●国際情勢
エンロンと共に破産した「規制緩和」「民営化」
401(K)年金制度、侵略・環境破壊に人民の怒り爆発
米帝そのものの破綻
昨年12月、エンロン社が破産法第11条(会社更生法に相当)適用を申請した。
エンロンは、2000年の売上高で全米第7位、世界第16位にランクされている超巨大企業だ。また、ブッシュの大統領選を、最初の段階から支援してきており、正規に届け出された献金額だけでもきわめて巨額で、だんぜんトップになっている。
この破産で、多数の労働者が解雇されただけでなく、401(k)年金がエンロン株で運用されていたために、退職金・老後の資金が吹き飛んでしまった。その一方で、経営陣は株価下落の前に保有株を売り抜け、またストックオプションを行使して、巨額の利益を得ていた。破産法11条申請の直前に経営陣に多額のボーナスを支給していたことも暴露されている。
エンロンは、数百のパートナーシップ(囲み参照)を含む数千の経営体、法人を設立し、それとの取引の形をとって、厖大な債務を隠して、利益を過大に見せて株価をつり上げてきた。また、そうした複雑な会計操作と、カリブ海のタックスヘブンを利用して、最近4年間で税を払ったのは1年だけだった。
エンロンの会計監査を請け負っていた巨大会計事務所、アンダーセンLLPは、このような不正経理を知りながら、それを隠してきた。破綻が明らかになってからは、エンロン関係の大量の帳簿をシュレッダーにかけた。
この会計監査問題が、エンロン破産のもう一つの重大な側面だ。米帝が自国の会計制度を国際会計基準として全世界に押し付け、それを帝国主義間争闘戦の大きなテコにしてきたことが、ここにきて破綻したのだ。
アンダーセンは、国内で1700人のパートナーがいて、84カ国で事業展開し、全世界で約8万5千人を雇用している。巨大会計事務所「ビッグ5」の一つだ。また、他のビッグ5もそうだが、会計監査とともに、コンサルタント部門もある。つまり、一方で企業の不正経理がないかどうか監査して、その証明を出す仕事をしながら、他方では、どうしたら税を払わないですむか、株価や社債の格付けを上げるにはどうしたらよいかをその企業に教えるのだ。互いに利益が相反する業務を行っているわけだ。
複雑きわまる不正経理が行われたのは、アンダーセンの監査が甘かったという水準のものではない。両者が結託した共同作業以外ではありえないのだ。
また、S&Pなどの格付け会社は、破産の直前まで、投資への影響を恐れて格付けを引き下げなかった。しかし、S&Pやフィッチ社のアナリストは、01年3月には、エンロンがどうやって儲けているのか分からないと『フォーチュン』の記者に語っているのであり、エンロンの不正経理に気づいていたことはあきらかだ。
この会計事務所や格付け会社、そして大銀行の行為によって、多くの401(k)年金が損害をこうむり、労働者人民の生活が破壊されている。
以上のようなことが、このかん報道されている。
「史上最大の破産」「ブッシュ政権を揺るがすスキャンダル」といわれている。
たしかに超重大な事態だといえる。だが、それだけの把握では、まだ不十分なのだ。
エンロンの破産は、歴史的没落の危機にあえぐ米帝が、それ以外に延命の道がないものとして選択した80年代のレーガン反革命以来の米帝のあり方の破産なのだ。米企業のあり方、米帝の争闘戦、国内支配体制のあり方そのものの破産だ。
また、エンロンの破産にからむ不正経理問題ひとつとっても、一企業の問題ではなく、米帝の中軸中の中軸である伝統的な金融資本と一体となった問題であることは明白だ。全米第1位の巨大銀行であるシティグループ、第2位のJPモルガン・チェースなどがエンロンに巨額の融資を行いつづけ、一体となって事業展開してきた。だが、数年前のドイツ企業との合併交渉が突如ドイツ側からうち切られた経過からしても、ウォール街では、エンロンの不正経理は誰もが気づいていたことであり、公然の秘密だった。シティグループなどはそれを百も承知でエンロンの株高をあおって利益を上げてきたのだ。
エンロン破産の中に、米帝の断末魔の姿が現れている。尻に火がついたブッシュ政権は、アフガニスタン侵略戦争をさらに世界大的戦争にエスカレートさせ、軍部独裁型治安弾圧に訴える以外に当面の乗り切りさえできない。
エンロンとブッシュ政権は一体
レーガン政権は、29年大恐慌から第2次大戦前後の過程でプロレタリア革命圧殺と引き替えに導入されてきた社会保障制度を解体した。それどころか19世紀以来の労働運動史の全成果をひっくり返すような大攻撃、すなわち労働組合そのものの解体・抹殺を狙う攻撃をかけてきた。
これをリストラ、企業再編過程と結合して行い、これによって企業収益を上昇させ、帝国主義間争闘戦の激烈化の基礎としてきた。
「規制緩和」「民営化」は、こうしたレーガン反革命の労働者階級への凶暴な攻撃であり、帝国主義間争闘戦だ。巨大資本に完全なフリーハンドを与え、一切の労働者保護的な措置を撤廃し、また他帝国主義市場、新植民地体制諸国市場の徹底した市場開放を迫るものだ。
エンロンは、このレーガン反革命以来の米帝のむきだしの凶暴化を最も典型的に体現した企業なのだ。
電気、ガス、水道等の公益部門と呼ばれてきた部門の規制緩和、民営化によって成長してきたのがエンロンなのだ。そして、それを米帝の国家権力と一体になって推進してきたのだ。
《規制緩和・民営化》と《国家権力との一体性》は、言葉の上では矛盾そのものだ。しかし実態上はその逆だ。そもそも、規制緩和・民営化とは、国家権力が国家権力として労働者階級に攻撃をかける政策であり、また国家が国家間の争闘戦を激烈にしかけるためのの政策(生き残りのために不可欠の政策)だからだ。
事実、エンロンは、その経営路線からしても、人的構成からしても国家権力と渾然一体になって形成され、成長してきたのだ。特に、ブッシュ政権とはぴったり重なっている。
ブッシュとレイ
エンロンのCEO(最高経営責任者)であったケネス・レイとブッシュとの関係は、エンロン社が創設される以前、ブッシュ側から言えば、彼が政界に進出する以前から続いてきた。
レイは、国防省でベトナム戦争を担った経歴の持ち主だ。そのつながりを最大限に利用して、軍関係の受注に強みを発揮してきたことにレイの経営の特徴がある。エンロンはエネルギー関係企業として出発したが、同時に軍との有利な取引で利益を上げてきた企業であり、また米軍の世界支配をテコにして、市場価格以上の条件で海外取引して超過利潤を得てきた企業なのだ。
現大統領G・W・ブッシュの父親G・H・W・ブッシュが石油会社の経営者だったころから、父ブッシュとレイは親密だった。そして息子ブッシュ自身とも単なる父親を通してのつきあいではなく、少なくとも85年からは直接に密接な関係があった。
85年5月、ヒューストン天然ガス社(HNG)とインターノース社が合併し、HNG/インターノース社が誕生した。これがエンロン社の始まりだ。G・W・ブッシュは「スペクトラム7」という石油会社を所有し経営していたが、すでにこのヒューストン天然ガスとインターノースの合併前から油田掘削などの事業を共同で行っていたという記録がある。
86年、スペクトラム7が経営危機に陥り、大エネルギー企業であるハーケン・エネルギー社の百%持株子会社となった。G・W・ブッシュは、事実上破綻した企業の対価としては異例に巨額のハーケン株式を譲渡され、ハーケンの取締役会に入った。
この吸収合併交渉が進められている時期に、「エンロン石油・ガス社(エンロンの子会社)は、天然ガスを1日に2400立方フィート、石油を411バレル産出するガス・油田を掘り当て、その利権の10%は、スペクトラム7が所有している」と発表した。この発表によって、吸収合併交渉がブッシュにとって格段に有利に進められたわけだ。
88年、今度はエンロンがG・W・ブッシュの支援で南米で巨大な利権を入手する。
当時、アルゼンチンのアルフォンシン政権は、チリまで延びる天然ガス・パイプラインの建設を考えていた。その担当大臣が、ロドルフォ・テラノ公共事業サービス相だった。その巨大プロジェクトにはエンロンを含むいくつかの米企業が関心を示していた。テラノが後に暴露したことによれば、エンロンの現地代表はとんでもない契約条件を提示してきた。その案では、エンロンは、アルゼンチン国有天然ガス会社から極端に安い価格でガスを買うことになっていた。しかも、エンロンの企画書は、たったの半ページだった。テラノは、そんな提案はまじめにとりあうに値しないという態度をとったという。
その直後、当時まったく知らなかったG・W・ブッシュがテラノに突然電話してきた。ブッシュは、副大統領の息子だと名のり、エンロンとの契約を結ぶことを強く望んでいると言った。その後もテラノはブッシュから強い圧力を受け続けたが、契約締結の要求には応じなかった。
しかし翌年、アルゼンチンの政権が代わると、パイプライン計画は、採算性の検討もされないままに一挙に進められてしまった。その過程で、ブッシュとその父、兄弟が総がかりで何度もアルゼンチンの新政権にアプローチしている。
91年に父ブッシュ政権が行った湾岸戦争は、エンロン急成長の転機となった。
湾岸戦争で爆撃されたクウェートのシュアイバ発電所の再建の入札で、エンロンが提示した条件は、キロワット当たり11セントで供給するというものだったが、ドイツの企業は6セントを提示した。だが、この大きな価格差にもかかわらずエンロンが落札した。父ブッシュ政権時のベーカー国務長官がエンロンのコンサルタントとして雇われてクウェートを訪問したことが、この決定に大きな影響を及ぼした。またブッシュ自身もクウェートを訪問している。
戦争による圧力とこうした外交的圧力によって、エンロンは巨額の超過利潤を得たのだ。同様のエンロン利権の拡大は、この湾岸戦争で他帝国主義を圧倒した力関係の中で、インドやフィリピンなどでも次々に行われていった。
エンロンのCEO、ケネス・レイは、父ブッシュとも、その息子たちとも一体になってビジネスを進めてきたのだ。特に、会社経営が苦手だったG・W・ブッシュに対して頻繁にレイが救いの手をさしのべ、G・W・ブッシュは父の政治的影響力を利用してエンロンの利益をはかるという関係がずっとつづいてきたのだ。G・W・ブッシュはレイを「ケニー・ボーイ」と愛称で呼んできた。
国防長官→ハリバートンCEO→副大統領となったチェイニー
副大統領チェイニーは、父ブッシュ政権の国防長官だったが、95年にテキサスのハリバートン社に入った。ハリバートンは1919年創業のしにせの油田関連サービス企業であり、世界中で10万人の社員を擁するこの業界では世界最大の企業だ。特にテキサス州ヒューストンでは最大の雇用数をほこり、州内での発言権はきわめて強い。チェイニーは、ハリバートンの会長兼最高経営責任者として、吸収合併を積極的に推進して会社を急成長させるなど、辣腕をふるったと言われる。
だが、ハリバートンの成長は、単なる彼の経営手腕のたまものではない。チェイニーは、湾岸戦争時の国防長官であり、イラクとクウェートの破壊の最高責任者だ。この破壊の後で、クウェートの油田等の片づけと再建を受注したのが、ハリバートン社なのだ。
また、彼は国防長官時代に国防省・軍の人員を220万人から170万人に大幅に削減し、業務の民間委託を推進した。「アウトソーシング」の手法を徹底的に採用したのだ。軍関係の建設工事は、ハリバートンなどが請け負うことになった。93年のソマリア侵略戦争では、ハリバートンが1億jの兵站業務を請け負っている。94年ハイチ、95年ボスニア、99年アルバニアでも同様な受注が行われた。現在ハリバートン社は、海上油田建設の技術が利用できる浮体基地計画を推進している。
大きな建設部門をもっているハリバートンは、パイプライン建設などを通じて、ふるくからエンロンと強い結びつきがあった。また、民営化、規制緩和を共に推進して利益を上げてきた。
チェイニーは、ハリバートンCEOから副大統領になって、何をしているか。
ニクソン政権時代からのチェイニーの盟友ラムズフェルドは、01年版QDR(4年毎の戦略見直し、本誌前号翻訳資料)で、さらに国防省・軍のアウトソーシングを推進することをうたっている。また、チェイニー自身は、01年にエンロン経営陣とエネルギー問題を少なくとも4回話し合った。他のスタッフとの接触はさらに多い。他のエネルギー関連会社でこれほど頻繁に副大統領と接触できた所はない。
ホワイト陸軍省長官はエンロン取締役
ホワイトはエンロンの経営者だった。エンロンの取締役、「エンロン・オペレーション社」(エンロンの子会社)の最高経営責任者などだ。98年から01年5月に陸軍省長官に任命されるまで「エンロン・エネルギー・サービス」(同)の副会長だった。
ホワイトは、昨年1年間だけで、550万jの給与とボーナスを受け取り、退職時に持っていたストックオプションは5千万j相当、そして各々約5百万j以上する邸宅をフロリダ州とコロラド州に所有している。
議会の聴聞会で、彼は、就任後もエンロン経営陣と何度も電話で話していると認めている。
ラムズフェルドやパウエルともエンロン破産の「個人的影響について話した」という。
ゼーリック通商代表は エンロンのコンサルタント
ゼーリックは、入閣前までエンロンにコンサルタントとして雇われていた。また、1万5千〜5万jのエンロン株を所有していた。
米通商代表部は、対外的に、規制緩和、市場開放を要求することを任務としている。規制緩和とともに成長してきたエンロンとまったく一体の仕事なのだ。
第5節 大統領主席経済顧問ロー レンス・リンゼイはエン ロン取締役
エンロンの取締役だったリンゼイは、01年10月、エンロン破綻の経済的影響についてのホワイトハウスの検討作業チームのトップとなった。リンゼイがこの作業チームを率いたために、エンロンが破産宣言する直前まで、楽観的見通しを示し続けた。それは、会計事務所、格付け会社の行ったことと同一のことであり、経営陣の株売り抜けを助けるとともに、労働者人民には莫大な損害を与えたのだ。
リンゼイは、ブッシュ政権の金持ち減税政策の主導者でもある。
大統領政治顧問ローブは 最大のエンロン株所有者
ローブは、ホワイトハウスのスタッフの中で、最大のエンロン株所有者とみられる(10万〜25万j相当)。就任にともなって、規定により、エンロン株を売却することを要求された。
ホワイトハウスは、ローブがブッシュ政権のエネルギー政策の形成に関わってきたことを認めているが、これが、「利害の衝突」(利益相反)にはあたらないとしている。
ローブは、ブッシュの大統領予備選(共和党内での選挙)の選対本部長だった。彼は、クリスチャン・コアリション(キリスト教原理主義団体)の元幹事長ラルフ・リードをエンロンに紹介し、エンロンは彼をコンサルタントとして雇った。こうして、リードのブッシュ支持を確保したのだ。
そのほか、エンロンの業務分野を監督、捜査する立場にある部署は、ことごとくエンロンに有利な人事配置が行われている。不正取引全般を捜査する立場にある司法長官アシュクロフトは、選挙資金として、エンロン社と社内の個人から5万7千jの献金を受けていた。また、証券取引関連では強力な捜査権限を持つSEC(証券取引委員会)のトップに任命されたハービー・ピットは弁護士であり、アンダーセンはその弁護士業務の大顧客だ。また、エネルギー部門の監督当局であるFERC(連邦エネルギー規制委員会)は、すでに90年代にエンロンのロビー活動を受けて、電力の州際取り引きの届け出義務を免除していたし、またエンロンのわずかの届け出書類さえまともに調査していなかったことが明らかになっている。そのうえ、現在のFERC委員長ウッドは、ブッシュのテキサス州時代のエネルギー規制当局者だ。ウッドのFERCへの任命は、エンロンの推挙による。
以上を含め、ブッシュ政権高官のうち、少なくとも35人がエンロン株を所有していた。
そして、議会勢力としても、ブッシュはエンロンと一体で勢力を築いてきた。
グラム夫妻とテキサス共和党
G・W・ブッシュがテキサス州知事になり、さらに共和党内の大統領候補として勝ち抜いていくためには、特にテキサス州選出の上院議員、フィル・グラムがブッシュ支持にまわり、また全国共和党に強力に働きかけたことがものをいった。フィル・グラムは、彼自身が共和党大統領候補の一人とされた有力議員だ。
フィル・グラムの妻、ウェンディ・グラムは父ブッシュ政権の時、商品先物取引委員会の委員長に任命された。彼女は、他の委員の躊躇を押し切って、強引に規制緩和プランを作っていった。
商品先物取引とは、現在の先物取引の時点で合意された価格で、将来の決められた時点で、その当該商品を販売する、あるいは購入する取引だ。商品の現物が手元になくても、将来の時点でその商品を入手できると想定して先物を売ることができる。たとえば、農民から大豆を買い上げて卸売りをする食糧商社は、収穫期前の時期に、その年の天候等を考慮して大豆の収穫量や需要量、仕入れ価格、卸売り価格相場を予測して、大豆先物を売ることができるし、大豆油製造業者は同様にして大豆先物を買うことができる。こうした取引の存在理由は、ある商品を商売上どうしても必要とする業者が、安定的に商品を仕入れることができること、そしてなによりも、商品価格の変動のリスクを常に負っているから、そのリスクを逆方向の先物取引によって相殺できることとされている。現物売買と先物売買を組み合わせて、いわゆる「リスクヘッジ」をするわけだ。
だが現実には、リスクヘッジのためでなく、将来の商品価格の変動の予測に賭けて、投機的な利益を上げるために先物取引が使われている。ギャンブル同然になる。それが野放しになると、契約不履行、連鎖倒産がまんえんしてしまう。
したがって、先物取引市場にはさまざまなルールがもうけられ、厳重な監視を行うのが常識とされてきた。
ところが、ウェンディ・グラムは、この先物取引に規制緩和を持ち込んだのだ。しかも、ガス・電力など、どの国でも従来から「公共料金」として扱われて、規制の対象となってきたものを、先物取引の規制・監視の対象から除外したのだ。CFTCがこうしたエネルギー取引の規制除外を決定したのは、父ブッシュ政権からクリントン政権への交代の直前、93年のことだった。
彼女は、CFTC委員長を辞任すると直ちにエンロンの取締役になり、監査を担当した。会計監査をするふりをして不正経理を隠蔽する仕事を、彼女はみごとに演じていった。
エンロンはフィル・グラムの上院議員選挙資金の最大の献金者でもある。フィル・グラムは議会の場で、規制緩和法案の提案と審議に積極的な役割をはたしていった。
もともと先物取引は、実物商品を主な対象にしたものだったが、近年は為替レートなどの金融商品が圧倒的な主要対象になってきて、ますます投機性が高まっている。CFTCの規制緩和は、現在の度はずれた投機的先物取引に道を開いたのだ。
特に、99年にエンロンが開設したインターネット取引所は、こうした規制緩和によってはじめて可能になったものだ。この取引所は、ネット上で電力・金融商品・通信容量から天候変動等々まで多種多様の商品、先物、デリバティブ(金融派生商品)を扱うものだ。このエンロンのネット取引所は、1日に約5千件、売買高約30億jで世界最大の電子商取引所となった。
これが世界最大のeコマース(電子商取引)としてもてはやされ、エンロン株は2000年8月には90j台まで急騰した(85年の株価は5j台、99年末40j台)。エンロン経営陣は、ストックオプションの行使などで巨万の利益を獲得した。
デリバティブの規制緩和
CFTCだけの問題ではないが、デリバティブ(金融派生商品)の規制緩和もエンロンにとって重要な活動領域になっていた。
デリバティブは、コンピュータを使ってさまざまな金融商品の価格変動を予測して組合せ、もっとも収益を上げる確率が高い資金運用方法を提供することをうたっているが、実際には、先物取引の指数をさらに先物取引すること等を多用しており、価格変動幅を増幅する作用が大きい。つまり、投機性、ギャンブル性があまりにも高くて、きわめて危険なのだ。
これまで何度もデリバティブの危険性が問題になり、米議会内でも、規制強化のための立法をすべきだという声もあがってきた。94年のP&G社がバンカーズトラストを1億jのデリバティブ損失で提訴した時。また、同年カリフォルニアのオレンジ郡が15億jの損失を被った時。また、98年に、ロングターム・キャピタル・マネージメントというヘッジファンドが40億jの損失で実質破綻した時などだ。
しかし、金融業界とともにエンロンが強力に規制に反対したために規制強化はそのたびに見送られた。むしろ2000年には、「商品先物近代化法」が成立して、デリバティブの規制緩和がいっそう推進されたのだ。
もちろん、これは先に述べたエンロンのインターネット取引所の急成長に大きなインパクトを与えた。
カリフォルニア電力危機
エネルギー取引の規制緩和・民営化は、競争によって価格が下がり、消費者の利益になるという触れ込みで導入されたが、実際は、逆だった。
カリフォルニアの電力卸売価格は、規制緩和・民営化の導入以後、急激に高騰し、はては地域ごとにローテーションを組んで停電させることが必要になるほどの電力不足を招いた。
カリフォルニア州の中でも、ロサンゼルス地区やサクラメント地区などのように市や郡が発電所・送電施設を所有しつづけた地域では、電力料金は高騰せず、停電も起こらなかった。
エンロンを先頭にした民間業者が電力を投機の手段にしたために、価格は高騰し、電力不足におちいったのだ。
市場原理主義なるものが、ウソ八百にすぎないことは、カリフォルニアの例をみるだけで明らかなのだ。市場原理主義のイデオローグは、「価格が上がれば供給が増えて、結局は価格が下がるから一時的価格上昇は問題ではない」と論じる。だが、特に電力事業のような巨大な設備投資を要する部門、あるいは穀物のように次の収穫期までは生産量を増やすことはできない部門等々では、「価格が上がれば供給量は増える」というのは空論だ。むしろ、供給を絞ることによって価格をつり上げ、それによって企業が暴利を得ることが可能になる。野放図な自由売買の結果は、画に描いたような自由競争価格になるのではなく、むしろ独占価格、寡占価格になるのだ。
インド、ボリビア人民を襲撃
92年、エンロンはムンバイの南160`の所で発電所を建設する契約をインドのマハラシュトラ州政府との間で締結した。敷地面積600f、出力2015メガワット、総額28億jのプロジェクトだ。単一の外資投資としては、インドで最大だ。
地元の村民、漁民は、広大な土地の収用、稀少な真水の大量使用や汚染などの環境破壊に反対して強力な反対運動をしてきたために建設開始は遅れたが、95年に着工を強行した。
インドの人権団体や国際アムネスティーの報告によると、プロジェクト用地に駐屯している警棒を持った警察と特別予備警察が、デモ隊の女性の髪の毛をつかんで、待ちかまえていた警察車両に引きずり込んだ。デモ隊の多くの女性が手荒く扱われた。彼女らの服は引き裂かれた。
地元の警察は97年6月早朝、ベルドゥル村を襲った。漁村なので大部分の男性は漁に出ていて、残っていたのは女性が多かった。スガンダ・バスデブ・バレカルさん(24歳の主婦)は、この襲撃・逮捕の当時妊娠3カ月だった。
「私が入浴していた時は、午前5時頃でした。警棒を手に持った数人の男の警官が家の中に強行突入し、眠っていた私の家族を殴打し始めました。…私は恐くなり、風呂場の中から彼らに、私は入浴中だから服を着てから出ていくと言いました。婦人警官を呼ぶように頼み、彼らには、ドアの所で待つように頼みました。しかし、私の頼みはまったく聞かず、警官たちはドアを強引に開け、私を家から引きずり出して、路上の警察車両に押し込みました。警官たちは、警棒で私の背中を殴打し続けました。……1歳半の娘は私にしがみつきましたが、警察は娘を蹴って引き離しました」
26人の女性が逮捕され、うち25人が14平方bの部屋に入れられた。
エンロンは、発電所の建設用地内に警官隊を常駐させ、抗議運動を暴力的に襲撃させた。しかも、その警官隊にはエンロン社の現地法人から金が支払われていた。
ダボール発電所計画と呼ばれるこの巨大プロジェクトは、現地の電力需要など無視して強引に進められたもので、父ブッシュ政権に任命された駐インド米大使のインド政府に対する恫喝・圧力と州政府や警察への買収工作によって実現した。父ブッシュ政権・クリントン政権を通じて、米輸出入銀行・海外民間投資公社からの融資が4億jもそそぎ込まれた。
契約条件は為替相場の変動や燃料価格の上昇などのリスクをすべてインド側が負う規定になっていた。それらのリスクを除外したとしてもインドが買い入れる電力価格は通常の2倍にもなる。米帝ブルジョアジーを代表する経済誌『ビジネスウィーク』(01年1月8日号)でさえ、00年に操業開始した第1期工事分の電気料金は、為替変動を入れると相場の4倍だと報道している。
エンロンは、同様のことを世界各地で行っている。
特に、アゼルバイジャンなどカスピ海周辺、中央アジアで、ユノカルなどともにパイプライン計画を進めている。米帝の軍事外交政策と一体になって、きわめて強権的かつ不正腐敗にまみれて行われてきたのだ。
パナマ、グアテマラ、ジャマイカ、コロンビア、ブラジルでもそうだ。特に中南米諸国では、SOA(スクール・オブ・アメリカズ、拷問マニュアルを含む強権的治安弾圧の手法を教えている)などの米帝の反革命機関の出身者を手先として使いながら、人民の反対運動を襲撃しつつ利権を獲得している。
ボリビアでは、パイプライン建設で森林環境と住民の生活を破壊している。そのうえ、00年5月31日にはパイプラインから原油が大量流出し127の町村の飲料水・灌漑用水が汚染されるなど深刻な環境破壊を引き起こしている。エンロンは、わずかばかりの金銭補償は約束したものの、用水の確保と農地の原状回復は拒否した。
6月15日農民は、死んだ羊をオルロ市に持っていき、汚染の深刻さを訴えた。米帝・エンロンの手先、バンセル政権は、警察にデモ隊を襲撃させたが、農民は、石・棒・死んだ羊の胎児を投げて反撃し、さらにエンロンの現地事務所を投石や火炎瓶で破壊した。
現在もボリビアでは、この補償・原状回復を要求する農民の闘いをはじめとして、米帝の新植民地主義支配体制を打倒する内乱的闘いがますます燃えさかっている。
腐りきった帝国主義は打倒するしかない
エンロンは、米帝の国内階級支配、帝国主義間争闘戦・世界の再分割戦の決定的な軸になってきた「規制緩和」「民営化」「構造調整政策」を先頭になって推進してきた。レーガン反革命以来の「市場原理志向の改革」「新自由主義」をもっともよく体現した企業だ。『フォーチュン』などの経済誌ではいつも「ベスト・カンパニー」「超優良企業」として紹介されてきた。あらゆるビジネススクールで、エンロンのビジネスモデルが教えられてきた。
エンロンは、アルゼンチン、インド、フィリピン、ボリビア、モザンビークなどの被抑圧民族を暴力的に弾圧し、収奪することで成長してきた。
特に、ユノカル社などと並んで中央アジアの石油・天然ガス資源争奪戦・パイプライン利権争奪戦の最先頭にいた。
この間のブッシュ政権のユニラテラリズム(一方的外交)の一つの軸になってきた地球温暖化防止の京都議定書の拒否も、環境問題での規制などとんでもないというエンロンの徹底した規制緩和路線がその大きな動力になっていた。
また、このかん激しく行われてきたWTOのサービス部門市場開放交渉で金融・保険と並んで、きわめて大きな比重で会計業務や法律業務が取り上げられてきたが、その大きな動力となってきたのが、アンダーセンを始めとする巨大会計事務所の海外市場のいっそうの獲得の要求だった。またこれは、アメリカの会計システムを全世界の基準とすることによって、自己のビジネスモデルに都合良く全世界のビジネス界を再編しようとするエンロンを始めとする企業の要求でもある。
エンロンの企業活動が米帝の帝国主義間争闘戦を担ってきたのであり、また米帝の帝国主義間争闘戦によってエンロンは市場を獲得し暴利をあげて急成長をとげてきた。
また、シティグループ、JPモルガン・チェースを始めとする伝統的なアメリカ帝国主義の本流がエンロンと一体になって事業を行ってきた。
エンロン問題は、決して一企業の度はずれた投機などの「行きすぎ」の問題ではない。そうした投機や経理上の不正腐敗は、凶暴な帝国主義間争闘戦・市場再分割戦と不可分一体のものだ。
エンロンは米帝の本体そのものであり、したがって米帝ブッシュ政権は全力をつくしてエンロン破綻を回避しようとしたが、にもかかわらず出来なかった。01年9月末現在で、金融と農業を除く米国法人企業部門の債務残高は、4兆9036億j、同部門の産出額に対する債務の比率は、63・9%にのぼっている。これは、すでにエンロン並の巨大倒産が次々に発生する状態になっているということであり、もはや米帝にはエンロンを救う力は残っていなかったのだ。この事態は、全米・全世界に米帝経済危機・世界大恐慌危機の深刻さ、米帝支配体制の没落と崩壊的危機を告げ知らせている。
アメリカの労働者階級人民は、この過程で怒りと憎悪をつのらせている。一方で経営陣はエンロンの粉飾会計が漏れて株価が急落する直前に株を高値で売り抜けて大儲けし、他方でエンロン労働者は、突然に解雇され、そのうえ401(k)年金などを最後まで強制的にエンロン株で運用させられて、老後資金・退職金が紙くずになってしまった。労働者は、最後まで株の売却も禁止されているのだ。エンロン社以外の労働者の年金基金もエンロン株、社債で運用されていたものが多く、多数の労働者が被害にあっている。そもそも401(k)そのものが、資本の矛盾を一方的に労働者に犠牲転嫁する制度だ。また、小ブルジョアにも大きな損失がしわ寄せされ、かつてない広範な層に怒りが充満している。
ジャーナリスト、アナリスト、会計監査事務所がエンロンから金を受け取って、エンロンを超優良企業ともてはやしてきた実態も暴露されている。だまされ、生活を破壊され脅かされた労働者人民の怒りのまえに、米帝の階級支配は、かつてない危機に陥っている。いままで組合がなかったエンロン社の労働者が組織化されつつあることを始めとして、広範な労働者人民が新たな闘いに決起しつつある。
アメリカ労働者階級のもっとも戦闘的な部分は、年金・退職金の権利を奪還する闘いと、エンロンの侵略企業としての悪逆さの暴露を結びつけて闘っている。
9・11情勢下でおこったエンロン破産は、米帝の威信を失墜させるいまひとつの歴史的大打撃だ。エンロン破産はブッシュ政権を根底から覆す破壊力をもっている。とてつもない大戦争に突入する以外には、もはや政権はもたない。米帝の世界戦争への突進が、エンロン破産によって、一段と拍車をかけられているのだ。
帝国主義の腐敗・腐朽性はきわまっている。革命への客観的条件は熟しに熟している。
全米・全世界の労働者階級・被抑圧民族と団結し、米帝打倒、反帝国主義・反スターリン主義世界革命に決起しよう。革命党の強固な非合法・非公然体制で帝国主義の治安弾圧体制をはねかえし、圧倒的多数の労働者階級人民の団結を組織して一斉武装蜂起へと進撃しよう。
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