週刊『前進』(1979号2面1)
中野洋動労委員長にインタビュー
11・5五千人結集から21世紀へ
闘争団戦闘に「四党合意」粉砕を ここに日本労働運動の未来が
十月二十八−二十九日の国労定期全国大会を目前に控え、千四十七人の解雇撤回闘争を中心とする国鉄闘争の現局面と勝利の展望について、動労千葉の中野洋委員長に聞いた。また、「たたかう労働組合の全国ネットワークをつくろう! 十一・五全国労働者総決起集会」の呼びかけ組合の一つとして、集会の成功に向けての訴えを聞いた。(編集局)
7・1の”歴史的壮挙”が大激動生み出した
−−国労定期大会が目前に迫っていますが、重要な局面を迎えた国鉄闘争をどう見ていますか。
中野 現局面の国鉄闘争が今後の労働運動の未来を決めるという今の時期だからこそ、まず情勢を正確に認識する必要があると思います。
国鉄闘争は千四十七名の解雇撤回闘争を中心としているが、単なる解雇撤回闘争ではない。戦後最大の労働運動弾圧攻撃としてあった国鉄分割・民営化をめぐる攻防が十数年続いている。国鉄分割・民営化後、総評が解散して連合が結成される中で、労働運動が大きく力を喪失して、個々の労働組合、労働者が分断支配されている。こういう状況下で、国鉄闘争の行方が全産別の労働運動の未来を決めるものになっている。
「四党合意」は、「JR不採用問題の解決のために」という表題がついているけれど、解決案ではなくて敵の超ど級の攻撃なんです。これをまずはっきりさせておきたい。それを受諾するのは、国労の名において首切りを認めるということなんだ。それは闘争団だけではなく、JR本体で働いている労働者にとっても、大変なことなんです。
国鉄闘争がこの攻撃をどう跳ね返すのかという攻防が五カ月間続いている。
「四党合意」を受諾して闘争団および全国労組合員に強制しようとした国労本部に対して、闘争団や現場の組合員たちが激しく立ち上がった。演壇占拠で七・一臨大を休会に追い込むという非常に画期的なことが起こり、これが日本の労働運動全体に大変な衝撃を与えたということです。
われわれは“七・一は歴史的壮挙だ″と言っている。なぜかと言えば、現状は、組合がおしなべて資本と一体となって労働者を抑圧する側に回っている。その中で労働者はどうやったら激しい大資本攻勢に立ち向かえるのかと苦闘している。七・一は、資本の手先となったダラ幹たちを、こうやればぶっとばせるということを示した。組合の権力に座ってのうのうとしているダラ幹に対して、いつ労働者が反乱を開始するか分からないということを、非常に鋭角的に突きつけた。その意味で歴史的な快挙だったということです。
あの闘いは、平和的な形で行われたわけではなくて、演壇占拠という実力行動を伴う激しさを持っていた。だからなおさらインパクトを与えた。今の状況では、そういう激しさこそが労働者の魂を揺さぶる。大会代議員の三分の二くらいは賛成派という状況で、なんの代議権も持たない闘争団員が当事者として先頭に立ち、現場の労働者が駆けつけて執行部に殺到した。これが、やはり多くの人たちの共感と賛同を獲得したということではないか。
こうした闘いが、八・二六続開大会でも中執原案を採択しないところにまで追い込んだ。本部執行部を打倒寸前にまで追いつめる大変な闘いを展開した。この意義は今でもまったく失われていない。ここに確信をもって突き進むことが大事だと思う。
さらに、この闘いが国労内だけなくJRの労働運動全体にも大変なインパクトを与え、国鉄闘争を取り巻く多くの労働運動に大激動、大流動状況をつくり出している。
−−その重要な現れが、JR総連・九州労の大量脱退という事態ですね。
中野 そう。箱根以西では、九一−九二年にJR総連が分裂してJR連合がつくられた。この時はJR資本の側が、分割・民営化の手先として使ったカクマルを用済みとして切り捨てるということで、資本の意を受けた旧鉄労グループを中心に一斉に脱退した。今度の場合、九州労というのは旧動労グループだし、生粋のカクマル本隊というべき組合である。要するに、JR九州内のカクマルグループの大半がJR連合の懐に逃げ込むということが起こったわけです。
JR総連内のカクマル中枢の対立・分裂がここまできた。これは明らかに、七・一に象徴される国鉄闘争の激動がつくり出したということを押さえなければいけない。
分割・民営化以降十余年間、JR資本とJR総連=カクマルの結託体制で労働者を抑圧し、支配するという構造の中でわれわれは悪戦苦闘をしてきたわけです。この一角を崩すことなしに解雇撤回闘争も、反合理化・運転保安の闘いも、権利確立の闘いも、不当労働行為根絶の闘いも一歩も前進しないということを、動労千葉は組合の中心的なスローガンに位置づけて闘ってきた。
これは九州にとどまらず、西日本、東海、そして何よりもカクマル支配の東日本に波及する。敵の支配体制が揺らぎ始め、動労千葉や国労闘争団、国労組合員にとっては絶好のチャンスが生まれてきた。
国労の幹部は「今がラストチャンスだ。今をおいて解決する時期はない。この千載一遇の時を逃したら永久にチャンスを失う」などと、敗北主義と呼ぶのも褒めすぎのようなことを言ってきた。これは、労働者は闘っても、結局は負けてしまうという考え方です。それに対して動労千葉は、分割・民営化後十数年を経て、絶好のチャンスが来たと認識している。これは現場の組合員も身をもって感じている。千葉でも平成採の青年労働者を中心とする反乱が起こっているし、彼らとの間の戦闘的交流も具体的に開始されている。
われわれは、労働者は絶対に立ち上がるし、その中でしか生きる道はないと確信して闘っている。だから非常に明るいし、展望を自分たちのものにしながら、「さあ、これからやってやろうぜ」という意気込みになっている。
何よりも重要なことは、千四十七名闘争が正念場中の正念場を迎えている中で、こういう事態が生まれたということです。国鉄闘争勝利の確信をますます鮮明にさせて闘わなければいけない。
JR総連の分裂劇は絶好のチャンス到来
−−JR総連・九州労が分裂に至った根本的な原因は何でしょうか。
中野 彼らは分割・民営化に協力し、「労使共同宣言」を結んでJR総連という組合の主導権を資本から与えられたわけです。資本と結託してあらゆる合理化を容認し、もっぱらカクマルという党派の組織温存を図ることをやってきた。それがいや応なしに生み出した問題だということです。
それに加えて、JR東日本を死守するために他のエリアのJR総連を犠牲にしてきた。いわばJR東日本という帝国主義本国が、その他の植民地から収奪しているという構図です。
東労組は、今年三月一日に「シニア協定」を他のJRに先駆けて締結した。これは年金法の改悪に伴う定年延長問題で、資本がひとつも出血しないで労働者にすべての犠牲を転嫁するというものです。しかもメンテナンス部門の全面外注化を前提としている。こんなものを「日本のあらゆる企業の中でも画期的な制度だ」と自画自賛して、「これは第二の雇用安定協約だ」などと言って組織攻撃の道具に使っている。これは全JRグループに波及すると思うけれど、そういうふうにJR東日本のカクマル体制を守るためには他はすべて犠牲になってもいいんだというあり方。だからカクマル内部でも、激しい対立が臨界点に達せざるをえない状況にあったと思う。そこが最大の原因だ。
もうひとつは、JR東日本の中でも「シニア協定」による再就職先は東京などの都市部に集中している。東京などではそれなりに成り立つかもしれないが、地方の場合はそもそも成り立たない。これは国労や動労千葉を排除するだけではなくて、東労組の組合員も排除するということにならざるをえない。それがだんだん見えてくるから、東労組の中でも火種がくすぶっていて、いつパッと引火するか分からない状況にある。
今度の分裂劇について、カクマルが政治組織局名で声明を出した。彼らはこれが中枢問題であるということを自認した。これはあらゆるエリアに影響する。特に貨物はベアゼロが続いているわけで、いつ爆発してもおかしくない。東日本でも近い将来同じことが起きると見ている。JR九州労の分裂劇は、地下水脈で全国につながっている。
それがこの国鉄決戦の渦中で火を噴いた。これが階級闘争ということです。分割・民営化から十数年、闘争団を始め国労の組合員は現場で悪戦苦闘してきたわけだから、「ラストチャンス」ではなくて、いよいよ絶好のチャンスが来たという立場に立ちきるべきだ。そういうことをJR九州労の分裂問題は、はっきり示しているのではないか。
当該である闘争団は誰よりも権利がある
−−国労の「一票投票」の結果をどう見ますか。
中野 一票投票の結果は「○」が五五%、「×」を始め保留を含めて四五%となった。全体的に見ると、八月二十六日の続開大会までは闘う勢力が「四党合意」推進派を土俵際まで追いつめていた。しかし、「一票投票」というトカゲのしっぽを残してしまった結果、それがまた息を吹き返して反動が開始された。「一票投票」の過程では、JR各社がチャレンジグループや革同上村派を公然とバックアップした。そういう点で、これが八・二六までの闘いの勝利を打ち消すための大反動であったことは間違いない。
そもそも「一票投票」というのは、千四十七名にとって死活的な問題を、規約にもない全員投票で決めるというやり方です。しかも、単に「四党合意」を認めるかどうかという形ではなくて、本部を支持するのかしないのかという形でやった。「×」をつけるのは、本部を不信任するのと同じで、「そうしたらまた国労は分裂するぞ、今、国労が分裂していいのか」ということを突きつけるものだった。さらに、まったく許しがたい不正、デマ、にせ情報を駆使してやったわけです。千葉では、「四党合意」推進派は「三千万円の解決金が出る」というデマを吹聴して回った。
千四十七名の死活のかかった問題を、直接的には利害のない人も含めて投票で決めるというやり方が間違っている。地方で原発設置を認めるかどうかという住民投票を、まったく関係のない東京でやるのと同じなんです。JRで働いている組合員も含めてやるとなれば、そちらの方が圧倒的に多いわけだから、一見、民主的な装いをこらしているけれど、実は非常に不正な、非民主的なやり方だ。
にもかかわらず、本部案に対して四五%も「×」あるいは保留が突きつけられた。これを見れば、明らかに国労全体の総意はノンであることを示したと理解すべきだと思う。
−−国労定期大会に向けて国労組合員に訴えたいことは何でしょうか。
中野 「一票投票」というやり方までして千四十七名を切り捨て、国労を解体し、連合になだれ込もうとしている今の本部執行部に対して、闘争団を先頭に断固とした闘いをどうつくりあげるのかが最大の焦点だと思います。核心は、「四党合意」は絶対に反対という新たな運動をつくりあげることです。
この闘いは定期大会でどういう方針が通ったかということだけでは決着がつかない。これから一年、二年という勝負に突入したという認識をもつべきだ。それは、国労が闘争団を先頭にして本当の意味で闘う労働組合として再生できるのかどうかにかかっている。
だから、その核心点はなんと言っても闘争団です。闘争団の気持ちはよく分かります。解雇されて、国労内外からの支援を受けているから、自分たちが思っていることを主張しづらいということはあるんです。しかし、「四党合意」以降、「これだけはやはり認められない」「自分たちの人生を勝手に決めないで下さい」と一気に決起した。「JRに法的責任がない」ことを臨大を開いて承認しろという、国家的不当労働行為の最たるものと言える攻撃に対して、今までの怒りを解き放って決起した。
それでも、まだまだ遠慮している要素が相当あるのではないか。だから、七・一や八・二六の時も、「大会を中止しろ」と言っているのに、闘争団が大会を中止に追い込んだ形にしてはまずいんじゃないかという、非常に遠慮深いところがあった。けれども今、国労の大会を成功させるとか中止させるとかの権利を持っているのは闘争団なんです。解雇された闘争団の処遇をめぐる方針を討議するわけだから、当該である闘争団が誰よりも権利を持っている。
国労の一部の共産党やチャレンジグループが、やれ「暴力行為だ」とか「非民主的だ」とか言っているけど、彼らの方がよっぽど非民主的なんです。大会を中止に追い込んだって、そういう権利を闘争団は持っている。それは、国労内外ですべての人が認めている。
闘争団が本当に人生をかけて家族ぐるみで闘っているから、日本中の労働者がその姿に打たれて支援するわけです。もちろん傲慢(ごうまん)になってはいけないけれども、やはり通すべき筋は通さなければいけない。
もうひとつの問題は、「四党合意」推進勢力の重要な一角である革同の中でも、今回の「一票投票」過程で、明らかに反旗を翻すグループが全国で激しく動き始めてきている。全労連傘下でも、「四党合意」だけは絶対に認められない、これを認めたら労働運動の死だ、という声が多くのところから起きている。これを見ると、七・一の決起がつくり出した情勢、闘う側に本質的に有利な状況はまだあることを、はっきり認識するべきではないか。
こうした中で、国労のあらゆる職場から「四党合意」は不当労働行為だという労働委員会闘争が起こっています。これこそが闘争団と連帯する闘いだし、何よりも闘争団自身がこの労働委員会闘争に踏み切って、「四党合意」の攻撃に体を張って闘うことが重要になってきたと思います。そうした新たな闘いに、日本全国の心ある労働者は間違いなく支援を寄せる。その中から、新たな国鉄闘争勝利の展望が切り開かれるのではないか。
−−国労大会ではどのような闘いが求められていますか。
中野 闘争団もこの過程で逡巡(しゅんじゅん)を取り払って、全国大会に向けてもう一回大量に結集する闘いに踏み切るべきだと思うし、やると思います。
国労本部は、ペテンとごまかしではあるけれど「一票投票」で組合員の過半数の支持を得たということを錦の御旗にして、今度の定期大会で「四党合意」承認の方針を貫徹しようとしてくることは間違いない。しかも、本部は総辞職を表明しているにもかかわらず、開き直ってまた居座るということだってありえる。
こういう暴挙に対して、この定期大会こそ、臨大を上回る結集を何よりも国労組合員がやるべきだ。十月二十八−二十九日、社会文化会館を十重二十重に包囲する闘いをまた展開すべきです。そのことが「四党合意」を粉砕してチャレンジや上村革同を打倒する重要な闘いになる。支援する労働組合も、国労の内部問題に介入しないなんていうきれいごとは通用しない。国労の動向が日本の全労働者の命運を決めるわけだから、公然と自らの意思を主張するのは当然だと思います。こういうことは組織介入にならないという立場に立って、大会をもう一回大きな闘いの場にすべきです。
ユーゴスラビアでは、不正選挙で権力の座に居座ろうとしたミロシェビッチに対して、労働者がゼネストを行い、数十万の人民が首都に結集してこれを倒した。十月二十八−二十九日は、社会文化会館を取り巻いて、そういう闘いをやろうということです。
あらゆる労組に入り大胆な呼びかけを
−−直後には十一・五労働者集会がありますが、この成功のために訴えたいことをお願いします。
中野 今年の十一月労働者集会は三回目を迎えるが、例年にも増して重要な意味を持っている。それは、日本の労働運動を二十一世紀に向けてどうするかという決定的なものです。
呼びかけ三組合でこの間討論してきたが、何よりも国鉄闘争の勝利、国鉄闘争支援を大きく打ち出す集会にしようとなった。
関西でも九月三十日の集会に千名弱の労働者が結集して、関西の労働運動地図を塗り替えるような闘いを実現しているし、東京の十・六国鉄闘争支援集会も、今までにない多くの労働組合の賛同と結集を実現している。十一・五の大成功に向けて大きく前進していることは間違いない。
「国鉄闘争に関心を持つすべての労働者は全部結集すべきだ、結集しよう」と大々的に打ち出すことが非常に重要です。
もうひとつは、大資本攻勢との闘いです。戦後的な労働運動のあり方を根本的に解体する攻撃が吹き荒れている。これは労働組合の存在を認めないということです。今までは一応、憲法第二八条があり、労働三権があり、その枠内では労組を許容するというあり方が続いてきた。でも、それでは今の資本主義の危機は乗り切れない。労働組合、労働運動は資本の自由な運動を阻害するから、その存在を許さないという攻撃が始まっている。単純に闘う労働組合は許せない、ということではない。
もうかるところに自由に資本を投下して、誰にも文句を言わせない。もうからなくなったら、すぐに資本を引き揚げる。資本が好きな時に好きなように労働者を雇い、好きなようにこき使い、好きな時に首を切れる、そういう仕組みにしようというわけです。
この間、民事再生法、産業再生法、会社分割法制などが出てきたし、労働者派遣法や労働基準法の改悪など、法的な手だては全部やってしまっている。それが発動されている。
今春闘でのNTTのゼロ回答のようなやり方に対して、鷲尾連合会長が「これ以上われわれを無視したら変な労働運動が出てきてしまう。そうなったら経営者の方だって困るじゃないか」というあけすけなコメントを出したけれど、これは非常に象徴的だ。
労働法制の解体だとかいろんなことをやってきているが、その最たるものが「四党合意」なんです。これは、労働委員会制度や労働組合法を少しは尊重しようという機運が、もう権力党派にはさらさらないということです。それを考えると、この大資本攻勢の中で、今こそ闘う労働組合、労働者が結集しようというのは、労働者の、労働組合の共通の願いではないか。
労働者は、闘うことでしか生きていけない。だから労働組合があるわけです。その原点に返らなければならない。労働者の決起に依拠し、労働組合を守り、団結させていくことが、今問われている。“団結″という古くして新しい言葉をキーワードにして結集しようと呼びかけている。
さらに十一・五は、臨検法案や有事立法、教育基本法改悪を強行し、改憲に突き進もうとしている森政権やファシスト石原都政と対決する闘いでもある。
今度の十一・五集会は、大資本攻勢との闘い、その軸に座っている国鉄闘争にとって、きわめて重要な意味を持っている。われわれは日比谷に五千人を集めようと言っているけど、それに成功した時、今の力関係を大きく逆転させて、労働運動が、労働者が二十一世紀に怒濤(どとう)の進撃を開始する大きな出発点になる。
五千人が結集するということは、背後に五万、十万の労働者がいるということです。その一人ひとりに対するオルグがなされない限り、五千人は集まらない。労働組合だって、一割動員というのは大変なことです。そういう闘いをしなければならない。
多くの労働者、活動家に訴えたいことは、今までの逡巡を取り払って多くの労働組合の中に入り、大胆に呼びかけてほしいということです。そうすれば必ず、今までとは違った反応が生まれるだろうし、大きな成果をかちとれる。あらかじめここはいいとか悪いとかレッテルを張らないで、あらゆる労働組合、労働者に分け入って、十一・五日比谷に集まろうと訴えてほしい。労働者がどうやって生きていくのか、未来を語ろうという呼びかけを是非してほしいと思います。
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