元基地労働者が語る 元基地労働者 水島満久さん 労働者が歴史切り開いた
週刊『前進』04頁(3448号02面03)(2026/05/25)
元基地労働者が語る
元基地労働者 水島満久さん
労働者が歴史切り開いた

(写真 道の駅かでなで、嘉手納基地を展望しながら闘いの歴史を語る水島満久さん=中央【17日】)
17日、米軍嘉手納基地を一望できる展望所で元基地労働者の水島満久さん(大行進沖縄)から説明を受けた。要旨を紹介します。
私と宮城盛光さんは、基地で働き、全軍労牧港支部青年部(牧青)として闘った仲です。「東洋一の軍事基地」と言われる嘉手納基地には4千㍍級の2本の滑走路があります。私たちが基地労働者だった時はベトナム戦争が激しい頃で、日々、爆弾を積んだ戦略爆撃機B52が飛び立ってベトナム人民を攻撃していました。ここから道路を隔てた森みたいに見える所が全部弾薬庫です。1968年11月19日、B52が墜落・大炎上した。あと二、三百㍍先だったら弾薬庫に突っ込んで毒ガス、爆弾、すべて吹っ飛んだろうと言われています。県民の怒りが一気に広がり、「B52を撤去しろ」という運動が広がりました。
アメリカの軍政時代、私たち基地労働者も、大きな力を持つ米軍には抵抗できないと思っていた。しかし69年8月14日、3名の中核派の学生が、この近くからフェンスを乗り越えて基地に突入したんです。沖縄県民総体、特に基地労働者に大きな衝撃を与えました。当時19、20歳の私たちは、労働者が行動すれば軍事基地を止めることができると思った。この基地突入闘争が、その後の沖縄返還協定阻止闘争、基地撤去闘争に大きな影響を与えたことを皆さんに伝えたかったんです。
アメリカのトランプ、そして高市政権が、具体的に中国を狙った戦争を進めている中で、私たちが団結し、3日間の沖縄闘争を闘っている意義は大きいと思います。今日は、嘉手納基地第2ゲートにデモをかけて抗議します。まさにイラン侵略戦争の出撃拠点である嘉手納基地を弾劾するデモです。
その第2ゲートに通じる胡屋十字路からほぼ1㌔の所で1970年12月20日未明、米軍の事故をきっかけにコザ暴動が発生しました。米軍の事件・事故、女性暴行事件が多発し、がまんならない怒りが渦巻いていた。まさに今と似ている戦争状況の中でした。19日夕方には近くの知花小学校で毒ガス撤去の決起集会がありました。その帰り、労働者たちが飲み屋で交流していた。その中の一人が宮城盛光さんでした。彼はコザ暴動の目撃者です。そういう場所から今日、第2ゲートにデモをかける。非常に意義のある闘いです。
コザ暴動が起こり、首切りに対して基地労働者のストライキも起こります。それに対して米軍の営業許可書「Aサイン」を持っている店の経営者が右翼団体とも協力して抗議集会、沖縄教職員会などの屋内集会も全部弾圧してきた。スト現場への暴力的な襲撃も行われた。これに対し牧青は、ヘルメット部隊をつくってピケに駆けつけ、襲ってきた右翼、暴力団を粉砕しました。これは自慢話ではなく、一つ一つの歴史的な闘いは、労働者が中心になって突破したからできたということを皆さんに伝えたい。今からの闘いもいろいろあるでしょうが、後ろに引くわけにはいかない。一緒に闘いましょう。