COMMUNE 2004/06/01(No339 p48)

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6月号 (2004年6月1日発行)No339号

定価 315円(本体価格300円+税)


〈特集〉 弾圧と戦うアメリカ労働運動

口タフト・ハートレ一法発動と愛国者法T、U
口 ムミア氏釈放運動とシアトル反WTO大決起
口 アメリカの弾圧との闘いに敵対するカクマル

資料/1000万人が決起した  3・20国際統一反戦行動

国際労働運動 南朝鮮・韓国//弾劾政局下、労働者の怒り爆発 室田順子

    3・28三里塚全国集会

三里塚ドキュメント(3月) 政治・軍事月報(3月)

労働月報(3月)  闘争日誌(2月)

コミューン表紙

  自衛隊は撤退せよ

 イラクの武装解放勢力が日本人3人を拘束し、自衛隊の即時撤退を要求した事態は、日本帝国主義のイラク侵略戦争参戦を鋭く弾劾し、日本人民に自衛隊撤兵への闘いを促した。3・11ゲリラを契機にスペインのアスナール政権が敗退し、スペイン軍が撤退する情勢になったことで、ブッシュにとって日帝の位置は決定的に重大化した。イラク人民の今回の決起は的確にそこを突き、極限的な手段で日帝を弾劾しているのだ。小泉は、最大の危機に陥りながらも、即座に「撤退せず」と表明した。この小泉に対して、「3人を見殺しにして何が人道か」と怒りの声が津波のように殺到している。「米英日帝は軍事占領をやめよ」「自衛隊を撤退させろ」「小泉政権は3人を見殺しにするな」が、労働者階級のとるべき態度である。

 このような時に、先頭に立って「民間人を人質にとるのは許されない」と「弾劾」して、小泉に塩を送っているのが日本共産党だ。4月9日付『赤旗』には、「断じて許されない蛮行」の大見出しが躍り、志位委員長の非難の談話が載っている。マスコミ各紙が「自衛隊撤退を要求」と一斉に報じている時、それを意識的に抹殺して、イラク人グループが「自衛隊の撤退」を求めていることは見出しにはないのだ。「3日の期限つけ脅迫」という見出しで、帝国主義と一緒に「脅しには屈しない」態度を押し出しているのだ。これは、イラク人民の民族解放闘争を「卑劣なテロ」とののしり敵対するものである。連日占領軍に大虐殺されているイラク人民に、武装抵抗するなと言っているに等しい。日共の「テロ根絶」論の正体がここにある。

 米帝のイラク・ファルージャにおける皆殺し作戦を絶対に許すことはできない。幹線道路を封鎖し、町を包囲し、モスクを爆撃し、見境なく虐殺する。人民の怒りと憎悪と敵意に包囲された侵略軍隊の行った最大級の歴史的な暴挙である。イスラエルでシャロンがパレスチナ民衆に対して行っている大殺りく以上のものだ。しかし、そこにはまったく成算はない。それは、イラク人民のますます大きな怒りと憎悪と敵意を膨張させているだけである。アメリカの元陸軍特殊部隊の隊員4人を処刑したことに対する「懲罰」としてのこのせん滅作戦で、米帝は確実に泥沼にのめり込んでいる。6月末「主権委譲」などは、まったく展望はなく、イラク人民の全民族的決起は一層深まる。国際的なイラク反戦闘争の一層の爆発が急務である。

 3・20の日比谷公園6万人、全国50万人、全世界1000万人のイラク反戦闘争は、昨年11・9日韓米労働者集会以来の闘いが切り開いたものであり、動労千葉の2波にわたるストライキを牽引車としてかちとられた。この力をさらに拡大し、5〜6月闘争をかちとろう。自衛隊の即時撤兵、有事7法案・ACSA(日米物品役務相互提供協定)改定案粉砕の闘いを、3・20を上回る闘いで切り開かなければならない。この法案・協定改定案は、北朝鮮侵略戦争に備えて、そのために米軍への弾薬輸送を始めとして、米軍の行動を保障するものであり、すべてを軍事優先で国民動員を図るものである。そして、日帝は、それを突破口に教育基本法改悪、憲法改悪の策動を一層前面化しようとしているのだ。動労千葉の闘いに続き、3、4月卒業式・入学式の「君が代」不起立闘争に続いて、労働者の総決起をかちとろう。 (た)

 

 

翻訳資料

 ●資料/国際反戦運動

 1000万人が決起した3・20国際統一反戦行動

 米英軍のイラク侵略戦争開始1周年の3月20日、全世界で再び巨大なイラク反戦デモが爆発した。全世界74カ国、717の都市で1000万人が参加したこの巨大な反戦ウエーブは、シドニーと日本から始まり24時間かけてハワイのホノルルに至るまで大津波のように地球を一周した。
 今回の反戦デモは、2000万人が参加した昨年の2月15日の全世界反戦デモ以上に米・英・日などのイラクに派兵している帝国主義諸国に大打撃を与えた。
 3・20全世界イラク反戦統一行動は、昨年以上に強固な反戦と反帝国主義の闘いとして爆発した。03年3・20のイラク侵略戦争開始とサダム・フセイン政権の崩壊、占領統治の開始という現実のもとで、不死鳥のごとく決起したイラク人民の帝国主義的侵略と占領との命がけの闘いに、全世界の多くの人民が連帯の意思を熱烈に表明したのである。
 「戦争一般や争いごと一般に対する絶対平和主義的な反対」というのではなく、帝国主義の侵略戦争と再植民地化攻撃に対するイラク・中東人民の武装抵抗闘争も含めた闘いへの圧倒的共感が表明されたのである。
 それはまた、イスラエル・シャロン政権の激しい民族抹殺政策と闘うパレスチナ人民や、全世界の被抑圧民族との連帯の質を持った闘いとして爆発した。全世界各地でパレスチナ人民の民族解放闘争に対する明示的な支持の表明が行われたのであり、「テロにも戦争にも反対」という帝国主義と被抑圧民族の解放闘争を同列におくような姿勢が一掃されつつあるのである。
 3・20を前にして爆弾攻撃を受けて多数の死者を出したスペインにおいて、侵略戦争に軍を派兵する決定を行ったアスナール政権にこそ責任があるとして、アスナールを政権の座から追放したスペイン人民の闘いの質の高さが全世界化しつつあるのだ。
 さらにまた、それは国内における帝国主義の大資本攻勢や、差別・抑圧政策、新植民地主義的政策にたいする怒りの爆発の場ともなった。全世界的に戦闘的労働運動を担う多くの労働者の組織的参加、国内の移民労働者や被抑圧民族のコミュニティーの人々の大量参加、新植民地主義体制諸国での人民の反戦デモへの参加の広がりは、今年の3・20を特徴づけているのである。
 総じて今年の3・20国際統一反戦デーは、帝国主義の外への侵略戦争と内への階級戦争に対する怒りの爆発の日となったのだ。その点で、昨年の開戦前の反戦デモに比べ、いちだんと高い質をもった闘いとして爆発したといえる。
 この高い質をもちながら、全世界で一斉にこれだけの多数の反戦デモが実現したことに注目すべきであろう。ブルジョア・マスコミによる「去年より圧倒的に数が少ない」という意識的過小評価を粉砕し、改めて今年の3・20国際イラク反戦デーについて正しく評価しなければならない。

 パレスチナ問題と真正面から対決した米反戦運動 

 49の州の319の都市で反戦集会・デモ、その他の反戦イベントの行われたアメリカにおける今年の3・20の決定的特徴は、「米軍の即時撤退、イラク占領の終結」のスローガンとならんで「パレスチナ占領反対、イスラエル軍の侵略と不屈に闘うパレスチナ人民との連帯」というスローガンが鮮明に掲げられたことである。
 パレスチナ問題を反戦運動のなかにどう位置づけるかという問題は、アメリカにおける3・20集会を組織する段階から論争を巻き起こしていた。それは、パレスチナ問題を反戦運動のテーマとすべきではないとする一部の傾向との闘いとして開始された。
 このような傾向を持つ人々の主張は、「パレスチナ人などの抑圧され支配されている人々の闘いを支持する集会にすると、戦争反対の一点で共感して参加しようとしている一般の政治意識の低い人たちの参加を阻害するので、広範な反戦運動を組織しようとする観点から反対する」というものであった。
 これは、かつて60年代のベトナム戦争の時代に、「反戦運動に黒人解放のテーマを持ち込むと、せっかくベトナム戦争反対や労働運動の強化・発展、女性解放などの問題に理解を示している多く白人層の支持を失うから、黒人解放問題を取りあげない」という論理と同様のものであった。
 このような論理はアメリカ反戦運動、政治運動に根強くしみこんでおり、長年にわたって反戦運動の本格的発展を阻害する要因であった。
 だが今年は3・20を前にして、アメリカに在住するパレスチナ人、アラブ系アメリカ人の側から、諸反戦組織に対する公開状という形で、これまで長期にわたってタブーとされていたパレスチナ問題を反戦運動の主要なテーマの一つとすべきだとする問題提起がなされた。
 この問題提起は、これまでに形成されていたANSWER連合とUFPJ(ユナイテッド・フォア・ピース・アンド・ジャスティス)との間の大統一戦線の危機をいったんはもたらした。だが、200を越える労組や反戦団体がこの公開状の提起を真摯に受けとめるなかで、両者の間で広範な統一戦線を維持する努力が行われ、ANSWERがパレスチナ問題を主要なテーマの一つとして掲げることを容認すること、UFPJにはそれが強要されないことを条件として、統一集会が実現された。
 ANSWERが掲げた「即時撤兵、イラク、パレスチナ、ハイチなどあらゆる地域での占領の終結」というスローガンは、集会に参加した多くの人々の共感を獲得した。
 とりわけ、アラブ系アメリカ人、パレスチナ人たちはANSWERのこの闘いを評価して、大挙してニューヨークの集会に参加した。
 集会には、パレスチナ帰還権連合、アラブムスリムアメリカ連盟、自由パレスチナ連合、ムスリム学生協会、などムスリム諸団体やアラブ系アメリカ人の組織が大量に参加した。不当逮捕、勾留、監視などムスリムへの弾圧が激しい時に、多くのアメリカ在住ムスリムが英雄的に立ち上がったのである。
 このように、パレスチナ問題の反戦運動における位置づけをめぐる論争を通じて、白人層を主体とする超階級的で絶対平和主義的な反戦運動ではなく、被抑圧民族解放の闘いを主要な課題の一つとする階級的な反帝国主義的観点を持つ反戦運動、被抑圧民族人民を主体の一翼とする反戦運動へとアメリカの反戦闘争が発展し始める突破口が切り開かれたのである。
 この闘いは質的には、かつてのベトナム反戦運動には見られなかった高い質をもったものとして大成功した。だからこそそれは、反戦闘争の量的拡大を引き出したのだ。ニューヨーク10万人の集会・デモは、量的にも主催者の予想をはるかに上回るものとなったのだ。
 アメリカの労働者階級人民が、パレスチナ問題をイラク問題と同様に帝国主義の侵略戦争政策のひとつとして受け止め、共に闘う戦線を構築し始めたことの意義は決定的に大きい。
 アメリカにおける今年の3・20の第二の特徴は参加する労働組合と労組員の数がますます増加したことである。
 たとえばニューヨークでは、SEIU(全米サービス従業員組合)1199支部、1199フォア・ピース・アンド・ジャスティス、AFM(全米音楽家連盟)第1000支部と第802支部、ニューヨーク地下鉄第10支部、州・郡・市職員組合第37地方評議会、同1707地方評議会、ニューヨーク市反戦労組連合、ニューヨーク反戦教師、ニューヨークタクシー労働者連盟、反戦郵便労働者、全米自動車労組ローカル1981、全米自動車労組9A地方評議会、アメリカ通信労組第1180支部、公正を要求する黒人電話労働者などが集会に賛同した。
 集会にはこの他に、ニューヨーク州立大学の大学職員、同市立大学の専門職組合の大集団、ニューヨーク行政職員組合などが参加した。少なくとも500の労組が参加したといわれている。
 学生が中心であったベトナム反戦運動の時代と異なって、ついに労働者階級が既成指導部の反動的制動をうち破って反戦闘争の主軸を担う歴史的ともいうべき情勢が切り開かれたのである。
 第三の特徴は、今年の3・20反戦集会には、かつてのベトナム反戦兵士、イラクからの帰還兵士とその家族が多数参加したことである。
 反戦運動こそが自分たちの抱える問題を唯一解決する道であることを見いだした兵士とその家族が、積極的に反戦運動の先頭に立ち始めたのである。
 この日全国で数千人のイラク帰還兵とその家族、現役兵士が反戦集会・デモに参加したといわれており、それは今後の軍隊内部の反戦運動の発展にとって極めて重要な意味をもっているのである。

▼ニューヨーク(ニューヨーク州)
 ニューヨークでは、「イラクとパレスチナの占領はやめよ」「軍隊を即時帰国させよ」を2大スローガンとするANSWER連合と、「世界はいまでも戦争にノーと言っている」をメインスローガンに掲げるユナイテッド・フォア・ピース・アンド・ジャスティスの共催で10万人集会とデモが行われた。
 集会の発言者はアメリカ帝国主義のイラク、パレスチナへの侵略だけでなく、ハイチやベネズエラ、フィリピン、朝鮮への侵略にも反対を表明した。
 また無実であるにもかかわらず22年も投獄されている政治犯・ムミア・アブ=ジャマル氏の獄中からの人種主義的抑圧と帝国主義的抑圧に対する抵抗を呼びかけるメッセージテープが流され、大きな共感をよんだ。
 アフリカ系アメリカ人への差別・抑圧や、警察の腐敗と不当弾圧を告発し続けて闘ったためにデッチあげ逮捕され、死刑判決を受けたムミア氏の釈放を求める闘いは、労働者階級の反弾圧の闘い、国内において支配階級が仕掛けてきた階級戦争との闘いの重要な一環であることがはっきりと確認されたのである。
 集会にはアラブ系労働者だけでなく、ハイチ、メキシコ、ベネズエラからの移民労働者も参加した。とりわけ最近アメリカが侵略したハイチからの移民労働者は、大挙して参加した。アメリカ帝国主義のラテン・アメリカへの侵略政策への怒りが爆発したのである。
 デモはマンハッタンの45の街区を制圧するものとなり、デモ隊の先頭がデモコースを一周して出発点に戻るとまだ最後尾が出発していないほどであった。このデモで4人が不当逮捕されたが、最後まで元気よくデモが貫徹された。

▼サンフランシスコ(カリフォルニア州)
 サンフランシスコでは、ANSWER連合を主軸として、「ノット・イン・アワ・ネーム」、ムスリム学生連盟、コード・ピンク(女性解放運動団体)、緑の党、社会主義者の団体、イラク・パレスチナ・ハイチの占領に反対するグループ、サイクリスト反戦活動家、女性の権利を守る団体、福祉や職を求める団体、ハイチ行動委員会、湾岸反戦統一運動、教育予算の削減に反対する学生、イラクからの帰還兵士など広範な人々5万人が参加する集会とデモが行われた。予想を倍する人が参加したと言われている。
 ILWU(国際港湾倉庫労組)の第10支部も楽隊を先頭にして大部隊で参加し、この日の闘い全体を牽引する役割を果たした。集会でも第10支部の委員長・ヘンリー・グラハム氏が発言した。
 デモは、「植民地的占領の終結」と「パレスチナに自由を」と呼びかける英語、スペイン語、アラブ語の横断幕やプラカードで満ちあふれた。この横断幕を先頭にデモ隊は市内を市庁舎前広場まで行進した。
 この日は、アナーキスト系の若者など800人の独自デモも行われた。イラク侵略、占領に反対して街頭占拠、交通ストップなどの実力行動を展開した。
 19日にも、「戦争を阻止するための直接行動」という地域の草の根運動が組織した数百人の直接行動が行われた。これらの活動家たちは、SSA(スティーブドーリング・サービシズ・オブ・アメリカ ILWUの組合員を雇用する港湾管理会社、イラク南部の港湾も管理する)、シェブロン・テキサコ、ロッキード・マーチン、ベクテルなどの戦時利得企業に抗議する闘いを展開した。
 イラク戦争で不当な利益をあげたことに抗議するこの闘いによってベクテル本社は閉鎖された。警察が介入し、正門前でスクラムを組んだ活動家25人が逮捕された。
 他方、侵略戦争で巨額の金を使いながら、低所得層のために安い貸家を提供しようとしない住宅政策に抗議して空き家の占拠闘争も行われた。
 19、20日の闘いに対する弾圧で合計99人が逮捕された。うち2人が骨折、1人が親指を骨折した。

▼ロサンゼルス(カリフォルニア州)
 ロサンゼルスでは、ANSWER連合と、自由パレスチナ連合、パレスチナ・アメリカ女性協会、全国法律家組合、朝鮮・フィリピン・ラテンアメリカ系の反戦組織やムスリム系諸組織などの地元の反戦グループの共催で2万人が集会とデモを行った。ここでも主催者の予想を超える人々が結集した。
 集会後14の街区を制圧するデモが行われ、ベトナム帰還兵で作家のロン・コービック氏とイラク帰還兵の妻、自由パレスチナ連合、ハイチ連帯連合がデモの最先頭で行進した。デモでは、パレスチナやイラクの国旗で包まれた棺を担いで行進する人や、大きなパレスチナ国旗を持ったアラブ系アメリカ人もいた。
 この他、ハイチ、アフガニスタン、ベネズエラなどの占領に抗議する人々や移民グループ、宗教者も参加した。ロサンゼルスの公立学校の教師も大量に参加した。
 イラク、パレスチナ、アフガニスタン、ベネズエラ、コロンビア、フィリピン、朝鮮などでの解放運動に連帯するシュプレヒコールや、移民労働者への攻撃や差別抑圧をやめよというシュプレヒコールは沿道住民の大きな共感を呼んだ。

▼シカゴ(イリノイ州)
 シカゴでは1万人が集会・デモに参加した。イリノイ州知事は、申請されたミシガン通りのデモを許可せず、対暴動用のフル装備をした機動隊2500人が市内各地に展開した。
 だが広範な統一戦線が形成され、外への侵略戦争と内での外国人への攻撃・抑圧に反対する多くの人々がこの弾圧体制をうち破って市内をデモした。多くの移民労働者が参加し、特にパレスチナ解放を主張する諸団体がデモ、集会で重要な役割を演じた。
 集会では、ANSWER代表、コロンビア労組オルグ、「障害」者戦線代表、議会の黒人議員団代表、機械労組第701支部、戦争に反対するベトナム帰還兵代表などが発言した。

▼ポートランド(オレゴン州)
 2万人が集会とデモに参加。集会では「北西部平和を求める帰還兵」の代表や、第一次湾岸戦争で家族を失った人々が発言し、イラクからの即時撤兵を要求した。またパレスチナ人民に対するイスラエルの残虐な行為とブッシュのイスラエル支援政策に対する弾劾の発言が行われた。集会後、市内へのデモが行われた。

▼シアトル(ワシントン州)
 シアトルではUFPJを軸とする広範な統一戦線の下に1万5000人が参加する集会とデモが行われた。この集会にもアラブ系アメリカ人やパレスチナ人などが多く参加した。市内デモでは、警察の弾圧によって3人が逮捕されている。

▼サンディエゴ(カリフォルニア州)
 サンディエゴでは地域の反戦団体が広範な統一戦線を形成した。「サンディエゴ平和と正義連合」と「サンディエゴANSWER」の主催、40の地域組織の賛同によって集会が行われ、4000人が集会・デモに参加した。
 集会では、アメリカ・インディアン運動の代表が最初に発言した。さらにパレスチナ帰還権連合、ANSWER代表、女性解放運動の代表などが発言し、ムミア・アブ=ジャマル氏のメッセージテープが再生された。
 市内でのデモは、「戦争をやめろ」「パレスチナ、イラク、アフガニスタン、ハイチの占領をやめよ」のスローガンの下に元気よく行われた。

 その他の米各地の反戦集会

 アメリカでの反戦集会・デモはこの他各地でも行われた。詳細は以下の通り。

▼ボストン(マサチューセッツ州) 数千人がデモ。

▼カリフォルニア州
・サン・ノゼで数千人がデモ。
・フレスノでも数百人がデモ。
・チコ 100人がデモ。
・ユーリカ 数千人がデモ。
・オークランドで数百人がデモ。
・ベイカースフィールド 参加人数は不明。
・ビッサリアで100人がデモ。

▼アリゾナ州 全体で1000人

▼ノースカロライナ州
・イラクへの派遣軍が送られる世界最大の陸軍基地隣接するファイエットビルでは、退役反戦兵士と軍人の家族の主導で200人が反戦デモを行う。

▼アーカンソー州
・アトランタで500人がイスラエル領事館前から市内にデモ。高校生・大学生が多く参加した。イラクで死んだ兵士の家族も参加、集会で発言し、イラクからの撤兵を要求した。
 パレスチナ解放運動、ハイチ、ラテン系コミュニティーの代表も発言。

▼バッファロー(サウスダコタ州)で300人がデモ。

▼テキサス州
・ブッシュの牧場のあるクローフォールドでは1000人がデモ。
・ヒューストンでは、2000人がデモ。
・オースティンでは、数百人がデモ。

▼ソルトレイク(ユタ州) 数百人がデモ。

▼トゥクソン(アリゾナ州) 500人がデモ。

▼ボワーズ(アイダホ州)では、数百人がデモ。

▼ミシガン州
・ランシングで300人のデモ。
・トラバースシティーで200人のデモ。
・グランラピッズで300人のデモ。
・ホワイトレイクで150人がデモ
・アン・アーバーで2500人のデモ。
・ハンツビルで50人がデモ。

▼セントポール(ミネソタ州)では3000以上がデモ。地元の反戦組織が活発に組織活動を行った。

▼アルバカーキー(ニューメキシコ州)で400人がデモ。

▼ミルウオーキー(ノースカロライナ州)で1200人がデ
モ。

▼ペンシルベニア州
・フィラデルフィア 3000人がデモ。アラブ系アメリカ人、パレスチナ人が参加。
ハイチ・コミュニティーセンターの代表が発言し、アメリカのラテンアメリカへの侵略に警戒することが訴えられる。反戦運動の高揚を大統領選挙に利用しようとする試みに反対することも訴えられる。
・ハリスバーグで数百人がデモ。
・ピッツバーグで2000人がデモ。占拠闘争も行われる。

▼チャタンノーガ(テネシー州)で130人がデモ。

▼ニュージャージーで数百人がデモ。

▼オーガスタ(メイン州)で1000人以上がデモ。愛国者法による弾圧に反対する姿勢も強く見られる。
 以上に見たように、アメリカではかつてないほど多くの都市でさまざまな形態の反戦集会・デモが行われ、総計で50万人が参加した。地方の各地で独自にデモ・集会を組織する運動団体や指導部が広範に形成されて、これまで中央の集会・デモに行けなかった人々も参加しているのが、今回の特徴。それはまた運動の裾野が広がり、大衆的基盤が強化されていることを意味する。

●カナダ

 全国69の都市で反戦行動が行われた。
▼バンクーバー 2万人
▼トロント 8000人
▼ケベック 1500人
▼ハリファックス 400人
▼ビクトリア 数百人
▼ケロウナ 200人
▼フレデリクトン 200人
▼シャーロットタウン150人
▼ウインザー 100人程度

 イラク派兵諸国で爆発したヨーロッパの反戦闘争

●イギリス

▼ロンドン
 ロンドンでは、雨と強風の吹く悪天候のなか、戦争阻止連合、イギリス・ムスリム協会、CND(核廃絶運動)の呼びかけで10万人が参加する反戦集会が行われた。デモは、ハイドパークからトラファルガー広場に向けて行われた。
 集会では、イラクからのイギリス軍の撤退、ブレア退陣が訴えられた。労働党を除名されたジョージ・ギャロウエイ氏は、スペインの教訓を生かし、6月10日に行われる選挙をブレア弾劾・打倒の国民投票とすることを訴えた。
 また、イギリス鉄道労組・RMTの委員長のボブ・クロウ氏は、「RMTは組合員を支援する党を支援する。ブレアは退陣すべきだ。全閣僚は戦争犯罪人だ。すべて退陣すべきだ」と発言した。
 ブッシュと組んで、ウソでだましながらイギリス国民を侵略戦争に動員していったブレア政権を打倒することが具体的目的として掲げられたのである。ブレア政権の運命は風前の灯火となった。
 この日も戦争阻止連合を軸に、反戦諸団体、イギリス・ムスリム協会やパレスチナ連帯キャンペーン、社会主義労働者党や、緑の党、反核団体などの広範な統一戦線が実現された。

▼ブリストル
 ブリストルでは200人の反戦デモが現地で行われ、それ以外にも約150人がロンドンの反戦デモに参加した。

▼グラスゴー
 スコットランド最大の都市グラスゴーでは、「スコットランド・戦争ではなく正義を求める連合」の呼びかけで、1000人が降り続く雨と強風に負けず中心街をデモした。
 スコットランド出身の兵士はすでに6人がイラクで戦死しており、不正義の侵略戦争から英軍を撤退させる運動が勢いを増している。
 集会では、緑の党、スコットランド国民党、社会主義のための労働者キャンペーン、スコットランド社会党、イギリスムスリム協会などが発言し、英軍のイラクからの撤兵とブレア弾劾の声をあげた。

●スペイン

 3月11日に、列車爆破事件のあったスペインでは、「反テロ」の気運が高まっているなどと報道されていたが、ほとんどの人民は、イラクに派兵したアスナール政権のイラク侵略戦争政策こそが問題であるとして、アスナール政権を打倒するとともに、3月20日には、全国約50カ所で反戦デモが行われた。
 この日の反戦デモは、スペインの2大ナショナルセンターのCCOO(労働者委員会)とUGT(労働総同盟)が取り組みの先頭にたった。
▼バルセロナ
 スペイン最大の反戦デモが行われ、20万人が参加した。バスク地方の反戦活動家も参加。スペインに在住しているマグレブ諸国のムスリムやシーク教徒、ヒンズー教徒、南アジアのムスリムも参加してスペイン軍のイラクからの撤兵を求める大反戦集会とデモになった。この他、
▼マドリード 10万人
▼バレンシア 2万人
▼セビリア 6000人
▼ビルバオ 5000人
▼ジローナ 数千人など、全国で50万人が反戦デモに決起した。
 なお前日の18日には、イラク軍事占領に関与する企業に対するボイコットデーが設定され、ラ・カイーハ社などに対し、バルセロナやテラゴーナで抗議闘争が行われた。

●イタリア

 ベルルスコーニ右派政権が米帝のイラク侵略戦争に全面的に協力する政策をとり、イラクに約3000人もの軍警察官と兵士を派兵しているイタリアでは、「戦争阻止」委員会に結集した最大のナショナルセンターのCGIL(労働総同盟)、同傘下のFIOM(金属機械産業労組)、二番目に大きいナショナルセンターであるCISL(労働組合同盟)、独立系労組センターCOBSAなどが組織決定として取り組んだ。
 当日はそれぞれの書記長らがデモの先頭に立った。
▼ローマ 
 ローマでは、世界最大規模の反戦デモが行われた。200万人が、「(アスナールの)次はベルルスコーニだ」と叫んでデモを行った。
 ブルジョア新聞は、昨年11月12日のナシリアでの自爆戦闘でイタリア軍兵士と軍警察官19人が死亡したことや、スペインでの列車爆破事件があったことから、この日のスローガンには「テロを弾劾」したものが多いと反動的に宣伝した。だが、実際にはデモ隊の大部分は、イラクからの撤兵と責任者であるベルルスコーニ辞任を求めて行進した。
 イタリアの反戦デモを実際に目撃した人の証言によれば、「戦争にもテロにも反対」というスローガンを掲げたのは一部の社民勢力のみであり、横断幕やスローガンの90%がブッシュの戦争やイラク占領に反対し、イラクやパレスチナの人民の抵抗闘争を支持するものであったという。
 なお、この日、イラクに派兵されている軍警察の「カラビニエリ組合」の数十人がイラクからの撤兵を要求してローマでの反戦集会に参加した。

●ドイツ

 ドイツでは全国46都市で集会、デモ、反戦イベントが行われた。
▼ベルリン 労働組合、平和運動活動家、学生、左翼グループなど2000人が参加して反戦デモを行った。
▼ラムシュタイン 米軍空軍基地で核兵器を貯蔵するライラントファルツのラムシュタインでは、3000人が反戦デモを行った。
▼ハンブルグ 600人
▼ミュンヘン 300人
▼フランクフルト 300人
▼シュトゥットガルト 120

●ベルギー

▼ブリュッセル
 悪天候のなか、1万人が反戦デモにたった。国内在住のアラブ系住民が多数参加した。集会での発言者は、ブッシュとブレアのウソと大衆操作に基づいた戦争政策を弾劾した。デモ出発の前に黙祷で侵略戦争の犠牲者を偲び、市中心部に向けて繰り出した。市内中心部では、パレスチナ支援団体がイスラエルのアパルトヘイトの壁を象徴する壁を作るパフォーマンスを行い、パレスチナにおける民族抹殺政策を弾劾した。
 この闘いには、約百の草の根組織、NGO、政党(左翼、緑の党など)が参加した。

●フランス 

▼パリ
 1万人が「ブッシュ・シャロン・アスナール・ブレアは人殺しだ」「軍隊はイラクから撤退せよ」「パレスチナに正義を」などのスローガンを掲げて市内をデモした。主要な参加団体は「反戦行動」(パリの反戦団体)、「パレスチナ連帯協会」であった。
 なお同日、ポアチエで100人が反戦デモを行い、モンペリエでも反戦行動が行われた。

●ポルトガル

 全国3都市で反戦集会・デモが行われた。
▼リスボン 1万5000人
▼ポルト 2000人

●オランダ 

▼アムステルダム
 土砂降りの雨の中3000人が参加して反戦集会・デモが行われた。
 「新たな戦争に反対するプラットフォーム」を軸に200以上の反戦団体が参加。新オランダ共産党、共産主義青年同盟、アナーキスト、緑の党なども参加し、広範な統一戦線が形成された。
 イラクやアフガニスタンからの難民も参加し、イラクの労働運動や失業者運動を精力的に組織している「イラクの労働者共産党」のメンバーも横断幕をもって参加した。
 デモは「占領をやめろ」と書かれたイラクの旗を先頭に行われた。デモ隊のプラカードには「オランダ軍を撤退させろ」のスローガンが多数みられ、軍隊派遣の決定を下したバルケンエンデ首相の退陣を求めるかけ声が市内に響き渡った。
 このデモでは、オランダから2万6000人の難民、うち7000人のアフガニスタン難民を追放する政府の計画に反対する声もあげられた。

●オーストリア

▼ウイーンで2000人がデモ

●スイス

▼ベルン 3000人

●アイルランド

▼ダブリン3000人
▼ベルファスト 200人

 ● n北欧

●スエーデン

▼イエテボリ 1000人

●デンマーク

▼コペンハーゲン 2000人が、パレスチナとイラクへの侵略・抑圧と、国内における民主主義や社会保障の解体と結びつけて闘うデモを行う。他に3都市で数百人がデモ。

●フィンランド 

▼ヘルシンキ 2000人が冷たい雨のなかを反戦デモ。他に17都市で反戦行動。

●ノルウエー

▼オスロなど7都市で反戦行動。

●アイスランド

▼レイキャビク 1000人

 ● n東欧・ロシア

▼ワルシャワ 1000人
▼ブダペスト 1000人 ハンガリア軍の撤退を要求。

●ブルガリア ソフィアなどで反戦行動。

▼キエフ 500人
▼モスクワ 300人

●クロアチア 数千人

 ● n南欧

●ギリシャ 

▼アテネ 1万5000人
▼テッサロニキ 2000人

 ● n中東

●イラク

▼バグダッド 19日にバクダッドでシーア派とスンナ派の両者が合流して占領を弾劾する数千人のデモが行われた。このデモでは、全イラク人が団結・統一して占領支配と闘うことが訴えられた。

●トルコ

 全国12都市でデモが行われ、全体で1万人が参加した。
▼アンカラ 1000人
▼イスタンブール 3000人

●エジプト カイロ、ミニアで数千人

●ヨルダン アンマンで数百人

●シリア ダマスカス、アレッポで数百人

●キプロスで数百人

 この他、イランのテヘラン、イスラエルのテルアビブ、パレスチナのガザ・カルキリア・ラマラ、イエメンのシャナ、アルジェリアのアルジェ、モロッコのカサブランカで反戦行動が行われた。

 反戦運動が本格的な発展段階に入ったアジア諸国

●日本

 全国55の都市で50万人が反戦行動に決起し、イラク反戦闘争としては最大規模の闘いとなった。

▼東京
 主催者団体である陸・海・空・港湾労組20団体が日比谷公園全体で5〜6万人が参加したと発表。百万人署名運動は5000を越える大隊列で登場し、その迫力で全集会を牽引した。この闘いによって、新しい労働者市民の大統一戦線を形成する第一歩が刻印され、日本における反戦運動の歴史的転換を勝ち取った。

▼沖縄
 那覇市の「イラク派兵反対 沖縄うまんちゅ大集会」に500人が結集。

▼福岡
 1万人が結集。天神のメインストリートをデモで埋める

▼広島
 原爆ドーム前で「3・20イラク戦争1周年世界同時行動inヒロシマ」に3600人が参加。イラク戦争反対、自衛隊派兵を許すなというメッセージボードを掲げて市内をデモした。

▼京都
 「STOP!イラク派兵in京都」行動に3000人が参加。

▼岡山 1000人が集会。

▼松山
 400人が「自衛隊のイラク派遣に反対する3・20愛媛集会」に参加。

▼岩国
 岩国基地を包囲する1000人の人間の鎖が闘われる。

▼仙台
 「3・20イラク派兵反対/平和憲法擁護、宮城集会」に4000人が結集。
 この他、旭川市、札幌市、盛岡市、千葉市、名古屋市、山口市、徳島市などでも数百人から数千人規模の大集会が行われた。

●韓国

▼ソウル これまで最大の1万人のイラク反戦デモが行われた。夜には20万人が大統領弾劾反対のろうそくデモが行われた。全国では50万人以上がデモに参加した。
 ソウル市内の大学路では、3・20韓国組織委員会の主催で「3・20全世界反戦行動集会」が開催された。イラク占領と韓国軍の派兵に反対するこの集会には約300団体、2500人が賛同し、民主労総、公共連盟、金属連盟、保健医療労組、民主タクシー連盟、公務員労組、全教組、言論労組、サービス連盟、京畿本部、ソウル本部、ソウル都市鉄道労組、ソウル常用職労組、韓国ガス安全公社労組、平等労組移住労働者支部など、労働者がかつてなく多数参加した。労組員、学生の他に、弾圧反対と労働者の権利を要求する移民労働者も多数参加した。
 集会は反戦コンサートで始まった。集会では、民衆連帯のチョングァンフン常任代表、民主労総のイスホ委員長、民主労働党のイラク派兵反対運動本部のイジョンミ本部長、平和女性会のチェソンヒ事務局長、韓国大学総学生会連合のペクチョンホ議長、全国農民会総連盟にムンギョンシク議長、ベトナム参戦軍人のユンヨンジョン氏など9名が発言した。集会には国際連帯メッセージが米ANSWER、英戦争阻止連合から送られた。
 集会後、1万人を越える労働者、学生、市民が「占領反対」「派兵反対」を叫び、光化門までデモ行進した。
 夕方6時からは光化門で行われた「弾劾無効と民主守護に向けた100万人大会」に合流し、20万人が結集した。

●インド

▼ニューデリー
 インド政府は、反戦デモに集まった200人を逮捕しデモを禁止した。だが、この弾圧をうち破って3000人がデモ行進した。
 集会とデモには、三つのインド共産党と革命的社会党、諸労働組合連合(全インド労働組合会議、インド労働組合会議、全国労働組合会議など)全インド学生連盟、インド女性全国連盟、その他の反核団体、平和団体などが参加した。、
▼ムンバイ
 500人の反戦デモと、ムスリム団体が組織した1万人のデモの二つのデモが行われた。
▼デリー
 2000人がアメリカン・センターにデモ行進。
 この他、ナシク、ナグプア、カルカッタ、エルナクラムなど多数の都市で反戦デモが行われた。

●パキスタン 数千人

●フィリピン

▼マニラ
 政府に対しアメリカの戦争と占領への支持の停止とフィリピン軍の引き揚げを要求して5000人がデモ。フィリピン労働者党、青年民主主義協会、「平和のための集い」(広範な統一戦線)などが参加した。
 集会では、「われわれはアメリカ軍によるイラク人民への拡張主義的政策に対する世界的な抗議の噴出に合流する。フィリピン軍の即時撤兵を要求する」とSANLAKAS(フィリピン人民の権利と福祉擁護運動)の党首であるウイルソン・フォルタレーザが発言した。
 フィリピン労働者党のルネ・マグトゥーボ党首は「アスナールの党の壊滅的敗北はスペイン人民によって抗議の票に転化された反戦意識の現れだ」と述べた。
 集会後、デモが行われたが、警察は放水銃を使ってデモ隊を弾圧したため、デモ隊と警官隊は街頭で激突した。

●香港

 100人がイラク占領に反対してデモ

●インドネシア

 ジャカルタで英大使館、国連事務所、米大使館に対するデモが行われた。

●バングラデシュでも8団体が主催してデモ

●タイ

▼チェンマイ
 新たに400人の兵士を派兵したタイ政府に対し、「平和のための連合」の旗のもとにデモ。米英領事館に対し、抗議の闘いを展開した。

 南太平洋でも兵士の即時帰国訴える闘いが爆発

●オーストラリア

 870人の兵士をイラクに派兵しているオーストラリアでは、全国10の都市で反戦行動が行われた。
▼ブリスベン
 19日にクイーンズランド・ピース・ネットワークの組織した1000人のデモが、「イラクからの撤兵と占領をやめろ」というスローガンを掲げて行われた。
▼シドニー
 戦争阻止連合が組織した7000人を越えるデモが米領事館に対して行われた。市の鉄道当局が集会への結集を妨害するために列車の運行を停止したにもかかわらず多く人々が参加した。「平和を求めるムスリム」など多数のムスリムが参加した。デモ行進では「占領をやめろ、軍隊を撤退せよ、ハワード(オーストラリア大統領ジョン・ハワード)はやめろ」のかけ声があがった。
▼メルボルン
 ビクトリア・ピース・ネットワークが組織した3000人のデモが行われた。オーストラリア民主党、ゲーロン反戦共同、オーストラリア緑の党、オーストラリア共産党、国際共産主義者同盟、ビクトリア・イスラム協議会、平和を求めるムスリム、ラジカル・ウーマン、パレスチナを支援する女性などの広範な統一戦線が形成された。
 デモではブッシュの人形と対抗デモのデモ隊が持っていた米国旗が焼かれた。
 その他、パースで350人、キャンベラ300人などオーストラリア各地で同様のデモが組織された。

●ニュージーランド

 ウエリントンで600人、オウクランドで300人、クライストチャーチで300人、カピティコーストなど5カ所でニュージーランド軍の撤兵を要求して反戦デモが行われた。

●東チモール

▼ディリ
 50人以上がデモ。イラク占領に反対する東チモール連帯委員会の主催。

 帝国主義の侵略戦争への怒り爆発したラテンアメリカ

 ラテンアメリカでは、アメリカ帝国主義のイラク侵略戦争を弾劾するとともに、ラテンアメリカへの急激な侵略を開始しているブッシュに対する怒りが爆発し、これまで反戦運動がなかった諸国でも反戦デモが行われた。

●キューバ

▼サンチァゴ 1万人

●コロンビア

▼ボゴタ1万人

●ブラジル

 全国20都市で反戦デモが行われた。
▼ブエノスアイレス 数千人
▼サンパウロ 数千人

●チリ

▼サンチァゴ 4000人

●ウルガイ

▼モンテビデオ 数千人

●ホンジュラス

 370人の兵士をイラクに派兵している政府と米政府に抗議して数百人が米大使館にデモ 

●ベネズエラ

▼カラカスで数百人

 ● nアフリカ

●南アフリカ

▼ヨハネスブルグで1000人

●セネガル、スーダンでも反戦デモ

 以上、まだデータとしては不十分なものではあるが、今日までわかったものをできるだけ多く掲載した。今回のデモは各地方で行われたものが極めて多く、ANSWERやインディ・メディアなどの世界的ネットワークを持つ反戦運動のサイトなども正確なデータを把握しきれていない。かなり時間がたってからデモ参加者の数が訂正されたり、データが欠落したままのものが多い。
 しかし、ここであげたデータからだけでも、全世界津々浦々で何らかの形で反戦運動に立ち上がった人々の数は、1000万人といって決して過言ではない。
 これはそれだけイラク反戦の闘いが全世界の隅々まで広がっているからである。わずか24時間の間にこれだけの国、都市でこれほど多くの人々が一斉にイラク反戦という一つの目的で団結して帝国主義に対して立ち上がったことは、帝国主義支配の世界的打倒の現実的可能性を実感させるものである。
 日本におけるイラク反戦運動の発展は、3・20の大爆発をもってようやく世界的な水準に追いつき、かつこれから世界の反戦闘争を牽引する爆発力を秘めて動き始めている。
 イラク人民の闘いがシーア派人民の武装抵抗闘争への巨大な決起をもってアメリカ帝国主義を始めとする帝国主義のイラク侵略・占領を根底的に揺るがしているなか、今こそ新たな決意をもって日本におけるイラク反戦闘争を圧倒的に発展させよう。
 われわれもスペイン人民と同様に、イラク反戦のさらなる爆発をもって小泉政権を打倒しよう。
 イラクにおける3人の日本人の人質問題をめぐる小泉政権の反人民的で冷酷な態度に対する全人民の怒りを組織し、自衛隊即時撤退を実現しよう。