ZENSHIN 2000/05/29(No1958 p06)

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週刊『前進』(1958号1面1)

 「天皇中心の神の国」=天皇制国家の復活唱える森を辞任に追い込め

 介護保険廃止掲げ介護と福祉要求する住民運動の大高揚を

 5・28沖縄サミット粉砕全国闘争へ

 小渕前首相の死を受けてますます深まる日帝政治危機の中で、森首相の正体が小渕以上のウルトラ反動であり、同時に首相の資質さえまったく欠いた人物であることが一層明らかとなった。「日本は天皇を中心にした神の国」という森首相の言辞は、そのことを衝撃的に示した。都知事・ファシスト石原の九・三自衛隊治安出動演習の宣言とそれをめぐる排外主義扇動に続く、この戦前型の天皇制国家の復活をもくろむ森暴言に満身の怒りをたたきつけよ。森を即刻、首相の座から引きずり下ろせ! 六月総選挙決戦と七月沖縄サミット粉砕の決戦で、森・自公政権と石原を打倒しようではないか。直ちに全国の力を東京・杉並へ集中し、長谷川英憲氏の当選=勝利への道を、介護保険闘争の大高揚を軸にさらに大きく切り開こう。五・二八芝公園に全国から総結集して闘おう。

 第1節 労働者の決起こそ森=石原うち倒す力

 五月十五日、森首相が神道政治連盟国会議員懇談会の会合で行った発言は、断じて許すことができない。
 森はそこで、「日本の国は天皇を中心にした神の国であるということを、国民の皆さんにしっかりと承知していただく」「神も仏も天照大神や神武天皇なども大事にしようと、教育の現場でなぜ言えないのか」などと言い放った。あからさまに天皇制国家=「強い国家」の復活を唱え、現行憲法と戦後民主主義を否定する大暴言である。さらに翌日の記者会見では、「(天皇中心とは)日本の悠久(ゆうきゅう)の歴史と伝統文化という意味だ」と言い切り、発言の撤回を拒否して開き直っている。
 これは、天皇を「神聖不可侵」としてそのもとにひれ伏し、命をも投げ出すことをすべての人民に強要した戦前の暗黒の天皇制国家(天皇制ボナパルティズム国家)を賛美し、その復活を公然と主張するものだ。「神国日本」がアジアを征服し支配するのは当然として、残虐きわまりないアジア侵略戦争と第二次大戦の地獄に全人民を暴力的に引き込んでいった、かつての日帝・軍部のイデオロギーそのものではないか。
 こんな極右天皇主義を平然と口にする者が、現職の総理大臣として日本の政治のトップに居座り、「教育改革」を語ることなど、一日たりとも認められない。直ちに人民の力で首相の座から引きずり下ろそう。
 森はこれまで、所信表明演説で「三つの国家」像を唱え、「強い国家」への変貌(へんぼう)と、そのために有事立法・改憲に突き進むことを、歴代首相として初めて国会で正面から打ち出した。さらに「戦前の教育勅語にはいいところもあった」と、その復活を「教育改革」―教育基本法改悪の最重要の柱として押し出してきた。また、「沖縄では君が代を学校で教わっていない」と沖縄人民への敵意と差別をむきだしにして、サミット戒厳体制をテコとする沖縄圧殺攻撃を強めてきた。それらの根っこにあるものこそ、まさに今回の天皇制国家の復活を唱える暴言の思想である。
 また、防衛庁は七月沖縄サミットの海上警備に自衛隊を動員しようとしている。イージス艦「ちょうかい」を含む海自の護衛艦八隻を「教育・訓練」名目で沖縄周辺海域に展開させ、弾道ミサイルの警戒と周辺事態法でいう「ゲリラ・コマンドウ」対策に当たらせるというのである。
 これは、サミット警備を名目とした対中国、対北朝鮮の露骨な軍事演習であり戦争挑発である。とりわけ中国・台湾情勢の緊迫のまっただ中で、そこから至近距離にある沖縄で、昨年三月の「不審船」事件のようなむきだしの戦争挑発劇を一層大々的に演じてみせようとする大攻撃だ。
 これは、ファシスト・石原が打ち出した九・三自衛隊治安出動演習の攻撃とも完全に呼応している。都知事の権力を握った石原が、その「強い実行力」をフルに使って今まさにやろうとしていることは何か。陸海空自衛隊四千人を動員し、都内十カ所で三軍統合の治安出動演習を強行し、朝鮮人・中国人を始めとしたすべての外国人と労働者人民に銃を向けさせようということである。石原は、この演習をとおして再び国家の中心に軍隊を据えることを狙うと公言している。
 そのために、「不法入国した三国人が災害時に大きな騒擾(そうじょう)を起こす」などと、朝鮮人・中国人への差別語を公然と使ったデマ宣伝を繰り返し、すさまじい帝国主義的排外主義をあおっている。一九二三年の関東大震災で朝鮮人・中国人六千数百人を大虐殺した時と同じ「流言飛語」を都知事の名で大々的に流し、実際の襲撃をも扇動しているのだ。
 また石原は小渕前首相の死去に際して、小渕と石原の間には「秘密の連絡将校がいた」と言い、七月沖縄サミットの場で各国首脳を前に「今の憲法を変える」と宣言するよう小渕に頼んでいたという重大な事実をも明かしている。(五月十五日付東京新聞)
 森や石原のこうした反動的突出は、今日の日帝支配階級が、世界大恐慌とブロック化という資本主義・帝国主義の危機の絶望的な深まりの中で、再び戦前的な天皇制国家、戦争国家と軍国主義、すなわち労働者人民への暗黒支配と、朝鮮・中国―アジア人民虐殺の新たな一大侵略戦争に唯一の延命の道を求めていることを示している。
 そもそも小渕政権が、昨年五月の日米新安保ガイドライン法の強行成立を突破口に一気に突き進もうとしたものこそ、そうした戦争国家への道だった。その攻撃が労働者人民の反戦平和や民主主義という戦後的価値観の全面解体、とりわけ沖縄人民圧殺なしには貫けないという中で、今まさにそのための戦前的な思想や国家体制の復活に正面からのりだしているのが森であり、そのファシスト先兵=石原なのである。
 問題がここまで明らかなのに、民主党も日本共産党も社民党も、森のもとでの国会から総引き揚げしようともしていない。五月三十日の小渕追悼国会にやすやすと屈服・協力し、六月二日のなれ合い解散に応じているだけだ。許しがたい屈服である。
 日本の政治は今や、侵略戦争と暗黒政治の歴史を再び繰り返すのか否かという点で、真に決定的な曲がり角にさしかかった。この角を、森や石原の思うがままに曲がらせては断じてならない! 日本共産党など全野党の屈服をうち破り、森・自公政権とファシスト石原をともに打倒するために総決起しよう。
 労働者階級が本気で、既成野党の裏切りと転向を突き破って、自らの力で森や石原と対決して立ち上がったら、こんな攻撃を吹き飛ばすことは必ずできる。
 五・二八全国総結集闘争と六月衆院選が最大の戦場だ。ここで絶対に勝利し、七月沖縄サミット粉砕へ、さらに九・三自衛隊治安出動演習粉砕へ突き進もう。
 森と石原を即刻、権力の座から引きずり下ろせ!

 第2節 石原伸晃を打倒し長谷川氏の当選を

 衆院選東京八区(杉並)は、今や掛け値なしに六月総選挙の最大の焦点となった。その対決軸は、森・自公政権の公認候補であると同時に石原都知事の息子として父と一体の政策を掲げる自民党の石原伸晃と、日本共産党をのりこえる革新無所属候補としてこの決戦に挑む長谷川英憲氏との全面対決にある。
 石原伸晃は自己の政治路線・政策の柱に、「親父とともに東京から日本を変える」というスローガンを公然と掲げている。だが都知事石原が、「東京から日本を変える」と叫んでやっていることは何か。“東京を軍都化し、日本を戦争国家化する”ことではないか。石原伸晃はこれを支持するのか。今回の森発言にはどういう態度をとるのか。
 さらに石原伸晃は、自民党の介護保険問題突破議員連盟会長として、人民大衆に一切妥協することなく介護保険を原案どおり実施せよと要求してきた人物だ。
 その選挙リーフレットでは「年金・医療・介護がいま曲がり角を迎えています。何から何まで国が面倒を見れば、現役世代の負担は莫大です。国は必要最小限をまかない、残りは個人と地域の協力で行う『共助』で」と言っている。社会保障制度は「ぜいたくだ」とも言っている。これは、国はもう社会保障や福祉に責任など持つな、介護と福祉は個人と地域でやれ、できない者は切り捨てよという主張である。
 国家の中で一番重要なものは戦争をするための天皇制や軍隊だと叫ぶ森や石原は、労働者人民の命や暮らしを踏みにじることに何の痛みも感じない。福祉が極限的に切り捨てられていく時こそ、戦争の時代の始まりである。
 父親と一体の石原伸晃の反動的正体を暴き出し、石原伸晃の打倒と長谷川氏の当選をかちとろう。
 それは同時に、森政権やファシスト石原との正面対決を放棄するばかりか、完全屈服して逆に擁護する側にさえ回っているすべての既成野党の腐敗、堕落、反人民性を容赦なく暴き出す闘いである。今次衆院選で初めて自民党と選挙協力し森政権の最大の支柱と化した公明党。今や自民党以上に積極的な有事立法・改憲の党として登場し始めた民主党。さらにとりわけ問題なのは日本共産党だ。
 この間の日共委員長・不破や書記長・志位の国会質問や言動には、森政権の推進する有事立法・改憲攻撃、沖縄サミット、「教育改革」や大失業・リストラ攻撃、社会保障制度解体に真正面から批判や反論を加えるものはほとんどない。
 超反動であった小渕の死に対しても、不破が「さぞや無念の思いがあったろう」と、全面的な哀悼の意を表しているありさまだ。
 それは、日共の掲げる「日本改革論」が、危機に立つ日帝の侵略戦争・改憲の大反動への突進を阻止しようとするものではまったくなく、逆にそれと一切闘わないことを徹底的に路線化したものであることを示している。この日本共産党の大裏切りと日帝への屈服・転向・翼賛こそが、森や石原の野放図な攻撃を側面から支えているのだ。
 日共はまた、介護保険を「国民的大事業」(不破)と賛美し、自公政権と一体となって推進する立場に完全に移行してしまっている。そこには、「介護保険で高齢者と人民は殺される」という全国に噴出する怒りの声を真剣に取り上げる姿勢は何ひとつなく、住民の自主的決起に対する抑圧と敵対があるのみだ。
 今日続発する少年事件に対しても、子どもたちとその家族を絶望的な状況に追いつめている現在の社会の帝国主義的な腐敗と極限的な弱肉強食、その上に成り立つ「いのちを奪う政治」を正面からまったく問題にしない。自民党と一緒になって「徳育を教育の中心に」と、道徳教育(行きつく先は天皇制教育だ)の強化や少年法改悪による刑事罰の強化に率先して道を開こうとしているのだ。
 このような既成野党、とりわけ日本共産党を徹底粉砕し、のりこえて森・石原を打倒し、闘う杉並区民とともに長谷川氏の必勝=当選をかちとろう。介護保険廃止と、必要な介護と福祉を人民の団結の力でかちとる住民運動、全国的な運動を大高揚させよう。
 さらに同時に、本番突入の衆院選決戦を、同時に沖縄サミット粉砕決戦の勝利を開くものとして全力で闘いぬこう。
 6面につづく〜1面からつづく
 そして、サミット決戦そのものを、帝国主義の戦争会議を粉砕し、日米帝の朝鮮・中国―アジア侵略戦争に向けたガイドライン体制構築と戦争国家化攻撃を粉砕する一大決戦として、沖縄人民と連帯して全力で準備し、爆発させていこう。
 五・二八全国結集闘争が当面するその最大の決戦である。東京・芝公園に総結集し、沖縄サミット粉砕、森=石原打倒、衆院選勝利の巨大な火柱を打ち上げようではないか。

 第3節 国労闘争団を守り反動的決着粉砕へ

 国鉄決戦が、この真っただ中でいまひとつ決定的な決戦局面を迎えている。
 その最大の柱は、JR東日本の「シニア協定」と新人事=大塚新体制の登場に示される、日帝による国労解体・国鉄闘争解体攻撃のまったく新たな重大段階への突入である。すなわち日帝権力とJR資本は、国鉄分割・民営化以来のJR総連=カクマルとの結託体制をテコとした国労解体攻撃が最後的な破産を突きつけられる中で、従来の労務政策の延長線上にではなく、権力と資本が直接、国労解体攻撃に死活をかけてのり出してきたのだ。
 それは、六十歳定年後の「再雇用の機会提供」を装うペテン的「シニア協定」のもとで、国鉄労働者に襲いかかっている総額人件費削減と全面外注化という新たな大合理化攻撃と一体の攻撃だ。そこに国労を全面屈服させて連合化し、国労を解体しようとしている。
 この攻撃を呼び込む役割を果たしているのが、国労中央の宮坂・チャレンジ一派と革同上村一派である。とりわけ今日、革同上村一派=日共スターリン主義の反動的突出は、断じて許せない。彼らは今、国労組合員には徹底的に秘密にして、「自社協議」を窓口とした千四十七人問題の反動的決着策動にのめり込んでいる。総選挙前=ILO最終勧告前に闘争団売り渡し策動の決着をつけ、「運輸省メモ」の全面受け入れに動こうというのだ。
 これは絶対に許せない大裏切りだ。国鉄闘争は今、これまでのどの局面よりも決定的な勝利への諸条件に満ちている。何よりも、階級対立の非和解化と連合支配の崩壊の開始と、他方で日帝が労務政策を転換する中で、JR総連=カクマルの危機が大爆発し、労資結託体制が決定的な破産を迎えている。JR総連打倒と国労の組織拡大へのかつてないチャンスなのだ。
 さらには、五・二八反動判決のあまりの反労働者性がILOの勧告をもとおして国際的にも突き出される中で、闘争団の不屈の闘いが日本労働者階級の闘い全体の頂点に押し上げられる決定的な時を迎えている。ここで踏んばって闘いぬくなら、歴史的な勝利が必ずや切り開かれるのだ。
 日帝と国労中央の超反動的な裏取引と闘争団の切り捨てを許さず、七月代議員選で闘争団絶対防衛派の勝利をかちとり、八月国労大会決戦へ攻めのぼろう。危機の中で絶望的な凶暴化と反革命化を深めるJR総連=カクマルを、国鉄労働者自身の力で打倒し、ファシスト労働運動を一掃しよう。新潮流運動の大発展をかけてこの決戦を闘おう。
 六月衆院選に絶対に勝利し、七月沖縄サミット粉砕、九・三自衛隊治安出動演習粉砕へ、決戦に次ぐ決戦に勝利しよう。闘うアジア人民、沖縄人民と連帯し、五・二八芝公園に全国から総結集し、闘いの大爆発をかちとろう。

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週刊『前進』(1958号1面2)

 沖縄でサミット粉砕デモ

 反戦共同行動委

 ”森来沖阻止”に立つ

 ペテン的な七二年五・一五「返還」から二十八年、反戦共同行動委員会は沖縄現地で十三日から十五日まで、三日間の連続闘争に決起した。森来沖阻止・サミット粉砕を訴えて十三日午後に那覇市の国際通りをデモ行進、夜には沖縄労組交流センター主催の集会を二百十人でかちとった。翌十四日は名護市役所前で森来沖を弾劾、市民の注目の中をデモ行進した。午後には宜野湾市海浜公園で開かれた「平和とくらしを守る県民総決起大会」に合流し、カクマルのこそくな敵対を粉砕して闘った。(関連記事2面)

 第1節 国際通りをデモ 5・13那覇

 五月十三日午後二時半から那覇市の国際通り沿いの牧志公園で、反戦共同行動委員会主催による「森来沖阻止・沖縄サミット粉砕」決起集会が百六十人の参加で開かれた。
 全学連の大山尚行委員長が基調報告を行い、森の三・二〇沖縄差別発言を弾劾し、有事立法・改憲、教育勅語の復活を叫ぶ極反動・森との徹底対決を呼びかけた。そして、「侵略と軍事外交のための沖縄サミット、帝国主義強盗どもの戦争会議を全人民の総決起で粉砕しよう」と意気高くアピールした。沖縄労組交流センター、全学連沖縄現地行動隊の断固たる決意表明で、参加者の闘志は燃え上がった。
 いよいよ国際通りデモへ出発だ。「サミット粉砕、来沖阻止」のかけ声高く、デモは白ヘルメットの全学連を先頭に繁華街を進む。宣伝カーがアピールを行い、「七月沖縄サミット粉砕」の横断幕を真正面に掲げて進むデモ行進に、行き交う市民の圧倒的な注目と共感が集まった。
 沿道ではビラが吸い込まれるように受け取られた。デモ隊の孤立化、市民との分断を狙った警察の策動は完全に打ち破られ、デモ行進の間に九百枚のビラが沿道の市民に受け取られた。すごい反響だ。
 意気上がるデモ隊は終点の沖縄県庁前で、沖縄サミット、名護新基地建設を策動する稲嶺反動県政への怒りを込めて、「サミット粉砕!」のシュプレヒコールをあげた。

 第2節 名護市民が拍手 5・14

 翌十四日、反戦共同行動委員会は、森がサミット会場の落成式のためにやってくる名護市に結集し、午前十時から名護市役所前広場で「森来沖阻止、サミット粉砕」集会を百三十人でかちとった。反戦共同行動委員会の滝口誠事務局長、西村綾子相模原市議、国賀祥司泉佐野市議、沖縄労組交流センター、動労千葉の代表が闘いの決意を述べ、全学連が基調報告と断固たる決意表明を行った。
 集会後、名護市中心街を通るデモ行進に出発した。「新基地建設を絶対に阻止しよう」との訴えに、沿道の女性が拍手でデモ隊にこたえた。市長リコール運動が中断されたとはいえ、新基地建設に反対する名護市民の意思は変わらない。デモ隊は市民の熱い反応にこのことを確信し、名護市民と連帯して闘う決意を一層固め、ヒンプンガジュマル緑地までデモした。
 一方、この日来沖した森は記者会見で三・二〇沖縄差別発言を「国旗・国歌の学校での指導に万全を期してほしいということ」と開き直った上、稲嶺知事との会談で「小渕前首相の遺志を継いでサミットの成功に全力をあげる」と語った。絶対に許せない。
 反戦共同行動委はサミット戒厳体制を打ち破り、日共の大反動を粉砕し、七月サミット決戦の前哨戦を打ち抜いた。この地平を引き継ぎ、五・二八全国総結集闘争の爆発へ進撃しよう。

 第3節 知花昌一さんらがデモ行進

 アジア民衆と連帯 
 県民大会翌日の十五日夕方、那覇市牧志公園で実行委員会主催による「沖縄サミットに反対する集会」が開かれた。百三十人あまりの人びとが参加し、集会後国際通りを通って県庁前までデモ行進した。
 この実行委員会は、知花昌一さん、西尾市郎さん、まよなかしんやさん、島田善次さんの呼びかけでつくられたもの。集会・デモには、韓国の米軍基地と米兵犯罪と闘う運動からの代表が参加し、サミット反対と米軍基地の撤去へ向けて、アジア民衆の連帯を熱烈に呼びかけた。
 サミットを振りかざし、沖縄人民の反戦・反基地闘争を解体しようとする政府のもくろみは急速に打ち破られてきている。

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週刊『前進』(1958号2面1)

 森=石原打倒へ労働者階級の決起を

 ”天皇制国家の復活”公言する森を首相の座から引き下ろせ

 石原は戦争国家化の最先兵だ

 森喜朗首相は五月十五日、「日本の国は天皇を中心とする神の国」と発言し、国家神道の教育を強制する意図を表明した。労働者人民やアジア人民、世界人民の怒りが高まり、自公関係も緊張する中でペテン的に「陳謝」してみせたが、発言そのものは撤回せず、ごう然と開き直っている。森が唱えていることは、戦前的な天皇制国家(天皇制ボナパルティズム国家)の復活である。それは石原都知事の自衛隊三軍による治安出動演習と完全に一体の戦争国家化攻撃であり、朝鮮・中国侵略戦争の攻撃である。森を即刻、首相の座から引きずりおろそう。五・二八闘争に総決起し、森=石原を打倒し、衆院選決戦と沖縄サミット決戦に断固として勝利しよう。

 第1章 有事立法・改憲攻撃狙う

 森は首相の資質すらない小渕以上に超反動の人物
 森は、十七日午後の参議院本会議で「誤解を生じたとすればおわびを申し上げたい」と「陳謝」したが、これはペテンで発言自体はまったく撤回せず、意図は正しいと全面的に居直っている。そもそも森は首相としての資質にもまったく欠けた人物である。そして森発言は、「失言」や「リップサービス」などではなく、森が首相として狙っていることをそのまま述べたものである。
 森発言の超反動性の第一は、天皇を神として日本を神の国だと主張し、これを人民に強制していく意図を表明したことである。「誤解を与えた」などと弁明しているが、森発言に誤解の余地などまったくない。森は、「日本の国、まさに天皇を中心とする神の国であるぞということを、国民の皆さんにしっかりと承知していただく」と、天皇が神であり、日本は天皇を中心とした神の国であると言っている。それを人民に対して強制し、そのための教育改革をすると言っているのだ。そして「人の命は神様から頂いたもの」と主張しており、それはまさに人民を「天皇の赤子」として、天皇のために死ぬことを強制するということだ。
 森は明白に天皇制国家の復活を唱えている。新ガイドラインによって日本を実際に戦争のできる国へと転換するために、天皇制・天皇制イデオロギーのもとに労働者人民を統合しようとしているのだ。
 森発言の超反動性の第二は、現在国会で進められている憲法調査会による改憲論議が、こうした天皇制イデオロギーのもとに「国民主権」という戦後民主主義の根幹をたたきつぶすものとして進められていることを示したことである。
 日帝の改憲論議は、憲法第九条を解体し、帝国主義軍事力と戦争国家体制を形成することを中心に進められている。森は、首相就任後の所信表明演説で歴代首相として初めて有事立法攻撃を宣言したが、まさに戦争国家化に向けた有事立法・改憲内閣として突進しようとしているのである。
 そして、戦争国家体制の形成に向けて戦後民主主義の総体を破壊する。このことを森発言は如実に示している。森の居直りを許せば、侵略戦争への参戦、労働者人民の闘いの圧殺、徴兵制の復活となっていく。
 直接的にも森発言は信教の自由を完全に踏み破っている。「天照大神や神武天皇など神も仏も大事にしようと教育の現場でなぜ言えないのか」という森の主張は、国家神道の復活、記紀神話や教育勅語の復活を唱えるものである。憲法第二〇条の国の宗教活動の禁止や、教育基本法第九条の宗教教育の禁止を全面的に踏み破るものである。日帝に都合の悪い宗教は再び暗黒の弾圧にさらされるのだ。

 第1節 教育勅語復活と少年法改悪

 森発言の超反動性の第三は、この発言が同時に、教育基本法を改悪し、教育の治安問題化と軍国主義教育の復活のために行われたということである。
 そのために日帝は、少年犯罪事件の多発を宣伝材料に使っている。だが、少年たちを追いつめているのは、日帝がその危機と体制の行きづまりと腐敗を極限化させつつ、同時に一切の犠牲を労働者人民に転嫁し、介護保険制度に見られるように高齢者に死を強制する攻撃に出てきている現在の社会にこそ、その根本原因がある。(6面参照)
 日帝は、少年法改悪をもって少年たちへの厳罰主義を制度化し、教育の場を警察支配のもとに組み込むという教育の治安問題化を図っている。それと一体で森は、教育勅語の復活を狙い、ことあるごとに「教育勅語もいい面があった。普遍の真理みたいなものは続けていかなくてはならない」「親孝行とかきょうだい仲良くとか、家や国を大事にとかの良い面は復活させ、残さないといけない」と繰り返している。森の言う「滅私奉公」とは教育勅語の言う「義勇奉公」であり、国のため天皇のために死ぬあり方を「臣民の義務」として守れということなのである。これが森が言うところの「心の豊かさ」(所信表明演説)なのだ。
 現在日帝は、「日の丸・君が代」を全面的に強制する攻撃、新勤評攻撃である人事考課制度強制の攻撃をかけてきている。これによって教育労働者の団結と闘いを全面的に破壊し、天皇制教育を全面化させようとしている。
 森は十七日の参院本会議で「けっして天皇が神だという趣旨で申し上げたものではない」とか「主権在民の考えに反することを申し上げたものではない」と弁明したが、ごまかしであり、ウソである。何よりも発言は撤回していない。このような見え透いたペテンと居直りを絶対に許してはならない。森・自公政権への怒りを込めて衆院選決戦に全力で決起しよう。

 第2章 9・3三軍大演習粉砕を

 排外主義の扇動を居直るファシスト石原追撃せよ
 森打倒の闘いと同時に、石原都知事の差別暴言と九・三自衛隊治安出動演習を粉砕する闘いがますます重要になっている。
 石原暴言問題は、マスコミが「三国人」という差別語を使ったことに問題を切り縮め、石原がペテン的に「もう使わない」としたことで収束したかのようになっているが、これはとんでもない。朝鮮人・中国人を始めとする外国人が「凶悪な犯罪者」であるかのような排外主義的扇動はそのままであり、何よりも九・三の自衛隊三軍による治安出動演習をあくまでも強行しようとしているのである。
 石原は「三国人」暴言について何も謝罪していなければ、何も反省していない。都議会での臨時議会開催の動きを抑えるために四月十九日に民主党に対しては、客観的な表現で「差別的に使われていたため」とあたかも差別語であることを認めたかのようなペテンをろうした。
 だが、翌二十日に民団に対して示した見解では差別語であることをまったく認めようとせず、一部の言葉を省略した記者の報道が悪いという態度を貫き、外国人が「犯罪を繰り返している」というデマ宣伝を繰り返し、自衛隊の治安出動演習を強行することをあらためて宣言している。
 石原は関東大震災で日本軍や警察による朝鮮人・中国人大虐殺があったことを自覚しながら、「今度は逆に不法に入国している外国人が必ず騒擾(そうじょう)事件を起こす」と挑戦的にデマゴギーを吹き、あくまで自衛隊治安出動を強行しようとしているのだ。
 「外国人が必ず騒擾事件を起こす」というこの凶悪な排外主義扇動を絶対に許してはならない。それは、大衆をデマで扇動することをとおして朝鮮人・中国人を始めとした外国人に排外主義襲撃を加えるものであり、日本の労働者人民を侵略戦争に全面的に動員しようとするものだ。
 日帝の朝鮮・中国侵略戦争参戦の先頭に立つことを狙って石原は排外主義扇動を行っている。石原が「大地震が来るだろうという想定の中に、それから派生するもっと大きな非常にあしき事件を想定することは私の責任ですから」と言っているように、石原にとっては大地震が来ることが問題なのではなく、外国人に対する治安出動態勢を築くことが重要なのである。
 だが、歴史的にも大地震の際に外国人が騒擾を起こしたことなどないし、実際にも日本人の右翼的分子による排外主義的敵意に囲まれた中で絶えず襲撃の脅威にさらされている外国人が騒擾事件を起こすなどということはありえないのだ。
 さらに石原は五月二十日に開かれる陳水扁氏の台湾総統就任式に出席しようとしているが、「中国を分裂させよ」という主張を実現するためのものであり、帝国主義の伝統的な侵略・侵略戦争のやり方なのだ。
 九・三自衛隊治安出動演習を許すのか否かは、日本階級闘争の未来を決する重大な決戦となった。新ガイドラインに基づいた朝鮮・中国侵略戦争策動と一体の戦争国家化攻撃として自衛隊の治安出動態勢構築が狙われているのであり、同時に沖縄サミットによる沖縄闘争・基地闘争の圧殺、沖縄の侵略出撃拠点化攻撃がかけられているのである。

 第1節 首都10カ所を自衛隊が制圧

 九・三治安出動演習は、自衛隊三軍が首都全域を制圧して行う大規模な治安出動演習であり、絶対に粉砕しなければならない。
 演習に参加する機関は自衛隊、海上保安庁、警視庁、東京消防庁を始め約百機関に上る。さらに内閣総理大臣が緊急災害対策本部長として参加するなど、国家の総力をあげた治安出動態勢がとられるのである。
 訓練会場となるのは、@銀座(中央区)、A白鬚西(墨田区)、B葛西(江戸川区)、C木場(江東区)、D舎人(足立区)、E駒沢(世田谷区)、F都庁(新宿区)、G立川(立川市)、H篠崎(江戸川区)、I晴海(中央区)の十会場である。都営地下鉄や艦艇を使った自衛隊の進出訓練や道路障害物除去訓練、搬送訓練などが行われる。文字どおり自衛隊が都心に突入し、一帯を制圧するという訓練である。
 「外国人の騒擾」なるものを想定し、警察力では限界があるから軍隊が出動するということは、外国人はすべて軍隊によるせん滅の対象にするということだ。軍隊の治安出動とは、警察・機動隊によるデモ鎮圧とはまったく性格が異なり、敵に対する戦争行為=軍事的せん滅戦をやるということだ。自衛隊はそのために都市ゲリラ掃討訓練を長年にわたってやってきているのである。日帝が侵略戦争に参戦するということは、国内では朝鮮人・中国人を始めとした外国人に対する治安出動=せん滅戦体制をとることなのだ。
 排外主義の嵐(あらし)が吹き荒れ、労働者の闘いがたたきつぶされて帝国主義の暴虐が労働者人民の上に吹き荒れることを許してはならない。労働者のストライキを始め、広範な労働者人民の闘いや自衛隊兵士の決起で自衛隊の治安出動演習を絶対に粉砕しよう。
 衆院選決戦において東京八区(杉並区)で石原伸晃を打倒する闘いが決定的だ。日共の大転向を粉砕し、長谷川英憲氏の勝利によって日帝・森政権とファシスト石原を打倒しよう。

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週刊『前進』(1958号2面2)

 森の「神の国」発言(要旨)

▼五月十五日の神道政治連盟国会議員懇談会の結成三十周年記念祝賀会でのあいさつ 
 「神様を大事にしよう」という最も大事なことをどうも世の中忘れているんじゃないか、ということから、神道政治連盟、そして国会議員懇談会を設立した。
 村上(正邦参院議員)会長はじめとする努力で「昭和の日」を制定した。今の天皇ご在位十年のお祝いをしたり、先帝陛下(在位)六十年だとか、政府側が及び腰になるようなことをしっかり前面に出して、日本の国、まさに天皇を中心とする神の国であるぞということを、国民の皆さんにしっかりと承知していただくというその思いで我々が活動をして三十年になる。
 人の命というのは両親からいただいた。もっと端的に言えば神様からいただいたものだ。神様からいただいた命は大切にしなければならないし、人様の命もあやめてはならないということが基本だ。こんな人間の体のような不思議な神秘的なものはない。やっぱりこれは神様からいただいたということしかない。
 神様であれ仏様であれ、それこそ天照大神であれ、神武天皇であれ、親鸞聖人さんであれ、日蓮さんであれ、宗教というのは自分の心に宿る文化なんだから。そのことをみんな大事にしようよということを、もっと教育の現場でなぜ言えないのか。信教の自由だから触れてはならんのか、そうじゃない。信教の自由だからどの信ずる神も仏も大事にしようということを、学校でも社会でも家庭でも言うことが、日本の国の精神論から言えば一番大事なことなのではないか。
▼発言について、翌日の記者とのやりとり
 戦後の主権在民と矛盾するものではない。戦前は天皇と結びつけて戦争した。そこで主権在民、信教の自由をうたい、侵略戦争を廃棄することを国是とした。何ら矛盾しないわけで、天皇のことは悠久の歴史と日本の伝統文化を表現しているということです。
 (撤回しないのかとの質問に)どうして撤回しなくちゃいけないんですか。全部をきちっと聞いていただければわかるはずです。

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週刊『前進』(1958号2面3)

 ”戦争準備のサミット反対” 

 那覇で210人が集会

 沖縄労組交流センター主催

 五月十三日午後六時から那覇市の八汐荘ホールで、沖縄労組交流センター主催、反戦共同行動委員会協賛による「戦争準備のための沖縄サミット反対/辺野古への海兵隊航空基地建設阻止/五・一三沖縄集会」が二百十人の参加で開かれた。
 沖縄労組交流センターの真喜志康彦さんが基調報告を行い、沖縄サミットの狙いが沖縄圧殺をとおした日帝の戦争国家化攻撃、名護新基地建設にあることを怒りをもって暴露し、「本日を期して七月サミット粉砕決戦へ全力で突入しよう」と力強く呼びかけた。また、本土から決起した反戦共同行動委員会の各団体、労組代表が次々と連帯のあいさつを行った。
 これに続き、沖縄で闘う人士が発言に立った。知花昌一さん(読谷村議、反戦地主)は「五・一五返還から二十八年、本土復帰にかけた平和への願いは踏みにじられたが政府の狙いもけっして成功していない。悔いのない闘いをやろう」と呼びかけた。知花盛康さん(沖縄万人の力で星野文昭さんを取り戻す会)は、「星野さんを取り戻す闘いと沖縄基地撤去の闘いは一体だ。ぜひ皆さんのまわりで取り組みを」と訴えた。
 沖縄民衆会議の諸人士は自らの沖縄戦の体験を語り、宜保幸男さんは「琉球処分に匹敵する大きな攻撃がかけられている。七・二〇嘉手納基地包囲行動に決起を」と熱をこめて訴えた。宮城盛光さん(北中城村議)は、サミットの大合唱を批判するとともに、「長谷川英憲さんを国会へ、沖縄からも応援する」と述べた。
 続いてこの間、名護市で闘ってきた全学連現地行動隊が勢ぞろいし、闘いを報告した。日共の裏切りによる市長リコールの中断にもかかわらず、基地建設への市民の怒りは不変であること、五万枚のビラをまいて大反響をつくりだしていることを報告すると、大きな連帯の拍手が起こった。
 最後に沖縄労組交流センターの労働者と、全学連の学生、とりわけ新入生が次々と七月サミット粉砕と沖縄連帯の決意を表明し、集会は最高の熱気と感動のうちにかちとられた。
 五・一三集会の大成功は「サミット反対の声一つあげさせない」という日帝の大弾圧と日共スターリン主義やカクマルの敵対を打ち破り、沖縄−本土人民が七月サミット粉砕へ総決起する巨大な突破口を開いた。

 第1節 名護を訪問し闘いを激励

 五月十五日、反戦共同行動委員会は、オスプレイ新基地建設と闘う名護現地激励行動に取り組んだ。大型バスなどに分乗、総勢百二十人が参加した。
 まず二見以北十区の会を訪問した。東恩納琢磨代表代行は「素直にいやなものはいやと言える世の中にしたい。基地はいらないの一点で闘っていく」。続いて訪問した辺野古の命を守る会の金城祐治代表は「基地は絶対つくらせない。焦らず一歩一歩闘う」と表明。
 檄布を手渡した後、反戦共同行動委の滝口誠事務局長は「したたかでしなやかな沖縄の闘いに学び、これにこたえる本土の闘いを実現する」ときっぱりと決意表明した。その後、真昼の辺野古の浜に立ち、豊かな自然を実感。新たな基地をつくらせてはならないと決意を深めた。

 県民大会に合流 5・14宜野湾


 五月十四日午後、宜野湾市海浜公園野外劇場で「五・一五平和とくらしを守る県民総決起大会」が、沖縄平和運動センター主催で開かれた。十二日から三日間の平和行進に全国から参加した労働者が続々と集結、六千人の大結集だ。
 反戦共同行動委員会は、沖縄労組交流センターを先頭に約三百人が参加した。沖縄闘争の敵=カクマルの妨害を一切許さず、沖縄サミット粉砕を真っ正面から訴え、労働者人民との大合流をかちとった。炎天下での平和行進を貫徹し、沖縄の反戦の心を実感して集まった労働者は「サミット反対」をあいまいにする既成指導部への疑問と怒りを表明、反戦共同行動委のビラ四千枚とパンフレットはまたたくまに受け取られた。
 県民大会は「基地の県内移設に反対し、憲法の改悪を許さない決議」を採択、二万五千人の総結集で七・二〇嘉手納基地を包囲する方針が確認された。サミット粉砕へ、社・共の制動をはねのけて労働者人民の怒りを解き放ち、壮大な決起を切り開く展望は確実にある。全力で闘いぬこう。

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週刊『前進』(1958号2面4)

 資本攻勢&労働日誌

 4月28日〜5月16日

 ●改悪雇用保険法が成立

 ●最悪状態続く完全失業率

 ●長期失業者82万人と最多

 会社分割2法が衆院通過

●4月28日 雇用保険料率の引き上げと給付削減、失業理由により給付期間に差をつける改悪雇用保険法が成立した。(表参照)
◇総務庁が発表した労働力調査によると3月の完全失業率は4.9%と過去最悪が続き、男性は5.2%で最悪を更新、完全失業者数は349万人で過去最悪となった。年齢別では男性の15-24歳が12.5%で、若年層の悪化が目立つ。
◇同日発表の2月の労働力特別調査によると、失業期間が1年以上の長期失業者は昨年同月より12万人増の82万人と過去最多となり、全体の25.1%を占めた。
●5月1日 連合、全労連、全労協のメーデーが全国各地で行われ、労働者階級が決起した。韓国では10%台の賃上げを求めて全国各地で集会。ドイツでは反資本主義を叫ぶ抗議運動が拡大し、警官隊との衝突があった。
●3日 労働福祉事業団によると1999年度の未払い賃金の立て替え件数は2773件で、76年の制度開始以来最悪となり、零細企業の倒産が依然深刻な状況を示している。
◇帝国データバンクによると、4月に施行された民事再生法の1カ月間の申請が64件に達した。
●6日 米労働省が発表した4月の失業率は3.9%となり、およそ30年ぶりの低水準となった。
●10日 ベルギー政府は、雇用対策として、法定労働時間を週39時間から週35時間にするとともに、週4日労働制を認める新労働法を制定する方向で検討に入った。
◇文部省の調べで、今春高校を卒業した就職希望者の就職率は前年より1.7ポイント低下し88.2%、「就職浪人」が約3万2000人に。
●11日 会社分割制度を創設する商法改悪案が「修正」の上11日に労働契約承継法案は12日に衆院を通過し、今国会での成立策動が一気に強まった。「修正」点は労働契約の承継に関して、会社は株主総会で会社分割を決める2週間前までに労働者と事前に協議する、など。また、両法案それぞれの付帯決議項目が採択された。
◇日経新聞の2000年春闘の賃上げ調査結果では、今春闘の平均賃上げ率は1.94%と前年実績の2.08%を下回り最低を記録した。
●12日 文部省、労働省の調査によると、今年大学を卒業した就職希望者の就職率は91.1%と前年を0.9ポイント下回り、調査開始の96年以降最低を記録した。
●15日 NKKと日立造船がそれぞれの造船事業を切り離し、統合を検討していることが明らかに。
●16日 牧野労相は今後1年間に35万人の雇用創出を図る緊急雇用対策を閣議で報告、了承された。採用側と求職側の「ミスマッチ」を解消するとしている。

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週刊『前進』(1958号3面1)

 福祉を切り捨て大増税

 介護保険を廃止せよ 4

 利用料が大重圧に

 保険料を払いつづけてさらに1割の自己負担

 介護保険では、保険料を払い続けても、利用料を払わなければ一切の介護は受けられない。利用料を払えない人からは、必要な介護も情け容赦なく奪い取る。

 第1節 保険外負担も

 政府・厚生省は「措置から契約へ」などと言って介護保険の実施を強行した。だがこれは、介護・福祉に対する国家の責任を否定し、「介護は個人がお金を出して買うもの」とする、福祉に対する考え方の根本的な転換である。
 介護保険制度のもとで介護を受けるためには、まず介護認定で「要介護」「要支援」と判定された上、ケアマネジャーに介護サービスの内容、その提供スケジュールなどを定めるケアプランを立ててもらい、それを市町村に届け出なければならない。ケアプランとは、要するに業者からの「介護サービス商品」購入計画のことだ。
 介護サービスの提供者は、市町村やその委託を受けた社会福祉法人などから、民間の営利業者への転換が進む。業者にとっては、利用料の取り立ては死活問題だ。
 介護を受ければ、利用料の一割が自己負担である。しかも、要介護度に応じて決められた支給限度額を超える介護サービスについては、全額を自己負担しなければならない。
 たとえば、「要介護5」の人が、居宅介護サービスの支給限度額(三十五万八千三百円)いっぱいまでサービスを利用したとすれば、自己負担はその一割の三万五千八百三十円になる。それが払えなければ、サービスの利用は切りつめざるをえない。だが、支給限度額いっぱいのサービスを利用できたとしても、受けられる介護は、必要最低限を満たせない。支給限度額自体が、きわめて低く抑え込まれているからだ。「障害」を持つ高齢者が自宅で生活を維持していくために必要な介護を受けようとすれば、支給限度額を超えてしまう場合が多い。超えた部分は、全額自己負担になるのである。

 第2節 低所得者排除

 これまでの制度では、ホームヘルプサービスの利用料は所得に応じた負担とされ、八割以上の人は所得が低いため無料だった。こうした人びとは、介護保険制度のもとでは、無慈悲に切り捨てられてしまう。
 東京に住むAさん(六十七歳)は、下肢まひでほとんど寝たきりの生活を送っている。介護認定では「要介護2」と判定された。一人暮らしだが、これまでは地域の医療・保健・福祉サービスを利用して在宅での生活を維持してきた。今までは月三千円の自己負担で済んでいたが、介護保険によって月五十四万円もの負担が強いられることになった。支給限度額を超える保険外負担が膨大になるためだ。月五万円ほどの年金しかないAさんには、とても払いきれる額ではない。
 Bさん(七十三歳)は、アルツハイマー症が進み、身の回りのことがおぼつかない。これまでは、月に十五万円を超える費用をなんとか支払って、夫と二人で在宅の生活を続けてきた。「要介護5」と判定されたが、Bさんが今までどおりの介護を受けようとすれば、自己負担は四十二万円にも膨れ上がる。これではとうてい生活は成り立たない。(表参照)
 施設介護を受けている人の場合も、自己負担の重圧は同じように深刻だ。特別養護老人ホームに入っているCさんは、今までは自己負担はほとんどなかった。だが、介護保険では、介護サービス費用のほかに、食費、日用品費、事務管理費などあわせて十万円の負担が強いられる。Cさんにとって、負担できる限度をはるかに超えている。このままでは、いずれ施設を追い出されてしまうとCさんは途方に暮れている。
 現在、特養の入所者で年間百万円以上の収入のある人はわずかに三割程度で、七割の人は利用料が払えないという。それでも利用料をむしり取るというのが介護保険なのである。
 こうした現実が、介護保険の強行実施以降、全国で無数に生み出されている。
 介護保険とは、高額の自己負担にたえられる一部の高所得者だけが介護を受けられる制度なのである。現に、自己負担の重さの前に、介護認定の申請さえあきらめざるをえなかった高齢者が膨大に存在する。
 利用料が払えず、介護を受けることをあきらめた高齢者は、そのまま放置され、状態をますます悪化させてしまうだろう。そうなっても構わないというのが厚生省の姿勢だ。
 また、厚生省は、「介護の社会化」などと称して介護保険の実施を強行した。だが、高額の利用料にたえられない大多数の労働者人民にとって、介護の負担はますます家族、とりわけ女性に集中することになるのである。

 第3節 金で命に優劣

 厚生省と介護保険推進派は、「これまでの措置制度では利用者はサービスを選べなかったが、介護保険は利用者がサービスを選択できる制度」「介護保険は介護が必要なすべての高齢者にサービスを提供する制度」などというペテンをふりまきながら実施を強行した。だが、現実はまったく逆だ。
 すでに業者の側が、もうけにならない高齢者を排除する事態があちこちで起きている。“業者が利用者を選択している”のだ。
 「重度の要介護者しか扱わない」とサービスを断られた人もいる。介護度が低ければ、施設に入る介護報酬が安くなるからだ。さらに、利用料の支払いに不安があると見なされた低所得者が、業者によって契約の締結を拒否される事態も、今後は頻発するだろう。
 「介護保険は、お金のあるなしで、いのちに優劣を付けるものだ」という怒りの声が上がっている。こんな“行政による高齢者の殺人”ともいうべき非人間的な制度は、労働者人民の団結と行動で絶対に廃止させなければならない。
 (穂積敦志)

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週刊『前進』(1958号3面2)

 新たな国労解体攻撃粉砕! 闘争団守りぬき国労再生へ

 反動的決着を絶対許すな

 資本との対決貫きJR総連打倒へ攻勢を

 国鉄決戦は、五―六月から八月末の国労定期全国大会に向かって、最大最高の決戦を迎えている。日帝権力の国労解体・国鉄闘争解体攻撃と、それに屈した国労中央、宮坂・チャレンジ一派、革同上村一派による闘争団切り捨ての反動的決着を許すのか、それとも闘争団を守りぬき国労の戦闘的再生へ前進するのか。幾度もの試練をくぐりぬけ不屈に闘い続けてきた国鉄労働者が、十四年目に突入した国鉄闘争のすべてをかけて立ち上がるべき時が来たのである。ILO最終勧告が再び延期され、国鉄闘争解体を狙うかつてない大反動の密集が強まっている。その一方で、JR資本とJR総連=カクマルの結託体制の危機が日帝の労務政策の転換を契機に決定的に激化し、JR総連打倒、国労の組織拡大の決定的チャンスが訪れている。今こそ「解雇撤回・地元JR復帰、不当労働行為根絶」の原則を貫く闘いの勝利の展望に確信をもち、国労運動の精華である闘争団を守りぬこう。国労の階級的再生へ総決起しよう。

 第1章 日帝の一大資本攻勢の激化と労務政策の転換

 まず、今日の国鉄決戦はどのような対決構造となっているのか。これをしっかりと見据えることから国鉄決戦の勝利の展望は明らかになる。

 第1節 JR労資結託体制が危機へ

 第一に、日帝国家権力と資本による国労解体攻撃への激しい踏み込みである。
 それを示すのがJR東の「シニア協定」と新人事=大塚新体制である。
 すなわち、JR東資本は、国鉄分割・民営化体制の危機を突破し「完全民営化」を強行するために、これまでのJRの合理化のレベルをはるかに超えて鉄道事業のあり方を大再編する攻撃を強行し、同時に、JR総連=カクマルとの結託体制による国労解体攻撃では果たし得なかった国労解体、国鉄闘争解体攻撃を、大塚新体制のもとで貫徹しようとしているのだ。
 日帝権力とJR東資本にとっては、シニア協定とJR東新人事は、ひとつながりの一大資本攻勢ならびに国労解体攻撃としてある。六十歳定年後の「再雇用の機会提供」というシニア協定で、JR総連=カクマルを先兵に総額人件費削減と全面外注化攻撃に国労を全面降伏させ、合理化攻撃と闘えない国労に変質・解体させようとしている。
 他方で、JR東新人事では、資本の最悪の先兵になることで延命しようとすがりついたJR総連=カクマルに対する労務政策を転換し、日帝権力=資本が直接に国労解体にのりだしているのである。
 それは、JR総連=カクマルを使った国労解体攻撃が完全に破綻(はたん)したということだ。十三年間の闘争団を先頭とした闘いによって、JR総連=カクマルの存在とそれへの怒りが、国労の階級性と戦闘性を守りぬくバネとなり、分割・民営化そのものを破綻させたのだ。
 日帝は、国鉄分割・民営化を強行するために、カクマル松崎というファシストと手を組み、JR総連を育成し異常な労資結託体制を継続してきた。だが今や、JR総連=カクマルのファシスト反革命としての姿が全人民に暴かれ、全労働者の敵として刻印されるに至った。そのため、ファシストと結託した労務政策の異常さとその腐敗に全労働者の怒りが爆発している。
 とりわけ日帝とJR資本にとって深刻なのは、そもそも分割・民営化攻撃の目的である国労解体―総評解体―階級的労働運動の絶滅がこのままでは完全に失敗するばかりか、逆に国鉄闘争を砦(とりで)として、階級的労働運動がより不屈に鍛え上げられ、発展しようとしていることである。
 ここから、日帝・JR資本は、JR労資結託体制を転換・再編することをとおして、新たな国労解体攻撃に突進してきたのだ。
 だからこそ、今日の国鉄決戦は、シニア協定―全面外注化をとおした「完全民営化」攻撃、大塚新体制のもとでの新たな国労解体攻撃と真っ向から対決して闘わなければならない。それのみが勝利の展望を切り開くのである。
 第二に、この新たな国労解体攻撃の背景にあるのが、二〇〇〇年階級決戦の壮大な激突であり、そこでの日帝の労働者支配の転換によるむき出しの資本攻勢と労働運動・労働組合つぶしの攻撃の激化である。
 日帝国家権力は、ガイドライン・戦争国家体制づくり、有事立法と改憲を狙う森・自公政権の登場と六月総選挙、石原都知事のファシスト的突出、七月沖縄サミットという超反動攻撃の中で、一大資本攻勢を激化させている。二〇〇〇年春闘での総額人件費削減、賃下げと社会保障解体、さらに四・九%という史上最悪の失業率を強制し、産業再生法、民事再生法、会社分割二法案などで国家的大リストラを強行している。
 その核心には、一切の労働者階級の抵抗と反乱を圧殺する攻撃がある。連合のような労資協調の労働組合の存在すら許さず、幹部の「顔を立てる」ようなこともしなくなっている。今春闘でのNTTや電力のベアゼロ、自民党による組合費チェックオフの禁止策動などはその典型である。
 その結果、連合支配の崩壊が始まり、連合路線に対する怒りが噴出している。労働組合の存在意義を問い、連合路線をのりこえる闘いの息吹も、今春闘ではっきりと示された。
 実は、JR東のシニア協定も新人事も、これらの大攻撃の最先端に位置するものである。そして、日帝権力の労務政策の転換は、連合の危機を上回る深刻な危機にJR総連=カクマルをたたき込んでいるのだ。
 第三に、JR総連=カクマルの危機ゆえの絶望的な凶暴化と反革命化だ。彼らはこの間、自作自演の「対立劇」によって延命しようと躍起になってきた。それは今やJR総連とカクマルの組織内部の対立をもあらわにし、大塚新体制をめぐって、一方が「対決」を絶叫し、他方が「支持」を表明する事態となっている。
 この中で、カクマル黒田=松崎は、「JR総連とカクマルとの区別だて」などではこの危機をのりきれないと、カクマル性をむき出しにしたJR総連の一層のファシスト的純化を進めながら、国労解体攻撃を強めてきているのだ。
 このJR総連=カクマルをさらに追いつめ、国鉄労働者が自らの力で打倒しなければならない。

 第2章 国労中央の策動粉砕し「運輸省メモ」拒否せよ

 こうした決戦の構造の中で重要なことは何か。
 日帝・JR資本の新たな国労解体攻撃と、JR総連=カクマルの一層のファシスト化に全面対決して、今こそ闘争団を守りぬき、千四十七人の解雇撤回の旗を高々と掲げて闘うことだ。これこそ勝利の道である。
 日帝の国労解体攻撃は、闘争団の解体によって国労を丸ごと連合化し、帝国主義的労働運動へと変質させようというものだ。
 この日帝の攻撃を引き入れる大裏切りを行っているのが国労中央、宮坂・チャレンジ一派と革同上村一派である。彼らは今、なりふり構わず「自社協議」の密室交渉による、総選挙前=ILO最終勧告前の反動的決着策動にのめり込んでいる。特に革同上村一派=日共スターリン主義の反動性は断じて見過ごすことはできない。上村は「総選挙前に決着がなければ、自社協議の窓口がなくなり、当分解決はできなくなる」と叫んで、闘いのスターリン主義的圧殺を策動している。
 また、国労中央は、JR総連=カクマルとの闘いにおいても、まったく許しがたい方針をとっている。宮坂・新井らチャレンジ一派と東日本エリア本部・佐藤書記長らは、権力と資本がカクマルとの結託体制を転換すれば、自分たちがその後がまに座れると錯覚し、JR連合傘下の鉄産労とグリーンユニオンとの「三組合共同声明」で資本に取り入ろうとしているのだ。
 彼らは、JR東新人事を、国労解体に資本自らがのりだしたという明々白々な事態として絶対に見ようとしない。それは、彼らが、この動向が見えないということではなく、国労を内側から本気で解体し、闘争団を積極的に切り捨てる立場の確信犯であるからだ。だいたい東日本においてほとんど実体のないJR連合と野合することでカクマルにとって代わるなど、何のリアリズムもない。このような「三組合声明」のどこに国鉄労働者の未来があるというのか。
 国労中央や東日本本部は、「三組合声明」を、「労使関係正常化」の一点で一致して出したと説明している。だが彼らは、実はこの「三組合声明」を、千四十七人問題の反動的決着のテコにしようとしているのだ。千四十七人問題の「解決の枠組み」とする@JR復帰、A金銭、B労使関係正常化のうち、Bに決着がついたのだから@とAはどうでもよい、としようとしているのだ。
 これは、「運輸省メモ」受け入れ=闘争団切り捨ての道である。「運輸省メモ」とは、(1)JRに法的責任はない、(2)裁判をすべて取り下げる、(3)人道上の解決=新規採用で行う、という枠内で、後は、(4)JRと各エリア本部とで話し合い、鉄建公団との裁判上の金銭和解を図る、というものであった。
 国労中央は、「三組合声明」をもって「労使正常化」という資本と闘わない路線にのめり込み、「運輸省メモ」で(1)JRの法的責任も問わず、(2)裁判も取り下げ、(3)新規採用で一人もとらないことを全部容認しようとしている。要するに、「運輸省メモ」を事実上丸のみしているのだ。
 後は、(4)の金銭であるが、ILO勧告を武器に五・二八判決を覆さない限り、「一銭も払わなくてもよい」ということになるのは明白だ。
 国労中央は、この方向で一刻も早くケリをつけて、「ゼロ解決」を闘争団と国労三万に強制しようとしているのだ。

 第3章 ILO勧告を武器とし闘争団とともに勝利へ

 こうした国労中央の屈服と裏切りが進む中で、ILO最終勧告が五月末―六月のILO総会からさらに延期されると言われている。
 これは、何よりも日帝権力の卑劣な妨害によるものだ。なぜなら、特にそれが七月沖縄サミット前に出されることは、日帝権力にとって決定的なダメージだからだ。逆に言えば、ILO中間勧告はそれ自身、すでに日帝権力にとって大変な打撃となっているのだ。
 このことに確信をもち、反動に立ち向かい、ILO中間勧告を武器にした闘いを全面的に強化し、最終勧告を求め、五・二八判決を覆す闘いに全力を挙げることこそが必要なのである。
 今日の「早期決着」を狙う日帝の攻撃と宮坂・チャレンジ一派、革同上村一派の大反動の圧力に対して、絶対に敗北主義に陥ってはならない。断固、攻勢に立ち、今この時点で宮坂・上村らの策謀にトドメを刺し、「改革法承認」以降一年以上にわたる国労中央の裏切りに次ぐ裏切りの責任を徹底的に追及し、さらに彼らを総退陣させ新しい闘う執行部をつくり出すために国労全国大会に向かって全力で闘うべきなのだ。
 すでに国労中央の闘争団切り捨ての反動的決着の策動に対して、九九年度全国大会代議員から「改革法承認路線との決別」を訴える意見書や、東京地本の多くの分会から、この間の経過に対する疑問や闘争の強化を訴える意見書が国労中央に集中されている。
 JR本体の国鉄労働者にとっても、あくまでも闘争団を守りぬき、解雇撤回闘争の勝利を実現する以外に、国鉄分割・民営化以降の差別・選別、不当労働行為との闘いに決着をつける道はない。闘争団を切り捨てて資本との「労使正常化」を求めるなどというのは、国労運動とは相入れない。それは十三年の苦闘で築いた地平を自ら投げ捨てるものだ。
 国鉄闘争の原則を貫き、シニア協定―全面外注化攻撃として始まった資本の攻撃と真っ向から闘いぬき、断末魔のJR総連=カクマルを打倒し、国労の階級的再生をかちとろう。
 そうするならば、闘争団という不屈の存在とその支援陣形をもった国労は、JRのみならず労働者階級全体の中に新たに巨大な影響力をもち、日本労働運動を再生する決定的な階級的役割を果たすことができる。
 衆院選決戦と沖縄サミット決戦に総決起し、そのただ中で国鉄決戦に立ち、七月代議員選で闘争団絶対防衛派の勝利をかちとり、八月国労大会の決戦に向けて全力で決起しよう。

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週刊『前進』(1958号3面3)

 許せぬ雇用保険の改悪

 給付総額を2割削減

 失業者から命綱奪う

 四月二十八日、雇用保険法改悪案が参院本会議で可決・成立した。来年度から保険料は上がるが、一方で失業者への給付額は大幅に削減される。今春闘での激しい賃下げや、年金改悪と一体の「総額人件費削減」の一大攻撃だ。日帝は、膨大な労働者の首を切りつつ、雇用保険の給付さえ切り縮め、資本の負担を軽減しようとしているのだ。
 今日、労働者階級は激しい失業攻撃のただ中に置かれている。三月の失業率は四・九%、失業者は三百四十九万人で過去最悪だ。
 雇用保険法改悪は、かつてなく厳しい状況にある失業者から、その命綱さえ奪う攻撃だ。資本の首切り攻撃と闘い、失業者の団結を組織し、その生活を支えつつ、資本や行政に雇用を保障させる闘いを強めよう。労働者の階級的団結こそが反撃と勝利の道である。
 今回の改悪について労働省は、「解雇・倒産」による失業者への給付日数は増やし、定年退職者や「自発的離職」者などへの給付日数を短縮することで「支援の緊要度の高い者に対する給付の重点化を図った」などと称している。だが、改悪の目的は二割に及ぶ給付総額の大幅な削減だ。

 第1節 「自己都合退職」

 そもそも、「解雇・倒産による失業者には給付を増やした」という労働省の言い分はまったくのウソだ。
 これまでは、倒産による失業者、炭坑離職者など構造的な不況業種からの失業者、深刻な不況地域の失業者、再就職が特に困難な状況にあると認められた中高年齢失業者等求職手帳の所持者などを対象に、給付日数を延長する制度が設けられていた。今回の改悪で、これは全廃された。倒産による失業者などの場合、給付は大幅に減る。
 労働省は、改悪後も「解雇・倒産による失業」の認定はできる限り行わず、大半の失業者を「自己都合退職」として処理し、給付を抑制しようと狙っている。
 雇用保険は、「自発的離職」とされた人には三カ月間は支給されない。現在も、半数近い受給資格者がこの扱いを受けている。だが、現実にはこの中に解雇された労働者が膨大に存在しているのである。
 労働者を「自発的離職」に追い込むことは、首切りの重要な手法になっている。資本は労働者に対して「解雇では経歴に傷が付くから自己都合退職扱いにします」などと言って解雇であることを認めず、首切り攻撃への反撃をあらかじめ封殺しようとくわだてる。さらに、「エンプロイアビリティ(雇われ得る能力)を高めよ」と叫んで、首を切った後でさえ労働者を分断し、さらなる競争にたたき込もうとするのである。
 だが、今日の大失業情勢の中で、そうしたやり方は労働者の資本への怒りを一層かき立て、労働者の団結と闘いをよみがえらせるものに必ず転化する。
 今回の雇用保険改悪では、年齢が高い人ほど給付日数が長い仕組みが廃止され、全体の給付水準が若年層にあわせて切り下げられた。高齢であればあるほど削減幅は大きい。再就職が最も困難な年齢層に最大の犠牲が集中されたのだ。
 雇用保険の支給日数を超えても再就職できない失業者がかつてなく膨らんでいる時に、日帝は給付の大幅削減を強行した。これが彼らの言う「セーフティ・ネット」なるものの正体だ。

 第2節 保険料は負担増

 雇用保険改悪のもうひとつの要点は、保険料の大幅アップである。保険料(労資折半で負担)は賃金の〇・八%から一・二%に引き上げられた。労働者の負担は、平均で年間約九千四百円も増える。
 失業を生み出した責任は資本にある。失業者に対する給付は、本来は労災保険と同様に全額資本と国の負担でまかなわれるべきだ。
 介護保険料の強制徴収に加え、来年度からは雇用保険料のアップが重なる。失業情勢がますます悪化する中で、給付は削減し、労働者の負担は増やすなどという攻撃は断じて許せない。
 失業者を二重に切り捨てる改悪雇用保険法の来年度施行を阻止しよう。

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週刊『前進』(1958号4面1)

 激突局面に突入した教労戦線

 「日の丸・君が代」闘争の地平固め教育基本法改悪攻撃を打ち砕け

 マル青労同教育労働者委員会

 第1節 森自公政権の教育基本法改悪攻撃

 教労戦線での闘いは、森・自公政権の登場と石原のファシスト的突撃のもとで、卒入学式闘争を引き継いでいよいよ重大な激突過程に突入している。 
 まず、森政権のもとで教育改革国民会議を舞台とする教育基本法改悪攻撃が一気に加速しているのだ。
 森は、自民党きってのタカ派文教族で、石原とも青嵐会結成以来の盟友だ。第二次中曽根内閣の文相として臨教審攻撃の先頭に立ち、九二年のPKO法の直後には、政調会長として「若者に国民奉仕隊のような組織に入ってもらい」「国家のために尽くすということを政策的に考えておく」と徴兵制構想をぶち上げ、自民党・安全保障問題懇談会提言に学校での国防教育推進を盛り込んだ。
 自民党の歴史・検討委員会の中心人物として九六年から表面化した「軍隊慰安婦」記述の削除を要求する教科書攻撃の先頭に立ってきた。最近も、「教育荒廃は教職員組合によって道徳教育が破壊されてきた結果」(一月三十一日、衆院代表質問)、「天皇式典で沖縄出身歌手が君が代を歌っていなかった」「沖縄は教組を共産党が支配し学校で君が代を教えていない」(三月二十日、石川県での講演)などと発言し、首相就任後も教育勅語の復活を公言し、ついに「日本は天皇中心の神の国」(五月十五日)とまで発言した。
 小渕のもとで発足した教育改革国民会議も、中曽根元首相の助言を受けた森がその構想をつくったと言われ、森派の町村首相補佐官が配置されている。
 中曽根は、「臨教審の轍(てつ)を踏むな」「創造的破壊の改革を」「日本解体の教育基本法を見直し、共同体理念を盛り込め」「国民をまきこんだ教育革命運動を」(一月七日付『日本教育新聞』)と語っている。森や町村、座長の江崎も、「国民的運動として展開する」と繰り返し強調している。
 正式の審議機関・臨教審が、設置法で「教育基本法の精神にのっとり」という足かせをはめられ、文部省内の抵抗も排除できなかった総括から、教育改革国民会議は首相の私的諮問機関とし、ファシスト大衆運動を組織しつつ政治主導で改革を進めようというのだ。
 他方、文部省も、父・康弘が果たせなかった教育基本法改悪に執念をもやす中曽根弘文文相のもとで、自民党教育改革実施本部で教育基本法見直し作業を進めてきた河村建夫が政務次官に座り、完全に教育基本法改悪シフトとなっている。
 教育改革国民会議は、夏に中間報告、一年後をメドに提言をまとめるという。現行憲法を「仮設住宅のようなもの」と言ってはばからない森は、衆院選で「信任」を得れば有事立法と教育基本法改悪の強行、さらに改憲へと一気に突進してくることは明らかだ。

 第2節 戦後教育と日教組破壊を狙う石原

 一方、石原の四・九排外主義暴言−九・三三軍大演習というファシスト的突撃が開始された中で、東京の教労運動も、存亡をかけた激突情勢を迎えている。
 九月三日の三軍大演習は、自衛隊四千人を「国軍」として首都のど真ん中に登場させ、排外主義襲撃と戒厳令と治安出動、労働者の戦争動員の予行演習を行うものだ。この攻撃の階級的核心には、都労連の粉砕がある。沖縄サミット決戦と並ぶ超ど級の階級決戦だ。
 石原弾劾、暴言撤回・謝罪要求に立ち上がった在日朝鮮・中国人民、アジア人民と連帯し、石原の福祉切り捨てと介護保険制度に反対する住民と連帯し、教育労働者は都労連の最先頭で石原打倒に立ち上がろう。
 卒入学式では都立高校と国立市に激しい攻撃が集中し、国立市では右翼の攻撃が激化している。産経新聞が小学生の決起を「土下座要求」などとキャンペーンし、衆院文教委で自民党がそを取り上げ、四月二十六日には右翼街宣車七十台が押しかけた。
 六月には「心の東京革命」の基本方針と行動案が策定され、道徳教育推進運動が都民をまきこんで大々的に組織されようとしている。これと連動して教育再興ネットワークなどのファシスト勢力が教組に矛先を向け「偏向教育」攻撃を繰り広げようとしている。
 教育改革国民会議や石原の「心の東京革命」は、ファシズム運動を組織しつつ戦後教育もろとも日教組を粉砕しようとする攻撃だ。吹き荒れる教育「正常化」攻撃の中で日教組運動の存亡をかけた闘いの正念場が訪れているのだ。

 第3節 「日の丸・君が代」反対闘争の高揚

 国旗・国歌法下の卒入学式闘争は、本紙で紹介された広島や大阪の闘いを始めとして、文部省−県教委の校長への異常な締めつけ、職務命令と処分恫喝、教育委員会や自民党議員を動員した監視体制、右翼の攻撃をはねのけて、全国で不屈に闘いぬかれた。
 「対立を増幅させない」という日教組本部の屈服方針、各県教組指導部の「掲揚・斉唱」容認方針と制動を突き抜けて、現場では式の前日、当日まで「掲揚・斉唱」阻止をめざした職員会議や校長交渉が続けられてきた。この強靱(きょうじん)な闘いが多くの職場で実施を断念させ、焦点となった八県・五政令指定都市での百パーセント実施をめざした一斉攻撃を打ち破ったのだ。管理職による強行に対しては、不起立、退場、抗議ビラ・立て看板、非協力闘争など職場の団結を守りつつ最大限の抵抗闘争がたたきつけられた。
 さらに、保護者市民が教育委員会や学校への申し入れ、式当日のビラまき、不起立などかつてない規模で決起した。生徒、子どもたちが闘いの主体として陸続と決起した。「日の丸・君が代」を課題とする教育労働者と市民の共闘と統一戦線が無数に生み出された。
 教育労働運動にとって、最大の成果は闘いをとおして職場の団結の再形成と強化がかちとられたことだ。
 大阪では多くの職場で組合の枠を超えた職場会が形成され、分会に代わる闘争機関となった。連合執行部は、教育委員会や校長交渉の場で全面屈服の妥協案を提案するなど闘いの妨害者としての正体を暴露した。八九年の組織分裂以来の連合支配を打ち破る歴史的闘いの開始だ。
 数字の上で実施率は上昇した。しかし、「日の丸・君が代」強制をめぐる対立はいよいよ非和解的に激化し、全社会的に拡大した。教育労働者の不退転の闘いの前に法制化は逆に攻撃の破綻(はたん)を生み出した。「日の丸・君が代」闘争が政治闘争・階級闘争として永続的に発展していく展望が切り開かれつつあるのだ。誤解を恐れずにいえば、今春の卒入学式闘争はこれから始まる巨大な階級的激突の序幕でしかない。
 疑いもなく、教育労働運動は自らの闘いをとおしてこの階級的激突をたぐり寄せ、その主体として登場したのだ。
 石原という正真正銘のファシスト政治家が首都東京の権力を掌握したことは容易ならざる情勢であり、階級情勢の主体的危機を突き出している。石原のファシスト的本性をむき出しにした攻撃の前に全政党が迎合している。とりわけ日本共産党は首都移転反対で石原と握手し、外形標準課税に拍手するという腐敗ぶりをあらわにしている。
 だが、石原のファシスト政治を支える独自の運動的基盤はいまだ脆弱なものでしかなく、労働者階級との本格的激突の試練を経てもいない。
 それゆえ、石原は、マスコミや広報機関を総動員したデマゴギッシュな情報操作で組織労働者を包囲し、闘わざる屈服に追い込んでいくことを基本戦略としている。だからそれに屈することなく労働者が最高の武器=ストライキをもって立ち上がれば、石原の階級的正体は暴かれ、石原打倒の巨万の労働者人民の決起が切り開かれていくのだ。
 ファシスト石原に唯一頭を下げさせたのは、昨秋の都労連ストライキ闘争だった。広島両教組の徹底対決の闘いは、連合をもまきこんで辰野県教育長を包囲し追いつめている。千葉高教組は、「日の丸・君が代」強制反対を真正面から全県民に訴えることで、右翼ファシスト勢力が一握りの少数派でしかないことを一瞬にして暴き出した。こうした闘いに学んで、教育「正常化」攻撃にひるむことなく対決していくことだ。

 第4節 衆院選決戦−サミット決戦勝利を

 卒入学式闘争を引き継ぐ教労の決戦課題、「日の丸・君が代」闘争の永続的発展に向けた課題は何か。
 第一に、六月衆院選決戦に総決起し、さらに七月沖縄サミット粉砕決戦、八月広島・長崎反戦反核闘争、九月自衛隊三軍大演習阻止闘争の先頭に立つことだ。
 沖縄、広島という反戦闘争拠点の圧殺、ファシスト石原の攻撃を許して、来春の「日の丸・君が代」闘争はない。逆に、これらの闘いの大爆発は、教育改革国民会議や「心の東京革命」による日教組包囲網を打ち破るものとなる。
 有事立法−教育基本法改悪阻止、介護保険廃止、森・石原打倒をかけ、六月衆院選決戦に勝利しよう。沖縄サミット決戦に、教育労働者とりわけ青年労働者の総決起をつくりだそう。
 第二に、文部省令改悪を受けた管理規則改悪、導入が強行された東京の人事考課制度、組合活動破壊・組織破壊攻撃と闘うことだ。
 文部省令改悪の狙いは、職員会議の補助機関化、学校評議員制度、校長・教頭への民間人登用の三点だ。
 職員会議を補助機関とする管理規則改悪は全国で相次いで強行されている。学校評議員は校長が推薦し教育委員会が委嘱するもので校長権限強化のテコであり、競争原理の導入と相まって学校の外部評価機関とする狙いもある。全国で名称は異なるが全校設置や試行が進んでいる。東京では「新しいタイプの高校」から民間人校長の登用が進められようとしている。
 主任制をめぐっても、広島では教育委員会の承認制への改悪が強行されるなど、先行した動きが出てきている。東京では一昨年に教育委員会の任命制に改悪されたが、本年度は教務主任の辞令交付式が行われ、「日の丸」が正面に掲揚された会場で「君が代」斉唱、主任呼名が強行された。
 東京の人事考課制度との闘いは、配布された自己申告書の回収や記入・提出留保の職場闘争が闘われており、人事考課制度への疑問と怒りが職場全体に広がってきている。永続的職場闘争をつくり出しつつ、人事考課の異動、特昇、研修体制とのリンクを阻止する中央闘争へと押し上げていかねばならない。都労連賃金確定闘争の焦点となる成績率導入を絶対阻止しよう。
 広島、三重から全国に拡大しつつある時間内組合活動をめぐる攻撃は、自己申告拒否者への大量処分、給与返還請求など直接的な組織破壊攻撃の様相を強めている。
 これらは、「日の丸・君が代」闘争の基盤をなしてきた教育労働者の職場支配権を解体し、教育現場の管理統制を飛躍的に強化しようとするものだ。逆に、これらの攻撃に対する形骸化や抵抗闘争をとおして職場支配権を防衛・強化していくことは、来春の「日の丸・君が代」闘争の原動力ともなっていく。

 第5節 組合破壊の攻撃許さず月集会へ

 第三に、こうした職場闘争を闘い、その一切を十一月労働者集会への結集へと集約し、教労運動の新潮流の登場をかちとることだ。
 卒入学式闘争の爆発は、教育労働者の中に「教え子を再び戦場に送らない」魂が脈々と受け継がれていることを示した。この教育労働者の闘う力を解き放ち、職場闘争を土台に「日の丸・君が代」闘争を政治闘争として発展させる路線と指導部が求められている。
 この闘いは、教育基本法改悪、有事立法−改憲をめぐる戦後最大の政治決戦の一環であり、全逓で開始された連合路線への反乱、石原と激突する都労連闘争、闘う路線と執行部再確立の正念場を迎えた国鉄闘争と連なり、階級的労働運動の再生の一翼を担うものだ。
 広島両教組の闘いに続く不退転の決起か、闘わざる屈服と転向か、日教組運動は激しい分岐と流動の渦中にある。職場・単組の団結強化と抵抗闘争の先頭に立ちつつ、陸続と開始された現場からの決起を教労の新しい潮流へと糾合していかなければならない。
 組織拡大・フラクションづくりと職場・単組づくりを一体的計画的に進めよう。十一月労働者集会への大結集を実現しよう。

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週刊『前進』(1958号4面2)

 夏期一時金カンパアピール

 衆院選決戦と沖縄サミット粉砕決戦に勝利するために

 革命的共産主義者同盟

 『前進』読者の皆さん。同志、友人の皆さん。
 五月十四日、沖縄サミットの主会場落成式を口実に総理大臣の森喜朗が沖縄現地に乗り込み、さらに同日小渕が死去しました。いよいよ六月二十五日投票の衆院選−七月二十一−二十三日の沖縄サミットという、二十一世紀を決する決戦の火ぶたが切られました。
 革共同はこの大決戦にすべての力を結集し、必ず勝利する決意です。すべての皆さんが、夏期一時金の支給期をむかえて、渾身(こんしん)のカンパを革共同に寄せて下さるようお願いいたします。

 第1節 森-石原打倒へ

 まず第一に訴えたいことは、森−石原を打倒できる力のあるカンパをお願いしたいということです。
 昨年から引き続く二〇〇〇年の一−五月の闘いは、日本と世界の階級闘争が明確に新たな歴史的高揚過程に突入したことを告げ知らせています。成熟する革命的情勢の最大の特徴は、「支配階級が今までどおりの支配ではやっていけなくなり、その危機の政策の割れ目から被支配階級の不満と激高が破れでて」(レーニン)いることです。
 四月九日、陸自練馬駐屯地での第一師団創設記念式典で、武装ヘリと「日の丸」を掲げたジープ、戦車、装甲車、小銃をかかえた千二百人の隊員を、都知事石原は「閲兵」し、「三国人(ママ)の騒擾に自衛隊は治安出動せよ」「九月三日に東京を防衛する大演習を」と反革命的檄(げき)を発しました。
 森はどうなのか。森の首相就任の決意表明は「滅私奉公」です。これは「お国のために命を差し出せ」ということ。五十数年前の日本軍がそのまま背広を着ているような人物が首相になったということなのです。
 これだけではありません。石原は(「障害者」に)「ああいう人ってのは人格あるのかね。…安楽死に…」(昨年九月)、「新ガイドラインに文句言わずに協力すると言った唯一の知事だ」「中国を分裂させなきゃいけないんだよ」「北鮮(ママ)なんて一撃で壊滅する」(ともに、今年三月)、「南京についての批判は完全なナンセンス。(虐殺は)アメリカが創作したもの」「誰に謝罪するの。なんで私が謝罪しなくちゃいけないの。ばか(ママ)なことを聞くな」(ともに今年四月)などと暴言を繰り返しています。
 また、森は今年三月、首相就任直前に「沖縄県出身の歌手は天皇即位十周年記念式典で君が代を歌えなかった」「沖縄では学校で君が代を教えない。それは教組と沖縄の二つの新聞を共産党が支配しているからだ。だからなんでも政府に反対、国に反対する」「沖縄でサミットをやる意義もそこにある」と言い放ちました。
 さらに十五日には、なんと「日本は天皇中心の神の国」と言い放ち、何がなんでも日本を戦争国家、天皇制国家にもっていこうとしています。
 これが日本帝国主義のトップの発言なのです。この大攻撃に腹の底から怒り、国際主義的連帯闘争の成否をかけ、彼らを打倒する闘いにまなじりを決して総決起しましょう。

 第2節 長谷川氏当選へ

 第二に訴えたいことは、その最大の戦場こそ次期衆院選であり、なんとしても長谷川英憲氏(東京八区)の当選をかちとる、力のある額のカンパをお願いしたいということです。
 今日、全世界的な規模で階級決戦が選挙決戦として爆発しています。三月台湾総統選では五十年間の独裁をほしいままにした国民党が敗れ、四月韓国総選挙で労働者階級の階級的前進がかちとられています。これはさらに日本や十一月米大統領選挙へと続きます。
 なぜか? それは帝国主義の絶望的危機の深さによってです。四月十四日、ニューヨーク株式市場でダウ平均株価の史上最大の下げ幅が記録されました。アメリカのバブル経済を支えて来たハイテク株もいっせいに下げました。「好景気」演出のもう一方の要因である賃下げと合理化もすでに限界となっています。アメリカでは八〇年代以来の攻撃により、賃金水準は五〇年代半ばの水準まで落とされ、AIF(日本でいう定昇部分)やCOLA(物価上昇スライド分)もはく奪されて、もはやこれ以上の賃下げはできないところまで行っており、労働者階級の新たな決起が始まっています。
 世界大恐慌の本格化という新しい情勢が始まっています。世界市場は一挙に収縮し、世界経済のブロック化の加速と帝国主義間争闘戦が激化するという、世界戦争の時代をますます現実化させています。こうした中で沖縄サミット−十一月米大統領選挙が、激しい日米の激突過程になっていくことは不可避です。この過程の中で自自公政権が崩れ、小渕が倒れたことは、いかに巨大なエネルギーが激突しあっているのかを示しています。
 かつて日本の労働者階級は、それが限界あるものであったにせよ、総評−社会党ブロックとして、国会に三割前後の勢力をもっていました。ところが今や、真に労働者階級の代表と言える議員は一人もいません。
 こんなことでいいのか! 今こそ労働者階級の代表を国会へ送ろう! 反動議員をたたき落とせ! 今、日本列島のそこかしこから怒りと闘いの声が沸き起こっています。
 森や石原の発言を思い起こして下さい。彼らは労働者など人間だとは思っていないのです。だから差別暴言を繰り返し繰り返し行うのです。今、必要なのは、労働者階級が議会に革命党の議席、闘う議員を持つことです。マルクスが『共産党宣言』の中で訴えたように「プロレタリアートは労働者の政党をもたなければならない」のです。
 東京八区(杉並)は、現職が石原伸晃であり、直接に石原都知事権力の決定的一角を占める、日帝にとっても有数の超重要選挙区です。また、石原都知事の暴言に怒る全世界の人民が固唾(かたず)を飲んで注目する選挙区でもあります。絶対に長谷川英憲氏の当選をかちとりましょう。

 第3節 熱烈なカンパを

 第三に訴えたいことは、森−石原を打倒するべく長谷川氏を国政に送り出し、沖縄サミット決戦に勝利するために、今次夏期一時金カンパに昨年の二倍の額を集中していただきたいということです。
 二〇〇〇年決戦とは、森−石原にとっては日本を戦争のできる国にすることであり、労働者階級にとっては戦争をさせないために帝国主義を打倒することです。それは結局、労働者人民を彼らが取るのか、革命の側が獲得するのかの決戦であるということです。
 今春闘で日帝は、業績の良いNTT関連や電力でもベアゼロを強制し、労相は連合メーデーへの出席をけり、「組合費チェックオフ禁止」法案すら狙っています。もはや連合型御用組合でさえ容認しない、もっと屈服しろというのです。
 さらに年金や雇用(失業)保険支給を削り、すでにある当然の介護を受ける権利さえ奪う介護保険制度を導入しました。
 これに対して断固たる反撃が開始されています。私たちはまず何よりも爆発的に噴出している、石原−森の暴言へ怒り、介護保険制度廃止に向けて杉並を始め全国で決起している人びととともに闘います。
 さらに今春闘の動労千葉を先頭にした各職場でのストライキ決起と、メーデーでの巨万の労働者との感動的合流。「とめよう戦争への道!」を合言葉にした百万人署名運動のひろがり。そして全学連は全国各地の新たな闘いを勝利させ、また沖縄現地でサミット粉砕決戦の最先頭を切り開いています。そしてこれらの闘いと国鉄決戦の前進はカクマルを徹底的に追い詰め、ついに「カクマル=JR総連」の矛盾の爆発を強制し、カクマル完全打倒への決定的前進を切り開いています。
 一方、闘いの前進に恐怖した国家権力はまったく許せないことに、三−四−五月と三回連続して、全国で延べ約三百カ所にもおよぶ不当な家宅捜索を強行しました。私たちはこれを断固粉砕し、いよいよ怒りを燃やして決起しています。この激闘の中で今春、権力の指名手配攻撃を粉砕し、幾多の同志の時効をかちとり、戦列に奪還したことも高らかに報告できます。
 これらのそれぞれの闘いの一つ一つの勝利は、革命党の蜂起と労働者階級人民との決起が結合するならば必ず勝利できることを示しています。
 すべての読者、同志、友人の皆さん。今ほど帝国主義とその政府に対する怒りと不満がいたる所に噴出し、闘いへの期待が高まっている時はありません。
 ここで闘う議員を国政に送り込むことができなかったらいつできるのでしょうか。私たちはそういう歴史的結節環に立っています。
 今までの皆さんからのカンパと闘いによって、ついにここまで引き寄せた衆院選−沖縄サミット決戦において、勝利のためのあと二カ月のデッドヒートを制し、二十一世紀を切り開くために、例年の二倍の夏期一時金カンパを心から訴えます。

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週刊『前進』(1958号4面3)

 全逓4・28連絡会

 全員の職場復帰訴え

 反処分総決起集会に114人

 一九七九年四・二八大量不当処分から二十一年の四月二十八日、全逓四・二八連絡会は、東京・南部労政会館で「四・二八不当処分二十一ケ年糾弾! 郵政省は全員を職場に戻せ! 四・二八反処分総決起集会」を開催した。
 全国労組交流センター全逓部会は、集会に先立って総会を開催。二月の全逓第一一三回中央委員会で、発言したすべての中央委員が全逓中央の方針に対して不安と疑問を表明した事態に討論が集中した。これは連合全逓路線の現実的破産であり、何よりも、その破産を強制したのは全逓労働者の怒りであり、四・二八反処分陣形を始めとする戦闘的労働者の闘いだ。今こそ全逓中央を打倒し、全逓を階級的労働組合に改革する情勢にあると確認した。
 夕方からの集会では、昼間の大崎局前団交要求闘争を闘った全逓組合員や争議団の労働者ら百十四人が、四・二八反処分闘争の勝利に向け決意を新たにした。
 連帯のあいさつでは、争議団などへの警察権力の逮捕・弾圧が報告された。破防法・組対法に反対する共同行動が「組対法の改悪が出てきた。都知事・石原は自衛隊の治安出動を言い出した。治安弾圧を撃つ闘いを」と発言した。
 特別報告として、三・二二大阪高裁の逆転反動判決に抗して闘う兵庫芦屋局の高見さんが「地裁判決から一年。高裁は一切事実調べをしないまま地裁判決を覆し、重度の『精神障害者』は障害者雇用促進法の対象にはならないとまで言い切って反動判決を下した。職場に戻るまで闘い抜く」と固い決意を述べた。
 基調報告では、「処分の取り消しを求める裁判闘争も被免職者の本人尋問が開始され、早ければ来年にも結審−判決という段階にさしかかっている。九八年十二月の組合員資格裁判の勝利以降、組合事務室への立ち入りや全国大会代議員選挙も闘ってきた。四・二八反処分の闘いと職場の闘いを切り結び、勝利に向け闘い抜こう」と報告された。
 続いて職場から決意が表明された。控訴審を闘う年休権裁判原告団、五千人要員削減・人事交流の攻撃と闘う東京の労働者らが次々と力強い発言を行った。中四国の仲間は「七月全逓全国大会は広島で開催される。中央を丸ごとひっくり返す闘いを」と全国大会闘争への結集を訴えた。
 集会の最後に二人の被免職者が熱い決意表明。神矢さん(大崎局)は「昨年の全国大会に向けた支部の代議員選挙に勝ち、代議員として四・二八を訴えた。職場・地域を貫いて反処分闘争に勝利しよう」、徳差さん(向島局)は「全逓中央の組合員資格はく奪から九年目にして打ち返した。弾圧は吹き荒れるが必ず粉砕できる。全争議団、闘う労働者の共闘で闘いに勝利しよう」と訴え、閉会した。
 四・二八反処分闘争は、長期にわたって熾烈(しれつ)に闘い抜かれ、全逓労働運動の死活を決する位置を獲得していると言っても過言ではない。何よりも被免職者の郵政省に対する烈々たる怒りと、全逓中央の裏切りを絶対に許さないという燃えるような決意、今もって微動だにしない存在があるからだ。
 全逓中央は九〇年「八・二二文書」を発出し、四・二八反処分闘争の終結を宣言した。被免職者の切り捨てと労使一体への路線転換は、九三年新夜勤導入、九六年人事交流=強制配転、九八年地域区分局などの五千人削減・非常勤化など郵政大合理化=労働環境の劣悪化の攻撃に率先して協力する裏切りを生み出した。
 この連合全逓路線に対して、被免職者を始めとする闘う全逓労働者は「反合、反マル生、反処分」「四・二八不当処分糾弾・原職奪還」の旗印を鮮明にして闘い続けてきた。郵政三事業全般にわたる大合理化と団結破壊の攻撃は、現場労働者の怒りを蓄積してきた。一一三中委で噴出した本部批判はその現れだ。
 今、全国の職場状況は七八越年反マル生闘争前夜に酷似している。四・二八闘争陣形が全力で職場の怒りの先頭に立ち、七八越年反マル生闘争を超える闘いを組織し、連合全逓打倒・ニューユニオン粉砕、郵政公社化=民営化攻撃粉砕へ七月全逓大会に向け闘おう。
 (全逓労働者・穂高昇)

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週刊『前進』(1958号5面1)

 沖縄圧殺と基地の固定化

 ファシスト石原の暴言と一体で戦争体制構築狙う

 シリーズ第4回 沖縄差別・圧殺貫く日帝

 今回は、三・二〇森沖縄差別発言にあらわになった日帝の歴史的な沖縄差別政策を暴露し、七月沖縄サミットの狙いが、新ガイドライン貫徹=沖縄圧殺にあり、沖縄を朝鮮・中国―アジア侵略戦争の出撃拠点として強化していくための攻撃であること、石原暴言と完全に一体の戦争国家化攻撃であることを暴く。日共やカクマルの敵対、闘争破壊を粉砕し、五・二八全国総結集闘争―七月サミット粉砕へ進撃しよう。

 第1章 3・20差別発言居直りサミット強行狙う森

 沖縄の面積は日本全土のわずか〇・六%しかない。そこに在日米軍基地(専用)の七五%が集中している。県の面積の一一%を米軍基地が占め、沖縄島に限れば二〇%が米軍基地である。狭い沖縄に陸・海・空・海兵隊の米軍基地がひしめき合い、二万九千人の米兵が駐留し、アジア・太平洋、インド洋、中東、アフリカに至る全地球規模の帝国主義の支配と侵略戦争の拠点として機能している。沖縄基地は、米帝を盟主とする帝国主義の世界支配の戦略的拠点である。
 日帝は、戦後日帝の延命策としての日米安保同盟政策のために、沖縄にこれだけの基地の重圧を押しつけてきた。沖縄戦での破壊の上に、沖縄人民は「銃剣とブルドーザー」で土地を奪われ、生活の糧を奪われ、米軍事故や米軍犯罪によって虐殺され、じゅうりんされてきた。
 その沖縄に向かって森首相は何と言ったのか。首相になる直前の三月二十日、石川県で講演し、「沖縄は学校で君が代を教えていない。沖縄の教組も新聞も、何でも政府に反対、国に反対する」と暴言を吐いた。そして、「本土との一体感を持たねばならない。その意味でもサミットの成功が大事だ」と述べて、国家権力への沖縄の抵抗・反抗の意志を押しつぶす、と敵意をむき出しにしたのだ。
 この森の五・一四来沖に対して、反戦共同行動委員会、沖縄労組交流センターを始めとする人民の怒りがたたきつけられた。森は沖縄に来て、ペテン的に「陳謝する」と称して、その実「国旗・国歌について学校での指導に万全を期してほしい思いで述べた」と開き直ったのである。
 この森発言と開き直りを許すことはできない。それは、沖縄に対する日帝支配階級の根強い差別意識、敵意の表明であり、サミットと一体の沖縄圧殺攻撃そのものである。
 森はこの発言と開き直りをとおして、沖縄サミットをてことして「天皇制にまつろわぬ民」としての沖縄人民を国家暴力のもとに屈服させ、二十一世紀の五十年、百年にもわたって「基地の島=沖縄」の現実を固定化していく凶暴な意思を表明したのである。

 第1節 最大の元凶は天皇ヒロヒト

 沖縄はかつて天皇制の押しつけ、皇民化教育の結果、どれほどの犠牲を強いられたのか!
 戦前は言語、生活習慣、文化・芸能などあらゆる沖縄的なものが否定され、日本化が強制された。労働者人民の闘いは激しい弾圧を受け、多くの犠牲者を出した。第二次大戦の末期には「皇土防衛のための捨て石」とされ、沖縄戦によって県民の三人に一人、十五万人余りが犠牲となった。中には、スパイの疑いをかけられて日本軍に殺されたり、「皇軍の行動を妨げるな。食料を提供せよ」と迫り、「集団自決」させられた人びとも多数いる。
 沖縄戦を強制し、今日まで続く沖縄の苦しみをつくりだした最大の元凶は、天皇ヒロヒトだ。
 @日帝の敗北が確実となった一九四五年二月に、なんと「(戦争の終結は)もう一度戦果を挙げてからでないとむずかしい」と述べて沖縄戦を強制した。
 A一九四五年六月の「終戦工作」では、交渉材料として「沖縄を捨てる」方針を明言した。
 Bその方針どおり、敗戦後の一九四七年九月には「アメリカが沖縄を軍事占領してほしい」と米側に伝え、そのとおりにさせたのだ。(別掲資料参照)
 戦後の日帝は、敗戦帝国主義の延命・再建の方向を日米安保同盟政策に定め、そのために沖縄を米帝が自由に使える「基地の島」として提供してきた。一地域とそこの人民を丸ごと、軍事植民地のように米帝に差し出し、五十年以上も“基地の島”としての現実を強制してきたのだ。
 日帝のこの沖縄差別政策、米軍への売り渡しぬきには日米安保体制は成り立たず、したがって戦後日帝の延命と再建はなかったのだ。沖縄を犠牲にしてしか日帝の存立が成り立たないというこの関係は、過去のことではなく、これからもますます強まるしかない。

 第2章 軍事植民地的な状態を強制してきた日帝

 米軍支配のもとで、沖縄人民は「ブルドーザーと銃剣」で土地を無理やり奪われ、人権をじゅうりんされ、生活と命を奪われ脅かされ続けてきた。一九五九年六月三十日、嘉手納基地を飛び立った米軍戦闘機が石川市宮森小学校に墜落、十七人が死亡、二百五十人が負傷した事故や、一九六五年のトレーラー落下による少女圧死事故を始め、米兵による射殺や、女性に対する暴行・殺害、航空機の爆音被害や実弾演習による生活破壊など、基地と軍隊の暴力による人権じゅうりんは数限りない。
 沖縄の人びとは「核も基地もない沖縄を!」と願って本土復帰闘争を闘ったが日帝・佐藤政権のペテン的な七二年沖縄「返還」政策は、沖縄人民の基地撤去闘争の高まりから日米安保と沖縄基地をあくまでも守りぬこうとするものでしかなかった。本土復帰にかけた沖縄人民の基地撤去の願いはことごとく裏切られ、膨大な米軍基地は日米安保条約とその関連取り決めによってそのまま存続した。それどころか、七二年返還を期に沖縄にしわ寄せする形で本土の米軍基地の整理・統合が行われ、全国の米軍基地が一層沖縄に集中する状態がつくられたのだ。加えて日本軍=自衛隊が沖縄に乗り込んできたのだ。
 ここ数年の間にも、▼九四年の「沖縄県民は基地と共生を」という宝珠山発言(別掲)▼九六年八月の軍用地強制使用手続きをめぐる最高裁反動判決(実質審理抜き、わずか五カ月の超スピードで沖縄県側に敗訴の判決)▼沖縄を狙い撃ちにした基地確保のための差別立法、二度にわたる駐留軍用地特措法改悪(別掲)――など、行政・国会・裁判所が一体となって沖縄を差別し、「基地の島」の現実を押しつけてきた。
 このような沖縄差別政策に対して沖縄人民は不屈に闘い続けてきた。土地を奪い、生活の糧を奪い、人間として生きることを破壊しようとする基地と軍隊、戦争政策に抵抗し、「国のやることに何でも反対」したとしても、それはまったく当然である。沖縄差別とアジア侵略戦争の元凶=天皇を賛美する「君が代」など、どうして歌えるか!

 第3章 不屈に闘う沖縄人民と連帯し決起する時

 日帝の沖縄差別・圧殺攻撃は、今日の普天間移設=名護新基地建設問題でも同じく貫かれている。何よりも森の「沖縄は国のやることに何でも反対する」という発言は、直接的には名護新基地建設が沖縄人民の根強い闘いによって、思惑どおりに進まないことへのいらだちの表れなのだ。
 九五年を画期として沖縄人民の闘いは、四十年前の島ぐるみ闘争、七〇年前後の沖縄闘争に続く、戦後三度目の歴史的な高揚過程に突入している。それは、帝国主義の危機と侵略戦争政策の強まりの中で、沖縄人民の怒りと危機感がこれまで以上に強まっていることを基底にしている。
 日米安保体制は、沖縄人民に対する構造的差別であり、日帝の国家的国策的な沖縄差別政策の集約だ。そして、今日的・現実的な日米の力関係の中では、日帝は今後も日米安保体制の強化(新安保ガイドライン)をとおしてしかその帝国主義国家としての対外政策・軍事政策を展開できない。そうである以上、安保体制の強化がもたらす一切の矛盾と犠牲を沖縄に押しつけるしかないのだ。こうして日帝が日帝である限り、日帝と沖縄人民の関係、日本と沖縄関係でこの構造的矛盾が絶えず噴き出してこざるをえないのである。
 日帝は沖縄人民の闘いによってペテン的な七二年「返還」政策の破綻を突きつけられ、この危機をSACO(沖縄に関する日米特別行動委)合意の貫徹、すなわち県内移設による基地の固定化・強化でのりきり、沖縄人民の闘いを圧殺し、二十一世紀の今後数十年間もなお、沖縄を「基地の島」として強化・固定化しようとしているのだ。
 森発言と沖縄サミットはそのための大攻撃である。日帝は本土から警察官二万六千人を送り込んで大弾圧体制を敷き、沖縄の周辺海域を海上自衛隊の艦艇で制圧して、沖縄を戦争体制にたたき込む中でサミットを強行しようとしている。
 この攻撃を許していいのか。これとの対決は沖縄人民のみならず、日本プロレタリアート人民総体に「この国のあり方」、二十一世紀の沖縄―日本関係を根底的に問うものである。

 第1節 サミット加担の日共許すな

 サミットの狙いがこれほど超反動的なものであるのに、日本共産党は、沖縄でサミットを開くのは「沖縄基地の現状を心おきなく世界に見てもらう(日本)政府の意思表示」(二・一六不破)などと美化している。これでは日本政府は沖縄のためによいことをしようとしていることになる。
 日帝への屈服を覆い隠すために日共は「新基地建設に反対します」などと言っているが、岸本名護市長のサミット前リコール運動を「サミットの妨害となってはまずい」として敵対し中断に追い込んだのは、ほかでもなく日共スターリン主義ではないか。リコール運動の受任者が千人を超え、九七年十二月の名護市民投票をも上回る勢いで名護市民が立ち上がろうとしていた時、この熱気に水を差して、日帝の先兵となって立ち回ったのが日共なのだ。
 昨年、ユーゴスラビア人民を大虐殺した米帝クリントンが来沖して、新安保ガイドラインのもとで戦争国家づくりを進める日帝とともに、「基地の島」=沖縄でサミットを開くことそれ自体が、朝鮮・中国―アジア人民に侵略戦争の脅威を直接に突きつけるものであり、絶対に許せない。
 沖縄サミットについてクリントンはなんと言っているのか。「日米同盟の戦略的重要性を示す良い機会だ」「米軍基地を受け入れている沖縄県民に謝意を表す」と言っている。米帝は沖縄を米軍基地の島とし続けると居直り強盗の言を吐いている。日共の「平和のためのサミット」論はこの日帝、米帝の攻撃に加担するものである。
 沖縄サミットを前にしてファシスト石原都知事とつながる右翼「日本青年社」が、中国領土=釣魚台に上陸して神社を造るなどの重大な中国侵略、戦争挑発策動が行われている。石原は四・九暴言で、排外主義を扇動し、自衛隊三軍で首都を軍事制圧して、朝鮮・中国―アジア侵略戦争のためのガイドライン体制=戦争国家体制を首都から構築しようとしている。これは沖縄サミット強行と完全に一体の大攻撃である。労働者人民の総決起で粉砕しなければならない。
 さらに、森の「日本は天皇中心の神の国」というとんでもない大暴言とその居直りに怒りを爆発させ、森=石原打倒に全力で決起しよう。
 七月沖縄サミット粉砕、森=石原打倒を真っ向から掲げて、五・二八全国総結集闘争に決起しよう。衆院選決戦に絶対勝利しよう。
 〔中津次郎〕
 【資料】
■天皇は沖縄に何をしてきたのか
 @一九四五年二月、当時の首相・近衛文麿が天皇に対して「もはや日本の敗戦は必至だから、和平の決断をすべきだ」と進言したのに対して、天皇が「それはもう一度戦果を挙げてからでなければ、むずかしいのではないか」として、これを退け、沖縄を戦場として米軍と闘う準備を進め、沖縄戦に突入した。
 A一九四五年六月、天皇が近衛をソ連に派遣して終戦工作をさせようとした際に、交渉条件として、「国体護持」のために「国土についてはなるべく他日の再起に便なることに努むるも、やむをえざれば固有本土をもって満足す」「固有本土の解釈については、最下限沖縄、小笠原島、樺太を捨て、千島は南半部を保有する程度とする」と沖縄の切り捨てを明言した。
 B一九四七年九月中旬、天皇の御用掛、寺崎英成はGHQの首席政治顧問ウィリアム・シーボルトを訪ね、次のように〈沖縄の将来に関する天皇の考え〉を伝えた。(シーボルトの覚え書き)
 「寺崎が述べるに天皇は、アメリカが沖縄を始め琉球の他の諸島を軍事占領し続けることを希望している。天皇の意見によるとその占領は、アメリカの利益になるし、日本を守ることにもなる」
 これに基づいて一九五一年九月、サンフランシスコで「日本国との平和条約」が締結され、同条約三条によって沖縄は日本から分断され、米帝の軍事支配のもとに置かれた。沖縄は切り捨てられた。対日平和条約が発効した四月二十八日を以後沖縄では「屈辱の日」と呼ぶようになった。
■宝珠山昇防衛施設庁長官発言(九四年九月)
 「沖縄は、アジアの世界の中で戦略的にきわめて重要な位置にあることは、歴史が証明している。戦略上の要地にはどうしても防衛施設、軍事施設は欠かせない。これは好むと好まざるとにかかわらず、国家の要請として存在する……。(沖縄県民は)これをプラスに転じ、基地を受け入れることによって、基地と共生、共存する方向に変化してほしい」
■駐留軍用地特措法改悪(九七年四月)
 使用期限が切れた軍用地について収用委員会の裁決が出るまでの間、暫定的に使用権限を認めるようにした。期限が切れても地主に返還せず、国が不法占拠することを「合法」化した。
■駐留軍用地特措法再改悪(九九年七月)
 地方分権一括法の一環として強行された。
 @米軍用地の強制使用手続きで、これまで知事らにゆだねられてきた代理署名を国の直接執行事務とした。大田知事が代理署名を拒否したような自治体側の抵抗を封じ込めるもの。
 Aさらに収用委員会が裁決しないときは総理大臣が代行できること、収用委が却下の裁決をしたときは総理大臣がこれを取り消せることとした。これは沖縄県収用委員会の権限を奪い、その審理自体を無意味化するもの。
 こうした法改悪は、実際上は沖縄のみをターゲットにしたものであり、米軍基地の維持・存続を最優先させて、憲法上の財産権や自治体の自治権をも沖縄人民には保障しないという、沖縄差別・圧殺攻撃である。

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週刊『前進』(1958号5面2)

 5・13三里塚戸村彫刻展

 暫定案粉砕を宣言

 ”団結街道封鎖許さぬ”

 五月十三日、三里塚闘争の歴史が刻まれた三里塚第一公園で、「戸村一作彫刻展とフリーマーケット」が開かれた。午前十時の開場を待たずに、成田市や芝山町など、地域から多数の人びとが集まった。多くの人が、新緑に映える故戸村一作反対同盟委員長の彫刻作品を鑑賞し、三里塚闘争の歴史を紹介するパネルに見入った。また、反対同盟が早朝から収穫した無農薬野菜を始めとするさまざまな出店の前には、列ができる盛況を呈した。
 午前十一時半から、反対同盟が記者会見を開いた。まず北原鉱治事務局長が、「反対同盟の闘いが、暫定滑走路建設計画はあまりに理不尽で、敷地内農民をたたき出すためだけのものであることを暴き出した。反対同盟の闘いが闘争拠点を守り抜いた結果、二千五百b平行滑走路の当初計画を粉砕した」と勝利を宣言した。
 「しかし、運輸省・空港公団は暫定案を撤回しない。それどころか、軒先工事で営農と生活を妨害し、追い出そうという暴力的な手段にでてきている。なぜ三十五年もの長きにわたって空港ができないのか。それは空港建設があまりにも不正義で、反対同盟の闘いが正義だからだ。反対同盟は正義の実力闘争で必ず勝利する」と不屈の決意を表明した。さらに、「暫定滑走路粉砕の二年間決戦に勝利するため、七月二日に東峰で現地決起集会を開催する、また五、六月敷地内デモを連続的に闘う」と闘争方針を明らかにした。
 反対同盟の断固たる闘争宣言に、記者からの「建設工事に着工した現在、敷地内の東峰、天神峰はどうなっているのか」という質問に東峰の萩原進事務局次長と天神峰の市東孝雄さんが答えた。
 萩原さんは「昨年十二月三日の着工から半年。脱落派でさえ暫定案に反対している。三里塚で生活するものの権利はない、空港つくるためだったら何をやっていいという攻撃は、『いじめ』の最たるもの。闘いによってしか守れない。絶対に粉砕する」と宣言。市東さんは「工事が始まり、騒音、地震のような震動が続いた。これから団結街道を封鎖して、遠回りしなくては畑に行けなくしようとしている。こうした暴挙に屈せず闘い抜く」と暫定滑走路粉砕を訴えた。
 この催しをとおして、反対同盟を先頭に三里塚闘争は新たな大衆的発展の展望を切り開いた。

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週刊『前進』(1958号5面3)

 改憲阻止へ講演集会

 5・3関西 沖縄闘争へ決起誓う

 五月三日、百万人署名運動・関西連絡会が主催した「教育基本法改悪と改憲・有事立法反対 五・三学習討論会」に参加しました。集会には八十五人が参加しました。
 主催者あいさつで、百万人署名運動・関西連絡会事務局世話人の大野康平弁護士が、改憲攻撃との闘いへの決起を呼びかけ、中川とも子衆議院議員からのメッセージが紹介されました。
 講演では元日教組書記長の中小路清雄さんが、「法制化を契機にして学校現場の闘いから、地域、国民全体の問題になった。戦争のできる国づくりに反対する運動の基盤が、今春の『日の丸・君が代』反対闘争の中で、地域につくられてきた」と勝利の総括を語られました。さらに「教育改革」や改憲が新安保ガイドラインと一体の戦争国家づくりの攻撃だと訴え、これを阻止しようと呼びかけました。
 次に、関西各地で今春の「日の丸・君が代」闘争を闘った教育労働者や組合・団体が次々と発言し、闘いの具体的な報告と、そこでつかんだ教訓や確信が語られました。
 つづいて、沖縄出身の青年が、五〜七月の沖縄闘争を闘おうと呼びかけました。関西各地の連絡会を代表して奈良県連絡会から、今春の闘いの報告と五〜七月沖縄闘争に向けた決意が語られました。関西労組交流センターの会員は、ファシスト・石原打倒のアピールを発しました。
 まとめとして、兵庫県連絡会世話人の伊井孝雄さんが、「闘いは本当にこれから」と、訴えられました。最後に、沖縄サミット反対・名護への新基地建設阻止の全国キャラバン、七・二〇〜二二の沖縄現地闘争への参加が提起されました。
 集会全体をとおして、今春の闘いの地平を勝利感をもって確認しあい、教育基本法改悪・改憲との闘いへ発展させていくこと、何より、当面する五〜七月の沖縄サミット反対、名護への新基地建設阻止の闘いに立ち上がることが参加者一人ひとりのものとなりました。
(投稿・関西 M・I)

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週刊『前進』(1958号5面4)

 2000年日誌 阻もう!戦争への動き

 5月10日〜15日

 森暴言「天皇中心の神の国」

 沖縄サミットに護衛艦派遣

●教育勅語に普遍の哲学と森 森喜朗首相が党首討論の中で、「教育勅語には時代を超えて普遍的哲学がある。そうしたことをもう一度、子どもが教わることができる改革をやってほしい」と述べた。(10日)
●在日米軍PCBの国内残存量二百三十d 米国防総省の議会報告で、在日米軍基地で製造されたポリ塩化ビフェニール(PCB)廃棄物の残存量が約二百三十dに上っていることが参院沖縄北方特別委員会で指摘され明らかに。(10日)
●水陸両用車問題で抗議
 在沖米海兵隊の水陸両用車が、宜野座村沖合の提供水域外を事前通告なしに通航し、サンゴ礁などに被害を与えた問題で、米海兵隊基地司令部のデビッド・ライン大佐は、抗議に訪れた宜野座村漁協の仲栄真盛昌組合長に対し、漁民に不安を与えたことに陳謝し、被害水域の具体的な調査を実施することを明らかにし、再発防止のために漁協側と話し合う計画があると伝えた。(10日)
●振興策1千億円で政府方針 沖縄県北部振興策で、政府と北部十二市町村が会合。内閣内政審議室沖縄問題担当室長が、一千億円は沖縄県北部全体と移設先・周辺地域の振興策の両方に支出する方針を説明した。その上で移設先ではSACO(日米特別行動委員会)関連予算なども活用することを示した。(11日)
●オスプレイ飛行再開へ
 米海兵隊の垂直離発着機MV22オスプレイが今年四月に米国内で夜間訓練中に墜落し、乗員十九人が死亡した事故について、米海兵隊は、同機の構造的な欠陥が事故の原因となったことは認められなかったとした上で、「MV22の安全性は信頼できる」とし、数日後にもテスト飛行を始める意向を示した。(11日)
●衆院憲法調査会で制定過程の討論終了 衆院憲法調査会が憲法制定過程に関する締めくくり討論で、約四十人の発言中、約三十人が改憲論を展開。(11日)
●宜野座村、議会も抗議
 水陸両用車問題で、宜野座村の宜野座繁議長や浦崎康克村長らが米軍関係機関や那覇防衛施設局、県に対し、通報制度の確立や漁業補償などを要求。(11日)
●「昭和の日」法案が参院で可決 四月二十九日の「みどりの日」を、来年から「昭和の日」に改める祝日「改正」案が参院本会議で可決された。(12日)
●原子力防災計画が核燃運搬事故も想定へ 国の中央防災会議が防災基本計画の原子力災害対策編を見直し、これまで原子力発電所と使用済み核燃料の再処理施設が対象だったのを、核燃料の加工、貯蔵、廃棄施設と「運搬」にも広げることを決めた。米軍の原子力艦船の事故についても、自治体が地域防災計画で対応するようにした。(12日)
●ヘリパッド移設で既存道路も改修 沖縄県の米軍北部訓練場の過半返還に伴うヘリパッド(ヘリコプター着陸帯)の移設問題で、ヘリパッドへの進入路工事のほかに、演習場内にある既存の道路改修も予定されていることが明らかに。移設工事に加え既存道路の改修で工事区域の拡大は避けられず、移設計画そのものの変更を求める環境保護団体や研究者らの懸念が広がっている。(12日)
●森が沖縄を訪問 森首相が沖縄サミットの主会場予定の名護市の「万国津梁(しんりょう)館」落成式典出席やサミット関連施設の視察のために沖縄を訪問した。(14日)
●公明党が普天間移設賛成に 公明党沖縄県本部が、県議選、総選挙について自民党沖縄県連と選挙協力に合意し、態度を保留してきた普天間移設について賛成に回った。(14日)
●県民大会に6千人 本土復帰二十八年を迎えた沖縄で、「五・一五平和とくらしを守る県民総決起大会」(主催・沖縄平和運動センター)が宜野湾市の海浜公園で行われ、約六千人が参加。米軍基地の県内移設反対などを決議、七月二十日の嘉手納基地包囲行動が呼びかけられた。(14日)
●「日本は天皇中心の神の国」と森 森首相が神道政治連盟国会議員懇談会の結成三十周年記念祝賀会であいさつし、「(懇談会は)昭和の日の制定や先帝陛下六十年の即位(の式典)とか、政府側が若干及び腰になるようなことを前面に押し出して、日本の国はまさに天皇を中心とする神の国であるということを国民にしっかりと承知していただくという思いで活動してきた」と発言した。(15日)
●サミット反対掲げて県庁までデモ 沖縄サミット反対! 五・一五デモ(主催・沖縄サミットに反対する実行委員会)が那覇市の牧志公園から国際通りを県庁までデモした。(15日)
●サミットに護衛艦派遣
 防衛庁が沖縄サミットの海上警備にイージス護衛艦「ちょうかい」を含む八隻前後の護衛艦を沖縄本島の周辺海域に派遣する方針を固めた。海上自衛隊には平時の海上警備の権限がないため、教育・訓練名目で派遣する。(15日)

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週刊『前進』(1958号6面1)

 少年事件の核心問題は何か

 彼らを追いつめる帝国主義と自民党政治に事態の根源

 少年事件が相次いでいる。腐敗を極限まで深める日本帝国主義と自民党政治が少年たちの心までずたずたに切り裂いている現実を心の底からの怒りを持って断罪しなければならない。
 事件に対し森首相は「テレビゲームが原因。子どもたちに便所掃除をさせろ」「教育勅語の理念の復活を」と言った。自民党政調会長の亀井は「悪いことをした子どもはぶん殴れ」と言った。自民党は刑事罰の対象年齢を十四歳以上に引き下げるなど、少年法改悪による「厳罰化」の検討に入った。元内閣安全保障室長の佐々淳行らは「射殺すべき」と主張している。
 なんと許し難い主張だろうか。これらはすべて起きている事態を解決しないばかりか、ますます矛盾を激化させるのみである。
 新聞に十七歳の少年たちの投書が寄せられている。
 「少なからず彼らの気持ちが分からなくもないと思っている自分がいる。日ごろ、だれにも言えずに悩んだり考えたりしていることなど、とにかくすべてを放り出したくて……でもそれができなくて……それがたまりにたまって理性を失い、あのような事件を引き起こしてしまう。そのような可能性は、だれにでもあるのではないだろうか」
 「私にはこの少年の目立ちたいという気持ちが、少しわかるような気がする。森喜朗首相は『目立ちたい、殺したいからやったというのは尋常ではない』と語っている。森首相のこの発言に私は、『目立ちたい』と言ったこの少年の気持ちが分からないのではないか、と感じたのである」
 起きている事件は、けっして「特異な」少年が起こしたものではないのだ。
 では一体何が、少年たちをあのような事件に追い込んでいるのか。

 第1節 戦争・大失業と労働者の現実

 第一に、日帝の激しいリストラ・大失業攻撃が労働者と労働者家族、少年たちに何をもたらしているのか、という問題である。
 二九年型世界大恐慌の現実化の中で「競争こそ社会の活力」「勝者だけが生き残る」というむき出しの弱肉強食の論理による攻撃が前面化している。労働者には首切りが襲いかかり、平均寿命を下げるほどの自殺者を生み出している。女性も安価な労働力としてパート労働・派遣労働にかり出されている。階級的団結を破壊し、差別主義・排外主義で分断し、労働者支配を貫徹しようとしている。
 さらに福祉切り捨てと社会保障制度の解体である。自民党は「老人福祉は枯れ木に水をやるようなもの」(中曽根元首相)と言って高齢者を切り捨ててきた。介護保険は、高齢者を殺す政治の最たるものである。
 この現実が労働者家族の生活を直撃し、少年たちを追い詰めている。親と子の関係をも、ますます非人間的なものに疎外している。「プロレタリアに強制された無家族状態」(『共産党宣言』)が、今再びむき出しで現出しているのだ。
 第二に、帝国主義が強行する戦争の問題である。
 今十七歳の少年は、「湾岸戦争」(=国際帝国主義によるイラク・中東侵略戦争)のときに八歳。国際帝国主義はそれ以降、ユーゴスラビア侵略戦争を始め、全世界で侵略戦争と大量虐殺を繰り返し、それを「国際正義」「人道援助」と正当化してきた。ファシスト石原の暴言も噴き出している。少年たちはこうした時代に育ったのだ。帝国主義の側がいくら「命を大切にすることを教えよ」(中曽根文相)と言っても、空虚なだけでなく、ますます不信感を募らせるばかりだ。

 第2節 教育での競争と管理の強化

 第三に、このような社会が、子どもたちの世界に何をもたらしているのか。
 子どもの人口は減っているにもかかわらず「受験戦争」はますます低年齢化しエスカレートしている。小学生や、小学校入学前の子どもまで、受験競争に駆りたてられている。「偏差値唯一主義からの脱却」として、日常の言動や人間関係までランク付けの対象とされる。「トップランナー養成のための教育」(教育改革国民会議座長・江崎玲於奈)と、多くの子どもたちが切り捨てられている。
 そして反発・反抗する者には、管理強化と体罰、警察力の導入、強制入院などの強権で襲いかかる。「日の丸・君が代」強制は、その最たるものだ。一方で、政治家や官僚、警察の腐敗は極限まで深まっている。
 子ども同士を敵対・対立させ、親同士も競い合わせ、教育労働者にも管理と統制が強化されている。親も教師も、子どもと正面から向き合う余裕が奪われ、人間的な共同性はますます破壊されている。
 このような中で多くの子どもたちが、底知れぬ絶望と不安、いらだちと閉そく感・疎外感にたたき込まれている。まさに現代帝国主義の危機と矛盾が生み出した社会の現実こそ、少年たちを出口のない苦悩にたたき込み、あのような事件に追いやっているのだ。

 第3節 革命の思想と闘いの復権を

 しかも少年たちは、なぜ自分たちがこのような状況に追い込まれているのかもわからず、階級的なものの見方や自己解放の道筋も展望も見えず、自己を積極的に肯定することができなくさせられている。
 この背景には八〇年代以降、ソ連スターリン主義の歴史的崩壊や日帝の戦争と大失業攻撃の中で進行した、社共の総転向という問題がある。マルクス主義の思想、階級的団結と階級闘争の復権をなんとしてもかちとらなければならないという問題だ。マルクス主義の労働者自己解放・人間解放の思想に立つ反スターリン主義・革命的共産主義運動が鮮烈に登場することこそ求められているのだ。
 自らを極限的な矛盾にたたき込んでいる原因と変革の展望が解き明かされたとき、少年たちは必ず「真の敵」である帝国主義と帝国主義の階級支配のあらゆる現実に立ち向かい、自己解放の闘いに立ち上がる。
 社共に代わる労働者党の登場を全社会的に告げ知らせなければならない。衆院選決戦に絶対に勝利し、沖縄サミット決戦を、日本全国と全世界、そして少年たちの心にまでとどろく大闘争として爆発させよう。

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週刊『前進』(1958号6面2)

 排外主義と闘う 入管闘争の課題 8

 現代版の強制連行

 第2次入管基本計画 新ガイドラインに対応

 三月二十四日、法務省は「第二次出入国管理基本計画」(以下、第二次基本計画)を発表した。改悪入管法・改悪外登法の施行と一体であり、新ガイドライン体制下での戦時入管体制づくりを推進する攻撃である。この第二次基本計画を徹底批判し、粉砕していかなければならない。

 第1節 第1次基本計画

 九〇年入管法改悪での規定に基づき、九二年五月に「第一次出入国管理基本計画」(以下、第一次基本計画)が出された。その背景には、八〇年代をとおした指紋押捺(おうなつ)拒否闘争の爆発とアジア人労働者の日本への大量渡航によって、入管体制が破綻(はたん)に直面したということがある。それを立て直す必要に迫られた日帝は、九〇年代に入り入管法・外登法の改悪をくり返しつつ、「出入国管理の基本方針を確立」するものとして、この「出入国管理基本計画」を策定したのだ。
 第一次基本計画は、「単純労働力」の排除を核心にすえるものであった。八〇年代以降、日帝が全面的なアジア侵略に突進する中で、生活の場を破壊・略奪された人びとがアジア全域でぼう大に生み出された。そして一部の人びとは生きるために日本に渡ってきた。しかし、日帝はそうした人びとを入管法の在留資格制度をたてに「不法就労」「資格外活動」として弾圧対象とし、九〇年入管法改悪での不法就労助長罪新設をもテコに、すさまじい「摘発」・収容−強制送還の攻撃を加えていった。
 一方、第一次基本計画では研修−技能実習制度が打ち出された。それは、日帝と資本のコントロール下で使い捨て・低賃金の労働力を移入する、「現代の強制連行・強制労働」の開始であった。実際、アジア人労働者の命がけの告発と糾弾によって明らかになったその実態は、資本によるやりたい放題の強搾取、強労働の強制なのである。
 こうしたことは、他方での在日朝鮮人・中国人に対する坂中路線の推進と一対をなしている。九三年入管特例法を画期とし、日帝は、アジア人労働者と在日とを二元化し、それぞれを入管法と入管特例法によって支配するというあり方に転換した。それは、朝鮮・中国−アジア勢力圏化、侵略戦争への突進に対応した戦時入管体制づくりへの第一歩を意味していた。

 第2節 労働力移入政策

 今回八年ぶりに出された第二次基本計画は、「基本的方向性は第一次出入国管理基本計画と変わることはない」とし、「円滑な人的交流の促進」と「不法就労外国人問題への対応」の二本柱を「出入国管理行政の使命」と確認している。
 決定的なことは、これが昨年の新ガイドライン法制定と入管法・外登法改悪を受けて出されたということだ。新ガイドライン攻撃との一体性という点では、今次計画で「見直すべき課題」として、「国際化と社会のニーズに応える外国人受け入れの円滑な実現」と「不法滞在者への現実的かつ効果的な対応」の二つを掲げたことが重要である。
 まず前者だが、「グローバリゼーションの時代を迎え、我が国は、より開かれた経済社会を指向しつつ国民生活の安定と繁栄を達成していく」とし、「経済における産業構造と企業行動の変化に対応した柔軟な人材活用のニーズに応え得るような、円滑かつ適正な出入国管理を行っていく必要がある」と言っている。
 つまり、二九年型世界恐慌が現実化し、日帝の延命がより本格的なアジア侵略−勢力圏化、朝鮮・中国侵略戦争への道以外にない中で、入管体制はそれに対応したものでなければならないと言っているのだ。
 具体的には@専門的、技術的分野での人材確保、A研修−技能実習制度の拡大、B留学生・就学生の受け入れ拡大を打ち出した。
 @では「経済のグローバル化による外国との競争の激化」を理由に、アジアをめぐる日米争闘戦の激化にかちぬくという日帝の意志をはっきりと示した。Aではこれまで五十五あった技能実習の対象職種に加え農業、水産加工業、ホテル業などを増やし、実習期間の長期化や「独立した在留資格の創設」「政府の直接的なイニシアティブ」などを打ち出した。また「少子・高齢化」に伴って労働力が不足するとされていることに対し、介護労働などで外国人労働者の受け入れを検討するとした。Bでは「外国の青少年に我が国の理解者を得ることは、今後の我が国の国際的な発展の大きな力となる」と、昨年十一月のASEANと日・中・韓三カ国の首脳会議で小渕前首相が発表した小渕プラン=親日派形成のための留学生政策が再確認された。
 この中では、研修−技能実習制度の拡大ということが基軸である。新ガイドライン体制を構築し、朝鮮・中国侵略戦争へと突き進む中で、日帝はその一環としての戦時型労働力移入政策に踏み切ろうとしているのだ。「現代版強制連行」の本格的開始ということだ。
 次に後者だが、第一次基本計画では「不法就労者」を「来る気にさせない→来させない→入れない→在留させない→退去強制する」という「総合的な対策」を打ち出し、この間、大々的な入管攻撃=治安弾圧を展開してきた。

 第3節 入管攻撃の激化

 入管、警察、海上保安庁が連携した摘発体制が作られ、全国の入国警備官を動員した大規模集中摘発がくり返された。その中で毎年五万人以上もの人びとが強制送還され続けたのだ。さらに、新ガイドライン攻撃の一環として九七−九九年の入管法連続改悪と外登法改悪が行われ、集団密航罪や不法在留罪の新設、外登証常時携帯・刑事罰制度の存続が強行された。これらは排外主義的な治安弾圧体制としての入管体制の本質をむき出しにするものだ。
 そして今次計画では、「出入国管理の秩序は、在留資格制度を基本として維持されているのであり、在留資格を有することなく我が国に事実上在留している外国人についてはこれを厳正に排除し、入管法違反者の減少を図ることを最大の目標」にすると、入管攻撃の一層徹底的な推進を宣言したのである。
 具体的には、@情報管理と技術革新、A摘発の強化、B収容施設の活用と早期送還などをあげている。
 @は、「入国前から帰国後に至るまでの総合的な対策の展開」として、ハイテク技術による出入国記録や外国人登録情報の二十四時間リアルタイムでの把握と、その弾圧への活用である。Aは、「専門的知識・技術・機動力を備えた広域的摘発活動の展開」や「長期不法滞在者の重点的かつ積極的摘発」、またそのために全国規模で情報を一元化するとしている。「違法な雇用の未然の防止が肝要」とも言っている。Bでは、より大規模な強制送還のために、東京入管の収容場を拡充(羽田・天王州アイルに八百人規模の収容所を建設)し、また在日外国公館との連携を強化して「迅速な送還」を目指すとしている。
 このように入管攻撃の激化は実に恐るべきものだ。新ガイドライン体制としての入管体制は、アジア人民、在日人民に対するすさまじい治安弾圧として襲いかかろうとしている。ここに第二次基本計画の最も核心的な狙いがあるのだ。
 二〇〇〇年入管闘争の最重要の課題として、この第二次基本計画粉砕の闘いをすえ、徹底的に暴露・弾劾していかなければならない。(五十嵐茂生)

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週刊『前進』(1958号6面3)

 全国130ヵ所を不当捜索

 今年4度目の弾圧許せぬ

 日帝・警察権力は五月十日、九八年十月の自民党千葉県連幹事長・飯島宅への三里塚闘争勝利のための火炎攻撃戦闘を口実として、全国約百三十カ所への不当な家宅捜索を強行した。
 これは実に今年四回目の一斉不当捜索である。断じて許すわけには行かない。
 第一に、今回の不当捜索は、森首相の沖縄訪問を前にして、本土−沖縄を貫く大闘争の爆発を何とかして妨害したいという卑劣な予防反革命弾圧だった。
 しかし反戦共同行動委員会は、森の来沖阻止闘争、五・一三−一五闘争で沖縄現地に大部隊を登場させ、沖縄の闘う労働者人民とともに那覇や名護で縦横無尽の戦闘的デモを貫徹した。五月十四日の県民大会には県内外から六千人が大結集し、森の沖縄差別発言を徹底弾劾し、沖縄人民の闘う決意をたたきつけた。
 サミット本番二カ月前を迎え、権力は七・二一戒厳体制を強めている。われわれはこれを打ち破り、必ずやサミットをズタズタに粉砕する巨大な沖縄現地の大デモを実現する。県民の生活をも規制するサミット警備に県民の怒りが大爆発するのも不可避である。
 第二に、都政を革新する会の事務所などで、事件と何の関係もない選挙ビラなどを多数押収したことに示されるように、家宅捜索は六月衆院選決戦への弾圧、露骨な選挙妨害である。
 介護保険導入を始めとする介護・福祉の全面的切り捨て、石原都知事や森首相の数々の暴言と戦争国家への転換の大攻撃に、労働者人民の憤激は日に日に高まっている。長谷川英憲氏の国政選挙への挑戦は、人民の怒りを解き放ち、腐敗と戦争への道を突き進む日帝に対する反転攻勢のときの声となろうとしている。
 焦りに満ちた権力は、今回の不当捜索だけでなく、数限りない卑劣な弾圧と選挙妨害に手を染めている。絶対に許せない。選挙妨害を粉砕し、長谷川氏の当選をかちとろう。
 今回の捜索の中で、権力は、その不当性をいたるところでさらけだした。各地の捜索現場で、猛然たる抗議がたたきつけられ、権力の弾圧策動は粉砕されている。どんな小さなことも見逃さず、徹底的に追及・抗議し、不当な弾圧を粉砕しよう。不正と腐敗の警察に、闘う労働者人民を弾圧・不当捜索する資格など一ミリたりともないのだ。
 二〇〇〇年決戦は、いよいよその本番を迎えた。権力やファシスト反革命との激突はますます激しくなる。勝利への執念とさらなる敵愾心(てきがいしん)を燃やし、六月総選挙決戦勝利、七月沖縄サミット粉砕へ猛然と決起しよう。

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週刊『前進』(1958号6面4)

 街宣に続々反響

 廃止署名実行委 盗聴法に危機感

 五月十四日午後一時から、盗聴法の廃止を求める署名実行委員会は、京成上野駅入り口で第四回目の街頭宣伝を行いました。
 実行委員会の労働者、市民は、「のぞかれるプライバシー/盗聴法があなたの会話を狙っています」と書いたビラを配付しながら、声をからして通行人に廃止署名への協力を求めました。なんとしても盗聴法の廃止をかちとろうという熱意あふれた呼びかけに、通りかかった労働者らが次々にこたえ、二時間弱の間に六十筆を超える署名が集まりました。
 法務省と警察庁は、盗聴法の記憶装置として十二〜四八ギガバイト(フロッピーディスク九千〜三万五千枚分)の記憶容量を持つDAT(テープ形式のデジタル記録媒体)を使用することを明らかにしました。最大でも三十日間とされている盗聴に、一年分もの会話を記録できるDATがなぜ必要なのでしょうか。
 また、盗聴装置の仕様書によれば、盗聴対象者の電話と交換機の間の回線につなげて盗聴するだけでなく、NTTの回線点検システムそのものに入り込んで盗聴することも想定しています。この装置を使えば、警察署内の電話から、NTTにも誰にも知られずに全国あらゆる電話を盗聴することが可能となります。
 現在でも違法盗聴をくり返している警察が、電話システムを自由に蹂躙(じゅうりん)し、あらゆる会話を根こそぎ記録していこうと狙っていることが明らかになっています。このような警察監視社会を絶対に許さないため、盗聴法を絶対に廃止させましょう。
(投稿 Y・H)

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週刊『前進』(1958号6面5)

 反対同盟との交流会に参加して

国への怒りが 法政大 井上智

 四月十九日、三里塚で反対同盟の郡司とめさん、木内秀次さんを招いての交流会に参加しました。
 三十五年にわたる三里塚闘争の歴史や闘争にかける思いは短い時間では語りきれない印象を受けたが、それでも十分すぎるほど感銘を受けました。土地の値をつり上げるために反対運動をやり、値が高騰したら脱落するという裏切り。話し合いと称して空港建設は一切白紙にせず、どうすれば立ち退くか、いくらで土地を売るかをばかり持ちかけてくる国。話を聞いているうちに、あらためて怒りがわき上がりました。
 また、裏切りで数少なくなっても今なお反対同盟は意気盛んなのに対し、国はやっていることが三十五年変わっていないことにも気づきました。
 「民主主義」と称して暴力的に空港を押しつけ、侵略戦争に進む日帝は絶対に打倒するしかない! この思いをさらに強くした、有意義な交流会でした。

信念貫く強さ 法政大 藤野香織

 私は一度、援農で郡司さんのところに行き、お話をうかがったことがありましたが、交流会というかたちで反対同盟の方と話をするのは初めてで、興味深い話をたくさん聞くことができました。
 郡司さんから、「三里塚の三十五年は裏切りの歴史だ」ということを聞いたときは、人間の弱さみたいなものを見せつけられた思いがしたけれど、逆にそういう中をずっと信念を貫いて闘ってきた反対同盟の方の強さや反戦の思いがひしひしと伝わってきました。
 また、私は「話し合い拒否」の精神について、なんとなくはわかっていたけれど、今いちうまく説明できないようなところがあったので、質問したのですが、木内さんから、「初めから話し合い拒否だったわけではない」ことや、これまでの闘いの過程で、「話し合い」は「協力の要請」でしかなかったことなどを聞き、あらためて納得することができました。
 翌日は工事着工阻止の集会とデモに参加したのですが、交流会で直接、反対同盟の方の思いや三里塚の歴史を聞いたことで、また新たな気持ちで闘いました。
 今回反対同盟の方々の学生にかける期待の大きさを強く感じました。これから大学でもこの日の経験や三里塚のことを話していきたいと思います。

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週刊『前進』(1958号6面6)

 訂正

 前号3面、5・3集会の投稿の4段目4行目の「国立二中」とあるのは「国立二小」の誤りでした。

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