ZENSHIN 2000/02/28(No1946 p06)

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週刊『前進』(1946号1面1)

 衆院選勝利、闘う労働者党の建設へ

 3・12革共同政治集会に結集を

 高額保険料を取り福祉を奪う介護保険制度は絶対中止せよ

 岸本リコール!名護3月決戦へ

 二〇〇〇年決戦は、うなりを上げて前進すべき局面を迎えている。衆院選の勝利と闘う労働者党建設への総決起の場として、三・一二革共同政治集会への結集を、何よりも訴えたい。高額保険料を強制徴収し、福祉を根本から切り捨てる介護保険は、絶対に中止する以外にない。闘いはこれからだ。杉並を先頭に、一大反対運動を今こそ巻き起こそう。岸本市長リコールの大成功へ、二−三月名護決戦に決起しよう。連合とカクマル=JR総連の大転向、大裏切りを粉砕し、二〇〇〇年春闘の戦闘的爆発に向け闘おうではないか。

 第1章 オーストリア情勢と30年代的危機の再来

 全世界のブルジョアジーが、米帝のバブル経済の崩壊がいつ始まるのかと戦々恐々としている。二九年型世界大恐慌の爆発は、全世界を三〇年代的階級闘争へとたたき込む。大恐慌は帝国主義国の一つや二つをつぶす激しさと深さをもって進む。この中で米日欧の帝国主義は生き残りをかけた争闘戦を激化させ、ブロック化と戦争への動向を強めている。
 こうした中で、欧州に大激震が走った。二月四日、オーストリアにナチスを礼賛する極右ファシスト・自由党主導の連立政権が生まれたのだ。欧州では、この事態は第二次世界大戦の出発点となったヒトラーのドイツ首相就任(一九三三年一月)の再来、あるいはドイツ・オーストリア合邦(三八年三月)の再現への道を開くものと受けとめられ、第三次世界大戦の始まりではないのかという危機感が広まっている。
 ハイダーは根っからのナチス礼賛者であり最悪のファシストである。元ナチス親衛隊員の集会で「皆さんがたは大変礼儀正しく、強い信念を今日まで持ち続けてこられた」と称賛し、ナチスの強制収容所を「懲罰所」と称してユダヤ人虐殺を居直り、ヒトラーの行った強制労働を「第三帝国の雇用政策は秩序正しかった」と礼賛している。こうして元ナチス軍人や元親衛隊員に支持を広げてきた。
 何よりもハイダーは、「移民がいるから失業が起き、賃金が低下する。移民がいなくなれば失業はなくなる」というデマゴギーで大衆の生活への不満を排外主義によって組織した。
 昨年十月の総選挙では、失業者を含む労働者階級の四八%、三十歳以下の若年層の三五%が自由党に投票したと言われる。エセ「改革」、エセ「現状変革」のスローガンで労働者大衆の階級意識を解体し、排外主義的に転倒させ、ファシスト的に獲得したのだ。
 ハイダーは国際世論を気にして入閣しなかったが、事実上の首相とみなされている。オーストリアでファシスト党が政権についたことは、EU諸国に衝撃を与え、一斉に非難声明が出され、制裁措置がとられた。
 だが、EUが二月四日に発動したオーストリアとの二国間の政治レベルでの外交関係凍結以上の制裁措置をとれば、EUの拡大にオーストリアは拒否権を発動しかねない。
 他方こうした中で、ドイツの保守勢力は、オーストリア新政権が打ち出した永世中立政策放棄とNATO加盟の政策が、ドイツ帝国主義の東方拡大への道を開くものだということから、新政権を積極的に支持する姿勢を見せている。まさにオーストリア情勢は、ドイツ問題の新たな世界史的登場と重なっているのだ。
 また、昨年十月、スイスでも移民受け入れに反対する右派国民党が選挙で躍進する事態が起きた。ドイツ、フランス、イタリア、ベルギー、スウェーデンは国内に極右政党を抱え、オーストリア情勢の波及に全ヨーロッパが震撼(しんかん)している。
 極右政権の登場に対してオーストリア人民は連日のように怒りの決起をしている。二月二日のウィーンでの数万人のデモ、四日には政権発足の宣誓式包囲デモや社会省占拠闘争や国会議事堂包囲闘争が行われた。さらに反ファシストのデモは地方にも拡大している。
 オーストリアとヨーロッパで、ついに三〇年代型階級闘争の時代が始まったのである。第三次世界大戦の危機が現実のものとなっているのである。

 第1節 ハイダー登場容認する日帝

 日帝は、ハイダー登場をなんら非難していない。なぜなら、日帝の内部では、「大東亜共栄圏」を賛美し、南京大虐殺を支持し、中国領・釣魚台は日本の領土だと主張して、占拠作戦をしたファシスト石原が東京都知事になっているからだ。自民党や自由党にも同様の政治イデオロギーの政治家がいる。日帝の政治の反動性はきわだっている。
 さらに、米帝がユーゴスラビア侵略戦争の結果として、ユーゴスラビア・コソボに巨大軍事基地(ボンドスチール基地)を建設していることは重大である。米帝はヨーロッパの火薬庫と言われるバルカン半島に戦争の足場をつくったのだ。これをもって米帝は欧州の激動とロシア|チェチェン情勢にすさまじい戦争重圧をかけている。
 これは、米日帝による沖縄・名護新基地建設と完全に連動している。米帝と日帝は、アジア勢力圏化をめぐり争闘戦を激化させながら、朝鮮・中国−アジアへの侵略戦争の発動のために、巨大基地を建設しようとしているのだ。
 闘うアジア人民と連帯し、闘う沖縄人民と連帯し、名護新基地建設阻止に立ち上がろう。
 米帝バブル経済の崩壊寸前情勢、米帝の対日争闘戦の激化を受けて、日帝・小渕は、新ガイドライン体制確立−朝鮮・中国侵略戦争−アジア大国化をやりぬくための戦争体制の確立、有事立法・改憲攻撃、賃下げと首切り・リストラ、社会保障制度の解体など、戦後階級関係の一切を転換する攻撃をかけてきている。
 また、特に小渕は施政方針演説で「単に教育制度を見直すだけではなく、社会のあり方まで含めた抜本的な教育改革が求められております」と言い、一月三十一日の自民党幹事長・森は代表質問で「戦後教育を支えてきた基本理念である平等、自由、権利を考え直すべきだ」と言っている。
 小渕の「教育改革」とは、社会に市場原理を導入して「平等社会から競争社会」に再編し、「個」の上に「公」=国家を置き、エリート育成に国家の全力を投入し、愛国心・国家主義・排外主義・天皇制教育で戦争体制を構築することを狙ったものである。
 すなわち、戦後的な反戦平和意識、階級意識を解体し、帝国主義戦争のために死ぬことができる「皇国臣民」をつくるというのである。

 第2章 福祉解体と首切りのファシスト石原都政

 日帝・小渕の攻撃の先兵が東京都知事・ファシスト石原である。二月七日、石原は大手銀行三十行に対して、二〇〇〇年から五年間の暫定措置で、法人事業税に外形標準課税(業務粗益に原則三%課税)を導入する、それによって年間総額千百億円の増収を図る、と発表した。
 現在の課税方式は収益標準課税方式と言われ、収益に対して課税されるので収益の増減によって税収も増減する。また、収益は粗利益から運営管理費や特別支出金を差し引いた経常利益に課税されるので、赤字企業には課税されない。
 外形標準課税は粗利益(売上収益金)に課税するので取りはぐれることはない。不況で赤字経営にあえぐ多くの中小企業にも課税される。石原がやろうとしていることの本質は、安定財政を確保するための戦時型課税方式の導入である。
 ファシスト石原は、日帝がやりたくてもやれないできた外形標準課税の導入を、ファシスト的手法で敢行しようとしているのだ。
 つまり大手銀行=金融資本に対する人民大衆の怒りや不満がうっせきしているのを十分に計算して、あたかもそうした人民の怒りを代弁するような形で、実は中小企業をつぶし、労働者の賃下げと増税につながる外形標準課税の導入を、日帝の意図を先取りして実行しようとしているのだ。
 そもそもファシスト石原は、東京都財政再建プランで、@賃金切り下げと人員削減、A事業の統廃合・合理化、B福祉切り捨て、C外形標準課税などを政策の四本柱にあげてきた。Cの外形標準課税を導入することで、@からBまでの賃金切り下げや福祉切り捨ての攻撃を、銀行もそうしているのだから労働者人民も犠牲を我慢しろと、より本格化することは間違いない。
 ところが日本共産党は石原の外形標準課税について「わが党の主張が認められた」などと完全支持を表明している。民主党など全勢力がファシスト石原を称賛している。こうした許しがたい状況をぶっとばし、自自公政権と石原都政と闘うことができるのは、われわれと都革新の長谷川英憲氏しかいない。衆院選決戦勝利を闘いとる意義がますます大きくなっている。

 第1節 介護保険制度に怒りが噴出

 衆院選での最大争点、日帝の最大の攻撃が介護保険制度の四月実施である。介護保険は大増税と福祉解体の制度であり、絶対反対、絶対中止以外にない。
 (1)まず、介護保険料の強制徴収への怒りが巻き起こっている。「介護保険の一人平均月三千円なんて払えない。とんでもない。福祉が受けられないなら死ぬ」
6面につづく〜1面からつづく
 「年金からの徴収は苦しい」「夫婦で年金月十四万円、どうして生活していけというのか」「今でも節約に節約している。もし介護を受ける段になったら自己負担金がたいへん」「国民健康保険料の支払いだけでも大変、介護保険料などとても無理」「年金三万円しかもらっていない。生活できない」などなど、月々徴収される介護保険料自体に対する不満、怒りが爆発している。
 しかも介護保険は九割の人が掛け捨てになる。ところが「国民健康保険料も払えない」という人からも介護保険料は強制的に取り立てる。年金が月一万五千円の人からさえも天引きするという過酷なもの。日帝・政府が六十五歳以上の人については半年徴収凍結、その後一年間は半額としたのも、怒りの爆発を恐れたからだ。
 (2)また、自己負担についても「要介護1と認定された。月五万円ぐらいの年金で一割負担はきつい」「自己負担が増え、今までのサービスは受けられない。認定は厳しすぎる。政治家は何も分かっていない」など、認定の厳しさと自己負担が大幅に増えることへの怒りが噴き出している。
 (3)何よりも、介護保険によって、これまで受けていた介護が受けられなくなる。入浴介護の打ち切り、車いす貸与の打ち切り、訪問介護の削減などが行われる。
 さらに特養老人ホームなどの施設から何万人もが次々と追い出される。
 また、国民健康保険加入者が介護保険料を払わないと健康保険証を取り上げる。その他の医療保険加入者は給料から天引きされる。
 しかし、逆に介護サービスはぎりぎりに切り捨てる。介護を求めてもまず認定申請をしなければならない。これが実に面倒な手続きだ。しかも認定のための時間は短く、十分な検討もされない。切り捨てのための、あるいは介護度を低くするための認定なのだ。
 介護保険の目的は介護の保障ではなく、福祉の根本的切り捨てと社会保障費の削減にあるのだ。
 (4)だから介護保険では、介護サービスは民間産業が行うことになる。介護は厚生省のもとで、福祉ではなく利潤追求の営利事業となるのである。
 すでにドイツで導入された介護保険の悲惨な実態が暴かれている。多くの高齢者が床擦れを放置され殺されている。まったく同じことが日本でも起きる。しかし必要な介護は受けられない。「保険あって介護サービスなし」が、この制度の現実である。
 「二十一世紀日本の構想」懇談会報告は「社会保障も、国や公共機関に依存し受動的に一律の安心の提供を求めるのでなく、個人の主体的選択があり、それを支える制度整備を行う時代になった」と言っている。要するに福祉は権利ではなく、金で買う時代になった、金のない人民は悲惨な死に方をしても仕方ないと言うのだ。
 だが、福祉は人民の当然の権利である。いのちの要求である。
 介護保険の四月実施は絶対反対、中止せよ。介護保険制度をとりやめろ。一切の自己負担をなくし、介護は全額公費負担で。必要な人に必要な介護を。これが労働者人民の要求だ。

 第2節 名護新基地は戦争への道だ

 二〇〇〇年の最大の政治決戦は、衆院選決戦とともに米軍普天間基地の名護移設阻止と沖縄サミット粉砕の決戦である。
 名護市民はヘリ基地反対協を先頭に、岸本名護市長リコールに向かって全力で闘っている。日帝・小渕と岸本はリコール運動つぶしに総力をあげている。サミット戒厳体制の重圧をぎりぎりと強め、「特別振興策」や雇用対策などと称して金をばらまき、岸本後援会拡大運動を組織している。名護市民、沖縄人民とともに絶対にこれを粉砕し、岸本リコール−名護市長選勝利をなんとしてもかちとらなければならない。
 二−三月が完全に決戦になった。二−三月名護決戦なしに沖縄サミット粉砕決戦はない。世界危機、米帝危機、日帝危機の全重圧が新安保ガイドラインとSACOという形で名護−沖縄に集中的に加えられているのだ。沖縄人民の怒りと苦闘に真っ向からこたえる本土人民の決起こそが求められている。
 沖縄サミット粉砕決戦とはまさに新ガイドライン粉砕・SACO粉砕決戦である。日帝のアジア勢力圏化と侵略戦争への突進を許さない歴史的決戦である。二−三月、岸本リコール−名護市長選の勝利を全力でかちとれ。サミット粉砕決戦に進撃しよう。
 これと結合し、暫定滑走路建設阻止の闘いの勝利をかけ、三・二六三里塚全国集会へ結集しよう。
 ロシア軍によるチェチェン人民虐殺の侵略戦争を許すな!

 第3章 春闘-「日の丸・君が代」決戦の大爆発へ

 二〇〇〇年決戦の土台をなす労働運動における新潮流運動の前進をかちとるうえで、一・二八国労中央委員会闘争の勝利は大きかった。国鉄闘争は二−三月がさらに決戦である。ILO勧告を武器に五・二八反動判決を粉砕しよう。国労本部執行部を総退陣に追い込み、闘う執行部を確立しよう。カクマル=JR総連を打倒し、国労の再生・強化・発展をかちとろう。
 二月十一日、「日の丸・君が代」反対闘争が東京を始めとして全国で闘いぬかれた。人民の「日の丸・君が代」への怒りはすさまじい。「日の丸・君が代」攻撃は、子どもと、何よりも教育労働者を侵略戦争の担い手へと動員しようとするものであり、極限的な部落差別、排外主義・差別主義の国家的扇動である。「教え子を再び戦場に送るな」というスローガンがいよいよ真価を問われている。
 教育労働者は侵略教育反対、天皇制教育反対を鮮明にして断固として決起しよう。今春、卒業式・入学式闘争を地域住民や、部落大衆と一体となって断固闘いぬこう。
 千三百十一人の大量処分に続き、広島県教育委員会はさらに千三百七十人に厳重注意処分と二百五十四人に二千百万円の給与返還請求という第二次処分攻撃を広高教組へかけてきた。絶対に粉砕せよ!
 「日の丸・君が代」闘争と結合し、二〇〇〇年春闘の爆発へ闘おう。日経連労問研報告の賃下げ攻撃と対決し、連合とカクマル=JR総連の大転向、大裏切りを粉砕し、国鉄、都労連、全逓を先頭に戦闘的階級的な闘いを貫こう。
 二〇〇〇年決戦勝利の土台は党建設である。闘いのただ中で党勢拡大、機関紙拡大の闘いを猛然と推進しよう。三・一二革共同政治集会に総結集せよ!

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週刊『前進』(1946号1面2)

ストップ介護保険の署名を

 長谷川英憲氏高円寺駅頭で訴え

 自自公の横暴に屈服する野党

 高円寺駅前をご通行中の皆さん!

 介護保険の四月実施が迫ってきました。しかし介護保険の実施が迫ってくればくるほど、本当にいろいろと問題点もまた明らかになってきました。

 第1節 なくなる福祉

 私たちのもとにたくさんの人たちから切実な声が寄せられています。これまで受けていた介護サービスが受けられなくなる、杉並区から貸与されていた車いすを返してほしいとか買い取ってくれと言われた、というようなことがあります。また、これまでヘルパーさんに来てもらっていた方が介護認定の結果「自立」と判定されてヘルパーさんに来てもらえなくなる、買い物に行くにも病院に行くにも車いすを押してくれる人がいなくなる、という悲痛な叫びも聞こえてきます。
 私たちは、この介護保険は保険料だけ取られて介護のサービスが保障されない、こういう介護保険制度では困る、四月実施を強行するのではなくて、いったん中止して考え直してほしい、そういう署名を今皆さんにお願いしています。
 これまでに四千ほどの署名が集まりました。きょう厚生省に「介護保険反対」「介護をもっと充実させてほしい」「介護は生きる権利なんだ」という皆さんの思いがこもった署名を届けてきました。そこで非常に感じたのは、厚生省の介護保険の計画をつくった人たちは、介護が必要なお年寄りの現実のくらしを全然知らないのではないかということです。
 たとえば厚生省の介護保険準備室の役人は、「非常に濃密なサービスを受けていらっしゃる方の場合は確かに減るというケースはないとは言いません」と言いました。つまり厚生省の役人から見ると、やりすぎた介護のサービスが削られる、というわけです。
 しかし皆さん。皆さんやご家族が、ホームヘルパーや入浴サービスや、あるいは身体介護というサービスを受けていて、もうこれで十分だ、もうこれ以上のサービスはいりませんと考えているでしょうか。もっとヘルパーさんに家事や身体の介護をしてもらいたい、しかし一週間にたったの二回、それぞれ二、三時間ずつしか来てもらえない、もっと来てほしいんだという声は聞きますが、もうこれ以上は満足ですという声はないのが現実です。
 ところが、厚生省の介護保険を推進している役人には「濃密なサービスがありすぎるんだ」となるわけです。とんでもない話です。

 第2節 多額の保険料

 今介護を必要としている多くの人たちが、介護保険では多額の保険料を払っても、実際には十人のうちの一人しか介護が受けられません。四十歳から六十四歳までの人たちにいたっては、介護保険の保険料を払わされるだけで、交通事故でけがをしても介護保険の対象になりません。年をとっていくことで体の具合が悪くなる、いわゆる加齢による障害というもの以外は介護保険の対象になりません。
 四十歳から六十四歳までの人が、働けなくなって保険料が払えなくなった、失業したりけがをして払えなかった、そういった場合には介護が受けられないだけではなく、いわゆる医療保険の保険証が取り上げられて、医療が受けられなくなります。そういうことが、きょうの厚生省との話し合いの中で明らかになりました。まったく、介護保険はとんでもない制度です。
 私たちはさらに杉並の皆さんたちを始めとして、全国で介護保険の四月実施中止、そして介護は全額公費負担で、こう訴えて署名を広げます。そして、介護保険を強行して皆さんから保険料を取り上げ、医療さえ受けられなくなるようなこの制度を絶対に実施させない運動を広げていきたいと思います。
 今国会は、自民、自由、公明三党の与党のもとで、野党抜きの施政方針演説、あるいは衆議院の比例代表定数二十削減の法案の強行突破、そして予算委員会の開始と憲政史上かつてない国会の私物化、翼賛国会が行われました。直ちに解散をして総選挙を行え、という声はますます強くなっています。しかし、肝心の民主党や共産党、社民党などの野党は、ついに与党と手を打ってしまいました。
 自民、自由、公明三党の与党によって介護保険の強行、あるいは働いている人たちの老後を保障すべき年金の受給年齢を引き上げたり、あるいは年金の支給額を切り下げたり、とんでもない福祉の切り捨てが行われているのです。
 この自民、自由、公明の与党三党に対して私たち庶民の怒りがもっともっと突きつけられなければならない。しかし野党が頼りにならない、いや野党が与党に屈服して与党の横暴、翼賛政治に協力してしまっているような状態です。

 第3節 絶対に阻もう

 こういう状態をうち破って私たちみんなの怒りを国会にぶつけようではありませんか。私たちはこの十万人署名をもっともっと広げて、介護保険の四月実施を中止させたいと思っています。福祉は私たち人民の権利です。子どもたちの未来のためにも、この権利をしっかり守って頑張っていきたいと思います。
 介護がどんどん切り捨てられようとしています。生きるための権利である介護が、介護保険制度ではまったく守られない。福祉は権利だという考え方をひっくり返し、“福祉はこれからは国民が金で買うべきもので国は責任を持ちません”という、こんな制度への転換をみんなの力で絶対に阻んでいきましょう。

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週刊『前進』(1946号2面1)

 賃下げ・不安定雇用化のワークシェア認める連合

 ”日経連と理念は共通”

 全面屈服粉砕し春闘爆発へ

 二〇〇〇年春闘が本格的に始まった。日本帝国主義の戦争と大失業の攻撃、日経連労問研報告による賃下げ・大リストラ・首切り、社会保障解体攻撃と真っ向から対決し、労働者階級の切実な要求に基づく「大幅一律賃上げ」をかちとるために、労働組合の団結した力とストライキで闘わなければならない。ところが連合は、日経連に屈服しているばかりか、自ら春闘を解体し、賃下げ・ワークシェアリングを推進しようとしている。日経連労問研報告と「理念は共通だ」とうそぶき、帝国主義間争闘戦に勝ち抜くためには「高コスト構造の是正」が必要だとして、敵の攻撃を全面的に容認しているのだ。今春闘では、帝国主義的労働運動へと純化する連合とその先兵、カクマル=JR総連を弾劾し、連合の内外で闘う労組の共闘、新潮流運動を前進させることが求められている。そのために以下、連合春闘方針を徹底批判したい。

 第1章 昨年を下回る超低額要求で統一春闘の最後的解体狙う

 二月八日に私鉄総連が、九日以降には金属労協(IMF−JC)傘下の大手組合が、それぞれ資本に賃上げ・一時金などの要求を提出し、春闘交渉が本格的に開始された。しかし、その要求は超低額であり、統一闘争の解体を一層進めるものでしかない。
 連合が決定した方針は、三十五歳標準労働者の個別賃金要求方式でベア一%(三千百―三千三百円)と、最低だった昨春闘の要求を据え置いた。だが、金属労協はベア二千―三千円のゾーン要求とし、連合方針をも下回る。自動車総連がトヨタ、日産、本田のベア二千円(定昇込みで八千―九千円)、造船重機労連はベア二千円(定昇込み八千円)、電機連合もベア二千円、鉄鋼労連がベア三千円(複数年協定)などだ。
 ベア要求をそろえているがいずれも昨年より引き下げ、一時金要求では鉄鋼労連が統一要求基準を放棄するなど、バラバラの要求額となっている。
 とりわけ電機連合では、十七中闘組合のうち業績連動型一時金が導入される十組合が初めから一時金交渉を放棄している。電機連合委員長の鈴木などは、「連合が『引き上げ額』を決めて、全部の産別が同額の引き上げを要求する賃金交渉は、今年で最後にしなければならない」とうそぶき、連合春闘の最後的解体を主張しているありさまだ(一月二十七日、電機連合中央委員会。前号2面参照)。
 連合大産別がこのような超低額要求という中で、他産別や中小労組はベアゼロどころか定昇分すら割り込む厳しい闘いを強いられている。連合は「定昇相当分の確保」を優先して取り組む方針を提起しているが、そもそも大単産で一%を割り込むベア要求しか出さないで、どうやって定昇相当分を確保するというのか。しかも電機などでは、組合の合意のもとで定昇を廃止したり、年功的要素を排し成果主義を徹底する企業が相次いでいるのだ。
 日経連に屈服した春闘解体方針を断じて許すな。

 第2章 ワークシェアを「緊急措置」と容認した連合の「考え方」

 この中で重要なことは、「ワークシェアリング」への決定的な踏み込みである。今年の日経連労問研報告は、「労働時間の縮減に応じて賃金を削減することがひとつの選択肢」「正規従業員の仕事・価値を洗い直し、仕事の性格・内容によって時間給管理が可能なものは時間給賃金とする発想も必要」という、明確に賃下げそのもののワークシェアリングを打ち出した。さらに「多様な就労形態」も「柔軟なワークシェアリング」であると称して、不安定雇用化の推進を打ち出した。
 ところが連合は、この日経連のワークシェアリング論に基本的に賛成なのだ。電機連合の鈴木委員長は、「ワークシェアリング導入のための条件整備」として「時間あたり賃金の導入」を主張し、「労働時間を短縮し、その分賃金を下げる」という日経連のワークシェアリングに賛同すると言っている。自動車総連の草野会長も受け入れを認める見解を示した。そもそも九三年ごろから「労働時間半減、賃金半減」として最も露骨に提唱してきたのが、JR総連=カクマル・松崎である。
 連合は二月十日の中央闘争委員会で、「ワークシェアリング問題への考え方」をまとめた。そこでは「労使があらゆる対策・努力を尽くした上で、なおかつ雇用削減が避けられない場合の緊急避難措置」と位置づけて、限定導入はやむを得ないとしている。
 その上で、日経連のワークシェアリング論が「『雇用の分かち合い』というより『賃金の分かち合い』の提起になっている」と言って、日経連のワークシェアリング論と連合のそれは違うんだと弁解しているが、導入を認めるということは決定的な踏み切りなのだ。
 連合は、ワークシェアリングとは「必ずしも賃下げを伴うものではないことを基本とする」と言うが、これは場合によっては賃下げもあり得るということを認めるものである。ただし、労働時間の削減に比例して賃金カットすることまではしないでくれ、と哀願しているにすぎない。

 第1節 「雇用延長」は賃金大幅削減

 さらに、ワークシェアリングと一体なのが「雇用延長」である。年金支給開始年齢の段階的引き上げに伴う「空白期間」をどうするかという問題だが、これは定年延長ではない。六十歳でいったん退職した上での一年契約の「再雇用」という形態がほとんどだ。鉄鋼労連の「ハーフ勤務」(隔週や週三日)要求などに見られるように、短時間の不安定雇用化の要求である。しかも、この「雇用延長」導入と引き換えに、六十歳未満の労働者の賃下げまで強行されるのだ。
 百貨店の高島屋が二〇〇一年三月から導入する「雇用延長」では、「ワークシェアコース」がある。「週四日勤務日選択型」や「一日五時間、週五日勤務型」(時間給制)などで、本人意思の選択制だが、五十五歳から適用される。
 電機大手も、すでに昨春闘以来の労資協議で「雇用延長」を合意している。三菱電機では五十五歳から賃金が約八割に減らされ、六十歳以降では半分になる。さらに再雇用を希望するか否かにかかわらず、年金の総支給額が二〇一〇年の退職者で二五%程度減額になる。唯一「定年延長」で合意した富士電機でも、五十六歳から賃金一五%カットで、六十歳以降は四五〜五〇%の大幅年収ダウンとなる(八十歳までで、現行より累積七百五十万円の賃金・年金が減額になるとの試算もある)。
 これらも「ワークシェアリング」と称して、六十歳以上だけでなく労働者全体の賃下げのテコにされようとしているのだ。連合は、「雇用延長」の名のもとに、こうした総額人件費引き下げの攻撃に基本的に屈服しているのである。
 ヨーロッパで七四―七五年恐慌前後からの急激な失業率上昇に対して、さまざまな手法のワークシェアリングが導入されたが、それが失業率の“改善”に結びついたのは、オランダでパート労働者を急激に増大させたケース以外にない。オランダではフルタイム労働者とパート労働者の「均等待遇」が保障されているというが、賃金上昇率は抑制され、より無権利の派遣労働者などが増大しているのだ。
 ワークシェアリングなるものは、政策としてはすでに破産したものなのだ。
 ただし重要なことは、ヨーロッパでは時短による賃下げや労働強化、年金などの社会保障制度改悪に対して、労働組合が激しい闘いを組織していることである。今年二月一日から実施されたフランスの週三十五時間労働制では、ほとんど時短による賃下げは行われていないが、資本の側は不規則な勤務形態への変更などによって労働強化を進めようとしており、これに反対するストライキが闘われている。
 ドイツでも金属産業労組(IGメタル)などが時短闘争を展開し、業種や地方ごとの時短協定をかちとっている。IGメタルは今春、五・五%の賃上げを要求しており、また、年金の受給開始年齢を六十五歳から六十歳に引き下げても受給額の大幅減額をさせないことを要求している。
 連合は、こうしたヨーロッパの労組ほどの闘いを組織することもなく、結局は資本の賃下げ攻撃に屈服しているのだ。
 「日本型」と称してどのような装いを凝らそうとも、ワークシェアリングとは賃下げと不安定雇用化と労働強化以外の何ものでもない。このことをはっきりさせ、“ワークシェアリング絶対反対”を鮮明に掲げて闘わなければならない。

 第3章 ゛解雇のルールをつくれ゛と唱える電気連合・鈴木許すな

 こうした春闘解体、賃下げ・ワークシェアリング容認の連合の春闘方針の根底には、帝国主義的労働運動への純化がある。
 そこには、昨年の第六回大会で決定した「新政治方針」の基調が貫かれている。核心は、「経済的グローバル化」と称する帝国主義間争闘戦に勝ち抜かなければならないとする日本帝国主義に屈服し、敵の側に階級移行したことである。そこから新安保ガイドラインをもって朝鮮・中国―アジアへの侵略戦争に突き進む日本帝国主義の安保・防衛政策や改憲攻撃を基本的に支持し、戦争に協力するという立場に転換したのだ。そして、JR総連=カクマルが連合・新政治方針への「対案」で、安保・自衛隊容認を公然と表明し、連合のファシスト的先兵となっている。
 その上でここでは特に、連合の大転向を率先して推進している電機連合・鈴木委員長の発言を、あらためて批判しておきたい。
 昨年十月に出された『二十一世紀への挑戦――連合の新戦略』の中で、鈴木は「産業・社会の変化に対応した労働組合の意識改革を」と題して報告を行っている。
 鈴木はまず、「グローバル化は、世界の分業体制の変化」「労働集約型の産業はコストの安い海外に移っていくのは必然」と、帝国主義間争闘戦とアジア勢力圏化の立場から、「産業の変化」を論じ、そういう中で雇用を確保するためには「労働条件を、場合によっては柔軟化させていくということも視野に入れながら考えなければいけないし、ワークシェアリングという考え方も別な角度から検討しておく必要がある」と主張する。
 そして、「失業者が増えることに反対するというより……安心して失業できるシステム――むしろそちらにシフトさせ、重点はセーフティーネットのほうに置くべきではないか」「失業者のローテーションが行われるようなシステムをつくるべきではないか」「労働条件のあり方は、自らの値うちとしての業績主義、結果主義、付加価値を生む層の意識変化に対応した処遇ということに腐心すべき」などと、これが労働組合の指導部かと疑うような発言を次々行っている。
 また、一月の中央委員会でのあいさつの「『こういう場合には解雇が認められる』『こういう場合には認められない』というルールをつくるべきではないか」ということの真意は、解雇規制のルールをつくることではなく、むしろ解雇をやりやすくすることに重点がある。“弱肉強食”の資本主義の競争に労働者をたたき込むためのルールづくりということなのだ。
 これは、日経連労問研報告の「人間の顔をした市場経済」の論理とまったく同じであり、“競争に勝ち抜いた者が賞賛され、負けた者は首を切られてもセーフティネット(安全網)を用意するから、再びはい上がって競争せよ”ということなのだ。
 連合の「二十一世紀のワークルール」論の反動的核心は、ここにある。
 だが、連合路線は労働者へのすさまじい犠牲転嫁となるがゆえに、必ずや労働者の反乱を生み出し、連合の一層の危機と破綻(はたん)を促進するだろう。

 第1節 階級的労働運動の再生を

 いよいよ今春闘の爆発へと闘う時だ。そしてそれを突破口に、連合の帝国主義的労働運動を打ち破り、階級的労働運動を再生させていく決定的なチャンスを迎えているのである。
 二〇〇〇年決戦の緒戦において、一・二八国労中央委員会で、闘争団切り捨ての反動的「年度末決着」路線を打ち破ったことはきわめて重要な意義がある。今日の大リストラ攻撃、国鉄方式の首切り、産業再生法や民事再生法、さらに今国会で狙われている「商法改正」=会社分割法制などの攻撃が吹き荒れる中で、十四年目に突入する国鉄闘争が、ILO勧告情勢とあいまって広範な労働者と結びついて前進する展望が大きく開かれたのである。
 そして、国鉄闘争は何よりもJR総連=カクマルを決定的に追いつめている。連合の大転向をファシスト的に促進しているJR総連=カクマルを打倒し、日本労働運動の階級的再生をかちとるカギが国鉄闘争にある。
 階級的労働運動とは、資本と労働者の対立、その非和解性をはっきりさせ、資本によるあらゆる攻撃に対して労働者階級の利益を守り抜く立場から、労働組合の団結をつくり出し、前進させていく運動である。
 今春闘を闘い抜き、連合やJR総連=カクマル、日経連など資本家どものふりまくあらゆる反動的イデオロギーをきっぱりと拒否し、「資本主義にノー、戦争にノー」を掲げ、労働者階級が生きるためには、この社会―世界を変えなければいけない、そういう労働運動と労働組合の全国潮流を本格的につくり出していこう。
 衆院選決戦、沖縄普天間基地の名護移設阻止・沖縄サミット粉砕の決戦とともに、二〇〇〇年春闘を闘おう。「日の丸・君が代」闘争、都労連―自治労、全逓、そして国鉄闘争と結合して戦闘的に闘い抜こう。
〔大沢 康〕

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週刊『前進』(1946号2面2)

 革共同政治集会への総結集を呼びかける特別アピール

 同志の皆さん、支持者の皆さん。三月十二日に東京・杉並公会堂で開催される三・一四革共同政治集会への総結集を訴えます。
 革共同はこの政治集会を、衆院選決戦―二〇〇〇年決戦に勝利し、二十一世紀初頭に日本革命に勝利する展望を示す歴史的な政治集会とする決意である。
 百年前、一九〇〇―一九〇三年の恐慌と一九〇〇年の義和団事件を契機とする帝国主義の中国侵略戦争をもって二十世紀の幕が明けた。この十九世紀から二十世紀の境において世界資本主義は帝国主義段階に突入した。帝国主義は、三〇年代世界大恐慌を挟んで二度にわたって世界戦争を引き起こし、全世界の労働者人民を搾取と貧困と戦争の苦難にたたき込んできた。
 二十一世紀の前夜である二〇〇〇年もまた歴史の大きな転換点となろうとしている。死の苦悶(くもん)にあえぐ帝国主義は、大恐慌・大不況から侵略戦争に突入しようとしている。来る二十一世紀が再び世界恐慌と世界大戦の世紀となるか、あるいは輝かしい反帝国主義・反スターリン主義世界革命の世紀となるかは、二〇〇〇年決戦の帰趨(きすう)とわが革共同の飛躍にかかっている。革共同は、党の飛躍と日本革命の展望をかけて二〇〇〇年決戦に総決起する。
 二〇〇〇年決戦の第一の課題は、来る衆院選決戦に東京八区(杉並区)で長谷川英憲氏を推し立てて闘い、その当選を断固としてかちとることである。革共同は、勝利に向けて猛然と決起を開始している。
 衆院選決戦は、自自公翼賛体制とそのファシスト先兵・石原都政を打倒する闘いだ。その最大テーマは介護保険制度導入、福祉・社会保障解体との闘いである。
 介護保険制度は、労働者人民から高額の保険料を徴収し、現在行われている介護さえ奪い、福祉をビジネスに変え、利潤追求の手段にしてしまう。まさに「保険あって介護なし」の国家的詐欺行為なのである。
 日帝の体制的危機・財政的危機の中では、この介護保険導入の後には年金制度の改悪、医療費の大幅値上げ、雇用保険の改悪という戦後的社会保障制度の解体がもくろまれている。
 だが「福祉は権利」であり、労働者人民とその家族にとって生活といのちの切実な問題であり、革命党にとっても重大な戦略的課題である。この闘いに、革共同が本当に革命を勝利に導ける党に飛躍できるかどうかがかかっている。
 介護保険の四月実施が目前に迫るにつれて、介護保険の反人民的な正体が一層浮き彫りになっている。今や労働者人民の危機感と怒りが渦巻いている。杉並から「ストップ介護保険」の大運動を巻き起こそう。衆院選決戦勝利と介護保険四月実施中止を実現する道はここにある。
 革共同は、都政を革新する会の人びとと固く連帯し、衆院選決戦勝利をめざして全力決起で闘い抜く。
 二〇〇〇年決戦の第二の課題は、沖縄サミット粉砕・名護新基地建設阻止の決戦に勝利することだ。
 日帝による普天間基地の名護移設=新基地建設、沖縄サミット開催の攻撃は、沖縄人民の基地撤去の願いと闘いを踏みにじり、基地を強化・固定化するとともに、日帝の戦争国家化・アジア勢力圏化を進め、朝鮮・中国―アジア侵略戦争への道を開くものである。
 この日帝の差別的な沖縄への攻撃に対し、沖縄人民は怒りに燃えて歴史的決起を開始している。沖縄と本土の分断を突き破り、二―三月岸本市長リコール・名護市長選から七月沖縄サミット粉砕にいたる闘いの大爆発をかちとろう。沖縄を日本革命の火薬庫とせよ。
 革共同は、沖縄闘争に責任をとると同時に、新安保ガイドライン体制の確立に向けた有事立法・改憲を阻止する闘い、暫定滑走路建設粉砕決戦に突入した三里塚闘争、北富士闘争を始めとする全日本の反戦・反基地闘争を闘い抜く。
 二〇〇〇年決戦の第三の課題は、昨年の十一・七労働者集会に示された、戦闘的労働組合の総結集による闘う労働運動の新潮流形成の闘いをさらに巨大に発展させることだ。
 その当面する環は、国労中央指導部の年度末決着策動を粉砕し、国際労働機関(ILO)に三月最終勧告を出させ、五・二八反動判決を転覆し、解雇撤回・地元JR復帰を闘いとる国鉄決戦、「日の丸・君が代」強制反対闘争、都労連攻防、全逓をめぐる攻防に勝利することだ。
 二〇〇〇年決戦を闘うにあたって、どの戦線どの領域においても反革命カクマルとの激烈な決戦となる。
 七五年三・一四反革命は、カクマルのファシスト反革命としての本質を歴史に刻印した。三・一四反革命とは、カクマルが革命党と革命の前進にこの上ない恐怖を抱き、革命党の党首を虐殺し、革命党を抹殺しようとした反革命攻撃だ。この三・一四反革命をあいまいにしては、革共同の闘いも日本革命の展望もない。反革命カクマル完全打倒は、革共同と労働者階級人民が日本革命に勝利するための絶対的な課題だ。
 三・一四本多書記長虐殺から二十五年、われわれは今、三・一四復讐戦貫徹=カクマル完全打倒を実現する決定的な時を握りしめている。
 カクマル=JR総連は日帝の侵略戦争への全面協力を宣言するという歴史的大転向を行った。そして自らの反革命的本質の暴露を恐れて、闘う者への圧殺・敵対攻撃を繰り返している。しかし、それは逆に、闘う労働者人民がカクマルの反革命的な本質と手口を完全に見破る現実を生み出している。カクマルは自らの墓穴を掘っているのだ。
 今日、カクマルせん滅・一掃は、闘う労働者人民の共通の願いであり、正義の闘いである。革共同は、労働者階級の敵、カクマル=JR総連を完全打倒する闘いの先頭に立つ。
 闘う労働者人民は、革共同とともに二〇〇〇年決戦の勝利を闘いとり、二十一世紀初頭における日本革命の勝利の展望を切り開くために、革共同政治集会に全力で結集しよう。

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週刊『前進』(1946号2面3)

 交流センター第7回総会

 沖縄・衆院選に全力

 ”組織2倍化し11月へ”

 全国労組交流センターの第七回定期全国総会が二月五日、六日の二日間にわたって静岡県熱海市で開かれ、全国から多数の代議員と傍聴者が参加した。
 今年の総会は、昨年五月二十四日の新ガイドライン関連法の成立を受け、ガイドライン体制下の労働運動をいかに闘うかが問われる重要な総会であった。
 まず、佐藤芳夫代表運営委員のメッセージによる代表あいさつがあった。
 続いて次期衆院選に出馬を表明している長谷川英憲氏が来賓のあいさつを行い「衆院選の政策の柱に介護保険の問題を掲げ、十万人署名に取り組んでいる。本来なら日本の労働者もヨーロッパのように福祉問題、失業問題を取り上げゼネスト・暴動が起こるところまでいかないといけない。自自公への怒りを東京八区で介護保険推進派の現職・石原伸晃打倒に絞り闘いたい」と、衆院選決戦への決意を語り、支持を訴えた。全参加者は長谷川氏の当選へともに闘うことを確認した。
 辻川慎一事務局長は二〇〇〇年度運動方針案提起の中で、「われわれの各地域の闘いが、これまでとは画然と違った形で、本当に力ある闘いとして爆発してきた」と、昨年の闘いの前進を踏まえて、@階級的労働運動をつくりだす闘い、A反戦・政治闘争、B組織強化・拡大の三点を力強く提起した。
 続いて二つの特別報告があった。まず国労共闘の代表が、一・二八国労中央委で国労本部の「年度末決着」路線へ怒りが爆発したことを報告し、さらに沖縄労組交流センターの代表が職場における闘いと普天間基地名護移設阻止の現地闘争を生々しく報告した。
 各地域センター、産別部会の代議員三十三人が次々と発言し、活発な討論が行われた。全金本山やス労自主などの争議組合が闘争報告と支援要請を行い、勝利した組合が団結を維持しぬいた教訓を提起した。
 討論の中で、昨年の十一月労働者集会に職場から多数の結集をかちとった民間産別の青年労働者Aさんの発言が特に注目を集めた。
 Aさんは、「昨年どうしてあれだけの人たちが足を運んだか。朝、会社の正門をくぐると執行部が目の前に立っている。来る人来る人をつかまえて十分なり十五分なりオルグする。それを毎日繰り返す。高度成長の中で育ってきた人たちが一日二日話を聞いただけでころっと考え方が変わることはありえない。一年のスケールでどうやっていくかが重要だ」と、日常的組織化を行えば青年労働者含めた職場丸ごとの決起が可能なことを訴えた。
 二日間の討論を踏まえ、中野洋代表運営委員がまとめを以下のように行った。
 「獲得目標は何か。組織拡大発展の年にしよう。機は熟している。二十世紀最後の年、あらゆる闘いの成果を踏まえて一大組織拡大戦に入る。一年間で会員を二倍にする。十年間で組織拡大の道筋を作り上げた。三労組陣形と、百万人署名運動がそれだ」
 「@沖縄闘争が決定的に重要だ。名護で市長リコール運動に入っている。沖縄・安保は日本革命の道筋だ。色々な戦術を駆使し、五・一五現地闘争を闘う。七月の沖縄サミットは現地総力結集で闘う。A総選挙決戦を闘う。自自公体制にどう審判を下すか。一矢報いる。B『日の丸・君が代』闘争と教育基本法改悪阻止の闘いが重要だ」
 「多くの決戦が目白押しだが、組織化を忘れてはいけない。国鉄闘争、全逓、都労連・自治労、教労、目もくらむような一年になる。闘いをやりきり十一月五千人の結集を。力無きものは涙をのむことになる。多くの労働者をどう組織化するかが問題だ」と、組織二倍化を基本に激動の二〇〇〇年決戦に決起することを力強く訴えた。
 最後に役員を選出し、二〇〇〇年度の体制を確立して画期的な総会を終えた。

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週刊『前進』(1946号3面1)

 福祉がなくなる!介護が奪われる!

 ”今まで濃密な介護を受けていた人はサービス低下”

 2・9署名提出行動 厚生省が介護切り捨て公言

 二月九日、ストップ介護保険杉並十万人署名運動は、長谷川英憲氏らを先頭に介護保険制度の四月実施中止を求める緊急署名を厚生省に提出した(前号既報)。だがその場で厚生省は、介護保険が介護の大幅な切り捨てであり、福祉に対する国の責任を放棄するものであることを公然と認め、居直った。介護保険の反人民的本質が一層はっきりと突き出された。
 「サービス水準が全体として低下するんじゃないかという話ですが、今まで措置制度の中で非常に濃密なサービスを受けていらっしゃる方の場合は、確かに減るというケースはまったくないとは言いません。それ以外の、今までサービス提供を受けていらっしゃらない方については、サービス提供を広く受けられる。だから、サービス量が減るんだとおっしゃいましたけど、総体としてみればまったく逆だ」
 長谷川英憲氏ら杉並区民の訴えに対し、厚生省の介護保険制度準備室の担当官は右のように言い放った。介護保険が始まるとほとんどの人が介護の切り下げになる実情を、具体例もあげて突きつけたことへの、厚生省の回答がこれである。
 「濃密なサービス」だったから減るのは当然とはなんだ! そもそもこれまで国が措置制度としてやってきた福祉、介護も、高齢者とその家族の現実の生活に照らしておよそ不十分なものでしかない。多くの人がぎりぎりのところで必死に生きてきたのではないか。それすら奪われたら今後どうすればよいのか。もはや生活が成り立たない、死ぬしかないという悲痛な叫びが今、続々と上がっているのだ。
 厚生省は、人民のこの切実な声を何ひとつ真剣に聞こうともせず、逆に“今まで国がしてやってきたことに感謝しろ、不満を言うなどとんでもない”と真っ向から開き直ったのである。まさにこれが政府・厚生省の本音だ。

 第1節 「責任は自治体」と国の責任放棄

 さらに厚生省は、介護保険の実施に責任を持つのは各地方自治体であって、国は直接の責任は持たない、文句があったら都や区に言えと公言した。
 「結局、サービス提供について、財源の面も含めて最終的に責任を負っているのは各市町村なわけですから、(住民への説明や問題点の解決などは)基本的には市町村の方でやっていただくことで、むしろそれが本来の地方自治のあるべき姿だと思う」
 さらに厚生省は、「都などが単独事業で給付水準を高くしていた部分について、そこをどうしていくかは地方自治体の問題で、私どもの関係するところではない」と発言した。
 この厚生省の発言は、具体的には次のような事例に関してのことだ。
 杉並で八十七歳のお年寄りが、一人では外を出歩けないため週一回ヘルパーさんのつきそいで買い物や医者に通っていたが、介護保険で「自立」と認定されてヘルパー派遣を受けられなくなる。こういうケースを放置するのかという追及に、「私どもとしては、そういった比較的健康な方、元気な高齢者の方に対して保険制度の枠でサービス提供する考え方は持っていません」と言い放ったのだ。
 そうした苦情は地方自治体へもっていけ、国は受け付けないというのである。まったくふざけた話ではないか。
 今ひとつ重要な争点となったのは、保険料をめぐる問題だ。
 これまで公費でまかなわれていた介護を保険に切り替えるのは国の責任の放棄だという鋭い追及に対して、厚生省側は「保険料を取ると国の責任の放棄だというのはおかしい。医療保険だって同じではないか」とむきになって弁明しようとした。
 だが「医療保険は、少なくとも医療が必要であれば受けられる。しかし介護保険は、現実には必要な介護が受けられないではないか」という長谷川氏の反論に答えられない。結局は「予算の制約がある」こと、しかもその予算は小渕・自自公政権のもとで最初から福祉に金は回さないとされているのを認めた。
 その上で、「税金であれ保険料であれ、必要なサービスに対する対価、負担はどういう形にせよ国民が持たなくちゃいけない」と、大衆収奪を自認し公然と開き直ってきたのである。
 これに対しては、「受益者負担と言うが、介護保険は負担のみ増えて受益は下がる制度だ。負担は低所得者にも『公平』におしつけられるが、実際には金のない者は必要な介護を受けられず、受益についてはおよそ不公平ではないか」という杉並区民の弾劾が即座にたたきつけられた。

 第2節 「滞納者は保険証取り上げ」と明言

 さらに、この場に同席していた同省保険局・国民健康保険の担当官は、介護保険の保険料を滞納した場合、四十歳〜六十四歳のいわゆる第二号被保険者について、健康保険証の取り上げを各自治体に義務づけると明言した。これも実に重大な攻撃だ。
 こうした政府・厚生省官僚の一言一句が、必死に生きている高齢者を侮辱し、労働者人民のいのちと生活を踏みにじるものだ。
 この恥知らずな言動に怒りをたたきつけ、介護保険を絶対に中止に追い込もう。杉並で始まった闘いを全国に広げ、衆院選決戦の勝利を切り開こう。

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週刊『前進』(1946号3面2)

 「障害者」の生存権奪う介護保険〈上〉

 社会の中で生きる権利否定し隔離・抹殺を狙う日帝・厚生省

 関東「障害者」解放委員会

 現在、日帝・厚生省は、介護保険制度を二〇〇〇年四月実施時点で六十五歳以上の「障害者」(四十歳以上の特定疾病を含む)に適用する方針を打ち出し、二〇〇五年にはすべての在宅「障害者」に拡大しようとしている。関東「障害者」解放委員会は、実施阻止・制度廃止を実現する立場から介護保険制度に反対する見解を以下に明らかにする。

 第1章 闘いとった地域自立生活を破壊する攻撃

 介護保険制度は、大増税と福祉切り捨ての大攻撃である。およそ改良の余地などない、粉砕の対象だ。
 この介護保険制度が「障害者」にもたらすものは何か。
 第一に、介護保険制度は「障害者」福祉の公費保障制度(措置制度)を破棄し、「措置から契約へ」という根本的転換をもって戦後の社会福祉の根幹を解体するものである。「障害者」福祉の切り捨てと大増税がもたらされるのだ。
 何よりも、「障害者」がこれまでかちとってきた在宅介護の公的保障を低下させ、とりわけ「重度障害者」を先頭に日帝の隔離政策を打ち破って歴史的に闘いとってきた地域自立生活を破壊する攻撃である。
 日帝は戦後一貫して「障害者」の在宅介護を家族の責任に転嫁し、家庭や地域に放置してきた。その中で五〇〜六〇年代、親による「障害者」殺しや無理心中という事件が続発し、社会問題になった。日共スターリン主義を先頭に「施設の貧困に原因がある」と「障害者」施設の拡充を求める要求運動が起こり、こうした要求に日帝による施設建設とそこへの「障害者」の強制的な隔離収容が推進されていった。措置制度のもとでの「障害者」施設の実態は、棄民政策とも言うべき非人間的なものだった。
 そこから六〇〜七〇年代、第二次安保・沖縄闘争の高揚とも結びついて、「障害者」の隔離収容の実態を告発し、社会の中で生きることを要求した地域自立生活の闘いが始まった。
 この闘いの核心には、全面介助すなわち二十四時間の介護が必要であるがゆえに、真っ先に社会から排除され、山奥の隔離施設に葬られ続けてきた「重度障害者」が、「一日四時間以上介護が必要な者は施設に入るべきだ」という厚生省方針を打ち破って社会への復帰をかちとる、血のにじむような闘争があった。

 第1節 命がけの闘いによる獲得物

 このように、「障害者」が歴史的に闘いとってきた地域自立生活は、日帝の「障害者」隔離・抹殺政策との命がけの闘いであり、「障害者」の人間的主体性の奪還をかけた「社会の中で人間らしく生きる権利」なのである。
 こうした闘いによって今日、@ホームヘルプサービス事業(ホームヘルパー・ガイドヘルパーの自薦登録ヘルパー制度)、A全身性障害者介護人派遣制度や、B生活保護の他人介護料などの組み合わせで、最高二十四時間の介護保障をかちとっている例もある。
 @のホームヘルプサービス事業は、すべての「障害者」を対象に唯一全国で実施されている介護制度であるが、九〇年に厚生省が介護時間の上限を撤廃した一方で、ほとんどの市町村では今も上限を設けている。
 当初、公務員だけだったヘルパーに、八二年に非常勤ヘルパーを導入して以来、介護労働者の労働条件の劣悪化を伴いつつ少しずつ介護時間が延長されてきた。九四年に、「障害者」が自分で確保した介護者を登録する自薦登録ヘルパー制度が採用されてから、市町村によっては介護時間の大きな延長が図られた。特に都市部では最高一日十四〜十六時間まで延びているが、全国的には週六時間程度である。非常勤ヘルパーを採用しているところでは一日三時間程度のところが多く、自治体による格差が大きい。
 ガイドヘルパー事業は「全身性障害者」と「視覚障害者」の外出のための介護制度であるが、九〇年以降ホームヘルプ事業に編入され、現在実施されているのは三千三百市町村の約一割である。
 Aの全身性障害者介護人派遣事業は、「障害者」施設の差別的実態を告発し「重度障害者」が地域で生きることのできる介護保障を要求した七三年の府中療育センター闘争をとおして、当初東京都による「重度脳性マヒ者等介護人派遣事業」として始まった。
 初めて自治体が介護に対して現金給付するというものだったが、当初は月三回、一日四時間でしかなかった。毎年の交渉で前進し、九七年に国のホームヘルプ事業に編入されて「全身性障害者介護人派遣制度」に変更され、現在は毎日八時間にまで延長をかちとっている。しかし実施されているのは都市部が中心で、現在は約百十の市町村である。全市町村の四%だけだ。東京で約六百人、大阪で約千人がこの制度を使っていると言われている。
 Bの生活保護の他人介護料は、生活保護を受けている「重度障害者」の介護のために支給される現金給付制度である。他の制度を使った上で、一日四時間〜十時間の介護が不足していると行政が認めた場合、福祉事務所長承認の一般基準として月約七万円、知事承認として約十万円、大臣承認の特別基準として約十三万〜十八万円の介護加算が支給される。
 これは、七〇年代初めに東京都が重度心身障害者手当を創設したのに対して、厚生省がこれを生活保護に収入認定しようとしたことに反対運動が起こり、それへの厚生省の対応策として始まった。大臣承認の生活保護他人介護料は、府中療育センター闘争が「重度脳性マヒ者等介護人派遣事業」をかちとったのと同じ過程で、七五年に府中療育センターから出て地域生活を始めた二人の「障害者」に初めて適用された。
 確かに二十四時間に近い介護保障をかちとっている「障害者」の数はまだわずかである。しかしこれは「障害者」運動が七〇年代以降の闘いをとおしてかちとってきた重要な獲得物だ。介護保険でこれを奪い去ろうとする日帝の攻撃を絶対に許さず、守りぬかなければならない。そしてすべての「障害者」の社会生活が実現されるよう、介護保障の前進をかちとっていかなければならない。
 厚生省は、介護保険制度の導入があたかもこうした問題を解決するかのようなキャンペーンを張っているが、これは「障害者」を欺く許しがたいペテンだ。

 第2章 「障害者」の意志抑圧し人間的主体性奪う

 介護保険制度では、最高でも一日に保障される介護は百十分が限度である。しかもその内容は、ある区の「標準モデル」では「朝夜二回、三十分づつの巡回型ペルパーと昼一回一時間の滞在型ヘルパーによる介護」とされている。これではトイレに行きたい時に行くこともできない。排せつや食事という最低限の生理的欲求すら満たせず、外出はおろか人間らしい生活はとうてい望めない。
 しかも、問題は介護時間の低下だけではない。介護は「障害者」が自分の意志を実現する手段であり、介護のヘゲモニーは「する側」の介護者ではなく「される側」の「障害者」にあるという、闘いの中で確立された「障害者」の主体性を尊重する関係が破壊されかねない。いったい一回三十分や一時間という制約された時間の中で、人間的ふれあいの中で行われるべき介護の何ができるのか。たった三十分や一時間で排せつや食事、着替え、洗面など過密なスケジュールをこなすということ自体が、介護を機械的なものに変質させ、本来「障害者」と介護者との信頼関係に基づいて「障害者」の意志やペースを尊重して行われるべき介護のあり方を否定してしまうではないか。
 これまで「障害者」は「ただでさえ人の世話になっているのだから文句を言うな」と、施設や家庭で職員や親から自分の意志を持つことを抑圧され、介護する側の言いなりになることを強要されてきた。「障害者」にとって地域自立生活とは、自らの意志を持ち、人間的主体性を取り戻す闘いそのものだった。介護保険制度は、この闘いの成果を差別的に逆転させてしまおうとするものである。
 まさに介護保険制度は、「障害者」が「社会で人間らしく生きる権利」としての地域自立生活を後退させるばかりか、「障害者」の中に「重度」と「軽度」の分断をあらためて持ち込み、特に「重度障害者」の施設への再収容を狙う攻撃だ。
 「施設から在宅へ」とうたいながらも、厚生省は「重度障害者」に対しては施設収容方針を変更していない。それは厚生省が九〇年以降に出した各種の答申にも一貫している。今回、日帝は療護施設など「障害者」施設の入所者は介護保険制度の対象から外す方針をとっている。介護保険制度に転換した在宅介護制度のもとで生きていけない「障害者」は、「自己決定」で施設に入れ、今後は“国家的強制ではないから文句を言わせないぞ”というのが厚生省の憎むべき思惑なのだ。

 第1節 「障害者」からも保険料徴収

 同時に、介護保険制度は、「障害者」と労働者人民に対する大増税であり、大衆収奪の攻撃だ。
 現行の公費制度(措置制度)のもとでは、「障害者」のいる世帯の所得が低ければ在宅介護サービスは基本的に無料で保障されている。
 だが介護保険制度は、「障害者」も保険料、利用料の徴収の対象とする。生活保護受給者の場合、保険料分が生活扶助費の支給額に上乗せされ、一割の利用料分は介護扶助が新設されて事実上、支出は増加しない仕組みになるが、目的は保険料、利用料の徴収対象に例外をつくらないことにある。それ以外は、ただでさえギリギリの生活を強いられている「障害者」からさえ無慈悲に保険料が強制徴収されるのだ。
 その上、一割の利用料が義務づけられる。「障害者」の場合、訪問介護の利用料は二〇〇四年までは三%に据え置くと言われているが、言い換えれば「障害者」を免除の対象にはしないということであり、二〇〇五年以降は利用料を三%からさらにアップするということである。
 さらに日帝は、二〇〇五年の全在宅「障害者」への介護保険制度の適用に向かって、二〇〇三年に「障害者」の介護制度を介護保険同様の契約方式にシステム替えする「新しいサービス利用制度」を打ち出した。
 これは、「障害者」がヘルパーを派遣する指定事業者と契約し、介護サービスを受けるというものだ。指定事業者には「利用・運営費補助」という形で行政が一部補助を行う。利用者には「利用料助成」の形で公費で助成する(指定事業者が代理受諾する)。公費の「障害者」ホームヘルプサービスに、二〇〇三年時点で介護保険と同様のシステムを導入し、二〇〇五年には財源を税方式から保険方式に移すというものだ。
 日帝・厚生省は、これまで公的施策として行われてきた「障害者」の在宅介護サービスのほとんどを、介護保険制度に移行させることを狙っている。
 それは、「障害者」と労働者階級人民全体にすさまじい大衆収奪の強化、大増税をもたらすものだ。

 第3章 ゛サービス水準維持゛はまったくのウソだ

 厚生省は「障害者」の反対を押さえ込むために、介護保険制度の適用によって「障害者」はどのような影響を受けるのかについては「現在検討中」として詳しい内容を明らかにすることを拒否している。その一方で、介護サービスの低下は起こらないかのような幻想をふりまき、政策参加路線の「障害者」団体を取り込み、それをもテコに攻撃を推進してきた。
 九七年の介護保険法成立時に、「障害者」が「六十五歳になる以前に受けていた福祉サービス水準を維持することができるよう必要な措置を講ずること」という付帯決議がつけられた。さらに九九年十月二十七日付の障害保健福祉部の事務連絡において、「全身性障害者、知的障害者、聴覚障害者、視覚障害者については(これまで受けてきた介護サービスを)引き下げない」と通知した。介護保険制度を使った上で、足りない部分を「障害者」施策を併用する形で埋めるというものである。
 また今年一月二十四日の厚生省方針では、「障害者」は月額利用限度額の全額を「訪問・通所系」(ホームヘルプなど)に利用できるとし、「要介護五」の場合はヘルパーの利用時間数上限が「毎日三時間」になったとも言われている。

 第1節 施策切り捨て断じて認めぬ

 しかし「引き下げない」と言われている全身性障害者介護人派遣事業ひとつをとってみても、実際には国単独の事業ではなく、国が半分、都道府県が四分の一、市町村が四分の一を負担する相持ちの事業である。政府・厚生省のみならず、各地方自治体が財政危機を理由に福祉予算の削減に走る中で、都道府県や市町村が予算を切ったら現状維持は不可能になる。
 ホームヘルプ事業の介護時間の上限撤廃がそうであるように、厚生省が何を言おうが市町村レベルでストレートに貫徹されるわけではない。「地方分権」の名のもとに、財政的裏付けなしに福祉権限の市町村への委譲が行われる中で、厚生省が無責任なきれいごとを言いながら地方自治体に福祉切り捨ての責任を取らせる仕組みがつくられている。付帯決議や厚生省事務連絡によってこれまで獲得してきた介護保障が守られる保証は絶対にない。
 しかも地方自治体は現行の福祉事業切り捨てに先立って、すでに新たな認可を制限し始めている。たとえすでに二十四時間に近い保障をかちとっている「障害者」の介護が守られた場合でさえ、これ以上は認めないという切り捨て方をしてくる可能性は強い。
 何よりも十・二七事務連絡は、「全身性障害者」以外の脊椎(せきつい)損傷など「下肢障害」の「障害者」は介護が低下することを明言したものであり、重大な「障害者」介護の切り捨て攻撃である。絶対に許してはならない。
 さらに厚生省は生活保護他人介護料の打ち切りも狙っている。四月施行を目前にした最終局面に至ってついに、生活保護他人介護料は、介護保険制度を優先し、「障害者」施策で補っても現行の介護時間を満たさなかった場合は残し、満たした場合は廃止するという方針を打ち出した。重要なことは部分的にせよ廃止に踏み切るということだ。「今後なるべく障害者施策でやる」と、将来は全面廃止の方向を出したのだ。
 現在全国的な「障害者」在宅介護制度としてはホームヘルプ事業と生活保護の他人介護料だけしかないため、「障害者」の介護保障が進んでいる都市部を中心とした一定の地域を除けば、「介護保険制度を補う障害者施策」と言ってもそもそも存在しない。そのため当面全面的な廃止はしないという以上のものではなく、それさえすでに受けている人に限られる。
 介護保険制度は本人の申請を受けて手続きに入る建前になっているため、本来は「障害者」の自発的な申請がなければ介護保険制度に強制的に移行させることはできない。市町村では介護保険制度に反対し現行の「障害者」施策の継続を希望する「障害者」をどうするかについて、これまでの公的「障害者」サービスの「一時ストップ」や「説得」などの方針が検討されていると言われている。しかしこれでは事実上の強制ではないか。 (つづく)

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週刊『前進』(1946号3面3)

 資本攻勢&労働日誌

 2月1日〜12日

 ●昨年失業率最悪の4.7%

 ●フランスで35時間労働制

 ●鉄鋼労連が「ハーフ勤務」

 会社分割関連新法 本人同意なしに移籍

●1日 1999年平均の完全失業率は4.7%で、現行調査の53年以降最悪だった98年を0.6ポイント上回り記録更新(グラフ参照)。アメリカは4.2%で日米が逆転した。
◇沖縄県の1999年平均の完全失業率は8.3%で、前年と比べ0.6ポイント上昇し、復帰後最悪となった。
◇フランス政府が導入した週35時間労働制がスタート。「賃下げなき時短」を掲げ労組側は超勤手当の割り増しなどを求め全国スト。
●3日 NKKは、4000人削減を柱とする中期経営計画を発表。グループ全体で3万3000人を2002年度末までに2万9000人体制に。
◇今春卒業予定で就職希望の高校生のうち、昨年12月末で内定したのは71.3%で、最低だった前年(76.8%)をさらに下回った。都道府県別で最も低いのは沖縄県の37.3%、ついで宮城県の54.6%。
●8日 政府は、先端分野での日本の技術開発力を高めるとして「産業技術力強化法案」を閣議決定し国会に提出することに。
◇1999年の月平均の失業手当受給者は前年比5.0%増の107万3000人となり、2年連続で過去最高を更新したことがわかった。
◇トヨタ自動車労働組合は、今春闘で業績を反映させる新しい一時金算定方式の要求を決めた。自動車業界では初めての試み。
●9日 企業が年金・退職金の積み立て不足の前倒し処理を加速させている。2001年3月期の退職給付会計導入を控えて。(日経)
●9日 鉄鋼労連は中央委員会を開き、定年後の雇用延長では労働時間と賃金を減らす「ハーフ勤務制」を来年春から導入するように求める方針。隔週や週3日勤務などで労働時間を半減させ、収入は在職老齢年金なども含めて退職時の6割確保を目指すとしている。
●10日 連合は中央闘争委員会で、ワークシェアリングについてきわめて限定された条件の中での導入はやむを得ないとした。
◇労働省は、会社分割制度創設のための商法改定案の今国会提出に合わせ、移籍する労働者の労働契約などの承継ルールを定める新法案を今国会に提出する方針を決めた。現在、民法では「移籍の場合、本人の同意が必要」とされているが、新法では「分社化する仕事を主たる職務とする労働者は同意がなくても移籍させることができる」との規定を盛り込む。
●11日 東京都教育委員会が1月末、都立学校の全校長を集め、卒業式や入学式での「日の丸」掲揚と「君が代」斉唱を強く指示していたことがわかった。斎藤尚也指導部長が「命令と考えて欲しい」と念押しした。(朝日)
●12日 電機連合は、大手メーカーの教育研修を他企業の社員が受けられるよう求める。労組が労働力流動化の先兵に。将来は電機連合独自の能力開発センターや人材派遣会社まで設立する構想。

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週刊『前進』(1946号4面1)

 「日の丸・君が代」闘争が高揚

 2・11東京

 強制反対へ集会

 渋谷・繁華街をデモ

 「日の丸・君が代」法制化後初めての二・一一闘争が各地で闘われた。二〜四月卒業式・入学式での「日の丸・君が代」強制粉砕の闘いに立とう。
 二月十一日、東京・渋谷の渋谷勤労福祉会館で反戦共同行動委員会・東京反戦共同行動委員会の主催による「戦争への道を許すな! 二・一一『日の丸・君が代』強制反対のつどい」が開かれた。二百十人が結集し、国旗・国歌法制定に反撃する闘いとして意気高くかちとられ、「日の丸・君が代」闘争の全人民的高揚をつくりだそうと誓い合った。集会後、渋谷の繁華街を力強くデモした。
 主催者あいさつを三角忠東京反戦共同行動委代表が行い、「日の丸・君が代強制をはねのける闘いの出発点に」と呼びかけた。
 「日の丸」焼き捨て裁判元被告で沖縄・読谷村議の知花昌一さん、小田原紀雄さん、在日台湾人元日本兵の林歳徳さんが、「日の丸・君が代」闘争への決起を訴えた。
 知花さんは「去年は日本が一番戦争に近づいた年。いま後退するとどんどん押される。この流れを変えるために、ここで踏ん張って盛り返そう」とアピール。
 小田原さんは「新ガイドライン下の攻撃は、すべて戦争準備のため。天皇制との闘い、日の丸・君が代闘争をあらゆる闘いと合流させよう」、林さんは「日の丸の赤はわれわれの血の塊、白はわれわれの肉体。君が代を聞くとゾーと寒気がする。日本帝国が『聖戦』と言って行った南京大虐殺は悪魔の所業。揚子江には死体が数珠つなぎに流れていた。この過去を絶対に忘れてはいけない。二十一世紀を、闘う私たちの世紀にしたい」と訴えた。
 続いて、沖縄民衆会議の宜保幸男さんから「沖縄戦と戦後史の改竄(かいざん)及びサミットを悪用した基地の県内移設決定を弾劾し、ウチナンチュの歴史の真実を後世に伝えることと、那覇軍港・普天間飛行場など米軍基地の無条件撤去を要求する」と題する熱烈なメッセージが寄せられ、読み上げられた。
 東京反戦共同委事務局長の結柴誠一杉並区議が基調報告に立ち、「本日の闘いを二〇〇〇年日の丸・君が代闘争の全国政治闘争化の出発点に。教育労働者の職場からの総決起、地域での闘う教育労働者を支える闘い、部落解放同盟全国連合会を先頭とする闘いとの固い連帯を」と述べ、「日の丸・君が代」闘争の全人民的爆発への方針を提起した。さらに衆院選闘争、沖縄サミット粉砕・名護新基地建設阻止闘争、闘う労働運動の新潮流運動の前進への総決起を訴えた。
 都政を革新する会の長谷川英憲代表が、「無力な野党を倒し、介護保険四月実施阻止で自自公を倒そう。沖縄と結んで衆議選に勝利しよう」とあいさつした。
 教育労働者が次々に決意を表明した。東京の教育労働者は「今こそ論議を巻き起こし、しぶとく抵抗し、闘う労働組合を取り戻す。処分攻撃と対決し、西の広島とならぶ東の国立の闘いを実現する」とアピール、神奈川の教育労働者は「職務命令には撤回闘争、不服従闘争を続け徹底抗戦する」と発言した。広島労組交流センター教育労働者部会からのメッセージが読み上げられた。
 婦人民主クラブ全国協東京南支部、国立で闘う出版労働者連帯会議の労働者、解同全国連の代表が、卒業式・入学式での「日の丸・君が代」強制と断固闘う決意を表明した。全国沖縄青年委員会の新城峯子委員長、反戦自衛官の小多基実夫さん、闘う「障害者」の代表、大山尚行全学連委員長が、次々と闘う決意を表明した。
 集会後参加者は、公園通りから渋谷駅前、宮下公園まで、右翼の敵対をはねのけ、戦闘精神をみなぎらせ堂々とデモを貫徹した。

 日本原
 侵略演習阻止へ

 新たな出発を宣言
 二月十一日、中四国の労働者学生百人が、紀元節粉砕・基地撤去を掲げて日本原現地闘争に決起した。
 くっきりとそびえる那岐山山頂には降り積もった雪が白く輝いている。久しぶりに晴れわたった青空のもと、雪の残る日本原現地宮内地区の「防衛庁用地」(演習場周辺から農民を追放するために自衛隊が買収した土地)の一角を会場に反戦共同行動委の独自集会を行い、午後一時から現地統一集会が開催された。
 冒頭に、今年一月二十五日逝去された日本原農民・内藤太さん(八三歳)に黙とうを捧げた。続いて三里塚反対同盟の伊藤信晴さんが連帯のあいさつに立ち、「三里塚も日本原も農地を武器に勝利することを確信しています。ともにガイドライン、朝鮮・中国侵略粉砕を全人民の勝利としてかちとるために全力をつくします」と決意を述べ、三・二六三里塚現地闘争への総結集を熱烈に訴えた。
 反戦被爆者の会の大槻泰生さん、都政を革新する会の長谷川英憲さん、関西実行委員会の永井満さん、北富士忍草母の会などのメッセージが紹介された。部落解放同盟全国連陶支部、婦人民主クラブ全国協議会、全国労組交流センター、岡山反戦共同行動委員会、全学連、日本原現闘が、ガイドライン下での日本原闘争勝利の決意を表明した。
 最後に、内藤太さんの孫の内藤大一さんが遺影を抱いて発言に立ち、「本日、内藤太追悼を掲げた集会に集まっていただき感謝します。祖父は昨年九月に入院しましたが、その後意識が混濁する直前に見舞いに訪れた私に、『日本原の基地は撤去せにゃぁいけん』と語っていました。これが祖父の最後の言葉だった。私は今日このじいさんの遺影の前で、日本原基地撤去を責任をもって果たしていくことを誓います」ときっぱりと決意を表明し、全員が日本原基地撤去の決意を新たにした。
 集会後、自衛隊駐屯地までの約六キロのデモに出発した(写真)。デモの先頭には内藤太さんの遺影を抱いた内藤大一さんが立ち、デモ隊を迎える地元住民の多くが内藤太さんの遺影にあいさつを寄せた。
 この日の闘いは、侵略演習実力阻止を軸に日本原闘争の新たな出発を宣言して闘われた。また、六九年の地元奈義町議会の「大日本帝国憲法復元決議」による天皇の名による演習場反対運動圧殺への反撃として開始された七〇年以来の二・一一紀元節粉砕日本原現地闘争の地平を打ち固め、今日の天皇制攻撃の前面化に全力で立ち向って闘われた。反革命カクマルは完全逃亡し、日本原闘争への裏切りと破産を一層深めた。
 

内藤太さんの死を悼む

 全学連・反戦
 日本原現地闘争本部

 一月二十五日に逝去された内藤太三の葬儀が一月二十八日、自宅でしめやかに行われた。家族、親族、地元の多くの人びととともに、日本原現地闘争本部、革共同中四国地方委員会も参列し、その遺志をついで闘うことを霊前に誓った。
 内藤太さんは一九一七年奈義町に生まれた。その後戦争中は中国東北部に帝国陸軍の一兵卒そして派兵され、一九四七年帰国、奈義町の生家にもどり農業に従事してきた。侵略軍の一員として自らが犯した行為を深く反省し、戦後は一貫して日本原闘争の先頭に立って闘い抜いた。とりわけ居住した宮内地区は日本原闘争の中軸を担う地区で、その中でも内藤さんは婦人の故勝野さんとともに、家族ぐるみで闘いの中心を担い続けた人であった。
 また、私たちが日本原闘争に決起した一九七〇年以来、内藤さんは故鷲田正平さんらとともに、日共などの妨害にも関わらず革命派を快く受け入れ、常に実力闘争の現場でともに闘い抜いてきた。そして特筆すべきは、に本原闘争最大の武器である演習場内耕作地を守り続けてきたことである。まさに生涯をかけて日本原闘争の勝利、侵略基地の撤去を求めて闘い続けた人であった。
 私たちは、氏の冥福を祈るとともに、氏の遺志を体現して闘う遺族、地元農民とさらに固く結合し、氏の遺志ともいえる「基地撤去」の実現まで、全力で闘い抜くことを誓うものである。

 ”戦争の道許さぬ” 宜保さんが講演
 全関西集会に450人

 二月十一日、集会実行委員会が主催する「『日の丸・君が代』おしつけ反対―天皇制の強化を許さない―二・一一全関西集会」が、四百五十人の参加で、大阪・中小企業文化会館で行われました。
 主催者あいさつとして大野康平さん(百万人署名運動関西連絡会事務局世話人・弁護士)が、「昨年、周辺事態法、『日の丸・君が代』法、組対法、団体規制新法が強行されました。また政府は、沖縄サミットをうちあげて米軍基地の拡大強化と恒久化をはかろうとしている。沖縄では戦争と平和、正義と不正義の息詰まる闘いが日々闘われている。地底の熱いマグマを沸き立たせて地上に噴きだし、爆発させ闘っていこう」と訴えました。
 これを受けて呼びかけ人の藤原好雄さん(百万人署名運動・奈良県連絡会代表)、甲斐道太郎さん(大阪市立大学名誉教授)、高間悦子さん(滋賀・沖縄県人会会長)、高見敏雄さん(日本基督教団牧師)や、在日の立場から、在本土沖縄青年からの発言、高槻医療
・福祉労組と港合同南労会支部の発言が続きました。
 沖縄から前沖縄違憲共闘会議議長の宜保幸男さんが駆けつけて講演、沖縄決戦への本土人民の決起を訴えました。
 「国が国民を戦争に引きずり込んでいく時に一番の柱をなしたのが、天皇制と『日の丸・君が代』だった。戦後も天皇は自分の身を守るために沖縄を売り渡した。今なぜ教育現場に『日の丸・君が代』か。天皇のために戦争に行く人間をつくるためだ」
 「沖縄も今、歴史の節目。次の百年も沖縄戦に突っ込んでいったような沖縄にされるのか、それとも貧乏であっても自立して背筋を伸ばして正々堂々と人間として生きていけるのか、そういう岐路に立っている。団結力、結集力が大事です。沖縄の闘いの根源は沖縄差別に対する怒り。本土の人たちも私たちと手を取って闘えば、敵を打ち倒すことができる。政府は金や権力で沖縄内の民衆を分断しようとしている。今は政府と互角の闘い。これから四・二八や五・一五などの節目節目の闘いをしっかり闘って、沖縄サミットに向かっていく」
 続いて、中田潔部落解放同盟全国連合会中央本部書記長が発言に立ち、「『日の丸・君が代』押しつけは、新たな差別の強まりそのものだ。大阪の『日の丸・君が代』実施率が一番低いのは、子どもたちの教育と未来を保障する立場に立った解放教育運動の力。『日の丸・君が代』押しつけは、解放教育運動をたたきつぶすためのものだ。部落解放運動に対して、国益と一体化させることで部落民の権益を守るという運動に変われという攻撃がかけられている。そして全国連以外はこれに完全屈服している。解同本部派の牛耳る大阪のある支部では、『同和対策事業という特別対策事業を取れば、私たちも同じ日本の国民なんだ』と、解放運動をねじ曲げようとする動きが強まっている。昨年の天皇誕生日には解放会館に『日の丸』を掲げた。水平社の敗北した道を二度と歩んではならない。『日の丸・君が代』を始めとする戦争の政治と正面から対決する流れをつくろう」と訴えました。
 さらに大阪、兵庫、奈良の教育労働者が登壇。
 「教組の執行部が『台風が過ぎ去るまで待とう』と自ら闘いを引き下げる方針を出した。しかしいくら執行部が屈服しても、私たち組合員は屈しない。保護者も学校に申し入れをして、一緒に闘いをつくって欲しい」「先日、六時間に及ぶ職員会議を行い、一人も帰らず闘い抜いた。一人の教師は最後に『こんな形で学校がねじ曲げられていく世の中では、僕は教師にはなれません』と泣きながら宣言した。誰ひとり魂は失ってない」「私たちの手で闘う日教組を復権させる」「これまで日教組の幹部と校長との条件交渉のもと校門に掲げられてきた『日の丸』を、職場の団結をつくりだして必ず引きずりおろす。『日の丸・君が代』反対の申し入れを校長につきつけていく。地元の解同全国連との共同闘争をつくりあげる」。決意のこもった報告が続きました。
 最後に日本基督教団牧師の村山盛忠さんがまとめを提起して、難波までのデモに出発し、沿道からも注目を浴びました。(写真)
 「日の丸・君が代」闘争を職場・地域の団結で闘おう、名護新基地建設をなんとしても阻止しようと改めて決意した集会でした。
 (投稿 関西 R・H)

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週刊『前進』(1946号4面2)

 読者からの手紙

 辰野教育長を打倒しよう

 民間労働者 久保実

 先日組合の動員もあって集会に参加しました。今広島では広教組、高教組に対する処分が激しく行われています。広島県教育委員会の辰野教育長は、「破り年休」問題で高教組組合員千三百十一人を処分するという暴挙を行いました。日の丸を掲揚し、また君が代を歌わなければ処分するというかなり強硬なやり方できています。
 ヒロシマは世界で最初に原爆が落ちたところだし、戦後平和教育が行われてきたところです。辰野教育長は、一切の弁明も許さず、広教組、高教組をつぶそうとしています。
 われわれ反戦運動をしている勢力は、今こそわれわれ自身の問題として広教組、高教組および解放同盟広島県連と連帯して、辰野教育長の完全打倒をかちとらなければならない時期にきているのではないでしょうか?

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週刊『前進』(1946号4面3)

 広高教組の組合破壊狙う第二次大量処分粉砕せよ

 「日の丸・君が代」決戦勝利へ

 広島県教育委員会は二月十日、「組合年休(破り年休)」問題で、新たに広高教組の組合員一人を戒告処分とし、二百五十四人に対し二千百万円の「給与返還」を求め、「自己申告」を行った千三百七十人に口頭での厳重注意処分という大量処分攻撃を強行した。この攻撃は、「実態調査の職務命令に従わなかった」ことを理由にした昨年十二月二十八日の千三百十一人の大量戒告処分と一体の組合破壊の大弾圧であり、断じて許すことはできない。広高教組を支援・激励し、全労働者の階級的団結で処分を粉砕しよう。組合破壊攻撃を粉砕し、二〜四月「日の丸・君が代」決戦勝利へ階級的団結を強化し闘おう。

 第1節 「協約破棄」の暴挙を許すな

 第一に、そもそも「組合年休」=「破り年休」問題とは、組合活動破壊を目的とした辰野教育長による一方的な協約・慣行の破棄である。いわゆる「破り年休」とは、「教職員の膨大な超過勤務が何ら解決されない」中での「回復措置」として、「一応年休を出しておいて何もなければ出勤扱いとする」ということで校長会から提案され、一九七二年以来校長の許容で処置されてきた、労働者の権利である。それは明らかに「協約=慣行」にあたるものであり、しかも三十年以上続いているものなのだ。本来、「協約=慣行」を破棄する場合には「協議の場」が必要であるにもかかわらず、辰野教育長は、一貫して組合との一切の話し合いや交渉を拒否し、命令と処分という強権的やり方で「協約破り」「協約違反」をしてきたのだ。
 第二に、千三百十一人の戒告・昇給延伸三カ月処分の理由は「『組合年休』の調査に従わなかった者」=「『回答しなかった者(未提出)』『分かりません』と答えた者」というものであり、“反省して自己申告=自白”しなかったから重処分にしたということだ。辰野教育長は“『自己申告』(金に換算して返上)したら『訓告』で済ませてやる。そうでない者はもっと重い処分にする”と恫喝して、校長などを動員して陰湿な組合員の分断と懐柔工作を行い、「自己申告」を強要したのだ。
 第三に、その直接の狙いは、「教え子を再び戦場に送るな」「ヒロシマを繰り返すな」を教育の根本理念として掲げ、階級的原則に基づいた労働組合として、平和教育・解放教育を行い、新ガイドライン反対、「日の丸・君が代」強制反対の先頭で不屈に闘ってきた広高教組・広教組の解体を狙うものである。ヒロシマ教育つぶし・戦後民主教育つぶしの大攻撃である。
 ヒロシマ教育・戦後民主教育とは、「侵略戦争に協力・加担した侵略教育に対する深い反省を踏まえ、『教え子を再び戦場に送るな』をスローガンにした教育」であり、日帝の戦争政策と真っ向から激突する教育労働者運動である。
 日帝・小渕政権の新ガイドライン下での大転換として、この攻撃の階級的性格をとらえなければならない。まさに「侵略戦争を担える国民を育てる教育」への大転換をかけた攻撃だ。有事立法・改憲攻撃・教育基本法改悪の突破口である。「国家への忠誠と国益擁護、戦争への協力・加担」を求め、それに逆らう者は「非国民・国賊」として解雇・追放する超反動的国家主義的攻撃なのだ。
 「自己申告」という方法、「処分を使い分ける」方法、「申告しようとしまいと組合活動は有罪だ」とすべてを処分する方法、組合との話し合いや交渉を一切拒否して、組合員を分断する方法など、辰野教育長の手法のすべてに貫かれているのは“国家に逆らう者は解雇・追放する”という国家主義そのものであり、戦闘的・階級的労働組合を解体・根絶し、侵略翼賛の労働組合運動に変質させるという階級意志なのだ。

 第2節 組合員の4割こえる大処分

 第四に、言うまでもなく今回の追加処分は、先の処分と全く一体のものである。これはあわせて全教職員六千五百十三人中四一・八%にあたる二千六百八十一人が処分を受けるという前代未聞の大弾圧だ。このすさまじさ・デタラメさ・不当性・違法性、超反動性・反革命性に対し、腹の底から怒りを爆発させなければならない。まさに闘わなければ労働者は生きていけないことを示している。
 そもそも「苛酷で膨大な超過勤務」を強いておきながらなんら「正当な回復措置」もせず、ただ働きさせてきたのに、「泥棒」呼ばわりして「給与を返還せよ」などと言うことが許せるか。むしろ広高教組には、膨大な超過勤務時間に見合った給与・時間外の二四%を上乗せして正当に支払えと求める絶対に譲れない権利があるのだ。
 そもそも、十二月に強行された千三百十一人に対する「戒告処分」にともなう三カ月の昇給延伸によって県教委が強奪しようとしている「給与=賃金」は、生涯賃金にして何と四十億円近くなると言われている。さらにその上に二千百万円を強奪しようというのだ。労働者は「犯罪者」呼ばわりをされたうえに正当な賃金を強奪されようとしているのだ。辰野教育長やそれを支える藤岡自由主義史観グループの民間ファシスト運動、警察権力の反革命的暴力を恐れて、この事実が明らかにされていないことこそ問題なのだ。
 今回の追加処分は、九八年四月から九九年八月までの間で「破り年休」と県教委が一方的に判断した二百五十四人の総欠勤時間が六千六百時間、一人当たりの最多時間八十八時間、平均二十六時間、「返還請求」最高は二十七万六千円、平均は八万六千円である。「返還請求」の根拠は特定できる「証拠」があった場合としている。「組合年休(破り年休)を自己申告した」千三百七十人の厳重注意処分者中二百五十二人が返還対象で、それ以外に二人が返還対象、さらに一人が戒告処分となっている。
 この区別は何か。一般組合員と役員を分断し、組合員の組合離れを促進し、組合的団結を破壊することを狙った意図的な区別である。当然ながら組合側は何ひとつ資料を提出しておらず、県教委には正確な資料はない。これは県教委自身が「二百五十四人以外に返還を要求できない根拠は『裏付け証拠』となるものが存在しないから」と言って、組合活動を監視・スパイしてきた校長たちの「密告」に基づき、全くデタラメ極まりない「返還請求」を行っていることを物語っている。辰野教育長は「密告・スパイ制度」を教育労働運動の中に持ち込もうとしているのだ。
 これは、ファシスト石原都政による新勤評=「人事考課」四月実施攻撃や文部省の省令改悪による校長権限強化、組合否定・破壊のための「学校評議員制度」「職員会議の補助機関化」の攻撃と一体であり、その本質と実態である。

 第3節 教育改革攻撃と全面対決を

 そしてこの攻撃は、二〜四月の「日の丸・君が代」決戦、教育基本法改悪攻撃との闘いの爆発に恐怖した予防反革命的攻撃である。闘う広高教組・広教組をつぶすために、文部省・県教委辰野教育長とファシスト民間右翼・藤岡自由主義史観グループは、警察権力と一体の攻撃を繰り返している。藤岡自由主義史観グループは「辰野罷免要求署名運動」の高揚に恐怖し、「辰野留任署名」なるものを展開し、破産している。この攻撃に乗じて、教労潜入カクマル分子は、両教組の破壊を策動したが、みじめに破産している。われわれは、必ずや潜入カクマルを一人残らず一掃する。
 両教組を先頭とする戦闘的教育労働運動を守り、日教組運動の戦闘的再生をかちとることを全労働者階級の任務として確認しよう。二〜四月教育労働者運動をめぐる決戦を、春闘決戦と結合して闘い抜こう。
 二〇〇〇年卒業式・入学式「日の丸・君が代」強制反対に決起しよう。憲法改悪・教育基本法改悪との闘いはこれからだ。広高教組への千三百十一人戒告処分、千三百七十人の厳重注意処分、二百五十四人の「給与返還」攻撃を粉砕しよう。広教組・広高教組に対する「広域人事異動」攻撃を許すな。
 両教組への激励と県教委への抗議を集中し、辰野教育長を罷免に追い込もう。戦闘的日教組運動の再生をかけて二〜四月決戦に勝利しよう。

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週刊『前進』(1946号4面4)

 3・5全金本山労組結成20周年集会へ

 完全勝利へ新たな共闘を

 三月五日宮城県仙台市で、全金本山労働組合結成二十周年集会が開催される(宮城県労働福祉会館・午後一時)。「職場に団結、地域にとりでを! 新たな出会いと共闘を求めて!」を掲げ、全金本山闘争の勝利と、階級的労働運動の発展を切り開く新たな出発点となる集会だ。すべての闘う仲間の結集を訴える。
 全金本山労組の新組合結成から二十年間の闘いは、「一人の首切りも許さない」という労働組合の原則をかけ、あらゆる攻撃からこの魂を守り抜いてきた。全金本山闘争は一九七一年三月の青柳充氏への不当配転、懲戒解雇の攻撃から開始された。七〇年闘争を引き継ぐ最大の争議として、のべ百数十人の逮捕者、数千人の負傷者を出して闘われてきたのである。
 一九七九年、勝利を目前にした全金本山闘争の発展に恐怖し、その収拾にのりだしたのが、当時の総評・全国金属本部だ。今日の連合結成に向けて、全金本部の手で争議をつぶすことが「踏み絵」とされた。動労カクマルの「貨物安定輸送宣言」、動労千葉破壊攻撃などと軌を一にして、戦闘的労働運動破壊の攻撃が一斉にかけられたのだ。
 労働組合上部が組合つぶしを策す、具体的には中労委への白紙委任(解雇撤回の放棄)に従わなければ統制処分というやり方は、最悪の労働組合つぶしであった。当時組合員は本山資本の違法な就労拒否で職場を追われ、毎朝会社門前に集まって就労要求を行い、バイトに散る、という闘争を続けていた。バイト先もバラバラという困難な状況の中で組合員一人ひとりの決断が問われた。そして「一人の首切りも許さない」という労働組合の原則、労働者としての生き方は絶対に捨てられないと決断し、全金本山労働組合を結成したのだ。
 以来二十年間の全金本山労組の闘いは、労働組合の原則を守り抜く原動力となってきた。三月五日の二十周年集会には、石原都政にストライキをたたきつけた東京都区職員労働組合、JAM結成と決別した全国金属機械労組港合同、そして動労千葉などの闘う労組が多数かけつける。この陣形こそ全金本山闘争の大きさを示しているではないか。
 今まさに労働組合が問われている。多くの労働者が生きていくために団結を求めている。日経連の奥田会長は、「行きすぎた平等主義は『嫉妬の経済』」と、労働組合の原則を罵倒(ばとう)してはばからない。その先兵こそJR総連・カクマルだ。労働組合が首切りと戦争を推進するのか、それと闘うのか、二〇〇〇年決戦はその分かれ道だ。
 その進むべき道を先頭で切り開いてきたのが全金本山労組だ。「不就労」を口実に、社会保険まで取り上げられている。活動家でもない普通の労働者が、仲間を信じ、被解雇者を守り、「闘争にかけたわが人生に悔いなし」「労働運動に定年なし」と意気軒高と闘い続けている。労働者としての誇りがある。そんな三十二人の組合員一人ひとりの闘魂に、三月五日、じかに触れようではないか。この集会を新たな出発点に、全金本山労組の闘いに学び、職場に団結、地域にとりでをつくりあげていこう。
 本山資本は、ついに「二名の解雇撤回」を認めるところまで追い詰められている。「二名の解雇撤回、全員の原職奪還」の完全勝利まであと一歩だ。二〇〇〇年を全金本山闘争勝利から労働者の総反撃をかちとる年にしよう。三月五日の二十周年集会、それに前後する各地区の本山闘争報告交流集会の大結集で、新たな共闘をつくり出そう。

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週刊『前進』(1946号5面1)

 7月沖縄サミット粉砕へ

 2000年最大の歴史的決戦

 岸本リコール運動に勝利し名護新基地建設絶対阻止を
 七月沖縄サミット決戦は二〇〇〇年の最大の決戦であり、二十一世紀を切り開く大決戦である。革共同は、沖縄サミットを絶対粉砕する歴史的闘争に決起することを宣言する。この闘いは日本帝国主義、アメリカ帝国主義と沖縄人民、日本プロレタリアート人民、国際プロレタリアート人民との真っ向からの対決である。沖縄と日本の、アジアと世界の未来を決する巨大なスケールの闘いである。普天間基地の名護移設絶対阻止をかけて岸本市長を打倒し、その力で沖縄サミット決戦に勝利しよう。

 第1章 帝国主義への総反乱 国際階級闘争の焦点

 沖縄サミットは、日帝・小渕の一大反革命攻撃である。沖縄圧殺=ガイドライン貫徹、米日帝の朝鮮・中国−アジア侵略戦争の攻撃である。小渕は沖縄人民、日本人民の一切の闘いを押さえ込もうとしており、そのために史上空前の戒厳体制を敷き、市民的行動の自由や生活の自由さえ奪い、やりたい放題の横暴をふるってきている。しかし、われわれは全国から沖縄に必ず大結集し、沖縄サミット粉砕の大闘争をかちとる。革共同の名にかけて、日本プロレタリアート人民の矜持(きょうじ)にかけて沖縄サミットを粉砕する。
 同時に、これはプロレタリアートの国際的課題である。われわれは、朝鮮、中国、アジアの人民、全世界の人民に向かって、帝国主義を弾劾する闘いにともに立ち上がることを訴える。
 もともとサミット(帝国主義首脳会議)とは、世界の帝国主義強盗どもがその相互の矛盾と対立の激しさを根底に持ちながら、帝国主義としての世界支配を維持していくための会議である。そしてイラク・中東侵略戦争(湾岸戦争)やユーゴスラビア侵略戦争などの侵略戦争を進めるための会議である。世界の労働者人民にとって弾劾と粉砕の対象である。
 昨年のケルンサミットなどに対して巨大な闘いが巻き起こったように、今日、帝国主義に対する世界の労働者人民、被抑圧民族人民の怒りは満ち満ちている。帝国主義の侵略や最貧国債務の問題、環境問題などで全世界人民の我慢できない怒りが噴出しているのである。
 何よりもユーゴスラビア侵略戦争の虐殺者の頭目どもが集まるのだ。そしてこの帝国主義強盗がアジアで第三次世界大戦級の大戦争に向かって競いあって突進しようとしているのだ。
 特に今年は中国の参加が問題になっているが、サミットに対する中国人民・アジア人民の怒りの決起は不可避である。南京大虐殺の歴史を否定するファシスト石原を筆頭にした歴史の改ざん、開き直りに対する怒りが渦巻いている。日帝の釣魚台(「尖閣列島」)略奪に対する中国人民の怒りは大きい。さらに、韓国やフィリピンの米軍基地に反対する闘いも沖縄の闘いに連帯して広がっている。こうした数億、数十億の人民の怒りが七月沖縄に集中するのである。
 この闘いに連帯して立ち上がることは、日本のプロレタリアート人民の国際的責務である。「連帯し侵略を内乱へ」の闘いそのものである。
 沖縄サミットは、第一に沖縄を圧殺し、沖縄に新たな侵略基地を押しつけ、日帝の戦争国家化を推し進めるための儀式である。沖縄圧殺=ガイドライン貫徹の集約的な攻撃である。米日帝の朝鮮・中国−アジア侵略戦争体制を強化する攻撃である。沖縄基地の強化は必ず戦争に直結している。
 第二に、日帝が沖縄を踏み付けにして「アジアの大国」として登場しようとしていることである。アジアの代表づらをして、日帝のアジア勢力圏化を進めようとする意図をもっているのだ。
 第三に、治安弾圧体制を強め、全国の警察国家化を進めるものである。組対法、団体規制法(第二破防法)などの治安立法と結んで、サミットをかざして一切の反対運動を押さえ込もうとしている。また、海上保安庁だけでなく自衛隊も動員した戒厳体制として、自衛隊の治安出動、さらには一種の「周辺事態」の発動として構えているのだ。
 日帝権力のサミット超戒厳体制=「七・二一体制」を打ち破って、沖縄現地に全人民の一大結集をかちとり、最大級の大衆的戦闘的デモンストレーションをかちとろう。

 第2章 日本革命開く突破口 沖縄奪還綱領の真価

 安保問題は沖縄問題であり、沖縄問題は安保問題である。日米帝国主義間の争闘戦が非和解的に激化していく中で、日帝は逆に日米安保体制を強化し、その全問題を沖縄を基地の島として、どこまでもじゅうりんすることでのりきっていこうとする。この日帝の安保防衛政策の致命的構造的矛盾を、その最焦点の現地で激しく突きまくっていくことが必要である。
 日帝の差別的な沖縄政策に対する沖縄人民の歴史的闘争は、日本階級闘争にとって戦略的存在である。だから日帝権力はこの点を自覚して、本土人民の弱さをついて、沖縄と本土を分断して、沖縄圧殺を狙うのである。沖縄サミットを設定して、普天間基地の県内移設を強行することでこれを成し遂げようとしている。
 日米帝国主義間の関係として言えば、沖縄問題は、ひとつの帝国主義国(敗戦帝としての日帝)が、圧倒的に強大な帝国主義(=米帝)に自国の一部を膨大な軍事基地群として、あたかも軍事植民地のように与え、それを土台として侵略のための日米強盗同盟=安保同盟を進めてきたあり方自体が、日米争闘戦のすさまじい激化の中で、極限的に矛盾を深めているのだ。
 この無理が大きければ大きいほど、日帝・小渕政権は、沖縄への恫喝や「振興策」などあらゆる方法をもって沖縄人民に犠牲を押しつけようとしてくる。しかし「基地期限十五年問題」や「在日米軍駐留経費(いわゆる思いやり予算)の日本側負担」の問題などは、米帝と日帝との間で簡単に解決できる問題ではない。
 米軍基地撤去、普天間基地の県内移設阻止の大闘争の爆発は、この日米安保の結節点であり矛盾点を人民の巨大な怒りの決起で打ち砕く闘いとなるのだ。「沖縄米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」の闘いは、日帝の安保政策を根底から打倒していく唯一の道である。
 米帝・米軍にとって、沖縄基地の確保には第二次世界大戦の戦果という観点がある。さらに今では、在沖縄米軍基地は、アジア・世界をめぐる米帝支配を一層強め、日帝のアジア支配を阻止する戦略上のキーストーン(かなめ石)としての価値を高めている。
 そして、日帝はリアルな米日帝間の力関係のもとでの日米同盟、日米安保の全矛盾、全重圧を沖縄に強制し、なかば国内植民地のように沖縄を差別的に扱うことでのりきろうとしている。しかし、この矛盾、この無理性は、沖縄人民の怒りの大爆発を引き起こすことにならざるをえない。
 この沖縄人民の決起は、全日本の労働者人民への糾弾となり、激励ともなって、安保・沖縄闘争を自己の闘いとしてつくりだしていくものとなる。世界革命の観点に立ち、米帝打倒の立場をもち、かつ、それを何よりも日帝打倒として闘いぬく、革共同の安保闘争論と奪還綱領のみが、この現実を切り裂く革命的力を結集する武器となるのだ。
 沖縄サミット決戦はこういう闘いなのだ。日帝・小渕政権がいかにもがこうが、大弾圧体制をとろうが、今や沖縄人民にこれだけの巨大基地群を半永久的に押しつけること、そのために県内移設を暴力的に遂行することは、けっして究極的に成功しない。あまりにも理不尽であり、矛盾が大きすぎるのだ。
 日米安保体制をここで断ち切り、日米矛盾を激化させ、日帝の危機を激化させていくこと、それこそ日本革命への道を切り開く突破口となるのだ。
 すなわち沖縄サミット粉砕決戦とは、「闘うアジア人民と連帯し日帝のアジア侵略を内乱へ」と「米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」の戦略的総路線の実現そのものの闘いなのである。

 第3章 戦争への道打ち破れ 岸本打倒闘争の意義

 沖縄サミット決戦の勝利にとって、名護市長のリコールと市長選は決定的な環である。
 岸本は、リコール運動をつぶし不成立にさせることに全力を挙げてきている。岸本一派は、利権がらみで岸本後援会を組織し、「市長就任二周年激励会」を開いて、地縁血縁の縛りをかけてリコールをなんとしても圧殺しようとしている。
 岸本は内心人民の怒りで粉砕されることを恐れ、おびえているのだ。反動が吹き荒れており、情勢はけっして甘くはないが、しかし名護の人民の怒りは激しく蓄積している。これと正しく結びつくなら、勝利の条件は圧倒的にあるのだ。
 リコール(解職請求)は、リコール署名を集める受任者を集め、スタートから一カ月以内に有権者の三分の一以上の署名(名護では一万三千二百五十二人)を集め、署名後の提出、審査、縦覧を経て、署名告示から六十日以内に解職投票を行う。解職賛成が過半数であれば市長は失職し、五十日以内に新市長を選ぶ選挙が行われる。
 この制度のもとで、このリコール運動を成功的に貫徹すれば五〜六カ月の長期にわたる闘いとなり、七月サミット過程にもつれ込むものとなる。つまりサミットそのものを直撃する闘いなのである。昨年六月に「普天間移設問題が解決していなければ沖縄に行きたくない」と米帝クリントンは言ったが、まさにその「懸念」どおりの重大事態が生み出されるのだ。
 このリコール運動勝利のために、岸本市長に対する断罪点を明確にしなければならない。
 岸本はもともと一坪反戦地主であったが、社会的立場の変化に伴い変節した。二月六日の一坪反戦地主会第一八回総会は、岸本市長が普天間基地の名護移設に反対する大田前知事の決断に従うことを公約して市長になったにもかかわらず、名護市民投票の結果を無視して基地受け入れを表明したことを厳しく弾劾した。
 岸本リコール運動は、名護市辺野古への基地移設=新基地建設を絶対に阻む闘いである。この闘いの帰すうに九五年九・四事件以来の闘いのすべてがかかっている。
 しかも九六年九・八の県民投票で基地の整理縮小が県民の総意であることが数字として示され、九七年十二・二一名護市民投票で海上ヘリ基地反対が圧倒的に多数を占めた。ところが稲嶺知事と岸本市長は、この沖縄人民の意志を踏みにじり、「十五年期限」だとか「軍民共用」という条件を掲げて一度葬られた辺野古移設を再び受け入れることを表明したのである。
 岸本の移設受け入れは、移設地の場所、工法、規模などが何も分からないままの白紙委任として行われた。ただただ日帝と米軍に「ここに造ってください」と申し出るものであり、「振興策」なるものに絡めとられ買収された、無責任な決定なのである。
 米帝は、すでに普天間代替基地を「四十年使用・二百年耐用」とするとしている。そこでは最新鋭垂直離着陸機MV22オスプレイを配備することも決まっているのだ。このオスプレイは、騒音の大きさ、事故の危険ということでも現在配備されているヘリなどよりはるかに危ないものである。名護新基地は、沖縄の米海兵隊を朝鮮・中国−アジア侵略戦争に投入する主力輸送機となるMV22オスプレイの初めての海外展開基地になる。
 ユーゴスラビアのコソボに駐留している国際治安部隊の米軍兵士が十二歳のアルバニア系少女を暴行し殺害する事件が一月十三日に起こっている。まさに九五年九・四事件や戦後の沖縄で起きた数々の米軍犯罪を思い起こさせる事件だ。
 コソボでは、米帝は、数十億jを注ぎ込んで三百fの大軍事基地「ボンドスチール基地」を建設している。この基地は、イラン、イラク、ロシアを射程に入れた、米帝のヨーロッパにおける侵略戦争拠点である。米帝のユーゴスラビア空爆の重要な目的がコソボの軍事基地を獲得するためのものであったことが明らかになったのだ。

 第1節 アジア侵略の基地建設阻め

 基地は侵略戦争のための拠点であり、海兵隊はその殴り込み部隊である。他国の人民を虐殺することを日夜訓練している軍隊が常駐することがどんなに人間性を破壊するものであるかを、沖縄は戦後五十年間思い知らされてきたのである。
 軍隊は住民を守らない。軍隊と人民は共生できない。これが沖縄戦の血の教訓だ。「沖縄のため」と言って日帝が行ってきたことで沖縄の役に立ったことは何もない。たえず沖縄に新しい差別的な犠牲を強いてくるものばかりだった。沖縄人民はもはや安保のために新しい基地、基地強化を受け入れることは絶対にできない。
 日本の労働者人民は、日帝政府こそが元凶だということを銘記しなければならない。沖縄に犠牲を押しつけ、沖縄人民を分断し、買収し、新たな基地をつくろうとする日帝・小渕自自公政権に怒りをたたきつけなければならない。
 本土の労働者人民が立ち上がらなかったら、沖縄に犠牲を押しつける日帝を容認し、加担することになってしまうのだ。日帝の手先に転落した岸本を厳しく弾劾し、渾身の怒りを込めて決起した名護市民に心の底から連帯し、その闘いを勝利させるためにあらゆることをしなければならない。
 ファシスト・カクマルは、この間の名護での移設阻止闘争に対して「『県内移設反対』に反対」をスローガンに敵対と反革命介入を繰り返し、ヘリ基地反対協から明確に排除の対象となっている。カクマルは、名護市長リコール運動を「無益であるどころか犯罪的」と罵倒(ばとう)し、名護市長を擁護する側に回っている。今やカクマルを放逐し一掃することが沖縄闘争の発展にとって不可欠である。
 名護での二−三月攻防に打ち勝つことが決定的だ。全学連現地行動隊の奮闘を先頭に、沖縄現地の闘いを全力で闘いぬき、リコール署名達成、リコール投票勝利、新市長選勝利までの長い闘いを貫徹しよう。全国から名護への激励と資金カンパを集中しよう。全国の労働者人民の総力で名護決戦に勝利しよう。

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週刊『前進』(1946号5面2)

 チェチェン民族絶滅の侵略戦争

 ロシア軍のグロズヌイ占領弾劾

 二月六日、ロシア・プーチン大統領代行は、ロシア軍のグロズヌイ制圧をもって「チェチェンが解放された」と称し、「テロリスト掃討作戦の完了」を宣言した。だが、ロシア軍が実際にやったことは「解放」や「テロリスト掃討」などではなく、チェチェン人民の民族自決の否定、大量・無差別の民族虐殺とグロズヌイの徹底破壊だ。
 ロシアのチェチェン侵略戦争は、一九九四―九六年のチェチェン侵略戦争での敗北を取り戻すために、ロシア軍のチェチェン撤退と二〇〇一年のチェチェンの地位の確定をうたった九六年八月の和平合意を破って強行された反革命的暴挙だ。このような大ロシア主義的な民族虐殺そのものの侵略戦争を絶対に許してはならない。
 チェチェン共和国のマスハドフ大統領は二月七日、「チェチェン全土でゲリラ戦を展開し、首都を奪還する」と宣言した。首都防衛のために戦ってきたチェチェン武装勢力の大半はチェチェン南部の山岳地帯に戦略的に撤退した。一万人の武装勢力が山岳地帯に拠点を構えている。首都奪還・チェチェン全土解放をめざすチェチェン人民のゲリラ・パルチザン戦争が本格化するのはこれからだ。
 ロシア軍は現在、グロズヌイを再封鎖し、市内にとどまったチェチェン武装勢力を掃討しようとしている。他方、山岳地帯の武装勢力を空爆で総せん滅する作戦を遂行している。ロシア軍は、大型真空爆弾を用い、洞穴に潜む武装勢力を付近住民もろとも大量虐殺する戦術をとっている。真空爆弾は、爆心から百b以内にいる人間を一挙にせん滅する威力をもつ。米軍がベトナムで用い、イスラエル軍がレバノンで用いた大量殺人兵器だ。大量破壊兵器の使用はロシアのチェチェン侵略戦争の不正義性、反革命性の表れだ。
 ソ連のアフガニスタン侵略戦争やロシアの前回のチェチェン侵略戦争がそうであったように、不正義の侵略戦争、力ずくの植民地支配は必ず敗北し、失敗する。ロシア軍は、当面の首都制圧にもかかわらず、実際には長期の泥沼的な侵略戦争に踏み込んでいるのであり、最終的な敗退への道を歩んでいるのだ。
 ロシア軍によるグロズヌイ徹底破壊、戦争犯罪(無差別虐殺、暴行、略奪)は九四―九六年を上回る。ロシア政府・軍に対するチェチェン人民の怒りと憎しみはますます募っている。ロシアが軍事力を背景にかいらい政権を打ち立てても、それはけっしてチェチェン人民に支持されない。逆に、チェチェン武装勢力は人民の支持を得て態勢を立て直すだろう。進駐したロシア軍の検問所や駐屯地は神出鬼没のゲリラの格好の標的だ。これらのことは前回の戦争で示された。
 グロズヌイは、見渡す限りがれきの山となっている。電気、ガス、水道、産業施設などあらゆる都市基盤が破壊され、機能を停止している。とても人が住める状態ではない。一部帰還したグロズヌイ住民は、自分の家が壊されただけでなく、ロシア軍に財産を奪われた現状を見て、途方に暮れている。五カ月の間、地下壕(ちかごう)に避難して生活していた数万人のグロズヌイ住民は、戦闘が終わってもなお、飢えと寒さと病と闘うことを強いられている。グロズヌイを退去した数十万人の避難民は帰るに帰れなくなっている。
 ロシア政府は二月十二日、総額千五百四十億ルーブル(約五千八百五十億円)の復興計画なるものを打ち出した。だがロシア政府が負担するのは一割だ。残りは外国や民間の資金をあてにしており、実現の可能性はまったく低い。
 ロシア政府は当面、チェチェン共和国の首都機能をグデルメスに移し、グロズヌイでは石油産業の復興を最優先課題にしている。ロシア政府は、チェチェンでの年間一千万dの石油採掘を目指し、石油精製施設を奪還して操業を回復すると宣言している。ロシアのチェチェン侵略の最大の狙いは石油利権の回復にある。
 日帝は、十一日の日ロ外相会談で一言もロシアのチェチェン侵略戦争を批判せず、ロシアを支持した。米帝とEUも介入を狙っている。ロシアのチェチェン再侵略・民族虐殺戦争を許すな。日帝のロシア擁護を許さず、民族解放戦争を不屈に戦うチェチェン人民と連帯し、日帝の朝鮮・中国―アジア侵略戦争を阻止する二〇〇〇年決戦に立とう。

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週刊『前進』(1946号5面3)

 2000年日誌 阻もう!戦争への動き

 2月8日〜15日

 米国防報告、10万人体制継続

 臨検時の「殺傷射撃」検討へ

●2000年版国防報告
 米国防総省が二〇〇〇年国防報告を発表した。「世界規模で政治的、軍事的な関与を続けていく」との基本姿勢をあらためて示し、二紛争同時対応能力の堅持や東アジア地域での米軍十万人駐留体制維持などの従来の政策継続を表明、北朝鮮による弾道ミサイル開発の脅威を強調し、ミサイル防衛計画の推進を強く打ちだした。また中国とロシアが二〇一五年以降、米国の競争相手となりうると指摘している。(8日)
●岸本市長、辞職しない意
向示す 岸本建男名護市長の就任二周年激励会が開かれ、岸本市長は「今後二年間をゆだねられるなら、市民と話し合いながら地域づくりをしたい」と辞職しない意向を示した。(8日)
●「憲法に自衛権明記を」と加藤紘一 自民党の加藤紘一元幹事長が講演で憲法改正論議の焦点となる九条の問題について「あの文章(九条)は読みにくい。自衛の戦力を持つと、言葉を明記してもいいと思う。諸外国も日本が個別的自衛権をもつことは当然と思っている」と述べた。(9日)
●沖縄北部振興方針4月にも 首相官邸で、沖縄県米軍普天間飛行場の名護市への移設に伴う沖縄県北部の経済振興策について、同県や地元市町村と話し合う協議会の初会合を開き、振興策具体化に向けた「基本方針」を四月にも策定する方針を決めた。(10日)
●都教委、君が代命令 東京都教育委員会が一月末、都立学校の全校長を集め、卒業式や入学式での「日の丸」掲揚と「君が代」斉唱を、強く指示していたことがわかった。通達を説明したうえで斉藤尚也指導部長が「命令と考えてほしい」と念押し。通達は、命令に従わない教職員は「服務上の責任を問われることがある」としており、混乱が予想される場合は都教委職員を応援に派遣するなどとした解説文も配布した。朝日新聞が報道した。(11日)
●「15年使用厳しい」と小渕 小渕首相が参院本会議代表質疑で、米軍普天間飛行場の返還に伴う代替施設の十五年の使用期限問題に関して「政府としては国際情勢もあり、代替施設に使用期限をつけることは厳しいとの認識を有している」と答弁した。(11日)
●爆音訴訟来月提訴 嘉手納基地周辺住民が騒音公害を訴える新嘉手納基地爆音訴訟準備会(中村清勇委員長)が原告団に約五千人の住民参加を確定、三月二十七日に提訴する方針を最終決定した。(11日)
●サミット中国参加に小渕が意欲示す 小渕首相が九州・沖縄サミットへの中国の参加について「中国はアジアの大国であり、何らかの形で中国の声をサミットに反映させることを考えたい」と述べた。(12日)
●ラプコン2時間停止 沖縄本島周辺上空を航空管制する米軍の進入管制レーダーシステム「嘉手納ラプコン」が、約二時間にわたって停止、その影響で民間旅客機六便に遅れが出た。米軍は国際的に慣習となっているノータム(安全運航のため、機長や関係機関へ知らせる情報)をあらかじめ通知していなかった。米軍は過失を認めているが、今月四日にも米軍と民間機のニアミス事件が起きており、強い批判と怒りの声が挙がっている。(13日)
●普天間代替、資料に「耐用40年以上」 米軍普天間飛行場の返還に伴う代替へリポートについて政府の技術支援グループが一九九六年十一月にまとめた「海上施設に係る技術検討・評価報告書」で、施設の耐用年数を四十年以上と記載していたことが、衆院予算委員会で明らかに。(14日)
●殺傷射撃の検討示唆 瓦力防衛庁長官が記者会見で不審船を停船させ立ち入り検査をする際の自衛隊の武器使用について「新たな法整備の必要性も含めて検討を進めたい」と述べた。海上警備行動が発令された場合は、警告射撃だけではなく、相手の乗組員に危害を与える射撃も認めるよう法整備する必要があるとの考えを示したもの。(15日)
●米軍機が着陸強行 米軍普天間飛行場所属の給油機一機とヘリ四機が、沖縄県石垣市の石垣空港に給油目的で着陸、約二時間後に全機が離陸した。フィリピンでの合同軍事演習に向かう途中とみられる。県は事前に「民間機の運航に支障が出る」と着陸しないように申し入れていたが米軍側は日米地位協定を根拠に着陸を強行。(15日)
●夜間発着訓練本土のみで開始 米軍横須賀基地(神奈川県)を拠点とする空母キティーホークの艦載機による夜間発着訓練(NLP)が厚木(神奈川県)、横田(東京都)、岩国(山口県)で始まった。十七日まで。(15日)
●米政府が15年期限を拒否 
 一月にワシントンで開かれた日米防衛首脳会談で、コーエン国防長官が瓦防衛庁長官に対し、沖縄県などが要望している米軍普天間飛行場の代替施設の使用期限を十五年とする問題について、明確に拒否していたことがわかった。(15日)

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週刊『前進』(1946号5面4)

 全学連沖縄現地行動隊名護奮戦記

 重大情勢迎え臨戦態勢決意

 B大学G・K

 沖縄の百年、全国の階級闘争の帰趨(きすう)を決する大決戦が本格的に始まった。日帝・小渕は「サミットを絶対に成功させなければなりません」(一・二八施政方針演説)と叫び、次々と政府閣僚を名護に派遣し、名護市民、沖縄人民の闘いを圧殺するために全力を挙げている。
 日帝の手先である稲嶺、岸本は昨年、名護市民の心の底からの叫びを踏みにじり「基地受け入れ」を表明した。岸本は「公約どおりのことをしたまでだ」と完全に居直って「リコールつぶし」をやることを決断し、「辞任しない意向を固めた。今後は、リコールの阻止活動を強化していかなければならない」と、反リコール運動をやることを公言している。二月八日には、稲嶺を始め全県の反動首長・議員を集め、「市長就任二周年激励会」という、事実上の「反リコール総決起集会」を行った。敵は一気にリコール運動へ襲いかかろうとしている。
 これに対し、ヘリ基地反対協や東海岸の住民を始めとして名護市民は闘いに立ち上がっている。ヘリ基地反対協は、受任者が九七年の市民投票の受任者数の六百を超える八百以上もの受任者が集まっていることを発表した。すぐさまリコール署名を集められる体制を整えている。
 二見以北十区の会は二月七日、名護市内デモを貫徹し、東海岸住民の人口の四割を超す千四十筆の「市長の基地受け入れ撤回を求める署名」を市長にたたきつけた。名護市街地では女性団体が毎週、ビラまきやデモに立ち上がっている。
 名護では岸本に対する怒りが渦巻き、「リコールだけではすまされない」「早くリコール署名をやりたい」という声が日に日に強まってきている。名護をめぐって革命と反革命が激しくぶつかり合う大情勢に突入している。
 この情勢の中で、わが現地行動隊の役割は重大だ。宣伝カー隊と、全戸ビラ隊が名護中をかけめぐり、名護市民の圧倒的注目、期待を一身に背負っている。とりわけ、東海岸は顕著だ。東海岸に宣伝カーが入ると、子どもから、オジー、オバーまでがかけよってくる。全戸ビラ部隊が入ると、「自分は反対と表だって言えないが、私の代わりにがんばって」というような激励の声や、カンパや差し入れが入ったりもする。行動隊が逆に励まされているのが正直なところだ。
 現地行動隊は重大情勢を迎え、名護市民の一人ひとりを対象化し、一人ひとりと生き生きと結合し、リコール貫徹=市長選必勝のため“臨戦態勢”をとり、絶対に県内移設=新基地建設を阻止する決意である。

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週刊『前進』(1946号6面1)

 日本共産党5中総批判する

 「党の提案が政治動かす」と自自公翼賛国会の加担者に

 一昨年九月の「安保廃棄の凍結」路線の大転向以来、日帝への屈服の度を深めてきた日本共産党が、一月十三日から二日間、第五回中央委員会総会を開いた。書記局長の志位和夫が幹部会報告を行い、「野党連立政権の展望」が強まったと述べ、「資本主義の枠内」での「現実」路線が実を結びつつあると自賛している。日共が総選挙を前に、危機に立つ日帝の反人民的政策を後押しする路線を一層推し進めていることを暴露する。
 高田隆志

 第1節 改憲叫ぶ民主党に無批判ですり寄る

 志位はまず「情勢発展の特徴と日本共産党の政策・路線の生命力」の項で「悪法が連続的に横行しているが、そのことが自らの体制的基盤を確実に掘り崩している」と「自民党政治のゆきづまり、ゆがみ、危機」を分析している。
 「これまで公明党は、野党に身を置きながら、自民党と内通し、反共で野党を分断するという役割を果たしてきました。これらの役割は、この党が野党にいてこそ果たせる役割」だったのだが、「自民党は、この党(公明党)を与党に取り込むことで、自らの国会対策の切札を失うことになった」「自民党は、みずからの支配体制延命の『安定装置』をみずから壊すことになった」というのだ。
 つまり日共としては「公明党が野党陣営から与党側に移行したこと」で、「気持ちのよい国会共闘」ができるようになったというのである。
 これは、自自公連立政権ができたことを、日共としては「野党共闘の条件ができた」「野党が結束すれば与党の横暴を食いとめうる」ものとなったと歓迎しているということである。「二十年ぶりの出来事」だと言って喜んでいるのだ。
 そして「野党共闘では、互いに立場の違いはあっても横に置き、一致点を柔軟に探求し、その一致点が部分的であっても大切にして誠実に力を尽くす」と強調している。今日の民主党、社民党との野党共闘を何よりも大切にしていこうとしているのである。しかし、それも片思い的、一方通行的なものでしかない。
 日共の「国会共闘」のやり方は、「一点でも一致できる点があれば」という口実で、政策的な検討抜きに、その時々の具体的な一致で、国会での共同行動をとる、そしてそれをもって「共闘関係が深まった」「わが党の国政における位置が高まった」とするものである。
 「野党間でも建設的な論争を行う」などと言ってはいるが、志位も不破も五中総の中で民主党批判をまったく行っていない。民主党の鳩山由紀夫代表は『文芸春秋』誌上で正面から憲法第九条の改悪を唱えているではないか。民主党はガイドライン法に賛成したではないか。このような民主党を丸ごと受け入れると宣言しているのだ。
 また、五中総ではファシスト石原都政については一言も言及されていない。そこに石原を容認する日共の立場が表れている。そもそも昨年六月の四中総では、都知事選で石原が当選し、日共系の三上が五位に終わったことについて、「選挙戦は知名度だけの争いになりがちで、その中でよりましな候補を模索するという傾向がひろがる」と言って、石原を「よりましな候補」と認めていた。
 そして昨年十二月十七日には、石原が主催した「首都機能移転反対一万人集会」に不破が出席してあいさつし、石原とエールを交換し、それを『赤旗』で大々的に報じた。こうして不破はファシストとの「一点共闘」がありうることを実際に示してみせた。
 これは政権獲得以前のナチスとのさまざまな共闘をやり、労働者を敗北に導いたスターリン主義者テールマンのKPD(ドイツ共産党)を彷彿(ほうふつ)とさせる。しかも日共は、石原の反米主義に心情的思想的政治的に賛同していることは疑いない。

 第2節 朝鮮情勢を「平和」と描き侵略を免罪

 続いて志位は、「わが党の政策と綱領路線の生命力がいよいよ光っています」と言い、「マスコミも『日本共産党の存在感が増している』と注目している」と言っている。
 日共が現実に政府の施策に積極的に貢献した、と自慢し、支配階級に向かって“このような重要な領域で日本共産党はもっともっと建設的な役に立ちます”と売り込んでいるのである。
 その顕著な貢献の例として、「北朝鮮との外交の展開」「介護保険制度の実施にあたって保険料の徴収を先送りさせた」「原子力政策の再検討を認めさせた」といういずれも国政上重要な三点をあげている。
 北朝鮮については、昨年一月の不破代表質問で、「北朝鮮との正式な外交ルートの確立を」という提言をしたことが、現実政治を動かし、十二月の村山・野中らの超党派訪朝団の実現につながったとして、「これらの提言が生きた力を発揮しました」と自賛している。
 だが、朝鮮危機とは何なのか。北朝鮮が危険なことをやろうとし、それにどう対応するのかという問題なのか。そうではない。根底にアジアの支配権をめぐる日米帝間の争闘戦があり、米帝が日帝を抑えるために朝鮮を舞台に侵略戦争を起こそうとしているのだ。日帝はそれに対応し、必死で侵略戦争のできる国家づくりへ突進しているのであり、それがガイドライン法成立という形で表現されているのだ。北朝鮮「不審船」への海上自衛隊の警備行動発動という形で武力行使も現実に始まっている。
 昨年秋の米帝の対北朝鮮「経済制裁緩和」とペリー報告は、@基本的には強大な軍事力で北朝鮮を戦争的に圧殺する体制を継続・強化する、Aそれを背景に北朝鮮に核開発、ミサイル開発の断念を迫り、北朝鮮スターリン主義の国家的土台を揺るがす要求を突き付ける、Bこうして、北朝鮮に対する帝国主義的新植民地主義的政策を強める、というものであった。
 ところが、日共はこれらの動きをまったく逆転して描きだし、「(戦争法の発動の)対象地域の主要な一つとして想定していた北朝鮮をめぐって、昨年の秋以来、平和の方向に情勢の大きな変化がおこっている」と言って、ペリー報告を全面的に美化しているのである。「道理ある外交の力によって戦争法の発動の条件を失わせる展望が開かれつつあります」と言い、日米帝の戦争策動を弾劾するのではなく、“戦争法を発動しなくても北朝鮮を抑えられる”と言いたいのだ。
 日共が参加した村山訪朝団も、北朝鮮政策を米帝のヘゲモニーにゆだねている現実を覆そうという日帝の意志によるものであり、戦争法の発動から平和の方向へかじを切るというものではなく、ガイドライン法の発動そのものはますます切迫しているのである。日共の参加はそれに貢献しようと一枚かんでいる犯罪的なものなのだ。志位は「日本共産党の動向が、日本外交に影響を与えるようになりはじめた」と自慢するが、これは戦争翼賛勢力への転落を自認する言葉である。

 第3節 福祉奪う介護保険導入に賛成の日共

 介護保険については、昨年七月の日共の緊急提言では、「欠陥の改善に全力をあげるべきであり、その一定のめどがつくまでは保険料の徴収を延期すべきだという提起」をした、「その後、政府は保険料徴収を一定期間延期する『特別対策』をとらざるをえなくなりました。ここでも、党の提案が、政治の現実を一歩動かすことになりました」と言っている。
 日共は、「介護保険は国民的大事業」「だからそれにふさわしい準備を」という介護保険容認の立場である。「介護保険中止を」「介護は権利、全額公費負担で」という当然の要求と闘いには真っ向から対立しているのである。
 だが、絶対反対という原則的な立場のないところでは、さまざまな改善もかちとることはできない。実際には日共は介護保険推進派として労働者人民、高齢者、「障害者」の怒りと不満と危機感を抑える役割を果たしているのである。
 「原子力政策の見直し」の問題では、東海村の核燃施設の臨界事故の事故調査委員会の最終報告について「安全神話」にとらわれていたことからの「脱却を明記したことは重要」と称賛している。だが、日帝の核武装攻撃という本質をたださず、核エネルギー開発そのものは容認する日共は、結局日帝の核政策を支持するものでしかないのだ。
 さらに、五中総では、志位は「修正資本主義派との共同が現実味をおびた課題になりつつある」と言い、経済同友会の幹部の主張も日共の「大企業はその社会的責任を果たすべき」という主張と重なり合っていると言ってブルジョアジーを美化している。「修正資本主義派」というのは経済学者の一派ということではなく、日帝ブルジョアジーの「民主派」ということである。不破も、「いま経済界でも、“資本主義のあり方はこれでよいのか”という問題が、各方面から提起されている」とブルジョアジーに共鳴している。
 結局、志位は「わが党が主張している大企業の民主的規制という政策が、国民生活の向上にとってだけでなく、日本経済全体のまともな発展のためにも、深い必然性をもった、自然で合法則的な政策であることを、経済人の側からの認識として示した」と言って、日本資本主義の救済と発展のために日帝ブルジョアジーと意見が一致したと喜んでいるのである。
 戦争と大失業によってしか延命できなくなっている資本主義は、労働者によって打ち倒される以外にないということが日々明らかになり、ブルジョアジー自身が危機の中でのたうち回っている時、日共は、資本主義の生命力をうたい、資本主義の延命のための処方策をあげて、「資本主義の枠」を必死に維持しようとしているのである。その立場で総選挙に臨むことを党内外に宣言したのが五中総である。これこそ革命に徹底的に反対する日共スターリン主義の真骨頂である。
 五中総は日共の反革命路線を一段と深化させた。日共の「躍進」は労働者人民にとって何ひとつ前進を意味しないどころか敗北に転化するだけだ。衆院選決戦に勝利し、日共を打倒し、のりこえて闘う労働者人民の党の登場をかちとろう。

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週刊『前進』(1946号6面2)

市東さん追悼一周年に150人

 孝雄さん”私はテコでも動かぬ”

 二月十三日、「故市東東市さん追悼 一周年の集い」が三里塚芝山連合空港反対同盟の主催で、敷地内・天神峰の市東孝雄さん宅で開かれた。市東東市さんの闘いを偲(しの)び、遺志を継いで暫定滑走路建設阻止決戦に勝利しようと百五十人が集まった。
 会場では九八年十・一一集会で、全身から声を絞り出して三里塚闘争の勝利への決起を呼びかける市東東市さんの勇姿がビデオに映し出された。参加者は次々と遺影に焼香した。
 「集い第一部追悼式」が午後一時から始まった。主催者代表あいさつを北原鉱治事務局長が行った。北原さんは「反対同盟としては最も惜しまれる一人を失った」と偲び、「人間はどう生きるべきかを全国の人に示した」と市東さんの遺志を継いで闘おうと訴えた。そして「暫定滑走路攻撃を粉砕するかどうかに日本の将来がかかっている。三・二六全国集会へ結集を訴える」と締めくくった。
 全関西実行委員会の山本善偉世話人は、「どんな時にも『心配はいらない。三里塚は勝利する』と私たちを奮い立たせた」と振り返り、「この一年、政治の流れはきなくさくなっている」が「市東精神で闘えば必ず勝利できる」と、追悼の言葉を捧(ささ)げた。
 次いで、三里塚教会信徒代表の戸村義弘さんが「裏表のない、首尾一貫した不屈の魂の持ち主。死してますます闘魂鮮やかな市東さん」と「戦場の同志」としての契りを熱烈に語り、空港反対闘争の完全勝利を願い市東精神をたたえる「鎮魂の詩」を朗唱した。
 反対同盟からは郡司とめ婦人行動隊長が、「市東さんは反対同盟の心の中に生き続けている。市東さんに続いて闘い暫定滑走路を粉砕する」と決意を捧げた。
 追悼の言葉に対する謝辞を遺族を代表して市東孝雄さんが述べた。孝雄さんは「父が亡くなって一年、政府・公団は使い物にならない暫定滑走路をつくるといって、家の周りをフェンスで囲い工事を始めました。土地を奪い、私たちを追い出そうとするもの」と弾劾した。「ここが踏ん張りどころ。私はテコでもこの地を動きません。反対同盟の原則を守り、動労千葉を始めとする労働者や沖縄で闘う全国の人びととともに全力で闘います」ときっぱりと宣言した。
 続いて「第二部暫定滑走路阻止・連帯と決意」に移った。最初に動労千葉の田中康宏書記長が、「敵の攻撃の嵐の中でも微動だにせず、不屈に闘う市東さんの遺志を引き継いで勝利の日まで闘う」と表明、「労働者の怒りを結集して闘う労働運動を大きく堂々と進めていく」と決意を述べた。
 ここで、北富士忍草母の会、淡路町空港反対同盟、部落解放同盟全国連長野県連準備会からのメッセージが紹介された。
 反対同盟顧問弁護団の葉山岳夫弁護士は「反対同盟は、運輸大臣二階俊博を相手取って、暫定滑走路工事の取り消し訴訟を二月十六日に提訴して闘う」ことを明らかにした。
 全学連現闘本部の代表は「市東さんが言っていたように三里塚闘争は日帝を倒す闘い。暫定滑走路建設を粉砕し空港廃港をかちとろう」と訴えた。
 「第三部会食」は、三浦五郎さんの音頭で献杯して始まった。市東さんゆかりの人びとが次々発言に立った。天田三紀夫革共同書記長は「二〇〇〇年日本階級闘争の中で、三里塚闘争の勝利をかちとろう。衆院選の勝利で三里塚勢力を国政に送り出そう」と呼びかけた。北小路敏同志は「きょう一番感銘を受けたことは孝雄さんがテコでも動かないと表明されたこと。三里塚が勝ち抜くことが日本階級闘争に不可欠」とアピールした。長谷川英憲都政を革新する会代表は「三里塚、沖縄を始めとする新しい人民の闘いの勝利のために衆議院選挙に立候補し、闘う」と決意を表明した。
 大山尚行全学連委員長は「全学連には市東精神が脈々と流れている。二〇〇〇年を三里塚と沖縄で勝利する。三・二六に総力結集する」と決意を表明した。
 会食をはさみ、参加した団体、個人から次々と市東さんの遺志を引き継いで闘うという発言が続き、集いは盛況のうちに終了した。

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週刊『前進』(1946号6面3)

 三里塚反対同盟

 暫定滑走路計画は違法

 運輸大臣を提訴

 二月十六日、三里塚反対同盟と顧問弁護士は、二階俊博運輸大臣を被告とする「新東京国際空港にかかる工事実施計画の変更認可処分取消請求」を、千葉地方裁判所に提訴した。午後一時半、反対同盟と弁護団は千葉地裁民事訴廷事務室に対して、反対同盟を先頭とする原告三十五人の訴状を提出し、受理された。
 提訴した反対同盟と弁護団は、午後二時から千葉県弁護士会館で記者会見を開き、新聞社とテレビ局から二十人が参加した。萩原進事務局次長の進行で、北原鉱治事務局長が暫定滑走路の無法性、違法性を暴き、反対闘争の正義を訴えた。また葉山岳夫弁護士が、暫定滑走路建設計画が、国際民間航空条約(シカゴ条約)と航空法違反の塊だと明らかにした。
 共同行動が反対集会
 組対法・団規法発動許さぬ
 二月十三日午後、東京・代々木八幡区民会館で、組織的犯罪対策法、団体規制法(第二破防法)発動に反対し、日帝の戦時治安弾圧体制への転換攻撃に反撃を訴える、「のさばるな警察/許すな戦争への道/自由を! 団結を! 二・一三集会」が開かれた。破防法・組対法に反対する共同行動の主催で、百八十人の労働者らが参加した。
 まず、古川友章さんが、「日の丸・君が代」法制化後、学校現場で日増しに強制の動きが強まっている現状を報告した。洋書センター闘争弾圧粉砕! 統一救対会議は、洋書センター争議への弾圧が「争議団連絡会議を犯罪組織」と描き上げて争団連破壊をもねらう組対法先取り弾圧であることを弾劾した。ネットワーク反監視プロジェクトの印鑰(いんやく)智哉さんは、盗聴の記録装置に、半年分の会話を記録可能な大容量のDVD・RAMが導入されようとしていると弾劾し、盗聴法廃止署名への協力を訴えた。
 共同行動の小田原紀雄さんが基調報告を行い、「日本の労働者階級は闘って生き残るのか、警察管理社会という名の檻(おり)の中で逼塞(ひっそく)を余儀なくされるのか、大きな岐路に立たされている」「団結した組織的な闘いでこれをはね除けよう」と訴え、第二破防法発動は「われわれ自身がすでにターゲット」と警鐘を鳴らした。
 第二破防法制定反対闘争の敗北の原因を、組対法闘争の高揚を再現させないという国家権力の攻撃拡大と運動の側の力量不足にあったと総括し、敗北を教訓化して、@観察処分、再発防止処分発動反対をわれわれの課題として闘い、A警察の権限強化と「予防弾圧装置」化と闘い、B団体取締法と有事立法との関係を明らかにしよう、C刑訴法全面改悪と闘い、D盗聴法廃止署名運動を闘おう、E組対法全国ネットを拡大しよう、F他領域の運動体との交流・提携を推進しよう、G組対法型の先行弾圧と闘おうと提起した。
 観察処分の被請求団体代理人の前田裕司弁護士が、団体規制法は憲法違反と弾劾した。
 「戦前・戦後の治安体制の特質」という題で、小樽商科大学の荻野富士夫教授が講演した。破防法の制定過程を詳細に分析し、今回の団体規制法が、予防拘禁制度も視野に入れ、権力が制定時に狙った「必要最大限度の立法」を目指したものであると指摘した。
 質疑応答に続いて、佐藤文明さんが住民基本台帳法=国民総背番号制をつぶしていこうと訴えた。沖縄の反戦地主で読谷村議の知花昌一さんは、岸本リコール運動の受任者が八百人を超えたことを報告し、絶対に基地を造らせないことを目標に闘っていくと決意を述べた。大阪の全国金属機械労働組合港合同の労働者が決意表明に立ち、「良好な労使関係維持のため」に弾圧が必要という権力の発言を紹介し、南労会支部にかけられた組対法型弾圧を弾劾した。
 最後に全員のシュプレヒコールで、組対法、第二破防法発動に反対する闘いへの決起を確認した。

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ZENSHIN 2000/02/28(No1946 p06)

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週刊『前進』(1946号6面4)

 共同行動が反対集会

 組対法・団規法発動許さぬ

 二月十三日午後、東京・代々木八幡区民会館で、組織的犯罪対策法、団体規制法(第二破防法)発動に反対し、日帝の戦時治安弾圧体制への転換攻撃に反撃を訴える、「のさばるな警察/許すな戦争への道/自由を! 団結を! 二・一三集会」が開かれた。破防法・組対法に反対する共同行動の主催で、百八十人の労働者らが参加した。
 まず、古川友章さんが、「日の丸・君が代」法制化後、学校現場で日増しに強制の動きが強まっている現状を報告した。洋書センター闘争弾圧粉砕! 統一救対会議は、洋書センター争議への弾圧が「争議団連絡会議を犯罪組織」と描き上げて争団連破壊をもねらう組対法先取り弾圧であることを弾劾した。ネットワーク反監視プロジェクトの印鑰(いんやく)智哉さんは、盗聴の記録装置に、半年分の会話を記録可能な大容量のDVD・RAMが導入されようとしていると弾劾し、盗聴法廃止署名への協力を訴えた。
 共同行動の小田原紀雄さんが基調報告を行い、「日本の労働者階級は闘って生き残るのか、警察管理社会という名の檻(おり)の中で逼塞(ひっそく)を余儀なくされるのか、大きな岐路に立たされている」「団結した組織的な闘いでこれをはね除けよう」と訴え、第二破防法発動は「われわれ自身がすでにターゲット」と警鐘を鳴らした。
 第二破防法制定反対闘争の敗北の原因を、組対法闘争の高揚を再現させないという国家権力の攻撃拡大と運動の側の力量不足にあったと総括し、敗北を教訓化して、@観察処分、再発防止処分発動反対をわれわれの課題として闘い、A警察の権限強化と「予防弾圧装置」化と闘い、B団体取締法と有事立法との関係を明らかにしよう、C刑訴法全面改悪と闘い、D盗聴法廃止署名運動を闘おう、E組対法全国ネットを拡大しよう、F他領域の運動体との交流・提携を推進しよう、G組対法型の先行弾圧と闘おうと提起した。
 観察処分の被請求団体代理人の前田裕司弁護士が、団体規制法は憲法違反と弾劾した。
 「戦前・戦後の治安体制の特質」という題で、小樽商科大学の荻野富士夫教授が講演した。破防法の制定過程を詳細に分析し、今回の団体規制法が、予防拘禁制度も視野に入れ、権力が制定時に狙った「必要最大限度の立法」を目指したものであると指摘した。
 質疑応答に続いて、佐藤文明さんが住民基本台帳法=国民総背番号制をつぶしていこうと訴えた。沖縄の反戦地主で読谷村議の知花昌一さんは、岸本リコール運動の受任者が八百人を超えたことを報告し、絶対に基地を造らせないことを目標に闘っていくと決意を述べた。大阪の全国金属機械労働組合港合同の労働者が決意表明に立ち、「良好な労使関係維持のため」に弾圧が必要という権力の発言を紹介し、南労会支部にかけられた組対法型弾圧を弾劾した。
 最後に全員のシュプレヒコールで、組対法、第二破防法発動に反対する闘いへの決起を確認した。

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