ZENSHIN 2000/04/24(No1954 p06)

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週刊『前進』(1954号1面1)

 朝鮮人と中国人への差別と襲撃を扇動する石原都知事は即刻辞任せよ

 沖縄サミット強行、有事立法・改憲、リストラ、福祉解体の森内閣打倒へ

 6月衆院選で長谷川氏当選を

 衆院解散・総選挙がこの六月となることがほとんど確定した。ついに戦後最大の政治決戦が具体化したのだ。森・自公政権は、労働者階級の闘いを全面的に圧殺して戦争国家化に突進しようとしている。そのために、七月沖縄サミット前の六月衆院選を決断した。同時に沖縄サミット(主要国首脳会議)の帝国主義間争闘戦の場で日帝の帝国主義的利益を貫き、小渕政権以上の大反動攻撃にうって出ようとしている。六月衆院選決戦は日本階級闘争の未来を決する一大決戦である。既成野党は完全に転向している。労働者人民の未来を切り開くために、今こそ国会に、闘う革命的議員が必要だ。長谷川英憲氏を押し立て総力を挙げて決起し、絶対に勝利しよう。

 第1章 小渕政権をも上回る森所信表明の反動性

 労働者人民の怒りの包囲の中で小渕は倒れた。そして密室の陰謀政治の中で森喜朗が新首相に就任した。
 森新内閣は、サミット突撃内閣として六月総選挙を強行し、沖縄サミット体制をつくり、朝鮮・中国侵略戦争体制の構築と有事立法・改憲攻撃、リストラ・増税・福祉切り捨ての攻撃に突進しようとしている。 
 日帝ブルジョアジーは、小渕が倒れたことを逆に好機としてサミット前の総選挙に打って出ることを決断した。総選挙に打って出ることで暫定政権としての性格を払拭(ふっしょく)し、超反動的な本格政権をつくろうとしている。衆院選決戦は、この策動を許すのか否かをかけた戦後史上最大の政治決戦となった。
 森は、四月七日の所信表明演説の中で小渕・自自公政権の破産と限界を突破しようという反動的な衝動をはっきりと打ち出した。
 森所信表明の第一の反動性は、沖縄サミットに全力をあげ、朝鮮・中国侵略戦争体制の構築(「北東アジアの平和を創造」と言っている)と、そのために沖縄人民の闘いや労働者階級の闘いを圧殺することを宣言したことだ。
 森は小渕が倒れる前の三月二十日の講演で、昨年十一月の「天皇即位十年記念式典」の「君が代」斉唱の時、沖縄出身の歌手が歌っていなかったと非難。沖縄の教育について「君が代を学校で教わっていない」などと言い、琉球新報、沖縄タイムスの沖縄県内二紙の報道についても「何でも国、政府に反対する」などと批判した。
 これに対し沖縄の労働者人民だけでなく、教育関係者や報道関係者からも「政府の沖縄に対する姿勢の表れ」「沖縄に対する差別意識があるのではないか」と一斉に怒りの声が上がった。森はこの発言を完全に居直っている。そこに今次サミットの沖縄への差別・抑圧の目的が端的に示されている。その森が、沖縄に乗り込んでサミット議長として振る舞うことなど絶対に認められない。
 サミットとはいかなるものか。それはまさに帝国主義強盗どもによる世界の支配、市場や勢力圏のぶんどり合いをかけた争闘戦の場にほかならない。特に今回の沖縄サミットは、中国大乱情勢と台湾総統選における国民党の敗北、北朝鮮スターリン主義体制の危機などの激動情勢の中で、新ガイドライン法=戦争法の成立を受けて米日帝が朝鮮・中国侵略戦争体制を構築しようとするものである。
 そのために、あえて沖縄でサミットを強行することによって沖縄人民の闘いを真っ向から踏みにじろうというのである。沖縄闘争圧殺なしに、いくら法律をつくっても新ガイドライン体制は完成せず、発動できないからだ。七月沖縄サミットは絶対に粉砕しなければならない。
 森所信表明の第二の反動性は、歴代首相の所信表明で初めて有事立法攻撃を宣言したことである。同時に「教育改革の国民運動」を宣言したことである。森は、戦争国家への国家改造として「三つの国家像」(「安心して夢を持って暮らせる国家」「心の豊かな美しい国家」「世界から信頼される国家」)を打ち出し、ついに有事立法・改憲攻撃に全面的に打って出てきたのだ。森は国会答弁の中でも自ら所信表明で初めて言及したことを自認し、答弁の中で、繰り返し有事立法制定と「教育改革」を主張している。今や日帝は新ガイドライン法に基づいて朝鮮・中国侵略戦争に全面的に参戦していくためにも絶対に必要なものとして、有事立法・改憲−教育改革攻撃に突っ込むしかないのだ。
 日帝がその危機を突破するために戦後史を根本から転覆し戦争国家体制を構築しアジア侵略戦争に突進していくことを許してしまうのか、それとも闘うアジア人民と連帯した労働者人民の総決起で、戦争国家づくりを粉砕し日帝を打倒するのか、まさに戦後史上最大の決戦である。
 森所信表明の第三の反動性は、「大胆な構造改革」「社会保障構造改革」と言って大失業・リストラ攻撃と戦後社会保障制度の全面的解体を宣言したことだ。日経連の総額人件費削減攻撃と一体となって、労働者の賃金体系と生活を破壊することで大資本を救済し、年金や雇用保険、医療、介護など全面的な社会保障・福祉の解体攻撃に出てきているのだ。何よりもその突破口として、介護保険制度が四月一日に強行されたのである。
 森・自公政権打倒、沖縄サミット粉砕、大失業・リストラ・福祉切り捨て反対をかけて、四〜六月闘争を一つながりの衆院選決戦として闘いぬこう。

 第2章 自衛隊の治安出動で東京の軍都化を狙う

 他方、日帝政治危機の激化の中で森・自公政権の反動攻撃と一体となって、東京都知事・石原慎太郎が文字どおりファシストとして突進・台頭を強めている。
 石原は四月九日、陸上自衛隊第一師団(練馬区)の創隊記念式典において「三国人が大きな災害が起きたら大きな大きな騒じょうを起こす。みなさんが出動し治安の維持を遂行していただきたい」と、凶悪な排外主義・差別主義による朝鮮人・中国人に対するデマゴギーをばらまき、襲撃の扇動を行った。
 @これは、一九二三年の関東大震災の時に強行された朝鮮人・中国人大虐殺を再び行うことの扇動である。都知事として災害時に自衛隊の出動を要請する権限を持つ石原が、自衛隊の治安出動を要請することをはっきりと宣言した。それこそ新ガイドラインの目的の一つであり、その発動の実態を示すものなのだ。
 関東大震災の時、警察や軍隊が社会主義者や朝鮮人が暴動を起こしたというデマを流して民衆を扇動し、朝鮮人六千人余、中国人六百人余を大虐殺した。石原暴言はこの再現の扇動である。石原は今の日本における犯罪がすべて朝鮮人・中国人によるものであるかのようなデマを並べ立てている。そしてそれをもって自衛隊や警察、労働者住民をも動員した排外主義的襲撃を扇動している。
 だが、そもそも「(第)三国人」という差別語は、朝鮮、台湾を植民地支配してきたことを敗戦後の日帝が開き直り、日帝・警察権力や右翼が日本にいる朝鮮人と中国人を徹底弾圧・虐殺するための言葉として使われた。日帝政府は、朝鮮人と台湾出身者を始めとする中国人に対して「戦勝国民でも解放民族でもない」「第三国人だ」「取り締まり権がある」として、差別と襲撃をあおったのである。日帝敗戦後の米軍占領下において、生きるために青空市場で生活を支えていた朝鮮人・中国人に対して警察公認のもとに日本の暴力団による襲撃が新橋事件、渋谷事件など各地で繰り返されたのである。
 当時日本にいた朝鮮人・中国人は、日帝によって強制連行され、強制労働させられてきた人たちだ。また、日本人によって家や田畑が奪われ、生きるために仕方なく日本に来た人だ。
 A石原暴言の今ひとつの狙いは、「国家の軍隊、国家にとっての軍隊の意義」を押し出し、日本を軍事国家に変貌(へんぼう)させることにある。そのために、新ガイドラインが規定する「周辺事態」「ゲリラ・コマンドウの攻撃」の演習として、九月三日に首都のど真ん中で自衛隊治安出動の三軍統合大演習を行おうとしている。自衛隊を国家の中心にすえようとしているのである。
 これはまさに、ファシスト石原による、戦後日本の国家・社会を根本から戦争のできる帝国主義に再編するためのクーデター的策動なのである。それは森・自公政権の先陣を切って日本を戦争国家に、東京を軍都に大転換させる有事立法・改憲攻撃である。
 石原はその発言が大問題となり、マスコミで報道されてからも完全に居直っている。十二日の記者会見でも「だれに謝罪するのか」と謝罪を拒否し、自衛隊の治安出動についても完全に居直り、「原因をつくったのは間違った報道」と居直り、さらに「(覚醒剤が)ほとんど原産地の中国経由で入ってきている。これは国家の問題」と反中国のデマ宣伝を繰り返している。
 この石原暴言を弾劾しきり、打倒しよう。石原が居直りとおし排外主義的扇動によって民衆を組織するなどということは絶対に許さない。石原はファシストとしての傲慢(ごうまん)さと凶暴さでマスコミ等を沈黙させようと狙っているが石原の言っていることはすべてデマゴギーである。
 しかもファシストとしての石原は、労働者人民の大衆的実力反撃に決定的に弱い。何よりもこの間石原が唯一譲歩したのが都労連の労働者のストライキによる反撃であったことにそれが示されている。石原発言を弾劾し、石原を打倒する闘いに日本労働者階級の階級性と未来がかかっている。
 すでにこの間、石原に対して大衆的怒りの声がまき起こっている。都政を革新する会と全国労組交流センターは、石原発言が報道された翌十一日、真っ先に都庁で石原発言弾劾のビラまき、知事への申し入れ行動、記者会見を行った。続いて十二日には在日を始め多くの表現者・文化人が抗議の記者会見を行い、辞任を要求し、六項目の質問状を突きつけた。十三日には、長谷川英憲氏を先頭に再度の抗議をたたきつけた。また自衛隊兵士の中でも、デマで兵士を動かせると考える石原の言動に怒りと反発が生まれている。
 石原暴言を徹底的に断罪し、即刻辞任に追い込もう。九・三自衛隊大演習を粉砕しよう。石原によるクーデター的な戦争国家への大転換策動を粉砕するためにも、東京八区(杉並)で衆院選決戦に勝利しよう。前進社のタイムリーな新刊『倒せ ファシスト石原』(野口正敏著)を全面的に広め、活用しよう。

 第3章 介護保険制度廃止へ今こそ全国的運動を

 衆院選決戦はいよいよ本番中の本番に突入した。森・自公政権を打倒し、都知事・ファシスト石原を打倒するために、今こそ国会の場に闘う革命的議員が絶対に必要だ。沖縄サミット粉砕決戦の成否をもかけて、杉並での長谷川英憲氏の勝利をなんとしてもかちとらなければならない。まさにこの闘いは、労働者人民の未来を決する決戦となっているのである。
 三・三一の杉並区との交渉、四・一介護保険廃止杉並行動は高齢者など多くの区民が決起し大高揚した。
6面につづく〜1面からつづく
杉並から介護保険制度絶対反対の大衆闘争の爆発を切り開いていく展望をつかみ取ったのである。
 介護保険に対する労働者人民の怒りは、いよいよ本格的で根底的なものとなっている。この怒りを全人民的な運動へと発展させるならば、介護保険を廃止に追い込むことは絶対にできる。
 森の所信表明演説にも示されているように、介護保険制度は、日帝の戦後的社会保障制度の全面的解体攻撃の突破口と位置づけられて強行された。社会保障や福祉への国家財政の投入を大幅に削減し、さらに年金などでの企業負担を大幅に減らし、その一切を労働者大衆からの収奪に転嫁しようとしているのである。
 介護保険を始めとした社会保障制度の抜本的解体の攻撃に怒りを爆発させ、沖縄サミットと有事立法・改憲、リストラ、福祉解体へと突進しようとしている森・自公政権の大反動攻撃を全面的に暴いて闘おう。長谷川氏の勝利へ、東京八区(杉並)で石原知事の息子であり、政治参謀である石原伸晃を打倒しよう。

 第1節 日共の反人民性

 民主党には介護保険を推進してきた最大の責任がある。公然と改憲を掲げ、有事立法・改憲攻撃を推進している政党でもある。第二保守党、資本家の政党でありながら、反自民を装って労働者人民をたぶらかすことを許してはならない。
 日本共産党は沖縄サミット賛成の立場から一切を立てている。あたかも介護保険制度に改良の余地があるかのように言うことによって、介護保険制度を推進している。民主党にすり寄ることによってブルジョア政権の一角を占めようと狙っている。ファシスト石原都知事を、「外形標準課税は大賛成」と賛美している。この日本共産党スターリン主義を粉砕して長谷川氏の勝利をかちとろう。

 第4章 労働者階級の決起がファシスト打倒の力

 二〇〇〇年春闘は、日経連の攻撃と連合の大裏切りの中で、賃金闘争のあり方をめぐる歴史的な局面を迎えたことを示した。
 日帝の大資本救済の産業再生法や民事再生法、商法改悪の中で、資本によるリストラ・大失業の攻撃が吹き荒れ、完全失業率はこの二月に四・九%という過去最悪を記録した。日経連は「総額人件費削減」を真っ向から打ち出してむき出しの賃下げ攻撃に出てきており、春闘という賃金闘争のあり方そのものを解体しようとしている。こうした中で平均賃上げ率が初めて二%を下回って一・九三%となり、賃上げ率、額ともに調査開始以来最低となった(日経新聞集計)。
 同時に今春闘では日帝による年金制度改悪の中で定年延長がテーマとなったが、大資本は定年延長を認めようとせず、「雇用延長」として大幅な賃金削減を強制してきている。

 第1節 JR総連打倒!

 この中でJR東労組=カクマルの「シニア協定」の大裏切りはきわめて犯罪的である。この「シニア協定」は、JR本体での雇用延長すら拒否し、外注化と一体で関連会社への「再雇用の機会の提供」を行うだけという最悪の制度だ。JR東労組=カクマルはこれを「第二の雇用安定協約」と称して国労解体、動労千葉解体の決定的なテコにしようとしている。この歴史的な大裏切りを許さず、JR総連=カクマル解体へ猛然と闘いを推し進めよう。
 国労をめぐる情勢は重大局面にある。チャレンジ一派や革同上村派による五月臨時全国大会策動が強められている。自民党が突きつけた「運輸省メモ」を丸飲みする形で、闘争団を切り捨てる千四十七人問題の反動的決着を総選挙前に図ろうとしているのだ。
 JR連合にすり寄り、帝国主義的労働運動化によって生き延びようとするチャレンジ一派や革同上村派の策動を絶対に許すな。
 追いつめられているのはJR当局であり、JR総連=カクマルなのだ。JR総連=カクマルは自らの延命のために「シニア協定」の大裏切りを強行し、そのためにJR総連とカクマルが対立しているかのような自作自演劇を行った。だがこの中にJR総連=カクマルが労働者の怒りに包囲され追いつめられていることが示されている。JR総連=カクマルの自作自演劇は一層の労働者の怒りを呼び起こしている。チャレンジ一派、革同上村派の闘争団切り捨て策動を許さず、今こそJR総連=カクマル解体へ総決起しよう。国鉄決戦に勝利しよう。
 今、ファシスト石原と闘う労働者階級の決起が求められている。石原の狙いは、排外主義の扇動によって自衛隊を治安出動させ、朝鮮人・中国人を襲撃し虐殺することだ。同時に、日本の労働者階級の闘いを圧殺し、新ガイドライン体制を確立し、有事立法・改憲に道を開くことだ。東京を軍都にすることだ。
 だが、労働者階級が、怒りに燃えて全力で決起するならばこの攻撃を粉砕することができる。ファシスト反革命のうそとデマで大衆を扇動する策動は、それ自体本質的にきわめて脆弱(ぜいじゃく)なものにすぎない。労働者階級が闘えば必ず勝利できるのだ。二波の春闘ストに決起した動労千葉の闘いに続いて、労働者の階級的闘いの威力をたたきつけてやろう。これをテコに闘う新潮流運動の大飛躍を実現しよう。
 戦後最大の政治決戦として、労働者階級の闘いの勝利の関門を開くものとして、六月衆院選決戦に総力で決起し、長谷川氏の勝利をかちとろう。
 七・二一厳戒体制をもって沖縄への差別・抑圧を激化させる日帝の全重圧と対決して闘う沖縄人民と連帯し、七月沖縄サミット粉砕・名護新基地建設阻止へ進撃しよう。

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週刊『前進』(1954号1面2)

 ”石原暴言は許さない”

 都革新、都庁に抗議

 長谷川元都議先頭に

 ファシスト石原知事の暴言に労働者人民の怒りが沸とうしている。都政を革新する会(長谷川英憲代表)と労組交流センターは十一日朝直ちに決起し、東京・新宿にある都庁への宣伝と抗議行動に立った。
 緊急行動の呼びかけにこたえ四十人がビラまきに参加。「石原暴言許せません」「ファシスト知事を辞めさせよう」と都庁への通勤路の各所でビラをまき、呼びかけた。長谷川元都議が宣伝カーのマイクを握り、怒りの訴えを行った。都で働く労働者の関心は非常に高く、一時間で五千枚のビラが手渡された。
 その後、長谷川元都議ら代表は知事室に行き、抗議声明(別掲)を読み上げ、秘書に声明文を手渡した。その後、都労連などの労働組合に訴えを行い都庁内で記者会見を行った。長谷川代表は、石原知事の責任を徹底追及し辞任させるために多くの人びととともに闘う決意を明らかにした。
 翌十二日には在日朝鮮人・辛淑玉(シンスゴ)さんら十二人の抗議の記者会見が行われるなど、広範な怒りが都庁に集中した。十三日には都革新が再度の抗議行動を行った。
 全学連(大山尚行委員長)も知事室に抗議した。

 第1節 都革新の 抗議声明

 四月九日、陸上自衛隊第一師団(練馬区)の創隊記念式典において、石原慎太郎知事が行った暴言に対して、都政を革新する会は心底からの怒りをもって徹底的に弾劾します。
 仮にも公権力の長として、かつてこれほどの度はずれた「暴言」を、しかも自衛隊を前にして公然と言い放った人物は、戦後の日本においては誰一人としていません。四月九日の石原知事発言は、そのこと一つとっても、戦後、営々として築きあげてきた民主主義を、根底的に転覆させようとする意図に満ちあふれており、許すことはできません。
 石原暴言は、自衛隊という「軍隊」にむかって、在日朝鮮人・中国人、アジア民衆への差別と襲撃、虐殺の扇動を行ったものであり、さらに「いびつな憲法」「陸海空三軍の大演習」「国家にとっての軍隊の意義を国民に示せ」等々と現憲法へのむき出しの敵意をあおったものです。これまでの石原知事個人や森首相をはじめとする自民党政治家の数々の暴言とは次元を画するものであり、三島由紀夫の自衛隊へのクーデターの呼びかけにも等しいファシスト演説であります。
 しかも石原知事は、具体的行動として「九月に三軍を統合しての大演習」を防災訓練として実施することを述べています。一九二三年九月一日関東大震災の時に引き起こされた朝鮮人・中国人虐殺の歴史的事実を全く反省することもせず、いやむしろ再びその暗黒の歴史の中に労働者人民を引きずり込もうとする意図をもって大演習を計画していると言わざるを得ません。
 石原氏は昨年十一月にも警視庁視察で、「(今度大震災が起きたら)外国人がとんでもないことをする可能性がある」という暴言を吐いています。石原知事はファシストとしての信念にもとづいて、右から戦後日本のあり方を突き崩す「衝撃力」となることを意図して、計画的に四・九暴言を行ったと言えます。
 在日朝鮮人・中国人、アジア人民に対する度重なる暴言は、実は石原知事が彼らの存在とたたかいに心底恐怖していることのあらわれでもあります。それはあたかも関東大震災の時に、赤池濃、水野錬太郎といった権力者が、朝鮮人の独立運動に恐怖したことから意図的にデマを流して労働者民衆を扇動・動員したことに通じる意識とも言えます。
 私たちは、今回の石原暴言に、自らの生命の危険をも感じている在日朝鮮人・中国人、外国人の心情を思いはかるとき、一時たりともこの暴言を許すことはできません。
 石原氏は、首都東京の知事として、国際的にも決して認めることのできない恥ずべき差別・襲撃暴言を吐いたことの責任をとって、ただちに辞任すべきです。
 私たちは、在日民衆、そしてアジア、全世界の労働者民衆と固く連帯して、石原知事を打倒するまで、闘い抜くことを宣言して、抗議の声明とします。
 二〇〇〇年四月十一日
 都政を革新する会 

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週刊『前進』(1954号2面1)

 階級決戦の開始示す2000年春闘

 賃下げと社会保障の解体資本攻勢との全面対決へ

 JR東「シニア協定」は絶対許せぬ

 革共同中央労働者組織委員会

 二〇〇〇年春闘は、日帝資本と労働者階級の壮大な階級的激突の始まりである。この攻防は、二十一世紀へと世界史を押し開く二〇〇〇年決戦の巨大なスケールと激しさに規定されている。現代帝国主義の極限的危機から噴出する戦争・恐慌・大失業の嵐を、労働者のゼネスト、工場占拠などの大反乱で根底的に突破し、世界革命への道を切り開く階級決戦が本格的に胎動しているのである。この二〇〇〇年決戦は、衆院選決戦に勝利し、沖縄サミット粉砕決戦に総決起し、その一切を闘う労働組合の新潮流運動へと総結集させる三大決戦を軸に闘われる。二〇〇〇年春闘では、全産別にわたる労働者が地殻変動的決起を開始している。国鉄決戦を最先端に、教育労働運動での「日の丸・君が代」闘争の爆発的高揚に続き、四大産別決戦の圧倒的前進をかちとろう。全産別で新潮流運動を発展させよう。

 第1章 ゛革命的時代精神゛に燃えて壮大な階級決戦を闘いぬけ

 戦争か革命かが問われるこの時代に、労働者階級が生きかつ闘う原点にあるべきものこそ、革命的時代精神(認識)だ。現代帝国主義の破滅と崩壊の全体像を明らかにし、戦争・恐慌・大失業攻撃の危機と激しさを正しく解明・暴露していくことが今日ほど必要な時はない。だが、それだけでは決定的に不十分である。
 革命的時代精神とは、革命の現実性に徹底的に立脚することだ。マルクス主義で武装し、プロレタリア革命に立ち上がる以外にないこと、そのために労働者階級は団結し、真の革命党を建設して闘うことが必要だ。まさに、革命的時代精神こそが最も広範に、しかも唯一、労働者の魂をとらえ、揺さぶり、獲得することができるのである。
 内外情勢の大激動は、二〇〇〇年決戦の巨大さを告げ知らせている。米株価は乱高下を繰り返し、米帝バブルの崩壊と二九年型世界恐慌の爆発情勢が刻々と迫っている。台湾総統選での民進党勝利と国民党の敗北・崩壊は、中国大乱情勢を引き寄せつつある。南北朝鮮会談の事態の進展によって、米日帝による朝鮮・中国侵略戦争情勢はさらに強まっている。日米帝にとって、七月沖縄サミット=名護新基地建設はますます死活的なものとなった。
 一方で、二月完全失業率は四・九%(前月比〇・二ポイント増)と過去最悪となり、恐慌は一層深まっている。
 こうした内外情勢の危機と激動は、日本帝国主義の心臓部を直撃し、自自公体制の崩壊と小渕のダウン、森・自公新政権登場という劇的情勢を引き起こした。沖縄基地・サミット問題、経済危機、警察腐敗、介護保険強行、小沢・自由党の連立政権離脱という一連の政治危機の爆発と労働者人民の怒りの中で、小渕は打ち倒されたのである。
 日帝・森政権は、総選挙を反革命決戦として凶暴に突破し、沖縄サミットを貫徹して、有事立法・改憲攻撃に突き進もうとしている。さらに、日帝の反動的いらだちは、ファシスト石原の悪らつきわまる反革命暴言を生み出した。
 石原の「大災害での三国人(ママ)の大規模な騒擾(そうじょう)には自衛隊の治安出動が必要だ」などという発言を断じて許してはならない。関東大震災での朝鮮人・中国人虐殺の再来をあおる排外主義・差別主義の極致・ファシスト石原を総選挙決戦で絶対に打倒しなければならない。
 今や、労働者人民にとって衆院選決戦とサミット粉砕決戦は完全に一体のものとなった。激動を怒りと喜びに変えて総決起すべき情勢が到来したのである。
 このような二〇〇〇年決戦の大きさと激動情勢が、今春闘を一個の階級決戦に押し上げている。
 二〇〇〇年春闘において日経連=日帝ブルジョアジーは、春闘の最後的解体へ向けて賃金切り下げと社会保障制度解体の歴史的大攻撃に踏み込んだ。両者はともに、日経連が労問研報告などで強烈に打ち出した「総額人件費削減」攻撃であり、完全に一体のものとしてある。
 この二〇〇〇春闘での二つの歴史的大攻撃の最先端に、JR東労組=カクマルが三月一日にJR東日本と締結した「シニア協定」がある。この中に、今春闘の階級決戦攻防の核心が凝縮されているのである。

 第2章 総額人件費削減に協力するJR総連は資本の最先兵だ

 シニア協定とは何か。
 来年度から公的年金の定額部分(基礎年金)の支給開始年齢が六十歳から六十五歳に段階的に引き上げられるのに続き、今回の年金改悪で厚生年金の報酬比例部分の支給開始年齢も二〇一三年度から引き上げられる。さらに今年度から賃金スライド制の凍結や新規受給者に対する報酬比例部分の給付削減が強行される。
 これに伴い、今春闘では定年延長・雇用延長問題が最大の焦点となっている。この公的年金制度改悪は、企業年金の解体、雇用保険改悪や医療保険制度改悪、そして何よりも介護保険導入など社会保障制度の全面解体攻撃の決定的一環だ。
 日帝は、年金改悪で支給開始年齢の引き上げ、給付の大幅削減を強行し、資本の負担率の軽減を図る一方、六十歳から六十五歳までの労働者に対しては「ワークシェアリング」「雇用延長」の名のもとに徹底した低賃金を強いようとしている。さらに、五十五歳からの賃金の大幅ダウンさえ行って、「総額人件費」を圧倒的に切り下げようというのである。
 すでに電機連合傘下の大手では「雇用延長」が合意されているが、これは今春闘の史上最低水準のベア、すなわち事実上の賃金引き下げ攻撃と一体だ。「雇用春闘」を掲げた連合の屈服と裏切りこそが、これを可能としたのである。
 だが、JR東日本とJR総連・東労組=カクマルが締結した「シニア雇用に関する協定」は、電機などとも比較にならないほど、きわめて反動的で犯罪的な代物だ。
 それは、「六十歳以降の雇用を希望する労働者」に「関連会社などへの再雇用を『紹介』(あっせんですらない!)する」だけというものだ。JR東日本は「高齢者の再雇用」に一切責任をとらず、金は一銭も払わない。関連会社で再雇用されたとしても、雇用形態は一年以内の有期雇用契約で、いつ首を切られるかわからない。賃金も、JRの三分の一以下へと引き下げられる。
 これと同時に、JR東は五十五歳と五十七歳で基本給を大幅にダウンさせる制度は残したまま、「五十七歳原則出向廃止」を口実に月二万五千円の出向手当を廃止し、むき出しの人件費削減を行っている。
 許されないのは、四十年以上も働いてきた労働者に「再就職先の採用試験を受けろ」という屈辱を強いていることだ。これらは、高齢者雇用安定法や改悪された職安法すら踏みにじる反動的突出である。
 JR東労組=カクマルは、なんとこれを「六十歳以上の雇用確保実現」「ぬきんでた制度」などと賛美し、「シニア協定」と同時に交わされた「今後の雇用の基本に関する覚書」にある、「国鉄改革とその後の十数年間を中核として担った意欲ある真面目なシニア社員の定年退職後の実質的な『雇用確保』」という文言に飛びついて、「第二の『雇用安定協約』だ」「雇用保障できるのはJR東労組組合員だけだ」などと叫んでいる。カクマルだけが生き残るために、資本に差別・選別を懇願し、国労など他労組の解体を主張する卑劣きわまる大裏切りだ。
 重大なのは、このシニア協定がJR本体の大合理化=全面外注化と完全にセットになっていることである。協定には「『グループ会社等への鉄道業務等の一部の委託』を更に深度化して着実に推進する」という項目が入っている。
 しかも、資本は「六十歳退職後の『再雇用の機会の提供』については、協定を締結しない組合所属の社員は対象にならない」と言い出している。業務の委託=外注化を労働組合として積極的に推進すると誓わなければ、「再雇用の機会」すら与えないということだ。六十歳からの生活を人質にとって、「合理化と闘うな、資本に協力しろ」と屈服を迫っているのだ。断じて許せない。
 JR東が進めようとしている業務の外注化は、駅業務の委託化、構内作業や検修、施設部門の全面外注化、さらには車掌や運転士の一部までも対象とする、全面的な大攻撃である。鉄道業務のあり方の抜本的再編であり、日経連の「雇用ポートフォリオ」(基幹正社員を一割にして、残りは不安定雇用)を最先頭で貫徹しようというのである。
 このように「シニア雇用」と「外注化」をセットで進める最大の狙いは、総額人件費の徹底した削減にある。JRは一銭も払わず、関連会社はこれまでの三分の一以下の超低賃金で「熟練労働者」を確保できるのだ。そのことで、関連会社への外注化も一層推し進めようというのである。まさにこれがJR版の賃下げ=「ワークシェアリング」である。
 JR総連=カクマルは、このような日経連路線を全面推進する、連合のはるか先を行く大裏切りにのめり込んで、一大資本攻勢の先兵へと突進しているのだ。

 第1節 「第二の分割・民営化」の攻撃

 さらに、「シニア協定」と全面外注化は、国鉄分割・民営化攻撃がそうであったように、国労や動労千葉を解体して階級的労働運動の砦(とりで)を破壊する、労働者階級総体への新たな大攻撃の突破口をなしている。まさに「第二の分割・民営化攻撃」そのものなのである。
 そもそも分割・民営化は、国鉄労働運動と総評=戦後労働運動の絶滅を策した戦後最大の反革命攻撃であった。しかしそれは、逆に国労と動労千葉(動労総連合)の不屈の隊列をつくり出し、千四十七人の戦後最大の争議団と強固な国鉄闘争支援陣形を生み出した。他方で、十四年目に入った分割・民営化体制は完全に破綻(はたん)し、JRはまともに列車も走らせられない鉄道会社となり、資本・カクマル結託体制の矛盾も一層激化している。
 今や、JR総連=カクマルはファシスト労働運動として全人民の怒りに包囲され、それを打倒する闘いが日帝の労働者支配の破綻を鋭く突きながら大きく前進しているのである。
 同時に、今日の大資本攻勢には、国鉄分割・民営化型の首切り・リストラ、団結権解体が貫かれており、産業再生法、民事再生法、会社分割法などの国家的リストラ攻撃は、この分割・民営化型攻撃を全産業・全社会的に推し進めようというものである。
 こうした大資本攻勢に対し、国鉄闘争を拠点にして労働者階級の一大総反撃が開始されようとしている。国鉄決戦は、全労働者を率いてさらに大きく発展しようとしているのだ。
 それゆえに国労・動労千葉の解体は、まさに日帝にとってもJR資本にとっても存亡のかかった至上命令なのである。そこから「国鉄改革=完全民営化の達成」を狙う「第二の分割・民営化」攻撃が仕掛けられている。それがシニア協定と全面外注化攻撃である。
 だが、この攻撃はかつての分割・民営化とは比較にならない危機的で破綻的なものだ。すでに崩壊的危機とファシスト的腐敗にまみれたカクマル=JR総連を再度その先兵として使わざるをえないからである。資本とカクマルの結託体制は、そのあまりの反革命性ゆえに労働者の怒りと闘いで破綻をきたしている。
 JR資本がJR総連=カクマルを使ってどの反動資本もできないことを行い、またJR総連=カクマルもいまだ連合でさえ踏み込めない反革命にのめりこんでいる点をとらえ、その正体を徹底的に暴くならば、労働者の怒りと弾劾の渦の中で、この攻撃を打ち砕くことは必ずできるのだ。
 さらに、シニア協定締結という大裏切りは、JR総連とカクマルの「対立」劇が彼らの絶望的な危機にかられた自作自演であったことを自己暴露した。
 この「対立」劇は、直接的には権力・資本とファシストとの矛盾、軋轢(あつれき)が激化する中で、「JR総連はカクマルではない」という「あかし」をつくり、資本との結託体制の破綻を修復しようとしたものである。今ひとつは、JR体制の破綻がJR総連のカクマル支配の危機、JR総連自体の「分裂」の危機に及ぶ中で、JR総連内の反松崎=反カクマル勢力などに対する恫喝として行われたということだ。
 だが、この「対立劇」は自滅的・破綻的で絶望的な行為である。この反革命的あがきは、JR総連がカクマルにほかならないことをかえって暴き出し、JR総連=カクマルの大動揺を生み出している。シニア協定粉砕の闘いと一体のものとして、JR総連解体へ今こそ総決起すべき時なのだ。

 第3章 介護保険と年金改悪許さず労働者の生活と生存を守れ

 日帝資本は、今春闘をもって春闘としての春闘を最後的に解体しようと企てている。そのために、賃下げと社会保障制度解体という二つの歴史的大攻撃に踏み切った。春闘に象徴される従来の資本と労働者階級の全関係を転覆し、労働者の階級的団結を根絶して、労働者支配のあり方を全面的に転換させようと突進してきたのである。それは、戦後労働運動史上、春闘史上最大の階級決戦が到来したということを示す。
 今春闘での、むき出しの賃下げは実に重大な攻撃だ。平均賃上げ率は二%を割り、電機でベア五百円、NTTや電力でのベアゼロ、鉄鋼での横並びの解体などの事態は、日帝ブルジョアジー総体が反動的に密集し、戦後初めて全面的な賃金引き下げに踏み切ったことを意味する。
 これらの大攻撃はすべて、日経連の「総額人件費の削減」の呼号のもとで行われた。日経連は二〇〇〇年労問研報告で初めて強力に「総額人件費の削減」を打ち出した。
 「総額人件費削減」とは、これまでの政治・経済・社会体制のすべてを解体し、労働者への徹底的な搾取・収奪と権利剥奪(はくだつ)を強行するということである。「総額人件費削減」が「市場原理の徹底」とともに、二九年型世界恐慌と帝国主義間争闘戦の激化への対応策として、資本と国家の生き残りをかけて打ち出されたのだ。今日の首切り・リストラ、賃下げ、合理化、産業再生法、民事再生法、会社分割法などの国家的リストラ攻撃には、この反革命理念が完全に貫かれている。
 社会保障制度の解体攻撃もここから打ち出されてきたものだ。シニア協定と介護保険導入を反革命的突破口とする社会保障制度の解体攻撃との対決が、階級決戦の一大課題としてせり上がってきたのである。

 第1節 搾取・収奪強め団結破壊狙う

 社会保障制度の解体は、今日の最も激烈な一大資本攻勢だ。年金改悪、雇用保険改悪、医療保険制度の解体、そしてその最先端にある介護保険制度の導入の核心にあるのは、「総額人件費削減」と「市場原理の徹底」に基づき、労働者の権利である福祉をたたきつぶして、「労働者を死ぬまで働かせ、こき使い、搾取して、働けなくなったら切り捨てる」ということである。それは、労働者の生活と生命にとって絶対に相入れない攻撃だ。
 そのために、「自己責任」「自助努力」を唱えて労働者をむき出しの競争にたたき込み、その階級的団結を徹底的に解体して、労働者の反撃を抑え込もうと策しているのである。
 これらの考え方は、具体的には介護保険導入での保険料の一方的な負担の強制(第二消費税と言っていいものだ)と介護の切り捨て、年金改悪での支給年齢引き上げなどの大収奪に現れている。他方で、介護保険の「措置から契約へ」に典型的に見られるように、労働者人民の生活と生存に対する国家や資本の「責任」を根底的に否定して、すべてを人民の「自己負担」へと押し付けるものである。さらに介護を市場原理にゆだね、労働者同士の競争をあおり、雇用保険や企業年金にまで市場原理を導入しようというのだ。
 それは同時に、日帝の絶望的な財政危機を労働者への全面的な犠牲転嫁でのりきろうとするものだ。労働者を死ぬまで徹底的に収奪しようというのである。
 日経連は二〇〇〇年労問研報告で「総額人件費を引き下げざるをえないことを労使は客観的に認識すべきである」と言い放った。今春闘での連合の最大の裏切りは、この日経連の言い分を連合自らの認識としたことにある。連合自身が「春闘解体」の立場へ移行して、賃下げを受け入れ、リストラ・首切りも容認し、社会保障制度の解体も推進したのだ。「雇用延長」も、その立場からとりあげているのである。
 だが、今ひとつ重要なことは、こうした攻撃は労働者階級の生きるための決起を必ず引き起こし、階級支配の危機をもたらすということだ。今春闘でも、労働者階級の根底的反乱が開始されている。今春闘が日帝資本にとって反革命的一大飛躍であるならば、労働者階級にとっては、連合支配を食い破り、連合を打倒する総反撃の始まりである。

 第4章 動労千葉スト|4大産別の闘い先頭に新潮流の発展を

 「新政治方針」の決定以来の連合の歴史的裏切りは、連合の没落と崩壊の始まりである。連合内外の労働者の反乱は不可避である。すでに私鉄中小では十六組合がストライキに突入した。NTTでもベアゼロへの怒りは爆発寸前だ。全逓でも、第一一三回中央委員会で連合全逓本部ヘの不満と反乱がついに噴出した。この四月にも、民間中小で次々とストライキが激発しようとしている。

 第1節 5月国労臨大策動を許すな

 動労千葉は、二〇〇〇年春闘の最先頭で、シニア協定と全面外注化攻撃に真っ向から対決して、すでに二波のストライキを打ち抜いた。この闘いに続き、国鉄決戦は二〇〇〇年階級決戦の一環として、国労の階級的再生をかけた八月国労大会への戦略的飛躍をかちとらなければならない。
 ところが、JR総連のシニア協定締結という国労解体攻撃に対し、国労東日本エリア本部のチャレンジ佐藤書記長らは何の抵抗もせずに自らもこの協定を妥結し、全面外注化の推進を約束した。
 チャレンジ一派は、資本・カクマル結託体制による国労解体攻撃とは闘わず、権力・資本にカクマルをやっつけてもらうことを哀願する「JR東日本民主化運動」に闘いをねじ曲げている。JR連合に合流するために一刻も早く闘争団を切り捨て、国鉄闘争の幕引きを策動しているのだ。何という転倒した「方針」か。
 宮坂・チャレンジや上村革同は、「運輸省メモ」を全面受諾した闘争団切り捨ての「ゼロ解決」を事後承諾させるために、五月末ILO最終勧告前の臨時大会を策動している。その最悪の推進者となっているのが上村革同だ。
 上村副委員長は、「現実的解決の道は自社協議しかない。伊藤社民党副党首が引退すれば解決のチャンスを失う。連休明けまでに目鼻は立つ」などと叫んで、闘争団を切り捨て、国労を内側から解体しようと策している。しかも、この反労働者的裏切りを「党中央も了解済みだ」などとして、スターリン主義の反革命的本質もむき出しに強行しようとしているのである。
 千四十七人問題の反動的決着を許さず、あくまで解雇撤回・原地原職奪還、不当労働行為根絶をかちとるために闘おう。ILO勧告を武器にして、五・二八反動判決粉砕の闘いを発展させ、シニア協定破棄、全面外注化反対の闘いを強めよう。闘争団を先頭に国労の階級的再生をかちとろう。
 教労決戦では「日の丸・君が代」闘争が全労働者階級を巻き込んで闘われ、職場の階級的団結を打ち固めつつ、先進的で感動的な闘いがかちとられている。
 都労連(自治体)決戦は、労働者の階級性をかけてファシスト・石原と対決し、さらに賃金カット、行革リストラへの怒りの高まりの中で、介護保険導入に対決する自治体労働者の決起が開始されている。
 全逓決戦では、人事交流、五千人削減−郵政民営化攻撃と対決し、「ニューユニオン」粉砕、連合全逓中央打倒の闘いがいよいよ大発展を迎えている。
 二〇〇〇年春闘を突破口に、四大決戦の本格的爆発をかちとり、新潮流運動の全産別にわたる巨大な発展をかちとろう。

 第2節 11月5千人の大結集実現へ

 十一月の新潮流運動の五千人大結集に向けて、いかに闘うべきか。
 第一に、二〇〇〇年決戦を三大決戦、四大産別決戦として、全体的一体的に勝ちぬき、そこでの階級的激突と高揚、大流動を生み出すことによって五千人大結集への革命的土壌をつくり出すことである。
 衆院決戦は戦後最大の政治決戦であり、数千万の労働者人民を階級的激突のただ中に巻き込みつつ闘われる。沖縄サミット決戦は、迫り来る戦争の危機をめぐる階級間の非和解的激突の場である。こうした階級決戦が、労働者自己解放への地熱を高め、時代の根底的変革を切望する青年労働者と活動家を膨大に生みださないわけがない。
 第二に、三大決戦の発展は必ず激しい党派的流動と再編、党派闘争を引き起こす。とりわけ労働者の獲得をめぐる帝国主義的労働運動・ファシスト労働運動と階級的労働運動との激突に勝ちぬくことが新潮流運動の発展には絶対に必要だ。それは、磨き上げた党派性による日常的組織戦の展開によってのみ可能である。
 一つは、連合批判、JR総連=カクマル批判、日本共産党・全労連批判を、労働運動の行く末を決するものとしてさらに強めていくことである。もう一つは、労働組合権力をめぐる党派攻防に勝ちぬくことだ。労働運動を権力闘争として展開し、拠点建設をかちとる党派的政治的熟達が強烈に求められている。
 第三に、五月テーゼ−一九全総路線の全面的物質化をかちとり、労働者細胞建設・党勢拡大を実現していくことである。
 一つは、現実の労働運動、労働組合運動の先頭に立ち、労働組合の階級的団結の形成と強化のためにもっと思い切って闘うことである。自らの分会、支部の団結強化のために日常的に闘い、そこから仲間づくり、フラクションをかちとることである。
 二つは、マルクス主義を持ち込み、その学習活動を全力で組織することだ。
 三つは、機関紙拡大の闘いを計画的に不抜に推し進めることである。
 新潮流運動の十一月五千人の大結集は、労働者細胞の日常的展開による無数のフラクション、学習会、機関紙活動の広大なすそ野から実現されるのだ。
 六月総選挙決戦の必勝へまなじりを決して突入しよう。七月沖縄サミット粉砕へ総決起しよう。

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週刊『前進』(1954号2面2)

 資本攻勢&労働日誌

 3月29日〜4月11日

 自民がチェクオフ禁止法案

 ●男性賃金が前年を下回る

 ●春闘賃上げ初の2%割れ

 ●中小企業健保の9割赤字

●3月29日 東京地裁民事19部は国鉄分割・民営化時に不採用の全動労(当時)組合員への中労委救済命令を取り消す判決を出した。
◇民主党は、個別紛争処理を労働委員会で行うための法案を発表。
◇労働省の賃金構造基本統計調査で、55歳未満の男性平均賃金が全年齢層で前年を下回る。76年調査開始以来初めて。(グラフ参照)
◇ドイツの賃上げ交渉で最大の単産、金属労組(IGメタル)と経営側代表は3%賃上げを合意。
●30日 自民党はチェックオフ禁止のため、組合費は天引きの対象外であることを労基法に明記する法案提出の方針を固めた。
●31日 総務庁が公表した2月の完全失業率は4.9%で前月に比べ0.2ポイント上昇し、最悪を記録した。(4面参照)労働省公表の有効求人倍率は前月と同じ、0.52倍。
◇広島県教育委員会は、職務命令が出ていたにもかかわらず今春の卒業式で「君が代斉唱」を実施しなかったとして、小・中学校長6人を戒告処分とした。
◇入学式で「日の丸」に敬礼しなかったことなどを理由にした教育労働者への処分は無効との判決が青森地裁弘前支部であった。
◇2001年4月に経営を統合する三和銀行、東海銀行、あさひ銀行の3行は、従業員の削減数を当初予定の約6300人から約1万人に拡大する方針を発表。
●4月4日 ダイエーは、2000年度の一時金の一部現物支給で妥結した。月給の0.5カ月に相当する額をダイエーの店舗で買い物できる「従業員購入枠」で支給する。
●5日 日経新聞の2000年春闘賃上げの第1次調査によると平均賃上げ率は1.93%で前年実績の2.08%を下回り、率、額ともに調査開始(77年)以来最低水準。
●6日 都市銀行9行と日本興業銀行、大手生命保険7社は2000年度の賃金を定昇分を除きベアゼロとする方針を決めた。都銀、大手生保のベアゼロは5年連続。
◇川崎製鉄とNKKは主要製鉄所間の物流、購買、補修の3分野での協力を検討していくと発表した。今後、生産提携を通じた包括提携に発展する可能性。
◇現代自動車、大宇自動車など韓国の自動車メーカー4社の労働組合は一斉にストに突入した。
●7日 リコーが確定拠出型年金(日本版401k)導入の方針。2001年4月にも現在の退職金制度を全廃し、毎月の給与に上乗せしての前払いか、確定拠出型年金の掛け金とするかを労働者が選ぶ。
◇帝国データバンクによると、7日までに全国で17社が民事再生法の適用を申請した。
●10日 経団連と日経連が、統合する方向で検討を始めたことが明らかになった。
●11日 中小企業が業種別に設立している総合健保306組合の2000年度予算で9割弱が赤字に。

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週刊『前進』(1954号3面1)

 福祉の解体と大増税に怒り

 介護保険廃止の全国運動を

 衆院選決戦へ総決起しよう

 第1節 介護サービスの打ち切りに苦情が続々と

 介護保険制度が四月一日から強行実施されたが、すでに高齢者やその家族、労働者人民の怒りが広範にわき起こっている。実施一週間で全国の自治体に千五百五十七件の苦情が殺到していることに、人民の怒りの大きさが示されている。
 多くの怒りの声が上がっているが、その中にはおむつかぶれの塗り薬をヘルパーに渡したところ拒否されたというものがある。今までの区のヘルパーは薬を塗ってくれていたが、新たに契約した業者は、ヘルパーが目薬の点眼や塗り薬の塗布、飲み薬を口に入れることなどを、医療行為にあたる可能性があるとして全面的に禁止しているというのだ。このままでは塗り薬を塗ってもらうには別に訪問看護を頼まなければならないことになる。
 「重度の要介護者しか扱わない」とサービスを断られた人もいる。身体介護より割安な複合型を使いたいのに「ヘルパーに十分な給与を支払えなくなる」と身体介護を押しつけられた人もいる。ケアプラン作成者が、頼んでもいないサービスを組み込んだということも起きている。
 これが福祉を切り捨て介護に資本の論理を持ち込んだ結果だ。しかもまだまだ始まったばかりであり、高齢者が資本の食い物にされる、さらに深刻な事態が引き起こされることは間違いない。
 また表に現れた怒りだけでなく、膨大な数の人が利用料の自己負担が払えないために介護認定の申請そのものをあきらめたり、申請して認定はされたがやはり利用料が払えないためにケアプランづくりをあきらめざるをえなかったのである。また、介護認定の申請をしたが認定ではねられたり、これまで受けていたサービスを打ち切られた人も膨大な数に上っている。
 実施直前の千葉市の例では(三月十七日段階)、認定を受けた七千七百人のうち、ケアプランづくりを始めたのは二千九百人にすぎない。数千人がケアプランを作成していない。ケアプランづくりが必要なことを知らない人や、厚生省の相次ぐ変更による作業の遅れなどを計算に入れても、利用料が払えないで介護を受けることをあきらめざるをえなかった人が大量に存在することを示している。
 介護保険制度は介護を奪い、福祉を切り捨て、四十歳以上の全員に高額保険料の強制徴収という膨大な負担を強制するものである。絶対反対、廃止以外にありえない。このことが一層はっきりしたのだ。

 第2節 「福祉は権利。介護はいのちの要求」掲げ

 「介護保険制度絶対反対! 一切の自己負担をなくし、介護は全額公費負担で! 必要な人には誰でも必要な介護を! 十分な介護体制の確立を!」というスローガンを掲げて、大衆的な怒りの決起で介護保険制度を廃止させよう。
 介護は、人間の尊厳にかかわる問題であり、長い血と汗の歴史の中でかちとった権利であり、基本的人権なのである。
 四・一杉並行動で、ある高齢者が、「高齢者はこれまで働いてきたすべてを受け取ってきたわけではなく、高齢者は堂々と介護を要求する権利がある」と訴えた。労働者は資本と国家により搾取され収奪されてきたのだから、高齢者となれば公費での介護を要求する権利がある。高齢者の介護は、国家としての義務である。もしそれができないのなら、そういう国家はもう消え去るべきなのだ。
 「福祉は権利。介護はいのちの要求」という怒りの声を、要求獲得の力と運動に転化しよう。
 介護保険は、国が銀行やゼネコンなど大資本を救済する財政支出を続けるために、本当に介護を必要としている人びとを介護からはじきとばし、その財政支出を減らす制度であり、そのために介護を営利事業の金もうけの手段にしようとする制度であり、介護を根本から踏みにじるものだ。さらには、医療・年金などすべての社会保障制度を解体する突破口となるのだ。
 こんなとんでもない介護保険制度は、全人民的な怒りの高まりの中で絶対に行きづまり、破産する。すでに多くの高齢者が介護からはじきだされており、一大社会問題に発展することは不可避であるからだ。
 そもそも介護を営利事業にゆだねること自身が、お金のない人たちを切り捨てることなのだ。介護保険制度では、状態が重くなり要介護度が高いほど保険から業者に払われる金が多くなる。しかも介護度によって払われる金額が決まっているため、人件費を引き下げれば引き下げるほど資本のもうけが多くなるのだ。
 保険料や利用料を取ること自身がとんでもない大衆収奪であり、お金のない人たちから介護を奪う攻撃だ。だが、国は当然の権利として介護を保障すべきなのだ。また、コンピューターでのデタラメな一次判定を始めとした認定制度と要介護度というランク付けそのものが、必要な介護を削り取るものであり、絶対にやめさせなければならない。必要な人に必要な介護を保障させよう。
 四・一杉並行動は、介護保険廃止に向かって大きな一歩を切り開いた。多くの高齢者がこの行動に決起し、パレードの先頭に立った。そしてこの行動自身が決起した高齢者を勇気づけ、さらに広範な決起に広がろうとしている。この闘いを全国に押し広げ、介護と福祉を要求する人民の広範な決起を実現しよう。
 杉並の地から介護保険闘争の全国的大衆的爆発を実現しよう。介護保険闘争を始め、森・自公政権への怒りの決起をもって東京八区・杉並区で石原伸晃を打倒し、長谷川英憲氏の衆院選必勝をかちとろう。

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週刊『前進』(1954号3面2)

 教組への組織破壊許すな

 「日の丸・君が代」卒入学式闘争に続き闘おう

 「日の丸・君が代」法制化のもとでの卒業式・入学式闘争は、全国で大高揚をかちとった。日教組本部−各県教組の屈服方針を突き抜けて、教育労働者の不屈の抵抗闘争が打ち抜かれ、生徒、保護者、市民のかつてなく広範な決起と相まって、ガイドライン体制と対決する政治闘争として永続的に発展する展望を切り開いた。今後、教育労働運動をめぐっては、今次卒入学式闘争に対する処分攻撃との闘いとともに、職員会議の補助機関化や主任制強化など管理規則改悪、東京の人事考課制度=新・勤評導入、「破り年休」を口実とした大量不当処分や強制異動などの組合活動規制と組織破壊攻撃との攻防が、重大な焦点となっていく。これらの攻撃は「日の丸・君が代」闘争の基盤をなす教育労働者の職場支配権を解体しようとする攻撃であり、今後の「日の丸・君が代」闘争の成否を決する闘いでもある。本号では、広島の広域人事異動=強制配転、東京の人事考課制度導入の攻撃について報告する。

 第1章 広島 大量広域人事移動攻撃に両教組が反撃のデモ決起

 広島県教委と各市町村教委は、三月二十四日内示、三月二十五日公表で広域人事異動を強行した。これに対し三月二十八日、広教組・広高教組と支援の労働者五百人は、広島市中区の県民文化センターで弾劾集会を開き、辰野教育長に対する県教委包囲デモに総決起して、ただちに反撃を開始した。

 第1節 拠点狙いうちして強制配転

 今回の広域人事異動攻撃は、量において史上最大の規模であることに加え、超反動的な階級的本質をもった攻撃である。その実態は、一九九八年以来、自由主義史観グループや自民党によるキャンペーンと、辰野教育長のもとで全面化した「ヒロシマ(反戦・平和)教育つぶし」「民主教育つぶし」「解放教育つぶし」のための両教組解体攻撃の頂点をなすものだ。
 異動総数は昨年比九百二十五人(一九・三%)増の五千七百二十三人で史上最多である。同一校に十年以上勤務している教職員のうち、小学校八七・三%(百三十七人)、中学校八九・七%(百八十三人)、県立学校(高校・養護学校)で五四・八%(五百三十八人)が異動させられた。
 この攻撃の狙いは、辰野教育長の記者会見における「教職員が従来のしがらみに固執し、法令から逸脱するなど、校長を中心とした学校運営ができていなかった。是正指導の仕上げと組織活性化のため、大胆な異動にした」という発言に示されている。教育監の新設、法務担当二人(教職員課)の配置、校務調整班二人(指導二課)を新設し、校長中心の学校運営(管理体制)強化を図ったことが特徴である。
 まず第一に、卒業式・入学式攻防を焦点とする「日の丸・君が代」強制反対闘争の高揚、「組合年休」大量処分に対する徹底抵抗の闘いの拠点分会・支区・地区支部を狙いうちにした大量異動攻撃である。昨年二桁(けた)の人事異動を強制された世羅高校分会では、「校長の死」の総括をめぐる決戦として、着席した分会員を先頭に生徒・保護者が一体となって卒業式闘争が闘い抜かれた。それに対し、昨年を上回る大量広域異動が強行された。
 第二に、事前に労働者・労組の意見を聞き、「本人の事情や意志を尊重し、不当人事をしない」という慣例に沿って調整するという方法を完全に無視した。三月二十四日に内示し、一切の交渉を拒否して有無を言わせず発令した。しかも校長が、着席闘争などを闘った組合員を呼び出し、報復人事をやることを個別に恫喝し、転向を迫るなどの不当労働行為を働いてきているのだ。
 第三に、ついに戦後教育の解体に具体的に着手した。公務員労働者の大量リストラの一環として、一人の教育労働者が複数校の勤務に配置される人事(=員数削減と労働強化)が発動された。
 第四に、一挙に管理体制の強化をめざす突破口として、県教委・市町村教委による主任任命制(許可制)を決定し、西条小に複数教頭の配置を発令した。
 第五に、辰野教育長と一体で悪業の限りを尽くしてきた国家主義者、岸元前国泰寺高校校長=校長協会会長を、退職後人事として、新設の「教育監」(=戦前の文部視学官制度の復活)に据えて、組合つぶしの片腕にしようとしている。さらに校長権限強化のための法務担当と校務調整班の新設に踏み切った。
 いかにこの攻撃がずさんでデタラメであり、学校現場や地域の実情を無視したものであるかを示すものとして、前例破りの夫婦同一校勤務の発令や、異動総数を五千八百十二人と実数よりも多く公表するなどの例がある。

 第2節 ヒロシマ教育の解体が狙い

 極右である辰野教育長の狙いは、戦闘的両教組の徹底的な破壊・解体である。辰野教育長は、広教組・広高教組の闘いと、ともに闘う労働者人民の決起を死ぬほど恐怖し、憎悪している。「日の丸・君が代」強制、職務命令と処分攻撃が、逆に両教組の階級的戦闘的団結の強化と不屈不退転の反転攻勢を生み出し、二〇〇〇年卒業式攻防においては、教育労働者の決起を軸に、労働組合や保護者、子どもたちの決起をつくり出したからだ。
 @この攻撃は、闘いの爆発に対する恐怖と憎悪に貫かれた、広教組・広高教組破壊=報復、屈服・転向強要、拠点分会の解体を狙った攻撃である。しかしそれは、破綻(はたん)に破綻を重ねるものでしかない。
 Aさらに、教育基本法改悪を先行的実践的に突破することをも射程に入れた国家主義的侵略教育を狙い、「ヒロシマ教育」「民主教育」「解放教育」を徹底的に破壊しようとするものである。「日の丸・君が代」反対で着席闘争などを闘った教育労働者のほとんどが広域異動させられた。また、卒業式で「日の丸・君が代」強制に従わなかった新市町、府中市、三次市の中・小の全校長らに戒告(六人)、文書訓告(十七人)の処分を行った。辰野教育長がうそぶいた百パーセント実施などデマに過ぎず、闘いは一九九九年を上回る高揚をかちとり、攻撃は完全に破綻しているのだ。
 Bしかも、「教育監」の新設、教頭複数配置、主任の教委任命許可制、学校評議会の導入策動=地域反動ボスの介入など、文部省・教委・校長による学校管理体制の強化=戦後的労働者・組合の権利のはく奪が進められている。
 C複数校勤務の攻撃は、県が発表している公務員労働者の大量リストラ・首切り攻撃の突破口としてある。しかも、これは養護学校や給食センターの統廃合=リストラ・首切り・労働強化と一体のものであり、教育現場の荒廃と労働地獄を促進する攻撃である。

 第3節 階級的団結を打ち固めよう

 だが今、三月二十八日の県教委包囲デモを反撃の第一弾として、闘いの決意は激しく燃え上がっている。県教委・市町村教委に対する撤回と抗議の闘争、入学式闘争からさらなる反撃を闘い抜こう。両教組の階級的団結と戦闘的大衆的決起こそが最大の勝利の道である。
 卒業式をめぐる闘いは、階級的原則に立った教育労働者の階級的団結と、処分を恐れぬ戦闘的決起を軸として、子どもたちの自主的決起が生まれ、それが労働者階級の胸をうち、保護者(労働者)も一体となって地域総体を揺るがす闘いとして爆発した。この中に勝利の核心がある。
 辰野罷免・更迭署名運動や、人事委闘争、裁判闘争を支援する全労組や地域での共闘体制をより広く固くつくり上げ、大衆的反撃に決起しよう。
 そしてこの超反動攻撃を打ち砕く道は、「教え子を再び戦場に送らない」「侵略教育反対・教育基本法改悪反対」を掲げて、沖縄サミット粉砕闘争、八・六−九広島・長崎反戦反核闘争、十一月労働者集会を成功させることにある。
 広島の教育労働者は衆院選決戦を始め二〇〇〇年決戦の最先頭に立って闘い抜く決意である。

 第2章 東京 人事考課=新勤評攻撃による労働者支配に反撃を

 東京都教育委員会は四月一日、人事考課制度の見切り発車を強行した。人事考課制度は教育労働運動を破壊するためのものであり、絶対反対しかない。当面する闘いの焦点は、自己申告との攻防である。人事考課制度絶対反対の立場からあらゆる闘いを職場からつくりだそう。
 人事考課制度とは、新たな勤務評定であり、教育労働者を自己申告制度と業績評価制度を用いて査定し、ランク付けして人事や給与で差別・分断しようとするものである。

 第1節 管理・統制狙う自己申告制度

 東京都人事考課制度の特徴は、業績評価制度に加えて自己申告制度を導入することで、教育労働者一人ひとりを新勤務評定体制の内側に組み込もうとしていることにある。自己申告を通じて、校長が教育労働者一人ひとりを管理・統制し、差別・分断し、校長(=教育委員会・文部省・日帝)の意図を教育労働者に強制し、従わない者を排除する体制をつくりだそうとしているのである。
 自己申告制度とは何か。詳しく見てみよう。
 東京都教育委員会が発行した人事考課制度のパンフレットによると、自己申告書に書き込む内容は次のようになっている。
 まず〈学校経営方針に対する取組目標〉の欄がある。ここでは校長が示す学校経営方針を受けて、自分の取組目標を記入することとされている。
 次に〈昨年度の成果と課題〉〈担当職務の目標と成果〉の欄がある。
 ここでは、@「学習指導」、A「生活指導・進路指導」、B「学校運営」、C「特別活動・その他」の四項目について、〈今年度の目標〉〈目標達成のための具体的手立て〉〈成果と課題〉ごとに記入しなければならない。
 この自己申告書をもとに校長と教育労働者が年に三回(四月、十月、三月)面接する。そこで、校長が自らの学校経営方針を盾に「書き直し」や「書き加え」を教育労働者に強制してくるのである。
 このような自己申告書の提出を職務の一環として強制し、ましてや面接で書き換えを強制したり、不提出を理由に不利益扱いをすることは、憲法・教育基本法、学校教育法の理念に根本から違反する。明白に、教育基本法第一〇条が禁止する行政の「不当な支配」に当たるものである。
 戦前の校長と教員の関係は、国民学校令で「訓導(教員)ハ校長ノ命ヲ承ケ児童ノ教育ヲ掌(つかさど)ル」というものであった。日帝の教育方針である天皇制教育・侵略教育をストレートに校長−教師のラインで子どもに貫徹する上下命令関係であった。
 しかし戦後は、教育基本法一〇条で「教育は不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきもの」とし、学校教育法は校長と教諭の関係を「校長は校務をつかさどり、教諭は児童の教育をつかさどる」と定めた。教育行政が校長を通じて教育内容に介入することを禁じ、教諭に固有の教育権限を定めている。自己申告制度はこの基本関係を破壊するものである。
 さらに弾劾すべきことは、学校経営方針モデルに、〈帰属意識の高揚〉として「国旗・国歌の掲揚・斉唱」が盛り込まれていることである。校長は教育労働者にその推進を強制してくるし、教育労働者がそれを拒否すれば、業績評価は最悪のDとされかねない。
 業務評価はS、A、B、C、Dの五ランクに格付けされる。業績評価の上位者には海外研修や大学院派遣などの「褒賞」が、評価下位者には、現場からはずして研修センターでの長期研修が命じられる。三年後には、分限免職=クビである。つまり人事考課制度とは、校長の意にそぐわぬ教員に「指導力不足」の烙印(らくいん)を押して学校から追放していくレッドパージの制度である。そして高齢者や病弱者を退職に追い込んでいくリストラの武器である。
 この制度の実働化を許すのかどうかは、自己申告書の配付、学校経営方針の提示、個々の面接、自己申告書提出をめぐる四〜五月の職場段階の攻防にかかっている。ただちに職場で闘いを巻き起こし、自己申書告提出拒否の統一方針をもぎりとろう。
 校長交渉、職員会議で管理職を徹底追及し、自己申告を職場で阻止しよう。

 第2節 石原「心の東京革命」と対決を

 都知事・ファシスト石原の「心の東京革命」のもとで、校長の学校経営方針とは、侵略教育、道徳教育をたたき込むものとなっていく。人事考課制度の狙いは、教育労働者の階級的団結形態である労働組合を粉砕し、日帝の最悪の先兵・ファシスト石原の思うがままに東京都の教育を牛耳ることである。絶対に許すことができない。
 石原は、東京都教育委員会を石原人脈で固め、教育委員会の基本方針に「我が国の文化・伝統に誇りを持ち」という文言を盛り込み、国家主義・愛国心をかきたてようとしている。
 石原は正真正銘のファシストである。日帝の危機を極右の立場から救済するためにエセ「改革」、エセ「革命」を叫んでいる。それは、戦後民主主義的な統治形態をヒトラーのようなファシズム的な超国家主義と排外主義で塗り固めた戦争国家体制に転換しようとするものである。ナチスがやったように労働組合を破壊し、階級闘争の一切を弾圧するものである。福祉を切り捨て、人民大衆の一切の生きる権利を踏みつぶし、白色テロで人民の闘いを破壊しようとしているのだ。
 人事考課制度反対闘争はこのファシスト石原との対決である。石原の正体を見据え、石原打倒のために真っ向から闘おう。

 第3節 新勤評制度の全国化阻もう

 この東京の人事考課制度をモデルとした新勤務評定制度を全国化する動きが激化している。
 大阪では、昨年十二月に府労連に「新たな人事制度」の提示が行われ、教組にも口頭で提示が行われた。知事部局では二〇〇〇年度に試験実施するとしている。神奈川でも「教職員人事制度検討事業」を打ち出し、二〇〇二年実施を打ち出した。広島でも「人事管理適正化指針研究会」が人事評価システムと指導力不足対策をあわせて人事管理制度を準備している。
 また学校管理運営規則改悪の動きも全国で始まっている。神奈川では三月二十二日に、職員会議を補助機関化する県立高校管理規則改悪が強行され、四月一日に施行された。
 発足した「教育改革国民会議」での教育基本法改悪攻撃、その先兵を務める石原「心の東京革命」との対決として、東京都人事考課制度との闘いを新たな勤評闘争としてつくり出そう。
 今春の「日の丸・君が代」闘争は教育労働運動が国鉄に並ぶ巨大な力を依然として保持していることを示した。全国の教育労働運動の底力を今こそ発揮しよう。衆院選決戦、沖縄サミット決戦に総決起しよう。労働運動の新潮流運動を拡大・発展させよう。

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週刊『前進』(1954号3面3)

 「教育改革国民会議」河上亮一を弾劾する

〈投稿〉 埼玉教組OB 宮原清

 小渕首相の私的諮問機関である教育改革国民会議が、三月二十七日に発足した。そもそもこの教育改革国民会議は、教育基本法改悪を狙って設置されたものである。
 教育基本法とは、戦後憲法制定時に憲法の精神を国民全体のものにするためには「教育の力に待つしかない」として制定されたものである。憲法の戦争放棄、武力の行使の禁止の原則が、教育基本法の第一条〈教育の目的〉に「平和的な国家、社会の形成者」に子どもたちを育てあげることとして位置づけられている。したがって教育基本法の改悪とは、改憲攻撃そのものである。
 教育改革国民会議の座長・江崎玲於奈も事務局長・町村も、積極的な教育基本法改悪論者である。このような会議の発足と月二回の会合を徹底的に弾劾していかなくてはならない。
 私はこの教育改革国民会議の二十六人のメンバーに河上亮一(埼玉県川越市立城南中学教諭)が入っていることに、煮えたぎる怒りを感じた。河上亮一は七〇年闘争当時、組合活動家としてベトナム・沖縄の人民と連帯して反戦闘争をわれらとともに担っていた人物である。この河上が、去年のガイドライン法の強行、「日の丸・君が代」法の強行などの攻撃のなかで、そしてこれに対して沖縄の労働者・民衆を先頭に必死で闘っている多くの労働者・民衆の存在を知りつつ、教育改革国民会議の委員を引き受けたのである。
 しかも、現職の小・中・高の教員の中で唯一河上亮一が選ばれた。河上の発言は「現場教師の代表」の位置を与えられようとしている。河上は教育基本法改悪について「関心がない」などとふざけた発言をしている。「教え子を再び戦場に送るな!」の日教組の掲げてきたスローガンに真っ向から敵対する役割を、河上は担おうとしている。
 河上が今日、小渕の信頼を得たのは、その著書『学校崩壊』によってである。河上の『学校崩壊』は、日本帝国主義の行き詰まりのもとでの教育をめぐる諸問題への生きた回答にはまったくなっていない。河上は「教育は体制的なもの」「管理強化は必要である」、問題生徒は「警察に引き渡す」「個性、自由が子どもをダメにした」としている。しかも「日の丸・君が代」強制への批判や、その闘いは、『学校崩壊』の中で一字たりとも触れていない。唯一の積極的な発言は「地域の教育力」の回復というくらいである。
 労働者・民衆の生活や、人と人のつながりすべてを破壊してきた元凶は、日本帝国主義である。“社会の改革なしに教育改革が可能である”という主張は、教育現場で苦闘する教育労働者、保護者、子どもたちの立場に立つ考え方ではない。「日の丸・君が代」法の強行以降生み出されつつあるガイドライン法下の教育現場の闘いを、全労働者・民衆が包みともに闘い、教育改革国民会議へ怒りをもって反撃していこう。

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週刊『前進』(1954号4面1)

 東北大寮闘争勝利の教訓

 寮生先頭に全学の力で入寮募集停止うち破る

 マル学同中核派東北大支部

 全国の労働者、学生のみなさん! わが闘う東北大生は二月二十日、東北大学当局に臨時評議会を開催させ、ついに日就寮、有朋寮に対する入寮募集停止解除をかちとった。寮生を先頭とした全国の学生・労働者の闘いで、日帝・文部省、警察権力−東北大学当局一体となった自治寮廃寮化攻撃を粉砕したのだ。二十一世紀突入を目前にした二〇〇〇年、敵の入寮募集停止=廃寮化攻撃を打ち破り、危機に立つ日本帝国主義の前に敢然と自治寮の旗を打ち立てた意義は非常に大きい。入寮募集停止を粉砕した今回の勝利をしっかりと教訓化し、今後の課題と展望、二○○○年決戦への決意を明らかにしていきたい。(写真はキャンパスで寮生を先頭に闘う東北大生 1月11日)

 第1節 廃寮を狙う攻撃との2年半の攻防に勝利

 まず最初に、われわれ東北大生がどのようにして入寮募集停止=廃寮化攻撃を粉砕し、自治寮を守り抜いてきたのか。二年半の闘いの実践の中でつかんできた教訓を明らかにしたい。
 それは第一に、今回の攻撃の真の狙いが、東北大学を「帝国主義の争闘戦に役立つ大学」に変えるための大学改革にあり、そのための自治寮廃寮化であることをつかんだことである。
 大学当局はこの攻撃を九七年十一月の東北大学寮に対する一方的な電気料値上げを口実に始めた。当初大学当局は、こそくにも「会計検査院の三回目の指摘である」と言って、あたかもこの問題が純粋に電気料金の七百円値上げの問題であり、電気料金を支払えば問題が解決するかのように強調していたのである。
 しかしわれわれは、これが「単なる七百円の値上げ」の問題ではなく、「戦争と大失業の時代」に対応した日帝の大学改革攻撃の一環としての自治寮つぶしであることを正しくつかんで闘いに立ちあがった。
 軌を一にして始まった東北大における副学長制度の導入、国立大学の独立行政法人化の策動、自自公政権の登場とガイドライン関連法制定強行による日帝の「戦争のできる国」への転換は、偶然重なったわけではない。それらの攻撃と一体で、今回の一方的な電気料「是正」が東北大学の自治寮廃寮化のための口実として出されたものであり、東北大生の反戦闘争をつぶし、帝国主義のための「大学改革」を貫徹するための攻撃であるという本質をつかんだのだ。
 そしてそのことの正しさは闘いの中で証明されていった。その立場が敵の反動性を次々に明らかにしていったのだ。
 「是正」分不払いという全寮生の「ノー」の声がたたきつけられたことに対して、大学当局は九八年十二月、日就寮・有朋寮に対する入寮募集停止決定を強行した。しかもその理由は「新入生にも不払いが拡大されることが予想され、そのような事態は避けるべきである」からだとし、不払いをするような寮、大学当局の決定に従わない寮はつぶすということを明確にさせたものであった。
 さらに「電気料が支払われれば入寮募集停止は解除」と自ら公示したにもかかわらず、われわれが電気料を支払うと、今度は「支払いは戦術的な行動だ」とけちをつけ、「不法に入寮した一年生を退去させろ、これまでのことを謝罪せよ、でなければ入寮募集停止は解除しない」と言い出したのだ。これこそ電気料値上げが廃寮化の口実であったことの証明だ。“寮生の闘いをつぶさなければならない”“大学にたてつく寮はつぶしたい”。まさにこれこそが東北大学当局・一部反動教官の真の狙いであった。
 第二に、だからこそ、このことを東北大学全学の問題として訴え、「大学改革」攻撃に対する徹底した全キャンパスの大衆闘争−実力闘争として闘うことで、敵を追い詰めることができたのである。
 大学当局は、「電気料を支払わない寮生が悪い」「一部の寮生が問題」と、学生の分断を図ってきたが、われわれはあくまで「大学改革」−東北大学のあり方を問う問題として全学に訴えて闘った。連日何千枚というビラをまき、当局の不正義性を暴き、教官棟にも足を運んで情勢をつくった。入寮募集停止により寮生数が激減したにもかかわらず三桁(けた)の寮生の決起集会を幾波となくやり抜いた。マスコミを動員し、全国大学へ支援を訴え、寮生が呼びかけた署名は闘いの最後には実に二千筆にものぼった。あくまで全キャンパスを獲得していくという闘い方が敵を追い詰めたと確信できる。
 さらに、敵の攻撃の本質が大学改革とそのための自治寮の廃寮化にあることを、〈不払い→支払い声明→実際の支払い〉という具体的方針をとる中で誰の目にも明らかにさせ、大学当局を追い詰めていったことは決定的である。その闘いの中で、最後には「もはや募集停止に正当性はない」などといった当局内部の分岐も強制することができ、一部教官の反動性を全学に明らかにしていったのだ。
 第三に、一年生自身が闘いの先頭に立ち、主体的に決起したことが、大学当局に決定的な打撃を強制したことである。
 入寮募集を停止しても入寮してくる新入生に恐怖した大学当局は、一年生に対し「不法入寮生だ」と罵詈(ばり)雑言を浴びせ、学生証発行の保留、「このままでは将来はない」などの恫喝を繰り返した。これに対して一年生は、「(大学当局の言うことになんでも従うのではなく)ひとりの人間として自分の意見をもって自分の意志で行動できる歳だし、大学とはそういうことをする場所だ」と、まさにこの問題が大学そのもののあり方の問題であることを全学生・教職員に示して最後まで闘った。
 大学当局はこの一年生の闘いをたたき折ることは最後までできなかった。ここにおいて当局の“寮生の闘いをつぶす”というもくろみは見事に粉砕された。
 第四に、警察権力との対決を徹底的にやり抜いたことの大きさである。
 警察権力は公然、隠然と大学当局とつながり、一体となって寮生の闘いをつぶそうと全力をあげてきた。
 九九年八・四「日の丸・君が代」仙台公聴会闘争における東北大生七人の逮捕の際には、「取り調べ」と称して公安警察が「電気料を支払え」などと恫喝してきた。このことはまさに今回の自治寮つぶしの攻撃が、寮生の反戦闘争つぶしのための政治弾圧であったことを示すものである。
 われわれは暴力や権力を振りかざして寮生の闘いをくじこうとする卑劣な警察権力−大学当局との闘いを徹底的にやり抜く中で、自らの闘いを質・量ともに磨きあげてきたのだ。

 第2節 日帝の危機突破狙う大学改革攻撃と対決

 このように、われわれは二年半の闘いの中で実に多くの教訓を得たが、これは新たな闘いへの第一歩でもある。これから激化する大学改革攻撃と対決し、勝利するためにも、ここで今一度大学改革攻撃とは何かを明らかにしておこう。
 現在、日帝は「一層流動的で複雑化した不透明な時代」に日本が「二十一世紀の国際社会において、知的リーダーシップを発揮できる国」になるために、大学が「社会のさまざまな要請」にこたえることが必要であると言っている。そして、アメリカの大学のように情報技術革命や遺伝子解読といった最先端技術の開発に全力を上げることが、これからの帝国主義の発展にとっての大学の役割であると言っているのだ。
 また、日経連路線と一体となって、企業の生産性向上のために大学において質の確保=雇用され得る能力を学生に身につけさせると言っているのである。大学や学生を競争に駆り立てていくことで帝国主義の延命に役立つ者をつくり出そうと考えているのだ。
 これはこれまでの単純延長ではない。帝国主義の危機がもはやどうしようもないところまで行き着いている中で大学の位置付けを転換し、日米争闘戦に対応した国家のあり方の全面的な転換の重要な一環として、大学のあり方を根底から転換しようというのだ。そして、大学の自治とか自治寮などというものはこのような「大学の発展」にとって邪魔になるから徹底的につぶすべきであるとしているのである。
 このような大学改革攻撃をわれわれは絶対に許さない。電気料の不払いを口実に大学当局から裁判にかけられたその時、われわれ東北大生は次のように意見表明を行ったのである。
 「学生の主体性を踏みにじり、大学を一部企業と癒着した利権の巣窟(そうくつ)とするために大転換させようとする大学当局の腐敗しきった姿を全社会に告発し、大学当局自身を裁くためにわれわれは本裁判に臨んでいるのである」と。
 自治寮を死守したわれわれ東北大生は、あらためてこれを大学当局と日本帝国主義に対してたたきつける。廃寮化攻撃を粉砕した東北大学の闘いを突破口に、全国の闘いを結集させ、大学改革攻撃を打ち破ろう。山形大学学寮、東京大学駒場寮を始めとする全国寮闘争に勝利しよう。東北大寮生は東北大当局が打ち出した「未来志向のインテリジェント化された学寮構想」なるものを粉砕し、さらなる寮闘争のなかで自治寮の発展をかちとろう!
 そしてこの闘いの中で、寮闘争に敵対し、闘いをつぶそうとするファシスト・カクマル、大学当局と一体となって寮闘争をつぶそうと策動する日本共産党を打倒して闘おう!

 第3節 寮闘争勝利を基礎に沖縄サミット決戦へ

 最後に、「大学改革」攻撃との闘いの展望が、沖縄サミット決戦の勝利にかかっていることを訴えたい。
 いまや日帝ブルジョアジーは、「資本主義が生き残るためには大学改革が必要」と叫んでいる。しかし、帝国主義が自ら生み出した危機は、もはや「技術革命」などでは解決できない。それは結局、帝国主義同士、資本家同士の泥沼の死闘のためにどこまでも大学と学生を動員し、労働者階級への搾取と収奪、侵略戦争への動員を強めていくことでしかないのだ。
 そういう意味で大学改革攻撃−自治寮廃寮化攻撃とはガイドライン戦争法、介護保険制度による福祉の切り捨て、大量首切り・合理化などの攻撃と同じ質をもった攻撃なのである。
 そしていま、その日帝が沖縄サミット・名護新基地建設の強行をもって朝鮮・中国侵略戦争に一気に突き進もうとしているのだ。だからこそ、日帝の侵略戦争攻撃の一環である自治寮廃寮化攻撃を打ち破ったわれわれこそが沖縄サミット決戦の勝利にむけて闘おう!
 沖縄では、今次のように言われている。「日本という国が逆さまになろうとしている。『戦争をしない国』であった日本という国が今、『戦争をする国』に変わろうとしている。『介護保険』と称して介護を奪いとり、『福祉』の名の下にもうけを考えようとしている。そしてこういう日本の国が沖縄を植民地のように扱って基地を押し付けようとしているのだ」「(沖縄闘争は)人が人の心を取り戻すことである。人が人として生きられる社会を作ろうとすることである」。
 いま、帝国主義、とりわけ日帝は、その危機と矛盾を沖縄・名護新基地建設、沖縄サミットをめぐって集中させている。体制存亡をかけて、米帝との関係、アジア人民との関係、そして沖縄支配の問題、労働者階級の支配の問題を、新基地建設・沖縄サミットによって一挙に反動的決着をつけようとしているのだ。沖縄で言われているとおり、まさに現在の沖縄サミット決戦に勝利する中にこそ、死の苦悶(くもん)にあえぐ資本主義が労働者階級人民に強制するあらゆる差別、抑圧、搾取、収奪からの全人民の解放、労働者階級、学生、すべての民衆の利益を守り抜く闘いがある。
 われわれ東北大生は自らの闘いの中で、つねに閉塞(へいそく)した資本主義社会全体を問題にし、そのなかで大学と学寮を人民の利害に立ったものとしてかちとろうとしてきた。いま、その闘いの真価が問われている。
 沖縄サミット決戦の先頭に、廃寮化攻撃をうち破ったわれわれ東北大生が立とう。寮生を先頭にすべての学友は、いまこそ沖縄人民の怒りを我がものとし、労働者階級と連帯し、「沖縄サミット粉砕! 名護新基地建設阻止!」の闘いに立ち上がろう。森・自公政権打倒、衆院選決戦に勝利しよう。全国学生はともに闘おう!

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週刊『前進』(1954号4面2)

 百万人署名運動が集会

 沖縄新基地建設許さぬ

 「日の丸・君が代」に怒り

 七月沖縄サミットを前に、とめよう戦争への道! 百万人署名運動の主催による「沖縄新基地建設と有事立法・改憲を許さない四・八全国集会」が、東京・永田町の社会文化会館で開かれました。三月三十日に沖縄県議会で「一坪反戦地主排除を求める陳情」採択という暴挙が強行された直後であり、全国から参加した四百三十人の怒りと危機感に満ちた、熱のこもった集会でした。
 東部地区連絡会の森山つとむさんの開会あいさつの後、今年の卒業式・入学式での「日の丸・君が代」強制に反対する闘いの報告を、国立市と広島県の闘う教育労働者が行いました。
 国立市で卒業生が卒業式後、校長に抗議して「日の丸」を降ろさせ、謝罪させた闘い、広島県で生徒が「日の丸・君が代」強制に反対し「自分の信念で生きる」と宣言した闘いなど、中学生、高校生が教育労働者とともに先頭で闘い抜いている報告は、参加者に深い感動を与えました。
 川崎市職労港湾支部長の吉田利一さんは、自治体労働者として戦争協力を拒否すると述べました。
 続いて、東大・フェリス女学院大名誉教授の弓削達さんが「護憲から攻めへの憲法闘争へ」と題して講演しました。
 弓削さんは、一九五八年の文部省告示以来の「日の丸・君が代」強制攻撃の歴史を紹介し、「日の丸・君が代」強制は「疑似宗教的儀式によって国民を戦争協力へ動員しようとするもの」と鋭く指摘しました。そして昨年は「政府によって基本的人権が弊履のように踏みにじられた年」と弾劾し、私たちは「憲法を守り育てる力が弱かった」「日米安保という武装平和に身をゆだねてきた」、基本的人権を侵害し改憲へ突き進む政府に対して、「違憲訴訟で異議申し立てを」「違憲の動きを一つひとつつぶしていく根気のいる闘いを」と呼びかけました。
 カンパアピールの後、沖縄から駆けつけた島田善次牧師が訴えました。訴えの前に嘉手納基地の爆音が会場に流され、島田さんは、「実際の爆音はこの程度ではない」と最低限度の生活を営む権利すら奪われている沖縄の現状を切々と訴え、「このような状況で日本人は腹を上にして寝られますか。良心があれば寝られないはず」と厳しく問いかけました。そして「こんな日本なら日本人を返上したい。絵にかいた憲法なら憲法はいらない」と宣言しました。
 続いて、島田さんは持参の資料をもとに、普天間基地の名護移設が、一九九六年にすでに決定されていたオスプレイ配備のための基地強化の攻撃であることなどを鮮明に暴露しました。
 在本土の沖縄出身の男性の発言に続いて、石川県の小松基地や神奈川県の厚木基地、静岡県の浜松基地に反対する闘いが報告されました。
 最後にまとめと方針提起を百万人署名運動事務局長の西川重則さんが行い、@有事法制下の日本になったという視点の重要性、A憲法前文の考え方の普遍的価値の重要性を確認し、沖縄を軸に運動していこうと訴えました。具体的方針として、全国キャラバンと百万語のメッセージ集めなどを提起しました。
 全国の闘う息吹に接し明確な闘いの方針を受けて、あらためて闘う決意を固めた集会でした。
 (投稿 H・Y)

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週刊『前進』(1954号4面3)

 臭気選別のうそ暴く

 橋本控訴審 犬の訓練士証人を粉砕

 三月二十二日、橋本裁判控訴審第四回公判が大坂高裁で午後から行われた。
 この日の公判は、前回公判を引き継ぎ、検察側証人である犬の訓練士Tに対する弁護側反対尋問である。本格的な反対尋問で証人Tのペテン師そのものの正体を完膚なきまでに明らかにする決意で法廷に臨んだ橋本同志と弁護団、支援者二十数人は、弾圧を狙って裁判所構内をうろつく大阪府警公安三課の私服刑事の策動を寄せつけず、公判闘争を貫徹した。
 公判では、最初に塚本弁護士が、前回公判で証人Tが行った「ビニール袋の置かれている近くに行った目的は、タバコの吸い殻入れとしてフェンスのところに空き缶がつるしてあるので、そこに吸い殻を捨てに行くためだった」という証言を再確認し、「タバコは、吸い殻入れのところでしか吸わないのか」と質問した。証人Tは、「よほどのことがない限りは(吸い殻入れ近く以外では吸わない)」と答えた。さらに弁護士は、それ以外の所で吸うことや、そこで話をすることについて質問した。
 塚本弁護士は、その質問の後で検察官請求証拠のビデオテープを再生し、証人Tが選別台からおよそ十メートル離れた犬の出発点の所にある、灰皿を置いていない、「原臭布」を置く台のそばでタバコを吸い、吸い殻をその場に捨てている場面や、証人Tが臭布の作業中の選別補助者(京都府警鑑識係警察官)の作業をのぞき込んでいる場面などを示したのである。
 この尋問をとおして、証人Tがタバコを口実として選別補助者などの警察関係者に近づき、会話を交わして選別の目的を知るように努めていることが明らかにされた。警察権力は、このような不公正な証人Tの行動を刑事裁判で押しとおそうとしていたのである。被告・弁護団は、この言い逃れのできない場面のビデオ画面を写真として取り出し、その写真を調書に添付することを裁判所に認めさせた。
 その後に橋本同志が反対尋問を行った。橋本同志は、「臭布の配列表に乱数表を使っている」というTの証言が、裁判官と弁護士をだますための意識的なうそであることを、実際の統計数値表の乱数表を示して明らかにした。さらに、新選別(一審判決後に行った「実験選別」をこのように呼ぶ)で臭布の配列を決めるために使った配列表では、誰でもその表を見れば、警察が犬にくわえてこさせたいと思っている「対照臭布」がどの布であるかが、直ちに分かることを明らかにした。
 犬がカンニングを行っていることをビデオでつきつけられ、言い逃れできなくなった時に、証人Tは、「(警察庁作成の物品選別)実施要領の『犬が背面』とは、あなたにとって必要のないことですか」という弁護士の質問に対して、「背面とは言ってますが、首の向きについては言ってません」と答えている。証人Tは、このような奇弁をもって「答え」としているのである。
 裁判所の事情で、開廷時間が午後三時三十分までとなり、橋本同志の反対尋問は次回に続行となった。
 今回公判では、反対尋問の序の口部分を行っただけであるが、すでに、証人Tの化けの皮をかなりの部分に渡って引きはがすことに成功した。次回公判以降では、さらにビデオを使って、証人Tの一切の逃げ口上を粉砕する尋問をたたきつける予定である。
 圧倒的な傍聴で、証人Tのペテン師の正体とこのようなペテン師にすがるしかその「正当性」を主張できない権力の犬の臭気選別を刑事裁判からたたき出し、橋本同志へのデッチあげ弾圧を粉砕しよう。
 二九年型世界恐慌の切迫で根底的な体制的危機に陥っている日帝権力は、階級支配の危機をなんとしても突破するために、橋本裁判の検察官控訴を強行してきた。まさに戦時型治安政策を粉砕する闘いとして、橋本裁判控訴審闘争に必ず勝利しよう。

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週刊『前進』(1954号4面4)

 実射訓練を弾劾

 4・4日本原演習場

 侵略演習阻止に立つ

 四月四日、日本原演習場での戦車砲実弾射撃訓練の強行に対し、岡山、山陰の労働者・学生は現地実力阻止闘争に決起し、二〇〇〇年最初の実射阻止闘争を貫徹した。
 午前六時半、わが白ヘル部隊は、不当な立入禁止を狙う自衛隊警務隊、業務隊の阻止線を突破し、演習参加の戦車に肉迫して怒りのシュプレヒコールをたたきつけた。
 日本原では、昨年五月の周辺事態法制定以来、実弾射撃訓練を始めとする侵略演習が激化している。しかし、日本原演習場を主演習場としている自衛隊第一三旅団は、本年一月の日米共同指揮所演習に参加した時も日本原演習場を使用することはできなかった。自衛隊はいまだ日本原演習場の全面自由使用は実現できていない。日本原農民を先頭とした日本原闘争がそれを阻んでいるのである。
 今年度初めて強行されたこの日の演習は、こうした日本原闘争に対する自衛隊の反動的戦闘宣言であった。新ガイドライン発動のためにも、また、自衛隊の中で最前線突撃部隊として位置付けられている第一三旅団の実戦能力向上を図るためにも、自衛隊にとって日本原闘争の破壊・解体は死活的課題となっているのである。
 しかし、そんな暴挙を誰が許すものか。われわれは、二〇〇〇年決戦の一環として、日本原での日帝軍隊=自衛隊との直接的対峙、激突に勝ち抜き、「連帯し、侵略を内乱へ」の強力な前進をかちとっていく決意を燃え立たせ、この日の闘いを戦闘的に闘い抜いたのである。 

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週刊『前進』(1954号4面5)

 4・9%最悪の完全失業率

 リストラ・首切りが中小企業にも拡大

●“景気回復”のウソ
 政府・日銀の“景気は持ち直し局面”などという宣伝とは裏腹に雇用情勢が最悪の状況を迎えている。総務庁が三月三十一日に公表した労働力調査(速報)では、二月の完全失業率(季節調整値)は前月から〇・二ポイント上昇して四・九%と、比較可能な一九五三年以降最悪を記録した。
 男性の「非自発的失業者」が八十四万人と昨年六月の八十二万人を上回り最悪。全体の非自発的失業者も昨年同月比十九万人増加し、百十五万人と過去二番目の多さだ。一方、いわゆる「自発的失業者」は、三万人の増加で、非自発的失業者の増加が目立つ。世帯主の失業は、前年同月比六万人増の九十七万人となり、最悪だった昨年五月に並んだ。これらの数字は、企業のリストラ・首切りが一層激しく進行していることを物語っている。
●企業倒産が増大
 特に、中小企業でのリストラ・首切り攻撃が目立っている。(グラフ参照)
 五百人以上の企業では前年同月比で雇用者が三十七万人増加しているのに比して、一人から二十九人の小企業では二十六万人、三十人から四百九十九人の中企業では二十五万人といずれも大幅減である。
 民間の信用調査機関、東京商工リサーチの調査によると二月の倒産件数(負債総額千万円以上)は前年同月比で五一・九%の大幅増となり、倒産企業の従業員数は一万五千五百六十人と倍増している。
 昨年春の失業率の大幅悪化の主な原因は、大企業のリストラ・首切り攻撃の一挙的な進展にあった。それがいまや中小企業にまで及んできているのだ。
●深刻な若年失業問題
 十五歳から二十四歳男子の完全失業率が一〇・五%と再度一〇%を突破した。
 二月一日時点での今春卒業の大学生の就職希望者内定率はまだ八一・六%、短大生は六〇・八%、高校生は一月末時点で七九・三%にとどまる。
 例年、三―四月は学卒未就職者および定年退職者が失業者として表面化するため、失業率は悪化する。今年は、このように学卒未就職者問題が昨年以上に深刻なため、四月二十八日発表予定の三月の完全失業率は、五%を突破することが確実だと言われている。
 労働者は闘わなければ生きていけない。動労千葉のスト決起に学び、賃下げ攻撃を許さず、中小を中心に春闘を断固闘い抜こう。

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週刊『前進』(1954号5面1)

 森・自公政権打倒、沖縄サミット粉砕へ

 日共のサミット協力許さず戦争会議絶対反対で闘おう

 4・28全国統一行動に決起を

 日帝は森・自公政権のもとで六月衆院解散―総選挙にうって出て、七月サミットを日帝の超反動的な内外政策の展開の新たな跳躍台にしようとしている。そして、サミット戒厳体制をもって沖縄闘争を圧殺し、名護新基地建設へ突き進もうと狙っている。だが、日帝の戦争政策と大リストラ・福祉切り捨て・生活と権利破壊に対する労働者人民の怒りは日ましに高まり、階級闘争は新たな激動過程に入った。衆院選決戦も沖縄サミットも名護新基地建設も、森政権がそれをやりぬける保証など何もない。一切は、これからの闘いで決まるのである。直ちに全力で決起し、森・自公政権とファシスト都知事・石原への怒りを爆発させ、六月衆院選決戦で森・自公政権を打倒しよう。帝国主義の戦争会議=七月サミット粉砕を真っ向から訴えて、本土―沖縄を貫くサミット粉砕・名護新基地建設阻止闘争の大爆発を切り開こう。反戦共同行動委員会の四・二八全国統一行動に総決起し、森の五・一四沖縄訪問を実力阻止せよ。

 第1章 サミットは帝国主義強盗どもの戦争会議

 歴代の自民党政権もなしえなかった超反動的な政策を、野党の総屈服に助けられて強行してきた小渕は、階級矛盾の激しさに耐えきれずダウンした。まさに労働者階級人民の怨念(おんねん)と闘いが小渕を追いつめ、自自公連立政権内部のあつれきを生み出し、小渕を打倒したのである。
 新たに首相となった森喜朗は、この小渕をも上回る極反動政治家である。森内閣は有事立法・改憲の強行を狙う内閣である。七日の所信表明演説で森が提唱した「有事立法」と「教育改革の国民的運動」のめざすものは、「滅私奉公」をスローガンとする戦争国家体制、国民総動員態勢づくりそのものである。
 七月沖縄サミットをめぐる対決が日本帝国主義の存亡をかけた、日本階級闘争の最大の焦点となっている。日帝はサミットの成功に帝国主義間争闘戦の死活をかけている。日帝が七月沖縄サミットと名護基地建設問題で大失敗することは、帝国主義間争闘戦の激化の中で「国家の体をなしていない」として対日攻勢の材料とされ、日帝は帝国主義として成り立たないような危機に追い込まれる。
 だからこそ支配階級は危機感をむき出しにして、サミットの成功があたかも「国民的課題」であるかのように大宣伝し、とりわけ沖縄現地では「世界の首脳を温かく迎えよう」と大キャンペーンを張り、サミットに反対する者は「非国民」だという総翼賛体制をつくりだそうとしている。ファシスト石原の在日朝鮮人・中国人への排外主義的差別暴言と自衛隊の治安出動発言は、サミットをてことする朝鮮・中国侵略戦争の策動と完全に一体だ。
 このような国益擁護、祖国防衛主義のイデオロギーと全力で対決し、「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」「沖縄奪還・安保粉砕、日帝打倒」の路線のもとに闘おう。
 「サミットは、帝国主義が軍事力で世界を支配し侵略戦争を行うための戦争会議だ」「沖縄サミットは、朝鮮危機、中国危機の中で米・日などの帝国主義が朝鮮・中国―アジア侵略戦争に突入するための戦争準備会議だ」「沖縄サミットは、帝国主義が基地の島=沖縄の重要性を確認し、名護新基地を建設し、一層のアジア侵略戦争の拠点として強化するための会議だ」||この真実を、沖縄で、本土で、徹底的に暴き出そう。
 そして、七月に全国から労働者人民の沖縄現地総力結集をかちとり、クリントンらが沖縄に降り立てない状況をつくりだし、サミット開催を粉砕しよう。それこそが侵略戦争を粉砕し、沖縄基地全面撤去をかちとる唯一の道であることを、強く訴えて闘おう。

 第2章 森の沖縄差別発言を沖縄人民は許さない

 この闘いのために、以下のことをしっかりと確認したい。
 第一に、新首相・森は沖縄人民、アジア人民の不倶戴天(ふぐたいてん)の敵であり、この森が沖縄に来てサミットを主催することなど、絶対に我慢ならないし、許せないということだ。森政権を六月衆院選で打倒しなければならない。
 森は、三月二十日に石川県加賀市で講演し、沖縄人民に対する断じて許せない差別発言を行った。「沖縄出身の歌手Aは天皇即位十周年式典で君が代を歌えなかった。笑ってごまかしていた」「沖縄では君が代を学校で教わっていない。教組と沖縄の二つの新聞は共産党が支配していて、何でも政府に反対、国に反対する」などという、沖縄人民への敵意と差別意識をむき出しにした発言を行った。
 三月二十五日に沖縄を訪れた小渕が沖縄の新聞・放送五社を訪問して「森発言には誤解がある」などと言いなした。だが、森自身は今日に至るもなお発言の撤回も謝罪もしていない。それどころか四月五日には、「国旗・国歌の指導に万全を期していただきたいという気持ちを伝えたかった」と開き直り、真意は沖縄人民に「日の丸・君が代」を強制することにあると明言した。森が首相になった今この発言を徹底的に追及し断罪しなければならない。
 森発言は、日帝と沖縄の歴史的階級的関係、日帝による伝統的な沖縄差別・抑圧政策の構造をストレートに表現したものであり、簡単に消し去ることのできない重大発言である。
 かつて九四年九月に防衛施設庁長官・宝珠山昇が「沖縄県民は基地と共生、共存せよ」と発言して沖縄人民の激しい怒りで辞任に追い込まれたが、森発言はもっと露骨に、沖縄に対する日帝支配階級の意思を示している。日帝にとっては沖縄とはただ軍事基地のためにのみ存在する国内植民地のようなものであり、沖縄人民は天皇制・天皇制イデオロギーに「まつろわぬ民」であり、絶対に信用できない、暴力で押さえつけるしかないという沖縄観を表明した言葉なのである。

 第1節 森訪沖阻止へ

 森を先頭とする日帝支配階級どもには、あの沖縄戦や、戦後の米帝による軍事分離支配の強制など、日帝が沖縄人民に強制してきた差別と犠牲の押しつけに対する責任の自覚や痛みなどは、まったくないのだ。今も「日米安保は重要」と言いなして沖縄に米軍基地の大半を強制し、沖縄人民の生活を破壊し続けていることに何の反省もなく、これに沖縄の人民が抗議と怒りの声を上げ続けてきたことに対して「沖縄は腹の中ではいつも反抗的」と差別的憎悪むき出しの暴言を吐いたのだ。むしろ、沖縄サミットを「開催してやる」ことや、県内移設で基地を「整理統合してやること」に沖縄の側が感謝すべきだという発想なのだ。
 八〇年代に日帝が「日の丸・君が代」を沖縄に押しつけて、表向きは「一〇〇%実施」というような状況になっているとしても、沖縄の人民は、沖縄の未来は自分たちで決めたいと願っているのだ。沖縄の歴史と現実からいって、日帝国家に対する忠誠心など、ある方が不思議なのだ。
 沖縄を米帝の軍事分離支配のもとに売り渡した天皇をたたえる「君が代」を、沖縄の人民が歌わなかったとしても、そして日本政府のやることに「何でも反対」したとしても、それはまったく当然であり、正当な権利だ。森はこのような沖縄人民の日帝国家に対する態度に憎悪をもって差別的暴言を吐いたのだ。
 この森が五月十四日に首相になって初めて訪沖し、サミット会場である名護市部瀬名の万国津梁館(しんりょうかん)の落成式に出席しようとしている。この森が沖縄サミットを主催するなどということをどうして許せようか。森に沖縄の土を踏ませてはならない。五・一四森訪沖阻止へ決起しよう。六月衆院選決戦で森を打倒せよ。

 第2章 名護新基地建設阻止の闘い破壊する日共

 第二に、沖縄県議会が会期末の三月三十日に採択した反動的陳情を粉砕することである。
 沖縄県議会は「県の外郭団体などあらゆる県の機関から『一坪反戦地主など』を役員から排除するよう求める陳情」を採択した。
 陳情を提出したのは「沖縄県政を糾(ただ)す有識者の会・国旗国歌推進沖縄県民会議」なる右翼団体だ。「『反戦平和』とは米軍を日本から追い出し、自衛隊をなくして、日本を無防備にしてから民衆に暴動を起こさせ、日本を破滅に陥れようとする考えと同じである」と極右翼的な思想を盛り込んだものだ。
 通常ならば、保守与党が多数派の議会であっても、これほどの反動的な陳情がすんなり通過することなどあり得ない。ところが今回は、総務企画委員会でも本会議でも実質審議ゼロ(反対討論一人のみ、賛成討論なし)で採択された。日本共産党を含む既成野党は、この陳情の採択に反対討論のひとつも行わなかった。日帝国家権力におそれをなし、奴隷的に屈服しているのだ。これは、帝国主義サミットへの完全屈服と同一の事態の別の表現である。「沖縄県民は国家の戦争政策の犠牲となれ」と強要するこの陳情採択を徹底弾劾し、沖縄の闘いにおける一坪反戦地主会の存在の意義と大きさをしっかりと確認し、その防衛のために全力で闘わなければならない。

 第1節 沖縄闘争への歴史的裏切り

 第三に、サミット粉砕闘争の爆発のために絶対不可欠の闘いは、日本共産党の「サミットに協力しよう」というキャンペーンの反人民性を暴き、これを粉砕しきることである。
 日共は二月十六日に記者会見で「報告と訴え」なる声明を発表し、サミットに臨む日共の態度を明らかにした。そこで日共委員長の不破は、「沖縄でサミットを開催するということは、日本の米軍基地の集中点である沖縄を、世界の首脳部と世界のマスコミに心おきなく見せるという(日本)政府の意思表示だ」と美化し、サミットの成功に協力することを表明したのだ。その後、日共はこれをビラ(赤旗号外)にして沖縄の全戸にばらまいている。
 まったく許しがたい裏切りである。政府の沖縄サミット設定はそもそも何のためになされたのか。小渕は、沖縄基地を撤去したり縮小するためにサミットを沖縄に持ってきたというのか。まったく逆ではないか。普天間基地の県内移設を強行し、名護に「耐用年数二百年の新基地」を建設し、沖縄を「基地の島」として二十一世紀も固定化・強化していくためにサミットを沖縄にもっていったのではないのか。人権無視の全県的厳戒態勢は何のためなのか。社民党や社大党は最初からサミット賛成派であるが、共産党は二月の前半までサミット開催に反対であるかのような態度をとっていた。それを覆して、露骨な賛成派に転換したのがこの声明である。
 白を黒と言いくるめてまで、政府の意志と一体化しようとする日本共産党は、沖縄の闘争の中で歴史的裏切りを行ったのである。サミットに協力するために、決定的局面で名護新基地建設反対闘争の破壊者として立ち現れ、岸本名護市長に対するサミット前リコールの闘いを妨害し粉砕するために策動したのである。一九三〇年代のスペイン内戦におけるスターリン主義の白色テロによる闘争圧殺にも等しい歴史的裏切りであり、徹底的に弾劾し粉砕しなければならない。

 第2節 サミット決戦の敵カクマル

 第四に、反革命カクマルのサミット翼賛運動を粉砕しなければならない。カクマルは、名護市長リコール運動の中断に小躍りし、“もともと岸本リコールや岸本打倒を追求したこと自体が間違っていたのだ。できないことをやろうとしたことを反省せよ”と言って、名護の闘争主体に襲いかかろうとしている。
 カクマルは四月に入っておずおずと「沖縄サミット反対」などと言い出した。だが、それはサミット翼賛の反革命的正体を押し隠すためだけのものであり、なぜ反対するのかを一言も語ることができないインチキな代物である。それどころか三月下旬のカクマル「全学連中央委」では、「中核派の沖縄サミット粉砕決戦を粉砕せよ」などと危機感もあらわに全面敵対を宣言したのである。
 カクマルにとっては、日帝の新ガイドライン戦争体制構築の攻撃が、まさに今沖縄サミット決戦攻防として仕掛けられていることなど、どうでもいいことなのであり、JR総連の戦争協力宣言を文字どおり実行に移すことが彼らの実践方針のすべてなのだ。
 カクマル=JR総連は、安保・ガイドラインと自衛隊を容認した正真正銘の日帝の先兵だ。沖縄サミット粉砕決戦は反革命カクマルとの大決戦である。

 第3章 7月沖縄に総結集し部瀬名に大デモを!

 四月六日、米、英両軍は昨年八月以来最大規模のイラク爆撃を強行し市民十四人を虐殺、十九人を負傷させた(国営イラク通信)。
 この空爆には三月三日に嘉手納基地から中東へ出撃した同基地所属のF15戦闘機部隊十二機が参加した。同部隊は昨年十月に実戦配備された「航空遠征軍」の一部だ。九六年の日米安保共同宣言で沖縄基地は、米帝・米軍の世界展開の一大戦略拠点とされた。それが、このような形で実戦発動されたのだ。
 二〇〇〇年米国防報告では「東アジアの兵力十万人体制を当面維持する」「米軍の東アジアにおける前方展開は米国の国益」と宣言し、米帝の凶暴なアジア・中東侵略戦争の要として日米安保と沖縄基地を位置づけている。米帝・クリントンは「基地問題がぐずぐずした状態でサミットに行きたくない」「沖縄サミットは日米同盟の戦略的重要性を示すよい機会」と帝国主義者にとっての沖縄サミットの意義を語っている。
 こうして沖縄の米軍基地は今この瞬間も、アジア―中東に爆弾の雨を降らせる出撃基地として機能しているのだ。
 日帝は沖縄米軍基地を日帝の責任で確保するばかりでなく、日帝自身が沖縄サミットと新ガイドラインをてこにして、沖縄を自衛隊のアジア侵略出撃基地としてうち固めようとしているのだ。
 名護ヘリ基地の十五年使用期限などの「条件」について、日帝と米帝は力で押し切ろうと狙っている。日帝は、稲嶺らが「十五年期限」問題でサミット前に訪米することを中止させ、すべてをサミット後に持ち越そうとしている。米帝の側からは「使用開始から十年目に期限問題を検討する」という条件などが持ち出されている(アーミテージ元国防次官補構想)。
 岸本名護市長は三月市議会で「十五年期限があらかじめ約束されなければ受け入れを撤回する」と答弁せざるをえなかった。日帝と岸本・稲嶺らは追いつめられ、サミットで人民の闘争を圧殺し尽くす以外には、基地建設に着工できないのである。その意味で、普天間基地の名護移設問題はいまだ何一つ動いていないのだ。サミット前決着など問題にならない状態なのだ。
 このことは決定的に重要だ。リコール運動はひとまず中断に追い込まれたが、われわれは名護の一〜三月闘争の貫徹で、サミット決戦とその後の展開にすべてを持ち込むことに完全に成功した。サミット決戦の勝利をとおして、名護ヘリ基地阻止の大衆的実力闘争陣形をつくりだそう。
 三・二五小渕訪沖阻止闘争は、三・二二沖縄県内八カ所不当捜索、一名不当逮捕の大弾圧を粉砕して羽田と名護現地でかちとられ、小渕に大打撃を与えた。それで小渕は打倒されたと言ってもよい。この闘いは三・二六三里塚闘争と一体で闘われ、サミット決戦本番突入の号砲となった。
 この闘いを引き継ぎ、脆弱(ぜいじゃく)な森を格好のターゲットとして沖縄サミット粉砕へ闘おう。反動政治への人民の怒りはあふれ、サミット粉砕闘争の全人民的大爆発を実現する展望が圧倒的に存在している。このことを確信し、日共・カクマルの敵対を打ち破って進撃しよう。沖縄の怒りと結合して全国から大結集し、戦闘的大衆的な大デモをたたきつけよう。
 沖縄サミットは、例年のサミット以上に全世界人民の怒りのターゲットと化している。その最先頭で決起しよう。七月サミット決戦本番の具体的な闘争の方針は、次のようになる。
 第一に、帝国主義サミットそのものを許さないことである。名護・部瀬名のサミット会場に進撃し、大衆的な実力闘争で開催そのものを阻止しよう。
 第二に、アジア人民・中東人民を虐殺する拠点である普天間基地、嘉手納基地を始め、全沖縄基地を揺るがす大衆的実力闘争をたたきつけよう。普天間基地の県内移設を中心軸とするSACO計画を実力で粉砕するために、基地実力撤去の大闘争をたたきつけよう。県内移設ではなく、実力で撤去すべきだということを現実の闘争で示そう。
 第三に、日帝・森は、首里城で政府主催の各国首脳晩餐(ばんさん)会を開催しようとしている。沖縄を差別し、じゅうりんし続けてきた日帝支配階級がわがもの顔で首里城にのりこみ、そこで強盗どもの祝宴を行うことなど、沖縄人民にとっては到底我慢できないことである。これは国家暴力による戒厳令的体制の下で始めて可能なことである。この首里城晩餐会を許さない。実力で粉砕する。
 四・二八「沖縄サミット粉砕、自公政権打倒」全国統一行動に総決起しよう。五・一四のサミット会場落成式のための森の沖縄訪問を粉砕し、衆院選決戦勝利、サミット粉砕へ攻め上ろう。
 こうした一連の闘争を、辺野古、二見以北十区の会などの名護地元の闘う人びとと連帯・結合して、戦闘的に展開しぬこう。

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週刊『前進』(1954号5面2)

 2000年日誌 阻もう!戦争への動き

 4月5日〜11日

 森が国会で「有事立法」表明

 石原が「三国人」と差別暴言

●森政権が発足 衆参両院の本会議で首相指名選挙を行い、自民党の新総裁・森喜朗を自民、公明と保守党の与党三党による多数で指名し、森が第八五代の首相に就任した。小渕内閣の十八人の全閣僚は再任された。(5日)
●沖縄の教育批判で開き直り 森首相が沖縄県の教職員組合や新聞社を批判したことについて「国旗・国歌の指導に万全を期していただきたいという気持ちを伝えたかった」などと述べた。(5日)
●憲法調査会で学生が意見
 参院憲法調査会が「学生とともに語る憲法調査会」を開き、大学生、大学院生ら二十人による意見陳述と質疑を行った。(5日)
●キャンプ・ハンセンで暴動想定訓練 沖縄県金武町のキャンプ・ハンセンで、反基地感情の高まった民間人の暴動を想定した在日米海兵隊の「防護能力訓練」が行われた。(5日)
●「将来の話をする状況にはない」 ダンジグ米海軍長官が沖縄県庁を訪問、同長官は日米安全保障を維持するため米軍も負担を負っていると主張、米軍普天間飛行場代替施設の十五年使用期限問題について「将来の話をする状況にはない」と述べた。(5日)
●衆院憲法調査会で9条議論 衆院憲法調査会で北岡伸一東大教授、進藤栄一筑波大教授を参考人として呼び、意見聴取と質疑を行った。(6日)
●米軍機着陸29空港、801回
 昨年一年間に日米地位協定に基づき、国内の二十九の民間空港に米軍機が計八百一回着陸していたことが運輸省のまとめでわかった。(6日)
●演習火災で国に抗議へ
 沖縄県金武町議会が米軍キャンプ・ハンセン演習場での度重なる原野火災に対して、演習場の廃止などを求める抗議決議を全会一致で採択。今月中旬にも外務省や防衛施設庁などに抗議する方針(6日)
●米が今年3回目の未臨界核実験 米エネルギー省がネバダ州の地下核実験場で未臨界実験を行ったと発表した。今年に入って三回目。(6日)
●海自初、多国間演習へ
 海上自衛隊が今秋、シンガポール沖で実施される米国や東南アジア数カ国の海軍による潜水艦事故の海難救助演習に参加することが明らかに。海自は、自衛隊初の多国間演習を正式に行うことになる。(7日)
●森が所信表明演説 森喜朗首相が衆参両院の本会議で首相就任後初の所信表明演説をした。「日本新生内閣」と位置づけ、小渕政権の継承を訴え、教育改革、沖縄サミットの成功などを打ちだした。また歴代首相として初めて、所信表明演説の中で有事法制について言及した。(7日)
●オスプレイが米で墜落し19人が死亡 米国アリゾナ州で、米海兵隊の垂直離着陸機MV22オスプレイが外国在住の米国人を救出する夜間訓練を実施している途中で墜落、乗員十九人全員が死亡した。事故原因は分かっていない。(8日)
●ガス銃など制圧武器装備
 防衛庁・海上自衛隊が不審船対応を名目に今年設置する特別警備隊が、これまで自衛隊の部隊に配備されなかったガス銃などの相手を死亡させずに制圧する武器を装備し、任務の特殊性から隊員の名簿を秘匿するなど、最も機密性の高い実戦部隊となることが明らかになった。(8日)
●「三国人の騒擾に治安維持を」と石原 石原都知事が陸上自衛隊練馬駐屯地の「創隊記念式典」に出席しあいさつの中で「三国人、外国人が凶悪な犯罪を繰り返しており、大きな災害では騒擾(そうじょう)事件すら想定される。警察の力に限りがあるので、みなさんに出動していただき、治安の維持も大きな目的として遂行してほしい」などと発言した。自衛隊法では、都知事は自衛隊の「治安出動」を首相に要請する当事者であり、在日朝鮮人・中国人を始めとして激しい抗議・弾劾の声があがっている。また九月三日に都と自衛隊が防災訓練を実施することに関して「国家にとっての軍隊の意味を国民、都民にしっかり示してほしい」とも述べた。(9日)
●十区の会が講演会 二見以北十区の会が「軍民共用空港の素顔」と題した講演会を開いた。(10日)
●違憲共闘が採択抗議集会
 沖縄軍用地違憲訴訟支援県民共闘会議が「県議会による『一坪反戦地主など』を排除する陳情採択に抗議する集会」を開いた。約二百五十人が参加。有銘議長はあいさつで「今回の県議会陳情採択が国会での特措法改正、日米ガイドラインに続き、国旗・国家法の制定、森首相の沖縄教育批判などと軌を一にするものだ」と糾弾。(11日)

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週刊『前進』(1954号5面3)

 反対同盟花見の会

 4月東峰決戦へ熱気

 快晴の四月九日、桜満開の三里塚第一公園で三里塚芝山連合空港反対同盟主催の“団結花見の会”が開かれ、総勢百人が集まった。
 冒頭、北原事務局長は、「三十四年ぶりのすばらしい花見だ。反対同盟が闘う限り、二〇〇二年の暫定滑走路完成はあり得ない。三里塚と沖縄の闘いは日本の未来を決する闘いだ。勝利に向かって闘おう」と宣言した。成田用水裁判を先頭で闘ってきた鈴木幸司さんが「絶対反対同盟の裁判として十五年間闘ってきた。桜の花のように散ることはない。最後まで闘いぬく」と決意表明。
 三浦五郎さんの音頭で乾杯し、花見の宴が始まった。三里塚名物のジンギスカン鍋(なべ)を囲み、交流が続いた。
 締めとして、萩原進事務局次長が「三・二六全国集会では勝利感と自信に満ちた反対同盟の姿を示した。今、勝利の土俵がここにある。四月東峰決戦をやりぬこう」と鮮明な方針を提起した。
 最後に、恒例となっている「星影のワルツ」を全員が肩を組んで大合唱し、勝利を誓った。(写真)

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週刊『前進』(1954号6面1)

 闘う日本人と一緒に闘う

 在日台湾人元日本兵林歳徳さんに聞く(下)

 ”石原選んだ都民の責任”

 第1章 「シナ」使うのは石原の思想

 私は、石原と聞いただけで連想することがある。満州国をデッチあげた侵略魔、関東軍の参謀、日本本国においても参謀本部の作戦課長だった石原莞爾だ。
 石原莞爾は、世界最終戦争を主張した。そして日本が生きるために中国をとるというのが彼の思想の基本だった。彼は、板垣(征四郎)と二人で「満州国」をデッチあげた張本人だ。彼は世界最終戦争を主張し、「五族協和の実現」(漢・満・蒙・朝・日の五民族を指す)のために満州、蒙古をとった。
 石原慎太郎は都知事に立候補した時、「私が中国をシナと呼ぶのは、尊敬の言葉だ」と言った。「シナ」とは何か、どこから来た言葉か、知っていますか。
 私は、毎日新聞に「尖閣列島」問題で抗議したことがある。中国が「中国東海」と発表したのに、毎日新聞は「東シナ海」と書いた。引用は正確に書くべきだ。すると編集責任者は、「シナで何が悪いか。外国だってチャイナと言ってるじゃないか」と言った。
 そこで私は、「外国がチャイナと言うのと、日本がシナと言っているのはまったく違う。チャイナの語源を知っているか、日本が使っているシナの語源はどこから来たか知っているか」と抗議した。これを僕は皆さんにも知ってほしい。

 第1節 チャイナの起源

 中国は唐の時代、玄奘(げんじょう)三蔵がはるばる天竺(インド)に経を取りに行った。そして見聞記録として『大唐西域記』(全十二巻)を書いた。その第五巻に、天竺国王の尸羅阿迭多(シーラーディティヤ)と会見した時の二人の問答がある。(平凡社・中国古典文学大系22『大唐西域記』一六六n)
 三蔵法師にインドの王が「あなたはどこの国から来ましたか。何をしようとしてですか」と聞いた。三蔵さんが「私は大唐国から来ました。仏法を請来しようとしてです」と答え、さらに「インドで言う摩訶至那(マハーチーナ)国がそれです」と答えている。摩訶は「偉大な」を意味する。
 その後、大英帝国がインドを植民地にした時、インド政府の公文書に中国のことを摩詞至那と書いてあった。次に中国を狙う英国は、偉大という意味の「摩訶」を抜いて「至那」と略した。英語の「チャイナ」はそこから来ている。
 そうするとチャイナがなぜ「シナ」になったか、これが大事。チャイナは「至那」の字、シナは「支那」の字があてられている。

 第2節 「バラバラの国」

 アヘン戦争の後、一八九四年の日清戦争、すなわち甲午戦争で中国は日本に負けた。これで日本は、当時の中国の国家予算額の十年分の現金賠償と膨大な物資を奪い、近代的日本帝国をつくりあげた。以来一九四五年の敗戦まで、侵略立国を国是とした侵略魔天皇制日本帝国で栄えた。
 そこで日本の御用学者が中国を侮辱するためにどう呼べばいいかと考えた。「支」は日本では支えると書くが、ずっと昔の中国に「支刑」(しけい)という刑罰があった。これは手、足、首、全部バラバラに切って殺すものだ。それで、日本の御用学者が「至」を「支」に入れ代えた。
 そうするとこの「支那」はどういう意味なのか。これはバラバラの政権のことで、国と認めないということだ。
 これは日本が一番よく知っている。日本が侵略した時、国と認めないからバラバラにしてね、地方の名前を取って、日本のカイライ政権をつくるわけだ。
 これがわからないと、なぜそういう名前をつけたかがわからない。日本は中国を国と認めず、侮辱するために「支那」とした。これを皆さんに知ってほしい。
 石原は、釣魚台に上陸して、旗を立て、帰ってきたでしょ。今度は「中国はバラバラの国だ、分裂させてやる」と言った。彼が「シナ」と呼んでいるのは、彼の思想そのものだ。
 僕は毎日の天気予報に腹が立ってしょうがない。「東シナ海」「南シナ海」、なぜ使うのか、やめろと抗議しても改めない。正しい名前があるのに、勝手な侮辱の名前をつけて呼ぶとは失礼だ。これほど日本には常識がないんだよ。すぐにきっぱりとやめるべきだ。

 第2章 戦後、台湾人・朝鮮人を襲撃

 第1節 ゛発言゛は計画的

 四月九日、石原慎太郎は自衛隊を前にして「三国人が凶悪犯罪を繰り返している。大災害が起きた時には大きな騒擾(そうじょう)事件すら想定されるから治安出動せよ」と言った。
 石原は(朝鮮人・中国人を)殺すためにデタラメを言っているんだ。関東大震災の時はデマを流したが、今度の石原発言は計画的だ。偶然じゃない、デマじゃないから、そこが恐ろしいんですよ。
 これを言った人間は、日本帝国首都である東京都の知事だ。都知事が、計画して、自衛隊に治安出動を要請すると言ったわけだ。
 石原はけしからんけれども、その石原を育てた土壌がある。その土壌、すなわち、石原を選んだ都民の責任があるんだよ。これを僕は言いたい。
 石原は中国人が悪いことをやっていると言う。蛇頭は大陸中国のヤクザ、それと組んでるのは日本のヤクザ。これが組んで「人身売買」をやっているわけだ。日本に行けば仕事がある、すぐお金がもうかるとだまして三百万円も取る。でもウソばっかり。仕事ないし食えないし、金返せない。結局、強盗殺人だ。強盗殺人が悪いのは確かだ。でもその悪い中国人をつくったのは誰か、その原因を言わないでただ表に出てくることしか言わないんじゃだめ。
 だから問題は石原慎太郎個人じゃない。侵略魔天皇制日本帝国という侵略立国を国是としている国体から生み出され、育ったのが石原慎太郎だ。侵略魔・石原を辞めさせるのは、都民の、日本人の責任である。
 戦後、在日台湾人を追い返す大弾圧があった。そのころ僕は新橋駅の近く、烏森口の桜田小学校の脇で長靴を並べて売っていた。
 四六年六月に起きた新橋事件、その延長に七月渋谷事件が起きて、露天商をしていた台湾人が五人殺された。これは警察公認のヤクザの仕業だった。
 被告は台湾人だけで、日本人は裁かれなかった。裁判も傍聴したが、有罪となった者は全員、台湾に強制送還された。
 戦後、旧植民地出身の台湾人・朝鮮人は「第三国人」と呼ばれ、「日本から追い出さないと暴動が起きたら大変だ」と言われた。日本語ができるし、天皇制日本帝国の罪状を知っている。だから恐れたんだ。
 まずGHQの力を借りて船で送り返したけれど、俺たちみたいに居残っているでしょ。今度は徹底的にいじめるわけだ。そのいじめ方が入管令だ。
 法務省入国管理局の参事官だった池上努が、「在日外国人は、煮て食おうと焼いて食おうと日本の勝手だ」と言った。彼は正直だよ。なぜ正直かというと、根拠がある。それは入管令二四条。そこにイロハのイからヨまで十五項目に該当すれば退去強制できるとある。失業しても、病気になっても、全部対象だ。これは少し変わっただけで今も入管法に残っている。石原もひどいが、池上はもっとひどい。われわれを食うと言っているんだよ。なぜこれを問題にしないか。

 第2節 小さい火種でも

 私は自分の祖国に帰れない、故郷に帰れない。さんざん痛めつけられて、苦しめられて日本にいる。
 私は、闘う日本人といっしょに闘う。日本人民とは僕は言わない。共産党は日本人民なんて言ってるがあんなもの偽物。人民じゃない、天皇の人民だ。天皇の臣民、天皇の警察、天皇の裁判官、みんな同じ穴のムジナだと言いたい。だから私は、闘う日本人といっしょに闘う。
 二十一世紀は、私たち闘うアジア人民の二十一世紀だ。そこまで俺は死にたくない。今八十二歳だがまだまだ闘う。皆さんといっしょに闘うと若くなる。人間は一回死んだら二回死ぬことはない。死を恐れることはない。
 中国の言葉でこういう言葉がある。「星々之火烈燎原 団結就是力量」||小さい細々の火種でも、やがて大きい平野を焼き尽くすことができる。今、闘う日本人は少ないけれど、いっしょに団結すれば、団結は大きな力になる。私は、こういう精神で日本人といっしょにやっている。

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週刊『前進』(1954号6面2)

 排外主義と闘う 入管闘争の課題 5

 密室での人権侵害

 入管収容所 入管体制の本質を体現

 強制収容・強制送還、法務大臣の自由裁量、民族差別・排外主義―入管体制の本質を全面的に体現しているのが入管収容所だ。
 在日朝鮮人・中国人(「永住・特別永住」資格者を含む)や外国人労働者は日常的に収容、送還という身も凍るような現実の中で生活し、闘っている。収容所問題を考える場合、まずこの厳しい現実を直視し、これと闘うことをはっきりさせなければならない。
 入管収容施設には、東京、大阪、名古屋、福岡など地方入管局の「収容場」と、入国管理センターの「収容所」がある。
 入国管理センターは、茨城県の東日本入国管理センター(牛久収容所。収容定員四百五十人、九三年十二月開設)、大阪府の西日本入国管理センター(茨木収容所。同三百人、九五年十一月開設)、長崎県の大村入国管理センター(大村収容所。同八百人、九六年九月開設)の三施設で、長期収容のための施設である。また入管が「上陸を拒否」した人を収容する「上陸防止施設」がある。窓もないこの施設に九カ月間も収容された人の例もある。

 第1節 長期収容の実態

 九九年七月二十日現在の収容者の状況を見ると、収容期間六カ月以上三年未満の人が三十五人もいる。牛久に二十四人、大村七人、茨木四人で、国籍別ではイランが十一人で最も多く、次いでベトナム、中国、ビルマ、バングラデシュ、ナイジェリア、ペルー、パキスタン、スリランカ、トルコ、ブラジル、エチオピア、アルジェリア、アフガニスタン、スーダン、タンザニアとなっており、ほとんどが新植民地主義体制諸国の人民だ。
 一方、同日現在の収容期間六カ月未満の人数は千百五十五人にものぼり、国籍別では、中国が六百三十二人で最も多く、次いで韓国百十五人などだ。
 なお、同日現在で三年以上収容されている人はいないとなっているが、今年二月末現在、一人のアルジェリア人の収容期間が三年四カ月に及んでいる。
 法務省は、収容が長期にわたる最も多い理由としてパスポートや帰りの旅費がないことを挙げている。基本的に入管は送還費用を本人に負担させているが、収容されている人が日本政府を相手に訴訟を起こすなどした場合は、一転して国費で送還している。
 次いで、収容されている人が送還停止を求める訴訟を起こしたり、労災や賃金未払いの解決を求めて裁判等で闘っている場合。さらに国籍国が受け入れを拒否している場合や、「国際機関(国連難民高等弁務官と思われる)と協議中」などのケースがあるという。
 「国際機関と協議中」とは、いかにも難民認定のために法務省が努力しているかのように聞こえるが、難民認定申請を却下したのは日本政府なのだ。牛久では日本政府に難民認定を要求するハンストなど、実力闘争も闘われている。
 収容所当局は、こうした人びとを縛り上げ、時には麻酔をかけるなどして強制送還している。まさに日本の地で入管体制と闘うアジア人民を抑圧する最大の実体が入管収容所なのだ。

 第2節 子どもも収容

 長期収容の人はほとんどが二十代から四十代の成人だが、最近、子どもの収容が増え、大問題になっている。大阪府では九八年十二月から九九年十二月までに二十人以上もの児童・生徒が強制送還されており、そのほとんどが日本の学校に三年以上通学していた子どもたちだ。
 昨年十月、豊中市で高校生姉妹二人を含む中国人家族が大阪入国管理局に収容され、数日後に強制送還された。大阪外大への進学を希望していた姉は、面会に訪れた教員に「日本に残って学校を卒業したい」と泣きじゃくりながらガラス越しに訴えたという。
 こうした子どもの収容に対し大阪では、教職員組合や外国人支援団体が支援活動や入管、政府に対する抗議行動を繰り広げている。
 牛久収容所では九七年に乳児一人とその母親、祖母の中国人親子三人が、結婚詐欺事件をデッチあげられ、実に七カ月間も収容されるという暴挙が行われた。親子は中国人支援者ら市民団体の支援行動により九八年一月に仮放免をかちとったが、九六年一月に逮捕されて以降、静岡刑務所の拘置施設(この時出産)、名古屋入管を含めて二年間も収容され続けた。

 第3節 収容所内で決起

 五〇年十二月に開設された長崎の大村収容所では、朝鮮戦争反対や日韓闘争に立ち上がった朝鮮人民、在日朝鮮人民に殺人的なテロがふるわれた。九〇年代以降も入管収容施設内における暴行や人権侵害が次々と明らかになっている。
 九三年、イラン人のアムジャディさんは、東京入管で別のイラン人に対する暴行に抗議したことを理由に職員から殴る蹴るのリンチを受け、重傷を負った。そのうえ後ろ手錠をされたまま半月間も隔離収容されたあげく、強制送還された。現在、アムジャディさんは国賠訴訟を闘っている。
 九七年には、同じく東京入管でイラン人のムサビさんが皮手錠などで締め上げられたまま暴行され、殺された。現在、遺族が国賠訴訟を闘っている。
 法務省は入管収容所を「送還までの船待ち場」と説明しているが、その処遇の実態は、刑務所以下とも言える劣悪なものだ。
 収容されている人びとが生活面について最も強く要求しているのが、戸外での運動だ。現在牛久が週二回、三十分で最も少ない。狭い部屋に長期間閉じこめられているため、精神的、肉体的な病状を訴える人が続出している。
 運動のほかにも、民族性を無視した粗末な食事や限られた入浴時間、おざなりな医療体制、男性職員による女性への暴行や性的いやがらせ、電話・手紙など外部との連絡の制限や内容の検閲、差し入れ品の制限など、劣悪な処遇実態は枚挙にいとまがない。
 収容所での処遇に関しては、「被収容者処遇規則」で衛生、運動、食事など最低限の条件が定められている。しかし法務大臣の自由裁量が一切に優先し、「保安上の理由」を挙げてほとんど無視されている。
 九八年三月、運動時間を始めとする処遇実態に抗議し、牛久収容所に収容されていた二十六人が連名で当局に申し入れを行った。しかし牛久入管当局は、この申し入れ書に名を連ねた人に対し、強制送還や他の収容所への移送などの報復処分を行ったのだ。
 収容所の劣悪な処遇に対しては、収容されている人びとと連帯し、収容所解体を目指す闘いの中で、処遇の改善をかちとっていくことが求められている。
 さらに差し迫った攻撃として、東京入管の移転・増強計画が進行している。羽田空港近くの品川区天王洲アイルに八百人収容可能な収容場を兼ね備えた庁舎を新設しようとするものだ。
 三月に発表された「第二次入管基本計画」では、「円滑な退去強制業務の遂行」や「積極的な摘発を推進していくため」「収容施設の整備及び効率的活用が不可欠」と打ち出されており、明らかに朝鮮・中国侵略戦争−新ガイドライン発動と連動した戦時入管体制構築の攻撃そのものだ。
 入管収容所こそ全アジア人民の怨嗟(えんさ)の的だ。日本の労働者人民は、闘うアジア人民と連帯し、階級的怒りで入管収容所を包囲し、解体しよう。
 (山口 修)

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週刊『前進』(1954号6面3)

 訂正

 前号1面、杉並行動の5段目、後ろから7行目の「国保と健康を守る会の代表」とあるのは「国保と健康を守る会介護要求部会代表」の誤りでした。

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