学生は三里塚勝利へ決起する 全学連新執行部を現地に迎え 「今度こそ市東さんの農地守る」

週刊『三里塚』02頁(1151号02面01)(2025/01/13)


学生は三里塚勝利へ決起する
 全学連新執行部を現地に迎え
 「今度こそ市東さんの農地守る」

(写真 左から太郎良陽一さん、市東孝雄さん、西村凌風さん、今井治郎さん、齋藤晴輝さん、渡辺祥英さん、伊藤信晴さん、萩原富夫さん、石田真弓さん【12月18日 成田市天神峰】)

(写真 23年の強制執行と闘った矢嶋尋さんが委員長に)

(写真 齋藤晴輝書記長)

(写真 西村凌風書記次長)

(写真 渡辺祥英書記次長)

(写真 天神峰やぐらで機動隊を迎え撃つ全学連)

(写真 昨年8・6広島原爆ドーム前の実力集会)

(写真 イスラエル大使館前での激闘【10月7日】)

(写真 新宿反戦デモの先頭に立つ【12月21日】)

(写真 反対同盟との血盟にかけて飛躍を誓う)

一回り大きな隊列を組織し 西村
軍事空港を阻止し続け59年 渡辺
日帝の中国侵略戦争許さず 齋藤


 全学連新執行部から齋藤晴輝書記長、西村凌風書記次長、渡辺祥英書記次長が三里塚現地を訪れ、三里塚反対同盟事務局4氏と交流会を行った。司会は元全学連三里塚現地行動隊長の今井治郎さん。前進チャンネルキャスターの石田真弓さんも参加した。(週刊三里塚編集委員会)

機動隊の阻止線を突破し

齋藤 9月の大会で新しく書記長になりました齋藤晴輝です。全学連は新入生も含めて南台農地死守決戦に向かって闘おうとがんがん確認しています。中央執行委員会でも耕作権裁判の判決いかんではただちに現地行動隊の常駐体制を作ることを確認しました。
渡辺 同じく書記次長に任命されました中央大学の渡辺祥英と申します。22年、浜田靖一元防衛大臣は成田空港を名指しして、軍事利用ができないのでけしからんと述べました。国策である軍事空港建設を阻んできた三里塚59年の闘いのすごさをあらためて感じます。
 もう一つ、三里塚には人を闘いに立ち上がらせる「魔力」があると感じています。闘えば勝てる。闘うことは楽しいことだと三里塚に来る度に実感しています。
西村 同じく書記次長の西村凌風です。大学は筑波大学です。私たちの世代は、団結して何かをやるとか闘うということがそもそも発想としてないいうような中で生きてきました。そうした若者にとって沖縄、福島、三里塚がスクラムを組んで全力で国策と闘い、しかもそれを打ち砕いて、今日まで集落を存続させ、生活をし続けて闘っていることはすごく衝撃と獲得力を持っています。一昨年の天神峰強制執行との闘いを見て全学連の存在を知った学生と今一緒に闘っています。この前の闘いよりもさらに一回りも二回りも大きな隊列で今度は強制執行を阻止する闘いの先頭に立ちたいと思います。
司会 昨年は沖縄・辺野古の座り込みに参加されてどうでしたか。
萩原 排除を経験したかったけど、ちょっと拍子抜けしたね。全然工事車両が来なかったので。
伊藤 400人になるとやっぱり大変なんだな。手がでなくなる。
萩原 市東さんの畑だって数百人いれば守れたかもしれない。数十人じゃ、太刀打ちできなかったので悔しかったですけど。でも、ただ見ているだけじゃと意地を見せて突撃しましたけどね。みんなでがんばりましたね。それで、また一つ力関係ができた。やっぱり三里塚に手をつけたらこうなるよと。3名が逮捕されたけど。それくらいしか向こうはできなかった。逆に言えばね。
太郎良 市東さんの決戦はもうちょっと人数が多かったらなと、くり返しそれは思うけど。ただ闘いの中で、全学連は印象に残っています。礼儀正しかったのと、やるべきことをやろうとしたということ。最後の決戦の場所で矢嶋さんが中に入ってね、「入れるよ。入れるよ」って。それが口火になってもう熱くなって、あそこまで盛り上がった。彼女がそこで一声発したことでみんながどーっと意気が上がったというのは印象的だったよね。だから、どれだけやれるのか、押されるなと思ったけど、最後までみんなこういうかたちでやりぬいたというのは、若い力が重要だったなと。そういう意味ではありがたかった。全学連の人たちにとっても新執行部という形で彼女が委員長になったと聞いて、いいことじゃないかなと。今日は会えなくて残念。
市東 がんばってくれたよね。本当に。
齋藤 辺野古の話で重要だと思っているのは、ただ数が多かったから止められたのではないということなんです。県民行動の日とか500人くらいで集まる日もあった。ただ共産党の指導部がコロナ対策という名のもと機動隊に肩を触られたら自分でどきなさいと。機動隊の側も分かっているから、何百人いたって全員どかして工事車両を入れちゃうということを、自分は何回も見ています。昨年の5月に集まったのはそれでどかない400人だった。辺野古ゲート前での何年かぶりの工事車両実力阻止は三里塚が作ったと言ってもいい。
市東 俺も辺野古に行ったときに座り込みをやろうとしたのよ。そしたら、「市東さんはちょっとやめてください」って(笑)。沖縄には10年連続して行ったけど、総理大臣が来るから弾劾行動をやる。最初の頃は右翼も離れていたんだよ。8年目くらいからかな。ものすごくやつらが手を出してくる。警察は一切何も言わない。それでこっちが何かやろうとすると逆に警察がなんだかんだ言ってさ。沖縄の場合は権力と右翼がくっついちゃっているみたい。

沖縄・福島と一つの闘い

伊藤 市東さんの自宅も元々は強制収用の対象だったんだけど、機能強化を見ればわかるように国・NAAはあきらめている。そういう意味では59年闘って天神峰と東峰部落が残っていること自身がすごいこと。そうした中で市東さんの農地決戦がある。59年のすべてをかけて闘うものとして構え切ろう。
市東 この59年、誰がここまで続くと思っていたのか。俺なんかは途中からだから、昔のことは分からない。ただ、同盟としても数が減っちゃったわけだよね。その中で、俺たちが農家をやることをもって政府とか国家権力に対して対峙していくと。ただ反対じゃなくて、ここでどうしても生活をするんだと闘ってきたことが今につながっていると思うんだよね。
萩原 市東さんがここで生活するということが大事だから。それを支えていくと。ただ単に、権力とぶつかることが目的じゃなくてね。市東さんの営農をやれる限り支えていきたいなと。そのために何ができるか。そういうこともひとつ頭に入れておいてもらって。
太郎良 三里塚闘争の中では、移転させられるか、屈服するかということしかなかったんだけど、59年目に入って空港の中で農家をやって家があるというのは勝利だと。拠点として守りぬいた勝利があって、機能強化に関して言えば今度は攻めだ。向こうは「第2の開港だ」と言うけど、そこには虐げられ苦しめられる人たちがいる。これまで賛成し見てきた人間が自分たちに火の粉がかかってきて、さあどうするかと。反対同盟は徹底非妥協で闘いぬいて勝ったぞと。
伊藤 周辺住民の闘いは内容的には空港反対ではないけど、権力やNAAに怒りを持っていて、通じるところがある。
萩原 内心はみんな空港反対なんだよ。だけど、「反対同盟」ってレッテルを貼られて、ああいう激しく反対運動やるのかと言われちゃう。本当はみんな反対。空港がなければ訴訟なんか起こす必要ないんだからさ。
市東 知り合いなんかでもさ、俺がこっちに帰ってきてから空港反対していることに文句を言うのが一人もいなかった。そういう点ではがんばっていれば、がんばっているなりに理解される面もある。
太郎良 市東さんが胸をはっているからだよ。
市東 国やNAAも分裂をはかるためにいろいろやってきたんだけど、そういう点では少しは力になれたかなと思うね。
司会 沖縄、福島、三里塚を一つの闘いとして闘うことの思いを。
市東 沖縄なら沖縄の、福島なら福島の闘い方というのがいろいろあるわけね。それを見てみると、やっぱり国策に対して反対している人としての熱意がすごくあるのね。行けば自分も闘いの中に一緒にいるという気持ちがどんどんどんどん強くなっていくんです。
 第3滑走路建設だってもう国がやることだし無理だと、そういう声がいまだにあるんです。そういう面に対して何とかしないといけない。俺の場合は言葉で言っているだけで、そんなにできることは少ないんだけど、闘いの中での意地もあるし、こっちは何も悪いことはしてないんだよね。まだまだやれることはあるのかなと思う。
 そういう点で全学連の若い人たちが来て、俺みたいなロートルを支えてくれるような力がどんどん増えれば、もう少し違った闘いができると思う。北原さんがよく言ったよね。お金のある人はお金を、知恵のある人は知恵を出せと。本当はあっちこっち行くべきなんだろうけど、いかんせん一人でやっていると農家が忙しくて。言い訳にしているんだけどね。
石田 三里塚闘争を知り、援農にも積極的に参加したいという若者が増えています。日本階級闘争の宝である三里塚闘争が本当に勝利する時代になった。実践的には市東さんの農地を守りぬくということがそれを大きく前進させていく重要な決戦という構造にある。一日一日と勝利は近づいてきているという感覚をもって25年決戦を意気軒高と闘い、みなさんと共に勝ったぞと言いたい。

天神峰に駆けつけよう!

伊藤 今までだったら無理だろうというようなことがうまくいくような情勢にきている。空港廃港も夢じゃない。住民の全体の雰囲気が変わってきている。25年はがんばりどきだ。
齋藤 24年は三里塚でやったような機動隊との大激突、実力闘争を、新入生とか初めてデモに来たという人が次々先頭の方に出ていって、沖縄・辺野古や8・6広島を闘ってつくってきた1年間でした。今アメリカの海軍が航海計画という文書の中で、「27年までに台湾有事が起きる。中国軍との戦闘に備えるべし」と言っています。日帝・石破が少数与党だから何もできないということは全然なくて、少数になったからこそ、維新も国民民主も立憲民主も全部取り込んで9条改憲、中国侵略戦争というところに突き進んでいく年になることは間違いない。その中で、三里塚の決戦もまったく予断を許さない状況だと考えています。全学連はこの3年くらいとにかく100の隊列を登場させるということを言い続けてきて、ようやく昨年の11月集会で120人の部隊ができた。これを2倍化、3倍化するということが三里塚にとっても沖縄にとっても日本で革命をやっていくというにあたっても絶対に必要なことだと考えています。自分が全学連書記長を引き受けた以上は、100、200の三里塚戦士をまとめ上げて現地に駆けつけるということが自分の任務だと思っていますので、25年も団結して闘いましょう。
萩原 僕も学生のときに三里塚が最初に参加した闘いであるし、この三里塚の闘いが人民の闘いに火をつける、力になっていくという点において、一昨年の強制執行との闘いをみんなで闘って、われわれの闘いがみんなの闘いへと広がっていくことができたのはよかったなと思います。当時、全学連は数の少ない時期だったけど、全力で闘ったがゆえに組織建設につながっていることはとてもうれしいことです。三里塚のような闘いは他にはない権力との実際の闘いの場だから、恐れる気持ちを乗り越えて闘えるという実感というのは闘争の現場でも攻防を経験することで、一回りも二回りも大きく、活動家として成長していける場だと思いますので、これからも一緒に闘ってほしいと思います。
太郎良 三里塚と言えば農地を守る闘いだから。農業の問題としても考えてほしい。農業や食だけじゃない。金持ちが政治家とつるんで地球を好きなように食い物にしている。それを率先してやっているのは大学だ。悪らつな教授をどんどんやっつけてもらいたい。
 俺たちは農業的なものを守りながら資本主義社会を倒すためにがんばっている。戦争もそうだけど資本主義社会の構造をぶち壊さないと。自分も三里塚闘争をやっててよかったなとつくづく思います。
市東 反対同盟としては24年は全力で勝利的に闘えました。25年、今まで通り原則を守って、あきらめることなく権力やNAAと闘い続けたいと思います。そのためには現地に一人でも来てもらうといいよね。どんな様子か見るとある程度空気が入ると思うし、感想を友達とかなんかに話して広げてもらいたい。
一同 ありがとうございました。

このエントリーをはてなブックマークに追加