翻訳資料
南カフカスの石油をめぐる大争闘戦
富津 裕訳
仏月刊紙『ルモンド・ディプロマティック』97年10月号より
【解説】
米帝は、カフカズ(コーカサス)、中央アジア地域をめぐって、重大な動きを始めた。タルボット国務副長官は、昨年七月二十一日の演説で、この地域の石油埋蔵量を「二千億バーレル」(一般には百億〜四百億バーレルといわれる)とし、「戦略的に死活的」だと主張した。「死活的」とは、戦略的優先順位を示す米帝用語である。《死活的な利害のためなら米国単独でも断固戦争する》と米帝は、何年間も確認している。 また米帝は、この演説と同時期に締結された、イラン経由のパイプライン建設契約を黙認した。「イラク・イラン二重封じ込め政策」は維持するとは言っているが、ある種の転換である。
九七年のQDR(「四年次戦力見直し」でも朝鮮半島と中東が米帝の「二つの大規模戦域戦争」の舞台とされており、この二地域が戦略的に最優先されていることに変わりはない。また、米帝の経済危機、戦力の集中投入原則からしても、他への戦力投入を最小限に抑えるという方針は変わらない。だがその二地域で有利に戦うためにも、その双方に密接に関連するカフカズ・中央アジア地域に相応の力を入れるということである。また、統一ドイツの東方への勢力圏拡大とロシアとの激突の歴史的必然性、EU拡大、EU通貨統合、NATO拡大という中で、米帝は必死でロシア・旧ソ連情勢にヘゲモニーを貫こうとしている。
日帝・橋本も、タルボット演説の直後、七月二十四日に「ユーラシア外交」を打ち出した【『前進』一八四六号参照】
闘う諸民族人民に連帯し、日帝の朝鮮侵略戦争を内乱に転化しよう。
【〔 〕内は訳者による補足】
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【南カフカスの石油巡る大争闘戦】
ザカフカス〔カフカズの南側〕と中央アジアの弱体な諸国家は、激しい争奪の的になっている。おびただしいビジネスマン、外交官、コンサルタント、特に大石油企業が、手っとり早い金もうけを狙って群がっている。欲望の対象は、カスピ海の石油、トルクメニスタンの天然ガス、ウズベキスタンの綿花、キルギスタンの金などである。それでなくても、市場と勢力圏の縄張りが不明確で、同盟関係もくるくる変わるこの地域は、きわめて不安定である。マスコミは、この西側諸国の利害の拡大とロシアの伝統的な利害の対立を、十九世紀の英帝国とツァーリズム・ロシアの中央アジア支配をめぐる対立になぞらえて「グレート・ゲーム」と呼んでいる。
西側の企業にとってザカフカースは、イラン・ロシア双方をよけてカスピ海・中央アジアと外洋とを結ぶ架け橋である。NATO膨張の圧力を受けているロシアにとって、ザカフカースは中東への玄関であるとともに、ロシア南部国境へのトルコや西側諸国の影響拡大の防壁でもある。
ソ連崩壊後、米政府はイランの影響力拡大を防ぐために「トルコ型モデル」の輸出に賭けてきた。しかし、ロシアの力は実際には急激には退潮しないことが明らかになった。そしてトルコには「新独立諸国」〔ロシア連邦以外の旧ソ連諸国〕の問題を解決する力が全然ないことも分かってきた。
米政府は、この地域を、ペルシャ湾の石油が脅威を受けたときの補完的エネルギー源と考えている。同時に、ロシアがリードする同盟の形成を不可能にするために、新独立諸国を経済的にも政治的にもロシアから引き離そうとしているのである。ワインバーガー元国防長官は、この春に出された論文で、「もしロシアが(カスピ海の支配に)成功するなら、西側のNATO拡大をしのぐ勝利になってしまう」と述べた。そして、その他の米国の最重要の目標は、イランの影響力拡大だという。
ワシントンでは、親アルメニア・ロビーに対抗し、親アゼルバイジャンの圧力グループが生まれた。(カーター政権のブレジンスキー補佐官、ブッシュ政権のチェイニー国防長官・スコウコロフト国務長官など)多くの旧政権高官が、アゼルバイジャンで活動する米石油企業のコンサルタントとして働いている。
EUの権益も拡大した。九三年から九五年の間、EUは人道支援の三分の一をザカフカースの三つの共和国に投じた。EUは、黒海沿岸のグルジアの港と中央アジアを鉄道と船舶で結ぶ「トラセカ計画」を通じて活動している。しかしEUには一致した政策がない。シェワルナゼ大統領がソ連外相だった時のドイツ統一への役割のため、ドイツはグルジアを特に重視する。フランスは、在仏アルメニア人が多く、アルメニアに近い。イギリスは、BPがアゼルバイジャンと関係が深いため、そこを最優先する。おもしろいことに、この現在の欧州諸国の利害は、一八年〜二〇年に、ザカフカース三国の束の間の独立の時期の関係に似ている。欧州諸国は経済的活動は大きいが、エネルギー戦略の決定には何の役割も演じていない。
イラン経由で最も安全かつ最短距離の石油パイプラインができるのにイランを通過地リストから外しているのは、米政府である。米国は、バクー産石油をロシアのノボロシースク港経由で輸出することを後押ししている。このパイプラインは、九七年末に運用開始される。米国は、グルジアのスプサ港経由の別ルートも進めている。これは九八年末完成する。長期的には、生態学的・戦略的理由で、カスピ海とトルコのセイハンを結ぶルートを支持している。
チェチェンでは、戦闘の開始から終結まで、石油が決定的役割を演じた。九四年一二月、ロシア軍がチェチェンに進軍したのは、カスピ海石油を輸出できる唯一の運用可能なパイプライン網をコントロールできることを示し、当時進行していた石油契約交渉でのロシア政府の立場を有利にするためである。また九六年八月、ロシアがこの「低強度紛争」を終結させねばならなかったのは、バクー−ノボロシースク・ルートが「グレート・ゲーム」から締め出されないためである。しかしながら、チェチェンでの屈辱やダゲスタンでの力の空白の拡大、アゼルバイジャンでの西側諸国の利権増大は、ロシアのカフカズへの影響力の重大な低下をまねいた。ザカフカスへの影響力の喪失で、ロシアは、チェチェンでの抵抗ばかりかカフカズ北側の他の「自治共和国」の抵抗にも直面しかねなくなった。
エネルギーは、ロシアが夢見るCIS(独立国家共同体)を越えた統合強化計画の柱である。ロシアは石油とガスの主要生産国・供給国であるだけでなく、カザフスタンやトルクメニスタンの石油のロシア経由でのウクライナやグルジアへの輸出もある。ウクライナは石油の九〇%、ガスの八〇%を、ロシアから輸入している。カスピ海地域からのウクライナや他のCIS諸国への直接輸出は、この諸国の依存度を減らす。
●トルコのジレンマ
エネルギー部門は、経済の中でも、エリート層の出身母体の面でも、ロシアで圧倒的な位置を占めている。天然ガス企業「ガスプロム」は、ロシアでもっとも豊かな企業で、国家の最大の外貨源である。だからロシアは、西側諸国のカスピ海での探鉱と採掘への巨額投資を懸念しているのである。それが数年後、ロシア南部国境地域に恐るべきライバルを出現させかねないからである。ロシア軍が深刻きわまる資金欠乏にあえいでいるのに、グルジアとアルメニアにある金を食う基地を維持すべきか否かなどとクレムリンで議論しているのも、そのためである。
九七年五月にロシアが獲得したCFE条約(欧州通常戦力条約)の修正が、基地維持か否かの答えになるだろう。ロシアは、これを抜け道にしてカフカズ駐留軍の増加を「合法化」することに成功したのである。つまりロシアは、ザカフカースから撤退しない。しかし、低下しつつある影響力をどのように守っていくのだろうか。
トルコは、現在まで、カスピ海地域で主要な役割ははたせていない。トルコはまずトルコ語系で、中央アジアへの出入口であるアゼルバイジャンを重視した。しかし、まだほとんど成果はない。トルコは、ナゴルノ・カラバフ紛争ではアゼルバイジャン側で、外交面でも軍需物資面でも軍事訓練でも支援を惜しまなかった。だが、九三年六月に元ソ連共産党政治局員のアリエフがクーデターをおこしてから、両政府の間は緊張している。最近のアリエフのトルコ訪問の際にも、彼はトルコの経済援助の少なさに不満をもらし、九五年のクーデター未遂にトルコ政府の一部が関与したと非難した。
トルコはアルメニアとの関係改善の機会を逃した。独立後アルメニアは、第一次大戦の時のトルコによるアルメニア人大虐殺の責任の承認を条件とせずにトルコとの正常な関係を持っていくつもりであった。だが、にもかかわらずトルコは外交関係締結を拒否したうえ、経済関係さえ拒んだ。アゼルバイジャンに同調して経済封鎖し、「カラバフからの部隊撤収」を要求したのである。
トルコは、ザカフカースやそれ以遠での地政的役割でロシアと競っているが、トルコの経済的利害は、トルコ語系の旧ソ連諸国とではなく、ロシア自体との間で発展している。九五年のトルコのロシアとの貿易量は約三十五億jで、全貿易量の六%、トルコ企業のロシアとの契約は百億jである。
イランは、北の隣国とイデオロギー的にではなく実利的に折衝し、アルメニアとアゼルバイジャンの主要な貿易相手国となった。イランは、こうして米国の孤立化政策の壁を破ったのである。また、トルクメニスタンがイランに天然ガスを供給する代わりにイランがトルコに八十億立方bのガスを供給するという協定が成立した。九七年末完成のトルクメニスタン・イラン間の二百八十七`メートルの石油パイプラインの建設費は、イランが一億六千万jを負担する。さらにイランは、トルクメニスタン経由で中央アジア全域とイランの鉄道網を結ぶ線を建設し、九六年三月に開通させた。
米政府の圧力を受けてイランはロシアとの同盟を求めることになったのだが、地政的には、イランは、ロシアに代わって〔外洋への出口を持たない〕カスピ海沿岸諸国の出口を提供する最良の道なのである。米国の有力人物が言うように、もし米・イランの政府間対話が始まれば、ここの地政は一変する。実際、トルクメニスタンとトルコが、イランを通る三千二百`の石油パイプラインを十六億jで建設する契約を結ぶのに米政府は反対しなかった。これはイランの新大統領ハタミへの好意を示すシグナルではないだろうか。
●同盟関係のモザイク
最近のモスクワとワシントン訪問の際、アゼルバイジャンのアリエフ大統領は、カスピの石油とナゴルノ・カラバフ紛争を取り上げた。米企業との間では百億jの契約にサインした。ロシアでは合意には達しなかったが、ガバラにあるロシア軍の前方探知レーダー基地(四百人の技術者がいる、アゼルバイジャンにおける最後のロシア軍駐留部隊)の地位についてセルゲーエフ国防相と討議した。アリエフは、ロシアによるアルメニアへの武器供給、ムタリボフ元大統領系のアゼルバイジャン反体制派の引き渡し拒否を非難した。
アリエフ大統領の「石油外交」は目ざましい成功を遂げた。…九四年まではヨーロッパも米国も、アゼルバイジャンを無視していた。だが、九四年にバクーで最初の〔石油〕契約が結ばれてからは、アゼルバイジャンは野心的目標を設定しうるようになった。つまり、石油で得た外貨を経済的独立の基盤にすること、モスクワからの距離を取ること、そしてナゴルノ・カラバフの奪還に十分な世界の関心を引きつけることである。
アリエフが大統領になるまで、この国はたえず権力が交代し、きわめて不安定だった。彼は、「鉄腕」と繁栄の公約の組合せで、安定を達成した。しかし、石油収入が効果を現すには、最大限の生産を十年から十五年行う必要がある。活動人口の三分の一が失業し、労働者の平均月収三十jという状態で「よりよき未来」を待ち望んでいる人々を、その時まで抑えておけるだろうか。
アルメニアは、アゼルバイジャンとは逆に、地政的変動で最大の損害をこうむった。アゼルバイジャンの領土的一体性の尊重、つまりナゴルノ・カラバフの放棄を求める国際的圧力が高まっている。OSCE(全欧安保協力機構)のミンスク・グループをリードする米・仏・露による妥協案の承認が要求されているのである。それは、“ナゴルノ・カラバフはアゼルバイジャンの中に残るが、独自の経済体制および警察力は維持する。アルメニアとナゴルノ・カラバフを結ぶラチン回廊は国際管理下に置かれる”という案である。
アルメニアの内政の力学は、譲歩の方には向いていない。九六年九月の選挙後、テルペトロシャン大統領の勝利に野党が疑義をとなえて暴動をおこし、軍がそれを鎮圧した。テルペトロシャンは、国内での正統性を回復するために、カラバフの長、コチャリヤンをアルメニアの首相に任命した。ナゴルノ・カラバフ問題は、現与党の「アルメニア国民運動」の数少ない存在理由の一つである。
グルジアにとっても石油の地政的価値は非常に大きい。たしかに石油の通過収入はさほど大きくはないが、それで西側諸国の信頼を得て、外資の投資が増えると期待している。また、経済的利害は政治的利害を伴うから、それによって伝統的なロシアのヘゲモニーとのバランスがとれるようになるというわけである。シェワルナゼ大統領は、アブハジアを外交や軍事力で奪還せよという野党民族主義者や〔アブハジアからの〕難民グループの圧力を受けている。
九七年八月、ロシア外相プリマコフは、アブハジアの指導者アルジンバとともに突然トビリシを訪問した。シェワルナゼとアルジンバは、アブハジアの法的地位及び難民帰還という核心問題には触れなかったが、紛争の平和的解決の追求を約束した。これは、グルジア・アブハジア関係史の新たな一ページになるのであろうか、それとも単にロシアがこの地域で役割を演じつづけることを示すためのプリマコフのスタンドプレーにすぎないのであろうか。
(おわり)
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