ZENSHIN 2000/09/18(No1973 p06)

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週刊『前進』(1973号1面1)

「一票投票」は絶対に中止せよ あらゆる闘いで執行部総退陣に追い込め
闘争団を切り捨てる四党合意を全労働者階級の力で粉砕しよう
 資本攻勢と闘い新潮流の躍進を

 日帝・森と都知事ファシスト石原の九・三自衛隊首都治安出動演習に対して、労働者人民、在日朝鮮人・中国人、在日アジア人民の怒りの反撃が大爆発した。この闘いを引き継ぎ、十一月労働者集会の五千人結集へ向けて、二カ月間の組織戦を全力で闘おう。そしてこの闘いと一体のものとして、また十一月集会の大成功のためにも、沖縄闘争、臨検(船舶検査)法案粉砕闘争、教育改革攻撃粉砕・改憲阻止闘争を柱とする今秋反戦政治闘争を全力で闘おう。暫定滑走路工事粉砕、二期阻止・空港廃港へ、十・八三里塚闘争に全国から総決起しよう。今秋決戦と十一月労働者集会の成否の一切は、国鉄決戦にかかっている。国労中央の「四党合意」策動にとどめを刺し、闘争団切り捨ての「一票投票」をあらゆる闘いで絶対に中止させよう。国鉄決戦の勝利をテコに資本攻勢の激化と全面対決し、連合の帝国主義的労働運動、JR総連=カクマルのファシスト労働運動を打倒し、闘う新潮流運動の大躍進を切り開こう。

 第1章 石原の゛首都戒厳令三軍大演習゛に反撃

 日帝・森とファシスト石原による九・三自衛隊首都治安出動演習に対して労働者人民の怒りがたたきつけられた。朝から十カ所の各演習会場で全学連、反戦共同行動委を始めさまざまな団体の抗議行動が繰り広げられた。出動した自衛隊に対して「治安出動訓練反対!」のシュプレヒコールがたたきつけられた。
 午後の芝公園の集会には二千人の労働者人民、在日朝鮮人・中国人、アジア人民が結集し、反対集会と都心デモがかちとられた。一九二三年の関東大震災での朝鮮人・中国人大虐殺を繰り返すなと、在日朝鮮人・中国人・アジア人民と連帯し防衛する闘いがついに大衆的にかちとられたのだ。
 この反対運動の高揚はファシスト石原に大打撃を与えた。石原は晴海会場で行われた総括集会で、「左翼のバカどもが」などと許せぬ「障害者」差別の言辞でファシストの正体をさらけ出したのである。
 七千百人の自衛隊を動員して強行された九・三演習は、まさに「防災訓練」に名をかりた自衛隊主導の軍事演習そのものであった。森は、防衛庁の中央指揮所で関係閣僚会議を開き、都庁の石原と連絡を取り合った。「災害救助」とはまったく無縁な対戦車ヘリが銀座の上空に飛来し、装甲車が銀座通りを走った。十カ所の演習会場に迷彩服を着た自衛隊員が出動し、渡河訓練やバリケード撤去訓練を行った。羽田空港に初めて自衛隊の輸送機が飛来し、航空自衛隊が航空管制を行った。石原は総括集会で、「外国からの侵犯に対しても、まず自らの力で守るという気概を持て」などと演説し、この演習が侵略軍事演習でもあることを公言した。
 九・三闘争の高揚を突破口に、さらに日帝・森政権打倒、ファシスト石原打倒をめざし、今秋闘争に総決起しよう。

 労働運動の宝闘争団を守れ

 今秋闘争の第一の最大の課題は国鉄決戦になんとしても勝利することである。
 八・二六続開大会決戦は闘争団を先頭とする国労組合員と支援労働者三千人が会場前に結集して大爆発した。闘争団切り捨ての「四党合意」受け入れを七・一に続いて再度阻止したこと、そして本部執行部が総辞職を言明せざるをえないところまで追い込んだことは、偉大な勝利である。
 追いつめられた国労中央は、「四党合意」受け入れの是非を問う「一票投票」を、九月代議員選挙と同時に行うという超反動方針を打ち出し、七・一〜八・二六の闘いの全地平をクーデター的に転覆しようとしている。
 「闘争団の切り捨て」を投票で決めようなどということは、まさに言語道断の団結破壊であり、労働組合の自殺行為だ。しかも、権力が押しつける「四党合意」の受け入れを組合員に問うこと自体が、白昼公然と行われた日帝権力の不当労働行為に全面屈服することであり、労働委員会制度の全面的解体につながるものである。断じて許してはならない。
 今、闘争団は「首切りを一票投票にかけるのか」と激しい怒りの声を上げ、「一票投票」の中止を要求して闘っている。ともに全力で決起し、中止させよう。そして、宮坂・チャレンジ一派、革同上村一派による最後のあがきを打ち砕き、「四党合意」を最後的に葬り去ろう。代議員選に勝利し、十・二八−二九国労全国大会に攻め上ろう。
 「不当労働行為やリストラを許さない社会を仲間たちとともに築こう。われわれは絶対勝つ」(『貫徹』第七号)と言って闘う闘争団の十三年を超える不屈の闘いは、動労千葉の闘いとともに、まさに国鉄労働運動の宝であり、日本労働運動の戦闘性の結晶である。闘争団は、「一人の仲間の首切りも許さない。ともに働く仲間をけっして裏切らない」と、労働運動の最も大切な階級的魂、原点を守って闘い続けてきた。この闘争団を始め千四十七人の闘いには、すべての労働者の未来がかかっているのだ。
 この間の闘争団と千四十七人を先頭とする国鉄決戦の爆発は、雇用破壊、賃金破壊など資本攻勢の吹き荒れる情勢下で、これと対決する日本労働運動の新たな爆発の時代を確実に切り開きつつある。連合傘下、全労連傘下も含めて全国の労働者、労働組合がこの闘いに注目している。闘争団と千四十七人の闘いを守りぬき、「四党合意」を完全に粉砕し、闘う国労の再生と、階級的労働運動の大前進をかちとろう。
 十一月労働者集会を国鉄決戦勝利の総決起集会としてかちとろう。

 第2章 リストラ攻撃の嵐と闘う労組の大結集へ

 今秋闘争の第二の課題は激化する資本攻勢と対決し、十一月労働者集会への五千人結集を実現することである。
 日帝は、過剰資本・過剰生産力問題を解決できず、経済危機は一層深刻化している。百数十兆円の国家資金を恐慌対策に投入し、また公定歩合を史上最低レベルにしているが、恐慌から脱出できず、危機は深まるばかりである。日銀によるゼロ金利の解除は、膨大な負債を抱える企業の利子負担を増大させ、大企業がバタバタと倒産するような時代が訪れつつあるのだ。
 そごうデパートの倒産、大正生命の経営破綻(はたん)、熊谷組の経営危機(金融機関の債権放棄と二千人の人員削減計画)などに続き、流通、ゼネコン、生保、不動産業界には巨額の有利子債務を抱えて倒産寸前の企業が数多く存在している。
 金融機関の不良債権は、金融庁発表でもまだ八十一兆円にのぼっており、銀行業界のゼネコン保護政策ももはや限界といわれている。企業倒産やリストラ、大失業の攻撃は、これから本格化するのだ。
 日帝は、労働者に一切の犠牲を転嫁することで資本の救済を画策し、また戦争国家化をテコにアジア侵略・勢力圏化に突き進んでいる。だがそれは、アジアをめぐる日米両帝国主義の強盗的争闘戦を破滅的に激化させるものだ。
 日帝の資本攻勢はどのように激化しているのか。
 第一に、雇用破壊の大々的進行である。大資本は、「国際競争力の強化」を旗印に、企業業績の如何を問わず大リストラを行っている。政府は「産業再生法」などで資本の大リストラを国家的に支援している。失業率は五%近くの戦後最悪水準に張りつき、さらに上昇することは必至だ。
 また失業率の数字に表れなくても、常用労働者をリストラして不安定雇用へ置き換える攻撃が激しく進んでいる。総務庁の労働力特別調査(二月実施)によると、企業の「正社員」は二年連続で減少し、全労働者の四人に一人が派遣、パート、嘱託などの不安定雇用(非正規)労働者である。非正規労働者の比率は、五年間で二三%から二八%へ約五ポイントも上昇した。
 資本の狙いは、九五年の日経連報告書「新時代の日本的経営」にあるように、「人件費の削減」であり、必要な時には雇用し、不必要になったら即座に解雇できるように、大部分の労働者を非正規雇用にしていくことである。非正規雇用=不安定雇用は、低賃金と労働条件の劣悪化をもたらし、労働者の健康と安全はますます破壊されている。
 第二に、雇用破壊と連動した賃金破壊の攻撃である。「総額人件費管理」と称して所定内賃金のみならず、所定外、一時金、退職金・企業年金、福利厚生費など人件費の総額をできるだけ削りこんで利潤量を極大化しようとしている。ベアゼロ攻撃、一時金の削減などで、労働者の年間賃金(現金給与総額)は九八、九九年と二年連続して前年を下回った。今年も連続賃下げとなることは確実だ。
 「総額人件費削減」の決定的な攻撃は、年功賃金制を解体し、成果主義賃金へ移行する攻撃である。それは基本給のみならず、一時金や退職金に至るまで「査定」によって賃金格差をつけるもので、大部分の労働者には賃下げとなり、さらには労働強化を狙う賃金制度なのである。
 第三に、労働運動、労働組合破壊の攻撃である。賃金破壊の攻撃そのものが、個別賃金化によって集団的・統一的な賃金闘争を崩壊させることを狙うものである。さらに労組法の改悪策動、労働委員会制度の破壊、組対法などによる攻撃が激化している。
 「IT革命は新たな雇用機会をつくりだし、生活を豊かにする」などと資本が宣伝しているが、事実はまったく逆だ。「IT先進国」のアメリカでは、賃金低下のために、昼間働いた上に夜も別の職場で働かなければならない「ムーンライター」と呼ばれる労働者が七百万人を超え、なお増加している。日本でも労働者一人の賃金では生活できない家族がますます増えている。
 だからこそ、労働者の権利を真っ向から主張し、守り、獲得する労働運動こそが求められているのだ。
 ところが、連合や全労連などは軒並み資本攻勢に屈服している。NTT労組の成果主義賃金の提案や、電機連合の露骨な賃闘否定・賃下げ容認論や、自治労の「人事評価システム」積極推進論など、反労働者的な屈服論が相次いでいる。
 連合や自治労中央はこの八月、人事院が「ベアゼロ・一時金削減」のマイナス勧告を出すに及んでもなお「人勧制度の維持・完全実施」を政府にお願いするという度し難い腐敗・屈服ぶりをさらけ出した。彼ら御用幹部どもは、ストライキ・実力行使を武器に団体交渉で賃上げをかちとるという労働運動の原則的闘いに恐怖し、その圧殺に躍起となっているのだ。
 だが、どこの組合でもこうした御用幹部に対する組合員労働者の怒りは高まっている。この夏の一連の大会では、闘わない本部に対する批判と、闘争方針を求める組合員の意見が噴出したのである。
 首切りや賃下げ攻撃の先兵となり、侵略戦争に翼賛する労組御用幹部への労働者大衆の怒りが高まり、連合の労働者支配が決定的に破綻するときが必ず来る。〈新潮流運動〉の階級的、歴史的使命はきわめて重大である。
 社・共に代わる革命的な労働者党の建設を断固として推し進め、この一大階級決戦を労働者階級の革命的反乱へと発展させるために全力で闘い抜こう。
 新潮流運動の大躍進をめざし、十一月労働者集会の五千人結集へ闘おう。

 第3章 森=石原の大反動を今秋決戦で打ち破れ

 今秋闘争の第三の課題は日帝・森や石原の朝鮮・中国−アジア侵略戦争攻撃と対決し、反戦闘争の爆発をかちとることである。
 第一に、沖縄闘争のさらなる発展である。沖縄サミット粉砕決戦の爆発は、日帝がサミットにかけた沖縄闘争圧殺の狙いを見事に打ち破り、名護新基地建設阻止を始めとする沖縄闘争の一層の高揚と発展の時代を切り開きつつある。
 日帝は、沖縄サミット決戦の爆発と帝国主義間争闘戦の激化に大打撃を受けつつも、八月二十五日に政府、沖縄県、名護市の三者による「代替施設協議会」を発足させた。
 これに対して、辺野古の命を守る会、二見以北十区の会を始めとする名護市東海岸住民は、不屈に闘い続けている。この沖縄人民の不屈の闘いと連帯して闘おう。全国でSACO(日米特別行動委)路線粉砕、名護新基地建設絶対阻止の闘いを大きくつくりだそう。
 第二に、今秋臨時国会での臨検法案制定を阻止し、新ガイドライン・有事立法粉砕闘争の高揚を切り開くことである。
 臨検法案は、昨年五月に周辺事態法(新ガイドライン関連法)を成立させるために、いったんそこから除外した船舶検査活動の法制化を狙うものであり、周辺事態法と一体の戦争法だ。絶対に許してはならない。
 さらに、来年の通常国会に出されようとしている有事法制は、日帝の侵略戦争突入を想定して、新安保ガイドライン発動と同時に国内を臨戦態勢におき、自衛隊に無制限・無制約の軍事行動を保障するものである。それは、九条改憲に直結する大攻撃だ。絶対に阻止しなければならない。
 第三に、教育改革・改憲攻撃を粉砕する大衆闘争を巻き起こすことである。
 日帝・森政権は、「教育改革国民会議」の中間報告すら待たずに、次期通常国会に小・中・高校生の「奉仕活動」義務化法案を提出することを明らかにした。
 「奉仕活動の中身は、消防団でも予備自衛官でも介護でもよい」「奉仕活動をやらないと大学も入れない。就職も認めないことにする」(与党発言)とは、新ガイドライン体制下の徴兵制、学徒動員そのものではないか。
 これは戦後、日帝の侵略戦争と軍国主義教育への反省から、「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成」(前文)をうたった教育基本法を根本から否定するものであり、改憲への重大攻撃である。粉砕あるのみだ。
 また、森の「教育改革」攻撃の先兵としてあるファシスト石原の「心の東京革命」と徹底対決して、石原打倒へ闘おう。
 さらに、国立大学の独立行政法人化攻撃は、大学を日帝の戦争と国策に全面協力する大学につくりかえる攻撃である。大学を営利事業化し、「学問の自由」を奪い、体制に批判的な教員を追放し、学生運動の解体を狙う大攻撃だ。学費の大幅値上げも必至だ。全学連を先頭にして、全国の大学で大闘争を巻き起こそう。少年法改悪に反対しよう。
 森と石原の大反動と対決し、さらに怒りに燃えて新ガイドライン体制粉砕、第三次安保・沖縄闘争の大爆発、革命的大衆行動を猛然とつくりだしていこう。
 国鉄決戦勝利に全力をあげ、十一月労働者集会の五千人結集へ闘いぬこう!

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週刊『前進』(1973号1面2)

”治安出動と戦争許さぬ”  知事石原の暴挙に怒り
 2000人が芝公園からデモ

 九月三日、石原都知事が強行した「防災」に名をかりた自衛隊三軍の治安出動演習に対して、都内各所で力強い反撃がたたきつけられた。(関連記事5面)
 芝公園では「多民族共生社会の防災を考える九・三集会/石原人種差別発言と自衛隊の治安出動に反対する」が開催され、午前中に都内各所で監視や抗議行動を行った労働者・学生・市民など二千人が参加した。
 集会は海渡雄一弁護士の司会で始まった。評論家の佐高信さんが「石原に対してここから新たな行動に立つことを誓う」と開会あいさつを行った。
 続いて辛淑玉(シンスゴ)さんが発言した。「昨日、多文化防災実験を五百人以上の参加で行いました。消火訓練に参加したパキスタンの男性は『きょう使い方を覚えたから、今度は僕が日本人を救えるね』と言いました。この男性を石原知事は『麻薬を売っている』と罵倒(ばとう)したのです。石原知事は四月九日の発言を撤回も謝罪もせず、『外国人を殺していい』と言ったまま居直っているのです。私は最後の一人になっても石原知事を許しません」。淡いぼたん色のチマチョゴリを着た辛さんの凛(りん)とした声が会場に響きわたった。正装し登壇したその姿が、石原に対する闘いの決意と、在日朝鮮人としての誇りを示していた。
 政党あいさつでは、日本共産党の緒方靖夫参院議員、新社会党の江原栄昭都本部委員長、社民党の保坂展人衆院議員が登壇した。
 労組からのあいさつで、自治労都庁職の石田誠副委員長は「都の労働者が千人動員されていますが、石原の訓練に加担せず都民の安全を守ることを確認して監視行動に取り組んでいます」と発言。中小労組政策ネットワークの柿沼陽輔さんは「外国人労働者を対象とする治安体制や、自衛隊を動員したきょうの訓練は許せない」と訴えた。
 続いて午前の訓練の監視行動の報告が行われた。羽田と世田谷からは「羽田空港に空自C130輸送機が降りました。駒沢では石原が自衛隊のジープで三軍にあいさつし、ヘリコプターでごう音をあげて去っていきました」と報告。練馬からは「陸自第一師団は光が丘に結集し、車庫から地下鉄に入りました。八十人でシュプレヒコールを上げ、地下鉄の車両の中でも抗議しました」と報告された。
 立川からは「八十人で抗議行動を行いました。特徴的なのはAHヘリ六機や偵察ヘリが参加したことです。AHは戦車攻撃用で物資も人員も運べず防災とはまったく関係ないもの」、白鬚(ひげ)西会場からは「二百五十人で集会とデモを貫徹しました。森首相は以前、『韓国人はベトナム戦争の経験があるので、武装決起も可能だ』と言いました。石原を支えるものすべてを変革するために闘います」と報告された。
 朴慶南(パクキョンナム)さんがカンパアピールを行い「石原はきょう『たちの良い外国人なら助けてやろう』と言ったそうです。私はまっ先に殺されるのではないかと思います。この恐ろしい軍事演習と闘うためにお金がいります! カンパを」と熱烈に訴えた。
 外国人からの訴えに二団体が立った。神奈川シティユニオンは「韓国や中南米から来た労働者の組合です。石原の発言は関東大震災のときの大虐殺を思い出させました。みなさんへの連帯を込めアリランを歌います」と、アリランを合唱。スリランカ人民解放戦線日本委員会は「石原の考えは日本の権力者の考えだ。石原の治安維持訓練に反対し、日本の民衆とともに闘います」と表明した。
 阪神・淡路大震災の経験から、まちコミュニケーションの小野幸一郎さんが「行政の『防災』は住民のプラスになっていない。私たちが阪神の教訓を知ることが必要だ」と発言した。
 閉会あいさつを作家の宮崎学さんが行い、「石原都知事の治安出動に断固ノーの声をたたきつけ、石原の翼賛政治と対決する民衆の熱い闘う意志を示した。デモを貫徹して、私たちの意志の強さを示していこう」と訴えた。行動提起を実行委事務局長の小谷野毅さんが行い、デモに出発した。
 デモの先頭には辛さん、佐高さん、海渡さん、宮崎さんら呼びかけ人が立ち、チャンゴの演奏と、活気あふれるデモ隊列が続いた。新橋から数寄屋橋交差点を通り、注目の中、銀座を石原と自衛隊から人民の手に取り戻すデモになった。
 九・三闘争は、自衛隊三軍による治安出動・侵略戦争の軍事演習という石原の狙いを敢然と打ち破り、日本の労働者人民と在日朝鮮・中国・アジア人民との共同闘争をつくりだした歴史的な闘いとなった。
 カクマルは集会へ潜りこみを策したが、惨めに破産しぶざまな姿をさらした。

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週刊『前進』(1973号2面1)

闘争団の切り捨てと組合破壊許すな
国労本部の責任を開き直る「一票投票指令」に猛反撃を
 不当労働行為=四党合意葬れ

 八・二六国労臨大(続開大会)で、七・一に続いて二度にわたって「四党合意」受け入れの方針案の採決を阻止した(前号既報)。「四党合意」を事実上破産に追い込んだ大勝利である。そして、本部執行部総退陣の情勢を引き寄せた。ついに闘う新たな執行部を国労三万の総力を挙げてつくりだすべき時が来たのだ。どん詰まりに追いつめられた国労中央は、この情勢を「全組合員の一票投票」で反動的に巻き返すクーデターを策動している。国労中央は八月三十一日、「執行部提案(第六六回臨時全国大会方針)について全組合員の一票投票を指令する」として、九月二十六−二十九日を投票期間とする「指令第一〇号」を発した。これはまさに゛闘争団切り捨て゛を全組合員に迫る断じて許せぬ暴挙である。この一票投票を絶対に中止させ、闘争団を守り、執行部総退陣へ闘いぬこう。

 二度にわたり敵の攻撃を阻止

 闘争団の14年かけた決起が本部を徹底的に追いつめた
 今秋の国鉄決戦は、五・三〇「四党合意」から七・一−八・二六の激闘を引き継ぎ、その闘いに決着をつける、一層激烈な攻防である。当面の「一票投票」絶対阻止の闘いから、全国大会代議員選、十月二十八、二十九日開催予定の定期全国大会に向けて、全力を挙げて闘いぬこう。
 そのためにも、まず八・二六続開臨大をめぐる闘いに勝利したことをはっきりと確認しなければならない。総括の核心は、二度にわたって「四党合意」という敵権力の攻撃を打ち破ったことが、ものすごい勝利であるということだ。
 確かに、あくまでも臨大中止を求めて闘った闘争団、組合員、支援の労働者にとって、大会が強行されたことは本当に悔しい。いったんは高橋委員長が中央執行委員会で大会中止を提起するところまで追い込み、さらに本部総辞職の表明にまで追い込みながら、最終的に現執行部がクーデター的に居座り、「四党合意」も残った。だが、それは逆に「四党合意」の完全粉砕、現執行部の総退陣にまであと一歩のところまで迫ったということなのだ。
 この勝利の地平に確信を持ち、この勢いで前進することが求められている。

 大反動を打ち破り正義貫く

 七・一の勝利が敵にものすごい打撃を与えたがゆえに、その後の反動はすさまじかった。この反動に闘争団がひるまず断固対決して打ち破ったことが、勝利の決定的な要因である。
 七・一でやむにやまれず「演壇占拠」にまで上りつめた闘争団の闘いに対して国労中央は「大会破壊の暴力行為に対し、非難すると共に憤りをもって抗議する」という七・三見解を出し、革同上村一派は闘争団を「暴徒」呼ばわりした(東海エリア本部声明など)。盛岡地本のチャレンジ一派は、音威子府闘争団のオルグに対して「北海道にお引き取り願いたい」「闘争団カンパもストップする」と通告するなど、闘争団を゛兵糧攻め゛にする許しがたい攻撃に出た。
 これが「四党合意」の本質なのだ。闘争団を切り捨てろ、という敵の攻撃の狙いを、チャレンジ一派や革同上村一派が率先して実践してきたのである。
 だが、闘争団は、ひるまず自らの行動の正義を訴えて闘いぬいた。「暴力・暴徒」キャンペーンを振りまいている連中が、JR本体の組合員に対して「四党合意で一人一千万円が出る」などのデマによって「四党合意賛成」にオルグしていた。闘争団がJR職場に入り、真実を訴える中で、彼らのデマが暴かれ、しだいに「暴力」キャンペーンも打ち破られていった。
 そして、七・一の闘いに心底から感動し、労働者自己解放の力、日本労働運動の再生の力を見いだした支援・共闘の労働者の決起である。七・一以後、闘争団の闘いをめぐって、まさに日本労働運動を二分する情勢となった。

 日共・革同の動揺と危機

 七月末の全労連大会では、当初「四党合意」を評価した指導部に対して批判が集中した。全労協大会でも怒りが噴出した。「四党合意」の張本人である社民党の大会でも「撤回」を求める発言が出された。連合傘下を含む百万をはるかに超える労働者が、この事態に注目し、闘争団支持の声が広がったのだ。
 この過程で、日本共産党は、沈黙を続けて「四党合意」を推進してきた。だが、七・一の事態に追いつめられ、ついに八月十九、二十日付の『赤旗』で、イニシャル署名ながら事実上の「党声明」といえる「一〇四七人の採用差別と国労の続開大会について」という論文を出さざるを得なくなった。「四党合意」については「具体的中身が何もないまま、『法的責任なし』をおしつけている」と言っている。もちろん、この論文の本質は、国労内の日共・革同上村一派が最も徹底して「四党合意」を推進し、闘争団に敵対してきたことを押し隠している点できわめてペテン的である。しかも、「どう具体的に解決するかは、いうまでもなく国労自身が決めること」だとして、国労が「四党合意」受諾を決めれば容認するというものであり、「暴力行為は許されません」と七・一の闘いに敵対するものである。にもかかわらず、同時にこれは革同内の動揺と危機を促進するものとなった。
 革同上村一派は、チャレンジ一派とともに機関を私物化し、「自警団」と称する警備動員に組合員を駆り出そうとしていた。だが今やこれを強行すれば、いよいよその反革命的正体が暴かれ、ガタガタになるところに追いつめられたのだ。
 こうして、七・一に対する密集した大反動は、闘争団の正義の闘いの前に押し返されたのである。
 われわれは、「七・一を上回る一万人の大結集で臨大続開を阻止せよ」と訴えた。実際に、JR本体の組合員、支援共闘の労組から八・二六への大結集の地熱が熱くなっていった。
 また、動労千葉は千四十七人問題の当事者として四百人の結集で八・二二集会を開催した。動労千葉を支援する労組は、国労支援陣形とも重なり、その原則的な主張が多くの労働者・労働組合の心をとらえた。
 八月二十四、二十五日には、大阪、東京、千葉でJR本体の国労組合員が「四党合意」を不当労働行為であるとして、地方労働委員会に救済を申し立てた。
 国労中央は、こうしてほうはいとわき上がる労働者の決起に追いつめられた。

 闘争団の怒りの原点に立ち

 さらに、この八・二六続開臨大をめぐる闘いの勝利の原動力は、何よりも闘争団の不屈の闘いである。
 八月二十二日から始まる上京闘争団の国労本部に対する「申し入れ」−交渉は、ものすごい迫力をもって本部を追いつめた。このまま闘争団の要求を無視し、大会を強行したらどうなるか。七・一以上の事態となって、本部執行部が完全に打倒される情勢となったのである。
 闘争団の主張のポイントは、あくまでも「解決案なき臨時大会反対」であった。それは「四党合意」に反対する二十闘争団と有志の主張であるにとどまらず、全闘争団員の思いを代表するものであった。「四党合意」によって「解決案」が出るのか、もし出るとすれば、闘争団の納得のいく「解決案」なのか、と国労中央に迫った。これは、五・三〇の「四党合意」以来、国労中央が「直ちに具体的な解決作業が始まる」「同時並行だ」「七・一臨大では、解決作業が具体的に進んでいることを目に見えるように報告できるようにする」などとしてきたペテンと欺瞞(ぎまん)を完全に暴いた。
 音威子府闘争団家族の藤保美年子さんは、八・二六社会文化館前の集会で、「私たち闘争団家族の中に、賛成している家族もおります。それも確かな気持ちです。なぜだか皆さん、分かりますか。十四年たってつらいんです。『これをウンて言えばJRに戻れる』という言葉を信じて、『賛成』と言っている家族もいるんです。そこのところの責任は、本部がきちっととらなければならない」と訴えた。同様の主張を闘争団・家族は、本部との交渉の中でぶつけた。
 ウソとペテンで組合員をだまし続けてきた本部は、その責任をとれ! この訴えは、最も鋭く本部総退陣を迫るものだった。
 また藤保さんは、七・一臨大の演壇から「私たちはもう解雇されたあの時から(時間が)止まっているんです」と訴えた。八・二六では「十四年たったら私たちも当初のことを訴えることを忘れているのかもしれません。分割・民営化にあたり、国労組合員がJR採用者と不採用者に分けられた。仲間同士がもめあう、仲間割れするように仕組んだあの分割・民営化。あの時のことをもう一度思い出して下さい」と訴えた。闘争団・家族の原点は、分割・民営化とそれを強行した国家権力への根底的な怒りである。その後の十四年間、まさに自らの人生、家族の生活をかけ、命をかけて闘いぬいてきた。この原点が、「四党合意」への怒りをとおしてよみがえったのだ。ここから闘争団の決死の思いをつかまなければならない。
 分割・民営化とは何だったのか。八七年の分割・民営化で採用差別された七千六百三十人が清算事業団に送られ、さらに九〇年三月三十一日、清算事業団の三年間の「雇用対策」の期限切れにより、四月一日をもって千四十七人が解雇された。二度もの解雇という攻撃を受けながら、政府・JRの首切り責任を追及し、不屈に闘いぬいてきたのが闘争団である。
 この千四十七人の闘いは、まさに分割・民営化に抗して闘いぬいた国鉄労働運動が生み出した精華であり、国労の宝である。国労中央がいかに揺らぎ、無指導でも、原則を貫いて闘いぬいてきた。この闘争団と一体となって進むことで、闘う国労の旗が守られてきたのである。
 「四党合意」とは、政府・JRの首切り責任をこの地上からなくし、しかも、それを国労に承認させ、労働組合によって「三度目の首切り」を強行させるという攻撃、そして闘争団を切り捨て、戦後国労運動の伝統も労働者の誇りも人間的尊厳も、すべて捨て去れという攻撃なのだ。
 闘争団・家族、国労組合員にとって、こんなものは断じて認めることはできない。これを組合員に強制して恥じないのは、そうした国労の誇りある伝統を捨て去って、一刻も早く国労の名前も捨て、JR連合と一緒になりたいと考えている宮坂・チャレンジ一派や革同上村一派などの裏切り者・転向者だけである。

 一票投票で「本部信任」も強要

 いったん総退陣を表明した本部は居座るつもりなのか
 今、国労中央は、このような「四党合意」を「全組合員の一票投票」にかけようとしている。それは、組合員一人ひとりに闘争団の切り捨てを迫るものであり、「四党合意」をあくまで貫徹しようとするとんでもない反革命策動である。
 八・三一「指令第一〇号」では、「中央執行委員会は、第六六回臨時全国大会続開大会決定として『執行部提案(第六六回臨時全国大会方針)』について全組合員一票投票を指令する」として、その「実施要綱」を明らかにした。
 われわれは、この「指令第一〇号」を、七・一臨大決起に対する七・三本部見解を上回る大反動として徹底的に弾劾する。
 「指令第一〇号」は、八・二六の闘争団・家族、国労三万、そして社会文化会館を取り巻いた三千人の労働者人民の決起とその叫び、願いを真っ向から踏みにじり、そのすべての闘いの成果と地平を反革命的に転覆しようとする闘争圧殺宣言である。
 闘争団は、八・二六に至る本部に対する交渉で、はっきりと「一票投票絶対反対」の意思を表明していた。そして、八・二六の後も、「『四党合意』には一点の正義もなく、『一票投票』でその賛否を問うことは『闘争団切り捨て』の賛否を問うのに等しく、直ちに撤回・中止すべきです」(上京闘争団事務局、FAX通信)と訴えている。(別掲資料参照)
 当事者の闘争団が絶対に反対し、中止を要求している「一票投票」を本部はあくまでも強行しようとしているのである。絶対に中止させなければならない。
 まず何よりも「JRに法的責任なし」を大会で決めろという極悪の政治的支配介入=不当労働行為の是非を組合員に問うということそのものが断じて許せないことである。それは労働組合としての自主性を放棄し、自らの死を宣言するに等しい。「一票投票」の強行は、「四党合意」の反動的核心に組合員を屈服させるものなのだ。

 不正が行われるのは不可避

 「一票投票」などと言うと、あたかも民主主義的な手続きに見えるが、まったく逆で、闘争団の生死に関することを決定するのに、闘争団も他の組合員と同じ一票にすること自体が圧倒的に不平等である。本質的に闘争団を無視し排除するものなのだ。これによって闘争団とJR本体の組合員は分断され、その団結はますます解体されるのだ。
 そもそも国労の規約にないものを、委員長の特別発言の「拍手承認」だけでやるなどということは、重大な組合民主主義破壊である。「選挙規則」を準用してやるなどということは成り立たない。また、代議員選挙のやり方は、機関によりまったく違い、チャレンジや革同上村一派は、あらゆる不正をやろうとしている。機関役員を握っている彼らの前で、組合員の思想調査=踏み絵としてやられるのだ。
 その上で、さらに「指令第一〇号」によって、その反動的狙いが一層明らかになっている。
 ここでは、「一票投票」が「第六六回臨時全国大会方針」の是非を求めるものだと言っている。なんということか。これでは「四党合意」の是非を問うだけでなく、いったんは総退陣を表明した本部執行部の「信任投票」となるではないか。要するに、゛四党合意受け入れを決定した本部の方針と行動をすべて認めよ゛ということなのだ。五・三〇以降、二枚舌、三枚舌、ウソとペテン、開き直りの数々を行ってきた本部の言動をすべて承認しろということではないか。
 さらにいま一つの問題がある。それ自身、「一票投票」を打ち出した許しがたい委員長の特別発言とも矛盾するものだということである。
 高橋委員長は特別発言で、七・一臨時大会の「休会」は、「中央本部の対応に起因していると認識してお詫びする」と述べ、その「混乱に至った原因」として「闘争団との意見交換、合意形成が不十分だったこと」や「『四党合意』後、直ちに解決に向けて具体的作業に入り、七月一日までに一定のものが提示されるだろうということであった」が、「何ら具体的な前進のないまま大会を迎えざるを得なかった」ことなどの四点を挙げている。
 その上で、五点目に「この間の(執行部の)責任は免れない」という立場から「本部原案の四党合意」について「一票投票」を行うと言っている。
 ところが、「指令第一〇号」では、こうした本部執行部の「責任」については一切触れず、「組織内外の実態を踏まえ」などと言っているのだ。宮坂書記長は、闘争団との交渉で、「皆さんは反対しているが、賛成の組合員もいるから、一票投票をやる」と言い放った。つまり、本部の責任は徹底的に開き直り、闘争団の意思を無視し、組合員にその責任を押しつけようというのだ。

 あらゆる闘いで投票中止へ

 このような「指令第一〇号」のもとでの「一票投票」など何一つ道理はない。「指令第一〇号」は無効であり、即刻破棄されなければならない。このような国労中央の居直りと闘争団切り捨てのための「一票投票」はあらゆる闘いをもって絶対に中止させなければならない。
 そして「四党合意」を完全に粉砕し、本部執行部総退陣、闘う新執行部樹立へ大決戦を闘い抜こう。

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週刊『前進』(1973号2面2)

”切り捨ての賛否問う投票” 闘争団が次々反対表明

 闘争団は次々と「一票投票」の中止を求める文書を出している。上京闘争団FAX通信と帯広闘争団の要望書の抜粋を紹介します。(編集局)

●上京闘争団FAX通信

 2000年8月30日
 上京闘争団事務局
 8月26日の続開臨時大会は、執行部提案の採決は行わず、高橋委員長のあいさつを拍手で確認する形で閉会しました。
 委員長あいさつは、……「執行部として、この間の混乱の責任は免れない。次期定期全国大会で信を問う」としました。
 しかし、その一方で委員長あいさつは「全組合員の一票投票を行い、『4党合意』について賛否を求める」とも言っているのです。本部自身が認めている4つの反省点が何ひとつ改善されておらず、混乱の原因がそのまま残っているのに、国労規約にさえない「一票投票」をなぜやろうとするのでしょうか? 賛成・反対の判断材料=具体的解決案を組合員に示せないのに「一票投票」を強行することは、いたずらに組織内の混乱を増大させるだけです。
 「4党合意」には一点の正義もなく、「一票投票」でその賛否を問うことは「闘争団切り捨て」の賛否を問うのに等しく、直ちに撤回・中止すべきです。
 また、8月25日の「エリア代表者会議」の中で、国労東海本部から「運輸省から指導されているので、今までの話はなかったことにしてくれ」とJR東海会社から通告されたとの報告がありました。そうであれば、「4党合意」は事実上、相手側から取り下げられており、「一票投票」を実施する意味がありません。いたずらに組織内の混乱を拡大するだけであり、百害あって一利なしといわざるを得ません。

●「四党合意」の承認を求める全組合員投票の中止を求める要望書

 2000年8月29日
 国労帯広闘争団
 ……全国20闘争団と有志との話し合いの中で本部は「四党合意の受諾にあたり、全中執が問題はあるが2項と3項以下は同時進行・セットであるので苦渋の選択をした」と述べています。つまり「四党合意」は問題があることを全執行委員が認識していたことになります。そしてこの「同時進行・セット」が「苦渋の選択」の前提条件だったのであり、この条件がなくなった以上「四党合意」は受諾を撤回するのが本来のスジではないのかということです。
 にもかかわらず受諾を撤回するという自らの責任を放棄して国労の規約にもない全組合員の一票投票で賛否を問うというのは本末転倒であり、かつ内部の組織分裂を誘発し、一層の組織混乱を生み出すと言えます。よって、仮に全組合員の投票を実施するとすれば、全中執が「四党合意には問題がある」と認識していたことを全組合員に知らせるべきであり、その上で本部として受諾を撤回するかどうか判断できないがゆえに全組合員投票を実施することにしたことを組織内外に明らかにすべきではないでしょうか。

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週刊『前進』(1973号2面3)

資本攻勢&労働日誌 8月21日〜9月4日

「ベア不要」企業の6割 日経連調査で
 ●連合が「春闘見直し論」
 ●企業年金一本化案を公表
 ●ゼンセン・CSGが統合

●8月21日 韓国の「ホテル・ロッテ」で、労組が6月9日から続けていたストライキが終結。労資は、(1)非正規従業員を正規従業員に転換(2)賃金の10%引き上げなどの妥結案に署名した。
●23日 企業の約6割が今後の賃上げで「ベアは必要ない」と考えていることが日経連の企業労務担当役員らへの調査で分かった。
◇自治労が25日まで定期大会。「能力・実績」重視の人事管理システムに13県本部が修正案提出。
◇電機連合の鈴木会長は日経連セミナーに見解を発表し、「今回の奥田発言は、……きわめて刺激的かつ先駆的。我々電機連合のかねてからの主張とほぼ軌を一にする」と全面屈服を表明した。
◇造船重機労連が25日まで定期大会。鉄鋼労連、非鉄連合との組織統合について検討し、1年後に結論を出すことを決定した。
●24日 連合は中央執行委員会で春闘見直しに向けた「論点整理」を報告した。(要旨別掲)
◇大蔵省、厚生省など5省庁は、従来の確定給付型の企業年金制度を再編する新たな企業年金制度の原案を公表した。厚生年金基金と税制適格年金を一本化。破綻時の「支払い保証制度」があいまい。
●26日 国労が臨時大会。闘争団を先頭に国労組合員・支援3000人が会場の社会文化会館を包囲。7・1臨大に続いて「四党合意」決定阻止の勝利をかちとった。
◇JAMの日新興業労組(大阪市)が春闘での会社側の10%賃下げ提案に対し、8月に入っても闘争継続。連日、会社入り口で指名ストによる座り込みを行っている。
●27日 連合の全国一般が29日まで定期大会。「個人加盟」をキーワードとする新たな合同労組運動をめざす方針を決定した。
●29日 総務庁発表の労働力調査で7月の完全失業率は前月と同じ4.7%。労働省発表の有効求人倍率は0.60倍で前月比0.01ポイント増。
●30日 結成から1年を迎えるJAMが9月1日まで定期大会。春闘ではミニマム闘争と、賃金構造維持分の確保(定昇)を重視するとして大幅賃上げを言わなかった。
●31日 ゼンセン同盟とCSG連合が正式に組織統合の検討に入る。実現すれば自動車総連を抜き連合の民間産別では最大規模。
◇雇用情勢の悪化で失業手当の財源となる「失業等給付」の99年度の赤字が初めて1兆円を超えた。
●9月1日 労働省の中央職業安定審議会は、失業手当を上乗せする際の14項目の基準を決定した。
◇水島前会長の側近と言われ、旧経営陣との癒着が指摘されていた全そごう労組の前委員長が懲戒解雇されていることが明らかに。
●4日 自動車総連が5日まで定期大会。マツダ労連が、昨年から「スト権を確立し、闘う姿勢を前面に出した取り組み」をしていることを紹介した。

 連合の春闘見直しでの「論点整理」

●日経連との協議路線
 今年の(日経連)セミナーでの鷲尾(連合)会長や奥田(日経連)会長の提起を見ても、社会的合意形成に向けた案作りが求められている。…春闘前段で日経連とも協議したい。
●賃下げ、成果主義に屈服
 賃金については、@支払原資の確認、A賃金制度の確立が問われてくる。とくに成果主義の制度・システムが明確になっていないことへの組合員の不信と不満が高い。
●中小、未組織の切り捨て
 賃金制度未確立や、賃金水準が低い組合、未組織の職場などへの賃上げの波及効果を捨て切れるか。金属共闘の役割に変化が生じると仮定した場合、連合としてどうするか。

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週刊『前進』(1973号3面1)

「総合生活支援ネット事業」と「ニューユニオン」粉砕を
全逓中央打倒=郵政民営化阻止へ 11月決戦の勝利かちとれ
 第54回全逓大会総括と今秋方針

 マル青労同全逓委員会

 日本労働者階級の自公保体制否認と革共同の国政選挙初挑戦、七・一国労臨大休会、沖縄サミット決戦前夜という激動情勢下で開催された第五四回全逓全国大会(七月十二−十四日、広島)は、この情勢に呼応して、全逓中央の支配を根底から揺さぶった。高頭前委員長は冒頭のあいさつで、これまでの全逓運動を「過去の不幸」として清算し、二十一世紀の展望を見いだすものとしての「総合生活支援ネットワーク事業」路線と「ニューユニオン」方針を提起した。しかしながら、全逓中央にとって唯一の活路として提案された郵政民営化推進のための「総合生活支援ネットワーク事業」路線と、これを支える「ニューユニオン」方針は、その出発点の今大会で、早くも破綻(はたん)が浮き彫りとなり、いよいよ二〇〇一年事業庁移行、二〇〇三年公社移行の二〇〇一年〜二〇〇三年、全逓中央打倒=郵政民営化阻止の三カ年決戦は開始されたのである。革命的全逓労働者は、この決戦、とりわけ十一月労働者集会の先頭に立ち、三カ年決戦勝利の主体的基礎を打ち固め、連合全逓中央打倒=ニューユニオン方針粉砕=郵政民営化阻止を実現しよう。

 全逓運動が 中央委超える大流動情勢へ

 今大会を特徴づけた最も重要な第一の点は、全逓運動が根底的な流動を開始したことを告げ知らせたことである。
 このことは、代議員の発言にはっきりと現れている。九七年橋本行革下で郵政民営化の動きが開始されて以降の職場状況は、まさに反マル生前夜情勢と言える。
 これを反映した大会発言は、五千人削減の非常勤化に関しては、関係地本から八人が発言し、「大幅な修正・撤回」(東京)、「三年目が実施されたら業務が回らなくなる」(長野)、「職場は混乱と労働強化が強いられている。業務運行に支障はないとの省発表は大本営発表」(東海)、「計画に歯止めを」(神奈川)など、すべてが反対意見だった。これらの発言者の属する地本が、ことごとく本部支持派と目されていることからも、いかに現場の不満と憤りが激しいものであるかがわかる。
 人事交流についても「仕事が回らなくなっている」(東海)、「団結破壊と受けとめている」(近畿)など、発言した五地本の全員が批判した。
 総合担務でも「悪い面ばかりで、再考を」(長崎)、「生きがい、働きがいにつながらない上に、機会の平等すら奪う」(東海)など、発言した三地本全員が反対。
 貯金JC合理化や、営業その他の省の諸施策についても、代議員の発言のことごとくが本部方針を批判するものだった。
 現実に職場で進行している人事交流、総合担務、人員削減、営業など、各種の諸攻撃・諸施策は、九七年橋本内閣の行革攻撃以降、全国実施された、民営化にいつでも移行できる郵政省の「民営化対応」施策であり、それは同時に、全逓中央が労使共同で推進してきた行革対応第一ステージ〜第三ステージの具体的実践だったのである。
 全逓中央は、この延長線上に総仕上げとして、第四ステージの「総合生活支援ネットワーク事業」路線を展望しようとしているのであるが、第一ステージ〜第三ステージの現実がこのように強烈な本部批判の続出であり、第四ステージとしての「総合生活支援ネットワーク事業」路線の出発点であるはずの今大会が、はからずも、この路線の破綻と崩壊の出発点となったのだ。
 大会のこの現実に対し、菰田(こもた)新書記長(企画部長)が「全逓運動史上かつてない高率の支持をいただいた」と自画自賛しても何のなぐさめにもならない。三年前に強行した組合選挙規約の改悪で、本部派絶対多数支配をつくったはずなのに、なお議案書に対しては三百八十五票中五十二票の反対、役員選挙では菰田新書記長に対して最も多い六十一票、一六%の不信任が集中したことの中に、逆に、本部支配の脆弱(ぜいじゃく)さと全逓運動の戦闘性が見てとれるのである。

 現場の不満の声無視する新書記長・菰田

 今大会を特徴づける第二の点は、全逓中央が郵政民営化推進の立場を鮮明にさせたことである。
 菰田新書記長は議案提案と最終見解の二度にわたる長時間の発言の中でも、組合員が最大の関心を寄せている人事交流や総合担務、人員削減など、今、現に自殺者や退職者を多数生み出している郵政省の諸攻撃に関しては、言葉としても一言も言及することなく、意図的に無視する態度に終始した。
 それは、これらの諸攻撃が郵政省の民営化対応の具体的実践そのものであり、共同推進の責任者としての菰田新書記長にとって、これに異議を挟むことはそのまま、これまでの行革対応としての第一ステージ〜第三ステージの否定に直結するものとなるために、沸き上がる現場の不満に対しては、無視することが唯一の選択肢だったのである。

 全面的民営化の容認を許すな!

 議案提案では、今大会の第一の目的を「二〇〇三年の『国営の新たな公社』に向けた方針の決定」にあるとした。その上で、郵便事業が「小口物流、個人情報・通信にも新サービスが提供され、その影響をもろに受け未曽有(みぞう)の危機」と強調した上で、郵便事業の民間参入問題は「行革会議の最終報告で方向づけられた」として、郵便事業の分野ごとの民間開放から全面的な民営化への道を承認したのである。
 行革会議最終報告原案には「郵政民営化」が明記されていたのであり、もはや民営化不可避と判断した省と全逓中央は、おのおの別個に民営化のための「コンビニとのすみ分けは可能か」提言(九九年七月、郵政審議会)、「郵政事業の経営分析と改革の視点」(九九年十二月、全逓総研レポート)で「競争と協調の事業戦略」を打ち出した。
 両者に共通した認識は「郵政事業は成熟して成長が望めない」というものであり、郵政事業切り捨て=民営化の容認である。
 このことを裏付けた動きとして、全逓サイドとしては、三月九日、民主党郵政族議員が中心となって「高度情報化社会への対応」を提言し、情報通信省の設置を表明した。
 一方、省側も三月二十九日に「二十一世紀の情報通信ビジョン」(電気通信審議会)を、四月三日には「二十一世紀における情報通信ネットワーク整備に関する懇談会」を学識経験者で設置することを決定した。
 郵政官僚と全逓中央労働貴族どもは、三事業の分割民営による切り捨てと情報通信省設置によって、自己の延命を策そうとしているのである。
 この視点から全逓中央は「総合生活支援ネットワーク事業」路線を打ち出し、その実施方針として第四ステージ方針を打ち出したのである。
 「総合生活支援ネットワーク事業」路線は、まぎれもない民営化推進論だ。したがって、われわれの職場では、全逓が郵政省の民営化推進施策に全面的な支持と協力を誓ったせいで、これまで以上の人員削減と人事交流の激化、労働条件の劣悪化の強まり、これを力によって強制しようとする労務管理の強まりなどが予想される。
 しかし、それは同時に、組合を問わず、アルバイト、本務者を問わず、現場労働者総体を巻き込んだ、より壮大な省との激突と、連合全逓中央打倒情勢をたぐり寄せることは不可避である。
 この情勢を促進させることができれば、民営化を阻止することはまったく可能である。

 「ケジメ」「清算」語り全逓解体に走る中央

 今大会を特徴づける第三の点は、全逓運動解体の民営化推進のために、あくまでも「ニューユニオンの実現」の方針にこだわったことである。
 郵政公社化=民営化とは、全逓運動の解体にこそ、その真の目的があることを表明したのである。
 郵政省は、全逓労働者の戦闘性と階級性によって、いつも支配の危機にさらされてきた。七八−七九越年の反マル生闘争に象徴されるように、全逓運動は、中央本部の“偉大さ″によってではなしに、一人ひとりの組合員の戦闘性と階級意識によって支えられ、発展してきた。過去も、そして現在もなおそうである。
 中央本部は、反マル生闘争の一大高揚に驚愕(きょうがく)し、その後の政府、警察、自民党、省をあげた国家の弾圧に屈服した。だが中央本部の八二年の路線転換以降、とりわけ九七年の行革・郵政民営化攻撃以降の転落と階級移行にもかかわらず、現場の全逓労働者は個々の生きざまをかけて、一人対省、一人対国家の闘いを闘い抜いている。人事交流が吹き荒れようとも、どのような労働条件の悪化があろうとも、けっして屈することのない戦闘性と階級意識を守り抜いている。
 だからこそ日帝は、国家改造の核心である階級支配の転換攻撃の中心に郵政民営化=全逓運動の一掃を掲げたのである。
 階級移行した連合全逓中央は、その先兵となって、全逓運動の内部から全逓運動を解体することに全力をあげてきたのである。
 しかしながら、現場の全逓労働者は、全逓、全郵政の統一方針にはまったく見向きもせず、これを一蹴している。その上、全郵政も今年の六月の全国大会では「統一には反対する」と決定し、今や全逓・全郵政統一の「ニューユニオン」方針は危機と破綻に直面して、風前のともしびとなっている。
 この危機と破綻を突破するため、今大会で菰田は、あえて決定的な裏切りの言辞をろうすることで、自らの使命が全逓運動の最終的解体にあることを表明したのである。
 「これまでの多くの不幸には『ケジメ』と『清算』を一方の当事者として内外に明らかにし、これからの幸せを展望して、二十一世紀に一歩踏み出す」
 全逓三十年総括でも言えなかったこと、これまでの幾多の裏切り指導部もけっして言えなかった決定的言辞を、菰田は吐き捨てて、全逓運動と全逓労働者に敵対することを宣言した。
 「ケジメ」と「清算」とは何か。郵政省が言う「生産阻害者」の排除ではないか。病弱者、頻回病欠者、突発欠務頻回者、反抗的な者の総体、つまり労働者の人間的権利を主張する者すべてを、郵政省は「生産阻害者」と決めつけて、労務管理の対象としてきた。
 だが、それとの激突が「権利の全逓」を生み出し、戦闘性と階級意識を育てたのだ。
 こうしたことに「ケジメ」と「清算」をつけると言い張る中央・菰田が、いかに公社化では「全員が採用される」「この際、中央執行委員会として正式に全国大会で再度の見解とさせていただいた」とほざこうとも、それは自己矛盾であり、ウソである。

 全労働者の力で国労闘争団守れ

 日米争闘戦に追い詰められて策定した九七年橋本内閣の国家改造計画。その中心環としての郵政民営化攻撃、全逓運動解体攻撃。この流れの帰結には、全逓運動解体の国家意思としての選別雇用が待ち受けているのは当然である。そうしなかったら、労働運動を根絶しなかったら、日帝が生きていけない危機に直面しているからだ。「ニューユニオン」とは、日帝の階級的労働運動根絶の攻撃に屈服し、自ら帝国主義的労働運動への変質を図る連合路線の先頭を走るものである。
 われわれは中央・菰田の「再度の見解」とやらに惑わされることなく、「ニューユニオン」方針を拒否し、郵政民営化粉砕へと向かわなければならない。
 JR型の選別雇用かNTT型の全員移行かを比較して、NTT型がよいとするような論調が連合全逓中央によって吹聴され、全逓もNTT型の全員移行を目指そうとしている。
 しかし、JRとNTTの人員削減の推移を見るならば、JRは八七年の民営化前に職員数が半減したが、NTTは八五年の民営化後に職員数を半減させたのであって、現場労働者にとって、どちらがよいなどと言えるものではない。ともに、現場労働者にとっては大量首切りと深刻な労働条件の激変と労働強化であり、労働者意識と階級意識の解体・一掃を狙った、当局の陰湿な労務管理の強化との攻防の連続だった。
 赤字(JR)であろうと黒字(NTT)であろうと、敵の民営化目的は、「国労をつぶせば、社会党・総評をつぶせる」と言った中曽根元首相の発言にあるように、階級意識の解体・一掃と、闘う労組の絶滅にあるのだ。
 もはや、われわれ全逓労働者の進むべき道は明らかである。
 組合組織として分割・民営化に反対した国労と動労千葉は、労組絶滅攻撃を打ち破って組合組織を守り抜き、民営化以降の敵の攻撃に歯止めをかけ、千四十七人の闘争団を先頭に、JR総連=カクマル解体、国鉄闘争勝利の最終局面の攻防=日本労働運動の新たな激動情勢をこじ開けているではないか。
 八・二六国労続開臨大で七・一臨大に続いて再び「四党合意」の採決を阻止した国労闘争団を守り抜こう。国鉄闘争と結合し、四・二八反処分闘争を発展させよう。
 われわれは、闘うことで敵の危機を促進させ、支配の危機から労働者の側の勝利に向かって、闘う国鉄労働者、すべての労働者と団結して、闘う労働運動の新潮流を全逓労働運動の中につくり出そう。
 一切はわれわれの主体的変革と飛躍にかかっている。十一月労働者集会に向け、変革と飛躍をかけて進もう。

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週刊『前進』(1973号3面2)

連載 新潮流運動の大躍進へ 資本攻勢の嵐と対決を (3)

 団結破壊するシニア協定 ワークシェアリング
 パート化して賃下げ 「雇用延長」で全面導入狙う

 「労資合意」で不安定雇用強制

 首切り・賃金切り下げと不安定雇用化の攻撃が進んでいる。それを一層推し進めるのが、ワークシェアリング(仕事の分かち合い)なるものである。
 日経連は、今年の「労働問題研究会報告」で「柔軟なワークシェアリングについて、種々の具体策を検討・実施していく」と、ワークシェアリングに踏み込んで言及した。そして、そのためには「正規従業員の仕事・価値を洗い直し、仕事の性格・内容によって時間管理が可能なものは時間給賃金とする発想も必要だ」と叫んでいる。ワークシェアリングとは、賃金を切り下げ、正規雇用を削減し、パート、派遣などの不安定雇用に徹底して置き換えようとする攻撃だ。
 春闘のさなかの三月には、関経協が「ワークシェアリングのあり方」と題した提言をまとめた。そこでは、「(労働者には)時間短縮相当分の減収が生じる」「個人レベルでの不利益変更の問題も検討しなければならない」「雇用維持という集団的利益が個人の利益に優先する」などとあからさまに言われている。
 電機連合の鈴木委員長や自動車総連の草野会長も、ワークシェアリングを公然と唱えてこれに呼応した。
 八月に行われた日経連トップセミナーでも、「オランダ・モデルに学ぶ」などとして、ワークシェアリングの導入が強調された。
 日経連は「他のEU諸国よりも失業率が低い」とオランダを持ち上げるが、その内実は正規雇用の徹底した削減だ。同国では、八〇年代以来「労資合意」のもとに正規雇用労働者が大規模にパート労働者へと置き換えられた。その結果、九八年には総雇用の四五・三%がパート労働者で占められるようになったという。職業安定所までも民営化され、派遣労働や解雇への規制も大幅に撤廃された。もちろん、賃金も大きく引き下げられた。
 日経連は、これをモデルに、不安定・低賃金労働に大半の労働者をたたき込んで「雇用の流動化」をどこまでも推し進めようとしているのだ。
 資本が唱えるワークシェアリングの悪辣(あくらつ)さは、「雇用維持」の看板を掲げることで、首切り・賃下げ・不安定雇用化の攻撃に連合幹部のあらかじめの屈服と先兵化をとりつけようとすることにある。だが、“賃下げを受け入れれば雇用が維持される″などということはありえない。現に、ワークシェアリングを唱える資本自身が、どしどしと首切りを推し進めている。ワークシェアリングとは、こうした首切り攻撃を恫喝材料に、一層の賃下げを労働者に迫るものなのである。
 許しがたいことに連合は、こんなことを「労資合意」のもとに進めようとしているのだ。

 賃下げと一体の「雇用延長」制度

 今年の春闘では、厚生年金の支給開始年齢引き上げに伴う、六十歳以上への「雇用延長」問題が大きなテーマとなった。電機大手などで労資合意された「雇用延長」制度は、高年齢労働者を対象とした全面的なワークシェアリング導入の攻撃である。
 「雇用延長」と言うが、そのほとんどが定年延長ではなく、賃金を切り下げた上での一年契約による再雇用だ。再雇用後の勤務形態は短時間労働となる。
 しかも、賃金削減は五十歳代後半から始まる。三菱電機では、「雇用延長」を希望する労働者は五十六歳でいったん退職し、賃金は八割に削られた上で再雇用される。六十歳以降は、賃金は五割になる。退職金も減額だ。「六十五歳への定年延長」で合意した富士電機でも、五十六歳から賃金が一〇〜一五%ダウンし、六十歳からは四五〜五〇%削減される。資本の狙いはあくまでも「総額人件費の抑制」=大幅な賃下げだ。
 年金の支給開始年齢引き上げそのものが、高年齢労働者の生活を根こそぎ破壊する攻撃だ。資本は、そうした労働者の苦境につけ込み、生きていけるかいけないかのギリギリの低賃金を強制して、死ぬまで労働者をしゃぶりつくそうとしているのだ。

 JRは再雇用先を紹介するだけ

 こうした攻撃の中でも、最も悪辣で反労働者的なものこそ、今年三月にJR東労組=カクマルがJR東日本資本と結んだ「シニア協定」である。
 それは、定年延長でもなければJRでの雇用延長でもない。JRは雇用責任を一切とらず、ただ「グループ会社等での再雇用」のあっせんを行うだけだ(協定の要点は別掲)。再雇用されるためには「採用試験」を受けなければならない。試験に落ちても、JRは「本人の責任だ」と居直ることができる。
 再雇用先の労働条件も、一年未満の有期契約というきわめて不安定なものだ。六十五歳まで契約が更新される保証は何もない。さらにJRは、再雇用先では「ハーフタイムをできる限り活用する」などとして、大半の労働者を短時間雇用に押し込める方針だ。
 賃金も大幅に減らされる。JRが設定した最低基準では、週四十時間のフルタイムで年収百九十二万円、二十時間のハーフタイムならわずか九十六万円というものだ。後者の場合、在職老齢年金とあわせても年収は二百五十万円。これで生活を維持できるのか。
 JRは一銭も払わず、グループ会社は極端な低賃金で熟練労働者を雇うことができるということだ。
 JR総連=カクマルは、協定締結後ただちに「雇用が保障されたのはJR東労組の組合員だけ」などというキャンペーンをけたたましく展開した。彼らが「シニア協定」とともに締結した覚書には、「国鉄改革とその後の十数年間を中核として担った意欲ある真面目(まじめ)なシニア社員の定年退職後の実質的な『雇用確保』という重要な目的を持つもの」などと書かれている。これをもってJR総連=カクマルは、国労・動労千葉解体のテコとしようとしたのである。
 年金の支給開始年齢引き上げという反動政策のしり馬に乗り、六十五歳までの雇用確保という労働者の切実な要求を人質に取って、国労・動労千葉への組織破壊攻撃に打って出るというまったく卑劣なやり方だ。
 さらに「シニア協定」には「労使は……『グループ会社等への鉄道事業等の一部の委託』をさらに深度化して着実に推進する」という条項が入っている。

 全面的外注化は国労破壊が狙い

 この「合理化協力」条項は、危機にのたうつJR総連=カクマルが、資本との結託体制を維持して自己の延命を図るために、JR資本に強いてねじ込んだものである。まさにファシスト反革命そのものだ。
 JR東日本は、「合理化協力」条項に反対して協定締結を拒否する動労総連合に対しては、今日も「再雇用のあっせんはしない」と言っている。断じて許せない不当労働行為である。
 JR資本は今、第二の分割・民営化攻撃と言うべき大合理化攻撃−業務の全面的外注化を推し進めている。JR東日本が打ち出した「設備部門におけるメンテナンス体制の再構築」では、保守部門の大半を下請け化し、二千百四十人を出向に出すとされている。それは、国労組合員の集中する職場を丸ごと解体するための攻撃でもある。
 シニア協定は、団結破壊と国労・動労千葉解体の一大攻撃なのである。

 JR総連打倒し国鉄軸に反撃を

 JR総連=カクマルは、東労組会長の松崎を先頭にして九五年以来、「労働時間を半分にして賃金も半分に」などと唱えてきた。九七年に出した「JR東労組が考えるワークシェアリングと雇用」なる文書では、「年間十二日の時短の代わりに十九万円の賃下げを」などとさえ言っている。
 日帝経済が破局に突き進む中で、JR総連=カクマルはファシスト的正体を一層むき出しにしつつある。それは連合型労働運動の破産を右から反革命的に打開しようとするものである。
 だが、そこには何の成算もない。彼らは、一大資本攻勢への労働者の怒りがますます高まる中で、自らの崩壊の危機におびえ、あがいているのである。全労働者階級の反撃は、国鉄闘争を最先端として大きく開始されている。JR総連=カクマルを使ってもつぶすことのできなかった国鉄闘争の解体に、日帝権力が四党合意という形で直接に乗り出してきた瞬間に、それは国労闘争団を先頭とした労働者階級総体の巨大な反撃を引き出したのである。
 資本は、「労資合意」の形をもとりながら、一切の犠牲を労働者に転嫁するリストラ攻撃を強めている。これに対して、JR総連の敵対や国労内の宮坂・チャレンジ一派、革同上村派の裏切りを打ち砕いて国鉄闘争を発展させよう。それを軸に全労働者の闘う団結と反撃をつくり出すことで、勝利の道を開こう。
〔長沢典久〕

 シニア協定」の要点

 @会社は、60歳に達してグループ会社での再雇用を希望する者に、再雇用先を確保する
 A再雇用先となる会社は採用試験も行う。試験に不合格となった者は、もう1回に限り別の会社の採用試験を受けることができる。
 B再雇用先との雇用形態は1年以内の有期雇用契約とし、年金の満額支給開始年齢まで更新できる。
 C労働条件は再雇用先との個別契約だが賃金水準は「年金満額支給までの間、減額となる年金額を補う程度」が基本。
 D協定を締結した労資は、「グループ会社等への業務委託」をさらに着実に推進する。

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週刊『前進』(1973号4面1)

革命軍軍報 暫定計画立案者に鉄槌
運輸省幹部宅爆破戦闘 一年間決戦突入へ号砲

革命軍は偉大な戦闘を貫徹し、以下の軍報を発表した。(前号に速報)
 八月二十六日、革命軍は日帝・運輸省、空港公団の凶暴で暴力的な暫定滑走路建設攻撃への積もりに積もった怒りを爆発させた。
 日帝権力・公団は九九年十二月三日に暫定滑走路建設工事に着工して以来、四月十七日には東峰生活破壊道路着工強行、さらに五月二十六日には小見川県道に「平行滑走路二〇〇二年五月供用開始」の看板を立てた。そして六月には東峰神社の立ち木の強制伐採を策動した。八月十日と十一日には、故郡司とめ反対同盟婦人行動隊長の通夜と葬儀を狙って、団結街道を封鎖し、小見川県道トンネル工事のための付け替え道路をつくった。それも天神峰住民である市東孝雄さんになんの通知もせずに工事を強行するという道路法違反を犯しての暴挙だった。
 国家暴力を前面に立て、敷地内農民を暴力的にたたき出すために、違法・不法な工事を繰り返すことを、これ以上許しておくことができるだろうか。反対同盟との血盟にかけても、実力で反撃しなければならない。革命軍は、この日の戦闘を待ち望んでいた。
 革命軍の怒りの標的は、運輸省運輸政策局情報企画課システム分析室長の山口勝弘の自宅だ。東京都世田谷区奥沢七−四九−八にある山口の自宅に爆破戦闘をたたきつけるのだ。革命軍部隊は、日帝・警察権力の警備をかいくぐって、山口の自宅に爆破戦闘装置をセットした。
 午前二時五十分、爆破戦闘装置が作動した。爆破戦闘装置の威力は実に強力であった。自宅に止めてあった乗用車はドアが吹き飛び、フロントガラスは粉々になって飛び散った。さらに家屋の玄関ドア、壁を徹底的に破壊した。
 この爆破戦闘が貫徹された時には、革命軍部隊は撤退作戦を完全に完了していた。日帝・警察権力は、焦りに焦って違法・不法の暫定滑走路建設工事を強行している。その真実が満天下に暴かれることを恐れているのだ。そうだからこそ八・二六戦闘の炸裂(さくれつ)にあわて、敗北感に打ちひしがれている。それを取り戻すためにデッチあげ弾圧を行おうとするのが警察権力の常套(じょうとう)手段だ。だがその口実となるものを何ひとつ与えることなく完璧(かんぺき)な撤退作戦を貫徹したのである。八・二六戦闘の勝利万歳!

 農民殺し・農地強奪の大犯罪

 山口勝弘という人物は、反対同盟と敷地内農民にとって、また三里塚闘争を闘う労働者人民にとって、到底許しておけない反革命的な運輸省官僚である。
 山口は、現在、運輸省運輸政策局情報企画課システム分析室長であるが、今年七月まで運輸大臣官房航空局担当企画官であった。山口は大臣官房航空局担当として、「二〇〇〇年平行滑走路完成計画」の破産を取り繕うために、暫定滑走路計画を立案した張本人なのである。しかも、空港公団や警察権力、沼田千葉県知事、小川成田市長、相川芝山町長、はては脱落派を総動員して、暫定滑走路工事を指揮して、農民殺し・農地強奪を推進してきた。反対同盟と三里塚闘争勢力を国家暴力の発動で破壊する計画を立て、それを推進してきた、絶対に許せない階級敵なのである。
 暫定滑走路工事着工、東峰生活破壊道路着工、東峰神社立ち木強制伐採策動、団結街道封鎖攻撃は、同時にかつてない激しさで警察権力による検問・尾行・監視攻撃をもたらした。これこそ、敷地内農民の営農と生活を破壊し、国家暴力でたたき出そうとする、とんでもない攻撃である。これを農民殺し・農地強奪と言わずして、なんと言えばよいのか。こんなことがまかり通ってよいのか。
 しかも、この階級的犯罪を計画し、遂行の指揮を執っていた人物が、その罪を問われずにのうのうとしていることなど許されてよいはずがない。鉄槌(てっつい)が下されて当然である。
 革命軍の怒りは、積もりに積もり、まさに爆発寸前だったのだ。この怒りは、暫定滑走路計画を最後的に破産に追い込むまで止むことはない。革命軍は、山口に続いて、暫定滑走路計画立案に手を染めた者、この計画を率先して推進した者、そのおこぼれにあずかろうとあさましい策動を行った者、すべての暫定滑走路計画加担者の責任を徹底的に追及する。いよいよ、暫定滑走路建設粉砕の一年間決戦に突入するのだ。
 三里塚闘争の勝利に向かって不屈に闘う反対同盟を守り、全国の闘う労働者人民とともに革命軍は、総力で決起することを誓う。

 10・8三里塚へ総力で結集を

 八・二六戦闘の意義は、第一に、暫定滑走路建設実力阻止一年間決戦の突破口を開く戦闘としてかちとり、十・八三里塚全国集会への総結集を力強く訴えたことである。
 すでに反対同盟は、運輸省・公団が掲げる暫定滑走路二〇〇一年十一月完成・二〇〇二年供用の計画を絶対に破産に追いやると宣言している。その攻防は、東峰神社の立ち木伐採をめぐって火を噴いている。反対同盟は、運輸省・公団が強制伐採を行うのであれば、立ち木に身体を縛り付けてでも阻止すると決意を明らかにしている。十・八全国集会をもって突入する一年間決戦の勝利に向かって、革命軍もまた非常の決戦突入でこたえるものとして、八・二六戦闘に敢然と決起したのである。
 第二に、新安保ガイドライン体制確立のための成田軍事空港建設阻止の闘いの勝利をかちとるために実力で決起したことである。有事立法・改憲攻撃に踏み込む日帝に労働者人民の総反乱を実現しよう。
 第三に、沖縄サミット決戦の爆発、国労臨大決戦の爆発にたたきのめされ、ファシスト的凶暴化を深め、労働者人民の隊列に襲いかかろうとしている反革命カクマルを直撃する戦闘としてかちとったことである。
 新たな決戦の時は来た。革命軍は総力で決起することを宣言する。     

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週刊『前進』(1973号4面2)

分断打破・革命的統一求め高揚する朝鮮人民の闘い
 南北首脳会談で何が始まったか

 野田 利一

 劇的な南北朝鮮首脳会談から三カ月、八月十五日には南北離散家族の相互訪問が行われた。朝鮮戦争以来五十年以上にわたる分断固定化の朝鮮半島情勢が激変している。「南北は一つの民族であり、統一は実現できる」という万感迫る思いが、全朝鮮人民(在日朝鮮人民も含んだ)の中にあふれている。そして南北統一に向かって情勢が進展しているかのような事態が展開している。しかし、本当に平和的統一に向かっているのか。さまざまな「和平」キャンペーンの中で、朝鮮人民の悲願である統一を真に実現する道を真剣に追求していかなくてはならない。南北分断打破・革命的統一に向けて闘う朝鮮人民と連帯し、米日帝の朝鮮侵略戦争策動をなんとしても阻止することを、日本労働者階級の誓いとしよう。

 離散家族の再会へ゛統一゛の熱い願い

 南北首脳会談は南北分断体制の根底的動揺と崩壊の突破口であった。それは「南北共同宣言」合意内容に沿って行われた八月十五日の「離散家族の南北相互訪問」にはっきりと示された。
 離散家族とは直接には朝鮮戦争によって南北に分断された家族であり、その数は一千万人を超えると言われている。しかし、朝鮮戦争と無縁な朝鮮人民は誰ひとりいないのであり、離散家族問題とは六千八百万朝鮮人民、さらには全在日朝鮮人民の問題なのである。
 同時に日本の労働者人民として直視しなければならないのは、南北分断という民族的苦痛が日帝の朝鮮植民地支配から始まっているということだ。この点を徹底的にはっきりさせなければならない。
 今回の相互訪問には、家族宅訪問や墓参の禁止、面会人数の制限、家族だけの食事も許されない、面会時の会話も政治やイデオロギー、食糧問題には触れてはならないなどの厳しい条件が付けられた。
 そうした条件の中でも再会の喜びにあふれた。しかし、三日後には別れなければならないものであり、しかも再び会うことができるのか、何ひとつ約束されていないという絶望的現実が厳然とあった。再会の期待・喜びを一瞬にして絶望に突き落とす南北分断の現実があるのだ。
 再会の涙、別離の涙は、離散家族=全朝鮮人民が自由に会うためには統一以外ないことをより一層はっきりさせるものとなった。離散家族相互訪問は南北両首脳の思惑を超え、統一への熱望を一気にたぎらせるものとなったのである。

 「労働者が真の統一の主体として立つ」

 朝鮮人民の統一に向けた新しいうねりが始まった。南朝鮮・韓国の労働者階級人民は、闘いの路線・方向性を鮮明にさせながら新たな闘いを開始しようとしている。
 第一は、民主労総機関紙『労働と世界』(六月三十日付)に掲載された緊急座談「労働者よ、゛真の統一゛の主体として出でよ!(六月南北首脳会談以後の統一運動と韓国労働運動)」である。出席者は白基玩(ペクキワン)統一問題研究所所長、千永世(チョンヨンセ)民主労総指導委員/民主労働党事務総長、司会は段炳浩(タンビョンホ)民主労総委員長である。
 座談会の中で、まず今回の南北首脳会談について、本来討論すべき内容、すなわち「第一に米軍の存在、第二に核兵器問題、第三にアメリカの金融帝国主義が韓国を覆い尽くしている現状をどう克服していくのか」(白氏)が話されなかったことを厳しく批判した。
 特にアメリカが軍事戦略を欧州から東北アジアへ移しつつある中で、米軍がさらに二十年以上存在することは、「自主統一を破壊しようとするものであり、わが民族の生存のみならず、全世界の平和のためにも容認できない」にもかかわらず、これについて議論しないことの問題性を指摘し、「新聞や放送で騒ぐような肯定的側面は認められない」(白氏)と鋭く本質を暴露している。
 運動の方向性、統一運動の主体については以下のように提起している。
 運動の方向性として、「階級問題と民族問題をわれわれが統一的に精確に見通して、今回の会談以降に展開される急変する情勢の中で、……朝鮮半島の統一問題に労働運動、民衆運動陣営が組織的、積極的に介入する」(千氏)と述べ、「民族矛盾と階級矛盾が同時に解決される統一」(段氏)の方向性を明確にしている。
 そして「真の統一の主体は労働者・民衆であり」「労働者の生き方と団結がさらに伸張し発展する方向での統一という基準をはっきりたてて」闘うべきで、これこそが「外勢が支配介入せず搾取と不平等がない統一に向かうことになる」(段氏)と言明している。
 現在の統一論議について、「労働者・民衆の本来の生き方に実際どんな影響を与えるのかについて言及されていない」ことを指摘し、今や「統一と分断が、一日三度食べる飯と直結するようになった」「問題は、いかに主導的に介入し情勢を突破するかによって、労働者の今後のあり方が左右される」と、今後の闘いの方向性がより鮮明に打ち出されている。
 米(日)帝のIMF管理体制下で、金大中政権の整理解雇制導入による一方的な労働者人民への犠牲転嫁と対決しながら、労働者の党として民主労働党を結成し、労働者階級自己解放の闘いを展開してきた民主労総を先頭とした南朝鮮・韓国の労働者階級は、いよいよ新たな闘いに決起しようとしている。このことを真正面から受け止め、さらなる連帯を強めていこう。

 梅香里爆撃場の全面閉鎖へ

 第二に、反米闘争=米軍基地撤去闘争の本格的発展の始まりである。梅香里(メヒャンリ)の闘いはその最先端である。
 五月の米軍による爆弾投下によって住民七人が負傷するなどの事件を契機にして、住民の基地撤去闘争が一挙に爆発した。文字どおりの基地包囲、占拠の闘いは、八月十八日、機銃射撃場訓練中止を表明せざるを得ないところに追い込んだ。しかし米軍は、いつでも再開可能なように射撃場は閉鎖せずそのまま置いておくというペテンなのだ。さらに米軍は新たな人工島の建設をも検討しており、梅香里爆撃場の全面閉鎖を求める人民の闘いは、さらに激烈に進んでいる。
 この闘いは「米韓行政協定(SOFA)」撤廃闘争として発展していることが重要である。SOFAは米軍人・軍属及びその家族は犯罪を犯しても処罰することはできない(協定二十二条)などに示されるようにきわめて不平等な内容だ。あえて言えば「日米地位協定」以上の反動的内容である。米韓の本質的関係(帝国主義と新植民地主義体制)がそこにはある。
 駐韓米軍司令部の所在地であるソウルの龍山(ヨンサン)基地が日帝の植民地時代の朝鮮軍司令部であったように、米軍の主要基地が旧日本軍基地を引き継ぐ形の接収で存在していることをはっきりさせなければならない。
 基地撤去闘争は沖縄闘争との連帯の中で新たな闘いとして高揚している。今や闘いは米帝の東アジア十万人体制との全面対決であり、米韓体制の根幹を揺るがす闘いとなろうとしているのだ。日本の労働者人民は、今こそ国際主義的連帯の闘いとして沖縄米軍基地撤去を闘っていかなくてはならない。

 金大中や金正日の思惑超えた激突へ

 南北首脳会談を受けて、その後「南北朝鮮統一が平和的に進む」とか「緊張緩和」なるものが広くキャンペーンされている。しかし現実には、逆により一層の緊張と激動が不可避な状況である。
 南北首脳会談によって両政権が抱える本質的、根本的問題は少しでも解決されたのか。なんら変わっていない。いやむしろ危機は一層拡大していかざるを得ないのだ。
 南朝鮮・韓国、金大中政権はどうか。そもそも危機の深まりと政権危機の突破をかけて「三・九ベルリン宣言」で南北首脳会談を呼びかけたのが金大中であった。
 韓国経済は多額の不良債権、財政赤字の増大を抱え、財閥改革などは依然として進んでおらず、深刻な事態となっている。さらに自動車、鉄鋼、電子部門など基幹産業の株式の四割以上を外国資本が押さえており、さらには短期対外債務が急増し、対外債務全体に占める割合が三三・四%に達している。確実に通貨危機前の水準に近づいている。
 そうした中で、貧富の差は拡大し、整理解雇制の導入によって、例えば金融部門で銀行十行、ノンバンク三百三十七社が閉鎖され、金融労働者の三割に当たる四万五千人が失業に追い込まれている。
 九七年以来のIMF体制がもたらしたものは、南朝鮮・韓国への米日帝を先頭とする帝国主義のより一層の全面的介入と一切の犠牲の労働者人民への集中であった。これがどうして「IMF体制からの卒業」(八月二十三日のIMF報告書)だというのか。
 金大中政権の本質を鋭く示す事件がロッテホテル労組への弾圧だ。六月、ロッテ労組は賃上げ、非正規職員の正規職員への転換などを求めて無期限ストに突入した。これに対して金大中は二回にわたって計六千人の警察のテロ特殊部隊を投入して、二千八百人を連行、労組幹部十一人を拘束した。
 それは、「数百人の女性労働者を含む労働者を一網打尽にするため催涙弾と煙幕弾を乱射した軍事作戦」(民衆大会委員会声明)であり、「その凶暴性は八〇年光州を思い出させる」(韓国・ハンギョレ新聞)ものであった。
 この中に金大中政権の軍事ボナパルティズム政権としての本質が鋭く暴露されている。体制的危機を統一問題にずらし、「難局を打開する突破口として、……労働者・民衆を選択したところにこの政権の反動性がよく表れている」(段委員長)のだ。
 一方、金正日・北朝鮮スターリン主義体制はどうか。金正日が首脳会談にかけた狙いは南北統一ではなく、分断体制をなんとしても護持するために、「米朝合意」の枠組みの上で、南朝鮮・韓国に対して政治的優位の形を取りながら、しかも一定の経済援助を引き出す道を選択したということだ。
 金正日の視野には労働者人民の存在や闘いはないのだ。金正日が、南北首脳会談において民主労総を始めとした南朝鮮労働者人民の闘いにまったく触れなかったことの中に、革命的統一をめざす全朝鮮人民への反革命としての本質を見ることができる。
 朝鮮人民と両体制とは非和解的である。南北朝鮮人民の闘いは必ずや南北分断打破・革命的統一へと発展していくであろう。

 朝鮮侵略戦争への攻撃強める米日帝

 米帝は、国防総省の諮問機関が軍事的な脅威の舞台がヨーロッパからアジアに移ったとする「アジア二〇二五」と題した報告書を発表し、アジアでの多国間合同演習を狙い、中国脅威論を強調しつつ、対日争闘戦として東アジア十万人体制の堅持、駐韓米軍基地、沖縄米軍基地の永久固定化を狙っている。
 一方日帝は、激動する朝鮮半島情勢から基本的にはじき飛ばされる中で、危機を深め激しい朝鮮侵略戦争衝動を募らせている。臨検(船舶検査)法制定策動や危機突破をかけた有事立法、改憲衝動の強まりである。さらに九月下旬の金大中の訪日をも見据え、不平等条約であり、南朝鮮・韓国労働者人民の闘いの圧殺を狙う「日韓投資協定」締結の策動を強めていることを断じて許してはならない。
 神奈川県の米軍相模補給廠(しょう)で行われた「メデックス二〇〇〇」は在韓米軍百人が「負傷兵」として参加したことに示されるように、八月二十一日から行われた「ウルチフォーカスレンズ」(米韓合同軍事演習)と連動しており、九・三陸海空自衛隊による治安出動演習も「米韓作戦計画五〇二七」での「周辺事態」(「朝鮮有事」=「日本有事」)に対応した、完全に朝鮮侵略戦争へ向けた実戦訓練として行われた。徹底的に弾劾しなくてはならない。
 日本の労働者階級人民は、新たな闘いを開始した朝鮮人民に心から連帯し、闘いぬかなければならない。世界革命の一環としての日本革命、日本革命と朝鮮革命の結合をめざした「連帯し、侵略を内乱へ」を高く掲げ、十一月労働者集会に国際主義的連帯を示す力ある五千人の労働者部隊の登場をかちとろう。

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週刊『前進』(1973号4面3)

読者からの手紙

 世界に届いたサミット粉砕 東京 M・K 

 今回の沖縄サミット粉砕闘争に私も参加しました。一九八七年の沖縄国体で知花昌一さんが日の丸を焼き捨てた時にも沖縄に行きました。
 七・二○嘉手納基地包囲闘争には本当に感動しました。見ず知らずの人と手を結びながら、こみ上げてくる感激で体がふるえました。サミット攻撃の大変な重圧を受けながらも、沖縄の民衆は戦争と基地を心の底から憎んでいることを森やクリントンに、そして全世界に強烈にアピールしたと思います。
 琉球新報や沖縄タイムスなど地元紙の報道もすばらしいものでした。
 そのあと、東京から同行した友人と一緒に、ひめゆり平和祈念資料館や平和の礎(いしじ)、沖縄県平和記念資料館などを見学し胸を深くうたれて帰路につきました。
 しばらくすると、フランス在住の友人から、分厚い郵便が届きました。彼は七月中旬から十日間ほど、仕事で北欧に出張していたのですが、嘉手納基地包囲の人間の鎖行動や沖縄サミット反対闘争はヨーロッパでもテレビ・新聞で大きく報道されたそうです。その様子を興奮して知らせてくれたのです。
 同封されていた新聞は「G8首脳会談に反対の声」という見出しで報道していました。人間の鎖行動のカラー写真は、「今日から始まるG8の舞台となるこの島に駐留する米軍に対する抗議である」と書かれていました。
 また、記事では、九五年の少女暴行事件と今回の暴行未遂事件についての沖縄県民の怒りにふれると同時に、「第二次大戦の終わりに沖縄で起きた壮絶な戦闘………沖縄にとって忘れられないのは十五万人以上の市民が日本軍によって自決を強要され、あるいは戦闘中に殺されたことである」と強調されていました。
 このように、沖縄サミット粉砕闘争は、日本だけではなく、世界を確実に揺るがしたのです。そのことを確信すると同時に、『前進』にも、世界の革命運動・階級闘争をもっともっと報道してもらいたいと願っています。
 (自由業 50歳)

 軍艦島ツアーに参加して 東京 志水 里佳

 八月八日、八・六広島−八・九長崎闘争の一環として行われた軍艦島(=端島)ツアーに参加しました。被青同の柴田利明さんが案内してくれました。
 軍艦島(写真)は、長崎港から船で四十分ほどいったところにある、横六百b、縦百二十bほどの小さな島です。軍艦島も、長崎港と軍艦島の間にある高島も、三菱資本により炭坑として開発された島で、その採炭の歴史は囚人による強制労働から始まりました。日本の中で最も良質の石炭が採掘できる炭坑として、とりわけ第二次大戦中はフル稼働だったそうです。
 高島では地下九百bまでエレベーターで降り、そこから海底を三`横に進んだところ、まさに海底そのもので採炭が行われました。坑内の気温は実に六十度にも達し、命がけの採炭労働だったということです。
 第二次大戦が始まり、徴兵によって労働力が不足すると、まず朝鮮人労働者、さらに中国人労働者を軍艦島に強制連行しました。
 戦争末期、東條内閣の商工大臣だった岸信介が責任者となって、日本軍が侵略し焼き尽くした土地から中国人を強制連行。三菱資本は、中国にデッチあげたかいらい政権の後ろ盾でつくられた労働者派遣業者と「労働者一人一日あたり五円」という「契約」を結んだのです。まさに人身売買でした。
 中国人を長崎に連れてきた三菱資本は、当初長崎市内の三菱造船所で働かせるつもりでしたが、日本軍や警察が「長崎市内には軍需施設が多くあるから、敵国人である中国人が暴動でも起こしたら大変だ」と猛反対。そこで「逃亡が不可能な軍艦島と高島に連行しよう」と、すでに軍艦島と高島に強制連行されていた朝鮮人のうちの四百人と、中国から連行してきた中国人四百人をトレードしたというのです。
 その結果として、八月九日、長崎造船所の工場や寮で被爆して多くの朝鮮人が命を落としました。長崎全体では、強制連行されていた朝鮮人は二万人を超え、被爆により、そのうち一万人以上が一九四五年のうちに亡くなったのです。
 日本最古の鉄筋建物と言われる東京駅前の丸の内ビルとほとんど同時期に、軍艦島には高層アパートが建設されました。九階建てや七階建てのアパート群が今では廃虚となっています。
 全体がコンクリートで固められたその不気味な島は、島そのものが丸ごと監獄に見えました。この島に強制連行され、監禁状態で強制労働させられた朝鮮人・中国人。そして被爆。日本帝国主義の残虐さを象徴するこの島を目の当たりにして、あらためて「絶対にくり返させてはならない」と強く誓ったツアーでした。

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週刊『前進』(1973号5面1)

治安出動と侵略戦争の大演習に反撃
 ファシスト石原に激しい怒り 全都で数千人が弾劾行動
 9・3都庁職などが監視に立つ

 九月三日、「東京都総合防災訓練」の名で行われた自衛隊と石原の首都治安出動演習に反対して、数千人の労働者人民が全会場で演習弾劾の行動に決起し、また戦闘的な集会とデモを各所で闘い抜いた。

 全学連  銀座会場へデモ  180人が演習粉砕を訴え

 全学連は九月三日、自衛隊の治安出動演習を直撃する、演習粉砕の銀座デモに立ち上がった。
 午前八時過ぎ、会場の坂本町公園に全国から百八十人の学生が結集し、全学連中央執行委員会の基調報告で集会が始まった。
 「石原はきょうの演習を『市街戦だ』と言い放った。石原の腹心で東京都参与の志方俊之は『この訓練をつうじて日本の体制を変える』と自衛隊に帝国主義軍隊の魂を入れようとしている。軍服を着た労働者=自衛隊兵士を獲得しよう。既成政党の総屈服をはね返し、大衆行動を組織して反撃しよう。沖縄闘争、有事立法・改憲阻止決戦、そして十一月労働者集会の成功を全学連自身の闘いとして担おう。弾圧とカクマルの介入・妨害を粉砕せよ」
 各大学から決意表明が行われた。東北大学の学生は「開始された人民の決起と連帯し、石原を打倒しよう。在日アジア人民を支援・防衛・連帯して闘おう」と訴えた。富山大学の学生は「在日アジア人民と連帯して、日帝のアジア侵略を粉砕する第一歩として闘う」と決意表明。京都大学の学生は「日帝の侵略を阻めなかった歴史をのりこえよう」とアピールした。
 中四国、九州の学生の熱烈な決意表明に続いて、法政大学の学生が「演習会場となる十地域に一万枚を超えるビラをまいてきた。在日朝鮮人の呼びかけにこたえ、連帯して日帝打倒に突き進もう」と訴えた。
 頭上のヘリコプターの轟音(ごうおん)を突き破るシュプレヒコールをあげて、デモに立った。九時から十時までの演習まっただ中の銀座会場に進撃した。自衛隊車両が見えた。怒りを込め、ひときわ大きく「治安演習訓練粉砕」とシュプレヒコールをたたきつけた。沿道の労働者から「頑張れ!」の声がかかり、戦闘性あふれたデモは圧倒的注目を浴びた。
 日比谷公園までデモを貫徹し、午後の芝公園の集会に合流した。

 立川 自衛隊基地に抗議 治安演習中止を要求

 九月三日午前九時半、立川基地での自衛隊の首都治安出動訓練の中止を要求し、三多摩地区の労働者市民学生八十人が立川基地申し入れ行動に決起した。この行動は、戦争への攻撃に反対する市民や人士、労働組合十五人(団体)の呼びかけと賛同で行われた。
 自衛隊の首都治安出動の拠点となる立川基地は、正門が閉められ、厳重な警戒が敷かれた。申し入れに対し、自衛隊は基地司令の面会を拒否し、代わりに宮内信夫警備担当が対応した。
 立川基地自衛隊監視テント村、とめよう戦争への道!百万人署名運動推進三多摩連絡会、三多摩労働組合交流センターなど八団体が申入書を読み上げ、治安出動演習を弾劾した。
 「これは『防災訓練』などではありません。首都を舞台とする史上空前の軍事演習であり、実質上の戒厳令施行演習です」「自衛隊機による救援物資投下訓練は周辺事態に対応した米軍支援そのもの」「九・三演習の即時中止を求めます」
 申し入れ行動の間も次々と自衛隊ヘリが帰ってくる。偵察ヘリを先頭に、対戦車ヘリAH−1S、空中機動用の多用途ヘリ、輸送ヘリCH47などその数は三十機を超えた。特に戦車を攻撃するための対戦車ヘリの存在は災害対策が名目にすぎないことをはっきりと示した。
 また、申し入れ中に訓練の一環として輸血用血液が届けられたが、自衛隊は正門も開けずに追い返した。自衛隊演習が「災害対策」とは何の関係もないことを示しており、参加者の怒りをかき立てた。
 参加者は、立川警察署の不当な介入をはねのけてこの日の闘いを戦闘的に貫徹した。(投稿 K・I)

 各地で弾劾の闘い

 銀座 結柴区議が情宣

 とめよう戦争への道!百万人署名運動が、三日午前九時から一時間、有楽町のマリオン前で、自衛隊の治安出動演習を弾劾する街頭宣伝を行った。これには長谷川英憲・都革新代表、結柴誠一杉並区議、新城節子杉並区議も参加した。治安出動演習を弾劾する訴えは、演習会場に向かう多くの労働者の圧倒的な注目を集めた。
 また、世田谷区の駒沢公園入り口でも、百万人署名運動世田谷が治安出動演習弾劾のビラまきを行った。自治体労働者などがビラを真剣に読んでいた。むき出しの自衛隊登場に参加者からも疑問と怒りが生まれているのである。
 このほか演習に反対する人びとは、白鬚西会場では抗議のデモを闘い、練馬では駅ホーム上に横断幕を掲げ、地下鉄で移動する自衛隊員に治安出動拒否を訴えた。
 教組、都庁職の監視行動も全会場で行われ、数千人が抗議行動を闘った。

 装甲車と対戦車ヘリ  自衛隊7千人が都心制圧

 九・三「東京都総合防災訓練/ビッグレスキュー東京二○○○〜首都を救え〜」は、「防災訓練」に名を借りた自衛隊の首都制圧治安出動演習だった。
 自衛隊は、全国から七千百人を動員し、都心などに結集した。銀座通りを通行止めにして装甲車と二百五十人の自衛隊が進軍し、上空に対戦車ヘリが旋回した。二百人の自衛隊員が練馬駐屯地を出て開通前の都営地下鉄大江戸線を使い、木場公園の地表のふたを開けて飛び出した。白鬚西には陸・水・空路から四百十五人の自衛隊が集結した。晴海には海自輸送艦が現れた。これら自衛隊部隊の「進出訓練」は軍事演習そのものだった。篠崎では前日から野営訓練、架橋・渡河訓練が行われた。銀座、葛西での道路障害物除去訓練はバリケード破壊訓練、生活支援訓練は補給・兵站(へいたん)訓練だ。
 演習には、自衛隊だけでなく東京都の各局、警視庁、警察庁、東京消防庁、内閣官房、自治省、海上保安庁、国土庁、建設省、郵政省、食糧庁、関東各地の消防隊、東京都各区、民間消防団、医療機関、NTTなど二万五千人と車両千九百台が動員された。戦後史上最大の治安出動演習、侵略総動員演習となった。
 石原が全会場を回り、森首相、虎島防衛庁長官、扇建設相らが各会場で自衛隊員を激励した。石原は、都知事権力をフルに発揮し、国家を巻き込んで演習を行った。排外主義デマゴギーをテコに侵略戦争、総動員令、戒厳令を発動するという、日本帝国主義の伝統的なやり方が現実になった。
 日帝は現在、新安保ガイドラインの発動としての朝鮮・中国侵略戦争のための戦争国家体制、国内総動員体制、治安国家体制をつくろうとしている。九・三演習はその歴史的飛躍点として強行されたのだ。
 石原は当日の総括として「外国の侵犯に対しても、自らの力で自分を守るという気概を持たなければ」と述べ、九・三演習が侵略戦争と治安出動、アジア人民虐殺の実戦演習であることをあけすけに語った。また石原は「わけのわからん左翼のバカども(ママ)が反対を唱えていた」とののしり、「でも助けますよ、同胞だから」と差別主義、排外主義を扇動した。
 これに対して、闘う日本の労働者・学生、アジア人民は連帯して立ち上がった。全学連や、芝公園に結集した二千人を始め、都内十会場周辺で総計数千人が決起した。九・三を突破口に第三次安保・沖縄闘争の歴史的大高揚を実現し、ファシスト石原と森・自公保政権を打倒しよう。

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週刊『前進』(1973号5面2)

 自衛官獲得できる運動へ 反軍の集いかちとる

 豊島区民センターで八月二十七日、「自衛隊の治安出動を問う八・二七反軍のつどい」が行われました。
 九月三日の東京での自衛隊三軍による治安出動演習が目前に迫る中、これに危機感を抱く労働者や学生が五十人近く集まりました。
 最初に集会へのメッセージが紹介されました。特に自衛隊員からのメッセージは「『一般大衆の人命救助よりも秩序の維持を優先させる』権力の本質を自衛隊内で明らかにし、自衛官が国民はもとより外国人民衆にも絶対に銃を向けないようにするよう闘いを根づかせ、ひろめてゆきます」と決意表明するものでした。
 次に作家の宮崎学さんが「異端の排除とやわらかい全体主義」と題して講演しました。冒頭、宮崎さんは前日の国労続開臨大の闘いを紹介し、本部の思惑はものの見事に粉砕されたと報告しました。また石原都知事の「三国人」発言は、より弱いものを攻撃して、自らの存在を示すという石原の政治的手法・特徴を表していると指摘、九・三自衛隊治安出動演習を弾劾し、これを阻む闘いに立ち上がることを訴えました。
 反戦自衛官の小多基実夫さんは「人民に銃を向けさせる九・三治安出動訓練を弾劾する」というアピールを行いました。小多さんは、九・三演習の実態を詳細な資料で分析、暴露し、「出動兵士は一人の例外もなく民衆の反応に神経を集中させている、自衛隊を包囲して、本当の民衆の声や考えを兵士に伝えよう」と訴え、軍隊を本気で獲得する反軍運動・反戦運動を呼びかけました。
 続いて、九一年にペルシャ湾への自衛隊掃海艇派兵中止を求めて隊内から決起した吉本守人さんと反戦兵士と連帯する会の会員によるライブトークが行われました。
 吉本さんは、自衛隊内で考えてきたこと、裁判闘争や全国で反戦自衛官の闘いを訴える中で感じたり、考えてきたことをさまざまに語り、戦争で直接の当事者となる自衛官の苦しみや悩みにどういう言葉で接していくのかが問われている、自衛官の存在を考えない反戦運動ではなく、軍服を着た労働者である自衛官を本当に獲得できる反戦運動をつくろう、と訴えました。会場からも真剣な意見が出され、反軍運動の意味を深く考えさせられました。
 最後に東京反戦共同行動委員会代表の三角忠さん、青年アジア研究会、そして反戦兵士と連帯する会が、国鉄闘争勝利や九・三自衛隊治安出動演習阻止をアピールしました。
 私たちは、あらゆる機会をとおして、労働者階級のきょうだいである自衛官に“アジア人民に侵略の銃を向けるな″“戦争に反対しよう″と呼びかけ、獲得する闘いを強めなければならないとあらためて思いました。 (労働者 B・K)

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週刊『前進』(1973号5面3)

反戦兵士と連帯する会からのアピール
  9・3治安出動演習を断じて許さない 反戦兵士とともに闘おう 

  反軍の集いで発表された反戦兵士と連帯する会からのアピールを編集局の責任で転載します。

 1 『多民族共生社会の防災を考える九・三集会』−石原人種差別発言と自衛隊の治安出動に反対する−集会に参加し、デモをしましょう。
 「ビッグレスキュー東京二〇〇〇〜首都を救え〜」という、あたかも防災訓練であるかのように装いながら、自衛隊の治安出動訓練を強行しようとしています。そればかりか、この演習は都庁防災センター、自衛隊の新中央指揮所システム(NCCS)を衛星通信システムでつないでおこなう軍事演習で、政府・東京都・自衛隊が一体となっておこなう大規模な戒厳令演習です。またこの演習は、昨年成立した周辺事態法を実際に発動することを想定したものであり、首都東京を七千百人の自衛隊で武装制圧する治安出動訓練です。これを絶対に許さず、抗議集会とデモをたたきつけよう。
 九月三日の早朝から各会場にわかれて抗議行動がおこなわれますので、午前中は地域の闘争に参加してください。
 午後二時からは全体の抗議集会とデモになります。午後一時三十分開場、二時から始まります。場所は芝公園二十三号地です。
 2 森首相や石原都知事の民族主義、排外主義を許さず、さまざまなたたかいを展開して辞めさせよう。
 「国旗・国歌」法のもとで、森首相や石原都知事は戦前のような天皇制を復活させようとしています。天皇を中心とした挙国一致の国家をつくり、侵略戦争ができる日本にしようとしているのです。
 石原都知事が練馬駐とん地において、治安を乱しているのは在日外国人であるときめつけ自衛隊に治安出動訓練をするよう要請しました。ヒットラーを崇拝するファシストとして、民族主義を復活させることは許せません。しかし、在日朝鮮人や中国人を始めとした在日外国人が多く居住する地域を訓練場に選び、在日外国人を敵とするような治安出動訓練を自衛隊に要請したことはもっと許せません。
 したがって、今回の演習は在日外国人が暴動を起こしている状況を想定した治安出動訓練としても実施されようとしています。このような治安出動訓練は国際的な人間関係を破壊し、民族対立をあおり、民衆の内部に差別と抑圧を持ち込むものであり、断じて許すことはできません。なんとしても、森と石原をやめさせるためにたたかいましょう。
 3 戦争に反対する兵士と共に反戦闘争をたたかおう。よほどものずきでないかぎり、侵略戦争をしようという一般隊員はほとんどいません。したがって、周辺事態法が発動されたとしても、私たちが自衛隊を包囲しながら、ていねいな説得さえすれば、出兵を拒否するような兵士を生みだし、出兵を止めることができます。治安出動にかりだされた兵士は農民・労働者出身であり、私たちと同じ一般市民なのです。だから、治安出動にかりだされたとしても、兵士は民衆に銃口を向けて発砲することは容易にできません。親や兄弟、姉妹に銃口を向け、発砲するのと同じことなのですから。
 自衛隊が侵略戦争のための準備をすればするほど、兵士は民衆とともに、侵略戦争に反対する可能性も大きくなります。署名活動や街宣など、あらゆる機会をとおして兵士たちに、戦争反対運動に参加するように呼びかけましょう。兵士達の家族からも、兵士に反戦運動に参加するよう訴えてもらいましょう。
 4 ロシアの原子力潜水艦クルスクが事故をおこしました。問題なのは機密保持のために兵士の尊い命を犠牲にしたことです。このことはロシア軍だけの問題ではなく、自衛隊でも同じであることは、自衛隊員が一番よく知っているから動揺しています。
 犠牲になったロシア兵のお母さんたちは、軍当局や政府の非人道的な対応を弾劾しながら、生き残っている兵士たちに反軍・反戦を訴え始めています。私たちは、犠牲になったロシア兵のお母さんの訴えをうけとめ、このような時だからこそ反軍闘争を兵士の中にもちこみ、兵士を獲得して、反戦闘争に勝利する展望をつかみましょう。自衛隊の治安出動、改憲・有事法制など、侵略戦争の攻撃が吹き荒れようとしています。力を合わせて反撃していきましょう。

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週刊『前進』(1973号5面4)

2000年日誌 阻もう! 戦争への動き 8月29日〜9月5日

 エチオピアなどへ陸自派兵も
 奉仕活動義務化法案提出へ

●エチオピア、エリトリアのPKOに陸自派兵を検討
 エチオピア、エリトリアで展開する国連平和維持活動(PKO)に、陸上自衛隊部隊を派遣するよう国連が日本政府に要請、日本側も派遣に向け本格検討に入った。(29日)
●米軍基地の環境保全で新協議機関 政府は在日米軍基地の環境問題についての協議システム整備を米側に求めていく方針を固めた。来月に行われる外務・防衛担当閣僚による日米安全保障協議委員会(2プラス2)で、共同発表する見通し。(29日)
●中川長官が地位協定改定に難色 稲嶺沖縄県知事が、中川秀直官房長官や虎島和夫防衛庁長官と会い、県が作成した日米地位協定見直し案の実現を要求した。中川長官は「地元の意見をよく聴き、事務方に勉強するよう指示する」と述べただけで、協定の改定には難色を示した。(29日)
●原潜事故で海底に9原子炉 米国の核政策研究者ジョシュア・ハンドラー氏が、原子力潜水艦の沈没事故に関する調査報告を発表。八月十二日に沈没したロシア原潜クルスクを含め米ロの原潜七隻がこれまでに沈没し、合計九基の原子炉が海底に沈んだままになっており、米軍が他の事故で海上に落とした弾頭を含めると合計五十の核弾頭が海底に沈んでいることを明らかにした。(29日)
●核寄港は協議対象外 核兵器を搭載した米軍の艦船、航空機の日本への寄港や通過と、朝鮮半島有事で米軍が日本国内の基地から出撃したりする場合について、日米安全保障条約の事前協議の対象としないことで日米両国が一九六〇年に秘密合意していたことが米政府公文書から明らかになった。(30日)
●防衛庁、北朝鮮を招待へ
 防衛庁が、十月中旬に都内で開催される防衛政策担当者による国際会議「アジア・太平洋地域防衛当局者フォーラム」に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の担当者を招待する方針を固めた。(30日)
●米国防総省「2正面作戦遂行は困難」 米国防総省が、朝鮮半島を含む二つの地域の紛争に対処する米軍の「二正面作戦」の遂行が困難になっているとの報告書を米議会に提出した。(31日)
●海兵隊訓練をグアムでと総司令官 米海兵隊のジェームス・ジョーンズ総司令官が、グアム当局者に「在沖米海兵隊の訓練をグアムでもっと行うべき」との考え方を伝えた。在沖海兵遠征軍の長距離作戦を遂行する上で、移動距離など、グアムがふさわしい場所にある点を強調。米太平洋軍準機関紙「星条旗」が報道した。(31日)
●所有権回復求め地主会が協議会結成 旧日本軍によって強制接収され、戦後は国有地として取り上げられたとして所有権の回復を求めるため、嘉手納旧飛行場権利獲得期成会と読谷飛行場用地所有権回復地主会、旧那覇飛行場所有権回復地主会の三地主会が「沖縄県旧軍飛行場用地問題解決促進協議会」(約千百人)を結成することを決めた。(31日)
●市と協議会設置求める
名護市辺野古など三区が、米軍普天間飛行場の移設問題などを話し合う連絡協議会の設置を、名護市に求めることを決めた。辺野古、豊原、久志の三区の区長と行政委員約二十人が出席した合同委員会で全会一致。(31日)
●軍事偵察衛星07年度までに8基 政府は、軍事偵察衛星を二〇〇七年度までに八基打ち上げ、日本全国どの地点でも一日二回以上、衛星写真に納めることができるような体制をつくる運用案を固めた。(2日)
●治安出動演習強行 陸海空三自衛隊を動員した治安出動演習(ビッグレスキュー東京2000)が、銀座通りなど、都内十会場で強行された。石原都知事は他の大都市での同様の演習の必要性を強調、森首相も「全国に広げたい」と語った。(3日)
●安保理、PKO強化へ
九月七日に開かれる国連安全保障理事会メンバー十五カ国首脳会議で採択される共同声明案で、二〇〇〇年末までに、PKOについて、「遂行任務の明確化」「緊急展開能力の強化」など、PKOの機能強化を打ち出すことが明らかになった。(3日)
●奉仕活動義務化法案提出へ 政府・与党が小・中・高校生に一定期間の奉仕活動を義務づけることなどを盛り込んだ教育改革関連法案を来年通常国会に提出する方針を固めた。(5日)
●楚辺通信所05年返還 防衛施設庁は沖縄県読谷村の米軍楚辺通信所と読谷補助飛行場が二〇〇五年に返還されると発表。(5日)
●潜水艦遭難多国間訓練に海自派兵 海上自衛隊が、潜水艦の遭難事故を想定して十月上旬にシンガポール沖で行われる「西太平洋潜水艦救難訓練」へ、潜水艦「あきしお」と深海救難艇(DSRV)を搭載した潜水艦救難母艦「ちよだ」を派遣すると発表。(5日)

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週刊『前進』(1973号6面1)

マルクス主義を学ぶ 「基本文献シリーズ」に取り組んで
 レーニン『帝国主義論』(その2) 現代世界の把握にも有効な武器

 8 「今ではレーニン帝国主義論は通用しない」という論調への反論

 課題8 「今ではレーニン帝国主義論は通用しない」という論調に対する反論を述べて下さい。
 戦後の帝国主義はレーニンの時代の帝国主義と比べてさまざまに変化している。しかし帝国主義としての基本的本質はまったく同一である。レーニン帝国主義論の<資本主義の独占的段階><寄生的な腐朽しつつある帝国主義><死滅しつつある資本主義>という三つの定義は、今日においても事態を把握する決定的な力を持っている。
 第一に、帝国主義の不均等発展、第二次大戦後の日本やドイツの帝国主義の発展は、アメリカ帝国主義の独占的な支配の没落をもたらしている。そして、七四−七五年恐慌以降、帝国主義世界経済の分裂と帝国主義間争闘戦は果てしなく激化している。「多国籍企業」という形態での資本輸出が増加したことで帝国主義間対立が緩和されるかのような論が現れたが、このような論はカウツキー流の「超帝国主義論」の今日版にすぎない。「多国籍企業」といえども主軸となる資本の国家性は厳然としてある。むしろ不況の深化・長期化の中で、市場争奪戦の深刻さは、九一年イラク・中東侵略戦争、九九年ユーゴスラビア侵略戦争など戦争的手段を行使する段階にまで来ている。
 第二に、金融資本的蓄積様式に基づく過剰資本の矛盾はいよいよ深刻になっている。帝国主義の戦後発展に幻惑され、「国家独占資本主義政策によって過剰資本は処理され得る」と錯覚し、帝国主義段階とは一変した「国家独占資本主義段階」が到来したという論が現れたが、それはまったく幻想でしかなかった。八〇年代に登場した「資本の自由な競争」という名のマネタリズムは、規制緩和を強行し、一方で労働者の搾取と収奪を極限化させるとともに、他方で金融や不動産、株式などへの投機を激化させ、恐慌を引き起こした。独占の反動的属性をあらわにしているのだ。
 第三に、戦後の新植民地主義支配は、かつての帝国主義の金融的、政治・軍事的な植民地支配、民族抑圧と本質的になんら変わらないことが明らかになっている。諸国の形式的独立は基本的に事態を変えず、何億という人民が独占の搾取と収奪の中で飢餓状態にさらされ続けている。いまIMF(米帝主導の植民地への金融的支配の機関)や諸帝国主義に対して、いわゆる途上国の債務削減抹消要求が激増しているが、それは帝国主義の一貫した植民地主義的搾取・収奪への怒りの当然の表明である。
 帝国主義は、アジアや中東、アフリカなどの新植民地主義体制諸国、旧スターリン主義圏、中国などの残存スターリン主義圏の市場、資源をめぐって、すでにイラク・中東侵略戦争やユーゴスラビア侵略戦争を行い、朝鮮・中国侵略戦争の機をうかがう段階にまで至っている。帝国主義列強による後進国・植民地などをめぐる市場、資源、領土、勢力圏の争奪とその軍事的発展は本格的段階に入りつつあるのだ。
 第四に、帝国主義は、階級支配のあり方を基本的に変えていないどころか、労働者階級の上層の買収の一方で労働者階級全体への搾取と収奪を一層強化してきた。帝国主義の戦後発展のもとで進められた労働者の上層部の買収と労働運動の解体攻撃の中で、七四−七五年恐慌以降帝国主義は独占の救済のために、労働者の権利の剥奪(はくだつ)、リストラ攻撃、社会保障の解体に決定的に踏み切ってきた。それは同時に差別主義や排外主義による労働者人民への分断攻撃の強化という腐朽性をあらわにするものであった。
 第五に、第三次世界大戦の危機が深まっていることである。世界戦争の不可避性というレーニンのテーゼは、はっきりとその姿を表してきている。
 九一年のソ連スターリン主義の崩壊は、帝国主義の基本矛盾の激化の重圧に押されて、スターリン主義の根本矛盾が爆発したものだ。これをもって「資本主義の正しさが証明された」などという錯覚がふりまかれたが、事態はまったく違う。今や世界史の総括軸は帝国主義対帝国主義の対決構造、つまり帝国主義の基本矛盾の全面的爆発に置かれなければならない。
 すでにアメリカ帝国主義は、強まる争闘戦に対応して、石油の全面支配と崩壊が不可避なスターリン主義圏(中国)の掌握を射程に入れて、朝鮮・中国−アジア、中東への侵略戦争の動きを強めている。日本帝国主義は、アジアの勢力圏の死活的な確保のために、米帝との「共同」という形態をとりつつ、自ら侵略戦争ができる国家への体制整備に突入している。プロレタリア革命と民族解放戦争の爆発による帝国主義の打倒なしには、第三次大戦は完全に不可避である。
 レーニン『帝国主義論』は、現代帝国主義の基本矛盾を鮮やかに突き出す力を完全に持っている。しかもこの基本矛盾の性格を革命的立場からとらえ返せば、共産主義の現実性がレーニンの時代よりも一層確実なものとしてつくり出されていることをつかむことができる。レーニン帝国主義論こそ、いま時代を切り裂く労働者人民の武器としなければならない。(大槻忍)

 9 宇野弘蔵との関係で 今回の帝国主義論解説が 深化した点は何か?

 課題9 レーニンと宇野弘蔵、そして革共同という関係の中で、今回の帝国主義論解説はどこが深化されているのでしょうか。
 宇野は、レーニンが「金融資本の解明のためにドイツを典型的なものとして取り上げていること」を評価しているが、他方でレーニンが「イギリスに遅れて資本主義化したドイツが重化学工業を中心として金融資本形成の典型となったこと、それによる固定資本の巨大化のもつ意味や株式会社制度のもつ意味についてほとんど触れていない」ことを批判している。
 宇野はそれを切り口にして金融資本的蓄積様式論を緻密(ちみつ)に確立した。ところが宇野は、固定資本の巨大化から生ずる資本展開上の制約のうち、資本金として用意すべき絶対的な資本額の巨大化の制約が株式会社制度によって解決されるという側面を強調するにとどまった。つまり、いまひとつの制約である投下された資本移動や資本破壊の困難を解決するために銀行資本の関与をもつうじて市場の独占が促進されるという側面には触れようとしなかったのである。
 この宇野の問題点は「段階論では自由主義段階から帝国主義段階への移行を説くことはできない」という奇妙な主張に凝縮されている。つまり宇野の展開からは「なぜ金融資本が支配的な資本となっていったか」「それはどこへ行くのか」という問題が出てこない。むしろ株式会社制度によって金融資本は固定資本の巨大化という困難を解決して、矛盾はなくなるかのように言う。そうして宇野は帝国主義間の世界戦争という事態を金融資本の資本形態のタイプの違いによって説明しようとしたが、これでは国力のすべてを投入して双方が壊滅に近い状態を来すような戦争が不可避になることを説明することにはとうていならない。
 こうした宇野の限界は、<市場の独占>という従来の資本主義とは異質な事態が帝国主義段階の決定的本質であることを措定しないことにある。宇野は、一定の産業分野でわずか数個の大企業が市場を独占的に支配し、分割するという問題、つまり市場が自由競争ではなく独占的分割・再分割というまったく新しい特質をもったものに変質していること、自由競争の中から独占が生まれながら、自由競争と共存するあり方へと変わってきていることを帝国主義の段階的特質として突き出さないのだ。
 レーニンは市場という切り口において、自由競争から独占への資本主義の段階的変化をつかみ取り、<独占−分割><独占−支配・強制>という独占の属性を解明しながら帝国主義という資本主義としては新しい段階の存在を浮き彫りにした。したがって金融資本は、市場的に規定すれば独占的金融資本であり、しかも国内市場のみならず世界市場と植民地・勢力圏の分割、支配、収奪を積極的に展開する存在であることが明らかにされた。
 今回われわれは、レーニン帝国主義論が独占論に徹底的に基礎を置いていることをつかみ、市場の独占的分割という切り口から、いかにして金融資本が支配的資本となったかという「帝国主義段階の起源とそれへの移行」の問題を解明した。これによって帝国主義の基本矛盾、すなわち帝国主義戦争にまで行き着かざるをえない矛盾を、国内市場の独占的分割・再分割、過剰資本の輸出、世界市場の分割・再分割、世界の領土的再分割戦にむかって独占的金融資本とその国家が動的に展開していく中でとらえることができた。
 そればかりではなく「自由競争と独占の併存」が帝国主義の矛盾を激化させていくこと、独占によって労働の社会化(「生産の社会化」)が進み、共産主義の前提を準備しつつあること、まさに帝国主義が「死滅しつつある資本主義」であり、「社会革命の前夜」であることを正確な意味で把握したのである。
 われわれは、独占論を核心とするレーニン帝国主義論を帝国主義段階論の基本骨格としてしっかり据え、それを補強するものとして宇野の金融資本的蓄積様式論を批判的に摂取できるようになったのである。(倉橋陽三)

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週刊『前進』(1973号6面2)

連載 部落解放運動−−その課題と展望 第2回 水平運動の歴史に学ぶ
 日共の誤りが敗北に導く 《差別徹底糾弾》が基軸

 高崎区裁判所糾弾で権力と激突

 全国水平社は一九二二年三月三日、それまでの欺瞞(ぎまん)的な改善運動を拒否し、部落民自主解放の旗を掲げた運動として歴史的に登場した。水平運動の基軸である部落差別徹底糾弾を断固貫く決意は、水平社の綱領第一条が、“部落民は部落民自身の行動によって絶対の解放を期す″ということをうたっていることに鮮明である。
 差別徹底糾弾の呼びかけは衝撃的に受け止められ、まさに燎原(りょうげん)の火のように水平運動は全国に広がっていった。水平社発祥の地である奈良県を始め全国各地に水平社の旗が立ち、嵐(あらし)のように糾弾闘争が闘われた。
 水平運動の歴史は、差別糾弾闘争を恐怖し憎悪する支配階級・権力の弾圧との激烈なやり合いの歴史でもあった。これを典型的に示しているのが、一九二三年七月に闘われた高崎区裁判所糾弾闘争である。
 闘争の発端は、群馬県の碓氷水平社が、前年の庚申祭の折に差別暴言を吐いた市川某を糾弾し示談解決したにもかかわらず、警察が市川ほか一人の聴取書を作成して刑事事件に仕立て上げ、七月七日、水平社員一人を傷害罪の被告として勾留したことである。部落大衆がこれに抗議し釈放を求めた闘いが、高崎区裁判所糾弾闘争であった。
 碓氷水平社の大衆は、七日夜から雨の中を高崎区裁判所前に結集し、九日深夜まで闘いぬいた。群馬県水平社、碓氷水平社からの応援要請を受けた関東各地の水平社は、九日早朝から陸続と部隊を裁判所前および高崎市公園に送り込んだ。
 午後四時ごろ、糾弾に立ち上がった隊列が裁判所正門に殺到したところに騎馬憲兵が突入し、隊列を二分して十七人を検束した。この弾圧に激しい怒りを燃やした水平社の闘いに、権力は裁判所の直前に駐屯する第一四歩兵連隊に出兵を要請した。権力は、水平社に対して「検束者は絶対に解放しない」と通告すると同時に、午後十時三十分、兵営に一斉点灯し、今にも軍隊の出動が始まるかのような姿勢を見せつけることで、ようやく高崎区裁判所糾弾闘争を制圧できた。差別糾弾闘争が階級支配の根幹を揺るがすがゆえに、憲兵や軍隊までも動員して闘いを圧殺したのだ。
 水平運動に対する国家権力の恐怖がどれほど大きなものであったかは、日本共産党に対する一九二八年三・一五弾圧の際に二十人にのぼる水平社幹部を投獄したことにも示されている。

 全水青年同盟の運動とその後

 全国水平社の運動は、差別徹底糾弾の方針が鮮明に打ち出され、全国の部落大衆の総力をあげて闘うことが呼びかけられた時に大きく高揚した。福岡連隊差別糾弾闘争(一九二六〜二八年)しかり、高松差別裁判糾弾闘争(一九三三年)しかりである。しかし、水平運動の白眉(はくび)をなすのは、創立大会から三〜四年間の時期であった。
 全国水平社青年同盟が、水国争闘事件(一九二三年)や高崎区裁判所糾弾闘争を契機として発生した組織問題をとらえ、差別糾弾闘争の第二段階と称して「階級的進出」なる方針を掲げたことは、水平運動に大きな混乱をもたらした。
 たしかに労働者階級との連帯、階級闘争の一環として部落解放闘争を闘うということは決定的に重要である。全水青年同盟がこれをめざしたことは、一方できわめて大きな意義があるばかりでなく、マルクス主義者として必死の格闘の産物であった。
 だが他方では、身分的差別との闘いこそが階級支配の根幹にかかわる闘いであることを見失うことになったのである。全水青年同盟が、身分的差別との闘いを「階級的進出」にすりかえ、本質的に権力との激突を回避するための主張でしかない「部落内階級闘争の激化」論を打ち出したことは、決定的な誤りだった。
 しかし、全国水平社は、全水青年同盟の誤りを自ら正し、第七回大会(一九二八年)から第九回大会(一九三〇年)の過程で、自らを「身分闘争を闘う集団」とあらためて明確に規定し、戦線の統一を実現した。そして恐慌と大失業、侵略戦争の準備、差別の洪水という事態の中で、各地の水平社は創意的に生活要求を組織し、ムラぐるみの決起を実現して闘った。
 このような闘いの発展があったからこそ、戦前の政党政治の息の根を止めたといわれる五・一五事件直後の情勢のただ中で、高松差別裁判糾弾闘争が、きわめて大衆的に闘い抜かれ、全国に千百以上の全水の支部が建設され、百万人を超える部落大衆が決起したのだ。
 このように一九二〇年代末から一九三〇年代初頭の水平運動が、生き生きと豊かな内容をもってよみがえろうとしていた時に、この動きを転覆し、水平運動を戦争翼賛勢力に転落させたのが、日本共産党スターリン主義による指導だった。
 日共スターリン主義は、水平社解消闘争を初めは公然と、後には漸進的に、部落委員会活動という形で推し進めた。とりわけ、「高松差別裁判糾弾闘争は社会ファシズムにつながる危険がある」と否定し、「水平運動は人民融和を目的とすべきだ」としたことは、決定的な問題だった。全国水平社がこの日本共産党スターリン主義の「指導」をのりこえることができなかったとき、全水の歴史的な敗北は不可避となった。

 水平運動の教訓今こそ生かす時

 われわれは今、一九二〇年代末から一九三〇年代初頭の日本階級闘争が直面した情勢とオーバーラップするような情勢のただ中で闘っている。五万人組織建設の旗を掲げて奮闘している解同全国連を先頭とした部落解放闘争に対するわれわれの責任が、厳しく問われている。
 身分差別撤廃の闘いこそが、三百万部落大衆の解放闘争の基軸である。身分的差別との闘いに込められた部落大衆のエネルギーは、高崎区裁判所糾弾闘争に示されているように巨大なものである。差別糾弾闘争に立ち上がる部落大衆の力をとことん信頼しきり、ともに全水創立当初の差別徹底糾弾の闘いを復権しなければならない。
 この中で、日本共産党スターリン主義が反革命党として自覚的に部落解放運動への介入を強めていることを重視しなければならない。「国民融合論」を振りかざし、「部落差別はなくなった」とキャンペーンしつつ、「差別を言い立てることが差別を生む」などと言って、部落解放運動絶滅の先兵となっているこの現実を完全に粉砕することが、緊急かつ絶対的課題となっている。今こそ水平運動の歴史を学び尽くし、その教訓を部落解放闘争に生かし切っていこう。
〔箕輪孝司〕

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週刊『前進』(1973号6面3)

”野戦病院演習は許さない” 相模補給廠へ抗議
 百万人署名運動が呼びかけ

 相模補給廠(しょう)での『野戦病院演習』に反対し、基地撤去を求める相模原集会が、八月二十七日、とめよう戦争への道!百万人署名運動・神奈川連絡会、同湘北連絡会の主催で開かれた。会場の相模原市民会館には、「メデックス二〇〇〇」と称する野戦病院演習に危機感を募らせた八十人の労働者・市民が集まった。
 集会は、湘北連絡会呼びかけ人の代表の「世界に初めて核兵器反対を呼びかけたのが相模原。野戦病院の訓練を許してはならない。平和への熱意をもって運動を続けていこう」との主催者あいさつで始まった。メインは百万人署名運動中央事務局の小田原紀雄さんの講演と西村綾子相模原市議の問題提起だった。
 小田原さんは「反戦派として『この時代』を生きぬこう」と題して講演。「一九九九年は日本戦後史にとって転換点だった」として、強行された反動立法の中から特に周辺事態法、国旗・国歌法、組織的犯罪対策法をあげ、治安法の強化が戦争に行き着くことを強調した。そして「スマートなファシスト」として登場している石原と対抗するにはどうしたらいいかと問いかけ、「労働運動の再建、労働者の階級的連帯を取り戻すことだ」と訴えた。
 西村さんは「今なぜ“メデックス二〇〇〇″なのか」として、市に通告があった七月以降の基地対策特別委員会での論議を報告した。そしてベトナム侵略戦争当時の七二年、血のりや肉片がこびりついた戦車の搬入搬出を許すなと座り込んだ百日間闘争以来の闘いを振り返り、「今回、救急車は使わないことになったが、給水からゴミ処理まで周辺事態法に規定された自治体・民間動員が狙われているのは明らか。南朝鮮人民を始めアジア各地で闘う人びとと連帯し、反戦を貫こう。新しい時代を決めるのは私たちだ。闘いは必ず実を結ぶと信じている」と闘いの展望を示した。
 集会では各界の人びとが次々に意見を表明。労組員が「これから地域のビラ入れをします。なんとしても演習中止に追い込み、訓練基地化を阻止したい」と力強く発言し、カンパアピールでも「例えれば目の前に子どもが飛び出し自動車がぶつかろうとしている状況。この方向を転換させよう」と危機感が語られた。
 基地撤去をめざす県央共闘会議の鈴木保議長(厚木基地爆音防止期成同盟委員長)は、「戦争の発信基地となってはならない。平和を望む人たちのために責任を果たすため、懸命に立ち上がっていただきたい。『市民は怒れよ』と呼びかけ、若い人たちに行動に立ってほしい」と、翌二十八日の鹿沼公園での集会への結集を呼びかけた。
 相模原平和をつくる市民会議の吉田義久さんは「日本の戦争はすべて侵略戦争だった」と西尾、藤岡などを「草の根ファシズム」と弾劾、排外主義と対決する闘いとして九・三治安演習との闘いを訴えた。
 婦民全国協相模原支部や沖縄名護新基地阻止の訴えなどが続き、参加者全員の総意として演習中止を求める集会決議を採択した。
 最後に湘北連絡会呼びかけ人から「厳しい時代だからこそ、新たな連帯をつくりあげていく好機ではないか」とまとめの提起が行われた。
 集会後、相模補給廠への抗議デモに出発。“相模原を反戦の街へ″||横断幕を広げ、プラカードをもって、参加者は街に繰り出した。西門前の商店街では、若い夫婦が子どもとともに手を振って応援、買い物中の市民や商店も注目した。一九七二年の戦車阻止闘争をともに闘いぬいた住民たちだ。「皆さん、ともに野戦病院演習反対に立ち上がりましょう」と宣伝カーが呼びかけた。「野戦病院演習こそ戦争のための軍事演習です。米軍演習に反対しましょう」||西門前では怒りのこぶしが突き上げられた。(投稿 貝谷万里)

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