週刊『前進』(1974号1面1)
闘う国労3万組合員と全労働者の決起で「四党合意」を絶対に葬れ
闘争団切り捨ての踏み絵を迫る「一票投票」はあくまで中止せよ
臨検法案・PKO法改悪案阻止を
国鉄決戦の新たな戦闘宣言を発し、国鉄決戦勝利−十一月労働者集会五千人結集へ総決起しよう。七・一−八・二六をもって国鉄闘争は新たな巨大な階級決戦へと発展している。「一票投票」の目的はただ一点、「四党合意」受け入れと闘争団切り捨てのためだ。あらゆる闘いで「一票投票」中止、「四党合意」撤回をかちとろう。この国鉄決戦に勝利することこそ十一月労働者集会成功の前提条件である。国鉄決戦に総力を結集しつつ、十一月労働者集会の組織化を全力で推進しよう。さらに、名護新基地建設阻止の沖縄闘争、臨検法案・PKO協力法改悪案粉砕闘争、教育改革攻撃粉砕・改憲阻止闘争を柱とする今秋反戦政治闘争を闘おう。その重要な闘いとして成田空港の暫定滑走路工事粉砕、二期阻止・空港廃港へ、十・八三里塚闘争に全国から総決起し闘うことを訴える。
第1章 総辞職表明した本部の居座り策動許すな
八月三十一日、国労本部は、「七月一日に提案した本部方針について全組合員の『一票投票』を九月二十六−二十九日に実施する」という指令第一〇号(本部電送bR78)を出した。
この「一票投票」こそは、七・一−八・二六の闘いが切り開いた偉大な地平を超反動的に転覆する反革命クーデター策動である。それは「四党合意」を死の淵(ふち)からよみがえらせ、闘争団がもぎりとった「執行部総退陣」情勢をどんでん返しにするものだ。
しかし、これは反動の側の賭(かけ)であり、バクチ以外の何ものでもない。
この「一票投票」に対して闘争団は真っ向から反対し拒否して闘っている。
「『四党合意』には一点の正義もなく、『一票投票』でその賛否を問うことは『闘争団切り捨て』の賛否を問うのに等しく、直ちに撤回・中止すべきです」(闘争団・上京団事務局)
「四党合意」とは、国鉄分割・民営化の強行のもとでの国労解体、そのための国労組合員を中心とする大量不当解雇という憎むべき国家的不当労働行為と、それ以降の国労に対する十三年間の不当解雇や差別待遇などの不当労働行為を、「JRに法的責任なし」としてすべて承認するということである。完全な無条件降伏の受け入れである。
さらに九八年五・二八反動判決以来の労働委員会制度解体攻撃に闘わずして完全屈服するものである。
これまで闘争団を先頭に辛苦に辛苦を重ねて闘いぬいてきた国家的不当労働行為との闘争を、自ら進んでゼロにしてしまうのが「四党合意」である。
こんな「四党合意」を国労が受け入れることができるのか。七・一−八・二六の闘争団を先頭とする国労組合員と支援陣形の英雄的な闘いで、「四党合意」は最高議決機関である大会で二度も採決できず、事実上否決されたのである。
だが「一票投票」とは、七・一−八・二六の過程をとおして「四党合意」承認阻止を訴えて闘っている闘争団員の存在と闘いを三万分の一という極小の存在に低めて排除するというものであり、闘争団切り捨ての賛否を問い、踏み絵にかけるとんでもない攻撃である。
闘争団の存在と闘いこそは国労の中軸であり、国労そのものである。闘争団なしには今日の国労はあり得なかった。
こうした国労そのものといえる闘争団を切り捨てるために、何がなんでも「一票投票」を強行しようとしているのである。これは闘争団に対する反階級的な憎悪、反労働者的な感性からしか出てこないものだ。
十三年間、国労の最先頭に立って、敵・国家権力とJR資本、運輸省、カクマル=JR総連の反動と闘い、あくまでも千四十七人の解雇撤回闘争の先頭に立って闘いぬいてきた闘争団がなぜ「一票投票」で裁かれなければならないのか。こんな「一票投票」が認められるのか。闘争団にとっては「一票投票」が提起されたこと自体、「一票投票」の是非が論議されること自体が耐えがたいことなのだ。国労から三度目の首切りを通告されるに等しい屈辱と苦痛である。いま裁かれ、総退陣すべきなのは本部執行部なのだ。
「一票投票」が強行されれば、闘争団とJR本体の国労組合員は分断され、その団結が破壊される。闘争団にとっても、JR本体組合員にとっても、これは耐えがたい苦痛である。しかも、チャレンジ・上村革同はこの間、機関を私物化し、やりたい放題のことをやっている。投票時の不正は間違いなく行われる。不正が可能な「実施要綱」になっている。
しかも彼らのもとでの「一票投票」は組合員の思想調査=踏み絵になる。チャレンジ・上村革同らの組合の無法支配を強め、さらに組合に対する醜悪な分裂促進行為そのものだ。「一票投票」中止は全組合員の声であり、叫びである。
さらに「一票投票」はそもそも国労規約にない。闘争団を切り捨て、分割・民営化に全面屈服する「四党合意」受け入れを強行するために、規約にもない「一票投票」を持ち出し、それに最高の議決機関である大会以上の効力を持たせようとしているのだ。
しかし、今回、本部執行部は完全に不信任されたのだ。自分たちから総辞職を表明したのだ。そこで規約にもない「一票投票」なるものを、「四党合意」強行と自らの延命のため、逆転ホームランを狙って急きょ持ち出してきた。これは規約を定める全国大会を無視している。「一票投票」を「委員長特別発言」の拍手での承認で採択されたとすること自身が規約に反することであり、組合民主主義の完全な否定である。
「一票投票」の狙いは明らかだ。八・二六で「総辞職表明」にまで追い詰められた現執行部が、闘争団の追及をかわし、「四党合意」承認をあくまで貫き、それによって総退陣情勢をひっくり返して居座り、国鉄闘争を終結させてJR連合との合流路線を貫こうとしているのだ。こんな「一票投票」は絶対反対、中止させる以外にない。
さらに八・三一「指令第一〇号」の内容を徹底的に弾劾しなければならない。
「指令第一〇号」によると、「『第六六回臨時全国大会方針』=『本部原案・JR不採用問題の打開について』の是非を問う全組合員の一票投票」となっている。「一票投票」が七月一日の「第六六回臨時全国大会方針」の是非を求めるとされている。
これは「第六六回臨時全国大会続開大会決定」ともまったく違っている。「続開大会決定」とは高橋委員長の特別発言のことで、それは「七月一日に提案した本部原案の五月三十日の『四党合意』について、全組合員にその賛否を求める」となっているのだ。
さらに、高橋特別発言は、「一票投票」を提起する前提として「七・一とその休会」が「中央本部の対応に起因していると認識してお詫(わ)びする」としている。ところが、「指令第一〇号」は本部の責任についてまったく触れていない居直り文書である。
要するに、「指令第一〇号」は「四党合意」だけでなく、「ゼロ解決」を認めろ、現執行部の居座りと闘争団切り捨てを認めろというものなのだ。この本部「指令第一〇号」自体に一貫性がなく、経過を都合よく解釈した支離滅裂なものであり、内容は超反動的なものである。こんなものは無効であり、即刻破棄されるべきものである。
第2章 階級情勢に画期的な変化が起こっている
七・一−八・二六をもって、日本の階級情勢に大きな内在的変化が生まれ、画期的情勢が進展している。
一九九九年−二〇〇〇年の階級情勢の特徴は、反動攻勢がどんどん進んでいるというだけではなく、それに対して労働者階級人民の側が「新しい労働者党」の闘いを内在化させながら、猛然と反撃していくという構図がつくり出されていることにある。
結論的に言えば、今日、十年、二十年に一度という歴史的な情勢が、革命的な情勢として成熟しているのである。七・一から八・二六過程には階級闘争の新たな発展を展望させるものがある。それは、歴史的に見た時、一九五九年の十一・二七国会突入(六〇年安保闘争の歴史的高揚を党的主体にも、全労働者人民にも予感させた闘い)、そして六七年十・八羽田闘争(まったく新しい階級闘争の時代が始まったことを予感させた闘い)に次ぐような歴史的位置にある。
しかも今回は、労働者階級の中心部隊をめぐる攻防で切り開かれたという点において、歴史的にも階級的にも最も素晴らしいものがある。この国鉄闘争が切り開いた階級闘争のものすごい革命的発展の可能性への確信を打ち固めよう。
六〇年安保闘争、七〇年安保・沖縄闘争がそうであったように、階級闘争は、革命の側の前進がそれを上回る密集した反動を生み出し、その密集した反動を打ち破る度合いに応じて前進する。党的な闘いを内在化させつつ、国鉄決戦においてもそうした過程が始まったのだ。
6面につづく〜1面からつづく
「四党合意」をめぐって起きている密集せる反動を粉砕した時に国鉄決戦はさらに新たな段階に突入していくのだ。あくまでも闘争団を先頭に、闘争団の闘いを守りぬいて「一票投票」中止を闘いとり、国労三万と全労働者の決起で「四党合意」を絶対に撤回させなければならない。
「一票投票」中止を求める闘いが高揚している。
九月五日、国労米子地本の組合員が「四党合意」の不当労働行為を糾弾して鳥取地労委に救済を申し立てた。六日、上京闘争団が「一票投票」の中止を求めて本部・宮坂に激しく詰め寄った。八日、大阪、東京、千葉の労働委員会闘争にかんして「実効確保の措置」の申し立てを行った。十一日、闘争団を中心に五人が裁判所に「一票投票」禁止の仮処分を申し立てた。さらには地本として本部に「一票投票中止」要求を出す動きも起きている。
国労の九月代議員選、そして十・二八−二九定期大会という決戦過程を「一票投票」中止を求める闘争と、あくまでも「四党合意」を阻止する闘争を柱に、全力で闘いぬこう。闘争団を先頭とするこの闘いは、どんな反動をも必ず粉砕できる大きな歴史的な流れを形づくっていることに圧倒的な確信をもとう。
国労をめぐる決戦は、秋の階級闘争全体の帰すうを決める一大決戦であり、しかも十一月労働者集会への闘いと全面的に重なる。したがって今秋国鉄決戦に最大最高の闘いを組織し、この決戦に勝利することが十一月労働者集会の成功のための絶対的課題である。
全国の労働者階級人民は、雇用破壊、賃金破壊などリストラ、資本攻勢の吹き荒れる中に置かれ苦闘しつつ、これと対決する闘争団を先頭とする国鉄決戦に注目している。連合傘下、全労連傘下も含めて、「四党合意」に反対の声が次々に上がっている。ここで、国鉄決戦に勝利することによって日本労働運動に巨大な地殻変動を起こすことは確実である。その変動を牽引(けんいん)するのが〈新潮流運動〉である。
この中で、社・共に代わる労働者党建設を推進しよう。〈新潮流運動〉の大躍進をめざし、国鉄決戦に勝利し、十一月労働者集会の五千人結集をかちとろう。
第3章 森・石原の「教育改革」―改憲攻撃に猛反撃を
今秋、日帝・森は、ファシスト石原を先兵にして改憲と朝鮮・中国−アジア侵略戦争への攻撃を激化させようとしている。
九月十一日、日米両政府は、ニューヨークで開いた安全保障協議委員会(2プラス2)で、米軍普天間飛行場代替施設の建設実施計画を策定する「普天間実施委員会」の早期再開で合意した。審議官級でつくる普天間実施委員会は、代替施設の工法など建設実施計画を策定する目的で九七年一月に設置され四回開かれたが、名護の移設反対闘争が激化する中で中断されていた。日帝は沖縄サミット決戦の大爆発と帝国主義間争闘戦の激化に打撃を受けながらも、八月二十五日には政府、沖縄県、名護市の三者による「代替施設協議会」を発足させ、さらにこの委員会の再開で名護新基地建設の攻撃を激化させようとしているのだ。
しかし、沖縄現地では、辺野古の命を守る会、二見以北十区の会などの名護市東海岸住民は、新基地建設反対の闘いを不屈に闘い続けている。この沖縄人民の闘いと連帯し、闘うアジア人民と連帯して闘おう。
日帝・森と与党三党は、九月二十一日開会の今秋臨時国会に臨検法案(船舶検査活動法案)とPKO協力法改悪案を提出することを決定した。臨検法は新ガイドライン関連法の重要な一環であり、周辺事態において経済封鎖などのための臨検を行うためのものだ。これは戦争挑発そのものであり、侵略戦争の開始になるものである。PKO法改悪は、自衛隊の武器使用のエスカレートの攻撃である。
さらに日帝・森は、教育基本法改悪など教育改革攻撃に全力をあげている。森・中曽根・石原・村上会談(九・一)、野中・亀井・石原・村上会談(九・七)などを重ね、ファシスト石原を先兵にして教育改革を反動攻撃の中心にすえようとしている。中曽根と森は、教育基本法改悪を改憲の突破口とする路線をいよいよ強めている。
森はすでに来年の通常国会に小・中・高での「奉仕活動」義務化の法案を提出することを明らかにしているが、これは十八歳のすべての「国民」に一年間の奉仕活動を義務化する攻撃の突破口であり、徴兵制度の導入の第一歩である。
教育改革国民会議の九月中間報告発表に大反撃し、教育改革−改憲攻撃を打ち砕かなければならない。
「日の丸・君が代」反対闘争の地平を引き継ぎ、闘いを強め、教育基本法改悪反対・改憲阻止の大闘争を職場、学園、地域で巻き起こそう。そして、とりわけ国立大学の独立行政法人化攻撃に対する全国大学での反対闘争を爆発させよう。
有事立法・改憲攻撃と闘おう。少年法改悪に反対しよう。司法改革・改憲攻撃を絶対に阻止しよう。
国鉄決戦と十一月労働者集会への最大の武器は『前進』である。機関紙拡大闘争を推進し、今秋決戦を闘いぬくことを訴える。
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週刊『前進』(1974号1面2)
連載 新潮流運動の大躍進へ 資本攻勢の嵐と対決を 4
雇用破壊と大失業 民事再生法の現実
倒産処理申請が3倍に 分割で全員解雇し再雇用
失業率4・7%実態は一層深刻
資本による労働者への攻撃のもっとも凶暴なものは雇用破壊(リストラ・首切り)の攻撃である。九五年の日経連プロジェクト報告と九八年五・二八反動判決を歴史的契機に、日本経済の恐慌の深まりの中で、雇用破壊の攻撃が一段と強まっている。
総務庁が八月二十九日に発表した七月の完全失業率は四・七%で、前月と同率の最悪水準のままだ。男女別にみると、男性は前月比〇・一ポイント増の四・九%、女性は〇・三ポイント減の四・三%となっている。労働省が同じ日に発表した七月の有効求人倍率は〇・六〇倍で、前月に比べ〇・〇一ポイント上昇した。雇用者増加の中身をみると女性のパート労働者の増加が特徴的である。
労働省は「雇用情勢の改善の動きは続いている」としているが、実態をみれば雇用情勢の悪化が続いていることは明らかだ。就業者数全体が十六万人も減少しており、その一方で非労働力人口は七十二万人増えて四千二十万人となっている。また、新たに求職活動を始めたものの結果として就職できなかった「その他」失業者は六万人も増えている。完全失業者が減少した陰に、職がなくて求職活動をあきらめた層が大量に存在するのである。
非農林業雇用者数は五千三百二十九万人と、前年同月比で五十二万人増えているが、常用雇用者は十万人減少して四千六百五十六万人となっている。臨時雇用と日雇いが増加したのであり、それぞれ五百五十一万人(五十四万人増)、百二十二万人(八万人増)となっている。
労働者に対する雇用破壊が激しく進む中で不安定雇用化が強まっているのである。労働省が六月二十六日に発表した「一九九九年就業形態の多様化に関する総合実態調査」では、労働者全体に占める非正規社員の割合が二七・五%と、前回九四年の調査に比べて四・七ポイントも上昇している。
雇用破壊をめぐるこの間の動向で特徴的なのは、この四月から施行された民事再生法による倒産がきわめて多いことである。四月から八月二十二日までに民事再生法の適用申請が三百件に上った(帝国データバンク発表)。昨年の会社更生法や和議法を使った再建型の法的倒産手続きの申請件数が月二十件弱なのに対し、ほぼ三倍に増えた。
五月十一日に上場企業で初めて民事再生法が適用された電炉小棒メーカーの東洋製鋼(茨城県石岡市)の場合、労働組合にも何も知らせず、労働者全員解雇の攻撃がかけられた。会社は、四月十四日に民事再生法の手続き開始を申請し、その日の夕方、労働組合三役に「民事再生法手続き開始に伴い営業譲渡するので工場は閉鎖し、従業員は全員解雇する」と通告した。
翌日十五日、従業員全員に対する説明集会が開かれ、一カ月後の五月十五日をもって雇用関係を終了させるという内容の「解雇予告通知書」が全員に渡された。裁判所が五月十一日に営業譲渡の許可を出し、埼玉県の朝日工業に営業譲渡された。朝日工業は東洋製鋼の営業譲渡を受けることを理由に産業再生法の適用申請を行っている。
百二人いた労働者のうち朝日工業に受け入れられたのは十五人だけだ。解雇に伴って通常は支払われる「養老見舞金」や「慰労金」などの退職金の加算部分も支払われなかった。
一切の犠牲を労働者に転嫁して資本が再生を図ろうとする民事再生法の反動的本質がこの事例の中に如実に示されている。
会社分割簡易化で労働者犠牲に
こうした中で五月二十四日、会社分割を簡素化するための商法改悪案と労働契約承継法案が参院本会議で可決され、成立した。資本が不採算部門を分割して別会社にしたり、他の会社に吸収分割させることを容易にしようというものだ。
労働契約承継法は、「労働者の保護を図ることを目的とする」とうたっているが、まったくのペテンだ。実際には、民法で保障されている転籍・移籍に対する労働者の拒否権の規定に違反し、「分割される部門の業務を主たる職務としている労働者」には、移籍の拒否権が保障されていない。会社には二週間前までに労働者や労働組合に通知することを義務づけているのみである。
会社分割法制の可決に当たって、「合併・営業譲渡など企業組織再編に伴う労働者保護に関する諸課題については、学識経験者を中心とした検討の場を設け、立法措置を含めて検討する」という付帯決議がなされたが、可決・成立させるためのペテンにすぎない。
しかもいったん会社分割を許せば、分割された赤字部門を引き継いだ会社では、赤字を理由に徹底した賃下げが行われ、早期退職勧奨などの首切りが強行されることは不可避だ。赤字部門を切り離す資本にとってみれば、厳しく制限が加えられている整理解雇が形を変えて行える、ということを意味しているのだ。
民事再生法は、経営危機に陥った資本が破産にいたる前に労働者に犠牲を転嫁して再建を図ろうとするものだ。これに対し改悪商法と労働契約承継法は、資本が経営危機ではなくても一部の赤字部門を別会社として分割することで資本を強化し、分割された別会社については、労働者を犠牲にすることで生き残れる場合以外はつぶしてしまおうとするものだ。労働組合を解体し、労働者の団結を破壊することに重大な狙いがある。
改悪商法と労働契約承継法の施行を前にして、労働者への事前の通知義務や労働協約の承継を避けるために、駆け込みで会社分割を強行しようという動きが強まっている。また大手でも改悪商法と労働契約承継法の施行によって会社分割を行う動きがでている。
京王電鉄がバス部門の分社化案
京王電鉄は今年四月、バス部門を分社化するという計画を明らかにした。その内容は、来年四月に新会社を設立し、十月に自動車事業部門のすべてを新会社に譲渡する、自動車事業部門在籍者全員と子会社の京王バスへの出向者全員が新会社に転籍し、転籍を希望しないものは雇用契約を解除する、というものである。
分社化に伴って賃金は年俸制となり、基本年俸には年功要素はなくなる。業績年俸は査定により上下二〇%の格差を付け、家族給、住宅手当、教育手当は廃止される。乗務員の賃金は営業収益に人件費が連動する体系となり、結果として平均年収で二割のダウンとなる。しかも新たに設立される新会社の路線は段階的に京王バスに移管され、新会社は二〇〇八年に消滅するという計画である。
京王電鉄自身は、九九年度に五十八億円の利益を上げており、分社化しなければならない差し迫った理由があるわけではない。だが、バス部門の赤字を理由に分社化し、切り捨てようとしている。「従わないものは雇用契約解除」という恫喝によって労働者に犠牲を強い、より多くの利潤を得ようとしているのだ。七年後には消滅させる会社への転籍を強制すること自身が事実上の首切りだ。
二十万人の労働者を職場からたたき出し、二百人の労働者を死に追いやった国鉄分割・民営化型の攻撃が全労働者階級の頭上に吹き荒れようとしている。今こそ労働組合の存在意義が問われており、労働者の団結が求められている。首切り・リストラ、大失業の攻撃に猛反撃しよう。〔柿坂信二〕
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週刊『前進』(1974号2面1)
「一票投票」反対=「四党合意」粉砕へ
闘争団の切り捨ては許さぬ裏切り執行部は総退陣せよ
資本攻勢と対決し11月大結集を
革共同中央労働者組織委員会
七・一臨大から八・二六続開大会に至る国鉄決戦は、労働者階級の新たな躍動と高揚の時代を切り開いた。二十世紀から二十一世紀へ、プロレタリア解放の荒々しい鼓動が打ち鳴らされたのである。二〇〇〇年という歴史の節目に、ついに労働者階級の中心部の攻防から、数十年に一度とも言うべき新しい革命的息吹と決起が開始された。巨万の労働者の注視の中で貫かれた国鉄決戦の動と反動の壮絶な激突は、十一月労働者集会への五千人大結集運動の怒濤(どとう)の進撃をつくり出している。新潮流運動は、国鉄決戦の新たな躍動的生命力と完全に合流して、階級的・戦闘的労働運動の防衛と発展の真の革命的牽引(けんいん)力として、今こそ鮮烈に登場しなければならない。革共同は、千四十七人の防衛と国鉄闘争勝利を、党としての責任において果たしきる新たな戦闘宣言を発する。それは同時に、国鉄闘争と一体のものとして、関西生コン、港合同、動労千葉が呼びかける、来るべき十一月労働者集会大結集への熱烈な支持表明であり、労働運動の階級的再生をめざした新潮流運動への大結集の心からのアピールである。
7・1−8・26の地平と巨万の総反撃の開始
七・一から八・二六に至る国鉄決戦の一大攻防が示したのは、国家権力、資本、反革命どものどんな圧政、収奪、暴虐のもとでも、必ずや労働者は団結して不屈の総反撃に立ち上がるということである。まさにその時が訪れたのだ。恐慌のただ中で戦争と大失業の攻撃がのしかかり、反動と暗黒が社会を覆い尽くそうとしているこの二〇〇〇年に、国鉄労働運動をめぐって巨万の労働者の反転攻勢が始まった。
革共同は、この国鉄労働運動のただ中で、動労千葉の闘いを主体化し、さらに国労闘争団・家族を始め国労三万の苦闘に懸命に肉薄し、ともに必死に闘い抜いてきた。そして、七・一、八・二六のような、労働者が生きるか死ぬかの攻防に党として深々と身を置き、大反動と逆流に命懸けで激突し、猛烈な反撃を敢行する先進的労働者とともに闘い抜いた。この死闘の中から、階級的団結の旗は翻り、労働者自己解放の情熱はほとばしり、革命的情勢の成熟が引き寄せられることを、うち震える感動をもって体験したのである。
革共同は、国鉄決戦を階級決戦の新たな段階へと発展させ、二十一世紀をマルクス主義の思想と実践に媒介されたプロレタリア革命の時代へと押し上げるために闘うことを決意する。
今、国労をめぐる決戦は危急存亡の情勢に突入している。七・一と八・二六の偉大な前進が引き起こしている大反動ゆえにである。
八・二六臨大続開大会では、「四党合意」機関決定を七・一臨大に続き再び阻止する大勝利がかちとられた。社会文化会館を包囲する三千人の大結集と、そこに至る闘争団・家族の本部執行部徹底追及の二十五時間の死闘をとおして、「執行部総辞職」の表明に追い込む画期的前進を実現した。さらに「四党合意」を不当労働行為として、国労組合員が八月二十四日に大阪で、二十五日に東京、千葉で労働委員会申し立ての決起を行い、また動労千葉は八・二二労働者集会への四百人の結集で、国鉄決戦場裏の最先端に満を持して登場した。
実にすばらしい勝利、前進ではないか。だからこそ、それへの巨大な密集した反動がまた激化する。しかし、それを粉砕するならば、もっと巨大な革命的情勢が生まれるのだ。
本部の居座り狙った大反動
ここでの一大反動とは、ぎりぎりにまで追い詰められた国労本部執行部が「全組合員の一票投票」の強行によって、七・一から八・二六のすべての闘いとその成果を反革命的に転覆させようとするものである。そのことで「四党合意」を死の淵(ふち)からよみがえらせ、闘争団が血みどろでもぎとった「執行部総退陣」情勢を覆し、あわよくば再度本部に居座り、息を吹き返そうとする反革命クーデター策動である。
これとの闘いは、土壇場に引き据えられた反動のものすごい反革命エネルギーとの対決である。断じてこれを軽視することはできない。「一票投票」が当初いかに「逃げ口上」として出されたものであろうが、ここに反動の側は延命の一切をかけ、バクチを仕掛けてきたのである。しかもその背後には、権力、資本、JR総連、JR連合らの全反動が密集しているのだ。
まさに現在の代議員選挙、「一票投票」(九月二十六−二十九日投票)をめぐる大決戦こそ、これまでの国労決戦の全努力、血みどろの全成果が水泡に帰し、一切を失うか、一切を獲得するかの真の正念場である。ついに国鉄決戦と日本労働運動、さらには党の全存亡のかかった大決戦が訪れた。「一票投票」を弾劾し、「四党合意」に最後的なトドメを刺さなければならない。
われわれはここで、「一票投票」を阻止し弾劾することと、「四党合意」の撤回・粉砕の闘いとは、完全にイコールであることを声を限りに訴えたい。
闘争団と家族はなぜ「一票投票」に怒りをもって反対したのか。それは「一票投票」こそが、大会で二度も拒否され死滅の寸前にあった「四党合意」を生き返らせるものだからだ。「一票投票」こそが、「四党合意」という敵の攻撃の反動的核心である国労に対する「闘争団切り捨て」の強制と、希代の不当労働行為とを体現するものだからだ。
したがって、当然にもあらゆる行動で「一票投票」絶対阻止−中止へ向けて徹底的に闘い抜かなければならない。それは同時に、どんなことがあっても「四党合意」は粉々に打ち砕かなければならないことと同義なのである。
続開臨大の前日、闘争団は「四党合意に基づいて進められたら闘争団の求める要求はかちとれない」「争議の当事者は俺たち闘争団だ。本部の勝手な判断で四党合意を押し付けるな」「国労という船を沈めないで下さい。四党合意という重いアンカー付きのロープをほどいて撤回しろ」「賛成の人もいると言うが、賛成の人から、これでJRに戻れるんですねと聞かれたらどう答えるのか」と本部を徹底的に追及した。
まさにそのとおりだ。「四党合意」とは第一に、「JRに法的責任なし」を国労に認めさせ、国労本部をして闘争団への「三度目の首切り」を強行させるという、恐るべき攻撃なのである。本部の「四党合意」受諾とは、まさに「ゼロ解決」のまま闘争団を切り捨てるということなのだ。
国労本部による五月三十日の「四党合意」受諾以降の全過程は、それを事実をもって証明している。「同時解決」というとんでもないウソ、すでに社民党に提示されているという限りなくゼロに近い「解決案」、七・一直後のJR連合大会での会長、事務局長などの「『四党合意』を決定し、千四十七人問題を『解決』せよ」という発言などは、どんなに言い逃れをしようとも、「四党合意」の大会決定が「闘争団切り捨て」であることを示している。
断じて許すことができないのは、七・一決起に対する「七・三本部見解」に見られる「暴力・暴徒」キャンペーンと、闘争団への兵糧攻めの攻撃である。本部は「七・三本部見解」で、闘争団のやむにやまれぬ決起をとらえて「大会破壊の暴力行為」と悪罵(あくば)を投げつける一方、政府・JRには「衷心からおわびする」などと言っている。「四党合意」への奴隷のような卑屈な屈服の対極において、闘争団という闘う存在への憎悪、それゆえに一刻も早く切り捨てたいという願望がむき出しになっているのだ。
重大なことは、この闘争団切り捨てのための「暴力」キャンペーンをバックにして七月二十一日に続開臨大開催が決定され、裏警備=自警団五百人と機動隊の導入が策動されたということである。
だが、闘争団は七・一以降の闘いでこれを逆に破綻(はたん)点に転化させた。そして、八・二六当日を含む二十五時間の本部追及の核心に「暴力」キャンペーンへの反撃を据えた。それをテコにして、大会中止と「四党合意」撤回を迫ったのだ。そうして闘争団切り捨ての「四党合意」の不正義を浮き彫りにして、本部方針の採決を阻止した。七・一から八・二六の全過程は、まさに「四党合意」こそ巨悪の暴力であり、これの強制は闘争団の暴力的切り捨てであることを徹底的に暴いたのだ。
闘争団の解体狙った樫村メモを弾劾する
「四党合意」受諾が闘争団切り捨てであることを典型的に示す、樫村潔前国労本部書記長のメモが明らかになった。樫村前書記長は、現役最後の大会で八・三〇路線を強行し、現在はチャレンジの牙城(がじょう)の盛岡地本で院政を敷き、小沢孝前東日本エリア委員長とともに全国のチャレンジ一派の人格的バックボーンとなっている。
樫村前書記長は、七月十三日付で書かれた「『JR不採用問題』の解決にむけた所感」と題する文書で、「確定判決によって中労委命令が取り消されることになれば、労働委員会の評価や立場が低下しよう。……そして一〇四七人の救済内容も、より低位のものになると想定される。よって確定判決に至る前に、解決しなければならないと思考する」とした上で、七・一で「四党合意」の組織決定が粉砕されたことに「四党の『考え方』を国労が飲まなかったとして、政府の攻撃が強まることも容易に想定される」と打撃を受けつつ、結論的に「闘争団は代表五名(北海道、九州各二名、本州・四国一名)を闘争に専念する者とし、その他の人は不況下の中で大変ではあるが、求職して闘争を支える態勢に切り変える」と提案し、さらに「問題の責任は執行部だけにあるのではない……(六六回臨大の)大会構成員全員が責任を負う義務がある。それは当然として構成員を選出した一人一人の組合員にも、責任は及ぶ」などとしている。
ここでは、本部のチャレンジや上村革同の言い分と同様に、十一月に出される高裁判決を盾にして゛「四党合意」を受け入れて早期解決をしなければ解決ができない。解決水準が低くなる゜という「ラストチャンス論」の恫喝がそのまま展開されている。その上で重大なことは、敗北主義をまき散らしながら、゛「四党合意」を拒否したら闘争団はもう解散だ、全員就職しろ゜という恫喝を、あからさまに、かつ具体的に行っていることである。
さらにここでは、八・二六続開臨大での「組合員の一票投票」策動をも示唆している。しかもそれは、「執行部の責任は免れない」(高橋委員長あいさつ)ことを認めた上でのものではさらさらなく、組合員に責任を転嫁し「執行部居座り」を策するものであることすら吐露している。
樫村メモは、チャレンジ路線こそ「四党合意」受諾=闘争団切り捨てであることを完全に自己暴露している。ここにチャレンジ一派が一貫して策動してきた闘争団切り捨ての意図と、その根拠としてデッチあげている許しがたい「ラストチャンス論」「じり貧論」の敗北主義的本質がむき出しになっているのである。
不当労働行為の本質暴き団結守り抜こう
「四党合意」とは第二に、すさまじい不当労働行為である。このことを徹底暴露しなければならない。
「四党合意」は、分割・民営化攻撃という国家的不当労働行為と、分割・民営化体制のもとでの十三年間の不当労働行為の集大成である。さらに、五・二八反動判決以来の労働委員会制度解体攻撃の凝縮であり、「不当労働行為弾劾」のすべての闘いを絶滅するという、全労働者階級にかけられた攻撃である。問題は、このような「四党合意」という巨大な不当労働行為、しかも白昼公然たる不当労働行為を、なんと国労本部自身が受け入れようとしていることだ。こんな理不尽なことがあってよいのか! 断じて否だ。
この点を明らかにするために、分割・民営化反対は不当労働行為弾劾の闘いであり、そこでの国労の労働委員会闘争は重大な意義を持っていたことについて、確認したい。
国労は、七〇年代のマル生攻撃を「不当労働行為摘発」の大反撃をもって粉砕した経験の上に立って、周知のように分割・民営化直後から地労委申し立てを行っている。
一九八九年四月段階で、地労委への救済申立件数は、採用差別事件で十七地労委十九件を始め、配属差別、出向差別、脱退強要、組合バッジなど延べ九十六地労委二百十二件に上っている。その結果、九六年四月段階で地労委の勝利命令の件数は二百事件百三十一命令、救済対象者数は一万四千二百四十二人となっている。その頂点に、八九年一月二十日の北海道地労委勝利命令と、八九年三月から六月にかけて九州各地労委が発した勝利命令がある。
重要なことは、闘争団はこの地労委命令によって自らの闘いの「社会的正義」を確信して、闘いの原点と出発点にしてきたということである。分割・民営化反対や闘争団の闘いが、いや今日の国労の存在そのものが、この膨大な労働委員会闘争ぬきに語ることはできないのである。こうして見る時、「JRに法的責任なし」の「四党合意」の受諾が、国労の根底的な自己解体以外の何ものでもないことは明らかなのだ。
ところで問題は、日帝権力、資本が分割・民営化攻撃に込めた狙いが、この相次ぐ地労委勝利命令によって決定的に阻まれたということである。
今ひとつ重要なことは、港合同の闘いに学ぶならば、民間労働運動にとっても一貫して、労働委員会闘争−不当労働行為摘発の闘いは原則的・階級的労働運動を守り抜く生命線であったことは明らかである。
五・二八反動判決は、労働委員会闘争を解体し、不当労働行為弾劾の闘いの絶滅を策した歴史的攻撃だった。権力、資本は、これによって膨大な労働委員会命令をなきものにし、いったんは阻まれた分割・民営化攻撃を貫き、それを全労働者に押し広げる決定的突破口としようとした。そして国鉄闘争や民間中小労働運動の労働委員会闘争の全地平を反革命的に転覆するとともに、労働法制改悪、国家的リストラ法制の制定を堰(せき)を切ったように推し進めてきたのである。
だが、この大反動に対してILO勧告情勢が訪れる。ILO勧告とそれを武器にした闘争団の一大反撃が再び始まったのである。
「四党合意」は、こうした分割・民営化攻撃の絶望的破綻と座礁の中で、まさに闘争団の闘いが不屈に発展しようとした時に、追い詰められた日帝権力、JR資本が仕掛けた分割・民営化攻撃の「総決算」とも言うべき大攻撃だったのだ。
地労委闘争にともに立とう
「四党合意」受諾は、このような歴史的過程から見ても闘争団切り捨てであり、国労の解体であり、分割・民営化攻撃への総屈服、総転向であり、国労のみならず戦後労働運動と全労働者階級を売り渡す歴史的裏切りなのである。
八・二六続開臨大に至る攻防のただ中で開始された、国労組合員による「四党合意」撤回の労働委員会闘争は、分割・民営化反対の新たな歴史的反撃の闘いである。「四党合意」絶対反対の闘いの軸がここについに打ち立てられたのだ。闘争団を始めすべての国労組合員は、ともにこの労働委員会闘争を闘おう。すべての労働者はこれを支持し支援しよう。
すべての国労組合員の皆さん。労働者階級の未来をかけて「一票投票」を中止に追い込み、「四党合意」を拒否しよう。代議員選挙を「四党合意」絶対反対派の決起として闘おう。
「四党合意」粉砕の中で現執行部を打倒し、新執行部を樹立して、国労の階級的再生の道を切り開こう。そこから、闘争団の闘いを階級的に規定している「不当労働行為弾劾、解雇撤回、地元JR完全復帰」の全面的実現が切り開かれるのだ。また闘争団闘争の千四十七人闘争としての階級的発展をかちとることができるのである。
「四党合意」を粉砕し、「シニア制度」−外注化など当面の合理化・リストラ攻撃と立ち向かい、国労の階級的団結を打ち固めることは、同時にJR総連を解体・打倒し、国労の組織拡大をかちとる道でもある。
また「四党合意」をめぐる攻防は、全労働者階級の命運をかけた決戦にせり上がっている。すべての労働者は、全職場から決議、団結署名などのあらゆる闘いで「四党合意」強制への総反撃に立ち上がろう。
大資本攻勢打ち破る国鉄決戦の大爆発へ
「四党合意」を粉砕し、国労定期大会に突撃していく過程は、完全に十一月労働者集会への五千人結集の闘いと重なりあっている。
「四党合意」をめぐる一大決戦は、今日の激しい資本攻勢と闘う労働者の日々の死闘と完全に一体だ。
九五年の日経連プロジェクト報告と九八年五・二八反動判決は、今日に至る大資本攻勢に道を開いた歴史出発点であった。
日経連報告が打ち出した雇用破壊、賃金破壊、権利破壊の路線は、二〇〇〇年春闘において「総額人件費削減」を叫ぶ資本の手で、賃金引き下げと戦後社会保障制度の解体攻撃として凝縮された。
だが、九五年以来のすさまじい資本攻勢は、労働組合とその団結が解体されない中では、逆に労働者の一大反乱を引き起こさずにはおかなかった。だから日帝は、九八年五・二八反動判決を打ち下ろしたのだ。それは一方では、国鉄分割・民営化型攻撃の全社会的拡大と、そのもとでの企業再編法制など国家的リストラ法制が次々と打ち出される突破口となった。他方では、労働委員会制度の解体をとおした団結権の剥奪(はくだつ)、さらに労働法制改悪攻撃というむき出しの労組破壊が推し進められる契機となったのである。
この激しい今日の資本攻勢に対して、連合は存立の危機に立たされ、二〇〇〇年春闘をはさんで政治方針の翼賛的大転向を開始するとともに、賃金を始め雇用、労働条件、社会保障制度などでの一層の転向と裏切りに走っている。日帝経済が大恐慌過程に飲み込まれ、そこから脱することができない中で、今日、膨大な労働者は「IT革命」と称するすさまじいリストラ攻撃、不安定・非正規雇用化攻撃のあらしにさらされ、連合幹部の裏切りによって耐えがたい状態に追い込まれている。
このような二〇〇〇年の階級情勢のもとで、ついに総反乱、反転攻勢の怒りの火柱が上がったのである。七・一〜八・二六国鉄決戦が巨万労働者の決起の時代を押し開いたのだ。大資本攻勢が「四党合意」という形で襲いかかる中で、国鉄決戦の求心力が全労働者の階級的魂を揺さぶり、根底からの階級的活性化をつくり出しているのだ。
「一票投票」阻止、代議員選挙勝利、「四党合意」粉砕をとおして国労定期大会を勝ち抜く革命的打開力があれば、今年の十一月労働者集会こそ、日比谷野音を満杯にする五千人の力強い結集は実現可能だ。
一大資本攻勢への全産別からの反撃の渦の中で、十一月へ進撃しよう。今秋国鉄決戦に二〇〇〇年決戦のすべてをかけ、その勝利と一体のものとして、全知全能を傾けて十一月労働者集会への五千人結集をかちとろう!
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週刊『前進』(1974号2面2)
四党合意撤回地労委闘争
実効確保を申し立て ”不当労働行為と闘う”
「四党合意」の不当労働行為性を追及し、その撤回を求める労働委員会闘争は、全国に拡大しつつある。大阪、東京、千葉各地労委に対する救済申し立てに続き、九月五日には国労米子地本の組合員が鳥取地労委に対して、九月十二日には新潟地本の組合員が新潟地労委に対して申し立てを行った。
この労働委員会闘争の中から、国労本部が一票投票を強行しようとしていることへの新たな反撃も開始された。九月八日、大阪、東京、千葉地労委に対して、「運輸省、自民党、JRらは国労に対して一票投票の名で四党合意の是非を問い、結論を迫ってはならない」という勧告を求めて、「実効確保の措置申し立て」が行われたのだ。
これは、「四党合意」の撤回を求めて地労委への申し立てが行われているにもかかわらず、一票投票が強行され「四党合意」受け入れが決定されれば、申し立ての実質的な意味が失われてしまうことから、緊急に労働委員会の権限発動を求めたものである。
労働委員会への申し立てを終えた東京地本の組合員は、八日午後三時から労働省記者クラブで記者会見を行った。申立人の組合員は、二度にわたる大会で拒否された「四党合意」を一票投票という形で全組合員に押し付けようとしている国労本部を弾劾した。そして、これは運輸省・自民党・JRが「四党合意」を強要するために圧力を加え、国労本部を屈服させた結果であると断じて、この新たな不当労働行為と闘い抜く決意を表明した。
「四党合意」は、採用差別を始め配属差別、賃金差別などをJRによる不当労働行為であるとした二百本以上の労働委員会命令について、それらをなかったことにしろと国労に迫る新たな不当労働行為である。こんなことを認めたら資本の不当労働行為は野放しになり、労働者の団結権は根底から破壊される。
「四党合意」撤回の地労委闘争をさらに拡大し、一票投票阻止と国労代議員選の闘いと一体のものとして闘い抜こう。
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週刊『前進』(1974号3面1)
介護と福祉の要求は権利だ
保険料強制徴収への怒りを介護保険制度廃止の転機に
10・1徴収開始と闘いの展望
結柴誠一杉並区議が語る
十月一日、六十五歳以上の人からの介護保険料の徴収が始まる。これを契機に介護保険を巡る闘いは新たな段階に入ろうとしている。介護保険廃止へ結柴誠一杉並区議に大いに語っていただいた。
65歳以上からの徴収開始でパニック状態
九月一日に区役所で仕事をしていたところ、館内放送で庁舎内での電話はしばらく控えてくれという要請があった。なぜかと聞いたら、介護保険料についての区への苦情や問い合わせの電話が鳴りっぱなしで、その対応でパンク状態なんだということだった。十月一日の六十五歳以上の人からの介護保険料の徴収開始に向かって、「徴収が始まります」という区の書類が届き始めたとたんに、問い合わせ電話が殺到した。
介護保険は、直接介護でせっぱ詰まっている人やその家族にとってはすでに大問題になっていました。しかし、それ以外の人にとっては、制度スタート時に六十五歳以上の人の保険料徴収を半年間だけ猶予したことによって、まだまだ遠い話だった。自分は健康だ、まだ介護は必要ないと思っていた人、あるいはマスコミなどをつうじて介護保険はひどい制度だとわかっていたが、保険だから払わなくていいと思っていた人が結構多かった。自分は払いませんよと思っていた人たちが強制徴収だとわかってパニックになっている。
だから十月一日は、あらためて介護保険とは何なのか、本当にこの制度で安心できる老後を送れるのか、あるいは本来の福祉のあり方としてこれでいいのか、と問い直していく歴史的な転機だと思います。
杉並では十月一日に桃井第三小学校の体育館を借りて大きなイベントをもって、介護保険について全区内であらためて問い直す日にしたいと、今準備を重ねているところです。
「介護と福祉を要求する杉並住民の会」の会合で、ある人から、わずかの年金で生活している人から強制的に取り立てるというのは憲法違反ではないか、憲法二十五条にまったく相反するという指摘がありました。本来介護保険が福祉施策というのだったら、憲法で保障されている最低限の生活すら脅かすような制度は福祉施策などとは言えないという声があった。この点を国に向かって、本格的に学者や専門家の力を借りながら争いたいという動きが出ています。
家族に介護の負担を強い悲惨な事件続発
介護保険実施以降の半年間の状況をみても事態は深刻です。報道されているいくつかの例でも、五月に千葉県で六十五歳の男性が介護疲れで母親を殺害するという事件が起こり、八月に兵庫で寝たきりの六十五歳の娘を八十三歳の母親が殺害するという事件が起こっった。さらに千葉県で両足が不自由な夫を妻が介護疲れから殴って殺害しようとしたという事件が起きている。これ以外にもの鹿児島でも同じような事件が起きています。これらは氷山の一角だと思います。
むしろ介護保険が始まってからこういう事件が頻発していること、あるいは介護保険が実施されて何カ月かたってから次々と起こっていることは重大です。もともと「介護の社会化」だとか、「家族介護の負担を軽減する」とか言っていたことが真っ赤なウソであり、逆に家族に介護の負担をより一層強いている現実が突き出されているのです。
それは、例えば施設がどういう現状かということをみるとよくわかる。老人保健施設の場合、本来在宅介護に戻すまでの中間施設なわけです。ところが在宅介護で金がかかるために施設から出ない、出られないという状況がある。老人保健施設の人の話ではベッドが空くということはまったくなくなったそうです。
介護保険の利用状況については、都内十二自治体、三区七市二町の調査では利用限度額の半分しか使われておらず、一割負担によって必要な介護を減らしたり断念している実態が浮かび上がっている。また特養ホームなどの短期入所、すなわちショートステイが介護保険実施以後、四割減少している。ショートステイは入所希望がないのではなくて、利用者負担が大きすぎて利用できないのです。
在宅介護支援の社会的な体制がない中でショートステイはものすごく重要なものです。高齢者を介護している家族が、一週間ショートステイを利用することによって本当にリフレッシュできる。それで体力を立て直して介護していく気力ができるわけです。多くの場合ショートステイがあって初めて在宅介護が成り立つ。このショートステイの利用率が激減しているということは、介護している家族がへとへとに疲れているということです。だから事件が起きるんです。
あるいは訪問看護も今までは一回で二百五十円だったけれども、それが一時間で八百三十円になった。だから訪問看護も利用がなくなってヘルパーさんでいいというようになっている。
デイサービスも杉並の場合には社会福祉協議会を中心に社会福祉法人が十一カ所でデイサービスを実施しており、民間にもデイサービスの施設がいくつかあります。区の施設でもやっと定員を満たせる状態で、民間の施設はほとんどがらがらです。
そういう中で施設が財政的に立ち行かなくなりつつあるという問題もある。コムスンの撤収・削減問題も、ひとつは労資問題で、組合結成の動きに対して大量首切りで組合結成をストップさせたと言われています。しかし、背後には介護保険では思っていたように営利事業として成り立たない、撤退せざるを得ない現状が明らかにあります。
介護保険でシルバー産業に市場を開けて民間の事業を発展させる、福祉領域を民間資本にゆだねるという狙いがあったわけですが、実際にふたを開けたらとんでもないということになっている。福祉を資本の利益追求の場にするという動機自身の問題がある。福祉は資本の利益追求の場にするには本来なじまないということが、具体的な問題から浮かび上がっている。
今後の闘いという点で、六月三日に結成大会を開いた杉並住民の会の運動の意義が一層大きなものになっていると思います。
この運動は、これまで曲がりなりにも保障されてきた自立生活が介護保険によって奪われたBさんの問題をきっかけにして始まりました。高齢者や「障害者」が地域で自立して生活することを本来促進すべきであるにもかかわらず、介護保険でそれを奪うのはとんでもないということで、みんなの問題としてとらえたことからスタートした。
高齢者・家族が運動の主体的な原動力に
Bさんは、脊椎(せきつい)損傷による高齢「障害者」で、杉並区や国や都の福祉施策をさまざまな形で利用しながら地域で自立生活を営んできた。それが介護保険によって一挙に六十四万円もの負担を強いられることになったのです。
この運動の中でつかんだのは、一つには介護は権利である、胸を張って要求すべきものなんだということです。高齢者は、若いときに働いて、しかも戦後の焼け跡から日本の経済・社会をつくり上げてきた。その自分たちが働いてつくってきたものを今の若い人たちは享受しているわけだから、高齢者は自分の介護を権利として胸を張って要求すべきものなんだということを、みんなでつかみ取ってきた。
二つ目には、だから介護は全額公費で負担すべきもので、国や自治体の責任であって、この負担を当事者に強いるとか、家族に強いるということは言語道断だということです。
三つ目に、であれば、介護や福祉の具体的な要求、いのちの要求は、介護ネットワークやみんなの力で要求し実現していくべきものだということです。みんなで知恵を絞って、自治体に、杉並区に具体的に要求し、一つひとつ実現するということをこれまでやってきた。その中で、ささやかではあれいくつかの具体的で切実な要求を実現してきた。
特に、この運動の原動力になったのが六十五歳以上の高齢者です。中心となっている高齢者が「老人よ大志を抱け」という呼びかけを発した。一人ひとりが黙っていてはだめだ、してもらうというのではないんだ、自分たちの問題であり、自分たちが主体となって実現していく運動なのだと考えた。自分たちの希望を実現していくという夢を持とう、自分たちが一緒に手をつなげば実現できるんだという思想です。これまでの既成政党の議員におまかせするというような、あるいは単に自治体にお願いするということではなくて、自分たちが主体なんだ、自分たちが実現していくんだという、この意識とこのエネルギーが原動力です。
杉並でも自殺未遂のような事件があって、そうした事件にみんな胸を痛めている。自分たちと同じ思いになれば一緒に立ち上がれるんだ、もっと自信を持とうと呼びかけています。
そうして一緒に立ち上がった人たちにとっては、財源がないとか、今の若者が何人もの高齢者を支えなければいけないから大変だとか、そういう議論は全然通用しない。金なんかないわけではないんだ、銀行救済にいくら使っているんだ、そのお金を回せば十年分ぐらいの介護はまったく可能なんだと。若い人が高齢者を支えるというのは逆だ、自分たちが働いてきたことが今の社会をつくったんだ、だから要求するのは当然なんだという意識です。
10月1日を突破口に全国的運動へ発展を
今まで高齢者や家族が中心になって国や自治体との要求交渉を重ねてきました。いよいよこの問題が六十五歳以上の人たちすべての課題になるということです。十月一日をもって介護保険廃止の新たな全国的な運動を拡大していく転機にしよう、あらためて全国にそのことを呼びかけようと、話し合っています。
確かに、これまでも介護保険の問題を話してきたけれど、やはり要介護高齢者を抱えている人以外は、打てば響くという感じではなかった。しかし、最近区内でも本当にすべての人の話題になっている。六十五歳以上の人はみんな実感してきています。まずは半額負担で、非課税世帯の場合には千円に満たない額なんですが、しかし実際に請求されてみると大変な負担なんです。特に年金生活の人にとってみれば、今まで健康保険料だけですんでいたものが、それにプラスされるということで、プラス分が千円以下でも、今まで千数百円だったものが二千何百円になるわけです。大変な負担です。
杉並区には六十五歳以上の人は八万五千人いますから、その人たちがあらためて真剣に考えているわけです。大変な流動が巻き起こる。その人たちにどう方向性を示していくのか。老人パワーを爆発させていかなければならない。
政府や自民党の宣伝で、高齢者が増えて迷惑をかける、負担だ負担だという言い方が、結構プレッシャーになっている。高齢者の絶望感をあおるような宣伝が意識的になされて、高齢者が長生きしようという希望を失っている。
そこに住民の会は生きる希望を与えるだろうし、活力を与えるでしょう。運動というのはそういう希望とか、明るい未来に向かってのベクトルがないと発展しない。逆にそれがあると発展する。私たちの手で社会を変えられる可能性がある。住民の会の運動はそれをつくり出した。
住民の会の中で育まれている「介護を自分たちの手で、自分たちのネットワークで実現していくんだ」という運動は、解体されてきた団結の回復という点で、労働運動にも大きな支えになると思います。実際、介護保険や社会保障は労働運動の重大な課題なんです。
十月一日を契機にこれをさらに全国的な運動に発展させて、介護保険を廃止させていきたい。ともにがんばりましょう。
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週刊『前進』(1974号3面2)
10・8三里塚全国集会へ ”暫定滑走路阻止を”
反対同盟が招請状
三里塚芝山連合空港反対同盟は、十・八全国総決起集会の招請状を全国の闘う人民に発した。これにこたえ総結集することを訴えます。(編集局)
招請状
全国の闘う仲間のみなさん。
行きづまった平行滑走路のとりもどしをかけて、政府・空港公団は闘争陣形を崩そうと激しく攻撃しています。昨年秋、反対同盟は二年間の決戦を宣言しましたが、いま新たな決意のもとでこの攻撃に闘いを挑むとともに、全国のみなさんに総決起を訴えるものです。
政府公団の空港建設はかつての強権的手段に完全に舞い戻りました。騒音と振動をふりまく軒先工事は土地強奪攻撃そのものです。その上に運輸省は、暫定滑走路の南側進入表面を九bも飛び出して飛行の障害となる東峰神社の立ち木の伐採方針を固めました。この秋にも東峰部落に対して伐採の同意を迫り、拒否回答に対しては来夏に航空法に基づく処分を強行しようと策動しています。東峰神社は部落のものです。立ち木を切り倒すことがどうして許されるでしょうか。運輸省・公団は計画段階で飛行の障害となることを当然にも承知していたのであり、工事の進展を口実にして神社に手をかけることで住民に屈服を迫ろうとしているのです。
また、団結街道の破壊攻撃が強まっています。郡司とめ婦人行動隊長の葬儀のさなかに、公団と成田市は機動隊を動員して団結街道を四百bにわたって封鎖しました。道路法に反して公示をせず、迂回(うかい)道路の一部は空港外周に沿って造られました。この暴挙を放置すれば封鎖部分が廃止されることは必至です。市役所を徹底追及し原状に復することを確認させました。さらに生活区域を侵害する東峰迂回道路の着工がこの秋に策動されています。ここに現れたものは、住民の生活と営農を破壊する権利が行政にあるとする思い上がった意識です。
自民党は土地収用手続きを簡素化する改悪法案を臨時国会に提出することを決めました。九月三日に行われた首都防災訓練では戦後初めて羽田空港に自衛隊機が飛来しました。暫定案は有事の際の軍事空港づくりです。三里塚・沖縄の土地強奪や民間施設の軍事使用が全国でも当然のこととされようとしています。
これが歴史の逆流でなくて何でしょうか。新安保ガイドラインの具体化は戦争への道です。そのために三里塚や沖縄、北富士、日本原、関西など、戦争準備に反対し住民の権利を守る闘いを押しつぶし、動労千葉を始めとする労働運動を圧殺しようとしています。
三里塚闘争はいままさに正念場です。運輸省は、来年度予算概算要求に平行滑走路(二千五百メートル当初計画)の予算を盛り込むことができませんでした。暫定案の提示と工事再開による地権者つぶしに失敗したからです。隠された矛盾はさらに噴き出すでしょう。ジャンボ機が飛べない短縮滑走路、着陸帯や進入灯の航空法違反、神社の立ち木伐採攻撃。シンポジウムや円卓会議で公言した「強制的手段はとらない」とする国の言葉の嘘(うそ)がいまや満天下に暴露されたのです。
国による人権侵害と生活破壊、戦争準備に、人民は絶対に屈しません。反対同盟は国家権力を向こうに回して一歩も引かず、暫定滑走路を粉砕する実力闘争に決起します。運輸大臣による違法な認可の取消請求訴訟など、あらゆる手段で闘います。十・八全国集会はこの新たな闘いへの総決起集会です。全国から大結集されるよう訴えます。
二〇〇〇年九月九日
三里塚芝山連合空港反対同盟
記
【集会名称】成田空港暫定滑走路建設阻止 10・8全国総決起集会
【日時】十月八日(日)正午
【会場】成田市東峰 反対同盟員所有地
【主催】三里塚芝山連合空港反対同盟
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週刊『前進』(1974号3面3)
新「人事評価」導入阻止を
自治労大会 総括と今秋の闘い
能力主義推進案に37県本が反対
自治労第七〇回定期大会が八月二十三日から三日間、長野市ビッグハットアリーナに六千人の代議員と傍聴者を集めて開催された。大会は冒頭から「能力・実績主義で白熱した質疑討論」(自治労中央機関紙)となり、激突の大会となった。
隔年大会方式が採用されたことにより、今年の大会は昨年の宮崎大会で採択された運動方針案を中間総括し承認して終わる予定だった。ところが六月二十一日に公務員連絡会が戦後公務員賃金・人事制度の根底的転換を意味する「国家公務員の能力・実績を重視した人事管理システムの見直しと新たな人事評価システムについての考え方(案)」を提案したことで、これを推進する日教組とともに最大の単産である自治労大会に労働者の注目が集中した。
自治労中央は「考え方(案)」を受けて、七月十二〜十三日の県本部代表者会議に「人事管理制度の民主的改革と新たな人事評価制度の確立に向けて(討議素案)」を提出し、さらに急きょ三十一日に県本部書記長会議を開き、追加の運動方針案として「新たな人事評価システム」を盛り込むことを決定した。
この中央本部の運動方針案に対して、大会初日に十三県本部が共同修正案を提出、実に三十七県本部が反対の態度を明確にした。「考え方(案)」を、県本部レベルの討論だけでひそかに推進しようともくろんだ中央本部の策動は完全に粉砕されたのである。
今後、大会を受けて開かれる単組大会で「考え方(案)」と「討議素案」が全国の単組に下りる。全国の単組でこの分岐を徹底的に推し進め、粉砕しよう!
職場・単組の絶対反対闘争が重要
大会は冒頭、榎本委員長のあいさつ、大原書記長の中間総括で、@春闘はきわめて厳しい結果に終わった、A人勧闘争を重視する自治労の賃金闘争を再構築する、B分権自治、自治体改革を推進する、C総選挙を総括し連合政治センターを強化する、D介護保険の推進と社会制度改革を推し進める、E自治労綱領の改正に着手する、などの提起がなされたが、討論は一点「考え方(案)」の取り扱いに集中した。
大会初日、青森、秋田、岩手、宮城、山形、福島、新潟、富山、長野、香川、大分、宮崎、佐賀の十三県本部の共同修正案が提出された。趣旨は「『考え方(案)』に検討を加え、反対の立場で意見反映をおこなう。格差解消と公平・平等をもとめてたたかってきた自治労運動の経過と今日の情勢を踏まえ、基本的に反対の立場を明らかにする。自治労賃金闘争の到達点に立ち、昇給・給与制度にかかわる労使交渉の指針を作成する。新たな人事制度・人事評価の問題点について組織討論を促進する」(ゴシックは修正部分)というもの。
また、修正案提出の理由は「今日の能力・実績主義と新人事評価制度の導入は、当局側がすすめる総人件費抑制政策であり、あらたな労務管理攻撃であることは疑いがない。新たな差別と選別、競争と分断のなかで統一と団結が崩れ、自治労産別組織として急速に求心力を失うこととなる。新評価制度の導入に明確に反対したたかいをすすめていく事が重要である」というものだ。
さらに討論では広島、高知、茨城、埼玉、長崎、鹿児島、徳島などが次々に反対表明を行った。
これに対して自治労本部は、最終日に修正案の趣旨の受け入れを表明し、「勤評反対闘争など差別や格差を拡大する攻撃に対してたたかってきた運動とその成果の上に立って新たな人事評価制度導入の動きに対応していく。今回の動きの背景にある総人件費削減の圧力や労務管理強化の側面については反対の立場を明らかにする。人事対策委員会を設けて、単組・現場の知恵と経験を生かすように努力する」と締めくくった。
そして、採決を回避し、共同修正案も取り下げるという政治的決着で、本部案の否決という事態を回避した。大会宣言では「これらが職員間の賃金格差を拡大し、競争をあおるものならば容認することはできない」と結んでいる。
こうした対応は、対決を先送りする玉虫色の決着である。大会は圧倒的多数で「考え方(案)」を否決すべきであったが、そこまではやれなかった。しかしともあれ、自治労中央がこの問題を一挙に突破し、能力・実績主義を推進するという策動には「待った」をかけたのである。これにより今後は各単組での闘いが決定的に重要になった。
生活給要求掲げ実力で賃上げを
八月十五日に人事院は政府と国会に対して勧告を出した。内容は、ベアゼロ(=給与条例を改正しない)、扶養手当のみ〇・一二%(四百四十七円)引き上げ、期末・勤勉手当については〇・二カ月削減というものであった。
基本給改定は初の見送りである。すでに昨年、東京都をはじめ八都道府県で行政の一方的決定で賃金カットが強行されている。実質的マイナス勧告であり、人勧の崩壊の危機である。
直ちに連合は「異例のことであり、この決定を受けて賃金改定が行われる中小・地場産業への影響を考えると問題である」と言いながら、「一日も早い勧告どおりの実施を」と反労働者的な「談話」を発表した。公務員連絡会は「われわれの粘り強い取り組みの結果。今後は完全実施を求める確定闘争を進める」などと、完全実施=賃下げを推進せよとの立場をとった。これではソーシャルダンピング、総額人件費抑制とはまったく闘えない。
大会の全体討論では、代議員からも「賃下げとなった今年の人勧に対して、……人勧完全実施を求める自治労方針に対する組合員の失望の声を本部は厳しく受け止めてほしい」との批判が出された。
そもそも賃下げの時代にあって、公務員賃金体系は決定的位置をもっている。電機も鉄鋼も自動車も、行き着くところ人事院の「生計費原則」と共通の考え方で賃金体系を形成してきた。人事院の「標準生計費」概念は、戦後賃金決定の基底をなしてきたのである。「考え方(案)」はそこを狙い撃ちした。能力主義と言い、実績主義と表現しようとも、それは賃下げの手段であり、手法である。生活給の概念を崩壊させることは、限りない賃下げ攻撃で、労働者を飢餓状態にまで追いやることである。これを公務員連絡会は率先して推し進めようというのである。
これに対して「違和感がある」という自治労大会での雰囲気は、正しく闘いが指導されるならば必ず労働者の反撃が爆発するという現場感覚を表現している。ついに労働者にとっては最も敏感な生きる糧を求めて、本格的に資本と激突する状況が到来したのだ。
これは資本の支配にとっては、この上ない危機なのである。また、それは連合支配の危機と、労働者階級の総反乱の決定的な始まりを告げるものである。
綱領的転換へと走る自治労中央
省庁再編、地方分権、行革リストラ、現業の民営化として推し進められている「国のかたち」再構築も、それを担う公務員制度の改悪ぬきにはありえない。複線型人事管理と言おうが、あるいはファシスト石原都知事流に「人事革命」(東京都人事白書)と言おうが、その狙いは公務員を戦前の「吏・雇・傭(よう)員」のような天皇制国家の末端機構としていく道である。
自治労は、来春四月に新綱領として二十一世紀戦略研究会の「二十一世紀の自治労運動の中期ビジョン」を出し、定期大会で提案する。能力・実績主義人事・賃金との闘いは、すでに綱領的転換に走っている自治労中央との正面激突の開始だ。全国の単組で絶対阻止の決戦体制に突入せよ!
一切は「四党合意」粉砕、千四十七人の解雇撤回、闘争団絶対防衛をかけた国鉄闘争の勝利へ総決起し、十一月労働者集会への五千人結集をかちとることにかかっている。自治体労働者はその先頭で闘おう。
〔マル青労同自治体労働者委員会〕
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週刊『前進』(1974号4面1)
29年以来最悪の恐慌――日本経済はどうなっているか?
史上最大の恐慌対策で国家財政・金融は総破綻
大失業を強いる帝国主義打倒へ
島崎光晴
29年以来最悪の恐慌 日本経済はどうなっているか?
日本経済は九七年秋以降、第二次大戦後にどの帝国主義国も経験したことのない深刻な恐慌に陥っている。日帝は、二九年恐慌の際のニューディール政策を上回るほどの史上最大の恐慌対策をとった。しかし、恐慌から抜け出せないばかりか、国家財政・金融は総破綻(はたん)し、恐慌対策が新たな矛盾を次々と引き起こすに至っている。米経済バブルが本格的に崩壊する時、この新たな矛盾の爆発で恐慌が再激化するのは必至だ。それほどの破滅的な経済危機にあるからこそ、日帝の政治危機が噴出しているのである。戦争と大失業の時代が急加速しつつある。今こそ〈資本主義にノーと言える労働運動〉が大前進する時だ。
戦後最大のマイナス成長に前例ない質・量の過剰資本
日本経済は九七年秋、二九年恐慌以来どの帝国主義国も経験したことのない最も深刻な恐慌に突入した。そして、日本の恐慌をもって〈日本発・アジア発の世界大恐慌〉が始まった。
すでに九七年四月の消費税率引き上げを機に景気が鈍化していたが、秋の北海道拓殖銀行、山一証券の経営破綻を機に明白な金融恐慌が始まった。そして金融恐慌の激しさから、実体経済も急下降していった。つまり、金融恐慌を機にした経済恐慌という典型的な恐慌なのである。
まず重大なのは、日本経済が本格的な金融恐慌と信用収縮に陥ったことである。戦後帝国主義は数多くの恐慌を経てきているが、本格的な金融恐慌は初めてである。
特に九八年春以降、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行の経営危機が表面化した。長銀の総資産は約二十五兆円にも上った。日本の上場企業(金融・保険を除く)の経常利益が約十兆円(九八年度)だから、その何倍もの資産を持つ銀行がつぶれかねないまでになったのだ。このため、銀行の貸し渋りと資金回収が強まった。さらには企業間金融でも、手形取引が信用されず、現金払いが日常化するまでになった。金融機関同士、金融機関と企業、企業同士のすべてで信用が崩れていった。恐るべき信用収縮である。
この金融恐慌に加え、アジア通貨・経済危機の影響で対アジア輸出が激減し、その両方から実体経済は急下降した。九八年の実質成長率はマイナス二・八%で、七四年以来のマイナスとなった。しかも七四年のマイナス一・二%の実に二倍もの戦後最大のマイナス幅となった。名目GDPと「国民所得」は、九八年に一九五五年の統計開始以来初めてマイナスとなった。
九八年の粗鋼生産は一億トンを割り、実に七一年以来の低水準に下がった。自動車の新車販売台数はバブル需要以前の八七年の水準にまで落ちこんだ。九八年の企業倒産は一万九千件で、負債総額は十四兆円強と過去最高になった。
九八年は、これ以外の多くの経済統計も戦後初めてという記録ずくめの年となった。単にバブル部分が吹っ飛んだというような事態ではない。七四−七五年恐慌をも上回り、戦後の全帝国主義国でなかった最大の恐慌となったのだ。
世界大恐慌へ日本が先行突入
それほどの恐慌に至った原因は、過剰資本とその一つの表れでもある不良債権の深刻さにある。
日本経済は、七〇年代後半から八〇年代、さらに九〇年代初めにかけて製造業の投資を重ねつづけた。しかも八〇年代後半のバブル期には、不動産、建設、流通業での投資をむちゃくちゃに拡大した。その結果は製造業を始めとする膨大な過剰資本である。九八年七−九月期に日本企業が抱えていた過剰設備は、額で計算すると過去最大の約八十六兆円で、九七年度の新規設備投資額に匹敵した。設備投資の丸々一年分が過剰なのだ。この過剰資本だけでも、世界大恐慌をもたらすほどの性格を持つ。
しかも、バブル期の銀行による貸し付けが、バブル崩壊によって不良債権と化してしまった。九〇年代に地価が暴落し続けたため、不良債権は百兆円にも膨張した。金融機関のこれほどの規模の不良債権は資本主義史上でも例がない。
日帝は九〇年代に不良債権問題を先送りしつづけてきたが、それが限界に達し、ついに九七年に金融恐慌として噴出したのである。そしてそのとたん、根っこにあった過剰資本状態も一挙に露呈して恐慌に突っこんだのだ。
このように、日本の過剰資本と不良債権はどちらも世界史上でも前例のないほどの質と量を持っている。それが恐慌として発現しているのであるから、当然その影響も世界的な大きさを持つ。だからこそ、〈日本発・アジア発の世界大恐慌〉は、この日本の恐慌突入をもって始まったのだ。
とはいえ、その後も米経済バブルがなお維持されたため、日米欧の世界同時恐慌とはならなかった。しかし、こと日本経済自体は二九年以来の恐慌に突っこんだのである。むしろ、〈世界大的な質と量を持つ日本経済が先行的に恐慌に突入することによって、世界大恐慌の過程が激しく進んでいった〉ということだ。
ニューディール上回る支出1年半もの異常なゼロ金利
九七年秋からの恐慌は、九八年秋には一段と深刻化した。米経済では、ヘッジファンド危機を引き金にして米株価とドルが急落、米金融と国際金融での信用収縮の兆しが現れた。これと連鎖しながら、日本の株価は一万三〇〇〇円を割ってバブル崩壊後の最安値をつけた。しかも、長銀や日債銀だけでなく富士銀行やさくら銀行なども経営破綻に向かいつつあった。
ブルジョアジーは「世界は地獄に向かっている」(サマーズ財務次官)と悲鳴を上げ、「『世界恐慌』の四文字が脳裏をよぎった」(榊原財務官)と震え上がった。
この恐慌の深まりと世界恐慌の本格化の危機に対して、日帝はあらゆる恐慌対策を発動した。
恐慌対策の最大の柱は銀行救済措置である。日帝は九八年秋に金融関連法を成立させ、銀行救済のための六十九兆円の公的資金枠を設け、長銀を一時国有化した。民間銀行の国有化は戦後初めてだ。後に日債銀も一時国有化された。
そして翌九九年三月には、大手十五銀行に七兆五千億円の公的資金を投入した。この額は十五行の資本金の約一・三倍にも上る。東京三菱を除けば各行とも年間利益の実に十倍もの公的資金を受けた。それほどのカネを投入したのは、大手銀行のほとんどが実質的な債務超過状態、つまり経営破綻状態だったからだ。
そして、公的資金の投入によって、大銀行のほとんどが実質上の「国家管理銀行」になった。公的資金の投入は、国が銀行の株を買い取る形をとった。その結果、国が株主全体に占める割合は十五行平均で約四割にも上り、五割を超えたのが五行にも及んだ。国家が大銀行=金融資本の最大株主になるという異常な方法によってしか、銀行を救済できなかったのだ。
恐慌対策のもう一つの柱は、財政支出の野放図な拡大だった。九八年末には、財政改革法が凍結され、事業規模十七兆円の緊急経済対策や二十一兆円の国債発行を盛りこんだ九九年度予算案が作られた。日帝はそれまでの財政改革路線を投げ捨て、赤字放漫財政に百八十度の大転換をした。
九八年一年間で決まった財政・金融両面でのテコ入れ策は合計で百二十三兆円に達した。GDPの実に二五%にも及ぶ。二九年恐慌の際の米帝のニューディール政策では、失業救済、農業救済、社会保障という恐慌対策支出が連邦財政支出の約四割にもなったが、それでもGNPの約四%にすぎなかった(三三−四〇年度平均)。日帝の今回の恐慌対策は帝国主義史上で最大規模なのだ。
国債増発で金利上昇しドル動揺
しかし、これほどの恐慌対策がなんの問題も起こさずにいくことなどありえない。実際、日帝にとっても予期せぬ、一層深刻な矛盾が噴出することになった。
何よりも、九八年末から九九年初めにかけて、国債増発によって国債利回りが上昇した(国債価格は下落)。国債利回りは長期金利の指標をなす。金利上昇は景気を冷やす作用を持つため、それまでのすべての恐慌対策の効果がかき消されかねない事態となった。しかも、日本の金利上昇と日米の金利差の縮小によって円高ドル安が急進展し、ドルと米株価の暴落を誘発しかねなくなった。
あわてた米帝は、日帝に対して国債の日銀引き受けを迫った。国債の日銀引き受けは、通貨の無制限の発行を意味し、悪性インフレを引き起こし、経済を破滅させる。だから日帝は、日銀引き受けをためらった。
それに代わる措置として、二月から短期金利をゼロに誘導するゼロ金利政策を実施した。長期金利は直接に誘導できないため、市場操作によって無担保翌日物金利という短期金利を実質ゼロに誘導し、それによって間接的に長期金利を低く抑えようとした。
帝国主義国で金利をゼロに誘導するのは、史上例がない。なぜなら、金利をゼロにすると、ブルジョア的意味でも金融面の“節度″がなくなるからだ。ところが日本経済は、いわばカンフル剤を打ちつづけて延命するというやり方を一年半もとったのである。
名目成長率はマイナス続きIT化は合理化と腐朽促進
このような史上最大の恐慌対策によって、九九年春になってようやく金融恐慌の深化をひとまず防ぐことはできた。しかし景気実体はほとんど回復しなかった。九九年度の名目GDPは、前年度に続き二年連続してマイナスとなった。経済規模が二年間にわたって縮小するのは、戦後帝国主義では前例がない。
三カ月ごとの名目GDPの伸び率(前期比)を見ると、九九年四−六月マイナス〇・四%、七−九月マイナス一・四%、十−十二月マイナス二・〇%、〇〇年一月−三月プラス二・〇%、四−六月マイナス〇・七%である。物価が下落しつづけているため、実質成長率で計算すると伸びているように見えるが、実体は停滞したままだ。
つまり、恐慌状態を脱したわけではないのである。大規模な恐慌対策によって恐慌の深化を防いでいるのだから、むしろ過剰資本は温存される方向にある。過剰設備の廃棄のために産業再生法が作られたが、ほとんど進んでいない。
企業利益を見ると今年三月期決算では、全産業の連結売上高は一・一%の減少であるにもかかわらず、連結営業利益は一三%も伸びている。売り上げが減っているのに、なぜ利益が伸びているのか。リストラと賃下げなどで「総額人件費の抑制」が強行されているからだ。たとえば日立製作所は約千七十億円の黒字だったが、うち人件費の削減分が一千億円強に上った。ひたすら労働者に犠牲をおしつけて利益を回復させているにすぎない。
争闘戦と大失業強めるIT戦争
「今年になってIT(情報技術)景気に入った」と宣伝されているが、まったく違う。たしかに半導体や携帯電話の生産と投資が拡大している。しかし、生産に占める輸出寄与率は約七割に達しており(一−三月)、輸出依存の生産拡大でしかない。その輸出の実態は、アジア向けの半導体、半導体製造装置の輸出である。米経済バブルが維持されている中で、アジアの景気が若干上向き、そのアジアへ輸出を増やしていること、それが生産拡大の最大要因だ。だから、米バブルが本格崩壊するなら、これは即消失する。
日帝は「IT革命」などと称しているが、その化けの皮は早くもはがれつつある。そもそもIT化はどこまでいっても情報通信分野での改編にすぎず、生産体系を抜本的に変革するようなものではない。全産業への波及効果という点でも限られている。実際、IT関連の投資は伸びているにもかかわらず、四−六月の企業設備投資は全体としてはマイナスに転じている。
しかも、昨秋から米経済と同様のインターネット株のブーム、ミニ・ネットバブルが起きたが、半年もたたずに崩壊してしまった。東証マザーズ、ナスダック・ジャパンなどネット企業・新興企業向けの店頭株式市場が作られたが、たちまちにしてヤクザなどが新興ネット企業に群がりつつある。腐りきった日帝のもとでのIT化とは、そういうものでしかないのだ。
さらに一般家庭の消費支出に占める通信費が急増している。サラリーマン世帯の消費支出に占める通信費の割合は二・八%に上昇している。これに対し米・パン・めん類など穀類の割合は二・二%に低下した。携帯電話やインターネットの支出が増えているため、通信費を捻出(ねんしゅつ)するために食費を削っているのだ。ITによる通信費の支出が主食の支出をも上回るというのは、帝国主義の腐朽以外の何ものでもない。このような形でしか延命できない帝国主義は打倒するしかない。
そもそもITは、帝国主義間争闘戦の武器であるとともに、労働者の大合理化・リストラ=国内階級戦争の手段でもある。その意味で「IT革命」などではなく、<IT戦争>と言うべきものだ。ITによって日本と世界に戦争と大失業を引き起こす帝国主義に対して、唯一の革命、プロレタリア革命をこそ突きつけてやらなければならない。
長銀の再民営化で倒産続出国債漬けの銀行は危機再燃
このように日本経済は、史上最大の恐慌対策によっても恐慌から抜け出せていない。いやむしろ、恐慌対策は新しい、より恐るべき矛盾を引き起こし、それらが爆発寸前になっている。爆発するなら恐慌が再び激化・深化するのは必至だ。
第一に、長銀と日債銀の再民営化に伴って不良債権処理が本格化しはじめており、それが大手企業の倒産を引き起こしている。
旧長銀は今年四月に再民営化されて「新生銀行」となり、不良債権の処理に動きはじめた。そごうはこの長銀をメーンバンクとしていたが、総額六千億円以上もの債権放棄を多数の銀行に要請した。銀行からすると債権放棄、企業からすると債務免除である。その六千億円には、新生銀行の債権二千億円が含まれていた。しかし新生銀行が債権放棄を拒んだため、日帝はその債権を政府で買い取って救済しようとした。
しかし人民の猛反対に直面して、日帝は政府資金によるそごう救済を断念するしかなかった。このため、そごうは七月に実質倒産した。大型百貨店の経営破綻は戦後初めてだ。
これは単にそごう倒産にとどまらない意味を持つ。なぜなら、日帝はそごう救済を機に、政府資金の投入による債権放棄という仕組みを作り、他のゼネコンなども同じ方法で救済することを狙っていたからだ。その方法が最初からつぶれてしまった。長銀をメーンバンクとしていた他の危機的な企業も倒産しかねない。また九月に再民営化された日債銀が、不良債権処理を本格的に始めるなら、こちらからも企業倒産が続出する。不動産・建設・流通業では「第二、第三のそごう」になりかねない大企業がひしめき合っている。
第二に、日帝はゼロ金利政策を八月にようやく解除したが、それに伴う金利の上昇が金融機関と企業を直撃するのは必至だ。
ゼロ金利政策の解除後、実際に金利は上昇傾向を見せている。九月になって国債の格付けが再び下げられたため、国債価格の下落から金利が上昇していく可能性も強い。一年半も金利ゼロのいわばぬるま湯状態を続けた結果、若干の金利上昇でも大変な劇薬となって襲いかかる。
金融機関はこれまで低金利で資金を調達してより高い金利で貸し出し、それでもうけたカネを不良債権処理にあてていたが、それができなくなる。また金利上昇は、不動産・建設・流通業など債務の返済負担の大きい業種を直撃することになる。特にこの三業種では、債務全体に占める短期債務の割合が四五%にも上っており、わずかの金利上昇でも影響を受ける。
赤字放漫財政のツケが大銀行に
第三に、銀行が国債保有を急増させているため、金利上昇によって国債が暴落するなら、金融機関と金融市場の危機が再噴出せざるをえない。
九九年度に銀行は、国債(政府短期証券を含む)を四十四兆円以上も買い増した。国債増発分の約七割に相当する。銀行の全資産に占める国債の割合は一〇%近くまで伸びた。一方、銀行貸出残高は三月末で前年度比二十五兆円も減った。つまり、銀行が民間への貸し手であることをやめ、国債の消化機関に成り下がっているわけだ。膨大な国債増発にもかかわらず金利が急騰していないのは、銀行の買い支えのためである。
しかし、どこまでも買い続けられるはずがない。むしろ、銀行は大量の国債を保有したことで新たな問題を抱えこんでしまった。金利が上昇し国債価格が下落すると、保有している国債に大損失が生じる。“長期金利が一・四二%上がると、銀行が抱える債券に約五兆円の損失が生まれ、業務純益のほぼすべてが吹き飛ぶ″との試算もある。
今年三月の金融機関の問題債権(不良債権と回収に注意が必要な債権の合計)は八十二兆円弱と、なお増えつづけている。昨年来の銀行の大型統合・合併にしても、単独では生きられないほどの窮地に陥ったからだ。そこに保有国債の大損失となるなら、不良債権処理は絶望的になる。再び金融システム不安が表面化し、金融恐慌が新たな局面に入る可能性が出てくる。
第四に、恐慌対策による膨大な借金で国家財政が大破綻してしまった。
国債発行残高と国の借入金を合計した債務残高は、今年度末に五百兆円を突破し、初めてGDPを上回る。今年度の政府予算は、国債の新規発行額に借換債を加えると、基本的支出である一般会計総額よりも多い。もはや後戻りできない借金地獄に陥っているのだ。国家の借金は一分間で七千万円、一日で一千億円強という猛スピードで増えている。このような国家に未来などあるはずがない。労働者が国家権力を奪取するほかないのだ。
この間、赤字放漫財政のツケが金融面にしわ寄せされ、銀行が国債を買い支えているかぎりはなんとかなった。しかし、国債暴落という新しい要因から金融恐慌が再激化しかねない情勢だ。金融の側がパンクすると、赤字放漫財政も続けられなくなる。結局は、どんなに破滅的コースであっても、国債の日銀引き受けと戦時財政に突っこんでいくしかないのである。
こうしたすべての矛盾が、米バブル経済の本格的な崩壊、日米争闘戦の極限的激化、世界経済のブロック化によってますます深刻化するのは必至である。危機にひんし没落する日帝を打倒する時が、ついに到来しているのだ。
失業者と不安定雇用が4割にも
九七年以降の日本の恐慌は、労働者には大失業攻撃として襲いかかっている。政府発表の七月の完全失業率は四・七%、完全失業者は三百七万人にも及ぶ。
しかし、この統計は、求職をあきらめざるをえなくなって非労働力人口に計算されてしまった人を含まない。二月の調査では、そうした人の数は、非労働力人口四千二十万人全体のうち約一割に相当する四百四十五万人にも上った。七月時点でも、そうした人が約四百万人と見られる。求職をあきらめて非労働力扱いにされている人の数が、発表される完全失業者数よりも多いのだ。完全失業者数にこの非労働力扱いされた人の数を加えると、失業率は九・八%となる。これこそ実際の完全失業率に近い数字だ。
しかも、労働者のうち非正規社員の割合が二七・五%にも上っている(昨年九月、従業員五人以上の会社)。単純に一緒にはできないが、実際の完全失業率九・八%に二七・五%を加えると三七%を超すまでになる。実に四割近くの労働者が、失業か半失業、あるいはいつ失業するかもしれない不安定雇用の状態にあるということだ。まさに恐慌下の大失業である。そうした状態のところに、さらに雇用破壊、賃下げと賃金破壊、組合破壊の資本攻勢が強まろうとしている。
日帝は、全帝国主義国の中で最大の恐慌に陥り、史上最大の恐慌対策を発動しながら恐慌から抜け出せず、恐慌対策によって一層深刻な矛盾を引き起こし、そして労働者に大失業をもたらしている。日帝の経済危機はすでに土壇場にまできており、だから政治危機も一段と強まっている。
このような時、労働者は〈資本主義にノーと言える労働運動〉に立ち上がる以外にない。連合や全労連のもとでは、資本と国家にいいようにされ、最後はアジア侵略戦争に引きずりこまれるだけだ。経済的にはどん詰まり、国家的にも大破綻している日帝など、もはや打倒するしかない。戦争と大失業の攻撃に猛然と立ち向かおう。労働者は、リストラ・賃下げなどの資本攻勢に対し、団結して闘えば必ず勝利できる。
この攻勢的な魂で、新潮流運動の大飛躍をかちとろう。国鉄決戦勝利に総力を傾け、十一月労働者集会に向かって突き進もう。
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週刊『前進』(1974号4面2)
2000年日誌 阻もう!戦争への動き 9月6日〜12日
軍用地強制使用裁決を申請
「日米調整メカニズム」新設
●防衛施設局が強制使用の裁決を申請 那覇防衛施設局は、沖縄県収用委員会に対して、来年三月末に強制使用期限が切れる、楚辺通信所(象のオリ)と牧港補給地区の契約拒否地主の土地について、それぞれ四年二カ月と十年の強制使用の裁決を申請した。県収用委員会は、申請受理の是非を決定後、公告縦覧、公開審理などを行う。地主の知花昌一さんと古波蔵豊さんはあくまで契約拒否を貫くことを明らかにした。(6日)
●日米間取り決め破り米原潜が佐世保入港 米原子力潜水艦コロンブスは、五日午後外務省に対して六日午前十時ごろ佐世保港に入港すると通告した。二十四時間前に入港を知らせるとした日米間の取り決めを通知段階から破る初めての事態となった。(6日)
●オスプレイ飛行再開 米海兵隊は、八月から駆動軸の異常で飛行停止していた垂直離着陸機MV22オスプレイの飛行を再開した。普天間飛行場にも配備されているCH53大型輸送ヘリの飛行再開のめどは立っていない。(6日)
●名護市長に説明会の開催を要望 二見以北十区の会(東恩納琢磨代表代行)は名護市役所を訪れ、岸本建男市長に対し、普天間飛行場移設問題での住民説明会開催を要請した。「市長が話し合うべきは政府の協議会メンバーではなく、名護市民のはずだ」とする要請書も提出した。(7日)
●9月25日に臨時収用委開催 沖縄県収用委員会は定例委員会で、二十五日に臨時委員会を開き、米軍用地特措法に基づいて那覇防衛施設局から出されている楚辺通信所など二件の裁決申請の取り扱いを協議することを決めた。(7日)
●米政府「15年期限」に反対 米国防総省当局者は、普天間飛行場の代替施設に十五年の使用期限を設けるかどうかについて「米側の立場に変更はない」と述べた。日米安全保障協議委員会(2プラス2)や二十二日のコーエン国防長官訪日時の協議で米側があらためて反対していく姿勢を明らかにしたもの。(8日)
●教育基本法改悪案の通常国会提出を表明 森首相はニューヨーク市内で記者会見し、「教育改革国民会議の答申が出たら、来年の通常国会で議論したい」と述べ、教育基本法改悪など教育改革関連法案を来年の通常国会に提出する考えを明らかにした。(8日)
●民主党が改憲に積極姿勢示す 民主党の菅直人幹事長はテレビ番組の中で「自衛隊は現実には軍隊だと思う。軍隊ということを認めるべきだ」「自分たちの力で(憲法を)変えることは必要だ」と改憲を主張した。また鳩山由紀夫代表は、民主党の全国夏季研修会で「(日本は国際的な貢献の仕方がまだまだという議論の)先には憲法の議論がある」「当然、憲法を改正しないと平和創造はできない」と改憲案づくりを急ぐとの立場を強調した。(10日)
●調整メカニズム新設を決定 日米安保協議委(2プラス2)が開かれ、新安保ガイドラインを発動する時の戦争指導中枢となる「調整メカニズム」の新設に合意した。米軍への新たな基地提供、空港、港湾などの米軍使用については既存の日米合同委員会で調整し、輸送、医療、警備などの後方支援は新設する日米政策委員会が担当する。この両委員会の下に合同調整グループ(ガイドライン・タスク・フォース)を新設し、実務を行う。また、作戦現場での自衛隊と在日米軍の指揮系統を統一するための「日米共同調整所」の新設も決めた。(11日)
●「普天間実施委員会」早期再開を合意 2プラス2では、米軍の部隊運用を踏まえて、工法や施設のあり方を日米政府の審議官級の技術専門家チームで協議する「普天間実施委員会(FIG)」を早期に再開することでも合意した。名護新基地建設阻止闘争によって九七年十月以降開催が中断されていた同委員会の再開は、日米政府が名護新基地建設強行に向かって踏み出したもの。(11日)
●臨時国会21日召集、会期72日間 政府・与党は、次期臨時国会を二十一日に召集し、会期を十二月一日までの七十二日間とすることを政府与党連絡会議で正式決定した。(11日)
●「教育基本法改正を改憲の突破口に」と中曽根 中曽根康弘元首相は保守党の研修会で「教育基本法を改正して、その内容どおりに憲法をもっていく。それが順序として具体的に改革を展開していく力になると思う」と教育基本法改悪を先行させ、それを改憲につなげると提唱。(11日)
●自衛隊と米軍の防衛力整備調整協議を開催へ 虎島和夫防衛庁長官はコーエン米国防長官と会談し、日本側の次の中期防衛力整備計画(二〇〇一〜〇五年度)の開始と米側の四年ごとの国防計画見直し(QDR)が来年重なることを踏まえ、自衛隊と米軍の防衛力整備のあり方を調整する新たな実務者レベル協議会開催で合意した。(12日)
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週刊『前進』(1974号5面1)
有事立法・改憲阻止を宣言 全学連大会
沖縄・名護新基地建設阻止を誓う
”10・8−10・21から11月へ進撃”
全学連第六〇回定期全国大会が九月四〜六日の三日間、東京で行われた。今回の大会は、二十一世紀冒頭の大激動−米・日帝国主義の朝鮮・中国侵略戦争の切迫と革命的情勢の急接近に対し、沖縄・名護新基地建設阻止闘争と有事立法・改憲阻止決戦を二〇〇〇年後半−二十一世紀冒頭の一大階級決戦方針として確立し、さらに十一月労働者集会五千人大結集の実現と国立大学の独立行政法人化阻止を、全学連運動の決戦方針として打ち立てた。全学連は新たな飛躍をかけて、直ちに第三次沖縄現地行動隊を送り出すとともに、臨検法案阻止の国会闘争、十・八三里塚闘争、十・二一全国統一行動、十一月労働者集会の大爆発へと総決起を始めた。
2000年後半戦の三本柱確立
今回の全学連大会の決定的意義は、日帝の改憲攻撃=戦後体制打破の大攻撃との真っ向からの対決を宣言したことである。しかも日帝の改憲攻撃の大きさをはっきりさせたことで、革命的時代認識のより一層の深化がかちとられ、名護新基地建設阻止と有事立法・改憲阻止を始めとする二〇〇〇年後半の決戦方針とその革命的展望が鮮明にされたことである。
全国の闘う学生は、九・三治安出動演習粉砕闘争を闘い抜き、権力の弾圧体制を打ち破って大会に結集した。大会実行委員長のあいさつと議長団選出に続き、中央執行委員会から大会議案が提起された。
大山尚行委員長は「本全学連大会の最大の任務は、二〇〇〇年後半の決戦方針を鮮明に打ち立てることだ」と訴え、@沖縄・名護新基地建設阻止闘争と有事立法・改憲阻止決戦を二〇〇〇年後半−二十一世紀冒頭の一大階級決戦の柱として闘うこと、A十一月労働者集会五千人結集を実現すること、B国立大学の独立行政法人化阻止の一大決戦を、二〇〇〇年後半決戦の三つの柱として提起した。
そして「九九年−二〇〇〇年前半戦の総括の核心は、日帝の体制的危機の深まりと戦後体制打破の攻撃の全面化、それとの激しい激突の中で、社・共に代わる階級的指導部の登場、全学連の闘いの前進のいかんが階級闘争の主体の側の情勢を規定していることだ。沖縄サミット粉砕決戦の勝利がそのことを鮮明に示した。今大会で提起する二〇〇〇年後半戦の三つの柱は、まさに全学連の飛躍をかけた挑戦だ」と訴えた。
続いて内外情勢を西本吉伸副委員長が提起した。
「二十一世紀の大激動情勢とは、戦後世界体制の全面的崩壊の最終局面の到来である。帝国主義は、スターリン主義の危機と崩壊の問題を媒介に、基本矛盾を全面的に爆発させる以外にない。それは米帝バブル崩壊−二九年型世界大恐慌の現実化と日米争闘戦の非和解的激化であり、『中国大乱』情勢と米・日帝国主義の朝鮮・中国侵略戦争への突進と革命的情勢の急接近である」
「重大なことは、日帝が体制的危機の激化にのたうち、そこから沖縄圧殺=ガイドライン貫徹攻撃と有事立法・改憲攻撃を柱とする戦後体制打破の攻撃をあらゆる方向から激化させていることだ。その中でファシスト石原が国家主義・排外主義を扇動しながら戦後体制の反動的打破の攻撃の先兵として、森政権を激しく突き動かしている」
「他方で、帝国主義の戦後世界体制を突き破る国際プロレタリアート人民の闘いが、南朝鮮・韓国人民の闘いを始め全世界で爆発している。この闘いと一体で、日本プロレタリアート人民の決起が、既成勢力の総転向・総屈服を突き破って開始されている」
さらに西本副委員長は、「このような情勢の中に、労働者階級が立ち上がり、大衆闘争の力で歴史を切り開く時代が来たということを確信する」と熱烈に訴え、「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱へ」「沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」のスローガンが、時代を切り開く道筋だと力説した。
国立大学の独法化阻止を
続いて任務・方針を内山佳久書記長が提起した。
まず有事立法・改憲阻止決戦について、「第三次安保・沖縄闘争とならぶ朝鮮・中国侵略戦争絶対阻止の大決戦の柱であり、二〇〇〇年−二十一世紀冒頭情勢を革命的に切り開く一大階級決戦の柱である」と強調、今秋臨時国会への臨検法案の提出、来年通常国会への有事立法提出、教育基本法の改悪、この粉砕を有事立法・改憲阻止決戦として闘うことを呼びかけた。
次に名護新基地建設阻止の方針について、「沖縄闘争の新たな段階として切り開こう。沖縄闘争は、破綻(はたん)が明らかとなったSACO(沖縄に関する日米特別行動委員会)路線のごり押しに対して、非和解的な闘争をたたきつける段階に入っている」ことが鮮明に提起され、九月名護市議会での岸本市長の移設受け入れ表明の白紙撤回、「代替施設協議会」の粉砕、第三次沖縄現地行動隊への決起を呼びかけた。
ここで提起を井上亮副委員長に交代、十一月労働者集会五千人の大結集方針について、「階級的労働運動の前進はわれわれ全学連運動の目的である。全学連は、沖縄や三里塚をとおして階級的・戦闘的に形成されてきた。今こそ動労千葉・国労闘争団を始めとする労働者の闘いに学び、ともに立ち上がっていく中で、全学連運動の飛躍と強化をかちとろう」と提起した。
さらに「国立大学の独立行政法人化とは、日米争闘戦と日帝の体制的危機の激化の中で、大学を対米争闘戦と侵略戦争に動員しようというもの。大学の戦後的あり方を反動的に転覆し、全学連を先頭とする戦闘的学生運動を解体しようとする大攻撃だ」と述べ、国立大学の独立行政法人化阻止へ十一月全国国立大学の統一行動を最大級の大衆行動として闘い、一大決戦に押し上げることを訴えた。
そして、労働者階級人民の闘いと怒りに包囲され、いよいよ危機を深めるファシスト・カクマルとJR総連カクマルを二〇〇〇年後半決戦の大爆発の中に引きずり込み、完全打倒していく闘いを圧倒的に前進させることを強調した。そして、全国学生運動の大再編情勢を促進し、大衆運動の爆発、学生自治会の建設をかちとろうと提起した。
大会冒頭、来賓の北富士忍草母の会事務局長の天野美恵さんと三里塚芝山連合空港反対同盟事務局長の北原鉱治さんがあいさつ。天野さんは「沖縄サミット粉砕決戦で、全学連はすばらしい闘いをした」と全学連の闘いをたたえ、十一月北富士米軍演習阻止闘争を訴えた。北原さんは「今こそ、若い者が立ち上がらないといけない」と檄(げき)を飛ばし、十・八三里塚現地闘争への大結集を呼びかけた。
大衆闘争組織化めぐり論議
大会一日目、大学報告が行われた。まず、法政大の一年生から闘いの報告を受けた。「二〇〇〇年前半の全学連最大の闘いとして、サミット決戦を打ち抜き、世界を揺るがすデモを実現した。ファシスト石原の九・三治安出動演習との闘いは、在日アジア人民の血叫びに真にこたえる学生運動が問われた。学生から出された意見と真っ向から切り結び、その格闘の中から労働者階級の立場を鮮明にさせた扇動をつくりあげ、ついに同じ一年生がビラを見て決起した」という報告に拍手がわき起こった。東北大、富山大、京都大、山形大、大阪市大、広島大、九州の学生からも、大衆闘争の爆発をかちとってきた教訓などが報告された。
大会二〜三日目、議案をめぐって熱のこもった討論が行われた。まず九州の学生が有事立法・改憲阻止決戦の重大性を訴えた。
「改憲攻撃は、すでに重大な段階に入っている。憲法調査会では、九条改悪と早期改憲が叫ばれている。ファシスト石原は『憲法を破棄しろ』と言っている。九・三演習は改憲攻撃そのものだ。日本共産党は、『わが党は、一貫して、わが国が自衛権を有するという主張をしている』と言っている。この実に許しがたい現状を何としてもぶち破らなければならない」
「日帝の改憲攻撃は、戦後体制打破の最大級の攻撃である。その大きさ、激しさをはっきりさせなければならない。だが、それは同時にまったく絶望的であり破産的だ。日帝は、時代の転換に対して能動的に対応しないと大変だという論理で改憲を打ち出してきているが、それは、対米矛盾の極限的な激化を引き起こし、日帝の体制的危機をますます深めていくものでしかない。この対米矛盾の問題を最大の根拠としつつ、対アジア、対労働者人民において危機と矛盾を爆発させざるをえない。改憲阻止決戦は第三次安保・沖縄闘争とならぶ日帝打倒への決定的闘いだ」
教育基本法の改悪と対決
続いて広島大の学生が、「教育改革・教育基本法改悪は、愛国主義と天皇制教育で、侵略戦争の銃を握る人間をつくり出す攻撃。奉仕活動義務化と予備自衛官制度は、学徒動員・徴兵制そのものだ。ファシスト石原の『心の東京革命』との対決が決定的」と訴えた。
東北大の学生は、「沖縄闘争は、新たな段階に入った。名護新基地建設阻止の闘いは、安保をズタズタにし、朝鮮・中国侵略戦争を阻止していく闘いだ。日帝と沖縄の非和解性が突き出されている中で、日本階級闘争にとって、沖縄人民との連帯がますます重要になる。また沖縄闘争は、韓国の在韓米軍基地撤去闘争との連帯など、新たな国際主義・国際連帯の地平を切り開いている。゛安保・沖縄全学連゛として、責任を取って闘おう」と訴えた。
さらに沖縄から参加した学生が「沖縄闘争の新たな段階において、沖縄イニシアチブ論との対決が重要だ。この論は、沖縄の主体性を装いながら、実はこれを踏みにじり、日帝の利害に徹底的に従属させる『基地との共存・共栄』の思想だ。この奴隷の思想を粉砕して、名護新基地建設阻止に立とう」と提起した。
ここで法政大の学生から「二〇〇〇年後半決戦は、始まった国際連帯をさらに貫けるかどうかが問われている。南北分断打破・革命的統一に向け立ち上がった朝鮮人民の闘いに学び、さらに在日朝鮮・中国・アジア人民の存在に学び、彼らと固く結んだ闘いを全学連がけん引していこう。同時に、具体的連帯の環である入管法・外登法|入管体制との闘いを後半決戦と一体のものとして闘っていこう」と重要な提起がなされた。さらに法政大部落解放研究会が、部落差別との闘いを訴えた。
続いて京都大の学生が「国労闘争団を守り抜き、ともに国鉄決戦勝利へ闘おう。連合や全労連の裏切り指導部のもとで、苦闘する労働者階級を獲得する闘いとして十一月労働者集会の五千人結集を実現しよう。全国学生に労働者集会の大結集を訴え、労働者とともに闘う学生運動をつくりだそう」と、十一月労働者集会の意義と決起を訴えた。
さらに東北大の学生が、独立行政法人化攻撃について「独法化は、帝国主義間争闘戦を担う大学につくり替える攻撃であり、改憲と一体だ。その核心は、学生自治・学生運動の圧殺であり、独法化阻止の闘いは、全学連の存亡がかかっている大決戦だ。日共とカクマルの敵対を粉砕し、全国統一行動をかちとろう。この中でこそ、学生自治会建設の闘いを決定的に前進させよう」と呼びかけた。
また特に、法政大の学生が「日帝の朝鮮・中国侵略戦争を止められるかどうかの決戦だ。ファシスト石原は、九・三演習で、血を流してでも侵略戦争をやると宣言した。アジア人民との連帯にかけて闘おう。日本労働者階級人民は、その階級性をたたき折られていない。三〇年代階級闘争の敗北をのりこえる闘いの指導部が必要だ。今こそ反スターリン主義を掲げ、ファシスト・カクマルと血を流して闘ってきた全学連の登場を。その闘いこそ、二〇〇〇年後半決戦の三つの柱の闘いだ。全学連の飛躍をかけて闘おう」と強調した。
以上のような議論をとおして、参加者全員が二〇〇〇年後半決戦のそれぞれの内容の意義と飛躍性を確信をもってつかんでいった。
二日目の来賓あいさつでは、部落解放同盟全国連の代表が「全国の大学に部落差別と闘う全学連がほしい」と訴え、十・三一狭山中央闘争への決起を呼びかけた。革命的共産主義者同盟からは、天田三紀夫書記長が連帯のあいさつを行った(別掲)。
大会三日目は、動労千葉の労働者、結柴誠一杉並区議、全国沖縄青年委員会の新城峯子委員長が来賓あいさつを行い、十一月労働者集会五千人結集、石原打倒の二〇〇一年都議選、名護新基地建設阻止を訴えた。
階級闘争の主流派へ決意
最後に大山委員長が討論のまとめを提起した。
「大会議案を武器に、直ちに後半決戦に突入しよう。十・八三里塚、十・二一全国統一行動を突破口に有事立法・改憲阻止決戦の大爆発をこじ開けよう。全学連が先頭に立って臨時国会決戦を闘おう。そして名護新基地建設阻止、教育基本法改悪阻止・臨検法案阻止・改憲阻止、十一月労働者集会、国立大独立行政法人化阻止のいずれの闘いも、徹底的に大衆闘争の組織化として闘おう。日共スターリン主義、ファシスト・カクマルを打倒し、今秋、全学連こそが階級闘争の主流派として躍り出よう」
そして議案が、全体の圧倒的な拍手で採択され、新たな中央執行委員が選出された。(別掲)
大会初参加者と一年生が決意表明に立った。
新たに結成された沖縄現地行動隊に決起する東北大の学生は「沖縄現地行動隊に直ちに決起して、沖縄基地全面撤去に向けてがんばっていきたい」と表明。山形大の学生は「日帝の延命のための沖縄への犠牲の集中、名護の新基地建設は絶対に許せない。目の前の戦争の動きを許すことはできない。学生の組織化に全力をかけていきたい」、富山大の学生は「こういう先進的な学生の集まりがあるのを、今まで知らなくて後悔しています。学生をファシストに獲得されるのではなく、大衆行動の爆発をかちとれるようにがんばっていきたいです」と、若さにあふれる決意を述べた。
さらに新体制を代表して、松尾純一副委員長、宮城啓書記次長が、新任のあいさつを行った。松尾副委員長は「世界で帝国主義支配を揺るがす民族解放闘争が始まっている。九・三闘争でアジア人民と日本人民の合流が開始された。全学連は二〇〇〇年後半決戦の先頭に立ち、日本労働者階級人民の大隊列の登場をかちとろう。全学連はその最先頭に立って闘おう」、宮城書記次長は「帝国主義を打倒し、社会主義を実現するという二十世紀の人類史的課題を二十一世紀冒頭でこそ闘いとろう。二〇〇〇年後半戦をその突破口としよう」と決意表明した。
最後に全員でインターナショナルを斉唱、三日間の大会を終え、全学連は直ちに今秋決戦に突入した。
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週刊『前進』(1974号5面2)
若い学生諸君への期待
天田革共同書記長のあいさつ
20世紀を総括し
二十世紀最後の歴史的な全学連大会に結集した闘う全学連のみなさん!
二十世紀を総括するとどういうことが言えるのか。
それは、マルクス主義が労働者人民の解放の武器として登場し、一九一七年にはロシアの労働者人民が偉大なソヴィエトを闘いとり、すべての権力をソヴィエトに集中し、勝利をかちとった革命の時代です。しかし、ロシア革命のスターリン主義的一国社会主義的変質の中で、世界革命は放棄され、反動的固定化が進行し、ボルシェヴィキの精神でありマルクス主義のテーゼである世界革命は裏切られました。
その中で帝国主義は、死の苦悶にのたうちまわりながら、二九年世界大恐慌から三〇年代階級闘争が爆発する時代へ突入した。しかし、スターリン主義の裏切りで、ファシズムとの闘いに労働者人民は敗北し、第二次帝国主義戦争へと世界史は突入したのです。
延命した帝国主義とスターリン主義は、戦後世界を分割支配し、帝国主義とスターリン主義の戦後世界体制を形成した。しかし、あくまでそれは帝国主義が主導的基軸です。その帝国主義は、死滅しつつある資本主義として、帝国主義と帝国主義との対決を激化させ、世界経済の過剰資本・過剰生産力の中で、七四−七五年の世界同時恐慌の爆発をもって、資本主義体制のもとでは世界経済をコントロールできないことを示したのです。
他方で、八九年東欧、九一年ソ連と崩壊したスターリン主義は、その根本矛盾を解決できず、残存スターリン主義を含めて帝国主義の市場の分割・再分割のえじきにされる渦中にあります。情勢全体は、日米争闘戦を基軸に、明らかに朝鮮・中国・アジアを中心にして第三次世界大戦への道へと歩んでいます。
二十世紀を総括すると、それは戦争と革命の時代であり、その革命の時代がスターリン主義によって裏切られ、反スターリン主義・革命的共産主義運動が台頭を開始した世紀です。
日本の革命的共産主義運動も五〇年代の草創期の闘いから、六〇年安保闘争、七〇年安保・沖縄決戦、そして七〇年代の二重対峙・対カクマル戦、八〇年代の三里塚と動労千葉を防衛する決戦を闘い、九〇年代においては、スターリン主義の崩壊の中でマルクス主義=共産主義を復権する闘いに突入し、労働者自己解放闘争を基軸にした運動を展開してきました。
この時代は、日本共産党が運動の軸ではなく、明らかに革命的左翼の力が拡大し、その頂点でファシスト・カクマルとの二重対峙・対カクマル戦争が激しく闘い抜かれました。
日本の革命運動と学生運動は、この白色テロル集団カクマルと闘うことで前進してきました。この反革命との闘いは、帝国主義が危機になればなるほどますます激しくなります。帝国主義を打倒し、ファシスト・カクマルを打倒することは一体的で同時的と言っても言い過ぎではありません。
沖縄サミット決戦では、闘うアジア人民との具体的な連帯をかちとりました。
民主労総は、南北共同宣言に対し、南北統一は階級の解放と民族の解放の統一としてかちとられなければならないことを宣言しています。実に偉大な正鵠(せいこく)を得たマルクス主義的分析です。革共同の国際主義の綱領的立場、七・七路線とその深部において完全に一致する路線です。
このように沖縄闘争を拠点として、反スターリン主義・革命的共産主義運動が、闘うアジア人民との具体的連帯をかちとる段階に入ったことは、歴史的に決定的な新段階です。二十世紀の総括として、スターリン主義をのりこえる運動が歴史的に開始されたということです。
マルクス主義を
それでは二十一世紀とはどういう時代なのか。
二十一世紀こそ、マルクス主義が全面的に労働者人民の解放の武器になり勝利する時代です。
マルクス主義は、マルクスとエンゲルスが個人的に学説を唱えたということではない。それは、人類の英知の総和として凝縮されている。マルクス哲学、マルクス主義経済学、戦闘的実践的唯物論は、マルクスとエンゲルスが、ヘーゲル哲学、古典派経済学、世界史を総括し、その分析の中から論理的に整理され、最後の階級社会としての資本主義体制の本質をえぐりだし、解放の主体としてプロレタリアートの出現を明らかにして、その世界を獲得する歴史的使命を宣言したのです。
二十一世紀こそ、労働者階級が、自らの運命を自らの決断で決起して決定する自己決定権、未来を見つめ、ひたむきに生きる力をもって、生活と生存をかけて立ち上がる時代です。
この立場は、日本共産党やカクマルの帝国主義擁護の立場とは絶対に相いれません。この闘いは、実力的決起以外にまっとうできないからです。日共とカクマルは、実力闘争を粉砕するために総力をあげる党派です。絶対に相いれません。
二十一世紀は、戦争と抑圧を廃絶し、プロレタリアートの力を自己権力に高め、階級対立を廃止し、国家を始めとするすべての抑圧機構、収奪するすべての機構を粉砕する時代にしなければならない。
闘う全学連の学友に求められているのは、二十一世紀を革命の勝利に向かって転化するために、マルクス主義を学ぶということです。学ぶということはもちろん、理論と実践の統一として学ぶということです。
革共同は、闘う労働者人民、学生運動とともに、この日本帝国主義の危機を革命に転化するために全力をあげます。
しかし、闘う全学連の学友には、帝国主義を打倒するためにも、そして帝国主義と残存スターリン主義を打倒して、その後に築く未来社会の実現、共産主義社会の実現をかちとるためにも、全力で寸暇を惜しんで学ぶということが求められています。二十代の学習が、これからの人生のすべてを基礎づけます。若さこそマルクス主義を学ぶ力です。生きるとは何か。人間とは何か。それは、全人類の解放の武器であるマルクス主義を学ぶということにつきると思います。そのなかに解答はあり、闘う力、生きる力がわいてきます。
反スターリン主義・革命的共産主義運動の未来は、ひとえに闘う全学連が、マルクス主義で武装する度合いにかかっています。革共同は、闘う全学連の同志とともに、この歴史の激動をともに歩むことを決意して、革共同からの連帯のあいさつとします。
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週刊『前進』(1974号5面3)
10・8へ結集を 三里塚反対同盟からのアピール(上)
三里塚から日本を変える 事務局長 北原鉱治さん
今、三里塚は二〇〇〇年秋の決戦を迎えようとしています。
政府・運輸省、空港公団は一九九九年十二月、暫定滑走路と称する二期工事の着工に踏み切りました。それ以来、反対同盟を先頭とする全国の三里塚に思いをはせる人びとが、“再び決戦の時きたる″と暫定滑走路計画を破産に追い込もうと闘い続けてきました。反対同盟は、運輸省、公団の暫定滑走路二〇〇一年十一月完成を粉砕する二年間決戦を呼びかけ、闘いぬいてきました。この二年間決戦も、いよいよ後半戦に入ります。
三里塚現地においては、暫定滑走路をつくる、迂回(うかい)道路をつくるという名目で、敷地内農民の住居と、生命を育む農地がフェンスで囲われています。このフェンスの上には高圧電流が流れる有刺鉄線が張り巡らされています。敷地内農民はその中での生活を余儀なくされています。この現実は、五十五年前の捕虜収容所の風景とうり二つです。これは、「空港建設は国家的要請だ」という名分をかざして、テコでも動かない敷地内農民をたたき出すための手段以外の何ものでもありません。
つぶさに現地調査を行った結果、生活と営農に不可欠の、しかも現に使っている道路を封鎖していました。農作業に行くにも、六bはあろうかというフェンスの間を通らなければ行けないのです。その姿を想像してみて下さい。これほどまでに生きる権利を侵害している国家犯罪はありません。許されざる暴挙です。
敷地内の農民は、これほどの重圧を日夜受けながら闘い、生き続けているのです。それは農民として生きる権利の主張であり、実力で抵抗する権利の主張であります。国家暴力を打ち破って正義の実力闘争を貫いて勝利してきたことへの不動の確信に基づいているのです。
暫定滑走路の内外には、まだまだ反対同盟所有の物件が数多くあります。敷地内農民の生活の場、住居があり、農地があります。また神社や墓地、組合道路もあります。そして一坪共有地や現闘本部もあります。これらの物件があることによって、二千五百メートル平行滑走路は二千二百メートル暫定滑走路となり、いままた実質使用できる滑走路は千七百bにまで追い込んでいるのです。こんな滑走路はつくったところでなんの役にも立ちません。
運輸省、公団の狙いは、工事を強行して敷地内農民をたたき出し、空港反対闘争をなきものにすることです。そのうえに、三千七百b軍用滑走路をつくることにほかなりません。
森首相は、死んだ小渕首相の後を引き継ぎ、新安保ガイドラインを実行することを虎視眈々(こしたんたん)と狙っています。その中で、沖縄の米軍基地と成田空港を一大兵站(へいたん)基地にしようとしています。成田空港は、極東有事の時には最大の軍事基地となります。アメリカ本土から米軍兵士五十万人が成田空港に降り立ち、日本列島、朝鮮半島の米軍基地や自衛隊基地、出撃のための基地、空港、港湾に再配置されます。
また、森首相は国連安保理常任理事国入りを世界に働きかけています。日本が常任理事国となるということは、世界の戦争に参戦するということです。新安保ガイドラインや国連安保理常任理事国入りのために、有事立法や改憲を掲げています。これは、再び日本が戦争の道を歩もうとするものです。
こうした行政の現状を根本から変えなければ、日本の未来はありません。十・八三里塚全国集会は、日本の政治体制を大きく変えるという信念を持って、まず三里塚で勝とう、三里塚から日本を変えようと訴える集会です。全国からの結集を呼びかけます。
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週刊『前進』(1974号6面1)
解同全国連婦人部大会 ”全支部に婦人部を”
狭山、介護、住宅、教育、反戦−−全課題の先頭に婦人が
第九回解同全国連婦人部大会は八月二十六、二十七日の両日、山口県長門市で開催され、二百十人が参加し、素晴らしい成功をかちとった。
一日目の全体集会は、地元山口の婦人の司会あいさつで開会し、解放歌を斉唱する中、荊冠(けいかん)旗が入場した。議長団の選出の後、中田照美婦人部副部長が開会のあいさつを行った。続いて、中央本部の中田潔書記長と、北浦寿恵子婦人部長が主催者あいさつに立った。
中田書記長は「介護保険や住宅家賃値上げなどの課題に、生活の現場で取り組んでいる婦人の闘いは重要である。三月の全国大会から半年間の婦人の闘いをとらえ返して、来年三月の全国大会に向けて、これから半年の闘いの方針を討論してもらいたい」と訴えた。
北浦婦人部長は、「沖縄サミット闘争に参加して自分たちの足元まで戦争が近づいていることを実感した。これをくいとめるために全国連婦人部は闘う。高木−高橋裁判長を打倒して、狭山異議審に勝利しよう。介護保険アンケートを全国の町や村に広めて介護保険問題に取り組もう」と呼びかけた。
山口の婦人による歓迎のあいさつに続いて、来賓として、三里塚芝山連合空港反対同盟の小林なつ婦人行動隊副隊長、北富士忍草母の会の天野美恵事務局長、婦人民主クラブ全国協議会、全国労組交流センター女性部があいさつした。
狭山の紙芝居を公開・上演
この日初めて狭山の紙芝居が公開・上演された。紙芝居は、パソコンに内蔵した絵をプロジェクターで拡大してスクリーンに映し出された。狭山新パンフをもとに作成された紙芝居は、石川さんが権力によって「犯人」にデッチあげられていく過程を激しい怒りをこめて描写している。
会場は静まりかえり、参加者全員がくい入るように画面に集中した。地元山口の陶、宇部支部を中心に、広島、愛媛も加わった支部員さんたちの真剣な熱演は参加者の胸を強く打った。
この紙芝居の完成によって全国連は、狭山百万人署名運動を推進し、異議審闘争の大衆的発展を切り開く強力な武器を手中にした。
広島支部の婦人が住宅家賃値上げ反対闘争を闘う決意を述べた。続いて介護保険問題について、婦人部事務局の岩崎喜子さんが「介護保険と婦人の課題」と題する講演をした。
岩崎さんは、介護保険制度の最大の狙いは「介護の社会化」を掲げた公的介護の解体、老人切り捨て、家族介護の強制であり、この転覆こそが介護保険制度廃止の中心テーマであることを、家族介護の二つの具体的事例から明らかにした。そして家族介護の中に入り要求をつかみ要介護老人と家族を主人公に公的介護要求の闘いに立ち上がろうと提起した。
経過報告を事務局の風間裕子さんが行い、昨年の大会から一年間の婦人の闘いの前進について報告した。
運動方針を小林あや子婦人部事務局長が提起した。小林さんは、@棄却情勢の切迫下で、百万人署名を全力で推進し、十・三一中央闘争に大結集し、狭山異議審闘争に勝利しよう、A家族介護をめぐる大衆的要求を公的介護要求闘争の根本にすえて闘おう、B橿原、西宮に続き神戸・番町、広島で住宅裁判が始まる、全力で支援し住宅闘争に勝利しよう、C解放教育を守りぬき「日の丸・君が代」強制に反対しよう、D闘う国労労働者、沖縄、三里塚、北富士と連帯し、狭山、「日の丸・君が代」闘争、差別糾弾闘争に労働者を獲得し、階級的共同闘争を発展させよう、E大衆が主人公の全国連へと組織のあり方を変え、全支部に婦人部をつくろうと提案した。
また、インターネットで繰り広げられている悪意と敵意に満ちたすさまじい部落差別の扇動の実態を報告し、インターネット差別事件の徹底糾弾に全国連が断固として立ち上がることを宣言した。
二日目の午前は分散会が行われた。第一分散会は、介護保険を始め、狭山新パンフの学習会、狭山署名、住宅家賃、就職差別、「日の丸・君が代」、沖縄サミットなど、各地の婦人の多様な闘いが報告された。第二分散会は介護保険問題に報告と意見が集中し、「明日からすぐ家族介護の人たちの中に入っていく」という方針を確認した。
午後の全体集会で、中田書記長は、分散会の討論について「狭山、介護、住宅、地域など幅広い課題について意見が出されて非常によかった。婦人が変わることで全国連が変わる。来年三月の全国大会までの半年間で、大衆とともに闘える組織と運動に脱皮していこう」とまとめた。
議案を拍手で一括採択した後、新役員を選出。登壇した新役員を代表して北浦婦人部長があいさつし、中川せの婦人部副部長の音頭で団結ガンバローを唱和し大会を終了した。
第九回婦人部大会は、来年の全国大会と婦人部大会に向かって婦人部が大きく飛躍する展望を切り開いた。十・三一狭山中央闘争の大高揚をかちとり、狭山異議審闘争に勝利しよう。
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週刊『前進』(1974号6面2)
婦民全国協第17回総会 ”女性の団結と結集の軸に”
激動の21世紀へ活発な論議
八月十九、二十日の両日、神奈川県相模原市で、婦人民主クラブ全国協議会第一七回全国総会が開催され、全国から地域・職場で闘う女性たちが結集した。
「いのちの叫びをつなぎ、女性たちの手で希望の未来をひらこう」をメインテーマに、大資本を救済し、労働者階級人民を犠牲にする日帝・森政権への怒りをこめ、有事立法・改憲、教育基本法改悪、社会保障制度改悪を狙う反動の動きと闘おうと活発な論議が行われた。
開会のあいさつに立った関東協議会の丹治孝子さんは、「激動の時代、新しい時代にふさわしい組織として二倍、三倍の組織拡大と飛躍を」と呼びかけた。
西村綾子代表は「昨年のガイドライン国会以降、政府の侵略と反動への動きも激しくなっており、婦民全国協の闘いが重要になっている。一年間の活動に勝利感をもって、いよいよ女性の団結と結集の軸となっていこう」と訴えた。
来賓として、三里塚反対同盟の小林なつ婦人行動隊副隊長、北富士忍草母の会の天野美恵事務局長、結柴誠一杉並区議、全国労組交流センター女性部部長、東京反戦共同行動委員会の三角忠代表らが、婦民全国協への激励とともに闘う決意を述べた。部落解放同盟全国連合会婦人部からのメッセージが紹介された。
続いて、七月一日の国労臨時大会のドキュメントビデオが上映され、婦民全国協総会にあてた国労闘争団・家族からのメッセージが読み上げられた。
そして特別アピールとして国労とともに国鉄闘争の先頭で闘ってきた動労千葉家族会が登壇。「中野委員長は国労闘争団は国鉄闘争の宝だと言い、家族会の七月一日の闘いはジャンヌダルクのようだと話している。千四十七名の解雇者のうち、動労千葉も九名の当該がいる。勝利まで闘う」と発言した。十四年間の闘いの根拠を捨て去るような「四党合意」への怒り、家族もともに闘ってきた自信と誇りあふれる訴えに、満場の拍手が起こった。
第一七回総会議案として情勢と総括・方針が続いて提起された。議案では、「帝国主義の危機が深まり、支配者の側はこれまでどおりにはいかず、侵略と戦争・反動に突進している。労働者階級人民も黙ってはいられない時代に入った。次々と発生する政治・経済・社会−国家機構の破綻(はたん)的な現実、民間企業の事故や医療現場での相次ぐ事故などはみな帝国主義の行き詰まりと破綻に原因がある。危機の時代に登場するファシスト反動と対決し、地域・職場から反撃を組織していこう」と訴えられた。
この一年間の大きな闘いを総括して、@三・八国際婦人デー中央集会、A衆議院選挙闘争、B沖縄サミット粉砕闘争、C「日の丸・君が代」強制反対と八・六ヒロシマ大行動の四本の特別報告が行われた。
二日目は、午前中、@介護保険制度廃止へむけてさらなる女性の運動をつくりだそう、A教育改革−教育基本法見直し攻撃と対決し、教育・保育を考えるをテーマに、二つの分科会が行われた。婦民全国協の二〇〇〇年後半から二十一世紀にむけた組織化の方向が全体会の活発な討論をつうじて論議された。
女性労働者・労働者家族・女性大衆が帝国主義の危機と侵略と戦争へむかう反動攻撃の中で苦吟(くぎん)している。闘いの糸口を求める人民の中に分け入り、機関紙を拡大していく重要性が確認された。
最後に九・三自衛隊の治安出動に反対し、有事立法・改憲攻撃と対決する特別決議、総会宣言が採択された。
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週刊『前進』(1974号6面3)
片岡三起子同志を追悼する
労働者階級の解放へ情熱を燃やした生涯
マルクス主義青年労働者同盟関西地方委員会
去る七月八日、わたしたちのかけがえのない同志片岡三起子が帰らぬ人となった。六年余りにわたり「うつ病」との闘病生活を続けながら橋本裁判闘争を闘い抜き、最近では体調も回復しつつあり、医療職場への復帰を目指していた矢先の突然の訃報(ふほう)であった。
帝国主義の危機が戦争と大失業の時代の到来を促進し、その中で、二十一世紀の日本革命の展望がわれわれ反スターリン主義・革命的共産主義運動の行く手にはっきりと見えてきている今という時に、四十六歳という若さで、突然、その生涯を閉じられたあなたのことを思うと……、わたしはこみ上げてくる悲しみと無念さを抑えることができない。
片岡同志は、一九七二年関西大学二部入学と同時にわたしたちの戦列に加わり、二重対峙・対カクマル戦、建党建軍の苦闘を党とともに、一身に引き受けて闘い抜いてきた誇るべき女性戦士であり、ともに関大二部に在籍したわたしの大切な友人だった。医療労働者としてつねに労働者階級の側に身を置き、労働者階級の解放を自己の人生の究極の目標にし闘い続けた労働者同志であった。
大学入学当時、女性解放の課題をわたしたちが反帝反スタ−リン主義・プロレタリア世界革命の路線の中に初めて位置づけた「田島論文」に触れ、「革共同は女性差別の現実を真剣に受け止め、革命の課題として闘おうとしている」と感動的に話していたのを記憶している。けっして雄弁ではないけれど、一つひとつの言葉を大切に語る片岡同志が、きっぱりとそう言って党への信頼を示した日のことが、ついこの間のことのように思い出される。
その後、労働者として運動への参加の情熱は高く、独学で看護婦の資格を取得し、大阪の河北反戦青年委員会で労働者階級の一員として活動を再開、富田町病院勤務をへて、九〇年代、職場を京都に移し、わたしの活動する京都地区において、ともに闘うことができたのだった。わたしは、片岡同志とともに関大二部以来、再びともに活動する喜びに燃えた。
だが、五月テーゼ−一九全総路線のもと、労働者階級の組織化を自己の任務として闘いを開始し始めて間もなく「うつ病」を発症し、闘病生活を余儀なくされた。片岡同志の悔しさはどれほどだったろう。だが、闘病生活をつづけながら、関西最大のデッチあげ弾圧であった橋本裁判には敢然と決起し、アリバイ証言に立ち、権力・検察の執拗(しつよう)な嫌がらせ尋問をはねのけ、無罪判決をかちとる決定的役割をはたしたのは、片岡同志の強い精神を示すものであり、わたしには感動的であった。
片岡同志はここ一年、「マルクス主義をしっかり身につけたい」と古典の学習に精力的に取り組み、死の直前の六月まで「今度はドイツ・イデオロギーをやる」と学習への意欲を燃やしていた。それは労働者の革命的前衛党の構成員たることをめざし、死の寸前まで努力し続けてきた片岡同志の人柄を表している。
片岡同志は自ら「人前でしゃべることは苦手」とよく言っていたように、けっして華々しいアジテーターではなかったかも知れない。しかし、彼女の物静かだが確信に満ちた存在と、自分のことよりもつねにまわりの友人や同志のことを気遣うやさしさは、十分にまわりを鼓舞し扇動する力を持っていた。
あなたが逝った二〇〇〇年夏。日帝・森政権の超反動攻撃とリストラ、賃下げ、福祉破壊に対する労働者人民の怒りは日ごとに高まっている。そして、このような時代の中で、わたしたちの京都地区党も大きな飛躍と前進をかちとりつつある。片岡同志のひたむきな労働者階級の解放にかけた情熱と革命的魂はここ京都の地で多くの同志に受け継がれ、蘇(よみがえ)るだろう。
片岡三起子同志!
革命勝利のその日まで、わたしたちはあなたと一緒だ! わたしたちを見守ってほしい!
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週刊『前進』(1974号6面4)
連載 部落解放運動−−その課題と展望 第3回
部落青年戦闘同志会の闘い
運動の戦闘的発展を牽引 5万人組織建設の先頭に
浦和地裁占拠と72年同志会結成
水平社の敗北をのりこえ、部落差別の撤廃、部落絶対解放を実現することは部落大衆自身の歴史的事業である。同時にそれは、スターリン主義と根底的に決別した革命党の綱領的前進と党としての取り組みのもとに、戦闘的部落民の中での、全水左派を画然とのりこえる共産主義的中核の形成を必要とする。
一九六九年十一月十四日、全国部落研の部落青年ら五人は、浦和地裁(埼玉県)占拠の実力闘争を敢行した。浦和地裁は、無実の石川一雄さんにわずか半年という前代未聞のスピード審理で死刑判決を下した差別裁判の牙城(がじょう)である。
この部落青年の決起は、まさに暗雲を切り裂く雷鳴であった。デッチあげ、死刑判決から五年あまり、孤立無援の石川さんに連帯する渾身(こんしん)の反撃がついに開始された。多くの部落大衆、労働者人民は、この闘争に触発されて初めて狭山差別裁判の存在を知り、差別裁判糾弾の澎湃(ほうはい)たる決起を開始した。部落解放同盟も一九七〇年の第二五回全国大会で、「これまでの不十分さを点検し、全組織をあげて狭山闘争に取り組む」と決定した。
全国の戦闘的部落青年たちは、狭山闘争をとおして部落解放闘争の担い手へと急速に成長していった。一九七二年、大阪において全国部落青年戦闘同志会が結成された。結成された同志会は、ただちに狭山の第二審、東京高裁との七二年「死闘の六カ月」に猛然と打って出た。井波裁判長による集中審理・結審・死刑判決護持の策動を見事に粉砕し、無為の退官に追い込んだ。
同志会結成の源泉は、狭山闘争の戦闘的推進にあった。同時に、それは七〇年安保・沖縄闘争の高揚と、革命的左翼の存在をぬきに語ることはできない。浦和地裁占拠闘争自身が、七〇年闘争の一環として敢行された闘争であった。
70年代狭山闘争の大高揚を主導
七〇年代中期、狭山闘争は革命的左翼と解放同盟との共闘を基軸に、巨大な中央政治闘争として発展した。これに対してカクマルは、反革命特有の嗅覚(きゅうかく)をもって、狭山闘争解体のための介入・破壊策動を開始した。同志会は、この新たな反革命差別者集団との断固たる闘争を貫き、狭山闘争の全人民的高揚を牽引(けんいん)しうる強固な共産主義的中核としての飛躍点をむかえた。
この時、沢山保太郎の重大な裏切り、逃亡が発生した。全国部落研以来の指導者であった沢山は、こうした飛躍に対して狭小な自己保身の立場から反対し、解党主義に陥り、ついに七三年九月に逃亡した。
だが、沢山の分裂策動を打ち砕いた新たな指導部のもとに、同志会は七〇年代中期に狭山闘争の大高揚を主導勢力として牽引した。七四年、東京高裁・寺尾裁判長のもとでの再開公判に対しては、十万人をこえる部落大衆、労働者の決起がかちとられた。
七四年十・三一寺尾「無期懲役」判決は、解放同盟の内部に敗北主義を生み出した。しかし同志会は〈無実・差別〉〈糾弾・奪還・死闘〉の原則を堅持し、国家暴力に一歩も引かず、徹底糾弾路線を貫いた。七五年、「差別の元凶・天皇制糾弾」を掲げ、九・三〇天皇訪米阻止決戦を闘った。七七年五・二三闘争では、白ヘル五十五戦士の実力闘争の先頭で闘った。同年八月九日の最高裁上告棄却に対しては、福岡県連青年部への解散処分をもはねかえし、激しい糾弾闘争をたたきつけた。
狭山闘争は、三里塚闘争との相互媒介的発展として前進した。狭山闘争の徹底糾弾路線を貫く道は、「三里塚のように闘おう」が合言葉であった。しかしそこには、闘争指導部の問題が厳然と横たわっていた。解同中央は体制内改良主義の地金をむき出しにし、三里塚との連帯から急速に後退した。それは狭山闘争自身が、糾弾の旗を投げ捨てた「仮釈放」路線一色に染め上げられてしまうのかどうかという問題と一体であった。
「三里塚転換」から80年代の死闘
狭山勝利の路線を貫くためには、解同中央に代わる部落解放運動の新たな指導部の形成を不可避とした。同志会は、その回答を八〇年の三里塚転換(三里塚基軸路線)をもって打ち出した。
その前途は、文字どおり血しぶきのとびかう荊(いばら)の道であった。「日本のこえ」派、右派社民ら解同中央を牛耳る反動どもは、大阪、長野を始めとする処分の乱発をもってこたえた。同志会は、荒本支部を先頭とする闘う部落大衆との血盟のもと、真っ向から処分粉砕闘争に立ち上がった。処分粉砕闘争は、反動どもの思惑とはまったく逆に、それまでをはるかに上回る三里塚大衆決起を生み出すとともに、部落解放運動の新たな全国潮流の台頭をつくり出した。
同志会はこうした三里塚基軸路線、処分粉砕闘争を、「われ三百万の指導部たらん」「このコースをくぐって必ず狭山闘争の責任勢力をつくらん」という烈烈たる革命的気概を込めて闘った。八五年十・二〇三里塚十字路戦闘、国鉄分割・民営化に反対する十一・二九浅草橋戦闘には、多くの部落青年が決起した。九〇年天皇決戦は、十・二六東京高裁突入の三戦士の実力闘争とともに、天皇制糾弾の空前の大衆決起で闘われた。三里塚転換から天皇決戦にいたる十年間の死闘こそが、次の全国連創立の源泉であった。
全国連の創立と同志会の飛躍
一九九二年三月一日、大阪・中之島中央公会堂において、部落解放同盟全国連合会が創立された。全国連は、解同本部派にとって代わる、三百万部落大衆自身の部落差別と闘う新たな団結である。
同志会はここにおいて、自ら闘う部落大衆の一員として、全国連五万人建設の闘いの先頭に立たなければならない。同時に同志会三十年余の歴史を正しく継承し、闘う部落民の中にあって、共産主義的中核形成の闘いを一層厳格に推進しなければならない。
同志会にとって、両者は二つにして一つの闘いであり、その実現のためにこそ、「赤色組合主義」的な狭さ、「左翼少数主義」的な傾向をのりこえ、真の前衛的飛躍をなしとげよう。今なお、同志会の歴史的役割はけっして尽きることはないのである。
〔原田 徹〕
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