日本共産党議長=志位講演を批判する スターリン主義反革命の極致
日本共産党議長=志位講演を批判する
スターリン主義反革命の極致
(1)「連帯し、侵略を内乱へ」の最大の敵対者=日本共産党
アメリカ帝国主義の中国侵略戦争・世界戦争の開始が、全世界を根底から揺さぶっている。「戦争は労働者のあいだに憤怒と激高を呼び起こす」(バーゼル宣言)ということがまさに今目の前で起きている。このとき共産主義者が果たすべき義務は、今の戦争がつくりだしている政治的・経済的危機を、資本主義・帝国主義体制の崩壊を早めるために利用することである。
その義務の内容は、レーニンが「第2インタナショナルの崩壊」で述べている通りである。それを今日のわれわれが直面している情勢に即して言うならば、その第1は、①今起きている戦争、世界戦争危機の根源は「死滅しつつある資本主義」=帝国主義の危機と矛盾の爆発にあること、それが米帝の中国スターリン主義に対する侵略戦争=世界戦争として始まっていること、②日本帝国主義・高市政権は、この米帝の中国侵略戦争・世界戦争への参戦に帝国主義としての生き残りと復活をかけており、そのために中国と「年単位」で戦争し続ける継戦能力=総力戦体制の構築に全力を挙げ、安保3文書改定から改憲へと突き進んでいること、③だが、この中国侵略戦争・世界戦争(準備=突入)は、まさしく「国論二分」的=内乱的=革命的情勢を不可避的につくり出すこと----以上のことを大衆に明らかにし、「プロレタリアートの革命的自覚と決意を呼び覚ます」ことである。
第2は、すでに様々な決起を開始している労働者階級人民を鼓舞し、帝国主義の打倒、革命に向かっての行動、すなわち闘う中国―アジア人民、中東―イラン人民と連帯し、日帝の侵略を内乱に転化していく革命的行動への移行を助けることである。第3は、戦時下において以上のような義務を果たすことを可能とする「組織(それは本質的にも実体的にも非合法である)をつくりだす」ことだ。
共産主義者とその党は、その現在的主体的力量にかかわらず、この「すべての社会主義者(共産主義者)の最も議論の余地のない、最も基本的な義務」を果たすために全力を尽くさなければならない。革共同は、この義務を真に貫徹するためにこそ「古い党の破壊」「革命的組織への移行」を断固として推進してきた。その闘いが、革命的女性解放闘争への敵対にまで行き着いた「7回大会路線の根本思想」の打倒であり、根本的な自己批判と自己変革を通して血債の思想と「連帯し、侵略を内乱へ」の綱領的路線を真に取り戻した10回大会の地平である。
ところが恥知らずにも「共産主義」を語りながらこの義務を果たそうとするどころか、これに全面的に反し敵対しているのが、日本におけるスターリン主義政党=日本共産党である。日本共産党はまさに今、立ち上がっている青年、女性、学生、人民大衆の決起を、「連帯し、侵略を内乱へ」の闘いに向かって、侵略と戦争の根源である帝国主義を打倒する革命に向かって鼓舞し促進するのではなく、この決起を体制内に封じ込め、その「内乱への転化」を阻止するために全力を挙げているのだ。
4月11日に日本民主青年同盟(民青)の主催で行われた「Q&A 戦争への道をどう止め、平和をどうつくるか」と題する日本共産党中央委員会議長・志位和夫の講演会は、まさにそのような反革命の目的のために、日共=民青活動家らを「理論武装」させる場として設定されたものだ。志位講演には、一国社会主義論をもって世界革命に敵対し、帝国主義との「平和共存」を追求し、「共産主義」「マルクス主義」をかたって革命を圧殺する反革命としてのスターリン主義の本性が徹底的に貫かれている。
(2)戦後日帝を「平和国家」と美化し反戦闘争の死活性を否定
志位講演は、まず「イントロダクション」として「そもそも日本はいま『戦争への道』に進む危険があるのでしょうか?」という問いへの回答から始まっている。志位は「いま日本は、大きな歴史の分かれ道に立っている」と答えた上で、「平和国家」の原則が次々と壊されている「危険」について語る。そこで志位が列挙している「平和国家の原則」とは何かと言えば、「軍事費GDP比1%以内」(1976年三木内閣閣議決定)、「敵基地攻撃能力は持てない」(1959年伊能防衛庁長官答弁)、「専守防衛」(1972年田中首相答弁)、「武器輸出禁止」(1976年三木内閣方針)、「集団的自衛権は行使できない」(戦後一貫した政府憲法解釈)、「非核三原則」(1967年佐藤首相の国会表明、71年国会決議)、そして「憲法9条」である。これらは「憲法9条」以外はすべて自民党の歴代首相、閣僚らが打ち出した政策方針である。志位はこれを「戦争の歯止め」というのである。
だが、自民党がつくったこれらの「原則」「方針」が「戦争の歯止め」になってきたなどというのは、戦後の日本帝国主義に対するとんでもない「美化」である。日帝は敗戦後の労働者階級人民との関係、アジア人民との関係、そして米帝との関係の中で帝国主義としての再建・復活を果たしていくために、「憲法9条」(戦後革命の圧殺と米帝への沖縄売り渡し・日米安保体制と一体)を受け入れ、さらに「専守防衛」「武器輸出禁止」「非核三原則」「GDP比1%枠」などを「隠れみの」にして自衛隊増強と軍事大国化を推し進め、原発やロケット開発で核武装の潜在能力も形成してきたのだ。戦後の日本が「平和国家」だったなどということ自体が大うそである。沖縄に巨大な米軍基地を暴力的に押しつけ続け、朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガニスタン・イラク・イラン―中東侵略戦争などの米帝の侵略戦争に一貫して同盟国として全面協力し、事実上の参戦国となってきたのが日帝だ。またかつての侵略と植民地支配の歴史も居直り続けてきた。このどこが「平和国家」というのか。
さらに志位は「『日本を守るためには防衛費を増やすことも仕方ないのでは』『憲法9条を変える必要があるのでは』という人もいます。そういう人とどう対話をしていったらいいでしょうか?」なる質問をさせて次のように答える。「『戦争はいや』という思いを共有して、そこから出発して、どうすれば戦争が止められるかを一緒に考えることが大切」「軍事力を強めれば平和がつくれるのか、それとも外交の力で平和をつくることが可能なのか。そのことを事実と道理に照らして一緒に考えていく。広く対話と学習をしていく」と。「日本を守るためにはどうするか」「戦争はいや」という問題意識や思いは共産党も自民党も右翼反動もみな同じだとし、その上で「軍事力を強める」ことと「外交力」のどちらが日本(の平和)を守ることにつながるか、「一緒に考え」「対話と学習」をやることが重要だというのだ。「事実と道理」を示して対話すれば、帝国主義は戦争をやめるというのだ! ここにはマルクス主義のかけらもなければ、何としても帝国主義の戦争を阻止しようとする真剣さも一切ない。
(3)イラン侵略戦争に「対米自立」と「国連憲章」を対置
イントロに続いて〈第1の角度 トランプ大統領言いなりで平和はつくれるか?〉という項目に入る。ここでまず「アメリカのイラン攻撃をどうみたらよいか」という質問が出される。この「質問」でも志位の回答でも「イラン侵略戦争」という言葉は使われない。「アメリカの言うことを聞かなければ石器時代に戻す、文明を滅ぼす」などと言い放ち、イランの国家中枢、軍事施設から学校・病院・橋などに至るまでを徹底的に破壊し尽くし、人民を虐殺する----これが米帝・トランプ政権がやっている戦争だ。これが侵略戦争でなくて一体何か。だが日共はこの米帝のイラン・中東支配を目的とする凶悪な侵略戦争を徹底弾劾するのではなく、「国連憲章」「国際法」に違反している「無法な攻撃」だから許せないと言うだけなのだ。そして日共・志位は、イラン―中東の人民と連帯し、イラン侵略戦争の最大の出撃拠点となっている日本における反戦闘争を呼びかけたりは一切せず、次のようなことを言う。「国連憲章と国際法に違反する暴挙、弱肉強食の世界への逆戻りを許してはならない」「国連憲章にもとづく平和秩序を確立する、この一点で世界の諸政府と市民社会が力を合わせようということを、強く訴えたい」と。
日共は「国連憲章」「国際法」を最大限に美化するが、これらはそもそも米帝の圧倒的な経済力・軍事力を基礎にして成り立った米帝基軸の戦後世界体制を正当化し恒久化するものとしてあった。だが今や米帝の歴史的没落が一線を越えて進行し、この米帝を基軸とする戦後世界体制は最後的に崩壊し、米帝自身がそれを自らの桎梏(しっこく)として暴力的に破壊し始めたのである。米大統領が「国際法など関係ない」「政治的正しさなど必要ない」などと言って世界を「アメリカ第一」で再編するという戦争を始めているのだ。それが中国侵略戦争・世界戦争だ。これに対して中国スターリン主義も総力で米帝に軍事的に対抗し、最後的に米中は全面激突する以外にない情勢に入っている。ウクライナ戦争もイラン侵略戦争もこの中国侵略戦争・世界戦争の一部としてどこまでも激化する。この米帝の没落と危機、帝国主義とスターリン主義の戦後体制の崩壊、帝国主義の基本矛盾の爆発とスターリン主義の危機と矛盾の爆発、その絡み合いから起きている米帝の中国侵略戦争・世界戦争----この核戦争危機もはらんだ巨大な世界史的危機は、反帝・反スターリン主義世界革命の完遂によってしか突破できない。ところが、日共はこのような情勢において「国連憲章にもとづく平和秩序の確立」なるものがありうるかのような幻想をふりまき、労働者階級と被抑圧民族の人民を、世界戦争の破滅になだれ落ちる帝国主義とスターリン主義の支配のくびきに最後まで縛り付けようとしているのだ。
しかも志位がこの「国連憲章にもとづく平和秩序の確立」の希望として取り上げるのが、何と北大西洋条約機構(NATO)加盟の欧州帝国主義諸国政府なのである。志位は「NATOの国ぐにはアメリカのイラン攻撃に協力しなかった」として欧州帝国主義を絶賛し、「世界は、トランプ大統領の『力による支配』に屈していない」などと言うのだ。そして「世界中に平和と繁栄をもたらせるのはドナルドだけだ」と言う高市・日本政府を「恥ずべき従属外交というほかない」と反米愛国のスターリン主義者として「非難」する。だが、NATOの欧州帝が対ロシアで米帝の軍事力・核軍事力に依存しつつも米帝に対して一定の独自の主張をし、独自の利害を貫く争闘戦を展開することができるのは、独自の核を持つ「戦勝帝国主義」の英仏やドイツを中心に相対的に巨大な軍事力を持ち、さらに米帝と共にいくつもの侵略戦争をやってきた「実績」があるからだ。しかも欧州帝はあくまで帝国主義としての利害を貫いているに過ぎない。欧州帝は米帝・イスラエルのガザ虐殺を容認してきたし、イランを屈服させ再び帝国主義の支配下に置くことについては米帝と一致している。欧州帝は、米帝・トランプが要求する「軍事費GDP比3・5%、5%」の数値目標を受け入れ、そのために社会保障や教育などの予算もがんがん削減しようとしているが、それも欧州帝自身が帝国主義として延命するためだ。
日共・志位は、欧州帝を賛美して、日帝も欧州帝のように「対米従属」から抜け出せと言っているが、日帝を米帝に従属している存在として描くこと自身が全くの間違いだ。日帝は日米同盟という形式で「日帝独自」の帝国主義的利害を貫き、「独自の」軍事大国化を進め、「敗戦帝国主義の制約から抜け出す」ことを追求してきたのである。そしてついに米帝の中国侵略戦争を「自分の」戦争として主体的・積極的にやることで「帝国主義としての全面的復活」を成し遂げようとしている。だが日共はこの現実、事実を一切批判せず、無視し、容認し、日帝のやっていることをすべて「アメリカの言いなり」として免罪しているのだ。
(4)祖国防衛主義を前提にした「抑止か平和外交か」論
〈第2の角度 軍事的抑止力の強化で平和はつくれるか?〉では、「日本を守る」ためには、「日米同盟の抑止力、対処力の強化」と「平和外交」のどちらが「有効」かということが語られる。そしてそこで志位が下す「結論」は、「軍拡競争は平和でなく武力紛争のリスクを高めるから平和外交、対話が重要です」という「説教」だけなのだ。「平和外交、対話が重要」というが、こんなことは高市でも言う。そして日共は国会で高市から「外交、対話が重要なのは当たり前。だがそれだけで平和は守れないというのが今の国際社会の厳しい現実」などと返されて、何も言えない有り様なのだ。
まずここでの「議論」の根本的問題は、「日本を守る」ということが大前提になっているということだ。「日本」=自国帝国主義を「守る」という立場は、帝国主義の祖国防衛主義を拒否し、自国帝国主義の敗北を促進する立場、帝国主義戦争を内乱に転化するという共産主義者の立場とは全く相いれない。
「日本をどう守るか」という立場に立つ限り、反戦を貫くことは絶対にできない。帝国主義の矛盾の極限的爆発としての戦争を本当に止めるということが、どういうことを意味するか、どういう決意と闘いが必要なのか、日共はまじめに考えたこともないのだ。帝国主義がとことんまで行き詰まって矛盾を爆発させ戦争に突き進むというときには、国家権力やファシスト的右翼反動による弾圧、排外主義・愛国主義・祖国防衛主義の攻撃は猛烈なものになるし、「国賊」「非国民」「敵のスパイ」といった社会的孤立と排撃にも直面する(今の沖縄・辺野古に対する攻撃はその端緒だ)。このとき共産主義者の決定的任務は、かつてレーニン・ボリシェヴィキがそうしたように、いかなる困難にたたき込まれようとも革命的祖国敗北主義を貫き通すことである。帝国主義の戦争は徹頭徹尾、帝国主義ブルジョアジーの階級的利害のための、強盗的利益のための戦争であり、帝国主義の延命のための戦争であること、そのために被抑圧民族を虐殺し、労働者階級人民を殺し合わせる戦争であることを言い切り、暴き切って闘いぬくことである。それはこの日本帝国主義の下では「闘う中国・アジア人民と連帯し、日帝の侵略を内乱へ」の路線を「血債の思想」をもって命がけで貫くということによってのみ実現できる。そうして実際に自国帝国主義の侵略を内乱に転化し、帝国主義を打倒する革命を実現してこそ、真に戦争を阻止し、自分たちの解放をかちとることができるのだ。
だが、スターリン主義者の日本共産党は、帝国主義打倒の革命など絶対にやらせないという反革命だ。だから「日本を守る」という日帝・高市らと同じ土俵で、「軍事的抑止力か外交か」などという議論にうつつを抜かし、いざ戦争となればたちまち「祖国擁護」の排外主義の先頭に立って、「連帯し、侵略を内乱へ」の闘いの圧殺者として登場してくるのは必至なのだ。
日共の根本にあるものは、帝国主義打倒の世界革命を放棄し、帝国主義との平和共存を追い求めるスターリン主義の反革命思想であり路線である。「帝国主義を打倒しなくても平和は可能」という最悪の帝国主義の擁護者=日共スターリン主義を打倒することが、反戦闘争の発展にとって絶対に必要だ。
(5)「中国脅威」論の排外主義と日帝の「国益外交」の先兵に
〈第3の角度 中国との関係をどうするか?〉は、中国侵略戦争阻止の反戦闘争、「連帯し、侵略を内乱へ!」の闘いに全面的に敵対する日共スターリン主義・志位講演の核心をなす。
まず志位は「日中関係がとても悪くなっています。どうしたらいいでしょうか?」などという民青の質問に対し「まず声を大にして言いたい」として、次のように答える。「日中が再び戦火を交えるようなことは絶対にあってはならないということです。困難はあっても、軍事ではなく外交で解決すべきだし、解決の道はある」と。この「日中が再び戦火を交える」という表現は、かつて「日帝が」中国侵略戦争をやったということを否定するものだ。そして現在の日帝が再び中国侵略戦争をやろうとしているということも否定している。志位は今の「日中関係悪化」の根本に米帝の中国侵略戦争の開始という問題があること、この米帝の中国侵略戦争を日帝自身が自らの延命をかけて「第1列島線」=最前線で戦おうとしていることを徹底的に覆い隠し、実際には帝国主義が洪水のように流している中国脅威論の排外主義の手先になっている。
志位は現在の「日中関係悪化の直接的な原因は、ひとえに高市首相が行った『台湾発言』にあります」と言い、高市の発言撤回が「日中両国関係を良くしていく上での大前提」などと述べている。だが「日中関係悪化の直接的な原因」は高市発言だとしても、実は「根本的原因は中国にある」ということを展開している。それ示すのが以下の志位の発言だ。志位は昨年4月に訪中し「中国側の要人」と会談した際に「『言うべきことは言わなければならない』と考え」て、次の2点を話したと言う。
「一つは『東シナ(ママ)海などでの力を背景にした現状変更の動きを自制してほしい』ということ」「もう一つは、台湾問題の平和的な解決です。『日本共産党は(中国による)武力による威嚇や行使に反対です。同時に第三国による軍事的関与や介入にも反対です。台湾海峡の平和と安定を強く願っています。これは地域の平和と安定にとっても極めて重要なことです』と」----この志位の発言は、基本的に米帝や日帝・高市が中国に対して主張している中身、言葉そのままだ。日共・志位は「互いに脅威にならない」ことが大切と言いながら、中国の「脅威」については帝国主義の主張と同じ中身を語りつつ、米帝や日帝が台湾を自らの勢力圏として中国から完全に奪い取るために「第1列島線」に「強力な拒否防衛体制を構築」し、大演習を繰り返しているといった現実は一切暴露も弾劾もしない。
その上で日共・志位はスターリン主義者として、以下の「平和共存」策を提起する。「日本と中国は『互いに脅威とならない』という首脳合意を交わしている、だからそれを双方が守るということが大切」「尖閣諸島など東シナ(ママ)海の問題について、2014年の日中合意で確認された『対話と協議』を通じて問題を解決していくという立場を双方が順守する」「『ASEANインド太平洋構想』----AOIPという日中双方が賛成している包摂的な枠組みを前進させることを追求する」うんぬんと。結局日共スターリン主義は、「平和の実現」は帝国主義とスターリン主義の政府間、権力者同士の「対話と協議」にすべてがかかっているとするのだ。日共・志位はさらに言う。「『言うべき事は率直に言いつつ、外交によって両国関係を前に動かすために、知恵と力を尽くす』----これが日本共産党の立場」「いま中国との関係で求められるのは、こうした道理に立った冷静な外交」「とくに強調したいのは......双方が緊張と対立を悪化させるような行動をとらないこと」「外交というのは......お互いにメリットがないといけない」「ウィンウィンでこそ外交は成り立つ。日中関係もそういう立場でこそ成り立つ」。これは日帝・高市と全く同じ立場だ。
志位のここでの結論は、東南アジア諸国連合(ASEAN)を美化し、「対話の習慣」をアジアに根づかせ、「日中韓サミット」という「枠組み」を「発展」させ「日本、中国、韓国、アメリカ、ロシア、北朝鮮の6カ国による平和の枠組みを追求する」「そういう努力が実れば、東南アジアと北東アジアは一つに結ばれて、東アジアに関連するすべての国が参加する平和共同体をつくる展望が開かれてくる」という「おとぎ話」である。日共は、米帝が中国侵略戦争・世界戦争を開始し、日帝が自らの延命をかけた戦争として中国侵略戦争に突入し遂行しようとしている現実を覆い隠し、中国侵略戦争阻止の反戦闘争に敵対し、日本の労働者階級人民が血債にかけて「連帯し、侵略を内乱へ」の闘いに立ち上がることを阻止するためなら、どんなデタラメでもウソでもペテンでももっともらしく並べ立て、反戦闘争を内側から破壊しようとする。そして労働者階級人民の怒りと闘争が、日共の統制と国家権力の「規制線」を越えてあふれ出し、爆発しようとするときには、国家権力以上の凶暴さで人民に反革命的に襲いかかってくる。それがスターリン主義反革命=日共の最後の姿だ。
●改憲=中国侵略戦争阻止の階級決戦への敵対
志位講演最後の項目は〈第4の角度 憲法9条を守り、生かすことがどうして大切か?〉である。ここで志位は改憲が日帝の中国侵略戦争突入と一体であり、したがって改憲阻止闘争は中国侵略戦争を阻止する反戦闘争そのものであることを完全否定し、これまで述べてきたような「軍事的抑止力を強めることでは平和はつくれない、粘り強い対話と外交の力こそが平和をつくる道だということを、大いに語ろう」なる「対話の呼びかけ」で終わっている。志位は「1946年、日本国憲法の成立後は、日本が戦争に直接参戦したことは一度もありません」「憲法9条の偉大な力が働いている」などなどと「憲法9条」と戦後の日帝を手放しで「絶賛」する。だが、この戦後80年を通して日帝の再びの侵略戦争突入を阻止してきた現実の力は、日本とアジアの人民の必死の、血を流し、命をかけての闘いだ。
この攻防は、「闘う中国・アジア人民と連帯し、日帝の中国侵略戦争突入を内乱に転化せよ!」の闘いの革命的貫徹として決着すべきときを迎えている。この
とき日共スターリン主義の日帝の手先化は、志位講演のような極致にまで達した。まさしく「『連帯し、侵略を内乱へ』の闘いをつくり出していく上で、〝最悪の祖国擁護派〟としての日本共産党スターリン主義を政治的・運動的・組織的・理論的に打倒し尽くすことは必須不可欠の課題だ」(10回大会政治局報告)。
日共スターリン主義のあらゆる反革命的妨害・敵対を粉砕し、新たな決起を開始している青年・学生・女性を始め、すべての闘う労働者階級人民の6・14闘争への結集をかちとろう!