SANRIZUKA 2012/01/30(No840 p02) 
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週刊『三里塚』(S840号1面1)(2012/01/30)
筆跡鑑定書提出でNAAに痛打
1・23市東耕作権裁判 私文書偽造の犯罪追及
市東さん「提訴却下だ」
白石裁判長も助け船出せず
反原発・国鉄決戦と一体の闘い
世界大恐慌の深化、EUの崩壊的危機、新国防戦略を含めたアメリカ帝国主義による争闘戦に追いつめられる日帝・野田政権は、消費税増税、大民営化=公務員労働者360万人の首切りの攻撃を急ぐ一方、原発再稼働にむけたストレステストの「安全評価」、そしてTPP(環太平洋経済連携協定)への参加、沖縄辺野古新基地建設強行などの、なりふり構わぬ反労働者的・反農民的な延命策に訴えている。激突の前線である三里塚では1月23日、市東農地裁判の第1弾である耕作権裁判の弁論が闘われ、成田空港会社(NAA)の私文書偽造を暴く大前進が闘い取られた。外注化阻止を闘う動労千葉先頭に2・15国鉄集会〜3・11反原発福島大集会へ闘おう。
市東さん耕作権裁判の第22回口頭弁論が1月23日千葉地裁(白石史子裁判長)で行われた。NAAは市東さんの畑の一部を「不法耕作」と言いなし土地取り上げを策動して市東孝雄さんを被告席に立たせたが、法廷はいよいよNAAの悪らつな偽造を暴く反対同盟の本格的な攻勢段階に入った。
前回までに市東さんは、耕作場所の位置特定でNAA主張の唯一の証拠である「同意書」「境界確認書」の添付図面について旧地主(藤ア政吉氏)は関与せず、その署名も別人のものであることを明らかにした。その上で今回、「同意書」「確認書」での市東東市さん(孝雄さんの父・故人)の署名も偽造であることを明らかにしNAAに壊滅的な打撃を与えた。
反対同盟は農地法裁判・行政訴訟に続き、NAAの大犯罪を暴く筆跡鑑定書を提出した。筆跡鑑定人は、筆跡鑑定協会会長・根本寛氏。
鑑定において根本氏は、市東東市さんが原告本人尋問に際して法廷で「宣誓」書に署名したものなどと比較し、「筆跡を同一人の筆跡と見る根拠は存在しない」「偽造であり、別人の筆跡だ」と断定したのだ。
この鑑定を受けて弁論では、葉山岳夫弁護士がこの文書偽造の背景と経過を詳しく陳述した。文書偽造が行われた80年代後半、市東東市さんに対する農地収用攻撃が切迫していた。空港公団(当時)は第2期工事の着工をめざしていたが、反対同盟の農地を含む21・3fの未買収農地および9カ所の団結小屋が存在し、着工は不可能な状態にあった。
そのために空港公団、運輸省(当時)は、土地収用法発動を決定し準備に入った。まずは地主の藤ア氏に農地取得の策動を強めた。本来、公団は市東さんの小作賃借権を消滅させないかぎり藤ア氏から南台の農地を取得することができない。にもかかわらず公団は、小作人・市東さんの承認をえず、その底地の所有権を買収することを企んだのである。これ自体が農地法3条1項2号に違反し、公団の用地事務規程等にも違反してい。
(写真 耕作権裁判の報告会で2012年の決意を述べる市東孝雄さん【1月23日】)
立ち会いもない
その中で公団職員上西亮治、法理哲二らは藤ア氏に市東さんから賃借農地の場所を聞くよう要請した。NAAは南台41番内の畑のそれぞれの耕作者の耕作地を特定できなかったからだ。藤ア氏はそれとなく市東さんから聞いた結果をメモと手書き図に作成してこれを空港公団に渡した。この手書き図は著しくズサンであったが、NAAはこれに基づき地積測量図(88年3月1日付)を作成した。それは、現地測量も行われず、藤ア氏の立会いもなく、署名も捺印もない作り物だった。
ひとまずこれで藤ア氏との間に買収を進めた空港公団は、さらに88年4月に藤ア氏に再度、市東さんに聞いて当初の小作賃借地を特定させ、それを市東さんに承認させることを計画した。しかし「農地死守、強制収用絶対反対」を貫く市東さんが確認書や同意書に署名、捺印することはあり得ない。こう判断した公団の上西、法理らは、先の地積測量図の偽造に続き、同意書、確認書も偽造するにいたった。
それは藤ア氏との売買契約上必要であるとともに、県収用委員会からも求められていた書面だったのだ。このような策動が土地収用の裏で卑劣に進められていた。公団は、土地を収用してしまえば違法を闇に葬ることができると高をくくっていた。ところが反対同盟が屈服しなかったため、25年を経て空港公団の大犯罪が今、法廷で暴かれているのだ。
葉山弁護士はこの経過を述べた上で、最後に「このような偽造文書では対象土地を特定することができないから本件訴えは棄却もしくは却下されるべきである」と宣告し、裁判官・NAA代理人を圧倒した。
また、今回の弁論でNAAは、これまで秘匿していた、藤ア氏との土地売買契約に当たり締結した「覚書」(88年1月)文書を提出した。これは地積測量図偽造などの暴露に追いつめられたNAAの苦し紛れの体裁作りで、逆に墓穴を掘るものだ。弁護団はただちにこれを追及し、求釈明で「用地交渉記録」「石橋・根本との同意書、確認書」など文書の有無とその提出を求めた。
NAAは次回に、署名が市東東市さん本人のものだとした独自の筆跡鑑定を提出すると表明し、文書の有無の回答も含めた釈明も行うとした。耕作権裁判・農地法裁判は、NAA文書の隠匿とあわせて偽造隠蔽を完膚なきまでに粉砕する最大の決戦に入った。
閉廷後の報告会では、最初に市東孝雄さんが「争点がだいぶ煮詰まってきた。皆さんの力をお願いして、却下させる勢いで1年間闘いたい」と12年市東裁判の冒頭に当たり取り組みの強化を訴えた。続いて、弁護団から筆跡鑑定による偽造暴露の意義が次々と語られ、「白石の強引な訴訟指揮が不可能になった」「全文書、報告書、交渉記録を出させれば偽造がさらに明らかになる」と展望が明らかにされた。
闘いの報告とあいさつがなされ、市東さんの農地取り上げに反対する会、動労千葉、関実が連帯発言を行った。動労千葉の滝口誠さんは「鈴木謙太郎さんの無念を受け止め、怒りに変えて労働者・農民・漁民の一大反乱を」と訴えた。
(写真 筆跡鑑定協会会長・根本寛氏の鑑定書。「市東東市さんの署名は偽造」と断定した)
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週刊『三里塚』(S840号1面2)(2012/01/30)
鈴木謙太郎さんを追悼する
闘いの人生 大地と共に
三里塚現地闘争本部
1月半ばの寒風の中、鈴木さんの畑でネギの収穫をする。遠くから聞こえてくるトラクターのエンジン音。「あっ、謙太郎さんかな」 これまでの日常が頭をよぎり、ついそんなふうに思ってしまう。
謙太郎さん。どうしてこんなに早く逝ってしまったのか。こうして今、追悼の言葉を書かねばならないこと自体、悔しくて悔しくてたまらない。
「信念を貫いて生涯を全うしたおやじの遺志を引き継いで闘う」――昨年、そう年頭の決意を語ったばかりだった。闘いにおいては、いつも父・幸司さんの陰で目立たない存在だったかもしれない。でも幸司さん存命の折、例えば韓国・民主労総との交流会の中で「家族ぐるみ」と紹介される闘いを鈴木さん一家が貫いてこれたのは、一家の大黒柱としてしっかりと謙太郎さんが家族を支えてきたからに他ならない。
数年前から、とりわけ幸司さん亡きあとは誰からも認められるほどに存在感を増し、反対同盟にとって欠かすことのできない一人だった。昨年の暮れには「2012年は農地取り上げとの決戦だ」と決意を語っていた。本当にこれからだった。誰よりも彼自身が無念だっただろうと思う。
鈴木謙太郎さんは1954年11月17日、幸司さん、いとさん夫婦の三男一女の長男として菱田の地に生を受けた。1966年の閣議決定の時は11歳。冗舌な人ではなかったから、幼少期や闘争初期の頃の話を詳しく伺ったことはないが、少年時代は地域ぐるみの闘いの渦中にあった。
1984年に父・幸司さんが芝山町議になったこともあり、家業の農業を引き継いで農民としての人生をスタートさせ、1985年3月に加代子さんと結婚。それから27年、文字通り夫婦二人三脚で完全無農薬の有機野菜を作り続けてきた。年間50品目以上、消費者との顔の見える信頼関係を大切にして頑張ってきた。ふだんは近くに買い物に行くのにも加代子さんと一緒に出かけていたから、家に訪ねていっても空振り、なんてことも多かった。
前へ前へと出るタイプではなく、「来るなら来い」と決意を語ることの多かった謙太郎さん。鋭い攻防の闘いの中でも、どっしりとして、なおかつ人をなごませる司会ぶりに彼の人柄を感じていた人も多いことだろう。
その一方で、実は闘いの現場や日常の中では、権力への怒りを爆発させることも人一倍だった。東峰神社林を伐採された時や第3誘導路認可との闘いで萩原富夫さんが不当逮捕された時など、あわや逮捕という場面を何度も見ている。古くは成田用水の攻防の中で、いつも真っ先に機動隊に立ち向かっていった。
日々の生活の中でも、ストーカーまがいの私服刑事の卑劣な嫌がらせに対して、加代子さんがハラハラするほど怒りを叩きつけることもしばしばだった。
また、「信念の人」「頑固一徹」と評された幸司さんと比較され、やさしくて人付き合いも良かった彼を見て、地域の中には「おやじはダメでも謙太郎の代になれば移転させられるんじゃないか」とささやく輩もいた。幸司さんが亡くなった時、様々な甘言や圧力があったことは想像に難くない。だが彼は闘う姿勢を何ら崩さなかった。地域が丸ごと買収に応じて移転する中、たった1軒とどまって反対を貫くこと、日夜騒音にさらされる中で闘い続けることは、はたから思う以上の厳しさがある。しかし「あそこで頑張っている市東さんを裏切るわけにはいかない。孝雄さんと一緒に闘うんだ」と、ことあるごとに語っていた。反対同盟の団結、仲間との絆は微塵もゆるがなかった。
菱田廃村化に抗して闘う鈴木さん宅の周囲には1軒の家もない。菱田地域とひと言で言っても、成田用水に賛成し、あるいは空港反対闘争から離脱していった人々ばかりだ。たった1軒で頑張ることは、物理的にも政治的にも地域の中で孤立する状況なのに、彼は面倒見の良さとみんなをまとめる力で、消防団長を始め、PTAでも地域でもさまざまな役職を引き受けていた。後輩をはじめ、多くの人から信頼され、慕われていた。「いい奴だ」と誰もが思うそんな人だった。通夜には闘う仲間ばかりではなく、小・中・高の同級生など400人もの人々が駆けつけた。本当に器の大きい人だった。
農民として生きていることに誇りと喜びをにじませていた。だからこそ成田用水攻撃、菱田廃村化攻撃に怒りを燃やし、全国集会では、農地法改悪に対して、FTA・TPPに対して、なによりも市東さんの農地取り上げにたいして農民としてのアピールを発し続けた。
譲れないものは絶対に譲らないという芯の強さ、そして大地のような懐の深さ、多くの人を惹きつける魅力、彼の人柄や生き様は、三里塚46年の闘いそのものとダブって見えてくる。
子煩悩でいつも親子仲良く暮らす中にも、闘いに真摯に向き合う姿勢を背中で示し続けていた。昨年の5・20弾圧では、親子3人、初めての不当逮捕を経験した。全国集会にも裁判闘争にも親子で参加するようになった。
病院の中で一時意識を取り戻した時、「こんなところで倒れるわけにはいかない。すぐに帰るぞ」と言っていたという。容態が急変してからは痛みや苦しみと闘い、家族の呼びかけに応えて何度も死の淵からの生還を試みる姿がモニターの数値となってあらわれた。闘いぬいて、しかし力尽きて息を引き取った時の表情は、今にも目を覚ましそうなくらい穏やかなものだった。今思い返してみると、「あとは頼んだよ」と優しく語りかけていたのかもしれない。
市東さんの農地決戦勝利へ! 誰よりも熱い思いを抱いていた謙太郎さん。あなたの遺志を引き継いで三里塚現闘は闘う。いつまでも悲しんでばかりはいられない。2012年は野田政権との激しい闘いの年だ。闘いが堰を切って世界を動かす時だ。反対同盟はその最先頭に立つ決意を新年冒頭明らかにしている。三里塚闘争がまさに全国・全世界の闘いと結びついてその真価を発揮する時だ。残された家族とともにこの地で闘い、全国の仲間とともに市東さんの農地を守りぬくこと、そして三里塚闘争に勝利すること、それを彼の墓前に誓いたい。闘いの報告に、きっと「おう、そうか」と言ってニッコリ応えてくれるだろう。謙太郎さん、どうか空の上からいつものように暖かく檄を飛ばして下さい。
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週刊『三里塚』(S840号1面3)(2012/01/30)
「農民が使っているのに廃止した市道があるか」
1・17団結街道裁判 成田市を徹底追及
1月17日、千葉地裁(民事第3部多見谷寿郎裁判長)で団結街道廃止許可取り消し訴訟の口頭弁論が開かれ、反対同盟と顧問弁護団、そして支援の労働者、学生、市民がともに闘いぬいた。
被告の成田空港会社と成田市は団結街道の廃止を一方的に決め、強行したことについて「住民の同意を得る必要はない」と主張している。そして「道路法は公益を保護するための特別法であり、住民個々の個別的利益を保護する法律ではない」などと述べ立てている。
天神峰で市東孝雄さんは、自宅と耕作地とを直接結ぶ団結街道を一日に何度も往復して営農を続けてきた。この生活と密着した道を問答無用で一方的に封鎖・破壊するという重大な権利侵害を働いておきながら、「公益」を振りかざして正当化しようとは、強盗の居直りに等しい。
弁護団は怒りを込めて成田市を追及した。「市は市道の廃止6類型なるものを出してきて、団結街道廃止も正当な手続きだ、と言うが、許せない。6類型と言うが、ただ頭の中での作り話で六つを列挙しただけ。具体的な事例は何一つ書かれていない」「これでは、団結街道の廃止手続きが不当なのか正当なのかの比較はできない」「農民が隣接土地を耕作しているのに、市道を廃止した例はこれまであるのか、事例を示せ」と、客観的な基準がまったくない廃道処分の違法性を弾劾した。
また、市が空港会社に団結街道の土地を法外な低価格(鑑定評価額の5分の1)で払い下げたことについて、「帯状の形だから価格は安い」などと詭弁を弄していることを厳しく追及した。空港会社と成田市による違法・無法への追及はまだ始まったばかりだ。この後、報告会を行って前進を確認した。
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週刊『三里塚』(S840号1面4)(2012/01/30)
誘導路工事のエスカレート弾劾

市東孝雄さんを追いだすための第3誘導路工事が連日強行されている。去年11月頃からは小見川県道上に誘導路を通すための土台となる橋脚工事が本格化した。反対同盟は生活・営農破壊には断固反撃する決意だ。
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週刊『三里塚』(S840号1面5)(2012/01/30)
ピンスポット
南スーダンPKO派兵許すな!
成田から大型輸送機
PKFへの拡大を狙う
1月11日、成田空港から、南スーダンPKO派遣の陸上自衛隊先遣隊第1陣が迷彩服姿で出発した(写真)。さらに、14日、先遣隊の主力部隊34人が成田空港から、南スーダンの首都ジュバに向けて出発した。
また、自衛隊車両などを軸とした物資が13日、大型輸送機「アントノフ124」に積み込まれ、成田空港から現地に向け離陸した。この物資輸送はこの後、40回にも上るという。さらに2月から3月にかけて本隊300人が派兵されようとしているのだ。
われわれはPKOに名を借りた成田軍事利用のエスカレートを断じて許さない。南スーダンPKO自体がそもそも従来のPKO派兵からの決定的エスカレートだ。「必要最小限の武器使用基準」が大幅に緩和され、近い将来のPKO(国連平和維持活動)からPKF(国連平和維持軍)へのエスカレートが狙われている。何よりも、このPKO派兵は石油、レアメタルの宝庫と言われる同国の資源略奪を狙った争闘戦的意図が露骨だ。
野田政権は武器輸出3原則の「緩和」を打ち出した。宇宙の軍事利用制限も取り外そうとしている。日帝の戦争政策エスカレートを許すな。成田の軍事使用許すな。
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週刊『三里塚』(S840号1面6)(2012/01/30)
団結街道
元中央大学教授の奥村宏氏が『東電解体』という著書を著し東京電力と民主党政権を弾劾している。いくつか参考になる点があるので紹介する▼まず、東京電力という会社が日本帝国主義の中枢そのものであるという、言われてみれば当然のことながら、意外と指摘されてこなかった点だ▼歴代経団連会長、評議員会議長、副会長のうち6人が東電社長である。経済同友会の活動に専念した木川田一隆・元東電会長の存在感を加えれば、東京電力の比重はさらに増す▼その上で、奥村氏は「東京電力はこれだけの事故を起こしておきながら何の責任も取っていない」と企業論を専門とする視点から弾劾する。「東京電力で辞めたのは社長の清水正孝だけ。あとは会長も含め執行部は誰も責任を取っていない」。さらに株主の責任も追及する▼「自分が株主だった会社が事故を起こしたなら、当然株主も株価下落などで損害を蒙るという形で責任を取る必要がある」「東電が倒産して株式が紙切れになっても資本主義である以上それは当然。そうならない方が問題」と▼こうした視点から氏は「東電は解体すべきだ」と言いし、腐朽した現代資本主義について、「大企業を解体すべきだ」と主張する。それは、資本主義の否定までは行かないが、今回の3・11〜原発事故は近代経済学者の一人をして、ここまで主張させた。ここに「これまでどおりではやっていけない末期帝国主義の危機」を見る思いがする。
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週刊『三里塚』(S840号1面7)(2012/01/30)
闘いの言葉
原発は商品たりえない。人間を日夜殺して「安全」などありえない。帝国主義は人民を核の恐怖で支配してきたが、核なしに延命できない崩壊寸前の体制だ。
11年4月 原子物理学者・吉田義久さん
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週刊『三里塚』(S840号1面8)(2012/01/30)
【三里塚闘争裁判】
●2月7日(火)第3誘導路裁判 午前10時30分 千葉地裁
●2月20日(月)市東さん行訴・農地法裁判 午前10時30分 千葉地裁
●3月26日(月)市東さん行訴・農地法裁判 午前10時30分 千葉地裁
●4月9日(月)市東さん耕作権裁判 午前10時30分 千葉地裁
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週刊『三里塚』(S840号2面1)(2012/01/30)
大飯原発「安全評価」許すな
再稼働阻止へ全力を
3・11反原発福島集会へ
日帝・野田政権は1月18日、福井県大飯原発3、4号機についてのストレステストの「評価結果」について、「安全」との判断を下した。4月下旬には定期検査等で全原発が停止状態になる危機に追いつめられた日帝・野田政権が、原発の再稼働を強行するためのなりふりかまわぬ攻撃だ。3・11福島県民集会の大高揚で反撃しよう。
(写真 専門家の意見聴取会で傍聴者を排除して「安全評価」を下そうとする暴挙に抗議する人びと【1月18日 経産省】)
評価書の内容がデタラメ
1月18日、野田政権・経済産業省の原子力安全・保安院は、関西電力大飯原発の3号機、4号機に関するストレステスト(耐性評価)について、昨年10月に出されていた1次評価を「妥当」とする審査結果の素案を専門家の意見聴取会に提出し、同原発の再稼働強行に向けて、大きく踏み出した。
この日の意見聴取会は、前回まで認めていた一般傍聴を中止し、抗議する労働者・市民を排除して行われた。2人の専門家委員は抗議して出席を拒否した。
ストレステストでの国のゴーサインは初めてだ。この後、原子力安全委員会のチェックを経て地元自治体の了解取り付けとなるが、西川一誠福井県知事は「再稼働には安全評価だけでは不十分」「福島原発事故の総括がきちんとなされなければならない」などの態度を崩していない。
2〜3月そして3・11福島県民集会の再稼働阻止の闘いが、今や決定的に重要になった。
空論を並べ立て
そもそも昨年10月に関西電力から提出されたストレステストの評価書自体がデタラメきわまりないものだ。例えば津波の「緊急対応」の項目について。福島第1原発の津波が想定の5・5bに対して実際は15bだったため、その差の9・5bを、大飯原発の場合にも単純に加算したものとなっている。
つまり、大飯原発の2002年の評価値=1・9bに9・5bを足した11・4bまで「緊急安全対策としてのシール施工を実施ずみ」だから「福島原発並みの津波に耐えられる」としている。
しかしだ。福島第一原発と大飯原発では地形も断層帯の位置もまったくちがう。福島で「9・5b高かったから同じ分だけ、大飯でもかさ上げすれば津波には安全」などという論法が成り立つはずがない。何という子どもだまし。
しかも「主に原発に影響を与えた津波として検討したのは1983年の日本海中部地震=秋田県能代市沖」だという。若狭湾には巨大な津波が押し寄せた記録がいくつもある。若狭湾は福島と違って湾内である。実体に即した「耐性検査」を行わなければならないのは常識だが、それすらネグレクトするずさんさ。
まさに最初に結論ありきの反人民的なしろものでしかない。すべては、原発の再稼働にむけた茶番劇なのだ。
さらに、そもそも福島原発で電源が停止したのは、津波のせいではなく地震による配管の損傷であったという事実が隠しようもなくなってきた。津波対策をどれほど行おうが、原発は大地震に耐えられる構造にはなっていないのだ。原発そのものが核爆弾のような危険物=人類と相いれない最悪の存在であるという事実は1ミリも変わらない。
全原発停止の恐怖
よく知られているように、日本にある54基の原発のうち現在稼働しているのは5基しかない。中国電力は19日、島根原発2号機(出力82万`ワット、松江市)が27日に運転を停止し、定期検査(定検)に入ると発表した。すでに1号機(46万`ワット)は定期検査入りで停止しており、中国電力管内の原発は全停止することになる。
四国電力伊方2号機(56万`ワット、愛媛県)も13日に定検入りし同社が保有する全原発が停止。関電は2月20日に高浜3号機(87万`ワット、福井県)が定検入りし、管内の原発11基が運転を停止する見通し。
また東電柏崎刈羽5号機が1月25日に定検入りした。そして現在稼働している原発は5基となった。再稼働がなければ、4月下旬までにすべて止まることになる!
すべて止まれば、原発がなくても電気は供給できる現実が明らかになり、反原発の闘いはいっそう爆発する。この危機を巻き返すために、日帝・野田政権は、青森県六ヶ所村の核燃再処理工場でのガラス固化試験再開に向けた溶融炉加熱の開始や柏崎刈羽原発1号機、7号機のストレステスト1次評価結果の提出など、原発再稼働にむけた攻撃を一気に加速している。
2〜3月再稼働決定阻止へ全力で立ち上がろう。3・11反原発福島集会の大高揚をかちとろう。
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週刊『三里塚』(S840号2面2)(2012/01/30)
1・25施政方針演説 TPP宣言弾劾
事前協議阻止しよう
野田内閣によるTPP参加にむけた攻撃が激しさを増している。内閣府の石田勝之副大臣は1月11日、TPP参加の事前交渉準備のため、オーストラリア、ベトナム、シンガポールに向け出発した。
さらに、野田内閣はTPP交渉参加をめぐる関係閣僚会合の幹事会を開き、TPP参加予定各国に17日から事前協議団を派遣することを決め、17日にベトナム、19日にブルネイに事前協議の省庁幹部を派遣した。これを受けて玄葉光一郎外相は20日、閣議後の記者会見で、日本がTPPの交渉参加に向け、ベトナム、ブルネイとそれぞれ行った事前協議で、両国から日本の参加に支持を得られたことを明らかにした。
最大の焦点であるアメリカとの事前協議は、通商代表部との交渉が1月中にも開始されるとされ、マレーシアとは2月中に、豪州とは2月下旬から3月にかけて協議団の派遣を画策している。
1月24日、施政方針演説を行った野田佳彦首相は「アジア太平洋の世紀を開く外交・安全保障政策」であらためて「いわゆるTPP協定参加に向けた関係国との協議を進めていく」と宣言し、圧倒的多数の労働者・農民・漁民・市民のTPP反対の声を踏みにじって、TPP政策を強行する意志を表明した。
TPPは究極の新自由主義攻撃だ。「復興特区」という名の農民・労働者切り捨てとも一体だ。農民のみならず労働者、市民などの犠牲の上に日帝が延命しようとする切り捨て政策だ。対米事前交渉では、自動車に対する非関税障壁の撤廃(軽自動車規格の撤廃要求など)、牛肉規制の解除などが問題になろうとしている。
TPP協定交渉参加を許すのか否かの決戦はこれからだ。労農の団結でTPPを阻止しよう。
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週刊『三里塚』(S840号2面3)(2012/01/30)
一から分かる市東裁判の争点(上)
底地の買収自体が違法(農地法3条第1項違反)
時期偽り解約許可だまし取る
2012年は市東孝雄さんの農地を死守する決戦の年だ。本紙837号で行った「一から分かる市東さん裁判」を引き継いで、裁判の争点の分かりやすい解説を2回に分けて掲載する。裁判の具体的な中身においてもいかに成田空港会社がデタラメを行っているかを暴く。
市東さんの農地を強奪しようとする農地裁判で、市東さん側は多岐にわたる主張をしているが、成田空港会社の違法を指弾する論点は主に二つだ。
第一は、「農民を保護すべき農地法による農地の強奪」の不当性を明白にした上で、市東さん(小作農)の承諾なしに耕作地を旧地主から取得した違法性を暴くことだ。これはあからさまな農地法第3条2項1号違反だ。
同条では、「小作地等の小作農等以外への譲渡禁止」をうたっている。つまり小作農=市東さん以外への売却を禁じている。仮に市東さん以外への売却が可能となるとすれば、市東さんの了解があった場合だけだ。
しかし、空港公団(当時)は、1988年3〜4月に、市東さんの畑を旧地主・藤ア政吉氏から買収した。この時、耕作者である市東東市さん(孝雄さんの父)の了解はもちろんなかった。了解がなかったどころではない。この売却自体を市東さんに秘密にしたのだから、「了解」などおよそ問題もならなかった。
のみならず、空港公団はこの売却が露見することを怖れ、旧地主に言い含めて秘密にさせ、秘密を隠し通すために、市東さんからの地代を2003年まで15年間も詐取させ続けたのだ。
またこのことに関連して、「買収した農地はできるだけ早く転用しなければならない」という農地法5条関連通達にも違反して、空港公団(のちに空港会社)は、今にいたるも、24年間も転用していない。非農業者(空港会社は非農業者だ!)が、買収をした農地を転用せずに24年間も保持し続けることも農地法5条違反だ。
違法の第二は、1988年3〜4月というこの買収時期について虚偽を記載したまま、成田市農業委員会の「賃借権解約決定」と千葉県知事の「賃借権解約決定」をだましとった事実だ。成田空港会社が06年7月3日に、成田市農業委員会に対して行った「賃貸借契約解約申請」には、市東さんの底地の農地買収時期を03年12月と記していた。ところが、耕作権裁判の第1回弁論が始まる直前、同年11月に、「買収時期の訂正」と称して、「実は1988年3〜4月だった」とこっそり訂正手続きを行った。
なぜウソの買収時期を記載したのか。「第一」で述べた以外にも数々犯している農地法違反が明るみに出るからだ。
その(1)は、前記のように農地の転用違反が明らかになるからだ(5条関連違反)。農地法は農地の転用(空港建設)はできるだけ早く行うことを求めているが、空港公団は、03年までですでに、15年間も転用せずに放置しつづけてきた。その後も転用しておらず、すでに24年になる。重大な農地法違反になる。
これを自覚していた成田空港会社は、「解約申請」を行った時は取得時期を03年12月と偽り、06年9月に県知事の「解約決定」をだまし取った後になって、耕作権裁判の第1回弁論が近づくや「取得時期の訂正」なるものを行った。
これまた驚くべき不正行為だ。ウソの「解約申請書」を元に行われた06年7月以降の成田市農業委員会審議、千葉県農業会議審議、知事決定は前提が崩壊したのであり、すべての決定は取り消されなくてはいけない。にもかかわらずほおかむりしたままである。
その(2)は、用地の取得時期が88年だと、「賃貸借契約解約」を申請する権利が時効(民法167条)で消滅してしまい、攻撃の前提が崩壊するという危機に陥るということだ。だから88年では都合が悪かった。
その(3)にその結果、前記のとおり市東さんの地代を15年間も旧地主に詐取させたのだ。
このほか、そもそも「失効した土地収用法の代替法として農地法を悪用する」こと自体が憲法違反だという点も付言しておく。公共用地の強制的取得は土地収用法によらなければならないことになっている。その土地収用法が効力を失った土地について、農地法や民法を代替法として用い、事実上の収用を行うこと自体憲法違反だ。
強権的な法律である土地収用法の事業認定には、20年という期限が設けられている。それを過ぎたらもはや任意買収以外に用地取得の手段はない、というのが戦後憲法下の考え方だ。
ここまで違法を重てなお、46年たっても用地の取得ができない成田空港の惨状。「国策」と実力で対決してきた三里塚抵抗闘争の真骨頂が示されている。
(つづく)
(写真 2006年、成田市農業委員会総会に先立って行われた市役所抗議デモ【7月23日】)
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《市東農地裁判の年表》
1988年4月 空港公団が市東さんの畑の底地を地主・藤ア政吉氏から密かに買収
2006年7月 成田市農業委員会に「賃貸借契約解約」申請
7月 成田市農業委員会、「解約許可」を決定、県農業会議に進達
9月 県農業会議、「解約許可処分」決定。堂本知事これを追認
10月 NAAが「不法耕作地」と称する部分について市東さんに畑の明け渡しを提訴(耕作権裁判)
2007年7月 市東さん、千葉県を相手どり解約許可取消の行政訴訟を提起
2008年10月 NAAが「契約地」と認める部分について市東さんに明け渡しを求める提訴(農地法裁判)
2010年11月 NAA、「41ー9」について「市東さんは占有してない」と認める
2011年1月 旧地主・藤ア政吉氏は「地籍測量図も同意書も俺は知らない」と反対同盟顧問弁護団に言明
12月 市東東市さん署名の偽造を暴露する筆跡鑑定書を提出
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週刊『三里塚』(S840号2面4)(2012/01/30)
2・7誘導路裁判へ
航空法39条違反を追及
2月7日、千葉地裁民事第3部・多見谷寿郎裁判長の下で、第3誘導路許可処分取り消し訴訟の弁論が闘われる。全力で傍聴闘争に結集しよう。 今回の弁論では、反対同盟側が前回11月29日の弁論で提出している準備書面2を引き継ぐ主張の展開および同日提出した求釈明書4への回答をめぐる論争となる。
準備書面で反対同盟側は、第3誘導路建設が航空法39条2項の「(空港建設にあたっては)他人の権利を著しく侵害しないものであること」に明白に違反するものであることを主張した。
これに対して国土交通省と成田空港会社は、「第3誘導路建設は、市東さん宅の騒音を著しく強くするものではない」(?!)との木で鼻をくくったような主張をした。その根拠は、市東さん宅から遠く離れた取香地区の2地点での騒音測定であったが、市東さん宅ないし隣接地での騒音測定は行っていない。騒音を測りもしないで何が「うるさくならない」だ。
求釈明書4では、この点に関する資料提出の要求を含め、東側誘導路(2009年に東峰の森を破壊して供用開始)の運用実態資料提出を要求した。今度の弁論ではこの求釈明書4への回答を待ってさらに、第3誘導路建設の違法性を追及する。
三里塚現地では第3誘導路工事が激しく進行している。この工事自体への闘いと一体となって2・7弁論闘争に決起しよう。(要項1面)
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週刊『三里塚』(S840号2面5)(2012/01/30)
土の感触は久しぶり
援農・現地調査を行って 福島大学・F
1月16日と17日に三里塚現地を訪れ、援農と現地調査をやりました。初めての援農は事務局次長の萩原進さん宅。どこか福島に似ているような広大さで少し懐かしい感じがしました。冬の時期でも、ネギや里芋、ホウレンソウが取れ、日本の食を支えているのだと感じました。
また、福島では長時間外に出られないばかりか土いじりなんてまったくできないので、久しぶりに土の感触を味わいました。
翌日には、三里塚裁判闘争の一つ、団結街道裁判を傍聴し、席が埋まるほどの傍聴人がいることに、正直驚くほど人が詰めかけるのだなと思いました。
その後、三里塚の現地調査を行い、市東さん宅の畑にある監視台に上り、飛行機のエンジンの爆音やジェットブラストを間近で見て、NAA側が非人道的であることを感じました。封鎖された団結街道の実情や、柵に囲まれた東峰神社を見て、空港建設を阻止するためのものが多くあることも初めて知りました。横堀や岩山記念館の鉄塔に登り、横堀からは成田空港が一望でき、滑走路を寸断していますし、岩山記念館の鉄塔では、間近で飛行機の爆音が聞こえ、着陸する航空機の恐怖まで実感しました。
野戦病院の人から1970年前後の三里塚闘争の頃の野戦病院の活躍に関する話を聞きました。それほど大きくはない野戦病院ですが、医師や看護師が全国から大勢集まったことなどを聞き、話から当時の激戦ぶりを想像しました。
最後には、1985年10月に全学連が闘った三里塚十字路を見て、北原鉱治事務局長からお話を聞きました。
(写真 萩原進さん宅に援農に入った福島大生F君【1月16日】)
北原さんの言葉
北原さんから、成田空港は有事の際には軍事空港化することや、去年の東北太平洋沖地震から始まる福島第一原子力発電所の事故によって、政治の破綻や正体が明らかにされたことなどを聞きました。
また、福島と三里塚は、原発と空港で似ていることにも触れ、国は人間を消耗品としか見ていないと断言し、ともに連帯して政府の国策を潰して反戦、反核のスローガンのもと人間らしい国、生きているすべての人間が作り出す政治にすることが大切だと熱く語って下さいました。
北原さんの言葉でとても印象に残っているのは「人間には温度差があるが、個々人は万能ではない。足りないものがあるのが人間だ」という言葉でした。この言葉は今でも心の奥にあります。そういう人が40年以上も闘いぬいているのだと思います。
ほかにも太平洋戦争の話も聞くことができ、戦争の残酷さ、悲惨さを教わり、旧日本海軍に参加して南太平洋に行ったことを聞き、大変勉強になりました。
今回の援農と現調を通して、現在の革命的共産主義運動の前線と言っていい三里塚は激戦地だと感じました。空港さえなければのどかでのびのびとした農作業ができるのに、と思います。三里塚の環境を破壊し農民から農地を奪う、NAAや成田市に憤りを感じますし、何と言っても政府のやり方には腹がたちます。
福島と三里塚は同じであると私も思います。福島は原発事故によって土地を奪われ、双葉町では中間貯蔵施設を作るために農地をはじめ土地がまたもや盗られようとしています。国の利益のために土地を盗られたくはありません。今こそ、三里塚の戦いを福島に持ち帰り、闘っていきたいと思います。そして、今の社会体制を倒し、私たち、99パーセントが作る社会に変革するためにも三里塚と福島は連帯していきたいと思います。
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週刊『三里塚』(S840号2面6)(2012/01/30)
三里塚営農だより
市東孝雄さん宅
千葉名産の落花生
落花生は煎(い)って食べるまでにするのは、大変手間ひまがかかります。その一つが脱穀作業です。
鍬(くわ)で手掘りした落花生を背丈ほどの高さに野積みし寒風にさらし、乾燥させてから脱穀機で枝から実を剥がし取ります。
「昔は野積みの高さを競ったもんだよ」と萩原進さんから聞いていましたが、農家の高齢化もあり、年寄りの力ではいかんともし難く年々低くなっている気がします。 それでも市東宅の野積みはこの辺りでは一番高い(写真)ので、落花生を剥がしホコリまみれになりながら作業。「今年の落花生は思ったより取れたね」と市東さんの笑顔がこぼれます。
適度な雨量のおかげもあり実入りも良いようで、南京袋に詰め込んだ落花生は一人では持てない程。後の仕事の選別作業もスピーディーにできそうです。昨年は実入りが悪くて出荷はできず、種を取るのだけで精一杯でしたが今年は、有名ブランドである「千葉半立ち(はんだち)」の甘みと香りを楽しめそうです。
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週刊『三里塚』(S840号2面7)(2012/01/30)
三芝百景 三里塚現地日誌 2012
1月11日(水)〜1月24日(火)
●南スーダンPKOに参加するための自衛隊先遣隊5人が迷彩服で成田空港を出発し、経由地バンコクに向かった。(11日)
●内閣府の石田勝之副大臣はTPP参加の事前交渉準備のため、オーストラリア、ベトナム、シンガポールに向け出発した。(11日)
●南スーダンPKOのための陸上自衛隊車両など大量の物資が、成田空港で、大型輸送機「アントノフ124」に積み込まれ、夜、ウガンダに向けて出発した。今後約40回、同様の物資輸送を繰り返す予定。(13日)
●南スーダンPKOに参加する自衛隊先遣隊の主力34人が成田空港を出発した。(14日)
●福島大生が援農に訪れる
福島大学3年のF君が全学連書記長・坂野陽平君と一緒に三里塚を訪れ、萩原進さん宅に援農に入った。F君らは17日の団結街道廃止許可処分取り消し訴訟の傍聴闘争にも参加、その後三里塚現地調査を行った。(16日=感想文別掲)
●野田内閣はTPP交渉参加をめぐる関係閣僚会合の幹事会を開き、TPP参加予定各国に17日から事前協議団を派遣することを決めた。それによると17日にベトナム、19日にブルネイを訪問する、となっている。マレーシアとは2月中に、豪州とは2月下旬から3月にかけて協議団を派遣する方向。(16日)
●団結街道裁判で成田市を追及 成田市と成田空港会社を相手どって、団結街道の廃道許可処分を取り消しを求める裁判の弁論が闘われ、反対同盟はじめ多数が参加、傍聴闘争を闘った。(17日 写真=1面に記事)
●市東さん耕作権裁判を闘う 千葉地裁民事第2部・白石史子裁判長の下で、市東さんの耕作権裁判弁論が行われ、市東さんを先頭に反対同盟、支援多数が法廷を埋め、私文書偽造、署名偽造問題で成田空港会社を追及した。特に今回、市東東市さんの署名が偽造だったことを示す筆跡鑑定書を提出した。(23日=1面に記事)
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