明日も耕す 農業問題の今 コメの値段は下がらない 背後に米帝の対日争闘戦

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週刊『三里塚』02頁(1155号02面05)(2025/03/10)


明日も耕す 農業問題の今
 コメの値段は下がらない
 背後に米帝の対日争闘戦


 農林水産省は、備蓄米の入札について、3月10日から12日まで実施すると発表した。初回は15万㌧を対象に行われ、3月下旬以降、スーパーの店頭などに並ぶ見通しといわれる。米の値段は下がるのか。
 今回の備蓄米放出で米の値段は下がらない。国は放出した備蓄米と同量を業者から買い戻す仕組みだからだ。本当に「流通の目詰まり」なら放出がカンフル剤になるだろうが、米の絶対量が少ないままでは大枠で米の値段は下がらない。
 事実、放出方針発表から2週間経っても業者間取引に変化は見られず、店頭価格も下がらない。早くも追加放出を求める声が上がっている。
 江藤拓農相も原則1年以内という買い戻しを「(米の価格が)落ち着くまではしない」と言い出している。
 そもそも米の値段が上がっても、農民には何らプラスにならないし、「時給10円」と言われるほどにずっと下がり続けてきた。農民が食べていける米の値段で労働者が購入できる賃金が必要だ。

食管法の廃止へ

 米を市場に委ねる政策の出発点はどこにあるか。
 1990年前後、貿易自由化を進めるガット(関税貿易一般協定)ウルグアイ・ラウンドの一環として日本政府は米市場開放を迫られていた。昨年公開された外交記録によれば、93年4月、当時の宮澤喜一首相は米国でクリントン大統領と会談。牛肉・かんきつ類の自由化で89年参院選に大敗したと訴え、食糧管理法改正は困難だと説明した。
 その後、農林水産省と米農務省間で秘密交渉が本格化し、最終的に日本がミニマムアクセス(最低輸入量)の米を受け入れることを条件に、自由化は6年間猶予された(99年関税化=自由化)。
 とはいえウルグアイ・ラウンドの合意を批准するために、やはり食管法改定の必要にせまられ、農政審議会は94年8月、「新たな国際環境に対応した農政の展開方向」という報告書を出した。そして政府は食管法廃止と新しい食糧法成立へと動きはじめたのだ。

農民を犠牲にし

 つまり、今日の米政策の原点となる米の自由化と食管法廃止は日米争闘戦によるものであり、それが今も貫かれている。国内の米の生産を抑制しておきながら、ミニマム・アクセス米は変わらずに77万㌧米国から買っている。
 日米同盟で中国侵略戦争に向かう一方、米帝の対日争闘戦も激化している。日帝は米帝の要求を受け入れながら、労働者農民に犠牲を押しつけ、対外進出・侵略で生き残ろうとしているのだ。
 だから政府は綱渡りでやっている米政策を変えようとしないし「米が足りない」という破綻を絶対に認めようとしない。「国を守るために国民の食料を十分に確保する」などと考えてはいない。飢えたくなければ外で奪え、中国侵略戦争の先兵になれということだ。
 それを拒否する道、日帝打倒の内乱に立とう。

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※食糧管理法(食管法)
 日本の主食である米、麦などの食糧の価格・供給などを日本政府の管理統制のもとに置くことを定めた法律。国は生産費を考慮して生産者米価を定めて米を農家から買い上げ、家計の実情に応じた消費者価格を定めて売った。その「食管赤字」が非難の的にされた。

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