ZENSHIN 2000/01/24(No1941
p06)
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週刊『前進』(1941号1面1)
闘争団切り捨ての反動決着許すな
1・28国労中央委闘争への総結集を訴える
介護保険中止の闘いは今からだ
名護市民の基地移設反対の意志踏みにじる岸本市長リコールへ
二〇〇〇年決戦は猛然と火ぶたを切った。「介護保険四月実施中止」を最大のテーマに据えて長谷川英憲さんを先頭に開始された衆院選決戦、沖縄サミット粉砕・名護新基地阻止の決戦、戦闘的労働組合の全国的新潮流形成の闘い、この二〇〇〇年の三大決戦の勝利へ全力で決起し、必ず勝利しよう。この闘いの当面の最大の焦点として、一・二八国労中央委員会をめぐる決戦に総決起しよう。この闘いは千四十七人問題の反動的決着を許すかどうかの歴史的な決戦である。日帝・政府の国鉄闘争解体、国労つぶしの攻撃の激化の前にひれ伏し、自ら闘争団を売り渡し、国鉄闘争の幕引きのための「年度末解決」に向かって突き進む国労中央を断じて許すことはできない。闘う国鉄労働者を先頭にすべての労働者が総結集し、国労中央の策動を粉砕して二〇〇〇年決戦の勝利を切り開こう。
第1章 改革法承認を覆す組合員の総決起を
日経連は一月十二日に開いた臨時総会で、二〇〇〇年春闘でのブルジョアジーの側の交渉方針を示した労働問題研究委員会(労問研)報告を採択した。労問研報告は、「雇用を確保するためには、総額人件費を引き下げざるを得ないことを労使は客観的に認識すべきだ」「個別企業の支払い能力はさらに深刻な状況に置かれ、やむを得ず賃金の引き下げを迫られる企業も多い」として、「賃下げ」を明言する史上最悪の反動的提案をしている。
また、「ワークシェアリング」を掲げて労働時間を減らして賃下げを図ったり、パート・アルバイト化を促進することを提唱している。「賃金より雇用」と言っていることの中身は、このような露骨な賃下げ方針であると同時に、不安定雇用化とリストラ・首切り方針なのである。
一方、これに対して連合は十一日に拡大戦術委員会を開き、「定期昇給二%、ベア一%以上の賃上げ方針」を決定した。連合は要求水準を引き下げ、「賃上げで個人消費を回復することが景気対策にとって必要」という論理で、日帝ブルジョアジーが生き残りのために労働者階級に犠牲を押しつけてきていることに全面屈服・迎合している。
「ワークシェアリング」を真っ先に提唱したJR総連・松崎は、まさに帝国主義の労働者に対する攻撃の先兵であり、連合の反動的路線の率先推進者である。安保・自衛隊・改憲を容認した大転向のJR総連=カクマルが連合の先頭に立って資本攻勢への屈服を推進していることを怒りをもって弾劾し、連合=JR総連を打倒する運動を今春闘の中で貫いていこう。
労働運動の四大決戦として、国鉄、都労連、「日の丸・君が代」、全逓のそれぞれの決戦を闘いぬこう。その当面の最大の決戦は国労一・二八中央委員会をめぐる闘いである。
昨年三・一八臨時大会での改革法承認の強行と、それに基づく国労中央−高橋・宮坂執行部、チャレンジ一派、革同上村派らのあらゆる方法での国労売り渡し策動を徹底的に弾劾し、粉砕しぬこう。
ILO勧告が千四十七人問題を「遺憾」とし、五・二八東京地裁判決を事実上「ILO条約違反」として弾劾したことは、日帝の国鉄分割・民営化攻撃がいかに不正義の暴挙であるかを、誰にもわかるように突きつけた。だが、国労中央は、これをも武器に闘うのではなく、まったく逆に、いよいよ屈服の路線を突っ走ろうとしているのだ。ILO勧告をも武器にして闘うのではなく、幕引きを行うことは、事実上ILO勧告を政府と一緒になって踏みにじるというとんでもない裏切りを意味する。
年末に国労本部三役が社民党・伊藤茂とともに労働省と運輸省に行き、牧野労相と二階運輸相に「要請」を行った。ここで牧野と二階は、「重箱の隅をつつかないで出来ないものか」(牧野)、「双方が今決断の時だ」(二階)と国労側に迫ったといわれている。「重箱の隅をつつかずに」とはILO勧告などにとらわれずにということであり、「今決断の時」とは、昨年の「六・一〇運輸省メモを丸のみせよ」ということである。これは国労の全面降伏と闘争の終息を求めるものであり、国鉄労働者にとって絶対に容認できないものである。
JRの法的責任を問わない「人道的観点からの解決」という「運輸省メモ」を丸のみし、闘争団を切り捨てる「年度末解決」路線を許してはならない。
高橋・宮坂執行部、チャレンジ一派、革同上村派を打倒し闘う執行部を打ち立てる以外に道はないことはますます明らかだ。一・二八中央委決戦に総結集し、闘いぬこう。
この闘いを軸に、闘う労働組合の新潮流運動を今こそ前進させよう。
第2章 福祉解体との闘いは労働者の大課題
「介護保険絶対反対、介護は全額公費負担で」を最重要のスローガンとする衆院選決戦は、すでに東京第八区(杉並区)で力強く展開され始めた。福祉切り捨てに対する怒りは労働者住民の間に広範に渦巻いており、長谷川英憲候補の自自公政権と石原都政に対する弾劾、民主党、日本共産党など介護保険を容認するすべての勢力に対する批判、そしてこの制度を中止せよとの訴えは、大きな支持の声を集めつつある。
日帝の福祉解体の攻撃は、沖縄圧殺=ガイドライン貫徹、有事立法・改憲、戦争国家化の攻撃と一体のものだ。これとの闘いは、戦争と大失業の時代の階級闘争の重大な課題である。
介護保険制度の導入問題こそ、きわめて重要な日本帝国主義の攻撃の死活的な一環であり、かつ、その破綻(はたん)点である。しかも全労働者大衆、全住民が、抜き差しならない問題としてひしひしと感じている最重要テーマである。
日帝にとっては、今日、恐慌対策が最大のテーマとしてあり、それは直接には財政赤字=国債の巨額化としてある。この問題は日帝を死の苦悶(くもん)にたたき込んでいる。ここから出てくることは九〇年代をとおして追求してきた戦後的社会保障制度の解体の一挙的推進である。これは今、年金制度の全面的=体系的改悪の問題、医療問題=高齢者と「障害者」の介護問題、医療費の自己負担の問題などである。これらの本質は、「少子高齢化時代」というイデオロギーでペテン的に塗り隠しているが、端的に政府財政支出の削減であり、人民への自己負担の強制であり、福祉の領域を民間の福祉ビジネスの食い物にしていくということでしかない。
介護保険の四月実施をにらんで、大企業の福祉ビジネスへの参入が続々と図られている。日立製作所や東芝が介護ベッドなどの製品販売や訪問介護サービスの実施など多角的な事業化を始めるなど、大手電機メーカーが相次いで高齢者介護事業に乗り出している。人民から高額の介護保険料を取り立て、利用料もアップし、そこに大資本が利潤を求めて雪崩込むという構図が露骨に示されている。
「介護を社会全体の力で支える」などというのはまったくペテンだ。「社会的責任」とか「社会的連帯」という名のもとに国の財政支出を削減し、人民に大増税と自己負担を強制する。ここに戦後社会福祉や社会保障のあり方を百パーセント解体し、価値転換を図ろうとする日帝のイデオロギー攻撃があるのだ。
介護保険制度の実態は、膨大な保険料、介護利用料は取られるが、介護自体は切り捨ててしまい、金のない人は介護が受けられなくても仕方ないというものだ。こんなもののどこが「安心して老後を迎えられる制度」か。安心どころか、金のないものは死ねという攻撃である。労働者人民は生きるためにはこんな制度を粉々に打ち砕かなければならない。
この制度を強行しようとしている自自公はもとより、野党もすべてデタラメである。民主党はもともと菅が厚生大臣の時にこの制度の導入を決めている。
また、日本共産党は、介護保険制度自体は「国民的大事業」であり、「よい制度」だと認めているのである。ただ、介護サービス不足を解消するために、一定の「準備」をしてから施行せよと言っているだけである。こんなものは人民を欺くペテンだ。この制度自体が高額の自己負担の強制と、全面的な介護の切り捨てにあるという本質を塗り隠しているのだ。だから彼らは、自自公が総選挙を意識して「保険料徴収の延期」(たかだか六カ月程度だ)を打ち出したことに「わが党の意見が取り入れられた」などと美化することができるのだ。
第1節 福祉の解体と賃下げの石原
石原慎太郎は、特別養護老人ホームへの都の援助の打ち切りや老人福祉手当の全廃を始め、高齢者福祉、「障害者」福祉の切り捨てをまさにファシスト的に強行しようとしている。「(池田勇人の)『貧乏人は麦を食え』は至言だ。分相応の暮らしをしたらいいんだ」(週刊ポスト一月十四、二十一日号)と、「結果の平等」を攻撃するのが石原だ。だが、それは膨大な労働者人民、高齢者、「障害者」を路頭にほうり出し、切り捨て圧殺するものだ。断じて許してはならない。
6面につづく〜1面からつづく
この石原の息子の石原伸晃(東京八区の現職・自民党)は、介護保険突破議員連盟の代表である。保険料徴収の延期は手ぬるい、予定どおりどんどん行け、と叫んでいるのだ。この石原が父親とともに福祉切り捨ての先鋒(せんぽう)として突出しているのである。真っ向から挑戦して必ず打ち倒そうではないか。
介護保険強行か、介護保険絶対反対か。対決の構図と中身はきわめて鮮明だ。
ストップ介護保険・杉並十万人署名運動に全力で取り組もう。うなりを生じるような大運動にしよう。介護保険制度はただちに中止するしかない。そして介護は全額公費負担にするしかない。これこそが真の人民の利益だ。今年四月実施の強行は最大の災厄と混乱をもたらすだけだ。
たしかに「中止」「全額公費負担」という主張は、今日の帝国主義の危機とそこでのあり方を前提とすれば、体制の壁とぶつかるものである。しかし、労働者階級人民=住民は、そうしないかぎり生きていけない。高齢者介護ができない。その意味で、この問題は今日の帝国主義体制全体を真っ向から問う問題になっているのである。あらゆる既成勢力が帝国主義体制を守りたいがために労働者人民に犠牲を押しつけようとしていることに対し、労働者人民の根源的な利益のために闘うことが求められているのである。
この介護保険の問題は、今や「少子高齢化」時代という名のもとで、高齢者福祉の全体が切り捨てられつつあることのシンボル的な問題である。高齢者医療制度でも自己負担率が圧倒的に引き上げられようとしている。年金制度も高齢者への壊滅的打撃となって加えられようとしている。こうしたことはみなひとつのことなのである。
さらに、これは本来、労働運動の一大テーマである。連合などがゼネストをもって立ち上がるべきものである。労働者階級にとっては、@雇用、A賃金、B年金、医療などの家族的生涯的生活保障などがストレートな生きるための闘争分野である。Cもちろん戦争と戦争への労働者の動員に反対する闘いは、別格の大問題だ。こうした労働運動の重要分野の死活的な一角が、今介護保険制度導入と戦後社会保障制度の解体の攻撃にさらされているのだ。衆院選決戦は、この労働者階級の死活的利害をめぐる決戦である。
介護保険絶対反対を貫き、福祉・社会保障を国家に義務として強制し、われわれ人民の生存する権利として守りぬくために闘おう。その旗印を鮮明にして決起した長谷川英憲さんを先頭に、衆院選決戦をこのテーマで断固闘いぬき、必ず勝利しよう。
第3章 沖縄圧殺打ち砕く7月サミット決戦
日帝・小渕政権は、昨年末の名護市議会の基地移設促進決議の採決強行と岸本名護市長の名護移設受け入れ表明を受けて十二月二十八日、普天間基地の名護市辺野古沿岸域への移設を閣議決定した。ヘリ基地反対協は、岸本市長のリコール運動を宣言した。二、三月名護市長選から七月沖縄サミット粉砕にいたる沖縄闘争の歴史的決戦に全力で立ち上がろう。
普天間基地の名護移設攻撃の展開は、あらためて安保問題が沖縄問題であり、沖縄問題が安保問題であるという基本的関係を鮮明に突き出している。日帝は沖縄にあくまでも差別的に犠牲を集中して基地の永続化を押しつけ、それをもってガイドライン貫徹=安保強化を成し遂げる立場を宣言したのである。しかし、この日帝の差別的な沖縄政策に対して、「どこまで沖縄を犠牲にすれば気が済むのか」という沖縄人民の怒りに燃えた歴史的闘争が巻き起こっている。日帝・国家権力は、この点を自覚しているがゆえに、本土人民の弱さをついて、沖縄と本土を分断して、沖縄を圧殺しようとしている。沖縄サミットの設定=普天間基地の名護移設強行をもってこれを成し遂げようとしているのである。
したがって、この全体と対決して全力で闘うことがすべての労働者人民に問われているのである。とりわけ、本土の労働者階級人民が、日帝の沖縄差別政策を許さず、分断攻撃を粉砕して、沖縄人民との連帯を死活的に求めて決起することが絶対に必要だ。本土の沖縄闘争の爆発をなんとしても切り開こう。そのために、沖縄サミットが基地の名護移設と一体の攻撃であることを見据えて闘うことが必要である。
沖縄サミットは、第一に日本帝国主義が〈沖縄圧殺と戦争国家化〉を宣言する攻撃だ。世界の戦争の最前線である沖縄に帝国主義国家を集め、沖縄圧殺=ガイドライン貫徹を推し進め、基地沖縄の現実を「基地との共生」と称してポジティブに押し出そうとしているのだ。それは沖縄に今後五十年も百年も基地の島としての現実を押しつけると宣言するに等しい攻撃である。そして米日帝国主義の朝鮮・中国侵略戦争体制を強化する攻撃である。基地の島の永続化の攻撃は、必ず戦争に直結している。すなわち再び沖縄戦をもたらすのである。沖縄人民にとって、アジア人民にとって、日本労働者人民全体にとって断じて受け入れることのできないものである。
第二に、日帝が沖縄を踏み付けにしてアジアの大国として登場しようとしていることである。小渕は新年早々カンボジア・タイ・ラオスの東南アジア歴訪を行った。四月には南太平洋諸国会議を「太平洋・島サミット」と名称変更して開催して、その「成果」をもってサミットに臨もうとしている。小渕は「アジアの声を吸い上げながら世界経済にどう貢献するか話し合いたい」と言っている。明白にアジアの勢力圏化を進め、「アジアの盟主」として沖縄サミットに登場しようとしているのだ。
第三に、治安弾圧体制を強化し、沖縄を始め全国で警察支配を強め警察国家づくりを推進する攻撃である。一九八七年の天皇訪沖警備の治安弾圧体制では、事前の反人民的な警備体制が敷かれ、「過剰警備」として人民の怒りの的になったが、今回の弾圧体制はその比ではない。自衛隊、海上保安庁も出動する治安出動であり、有事体制づくりの攻撃として行われるのである。
このように、沖縄サミットは、沖縄圧殺、基地強化・固定化の攻撃であり、戦争国家化の攻撃であり、日帝のアジア大国化の攻撃であり、治安弾圧・有事体制づくりの攻撃である。すべての労働者人民にとって絶対に許すことのできないものであり、断固粉砕の対象である。
一・一革共同政治局アピールで提起された「名護新基地建設阻止・沖縄サミット粉砕」の闘いを全力で爆発させよう。
三里塚暫定滑走路建設阻止の二〇〇〇年決戦は、反対同盟の旗びらきと現地デモをもって幕を切って落とした。ガイドライン体制の実体づくりの攻撃として成田軍事空港建設が強行されていることと真っ向から対決し、日帝の理不尽な農民圧殺の攻撃を打ち砕いて、三里塚決戦に勝利しなければならない。三十四年間の不屈の反対同盟と三里塚闘争の歴史的成果を一から学び、血と汗でかちとった地平を守りぬこう。
第1節 大転向のJR総連打倒せよ
JR総連の戦争翼賛路線を防衛するために、日帝に忠誠を誓ったカクマルは、革共同に対するファシスト的な攻撃を一層強め、その反革命的貢献度を権力にアピールしている。国鉄決戦で、沖縄で、都労連で、杉並で、闘いのあるあらゆるところでカクマルとの対決が死活的に重要である。革命的武装自衛を強め、全人民的な包囲と弾劾の闘いでカクマルを打倒しよう。
衆院選決戦勝利のために、財政がその一切の基礎となることは言うまでもない。選挙カンパ闘争を全力で貫徹しよう。また選挙決戦の渦中でも機関紙拡大闘争を一層強め、党勢拡大をかちとろう。
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週刊『前進』(1941号1面2)
2000年三里塚決戦へ旗開き
暫定滑走路建設粉砕!臨戦体制に突入
3・26全国総決起集会を訴え
一月九日、三里塚芝山連合空港反対同盟は、成田市内のレストラン「江戸一」で二〇〇〇年団結旗開きを開いた。会場には全国から二百人が集まり、二〇〇〇年三里塚暫定滑走路建設阻止決戦の勝利を誓い合った。
旗開きは午後二時に始まった。初めに反対同盟を代表して、北原鉱治事務局長が反対同盟あいさつを行った。その中で北原さんは、「二〇〇〇年を本格的闘いの年にしよう。そして勝利の年にしよう。それはわれわれの責務だ。そのためにも三・二六全国集会への全力結集を」と訴えた。
さらに、市東孝雄さんが「昨年十二月二十六日に天神峰の自宅に戻りました。これからも現地に根をおろし、諸先輩にならって頑張ります」と反対同盟として敷地内・天神峰の闘争拠点を守って闘う決意を明らかにした。故市東東市さんの遺志を引き継いで闘う姿に会場の拍手は鳴りやまなかった。婦人行動隊からは、郡司とめさんが新年のあいさつを行った。
反対同盟からのあいさつのあと、三浦五郎本部役員の乾杯の音頭で、参加者全員が高らかに「二〇〇〇年の勝利へ乾杯!」と声をそろえた。乾杯の後、反対同盟の「二〇〇〇年闘争宣言」(別掲)が鈴木謙太郎さんから発せられた。
これを受けて、共闘団体からのあいさつが続いた。最初に中野洋動労千葉委員長が「昨年、日本は『戦争をしない国』から『戦争をする国』に転換した。だから闘う労働者人民の拠点破壊の攻撃が強まった。戦争を推進する勢力とこれを阻止しようとするわれわれの、労働者人民の獲得戦が始まったということだ。これに勝って二〇〇〇年を大躍進の年にしよう」と呼びかけた。北富士忍草母の会からは天野美恵事務局長が、全関西実行委員会からは永井満代表世話人と国賀祥司泉佐野市議が、あいさつを行った。
反対同盟弁護団からは、葉山岳夫弁護士、一瀬敬一郎弁護士が立った。
都政を革新する会からは長谷川英憲さん、結柴誠一杉並区議、新城節子杉並区議がそろって登壇、代表して長谷川さんが「反対同盟とともに三里塚闘争の勝利を。衆議院選挙の勝利をかちとろう」と訴えた。婦人民主クラブ全国協議会代表の西村綾子相模原市議のあいさつが続いた。
革共同の天田三紀夫書記長の新年あいさつには会場全体の注目が集まった。天田書記長は「革共同は、沖縄闘争、三里塚闘争を一大大衆闘争として実現することに粉骨砕身する。連合、JR総連を打倒して進撃する。衆議院選挙の勝利を必ずかちとる」と決意を明らかにし、「会場全体の皆さんの衆議院選挙決戦への決起を」とアピールした。
また、内山佳久全学連書記長は「全学連は、沖縄サミット粉砕・普天間基地名護移設阻止決戦、三里塚決戦に総力で決起する」と力強く決意を表明した。さらに、動労水戸の代表などのあいさつが続いた。
そして最後に、萩原進事務局次長が「九九年は、政府・運輸省、公団の『二〇〇〇年平行滑走路完成』計画を完全に粉砕した勝利の年だった。敵は敗北したからこそ、暫定滑走路を持ち出したのだ。今年は、人殺しの暫定滑走路建設を粉砕しよう。沖縄の闘いに勝利しよう」と締めくくり、小林なつ婦人行動隊副隊長の音頭でガンバロー三唱を行った。
第1項 反対同盟先頭に開拓道路をデモ
旗開きに先立って、反戦共同行動委員会、全学連を始めとする支援勢力は、反対同盟が呼びかけた「二〇〇〇年新年敷地内デモ」に立ち上がった。
デモ隊は、暫定滑走路の横っ腹を突き刺すように伸びている開拓道路をデモ行進した。開拓道路の突端からは、反対同盟の一坪共有地が滑走路建設を阻み続け、現闘本部が誘導路計画を「への字」に曲げている姿を一望した。デモ隊は二〇〇〇年三里塚決戦の勝利を固く確信した。
二〇〇〇年闘争宣言
三里塚芝山連合空港反対同盟
今世紀最後の年二○○○年を迎えました。反対同盟は決意も新たに暫定滑走路粉砕の決戦を挑み、空港廃港の二一世紀へと不屈に前進する決意です。
新年早々にも、政府公団は天神峰の造成と県道トンネルのための付け替え道路の工事に踏み切ろうとしています。民家の軒先でジェット機を滑走させ、上空四○メートルを飛行させて、住民を追い出す暴挙は断じて許されるものではありません。政策破たんをとりつくろうとして、さらに暴力を重ねる自自公の悪政に対して、農地死守・実力闘争の何たるかを思い知らせてやろうではありませんか。
暫定案には爆撃機が飛び立つことができる三七〇〇メートル軍用滑走路建設の野望が隠されています。この成田からアジアに侵略軍用機を飛ばしてはなりません。ガイドライン法のもとで有事立法・改憲の動きが強まっていますが、暫定案こそは戦時土地徴発の先取り攻撃というべきものです。沖縄では基地強化のために普天間基地を名護に移設し、サミットを強行する攻撃がかけられています。三里塚は沖縄と連帯して軍用滑走路建設を阻止します。
政府は銀行と悪徳資本を救済し、長期不況がもたらす矛盾の一切を労働者人民に集中して生き延びようとしています。介護保険を始めとする社会保障制度の改悪と消費税の大増税を許してはなりません。三里塚はこれらの圧政と、戦争に向かう政治を断ち切る人民の闘いの砦(とりで)です。
反対同盟は暫定滑走路粉砕の臨戦体制をもって闘います。三・二六全国集会に総決起することを訴えます。
二〇〇〇年一月九日
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週刊『前進』(1941号2面1)
反動的な「年度末解決」路線を粉砕せよ
「運輸省メモ」にひれ伏して闘争団の切り捨て策す本部
1・28国労中央委に怒りの決起を
一月二十八日に行われる国労第一七一回中央委員会は、千四十七人問題の反動的決着を許すのか否かの、掛け値なしの大決戦である。日帝・政府の国鉄闘争解体、国労つぶしの攻撃が激化する中で、国労本部―高橋・宮坂執行部は今、「運輸省メモ」を丸のみし、闘争団を売り渡し、国鉄闘争の幕引きを行うための「年度末解決」路線を突っ走っている。国労本部は中央委で、このような反動的「年度末解決」を承認させ、本部一任を取りつけようとしているのだ。事態は一刻の猶予もならない。今こそ、国労本部の裏切り策動をしっかりと見据え、これを粉砕するために総結集することを、闘争団を始めとするすべての国労組合員の皆さんに訴えます。
第1章 屈服の「決断」迫る二階運輸相の発言
昨年末から日帝・政府と国労本部は、明らかに千四十七人問題の反動的決着に向けて動き出している。一・二八中央委の最重要の課題は一点、この反動的決着策動を国労三万の総決起で打ち砕くことである。
十二月二十七日、国労本部三役が社民党・伊藤茂副党首とともに労働省と運輸省に出向き、牧野労相と二階運輸相に「要請」を行った。ここでのやりとりの核心は、国労三役が政府と闘う姿勢を完全に放棄して千四十七人問題の「早期解決」を懇願したことに対して、牧野労相と二階運輸相が社民党を先兵に、“早期解決を望むなら運輸省メモをのみ、闘争団を切り捨てる決断をせよ”と突きつけたということである。
「国労本部電送」によれば、牧野労相と二階運輸相は、「何とか解決の方策を見い出したい」(牧野)、「現政権下で解決をはからなければならない」(二階)などと言いつつも、「重箱のスミをつつかないで出来ないものか」(牧野)、「双方が今決断の時だ」(二階)と国労側に迫ったのである。
二階運輸相が国労側に求める「決断」とは何か。
この間、運輸省が国労に突きつけてきたのは、昨年の「六・一〇運輸省メモ」(別掲)である。
その主旨は、JRに法的責任がないことを認めた「人道的観点からの解決策」を容認し、裁判を取り下げ、「新規採用」についてはJR各社とエリア本部との間で話し合い、鉄道建設公団との金銭和解も考えるというものである。
しかもこれは、この屈服条件を国労が認めれば、自民党と自由党がJR各社に検討を要請するという、国労の全面降伏要求である。政府もJRも不当労働行為責任を一切問われないのだ。「新規採用」というが、全逓の四・二八被免職者が郵政省の試験を受けて全員が不採用になったように、JRに採用されなくても文句を言うな、鉄建公団からの金銭も涙金にもならない、ということなのだ。
これに対して国労本部は、「六・一六国労の考え方」において、「JR各社の法的責任の有無はともかく……人道的観点から解決策を話し合う」と申し出て、「運輸省メモ」の基本線を承認した屈服姿勢をあらわにしていた。
しかし、自民党は、「運輸省メモを国労本部が公表した」ことや「JR東日本株主総会で、国労が騒いだこと」などを理由として、自社協議を「凍結」した。つまり、「改革法承認」が国労全体に徹底されていないから「凍結」するということだった。
こうした経過を経て運輸相が「決断」を迫ってきたということは、明らかに、国労が「運輸省メモ」をのむことを最終的に決断しろ、ということなのだ。
しかも、運輸相や労相への「要請」の場がセットされたということは、水面下で宮坂らが社民党を通じて、国労本部がこうした「決断」をする意向を伝えていることは間違いない。
国労本部は二階運輸相に「私どもも本年(九九年)三月以降、様々な努力をしてきた。この機に解決をはかりたい」と申し出ている。だが、ここで言う「努力」とは、三・一八臨大での「改革法承認」に始まり、改革法の「意図」や「主旨」まで認めることを誓約した自民党・自由党あての「二つの念書」、そして「運輸省メモ」に対する「国労の考え方」なのだ。国労本部は、こうした「努力」の上に立って、これで今度こそ国労全体をまとめ、本部一任を取りつけて闘争団を始めとする反対の声を押しつぶしてでも、政府・運輸省などの意向に沿って決着を図ることを申し出たということなのだ。
昨年八月の第六五回定期全国大会では、三・一八臨大以降の「経過」に対して代議員の怒りが噴出し、「改革法承認」撤回、「念書」破棄、「運輸省メモ」拒否、さらに本部執行部の自己批判要求などが出され、事実上の不承認が突きつけられた。にもかかわらず、本部は完全に居直り、「経過」の承認を強行した。「流れを逃さず解決へ」(高橋委員長の特別発言)などという、果てしない屈服の流れの中で「解決」するという方針を決定したということだ。
これが意味するものは、国労本部は、この八月大会の「決定」によって、一層の屈服の道を突き進んでいるということである。
第2章 5・28判決に降伏しILO勧告も無視
『国鉄新聞』新年特集号での高橋委員長あいさつは、「全ての力を年度末へ」として、「年度末解決」に向けた「総団結」を要請するとしている。
われわれは、この間、「総団結」の名のもとで、「改革法承認」を始めとする大裏切りが行われてきたことを断じて許すわけにはいかない。「運輸省メモ」を丸のみし、闘争団を切り捨て国鉄闘争を売り渡そうとしている本部のもとでの「総団結」などどうしてできるか。まして、その先に国労の自己解体とJR連合への合流を策す帝国主義的労働運動派の宮坂・チャレンジ一派や、これと一体の革同上村派らのもとで「総団結」などできるのか。
革同・上村本部副委員長は「早期解決を妨げているのは、国労の側の問題。一切は国労側の出方次第だ」と言っている。国労が一致して「運輸省メモ」をのめと言っているのだ。
現在の事態は、昨年の一・二九中央委から三月の臨大開催にいたるプロセスと同様に、きわめて緊迫している。圧倒的多数の組合員が「改革法承認」に反対であるにもかかわらず、「解決のメド」なるものをもって、「総団結」と称して雪崩を打って臨大強行―「改革法承認」に行き着いたような、重大な局面を迎えているのだ。
いや、もっと深刻な、国鉄闘争十三年と闘争団の団結と苦闘がすべて無にされ、最後的に圧殺されかねない情勢なのだ。
闘争団の皆さん。国労三万組合員の皆さん。そうした反動的決着がつけられるならばどうなるのか。
闘争団の「譲れない要求」など一顧だにされず踏みにじられ、不当労働行為責任の弾劾も地元JR復帰の道も、永久に閉ざされてしまおうとしている。
三月のILO理事会で、中間勧告を上回る勝利的勧告が出されても、それはまったく意味をなさないものとなる。どんな反動的決着でも当事者の国労が受け入れてしまえば、それが「関係者に満足のいく解決」だと、そのために政府が「積極的努力」をした結果なのだとされる。
それは、当然にも、ILOが要求する原状回復や復職を含む「公正な補償を保障する」ものではない。また、「解決」と同時に裁判が取り下げられれば、五・二八反動判決が確定する。それは闘争団と国労組合員だけの問題ではない。労働委員会制度の解体に手を貸し、団結権解体の攻撃に日本労働者階級をさらすものだ。全産業で大々的に強行されている全員解雇―選別再雇用方式のリストラ、国鉄型の国家的リストラに拍車をかけるのだ。
牧野労相が、「ILO勧告と裁判の判決が現状であるが、重箱のスミをつつかないで出来ないものか」「ILOと裁判が別の結論では不幸である」と言っている意味は、五・二八判決を否定するようなILO最終勧告が出されたら困る、その前に決着を図りたいということだ。だから、“政府の責任がどうだとか、JRの法的責任がどうだとか「重箱のスミをつつく」ようなことを言うのはやめろ”と言っているのだ。
明らかに、日帝・政府はILO勧告に打撃を受け、追いつめられている。最終勧告が出る前に決着をつけることで、闘争団を先頭にILO勧告を武器にして五・二八判決をひっくり返そうとする闘いをたたきつぶそうとしているのだ。
中間勧告を受けて日本政府がILOに回答を出すタイムリミットが一月中といわれている。それまでに国労本部との間で決着をつけ、それを中央委で承認させようとさえしている。
そして、この政府にひれ伏しているのが国労本部なのだ。国労本部は、ILO中間勧告が出されたという「この機会に何とか政治の場で解決を図りたい」と言うのみで、ILOが要求する「公正な補償を保障する解決」を要求するとは言っていない。ILO勧告の実現を迫るような闘いはやらないから、何とかしてくださいという取引材料に使っているだけなのだ。事実上、政府と一緒になってILO勧告を無視し、踏みにじろうとしていると言っても過言ではない。
こんな国労本部―高橋・宮坂執行部やチャレンジ一派、革同上村派を打倒し、今こそ闘う新しい執行部を打ち立てるべきだ。そうしなければ、本当に国労の死に行き着く。どんなに厳しくても、今こそ国鉄闘争十三年のすべてをかけて立ち上がるべき時なのだ。
第3章 国鉄闘争解体狙う政府・JRに反撃を
一・二八中央委をめぐるこのような緊迫した情勢の到来は、国鉄労働運動が階級的労働運動の砦(とりで)としての戦略的位置を高めていることを示している。だから日帝・国家権力は、大失業と戦争の攻撃を貫徹するために、ここで一気に国鉄闘争をたたきつぶすことを狙っているのだ。
他方で、国鉄分割・民営化―JR体制の危機と矛盾がついに本格的に爆発する情勢を迎えている。
一月五日には、二階運輸相がJR本州三社の社長をを呼んで「JRの完全民営化」についての意見聴取を行った。これは、「JR会社法改正案」の通常国会提出に向けてのものだが、二階運輸相が言う「JR完全民営化のための環境整備」とは、何よりも国鉄分割・民営化の最大の破綻(はたん)点である千四十七人問題に決着をつけ、国鉄闘争と国労を最後的に解体することである。こうした国家意志を表明したものと見なければならない。
JR東資本は、一月四日の年頭のあいさつで、安全問題や列車運行崩壊の現実に危機感をあらわにして「第二の鉄道改革」(山之内会長)、「国鉄改革にも匹敵するような改革の波が訪れようとしている」(松田社長)などと叫んでいる。
これは逆に、闘争団と固く団結して国労三万総体が総決起するならば、JR体制を一層追いつめ、JR総連=カクマルを打倒し、闘う国労の大前進をかちとるチャンスが訪れるということだ。さらにILO勧告情勢がある。このチャンスを生かし、反転攻勢に打って出ることができるか否か、その一切が一・二八中央委の決戦にかかっている。
国鉄闘争のこれまでの全苦闘の一切をかけて、中央委会場(国労本部)に駆けつけよう。
闘争団切り捨ての「年度末解決」路線粉砕! 「運輸省メモ」丸のみを許すな! 今度こそ、「改革法承認」撤回、国労本部総退陣をかちとり、闘争団の「譲れない要求」を国労方針としよう。
資料 「6・10運輸省メモ」
1 国労とJR各社の話合い開始に際しては、国労が次の点を了承することが必要である。
@ 国労は、JR不採用問題につきJR各社に法的責任がないことを認識し、JR各社と国労の話合いの場は、健全な労使関係構築を前提とした、JR不採用問題とは別の人道的観点からの解決策(新規採用)を話合うものであること。
A 本件は労使問題であることから、話合いは当事者間で行うべきであり、政労使間の話合いはあり得ないこと。
B 国労は、話合いの進捗状況を見つつ適当な時期に、少なくともJR発足時における国鉄改革関連の訴訟は取下げること。
C JR各社が話合う相手は、国労の各エリア本部とすること。なお、JR貨物については、対応するエリア本部がないことから国労本部でも構わない。
2 上記1の条件が満たされた場合には、自民党及び自由党において、JR各社に対し、国労との話合いを開始し、人道的観点からの解決を検討して欲しい旨の要請を行うこととする。
3 なお、本件については、別途、国労と鉄道公団(=旧国鉄)との間の裁判上の金銭和解も考えるところであるが、これについては、国労とJR各社の話合いの進捗状況を見つつ自民党、自由党及び社民党の間で協議していくものとする。
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週刊『前進』(1941号2面2)
今春「日の丸・君が代」決戦へ
各地域で共闘つくりだし全国政治闘争として闘おう
全国の小・中・高等学校は今年三月の卒業式、四月の入学式を前にかつてない緊張が高まっている。日帝・文部省は、新ガイドライン法の成立と「日の丸・君が代」の法制化(八月九日成立、十三日施行)に基づいて、全国隅々の学校で「日の丸・君が代」の実施を強行しようとしている。そのために教育現場では、教育労働者の抵抗を職務命令の乱発と懲戒処分で押しつぶそうとする策動が一挙に激化している。「日の丸・君が代」闘争は、日帝と教育労働者・全人民との間の一大階級決戦場になっている。二−三−四月の「日の丸・君が代」をめぐる階級的激突に身構え、教育労働者を先頭に、全人民の政治闘争として闘いぬこう。
第1章 東京・神奈川で「職務命令」をふりかざす
「日の丸・君が代」法制化後、その実施・強制の攻撃が全面化している。各省庁記者クラブ、戦没者追悼式や都民の日の行事、天皇在位十周年行事、国会や地方議会の議場への掲揚・斉唱の動きを始め、石原東京都知事や梶原岐阜県知事などの地方自治体の長の反動的発言、広島の広警察署の点検・介入、右翼の白色テロ策動、自民党地方組織の「日の丸・君が代」運動、文部省の徹底指導通知や処分攻撃などである。
何よりも今、日帝・文部省の攻撃の刃(やいば)は、教育現場の労働者に向かっている。
広島県教育委員会は十二月二十七日、「破り年休」(時間内組合活動保障の労使慣行)問題で、勤務時間中の組合活動を自己申告するように校長名で出した命令に従わなかったという口実で、千三百人の大量処分の方針を決めた。広教組、広高教組を職務命令−大量処分で圧殺しようとする超反動的な攻撃であり、今春「日の丸・君が代」闘争への予防攻撃である。
東京都教育委員会は十月、「入学式・卒業式の適正な実施にかかわるQ&A」を出した。それは十三問十三回答からなるが、核心は「卒業式や入学式の実施に際して、教職員に職務命令を発するときの方法や配慮事項は何か。職務命令に従わなかった教職員がいた場合はどうしたらよいか」という質問への回答である。
それは、「@職務命令は文書にせよ、A立会人が必要である、B命令を実行したかどうかを現認せよ、C現認体制がない場合には教育委員会から指導課員を派遣する、D命令に従わない場合は当然処罰の対象になる」というきわめて反動的なものだ。
これとあわせて十二月一〜三日には、東京都教育庁が都立高校の全校長を呼びつけ、一人ひとりの校長を三人の指導部職員が囲んで「個別指導」を行った。日帝と石原・東京都教育委員会は、職務命令をふりかざし「日の丸・君が代」をすべての学校に強制しようとしているのだ。
さらに横浜市教育委員会は十二月に、「卒業式・入学式等における国旗・国歌に対する対応シート」を市立小中学校の全校長に配布した。この「対応シート」は、教職員一人ひとりについて、職員会議での反対意見も含めて、その場で校長がシートに記入し、市教委に提出して、懲戒処分のための報告書にしようとしているのだ。
それは「学校名」「職名・教職員名」「教職員の対応」「式典係分担の決定」「学校長等の職務命令」の五項目からなっている。
例えば「教職員の対応」のところでは、「国旗掲揚・国歌斉唱・斉唱時起立・国歌伴奏・国歌指揮・児童生徒への斉唱指導・起立指導・登壇」の各項目について「反対意見の表明・行動分担の拒否・妨害・その他」を記入させる。「日の丸・君が代」に反対する教育労働者の一言一句や全挙動をとらえ、厳格に職務命令を発し、徹底処罰・処分の構えを示しているのだ。
その他、北海道、三重、奈良、大阪、福岡など「日の丸・君が代」の掲揚・斉唱率が低い道府県に集中的な攻撃が加えられている。なかでも三重に対して、産経新聞、雑誌『正論』などで「広島よりひどい日教組王国」とキャンペーンし、広島に続く攻撃のターゲットとしている。
第2章 「日の丸・君が代」を踏み絵に人民を分断
「日の丸・君が代」法制化後に次のような反動的発言が次々に飛び出した。
「『日の丸・君が代』に反対した者は非国民」(中川八洋・筑波大教授/八月二十五日)
「学校行事で教師と児童・生徒に歌わない自由はない」(高松市教育長/九月十七日)
「国旗国歌を尊重しない人は、日本人国籍を返上していただきたい」(梶原拓岐阜県知事/九月三十日)
「嫌なら出てきゃいい」(石原都知事/十月一日、都民の日の表彰式での男性退席について)
これらの発言こそ「日の丸・君が代」の狙いを露骨に示すものだ。
「日の丸・君が代」を踏み絵にして、まず労働者階級人民を「掲揚する・しない」「起立する・しない」「斉唱する・しない」で選別し、分断する。「しない」側を「非国民」と決めつける。
それでも「日の丸・君が代」に反対する人たちには「国籍を返上しろ」「(日本から)出ていけ」「(日本人なら)歌わない自由はない」と排除・抹殺していく。それでも従わない教育労働者・人民には情け容赦なく処分、警察の弾圧、右翼の白色テロルなど反革命の暴力が襲いかかっていく。このように「日の丸・君が代」とは強制と白色テロなのである。
他方で「非国民」と言われたくないから、白色テロが怖いからと「日の丸・君が代」に従うと、次は天皇を心から崇拝しているのかどうか、天皇のために本当に命を捨てられるのかどうかと迫られ、天皇制・天皇制イデオロギーの虜(とりこ)にされていくのだ。
戦前において、朝鮮人や中国人、あるいは部落民や沖縄人民は最初から「潜在的な叛徒(はんと)、非国民」とみなされ、徹底的な排除と抹殺の対象とされ、転向(皇民化、同化)を強要された。
天皇制に反対する戦前の共産党や戦闘的労働組合や労働者人民も「アカ」「非国民」と攻撃され、治安維持法を柱とする天皇制警察の白色テロをもって徹底的に弾圧された。共産党の壊滅と階級闘争の敗北によって、労働者階級人民の階級性が解体され、天皇制・天皇制イデオロギーにからめとられ、天皇制軍隊として組織され、アジア侵略戦争に動員されていった。
日帝は、こうした戦前と同じ過程を、新ガイドライン法成立と「日の丸・君が代」法制化によって始めようとしているのだ。
さらに、「日の丸・君が代」法制化とほぼ同時の八月六日、政府・自民党は、靖国神社のA級戦犯を分祀(ぶんし)して「国立墓地」化するなど、靖国神社国家護持化・首相の公式参拝の方針を打ち出した。これは労働者人民に対して、「英霊になれ。国のために命を捧げよ」という攻撃である。まさに新ガイドライン、「日の丸・君が代」と一体の攻撃である。
しかし他方で、「日の丸・君が代」を始めとする天皇制・天皇制イデオロギーの攻撃は、白色テロの暴力で強制するものであるから、労働者人民が階級的に団結し闘いぬけばガラガラと崩れさる脆弱(ぜいじゃく)なものでしかない。「日の丸・君が代」拒否の闘いが全国で闘われている現在の階級的力関係こそが、新ガイドライン下の日帝の天皇制攻撃、侵略戦争への踏み込みに大ブレーキをかけているものなのだ。
第3章 全反動をはね返した広島の両教組の闘い
「日の丸・君が代」強制は日帝・文部省−教育委員会の強制、自由主義史観グループのファシスト運動、自民党の国会議員団や地方議会の議員団の教組破壊運動、産経新聞や『正論』『諸君』などの反動的イデオロギー攻撃、警察の介入と弾圧、右翼の白色テロが一体となった攻撃である。それを日共スターリン主義反革命が背後から支え、ファシスト・カクマルも闘争破壊のためにうごめいた。
ここにさらに東京都知事になったファシスト石原が加わって、攻撃を激化させているのである。
こうした型の攻撃は広島から始まった。広島ではすべての反動勢力が総結集して広教組、広高教組に襲いかかった。卒業式・入学式では自民党議員団が反動分子を引き連れ、監視し、圧力をかけ、教組の屈服を引きずり出そうとした。
しかし、広島両教組はこれらの反動を敢然とはね返して闘いぬいた。これを全国の教組、労働者人民が熱烈に支持した。
日帝はこの広島の闘争に追い詰められ、「日の丸・君が代」法制化の反動を強行した。しかし、法制化は「日の丸・君が代」定着の虚構を暴き出し、国論二分状況を明らかにした。
こうして、教育が日帝と労働者階級人民の間の階級攻防の大焦点になった。日帝は新ガイドライン貫徹のために、朝鮮・中国侵略戦争のために、全国の自治体や労働者人民を総動員しようとしている。そのために人民の階級的魂を抜き去り、天皇制・天皇制イデオロギーを吹き込もうというのだ。それには現場の教育労働者の階級性を解体し、天皇主義者に仕立てあげなければならない。
だからこそ今、「日の丸・君が代」を踏み絵に日教組運動の全成果・獲得物を破壊し、戦後教育基本法体制を転覆する体系的攻撃を一斉にかけてきている。
広島では「破り年休」で千三百人の大量処分が出され、「広域人事異動」=強制配転の攻撃がかけられている。東京都では「人事考課制度=新勤務評定」の攻撃、全国では「管理規則改悪」の攻撃がかけられている。教育労働者に管理統制強化・既得権剥奪(はくだつ)・組合破壊攻撃が襲いかかっている。
第4章 職場闘争闘い階級的団結の強化かちとれ
戦前、教育労働者は労働者性を奪われた「聖職者」であった。「教え子を戦場に送り込む」扇動者であった。教え子の戦死を「名誉な死=英霊」としてたたえる存在であった。
朝鮮戦争下で掲げられた日教組の「教え子を再び戦場に送らない」は、こうした教育労働者の戦争責任への痛苦な反省をこめたスローガンだったのである。
このスローガンを今こそ高く掲げる必要がある。このスローガンこそ、日帝が教育現場から一掃しようとしているものだからだ。
日帝権力と全反動勢力が総力をあげて教育現場を制圧しようとしている時に、全労働者階級人民がこの攻防を教育労働者にのみ任せるのではなく、自らの階級的正面課題に設定し、教育労働者と連帯し、必死に支援し闘いぬくことが決定的に重要である。
なぜなら、敵は教育労働者を労働者階級から奪い去ろうとしているからだ。
闘争方針の第一に、新ガイドライン下の階級闘争として、総選挙決戦、沖縄決戦、三里塚決戦、有事立法・改憲決戦と一体のものとして、「日の丸・君が代」闘争・教育基本法改悪阻止闘争を全国政治闘争として闘おう。
第二に、教育労働者は、「日の丸・君が代」反対の職場闘争を闘い、組織的抵抗方針を確立し、全組合員決起で闘おう。職務命令−現認攻撃に対しては、集団での抗議・抵抗を組織しよう。職場の団結の強化、階級的な団結の広がりに獲得目標をおいて不屈の闘いを貫こう。
第三に、「日の丸・君が代」闘争のために、全労働者人民は全職場で、各地域で教組、他労組、市民団体との共闘をつくり、反対集会・デモ・街頭宣伝を組織しよう。各地の教育委員会、学校への申し入れ行動を組織しよう。これらの闘いを春闘の一環として闘いぬこう。
国鉄、都労連、全逓の闘う労働者とともに、階級的労働運動の再生、新潮流運動の前進を切り開こう。
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週刊『前進』(1941号3面1)
郵政公社化−民営化と一体の「ニュー・ユニオン」粉砕しよう
2000年決戦へ全逓委員会の決意
第1章 大恐慌・大失業・戦争と歴史選択かけ闘う
侵略戦争のできる国づくりをめざす日本帝国主義は、自自公翼賛体制下、絶望的な“飛躍”を開始している。
新ガイドライン関連法と組対法、団体規制法(新破防法)の成立、「日の丸・君が代」強制、普天間基地の名護移設と沖縄サミット、三里塚暫定滑走路着工など矢継ぎ早の攻撃をかけている。さらに、日産・三菱自工・NTTなどの大量首切り、石原を筆頭とする自治体労働者への賃下げ攻撃、改悪労働者派遣法の施行、介護保険導入・年金改悪を始め社会保障解体など、攻撃が連続している。
昨年は、ユーゴスラビア侵略爆撃へのドイツの参戦と自衛隊による北朝鮮船舶爆撃で、第二次大戦の敗戦国であるドイツと日本がついに武力行使に踏み切った年であった。東ヨーロッパと東アジアを発火点とする三度目の世界戦争、とりわけ米・日帝国主義の朝鮮・中国―アジア侵略戦争を阻止するために、日本帝国主義の敗北を求めて日帝打倒に立つのか。それとも、三たび侵略の兵士と化して朝鮮・中国―アジア全域をじゅうりんするのか。時代は、このように強烈に日本の労働者階級と人民総体に対し、歴史選択を迫ってきているのである。
アメリカ帝国主義が未曽有(みぞう)の好景気だからといって資本主義に未来はあるのか。アメリカのバブルがはじけた時に、世界はいったいどうなるのか。それを予兆させる“事件”がWTO(世界貿易機関)閣僚会議の決裂である。
世界は大恐慌と分裂化・ブロック化に陥り、帝国主義列強が領土・市場・資源を分割・再分割するための世界戦争=帝国主義侵略戦争に突入するであろう。今はまさにその前夜だ。
日帝は、戦争に向けた総動員体制をつくるために労働者支配のあり方を転換してきている。一大資本攻勢と同時に、連合指導部をとり込むことで労働者を戦争に引きずり込もうとしているのである。連合下で闘う全逓労働者の階級的責務は重大である。
第1節 連合の大転向推進した全逓
昨年十月の連合大会は「新政治方針」を決定し、「二十一世紀の新しいワークルールの構築に向けて」という特別報告を打ち出した。これは結成以来十年間の裏切りの単なる延長ではなく、自自公翼賛体制によるガイドライン体制=「戦争をする国家」への協力宣言であり、一大資本攻勢=大リストラ・大量首切り・賃下げ攻撃の容認と推進を決定した、連合の歴史的で反階級的な「飛躍」=反革命的大転換である。
この連合の大転向の推進役としての連合全逓中央の反階級的役割をはっきりさせなければならない。
全逓中央は九五年四九回徳島大会で「全逓ビジョン21」方針を打ち出した。これは九五年の日経連が「新時代の日本的経営」報告として出した二千万人の労働者の首切りの理念と核心をそのまま「全逓ビジョン21」の理念と核心に置き換え、今日の連合の転換を先取り的に実行したものだ。
「ビジョン21」の理念は@個人の責任の強調、A労働者意識の否定と生活者としての市民意識の強調、B終身雇用と年功序列賃金の否定、C規制緩和の肯定による郵便事業の分野ごとの民間開放の承認、D労働力移動と雇用システムの確立として強制配転と首切りの容認と推進、E戦争国家化のための「国連機能の発揮」「国際貢献」「危機管理」の推進――というものであった。
あらためて、連合全逓の「ビジョン21」を総括した時に、いかに連合全逓が反動的な存在に転落したか、その転換が九五年の日経連報告―日帝危機に呼応したものであったかがわかる。
JR総連=カクマルが、われわれの対カクマル戦二十五年の闘いと国鉄労働者十年余の闘いに追い詰められ一層ファシスト化する中で、連合全逓が日帝の理念の体現者として、連合内のヘゲモニーを確立する目的で連合全逓の転換が発生した。
しかし、連合全逓の「ビジョン21」も、今日では、全面的な破綻(はたん)に陥っている。この現実を強制した力が、われわれを先頭にした全国十六万の全逓労働者の不屈の闘いであることは言うまでもない。
連合全逓の路線を崩壊させ打倒する闘いは、連合の路線総体を崩壊させる道に直結している。連合全逓打倒=全逓改革の推進運動は、JR総連=カクマル打倒の闘いとともに、連合八百万労働者の総反乱による連合打倒、自自公翼賛体制打倒に連動する決定的な闘いになっているのである。
第2章 郵政事業危機の下で激化する民営化攻撃
今日、日帝危機のもとで郵政三事業はすべて収支が悪化している。
@郵便
別表1のとおり、九七年度の戦後初の減収以降、減収傾向は止まらず、二〇〇〇年度予想では累積黒字が底をつく。重要なことは、「郵便事業の非常事態」打開策として次々に実施されてきた新施策が、事業財政の赤字をさらに増大させているという事実である。
別表2のとおり、重点四商品は九九年度上半期に、前年同期に比べて大幅に増加した。「景気低迷による企業郵便の取扱量が減少」(省)している中での四商品の伸びは異常である。この四商品は、それぞれ一割から最大で五割まで割引く料金体系となっており、大口(企業)郵便はさらに最大三五%割り引く。
採算度外視のこのような官僚的経営手法が、「民営化対応」の名のもとで、民間との競合を口実にして採られているが、それは独占分野の一種(手紙)、二種(はがき)分野すらも赤字化させている元凶である。「物数減が赤字の原因」とする省の主張は、何の根拠もない経営責任転嫁のへ理屈にすぎない。
A郵便貯金(一般勘定)
別表3のとおり、郵貯は九八年度、十一年ぶりの赤字に転落した。低金利による財政投融資への預託金利子の大幅減少が原因だ。
定額貯金の大量満期に伴う利払いの膨らみも加わり、九九年度、二〇〇〇年度も一兆円を超える赤字の見通しとなっている。
さらに、十年型定額貯金が集中して満期を迎え、郵貯資金の大量流出が予想される「郵貯二〇〇〇年問題」がある。結論として、膨大な不良債権と含み損によって、郵貯の破産=倒産へと向かい始めたことを確認しておこう。
B簡易保険
九八年度は、新規加入分が六兆九千八百八十三億円となった。このほぼ全額が自主運用されている。加入者へ分配される剰余金=利益は、新規加入の増大にもかかわらず、前年度より千十四億円減少の二千九十三億円で、六年連続の減少となった。この原因も郵貯同様に、低金利による運用収入の減少である。簡保も郵貯同様、国家財政の破綻にのみ込まれて、解体・消滅へと向かわざるを得ない。
こうした事業危機−赤字と不良債権を生み出す郵政省の腐敗体質と構造を指摘したい。
郵便事業は赤字がかさむと値上げして国民に犠牲転嫁し、郵貯、簡保も運用失敗で破産に直面しても、政権党と族議員が政治的に「解決」して、やはり増税の国民負担で逃げられる。民間では泣いて土下座した、哀れな雇われ社長もいたが、郵政官僚が引責辞任したためしがない。
郵政官僚と政権党、郵政審議会(ブルジョアジーのボスども)、郵政族議員という利権関係による癒着、および行政権力と政治権力の腐敗ともたれ合いが、特定企業の独占受注と天下り体質の構造を生み出す温床である。
東芝の社長から会長へ、そして経団連の会長に成り上がった土光敏夫は、郵政審議会会長として長年居座り続け、東芝の区分機を始めとした各種の物品を今日に至るまで三十年以上にわたって独占受注し続けたことは、つとに有名な話だ。
この東芝、NECと、省との談合癒着、贈収賄関係が発覚すると、一台二億六千万円(NEC)、二億四千万円(東芝)もした区分機が、なんと一億六千万円(NEC)、東芝にいたっては九千三百万円と半値以下にまでダウンした。
一事が万事、郵政省が発注する一万数千点におよぶ物品のすべてに、こうした利権と癒着がはびこっているのである。
郵政省と全逓中央は、口をそろえて「社会や経済が大きく変化している。郵政事業もこの構造転換の中に存在している」「従来の事業経営のあり方・システムにこだわらずに大胆に改革しなければならない」と言う。しかし、こういう「社会や経済」が郵政事業危機を生み出していることを見据えようとしない。彼らは実は、「社会や経済の変化」を是認した上で、「郵政事業経営のあり方、システムの改革」とやらを叫んでいるのだ。それは、自ら民営化への道を突き進むこと以外の何ものでもない。しかも、それが事業危機を一層深めているのである。
第1節 全員解雇-選別再雇用を容認
実際、郵政民営化攻撃は九七年の橋本六大改革当時よりも激化している。小渕行革の経済戦略会議−産業競争力会議は、ガイドライン下の「戦争のできる」国家改造計画を打ち出した。その中心に郵政三事業の民営化を位置づけている。
産業再生法と民事再生法の相次ぐ成立は、「活力と国際競争力のある産業の再生」という目的どおりに、帝国主義間争闘戦での生き残りをかけた全産業での大リストラ=社会改造の開始となった。この二つの法律は、大量首切りと全員解雇−選別再雇用という国鉄分割・民営化と同じ攻撃を全産業に強制するものだ。
そして、経済戦略会議がわざわざ「郵政公社化移行後の三事業の民営化」を提言しているのは、郵政民営化を全産業での大量首切りの突破口として日帝が位置づけたことを明確にしている。
全逓中央の「ニュー・ユニオン」構想(九六年甲府大会)は、先述した九五年徳島大会の「ビジョン21」の理念を具体化する母体をつくるものとして位置づけられていた。しかし、「ビジョン21」は二十一世紀に入る以前の今日段階ですでに破綻している上に、全逓中央には想定もできなかった「郵政民営化」不可避の情勢変化にあわてふためいて、彼らは、急きょその位置づけを、「郵政公社時代に通用する郵政事業の土台づくり」(竹林書記長)という「民営化対応」へと、なし崩し的に転換したのである。
それが五三回大会(九九年大津)での「経営のあり方を改革することは、同時に労使関係と労労関係を変える」と主張した高頭委員長の発言に見られる。こうして全逓中央は「ニュー・ユニオン」の目的を、直接の目的である「労労関係」=全郵政との統一にしぼったのである。
大津大会前後から「郵政公社発足時には、今の協約は全部破棄される」「全員が郵政公社に行けるとは思うな」(菰田中執ほか)と、全員解雇―選別再雇用を認める発言をしてきている。今や「ニュー・ユニオン」とは郵政公社化―民営化と同質で一体の攻撃と化したといえる。
第3章 連合全逓中央打倒へ新潮流と職場細胞を
これまで見てきたように、郵政三事業の将来像は、郵政官僚や連合全逓が勝手にこねくり回してつくった「郵政事業のあり方、システムの改革」と称する省益擁護の作文などなんの指針にもならず、日本帝国主義をとりまく世界情勢と日米争闘戦の激化に由来する、日本の国家と社会改造の観点から解明した時に初めて鮮明となるのである。
恐慌回避を理由とした、米帝の対日要求としての日本の財政支出による景気浮揚策と金融再編は、この両者に深々とかかわっている郵貯と簡保の動向を決する第一要因となっている。
国家公務員の大リストラと意識改造=公僕化を軸にすえた階級支配政策の転換は、公務員としての郵政職員全体への攻撃動向を決する第一要因となっている。激化する民営化攻撃と対決し、「ガイドライン下の全逓労働運動」をつくり出そう。
ではどうすれば郵政民営化と「ニュー・ユニオン」の攻撃を打ち破ることができるのか。人事交流や五千人削減攻撃が狙う団結破壊を打ち破るような、強固な団結を徹底して固めつつ、職場支配権を握りしめ、全力で階級決戦に打って出ることによってである。衆院選、沖縄、新潮流運動の三大決戦を全力で闘いぬき、二〇〇〇年の全逓決戦に勝利しよう。
第一は、全逓労働者こそが、有事立法・改憲を狙う自自公体制打倒の闘いの先頭に立つことである。衆院選決戦勝利と名護新基地建設阻止・沖縄サミット粉砕に立とう。
第二に、大資本攻勢に屈服・加担しようとしている連合の変質推進役となっている連合全逓中央打倒=全逓改革の闘いと、連合の突撃隊=ファシスト・カクマル、全逓カクマル打倒の闘いに全力を挙げることである。そうして戦闘的労組の結集、新潮流運動の大躍進をかちとろう。
第三に、全逓改革の推進を圧倒的に物質化する基軸としての党の細胞を全国の主要な職場すべてにつくり上げることである。
第四に、そのために要請される個々の党員の共産主義者としての資質と能力の飛躍のために、主体の変革を闘いとることである。主体の変革は、革命運動の普遍的課題であり、独習・学習会による理論的研鑽(けんさん)からだけではなく、階級とともに生きる主体的立場を確立するために、活動家との交流や、職場の仲間との討論や対話から、苦闘や怒りを共有し、教訓を学ぶことをとおして達成されていく。
以上の観点で、この二〇〇〇年を、二〇〇一年郵政事業庁―二〇〇三年郵政公社化を前にした、連合全逓中央打倒、二〇〇一年「ニュー・ユニオン」粉砕の決戦として闘い、着実に前進していこう。
闘う全逓労働者は、マルクス主義青年労働者同盟全逓委員会に結集しよう。
表1 郵便事業の収支の推移
年度 収 益 費 用 利益又は欠損 累積黒字
1997 23,138(▲1.0%) 22,940(+2.3%) 198 2,504
1998 22,365(▲3.3%) 22,990(+0.2%) ▲625 1,879
1999 ▲742 1,137
2000 (+1.7%) (+1.0%) ▲596 541
単位は億円、( )内は対前年度増減率、99年度と2000年度は見通し(▲はマイナス)
表2 郵便事業の重点4商品の上半期引受状況
年度 モーニング10 冊子小包 チルドゆうパック EMS
1998 36万通 6,891万個 370万個 326万通
1999 114万通 8,610万個 458万個 369万通
(218.3%増) (24.9%増) (23.9%増) (13.2%増)
1998年度の冊子小包の物数は、8月までの書籍及びカタログ小包を含む
表3 郵便貯金事業の収支(一般勘定)の推移
年度 収 益 費 用 利益又は損失 累積剰余金
1997 103,081(▲ 4.1%) 97,087(+4.1%) 5,994 47,281
1998 91,207(▲11.5%) 97,544(+0.5%) ▲ 6,337 40,944
1999 ▲15,619 25,325
2000 ▲12,229 13,096
単位は億円、( )は対前年度増減率、99年度と2000年度は見通し
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週刊『前進』(1941号3面2)
動労千葉が団結旗開き
”今年は昇り竜で行こう”中野委員長
若い仲間の組織化へ熱気
一月八日、動労千葉は二〇〇〇年団結旗開きを千葉県労働者福祉センターで開催した。組合員や支援など百八十人が結集し、熱気あふれる旗開きとなった。
冒頭、中野洋委員長が年頭のあいさつを行い、昨年を総括し、「ガイドライン法が成立し、日本が戦争をする国へと変貌(へんぼう)した。労働者がこれほど首を切られた年もなかった。労働組合の骨格がへし折られかねない大変な攻撃の中で、動労千葉は着実に前進してきた」と述べた。
そして、「連合は昨年十月の大会で安保と有事体制を認める政治方針を出し、首切りも容認した。その一方で百万人署名運動が大きく高揚し、ガイドライン反対の労組二十団体が五万人の集会を実現した。私たちの『たたかう労働組合の全国ネットワークをつくろう』の呼びかけに対し、十一月七日、多くの労組が賛同し結集した。新たな闘いが台頭しつつある」と勝利への展望を語った。
そして、「今年は労働者全体が政府や独占の側にからめ取られるのか、階級的労働運動の側に獲得されるのかの分岐点だ」として、三点の方針を提起した。
「第一に、五・二八反動判決と対決し、清算事業団に送り込まれた仲間の奪還に全力をあげる。ILO勧告をもテコに反転攻勢をかけなければいけない。だが、国労中央指導部はここで手を打ちたいという方向で動いている。原則的な闘いが必要だ。第二に、反合理化・運転保安確立の闘いだ。資本=カクマル結託体制の結果、重大な安全の危機が進行している。第三に、組織強化・拡大だ。若い仲間をJR総連のくびきから解放して、わが陣営に迎え入れる。この闘いを全組合をあげて展開する。新たな飛躍を期し、今年は昇り竜でいきたい」
来賓あいさつに移り、最初に三里塚芝山連合空港反対同盟の北原鉱治事務局長が、「反対同盟は二〇〇〇年平行滑走路完成を見事に破産に追い込んだ。暫定滑走路も粉砕する。反対同盟は、沖縄と強く連帯し、空港廃港まで闘い抜く」と力強い決意を表明した。
動労千葉顧問弁護団の葉山岳夫弁護士は、「闘いこそが勝利を約束する。最高裁が動労千葉に反動判決を出したが、勝利のかぎは職場を軸とした闘いにある」と訴えた。さらに千葉県内の各労働団体、政党、議員があいさつした。
国政選挙に挑戦する都政を革新する会代表の長谷川英憲さんは、「自自公代表の石原伸晃候補を倒し、昨年芽生えてきた労働者民衆の闘う力、沖縄県民の闘いに連帯して必ず勝利する」と衆院選必勝の決意を明らかにした。
中野委員長と家族会会長が鏡開きをし、中野委員長の音頭で全員が乾杯した。
連帯あいさつが続き、婦人民主クラブ全国協代表の西村綾子相模原市議、三一書房労組の三角忠委員長、全国沖縄青年委員会の新城峯子委員長、動労水戸の代表らが発言した。さらに、動労千葉議員団の中江昌夫船橋市議、水野正美勝浦市議があいさつした。
動労千葉争議団の二人の労働者が解雇撤回まで闘う決意を表明し、会場から大きな拍手が送られた。
恒例のカラオケ大会では組合員らが自慢ののどを披露した。最後に全員でインターナショナルを歌い、田中康宏書記長の音頭で団結ガンバローを行った。
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週刊『前進』(1941号3面3)
泉佐野市議会
国賀議員が大奮闘
”関空軍事使用許さぬ”
十二月泉佐野市議会で国賀議員は、大奮闘した。
まず、部落差別発言を居直り、差別をあおる日本共産党市議・浜田健次郎に対する「議員辞職勧告決議」の提案者を代表して演壇に立ち、決議を賛成多数で可決させた。
一般質問では、兵庫県伊丹市で一月二十日から行われようとしている日米共同指揮所演習「ヤマサクラ37」に関して、「関西新空港の軍事使用禁止」を国に要求することを市長に約束させた。
また、市民の切実な要求として請願が出ている「児童館と子育て支援施設」の建設および公共施設への併設について約束させた。
そして、大阪府下で頻発している汚職問題を取り上げ、市長を追及し、公共事業の入札予定価格と最低制限価格の事前公表を約束させた。
第1項 差別あおる日共議員に辞職勧告
市議会最終日の十二月二十一日、国賀議員は提案者五人を代表して、浜田市議の差別発言に対する「議員辞職勧告決議」を説明し、賛成多数で可決させた。
これは浜田が、十一月五日の決算委員会での部落差別発言の誤りをいったん認めて議員全員協議会で陳謝し、議事録から削除したにもかかわらず、同じ部落差別発言を十二月二十日の一般質問で繰り返したことに対する決議である。
差別発言は、「解放同盟と地区出身議員がいて、同和事業をやめないから差別がなくならない」という趣旨で、差別の原因が部落解放同盟と部落大衆にあるという、差別思想をあおり、部落民抹殺をあおる絶対に許せない発言である。
十一月五日の差別発言は何回もの会議の末、本人に陳謝させ議事録から削除し、本会議場で議長が注意し、議会の見解を述べることで決着した。
ところが浜田は、一般質問で議長の制止も聞かず同じ趣旨の差別発言を続け、議長が職権で会議を中止するまでやめなかった。さらに浜田は、糾弾に対して問題の重大さを理解せず、逆に「どこが差別か。おまえたちこそ(浜田を)差別者に仕立て上げるのか」と開き直った。
議場は騒然となり、中止を求める発言が相次いだ。それでもやめない浜田に怒りがわき上がった。これに対し、日共が動員した傍聴者が野次った。こんな暴挙を許せるはずがない。
協議の末、国賀議員ら五人が浜田に対する「議員辞職勧告決議」を提案し、日共議員の反対質問を完ぺきに粉砕して可決した。許せないことに元社民党議員は日共の側に付き反対した。
日ごろから差別をあおる日本共産党は絶対に許せるものではない。差別をなくし、人間解放をめざして、解同全国連とともに国賀議員は今後も闘う決意である。
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週刊『前進』(1941号3面4)
1・30関空反対闘争へ
住民4団体など呼びかけ
大阪湾岸住民四団体と関西反戦共同行動委は、一・三○関西新空港反対現地闘争への呼びかけを発した。全力でこたえよう。(編集局/要項1面)
ご案内
たたかう仲間のみなさん! 歴史的な二〇〇〇年決戦にすべての仲間のみなさんが総決起されんことを呼びかけます。
九九年、私たちは自自公連立政権の戦争攻撃に対して必死にたたかってきました。新安保ガイドライン関連法案に反対して国会決戦を、延長した八月最終日まで闘い抜きました。反戦共同行動委員会が九七年から呼びかけ粘り強く闘ってきた新ガイドライン闘争が、五月に五万人集会にまで発展しました。画期的な出来事です。また、沖縄人民の不屈の闘いに連帯して闘ってきました。普天間基地の名護移設=新基地建設に対して、何度も現地に派遣して闘い、関西でも闘ってきました。さらに、四月統一地方選挙と九月東大阪市議選で全員当選の勝利を勝ち取りました。
九九年の日帝の攻撃は、五・二四新ガイドライン法強行採決でもって質的に大転換しました。新ガイドライン法は、危機を深める日帝がついに対外侵略戦争が出来る国に大転換していくために踏み切った一大攻撃です。新ガイドライン体制をもって、日帝は侵略戦争に主体的に参戦していくと決断したのです。それは米欧帝国主義によるユーゴ侵略戦争に対する日帝の反応であり、帝国主義として生き延びるための転換です。
この攻撃は、有事立法、憲法改悪にまで行き着かざるを得ません。有事立法、改憲攻撃との闘いは、戦後最大の階級決戦になることは間違いありません。その意味で二〇〇〇年は、新ガイドライン法ではじまった日帝の侵略戦争攻撃に対して、労働者人民が阻止する一大階級決戦の始まりの年です。
同時に、九九年に不屈に始まった沖縄サミットと普天間基地の名護移設=新基地建設を阻止する闘いが、もう一つの柱になりました。米帝は、朝鮮−中国への侵略戦争に踏み切る戦略を確立し、沖縄米軍基地を強化しようとしています。日帝も侵略戦争に参戦する決断をして国家体制の大転換を開始しました。こういう日米帝は、沖縄闘争を圧殺しないかぎり、朝鮮−中国侵略戦争に踏み切れないのです。名護新基地建設阻止闘争は、日米帝の侵略戦争に真向から反対して闘われているのです。二〇〇〇年は、サミット粉砕闘争と名護新基地阻止闘争は完全に一体化し、日帝と大激突していく、アジア−世界的な一大決戦になろうとしています。
こういう二〇〇〇年決戦の冒頭に、1・30関西新空港反対現地闘争を呼びかけます。
九九年は、二期着工攻撃に対して泉州住民の会を先頭に粘り強く闘い、三月着工を阻止してきました。遅れを強制した七月着工、八月起工式に対しても唯一決起して闘い抜きました。また、関空の軍事使用攻撃に対して泉佐野市議会で「関空の軍事使用反対意見書」を三月市議会で全会一致で上げました。そして十一月、あいば野での日米共同演習に対して関空の軍事使用を阻止する大勝利を勝ち取りました。
運輸省は、来年度予算に関空二期分として一二五六億円を盛り込み、二〇〇七年完成をめざすと言っています。また一月二○日からの日米指揮所演習で関空の軍事使用を狙っています。絶対許しません。
関空二期事業は、必ず破産させます。便数の減少、国家財政危機、自然破壊と地盤沈下などに対して、地元住民、労働者人民の怒りは必ず爆発します。また名護新基地反対闘争と関西新空港反対闘争は結びついているのです。沖縄人民と連帯した軍事空港反対闘争はこれから爆発させていくのです。そこで左記の要領で集会を開催しますので、多くの仲間の参加を呼びかけます。
一九九九年十二月
大阪湾岸住民4団体(泉州・淡路・明石・東灘)
関西反戦共同行動委員会
連絡先/泉佐野市湊2−6−1−1205
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週刊『前進』(1941号4面1)
衆院選決戦勝利し、有事立法・改憲と福祉解体を策す自自公打倒へ
介護保険の4月実施中止を
福祉を切り捨て必要な介護奪う「介護を福祉で支える」はペテン
日帝・小渕政権は、介護保険制度の本年四月実施を労働者人民の強い不安と反対の声を押し切って強行しようとしている。この介護保険に始まる福祉打ち切りと大増税の攻撃は、戦争・大失業の攻撃と一体だ。国や地方自治体の責任で福祉を保障するという考え方を否定し、「福祉は金で買うもの」へと根本的に転換しようというのである。労働者人民の「生きる権利」は徹底的に踏みにじられる。これを許すか否かは、来る衆院選の最大の争点だ。日帝の攻撃の狙いと、闘いの死活性を明らかにし、杉並から「ストップ介護保険!」の大運動を巻き起こそう。「介護は全額公費負担で」を訴える長谷川英憲さんの必勝へ全力で闘おう。
第1節 「福祉は金で買う」にシステムを根本転換−戦後的社会保障の解体
介護保険の導入は、あたかも「高齢者に安定した老後を保障し、介護を社会で支える」第一歩であるかのように宣伝されている。だが、それは大ペテンだ。介護保険の正体は、増税し、高齢者から介護を奪い、生きる権利そのものを奪い去るに等しい大攻撃である。
日帝は、この介護保険導入を、戦後の社会保障制度を全面解体する攻撃の突破口にしようとしている。
小渕は、介護保険四月実施強行への準備と平行して「真に豊かな老後のための有識者会議(仮称)」を首相の私的諮問機関としてこの一月中にも発足させることを決定した。そこでは、厚相、蔵相、経済企画庁長官など関係閣僚のほか、経団連会長、日本医師会会長も参加し、介護・福祉・年金・医療など社会保障全般の「総合的・一体的見直し」が行われるという。
「見直し」の核心は、「給付と負担のあり方」を根本的に変えるということだ。つまり、給付は大幅削減、あるいは打ち切りとし、国や地方自治体や企業の負担を可能な限り減らして、すべての矛盾を労働者人民に押しつけるということである。
合わせて社会保障についての「基本的な考え方」そのものを変えることが叫ばれている。それは労働者人民が戦後憲法下で闘いとった、すべての人民に「健康で文化的な最低限度の生活」(憲法二五条)を国の責任で保障するという立場と考え方を真っ向から否定し、解体するものだ。それと同時に、「自己責任・自助努力」が大々的に強調され、対置されている。一言で言えば、「福祉は金で買うもの、それができなければ死ね」というあり方への百八十度の転換だ。
九七年十二月に成立した介護保険法は、まさにその第一弾なのである。これまで、戦後の健康保険制度のもとで、医療と一体で必要な人は誰でも低額で受けられるものとされてきた介護を、医療から切り離し、まったく別の新たな保険制度を導入するものだ。そこでは、これからは必要な人すべてには介護を保障しない、介護にかかる金を払えない人は無慈悲に切り捨てるということが、介護保険の「原理・原則」として徹底的に貫かれている。
日帝は、この介護保険制度に六十五歳以上の高齢の「障害者」をも含め、五年後にはすべての「障害者」に拡大しようとしている。続いて、医療制度の大改悪により労働者人民から医療を奪う攻撃が進行している。年金についても、公的年金制度解体へのステップとして、年金給付の大幅削減を柱とした年金改悪法案が国会に上程されており、通常国会での成立強行がめざされている。
日帝は、世界大恐慌とブロック化の時代への突入の中で、激化する帝国主義間争闘戦にかちぬくために、新たな朝鮮・中国|アジア侵略戦争への突進と一体で、国内の労働者階級人民に対する極限的な犠牲転嫁の攻撃に突き進んできているのだ。昨年の産業再生法の成立はその突破口だった。今や大量の労働者が首を切られて路頭に放り出され、職場に残された者には恐るべき賃下げと労働強化と無権利化の攻撃が襲いかかっている。労働者の団結が破壊され、闘う労働組合への弾圧が激化している。
こうした中での福祉・年金・医療などの戦後社会保障制度の全面解体は、労働者とその家族の生活基盤を根こそぎ奪い尽くさずにはおかないものである。しかも日帝は、これを消費税率の大幅な引き上げなど、大増税へのテコにしようとしている。文字どおり、これで人民は生きていけるのか! ということだ。
このことに今、心底からの怒りを爆発させ、すべての労働者人民の力を総結集してこの大攻撃を粉砕するために立ち上がらなければならない。
第2節 強制的な高額保険料90%の人は掛け捨て−「これは国による詐欺」
日帝は、介護が労働者人民の切実な要求であることを逆手にとって、ありとあらゆるうそとペテンで介護保険は「より良い制度」であるかのように描き出し、この攻撃をくりだしている。だが人民の怒りと危機感は、その正体を知れば知るほど、激しく、かつ急速に拡大してきている。
介護保険が、これまでの高齢者福祉の不十分さを補う「より良い制度」などではまったくないとんでもない代物であることは、実は推進派の側からも半ば公然と語られている。介護保険法が成立した直後の九七年十二月の朝日新聞は、「介護保険は国民負担の重さからいって『第二の消費税』である」と書いた。国会審議の中では「保険あってサービスなしでは国による詐欺になる」という声が、自民党議員の中からさえ上がっていたのである。
実際にこの制度では、介護が必要な時に受けられるという保証はまったくない。にもかかわらず、保険料は強制的に取り立てられ、払わない(払えない)者には罰則が適用される。そして介護保険を利用できる場合でも、国が勝手に決めた基準(これまでと比べて大幅な切り下げ、とうていお話にならない水準のもの!)を超えるサービスについては、営利目的の民間業者から「金で買え」とされるのだ。
(1)具体的には、四十歳以上の労働者人民全員から、無収入であろうが病気であろうが生きている限り毎月、強制的に保険料を取り立てる制度であるということだ。六十五歳以上の人は全国平均で一人あたり毎月約二千九百円がむしり取られる。年金が月に一万五千円以上の人はそのわずかな支給額から天引きされる。四十歳以上六十四歳までの人は健康保険料に介護保険料が上乗せされる。組合健保加入者の場合は平均千八百円、政管健保なら同千五百円、国民健保は千三百円が強制的に徴収されるのだ。これを滞納すれば健康保険証を取り上げられ、医者にもかかれなくなる。
(2)しかも従来の制度とは違い、保険に加入していれば必ず介護給付が受けられるわけではない。介護対象を切り捨て、介護レベルを引き下げることのみを目的に導入された二段階の認定審査をくぐり抜けることが要求される。九割の人が保険料の掛け捨てになる。これまで介護を必要としてきた人が「自立可能」と認定されるなど、四月実施を前にすでにこの審査のでたらめさが至るところで暴かれ、大問題となっている。
(3)さらに、介護が必要と認定されても、実際に受けられる介護サービスの内容と量はこれまでより大幅な低下と制限を強いられる。
まず一つには、介護を受けるには保険料のほかに介護費用の一割を自己負担しなければならない。二つには国が決めた「要介護度」の基準ごとに受けられるサービスの上限が決められ、しかもそれが著しく低く設定されている。
三つめには、在宅介護サービスについては需要の四割しか供給できないと政府が公然と言い放っているように、必要な介護を国と市町村の公的責任で保障するという立場は最初からない。一切は、介護現場に導入される民間介護ビジネスの営利目的にみあうものとされ、「金がなければ介護は受けられない」状態が、あらゆる側面からますます人民に強制されていくのである。
(4)さらに介護現場の労働者には、介護が資本の金もうけの手段と化していく中で、これまで以上に恐るべき低賃金と強労働が強制される。不安定で無権利なパート労働者への置き換えと労働者の使い捨てが進行し、この面からも介護の質が低下していく。
このように、日帝が今導入しようとしている介護保険制度とは、「介護」「保険」とは名ばかりの、労働者人民から従来の福祉を奪い、生き地獄にたたき込む制度である。
しかもこの介護保険は、日本共産党などが言うようになんらかの手直しをすれば良くなるなどというものでは断じてない。その原理、原則からして社会保障が労働者人民の権利であることを真っ向から否定するもの、根本的に反人民的なものなのだ。
日帝は「財政危機」をふりかざし、これまでのような「福祉国家」はもはや成り立たない、このままでは国が滅びると叫んで攻撃を押し通そうとしてきている。だが、膨大な赤字国債を発行しながら小渕政権が実際にやっていることは何か。バブルの元凶である銀行や大資本の救済に湯水のように金をつぎ込むことと、他方で侵略戦争のための日帝・自衛隊の本格的な海外派兵の準備と沖縄を始めとする基地強化に全力を挙げることではないか。
その一方で、「自己責任・自助努力」の名のもとに、人民に一切の犠牲を押しつけようとしている。
それは、戦後的諸権利はもとより、労働者階級が百数十年にわたる血と汗の闘いでかちとってきた一切の獲得物を暴力的に奪い取るに等しい。そして再び十九世紀的な資本主義の残酷きわまりない弱肉強食の原理がむきだしで横行する中に、全社会をたたき込むものだ。人民からいのちと暮らしを守る手段をすべて奪い、最後は侵略戦争へ動員する大攻撃なのである。
第3節 “ストップ介護保険”の大運動を今こそ!−衆院選決戦の最大争点
帝国主義が第二次大戦後の社会保障制度を維持できなくなってきたことは、日帝だけでなく、今日の世界の大問題だ。八〇年代にアメリカのレーガン政権、イギリスのサッチャー政権が社会福祉を「悪」と決めつけ解体する攻撃にのりだした。その結果、アメリカでは、ホームレスなど貧困層の激増が一大社会問題となっている。ヨーロッパではEU統合に伴う公営部門の大合理化と社会保障の切り捨て攻撃に対して、労働者のストライキが爆発した。
労働者階級にとって社会保障は、資本主義・帝国主義による搾取と収奪のもとで、労働者家族がその「生存」を支えるためのぎりぎりの権利と保障の獲得として、長い歴史の中で必死に闘いとってきたものだ。戦後の帝国主義ブルジョアジーにとっては、それは労働者人民の決起を体制内に抑え込むための安全弁という役割をも果たしてきた。しかし今、帝国主義の危機の本格的爆発の時代、大恐慌と戦争の時代が始まった中で、従来の支配を維持していくことはもはやできない。それはすなわち、階級対立の決定的な非和解化、一九三〇年代的危機への全面的な突入だ。
小渕・自自公政権は介護保険導入をもってそこに決定的に踏み込んだ。さらに、都知事・石原は、自治体労働者への賃下げ攻撃と同時に日帝の福祉切り捨て攻撃の最先兵としても登場し、「貧乏人は麦を食え」とファシストの正体をむきだしに襲いかかっている。
そこでは、そもそも国家とは何か、誰のため、何のためにあるかが根本から問われる。労働者人民の最低限の生活と生存の保障さえ拒否し、それでよしとするような国とは、社会とはいったい何なのかということだ。人民の人間としての尊厳をも踏みにじるこのような国や社会は、今こそ闘う人民の手によって怒りを込めて打ち倒されるべき時が来ているのだ。
介護保険の四月実施を絶対に許すな。「もう決まったことだから」という敗北主義では、自らの首を絞めることになる。否、日帝の戦争と大失業の攻撃に対する既成政党の大転向と総屈服、自自公体制とそれを軸とする大政翼賛会的政治の満展開こそが、このあまりにもでたらめな攻撃を今日までまかり通らせてきたのである。労働者人民の介護保険絶対反対の大運動を直ちに、あらゆる地域、職場に巻き起こして闘うなら、事態の進行をストップさせることは必ずできる。
介護保険導入の急先鋒である民主党と連合、介護保険賛成派に転落した日本共産党を断固として粉砕し、のりこえて闘おう。
衆院選こそ、その最大の闘いの場だ。小渕と自自公三党は今や、介護保険への人民の怒りが衆院選を直撃することを恐れて、ペテンにペテンを重ねる必死ののりきり策動に走っている。
これに対して、何よりも東京八区(杉並)において、介護保険突破議員連盟会長として推進派のトップに立つ自民党の石原伸晃(都知事石原の息子)を打倒し、「介護保険は直ちに中止、介護は全額公費負担で」を掲げる長谷川英憲さんの必勝当選をかちとる闘いに立ち上がろう。
その勝利をテコに、人民の力で介護保険を中止に追い込む闘いに突き進もう。
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週刊『前進』(1941号4面2)
都労連秋闘の総括と展望
ファシスト石原との対決貫き都労連解体攻撃を打ち砕け
団結の強化へ新潮流の拠点建設を
東京都の九九年秋季賃金確定闘争は、ファシスト石原の都知事就任とあいまって階級決戦の様相を呈した。戦争・翼賛・大失業攻撃は、首都東京の戦後民主主義的枠組みの一掃抜きにはありえない。小渕・自自公政権は、石原のファシスト的突出性を利用して、美濃部都政以来の東京のあり方を一変させようとしている。めざしているのは「帝都東京」「軍都東京」だ。
この時に首都東京のど真ん中に十万人の保塁を堅守する団結体=都労連が存在することは、日帝・小渕や石原都知事にとって許しがたいことなのだ。だが都労連労働者は、団結の力でこの攻撃と対決している。
都労連をめぐる闘いは現在も白熱的攻防が続いている。それは都労連の解体・翼賛化か、自自公政権と石原都政の打倒かの決着をつけるまで突き進む。われわれは、国鉄決戦とともに都労連闘争の防衛と戦闘化のために闘うものである。
第1節 大衆闘争として闘われた99秋闘
「都政運営において将来の見通しを見誤ったことによるものと考えており、その点で都に財政危機の責任がありました」「労働組合が都民のために精勤される職員とともに、特に社会的に弱い立場にある人たちを守る立場にあることがわかりました」
昨年十一月十七日の第二波二時間ストを前に交渉に引きずり出された石原は、このように財政危機の責任を認め、不謹慎な発言を訂正した。十七日未明まで断続的に続いた交渉の末、九九年確定闘争は妥結した。
結果は厳しい。戦後都政史上最悪の大幅賃下げである。賃金削減幅・期間は圧縮したものの、削減額は平均三十四万円に上る。断じて認めるわけにいかない。
とはいえ、九九年秋闘は久方に徹底した大衆闘争として組織された。十波に及ぶ一万人規模の総決起集会と千人規模の九波の座り込み、十一月十二日の一時間ストライキの貫徹、そして十七日の二時間ストへ。九七年秋闘以来、闘わざる屈服が続く中で、かつてない規模で決戦が挑まれた。
第一波ストは、天皇在位十周年式典の当日、都庁がピケと赤旗に埋めつくされるという屈辱を石原に強制した。都庁内・都民広場の座り込みは、白腕章と対峙する大衆的実力闘争としてきわめて戦闘的に闘われた。頂点に達した十六日の第十波総決起集会は、一万人が七階の知事室に向けてシュプレヒコールをたたきつけた。現場組合員には、第二波スト貫徹の意欲と力が満ちあふれていた。
しかし、闘いが永続化して爆発する気配を感じ恐怖した都労連執行部と石原都当局の思惑の前に、闘争は決定的瞬間に収束させられた。十七日の二時間ストを中止した都労連指導部の限界は明らかである。
われわれは、この都労連闘争の総括と教訓、またこの闘いを牽引(けんいん)するために奮闘してきた都労連内の新潮流派の闘いの総括を深める中から、都労連の階級的団結の強化に向け、より明確な路線を確立しなければならない。
第2節 官民分断こえる総資本との対決
都労連決戦勝利の方針の第一は、この闘いが総資本と総労働の対決であることを明確にすることである。
帝国主義としての存立をかけた国家と総資本の大失業攻撃は、戦後労働運動の存在基盤を破壊する攻撃だ。そのためには、民間基幹産業にとどまらず、“最後の聖域”である公務員労働者の団結と終身雇用・年功賃金制の解体が不可欠となる。先の国会では国家公務員定数を十年間で二五%削減することが決まった。さらに次期通常国会には地方公務員制度改革案が提出され、自治体現業の民託、民営、独立行政法人化に向けた攻撃が本格化する。東京都では、福祉の民託化、清掃の区移管が始まり、現業民営化への全面的な攻撃が強まっている。
都労連決戦は全国公務員労働運動の天王山であり、同時に基幹産業の首切りに対する、官民分断をこえた反撃ののろしである。その帰結は、全国の自治体行革攻撃に波及するだけでなく、民間リストラ攻撃にも決定的影響を与える。
都労連は当初より、「勝ち負けを超えて社会と行政のあり方を変える闘い」として、「ゼロ回答」を想定しつつも、あくまで闘うという階級的志向を持っていた。全国の自治体労働者、国労や民間労組はそこに期待し注視した。都労連の労働者は、階級的使命感に燃えてストへと奮い立ったのだ。第二波ストを貫徹したならば巨大な激動的情勢が切り開かれたであろう。だからこそ、国家権力と総資本はすさまじい圧力と恫喝を都労連指導部に加えたのである。
三池闘争、国鉄闘争を引き継ぐ総資本と総労働との階級決戦として、壮大な都労連決戦が始まった。自らの闘いをこのように位置づけ、闘う労働運動の反転攻勢を牽引しぬくことによってのみ、勝利の展望は切り開かれる。われわれはこうした階級的激動を押し開く気概で、この闘いの先頭に立たなければならない。
第二に、自自公体制のファシスト先兵=石原都政との対決を貫くことである。
石原は六月二十九日の施政方針演説で「時代は危機」と叫び、石原行財政改革をぶちあげた。続く七月二十九日には「財政再建推進プラン」を提出。二〇〇〇年から四年間で職員定数を五千人削減して給与関係で五百億円を削り、「施策の見直し」として福祉・教育・医療などで二千四百億円を削減するというものだ。このプランにより、四年以内に水道、交通などの民営化が必ず浮上する。
九月三日に発表された給与削減案は、このプランによる賃金カットを先取りしたものであった。
日帝危機と鈴木らの都政自身がつくり出してきた財政破綻(はたん)を小手先でのりきろうとする石原「再建プラン」の手法は浅薄な私企業経営論であり、財源も国からの補助金と予算削減だけである。
だが、石原を都知事に配した日帝は、危機突破のために全体重をかけて攻撃を押し貫こうとしている。これをけっして甘く見てはならない。東京都が体現してきた「戦後的あり方」や「戦後的階級関係」は、並大抵の手段では一掃できない。だからこそ日帝は、自自公以上に強烈な石原都知事を出現させたのだ。
都労連は、国労とともに総評を継承し、沖縄闘争や反戦闘争を闘ってきた労働運動だ。有事立法・改憲攻撃の先兵としての石原の正体を見据え、戦争協力拒否の闘いと結合することで、都労連闘争は必ず石原との非和解的対決へと押し上げられる。それが政治闘争へと発展することは不可避である。石原打倒の中にこそ勝利の展望がある。
第3節 人勧依存打破し原則的な闘いを
第三に、人勧体制の歴史的転換点にあって、公務員賃闘の路線を明確にすることである。
九九年人勧は、かろうじてベア〇・二八%を勧告したものの、一時金はマイナス〇・三カ月とすることで平均十一万円の賃下げとなった。賃下げ勧告に対して、労働者は「人勧完全実施」をスローガン化すべきか。断じて否! である。
公務員連絡会は早々と「勧告機能は維持させる」「一時的緊急避難として後退(賃下げ)も選択肢」とする方針を決めた。人勧依存で実力闘争を組めないのである。都労連も、賃金削減案の白紙撤回を掲げつつも、都人勧が出されたのちはベア勧告の完全実施を要求する路線をとった。だが現場労働者の怒りは、「なぜ賃下げ勧告を甘受しなければならないのか」と、人勧そのものへも向かった。賃金抑制制度としての人勧に対する怒りは、解き放たれつつあったのだ。
石原は賃金削減案を都人勧の前に意図的に提案し、人勧制度を右から揺さぶった。石原の強権的な手法と交渉態度の狙いは、都労連の無力化・解体にあった。
だが、傘下単組はかつてなく結束して第一波ストを貫徹し、石原を引きずり出して財政危機の責任を認めさせた。これは石原の鼻をへし折り、都労連の団結を固め、その存在感を示した。都労連は、スト権を実質的に確保し、それによって闘う労働運動と団結を守ったのだ。だが、勝負はこれからである。
不当弾圧・大量処分をのりこえる本格的闘いをあらためて覚悟すべき地点に立った。今次確定闘争の成果を本格的ストライキ闘争へと発展させうるかどうかは、ここにかかっている。
公務員賃闘は、不当弾圧・大量処分をのりこえてストを毎年貫徹することで、政府との直接交渉による賃金決定と労働基本権奪還の道を切り開いてきた。労働者は生きるために闘い、闘うために団結する。階級的力に立脚し、労働基本権奪還の闘いを構え直すことが今こそ必要である。
第四に、都労連決戦は国鉄分割・民営化型リストラ攻撃の粉砕か否かをかけた闘いとなる。
十一月二十九日に発表された石原の「危機突破・戦略プラン」は、都労連をバラバラにする分割・民営化型攻撃に完全に踏み込んでいる。その核心は、戦闘主力をなしてきた現業(交通・水道・清掃など)を公務労働からはぎ取ることにある。上部団体の相違をこえて、都労連六単組が団結して立ち向かうことができるかどうか、いよいよこれからが試練の時だ。
都労連決戦は、国鉄分割・民営化と総評解体以来の歴史的攻防の決着がかかった闘いだ。だからこそ戦後労働運動を真にのりこえる試練と飛躍が突きつけられている。連合が賃下げ容認・戦争翼賛・改憲と行革推進を打ち出している時、都労連を国鉄闘争とともに賃上げ・戦争協力拒否・行革阻止をストで闘う原則的・階級的労働運動に押し上げなければならない。
この点で、国鉄分割・民営化による二十万人首切りに協力し、JR資本と結託して国鉄決戦に敵対するJR総連=カクマルを排除した都労連の決断は、都労連決戦の戦略的地平を示すものだ。
第4節 戦後労働運動の限界のりこえて
第五に、一切は都労連指導部の限界を突破し、勝利の路線を体現する強固な拠点を建設することにある。勝利の最大の核心は、現指導部にとって代わってわれわれが責任勢力として登場することである。
十一・七労働者集会の都労連支援決議は、ただちに翌日から現場に配られ、注目と歓迎を受けた。都労連労働者と新潮流運動との結合が開始されたのだ。十八万枚を超える労組交流センターのビラは、明らかに情勢を突き動かしている。
秋季確定闘争において突きつけられた限界は、戦後労働運動を真に階級的な労働運動へと変革することによってのみ、突破しうる。戦闘的労働運動の中軸をなす国労と都労連を両輪として、なんとしても首都に闘う労働運動の新潮流の拠点を形成する必要がある。
二〇〇〇年は冒頭よりストと赤旗の波が都庁に押し寄せるだろう。都庁職は引き続き一月に単独でストを構えている。九九年秋闘は石原が脆弱(ぜいじゃく)極まる人物であることを暴き出した。労働者にこの自信と確信がある限り、闘いはさらに永続化する。われわれは勝利の展望をはっきりとつかんだのだ。
「ストライキは資本家に恐怖を引き起こさせるが、それは彼らの支配がゆるぎはじめるからである」(レーニン)
断固としてストを組織しよう! 国鉄決戦・都労連決戦に勝利しよう!
(写真/11・15都庁前)
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週刊『前進』(1941号4面3)
訂正
前号4面、年金改悪法案に関する論文中、上から4段目右から7行目の「給付削減の理由」を「値上げ凍結の理由」に訂正します。
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週刊『前進』(1941号5面1)
衆院選決戦に勝利し、有事立法・改憲と福祉解体を策す自自公打倒へ
朝鮮・中国−アジア侵略戦争の発動へ本格的に身構える日帝
有事立法・改憲は戦争国家化の大攻撃
二〇〇〇年決戦の火ぶたは切られた。日本帝国主義は自らの存亡をかけ、それ以外に延命の道のない〈外に向かっての侵略戦争、内に向かっての階級戦争〉を激しくしかけている。日帝は、国家を「侵略戦争のできる国」へ改編する絶望的飛躍に死活をかけている。新安保ガイドライン体制を構築し、沖縄圧殺、名護新基地建設を強行し、朝鮮・中国−アジア侵略戦争の発動を狙っている。その最大の正面突破の階級的攻撃として、七月沖縄サミットと有事立法・改憲攻撃を企てている。衆院選決戦に勝利し、これとの対決を戦後階級闘争史上最大の決戦として、総力を挙げて闘い抜こう。
井場啓史
第1章 戦後の階級闘争史上で最高の政治決戦へ
二〇〇〇年の三大決戦方針のもと、沖縄サミット粉砕・名護新基地建設阻止、有事立法・改憲攻撃粉砕の歴史的大闘争を戦後階級闘争史上最大最高の決戦として爆発させなくてはならない。革共同は、この攻撃と最先頭で対決し、闘う。そして、労働者階級人民の総力決起を訴える。
この歴史的決戦勝利のために、ここで明確にしたいことは、有事立法・改憲攻撃こそ、日帝の〈外に向かっての侵略戦争、内に向かっての階級戦争〉の最大の階級的攻撃だということである。有事立法・改憲攻撃はまさしく戦争の攻撃そのものだということである。
それは、労働者階級人民が、帝国主義国家である日本が再び戦争、侵略戦争を強行することを許すのか否かの問題である。同時に、この帝国主義国家日本の戦争、侵略戦争に再び労働者階級人民が動員されることを許すのか否かの問題なのである。
たしかに、この問題は新ガイドライン決戦の最重要のテーマであった。自自公体制による新ガイドライン関連法=戦争法の攻撃に対して、アジア人民の「日本は、またしても帝国主義強国として軍事大国化し、凶暴な軍事力でアジアを蹂躙(じゅうりん)するのか」という抗議の声が巻き起こり、日本人民のガイドライン決戦が爆発した。だが、日帝は新ガイドライン法の成立を暴力的に強行したのである。
この背景には、二九年型世界大恐慌過程がさらに深まり、帝国主義世界経済が分裂化、ブロック化の様相を深め、帝国主義の抗争と死闘がユーゴスラビア侵略戦争として爆発したことがある。そしてアジアでは、東ティモール独立問題を契機にして、米帝や英帝を先頭に、東ティモール国際軍(多国籍軍)をつくり帝国主義は先を争ってインドネシアに新植民地主義的軍事介入を開始したことがあったのである。
こうした中で、金融危機の爆発、経済危機にのたうちまわる日帝は、米帝のアジア勢力圏化をめぐる対日争闘戦に直面しているのである。それは日帝の帝国主義としての解体を要求するほどの激烈さをもって展開されている。
本紙新年号の一・一アピールで提起しているように、米帝は、対中国政策を、中国スターリン主義の取り込みと体制転覆をベースに展開し始めている。それは、米帝経済バブルの崩壊を決定的転機とする二九年型世界大恐慌過程のいま一段の深刻化が中国経済を直撃し、中国スターリン主義の「改革・開放」路線の最後的破産を突き出す中で、「改革・開放」路線が蓄積した内在的矛盾の最後的爆発が、一挙に中国大乱情勢を招くことに備えるものである。
米帝は、こうした情勢展開をコントロールするためには、対中国スターリン主義の大戦争を構えることが不可欠だという判断に立った。もしこの中国大乱情勢をコントロールすることに失敗すれば、帝国主義国家日本がこれに介入し台頭するに違いないと考えているのである。アジア勢力圏をめぐる対日争闘戦に勝ち抜くためにも、米帝は中国情勢をめぐる内外情勢の進展次第では、中国への世界大戦級の一大侵略戦争に踏み切ると決断したのである。
そのためにも、朝鮮半島情勢を自らのヘゲモニーのもとにコントロールし、米帝にとって最も都合のよいタイミングで朝鮮侵略戦争=「作戦計画5027」を発動しようと構えているのである。
世界大戦級の侵略戦争の発動によって、帝国主義間争闘戦、対日争闘戦にうち勝ち、世界支配を貫こうとする米帝の激しい戦争意志を読み切った上で、日帝は帝国主義として存亡をかけて根底的な戦争意志を、さしあたって新安保ガイドライン発動の形式、日米共同の侵略戦争の遂行の階級的意志として確立したのである。そうしたものとして、新ガイドライン法を自自公体制の形成をてこに押し通したのである。
だが、日本の労働者人民と革共同は、ガイドライン決戦の中で、こうした日帝の死活をかけた攻撃に対して、最大の反撃をたたきつけた。そして「闘いは、いよいよこれからだ」と、日帝・支配階級の侵略戦争遂行の階級的意志と徹底的に非妥協で闘う意志を鮮明にしたのである。
このことが、日帝をさらに追いつめた。日帝が新ガイドラインを発動して、世界大戦規模の一大侵略戦争を遂行するためには、まだまだ労働者人民の「二度と日帝の侵略戦争を許さない」という意志をうち砕くことに成功していない現実に直面したからである。
労働者人民による日帝の新ガイドライン体制構築攻撃に対する怒りの決起の広がりは、さらに帝国主義国家日本の戦争、侵略戦争攻撃である有事立法・改憲攻撃の現実化に対して爆発するに違いないのである。
侵略戦争を強行しなければ延命できない帝国主義を打倒するために、歴史的決戦に打って出よう。
第2章 「周辺事態」即「日本有事」想定した有事立法
日帝の有事立法攻撃の現段階とその狙いは、どのようなものであろうか。
日帝は新ガイドライン協定締結と周辺事態法の強行成立のために、既成政党の屈服を誘い出すことを目的に、そして何よりも労働者階級人民の怒りの爆発を回避することを目的に、きわめてペテン的な「論理」を駆使した。「周辺事態」においては、「日本周辺地域は有事」だが、日本国内は「平時」だ。だから、自衛隊は防衛出動も、治安出動もしない。だから、自衛隊は武力行使もしなければ、労働者人民の権利を制限することなどありえない、などと大ぺてんを使ったのである。
だが、新安保ガイドラインの発動とは、朝鮮・中国−アジアへの侵略戦争の強行であり、そのとき、日本国内が「平時」であるなどということはあり得ないのである。実際には、帝国主義国家日本が朝鮮・中国|アジアへの侵略戦争を遂行するのである。そのとき、どのようなことを想定しているのか。まさにその一端が、米帝による朝鮮侵略戦争が切迫した九三年に防衛庁統合幕僚会議(統幕)が極秘に作成した「沿岸・重要防護対象の警備」の作戦計画にあらわとなっている(一月七日付けの東京新聞が暴露)。
統幕は、北朝鮮のNPT(核拡散防止条約)脱退表明を受けて、「朝鮮半島有事」が起こる直前の「情勢緊迫時」に、日本に対するゲリラ攻撃が発生すると想定。防衛出動、治安出動や待機命令が発動されない平時にどんな「ゲリラ対処」ができるか、自衛隊の行動を研究・立案した。
その作戦計画によると、ゲリラやコマンドウ(正規軍の特殊部隊)の攻撃対象を自衛隊や米軍施設、民間重要施設と想定し、航空攻撃も予想した。これに対して、陸上自衛隊は山口県内で、第十七連隊(山口市)を中心に萩、豊浦、下関の沿岸を監視し、陣地を設けて着上陸侵攻対処を準備する。さらに警察と連携して民間施設や米軍岩国基地や同祖生通信所を警備。海上自衛隊は海上保安庁とともに、沿岸警備を実施、航空自衛隊は航空偵察を強化する。対馬でも同様の態勢をとり、日本侵攻が迫れば「ゲリラやコマンドウを撃破撃退し、着上陸侵攻を阻止する」としている。
重大なことに、自衛隊には平時の出動権限がないことから、「情勢緊迫時」には「訓練」名目で出動するとしているのだ。
これらの作戦計画を遂行する上での問題点として、全般、作戦、情報、兵站(へいたん=補給)、人事、通信、広報、予算の八項目について分析し、まず最初に「有事法制の検討が不十分で(作戦遂行のための)適用の規定もない」と指摘した。さらに「敵性分子を逮捕する権限がなく、武器使用に難がある」「土地借り上げの実効性も疑問」などを列挙している。
そして結論として「潜入阻止に関する権限の付与」が必要としている。
また、作戦行動を円滑にするため、私権を制限する「有事法制」制定や平時の自衛隊出動や武器使用を認める「領域警備」の必要性を押し出している。これこそ有事立法の先取りである。
結論的に確認できることは、帝国主義国家日本が実際に侵略戦争を遂行するためには、〈戦争放棄〉を規定した戦後憲法とそのもとでの法体系の制約を根底から突き破ることを必要としているのである。同時に、戦後憲法とそのもとでの法体系の制約を帝国主義国家日本に強制してきた労働者階級人民の闘いの歴史を根底から転覆しようとする衝動となっているのである。
実際に、宮沢喜一蔵相は有事法制と改憲について「(日本国家には)自衛権はあるし、日本有事はもっと早くから考えなければならなかった。自衛のためには何をしてもいい、むしろしなければならないと思っている」と語っている。二九年型世界大恐慌過程の深まりと帝国主義間争闘戦の激化、その世界大戦的激突という情勢の中で、日帝中枢から、日帝の侵略戦争と戦争国家化への衝動が噴き出し始めているのである。
これが、自自公三党合意における有事法制の「早急な立法化」となったのである。
一月二十日に召集される第一四七通常国会への有事立法法案の提出を許すな。九九年ガイドライン決戦をはるかに上回る闘いの実現に向け全力を挙げよう。
第3章 改憲へ「憲法調査会」がいよいよ始動する
それでは、日帝の改憲攻撃の現段階とその特徴は何であろうか。
日帝の改憲攻撃が、日帝の戦争突入の決断とそのための戦争国家化とひとつのものであることはすでに明らかにした。この改憲攻撃が一挙に強まっている。
それを示しているのが、歴史的反動的な九九年の第一四五通常国会で議決され、一月通常国会で衆参両議院に設置が決まった憲法調査会がいよいよ始動することである。国会に憲法調査会が設置されるのは、戦後の歴史の中でも初めてのことである。
歴史的に見ると、一九五七年岸信介政権時代に、内閣に憲法調査会が設置されたことがある。これは、日本政治史で「五〇年代改憲攻撃」と呼ばれる攻撃の一環であった。この「五〇年代改憲攻撃」は、五四年自衛隊の発足(防衛庁設置法と自衛隊法の公布)、五五年自由民主党結成(保守合同)、五六年日本の国連加盟、五七年第二次大戦のA級戦犯岸信介が首相就任、同年教育労働者への勤務評定(勤評)攻撃の開始、五八年警察官職務執行法(警職法)改悪攻撃、五九年三池闘争、そして六〇年日米安保条約改定と続いた攻撃の頂点に位置していた。
この攻撃は、第二次世界大戦=帝国主義強盗戦争での敗戦を契機として爆発した戦後革命を日本共産党の裏切りに助けられてかろうじて圧殺し、米軍占領下の五〇年に開始された米帝の朝鮮侵略戦争での全土基地化と沖縄売り渡しを日米安保同盟政策として確定し、日帝が戦後の再建の道を定める過程で生み出されたものであった。
日帝は自らの延命と再建をかけて、日米安保同盟政策のもとでのアジア再侵略の開始、帝国主義軍隊としての自衛隊の建設、それを押し通すための保守合同、治安攻撃のエスカレート、三井三池労組、日教組などへの破壊攻撃を繰り出し、その頂点として改憲攻撃を労働者階級人民に加えてきたのであった。
日本の労働者人民には、帝国主義国家日本が再び侵略と戦争への道を歩み、自らがそれに動員されることを許すのか否かが問われたのである。戦前、帝国主義国家日本は台湾、朝鮮、中国東北部を植民地化し、中国全土に侵略戦争を強行し、アジア全域を戦場として、帝国主義国家アメリカとの戦争に突っ込んでいった。その戦争体制を支えた国内支配には、天皇制と天皇制イデオロギー、治安維持法と特高警察があった。
戦後革命の高揚は、こうした戦前的なあり方の全否定を労働者人民の要求の基礎としていた。そこには、「二度と帝国主義国家日本の侵略戦争を許さない」という固い決意が込められていた。この労働者階級人民の要求と固い決意は、日本帝国主義を打倒して、プロレタリア革命に勝利することによってしか実現できないものであることは明白であった。こうした労働者階級の闘いの息吹が、戦後憲法を大きく規定したのだ。
革共同の一九全総第四報告は、現憲法を「本質的に帝国主義憲法であるが、特異な歴史的制約性を受けた憲法」と規定している。この歴史的制約性を帝国主義国家日本に強制した要素に戦後革命期の労働者階級人民の闘いがあるのだ。
敗戦からわずか十年後に開始された「五〇年代改憲攻撃」は、戦後階級闘争の地平を引き継ぐ六〇年安保闘争の全人民的高揚によって粉砕されたといっても過言ではない。この地平は七〇年安保・沖縄闘争に引き継がれ、日帝が容易に改憲攻撃を持ち出せない地平を築き上げてきたといえる。
第4章 自衛権への屈服迫り憲法9条の破棄狙う
「五〇年代改憲攻撃」以来の今回の憲法調査会の設置は「九〇年代改憲攻撃」の頂点に位置している。
「九〇年代改憲攻撃」もまた、九一年イラク・中東侵略戦争と自衛隊掃海艇のペルシャ湾出兵、九二年PKO法の成立−カンボジアへの自衛隊派兵、それに続くルワンダ・モザンビーク自衛隊派兵、ゴラン高原自衛隊派兵、九六年日米安保共同宣言、九七年新ガイドライン協定締結、九九年新ガイドライン法の強行成立、組対法・団体規制法や「日の丸・君が代」法の制定と続いた帝国主義国家日本の侵略と戦争、暗黒支配への踏み切りの攻撃の頂点としてある。
とりわけ、新安保ガイドライン体制の構築・発動によって、朝鮮・中国−アジアへの侵略戦争を実際に強行し、自衛隊が武力行使をするためには、もはや憲法第九条〈戦争放棄〉の条項をいかなるペテンや口実でつくろうこともできない地点に帝国主義国家日本が立っているのである。
ここから、新安保ガイドライン改憲ともいうべき攻撃が開始されている。この攻撃は、ソ連スターリン主義崩壊後の帝国主義間争闘戦を時代基調とする世界への突入、とりわけその中で二九年型世界大恐慌が火を噴き、帝国主義が生き残りをかけた「相互絶滅的」争闘戦の段階へと突入、アジア勢力圏化をめぐる日米争闘戦の激化を契機としている。
だから、日帝は戦後の労働者人民の「二度と日本国家の侵略戦争を繰り返してはならない」という広範な意識を反動的に転覆することに全力を挙げているのである。ここに今日の改憲攻撃の狙いがあるのだ。
ここで日帝は、「帝国主義国家日本の自衛権」を前面に出す攻撃に打って出ている。この「日本が滅びてよいのか」という恫喝に屈したのが、公明党、民主党であり、日本共産党であった。連合=JR総連もまた、九九年新ガイドライン法の強行成立をもって「帝国主義国家日本の自衛権」を承認することで、日帝の侵略と戦争、暗黒支配の先兵となったのである。
既成政党や帝国主義的労働運動、ファシスト労働運動が「帝国主義国家の自衛権」を認めようとも、労働者人民は「二度と侵略戦争を繰り返してはならない」と真剣に決意している。そのことを九九年ガイドライン決戦は示したのである。
二〇〇〇年有事立法・改憲攻撃との闘いを、「侵略戦争のための自衛権などけっして認めない」「侵略戦争絶対反対・戦争協力絶対拒否」を掲げ、戦争しなければ生き延びられない帝国主義をうち倒せ! を合い言葉に総決起しよう。
衆議院選挙決戦の勝利をかちとろう。名護新基地建設阻止・サミット粉砕へ総決起しよう。十一月労働者集会へ新潮流運動の大飛躍をかちとろう。この三大決戦を闘いぬく中で、有事立法・改憲攻撃との対決を強化していこう。
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週刊『前進』(1941号5面2)
12・5敦賀
もんじゅ再開許さぬ
事故から4年700人が集会とデモ
十二月五日、敦賀市白木海岸で、地元住民・北信越・関西はじめ全国各地から七百人の労働者・市民が参加して、九五年「もんじゅ」ナトリウム漏れ事故四周年闘争が闘われた。
北陸労組交流センター、富大学生自治会、関西反戦共同行動委は、地元住民、全国各地の労働者・市民とともに現地で闘い抜いた。
白木海岸での集会では、高速増殖炉等建設に反対する敦賀市民の会の吉村清さんが、「『もんじゅ』の真の目的は、高純度のプルトニウムを取り出すことにある。この間四回も大きな事故が起き、『安全神話』は完全に崩壊した。運動をさらに進め、高速増殖炉路線を放棄させよう」と訴えた。
原水禁からの代表発言につづいて、東海村と柏崎現地からの参加の紹介があり、次いで全国被爆者青年同盟が紹介された。
その後、全参加者は「もんじゅ」ゲート前までデモを行った。そして「『もんじゅ』運転再開阻止、プルサーマル計画はやめよ」という内容の総理大臣、核燃料サイクル開発機構理事長、関西電力社長あての要望書を、核燃料サイクル開発機構の職員に手渡し抗議をたたきつけた。
現地集会の後、午後から会場を敦賀市内の勤労福祉センターに移して、全国集会を続行した。
原発反対福井県民会議の小木曽事務局長は「『もんじゅ』運転再開への執拗な動きがある。運転再開をけっしてさせてはならない。プルサーマルは必ず大事故を起こす。他の諸国が放棄しているのに、プルトニウムをもてあそぶのは止めなければならない。核のない社会を一日も早くつくろう」と訴えた。
もんじゅ訴訟弁護団・福武事務局長の発言に続いて、東海村臨界事故の現地から原子力行政を問い直す宗教者の会の藤井世話人をはじめ、各地から闘いの報告がなされた。
北陸労組交流センターの代表は、「プルトニウム政策は核武装のためのもの。新ガイドライン・有事立法・改憲攻撃と一体の攻撃だ」と発言、闘いの方向性を力強く指し示した。
ファシスト・カクマルは闘争破壊のためだけに登場した。「核開発はエネルギー供給のため」とブルジョアジー・電力資本と一体化し、核武装としての本質を覆い隠そうとする反動的な姿をさらけだした。さらに、核への怒りをもって参加した原発直下の住民に対しても「お前たちは自然発生的だ」と敵対した。屋内集会後、敦賀駅前まで多くの市民が注目する中を全参加者が反核を訴えてデモ行進した。
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週刊『前進』(1941号5面3)
2000年日誌 阻もう!戦争への動き
1月1日〜10日
「思いやり予算」で日米争闘
小渕が東南アジア3国歴訪
●憲法調査会で議論へ 小渕首相が年頭の記者会見で、改憲問題について、「二〇〇〇年が正々堂々と与野党を含めて議論する年になったのは大変意義深い」と述べた。(1日)
●三千b級滑走路を検討 米軍普天間基地の代替施設について、政府がジャンボ機の発着可能な三千b級の滑走路を持つ大型空港を検討していると読売新聞が報道。(1日)
●原発にトラブル 二〇〇〇年問題で、東京電力福島第二原発で原子炉内の制御棒の位置が表示されなくなるなど、各地の原発でトラブルが相次いだ。(1日)
●PKO五原則見直し 与党三党が国連平和維持活動(PKO)参加のためのPKO参加五原則の見直しに着手する方針を決めた。見直しに慎重だった公明党内に柔軟論が強まってきたため。(3日)
●有事法制整備望ましい 瓦力防衛庁長官が防衛庁の年頭のあいさつで有事法制について「研究にとどまらず、その結果に基づき法制が整備されることが望ましい」と述べた。(4日)
●基地の油が川に流出 沖縄市の米軍嘉手納弾薬庫地区から漏れ出た油が比謝川に流れ出しているのが見つかり、怒りが広がっている。(5日)
●日米防衛首脳会談 訪米中の瓦防衛庁長官がコーエン米国防長官と国防総省で会談した。来年三月で期限切れになる在日米軍駐留経費の日本側負担(思いやり予算)に関する特別協定に関連して、コーエンは今後も負担の水準を維持するよう求めたが、瓦は減額したいとの意向を表明した。一方、米軍普天間飛行場の移設問題では、瓦は沖縄県や名護市が米軍の使用を十五年に限る条件を付けていることを伝えたが、「将来の国際情勢の予測がきわめて困難なことを勘案すべきだ」と述べ、問題の決着を先送りにする姿勢をにじませた。(5日)
●「北朝鮮楽観論」を米次官補が批判 瓦防衛庁長官がロス米国務次官補と会談した。ロスは「日米両国にとって共通の関心事である脅威」として@短期的には中台間の緊張や朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)問題A中期的には南沙(スプラトリー)諸島の領有権問題、インドネシア情勢の悪化B長期的には中国の動向を列挙。特に北朝鮮関係について「改善された面はあるが、ミサイル開発問題があり楽観視するのは愚かだ」と述べた。(6日)
●米朝協議、二十二日から再開 米国務省が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との高官協議を二十二日からベルリンで再開すると発表した。(6日)
●米兵三人が民間地に落下米軍伊江島補助飛行場で実施されたパラシュート降下訓練で、海兵隊三人と物資一個がフェンス外に落下した。八日にわかった。(6日)
●リコール運動、来月にも開始 米軍普天間基地の移設問題で、ヘリ基地反対協(新城春樹・安次富浩共同代表)が名護市内で幹事会を開き、昨年十二月に移設受け入れを表明した岸本建男市長のリコール(解職請求)運動に向けた取り組みを協議した。(6日)
●米が二十一世紀の安保戦略公表 クリントン米大統領が「新世紀のための国家安全保障戦略」と題する年次報告を議会に提出し、公表した。二十一世紀の東アジア・太平洋地域の安保強化に向けて、日米同盟が引き続き基軸となることを表明した。報告は、米国の戦略目標として、@安全保障の強化A経済的繁栄の拡大B世界の民主化と人権促進を掲げている。(7日)
●名護市長辞任は来月以降岸本市長の後援会が市議会与党議員団と懇談会を開き、ヘリ基地反対協のリコール運動への対応を話し合った。今月中は運動の動向を見極め、辞任して出直し市長選に再出馬すべきかどうかを協議することで合意した。このため、岸本市長の辞任は早くても二月以降になる可能性が高くなった。(7日)
●国連代表部に自衛官派遣へ 防衛庁がニューヨークにある国連日本政府代表部に二〇〇一年度から自衛官一人を駐在武官として派遣する方針を決めた。PKOなどの情報収集力強化が狙い。(8日)
●新型指揮艦の必要性を強調 瓦防衛庁長官が被災地への援助活動やPKOなどに使える新型指揮艦が必要との考えを示した。(8日)
●憲法改正国民投票法案を提出へ 自由党が憲法改正手続きなどを定める「憲法改正国民投票法案」(仮称)を通常国会に提出する方針を固めた。(8日)
●小渕が東南アジア三カ国歴訪 小渕首相が東南アジア三カ国(カンボジア・ラオス・タイ)の歴訪に出発。同行記者に「サミットにアジア諸国の声を反映させたい」と表明した。このほか、歴訪で@アジアの人材育成・交流策「小渕プラン」の具体化A東南アジア諸国連合(ASEAN)域内の経済格差是正への支援などについて協議する意向を示した。(10日)
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週刊『前進』(1941号6面1)
辺野古への基地移設を阻止せよ
1〜3月名護現地決戦勝利へ
反対協のリコール宣言にこたえ全力で岸本打倒を
昨年十二月二十七日、岸本建男名護市長は、十二月二十三日未明の名護市議会での移設整備促進決議強行を受けて、普天間基地名護移設受け入れ容認を発表した。これに対し同日、ヘリ基地反対協は、「本日私たちは全市民に対し、市長解職請求(リコール)に着手することを宣言する。名護市の将来は、市民みんなで決めよう」とリコール宣言を発した。沖縄の未来を決すると言っても過言ではない、真に歴史的な決戦が始まった。革共同は、二〇〇〇年一・一アピールで武装し、その強力な物質化をかけて、名護新基地建設阻止・沖縄サミット粉砕決戦に猛然と総決起する。辺野古・二見以北の住民と名護の労働者・市民−沖縄労働者人民の闘いに連帯し、勝利のために総力をあげる。今こそ、本土人民の総決起を組織しよう! この歴史的大決戦は、来る総選挙での東京八区・長谷川英憲氏の勝利をかちとる決戦と一体の闘いである。二〇〇〇年決戦の三大課題−「衆院選決戦、名護新基地建設阻止・サミット粉砕決戦、新潮流運動の大躍進の闘い」に勝利し、世界史の転換点・二〇〇〇年を日本帝国主義打倒・日本革命への跳躍点にしよう! 城間正
第1章 普天間基地移設「年内決着」策動を打ち砕いた12月攻防
名護情勢は、一月冒頭から激突過程に突入した。一月六日、ヘリ基地反対協は幹事会を開き、岸本市長リコール運動を二月から開始すること、一月二十九日に総決起集会を開催することを決定した。一方、岸本市長は、サミット防衛=新基地建設貫徹のために「二月市長辞任・三月出直し選挙」でこれに対抗しようとしている。
稲嶺沖縄県知事と岸本市長は、日帝・小渕政権の「年内決着」のシナリオに基づいて、十一−十二月の一連の「受け入れ表明劇」を演じた。シナリオは、サミットという国家的大イベントと十年間で一千億円という「特別振興策」の前に基地反対運動が崩壊すると浅はかにも想定していた。名護市民の反対意志の強さ(十二月段階の世論調査で五九%が反対)、そして沖縄人民がここまで徹底抗戦することは想定外であった。サミットを直撃するリコールを含めた徹底的な闘いに、岸本ら基地誘致派は大動揺している。十一−十二月攻防をとおして、情勢の主導権は反対協が握っているのだ。日帝の「年内決着」攻撃は、まったく逆のものに転化したのである。
「十五年の使用期限と使用協定などの条件が入れられなければ撤回もあり得る」という岸本市長の大ウソがそれを加速させた。岸本表明の内実は政府への白紙委任である。「十五年期限」問題については後述するが、軍事作戦を行い事件・事故を引き起こす当事者である米軍がかかわらない「使用協定」になんの意味があるのか。こんな「使用協定」が意味することは、侵略戦争と基地絡みの事件・事故を正当化する役割を名護市が担うということだけである。岸本の「受け入れ七条件」とはすべてこのようなものだ。
日帝・小渕政権は、「地元の頭越しには強行しない」と繰り返してきた。これは、反対運動をあらかじめ根絶やしにし、名護市民が「岸本の選択」を大歓迎する情勢をつくり出すということである。
しかし、このシナリオは完全に裏目に出た。日帝・政府の手先となり、名護市民と沖縄人民を裏切った岸本への怒りが爆発しているのだ。追い詰められたのは、サミットの七月名護開催を控えた日帝である。
反対協が決定した岸本市長へのリコール請求署名を断固貫徹し、圧倒的多数でリコールを成立させることはまったく可能である。追い詰められた岸本は、辞任して市長選で決着などと言っているが、こうした卑怯・卑劣なやり方を打ち破って勝利することもまた完全に可能である。その時、日帝・小渕自自公政権が仕組んだ沖縄サミットを頂点とする沖縄圧殺攻撃は総瓦解(がかい)する。
それだけではない。日帝の国策中の国策である日米安保体制を崩壊的危機にたたき込む。沖縄問題=安保問題、安保問題=沖縄問題という構造が、日帝をかつてない危機に再び引きずり込む。サミットというデッドラインが、今や逆に日帝に突きつけられたのだ。
第2章 ガイドライン体制発動下の日帝の国家的沖縄差別政策
小渕内閣は、岸本の受け入れ表明を受けて、十二月二十八日、「普天間基地の代替施設をキャンプ・シュワブ水域内名護市辺野古沿岸域に建設する」ことを閣議決定したが、案の定、方便でしかない「十五年問題」については対米交渉の議題にしないとした。
実際、一月五日、日米防衛首脳会談で瓦防衛庁長官は十五年問題を口にはしたが、協議のテーマにはしないことを正式に対米公約した。「軍事態勢について協議」という確認は行われたが、それは九六年日米安保共同宣言中の文句を再確認しただけにすぎない。沖縄基地を大幅に減らすという意味ではまったくない。
米帝は、あらためて「十五年期限」をまったく問題にしない態度を表明したのである。そればかりか米帝は、稲嶺の「軍民共用空港」を逆手にとって、「大型機も離発着可能な滑走路建設」「米軍家族も含めた移転」を要求してきた。
もともと米帝は、七〇年代後半、キャンプ・シュワブを嘉手納基地並みの海兵隊総合基地(三千メートル級の滑走路、陸上部隊・弾薬庫と航空部隊が一体となった戦略基地)にすることを計画していた。米国防総省の「普天間海兵隊航空基地の移設のための運用条件及び運用構想(最終案)」(九七年九月)は、新基地を「耐用年数二百年、最低四十年間使用」と明記している。
名護新基地の「十五年期限」問題は、米帝の神経を逆なでしている。米帝は、“沖縄に米軍を配置するのは対日戦勝利の権利である”“日本政府が期限をうんぬんするのは問題外”と一蹴しているのだ。
「冷戦が終わって世界は平和に向かっているのに、沖縄基地だけは強化されている」というのではない。SACO(沖縄に関する日米特別行動委員会)最終報告による沖縄基地強化の根源は、ソ連崩壊後の世界における帝国主義の基本矛盾の歴史的爆発であり、そこからの生き残りをかけた日米を始めとする帝国主義によるアジアの残存スターリン主義を巻き込んだ凶暴な侵略戦争と世界再分割戦=勢力圏争奪戦にある。
米帝はこの中で、米軍の東アジア十万人体制を維持し、朝鮮・中国への世界大戦級の侵略戦争政策とその態勢をとり、日帝をその中に引きずり込もうとしている。
日帝の安保政策は、帝国主義として生き残るために、対米共同の形式をギリギリまで利用しながらも、この米帝の重圧に対する対抗を原理とした独自の朝鮮・中国−アジア戦略の発動、そのための安保・防衛政策に転換しつつある。
自自公政権登場と新ガイドライン体制発動を日帝の安保政策の側面から総括すれば、ソ連スターリン主義の崩壊を歴史的な契機として、世界史の展開基軸が帝国主義対帝国主義の対峙・対決へと転換し、帝国主義の基本矛盾が全面的に爆発する時代の安保政策(対米対抗を原理とした独自の軍事大国化と戦争政策の発動)に、いよいよ踏み出したということである。
在日米軍への「思いやり予算」を二〇〇〇年度予算案で初めて減額して見せたのは、日帝のこうした国家意志の表明である。日帝は、沖縄基地の提供は日帝の政策によるものだと、恐る恐るではあるが「主張」しようとしているのだ。これに対し米帝は日米安保共同宣言を持ち出して、日帝の対米軍支援公約の履行をゴリゴリ要求した。安保・防衛政策での対米自立化は絶対に許さないという回答である。
第1節 「15年期限」という大ペテン
以上のような日米帝の帝国主義間争闘戦が深刻化すればするほど、日帝の国家的国策的沖縄差別政策がむき出しとなる。日帝対沖縄人民の非和解的対決構造をトコトンまで推し進めるものとなる。「十五年期限問題はあくまで国内問題として扱う」という日帝・小渕内閣の決定は、そのことを明らかにしている。
つまり日帝が“沖縄を完全に屈服させる”ということである。「十五年期限を政府として重く受けとめる」というのは、沖縄返還時の「核抜き・基地使用の本土並み」以上の大ウソだ。「重く受けとめるが、協議の議題にはしない」とはどういうことか。受けとめたふりをするだけのペテンではないか。
さらに、「十五年期限」とは、移設までに十年プラス十五年だから計二十五年だと公然と言われている。二十五年とは、第二次大戦後、沖縄が米軍支配下にあった時代にほぼ等しい。要するに、普天間基地問題すら、これから四分の一世紀たっても解決しないということなのだ。他の基地はどうなるのか。五十年から百年も存在し続けることになる。これがSACO県内移設路線の本性なのだ。
他方で、「十年間で一千億円の振興策」は、文字どおりの沖縄差別政策であり、国家による露骨な買収政策である。「十年間で一千億円」は、まったくの見せ金でしかない。「沖縄振興新法が担保」と稲嶺や岸本は言うが、それは紙切れでしかない。北部振興になどまったくつながらない。
沖縄人民が、九五年秋、自決・自己決定権の行使を求めて立ち上がった“島ぐるみ”の闘いの革命的貫徹が、いよいよ決定的に求められている。その過程で、稲嶺や岸本、あるいは上原康助のような日帝の手先や裏切り者が本性をさらけ出してくるのは必然である。沖縄人民内部におけるこうした非和解的・内乱的対決を経ないで、主敵・日帝との間で日本−沖縄関係の革命的変革を求める真の島ぐるみ闘争は現実化しない。沖縄情勢は、沖縄基地問題をとおして七二年「返還」体制をあらためて根底から問う過程に入った。
「海につかって人柱になっても基地建設を阻止する」と決意している辺野古命を守る会やジュゴンの会のオジー、オバーたち。この闘いに象徴される辺野古・二見以北を先頭とした新基地建設予定地住民の絶対反対の闘いは、まさに琉球処分以来百二十年、戦後五十五年、日本復帰後二十八年の歴史と現実を人民の側から総括するものだ。
第3章 朝鮮・中国-アジア侵略戦争を狙う沖縄サミット粉砕へ
二〇〇〇年一月一日をもって日帝はサミット議長国となった。一月十日からの小渕のカンボジア・ラオス・タイ三カ国歴訪、河野外相の欧州歴訪、それに続いて、四月には「太平洋・島しょ国サミット」を開催する。日帝は、七月沖縄サミットに向け、サミット議長国としての特権を使って独自のアジア外交を大々的に展開し始めた。
この間、日帝は「宮沢基金構想」を水路に、アジアの日帝勢力圏化に向けた帝国主義的アジア政策を本格的に展開し始めている。台湾新幹線建設プロジェクトの国際入札では日本資本団が落札した。
沖縄サミットにかけた日帝の意図は、アジア・太平洋地域の「盟主」として自己を押し出すことである。これはすなわち、米帝の朝鮮・中国侵略戦争政策に対抗して日帝自身の朝鮮・中国−アジア政策−侵略戦争政策を打ち立て、展開するということなのだ。
小渕は昨年のドイツ・ケルンサミットで、日帝の側から朝鮮半島問題を議題化することを狙ったが、米帝の朝鮮政策と欧米帝国主義のユーゴスラビア侵略戦争政策によって阻まれた。自らが議長となる二〇〇〇年サミットこそ、そのチャンスとしている。
日帝・小渕政権は、サミットに向けて日中韓首脳会談を開催し、アジア代表としてサミットに臨もうとしている。つまり、極東最大の米軍基地と新ガイドライン体制による朝鮮・中国−アジア侵略戦争への日帝の主体的な参戦国家化を中国スターリン主義に突きつけるとともに、戦争する国家へと転換しつつある現実を米帝など他帝国主義に示そうというのである。日帝が沖縄サミットにかけた狙いは、独自の朝鮮・中国−アジア政策での飛躍であり、アジアの日帝勢力圏化である。だから沖縄開催決定は日帝にとって重大な意味をもっているのだ。
このようなアジア勢力圏化をもくろむ日帝が開催地を沖縄に決定したことに対し、米帝は当初、不快感を示したが、次にはこれを逆手にとって沖縄開催の条件として普天間基地問題を始めとしたSACOの貫徹を日帝に突きつけた。「サミットまでに沖縄基地問題を解決せよ」という昨年六月のクリントン発言は、もし解決していなければ、日帝の責任にして二〇〇〇年サミットをぶち壊し、日帝のアジア外交を完膚なきまでに粉砕する、というものである。
史上初のNATO軍の域外派兵・ユーゴスラビアへの無差別爆撃を賛美したケルンサミット以上に、沖縄サミットは、帝国主義の根底的な利害対立と勢力圏争いの中で、むき出しの形でアジア侵略戦争を協議し競い合う場となる。「沖縄から世界に平和を発信する」どころか、中国スターリン主義の危機=中国大乱情勢とアジアの大激動をにらんで、帝国主義が朝鮮・中国−アジア侵略戦争の覇権を争う帝国主義間争闘戦を宣言するものにほかならない。絶対に許せない侵略強盗会議だ。日本労働者人民のプロレタリア国際主義的責務にかけて絶対に粉砕あるのみだ。
第1節 沖縄圧殺許さない大運動を
沖縄サミット粉砕決戦の爆発は、日帝・小渕政権−自自公体制を総瓦解させ、九五年以来の第三次安保・沖縄闘争をまったく新たな段階に押し上げる闘いだ。
日帝と反動派は「安保=国益主義」の大反動・大反革命蜂起に出るだろう。だがそれは、沖縄差別の上にしか成立しない日米安保などぶっ壊れて当然だ、日米安保がなければ成り立たない国は滅びてしまえ、という沖縄人民の闘いの炎に油を注ぐものでしかない。
昨年のケルンサミットでは、全世界から結集した七万人がサミット会場のケルン市を包囲した。また、十二月のWTO(世界貿易機関)シアトル会議は、帝国主義による新植民地主義支配の強化・拡大と地球環境破壊、他方での大失業攻撃の激化の中で、十万の大デモにより会議そのものが粉砕された。沖縄の闘う人民は、帝国主義の戦争と大失業に反対する全世界の人民に七月沖縄への総結集を呼びかけている。アジア人民、中東人民、欧米諸国人民とともに、帝国主義の盟主・米帝の象徴である嘉手納基地を包囲し、沖縄圧殺と朝鮮・中国−アジア侵略戦争のための沖縄サミットをズタズタに粉砕しようではないか。
一−三月名護決戦を岸本市長リコール貫徹・市長選挙勝利として闘い抜き、七月沖縄サミットを粉砕せよ! 革共同は二〇〇〇年こそ、六〇年・七〇年を超える第三次安保・沖縄闘争の大爆発へ、労働者階級人民の総決起をつくり出すために全力で闘う。
日帝の「年内決着」策動が破綻(はたん)したことに誰よりも打撃を受けているのが反革命カクマルである。カクマルの闘争破壊と真っ向から対峙・粉砕し、全学連現地行動隊を先頭に名護現地決戦を全党・全国の力で闘いぬこう。
四−五月沖縄闘争月間の闘いを全国で爆発的に組織しよう。そして、その力で六−七月沖縄サミット粉砕! 中央−沖縄現地決戦に総蜂起しよう!
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週刊『前進』(1941号6面2)
訂正
前号1面論文の下から5段目の11行目に「長期債務残高は六百四十五億円」とあるのは、「六百四十五兆円」の誤りでした。
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