不屈に闘う辺野古現地へ! 辺野古新基地建設阻止を 「普天間返還合意」から30年

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週刊『前進』04頁(3443号02面02)(2026/04/20)


不屈に闘う辺野古現地へ!
 辺野古新基地建設阻止を
 「普天間返還合意」から30年

(写真 95年の県民集会には8万5千人が集まった)

(写真 昨年の5月19日、辺野古での実力の座り込み闘争は工事車両による資材搬入を阻止した)


 辺野古新基地建設の契機となった「普天間基地返還合意」から30年。辺野古新基地の建設は沖縄を先頭とする全国の人民の闘いで阻止され続けてきた。在日米軍は約5万人が常駐し、その専用施設の70・3%が、日本の総面積の0・6%の沖縄に集中している。その上に辺野古新基地建設など粉砕あるのみだ。大浦湾のマヨネーズ状の軟弱地盤を7万本の杭を打って改良するなど何十年やっても不可能だ。それでも工事を続けるのは、不屈に続く沖縄人民の反戦闘争をくじくためだ。誰が屈するものか! 全基地撤去、安保粉砕・日帝打倒へ、大決戦となった5・15沖縄闘争に全国から総結集しよう!
 3月16日に辺野古沖で高校生を乗せた船舶2隻が転覆し、女子高校生と船長の2人が亡くなった痛ましい事故が起きた。この重大事故の原因究明と再発防止が求められることは明らかだが、しかし、一切の元凶が辺野古新基地建設の強行なのだと、あらためて断言する。右翼マスコミや極右勢力が、この事故を利用して辺野古新基地建設反対闘争に、さらには沖縄の反戦反基地闘争に対し誹謗(ひぼう)中傷することなど断じて許すことはできない。
 現に今、在沖米軍キャンプ・ハンセン所属の第31海兵遠征部隊の海兵隊約2500人が地上侵攻を狙い中東に出撃している! イラク侵略戦争で2004年のファルージャ大虐殺を実行した部隊だ! 在日米軍基地こそ最大のイラン侵略戦争出撃拠点なのだ。今こそ沖縄の積もりに積もった怒りを燃え上がらせ、全基地撤去、安保粉砕・日帝打倒の闘いを巻き起こそう。

基地のない沖縄を

 辺野古新基地建設をめぐる闘いは、1995年9月の米兵3人による少女暴行事件が発端だ。事件に怒った沖縄県民は10月21日、宜野湾海浜公園で開かれた沖縄県民総決起大会に8万5千人が結集、全島で10万人が声を上げた。この県民大会の総意こそ「基地のない沖縄を」だった。これを受けた大田昌秀知事が、民有地を米軍用地として強制使用するための手続きである「代理署名」を拒否。沖縄の闘いは、基地を維持しようとする日米帝との非和解的な闘いに突入した。
 追い詰められた日米帝は96年4月12日、「今後5~7年以内の普天間飛行場の全面返還に合意した」と発表。だが、15日に発表された「沖縄に関する特別行動委員会(SACO)」中間報告では「代替施設の完成」が普天間返還の条件とされ、さらに12月のSACO最終報告で名護市の東海岸、米軍キャンプ・シュワブがある辺野古への建設案が出され、翌年1月に日米が合意した。そもそも「普天間基地を撤去したいなら辺野古新基地建設が必要」などというロジック自体、日米帝の勝手な設定にすぎず、新たな米軍基地をつくることが攻撃の核心だったのである。

実力の闘いを展開

 97年11月、政府案として県及び名護市に示された「海上ヘリポート建設案」をめぐって12月名護市民投票が闘われた。反対票つぶしに防衛施設局などの職員が投入される中、これを押し返して過半数を超える54%が新基地反対に投票し、基地建設拒否の民意が示された。しかし直後に名護市長がヘリ基地受け入れを表明して辞任、「軍民共用」案を県と名護市が推進する中、99年12月に辺野古移設が閣議決定された。
 これらの動きに対し辺野古現地では、地元の沖縄戦体験者を先頭に「命の海を守れ」と基地反対闘争が取り組まれ、さらにボーリング調査の前提となる環境影響評価をめぐる攻防に入ると、海上に建設したやぐらを拠点に果敢な実力闘争が繰り広げられた。全国から駆けつけた青年・学生が辺野古現地に常駐して闘いの先頭に立ち、ついに2005年9月、那覇防衛施設局は調査を断念した。
 しかし、辺野古新基地建設計画は06年に発表された「米軍再編ロードマップ」に組み込まれ、米軍キャンプ・シュワブ沖合を埋め立てて2本の滑走路をV字形に建設する現行計画となっていく。中国侵略戦争へ向けた米軍の「太平洋シフト」の一環となったのである。沖縄人民の基地撤去への必死の思いを、米日帝は新たな侵略戦争準備に組み込んだのだ。12年第2次安倍政権以来、安保・戦争法の攻撃と一体で辺野古新基地建設攻撃が激化してきた。04年以来8千日を超えた現地の座り込み闘争を先頭に沖縄人民の「これ以上の基地建設は許さない」という闘う意思は揺るがない。大浦湾の埋め立てをやみくもに進める米日帝と沖縄人民との関係はもはや絶対非和解だ。
 今年2月には、米国防総省が17年の段階で、辺野古基地の「滑走路が短い(1800㍍)」ため、普天間飛行場(滑走路2740㍍)を完成後も維持する意向を示していたことが発覚した。中国侵略戦争―世界戦争へ準備を進めていた米日帝は、普天間基地を返還する気などなかったのだ。
 普天間基地は結局30年にわたって居座り続け、04年には同基地所属の米軍ヘリが沖縄国際大学に墜落。17年12月には緑ケ丘保育園にヘリの部品が落下し、同じ月には普天間第二小学校の校庭にヘリの窓が落下するという、直接に沖縄人民の命を脅かす事故が起きてきた。普天間基地周辺住民は「返還合意」から30年が経った今日も、日常的に米軍機の騒音や命の危機にさらされ続けているのだ。全基地撤去、安保粉砕・日帝打倒以外に、この現実を覆す道はないのだ。
 戦後81年、「普天間返還合意」から30年、怒りに燃える5・15沖縄闘争に全国から総決起しよう。差別・排外主義に立ち向かい、新基地建設を阻んでいる辺野古の闘いに合流しよう!

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辺野古新基地建設をめぐる関連年表
1995年9月 米兵による少女暴行事件
   10月 全島で10万人が決起し抗議
 96年4月 日米政府が5~7年以内の普天間基地の返還で合意
   12月 「代替」として新基地を建設するSACO最終合意
 97年1月 日米政府が辺野古への新基地建設案で合意
   12月 名護市民投票で反対多数
 99年11月 県知事が「15年使用期限付き軍民共用空港」案を表明
   12月 名護市長が知事の要請を条件付きで承認。日本政府も
      同施設の建設を閣議決定
2004年4月 辺野古沖のボーリング調査開始を実力阻止
   8月 沖縄国際大に米軍ヘリ墜落
 05年9月 那覇防衛施設局、調査断念
   10月 日米2プラス2で新たな基地計画を発表
 06年5月 日米政府が辺野古新基地の新計画を含む「米軍再編ロードマップ」を合意
 10年4月 県外・国外移設を求める県民大会に9万人が集まる
 13年11月 自民党沖縄県連、「県外移設」の公約覆し辺野古容認
 17年2月 辺野古で海上工事が着工
 18年8月 県民大会に8万人集まる
   12月 辺野古の海へ土砂投入開始
 19年2月 県民投票で7割が反対
 23年12月 軟弱地盤の改良工事に伴う設計変更をめぐる代執行訴訟で県が敗訴
 24年1月 代執行で大浦湾埋め立て工事に着工
 25年1月 地盤改良の杭打ち工事開始
 26年2月 米国防総省が「滑走路が短い」ため、新基地が完成しても「普天間は返還しない」としていたことが発覚

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