ZENSHIN 2000/07/24(No1966 p06)

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週刊『前進』(1966号1面1)

 沖縄米軍基地撤去! 米兵の少女暴行未遂事件弾劾!

 サミット会場へデモで進撃を

 国労臨大の続開を絶対阻止し裏切り本部執行部の総退陣へ

 国労の精華=闘争団を守りぬこう

 沖縄サミットを目前に控えて、沖縄では人民の怒りが噴出している。七月三日未明、米兵が沖縄市の民家に侵入し寝ていた女子中学生に暴行未遂を働き、母親に気づかれ逮捕されるという事件が起きた。安全であるはずの自宅で起きたこの事件に沖縄全島に衝撃が走り、怒りが燃え広がっている。七月十五日には、大規模な抗議集会が行われる。九日には、米兵のひき逃げ事件も起きた。続発する米軍犯罪の根源は基地と戦争だ。サミット粉砕! 米軍基地撤去! 沖縄現地に大結集し、サミットを粉砕する戦闘的大デモを展開しよう。七・一国労臨大では、国労闘争団を先頭とする国労組合員の怒りが爆発し、「四党合意」の採決強行を粉砕した。この正義の闘いに対し国労本部は、「大会破壊の暴力行為」「暴徒」と罵倒(ばとう)し、あくまでも大会を続開し、「四党合意」を強行し、闘争団を切り捨てようとしている。断じて許せない! 続開大会絶対阻止、執行部総退陣を求めて全力で闘いぬこう。

 第1章 今こそ米軍基地を実力でたたき出せ

 米兵による女子中学生暴行未遂事件を聞いて、すべての沖縄県民が九五年九・四少女暴行事件を思い出した。沖縄人民は「基地がある限り、事件・事故は必ず起こる。二度とこのような悲しいことは絶対に起こさせない」ことを誓い、「自分たちの運命は自分たちで決める」「今度こそは沖縄の現実を変える」と主体的自己解放的な闘いを実現してきた。沖縄闘争の原点は「基地と沖縄人民は共存できない」ということだ。
 ところが、この事件に対して森は「政府がどうこうという話じゃない」と、沖縄人民はどうでもいいという発言を行った。
 今、沖縄人民の怒りは基地撤去に向かっている。沖縄サミットこそこの人民の基地撤去の闘いを踏みつぶすものだ。名護に最新鋭の海上ヘリ基地を建設するためのものだ。帝国主義強盗どもの戦争会議そのものである。
 米日帝の暴挙に対する怒りに震えて決起している沖縄人民と固く連帯し、在韓米軍基地撤去へと闘う朝鮮人民と連帯して、サミット粉砕の戦闘的大デモを爆発させよう。

 サミットでの激しい争闘戦

 七月八日、サミットの第一弾としてのG8蔵相会議が福岡で開かれた。蔵相会議では@IT(情報技術)革命、AIMF改革、B重債務国の債務帳消し問題などが話し合われた。
 とりわけITをめぐって米帝と日欧間の争闘戦が激烈に展開されている。「IT革命」なるものは、恐慌・大不況の危機にあえぐ帝国主義の経済を牽引(けんいん)するような次の革新的な戦略産業になるわけではない。「IT革命」なるもので米帝は経済安保戦略に沿って、軍事技術として持っていた通信情報技術を戦略的企業に放出し、相対的に有利な情報通信産業を国策的に育成してきた。企業の国際競争力においても他の帝国主義をたたきつぶし、米帝の一極支配を貫徹することを狙ったものである。十年遅れで「IT革命」を叫んでいる日帝などは問題にもならない。
 しかし、その米帝も「IT革命」による企業間電子商取引の拡大と外部調達の徹底化で、天文学的な貿易赤字・経常赤字を蓄積し、ドル危機・ドル暴落の危機を準備しており、バブル経済が崩壊すれば、「IT革命」の成果など一瞬のうちに吹き飛んでしまうようなものでしかない。
 また七月十二日からの外相会議は、中東和平会議を優先した米帝・オルブライト国務長官が欠席したまま宮崎で開かれた。
 外相会議では「地球規模の問題(紛争予防、軍縮・軍備管理、戦争犯罪、国連改革)」と「地域情勢」が主要な議題になった。日帝は地域情勢の焦点になっている朝鮮半島情勢について、北朝鮮の弾道ミサイルや日本人拉致(らち)疑惑問題を総括文書に盛り込み、朝鮮情勢への日帝の独自性を発揮しようとしたが問題にされなかった。

 NMDと第二のユーゴ爆撃

 「地域情勢」では、大半がユーゴスラビア情勢の討議に費やされ、ユーゴスラビアのミロシェビッチ体制の強権化への批判が行われた。これは、アジアと全世界での第二のユーゴスラビア侵略戦争の準備という意味を持っている。
 さらに、南北朝鮮首脳会談とNMD(米本土ミサイル防衛)構想が重要なテーマとして取り上げられた。
 米帝は、南北会談で「朝鮮の自主的平和的統一」がテーマとなり、在韓米軍の問題が会談の対象になったことに激怒し危機感をあらわにして、オルブライト国務長官を急きょ訪韓させ、強烈な制動をかけようとしている。
 米帝は、朝鮮・中国−アジアをめぐってその帝国主義的権益を守りぬくためには、あくまでも日帝の勢力圏化を阻止し、自分にもっとも都合のいいタイミングで、朝鮮・中国侵略戦争を遂行するつもりでいるのだ。米帝はそれをサミットでも強引に押し通そうとしている。そのために日帝を新ガイドライン体制に組み込んだのだ。
 米帝が恐れているのは、南北首脳会談を呼び水にして、人民的な南北分断打破・革命的統一の要求が爆発し、北の人民の決起も呼び起こし、革命的な情勢が引き起こされることだ。
 すでに韓国ではソウル近郊の梅香里(メヒャンリ)で、在韓米軍の爆撃機の爆弾投下で多数の農民が負傷し、労働者人民の在韓米軍撤去を要求する闘争が実力闘争として激しく展開されている。朝鮮人民の南北分断打破=革命的統一の闘いが、在韓米軍基地撤去の闘いを決定的な環として新たな高揚を開始している。
 米帝が総力をあげてNMD体制の全面的確立を追求しているのは、米帝のみが唯一の核攻撃のできる帝国主義超大国であって、他の帝国主義諸国やロシア、中国の核戦力は無力化しなければならないという恐るべき狙いを秘めている。これはもちろん、将来における日帝の核武装を絶対阻止することを含んでいる。サミットを直前に控えた七月八日、米帝はNMD実験を行い失敗に終わったが、米帝はあくまでも天文学的な金を投じてもNMDを推進しようとしているのだ。
 これに対して、ロシアと中国は自らの核ミサイルの無力化を図るNMDに反対し、ロシアのプーチンはサミットでこの問題を議題にするように強く求め、また、ドイツもフランスもNMDに反対している。
 議長国である日帝は、表向きはNMDに態度保留している。だが実際にはTMD(戦域ミサイル防衛網)を米帝と共同開発する路線を貫きつつ、NMDをめぐる対立と矛盾の中で、日帝の核武装化の道を探ろうとしているのだ。
 このようにサミットは経済においても、外交においても、帝国主義諸国が勢力圏をめぐって激しく争闘戦を展開し、昨年のケルン・サミットで追認したユーゴスラビア爆撃のような侵略戦争を展開するための戦争会議である。絶対粉砕しなければならない。
 こうした中で日帝は、新ガイドライン体制を確立するために沖縄サミットを利用して沖縄人民の闘いを徹底的に圧殺し、あくまでも名護に恒久的で巨大な米軍の新基地を建設しようとしている。それを沖縄人民の要求にこたえるものであるという形をとって押しつけようとしている。
 沖縄現地に総結集し、サミット会場に向けた世界にとどろく戦闘的大デモを爆発させ、日帝の反動的な意図を打ち砕こうではないか。「米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」という〈二つの連帯戦略と一つの打倒戦略〉の威力をここで全面的に発揮して闘おう。

 第2章 組合員を「暴徒」と呼ぶ執行部許すな

 七月一日、国労第六六回臨時全国大会の決戦は、国労史上、日本労働運動史上でも画期的な勝利としてかちとられた。闘争団を先頭とする国労組合員の十三年間のすべてをかけた決起が、国労中央、宮坂・チャレンジ一派、革同上村一派が狙った「四党合意」による闘争団切り捨ての一大暴挙を粉砕したのだ。
 これまで国労を支援してきた多くの戦闘的労組と労働者人民は、闘争団とその家族の決起に心の底から感動し、労働者階級の階級的な正義と団結の力強さを確信した。
 ところが、国労本部執行部は、これら闘争団と家族、国労組合員自身のやむにやまれぬ決起に対して悪罵の限りをつくしている。絶対に許せない。
 国労本部は七月三日付け「第六六回臨時全国大会と大会休止についての見解」で、なんと「中央執行委員会は、これらの一連の大会破壊の暴力行為に対し、非難するとともに憤りをもって抗議する」と表明した。
 闘争団と家族の決起に対するこれほどの悪意と憎悪をこめた言葉があろうか。闘争団のやむにやまれぬ正義の決起を、「一連の大会破壊の暴力行為」と罵倒しているのだ。
 闘争団と家族の「俺たちを切り捨てるのか」「私たちの人生を勝手に決めないで」「解雇撤回は一歩も譲れない」という叫びを、宮坂ら本部執行部はまったく無視し、踏みにじり公安刑事と機動隊を導入して弾圧し、「四党合意」を強行しようとした。
 この、国労本部から「三度目の首切り」を強制される暴挙を阻止するための闘争団と組合員の必死の゛演壇占拠”に対して、なんと本部は、「大会破壊者」「暴力行為」はては「暴徒」「暴力集団」呼ばわりしているのだ。しかし闘争団を切り捨て国労とその団結を破壊しているのは、本部そのものである。
 何が正義であり、何が不正義であるのか、問題は一点ここに絞られている。国労本部による「三度目の首切り」を許すのか、否か。闘争団と家族は最初は国鉄から、次にJRから、そして今度は自分の闘いの母体である国労本部からの首切りを受けることになる。こんなことが許せるのか。
 6面につづく〜1面からつづく
 一切の責任は臨大を強行し、闘争団を敵に売り渡そうとした本部にある!
 闘争団は、真の組合民主主義の復権と国労の再生をかけ、労働者の団結権をかけて自らの意思を表明し、国労本部が自ら破壊した労働組合の本来のあり方をよみがえらせようとしたのである。
 しかし許しがたいことに本部の「見解」は、闘争団と組合員を「大会破壊者」「暴力行為」と罵倒しつつ、他方で国労の解体を狙う政府・与党三党と社民党に対しては「深くお詫び」しているのだ。
 本部執行部が闘争団・家族、三万組合員の立場などまったく考えておらず、日帝・自民党、JRの立場に百パーセント立って、転向し、階級移行している存在であることをこれほど如実に示すものはない。
 見解は「中央執行委員会は、大会を成功させることの出来なかった責任を痛感しています。そして国労の各級機関と全組合員・家族に対し、組織に責任をもって態勢の立て直しのために全力を挙げる決意を明らかにします」と書いている。あくまでも続開大会を強行し、「四党合意」を押し通し、闘争団を切り捨て、国労を解体して連合に合流しようとしているのだ。
 闘争団には抗議されたり、弾劾されたりするようなことは何ひとつない。闘争団の闘いこそが、まったくの正義であり労働組合の真の姿だ。
 音威子府闘争団家族の発言(本紙前号掲載)は国労大会を圧倒した。会場は静まり返り、心からの感動に包まれた。労働者階級人民の自己解放性がほとばしる発言であった。この言葉、闘いこそが国労の魂だ。だからこそ、国労は分割・民営化攻撃をはねかえし、十三年間の闘争団の闘争を支えることができ、多くの労働者の支援を得ることができたのだ。
 闘争団の戦闘的エネルギーこそ、闘う国労のエネルギーの源泉である。ここに国労再生の力がある。これを踏みつぶしたら、国労は国労でなくなる。連合化されてしまう。
 闘争団と家族のやむにやまれぬ決起を誹謗(ひぼう)中傷する、労働者魂を失った国労本部の悪罵を徹底的に弾劾し、粉砕せよ。今、国労本部、宮坂・チャレンジと革同上村一派を弾劾し、闘争団の闘いを支持する声明と声が全国で続々と上がっている。反撃が開始されている。正義は百パーセント、闘う組合員と闘争団の側にある。
 八月五日にも策動されている続開大会は絶対阻止だ。執行部は総退陣せよ! 国労の精華=闘争団を守りぬこう。宮坂・チャレンジと革同上村一派を打倒し、闘う新執行部を確立するために猛然と決起しよう。

 第3章 2000年決戦の後半戦へ総進撃を

 日帝は、新ガイドライン関連法の強行以来、戦争国家化、戦争体制づくりの攻撃を全面化させてきた。
 こうした攻撃の先兵がファシスト石原である。石原は今年四月九日、朝鮮人・中国人に対する「三国人」などの差別暴言を吐き、排外主義扇動を行い、外国人が暴動を起こす可能性があるからという許しがたいデマをもって九・三自衛隊三軍の治安出動演習を打ち出した。
 自衛隊と米軍が二月十六日に行った「周辺事態」を想定した日米共同図上演習は、デマゴギッシュな「北朝鮮脅威論」と朝鮮人民への恐怖心を扇動するものだった。そこでは、朝鮮有事=「周辺事態」の際に、大量の難民が日本海沿岸に押し寄せ、その中に紛れ込んだ武装ゲリラが全国各地で原発や空港を占拠すると想定している。政府は武装ゲリラの正体が確認されないとして、自衛隊に防衛出動ではなく、治安出動を命じるというシナリオである。
 この新ガイドラインが想定する戦争シナリオの一環として、自衛隊の大規模な治安出動を、石原は全国に先駆けて九月三日に首都を制圧して実施しようとしているのだ。
 自衛隊三軍の治安出動段階とは事実上の首都戒厳令を意味し、戦争体制そのものであり、あらゆる人民の行動を規制し、無差別に弾圧するものである。そして在日朝鮮人・中国人、アジア人民への排外主義的テロルを扇動するものである。その先には、日帝と自衛隊の朝鮮・中国・アジア侵略戦争への突入があるのだ。絶対に粉砕しなければならない。
 今こそ、衆院選決戦の切り開いた歴史的な地平を引き継ぎ、沖縄サミット決戦をぶちぬこう。国労臨時大会決戦の勝利を何がなんでもかちとり、八・六広島−八・九長崎反戦反核闘争を闘いぬこう。そして九・三自衛隊三軍による首都戒厳令・治安出動演習を粉砕しよう。さらに十一月労働者集会の大結集へ向けて、二〇〇〇年決戦の後半戦を全力で闘いぬこう。
 党建設の闘いとして、夏期一時金カンパ闘争と機関紙拡大闘争に全力をあげよう。同時に七・三〇東京−八・五関西の東西革共同集会の大成功に向け闘いぬくことを熱烈に訴える。

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週刊『前進』(1966号1面2)

 東西革共同政治集会に大結集を

 (一)
 全国のすべての同志、闘う仲間の皆さん。『前進』読者、友人、知人の皆さん。革共同の政治集会(七月三十日東京、八月五日関西)へこぞって参加・結集されることを心より訴えます。
 今夏の革共同集会は、「恐慌・戦争・大失業に突き進む帝国主義の打倒へ、三〇年代的階級激突にかちぬく革命的労働者党を」と題する、革命的共産主義者同盟書記長・天田三紀夫同志の基調報告を中心に、二〇〇〇年三大決戦の前半戦を総括し、その巨大な勝利の地平を確認します。
 そして八・六広島−八・九長崎反戦反核闘争を闘い、九・三自衛隊首都治安出動演習粉砕へ、有事立法・改憲攻撃を始めとした戦争国家化、ガイドライン発動攻撃と対決し、さらに何よりも十一月労働者集会への五千人結集を今年最大の闘いとする、後半戦の勝利の路線と方針を打ち固める歴史的な場となります。

 (二)
 革共同は、今次衆院選決戦を、東京八区で長谷川英憲候補を押し立て、ファシスト石原伸晃を先兵とした自公政治、大政翼賛会的政治と全面対決する戦後最大の政治決戦として、闘うすべての仲間とともに全力で闘いぬき、国政初挑戦ながら二二、七九九という重い得票をかちとることができました。
 全国において自公保は大後退し、裏切りを深める日本共産党の「躍進」なるものにもストップがかかりました。今日の日帝危機の大きさ、その反革命攻撃の鋭さ、深さ、人民大衆のど真ん中からの怒りが湧出(ゆうしゅつ)する情勢が深く進行する中で、労働者人民・市民大衆が自ら立ち上がり、自ら切り開く力、そのエネルギーが歴史的に満ち満ちてきていることもはっきりと示されました。
 とりわけ、介護保険闘争の大衆的で戦闘的闘いが、区民住民大衆の主体的で自己解放的な決起として大きく前進したことで、いよいよ本格的な全国闘争としての展望をしっかりと握りしめることができました。革共同の歴史においても、既成野党に代わる新たな本格的な労働者党への飛躍を画する決定的闘いでした。

 (三)
 そして、この衆院選決戦と固く結合し、ともに進んだ国鉄決戦において歴史的な勝利がかちとられました。七月一日の国労臨時大会で、闘争団の切り捨てと国労の無条件全面降伏を迫る国労本部執行部に対し、闘争団を先頭とする国労組合員の十三年間のすべてをかけた闘いが爆発しました。国労中央の宮坂・チャレンジ一派、革同上村一派が狙った「四党合意」の大会での承認という一大暴挙を粉砕したのです。
 闘争団と家族の闘いを先頭にしたこの命がけの決起にこたえ、首切りと団結破壊の攻撃を打ち破る労働者階級の不抜の砦(とりで)として闘争団を守り、支え、続開大会を絶対阻止し、国労本部執行部総退陣、新たな闘う執行部の樹立をかちとりましょう。
 沖縄三区における東門美津子さんの当選=大勝利、沖縄闘争の新たな高揚、名護新基地建設阻止闘争の新たな爆発へ向かう沖縄人民の根底的で歴史的な怒りは、サミット「戒厳令」を打ち破る万余の戦闘的な大デモとして、沖縄サミットにかけた帝国主義強盗どもの狙いを粉々に打ち砕こうとしています。
 サミットはまさに、「戦争屋の談合会議」(知花昌一さん)です。二十一世紀を左右する沖縄サミット決戦の勝利へ、戦争会議=サミットの粉砕へ、革共同は闘う沖縄人民、闘うアジア人民との連帯をかけ、死力を尽くして闘いぬくことをきっぱりと表明します。

 (四)
 内外情勢は恐るべきスピードで展開し始めました。南北朝鮮首脳会談の開催と東アジアの戦後体制の大崩壊の始まりは、一方で帝国主義の朝鮮・中国侵略戦争の歴史的切迫をもたらし、他方で南朝鮮労働者人民の米軍基地撤去、南北分断打破=革命的統一を希求するほとばしるような闘いとして爆発し始めています。
 この南北朝鮮人民の闘いに連帯し、沖縄サミット粉砕の大闘争を引き継ぎ、八・六広島−八・九長崎反戦反核闘争を闘いぬき、石原都知事による九・三自衛隊三軍の首都治安演習を大衆的な闘いで阻止する一大決戦に立ち上がろう。
 そして今年前半戦の闘いで大激動化し、戦闘化と新しい潮流(指導部)を求めて胎動(たいどう)を始めた闘う労働組合、労働運動の大合流を十一月労働者集会で実現しましょう。
 すべての皆さん。二〇〇〇年決戦に勝利し、革共同とともに、革命への歴史の扉(とびら)を開け、二十一世紀への飛躍かけた挑戦を開始しましょう。東西革共同政治集会への大結集を呼びかけます。

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週刊『前進』(1966号2面1)

 「四党合意」粉砕!続開大会は中止せよ

 闘争団を「暴徒」とののしる執行部こそ国労の破壊者だ

 組合員裏切る本部は総退陣を

 七月一日の国労臨時大会で、闘争団を始めとする国労組合員は、「四党合意」とその受諾を強行しようとする国労本部への根源的な怒りを解き放って、渾身(こんしん)の決起を行った。国鉄分割・民営化から十三年、あらゆる辛苦をなめながら解雇撤回・地元JR復帰を求めて不屈の闘いを貫いてきた闘争団が、こともあろうに国労本部から「三度目の首切り」を強いられようとしていたのだ。これに対する闘争団の怒りの決起は、やむにやまれぬ正義の闘いであった。われわれは、この闘いを心の底から支持することを表明する。だが今日、国労本部とそれに連なるチャレンジ一派、革同上村派は、闘争団への敵意と憎悪をむき出しにした「見解」や「声明」なるものを、機関を私物化して乱発している。今や敵への投降者、裏切り者に変質した彼らは、闘争団とその闘いを「暴徒」「大会破壊の暴力行為」などと罵倒(ばとう)し、闘争団の血叫びを押しつぶそうとたくらんでいる。この一大反動を打ち破り、七・一を上回る底の底からの決起で、「四党合意」受け入れ強行のための続開大会を絶対に阻止すべきことを訴える。

 第1章 闘争団の切り捨てにやむにやまれぬ決起

 臨大の会場で、闘争団の家族は「どうして本部は闘いを放棄するんですか! なぜコブシを下ろそうとするんですか。無責任に私たちの人生を勝手に決めないで下さい!」と怒りを込めて訴えた。それは、十四年にわたる闘いのすべてが、「四党合意」によって踏みにじられ、国労からさえ見捨てられようとしていることへの、悲痛な告発であり、糾弾であった。ここには、全闘争団員の思いが凝縮されていた。大会に駆けつけた圧倒的多数の国労組合員は、目に涙を浮かべてこの訴えに聞き入った。
 だが、国労本部とチャレンジ一派、革同上村派の代議員だけが、闘争団家族の心の底からの叫びに耳を閉ざした。本部は、集約ならざる「書記長集約」を強行し、本部方針の「拍手採決」へと突き進もうとしたのである。
 仲間を信じるからこそ国労にとどまり、国労方針のもとに闘ってJR採用を拒否され、以来十四年にわたって国労の最先頭で闘いを貫いてきた闘争団が、国労本部によって切り捨てられようとしたその瞬間、闘争団は抑えることのできない怒りに突き動かされて演壇に殺到した。本部は、闘争団の怒りに震え上がり、われ先に演壇から逃亡した。こうして、方針案の採決は阻止され、大会は「休会」に追い込まれたのである。
 七月一日に起こった事態は、こういうことだった。闘争団の行動は、やむにやまれぬ正義の決起であった。事態は、起こるべくして起きたのだ。
 臨大におけるこの行動は、国労本部の裏切りに次ぐ裏切りにもかかわらず、闘争団を始めとする国労組合員の中には゛闘う国労”の誇るべき伝統が脈々と受け継がれていることを示したのである。国労の階級的再生を求める組合員の戦闘的なエネルギーは、七・一臨大を決戦的に闘い抜く中で、ついにその出口を探り当てた。国労を自ら破壊する本部に抗して、国労の闘う団結はまさにぎりぎりのところで守られたのだ。闘争団の決起は、JR本体の組合員の魂を揺り動かし、国労三万組合員が固く団結して進むべき道を明々と指し示している。
 この闘いは一点の曇りもなく正義である。資本・権力の抑圧と闘い、自らの解放を求める労働者階級の一員であるならば、闘争団のこの闘いに希望を見いだしこそすれ、それを非難する者など一人もいない。
 この間の国労本部の転向と裏切りに心を痛め、憤り、国労の行く末を固唾(かたず)をのんで見守っていた多くの支援も、七・一臨大において発揮された闘争団と国労組合員の比類のない戦闘性に、あらためて勇気を与えられ、激励されているのである。

 第2章 労働者魂を失い敵の陣営に移行した本部

 ところが、チャレンジ一派や革同上村派は、闘争団のこの闘いにあらん限りの悪罵を投げつけている。七月三日に、国労中央執行委員会の名で「第六六回臨時全国大会と大会休会についての見解」(抜粋を別掲)なる文書が出されたのを皮切りに、チャレンジ一派と革同上村派は、彼らが牛耳るエリア本部、地方本部の名をかたって次々と「見解」「声明」なるものを乱発している。
 それらは皆、十四年にわたる闘争団の苦闘をせせら笑い、足蹴にするものだ。彼らはもはや労働者魂の一片すら失っている。その反動的言動の一端を怒りを込めて暴露する。
 「支援を装った妨害勢力と一部闘争団組合員による大会会場の壇上の破壊と占拠という暴力」「この暴挙ともいえる『壇上占拠』に北海道内の幾つかの闘争団が加わったことは極めて遺憾」「大会での『壇上乱入・器物の破損・占拠』の行為を直接民主主義の行為として正当化することは言語道断と言わざるを得ません」(北海道エリア本部)
 「今回の一部の闘争団の採った行動はどのように思料しても『不義』であり、『上京闘争団ニュースbV』の訴えに共鳴できる要素は一筋もない」「『大会破壊の暴力行為者』等を『一緒に闘ってくれる多くの仲間』としていることに懐疑と危険な先行き、おぞましさすら感じる」(盛岡地本)
 「一部の暴徒と化した者たちが、演壇や議長席の机や椅子を破壊し、暴力によって会場を占拠する暴挙にでた。これらの暴徒の中に、一部ではあるが残念ながら組合員・闘争団員が加わっていた」「闘争団と一体となって闘ってきた十三年間を裏切られた思いを禁じ得ない」(東海エリア本部)
 これらの文書はいずれも、どこからともなく現れた国労組合員ではない「暴徒」が大会を破壊したなどとうそいぶいている。このわけの分からない言い方に、「暴徒」だの「暴力行為」だのというのは、百パーセントのデッチあげであることが示されている。
 そして、この「暴徒」の一部に闘争団が加わっていたなどというデタラメなへ理屈で、攻撃の矛先の一切を闘争団に向けているのである。
 チャレンジと革同上村派は、「四党合意」受け入れの反動的思惑を粉砕されて度を失い、あからさまに闘争団を「暴徒」と絶叫し始めた。闘争団とその家族を踏みにじり、その人生を全面否定する国労本部への怒りがたたきつけられた瞬間に、「闘争団はじゃまだ。一刻も早く切り捨てたい」という反動的本音が完全にむき出しになったのだ。
 正義はいったいどちらにあったのか。闘争団を切り捨てるために暴力的に臨大を強行したのは誰か。組合民主主義を否定し、国労の団結を破壊したのは誰か。闘争団の人生をかけた闘いに敵対し、妨害しているのは誰か。答えはあまりにも明白だ。
 七月一日の十三時間にわたる激闘を、渾身の力で闘い抜いた闘争団と国労組合員にとって、真実は自らの体と心に深く刻み込まれている。あの闘いに闘争団と国労組合員を駆り立てた、ほとばしるような思い、怒りの中にこそ、正義が宿っていたのである。
 臨大会場を圧した闘争団とその家族の血叫びは、チャレンジと革同上村派にとっては「雑音」でしかなかったのだ。なんとおぞましいことか! もはや彼らは、首を切られた仲間の怒りと苦しみを共有し、ともに闘うという労働者の階級的感性を、最後の一片に至るまで失った。
 しかも、チャレンジ一派や革同上村派が乱発する「声明」や「見解」は、断じて三万国労組合員の声を反映したものではない。チャレンジと革同上村派は完全に階級移行した。彼らは、国労の団結を崩壊の淵(ふち)にまで追い詰めた自らの責任を闘争団になすりつけ、自己の悪行を免罪して、醜悪きわまる自己保身を図るために、中央本部を始めエリアなどの機関を徹底的に私物化して、「暴力」キャンペーンを張っているのである。

 組合員の正当な権利行使だ

 そもそも、「演壇占拠」は最も国労らしい、誇るべき闘いであったと断言するべきである。組合員を「暴徒」だの「破壊者」だのと金切り声で罵倒するのは、五十年をこえる歴史を有する国労の幹部としてあまりにも見苦しいことではないのか。戦後労働運動の歴史の中には、執行部の理不尽な方針や組合民主主義を踏みにじる組織運営に対して、組合員が「演壇占拠」に訴えた例はいくらでもある。それは組合員の当然の権利行使であり、組合民主主義の一環をなしている。そんなことは労働運動の常識だ。国労幹部ともあろうものが、それを知らないはずがない。
 国労自身の歴史をひもといて見よ。修善寺大会に至る過程では、「大胆な妥協」を唱える山崎執行部に対して、人材活用センターに送られた組合員を中心に中央闘争委員会の会場を占拠して「労使共同宣言」の締結を粉砕した。修善寺大会直後も、鉄産労への分裂策動に対して、各地方大会では「演壇占拠」を含む激しい攻防が貫かれた。これこそが、分割・民営化の嵐のような攻撃に抗して、国労の団結を守り抜いた力だったのではないか。
 「演壇占拠」が「暴力と破壊行為」だと言うのなら、今日、国労が国労として存在しているのは、まさに「暴力と破壊行為」のたまものなのだ。
 敵の攻撃が激化し、内部から闘いと団結を破壊する策動が台頭してくるたびに、国労は組合員のわき上がるような決起でそれを粉砕して、組織を維持し抜いてきたのである。
 七月一日の闘争団と組合員の行動は、国労のこうした伝統をよみがえらせ、国労の名誉と団結を守り、全組合員に限りない勇気を与えたのだ。ここにこそ、国労の本来の姿がある。
 チャレンジ一派と革同上村派は、国労の歴史始まって以来の類例のない「暴力行為」が七月一日に突如として発生したかのように言う。ふざけるな! 彼らは、自己の悪行を押し隠すためにのみ、労働運動と国労の誇るべき歴史を偽造しているにすぎないのだ。
 国労本部が真に解雇撤回闘争を指導する立場に立つならば、七・一臨大に示された闘争団の比類のない戦闘性に、勝利の展望を見いだしていてあたりまえだ。

 組合指導部の資格はない!

 現に闘争団とその家族は、「どんなに苦しくたって、政府の、JRの責任で解決するまでがんばります」「私たち闘争団、家族はまだまだ大丈夫です」と臨大の会場で訴えているではないか。敵の攻撃の矢面に立ち、長期にわたる闘いの中で最も深い傷を負いながらも、解雇された当該が「私たちはまだまだ闘える」と叫んでいるのだ。
 闘争団は、国労に結集することに生活と闘いのすべて、人生のすべてをかけている。だからこそ、国労の生死を決める臨大で、命がけの決起を敢行したのである。
 それは、国労が生きた団結体であることのあかし、国労の生命力のあかしだ。組合員が、自己の人生と組合とをここまで深く結びつけている労働組合がほかにあるか。闘争団は国労のかけがえのない財産なのだ。
 この闘争団がいる限り、そして闘争団と心を一つにして闘うJR本体の組合員がいる限り、国労はいかなる闘いをも、不屈に押し貫く力を有している。しかも今日、すさまじい危機にのたうち、追い詰められているのは権力・資本とJR総連=カクマルの側なのだ。
 真の労働組合指導部ならば、このことに勝利の確信を持たないはずがない。
 だが、国労本部は日本労働運動が生み出した珠玉のような闘争団を、「暴徒」だの「破壊者」だのと口をきわめてののしることしかできない。こんな恥ずべき、こんな愚劣な本部のもとでは、組合員の血のにじむ闘いも、すべて無駄にされ、裏切られてしまうのだ。即刻、本部を総退陣に追い込む以外にない。

 第3章 当該を無視した臨大の強行に一切の責任

 ここであらためてはっきりさせなければならないのは、「四党合意」の受諾とそのための臨大強行こそが、とてつもない反革命暴力の発動だったということである。
 「四党合意」の直後から、闘争団の反対意見書が本部に殺到した。六月十日の三ブロック闘争団会議でも、「JRに法的責任がないと認めたら裁判にも勝てないしJRにも戻れない」「何の担保も保障もなく『JRに責任なし』を認めるだけの大会ならやるべきではない」などの怒りの声が噴出した。さらに、六月二十八日には、全国三十六の闘争団のうち二十一闘争団が、共同で臨大に反対する意見書を提出した。
 これだけの反対がある中で臨大を強行すれば、国労の団結が根底から破壊されることは誰にも明らかだった。だが、宮坂・上村・新井らは、政府・権力の指示を受け、本部機関を簒奪(さんだつ)していることにのみ依拠して、臨大強行へと突き進んだのだ。彼らこそ、団結を破壊し、国労に分裂を持ち込んだ張本人だ。
 七月一日、闘争団と国労組合員は「十三年の闘いの生死を分かつ瀬戸際だ」と早朝から社会文化会館前に集まった。本部の新井らは、この組合員に機動隊を差し向け、一人の組合員を不当逮捕させたのだ。そして、だまし討ち的に午後六時からの臨大開催を強行した。国家権力・機動隊の暴力で組合員を恫喝することによってしか開けない臨大とは何なのか。
 これに対する闘争団と国労組合員の怒りがたたきつけられたのは、あまりにも当然のことだったのだ。

 JRの責任は免罪できない

 「四党合意」を受諾して「JRに法的責任はない」と認めることは、闘争団とその家族の人生を踏みにじり、権力とJR資本のえじきに差し出す、許しがたい暴挙である。
 「JRに責任なし」を認めれば、首を切った張本人は免罪されてのうのうと生き延びる。一方で、首を切られた闘争団は、汚名をそそぐこともできず、国労からも見捨てられ、路頭に迷う以外にない。こんなことが許されるか。
 「JRに法的責任なし」を認めるとは、五・二八反動判決を覆す闘いも、そのための論理もすべて投げ捨て、ILO中間勧告さえ自ら放棄して、権力とJR資本にはいつくばるということだ。闘争団にとってそれは、人生をかけた闘いがすべて否定され、人間としての誇りと尊厳が泥靴で踏みにじられる、堪えがたい屈辱だったのだ。
 闘争団の十四年にわたる苦闘がこんな形で押しつぶされていいはずがない。
 チャレンジ一派と革同上村派は、七・一臨大で平然とこうした階級的犯罪に手を染めようとした。国家権力やJR資本に成り代わって、闘争団の息の根を止める首切り役人の役割を買って出たのである。
 闘争団は、国家権力と裏切り者たちによるすさまじい圧殺攻撃に対して、生活と生命をかけて反撃に立った。まさにそこには、闘争団と国労三万組合員の死活がかかっていた。「四党合意」受諾とは、国労自身の手で国労を絞め殺そうという悪らつきわまる敵階級の攻撃だ。これを許したなら、国労はその瞬間に消え去ってしまうのだ。チャレンジ一派と革同上村派は、こんな暴虐に直接、手を下そうとしていたのだ。
 七・一臨大で「四党合意」受諾を粉砕した地平は巨大である。これを絶対に権力とチャレンジ一派、革同上村派に譲り渡してはならないのだ。

 第4章 中執見解に批判の嵐 続開阻止へ総決起を

 国労本部は今、闘争団を始めとした組合員には最大限の悪罵を投げつけながら、国家権力に対しては一転して「衷心からおわびします」などと、取りすがらんばかりに平身低頭し、奴隷のようにはいつくばっている。かつて国労の歴史の中で、こんな屈辱があっただろうか。自分の組合員を「暴徒」呼ばわりした組合指導部がいただろうか。
 国労本部は、この期に及んで国家権力に頭を下げ、すがりつき、泣き言を垂れている。何という情けないありさまか! 他方においては、組合員を「暴徒」と決めつけ、「態勢の立て直しのために全力を挙げる決意を明らかにする」などと、権力者然とした態度で続開大会の強行を叫んでいる。彼らの眼中にあるのは、いかに国家権力の歓心を買うかということだけなのだ。もはや国労本部は完全に組合員に背を向けた。
 闘争団を先頭にした国労組合員は、こうした国労本部を介しての国家権力による国労への支配介入を粉砕し、資本・権力から独立した労働組合の自主性と団結を守り抜いたのだ。
 今日、国労本部が闘争団を「暴徒」呼ばわりするのは、労働者階級のやむにやまれぬ決起を、国家権力と同一の立場から抑えつけるためにほかならない。国家権力は、抑圧された者が自らの解放をかけて立ち上がった瞬間に、それを「暴力」と言って弾圧する。だが、権力が独占的に行使する巨大な暴力については、絶対に自己批判したり、「おわび」したりはしないのだ。あのベトナム戦争において、アメリカ帝国主義は何十万のベトナム人民に砲弾を浴びせ大虐殺を繰り返した自らの侵略については、「平和」のためだと居直り続けたではないか。
 労働者階級が自己解放をかちとるためには、支配階級による「暴徒」だの「破壊者」だのという非難にひるまず、敵階級による暴力の独占を粉砕して、決然と闘うことが必要なのだ。
 国労本部が闘争団に浴びせかけている「暴徒」だの「暴力行為」だのという言辞に、いささかもたじろいではならない。彼らは機関の権力を握っているのをいいことに、国労の名において闘争団を切り捨てるという、とことん不正義の、巨大な暴力行為を働いたのだ。彼らは、機動隊を導入して臨大に反対する組合員を権力に売り渡して平然としているのだ。国家暴力と完全に一体化し、組合員を踏みつけにした張本人が、「暴力は許せない」などとわめき立てることほど、恥知らずなことはない。
 七月一日の闘争団の行動は、「暴力」どころか当然の怒りの発露であり、国労三万の闘いと団結を守る崇高な営為だったのである。
 チャレンジ一派や革同上村派の浅はかさは、「演壇占拠は暴力だ」「暴力は許せない」などという低劣なキャンペーンで、闘争団と国労組合員を沈黙させることができると思っているところにある。分割・民営化攻撃の嵐に耐え、十四年にわたる闘いを貫いてきた国労組合員が、こんな安っぽいキャンペーンにだまされることなどありえない。彼らは組合員をなめている。
 七・一臨大で、闘争団は渾身の決起を貫いた。この闘いを絶対に中途で終わらせてはならない。七・一の決起は、「四党合意」を根底において粉砕した。権力は、「形式的に組合が四党合意を認めても、過半数の闘争団が闘いを続けるようなら本当に解決したといえるのか」(運輸省幹部、『エコノミスト』七月十八日号)と、闘争団の闘いに大打撃を受けつつ、国労本部のさらなる屈服を迫っている。
 他方、七・一を闘った闘争団や各地本・分会からは、中執見解と臨大に至る本部の非民主的な組織運営を批判する意見書が続々と上げられている。さらに都労連や東京清掃労組などの支援や学者、国労OBからも、国労本部の姿勢を批判し闘争団を激励する見解などが表明されている。労働者にとって、正義がどちらにあるかは明白なのだ。
 にもかかわらず、本部は八月五日にも続開大会を強行しようと画策している。それはもはや、闘争団への凶悪な襲撃と国労の団結の総破壊をしか意味しない。絶対に粉砕あるのみだ。続開大会阻止へ、七・一を上回る総決起を開始しよう。
 この闘いには、解雇された仲間を守って闘い抜くのか、切り捨てるのかという、労働運動の根幹にかかわる問題がかかっている。国労を支援してきたすべての労組、労働者は、闘争団を支持し、続開大会反対の声を上げよう。
 権力・資本と一体化し、闘争団を売り渡す現執行部を総退陣させ、闘う新たな執行部を打ち立てよう。その中に、日本労働運動の階級的再生の道もあるのだ。
 

《資料・臨大強行を居直る国労中執見解》(抜粋)

中央執行委員会は、十四年に及ぶJR不採用問題を始めとした労使紛争が政治の場で解決が図れるという状況の下で、第六六回臨時全国大会を開催しました。
 大会は、中央執行委員や代議員・構成員が会場内に入れないという異常な事態の下で、開会が大幅に遅れてしまいました。開会された大会は、議長団を始め代議員・大会構成員の議事進行への協力の下に代議員の発言や修正動議の説明などを受け書記長が質問や意見に答えつつ集約まで進みました。ところが、書記長集約が終わり、修正動議に対する中央執行委員会見解を述べようとした時、演壇や議長席の机やイスをひっくり返し破損する等の暴力行為が発生し、演壇及び会場内が大混乱となり極めて遺憾な事態となりました。
 中央執行委員会は、これら一連の大会破壊の暴力行為に対し、非難すると共に憤りをもって抗議するものです。
 大会を成功させることが出来なかった責任を痛感しています。そして国労の各級機関と全組合員・家族に対し、組織に責任を持って態勢の立て直しのために全力を挙げる決意を明らかにします。
 中央執行委員会は、政党間の合意にむけご尽力いただき、大会成功のためにご協力いただいた社会民主党を始めとした政党関係者・政府関係者の皆さんに対し、衷心よりお詫びいたします。

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週刊『前進』(1966号2面2)

 労働者の未来を開く絶大な夏期カンパを

 すべての『前進』読者、支持者の皆さん!
 二〇〇〇年決戦の息継ぐ間もない闘いのただ中で、革共同は労働者階級人民の闘いの決定的な前進と勝利のためのカンパを、心から訴えます。
 二〇〇〇年の三大決戦は、衆院選への総決起によって猛然と爆発を開始しました。選挙戦をとおして革共同は、日本共産党や民主党の総屈服を打ち破って、反スターリン主義・革命的共産主義の党が全労働者階級を代表する政党として登場することができるリアルな展望をつかみとりました。私たちは、労働者階級人民の自己解放の力に依拠した闘いを貫き、森・自公政権−ファシスト石原父子と真っ向から対決して、支配階級に根底的な脅威を与える存在へと成長しつつあります。
 続く七・一国労臨大決戦の感動的勝利は、ついに労働者階級の総反撃の扉を開きました。ここでも、私たちは闘争団と国労組合員のやむにやまれぬ決起と結び、全力で闘いました。労働運動の階級的再生へ、革共同の責任と役割の重大さをあらためて感じています。
 そして今、沖縄人民は、衆院選ではっきりと基地拒否の意思を突きつけ、海兵隊員による少女暴行未遂事件、ひき逃げ事件などの続発に対して怒りを爆発させ、サミットを危機にたたき込んでいます。革共同はこれにこたえる渾身の決起を必ず実現します。
 さらに革共同は、九・三自衛隊治安出動演習阻止を闘い、十一月労働者集会の大結集をつくり出して、日本の労働運動を根底から塗りかえるために総決起します。
 帝国主義ブルジョアジーの策謀と物質力を打ち破るのは、社会の真の主人公である労働者階級の知恵と力です。そして労働者階級自身による闘争資金の集中です。
 激しい賃下げ、リストラ、首切りの中で苦吟し、必死に闘っている皆さんに、あえて、重ねて訴えます。未来を革共同とともに開きましょう。労働者階級人民のすべての力を革共同に結集して下さい。
 革共同は今、誇りと自信をもって次のように言うことができます。いたるところで爆発する人民の怒りと革共同が結びつくならば、人民の決定的な勝利が可能になる時が来たと。
 学生運動の新しい爆発が始まり、労働運動の新しい潮流が台頭し始めています。人民の怒りを解き放つために、今に倍する革共同の活動が必要です。圧倒的な暴露と宣伝が必要です。
 次々と決起を開始している朝鮮・中国−アジア人民と真に連帯する世界革命の時代を、今こそたぐり寄せようではありませんか。
 時代を転換させる闘いのために、皆さんの圧倒的な夏期一時金カンパを寄せてくださるよう、再度心から訴えます。

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週刊『前進』(1966号3面1)

 サミット粉砕の大デモを

 米海兵隊員による女子中学生暴行未遂事件に怒り大爆発を

 基地と戦争が犯罪の根源だ

 9日の未明に今度はひき逃げ事件が発生

 沖縄サミットを前に、またしても許しがたい米兵犯罪が発生した。七月三日午前四時四十五分、普天間基地所属の米海兵隊上等兵が沖縄市内のアパートに侵入し、寝ていた女子中学生に暴行未遂行為を働いたのだ。この事実が明らかとなるや、ただちに沖縄人民の怒りは爆発した。
 基地・軍隊を許さない行動する女たちの会や、心に届け女たちの声ネットワーク、沖教組などの団体や労働組合は「家にいて被害に遭うとは。言語道断だ」「基地があるために女性は安心して暮らせない」「基地と市民生活は共存できない」と怒りの声を上げた。七月十五日には、抗議の緊急県民大会が開かれる。
 繰り返される米兵犯罪に対し、「何度同じことを繰り返すのか。絶対に許せない」という沖縄人民の怒りに突き動かされ、沖縄県議会を始めとする市町村議会も、次々と「米兵暴行未遂事件」への抗議決議を上げている。
 この米兵犯罪は、沖縄が「基地の島」であり、「安保と戦争の犠牲を強制されている」現実を突き出している。今日の米帝のアジア戦略とそこでの沖縄基地の存在が必然的に生み出した事件なのだ。だからこそ、沖縄人民が生きていくための譲れない要求として、米軍基地全面撤去の要求があるのだ。これは一刻の猶予もない切実な要求なのである。サミット粉砕、米軍基地を実力でたたき出せ、の大闘争を爆発させよう!
 九五年九・四米兵暴行事件に対して、沖縄人民の島ぐるみの十万人決起がたたきつけられ、米軍基地の存立=日米安保体制の根幹が揺さぶられた。それから五年の攻防を経た今、再び沖縄人民の不屈の闘いは、緊迫する朝鮮・中国−アジア情勢の真っただ中で、沖縄米軍基地全面撤去か米軍基地の維持・強化かをめぐっての全面的な激突に突入しているのである。
 日米帝国主義は、こうした事態に恐怖し、必死で巻き返そうとしている。とりわけ彼らは、沖縄人民の怒りが、米軍基地の固定化・永久化と、名護新基地を沖縄人民に強制することを狙った沖縄サミット粉砕の闘いに直結することを最も恐れているのである。
 ところが森首相は、米兵暴行未遂事件に対して「政府がどうこういう話じゃない」と発言した。森は、“少女が米兵に襲われたことに日本政府はひとつも責任はない”“沖縄人民はどんな被害があろうと米軍基地を受け入れろ”“沖縄人民の米軍基地撤去の要求には絶対に応じない”と開き直ったのである。
 こんな森に、サミット議長として沖縄の地を断じて踏ませてはならない。
 さらに、七月五日、組閣されたばかりの森政権の防衛庁長官に就任した虎島和夫は、名護新基地の使用期限十五年は、「至難の業で、不可能」と、あけすけに本音を表した。
 これらの発言は、沖縄人民の怒りを一層かき立てた。沖縄人民の怒りの決起が米軍基地撤去、沖縄サミット粉砕、安保体制粉砕へと一段と高まる中で、森発言も虎島発言も、いったんは事実上「撤回」された。しかし、森発言、虎島発言に日帝・森政権の本音があることになんら変わりはない。
 七月九日には米兵による引き逃げ事件が発生した。沖縄でサミットを強行し、米軍基地をあくまで沖縄に押し付け、維持・強化しようとする日帝と米帝、安保と米軍基地の存在こそが続発する事件の根源だ。今こそサミット粉砕、基地撤去の闘いを爆発させよ!

 クリントンに沖縄の地を絶対踏ませるな

 他方、米軍の対応はどうか。在沖米軍のトップであるアール・ヘイルストン四軍調整官は、五日に謝罪コメントを発表し、六日に沖縄県庁に出向いて異例の謝罪を行って、「二度とこの種の事件が起きないように一層の綱紀粛正に努める」と表明した。
 だが、四軍調整官の「謝罪」や「綱紀粛正」によって、ほんとうに米兵犯罪はなくなるのか。否だ。戦後一貫して米軍基地撤去闘争を闘ってきた宜保幸男さんは言っている。
 「沖縄ではアメリカ軍が口約束したり、日本政府が約束したことで果たされたことはないわけです。基地をめぐって、犯罪があって抗議すると『綱紀粛正します』と言う。いままで何千回言ったか、『綱紀粛正します』と」(本紙一九六四号7面)
 米軍もまた、沖縄米軍基地を沖縄人民の怒りの包囲から守り、日米安保体制を維持するために、「謝罪」や「綱紀粛正」を口にしているだけなのだ。また、サミット参加のために、沖縄「返還」後初めて米大統領が沖縄を訪問することに対して、沖縄人民が怒りの大デモに立ち上がることを恐れているからなのだ。しかし、今や米軍は、人民の怒りの前に、無期限の外出禁止を余儀なくされている。まさに重大情勢だ。
 米軍最高司令官のクリントンが沖縄にのりこみ、米軍基地を沖縄人民に押し付けるなどということがあってよいのか。クリントンに沖縄の地を踏ませるな!
 日米帝国主義は、新安保ガイドラインを締結し、朝鮮・中国−アジアへの侵略戦争を実際に策動し、その最大拠点として沖縄米軍基地を位置づけ、そのために名護新基地を建設しようとしているのだ。それは一方では、南北統一、在韓米軍撤退をかけて闘う朝鮮人民への圧殺攻撃である。そして他方では、戦後一貫してそうであったように、新安保ガイドライン体制のもとで、戦争=安保=基地の犠牲を沖縄に差別的に押し付けるものである。沖縄サミットで「沖縄米軍基地の戦略的重要性を認識してもらう」というクリントンの狙いはそこにある。日帝政府の沖縄サミット開催の狙いもまたそこにあるのだ。断じて許せない。
 だからこそ、米兵暴行未遂事件への沖縄人民の怒りは、戦争と基地ある限り繰り返される米兵犯罪の根絶の要求、すなわちその根源となっている沖縄米軍基地全面撤去となって噴出しているのである。この怒りは、沖縄米軍基地の存在を不可欠としている日米帝の安保同盟政策と真っ向から激突している。そして、沖縄米軍基地=新安保ガイドライン体制=朝鮮・中国−アジア侵略戦争と正面から激突するものだ。
 沖縄人民の掲げる沖縄米軍基地全面撤去の要求は、日米帝の侵略戦争政策と非和解的な要求として掲げられているのである。戦後一貫して闘い抜かれてきた沖縄人民の米軍基地撤去闘争に学び、本土の労働者人民は、いまこそ沖縄人民の沖縄米軍基地撤去の要求を自らの要求として掲げて、総決起しなければならない。
 日米帝による沖縄人民の闘いの圧殺を絶対に許してはならない。日米帝が朝鮮・中国−アジア侵略戦争突入を宣言し、そのために沖縄米軍基地の永久化を宣言しようとするサミット、この帝国主義の戦争会議を木っ端みじんに粉砕せよ!

 朝鮮人民・沖縄人民の反基地闘争と連帯を

 サミット粉砕、米軍基地撤去の闘いは、繰り返される米兵犯罪や米軍の組織的犯罪行為の根絶=在韓米軍撤去を掲げて闘う南朝鮮・韓国の労働者人民との連帯を具体的に貫く闘いでもある。南朝鮮人民の、帝国主義による支配からの民族の解放と分断された民族の統一の要求を実現する、南北分断体制打破=革命的統一の闘いと連帯する闘いだ。
 新安保ガイドラインは、こうした朝鮮人民の南北分断体制打破=革命的統一の闘いを敵視し、これを「周辺事態」と規定し、帝国主義的な軍事介入=侵略戦争の対象としているのだ。日本の労働者階級人民はこの日米帝の朝鮮侵略戦争を真っ向から阻止し、朝鮮人民と連帯する闘いに立ち上がらなくてはならない。
 激化する日米帝国主義間の争闘戦と、それを原動力として日米帝が朝鮮・中国−アジア侵略戦争突入を宣言しようとする沖縄サミット。そのために沖縄人民に米軍基地を押し付けることを内外に宣言しようとする沖縄サミット。日帝・森政権が「アジアの盟主」として名乗りを上げようとしている沖縄サミット。日本労働者階級人民は、この沖縄圧殺の帝国主義強盗どもの戦争会議をなんとしても粉砕しなければならない。そしてこの沖縄サミット粉砕決戦を、プロレタリア世界革命の勝利への決定的一里塚としなければならない。
 今こそ、アジア人民と連帯し、沖縄人民と連帯し、二つの連帯戦略を貫いて、サミット粉砕決戦に渾身(こんしん)の力をふりしぼって決起しよう。勝利の道は、「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」「米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」を本当に貫き、戦闘的な大デモを実現することである。米兵暴行未遂事件の根源である沖縄米軍基地全面撤去をかちとろう。
 この闘いを、日本共産党スターリン主義と現代のナチス=ファシスト・カクマルによる闘争敵対を粉砕してやり抜こう。
 日共スターリン主義は、沖縄サミットに賛成、翼賛し、日帝・森政権の沖縄への米軍基地の押し付けにも反対しない立場を鮮明にしている。名護新基地建設阻止闘争の前進にも敵対した日共は、沖縄人民の闘いが日米帝と全面的に非和解的に前進していく時、必ず背後から襲いかかって闘いを敗北に導く反革命だ。日共を打倒しなければ、労働者人民の勝利はけっしてありえない。
 また、「サミット粉砕決戦を粉砕する」ことを呼びかけるカクマルの反革命策動をはじき飛ばさなければならない。安保・沖縄闘争の大衆的戦闘的発展が、カクマルを死の淵へ追い詰めることは確実である。これへの絶望的な破壊衝動を高めるカクマルの策動を一ミリたりとも許すな。
 闘う朝鮮人民、沖縄人民と連帯し、七月沖縄サミット粉砕決戦の歴史的爆発、世界にとどろく戦闘的大デモの爆発へ進撃しよう。

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週刊『前進』(1966号3面2)

 解同全国連 高木決定1周年を糾弾

 異議審勝利を誓い中央集会

 憎むべき東京高裁・高木俊夫裁判長の第二次再審請求棄却から一年目の七月八日、部落解放同盟全国連合会の主催で「高木決定一周年糾弾! 異議審勝利! 
七・八狭山中央総決起集会」が、東京・千駄ケ谷区民会館で開かれた。九州や中四国、関西、東日本など全国から部落大衆、共闘の労働者学生ら二百八十人が参加し、熱気あふれる集会とデモ行進を闘いとった。
 冒頭、主催者あいさつに立った解同全国連中央本部の中田潔書記長は、「一年前、嵐をついて裁判所を糾弾した時のことがよみがえってくる。必ず再審無罪をかちとると誓って一年間闘ってきたが、異議審もいよいよ大詰めだ。今日の集会を契機に、決戦体制を強めよう。狭山新百万人署名を武器に、差別裁判への怒りを東京高裁にぶつけていこう」と呼びかけた。
 続いて井橋昌夫中央委員が高木決定批判の特別報告を行った。高木決定は、脅迫状の筆跡と石川さんの筆跡との違いについては「書くときの環境によるもので、筆者の相違ではない」とか、脅迫状に石川さんの指紋がないことについては「鮮明な指紋が必ず検出されるとは限らない」などと、どんなに無実の証拠があってもそれを認めず、差別意識むき出しで再審請求を棄却した。
 井橋さんは、こうした高木決定のデタラメさを暴露し、さらに脅迫状の宛名の「少時」という字が、“ボールペンで書いた”というデッチあげられた「自白」とは決定的に違い、万年筆で書かれていること、この斎藤鑑定を否定する高木の主張はデタラメであることを、図をもって分かりやすく説明した。
 続いて荒本支部青年部がこの二カ月間、狭山新百万人署名運動に取り組み、解同本部派の村にも出かけて千人以上の署名を集めたことを報告し、「やれば出来る」「意気込みさえあれば二、三人で五人、十人の力を発揮できる」と語った。
 小森勝重・狭山闘争本部事務局長が基調を提起した。小森さんは、この一年間、東京高裁の不当な「四条件」を粉砕して高裁を糾弾しぬき、狭山百万人署名運動を全国で展開して切り開いてきた地平をしっかりと総括した。
 さらに、今年五月に「東電社員殺害事件」で一審無罪判決が出されたネパール人男性に対して高木−高橋裁判長が前代未聞の拘置決定を出したことを弾劾し、「これが差別裁判所のむき出しの姿だ」と断罪した。そして「高橋裁判長は明らかに狭山異議審棄却をたくらんでいる。狭山百万人署名を全力で推進し、八・九狭山全国統一行動と高裁要請行動に立とう」「沖縄サミット粉砕決戦、八月広島・長崎反戦闘争を闘おう」と呼びかけた。
 続いて同和住宅家賃値上げ反対闘争のアピール、全国青年交流集会(七月二十九〜三十日、福岡)、婦人部大会(八月二十六〜二十七日、山口)のアピールが行われ、大結集が呼びかけられた。
 連帯のあいさつを長谷川英憲・都政を革新する会代表、滝口誠・動労千葉共闘部長、山川博康・東日本解放共闘事務局長、京大部落解放研の代表が行った。
 最後に解同全国連の各ブロック代表が次々と登壇、狭山闘争勝利への決意を表明した。長野の中学校で全校生徒八百人のうち七百人の署名を集めた青年が友だちとともに登壇し、「高校でも頑張る」と決意表明した。また、兵庫県西宮市の芦原地区住宅要求者組合の代表、全婦の開催地・山口の陶(すえ)、宇部両支部の二人の婦人、全青交の開催地・福岡の五青年の決意表明に大きな拍手が送られた。
 集会後のデモ行進では、明治通りを南下し、渋谷区役所―渋谷駅―宮下公園まで約一時間、沿道に繰り出した多くの市民に狭山闘争のビラをまき、決起を呼びかけた。市民の注目を浴びてデモを打ち抜いた参加者は、汗びっしょりになりながら「今日のデモは気合いが入った!」「楽しいデモやったな」と感想を語り合った。

 要請文弾圧許さぬ東京高裁高橋を徹底糾弾 

 集会前日の七日、解同全国連と部落解放共闘は、五十人が参加して狭山要請糾弾行動を闘った。朝、霞が関で、出勤する労働者、裁判所職員にビラをまき、午前十時すぎから弁護士会館で決起集会を行った。小森狭山闘争本部事務局長の基調報告のあと、共闘団体と全国連の代表が次々と決意表明した。
 昼休みデモの後、午後一時から要請行動が始まった。冒頭、裁判所当局が、前回提出した要請文の中に「不穏当な表現」があるとして要請文を突き返そうとしてきた。当局は要請文の内容にまで踏み込んで弾圧してきたのだ。まさに請願権そのものを否定する暴挙である。
 要請団は怒りを爆発させ、全員で徹底的に追及した。「無実の石川さんに死刑や無期判決を出し、三十年以上も獄中に閉じこめておいて、その部落差別への怒りの糾弾を『不穏当』とは何ごとや!」「高橋裁判長に渡しもしないで、事務局が勝手に判断するとは約束が違うじゃないか」。激しい追及の言葉が飛んだ。
 長時間の追及の末、受け取った要請文はこれまでどおり、必ず刑事第五部の高橋裁判長まで届けることをあらためて約束させた。
 こうして七・七要請行動は、東京高裁・高橋裁判長の異議審棄却情勢の切迫と真っ向から対決し、再審実現に向けて終日戦闘的に闘われた。
 異議審をめぐる情勢は、三月三十一日に狭山弁護団が高裁第五刑事部の高橋裁判長と面会し、異議申し立て補充書および新証拠を提出して、裁判所はいつでも決定を出せる段階に入っている。第一次再審の時は、異議申立後一年一カ月あまりで棄却の決定が出された。情勢は切迫している。棄却阻止、再審貫徹へ狭山署名運動を展開し、解同全国連が呼びかける八・九上告棄却二十三カ年糾弾の狭山闘争に決起しよう。

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週刊『前進』(1966号3面3)

 三里塚闘争との連帯を固め関空二期阻止へ集会

 運輸省の財政支援を弾劾

 七月九日、炎天下の泉佐野市末広公園に二百二十人の労働者市民が結集し、「関空二期事業阻止! 軍事使用絶対反対! 沖縄サミット粉砕! 関西新空港反対全国集会」が、大阪湾岸住民四団体と関西反戦共同行動委員会の主催で行われた。演壇前には、五十人を超える地元泉州の住民・労働者が陣取った。
 集会は、淡路町空港反対同盟事務局長の安藤眞一さんの司会で始まり、まず開会あいさつを、神戸・東灘区住民の会の山本善偉代表が行った。
 次いで、泉州住民の会の森田恒一代表が主催者あいさつと関空会社への申し入れ行動の報告をした。「本日の集会は関空の二期事業を中止せよという集会。関空は飛行機を飛ばせば飛ばすほど赤字が増えている」「関空会社は自分たちに当事者能力がなく運輸省の言うとおり聞くしかないと認めた。関空二期は戦争のためだ」と訴えた。
 連帯のあいさつを動労千葉の滝口誠さんと三里塚反対同盟の鈴木幸司さんが行った。また集会には、都政を革新する会の長谷川英憲さん、北富士忍草母の会、反戦被爆者の会、全国被爆者青年同盟、日本原農民の奥鉄男さんなど多くの連帯のメッセージが寄せられた。在本土沖縄出身の仲間が、知花昌一読谷村議と宮城康博名護市議からのメッセージを読み上げた。
 続いて、泉州住民の会事務局長で泉佐野市議の国賀祥司さんが基調報告を行った。国賀さんは、関空の財政破綻(はたん)、地盤沈下の深刻な危機、運輸省が六月十六日に公表した年間百億円の補助金、関空島の底地買い上げの財政支援策のデタラメさを暴き、「この破産を強制したのは反対運動の力。今こそ二期事業を中止に追い込む時」と述べた。さらに「破産した関空になりふりかまわず財政支援をするのは軍事空港だからだ。関空の軍事使用を絶対に阻止しよう。帝国主義の生き残りをかけた戦争会議=沖縄サミットを粉砕しよう。米軍基地撤去に向け、二十日の嘉手納基地包囲『人間の鎖』行動、二十一日の名護サミット会場直撃の大デモに参加しよう。八・六ヒロシマ大行動、九・三首都治安訓練粉砕闘争に立ち上がろう」と関空闘争から今夏―今秋の大決戦への決起を訴えた。
 続いて住民団体、部落解放同盟全国連合会、関西労組交流センター、全学連が決意表明に立った。
 地元泉州住民の会は、役員六人が演壇に立ち、「沖縄・三里塚と連帯し、戦争への道を阻止する」「関空は反対運動によって軍事空港としての姿を現した。住みよい泉佐野、町づくりのため軍事空港に反対していく」と決意を述べた。東灘区住民の会から松原康彦さんが「採算が取れない関空も神戸空港も戦争のため。神戸を基地の町にさせない。廃港に追い込むまで闘う」と決意を述べ、九月神戸空港着工一周年闘争への参加を訴えた。
 集会宣言案を明石住民の会の日原年和さんが読み上げ、圧倒的拍手で確認された。
 最後に、淡路町空港反対同盟の永井満代表が「私欲のない、平和のために、みんなのために一筋に闘おうという決意に満ちあふれた集会だった。何十年かかろうと勝利のためにがんばろう」とまとめを行った。
 集会後、りんくうタウンまでデモ行進を行った。集会に飛び入りで参加した女性がデモ隊を拍手で送り出した。沿道の多くの住民が声援を送り、二人の女性がデモに参加した。
 関空を廃港に追い込む闘いはこれからが本番だ。参加者は関空島と二期工事現場に向かって軍事空港粉砕の決意も固くシュプレヒコールをたたきつけた。
 日帝は、「運輸省による関空財政支援」公表で、関空会社の破綻と回復不能の現実を認めた。そして、日帝は破綻した関空にさらに一兆五千六百億円を投じて二期事業を強行し続けるというのだ。関空反対闘争は、関空にかけた日帝の意図を満天下に暴き、決定的な危機に追い込んでいる。

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週刊『前進』(1966号3面4)

 蔵相会議を弾劾

 福岡 反戦共同が集会・デモ

 七月八日、九州・沖縄サミットの最初の公式行事である福岡蔵相会議が、福岡市博物館で開催された。これに対し反戦共同行動・福岡は午前十時、アメリカ領事館前に結集し、沖縄サミット粉砕・福岡蔵相会議反対の総決起集会を開いた。
 会場であるアメリカ領事館前の大濠公園を福岡県が使用禁止にするという不当極まるサミット戒厳体制を実力で打ち破って総決起集会はかちとられた。
 反戦共同行動・福岡の代表は沖縄サミットが帝国主義強盗どもの戦争会議であり、沖縄の闘いを圧殺するために沖縄で強行されようとしていることを激しく弾劾した。集会終了後、福岡市天神までの戦闘的デモ行進を行った。
 デモの後、天神の警固公園で、再度九州・沖縄サミット福岡蔵相会議開催を弾劾する総決起集会をかちとった。
 基調報告を「自衛隊の海外派兵に反対する学生の会」が行い、「沖縄サミットは帝国主義強盗どもの戦争会議であり、帝国主義の危機の激化と争闘戦の場として開催されようとしている」「沖縄サミットを帝国主義の戦争会議に押し上げている決定的な問題は、南北朝鮮首脳会談を契機として、何者も押し止めることができない朝鮮人民の南北統一にむかってのエネルギーが爆発し、それが朝鮮半島を内乱的激動にたたき込むことに日米帝国主義が激しく身構えていることだ」と弾劾した。
 そして、「沖縄サミットは『平和の発信』などではなく、七月三日の米兵による沖縄女性への暴行事件に示されるように、沖縄人民に米軍基地を差別的に押し付けるものだ」と怒りをもって弾劾し、「沖縄で島ぐるみの基地撤去闘争が発展しつつあることに連帯し、七月十九日から五日間の沖縄サミット決戦へ総決起しよう」と訴えた。反戦共同行動・福岡の代表、女性解放を闘う戦線が発言した。
 福岡労組交流センターの代表が決意表明を行い、「JRに法的責任なし」という闘争団の切り捨て・国労解体を狙った機関決定を七・一国労臨時大会の強行で採決しようとした国労本部チャレンジ一派と上村革同の反階級的裏切り策動を、闘争団の怒りの決起で阻止したことを力強く報告し、「国労本部を打倒し、新しい体制で国労の再生をかちとり、十一・五労働者集会にむかって新しい潮流運動を発展させていこう」と訴えた。
 決意表明の最後に、全学連の副委員長が、「七・一九から二三の沖縄サミット決戦を全学連が先頭で闘う」「八・六広島―八・九長崎反戦反核闘争の爆発の先頭に立つ」と表明し、集会を終了した。

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週刊『前進』(1966号4面1)

 衆院選決戦総括 その切り開いた地平

 森・石原打倒と介護保険廃止へ開始した蜂起を最後まで貫こう

 革命的共産主義者同盟政治局

 革共同は、六月衆院選決戦で東京八区(杉並区)において長谷川英憲候補を推し立て、多くの杉並区民、全国の闘う労働者人民とともに全力を尽くして奮闘し、二二、七九九票を獲得した。森・自公政権の打倒とファシスト石原伸晃・石原都政の打倒を真っ向から掲げ、既成野党の総転向と翼賛化の中で唯一、労働者人民のいのちと暮らしと平和への切実な願いの最先頭に立ち、介護保険闘争を始めとする人民自身の根底からの階級的大決起、自己解放をかけた歴史的決起をつくりだして闘ったのである。力及ばず無念にも勝利できなかったとはいえ、小選挙区制選挙という革命党にとってきわめて不利な条件を実力で突き破って敢然と国政の場に初挑戦し、既成の大政党と互いに死活をかけて全面激突する闘いを貫き、これだけの票を得たことの意義は限りなく大きい。長谷川候補に投じられた一票一票が、まさに現社会の革命的変革を求めて新たな政治行動への道を断固として選択した人民の、決意と魂のこもった実に重いものである。わが革共同はここに、民主党や日本共産党など一切の既成野党に代わる、真の労働者階級人民の党へと本格的な成長をなしとげていくための歴史的な突破口を切り開いた。この闘いで学びとり、つかみとることのできた大きな教訓と力とをもって、開始した蜂起をとことん貫き、次なる総選挙および都議選への挑戦と勝利に向け、今この場から直ちに闘いを開始することを宣言する。森・自公政権打倒、ファシスト石原都政打倒の闘いにさらに決起し、介護保険廃止の住民運動の一層大衆的で全国的な大発展をつくりだす決意である。

 第1章 「革命的情勢の接近」に対応した一大政治決戦

 (1)まず最初に、今回の衆院選がもっていた一個の階級的政治決戦としての大きさと激しさをはっきりさせたい。
 九九年―二〇〇〇年の階級闘争の特徴はどのようなものであったか。
 第一は、世界危機の深まりと日帝の体制的危機の激化であり、帝国主義としての存亡の危機にかられた日帝による、昨年ガイドライン国会に始まる超反動のラッシュとも言うべき攻撃であった。しかし他方では、これへの労働者人民の階級的怒りと危機感が高まる中で、革共同の五月テーゼ以来の創造的な闘いをとおして大衆運動の戦闘的発展と高揚が大きく現実化し始めた。とりわけ沖縄人民を先頭とする労働者階級人民の闘いは、その階級性と戦闘性を不屈に維持しぬいて発展してきた。
 第二は、既成野党諸党の自自公翼賛体制への雪崩うつ屈服ということ、既成政党の総転向、総屈服ということであった。具体的には民主党の改憲政党化であり、安保・自衛隊を容認した日本共産党の民主党へのすり寄りであり、連合の完全な祖国防衛派への転落を確認した新政治方針の決定であった。
 さらに、今日の階級闘争の中で重大な事態は、日本階級闘争の特殊的現実の中で、JR総連=カクマルが〈連合新政治方針への対案〉という形式をとって帝国主義の侵略戦争を肯定し、それに全面的に加担していくという超反革命宣言を行ったことである。同時に党派としてのカクマルも、それと同じ立場に立つことを公式に宣言したのである。
 第三は、そうした中でファシスト石原都政との対決がきわめて重大な位置をもってきたことだ。
 石原都知事による「自衛隊は国軍」「治安維持には自衛隊が必要」「三国人が凶悪犯罪を繰り返している」などの暴言と九・三自衛隊治安出動演習の攻撃は、何を示しているのか。これは関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺の再現の扇動である。これは単なる時代錯誤の暴言ではない。日帝ブルジョアジーの体制的危機、政治的危機、階級支配の危機の中での反革命的ないら立ちの表現である。小渕政権の崩壊と森政権への移行のもとで、深まる日帝の政治支配の危機を、一層絶望的、ファシスト的に突破しようとするものなのだ。
 石原自身が戦後憲法と戦後的価値観を根本から否定している天皇主義者、反民主主義者である。石原の政治は、反米主義と反中国主義に貫かれた戦争政治であり、アジア侵略の政治である。その目的のもとに意図的、計画的に民族排外主義をあおっているのである。このファシストの許すことのできないデマゴギーと反革命の扇動を、反スターリン主義・革命的共産主義運動が先頭に立って真っ向から粉砕して進むべき情勢に突入したのだ。
 (2)二〇〇〇年のこの階級激突情勢の中で、一大焦点となってきたのが介護保険制度絶対反対の闘いである。
 現在進行していることの核心は、帝国主義が行きづまり、帝国主義の経済・国家財政が成り立たなくなっている中で、なおかつ独占資本や資本家階級を救済し戦争のできる国家への道を突っ走るために、社会保障や福祉制度を全面的に解体して国家としての最低限の責任をも放り出そうとしていることである。
 労働者人民にとって介護や福祉は削りとっていいようなものではない。人間的尊厳、人間としての権利の中でも最重要のものだ。譲っていいものでは断じてないのだ。われわれは、介護保険制度導入の階級的本質をはっきりさせて、新たな決意でこの闘いを開始した。そしてついに、杉並の地から介護保険制度絶対反対の大衆的闘いが、住民自身の感動的決起をもって開始される歴史的情勢を切り開いたのである。
 (3)日帝・小渕政権が四月冒頭にぶつかったのは、このような階級情勢であった。それは、沖縄人民の「新たな人民反乱」の闘いであり、ガイドライン闘争への労働者階級の登場であり、組対法、国鉄、都労連、日の丸・君が代闘争などの戦闘的大衆的発展であり、介護保険制度絶対反対の運動の開始であった。
 小渕・自自公政権は、この階級決戦情勢の進展下で倒れるべくして倒れた。
 日本帝国主義は、この中で政治危機をさらに爆発させ、今回の衆院選はただならない政治決戦としてますます押し上げられていった。われわれは、今や日本の政治、階級闘争の現段階が、確実に新しい局面に突入していることを肌身で感じている。
 九〇年代の日本の政治を見ると、九二年に小沢一郎が反乱、九三年に自民党が分裂し、他方で村山社会党と自社さ政権をもって社会党は消滅し、五五年体制は崩壊した。この中で、旧田中派―竹下派―小渕派を軸に支えられてきた自民党政治の全面的な危機と破綻(はたん)が急速に深まっていった。日帝権力中枢を握り続けてきたこの派閥集団は、現在、小渕、梶山、さらに竹下の死という中で、ますます危機を増幅させている。それは、小渕派の後継者が不在の中で、現在においても、すでにその求心力がすさまじく低下していることの中に表れている。
 日帝の権力機構が根底から揺らぎ、権力中枢の危機と混迷があらゆる人に明らかになっている。これは、小渕の死による密室での森・自公政権の登場から、森の「神の国」「国体」発言、他方での石原ファシスト勢力の蠢動(しゅんどう)という一連の動きの中に表れた。
 今次衆院選挙闘争はこうして、まさに日帝の体制的危機の爆発―革命的情勢の急速な接近のもとで、日本の階級情勢を左右する大決戦となった。それは、九九年に新ガイドライン関連法を強行突破した日帝と自公保政権による大政翼賛会的政治体制形成への超反革命的動きを許すか許さないかの一大政治決戦であった。つまり、衆院選自体が巨大な政治大攻勢そのものとしてあったのだ。革共同はこの時におよんで、なんとしても衆院選挙闘争そのものへの党的参入という一大飛躍をかけて決起することを決意し、実行したのである。
 われわれは、依然として、党的自己形成の途上にある建設途上の党であるが、わが党のこの衆院選決戦への決起は、衆院選挙闘争への全人民の決起に少なからぬインパクトを与えたことを、確信をもって総括することができる。

 第2章 党の飛躍かけた闘いの勝利的な貫徹と獲得物

 衆院選決戦総括の最大の核心は、衆院選挙闘争という党の飛躍をかけた大闘争を勝利的に貫徹したということである。当選に至らなかったとはいえ、今後の階級闘争の前進の上で巨大な成果をかちとり、党建設的にも圧倒的な獲得物があったことを、断固として確認したい。
 さらに、日本共産党との本格的な党的な対決を戦略的に措定し、彼らをのりこえ、打倒する闘いの重要性をがっちりと確認することである。

 獲得した票の「重さ」

 まず第一に、長谷川英憲候補に寄せられた二二、七九九票のもつ重さである。
 既成の大政党との党派間戦争の特別の激しさの中で、党と党とが互いに死力を尽くしてぶつかり合う激戦を全力で打ち抜いて、この得票をかちとったこと、それは、衆院選挙闘争は勝利的に貫徹された、基本的な政治的勝利をかちとったと評価できるのである。
 それは、衆院選挙闘争というものが、どれだけすさまじい選挙戦であるか、階級的決戦であるかを見れば明白である。自民党を始めとする既成政党の特有の底力も、民主党や社民党に吹く一定の風というものの恐ろしさも、また日共のもつすごい党的蓄積や底力というものも、彼らと実際に戦ってみてあらためて分かった。こういう既成政党とのすさまじい激闘の中で、力量的歴史的に劣った党が初挑戦してひとつの場所、ひとつの地域でも勝利をかちとる、切りとるというのは並大抵のことではない。
 こういう中で革共同が、日本共産党の三六、五四六票との対比でいえば、その六二%にあたる二二、七九九票をかちとったことは、〔当選という基準からいえば悔しさは百倍だが〕やはり断じて小さなことではないと言えるのである。
 これが示すことは、われわれの衆院選挙闘争に向かっての方針、路線、基本プランが、基本方向としては空回りしたのではなく、一定現実とかみあったということである。
 革共同は、@自公保政治ノーと石原ファシストへの批判、A介護保険闘争の提起、B既成野党と違うまったく新しいタイプの党であること、などのキャンペーンを情勢の中で組み立てて闘った。革共同は既成の野党とまったく違った党であるということは、端的に言えば議会主義の党ではないということだ。つまり、われわれは選挙民に向かって何かをします、約束しますという党ではないこと、選挙民が選挙をきっかけとして自ら要求をもって立ち上がることこそが、いやむしろそれだけが、社会を本当に変えるんだという強烈なアピールを真っ向から提起して闘ったのである。
 この宣伝・扇動を正しくできるか否かは、ソビエト革命の思想を今日的にどうアピールできるかという党的力量が問われているともいえる問題なのである。

 野党の屈服のりこえ

 第二に、衆院選挙闘争の総結果については、まず自公保に大きな打撃を与えたことを確認したい。
 革共同が今回の衆院選挙闘争に参入したのは、東京八区という限られた地域内でのみ闘ったことを意味するものでは断じてない。これだけの大切な衆院選挙闘争という階級状況と党派間戦争の土俵に革共同が正式に参入し、自公保批判をやり、民主党・日共批判をやり、党への結集を呼びかけるということは、全都・全国の他の地域での闘う人びとや選挙民にも少なからず影響を与えたのである。
 革共同の鋭い自公保批判は、確実に他の地区、地方の反自民、反政府の票の増加に貢献したということである。また、無党派層といわれる層が衆院選挙闘争に関心をもち、投票行動に立つことにも貢献したと言える。つまり、今回の衆院選挙闘争全体の総結果を引き起こす内在要因のひとつとして革共同は作用したのである。あえて言えば、全国政治に働きかけるためにも革共同はこの選挙戦を闘ったのである。
 さて、衆院選挙闘争全体をとおしてみるとき、日帝の体制的危機の深まりと国際政治上の危機と動揺、経済危機、財政破綻などの中で、既成政党の危機と腐敗は一層進んだ。既存の自公保政権自体が自滅的な動揺、混乱を示す中で、野党の対応は、帝国主義の危機に際して帝国主義体制の枠内でいかに日本(すなわち日帝のこと)を再建するかといったものに終始した。議会主義と体制内改良主義は度しがたいものとなっていった。
 自民党サイドは、@連合政権の枠組みの問題、Aまず景気回復を確実にする、その後に財政改革、B沖縄サミットの成功の三点をうちだした。野党の対応と言えば、民主党は、@に十分回答しえず、Aに対しては所得税の課税最低限の引き下げという増税案をあえて出し、政権交代可能な帝国主義政党であることを強調することをもって衆院選政策とした。
 日共は、これに対してかなり積極的に対応した。@について、与党の過半数割れに際しては「よりましな政府」を推進すると言い、民主党首相候補への投票を強く示唆した。また、「責任政党」としての日共を強く押し出し、「よりましな政府」のもとでの自衛隊の有事出動に賛成すると言い切った。さらに、同じ立場から「消費税を三%に戻せ」のスローガンも事実上停止した。
 Aに対しては、ゼネコン中心の財政から社会保障中心の財政への転換を主張し、これによって無駄な財政支出を大幅にカットし、社会保障費を増大することで個人消費の増大への基礎ができると主張した。
 全体的にみて、今次衆院選での日共の動きは、日帝の枠内での体制内的改良主義、議会主義路線の徹底、リアルポリティックスの活用という点で、思い切った踏み込みを行ったものであった。これが民主党や社民党にも大きな影響を与えたと言ってさしつかえない。修正資本主義論、議会主義にはいつくばっての政府交代論という点では、不破路線は明確に宮本時代のレベルをこえ、ひとつのピークに達したと言える。
 だが、この路線は中期的には必ず限界にぶつかる。すでに今次選挙での日共の議席減自体がその内的危機を示している。日共が党名の変更や綱領変更問題において、いまひとつ大きな節目に到達することは避けられない。しかしそれは日共の自滅過程への突入ともなるのである。
 社民党は、土井が改憲阻止(憲法擁護)を必死に訴えることで党派性を保持しようとした。だが基本的に上記の大政党の争いからは根本のところで吹き飛ばされてしまったのである。
 また衆院選挙闘争の結果は、小沢=自由党に政治的延命の余地を与えたが、それは自民党の内的危機と一体である。
 衆院選挙闘争が大きくは以上のように自公保対民主党、日共というかたちで、帝国主義の枠内・体制内での政策上の選択肢の争いという形態にしぼりあげられていった中で、今回初めて衆院選挙闘争に突入した革共同の闘いは、確かに困難をきわめたと言える。
 しかし、はっきりしていたことは、危機にのたうちまわる帝国主義が〈外への侵略戦争と内への階級戦争〉の道をひた走る中で、帝国主義をどのように再建するのかという日帝ブルジョアジーのペースを拒否し、その反革命的攻撃に苦しむ労働者階級人民、住民、市民の怒りを結集し、大きな革命的大衆行動へと組織していく立場で、そのためにこそ革命的、人民的な議員が必要であることを訴えて闘ったのは、わが長谷川候補のみであった。
 このような真に帝国主義と対決しうるまったく新しい理念、実践、組織論をもつ政党の登場こそが、今ほど要請されている時はないと言っていいのだ。
 革共同はこの立場から、(A)介護保険制度の廃止、およびさしあたっての改善要求を掲げての下からの本格的な住民運動の組織化の必要性を力強く訴え、実際に開始された運動の先頭に立って闘った。そしてその闘いの発展として、衆院選挙闘争を、住民大衆が住民大衆を自ら組織していく、地域住民、労働者人民の一大政治決起の場に転化して闘ったのである。
 さらに、(B)日帝の侵略戦争が再び開始されようとしていること、自公保の勝利はそれを加速することを、都知事石原とその息子・伸晃のファシスト性の暴露と結合して展開した。
 すなわち、労働者階級人民をとりまく状況が議会主義的制動をいまだ大きく突破しきれない現実の中で、しかし今日の日帝危機とその反革命の攻撃の鋭さに対して人民大衆の生活のど真ん中からの怒りの噴出が不可避であると確信し、人民大衆が自ら立ち上がって情勢を切り開く力とエネルギーをとことん信頼して、その力を解き放つために党をあげて闘いぬいたのだ。
 この意味で、革共同が九一年五月テーゼの貫徹をかけ、真の労働者人民の党への飛躍をかけて衆院選決戦に決起したこと、そして、この闘いを勝利のうちに闘いぬいたことの意義は巨大なものがあると確信できるのである。

 第3章 日本革命の勝利めざし次なる挑戦に総決起を

 (1)衆院選挙闘争を全力で闘ったがゆえに、切り開いた地平と、学んだことも、実に豊富である。
 第一に最大のポイントは、今次衆院選での自公保の後退は自民党政治支配の危機をとり返しのつかないほど激化させることが必至だということである。われわれは、自公保政権に大打撃を与える闘いを闘いとったのだということである。これは、衆院選後の自公保政権による大反革命攻撃と闘う上で、人民にとって最大のプラスになることだ。
 第二に、沖縄三区の新基地建設反対をかかげる候補の勝利も、党として沖縄闘争的、名護闘争的に連帯しつつ闘った面があり、敵に与えた打撃は大きかったと言えるのである。
 第三に、石原都知事と真っ向から対決しぬいたこと、しぬけることを全人民の前に明らかにしたことの意義は大きい。また、日共を打倒しのりこえる闘いにおいても、東京八区のみならず全国的意義をもつ大きな前進を切り開いた。
 同時にここから得た教訓は、日共のスターリニスト的、体制内的、改良主義的、議会主義的枠内でのその大きな勢力、組織力、また、政策形成能力と真っ向から対決しうる力を、なんとしても築き上げなければならないということである。
 日帝の経済情勢、財政、予算、社会保障の各分野、労働者の職場と生活を始めあらゆる分野でわれわれは、帝国主義に改良的対案を出す立場ではなく、帝国主義と闘って生活と権利を守る立場から論陣を張っていく力を身につけなければならないということである。
 第四に、今次衆院選挙闘争にからんでわれわれは、介護保険闘争を突破口とする社会保障分野での新たな大衆闘争の構築に断固踏み切った。これは革共同にとって巨大な闘争分野であり、日共とのひとつの決戦場である。しかし党の決意と実行力が根底から試される、きわめて厳しい闘争分野でもある。介護保険闘争の大衆的全国的な本格的立ち上げはこれからが正念場となるが、今後の選挙闘争のためにも、全階級闘争のためにも、開始したこの闘いを責任をもって継続し勝利させていくことは最大の課題である。
 第五に、国鉄決戦を始め、四大産別を先頭とした労働戦線での闘いの飛躍的前進、階級的労働運動の新潮流をつくりだす闘いの大前進こそが、結局は勝利の一切のかぎを握っているということだ。
 この点でも労働者同志の総決起とともに、根本的課題をつかんだのである。
 (2)このように今次衆院選挙闘争の全体の結果は、主体的にいえば、かちとられた地平はけっして小さなものではない。しかし逆にわれわれの弱さ、欠陥、不十分性はどこにあったか。この点も徹底的に深めていかなければならない。
 一言でいえば、かつてない細胞性・組織性・全国性をもって全国の同志が打って一丸となって闘った選挙闘争であるからこそ、既成政党とわたりあう分厚い中央政策集団の形成や、それを基礎とした党の政治指導能力の飛躍的強化が絶対的に求められているのである。
 この問題を、(A)介護保険闘争×(B)国政全体にわたる全面提起として整理するならば、この国政全体を論じる(B)の領域の戦闘性、総合性、全面性、整合性という点では、日々刻々進展する情勢に対応する宣伝・扇動戦の一大変革を突きつけられたということである。この点の変革こそ火急の課題だ。
 (3)そのためにも、日本革命に勝利する党の建設である。その場合に小さい意味の党建設ではなく、この革命的情勢の接近に対して、革命的大衆行動を対置して闘える党の建設である。国政選挙闘争を総力をあげて闘う党の建設、階級的労働運動の前進を全力で闘う党の建設、学生運動の全国的爆発を猛然とかちとる党の建設だ。労働者人民の自己解放的決起の力を根底から解き放つと同時に、日本プロレタリアートの階級的意識と階級的団結を強力に意識的に形成していく闘いの大前進が、革命的情勢の接近の中で今こそ求められているのである。
 わが革共同は、全国の闘う労働者階級人民の期待を一身に担って、かつまたその全面的な支援と惜しみない協力に支えられて、今回の衆議院選挙闘争を闘った。この開始された蜂起は、勝利するまでとことん貫かなければならない。
 断固、次なる衆院選闘争・都議選闘争に向かって全党は総決起しよう!
 これが今回の衆院選を最後に総括する、唯一の結論だ。確信も新たに、さらなる進撃を続けよう。

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週刊『前進』(1966号4面2)

 長谷川氏が再挑戦宣言

 衆院選の躍進報告会開く

 七月九日午後二時から杉並区内で都政を革新する会・後援会の主催による「長谷川ひでのり健闘躍進報告会」が、衆院選決戦の先頭で奮闘した後援会会員や介護と福祉を要求する杉並住民の会の会員など百二十人を結集して開かれた。多くの住民自身の自主的な決起として闘いぬかれた選挙戦を総括し、今後の運動の発展を誓い合った。
 後援会の女性が司会を務めた。最初に後援会長からお礼と報告として「二二、七九九票の一票一票が長谷川さんに当選してほしいという思いの一票。残念ながら当選することはできなかったが、後援会と住民の人たちと一つになって次の衆院選ではどうしても長谷川さんを国会へ送りたい」と今後の奮闘を訴えた。
 候補として衆院選決戦を全力で闘いぬいた長谷川氏が圧倒的な拍手に迎えられてあいさつに立った。長谷川氏は、「今回の衆院選で皆さんの熱い支持と期待を一身に浴びながら闘いぬいた。地域の人たちの協力で選挙を闘うことができ、前沖縄県知事の大田昌秀さんを始め全国の人たちの応援を受けながら二二、七九九票という力を得ました。当選をかちとることができなくて非常に悔しいが、この第一歩を基礎に次の闘いに挑まなければならない。次の衆議院選挙にあらためて私自身が挑戦をするという決意をここで明らかにします」と国政選挙に再挑戦することを宣言した。
 長谷川氏はさらに、「介護と福祉を要求する杉並住民の会の皆さんの“命の叫びを国会に届けてほしい”という願いを実現するために全力で闘う。大衆が生きていくためにやむにやまれず立ち上がって団結し、組織を作り、運動をすすめている、ここにこそ政治を変える大きな力があることを今度の選挙戦でつかんだ」と選挙戦の意義を語った。
 続いて発言に立った結柴誠一区議は、ファシスト石原都政と対決し、介護と福祉の切り捨てを許さないために、衆院選の切り開いた地平を引き継いで介護保険廃止に向かって全力で闘いぬく決意を語った。
 住民の会副代表の音頭で乾杯し、懇親会に移った。「がんばれ長谷川さん」と題してロックグループが介護保険の危険性を訴える曲など三曲をうたった。
 あいさつでは、区内の労働組合やさまざまな立場で運動を進めている住民から発言がなされ、都政を革新する会に寄せる熱い期待が表明された。その中で革共同の天田三紀夫書記長が介護と福祉を要求する住民の会の自主的な運動の意義を受け止め、この運動の発展のためにともに全力を挙げていく決意を表明した。
 また、衆院選で「いのちの一票を長谷川へ」と最先頭で闘った介護と福祉を要求する杉並住民の会の代表は、「本当に頼れる住民の会に成長していかなければならない。住民の会はあなた一人ではない。この手がしっかりとつながっている。この手をしっかりとつかんでやっていかなければならない。これが世直しの原点です」と、住民の会をしっかりと発展させることによって、政治と社会を変えていくことを訴えた。
 住民の会の女性は、「五年前から介護保険廃止運動を進めてきた。長谷川さんが介護保険反対の運動をするということで全面的に支援してきた。なんとしても介護保険を廃止させたい」と思いを語った。商工会の男性は、「自分の利益だけを考える今の政治家は首になってもらいたい」と今の自公政治に対して怒りをぶつけた。
 最後に新城節子杉並区議が今後の闘いに向けて、来年の都議選必勝への闘いと帝国主義の戦争会議である沖縄サミット粉砕の闘い、九・三自衛隊治安演習反対の闘いを全力で闘い、その力で長谷川氏の次の衆院選の勝利をかちとろうと呼びかけた。そして介護と福祉を要求する住民の会の運動を広げ、ネットワークを広げようと呼びかけた。

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週刊『前進』(1966号5面1)

 1937年7・7盧溝橋事件から63年

 排外主義・差別主義攻撃を打ち砕き侵略戦争への道を阻もう

 佐久間祐

 日帝の中国全面侵略戦争への画期をなした盧溝橋事件(一九三七年七月七日)から六十三年にあたり、われわれは、あらためて七〇年七・七自己批判の精神を確認し、三十年を超える入管闘争の蓄積と地平をより一層前進させることを誓う。内外情勢が激しく展開し、体制的危機のもとで階級的激突が不可避となっている中で、日帝は、森発言や石原発言に典型的に示されるように、排外主義と差別主義を扇動し、そのもとに労働者人民を組み敷いて侵略戦争に突進するしかなくなっている。七〇年以来培ってきた七・七精神を大きく発揚して、階級闘争の前面に躍り出ていくときが来ている。日帝が排外主義と差別主義をもって人民を分断し、再び三たび侵略戦争−世界戦争へと駆り立てようとしている今日、われわれは、戦争への道を阻むために自らの命をかけても闘わなければならない。

 第1章 南北朝鮮首脳会談を契機に激動化を深めるアジア情勢

 二十一世紀を前に、「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」の戦略的総路線を貫徹するために確認すべきことは何か。
 第一の柱は、激動を深めるアジア情勢と、労働者階級の闘いの本格的開始という問題である。
 それは一つに、南北朝鮮首脳会談の劇的な実現である。
 六月十三−十五日、南北朝鮮首脳会談が北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国のピョンヤンで開かれた。この南北首脳会談と共同声明の発表は、朝鮮半島の南北分断体制がついに行き詰まり、新たな危機と革命的激動の真っただ中に突入したことを示している。
 共同声明は、@統一問題を自主的に解決する、A南側の連合制案と北側の緩やかな連邦制案との間には共通性があることを認め、この方向で統一をめざすと宣言し、さらに、B離散家族の再会と非転向長期囚問題の解決、C北朝鮮の社会資本整備への南朝鮮による協力など、経済協力と社会・文化交流の推進、Dこれらを実施するための当局間の対話の早期開催、を明記した。加えて、金正日のソウル訪問も盛り込まれた。
 こうした南北首脳会談に対して、在日も含めて朝鮮人民の「和解」歓迎のキャンペーンが大きく演出され、あたかもそれが朝鮮人民の悲願である民族統一を実現する道であるかのように宣伝されている。果たしてそうであろうか。
 かつて一九七二年七月四日、南北共同声明が抜き打ち的に出された際、統一への一歩がしるされた、と多くの朝鮮人民が歓迎した。だがそれは、現実には南朝鮮・韓国での人民弾圧の極限的激化と金日成体制の強化に結びつき、朝鮮人民へのより一層の矛盾と犠牲の転嫁となった。
 今回の南北首脳会談の真の意味は、「平和や緊張緩和の時代の到来」などではなく、戦後世界体制の崩壊的危機と世界大恐慌過程への突入という情勢の中で南北双方の体制的危機をのりきるための政治協商にほかならない。あくまで南北分断体制の延命を狙ったものであり、朝鮮人民の民族統一の願いを踏みにじるものとなっていくのである。

 分断打破へ決起する人民

 しかし、この会談を決定的な契機として、朝鮮人民の統一にかけた思いが一挙に解き放たれ、南北分断打破=革命的統一に向かって、大きく情勢が動き始めている。「われらの願いは統一」と歌いながら、離散した家族に思いを馳(は)せ、自らの力で統一を実現しようとする朝鮮人民の自己解放的エネルギーは、南北首脳の思惑を超え、究極の勝利に向かって闘いを開始したといえる。
 われわれ日本のプロレタリアート人民は、南北分断という民族的苦難がほかならぬ日帝の朝鮮植民地支配から始まっていることを直視し、この朝鮮人民の烈々たる闘いに心底から連帯し、革命的統一に向かってともに闘うことを誓わなければならない。
 二つに、この南北首脳会談とその後の情勢に驚愕(きょうがく)し、恐怖しているのが米帝、日帝であり、それゆえに日米帝国主義間争闘戦がすさまじく激化していくことである。
 米帝は、在韓米軍問題への波及を恐れている。国防長官コーエン、国務長官オルブライトなどが危機感にかられて「在韓米軍は南北統一後も引き続き駐留する」と声明し、米帝の「二十一世紀国家安全保障委員会報告」路線での軍事戦略の死守を明言している。
 米帝は、世界最大の軍事力を朝鮮半島を始めとする北東アジアに集中し、南北朝鮮を米帝のコントロールのもとに完全に組み敷く方針を一層強化しようとしている。米帝は、台湾総統選における民進党の勝利、南北朝鮮首脳会談という二つの歴史的事件に直撃され、これまで以上に軍事的・戦争的支配を強める以外にないところに追い詰められているのだ。
 日帝は、金融危機・経済危機からの出口を必死で求めており、死の苦悶(くもん)にあえぎながら、米帝以上に危機感を募らせ、新安保ガイドライン体制の一層の強化と有事立法・改憲攻撃の本格的発動を狙っている。日帝の体制的危機と朝鮮・中国情勢の激動化が都知事・石原慎太郎のファシスト発言や、「日本は天皇を中心とした神の国」など首相・森喜朗の一連の発言を引き出している。その行き着くところは戦争国家であり、朝鮮・中国侵略戦争であり、三たびの世界戦争である。
 日帝は今、いったんは米帝に押しつぶされた「宮沢構想」||九七年のアジア通貨基金(AMF)設立構想||を復活させ、軍事力に裏打ちされたアジアの「円圏化」を狙っている。この「新宮沢構想」は、九八年十月に発表された総額三百億jの金融支援を柱としたアジア支援策である。沖縄サミットが、こうした日帝の新たなアジア侵略戦争政策にさおさすものであることは明白である。
 世界危機の激化の中で、日帝の体制的危機は激しく進行している。衆院選で示された自民党支配の危機は体制的危機をより一層促進するものとなり、これを突破する道としてファシストによる排外主義と差別主義の扇動が行われ、人民を侵略戦争に総動員しようとする攻撃が進行している。
 九七−九八年のアジア経済危機は、アジアの新植民地主義体制諸国の体制的危機へと進展し、人民決起の新たな胎動を生み出している。スハルト打倒まで行き着いたインドネシアの闘いを見るまでもなく、各国で帝国主義の侵略と支配に抗する闘いが燃え盛っている。インドネシアでは、民族解放闘争の本格的発展のときを迎え、労働者階級の階級的形成が進行し、労働運動の開始が告げ知らされている。
 アジアが帝国主義間争闘戦の激烈な戦場となっている一方で、アジア人民の闘いも、スターリン主義の歪曲をのりこえ、本格的な革命的発展の道に突入しようとしている。沖縄人民の闘いがアジア人民の闘いにとって有機的連関をもっていることを確認し、沖縄人民、アジア人民との連帯を貫く日本プロレタリアート人民の闘いが強烈に求められていることをはっきりさせようではないか。

 在韓米軍基地へ怒りが爆発

 三つに、南北朝鮮首脳会談を突破口に、朝鮮人民の激しい闘いが火を噴いていることである。とりわけ米軍基地撤去の闘いの爆発は、韓国・金大中政権によっては押しとどめることができないところに発展している。ソウル南西六十`にある梅香里(メヒャンリ)住民の闘いはそのことを指し示している。
 五月八日、米空軍機が訓練中にエンジン故障を起こし、搭載していた五百■爆弾六発を、機体の重量を軽くするために梅香里沖のクーニー射撃場に投下。付近住民七人が負傷し、百七十余棟の家の窓ガラスが破損、壁にヒビが入るなどの被害が続出した。この事故を契機にして、梅香里住民の基地撤去の闘いが爆発し、これに民主労総などが呼応して、労働者階級を巻き込んだ基地撤去の闘いへと発展している。
 梅香里は一九五五年、陸上と海上合わせて二十三・七平方`メートルのクーニー射撃場が造られて以来、毎週六十時間の機動射撃・爆弾投下訓練が強行されており、住民への日常的な被害が続いていた。こうした中で起きたのが梅香里事件である。
 ところがこの事件に対して韓米合同調査団は六月一日、「爆弾投下による直接的な被害はない」とする調査結果を発表した。その上で、直接爆弾投下と関係ないが、梅香里の一部住民に対しては移住政策を推進する、と明らかにしたのだ。
 梅香里住民は調査団報告に怒りを爆発させ、即日闘いに決起、クーニー射撃場正門前で籠城(ろうじょう)闘争に入った。射撃場撤廃闘争の開始である。四十五年間続いた基地被害への反撃が始まったのだ。
 以来、基地を取り巻く「人間の鎖」を始め、射撃場内への突入、座り込みなど、さまざまな闘いが継続している。「一日一日が湾岸戦争のような状況だ」という基地被害の現実に対して、米帝は完全に無視抹殺を決め込んでいる。在韓米第七軍司令官(准将)ジェフ・コラーは「五○年代の訓練開始以来今まで、爆撃による死亡者が一人に過ぎないほど操縦士たちが安全に演習している」とうそぶき、「射撃場移転、または住民移住案に関して論議したが、代替地を探し難い」として、「解決は韓国政府の権限だから、米政府にできることはない」と居直り、逃亡した。
 こうした米帝の動きに対して、民主労総、全国農民会総連盟、参与連帯、天主正義具現司祭団などによる「梅香里米軍爆撃場閉鎖、汎国民対策委員会」が発足、「梅香里爆撃場閉鎖十万人署名運動」を開始し、直接的な抗議、集会、デモなどに打って出ることを明らかにした。
 梅香里の闘いは、移住案などによる住民懐柔策をのりこえて、米軍基地撤去闘争の本格的発展へと大きく押し広げられていった。民主労総を始めとする労働者階級が米軍基地撤去闘争を自らの課題として担いきることを明らかにしたことは、韓国階級闘争の大きな飛躍をもたらすであろう。
 韓国においては、米韓駐屯軍地位協定(米韓行政協定=SOFA)によって、在韓米軍基地が完全に治外法権化され、米軍犯罪が野放しにされ続けてきた。この歴史を覆す契機を生み出したのが、沖縄における九五年以来の闘いであった。以来、沖縄と韓国の反基地闘争が有機的に結びつき、相互の共同闘争として発展していることは、われわれ本土のプロレタリアート人民にとって大きな導きの糸である。この闘いに学びながら連帯を深めていくことの中にこそ、勝利の礎があるのだ。
 地域を中心とした基地闘争と連動し、労働者の闘いも熾烈(しれつ)を極めてきている。
 政府の新しい金融構造改革案(強制合併など)に対して全国金融産業労働組合が七月十一日に全国ストを実施した。交渉が妥結し、ストは一日で終わったが、矛盾は深まっている。
 ホテル・ロッテでは、アルバイトの正社員化を求めてストが続けられ、六月二十九日には約千人の労働者が連行、拘束されている。
 朝鮮・中国−アジア情勢がますます激動、流動を深めることは必至だ。中国大乱情勢の進展は世界戦争の火種になりかねない。しかし、アジア人民の闘いもまた新たな発展の趨勢(すうせい)にある。闘うアジア人民との連帯と沖縄人民との連帯−−この二つの連帯戦略をしっかりと貫き、全力で闘い抜くことが勝利のカギである。

 第2章 7・7自己批判の精神を貫き入管闘争をさらに進めよう

 第二の柱は、七〇年七・七以来三十年に及ぶ入管闘争の実践をあらためて確認し、さらに発展させることである。
 七〇年七・七から十・八闘争の過程で華僑青年闘争委員会から発せられた告発・糾弾は、日本の反スターリン主義・革命的共産主義運動にとって、これまでの一切を転覆させるような衝撃力をもっていた。われわれは、この告発・糾弾に対し文字どおり生まれ変わるような決意をもって自己批判した。以来、この自己批判の立場を常に貫くことが要求されてきた。
 七・七自己批判の精神は、直接的には入管闘争として具体化されてきた。帝国主義による排外主義、差別主義の洪水のような攻撃と、それに屈服し続けてきた既成指導部−社・共によって階級性を歪められ、汚染され続けてきた日本労働者階級にとって、アジア人民、在日アジア人民から発せられる弾劾や糾弾にこたえ、連帯を形成することは並大抵のことではない。七・七自己批判は、こうしたわれわれ自身の階級性を厳しく検証するものとしてあった。
 これは、自己の思想問題を自分の力で切開していくことのできる真の階級性を獲得するための不可欠の闘いである。入管闘争の具体的実践をとおして生み出し、つくり出した連帯の絆(きずな)を日常不断に強化していくことが不可欠なのである。在日朝鮮・中国−アジア人民との具体的実体的関係をあらゆる方向からつくり出し、守り、発展させることを地道に追求することだ。入管闘争は常にその最先端的切り羽となっているのだ。
 「われわれは、在日朝鮮・中国−アジア人民への日帝の入管攻撃、日帝の帝国主義的民族抑圧やアジア侵略の攻撃全般とたたかう義務がある。このことはきわめて厳しい階級的倫理性の問題ですらある。われわれは、階級的倫理性ということには生命をかける重さがあると同時に、そこには革命論的な意味があることを確認した。
 すなわち、この質がたたかいのなかに貫かれることをとおしてきりひらかれる地平のうえに、在日朝鮮・中国−アジア人民との関係が築かれ、そこから学び、教えられ、助けられることは無限にあり、そのことが日本のプロレタリアート人民の階級闘争自体の革命的爆発的発展へとつながっていくものとしてあるのだ。階級的倫理性ということのなかには、学び・助け合う真の連帯関係ができるという質と内容があり、それは階級闘争の発展にもものすごい力を与えるものがあるのだ」(清水丈夫選集第二巻序文)
 こうした立場を鮮明にして、七〇年以来、地をはうような入管闘争を地道に推進してきた。とりわけ九〇年以来の入管闘争の再構築の闘いは、毎年四−五月の入管闘争が着実に前進してきたことに示されるように、階級的共同闘争の内容と質を大きく前進させるものとなっている。いかなる状況でも、われわれが入管闘争をわが身にとって必須(ひっす)不可欠の課題として担い抜くことが、階級的倫理性として求められていることを強く明らかにしてきたのである。

 第3章 9・3首都治安出動演習阻止の闘いに全力で立ち上がれ

 第三の柱は、以上の確認の上で、具体的な課題についてである。
 前提的にはっきりさせたいことは、九・三の自衛隊三軍統合首都治安出動演習を阻止する闘いに全力で取り組むことである。
 石原慎太郎の登場は、戦後日本階級闘争史上において本格的ファシストとの闘いをつきつけている。石原は、関東大震災の中で引き起こされた大虐殺を知り尽くしているからこそ、在日朝鮮人・中国人が多く住む地域で自衛隊の治安出動演習を強行しようとしているのだ。関東大震災での朝鮮人・中国人大虐殺を二度と繰り返させないという、七〇年七・七自己批判で誓った決意を字義どおり実践することが求められているのだ。七・七路線の実践として、九・三治安出動演習を阻止する闘いを人民の海として実現していくことだ。
 「神の国」「国体を守れ」「銃後の守り」と連続する森暴言の行き着く先は、有事立法・改憲の攻撃である。九・三治安出動演習はその攻撃と一体のものなのである。自衛隊三軍統合で行われ、都庁に司令部を置くこの演習は、それ自身が首都戒厳体制の訓練である。沖縄サミット粉砕決戦を闘い抜くわれわれこそが、この自衛隊治安出動演習を突破口とする新安保ガイドラインの発動を阻止する闘いに立ち上がらなければならない。
 その上で、第一に確認したいことは、入管法・外登法−入管体制粉砕の入管闘争を原則的に全面的に闘い抜くことである。
 今日、入管攻撃はすさまじい激化をたどっている。ファシスト石原の「三国人」発言を契機に、民族差別、排外主義の攻撃が激しくなっていることは重大である。特に外国人を人間と認めないかのような攻撃が続いている。
 九七年に起きた東電女性社員殺害事件の犯人にデッチあげられ、強盗殺人罪に問われたネパール人青年への度重なる人権侵害の裁判所決定は、絶対に許せない。
 このネパール人青年は、四月十四日に東京地裁で無罪になったにもかかわらず、「不法残留」を理由に釈放されず、東京入国管理局に収容された。その上で検察側が控訴し、東京高裁高木裁判長が一審無罪の人間に対して「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由がある」と強弁して、職権で勾留を決定した。さらに、最高裁が三対二で職権勾留を認めるに至った。
 無罪の人間が何ゆえにここまで人権を踏みにじられなければならないのか。「日本人だったら勾留は求めない」(検察幹部)という発言にいみじくも暴露されているように、無実の青年がネパール人だった、ただそれだけのことで三年の長期勾留後も引き続き、裁判所の手によって獄に閉じ込められているのだ。こんな理不尽がまかり通っているのが入管体制なのだ。
 入管体制のもとでは外国人、特にアジア人への人権抑圧・抹殺は日常茶飯事である。「外国人は煮て食おうと焼いて食おうと自由」という入管体制の本質が貫かれているのである。
 また、在留特別許可を求めて出頭したイラン人五家族に対して、六月三十日に法務省が下した裁決も、法務大臣の「自由裁量」の無制限の拡大を示している。
 昨年十二月二十七日に出頭した五家族のうち、一家族のみに在留特別許可が認められたが、残る四家族は不許可となり、四家族の父親が収容所に収容されてしまった。さらに同日、兵庫でもペルー人一家に対して不許可の決定が出された。相次ぐ不許可決定にはまったく根拠がない。法務大臣の自由裁量権の大幅なエスカレーションだけがその「理由」なのである。
 ガイドライン攻撃のもとで入管法・外登法の改悪が強行され、第二次入管基本計画の策定がなされた。戦時入管体制は物質力をもって在日の外国人、特にアジア人に襲いかかっている。全国的に逮捕・連行が相次いでいる。
 こうした入管体制の現実と全力で闘うことこそが、まず初めにはっきりさせられなければならない。
 第二に確認したいことは、第一と連動したものであるが、入管収容所の新たな建設を許さない闘いの重要性である。
 茨城県牛久市の東日本収容所、大阪府茨木市の西日本収容所、長崎県大村市の大村収容所に次いで、東京・羽田に八百人収容の東京収容所が建設されようとしている。石原都知事の羽田空港国際化政策と連動して、ガイドライン体制下での収容所として建設が計画されている。地域の力を結集させ、石原と対決する質をもった闘いとして、東京収容所建設反対運動に取り組んでいこう。
 第三に確認したいことは、戦争責任・戦後補償についてである。
 七月十一日、不二越に対して未払い賃金の支払いと損害賠償を求めた元女子挺身隊員らの訴訟に関して最高裁で和解が成立した。しかし、企業責任にはあくまでも触れず、不二越は「謝罪する必要もないし、罪の意識もない」と開き直っている。新たな侵略戦争への道を突き進む日帝は、謝罪と賠償なしに歴史を清算することを狙っており、そのためには涙金をばらまくことを含めて「二十世紀中の解決」を策動しているのだ。
 われわれは、軍隊慰安婦とされた女性たちを始めとするすべての戦争被害者・犠牲者の怒りと固く結びつき、戦争責任・戦後補償の実現をめざして粘り強く闘い抜かなければならない。
 以上の三つを軸にしながら、入管闘争をうまずたゆまず推し進めよう。情勢の激動化は、国内においては必ず入管攻撃の激化を引き起こす。七○年以来の入管闘争の蓄積を継承し、発展させながら、七・七精神を貫徹しよう。
 最後に、重ねて九・三首都治安出動演習阻止の闘いを大衆的に全力で闘い抜くことを確認したい。
 排外主義と差別主義の扇動のあらしの中で、日本プロレタリアート人民の国際主義的連帯をかけたものとして、七・七精神の具体的実践として、九・三闘争を渾身(こんしん)の力をこめて闘い抜こう。この闘いの勝利の中に二十一世紀を闘い抜く道筋も一層はっきりと照らし出される。
 闘うアジア人民、沖縄人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ。今こそ、そのために全力で闘うときである。

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週刊『前進』(1966号5面2)

 2000年日誌 阻もう!戦争への動き

 「15年の使用期限は不可能」

 「思いやり予算」5年間延長

●「軍艦は抑止力」と石原
 石原慎太郎東京都知事が都議会代表質問の答弁で、噴火で住民が避難した伊豆諸島・三宅島の周辺海域に自衛艦や海上保安庁の巡視船が多数停泊していることについて、「一種の抑止力になると思う」と発言した。(5日)
●「15年は不可能」と新防衛庁長官 虎島和夫防衛庁長官は、就任インタビューで米軍普天間飛行場の移設問題に関して、十五年間の使用期限設定は「不可能」との認識をいったん表明したが、同日深夜に異例の緊急記者会見を開き、発言を取り消した。(5日)
●米兵事件に相次いで抗議
 米海兵隊員による女子中学生への暴行未遂事件に対して、女性団体や政党、労働団体などが米国総領事館や沖縄県庁、外務省沖縄事務所、那覇防衛施設局などに対し相次いで抗議行動を行った。(5日)
●沖縄県政策参与が「平和は軍事力で保障」と投稿
読売新聞朝刊解説面の「論点」に沖縄県の比嘉良彦政策参与の「サミット開催の意味」と題する投稿が掲載された。この中で比嘉は「県民の多くはこれまで、『非武装の思想』で安全保障観を形成してきた。ところが、国際社会は『平和は軍事力で保障される』というのが常識だ。サミットとは、まさにそうした考えを持つ首脳らが話し合う場で、これを沖縄で開催することは、この国際社会の常識を共有すること」と主張している。(5日)
●過剰警備に沖縄弁護士会が異例の談話 沖縄弁護士会が、沖縄サミットに向けた過剰な警備体制に対する談話を発表した。談話は「北部地区や空港周辺、首里地区では交通規制や多数の警察官の立哨警備が行われ、まさに街が警察に制圧されたと言わざるを得ない異常な状況」だと指摘し、@職務質問や所持品検査、車両検問など市民生活への不当な干渉、Aビラ配布など表現活動の妨害、Bサミットや基地に反対する市民運動に対する事前取り締まりなどを行わないように求めた。(5日)
●米兵暴行未遂事件で抗議決議 米海兵隊員の暴行未遂事件に対し、沖縄県議会は、「在沖米海兵隊員の住居侵入及び女子中学生に対する準強制わいせつ事件等に関する意見書・抗議決議」を全会一致で採択した。(5日)
●名護市議会も抗議決議
米海兵隊員による女子中学生への暴行未遂事件で、名護市議会が臨時議会を開いて、抗議決議を全会一致で可決した。(6日)
●森が「政府がどうこうという話じゃない」と発言
森喜朗首相が、沖縄の米海兵隊員が起こした女子中学生への暴行未遂事件の政府の対応について、「政府がどうこうという話じゃない。これ以上、政府として罰することはできないので、どう処理していくかは海兵隊が考えることだろう」と語った。(7日)
●行動する女たちの会が抗議集会 「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」の約百人が、在沖米海兵隊基地司令部に近い北中城村石平のキャンプ・フォスター第一ゲート前で抗議集会を開いた(写真)。「軍隊は人間を守ってくれない」「NO MORE 
BASES!! NO MORE VIOLENCE!!(基地、暴力はいらない)」と訴えた。(8日)
●サミット蔵相会合開幕
九州・沖縄サミット(主要国首脳会議)の蔵相会合が宮沢喜一蔵相を議長にして、福岡市で開かれた。情報技術(IT)革命への対応など、沖縄で開かれる首脳会議への四つの報告書を採択した。(8日)
●米、NMD実験また失敗
 米国防総省は、米本土ミサイル防衛(NMD)の三回目の迎撃実験を行ったが失敗した。敵のミサイルに見立てた標的を直撃するはずの迎撃体が、打ち上げ用ロケットから切り離されなかったのが原因。これで三回の実験のうち二回が失敗した。「二〇〇五年配備」の目標は見直しを迫られることになる。(8日)
●米兵が今度はひき逃げ事件 沖縄市の国道330号で横断歩道を渡っていた男性が乗用車にはねられ、車はそのまま逃走した。男性は両足などにけがをした。現場に戻ってきた在沖米空軍嘉手納基地所属の三等軍曹が容疑を認めたため、緊急逮捕された。(9日)
●思いやり予算継続 日米両国政府は、在日米軍の駐留費用の日本側負担(思いやり予算)問題について、二〇〇一年三月末で期限切れとなる現行の日米特別協定の枠組みを、同年四月以降も基本的に維持することで合意した。新協定の有効期間は、二〇〇六年三月までとなった。(10日)

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週刊『前進』(1966号6面1)

 サミットに異議あり! 6

 反戦自衛官 小多基実夫さん

 現実化する侵略出兵に自衛隊兵士獲得が重要

 新たな琉球処分

 今度のサミットの意味ですが、沖縄に対する新たな差別・抑圧の攻撃です。新たな「琉球処分」です。
 森首相がホストとして開催するわけなんですけど、この間の「日本は天皇中心の神の国」「国体護持」という森首相の発言をみてもわかりますが、かれは天皇主義者です。
 沖縄は、「国体」つまり天皇制を守るため、時間稼ぎのために、県民の三分の一が死んだ沖縄戦を強制されました。天皇のために沖縄戦は強要されたのです。知花昌一さんも言っているように皇民化教育、天皇制教育によって、沖縄県民は集団自決に追い込まれていったのです。
 敗戦後は、国体護持、天皇制の温存のため、ヒロヒトの命乞いのために、沖縄を半永久的に支配してくれと、天皇の方からマッカーサーに進言した。このことが今日、沖縄にずっと基地がある最大の原因です。
 沖縄と天皇制、皇民化教育、そして「日の丸・君が代」は非和解の関係、共存できない関係として存在しています。だから森首相がサミット開催ということで、沖縄に乗り込んでいくということは、とりわけ許せない。
 サミット警備で、本土から二万六千人の警察を引き連れていって、沖縄を制圧しようとしています。それから自衛隊と海上保安庁を、米軍基地などの警備ということで治安弾圧体制につけようとしています。
 失業率が高いこともあって、沖縄の自衛隊は基地労働者とともに、沖縄出身の隊員が多い。そういう人を沖縄県民の前に立たせて、沖縄の基地とサミットを守らせようとしている。非常に胸が痛みます。

 「アジア重視」へ

 森首相は沖縄サミットで何をやろうとしているのか。
 「アジア太平洋のキーストーン」ということでアメリカは沖縄を支配してきたわけですが、森は、それを日本の力で米軍基地が存続できているのだということを、世界に誇示する場にしようとしています。
 それに対してアメリカはどうなのか。先日、統合参謀本部が「統合ビジョン2020」で、中国の脅威によってアジアは大動乱の過程に入っていく、それにアメリカはどう備えるかという戦略、米軍戦力の重点をアジアへ転換するという方針を発表しました。
 そのためにも沖縄の基地は絶対に手放さない、重要な場所だということを宣言するために沖縄サミットに乗り込んでこようとしている。サミットの前に、「統合ビジョン2020」を発表したのは、政治的・軍事的に重大な狙いがあると思います。
 クリントン大統領が、「基地問題の解決なしに沖縄には行きたくない」と言ったのは、新基地建設を日帝に強要するという恫喝だったわけです。その裏には「統合ビジョン2020」で、アジアで侵略戦争をやるためのオスプレイを配備できる海上基地をどうしてもつくる必要があるということです。
 だから名護の新基地建設問題と沖縄サミットは、本当に不可分一体のものです。
 米軍が沖縄戦以来占領し、一日たりとも手放したことはない嘉手納基地に、クリントン大統領はサミット参加のために降り立つ。日帝が制圧している場所ではなく、自分が指揮している米軍が制圧している所に着陸するということです。当然、他の帝国主義の首脳は使えないわけです。それを他の帝国主義に示そうとしているのです。マッカーサーが来たときのイメージです。占領者然として沖縄に行く、そういうことを世界に承認させようとしている。
 サミットそのものが、沖縄を米帝と日帝のどっちが押さえるのかという、あるいはアジアをどっちが取るのかという戦場になっているのです。本当に激しい争闘戦の場になっています。
 こうした中で日帝も、どんなことをしてでも名護に海上基地をつくろうとしている。これから日米争闘戦が激しくなっていくと、ますます沖縄にしわ寄せがいくようになる。
 こういう強盗どもの戦争会議に対して、労働者人民は、サミットそのものを粉砕しなければならない。

 沖縄と連帯貫く

 私は、一九七二年の沖縄返還の時に、自衛隊の沖縄派兵に反対して立ち上がりました。ちょうど今度の七月十九日にその処分撤回の裁判の判決が東京高裁で出ます。二十八年間、沖縄との連帯を貫くものとして闘ってきました。これからも一歩も引かず闘っていくつもりです。
 ガイドライン体制のもとで自衛隊はいよいよ侵略出兵が現実化するプロセスに入っています。安保・沖縄闘争の爆発の中で、兵士を獲得していくことが重要な位置を持っています。沖縄サミット粉砕、九・三自衛隊治安出動演習粉砕へともに闘っていきましょう。   
 (おわり)

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週刊『前進』(1966号6面2)

 ”百万人署名”が東京集会

 沖縄の怒りと連帯

 台風一過の夕刻、「サミットに異議あり! 新たな米軍基地建設を許さない七・八集会」がシニアワーク東京で開かれ、約百人が集まった。百万人署名運動(とめよう戦争への道! 百万人署名運動)の東京の各連絡会共催の集会だ。
 特別ゲストの朴慶南(パクキョンナム)さんの講演はパワーあふれるものだった。エッセイストの朴さんは現在、「石原やめろネットワーク」の共同代表。朴さんは冒頭、南北朝鮮首脳会談後のダイナミックな民衆の動きを紹介、韓国や沖縄の米軍基地を存続させてはならないと訴えた。
 そして、「石原慎太郎都知事は、一番政治家でいてほしくない人」「この人だけには権力を与えてはならなかった」と強調した。
 「『三国人』発言を聞いて、体が冷えました。怖かったです。彼は眠っていた差別発言をよみがえらせました。彼は知らなかったのではなく、知っている。自覚的な確信犯です。すでに二十三年前の小説で彼は、川崎市の三国人が騒擾(そうじょう)を起こすと書いています」と怒りを込めて暴露した。
 九・三自衛隊首都治安出動演習については、集会の後半に東京東部連絡会から重要な事実が報告された。「都営地下鉄の場合、穴を掘ってレールを敷いた後、十カ月ぐらいは慎重に試運転が繰り返される。最後は満員に相当する重量で試運転を行い、陸運局が許可する」。九・三演習には、自衛隊の輸送に大江戸線の未開通部分を使うことについて、「危険なことだ。このファシストのやり方にほんとうに怒りを覚える」と弾劾した。
 高嶋伸欣琉球大教授が講演した。沖縄サミットを目前にした七月三日、自宅で就寝中の女子中学生を米兵が襲うというショッキングな事件が起きた。高嶋さんは、沖縄では十五日に抗議の県民大会が五千人規模で開かれると報告。九五年九月に起きた米兵の少女暴行事件とその十・二一県民抗議集会の八万五千人の結集を、当時の新聞記事を広げて紹介し、「予定を変更できる方はぜひ県民大会に結集してほしい」と訴えた。
 そして、戦後、自らの延命のために沖縄を日本から切り離し、アメリカに売り渡した天皇の「天皇メッセージ」の問題をあらためて取り上げ、「この昭和天皇に対する怒りが、沖縄のマグマの熱源のひとつである」と指摘した。それは同時に、日本人の責任が問われていることだと、歴史の事実を見きわめる視点を提起した。
 沖縄の反戦地主の女性は、辺野古の命を守る会がクリントンに対する請願署名を集めて、サミット中に直訴を計画していることなど、地元の切実な思いを紹介した。「最近特にうれしかったこと」として衆院選で普天間基地の県内移設反対、名護新基地反対を掲げた候補の圧勝を報告した。
 「皆さん、勝ちましょう。負ける闘いをしてはいけません」との朴さんの訴えにこたえたい。石原の居直りを許さず謝罪・辞任を迫ること、そして九・三自衛隊三軍による治安出動演習をなんとしても阻止することだ。
 沖縄の女子中学生はどれほど恐怖を感じたことか。基地と隣り合わせの生活の現実をまたもや突きつけられたのだ。サミット粉砕、名護新基地建設阻止へ沖縄に駆けつけよう。
 (投稿・山岸いずみ)

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週刊『前進』(1966号6面3)

 盗聴法廃止を要求

 署名が18万筆超える

 盗聴法の廃止を求める署名実行委員会は、七月五日午後一時から参議院議員会館で、盗聴法の廃止を求める国会請願署名の第四次提出行動を行い、新たに六万三千五十九筆を衆参両院議長に提出しました。
 今回で署名の累計は実に十八万千五百四十七筆に達し、盗聴法廃止の声の広がりを示しました。署名提出行動には、約三十人の労働者、市民が参加し、出席した福島瑞穂議員、竹村泰子議員、畑野君枝議員、橋本敦議員、照屋寛徳議員、木島日出男議員と緒方靖夫議員、中村敦夫議員の二議員秘書に署名を手渡しました。(写真)
 実行委代表の海渡雄一弁護士があいさつし、「二十万近い署名数と今回の総選挙での盗聴法推進派の与謝野馨議員の落選や上田勇議員の小選挙区での落選は民意が盗聴法廃止にある証拠」と強調しました。
 これを受けて、福島議員が「廃止法案を超党派で臨時国会に提出する」と表明し、他の議員も署名の力を背景に盗聴法廃止に向けて闘う決意を表明しました。
 実行委は、議員会館を回り、各議員に廃止署名への協力も訴えました。
 政府は、盗聴法の八月十五日施行を決定しました。しかし、続々と集まる署名は、悪法は絶対に認めないという労働者、市民の力強い意思を示しています。この意思を貫き、盗聴法廃止を絶対にかちとろう。
 (投稿 Y・H)

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週刊『前進』(1966号6面4)

 国政へ初挑戦 衆院選を闘って

 住民のエネルギーに学んだ選挙闘争 山元孝一

 二二、七九九票の獲得は結果としては厳しく、悔しさでいっぱいです。だが国政選挙に初めて登場し、厳しい党派闘争の中で既成の野党とは違う選挙闘争のあり方をつくり出して獲得したかけがえのない票です。
 介護保険闘争を大衆運動として組織化していった数カ月の過程で、ある種の革命ともいえる決起がつくりだされた。選挙終盤における、白タスキをかけた介護と福祉を要求する杉並住民の会の決起は、今までの都革新の選挙イメージを変えた。労働者住民が自分たちの真の代表を国政に送りだそうとする必死の姿であり、会の人たちは商店街を候補と一緒に練り歩き、ビラをまき、電話依頼を行い、選挙事務所の提供やら事務所でのハガキ書きなどの行動に決起した。
 介護保険制度の問題は最初から全区民が問題としたわけではない。アンケート調査を行い大衆論議の口火を切り、問題意識を持った人たちを中心に学習会が組織された。
 介護保険制度に対する根本的批判ができた時、参加者は「高齢者からも保険料を取るのか」「これは介護と福祉の切り捨てである」「こんな制度は廃止しなければいけない」と、怒りをあらわにし、もっと多くの人に知らせようと学習会が組織されていった。
 地域の学習会に参加した区民からの「この制度は許せない。どうぞ議員・運動員の皆さん頑張って下さい」という要請を、いったんは受け入れた。このことへの反省と総括の中で「議員もがんばるが、これは住民自身の課題である。自らが立ち上がり、制度を廃止し、必要な介護と福祉は自分たちの運動でかちとらなければならない」と住民を自己解放の主体として措定し、住民自身の決起を促した。これが、住民の会の自己解放的決起をつくりだす決定的な契機となった。
 以来、三十六町で会員が組織化されていった。そして運動の主体として、日に日に住民自身が変わっていった。五月末に初めて学習会に参加した人が、次の学習会では司会を務めた。告示後には、自分たちで地域にビラをまき、高齢者との論議で説得できなかったと言って、開設された選挙事務所で学習会をやり、午後からまたビラまきに決起するなど、数週間で活動家になってしまった。
 この一カ月あまりの住民の決起の姿は、本当に労働者階級は解放の主体として社会を変革するエネルギーをもっていること、それを学び、学ばされた選挙闘争でした。既成の野党とは違う選挙闘争の大きな一歩を切り開いた地平から、次の勝利に向かっていきたい。

 街宣隊として区民の決起と触れ合う 鈴木純二

 今回の衆議院選挙闘争では、街宣隊として約半年の間、ほとんど毎日を杉並の街頭に出て闘いました。
 街宣隊として私たちが行ったことは「働く者の決起を、この選挙戦を通じてつくり出そう」ということでした。「共産党など既成野党では政治は変わらない。政治を変える力は私たち働く者の中にある」「働く者の代表、長谷川を国会に送ろう」と、朝ビラで、昼の「辻説法」と「流し」で、夕街宣で訴えました。
 私の印象では、とにかく今回の選挙は、「歌に始まり、歌に終わった」選挙だったということです。区民の手で都革新のテーマソングができたというのは画期的なことでした。それほどまでに、労働者大衆の今の福祉切り捨てと戦争の政治をなんとか変えたい、長谷川さんに変えてもらいたいという期待を痛いほど感じることができました。「寂しくて 一人孤独な そんなときでも 負けないで」||介護保険闘争でのお年寄りや家族の気持ちにこれほどぴったりな歌はないと思います。宣伝カーでこの歌を流しながら走るたびに、支持者が家から出てきて手を振りながら「長谷川さん、頑張ってー」と声援してくれた姿は、今も忘れることはできません。
 そして、選挙の終盤戦で実現できた若者による「ゲリラ・ライブ」です。かれらは、「戦争と差別の石原都知事と対決している政治家がいると知って、ほんとうに感激した」と、手紙を寄せてくれたことから彼らとの関係が始まりました。
 そして私たちの方が感激したことは、なんと介護保険反対の歌を、『前進』を参考にしてつくり、演奏してくれたことです。「介護保っ険、ノーノーノー」というこの歌は、まさに介護保険闘争が生み出した初めての歌にほかなりません。「差別はいやだーっ、戦争はごめんだーっ」というかれらの叫びは、若者だけでなくすべての世代をとらえたということができると思います。実際に、かれらの歌を聴いて「長谷川さんに入れる」と言った人は少なからずいました。
 今回の選挙は、私たちの政治宣伝と区民の自己解放的な決起が初めて一体となった画期的な選挙だったと思います。戦争と福祉切り捨てに反対する労働者大衆の運動は今まさに始まったばかりです。この道をまっしぐらに突き進むならば、私たちは次の選挙では石原に勝利できます。
 ともに闘いましょう。

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