翻訳資料
「危険な諸階層」を投獄するアメリカ合州国
富津裕訳
【解説】
この資料は、組織的犯罪対策三法案反対闘争|第三次安保・沖縄闘争の武器にしてほしい。これは昨年十一月号の『アメリカ政府による盗聴の方法と実態』、今年四月号の『ドイツ改憲=盗聴拡大で出版の自由を圧殺』とともに、日帝がモデルにしている弾圧法規・弾圧体制そして社会全体の再編の実像を暴くものである。
ますます深まる危機にあえぐ日帝は、特に米帝との帝国主義間争闘戦、朝鮮侵略戦争を戦っていくために、米帝や独帝から必死に学び、追いつこうとしているのである。
今回の資料は、アメリカの監獄の桁違いの増大という現実を暴いている。そして、それが七四|五
年恐慌以来の米帝の階級支配の凶暴化、特にレーガン政権登場以来のいわゆる「新自由主義」政策と不可分一体のものだと明らかにしている。
われわれは、この資料から次のことを知ることができる。
第一に、日帝が適用してきている米帝式の労組解体攻撃、規制緩和・行革、社会保障解体、労働力「柔軟化」の攻撃が貫徹されてしまったら、行き着く先は、監獄肥大化|監獄国家だということである。本資料で描かれている一般囚の増大の面でも、政治犯の増大という面でもそうである。絶対に、現在の日帝の攻撃は粉砕しなければならない。
第二に、『清水丈夫選集第九巻』の序文で鮮やかに暴露されているように、ブルジョア・マスコミが賛美する゛好調な米国経済”なるものは崩壊不可避であるが、それはこの監獄国家の実態と一体の関係にあるということである。ベトナム侵略戦争以来のアメリカ社会のすさまじい破綻は解消しないどころか、ますます深刻化している。現在の米帝は、それを監獄の肥大化で取り繕いつつ、世界史上例のない極限的な矛盾を蓄積しているのである。
第三に、米帝経済のバブル崩壊は、「バブル崩壊」の言葉からは想像もできない破局的打撃になるということである。それは、帝国主義世界経済を二九年大恐慌を超える危機にたたきこみ決定的に分裂化・ブロック化させる。また、無理に無理を重ねてきたアメリカ社会への巨大な打撃となる。この面からも米帝と世界は一気に大激動に突入する。
帝国主義間争闘戦・侵略戦争が爆発的に激化する。侵略戦争・第三次世界大戦を阻止する道は、反帝国主義・反スターリン主義世界革命しかない。
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【「危険な諸階層」を投獄するアメリカ合州国】
あの戦後のうるわしき時代と同じように、ヨーロッパの「意思決定者」たちは米国に魅了されている。これは基本的に米国の経済指標の高さが原因である。
アメリカの繁栄のカギ、そして大量失業者のはけ口は、きわめて単純なこと、つまり「小さな国家」ということである。米を筆頭に、英、ニュージーランドは社会保障費を大幅削減し、雇用の規制を緩和し、特にいわゆる「柔軟な」労働力を乱用してコストを引き下げた。福祉国家を絞め殺す新自由主義派は、この「柔軟化」がいかに富の生産と雇用創出を刺激したかを力説する。しかし彼らが軽視している、この労働力ダンピングの政治的結果こそ大問題なのである。社会的・肉体的な危険性のまん延、貧富の格差のすさまじい拡大、犯罪、公的施設の荒廃といった問題である。
それだけではない。社会保障の欠乏をとりつくろうために、警察と監獄がますます肥大している。
市町村、州、連邦の三つのレベルの監獄に入れられた人数の増加は衝撃的である。六〇年代には、米国の囚人数は年率約一%の減少をつづけ、一九七五年には三八万人にまで下がった。しかしこの傾向は突然逆転して急上昇し、一九八五年には七四万人、九五年には一六〇万人となった。九〇年代は年率八%の増加である。
これは、十五年間で三倍のペースである。こんな現象は、民主主義社会では歴史上類例がない。九七年の米国の住民十万人当たり六百四十五人が投獄されているという数字は、米国自身の七三年の数字の五倍であるばかりか、EU諸国の九七年の数字と比べても六倍〜十倍である。あのアパルトヘイト体制当時の南アフリカさえ現在の米国より囚人率が少なかった。
●五百四十万人に刑罰
だがこの膨大な獄中人口さえ、アメリカ刑罰帝国の膨張を正確に示すものではない。一つには、この他に、保護観察(プロベーション)や仮釈放(パロウル)がある。刑務所の拡大が受刑者数に追いつかないためにこうした処分を受けているのである。これらの人数は十六年間で四倍化し、塀の中の人数の増加より速い。九五年には、三百十万人が保護観察、七十万人が仮釈放である。つまり五百四十万人がこうした監視下にあり、これは十八歳以上の米国人の約五%に当たる。黒人では、十八歳以上人口の五人に一人である。
あと一つには、「中間的」といわれる刑、たとえば在宅出頭処分や訓練施設(ブート・キャンプ)がある。電話や電子通信装置(腕輪や他の技術装置による)を使って、濃密な査定と監視が行われる。犯罪情報のデータバンクの拡充や遠隔管理の手段・遠隔管理センターの設置で、こういうことが可能になったのである。七〇〜八〇年代に、犯罪取締り担当の連邦行政当局と州の警察、裁判所、刑務行政当局が集中データバンクを作り、以後それが拡大されてきた。
゛逮捕”担当当局と刑務゛観察”担当当局の新たな協働の結果、現在の「犯罪者カード」は五千万枚以上にのぼり(十年前は三千五百万枚)、約三千万人が登録されている。米国の成人男性人口の約三分の一だ! このデータバンクには、FBIやINS(外事警察)などや社会保障当局だけでなく、個人や民間組織もアクセスしている。このデータは、受刑歴のある求職者を排除するために多くの雇用者が利用している。このデータには誤りも多く、時効になったものや、微罪も含まれているが、意に介されない。このデータの流通によって、犯罪者だけでなく単なる容疑者も、そしてその家族や友人、隣人、その居住地域さえも警察や刑務当局の監視下に置かれることになる。
こうして、連邦および地方の刑務部門は劇的に膨張していった。公共部門の予算が欠乏している時代であるだけに、この傾向はきわめて突出している。一九七九年〜九〇年に、州の刑務所関係の歳出は、運営費が三二五%、建設費が六一二%増加した。レーガン|ブッシュ政権下で特例的優遇を受けてきた連邦軍事費と比べても三倍の増加率である。すでに九二年にカリフォルニア(三十二億j)、ニューヨーク(二十一億j)、テキサス(十三億j)、フロリダ(十一億j)と、四つの州が十億j以上を刑務所に支出している。九三年には、米国全体で裁判所関係支出(二百十億j)の一・五倍を刑務所に支出した(三百二十億j)。十年前は、ほぼ同額だった(約七十億j)。
この刑務部門膨張政策は、共和党だけのものではない。この五年間クリントン大統領は「大きな政府」の時代を終わらせた実績を誇ってきた。ゴア副大統領指揮下の連邦国家改革委員会は、公共事業と政府雇用の削減に没頭しつつ、二百十三の刑務所を新たに建設した。この数には、急増した私営刑務所の数は含まれない(次頁囲み)。この期間に、連邦・地方の刑務所職員数は二十六万四千人から三十四万七千人に増大した。統計局によれば、この十年間、看守の養成と雇用は、全政府業務のなかでもっとも急速に拡大した。
財政窮乏の折りから、刑務所の予算と職員の増大は社会給付や保健、教育支出を削らなければ不可能である。米国は、貧困者のために診療所・保育所・学校ではなく、拘置所と刑務所を建てることを選択したのである。カリフォルニア州刑務局(一年以上の刑の囚人を担当)予算は、九四年以来、カリフォルニア大学予算を上回っている。ウィリアム知事が九五年に提案した予算案では、高等教育の職員を約千人削減して浮かせた金で看守を三千人増やしている。
●警察による差別
九五年には、二千二百万人の黒
人成人のうち、七十六万七千人が投獄され、九十九万九千人が保護観察処分を受け、三十二万五千人が他の在宅処分を受けている。合計九・四%が刑を受けていることになる。白人の場合は、一億六千三百万人の成人人口のうち、多く見積もっても一・九%である。黒人社会と白人社会の受刑者の比率は、七・五倍もの差がある。この差は、ますます拡大している(表参照)。
この格差は、若年層ではいっそう極端になる。二十〜二十九歳の黒人の三分の一が投獄されているか、裁判中ないし裁判待ちの状態にある。大都市では、この比率は、半分を超え、特にゲットーでは八〇%以上になる。
この格差の主因は、両者の犯罪率や軽犯罪率の差ではない。警察・司法・刑務当局の根本的な差別性は次の証拠からも明々白々である。黒人は、麻薬使用の一三%を占める(人口構成比とほぼ同じ)だけだが、麻薬法規違反の逮捕者の三分の一、投獄者の四分の三を占める。「麻薬に対する戦争」政策は、リハビリテーションの理念を捨て去り、超弾圧的な施策を次々にくりだしている(恩赦・仮釈放不可能な固定刑期方式の採用の一般化、三回目の犯罪からの自動的長期刑化、治安犯に対する重刑化)。これが、囚人数増加の一つの主因なのである。
九五年には、麻薬所持または販売の初犯で有罪宣告された者の十人に六人が投獄された。投獄は、黒人に対する「昇進差別」である。米国が教育・雇用機会におけるもっとも重大な差別を緩和するための「アファーマティブアクション」政策に背を向けているまさにその時に、皮肉にもこういうことが行われているのである。
しかし、こうした細かい統計以上に、社会保障を刑罰で置き換えてしまう論理そのものが、重大なのである。アメリカ刑罰国家の台頭は、規制緩和と公共部門の縮小という新自由主義の目標と矛盾しているのではけっしてない。これは貧困を犯罪化する政策の実現であり、賃労働の不安定化・低賃金化の不可欠の補完物なのである。
●失業より監獄へ
刑罰制度は、労働市場の下層部分の調整に直接に寄与している。社会保障費の徴収や行政的規制と比べて、はるかに強制的な方法でそれを行っている。第一に数百万の求職者を取去ることによって、第二に、この監獄部門の財とサービスを膨張させることによって、失業率を人工的に押し下げている。九〇年代の米国の監獄は、失業率を二ポイント下げていると見積もられている。ブルース・ウェスタンとキャサリン・ベケットの共同研究によれば、アメリカとヨーロッパの投獄率の差を計算に入れると、新自由主義が吹聴していることとは逆に、アメリカは過去二十年間のうち十八年間はEU諸国よりも失業率が高くなる。
また、この共同研究は、監獄の肥大には二重の膨張メカニズムがあることを明らかにしている。短期的には、監獄の肥大は労働力供給を減らして雇用情勢を粉飾できるけれども、長期的には、雇用が困難な数百万の人々を作り出すことによって雇用情勢を悪化させるだけである。「投獄は、アメリカの失業率を下げた。しかし、この失業率水準を維持するためには、刑罰システムの絶え間ない拡張が不可欠になる」
どの段階の刑罰施設にも黒人が不釣り合いに多いことは、監獄システムのもう一つの機能を示している。つまり、経済的に規範外の、危険かつ過剰な人口を閉じ込める道具なのである。それは政治的面でも同様である。貧困な黒人は、ほとんど投票しないし、米国の選挙の重心は郊外の白人居住地域に移動している。歴史的に排除の論理によってゲットーが作られてきたのだが、投獄は、この排除の論理を極限までおしすすめたものにすぎない。
現在、監獄施設は、貧困者を「援助」する機関・政策に直接に関連している。ひとつには、刑罰の論理そのものが社会福祉の目標と仕組みに悪影響を与え、ついにはそれらを一変させるにいたるということである。あとひとつには、監獄は、その「お客さん」がよそでは解決できなかった社会的問題や医療問題にいやおうなしに直面せざるをえないということである。そして、財政ひっ迫と「小さな政府」政策によって、社会福祉の多くが監獄と同様に商品化されている。すでにテキサスやテネシーなど多くの州で、囚人のかなりの部分を私営監獄に委託するとともに、社会福祉受給者についての行政調査を下請けに出している。こうしたなかで、新経済秩序に服しない人々を監視し、罰するための、監獄と福祉を複合した企業が出現してきている。「性別分業」によって、こうした複合企業の監獄部門は主に男を担当し、福祉部門はその妻子を担当するわけである。そしてこれらの人々は、この企業のネットワークの一方の極から他方の極へと事実上閉じられた循環運動をすることになる。
アメリカの経験が示していることは、現在も前世紀の末と同様に、社会政策と刑罰政策は分けられないということである。労働市場と福祉事業(まだその名に値するとして)と監獄は、それぞれ他方を抜きにしては理解しえない。どこでも新自由主義のユートピアが実現した所では、最貧層ばかりか、まだ守られている部門から転落させられる人々もみな、自由の増大どころか、自由の減少、自由の圧殺に直面している。
(おわり)
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