COMMUNE 2008/xxx/xx(No.3xx p48)

ホームページへ週刊『前進』季刊『共産主義者』月刊『コミューン』出版物案内週刊『三里塚』販売書店案内連絡先English

01月号 (2009年01月01日発行)No.390号

定価 315円(本体価格300円+税)


『コミューン』から『国際労働運動』へ改題のお知らせ

 次号(09年3月号 09年2月1日発行)より『コミューン』は『国際労働運動』と改題します。
世界金融大恐慌が始まり、全世界で労働者人民のストライキ、デモが激発しています。社会の主人公たる労働者階級が帝国主義の鉄鎖を打ち砕き、全世界を獲得する時代に突入しました。資本主義はもう終わったのです。こうした革命情勢切迫にあって、動労千葉など3労組主催の11・2労働者集会は、日韓米の3国国際連帯の大前進をかちとりました。世界革命への道筋が開かれました。
 本誌は、この情勢を徹底的に推進するために名実ともに『国際労働運動』誌として生まれ変わります。今後とも読者の皆さまのご愛読をお願いします。

〈特集〉  中国第2革命のチャンス到来

□世界金融大恐慌の直撃受け陥没する中国経済
□WTO加盟後に一挙拡大した貧富の2極分化
□中国スターリン主義の労働者支配の要=工会

●翻訳資料1 イラン労働者の闘いの記録  丹沢 望訳

●国際労働運動 南朝鮮・韓国/韓国/民主労総11・9労働者大会に3万人−−室田順子

    11・2全国労働者総決起集会

三里塚ドキュメント(10月) 政治・軍事月報(10月)

労働月報(10月)  闘争日誌(09月)

コミューン表紙

羅針盤 11・2集会は大成功

▼田母神(たもがみ)前空幕長の侵略戦争正当化論文と国会での放言は、軍隊内からの反革命クーデターとも言うべき所業であり、絶対に粉砕しなければならない。また、米民主党オバマの登場は米帝の危機を一層促進し、労働者階級への攻撃を決定的に激化させるものだ。今こそ階級的労働運動の力で大反撃しよう。11・2全国労働者集会と韓国の11・9民主労総労働者大会は、世界金融大恐慌をプロレタリア世界革命で迎え撃つ階級的陣形を鮮明に登場させた。この闘いをさらに前進させ、5700人の団結を打ち固めよう。『新版 甦る労働組合』(中野洋著)と『前進』は、その最良の武器だ。分岐と激突で鍛えられた青年労働者・学生とともに12月闘争を闘いぬき、麻生政権打倒−09春闘へ進撃しよう。
▼11・2集会を核とする一連の国際連帯行動は、世界革命の路線と隊列をついに現実化した。動労千葉労働運動と3労組共闘の11月集会が、世界に通ずる路線として宣言されたのだ。民主労総の労働者は「両国間の壁を越えて団結して闘えば、資本と政権による新自由主義の壁を打ち破れると確信します。それぞれの国のバラバラの組織ではなく、ひとつの組織として新たに生まれ変われるよう、より一層組織化に向けて頑張ります」(民主労総ソウル本部のイジェヨン本部長)と決意を語った。アメリカの労働者は、「今日は日本人になることができました。明日は私は韓国人になり、そして世界の労働者としてひとつになります。レボリューション!」(ILWU=国際港湾倉庫労組のケナード・ウィルソンさん)、「国際的・革命的な労働者の党が必要だ」(同ジャック・ヘイマンさん)と訴えた。それぞれが、人種・民族の諸課題も含め、プロレタリア世界革命の中にすべての希望があることを、この間の闘いを踏まえて鮮明に訴えたのである。さらに、訪韓した田中康宏動労千葉委員長がソウルで「日本も韓国もアメリカも労働運動は今、同じ壁にぶち当たっている。敵は崩壊寸前であり、労働者が闘えばうち倒すことができるチャンスだ。それなのに労働者の側が逡巡(しゅんじゅん)している。ここを突破できれば壁は越えられる。命がけのハイテックの闘いに応えられないようでは駄目だ。日本で産みの苦しみで闘って、私たちが本当の力を得よう!」と問題の核心を明らかにした。世界は今、革命の現実性が迫る中で、労働者階級をどの勢力・路線が獲得するのかで激動している。オバマの登場も、米帝の階級支配の全面崩壊の危機により、プロレタリア革命を予防・鎮圧するための挙国一致体制としてブルジョアジーが選択したことが核心だ。
▼4者4団体路線派の10・24集会に「11・2」が圧勝した地平に立ち、第2次国鉄決戦を基軸に、11・2集会に向かった時以上のボルテージで麻生政権打倒、橋下大阪府政打倒へ突き進もう。日本経団連が道州制への最終提言を発表した。道州制攻撃は警官や自衛隊員以外はいったん全員解雇するというウルトラ反動であり、その最先兵が橋下だ。11・21大阪府庁前闘争は反撃の号砲だ。実際、11・2集会は3労組に続いて70人の組合員が参加した単組を先頭に、全国で3けたの拠点職場からの結集で「1万人結集」に手をかけたのだ。この力こそが、田母神前空幕長の侵略戦争正当化発言をぶっ飛ばし、改憲攻撃を攻勢的に打ち砕く力だ。12・14国鉄闘争勝利集会に立とう。(U)

 

 

翻訳資料

 翻訳資料

 翻訳資料イラン労働者の闘いの記録

 イラン労働者支援国際連合の資料(08年7月、8月、10月)

丹沢 望 訳

 ■解説■

 今回の翻訳資料は、08年7月から10月までのイランの働者階級の闘いに関する「イラン労働者支援国際連合」(国際的にイランの労働運動支援活動を行っている組織)の資料を翻訳した。
  この資料では、激しい弾圧の強化に屈しない労働者のストライキ、デモ、ランク・アンド・ファイルの労働組合の組織などの闘いの現状が生き生きと伝わってくる。
  ハフタッペ砂糖会社の労働者のインタビューでは、イラン労働者がイラン・イスラム政権の弾圧と闘いながら官製でない労働組合を設立し、歴史的な闘いに決起しつつある姿が浮き彫りにされている。
  世界金融大恐慌の下で、イラン経済も急速に悪化しており、このなかで労働者に対する民営化、リストラ、賃金不払い、インフレの嵐が襲い掛かっている。だがイランの労働者はこのような攻撃を必ずや跳ね返して、国際的な労働者のプロレタリア革命をめざす闘いに合流してくるであろう。
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 労組活動家の投獄

 2008年7月4日、アフシン・シャム氏が、アリゴダーズ市で逮捕された。2日後、革命防衛隊(政府の下に組織された反革命軍事組織)がイスファハンの彼の父親の家を襲撃し、家屋全体を捜索した。革命防衛隊は、彼の書いた労働運動に関する全文書と草稿を押収した。アフシン氏は労働運動の活動家であり、労働組合建設支援委員会、マフムード・サレヒ支援委員会、風刺画家協会のメンバーである。
  われわれはすべての労働運動活動家と進歩勢力に対して直ちにこの問題に取り組むことを呼びかける。アフシン氏は無条件に釈放されなければならない。彼は良心の囚人であり、彼の逮捕は労働運動全体を弾圧する狙いを持つものである。

 ハフタッペ社の闘い

 ハフタッペ砂糖会社の労働組合設立委員会は、執行委員会に立候補したい労働者に対してイラン暦の1387年5月18日(西暦2008年8月9日)までに登録するように呼びかけた。この委員会は5000人以上の労働者を雇用するハフタッペ砂糖会社の労働者によって構成されている。
  この数日間に何人かの労働者がストライキを行い、経営者の事務所の前で集会を行った。彼らは良い回答を得られないならば、他の多くの労働者も彼らに合流し、さらなるストライキが行われるだろうと述べた。最近の一連のストで、労働者は3カ月分の不払い賃金を取り戻した。会社は一連のストライキの後、新しい経営陣に交代した。労働者たちは、彼らの代表者の意見が新経営者によって検討されるだろうと期待している。

 数分の裁判で死刑

 08年7月20日、ファラザード・キャマンガル氏は7分間の「裁判」で死刑判決を受けた。3分間の起訴状朗読と、4分間の「審理」でである。彼の弁護士はいかなる犯罪事実についても告知されなかった! 
  若い教師のファラザード・キャマンガル氏は、2006年8月18日に逮捕された。彼はペジャック党【PKKのイラン国内の姉妹組織】との協力、PKK【トルコのクルディスタン労働者党】の党員、爆発物の運送などの疑いで激しい拷問を受けた。その後、彼はあちこちの都市の刑務所やさまざまな司法機関、治安機関をたらいまわしにされた。
  この2年間、イランおよび外国のさまざまな個人や進歩的勢力や組織が、彼の勾留に抗議してきたが、政府はこれらのすべてを無視した。

 大規模な処刑の開始

 08年7月27日、30人がテヘランで処刑された。テヘランの法務長官のサイード・モルタザビは、処刑された人々は「麻薬の売人、殺人犯、反乱分子」であると述べている。テヘランの検察庁内からの信頼できる情報によれば、昨年のガソリン価格の高騰に対する大衆デモで逮捕・勾留された者もそのなかにいるとのことである。サイード・モルタザビは、「これらの人々の処刑は、『社会安全強化法』という新法に基づいたものである」と述べている。
  多くの人権団体・機関・活動家がこの処刑を弾劾し、イランイスラム共和国に対してこのような処刑を直ちにやめることを要求している。青年犯罪の弁護士であるモハマッド・モスタファエは、ドイツのドイッチェ・ベレという放送局のインタビューの中で、「私の理解するところでは、政府が『反乱分子』と呼んでいるこれらの人々は、特殊な人々である。処刑の執行日はいつもの慣例とは異なって設定された。テヘランの刑事検察庁は、いつもは各月の最後の水曜日に処刑を行うが、今回は日曜日に行われた。処刑された人々はイスラム革命法廷か特別犯罪法廷で裁判を受けた人々である」と述べている。

 アルボーズ・タイヤ会社の労働者が不払い賃 金に抗議(08年8月)

 アルボーズ・タイヤ会社の労働者は、新たな一連の抗議行動と職場闘争を行った。
  5カ月分の賃金が不払いになっている。しかもこの3カ月以上にわたって給料を受け取っていない。彼らは最近、労働者総会を行い、この総会で抗議行動と職場闘争を継続することを決定した。彼らは、08年8月12日、工場の近くの道路を封鎖した。そして、近く、イスラム共和国大統領公邸の前で抗議行動を行うことを宣言した。

 シャルヤー・ダムの労働者のストライキ(08年8月)

 ミアネ市のシャルヤー・ダムの労働者は、先月7月、ストライキに入った。彼らは不払いになっている過去4カ月間の賃金の支払いを要求している。雇用主は、労働者がストライキを終わらせるならば、不払い賃金の半分を支払うと約束した。だが、労働者たちは賃金の全額支払いを要求している。

 サナンジャイ繊維労働者がデモ(08年8月)

 サナンジャイ繊維会社の労働者たちは、ファルバルディン広場に集まり、工場に向けたデモを行った。会社は突然、全操業を停止した。守衛たちはデモ隊を襲撃し、旗を奪い去った。だが、労働者たちはデモを続けた。08年8月11日、サナンジャイの繊維労働者たちは、労働省の事務所に向かってデモを行うことを決定した。イラン自由労働組合によれば、他の工場の労働者も連帯してこのサナンジャイの繊維労働者のデモに合流した。全労働者が職場に復帰できたかどうかは、これまでのところはっきりしていない。

 アフシン・シャム解放運動の発展(08年10月)

 イラン労働組合建設支援委員会は、この3カ月間投獄されている労働運動活動家のアフシン・シャム氏を支援する全国的な闘いと多くの活動家を組織した。これらの闘いはイラン北部と西部の多くの都市で行われ、以下のような要求が労働者によって提出された。
・アフシン・シャム氏を即時・無条件に釈放せよ
・サナンジャイのメーデー参加者に対する鞭打ち刑と投獄をやめよ
・ハフタッペ砂糖会社などの労働者活動家に対する脅迫や威嚇、訴追をやめよ
・ハフタッペやアルボーズ・タイヤ工場、クルディスタンの繊維会社、レンガ窯工場の労働者の仲間と連帯して決起しよう
・イランのすべての労働者や組合活動家に対する犯罪容疑者扱いや告発を弾劾しよう
(注)アフシン・シャム氏は2008年7月に逮捕された。彼は労働組合活動家であり、労働組合建設支援委員会、マフムード・サレヒ支援委員会、風刺画家協会のメンバーである。

 アルボーズ社の労働者、さらなる闘いを決意

 2008年10月5日、アルボーズ・タイヤの労働者たちはテヘランの労働省の前で集会を行った。10月2日にも、アルボーズ・タイヤ会社の400人の労働者がテヘランの労働省の前で集会を行った。治安部隊は労働者が労働省の建物に入ろうとするのを阻止したが、数時間後に労働者たちの前に労働省の幹部が現れ、国がこの会社に対して10億トーマン(約104万3000ドル)の資金貸し付けを行うだろうと述べた。アルボーズ・タイヤ会社は、イラン国有会社機構の下に置かれた国有企業であったが、1990年に民営化された。労働者たちは6カ月にわたって未払いになっている給料の支払いと、会社の経営者の追放を要求してきた。労働者たちはまた、この会社がすでに数百億トーマンを社会保障機構とセファー銀行から借り入れていることを明らかにした。だが、これらの資金は労働者にとっては何の役にもたたないだろう。したがって労働者たちは政府に対してこの会社の運営責任と給料の完全支払いの責任を引き受けることを要求した。
  アルボーズ・タイヤ会社の労働者は、この数カ月間、多くの抗議行動とストライキを組織してきた。彼らは公認された労働組合も独立組合も持っていないので、自分たちの要求を実現するために、20人の労働者を彼らの代表として選出した。
  10月6日、労働者たちは労働省の資金供与計画を拒否し、国が有効な措置をとらないならば、来週、自分たちの家族とともに議会の前で集会を行う決意を固めた。この日の集会のスローガンは、「労働者は6カ月月給料を受け取っていない。大臣、あなたはどうだ?」というものであった。1200人以上の労働者がアルボーズ・タイヤ工場に雇用されている。

 連帯と財政支援の呼びかけガルプバフト・カーペット会社の労働者より

 ガルプバフト・カーペット会社の労働者たちが、会社によってレイオフされている。これらの労働者たちが労働社会事務所に訴え、職場復帰決定を得たにもかかわらず、治安部隊は彼らを扇動者と呼び、工場から強制的に排除した。
  この後、会社側は書類を偽造し、会社の解散を発表した。さらに会社側は、労働社会事務所の決定に異議を申し立てた。その結果、争議委員会は全労働者の雇用の終了を承認した。イランイスラム共和国の労働法によれば、「争議委員会の決定は、最終的で拘束力のあるものであり、即実効性のあるもの」となる。これは労働者がいかなる法律的支援も受けられなくなったことを意味する。基本的にはすべての法律は雇用主に有利なものでありつづけてきた。
  ガルプバフト・カーペット会社の労働者は、この間、何の財政的支援も給料もなく、非常に絶望的な状況に置かれている。彼らは家賃も払えず、子どもたちが学校で使う教材や衣類を買うこともできない。
  このような労働者の仲間たちは、イランや全世界の仲間の労働者たちに、彼らの職を守る闘いの支援と生活に必要な基本的物資の面での支援を呼びかけている。この闘争に関与している労組活動家や支援者たちは、ガルプバフト・カーペット会社の労働者に対して、以下のイランの共同口座に直接お金を振り込むことによって支援することを要請している。

0 Acountnumber:30419702007
Type of Account: SIBA
Account names: MR.Saeid Habibzadeh and Mr.Seyed Hassan Vahedi
Bank Melli Iran(BMI),Golshan Branch, Sanandaj, Kurdistan Province, Iran

【イラン労働者支援国際連合のペルシャ語から英語への翻訳者の注】

  イラン・イスラム共和国の労働法によれば、地方争議委員会は次のような構成になっている。
・3人の労働者側代表。これは地方イスラム労働評議会調停センター、あるいは労働者ギルド協会、ないしは各地方の労働者代表議会によって選出される
・3人の雇用主側代表 これは各地方の企業の経営者によって選出される
・3人の政府側代表 すなわち、労働社会事務所の委員長、知事、地方裁判所所長あるいは、これらの職にある者の代理
  イスラム労働評議会は、事実上政府が設立した機関であるため、争議委員会には独立の組合や労働者評議会は代表されていない。実際、この争議委員会にはいかなる形であっても労働者自身の意見は反映されていないし、さらに、労働者がこの争議委員会に代表を送っていたとしても、争議委員会のメンバーの多数派は反労働者的な政府や雇用主の代表であり、この委員会が労働者の役にたっているとはほとんど言えない。

 連帯と共同行動の拡大

 ガルプバフト・カーペット会社と、パリス繊維会社、サナンジャイ繊維会社の労働者は、レイオフや工場閉鎖、給料の支払い停止などに反撃するために、この数週間、共同行動を展開している。
  彼らは、9月中旬、クルディスタン州知事公邸やサナンジャイの労働省地方局の前で共同の抗議行動を組織した。この行動にはシャホー工場の労働者やサナンジャイの他の労働者の仲間が参加した。独立した労働組合や労組評議会や労組連盟が存在しないにもかかわらず、彼らは個々の孤立した闘争を、組織された共同の集会へと転化し、サナンジャイだけでなく、テヘランのアルボーズ・タイヤ会社の労働者などと連携することができた。
  イランで自由な労働組合の結成を追求する委員会によると、アシュカン陶磁器工場の労働者が、この数カ月間の賃金不払いに抗議する闘いに決起した。

 アシュカン陶磁器工場で労働者が機械を差し押え

 労働者たちは、不払い賃金の補償として工場を占拠し、機械を差し押さえる決断をした。工場の所有者は、労働者に賃金をわたすから、機械には手を触れるなという伝言をよこした。だが、賃金は支払われなかった。労働者たちは司法当局と接触したが、よい返事はこなかった。イラン中央銀行も、工場の資産と機械は中央銀行に属しており、労働者はそれを差し押さえたりする権利はないし、機械を傷つけるようなことがあってはならないというメッセージをよこした。
  治安部隊も工場占拠を終わらせるために派遣されたが、この報告を書いている現在(08年10月)、労働者たちは依然として工場の機械を管理している。

 ハフタッペ砂糖会社の労働者のインタビュー

 労働運動bQ (労働組合建設支援委機関紙)

Q 記者 まず読者に自己紹介をお願いします。それからあなたの活動経歴の背景とハフタッペ砂糖会社でのあなたの数年間の活動について教えてください。
A アリ・ネジャティ 私は1962年生まれです。家族を養うために、私は10歳のころから働いています。ティーンエージャーの時代から私は働き始めました。最初は建設業で、次にレンガ窯工場で働き、それから兵役をつとめました。兵役を終えて、22歳の時、ハフタッペ砂糖会社(HTSC)で働き始め、1984年以来24年間、この会社で働いています。
Q HTSCで抗議闘争とストライキを行った理由は何ですか? あなたたちの要求は何だったのですか?
A われわれの抗議闘争は世界のすべての労働者と同様に、生活条件をめぐるものでした。この問題に関してはわれわれも例外ではありません。HTSCの労働者は悲惨な労働条件の下にあります。われわれの労働は摂氏45度〜50度、あるいはそれ以上にまであがる真夏のような熱の中で行われます。そしてフーゼスタン地方の冬の労働では、冷気は骨にまでしみ透ります。それなのに、最低の賃金と諸手当が与えられるだけです。
  2006年6月以来、大部分のわれわれの抗議闘争は、賃金の不払い問題をめぐるものでした。周知のように、イランにおける現在のインフレ率は非常に高いので、労働者階級の家族は高騰する価格に対処できなくなっています。
  この問題に加えて、われわれは賃上げどころか、われわれが稼いだ賃金さえもきちんと支払われていないのです。給料が適宜受け取れていた以前でも、われわれの家計は火の車でした。3カ月も4カ月も給料が支払われない現在では、状況は急速に悪化しています。
  低賃金と賃金不払いという二つの問題に加えて、われわれは、職階制や、転勤、非正規労働、リストラ問題に関する要求を持っています。
  労働者の一部分はこの分野では多くの経験をもつ熟練の労働者ですが、リストラによって退職したり、退職させられたりしている。もちろん、後に残った労働者たちや、企業自身もこのような熟練労働者の欠落で大きな打撃を受けます。こうした問題はメディアで頻繁に論議されましたが、これまで政府の代表の側からこの問題に対処するという回答は出されていません。

【注】

  さまざまの情報源によれば、イランでは全労働力の50〜70%が一時雇用の形態で雇用されている。これらの労働者の大部分がわずか3カ月の雇用契約で働いている。89日目にはいったん解雇され、その後3カ月間再雇用される。このような方法によれば、雇用主は基本的な諸手当を労働者に供与する義務を要求されないし、いつでも簡単に取り替え雇用できる豊富な労働力を確保できる。

Q ネジャティさん、あなたは、あなたがたの抗議闘争の第2段階は、2008年3月に開始されたと言っていましたね。しかし、それ以前にすでにいくつかの抗議闘争がありましたよね。それはいつから開始されたのか、何を要求していたのか、そしてどのような行動をしたのかについて教えてください。あなたたちはシュシュ市で抗議行動を行い、知事公邸前で集会を行ったと聞いています。もう少し詳しくお願いします。
A 2007年9月以降のわれわれの闘いは、非常に大衆的で真剣なものになりました。この時以来、われわれは断続的にストライキを展開してきました。2〜3カ月の間隔で、われわれは1週間から3、4週間連続のストライキをうってきました。われわれのストライキは今年の2月までは断続的に行われました。経営者が、深刻な財政危機への対応策として、新年の手当を出すのをやめると、われわれは不満の声を強くあげました。われわれはシュシュ市の知事公邸近くで抗議行動を行い、そこに数日間泊り込みました。スローガンは「適正な生活水準を得ることはわれわれの権利だ」「われわれはHTSCの労働者なのに、飢えている」でした。政府の役人が状況の改善を約束するまで数日間、私たちはそこでの抗議行動を続けました。しかし、それから1年半たっても何事も起きませんでした。
Q シュシュの知事公邸前で抗議闘争を行っている際に、治安部隊があなたがたに対してどういう対応をしましたか?
A 抗議行動の最終段階の08年5月5日には、われわれの行動は強化され、多くの労働者たちが参加しました。労働者たちはシュシュ市の中心部に向けてデモを行い、「サイードに死を」という声をあげました。サイードはシュシュ市出身の国会議員です。われわれが知る限り、彼は農業委員会の長でもありました。この紳士は、われわれの直面していたいくつかの問題を解決できたはずなのに、これまでのところまったく何もしていません。5月の5日から24日まで、われわれは新たなストライキに入りました。過去50日間、労働者たちは市内で多くのデモを行い、工場に通ずる多くの道といくつかの大通りを封鎖しました。治安部隊は何度も労働者たちと激突しましたが、自分たちの権利のために闘っている労働者は何ものも恐れませんでした。治安部隊はわれわれをこん棒で殴ったり、催涙ガスで攻撃したりしましたが、どんな攻撃もわれわれを恐怖させることはできないでしょう。われわれが要求しているものは労働者の権利であり、それをわれわれから取り上げることは誰もできません。われわれはたたきのめされ、子どもたちは心理的に傷を受け、労働者たちは頭や腕に傷を負い、投獄され、裁判を受けに行かねばなりませんが、われわれの権利を要求する闘いから絶対退却しません。われわれの要求を実現し、権利をかちとるまで、われわれは目標をめざして闘うことをやめません。
Q あなたがたの闘いで、注目すべきなのは、50日間のストライキです。それはイランの労働運動に大きな影響を与えました。この大きな価値のある闘いの経験についてもう少し詳しくお願いします。
A HTSCの一労働者として、私は私たちを支援してくれたイランと全世界の諸個人、諸組織に感謝しています。この強力な支援があったことが、われわれが闘いを前向きに継続することができた一つの要因です。
  われわれの闘いに、仲間たちの経験を取り入れることができたことは、少なくとも今日まではわれわれの闘いに肯定的な影響を与えました。われわれは少なくとも、今日のイランの労働者は自分たち自身の自由で独立した組合を持つべきであるという結論に到達しました。「イスラム労働評議会」という組合が何年間か存在しましたが、その時代には労働条件の改善はなんら実現しませんでした。
  このためHTSCの全労働者は、われわれ自身によって直接的に選出された労働者自身の代表をもたなければならないという結論に達しました。しかし、そういう組合は、経営者が援助し、容認しているイスラム労働評議会とは相いれないものでした。そこで労働者は、今や自由な労働組合が必要であると理解するに至ったのです。
  だから私たちは今、われわれ自身の自由な労働組合を創設しようとしているのです。地方や国の役人たちと交渉し、国内外の労働組合との強力な紐帯を作り出すことができるように、われわれ自身の代表を選出したのです。HTSCの労働者が全世界の労働者との紐帯を作り出す必要があるという結論に到達したことは非常に喜ばしいことです。
Q 労働法によれば、「イスラム労働評議会」の候補者になろうとする者はすべて、経営者や治安当局に承認されるだけでなく、労働省によっても承認されなければなりません。言うまでもありませんが、そのような者は、実際には経営者や国の代表者であり、労働省の代表者です。私の質問は、何がHTSCの労働者を労働者自身のための労働組合建設に向かわせたのかということです。
A 闘争の熱気のなかで、われわれの権利を守って闘うなかで、こういう結論に到達したのです。われわれは自治的な労働組合を早急に設立する必要性を感じたのです。私たちは討論を重ね、今や労働者のために闘ってきた多くの経験を持つ労働者からなる執行委員会を持っています。この執行委員会は労働組合を設立する権限を労働者から与えられています。この執行委員会の活動的メンバーは少なくとも70〜80%の労働者の支持を受けています。
Q 労働組合を再建することを決定する前に、あなたがたは多くの署名を集め、労働省のガイドラインに適合した新しいタイプの労働組合を設立しようとしましたね。これに対してどういう反応が起きましたか。
A あなたが指摘した署名は、今年の1月と2月に集められました。組合設立に関する署名は2000筆集まりました。役所に行くと、役人たちは組合の名前に激しく反対しました。われわれは、法的問題があっても労働組合を設立すると宣言しました。この答えにも役人たちは激しく反発しました。地元の治安当局や労働省の出先機関はわれわれに対し、労働法131条で保障されているとされる労働者自身の労働組合を設立する権利をHTSCの労働者はいかなる形でも持っていないと何度も言ってきました。しかし、われわれは自由な労働組合こそ今必要なものだという結論に達したのです。
Q 現在のところあなたがたは、労働者の間に一定のレベルの団結を作ることができ、労働者の新たな代表になっています。労働者との関係はどのようになっていますか。また労働者の要求に関するあなたがたの見解や論議に労働者たちはどの程度賛成していますか。
A 労働者たちが自分たちの代表と完全に一致しているとは言えませんが、総じていえば一致しています。だいたい60〜70%ぐらいは一致していると言えるでしょう。われわれの活動に対する労働者の反応、ストライキの呼びかけに対する彼らの肯定的な反応、諸問題をめぐる活動を行うにあたっての労働者との協議などの指標をみれば、労働者がわれわれをかなりの程度支持していると言えます。
Q 非常に興味があるのは、あなたがたがどのようにしてフーゼスタン地方の耐え難い暑さのなかで4000〜5000人の労働者を集めることができたかということです。集会場所などまったくなく、集会をすることが当局から認められていないのにもかかわらずです。また、あなたがたは、労働者に自分たちの代表を選出させると決断し、署名と指紋押捺を集めることができましたよね。これらについて詳しく説明してください。
A われわれは資金などの面で多くの困難に直面したり、抗議行動やストライキの過程でわれわれは常に仲間の労働者から闘争における倫理や誠実さという問題で批判を受けましたが、このような経験を活用することによってわれわれの闘いはイランのさまざまな闘いにとってある種の模範となることができました。もちろん、われわれはまだ闘いの途上にあるのですから、われわれがあらゆる闘いの模範となっていると言うにはおこがましいと個人的には思っています。われわれは単なる労働者です。しかし絶対に屈服せず、あらゆる種類の障害と困難に対決している労働者であり、われわれの正当な要求を貫徹するための闘いを通じてのみ目標を実現できるという結論に達することができた労働者です。
Q イランの現政権の政策に基づいて、HTSCを含むいくつかの工場が解体・再編されるか、生産停止の状態にあります。あなたがたとHTSCの労働者はこの問題についてどう考えていますか? 自分たちも同様の境遇にあると考えている全イランの労働者と、どのような共通の見解を共有したいと思っていますか?
A すでに言及しましたが、このリストラ政策は非常に緻密で計算された政策でした。HTSCでのリストラは、中央政府の「砂糖マフィア」とこのリストラに関与している特定の個人が直接的に関係しているものであることが、われわれには極めて明確にわかっていました。
  わずか数年前には10万dの砂糖を生産することができ、アミール・カビールなど約70の子会社を持っていた会社が、砂糖の輸出入に関する政府の政策の結果、現在破産の危機にあります。HTSCは、現在そのような重大な危機にありますが、それでも熟練労働者を必要としています。にもかかわらず会社はそういう労働者をリストラしているのです。こうした状況下で会社はわれわれの賃金を5カ月も払わないのです。一労働者として私は、カルーン砂糖会社、ミアン・アブ砂糖会社、アミール・カビール砂糖会社、さらにはアバダンやコラムシャーの砂糖関連産業の労働者などの砂糖産業のすべての仲間の労働者に対して私はこのメッセージを送ります。これらの仲間はすべて遅かれ早かれ、われわれが現在HTSCで直面している問題と同様の問題に直面するでしょう。一労働者として私は砂糖産業の全労働者に対して、私たちを支援していただくよう訴えます。バス運転手の労働組合やキアン・タイヤの労働組合のようなイランの多くの労働組合が私たちを支援してくれていますが、同様の支援をお願いします。
Q 私がお客としてあなたがたのところに滞在しているこの数日間の間に、私は労働者が、もうすぐ5カ月分の未払い賃金が支払われることを期待して、クレジットや銀行の台帳に名前を記入して日々のパンを買っているという話を聞きました。私はまた、労働者は彼らの家のわずかばかりの家具を売っているという話も聞きました。このような話は本当なのでしょうか。またもしそうなら詳しい話を聞かせてください。
A その話は本当です。この問題をあなたが出してくれてよかったです。HTSCでは、この問題は私たちの間で大きな話題になっています。私たち労働者は、もちろんこの地の私たちだけでなくイラン全体の労働者は、イランで猛威をふるっているインフレに立ち向かっていますが、極めて大きな困難に直面しています。われわれの国民的富である石油などの富の上にあぐらをかき、そのすべてを盗み取って生活を楽しんでいる政府の役人以外はこの問題に誰もが注目しています。もちろん彼らは、われわれ労働者が直面している問題について何も知りたいとは思っていないのです。
  私たちが賃金を正常に受け取っている時でさえ、インフレに対処するのに困難を感じています。そして、5カ月も賃金が支払われない今日では、われわれは家のじゅうたんを売らざるをえないのです。
  役人たちは生存権を奪われた人々のことについておしゃべりを繰り返していますが、彼らは自分たち以外の人たちを無視しているのです。われわれにとって唯一の解決は団結することです。そしてわれわれ自身の独立した自治的な労働組合を、イランの全都市、全国に設立することです。