなのか?事実はまったく逆である。
 厚生省は、ショートステイを介護家族が法事や旅行のために一時的に介護ができなくなった時の対処としているが、実際のショートステイの実態は、そんな悠長(ゆうちょう)なものではない。
 ある寝たきりの人(要介護5となった)を介護している家族は、介護保険以前は、一週間を在宅で、一週間をショートステイで、と繰り返すことで在宅介護を維持してきた。「ショートステイに入った最初の三日間は寝続けて体力の回復を図り、あとの数日で次の一週間を迎える準備をする」というように、重介護者を介護する家族の、在宅介護を支えるものがショートステイだったのである。
 在宅介護を担っている家族には、二十四時間夜昼なく介護の重圧がのしかかり、しかもその大半が一人で行っているのが現実だ。ましてや老人性痴呆症の介護者を抱える家族にとっては、精神的肉体的な休息をもつためには、ショートステイが不可欠だったのだ。こんな深刻な現実を介護家族に強制しておきながら、その支えであったショートステイの利用すら大幅に制限しているのである。
 さらに、ショートステイの金額が一般の入所と違って高額に設定されているため、自己負担額も多くなった。また「今までは施設に電話一本でお願いできたのが、ケアプランセンターに依頼して、いくつもの書類を書かされるなど手間が増えた」ことによって、ショートステイの利用がしづらくなった。
 また、介護家族にとって、六カ月の期間の内で最初にショートステイ枠を使ってしまえば、後でショートステイを利用したくとも利用できないことになるといった制度上の問題がある。このことから、ショートステイをあらかじめ在宅介護計画に組み込むことができないのである。
 このように、在宅介護をしている家族にとって最も必要であったショートステイを結局利用できないようにして奪ったのが介護保険なのだ。

 介護保険料徴収で生活破壊自己負担の重圧で介護断念

 次に、十月から介護保険料の徴収が開始されたが、これがいかに深刻な事態になるのかを、具体的事例を見ながら明らかにしていきたい。特に、要介護のお年寄りの生活と生きていくために絶対に必要な医療や介護が奪われていくことは重大問題である。

 サービス減らしても負担増

 Bさんは、八十三歳の女性で独居。関節リュウマチがひどく、ほとんど自立生活は困難な状況にある。二年前までは夫が主に介護を行っており、福祉からヘルパーの派遣を受けて在宅で生活してきた。夫が亡くなって以後も、食事の介助や清拭(せいしき)、家事にほとんど全面的にヘルパーが入り、在宅での生活が維持されてきた。
 しかし、介護保険が始まって、要介護4の認定の枠では、限度額いっぱいを使っても足らない。その分をやむをえず全額自己負担している。朝と昼の食事介助に毎日ヘルパーに来てもらい、夕食では週三回だけ入ってもらい、不足分は別居している娘さんに食事介助(それ以外にも洗濯や清掃、清拭なども加わった)してもらわなくては生活できなくなった。介護保険が始まって、サービスを大幅に減らしても毎月四万円以上の負担が発生したのだ。 Bさんの生活では、厚生年金の遺族年金がかろうじて十三万五千円あるが、それでも毎月約二万円の赤字になり、貯金を取り崩さざるをえなくなっている。別居の娘家族も生活が大変で、親を養うことも同居することも困難で、週何度かの介護援助をするのが限界になってきている。
 表1を参照してほしい。このBさんから、さらに介護保険料を毎月千百二十五円(基準額を三千円として第二段階)取り始めた。しかも、来年十月からはこれが倍になり、毎月二万五千万円以上の赤字になる。表では、ヘルパーサービスが介護保険以前の継続使用なので、本来一〇%の自己負担が三%に減額されているが、これも来年には六%になるといわれ、さらに五年後には通常どおりの一〇%にするという(表1では一〇%と計算)。
 年々赤字が膨れ上がるだけで、病身で介護の必要な独居のお年寄りをどれほど不安に陥れているか。これが介護保険の正体なのだ。

 自己負担払えず利用を抑制

 九十歳のCさんは、寝たきりで介護度5と認定された。Cさんの妻も介護度3と認定されており、介護度3の妻が介護度5の夫の面倒を日常的に見ている。息子家族と暮らしていたが、事情があって現在は息子夫妻と音信不通になってしまった。その子どもの二十代の孫と現在は同居している。(表2参照)
 この夫妻の場合、介護保険前までは、福祉からヘルパーがほぼ毎日派遣され、往診や訪問看護などが行われ、何とか夫妻だけでも生活することができた。
 しかし、介護保険が始まって生活は一変し始めた。医療や在宅介護をとことんまで切り詰めなくてはならなくなったのだ。ケアセンターには「毎月一万円以下しか払えない」という。それまで毎月四万円の国民年金と高齢福祉年金で何とか生活できたのが、どうしても赤字になり、同居の孫から最低一万円の補助を受けることにした。この一万円を介護保険や医療費の自己負担分に充てるというのだ。
 現在のケアプランでは、介護保険の自己負担六千八百九十五円、医療費を二千円として、一万円以内に収める努力がなされている。Cさんの介護保険料の使用率は五六%で、これ以上の悪化を防ぐぎりぎり最低限のサービスを受けている。そのために、本来必要なCさんの妻のサービスはたった八%にしてしまっている。この人たちは生活崩壊の一歩手前で踏ん張っているということなのだ。
 二十代の孫に九十歳の要介護夫妻の保護責任を問うのか! 孫も日々の労働で自分の生活を支えるのが精いっぱいである。この夫妻に十月からの介護保険料がのしかかってきたのだ。しかも、同居の孫が市民税課税者であるということで、二人とも第三段階の基準額になるのだ。この十月から二人分の毎月三千円が新たな負担として始まった。孫と同居する限り、基準額を支払えというのだ。
 来年の十月以降、介護保険料は毎月六千円になり、ヘルパーの補助も打ち切られていく。もはや、これは「のたれ死にせよ」というに等しいことではないか。しかも、住居が持ち家であることを理由に、生活保護すら取得させない。“介護保険は直ちに廃止に″は、この人たちの切実な声であり、生きるためのまったく当然の権利なのである。

 第2−4段階がむしろ深刻

 介護保険の保険料徴収は、最も苦しんでいる、介護を必要としているお年寄りから生活を破壊していくとんでもない代物であることは明らかだ。保険料の金額もさることながら、逆進性の問題は絶対に許せない。医療や介護に苦しみ、生活に苦しむ人をさらにもっと苦しめるための構造となって激しく襲いかかっている。
 ここで挙げた事例からも明らかなように、第一段階といわれる「生活保護世帯・老齢福祉年金」の人たちだけでなく、むしろ、第二段階から第四段階までの人びと(一番多い層となる)の方が深刻な状況になっていることが多いと思われる。つまりは、圧倒的な高齢者がこの保険料徴収に苦しみ、怒りをもっているということなのだ。この怒りを、声を、形あるものにしなくてはならない。
 生活と生命がかかった闘い||それが介護保険廃止への闘いなのだ。
〔医療福祉労働者 K・R〕

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週刊『前進』(1980号3面2)

教育改革国民会議 公聴会粉砕で連続闘争
 教育基本法改悪に反撃

 ●福岡

 十月十四日、全国四カ所のトップを切って福岡で開催される「一日教育改革国民会議」の公聴会弾劾の闘いに立ち上がった。反戦共同行動・福岡は、午後一時過ぎ、会場の福岡市祇園の大博多ビル前に三十数人の隊列で登場し、弾劾のシュプレヒコールをたたきつけ、公聴会参加者などにビラを配布した。
 午後二時半から、会場前で弾劾集会を行った。反戦共同行動・福岡の石崎昭哲代表が発言し、教育改革が戦争体制づくりのために教育基本法改悪、憲法改悪を狙った攻撃であることを怒りを込めて暴露した。
 また、厳戒態勢を打ち破り、会場内でも教育基本法改悪を弾劾する横断幕を掲げた。さらに夕方から、教育基本法改悪に反対する集会を行った。

 ●大阪

 十月二十一日、教育改革国民会議の公聴会が福岡市に続いて大阪市内MIDシアターで開かれ、関西反戦共同行動委員会は四十五人で、国際反戦デーの闘いの一環として徹底弾劾した。「教育基本法改悪粉砕」の大横断幕を掲げて会場前に陣取り、傍聴者と市民にビラとパンフを配布した。
 公聴会は、反動文化人らがわずか半年足らずで作った中間報告の提案を「国民的議論」の結論に仕立てるためのアリバイ作りである。戦後教育を解体し、教育労働者の団結を破壊し、徴兵制と「神の国」の道徳教育を導入し、差別選別教育の極限化を図ろうとする攻撃だ。これに対して弾劾のシュプレヒコールがたたきつけられた。
 一方、反革命カクマルは、奈良女子大自治会を名乗って「公聴会」に参加し「国民会議」の一員となり果てた。

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週刊『前進』(1980号3面3)

「心の東京革命」集会を弾劾 “修身教育の復活許さぬ”石原に大打撃

 十月十八日、反戦共同行動委員会は、ファシスト石原東京都知事が東京国際フォーラムで開催した「心の東京革命」都民集会の弾劾行動に決起した。
 石原の「心の東京革命」は戦前の修身教育の復活だと暴露・弾劾する反戦共同行動委員会の千五百枚のビラが手渡され、参加者から「ビラに書いてあるとおりだと思う」「教育勅語によって、青年がたくさん戦争で死んだ」と声がかけられた。後日、反戦共同行動委員会の事務所にも共感の電話がかかった。
 石原は、この都民集会を「五千人集会」と銘打ち、「心の東京革命」推進協議会を構成する団体に組織動員をかけた。それにもかかわらず参加者は予定を大幅に下回る三千人余り、それも集会の途中でぞろぞろ帰っていくありさまで、集会の終わる時まで残っていたのはほんの数百人だった。
 石原は、開会のあいさつで、開口一番、「(会場の)外で、セクトの連中が『教育勅語を復活させようとしている』などと言っている。教育勅語に書いてあることは当たり前のこと。だが、私は今さら持ち出すつもりはありません」と切り出し、発言の最後にも再度「外で左翼の連中が言ってるように戦前の教育に戻そうというのでもない」と強調して、反戦共同行動委の弾劾闘争が石原に大打撃を与えたことを示した。そして、「戸塚ヨットスクールの教育方針は正しい」「子どもをしかること、殴ることも必要」「強い父性を復権しなければならない」などと反動的持論を展開した。
 また、右翼評論家の上坂冬子が講演し、教育改革国民会議が「奉仕活動の義務化」を打ち出したことに対して、「上から政治が強制的に奉仕活動をやらせようとしても意味がない。下から盛り上げていく運動をつくらなければならない」と述べた。
 二人の発言は、教育改革国民会議に対抗して、「上からの運動ではなく、下から、大人一人ひとりが自覚をもって担う運動を起こさなければならない」と強調するとともに、教育労働者を先頭とする人民の闘いを罵倒(ばとう)し、根絶しようとするものだ。
 石原は、日帝中枢とある種の「対抗性」ももちながら、教育基本法改悪を頂点とする教育改革攻撃を、よりファシスト的に推進する突撃隊としての役割を担おうとしているのだ。
 しかしこの集会は、石原のファシスト運動に労働者人民をいまだ動員することができていないことをさらけ出すものとなった。

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週刊『前進』(1980号3面4)

全金本山物販アピール 勝利への正念場で倍増を

 すべてのみなさん。三十年目を迎えた全金本山闘争は、「二名の解雇撤回・全員の原職奪還」の完全勝利をかちとれるかどうかの正念場を迎えている。
 三十年の長きにわたって全金本山闘争を支援してきた仲間はもちろん、すべての闘う仲間に、本山闘争勝利のために年末物販・カンパへの例年を倍する決起を訴える。
 本山資本は、この間の闘いに追いつめられ、仙台地裁で行われている和解手続きからもはや逃げられなくなっている。
 こうした中で会社側は八月三十日に「就労条件」を出してきた。「六十歳未満の職場復帰」としながら「雇用期間は五十七歳までとする」としている。実にふざけた話だ。「就労問題」とは、違法なロックアウトによって二十九人の組合員が就労できず、二十八年という長きにわたって被解雇者と同じように賃金が支払われない状態におかれているということだ。会社は、暴力ガードマンや警察機動隊のテロル、弾圧に屈しない全金本山支部(当時)を全員職場から追い出すことで組合をつぶそうとしたのだ。
 二十八年という超長期の違法な不就労期間、この責任の一切は会社側にある。その違法状態を解除することに条件をつける権利など会社側にはないのだ。現時点で六十歳を過ぎていようと、前組合員を就労させることが会社側の義務なのだ。
 本山資本は、あくまで全金本山労組の組合員は誰一人会社に入れたくない、争議の責任はとりたくない、という一点で必死になっている。逆に言えば、「二十八年間の不就労問題」の責任を会社に認めさせることは、争議責任を全面的に会社に認めさせ、青柳充氏、熊谷春男氏の解雇撤回、全面勝利をかちとる大きな突破口となるのだ。まさに正念場、つばぜり合いの攻防だ。そして最後的決着をつけるのは力関係だ。資本の最後のあがきを打ち破る大攻勢に打って出よう。

 「一人の首切りも許さない」闘い

 十月二十二日、仙台で「政府・JRに法的責任あり! 四党合意NO! 国鉄闘争の勝利をめざす十・二二仙台集会」が国労闘争団、動労千葉の中野委員長を迎えて開催され、百人近くの労学が結集し、国鉄闘争勝利への決意を固めた。東北地方で唯一の四党合意絶対反対の集会である。
 この集会の呼びかけ人である全金本山労組の青柳書記長は、冒頭あいさつに立ち、「全金本山労組としても、労働組合の原則を守って闘ってきた立場から『四党合意は譲ってはいけない、譲れない問題だ』と臨大にむけて声明を出した」「四党合意は『もう勝ち目はない』ということだ。争議は敵も簡単には勝利を与えることはない。苦しくとも団結を固めて闘うしかない」「この間、多くの闘争団と話したが、みんな『なんとしても勝ちたい』と言っている。『闘争団の事業体に金が出る』などのウワサが流されている。労働者の苦しさにつけ込んだ攻撃だ。四党合意を阻止するためには、外から闘争団、国労を激励する運動は欠かせない」と訴えた。
 全金本山労組は、国鉄分割・民営化に先立つ民間争議つぶしの攻撃の中で全国金属から除名され、当時の社会党機関紙『社会新報』にまで「本山の物販を取り組むな」という大きな告示が出された。その中で「『一人の首切りも許さない』と闘い続けることは悪いことなのか」と全国の労働組合に訴え、まったく自前の支援を作り上げてきたのだ。この三十年という月日は何ものにも代えることはできない。組合員、家族の血と汗と涙のすべてを「一人の首切りも許さない」というスローガンに込めて、団結の力だけで闘い抜いてきたのだ。これこそが労働者魂である。
 全金本山闘争の完全勝利は、国鉄闘争始め日本の労働運動に大きな衝撃と勝利の展望を与え、闘う労働運動の号砲となることは間違いない。それが今現実のものとなっている。問題は闘争資金確立だ。あと一歩、敵を追いつめる当該労組、支援の総決起が求められている。物販・カンパに全力で取り組み、全金本山闘争完全勝利をかちとろう。

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週刊『前進』(1980号4面1)

改憲攻撃の推進機関憲法調査会粉砕せよ
9条破棄を核心テーマに戦争国家体制の確立狙う
 改憲の先兵と化す鳩山民主党

 調査会の憲法論議は第二ラウンドに

 改憲攻撃が、今年一月に設置された衆参両院の憲法調査会を中心に、恐るべきテンポで展開されている。
 「憲法調査会は新しい世紀にふさわしい国の形を定める憲法の調査を行っている。護憲の立場に固執されるということは憲法調査会の本旨にもとるのではないか」(自民党・山崎拓)、「改正あるいは新憲法をつくるというところまで、この調査会はやるべきではないか」(自民党・塩田晋)、「年末までには新憲法の前文のたたき台ぐらいは示したい」(自民党・高市早苗)などと、憲法調査会は改憲作業の場にさえなっている。
 そして臨時国会での船舶検査(=臨検)法案制定策動、有事立法や教育改革・教育基本法改悪攻撃、ファシスト石原都知事の九・三首都治安出動訓練、読売新聞の第二次改憲試案など、憲法調査会での改憲論議と呼応しながら、あらゆる問題をめぐって、日帝支配階級の攻撃は改憲の一点に向かって噴出している。
 改憲策動はすでに重大な段階に突入している。確かに現憲法制定以来半世紀余、日帝の改憲策動は一貫して続いてきた。しかし、今日の改憲攻撃を、単に今までの延長線上でとらえてはならない。
 戦後世界体制の崩壊と帝国主義の基本矛盾の爆発、帝国主義の分裂と対立・抗争が全面化する時代が到来する中で、日帝はその戦後的あり方では一歩も立ちゆかなくなっている。政治・経済・軍事などあらゆる領域、すなわち帝国主義の存立そのものにおいて、戦後的あり方の深刻な破産に直面している。日帝は、みずからのあり方を、戦争国家としての戦争国家へと根本的に転換して突破しようとしている。
 とりわけ朝鮮・中国侵略戦争参戦体制の形成は待ったなしである。だから日帝支配階級は、国家のあり方の転換に「危機突破」のすべてをかけている。しかしこの日帝にとって深刻な桎梏(しっこく)となり、最大の攻撃対象となっているのが現憲法なのである。
 元首相・中曽根康弘は、著書『二十一世紀 日本の国家戦略』に以下のように書いている。
 「冷戦の終了とともに世界情勢は大きく変わり、いわば米ソの磁場のもとに結集していた砂鉄が、ソ連の崩壊により電磁力が切れて散乱した状況です」「日本もその例外ではないのですが、戦後五十年を経て、九〇年代にはさまざまな制度の金属疲労が如実に現れてきました」「日本は大きな改革を避けられない再建の時期に入った」
 「この国の建て直しを考えるときに、とりわけ憲法の欠陥が目につきます」「今度の憲法調査会も、広い意味で戦後日本からの脱却、日本の自己主張という性格をもっています」「安全保障、外交、政治、経済、社会福祉、文化、教育、それに民族の伝統や文化等−全部のあり方を集約したものが憲法です。したがって、日本の二十一世紀のあるべき青写真は、新しい国民憲法に集約され形づくられるものです」
 この中曽根の言葉に、日帝の改憲攻撃の意図がはっきりと示されているではないか。そうした意味では、今日の改憲攻撃は、゛改憲゛ではなく、中曽根やファシスト石原が言うように゛現憲法破棄゛であり、゛新憲法制定゛の攻撃なのだ。
 現在、衆院憲法調査会は「憲法制定過程」をテーマとした論議を終え、第二ラウンドとして「二十一世紀の日本のあるべき姿」をテーマにした議論に入っている。その後、憲法前文と本文の検討に具体的に進むという。十一月三十日の衆院憲法調査会には、ファシスト石原が参考人として参加する。これに対して全学連を先頭に衆院憲法調査会粉砕闘争に決起する。
 改憲への道を敷く憲法調査会そのものが弾劾と粉砕の対象だ。「改憲に突き進む憲法調査会粉砕! 一切の改憲策動許すな」の闘いをまきおこそう。

 改憲を引き寄せるガイドライン攻撃

 そもそもガイドライン体制の構築が改憲攻撃を激しく引き寄せている。ガイドライン体制のもとで、自衛隊が何をやるのか。十一月二日から二週間の実施予定の日米共同統合実動演習がはっきりと示している。
 日米共同統合演習には、日本からは自衛隊三軍の約一万五百七十人、艦船十隻、航空機約百六十機が、米側は、在日米軍約一万八百三十人、艦船十隻、航空機約百五十機が参加する。
 この演習では@非戦闘員退避活動訓練、A後方地域捜索救助活動訓練、B近接航空支援訓練などの訓練を初めて実施する。
 @非戦闘員退避活動訓練は、米軍の航空機や自衛隊のヘリコプターで岩国基地(山口県)から空自築城基地(福岡県)に模擬の「避難民」を輸送する。そして航空機までの「安全」を図るため、陸上自衛隊の誘導隊と米海兵隊の部隊を派遣し、援護するという。
 これと並行して、海上自衛隊佐世保基地では大型輸送艦「おおすみ」を使い、陸自の誘導隊に護衛された「避難民」をヘリと搭載艇で救出する避難・海上輸送訓練も行う。
 これらは、米軍とともに自衛隊が強襲揚陸艦「おおすみ」と強襲揚陸艇LCACで朝鮮半島に強行上陸し、陸自最精鋭の習志野第一空挺団の空挺レンジャーから選抜された「誘導隊」を最前線に投入して軍事制圧し、「避難民」を「救出」するという訓練だ。
 A後方地域捜索救助活動は、日本海で「米軍飛行機が墜落した」状況を想定し、海自が捜索し発見した米兵を、自衛隊と米軍ヘリなどで救出し、手当てをして、山口県の岩国基地に運ぶという訓練である。
 B近接航空支援訓練は、空自の戦闘機と米海兵隊機が、陸自と海兵隊の地上部隊を射・爆撃で援護する地上戦闘援護作戦訓練で、王城寺原演習場(宮城県)と饗庭野演習場(滋賀県)で行う。米航空機が陸自を、日本側航空機が米海兵隊を支援する訓練である。
 これらの訓練は、百万人の死者が出ると米帝が公言する朝鮮侵略戦争計画「5027」に自衛隊が全面的に参戦することをはっきりと示している。それは日帝がいわゆる集団的自衛権を行使し、交戦=武力行使を行うということなのだ。
 そもそも新ガイドラインに基づく今回の日米共同演習は、有事立法や改憲を前提としなければ、演習さえ成立しないものだ。
 船舶検査(=臨検)法案は、自衛隊が米軍とともに海上封鎖を行い、武力で日本海を制圧して臨検を行い、それに従わない船舶に対しては武力で従わせるというものであり、日帝(自衛隊)の側から朝鮮・中国侵略戦争の戦端を開くものである。経済封鎖はそれ自体、九一年イラク・中東侵略戦争で数十万人の命を飢餓や病気で奪ったように、許すことのできない人民虐殺の戦争そのものである。
 臨検や海上警備行動を行う海自特別警備隊は、ガス銃や機関けん銃を装備し、「白兵戦」も想定し、船舶への突入、武装制圧、武装解除の訓練を行っている。
 この船舶検査(=臨検)法案は、昨年のガイドライン関連法の成立過程では、あまりにストレートに戦争につながる法案のため、反対運動の高まりの中で、先送りになったほどの戦争法案なのである。臨検法案粉砕を改憲阻止決戦の一環に位置づけて闘おう。

 「読売改憲試案」の本質は“9条破棄”

 今日の有事立法および改憲の攻撃は、日帝の朝鮮・中国侵略戦争の展開にとって、重大な桎梏となっている現憲法(体系)的制約を取り払い、積極的に法的保障を与えていくものだ。読売新聞が今年五月三日に発表した憲法改正第二次試案(以下、読売試案とする)はそれをよく示している。
 読売試案は、@「自衛のための軍隊」の明記、A緊急事態条項の新設、B「国の安全や公の秩序」などを明記し、「公共の利益」の概念を導入する、などが特徴である。
 @「自衛のための軍隊」については、「誰が見ても軍隊だ」とか「国際法上は軍隊として取り扱われている」という論理で、「戦力は持たない」とする現憲法を完全にひっくり返し、自衛隊は軍隊だと宣言している。
 さらに重大なのは、「日本国は、みずからの平和と独立を守り、その安全を保つため、自衛のための軍隊をもつことができる」としていることだ。日本゛帝国主義゛の「平和、独立、安全」とは何か? ゛戦争と革命の時代を、軍隊と侵略戦争によって、日本帝国主義は生き残っていくのだ゛との宣言にほかならない。
 A緊急事態条項の新設では、「外国からの侵略、大規模なテロ、騒乱、大きな自然災害や原発関連施設での重大、広範囲な事故の発生、またはそれらの切迫した事態などを想定」という。つまり日帝が戦争に突入した時には、緊急事態宣言を発し、「自衛のための軍隊」や警察を始め、国の機関、地方自治体などへのあらゆる命令権を首相に集中して戦争を遂行するというものだ。さらに「緊急事態」時の首相の権限として「(国民の)身体、通信、居住及び移転の自由並びに財産権を制限する緊急の措置をとることができる」としている。
 これは、戦時には、労働者人民の権利や生活よりも軍隊と戦争が一切に優先するというものである。
 その根拠として、B「公共の利益」という概念を導入している。「『国の安全』や『公の秩序」は、基本的人権を守るためにも不可欠」「国の安全が脅かされては、国家が国民の基本的人権を擁護する責任を果たせない」と、国民の基本的人権を守るために、基本的人権を制限しなければならないというおよそ破綻(はたん)した論理で、非常時=戦時には、労働者人民は、すべての犠牲を甘受せよと主張しているのだ。
 この読売試案の「公共の利益」や教育改革国民会議での「(教育基本法は)個人や普遍的人類などが強調されすぎ、国家や郷土、伝統、文化、家庭、自然の尊重などが抜け落ちている」という主張は、゛日本帝国主義の生き残りこそが一切だ、そのために労働者人民はすべてを国家に捧げよ、それが日本労働者人民が生きてゆく道だ゛という帝国主義的排外主義と国家主義・愛国主義を扇動するイデオロギー攻撃でもある。
 かつて小沢一郎は、『日本改造計画』(一九九三年)の中で、日本の経済的繁栄を守るためには日本は「普通の国」にならなければならないと主張した。この「普通の国」論と比べても、恐るべき反動的エスカレーションだ。わずか数年で、日帝の危機はいよいよ煮詰まってきている。
 このように、読売試案は、帝国主義軍隊を全面的に復活させ、侵略戦争を遂行できる体制をつくりだすことを狙ったものである。

 奉仕活動義務化と「徴兵制」

 今ひとつ重大な攻撃は、「奉仕活動の義務化」だ。
 教育改革国民会議中間報告は「@小・中学校では二週間、高等学校では一カ月間、共同生活などによる奉仕活動を行う。A将来的には、一定の試験期間をおいて、満十八歳の国民すべてに一年間程度、農作業や森林の整備、高齢者介護などの奉仕活動を義務付けることを検討する」という「奉仕活動の義務化」を打ち出した。これ自体が戦前の
徴兵制や勤労奉仕まがいのものであるが、森首相は、もっと露骨に「大学の入学時期を九月にして、入学前に自衛隊で訓練するのもいいかもしれない」と公言している。
 また防衛庁は、退職自衛官を対象にしてきた現行の予備自衛官制度を大幅に見直し、二〇〇二年度からは、定員の一部を学生や社会人から公募するという方針を打ち出した。
 こうした動きと呼応して、衆院憲法調査会では、「二十一世紀の日本のあるべき姿」の論点として、奉仕活動の義務化を取り上げようとしている。
 ドイツが憲法で、成年男子に兵役を義務づけ、兵役拒否者に福祉施設などで「代替勤務」を義務づけていることを、九月に行った欧州憲法調査団の成果として押し出し、「奉仕活動の義務化」=徴兵制を日本の憲法に明記することをも狙っているのだ。
 「奉仕活動の義務化」は徴兵制と勤労奉仕の復活の攻撃であり、学徒出陣への道である。絶対粉砕だ。

 既成政党の総屈服粉砕し改憲阻止へ

 こうした中で、民主党代表の鳩山由紀夫は、八月末の代表再選の際に「任期(二年)の間に民主党の考える憲法をまとめたい」と述べ、十月十五日にはテレビで、集団的自衛権を憲法に明記すべきと主張した。
 鳩山は、ある意味で自民党や自由党以上に改憲を扇動するとともに、民主党内でも、旧社会党系の議員などに「自衛隊を軍隊と認めよ」「二年以内に改憲の見解を出す」と改憲容認を強硬かつ執拗に迫り、民主党と連合を完全な改憲政党・勢力にしようとしている。
 公明党は、「十年をめどに論議する」との方針を転換し、十一月の党大会で「十年で第一段階としての結論を出す」との方針を出そうとしている。
 日本共産党は十一月の党大会で「必要にせまられた場合には、自衛隊を国民の安全のために活用することは当然である」という大会決議をあげる。これは朝鮮・中国侵略戦争に自衛隊が参戦することに賛成、協力するという宣言そのものである。実質的に改憲も認めるということである。
 憲法調査会設置を画期として、あらゆる政党が雪崩をうって改憲へと突き進んでいる。カクマル=JR総連は改憲攻撃の先兵になっている。改憲問題があらゆる政党や労組などの決定的分岐を生みだしている。
 しかし、既成政党や労働組合の転向を打ち破る闘いが始まっている。国鉄闘争や沖縄闘争がそれをはっきり示しているではないか。
 憲法調査会を粉砕し、既成政党の総転向・総屈服をのりこえ、組織的亀裂と崩壊を開始したカクマル=JR総連のファシスト労働運動を打倒して、今こそ革共同が最先頭に立ち、労働者階級と固く結びつき、改憲阻止の巨大な大衆行動をつくりだそうではないか。
 十一・五労働者集会の大成功をかちとろう。
 〔片瀬 涼〕

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週刊『前進』(1980号4面2)

11・12北富士闘争に結集を 米海兵隊実弾演習阻止へ忍草農民と連帯し闘おう

 初の9日間の連続実射訓練

 在沖米第三海兵師団が、十一月四日から十六日にかけて、北富士演習場で実弾射撃演習を強行しようとしている。訓練人数は約百六十人、車両約四十台、一五五ミリ榴弾(りゅうだん)砲四門を使用するという。
 今回の演習は、沖縄の県道104号越え実弾射撃訓練の本土移転演習であり、北富士では三回目になる。同時にこの演習は、十一月二日から十八日まで行われる日米共同統合演習の時期と完全に重なっている。日米共同統合演習の一環としても行われることは明らかである。
 十一月の日米共同統合演習は、新ガイドライン関連法施行後初の統合実動演習であり、約二万一千人が参加する。「周辺事態」に際しての協力項目である「非戦闘員退避活動」や「後方地域捜索救助活動」を初めて訓練するほか、米航空機が陸自を、日本側航空機が米海兵隊を支援する地上戦援護作戦なども計画している。いずれも新安保ガイドラインにもとづく具体的な軍事行動であり、朝鮮侵略戦争計画として策定された「作戦5027」の予行演習にほかならない。
 北富士での演習についても、実弾射撃が初めて九日間連続で実施される。これは過去二回の本土移転演習に比べても重大なエスカレーションである。
 北富士演習場は、もともと農民の入会地だった。忍草(しぼくさ)農民の激しい闘いによって、米軍および自衛隊は日曜日に演習してはならないこと、日曜日には農民が自由に立ち入りできることがとり決められていた。前二回の本土移転演習の時も、米軍は日曜日に演習することができず、北富士忍草母の会は、演習期間中の日曜日に、演習場内で堂々と反対集会を開いた。ところが今回、米軍はこれを破って農民の既得権を奪い、日曜日の演習をごり押ししたのだ。
 この演習に対して、山梨県、地元市町村、富士吉田市外二ケ村恩賜県有財産保護組合(吉田恩組)などは、米軍の要求をそのまま受け入れることを決定した。これで、本来日曜日で立ち入り日に指定されていた十一月五、十二日は、米海兵隊の九日間連続の演習によって、十一月二十四、二十五日に振り替えられることになった。山梨県、地元市町村、吉田恩組などの演習場賛成派は、周辺事態法の成立後初めて行われる今回の本土移転演習では、米軍演習に対する見せかけの抵抗もやめた。そしてこれまで認めてこなかった九日間連続の実弾射撃を受け入れたのである。
 この攻撃を許せば、次には米軍は、忍草母の会の闘いによって阻止されてきた県境越え実弾射撃の再開など、どんどん要求を拡大していくに違いない。まさに今回の演習は、侵略戦争の発動に備えて、忍草農民から入会権を奪い、北富士演習場の無制限使用に道を開く攻撃である。断じて許してはならない。

 入会権武器に全面使用阻む

 北富士演習場は、隣接する静岡県の東富士演習場と一体のものである。だから米軍も自衛隊も、北富士と東富士を一緒にして「富士演習場」と呼んでいる。
 富士演習場は、矢臼別演習場(北海道)に次ぐ、日本第二の面積をもつ大演習場である。師団規模(一個師団は約九千人)の大演習が実施できるうえ、長距離砲や戦車砲を始め、あらゆる兵器の実射訓練ができる。東富士に砲座を据え、県境を越えて北富士に着弾地を設けると、実に二十キロの射程がとれる。二十キロもの射程がとれる自衛隊演習場は、富士だけである(現在は忍草母の会の闘いによって県境越え実弾射撃が阻止されているため、北富士単独で六キロの射程しかとれない)。
 だから米海兵隊は、一九五〇年代末に司令部を富士から沖縄に移した後も、恒常的施設としてキャンプ・フジを残し、一貫して富士演習場で長距離砲実弾演習を実施してきたのである。米海兵隊がここまで破格の位置づけをしている演習場は、本土ではほかにない。
 また地理的に首都に近いことから、自衛隊も治安維持の観点から重視し、五つの駐屯地と陸上自衛隊富士学校など重要施設と部隊を配置し、一大軍事拠点が形成されている。
 朝鮮戦争の時もベトナム戦争の時も、富士演習場は米軍のキャンプ地、実弾演習場として使用され、米軍の大部隊が朝鮮・ベトナムに出撃していった。
 米軍も自衛隊も、これほど富士演習場を戦略的に重視しているにも関わらず、今なお全面使用ができないでいる。入会権を武器に北富士演習場の撤去を求める忍草農民の闘いが、これに大きく立ちはだかり、米軍および日本帝国主義に日々打撃を与えているからである。だから米軍も日本政府も、忍草農民の入会権を奪い、闘争をつぶそうと躍起になっているのだ。

 北富士闘争は反戦闘争の砦

 今、北富士演習場にされている梨ケ原一帯は、忍草農民の先祖伝来の入会地である。忍草農民は、梨ケ原を耕し、草を刈り、粗朶(そだ)をとり、そばや桑を植え、生活の八割を梨ケ原に依存してきた。
 一九三六年から三八年にかけて、中国侵略戦争の本格化とともに、旧陸軍が梨ケ原を買収し、北富士演習場として使い始めた。戦後は米軍が旧陸軍の演習場をそのまま接収した。生活の糧を奪われた忍草農民は、生きるための闘いとして、「富士を返せ」「北富士演習場撤去」を掲げて立ち上がった。これが北富士闘争の始まりである。
 忍草農民は、演習場に何度もゲリラに入り、米軍および自衛隊の実弾射撃を阻止してきた。こうした実力闘争によって、北富士闘争は一貫して、反戦・反基地闘争の砦(とりで)としての位置を占めてきた。
 一九五五年六月二十日、忍草農民が初めて北富士演習場の着弾地に突入し、米軍の実弾射撃を実力で阻止した闘いで、忍草農民は梨ケ原のうち桧丸尾(ひのきまるび)地区約四十fの使用権を奪い返した。桧丸尾地区は、忍草農民の手によって立派な赤松林に成長している。
 国家権力は、北富士闘争をつぶすために、入会権闘争の拠点・桧丸尾赤松林を、忍草第二組合を手先にして強奪し、演習場賛成派である山梨県・吉田恩組のものにしようとしている。
 この目的で一九九八年八月、山梨県、吉田恩組、忍草第二組合が売り渡し契約を締結した。これに対して、忍草入会組合の天野重知組合長が、契約の無効を甲府地裁に提訴し、裁判闘争を続けている。桧丸尾赤松林は、今も忍草農民がしっかり確保している。
 一九九七年七月に北富士で第一回目の本土移転演習が強行された時には、七月七日に忍草母の会が演習場に突入し、四時間に渡って演習を阻止した。
 北富士闘争はまさに、三里塚と並ぶ全国の反戦・反基地闘争の砦である。忍草農民と連帯し、北富士での米海兵隊の実弾演習に断固抗議しようではないか。
 森政権は、新ガイドラインのもとで侵略戦争体制確立のために臨検法案(船舶検査法案)を強行成立させようとしている。日米間の調整メカニズム(戦争を遂行する中枢機関)の設置を決め、朝鮮・中国侵略戦争のための準備が急速に進んでいる。憲法改悪、有事立法、教育基本法改悪、徴兵制導入の動きも激しくなっている。改憲阻止決戦を、既成の野党の屈服を粉砕し、大爆発させていこう。
 こうした攻撃と一体のものとして、首切り・リストラ・賃下げの攻撃が激しくかけられている。労働者階級の抵抗力と団結を破壊しようとしているのだ。
 国労闘争団の闘いは、すべての労働者に希望と闘いの指針を示している。国労闘争団を守りぬき、闘う国労の再生を実現しよう。十一・五全国労働者総決起集会に集まろう。
 そして沖縄・三里塚・北富士を始めとした反戦・反基地闘争を労働者の闘いの正面課題にすえて闘おう。
 米海兵隊による北富士の実弾射撃演習絶対反対! 十一・一二北富士現地闘争への結集を訴える。

米軍演習阻止、山梨県による桧丸尾強奪粉砕、梨ケ原奪還
11・12総決起集会
 11月12日(日)正午
  山梨県忍野村忍草(地図)
 主催 反戦共同行動委員会

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週刊『前進』(1980号4面3)

議会報告 泉佐野市議会議員 国賀祥司
 止まらぬ地盤沈下 関空 2期工事直ちに中止を 

 関西新空港の地盤沈下が止まらず、非常に危険な状態になっている。私たち泉州住民の会が最初から言ってきた問題が、ついに隠せなくなって現れてきた。
 この問題は関西新空港の命取りになる重大な問題である。運輸省と関空会社はこの重大問題を隠しとおそうとしているが、そうはいかない。
 私はこの問題を、九月議会で、徹底的に追及した。
 徹底的に暴いて二期工事を中止に追い込み、関空を廃港に追い込むまで闘い抜く決意である。

 六年で50年分も沈下

七月から「旅客ターミナルビル地下室が破損の恐れ」「給油タンク消防法違反」などのマスコミの衝撃的な報道が相次いだ。
 七月二十五日、関空会社は「地盤沈下対策工事を二百七十億円で実施する」と発表。関空会社と運輸省は以前から関空島の深刻な地盤沈下を知っていた。泉佐野消防署は「二年前に消防法違反になっていた」と私の質問に答えている。
 ついにどうしようもなくなって緊急工事を運輸省は決断したのだ。
 地盤沈下問題は新しい問題ではない。私たちは計画段階から批判してきた。そして工事中にも、開港時にも批判してきた。
 関空会社は、着工前に「沈下は八メートルで収まる」としていたが着工三年目で八メートルを突破してしまった。あわてて九〇年七月に「沈下は五十年後に十一・五メートルで収まる」と修正し、土砂を三・五メートル積み増した。
 ところが開港六年目の今年、十一・五メートルまで沈下してしまった。この事実を関空会社は隠していたのだ。
 今や関空は非常に危険な状態にある。関空会社と運輸省は「ターミナルビルと給油タンク地区の沈下対策工事をする」と発表したが、詳しく説明しない。
 私は詳しく調べてみた。ターミナルビルが一番危ない。他よりも地盤沈下が激しく、平均水面から一・九メートルしかない。安全な地盤高は二・二メートルだからすでに危険な状態になっている。
 給油タンク地区はもっと危険になっている。平均水面から一・三メートルしかなく最も沈下が激しい。大潮時にはタンク底から地下水位まで〇・四メートルしかない。安全な地盤高は同じく二・二メートルだから最も危険だ。
 これまでの経験から埋立地の地下水位は海水面と同じになることがわかっている。関空は石組み護岸のため透水性が高く、海水面が上がると島に海水が浸透し間もなく地下水位も上がり海水面と同じ高さになる。
 地盤沈下が激しければ、地下水位が上がる。ターミナルビルの場合、地下室は六・五メートルあり、底はコンクリートの受け皿のようにしてその上にビルを載せている。ちょうど大きなタンカーのようになっている。沈下が進み水位が上がれば船のように浮力で浮き上がってしまう。つまり今でも台風か嵐(あらし)が来れば浮き上がってビルは壊れてしまう可能性があるのだ。
 給油タンクはもっと低いので、台風や嵐の場合には完全に海水につかってしまいタンクが壊れる。そうなればジェット燃料が溢れ出て大火災になりかねない。
 いずれの場合も人命に関わる大問題だ。

 二期反対署名を推進

 地盤沈下は最初から分かっていた。軟弱な地盤の上に重たい埋め立てをすれば沈むのは当たり前である。すべての責任は、これを承知で強行した当時の中曽根政権とそれに続く政権にある。二期反対署名運動を中心に、大衆運動で関空二期工事を止める。皆さんのご支援をお願いしたい。
 ホームページを開設しました。ぜひご覧になってください。
     「国賀祥司のホームページ」へ(http://www.kokuga.org/)

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週刊『前進』(1980号5面1)

臨時国会決戦に立ち臨検法案阻止を 武力行使の戦争法案を許すな
 新ガイドライン体制確立へ法案の強行成立狙う森政権 

 十月二十七日、日帝・森政権は「周辺事態に際して実施する船舶検査活動に関する法律案」(船舶検査活動法案=臨検法案)を閣議決定し、同日国会に提出した。森政権は臨時国会冒頭、参院比例区への非拘束名簿式導入などを盛り込んだ公職選挙法改悪案を、与党だけの四日間の審議で参院で可決し、衆院でも二十六日に可決、法案を強行成立させた。日帝・森政権は国会に提出した反動法案をすべて暴力的に押し通す構えだ。ましてや、臨検法案に対して反対する野党は存在しない状態だ。臨検法案こそ、日帝・自衛隊が船舶検査活動=臨検を強行し、武力行使することを合法化しようとする戦争法案だ。日帝の朝鮮・中国−アジア侵略戦争への踏み込みを一段とエスカレートするものだ。闘うアジア人民と連帯し、臨検法案成立絶対阻止のために、九九年ガイドライン闘争を上回る闘いをたたきつけよう。同時に十一月日米共同統合演習を粉砕せよ。すべての労働者階級人民に全力で立ち上がることを訴える。

 野党の無力を突いて審議なしの成立狙う

 船舶検査活動法案=臨検法案強行成立阻止の闘いを全人民的な闘いとしよう。そのために訴えなければならないことは何か。
 第一に、日帝・森政権が船舶検査活動法案=臨検法案をなにがなんでも強行成立させようと身構えていることである。
 戦後世界体制の全面的崩壊、帝国主義の世界支配の破綻(はたん)の顕在化、帝国主義世界経済の世界大恐慌過程への突入、帝国主義間争闘戦の激化(とりわけ日米争闘戦の激化)といった重圧が日帝を締め上げている。こうした世界史的な大激変の中で、歴史的没落過程に突入した日帝は自らの生き残りをかけて、侵略戦争と戦争国家体制づくりの攻撃に全体重をかけている。それが新ガイドライン攻撃であり、有事立法・改憲攻撃である。
 したがって、日帝の新ガイドライン攻撃は日帝の存亡と死活がかかったものとしてある。それは非選択なものであり、正面突破的に貫かなければならないものとしてある。
 そうした観点から臨時国会を見れば、国会の様相はこれまでの国会と一変している。日米争闘戦の圧力と国内政治支配体制の危機においつめられた日帝は、野党の屈服と無力を突き、もはや国会での審議を完全に無視して突っ走り始めたのである。それを示すものが臨時国会冒頭の公職選挙法改悪案の強行成立だ。参議院では野党抜きで「審議をやった(それもたったの四日間)」と称して可決した。衆議院でも審議らしい審議をまったく行わず、十月二十六日に可決、成立させた。
 参院比例区への非拘束名簿式導入などを盛り込んだ公職選挙法改悪案は、さしあたって来年夏の参議院選挙で自民党の敗北と与党の過半数割れを防ぐことを目的とするものではある。だが来年夏の参議院選挙での与党過半数割れという事態は、確実に日帝の国内政治支配体制を出口のない危機に直面させる。
 だからこそ、日帝は〈外へ向かっての侵略戦争、内に向かっての階級戦争〉を貫徹するためにも、ブルジョア支配階級の政権を維持することに必死となっているのだ。もはや国会の審議を無視してでも、「やらなければならないことはどんな手法を使ってでもやる」構えを全人民の前に明らかにしたのだ。
 つまり、日帝・森政権はその政権基盤が弱体で危機的であるがゆえに、硬直的に、暴力的に、国会をも無視して突っ走る政権だということである。
 十月二十七日に閣議決定し国会に提出された臨検法案もまた、「まったなし」という圧力のもとで国会での審議などなしに強行成立を狙っているのである。日帝・森政権の反革命的迫力に立ち遅れてはならない。この日帝の突進に怒りと危機感をもって立ち向かわなくてはならない。急速に戦列を整え、臨検法案阻止に総決起しよう。

 船舶検査活動=臨検は侵略戦争の開始だ

 第二に、船舶検査活動法案=臨検法案は、まぎれもなく武力行使法案、戦争法案だということである。
 それは新ガイドライン関連法(周辺事態法)の一部をなすものである。日帝・自衛隊が、船舶検査と称して他国の船舶を武力で威嚇し臨検を行い、それを拒否すれば武力行使をためらわず発動することを合法化する戦争突入法案である。したがって、当然にも有事立法のひとつである。また、日帝・自衛隊が武力で威嚇し、武力行使を発動することを合法化することは、憲法第九条を破棄することに等しく、改憲攻撃そのものだということである。
 政府の船舶検査活動法案=臨検法案(要旨別掲)を検討しておこう。
 そもそも船舶検査=臨検とは、帝国主義国家の(侵略)戦争活動である。第二条(定義)で「周辺事態に際し、貿易その他の経済活動にかかわる規制措置」としている。ここで言う「貿易」や「経済活動」で臨検の対象となるものは武器・弾薬、ミサイルやその部品に始まって石油、食糧や衣類など「敵国」の継戦能力を削ぎ落とすためのすべてが含まれる。その一方、帝国主義国家は膨大な軍需物資を積み上げる。イラク・中東侵略戦争(湾岸戦争)において、一九九〇年八月から一九九一年一月まで米帝がやった兵站(へいたん)作戦、その輸送作戦を見れば一目瞭然だ。
 この臨検活動は「敵国」への海上封鎖活動そのものなのだ。海上封鎖を可能にするには、制海権を確保して初めて可能になる。だから、「敵国」の戦艦や潜水艦を排除するところから作戦は開始される。その作戦は直ちに海上での戦闘となる。つまり船舶検査活動=臨検は、戦争への突入を内外に宣言し、その戦端を開く軍事行動なのである。それは同時に、経済封鎖=侵略戦争遂行によって不可避に生み出される大量の難民を「ゲリラ対策」と称して追放するものとなる。
 この臨検活動を「国連安保理決議に基づいて、または旗国(船舶の所属国)の同意を得て」行うとしている。国連安保理はアメリカやイギリス、フランスなどの帝国主義国が牛耳っている。ロシアや中国の反対があったとしても、帝国主義国は多国籍軍を組織して侵略戦争を強行するのだ。それは湾岸戦争や九九年のユーゴスラビア侵略戦争が示しているではないか。
 では「旗国の同意」がなければ、「船舶検査はできなくなる」とか、「新ガイドラインの実効性が確保されない」などという産経新聞などの反動的な主張はどうなのか。それは、第三条(実施)で、日本の船舶検査活動法案=臨検法案に何ひとつ縛られることなく船舶検査活動=臨検を行う米軍に対して、「後方地域支援を実施することができる」という規定を盛り込んで、日米共同で船舶検査活動=臨検を行うとしていることを見れば明らかだ。船舶検査活動=臨検を日米の海軍が共同して行うとき、海上自衛隊だけが戦場離脱するはずもない。ここから戦争に突入してしまうのだ。また日帝・自衛隊は、「旗国の同意」のない船舶をかってに「不審船」と決めつけて武力行使することは昨年三月の「不審船」事件を見れば明らかだ。
 日帝は新ガイドラインに基づき、日米共同作戦の実行という形で侵略戦争に突入することができると法案に書いてあるのだ。
 このような侵略戦争法案=有事立法の成立を絶対に許すことはできない。新ガイドライン関連法反対闘争を上回る闘いで船舶検査活動法案=臨検法案の強行成立を阻止しよう。

 5027作戦遂行のための日米共同演習

 第三に、船舶検査活動法案=臨検法案強行成立こそ、日帝の朝鮮・中国−アジア侵略戦争への一段の踏み込みを示すものだということである。
 もともと日米新安保ガイドラインは、直接には歴史的に切迫する朝鮮侵略戦争のための軍事協定として結ばれたものである。それは米韓連合軍の朝鮮侵略戦争計画5027と一体の侵略軍事協定である。
 作戦計画5027は、朝鮮侵略戦争を遂行するために、米軍兵士五十万人、航空機千六百機、空母五隻を含む艦艇二百隻を動員する計画である。この作戦の一環として、北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国を経済封鎖=海上封鎖するために、船舶検査活動=臨検を行うのである。
 船舶検査活動法案=臨検法案の成立とは、作戦計画5027遂行体制=新ガイドライン発動体制の確立にさらに踏み出すことにほかならないのだ。
 このことは、十一月二日から十八日まで行われる日米共同統合実動演習を見れば恐るべき勢いで進んでいることがわかる。この演習は、十月二十五日から十一月三日まで行われる米軍と韓国軍の合同軍事演習「フォール・イーグル」と完全に一体のものとして行われる。まさに米日帝が新安保ガイドラインを発動して、作戦計画5027を遂行するための実戦演習として行われるのである。
 演習は、「周辺事態を想定」して、@米空母機動部隊の艦隊防衛、防空演習、A在外日本人等輸送訓練、B捜索・救助訓練、C米軍基地防衛訓練、D対ゲリラ行動訓練、E近接航空支援訓練などを日本海と日本全土で行う。これらは完全に作戦計画5027の遂行のための軍事演習だ。船舶検査活動法案=臨検法案が成立すれば、自衛隊はただちにこの訓練を演習に持ち込むのだ。船舶検査活動法案=臨検法案阻止の闘いと一体のものとして、作戦計画5027遂行のための日米共同統合演習粉砕闘争に立ち上がろう。

 朝鮮人民、沖縄人民と連帯して決起せよ

 第四に、船舶検査活動法案=臨検法案阻止の闘いは、米日帝の朝鮮侵略戦争に対して自らの生存と生活をかけて反対し、米軍基地撤去闘争に立ち上がる朝鮮人民と連帯する闘いだということである。
 それは同時に、名護新基地建設阻止の新たな闘いに立ち上がっている沖縄人民との連帯をかけた闘いだ。
 米日帝は、北朝鮮スターリン主義体制の転覆と朝鮮南北分断体制を護持するために、日米新安保ガイドライン体制をもって、北朝鮮スターリン主義への戦争重圧を加え続けている。その最大の軍事的拠点が、在韓米軍基地であり、沖縄米軍基地にほかならない。
 南朝鮮人民は、米日帝による朝鮮南北分断体制打破・革命的統一を掲げて、米日帝の朝鮮侵略戦争策動に反対して、在韓米軍基地撤去闘争に決起している。沖縄人民もまた、米日帝の朝鮮侵略戦争のための名護新基地建設の阻止、米軍基地のための土地強奪反対を掲げて新たな沖縄闘争の高揚に向かって立ち上がり始めている。さらに、ユーゴスラビアの労働者人民、中東・パレスチナの労働者人民が、帝国主義の支配に対して解放闘争に立ち上がっている。
 日本の労働者階級人民は今こそ、プロレタリア国際主義の旗を掲げて、自らの階級的責務として臨検法案阻止のために立ち上がろう。
 日帝の戦争と戦争国家体制づくりの攻撃とその根源を同じくする、労働者階級への大失業攻撃=資本攻勢と対決し、闘う労働者を十一・五全国労働者総決起集会に根こそぎ組織するために闘おう。
 十一・五労働者集会への組織化の闘いを同時に、朝鮮人民、沖縄人民と連帯し、臨検法案阻止の闘い=新安保ガイドライン体制粉砕の闘いの組織化としても貫こう。
 民主党、日本共産党の侵略戦争翼賛勢力化を徹底的に弾劾し、現代のナチス=ファシスト・カクマルの敵対を粉砕して、十一月臨時国会−船舶検査活動法案=臨検法案阻止闘争、十一月日米共同統合演習阻止の革命的大衆行動の爆発をかちとろう。
 〔井場啓史〕

 臨検法案要旨

第一条(目的)略
第二条(定義)周辺事態に際し、貿易その他の経済活動にかかわる規制措置であって、国連安保理決議に基づいて、または旗国の同意を得て、船舶(軍艦等を除く)の積み荷と目的地を検査・確認する活動ならびに必要に応じ当該船舶の航路等の変更を要請する活動であって、わが国領海または周辺公海において実施するものをいう。
第三条(実施)@船舶検査活動は自衛隊の部隊などが実施するA船舶検査活動に相当する活動を行う米軍に対し、後方地域支援を実施することができる。
第四条(基本計画に定める事項)略
第五条(実施の態様等)略
第六条(武器の使用)自衛官は自己または自己とともに従事する者の生命または身体の防護のためにやむを得ない必要があると認める相当の理由がある場合には、武器を使用することができる。

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週刊『前進』(1980号5面2)

改憲阻止に全国で立つ 10・21教育改革攻撃に反撃

 大阪

 十月二十一日午後六時半から、大阪扇町公園で全関西総決起闘争が、二百十人の結集でかちとられた。
 婦人民主クラブ関西協議会の司会で始まり、仲宗根朝寿・反戦共同行動委事務局次長の主催者あいさつ、知花昌一さんからのメッセージの紹介の後、国賀祥司・反戦共同行動委事務局長が基調報告を行った。国賀さんは、臨検法案、教育改革、改憲攻撃との闘いの重大性を訴え、「パレスチナ、ユーゴ、アジア人民と連帯して、第三次安保・沖縄闘争の爆発をかちとろう」と訴えた。
 松田勲・関西労組交流センター事務局長が、この日昼間に行われた「一日教育改革国民会議」を四十人で弾劾して闘ったことを報告し、国労の仲間が国労定期大会決戦と地労委闘争を闘う決意を表明、さらに部落解放同盟全国連は、十・二九狭山中央闘争への決起を呼びかけ、住民団体としてあいさつした東灘区住民の会世話人の白石さんは、神戸空港問題を訴えた。
 最後に全学連の宮城啓書記次長が、「全学連は改憲闘争の先頭に立つ」と、きっぱりと決意表明した。
 山本善偉・東灘区住民の会代表のまとめで集会を締めくくり、大阪中郵前まで意気高くデモした。

 岩国・呉

 十月二十二日、広島反戦共同行動委は、「十一月日米共同統合実動演習絶対阻止」を掲げて、演習の主会場となる岩国基地への集会・デモ・申し入れに決起した。
 午後一時、岩国市労働会館には基地フィールドワークを終えた労働者・学生が続々と結集し、熱気の中で集会が開始された。反戦被爆者の会の大槻泰生さんのメッセージ紹介、全国被爆者青年同盟の友野幽委員長の特別アピールの後、広島反戦共同行動委事務局が基調を提起した。
 岩国を拠点に強行されようとしている日米共同軍事演習を徹底弾劾し、さらに改憲阻止、十一・五労働者集会への決起を訴えた。
 部落解放同盟全国連・広島支部、婦人民主クラブ全国協・広島支部、広島労組交流センター、広島大学反戦委員会が決意を表明し、意気高く岩国基地ゲートに向かってデモに出発した。
 岩国市民の注目と声援の中でデモを打ち抜いた後、米海兵隊と海上自衛隊に、演習中止を申し入れた。
 前日二十一日には海上自衛隊呉地方総監部に対して演習中止を申し入れた。
 なお、中四国の反戦共同行動委は十・二一全国統一行動として、各地で集会・街頭宣伝に決起した。

 福岡

 十・二二福岡行動が反戦共同行動・福岡の主催で闘い抜かれた。正午から天神での街頭宣伝に取り組んだ後、午後一時から警固公園で決起集会をかちとった。
 反戦共同行動・福岡の代表があいさつに立ち、十月十四日に福岡市で開催された「一日教育改革国民会議」に対して、傍聴者と連帯して闘ったことを報告した。さらに、船舶検査(臨検)法・PKO法改悪阻止、名護新基地建設粉砕闘争への総決起を訴えた。
 連帯のあいさつに立った国労闘争団の労働者は、国労大会決戦勝利の決意とともに、JR九州労=カクマルの大量脱退問題について、これは分割・民営化攻撃の破綻(はたん)であり、国鉄闘争が生み出した地平であることを確信をもって提起した。
 基調報告に立った自衛隊の海外派兵に反対する学生の会は、ユーゴスラビア、パレスチナ、朝鮮人民の不屈の解放闘争と連帯して、日帝打倒に立ち上がることを呼びかけた。とりわけ学生こそ改憲阻止の先頭で闘うことを明らかにした。
 集会後、福岡市内をデモした。力強いシュプレヒコールは市民の熱い共感を呼び起こした。(写真右上)

 仙台

 十月二十一日、仙台市勾当台公園野外音楽堂で、みやぎ反戦共同行動委員会主催による十・二一国際反戦デーみやぎ総決起集会が六十人の結集で闘われた。
 全学連の学生が基調報告を行い、「きょうの闘いは米軍・自衛隊の侵略戦争演習と対決し、さらに教育基本法改悪と対決し、最大の政治決戦としての改憲・有事立法攻撃との対決を労働者民衆の側から宣言する闘いだ。王城寺原での日米共同演習阻止の闘いに全力で突入しよう」と訴えた。
 続いて山形大の学生が、「学徒出陣−徴兵制の復活を許してはならない」と訴え、さらに東北大学日就寮と東北大学学生自治会が、それぞれ大学の独立行政法人化阻止をアピールした。
 みやぎ労組交流センターは、「資本攻勢と闘い、国鉄闘争に連帯し、十一月労働者集会に総決起しよう」と訴えた。
 集会後、仙台の繁華街、一番町デモにうって出た。学生のヘルメット隊列を先頭に、圧倒的な注目の中でデモを打ち抜いた。(写真右下)

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週刊『前進』(1980号5面3)

連載 2000年日誌 阻もう!戦争への動き 10月18日〜24日
 森首相がまた教育勅語賛美 米韓が合同軍事演習を強行

●在韓米軍14基地が返還・移転計画 米韓両政府が烏山(オサン)空軍基地など十四カ所の在韓米軍基地について返還・移転計画を進めていることが、韓国国防省が国会に提出した資料でわかった。基地機能の変化や具体的な移転先などについては明らかにしていない。(18日)
●森首相が教育勅語をまた評価 森喜朗首相が滋賀県内で講演し、「お父さん、お母さんを大切にしていこう。兄弟仲良くしていこうということを、しっかり教えていないんじゃないか。かつては教育勅語に書いてあった。戦後は新しい教育基本法でそれが消されている」と述べた。(18日)
●名護市議会がジュゴン調査で意見書 米軍普天間飛行場の代替施設問題で政府が実施するジュゴンの予備的調査について、名護市議会が臨時総会を開き、調査項目や結果などの情報公開を求める意見書を、全会一致で可決した。(18日)
●第五回アジア・太平洋地域防衛当局者フォーラム 
東南アジア諸国連合(ASEAN)地域フォーラム(ARF)加盟国の国防政策担当者らが参加し、東京で行われている「第五回アジア・太平洋地域防衛当局者フォーラム」が、域内での難民救助、災害救助、機雷除去などの多国間共同訓練を推進することで一致した。(18日)
●ヘリ基地反対協が名護市の姿勢追及 ヘリ基地反対協の代表らが、名護市役所を訪問し、九月二十九日に行われたヘリ反対協総会の決議文を提出、市民投票結果の尊重と基地受け入れ表明の撤回、代替施設協議会の解散を求め、第二回目の代替施設協で岸本市長が十五年問題などの協議機関設置に触れなかったことについて「市民をだましている」と追及した。(19日)
●臨検法案の概要明らかに 
「周辺事態に際して実施する船舶検査活動に関する法律案」(船舶検査活動法案)の概要が明らかになった。臨検=船舶検査活動ができるケースとして、当初案(ガイドライン関連法)に盛り込まれていた国連安保理決議のほかに「旗国(船舶の所属国)の同意」も追加し、条件を緩和しているのが特徴。(20日)
●米韓軍事演習25日から
韓国軍合同参謀本部が、米軍と韓国軍による合同軍事演習「フォール・イーグル」を十月二十五日から十一月三日まで実施すると発表した。(20日)
●那覇軍港の浦添移設、市長反対へ 米軍那覇基地の移設問題で、移設候補地とされる沖縄県浦添市の宮城健一市長が、軍港の一部機能の受け入れを容認するとしていた従来の方針を撤回、移設に反対する意向を表明した。(20日)
●韓国でアジア欧州会議開催 韓国のソウルでアジア欧州会議(ASEM)が開催された。これに先立ち、世界のNGOなどの「民間フォーラム」が開かれ、沖縄から「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」が、沖縄での軍隊による女性への性暴力の実態などについて訴えた。(20日)
●3年ぶりに普天間実施委員会 日米両政府が米軍普天間飛行場の代替施設の建設場所や工法を協議する外務、防衛当局の審議官級による「普天間実施委員会(FIG)」を米国防総省で開いた。FIGの開催は九七年十一月以来で三年ぶり。協議に具体的な進展はなかった。(20日)
●沖縄で県民総決起大会
「名護市への新たな基地建設に反対する県民総決起大会」(主催・普天間基地・那覇軍港の県内移設に反対する県民会議)が、沖縄県那覇市の与儀公園で開かれた。約二千人が参加。稲嶺沖縄県知事や岸本名護市長に対し、大会では、@SACO合意の撤廃と基地の整理・縮小の実現、A稲嶺知事、岸本市長の受け入れ表明の撤回、B代替施設協の解散、などを求めた決議を採択した。(21日)
●教育改革国民会議が大阪で公聴会 森首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」が大阪市内で九月にまとめた中間報告に関する二回目の公聴会を開いた。
(21日)
●防衛庁がサイバー兵器開発検討 コンピューターウイルスやハッカーによる「サイバー攻撃」を防ぐシステムを構築するため、防衛庁が、次期防衛力整備計画(二〇〇一−〇五年度)で、試験用のウイルスやハッカー技術を独自に開発する検討を始めた。試験用とはいえ、これらの技術は他国のシステムを破壊する威力を持つ「サイバー兵器」となりうる。防衛庁は、これらの所持や使用が、戦略兵器の保有を制限する憲法に抵触しないか、法制面での研究も始めた。(22日)
●教育基本法見直しを議論
 自民党の文教部会と文教制度調査会が合同会議を開き、教育基本法の見直しについて本格的に議論していくことを決めた。教育基本法の成立過程などについても検討を進めていく方針。会合では「歴史や伝統といったものが抜け落ちている」などの見直しを求める意見が相次いだ。(24日)

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週刊『前進』(1980号6面1)

少年法改悪に反対する
 厳罰化で少年を戦争動員 改憲と徴兵制復活へ布石

 対象年齢引き下げと厳罰化

 自民、公明、保守の与党三党は九月二十九日、少年法改悪案を議員立法として国会に提出した。
 それは全体が戦前少年法への回帰という内容になっている。戦争に向かっての改憲攻撃の一環であり、その先駆けをなすものだ。改悪案に反対して闘わなければならない。
 提出された改悪案の核心点は以下のとおりである。
 (1)刑事罰の対象年齢を現行の「十六歳以上」から「十四歳以上」にする。
 (2)殺人、傷害致死、強盗致死、強姦(ごうかん)致死、逮捕監禁致死事件など、故意の犯行で被害者を死亡させた十六歳以上の少年は、原則として検察官に送致(逆送)しなければならない。つまり基本的に刑事処分にする。
 (3)殺人、強盗、強姦など二年以上の懲役・禁固にあたる罪や、故意の犯行で被害者を死亡させた事件では、審判に検察官を出席させることができる。検察官が関与する審判で、少年に付添人(弁護士)がいないときは国選でつける。
 (4) 検察官は、出席した審判の決定に重大な事実誤認か法令違反があったときは、抗告を受理するよう高裁に申し立てることができる。
 (5)複数の裁判官による合議制を審判に導入する。
 改悪の基本点は、少年犯罪に対する厳罰化である。その象徴的改悪点が刑事罰の対象年齢を十六歳以上から十四歳以上に引き下げることである(1項)。そして厳罰化を確保するために、特定の事件について、原則的に検察官送致(2項) とし、検査官出席を認め(3項) 、さらに検察官の抗告権を認めている(4項) 。そして家裁の合議制の導入(5項) は、少年審判を刑事裁判的に運営しようとするものである。

 戦後少年法の改革点を転覆

 戦後革命の敗北の代償としてかちとられた戦後憲法を中心とする戦後改革の中に少年法改革もあった。
 戦前の少年法は、@少年は十八歳未満、A刑事処分の対象は十四歳以上、B刑事処分をするか保護処分にするかを判断する「先議権」は検察官にあり、不起訴の場合だけ少年審判所(家庭裁判所の前身)が保護処分を決めていた。つまり刑事処分が原則で保護処分は例外措置であった。Cしかも軍人・軍属の少年は少年法の適用から除外されていた。
 つまり戦前は、「少年を教養して順良なる国民たらしめんとす」という国家有為の人づくりのための「少年保護」という考え方だ。そこでは厳罰主義が貫かれ、刑事処分を受けない場合でも矯正院や感化院などでの社会的制裁を加えられた。天皇の忠実な臣民になるように強制された。
 これに対して戦後の少年法改革の核心は以下の点にあった。
 @少年の規定を二十歳未満に引き上げ、A十六歳未満は刑事処分の対象としないことにし、B家庭裁判所に先議権を与え、保護処分か刑事処分かを決定するのは家裁の権限とした。またC検察官は家庭裁判所の審判には関与できず、D審判における保護処分に対する抗告(不服申し立て)の権利を少年側にだけ認めた。
 戦前の少年法に比べれば、戦後の少年法改革は画期的な内容であった。
 少年法は第一条で、「少年の健全な育成」をあげている。そして第二二条では「審判は、懇切を旨として、なごやかに、これを行わなければならない」と家庭裁判所の審判のあり方を規定している。厳罰主義ではなく、成長途上にある少年の姿を認め、その心を開き、心の底からの反省を促し社会復帰をもたらすという少年保護の理念がある。
 裁判官が少年に人格と人格として向き合うために合議制ではなく一人でできると規定した。さらに検察官の関与も家庭裁判所からの送致後に限定した。検察官関与の制限は、少年事件について「治安的観点ではなく保護的観点を重視した」ということだ。
 今回の少年法改悪案はこれを根本的に転覆し、「少年の人権・保護」「育成」よりも、厳罰主義に転換することによって少年を「処罰・処分」の対象としている。そのために「国家・社会の防衛」を第一として国家主義を前面化させている。これは、戦後憲法の柱としてある「基本的人権の尊重」、教育基本法の精神である「個人の尊厳を重んじ真理と平和を希求する人間の育成を期す」、さらには少年法の「少年の健全な育成」の精神を根底から転覆するものだ。本質は改憲と戦争国家体制の構築ということである。

 国家と社会の防衛が前面に

 十月十日、衆院法務委員会で保岡興治法相は「少年法だけで一連の少年犯罪が解消するということでもない。少年事件は日本社会の鏡であり、憲法の改正、教育基本法の見直しを含め、二十一世紀に向かって社会全体の規範意識や、責任と義務、個と公の関係など、新しい日本のあり方をきちっと求めていくことが非常に重要だ」と述べた。
 また厳罰化の目的については、「社会全体の規範意識や、責任と義務、個と公の関係など」の見直しと言っている。つまり「少年の人権よりも国家の利益が重要」「少年の保護よりも社会規範の維持のための見せしめ的な刑罰が重要」という価値観に社会全体を転換させることである。
 「基本的人権、少年の権利、個人の権利の主張などは止めろ」「国家あっての国民」「国家のためには国民は喜んで命を捨てるという価値観を持て」「法を破るのは少年だろうが関係ない。法と国家がなによりも大事」という考え方を強制するのが厳罰化の目的なのだ。戦争国家化に向けて国家主義を貫こうとしているのである。
 しかも日帝は、少年法改悪を教育基本法改悪や「司法改革」など改憲攻撃と一体のものとして位置づけている。教育基本法などを改悪して奉仕活動を強制し、少年の内面を天皇制・天皇制イデオロギーを中核とする愛国心・民族主義・排外主義で塗り固め、他方で少年法を改悪して少年を外側から厳罰化で縛り上げる。警察が治安の観点からあらゆる所に出て学校も地域も社会全体も監獄社会化していく攻撃である。
 少年法改悪と教育基本法改悪は、改憲攻撃と少年の戦争動員に向けての車の両輪である。

 改悪の先兵に転落した日共

 この少年法改悪に対して、日本共産党の筆坂政策委員長が十月十七日に「少年法改定問題について」の日共の見解を発表した。その内容は、@少年を十八歳以下に引き下げ選挙権を与える、A審判に検察官関与を認める、B被害者対策を強化する、の三点である。見解の冒頭で「凶悪な少年犯罪が相次ぐ中で、多くの国民が胸を痛め、不安を感じ」ている、「なかでも、少年犯罪の被害者の人権が軽視されてきた」ことは「現行少年法とその運用の弱点として、放置できない」と述べている。
 声明は、被害者対策に力点があるかのように装って少年法改悪の先兵になっているのだ。「被害者対策」は日帝が改憲に向かっての少年法改悪の最大のテコとして使っているものだ。
 なぜなら日弁連を先頭に、保護司や元少年院長など現場関係者、家裁判事、元最高裁判事、憲法学者、刑法学者や少年問題の学者、教育者や少年犯罪の研究者などが一斉に「厳罰で少年犯罪は解決しない」「少年犯罪は事実として減少している」「少年保護の理念を貫くべきだ」などと少年法改悪反対の声が盛り上がってきたからだ。
 日帝は反対論を押さえ込むために、被害者家族の怒りをきわめて利用主義的にキャンペーンしている。例えば少年犯罪の被害者家族が「これでは殺された子どもがかわいそう。犯人を厳罰に」と涙ながらに訴える場面を意図的に新聞・テレビなどで大宣伝してきた。
 しかし、中学生や高校生が犯罪を犯すということは、その根底にはこの資本主義社会の問題があり、日帝ブルジョアジーの側に最大の原因と責任がある。日帝こそが断罪されなければならないのだ。
 ところが日帝は、すべての少年を戦争に総動員するために改憲と少年法改悪をたくらみ、「少年犯罪の激増」「凶悪化」というデマゴギッシュなキャンペーンを行うと同時に、その攻撃の宣伝の材料に、被害者家族を登場させ利用しているのだ。
 しかし日共は、日帝のこの悪質なキャンペーンの本当の狙い(改憲攻撃)を隠し、その先兵となっている。「凶悪な少年犯罪が相次ぐ」などと少年を一方的に悪者にしている。それに輪をかけて、「少年を十八歳以下にする」と言い、「検察官関与も認める」という。検察官関与は少年保護ではなく、厳罰を確保するためにあるのだ。被害者対策を強化すると言っているが、改悪されるのは少年の人権擁護であり、保護措置である。
 日共の声明は「わが党の改善・改革の立場は『厳罰主義化』に与(くみ)するものではない」と言っているが言い訳だ。日共案は自民党と同じ厳罰主義であり、少年法改悪−改憲への道を開くものである。
 こうした日共の大裏切り、民主党などの加担を粉砕し、少年法改悪に反対して闘おう。教育基本法改悪阻止、改憲阻止決戦を闘いぬこう。
〔益子孝史〕

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週刊『前進』(1980号6面2)

連載 部落解放運動−その課題と展望 第8回 要求闘争の巨大な意義
 糾弾闘争、対政府闘争へ 家賃値上げに怒り爆発

 署名・集会・デモに立つ部落大衆

 西日本各地の部落では、同和住宅の家賃値上げをめぐって決定的な情勢が始まっている。
 政府・建設省は、十数万戸の同和住宅にたいして、これまでの一律低家賃に代わって、応能応益制による一方的な家賃値上げを強行してきた。それは、同和対策事業全廃の最大の攻撃であるばかりか、部落解放運動とその団結の基盤を根こそぎ一掃するという攻撃である。
 一律低家賃とは、部落差別の温存にたいする国家賠償として、部落解放運動が血と汗を流してかちとった部落民のかけがえのない権利である。日帝は、今なお部落差別が現存することを百も承知の上で、「財政危機」を理由に問答無用の攻撃を強行した。解同本部派や日共全解連は反対するどころか、推進派の先兵になっている。
 これにたいして、またたくまに各地に何百、何十人規模で住民の反対組織が生まれ、今も急速に拡大している。ごく最近、関西のある本部派支配の地域で、初めての反対署名にもかかわらず、九九%の高率で署名し、「ここの解同はダメだ。こんな運動を待っていたんだ」という住民が続出した。署名に入った側が反応の大きさにびっくりし、大衆観を一変させられる事態だった。
 さらにいくつかの地域では、建設省・行政は、不当にも裁判に訴えてきた。これにたいして、住民は一歩も引かずに法廷を糾弾の場に転化して闘っている。行政の「明け渡し」提訴にたいしても恐れ入るどころか、怒りを爆発させ、抗議集会や初めての部落内デモを行い、十人規模の組合が昼夜を問わない行動で、千人を超える圧倒的多数の署名を集めるという画期的な事態が生まれている。

 大衆行動の組織化へ新たな挑戦

 このように、家賃値上げ反対の素朴な要求が、行政との闘争に始まり、さらに裁判闘争、弾圧粉砕闘争、対政府・建設省闘争へと発展している。「ふと横を見れば国労闘争団と肩を並べていた」と言っても過言ではない、階級闘争の先頭に飛び出す闘いを実現しているのである。
 これは例外的事態ではない。まぎれもなく、差別の洪水の時代に全国の部落が直面する情勢なのである。介護保険制度をめぐっても、東日本を含む全国の部落で同様のことが生まれるに違いない。
 日帝の危機と大資本攻勢、そのもとでの同和対策事業全廃攻撃のなかで、三百万部落民全体が、このままでは生きていけない状態になげこまれ、経済的要求をめぐって、まさに生存をかけて続々とたちあがろうとしているのだ。しかも、要求実現の闘いは、たちまち日帝との非和解的対立となり、反政府、反権力の闘争に発展していく。われわれは、この現実から出発しなければならない。これにどういう態度をとり、どこに導くのか、ということである。革命的情勢の接近下の大衆行動への新たな挑戦そのもののテーマなのだ。

 部落委員会活動をのりこえよう

 これとよく似た時代に、全国水平社は、一九三三年の第一一回大会で「部落委員会活動」をうちだした。その直後に発生した高松差別裁判糾弾闘争の空前の高揚にもかかわらず、水平社はこの路線のもとに戦争翼賛と解体の急坂を転げ落ちていく。「部落委員会活動」は、あたかも要求闘争を重視する方針だったかのように理解されているが、けっしてそうではない。
 何よりも「部落委員会活動」は、日共スターリン主義による差別糾弾闘争の自覚的な解体の路線であった。事実、当時の日本共産党は、高松闘争を「人民融和をさまたげる社会ファシズム運動」と呼び、真っ先に高松闘争の地平の徹底的な解体を行った。
 さらに糾弾闘争への憎悪と解体のうえに、部落の闘いを経済的要求のみに限定し、しかもそれをも権力者に害の及ばない徹底した体制内改良主義に封じ込めるものだった。
 一九三三年という時代は、すでに大恐慌から「十五年戦争」に突入していた時代だった。部落のなかには、耐え難い生活苦への怒りが満ち満ちていた。部落大衆には高松闘争に示されるように、時代の暗雲を突き破るかつてない闘いの気運が存在した。高松闘争と結合し要求実現を真っ向から掲げたとたんに、日帝との全面的激突になることは明らかだった。この点でも「部落委員会活動」は、部落大衆の生きんがための切実な要求と高松闘争との結合を意図的に切断することで、要求闘争を要求闘争として闘うことをも否定し、階級闘争化させないという方針であった。
 まさにそれは、日共の「三二テーゼ」=「二段階戦略」による、反革命の自覚的な部落解放運動解体路線であった。

 差別糾弾闘争として闘う意識性

 部落解放運動は、三百万部落大衆を主人公とした運動である。だとするならば〈もっとも遅れた層をも含む全員が主体となった運動をどう組織するのか〉という問題と、〈それをどこに導くのか〉という問題にたいして、統一的な指導原理を確立しなければならない。
 われわれは、三百万の全員が持つ、あらゆる怒りや要求から出発しなければならない。まず大衆の要求をつかみ、要求者じしんの運動にし、団結や組織の形にしていかなくてはならない。住宅や介護をはじめ、労働、医療、福祉、教育、保育など、部落のあらゆる要求を、あらゆる形態の組織と運動にしていくのである。要求闘争の全面的実践に踏み出そうということである。
 同時に問題は、この要求闘争を対政府闘争、対権力闘争に高めていく目的意識的な指導ということにある。前述したように、それはたちまちにして、現実の課題になっている。すでに先端では階級闘争の真っただ中に飛び出していながら、しかし、闘う人びとの意識との間には大きなギャップが存在している。その問題を解決していく最大の推進力は、狭山闘争を軸とした差別糾弾闘争である。
 差別糾弾闘争こそは、部落差別と闘う唯一の、普遍的闘争形態である。三百万部落民は糾弾闘争によってこそ、もっともよく団結する。要求闘争を差別糾弾闘争として発展させていく目的意識性と、そこでの徹底した格闘によってこそ、「部落委員会活動」をのりこえ、勝利を切り開くことができるのである。
〔原田 徹〕

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