COMMUNE 2004/12/01(No345 p48)

ホームページへ週刊『前進』季刊『共産主義者』月刊『コミューン』出版物案内週刊『三里塚』販売書店案内連絡先English

12月号 (2004年12月1日発行)No345号

定価 315円(本体価格300円+税)


〈特集〉 ブレアを打倒するイギリス労働運動

口戦争と民営化に対して反戦デモとストで対抗
・200万の反戦デモ
・ブレアは労働党のサッチャー
・自治労の戦闘化
口ランク&ファイル運動でダラ幹から労組奪還
・RMTが労働党と決別
・消防労組のスト
・国公労組の権力奪取
・TUCも鉄道再国有化決議
・ファシストとの闘い

●翻訳資料 『イラク・レジスタンス・レポート』 イラク武装解放勢力の闘い−丹沢望

国際労働運動 南朝鮮・韓国/11月ゼネストへ両労総が共同闘争−−室田順子

    10・10三里塚全国総決起集会

三里塚ドキュメント(9月) 政治・軍事月報(9月)

労働月報(9月)  闘争日誌(8月)

コミューン表紙

   日本でもMWMを

 10・17MWM(ミリオン・ワーカー・マーチ)は、アメリカの首都ワシントンに1万5千人の労働者を結集してかちとられた。昨年来、動労千葉と連帯の絆を結んできたILWU(国際港湾倉庫労働組合)ローカル10と同34が全米に呼びかけ、全米各地の350万人を組織する労働組合がこれに賛同した。港湾、郵便、教育、自治体などの労働者が決起し、医療や社会保障や賃金など22項目の要求を掲げて階級的に決起した。日本からは動労千葉とその支援からなる派遣団が参加し、全体集会で発言し、アメリカ労働者階級との感動的な合流をかちとった。大統領選まで後2週間あまりという緊迫した状況で、ブッシュの足元でこのような労働者の決起がかちとられたことは、アメリカ階級闘争の歴史を塗り替える画期的な出来事だ。

  全日建運輸連帯関西生コン支部、全国金属機械港合同、動労千葉の3組合の呼びかけによる11・7全国労働者総決起集会が目前に迫った。この闘いは、全米労働者のMWMを日本でも実現していく闘いだ。もはや労働者を食わせていくこともできなくなるほど帝国主義の危機が深まり、帝国主義を打倒する以外にないことが明白になってきている。この時に、闘う3労組が呼びかけ、日米韓の3国労働運動の連帯のもとに闘われるこの集会を除いてどこに日本の労働者階級の闘いの展望を示しているところがあるだろうか。アメリカの闘う労働者が身をもって示した闘いは、必ず日本の労働者の闘いに引き継がれなくてはならない。ILWUローカル10と韓国の民主労総という強い味方を付けて、国際主義を推し進めれば必ず勝利する。

 帝国主義間の争闘戦が深まり、米帝がイラク侵略戦争の泥沼にはまっていく中で、日帝・小泉はどこまでも米帝を支えることを表明している。「大量破壊兵器」がまったくウソであったことが明らかになっても、ブッシュに呼応して小泉はイラク戦争の正当性を主張し続けている。今や日米枢軸と言うべき同盟関係が形成されている。トランスフォーメーション(米軍再編)は、日米安保を大改定し、在日米軍をアジア太平洋から中東に至る広大な地域をカバーする基地として再編しようとするものだ(それは沖縄の負担軽減などではない。名護新基地建設路線は変更されない)。それに合わせて、海外派兵を主任務とした自衛隊の強化、集団的自衛権行使を可能とする改憲への攻撃が強まっている。安保・沖縄闘争の一層の強化が必要だ。

 第2次小泉改造内閣は、安保強化とイラク・朝鮮侵略戦争遂行内閣であると同時に郵政民営化突撃内閣である。組閣にあたっても、この攻撃への協力を基準にした。郵政民営化は、当面する日帝の「内への階級戦争」の突破口だ。小泉は臨時国会の所信表明演説でも、「郵便事業は公務員でなければ運営できないのか」と言って、公務員身分の剥奪、「いったん解雇・選別再採用」の大量首切りを断行しようとしているのだ。郵政労働者40万人に対する攻撃であることは明白である。国鉄分割・民営化攻撃がそうであったように、これは全労働者階級に対する日帝の攻撃なのだ。これを粉砕する決戦を断固かちとり、同時に、教育労働者に対する「日の丸・君が代」強制をてこにした大攻撃との闘い、自治体の民営化攻撃との闘い、そして国鉄1047名闘争の4大産別決戦を先頭に、労働組合運動の大前進をかちとろう。   (た)

 

 

翻訳資料

  イラク・レジスタンス・レポート

 イラク武装解放闘争の記録

 丹沢 望

 イラク人民の武装解放闘争は、この1〜2カ月の間に激しいエスカレーションを遂げている。その実態に関しては、商業新聞では徹底的に隠蔽されており、ほとんど知ることができない。
 そこで今回の翻訳資料は、イラク各地の武装解放闘争に関する詳細な情報をまとめた『イラク・レジスタンス・レポート』の翻訳を掲載する。
 原資料はイラクの武装解放勢力側の『マフカラット・アル・イスラム』(イスラム・メモ)というアラブ諸国人民むけのホーム・ページに掲載された各地方通信員からの詳細な報告である。
 原文はアラブ語だが、〈自由アラブの声>編集委員ムハンマド・アブー・ナスル氏が、全世界の労働者人民むけに武装解放闘争の実態を紹介するためにそれを英訳し、『イラク・レジスタンス・レポート』として発信している。
 このレポートを一読してみればわかるように、イラク人民の武装解放闘争はすさまじい勢いで爆発している。
 4月のファルージャとナジャフでの戦闘以降、ファルージャでの恒常的戦闘の継続と市の支配権の確保、南部シーア派地域のナジャフでの武装解放勢力の支配権の強化などを始めとして、イラクの40余りの都市で武装解放勢力は解放区を作りあげるまでになっている。
 これらの都市とその周辺地域では連日100件近くの武装闘争が米軍に叩きつけられている。
 とりわけ最近の特徴は、米軍がバグダッドのごく一部の地域と各地の米軍基地内にしか支配権を保持できず、各都市の武装解放勢力に対する軍事作戦を展開することができなくなっているのに対し、武装解放勢力側が積極的に米軍を攻撃し、連日重大な被害を与えていることである。
 米軍は陸上部隊による諸都市に対する軍事作戦がことごとく失敗に終わっているなかで、空爆を中心とした軍事作戦に切り替え、敗勢を一気に逆転する突破口を切り開こうとして10月初めからサマラ攻略作戦を開始した。
 クラスター爆弾やナパーム弾(超強力な焼夷弾)などの非人道的兵器をなりふりかまわず大量に投下した侵攻作戦は市民に大量の犠牲者を出している。だが、武装解放勢力はこの残虐極まりない虐殺攻撃に敢然と立ち向かい、サマラ市内の米軍による制圧という報道に反して、市の50%の地域を依然として確保している。
 サマラ攻略を突破口として、文字通りの無差別爆撃と虐殺作戦によって各都市の制圧にむけて突進しようとした米軍の作戦は緒戦でつまずいている。
 サマラでの大虐殺は、イラク人民の激しい怒りをさらにかきたて、新たな武装解放闘争の爆発を不可避とするであろう。米軍はますますイラクの泥沼地獄に引き込まれていくであろう。
 ここで翻訳したものは、9月末から10月中旬にかけてのものだけである。主要な戦闘についてのみ翻訳したが、この短期間を扱った部分的翻訳だけでもイラク人民の武装解放闘争の実態を生々しく認識できるであろう。
 なお、イラクのレジスタンスの闘いをさらに詳しく知るために原文を読みたい読者は、http://www.albasrah.net/index1.htm/のIraq Resistanceの項目を参照してほしい。

 レジスタンス・レポート編集者の解説

イラク・レジスタンス・レポートはイラクの抵抗闘争について1年間にわたって報道してきた。この間、レジスタンスは発展し、着実に前進してきた。それは占領されたイラクのあらゆる場所に拡大し、米地上軍や米国の従属国の軍隊、かいらい軍のあらゆる種類の装備を破壊しつづけてきた。
 マスメディアによるレジスタンスに関する報道は、アメリカの圧力の下で極めて貧弱であった。アメリカの侵攻後、レジスタンス・レポートが開始された当時、独立系のアラブのテレビ網やいくつかの新聞は、レジスタンスの闘いに関する信頼しうる情報源となっていた。それはイラクの国土が広いために、多分に部分的で不十分なものではあったが、イラク人民が自分たちの郷土の占領者に対し決起して闘っていることを強烈に示すものであった。
 世界の政治と経済を完全に支配しようとしているだけでなく、世界中のニュース・メディアも完全に管理しようとしているアメリカ合州国は、さまざまなアラブ語報道機関やメディアのものも含む報道をどうにか制限していた。アメリカの侵略とイラクの占領の結果としておきた人道上の悲惨なできごとについていくらかの情報が流れてきた。だが、世界とアラブのメディアは、12年間におよぶアメリカの殺人的な制裁措置については何も報道せず、またたいていはレジスタンスの闘いについて詳細に報道しようとはしてこなかった。
 しかし、「真実はおのずと現れる」。この数カ月間、次第に、イラク中の多くの勇気ある個人はウエブサイトの『マフカラット・アル・イスラム』(イスラム・メモ)に寄稿し、まさに戦場そのものから数え切れない情報をアラブ語圏の民衆にもたらした。この「イラク・レジスタンス・レポート」は、不屈の抵抗闘争に関する唯一の情報源であるマフカラット・イスラムによって提供された素材を広範に利用できるようにしたものだ。それは、アメリカ帝国の圧力を拒絶することができているという点でも唯一のものだ。
 イスラム・メモの勇気ある通信員たちは、真実を報道するために高価な犠牲を払っている。すくなくとも彼らのうち9人が、米軍のイラク侵攻後、銃撃で殺されている。「自由アラブの声」のようにイスラム・メモよりは小規模のウエブサイトも、拡大する抵抗闘争の報道に固執したとして、激怒したシオニストによる恒常発信基地へのハッカー攻撃の対象となり、多大の犠牲を強いられた。
 しかしあらゆる困難を乗り越えて、イラクのレジスタンスとマフカラット・イスラムの仲間は、徐々に前進してきた。1年前には、毎日のレジスタンスの報道は4〜5ページ分であったが、現在では、現地のイスラム・メモの記者によって報告されるすべてのニュースを包括的に掲載すると、1日で16〜18ページ分になる。
 レジスタンスの作戦がその規模と頻度という点でこのように増大していることほど勇気づけられることはない。レジスタンスに関する情報が、アメリカによる世界とアラブの主要メディアに対する支配にもかかわらず、依然として流出してくることほどわれわれを喜ばせるものはない。
 だが同時に、レジスタンスに関するニュースの数の多さのために、これまでレジスタンス・レポートが使ってきた掲載様式の枠内で効果的に報道しきれないようになっている。このような量の材料を整理し、翻訳することは極めて困難になってきている。われわれはレポートの量が多くの読者にとって消化できないようになっているという読者の懸念をしばしば聞いている。
 このような事態を考慮して、われわれはレジスタンス・レポートに新たなやり方で対処することを決断した。すなわち、分析と事実の構成により重点を置くという方法である。われわれは、これまで大量の素材の分析的論評や事態の政治的展開に関する報道を犠牲にして、できる限り包括的であろうとした。現在、われわれは報道するニュースの分析と構成にこれまで以上に重点をおこうと意図している。その際、以下のようなことを望んでいる。
 1.レジスタンスの闘いを歪曲する帝国主義的メディアに対抗して、毎日のできごとの報道の中でその闘いが明らかにされること
 2.現在の情勢を分析・評価し、現在進行中の闘いで重要な課題になりつつある問題についての情報を提供する
 このような方針にしたがって、レジスタンス・レポートの現在の編集部は、イラクのレジスタンスが活動を新たな高度の段階に進むにつれ、その現在的評価を行う(2004年10月3日、日曜日のレポート参照)。そして10月4日、月曜日のレポートは、バグダッドでの自動車爆弾攻撃について詳細に分析する。とりわけ主要なメディアが広く報道したCIA司令部を直撃した自動車爆弾攻撃について報道する。

2004年9月
■9月21日
▼バグダッドのバイヤ地区で激しい戦闘
 午前12時10分、レジスタンス軍の自動車爆弾の大爆発がバイヤ地区で米軍車列を吹き飛ばした。
 イスラム・メモの地元通信員は、米軍車列は数台の装甲車と一群のハンビー(1台で戦闘から輸送まで様々な任務をこなす多用途戦闘車両 米帝の対外侵略戦争に多数投入されている)や大型輸送車で構成されていたと報告している。レジスタンスの車爆弾の爆発があまりに強烈だったので、米兵を満載した2台の米軍輸送車は完全に破壊された。通信員によれば、各輸送車には少なくとも20人が乗っていた。3台のハンビーもこの攻撃で破壊された。
 レジスタンスは強力な車爆弾を爆発させただけでなく、ロケット砲を大爆発の後に残った米軍車列に発射した。
 この猛攻の後、米軍はバグダッド地域の主要道路の60%を封鎖し、多くの指揮所を設置してこの地域を包囲した。
 この日の午後遅く、米軍は、サダム国際空港にむかうハイウェイであった攻撃について発表した。それは自動車爆弾で、爆発は強力であり、付近にいた10台の民間車両が破壊されたと述べた。
 しかしながら米軍の報道官は、この大規模な攻撃で4人の米兵が負傷しただけであり、1人は軍の病院に搬送され、他の3人は現場で治療されたと述べた。
 軍の広報官は、別の軍広報官によってなされた最初の報告、すなわち米軍のブラッドリー戦闘車両が破壊されたという報告は間違いだったと強調した。
 しかし米軍は、バイヤ地区での自動車爆弾の現場一帯を封鎖し、報道陣が米軍のプロパガンダを独自に検証することを禁じた。
■9月28日
▼カイムでのレジスタンスの攻撃で米兵7人が死亡
 レジスタンス軍は、カイムで兵舎とされた民家を40発の82_迫撃砲弾で砲撃した後、ロケット砲とBKC自動小銃で攻撃した。
 この攻撃で家の中にいた7人の米兵が死亡し、2台のハンビーが破壊された。レジスタンス戦士はアメリカ軍の兵器をこの家が完全に火に包まれる前に回収した。
▼バグダッドのハイファ通りの戦闘で5人の米情報将校が死亡
 レジスタンス軍は、バグダッドのハイファ通りで米情報機関に所属する2台のアメリカの車両にロケット弾を発射し、米情報将校と思われる5人の将校を殺した。
▼目撃者の報告によると、バグダッドのサドル・シティの激しい戦闘で6人の米兵が死亡し、数人が負傷した。
▼イスラム・メモの通信員は、レジスタンス軍がタリク・ロケットで米中央軍司令部を攻撃したと報告した。
▼早朝のラティフィアでの待ち伏せ攻撃で米軍情報将校11人が死亡した模様
 バグダッド南部のラティフィアで午前5時、レジスタンス軍は米占領軍の車列を攻撃した。アメリカ軍の車列は民間車両とトラックからなり、これらの車両は米情報機関に所属するものと思われる。
▼バラドの近くの待ち伏せ攻撃で7人の米兵が死亡
 午後9時30分、攻撃はエイブラム戦車のための部品と弾薬を輸送していた22台の補給トラックからなる車列に対して行われた。
▼スワイラでレジスタンスがポーランド軍を待ち伏せ攻撃し、5人のポーランド兵が殺された。
▼イラク南部のズバイヤの東部で、英軍がレジスタンスから攻撃を受け、4人の英兵が死亡。
■9月29日
▼米軍侵攻以降初めて、レジスタンスの砲撃と攻撃で、バグダッド南部の基地から米軍を撤退させる。地域住民が基地内に押し寄せ、敗退した米軍が残し燃え尽きた資材などを目撃した
 水曜日の朝、バグダッド南部の基地内の米軍を包囲し、米軍のイラク侵攻以来初めてと言える多数の死傷者を強制した。米軍はこの基地から完全に撤退した。
 米軍は、破壊された車両や装甲車などと共に多数の遺体を残していった。この地域のイスラム・メモの通信員は、地域住民が基地内に入った際に、いっしょにこの奪回された基地の内部に入った。
 通信員は基地の内部で14台の炎上して壊れたシャーシしか残っていなかったハンビーを見た。4台の水陸両用装甲車も完全に炎上していた。
 後に、レジスタンスの殉教戦士が、逃走する米軍の真ん中で自爆し、さらなるダメージを強制した。イスラム・メモの通信員は、3台の水陸両用装甲車が米軍兵士の一群を乗せて走り去る際、爆弾を積んだ車が突入し、少なくとも15人の米兵を死亡させたと報告している。
▼カイムでの激しい戦闘で、米軍海兵隊員15人が殺される
 水曜日夜の午後6時45分から7時20分の間、シリアとの国境地域のカイムで極めて熾烈な激戦が米軍とレジスタンス軍の間で行われた。イスラム・メモの現地通信員は、この戦闘で20台の海兵隊のエイブラム戦車からなる米軍がせん滅され、3人のレジスタンスも殉教死したと報告している。15人の米海兵隊員がこの血まみれの戦闘で死亡した。
▼レジスタンスのカイムでの大規模な待ち伏せ攻撃で12人の海兵隊員が死亡
 カイムのイスラム・メモの通信員は、午後8時に、ワリドに至る路上で、3台のハンビーと2台のかいらい警察のパトロールカーからなる米海兵隊とイラクかいらい軍の「緊急展開部隊」のパトロール隊がレジスタンスの爆弾によって攻撃され、さらにレジスタンス戦士のロケット砲とBKCを発射するレジスタンス戦士に攻撃されたと報告している。
 約50人のレジスタンス戦士が攻撃に参加した。レジスタンス軍は占領軍を完全に粉砕し、すべての車両を破壊した。12人の海兵隊員と14人イラクかいらい軍兵士が殺された。
■9月30日
▼米軍司令官と対米協力を行う部族の指導者の会合が爆砕される
 アブグレイブでの占領軍の司令部と米軍に協力する部族の指導者との秘密会談を標的とした強力な自動車爆弾で、少なくとも25人の米兵と27人のイラクかいらい警察官が死亡した。イスラム・メモの現地通信員は、アブグレイブの米軍複合施設のビルとかいらい「国家防衛隊」のビルの間でロシア製のジル・トラックが大爆発を起こした。この場所では、米の侵略者が設定し、運営した秘密会談が行われていた。
 10台のハンビーと6台のブラッリー装甲車に支援された40人の米兵とイラクかいらい軍はこの会談場所を警備していた。
 イスラム・メモの現地通信員は、2dの爆薬を積んでいたと思われる車は、2つのビルを破壊し、米軍の司令官たちや米軍に協力する部族の指導者たちは死亡したと思われる、と報告している。なぜならば、大爆発がおこる前に誰もそこから出てこなかったからである。
 遺体の一部は大爆発のおきた現場一帯に広く散らばった。
 ターゲットとされたビルに加えて、何軒かの現地住民の家も破壊された。しかし爆発に先立って、レジスタンスはこの地域の住民に家から離れるように警告した。米軍とイラクかいらい政権の施設の付近の地域は、レジスタンスの永続的な標的地域であるからだ。
 この作戦はどんなに厚い秘密のベールに包まれていても、レジスタンスが会合の正確な場所と時間を正しく把握し、かいらい治安軍の機関に侵入することに成功していることを誇示するものだ。
▼2台の車爆弾の大爆発でCIA要員を含む39人のアメリカ人が死亡
 木曜日昼頃、サダム国際空港に至る路上で爆発物を積んだオーペルが米軍車列の真ん中で爆発し、21人のアメリカ人が死亡した。現場は東側がアミール地区で、西側がイブン・タイミヤ・モスクに面していた。
 イスラム・メモの通信員は、アメリカ軍の車列は米情報機関によって使われ、数台のブラッドリー装甲車とハンビーによって護衛されていたGMC車数台からなっていた。
 強力な車爆弾がブラッドリー装甲車1台と3台のGMC車、3台のハンビーを粉々に吹き飛ばし、21人のアメリカ人が死亡した。
 その後、米軍兵士が遺体をプラスチックのバックに詰めている時に、黒塗りの車が現場に現れ、米軍兵士の真ん中で激しく爆発して、さらに18人の米兵を殺し、2台のブラッドリー装甲車と2台のハンビーを破壊した。
▼アミールで子どもが巻き添えで死んだことに関する詳細な説明
 レジスタンス組織は、アミールで21人の子どもを含む25人が死亡した責任は、レジスタンスの繰り返しの警告に応えなかった家族にあるとしている。
 アミールで、レジスタンスの2人の殉教自爆戦士によってターゲットとされ、約40人の米兵の死者をだした米軍車列の付近にいた子どもたちの死に関して、この地域の家族の責任を問うビラが、日没前に配布された。
 攻撃現場に事件直後に行き、地域の住民と話をしたイスラム・メモの通信員は、米軍がこの3週間あまり、子どもたちを人間の盾として利用していたことを確認した。米軍は、この地域を通過する際に、子どもたちを引き寄せるために駄菓子やサッカーボールや安物のTシャツなどをばらまく。これが慣例になっていたので、今日も米軍は同様のことを行った。この結果、多数の子どもたちが、サダム・フセイン大統領時代のイラク政府によって建設され、米侵略軍によって破壊された浄水場の再開祝典のためにやってきた米軍のハンビーや装甲車の周りに集まった。
 これが真実であることは、APの報道で明らかになった。APは爆発で負傷した後、病院に収容された12歳のアブドル・ラーマン・ダウドの発言を引用している。この子は、「アメリカ人は僕らにお菓子が欲しくないかと聞き、『こっちにおいで、おいで』と呼びかけたんだ。僕らがアメリカ人のそばに行ったら車が爆発したんだ」と語っている。
 イスラム・メモは、レジスタンスが市民たちに対し、米軍は常にレジスタンスの正当なターゲットであるから、米軍に近づかないようにと、1年以上も警告し続けてきたと報告している。しかも、この3週間の間、この地域のレジスタンスは、住民がレジスタンスの指示に留意せず、米軍が子どもたちを盾に使うことを許していたので、この地域の住民に対し、この警告を繰り返し行った。
 警告は地方のモスクでも行われた。リーフレットが町角で通行人に配布され、壁にはられた。
 多くの住民は今やレジスタンスの警告を無視したことを後悔している。目撃者は、最初の殉教攻撃の車の運転手が子どもたちが現場にいるのを見て衝撃を受け、警告射撃を空に向けてすばやく行ったが、爆発がすぐにおきたため、少数の子どもしか爆発前にこれに反応することができなかった、とイスラム・メモに語っている。
 イラクで米軍が人間の盾を使ったのはこれが初めてではない。米軍は、レジスタンス戦士に関する情報を集めようとして、日常的に小さな子どもたちも捕まえ、尋問している。
▼アブグレイブでの戦闘で米海兵隊員7人が死亡
▼バクダッドの北のタリミヤで10人の米兵が捕虜になり、2台の戦車が捕獲された
▼レジスタンスがタリミヤ地区の米軍・かいらい軍共同基地を自爆攻撃。22人の米軍兵士とかいらい軍兵士が死亡

2004年10月
■10月1日(金曜日)
▼午後3時30分、ドゥルイヤからサマラに向かう道路上で、米軍車列の真下でレジスタンスの爆弾が爆発し、4台のハンビーが破壊され、7人の米兵が死亡した
▼米軍がサマラに対する虐殺作戦を開始
 イスラム・メモの通信員によれば、解放されたサマラ市に対する米軍の残虐な攻撃によって115人の市民が殉教死した。多くの家屋が爆撃で破壊され、その下に住民がいるので、この数字はまだ増えると思われる。金曜深夜から土曜日にかけて通信員たちが集約した数字によれば、154人以上の男性、女性、子どもが負傷した。レジスタンスは23〜25人が殉教し、負傷者もでた。
 アメリカ連合通信(AP)は、米軍のサマラ市に対する残虐な攻撃を自慢げに報道し、100人以上のレジスタンス戦士と1人の米兵がこの殺戮戦で死亡したとするかいらいのイラク政府大臣なる者の発表を引用した。アメリカとそのかいらいどもは、いつものように自分たちの側の死傷者数を隠蔽し、イラク市民を殺したことについて口をつぐんだ。
 だが、APは、80の遺体が病院に運び込まれ、100人以上の負傷者が収容されたと述べた、サマラ総合病院のハリド・アーメッド博士の発言を引用した。
 アメリカ側はつい最近、サマラの宗教者や地域の指導者との交渉で、アメリカ侵略軍の満足のいくようなかたちで市内のレジスタンス勢力「問題」を「解決」する合意がなされたと発表していた。金曜日のサマラ市に対する虐殺戦争は、この交渉がアメリカの残虐な軍事攻撃の準備を隠蔽することを目的とした意味のないものであったことを示している。
▼サマラの戦闘
 金曜日の夜、メッカ時間で午後11時54分、イスラム・メモのサマラ通信員が発信した至急便は、この虐殺について報告している。
 金曜日、地方時間の午後4時、イラクかいらい軍に支援された米軍は市内に北・南・西から侵攻し、3カ月以上にわたって市を支配しつづけてきたレジスタンス勢力を追い出そうとした。
 米軍は市を包囲する輪を狭めたが、米軍戦力のさらに後ろを取り囲む包囲の輪ができているのを発見して驚愕した。レジスタンスは農村地帯を支配しているという条件や、バラド、ドゥルイヤ、タルタルなどでレジスタンスが強力に存在しているという条件を有利に使って米軍を逆包囲した。
 レジスタンス軍は攻撃を仕掛けた米軍を包囲しただけでなく、強力なタリク・ロケット(射程33`)とグラッド・ロケット(射程24`)、カチューシャ・ミサイル(射程は大型が11・3`、小型が9・2`)、120_迫撃砲(射程9・2`)、7・2`の射程をもつ120_砲を投入して米軍を攻撃した。レジスタンス軍は米侵攻軍を閉じこめながら包囲の輪を縮め、サマラ方向へと進撃した。
 米軍はレジスタンス軍の陣地に攻撃を仕掛けるために戦闘ヘリを投入しようとした。だが、ヘリコプター自身も罠にはまった。ヘリはレジスタンス軍の地上からの射撃の絶好のターゲットとなった。特にこの地域は農業地帯なのでレジスタンス戦士は、自分の姿をさらけ出すことなしに、航空機を間近で確認することができた。
 午後7時25分、ブラックホーク・ヘリコプター1機が撃墜された。それははなばなしい成果の幕開けをなすものとなった。その後、コブラ戦闘ヘリが2機撃墜されたのである。
 米軍は、ヘリコプターで地上軍を市の西部におろす手はずを取り、市内への侵攻を早めようとした。チヌーク輸送ヘリがこの任務を担当したが、これもレジスタンス軍によって標的とされた。それぞれのヘリコプターには10人の兵士が乗っていたと思われる。2機のアパッチ・ヘリもストレラ・ロケットとC5Kロケット、4つの銃身を持つ14・5_ディミトロフ機銃によって、市の北部で撃墜された。
 レジスタンス軍は4台のエイブラム戦車と、7台のハンビー、2台の装甲車を破壊した。イスラム・メモの地方通信員は、全体で82人のイラクかいらい軍兵士と65人の米兵が戦闘で死亡したと報告している。
 その後、米軍はヘリコプターをこの地域から撤収し、かわりにサマラ市を爆撃するためにF16とF14を投入した。
 爆撃は8時間連続して続いた。その間、13の集束爆弾が投下された。それぞれの爆弾は3000個の対人クラスター爆弾を収納している(総計でクラスター子爆弾は3万9000個になる)。中型と大型のナパーム弾の入った6つのコンテナも投下された(総計でナパーム弾は1万8000個になる)。同様に、何トンもの誘導爆弾と熱線誘導爆弾も投下された。
 このような状況下でレジスタンス軍は、米軍の火力によって市民が虐殺されることを恐れて、市内から撤退を開始した。これに対し米軍は「土地を飲み込んで」前進した。つまり土地を掌握し、部隊をそこに進駐させた。
 レジスタンス軍はドゥルイヤおよびマキシフィヤ地域まで後退した。しかし、米軍とかいらい軍が市内に入った後、レジスタンス軍はそれを包囲し始め、米軍とかいらい軍を市の周辺部まで撤退させた。
 金曜日夜、メッカ時間で午後11時55分に発信された至急便で、サマラのイスラム・メモの通信員は、結局、レジスタンス軍は市の70%程度を保持し、米軍とかいらい軍は約30%を保持していると報道している。この時間にはまだ衝突は続いており、米軍は依然として包囲されたサマラ市への食糧や医薬品の搬入を阻止している。
▼レジスタンスがバラド空港にある米軍基地を包囲し、サマラの人民を虐殺する米軍に打撃を与える
 イラクのレジスタンス軍は、金曜日夜、ローカル時間の午後10時30分、15発のカチューシャ・ロケットと10発の強力なグラッド・ミサイルでバラド空港の米軍基地を攻撃した。
 レジスタンスの米軍基地に対するこの強力な攻撃は、この基地がサマラの人民への攻撃をおこなういくつかの部隊の拠点基地だからである。レジスタンス軍はバラドのサマラの間を分断し、両市間の主要道路と農業用道路で、爆弾とRPG7とC5Kロケットを使って米軍を待ち伏せ攻撃した。
▼レジスタンスが米軍の装甲車を破壊し、4人の米兵を殺す。アメリカ軍は報復として、タクシーに乗っていた6人の市民を殺害
 イラクのレジスタンス軍は、カイムのラバタ付近で激しい戦闘を行った。イスラム・メモのカイムの通信員は、戦闘が午後7時10分に開始され、1台の水陸両用装甲車が破壊され、4人の米兵が死亡したと報告している。1台の装甲車は報復しようとして、銃機関銃を通行中の民間のGMCの郊外タクシーに向けて発射し、乗客6人を殺害した。
▼レジスタンスがカイム地域で米軍パトロール隊に猛攻を加える
 金曜日朝の午前6時、シリアとの国境地帯のカイムで米軍の車列の真下で爆弾を爆発させ、車列を2つの部分に分断した。
 先頭部分の車列は攻撃地点から直ちに逃走した。レジスタンスは残ったパトロール隊の車列を包囲し、完全にせん滅した。
 攻撃はマクル・ディーブ地域で行われた。1台のハンビーが破壊され、乗員すべてが死亡した。次にレジスタンスは他の2台のハンビーの車内から米兵を引きずり出して殺し、彼らの武器を奪った。車列には2台のトラックも含まれていた。1台は食糧品を運搬し、もう1台はタイヤとキャタピラーの踏み板を運搬していた。レジスタンスは運転手たちを捕虜にした。
▼ラマディでのレジスタンスの攻撃で5人の米兵が死亡
 金曜日午後5時、米軍が司令部を置いていたラマディ市内の農業大学付近において、レジスタンスの爆弾が米軍のハンビーの車列の下で爆発し、レジスタンス戦士がRPG7を発射しながら車列に襲いかかった。5人の米兵が死亡し、2台のハンビーが破壊され、もう1台が使用不能になった。
▼金曜日の日没前に米軍機がファルージャ近郊の工業地帯を爆撃し、中型サイズの集束爆弾を投下した。この集束爆弾は3400発の小さなクラスター爆弾をこの地域に散布した。
▼米軍基地が攻撃される
 この日、バクダッド北部のタジの米軍とかいらい軍の共同基地、ハディサ近くのラワィ米軍基地、バクバの米軍基地、サラディン地域のアワジャの米軍基地、バラドの米軍基地、バクダッドのムサンナ米軍基地などが、カチューシャ・ミサイルやロケット砲、迫撃砲などで攻撃された
▼25人〜30人のレジスタンスが参加したハディサ近くの待ち伏せ攻撃で米兵6人が死亡
▼米軍がサドルシティに2万2000発のクラスター爆弾を投下、市に火災を引き起こしたがレジスタンス軍は戦い続けている
▼キルクークでレジスタンスの待ち伏せ攻撃で、イスラエルの情報機関のモサド要員3人が死亡
■10月2日(土曜日)
▼サマラ
 レジスタンス側が土曜日の終わりまでサマラの70%を保持していると報じているのに対し、米軍側と西欧のメディア報道は、それと反対のことを報じている。つまり市の70%が米侵略軍によって再占領されたというのだ。
 サマラの市民の側ではアメリカの狙撃兵が屋根の上に広く展開し、そこから下の道路で動くものはすべて射撃していると語っている。「埋葬のために運ぼうとすることのできない遺体があり、これらの遺体は自分の家の庭に埋葬されている」と19歳の高校生のアリ・アブダラ・ラティフは語っている。
 サマラ総合病院のハリド・アーマッド博士は少なくとも80の遺体と100人以上の負傷者が金曜日に病院に搬送されと述べている。
 「遺体と負傷者は市内各地に見られ、われわれが搬送しようとすると米兵がわれわれを射撃した」とある救急車の運転手はアソシエイティッド・プレス・テレビジョン・ニュースに対して述べている。後に救急車の運転手たちは「われわれは負傷した女性や子どもしか搬送できず、負傷した男性を収容することは許されなかった」と語っている。
 ほとんどが女性と子どもである負傷者は、ティクリット教育病院のベッドに横たわっている。「妊娠していたこの子の母親は殺されたんだ」と、腹部を包帯で包まれている少年を看護しているサミ・ハシムは語った。その横には左足を失った少女がいた。
▼ファルージャ
 ファルージャに対する米軍の新たな侵攻で、少なくとも7人の市民が殺され、13人が負傷した。米軍の声明はいつものように、空爆の標的はアメリカが「テロリストの黒幕」だと主張している逃亡中のアブ・ムーサ・アズ・ザルカウイの拠点だったとしている。
▼ラティフィヤ
 レジスタンス軍は土曜日にラティフィヤで燃料と食糧を運ぶ車列を攻撃した。イラクのかいらい「国家防衛隊」に警護された車列のうち5両の燃料タンク車が炎上した。3台の軍用車も破壊された。
■10月3日(日曜日)
●イラク・レジスタンス・レポートによる情勢評価
 イラク・レジスタンスの作戦の飛躍的な量的増大が進み、米軍は毎日90件の攻撃で追いまくられている。
 イスラム・メモの通信員は近い将来、イラク・レジスタンスによって行われる占領軍への作戦は量的に変化するだろうと考えている。通信員は、先週、50の地方でレジスタンスの活動が行われたと述べ、作戦の総数が一日87件にのぼるほどレジスタンスの攻撃が顕著にエスカレートしていると記している。
 通信員たちは、先週、個人的に目撃したり、他の目撃者から得たり、他の手段で知った作戦の数は以下のようなものであると報告している。
 9月25日(土) 87作戦
 9月26日(日) 75作戦
 9月27日(月) 81作戦
 9月28日(火) 89作戦
 9月29日(水) 90作戦
 9月30日(木) 92作戦
 10月1日(金) 95作戦
 通信員たちは、レジスタンスがヒット・アンド・ラン戦術から急襲戦術へと明らかに戦略的に転換したことを観察している。新戦術には、2〜6時間も続く攻撃もあった。車爆弾も、強力で威嚇的な戦術として再び使われるようになっている。バクダッドの西のアル・カルマでの爆弾戦闘は、レジスタンスによるこの破壊的で標的を絞った攻撃戦術の新たな採用の良い例となった。9月26日、日曜日、市民防衛軍と呼ばれるかいらい軍の司令部に対して行われたこの作戦では2台の車爆弾が爆発した。この時は、米占領軍が警備を交替している時であり、部隊の多くの人員が無防備状態であった。この攻撃で35人の米兵が殺され、8台のハンビーと2台の兵員輸送車、1台のブラッドリー装甲車が破壊された。
 土曜日にはイラク・レジスタンス軍の車爆弾が海兵隊員の列に突入し、13人の海兵隊員が殺された。
 通信員は、新たなより高度化された戦術に加え、レジスタンスグループと様々なイデオロギー集団との大きな協力関係が存在していることに注目している。これは彼らが攻撃の時間をあわせ、共同声明を発表していることからわかる。通信員たちは、この1週間にバグダッドのハイファ通りや、ラマディ、サマラ、タルアファル、モスルなどで作戦を行ったレジスタンス戦士の間に明らかな作戦調整があったと記している。例えばラマディでは、6つの完全に異なった組織が相互に支援しあい、全面的に相互協力を行ったと記している。
 アンバールでは、レジスタンスはアメリカ軍やかいらい軍の小部隊を完全にせん滅するために戦力を集中して、敵を一掃する戦術をとっている。レジスタンスは小さな車列を分断して、その一部を完全に一掃するために集中攻撃をかけている。
 通信員たちは、この40日間にレジスタンスの軍事戦略に大きな変化があったと記している。通信員たちは、これはレジスタンスがイラク共和国軍の多くのスペシャリストの専門技術を活用できるようになったからだとしている。これらの専門家は、イラクで行われているこういう形態の戦争で米軍に対抗するために、米軍の占領以前から放棄されていた武器をもっと使いやすく、かつ致命的にするために、それらを調整することができた。多くの中・短距離ロケットはこれらの専門家の助けで改良された。例えばC5Kは、空対地ロケット砲であったが、地対地、対空用に改良された。
 通信員たちは、将来、イラクのレジスタンスの作戦がハイレベルの破壊力を持つものにエスカレートするにつれ、その作戦が質的に飛躍するであろうと信じている。
▼包囲されたサマラの入口でレジスタンスの爆弾が12人の米兵を殺す
 日曜日午後、イラクのレジスタンス軍は、包囲されたサマラ市に補給品と食糧が運び込まれるのを阻止するために米軍とサマラのかいらい軍が設置した指揮拠点を攻撃した。
 イラク・レジスタンスの殉教戦士が運転する爆弾を積んだ黒のオペルが指揮拠点に突入し、米軍とかいらい軍に多くの死傷者を出させた。12人の米兵と11人のかいらい軍兵士が殺された。かいらいイラク軍の日産ピックアップも、米軍の2台のハンビーとともに破壊された。イスラム・メモの通信員によれば、この爆発でブラッドリー装甲車も使用不能にされた。
▼イラク各地での攻撃
・カイム
 シリアとの国境近くのカイムでは、日曜日の午前12時25分(地方時間)に、アル・ラブト地域でイラク・レジスタンス軍がC5Kロケットを発射して米軍のチヌークヘリを撃墜し、5人の米兵を殺した。
 レジスタンス軍は、午前9時30分、カイム地域で爆弾とSBG9でブラッドリー装甲車とハンビー各1台を戦闘不能にした。
 カイムから15`の地点では、レジスタンスの大規模な車爆弾攻撃で(青のシボレー・カプリス使用)、15人の米兵が死亡し、5台のハンビーが破壊された。偶然この地域にいたイラク人男性、女性、子ども各1人も残念なことに死亡した。
 レジスタンス軍は午前11時、バクダッドからカイムに至る道路上で45台の米軍車列を襲撃し、戦車を運搬していた5台の軍用トラックを炎上させた。それぞれのトラックはエイブラム戦車を運搬していた。レジスタンス戦士は安全に基地に帰還した。
・ラティフィヤ
 日曜日午後の1時10分、2人の米兵と5人のかいらい「国家防衛隊」がレジスタンスの攻撃で殺された。
 午後2時にはレジスタンスの待ち伏せ攻撃でトラック車列のドライバー2人が殺された。
 午後6時には、レジスタンスの待ち伏せ攻撃で7人のかいらい「国家防衛隊」と6人のかいらい警察官が殺された。
 ・ハディサ
 レジスタンス軍は11時45分、ハディサ付近の米軍基地をGradロケットで攻撃した。8基のGradロケットと、22のカチューシャ砲、32の120_迫撃砲弾が侵略者の基地に叩き込まれた。
・バクバ
 レジスタンス軍は午前8時頃、2台の装甲車と4台のハンビーからなる米軍のパトロール隊を爆弾で攻撃し、1台の装甲車を戦闘不能にした。 
 午前8時30分、レジスタンスの爆弾がバクバのかいらい警察のパトロール隊の通過時に爆発し、ランドクルーザーを破壊して、3人のかいらい警察官を殺す。
 午前10時、米軍とイラクかいらい軍がバクバ地方のバーラズの町に侵入しようとした際の戦闘で、7人の米軍兵士と10人のかいらい軍兵士が殺される。
・ドゥラー
 午前3時、バグダッド南のドゥラーで、米軍の部隊輸送車列をレジスタンスが攻撃し、4人の米兵が死亡。レジスタンスの銃撃を受けた車両は17分間爆発し続けた。これは弾薬や他の爆薬が搭載されていたことを示す。
 ドゥラーの精油所にある米軍基地に入ろうとした米軍のパトロール隊がレジスタンスのRPG7で攻撃され、2台のハンビーが破壊され2人の米兵が死亡。
・バグダッド
 午前3時、レジスタンス軍が「グリーン・ゾーン」として知られるバグダッドの共和国宮殿付近で、米軍車列を待ち伏せ攻撃し、2台の装甲車と1台のハンビーを破壊し、6人の米兵を殺す。
 午前5時、レジスタンスはC5Kロケットで車列を攻撃し、2人の運転手が死亡。
 レジスタンス軍がバグダッドのムサンナ地区の米軍基地を12発の82_迫撃砲弾で攻撃。
 午後8時、レジスタンス軍がパレスチナ通りの米軍基地を24発の82_迫撃砲弾で攻撃。
・タジ 
 午後6時10分、市内の米軍の守備拠点に自動車爆弾が突入し、少なくとも23人の米兵が死亡。レジスタンスは白のブラジル製の車を使用し、4台のハンビーを破壊。
・タル・アファール
 激しい戦闘で米軍の車両3台とイラクかいらい軍の多数の車両が破壊される。
 この戦闘で、5人のイラクのレジスタンス戦士が殉教し、3軒の民家が破壊された。
■10月4日
▼レジスタンスの車爆弾がバクダッドのCIA司令部を攻撃。大爆発で12人のCIA要員が死亡
 イスラム・メモの地方通信員は、月曜日朝、バグダッドから、午前10時にレジスタンスの殉教戦士がバグダッドの米中央情報局の司令部を攻撃したと報告している。大爆発がラシッドホテル直近のサッドゥン通り付近でおきた。
 少なくとも3000人の米安全保障要員がこの巨大な司令部で働いていた。この作戦の規模の大きさからして、ここが占領下のイラク内の米情報局の主要な司令部であったことを示している
 米軍は直ちに攻撃現場への道を封鎖し、イスラム・メモの通信員が直接、打撃の程度を評価し、死傷者の情報を得るのを阻止しようとした。しかし、CIA要員の死傷者を積んだ米軍航空機が攻撃が行われた通りから発着するのが観察できた。
 APは、米軍が創設したかいらいの「施設警護隊」のタシン・アル・フレイジが「1台の新聞を積んだピックアップ・トラックが3台の車列の中に突っ込んだ時に爆発がおきた」と語ったと報道している。また「車列の1台が破壊され、破片が近くのパレスチナホテルとバグダッドホテルに当たった」というアル・フレイジの談話を引用している。
 イスラム・メモの通信員は、彼の情報源からの情報をつなぎあわせてこの事件について別の解説を行っている。彼は、レジスタンス戦士が果物と野菜を積んだ仕掛け爆弾搭載の2d積みキア・トラックを午前10時(地方時間)に爆発させたと述べている。通信員は、このトラックは1・5dから2dの爆薬を積んでいたに違いないと見ている。
 標的となったビルは、かつてイラクの軍事産業によって使用されていた古い建物で、CIAに接収され、まわりを巨大なコンクリート壁で囲まれていた。周辺にはいくつもの監視所が設置されていた。多数の米軍狙撃兵がビルの屋根に配置されていた。
 レジスタンスのドライバーは、これらの安全警戒線をできる限りすり抜けなければならなかった。ドライバーは、CIA所属のGMC車両が身分証明書の確認と施設内への入構を許可されるのを待っている時に、正門に向かった。レジスタンス戦士はこの米軍車両のすぐあとに続いて構内に入った。
 攻撃によってビルの正面は完全に破壊され、その一部分が崩壊した。内部の死傷者の数は不明だが、通信員は7台の救急車がサドゥン像の方向から現場に急行した。同様に6台の米軍救急車がメリディエンホテルの方向からやってきた。さらに、赤十字のマークをつけた2機のブラックホークヘリが死傷者を搬送するために攻撃現場に飛来した。
 メッカ時間午後11時58分に発信された通信で、イスラム・メモの通信員はこの攻撃に関するさらに詳しい情報をよせた。彼は、自動車爆弾は12人のCIA要員を殺したと報告している。さらに5人のかいらい「国家防衛隊」が爆発で死んだ。
▼イラクのレジスタンスの自動車爆弾がバグダッドにあるイラクのかいらい「緊急部隊」の司令部に突入した。自動車爆弾は午前9時05分に爆発した。
 イスラム・メモの地方通信員は、この攻撃で入隊予定の45人のイラクかいらい軍が死亡したと報じている。少なくとも32人が爆発で負傷した。
▼ファルージャ 米軍の凶暴な爆撃の標的となった市民
 米軍の航空機が、市民の家をロケット砲で攻撃した。2人の子どもと3人の女性、3人の男性が死亡。13人がこの攻撃で負傷した。
▼月曜日に、2機の米軍ヘリがサマラのレジスタンスによって撃墜される。この間米軍はサマラにクラスター爆弾を投下し続ける
 米軍は抵抗を続けるサマラにロケット弾を撃ち込んだ上に、F16とF14戦闘爆撃機が月曜日にクラスター爆弾の入ったコンテナ8基(それぞれに2000個の対人クラスター爆弾が収納されている)を投下した。
 45人が米軍の爆撃で殉教者として死んだ。うちわずか10人がレジスタンス戦士であったとイスラム・メモの通信員は報告している。
▼ドゥルイヤでの激しい戦闘
 サマラ近くのドゥルイヤで、3時間にわたって米軍とレジスタンス軍との間で戦闘が行われた。
 40人のレジスタンス戦士の部隊は、サマラでレジスタンス軍を攻撃する米軍を支援するためにドゥルイヤからサマラに向かう米軍車列を発見した。午前4時、レジスタンス軍は米軍車列を攻撃した。それは午後7時10分まで続く闘いの戦端を開くものとなった。4人のレジスタンス戦士が戦死し、11人の米軍兵士がせん滅された。
■10月5日
▼バグダッドでの待ち伏せ攻撃で15人の米兵が死亡
 待ち伏せ攻撃を自ら目撃したイスラム・メモの通信員の報告によれば、バグダッドのカナット・アル・ジャヤシ軍運河通りでのレジスタンス軍による高度な待ち伏せ攻撃で15人の米兵が死亡した。
 レジスタンス軍は、米軍パトロール隊の通過する道に強力な爆弾を設置した。爆発で4台のハンビーが破壊され、レジスタンス戦士が生き残った米兵にRPG7を発射し、15人の米兵全員を殺した。攻撃は圧倒的な集中攻撃と完全な奇襲攻撃として行われ、米軍は反撃する機会がなかった。
▼包囲されたサマラでの戦闘続く   
 イスラム・メモの地元通信員によれば、レジスタンス側は市の45〜50%を保持し続けている。しかし通信員も認めているように、米軍が残虐な軍事力を冷酷に使用したため、市の重要な地点は米軍が支配している。
 早朝にはレジスタンスと米軍およびイラクかいらい軍との間に激しい戦闘が行われた。米軍のF16とF18は、大型のクラスター爆弾を収納したコンテナ爆弾7発を住宅地域に投下するなど、民間人への犯罪的な攻撃を続けている。
 18人の民間人が殺されたが、大部分が女性と子どもだった。6人のレジスタンス戦士が殉教した。
 イラクかいらい軍自身の発表によれば、レジスタンスの狙撃兵は12人の米兵と18人のイラクかいらい軍兵士を殺した。
■10月6日
▼米軍がユスフィヤのレジスタンスを攻撃
 APは、バクダッド南部のユスフィア地区で3000人以上の米軍とイラクかいらい軍が、レジスタンス勢力の支配下にある町や市を粉砕する戦略の一環としてレジスタンスに対する大規模作戦を開始したと報道した。
 米軍は、同様の路線に基づいて、ファルージャとサドルシティに対する攻撃も行っている。
 他方、レジスタンスの自動車爆弾と路肩爆弾がこの地域の侵略軍の行動を妨げるために橋を破壊した。2つの爆弾は4台の米海兵隊の水陸両用装甲車を破壊し、45人の米兵が死亡した。
 ラティフィアでの激しい戦闘で少なくとも29人の米兵と72人のかいらい軍が死亡した。ラティフィアのレジスタンス軍の数は250人だと通信員は見ている。
▼ユスフィアでレジスタンスが2機のヘリコプターを撃墜し、25人の米軍特殊部隊員が死亡
 レジスタンス軍はユスフィアで2機のアパッチ戦闘ヘリを撃墜した。1機のチヌークヘリがレジスタンス軍の背後に25人の特殊部隊を降下させようとしたが、この部隊は罠に陥り、一時間の戦闘で全てが戦死した。
▼ユスフィアでの午後の戦闘でアパッチ戦闘ヘリがもう1機撃墜。別の戦闘で40人の米兵が死亡
 2発のロケットが発射され、1発ははずれたが、2発目がヘリに当たり、空中に飛散させた。
 別のレジスタンスの作戦で兵員輸送車と10人の米兵が搭乗した2台のキアが破壊された。全部で40人の米兵と14人のかいらい軍のいわゆる「国家防衛隊」が午後の戦闘で戦死した。
▼ラティフィアで米軍が空爆、30人の市民が死亡
 レジスタンスの潜む農場で激しい戦闘が行われた。米軍がこの地域を包囲しようとしたが、レジスタンスが機関銃、迫撃砲、対戦車ロケットなどのあらゆる武器を使って激しい抵抗戦を行った。
 かいらい軍に支援された米軍がレジスタンス地域を制圧し、占領することに失敗した米軍は、この地域の民家を空爆し、10人の子どもと8人の女性、ほとんどが高齢者の12人の男性を殺害した。
■10月7日
▼ラティフィアで殉教戦士が運転するキアの自動車爆弾で米軍22人が死亡
■10月9日
▼ラティフィアとユスフィアで激しい戦闘
 米軍のコブラ戦闘ヘリがユスフィア北部を爆撃し、ラティフィアも攻撃。25軒の家と多くの車両が破壊され、12人の市民が殺害され。
 両市では8〜10人の多数の小部隊をなす400人以上のレジスタンス部隊が目撃されている。
 レジスタンスは250発以上のロケット砲で攻撃し、米軍は重砲や高性能ロケットや誘導ミサイルを攻撃に投入した。
 ユスフィアでは27人の米兵が戦死し、5人が捕虜になった。さらに家宅捜索の際に米兵21人が戦死した。
 ラティフィアでは4両の戦車、2台のブラッドリー装甲車、6台のハンビー、3台の兵員輸送車などが破壊され、総計54人の米兵が死亡した。レジスタンス側は25〜30人がコブラ・ミサイルの車両への攻撃で死亡した。
▼フア・ラジャブでの大規模待ち伏せ攻撃で43人の米兵が死亡
 レジスタンスが路肩に250`に達すると思われる強力な爆弾を仕掛け、待ち伏せするなかへ、4台の装甲車、2台の小型装甲車、6台のハンビーからなる米軍車列が進み、レジスタンスの攻撃を受けた。この戦闘で43人の米兵が死亡したと見られる。
▼サマラでの激戦続く
 レジスタンスによるムカシキ地区の近くの米軍指揮所攻撃で2台のブラッドリー装甲車が破壊され、サダー地区近くの爆弾攻撃で1台のハンビーが破壊された。総計で15人の米兵と13人のかいらい軍兵士が死亡した。他方20人の市民と8人のレジスタンス戦士が死亡した。
■10月10日
▼ラティフィアで11人の米兵死亡
 市内の大通りでのレジスタンスによる米軍車列の爆弾と銃による攻撃で3台のハンビーが破壊され、米海兵隊員11人が死亡した。▼ユスフィアで22〜25人の米兵戦死
 シュハダの近くでのレジスタンスの待ち伏せ攻撃で少なくとも22人の米海兵隊員が戦死した。
▼ユスフィアのシュハダ地区でのレジスタンスのゲリラによる自動車爆弾攻撃で18人の米兵が死亡した。
■10月11日
▼モスル南部での自動車爆弾の爆発で21人の米兵が死亡
 1・5dから2dの爆薬を積んだ車が5台の装甲車、6台のハンビー、それぞれが4人を乗せた2台の小型兵員輸送車からなる車列に突撃し、21人以上の米兵が死亡
した。
■10月12日
▼米軍が2度目の大敗北喫する
 レジスタンスの強力な攻撃で、米軍はラティフィア・ユスフィア地域から海兵隊の80%を3つの米軍基地に撤退させ、現地には500人の海兵隊員のみが残された。
 米軍のラティフィアとユスフィアへの攻撃の目的は、ファルージャ攻撃の際に米軍を包囲する可能性のあるレジスタンス軍を解体することであった。米軍による04年春のファルージャ包囲の際に、レジスタンスは米軍の攻撃線の背後を4つの方向から攻撃した。すなわち、ラティフィア、ユスフィア、サマラ、アブグレイブからである。
▼レジスタンスがグリーン・ゾーンを揺るがす
 レジスタンスは2基の強力なグラッド・ロケットを、米軍が占領支配の司令部として使用するバグダッドの共和国宮殿に撃ち込む。 1基は米軍司令部を直撃し、もう1基はラシッド・ホテルのタクシー乗り場を直撃した。