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週刊『前進』(1967号1面2)
基地とサミットに怒り
米兵事件緊急抗議 県民大会に7千人
七月十五日夕、「米兵によるわいせつ事件糾弾及び連続する事件・事故に抗議する緊急県民総決起大会」が、宜野湾市海浜公園の野外劇場で開かれ、七千人が怒りに燃えて結集した。
「口先だけの綱紀粛正はもう聞きたくない」「何度繰り返すのか」||沖縄県民のこの深い怒りに、稲嶺知事はまともに答えようともせず、゛サミット前に米軍抗議の県民大会は好ましくない”と判断し、「各界各層を網羅した県民的な大会ではない」として出席を拒否した。県民の生命より米軍基地が大事なのか!
名護市辺野古の命を守る会は「ジュゴンの住む美(ちゅ)ら海にヘリ基地はいらない」という横断幕を広げ、真剣な面持ちで最前列に陣取った。
開会あいさつで、平和運動センターの仲宗根義一事務局長が「県はどこを向いているのか」と稲嶺県政を批判した。
大会実行委を構成する平和運動センター、統一連、県労連、平和市民連絡会、連合沖縄の五団体を代表して、玉城清連合沖縄会長が「米軍基地の現状にメスを入れない限り事件・事故の再発防止はできない」と訴えた。
壇上には、大田昌秀前知事や市村長、国会議員、県会議員などが多数並んだ。
最初に、女性代表として基地・軍隊を許さない行動する女たちの会共同代表の高里鈴代さんが「いつまでこの島は、このような恐怖とすさまじい暴力の島でなければならないのか。私たちは後ろには下がらない。軍隊を撤退させ、人間の島の回復に向かっていきましょう。新しい基地を許さない決意で、ともに取り組みましょう」と発言。
自治体首長を代表して親泊康晴那覇市長が、「再発防止には、その根源となっている米軍基地の整理・縮小、撤退を強く要求する方向で県民を結集しなければならない」と訴えた。
六月に当選を果たした東門美津子衆院議員は「基地との共生はごめんです。基地のない沖縄、基地を撤去するためにがんばろう」と訴え、島袋宗康参院議員、照屋寛徳参院議員も決意を述べた。
「子どもたちへ手渡していこう、それは沖縄の闘う誇り」と歌った喜納昌吉さんは、最後に「きょうは民主党さんも、社民党、自民党さんも来てますからね、次からは堂々と基地に反対して特措法を廃止にしてほしい」と一言鋭く要求。
@被害者とその家族および関係者に対する謝罪と誠意ある対応と行動、A米軍基地の整理・縮小の促進、B日米地位協定の抜本的な見直しを早急に図ることなど、四項目の要求を盛り込んだ「抗議・要求決議」を満場一致で確認した。
「団結がんばろう」の後、市民連絡会の金城睦代表世話人が閉会あいさつをし、「七千名の心はアメリカ軍に対する沖縄県民の叫びだ。沖縄からすべての基地を整理・縮小してほしい。沖縄に駐留するすべての兵隊をなくすことだ。あるアメリカの学者が、サミットのG8のGはギャングのGだと言った。コソボ紛争をし、チェチェン攻撃を加え、新ガイドラインや周辺事態法をつくって戦争の準備をしている人たちばかりだ。平和な沖縄、米軍犯罪のない沖縄をめざすわれわれは、世界に向かって沖縄が平和と連帯の中心地であることを堂々と示そう」と力強く訴えた。
沖縄労組交流センターと全学連沖縄現地行動隊、沖縄サミット粉砕決戦の先遣隊は総勢五十人で参加した。「七・二一サミット会場=部瀬名への大デモに立ち上がろう!」と呼びかけた沖縄労組交流センターのビラは、圧倒的な共感をもって受け止められた。
全学連は十六日那覇市内、十七日名護で街頭宣伝を貫徹した。
他方、カクマルは「サミット・フィーバーが演出されている」などと言い、沖縄人民の闘いが今やサミットを噴き飛ばす勢いで進んでいる中で、屈服し消耗しきった姿をさらけ出した。
「デモ禁止」と不当捜索弾劾
七月十七日、反戦共同行動委と沖縄労組交流センターは記者会見を行った。
サミット会場の部瀬名に向けたデモは、申請から約一カ月たっても、いまだ許可されていない。関西反戦共同行動委の仲宗根朝寿事務局次長が「実質的なデモ禁止攻撃だ」と弾劾。また、この日早朝の沖縄労組交流センターほか三カ所への不当な家宅捜索についても語気を強めて弾劾した。
同席した沖縄県反戦の代表は、度重なる家宅捜索と警察による二十四時間の尾行は「反戦反基地闘争に対する悪質きわまる妨害だ」と怒りを込めて訴えた。
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