週刊『前進』(1965号1面1)
戦争会議=サミット粉砕を
在韓米軍基地撤去へ闘う朝鮮人民と連帯し
米兵の少女わいせつ事件弾劾 クリントンと森の来沖を許すな
マル学同中核派から決戦アピール
革共同は、衆院選決戦で長谷川英憲候補を押し立て、ファシスト石原伸晃を先兵とした自公政治、大政翼賛会的政治と全面対決する戦後最大の政治決戦を闘いぬき、国政初挑戦で二二、七九九票を獲得した。とりわけ、介護保険闘争の大衆的発展を切り開き、新しい政党・政治勢力として日本階級闘争に登場することに成功した。また、七・一国労臨大では、「JRに法的責任なし」という闘争団の切り捨てと国労の無条件全面降伏に、国労闘争団を先頭とする国労組合員の怒りが爆発し、「四党合意」の採決強行を粉砕した。他方、在韓米軍の撤退を求める朝鮮人民の闘いは、沖縄人民の米軍基地撤去闘争と結合して、東アジアの戦後体制を根底から崩壊させる闘いとして発展しようとしている。ますます沖縄サミット決戦が二十一世紀を左右する大決戦となった。闘う朝鮮人民、沖縄人民と連帯して、沖縄サミットを粉砕する大デモに決起しよう! 全国の学友諸君! 君の決起を沖縄人民は待ち望んでいる。今、君が決起することが沖縄人民を鼓舞激励し、戦争を阻止する力になる。全学連の大隊列を沖縄現地に登場させ、沖縄サミットを粉砕せよ!
第1章 世界ゆるがす戦闘的大デモ爆発させよう
まず何よりも在韓米軍撤退を求める朝鮮人民の闘いに、日本プロレタリアート人民がどうこたえるのかが沖縄サミットに対する態度として鋭く問われている。
米帝クリントンやオルブライトは、「在韓米軍は撤退しない。統一後も撤退しない」「南北統一は過度な幻想だ」と言い放ち、朝鮮人民の民族統一の願いを軍事力を発動しても踏みにじることを沖縄サミットで宣言しようとしている。
日本プロレタリアート人民は、「沖縄サミットの成功」などと言って帝国主義の朝鮮南北分断支配に加担するのではなく、朝鮮人民の南北統一への闘いと連帯し、「戦争会議=沖縄サミット粉砕! 米・日帝国主義の朝鮮・中国侵略戦争絶対阻止!」を掲げて決起しようではないか。日本プロレタリアート人民にとって、朝鮮人民の闘いと連帯していく中にこそ、自らを抑圧してきた帝国主義とスターリン主義を打倒して、自らの解放をかちとっていく道があるのだ。
沖縄サミットを根底的に規定しているのは、朝鮮人民の南北分断打破=革命的統一への闘いが戦後世界体制を全面的崩壊へとたたき込むものとして開始されたということであり、それをめぐる米・日帝国主義間の争闘戦の激烈化と朝鮮・中国侵略戦争のより一層の歴史的切迫である。
朝鮮人民の民族統一への闘いは、南北分断体制を護持するための帝国主義軍隊=在韓米軍への怒りとして爆発している。ソウルに近い梅香里(メヒャンリ)では、在韓米軍の爆撃機の爆弾投棄で多数の農民が負傷したことによって労働者人民の怒りが爆発し、警察・機動隊と激突して米軍基地突入や抗議デモが闘われている。朝鮮人民の民族統一への願いは、南北首脳の思惑がどうあれけっして押しとどめることはできない。
朝鮮人民は、帝国主義とスターリン主義の南北分断体制の中で、民族統一への願いを徹底的に踏みにじられながら闘ってきた。朝鮮人民の民族統一への願いや自己解放のエネルギーは、戦後世界体制を根底的に突き破って、解き放たれていくしかないのだ。
すでに、ソ連スターリン主義崩壊以後、帝国主義は崩壊したスターリン主義圏や残存スターリン主義圏の取り込みと再分割をめぐって激しい争闘戦を展開し、ユーゴスラビア侵略戦争に示される軍事的再分割の時代が今や到来している。アジアにおける戦後体制の全面的崩壊過程への突入は、南北朝鮮情勢と中国・台湾情勢を最大の焦点として米・日帝国主義間のアジア勢力圏化をめぐる争闘戦を戦争的に激烈化させる。朝鮮・中国−アジアをめぐる世界大戦級の戦争が歴史的に切迫しているのだ。
沖縄サミットこそ、米帝を先頭とした国際帝国主義が朝鮮人民の民族統一の願いを軍事力でたたきつぶし、帝国主義のアジア支配−世界支配を暴力的に貫徹することを宣言する場だ。「北朝鮮の核・ミサイル開発は脅威」と言いなし、朝鮮人民の在韓米軍撤去闘争や民族統一に向けた闘いを「周辺事態」と決めつけ、米・日帝国主義が軍事介入=侵略戦争に踏み出そうという会議が、どうして「平和の発信」なのか!
朝鮮人民の闘いに対する日本プロレタリアート人民の熱い連帯の決意を沖縄サミット決戦で示そうではないか。サミット会場を包囲する怒りの大デモで、沖縄サミットを粉砕せよ!
第2章 クリントンの「平和の礎」演説など許せない
沖縄サミット期間中、米帝クリントンは平和の礎(いしじ)で演説し、「沖縄が米軍駐留を受け入れ、世界の平和維持に貢献しているとの立場から、県民に謝意を表す」という。
戦争の放火者=米帝クリントンが沖縄戦の戦没者の名前が刻まれている平和の礎に足を踏み入れることを許してよいのか。沖縄戦で犠牲になった二十万沖縄人民を、死してなお踏みにじることを許してよいのか。否だ。
沖縄米軍基地とは何か。米帝・米軍は、沖縄人民に何をしてきたのか。
「一番心が痛むことは、私たち自身が沖縄戦で体験したこと、軍隊のために、国益のために庶民が一番の被害者となっていることです。近代戦争では、局地戦であっても最も大きな犠牲を受けるのは民衆です。そうしたことが、沖縄から出ていった米海兵隊などによって引き起こされている。 沖縄の米軍基地が戦争のために使われていることが、いたたまれないわけです。だから基地反対運動をやっている。また、外に向かって侵略する軍隊は、人殺しのストレスから、後方の沖縄でも犯罪を行い、沖縄の人たちの人命を奪ったり、人権を侵害したりする。こういう犯罪が枚挙にいとまがない。外にも大きな被害、内でも被害が出る。こういうことから、沖縄と日本全体から、米軍基地は絶対になくしてほしい」(元沖縄違憲共闘会議議長・宜保幸男さん。本紙前号7面)
米帝クリントンは、沖縄人民に謝罪し米軍基地撤去を約束するのではなく、「ありがとう。これからもよろしく」と言い放ち、新たな米軍基地を建設しようとしているのだ。
クリントンが沖縄に来ること自体が絶対に許せない。七月三日未明、沖縄市の民家に米海兵隊員が侵入し、寝ていた女子中学生にわいせつ行為を働くという米軍犯罪が発生した。巨大な米軍基地があるからこそこういう事件が続発するのだ。今、沖縄人民の怒りが爆発している。サミット粉砕! 米軍基地撤去! クリントンと森の来沖を絶対に許してはならない。
だが森は、「世界を代表する各国首脳に非礼があってはならず、県民あげて心から歓迎しなければならない」と言い放っているのだ。
しかも、米帝クリントンが「沖縄サミットは、日米同盟の戦略的重要性を示すよい機会」などと言うことに対して、日帝も沖縄サミットで、「沖縄が北東アジアの安全保障で重要な役割を担っていることを伝える」(河野外相)などと、沖縄米軍基地は日帝の沖縄差別政策によって初めて存在できるということを米帝と他帝国主義に認めさせようとしている。
六月二十七日には、日帝・森は昨年改悪された米軍用地特別措置法に基づいて、「象のオリ」などの使用認定を行い、新たな土地強奪に手を染めた。
そして沖縄サミットでは、米・日帝国主義の双方から沖縄米軍基地の戦略的重要性なるものが確認され、沖縄をどの帝国主義が制圧しているかを競い合い、新たな米軍基地建設を行おうとしている。
「本土の人たちも僕たちが今抱えている苦しみ、基地があることによって受けているすべての苦しみに共感して、基地を取っ払うために一緒に本気で頑張ってもらいたい」(宜保幸男さん)
今こそこの訴えに日本プロレタリアート人民はこたえよう。沖縄米軍基地の撤去をかけて、沖縄サミット決戦に立ち上がろう!
第3章 日帝の朝鮮・中国侵略戦争参戦を阻止せよ
沖縄サミットは戦争への道だ。日本プロレタリアート人民にとって、自国帝国主義が朝鮮・中国侵略戦争に参戦するのを認めるのかが問われているのだ。
朝鮮情勢の革命的激動情勢への突入は、日帝を激しい政治危機と体制的危機にたたき込んでいる。この間日帝は、日韓投資協定の年内締結や東南アジア諸国との二国間貿易協定の推進などアジア勢力圏化を必死に追求してきた。だが日帝にとって、激動する朝鮮・中国情勢に帝国主義として対応できなければ、日帝のアジア勢力圏化は根底のところでたたきつぶされる。
日帝・支配階級は、「このままでは日本だけが取り残される」という絶望的な危機感と焦りの中で、沖縄サミットにおいて最も凶暴な侵略帝国主義として登場しようとしている。
日帝・森は、沖縄サミットで朝鮮情勢を最大のテーマとしてとりあげ、「南北首脳間の合意で始まった前向きな動きを全面的に後押ししていくようG8の議論をリードしていきたい」と、サミット議長国の立場を利用して朝鮮情勢に必死にかみこもうとしている。
日帝は、朝鮮情勢の大激動に恐怖しながら、対米対抗的突出と戦争国家化の道に突進する以外にない。日帝は、沖縄サミットで「アジアにおける唯一の帝国主義」として登場し、朝鮮・中国侵略戦争に積極的に参戦し、対米対抗的なアジア勢力圏化を前進させようとしている。新安保ガイドライン体制の本格的確立の攻撃、有事立法・改憲攻撃に打って出ようとしている。都知事ファシスト石原の九・三自衛隊首都制圧大演習は、沖縄サミットに続く戦争国家化への大攻撃だ。
また、日帝は、今年秋の国連安保理常任理事国入りを狙って、沖縄サミットの主要議題に国連改革をねじこんだ。「紛争予防」での国連の機能強化を促し、その中に日帝の役割を位置づけ、国連をとおした自衛隊出兵を狙っている。
朝鮮南北分断体制の根底的崩壊過程への突入は、日米争闘戦を一層激化させ、日帝の体内から対米激突に向けた衝動をますます激化させずにはおかない。
日帝の沖縄サミットにかけた野望を根底から粉砕する日本プロレタリアート人民の闘いが求められている。闘う朝鮮・中国−アジア人民と連帯して、日帝の侵略戦争を阻止せよ!
第4章 嘉手納基地包囲-名護新基地建設を阻もう
日帝の言う「日米安保のために沖縄米軍基地は必要」ということ自身が「沖縄は日本=本土防衛の捨て石になれ」という沖縄戦の考え方であり、沖縄差別だ。日本プロレタリアート人民は、これ以上、沖縄に犠牲と攻撃を集中する日帝を許してはならない。
沖縄サミット粉砕の闘いは、在韓米軍撤退を求めて闘う朝鮮人民と連帯し、沖縄米軍基地を全面的に撤去していく闘いだ。極東最大の侵略戦争出撃基地=嘉手納基地を数万の人民の怒りで包囲し、全世界に向かって「沖縄米軍基地全面撤去!」を発信しよう。
海兵隊の出撃基地=普天間基地に対して、「普天間基地の即時無条件返還! 名護新基地建設阻止!」の大デモをたたきつけよう!
沖縄人民の不屈の闘いは、名護新基地建設問題の決着を沖縄サミット後に追い込んだ。沖縄サミット決戦の爆発で、名護新基地建設を粉砕する巨大な展望を切り開こう。
日帝は、朝鮮人民の闘いと沖縄人民の闘いが結合し、日本プロレタリアート人民の決起が爆発することを心底恐怖している。沖縄の闘いは、日帝の新安保ガイドライン体制の確立=戦争国家体制への全面的転換攻撃と対決し、日帝にとっての最大の困難として立ちはだかっている。
沖縄人民は、沖縄戦の血の教訓、「軍隊は住民を守らない。軍隊と人民は共存できない」「命(ぬち)どぅ宝」の立場を貫いて闘ってきた。
これに対して日帝は、沖縄人民の「沖縄の心」を沖縄サミット翼賛の中で圧殺しようとしてきた。日帝は、稲嶺県知事や岸本名護市長らを使って、沖縄の側から進んで基地を受け入れさせる攻撃をしかけてきた。日帝と稲嶺知事は、平和祈念資料館の展示内容を改ざんし、沖縄戦が国体護持=天皇制護持のための「捨て石」作戦という日帝の沖縄差別政策であったことを抹殺しようとした。琉球大学教授の高良倉吉などが、「日本国民たるかぎり安保とその一環としての沖縄基地は認めよ」という「積極的な侵略の先兵」論を主張している。
問われているのは、本土プロレタリアート人民が日帝の沖縄差別・抑圧政策と対決して闘うことである。
日帝は、本土プロレタリアート人民を沖縄圧殺の加担者にしようとしてきた。その先兵がファシスト・カクマルだ。カクマルは、「中核派の沖縄差別反対を内実とした方針は、沖縄労働者・人民の内面に形成されてきた“ウチナー主義”的な心情を固定化するもの」「反プロレタリア的なもの」などと言って、日帝の沖縄差別政策の先兵になって、闘う沖縄人民に襲いかかってきている。
日米安保の最大の実体は沖縄米軍基地である。沖縄米軍基地こそ、人民大虐殺戦争のための出撃基地だ。
日帝は、沖縄に差別的に基地を押しつけることによって日米安保体制を護持してきた。日本プロレタリアート人民にとって朝鮮・中国侵略戦争に反対することは、日米安保体制と根底的に対決することであると同時に、日帝の沖縄差別政策を同じ階級にかけられた攻撃としてとらえ、日帝の沖縄差別政策粉砕を掲げて闘うことなのだ。
沖縄米軍基地全面撤去を掲げ、嘉手納基地大包囲行動に立とう!
第5章 21世紀はプロレタリアート勝利の時代だ
日本プロレタリアート人民は、沖縄サミット粉砕決戦で、現代世界を根底から変革する主人公として登場しようではないか。
沖縄サミットの議題は、すべて帝国主義による世界支配のためのものであり、プロレタリアート人民の階級的利益とまったく相入れない。粉砕あるのみだ。
@経済分野の「一層の繁栄」とは、IT革命なるものをとおして新植民地主義体制諸国への侵略と一層の従属を強いていくものだ。サミット参加の米、日、独、仏、伊、英六カ国で、世界の富の六〜七割をも独占している。帝国主義の「一層の繁栄」のための強盗会議が沖縄サミットだ。
A社会分野の「心の安寧」とは、“延命しすぎた帝国主義”が生み出した環境問題や食品安全問題であるが、一切の原因は帝国主義にあるのだ。労働者が社会的生産の担い手でありながら、社会の主人公ではなく、資本の価値増殖のためにのみ生かされているという資本主義の転倒性こそが問題なのだ。
B政治分野の「世界の安定」とは、「紛争予防」などと言ってユーゴスラビア爆撃のような侵略戦争を発動し、帝国主義による世界支配を維持しようというもの以外の何ものでもない。
朝鮮情勢と中国・台湾情勢を最先端として、帝国主義のアジア支配を支えた一切の戦後的枠組みが根底的に崩壊する情勢が到来した。朝鮮情勢の革命的激動情勢への突入は、中国スターリン主義の大崩壊の危機、ロシア危機、インドネシアなど東南アジアでの危機とも連動し、米・日帝国主義による朝鮮・中国侵略戦争への凶暴な突進と、アジアの再分割をめぐる帝国主義間争闘戦にいよいよ拍車をかけていく。
他方、帝国主義の侵略と闘うアジア人民の民族解放・革命戦争は、根底から爆発しようとしている。帝国主義に対する世界の労働者人民、被抑圧民族人民の怒りは満ちている。朝鮮人民の闘いは、戦後世界体制を根底から崩壊させる闘いとして爆発する。沖縄人民の米軍基地撤去の闘いは、新安保ガイドライン体制を根底から揺さぶって爆発する。それは不可避だ。
まさに、帝国主義とスターリン主義の世界支配という共通の打倒対象に向かって、国際プロレタリアートの闘いが「一個の軍勢」「新たな人民決起」として開始されたのだ。
それは、帝国主義とスターリン主義のもとでは生きられないという、プロレタリアート人民の「命の叫び」としてある。
こうした中で、プロレタリアート人民の自己解放性を否定し、圧殺してきたスターリン主義を打倒することが、一九三〇年代国際階級闘争の敗北をのりこえるためにも決定的に重要だ。
二十一世紀は「世界戦争か世界革命か」が問われる時代だ。ところが、日共スターリン主義は、「アメリカが横暴をほしいままにする戦争と抑圧の国際秩序か、国連憲章にもとづく平和の国際秩序か――二十一世紀にどちらの国際秩序をうちたてるのかが、人類に問われています」(書記局長・志位)などと許しがたい選択肢をプロレタリアート人民に提起し、日帝の対米対抗的、反動的突出の先兵となっている。
沖縄サミットに対しては、「沖縄を、世界の首脳部に心おきなくみてもらう」などと翼賛し、「帝国主義の平和」の発信を訴えているのが日共だ。
沖縄サミット決戦は、二十一世紀を「世界革命の世紀」とすることをかけた歴史的決戦だ。
朝鮮人民に、全世界人民に、日本プロレタリアートの決意が届くような激しい闘いをやろうではないか。サミット会場=万国津梁館に向かって大デモをたたきつけ、沖縄サミットを粉砕せよ! 日本プロレタリアートの決起で、二十一世紀はプロレタリアートの時代であることを全世界に発信しようではないか!
全学連は、この歴史的大決戦の先頭に立とう!
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週刊『前進』(1965号1面2)
「四党合意」採決強行を阻む
国労臨大「休会」に 大会中止し本部総退陣へ
国労再生の力はここにあり
七月一日、国労第六六回臨時全国大会の決戦は、国労史上、いや日本労働運動史上でも画期的な勝利としてかちとられた。闘争団を先頭とする国労組合員の十三年間のすべてをかけた決起が、国労中央、宮坂・チャレンジ一派、革同上村一派が狙った「四党合意」による闘争団切り捨ての一大暴挙を粉砕したのだ。
(2、3面に関連記事)
会場の東京・社会文化会館前では、午前八時すぎから激しい攻防が開始された。本部執行部や「四党合意」賛成のエリア・地方の役員、代議員らに対する説得・追及が行われた。これに対しなんと国労本部は、機動隊を導入、一人の組合員が逮捕された。開会は五時間にわたり阻止された。
午後六時から強行された臨大では、闘争団・家族を先頭に本部側を激しく弾劾。家族が壇上から胸を打つ圧倒的な発言を行った。
だが、これに一切こたえることなく討議が打ち切られ、書記長集約が強行された。拍手による「採決」が寸前に迫った。許せない。闘争団を先頭とする数十人の組合員が演壇に上がり、方針案の採決強行を阻止した。本部執行部は全員逃亡し、ついに午後九時すぎに「休会」に追い込んだ。
実に十三時間にわたる壮絶な闘いによって、「国労がJRに法的責任がないことを認める」ことを始めとする「四党合意」の受け入れを阻止したのである。
まさに、修善寺大会を超え、国労の歴史を塗り替える、国労の階級的再生への突破口を開いたのだ。
この感動的な勝利を引き継ぎ、「続開大会」(二十日以内に議長が招集)を絶対に阻止するため、非常の決戦態勢をとって闘おう。
国労本部執行部は、許せぬことに、七月三日付の「第六六回臨時全国大会と大会休会についての見解」で、「中央執行委員会は、これら一連の大会破壊の暴力行為に対し、非難すると共に憤りをもって抗議する」と表明した。そして、“あとは採決するだけだ”という続開大会を画策しているのだ。
一切の責任は執行部にある
断じて許すことはできない。この「見解」は、まさに「三度目の首切り」を組合の名をもって行い、闘争団を切り捨てるためにのみ出されたものだ。
だが、いったいなぜ演壇占拠にまで至ったのか。それは、国労本部が、「おれたちを切り捨てるな」「私たちの人生を勝手に決めないで」という当事者としての闘争団・家族の血叫びにまったく耳を傾けることなく、国労を死に追いやる「JRに法的責任なし」の決定を強行しようとしたからだ。闘争団の圧倒的な反対の声を踏みにじり、機動隊を導入し、大量逮捕の恫喝で、だまし討ち的に臨大を強行したからだ。
「書記長が質問や意見に答えつつ集約まで進み」など大ウソだ。「集約」は、ただ用意した原稿を棒読みするだけで、代議員の質問や意見には何一つ答えていない。そして、直ちに「採決」を強行しようとしていたのだ。いったい誰が国労の団結の破壊者か。真の分裂主義者は誰か。
まさに、闘争団の決起は、自らの存在が踏みにじられることに対する、やむにやまれぬ正義の闘いである。このことで、「四党合意」受け入れによって破壊されようとしていた国労の団結をギリギリのところで守りぬいたのだ。
闘争団は、真の組合民主主義の復権をかけ、労働者の団結権をかけて自らの意志を表明し、国労本部が破壊した労働組合の本来のあり方をよみがえらせようとしたのだ。闘争団の決起は百パーセント正義である。事態の責任は挙げて本部執行部にある。「政党・政府関係者」への「おわび」などするのではなく、組合員に謝罪し、ただちに総辞職せよ。
「四党合意」受け入れ決定を阻止したことは、国家権力に根底的な打撃を与えた。「四党合意」の狙いは、国労の存在を自己否定させることに最大の狙いがあった。だが、逆に闘争団を先頭にした組合員の怒りの決起を引き出し、十三年の闘いで蓄積された国労の底力を呼び起こしたのだ。
これに恐怖した中央本部は、国家権力と一体となって、闘争団の決起を非難し、JR本体の組合員との分断を策している。だが、闘争団の闘いは、JR本体の組合員との絆(きずな)をより強くし、真に国労三万が一体となって進むべき道を示したのだ。
転向と全面降伏にまで行き着いた「和解路線」ではJR本体も闘えない。闘争団は自らの命がけの決起で、この「和解路線」をうち破り、力で政府・JRを攻め、JR総連=カクマルを打倒し、解雇撤回・地元JR復帰、不当労働行為根絶の原則を貫く反転攻勢の展望を示した。JR本体の組合員に対して、十三年の闘いへの確信を与え、ともに決起する新たな意欲を生み出しているのである。
さらに、この闘いは、全国の労働者に限りない勇気と感動を与えている。首切りと団結破壊の攻撃を打ち破る労働者階級の不抜の砦(とりで)が守りぬかれたのである。
闘争団を守り、支えよう。続開大会を絶対に阻止し、国労本部執行部総退陣、新たな闘う執行部の樹立をかちとろう。
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週刊『前進』(1965号2面1)
国労本部による「3度目の解雇」許せぬ
゛自分たちの運命は自分たちで″
゛演壇占拠″に本部は逃亡
闘争団と家族 「書記長集約」に怒り爆発
七月一日、国労臨時大会の決戦は十三時間に及び、時々刻々、動と反動が渦巻き、息をのむ攻防の連続だった。記者は、「四党合意」以降の闘争団と家族の行動や発言に触れ、必ずや不屈の労働者魂をかけて立ち上がるという確信を持ち、闘争団の闘いと心をひとつにして、現場に立ち会った。根底的な怒りの決起で、「四党合意」による国労解体を狙った国家権力に大打撃を与えた。この日の闘いは、闘争団とJR本体の組合員が一体となって政府・JRと闘い、国労の再生を実現する第一歩である。支援も含め労働者が自己解放をかけて歴史の舞台に躍り出る、ひとつのドラマがあった。以下のドキュメントは、その一端である。(本紙・大沢康)
「直接民主主義を行使」
闘争団は、自らの闘いについて堂々と感動的に次のように訴えている。
「私たち闘争団は妻たちの立ち上がる姿に続いて、最後、演壇を占拠した。私たちは解雇と実際に闘ってきた当該であるにもかかわらず、代議員制度の下では少数派に追いやられた。この『間接民主主義』の“暴力”に私たちは不当労働行為解雇の被害を受けた当事者としての『直接民主主義』を行使した。与党を総動員した権力と、権力と一体化した執行部に怒りの叫びを上げた。われわれの大会中止要請を拒否した執行部に身をゆだね、あのまま拍手による大会方針案承認の道を許せば、私たちは組合から『三度目の解雇』を受けていた。私たちにはこれしかなかった。自分たちの運命は自分で決める。国労には私たちの演壇占拠を支え、一緒に行動し、闘ってくれる多くの仲間がいた。私たちは悪くない。私たちは国労組合員の良心に訴える。私たちの抵抗に支持と理解を! そして、私たちと一緒に闘う勇気を!」(『怒り』上京闘争団ニュースbVから無断転載)
この闘争団の訴えは、以下のような臨大の経過を見るならば、百パーセント正当なものである。
朝からの闘いで、いったん粉砕されたと思われた臨時大会は、午後一時の開会予定から五時間も遅れ、だまし討ち的に午後六時開会となった。闘争団と国労の命運を決めるきわめて重大な大会が、わずか三時間足らずの日程で強行された。断じて許されない暴挙だ。
約百五十人の上京闘争団と家族は、会場の社会文化会館五階ホールの後方に「闘争団は『四党合意』撤回を求めます」との横断幕を掲げて陣取った。
司会の上村副委員長が「方針を満場一致で決定いただく」と開会を宣言すると、ごうごうたる野次がまき起こった。これが伝えられると、会場の正面玄関では、閉め出された組合員が果敢に突入を試みた。
議長には九州エリア本部書記長でチャレンジの田口代議員、副議長に東京地本の革同上村派の江田代議員が指名された。田口に対して「闘争団員の裏切り者だ」と弾劾の声が飛んだ。
高橋委員長のあいさつが始まるころには、正面玄関の封鎖が解かれた。ホールに入れない組合員が三階のモニターで大会の様子に見入った。三階から上の階段では「警備」との激突が繰り返された。
委員長あいさつは、「今大会は、『四党合意』を受けて立つことの賛否だけを問うのではなく、政党間合意とセットして、国労の要求が同時に実現できることを、大会の意志として確認する必要がある」と言いながら、具体的な展望は何も示さなかった。「公式に労使交渉が始まり、和解金についても見えるような形で進行していることが具体的にわかる状況がなければ、臨大を開くわけにはいかない」(六月十日、九州闘争団オルグ)という高橋委員長の言葉は何だったのか。
宮坂書記長が運動方針案を提起した。無表情に読み上げる宮坂に終始激しいヤジが浴びせられた。「『合意』を受け入れなければ政治の場での解決が遠のき」「“法的責任がないことを認める”ことは苦渋の選択」などの言葉は、怒号でかき消された。
「闘争団は国労の宝だ」
質疑・討論に移った。まず、高崎の斉藤代議員が「議事進行」について発言し、「開会が遅れた経過」と「担保の中身」を説明すべきと迫った。「炎天下、倒れた人もいる。不当にも一人の仲間がパクられた。それをどうするんだ」とたたみかけた。議事運営委員長の鈴木中執が「本部側は十一時に入場を予定していたが、物理的に入ることができなかったことをおわびする」と言って逃げた。
札幌の藤原代議員は、「心配や疑問はあるが『この機会を逃しては解決のメドが立たない』『いつまでも闘えばいいのか』などの意見があるが、心配や疑問は克服されている」などと、本部方針を支持する意見を述べた。
これに対して東京・八王子の山口代議員が「『四党合意』は受け入れられない立場を明確にする」と発言し、大きな拍手を浴びた。「本部の受け入れは背信行為だ」「私は東に採用されたが、もし採用されなかったら死ぬまで闘うという結論だった」「闘争団は国労の宝だ。日本労働運動再生の機関車だ。闘争団を切り捨てるな」と訴えた。
静岡の森田代議員の「現在置かれた力関係や将来的展望を見つめてやむを得ない。たとえ裁判に勝っても政府・JRが話し合いに乗ってくることは不可能だ」という暴論は、激しい怒りをかきたてた。
名古屋の樋越代議員は、「闘争団の思いを受け止め、私たちは闘争団に責任をもたなければならない」と発言した。水戸の高木代議員は「組合員の雇用を見捨てるような組合に抗議する」と激しく迫った。
このころ、三階の会議室で誰かが「一緒に上に行こう」と叫んだ。階段を固めた、数では勝る「警備」を文字どおりゴボウ抜きにして、組合員が果敢にホールに突入した。
議長が、旭川の大谷代議員以下十四人の連名による修正動議が提出されたと報告し、趣旨説明を求めた。
東京・新橋の清水代議員が立った。動議は「『四党合意』は、引き続き職場討議を継続する」という中身ではあるが、その趣旨説明の中では、本部の謝罪を求め、「合意文書は国労の屈服を迫るもので、運輸省四項目を丸のみし、十四年間の闘いを否定したものだ」と鮮明に態度を表明した。
突然、副議長が議長に代わり「修正動議は一番最後に採決する」と言うと、場内は騒然となった。高崎の関口代議員が「駆けつけている組合員を全員会場に入れるべきだ」と発言したが議長は無視した。
名古屋の伊藤代議員は「『四党合意』は、国労も加わり、JRも接触しながら成った合意だ。政党からの一方的な押しつけではない」とデタラメを言って、激しいヤジを浴びた。
釧路の境代議員は、「十三年の思いや気持ちを考えれば『JRに法的責任がない』は認めがたい」と言いながら、「ここまで積み上げてきた到達点を否定することにはならない」と、賛成発言を行った。
熊本の平嶋代議員は、闘争団員として「本部の経過を聞いて怒りを禁じ得ない。国鉄闘争の指導部がウソばかり言って許せない」「百歩下がって言えば、国労は闘争団を担いきれないとバンザイした方がすっきりする。後は闘争団がやるから国労は支援部隊でいい」と、痛烈な皮肉を込めて本部を批判した。
午後八時に近づいた。議運委員長の鈴木中執が「八時三十分が会場の時間的制約だ。特別代議員、家族の発言の後、修正動議を挙手で採決、原案は拍手で確認する」と提案した。
特別代議員の神宮闘争団連絡会議長は、「最後まで、闘争団を国労が責任をもって支えていく」と述べ、「四党合意」については闘争団内の反対、賛成の両意見を紹介した。
闘争団員である旭川の工藤代議員が立ち、「きちんと整理しなければ発言できない。継続討議、続開にしろ」と詰め寄った。副議長が「発言拒否か」と打ち切ろうとしたが、必死に食い下がり、「『四党合意』は、闘争団・家族、JRの仲間の闘い、国労の歴史を否定する内容だ。大会を続開にすることを強く求める」と訴えた。
近畿・田中代議員による「原案支持」の許せぬ発言に続いて、家族の発言に移った。
家族の訴えが会場圧倒
音威子府闘争団家族の藤保美年子さんが、闘争団に促されて演壇に駆け上がった。会場係も妨害できない。藤保さんは、会場を圧倒する迫力で家族の思いをきっぱりと訴えた(3面に掲載)。大きな拍手が鳴り響く。三階のモニター室でも拍手がわき起こり、涙する組合員もいた。
すでに八時半を回っていた。副議長が「あと一人」と言って、長野のチャレンジ・吉田代議員を指名した。会場が騒然となった。「闘争団の気持ちは理解する」と言いながら、「政治解決の流れをつぶすな」とうそぶく発言は、闘争団の腹の底からの怒りをかきたてた。闘争団が次々と演壇下に殺到する。
東京・横浜の小沢代議員が議事進行について発言を要求したが、宮坂書記長が「集約」を強行。
宮坂は会場係にガードされながら、「@JRに法的責任がないことを認める、A要求の柱を鮮明にし、交渉に全力を挙げる、B労働条件の改善、労使関係の改善、安全輸送そしてJRの健全経営をめざす」という三点を、代議員や家族の発言に一切答えることなく、棒読みした。
集約を終えると、闘争団を始めとする組合員数十人が次々に演壇に上がった。本部執行部を始め、議長団、議運などはすべて演壇から逃亡した。
ホールの入り口も阻止線が崩れ、組合員が会場になだれ込んだ。
闘争団員が壇上から次々にマイクで訴えた。「私はこのようなこと(演壇占拠)を考えていたわけではない。(長野の)吉田書記長の言っていることは闘争団切り捨てだ。許すことはできない。続開にすることを訴える」「十四年間の闘いを無駄にすることができなかった」「原則的な闘う執行部をつくらなければ勝つことはできない」「闘争団はただ具体的中身を示してほしい。なぜできないのか。大会を中止して仕切り直しを」「『四党合意』を破棄して労使対等の力関係の中で解決してほしい。ともに頑張りましょう」
演壇が整えられ、本部を待った。午後九時すぎ、「議長判断で休会とする」とアナウンスされ、拍手がまき起こった。
大会を傍聴した佐藤昭夫早稲田大学名誉教授は、国労本部が七月三日に出した「見解」を批判し、「組合民主主義を回復するための団結権の行使、『正当な行為』であり、『正当防衛』といってもよい」と訴えている。
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週刊『前進』(1965号2面2)
゛闘争団を切る捨てるな″
機動隊を押し返し 大会中止を本部に迫る
執行部を取り囲み弾劾の嵐
この日、朝からの闘いも激烈だった。闘争団は午前八時半ごろに会場前に到着。正面玄関のシャッターは閉じられたままだ。闘争団はその前に座り込んだ。JR職場の組合員も次々に駆けつけた。
九時半ごろ、鳥栖地区闘争団の代表がマイクを握り、「いよいよ国労が国労でなくなろうとする日が来た。闘争団は、屈服のための臨大をやめろと中止を申し入れた。悪いことを正しいというわけにはいかない」と訴えた。稚内闘争団の代表の司会で、闘争団集会が開催された。家族も含めて、次々と臨大中止を求める発言が行われた(3面に発言の一部を掲載)。
新橋支部の組合員や支援も連帯あいさつを行った。
十一時ごろ、本部の鈴木、大西の両中執が会場に入ろうとして来た。直ちに闘争団と家族が説得のために周りを囲んだ。家族は、鈴木中執に「私たちの人生を勝手に決めないで。大会を中止してくれますか。まだ頑張れるから、敵よりなぜ先にやめるんですか」と迫った。鈴木は壁際に追いつめられ、うなだれた。
今度は、宮坂書記長が通用口の前にタクシーで乗り付けた。闘争団が殺到し、「闘争団の大会中止の申し入れにこたえろ」と追及した。宮坂はタクシーから降りられず、逃亡した。
三階のベランダから「警備」の組合員も拍手した。
北海道エリア本部の寺内委員長らが来ると、北海道の闘争団員が取り囲んだ。寺内らは会場前から退散した。九州エリア本部の田口書記長らが到着すると、「九州闘争団、行くぞ!」という声が飛び、「返れ」コールが起こった。さらに長野・吉田、秋田・藤枝らチャレンジの代議員がつかまり、追及された。
動労千葉が委員長先頭に
十一時半ごろ、通用口で動労千葉が中野委員長を先頭に国労本部への要請を行おうとした。新井中執が中にいるらしいが、拒否しているとのこと。動労千葉は「『四党合意』に反対する署名」を呼びかけ、わずか一週間余りで、学者・弁護士・文化人・労組役員ら百二十一人、百六十一労組から集めていた。「当事者の意思が最後まで貫かれなければならない」とする六本木敏元国労委員長らのメッセージを添えて、この署名を提出しようとしたのだ。動労千葉は、千四十七人の当該組合として、終日、闘争団とともに闘いぬいた。
そのころ、会館裏口がものものしい雰囲気に包まれた。機動隊が盾を構え、それに向き合って家族を先頭に闘争団が列をつくった。
正午すぎ、高橋委員長、上村副委員長、宮坂書記長が裏口から入ろうとした。闘争団の姿を見て背を向ける三役に、家族が駆け寄り、「高橋さん、お願い。臨大を開かないで」と訴えた。三役は一言もこたえずにタクシーで逃げた。
代議員も続々と集まり、さらに全国から組合員、支援が駆けつけた。会館の周りを千人以上の労働者が取り囲んだ。その中で、闘争団の訴えが続いた。
この日の最高気温は三三度を超えた。炎天下、会館一帯は、さながら「解放区」になったようだ。国会直近でのこの光景は、権力にとっては、実に恐ろしかったに違いない。
不当逮捕糾弾仲間を返せ!
ついに開会予定の午後一時をすぎた。「二時に開会する」という情報が流れる。裏口では、麹町署が「会館の要請で排除する。従わなければ建造物侵入で逮捕する」と警告放送した。一時半すぎ、機動隊が盾をかざして押し寄せた。激しいもみ合いとなった。
「俺たちの生死がかかっているんだ!」「機動隊は返れ!」。闘争団員は一歩もひかず踏ん張った。会館前にいた闘争団も急を聞いて駆けつけた。ついに機動隊を押し返した。ものすごい力だ。許せぬことに権力は、この過程で東京・八王子の国労組合員をデッチあげ逮捕した。「不当逮捕糾弾!」「仲間を返せ」と怒りの声が上がった。
二時ごろ、「通路を開けて代議員を入れる」という方針が出されたが、闘争団員らはその場に座り込んだ。「三度目の首切りを許さないぞ」「国労本部は闘争団の要求を聞け」などのシュプレヒコールが繰り返される。
このころ、本部三役らが別の場所で対応を協議していたらしい。また、闘争団の代表が闘争団全員の傍聴と家族の発言を要求して、それが受け入れられて開会することになった、という情報も伝わった。“こうなったら大会で決着をつけるしかない”と決意を固める闘争団員も見られた。
国労再生への゛大きな力゛が
午後五時、正面玄関から本部執行部と代議員をまず入れることになった。闘争団は通路を開けながらも、激しく説得・追及を続けた。大会警備の責任者らしき者が「大会構成員のみ入れて、経過説明する」などと叫んでいる。「だまし討ちは許さないぞ」という声が飛んだ。その後、「闘争団は全員入れる」と言いつつも、延々と待たせる。
「傍聴も入れないで、ヤミで採決するつもりか!」闘争団が押し始める。ようやく五時四十五分ごろに入場した。中では全国代表者会議が開かれた。「大会を延期せよ」との声もあったが、開会を決めたという。
その後、傍聴券をもった組合員のみ入場が許された。だが、多数の組合員は排除されたままだ。「警察で組合員を排除する臨大に大義はない。われわれ組合員も行かざるを得ない」と高崎の組合員がハンドマイクで叫んで、正面玄関に押し寄せた。シャッターが閉められ、それを手で持ち上げた。午後七時ごろにようやく、正面玄関の警備が解かれ、全員が中に入った。
こうして臨大の会場内外での決戦が始まったのだ。
「私たちに、臨大をくい止める大きな力を与えてください」との家族の訴えにこたえ、国労を再生させる“大きな力”をつくり出したのである。
この力で続開大会を阻止し、現執行部を総退陣させて、闘う新しい執行部をつくり出すことを訴えたい。
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週刊『前進』(1965号2面3)
2000年決戦の勝利へ圧倒的カンパを
全国の同志、支持者、読者の皆さん。革共同は二〇〇〇年を階級と階級の真っ向からの激突の年としてとらえ、本年冒頭から激しく闘いぬいてきました。三大決戦として衆院選決戦、沖縄サミット粉砕決戦、国鉄決戦を始めとする階級的労働運動の再生の闘いを位置づけ、総力を挙げて闘いぬいています。二〇〇〇年決戦は、半年間の白熱的な攻防で偉大な地平を切り開きました。
第一に、戦後最大の政治決戦となった衆院選決戦で、東京八区において長谷川英憲氏を押し立て、自公政権とファシスト石原伸晃、および日本共産党と力の限り闘い、二二、七九九票の支持を獲得しました。残念ながら当選はできませんでしたが、衆院選決戦の全過程は、革共同がついに国政選挙を闘う党として大衆的な認知と支持を受けたことを示しました。
開始された介護保険廃止の住民運動は、革命的共産主義運動が「パンの領域」に踏み込んだこと、労働者階級人民が生きるために闘いつつ、革共同を選択し、支持する壮大な過程が始まったことを示しています。私たちは、杉並住民とともに歴史的な勝利を実現しつつあることを皆さんに胸を張って報告できます。
第二に、国労臨時大会をめぐる攻防に全力を集中し、「四党合意」の強行を粉砕して、日本労働運動にとって画期的な地平をかちとりました。
全国から結集した闘争団、国労組合員の天を突く怒りが、権力、国労本部との十三時間にわたる激闘に勝利した根拠です。家族ぐるみで十三年間の闘いを貫き、日帝を追いつめ、日々勝利している国労闘争団と闘う国労組合員は、実力で勝利を開きました。私たちは、闘争団の心をわが心とし、その闘いと一体となって、ともに闘いぬきました。国労の階級的再生へ、勝負はまさにこれからです。革共同はこの闘いを階級決戦として闘い、十一月労働者集会をかつてない質と量で闘い取る決意です。
第三に、目前に迫った沖縄サミット粉砕決戦は、日帝と世界の帝国主義の危機の中で、きわめて重大な闘いとなっています。沖縄人民は、衆院選において基地反対派の候補を当選させ、基地反対署名の開始を決定し、サミット反革命と対決して闘いぬいています。
本土からも現地に総結集し、全世界の闘う人民とともに戦闘的大デモンストレーションを闘いぬきます。
革共同は、労働者階級人民の自己解放的決起に信頼を置き、そこに勝利の展望を確信して闘いぬいています。スターリン主義によって歪曲されたマルクス主義を現代に復権する闘いを営々と推し進めつつあります。
革共同に皆さんの力を結集して下さい。夏期一時金カンパの圧倒的な集中を心から訴えます。
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週刊『前進』(1965号3面1)
「私たちの人生を勝手に決めないで!」
13年の思い無駄にできぬ
壇上から家族訴え ゛なぜ闘い放棄するのか″
国労臨時大会でかちとられた音威子府闘争団家族・藤保美年子さんの壇上からの発言と、会場の社会文化会館前で朝から臨大中止を求め行われた集会での闘争団・家族の訴えの一部を紹介します。(編集局)
音威子府闘争団家族・藤保美年子さんの壇上からの発言
北海道旭川音威子府闘争団家族の藤保です。代議員のみなさん聞いて下さい。
先ほど神宮さんが闘争団の代表としてしゃべってたようですが、私たち家族は困ってません。解雇撤回するまでは、十三年間の思いを無駄にすることはできない。どんなに苦しくたって、政府の、JRの責任で解決するまでがんばります! そのことを前もって言っときたいと思います。
それと、国労の旗に自信と誇りを持てない、そういう発言をなされている方もおりました。なぜ今こういう話で仲間同士がもめなきゃならないのか。みなさん、分割・民営化、あの時をふり返って下さい。
国労に自信と誇りを持って
私の夫たち闘争団員は、国労の旗に自信と誇りを持って分割・民営化と闘い、解雇されました。不当なことは不当だと言い続け、国労の全面要求解決をかちとるために、国労の姿に自信と確信を持って闘争団を結成し、今日までがんばってきています。
私たち家族も夫の「解雇撤回、JR復帰」を、今年こそ、今年こそかちとりたい、その一心でがんばってきたのです。十四年です。しかし、先ほどの話につっこんで申し訳ないんですが、十四年闘ったから、年がいったからもういいんだ、そういう問題で私たちは闘ってきているんじゃない! そこのところをしっかり受けとめて下さい。
私たちは、子どもたちも、親も、組合員だけじゃない、みんなで闘ってきたんだ。だから組合員だけでこういうことは決めてほしくない。私たちの家族の声をしっかり受け止めてほしい。代議員のみなさん、そのことだけはお願いしておきたいと思います。
国労の正しさを信じて闘ってきた私たちの十四年間がどうなるかの瀬戸際です。だれが責任とってくれるんですか。JRに責任ないということを認めてしまうと、あとは何が残るんですか。子どもが聞いたって分かるじゃないですか! 責任ないものに「何とかJRに戻せ」「何とかお金を出せ」、責任ないものに何でそこまでしなきゃならない。責任があるから補償するんだろう。だから、「JRに責任ない」ということを認めてはいけない!
勝利は目前に来ているのに
私たちは、国労という組織を、不当なことを不当だと言える組織だと信じてがんばってきたんです。ILOの勧告が出され、そして世界中に支援の連帯の輪が広がり、私たちに希望と勇気を与えてくれた。夫がJR復帰するまであと一歩、勝利解決が目の前に来ているのに、どうして本部は闘いを放棄するんですか! なぜコブシを下ろそうとするんですか。なぜそんなに解決を急ぐんですか。
鈴木(中執)さんもしっかり聞いといて。話してる場合じゃないでしょ。大変興奮しているんで言葉悪いかも知れませんが、勘弁して下さい。十四年間の怒りだと思って聞いて下さい。
今私たちが国労の旗にしがみついて「切り捨てないでくれ!」と泣き叫んでいる姿が目に見えますか。この中には差別という大人社会の犠牲にされ、子どもなりに心傷つき、「お父さん、正義は勝つんだよね」、一緒にコブシを固めてきた。いくら十四年たって社会人になっても、今でもJRで働く父親の姿を求めてがんばっているんです。そういう子どもたちがいっぱいいるんです。息子の正しさを証明したい。数々の署名を集め、肩身の狭い思いをしながら、精神的苦痛に耐えて、今でもがんばっている親たちもいるんです。
それなのに、本部独断で「四党合意」を決定するとは何事ですか! 闘争団に何の相談もなく、「四党合意」にあたって、何の保証があるわけでもなし、何の担保もないのを分かってて、無責任に私たちの人生を勝手に決めないで下さい! 私たちが望んでいるのは、どんなにつらいことがあったって、夫の解雇撤回、政府の責任でJRに戻すこと、私たちの悩み苦しんだ十四年間に謝罪すること、闘争団そして家族の要求は一歩も譲れません!
全面解決かちとるまで闘う
「JRに責任ない」などという議論じゃなくって、国労の旗に自信と誇りを持って、支援者の前に出ても恥ずかしくないような闘いの方針を議論して下さい。ILO勧告を生かす国労の闘いを、全面解決要求をかちとるまでがんばって下さい! 私たち闘争団、家族はまだまだ大丈夫です。国労の全面要求解決するまで私たちはがんばりますから、代議員のみなさん、言葉にごまかされないで。
確かに「一日も早い解決」と私たちは言っています。だけどどうでもいい解決じゃないんです。政府とJRの責任で早急に解決できるように、支援の輪がこんなに広がっているんですから。今日一日、どれだけの方が私たちを支えて、一緒にこの暑い中座ってくれたか。みなさん一緒に見てて分かるでしょ。分からなかったですか。ILO勧告を生かした全面解決要求をかちとるまで闘うために、そういう議論をして下さい。支援者を裏切るようなことはしないで下さい。
年がいこうと、ね、分かりますか。年がいこうと、JRに戻る年代がどうのとか、私たちはもう解雇されたあの時から止まっているんです。確かに十四年たったらしわも増えている。顔も老けた。だけど私たちの気持ちはあの時に止まっているんです。それをぜひ分かって、闘うための方針を議論して下さい。家族からのお願いです。よろしくお願いします。
闘争団・家族の発言 「JRに法的責任なし」撤回を
●稚内闘争団 私は子どもに「お父さんは正しくて、悪いのは政府やJRなんだ」と教えてきました。「JRに法的責任なし」が通ってしまえば、私は子どもにウソをついたことになる。国労を正常な労働組合運動に戻すため、きょう一日頑張っていきます。
●稚内闘争団家族 きょうは主人のゼッケンを着けてきました。「JRは確かに不当労働行為をやった、俺がやられたんだ」と言っています。私はそれをしっかり胸に抱いて来ました。国労本部は目の前の利益のために本当に大切なものを失おうとしています。この臨時大会を破棄して下さい。
●音威子府闘争団 全国大会で「JRに法的責任なし」と認めれば、私たちがこれまで主張してきたことがウソになり、JRが正しかったと認めることになります。今日の臨時大会は中止して、四党合意は撤回してもらいたい。
●音威子府闘争団家族 書記長や委員長が北海道に来ましたけれど、私には何を言っているのか全然わかりませんでした。こんな大会のために闘ってきたのではありません。私たちの気持ちを、本部は「分かる、受け止めている」と言いますが、受け止めたら、なんでこんな大会ができるんでしょうか。許せないです。
●名寄闘争団 志半ばにしてすでに二十名の仲間が他界しています。名寄闘争団でも分割・民営化の翌年、加藤さんが四十二歳の若さで他界しました。加藤さんは「世の中には許せることと許せないことがあるんだ」と言って闘っていたんです。今、本部に対して「許せることと許せないことがある」と、訴えたい。
●旭川闘争団 われわれになんの相談もなく国労が誤った道へ行くとするならば、それは国労が国労でなくなるということです。四党合意反対、臨時大会中止のために全力で闘います。
●留萌闘争団 臨大を阻止できるのかどうかということで、頭がいっぱいです。本部はいったい何をやろうとしているのか。はっきり「闘争団、お前はもう切り捨てる」と言ってくれた方が本当にやりやすい。仲間を裏切らない解決をかちとるために闘います。
●留萌闘争団家族 今この場になって、私たち闘争団を切り捨て、国労を解体しようなんて、いったいなんのための十三年だったんでしょうか。夫や私たちの運動が正しかったということが明らかになるまで、私たちは闘争をやめません。
●深川闘争団 「ILOにお前たちはなんて申し開きをするんだ。今労働委員会で闘っている仲間になんて申し開きをするんだ。国労だけの問題ではない」、そういう怒りが労働界に渦まいています。日本の労働界の、世界の労働界の裏切り者になってはならない。
●北見闘争団 どうして不利益を被った私たちが、敵に頭を下げなければならないのか。四党合意を認めたら、本当に国労が自殺したことになってしまう。
●紋別闘争団
本部は「政党のトップレベルの約束だから、信用してもらうしかない」と言いましたが、私たちは十四年前から、なんべんもだまされています。臨大を阻止し四党合意を承認させないために精一杯頑張りたい。
●美幌闘争団 私は六月二十九日に東京高裁の北海道・九州採用差別事件の公判で、意見陳述を行いました。口では裁判長の方を向いてしゃべったが、しかし心の中では、背中の口の方が大きく動き、本部に対して「なんで私たちが今まで自信を持って、生き方をかけてきた行動に、本部は責任を持たないのか」と言いたかった。
●帯広闘争団 多くの仲間が四党合意に大きな不安を感じています。すべての団員が「不当労働行為の責任をJRに認めさせ、謝罪させたい」と言っています。
●札幌闘争団 札幌闘争団の会議では「四党合意を含めて本部に賛成する。とにかく本部を信用して解決していく」と言われました。しかし、不当労働行為を受けた国労が、JRに対し免責を決議する四党合意はやっぱり認められない。
●秋田の闘争団員 私は解雇されても、地方本部の一部役員によって、労働委員会闘争も裁判闘争もやらない、闘争団もつくらないとされてきました。十三年、仲間を信じて、いずれこういう連中をたたき出してまともな労働組合にしてみせるという思いで闘ってきました。今、東労組もがたがたです。なぜ今、本部はこういうことをするのか。こんな連中が国労の中にいる限り絶対に勝利できない。
●筑豊闘争団 当該の私たちの声を無視し、虫けらのように消しさろうとする指導部に対して、怒りをもって結集しています。私は分割・民営化前までは動労に所属していました。しかし非民主的な組織運営を批判し、国労に加入して今日まであります。私には動労から復帰したという負い目もあります。しかしきょうは違います。闘っています。
●鳥栖闘争団 六月一日の上京団総括会議の際、鈴木業務部長が「臨時大会は『法的責任がない』ということを決めるだけの大会ではない。具体的な解決の中身がなければ、そんな愚かなことはしない」と報告しました。本日開かれるのは、「法的責任がない」だけを認める大会のような気がして、許せないです。
●熊本闘争団 「JRに責任なし」と言うならば、われわれは今まで何を基準に闘ってきたのか。この臨時大会は開いてもらうわけにはいかない。われわれは死刑宣告を受けたのと一緒だととらえて闘っています。
●博多闘争団 本部は、闘争団員や家族、JRにいる組合員のことなど、これっぽっちも考えていません。そんなものに私たちの一生を託すことはできません。
●門司闘争団 今や国労中央本部は、権力とJRに操られている。俺たちの仲間には、地獄の釜のふたが開けられて待っている。そこに引きずり込もうとしているのが、今の国労中央本部とそれに連なるものです。絶対に許さない。
●小倉闘争団 本部がわれわれの闘争団の側に立っていないということが、明らかになった。きょうの臨大を何がなんでも粉砕し、四党合意を撤回させて、新たな闘う国労の再生をつくるべきだと思います。明日はない、きょうを逃したら国鉄労働組合は死んでしまうんだということをはっきりさせて、全力で闘います。
●大分闘争団 今マイクで訴えているのが共闘でもなく、国会に対する要請でもなく、国労本部への怒りであることが、悔しくてしょうがありません。官憲に守られたこの会館で本部はいったい何をやろうとしているのか。何がなんでも阻止しないとならない。
●佐世保闘争団 長崎も執行部が、私たちに「妨害勢力」というレッテルを貼って、なんとかやめさせようとしています。しかし、「JRに法的責任なし」ということは、絶対に認めることができません。
●鹿児島闘争団 JRの仲間も本当に怒りをあらわにしています。地域でも、「国労はどうしたの」って言われます。四党合意は絶対に許されない。
●宮崎闘争団 四党合意を認めない、臨時大会は中止せよという思いはひとつです。「信義・信頼の上に立ってJRや四党と交渉する」と言うが、私たち闘争団員や組合員との信義・信頼関係はどうなるのか。
●東京闘争団 私たちはJRに責任があると思うからこそ、職場に戻せと闘ってきました。今、JRに責任がないことを認めてしまえば、私たちがJRに戻る根拠を失います。絶対、この大会でやってはならない。
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週刊『前進』(1965号3面2)
決戦前夜、1050人が大集会
支援と大合流 ゛臨大くい止める力を″
国労臨時大会を翌日に控えた六月三十日、なかのZERO大ホールで「゛JRに法的責任あり”労働委員会制度を守りILO勧告に基づく解決を勝ち取ろう/国鉄闘争勝利! 六・三〇全国集会」が集会実行委員会の主催により開かれた。
集会には闘争団を始めとした国労組合員や支援の労働者千五十人が結集。壇上に十四の闘争団の旗が掲げられた。
司会の国労組合員が「闘争団百人余が上京している。その思いを受けて明日の臨大に臨みたい」と集会の趣旨を提起した。
主催者として国労新橋支部の代表が発言し、「闘争団の仲間から『三度目の首切りは国労からされるのか』と言われて言葉が出なかった。国労五十年の闘いに汚点を残すべきではない。全国の代議員は、闘争団・家族の目を見据えて、労働者の良心に立って自分で判断してほしい。険しくとも、闘いの道を突き進みたい」と訴えた。
JR東日本一株会会長の山口孝明治大学名誉教授が、「四党合意を認めるのは、敗北ではなく闘わざる屈服だ」と国労本部を批判した。
東京清掃労組の代表は、「支援として、言うべきことを言わなければならない。闘争団を切り捨てて何が総団結か。臨大は中止すべきだ。私たちは、誇り高い国労が今後も続くよう、闘争団に惜しみない支援を続行する」と訴えた。
さらに、全労連傘下の特殊法人労連の代表が、四党合意を容認する全労連中央を激しく弾劾した。
国労高崎地本の代表が「本部の言ってきたことは全部ペテンだ。臨大は中止すべきだ」と述べ国労の大会代議員の一人も「臨大は四党の指示で開かれるもの。かつてない屈辱だ。正しい選択をするよう代議員に訴える」と述べた。
大きな拍手に包まれて二十四闘争団の百十人と家族六人が壇上に上がった。全員が、重大な決意を固めて上京してきたのだ。北海道の闘争団の代表は「四党合意は断固阻止する。臨大は中止すべきだ。私たちは最後まで闘う」と決然と訴え、九州の闘争団の代表は「国労の闘う路線がつぶされるのか、態勢を立て直して反撃に転じるのか。改革法を承認したから敵はさらに譲歩を迫ってきた。勝利まで闘い続ける」と決意を表明した。
闘争団の家族が発言した。「十四年の怒りをもって、四党合意撤回、臨大中止を求めるためにやってきました。私たちを応援して下さる仲間の皆さんがこんなにたくさんなのに、どうして本部は私たち闘争団を切り捨てようとするのでしょうか。国労を信じ闘ってきた私たちの十四年間はどうなるのでしょうか。その私たちのすべてを、国労本部は、国労の旗とともに、根こそぎ切り捨てようとしているんです。身内であろうとも、絶対に許せない」
「四党合意を受け入れし、悪の道に突き進む本部に正義の心を与えて下さい。不当なことは不当だと言い続けてきた真の国労を取り戻したいんです。私たちに臨時大会をくい止める大きな力を与えて下さい」
胸を打つ家族の訴えに、参加者は涙を抑えることができなかった。全員が、臨大阻止の決戦に立つことを深く誓いあった。
閉会のあいさつをした大会代議員は、「明日は国労の生死を決する大会だ。代議員、傍聴者、支援はそれぞれに、四党合意を受け入れる大会とならないよう力を尽くそう」と訴えた。
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週刊『前進』(1965号3面3)
゛組織と団結こそ力″
解同全国連茨城県連が大会
差別の強まりと徹底対決
部落解放同盟全国連合会茨城県連合会の第九回定期大会が二日午前十時から水戸市文化福祉会館で開催された。県連各支部員やきょうだい支部の部落大衆、県市町村職員、共闘団体ら三百五十人が参加する中、狭山再審闘争、生活と権利防衛、反戦・反安保の共同闘争などの運動路線と新執行部体制を打ち固めた。
部落完全解放への熱気あふれる中、冒頭あいさつに立った石川辰衛県連委員長は、「失業者は増大し、社会は混迷を深めている。この中で石原都知事の排外主義の発言が行われた。行政職員は゛差別のない社会をつくろう”という信念をもって職にあたらなければ、何の価値もない。闘わなければ平和も安定もない。民衆の力を信じて闘っていこう」と呼びかけた。
県知事(代理)、水戸市長などに続き来賓あいさつに立った部落解放東日本共闘会議の山川博康事務局長は「狭山再審棄却などに明らかなように、日本にはとうてい民主主義が根付いているとはいえない。全国連と手を結んで闘っていく」と述べた。都政を革新する会の長谷川英憲代表は、六月衆院選闘争への茨城県連からの熱い支援に感謝し、「初志貫徹まで闘う」と新たな決意と連帯を表明した。
「これからの部落解放運動」と題する記念講演を、全国連中央本部の中田潔書記長が行った。中田さんは国の同対事業があと二年で打ち切られるという状況下で悪質な部落差別事件が全国で頻発していると述べ、「茨城で同和対策事業が始まって二十三年だが、部落差別はなくなったのか。個人施策の事業ばかりでなく、村の解放運動の発展の力となる施策をやらなければ差別はなくならない。解放運動の主人公は一人ひとりの部落のきょうだいだ」と鋭く問題を提起し、全国連の一層の奮起を訴えた。
昼休み後、井橋昌夫事務局長が九九年度活動報告、高橋昭一書記長が二〇〇〇年度運動方針案の提案を行った。高橋書記長は、狭山闘争を柱にした差別糾弾闘争、同和対策の打ち切り反対・生活防衛、狭山勝利・安保反対の労働者との共同闘争という三大闘争の全面的推進を訴えた。さらに、執行部と支部員一人ひとりとの心の通いあう対話をとおした組織強化・拡大の方針を力強く提起した。とりわけ、この間の茨城県職員の暴言、差別発言の続発を弾劾し、県に約束させた「部落実態調査」の完全実施を呼びかけた。
このあと自由討論が行われ、青年、婦人らが活発に発言した。婦人は、狭山学習会や署名運動をとおして、国家権力への怒りが深まり、差別に立ち向かう勇気が婦人の間に広がっていったと報告した。
最後に議案を全員の拍手で採択し、石川委員長以下の新役員体制を確立し、「組織と団結こそが私たちの力だ」「すべての村に全国連の荊冠旗を」と高らかにうたった大会宣言を採択して、第九回大会を熱気のうちにかちとった。
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週刊『前進』(1965号3面4)
資本攻勢&労働日誌
6月19日〜30日
連合が春闘見直しを提言
●電機連合が企業再編賛成
●非正規労働者が27・5%に
●完全失業率が0・2ポイント低下
●19日 全労連は「国鉄闘争の現局面について」の事務局長談話を発表したが、「4党合意」について「重大な問題を含んでいる」とのみ述べ、反対しなかった。
●20日 千葉県市原市のJAM・宮地鉄工所労働組合(約300人)は夏季一時金交渉がまとまらず始業時から無期限ストに突入した。
●21日 コムスンは募集していた希望退職者の応募人数が約1400人に達したと発表。地域間異動に応じない場合は希望退職を求め、6日間で結論を出せと強要した。
●22日 電機連合は7月初めの定期大会で「経営・雇用対策指針」を見直すことにした。企業再編に対して、「新規成長分野への展望を切り開くうえで欠かせないものか」を判断基準にするとし、そうであれば反対しないとしている。
◇全国一般埼京ユニオン・コムスン分会はコムスンと初の団交。
●23日 電通の社員が自殺したのは長時間労働からくるうつ病が原因と、遺族が損害賠償を求めていた裁判で、電通側が遺族に1億6800万円あまりの損害賠償金と謝罪を行うことで和解が成立。宮島尚史・元学習院大学教授は「和解条項に、会社側が労務管理を徹底することなど将来の約束も盛り込まれたことで、他の同種訴訟に大きな影響を与える」と述べた。
●26日 衆院選で当選した議員480人のうち、労組出身者はわずか17人(3.5%)。民主党は労組出身が7.9%だが、98年参院選の37.0%より激減。社民党はもっとも高かったが、21.1%。
◇労働省が発表した「就業形態の多様化に関する総合実態調査」によると、全労働者に占めるパートなどの非正規労働者の割合は99年9月の時点で27.5%となり、5年前の調査に比べて4.7ポイント上昇。
●27日 労相が閣議に「労働経済の分析」(労働白書)を提出。副題は「高齢社会の下での若年と中高年のベストミックス」で、失業率の高い若年層と中高年齢層の就業の実態を「分析」した。
●28日、29日 連合は、宮崎市で中央委員会を開催。鷲尾会長はあいさつで、春闘の抜本的改革に乗り出すことを明らかにし、「賃上げ偏重」のあり方を改め、賃上げとともに時短や雇用、働き方のルール作りなどを総合的に取り上げるとした。
●30日 総務庁が発表した労働力調査によると5月の完全失業率は4.6%で前月に比べ0.2ポイント低下し、2カ月連続で前月を下回った。有効求人倍率は0.56倍で、前月と変わらず。また労働省発表の毎月勤労統計調査では、現金給与額も2カ月連続で増加という結果。
◇日産自動車村山工場、日産車体京都工場の閉鎖に伴い大量の失業者の発生が懸念される東京都昭島市、武蔵村山市、京都府宇治市、久世郡久我山町の4地域が、地域開発等促進法に基づく緊急雇用安定地域に指定されることが閣議で決まった。指定期間は7月5日から1年間。
◇労働省は、大手電機メーカーなどが採用しているフレックス勤務が実質的にサービス残業をもたらしているとして、電機メーカー13社に対し、労働基準法に基づく是正勧告を、特に5社については実際に働いた分の割増賃金を支払うよう是正勧告した。
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週刊『前進』(1965号4面1)
8月広島−長崎反戦反核大行動へ
被爆55周年 再び戦争くり返すな
第1章 サミット決戦の大爆発かちとり8・6-8・9へ
戦後最大の階級決戦としての衆院選決戦は、日帝支配階級によるあらゆる戦後的なあり方の大転換の攻撃に対して、労働者民衆の自主的主体的な決起―新たな民衆反乱的な決起を幾百幾千万という単位でつくり出し、勝利していく歴史的な地平を生み出した。
三大決戦(衆院選決戦、沖縄サミット決戦、新たな潮流運動)を柱とする二○○○年決戦が切り開いている階級情勢は、レーニンが提起した革命的情勢の接近とそれに対応した革命党の闘いの義務の実践という決定的な地点に立っているのである。
この情勢の中で迎える今夏八・六―八・九闘争は、この歴史的攻防を直接的に左右する、労働者階級人民にとっての重大な決戦へと押し上げられている。このことを確認するためにも、昨年の八・六―八・九反戦反核大行動が切り開いた地平についてあらためてとらえ返そう。
一九九九年五月二十四日、新安保ガイドライン法の成立をもって日本帝国主義は、朝鮮・中国―アジア侵略戦争への踏み切りを決断し、そのために国家のあり方を大転換する攻撃に出てきた。日本の労働者階級人民は、「再び戦争を許し、アジア人民を虐殺し、自らも灰となるのか、それとも、今度こそ戦争を許さず、あの過ちを絶対に許さない道を選ぶのか」という決定的な選択を迫られた。
それはより具体的には、戦後日本の労働者人民の「ふたたび繰り返すな!」という階級的原点ともいうべきヒロシマ・ナガサキへの圧殺攻撃との闘いとして、八月六日その日、日本の労働者はいかなる反撃に打って出るのか、というものとして問われたのである。教育労働運動を始めとした階級的労働運動と戦闘的部落解放運動をめぐる全面的激突は、その最大の攻防点であった。
「日の丸・君が代」攻撃の全面化は、その本質的内容においても具体的経過においても、ヒロシマ・ナガサキ(とオキナワ)つぶしの攻撃そのものであり、ここを最大の切り口としてすべての労働者階級人民に屈服を迫り、侵略戦争への動員を図るものとしてあったのである。
そして八月六日、三千人にも及ぶ全国の労働者人民があらゆる反動を跳ね返して決起した。それは、社・共の指導のもとで全面的な転向と翼賛化を深める原水禁運動を真にのりこえるような、まったく新たな潮流の鮮烈な登場であった。既成指導部による個別的・一時的・中間主義的制動を跳ね返しながら、階級的原則を守り抜いて必死に奮闘してきた労働者・民衆・知識人の闘いをひとつの新しい力に結集し、巨大な敵に対して有効な打撃を与える陣形が具体的な形をもって現れたのである。
この反戦反核大行動は、今年三―四月の「日の丸・君が代」反対闘争の大爆発をつくり出す根源的な力となった。広島の教育労働者を始めとした全国の労働者・民衆・学生の闘いは、高校生・中学生の決起をも生み出し、「日の丸・君が代」攻撃の狙いを完全に打ち砕いたのである。
沖縄の闘いと並ぶこうした日本の労働者民衆の根底的決起は、小渕・自自公政権を破綻(はたん)させ、今日の森・自公政権をグラグラに揺るがしている。新安保ガイドライン法、「日の丸・君が代」法、組織的犯罪対策法、団体規制法=第二破防法など、侵略戦争遂行のための法律の制定が野党の総屈服をテコに翼賛国会で強行された中、「ガイドライン下での階級闘争」「ガイドライン下での労働運動」が日本政府に対する非和解的決起をもって、沖縄で、広島で、全国で闘われているのである。都知事ファシスト石原による朝鮮人・中国人への襲撃を扇動する暴言や九・三首都治安出動大演習の策動、森首相による「日本は天皇を中心とした神の国」「国体を守れ」なる度重なる暴言は、まさにこうした闘いに追い詰められた支配階級の焦りといらだちの中から噴出してきたものにほかならない。
昨年の反戦反核大行動を始めとした労働者人民の巨大な反転攻勢は、ついに日本階級闘争の場に本格的なファシストを引きずり出し、さらに危機にのたうち回る森政権を現実的に打倒する展望をこじ開けている。必要なのは、この開始された新たな潮流の闘いが、野党のおぞましい屈服と転向を完全にのりこえて、戦争と抑圧の根源である帝国主義の打倒まで行き着くような根源的な力をもっていることに確信をもち、“断固この道を進む”ことである。
「ふたたび繰り返すな!」という階級的原点をバネに、日帝の本格的な侵略戦争への踏み込みと対決するオキナワとヒロシマ・ナガサキ――ここには、闘うアジア人民との連帯を貫き、プロレタリアートの国際主義的本質を奪還していく決定的な契機がある。戦争会議を強行し、国家権力の総力をあげてオキナワを圧殺しようという帝国主義の沖縄サミット攻撃を、沖縄人民との連帯をかけ、日本の労働者人民の総力を挙げた決起で粉砕しよう!
八・六―八・九闘争を沖縄サミット粉砕決戦とともに二○○○年決戦の成否を決する闘いとして闘おう!
第2章 新たな世界戦争―世界核戦争の危機と対決し
一九四五年、八月六日広島―八月九日長崎という労働者階級人民が初めて経験した核戦争の惨劇から五十五年。今、時代は新たな世界戦争―世界核戦争の危機に直面している。
世界経済は一九二九年型大恐慌と一九三〇年代的な分裂化・ブロック化の過程に突入している。とりわけ東アジアをめぐる日米帝国主義の争闘戦的激突は、今や新たな世界戦争の危機の最大の根源となっている。
米統合参謀本部が今後二十年間の米軍運用計画として発表した『統合ビジョン二〇二〇』を見よ! そこでは、中国の「敵対的軍事大国化」と日本の「大国」的復活をにらんで、米軍戦力の重点をアジアへ転換する方針を打ち出し、攻撃型原潜をアジアに六割配備することや広大なアジア用に航続距離の長い潜水艦・爆撃機・給油機を増強することをうたっている。
この軍事戦略は明確に核戦争の発動として立てられている。捕捉(ほそく)不可能なため核戦争の切り札とされている攻撃型原潜のアジアへの集中配備、地下壕(ちかごう)破壊用のB61―11核爆弾の実戦配備、劣化ウラン弾の嘉手納弾薬庫地区内保管という事実は、はっきりとそのことを物語っている。そして何よりもNMD(米本土ミサイル防衛)配備の決断である。その狙いは米帝の先制核第一撃攻撃力をより実戦的にアップさせることにある。NMDで中国・ロシアの戦略核を無力化させ、中国スターリン主義、北朝鮮スターリン主義への戦争重圧を一層強めようとするものだ。それは同時に日帝の独自の核武装を完全に封じ込める狙いをもっている。
米帝にとって「核兵器使用の敷居」など存在しない。米帝は、イラク・中東侵略戦争=湾岸戦争(一九九一年)、ユーゴスラビア空爆(一九九九年)で大量の劣化ウラン弾を使用し、イラク人民、ユーゴスラビア人民を無差別に虐殺しているではないか。これが米帝の「世界の平和と安定」なる宣言の正体である。絶対に許すことはできない。
こうした米帝の軍事戦略―核戦略に対して、核戦争危機により一層拍車をかけているのがロシアや中国スターリン主義の反人民的対応である。ロシア・プーチンは新軍事ドクトリンの中で、「通常兵器を使用する大規模な侵略に対する報復として、核兵器を使用する権利を留保する」と宣言している。さらに中国スターリン主義も、ハイテク兵器の開発など軍の近代化をもって必死に対応しようとしている。
帝国主義諸国の中でも最大の危機に直面している日帝は、この米帝の軍事戦略―核戦略に戦慄(せんりつ)し、帝国主義としての生き残りをかけて「アジア勢力圏化」と朝鮮・中国侵略戦争への踏み切りを決断したのだ。そして、日帝独自の核武装へと大きくかじを切りつつある。
この新たな世界戦争―世界核戦争の危機と真に対決し、これを阻止するためにプロレタリアート人民に求められているものは何か。とりわけ自国帝国主義が再びアジア侵略戦争に踏み出そうとしている今、核戦争がもたらす惨劇を実体験として強制されてきた日本のプロレタリアート人民には何が求められているのか。
戦争の中にしか延命の道を見いだせない帝国主義に対する「戦争を繰り返すな!」という労働者階級のつきつけは、革命的祖国敗北主義の立場ぬきには成り立たない。「ふたたび繰り返すまい」を合言葉に、オキナワ―ヒロシマ・ナガサキを原点として戦後の日本労働者人民が培ってきた階級的エネルギーに絶対的信頼をおき、革命的反戦闘争の大爆発をもって、帝国主義の根底的打倒に向かっていくことだ。
そして、台湾総統選における国民党支配の崩壊や南北朝鮮首脳会談の実施という中で、地軸を揺るがすような勢いで始まった朝鮮人民、中国人民、アジア人民の決起に真に連帯し、プロレタリア国際主義を貫いて闘うことである。プロレタリアートの自己解放性に依拠したこのような立場と実践の中に既成原水禁運動をのりこえる展望があり、帝国主義戦争を阻止し、核を廃絶する力があるのである。
第3章 日帝・森の戦争国家化攻撃に人民の大反撃を
9・3治安出動演習阻止せよ
絶望と崩壊のふちに立つ森・自公政権は、沖縄サミットを最大の突破口として朝鮮・中国―アジア侵略戦争参戦への衝動を募らせ、戦争国家への大転換攻撃に打って出ている。これに対する労働者人民の大反撃をたたきつけよう。
その第一は、新安保ガイドラインの本格的発動のための実動演習の全面化、自衛隊の侵略軍隊としての全面的変貌(へんぼう)という攻撃との闘いである。
その最大の攻撃は、都知事ファシスト石原による九・三首都治安出動演習である。これは、統合幕僚会議議長が直接指揮を執り、陸・海・空合わせて四千―五千人の自衛隊員を動員し、首都を軍事制圧する、三軍大演習として強行されようとしている。在日朝鮮人・中国人が多く居住する地域を意図的に選定し、ここを武装制圧すること自体が排外主義的襲撃であり、実質的な侵略戦争の発動なのである。
石原は「三軍を使った災害時の合同大救済訓練をやってもらいたい、東京を舞台に。……それは同時に北朝鮮とか中国に対するある意味での威圧になる。やるときには日本はすごいことをやるなっていう。だからせめて実戦に近い演習をしたい」(『VOICE』一九九九年八月号)と、狙いをあけすけに語っている。
九・三演習は、新安保ガイドラインの発動そのものであり、都労連の闘いをつぶし、自治体・運輸などの労働者を積極的に動員していこうとするものだ。
この九・三演習と一体のものとして、全国的にも「災害演習」に名を借りた軍事演習が激化している。十一月には、広島県と陸自などが協力し、「広島で震災」を想定した大規模な実動演習が自治体労働者を全面的に動員して強行されようとしている。六月四日に防衛庁が出した「日米共同訓練の見直し」は、はっきりと「周辺事態や武装ゲリラによる破壊工作など多様な事態への対処能力を強化する訓練に抜本的に転換」することをうたっている。こうした軍事演習をもって自衛隊を本格的な侵略軍隊としてつくり変えようとしているのだ。そしてここに労働者を積極的に動員し、侵略総動員体制をつくろうとしているのである。
さらに、岩国基地所属の米軍機による超低空飛行が激化している。「エリア567」と呼ばれる米軍訓練空域の 直下にある広島県芸北町では、今年になって前年の八倍近い数(半年間で三百回以上)の超低空飛行が目撃され、空対空戦闘や対地攻撃(発電所や道路などが模擬訓練のターゲット)が強行されている。
海自・呉基地の侵略基地としての強化や江田島への特別警備隊の設置などと合わせ、朝鮮・中国侵略戦争のための侵略拠点として、まさに“軍都広島”が復活しようとしている。
アジア人民、沖縄人民の闘いに連帯し、朝鮮・中国―アジア侵略戦争を阻止しよう。労働者の戦争協力拒否の闘いを広範につくり出そう。それは、「ふたたび繰り返すな!」という日本の労働者人民の階級的原点を再生し、日帝の新たな「十五年戦争」を実体的に阻む闘いだ。
有事立法・改憲攻撃うち砕け
第二は、有事立法・改憲攻撃との闘いである。
政府・与党は、先の通常国会の憲法調査会で九条の解体を最大の目標としていることを完全に示した。自民党推薦の参考人、青山武憲・日大教授は、「戦争直後に戦争を嫌がるのは、二日酔いで酒を飲まないというのと同じ。落ち着けば、攻められたら守るという発想になる」などという許しがたい主張を行った。「タブーなき論憲」「GHQによる押し付け論」を叫んで開始された憲法調査会の改憲攻撃は、日本の労働者人民の反戦意識をデマゴギーで解体する攻撃として進められているのだ。
こうした憲法九条解体の攻撃に対する闘いは、完全に日本労働者階級人民の「ふたたび繰り返すな!」という階級的原点をめぐる決戦である。オキナワ―ヒロシマ・ナガサキをめぐって先端的に争われている攻防が、全階級を巻き込んだ壮大な決戦として闘われるということである。
憲法調査会に積極的に参加し、改憲攻撃にさおさしている日本共産党は、その論議の中で「米政府は憲法制定から一年後に日本の再軍備を検討していた。改憲論こそが米国からの押し付けだ」(佐々木陸海)などと主張し、「アメリカの押し付けにいかに対抗していくのか」をめぐって自民党と争っている始末である。そして、「憲法九条は……主権侵害を排除するためにどうしても必要な場合には、緊急の軍事力をもつことを禁止していない」(『前衛』一九九九年十一月号)として、日帝独自の軍事力強化と戦争発動をあおり立てているのだ。
さらに、七月四日に虎島新防衛庁長官が「きちんと法制化することが望ましい」と述べたように、日帝は、新安保ガイドライン法制定に続いて、有事立法の強行を全力で狙っている。
日共スターリン主義の反革命的敵対をぶち破り、有事立法・改憲攻撃との一大激突点として、八・六―八・九闘争を闘おう。
教育基本法の改悪を許すな
第三は、有事立法・改憲をめぐる決戦と一体の闘いとして、教育基本法改悪攻撃との重大な決戦にかちぬくために、八・六―八・九闘争を闘うことである。
森・自公政権による戦争国家への大転換の攻撃の今日的な核心は「教育改革」という名の教育基本法改悪攻撃であり、“教育をめぐる階級決戦”こそ正面課題である。新安保ガイドライン法の制定強行の上に、さらに森・自公政権は、「滅私奉公」を“座右の銘”とする森を先頭に、戦後民主主義教育を解体し、国家主義的教育に全面的に転換しようとしている。
教育改革国民会議をもってする教育基本法改悪攻撃は、小渕が設置した「二十一世紀日本の構想」懇談会の報告をもとに進められている。そこでは「教育は国民の普遍的権利」としてきた戦後のあり方を抜本的に転換し、「国家にとって教育とは一つの統治行為だ」とあけすけに語っている。これは、国家が国家の存立のために、納税、兵役の義務と並んで教育を人民(臣民)に強制する(すなわち三大義務)という、教育勅語の精神の復活である。
さらにこの教育基本法改悪攻撃は、絶望的危機にのたうちまわる日帝が他帝国主義との争闘戦にかちぬくために、「平等社会から競争社会へ」という形で戦後教育の理念を解体し、弱肉強食の差別・選別教育に転換しようというものだ。森が「戦後教育を支えてきた基本理念である平等、自由、権利を考え直すべきだ。平等の行き過ぎは個性の軽視と画一化、自由や権利の無秩序な主張は義務や責任の軽視となる」(一月三十一日)などと言い放っていることを絶対に許すことはできない。
「日の丸・君が代」強制は、ヒロシマの教育に代表される平和教育・民主教育、解放教育を徹底して解体するための攻撃としてかけられている。この間、教育現場で続発するきわめて悪質な部落差別事件、民族差別事件は、支配階級が差別主義・排外主義を露骨にあおり立てている中で発生しているのである。
「日の丸・君が代」強制との闘いとは、こうした戦争教育の復活との全面的な激突である。この三―四月に闘われた「日の丸・君が代」反対闘争は、この教育基本法改悪の攻撃をその根底的なところで打ち砕いている。処分攻撃や広域配転攻撃を跳ね返して抗議着席した教育労働者、抗議退場した高校生・中学生、“着席します”と宣言して闘った大学生、保護者の闘い、その一人ひとりの人生史をかけた決起は、デマゴギーに満ち満ちた天皇制教育の復活をも粉砕する真実の重みをもっているのだ。
日教組の掲げる「教え子をふたたび戦場に送るまい!」という不滅のスローガンの真価が問われている。このスローガンにこめられている階級的魂を真に復権し、その闘いの中で教育をプロレタリアートの側に奪還すること、“教育の解放”をプロレタリア革命の戦略的テーマとしていくということである。
ヒロシマつぶしの「日の丸・君が代」強制と不屈に闘う広教組・広高教組の闘いを守れ。「戦争を繰り返すな!」という立場を組合運動の原点に据えたこの闘いを、階級的労働運動全体の再生をもかけて闘おう。
日帝の核武装を阻止しよう
第四は、東海村JCO臨界事故を徹底弾劾し、日帝の核武装化を阻止するために闘うことである。
昨年十月のJCO臨界事故によって、二人の労働者が虐殺され、さらに治安政策によって三十万人の住民が被曝(ひばく)を強制された。これらの根本的な原因が日帝の原子力政策にあるにもかかわらず、政府の臨界事故調査委員会の最終報告は、「核の安全神話からの脱却」「事故を前提にし安全対策を」などとして、完全に居直りを決め込んでいる。そこには日帝の核武装にかけた国家的決断がはっきりと存在している。国家としての延命のためには労働者がどんなに被爆(曝)死してもかまわないという、日帝の核武装化攻撃を労働者階級の階級性をかけて阻止しよう。
帝国主義がもたらす戦争と核に対する絶対反対の精神――これこそヒロシマ・ナガサキの精神である。「核と人類は相入れない」という立場の中には、帝国主義を告発してやまない労働者階級の階級性の発露がある。この階級性を投げ捨て、その破壊のために動くJR総連=カクマルや連合指導部を打倒して闘おう。
第五は、社・共指導下の原水禁運動の屈服をのりこえ、被爆者解放運動の戦略的前進をかちとる闘いだ。
戦後の日本階級闘争の中で原水禁運動は、労働者人民の“反戦意識”の結集軸として重要な役割を演じてきた。「ふたたび繰り返すまい」という労働者人民の即自的反戦意識を体現する運動体として存在してきた。だが、この原水禁運動は、その「ふたたび繰り返すまい」という立場の真価が問われたまさにその時に、既成野党の裏切りと屈服によって、その原則的立場を投げ捨てたのである。
その根本的問題は、戦争と核を告発し、その廃絶を求め、その根源である帝国主義の打倒にまで行き着くような被爆者(被爆した労働者)の自己解放の闘いに対する否定である。彼らには、五大国の核保有を前提とした核不拡散条約(NPT)や包括的核実験禁止条約(CTBT)への請願という「方針」しかない。
こうした既成原水禁運動の歴史的敗北の一方で、被爆者解放の闘いはますます死活的に闘いの方針と指導部を求めている。
日本政府は、今年四月から導入した介護保険制度によって被爆者援護法(それ自身は国家の戦争責任を完全に居直る中身としてあった)すらほごにし、被爆者への国家補償を全面的に切り捨てようとしている。国家の戦争責任を追及し、国家補償を求める被爆者の闘いを、その存在とともに抹殺しようとしているのだ。
今年一月、志半ばで亡くなった伊藤サカエさん(広島県被団協理事長)は生前、「国は原爆で死んだ人に線香一本でも供え、悪かったと言ってほしい。国家補償を認めさせるまで絶対に死んでやるものか」と語っていた。この思いを引き継ぎ、国家の戦争責任・被爆責任を追及する闘いをたたきつけよう。「同情と救済の対象となることを拒否」(全国被爆者青年同盟結成宣言)し、自己を帝国主義に対する非和解的な存在としてとらえ返し、闘い抜いてきた反戦被爆者の会と全国被青同の闘いの真価が今ほど問われている時はない。この闘いを先頭に被爆者解放の闘いの戦略的前進をかちとろう。
第4章 2000年決戦勝利を
日本の労働者階級人民にとって「ヒロシマ・ナガサキの教訓」とは、階級闘争の敗北の結果としてアジア侵略戦争に全面的に動員され、自らも帝国主義の核戦争による犠牲・惨劇を強制されてしまったという痛苦の教訓である。「ふたたび繰り返すな!」という思いは、戦争と抑圧をもって人民を地獄に引きずり込む帝国主義に対する人間的な燃えるような憎しみであり、人間が人間らしく生きられるような社会への自己解放のエネルギーである。
こうした思いが今、森・自公政権への激しい怒りとなって爆発しようとしている。被爆者は、「神の国」発言を行った森に激しい怒りを表明し、「(被爆地に)来てほしくない」と、祈念式典への出席に強く抗議している。こうした被爆者の怒りと闘いに学び、連帯して闘う中で、八・六広島―八・九長崎反戦反核大行動の大爆発をかちとろう。十一月労働者集会に向かう新たな潮流をこの労働者階級の根底的な力を解き放ってつくり出そう。
問われているのは、「平和とパン」という労働者階級の死活的要求を一個のプロレタリア革命綱領の中にまとめ上げ、自国帝国主義の根底的打倒まで指導しぬく前衛党の存在と闘いである。衆院選決戦の中でつかんだ豊富な教訓をさらに普遍化させ、勝利の確信も固く、二〇〇〇年後半決戦へと進撃しよう!
スケジュール
被爆55周年 再び戦争をくり返すな!
8・6ヒロシマ大行動
とき/8月6日(日)午後1時
ところ/広島県立総合体育館
主催/「8・6ヒロシマ大行動」実行委員会
被爆55周年 8・6広島−8・9長崎全国反戦反核大闘争
■8月6日(日)
午前7時 祈念式典糾弾デモ(全国被青同・全学連ほか)
出発/東千田公園(旧広大本部正門)
午前10時 階層別独自集会(解同全国連、全学連)
会場/アシテールプラザ内各会場
午後1時 8・6ヒロシマ大行動(上記)に参加
■8月8日(火)軍艦島=端島ツアー
午後1時半 長崎市・松が枝桟橋集合
■8月9日(水)
午前10時 8・9長崎反戦反核総決起闘争
会場/天主公園(浦上天主堂下)
*集会と爆心地長崎市内デモ
午後5時 8・9長崎反戦大集会
会場/NBC長崎ビデオホール(長崎市上町1−35 市電・桜町電停そば)
歌とトーク/まよなかしんや(ウチナー・フォークシンガー)
講演/青木雄二(元漫画家、「ナニワ金融道」ほか)
主催/被爆55周年8・6広島−長崎反戦反核闘争全国統一実行委員会
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週刊『前進』(1965号5面1)
暫定滑走路建設阻止へ意気高く
゛神社の立ち木伐採は違法″
7・2三里塚 10・8全国闘争呼びかけ
七月二日、成田市東峰で、三里塚芝山連合空港反対同盟が呼びかけた「暫定滑走路建設阻止! 農家追い出しの軒先工事粉砕! 三里塚現地総決起集会」が開かれた。集会には、猛暑の中を四百五十人が集まり、暫定滑走路建設阻止二年間決戦の勝利と沖縄サミット粉砕決戦に総決起することを誓い合った。参加者は反対同盟を先頭にして、サミット厳戒体制を敷き、弾圧を狙う国家権力をものともせず、フェンスを張り巡らした敷地内を意気高く戦闘的にデモ行進を展開した。
公団の暴挙に怒り
集会場の入り口にあたる東峰十字路から小見川県道沿いに張り巡らせたフェンスに「平行滑走路二〇〇二年初夏供用開始」と書いた公団の看板がかけられている。暫定滑走路だといって強引に着工し、敷地内農民を追い出して、当初からの計画である平行滑走路をつくろうとする意図を隠そうともしない敵の暴挙に怒りをかき立てられ、集会参加者は、会場である萩原進さんの畑に結集した。
立ち木で使えない滑走路に
正午、集会は婦人行動隊の宮本麻子さんの司会で始まった。まず、反対同盟の木内秀次さんが立ち、「違法な工事や東峰神社の立ち木伐採を許さず、天神峰・東峰を守り抜けば勝利はわれわれのものだ」と確信に満ちて開会を宣言した。
集会の基調報告を北原鉱治反対同盟事務局長が行った。北原さんは「東峰神社の立ち木がある限り、暫定滑走路といえども千七百四十bしか使えない。こんな滑走路は絶対阻止する。今闘わなくていつ闘うのか」と檄(げき)を飛ばした。
続いて、動労千葉の田中康宏書記長が特別報告を行い、まず「三里塚も大きな正念場を迎えている。しかし、三里塚も国鉄、沖縄も、どこでも負けてはいない。政府支配階級の戦争のできる国づくりを根底から粉砕できると、確信をもっている。危機に立っているのは敵の側だ」と自信にみなぎって提起した。そして「昨日、国労臨時大会で大きな勝利をかちとった。千四十七名闘争をつぶそうとする大陰謀に、闘争団を先頭に国労の中から怒りの声が燃え上がった」と報告。「大きな一歩が切り開かれた。闘いはいよいよこれからだ」と結んだ。
敷地内から軒先工事阻止の訴えに、天神峰の市東孝雄さんが立った。市東さんは「軒先工事がどんなにひどいかよくわかった。おやじの選択が肌身でわかるようになった」と、農家追い出しのためだけに強行されている軒先工事に怒りをたたきつけた。
反対同盟顧問弁護団を代表して、葉山岳夫弁護士が「東峰神社の立ち木伐採は完全に違法」であることを明らかにした。さらに「立ち木伐採ができなければ、暫定滑走路も、二千百八十bのうち千七百四十bしか使えず、国際定期便はもとより国内便にさえ供用することのできない滑走路」だ、と暫定滑走路建設の破産性を突き出した。
反対同盟の決意表明を鈴木幸司本部役員と小林なつ婦人行動隊副隊長が行った。鈴木さんは「この地に空港をつくらせない決意は変わらない。絶対に勝てる。全知全能をふりしぼって闘う」、小林さんは「三里塚、北富士、沖縄の闘いの火を燃やそう。敷地内を守り抜いて最後まで闘う」と鮮明な決意を表明した。
本物の労働者党を
住民団体の決意の表明に移り、まず関西新空港と闘う住民団体を代表して東灘区住民の会の松原康彦事務局長が、「反対同盟は基本的に勝ち続けている」と、暫定滑走路建設攻撃を粉砕しようと呼びかけた。そして「関西新空港は空前の赤字を出し、まともな経営とはほど遠い。その中で膨大な借金をして二期工事に着工した。昨年九月には神戸空港にも着工した。これこそ、ガイドラインのもとでの軍事空港づくりだ。沖縄新基地建設の攻撃と同じ。七・九関空反対現地闘争へ総結集を」と訴えた。
北富士忍草母の会の天野美恵事務局長は、「北富士には、防衛庁、県がよってたかって分裂工作を行っている。十一月には米軍が北富士で演習をやろうとしている」と弾劾。続けて「次も長谷川さんを立て、今度こそ当選をかちとらなければならない。沖縄サミット粉砕には、私も皆さんの先頭で行きます」と力強く宣言した。
部落解放同盟全国連合会の田中れい子中央委員は、「全国連は、反対同盟との血盟を守り、怒りも新たに暫定滑走路建設攻撃と闘う」と決意を表明した。また「新ガイドライン法成立以降、国労の解体攻撃、沖縄・名護新基地建設攻撃そして七・八狭山再審棄却攻撃が続いた。これに対して民衆の闘いが開始された。高木決定一周年糾弾、異議審勝利、狭山中央闘争に立とう」とアピールした。
婦人民主クラブ全国協議会代表の西村綾子相模原市議は、「先の衆議院選挙では、杉並で、自公体制、民主党、共産党を打ち破る旗を掲げて決然と闘った。自公はよろめきながらの続投となった」と衆議院選挙闘争の総括と意義を確認。「もう一度戦争を許すのか否かが問われている。名護新基地建設反対の闘いと連帯して、三里塚とともに闘う」と決意を表した。
闘う「障害者」の代表は「『障害者』に対する攻撃が激化している。『精神障害者』移送制度で、地域から、町から村から強制的に隔離しようとしている。これは保安処分の始まりだ。脳死・臓器移植攻撃では、本人同意の廃止、六歳未満の脳死判定導入が狙われている」と怒りを込めて弾劾し、反対同盟とともに暫定滑走路粉砕決戦に立ち上がると決意を明らかにした。
東京反戦共同行動委員会代表の三角忠さんは、「夏から秋へ、アジア侵略に突き進む日本帝国主義の侵略戦争に反対し、これを打倒する闘いを」と訴え、「三里塚から、沖縄サミット粉砕、八・六−八・九ヒロシマ・ナガサキ、八・一五、九・三自衛隊の治安出動訓練粉砕へ連続的に闘い抜こう」と呼びかけた。
衆院選決戦を先頭で闘った長谷川英憲都政を革新する会代表が登壇し、会場にはひときわ高い拍手がわき起こった。長谷川さんはまず、選挙戦での支援に対してお礼を述べ、「残念ながら当選を果たせず、悔しい。次の衆議院選挙に全力で挑戦する」と宣言。「森・自公政権と対決し、第二自民党の民主党、民主党と政権をつくりたい日本共産党を打ち倒し、帝国主義を打倒する本物の労働者党の進出をかちとろう」と訴えた。さらに「生きる権利である介護と福祉を取り戻す闘いに立ち上がった人びとの力は実に大きい。この力をさらに大きく発展させ、次には本当の勝利に結びつける。それをとおして三里塚の勝利をこじ開ける」と発言した。
婦人行動隊の鈴木加代子さんからカンパ要請が行われた。そのあと反戦被爆者の会からメッセージが寄せられていることが紹介された。さらに、山谷・新宿・釜が崎労働者実行委員会、福岡築港日雇い労働組合などが発言に立った。
サミット決戦を宣言
共闘団体の決意表明に移り、最初に大山尚行全学連委員長が発言した。大山委員長は冒頭、「全学連は衆議院選挙を全力で闘い、大いに学んだ。闘う労働者の党が求められている。次の衆院選では石原を打倒して勝利しよう」と提起。続いて、「全学連は、三里塚への暫定滑走路攻撃を反対同盟との血盟にかけて必ず粉砕する。日帝の戦争攻撃を三里塚から粉砕する」と宣言した。そして「全学連は、沖縄サミットを粉砕するために総力で立ち上がる。七・二〇嘉手納基地包囲行動に、南朝鮮・韓国人民の在韓米軍撤去の闘いに連帯して立ち上がろう。カクマルと日共の敵対を粉砕して進撃しよう」と訴えた。
集会のまとめを萩原進事務局次長が行い、「二点を提起したい。一つは、ますます悪質となる暫定滑走路攻撃に対して、新たな気持ちで闘うこと。もう一つは沖縄サミット粉砕の労働者人民の陣形をつくること」と提起し、集会参加者全員の拍手で確認された。
集会の最後に、鈴木謙太郎さんがデモコースを説明し、鈴木さんの音頭でガンバローを三唱して、集会の成功を確認し合った。
集会参加者は、反対同盟を先頭にしてデモに打って出た。小見川県道では、生活破壊道路建設を口実として張り巡らされたフェンス、「平行滑走路二〇〇二年初夏供用開始」の公団の看板に怒りも新たにデモ隊は進んだ。東峰神社の前では、神社の立ち木が暫定滑走路を破産に追い込んでいる現実を目の当たりにし、「東峰神社の立ち木伐採を許さないぞ」と大きなシュプレヒコールを上げた。
東峰地区を制圧したデモ隊は、さらに天神峰の市東孝雄さん宅前で、「軒先工事の暴挙を粉砕するぞ」と決意を新たにし、力のこもったシュプレヒコールを行った。
猛暑の中、団結街道を進撃し、現闘本部先まで三`のデモを最後まで戦闘的に貫徹した。
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週刊『前進』(1965号5面2)
反対同盟の発言
゛2年間決戦の勝利を″
■基調報告
今闘わなくていつ闘うのか
北原鉱治さん
一九六六年、突如として三里塚に空港が舞い降りました。政府は、六月二十二日に富里空港案を棚上げし、三里塚に内定したのです。それから二週間もたたずに、七月四日、閣議決定がなされました。敵の過ちはここから始まったのです。それから三十四年間、反対同盟は終始一貫して闘ってきました。その結果、成田空港の滑走路はいまだに一本しかありません。なぜ一本しかできなかったか。それは、正義と良心にかけて闘い続けてきた人びとがいるからです。空港建設は絶対粉砕あるのみです。
本日、七月二日の集会は、三十四年前に決起した時のことを思い起こし、新たな闘いに挑もうとの決意をこめて開きました。
政府・空港公団は、昨年十二月三日、暫定滑走路建設に着工しました。二千百八十bという、こんな短い滑走路は何本つくったって使い物にはなりません。しかも、きょうのデモコース上にある東峰神社の立ち木がある限り、二千百八十bはおろか、千七百四十bしか使えないのです。
それでも政府・空港公団は暫定滑走路をつくろうとしています。使えない滑走路をつくる、こんな税金の無駄遣いはありません。公団よ、よく聞け! 反対同盟は、公団がどんなにあくらつな手段を使って、滑走路をつくろうとしても、絶対に阻止する。
今闘わなくて、いつ闘うのか。三里塚の正義を再確認し、暫定滑走路建設粉砕に向けて闘いましょう。反対同盟とともに二年間決戦に勝利しよう。
■集会まとめ
新たな気持ちで闘いに立て
萩原進さん
わたしたちが闘いとるべき二つの点を提起します。一つは、ますます悪質になる暫定滑走路建設攻撃に対して、新たな気持ちで闘いに立とうということです。
公団は、小見川県道沿いに「平行滑走路二〇〇二年供用開始」の看板を立てました。いつから暫定滑走路が
平行滑走路になったのですか。これは新たな攻撃です。こんな暴虐なやり方に怒りは高まる一方です。絶対にぶっとめてやろう。敷地内の生活と営農を守り、東峰神社の立ち木伐採、敷地内の道路建設を実力で阻止しよう。一坪共有地の強奪を許さず闘おう。
もう一つは、沖縄サミット粉砕の陣形をつくろうということです。衆議院選挙は、労働者人民の時代が到来したことを示しました。既成政党では支配できないことは明らかです。三里塚勢力が人民の前に立ち、労働者人民の闘いを担い抜こう。反対同盟員を沖縄に派遣して沖縄との連帯を強化したいと考えています。沖縄サミット粉砕闘争の爆発をかちとって、十・八三里塚に結集しよう。さらに勝利を打ち固めよう。
■敷地内の訴え
親父の選択が肌身でわかる
市東孝雄さん
ごらんのとおり、暫定滑走路着工以来、敷地内にはフェンスを張り巡らせています。まるで収容所のようだといわれます。
フェンスの中では、何十台もの重機がほこりと騒音をまき散らしています。公団が自分の土地なら何をやってもよいというものではありません。工事が進めば団結街道を廃道にして、自分の畑に行くにも遠回りしなければいけないようにしようとしています。私服や機動隊が尾行や検問を繰り返しています。
軒先工事がどういうものかよくわかりました。負けるものかという気持ちがわいてきます。おやじがこの地で闘い抜くと選択した気持ちが肌身で分かるようになりました。動労千葉を始めとする闘う労働者、沖縄、北富士、全国の闘う人びととともに闘います。
■決意表明
全知全能ふりしぼり勝利を
鈴木幸司さん
芝山で成田用水をやった連中は、「用水は農業に必要だから」と言いました。今、その人たちは集団移転しています。成田用水は反
対同盟の分断工作であったことが、はっきりしてきています。
三十四年前に行われた、突然の閣議決定へのわれわれの憤りは、いささかも変わりません。空港建設絶対反対の闘いには、必ず勝利しなければなりません。
反対同盟は、全国の闘う人びととの共闘の中で闘い続けてきました。この地に空港は絶対につくらせないという決意は不動です。
絶対に勝てます。全知全能をふりしぼって、勝利しましょう。
■決意表明
沖縄とともに本土で闘おう
小林なつさん
閣議決定以来三十四年間反対同盟は、国が農民をだまし、ウソをついて進めてきた成田空港建設に反対して闘ってきました。そして今また、暫定滑走路をつくるといって工事を始めました。
小川成田市長、相川芝山町長は、暫定滑走路ではなく、ちゃんとした平行滑走路をつくってくれと国に陳情したそうです。暫定滑走路で、国際線が羽田から飛び、成田空港が国際空港でなくなっては困るからだそうです。
敷地内にはフェンスを張り巡らせ、軒先工事をどんどん進めています。国の言う「話し合い」が大ウソだということです。反対同盟は一歩も退かず、勝利するまで闘います。
沖縄サミットが目前に迫ってきました。日本政府はアメリカと組んで悪いことをしようとしています。本土もしっかりと沖縄とともに闘わなくてはなりません。わが子やわが夫を戦場に送らぬように闘いましょう。
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週刊『前進』(1965号5面3)
2000年日誌 阻もう! 戦争への動き
6月27日〜7月5日
米海兵隊員がわいせつ事件
自衛隊三軍がサミット警備
●災害出動で統幕が初の統合調整 防衛庁は三宅島火山情報連絡会議で、自衛隊法に基づく「災害出動」を実施中の自衛隊について、統合幕僚会議が初めて災害出動でも陸海空の三自衛隊の統合調整を行うことを確認した。(27日)
●異常接近ではないと運輸省報告書 今年二月、沖縄県那覇市上空で起きた福岡発石垣行きエアーニッポン735便(ANK)と米海軍所属の戦闘機とのニアミス(異常接近)問題について「米軍機の回避操作が遅れた中、適切な回避操作で間隔を保つことが可能だった。異常接近ではなかった」との報告書を発表した。(27日)
●空自輸送機が墜落 航空自衛隊美保基地(鳥取県境港市)から飛行試験のために飛び立ったC1輸送機が、島根県・隠岐島から北北西約六十`の洋上でレーダーから消え、墜落した。同機には五人が乗っていた。(28日)
●恩納村議会が演習火災で抗議決議 六月二十三日の慰霊の日の実弾射撃演習で発生したキャンプ・ハンセン内演習場レンジ7付近の火災について、恩納村議会は臨時会を開き、同演習場内での実弾射撃訓練の即時廃止を求める抗議決議と意見書を可決した。(28日)
●南北赤十字会談で離散家族相互訪問を合意 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)で開かれた南北赤十字会談は、@八月十五日から十八日まで南北それぞれ百人の離散家族がソウルと平壌を相互訪問する、A離散家族の面会所を設置、運営する、Bスパイ容疑などで拘束後も思想信条を変えなかった韓国の非転向長期囚のうち北朝鮮送還の希望者全員を九月初旬に送還する、との内容で双方が合意、署名した。(30日)
●恩納村議会が実弾射撃訓練を那覇防衛施設局に抗議
沖縄県恩納村議会のメンバー九人が、那覇防衛施設局に対し、臨時議会で採択した意見書を提出し、訓練の即時中止を求めた。(30日)
●在韓米軍撤退検討しないとコーエン コーエン米国防長官は、CNNテレビのインタビューで、在韓米軍の撤退については検討するつもりのないことを明らかにするとともに「もし撤退したら、アジア太平洋地域の他の地域への駐留が疑問にさらされる」と述べた。(1日)
●サミットに向け警備本格化 沖縄県警は総合警備本部を設置し、会議場のある名護市部瀬名岬や首脳の夕食会が行われる首里城周辺で一斉に車両検問を開始した。各国首脳の宿泊先が集中する恩納村では、警察官がホテル周辺やバス停に立つなど、街中に警察官があふれている。(1日)
●米海兵隊員が女子中学生わいせつ事件 普天間基地所属の米海兵隊上等兵が、沖縄県沖縄市内で午前四時四十五分、沖縄市内のアパートに侵入し、寝ていた女子中学生にわいせつな行為をしたとして、住居侵入と準強制わいせつ罪で現行犯逮捕された。(3日)
●陸海空自に警戒強化令
瓦力防衛庁長官は、沖縄サミットに向けて陸海空の自衛隊に対して警戒活動の強化や要人輸送準備に関する一般命令を出した。自衛隊がサミットに備えて警戒や監視を強化するのは初めて。(3日)
●万国津梁館で警備訓練
沖縄県警総合警備本部は沖縄サミットの主会場となる万国津梁(しんりょう)館で警備訓練を行った。全国から選抜された約七百人の警備員が、首脳らが移動中に襲撃されたり、けん銃で襲われたりしたとの想定で訓練した。(3日)
●米大統領の平和の礎訪問歓迎と稲嶺 稲嶺恵一沖縄県知事は記者会見で、沖縄サミット中にクリントン米大統領が平和の礎(いしじ)前で演説することを検討していることについて、実現への強い期待感を示した。(3日)
●第2次森連立内閣が発足
森喜朗首相が、第一四八特別国会で第八十六代の首相に選出され、自民、公明、保守の三党による第二次森連立内閣が発足した。(4日)
●空自練習機2機が墜落
宮城県の牡鹿半島付近で、航空自衛隊松島基地所属の「ブルーインパルス」のT4中等練習機二機が墜落した。(4日)
●サミットで「北朝鮮ミサイル」の特別声明 政府は沖縄サミットで「北朝鮮のミサイルの脅威」を特別声明として採択する方針を固めた。(4日)
●「朝鮮半島情勢注視を」と防衛白書概要 今年の防衛白書の概要で、朝鮮半島情勢について「対峙の進展が、軍事的対峙の緩和や北朝鮮の核兵器開発疑惑などの解決にどのように結びついていくのか、注意深く見極めていく必要がある」と指摘していることが明らかになった。(5日)
●新防衛庁長官が有事法制を強調 虎島和夫防衛庁長官が着任式の訓示で、有事法制について「国民の生命・財産を守るために必要であり、喫緊の課題である」と述べた。(5日)
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週刊『前進』(1965号6面1)
サミットに異議あり! (5)
沖縄反戦地主・読谷村議 知花 昌一さん
朝鮮民衆との連帯かけ沖縄からサミット反対
彼らは戦争屋だ
サミットが沖縄のためになるかのように、「アジアの平和のためにサミットでG8は話し合いをするんだ」と宣伝されている。それはもう絶対に違うと、僕は思っています。G8の利益のために沖縄に来るんであって、沖縄の利益のためにサミットが沖縄で開かれるわけじゃない。
G8は、これまでの彼らの歴史を見ると、力で自分たちの言うことを相手に押しつける、それで従わないやつは空爆で、戦争で攻撃する。世界のこれまでの戦争の中でG8の連中がかかわらない戦争なんてひとつもない。
彼らは見方を変えると戦争屋なわけですよ。
サミットは戦争屋の利権の談合会議だと僕は思っている。彼らは沖縄のアメリカ軍基地の存在価値を確認するだけであって、整理・縮小などを思うような人たちではない。
だから逆に、僕らもこのG8のサミットに負けないような、G8に反対をして基地をなくしていくという大きなうねりをつくりだす闘いをしていこうと、今、必死になっているんです。
それともうひとつ、アジアの平和のためにG8のサミットが役に立つという言い方をしている人たちが結構いるんですよ。県もそう言っているし。だけど考えてみてください。アジアの平和を考えるんだったら、アジアの国がどれだけ入っているか。日本しか参加しないのにアジアのためになるのか。これではアジアの平和のために一歩も前進しない。
それは六月の南北朝鮮会談を見てもわかる。北と南が話し合うことによって、米軍の存在価値自身も問われる形ですしね。
沖縄でもやっぱり世界支配の戦略を話し合うG8はおかしいと声をあげる人たちがいっぱいいることを、僕は世界に知らせたい。
シアトルであれだけWTO(世界貿易機関)がぐちゃぐちゃになったように、ワシントンでIMF(国際通貨基金)の国際会議反対の運動があったように、サミットでも沖縄や世界各国から来る人たちがいて、サミットは本当におかしいんだと声を上げる動きがつくれたら、僕はいいなあと思う。それは僕たちが世界の民衆と連帯する動きです。
僕たちは、今、サミット反対実行委員会をつくってやっているんです。七月二十日の嘉手納基地包囲もそのひとつという位置づけであるし、二十一、二十二、二十三日と、ずっとサミット反対の運動をしていこうと思っています。
南北朝鮮を訪問
僕は五月三日から七日まで北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に行ってきたんです。沖縄の大田前知事が団長で百二十五名ほどで行きました。そして北朝鮮側から板門店を見てきたんです。そのあと、五月十六日から二十一日まで、今度は韓国の光州(クワンジュ)に行きました。八〇年光州蜂起、十日間の解放区をつくった光州の学生や労働者の闘いをたたえる大集会が数万人で開かれ、そこに参加しました。
北に行っても南に行っても、沖縄の位置、沖縄の闘いを非常に認めてくれる。それは何かというと、一つは日本と沖縄との歴史の関係、そしてアメリカの支配の中にあったということです。もう一つは、米軍基地を撤去するための沖縄の民衆の闘いです。北朝鮮、韓国を含めて、今の僕たちの沖縄に非常に注目している状況があるわけです。
板門店には三八度線の分断線があるんです。わずか三十aか四十aのコンクリート、高さも四〜五a、誰でもピュッと飛び越えられる。この三八度線で民族が分断され、多くの悲劇が起こっている。その三八度線をなくしていく。これは、沖縄の基地をなくしていくことにも絶対につながっていく。
北朝鮮からすると米軍によって民族を分断された。その米軍は日本から来た、沖縄から来た。そして今も三八度線が維持され、固定化されているのは、沖縄の米軍によるとも言える。そういった意味では、沖縄の民衆の闘いによって沖縄から米軍が撤去されるのは、三八度線が緩くなることなんですよ。
南でも、これまで米軍基地に対する反対運動ができませんでした。反基地運動をすると北のスパイだと言われてたいへんな状態だった。今、米軍犯罪がものすごく起こっている。そして過去の朝鮮戦争の時に米軍が韓国民衆を虐殺したのだけれど、その資料が出てきた。そういう中で米軍基地に反対する人たちが猛然と出てきた。それが市民権を得てきた。こういう韓国の闘いと沖縄基地撤去の運動が結びついてきたんです。
再び朝鮮で戦争になったらピョンヤンもソウルもすごい打撃ですよ。生産手段がみな壊され、同族が相争うというたいへんな状態になる。北も南も戦争をして得になることはない。だけど得になる国がある。アメリカです。アメリカは、自分はひとつも傷まないで、アジアにおける軍事的な力を誇示し、また市場の拡大になる。そう見ると、アメリカは南北分断を促進することが得なんです。日本も同じです。
一回の南北首脳会談が世界中の注目を集めた。南北分断解消への動きは、世界中の政治と民衆の生活へ大きな影響を及ぼすことを実感した。アジアの平和は、朝鮮半島の平和を獲得しない限り実現しない。
軍用地契約拒否
「象のオリ」にある僕の土地は、SACO(沖縄に関する日米特別行動委員会)によると、来年の三月三十一日には返還しなければいけないと、移設条件付きではあったんですが、そうなっていました。
ところが、四月になってから日本政府、防衛施設庁は、「移設先の金武町で移設の準備が全然進んでいないから継続して使いたい。契約をしてくれ」と来た。もちろん僕はだめだと言った。「象のオリ」は一九九八年六月一日からもう使っていないんです。これはアメリカで報道されました。「使ってないんだから、もう早く返せ」と契約を拒否したんです。
そしたら日本政府は、二回も改悪された米軍用地特別措置法、これによって僕の土地を強制的に使うという手続きに入るということで、強制使用の手続きに入ったわけです。サミットが終わってから公開審理などに入ると言われています。
サミットに反対することと、現実の基地と闘うことはひとつです。サミットが来たからって、基地が整理・縮小されるなんてことは、百回ころんでもありません。サミットが来たからよけい基地が強化されるじゃないかということです。
二月に河野外相とクリントンが会談をしました。その時にクリントンは「サミットを機会に沖縄基地のプレゼンスを確認することは重要なことだ」と言いました。これは基地の整理・縮小ではなく、もっと強化していくということです。彼らは、ガイドライン関連法を含めて今、沖縄、日本全体を戦争できる状態にしていこうとしており、その中で沖縄の基地の重要性がもっと増すと思っているわけです。
選挙をやっても政権も変わらない。今の既成の野党というのはどうしようもない状況になっている。例えば民主党が多くなったとしても、彼らもほとんどが憲法全面改正論者です。そういう連中が二大政党みたいになったとしても、何も変わらない。
じゃあどうするかというと、民衆の中には政治に対する怒りが渦巻いているんだけれども、それが勢力として力が出てくるような状況にまだなっていない。民衆の力で新しい動きがつくれないかと思うんです。
今、世界から沖縄基地の動き、沖縄の闘いがものすごく注目されている。サミットに向かって僕たち沖縄の民衆が、あるいは日本の民衆がどのように表現していくのか。サミットにもろ手を挙げて賛成するのか、あるいは異議を申し立てて反対するのか。僕たちは、サミットはやはりおかしいと、これは賛成できるものじゃない、反対だとちゃんと表現していく。これが朝鮮民衆との連帯につながるんです。
サミット期間中の三、四日間は仕事もできない状況だけど、精いっぱいやりたいと思っています。(談)
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週刊『前進』(1965号6面2)
9・3全都戒厳演習粉砕を
海外派兵の次には治安出動これが自衛隊と石原の狙い
反戦自衛官 吉本 守人
九一年四月、海上自衛隊掃海艇の中東派兵に反対して決起した反戦自衛官の吉本守人さんから九・三治安出動演習阻止の訴えが寄せられた。訴えに全力でこたえよう。(編集局)
九一年の自衛隊の掃海艇派兵に反対した自衛官の吉本です。現在、この掃海艇派兵の違憲判決を求めて裁判を闘っております。
具体的には、私への懲戒免職処分取り消しを求めたものですが、裁判所が違憲判決を下せば懲戒免職処分は取り消されるということです。私たちは「掃海艇派兵違憲裁判」を九一年九月に提訴し、約九年間闘って、この春、裁判の結審を迎えました。ふりかえれば九年間、「自衛隊の変貌(へんぼう)」とがっぷり組んだ裁判でもあったと思っています。
自衛隊は掃海艇派兵以降、PKO法の成立による公然とした海外派兵の継続や日本人救出の名目による自衛隊輸送機の派兵、続いて周辺事態法による本格的戦争(支援)体制への準備と、「軍隊」としての姿をくっきり現しています。
それはソ連の崩壊から湾岸戦争、そして朝鮮半島危機の世界(軍事)情勢に沿った日米安保体制の再構築、ガイドライン見直しに連動した自衛隊の「再構築」あるいは「新確立」です。戦争遂行能力を持った、自前の完結能力を備えた「軍隊」への脱皮です。
昨九九年、自衛隊は「中期防衛力整備計画」の九十九パーセント完了を宣言しました。今年、都心の市谷に新たな大本営ともいえる「防衛庁」が完成しています。年間四兆円規模の予算を費やし、十年間でほぼ全自衛隊の装備を新品にして、隊員の装着するすべての備品を自前の軍隊色に一新したのです。
日本経済の根底的な不況、リストラ攻撃、失業率四%台の中にあって、世論の風当たりをものともせず、アッという間に「新国軍」ができあがり、「新大本営」が完成したのです。
私たちは、このゆきつく先を危機感をもって想像すべきではないでしょうか。
自衛隊は自らに号令する軍国主義者を求めています。自分たちに思う存分行動させてくれる新しい指揮官を求めています。
都知事石原が自衛隊式典で行った演説が大問題になっています。その問題点はいくつかありますが、都知事にアプローチを行ったのは、あくまでも自衛隊側であることに注意する必要があります。演出する側と舞台に上がった軍国主義者。その演説が「国軍」礼賛となることは予想できます。自衛隊にとってはたのもしい指揮官となるのです。
自衛隊の次の目標は治安出動です。海外派兵の次は治安出動(のための準備)を今からやるぞということです。その宣言が、あの演説に込められています。
風雲急を告げるのは、九・三に自衛隊が参加する全都戒厳演習です。都民、在日外国人、労働団体、民衆団体を敵としたこの演習を断固粉砕しましょう。「自衛隊の銃口はわれわれに向いている」――この危機感を運動につなげたい。
そして、自衛隊員に呼びかけましょう。「銃口はだれに向いているのか」「きょうだい、親を殺すのか」と。良心的自衛隊員はその呼びかけを待っています。
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