週刊『前進』(1976号1面1)
革共同の10月アピール
資本攻勢と闘い11月へ
「四党合意」を「絶対に撤回させ一〇四七名の闘いを守り抜け
改憲への道=「憲法調査会」粉砕を
二〇〇〇年後半−二十一世紀冒頭の大激動情勢と革命的情勢の急接近に対して、国鉄決戦に勝利し、十一・五労働者集会への大結集をかちとり、革命的な階級=労働者階級の鮮かな台頭でプロレタリア革命の時代を切り開くことが求められている。今や国際プロレタリアート人民の闘いが、南北分断打破・革命的統一を求める南朝鮮・韓国の労働者階級人民の「労働者が真の統一の主体として立つ」(民主労総)闘いを始めとして、全世界において労働者階級自己解放を求める嵐(あらし)のような決起となって巻き起こっている。戦後かつてない深刻な恐慌と不況にあえぐ日帝の戦争と大失業攻撃のもとで、日本プロレタリアート人民は、連合支配と既成勢力の総転向・総屈服を突き破って、全産別における一大資本攻勢への苦悩と怒りと反撃をテコにしながら、国鉄決戦の勝利、「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱へ」「沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」へ歴史的に進撃しなければならない。
第1章 国労再生へ執行部を総退陣に追い込もう
二〇〇〇年の十一・五労働者集会への大結集は、戦闘的労働運動の新潮流が、二十一世紀に向かう日本階級闘争と労働運動の主座に躍り出るために、死活的に戦取されなくてはならないテーマだ。
十一・五労働者集会の爆発的成功をかちとるために何が必要か。
第一の課題は、闘争団と千四十七人の闘いを守り抜き、国鉄決戦に勝利する歴史的大闘争としてかちとることである。
二〇〇〇年という歴史の大転換点において、戦後国鉄労働運動の精華である千四十七人の存在と血のにじむような営々たる闘いのすべてを圧殺しようとする大攻撃との攻防戦が火を噴いた。日帝・権力、JR資本、JR連合、JR総連による闘争団と国鉄闘争の変質・解体、圧殺の反革命的攻撃である「四党合意」と、それに全面屈服し、受諾した国労中央本部=チャレンジグループおよび革同上村一派との攻防は、五月三十日以来、二度の臨時全国大会、「全組合員の一票投票」強行、そして十月末の定期全国大会へと、五カ月間におよぶ死闘戦の最も激しい決戦過程に入っている。
「四党合意」の息の根を止め、国労中央本部=チャレンジと革同上村一派を組織的に打倒し、闘争団を守り抜き、国労の階級的再生をかちとる決戦に、二十一世紀に向かう日本階級闘争と労働運動の全命運が握られている。
「四党合意」をめぐる階級的攻防は、国鉄決戦を国鉄分割・民営化攻撃の原点にひきすえて、国鉄闘争の階級的再生か、それともその変質・解体かをかけた、戦闘的労働運動と帝国主義的労働運動が激突する一大階級決戦である。
「四党合意」とは、JR採用差別という国家的不当労働行為と闘うことを放棄すれば、千四十七人については「人道的観点から」「雇用の確保等の検討を要請」してもよいというものである。これは文字どおり十四年にわたる国鉄闘争を闘ってきた国労に、解決水準ゼロで無条件降伏を迫るものであり、十四年の闘いのすべてを水泡に帰す攻撃だ。国労本部が自ら「四党合意」を受け入れたことによって、八六年修善寺大会以来、国労が内包してきたすべての矛盾と対立が一切のあいまいさを許さず突き出され、真の決戦へと突入したのである。
国鉄分割・民営化攻撃の最深の核心は何か。日本における反スターリン主義・革命的共産主義運動が、六二年三全総−六六年第三回大会−七〇年闘争をとおして戦闘的労働運動の防衛・強化をかちとり、日本労働運動の革命的中軸に躍り出ようとすることを、日帝・権力がファシスト・カクマルを先兵にしてたたきつぶそうとしてきたことにある。この十四年間、日帝は分割・民営化攻撃のもとで総評を解散させ、連合支配を貫徹しようとした。しかし、動労千葉と国労闘争団を始めとした国鉄闘争の不屈の前進があり、他方で革共同の五月テーゼ−一九全総−二〇全総路線が国鉄闘争と階級的労働運動の前進を闘い取る中で、国鉄分割・民営化体制は、JR総連=カクマルの危機と結合しつつ、総破綻(はたん)の危機に直面したのである。そこから「四党合意」の大攻撃が出てきたのだ。
この「四党合意」に一大反撃をたたきつけ、息の根を止める闘いは、二十万人の首切りを強行した国鉄分割・民営化体制の根幹を打ち破り、国労の革命的再生をかちとり、日本階級闘争の激動的発展の中心に国鉄労働運動が立つことを不可避とする闘いだ。
何よりも、二万八千人の国労の中から、命に代えても「四党合意」を粉砕し、裏切りに走る中央本部=チャレンジと革同上村一派を打倒するという渾身(こんしん)の決起が、闘争団を先頭にして始まったことである。七・一−八・二六の過程での闘争団・家族の不眠不休の決起こそ、労働運動の指導部が敵階級の先兵に転落することに対して、現場の労働者が激しく抵抗し、指導部を打倒し、その闘いの中から新たな指導者が続々と登場する労働運動の時代を予兆させるものだった。
そしてこの闘いは、勝利の活路を切り開くために、動労千葉を始めとした戦闘的労働運動の新潮流と結合することを不可避としていくのである。
さらに他方で、七・一に続く、八・二六の三千人決起が示す、国鉄闘争支援勢力百万の存在と闘いの意義について確認しなければならない。
国鉄労働者二十万人を職場からたたき出した国鉄分割・民営化攻撃の嵐の中で当時、「国労のようになるな」を合言葉にして労働運動の基幹部隊の多数が連合結成に走った。しかし、九五年には日経連がプロジェクト報告「新時代の『日本的経営』」を発表、そのもとに「三種の神器」に依拠する連合の企業主義的支配の崩壊が始まった。雇用・賃金のみならず年金・医療・住宅など、労働者と家族の生活を曲がりなりにも支えてきた戦後的階級支配のあり方が破綻し、それを前提に成立してきた連合の危機が爆発するに至ったのだ。
この恐慌・大失業と戦争の時代の真っただ中で、国鉄闘争支援勢力が「四党合意」を弾劾し、闘争団を守り抜く決起を開始したことは、労働運動の新たな再生の幕開けである。七・一−八・二六に決起した国鉄闘争支援勢力の自己解放性の中に、十一・五労働者集会五千人決起の可能性は成熟しているのである。
闘争団と国労組合員による「四党合意」撤回の労働委員会闘争の拡大・強化と、「労働委員会闘争を支援する会」運動を水路にして、戦闘的労働運動の発展をかちとることがとりわけ重要だ。
「四党合意」は、分割・民営化体制のもとでの十三年間の不当労働行為の集大成であり、五・二八反動判決以来の労働委員会制度解体攻撃の凝縮であり、二〇〇〇年一大資本攻勢の頂点に位置するものである。このような「四党合意」を国労本部が受諾したことに対して、「四党合意」を極悪の不当労働行為として弾劾し、その根元から粉砕する闘いが労働委員会闘争として始まったのだ。
国鉄分割・民営化体制を粉砕し、「四党合意」にとどめを刺し、「シニア制度」−外注化の大合理化攻撃に立ち向かう新たな歴史的反撃の闘いとして労働委員会闘争に立ち上がろう。
日本労働運動の階級的再生をめぐる決戦としての国鉄闘争に絶対に勝利して、十一・五労働者集会五千人結集をなんとしても実現しよう。
第2章 「資本主義にノー!」労働者の隊列登場を
第二の課題は、二〇〇〇年の一大資本攻勢への反撃を労働者階級の生死をかけた決戦として闘い、「資本主義にノー!」と言える力ある労働者階級の隊列の台頭をかちとることである。
今日の一大資本攻勢は、九五年日経連プロジェクト報告が歴史的出発点となっている。日経連報告として打ち出した戦後的階級関係の反動的大転換による雇用破壊・賃金破壊そして組合破壊の路線は、その後九八年労問研報告、橋本「六大改革」、九八年末の「経済戦略会議報告」として進行している。それは二〇〇〇年春闘において、「総額人件費削減」のもとでの賃金引き下げ、戦後社会保障制度の解体、そしてJR総連=カクマルが締結した「シニア協定」による「業務外注化とセットの再雇用」「選別再雇用」という名の極悪の権利剥奪(はくだつ)・雇用破壊、高齢者の孤立化・分断攻撃として、一挙に強まった。
これらの資本攻勢は、国労に対する九八年五・二八超反動判決を画期として、いまひとつの質的転換をもたらしている。それは資本攻勢に抵抗し反撃を試みる労働者階級の団結と権利の暴力的解体、階級意識の根絶を狙った本格的攻撃である。具体的には戦後労働運動の中で営々と引き継がれ、分割・民営化攻撃によっても絶滅することができなかった国鉄労働運動、戦闘的労働運動とその砦(とりで)を解体・一掃しようとする攻撃である。
日帝権力は、五・二八判決による国鉄労働運動の解体をとおしてふたつの攻撃を貫こうとした。ひとつは、国鉄分割・民営化型攻撃の全社会的拡大と、そのもとでの産業再生法・会社分割法などの企業再編法制など国家的リストラ法制の攻撃である。いまひとつは、五・二八判決の直接的狙いである労働委員会制度の解体による団結権の解体、戦後労働法制の全面的な解体攻撃とその始まりである。
この結果、二〇〇〇年の資本攻勢は、以下の方向で全面化している。
@まず何よりも全産業、全部門で例外なく倒産、人員削減・リストラ攻撃が激化している。民事再生法、会社分割法などをテコに全員解雇・再雇用がまかりとおり、早期退職、転籍出向、希望退職、正規雇用の削減、パート・不安定雇用の増大が進行している。
A賃金切り下げや、能力・成果主義賃金、高齢者賃金の切り下げなど、賃金体系改悪が激しく進行している。特に退職金・企業年金の改悪は重大だ。さらに人事院のマイナス勧告など公務員賃金への攻撃も激化している。
B介護保険導入を突破口とする社会保障制度の全面的な解体。これは年金制度改悪、医療保険制度改悪、福祉目的税・年金目的消費税策動など、一切を労働者と労働者家族の負担に転嫁する攻撃だ。
Cあらゆる形で労働組合の解体、団結権破壊の攻撃が激化している。労組法改悪策動、組対法などによる団結権の解体や刑事弾圧の拡大がそれである。
このような一大資本攻勢は、連合の存在基盤すら崩壊させ、連合の政治方針における翼賛的大転向と、春闘および連合傘下の各産別定期大会に見られる春闘解体、そして賃金、社会保障制度をめぐる「産業報国会」的屈服と裏切りをもたらしている。だが連合は闘わずにこの危機を各大産別の統合と、それを推進軸とする一層の帝国主義的労働運動の純化でのりきろうとしているのである。
二〇〇〇年階級情勢が重大なのは、こうした連合に対する怒りと反乱が本格的に爆発していることだ。全逓では、二〇〇三年公社化へ向けた郵政民営化攻撃が、人事交流=強制配転、人員削減として襲いかかる中で、二月に開催された一一三中央委、さらに七月定期大会でついに激しい反乱が起こった。電通では春闘のベアゼロへの怒りが噴出した。NTT労組定期大会では、労組の側からの成果主義賃金の提案という裏切りに怒りが爆発し、さらに「中期事業計画に対する取り組み」なるNTT幹部の承認した強制配転への反撃が闘われようとしている。電機連合大会でも、自治労大会でも、さらに日教組大会でも、怒りと反撃が巻き起こった。
これに対し鷲尾連合会長は、二〇〇〇年春闘を総括して「こうした事態が続くと今の労組リーダーに批判が集中し、変わった運動が出ることは経営者にとっても好ましくないはずだ」と資本にすがりつき、他方で、奥田日経連会長は、五月定時総会で「実力行使して要求をかちとるという労働運動に対しては、毅然たる態度で臨まなければならない」と、労働者階級の新たな反撃に対して危機感と恐怖をあらわにしたのである。
このような情勢のもとで、七・一−八・二六で始まった千四十七人闘争団を先頭とする労働者階級の決起は、二〇〇〇年の一大資本攻勢への根底的反撃ののろしとして爆発したのだ。七・一−八・二六に続き、十一・五労働者集会を、連合やカクマル=JR総連と対決し、スターリン主義=全労連ときっぱりと決別した戦闘的労働運動の歴史的前進の号砲の場にしなければならない。
第3章 船舶検査(臨検)法案阻止かけ国会闘争へ
第三の課題は、沖縄・名護新基地建設阻止闘争、有事立法・改憲阻止闘争、教育改革・教育基本法改悪粉砕闘争、そして船舶検査法案(臨検法案)阻止の臨時国会闘争を軸に、今秋政治決戦を全力で闘い、それを二十一世紀初頭の改憲阻止決戦の巨大な決起へと発展させるために、十一・五労働者集会を大成功させることである。
九月二十一日、臨時国会が召集され、日帝・森は所信表明演説において、「IT革命」と「教育改革」をメインに掲げながら、船舶検査法案(臨検法案)強行成立と、教育基本法改悪、有事立法・改憲に向け突進する超反動国会にすることを宣言した。さらに三兆円以上の補正予算の強行や社会保障制度解体の攻撃などを全面的に強めようとしている。
こうした攻撃の核心には、改憲への画歴史的攻撃に踏み切るという決断がある。今や日帝・森は、中曽根、石原らとの反動的枢軸を打ち立て、石原を先頭に組織する民間ファシスト勢力の運動の大動員をも画策している。すでに国会では憲法調査会のもとに堂々と改憲が討議され、鳩山と菅の民主党は公然と九条改憲を主張している。この情勢ともあいまって、森は「教育改革」−教育基本法改悪攻撃を、明文改憲と徴兵制復活、教育労働者に対する「日の丸・君が代」闘争圧殺を始めとして階級性の一切を奪い尽くす攻撃として強行し、改憲攻撃への一大突破口にしようとしている。
二〇〇〇年から二十一世紀への突入という時代的転換点の中で、帝国主義者は「死の苦悶(くもん)」にあえいでいる。米帝経済のバブルの崩壊と二九年型世界大恐慌の本格的爆発の現実性は日々明らかになっている。とりわけ帝国主義世界経済は、この間、原油価格急騰とユーロ安の進行というダブルパンチを受けて泥沼の危機にある。
原油価格は、ニューヨーク商業取引所の原油先物相場で、湾岸戦争直前(一九九〇年十月)の水準から三倍以上にも跳ね上がっている。この原油高騰によって、米金融市場にインフレ圧力が高まり、企業が業績見通しを下方修正し、株式、債券相場が大幅に下落している。
現在の原油高騰は、米バブル下の異常な景気浮揚で石油需要が増大したことを背景に、九〇年代の大リストラで米帝の石油在庫と供給能力が大幅に減退し、かつ石油先物市場に投機マネーが大量に流入したことによって引き起こされている。この事態に対して米帝は、湾岸戦争以来の戦略原油備蓄からの三千万バレルという大規模な放出を決定した。さらにG7蔵相会議では、産油国の増産を要求し、必死の危機打開を策している。
他方、ユーロ相場は、一九九九年一月の導入以来、対ドル、対円ともに実に三〇%近く下落し、最安値を更新している。これも、M&A投資を軸とした米バブル市場への欧からの資金流入が原因である。このユーロ安が世界経済の危機に転化し、これに原油高が襲う中で、九・二三プラハのG7では、日米欧の協調介入によってユーロ下落を阻止し、米帝バブルの崩壊がかろうじて食い止められているという危機的状況だ。
他方、このような原油高とユーロ安は、日帝経済を激しく揺さぶっている。
原油高とユーロ安は、インテル社の業績悪化や米株相場の下落をもたらし、その波及として日経平均株価を大幅に下落させている。
すでに日帝は九七年秋以降、日本発・アジア発の二九年型世界大恐慌の現実化過程への突入の中で、戦後どの帝国主義も経験したことのない深刻な恐慌に突入している。そして天文学的な恐慌対策による財政的破滅は、さらに激しい経済危機、体制危機を引き起こしている。
また百五十兆円とも二百兆円とも言われる銀行の過剰債務と、企業の膨大な不良資産と有利子負債がまったく解消しない中でのゼロ金利解除は、ゼネコンを始め企業倒産を不可避に続出させるものでしかない。
こうした絶望的な日帝経済危機の一切が、労働者階級への資本攻勢として極限的に襲いかかっているのである。
日本共産党の歴史的な大転向を断罪せよ
こうして、情勢が戦争か革命かの時代に急速に転回していく中で日本共産党は、七中総(九月十九、二十日)において、「党は日本の労働者階級の前衛政党である」「目的は社会主義革命をへて日本に社会主義社会を建設し、高度の共産主義社会を実現することにある」という党規約の前文の全面削除と「有事の自衛隊活用」の決議案を決定して、一層の大転向とスターリン主義反革命の徹底化に走っている。労働者人民の新たな闘いの高揚を背後から裏切り、圧殺しようとしているのだ。
闘うアジア人民、沖縄人民の不屈の革命的決起と連帯し、今秋政治決戦を闘い抜き、今こそ日本労働運動の革命的再生の時代を切り開くため、密集した反動・反革命を打ち破って、十一・五労働者集会の五千人結集をかちとらなければらない。
十一・五労働者集会の成功の重要なかぎは、全党員が例外なく、『前進』を武器にして、『前進』を労働者階級の中へ拡大する、巨大な党建設運動に死力を尽くして決起することである。
いま革共同は、七〇年代、八〇年代の権力とカクマル反革命との厳しい死闘に勝利し、三全総−第三回大会−七〇年決戦をとおして切り開いてきたような広大な闘いの展望のもとに新たにラセン的に到達している。いわば根底的なところからの労働者党建設の巨大な過程に突入しているのだ。二〇〇〇年前半決戦と国労臨大決戦が示したことは、今や六〇年、七〇年をはるかに上回る帝国主義打倒と自己解放を求めるプロレタリアート人民の澎湃(ほうはい)とした決起がついに始まったということである。
この歴史的情勢と切り結び勝利するために、「会議・機関紙・財政」の党活動の三原則を強力に貫徹し、党建設の新しい段階へ突入しよう。
十・八三里塚全国総決起闘争は、成田空港の軍事基地化と暫定滑走路建設に対する一大反撃をたたきつける場だ。一年間決戦を宣言した反対同盟にこたえ、全力で総結集しよう。
十月一日から開始される六十五歳以上からの介護保険料強制徴収に対し、全国で激しい怒りが巻き起こっている。十・一を新たな出発点に、介護保険制度廃止の住民運動の強力な発展をかちとろう。
「司法改革」粉砕の闘いと一体のものとして、超長期獄中同志奪還の本格的大衆運動をつくり出そう。
一九一七年のロシア革命の勝利を頂点とする戦争と革命の二十世紀の最後の秋、十一・五日比谷野音を五千人の一大決起で埋め尽くし、二十一世紀プロレタリア革命の勝利へと進撃しよう。
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週刊『前進』(1976号2面1)
国労本部総退陣、闘う新執行部の選出を
「解決は今しかない」と叫び大会で「4党合意」強行狙う
チャレンジ・上村革同打倒せよ
国鉄決戦は、国労全国大会代議員選と「一票投票」強行を経て、十・二八−二九定期全国大会に向かって本部執行部総退陣−闘う新執行部樹立をかちとる決戦過程に突入した。闘争団を先頭に、闘う国労組合員は「一票投票」に反対を貫き、「四党合意」撤回を訴えて全力で闘いぬいた。これに対して宮坂・チャレンジ一派と革同上村一派は、必死の反動的巻き返しに打って出てきた。宮坂、上村、新井らは、七・一−八・二六で根底的に追いつめられながら、なおも執行部に居座ろうとあがいている。国鉄決戦はさらに激しい対決と分岐をもって発展していくことは明らかである。今こそ現執行部打倒、「四党合意」の完全粉砕へ全力で闘いぬこう。そのために、特にチャレンジ一派と上村革同一派の反革命的主張を暴き、徹底批判する。(日共・革同上村一派の批判は4面論文参照)
「法的責任追及」が「取引材料」になると屈服を正当化
国労中央は、代議員選と「一票投票」の過程で、実にペテン的で卑劣な開き直りを行ってきた。高まる「一票投票中止」の声に追いつめられた国労中央は、「(一票投票は)最高決議機関としての大会決議に替わるものではなく、あくまでも組合員の総意を把握するためのもの」(一票投票禁止の仮処分命令申し立てに対する宮坂書記長の陳述書)だと言い出したのだ。
これは、いかに「一票投票」がデタラメなものであるかを示すものである。どんなペテンを使ってでも「四党合意」を生き残らせようとする許しがたい策動である。その犯罪性が一層明らかになったのだ。その結果のいかんにかかわらず、あらためて徹底的に弾劾しなければならない。「一票投票」の結果、本部原案への賛成が過半数に達しなくても、単なるアンケート調査に過ぎないとする伏線を敷き、定期大会では再び「四党合意」受け入れの方針案を持ち出してくるということなのだ。
現にすでに出されている第六七回定期全国大会の「二〇〇〇年度運動方針(第一次草案)」(国鉄新聞九月十五日付)において、「続開大会で方針の採択を行わずに一票投票で賛否を問うこととし」たのは、「長年積み重ねてきた政治の場における解決の道筋を残すという思いからであった」とし、何がなんでも「四党合意」を残すためであったことを自己暴露している。
さらに「四党合意」を「政治の場での解決にむけた政党間協議の集大成」と位置付け、中央執行委員会が「“法的責任がないことを認める″という苦渋の選択をし」たことは正しかったと居直り、この流れに沿って「早期解決に全力をあげる」としているのだ。
この国労中央の立場を最も露骨に反動的に表しているのがチャレンジ一派だ。東京地本新幹線支部のチャレンジ一派の代議員候補は選挙ビラで次のように主張した。
「四党合意は、『JRに法的責任がない事』『解決水準の具体的数字がない事』等、多くの不満・問題点を持っています。しかし国労本部は……不満ではあるけれどもこの政治的な解決の枠組みを受入れました。私も、この本部の決断を支持します」
これは「『四党合意』に賛成か、反対かと問われれば、『法的責任なし』を認めた『四党合意』には反対」だが、「『四党合意』を蹴って、話し合いの場がなくなることには反対です」という革同上村一派の代議員候補の主張と軌を一にするものだ。
彼らは、「四党合意」反対の声に押され、ペテン的に「問題がある」と言わざるを得なくなっている。だが、問題があっても「苦渋の選択」として受け入れるべきだと言うのだ。
その根拠は、相も変わらぬ「ラストチャンス」論である。新幹線支部のチャレンジ一派は、「解決は今しかない!」「国鉄闘争の全面解決か、それとも展望がない闘争継続かの選択」と叫んで、このチャンスを逃せば展望がない長期闘争になると組合員を恫喝しているのだ。
その上で、「今回の一票投票の意義は、四党合意の内容の賛否ではなく、解決の枠組みを悔しいけれども受入れ、『解決交渉に入るか入らないか』を決める事です」と言う。
これも実にペテン的な言い方だ。「四党合意の内容の賛否ではなく」などと言うが、問われているのはまさに「四党合意の内容」ではないか。「四党合意」とは、「JRに法的責任なし」を国労が機関決定することが大前提となっており、極悪の支配介入、不当労働行為だ。そこでの「解決交渉」なるものは、「法的責任なし」から必然的に出てくる「ゼロ回答」を認めることでしかない。
さらに、「悔しいけれども受入れざるを得ない」理由として、採用差別事件の高裁判決が「『JRに法的責任なし』の厳しい判決内容が予想され」ることを挙げる。厳しい判決が出ればそれに従うしかないという敗北主義である。それにしても、その前に自ら進んで「JRに法的責任なし」を認めるべきとはあまりにもとんでもない暴論である。
こうしたチャレンジのデタラメな論理の出所は、「N論文」と称される論文である(注)。そこには「『法的責任追及』という武器は、裁判の結果が出るまでは武器であり得るが、最高裁で敗訴が確定した段階では、相手側の武器に転化する……法的責任を問題にする余地はゼロになる。しかし、今ならば、ともかくも『テーブル作り』の取引の材料になり得る」と書かれている。
「法的責任追及」とは、言うまでもなく不当労働行為責任の追及のことである。これは単なる「武器」ではなく、国鉄闘争の根幹である。千四十七人の魂そのものである。これを「取引材料」にするとは本末転倒である。しかし「取引」にもならないのだ。あらかじめ「ゼロ回答」でいいと認めてしまうのだから。
こんなデタラメな論理で「四党合意」を正当化し、「十四年の闘いの到達点」と持ち上げているのがチャレンジなのだ。確かに屈服に次ぐ屈服を重ね、闘いを抑圧してきたチャレンジら裏切り者の行き着いた「到達点」ではあろう。それ以上には到達できないのだ。
だが、こうした屈服路線を打ち破り、「四党合意」という全面屈服を拒否し、新たな闘う執行部をつくり出して闘うならば、別の勝利の「到達点」をつくり出すことはまったく可能なのである。
暴力キャンペーンで「反対派一掃」をあおるチャレンジ
さらに許せないのが、性懲りもない新たな「暴力キャンペーン」だ。
神奈川党員協のチャレンジのビラでは、「(七・一臨大が)一部闘争団をはじめ国労支援と称するセクト集団の暴力的演壇占拠により続行不可能となり、続会(ママ)大会となった」「また、続会大会をめぐってまたもやそうした人達による『中止』をもとめる本部要請行動を数日間展開したため『現局面の混乱を回避し、組織の統一と団結を守るため』その判断を全組合員の一票投票に求めることとなった」と許せぬ言辞を吐いている。
七・一の「演壇占拠」はやむにやまれぬ闘争団・組合員の正義の行動であった。いったい闘争団・組合員以外の誰がやったと言うのか。こういうデマで組合員をだまし、闘争団切り捨てをあおっているのだ。
さらに八・二六続開臨大で本部が採決強行を断念したのも、「そうした人達が本部要請行動を展開したため」だと言うに至っては言語道断である。
新幹線支部のチャレンジのビラでは「八月二六日の続開大会を前に『四党合意反対』派は、長時間に渡って本部役員を吊(つる)し上げ」たと言う。二十闘争団と有志の申し入れを受けて本部が交渉に応じたものを「吊し上げ」と描き、臨大で採決できなかったことの責任をすべて闘争団に負わせているのだ。
八・二六において本部は機動隊を要請し、チャレンジと革同上村派が機関を私物化し勝手に五百人もの「自警団」を動員して暴力的に大会を強行しようとした。七・一を上回る巨大な暴力で闘争団を圧殺しようとしていたのだ。この自らの暴力的策動には口をつむぎ、「この間の混乱の責任は免れない」と表明した本部の責任も棚に上げて、一方的に闘争団を非難するとは卑劣きわまりない。
その上で「この様な行動・思想を、国労運動から一掃しなければなりません」と叫んでいる。要するに反対派の闘争団を一掃しろということだ。七・一臨大に対する「暴力」キャンペーンを上回る闘争団切り捨ての扇動である。断じて許しがたい。
「賛成意見」組織しペテンで闘争団に全面敵対する革同
さて、チャレンジや革同上村一派がこのように闘争団に敵対する論拠として持ち出すのが「闘争団にも賛成意見がある」というペテンだ。
新幹線支部のビラは、「『国労本部に首を切られる』と悪意ある宣伝が行われ、闘争団員を『居ても立っても居られない』気持ちに追いやり、暴力的に臨時大会破壊が行われ、全ての闘争団員が反対しているかのように宣伝されていますが、現実は全ての闘争団の中に賛成・反対の意見があります。『反対する闘争団の気持ちを大切にしろ』と声高に言われていますが、逆に『ここで解決を図るべきだ』との意見を持っている闘争団員の気持ちは、大切にしなくて良いのでしょうか。安定した雇用・生活の場の確保がかかっているのです」と言っている。
ここにもいくつものペテンがある。「国労本部に首を切られる」とは闘争団員の実感である。それを、あたかも「外部」から宣伝されて闘争団がだまされているかのように言うのは許しがたいことだ。
さらに「『ここで解決を図るべきだ』との意見を持っている闘争団員の気持ち」などと言うが、ではその闘争団員は、「JRに法的責任なし」が必然的に導く「ゼロ回答」での解決でいいと言っているのかということだ。「四党合意」で解決を図れば「安定した雇用・生活の場の確保」ができるかのように言うのもとんでもないペテンだ。
この間、「四党合意」に積極的に賛成しているのは札幌闘争団の革同上村一派などごく一部であるが、札幌の牧田団長などは、地元JR復帰などなくてもいいという徒輩だ。ゼロ回答で闘争を終結しても、日本共産党の庇護(ひご)のもとで「食っていける」という背景があるからだ。
そのくせ彼らは、「四党合意」を承認すればJRに復帰できるとか、解決金が「一人三千万円」出るとかのデマを流しているのだ。
この間、革同上村一派が組合員に配布している「札幌闘争団家族会ニュース」には、「この四党合意で国労が、家族が統一して団結し、夫が一日も早くJRに復帰し生き生きと働いている姿が見たい」などの声が載っているが、これは牧田団長らが家族会の日共党員グループを組織して書かせたものである。これらを「家族の思い」として持ち上げているのだ。
その一方で「当事者は闘争団」という闘争団・家族の訴えには敵対するのだ。
「N論文」では「音威子府の家族の方は……『本部の独断で、無責任に私たちの人生を勝手に決めないで下さい』と訴えた。……『冗談じゃない。当事者は、国労組合員全員だ』と言いたい」と闘争団家族の声に真っ向から敵対している。
この問題にまさに自らの生き死にがかかっているのは闘争団とその家族である。その当事者に一言の相談もなく「四党合意」受け入れを勝手に決めた本部に対して、闘争団・家族が当事者としての叫びを上げることは当然ではないか。これに対して「当事者は国労組合員全員だ」という言葉を投げつけているのだ。
この「N論文」の論旨は、「四党合意」は問題があるが、本部が情勢や力関係を判断して決めたこと、その判断を組合員全体が受け止めて議論すべきで、その結果、決定されたことには闘争団員も一組合員として従うべきだ、という点にある。実に悪質な「闘争団切り捨て」論である。
この主張はまた、「国労ジリ貧」論や組合員蔑視(べっし)と一体である。「N論文」に貫かれているのは、「(闘争団への)カンパの増額を提起するときは……脱退者がでるのではないかと、ヒヤヒヤする」という党員協の「一同志」の発言に表される組合員観である。そこには十四年間、闘争団とともに闘い続ける組合員の力に対する信頼などひとかけらもない。このような指導部のもとで組合員が闘えるはずがない。
チャレンジや革同上村一派の反革命的主張を粉砕し、今こそ彼らを国労中央や機関役員から引きずり下ろそう。問われているのは、それにとって代わる指導部を現場組合員と闘争団の総力を結集してつくり出すことである。
十月定期全国大会への決戦で「四党合意」を粉砕し、現執行部総退陣、闘う新執行部の樹立をかちとろう。
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週刊『前進』(1976号2面2)
動労千葉総決起集会 「シニア協定」−全面外注化粉砕へ
”スト含め反撃に立つ” JR総連解体へ大攻勢訴え
九月二十六日夕方、動労千葉は「『シニア制度』−検修・構内全面外注化阻止! 九・二六動労千葉総決起集会」をDC会館で開催した。
JR東日本は九月十三日、検修・構内業務、施設関係の全面外注化計画を提案した。計三千人を削減し、二千人を関連会社に出向させるというすさまじい大合理化攻撃だ。これは、東労組がJR資本と一体となって推進した「シニア協定」と完全に一体のものである。
「シニア協定」は、全面外注化に協力する労組の組合員に対してだけ、定年後の再就職先を紹介するというものだ。年金の支給開始年齢引き上げに伴い、定年後の労働者が大変な苦況に陥ることに付け込んだ、悪らつきわまる攻撃である。JR東日本は、来年度に六十歳定年を迎える三人の動労千葉組合員に対して、「シニア協定」を結んでいないことを理由に、再就職先の紹介さえ拒んでいる。
動労千葉は、この攻撃に総力で反撃するため、この日の集会を設定した。午後六時過ぎには、勤務あけの組合員が続々と結集して会場にあふれた。
中野洋委員長が闘いの方針を提起し、まず、動労千葉組合員だけを差別して再就職先を紹介しないというJRの不当労働行為に対して、この日、当該の組合員を先頭に千葉地労委に救済申し立てを行ったことを明らかにした。
また、「千四十七人の解雇撤回闘争は重大な局面にある」として、「『四党合意』は労働組合への支配介入であり、労働組合の存在さえ認めない攻撃だ」と弾劾し、「一票投票」を強行する国労本部の背後には、国鉄闘争の解体をもくろむJR資本や国家権力の意向があることを暴き出した。そして、「千四十七人の中には動労千葉の九人もいる。千四十七人の解雇撤回闘争は、日本の労働運動が大きく後退している中で全体を牽引(けんいん)する闘いだ。正しい解決のため、九人の仲間を先頭に闘い抜こう」と訴えた。
次に、全面外注化攻撃について「JRの狙いは保守部門の全面外注化だ。三千人が一挙に職を失うことになる」と、攻撃のすさまじさを指摘した。
さらに、この攻撃が「シニア協定」と一体であることを明らかにし、「六十歳で年金を満額もらえないのは、労働者にとって詐欺にあったようなもの。JRはこの年金制度の改悪を悪用した。雇用延長ではなく、再就職先として関連会社を紹介するだけだ。その関連会社に仕事を回すため、外注化の話が一気に出てきた。関連会社は技術を持った労働者を安い賃金でこき使える。JRは外注費を削減できる。目的は総額人件費の削減だ。損をするのは労働者だけ。東日本でこんな制度ができたのは、東労組が積極的に妥結したからだ」と弾劾した。
再就職先の会社の賃金は、労働者が在職老齢年金を受給することを前提に、極端に低く抑えられている。しかも在職老齢年金は、賃金が上がれば上がるほど減額される仕組みになっている。「雇う側は、どうせ年金が減るからほどほどでいいだろうと賃金を下げてくる。労働者にとっていいことは一つもない。こんなものを日本の企業の中で一番いい制度だなどと宣伝している東労組は許しがたい。微々たる給料しか出さない会社に再就職するために、なんで六十歳の労働者が試験を受けなければならないのか。六十歳になっても組合で差別する。こんなことは怒りに堪えない」と語気を強めた。
そして、「こんなやり方を認めたら何のために分割・民営化と闘ったのか。『シニア協定』は断じてのめない。団結を守って闘えば外注化は阻止できる。外注化に対しては拠点職場のストを含め徹底的に闘う。労資対立が激しくなれば、関連会社はそういう職場の業務を請け負えるのか。会社が決めたことが何でも通ると思ったら大間違いだ。われわれにも意地がある」と闘いの方針を提起した。
最後に、JR総連=カクマルによる労働者支配が根底から崩壊し始めたことを明らかにし、必ず組織拡大を実現しようと訴えた。
組合差別弾劾し地労委申し立て
続いて、動労千葉弁護団の佐藤昭夫早大名誉教授が地労委への申し立てについて報告し、「シニア制度」は不当労働行為に該当するだけでなく、職業安定法や高齢者雇用安定法にも違反するでたらめなものだと力説した。また、国労本部が「四党合意」をのむために「一票投票」を強行していることを厳しく批判した。
来年度に定年を迎える組合員二人が登壇し、「動労千葉だから再就職の支援は受けられない、東労組に換わるかと支社から言われた。怒りをもっている」「組合差別は許さない」と訴えた。外注化攻撃の対象となる検修職場の組合員が、「総力をあげた闘いをする決意だ。今こそ怒りの声をあげよう」と発言した。解雇撤回闘争を闘う動労千葉争議団の組合員は、「自分の職場の国労組合員に『四党合意』反対を訴えよう」と呼びかけた。
田中康宏書記長が基調報告を行い、「動労千葉定期大会の前にきょうの集会を持ったのは、本部として重大な決断を持ったからだ」と切り出した。そして「@千四十七人の解雇撤回闘争、Aシニア協定−全面外注化との闘い、BJR総連の崩壊が目の前で始まる中で、動労千葉の組織拡大の闘い、の三つを柱に大闘争に入る」と宣言した。
また、「シニア協定」で再就職先とされている会社の賃金は月十三万円程度でしかなく、交通費も満額出ないところばかりだと暴露した。また、そうした会社の求人票さえ、動労千葉組合員には送ってこないとJRを激しく弾劾した。そして、この攻撃にはストも含めて反撃すると訴えた。
さらに、JR総連に対する青年労働者の反乱が広がっていること、運転士登用差別を打ち破って分割・民営化以来初めて一人の組合員の運転士への発令を実現したことを報告し、強制配転を粉砕して組織拡大を実現しようと訴えた。最後に、十月一−二日の動労千葉定期大会から十一・五労働者集会の大結集へ、全力で闘おうと呼びかけた。
各支部の代表が並び、それぞれに決意を表明した。全員で団結ガンバローを行い、闘いの決意を固めた。
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週刊『前進』(1976号2面3)
”四党合意に断を” 闘争団を先頭に集会 福岡
九月二十四日、福岡市内で「四党合意に断を! 国鉄闘争勝利 九・二四国鉄集会」が集会実行委員会の主催で開かれた。国労全国大会代議員選挙と「一票投票」をめぐる激しい攻防の中で、緊迫感あふれる集会となった。
七・一国労臨時大会のビデオが上映された後、連帯のあいさつが行われた。女性解放を闘う戦線の代表が「労働運動の原点を崩壊させずに闘っている国労は素晴らしい。実力行動が重要だ。力を持とう」と訴え、反戦共同行動・福岡の代表が「戦後労働運動のともしびである国鉄労働運動を二十一世紀に向けて大きくしよう」と発言した。
国労小倉地区闘争団の労働者が基調報告を行った。
まず、「四党合意」による国鉄闘争・闘争団の解体攻撃とこれに反撃する闘う国鉄労働者の決起が開始され、現在「一票投票」と執行部の責任追及、本部総退陣−闘う執行部の確立をめぐる代議員選挙決戦の渦中にあることを報告した。
また、「四党合意」という形で支配階級が国鉄闘争解体に直接乗り出してきたことを明らかにした。JR総連を使って闘いをつぶすやり方が破産し、チャレンジと革同上村派の屈服を突いて国労を内部から破壊する以外になくなったのだ。
さらに、七・一から八・二六に至る闘いで「四党合意」を粉砕した闘争団と国労組合員の闘いの地平を明らかにした。だが、現執行部は組合権力にしがみつくために「一票投票」を持ち出してきた。国鉄闘争をめぐり日本労働運動の一大分岐が始まった。ここに階級闘争の一大攻防点がある。
最後に「これからどう闘うのか」として、@一票投票はまったくインチキでナンセンスだ、A代議員選挙に勝利しなければならない、B「四党合意」は新たな不当労働行為だ、九月二十一日に闘争団員として福岡地労委に申し立てを行った、C国労支援陣形の圧倒的強化をかちとろう、Dカンパ闘争と物販運動を全職場で取り組もう、と訴えた。
大きな拍手の中、小倉地区闘争団と佐世保地区闘争団の労働者が登壇し、闘いの報告と決意表明を行った。「(七・一を闘って)闘争団の怒りと思いはあんなものではない。血を流してでも阻止する決意だ。今はJRの職場に徹底してオルグに入ることだ」「日本労働運動の歴史的転換が始まった。闘争団の闘いの中から階級的労働運動が生まれてくることを支配階級も労働者階級も見てとった。ここに日本労働運動の未来がかかっている」と訴えた。
続いて、教労、自治体、医療、民間などの労働者が発言し、国鉄闘争で始まった労働運動の分岐を自らの産別・職場に持ち込み、一大資本攻勢に反撃する闘いの先頭に立って階級的労働運動の再生をかちとる決意を表明した。
この集会の成功を起点に十一・五労働者集会への大結集をつくりだすことを誓い合って、全員で団結ガンバローを行った。
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週刊『前進』(1976号3面1)
北富士 檜丸尾死守へ裁判闘争
分収育林契約の無効を訴え 山梨県の強奪策動に反撃
九月五日、甲府地裁で、忍草入会組合が山梨県と富士吉田市外二ケ村恩賜県有財産保護組合(吉田恩組)との分収育林契約の無効を訴えて提訴した民事裁判が開かれ、入会組合の天野重知組合長が証言に立った。
この日の裁判で、日帝と山梨県による北富士演習場のために忍草農民の入会権を抹殺する反人民的姿勢が暴かれ、不屈に闘う忍草農民の決意が示された。
公判に先立って正午過ぎから開かれた集会では、まず母の会の天野美恵事務局長が「桧丸尾は忍草の命の山だ。米軍のカービン銃を突破して演習を阻止してこの桧丸尾をとった。第二組合が県庁におだてられて売ったのを裁判に訴えた」と桧丸尾売り渡しを絶対に許さない決意を述べた。
都政を革新する会の長谷川英憲代表、婦人民主クラブ全国協の西村綾子代表、全国沖縄青年委員会の新城峯子委員長、部落解放同盟全国連の田中れい子さんが連帯のあいさつを述べた。
長谷川さんは、嘉手納基地包囲行動での母の会の天野事務局長の発言が参加者に感動をもって受け止められたことに触れ、「北富士闘争は反戦・反基地闘争の基礎をなす闘い」とその意義を提起した。西村さんは相模原での米軍野戦病院演習について、「米軍は本当に戦争をやろうとしている」と警鐘を鳴らした。新城さんは「政府が忍草に対してやったことは、沖縄に対してやったことと同じだ」と弾劾し、田中さんは「戦争のために桧丸尾を取り上げようとしている」と母の会とともに闘う決意を表明した。
集会後、山梨県庁前と甲府駅前で街宣を行い、母の会のビラが労働者市民に次々とまかれた。
公判では、まず桧丸尾売り渡しの張本人で当時第二組合の「組合長」であった天野圭が証人として呼ばれ、原告側代理人の弁護士が「立木は売っても入会権は残るが、入会権を守るためにどうしていこうかということについて考えなかったか」と鋭く追及した。それに対し天野圭は、「入会権について考えなかった」と証言し、第二組合が金のために桧丸尾を売り渡したのであり、入会権を守っていこうとする意志がまったくないことを吐露した。
続いて証言に立った天野重知組合長は、米軍のカービン銃を騎馬で突破して着弾地を占拠した闘いを受けて、自らが直接政府との交渉に当たって桧丸尾の一時使用許可をかちとった経緯を証言した。そしてその中で、「一部事務組合」である吉田恩賜林組合には規約上桧丸尾は管理の範囲に入っていないことを政府自身が認定したこと、したがって県との分収育林契約が違法なものであることを明らかにした。さらに山梨県が入会地強奪の先兵になっていることを、怒りを込めて弾劾した。
北富士闘争は今秋の日米共同演習をめぐって重要な決戦局面に突入している。忍草農民の決起にこたえ、北富士闘争の勝利へともに闘い抜こう。
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週刊『前進』(1976号3面2)
連載 新潮流運動の大躍進へ 資本攻勢の嵐と対決を 6
自治体リストラ 強まる現業切り捨て
分限免職、パートの解雇も 自治労の屈服方針に怒り
労働運動つぶしと戦争動員攻撃
七月の労働者世帯の消費支出は、前年同月比で三・六%マイナスという大きな落ち込みを示した(総務庁の家計調査)。賃下げ、リストラ、社会保障解体の攻撃が、労働者の生活を直撃している。昨年の民間企業で働く労働者の平均賃金は前年より〇・八%少ない四百六十一万円で、二年連続で対前年比マイナスとなった。給与所得者数も減少しており、給与総額は前年比一・七%減だ。
労働者の怒りはまさにこれから爆発しようとしている。資本家どもは、労働者の団結を恐れて、「何が何でも実力行使して要求をかちとろうという労働運動に対しては、毅然たる態度で臨まなくてはならない」(五月の日経連総会での奥田会長の発言)などと、恐怖心をあらわにしている。新潮流運動は、真正面から「実力で要求をかちとる労働運動」をたたきつけてやらなくてはならない。
一府二十二省庁を一府十二省庁に再編する中央省庁再編が来年一月から強行される。戦争と大失業攻撃を敢行するための国家改造の大攻撃だ。自治体でも「財政危機」キャンペーンのもとで、「行政改革」「自治体リストラ」などと称して、労働者に対する賃金・雇用・団結の破壊攻撃が襲いかかっている。
それらの攻撃が狙うものは、@新安保ガイドライン体制のもとで日帝が朝鮮・中国侵略戦争を遂行できる国家体制づくりであり、A日帝資本の救済のために労働者に一切の犠牲を押しつける攻撃であり、B国鉄分割・民営化攻撃に続く自治労、全逓、日教組などの労働運動つぶしである。労働者の団結をつぶせなければ、日帝の戦争と大失業の攻撃は、逆に革命に転化してしまうからこそ、支配階級は労働運動解体に全力をあげているのだ。
その典型が全逓だ。全逓では二〇〇一年事業庁移行−二〇〇三年公社移行が、まさに全逓運動解体攻撃として激化している。その中で、「全逓中央打倒=ニューユニオン方針粉砕=郵政民営化阻止」の三カ年決戦が開始された。
さらに自治体をめぐる労働者への攻撃が激化している。
第一に、自治体労働者への戦争動員の攻撃である。
九・三「東京都総合防災訓練」は、まさに朝鮮・中国−アジア侵略戦争と首都治安出動の演習そのものとして強行された。七千百人の自衛隊員が出動し、都職員も多数動員された。
ファシスト石原は「他の大都市でも同様の訓練を」と強調し、首相・森は「全国に広げたい」と言い放った。すでに新ガイドライン関連法のもとで、自衛隊との連絡・調整を受け持つ担当者が新たにつくられた自治体もあり、自治体労働者を戦争に動員する「有事体制」づくりが「防災」を口実に進められている。
九・三演習に対しては労働者人民の反対闘争が大爆発した。侵略戦争に反対する運動は労働運動の生命線である。自治体労働者は「有事体制」づくりと対決して闘わなければならない。
第二に、激しい人員削減攻撃がかけられていることである。
学校や保育園など施設の統廃合、学校教員・事務職員の削減、学校給食・清掃・病院・水道・交通を始めとする現業部門のリストラ、民間委託、民営化の攻撃が強まっている。
昨年七月に北海道の喜茂別町当局は、現業職員十八人を分限免職した。一九五四年の山形県上山市の解雇白紙撤回闘争以来、阻止し続けてきた正面切った首切り攻撃が、ついに始まったのである。
また、低賃金で雇用してきた非常勤職員を雇用年限の期限切れで解雇する攻撃が各地で強行されている。昨年、地方分権一括法の成立により、必置規制(福祉施設数や職員の配置数を国が義務づけてきたもの)が緩和=改悪されたが、これは、保健所と福祉事務所の統合などで、人員削減と福祉の切り捨てを一層推し進めるものだ。
賃下げ人勧粉砕の秋季賃闘を
第三に、賃下げという面でも重大な攻撃が襲いかかっている。
八月に出された「ベアゼロ、一時金カット」の人事院勧告は、重大な攻撃である。二年連続の賃下げであり、しかもベアゼロは人勧史上初めてだ。人事院勧告は、各都道府県人事委員会の勧告内容を規定し、地方公務員に波及していく。
昨年の年間賃金は、国家公務員で平均十九万円、地方公務員で十七万円下がった。とりわけ東京都を始め八都道府県では「時限的・臨時的措置」と称して、「本給四%カット・一時金〇・四五カ月カット」(東京都)などで三十万円前後の賃金カットが強行された。
どこの自治体も「財政危機」を理由にして賃下げを強行しているが、国と地方合わせて六百四十五兆円という天文学的な借金の山は、行き詰まった日帝経済を延命させゼネコンを救済するために日帝が政策的な需要創出策(無駄な公共投資など)でつくりだしたものであって、労働者が負担を負わなければならない理由など、どこにもない。しかも資本家階級は、労働者階級総体の賃金水準を一層引き下げる(=利潤率を上げる)ためにこそ、公務員の賃金をもっと削れと叫んでいるのだ。
そもそも自治体労働者も含めて、労働者階級には、労働力の再生産のために必要なぎりぎりの費用(賃金)しか支払われていない。そのわずかばかりの賃金からも、税金や保険料という形で無慈悲に収奪されている。これ以上の労働力の買いたたきなど、断じて許せない。「労働者の生活費をこれ以上削るな」の怒りを爆発させ、秋の賃金闘争を闘っていかなくてはならない。
能力主義の「人事評価」導入許すな
第四に、能力・実績主義を賃金・人事制度に大々的に取り入れようとする攻撃である。
総務庁や人事院から新人事評価制度に関する研究会報告が相次いで出され、東京都総務局も八月に「年功制から能力・業績主義への一層の転換」を唱える新たな「人事白書」を出した。今年の人勧も、職務や「能力・実績」を重視した賃金体系への転換を提言し、攻撃は強まっている。
東京都では、八六年から「業績評価制度」が導入され、各種昇任選考、昇格、特別昇給などに適用されてきたが、今日それをさらに進めて賃金に直結させ、一時金の勤勉手当に成績率を導入する攻撃がかけられている。すでに管理職に導入され、現在一般職員への導入をめぐって当局と都労連との、五年来の激しい攻防の焦点となっている。
そのやり方は、全員の一時金から一%をカットし、五段階評価の最下位ランク者はさらに五%をカットして、それを原資にして上位及び最上位の人に加算するという、えげつないやり方だ(図参照)。しかも一つの課を単位としてそれをやるので、働く仲間同士の連帯感・信頼関係をもろにぶち壊すという攻撃である。
すでにこれまでの業績評価制度のもとですら、当局は職場への締めつけを強め、既得権を奪い、組合運動破壊と分断・管理を強めている。こうした中で精神的ストレスによる長期病休者が増加するなど、職場の状況は厳しくなっている。
大阪府や神奈川県など他の自治体でも成績主義に基づく新人事制度の導入が段階的に始まっている。全国的な反撃を断固つくりだしていかなくてはならない。
しかし許せないのは自治労中央の対応だ。公務員関係労組でつくる公務員連絡会と自治労中央は、能力・実績主義を積極的に推進する立場に立って、「人事評価に公平・公正さと、透明性を」などと度し難い屈服的対応をしている。これに対して八月の自治労定期大会では「新たな差別と競争・分断の中で、組織の統一と団結が崩れる」と、組合員の怒り、反対意見が噴出したのである。
公務員連絡会は、「時代の変化に立ち遅れることは許されない」「これまでの公務における対立的な労働関係制度に基づく一方的な労使関係に終止符を打ち、対等なパートナーシップの立場に立った近代的で民主的な労働関係制度と労使関係に抜本的に改革する」などと言って、連合の路線のもとで、労働者階級を侵略戦争と、資本への奴隷的屈服の道に引きずり込もうとしているのだ。断じて許せない。
雇用、賃金形態、人事制度の改悪が、賃金削減(=搾取強化)と労働者の団結破壊を狙ったものであることをはっきりと見抜き、暴露し、これに真っ向から反撃する闘いを組織していかなければならない。その闘いの中で組合的団結を強固につくりだし、産別的、全国・全産業的な団結・結合を強め、階級としての戦闘力を高めていくことだ。
国鉄決戦に勝利し、ファシスト石原と対決する都労連の秋季賃金確定闘争を戦闘的に闘いぬき、十一・五労働者集会を決定的な跳躍台として前進しよう。
〔高村 晋〕
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週刊『前進』(1976号3面3)
労働現場から 介護保険の矛盾が現場のヘルパーに 介護労働者J・S
介護保険の矛盾は現場のヘルパーの上にのしかかっています。その形は複雑多様で、ヘルパーの怒りは、ある時は利用者との対立、ある時は直接の上司(派遣業務担当)や経営管理者への不満という形で表れます。
利用者との契約時にはヘルパーは関与できません。ケアマネジャーは、利用者の家計を考慮して、時間を短くしたり「家事援助」扱いにしたりします。その結果、「家事援助」なのにおむつ替えやトイレ介助が含まれていたり、清拭(せいしき)したりすることになります。つまり、利用者に「安く」したつけをヘルパーに支払わせているのです。また、「家事では残業がつけられない」という神話が横行してしていて、ヘルパーはただ働きを強いられています。
「身体介護」「複合型」「家事援助」の区分は、介護業務に上下の差をつけて、あたかも介護は家事よりも尊いかのような間違った通念をつくり出しています。人間が生きていく上で最も基本となる掃除、洗濯、食事を軽く扱うところに、介護保険立案者の女性差別意識が見えており、怒りに堪えません。ヘルパーの無言の怒りがここにあります。
厚生省と事業者団体との意見交換会では、「家事援助の単価を上げろ」の声が噴出しました。実際、利用者の七割が「家事援助」を選択しています。要介護5でも同じです。十月から保険料徴収が始まれば、一層利用料支払いへの影響が出るでしょう。家事援助の単価千五百三十円はあまりにも低いのです。公務員ヘルパーの首を切り、使い捨ての安い登録ヘルパーの時給を基準にして介護保険は作られています。これは介護保険の根本的な矛盾です。ここを改善しない限り、ヘルパーに奉仕の精神を求めても問題は解決しません。
介護保険では、介護時間の短縮、三十分単位の派遣が言われています。実際、利用者の中には一時間単位の派遣希望もあります。しかし、短時間派遣は、登録ヘルパーにとってはつらく受けたくない業務です。往復の時間は無給です。結局、八時間拘束のヘルパーがこういう業務を受け持つことになりますが、移動時間も有給とはいえ、一日四カ所、移動の連続はやはり厳しいものです。こういう一時間単位の派遣は、主に新規参入業者に請け負わせており、そこで働くヘルパーにしわ寄せされているのが現実です。
介護保険は、女性労働者の賃金引き下げにも一役買っています。民間中小事業者の場合、時給八百円程度、たまに千五百円程度だと、交通費込みで移動の多い業務だったりします。
ヘルパーの中にはワンランク下の労働者と自らを卑下し、悩まざるをえない人もいます。これはヘルパーの社会的地位が確立されていないためです。実際、利用者との関係の中で信頼関係を築きながら、自分の人格を認めてもらうための長い闘いがあるのです。また、介護福祉士の資格を取っていても、有資格者としての扱いを受けていないことへの不満もあります。
かつて看護婦も職能的に自らを高めながら、他方で賃上げなど労働条件改善のためにストライキを含む闘いを経験してきました。ヘルパーもその試練に立ち向かわなければなりません。
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週刊『前進』(1976号3面4)
反戦共同全国活動者会議
改憲阻止へ方針 サミット闘争に確信
東京都内で九月十七日、反戦共同行動委員会の二〇〇〇年後期全国活動者会議が開催された。
最初に滝口誠事務局長が「反戦共同行動委員会の存在と闘いが問われ、その真価が発揮される時代となった」と、議案を提起した。
総括について「第一に、安保・沖縄闘争の永続的発展の道を切り開いた。反戦共同行動委員会の沖縄サミット粉砕決戦は、一年間の激闘をとおして沖縄県民の闘いと根底で結びつき、真に沖縄闘争に責任をとって闘っていく勢力として登場した。第二に、八・六ヒロシマ大行動や九・三首都治安出動演習阻止の闘いで、有事立法・改憲阻止闘争の道を切り開いた。沖縄や九・三でアジア人民との共同闘争をかちとった地平は大きい」と訴えた。
情勢・方針について「森政権は有事立法と教育改革を突破口とする憲法改悪の攻撃を本格化させている。臨時国会に臨検法案、PKO法改悪法案の提出が狙われている。ガイドライン攻撃のエスカレーションや教育基本法改悪を許さず、改憲を粉砕しよう。沖縄闘争も新たな決戦局面に入っている」と語った。
そして当面する方針として、十・二一全国統一行動、臨時国会闘争、十一月日米共同演習粉砕闘争を呼びかけ、連帯する闘いとして十一・五労働者集会に全力で合流し、成功のために闘おうと呼びかけた。
各地からの報告では、広島反戦共同行動委が、今年の八・六ヒロシマ大行動は既成原水禁に代わる運動として大成功したと報告、来年のヒロシマ大行動を成功させようと訴えた。
討論では、関西反戦共同行動委事務局長の国賀祥司泉佐野市議が「安保・沖縄闘争を路線的に位置づけて闘ってきたことが勝利の土台になった。サミット決戦の大勝利をふまえ、反戦共同行動委員会の位置づけをきちんとやって、飛躍しよう」と述べ、東京反戦共同行動委事務局長の結柴誠一杉並区議は「反戦共同行動委員会として、本格的に有事立法・改憲阻止闘争に取り組もう。国会闘争、十・二一闘争で突破口を切り開こう」と呼びかけた。
全学連の大山尚行委員長は、「改憲攻撃はもう始まっている。臨時国会での臨検法案、PKO法改悪案が最初の激突点だ。名護新基地建設阻止闘争は、安保=沖縄闘争として発展している。朝鮮・中国侵略戦争阻止の闘いとして、安保・沖縄闘争と有事立法・改憲阻止闘争を一つの闘いとして闘おう」と訴えた。
中野洋反戦共同行動委代表がまとめとして、「サミット粉砕決戦で反戦共同行動委の意義も鮮明になった。今秋、反戦共同行動委が有事立法・改憲闘争を本気で始めたということを示し、改憲闘争を大衆闘争として爆発させよう。反戦共同行動委員会の参加団体が、それぞれ組織建設に必死で取り組むことが必要だ」と提起した。
二〇〇〇年後半から二十一世紀冒頭へ勇躍と闘い抜く重要な会議となった。
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週刊『前進』(1976号4面1)
国労解体の最先兵=日本共産党
「4党合意」承認を推進する革同上村一派の犯罪的役割
高田 隆志
「四党合意」撤回をかけた国鉄決戦はきわめて緊迫した局面にある。この間の七・一臨大から八・二六続開臨大の過程で日本共産党スターリン主義の果たした役割は、許すことのできない反労働者的なものである。同時に、七・一臨大という歴史的な決起は日共スターリン主義をとことんまで追い詰めている。まさに国鉄決戦とそれに対する日共の敵対の中に、今日の日共の「資本主義の枠内での民主的改革」路線の反動的本質が最も鋭く現れているのである。権力・資本に屈した日共・革同のチャレンジグループと一体となった国労解体策動を絶対に許してはならない。今こそ国鉄闘争への敵対者、国労解体=連合化の先兵・日本共産党を打倒しよう。
臨大めぐる革同分裂と7・1決起の意義
「四党合意」とは、国鉄分割・民営化によって選別され採用差別されて首を切られた千四十七人の労働者の問題を「解決」すると称して、自民党、保守党、公明党の与党三党と社民党との間で交わされた合意である。それは「解決のための枠組み」として、「国労がJRに法的責任がないことを認める。(それを)国労全国大会(臨時)で決定する」とし、それを決定したら、「雇用」や「和解金」について考えるというふざけたものである。
四党が国労に対してこのようなことの全国大会決定を迫るということ自体が、労働組合に対する権力の支配介入であり、不当労働行為そのものである。しかもその内容は「JRに法的責任がない」、つまり千四十七人の首切りは正当であったことを認めたら「人道的観点から」「すみやかな解決のために努力してやろう」というものなのだ。
これは国鉄分割・民営化体制のもとでの国労の十四年間の闘いを一切否定するものであり、労働委員会制度をも破壊するものだ。
何よりもそれは、国労闘争団など千四十七人の国鉄労働者とその家族の十四年間に及ぶ営々たる苦闘を踏みにじり、その存在を抹殺する攻撃である。「四党合意」は、すべての闘う労働者にとって絶対に認めることのできないものなのである。
五・三〇「四党合意」を国労臨時大会で強行しようとする攻撃の先頭にチャレンジグループとともに立ったのが、日共・革同上村派であった。彼らはチャレンジグループ以上に凶暴なやり方で、何がなんでも「四党合意」承認を臨大で実現しようと躍起になってきたのである。
革同のキャップであり、国労副委員長である上村自身が「これは党中央には了解済みである」(四月革同会議)と公言していたように、このような反革命的な強行方針が日本共産党中央との意志統一なしにできるはずがなかった。「四党合意」の当事者ではない日本共産党が、チャレンジと一緒にやるのは、共産党中央自体が、千四十七人問題の「早期解決」の名による反動的決着を狙っていたからである。
革同上村派は、宮坂書記長とまったく同じ敗北主義から、自ら先頭に立って国鉄闘争を終息させ、国労の「連合化」も辞さない道に踏み切っていたのである。そして、多少のあつれきがあっても、反対の意見を制圧して、七・一臨大ですべてを決着することができると読んで、強行突破を狙っていたのである。
日共中央も、そのような読みで、自ら手を汚さないために、『赤旗』では五・三〇「四党合意」に対する評価も、七・一臨大に向かっての動きも一切報道さえせず、無関係を装ってきたのである。
そもそも不当労働行為である「四党合意」を、日共が「労働組合の決めることだから干渉しない」などという口実で見過ごすことは、「政党」を名乗るものとして許しがたいことなのである。何も語らないことは、「四党合意」容認ということだったのだ。
日共は、臨大で「四党合意」承認が決定されれば、それを「労働組合の決定」として、事後的に「やむなし」と承認する考えで臨んでいたことは明白である。
国労闘争団を「暴徒」と罵倒
ところが、それはあまりにも浅はかな読みであった。国労闘争団を先頭とする国労組合員の怒りのエネルギーは、日共スターリン主義の思惑をはるかに上回る激しさをもって七・一に爆発したのである。七・一国労臨大を取り巻く国労と支援の労働者の大結集、そして五時間遅れで開かれた臨大での「四党合意」反対の意見、そして闘争団家族の壇上に駆け上っての必死の訴え、最後の宮坂書記長の集約発言で採決が強行されようとすることに対する闘争団を先頭とする壇上への殺到、こうした闘いのすべてが臨大を休会に追い込み、「四党合意」承認を粉砕したのである。それは労働者階級の底力、階級的正義をまざまざと示した感動的な闘いだった。
演壇占拠という手段が、「四党合意」によって「三度目の首切り」を自分の組合から宣告されようとしている当事者である闘争団のやむにやまれぬ、正義の決起であったことは明白である。
決死の闘いをやりぬいた闘争団は、この闘いを「直接民主主義としての演壇占拠」であったと宣言した。「私たちにはこれしかなかった。自分たちの運命は自分で決める」と。
この七・一決起によってそのもくろみを粉砕された国労執行部は、猛然と「反暴力」キャンペーンを張った。七月三日の国労中執見解は、「一連の大会破壊の暴力行為に対し、非難すると共に憤りをもって抗議する」と闘争団の決起を非難している。
この中執見解と軌を一にして闘争団を「暴徒」呼ばわりしたのが革同である。革同が牛耳る国労東海本部地方代表者会議は、「書記長集約が終わると同時に一部の暴徒と化した者たちが、演壇や議長席の机や椅子を破壊し、暴力によって会場を占拠する暴挙にでた。これらの暴徒の中に、一部ではあるが残念ながら組合員・闘争団員が加わっていた」と反革命的に罵倒(ばとう)した。
だが、「四党合意」の推進で動く革同の内部で、これに対する反対の声が七・一臨大を前に高まり、七・一臨大では、会場警備の革同上村派と反対派が会場入り口で激突するところまで分裂を深め、臨大後は一層対立を激化させてしまったのである。
革同上村派は、八・二六続開大会に向けて、機関で決定した東京地本の警備動員とは別個に総勢五百人からなる自警団の動員をかけた。明らかになった「七・二二革同会議議事録」には、上村報告として、「革同の自主的防衛参加(大会成功のために自主的に参加)目標五百人(革同、チャレンジ)」として、各地方の動員割り当て数まで記されている。七・一の警備が二百人だから、これがいかに大きな動員であるかがわかる。革同上村派は、力ずくで「四党合意」の受け入れを決定しようとしていたのだ。
全労連大会で四党合意反対
しかし、この後開かれた日共系の全労連大会(七月二十五〜二十七日)で事態が一変した。この大会では、国鉄闘争についての意見が続出し、しかも発言者のすべてが「四党合意」の不当性を弾劾する立場を表明した。
これより前、五・三〇「四党合意」に際して、尾張部全労連国鉄闘争本部事務局長が出した談話は、「四党合意は十三年に及ぶ千四十七名問題の解決に向けての動きとして歓迎する」と評価した上で、「当該組合である建交労鉄道本部(全動労)と全動労争議団、全労連幹事会とも協議の場を設定することを政府・運輸省に求める」というものだった。つまり、「四党合意」を支持した上で、自分たちにも同じ解決に向けての場を作ってほしいと政府にお願いするものだった。
全労連大会では、この尾張部談話が批判され、「撤回すべきだ」という意見が出された。これに対して、坂内全労連事務局長は二度も答弁に立たされ、「全労連の国鉄闘争方針には、いささかのゆらぎもなく、基本方針を堅持して闘う」「国鉄分割・民営化を強行した政府に責任があること、数々の不当労働行為を繰り返したJRに解決責任があること、これは明確である」として「四党合意は重大な問題を含んでいる」と公式に表明した。
国労革同上村派とまったく異なる見解が、日共系のナショナルセンターの大会で確認されたことは重大である。これ自身、日共の労働運動路線の破産の現れと言えるのである。
反革命性・ペテン性と動揺示す『赤旗』声明
こうした全労連大会に見られる日共系労働組合の動きは、七・一臨大を粉砕した闘いがいかに大きなインパクトをもっていたかの現れであった。それは、闘う国鉄労働者の決起に正当性があるというにとどまらない、真に国労再生の突破口を開く意義をもっていたということであり、日本労働者階級の闘いの鑑(かがみ)、手本として輝いているということでもある。
日共指導部は、このまま事態を放置していた場合には国労革同の崩壊のみならず、百万人の全労連の分裂と失陥さえ生み出しかねない、という労働運動指導の全面的破産の危機に直面したのである。
これは日共にとって、一九六四年の四・一七春闘ストライキに対する敵対がもたらした危機以来の大変な事態であった。
交運共闘と公労協の歴史的なストライキ宣言に対して、日共は「四・一七ストは、アメリカ帝国主義のたくらむ挑発スト」だとする「四・八声明」を発表して公然と真っ向からストに反対した。ストは中止になったが、その後、総評民同は、日共をスト破りとして大量統制処分にかけた。全逓、全電通では日共が壊滅するほどの処分が出される事態となった。国労では、革同のキャップが自己批判してのりきりを図った。
四・一七スト破りは、偶然的なことではない、日共スターリン主義の本質にかかわることだった。ストライキは労働者の自己解放的な決起であり、大いなる階級的実力闘争である。これは革命につながるものである。日共はそれゆえにストを恐れ、ストから逃げ回ってきたのである。日共の労働運動指導の破産がここに刻印されている。
今回の事態は日共としてそれ以来三十六年ぶりに陥った大きな危機である。
こうして、日共はついに八・二六続開大会を前に、『赤旗』八月十九日、二十日付に、国労問題に対する見解を発表せざるをえなくなったのである。これは、基本的に、分裂している革同の両派の顔を立てようとする「二股膏薬(ふたまたこうやく)」のようなペテン的な声明であった。
声明は、「N・S」なるイニシアルで、「一〇四七人の採用差別と国労の続開大会について」と題して上下に分けて掲載された。これが五・三〇「四党合意」以後初めての党的見解の表明だった。
内容的には、「JRに法的責任あり」「四党合意は国労に『法的責任なし』をおしつけている」などと言って、あたかも道理のある態度をとっているかのように見せている。例えば次のように言う。
「JR各社の『法的責任なし』という立場は、このような憲法と労働法の基本原則を蹂躙(じゅうりん)する不当な立場です」
「問題はこの文書(四党合意)が、JRへの復職や雇用確保、経済的損失の補償額などについては、解決の『手順』が示されているだけで、具体的な中身が何もないまま、『法的責任なし』の承認をおしつけていることです。これでは、問題の解決を一層、困難にさせることになるでしょう」
だがこの声明は、「四党合意」承認を臨大において宮坂・チャレンジとともに強行しようとしたのが、日共中央指導下の革同上村派であったことをまったく覆い隠している。自分たちが国労内で「四党合意」強行を推進した張本人であるのに、それに無関係な顔をして「論評」を加えること自体が許せないことである。
またこれは、「四党合意」の撤回を主張するものではない。
しかも、七・一臨大について、次のように言う。
「そして、書記長の集約答弁の最中に、一部の闘争団員らが壇上に駆け上がって、机や椅子を放り投げたり、マイクを奪うなどしたため、議場が混乱し、大会議長の判断で休会となりました」
「暴力行為は許されませんが、休会せざるを得なかったのは、闘争団や家族、職場組合員や支援団体のなかに、雇用や経済的補償の具体的な中身なしに『JRに法的責任なし』とすることなどへの根強い不満と怒りがあったからではないでしょうか」
だが、闘争団を支持するとは絶対に言わない。むしろ「不満はわかるが暴力行為は悪い」と言いたいのだ。
しかし、そもそも「不満と怒りがあった」というなら、革同の指導部として自己批判することから始めなければいけないのだ。
さらに、「人道的立場から早期解決を」という反動的路線を依然として良いことのように振り回していること、また、「その際(国労として具体的に解決する時)、何よりも大事なことは一致できる要求にもとづく団結です」と言っていることは重大である。これは最も低いレベルでの要求の統一ということであり、チャレンジグループの、闘争団をほうり出したいという要求への統一ということにつながるのだ。
「四党合意」反対なら当然出てくる結論は続開大会中止でなければならないにもかかわらず、この声明は「十分な討論をつくし、自らの力で障害をのりこえ、展望をひらくことが期待されます」と言って、続開大会推進の立場を明らかにしているのである。「どう解決するかは国労自身が決めること」として、国労の自主性、主体性を重んじるかのように言うが、「四党合意」ほど国労を解体する暴力的な攻撃があるか。そのことをまったく言わずに、日共は国労の自己解体を推進したのである。
「障害をのりこえ」とは何か。“続開大会を実力阻止するなどということは二度と許さない″ということである。これがこの論文の実践的結論なのである。
日共の意図は、後々まで「日本共産党としては『JRに法的責任なし』を認めたことも、『四党合意』を承認したこともありません」と責任回避できるようにして、実際は大会決定に従うという形ですべて承認することであった。
だが、この声明は、日共の影響下の広範な労働者の「四党合意」への怒りをさらにかきたて、大流動情勢をつくり、大きな動揺を内外に生み出した。
「N・S」がペテン的に言っていることと、実際に革同上村派がやってきたこととはあまりにも整合性がないのだ。片方は何がなんでも「四党合意」承認を押し通そうとし、片方はペテン的にせよ「四党合意はJRに法的責任なしを押しつけるもの」などと言う。このようなことがうまく通用するわけがなかった。
労働運動への日共の反革命的指導と破産
『赤旗』声明に事態を沈静化する効果はなかった。両派に都合よく読み取れるように作られたものであったが、実際には上村一派に大打撃になってしまった。
八・二六の強力な「大会警備」体制のために「自警団」まで組織し、警察機動隊の警備を頼んで、暴力的に強行突破しようと図ったが、最終的には採決の断念にまで追い込まれた。しかも、国労闘争団の本部追及の闘いの前に、ついに執行部は「総辞職」を表明せざるをえなくなった。これは画期的な事態である。
国労本部は、続開大会で「四党合意についての一票投票」を提案し、反革命的のりきりを図ってきた。
しかし、一票投票は、組合規約にもなく、闘争団の切り捨てを組合員に強制するもので、それ自体が「四党合意」という不当労働行為を強行するための許しがたい攻撃である。
日共は、この一票投票を「組合民主主義」として重視するという態度で、これによる四党合意承認に望みをかけようとしてきた。
国労定期大会の代議員選挙の革同上村派の候補のビラには、次のように書かれている。
「私は、『四党合意』に賛成か、反対かと問われれば、『法的責任なし』を認めた『四党合意』には反対です。しかし、『四党合意』の中で、十三年間のたたかいの一つの到達点として、『雇用問題・解決金問題』を明記させた話し合いの場(解決交渉)ができるのも事実です。われわれから、『四党合意』を蹴って、話し合いの場がなくなることには反対です」
「国労の総団結を大事にし、組合民主主義の立場から最高決議機関である大会で決定した『一票投票』を成功させよう。もうこれ以上の混乱は御免です」
こんなでたらめな理屈はない。「『四党合意』には反対」と言いながら「『四党合意』を蹴ることには反対」という。いったいどっちなのだと言えば、「蹴ることに反対」なのだ。
もともと「四党合意」を推進し、臨大で強行するために立ち働いてきた革同である。それが、「四党合意」反対の闘争団を始めとする国鉄労働者の怒りの決起で二度までも粉砕され、「四党合意」は風前の灯(ともしび)になった。それで「反対だけれども、話し合いの場ができたのだから蹴ってはいけない」などという苦し紛れのペテンを使って、「四党合意に賛成せよ。一票投票は○だ」と言っているのだ。
これこそ『赤旗』声明の実践的結論なのである。日共はそこで「『JRに法的責任なし』の『四党合意』は問題」などと言った上で、「一致できる要求で団結を」などと言って、続開大会での決定を支持していたのだ。この声明の線に沿って、革同上村派は「四党合意」についてのペテン的な理屈で強行することを決定したのだ。
まさに日共中央の指示で、革同上村派が反革命的に動いていることがここに示されている。チャレンジを牽引(けんいん)する役割さえ果たしているのだ。
「資本主義の枠内」路線の帰結
なぜ、国鉄決戦で日共がこのような反労働者性と破産性を現すのか。それは、ここに全ブルジョアジー対全プロレタリアートの階級決戦があるからである。闘争団を先頭とする国鉄労働者の闘いに、プロレタリアートの階級的反乱の火の手が示されているからである。これが日共反革命を追い詰め、その反動性を暴き出しているのである。
そもそも日共は、「資本主義の枠内の民主的改革」路線に立って以降、一切の階級的な見方、考え方、闘い方を一掃し、階級闘争を放棄する方向に突っ走っている。日共が労働者階級の政党でなくなることの核心的な現れが、国鉄闘争への敵対と裏切りにあるのだ。
日共にとっては、国鉄闘争が千四十七人問題として残り、不屈に闘いぬかれていること自体があってはならないことであり、一刻も早く終結しなければならないことなのである。
日共は、日帝・資本の大失業・リストラ攻撃とまったく闘わず、これに対する労働者階級の決起の時代に、逆に資本と一緒に資本主義の救済を図る政党に変質した。それは安保・自衛隊を容認することとひとつのことである。だが同時にそれは、日共の労働運動指導の破産を突き出し、一層の党的危機を生み出すものであることも完全に明らかになった。
「四党合意」撤回をかちとり、国鉄労働運動に対する反革命的役割をあらわにする日共・革同とチャレンジを打倒し、闘う執行部を打ち立て、国労の階級的再生をかちとるため闘おう。
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週刊『前進』(1976号4面2)
新刊紹介 コミューン 11月号 中東の大激突切迫
特集は、米帝の中東支配の破綻(はたん)を、この七年間の中東「和平」策動の分析をつうじて解明。
第一章は、米・イスラエル・パレスチナの首脳会談がこの七月に決裂した後のパレスチナ情勢を分析し、帝国主義とイスラエルの侵略戦争とパレスチナ・アラブ人民の民族解放闘争の激突の切迫を明らかにした。
第二章は、パレスチナの最終地位についての交渉が行われた今回の「和平」首脳会談の諸議題を分析し、どの議題もイスラエルによる占領地併合政策とパレスチナ人民の解放闘争との正面衝突を不可避とする内容であることを示した。
第三章は、七三年から今日までの米帝の中東「和平」策動を歴史的に分析した。米帝とイスラエルの反革命的意図を解明し、パレスチナ人民の英雄的闘いがついに米帝の「和平」策動を最後的破産に追い込んだ経緯を明らかにした。
第四章は、軍事基地国家イスラエルの特殊な危機的構造が、帝国主義戦後世界体制の崩壊的危機の激化とパレスチナ・アラブ人民の民族解放闘争の新たな発展の情勢下で全面的に露呈している現実を分析した。
特集に加え、介護保険論文を掲載した。介護保険実施による急激な介護切り捨ての実態を示した。ささやかな改善要求さえ日帝・厚生省の介護保険・社会保障構造改革の“原則″との激突なしには貫徹できない構造を解明し、介護保険反対闘争を抑圧する日共の犯罪性を明らかにした。
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週刊『前進』(1976号5面1)
カクマル 9・3治安出動演習粉砕に敵対
「三国人の騒擾事件の鎮圧が目的」と石原擁護する『解放』
日帝の侵略・排外主義の先兵
中津 次郎
新安保ガイドライン体制のもとで、日帝は朝鮮・中国侵略戦争体制づくりを急ピッチで進めている。戦争遂行の中枢となる「日米調整メカニズム」が九月に設置され、また侵略戦争の際に海上封鎖を強行するための船舶検査法案(臨検法案)の今国会での制定が狙われている。絶対に阻止しなければならない。このような日帝の朝鮮侵略戦争攻撃の一環として強行された九・三首都治安出動演習=自衛隊三軍大演習に対して、労働者人民の断固たる反対闘争がたたきつけられた。七月沖縄サミット決戦で戦略的破産にたたき込まれたファシスト・カクマルは、この闘いの大爆発に打撃を受け、一層の反革命的敵対をあらわにしている。日帝の侵略戦争の先兵=カクマルを打倒し、今秋闘争の戦闘的大爆発をかちとろう。
集会の破壊を狙って押しかけ惨めな破産
カクマルはまず、九・三芝公園集会の準備段階から、ただただ破壊のためにのみ介入を策動した。広範な統一戦線の前進をもってファシスト石原と対決しようという実行委員会の人びとの努力とはまったく正反対に、この集会を破壊するためにのみもぐり込もうとしたのだ。
だが、このカクマルの憎むべき策動は完全に粉砕され、九・三芝公園集会は二千人の大結集で闘いとられた。さらに全都十カ所の演習会場のすべてで大衆的反撃がたたきつけられたのである。
カクマルは、九・三当日は芝公園に、主催者が示した参加条件を受け入れたかのふりをして押し入り、実は全部踏みにじったのである。しかも、そのことを反革命通信紙上で「悪質分子による妨害を粉砕」「集会を戦闘的にぬりかえるために闘った」などと開き直っている始末である。
集会の破壊を狙ったカクマルの反革命的な思惑は、主催者と参加者の熱意によって完全に封殺され、日本の労働者人民と在日朝鮮人・中国人・アジア人民が連帯して闘うという、画期的な地平が実現されたのである。
「九・三」をめぐって、カクマルが語っている内容は、ファシスト反革命そのものである。「この集会の方針は石原の『三国人』発言および今回の自衛隊治安出動訓練を『民族差別』問題にきりちぢめ」などと集会の基調そのものに真正面から敵対していること、そして集会の呼びかけ人であった在日朝鮮人の辛淑玉(シンスゴ)さんらを呼び捨てにして、差別と敵対の心情を露骨に表明しているところに、それははっきりと示されている。この一言にカクマルの排外主義的正体は明らかである。
石原の戦争的突出に大反撃
九・三で何が問われ、労働者人民は何を切り開いたのか。
日帝は沖縄サミットで二重三重の大破産を遂げた。「世界」の重圧で沖縄闘争を圧殺し、それをてこに米帝との関係を少しでも対等なものにし、敗戦帝国主義の制約を突き破って「世界政治」への台頭を果たそうとしたが、一方では、人民の闘いがそれを許さなかった。また他方では、米帝がこのような日帝の帝国主義としての独自戦略的な動きの前に立ちふさがり、激しい対日争闘戦的圧力を加えたのである。
日帝は沖縄サミットで、帝国主義としての日帝の絶望的な現実を、いやと言うほど思い知らされたのである。そして、この支配階級の危機感・絶望感こそが、石原のファシスト反革命を突き動かしているのである。
九・三自衛隊三軍大演習の凶暴性は、そこから出ている。石原は自民党−自公保体制を右側から突き上げ、対米対抗と反中国をむき出しにして、戦後的なもののすべてを右の側から突破しようとしているのだ。
石原主導で強行された九・三演習は政治権力の質をも転換させるようなインパクトをもった。中曽根−森−石原が政治権力の中軸にすわり、「正面突破」を叫び、教育改革と有事立法・改憲の攻撃をしかけてきている。森は、教育改革と有事立法を任務とすることで政権としての延命をも実現できると思っているのだ。今、日帝は石原に突き動かされながら、本格的な改憲攻撃に突進し始めたのだ。九・三の自衛隊出動−首都制圧の大演習強行が、その合図、突破口となったのだ。
だが、これは日帝にとって大変な危機なのである。戦争と大失業攻撃の激化の中で、国鉄決戦の爆発に示されるように、労働者階級の深部から根底的な反撃が開始されつつある。労働者階級本体が大きく動き始めている。この中で階級闘争は激化し、一九三〇年代的な革命と反革命の激突、ファシズムかプロレタリア革命かという情勢が急速に成熟しつつあるのだ。
ファシズムは、本質的にきわめて脆弱(ぜいじゃく)であり、労働者人民がその反人民的な本質を見抜き、排外主義・差別主義に対してプロレタリア国際主義、被抑圧民族人民との連帯の立場に立ち、世界革命の戦略をもって立ち上がるならば、必ず打倒できるのである。
九・三闘争は、日本の労働者人民が在日朝鮮人・中国人・アジア人民と連帯して、ファシズムとの対決に敢然と立ち上がったところに、実に歴史的な、巨大な意義がある。それはまだ端緒にすぎないが、これから大きく発展していく可能性と展望をもって闘い抜かれたのだ。
カクマルには、そうした観点からの日米争闘戦論、日帝の朝鮮侵略戦争論、石原ファシスト論、九・三闘争論がまったくないのだ。いったいカクマルは「九・三」をめぐる対決構造のどこに位置していたのか?
カクマルは、石原をファシストとして正面から断罪し弾劾することがまったくできないでいる。石原が首都の首長の立場から公然と排外主義をばらまきつつ、陸海空自衛隊の出動を要請し、出動したことをてこに゛軍隊として認知せよ゜と迫ったというこの事実そのものを全然批判しないのだ。日帝の絶望的危機とファシスト石原の登場の歴史的意味、これと対決する闘いの重大性を意識的に消し去っているのである。
カクマルは、「森政権は、今日版国家総動員体制を盤石のものとしてうち固めるためにこそ、『防災訓練』の名をかりて自衛隊の治安出動訓練を強行した」(『解放』九月十八日付)と言っている。゛すでに国家総動員体制はできている、あとはこれを盤石化していくだけだ゜と言って「日帝支配の盤石さ」を宣伝し、日帝の危機の深さを覆い隠し、階級闘争の激動情勢の到来を否定しているのだ。
「危機管理論」で森や石原と完全に一体化
さらに、九・三首都治安出動演習とはそもそも何なのかという問題である。
カクマルは、九・三演習が新安保ガイドラインのもとでの朝鮮・中国侵略戦争攻撃、戦争国家化攻撃と一体のものであることを否定している。
カクマルは言う。「日本政府・支配階級は、九五年の阪神大震災に際して村山政権が対応不能を露わにしたことへの社会的な非難を追い風とし……『危機管理体制』という名の今日版国家総動員体制を着々と構築してきた」(同)
ここに明らかなように、カクマルが言う「今日版国家総動員体制」というのは、まずは大震災とか自然災害に備えるための「危機管理体制」であり、戦争は数ある「危機」のうちの一つにすぎないとされているのだ。しかも「有事」という場合も、帝国主義戦争、侵略戦争ということを徹底的に否定し、日帝は戦争の原因ではなくて、戦争の脅威は外から来るという内容で「有事」という言葉が使われているのだ。まったくもって、ブルジョアジーが言っていることと、感性も理屈も一体の反動的な議論なのである。
そもそも支配階級が振り回す「危機管理」などという反動的な概念は、侵略戦争の準備を押し隠すペテンであり、口実であり、こんなごまかしを許してはならないのだ。ところが、カクマルはこういう批判をしないで、むしろカクマル自身の積極的な規定として「危機管理」という言葉を使い、括弧さえつければ、それで批判しているかのようにごまかしているのだ。「『危機管理体制』という名の今日版国家総動員体制」などと、いかにも批判しているかのふりをしているが、それは「危機管理」を名目にしながら実は侵略戦争の遂行体制を現実化しようとしているのだ、という批判ではまったくないのだ。
九・三演習が日帝の朝鮮侵略戦争と不可分一体のものであることを事実をもって示すものが、自衛隊と在日米軍が二月十六日から行った日米共同統合演習(指揮所演習)である。それは、露骨に朝鮮侵略戦争のための図上演習であったが、そこでは「行政機関の爆破などのテロ活動が相次ぎ三日目に治安出動、陸自が原発など重要施設の警備に出動」「弾道ミサイルが東京に落下して防衛出動」などという想定がなされて演習が行われたのである。
つまり、治安出動は朝鮮侵略戦争作戦の一環として完全に作戦化され、戦争開始と同時に自衛隊が治安出動するということなのだ。在日朝鮮人、中国人に対する排外主義的な弾圧が作戦の一環として計画化されていることは明らかである。
この点からも、カクマルが日帝の朝鮮侵略戦争について一言も言及せず、それとはまったく無関係であるかのように九・三演習について語り、それを「危機管理体制づくり」などと言うことは、日帝の侵略戦争の許すことのできない免罪論である。
排外主義デマの扇動に迎合
ここまで展開してきた批判は、カクマルが日帝の新ガイドライン攻撃−侵略戦争の攻撃を「危機管理論」でごまかし、攻撃の意味合いをあいまいにし覆い隠し、事実上、日帝の侵略戦争国家づくりの攻撃を支持・賛成しているということである。
だが、その先がある。カクマルは「危機管理」の対象として、ファシスト石原と同じように゛在日朝鮮人・中国人の暴動に備えよ゜と主張しているのである。このことを徹底的に断罪する。
カクマルは次のように言っている。「まさしくこれは、石原があからさまに『市街戦』だと公言していたように、外国人(石原のいう『三国人』)や国内の左翼などの反政府勢力が『騒擾状態』を引き起こすことを想定し、これを『国軍』=自衛隊によって鎮圧することを演習の目的としたところの、れっきとした自衛隊の治安出動訓練にほかならない」(同)
カクマルはまた別のところでも次のように言っている。「この石原の(四・九)発言こそは、『三国人』による『騒擾事件』を、そして政府の侵略戦争に反対する労働者・人民の闘争を……『間接侵略』とみなして鎮圧する、まさにそのための自衛隊の『治安出動』演習として『防災訓練』を実施しようとしている彼らのどす黒いたくらみをまざまざとしめしている」(同八月二十八日付)
ここで、第一に徹底的に弾劾すべきことは、カクマルは在日朝鮮人・中国人に対する石原のファシスト的、排外主義的な「三国人」という差別暴言を繰り返し用いて、排外主義と差別をあおっていることである。なぜ「在日朝鮮人・中国人」と、きちんと言わないのか。
なんとカクマルは、カクマル自身の用語として「三国人による騒擾事件」という言葉を繰り返し繰り返し使っているのだ。カクマルは、石原の差別発言が大問題となっていたときには、「いわゆる゛差別用語゜とされ社会的禁句となっている『三国人』という用語」(同五月二十二日付)などと、゛自分たちは、差別語とは思わないが、世間では差別語だと言っているから、まあそういうことにしておこう゜という差別的心情をにじませながら「社会的禁句」などと言っていたが、今や完全に開き直り、自分たちの用語として「三国人」を使っているのだ。
第二に、何よりも徹底的に弾劾すべきことは、カクマルは「三国人の騒擾事件」という在日朝鮮人・中国人に対する石原のファシスト的、排外主義的なデマ宣伝をそっくりそのまま肯定し、その鎮圧が演習の目的だと言っていることである。石原が扇動していることは百パーセントのデマであって、本当は在日朝鮮人・中国人に対する許すことのできない民族的迫害・襲撃を狙っているのだという暴露は何もないのだ。
一九二三年の関東大震災直後の六千人を超える朝鮮人の虐殺、六百人以上の中国人の虐殺は、どうして引き起こされたのか。「放火した」「日本人を襲った」などの許すことのできないデマを流されて、在日朝鮮人・中国人は、軍隊や警察、自警団などによって一方的に襲撃され、じゅうりんされ、虐殺された。それはまさに、日帝の朝鮮・中国侵略戦争と植民地支配の土壌の上に、その侵略戦争の継続・遂行そのものとして朝鮮人・中国人の大虐殺が行われたのである。
この事実にふれるとき、日本の労働者人民は、二度とこのような排外主義的なデマと民族大虐殺を許さないという階級的誓いを新たにしなければならない。ところが、カクマルは、石原の四・九差別発言を、関東大震災時の民族大虐殺と同様の虐殺を扇動するファシスト的デマとして少しも弾劾しない。大地震や大災害の時に外国人が混乱・暴動を起こしたなどという事例は、かつてどこにも、一度もないということを絶対に言わないのだ。逆に、石原のデマをそっくりそのまま肯定して「三国人の騒擾事件を想定した訓練だ」と繰り返し主張している。
だからこそ前述の九・三芝公園集会に対するカクマルの悪罵(あくば)、すなわち「この集会の方針は……治安出動訓練を『民族差別』問題にきりちぢめ」という言辞は、排外主義そのものなのだ。カクマルが言いたいことは、゛治安出動訓練は在日外国人だけでなく、日本の人民にも向けられたものである゜ということであるが、現に進められている朝鮮侵略戦争の攻撃と民族差別の問題をすり抜けて、これとまったく対決しようとせずに治安出動の問題を論ずることが、どれほど排外主義への屈服であるかは、すでに展開してきたことから明らかだろう。
在日朝鮮人民・中国人民・アジア人民が、入管体制のもとで民族的に抑圧・差別され、過酷な条件のもとで搾取、収奪され、さらには排外主義的襲撃の危険にすらさらされていることに対して、日本のプロレタリアート人民は、自らの階級的隊列への攻撃そのものとして大反撃し、連帯し、支援・防衛していかなければならないのである。
こうした闘いこそが日本労働者階級人民の階級性を強め、日本階級闘争の革命的前進を開くのである。ところが、カクマルはこの闘いに全面的に敵対し、在日朝鮮人民・中国人民・アジア人民を、本質的に国際的な存在としてあるプロレタリアートの同じ隊列の仲間として、帝国主義と闘う国際階級闘争の主体として措定せず、帝国主義的腐敗と差別の感情をむき出しにしているのだ。
「ロシアの北方諸島占有反対」で日帝尻押し
カクマルの今日の情勢認識の基本は、「中国・ロシア脅威論」「新東西冷戦論」である。九・三の反革命アリバイ闘争も、その脈絡の中に位置づけられたものであった。それは、「中・露を封じ込めるための危機管理能力の強化」の一環であるとして九・三演習を激励するものであった。(ここでは「危機管理」は、対外戦争−軍事力行使そのものを包摂する概念とされている。これは、カクマルが「侵略戦争も国際的な危機管理の一環として必要だ」という立場に立っていることを意味している。)
カクマルは、七月の沖縄サミットで「世界再制覇をもくろむロシア・プーチン政権」が帝国主義を押しまくったかのような「ロシア脅威論」を展開し、「中露゛二人三脚゜での゛反米゜包囲網強化への突進」(同八月七日付)などと叫び立てた。今や、この「反中国・反ロシア」の排外主義は、日帝の対米対抗的な侵略戦争策動と領土拡張要求に完全に一体化するものとなっているのだ。
カクマルは、このような今日版「容帝反共主義」としての「新東西冷戦論」を掲げ、「中国・ロシアの脅威論」ですべてを塗りたくろうとしている。そのために〈強い中国+強いロシア〉の復活論を無理やりにでも掲げなければならなくなっているのだ。
だが、中国とロシアがかつてのように米帝と対抗し、そして米帝を包囲し圧倒しているなどという話を真に受ける人はどこにもいない。完全にカクマルの議論は破綻(はたん)している。そのことにカクマル自身がすっかり消耗し、八・六エセ反戦集会では朝倉が、「分析はひからびたものになり、そのように考えているわけではない一般大衆をオルグできない」などとぼやいているありさまだ。
カクマルは、九月三日の反革命的アリバイ闘争の翌四日にプーチンの来日に反対し、日ロ首脳会談へデモをかけた。それこそ、「ロシアの北方諸島占有反対」というスローガンを掲げ、日帝の帝国主義的排外主義の領土拡張運動への弾劾の一言もない「日帝しり押し」デモであった。プーチンに屈服する森の゛弱腰外交゜を弾劾する、右翼も顔負けの「闘争」であった。
カクマルは日共について、「北方領土問題をもちだしてナショナリズムを鼓吹する政府支配階級に唱和している」などと「批判」したつもりでいるが、一体カクマルの主張とどこが違うのか。カクマルは「占有反対」だが、日共は「返還要求」だから違うとでも言いたいのか? 笑ってしまう。カクマルは〈ロシアの支配を粉砕せよ。日本のものであることを明確にせよ〉と森政権に迫っているではないか!!
本紙前号の藤沢明彦論文「プーチン訪日が示したもの」が明らかにしているように、「北方領土」をめぐる日ロの領土争いは、先住民族としてのアイヌ民族の存在を無視した帝国主義的で一方的な議論であり、プロレタリアート人民大衆、被抑圧民族人民の利益に反する帝国主義的な領土争い、勢力圏争いそのものである。とりわけ日帝の「北方領土返還要求」は、今や朝鮮・中国−アジア侵略戦争策動と一体の帝国主義的な領土拡張要求であり、排外主義、大国主義、愛国主義の鼓吹なのだ。
カクマルはこの日帝の領土拡張要求に反対せず、「敗戦帝国主義としての汚辱の紋章たる『北方領土』問題」などと日帝をしり押しし、「ロシアの占有反対」と叫んでいるのだ。まさにカクマルは日帝の侵略戦争、排外主義の先兵だ。
日帝の朝鮮・中国侵略戦争の先兵=ファシスト・カクマルを全戦線から一掃し打倒せよ。国鉄決戦に勝利し、危機を深めるファシスト労働運動、JR総連=カクマル打倒へ攻めのぼれ!
闘う労働運動の新潮流の大前進をかちとろう。
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週刊『前進』(1976号5面2)
関西実行委 三里塚勝利を誓う 北原事務局長迎え10・8へ熱気
三里塚空港暫定滑走路阻止の「二年間決戦」の正念場を迎え、十・八全国総決起闘争に向けて九月二十一日、大阪で関西集会が開催された。
集会に先立って、激しい攻防の続く三里塚現地、東峰・天神峰の様子を伝えるスライドが上映された。農家・農地を取り囲む高さ三bの鉄板塀や農家の軒先に迫る滑走路・誘導路工事、迂回(うかい)道路工事、そしてトンネル工事のために寸断、迂回された団結街道などが映し出される。本当に腹の底から怒りがわいてくる。この「軒先」工事という生活破壊と殺人的攻撃の中で、市東さん、萩原さん、反対同盟は闘い抜いているのだ。十・八集会に総決起し、東峰・天神峰の農家、反対同盟を絶対に守り抜くぞという決意がいやが上にも高まった。
現地から駆けつけた三里塚反対同盟の北原鉱治事務局長は冒頭、「三里塚はどこまでも代償を求めぬ闘いの原点を貫く」と決意を明らかにし、昨年十二月に強行着工された暫定滑走路計画が「サッカーワールドカップに間に合わせる」などというまやかしとペテンで、三十五年にわたって農民が守り抜いてきた農地を奪おうとしていることを徹底的に弾劾した。
さらに日米新安保ガイドラインのもとで成田空港が五十万人の米軍が降り立つ最大の軍事拠点となることを暴露し、戦争反対・軍事空港反対の旗を掲げて二年間決戦を貫く決意を明らかにし、十・八闘争への総結集を呼びかけた。
基調報告に立った永井満関西実行委員会代表は、スライド上映でも明らかになった「軒先」工事の悪逆無道、生活破壊の現実を厳しく弾劾するとともに、こうした攻撃にたじろぐことなくますます意気軒高と闘い抜く現地農民を守り抜く決意を明らかにし、三点にわたる三里塚支援を提起した。@当面する十・八闘争への全力をあげた決起、A「軒先」工事と真っ向から闘い抜く天神峰・東峰に対する激励と視察行動、運輸省・公団への抗議、B非人道的な「軒先」工事を中止させるための各方面への訴えと世論の喚起||これらの具体的行動をとおして敷地内農家への重包囲、集中砲火をはね返し、反対同盟を守り抜こうと訴えた。
集会は、八月九日に逝去された反対同盟婦人行動隊長の郡司とめさんを追悼する黙祷(もくとう)で始まり、森田恒一関実世話人の主催者あいさつ、部落解放同盟全国連合会、全国沖縄青年委員会の連帯のあいさつと続いた。
特別報告に立った動労千葉の川崎執行委員は、反対同盟との「車の両輪」として二年間決戦を闘い抜く決意をあらためて表明するとともに、決戦の渦中にある国鉄闘争の攻防を報告、最後に十一・五労働者集会への結集を訴えた。
三里塚現地報告、基調報告を受けて、泉州住民の会、東灘区住民の会、婦人民主クラブ関西協議会、関西労組交流センター、全学連が基調報告を行い、最後に山本善偉関実世話人の団結ガンバローで集会は締めくくられた。
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週刊『前進』(1976号5面3)
廃止署名20万超える 盗聴法廃止へ院内集会
盗聴法の廃止を求める署名実行委員会は九月二十五日、盗聴法廃止請願署名の第五次提出行動を行い、新たに一万九千七百三十筆を提出した。
正午から参議院議員会館で開かれた提出行動のための院内集会で、署名実行委員会の海渡雄一弁護士は、署名累計がついに二十万筆を超えたことを明らかにし、十一月十五日(水)午後六時半から星陵会館で開かれる「盗聴法の廃止を求める市民と国会議員の集い」への参加を呼びかけた。
集会に駆けつけた佐高信さんは、「ゴングが新しく鳴ったという気持ちで」と闘う決意を表明した。辛淑玉さんは、「日本社会のあきらめムードの中で、ノンといえばそれが通ることを形で示すことができる」と署名運動への期待を語った。宮崎学さんは、「腐敗した警察が新たな武器を持って巨大化する」ことに危機感を表明した。
初めて参加した北川れん子議員は、「二十万という地元尼崎市の人口の半分にも達する署名数に力づけられる」と署名運動を称えた。福島瑞穂議員は、わずか八十八万円の法務省の来年度盗聴法関連予算は盗聴費用を通信業者に負わせるものと弾劾し、国会で追及を強めていくと表明した。
畑野君枝、橋本敦、木島日出男、佐々木秀典各議員も、廃止法案を共同提出し続け、盗聴法を廃止に追い込む決意を明らかにした。
署名実行委の労働者、市民は集会後、署名簿を持って議員会館を回り、野党議員の協力を訴えた。
法施行後も署名は次々に集まり、盗聴法への全人民的怒りが広がっている。この力で廃止法案の成立=盗聴法廃止をかちとろう。
(投稿 H・Y)
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週刊『前進』(1976号6面1)
船舶検査法案(臨検法案)粉砕を
教育改革・教育基本法改悪阻止し改憲阻止決戦の歴史的大爆発へ
マルクス主義学生同盟中核派
十・八三里塚闘争に結集し、さらに全国学友は「船舶検査法案・PKO法改悪案阻止! 十・九全国学生総決起闘争」に連続して総決起しよう。十月〜十一月の臨時国会が大決戦だ。教育基本法改悪阻止、有事立法・改憲阻止決戦の大爆発に向かって、船舶検査法案・PKO法改悪案阻止を真っ向から掲げて、首都・東京を揺るがす大デモンストレーションをぶち抜くのだ。
10・9全国学生総決起闘争へ 臨時国会を労働者学生人民の怒りの決起で包囲しよう
日帝は、船舶検査法案(臨検法案)をより反動的にエスカレートさせた内容で臨時国会に提出し、制定しようとしている。十月中にも臨時国会で船舶検査法案とPKO法改悪案を強行し、十一月に補正予算案を成立させ、十二月上旬には内閣改造に踏み切ろうとしている。これと並行して、教育改革・教育基本法改悪の攻撃、そして改憲攻撃が「教育改革国民会議」と衆参憲法調査会を軸にして激しく進められている。
日帝は、改憲攻撃を頂点として朝鮮・中国侵略戦争参戦に向けた戦後体制打破の攻撃に全面的に踏み切ってきているのだ。この日帝の大攻撃と真っ向から対決し、第三次安保・沖縄闘争と改憲阻止決戦に全力で決起しなければならない。
闘う朝鮮人民、アジア人民と連帯して、十・九首都大デモンストレーションに総決起し、労働者人民の先頭に立って船舶検査法案阻止−有事立法・改憲阻止決戦の大爆発を切り開こう。戦争と改憲の推進機関=「教育改革国民会議」と憲法調査会を粉砕せよ!
また九・一一日米安全保障協議委員会(2プラス2)では、ガイドライン発動体制の要(かなめ)をなす「調整メカニズム」の設置とともに「普天間実施委員会」の再開が確認された。ガイドライン体制確立の攻撃は、同時に沖縄闘争圧殺としてある。名護新基地建設阻止の闘いを船舶検査法案阻止と一体のものとして闘うのだ。
沖縄人民と連帯し、全学連沖縄現地行動隊を先頭に沖縄闘争の新たな段階を切り開こうではないか。
闘う朝鮮人民、アジア人民と連帯し、日帝の改憲攻撃を粉砕し、朝鮮・中国侵略戦争を阻止する力は、千四十七人を先頭とする国鉄労働者、国鉄支援陣形、労働者人民の闘いだ。船舶検査法案阻止の闘いを国鉄決戦と一体の決戦として闘い、十一・五労働者集会の大結集情勢をつくり出していくのだ。
国立大学の独立行政法人化阻止の闘いは教育基本法改悪阻止・改憲阻止決戦と一体である。全国学生運動の大流動・大再編情勢に全力で対応し、十一月の全国大学統一行動を最大級の大衆闘争としてかちとろう。
二〇〇〇年後半決戦において、改憲阻止決戦を頂点とする大衆闘争の烈火の真っただ中にファシスト・カクマルを引きずり込み、政治的組織的危機を激化させ、カクマル完全打倒の戦略的大前進をかちとろう。「九条連」運動を粉砕しよう。動労千葉、国労闘争団を始めとする労働者人民とともに、JR総連=カクマル打倒へ総決起しよう。
十・八三里塚現地闘争−十・九全国学生総決起闘争−十・二一国際反戦デー全国統一行動に向かって、船舶検査法案阻止・PKO法改悪案阻止−改憲阻止をキャンパスや街頭、あらゆる場所で猛然と訴え、大衆闘争を全力で組織せよ。臨時国会を労働者階級人民の怒りの決起で包囲しよう。
船舶検査法案とは何か? 朝鮮・中国侵略戦争の戦端開く軍事行動としての臨検
船舶検査法案は、ガイドライン関連法と一体の戦争法案であり、憲法第九条の制約を突き破ろうとする改憲の大攻撃だ。
第一に、「船舶検査」とは臨検のことであり、侵略的な軍事行動、戦争行為そのものである。日帝・米帝の側から朝鮮・中国侵略戦争の戦端を開こうとするものであり、それは帝国主義が侵略戦争を発動していく常套(じょうとう)手段である。
「船舶検査」は、米帝の朝鮮侵略戦争作戦計画「五〇二七」の一環として強行されるものである。作戦計画「五〇二七」は、朝鮮人民の南北分断打破・民族統一の要求の高まりに対して、それを米帝が「北朝鮮軍に南進の兆しがある」と勝手に決めつけ、あるいは「南朝鮮の体制が危険にさらされている」という口実をつくって、北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国に対してユーゴスラビア侵略戦争型の侵略戦争を先制的にしかけるという戦争計画だ。それは、五十万人の米軍が日本全土を出撃基地とし、千六百機の航空機、二百隻の艦船を展開して、海上封鎖から空爆、そして地上戦へと朝鮮半島全体を焦土にして全面的に占領するというものである。「核兵器を使わなくても百万人の死者が出る」という恐るべき侵略戦争計画なのだ。そして、この戦争計画の不可欠の一環として、日帝・自衛隊の参戦があり、「船舶検査」があるのだ。
第二に、「船舶検査」とは、この作戦計画「五〇二七」の最初の段階で、米日帝が北朝鮮に「経済封鎖」を強行し、軍事力を行使して、海上交通・貿易・人の往来の一切を遮断する戦争行動そのものである。
何よりも「船舶検査」における自衛隊の武器使用を事実上無制限にしようとしていることに、日帝の戦争意志がはっきりと示されている。船舶検査法案の第四条「武器の使用」にある「自己または自己とともに当該職務に従事する者の生命・身体の防護のためやむをえない必要がある場合に、合理的に必要とされる限度で武器を使用できる」とは、相手の反撃が小銃ならそれを制圧するために機関銃を使い、相手が砲撃ならミサイルを撃ち込むということである。自衛隊が米軍とともに朝鮮半島沖を航行する船舶を片っ端から武器で威嚇し、船舶に乗り込み、乗員に銃を突きつけ、停船命令に従わない船舶には攻撃を加える、そうして「船舶検査」を強行していくのである。
しかも今回の与党案では、「国連安保理決議を含む国際約束および確立された国際法規に従い」という形で「国連安保理決議」という条件を取り払っていることは重大である。日帝は、、中国やロシアが国連安全保障理事会で北朝鮮に対する「経済制裁」決議に反対することを想定し、米帝や日帝の単独または日米共同という形で経済封鎖を強行し、朝鮮侵略戦争に突入していくことを狙っているのだ。
第三に、「経済封鎖」とは朝鮮人民の虐殺にほかならない。九一年イラク・中東侵略戦争においては、「経済封鎖」によってイラクへの医薬品や食品、化学肥料などの輸入がストップさせられ、九一年三月から九五年十二月の約五年弱で五十六万人以上の乳幼児が病気と飢餓で死亡している(国連食糧農業機関の調査)。「船舶検査」による「経済制裁の厳格な実施」とは、朝鮮人民の虐殺を「厳格に実施」せよということなのだ。そして米日帝は、北朝鮮に対して「経済封鎖に違反した」「船舶検査に抵抗した」という口実で、全面的な開戦に持ち込もうとしているのだ。
第四に、「船舶検査」とは、昨年改悪された入管法・外登法と一体の、朝鮮・中国−アジア人民への虐殺攻撃である。米日帝が作戦計画「五〇二七」による朝鮮侵略戦争を発動し、朝鮮半島全土を焦土化し、そのために不可避となった大量の難民を「ゲリラ」と決めつけ、海上で捕捉(ほそく)し追放しようというのが「船舶検査」だ。大量に渡航する難民が米日帝の朝鮮・中国侵略戦争に怒りを燃やし、在日朝鮮・中国人民と合流し、日本の労働者人民と結合していくことを日帝は恐れている。そして、海上における「船舶検査」と一体のものとして、国内においては九・三演習のような治安出動で在日朝鮮・中国人民の虐殺を強行しようとしている。
第五に、日帝は、船舶検査法案の制定即発動として身構えている。すでに広島県・江田島に海上自衛隊六十人、三小隊からなる「不審船対策の特別警備隊」が配備され、対象船舶への突入、武装制圧、武装解除の訓練が繰り返されている。さらに今年五月のリムパック(環太平洋合同軍事演習)では、「船舶検査」の実戦訓練が行われ、自衛隊はオブザーバーとして参加している。
そして九月十一日の日米安全保障協議会(2プラス2)において、ガイドライン体制発動の要をなす「調整メカニズム」が正式に設置されたことは重大である。これによって朝鮮・中国侵略戦争のための日米共同作戦体制が実際に動き出すのである。十一月の日米共同統合実動演習では、「調整メカニズム」のもとで捜索救助活動と在外日本人救助活動の訓練を中心に、作戦計画「五〇二七」に基づく朝鮮侵略戦争の実戦訓練が強行されようとしている。
また臨時国会には、船舶検査法案とあわせて、PKO(国連平和維持活動)法改悪案も提出が狙われている。「部隊指揮官の命令による反撃」を可とした九八年六月の改悪に続いて、自衛隊の装備が攻撃された場合でも反撃できるように武器使用基準を拡大するものだ。日帝は、船舶検査法案と一体のものとしてPKO法改悪にも踏み込み、自衛隊の公然たる戦闘行動への突入とPKF(国連平和維持軍)参加への道を開こうとしているのだ。
第六に、何よりも「船舶検査」は「集団的自衛権」の行使そのものであり、有事立法制定と改憲の突破口をなすものである。
「船舶検査」は当初、周辺事態法に盛り込まれながら、その後そこから切り離され、「船舶検査法案」とされた。それは、自衛隊が米軍とともに公然と朝鮮・中国侵略戦争の最前線で戦闘行動に参加するということであり、日帝がついに「集団的自衛権はもっているが、必要最小限の範囲を超えるので行使することは許されない」とした従来型の憲法第九条の解釈を投げ捨て、「集団的自衛権」の行使に踏み切る決断をしたことを意味する。
ここから出てくることは、ひとつは「集団的自衛権」の行使を明確化した「国家安全保障基本法」=有事立法の制定であり、もうひとつは「軍隊の保持・武力による威嚇・戦争」の放棄を規定した憲法第九条そのものの破棄=明文改憲である。日帝は、教育改革・教育基本法改悪の攻撃とともに、船舶検査法案の強行をもテコに「国家安全保障基本法」=有事立法を制定し、憲法第九条を骨抜きにして、いよいよ改憲に突き進もうとしているのだ。
中曽根・森・石原の教育改革 明文改憲・徴兵制の導入と戦前型の教育の復活を狙う
日帝は、改憲に向かって教育改革・教育基本法改悪攻撃を激化させている。森は、九月二十一日臨時国会の所信表明演説で「来年の通常国会を『教育改革国会』にする」とぶちあげ、「奉仕活動の義務化」を始めとする教育改革関連法案や教育基本法改悪案の提出を打ち出してきている。そしてそこに向かって、九月二十二日の「教育改革国民会議」中間報告を受けて、十月には「一日教育改革国民会議」と称する地方公聴会(福岡、大阪、東京)を開催し、年内には最終報告をまとめるというのだ。
同時に衆参憲法調査会の動向が重大である。この秋「二十一世紀の日本のあるべき姿」についての議論を行った後、憲法前文と本文の具体的検討に入ろうとしている。改憲攻撃が一段と加速しているのだ。憲法調査会幹事の自民党・高市早苗は「年末までには新憲法の前文のたたき台ぐらいは示したい」と言っており、民主党・鳩山由紀夫も「二年で党の憲法改正試案をつくりたい」「九条はまず『陸海空軍その他の戦力は保持する』と一番目の項目として明記すべきだ」などと自民党以上の改憲派として登場している。しかもその中で、日本共産党は「有事の際には自衛隊を使って当然」と自衛隊の武力行使に賛成し、戦争反対の立場を最後的に投げ捨てた。
今や国会には、侵略戦争と改憲に真っ向から反対する政党がない。すべての労働者学生人民は臨時国会決戦に全力で決起し、総翼賛で改憲に突き進む憲法調査会を粉砕せよ!
こうした中で九月二十二日、「教育改革国民会議」が奉仕活動の義務化と教育基本法改悪に向けた中間報告を出した。
奉仕活動について中間報告では、「@小・中学校では二週間、高等学校では一カ月、共同生活などによる奉仕活動を行う、A将来的には、一定の試験期間をおいて、満十八歳の国民すべてに一年間程度、農作業や森林の整備、高齢者介護などの奉仕活動を義務づけることを検討する」とある。
教育基本法について中間報告では、「教育基本法は必要に応じて改正されてしかるべきである、という意見が大勢を占めた」とし、教育基本法改悪の狙いを示した。徴兵制の導入と現行憲法の改悪に直結する奉仕活動の義務化と教育基本法改悪を絶対に許してはならない。
第一に、「奉仕活動の義務化」こそ、改憲攻撃の核心問題だ。日帝の狙いは、「奉仕活動」を「国家に対する義務」として強制することにある。そのことで少年少女と教育労働者に「国家への服従・忠誠・自己犠牲」をたたき込もうとしているのだ。「日の丸・君が代」強制と一体のものとして、「奉仕活動の義務化」を導入し、国家権力が教育を統制し、「義務」を次々と強制する戦前型教育に転換しようとしているのだ。
第二に、「奉仕活動の義務化」とは、戦前戦中の「教育勅語」教育の復活を狙うものだ。
戦前戦中の教育勅語は、少年少女を「天皇と国家の防衛のために死ねる人間」に「教育」するものだった。学校現場では、教育勅語の丸暗記が義務づけられ、少しでも間違えれば殴られるなどして肉体的精神的にたたき込まれていった。この教育勅語を軸とした国家による「洗脳教育」のもとで、日本帝国主義は、台湾・朝鮮の植民地支配と中国−アジア侵略戦争への労働者人民の動員を強行していったのだ。
このような「教育勅語」教育の復活が狙われている。森は「教育勅語にはよい面もあった」などと肯定する発言を繰り返し、「日本は天皇を中心とする神の国」という暴言まで吐いている。これを単なる「時代錯誤」などと片づけることは断じてできない。
第三に、「奉仕活動の義務化」は、徴兵制に直結する問題である。すでに奉仕活動の中身について、与党幹部から「消防団でも、予備自衛官でも、介護でもよい」という声が出ている。義務化された奉仕活動のひとつに自衛隊までもが想定されているのだ。
実際、森首相は六月衆院選の演説において「大学の入学時期を九月にして、入学前に自衛隊で訓練するのもいいかもしれない」と発言している。中間報告でも、「大学の九月入学を積極的に推進する」と出されており、学生を主な対象とした予備自衛官制度が二〇〇二年度から実施されようとしている。大学入学前に自衛隊入隊が奉仕活動の一環として義務化されるということは、事実上の徴兵制の導入だ。
第四に、「奉仕活動の義務化」と教育基本法改悪は、現行憲法の改悪に向けた一体の大攻撃である。
教育基本法の改悪を絶対に許してはならない。中曽根は、著書『二十一世紀 日本の国家戦略』の中で、「教育基本法の点検は憲法よりも先にやるべき問題」と主張し、教育基本法には「共同体的秩序、規律、あるいは自己犠牲、責任、そういうものがなくなってしまっている」と攻撃している。「教育改革国民会議」が七月に出した第一分科会報告は、基本法に対して「個人や普遍的人類などが強調され過ぎ、国家や郷土、伝統、文化、家庭、自然の尊重などが抜け落ちている」点を変えなければならないとしている。
その核心問題は、帝国主義の国家とその暴力性を全面に押し出し、教育基本法や憲法に貫かれている「戦争放棄=平和主義」を一掃し、基本的人権と民主的諸権利を全面否定し、「国家に対する義務・自己犠牲」を暴力的に強制していくことにあるのだ。
第五に、少年事件などが起き、学校現場が荒廃しているから「奉仕活動」が必要だ、教育基本法を変えるべきだ、という論調を絶対に許すことはできない。それは問題のすり替えだ。
「自ら命を絶ったり、人の命を奪ったりすることだけは、取り返しのつかない行為だということを、改めて教えなければならない」などというが、その「取り返しのつかない行為」に手を染めて平然としているのは、ほかでもない日本の政府であり国家ではないか。
「船舶検査」−新ガイドラインの問題はどうなのだ。沖縄に米軍基地を差別的に押しつけている問題はどうなのだ。労働者のリストラ・賃下げを強行し、自殺へと追い込んでいるのは誰なのだ。「高齢者は弱者ではない」などと言って、介護保険料をむしり取り、福祉切り捨てに走っているのは誰なのだ。一切の元凶は、日本帝国主義の問題ではないか。
労働者人民を虫けらのように扱う国家や社会などに対する奉仕の義務などない。国家暴力による「奉仕活動」の強制は、少年少女の人間性を全否定し、一層苦しめていくものでしかない。少年少女の怒り・悩み・苦しみに本当にこたえ、生きる希望と力を与えるものは何か。求められているのは、帝国主義の戦争と大失業の攻撃を怒りをこめて断罪し、粉砕する労働者階級の荒々しい闘いだ。労働者階級とともに闘う全学連の大部隊の登場だ。千四十七人、国労闘争団−国労、動労千葉の闘い、国鉄闘争支援陣形の発展と勝利こそ、教育問題として表れている矛盾を根底から解決する力なのだ。
改憲阻止の巨大な大衆行動を 日本国家のあり方をめぐる階級的大激突の情勢が到来
九月一日の森・中曽根・石原・村上会談、続く七日の野中・亀井・石原・村上会談に示される特徴は、中曽根と森とファシスト石原が密集せる反動の枢軸を形成し、二十一世紀冒頭における明文改憲の実現と朝鮮・中国侵略戦争への参戦に向かって本格的な突進を始めたということである。
中曽根は、先にあげた著書の中で、教育改革を突破口とした改憲攻撃を「文明病を治すことから始めなければならない」と言い、そのために「国民全員が参加する国民運動を引き起こすことが必須(ひっす)なのです」と提唱している。この「国民運動」とは、中曽根と森とファシスト石原が相通じ合いながら、反動的な現状変革の運動を組織しようとするものだ。
中曽根は「文明病」という表現で、日帝の戦後国家体制を真正面から問題にしている。そして、ソ連崩壊を契機とした帝国主義対帝国主義への対決基軸の転換、米帝バブル崩壊−二九年型世界恐慌の現実化、帝国主義侵略戦争の激発に際して、戦後国家体制のままではもはや日本は衰退し滅亡してしまう、だから憲法を作り変え、国家とその暴力性を全面に押し出し、外に向かっては朝鮮・中国侵略戦争を発動し、内に向かっては強権的支配を確立するのだ、そうすれば直面する危機と矛盾を突破できるのだ、という論理で「国民運動」を組織し、改憲攻撃を強行しようとしている。
それは、日帝の政治・経済・社会の全面にわたる危機と矛盾の絶望性を逆手にとって、それがあたかも戦後憲法と教育基本法に原因があるかのように攻撃し、そのことによって戦後的諸関係によって規定されてきた階級的な意識・価値観・要求・闘いの一切を解体し一掃する攻撃である。
しかし、それは、対米矛盾の極限的な激化を引き起こし、日帝の体制的危機をますます深めていくしかない。さらにそれは、この対米矛盾の問題を最大の根拠としつつ、対アジア人民、対沖縄人民、対労働者人民との関係において一層の犠牲と矛盾を押しつけ、全面的な激突情勢を引き起こさざるをえない。それにもかかわらず、日帝は、帝国主義の基本矛盾の爆発に駆り立てられて、この道を突き進もうとしているのだ。
改憲阻止決戦とは、日帝の戦後的な国家体制の問題、日本の国家のあり方を根底的に問い直すような問題、そしてそれを規定する二十世紀の歴史的総括と二十一世紀を展望する時代認識の問題、要するに天下国家をめぐって、「国民全員が参加する」全面的な論争と大激突なのである。
九五年に始まり沖縄サミットを粉砕した沖縄闘争、七・一−八・二六で「四党合意」粉砕に突き進んだ国鉄闘争、衆議院選挙闘争において開始された介護保険制度廃止を要求する運動は、このような日本国家のあり方を根底的に問い直す大決戦、巨大な革命的大衆行動の開始であり、その大発展の展望を開示するものとして決定的な意義を持っている。
改憲阻止決戦の巨大な革命的大衆行動をつくり出す闘いは、主体的にいえば日本階級闘争におけるスターリン主義的制動を革命的に突破し、真に階級的な立場を確立する闘いだ。
既成勢力の屈服と翼賛をのりこえる闘いがついに七・一−八・二六の国労闘争団の不退転の決起として開始され、この闘いを突破口に労働者人民の階級的覚醒(かくせい)と闘いの大爆発が切り開かれようとしていることに対して、日帝は、改憲という正面突破に訴え、むき出しの国家暴力で、戦後的な諸関係に規定された階級的あり方を一掃する攻撃に訴えてきている。こうして日本国家のあり方をめぐる階級的大激突情勢が確実に煮詰まってきているのだ。
それは、反スターリン主義・革命的共産主義の立場からすれば、真に階級的な立場を革命的に構築するチャンスにほかならない。われわれは、まさにこうした立場に立って労働者階級人民を扇動し、改憲をめぐる一大激突情勢をつくり出し、革命的大衆行動を前進させ、巨大な革命的情勢をたぐり寄せていくのだ。
闘う全国学友は、ここに確信をもち、マルクス主義学生同盟中核派に結集して、ともに二〇〇〇年後半−二十一世紀冒頭の一大階級決戦に進撃しよう。
十・八三里塚、十・九全国学生総決起闘争に決起しよう。
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週刊『前進』(1976号6面2)
連載 2000年日誌 阻もう! 戦争への動き 9月20日〜26日
沖縄反戦地主が森首相提訴 憲法調査会に石原が出席
●旧軍飛行場用地問題解決促進協議会が結成 旧日本軍に土地を強制的に接収され、戦後は国有地として取り上げられたとして政府に戦後処理の観点から問題解決を求めようと、嘉手納、読谷、那覇の旧地主会が「沖縄県旧軍飛行場用地問題解決促進協議会」を結成した。(20日)
●臨時国会始まる 第一五〇臨時国会が始まった。会期は十二月一日までの七十二日間。船舶検査法案(臨検法案)、少年法改悪案など多くの反動法案を審議予定。森喜朗首相の所信表明演説では、有事立法については「法制化を目指した検討を開始するよう政府に要請するとの先般の与党の考え方をも十分に受けとめながら、政府として対応を考える」と、米軍普天間飛行場の代替施設の基本計画について「協議会で、できるだけ早く成案を得るべく努力していく」と述べた。また、来年の通常国会を「教育改革国会」と位置づけ、教育関連法案を提出する方針を表明した。(21日)
●「統一後も米軍駐留必要」 米国のコーエン国防長官と韓国の趙成台(チョソンテ)国防相が、ソウルで会談し、南北統一後も在韓米軍が必要だとの認識で一致したとする共同声明を発表した。(21日)
●PKO多国間演習に自衛隊派遣 防衛庁が、米国と東南アジア諸国が来年にも行うPKOの多国間演習に、自衛隊員を派遣する方針を固めた。(21日)
●使用期限の先送り認めずと岸本 岸本建男名護市長が、名護市議会で、米軍普天間飛行場移設問題に関し、「代替施設の位置や工法、規模と使用協定や使用期限などの問題は同時に進めなければならない。一方が遅れればもう一方も遅れますよと国に申し上げるつもり」と述べた。(21日)
●教育改革国民会議が中間報告 教育改革国民会議が「教育を変える十七の提案」と題する中間報告を森首相に提出した。教育基本法改悪については「改正されてしかるべきである、という意見が大勢を占めた」「国民的議論が必要」と述べ、奉仕活動については「奉仕活動を全員が行うようにする」と事実上の義務化を提案している。(22日)
●コーエンが兵力見直し否定 コーエン米国防長官が駐在日本大使館で記者会見し、東アジアにおける米軍の兵力削減について、「強いプレゼンスと訓練はアジアの平和と安定と安全のために必要だ。米軍をアジア、太平洋地域が削減する計画はない」と述べた。(22日)
●在沖海兵隊「特殊作戦」演習 在沖米海兵隊第三一海兵遠征部隊の「特殊作戦能力証明演習」(SOCEX)が沖縄本島周辺海上で始まった。七月に新しく配備された米軍佐世保基地を母港とするワスプ級強襲揚陸艦エセックスなどが参加した。約二週間行われるという。(22日)
●民主がPKO五原則の見直し 民主党は、国連平和維持活動(PKO)協力法で定めた「停戦合意の存在」「必要最小限の武器使用」などの参加五原則を見直す作業に着手した。鳩山由起夫代表が指示したもので、「紛争地域」での活動に道を開くことを念頭に置いている。(23日)
●アジア米軍駐留「半恒久的に」とクリントン クリントン米大統領が、ニューヨーク・タイムズへの寄稿文の中で「南北朝鮮の間の緊張が緩和したり、中国社会の解放が進めば、(軍事力を)引き揚げる方向に傾きがちだが、そうしてはならない」「われわれは単に危機に対応するためではなく、危機勃発(ぼっぱつ)を防ぐためのバランサー役として駐留している」として、アジアでの米軍の駐留を半恒久的に継続する意志を明らかにした。(24日)
●地主2人が首相を提訴へ
沖縄の反戦地主二人が、昨年七月に改悪された米軍用地特措法に基づく強制使用手続きは違憲であるなどとして、森首相を相手に使用認定の取り消しを求める訴えを那覇地裁に起こした。提訴したのは、読谷村楚辺通信所に土地を所有する知花昌一さんと浦添市牧港補給地区に土地を所有する古波蔵豊さん。(25日)
●空自F4また緊急着陸
航空自衛隊那覇基地第八三航空隊所属のF4EJ改戦闘機が、車輪が格納できなくなるトラブルを起こし、那覇空港に緊急着陸した。このため滑走路が五分間閉鎖された。(25日)
●強制使用の申請受理 沖縄県収用委員会が、読谷村楚辺通信所と牧港補給地区の一部土地について、那覇防衛施設局からの強制使用の裁決申請を正式に受理することを決めた。今後は公開審理に向けた手続きを進める。(25日)
●憲法調査会に石原らが参考人に 衆院憲法調査会が、「二十一世紀の日本のあるべき姿」をテーマに意見聴取する参考人を明らかにした。参考人には、石原慎太郎東京都知事、ジャーナリストの桜井よしこ、作家の小田実らなどが名を連ねている。(26日)
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週刊『前進』(1976号7面1)
臨時国会決戦に立とう
海上を封鎖し武力で停船 朝鮮・中国への侵略出兵と軍事力発動を狙う臨検法案
九月二十一日に第一五〇臨時国会が始まった。日本帝国主義・森政権は、この臨時国会に船舶検査(臨検)法案やPKO法改悪案を提出し、強行成立を狙っている。昨年五月の周辺事態法などの強行成立に次ぐ戦争法の強行である。さらに、来年の通常国会には有事立法を押し通そうとしている。日帝・森政権は日本の労働者階級人民に、帝国主義国家日本が朝鮮・中国−アジアへの侵略戦争に踏み出すことを押しつけようとしているのだ。改憲に向け戦後史・戦後階級闘争を根底から転覆しようとする反革命策動を絶対に認めるわけにはいかない。労働者階級人民の総決起で粉砕しなくてはならない。臨検法案成立絶対阻止の闘いを巻き起こさなくてはならない。そして、この闘いを有事立法阻止・改憲策動粉砕の一大階級決戦の突破口を開く闘いとして大爆発させよう。日帝のガイドライン攻撃、有事立法・改憲攻撃の先兵となった民主党、日本共産党の敵対を徹底的に粉砕して全人民の総決起をつくりだそう。
新ガイドライン体制の確立を急ぐ日帝・森 周辺事態法と不可分
船舶検査(臨検)法案成立絶対阻止の全人民的爆発を切り開くために、以下の三点を訴えたい。
第一の点は、臨検法案が新安保ガイドラインとその関連法強行成立で決定的一歩を踏み出した日帝・自衛隊の対外侵略戦争出兵策動を、さらにいま一段と進めようとする重大な攻撃だということである。
そもそも臨検=船舶検査は、一九九八年四月二十八日に当時の橋本政権が国会に提出した周辺事態法案の一部をなしていた。法案第三条の三で船舶検査活動とは、「周辺事態に際し、国際連合安全保障理事会の決議に基づく貿易その他の経済活動に係る規制措置の厳格な実施を確保するために必要な措置を執ることを要請する国際連合安全保障理事会の決議に基づき、船舶(軍艦及び各国政府が所有しまたは運航する船舶であって非商業的目的のみに使用されるもの〔以下「軍艦等」という〕を除く)の積み荷及び目的地を検査し、確認する活動ならびに必要に応じ当該船舶の航路または目的港もしくは目的地の変更を要請する活動であって、我が国領海または我が国周辺の公海において我が国が実施するものをいう」と定義されていた。
そして法案第七条で臨検=船舶検査の実施要領を定めている。「船舶の停止を求め……乗船して書類及び積み荷を検査し、確認する」、臨検に応じない船舶に対しては「接近、追尾、伴走及び進路前方における待機を行う」と規定している。
さらに法案一一条の二で、臨検=船舶検査を自衛隊が行うにあたって「事態に応じ合理的に必要と判断される限度で武器を使用することができる」と規定していた。
この条文からだけでも、臨検=船舶検査活動が、自衛隊が海上封鎖を行い、武力をもって制圧して臨検を強行し、それに従わない船舶に対しては武力で威嚇して従わせるものであることが歴然としている。しかも臨検に抵抗する船舶に対しては、どんな口実を設けてでも、武力を行使して臨検を強行することを合法化しようとするものであることも明確である。
日帝・橋本政権は、九八年通常国会でこの周辺事態法を成立させることができず、継続審議となった。そして七月参院選で自民党は大敗し、当の橋本政権は倒れた。この後を襲ったのが小渕政権であった。
米帝と日帝は、新ガイドライン協定の締結(九七年九月二十三日)から一年もたって、なお新ガイドライン関連法を成立させられないことに危機意識を募らせた。そこから小渕政権は、自自連立政権を形成し、公明党、民主党を屈服させ、九九年通常国会での新ガイドライン関連法の強行成立に突き進んだのである。
九九年通常国会は、まさにガイドライン国会であった。そこでは自自両党が国家存亡の危機を叫んだ。それに屈服した公明党、民主党が「国益擁護」を唱え、帝国主義国家日本が「どのように侵略戦争を行えば、その侵略戦争を労働者人民に押しつけられるか」をめぐって「周辺事態法の修正協議」を繰り返した。
自由党は、前述した「政府原案」の臨検の条項について、@国連安保理決議に基づく臨検は、新ガイドラインが直接的に朝鮮侵略戦争のための軍事協定であり、中国やロシアが反対するので国連安保理決議はありえない、Aそもそも周辺事態法は、安保条約−新ガイドラインに基づく臨検を規定するものであって「国連安保理決議に基づく」を削除すべき、B九九年三・二四海上自衛隊の海上警備行動発令−武力行使を背景に、「停船命令にあたって警告射撃を行える」ように武器使用規定をエスカレートするべきだ、との修正を要求した。
これに対して公明党は、国連安保理決議なしに「我が国が実施する」臨検−武力行使を条文にすれば、自衛隊が無制約・無制限に臨検−武力行使することを合法化することになり、労働者人民は一層戦争反対の怒りを爆発させるにちがいないということから、国連安保理決議を条文に残すことを主張した。
公明党の賛成なしに新ガイドライン関連法案の国会成立がありえない状況の中で、自民党は絶対に新ガイドライン関連法を成立させなければならない絶体絶命の立場に追い込まれた。
そこで持ち出されたのが、臨検=船舶検査条項を周辺事態法案から削除し、「米軍への後方地域支援」「捜索救助活動」だけを周辺事態法として成立させることであった。日帝・小渕政権は「とにかく成立させる」ことを優先させた。労働者階級人民の怒りが爆発しないうちに成立させることを狙ったのである。
こうして、強行成立させられた周辺事態法から臨検=船舶検査の条項が持ち越されたのである。そうした意味では船舶検査(臨検)法案の成立なくして周辺事態法が完結しないのだ。臨時国会への船舶検査(臨検)法案の提出に対して昨年のガイドライン闘争をはるかに超える労働者人民の怒りの爆発をもってこたえなければならない。
朝鮮侵略戦争想定し急ピッチで戦争準備 5027作戦の一環
第二の点は、この船舶検査(臨検)法案の臨時国会での強行成立の策動は、日帝・森政権がさらにもう一歩新安保ガイドライン体制の確立に向かっての動きを進め、侵略戦争体制を強化しようとする攻撃だということである。
新安保ガイドライン体制の確立の動きは実に急ピッチで進められている。そのことに戦慄(せんりつ)を覚える。新ガイドライン協定は、直接的には米日帝の朝鮮侵略戦争のための軍事協定である。それは米帝の朝鮮侵略戦争計画5027を具体的に遂行するためのものである。作戦計画5027を遂行するために日帝の役割分担を定めたものこそ、新ガイドライン協定なのである。(図を参照)
実際、今年二月十六日から二十四日まで、自衛隊と在日米軍が行った日米共同統合指揮所演習は、「朝鮮半島有事」を想定し、「有事法制」も成立していることを前提にするものであった。
演習は、朝鮮半島で北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国が南朝鮮・韓国に侵攻することを想定するところから始まる。@情勢が緊迫して「不審船」が出現、海上自衛隊は海上警備行動に出動する、A韓国から日本人の輸送も始まり、航空自衛隊の輸送機や海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」などが出動する、B国内では行政機関へのテロ活動が相次ぎ、三日目に治安出動を発令する、陸上自衛隊は在日米軍などの警備に出動する、C八日目には弾道ミサイルが東京に落下して防衛出動する、D弾薬輸送や陣地構築など現行法ではできない作戦行動などもどしどし行う、として演習が行われたのである。
もちろん、「情勢が緊迫した」段階で北朝鮮周辺海域を制圧し、海上封鎖を強行して臨検=船舶検査を行うことが含まれていた。また九月三日に行われた自衛隊の治安出動演習もこの指揮所演習のシナリオの一部である。ファシスト石原都知事を先兵にして有事法制を先取りして、首都東京を軍事制圧する姿こそ、新安保ガイドライン体制そのものなのだ。日帝・森政権は新安保ガイドライン体制の確立に向かって遮二無二突き進んでいるのだ。
だから、五月三十日から行われた環太平洋合同演習(リムパック2000)の中でも、「不審船」を追跡して船舶に立ち入り検査をする日米合同訓練を行ったのだ。米軍はこの臨検を「海上阻止行動(MIO)」と呼び、侵略戦争遂行のための重要な軍事作戦として位置づけている。
新ガイドライン協定ではこの作戦行動を自衛隊が行うと規定している。新ガイドラインの発動=作戦計画5027遂行の不可欠の一環として臨検=船舶検査活動はある。そのために、もともと臨検=船舶検査活動を周辺事態法案の政府原案に盛り込んだのである。周辺事態法の成立のために、いったんは削除した臨検=船舶検査条項が不可欠であることから、臨時国会で成立させるために全力を挙げているのである。
新安保ガイドライン体制の急ピッチの確立への動きという点で、九月十一日にニューヨークで行われた日米安全保障協議委員会(2プラス2)において、新ガイドライン協定が「有事に運用される関係機関を含んだ双務的調整メカニズムを確立する」と規定した「調整メカニズム」を設置することを決定したことは、決定的である。
まず何よりも「調整メカニズム」は「有事に運用される」と規定されているように、具体的な侵略戦争を実際に発動する中枢機関と位置づけられていることの重大性である。ついに帝国主義国家日本の政府の中に「侵略戦争を遂行するための中枢機関」が設置されたということは、戦後史を根底から転覆する重大な事態なのである。帝国主義国家日本が、帝国主義軍隊=自衛隊の侵略出兵と米軍への後方支援を総力挙げて行う国家体制への転換を意味するものなのである。
日米地位協定に基づく米軍への基地提供、民間空港や港湾の使用などは既存の日米合同委員会で遂行される。それ以外の米軍への後方支援(輸送、医療など)は新設の日米政策委員会が遂行する。この日米合同委員会と日米政策委員会のもとに合同調整グループを新設し、ここで日米共同作戦を遂行する計画を立案し、貫徹する。この合同調整グループは、自衛隊と米軍でつくる日米共同調整所=侵略戦争司令部と一体となって侵略戦争を国家を挙げて遂行する機関として位置づけられている。
日帝・森政権は、新安保ガイドライン体制の確立=朝鮮・中国−アジア侵略戦争発動体制の確立に向かって、急ピッチで突き進んでいるのである。この決定的な一環として船舶検査(臨検)法案があり、なんとしても臨時国会への提出−強行成立を狙っているのだ。
臨時国会への船舶検査(臨検)法案の提出と強行成立の攻撃に対して、一段と深い怒りと鋭い危機感をもって、九九年ガイドライン闘争をはるかに上回る闘いに立ち上がらなくてはならない。闘うアジア人民と連帯し、沖縄人民と連帯して船舶検査(臨検)法案粉砕闘争に立ち上がらなくてはならない。
野党の総転向弾劾し革命的大衆行動開け 有事立法・改憲阻止へ
第三の点は、労働者人民が船舶検査(臨検)法案粉砕の闘いに立ち上がることを恐れ、日帝・森政権が臨時国会での強行成立は不動であるかのようなキャンペーンをして、労働者人民に敗北主義を植え付けようとしていることを暴露し、粉砕することである。
日本が再び侵略戦争に踏み出すことなど絶対に認められないという労働者人民の怒りと危機感に依拠するならば、革命的大衆行動の急速な発展をかちとることは可能だ。革共同が体を張って闘いに立ち上がり、ともに闘いに立ち上がることを訴えれば、日帝・森の反動的キャンペーンを打ち砕くことは必ずできる。
「米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」の総路線を掲げて、船舶検査(臨検)法案粉砕の革命的大衆行動を組織するために全力で決起しよう。
日帝・森政権が臨時国会で船舶検査(臨検)法案は「対決法案」にはならず、成立は不動であるとキャンペーンしている背景には、公明党の侵略戦争遂行党派としての一層の転落と国会内野党の無力化がある。
公明党の侵略戦争遂行党派への一層の転落を示すものは、臨時国会に提出予定の船舶検査(臨検)法案の中身にある。公明党は昨年の通常国会=ガイドライン国会における周辺事態法案の修正協議で、「臨検=船舶検査活動は国連安保理決議のもとでのみできる」とすることを主張していた。自自公連立政権に参加してからも、三党協議でそう主張していたのである。
ところが、臨時国会に提出される船舶検査(臨検)法案では、自衛隊が臨検=船舶検査活動ができるのは国連安保理決議があった場合だけではなく、「国連安保理決議を含む国際約束や、国際法規にしたがって」できるという規定を盛り込んでいるのだ。つまり、国連安保理決議があろうがなかろうが、日米安保条約−新ガイドラインの発動時には無条件で自衛隊が臨検=船舶検査活動ができるとしたのだ。これは、ガイドライン国会に提出された政府原案よりもさらに一段と反動的侵略的にエスカレートしたものである。
公明党はいつ、どこでこのような反動的で侵略的な方向に転身することを決めたのか。断じて許すことはできない。公明党の侵略的反人民的な一層の転落を徹底的に弾劾し、労働者人民の怒りをたたきつけなければならない。
公明党と並んで超反動的な対応をしているのが民主党だ。民主党は世界大恐慌と帝国主義間争闘戦の激化の中で、体制的危機を深める日帝の救済者として登場しようとしている。だから、アジア勢力圏化をめぐる日米争闘戦の激化の中で、日帝が帝国主義として延命する道を日帝の朝鮮・中国−アジアへの侵略戦争に求めている点で、日帝支配階級の階級的利益を代弁する政党になっている。そこから鳩山代表の「憲法九条を改定せよ」という主張もでてくるのだ。それとともに「緊急事態法=有事法制の制定を急げ」と主張している。さらに「PKO五原則を見直せ」と唱え、自衛隊を民族解放闘争への軍事介入のために投入せよ、自衛隊を対外侵略戦争のための軍隊とせよと主張するにいたっている。
さらに日本共産党は、九月十九−二十日に行った第七回中央委で「自衛隊を国民の安全のために活用するのは当然」とする大会決議案を決めた。
今こそ労働者階級人民は、日帝の侵略戦争国家への転換を容認し、その先兵となった国会内の全政党を徹底的に弾劾し、全労働者階級、全人民の革命的大衆行動で自らの要求を貫かなければならない。
新ガイドライン関連法が戦争法であり有事立法であったように、船舶検査(臨検)法案もまた戦争法案であり有事法案なのだ。日帝・森政権は、この船舶検査(臨検)法案の強行成立に続いて、来年通常国会に自衛隊と米軍の日本国内での「作戦行動の自由を確保する」有事立法の国会提出を狙っている。十一・五労働者集会への闘いと結合し、今後数年間にわたる改憲決戦の突破口として船舶検査(臨検)法案阻止へ全力で決起しよう。
〔井場啓史〕
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週刊『前進』(1976号7面2)
革命軍軍報 9・13 運輸省幹部に連続の鉄槌
農民圧殺=農地強奪の大犯罪 暫定滑走路建設に実力反撃
革命軍は偉大な戦闘を貫徹し、以下の軍報を発表した。(前号に速報)
九月十三日、革命軍は日帝・運輸省、空港公団による成田空港暫定滑走路建設工事の強行を実力で阻止するために、八・二六戦闘を引き継ぎ、追撃の戦闘に立ち上がった。
九九年十二月三日の暫定滑走路工事着工に対して、三里塚芝山連合空港反対同盟は暫定滑走路建設阻止の二年間決戦に総決起することを宣言し、二〇〇一年十一月の暫定滑走路建設完工を粉砕することを呼びかけた。それ以降の闘いは、「暫定滑走路は使いものにならない無用の長物」「暫定計画は敷地内農民をたたき出すことだけを目的にした農民殺し=農地強奪の攻撃」という階級的真実を暴き出してきた。
今や運輸省・公団は、使いものにならない暫定滑走路の固定化という現実に完全に追いつめられている。ここから、東峰神社の立ち木伐採策動、小見川県道トンネル化工事を口実にした天神峰団結街道破壊策動、東峰迂回(うかい)道路建設工事の攻撃を強行してきた。国家暴力の発動によって軒先工事を強行し、「暫定滑走路に航空機が飛べば営農も生活もめちゃくちゃになるぞ」と恫喝する攻撃を開始したのだ。
国家暴力の発動で農民殺しを強行し、農地を強奪する無法を、これ以上見過ごすことはできない。三里塚闘争の勝利の三十四年間が示しているように、凶暴な国家暴力の発動に対しては、人民の実力反撃こそがもっとも有効であり、勝利を切り開く。革命軍の怒りは天をつき、勝利の確信は深い。今こそ運輸省・公団に正義のゲリラ戦闘をたたきつけなければならない。
革命軍の戦闘のターゲットは、運輸省大臣官房文書課長・梅田春実の千葉県白井町堀込二−五−二にある自宅駐車場だ。
革命軍部隊は作戦計画どおりに梅田の乗用車に火炎戦闘装置を設置した。午前三時十分、火炎戦闘装置は正確に作動した。怒りの炎は梅田の乗用車を完璧(かんぺき)に焼き落とした。
この戦闘が炸裂(さくれつ)した時にはすでに革命軍部隊の撤退作戦は完了していた。千葉県警はこの戦闘の爆発に打撃を受け、六十人の特別捜査班を設置し、捜査すると発表した。だが警察権力がいかにデッチあげ弾圧を狙おうと、革命軍の完璧な撤退作戦は、あらかじめデッチあげ弾圧を粉砕しているのだ。
芝山鉄道建設推進の責任者
梅田春実は、運輸省大臣官房文書課長として、九月七日に運輸政務次官・実川幸夫の成田空港視察を水先案内した。運輸省は、暫定滑走路建設を強行し、農民殺し=農地強奪を行うために、この成田空港視察を計画したのだ。しかも暫定滑走路建設工事周辺地域では、平行滑走路敷地内農民に対して警察権力を差し向け、検問・尾行・監視を行わせている。こんな犯罪的暴挙を率先して推進しているやからに、怒りの鉄槌(てっつい)が下されることは当然のことである。
また梅田は、大臣官房文書課長になる前には、運輸省鉄道局総務課長の職にあった。この鉄道局総務課長の時代には、悪名高い芝山鉄道建設工事計画を推進してきた。芝山鉄道とは、何十年たっても利用客がほとんどいない鉄道だ。ただただ成田空港の横風用滑走路(C滑走路)の用地取得=農地強奪のためにだけ計画された鉄道だ。「地域に鉄道が通る。この地域振興に反対するのか」という恫喝で農地強奪を進めようとしてきたのだ。
梅田は、成田空港建設のために先頭になって、農地強奪の暴挙を繰り返してきた許すことのできない運輸官僚の一人なのである。
革命軍は、空港絶対反対を掲げ三十四年間にもわたって空港建設を阻止し続け、今また暫定滑走路建設強行を破産に追いやる闘いを展開する反対同盟との血盟を貫き、革命的武装闘争の威力を存分に発揮して決起することを誓う。八・二六戦闘−九・一三戦闘を引き継ぎ、さらなる強襲戦闘の連続的爆発をかちとることを宣言する。
1年間決戦へ決起呼びかけ
九・一三戦闘の意義は何か。第一に、暫定滑走路建設実力阻止一年間決戦への先制的突入を宣言し、十・八三里塚全国総決起集会への総力結集を呼びかける戦闘としてかちとったことである。
日帝・運輸省は、暫定滑走路の二〇〇一年十一月完工−二〇〇二年五月供用開始を掲げて、農民殺し=農地強奪の攻撃を激しくかけてきている。三里塚現地はすでに決戦に突入しているのだ。十・八三里塚全国総決起集会をこれまでにない質と量でかちとり、二〇〇一年十一月完工実力阻止の戦闘体制を築き上げなくてはならない。
第二に、三里塚闘争解体を重大な一翼とする新安保ガイドライン体制確立の攻撃に対して、労働者人民の総決起を訴える戦闘としてかちとったことである。
日帝・森政権は、新安保ガイドライン体制の確立に向かって反動攻撃を強めている。九月二十一日に召集された臨時国会では、新ガイドライン関連法から除かれた船舶検査(臨検)法案を提出し、強行成立を狙っている。また、来年通常国会には有事法制を提出し、これまた強行成立を狙っているのだ。
九九年ガイドライン闘争をはるかに上回る人民の総決起で、新安保ガイドライン体制確立の攻撃を粉砕しなければならない。
第三に、ファシスト・カクマルの反革命的策動を粉砕する戦闘としてかちとったことである。
沖縄サミット決戦の爆発は、日米帝の朝鮮・中国−アジア侵略戦争の切迫と対決し、労働者人民の「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」「米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」を掲げた闘いの歴史的高揚を切り開いた。この労働者人民の戦闘的隊列を背後から襲撃し、階級的闘いを絶滅しようとしているのが反革命カクマルだ。
革命軍の戦闘力は、いつでもカクマルの頭上に振り下ろすことができるように磨き上げられている。
いよいよ決戦の時だ。革命軍は労働者人民の闘いとともにある。階級闘争の決定的局面においてこそ、革命軍はその階級的責務を果たしきるであろう。
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週刊『前進』(1976号8面1)
人民の「心」の支配狙う 石原の「心の東京革命」粉砕を
現代版「国民教化運動」で教育基本法の改悪を先導
八月十一日、東京都が「心の東京革命行動プラン」を、東京都教育庁が「『心の東京革命』教育推進プラン」を発表した。「心の東京革命」とは、ファシスト石原が日帝・森の教育基本法改悪攻撃を先導しようとして打ち出した政策だ。石原は十月十八日に五千人規模の「都民集会」を開催して本格始動させようとしている。教育改革国民会議中間報告を弾劾するとともに、「心の東京革命」と徹底対決して闘おう。
”戦前型道徳律”を強制 「誤った個人主義・平等主義」
都知事就任にあたって「国に先駆けた道徳教育の実施」などを公約に掲げた石原慎太郎は、九九年十一月には「危機突破戦略プラン」の一環として「『心の東京革命』取り組み素案」を発表した。以降、「心の東京革命」推進会議の委員に「若い世代を代表する者」としてタレントの松村邦洋、山田まりやなども参加させて会議を重ね、行動プラン発表にいたった。
「心の東京革命」とは第一に、戦後教育の徹底的な排撃であり、教育基本法改悪攻撃そのものである。
石原は、行動プランのまえがき「次代のために、行動は今」で、「戦前の教育への行きすぎた反発」「社会的責任より個人の権利が優先するという風潮がまん延」などと危機意識を吐露している。
また本文でも、「自己中心主義の生き方がまん延しています。社会的責任よりも権利意識が優先するなど、社会における価値のバランスが崩れています」「個人主義、平等主義のはき違えた認識による弊害」「誤った平等主義は、教師の指導力を低下させてきました」と記している。
いずれも、教育現場の「荒れ」や少年事件の多発の原因が教育基本法と戦後教育にあるとし、その全面的な解体を主張している。
では、教育基本法とそのもとでの戦後教育に代えて、石原は何を打ち出そうとしているのか。
核心は、教育基本法に掲げられた「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間」「平和的な国家及び社会の形成者」「真理と正義を愛し、個人の価値をたっとぶ」人間の育成という理念の解体である。「個人の尊重」を社会への責任や「公」への奉仕に、「個人主義」を国家主義に、「平等主義」を徹底した差別・選別に置き換えようとしているのだ。
これは、教育基本法に掲げられた戦後憲法と一体の教育理念が、今や戦争体制構築へ突き進もうとしている日本帝国主義にとって、絶対に突破しなければならない桎梏(しっこく)となっているという表明だ。朝鮮・中国−アジア侵略戦争を実際にやる国家体制・人民支配体制の確立のためにこそ、教育基本法と戦後教育を攻撃しているのだ。
では、今起きている「教育荒廃」や少年事件の原因は、教育基本法にあるのか。まったく違う。
子どもたち・少年たちの行動は、社会と学校の現実に対する違和感と拒否感を申し立てている必死の人間的な叫びだ。労働者を労働力商品という搾取対象としてしか扱わない資本主義社会の中で、子どもたちにもまた極限的な差別と選別、管理と抑圧が襲いかかり、人間性を否定し、人間関係を破壊している。若年層の失業問題はますます深刻化し、子どもたち・少年たちは極限的な閉塞(へいそく)状況にたたき込まれている。現代帝国主義が必然的に引き起こしているこの現実の革命的変革こそが待ったなしの課題なのだ。
石原は、子どもたちを追いつめている現実の解決など、毛頭考えていない。まったく逆に、この現実を口実にして、戦争体制構築のための攻撃として「心の東京革命」を打ち出した。このことを徹底的に弾劾しなければならない。
人の意識を右から改造 「社会的ムーブメントを」
「心の東京革命」とは第二に、子どもと教育の領域のみにかけられた攻撃ではなく、社会全体の改造の攻撃であり、しかも人民に「心」と「生き方」の「革命」を迫る攻撃である。子どもたちの現状は「親・学校・地域の教育力の低下が引き起こしたもの」として、親や教育労働者、「大人」に対して、゛自己中心的な生き方を変えよ゜と迫っているのだ。
行動プランの「行動の取組原則」は、「子どもは大人を映す鏡であり、大人は子どもの鑑(手本)です。親も大人も、その行動が子どもに大きな影響を与えることを自覚し、良き手本となるよう努めるとともに、家庭、学校、地域における教育に責任をもって取り組む必要があります」と述べている。さらに「都民一人ひとりが、子どもを『社会の子』ととらえ」として、家庭教育にまで介入しようとしている。
むすびでは「この取組は、すべての大人が一人ひとり具体的な行動をとることにより、大きなうねりをつくりだし、全都的さらには全国的な運動への広がりを展望しています」とし、全社会的な運動を展開しようとしている。今後「心の東京革命」推進会議を民間団体、企業などを参加させた推進協議会に改組し、キャンペーンや十月十八日の「心の東京革命」都民集会の開催などをとおして「社会的ムーブメント」を起こすことを狙っている。
そもそも、国家や行政が人民に対して「心」を「革命せよ」と主張し、学校・家庭・地域のすべてに介入し支配するということが、どうして認められるか。
これは、戦後憲法体制下での「思想・信条の自由」やさまざまな権利意識そのものの全面的な解体に踏み込もうとする攻撃であり、戦後史を画する激しさをもっている。
戦前の日帝が戦時体制を確立していく上で決定的な位置をもった「教化総動員運動」(一九二九年開始)、「国民精神総動員運動」(一九三七年開始)と並ぶような、国家と社会と人民の意識の全面的転換をかけた攻撃である。
日帝の戦争体制構築に向けた攻撃の決定的一環として、断固反撃をたたきつけなければならない。
教育労働運動解体狙う 「世界の中の日本人として」
「心の東京革命」は第三に、愛国主義教育復活と教育労働運動つぶしである。
「心の東京革命行動プラン」は「学校での取組」として、「道徳教育の徹底」「都内全校での道徳教育地区公開講座の実施」「世界の中の日本人としてのアイデンティティ教育の実施」などを打ち出した。
石原は、戦前の「修身」型の天皇主義教育を目指しているのである。石原が都教育委員会に送り込んだ米長邦雄(棋士)は、「日本人の心というものを涵養(かんよう)することが基本です。東洋思想の尊さを伝えていくことが大切です」と、愛国主義教育の復活を公然と叫んでいる。
さらに、都教育庁が発表した「『心の東京革命』教育推進プラン」の内容を見てみよう。教育推進プランは一つに、「教育目標・基本方針の見直し」について「今年度中に再構築する」としている。
すでに石原は今年一月に都の教育基本方針の改訂を強行し、「我が国の文化・伝統に誇りを持ち」と盛り込んだ。さらに現在「人権教育」の項目にかろうじて残っている「憲法・教育基本法の精神にのっとり」という言葉も削除して、国家主義的な教育目標を打ち出そうとしているのだ。
教育推進プランは二つに、教育労働者と教育労働運動への攻撃である。二〇〇一年度に向け「教育職員のライフステージに応じた能力開発プログラム」として研修体制を整備しようとしている。「指導力不足教員」には「指導力ステップアップ研修 夏期集中コース/通所コース/長期コース」を強制し、教育現場から排除しようとしている。
東京都では「指導力不足教員」認定がすでに四年前から実施されており、四年間で三十一人の教育労働者が「指導力不足教員」として教育現場から排除され、そのうち七人は退職に追い込まれている。
結局、核心問題は教育労働運動つぶしであり、その最先端に、国立の「日の丸・君が代」闘争に対する不当処分があるのだ。
東京の教育労働者は、石原による管理強化の攻撃に対する闘いを続けている。四月から導入が強行された人事考課制度に対しては、自己申告書提出拒否や同一内容記入による抵抗など、さまざまな闘いが展開された。さらに現在、人事考課と人事異動・特別昇給・研修・指導力不足教員認定制度・再任用とのリンクをめぐる攻防になっている。また都教委が七月に打ち出した勤務時間制度の改悪との闘いも開始されている。
新潮流運動の前進で対決を
「心の東京革命」の背景には、人民の戦後的な階級意識を解体することができていない現実への石原の強烈な危機感がある。人民の「心」の動員なくして、ガイドライン体制の実体的確立はできない。これが日帝の致命的な弱点なのだ。石原はこれを率先して突破しようと「心の東京革命」を打ち出した。しかしこのことは、人民の闘いで戦争体制確立を絶対に阻むことができることを示している。
日帝・森の教育基本法改悪−改憲攻撃と全面的に対決するとともに、とりわけ都労連と都の教育労働者が先頭に立って「心の東京革命」と対決しよう。
戦闘的労働運動の前進をかちとることこそ、勝利のかぎだ。十一・五労働者集会に都労連と都の教育労働者の大結集をかちとろう。
〔大西 晶〕
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週刊『前進』(1976号8面2)
連載 部落解放運動 その課題と展望 第5回
本部派の転向と全国連 糾弾闘争解体する本部派
97年の54回大会で綱領的な転向
日帝の危機と差別の洪水という部落解放運動をめぐる客体的情勢につづいて、今回は、部落解放運動の主体的情勢について見ていきたい。
結論的に言えば、今日の差別の洪水という現実は、部落解放運動の主体の危機によって生み出されている現実でもあるということだ。全国水平社以来の部落民自主解放の闘いの根幹をなす差別糾弾闘争が、その思想においても、実際の運動においても、今や崩壊の危機に直面しているのである。
解放同盟(本部派)は、一九九七年に開催された第五四回大会において、綱領の全面的改定を行った。その核心は、それまでの綱領が、曲がりなりにも身分的差別が現存することを認め、その根拠が日本帝国主義による階級支配にあるとしていたのを百八十度ひっくり返し、部落差別の本質を「ケガレ意識」なるものだと規定したことにある。現代の社会には、部落差別を生み出す根拠はなく、単に人民のなかにある遅れた意識によって差別が残っているとする主張である。それは、帝国主義は差別の元凶ではなく、帝国主義の世の中でも部落差別の解消が可能であるかのように描く、きわめて反動的な主張にほかならない。
本部派は、この綱領の改定とともに、「部落民」という概念を「部落住民」あるいは「被差別市民」なる概念に書き換えた。「部落民」という概念は、今なお身分的差別によって苦しめられる存在としての三百万部落大衆を措定するものであり、それは同時に、この身分的差別と闘うことによって、自らを解放するとともに、帝国主義の階級支配をも打ち砕く自己解放の主体としての部落大衆を措定する概念である。
だが、いまや本部派にあっては、帝国主義による身分的差別も、自己解放の主体としての「部落民」も存在せず、ただただ「ケガレ意識」や「イエ意識」などの遅れた意識だけが問題であり、それらは部落大衆自身の手による身分的差別の撤廃(自主解放)の闘いによってではなく、人権意識の向上(公的機関−帝国主義の権力や行政による啓発など)によって解消してしまうものとして描かれるのだ。
これは、単なる後退や日和見主義的傾向といったものなどでは断じてない。部落民自主解放の思想の否定であり、部落民の団結や、差別に対する糾弾闘争を根本原理において完全に追放するものにほかならない。それは、労働運動における総評解散−連合化にも比すべき歴史的転向、解放同盟(本部派)の帝国主義的融和運動への根本的変質を意味しているのである。
こうした本部派の主張は日本共産党=全解連(全国部落解放運動連合会)と基本的に同じ主張であり、全解連への屈服でもある。
日共=全解連の主張に全面屈服
全解連の主張は、部落差別は「封建時代の残りかす」にすぎず、資本主義の発展とともに解消する、しかし、解放同盟の存在と差別糾弾闘争や同和対策事業がその解消を妨害し、国民融合を妨げている、とするものである。ここから彼らは、差別糾弾闘争の絶滅、解放同盟の解体をその運動方針の中心にすえ、差別糾弾闘争に対する権力のデッチあげ弾圧の手引きや、同和対策事業全廃のための市民の差別感情の扇動などを行ってきた。全解連=日本共産党とは、まさに部落解放運動の解体のための反革命的先兵なのである。
狭山闘争を始めとした一九七〇年代以降の差別糾弾闘争の発展は、この日本共産党による敵対・破壊の策動を部落大衆の実力によって粉砕し、彼らの反革命的、差別主義的本性を暴露し、彼らを解体していく闘いの歴史でもあったのだ。
ところが、今や解放同盟(本部派)の主張は、この日本共産党=全解連と寸分も違わないものになっている。東大阪市の長尾市長(共産党)などは「もう解放同盟との意見の対立はどこにもない。すべて一致している」などと平然と言っているのである。
糾弾闘争の後退が差別の洪水に
問題なのは、こうした綱領的転向のもとで、差別糾弾闘争の意識的、自覚的な全面的解体の動きが本部派の中で進行していることである。まずなによりも狭山闘争陣形の解体である。彼らは、五四回大会での綱領改定とともに、狭山闘争を綱領の実践目標から削除し、「住民の会」づくりなる方針を打ち出した。これは、あたかも狭山再審闘争の全人民的な陣形づくりを図るかのようによそおいながら、その実、差別糾弾という闘いの核心を徹底的に解体し、一掃しようとするものである。実際に、「住民の会」づくりの先進地域といわれる福岡では、「これまでの闘いを厳しく反省する」ということがゴリゴリと主張されている。「これまでの闘い」とは、国家権力に対する糾弾闘争であり、差別糾弾を軸とした労働者階級との共同闘争(解放共闘)を指している。
いまひとつは、「糾弾会・確認会」という、水平社以来の差別糾弾闘争の基本戦術の解体である。昨年十二月、奈良県で起こった本願寺派寺院の住職による差別発言事件に対する糾弾闘争において、本部派・奈良県連は、「行政責任の追及や、差別者の自己批判を迫るというこれまでのやり方はやめる」と主張し、これまでの糾弾会や確認会に代えて「本音による懇談会」なるものを行った。そして、これが彼らの言う「第三期の運動」のなかでの「糾弾闘争」のあり方だとされているのだ。まさに驚くべき事態である。
今や、狭山第二次再審棄却を始め、国家権力による公然たる差別扇動や、ファシストによる差別扇動事件が画次元的な規模で引き起こされている。だが、この恐るべき現実こそ、本部派による差別糾弾闘争の自己解体によって促進されている事態なのである。
反撃に次々立ち上がる部落大衆
しかし、部落大衆は、けっして黙っているわけではない。闘いを求め、本部派をのりこえて、差別の洪水に対する反撃に次々と立ち上がり始めている。同和住宅の家賃値上げに対する反対組合結成と供託への決起こそ、その決定的な証左である。本部派直系の大阪府連の拠点部落のひとつである寝屋川では、「会館(本部派)にまかせていたら殺される」ということが部落大衆自身の言葉となっている。何よりも、大阪府連を始めとして、綱領改定から数年で、本部派同盟員が半減している。これが部落大衆の回答なのである。闘わない者は見捨てられるのだ。
いま必要なのは、差別糾弾の鮮明な旗じるしである。そして、これにこたえることができるのは、全国連をおいてほかにない。
〔雪倉俊雄〕
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週刊『前進』(1976号8面3)
訂正
前号6面、鎌田同志の投稿の2段目10行目と14行目の「九・二七」を「九・一九」に訂正します。
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週刊『前進』(1976号8面4)
公判書類房内所持制限裁判 東拘看取のウソ暴く 無実の3同志の権利守れ
七月二十四日、公判書類の房内所持制限の取り消しを求めている行政訴訟の第一二回口頭弁論が東京地裁民事第二部(富越和厚裁判長)で開かれた。この日は、一九九七年当時の東京拘置所看守二人への証人尋問を闘いとった。
この裁判は、東京拘置所が一九九七年に、迎賓館・横田爆取デッチあげ裁判を闘う須賀武敏同志、十亀弘史同志、板垣宏同志が房内で所持する公判書類を三bに制限した「処分」の取り消しと、国家賠償を請求している裁判である。
須賀同志ら三同志は、迎賓館・横田爆取デッチあげ裁判を十三年に及んで闘いぬいている。このため三同志は、一九九七年当時には常時必要な公判書類として房内に五〜六b所持していた。しかし、三bへの突然の規制によって最低限必要な公判書類すら奪われたのである。東京拘置所の公判書類の所持制限は、命懸けでデッチあげ裁判を闘いぬいている獄中同志に対し、裁判準備を妨害し、物理的に裁判を闘えなくさせる攻撃である。絶対に許せない。
須賀、十亀、板垣の三同志は、一九九八年二月に行政訴訟に訴えて以来、事実認否や争点をめぐって闘ってきた。そして、今回の七月二十四日から証拠調べに入った。
証人の一人は大内唯壽で、当時、須賀同志と板垣同志が、拘禁されていた第二区の区長、もう一人は浦寛美で、十亀同志が拘禁されていた第三区の区長である。この看守二人は、各区の被収容者の処遇全般に関する責任者である。
裁判では、二人の看守が強制的に公判書類を三bに制限したことを弾劾した。すると、言うに事欠いて、「三b制限を原告(三同志)らに強制したことはない。三b制限の「指導」に対して素直に従った」と、見え透いたうその証言を繰り返し、言い訳と弁解に終始したのだ。
須賀同志に対しては、「そもそも三b以内であったから強制もしていない」と大内証人は証言した。しかし実際には四・二b所持しており、「守られていなければ三bを超えた公判書類は領置処分になる」と言って強制したのである。
十亀同志は六・四五bの書類を持っていた。どう整理しても最低三・八bは必要であると例外の許可を求めたにもかかわらず、「例外は認めない。所長の決定である」と三bに制限されたのだ。浦証人はこの事実を覆い隠し、十亀同志は抗議もせずに素直に従ったとうその証言をした。
板垣同志に対しては「実力でも強制的に取り上げる」と三b制限を強要しておきながら、大内証人は「自発的に領置した」とうその証言をした。
さらに三bに制限した根拠を追及すると、大内証人は「巡回視察や居房捜検などに支障が生じてきたから上限を定めた」と証言した。しかし、三b以上の書類が房内にあっても視察や捜検などに支障が生じたことなど一度もない。また、なぜ三b以内でなければならないのかという尋問にまったく答えることができなかった。
そもそも勾留の目的とは、裁判への出廷の確保である。被告人の防御権は絶対に保障されなければならず、どんな理由があろうと東京拘置所による防御権の侵害は断じて許されない。
しかも、裁判を争うために必要不可欠な公判書類の所持できる量をメートルで制限するなど言語道断である。拘置所の独房が裁判の書類を持てないくらい狭いのであれば、独房を広くするか、ただちに釈放せよということだ。
次回は十月十二日、原告本人(三同志)の証人尋問が行われる。拘置所の一方的な都合だけで、裁判所の法廷ではなく、東京拘置所内で非公開で行われることを徹底的に弾劾する。
さらに、十月一日をもって領置品の総量規制の経過措置段階が終了し、東京拘置所ではみかん箱で二・五箱のみに制限しようとしている。この総量の中に、衣類、本などの獄中生活上必要な物はもちろん、公判書類も含むとしているのだ。獄中生活と裁判闘争を破壊する大攻撃を、公判書類の所持制限とともに絶対に粉砕しよう。
三同志は、今なお「三b制限を守れ」という繰り返し行われる恫喝と対決しながらデッチあげ爆取弾圧裁判を闘っている。十万人保釈署名運動を全力で闘い、福嶋同志を含む無実の四同志を絶対に奪還しよう。
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