ZENSHIN 2000/09/11(No1972 p08)

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週刊『前進』(1972号1面1)

革共同の9月アピール
闘う新潮流の大結集へ
8・26続開臨大で「4党合意」阻む 闘争団裏切る執行部は総退陣を

 名護新基地・臨検法・教育改革・粉砕へ

 八月二十六日の国労臨大続開大会は、七・一臨大に続いて、「四党合意」の大会決定を再び阻止し、本部執行部の総退陣へと大きく前進した。九月三日には自衛隊治安出動演習に反対し、ファシスト石原打倒に向かう大衆的反撃がたたきつけられようとしている。十一月労働者集会の大成功へ一大突破口が切り開かれつつある。世界大恐慌−世界戦争へと破滅的危機を深める帝国主義、そのもとで絶望的に激化する日帝の体制的危機とリストラ・資本攻勢に対して、戦闘的労働運動の防衛・発展と労働者階級の生活と生存を防衛する闘いに総決起しよう。同時に有事立法・改憲攻撃粉砕、沖縄圧殺・名護新基地建設阻止、臨検法案粉砕、教育基本法改悪・改憲阻止へ階級的大反撃に立とう。

 第1章 闘争団・家族を先頭に開いた勝利の地平

 八・二六国労続開臨大決戦は、闘争団・家族を先頭とする国労組合員、そして全国から結集した国労支援の労働者三千人が、社会文化会館を包囲し、闘争団切り捨てを許さず、「四党合意」の大会決定を七・一に続いて再び粉砕し、本部執行部総退陣へ後一歩のところまで迫るという感動的な勝利をかちとった。まず、八・二六が切り開いたこの勝利の地平をしっかりと確認しよう。
 一つに、これは「四党合意」の大会決定を阻止した七・一臨大の勝利の地平を巻き返して、続開大会で「四党合意」をあくまでも決定しようとした密集した大反動(日帝・運輸省と国家権力、本部・チャレンジと上村革同)の狙いを打ち破ってかちとった勝利である。
 とりわけ、七・一の闘いに対してチャレンジと上村革同は、「反暴力キャンペーン」を展開し闘争団を孤立させようとし、「兵糧攻め」まで行うという卑劣きわまる悪辣(あくらつ)な手段を使って闘争団の屈服を狙った。だが、闘争団・家族はこの大反動を跳ね返し、八・二二から八・二五〜二六に至る二十時間におよぶ国労本部への徹底追及を行った。その結果、「四党合意」の採決はしないと約束させ、またいったんは本部執行部が総辞職を言明せざるをえないところまで追い込んだのだ。
 確かに、最終的には続開大会を中止させ本部総退陣に追い込むことができなかったことは、悔しさでいっぱいである。だが、「四党合意」を七・一に続いて再度阻止したことは偉大な勝利である。
 国労共闘は、闘争団と家族、闘う国労組合員と固く連帯し、八・二二〜八・二六の総決起を最先頭で闘い、八・二四大阪、八・二五東京、千葉で、「四党合意」を不当労働行為として、労働委員会に提訴する歴史的闘いに立った。動労千葉は、八・二二集会で四百五十人の大結集をかちとり、国鉄決戦の最前線に革命的牽引(けんいん)車として登場した。
 二つに、全国から七・一をはるかに上回る三千人の闘う労働者の大結集をかちとったことである。
 それは、日本階級闘争における国鉄決戦が持つ基軸性、普遍性を示している。また、七・一で大きく躍動した二〇〇〇年決戦の前進が本物であることをも示している。多くの労働者人民が革命的大衆行動のすばらしさに感動し、労働者自己解放の根底的な決起を始めたのである。
 あらゆる産別から、そして全国から結集した労働者三千人の大部隊は、「四党合意」がまぎれもなく「闘争団切り捨て」であることへの階級的怒りを爆発させて決起した。そこでは、「闘争団絶対防衛」の旗が打ち立てられ、闘争団の闘いを必死にわがものにして、その怒りと団結を共有し、大失業とリストラ攻撃に立ち向かおうとする労働者人民の切実な叫びと訴えがあった。
 三つに、「四党合意」を粉砕し、闘争団切り捨てを阻止し、本部総退陣への決定的情勢を築き上げたことは、日帝の労働者政策を破綻(はたん)に追い込むような大打撃を与えたことである。
 七・一〜八・二六の国労臨大決戦で、大失業と戦争の時代における日本帝国主義の労働者政策の柱(=国鉄分割・民営化攻撃)を打ち破ったのである。分割・民営化強行以降十四年間の攻防で、日帝は今もって決着をつけることができていないのだ。
 日帝はその存亡をかけて、戦後的な労働者支配から「世界恐慌と戦争の時代の労働者支配」への転換をやりきろうとしている。それは、あらゆる階級的なもの、階級的な考え方、労働組合としての団結の一切を日本階級闘争から一掃しようとする全面的な階級決戦攻撃である。
 その成否を日帝は、国鉄闘争解体・国労解体にかけてきたのだ。日帝はそれ自身が不当労働行為そのものである「JRに法的責任なし」の「四党合意」の受け入れを国労に強制することで、国労解体と国鉄闘争解体を狙っているのだ。
 その日帝の大攻撃を、闘争団・家族を先頭とする国労組合員と支援の渾身(こんしん)の決起で阻止し粉砕した。
 八・二六の闘いによって、国鉄闘争に勝利し、戦闘的労働運動を防衛し発展させる新たな闘いが大きく前進を始めた。そのことは大失業と戦争の時代の日帝の労働者支配の危機そのものである。
 追い詰められた国労本部は、十月二十八、二十九日に定期大会を設定し、九月代議員選と一体で「四党合意」に対する「一票投票」という、闘争団切り捨てのとんでもない反動方針を打ち出してきた。敵のこのたくらみを粉砕し、そこに至る二カ月間の国鉄決戦で、「四党合意」を完全粉砕し、闘争団絶対防衛、本部総退陣、闘う新執行部を樹立するために、さらに猛然と総決起しよう。

 第2章 大恐慌と世界戦争の危機深める帝国主義

 九七年以来のアジア発・日本発の世界大恐慌過程への突入の中で、帝国主義世界経済は米帝経済のバブルの崩壊を最大焦点に、二九年型の大恐慌と大不況に一挙に転落しかねない危機を一層深めている。その危機爆発の重大な火点として、米帝の天文学的な貿易赤字・経常赤字と、金融・経済恐慌下ですでに破産状態にある日帝の財政危機がある。
 米帝の経常赤字は、@バブルによる景気過熱状態の長期継続と、AIT(情報技術)革命なるものの拡大・浸透で一層加速された企業間電子商取引ならびに全世界からの部品の外部調達(自動車産業やパソコン製造業でとりわけ顕著である)などによって歯止めがなくなっている。このとてつもない入超構造(それと表裏一体の一層の産業の空洞化)が、不可避的にもたらしているものである。
 今年度の経常赤字は、なんと四千億jに達するとみられており、今年上半期の米貿易赤字は、過去最大の千七百七十六億jに達している。米帝がいくら基軸通貨国であるとはいえ、こんな状態が永遠に続くはずはない。ドル不安やドル暴落がひとたび起これば、誰もコントロールなどできない性格の危機であると言わなければならない。
 他方日帝は、今年度末には国と地方をあわせた累計債務残高(借金)が六百四十五兆円、GDPの一三三%に達するとてつもない財政危機にあえいでいる。これは第二次世界大戦に突入する時の水準であり、完全に財政破産状態である。九九年度の国家予算における四二%という国債依存度は、ほかの帝国主義にもまったく例がない。バブル崩壊以降、とりわけ九七年以降、日帝は野放図な放漫財政、国債発行にのめり込み、かつてのニューディール政策をも超える規模の「恐慌対策」を講じて、ここまで国家財政の大破産をもたらした。しかしなおかつ恐慌・長期不況状態から脱することができないでいるのだ。
 では、ここからいったい何が引き起こされるのか。端的に言えば、@突然の国債価格の暴落→長期金利の急上昇(↓全世界の長期金利の不安定化と米帝バブルの崩壊)、A国債の日銀引き受け→紙幣の無制限の増刷→悪性インフレ、B消費税の一五%〜三〇%以上化という大増税(および社会保障の解体)、この三つである。そして結局は戦争へ、戦時財政へと突入していく以外にない。日帝はこのような断崖(だんがい)絶壁に立っている。
 こうした中で世界戦争の危機は一層深まっている。何よりも、帝国主義間争闘戦、とりわけアジア・太平洋の支配をめぐる日米争闘戦の激化である。
 クリントンの中東和平工作が決裂したことが、パレスチナ国家の独立宣言をめぐって、中東戦争勃発(ぼっぱつ)−世界戦争危機の情勢を促進している。
 またロシア・プーチン体制は、国家破産的な経済危機と政治危機を大国主義的・排外主義路線でのりきろうとしているが、チェチェン侵略戦争の敗勢とロシア原子力潜水艦「クルクス」の事故と沈没によって、政治危機は深刻化し、国内階級闘争と諸民族の民族的反乱が激化している。ロシア・プーチン体制打倒、プロレタリア第二革命で革命的に突破しなければならない情勢だ。
 さらに、南北朝鮮首脳会談は、東アジアにおける戦後世界体制の最後的崩壊の開始であるがゆえに、日米帝国主義の争闘戦と朝鮮侵略戦争策動を激化させている。と同時に、南北分断打破・革命的統一への南朝鮮・韓国における階級闘争を激化させていっている。
 アジア情勢は、帝国主義の侵略戦争とアジア人民の階級的決起の歴史的な激動と激突の過程に入っているのだ。今こそ「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」を文字どおり実践する闘いが求められている。
 また、十一月米大統領選挙に向けて、ブッシュ・共和党は、「対中国政策」を強め激しく日帝に対する揺さぶりをかけている。ゴア・民主党は、労働組合の排外主義的抱き込みのために対日争闘戦をさらに激化させている。ブッシュが勝ってもゴアが勝っても米帝の対日争闘戦は不可避に激化し、日米安保を激しく揺さぶり、アジア情勢をさらに世界戦争の崖(がけ)っぷちに追いやることになる。
 こうした中で日帝は、二国間の自由貿易協定(FTA)に慎重な従来の立場を転換して、韓国やシンガポール、メキシコ、シンガポールなどとのFTA締結に動き出している。日帝は米帝やEUのブロック経済化の動きに対抗して、アジアに独自の「円ブロック」を形成することに絶望的に踏み切りつつあるのだ。
 また、新安保ガイドライン関連法を強行成立させることで「帝国主義戦争をやる国家」へ歴史的な踏み切りを行った日帝は、今日、本格的に憲法改悪攻撃に入っている。その柱が、教育改革・教育基本法改悪−改憲攻撃である。また、沖縄圧殺、名護新基地建設などの日米安保体制の強化、防衛白書に見られる対朝鮮・中国侵略戦争を射程に入れた帝国主義軍隊としての自衛隊の変質・強化、実際に戦争行動を行うための新ガイドライン体制の強化・有事立法攻撃だ。
 さらに、国家破産的な財政危機の犠牲を労働者人民に転嫁するために、戦後社会保障制度の全面的な解体攻撃に踏み切り、介護保険制度を強引に導入し、年金制度の改悪、医療保険制度の改悪、雇用保険制度の改悪、そして消費税の大幅引き上げを始めとする全面的な大増税攻撃に打って出ようとしている。
 こうした日帝の戦争と生活破壊の攻撃に対して、労働者階級人民は階級的団結を強め、階級的闘いの高揚へと進撃を開始している。日帝が「戦争をやれる国家」へ転換にするためには、帝国主義の「墓掘り人」としてある労働者階級のその階級的団結を解体し、戦闘的労働運動を絶滅することが死活的となっている。
 しかし日帝・森政権の政権基盤はきわめて脆弱(ぜいじゃく)である。上記のような経済危機、財政危機と米帝による対日争闘戦の激化と衆議院選挙での敗北と沖縄サミットの破産によって、日帝の絶望的危機は深まるばかりである。
 こうした時代だからこそファシスト石原が登場してきたのである。石原は日帝ブルジョアジーの危機突破のために、日帝・森自公保政権ではできないファシスト的な突撃力をもって「日本を帝国主義戦争のできる国」へ牽引している。労働者階級人民にとって、ファシスト石原の攻撃と全面対決し、ファシスト石原打倒を成し遂げることは、日本帝国主義打倒の戦略的な闘いとなったのである。

 第3章 国鉄決戦勝利を軸にリストラとの対決を

 今やわれわれは、十一月労働者集会に闘う労働組合、闘う労働者の五千人大結集をかちとり、階級的戦闘的労働運動の新潮流形成の闘いを大躍進させるために、総力決起してともに闘い抜かなければならない。十一月労働者集会の大成功のための課題は何か。
 第一に、国鉄闘争の勝利を一切の軸に据えて闘うことである。
 まず何よりも、七・一−八・二六国労臨大決戦が切り開いた勝利の地平から全力で学び、五千人結集の階級的原動力としていくことである。国労臨大決戦が示したものは、階級的原則を踏みにじるものへの根源的な怒りである。労働者階級が本質的に持っている自己解放・自主的主体的な決起の力である。その怒りと感動が、あらゆる産別をも突き動かし革命的大衆行動として爆発する時の、巨大な力であり階級的力である。
 さらに、八・二六の闘いの地平に立って「四党合意」粉砕のために労働委員会闘争を発展させよう。九・一八告示の代議員選挙から十・二八〜二九の定期全国大会に向かって、闘争団切り捨て、組合の団結を破壊する「一票投票」に絶対に反対し、「四党合意」にとどめを刺すために闘うことだ。闘争団を絶対に防衛し、裏切り執行部を打倒し、新執行部の樹立へ驀進(ばくしん)しよう。
 第二に、日帝の一大資本攻勢との闘いである。現在、吹き荒れているリストラ・大失業、増税と社会福祉の解体の大攻撃を階級的怒りで暴露し弾劾し、全国のあらゆる職場と産別に渦巻く労働者の怒りと闘いのエネルギーを根底から解き放ち、階級的団結を打ち固める闘いに全力をあげることである。
 森政権が、日帝経済危機の唯一の打開策のように宣伝しているのが「IT(情報技術)革命」だ。しかし、労働者にとって「IT革命」とはリストラと大合理化である。それは、日経連トップ・セミナーで奥田会長が「IT化で余剰になった人をどんどん解雇すれば、それが一番いい」と言ったことに明白だ。
 日銀は八月十一日にゼロ金利政策を解除した。ゼロ金利は資本主義にとって例のない異常極まる事態ではあるが、他方でその解除は、企業収益に大きな影響を与える。平均支払金利が一%上昇すると二〇〇一年三月期の経常利益予想の約七%に相当すると言われている。ゼロ金利解除が労働者にもたらすものは、不良債権を抱え負債比率の高い企業の倒産の続出と膨大なリストラの促進である。
8面につづく〜1面からつづく
 現在、日本の完全失業率は、四%台後半から五%近くに張り付いたままである。そごうの倒産を始め、ゼネコンを始めとした大型倒産も切迫しており、失業者の急増は不可避である。
 こうした情勢の中で、連合の帝国主義的労働運動への一層の変質が進んでいる。二〇〇〇年春闘では、日経連の攻撃と連合の裏切りによってベアゼロの企業が続出した。平均賃上げ率は労働省集計によれば、主要企業で二・〇六%で史上最低を記録した。連合傘下の御用組合の存在すら許さないような激しいものであった。また、人事院は八月十五日、今年度の国家公務員に対する賃金について、実質的「マイナス勧告」を行った。
 さらにこの夏の各産別大会で、電機連合は職種別モデル賃金で春闘を解体する方針を、郵政民営化方針を決定した全逓大会はニューユニオン方針を打ち出した。またNTT労組は自ら「成果主義賃金」を提案した。さらには鉄鋼労連、造船重機労連、非鉄連合の三組合の統合などがそれぞれの大会で打ち出された。
 だが、これらの産別大会では、傘下組合員の不満と怒りが噴き出し、新たな闘いの息吹が生まれている。
 さらに、戦後社会保障制度の全面的な解体の攻撃と、消費税の大幅引き上げを始めとする全面的な大増税攻撃が襲いかかっている。これへの怒りと、それを推進している帝国主義的労働運動への怒り、既成政党への怒りの決起が澎湃(ほうはい)と巻き怒っている。
 この巻き起こる労働者の根底的な自己解放的決起の力は、国労の「四党合意」をめぐって日本労働運動を大きく分岐させ、全労連や全労協の百数十万組合員はもとより、連合傘下でも巻き起こりつつある労働者の反乱とひとつの流れに糾合した時、闘う労働運動の新潮流運動を発展させる巨大な軸となっていくのである。それこそが十一月労働者集会の五千人結集運動の原動力である。
 さらに、組対法攻撃や労働法制改悪攻撃と闘うことである。この攻撃は、労働組合の団結の解体、労働運動の絶滅を狙ったものである。十一月労働者集会は、この労働組合解体と闘い、労働組合的団結を守り抜く闘いである。

 第4章 有事立法と改憲狙う森政権を打倒しよう

 第三に、沖縄闘争、新ガイドライン・有事立法阻止、教育改革攻撃粉砕、そして改憲阻止闘争の大前進と大高揚を切り開く闘いと一体のものとして、十一月労働者集会への大結集運動を闘おう。
 (1)まず何よりも沖縄サミット決戦の勝利を引き継ぎ、名護新基地建設阻止・SACO(沖縄に関する日米特別行動委員会)路線粉砕、沖縄闘争のさらなる発展をかちとらなければならない。森政権は、八月二十五日に「代替施設協議会」を立ち上げ、海上新基地建設の工法の検討に入り、「十五年期限問題は議題にせず」として、年内にも反動的決着を図ろうとしている。絶対粉砕あるのみだ。名護現地で闘う沖縄人民の闘いを支え守り抜こう。
 (2)森・自公保政権による今秋臨時国会への臨検法案(船舶検査法案)の提出と来年通常国会への自衛隊有事法案(さらには米軍有事法案)の提出策動を阻止する大衆闘争をつくり上げよう。
 「船舶検査」とは、米軍との共同作戦の一つであり、海上を封鎖し臨検を行い、補給路を断ち、他国船への警告威嚇(いかく)射撃も行う戦争徴発だ。「自衛隊有事法」は、戦時徴発・徴用の政令の制定と、自衛隊の作戦行動を制約する道交法などを戦時において適用除外にし、フリーハンド化する規定の制定である。これは戦時における自衛隊の作戦行動に対する法制的制約を一切取り除こうとするものである。
 有事立法・改憲阻止の革命的大衆行動を全力で創造していこう。
 また、今年十一月上旬〜中旬に周辺事態を想定した日米両軍二万人の統合大演習が北富士演習場などで行われる。断固、阻止闘争に立とう。
 (3)さらに森政権の改憲攻撃の前面化と対決し、教育基本法改悪・改憲阻止、司法制度改悪・改憲阻止の大衆闘争を巻き起こすことである。
 森首相の私的諮問機関である教育改革国民会議が七月二十六日、三分科会報告をまとめ、教育基本法の改悪の骨子を発表した。教育基本法は、゛第二の憲法゛と言われてきたものであり、その改悪は事実上の明文改憲攻撃そのものである。
 そこで打ち出された内容は、@教育基本法の改悪、A学校での奉仕活動の義務化、B教員免許の更新制導入、C差別・選別のエリート教育などであり、とり゜け奉仕活動の義務化は徴兵制につながる大攻撃である。森は教育基本法改悪と奉仕活動の義務化を「教育改革」攻撃の柱にして強行しようとしている。
 この森政権の教育改革攻撃をファシスト的に牽引しているのがファシスト石原都知事の「心の東京革命」運動である。これは、現在の教育の危機、子どもの「荒廃」をファシスト的に危機をアジり、その実、侵略戦争を美化し、上からの命令に従順で侵略戦争を積極的に担う子どもたちを育成するために、愛国心・道徳教育と国家主義的教育を社会全体の取り組みにまで広げていくことを狙ったファシズム運動である。
 「日の丸・君が代」強制反対闘争に決起した国立市の教育労働者十七人に対する東京都教育委員会による処分攻撃を弾劾し、広島への処分に対する反撃とともに全国的な支援運動をつくり出そう。
 (4)十月一日、六十五歳以上の高齢者からも介護保険料の徴収が始まる。介護保険闘争を全力で強化しよう。四月に介護保険が実施されて以降、介護保険が介護の切り捨てであり、大増税であることがますます明らかになり、必要な介護が奪われ、その家族には深刻な介護の重圧がのしかかっている。制度廃止へ、今こそ、介護と福祉を要求する闘いの大きな発展をつくり出そう。
 さらに排外主義・差別主義攻撃との闘いを意識的死活的に推進しよう。
 不屈に闘い抜く三里塚反対同盟を守り連帯してともに闘い抜こう。十・八三里塚全国闘争への大結集をかちとれ。
 超長期獄中同志奪還の本格的大衆運動を構築し、獄中同志奪還をかちとろう。
 何よりも十一月労働者集会の大結集運動の最大の武器は『前進』である。『前進』を労働者の中に持ち込み、拡大闘争を推し進めよう。それは十一月労働者集会大結集運動、新潮流運動への全党員決起であり、巨大な党建設運動である。機関紙活動を軸に据えて、二〇〇〇年後半決戦を闘い抜こう。

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週刊『前進』(1972号2面1)

四党合意撤回! 闘争団切り捨ての一票投票に反対
8・26国労続開臨大再び採決強行を阻止
 ”解決案なき臨大は中止せよ” 3000人の組合員・支援が包囲

 八月二十六日、国労第六六回臨時全国大会の続開大会において、七・一に続いて「四党合意」の機関決定を再び粉砕する偉大な勝利がかちとられた。国労中央による闘争団切り捨てを許さず、そしてついに中央本部総退陣の情勢をつくり出したのである。これは、七・一を上回る巨大な勝利の情勢である。闘争団・家族は、七・一の闘いに対する大反動をはね返し、再度の渾身(こんしん)の決起をかちとった。闘争団と固く連帯してJR本体の国労組合員、支援の労働者らが全国から結集し、三千人が東京・社会文化会館を包囲した。闘争団をだまし裏切っての、わずか十数分の破産した「大会」の対極で、三千人の労働者人民が、国鉄闘争を先頭に日本労働運動を再生させる部隊として、二〇〇〇年後半の階級決戦場裏に躍り出たのだ。国労中央は、なおも「四党合意」の「全組合員一票投票」を強行し、「次期定期大会で信を問う」と称して延命を策している。だが、彼らにはもはや何の展望もない。今こそ現執行部を「四党合意」もろとも打倒し、闘う新執行部を樹立するために、十月二十八、二十九日に予定されている定期全国大会の勝利へ、九月十八日からの代議員選(二十九日投票)に直ちに打って出よう。「四党合意」強行のための「一票投票」を断じて許すな。闘争団をなんとしても守りぬき、国鉄闘争支援を軸に闘う労働運動の新しい潮流を、十一月労働者集会に向かって発展させよう。

 「中執全員辞職」の表明へと追い込む

 国労続開臨大は八月二十六日午後一時に開会されたが、わずか十分の高橋委員長の特別発言だけで終了した。議事はなんと、議長の開会宣言、高橋委員長の特別発言(要旨別掲)と、その「拍手承認」、議長団解任あいさつ、上村副委員長の閉会あいさつ、そして高橋委員長による「団結ガンバロー」だけだ。
 これが大会と言えるのか! こんな執行部のもとでは団結などできない! 傍聴席に陣取った闘争団・家族は全員が座ったまま「団結ガンバロー」を拒否し、抗議を貫いた。闘争団と家族の怒り、悔しさは察するに余りある。
 続々と上京した闘争団(二十闘争団・有志)は、二十二日から連日の本部申し入れ行動を行い、あくまでも「四党合意」の破棄を求め、「解決案なき臨大中止」を訴えて闘いぬいた。二十五日午前の中央執行委員会では、高橋委員長が「混乱は避けられない」として、「臨大中止」方針を提起せざるを得なかった。それが覆され、゛大会を開催し、「総辞職」を表明するが、「四党合意」については「全組合員一票投票」を行う゛と反動的に巻き返され、高橋委員長も含めて中執決定となった。
 これに対して闘争団は、二十五日午後一時から二十六日未明に及ぶ追及を行い、本部執行部を徹底的に追いつめた。
 最終的に宮坂書記長が、@執行部の責任は免れない、執行委員の辞任届は委員長に提出してある、A本部方針の採択は行わない、討論もしない、B大会運営は、委員長が冒頭に提起し、全体の確認を得る(動議は受けない)、C一票投票は規約上の定めはないが、選挙規約を適用する−−などの中執の考えを提起。これに対して、闘争団の代表が、「四党合意では闘争団の求める解決は得られないことがはっきりした。解決案なき場合には、(大会の)中止を求めたい。大会前までに闘争団を納得させ得る提案があれば、あらためてこの場をもってほしい」と表明した。
 これを受けて高橋委員長は「代表の皆さんに三役が責任を持って話をする」と述べた。
 ところが、大会当日、闘争団の代表が、大会前の全国代表者会議の前の九時ごろに三役への申し入れを求めたのを拒否し、全国代の後に、北海道、九州の各一人だけに説明するというだまし討ちに出たのだ。
 こうして強行された続開臨大での高橋委員長の特別発言では、「総辞職」が事実上撤回され、「次期全国大会で信を問う」とされた。高橋委員長は大会後の記者会見で、「(現執行部のメンバーから)立候補する人がいる可能性はある」と、ペテン的な「総辞職表明」を居直った。
 だが、重要なことは、あらゆる反動的策謀にもかかわらず、「あとは採決するだけ」と「四党合意」の決定を強行しようとしていた国労中央、宮坂・チャレンジ一派、革同上村一派の策動は完全に打ち砕かれたということである。
 ここに誰が勝利して、誰が敗北したのかは明白である。明らかに、闘争団を先頭とする闘う国労組合員が勝ったのだ。
 それは、五日間にわたる闘争団・家族の闘いや国労組合員を先頭とする数千、数万の労働者の決起の総和としての勝利である。その帰すうに数百万、数千万の労働者の存亡をかけた壮大な歴史的大決戦として打ち抜かれたのである。

 チャレンジ・革同の「警備動員」を封じ

 この勝利は、七・一の地平を守りぬき、さらにそれを上回る地平を切り開いている。七・一以来の闘いの前進が凝縮され、その激烈な攻防をとおして巨大な勝利をもぎりとったのだ。
 国労中央、チャレンジ一派、革同上村一派は、七・一の結果に追いつめられ、「暴力・暴徒キャンペーン」をふりまき、闘争団の糧道を断つという卑劣な圧殺策動にのりだした。そして、八・二六当日には、東京地本の警備動員とは別に、チャレンジ一派と革同上村一派は、盛岡・秋田・長野・新潟の各地本から「自警団」と称して、二百人を送り込もうとしていた。さらに、革同上村一派は、「革同の自主防衛参加/目標五百人(革同、チャレンジ)」などと、これを上回る動員を策していた。
 だが、この策動は「四党合意」採決強行があらかじめ打ち破られる中で、断念せざるを得なかった。
 二十五日夜に国労本部・交通ビルにつめかけた五百人、徹夜で社会文化会館前に座り込んだ百五十人、そして当日、ついに三千人に達した組合員・支援の決起の前に、暴力的突破の策動は完全に封じられたのだ。
 結局、本部執行部は、警察権力を背景に、東京地本の警備部隊の中に紛れ込む形で、当日の午前八時前に社会文化会館の通用口から入った。その姿は、あまりにも惨めである。彼らには、もはや闘争団・組合員の追及から逃れ、なんとか八・二六を「のりきる」(宮坂書記長の言葉)ことしかなかったのだ。
 これに対して、闘争団・家族は会場前で、あくまでも「具体的解決案が示されない以上、大会を中止すべき」と訴え続けた。(家族の発言を3面に掲載)
 これに呼応し、「四党合意粉砕」「闘争団切り捨てを許さないぞ」「闘争団・家族の声を聞け」と、何度も何度もシュプレヒコールがとどろいた。七・一以上の「解放区」が現出した。
 大会を終えて逃げるように立ち去ろうとする「四党合意」推進派のエリアの幹部らに対して、闘争団員から激しい弾劾の声が浴びせられた。
 闘争団は、傍聴団を迎えて「団結ガンバロー」で次なる闘いの勝利を誓い合っていた。この闘争団を絶対に防衛する全国的な大運動を巻き起こさなければならない。

 ゛組織の亀裂深める一票投票は許せぬ゛

 八・二六続開臨大決戦を受けて、直ちに全国大会代議員選を始めとする闘いに打って出よう。
 何よりも、「四党合意」の賛否を問うという超反動的な「全組合員一票投票」を徹底的に弾劾し、中止させ、「四党合意」を完全に粉砕することである。
 「一票投票」とは、あたかも「組合民主主義」を保障するかのようでいて、実は闘争団を切り捨て、闘争団とJR本体の組合員を分断し団結を破壊する、反民主主義そのものであり、断じて許せないものだ。
 まず何よりも、当事者である闘争団が絶対反対であるということだ。闘争団は「組織の亀裂を深める」とギリギリまで「一票投票」に反対した。
 闘争団の生死にかかわることを、闘争団と一般組合員を同じ一票とすることは、実は圧倒的に不平等なのだ。それはたとえれば、原発建設の是非を問う住民投票を、現地ではなく東京で行うようなものである。
 また、「JRに法的責任なし」を機関決定せよと強要する、最も悪質で凶暴な政治的支配介入である「四党合意」の賛否を問うこと自体、その支配介入の不当労働行為を容認するということだ。国労を自らの手で葬り去れと迫る攻撃を、なぜ一票投票にかけなければならないのか。それ自身が労働組合の自主性を放棄する行為である。
 そもそも国労の規約には「一票投票」の規定はない。新たに規約を設ける場は全国大会である。それを委員長の特別発言だけをもって強行するとは最悪の組合民主主義の破壊である。
 規約にないものである以上、それは何の拘束力もない。国労の最高議決機関は全国大会なのである。したがって、一票投票とは、「アンケート調査」ぐらいの意味しか持たない。
 にもかかわらず、それは組合員の「思想調査」としての意味をもっており、組合員同士の深刻な対立を促進せざるを得ない。
 そして重大なことは、チャレンジ一派や革同上村一派が、この間、機関を私物化し「四党合意で一千万円の解決金が出る」などのウソとペテンで組合員をだましてきたように、デタラメな情報で「賛成」に駆り立てようとしていることだ。
 さらに、彼らは、どんな不正だってやりかねないということだ。マスコミでさえ「不正防止の措置など技術的な問題も少なくない」(八月二十七日付朝日新聞)と指摘しているのだ。
 このような「一票投票」など断じて許すわけにはいかない。絶対反対だ。
 直ちに、現執行部は自らの責任で「四党合意」受諾を撤回し、総辞職せよ。
 国労中央、宮坂・チャレンジ一派、革同上村一派による最後のあがきを打ち砕き、「四党合意」にトドメを刺そう。代議員選に勝利し、十・二八−二九全国大会に攻め上ろう。闘う新執行部を樹立し、国労の再生、国鉄闘争勝利へ、闘争団とともに闘おう。
 闘う全労働者は国鉄闘争に全力で決起しよう。

 〈資料〉高橋委員長の特別発言

 七月一日に開会された臨時全国大会が、混乱にいたった原因について反省を込めて私の見解を明らかにしなければならない。
 @当事者である闘争団との意見交換、合意形成が不十分であったことを率直に認めざるを得ない。
 A四党合意が直ちに解決に向けて具体的作業に入り、七月一日まで一定のものが提示されるということだった。「JRに法的責任がない」ことを認めるだけの大会は開催できないとしたのも、中央執行委員会の確認だ。結果として、なんら具体的な前進のないまま、大会を迎えざるを得なかった。
 B職場討議が十分にできるような時間的な保障と、情報の提供が不十分であり、大衆行動も自粛傾向にあった。
 C支援共闘、連帯していただいた方々が、今日の国労の混迷した状況に憂慮し、批判的に見ていることも事実だ。十分な理解が得られないことについても、率直に反省し、関係修復を図らなければならない。
 D中央執行委員会は、八月二十五日に第三七回中央執行委員会を開催した。中央執行委員会は、現局面の混乱を回避し、組織の統一と団結を回復することにし、執行部提案の採決は行わないこととする。そして組合民主主義の観点から、全組合員の一票投票を行い、七月一日に提案した本部原案の四党合意について、全組合員に、その賛否を求めることとする。現執行部として、この間の混乱の責任は免れない。次期定期全国大会で、信を問うこととする。

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週刊『前進』(1972号2面2)

”当事者は俺たちだ”
闘争団、延べ20時間の対本部交渉
 一歩も退かず「撤回」要求

 八・二六続開大会で「四党合意」受け入れ決定を再び阻んだのは、何よりも闘争団の人生をかけた決起であり、国労本部への激しい弾劾であった。
 八月二十二日から二十五日までの四日間、闘争団は連日、国労本部に乗り込んで、「申し入れ」行動を貫いた。延べ二十時間に及ぶ闘いは、本部を根底から揺るがした。本部は、いったんは総辞職を表明せざるを得ないところに追い込まれた。「本部総退陣」は今や闘争団自身の声である。
 二十二日夕方、二十闘争団と有志は、本部に「具体的解決案なき『JRの法的責任なし』のみを認める、続開大会の中止を求める申し入れ」を提出した。
 同日夜、国労本部の地下会議室で、東京全労協主催の「国労闘争団激励交流八・二二報告集会」が開かれた。参加した闘争団員は、「本部の決断で大会を中止すべきだ。闘争団はきょう本部と交渉したが、一致を見ていない。明日も交渉を続ける」「闘争団・家族を切り捨てる続開大会は中止すべきだ」と訴えた。
 二十三日、闘争団は社民党などへの要請行動を行った。その中で、社会文化会館の館長が「七月一日の機動隊導入は国労本部の要請によるものだった」と明言した。午後一時からの本部との交渉で、闘争団はこのことを厳しく追及した。
 二十四日、二十闘争団と有志は「国労本部の不誠実な態度に抗議し、『解決案なき続開大会』の中止を求めるアピール」を発した。この日の本部との交渉は、午後三時から五時間にわたる激しいものとなった。
 チャレンジや革同上村一派による、大会への「自警団」動員の策動が発覚していた。組合員同士を意図的に激突させても闘争団を切り捨てるという許しがたい暴挙である。闘争団の怒りに押され、本部は「当該地本にやめるよう指示する」と言わざるを得なかった。
 さらに闘争団は、交渉に出た六人の中執一人ひとりに「四党合意で闘争団の納得のいく解決ができる自信があるのか」と問いつめた。本部は誰ひとり答えられず、首をうなだれた。高橋委員長は「中執で再度検討したい」と述べ、翌日、七人の中執全員が出席して再交渉を行うと約束した。

 一票投票に怒り

 こうして大会前日の二十五日を迎えた。交渉は午後一時から始まった。中執全員が出席すると約束したにもかかわらず、姿を見せたのは高橋委員長と大西執行委員だけだ。卑劣にも他の中執は逃げ、闘争団に高橋委員長を差し向けた。
 高橋委員長が午前中に開かれた中央執行委員会の結論を述べた。「大会では採決をしない。四党合意については全組合員の一票投票で信を問う」。闘争団は直ちに、「四党合意が生き続ける限り混乱が続く。撤回すべきだ」と反論した。
 闘争団が求めていたのは四党合意の撤回と大会の中止だ。本部はその要求をどちらも拒否し、一票投票という形で四党合意を延命させようとしている。それは最悪の団結破壊である。
 「本部は同時進行で解決交渉が進むと言ってきたが、それもなくなった。中執の責任で四党合意を破棄すべきだ」「ラストチャンスだと言って、地方ではありもしない解決水準が持ち上げられている。われわれが危惧(きぐ)を訴えると『妨害勢力だ』とレッテルを張られる」「賛成・反対で賛否を採ればより亀裂が深まる」「きわめて反組合民主主義だ。中執が責任を持てない四党合意をなぜ投票にかけるのか」「賛成派は機関の金でオルグする。われわれは自腹だ」「争議の当事者は俺たちだ」−という追及が続いた。
 機動隊導入と「自警団」動員への怒りも爆発した。「流血の事態になる。今すぐ大会中止を決めろ」「何がなんでも大会を開くということか。委員長は採決しないと言ったが、大会を開けばいろいろ言われて何をするか分からない。絶対に開いたらだめだ」
 こうした中で、高橋委員長は「責任を痛感している。責任については明日はっきりさせる」と辞意を漏らした。だが、それは闘争団の怒りを一層かき立てた。「四党合意も改革法承認の時も、組織がガタガタしてどんなに政府・自民党が喜んでいるか。悔しくてたまらない。こんなのになぜそんな無駄な時間をかけたのか」「委員長なら国労が団結できる方向を考えろ」という声が上がった。
 音威子府闘争団家族の藤保美年子さんが、こらえきれずに立ち上がった。「一票投票とはどういうことですか。賛成している家族から手紙が届いているでしょう。苦しさから逃れたい、これをのめばお父さんはJRに戻れると思っている。でもそういう保証はあるんですか。仲間同士がもめあうのは、本部の責任です。だまされてこういう気持ちになっているんだということを受け止めて、臨大はやめると決めて下さい」
 午後三時過ぎになって、ようやく宮坂書記長が姿を見せた。「今まで何をしていたんだ」と怒りの声が飛ぶ。闘争団は、総辞職の確認を迫ったが、宮坂書記長は言葉を濁して答えない。高橋委員長に再度迫ると、「執行部全員が辞任する」とようやく明言した。
 だが、総辞職を言いながら四党合意を残すとはどういうことか! 「あなたたちは辞めても、四党合意は残って組織はガタガタになる」「四党合意を撤回してから辞めるのが筋だ」「賛成する人もいるから撤回しないと言うが、そういう人から『JRに戻れるんですね、これだけもらえるんですね、だから四党合意ですね』と言われて答えられるのか」「だまされてついていった人が現実を見たら自殺するぞ。四党合意で何が出て来るんだ」
 時間はすでに午後五時半を回っていた。本部が予定していたエリア代表者会議の開始時間が過ぎている。卑劣なことに本部は、闘争団の追及を恐れて会議の場所を都内のホテルとしていた。闘争団は、本部内でエリア代表者会議を開くこと、再開後の交渉には全中執が出席することを約束させ、交渉を一時中断した。

 翌日に及ぶ交渉

 午後八時半、交渉が再開された。冒頭、宮坂書記長が「総辞職はエリア代表者会議では納得が得られなかった」と言い放った。
 闘争団の追及は、新井中執に集中した。彼は、七・一の機動隊導入について「国労が機動隊を要請することはない」とシラを切った。「四党合意で納得できる解決ができるのか」と問われても「努力するしかない。頑張るしかないでしょ」と、まったく不誠実な言い方を繰り返すだけだ。
 午後十時前、交渉の席上で高橋委員長が重い口を開き、「中執会議を開きたい」と提案した。交渉は再び中断に入った。
 九時過ぎには、なかのZEROでの集会を終えた国労組合員・支援の労働者数百人が駆けつけ、国労本部を取り巻いた。誰もが事態を固唾(かたず)を飲んで見守った。皆がここで夜を明かすことを覚悟していた。
 午後十一時五十五分、交渉が再開された。冒頭、宮坂書記長が、全中執の辞任届を高橋委員長が預かっていること、大会では本部方針の採決は行わないこと、一票投票を行うこと、などの本部の考えを示した。
 これに対して、闘争団の代表が「具体的解決案がなければ、あくまでも大会の中止を求める」と闘争団の考えを述べた。
 この闘争団の四党合意への怒りは、どんな反動をもってしても抑え込むことはできなかった。
 本部は、一票投票という形で最後のあがきに道を残した。だが、二十時間に及ぶ交渉は、大会での採決強行という本部のもくろみを打ち砕いたのだ。
 闘争団・家族と国労組合員、支援の労働者は、翌日早朝の社文前での再結集を確認して、明日に備える闘いに入った。百五十人の支援は、社文前での徹夜の座り込みを貫徹した。

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週刊『前進』(1972号3面1)

四党合意撤回!闘争団切り捨ての一票投票に反対 本部は責任を取るべき
 会場前で家族訴え ”JRに責任ありの証を”

 闘争団とその家族は、二十六日朝から社会文化会館前に座り込み、大会の中止を訴えた。その中での闘争団家族二人の発言を紹介します。(編集局)

 四党合意がある限り大会中止に 音威子府闘争団家族 藤保美年子さん

 物心両面のご支援をいただいている仲間の皆さん、JRの中で国労の旗を守って頑張り続けている仲間の皆さん。二度にわたる暑いこの日、一緒に座り込みをして下さっていることにお礼を申し上げます。
 七月一日の臨時大会、闘争団の暴力のみが強調され非難されていますが、大会を開いた国労本部の責任であり、けっして闘争団の責任ではありません。
 私はあの臨時大会を過ぎても、四党合意に対して話し合いがあると待っていました。しかし話し合いもなく、続開大会が午後から開かれようとしています。きのうの本部の話の中で、採決はしないと言いますが、四党合意が生きている限り、この大会を中止しなければなりません。
 分割・民営化にあたり、国労組合員がJR採用者と不採用者に分けられた。仲間同士がもめあう、仲間割れするように仕組んだあの分割・民営化。皆さん、あの時のことをもう一度思い出して下さい。
 私の娘は、解雇された時、十歳と七歳で、状況の大変さはほんの少しですが分かっていました。小さな村で、上の娘の同級生は二十人足らず、その中に鉄道員の子どもが何人かおりましたが、解雇されたのは私の夫だけです。その悔しさを娘は、「どうしてお友達のお父さんは仕事をしているの、なぜ、どうして」と目にいっぱい涙をためて私にぶつけてきました。私は何の言葉も返してやることができず、ただわが子を強く抱きしめ、慰めることしかできなかったんです。
 今、私たちの敵は国労本部や国労の仲間ではないんです。夫たちを不当に解雇した政府・JRなんです。私たち闘争団家族の中に、賛成している家族もおります。それも確かな気持ちです。なぜだか皆さん、分かりますか。十四年たってつらいんです。言葉巧みに聞かされれば、人間誰しも楽な道を選びたくなる。これをウンて言えばJRに戻れるんだという言葉を信じて、飲み込んで賛成と言っている家族もいるんです。その責任は、本部がきちっととらなければならない。
 何の担保もなく、具体的な保証がない。委員長だとか書記長だとか、後戻りできないなんて思わないで、何の交渉もできなかった、当初と状況が変わったからと、なぜ言えないのか。
 四党合意撤回と続開大会の中止を精一杯、大会が始まる時間まで頑張りますので、ともに頑張っていただきたいと思います。

 亡くなった夫の゛名誉回復゛を 美幌闘争団家族 三浦成代さん 

 主人が亡くなって、今年で七回忌も無事終了させていただきました。
 最初は国労運動、組合運動の何たるかを知らず、ただ妻というだけで家族会に参加させていただきました。主人が亡くなってしまってから、私に最後にできることは何かと考え、闘争に参加させていただくことを決意しました。
 勝てる見込みのない闘争になぜ参加するのかと、疑問に思われる方もいると聞きました。でも、亡くなった主人にとって、JRに責任があることの証(あかし)だけが唯一、名誉回復できることだと存じます。子どもたちにとっては、それがこれから生きることへの誇りになると思います。
 最後まで勝利をめざして、大会が開催されるまで、四党合意反対を唱えていきたいと思います。

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週刊『前進』(1972号3面2)

”四党合意は不当労働行為” 地労委に救済申立

 国労臨大決戦を前にした八月二十四日、「四党合意」は不当労働行為だとして、国労近畿地本と南近畿地本の組合員が大阪府地方労働委員会に対して救済申し立てを行った。翌二十五日には、東京地本と千葉地本の組合員がそれぞれ東京都労委、千葉地労委に同様の申し立てを行った。
 この救済申し立ては、被申立人を運輸省、自民党、JR東日本とするものだ。(大阪は運輸省、自民党、JR西日本、JR東海、鉄建公団)
 そして、「四党合意」が@「国労が、JRに法的責任がないことを認める」、A「国労全国大会(臨時)において決定する」、B「国鉄改革関連の訴訟について、Aの機関決定後速やかに取り下げるよう求める」としたことが不当労働行為にあたるとして、その取り消しと謝罪文の掲載を求めるものである。
 申し立てを終えた東京と千葉の国労組合員は、佐藤昭夫さん(早大名誉教授・弁護士)、宮島尚史さん(法学博士・弁護士)や代理人の弁護士とともに、二十五日午後一時半から、労働省記者クラブでの記者会見に臨んだ。
 申立人の組合員たちがJR発足以来の配属差別への怒りを語り、採用差別と闘う闘争団と一体で救済申し立てを行ったことをそれぞれ語った。
 宮島さんは、「不当労働行為の責任を負う当事者というのは狭く考える必要はない」と、鑑定意見メモを配布して説明した。
 佐藤さんは、自らが確立した「国家的不当労働行為論」をもとに「四党合意」が国労へのいかに許しがたい支配介入であるかを具体的に暴露、強調した。
 記者との質疑応答の中で、この運動を全国に広げていく決意が語られた。
 一票投票に反対し、代議員選挙から国労定期大会への決戦過程と一体のものとして、地労委闘争を全国で闘おう。

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週刊『前進』(1972号3面3)

”執行部総辞職へ” 中野ゼロ1300人が前夜に集会

 八月二十五日、続開臨大の前夜、東京・なかのZERO大ホールで「国鉄闘争勝利! 闘争団・家族を激励する八・二五全国集会」が開催された。主催は、七・一臨大の前夜にも同会場で集会を行った「国鉄闘争勝利! 全国実行委員会」。六・三〇を上回る千三百人の大結集となった。
 この集会中にも、闘争団が国労本部との交渉を継続していた。これと一体となって闘うという緊迫感と熱気に満ちた集会だった。
 実行委員会の代表は、「執行部総辞職と同時に、四党合意は廃案にしなければならない。四党合意のみの一票投票を行わないことを、今晩から本部に対する要請行動を展開して確認させなければならない。本部は、まやかしでわれわれを翻弄(ほんろう)してきた。そうさせないためにも明日の態勢を強化しなければならない」と訴えた。
 問題提起を佐藤昭夫早稲田大学名誉教授が行い、「改革法は差別の脅しだったが、四党合意はエサを与えると装っている。しかしつり上げた魚にエサを与える者はいない。四党合意そのものがはなはだしい不当労働行為だ」と断じた。また、大阪、東京、千葉で「四党合意」を不当労働行為として労働委員会に救済申し立てが行われたことを紹介し、「四党合意を一票投票にかけること自体おかしい」と訴えた。そして「今の国労本部のやり方では、これ以上には到達できない。違った闘いをやれば、別の到達点がある。本当の団結をつくってほしい」と激励した。
 会場からの報告では、仙台闘争団が「四党合意を拒否する、本部執行部は二度と役員にならない、総辞職するという方針を提起したい」ときっぱりと述べた。また「解雇された日に妻は泣きじゃくったが、次の日、解雇撤回の闘いの門出としたいと赤飯を炊いた」というエピソードを紹介し十三年の思いを語った。
 支援共闘の労組の代表は、「国鉄闘争に勝利して日本労働運動を立て直したい」と訴えた。
 満場の拍手の中を、闘争団・家族が登壇した。
 稚内闘争団は、「四党合意は絶対に認めない立場で明日の大会に臨みたい。同じ組合員同士を争わせる四党合意を絶対に撤回すべきだ。徹夜覚悟で、本部が臨大中止と言うまで頑張る」と決意を表明した。
 熊本闘争団は、「四党合意は絶対に認められない。撤回し、本来の闘う路線に沿って闘う方針を提起してほしい。JRに不当労働行為の責任あり、闘って良かったという結果をかちとるために頑張る」と訴えた。
 美幌闘争団家族の三浦成代さんは、九四年に闘争団員の夫を亡くしているが、「JRに責任なしでいったい誰に何を要求すればいいのか。遺族として頑張りたい」と述べ、ひときわ大きな拍手を浴びた。
 最後に実行委事務局が、「本部執行部の明白な総辞職を求める。四党合意拒否をきっぱりと表明させる。四党合意の信を問うのであれば、新しい執行部に任せる」ことを、直ちに本部に行って訴えようと行動方針を提起した。集会場から数百人の国労組合員、支援が国労本部に駆けつけた。

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週刊『前進』(1972号3面4)

連載 新潮流運動の大躍進へ 資本攻勢の嵐と対決を 2

 2年連続で賃金減少 激化する「能力・業績」主義
 ”賃金破壊”の大攻撃 賃金闘争の階級的復権へ

 分社化などで暴力的に賃下げ

 ゛賃金破壊゜とも言うべきかつてない事態が進行している。二年連続の賃下げ、それにとどまらず、一連のリストラ法制を先取りする分社化攻撃で、賃金を一気に引き下げるというような暴力的な賃下げ攻撃がかけられている。中小私鉄では、バス部門を中心に一部門丸ごとの分社化、労働者全員いったん解雇、賃金を六−七割に削減の上、再雇用という攻撃が襲いかかっている。十二月にも施行が狙われている改悪商法と労働契約承継法で、分社化による暴力的賃下げがさらに激化することは不可避だ。また雇用形態の変更にともない賃金半減という女性労働者の例すらある。
 このような攻撃を前に、今年ほど春闘を大幅賃上げと雇用確保のために闘うことが求められている年はなかった。それにもかかわらず連合はまったく闘いを放棄し、今年の春闘は事実上「賃下げ春闘」となった。
 労働省のまとめによると、千人以上の大企業ですら平均二・〇六%の賃上げで、中小も含めた連合の最終集計では、平均方式の賃上げは一・九四%、昨年より〇・一六ポイント下落した。中小だけの集計では、五月段階で回答を受けたか妥結した組合は、全体の約四割にとどまっており、賃上げ水準も一・八七%となっている。造船やNTTなど産別丸ごとベアゼロになったところも出た。
 現在の賃金構造を保つ上では、毎年二%程度の定期昇給が必要だと言われている。賃上げが二%を割ると労働者階級全体では賃下げになる。しかも、夏季一時金は、日経連調査の大手ですら前年比一・二五ポイント減となり、二年連続で前年を下回った。
 この春闘の敗北と賃下げは、今年の日経連の労問研報告の「企業の競争力を強化するには、高コスト構造を是正しなければならない」「雇用を確保するためには……総額人件費を引き下げざるをえない」とする攻撃に連合が全面的に屈服した結果である。
 賃下げの実態を統計で見てみよう。労働省の調査では二年連続の賃下げであり、これは戦後初めての事態だ。(グラフ1
 しかも特徴的なことは、初任給の三年連続据え置きである(グラフ2)。中高年層に賃下げ攻撃が集中している一方、青年労働者の賃金もまったく上がっていない。「年功賃金の解体」が世代間の賃金のアンバランスを是正するためのように言われているが、まったくのうそだ。世代間の分断攻撃を許してはならない。
 この民間における賃下げ攻撃を受け、八月十五日に人事院は現行方式になってから初のベアゼロ、二年連続の賃下げ勧告を行った。人勧は最低賃金制度や年金などの基準にもなることから、労働者階級全体にさらに賃下げ攻撃の嵐が吹き荒れることになる。
 総務庁の家計調査では二年連続で消費支出が減少し続けている(グラフ1)。賃下げが長期にわたり、社会保障制度改悪による将来への不安から、労働者階級は自らの生活水準を低下させざるをえなくなっている。賃下げへの労働者階級の怒りは爆発寸前だ。

 夏の組合大会で一斉に怒り噴出

 この夏の一連の組合大会の特徴は、国鉄闘争をめぐる論議と同時に春闘・賃金闘争をめぐる論議が白熱化したことだ。
 NTT労組は、今春闘でのベアゼロ妥結に続いて、「経営より先に踏み込んだ提案」などと称して、率先して成果主義賃金を求めるという大裏切り提案を行った。大会では「どういう状況になればストを打つのか」など怒りと批判が噴出し、継続討議となった。
 電機連合は、隔年春闘を決定し、中期運動方針と第五次賃金政策を打ち出した。この中で賃下げまでも積極的に主張するにいたった。大会では、「賃上げや一時金が、個人の努力・能力次第、業績リンク方式となるのでは労組の役割は何かという話が出てくる」と激しい反発があった。
 自治労大会では、二年連続人勧マイナス勧告に激しい反発の声が上がり、「能力・実績」重視の人事評価システムを推進する本部方針には「人事評価は差別選別と団結破壊につながる」「賃金など処遇面での活用は必至」と反発が噴出、本部は採決を断念した。
 全労連大会では、今春闘から大幅賃上げ方針を撤回したことに対して「大幅賃上げ問題で全労連が二〇〇〇年春闘で金額を明示しなかったのは問題だ」と激しい批判が行われた。
 また、各産別の組織統合案も相次いで発表された。これらは、日本の労働組合が存亡の危機に突入していることを示している。

 団結を解体する「個別賃金要求」

 今夏の一連の大会では、春闘見直しと一体で賃金闘争見直し論が一斉に噴出した。労組自らが個別賃金決定方式、職務給(仕事給)、能力主義、時間賃金などを求めるという事態だ。この背後には「労働側も、いわゆる生活給思想から脱して、賃金に差がつくことを合意し、その基準を模索しなければならない」というとんでもない考えがある。それは、資本の差別・分断に対して団結し、集団的に賃金決定を行うこととは対極の個別的賃金決定の思想だ。
 戦後の労働運動は、敗戦直後の飢餓状態の中から「食える賃金をよこせ」という死活的な要求から出発し、「戦後革命期」と言われる激しい階級闘争のうねりをつくり出した。その後も日本の労働運動は、総評・民同の右翼的指導にもかかわらず、一貫して反戦・平和の闘いと同時に、「春闘」という形式をとって賃金闘争を激しく闘ってきた。「電産型」と呼ばれる生活給要求を基礎にしたベースアップと呼ばれる一律賃上げを基本とする賃闘だ。このベア方式が行き詰まったとして、個別賃金要求方式が出てきた。
 五四年日鋼室蘭、五九年闘争の敗北後、右派主導となった鉄鋼労連が七〇年に打ち出した「標準労働者」方式がその最初である。その後九五年に電機連合が、九八年に連合が採用し、全体に広がりつつある。
 この個別賃金要求とは、三十五歳の「標準労働者」のみの賃上げと「横並び」を要求するものであり、実際には労働者の分断支配を積極的に追認し、「年功制賃金の解体」と「能力・成果主義賃金の導入」を容認するものだ。資本の分断攻撃に屈服したさまざまな個別賃金要求方式を許さず、一律大幅賃上げを掲げ、賃闘を通して団結を固めよう。
 八九年の連合結成は日本の賃金闘争を著しく後退させた。このことは、九〇年以降の賃金上昇率を見れば明らかだ。更に、来年の春闘においては基本給の切り下げが問題になると言われている。

 賃闘を否定する電機連合指導部

 このような事態を前にして、労働運動の内部から建前としても賃金闘争を否定する潮流が登場した。電機連合の「中期運動方針、二〇〇一〜二〇一〇年新しい豊かさの挑戦」と、「第五次賃金政策」がそれだ。
 電機連合中央は、「日本経済は、……閉塞状況に陥っている」「労働組合も、時代の変化と共に大きく転換していかなければ、社会における存在理由を失い、衰退と崩壊に向かいかねない」と激しい危機意識を燃え上がらせ、そこからの脱却を、「モノの豊かさからココロの豊かさへ」「場合によっては負担や負の配分も課題に」「所得の上昇による消費の拡大よりも、自分で自由に使える『可処分時間』の拡大を」などと言って、賃闘を原理的に否定し、労組を個別賃金の調整機関にしようとしている。
 電機連合中央は労働組合をプロレタリアートの団結体ではなくて、自立した職人の職能組合(ギルド)のようなものにしようとしているのだ。しかし、「生産手段を持たないがゆえに労働力を売ることでしか生きていけない労働者」という近代プロレタリアートの規定を否定することはできない。こんな反動路線は現場の労働者の怒りの前に吹き飛んでしまうことだろう。

 春闘解体攻撃に抗して闘おう

 今こそ、ストライキで大幅賃上げをかちとるという階級的賃金闘争の復権が問われているのだ。春闘解体攻撃をはねかえし、二〇〇一年春闘勝利に向かって闘争態勢を準備しよう。
 日帝は危機の中、アメリカ帝国主義が七〇年代から八〇年代にかけて労働者階級に行った賃下げ攻撃(労働組合の側からは、コンセッションバーゲニング〔譲歩交渉〕と呼ばれ、アメリカの労働者階級の賃金は六〇年代の水準にまで低下したと言われる)をとおして生き返ったように、労働者階級への賃下げ・首切りによって危機を突破しようとしているのだ。この攻撃が今「IT革命」の名のもとに日本の労働者階級に襲いかかろうとしている。
 七・一国労臨大から始まった労働運動の大流動、大再編の背後にあるのはこの事態だ。労組指導部・活動家は一様に戦後労働運動の行き詰まりを感じている。今や連合路線、全労連路線は大きく破たんしている。
 国鉄闘争を基軸に、開始された労働運動の戦闘的流動化のまっただ中に動労千葉を先頭とする闘う労働運動の新しい潮流の真紅の旗をうち立てよう。賃金闘争を基軸にした荒々しい「資本主義にノーと言える労働運動」こそが求められているのだ。
〔湯村宏則〕

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週刊『前進』(1972号3面5)

能力主義方針に怒り 交流センターが大情宣
 自治労大会

 八月二十三日から三日間、自治労の第七〇回定期大会が長野市のビッグハットアリーナで開催された。大会冒頭、全国労組交流センター自治体労働者部会は、会場正面に陣取り、六千人の大会参加者に情宣活動を展開した。(写真)
 隔年大会方式となり、本来なら今大会は中間総括を提案して終わる予定であった。ところが自治労中央は、大会二週間前にして新たに「一号議案・当面の闘争方針」を提案した。
 八月十五日に人事院が、一九六〇年以来初めてベアを見送り、俸給表の改定を行わないまま、一時金を〇・二カ月削減すると勧告し、人勧に依拠して賃金闘争を構築してきた自治労にとって最大の危機を迎えることになった。これに対して自治労中央は、「能力・実績」に応じた賃金制度を全面的に導入して大転換をはかろうとしたのである。
 自治体部会は、これに対して「能力・実績評価導入を推進する方針案を阻止しよう!」と訴え、公務員連絡会の報告「国家公務員の『能力、実績』を重視した人事管理システムの見直しと新たな人事評価システムについての考え方(案)」を全面的に批判するパンフレットを配付した。詳細な暴露と階級的な批判は、圧倒的な注目を集め、組合活動家に強烈な影響を与えて、またたくまに一部残らず参加者に手渡された。
 機関での討論を封殺し、大会寸前になってから公務員賃闘の大転換をはかろうとした闘争方針に対して、大会では実に三十七県本部が反対を表明し、十一県本部が共同修正案を提出する事態となった。
 また「能力主義人事制度導入阻止」とともに、「民主リベラル勢力の総結集方針は、自治労の改憲勢力化だ!」と横断幕で訴え、改憲の党=民主党支持一本化に傾斜する自治労中央の思惑を痛撃した。
 さらに「四党合意粉砕、国鉄闘争の勝利を! 自治労は不屈に闘い続ける国労闘争団を支援しよう! 十一月全国労働者集会に結集しよう!」と自治体労働運動の勝利の道筋を提示したビラと、「人勧ベア見送り、大幅賃下げ許すな」「介護保険はどう考えてもおかしい」「自治労綱領の転換は官吏への道、ふたたび赤紙を配る官吏になるな!」「九・三東京都の三軍演習を阻止しよう!」と具体的方針を提示したビラ二種類六千枚をパンフレットとともにまききった。
 会場前広場では、国労闘争団など物販のテントが林立するなかで、「八・二六国労臨大を一万人で包囲しよう!」との呼びかけは、広い共感を生み出した。
 この日、部落解放同盟全国連合会長野県連(準)が、大挙して狭山百万人署名行動を展開した。黄色いゼッケンは参加者の熱い注目を集め、次々と署名が集まった。
 カクマルは、国鉄闘争と連帯する戦闘的自治体労働者の決起を粉砕するという目的のみでしょうすいしきって登場した。参加者が結集するにつれどんどん会場から離れていき、孤立感で消耗しきっていた。
 こうして自治体労働者は自らの手で、大会の内外で果敢に闘いを展開し、十一月集会へ向けて今秋決戦の緒戦を戦闘的に切り開いた。  (投稿/高倉透)

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週刊『前進』(1972号4面1)

10・8三里塚全国集会に結集を
 東峰神社の立ち木伐採阻止し暫定滑走路建設を粉砕しよう
 一年間決戦勝利へ突破口開け

 一九三〇年代的な世界危機、米帝危機、日米争闘戦の強まりの中で、戦後最悪の体制的危機に陥っている日帝と森政権は、アジア勢力圏の形成に延命の道を見出そうと「戦争のできる国家」への改造を目指している。昨年の周辺事態法の制定に続いて、新ガイドライン体制の確立のために、今秋臨時国会に船舶検査法案を提出し、米軍有事法制定に着手し、有事立法・憲法改悪攻撃を強めている。こうした有事体制・戦争国家づくりの一環として、労働者階級の闘う拠点破壊の攻撃を強化し、日本の労働者階級人民の最強の砦(とりで)である三里塚闘争への破壊攻撃に訴えようとしている。すなわち、暫定滑走路攻撃の危機を打開するため、日帝・運輸省、空港公団は、一九九〇年三里塚・天皇決戦以来十年ぶりに、国家暴力による強権的な空港建設に再び回帰しようとしている。十・八三里塚全国集会は、日帝・運輸省、空港公団が発動する強権的攻撃と対決し、暫定滑走路工事完成期限=二〇〇一年十一月までの向こう一年間の決戦に勝利するため、三里塚闘争の新たな闘争陣形を打ち固める決起集会である。われわれは志半ばで倒れた郡司とめ婦人行動隊長の遺志を引き継ぎ、日帝の戦争国家体制づくりとの対決をかけて、今秋から来夏にかけての暫定滑走路をめぐる新たな決戦に決起し、勝利しなければならない。そして勝利の報告を郡司とめさんの霊前に捧げよう。すでに闘いの号砲は鳴らされている。八月二十六日、革命軍は暫定滑走路計画の立案者である前運輸大臣官房企画官・山口勝弘宅に対する爆破戦闘を敢行し、新たな農民殺しを行おうとする運輸省・公団に先制的打撃を与えている。八・二六戦闘の勝利に続き、十・八
全国集会へ巨万人民の結集をかちとるために力をふりしぼって闘おう。
 斉田猛

 闘いの前進に追いつめられ強権発動狙う運輸省・公団

 日帝国家権力と運輸省・空港公団は、一九九〇年天皇・三里塚決戦以来再び、国家暴力を三里塚闘争破壊に集中し、力によって暫定滑走路を完成・供用開始する攻撃を選択した。それは暫定滑走路計画の危機を暴力的に乗り切ろうという農民無視・農民殺し政策への回帰である。
 まず現在の攻防局面を整理するため、暫定滑走路計画発表以来一年余の闘いについて確認しておこう。
 昨年五月に発表された暫定滑走路計画は、日帝・運輸省、空港公団が三里塚闘争の勝利的前進に追いつめられた結果の苦しまぎれの選択だった。
 一九九八年に打ち出した「二〇〇〇年平行滑走路完成」計画が三里塚闘争によって粉砕された時、運輸省内では成田空港建設にあくまでしがみつくか、きっぱり断念するかが深刻な議論の対象となった。二千五百bの平行滑走路をあくまで造るとした場合、三里塚闘争を完全に解体し敷地内を切り崩さない限り不可能であるが、数十年かかってもその保証はない。空港政策の破綻(はたん)状況からいってそんな余裕はない。
 暫定滑走路計画は、にっちもさっちも行かない状況に追いつめられた中で緊急避難策としてひねり出された計画なのだ。そのため国際空港の滑走路としては欠陥だらけの代物、三里塚農民をたたき出すための゛地上げの道具゜としての姿が、反対同盟の闘いによって暴露されていった。
 運輸省・公団はまず、昨年五月の時点で、暫定滑走路計画を突きつけ、反対同盟の屈服をもくろんだ。敷地内農民の土地や家屋を避け、反対同盟が物理的には阻止しようのない区域での滑走路案を打ち出すことで「いくら反対しても結局空港は造られてしまう」「造られ殺人的騒音にさらされる」という無力感を引き出し、反対運動を破壊しようとしたのである。
 成田市や空港利権団体などをけしかけてインチキな「平行滑走路早期完成要求署名」の「運動」までデッチあげた。
 また運輸省と公団が「堀越昭平(東峰部落の脱落派)を屈服のテコにすれば、東峰部落全体が切り崩せる」との小川国彦成田市長のデマを真に受けて空港反対闘争の崩壊を期待した面もある。しかし、この過程で脱落したのは、堀越昭平ただ一人、空港反対闘争は微動だにしなかった。「計画案を突きつけて反対同盟を切り崩す」もくろみは粉砕された。
 それでも空港公団は、暫定滑走路工事を開始すれば(昨年十二月)、敷地内農民は崩れると踏んでいた。地元農民を無視して工事を推し進め、工事の既成事実で追い出しを狙う卑劣な、農民の生活と営農と生命を無視した「軒先工事」だ。暫定滑走路計画のずさんさが暴かれ、「農民たたき出しの道具」という正体が暴露されようとも、運輸省・公団はあくまで国家暴力にものを言わせて滑走路工事を強行する方針を変えなかったのである。
 だが、実際に工事を開始し工事区域を拡大しても、闘いの陣形は揺るがなかった。反対同盟は「一坪共有地や共有地、反対同盟所有地があるために着陸帯の幅が半分(百五十メートル)に削られ、計器着陸は不可能である」ことなど、暫定滑走路がいかに使い物にならない無用の長物であるかを一つ一つ暴露し、「反対同盟ががんばりぬくかぎり暫定滑走路建設攻撃は挫折する」との確信を増していった。工事の圧力で屈服させるとの策動も成功しなかった。
 追いつめられた運輸省・公団が最後にもくろんでいるのが「実際に航空機を飛ばして騒音と恐怖で住めなくする」という法も人権も無視した前代未聞の農民殺し計画である。
 しかしこれも危うくなってきた。東峰神社の立ち木問題が浮上してきたからである。東峰神社の立ち木問題とは、神社を取り巻く約十メートルの立ち木群によって、二千百八十メートル予定の暫定滑走路が、かりに完成しても実際には千七百四十メートルしか使えず、国際空港の滑走路たりえない問題である。
 東峰神社の立ち木は現在のままでは暫定滑走路の進入表面(注1)を八b突き破って上に出てしまうため暫定滑走路は短縮してしか使えない。したがって、暫定滑走路の長さは(注2)で示した計算により、実際には二千百八十−四百四十=千七百四十メートルに短縮される。これが東峰神社の立ち木問題である。
 しかも東峰神社は、東峰部落の産土神(うぶすなしん)であり、所有権は部落の「総有(そうゆう)」(注3)であって、部落員全員の同意なしに勝手な売買や処分ができない。だから東峰部落の反対同盟ががんばっているかぎり、東峰神社・立ち木の買収は永遠に不可能なのである。
 またこれとは別に滑走路北側でも、進入灯用地九百メートルのうち三百九十メートルが買収できていない事実がマスコミによって暴露されており、その分だけ暫定滑走路に食い込むことになる。したがって北側から着陸する時でも二千百八十−三百九十=千七百九十メートルしか使えないことになる。
 南側からはもちろん北側からも、着陸に関しては暫定滑走路は千八百メートル以下しか使えないのである。このレベルの滑走路は国内第三種(ローカル)空港のものでしかない。使用できる飛行機は国内線の小型機(YS11などのプロペラ機)とビジネス機ぐらいだ。
 東峰神社の立ち木問題があるかぎり暫定滑走路供用ができないということだ。
 三里塚闘争破壊を前提に進められてきた暫定滑走路計画は、反対同盟が一年余の間、あらゆる攻撃や圧力と闘い奮闘したために、工事完成まで一年という時点で決定的危機に追いつめられたのである。
 暫定滑走路攻撃がここまで破綻したということは、成田空港自体が計画から三十四年たっても完成のメドすらたたないという現状と重ね合わせて考えれば、常識的には「建設中止」の判断が出されてしかるべき惨状である。
 ところがメンツと治安政策にこだわる日帝・運輸省、空港公団は、あくまで暫定滑走路計画にしがみつき、国家暴力による農民たたき出し・農民殺しを行おうとしている。
 追いつめられた運輸省・公団は、暫定滑走路の供用を阻んでいる東峰神社の立ち木を、強権で伐採する方針を固めた。今秋から来夏までを「最大の山場」(公団幹部)とし、総力をあげて闘争破壊に乗り出す攻撃を決定した。
 この秋から東峰部落各戸に対して、立ち木伐採についての同意書取りを開始し、この過程で東峰部落を切り崩し、仮に同意書が取れなかった場合には(同意書取りは百パーセント不可能)、航空法の規定を口実に来夏以降「伐採の許可」の仮処分を取得し、それを得て来秋までに立ち木を伐採しようとしている。来年十一月三十日の暫定滑走路工事完成建設期限に間に合わせようという狙いなのである。
 公団はこの攻撃の根拠は航空法四九条第三項だと強弁している。確かに同項では、飛行場の告示以前から進入表面の上に出ている物件に対しては「通常生ずべき損失を補償して、当該物件の進入表面の上に出る部分の除去を求めることができる」としている。
 だが、除去を所有者が拒否した場合の規定はない。したがって公団は、除去によって生じる損害分の金銭を供託し、裁判に訴え、勝訴しなければ伐採できないことになる。この種の民事裁判は、十年以上を要する長期裁判になることが必至だ。とても二〇〇二年五月の暫定滑走路供用開始には間に合わない。
 また、日本において、墓地や神社などの「信仰」にかかわる物件の強制的取得はまれな事態であり、極力避けることが慣習になっている。裁判でも「和解」が一般的である。この点からも長期化が避けられない。
 そのために、運輸省・公団は、滑走路の完成期限=二〇〇一年十一月三十日の直前となる来年夏以降「暫定滑走路供用のためには立ち木伐採の緊急性がある」と「緊急性」を理由に千葉地裁に「仮処分」を申請し国家権力の圧力で「認可」を取得し、立ち木を強権的に伐採する方針を固めたのである。
 つまり運輸省・公団は権力をかさに着た暴力的攻撃に、再び訴えることを決めたのである。暫定滑走路をめぐる最大の決戦が到来した。このような卑劣な攻撃に対してわれわれは、いかなる手段、方法、実力闘争を行使しても絶対に粉砕する決意である。
 反対同盟はすでに、一九七一年の第一次代執行阻止闘争のように、立ち木に鎖で身体を縛り付けても、強制伐採を阻止する実力闘争の決意を打ち固めている。また、法的手段をも行使して伐採を粉砕することも準備している。
 今こそ「東峰神社立ち木の強制伐採許すな」を掲げて、三里塚実力闘争に立ちあがらなければならない。
 また、この強権発動方針は、運輸省と公団が九四年の円卓会議で行った最終合意、「空港建設にあたってはいかなる強制手段も放棄し、住民との合意の上で進める」との公約をみずから踏みにじっている。
 運輸省が「民主主義の実験」だの「住民との公正な対話」だのと並べた美辞麗句が、すべて三里塚農民をたぶらかすためのウソであったこと、必要であれば、「公約」などいつでもほごにし、農民無視・農民殺しの強権手段に訴えるのが国家権力の本質であることを再び示したのである。
 さらに強権方針の一環として運輸省・公団は現在、敷地内農民にありとあらゆるいやがらせ、生活破壊の攻撃を加えて「力で追い出す」攻撃を展開している。
 その第一が天神峰団結街道の封鎖攻撃である。運輸省・公団は八月十日、十一日、郡司とめ婦人行動隊長の通夜・葬儀の時を狙って、天神峰住民である市東孝雄さんに何の通知もなく団結街道を封鎖して、小見川県道トンネル工事のための付け替え道路を造った。
 運輸省・公団は、トンネル工事が終われば団結街道を廃止して、小見川県道を空港の外周道路につなぐ攻撃を画策している。そうなれば市東孝雄さん宅の営農は著しく阻害される。
 第二に小見川県道迂回道路(生活破壊道路)工事による東峰部落住民の生活破壊攻撃である。小見川県道の迂回道路工事によって東峰部落はフェンスで取り囲まれた監獄のような生活環境にたたき込まれようとしている。こうした営農・生活破壊は東峰部落の農民に呼吸すらさせないという殺人的暴挙である。
 第三に千葉県警・空港警備隊私服刑事車両による敷地内農民の検問・尾行・監視攻撃の激化である。千葉県警の私服刑事は、天神峰・東峰の敷地内農民を中心にして、反対同盟の一挙手一投足を監視し、尾行し、検問・職務質問をくり返して、営農・生活破壊を強行している。

 有事体制・戦争国家づくり狙った三里塚闘争破壊策動

 日帝・運輸省、空港公団が九〇年決戦以来の強権的手法で三里塚闘争破壊に訴えてきた背景には、朝鮮侵略戦争に向けた有事体制・戦争国家づくりのための反戦闘争破壊政策がある。
 三里塚闘争は労働者階級人民にとって、沖縄闘争や国鉄闘争と並んで、日帝の戦争政策と闘う最も戦闘的な拠点である。「百年に一度の国策」とされた国際空港建設を三十四年間にわたって阻止し、また千葉県収用委員会という権力機構の一角を実力によって崩壊させ(一九八八年)、いまだに再建のメドすら立たせていない強力な闘いである。
 また「農民の利益は自分たちの実力で守る」という実力闘争・実力抵抗を現在も貫き、国家暴力と対決している偉大な闘いである。八・二六戦闘のような革命的武装闘争の闘いを生みだし発展させている武装闘争の根拠地でもある。こうした人民の闘いの砦の存在は、日帝による戦争体制づくりの攻撃を根本的に粉砕しているのだ。
 自民党の都市問題研究会は八月二十一日までに、土地収用法改悪案を臨時国会に提出することを決めた。さらに、有事法制の中に特別立法を入れるなどして、有事立法・改憲攻撃の中で日帝・森政権が三里塚農地強奪−闘争破壊を策動していることはまちがいない。
 まさに三里塚闘争は有事立法・改憲攻撃粉砕の闘いと一体である。二〇〇〇年決戦の後半戦の爆発のためにも十・八集会の成功をかちとらなくてはならない。
 また、増派米軍の拠点としての成田空港の軍事的位置も重大となっている。
 九・三自衛隊治安出動演習では、羽田空港を公然と軍事空港として使用した。山形県(第六師団)や愛知県(第一〇師団)の自衛隊部隊が軍用輸送機C130で羽田空港に降り立ち、演習に参加した。
 羽田空港が自衛隊の軍事基地に転用されたのはもちろん戦後初めてである。これは有事には空港が必ず軍事基地に転用される現実を実際に示したということであり、成田空港の今後の姿を示すものである。
 朝鮮有事において成田空港は、五十万増派米軍の受け入れ・輸送・兵たん基地として、また爆撃機の直接的出撃基地として軍事転用されるが、暫定滑走路はそのための四千b級滑走路増設計画なのである。
 そして今では「暫定滑走路は実は三千七百b滑走路建設」という事実をだれも否定しなくなっている。今年に入って空港公団は「暫定滑走路」という言葉すら使わず「平行滑走路建設」で統一している。
 中村空港公団総裁は、四月二十七日の定例記者会見で「滑走路延長」について問われ、「二千五百メートルの平行滑走路が完成してから考える」と答えた。今まで暫定滑走路延長については、口先だけではあっても否定してきた経緯と比べると明らかな違いである。
 暫定滑走路は二千五百メートル平行滑走路にするのが前提であり、それに八百b北ずらし分を加え(これで三千三百メートル)、さらに南側に誘導路と称してすでに建設済みの四百b舗装分を加えた三千七百メートル滑走路を目指していることを否定しなくなったということである。これは暫定滑走路を四千メートル級の軍用滑走路として考えているということだ。
 いまこそ有事立法・改憲攻撃の粉砕をめざす闘いの重要な一環として十・八集会を成功させ、成田軍事空港廃港へ前進しよう。

 敷地内農民の営農と生活を防衛する闘いを強化しよう

 さる八月九日、反対同盟結成以来の幹部で婦人行動隊長であった郡司とめさんが亡くなった。われわれの悲しみは深い。郡司さんは゛反戦の三里塚゜を象徴する農民であり、全国と三里塚を結ぶ懸け橋の活躍をして闘った。われわれは郡司さんが求めて止まなかった暫定滑走路実力阻止・軍事空港廃港の勝利を霊前に届けなくてはならない。
 今秋三里塚決戦の第一の任務は、十・八全国集会に巨万の労働者人民の結集をかちとることである。十・八集会は来夏・来秋にいたる一年間決戦に立ちあがる集会である。再び農民殺しの強権的手法に舞い戻った日帝・運輸省、公団に猛然たる怒りを突きつけよう。大結集という事実で怒りの大きさと反対同盟への血盟の深さを示そう。
 第二の任務は、敷地内農民の営農と生活を防衛する闘いを全力で強めることである。日帝・公団は地役権者である市東孝雄さんに通知もなく、団結街道の迂回道路建設を強行し団結街道を封鎖しようとしている。天神峰に対する生活・営農破壊攻撃に反撃し、団結街道廃止攻撃を粉砕しよう。
 また小見川県道の迂回道路工事をもって東峰部落をフェンスでがんじがらめにする攻撃も強まっている。一つ一つの攻撃に的確かつ効果的に反撃し、敷地内農民を守り抜かなくてはならない。
 さらに、七月二十八日から八月十二日にいたる反対同盟の騒音調査で、暫定滑走路を仮定した騒音被害の実態が明らかになった。航空機の騒音、ジェット機噴射などから敷地内農民を守る闘いも強化しよう。
 そして千葉県警私服刑事による検問・尾行・監視攻撃が、生活・営農に支障をきたすレベルにまで悪質化している。こうした人権侵害に対してあらゆる手段で闘い、粉砕しなくてはならない。
 援農闘争によって三里塚農民の営農そのものを全力で守り抜く闘いにも全力をあげよう。
 第三の任務は、革命軍による革命的武装闘争の断固たる貫徹である。暫定滑走路の立案者を粉砕した八・二六戦闘は、運輸省・公団に大きな打撃を与えている。日帝・運輸省が、なりふりかまわぬ国家暴力に訴えてきている以上、あらゆる手段・方法をとった闘いが正当であり許される。八・二六戦闘に続こう。
 第四の任務は有事立法・改憲攻撃との闘いに反戦の砦・三里塚こそが先頭に立つことである。同時に国鉄闘争を先頭とする労働運動の新潮流運動への合流を果たすことである。十・八集会から十一月労働者集会へ進もう。
 十・八集会の成功から暫定滑走路計画の粉砕へ前進しよう。

(注1)進入表面  着陸する飛行機の安全を保障するため、物件の設置を制限している航空法上の空間の一定の斜面をいう。航空法では五十分の一の勾配の斜面と規定されており、これより上に植物や建物や物件が突き出ると、これを撤去するか、滑走路を短縮することで五十分の一の勾配の進入表面を確保しなければならない。
(注2)短縮される暫定滑走路 航空法では、滑走路の進入表面を、着陸帯(滑走路プラス六十bのオーバーラン帯)末端から五十分の一の勾配で設定することを決めている(第二条七項)。ところが、暫定滑走路計画は無理に無理を重ねて用地を確保したため、着陸帯末端と東峰神社の間はわずか六十bしか取ることができていない。これでは進入表面を計画どおりには設定できない。高さ十bの立ち木を前提に進入表面を取ろうとすれば、着陸帯末端は立ち木から五百b以上離れなければならないことになる。つまり着陸帯の末端は、いまより五百−六十=四百四十b北側にずらさなければならない。
(注3)総有 「総有」とは、多数の者が同一の物を共同で所有する所有権で、その物の管理・処分などの権限は、多数の者で形成する団体自体に属し、各団体員はその物を使用・収益する権限を有するにとどまる。各構成員に持分はなくまた分割もできない。

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週刊『前進』(1972号4面2)

軍報速報 運輸省幹部宅に爆破戦闘 8・26世田谷

革命軍は以下の軍報を発表した。
 革命軍は、八月二六日午前二時五〇分、運輸省運輸政策局情報企画課システム分析室長・山口勝弘の東京都世田谷区奥沢七−四九−八にある自宅に対して爆破戦闘を叩きつけた。山口は七月まで大臣官房航空局担当企画官を務め、農民の営農破壊、生活破壊のためだけに暫定滑走路工事を強行してきた張本人である。怒りの爆破戦闘を叩きつけるにふさわしい人物であった。
 八・二六戦闘は、政府・運輸省、空港公団の暫定滑走路建設工事強行、わけても八月一〇日、一一日と故郡司とめ反対同盟婦人行動隊長の通夜と葬儀の当日に、卑劣な闇討ちで強行した天神峰団結街道の付け替え道路工事に対する、断固とした報復の戦闘である。国際空港としては使いものにならない暫定滑走路の工事を、ただただ敷地内農民を脅迫し、叩き出すためにのみ強行する暴挙を絶対に許すわけにはいかない。
 革命軍の強烈無比の爆破戦闘は、山口の乗用車を大破し、家屋をも徹底的に破壊した。革命軍は、三里塚闘争の正義と怒りを体現して、政府・運輸省、空港公団の暫定滑走路工事に対する強襲戦闘を連続的に敢行するであろう。反対同盟との血盟にかけて、暫定滑走路建設実力阻止決戦の勝利を絶対に勝ち取ることを宣言する。
 二〇〇〇年八月二六日 革命軍

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週刊『前進』(1972号4面3)

2000年日誌 阻もう!戦争への動き 8月23日〜28日

 「代替施設協議会」が初会合 陸自が初の市街戦実働訓練

●ヘリ基地反対協が要請行動 米軍普天間飛行場の代替施設に関する協議会の初会合を前に、@ヘリ基地反対協が岸本建男名護市長の協議会への不参加、A受け入れ表明の撤回、B市民との対話集会の開催などを要請した。県にも、同様の要請を行った。(23日)
●防衛関係費概算要求明らかに 防衛庁が自民党国防関係部会に二〇〇一年度防衛関係概算要求の主な内容を提示した。@空中給油機一機の導入経費、A陸上自衛隊第一師団(司令部・練馬駐屯地)などでのゲリラ専門部隊の編成準備、B予備自衛官を一般から公募する予備自衛官制度の導入、C陸海空各自衛隊の指揮通信を統合する新システムの整備、D災害派遣即応部隊の指定(常時二千七百人規模)などを盛り込んでいる。また、海上自衛隊の哨戒機P3Cの後継機と輸送機C1の後継機の国産化を明らかにした。(24日)
●任期中に改憲案と鳩山
代表選で無投票当選した鳩山由紀夫民主党代表が「任期(二年)の間に民主党の考える憲法をまとめたい」と述べた。(24日)
●振興策協議会開かれる
米軍普天間飛行場移設後の跡地利用や移設先の振興策を検討する協議会が開かれ、「北部振興」「移設先および周辺地域振興」の二協議会の合同会議で、本年度事業として名護市のIT(情報技術)産業等集積基盤整備事業など、十二事業を採択した。(24日)
●ホワイトビーチ寄港の原潜がトマホーク発射実験
沖縄県勝連町のホワイトビーチに寄港を繰り返している米海軍の攻撃型原子力潜水艦四隻が、核弾頭型ミサイル・トマホークの発射実験を一九九六年から九九年までの過去四年間に計六回、米カリフォルニア州沖で行っていたことが明らかになった。(24日)
●代替施設協開かれる 米軍普天間飛行場の「代替施設協議会」の第一回会合が開かれ、代替施設の規模、工法、具体的な建設場所に関する協議を始めた。協議会後、岸本市長は記者団に「使用期限や使用協定は受け入れの前提条件であり、国、県、市との話し合いの中で問題にならない状況であれば、それなりの対応をする」と述べた。(25日)
●2プラス2で15年問題は議題とせず 虎島和夫防衛庁長官が記者会見で、九月十一日にニューヨークで開かれる予定の外務、防衛担当閣僚による日米安全保障協議委員会(2プラス2)では、米軍普天間飛行場代替施設の十五年の使用期限問題は正式議題にならないと述べた。(25日)
●開発中の哨戒ヘリに亀裂
 防衛庁が開発している海上自衛隊のSH60J哨戒ヘリコプターの後継機のSH60J改の回転翼に複数の亀裂が入り、試験飛行が不可能になっていることが明らかになった。後継機が完成しないことから来年度予算の概算要求には現有の同型機三機を計上。(25日)
●15年と工法、同時決定をと岸本 代替施設協議会から帰任した岸本名護市長が、十五年使用期限問題を解決する時期と、工法など基本計画を決定する時期との関係について「同時でなければならない」と述べた。(25日)
●地位協定3条見直さない
 政府は、米軍施設への立ち入りなどを規定した日米地位協定三条を見直す考えのないことを、照屋寛徳参院議員の質問趣意書に文書で回答した。同三条については、沖縄県が、速やかな立ち入りを認めることなどを盛り込んだ地位協定見直し案を、日米両政府に要請する予定。(25日)
●代替施設協開催に抗議行動 ヘリ基地反対協五十人が、代替施設協開催に抗議する街頭アピールを名護市内で行った。街頭アピールに先立ち、二見以北十区の会のメンバーが、名護市役所を訪れ、次回以降の協議会への不参加と、十区住民との対話集会の早期開催を求める岸本市長あての要望書を提出。(25日)
●陸自が初の市街戦演習へ
 防衛庁が、二〇〇二年度に米国の軍事訓練場に陸上自衛隊部隊を派遣し、初の本格的な市街戦実動訓練を実施する方針を固めた。来年度は事前の調整要員として陸上幕僚監部から約十人が訪米する。次の中期防衛力整備計画(〇一−〇五年度)の柱となる武装ゲリラへの対処能力強化策の一環。(26日)
●「メデックス2000」始まる 神奈川県相模原市の在日米陸軍相模総合補給廠で、ベトナム戦争以来となる大規模な衛生野外演習「メデックス2000」が始まった。九月二日まで行われる。(27日)
●海兵隊主力ヘリ飛行停止
 米海兵隊は、相次ぐトラブルのため、主力ヘリ三機種の飛行停止を決めた。在沖米海兵隊は、普天間飛行場に配備しているCH53E大型ヘリなど、二十六機に同様の措置を取った。安全性を確保するまで停止される。停止措置されたのはCH53のほか、AH1W攻撃ヘリ、垂直離着陸機MV22オスプレイの三機種。(28日)

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週刊『前進』(1972号5面1)

「沖縄イニシアチブ論」を斬る
日帝のサミット攻撃の先兵高良らの新手の基地容認論
 人民反乱への恐怖と反動

 日本帝国主義の沖縄サミット攻撃の中で登場した、琉球大学教授の高良倉吉(たからくらよし)らの「沖縄イニシアチブ」論は、沖縄の側から日帝の先兵の役割を進んで引き受けようとするものであり、日帝の沖縄圧殺攻撃そのものである。この主張の核心は、沖縄の中から「基地の島」であり続けることを積極的に容認し、゛仕方なく受け入れるのではなく能動的な担い手になろう゛と呼びかけるところにある。この「奴隷の思想」を新たな装いをもって広めようとする策動は、基地撤去を求める沖縄の九五年以来の新たな人民反乱を日帝が制圧できないという危機から生まれた。しかし、この「沖縄イニシアチブ」論は、沖縄の中でも批判と抗議の声にさらされ、闘う人民の沖縄サミット粉砕闘争の爆発によってサミット攻撃が破産すると同時に、今や決定的に打ち破られてきているのである。
 高田隆志

 「被害者的な歴史観克服」掲げるペテン

 琉大教授の高良倉吉、大城常夫、真栄城(まえしろ)守定の三人が、今年三月二十六日に訪沖中の小渕首相(当時)も参加して那覇市内で開かれた「沖縄フォーラム」(主催・日本国際交流センター)で「沖縄イニシアチブ||アジア太平洋で果たす役割」という「提言」を共同提唱した。この会合はアジア各国の研究者が文化や経済、安全保障などについて意見を交わす「アジアパシフィックアジェンダプロジェクト」である。高良らの「提言」は沖縄タイムス(五月三〜十一日)にも掲載された。
 高良らは、「私たちの願い」として、「沖縄が自らの過去・現在・未来に対して積極的な自己評価を与えること」「日本社会の一員としての自己の創造的役割を定義すること」「アジア太平洋地域の中でどのような役割を発揮できるか、その際の自己像を明確にすること」を掲げている。そして「つまり、沖縄そのもの、あるいは沖縄を取り巻くさまざまな環境や規定に対して自らのイニシアチブを積極的に発揮すべきだと考える」と要約している。
 「日本の中で沖縄が強い独自性を発揮する理由」として「歴史問題」があるとし、次の七点に要約する。
 (1)「琉球王国」という独自の前近代国家を形成したこと。
 (2)独自の文化を形成したこと。
 (3)日本本土から「差別」を受けたこと。
 (4)戦争で拭(ぬぐ)い難い被害を被ったこと。
 (5)「異民族統治」を受けたこと。
 (6)日本に復帰することを求めたこと。
 (7)基地負担の面で不公平であること。
 この七点を歴史問題として列挙した上で、「だが、私たち三人は、『歴史問題』を基盤とするこの『地域感情』を尊重しつつも、『歴史』に過度の説明責任を求めたがる論理とは一線を画している」「大事なことは、『歴史』に支配されたままでいることではなく、現在に生きる者としてその責任と主体に立脚して、『歴史』および未来にどう向かい合うかである」というのが結論である。
 高良は別のところで「被害者的な歴史観と沖縄の不安定な県民感情との結びつきは、日米安保体制に関する未来志向の議論を阻害しがちである」(昨年七月の「二十一世紀日本の構想」懇談会での問題提起)と、より直截(ちょくせつ)に言っている。「被害者的な歴史観」は日米安保のためにならないというわけだ。
 「『歴史問題』を基盤とするこの『地域感情』を沖縄だけの問題にするのではなく、それを日本全体のために、ひいてはアジア太平洋地域や世界のためにどう普遍化するか、その努力がわれわれ(沖縄県民)に求められている」というように、高良らはまず、「普遍化」というキーワードを提示する。これは゛沖縄のことだけにこだわらず、日本全体、アジア全体のことを考えなければならない゛ということが言いたいのだ。
 次に、基地問題について、「国際社会の一員としての日本の安全保障の在り方をどう考えるか」というテーマを出し、「大多数の国民は自衛隊の保持と安全保障体制を維持すべきだとの政策を支持している」のだから、「私たち三人は……沖縄のアメリカ軍基地の存在意義を認め」「沖縄はわが国の中で最も貢献度の高い地域として存在する、との認識を共有している」と言う。
 そこから、米軍基地の存在の是非を問うことに反対し、「その効果的な運用と住民生活の安定をいかに矛盾なく調整できるか」が問題なのだ、「運用のあり方を生活者の目線で厳しく点検する一方の当事者の役割を果たさなければならない」と続ける。
 結論として、「沖縄イニシアチブ」という「覚悟を持ったとき、沖縄は日本とアジア太平洋地域を結ぶ『知的な解決装置』としてレベルアップすることができる」と言うのである。

 「基地との共生」の積極的容認を狙う

 「沖縄イニシアチブ」論の第一の、最大の問題は、あれこれ理屈をつけながら沖縄米軍基地の役割が重大だと強調して「基地との共生」を押し出し、その「貢献度の高さ」を誇りにせよと言っていることである。
 高良は基地の被害のことばかり言うな、それをポジティブにとらえ返し、積極的、主体的に認めていこう、と言っているのだ。安保と基地の問題について、沖縄人民の価値観の転倒を迫っているのである。
 世界最大の軍隊の最強の侵略殴り込み部隊である米海兵隊、ベトナム人民三百万人を始め被抑圧民族人民大虐殺の米海兵隊が沖縄に展開していることが平和のためであるという転倒した議論を行っているのだ。しかも、沖縄米軍基地の有用性を強調しながら、その根拠を示すことはできない。
 これは、かつて一九九四年九月に防衛施設庁長官・宝珠山(ほうしゅやま)昇が言った「基地と共生せよ」という暴言と同じだ。
 宝珠山は、沖縄視察の際の記者会見で「沖縄はアジアの世界の中で戦略的にきわめて重要な位置にあることは歴史が証明している。戦略的な要地にはどうしても防衛施設、軍事施設というものは欠かせない。これは国家の要請だ」「これを逆に言うと、基地を提供するという非常にすぐれた位置にあるということだ。これをプラスに転じ、基地を受け入れて、基地と共存・共生する方向に変化してほしい」と発言した。宝珠山は沖縄人民の抗議の高まりの中で「撤回・陳謝」の表明に追い込まれた。
 これと同じ論理で基地の存在を容認し、基地と共生することを沖縄人が「進んで受け入れる」と表明するという形をとって、沖縄人民に強要しようとしているところに、高良提言の超反動性があるのだ。
 高良は、「安保の役割を評価する」「米軍基地の存在意義を認める」「安保の面で沖縄は最も貢献度の高い地域と認識する」と言い、いわば宝珠山暴言に沖縄から呼応している。それを「国家の要請にこたえる」という受動的な姿勢から転じて自ら積極的に担うとするのが、高良らの「沖縄イニシアチブ」論だ。
 しかし、これは帝国主義の支配に奴隷のように屈服することを、抵抗する感情を「克服」して積極的に推進すれば「沖縄イニシアチブ」が実現されるとする観念論的倒錯である。「主体性の発揮」のように見えるがまったくそうではない。沖縄県民に「当事者意識」を求めるとは、侵略戦争体制の積極的な担い手になれということだ。
 かつて沖縄は「戦略的要地だ」「国家的要請だ」として、沖縄戦を強要され、戦後の米軍支配を受け入れさせられてきた。沖縄人民は「二度と沖縄戦を繰り返させない」「戦争と隣り合わせの生活はごめんだ」として闘ってきたのである。この闘いを沖縄の中から引っ繰り返そうとするのが高良らの策動なのである。
 そしてその直接的な狙いは、名護新基地建設反対の名護市民を始めとする闘いを押しつぶし、受け入れを迫るところにあるのだ。
 「基地との共生」の結果が、あの九五年九・四の少女暴行事件だった。そして沖縄人民の島ぐるみの決起にもかかわらずまたしてもサミット直前の沖縄で七・三少女暴行未遂事件が発生した。九五年十・二一では八万五千人の集会で大田知事が「ひとりの少女の人間としての尊厳を守れなかったことを行政の責任者としておわびしたい」と発言した。今、高良らは稲嶺県政を支えるものとして、この発言に示される姿勢を逆転しようというのである。
 九五年九月以来の沖縄人民の反乱に一貫して「違和感」を表明してきた高良の行き着いた先が「基地との共生」なのである。

 「歴史問題の克服」とは?

 第二の問題は、「歴史問題の普遍化」というペテンを使って、沖縄人民の歴史観の転換を迫っていることだ。先の七点の「歴史問題」を踏まえるかのように押し出しながら、その「克服」と称して高良は「被害者的歴史観」の「克服」を叫んでいるのだ。それは、沖縄版「自由主義史観」とも言うべきものである。
 では、沖縄の歴史から学ぶべきものは何か。
 高良らは実に乱暴に沖縄の歴史を整理している。
 高良らの要約による(1)〜(3)は、独自の文化と歴史をもって歩んできた沖縄を明治政府が「琉球処分」によって統合し、皇民化教育により天皇制のもとに屈服を強いてきたことにあたる。ここには、日本帝国主義の確立過程において、外に向かってのアジア侵略・植民地支配ときびすを接して、内に向かって差別的・抑圧的に(国内植民地的に)沖縄を民族統一過程に引き込むということがあった。
 (4)の沖縄戦は、その原因、戦争そのもの、そしてその結果を総体として明らかにしなければならない。日本帝国主義は、朝鮮・中国|アジアに対する侵略と侵略戦争の末に、米英帝国主義との帝国主義間戦争に突入した。そして敗退を続け、最後に本土防衛の捨て石として沖縄戦を強要した。沖縄戦こそ、日帝と沖縄との差別・抑圧関係の最も凝縮した表現だった。
 ここで沖縄が「国体護持=天皇制護持」の防波堤になったという歴史は、一九四七年に天皇ヒロヒトが連合軍総司令官マッカーサーに書簡=「天皇メッセージ」を送り「沖縄を半永久的に占領すること」を申し入れるという形で戦後においても貫かれた。
 (5)戦後の米軍による分離軍事支配は、そのもとでの米軍犯罪、基地被害の多さによる直接的な苦難ばかりでなく、あらゆる生活の面での差別と抑圧を強めた。
 (6)沖縄人民は、米帝国主義の分離軍事支配の現実からの解放を「本土復帰」に求め闘いを強めていった。その要求は、ベトナム侵略戦争の拠点となった沖縄基地の撤去を同時に求めるものであった。ところが日帝は、この「本土復帰」を求める切実な声を逆手にとって、基地沖縄という現実そのものを「施政権返還」と引き換えに永遠化するペテン的な政策をとったのだ。
 (7)そしてその後二十八年間にわたる基地支配が続いた。そのもとで米海兵隊はイラク・中東侵略戦争を始め世界の戦争に派兵され、沖縄基地は米軍の東アジア十万人体制の最重要基地として維持され続けてきた。
 沖縄の歴史とはこのようなものである。それは、帝国主義の問題、天皇制の問題、アジア侵略と侵略戦争の問題として総括されなければならない。沖縄人民は、沖縄戦後も五十数年間にわたって戦争と隣り合わせの生活を強いられ、これと不断に闘い続けてきた。沖縄人民は、帝国主義と非和解的な関係なのである。
 ところが、高良らは、このような歴史体験に根ざした沖縄人民の怒りの深さに理解を示すかのようなポーズをとりつつ(高良は琉球史が専門)、それを「普遍的な言葉に置き換えろ」とすり換えを求める。要するにこの歴史にこだわる「被害者史観」を「克服」せよ、と言うわけである。

 ゛アジア侵略の砦゛へ意義づけ

 第三の問題は、沖縄の役割を「アジアと日本を結ぶ知的な解決装置」に据えていることである。
 これは、あたかもアジアとの結びつきを積極的に押し出すかのように見えて、実は日帝のアジア侵略の最前線基地として生きていくことを求めるものだ。
 「日本という国家的な枠組みを超えてアジア太平洋を視野に」と、開かれたものを強調する。彼らは一方で沖縄基地の現実を認めて、日本の中で積極的にそれを引き受けることを提唱しながら、つまり「日本という国家的な枠組み」に差別的にがんじがらめに縛りつけながら、他方で「枠組みを超えて」などと言う。まったくペテン師である。
 基地沖縄の現実をそのままにしておいて、「アジアと結ぶ」ことが果たして成り立つのか。そもそも戦後五十五年間、沖縄はアジアにとってどういう存在だったのか。
 戦後の沖縄は、アジアの民族解放闘争に対する侵略基地として、さらに対スターリン主義圏の軍事基地として、一貫してアジア人民を威嚇し続け、おびただしい犠牲を強制し、恐怖を与え、怒りと憎しみの対象となってきた。ベトナム侵略戦争ではB52戦略爆撃機の渡洋爆撃を始めとして最も重要な侵略出撃・補給・兵站(へいたん)の基地だった。そして今日、ガイドライン法成立のもとで沖縄はさらに重大な侵略拠点に位置づけられているのだ。
 まさに基地沖縄の現実を転覆することをとおしてこそアジア人民と結ぶことができるのであって、それ以外に「アジアと結ぶ」ことはできない。
 沖縄はアジアに向かって突き付けられた帝国主義の牙(きば)、侵略の矛である。それをいくら主観的にねじ曲げて「日本とアジアを結ぶ懸け橋」のようなものとして描こうとしても、それは日帝のアジア侵略を推進するものでしかない。

 沖縄人民の自決・自己決定権に敵対

 高良らの「提言」を「日琉初の国家運営共同参画宣言」(比嘉良彦沖縄県政策参与、沖縄タイムス六月六日付)などと美化する手合いがある。しかし、これは日帝の沖縄圧殺攻撃に「沖縄の中から」呼応し、協力するものである。高良らの「提言」は、本質的に沖縄サミット開催にかけた日帝の攻撃の一環なのである。
 「沖縄イニシアチブ」論はこのように徹底的に反動的、破産的なものである。「沖縄イニシアチブ」とか「主体性」とか言うが、日帝と沖縄人民との本質的な非和解性をみれば、日帝権力と対決することなしにイニシアチブも主体性もないことは明白である。日帝権力にすり寄ってそういうスローガンを掲げるところにペテン性がある。だから、絶対にそれは沖縄人民を獲得することはできない。
 高良らの「提言」は、沖縄人民のあまりにも正しい要求が安保の維持、日帝の体制維持と真っ向から非妥協的に対立していることに追い詰められていることの告白なのである。だから無理を承知で持ち出して、ごうごうたる怒りの声の前に立ち往生してしまうのだ。
 「琉球処分」、皇民化、沖縄戦、米帝への沖縄売り渡し(天皇メッセージ)、サンフランシスコ条約、返還協定から、SACO(沖縄に関する日米特別行動委員会)最終報告にいたるまで、これまで百年以上の歴史ですべて、沖縄人民の意思を踏みにじり、沖縄人民のあずかり知らないところで決められてきた。これに対して、自分たちの運命は自分たちで決める、という沖縄人民の「自決・自己決定権」を対置して人民は立ち上がっている。ここにこそ真の主体的な立場が示されているのである。
 沖縄に日米安保の矛盾と犠牲が集中しているということ、ここに徹底的にこだわり、沖縄闘争勝利をテコにして安保を粉砕し、日帝を打倒すること、すなわち「沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」をかちとることこそが、高良提言に対する正しい回答である。
 七月の沖縄サミット攻撃は、大戒厳体制とマスコミの総翼賛報道で米軍基地撤去の闘いを押しつぶそうとするものだったが、人民の嘉手納基地包囲の大闘争と反戦共同行動委員会を先頭とするサミット粉砕決戦の爆発によって、真っ向から打ち砕かれた。そしてこのサミット決戦は、同時に高良らの「提言」も粉砕したのである。
 高良は、七〇年代には、伊波普猷(いはふゆう)の研究を通じて、「事大主義=中央志向型の研究者や唯我独尊型のディレッタンティズムの風靡(ふうび)した沖縄」をのりこえることを提起していた(比屋根照夫、沖縄タイムス六月二十七日付)。「眼前の政治的現実とその打開の認識を沖縄の歴史につなげて理解する志向」(引用右同)というようなことも言っていた。高良はその立場を今や百八十度転回させ、事大主義を「イニシアチブ」と称して推進しているのだ。

 「反対運動が問題」とカクマルが擁護

 ファシスト・カクマルが反革命通信『解放』七月三十一日付号に掲載した「沖縄イニシアチブ論」についての二面分の長大駄文(伊是名昇論文)は全体としてまったく高良らの提言に対する批判になっていない。
 先にあげた高良らによる沖縄の歴史の七点の整理について、伊是名は「史的唯物論的かつ国家論的な把握とはまったく無縁」などと言って「批判」したつもりになっている。
 だがこれは帝国主義の側から問題提起している人間を「マルクス主義的ではない」と批判するもので、相手にとっては痛くもかゆくもない。藤岡信勝らの「自由主義史観」グループを「史的唯物論的ではない」と批判しても、藤岡は「そんなものは九一年の湾岸戦争とソ連崩壊できれいさっぱり捨てた」と言うだけだろう。それと同じことだ。
 「その時どきの国家権力の歴史的・階級的性格の転換(統治形態の転換)という区切りを抜きにして、『本土』と『沖縄』の関係を粗雑に『整理』(ならぬそれだが)したものでしかない」と言って高良らを「批判」するが、超歴史的・超階級的に論じているのはカクマルも同じだ。
 またカクマルは、「本土と沖縄」の関係を論じるのは「没社会科学的」と言うが、それは支配階級の「沖縄差別はない」論を「左翼的」に粉飾するものだ。
 カクマルは「統治形態の転換」という区切りが大事だと言って、結局「本質的にはブルジョア国家」だということを暗黙のうちに言い、「日本国家の中の沖縄」を前提にしている。つまり「七二年返還で沖縄問題は解決した」論であり、高良と共通の立場なのだ。
 沖縄と沖縄人民に対する日帝の歴史的な国家的差別という問題を抜きに、沖縄問題を論じられないことは言うまでもない。ところが、カクマルはそういうことを問題にするのは「没社会科学的」という一言で、インチキな形でそれを論じようとする高良を側面から援助しているのである。
 さらに、伊是名は結論部分で、批判の矛先を一転して大田前知事や反対運動の側に向ける。こういう御用学者が沖縄から生み出されたことは、「逆に言えば、最近の沖縄における反戦・反安保の闘いの危機を示している事態にほかならない」と。そして、一九九五年以来の闘いの高揚が、「沖縄の基地問題をたんに『沖縄に安保の負担を過重に押しつけている問題』として、すなわち『沖縄差別の問題』として取り上げ・問題にするという論調」が問題なのだ、「このような『沖縄の基地問題』についてのウチナー主義的なアプローチの限界につけこんで」高良らが「普遍的な言葉」を対置してくるのだ、と言うのである。
 要するに、伊是名は高良らを批判するかのようなふりをして、実は高良らと同様に「沖縄差別などを問題にするのはナンセンスだ。中国の脅威のあるかぎり日米安保は必要なんだ」と言いたいのだ。一九九五年以来の闘いを「ウチナー主義」の名のもとに総否定しようとしているのである。
 カクマルは、沖縄人民の反基地闘争の高揚が米軍基地の存続を危機にたたき込み、名護新基地建設をも阻んでいるからこそ、日帝が高良らを使って必死で攻撃をかけてきていることを否定し、まったく逆に沖縄の闘いは危機的で限界があると水を差しているのだ。
 カクマルは、今年最大の政治決戦のひとつであった沖縄サミット決戦への敵対を図って見事に破産した。
 彼らは今年六月にいたるまで、政治方針としてサミット闘争を打ち出すことができなかった。それどころか、「中核派のサミット粉砕闘争を粉砕する」ことが彼らの基本姿勢だった。
 それでは通用しなくなって四月に、まず沖縄カクマルが「地方的闘争」としてサミット闘争を言い出した。しかし、わが革共同が一年間にわたりサミット粉砕を鮮明に提起して粘り強く闘い、名護新基地反対の闘いと結合して情勢をつくっていったことに驚き慌て、最終局面で学生カクマルを全国動員することを決め、たった百人で、中核派と反戦共同の大隊列から逃げ回ることを自己目的化して動いたにすぎない。
 だから、彼らは沖縄人民の広範な決起と合流するなどという姿勢はまったくなく、またなぜサミット反対なのかさえ明らかでなく、ただただアリバイづくりのために右往左往したのだ。
 カクマルが左翼でも、闘う人民の味方でもないことは、沖縄の中であまねく知れ渡り、常識と化しつつある。「沖縄イニシアチブ論」とともにカクマルを今こそ完全に一掃し、沖縄闘争の爆発をかちとろう。 

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週刊『前進』(1972号5面2)

新刊紹介 コミューン10月号 特集・ファシズムの誕生

 ファシスト石原は、都知事の権力を使って自衛隊の治安出動訓練、労働運動の破壊、社会保障の解体、道徳教育の推進などの戦争政策を推進している。この情勢において、特集はファシズムとは何かを明らかにした。
 第一次世界大戦の渦中において、イタリアでは゛疑似革命゛の装いをとった参戦運動という反動的・反革命的な運動が生まれた。それが社会党からの転向分子ムッソリーニらのファシズムであった。第一章はこの点を明らかにしている。
 第二章では、゛赤い二年゛として爆発した労働者人民の戦後革命が挫折し、帝国主義の危機がプロレタリア革命として解決されない情勢において、ファシズムが農業経営者などの小ブルジョアジーを動員して民間反革命運動として登場する過程を描く。
 第三章では、農業労働者を圧倒的に結集した社会党の大拠点であったポー川流域一帯に対するファシストらの白色テロ襲撃と労働者人民の反撃という内戦の具体的様相を述べている。
 第四章では、白色テロ部隊を動員したファシストのローマ進軍とムッソリーニの政権奪取の綱渡り的な危機的性格を暴いている。
 ファシズム誕生の背景は帝国主義の世界戦争である。世界市場再分割のための、帝国主義間の死活をかけた死闘戦が一方で帝国主義打倒のロシア革命、他方では帝国主義延命のためのファシズムを生み出したのである。

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週刊『前進』(1972号6面1)

明文改憲と徴兵制復活狙う教育基本法改悪を阻止せよ
 教育改革国民会議「分科会報告」を批判する

 森首相の私的諮問機関である教育改革国民会議の三つの分科会が七月二十六日に審議の報告をまとめ、ついに教育基本法の改悪を正式に打ち出した。同会議は、分科会報告を受けて全体会を再開し、九月末には中間報告をまとめようとしている。教育改革−教育基本法改悪攻撃とは、事実上の明文改憲であり、戦時体制確立の攻撃の中核をなす一大攻撃だ。教育基本法改悪絶対阻止へ、全人民の一大政治闘争として闘おう。

 戦後的階級意識の根本的な転換図る

 教育改革国民会議の分科会審議報告の内容を結論的にまとめてみよう。
 第一分科会《人間性》では、教育基本法改悪を打ち出し、さらに「十八歳の国民全員の一年間の奉仕活動義務づけ」を打ち出した。第二分科会は《学校》と銘うって、教育労働者に対する極限的な管理強化と教員免許更新制を、第三分科会は《創造性》として、帝国主義間争闘戦に勝ち残るためのエリート教育の導入と、差別・選別教育の徹底を打ち出した。
 やはり攻撃の核心中の核心は、教育基本法改悪である。第二・第三分科会の報告の内容は、すでに各種審議会・研究会などの答申・報告で打ち出され、実施に移されようとしているものも含まれている(教員の顕彰制度や、「指導力不足教員」対策など)。しかし日帝にとって、戦後のさまざまな教育改革攻撃の中で、絶対突破できてこなかった根本問題こそ、教育基本法の解体なのである。
 教育基本法改悪とは、戦後の日本社会のあり方や戦後的な階級意識を根底からくつがえす一大攻撃である。そのため、国民会議報告として教育基本法改悪を打ち出し、繰り返し大宣伝し、「国民的な」世論形成をはかって、中央突破へ道を開こうとしている。
 元首相・中曽根康弘は、教育改革国民会議に関して「草の根からやっていかないと。国民を参加させ、一緒にやる国民運動が必要です」と語っている(一月七日付日本教育新聞)。小渕や森も繰り返し「国民運動」と言ってきた。
 日帝は、少年事件の多発や「学級崩壊」、不登校、いじめなど、あらゆるかたちで噴き出している矛盾について「元凶は教育基本法にある」と言って、教育基本法改悪の「草の根運動」を組織しようとしているのだ。
 これと全面的に対決して、教育基本法改悪絶対阻止の全人民的な闘いの爆発をなんとしてもかちとらなければならない。

 戦後憲法と一体の教育理念を全否定

 では各報告の内容を具体的に批判していきたい。
 まず第一に、教育基本法改悪である。
 第一分科会報告は、作家の曾野綾子による「日本を祖国として生を受け、その伝統を血流の中に受け」「共通の祖国を持つあなた達に希望し続ける」という、おぞましいまでの“血のイデオロギー″の言葉で始まる。
 そして教育基本法改悪について、「日本の教育のおかれた厳しい環境を考えたとき、教育の道しるべである教育基本法に触れることなく改革の議論を行うことはもはやできない。第一分科会としては教育基本法の改正が必要であるという意見が大勢を占めたと考えている」と宣言している。
 さらに「各条文に関係する意見」として、条文改悪の具体的内容に言及した。中でも重要なのが、前文と第一条、第一〇条だ。
 同報告は、「教育基本法前文及び第一条の規定では、個人や普遍的人類などが強調され過ぎ、国家や郷土、伝統、文化、家庭、自然の尊重などが抜け落ちている」と公言している。
 教育基本法は前文には「(日本国憲法の)理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである」と確認し、「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成」「普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育」と記されている。さらに第一条(教育の目的)には「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」とある。
 つまり、戦後憲法と一体の教育の理念・目的の全面解体が、教育基本法改悪の最大のテーマであるということなのだ。それに変わる教育の理念・目的とは、戦時中の愛国主義教育、「天皇のために生き、死ぬ国民」づくりのための教育の復活に他ならない。
 同報告に添付された各委員の意見において、勝田吉太郎(鈴鹿国際大学学長)は、「日本民族の『精神』が瀕死(ひんし)の状態。いまや衰亡の危機にある」と危機意識を叫びたて、さらに「戦後教育の場で、ナショナル・アイデンティティは見失われてしまう傾向にある。むしろそうなるのを助長する勢力も厳存する。そういう勢力は、愛国心をもって『悪徳』のごとくに扱い、『君が代』を弾かない、立たない、歌わないという『三ない主義』を唱導している。教育基本法をよりどころにして、反国家、反体制の教育がなされてきた」と言って、教育労働者の闘いを罵倒(ばとう)している。
 沈壽官(薩摩焼宗家十四代)は、「一部改正を論議するよりも、新教育基本法を国民の諒解と合意により制定すべきである」と、全面改定を求めている。
 さらに「各条文に関係する意見」では、「第一〇条の『教育は不当な支配に屈することなく……行われるべきである』という規定が過去に拡大解釈された経緯がある」と強弁して、その改悪を求めている。
 基本法第一〇条(教育行政)には、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである」と明記してある。
 戦後の日教組運動は、この第一〇条も盾として、教育の国家管理・国家支配に抗して闘ってきた。日帝の朝鮮・台湾植民地支配と中国−アジア侵略戦争を担った戦時体制が、教育勅語を頂点とした教育の国家支配・天皇制教育によって確立されていったことを繰り返さないと誓って、「教え子を再び戦場に送るな」を掲げて闘ってきたのだ。
 同報告は、この教育労働者の闘いをたたきつぶして教育の国家支配・国家管理の再現を狙い、“教師は国家の支配のもとで愛国心教育を行う聖職者であれ″と言っているのだ。

 奉仕活動の義務化は徴兵制復活の道

 第二に、第一分科会の報告は「満十八歳のすべての国民の奉仕活動の義務化」を打ち出した。まず小・中二週間、高校一カ月とし、将来は満十八歳のすべての国民に一年間の奉仕期間を設定するというものだ。
 同報告は奉仕活動の中身を「農作業や森林の整備、高齢者介護など」と記しているが、その本音が徴兵制の復活にあることは、委員の山折哲雄(京都造形芸術大学大学院長)の意見からも明らかだ。山折は「(教育基本法は)公的な社会秩序を形成するために献身することの重要性にはほとんど言及されていない。『献身』の意味は国家や社会に対する『犠牲』ということ」「『公への献身』『公のための犠牲』という考え方」と主張している。
 森首相も六月二十一日、大分で講演し、大学九月入学制に言及して「(高校卒業から大学入学までの)期間中にボランティア、自衛隊や警察、看護婦などの体験をやって人格(づくり)をしっかりやって、それから(進路を)決めたらいいと、教育改革国民会議に申し上げている」と述べた。
 第一分科会主査の森隆夫(お茶の水女子大学名誉教授)は、奉仕活動の義務化に関して「『いやだ』という人もいるかも知れないが、企業としてはそういう人は採用しないという意見もあった。奉仕活動をしない人は大学に入れないという制度があっても良い」(八月十三日付朝日新聞)とまで言い放っている。このような力ずくの強制で、奉仕活動を絶対的な義務としようとしているのだ。
 教育基本法改悪による愛国心教育の復活と一体で、徴兵制の復活が目指されていることを、徹底弾劾しなければならない。

 教員免許更新制と管理・支配強化

 第三に、第二分科会報告で、闘う教育労働者の排除を最大の核心とした教員の免許更新制の導入など、教育労働者に対する管理の極限的な強化を打ち出した。
 「教員の評価とフィードバック」として、「一生懸命やっている人や効果をあげている人」には「昇給、準管理職扱い、優秀教員を評価するなどの名誉」を与え、「効果的な授業や学校運営ができていない人」は「学校内での役割変更、転職、最終的には免職」「早期勧奨退職や一定年齢での昇給停止」とした。
 こうした「不適格教員」のレッテル貼りで、闘う教育労働者の排除・パージを定期的に可能とするシステムとして、教員の免許更新制度が確立されようとしているのである。
 この分科会報告を受けて文部省はただちに、公立校の「不適格教員」を学校から排除する制度の確立の方針を固め、教育公務員特例法や地方公務員法の改悪を来年の通常国会に提出する方針の検討に入っている。
 さらに校長の裁量権の拡大によって、教育労働者を校長による一元的な支配のもとにおくことも一体で狙われている。

 機会均等否定しエリート教育に

 第四に、第三分科会報告では、これまでとは次元を画する差別・選別教育、エリート教育を打ちだした。
 第三分科会の基本テーマは、「今後、我が国が必要とする人材をいかに育成するか」である。そもそもの問題設定が、国家のために有用な人材をいかに育成するかというものなのだ。
 そのもとで「@独創的、創造的な活動ができる人材の育成、A高い専門性と広い教養を備えた、社会の各分野でリーダーとなる人材の育成、B職業観、勤労観を備えた人材の育成」について論議を行い、義務教育の開始年齢の引き下げ、習熟度別学習制度、大学入学年齢制限の撤廃、大学三年からの大学院入学などを盛り込んでいる。
 いずれも、戦前の「複線型」教育の反省として始まった、「教育の機会均等」(教育基本法第三条)の立場による「単線型」教育・「平等主義的」教育を全面的に解体し、産官学の連携・協同のもとで、戦前型の差別・選別教育、エリート教育を制度として確立しようとするものだ。

 最先兵に石原の「心の東京革命」

 こうした日帝・森の教育改革攻撃の全面化と軌を一にして、八月十一日、東京都は「心の東京革命行動プラン」を打ちだした。これを受けて都教育委員会は「『心の東京革命』教育推進プラン」を策定した。
 石原は、十月に開催する「都民集会」をもって「心の東京革命」を本格的に始動させるとしており、ファシスト特有の「国民的運動」化を狙っている。
 ファシスト石原による「心の東京革命」こそ、日帝・森による教育改革−教育基本法改悪攻撃の反革命的な突撃路を切り開こうとしているものである。都の労働者を先頭に全面対決して闘わなければならない。

 教組つぶし許さず新潮流運動前進を

 以上見てきた日帝の教育改革−教育基本法改悪攻撃とは、戦後的な階級関係を根本的に転覆し、社会全体を戦時体制へと全面的に転換することをかけた攻撃である。とりわけ憲法改悪攻撃と一体のものであり、明文改憲への踏み込みそのものである。
 そうであるからこそ、日帝にとって教育基本法改悪を貫徹するうえで最大の障害になっているのは、教育労働者の闘いである。「日の丸・君が代」闘争を始め、職場支配権をめぐる攻防、教育労働者に対する管理強化と組織破壊攻撃のすべてが、教育基本法改悪を頂点とする教育改革攻撃の是非をかけた決戦課題となっているのである。
 日教組本部の「パートナー路線」をのりこえ、闘う教育労働者の新たな潮流を全国でつくりだし大前進させることこそ、最大の課題である。八・六ヒロシマ大行動に、広教組・広高教組を先頭に全国から結集した教育労働者が、教育改革攻撃粉砕・教育基本法改悪絶対阻止の闘いの先頭に立とう。そして十一月労働者集会への教育労働者の大結集をかちとろう。
 さらに日帝は、教育改革攻撃の決定的一環として、国立大学の独立行政法人化を狙っている。学生戦線は、教育改革粉砕・国立大学の独立行政法人化阻止の大衆闘争の先頭に立とう。
 戦争と大失業に抗するすべての労働者階級人民の一大政治闘争をたたきつけ、教育基本法改悪を絶対に阻止しよう。
〔大西 晶〕

《資料》教育改革国民会議分科会審議報告(骨子)

◆第一分科会
▽学校へ
・共同生活による奉仕活動などの義務化。まず小・中二週間、高校一カ月とし、将来的には満十八歳の全ての国民に一年間の奉仕期間を設定。
・小学校に「道徳」、中学校に「人間科」、高校に「人生科」を設ける。
▽広く社会へ
・マスコミなどの協力を得た国民的運動の推進。
▽教育基本法について
 教育の道しるべである教育基本法に触れることなく改革の議論を行うことはもはやできない。第一分科会としては教育基本法の改正が必要であるという意見が大勢を占めたと考えている。
◆第二分科会
▽学校のバージョンアップ
・評価とフィードバックにより授業や学級運営の改善をはかる。
・優秀な教員には金銭的処遇、準管理職扱いなどの人事上の措置、優秀教員の評価するなど。
・教員の資格向上のための研修参加、ネットワークなど専門知識の取得、企業などでの長期体験研修受講など。
・改善されない教員は、学校内での役割変更、転職、最終的には免職など。
・早期勧奨退職や一定年齢での昇給停止などの制度の利用。
・教員免許更新制の検討。
・学校の外部評価や第三者評価制度の導入。
・学校評議員制度の推進。
・校長の裁量権の拡大。
▽新しいタイプの公立学校(“コミュニティ・スクール″)の検討。
◆第三分科会
−−基本テーマ「今後、我が国が必要とする人材をいかに育成するか」
@独創的、創造的な活動ができる人材の育成
・五歳児の小学校入学を可能に。
・中高一貫教育校を全体の半分に増やす。
・高校での学習達成度試験の導入。
・大学入学年齢制限を撤廃する。
・大学の九月入学の推進。
・暫定入学制度の導入。
A社会の各分野でリーダーとなる人材の育成
・大学院は学部の三年からの進学を一般化。
・大学院を高度職業人養成型と研究者養成型に再編。
・修士を最短一年、博士を最短三年で取得可能に。
B職業観、勤労観を備えた人材の育成
・学校での職場体験学習の実施。
・職業教育の充実
・企業、団体、官庁等との連携。

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週刊『前進』(1972号6面2)

”野戦病院演習やめろ” 相模原補給廠に怒りのデモ

 「相模補給廠の北東部に五百四床の野戦病院施設を展開、米本国や韓国などから陸・海・空の三軍を合わせ、三百五十名以上の兵員を動員して行われる演習である。こんな野戦病院演習を必要とする有事とは一体、どんな事態なのか。……今回の演習では韓国からの負傷者の輸送も含まれるという。まさに朝鮮有事を想定しての演習なのである」(集会宣言)
 八月二十八日夕、神奈川県相模原市で「統合医療演習に抗議し、相模補給廠(しょう)の撤去を求める神奈川集会」が「原子力空母の母港化に反対し基地のない神奈川をめざす県央共闘会議」と神奈川平和運動センターの共催で開かれた。会場の鹿沼公園には県内から千三百人を超える労働者・市民が労働組合旗やのぼりを立てて集まり、「軍事演習メデックス二〇〇〇を即時中止せよ!」と怒りの声を上げた。
 「騒音ごめん/基地いらない」などと書かれた赤いゼッケンの第三次厚木爆音訴訟団、百万人署名運動神奈川県連絡会、そしてベトナム反戦闘争以来、相模補給廠との闘いの先頭に立ってきた西村綾子相模原市議と婦人民主クラブ全国協もともに参加した。
 反戦共同行動委は、神奈川労組交流センターや全学連を先頭に決起。集会参加者全員に「朝鮮・アジア侵略戦争のための野戦病院演習を許すな!」「九・三自衛隊三軍による治安出動演習を粉砕しよう!」と呼びかけた千枚を超えるビラをまききった。また八月二十六日の国労臨大での「四党合意」阻止の大勝利を伝えるビラには多くの労働者から共感の声が寄せられた。
 集会の冒頭、主催者あいさつに立った県央会議の鈴木保議長が、午後三時に矢部駅から演習会場の最寄りの東門へ抗議デモを行い、その場から英語で米兵に「演習をやめろ」「本国に帰れ」と訴えたことを報告。「昨日来の本格的演習実施という重大な流れに、『やめろ! 反基地!』を問うて、労働者の幸せのため、地域住民の幸せのためにこの運動を続けていく。韓国や本国からわざわざ軍人を連れてきて医療訓練をするとは、どう言い繕おうとも、冗談じゃない! ふざけんな! 怒りを込めて取り組んでいこう」と熱っぽく呼びかけた。
 続いて同じく主催者である神奈川平和運動センターの林貞三事務局長は、相模補給廠に対するベトナム戦争時の反対闘争などを紹介し、「メデックス二〇〇〇は、基地の恒久化を狙うものであり、やめさせなければならない」と訴えた。
 政党あいさつや、金子豊貴男相模原市議のスライドを使った状況説明があり、集会宣言を採択した。
 シュプレヒコール、団結ガンバローの後、デモに出発。二十四時間体制で実施されている野戦病院演習に対して補給廠西門前では怒りのシュプレヒコールがたたきつけられた。「軍事演習は直ちに中止せよ! 米軍は相模原から出ていけ! 横須賀十二号バース拡幅工事反対! 原子力空母の母港化反対! 厚木基地の騒音被害を許さないぞ! NLP強行実施反対!」の声が響いた。
 反基地闘争の破壊のためにのみ登場した学生カクマルは、「戦争への道を阻止しなければ」と集まった労働者・市民の決意とはまったくかけ離れたファシスト特有の反革命ビラをまこうとしたが、これは怒りの的となり、即刻、集会場から排除された。ファシスト石原とじゃれあい、九・三自衛隊首都治安演習粉砕闘争に真っ向から敵対するカクマルをJR総連もろとも打倒し前進しよう。

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週刊『前進』(1972号6面3)

「日の丸・君が代」と闘争つぶしの広島と国立の不当処分弾劾

 東京・国立

 事前説明も対象に 民間右翼の攻撃と一体
東京都教育委員会は八月十日、国立市の十七人の教職員の不当処分を決定した。三月の卒業式における「日の丸・君が代」闘争の大高揚に対するこの不当処分を徹底弾劾する。
 処分内容は、@国立第二小学校では、校長が屋上に「日の丸」を掲揚したことに対して校長室を訪れて抗議したこと、子どもに事前に説明したことや、また当日の子どもの言動を「教員の不適切な言動」によるとし、校長の信用を失墜させた行為にあたるとして六人を懲戒戒告処分。「ピースリボン」着用が「職務専念義務違反」にあたるとして七人を文書訓告処分。A国立第五小学校では、卒業式当日の抗議文の掲示、抗議ビラの配布をもって二人を懲戒戒告処分、二人を文書訓告処分とした。
 今年三〜四月、教育労働者、子ども、保護者、地域の労働者市民が連帯して、かつてなく広範な「日の丸・君が代」闘争が全国でかちとられた。法制化で一切の抵抗を一掃しようとした日帝の思惑はずたずたに切り裂かれ、まったく逆に「日の丸・君が代」問題が階級闘争の一大焦点として押し上げられた。
 この闘いに恐れをなした日帝・文部省は四月以降、民間右翼を先兵に、とりわけ「西の広島、東の国立」を掲げて、攻撃の最大のターゲットとしてきた。
 国立市ではこれまで、「日の丸・君が代」のない、子どもたちが主体的につくる卒業式が行われてきた。しかし今年は、卒業式の直前に突如校長が「日の丸」掲揚を打ち出した。卒業式前日まで職員会議で長時間にわたる議論が続き、国立二小・五小では、職員会議で結論が出ないまま卒業式当日を迎えた。にもかかわらず校長は当日早朝、校門に鍵をかけて教職員を締めだして、屋上に「日の丸」掲揚を強行した。この暴挙に、教職員、子ども、保護者が一緒になって抗議した。あまりにも当然の決起である。
 今回の処分の不当性、その重大なエスカレーションと、ファシストによる反動的大キャンペーンを徹底弾劾しなければならない。
 第一に、従来の処分からの大エスカレーションだということである。何よりも子どもへの事前説明、子どもの言動を「教員による不適切な言動」によるものとし、さらに「ピースリボン」着用と校長への抗議が処分の対象とされたことは前代未聞の暴挙である。
 第二に、当日の各人の具体的な行為とはまったく関係なく、組合の役員を狙い撃ちして処分した。
 第三に、本人への通知の前に、そればかりか教育委員会の処分決定前に、処分内容がマスコミ報道されたことである。
 国立については四月以来、産経新聞や月刊誌『正論』が校長の作成しただたらめな「報告書」を全文掲載し、「子どもが校長に土下座を要求した」というデマをエキセントリックに叫びたて大キャンペーンしてきた。右翼が車両デモを行い、学校への脅迫状送付などが繰り返された。
 今や都教委は、こうした右翼勢力と積極的に連携し反動を組織して、“外部勢力の干渉を排して自主的に決定する″という建て前をかなぐり捨て、教組攻撃をけしかけているのだ。
 第四に今回の不当処分は、ファシスト石原都知事が直接に指示し、強行した処分である。
 石原は七月五日の都議会本会議で、国立の卒業式について「教育の場にふさわしくないグロテスクな出来事」と言い放った。処分決定翌日の定例記者会見では「東京で起こった忌まわしい事件」と表現し、「教員という立場の常識を逸脱した行為」と非難し、また今後は「違法行為があれば、個人名を公表して懲戒処分をすべき」と表明した。今回の処分が、石原と石原が任命した教育委員の強い意向によってエスカレートしたことは明白だ。
 第五にこの不当処分は、翌日の八月十一日に東京都が打ち出した「心の東京革命行動プラン」と一体の攻撃である。石原が、教育基本法改悪・教育改革攻撃、教育労働運動つぶしを「心の東京革命」で率先しようとしていることを、徹底弾劾しなければならない。
 第六に、不当処分決定に続いて、さらに国立の教育の破壊が狙われている。
 東京都教育庁は、同庁内に「国立市立学校教育改善検討委員会」を設置し、国立市教委に「改善策」を提示することを決定した。「学習指導要領に基づいた学校教育の正常化を図っていく」として、全面的な介入と民主教育の破壊・制圧に乗りだそうとしている。
 学校の管理・運営の強化、組合活動規制をとおして、「日の丸・君が代」闘争をその基盤から破壊するための施策が打ち出されてくることは明白である。この攻撃と全面的に対決し、教組と教育労働運動を防衛し発展させていくことが、最大の課題である。
 広教組・広高教組に学び連帯し、処分撤回の大衆闘争をまきおこそう。「日の丸・君が代」闘争破壊と組合つぶし、反動キャンペーンに、全国の職場・地域で総反撃をたたきつけよう。

 広島・府中

 法も無視した弾圧 校長会が不服申し立て
 七月十四日、広島県辰野教育長は、今年四月の入学式で「国歌斉唱」を実施しなかった府中市の十二小学校と四中学校の校長に対し、市教育委員会の内申のないままの異例の処分を強行した。
 県教委が市立学校の校長を処分する場合、地方教育行政法による市教委の内申が必要である。四月以来、執拗(しつよう)に内申の提出を迫る辰野教育長に、府中市教委は「信頼を著しく損ねたとは、考えていない」「職務命令を出しておらず、内申は出せない」と毅然(きぜん)と内申を拒否し、辰野教育長は振り上げたこぶしが下ろせない状態に陥っていた。「国歌斉唱」を実施せず、内申の提出を拒否する府中市の校長・市教委の徹底抵抗に耐えきれず、ついに辰野教育長は、反動的決着に踏み切ったのだ。
 処分された校長で構成する府中市校長会は、「同和教育の進め方には、(「君が代」を差別と認めてきた)県教委の指導経過もある。職務命令も、内申もない処分は、法的に不当」と結束し、不服申し立てを行い、あくまで争う方針を明らかにした。広島の労働組合・民主的諸団体は、校長会の反撃を断固支持し、全力支援の態勢に入っており、広島をめぐる闘いは、新たな局面を迎えた。
 組合破壊、「日の丸・君が代」強制のための処分の乱発にとどまらず、人民の反撃に追いつめられた辰野教育長は、とりわけこの七月に入って、「不適格教員」の停職・退職処分を推進するための人事管理システム研の設置、職場の民主化を破壊する教務主任研修の強行、県同和教育推進協議会の解体−教育翼賛新組織のデッチあげ策動、過疎地域の高校募集停止=学問と文化を奪い地域を破壊する高校廃校など、闇雲(やみくも)に教育反動の攻撃を全面化させている。
 広教組・広高教組は、辰野反動教育行政との対決を貫き、不屈に闘い続けている。七月の日教組定期大会では、日教組本部のパートナー路線反対の修正案を断固提起し、多くの代議員の支持を得た。
 昨年に続く八・六ヒロシマ大行動、ヒロシマの熱い闘いは、広島の教育をめぐる攻防の本質が、「戦争推進の国家」対「再びヒロシマ・ナガサキ(オキナワ)をくり返すな」の「全人民の闘い」であることを全国に示し、二〇〇〇年後半戦の展望を切り開いた。
 「パンと平和」を求める人民の革命的大衆行動の組織化を進め、十一月労働者集会に全国の闘う労働者の総結集をかちとろう。
 (広島教育労働者 G・A)

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週刊『前進』(1972号7面1)

沖縄サミット粉砕の闘いに敵対し大破産したカクマル
 「米露激突」論で日帝・森を免罪

 七月沖縄サミット粉砕闘争は、沖縄人民との大合流のもとに戦闘的爆発をかちとり、日帝がサミット攻撃にかけた沖縄闘争圧殺のもくろみを打ち破り、名護新基地建設絶対阻止の闘いの展望を大きく切り開いた。この決戦の爆発はまた、日本階級闘争の基底的流動化、活性化に火をつけ、その地熱の高まりの中で、いま国鉄決戦が白熱的に闘い抜かれている。他方で、このサミット闘争の爆発に打ちのめされているのが、ファシスト・カクマルである。カクマルは七月サミットを前にして、反革命通信『解放』紙上で「『沖縄サミット粉砕決戦』などという方針は犯罪的」「中核派を根絶せよ」などと、露骨に日帝のサミット攻撃の先兵としての名のりをあげた。だが、カクマルの反革命的狙いは完膚なきまでに打ち破られ、沖縄闘争の永続的・非和解的発展の展望が大きく切り開かれた。日帝の侵略戦争の手先、沖縄人民の敵=カクマルを完全打倒し、「米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」の勝利の路線のもとに第三次安保・沖縄闘争の大爆発をかちとろう。
 中津次郎

 6月までサミットに沈黙し続けた『解放』

 記念写真闘争でアリバイ!

 サミット期間中にカクマルが沖縄でやったことと言えば、わずか百人にも満たない学生カクマルが細々とアリバイ的に行った「記念写真闘争」だけである。カクマルは、米軍基地の差別的な押しつけに対する沖縄人民の怒りと闘いの爆発を「ウチナー主義」とか「反安保の立場がない」などとののしり、敵対し続けてきた。このようなカクマルだからこそ、沖縄の闘う人民からは見向きもされず、完全に孤立していたのである。
 反革命通信の報道では、わずかばかりの学生しか写っていないデモの写真を一面に載せて、「海外に報道された」などと宣伝することでなんとか打撃感をごまかそうとしている。だが、全学連を先頭とする反戦共同行動委員会の大隊列と比べてみれば、カクマル隊列のみすぼらしさは、隠しようがない。
 七月二十日の嘉手納基地包囲闘争に関しても、二万七千百人が参加した事実には沈黙したまま、「断固として介入(!)した」などと、その反革命的心情を表明している。
 嘉手納基地包囲行動は、社・共的枠組みなど大きく超えて、全県民的な広がりをもって爆発した。この背景には、米軍基地に対する沖縄人民の抑えがたい怒りがあり、その怒りの爆発は日米安保を根底から揺さぶっている。カクマルは、この現実をなんとしても否定したいのである。だから、「社・共的限界」なるものをあげつらい、「反安保がない」などとマトはずれなケチつけをして、闘いの高揚に水をかけるためにのみ「介入」したのだ。
 だいたいカクマルは、日帝のサミット戒厳体制に真っ先に屈服した反革命である。今年の六月まで、沖縄サミットについてまったく闘争方針を出さず、沈黙し屈服してきたのだ。
 革共同は、昨年四月にサミット沖縄開催が決定されて以降、真っ先に「沖縄サミット粉砕」を掲げ、サミット粉砕決戦を二〇〇〇年三大決戦方針の柱に位置づけ、総力を挙げて闘いぬいた。この闘いこそが根底においてサミット戒厳体制を打ち破り、サミット決戦の爆発を切り開いたのだ。
 カクマルはサミット直前の六月になって、おずおずと「サミット粉砕」などと言い始めたが、それは、われわれと沖縄の闘う人民がこじ開けた政治空間、階級的力関係の上にのっかって泥棒猫のような「介入」をしたものに過ぎない。
 日帝権力は、サミット戒厳・翼賛体制に協力してきたカクマルを手厚く保護し、労働者人民の闘いに一層の敵対・破壊策動をけしかけたのである。

 「日帝の攻撃が貫徹」と宣伝

 実際、カクマルの「サミット闘争総括」は反革命そのものである。カクマルはこう言っている。「社共既成指導部の腐敗のゆえに、大々的な上からの『サミット歓迎』運動と新たなイデオロギー攻勢が一定程度貫徹されてしまったといわざるをえない」(『解放』八月十四日付、仙堂)
 この言辞が示すようにカクマルは、沖縄人民が権力の大弾圧を打ち破って決起し、本土や韓国−アジア人民との合流を実現し、今後の闘いへ一層の決意と情熱を燃やしているのとはまったく無縁、正反対の立場に立っているのだ。「日帝の攻撃が貫徹された」などというのは、日帝に初めから屈服し、闘争の破壊と反革命的「介入」だけを狙っているファシストのたわごとでしかない。

 反米愛国主義路線をいよいよ強める黒田

 そもそもカクマルの「サミット闘争」なるものは、反米愛国路線のそれであり、日帝・森政権をしり押しするものだった。
 「八・六国際反戦集会」の記事でカクマルはこう言っている。「九州・沖縄サミットにおいて、唯一わが全学連とたたかう労働者のみが、〈アメリカのNMD・TMDシステムの開発・配備阻止! 中国・ロシアの対抗的軍拡反対!〉を掲げてたたかいぬいた」(八月十四日付)と。

 日帝とは一切闘わない路線

 ここに端的に示されているように、カクマルのサミット総括の大半は、「米・露激突の舞台と化したサミット」「新東西冷戦の場となったサミット」という主張の押し出しである。こうすることでカクマルは、日帝がサミットにかけた戦争国家化の重大攻撃を免罪し、これとの対決から逃亡しているのである。カクマルは「サミット闘争」を、日帝とは絶対に闘わない「闘争」として位置づけていたということである。
 それは、カクマルの今日の基本路線に全面的に規定されている。つまり「中国・ロシア脅威論」をベースとした「新東西冷戦論」であり、自国帝国主義打倒の闘いを否定した反米愛国主義と、対中国・対ロシア排外主義の路線である。
 日帝・森政権について、カクマルはこう言う。
 「(森政権は)各国首脳の日本軽視・日本無視の姿勢にまたまた直面して、実にみじめきわまりない破綻をつきつけられた」
 「日本帝国主義としての明確な国家戦略を定めることができず……゛内憂外患゜に、日本国家としての著しい対応不能ぶりをさらけだしてしまっている」(同八月十四日付、仙堂。強調は引用者)
 このような批判は、階級的批判とはまったく無縁である。戦後史を画する日帝の戦争国家化攻撃を免罪し、帝国主義間争闘戦での日帝の劣勢に憤慨し、゛もっと、しっかりやれ゜と、ファシストの立場から森政権を突き上げているものでしかないからだ。
 日帝は、帝国主義である限り、不可避的に帝国主義戦争に突き進まざるをえない。現在進行している新安保ガイドラインを軸とする有事立法・改憲などの攻撃は、そこに向かっての歴史的な動きである。これに対してカクマルのように「日帝は国家戦略なし」とか「対応不能の森政権」などということは、こうした攻撃との対決がプロレタリアート人民の最重要の課題であることをあいまいにし、武装解除しようとする超反動的な対応である。
 カクマルは、レーニン帝国主義論を否定し、帝国主義の基本矛盾の爆発、帝国主義間争闘戦の激化を情勢分析の基底に据えることができない。だから、日帝の危機の大きさを真の意味で(帝国主義論的=階級的に)つかめない。それで、きわめて浅薄な「内憂外患」「対応不能」論でごまかしているのである。

 ゛『国粋主義』と言われようと゛

 カクマルが今日、ますます反米愛国主義の路線に突き進んでいることを示すものが、『解放』七月三日号に掲載された『黒田寛一初期セレクション』についての感想文である。カクマル中央はそこで「赤羽」なるカクマル分子に、「私が受けた衝撃」と題して次のように言わせている。
 「……そこには、『植民地化された日本民族の悲劇』と『戦争の悪魔に魂を売り渡した非日本人的な日本の支配階級』にたいする『怒髪天を衝く』ような民族的痛憤がみなぎっている。私がはじめて知ったのは、この時期(一九五四年頃)の黒田が、『民族解放闘争の戦士』として、『新しい祖国日本をうちたてんとする困難ではあるが輝かしいたたかい』を志向していたということである」
 「ヤンキー的グローバリズムに対する怒りと憤激と嫌悪に満ちた(黒田の)批判と弾劾。−−たとえ『国粋主義』とか『エスノ・オリエンタリズム』とかいう誹謗中傷が浴びせかけられようとも、『マルクス主義の日本的土着化』という確固たる信念にもとづいて進められている著者のこの現在的な思想的苦闘の原点」
 そして結論として、「著者の実践的パトスや思想的問題意識などを−−著者の立場に身を移し入れて−−丸ごとつかむ努力」をせよと、アジっているのだ。
 初期黒田の反米民族主義が、「克服すべき(された)限界」としてではなく、「これこそ黒田思想の原点」としてたたえられ、「たとえ国粋主義と誹謗中傷されても」擁護すべきものとして、カクマル内で今日的に扱われているのである。そこには反帝・反スターリン主義の確立の転換性は、完全に消し去られてしまっている。
 カクマルの「サミット闘争」は、この黒田の反米愛国主義、国粋主義、「怒髪天を衝くような民族的痛憤」を原点とする愛国的闘争そのものだった。
 これこそが、組合委員長室に「日の丸」を掲げるJR総連=松崎の「日の丸労働運動」など、今日のカクマルの理論と運動をすべて規定する原理となっているのだ。

 帝国主義を擁護する「中ロ脅威論」が本性

 沖縄差別=沖縄問題を抹殺

 カクマルは沖縄人民の闘いに真正面から敵対している。その第一の反革命性は「沖縄問題はない。沖縄差別はない」「沖縄差別などというのはウチナー主義だ」としていることである。これは、日帝による沖縄への差別的な基地集中・強化・固定化攻撃に屈服し、加担するものである。
 このことを端的に示すのが高良倉吉の「沖縄イニシアチブ」論にふれたカクマル伊是名論文(同七月三十一日付)だ。
 高良は、゛大事なことは沖縄の過去の「歴史」や「地域感情」に支配されたままでいることではなく、国際社会の一員として日本の安全保障をどうするのかを「普遍的な言葉」で語ることだ゜と言って、日米安保と沖縄基地を価値逆転的に再評価し、沖縄人民は侵略戦争の「当事者」たれ、としている。
 この高良を、伊是名は批判できていない。むしろ同調している。それもそのはずだ。帝国主義国における独特の民族問題としての沖縄問題、沖縄差別の問題が歴史的・現在的に継続していること、日帝の国策的・国家的沖縄差別政策の結果として沖縄基地問題があることを抹殺し、「〈新東西冷戦〉下の安保問題として考えよ」と言ってきたのはカクマル自身なのだから。
 だからカクマル伊是名は、高良を批判するかのようなポーズをとりながら、結論部分では一転して沖縄人民の闘いに非難の矛先を向け、゛高良につけこまれる沖縄闘争の「危機」「限界」゜などと言って憎悪をぶちまけている。
 カクマルは、「沖縄への米軍基地の差別的集中」という事実の指摘にかみついて、こう言う。
 「在沖米軍基地の再編・強化の攻撃も、あくまでも新ガイドラインにもとづく日米安保同盟の新たな次元での現実的強化……日米共同の侵略戦争遂行体制づくりの一環としておこなわれているのであって、もちろん本土の在日米軍基地や自衛隊の強化と直接一体のものである」(同六月十二日付、永田部)
 カクマルが言いたいことは、「沖縄に基地が集中するのは沖縄差別ではない。中国・ロシアの脅威に備える日米安保の軍事的必要からだ」ということである。
 これは帝国主義的地政学への屈服である。九四年九月に宝珠山防衛施設庁長官(当時)が、「沖縄は、アジアと世界の中で戦略的にきわめて重要な位置にある。戦略上の要地にはどうしても防衛施設、軍事施設は欠かせない。沖縄県民は基地と共生せよ」と発言して大問題となったが、それと同根の沖縄差別の帝国主義的発想である。さらにさかのぼれば、第二次大戦で日帝が本土と天皇制を防衛するために、沖縄を「捨て石」として沖縄戦を強要したのと同根の帝国主義的イデオロギーである。
 本土防衛のための沖縄戦−米軍の軍事占領−天皇メッセージによる米帝への売り渡し−米帝の分離軍事支配−核つきのペテン的七二年「返還」−米軍基地の沖縄への一層の集中という、日帝の歴史的な沖縄差別政策の継続こそが、沖縄への七五%もの米軍基地の集中をつくりだした。それは、本土の基地問題と同列に論じられるものではないし、ましてや沖縄の地理的位置などということで合理化できることでは、けっしてない。にもかかわらず、それを「差別ではない」と強弁するカクマルは、まさに日帝の沖縄差別の先兵だ。
 さらに、カクマルは「(日帝支配階級は)゛日米安保に突き刺さったトゲ゜と化した『沖縄問題』の権力者的解決をはかろうとしている」とか「『沖縄のわだかまりの払拭』をたくらむ森政権」(同七月十七日付トップ)などと言う。
 「沖縄問題」とは、カクマルには「トゲ」とか「わだかまり」以上の何の内容もないものなのだ。それもそのはずである。沖縄問題は七二年「返還」で「ブルジョア的解決」が完了しているものであり、「沖縄問題など存在しない」というのがカクマルの立場なのだから。
 にもかかわらず、九五年十月以来の現地の「新たな人民反乱」は、沖縄問題が解決するどころか、安保粉砕・日帝打倒まで終わることのない、日帝と沖縄人民との非和解的な対決点であることを突きつけてしまった。カクマルは、このことに綱領的・路線的破綻を宣告され、打撃を受けているのである。カクマルは「新たな人民反乱」に恐怖し、憎悪し、「わだかまりの払拭」や「権力者的解決」を望んでいるのである。
 サミット決戦の大勝利はカクマルのこの反革命的本質を暴き出してしまった。彼らが「左翼」の仮面をかぶり続けるためにアリバイ的にあがけばあがくほど、逆にカクマルの路線的破産が浮き彫りになるのだ。

 体制間矛盾論の焼き直し

 第二の反革命性は、「新東西冷戦論」である。
 「アメリカ帝国主義権力者が、『関与と拡大』の名において世界の各地で干渉政策と戦争放火に狂奔(ママ)しているのに対抗して、ロシアと中国の権力者どもも……政治的・軍事的結束を強めている。こうして今や、バルカン半島……朝鮮半島というように、世界のあらゆる地域において米−中・露の角逐がますます激烈化しつつあるのだ」(同八月七日付、久住)
 カクマルは、かつて七〇年代に大破産した「米ソ代理戦争論」のような反革命的主張をまたぞろ前面化させている。
 もともとカクマルの東西対立論=体制間矛盾論には、帝国主義とは何か、スターリン主義とは何かという規定がまったくない。〈帝国主義に屈服し、一国社会主義論をもって世界革命を裏切ったスターリン主義〉という本質的な規定ができていないから、スターリン主義を、底知れぬ力を持った一個の社会経済構成体のように描いてしまい、現代世界の危機と矛盾の第一の「起動力」であると大写しにしてしまう。
 そして帝国主義は、スターリン主義の脅威の前に、矛盾と対立を克服して同盟し団結するものとされ、スターリン主義の体制的確立で帝国主義戦争はなくなったとしてきたのだ。
 このカクマルの容帝反共主義の主張は、ソ連スターリン主義の崩壊と、それをも契機とする帝国主義間争闘戦の全面的激化で大破産したのであるが、カクマルはその理論的、綱領的破産を総括できず、今度は崩壊したソ連の代わりに中国(とロシア)をもってきて「新東西冷戦論」などと騒いでいるのだ。
 カクマルは、現代世界に関する見解をまともに打ち出すことができなくなっている。だから、帝国主義に屈服して一層危機を深める中国スターリン主義の崩壊=中国大乱情勢が、帝国主義の基本矛盾の全面的な爆発を引き出す世界戦争の火薬庫であるととらえることができず、「中国の世界制覇戦略」や「中ロの反米包囲網」なる「中ロ脅威論」を反共主義、排外主義的に叫んでいるのだ。
 カクマルは、新安保ガイドラインによる米帝の中国・朝鮮侵略戦争、それへの日帝の主体的参戦攻撃を擁護する日帝の先兵だ。

 JR総連=カクマル打倒せよ

 カクマルは今日、その反革命通信紙上で公然とJR総連を支持するに至った。JR総連を「産業報国会と化した『連合』の内部にあってなお、政府の戦争準備に反対して闘う組合であろうとしている」「反戦・平和・護憲の闘いをおし進めている」などと最大限に美化している。
 そのJR総連は、昨年「連合新政治方針への対案」という形で、「自衛権は独立国家の固有の権利である」という論理をもって、日本帝国主義の自衛権と自衛隊を完全に承認し、改憲にも賛成したのである。この問題へのわれわれの革命的批判に対して、カクマルは今日まで、まったく沈黙したままである。
 いま国鉄決戦の爆発の中で、動労カクマル=JR総連カクマルが十数年間、分割・民営化の先兵となって行ってきた階級的大罪への怒りが、闘う労働者の中にあらためて燃え上がっている。ファシスト労働運動=JR総連打倒へ、今こそ総決起するときだ。
 われわれは、これからますます現実化する「革命的情勢への急速な接近」という階級情勢の中で、プロレタリア革命闘争の勝利をかけて、カクマルを全人民的に包囲し追いつめ、完全に打倒・一掃していくであろう。ファシスト労働運動と対決し、「十一月」に向かって新潮流運動の大躍進をめざして闘いぬこう。

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週刊『前進』(1972号7面2)

機関紙拡大闘争に決起し闘う労働者党の大躍進を
 前進経営局

 後半決戦の柱に据えて

 今秋機関紙拡大闘争に総決起しよう。二〇〇〇年決戦の核心である党勢二倍化の成否は、今秋機関紙拡大闘争にかかっている。革命的情勢の急接近は、闘う労働者党の登場を待ったなしに求めている。二十一世紀への革命的展望は、今秋の機関紙拡大闘争にかかっているといって過言でない。
 機関紙拡大闘争の熱烈な推進によって十一月労働者集会の大成功をかちとろう。機関紙拡大闘争を熱烈に推進し、党勢二倍化をかちとることを後半決戦の柱に据えて闘いぬこう。
 今年前期、われわれは革命的情勢の急接近に対応して国労臨大決戦、沖縄サミット決戦、衆院選挙決戦の三大決戦を中心とする革命的大衆行動を実現した。
 この闘いは、帝国主義の侵略戦争=階級闘争絶滅の攻撃に対して、日共スターリン主義とカクマル=JR総連の反革命的敵対を粉砕し、階級的激突情勢をつくりだし、党的途上性の止揚をめざした渾身(こんしん)の決起であった。
 この闘いは巨大な情勢を切り開いている。革共同の綱領と戦略的総路線で総決起すること自身が、党建設そのものである。この闘いを自ら担いぬいた自信と感動は、ものすごい大きな力である。この確信をもって機関紙を拡大し、労働者階級に深く根を張った革命党の建設をやりぬこう。

 今年前期の機関紙活動

 前期機関紙活動は、三大決戦を同時的・一体的に闘いぬく中で行われた。かつてない極限的動員戦を担いつつ、機関紙を維持し拡大することは、きわめて厳しい闘いであった。われわれはこの厳しさを見据え、腹を据えて取り組み、そして勝利的に闘いぬいてきた。
 第一に、戦闘的大衆闘争に全力で取り組むとともに闘争の火点で機関紙拡大を実現し、増勢を堅持した。とりわけ、沖縄サミット決戦を牽引(けんいん)した学生戦線は、機関紙拡大闘争でも全党を牽引した。
 第二に、決戦的激闘による減部をもたらさないために意識的に取り組んだ。決戦期の最大の減部要因は〈配布の乱れ〉であるが、これと全国的に自覚的に取り組み、〈配布の乱れ〉による減部をゼロ化した。
 これは拡大闘争に匹敵する重要な勝利であった。先進的地区では配布協力者を生み出すなど、新たな試みを成功させた。党の直面する新たな困難は、新たな可能性を生み出すものだ。ここに、苦闘し、前進する党の姿がある。
 第三に、機関紙・誌を「良く読む」ことが進んだ。「読む」ことは党建設の要(かなめ)をなすものである。歴史的決戦を闘いぬく党と、それを生き生きと報道する紙面が、読者からもその周囲の人びとからも注目された。国労臨大決戦報道、沖縄サミット決戦報道などはものすごい注目を集めた。革命的大衆行動を組織する党と機関紙への期待と注目の高まりの中に、機関紙拡大と党勢拡大の道もある。
 この闘いを意識的・計画的に進めること、ここに後期の機関紙拡大の展望が示されている。

 党からの働きかけを

 二〇〇〇年前期の闘いは機関紙拡大、党勢拡大のかつてない可能性を切り開いた。これは、すべての同志が実感している。
 この可能性を現実の機関紙拡大に結実するものは、党からの働きかけである。これまで宣伝紙を渡していた人、バラ売りにとどまっていた人が定期購読を決断する、そういう時が来ている。
 機関紙拡大にとって最も大切なことは、労働者人民への日常的な働きかけである。多くの労働者人民が、党からの働きかけを待っているとも言える。だが、党からの働きかけなしには、けっして『前進』読者とはならず、党には結集しないのだ。この働きかけが実を結ぶまでには、粘り、根気、努力が必要である。
 今年前期の決戦を担いぬき、確信を深めたすべての同志がこの働きかけを始めるとき、機関紙活動の新たな発展期が確実に始まるのだ。
 二〇〇〇年三大決戦をともに闘ったすべての労働者人民に『前進』を薦めよう。十一月労働者集会の組織過程を、機関紙拡大・党勢拡大の一大組織決戦として闘いぬこう。
 そのために、第一に、党活動の軸に機関紙活動を据え、党の武装・意志一致のために、また、大衆運動の武器として最大限に使いきろう。
 第二に、すでに全組織で取り組みを開始しているように、十一月労働者集会に向けての取り組みの柱に機関紙拡大闘争を据え、具体的なオルグ方針を確定し、実践しよう。
 すべての同志は、今秋機関紙拡大闘争に総決起しよう。

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週刊『前進』(1972号8面1)

新訳・新編集版『ドイツ・イデオロギー』に大きな反響
 本来の姿で原典が復元 ”歴史的偉業に感動”

 『新訳ドイツ・イデオロギー』刊行の歴史的偉業に各方面からめざましい反響が巻き起こっている。七月の刊行からこれまで、わずかの間にたくさんの意見や感想が、現代文化研究所や新訳刊行委員会に寄せられている。このたび同研究所・同委員会のご厚意を得て、それらの一部をここに紹介します(抜粋は編集局の責任で行った)。生き生きとした内容がよみがえった『新訳ドイツ・イデオロギー』を読もう。ほんもののマルクス主義を原典から学び、身につけ、闘おう。

 多くの人民に読んでもらいたい 元60年安保闘争被告

 拝啓。『新訳ドイツ・イデオロギー』拝読(第一回)しました。よく考え抜かれた分かりやすい訳文で、今までわからなかった個所が理解できるようになりました。
 それでもなお悲しいかな理解できない部分(ピンと来ない部分)もあります。 交通形態はそのまま単純に生産関係におきかえられないとの指摘は卓見です。
 Aの冒頭部分の編集方法など、苦闘と成果のほどがうかがえます。
 ヘーゲル→青年ヘーゲル派→フォイエルバッハの思想的推移を概説していただいたのは大いに参考になりました。
 四十二年前、革命的左翼の創成のために巨大な典拠となった『ドイツ・イデオロギー』が今、当の左翼によって新訳として結実された意義は甚大です。多くの人民(とくに労働者、学生)に読んでもらいたいものです。今後も頑張って下さい。

 マルクス学も様変わりの可能性 大学教員 

 新訳ドイツ・イデオロギー、お贈りいただきまことにありがとうございます。
 廣松渉氏が翻訳の作業をしているときには、よく校正刷りなど見たことがありました。私は、いつか本格的なマルクス研究の時代が来ると思って、そのときヘーゲルについて正確に報告できる証人になろうと思ってヘーゲル学をはじめたのに、二階に上がって梯子(はしご)をとられた形になりました。
 ドイツでは旧西のヘーゲル研究者がマルクス研究に駆けつけるという形になっているようですが、どこの研究領域でも同時代文献の相互比較がすすんで、マルクス学もまだまだ様変わりする可能性を秘めていると思います。

 理論は大事だと改めて思ったデッチあげ爆取裁判被告 十亀弘史

 暑中お見舞い申し上げます。
 『新訳ドイツ・イデオロギー』すばらしいです! 訳文、構成、生き生きとしたダイナミズムがじかに伝わってきます。「あとがき」も見事だなあ、と感嘆しました。広く評価され、売れてほしいと強く思います。売らなければなりません。理論は本当に大事だ、と改めて思っています。
 猛暑のようです。理論の原野を「実践的唯物論者つまり共産主義者」として、遠く、広く、縦横に「走り回」られますよう、ご自愛下さい。

 文献学的に精緻な作業に感嘆 大学教員

 拝復。丁重なお便りに添え、ご丹誠の『新訳ドイツ・イデオロギー』ご恵贈たまわりまして、まことにありがとうございました。何よりもまず、積年の真摯(しんし)なご努力、弛(たゆ)まざる研鑽(けんさん)がこのような素晴らしい姿で公刊の運びとなりましたこと本当におめでとうございます。心からお祝いを申し上げたく存じます。
 早速、六十n近い懇切な「訳者あとがき」をむさぼるように読みました。専門外の小生がご高訳の内容を評価することはできませんが、改竄(かいざん)されたテキストからその原典本来の姿を復元されるための文献学的に精緻(せいち)な作業には、よくぞここまでと驚き、ただ感嘆のほかありませんでした。原典の復元はもともと非常に煩瑣(はんさ)で労多く功寡(すくな)いもので、多くの人々はなかなかやりたがりませんが、対象の本格的な研究には不可欠の基礎となります。本当によくぞここまでおやりになられたと心から感動しております。

 『共産党宣言』も注文します 社会思想史研究家

 『ドイツ・イデオロギー』新訳ありがとうございました。『共産党宣言』も既刊となっているので、書店経由で注文します。

 服部訳の問題を克服できるかも 大学教員 

 先日は『ドイツ・イデオロギー』新訳をお送り下さり、まことにありがとうございます。現在、知人が岩波文庫をやっていますが、服部訳、渋谷版にある問題を克服できるかもしれません。彼にも話をしておきました。

 新書版なら電車の中などで読む 元60年安保闘争被告

 懐かしき『ドイツ・イデオロギー』なる玉稿。感謝の至り。むかしの大判とはうってかわって新書版なら、いずれ電車の中などで読ませていただきましょう。

 貴所の業績を広く知らせたい マルクス主義研究家

 『新訳ドイツ・イデオロギー』をいただき、ありがたくお礼申します。いろいろご苦心のあとは、ゆっくり拝見いたします。
 一九九八年刊行のテレル・カーバーの書『ポストモダン・マルクス』に次の一句があります。
 「この未定稿(ドイツ・イデオロギー)は、最近の日本のオリジナルな業績のおかげで解釈しなおすことができるようになった」(原文は英語。編集局訳)
 廣松君の仕事を指すものでしょうが、貴所の業績をひろく知らせたいと願っています。

 哲学こそすべての学問の基礎 救援活動家

 ご労作をお送り下さってありがとうございました。今どき、こんな勉強をしようという若者が存在する、そのことに正直驚きました。
 大学の中で哲学科は、次々と姿を消し、私の友人もオーバードクターのまま、就職先もなくて、嘆いています。哲学こそすべての学問の基礎なのに。考える人間は要らないのでしょう。そんな時代だからこそ、私も、もっと生活的な次元ですが、若い人に゛考え方゜を伝えていきたいと希(ねが)っています。

 じっくり読ませていただきます 大学教員 

 このたびは『新訳ドイツ・イデオロギー』をご恵送下さり、感動とともに拝受しました。マルクス・エンゲルス全集をはじめ、かつてのマルクスの原典が、党派の利害、とくにスターリン主義支配のもとで著しく歪曲されていたことが明らかになりつつあるようですので、本書をはじめとする「マルクス主義原典ライブラリー」のお仕事は、まさに壮挙であると存じ上げます。他の経験からも、「通説」の表面的支配は当座は続くでしょうが、「原則」に立ち戻ることを追求することの強さは最終的に「通説」を粉砕することを確信しています。今回を契機に、じっくりと読ませていただきます。
 「連合」以来の労働運動主流の後退にともなう、日教組の「退廃」は目を覆わんばかりですが、国会での権力志向のみを強めている日共系の「全教」は日教組を下回る奈落に落ち込んでいるようです。教育学の世界でいえば、「緊張」を失った学者の哀れさをさらけ出しています。せめて研究に「緊張」感を維持しているものがマトモに見える(それ自体が学界での覇権獲得と知名度向上とをねらっているものなのですが)ような状況です。
 わずかに、四十代前半から三十代後半の若手に「市民主義的」左派志向が認められますが(「日の丸・君が代」反対闘争や少数派教育労働者組合闘争など)、教育学者の世界ではまだまだ「いまいち」です。私なぞが「怒れる老人」にならなければならないほどですから。

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週刊『前進』(1972号8面2)

連載 部落解放運動−その課題と展望
 第1回 部落差別とは何か
 身分的差別が厳然と存在 分断支配と搾取のテコ

 戦争と大失業の攻撃の深まりの中で三百万部落大衆への新たな差別攻撃が激化している。差別を許さず、部落解放をめざして闘うことは労働者階級の重要な課題だ。部落差別とは何か、解放運動の歴史から何を学ぶか、解放運動の今日的な課題と勝利の路線は何か−−などを追究していく。

 結婚・就職などで差別・排除

 部落問題、部落解放運動について考える場合に、まずもって重要なことは、三百万部落大衆が、いまなお身分的差別によって全人格的に差別・抑圧され、苦しめられているという事実にある。この厳然たる事実の認識と、それに対する階級的怒りこそ、その一切の出発点でなくてはならない。
 たしかに、現代社会においては、身分差別を規定する法律も、制度もない。しかし、部落民は、法や制度としての身分があるのと同じように差別されるのである。一般民との結婚が、封建制社会のように法や制度によって禁止されているわけではないのに、実際にはあらゆる社会的重圧によって妨害される。今日においてさえ、部落民であることを明らかにせずに結婚したことが、「誘拐罪」に問われる場合さえあるのだ。また、封建制社会のように、決められた職業以外には就いてはいけないという法も制度もない。しかし、就職の際には身元調査によって「部落民かどうか」が執拗(しつよう)に調べられ、排除される。
 このように、住んでいる地域と姓によって部落民かどうかを執拗に暴き、差別し、排除する社会の仕組みが厳然としてあるのだ。たとえ出身地域を隠しても興信所や「地名総鑑」などによって、どこまでも執拗に暴こうとするシステムさえ存在する。これこそ、まさに「身分」差別と同じ現実である。今なお、部落民を「血筋」や「出身」という、まさに身分とまったく同じ理由によって、あらゆる社会生活にわたってがんじがらめに縛りつけ、迫害する差別が厳然と存在しているのである。

 日帝の階級支配こそ差別の元凶

 このような封建制社会に固有の「身分」差別と同じものが、何ゆえに現代社会に存在するのか。これを解明することこそ部落解放運動の最大のテーマであった。
 日本共産党はこれに対して、「資本主義には身分差別などない。あったとしても残りかすだ。資本主義の発展によってなくなる」という客観主義的歴史観を主張し、「糾弾や同和対策は反動的だ」「かえって国民の反感を呼ぶ」「解放同盟は解散すべきだ」と、部落解放運動の存在そのものに敵対してきた。解放同盟・本部派もまた今日、この日本共産党の主張に完全に屈服し、「部落差別は幻想だ」とか、「ケガレ意識の問題」「人権水準の低さが問題だ」などと主張し始めている。しかしこれらの主張は、現に三百万部落民が日々、「身分」を理由として差別され、虫けら扱いされている現実を否定し、ごまかし、これとの闘いを否定する反動的俗論にほかならない。
 われわれは、このような反動的議論を粉砕し、帝国主義の社会における部落問題の厳然たる存在と、その解決に関する階級的視点をしっかりと確立しなくてはならない。
 部落解放同盟全国連合会(全国連)が二回大会(一九九三年)において明らかにしたように、三百万部落民が今日もなお封建社会の身分制度下の差別と同じように、部落民であることをもって差別され、「人間外の人間」であるかのように排除されるのは、帝国主義(資本主義)の階級支配にこそ、その根本原因があるのである。
 帝国主義の支配者階級はその階級支配を維持するために、部落差別(封建社会につくられた差別身分制度)を積極的に使って、労働者階級の中に分断を持ち込み、その階級的団結の解体、防止を図ってきた。こうした分断支配は、「日清戦争」以来の、日帝による恒常的な侵略戦争体制(城内平和)の構築にとっても不可欠な手段であった。
 それだけではない。帝国主義の支配者階級は、そうして排除された部落民からも徹底的に搾取し、収奪する手段として、部落差別を活用してきたのだ。部落民に対して、差別的な排除によって不安定就労に追いやり、低賃金で過酷、危険な労働条件を強制してきたのである。そして、そのために、法・制度(警察、裁判所、法務局などによる差別扱い)、政治(政府、行政による差別政策)、経済(資本による差別的な搾取と収奪)、思想・文化(マスコミや教育における差別)、社会(結婚差別、就職差別など)などの全社会機構を使って部落民をがんじがらめに縛りつけ、虫けら扱いする仕組みがつくられてきたのだ。
 これが、今なお部落差別が拡大・再生産される原因である。部落民は、三百万人のすべてが、貧乏人であるか金持ちであるかにかかわりなく、労働者であるか資本家であるかにかかわりなく、また赤ん坊から老人にいたるまで、この帝国主義の支配者階級と国家権力によって、「部落民であること」をもって、その丸ごとがあらゆる社会生活にわたって差別され、虫けら扱いされているのである。

 自己解放の主体としての部落民

 だからこそ、部落民に対する差別は、部分的な改良や、あるいは法的、制度的措置によって、あるいはまた「啓発」などによって解消するわけではない。部落民が人間としての解放をかちとるためには、帝国主義による階級支配を打倒し、廃絶しなくてはならないのである。
 この闘いは、三百万部落民の全員が主人公となった自己解放の闘いである。三百万部落民は、子どもから老人までその全員が、差別の撤廃を要求し、自らを解放し、帝国主義の階級支配を打ち倒していく、まさに自己解放の主体なのだ。だからこそ、差別糾弾闘争が部落解放運動のもっとも基本的な闘いとなるのである。
 しかし、部落差別の撤廃を要求していく闘いは労働者階級自身の歴史的責務でもあるのだ。労働者階級は、帝国主義による部落差別のもとで、部落民を差別し、迫害する直接の担い手にされている。そのことをとおして部落民を直接に苦しめるだけでなく、自らの人間性をも傷つけ、自らの階級的団結を破壊し、資本の奴隷の地位に落としこめられている。だからこそ、労働者階級は、差別撤廃の要求を自らの課題として担うことをとおして、真の階級的団結を回復し、自らを解放していく力をとりもどすことができるのである。      〔穂高岳志〕

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週刊『前進』(1972号8面3)

高田・根塚証言は”うそ” 神藤裁判最高裁に補充書

 八八年九・二一千葉県収用委員会会長せん滅戦闘デッチあげ裁判の弁護団は七月二十七日、最高裁第三小法廷に対し上告趣意書補充書を提出した。この補充書は、東京高裁第一二刑事部(松本時夫裁判長|当時)が九八年七月七日、神藤猛雄同志に対して下した逆転有罪判決を、あらためて徹底的に弾劾するものである。
 東京高裁は、裏切り者・正井利明を取り調べた高田憲一検事と警視庁公安刑事の根塚英樹が一審過程で証言した「正井が水嶋秀樹同志と神藤猛雄同志を写真特定した」なるデッチあげ証言を全面的に信用できると主観的に判断、無実の神藤同志を有罪と決めつけた。
 高田や根塚は東京高裁法廷で、警視庁の密室での取調べの内容、それも調書にもなっていないことを、正井が同席していないことをいいことに言いたい放題証言した。これがいかにデタラメな証言であるかは、正井自身が写真特定はしていないと証言していることからも明らかである。
 東京地裁は、当然にも神藤同志に対して無罪判決を下した。それを東京高裁はひっくり返したのだ。検事や警察官はうそをつかないなどということがどうして言えるのか。むしろ、この間の神奈川県警や新潟県警などの例で明らかなように警察や検察は平気でうそをつくところであることがはっきりしたではないか。
 東京高裁は、一審でその信用性を否定された高田・根塚証言を何の根拠も示さないまま「信用」した。何ということか。まったくもって許せない。
 今回、弁護団は上告趣意書補充書で東京高裁有罪判決の軸となっている高田・根塚証言がいかにデタラメであるかを特徴的事実をもって突きつけた。それは水嶋同志の写真について、高田と根塚の証言がいかにうそかということである。
 水嶋同志の写真について、正井は一審で次のように証言している。「合成してあるようなモンタージュのようでもあり、像がぼけてて、はっきりしない、よく分からない写真だ」
 写真特定できるような写真ではそもそもないのだ。ところが高田や根塚は「正井はこの写真は身体特徴を非常にはっきり示している。絶対間違いがないと言って特定した」と百八十度違う証言をしたのである。
 同じ写真を巡ってまったく正反対の証言になっている。正井は写真特定していないから、高田や根塚は、「正井は確信を持って特定した」などと強弁し続け、裁判所をだまそうとしたのだ。この一事をもってしても、高田や根塚が正井の写真特定なるありもしないことを捏造(ねつぞう)したことがはっきりする。
 東京高裁は、この捜査官の伝聞証言を唯一の根拠に神藤同志に有罪の判決を下した。それは三里塚での暫定滑走路建設攻撃に合わせた政治的判決である。絶対に粉砕だ。
 最高裁はこの東京高裁判決を破棄せよ。水嶋同志に対するデッチあげ指名手配を取り下げろ。神藤同志に無罪判決を出せ。

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