●医療
人体を「資源」にする生命操作 (上)
今、遺伝子操作技術は、未来を切り開く最先端技術としてもてはやされています。そして生殖補助医療や臓器移植などとともに、人間の生命操作の動きを担っています。
こうした技術の社会的影響の大きさから、「倫理的検討」が進められていると言われています。
しかし、生命操作技術の研究開発に超階級的な倫理を対置しても、その暴走を止めることはできません。また、「クローン人間」などだけが生命操作の問題ではありません。センセーショナルな話題のかげで進められていることは、はるかに重大です。
「社会保障構造改革」=社会保障の原理的否定、医療切り捨て、「脳死」認定による死の前倒し=重症患者や「障害者」の抹殺策動が激化しています。戦場でのトリアージ(重傷者を切り捨て、再度戦闘に戻れる者を優先する選別)の原理の全社会的貫徹が狙われています。
遺伝子技術などは、死活的国際競争を掲げた国家的な戦略プロジェクトとして、帝国主義間の争闘戦の決定的焦点とされています。それが同時に、人間の遺伝子データの蓄積、出生前診断、新たな遺伝子決定論イデオロギーの流布を促進しているのです。イギリスではすでに、着床前診断の規制緩和が行われています。
臓器移植のネットワーク作りは、医療の名の下に労働者人民をも動員して分断し、「障害者」抹殺、重症患者抹殺を加速しています。
こうした生命操作は、人間を「価値のある生命」「価値のない生命」に振り分け、人体を「資源」にするのです。すでにインド、ブラジル、フィリピンなどで臓器や人体組織を買いあさって帝国主義諸国に密輸することが行われています。臓器めあての「ストリートチルドレン」拉致さえあります。国家権力によってこうした子どもたちの大量殺害が発覚しました。日本の研究所は、遺伝研究のためにモンゴルで大量の血液を集めています。
生命操作は、帝国主義の侵略、争闘戦と一体です。
これらはすべて、階級闘争の暴力的抑圧、団結破壊と分断、特に「障害者」差別・抹殺、民族排外主義の激化となり、侵略戦争・帝国主義戦争に国民を総動員する攻撃になります。
有事立法闘争とともに人間の生命操作に対する闘いを貫徹することは、労働者階級人民にとって死活問題です。
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T 優生政策を推進する人クローン規制法(本号)
U 医療、社会保障破壊の現実
V 帝国主義による人体資源化・ゲノム特許戦争と生物兵器開発
--------------------------------------------------------------------- T 優生政策を推進する人クローン規制法
Q 一昨年末に人クローン規制法が成立しましたね。これは何のために作られたのですか。
A この法律は、第一条「目的」の所で、
「人クローン個体及び交雑個体の生成の防止並びにこれらに類する個体の人為による生成の規制を図り、もって社会及び国民生活と調和のとれた科学技術の発展を期する」
と述べていますが、実際には人クローン個体などの生成防止などが目的ではありません。
反対の声が強い人クローン個体や交雑個体の生成を一応禁じることによって、それ以外の人間遺伝子操作を全面的に推進するためのものです。
人胚(ヒトはい、受精後から胎盤形成・着床前までの間の人の生命の初期発生段階)研究や中絶胎児を使った人体実験などを公然と解禁しています。人胚・生殖細胞の人体実験・商用化の徹底した国策的奨励なのです。一応禁止されている人クローン作りにしてからが、その一歩手前まで全面解禁されていて、いつでも人クローンが作れるように準備できるわけです。
この法律のもとで研究される人胚は、体外受精「不妊治療」を受ける女性から提供されることになります。同意を受けると述べられていますが、実際には患者と医師の力関係の下で同意が事実上強制されていくのです。「不妊治療」では、排卵誘発剤を使って、卵子を大量に出させるのであって、女性の体に大きな副作用をもたらします。こうした「不妊治療」の成功率はかなり低いにもかかわらず、あたかもすべて成功するかのように宣伝され、「患者」が集められ、体を痛めつけられて卵子を無償で取られるのです。
また、人胚研究は、出生前診断の強化になるのです。つまり、出生前に「障害者」であるか否かを診断し、「障害者」であれば生まれる前に抹殺してしまおうというものです。「障害者」差別・抹殺の推進です。
この法律は胚性幹細胞(ES細胞)などを使った移植用臓器づくりや新薬開発を進めています。ES細胞は臓器など各組織に分化する以前の大本になる細胞です。分化して臓器などの細胞にしたものは一定の回数しか細胞分裂しませんが、ES細胞は無制限に増殖します。ということは、ES細胞のままで1つでも残ると腫瘍(ガン)化の危険が大きいということです。そして、これは人体実験です。生物兵器の開発、そしてその有効性の検証などにも使われかねない、非常に危険なものです。
Q 出生前診断は、「障害者」抹殺ではないという人がいますが。
A 「障害者」差別反対と言いながら、出生前診断には賛成する人がいることは事実です。しかし、そんなことは現実にはまったく成り立ちません。出生前診断は、「障害者」を「生きる価値のない命」として現実に攻撃しているのです。出生前診断の技術開発は、新たな優生思想の扇動になっています。
Q 優生思想とは、どういうものですか。
A この社会にあるさまざまな問題は、遺伝的に「劣った者」が原因になるのだから、そうした者の繁殖を抑えて、遺伝的に「優れた者」の遺伝的要素を増やして、人間社会全体を改良しようとする思想です。貧困者など社会的に下層にある人民を遺伝的に「劣った者」とし、それが上層=「優れた者」よりも出生率が高いのは「逆淘汰」だとし、それを政策的にひっくりかえして、「人間の進化」を進めることを目標にしています。
Q 現在は、ナチスの経験もあって優生学が批判されているから、もうそんなに危険はないという人もいますが。
A この日本の現実を考えて下さい。ナチスの経験があったはずの戦後に、優生学が徹底的に批判されるどころか、それを基礎にした「優生保護法」ができています(戦中には「国民優生法」があった)。「らい予防法」によって施設に閉じこめられてきたハンセン病患者・元患者に対しても、「障害者」に対しても、優生保護法の規定によって断種が事実上強制的に行われてきました。日帝の政策によって強制された施設のきわめて劣悪な条件は、「生理の時に介護がたいへんになる」という理由での子宮摘出など、強制的な断種政策を促進してきました。これに対する必死の闘いによって、優生保護法が「母体保護法」に変えられたのは、やっと6年前、96年のことです。しかし、これで法律から「優生」の名は削られたものの優生思想は残されています。
「優生学反対」の優生学
現在、優生思想に反対と言いながら、実際には優生政策を推進するというやり方がとられていることを真剣に考える必要があると思います。
53年にDNAの二重ラセン構造を解明した科学者で、90年にアメリカのヒトゲノム計画の最初の責任者になったワトソンという人がいます。高名な研究者であるだけでなく、この世界で大きな政治力をもった人物として知られています。
彼はドイツに出かけたとき、そこでアメリカの優生学運動と「障害者」の強制断種をかなり強烈に批判する立場を明らかにしたうえで、ドイツではナチスの「安楽死」を推進した学者が今も責任を問われずにいる現実を批判したそうです。しかし彼の本を読むと、そういうことで自分は優生学を批判し切っているのだとしつつ、実際には優生学そのものの政策を提言しています。
「遺伝的に障害のある子どもの誕生を防ぐ手段をとるべきかどうかに関しては、考え方に大きな相違がある。多くの人は、子どもの遺伝的運命を意のままにしようとすることに宗教的理由から反対している。ほかの人たちは、ドイツの優生学の暗い過去を思い出して、遺伝学にもとづいた出産の決定に同じくらい強い嫌悪を持っている。……
しかし、われわれの子どもの遺伝的運命をコントロールする能力を手にすることからは、よいことしかあり得ないと私には感じられる。ある家族の生活が遺伝病の恐怖で塗りつぶされるのは、ひどく不公平なことである。……
胎児は生命を追求する絶対的権利を持っていると主張する人がいることを、私は知っている。しかし進化のプロセスは、大人であろうと胎児であろうと、いかなる種類の生命も絶対的権利とは見なしていない」(『DNAへの情熱』ジェームズ・ワトソン287n)
彼は、人間の「進化のプロセス」を基準にしています。そして、「大人も胎児も、生命は絶対的権利ではない」と強調し、事実上、抹殺の論理を展開するのです。これこそ、優生思想そのものではありませんか。
公平に反対論をも紹介するかのように、宗教家の意見などに言及しています。しかし、もっとも核心的な反対論、つまり「障害者」自身の反対論については無視しています。優生学によって抹殺されてきた当事者の主張を無視しているということは、「障害者」を単なる対象としていることです。主体とするには値しないとしていることです。これは「障害者」の存在そのものの抹殺につながる思想です。
「遺伝的に障害のある胎児を中絶するのは、気持ちのいいことではない。しかしそのほうが、不幸な障害を持った赤ん坊が生まれることを許すよりも、比較にならないほど思いやりがある。もちろん、この種の決定をする権利を誰が持つべきかという問題はある。ここで、過去の優生学の教訓は明らかである。この決定に、どれほど明らかに害のない形であっても、政府をかかわらせてはならない。母となる人が、この権利を持つべきである」(同)
゛思いやり″――ヒットラーが「障害者」安楽死の「許可」を出した時に使われた言葉です。「障害者」運動が主体的に出している主張を省みずに、「思いやり」と言うことほどごう慢で残酷なことはないでしょう。
政府ではなく、母親が決定すれば、過去の優生学を克服したことになるでしょうか。現実には、政府と医療機関、医療機関と医師・医療スタッフ、医師・医療スタッフと母親ないし父親の力関係はどうなっているでしょうか。医療機関は、政府の「医療制度改革」によって予算的にまた制度的に締め上げられ、政策的に誘導されています。そして医師・医療スタッフは医療機関に支配され過重労働をしいられています。そして、母親ないし父親は、社会的な力からいっても、専門知識からいっても、医師・医療スタッフに誘導されてしまう危険が大きいでしょう。。また、「障害者」を生み、育てることに対する全社会的な圧力が、こうした選択的中絶論によって高まるということがあります。
結局は、政府の強制・半強制、誘導が貫かれます。
Q 「インフォームド・コンセント」が大切だという人がいますが。
A 本人が何も知らされずに、同意を迫られるのではなくて、十分に医師に説明を受けた上で決定することが重要だという意見ですね。むろん、十分に説明を受ける権利は大切なことです。しかし、説明したから、それで良いだろうというわけにはいかないのです。
今言った政府、医療機関、医師・医療スタッフ、患者という関係、そして全社会的な圧力を考えると、インフォームド・コンセントは、強制・誘導のカムフラージュとして使われている側面が大きいと思います。「障害者」抹殺の社会的圧力を高める手段として、インフォームド・コンセントが使われるということもあります。
ワトソンがいうような「政府が決定に関与しないから良い」論は、締め付け、誘導を通して、優生思想を貫徹して社会的に定着させるものです。だから、帝国主義がもっと激しい危機に陥った時には、むきだしの強制措置に行き着きます。
現在、隠れ優生学者も、また無自覚的に優生学を振りまいている者も数多くいます。それどころか優生学を公然とインターネットなどで宣伝している団体もあります。《人間はもともと遺伝的に不平等なものだ。不平等を社会的運動で変えようというのは間違っている。社会保障に税金をつぎ込むのは無駄であるばかりか、劣悪な遺伝子の淘汰を妨げる。障害者が生まれるのを阻止せよ》という古典的優生学の内容がそのままホームページで主張されています。
われわれは、ナチスによる「障害者」の「安楽死」にいたる過程を、しっかりみすえる必要があります。すでに克服され、過ぎ去ったと考えるのは、とんでもない過小評価です。
プロレタリア革命を否定
Q 優生学はどういうふうにして、ナチスの暴虐にまでいきついたのですか。優生学は、どういう背景で生まれてきたのですか。
A 優生思想には、各国ごとにさまざまなバリエーションがありますから、いちがいにはいえません。しかし共通して言えることは、労働者階級の自己解放闘争が資本主義体制を本格的に脅かしてきたことに支配階級あるいは中間層が危機意識を感じ、それに対抗する運動体を求めたことが背景になっています。
場合によって、この運動の直接的な担い手は、小ブルジョア上層であることもあれば、社会主義運動を日和見主義的に歪曲する労働貴族層であることもあります。しかしそれらは、公然あるいは隠然と、帝国主義の援助を受け、結びついてきました。階級的利害は、帝国主義と一致しているのです。
重要なことは、伝統的な右翼勢力の思想とは違って、社会にさまざまな深刻な問題があることを認めていることです。その上で、それを階級闘争ではなくて、生物学的手段で「解決」します。つまり、改革を主張しながら、階級闘争的解決に反対し、別の方向にすりかえる。遺伝決定論に基づいて。《○○は生まれつき劣っているのだ》という主張を振りまく。つまり、差別・排外主義を扇動する。
こういう意味で、第二インターの社会主義諸政党の中から生まれてきた社会排外主義勢力(社会主義を語りながら、結局は第1次大戦=帝国主義戦争に協力していった勢力)とも共通した要素があります。だから、社会排外主義勢力の多くが優生思想を取り入れたことは不思議ではありません。この面でも、社会排外主義勢力がナチスの伸長を助けたといえます。
歴史的起源から言うと、「優生学」という言葉は、1883年にイギリスのフランシス・ゴールトンが発明しました。しかし、優生学の思想がイギリス社会全体に影響力を持っていくのは、第2次ボーア戦争(1899年〜1902年)がきっかけです。この戦争でイギリス軍は、「ボーア人」=南アフリカのオランダ系移民のゲリラ戦の前に苦戦しました。
「大英帝国軍のだらしなさ」
「ボーア戦争での敗戦の原因は、軍の中に不適者〔進化論的な生存競争の不適者という意味〕が混じっているからだ」
「兵役検査に合格した者にこれほど不適者がいるなら、不合格者にいたっては…」
ということで、国家効率を向上させるべきだ、それには人間の進化が必要だという思想が広がっていきました。
【なお、このボーア戦争は、帝国主義侵略戦争の原型で、レーニンは『帝国主義論』第1章で米西戦争とともにこの戦争をまっさきに挙げています。第9章では、ボーア戦争で大量の死傷者を出し、高額の税を払わされた労働者階級と小ブルジョアの怒りをそらすために帝国主義戦争の必然性を否定する「国際帝国主義」論が作られたことを暴いていまず。】
優生思想の影響力を大きく広げたのがフェビアン協会です。フェビアン協会のシドニー・ウェブらは公然と優生主義者と自称し、「生き残るべき適者を決定するのが政府の主な義務である」と論じました。
フェビアン協会は、イギリス労働党の母体の一つになった組織で、社会主義を自称しています。典型的な改良主義者です。改良主義者もさまざまですが、改良主義の本筋は、《資本主義の改良ができるのだから革命は不要》という思想です。改良に重点があるのではなく、革命否定に重点があります。また、フェビアン協会は、労働者階級自体の闘いよりも小ブルジョア上層のエリート主義を美化するイデオロギーをもった組織です。そして、単なる日和見主義にとどまらず、帝国主義戦争・侵略戦争への積極的協力者になります。「フェビアン帝国主義者」と呼ばれているくらいです。
ドイツではイギリス優生学の輸入から始まりますが、アルフレート・プレッツとビルヘルム・シャルマイヤーが優生学の草分けになります。
プレッツが、ゴールトンの「ユージェニクス」(優生学)という言葉をドイツ流に直した「ラッセンヒュギエーネ」(「人種衛生学」あるいは「民族衛生学」)という用語の生みの親です。
プレッツは大学生時代から「社会問題」に興味を抱くようになりました。「社会問題」という用語は、当時ドイツではやっていた言葉です。マルクスの『ゴータ綱領批判』にも、こんな言葉を綱領に使うなという批判が出てきます。つまり、階級対立・階級闘争として問題をとらえるのではなくて、貧困・病気・犯罪などを、そういうことを起こす当人が悪いとして、あるいは「社会病理」として捉える立場に立った用語なのです。
こういう意味での「社会問題」に興味をもちつつ、プレッツは、「社会主義思想」を学ぶために1885年にスイスのチューリッヒ大学まで留学に出かけています。そこで、ドイツ社会主義労働者党の幹部だったベーベルらと知り合っています。こうして社会主義に接近しつつ、ドイツの国力、対外的競争力を軸に考えるきわめて愛国主義的な人物でした。
この時期は、かなり前からドイツの「社会政策」が行われて、定着していました。社会政策とは、ドイツの労働組合運動、社会主義労働者党の勢力が急激に拡大してきたことに対して、宰相ビスマルクらが、一方では社会主義取締法によって弾圧しつつ、他方で労働者階級にそれなりの社会保障を与え、生活を安定させて、階級対立の激化を緩和しようとして「社会政策」を行い始めたものです。予防反革命であり、また労働者階級の要求への譲歩でもあります。プレッツは、この社会政策に反対しました。健康保険、労災保険、老齢年金などを実施して社会的な弱者を救済すれば、生物学的な「不適応者」が生き残るから進化に逆行する――という理由からです。
もう一人の草分けであるシャルマイヤーもやはり「社会問題」や社会主義運動に関心をもっていました。
一九〇〇年、ドイツの巨大鉄鋼資本・軍需資本クルップ社の社主、フリードリッヒ・クルップが「国内政策の展開や立法のために、進化論からいかなる教訓を学ぶべきか」というテーマで懸賞論文を募集しました。その1等賞に選ばれたのが、シャルマイヤーの「民族の履歴における遺伝と淘汰」です。これが、彼の社会的なデビュー作になったわけです。
クルップとの結びつきは重要です。クルップは、巨大銀行・政府と結合して「金融資本」「独占」の支配を作り出した典型的企業です。『帝国主義論』の第2章「銀行とその新しい役割」、第4章「資本の輸出」などでレーニンはクルップを筆頭に挙げて論じています(岩波文庫版69n、108nなど)。つまりクルップはドイツ帝国主義そのものであって、ドイツ優生学運動は出発点から独帝と結びついて生まれ、拡大していったのです。たしかに運動の直接の人的な担い手は小ブルジョア上層が主で、既成の政治勢力とは一応別系統だったのですが。(ドイツに先駆けてアメリカの優生学運動はインディアナ州〔1907年〕を始め30余の州で断種法を成立させ、6万人以上の「障害者」や刑務所の囚人を強制断種しました。この運動もカーネギーやロックフェラーと結びついています)
プレッツもシャルマイヤーも裕福な出身の医師ですが、自分と同じ社会階層を「遺伝的に優秀」と見なし、その繁殖をはかるとともに、貧困な層や「障害者」「社会問題をおこす者」を「遺伝的に劣る」と見なして繁殖を抑える必要性をとなえました。要するに、自分の階級的偏見を反省するどころか、それを拡大し、科学の装いをもって合理化したわけです。
そしてドイツの社民勢力にも、また極右勢力にも優生学は浸透していきますが、その共通項は、「社会問題」の深刻さを認めつつプロレタリア革命を否定するということでした。
Q そのようにして発生してきたドイツの優生学運動が、その後ナチスと結びついていったのですね。
A いや、優生学運動の主流は、すぐに結びついたわけではないんです。ナチスのやったような安楽死とか、強制断種には反対していた者がけっこう多かったんです。しかし、優生学の基本的な考え方を扇動することによって、ナチスの権力獲得に力を貸し、またその強制断種・安楽死政策の基盤をつくったのです。むろんナチス自身は、最初から優生学をイデオロギー的支柱、党是にしていましたが。
また、社民勢力、労働組合の一部が優生学運動を推進しました。社会主義運動の中からそれを変質させて優生学運動に参加するものがでてきた歴史をしっかりとみる必要があります。これらの経路をとおって、優生思想は、広範な労働者人民にも、そして革命運動にも影響を与えてしまっているのです。
たしかに優生学運動の本質、つまり階級的利害は、帝国主義支配階級と一致しています。しかし、だからといって帝国主義支配階級の自覚的な味方だけが、優生学運動を担ったわけではないし、またその影響を受けたわけではありません。「支配階級の思想が支配的思想」なのであって、この社会のすべての諸階級・諸階層がその影響を受けてしまうのです。
革命運動に決起する健常者も、知らずしらずに優生学的な差別・偏見を植え付けられてきたことを自覚し、自分自身が克服する問題として闘う必要があると思います。
こういう歴史の教訓を考えると、現在、《強制断種や安楽死に反対》《優生学反対》といいながら、出生前診断・選択的中絶を推進して遺伝的な人類の改良をすべきだと主張する人たちのことを軽く考えることはできないのです。人民の警戒心を緩めながら優生学の核心を貫くという悪質な役割をしているのですから。
Q この歴史的教訓は、具体的にはどういう歴史にもとづくものですか。
A 第1次大戦後、当時世界一民主的と言われたワイマール共和国ができました。ここで重要なのは、これが単にドイツ帝国の敗戦の結果として生まれたものではなく、ロシア革命と連続しておこった、ドイツ革命の結果生まれたということです。ドイツで、きわめて大規模で本格的なプロレタリア革命が起こり、帝国主義・資本主義体制が死の寸前まで追いつめられたのです。革命は、社民党の裏切り・敵対と革命党の未熟さのために敗北しますが、労働者階級の闘いのいぶきはけっして壊滅させられたわけではありません。だから、ワイマール共和国とは、プロレタリア革命を強烈に意識した体制であって、「民主主義」だけを一面的に強調することは間違いです。
そのワイマール体制下で、「ドイツ民族質的向上連盟」という優生学団体がありました。これは当時の社会の中では、社会改良をめざす「穏健派」と見られていたのです。そのためもあって社会的に広範な影響力がありました。連盟が発行していた『民族の質的向上』などの雑誌は、医師、教師、牧師などに広く読まれていました。ワイマール政府からも公認され、補助金を受けていたのです。
『民族の質的向上』には、いわゆる優生学者だけではなく、生物学者、動物学者、医学者、人類学者などさまざまな学者が、人口構成とその衰退、衰退の防止、アルコール中毒、性病、結婚、多産などのテーマで寄稿しています。遺伝学の新知識を「人種衛生」的に応用して、人口構成を変えるべきだと主張されました。多産、結婚、母親の役割などが理想化され。個人の自民族への責任感の問題として、「人種衛生」が呼びかけられました。
この雑誌は人種差別に反対といい、安楽死にも反対と主張していたのです。ナチスと同じ形での「障害者」抹殺の扇動は行いませんでした。この勢力が労働者の集会を襲撃したりしたこともありません。ですから、この勢力がいただけでは、ナチスの暴力の前に労働者組織が壊滅させられたような歴史もなかったろうし、そのかぎりで、あれほど凶悪な「障害者」抹殺、ホロコーストはなかっただろうとはいえます。しかしこの雑誌は、人種差別反対、安楽死反対と言いつつ、「人種」、「価値が少ない者」「反社会的な者」などの用語は多用していたのです。
これらは、単なる言葉ではなく、扇動です。
「このような(反社会的な)諸個人はウサギのように繁殖して子孫を作ることが多いことは否定できない。彼ら自身の利益のためにも、またそれ以上に全体の利益のためにも、彼らは生まれないほうが良いであろう」(『民族の質的向上と遺伝学』誌第6号 1926年1月)
「生まれてこなかったほうが良かった」という主張は、たとえ「安楽死には反対」と口で言っていたとしても、実践上は、安楽死推進の扇動に無限に近づいています。
現実にナチスが優生学イデオロギーを党是としていて、それをもって反ユダヤ人・反共産主義の扇動と襲撃を行っている情勢の下では、こうした宣伝は、客観的にはナチスの別働隊としての役割を果たしたといえます。ドイツ民族質的向上連盟が「穏健派」の顔をしていたために警戒心を抱かず、こうした差別・排外主義思想を無批判に受け入れてしまった層もかなり広範にあったのです。
「区別化された福祉」
連盟などの活動によって、20年代の中ごろには、「人種衛生」思想は、ドイツで相当に影響力をもちました。優生学の「穏健派」は、中央党(カトリック系ブルジョア政党、現在のCDU=キリスト教民主同盟の前身)と結びつきました。中央党は、ワイマール時代の全政権の与党です。こうして、国家の福祉システムの中に、優生学思想が貫かれました。
また、この運動には、公務員の労働組合の一部、社会民主党の幹部も参加しています。
最初の国家的な優生措置は、1926年の結婚相談所設置です。「相談所」という無害な名です。後にナチスが実行した強制断種や安楽死を思わせるような強制的な響きはどこにもありません。しかし、結婚についての優生学的観点からのアドバイスによって、差別・抹殺思想を公的な形で国民に定着させようとしたのです。
20年代の経済危機と政治危機の深まり、失業の急増の中で、国家福祉予算をめぐる階級闘争が激烈化してきたことは、今の日本の状況とかなり似ています。こうした中で連盟は、優生学的観点から有効だと見なされる層、つまり「遺伝的に優秀」だと見なされる者に福祉予算を集中する政策――「区別化された福祉」政策――の宣伝を強め、与党内でそれを貫徹していきました。階級的にいえば結局、低所得層に対する予算配分を削減して、上層への配分に回したわけです。
そして20年代末から断種のテーマについての記事・論文の掲載を増やしていきました。「負担になる存在を間引きせよ」として「障害者」及び「反社会的な者」の隔離と断種こそが解決策だという扇動を行うようになっていったのです。
特に重大な問題は、こうした優生学は、帝国主義間争闘戦・民族排外主義をあおりたてたということです。
「人間の質が諸国民間の競争力を決定する」(『優生学』誌第8号1932年2月)
このような全社会的な優生学思想の浸透があってこそ、ナチスの権力獲得からまもなく「遺伝病子孫予防法」が成立し、精神・神経・身体の「病者・障害者」の強制断種が行われる事態が生まれたのです。
ナチ時代に40万人の男女が強制断種され、第2次大戦中に20万人の「障害者」が虐殺されました。
ユダヤ人とロマ・シンティ(いわゆる「ジプシー」)のホロコーストも、この「障害者」抹殺を前提にして、はじめて行われました。
Q ナチスが優生思想を党是にしていたというのは、どういう意味ですか。
A ナチスは、もともとご都合主義的に主張をころころ変える党派です。しかし、その中で貫かれていたのが、優生思想なのです。これは、ナチス思想の単なる一部ではなく、軸だったわけです。人間と社会を生物学、遺伝学の用語で捉え、それをもって差別主義的・排外主義的な扇動を行い、暴力的な襲撃を組織していきました。この点では、ヒットラーが初期に書いた『わが闘争』でも、第2次大戦の後期の言動でも一貫しています。
優生学思想をもとに、「アーリア人種の優秀性」「血の純粋さ」を守る必要性を叫び立て、他民族を「ウジ虫」と呼んで、嫌悪感をあおっていきました。「生きる価値のない生命」という優生学用語も徹底的に利用しました。
ナチスがかきたてたボリシェビキ(共産主義)への憎悪も、「レーニン=ロシア人・スラブ人、マルクス=ユダヤ人は人種衛生学的に劣等だ」という宣伝と一体でかき立てられました。
ナチスから優生学思想を抜き取ったら、党派として成立しないのです。それほど、ナチス・イデオロギーの中軸に優生学があったということです。
Q 現在でもそういう勢力は存在しますね。
A 他の党派を社会的・政治的に批判する代わりに「ウジ虫」とか「青虫」と呼んで感情的嫌悪感を煽り、○○病という医学用語でののしる――カクマルは、そういうことをやっています。ナチス同様、暴力的に襲撃する。そして、「障害者」の政治参加について、価値のないものを集めていると聞くにたえない差別語を使ってののしっています。
こういうファシスト党派が、日帝の国鉄分割・民営化政策と結びつき、JR総連を支配してきました。カクマル中央派から最近分裂したJR総連派カクマルも同じ思想を受け継いでいます。この事実からも、優生思想を過ぎ去ったものとして軽視してはならないことがわかると思います。優生思想は、プロレタリア革命の脅威を受けた帝国主義がしがみつくイデオロギーですから、帝国主義の危機の時代には、形を変えて、たえず復活してくるのです。
Q 優生思想は、人間社会の遺伝的改良を軸にしたイデオロギーですね。帝国主義はなぜそういうイデオロギーに救いを求めるのですか。
A 労働者階級は、資本主義の賃金奴隷制からの根底的な自己解放を求めて闘います。帝国主義は、それをまっこうから否定して破壊する必要がある。
優生思想は、人間の生命を価値あるものと、生きる価値のないものに振り分けます。「生きる価値のない生命」と言うことは、生命自体には価値を認めないということです。生命は、労働力として役立つ限りで価値を認められるわけです。この思想は「障害者」を抹殺するとともに、労働者を人間としてではなく、労働力としてのみ認めるのです。労働者を労働力としての利用価値にのみ切り縮める。労働者を完全に資本家の道具とします。女性は、子を産む道具にされます。そして、一切の問題が、個人個人の遺伝子のせいにされます。貧困があれば、低賃金や失業、社会保障切り捨ての責任ではなく、「労働能力の低い遺伝子」が悪い。ジャンバルジャンがパンを盗めば、社会的な貧困による飢えが問題なのではなく、「犯罪遺伝子」のせい――というふうに。
また、優生学の大元であったイギリスでもドイツでも、また日本でも、これは対外的な国力を増大させるために遺伝的進化が必要だという思想として生まれ、広がったのです。
日本では1936年、つまり2・26事件の年に陸軍省が国民体力の向上をとなえて衛生を管轄する新省の設置を求めたことによってその構想が進められるようになり、38年1月に厚生省が設置されました。その中に予防局優生課が設けられました。
各国とも、優生思想は最初から、戦争における体外対抗であり、愛国主義、民族排外主義であって、同時に国内の階級闘争の否定・歪曲です。だから、戦争切迫の時には特に、帝国主義は優生思想を求めます。
Q 労働者階級が「障害者」とともに優生思想と闘うことは、自分が帝国主義から受けている抑圧をはねのけるために不可欠なのですね。特に反戦のためには。
A 「障害者」が感じている優生思想に対する身に迫る危機感に学ぶ必要があると思います。外側から、この程度ならまだいいんじゃないかなどという人たちがいますが、そういう姿勢をしっかり批判して。
「障害者」自身の解放運動を徹底的に重んじることなくして、どうして「障害者」抹殺の歴史と現状を克服できるのでしょうか。
そして、現在の保安処分法案を絶対に粉砕しましょう。「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律案」は、再犯防止の名の下に、「再犯のおそれ」なる判定不可能なことを勝手に認定して保安施設に無期限に収容できるという恐るべき法律です。
しかも「重大な他害行為」をうたいながら、実際には傷害などの非常に幅広い罪名にも適用されるし、また未遂や、さらには容疑者にさえ適用されてしまうのです。無罪推定などの根本的な刑事裁判の原則も破壊します。
「再犯のおそれは判定可能」を前提とするこの法律には、「障害者」を始めとして、「障害者」医療などにたずさわる労組・職業団体は、自民党支持の看護協会も含めて反対しています。
保安処分法を美化する日共
しかし、そうした諸団体に影響力をもってきた日本共産党が5月30日に声明を出して、この法案に積極的に賛成したことは重大です。声明は、冒頭で、
「重大な罪を犯した精神障害者をどう処遇するかという問題に、国民が切実な関心をよせ、大きな議論の対象となっています。政府もいまの国会に、この問題で新しい制度を創設するための法案を提出しています」
と、自民党政府が国民の切実な要求を代表しているという、日帝美化の立場を明らかにしています。この立場で、法案に賛成しているのです。
「現行制度のもとでは…事実上、『再犯のおそれ』の判断も医師にゆだねられるものとなり、当然、医師の側から『荷が重い』などの批判がよせられてきました」
法案が、あたかも医師側からの要求で作られたかのように、事実をねじ曲げています。
「政府が提出した法案は、これを改善するために、『入院治療』『通院治療』などの加害者の処遇を、裁判官と医師による合議の審判で決定する制度をつくろうとするものです」
政府の法案提出理由を読んでいるのかと錯覚してしまいます。
そして、
「日本共産党は、適正・妥当な処遇決定のために、合議体による『審判制度』を導入することに賛成する」
と言い切っています。「合議体」なるものが、事実上裁判所の独裁であるにも関わらず。
もっともひどいのは、「再犯のおそれの判定は可能」というウソです。
「一部には、゛『再犯のおそれ』の判定は不可能だ″との主張もありますが、…裁判官、医師、精神保健・福祉の専門家による合議体が、病状や本人の犯罪歴、おかれている社会生活状況などを慎重かつ精密に検討するならば、現行制度以上に的確に『再犯のおそれ』を判定することが可能であり、それはまた、市民の『不安』を解消する方策ともなりうるものです」
これまで日共を信じてきた人びとも含めて、これには怒りの声をあげています。
有事立法闘争、国鉄闘争とともに、この闘いをともに闘っていきましょう。
(つづく)
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