ZENSHIN 2000/08/28(No1970 p06)

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8・26臨大続開阻止、闘争団絶対防衛を
7・1の偉大な地平守りぬき国労再生へ歴史的蜂起貫こう
 東京地本は「警備動員」拒否せよ

 革共同中央労働者組織委員会

 闘争団と家族の皆さん。国労三万組合員と家族の皆さん。そして国鉄闘争を支援する多くの労働者の皆さん。八月二十六日に迫った国労の続開臨大に対して、革共同は党の責任と存在をかけて、続開臨大という階級的犯罪行為を弾劾し、その強行を絶対に阻止し、「四党合意」を徹底的に粉砕するために総決起することを固く誓い、ともに闘うことを訴えます。

 第1章 国労による「三度目の首切り」攻撃を許すな

 日帝権力、JR資本らとその先兵になり果てた国労本部、宮坂・チャレンジ一派、革同上村一派は、八・二六続開臨大で何を行おうとしているのか。
 風雪に耐え、血と汗にまみれながら闘い抜いてきた国労闘争団とその家族の十三年間のすべてを抹殺し、切り捨て、なんと国鉄労働組合の手による「三度目の首切り」を執行しようとしているのである。しかも、あの七・一臨大での闘争団と家族の命をかけた決起と血叫び、国労組合員の底の底からの怒りの訴えを踏みにじってである。
 七・一臨大強行の大罪を徹底的に居直り、あくまでも国労を無条件全面降伏の地獄に引きずりこもうとしているのである。
 こんなことがあってよいものか。恥ずべき反動的裏切り者によって、国労がこれ以上じゅうりんされてよいのか。これを許しておいて、国労に未来を託してきたすべての労働者が生きていくことができるのか。
 二〇〇〇年決戦において、日本労働者階級が苦悩と怒りと涙の中から切り開いた七・一臨大の自己解放的な偉大な歴史的地平を、少しでも汚し、一歩でも後退させることがあってはならない。
 七・一に決起した闘争団・家族、国労三万組合員、そして七・一に感動し、闘いの希望と勇気を見いだした幾百万の労働者に襲いかかる八・二六続開臨大の暴挙に対して、根源的怒りを爆発させなければならない。七・一をはるかに上回る一万人の力で逆に包囲し、続開臨大を絶対に阻止し、「四党合意」にトドメを刺し、本部総退陣、国労の再生をかちとろうではないか。
 今まさに戦争と恐慌、一大資本攻勢の嵐(あらし)が襲いかかる中で、この国労の変質・解体の攻撃は、階級的労働運動の絶滅攻撃としてある。八・二六は掛け値なしに、二十世紀から二十一世紀にかけての労働者階級の命運を決する階級決戦である。開始された蜂起は最後まで貫かなければならない。労働者魂をいかんなく発揮し、怯懦(きょうだ)を打ち捨てて総決起しよう。

 第2章 不屈の闘争団と共にJR本体の総決起を

 八・二六続開臨大阻止に向けて、闘争団と家族、国労組合員は、七・一決起に対する「暴力・暴徒キャンペーン」を全面的に打ち破り、不屈に決起している。
 そもそも、七・一は、日帝権力、JR連合、JR総連=カクマル、チャレンジ一派、革同上村一派などすべての反動勢力に決定的打撃を与えている。「四党合意」という日帝権力による一個の「国策」を、労働者の実力によって粉砕したことは偉大なことなのだ。労働者が自らの力で、誰にもわかる勝利をもぎりとったことは、本当に素晴らしいことなのだ。
 だからこそ、すさまじい大反動の嵐がまき起こった。七・三国労本部見解を頂点とする「暴力」「暴徒」「外部勢力」などという許しがたいキャンペーンは、闘争団をこの機に押しつぶし、国労からたたき出し、さらに中間左派的勢力の分裂や分断を持ち込もうとする、きわめて悪らつな意図をもっていたのだ。同時にこのキャンペーンこそ、追いつめられたチャレンジや上村革同らの底の浅いデマとペテンを示すものであった。
 「演壇占拠が暴力と破壊であるなら、戦後労働運動はすべて暴力と破壊の歴史ではないか」「四党合意こそ巨悪の暴力だ」という真理を突きつけるならば、たちどころにその邪悪な意図が暴かれ、権力へのぶざまな奴隷的屈服を暴かれるものなのだ。
 七・一の一大決起の戦闘的・自己解放的な力と声は、ついに「暴力」キャンペーンを打ち破り、国労三万と多数の労働者に勇気と確信をよみがえらせた。
 七月二十一日になってようやく八・二六続開臨大の開催を決定したことは、この極悪キャンペーンが破産し追いつめられた本部やチャレンジ、上村革同の醜悪な開き直りと不正義を暴くものでしかない。自らの不正義が暴かれることを恐れて、闘争団を「暴徒」や「破壊分子」として統制処分にかけることもできないのだ。彼らが唯一頼みとするのは、国家権力の暴力と「多数の巨悪の暴力」なのだ。どこまでも権力にすがり、「四党合意」=「JRに法的責任なし」を認め、国労を売り渡し、闘争団を切り捨て、しかる後に「暴徒」として除名処分でたたき出そうというのだ。
 あくまでも臨大続開を阻止することの中に、七・一に決起した闘争団と国労組合員の正義は貫かれるのだ。臨大続開阻止、「四党合意」完全粉砕の闘いの中に、戦後労働運動の大義と、国労の正義、階級的労働運動の再生がかかっているのだ。
 この勝利は、かくして階級闘争の歴史の金字塔としてさん然と輝いているのである。

 支援打ち切るチャレンジら

 さらに闘争団と家族は、闘争団の「糧道」を断つという卑劣な策動を断固はねのけて闘い抜いている。
 まずチャレンジ一派が機関を私物化する盛岡地本、長野地本などによる、国労運動史上、戦後労働運動史上に類例のない最も不正義で反労働者的所業を徹底的に断罪しなければならない。彼らは七・一の決起を理由として、闘争団の物販やDLR(傷病災害救援)基金を中止し、カンパをストップしたりしているのだ。はっきり言おう。「演壇占拠」は、国労の組合規約のどこをとっても統制処分にはならないが、闘争団支援を勝手に打ち切ることは、即刻、組合員資格停止に値する。 この暴挙は、単なるチャレンジや上村革同の脱線ややり過ぎではない。
 彼らは常々、闘争団は邪魔であり、一刻も早く切り捨てたいと腹の底から思っている。JR連合に合流し、国労の旗を引き下ろし、売り渡す機会を虎視眈々(こしたんたん)と狙っているのだ。追いつめられて、その本音を暴露したに過ぎないのだ。
 問題は、それにとどまらない。この事態は、「四党合意」を受け入れた瞬間から何が始まるかを先取りしているとも言える。
 そもそも七・一直後のJR連合大会での明石事務局長集約で、゛千四十七名問題を解決したら、ただちに国労の名称など、組織形態の変更を行え゜と言い放っていることと重ね合わせれば明白なのだ。「四党合意」を受け入れたら直ちに、組織形態の変更と称して、闘争団の解散、一切の支援の打ち切り、それに従わない場合は、闘争団員の除名、さらに国労の名称を変更してJR連合と合流していくということなのだ。
 また、革同上村一派はこのチャレンジ一派以上に闘争団の決起に悪罵(あくば)を投げつけ、闘争団切り捨ての意思をむき出しにしているのだ。(注1)
 七・一決起とその後の反動は、「四党合意」受諾が百パーセントの無条件降伏であり、「ゼロ回答」のままで闘争団を解体し切り捨て、国労を資本・権力に売り渡すものであることを、さらに徹底的に暴いているということである。
 闘争団と家族は、命にかえても「JRに法的責任なし」を認めず、七・一に決起し、さらにその後の大反動を打ち破り、一歩一歩力強く本部を追いつめ、八・二六臨大続開を阻止し、「四党合意」を最後的に葬り去ろうとしているのだ。

 「四党合意」は不当労働行為

 今、闘争団は、心からJR本体の組合員と合流して闘おうとしている。JR本体組合員が、これにこたえ、ともに決起することが今ほど求められている時はない。
 なぜなら、「四党合意」は、JR本体の国労組合員に襲いかかる大攻撃であるからだ。そもそも分割・民営化の際に、採用差別とともに配属差別を受け続けているのは、ベンディングを始めとする多くのJR本体の労働者である。さらに貨物労働者の耐えがたい賃金格差、あらゆる職場での日常的な昇進・昇格差別、数々の不当配転、合理化攻撃の嵐、そのすべてに無数の不当労働行為が貫かれている。
 JR本体の国労組合員と家族こそ、この十三年間、不当労働行為と闘い、生きてきたのだ。人間の誇りと尊厳を失わず、仲間を裏切らない絆(きずな)を固め、闘争団とともに日々の不当労働行為と闘うことをもって国労の団結を守り抜いてきた。不当労働行為弾劾の闘いこそ、地域の労働者との連帯を可能とし、広範な国鉄闘争支援の陣形をつくりあげてきたのだ。
 「JRに法的責任なし」を認めることは、そのすべてを失うことだ。そればかりか、闘う武器を投げ捨て敵にひざまづき、命乞いを強制されるのだ。労働者として人間として、どうして許すことができようか。
 チャレンジどもは、「JRに法的責任なし」を認めれば、労使関係が「正常化」され、昇進・昇格差別はなくなり賃金は上がる、というとんでもないウソを並べている。これは奴隷に甘言をたれる奴隷主の言葉に等しい。この大失業とリストラの時代に、闘わずして、どうして自らの生活を守ることができるのか。今こそ、JR本体の国労組合員は臨大続開会場に総結集すべきなのだ。

 第3章 酒田東京地本委員長は再び裏切るのか!

 国労本部は、七・一臨大で、このJR本体の国労組合員を「警備動員」に駆り立て、闘争団と敵対させた。このようにして組合員に分断と団結解体をもたらした。国労本部の道義のかけらもない続開臨大強行は、JR本体組合員に、さらに耐えがたい苦痛と恥辱を押しつける。
 七・一に続き八・二六において「警備動員」による団結解体をもたらそうとしている張本人こそ、中央本部とともに酒田東京地本委員長その人である。七・一において早朝からの臨大阻止行動にもかかわらず、臨大強行の裏切りを最後的にもたらしたのが、準備地本としての東京地本・酒田委員長である。この裏切りは、まさに万死に値する。
 さらに、「警備を増やせばよい」という東日本エリア本部・飯田委員長と談合・結託して臨大続開を最先頭で推進しているのである。
 この酒田委員長の反動的役割を断じて看過することはできない。続開臨大の強行は、準備地本の膨大な警備動員ぬきにありえない。そもそも東京地本が準備地本を拒否すれば、東京で開催することはできない。これをあろうことか積極的に推進するとは、もはやチャレンジ、上村革同と同罪であるばかりか、闘争団切り捨ての最先兵として断罪されなければならない。
 そして七・一の闘争団の命がけの決起を踏みにじりヌエ的態度で自分を高く売りつけようとする、この酒田委員長の「風見鶏」こそが、今や「最悪の裏切り者」に転化しようとしているのである。
 酒田委員長の立場は、実は最も積極的な臨大支持である。七・一の休会に打撃を受け、続開臨大を推進するものである。では、その酒田委員長の論拠は何か。
 それは゛臨大で「四党合意」を受け入れればよい。定期大会ではどうせ低い「解決案」が出てくるのだから、そこで否決すればよい゜というものである。これは八・四全国代表者会議で、チャレンジの吉田長野地本書記長の「四党合意を受けなければ国労は終わりだ。最終解決案は、全組合員の一票投票で」と、寸分違わない意見である。
 問題の核心は、チャレンジ吉田も酒田も、実際の「解決案」が「ゼロ回答」であることを知っているということだ。特にチャレンジ一派にとっては、「ゼロ回答」のままで「JRに法的責任なし」を認めて、これ以上闘う必要なしとして、闘争団に解散を迫る=切り捨てることこそがすべてなのだ。
 この間、「社民党渕上幹事長サイドから流されている」とされる運輸省の「解決案」なるものでは、「新規採用者が八十人程度、不採用の解決金が八十万円」と言われている。(注2)
 本部、宮坂・チャレンジ、上村革同らは、このまったくの「ゼロ回答」を「JRに法的責任なし」を認める前に出したら大反乱が起きてしまうことに恐怖して必死に隠しているに過ぎないのだ。だから、まず何としても「四党合意」で「JRに法的責任なし」を機関決定し、その機関決定をかざして闘争団を押しつぶし、切り捨てようというのだ。なんというだまし討ちか。
 東京地本・酒田委員長のように、臨大を推進し、「解決案」次第では「引き返せばよい」と称して「四党合意」をいったん受け入れることは、このチャレンジ一派や革同上村一派と、実際には同罪であるということだ。「現三役に闘争団切り捨てを絶対にやらせる」という点では酒田委員長と吉田らチャレンジ一派、反動革同は、同一行動であるといってよい。その違いは、せいぜい「一票投票」で「解決案」が否決できると思っているか思っていないか、である。
 あえて言えば、それも正確ではない。「和解路線」の名でここまで屈服を推進してきた責任、「国労ジリ貧論」でここまで敗北主義を蔓延(まんえん)させてきた責任は、完全に同罪なのだ。それは結局、闘争団の切り捨てと国労の自己解体に行き着くのである。
 酒田委員長はさらに裏切りを重ねるのか。東京地本の「警備動員」を自ら拒否せよ。
 そして東京地本の国労組合員に心から訴える。自らの信念と誇りをかけて「警備動員」を拒否し、逆に社会文化会館を包囲して、闘争団とともに闘おう。

 第4章 日本労働運動の未来のかかった大決戦へ

 八・二六は、日本労働運動の未来のかかった決戦である。七・一に「演壇占拠」にまで上りつめた闘争団を先頭とする国労組合員の決起を、ビデオなどで目の当たりにして、巨万の労働者は、抑えようのない感動と高揚感を覚えている。それはなぜか。そこに労働者の怒り、自己解放性、団結の力を見たからなのだ。この原点に立ち返って、明日から闘おう、自分の組合で団結を懸命に固めようと誓ったからなのだ。
 戦争と恐慌の情勢の深まりのもとで、大失業攻撃が激化している。二〇〇〇年春闘での賃下げ、そごう倒産−民事再生法適用を始めとする倒産攻撃、公務員労働者へのベアゼロ、賃下げ攻撃、「経済白書」や日経連の八月経営トップ・セミナーに見られる「IT(情報技術)」をもテコとした大リストラ攻撃などが労働者階級を襲っている。
 この中で、苦闘する一人ひとりの労働者たちが国鉄闘争の行く末に自らの命運をかけ、必死に闘おうとしている。これに日本労働運動全体が大きく揺さぶられ、新たな歴史的大流動と分岐を開始しているのだ。全労連や全労協の百数十万の労働者が国鉄決戦をめぐって激しく揺れ動き、自己の生死をかけた決起を開始している。連合傘下の八百万の労働者が連合の危機と破綻(はたん)のもとでこれに続こうとしている。八・二六の一万大結集の現実性は日々高まっているのである。
 そして、この巨万のうねりと闘う労働組合の新潮流運動の歴史的大合流が始まろうとしているのである。
 この二〇〇〇年十一月の新潮流運動の労働者集会を前にした日本階級闘争の重大な革命的転換にあたって、革共同は、国鉄決戦の全重量を受けて立ち、闘争団の絶対防衛と国労防衛の歴史的な党的責任を果たしきる主体として自己を完全に確立していかなければならない。
 プロレタリア自己解放の大地にしっかりと立ち、動労千葉との固い連帯と絆を打ち固め、動労千葉主催の八・二二集会から八・二六大決戦をもって、十一月労働者集会の血路を切り開かなければならない。
 今こそJR総連=カクマル打倒をかちとろう。階級的労働運動を防衛・再生し、闘う労働者の党を建設しよう。
 その一切の出発点が、八・二六続開臨大を阻止する総決起をかちとることである。闘争団・JR本体の国労組合員を先頭に、社会文化会館を包囲する一万労働者の決起をかちとろう。

【注1】革同上村一派の反動性を示す三好元教授発言
 革同上村一派が「四党合意」受諾の強行のために七・一臨大前に持ち上げていた「札幌闘争団討議資料」の筆者である三好宏一北海道教育大元教授は、最近、「演壇占拠は国労のウミが出たようなものだ。闘争団は国労の傷口にわいたウジだ」「中小の争議でも二〜三年でおかしくなっている。十四年もやっていると人格が崩壊する」などと、断じて許せぬ暴言を吐いている。

【注2】八十万円の「解決金」は「退職金割増」
 七月下旬から流布されている「怪文書」に記されている「解決金八十万円」について、八月七日の闘争団連絡会の幹事会で国労本部の宮坂書記長が、「九〇年三月三十一日の退職者と九〇年四月一日の解雇者との差額。これが八十万円と言われているもの」と説明したという。つまり、「四党合意」で言う「解決金」とは「退職金の割増」に過ぎないのだ。

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